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3.11以降の世界と現代文明のゆくえ

35藤原肇:2012/08/08(水) 13:37:03
今でこそサウジは石油大国として知られており、国情について色んなことがわかるようになったが、当時は鎖国状態の砂漠の国でしかなく、13世紀に紛れ込んだという感じが強かつた。
恐竜のような大型アメ車が走り回っていたが、その車を満タンにするガソリンの値段よりも、冷えたコカコーラ1本の方が高いような状態だ。また、金曜日には待ちの中心の時計広場では、泥棒の右手を切ったり姦通女性に石を投げて、公開処刑が行われていただけでなく、「目には目を、歯には歯を」というルールが支配していた。だから、自分が運転している車の事故で人を撥ねれば、同じ車で撥ねられる刑罰が行われるし、労働者のお祈りを妨害した場合には、宗教警察に捕まって鞭打ちの刑になる。
こんな状態の国に派遣されたお陰で、会社は予想もしない最高の待遇をしてくれた。だから、月給はスイスの口座に自動振込みだし、住む家と自由に使える交際費を提供してくれ、三度の食事はホテルのレストランで済ませた。会社は私に二台の自動車と二人の運転手をつけてくれ、乗用車の方はプジョーの404型であり、掘削現場用にはトヨタのランドクルーザーだったので、私は砂漠に乗り出して疾走を楽しんだ。だが、「目には目を」というルールがあるために、運転は慎むようにと言うお達しがあって、本当は若気の至りでリスキーな行為ではあった。
だが、日没後には運転手が仕事をしないし、掘削作業は24時間体制だったから、ハンドルを握って現場に出かけて行き、砂漠の星空の美しさに感嘆したものであり、幕末の日本に来たガイジンの異国体験を味わった。
当時のリャドには大きな高級ホテルが二軒あったが、町の中心のインターコンチネンタルは改装中で、飛行場の前にあるサハラ・ホテルだけが利用でき、そこで私はいつも仲間と食事をしていた。しかも、後方の広間ではよく会議が開かれており、それが当時における閣議や外交交渉だったし、お陰で大臣やプリンスとも知り合いになったが、近隣の王族が来ると泊り客は追い出されて宿替えで、そんな不思議な世界を眼前で目撃した。
農業大臣がラクダ牧場に連れて行ったり、プリンスが主催する鷹狩りにさそわれて、砂漠に生きる民の生活について学んだことで、砂漠に生きる生活のリズムが理解できた。そんな人生で知り合った中に若いヤマニがいて、彼は石油鉱山大臣になって未だ日が浅く、お互いに若かったから親しく付き合ったが、石油の持つ価値を私に教えたのは彼だった。
日本人の地質のプロがフランスの会社で働いている上に、サウジで水を掘っていることが珍しく、興味をもたれたとしても不思議ではないにしろ、ペトロミンで仕事をしないかと誘って、「水はサウジでは大事だが、これからの世界は石油だ」と断言し、私の人生航路を歪めたのは彼である。もっとも、その時点ではそれほど強い関心も持たずに、石油鉱山省を見学に行ってみたのだが、英、米、欄、独、エジプト、トルコ、レバノンなどの出身で、顧問や相談役の技術関係者に会った結論は、自分に相応しい職場ではないという判断だった。
なぜならば、エクスパットと呼ばれる出稼ぎ人の仲間に、若い段階で加わったのでは修行にならず、もっと遍歴する必要があると痛感したからだ。また、サウジは石油開発の現場に位置しており、戦争でいえば戦場に相当しているし、自分の資質が指揮官より参謀役が似合いならば、ヨーロッパかアメリカに行くべきである。しかも、この時の私が抱いていた一種の偏見に似た気分は、水は生命にとって不可欠なものだが、石油は鉱山開発に似て山師が活躍する世界であり、どうも自分に似合わないという気分がして、残りの半生を石油の世界で過ごすなどと、この段階では予想さえもしなかった。


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