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3.11以降の世界と現代文明のゆくえ
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:
藤原肇
:2012/08/14(火) 11:59:34
その後の一年間に『文芸春秋』だけでなく、『日経新聞』の「経済教室」などに書いた記事で、一冊の本になるほど記事が溜まったから、出版したいと思い原稿を持ち込んだ。
だが、どこの出版社もけんもほろろの態度で断り、文芸春秋の出版部は「雑誌なら、石油危機が来るといういい加減な話でも活字にするが、単行本として無責任な内容のものは出せない」と言い、日経の出版部は「財界が全力を上げて石油開発に取り組み、日本経済の発展のために頑張れと言うのなら、当社の方針に合っているので考慮できる。だが、藤原さんは日本の財界は無能だから、石油開発で立ち遅れているというのでは、とても出すわけには行かない」という返事だ。その他にも五社近く断られて一年が過ぎ、日経の外信部の大原さんが同情してくれ、「自分は何冊も翻訳して出版社を知っているから、どこかに繋ごう」と引き受けてくれた。
大原さんが原稿をサイマル出版会に持って行ったら、田村社長が原稿をパラパラと開いて読み、直ぐにこれは大問題だから出したいと言い、それで出版が即座に決まったと連絡が来た。田村社長は京都の岩波といわれた弘文堂の元編集長で、弘文堂が児玉とナベツネに乗っ取られ、それでサイマルを立ち上げて編集長になり、優秀なジャーナリストに一冊は書かせるが、二冊はダメという奇妙なジンクスを持っていた。だから、そこで出せたのは名誉なことだそうで、ジャーナリスト仲間に加えられる意味では、運が良いということになるらしかった。
ハードカバーで初版3000部の処女作として、1973年の4月に出版されたのであり、五大新聞に書評が出たが評価は良くなく、「悲観主義」とか「日本経済の過小評価」とかで、最初の五ヶ月で1000部も売れなかったという。ところが、本の発売から六ヵ月後の1973年
10月に、第四次中東戦争が勃発して石油禁輸が行われ、石油価格が六倍で石油ショックが世界を襲い、日本では物価暴騰で経済パニックになった。その時に売れ残りの拙著は売り切れになり、ソフトカバーで増刷りが続きベストセラーになった。本を書いた理由は危機襲来に時にパニックになり、醜態を演じるなという警鐘だったのに、私は狼少年扱いでも視察されたので、本が売れたことなど少しも嬉しくなかった。
ただ、本が売れた成果はすでに書き上げていた、『石油飢餓』の出版が直ぐに決まったことだが、失政をした田中首相と中曽根通産相を批判し、責任追及のペンを取ったので権力者に恨まれた。そこで数年間は日本を訪れなかったし、その後に帰国した時は防弾チョッキを身にまとい、成田ではなく羽田から入国するために、わざわざ羽田着の中華航空を利用しているが、夏であせもの痒さで防弾チョッキは脱ぎ、暗殺されても仕方がないと諦めた思い出があり、それから後は石油関係の本を何冊か書いた。
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