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3.11以降の世界と現代文明のゆくえ
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:
藤原肇
:2012/08/11(土) 11:27:34
もう半世紀近くも昔の話で記憶が定かでないが、当時の私はアンポの関係で反米意識が強かったので、それが潜在意識に潜んでいたことは確かだった。だから、同じ地質の専門家だったが石油相を辞めさせられて、確かベールートに逃避していたタリキ前石油大臣に対し、ハーバードを出て法律を専門にするヤマニよりも、より親近感を抱いていたように記憶している。親米派のヤマニは私の主人役のファイサル国王から、信頼されていたので彼が接近してきたと思うが、当時の私は掘り抜き井戸のカレーズ技術において、ペルシア文明に強い魅力を感じており、サウジがイランと仲良くやったら良いと単純に思っていた。だから、付き合っていたある段階で石油の重要性を教えられ、水から石油に変わらないかと誘われたのは確かだが、その段階では私は石油より水の方が貴重だと思い込み、少しだけ心を動かした程度のことだった。
なにしろ、その頃の段階では宗教上の対立関係として、ワハーブ派とシアー派の歴史関係にも無知で、中東が英米の支配力から脱却することが、何よりも大切だという気持ちだったことはほぼ確かだ。新進の石油大臣だったザキ・ヤマニと出会いを持ち、国際政治への関心と文明の未来に対しての好奇心で、何事かを考える若い世代の二人が世界を論じ、お互いに学びあったことは有意義にしても、彼の下で石油に関係する気持ちにならなかった。しかし、彼とも個人レベルでは親しく付き合ったのは、因縁として興味深い出会いだったに違いなく、中東諸国が英米帝国主義から独立して、アジアと一緒にやれば未来は明るいと主張したと思う。彼は私に二十世紀における石油の重要性を教え、私は彼に生命現象における水が果たす貴重な役割と共に、組織体の生命維持におけるエネルギーの貢献に関し、地球の歴史と私流の文明史観を作っていたし、石炭から石油になったエネルギー源が次の段階において、天然ガスから水素になるというくらいは、自分なりの思想として作り上げていたのは当然だった。
だが、私の考えの基本は水の文明史が中心だったから、ある日の議論において「ライバルの語源はラテン語のRIVILISに由来しており、これは水源を分かち合って共にするという意味だから、水源の上流に位置する者は水を支配できて有利だし、そのメリットを生かせば上流は下流のもの支配できる」くらいのことは挑発的に言ったはずだ。それはメソポタミアの王朝の首都の変遷の歴史を追ってみれば、最初はスサにあった都がバビロンを経て流れを遡行し、ヒッタイトからアッシリアに移ったパターンに見ても、水源に向かって覇者の位置は移動しているものだ。当時の私はフランスの五月事件を体験していたし、オリンピックの政治を通じてドゴール内閣を退陣させ、うまく戦えば支配体制を覆せるという考えの有効性を信じ、その熱気を強く感じていたのは確かだった。
水源に相当するアップストリームという言葉が一般化し、それに対応するダウンストリームが使われて、生産するものと消費するものの違いが強調されたのは、石油危機が襲来してから後になっての話であるが、私の考えは水の世界でのパターンに基づいていた。だが、それに閃いてヒントを得て国際政治に適用したとしたら、それは彼らの歴史的センスの優劣の問題であり、私がヒントを提供したということにはならないと思う。だが、下手にこんな議論を展開したら誤解の元であり、石油危機で破産したり苦しんだ人も多いので、これまでサウジでの体験は余り書かないようにしてきたが、私の思い出として「アラビアのロレンス」の世界と結びつき、テクニカラーの映像が浮かび上がるのである。
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