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3.11以降の世界と現代文明のゆくえ
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藤原肇
:2012/08/16(木) 07:53:37
私と霧島を結びつけた最大の貢献者は飯山一郎さんで、彼とは昨年の九月に初めてお目にかかったが、彼は四十年来の私の熱烈な読者であり、1973年の春に出した私にとっての処女作である、『石油危機と日本の運命』を読んで人生が変わったらしい。当時の飯山さんは二十代の若者だったそうであり。夏の終わりにこの本を読み石油危機の襲来を確信し、農家だった自宅の畑に鉄のタンクを幾つも備えつけ、家族や住民から気が違ったと言われたが、石油を買い込んで危機に備えて備蓄したそうだ。そうしたら数週間後に第四次中東戦争が勃発し、アラブ諸国の禁輸で石油ショックが日本全土を包み、瞬く間に石油価格が五倍に暴騰したので、彼は今のカネにして五億円ほど儲けたのだという。
石油危機が来ると予告した私でさえ、石油を手当てすることなど思いつかなかったのに、それを実行した日本人がいたのだから驚きだ。大部分の日本人がトイレットペーパーの買占めに走り、日本政府も財界もパニックに陥った時に、日本中から石油を求めて買い手が殺到した。だが、彼は毎日のように札束をダンボール箱に詰め、幾らあるかは銀行員に数えさせて暮らしたという、飯山青年が味わった武勇伝は講談調で痛快である。
その時から私の熱烈な読者になったらしく、『間脳幻想』はいつもリュックサックに入れて持ち歩き、これまで三冊もボロボロになるまで読んだそうで、そんなエピソードが彼のホームページに書き込まれた。2009年2月27日付の「てげてげ」の書き込みは、「藤原肇先生への公開礼状」と題したもので、それは記念すべき内容の記事だったのに、彼が使ったヤフーの手で記事は抹殺されてしまい、読むことができなくなったのが残念だ。もっとも、ヤフーが扱った記事や手紙は対馬海峡を渡り、総てKCIAに届けられているから、隣の国に行けばデータは残っているはずだし、ことによると飯山さんもバックアップしているかも知れない。
私は幸運にもプリントアウトが一部手元にあって、飯山さんが男の母親になった記録を保管している。今回もその回顧談を素晴らしい語り口で述べ、彼の独演会は聴衆を大いにうならせたが、彼は天性の語り部で若き日のアルバイトで身につけた、ディスクジョッキーの妙は流石にセントポール仕込である。だから、日本人離れした実行力を持つ人だけあって、一日に何十人もの人の電話を受けるし、ホームページには猛烈な書き込みを続け、しかも、日本全土どころか朝鮮半島やシナ大陸を駆け巡り、神鬼出没の鞍馬天狗並みの活躍をしている癖に、耄碌爺を自称しているのだから呆れてしまう。それでも素晴らしい決断力を持つ飯山さんは、フクシマ原発の爆発で放射能に覆われた日本で、多くの日本人が放射能によるガンの発症により、生命の健康を損なう事態からの回避のために、乳酸菌を使った生活環境つくりを目指し、八面六臂の活躍をしているのを見据えながら、私は何をすべきか省察せざるを得ない。
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