したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

3.11以降の世界と現代文明のゆくえ

27David 見城:2012/07/24(火) 07:09:46
夏の夜に、霧島神宮の薪能ならぬ「かがり火コンサート」についての藤原さんの文章(22.25.)を読み、篝火に照らされた木立の神域に流れたショパンやバッハの響きを思い、また、歴史の流れを濃縮したようなその夜の饗宴の醍醐味の一端を味あわせて貰うことができたことを感謝したい。

大木の繁る森林の中で、火をたいて夏至祭りや夏祭りをする習慣は世界各地に見られるが、個人的には、7月のこの時期であれば、那智の火祭やボヘミアングローブとのシンクロニシティを感じざるを得ない。

この霧島神宮の話を読んで、かつて那智の火祭りを訪ねた際、神域に聳え立つ大木の杉木立と、その元で行われる火祭りの迫力ある様相を見て、那智の火祭りや古神道の原点が、ギルガメッシュが森の番人であるフンババを殺す前のレバノン杉の林の中にあり、エンタシスの柱はレバノン杉の森の神秘と生命力への畏怖から生まれたものだろうと直覚したことを思い出した。

レバノン杉の森に遠征し、森の番人のフンババを殺し、自然を征服したギルガメッシュの末裔である我々の祖先が、自然を破壊・征服し、諸資源を枯渇させつつ、営々と築いてきたのが今日に至る歴史の主流である。
現代の先進諸国の中で最大の森林保有率を誇る、極東の島国の日本に、自然信仰の対象である鎮守の森の緑と赤い社のコントラストが今も美しく息づいており、夏の一夜、篝火のもとその木立の中で人々がバッハやショパンの生演奏を深く味わっているという姿は、自然の器に文明のエッセンスを盛り付けたとでも言うべき不思議な取り合わせ効果を持っており、その一夕の出来事が、現代の一つの奇跡であることを示している。

しかし、現代文明の中の奇跡のオアシスのような霧島神宮の夏の一夜も、それが311以降の日本で起きている出来事だと改めて認識するとき、今、日本で急展開し続けている、ギリシャ悲劇にもないような究極の人類悲劇の中の劇中劇のような、入れ子構造の一部であることが意識され、人類が陥った深淵の深さと事態の深刻さがよりいっそう強調されるような気がした。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板