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【伝奇】東京ブリーチャーズ・玖【TRPG】

1那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 14:55:01
201X年、人類は科学文明の爛熟期を迎えた。
宇宙開発を推進し、深海を調査し。
すべての妖怪やオカルトは科学で解き明かされたかのように見えた。

――だが、妖怪は死滅していなかった!

『2020年の東京オリンピック開催までに、東京に蔓延る《妖壊》を残らず漂白せよ』――
白面金毛九尾の狐より指令を受けた那須野橘音をリーダーとして結成された、妖壊漂白チーム“東京ブリーチャーズ”。
帝都制圧をもくろむ悪の組織“東京ドミネーターズ”との戦いに勝ち抜き、東京を守り抜くのだ!



ジャンル:現代伝奇ファンタジー
コンセプト:妖怪・神話・フォークロアごちゃ混ぜ質雑可TRPG
期間(目安):特になし
GM:あり
決定リール:他参加者様の行動を制限しない程度に可
○日ルール:一週間(延長可、伸びる場合はご一報ください)
版権・越境:なし
敵役参加:なし(一般妖壊は参加者全員で操作、幹部はGMが担当します)
質雑投下:あり(避難所にて投下歓迎)

関連スレ

【伝奇】東京ブリーチャーズ・壱【TRPG】
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【東京ブリーチャーズ】那須野探偵事務所【避難所】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1512552861/

番外編投下用スレ
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1509154933/

東京ブリーチャーズ@wiki
https://w.atwiki.jp/tokyobleachers/

2那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 14:55:39
謎のイケメン騎士Rこと聖騎士ローランから東京ブリーチャーズへと齎され、橘音が開示したもの。
それは、天魔の首魁とその目的に関する情報だった。
東京ドミネーターズを結成し、レディベアを操り、天魔七十二将を率い――
過去と現在においてすべての悪逆と陰謀を司るその男の名は、赤マント。怪人65575面相。


――天魔ベリアル――


かつてただひとり、天界において唯一神の傍らに座すことを許された『神の長子』。
天軍の総指揮官ミカエル、明けの明星ルシファー、那須野橘音ことアスタロト、そしてすべての天使たち……
その英雄だった男。

任務として行っていたはずの悪徳に耽溺し、唯一神によって神に準ずる権能を奪われたベリアルは、
妖怪大統領バックベアードの『想いが力に変わる場所』ブリガドーン空間を使って自らを龍脈の使用者に仕立て上げ、
龍脈の莫大な力を掌握することで復権を果たそうと画策している。
ベリアルの最終攻撃の準備が完全に整うのは、今から三ヶ月後。
東京ブリーチャーズはそれまでに天魔の巣窟と化した東京都庁に乗り込み、ベリアルを倒さなければならない。

だが、紀元前よりありとあらゆる悪徳の根源とされるベリアルを倒すには、現時点の東京ブリーチャーズはあまりにも弱すぎる。
ベリアルの最終作戦が発動するまでの間、ブリーチャーズは各々二ヶ月の期間を取って修行をすることになった。

「では――二ヶ月後。皆さん、那須野探偵事務所でお会いしましょう!」

橘音の音頭によって、東京ブリーチャーズは最終決戦へ向けての特訓をすべく一旦解散した。

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雪の女王によって雪女の里に連れてこられた祈は、祖母・菊乃、母・颯と共にいた。
しかし、各々過酷な修行を開始した他の仲間たちと違い、菊乃と颯は祈に対して特訓を課そうとはしなかった。
二日経っても、三日経っても、ふたりは特に祈を鍛えようとする気配を見せない。
やる気バージョンではない、いつもの老婆の姿の菊乃が言う。

「いいかい、祈。
 あんたがこれからやろうとしているのは、この世界でも最大級の戦いだ。
 あんたが戦おうとしている相手は、あんたが――いや、アタシたちが生まれる二千年も前から悪事を重ねてきた、
 筋金入りの悪党だ。
 そんな敵を前に今更あんたへ戦い方だの、戦闘の型だのを教えたところで、焼け石に水だろうさ。
 アンタには、戦いの訓練なんかよりもっとやらなくちゃいけないことがあるんだよ」

クォーターである祈は純正妖怪であるノエルやポチ、伝説級大妖の力を持つ橘音や尾弐といった仲間たちより身体能力で劣る。
今までは風火輪や仲間とのチームワークで何とか乗り切ってきたが、今度ばかりはそうはいくまい。
妖怪のクォーターであるというスペックの低さを肉体的な面で補填する方法は、現時点では存在しない。
といって、祈は留守番で――ということにはならない。祈にはやらなければならないことがある。
何より祈には、仲間たちとの身体能力の差を埋め合わせる強力な武器があるのだ。

「それじゃ……そろそろ、始めましょうか」

颯が告げる。
蒼白い雪の回廊を通り、菊乃と颯は祈を宮殿の奥にある部屋へと連れて行った。
祈の住むアパートの部屋くらいの広さの、この宮殿の中にあっては本当に小部屋と言えるくらいの空間だ。
そこには家具の類は何もなく、ただがらんとした空虚なスペースだけが存在している。

「そこに座りな、祈」

菊乃が何もない床を指さす。

「あんたはこれから、龍脈にアクセスするんだ。
 今までは、ほんのちょっぴり龍脈から力を借りるだけ――しかも、本当に追い詰められたときに一瞬だけ――だったものを、
 いつでもある程度引き出せるようにする。
 そうすりゃ、あんたの勝てない相手なんてこの世にいなくなるさ。
 だって、龍脈はこの地球の生命力の源。そして妖怪ってのはみんな、その生命が営む『思考』から生まれたんだから」

龍脈はこの惑星を走る血管のようなもの。
その膨大なエネルギーを直接、祈の意思で引き出すことができるようになれば――それは肉体のハンデを補って余りある武器となる。
祈に与えられた二ヶ月は、それを可能とするための時間だった。

「この修行は、あなたひとりでするのよ……祈。私たちには、残念だけれど手助けできない。
 今まで、あなたはたくさんの仲間たちに支えられてきた。いろんな人たちから力をもらってきた。
 でもね……これは、これだけは。『龍脈の神子』であるあなただけの力と意志でやらなければならないの」

心配げな面持ちで、しかし確固とした決意を湛え、颯が言う。
龍脈の神子以外の者が龍脈にアクセスすることはできない。神子以外の誰にもその方法は分からない。
だから。
この訓練は、祈がひとりで考え。祈がひとりで実行し。祈がひとりで成し遂げる以外にないのである。

3那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 14:59:16
「じゃあ、アタシらは外にいるから。何かあったら呼びな。
 ……無理だけはするんじゃないよ」

菊乃と颯は扉を開くと、外へ出て行った。
パタン……と静かに扉が閉まれば、後は祈だけが部屋に残される。
と、その直後。
それまでその場所にあったはずの扉が音もなく消え、同時に手狭だった部屋の中が開ける。
祈のいる場所を中心として、広大無辺の空間が現れる――。
ただ床だけが存在する、どこまでも続く地平。
恐らく結界の一種なのだろう、外の物音も聞こえなければ、菊乃と颯の気配もない。
ここで祈は龍脈の神子としての己を顧み、龍脈にアクセスしなければならない。
アクセスする――などと言っても、その方法は分からない。誰に教えを乞うこともできない。

だが、祈は既に『知っている』。

瞑目し、自身の心に問えば。
繋がりたいと心で念じれば。

次の瞬間には、祈の心は肉体を離れ、遥か下方にある地球の核と接続することができるだろう。

祈の魂は肉体のいる空間から、真っ逆様に下へと落ちてゆく。
自由落下だ。床を通り抜け、地面をすり抜け、祈はどこまでも落ちてゆく。
そのさなかに、様々な映像が脳裏をよぎってゆく。――それは、46億年にのぼるこの惑星の歴史。
原始地球が発生し、マグマが凝固して地殻が形成され、海ができ、誕生した原生生物が進化を開始する。
類人猿が人類となり、文化を考案し、文明を築き上げる……。
その膨大な歴史が、猛烈な早送りで祈の頭の中を掠めては通り過ぎてゆく。

地球の記憶だけではない。祈自身の記憶もまた、その眼前で克明に再現される。
祖母とふたりきりで育った幼少時代。
自らの力を自覚し、都内に巣食う妖壊たちを相手に喧嘩に明け暮れ悪童と呼ばれた時代。
橘音に見出され、東京ブリーチャーズとして活動し始めた時代。

そして――

《祈、お願いですわ。もし、もしも。わたくしのことを本当に友達と思ってくれるのなら――》

《い、嫌です!わたくしはまだ、祈と一緒に……!》

《祈!……祈…………!!》

強大な敵の前に、ともだちを奪われた――あの夜。

いったい、どれほどの時間が過ぎただろうか。
雪の女王の宮殿を離れてすぐだったような気もするし、それこそ46億年の時間が経過したようにも思える。
そんな不明瞭な時間の果て、やがて祈の身体はこの星の中枢に到達した。
まるで別の世界へとやってきてしまったかのような、巨大な空間。その中を走る、おびただしい量の光の波濤。
それは、この地球という惑星の上を網の目のように縦横に走る動脈。
地球に存在するすべての生きとし生けるものの根源。生命エネルギーの出ずる場所。

“龍脈”。

祈はこの星の心臓部に達したのだ。

それまで自由落下していた祈はふわりと緩やかに停止した。
天地も上下もない、宇宙を思わせる広大な空間の中心に、まるで太陽のようにひときわ球状に輝く大きな光がある。
その周囲を、祈がここに達するまでに見てきたものと同じ記憶の螺旋が取り巻いている。
祈がその光へと近付いてゆくと、突如としてまばゆい閃光が祈を包み込んだ。
そして――

次の瞬間、祈は今までとはまるで異なる場所に佇んでいた。
錆ついた手摺。誰も来なくなって久しい、手動の改札。
切れかかって明滅する、天井の蛍光灯。
祈はその場所を知っている。そこはかつて、夢の中で訪れた場所――『きさらぎ駅』。
以前祈が訪れ、戦ったときと、そこは何ひとつ変わらない。まるで時間そのものが止まってしまってでもいるかのように。
であるのなら。それならば。

彼も、まだそこにいるのだ。



「やあ……来たね、家出少女」

4那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 15:04:05
改札を隔てたホーム側に、二十代後半くらいの青年が立っている。
無造作だが小奇麗な髪型の、優しげな顔立ちの青年。
以前会ったときには駅員の格好をしていたが、今はゆったりした水色のシャツに、ベージュのチノパンといった私服姿だ。
左の手首で、銀色のバングルがキラキラと輝いている。

「いや……もう家出はしていないから、家出少女じゃないな。
 訂正しよう……よく来たね。祈」

青年はそう言うと、嬉しそうに微笑んだ。
かつて、帝都を護るために赤マントと戦い、祈や颯、尾弐と橘音の身代わりになって死んだ男。
赤マントの策略によって冥土に落とされた東京ブリーチャーズを、祈を、生者の世界へと導いた男。

祈の父――安倍晴陽。

「少し見ない間に、また大きくなったみたいだな。
 黒雄さんや橘音君に礼を言わなければ……約束を守ってくれてありがとう、とね」

晴陽の声は優しい。
陰鬱なきさらぎ駅の駅舎での再会だったが、祈へと向けるその声や眼差しには愛情が溢れている。
ただ、祈が改札を通ってホーム側へ行くことはできなかった。
ホームはゲートによって塞がれている。また祈が脚力にものを言わせて飛び越えようとしても、不思議な力で阻まれてしまうだろう。

「さて……積もる話はあるけれど、そうゆっくりしてもいられない。
 もう、外の世界では二ヶ月が経過しようとしている……君がこの場所へたどり着くのに、それだけの時間がかかったんだ。
 だから……さっそく始めよう」

それまでの柔和な表情から一変、晴陽は決然とした表情で祈を見た。

「祈。君は、何がしたい?
 この惑星のエネルギー、龍脈を用いて……何をしたいと願うんだ?」

今まで様々な者たちが議論してきたように、龍脈とは他に比肩しうる物のない莫大な力だ。
それは同じ惑星由来のエネルギーである石油や石炭、それに人類の叡智である原子力などとは比べ物にならない。
龍脈の力をほんの数パーセント、もしくはそれ以下――引き出すだけで、人の運命は容易に変転する。
祈は今までもその力によって姦姦蛇羅を救い、颯を救い、尾弐や橘音の抱えていた闇さえも払ってみせた。
これからも祈がその純粋な心を持ち続けることができるなら、きっと世の中はよくなってゆくだろう。
 
しかし、その反面で人の心は移ろいやすく、容易に悪に転ぶ。
世の中には醜いもの、汚いものが多く存在する。
祈がいつかその汚濁にまみれ、穢れて、悪に身を落とさないという保証はどこにもないのだ。
だからこそ、御前はその可能性を危惧して祈を始末しようとした。
取り返しのつかないことになる前に、原因そのものを摘み取ってしまおうと考えたのだ。

この地球の根源と繋がる、龍脈の神子。
その資格者となった瞬間から、祈には多くの枷が嵌められたのである。
力に溺れることなく、驕ることなく。ただ善性と愛に基づいた行動を貫き通すことができるのか?と――

「今まで君が戦ってきた者たちは『何らかの要因によって悪に堕ちた』者たちだった。
 だが、今度は違う。あの男赤マント――いや。天魔ベリアルは『悪たるべくして生まれた』。
 『悪は恐るべきもの。忌むべきもの。強大なもの』という『そうあれかし』なんだ。
 そんな者を前にしても、君は……信念を貫き通せるのか?」

もし、かの者と対峙したとき。決戦の瞬間を迎えたとき。
祈は『今まで仲間たちが赤マントにされたこと』を思い出し、彼を憎悪せずにいることができるだろうか?
橘音は無念の心を利用され、天魔として転生させられた。
ノエルは災厄の魔物に成り果て、大切な姉を失った。
尾弐は酒呑童子の依代として千年に渡る苦しみを味わわされ――
ポチは長年の悲願であった同胞との邂逅を踏みにじられた。
祈自身もベリアルによって目の前にいる父と死別し、母と十四年間も離れ離れになっていた。

天魔ベリアルは人の心の闇につけ込む技術においては、比喩表現抜きで世界の頂点に位置する存在である。
龍脈の神子としての資格を得、強大な力を持ったとしても、祈のメンタルは14歳の少女に過ぎない。
紀元前から人類を惑わせ、悪の道へと引きずり込み、破滅させてきたベリアルに言いくるめられ、屈する可能性だって考えられる。

また反対に、祈の心に柱の屹立するかのように一本の確固たる信念があるのなら。覚悟が存在するのなら。
それはいかなる悪の誘惑をも跳ね除ける、心の壁となるだろう。

「さあ――答えるんだ、祈。
 君はなにを望む?何を願う?
 身体が打ちのめされたとき。心が挫けそうになったとき。
 君は、なにをよすがにして立ち上がるんだ――?」

晴陽は、その覚悟を問うている。

5那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 15:04:55
「乃恵瑠、あなたがこれから戦おうとしている相手は、あなたが今まで戦ってきた相手とは比較にならない強さを持っています」

ノエルと対峙した雪の女王が荘重に告げる。

「今のままでは、瞬きの間にあなたは滅ぼされるでしょう。
 あなただけではありません。聖騎士ローランに対し、束になっても勝てなかった今のあなたたちでは……。
 ですから、あなたを本気で鍛えます。おふざけはありません。
 私のスパルタを、あなたは耐えられないと思うでしょう。もうやめてしまいたいと思うかもしれません。
 ですが――
 あなたがおふざけをしていられる世の中を破壊してしまおうと。闇と絶望に覆ってしまおうと。
 そう画策している者たちは――『その向こう』にいるのです」

これからも、仲間たちと和気藹々と遣り取りがしたいのなら。
バカなことをしても、笑って許してもらえる。そんな世界にいたいのなら。
死ぬ気でやれ、と言っている。

「まずは、あなたのその素質を開花させます。
 あなたの力は、まだまだその大半が眠っている……そしてあなたはその使い方さえ分からない。
 それをすべて教えます。
 早速で悪いですが……行きますよ」

すい、と女王は右手をノエルへ突き出す。
そして次の瞬間、女王の翳した右の手のひらから猛烈な吹雪が迸った。

ゴウッ!!

それは、雪妖のノエルをして『寒さ』を感じさせるほどの、圧倒的な冷気。
見ればノエルの身体が足許から凍り付いてゆく。その場を離れなければ、ものの数分でノエルは氷の彫像と化すことだろう。

「寒いですか?寒いでしょう。
 さあ、“世界のすべて”をお使いなさい。“新しいそり靴”はただの飾りですか?
 こんな試練にも打ち勝てないようでは、都庁へ行っても殺されるのが関の山。
 ならば――いっそこの母が引導を渡すのも、また親心というものでしょう!」

ぶあっ!!!

女王の両手から迸る吹雪が勢いを増す。
吹雪は周囲の空間をも凍てつかせ、気温が急速に低下してゆく。
極低温の中では、呼吸さえもが困難になる。冷気によって呼吸器が侵食されるのである。
まして、雪の女王が生み出す妖力の冷気だ。その威力はノエルの身さえ秒単位で蝕んでゆく。
“世界のすべて”で自らの能力を増幅させ、“新しいそり靴”で冷気を回避し、女王に攻撃を叩き込まなければならない。

が。

「もちろん、接近が叶ったからといって私に易々攻撃ができるとは思わないことです」

女王はノエルの放つ冷気を微風のように受け流し、また近接攻撃に対しても氷壁を巡らせて鉄壁のガードを見せる。
普段は宮殿の奥に鎮座し、全盛期の力など見る影もなく衰えたかと思われていたが――
どうやら、日頃はその力を使う必要もないため温存していた、ということらしい。
女王はノエルを完膚なきまでに叩きのめし、気絶するまで打ち据えた。
そしてノエルが力尽きると古式ゆかしいラグビー部の特訓よろしく頭に勢いよく冷水を叩きつけて覚醒させ、また叩きのめした。
一見するとスパルタ式の特訓を通り越した、単なる虐待に見える。
そんな幾度となく死を感じさせる日々が、何昼夜も続いた。

「あなたの身体は頑丈にできています。この程度では死にません。
 死ぬと思うのは、あなたの心が弱いから。身体の強さに心の強さが追い付いていないから。
 身体と心の均衡が取れていないのです。そして……それが才能の開花を妨げている。
 ひょっとしたら手加減してもらえるかも、とか。母親なんだから優しくしてくれるだろう、とか。
 そんな甘ったれた考えは捨てなさい」

今までは何だかんだとノエルに優しかった女王だが、この特訓において気の緩みは一切ない。
すべての生物を凍結させ、命を奪い、天地をも冷気に閉ざす。
そんな酷寒の冬の化身。雪と氷の体現者である大妖の姿が、そこにはあった。

6那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 15:05:17
ノエルが特訓を開始して、一ヶ月が経った。
相変わらず、ノエルは雪の女王に対してろくな反撃もできず、毎日10回は気絶してその都度頭から氷水を叩きつけられた。

気絶。覚醒。気絶。覚醒。気絶。覚醒。気絶。覚醒。気絶。覚醒。気絶。覚醒。気絶。覚醒。気絶。覚醒。

そんな毎日。
雪の女王は小さく息をついた。

「まるで進歩が見られませんね」

「お言葉ですが女王様、姫様にこの特訓方法はハードルが高すぎたのでは……?」

「今までずっとぬるま湯で過ごしてきた姫様に、普通の妖怪だって音を上げるような特訓というのは、やはり……」

カイとゲルダが口々に女王を諌める。
といって、他に強くなる方法などない。ハードルが高かろうと無茶であろうと、ノエルはこの方法で強くなるしかないのだ。

「そうですか。
 この期に及んで、まだこの子は私に憐憫を乞うているのですね。
 そして――あなたたちがそんなノエルに中途半端な希望を与えている。
 ならば。……あなたたちは不要です」

そう言うと、女王は不意にノエルの目の前でカイの左の首筋にひたり……と右手を触れさせた。

「じ……、女王様……?」

女王が触れている場所から、急速に氷が広がってはカイの肉体を侵食してゆく。

「見るのです、乃恵瑠。あなたが戦わなければ……皆『こうなる』のです」

「じょ、お……ひめさ、ま……」

ノエルの眼前で、カイは瞬く間に氷の彫像と化してしまった。
ゲルダが驚愕に目を見開く。
しかし、女王はただカイを氷漬けにしただけではなかった。

ヒュッ!!

女王の右の手刀がカイを一閃する。
氷像となったカイの胸に、小さな亀裂が走る。それはピキピキと音を立て、徐々に大きく広がって全身に伝播してゆき――
やがて。氷になったカイの身体は、あっけなくガラガラと崩れ落ちていった。
ゴト……とカイの首が地面に落ち、ゴロゴロとゆっくりノエルの足許へ転がってくる。
そして、すぐにそれにもヒビが入り――もう元が何だったのかさえ分からない、ただの氷の塊に変わった。
物言わぬ氷の破片の中に、理性の氷パズルが落ちている。
カイが修理して持っていたのだろう。

「ほら。死んだ」

女王はひらりと軽く右手を閃かせて言った。
物語にもなるほど執着した、大切な存在だったはずだが――
その最期はごくごく唐突で、簡単で、あっけないものだった。
雪の女王は雪の、冬の寒さの化身。
凍気は万物の熱を奪い、無慈悲にその命を奪う。
雪の女王はありとあらゆる雪妖、氷妖、冷気を糧とする妖怪たちの長。
その無慈悲で冷酷な手が、カイに下されたのだ。
……ノエルが不甲斐ないばかりに。

「あなたはかつて、三尾を喪ったことで我を忘れ、麓の村を滅ぼした。
 幼い身に釣り合わない莫大な妖力を用いて。不本意ですが、今必要なのはその力です。
 大切な者を喪うという事象があなたの覚醒の鍵となるのなら、私は喜んであなたの大切な者の命を奪いましょう。
 さて……次はゲルダ。あなたですね」

「……じ……、女王様……、そんな……」

女王がおもむろにゲルダの方を向く。
カイの死を悼む間もなく、ゲルダは恐怖に後ずさった。
美しい粉雪交じりの冷気が、女王の右手で躍っている。だが、その美しさに触れられた者には死が待っている。
周囲はすっかり氷の壁で囲まれている。ゲルダが逃げる場所は、どこにもない。

「姫様……、たす……」

ゲルダはノエルへ右手を伸ばしたが、その手の指先から瞬く間に凍り付いてゆく。
その全身がカイと同じ氷の彫像になるまで、時間はかからなかった。

「カイが死んだのに、あなただけ生きているというのは締まらないでしょう?
 さようなら、ゲルダ。乃恵瑠の役に立って死ぬこと、感謝しますよ」

パキィンッ……!

澄んだ音を響かせ、ゲルダもまた砕け散って床に無造作に散らばった。

7那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 15:06:43
「ぅ……」

「あなたもお死になさいね、ハクト。
 恨むなら乃恵瑠を恨みなさい。いつまでも不甲斐ない乃恵瑠のために、あなたは死ぬのですよ」

最後に残ったのはハクトだ。
まったく抵抗らしい抵抗もできずに砕け散ったカイとゲルダを目の当たりにし、ハクトはその場に釘付けになった。
蛇に睨まれた蛙のように――いや、強大な妖壊と対峙した非力な小動物のように。
一歩も身動きが取れずにいる。
肩越しにノエルへと振り返ると、女王はにたあ……と日頃の気品や慈愛とはかけ離れた粘つくような笑みを浮かべて嗤った。

「……怒りましたか?ノエル?
 私は言ったはずですよ……『甘ったれた考えは捨てろ』と――
 カイとゲルダが死んだのも、これからハクトが死ぬのも、すべてすべて……あなたの不甲斐なさが招いたこと。
 あなたのせいでみんな死んでゆく。あなたが皆を死なせてゆく。
 それが嫌なら――この母を斃すことです。今すぐに!!」

ゴッ!!!

女王の全身から冷気が迸る。
凍土の世界を統べ、万物万象をあまねく滅ぼす絶対の死の導き手。
倭、唐土、天竺の三界に名を轟かせた極東の大妖、白面金毛九尾の狐に優るとも劣らない、氷雪の大妖怪――

『雪の女王(Sneedronningen)』。

「最後に、氷の神器の使い方を教えてあげましょう。
 ソレは単品で使うものではない。そもそも『三つ同時に使うことを前提として造られている』ものなのです」

いつの間にか、女王の右手には理性の氷パズルが。左手には世界のすべてが握られている。
足には新しいそり靴。三種の神器がすべて女王の手にある。
もっとも、本物ではない。女王が妖術によってオリジナルからコピーした紛い物だ。本物はノエルの許にある。

「粗悪な海賊版(ブートレグ)ですが、一度くらいは使えるでしょう。
 あなたを葬り去るのには一撃あれば充分。それで一切合切を終わらせましょう。
 こうも言いましたね?私は――『ものにならないならば、母の手で引導を渡すもよし』と――
 ならば、受けなさい。この母の最大の奥義を」

ひゅん、と世界のすべてを振り、女王はノエルを見遣った。
冗談や軽口の類ではない。使い物にならない、素質がないと見切りをつければ、女王は躊躇いなくノエルを殺すだろう。
そしてその霊気を山に還元し、新しい女王の後継者が生まれるのを待つだろう。
……今までずっと、そうしてきたように。

「我が槍の名はフィムブルヴェト。
 古くは北欧世界において『神々の黄昏(ラグナロク)』の先触れとなりし、我が極鎗を見よ!」

真の力の一端を解放した女王の発する妖気が、ノエルの全身を蝕んでゆく。
その右手には、いつの間にか世界のすべてが長柄となり理性の氷パズルが穂先に変形した巨大な槍が握られていた。
穂先を中心に雹嵐が吹き荒れる。並の雪妖なら瞬く間に氷漬けになってしまうだろう。

「生き残りたければ。これから先も、大好きな者たちと一緒にいたいのならば。
 この一撃――凌いでご覧なさい!」
 
雪の女王が一気にノエルへと間合いを詰める。
それはまさに、何もかもを滅ぼす最終戦争の勃発を連想させる先立ちの一撃。
『災厄の魔物』と呼ばれる妖怪の持つ、真なる力。
セルシウス度-217.15℃、絶対零度の槍――

「『堅き氷は霜を履むより至る(ラグナロク・アンクンフト)』!!!!」
 
ギュオッ!!!

引き絞られた弓のように凝縮された力が解放され、神速の鎗がノエルの心臓めがけて突き出される。
奥義を喰らえばノエルは死ぬだろう。現在のノエルの防御力では絶対零度は防げない。
自らの眠れる力を目覚めさせ、三種の神器の力を十全に使用して、雪の女王を斃す。
そうしなければ、すべてが絶望という名の氷壁に閉ざされる。何もかもが終わる。


極鎗がノエルの胸を刺し貫くまで、あと0.003秒。

8那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 15:07:13
京都府京都市西京区大枝沓掛町、老ノ坂の峠道を外れた森の中に首塚大明神の社がある。
今、尾弐と天邪鬼のふたりは帝都東京を離れ、その古びた社の境内に佇んでいた。

「さて」

ぽんぽん、と仕込み杖で自分の肩を軽く叩きながら、天邪鬼が切り出す。

「我々の自由になる時間は限られている。だから回り道はせん。クソ坊主、貴様には最短距離で強くなってもらう。
 なに、難しい話ではない。強くなれねば死ぬ、それだけだ。ということで――
 貴様にはこれから、ざっと千回ほど死んでもらおう」

まったく自然に、さも当然であるかのように『死ね』と言ってのける。

「痛い思いをして覚える、という言葉があるが。
 それでは手ぬるい。痛みの極地は死だ、死を以て学べ。
 どうだクソ坊主、手足は動くか?呼吸はできるか?」

ふたりが修行の地として選んだこの地は、かつて源頼光によって討伐された酒呑童子――外道丸の首が棄てられた場所であり、
同時に神へと変生した首塚大明神の神社が建立された神域である。
鳥居をくぐった瞬間から、悪鬼である尾弐を聖域の清浄な気が間断なく圧迫している。
その重圧たるや生半可なものではない。尾弐はまるで重力が十倍にでもなったような感覚をおぼえるだろう。
すべてが浄化された空間において、悪鬼は息を吸うことさえも困難を伴う。
あたかも高山病のような頭の痛み、息苦しさ、眩暈――それらも絶えず尾弐を襲う。
一方で自らの祀られる空間、いわばホームグラウンドにいる天邪鬼の神力は外界の何倍にも跳ね上がる。
そんな圧倒的な彼我の環境差の中で、天邪鬼は修行をしろと言っている。

「本来ならば、この重圧に慣れるところから始めるのだが。
 そんな悠長なことをしている暇はない、ゆえ――すべて同時に進める。
 できねば死ね。まぁ、今日の所は百遍ばかりも死ねば何とかなるか」

環境に慣れ、天邪鬼の出す課題をこなし、更にはそれを上回る。
すべてを同時にこなし、クリアしなければ、たった二ヶ月間で今を遥かに凌駕する力など得られない。

「難しいことは何もない。ただ、貴様は私に勝てばいいのだ、クソ坊主。
 したが、何をやっても勝てばいいという話ではない。
 『その身に一撃も貰わず』、貴様は私に勝つのだ」

天邪鬼の提示した、修行終了のための課題。
それは、掠り傷さえないノーダメージで天邪鬼を倒す、というものだった。

「言うまでもないことだが、貴様の最大の武器はそのタフネスだ。
 貴様はその膂力と肉体の頑健さを恃みに、肉を切らせて骨を断つ――という戦法を多用するきらいがある。
 自分が傷ついたとしても、相手の方により大きなダメージを与えられればいい、というようにな。当たり勝ちとも言うか。
 始原呪術『復讐鬼』もそうであったな……頑丈な貴様が三尾の代わりにダメージを受ける。
 その方が効率がいいという訳だ、だがな――」

今までは、それでも良かった。だがこれからもそれが通じるとは限らない。

「これから貴様が戦う相手は、どんな力を持っているか分からん。
 骨を断つ間も与えられず、肉を切断されたらどうする?首を刎ねられたら?
 まず、ダメージを受けるという発想をやめろ。その身に毛筋ほどの傷さえ受けてはならん。
 傷を受ければ、そこでご破算だ。いいな」

こともなげに告げる。だが、神域の重圧の中で天邪鬼に無傷で勝利するなど、無理難題にも程があるだろう。
しかも――天邪鬼の試練はそれで終わりではなかった。

「一対一というのもつまらん。こういうことは、賑やかに行くのがいい」

すい、と天邪鬼が右手を横へと伸ばす。
その瞬間、ボゥ……と伸ばした手の先の空間が揺らぎ始める。
蜃気楼のように朧に霞む、その空間から現れたのは――無数の悪鬼たち。
かつて平安の時代、大江山に盤踞し都を絶望の極みに叩き落した『酒呑党』の郎党。
その中には尾弐の知る副頭・茨木童子、虎熊童子ら四天王の姿もある。

「九十九鬼(つくも)おる。私を入れてちょうど百鬼。
 むろん、こやつらの攻撃も受けてはならん。我ら酒呑党の百鬼夜行、心ゆくまで味わうがいい――クソ坊主。
 さあ……という訳で、だ」

ざん!と天邪鬼は一歩を踏み出すと、大きく手指を開いた右腕を突き出した。
そして嗤う。凄絶なほど美しくも禍々しいその笑み顔は神性たる首塚大明神ではなく、むしろ――

「宴を。始めようか」

天邪鬼の宣言と共に、尾弐の特訓が始まった。

9那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 15:07:28
修行は苛烈を極めた。

果たして幾度の朝と夜を迎え、幾度の死を迎えただろうか。
指一本動かすことさえ難しい重圧の中、眩暈と頭痛に苛まれながら百体もの鬼の一斉攻撃を躱し続け、
その中にいる天邪鬼ひとりを狙って有効打を与え、これに勝つ。
どう考えても狂気としか思えない、到底不可能な難事であるが、尾弐はこれを成し遂げなければならないのだ。
鬼たちは尾弐を取り囲み、全方位から攻撃を仕掛けてくる。
まずは数を恃みの波状攻撃に始まり、死角を狙っての奇襲。妖術を使って遠距離から攻撃してくる者もいる。
それを凌いだとしても、鬼たちの間隙を縫って虎熊童子の金棒が頭上から降りかかる。
回避不可能な角度から金熊童子の鉄球が飛んでくる。星熊童子による防御不能の衝撃波が撃ち放たれる――
天邪鬼の斬撃が神速で繰り出される。

ほんの僅かでも負傷すれば、それで終わりだ。その都度尾弐は天邪鬼に首を刎ね飛ばされ、胴体を袈裟に両断され、
臓腑をぶちまけて死んだ。
そして、死んだと――そう思い意識がブラックアウトした次の瞬間には、何もかもが元通りになって社の境内に佇んでいる。

「本当に死ぬ訳ではない。私の術で、貴様に死んだと知覚させているのだ」

もう幾度目かの死を迎えた尾弐に対し、天邪鬼が告げる。

「しかしながら、貴様の感じる痛みや死の衝撃は紛れもない本物だ。
 このまま失敗を続ければ、貴様の意識が。魂が消耗しきり、やがては本当の死を迎えるだろう。
 その前に事を成せ。帝都を守りたいと。仲間たちとの約束を果たしたいと。
 好いた女と共に在りたいと願うのなら……」

ちゃり……と仕込み杖を微かに鳴らし、天邪鬼は構えを取った。
その途端、九十九体の鬼たちが咆哮を上げながら一気に尾弐へと殺到する。

「我らを凌駕してみせろ!
 千年に渡る悵恨の果て、貴様は未来を掴み取る選択をしたのだろう!
 貴様の望みは、そこに至る階(きざはし)は――我ら酒呑党を斃した、その先に在る!!」

鬼たちが雪崩を打って尾弐へと襲い掛かる。
巨大な五爪と化した茨木童子の摂陽国崩が、地面を抉りながら迫る。
四天王の金棒が、鉄球が、斬撃が、鉞が撃ち振るわれる。
天邪鬼が渾身の力を籠め、不可視の抜刀でもって尾弐の命を奪いに来る――。

普通の妖怪であれば、死どころか滅びまで迎えているに違いない、激烈な痛み。死の衝撃。
しかし、その耐え難い苦しみのその先に、未来が待っている。
度重なる死。斬死、圧死、凍死、焼死、轢死、死、死、死――死の連鎖。
だが、それに尾弐が打ち克ち、あらゆる艱難辛苦を乗り越えて立ち上がったときにこそ。
九死に一生の活路は拓かれるのだ。

「目で物を見るな。視界に囚われず、心で視よ!五感の全てを動員し、全天全地よりの攻撃に備えよ!
 貴様の身体に触れんとするものは、空気さえ敵と思え!」

「莫迦め!避けることに意識を割き過ぎて攻撃が疎かになっておるわ!
 攻めながら避け、避けながら攻める!どちらか一方に偏ってもならぬ、両の天秤――その均衡を崩すな!」

「今までの経験を棄てよ!敵は貴様の常識の埒外から遣って来るぞ!
 こんな攻撃はどうだ!?これは?ならばこんなのは!?さあ……凌いで見せろッ!」

天邪鬼は一切の遠慮会釈なく、尾弐に対して死の斬撃を繰り出してくる。
容赦は一切ない。天邪鬼の一撃をその身に浴びるたび、尾弐はのたうち回るような痛苦を感じるだろう。
そして死ぬだろう――意識が、魂魄が自己の死を知覚し、すべてがゼロに巻き戻る。
地獄の責め苦さえもこれ程ではあるまい、というような苦行が繰り返される。
だが、天邪鬼はそれを決してやめない。
尾弐ならば、きっとこの痛みを乗り越えて目的を達成することができるだろうと――そう、信じているから。

「どうした――クソ坊主!
 貴様が望んだ!貴様が選んだのだ、この道を!
 人間へと立ち戻り、平穏無事な人生を再び歩むことができる……その安寧を投げ捨ててな!
 ならば仕遂げてみせろ、すべて凌駕してみせろ!
 千歳(ちとせ)の生は、こんなところで無様を晒すためのものではあるまい!」

天邪鬼が尾弐を叱咤する。 
千年の絆と信頼に裏打ちされた、ふたりの戦いは永遠にも思えるほどに続いた。

10那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 15:08:01
尾弐が首塚大明神の社へ来てから、そろそろ二ヶ月が経過しようとしている。
その間、尾弐はただただ死を積み重ねた。
神域の中にいる間は食事も、睡眠も、排泄もない。それら生理的欲求を何ら感じることなく、尾弐はただ特訓を続けた。
そして、死んだ。尾弐が死んだ回数は通算にして万を超えるだろう。
だが、その甲斐はあった。今や酒呑党の悪鬼たちが束になろうと、尾弐には指一本触れることができない。

「いい成果だ。上々だな。
 時間もない――ならば次の課題を以て最終工程としよう。これを凌げれば、もう特訓すべきことはない。
 神の長子だか何だか知らんが、片手で捻ってやれるだろうよ」

酒呑党の悪鬼たちを背後に控えさせながら、天邪鬼が言う。

「今までさんざん賑やかにやったが、最後は貴様と私、一対一の勝負だ。
 皆と交わす盃もいいものだが――対面で飲るサシ呑みも乙なものよ。そうだろう?」

もはや、京の都で猛威を振るった酒呑党の襲撃も尾弐にとっては微風のようなものでしかない。
だが、だからといって酒呑党がお役御免になったかと言えば、そんなことはなかった。
鬼たちがその輪郭を崩し、光の粒子に変わってゆく。
九十九匹の鬼が変じた膨大な光が、天邪鬼の肉体の中へと吸い込まれてゆく。

「貴様にとっては、思い出したくもない姿であろうが……今は我慢せよ。
 修行の締め括りには、最大の力を尽くして当たらねばならん。私の最強の姿となると……やはり。これしかないのでな」

酒呑党をその体内に取り込んだ天邪鬼の姿が変容してゆく。
元から長かった黒髪は地面に届くほどになり、白かった肌は褐色に。
額からは五本の角が生え、頬には禍々しい魔紋が浮き出ている。
その全身から、圧倒的な妖気が噴き上がる。邪悪で悍ましく、怖気をふるうような悪の気――

京の大妖、酒呑童子。

「ふー……」

天邪鬼、いやさ酒呑童子は深く息を吐くと、首筋に右手を添えてゴキゴキと鳴らした。
尾弐が継承した真の酒呑童子の力は、赤マントによって奪われ喪われてしまった。
だが、配下の邪気を取り込むことで、神性・首塚大明神から悪鬼・酒呑童子へと一時的な変転を果たすことはできるらしい。
高神とはいっても、首塚大明神は所詮マイナーな神性である。
一方で酒呑童子は日本の三妖怪にも数えられる超メジャー級妖怪だ。
妖怪は知名度が力に直結する。当然、酒呑童子の力は首塚大明神とは比べ物にならない。
その上で――酒呑童子は自分を斃せ、と尾弐に言っている。
酒呑童子が軽く周囲を見回すと、神社の境内であったはずの空間がみるみるうちに赤黒い石牢へと変わってゆく。
言うまでもなく、かつて人間であった頃の尾弐が最期を迎えたあの忌まわしい場所だ。
そればかりではなく、地面にはいつの間にかくるぶし辺りまでも浸す血だまりまでできている。

「いつか話したが……大江山に君臨していた私は頼光どもの襲来を知り、我が身の役割の終焉を悟った。
 そして戦わずして首を刎ねられた。それが何を意味するか、クソ坊主……貴様に分かるか?」

酒呑童子は悪は善の前に必ず滅びる定め、という『そうあれかし』を生み出すために討たれた。その身を犠牲にした。
そのためには、悪が善に負けるという結果だけがあればいい。戦う必要はなかったのだ。
つまり――

「私が本気で戦っておれば、あんな腐れ武者に遅れなど取るかよ――!」

にい、と酒呑童子は口の端を歪めて嗤った。

「神変奇特……『犯転』と『叛天』だったか。使わせてもらうぞ。
 死ぬ気で凌げ。死んだ気で捌け。なに、今までの訓練でくたばり慣れていよう?
 さて……往くぞ、クソ坊主。
 刮目して見よ、これが首塚大明神では到達し得ぬ……我が剣術の極点よ!
 神夢想酒天流抜刀術、天技!!」

ちき……と居合術の構えを取った酒呑童子の全身に、邪気が漲る。血霧がその身体を覆い、足元の血だまりがざざあ……と漣立つ。
今まで体感してきた万の死にも勝る、圧倒的な死の感覚が尾弐の全身に押し寄せる。

ゴッ!!

酒呑童子が不可視の神速で鬼へと肉薄してくる。
それ自体は今までの天邪鬼の抜刀術と変わらない。が、今度はその先がある。
白を黒とし、邪を正へと転じる。ありとあらゆる事象を逆しまに変質させる妖術・神変奇特。
さらにかつて尾弐が使用した対象の身体能力を減退させる『叛天』。
それらの同時使用によって尾弐の回避力、防御力、身体能力の全てを限りなくゼロに低下させ――
首を。断つ。

「鬼哭啾々――『鬼殺し』!!!!」

仕込み杖の鞘から白刃が解き放たれ、剣閃が煌く。
今まで培ったもの、捨ててきたもの、抱いてきたもの、慈しんだもの。
そのすべてを動員しなければ、この奥義は凌げない。酒呑童子には勝てない。

自分はなぜ、ここにいるのか?辛い修行の果てに、何を得ようとしているのか?
その得たものを使って、何を成し遂げたいと思っているのか――?

活路は、その答えの中にある。

11那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 15:08:15
「お主ら、ちょうどいいところに帰ってきたのう。ちと使いを頼まれてくれんか」

ポチとシロが連れ立って迷い家に行くと、富嶽が開口一番そう切り出してきた。
なんでも、最近になって迷い家のある遠野の山奥に余所者の妖怪の一群が棲み付いたのだという。
来る者は拒まずで大抵のことには寛容な富嶽であったが、その妖怪たちは先住している妖怪たちを傷つけ、
勝手にテリトリーを作っては山の中でやりたい放題をしているという。

「みんな、困っているのよね……私たちも宿の食事に出す山菜を取りに行ったり、魚を釣ったりしに山へ入るから。
 うちの従業員が傷つけられると困るし……このままじゃ、お客様に満足して頂けるサービスが提供できなくなっちゃうわ」

女将の笑もいつもの笑み顔を曇らせ、右頬に手を添えながら言う。
迷い家は東北随一の隠し湯として日本中の神々に評判の宿である。
シーズンを問わず宿の中は湯治に来た神や妖怪たちで賑わっているし、その分食材も多く必要になる。
従業員の一本ダタラや山彦たちが食材を取りに山へ分け入っているのだが、このままではそれも困難になるだろう。

「ふん、送り狼が一番強かった時期の話ぢゃと?昔話なんぞしとる場合か。
 どうしても話を聞かせてほしいと言うのなら、まずは儂の依頼をこなすのが筋ぢゃろう。
 分かったらさっさと行ってこい、首尾よく仕遂げたなら厭きるほど聞かせてやろうわい」

迷い家を訪れたポチの目的に対して、富嶽は胡乱な視線を向けた。
にべもない。座敷で煙管を持ち、紫煙をくゆらせながら、富嶽はポチの要請を一蹴するとさっさと妖怪討伐に行け、と命じた。
何かをする際に対価を求めるのは、何も御前に限った話ではない。上級の妖怪になればなるほど契約に拘る。
その原則は富嶽も例外ではない。
今よりもっともっと日本に狼がたくさんいた時代。大神と言われ、神聖な生き物としてヒトの身近にあった時代。
日本妖怪きっての智慧者、富嶽からそんな時代の話を聞くのは、一仕事を終えてからになりそうだ。

「……参りましょう、あなた。
 あなたと私の二頭なら、余所者の木っ端妖怪ごとき物の数ではありません」

シロが促す。その美しい面貌には、すでに満々と闘志が湛えられている。
元々シロは酔余酒重塔の戦い以前はこの地におり、件の山のことも知悉している。
山に棲む妖怪たちとも知り合いであろう。そんな知人たちが突然現れた流れ者に傷つけられ、迷惑している。
それだけでも、シロにとっては富嶽の依頼を受けることは当然の流れだった。
いや、たとえ依頼されていなかったとしても行っただろう。

「彼らの居場所は、すぐに分かるはずよ。彼らは大きな『縄張り』を作っているから……。
 腕自慢の妖怪たちも何人もやられてるわ。決して油断しないでね」

笑が心配そうな表情でポチとシロに忠告する。

「やはり、天魔の類でしょうか?それともただの、食い詰め者の妖壊たちなのでしょうか」

旅塵を払う間もなく山へと向かうその道すがら、シロが口を開く。
赤マント率いる天魔は現在、最終作戦に向けて都庁に集結している。こんな東北の僻地で活動する理由がない。
とすれば、やはりどこかから流れて来た妖壊――と考えるのが妥当だろう。
人間と同じく、妖壊も組織だって犯罪を行う者たちばかりではない。衝動的に悪事に手を染める妖はごまんといる。
最近は天魔との戦いにかかりきりだが、東京ブリーチャーズだって元々はそういう者たちと戦うチームだったはずだ。

「あなたとふたりきりで事に当たるというのは、初めてですね。
 ……嬉しい……」

山道をのぼりながら、シロは幽かに微笑んだ。
これこそシロが求めていたこと、やりたかったこと。夢に描いていたこと。
愛する夫、狼の王と共に在り、共に困難に相対する。
そのなんと幸福なことか――

だが、これはまだ一時的なもの。これを永遠にするためには、天魔との戦いに勝ち残らなければならない。
天魔に打ち勝つために、まずはこの山に巣食う妖壊を滅す。
ともすれば愛する者の傍らにいる幸せに緩みがちになる意識に活を入れると、シロは山頂を見上げた。

しばらく山道をのぼっていると、やがて周囲に霧が立ち込め始めた。
乳白色の霧は道をのぼるごとに濃くなってゆく。

「……あなた」

シロが小さく告げる。――取り囲まれている。
どうやら、ふたりは敵の縄張りに到達したらしい。

12那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 15:08:28
乳白色の霧の中に、無数の光る眼が見える。
いつの間にかポチとシロは敵の縄張りの中に入り込み、敵に知覚されてしまっていた。
ふたりを取り囲む妖気は、三十は下らない。予想外に大きな規模の一群だったようだ。
しかし、驚くべきところは敵の数ではない。
ポチとシロの視界の先、峻険な岩場の頂点に座してふたりのことを傲然と見下ろす、敵の首魁と思しき存在――

それは、狼だった。

「……そん……な……」

絶句したシロが驚愕に双眸を見開く。
その体長は2メートルはあろうか。錆色の毛並みをした、美しくも恐ろしげな姿をした巨狼。
首魁だけではない。ふたりを取り囲んでいる者たちも、みな狼たちだった。
日本ではとうに滅びたはずの、狼の群れ――それがここにいる。
ざわ……と巨狼の総毛が波立つ。身体から闘気が溢れ出す。両眼が炯々と輝く。
それを皮切りに、群れの狼たちが一気にポチとシロへ襲い掛かる。

「く……!」

狼たちの動きには一糸の乱れもない。巧みな連携で、ポチとシロの急所を狙ってくる。
鋭い牙がチャイナドレスから露になった右の太股を掠める。シロは身軽に地を蹴って後退した。
そして、高々と右手を掲げる。

「影狼!!」

シロが持つ固有の妖術、自らの妖気を十一頭の狼に変える『影狼群舞』。
この圧倒的な物量差に対抗するには、こちらも頭数を増やすしかない。三十頭あまりの相手に対し不利は否めないが、
いないよりはマシであろう。
だが。

影狼は現れなかった。

「どうして――」

自らが他ならぬこの山で修行し会得した、必殺の奥義。
それが発動しない奇怪な事態に、シロは狼狽した。
そうこうしている間にも、狼たちは一気呵成に攻めかかってくる。
狼たちは手強い。たとえ一頭であっても決してポチやシロに力負けしないし、身体能力も決してポチたちに引けを取らない。
そんな狼たちが連携を用いて攻撃してくるのだから、ポチとシロにはまるで勝ち目がなかった。
ポチが全力を用いれば、一頭を転倒させることはできる。
しかし、そうなると残りの狼たちが集中してシロを襲う。シロを守るため、ポチは折角転ばせた相手を諦めなくてはならない。
狼たちの巧みな戦術の前に、ふたりはみるみる傷ついてゆく。

「あなた……、いったん撤退を――!」

シロが退却を促す。このまま戦っていたとしても、ポチたちの勝利の目はない。
幸い、ポチとシロが撤退しても狼たちは追撃を仕掛けてはこなかった。
一方でふたりは山の中に立ち込める濃い霧に阻まれ、迷い家に戻れなくなってしまった。
沢で喉を潤し、傷の手当てをして、夜を迎える。

「……彼らは何者なのでしょうか」

夜気の寒さに身を寄せ合いながら、シロがぽつり、と呟く。
野犬の類ではない。ふたりが遭遇したのは、紛れもなく狼だった。
それも大陸のハイイロオオカミや西欧のヨーロッパオオカミではない、正真正銘のニホンオオカミ――。
ポチもそれを認識できたはずだ。においや外見ではない、種としての本能で。魂で。
あれは同族だ、と。
だが、ニホンオオカミは絶滅した。それもまた厳然たる事実である。
ニホンオオカミが絶滅したからこそ『ニホンオオカミはどこかで生きている』という『そうあれかし』が生まれ、シロが生まれた。
もしニホンオオカミが本当に生存していたとしたら、シロの存在が成り立たなくなってしまう。

「いずれにしても……彼らが山の者たちに危害を加えているということでしたら、撃退する以外にはありません。
 富嶽翁はじめ、遠野の方々には恩があります。それを返さなければ……」

シロはそう告げるが、言葉とは裏腹に戸惑っているのは明らかだった。
しかし、それでも。依頼はこなさなければならない。

ふたりはしばらくの間、山の中で狼たち討伐のための生活を始めた。

13那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/04/07(火) 15:08:42
その後もポチとシロは幾度も狼の群れに戦いを挑んだが、その都度蹴散らされた。
群れの強さは凄まじい。東京ブリーチャーズとして幾多の死闘を潜り抜け、狼王ロボから『獣(ベート)』の力を継承し、
数多の妖壊に打ち勝ってきたポチが、まるで相手にならない。
一方で狼たちは縄張りとおぼしき一定の範囲から外には出ようとせず、縄張りの中に入らない限りポチとシロの安全は確保された。
弱っている獲物を追撃し確実に仕留めるというのが、獣の狩りの大前提である。
が、狼たちは傷つき弱ったポチとシロに追い打ちをかけることはせず、ふたりの敗走をいつも黙って見送った。
戦いは長期戦にもつれ込んだ。

シロは人間の姿から本来の白狼の姿に戻り、山の獣を狩って日々を過ごした。
ライオンは群れのメスが狩りをするが、狼は群れ全体で狩りをする。
王たるポチももちろん例外ではない。むしろ、ポチが群れのリーダーとして狩りを主導しなければならない。
敵の三十頭余りの群れに対する、たったふたりの群れ。
それでも、群れは群れだ。

「今日も獲物を仕留められましたね、あなた」

横たわる大きなイノシシを前に、シロは嬉しそうにしなやかな尾を揺らしてみせた。
日の出と共に山野を駆け、獲物を狩り、日没とともに眠る。
それは獣の、狼の本来あるべき姿だ。東京ブリーチャーズとして、妖怪として過ごすうちに忘れてしまっていた野生の発露だ。
遠野の山奥で生活するうち、ふたりはそれを思い出した。
そして――その最たるものが、敵であるあの狼たちなのだということも。
かつて、この日本に狼がままだ沢山いた頃の。
狼が『大神』として、畏怖される存在であった頃の。
強大な自然の顕現であった頃の姿――
それを、ポチとシロは身に着けなければならなかった。

「もう間もなく二ヶ月……約束の刻限が近づいています。
 東京に戻る時間を考えると、恐らく次の戦いが最後のチャンスとなるでしょう。
 迷い家の皆さまのためにも、彼らをこのまま野放しにはしておけません。
 何があっても。彼らは次の戦いで倒さなければ……」

この二ヶ月間、山奥で狼らしい生活を続けたことで、ポチは忘れかけていた野生の本能を取り戻した。
シロと共同生活を続けたことで、シロとの連携もかつてとは比べ物にならないくらいに上達した。
元々魂で惹かれ合い、心で通じ合える仲ではあったが、それが今は何倍にも強固になっている。
野生の本能、そしてつがいとの絆――狼にとってもっとも大事なそれらを教えてくれたのが、いったい誰なのか。
ポチにはもう理解できたことだろう。


翌日ふたりが狼たちの縄張りに踏み入ると、さっそく群れがポチとシロを包囲した。
長である錆色の巨狼は相変わらず岩場の頂からふたりを見下ろしている。
だが、いつもとはほんの少しだけ雰囲気が異なる。ポチとシロがこの二ヶ月で得たものをすべて引き出し、
最後の挑戦のつもりで対峙すると――

巨狼は僅かに目を細めた。――笑った、ようだった。

ゴウッ!!とその全身から闘気が迸る。赤茶けた毛並みがそよぐ。
初めて対峙した日から、ずっと変わらない。
狼たちは闘気を出しこそするが、殺気を出すことは決してなかった。
もうあと一押しでポチとシロに致命傷を与えられるという場面でも、決してそれをしなかった。
狼は実戦の中で狩りを学ぶ。仲間同士、手加減抜きの戦いの中で切磋琢磨してゆく。
立ち込めた濃い霧の中で狼の群れがポチとシロにしたこと、それはまるで――

「……参ります、あなた!」

白狼の姿のシロが身構える。
ふたりの姿に、巨狼が微かに身じろぎする。群れの狼たちがゆっくりと身を引いてゆく。
今までどれだけポチとシロが襲い掛かっても、巨狼に一撃加えるどころか指一本触れることさえできなかった。
巨狼への攻撃はすべて、群れの狼たちによって防がれてしまっていたのだ。
だが――これまでずっと岩場の上からふたりの戦いを見下ろしているだけだった長が、動いた。
それは、野生生活を経て絆を強めたふたりのことを、直接戦ってやるに値する相手と認めた証左なのかもしれない。

「オオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――――――――ンッ!!!」

巨狼が吼える。巨体に見合わぬしなやかで素早い動きで岩場から跳躍すると、あぎとを開いて一気にポチへと襲い掛かってくる。

狼と狼。
かつて滅びたものと、これからを生きるもの。
同一の、しかし対極に位置する獣たちの戦いが始まった。

14多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/04/12(日) 23:00:55
 祈の眼前には、一面の銀世界が広がっていた。
吹きつける雪と風。冷気。
その中にあって、あり得ないほど軽装の祈は、神妙な面持ちでこう呟いた。

「……マジで寒くねぇ」

 狸に化かされたか狐につままれたか。そんな表情。
 ここはとある雪山にある雪女の里。
祈だけでなくその母・颯、祖母・菊乃の二人も、どういうわけかこの雪女の里にまでやってきている。
半日ほど前までは間違いなく東京にいたのだが、雪の女王によって連れてこられたのである。

――半日ほど前。

>「では――二ヶ月後。皆さん、那須野探偵事務所でお会いしましょう!」

 橘音の一言で、ブリーチャーズは解散し、各々修行へと向かうことになった。
イケメン騎士Rや橘音によってもたらされた情報を整理した結果である。
 “赤マントが計画を実行するには三ヶ月を要する”。
そして“赤マントたちが根城としているのは東京都庁である”。
 これらの情報だけを見れば、今のうちに赤マントたち天魔を潰しておくことこそが望ましいといえた。
赤マントはバックベアードの力を利用して、自らを龍脈の資格者に仕立て上げ、
かつての力を取り戻すつもりでいるらしい。
つまり三ヶ月経ってしまえば、龍脈の力で赤マントは手の付けられない敵となってしまうと考えられるからだ。
そうなればもはや、止めるだとか止めないだとか、そんな次元の話ではなくなってしまう。
今すぐにでも殴り込み、その目論見を止めるべきである。
 だが、今の状態で攻め入っても返り討ちに合うだけなのはわかりきっていた。
 なぜなら、ノエル、尾弐、ポチ、橘音の、
この4人が束になっても勝ちきれなかった相手がイケメン騎士Rであり、
そのイケメン騎士Rでも勝てない相手が、赤マントたち天魔なのだ。
 もしイケメン騎士Rが天魔たちを一人で倒せるのなら、
単独でレディ・ベアを救い出し、赤マントの計画を阻止しているであろう。
 圧倒的な力不足を痛感したブリーチャーズは、
この三ヶ月の内の二ヶ月、最長で二ヶ月半をリミットとし、自分達の力を高めるための修行期間としたのである。
 赤マントに与する天魔達も準備に追われるのか、
おそらく大きな襲撃もないだろう、という情報も方針を固める要因となった。
 万が一の襲撃に備え、陰陽寮など各所の協力を得ながら、
この最長二ヶ月半を修行に充て、実力をつけた後に、
赤マントたちの根城である東京都庁にまで攻め入る計画となったのである。


 家に戻った祈も、他のメンバーと同様に修行の準備を進めていた。
 颯や菊乃に相談し、これからの戦いで祈に必要になるであろうものを洗い出した結果、
全員で山籠もりに行くことが決まった。
そして、そのための荷物をまとめ終えたときのことである。
 祈達の住む部屋のインターフォンが不意に鳴らされたのだった。

 ドアスコープ越しに見える、細工以上に整った美貌から、人でないことは容易に分かった。
その女性は青白い顔色をしており、雪妖ではないかと推測できる。
また、気品を備えた出で立ちに誤魔化されそうになるが、どこかノエルに似た雰囲気があった。
 そこからなんとなく想像できたが、誰か伺ってみると、
やってきたのはノエルの母であった。
 現・雪の女王でもある彼女は、雪妖たちの頂点に君臨する存在であり、
おいそれと東京にやってこられるような立場にはない。
どこかの勢力に属している訳ではない中立であるようだが、
五大妖に並ぶ実力を持つであろう彼女が移動すれば、それだけで周囲を警戒させ、注目を集めてしまうはずだ。
 そんな妖怪がわざわざ祈とその家族の前に姿を現し、何事かと家に上げてみれば、
『危険だから身を隠した方がいい』などといって、彼女の住む雪山、雪女の里へ来るように促したのだ。
 雪の女王は詳細を語らなかったが、
さすがにただならぬ理由や事情があるのだろうと祈でも察した。
 たとえば、現状では天魔達の大きな襲撃はないと予想されている。
だが東京周辺の山という天魔の目の届く範囲で修行すれば、
祈の力が高まったとき、警戒を強めた天魔が襲撃を企てる可能性が上がる……というようなこともあるのかもしれない。
 祖母が珍しく畏まって、「そのお話、ありがたくお受けいたします」と答えてしまったことや、
さらに修行地が山から雪山に変更されるだけということも手伝い、祈もそれを承諾したのであった。

15多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/04/12(日) 23:04:13
 そうして冒頭へと戻るのである。
 しんしんと降る雪は足元に分厚く積もり、時には高山ならではの風が吹く。
だがしかし、祈はいつもと大して変わらない格好をしているのに、まったく冷たさや寒さを感じていなかった。
 寒さを感じないのは、入山前に雪の女王によって施された、
“凍えないようにする何らかの術”による効果だった。
 しゃがんで雪を両手ですくってみる祈。

「ねえ、すごくない? マジで全然冷たくないんだけど!」

 祈は確かに雪を手に取っているはずだが、
まるで雪の冷気を感じず、常温の砂でも掴んでいるかのようだった。
ぎゅっと丸く握ってみるが、雪は祈の体温で溶けることもない。
互いに温度の移動がなく、触れていながら隔絶されているような感覚だった。
雪の女王の力の一端を見せつけられ、感心とも感動ともつかない気分を味わい、はしゃぐ祈である。

「ああ、さすが雪の女王様といったところか」

 その祈の後ろに立つ、ターボババア・菊乃が、手のひらに捕まえた雪を弄びながら頷く。
こちらも普段とそう変わらない服装であるのだが、まったく寒さを感じている様子はない。
 ちなみに颯は、雪の女王に用意して貰った仮の住まいにおり、置いた荷物を整理している。
身を隠すという目的があるので荷物を多めに持ち込んでおり、
ヘビ助やハルファス、マルファスなども連れてきているので、整理しておかないと大変なのだ。

「それとなくやってみせてはいるが、非常に高度な術……いや、魔法といった方が良いかもしれない。
“原理はともかくそういうもの”だと理解するしかないような、そういう代物だよ、これは」

 ただ寒さを感じないだけであれば、それは認識が阻害されているだけで、体は凍えていることになる。
だが寒さで筋肉が震えている訳でも、意識が失われていくわけでもない。
この雪山にいて尚、恒常性が保たれていることになる。
 まったく不可思議で原理不明で、そういうものとしか理解できないもの。本物の“魔法”なのだろう。

「とはいえ……おそらくこの術は、あのノエルとかいう青年が使えたとしても、
敵側に雪妖でもいなければ使い道はなさそうだね」

 菊乃がいうように、敵に雪妖や、冷気を主体に戦う天魔でもいれば、
この術はかなり有効に働くだろう。なにせ冷気を無意味なものにするのだから。
だがそれ以外の場所では、あまり役立つようには思えなかった。
 それにノエルがそういう術を使っているのを祈は見たことがないから、
今のノエルでは使えないものなのかもしれない、と祈は思う。

「ふーん……」
 
 この時、ターボババアに使い道はないと言われたこともあり、
“凍えないようにする魔法らしきもの”の戦術的価値について、祈は全く注目していなかった。
だがこの術が、祈とノエルの合体必殺技に繋がる可能性を秘めているとは、誰が予想したであろうか。

「さて。アタシはあんたの修行の準備をしてくるよ。祈。
しばらく遊んでいて構わないが、晩御飯までには雪の女王様が用意して下さった家に戻って来るんだよ」

 そういって菊乃はどこかへ歩き始める。

「ん。はーい」

 菊乃を見送った後、祈はほんのわずかな時間、雪遊びを楽しんだ。
雪玉を転がして雪だるまを作ったり、積もり積もったまっさらな雪に飛び込んでみたりしたのである。
だが、今も仲間たちは特訓をしているはずだと思い直し、すぐ自主的に特訓を始めた。
 中腰になって両腕を突きだし、両ひざや腕の上に小さな雪だるまをのせた状態を維持する、
体幹を鍛えるトレーニングや、
雪山という足場の悪い場所で滑り、風火輪の操作精度を上げるトレーニングなどをしていた。
 だが、二日経っても、三日経っても、颯や菊乃による特訓が始まる気配はなかった。

16多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/04/12(日) 23:18:35
 しかしある時。

「ねぇばーちゃん! 特訓は!?」

 耐えかねて祈がそう問うと、菊乃は嘆息してこう答えた。

>「いいかい、祈。
>あんたがこれからやろうとしているのは、この世界でも最大級の戦いだ。
>あんたが戦おうとしている相手は、あんたが――いや、アタシたちが生まれる二千年も前から悪事を重ねてきた、
>筋金入りの悪党だ。
>そんな敵を前に今更あんたへ戦い方だの、戦闘の型だのを教えたところで、焼け石に水だろうさ。
>アンタには、戦いの訓練なんかよりもっとやらなくちゃいけないことがあるんだよ」

「もっとやんなくちゃならないことってのがなんなのかわかんないけど……、
とりあえずそれやろうよ! 二ヶ月とかあっという間だって!」

 山籠もりをすると最初に言い出したのは菊乃だった。
それを聞いて祈は、山という環境を活かした特訓や、
天狗のような修行をするのだとばかり思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。
 だがなんであれ他にやれることがあるのなら早くやるべきだと急かすと、
菊乃と颯は目配せし、

>「それじゃ……そろそろ、始めましょうか」

 颯がそう言い、場所を移すことになった。
許可を得て雪の女王が住まう宮殿に入り、その奥へと進む。
 そこにあるのは、祈の住むアパートの部屋とそう変わりない広さの部屋だった。
 何も置かれていないのは、ただ家具を置いていないだけ、というわけではなさそうだった。
座禅でも組むための部屋のような、集中のために敢えて何も置いていないような。
そんな印象を祈に抱かせる。

>「そこに座りな、祈」

 部屋に入ると、部屋の中心辺りを菊乃が指差し、そういった。

>「あんたはこれから、龍脈にアクセスするんだ。
>今までは、ほんのちょっぴり龍脈から力を借りるだけ――しかも、本当に追い詰められたときに一瞬だけ――だったものを、
>いつでもある程度引き出せるようにする。
>そうすりゃ、あんたの勝てない相手なんてこの世にいなくなるさ。
>だって、龍脈はこの地球の生命力の源。そして妖怪ってのはみんな、その生命が営む『思考』から生まれたんだから」

 祈はとりあえず指差された付近で正座しながら、
説明する菊乃の言葉に耳を傾けた。
 どうやら祈は龍脈の神子とかいうものであるらしく、龍脈の力を時々引き出すことができる。
死ぬほど追い詰められた際に、偶発的にその力を借りられた。
 爆発的な妖力の上昇。身体能力の向上。
半妖の限界を遥かに超えた、破格の戦闘力を有した状態になれる。
 そして真に怖ろしいのは、その必殺の一撃にある。
祈がその状態で放った全力の一撃は、
相手の運命や理といったものをも、祈の願いに応じて捻じ曲げてしまえる。
それをいつでも引き出せるようになったなら、確かに祈に並び立つ者はいなくなるだろう。
 だが。

「そりゃそうかもだけど、アクセスったって……あたし、やり方知らないよ」

 いつも無意識で行ってきたから、祈にはやり方がわからないのだった。
答えを求めるように颯を見る祈だが、しかし、颯は首を振る。

>「この修行は、あなたひとりでするのよ……祈。私たちには、残念だけれど手助けできない。
>今まで、あなたはたくさんの仲間たちに支えられてきた。いろんな人たちから力をもらってきた。
>でもね……これは、これだけは。『龍脈の神子』であるあなただけの力と意志でやらなければならないの」
 
 そして、祈のことを案じるような表情と声音で、
祈が自分で考えて、答えを見つけ出さなければならないという。

「……わかった。あたしやってみる」

 菊乃の言うとおり、生半可な力を付けた程度では焼け石に水も同然だ。
半妖であり全体的な能力で劣る祈が、
この最終決戦を生き延びようと思うなら、
龍脈の力を使いこなすぐらいのことはできるようにならなければならない。
 祈は母を心配させまいと、口角を上げて笑って見せる。 
  
>「じゃあ、アタシらは外にいるから。何かあったら呼びな。
>……無理だけはするんじゃないよ」

 菊乃がそういって、颯と共に部屋の外へと出ていった。
そして祈を残して扉を閉めると、不思議なことに、扉が壁に同化するようにその境目が消えていき――、扉が消える。
かと思えば、壁も天井もまた消えてしまい、
室内は床がただただ世界の果てまで続く、不思議な空間へと変化した。
 「外にいるから何かあれば呼べ」というぐらいだから、
見えない扉の外からはこちらの声は聞こえているのだろうし、どこかにはいるのだろうが、菊乃や颯の気配は祈には感じられない。
 やはりこの部屋は、誰にも邪魔されず精神を研ぎ澄ますための、
精神修行か何かのために用意した、特別な部屋だったようである。
しかし、この不思議な空間もまた、雪の女王による魔法によって作り出したのであろうか。

17多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/04/12(日) 23:24:43
(つってもどうすりゃいいのか……)

 龍脈へのアクセス。
言葉にするのは簡単だが、容易にできることではない。
なにせ祈は今まで、その力を意図的に使えたことは一度もないのだから。
 とはいえ、菊乃からは正座するよう指示はあった。
それにここが精神集中に適した部屋であることを考えれば、
おそらくは瞑想がその近道であろうこととはわかる。
 祈は正座したまま目を閉じ、瞑想を始めてみた。
 そうして正座したまま10分、20分、30分。
心は静まったが、なんの動きもなく時間は過ぎていく。

(これだけじゃだめってこと……?)

 菊乃は「無理だけはするな」といった。
それは龍脈と繋がろうと思えば、菊乃が心配するようなことも起こり得ることを意味していた。
 いままではピンチのときに龍脈と繋がってきたことも考えると、
命の危険がそのトリガーとも考えられる。
それならたとえば、悟りを開いたブッダのように瞑想し、
己を死の直前まで追い込む必要があるのだろうか、と祈は思う。
 お腹が空いた状態でずっと瞑想をし続けるのは辛そうだ。早く繋がって欲しい。
そう切に願ったとき。
 祈は、僅かにだが“何かの音”が聞こえたのを感じた。
 この部屋は外界と隔てられているらしく、外の音は何も聞こえない。
静寂が場を満たしたこの場で物音が聞こえるのはおかしい。
 だというのに、足元。その遥か遥か下から、
生命の鼓動にも似た何かの音を、祈は確かに聞いた気がした。
 祈は耳を澄ます。
 そういえば祈はどこかで聞いたことがある気がする。
龍脈は山脈の尾根伝いに流れていると。
つまり菊乃が選んだ山や、雪の女王が連れてきたこの雪山は、
もしかすれば、龍脈にアクセスしやすい条件を揃えている場所だったのかもしれない。

(この下にあるのか? 龍脈が――。
……思い出せあたし。今までどんな風に龍脈と繋がってきたのか。
強い願いを持てば……? 龍脈にアクセスしたいって強く願えばいいのか?)

 祈は目を閉じたまま、右手で床に触れた。
そして龍脈にアクセスしようと試みた――その瞬間。
祈の手は床をすり抜け、祈は体勢を崩した。

「うわっ!?」

 思わず目を開けて声を上げる祈。
 さらに膝までも床にめり込み、身体が前方に倒れる。
そして顔面が床に激突するかと思ったが、顔面もまた床をすり抜ける。
そして何かに引っ張られるように下へ下へと祈は落ちていく。
 何が起きたのかと上を見やれば、自分の体がうつぶせに倒れているのがかろうじて見えた。
 つまり。

(あたし、幽体離脱して魂だけ、下に――龍脈に引き寄せられてんのか!?)

 龍脈へのアクセスに成功した、ということだろうか。
床をすり抜け、地面の中をすり抜けて、祈はただただ、下に向かって落ちていく。
 当然地中に明かりなどないから、落ち行けばそこにはただ暗闇が広がっているはずなのだが、
不思議なことに、落ちながら祈はさまざまなものを見ることになった。
 
 それは星の記憶だった。
地球が生まれてから現在に至るまでの、さまざまな記憶。地中に秘められていたそれを、祈は見ていた。
 生命が生まれ、人類が誕生し。
 生まれては死に、生まれては死に。
人や動物、草木、虫……。さまざまな命の行く末を祈は見た。
 やがて再生される星の記憶が現代にまで到達し、祈の記憶を再生し始める。
 父や母がいる家庭がうらやましくてしょうがなかった幼年期。
妖怪としての力に目覚め、人ですらないことに気付いた小学生時代。
妖壊と戦うようになり、人助けや妖怪助けをするようになった頃を超え、
橘音に東京ブリーチャーズへと誘われる頃まで時は進んだ。
 そして――。

>《祈、お願いですわ。もし、もしも。わたくしのことを本当に友達と思ってくれるのなら――》
>《い、嫌です!わたくしはまだ、祈と一緒に……!》
>《祈!……祈…………!!》

 モノを赤マントに奪われたあの夜へ。
空中に浮かぶ赤マントからモノを取り戻そうと跳躍するも、祈の手は空を切った。
 それを見た祈は拳を握り、

(モノ。必ず助け出すからな……! だからもう少しだけ待ってろよ)

 より決意を固める。
 今度こそ、その手を掴むのだと。
そうしてさまざまな記憶の再生が終わると――、祈の落下にもようやく終わりが訪れた。
 開けた広大な空間に出て、祈の魂はそこにふわりと静止する。
 ここまで星の記憶を見てきた祈には、ここがどこか理解できた。
こここそが“龍脈”なのだ、と。
 この広大な空間は地球を巡る動脈。
そしてこの空間の中心に佇む、太陽と見紛う輝きを放つ光球こそ、この星の心臓。
そこから迸る光の奔流は、大地を巡る星の血液なのだと。
その光のすさまじさ。感じる途方もない力。そしてその美しさに、祈はただ圧倒される。
光球の周囲には、祈が見てきた記憶が衛星のように巡っており、
それもまた宝玉や星々の輝きのように美しい。
 光球や衛星の美しさに引き寄せられるように、
祈の魂は太陽と見紛う輝きを放つ光球に近付いていくと、光球がより強く発光し――。

18多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/04/12(日) 23:27:35
 祈はいつの間にか、先程の空間とは違う場所に立っていた。
 何かの建物の中のようである。
龍脈はどうなったのかと祈が思い、周囲に視線を巡らせると、
そこが見たことのある場所であることに、すぐ気付いた。
 ボロボロの駅の構内だ。
 床の隅には埃が積もり、手すりは錆に塗れて、蛍光灯は明滅し、寿命は間近といったところだろう。
そして天井からつりさげられた看板には『きさらぎ駅』と書いてあった。
 かつて夢の中でやってきた場所であった。
 ということは。

>「やあ……来たね、家出少女」

 祈は心臓が跳ねた気がした。
誰より優しい男性の声音。
まるで祈がくることを見通していたように、その男の声はいう。
 祈が振り返ると、改札を隔ててホーム側に男が立っていた。

>「いや……もう家出はしていないから、家出少女じゃないな。
>訂正しよう……よく来たね。祈」

 優しい声音が、祈を迎えた。

「とう、さん……」
 
 会えるとは思っていなかった人との再会だった。
きさらぎ駅で助けて貰ったときは、思うところはありつつも、誰かはわからなかった。
だが陰陽寮での一件で、芦屋易子が生き返らせようとした男の顔を見たとき、
それが亡くなった父・安倍晴陽だったのだとはっきりわかったのである。

>「少し見ない間に、また大きくなったみたいだな。
>黒雄さんや橘音君に礼を言わなければ……約束を守ってくれてありがとう、とね」

 以前会った時、晴陽は駅員の制服を着ていたが、今は随分ラフな格好をしている。
水色のシャツに、ベージュのチノパン、左手首には銀色のバングル。
それは姦姦蛇螺を封じるため、即身仏となったときにも着ていた格好であるが、
その遺体が消滅する寸前を見ていない祈にはそれはわからない。

「父さん! あの、あたし、龍脈に――」

 祈は晴陽に言いたいことや聞きたいことがたくさんあった。
だがそれより先に、この状況の把握をしなければならないと、
自分が龍脈にアクセスした筈なのになぜかこんなところにいるのだと、
そんなことを伝えようと思い、父の元へと走った。
 だが。

――ゴンッ。

「あ"って"ぇ!? い"っった!! なんかあるここ!!」

 改札の上を飛び越え、脚力に物を言わせてホーム側に行こうとした祈を、
結界のような何かが阻んだ。
 壁のような何かにしこたま額をぶつけ、その痛みに額を押さえてうずくまる祈。
以前もそんなことがあったように思う。
 それを見て、晴陽はくすくすと笑った。

>「さて……積もる話はあるけれど、そうゆっくりしてもいられない。
>もう、外の世界では二ヶ月が経過しようとしている……君がこの場所へたどり着くのに、それだけの時間がかかったんだ。
>だから……さっそく始めよう」 

 そして優しげな表情を一変させて、晴陽はそう言った。

「もう二ヶ月……経って、え……?」

 祈が龍脈にアクセスしてから、もう二ヶ月が経ったという。
ほんの一瞬だったようにも錯覚するが、言われてみればそのぐらいの時間が経っていたようにも思う。
魂で感じる時間というのは非常にあいまいなものなのかもしれなかった。
 また、晴陽の言葉からは、祈の状況を完全に理解し、
その先へと進ませようとしているように祈には思えた。
 晴陽は生前、現代の安倍晴明とまで呼ばれていた凄腕の陰陽師だったらしい。
陰陽師といえば風水などで関わることがあるため、龍脈に詳しいだろう。
しかも祈の父であるから、その言葉を祈は信用するに違いなく。
龍脈が選んだ案内役、ということなのかもしれなかった。
 先に進むために祈は立ち上がり、晴陽の言葉を待った。

19多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/04/12(日) 23:32:17
>「祈。君は、何がしたい?
>この惑星のエネルギー、龍脈を用いて……何をしたいと願うんだ?」

(あたしが何をしたいか……?)

 祈はここに、天魔達との最終決戦に備え、力を得るためにやってきた。
だが晴陽の問いは、より深いところを問うているように祈は思えた。
 龍脈とは惑星のエネルギーそのもの。
そのエネルギーは莫大。理を捻じ曲げ、運命を変えることもできる。
おそらくこの力を最大限に使えば、この世を己の意のままに塗り替えることも可能だろう。
その力を振るえる立場にあって、祈は何を求めているのか、と。
 更に晴陽は問いかける。

>「今まで君が戦ってきた者たちは『何らかの要因によって悪に堕ちた』者たちだった。
>だが、今度は違う。あの男赤マント――いや。天魔ベリアルは『悪たるべくして生まれた』。
>『悪は恐るべきもの。忌むべきもの。強大なもの』という『そうあれかし』なんだ。
>そんな者を前にしても、君は……信念を貫き通せるのか?」

(赤マントを前にしてもあたしの信念を貫き通せるか……?)

 祈は口元に手をやって、考え込んだ。
 赤マント、ベリアルという天魔は、いうなれば悪の化身。
祈にとっては、父と母と離れ離れになった原因を作った相手である。
それだけでなく、橘音にしてもノエルにしても、尾弐にしてもポチにしても、
現ブリーチャーズ正規メンバーの全員が赤マントによって不幸な目に遭わされている。
そして、不幸にされたのはブリーチャーズだけでない。
モノやクリスといったドミネーターズ、その戦力として利用された八尺様やコトリバコもそうであるし、
その犠牲になった人々も多い。
子どもや女性、警官。様々な人が死を迎え、不幸になった。
 その赤マントが、最終決戦で何を仕掛けてくるかわからない。
卑劣な罠の前に、『心が折られることはないか』と。
神経を逆なでする言葉に我を失い、、『この惑星のエネルギーを誤った方向に使わないか』と。
晴陽は祈に、その心の強さと、保てる理由を問うているようだった。

>「さあ――答えるんだ、祈。
>君はなにを望む?何を願う?
>身体が打ちのめされたとき。心が挫けそうになったとき。
>君は、なにをよすがにして立ち上がるんだ――?」

 晴陽が改めて問う。
 祈はそれからほんの少し考えた後、口元に当てていた手を降ろし、まっすぐ晴陽を見た。
答えは決まっている。

「あたしが望むのは――、」

20多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/04/12(日) 23:53:22
「あたしが望むのは、『みんなが幸せに向かって歩いていける世界。今の世界が、明日や明後日、ずっと続いていくこと』」

 虫、草木、人々、動物……さまざまな生命が生き、幸せに向かって歩いていける可能性を持った、この世界の維持。
それが祈の望みだった。
 この世界は、誰かの幸せと誰かの不幸が同居し、ない交ぜになった不完全な世界だ。
 食う者と食われる者にわかれた、弱肉強食の世界。
原始のときから誰かの不幸の上にこの世界は成り立っている。
 貧困、紛争、病気、差別、さまざまな問題も後を絶たない。
 龍脈の力を使えば、世界のありとあらゆる問題を解決できるかもしれない。
だが世界を良くしていくのは、この世界の生きとし生きる全ての命の役目であって、祈の役目ではない。
祈は神でも何でもない。
世界を変える龍脈の力を振るえるとしても、自分一人の考えで世界を変えるのはおかしいと思っている。
そしてなにより、祈はこの世界を信じている。
だから祈は龍脈に大きなことは望まないのである。

「だから――『今の世界を守れるだけの力が欲しい』。それがあたしの願い」

 だが、この世界を乱す者がいる。
 理不尽に、己の都合だけで誰かの命を奪い、幸せを台無しにしようとするものがいる。
可能性を刈り取ろうとする者がいる。
 そんな風に、みんなが幸せに向かって歩こうとしてるその道を、塞ぐ誰かや何かがあるのなら。
それを祈は退ける。
そのための、強い力だけは必要だった。
特に、赤マントという強大な天魔を相手にするのなら。

「……龍脈の記憶を通して、昔のあたしを見たよ。
ちっちゃい頃のあたしは、父さんと母さんがいなかったことがどうしようもなく悲しかった。
だから、そんな気持ちは誰にも味わわせちゃいけないって、そう思ってたから戦ってた。
悪い妖怪をボコボコにして、人助けして、困ってる妖怪も助けたりして……でも、毎日が楽しいかっていえばそうでもなかったんだ。
けど、橘音と出会って……仲間ができて、友達ができて。母さんも戻ってきた。
悲しいことも嫌なこともあるけど、昔よりずっとあの街が、この世界が好きだって思えてる。
だから、今の世界を守りたい。
これが信念だとかそう呼べるものかはわからないけど……貫き通したいって思える、あたしの素直な気持ち」

「赤マントは、父さんがいうとおり危険なやつだと思う。
なにを仕掛けてくるかわからない。でも、あたしは何をされても絶対負けない。
あたしには戦う理由があるから。
モノを助けて、みんなと一緒に生きるために。そう思ったら、あたしはきっと立ち上がれる」

 それが祈の覚悟だった。
裏を返せば、戦う理由である友達や仲間をはく奪されれば、戦意を喪失しかねないという危うさはある。
だが、それをさせまいという強い気持ちがその心に宿っていた。
 それこそ、己がどんな代償を支払ってでも、その願いを押し通そうとすら思っている。
 龍脈の見せた記憶の中には、かつての龍脈の神子たちの最期もあった。
中には華々しく歴史に名を残した者もいたが、
積極的に龍脈の力を使った者のその最期は、例外なく悲惨なものとなった。
まるで己の命運が尽きたかのように不幸に見舞われ、滅ぶ他なくなったとでもいうように、その生涯を閉じていった。
 龍脈の力を引き出し、その力で願いを叶え続ければ、祈もあるいはそうなるのかもしれない。
だが、祈は走ることをやめようとは思っていなかった。

21御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/04/16(木) 23:41:07
乃恵瑠はあれよあれよという間に新しいそり靴をはかされ、世界の全てを持たされていた。

>「乃恵瑠、あなたがこれから戦おうとしている相手は、あなたが今まで戦ってきた相手とは比較にならない強さを持っています」

「重々存じておるつもりだ」

雪の女王に対して、神妙な面持ちで応える乃恵瑠。

>「今のままでは、瞬きの間にあなたは滅ぼされるでしょう。
 あなただけではありません。聖騎士ローランに対し、束になっても勝てなかった今のあなたたちでは……。
 ですから、あなたを本気で鍛えます。おふざけはありません」

「誰だーッ!? “姫様はおふざけばっかりやってます”なんてチクったのは!」

「「こいつです!!」」

カイとゲルダはお互いを指さしながら同時に叫んだ。
一瞬神妙にしているように見えたのは気のせいだったようだ。雪の女王は構わずに続けた。

>「私のスパルタを、あなたは耐えられないと思うでしょう。もうやめてしまいたいと思うかもしれません。
 ですが――
 あなたがおふざけをしていられる世の中を破壊してしまおうと。闇と絶望に覆ってしまおうと。
 そう画策している者たちは――『その向こう』にいるのです」

「母上……どうしたのだ? いつもみたいに黙らっしゃいって言わないのか?」

流石の乃恵瑠も女王の様子が尋常ではないことに本格的に気付く。

>「まずは、あなたのその素質を開花させます。
 あなたの力は、まだまだその大半が眠っている……そしてあなたはその使い方さえ分からない。
 それをすべて教えます。
早速で悪いですが……行きますよ」

「ちょ! 待っ!」

猛烈な吹雪に晒された乃恵瑠は、今まで感じた事の無い感覚に襲われた。
全身がガタガタ震え、世界のすべてを取り落としそうになる。

>「寒いですか?寒いでしょう。」

「嘘だ……」

雪妖、それもただの雪妖ではなく雪害の化身として生を受けた自分が凍えていることに驚きを隠せない乃恵瑠。
見れば、足元が凍り付いている。もはや震えているのが寒さによるものか恐怖によるものかも分からない。

>「さあ、“世界のすべて”をお使いなさい。“新しいそり靴”はただの飾りですか?
 こんな試練にも打ち勝てないようでは、都庁へ行っても殺されるのが関の山。
 ならば――いっそこの母が引導を渡すのも、また親心というものでしょう!」

「ずっと実力を隠していたのか……! かはっ……」

22御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/04/16(木) 23:42:33
妖具を一つ使いこなせるようになるのも簡単なことではない。
それを二つ同時に、何の練習も無しに即超スパルタ実践形式で使えという。
呼吸困難に陥りいよいよ生命の危機を感じた乃恵瑠は、無我夢中で靴底に妖力を込める。
すると、靴底に呪氷の刃が具現化した。
半ば力技で足を引っこ抜き、地面を氷上のように滑走しながら”世界のすべて”を振り下ろす。

「フリーズガトリング!!」

マシンガンを遥かに超えた氷弾の乱れ撃ち。それを女王は腕の一振りで一蹴した。

「まだまだぁ! アイスエッジサルト!」

跳躍して宙返りしつつ下段からの回し蹴りを叩きこむ。

「あれ? 意外と結構使えてる……?」「いけー! 姫様!」

意外と普通に使えていた。
女王のもとで長年過ごし、各種武器の扱いを含むあらゆる技芸を叩きこまれた経歴は満更伊達では無いようだ。
だがしかし。

>「もちろん、接近が叶ったからといって私に易々攻撃ができるとは思わないことです」

「ぎにゃぁあああああああああああああああ!?」

「あ、やっぱ駄目だった……!」

氷の壁に阻まれ、頭から真っ逆さまに地面に墜落した。
今後控えている戦いにおいては、”普通に使えている”程度では全く意味を成さないのである。

『君は器用だが、過ぎたるは及ばざるが如し……ってね!使える技は多ければ多いほどいいが、半面決め手に欠ける!』
『力を束ね、ここぞというときにすべてを注ぎ込む!そんな手段を考える必要がある!』

聖騎士ローランに言われた言葉を思い出す乃恵瑠。
これからの戦いにおいては、そこそこ優秀な能力をいくら持っていても意味が無い。
それよりはたった一つでも突出した何かがある方がまだ何とかなるかもしれない。
でも、それが何なのか皆目見当がつかないのであった。
ノエルは取る姿によっても能力値が変わる。
最も大きな妖力が使える深雪、技に長けた乃恵瑠はもちろん、
緻密な妖力の制御が出来るノエル、ダメ元でみゆきの姿も試してみたが、どの姿でも似たような結果に終わった。

「あぎゃぎゃぎゃ! 痛い痛い!」

容赦なくボコボコにされ冷水で叩き起こされる日々が続き、何十回めかに、ついにキレた。

「殺す気かぁああああああああああああ!!」

女王は動じず、相変わらず涼しすぎる顔をしている。

>「あなたの身体は頑丈にできています。この程度では死にません。
 死ぬと思うのは、あなたの心が弱いから。身体の強さに心の強さが追い付いていないから。
 身体と心の均衡が取れていないのです。そして……それが才能の開花を妨げている。
 ひょっとしたら手加減してもらえるかも、とか。母親なんだから優しくしてくれるだろう、とか。
 そんな甘ったれた考えは捨てなさい」

「……」

23御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/04/16(木) 23:44:47
災厄の魔物として望まぬ力を持って生まれたノエルは、今まで力を渇望したことがない。
むしろ、誰かを傷つけたり何かを破壊する力なんて要らないとずっと思ってきた。
あるものは仕方がないから懐柔して平和的に有効活用しようというスタンスが行き着いた結果が今だ。
でも今の女王は、破壊的だろうが呪われていようがお構い無し、問答無用で敵を薙ぎ倒す条件無しの強力な力を求めている。
状況から仕方がないと頭では理解していても、気持ちが付いていかないのであった。
そこで緊急脳内会議が招集される。

ノエル「今日の議題なんだけど」
乃恵瑠「以前の母上はもう少し教えるのが上手かったと思うが……」
深雪「我は断じて災厄の魔物には戻らぬぞ」
みゆき「もうやだよー! お姉ちゃーん!」

収拾がつかなくなる事が殆どの脳内会議が奇跡的に即時全会一致してしまった。
というわけで、女王の目を盗んで文句垂れまくるノエル。完全に駄目妖怪モードに突入していた。
尚、受けたダメージを回復するため、一日に数時間だけ休憩時間が与えられている。
(幸か不幸か雪山なのでどれだけシバかれようと数時間もあれば全回復してしまう)

「根性論とか原始時代かっつーの!
某三大宗教の開祖も苦行しても駄目って悟ってるし今の時代スパルタは効率悪いって常識じゃん!!」

「姫様、そんな事言わずに頑張りましょう! きっと女王様には深いお考えがあってのことです!」

「つーかあれだけ強いんだならもう母上が行った方がよくない?」

「それ言っちゃおしまいなやつー!」「立場上おいそれと動けないんですよきっと!」

「そんなこと分かってるよ!」

ふてくされたノエルはハクトを抱いて寝っ転がった。

「そういえば理性の氷パズルがまだ返ってこないなー。
ん? 両方使うとなると右手に剣(理性の氷パズル)、左手に杖(世界のすべて)……?」

なんとなく絵的に変な気がする。そもそも、メイン武器は剣で合っているのだろうか。
クリスを正気に戻した時も、橘音を現世に連れ戻した時も剣で戦った。今更疑うべくもないはずだ。
そこはかとないソレジャナイ感を感じるも、他にいい武器が思い当たるでもない。

「まーいっか」

考えるのをやめてしまった。そして相変わらず絶叫の展覧会のような日々が続いた。

「ぐぎゃああああああああああああああああああ!!」
「ひぎぃいいいいいいいいいいいいいいいいいい!?」
「はぐぅうううううううううううううううううう!!」
「あぁれ゛ぇええええええええええええええええ!?」
「くぁwせdrftgyふじこおおおおおおおお!!」

いつの間にか、現状打破の糸口も見つけられぬまま一か月が経っていた。
ついに女王が痺れを切らす。

24御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/04/16(木) 23:45:36
>「まるで進歩が見られませんね」

>「お言葉ですが女王様、姫様にこの特訓方法はハードルが高すぎたのでは……?」
>「今までずっとぬるま湯で過ごしてきた姫様に、普通の妖怪だって音を上げるような特訓というのは、やはり……」

慕っているけど本当に慕っているのか分からない発言をしれっとするあたり、カイとゲルダはどこまでも平常運転であった。

「君達本当に慕ってる!? でも……その揺ぎ無さに今は救われる……!」

>「そうですか。
 この期に及んで、まだこの子は私に憐憫を乞うているのですね。
 そして――あなたたちがそんなノエルに中途半端な希望を与えている。
 ならば。……あなたたちは不要です」

>「じ……、女王様……?」
>「見るのです、乃恵瑠。あなたが戦わなければ……皆『こうなる』のです」

「母上! 何を!?」

いきなりカイを氷漬けにし始めた女王に、乃恵瑠は声を荒げる。

>「じょ、お……ひめさ、ま……」

カイは乃恵瑠の目の前で、女王の手によってバラバラに砕け散った。

>「ほら。死んだ」

「あ……ぁ……」

乃恵瑠は床に落ちた理性の氷パズルを拾い上げ、それを見つめながら呆然としている。
その間に、女王の魔の手がゲルダにも迫る。

>「あなたはかつて、三尾を喪ったことで我を忘れ、麓の村を滅ぼした。
 幼い身に釣り合わない莫大な妖力を用いて。不本意ですが、今必要なのはその力です。」

「やはり……そうか……」

乃恵瑠は下を剥いて低い声で呟いた。その表情は見えない。
特訓が始まった直後から薄々気付いてはいたが、ついに明言されてしまった。

>「大切な者を喪うという事象があなたの覚醒の鍵となるのなら、私は喜んであなたの大切な者の命を奪いましょう。
 さて……次はゲルダ。あなたですね」

>「姫様……、たす……」

>「カイが死んだのに、あなただけ生きているというのは締まらないでしょう?
 さようなら、ゲルダ。乃恵瑠の役に立って死ぬこと、感謝しますよ」

乃恵瑠が抵抗する間も無く、ゲルダもまた砕け散って床に散らばった。
乃恵瑠は絶叫した。

「うあああああああああああああああああああああッ!!」

25御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/04/16(木) 23:46:20
>「あなたもお死になさいね、ハクト。
 恨むなら乃恵瑠を恨みなさい。いつまでも不甲斐ない乃恵瑠のために、あなたは死ぬのですよ」

「母上! 力を分離されている間ずっとそなたの元で技を磨いてきたのは……災厄の魔物に乗っ取られない器になるためではなかったのか!?
災厄の魔物の宿命から解き放たれた事を知った時、一緒に喜んでくれたのは嘘だったのか!?」

妖怪はどう足掻いても、その本質からは逃れられない。高位の妖怪であればあるほどそうだ。
いくら一見慈愛に満ちた母の顔をしていようとも、その本質は氷雪の大妖怪。
あの御前と同じ、大きな目的のためには犠牲を物ともしない神に近い側の存在。
状況が変われば簡単に掌を返す。相手の気持ちなんて知った事ではない。
長年乃恵瑠を手元に置いて育てたのも、全ては目的のため。そんなことは最初から分かっていたはずだ。

>「……怒りましたか?ノエル?
 私は言ったはずですよ……『甘ったれた考えは捨てろ』と――
 カイとゲルダが死んだのも、これからハクトが死ぬのも、すべてすべて……あなたの不甲斐なさが招いたこと。
 あなたのせいでみんな死んでゆく。あなたが皆を死なせてゆく。
 それが嫌なら――この母を斃すことです。今すぐに!!」

「ああ、そうだ。全て妾のせいだ――貴女を母などと勘違いした妾が愚かだった!!」

深雪の姿となったノエルの周囲で膨大な妖力が渦巻き、腰まで届く長い銀髪が揺れる。
ノエルが宿す力は、女王によって間引かれてきた雪ん娘達の記憶の集合体でもある。
女王への怒りを引き金に、災厄の魔物に立ち戻りかけていた。しかし――

『苦しい時も死の淵に瀕した時も――我は常にそなたの味方だ』

祈に誓った約束を思い出し、必死に衝動に抗う。

「母上……貴女の思い通りになってやるものか……!」

>「最後に、氷の神器の使い方を教えてあげましょう。
 ソレは単品で使うものではない。そもそも『三つ同時に使うことを前提として造られている』ものなのです」
>「粗悪な海賊版(ブートレグ)ですが、一度くらいは使えるでしょう。
 あなたを葬り去るのには一撃あれば充分。それで一切合切を終わらせましょう。
 こうも言いましたね?私は――『ものにならないならば、母の手で引導を渡すもよし』と――
 ならば、受けなさい。この母の最大の奥義を」

ノエルは思う。明らかに自分を災厄の魔物として覚醒させるための挑発だ。
女王にとってはベリアルの野望を食い止めるという大きな目的の前には、多少巻き添えで人間が死のうが些細なことなのだろう。
ならば、言葉通りに引導を渡してもらうのもまた一興かもしれない。
そうすれば一番重要な戦いで祈の味方をすることは出来ないが、少なくとも敵に回らずに済む。
……雪の女王の神に近い側に位置する本性を目の当たりにしただけでこうなのだ。
赤マントの純然たる悪意に晒されたら、制御不能の人類の敵になってしまうかもしれないから。

26御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/04/16(木) 23:47:09
>「我が槍の名はフィムブルヴェト。
 古くは北欧世界において『神々の黄昏(ラグナロク)』の先触れとなりし、我が極鎗を見よ!」

「ハクト、そなたは逃げろ……!」

>「生き残りたければ。これから先も、大好きな者たちと一緒にいたいのならば。
 この一撃――凌いでご覧なさい!」

――ごめん、最後まで悪い子で。

*:・゜。*:・゜*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*

走馬灯だろうか、それとももう死んでいるのだろうか。
気付けばノエル――みゆきは、民家の庇の下で途方にくれていた。目の前は、土砂降りの雨。
人間の村に遊びに行っていたら急に雨が降り始めてしまった状況だろうか。
そこに、傘を持ったクリスが現れた。

「あ、お姉ちゃん……! 迎えに来てくれたんだ!」

みゆきは満面の笑みでクリスに抱き付いた。

「今まで大変だったんだから! 揃いも揃って捨て身で突っ込む命知らずばっかりでさー!」

「命知らずだけで突撃させたらすぐ全滅しちまうよ」

そう言ってクリスは、傘をみゆきに手渡した。

「お姉ちゃん……?」

「お前はまだ還ったらいけない。それで冷たい雨や身を焦がす日差しからきっちゃんやみんなを守ってやりな」

*:・゜。*:・゜*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*

「今のは……夢?」

我に返ってみると、まだ女王が奥義を放とうとしているところだった。
今のは時間にすると一瞬にも満たない間の白昼夢だったようだ。

「そうか……!」

ノエルは女王を手本とするように、世界のすべてを長柄として理性の氷パズルを合体させて武器を作り上げた。

「私の武器はこれだ! 名付けて――聖槍”星の王冠《スフィアクラウン》”!!」

世界のすべてが柄、理性の氷パズルが煌めく透明な生地としたそれは――槍というよりもどう見ても傘だった。
ダイヤモンドダストのような煌めきと共に、ノエルの姿が塗り替わる。
雪の結晶のファーに裾が縁どられた透明な呪氷のローブを羽織り、新しいそり靴も少しの曇りもない氷のスケートブーツと化しているその姿は、
ノエルにも乃恵瑠にも深雪にもみゆきにもとてもよく似ていて、そのどれとも異なっていた。
少年のような純粋さと、少女のような清廉さと、雪女が本来持つ妖艶さを併せ持ち、性も年齢も一切感じさせない不思議な雰囲気を纏っている。
特殊な条件下だけで現れる、全ての人格が完全に統合された五番目の人格だろうか――
これを便宜上御幸と表記することにする。

27御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/04/16(木) 23:47:53
>「『堅き氷は霜を履むより至る(ラグナロク・アンクンフト)』!!!!」

御幸は手に持つ聖槍を体の前に突き出し、傘を開くようにシールドを展開した。

「――輝く神の前に立つ楯《シールドオブスヴェル》!!」

その氷面は、現代科学をもってしても地球上では決して作ることの出来ないとされる、完全なる球面だ。
全てを貫く絶対零度の槍と、あらゆる衝撃を逸らす氷の盾が激突する。

「皆が道を切り開く剣なら、私は皆を守る盾だ……!」

――ギャリギャリギャリギャリ!!

硬質な高音を響かせながら絶対零度の槍の先端が完全なる氷面を穿ちながら滑る。

「だあああああああああああああッ!!」

女王の一撃を逸らし切るか切らないかというタイミングで、
傘を閉じるようにすれ違いざまに新しいそり靴の加速を乗せた神速の突きを放った。
二人の立ち位置が入れ替わり、背中合わせになる。

「乃恵瑠……女王様……!」

息を呑んでただ事態の行く末を見守るハクト。一秒経ち、二秒経ち、三秒経ってもどちらも倒れなかった。
御幸の盾はギリギリのところで女王の槍を逸らし切っていた。
そして、当たれば確実に致命傷であっただろう御幸の放った突きは、しかし女王の衣を僅かに掠っただけであった。

「……わざと外しましたね?」

「出来るわけ……ないだろう!!
……ハクト、行こう。もうここには用は無い。祈ちゃんを連れて東京に帰ろう」

その後はたとえ女王が仕掛けてこようとも、御幸は防戦に徹した。
女王の槍は、彼女の言った通りに一度の奥義で砕け散っていた。最強の一撃を防ぎ切った以上、もはや防げぬ攻撃は無い。

「私が憎くはないのですか?」

「憎いに決まってる! ……だけど、貴女がいなくなったら誰が雪妖界を守るのだ?」

先刻の攻防の時、女王から確かに災厄の魔物の力を感じた。
元からそうだったのか、みゆきが災厄の魔物ではなくなったから女王がその役割を担う羽目になったのかは分からない。
後者だとしたら随分と皮肉なものだ。
どんなに足掻こうとも自然の化身たる妖怪は、人と敵対する宿命からは逃れられないのか――?
たとえそうだとしても――

「祈ちゃんに約束したんだ。何があってもずっと味方だって。
だから……期待に応えられなくてごめん。私はもう……災厄の魔物には戻らない」

御幸は女王の目を真っ直ぐに見つめて決然と告げた。

28尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/04/25(土) 21:50:43
鳥居という境界の先に在る幽世。
穢れ無く、荒ぶる魂は鎮められ、邪悪は祓われる。
まさに、神の御座す場として相応しく整えられた空間。それが神社という場が有する意義である。

そして、そんな神社の一つである首塚大明神が社。
京都の森の中に建てられたその社は、古びてはいるものの確りと手入れされており、見る者へ敬意を感じさせる『格』を有している。
勿論、神社という建造物の例に漏れず境内は清浄な空気に包まれているのだが――――その清浄な空間の中に今、一つの穢れが存在していた。

黒いスーツに、同じく黒のネクタイ。死者を弔う喪服を着こみ社の前に立つ男。
筋骨隆々たるその姿は、一見すれば人間に見えるが――この男こそが穢れの元凶。
人から転じた悪鬼。
名を尾弐黒雄。
東京ブリーチャーズに属する妖怪が一体である。

「……ったく、相変わらず神社ってのは息苦しいモンだな。見てみろ。オジサン、酒も飲んでねぇのに膝とかガタガタだぜ」

天魔ベリアルとの決戦を目前に控え、己が力を高めんが為に知己である天邪鬼を頼った尾弐は、しかし連れて来られた境内で早々に息を切らしていた。
さもありなん。かつて雪妖のクリスと対峙した時にもそうであったように、前提として悪鬼と神社との相性は最悪なのだ。
存在自体が悪で在り穢れである種族と成った尾弐は、ただ神社に存在するだけでその存在を世界から否定される。
体は鉛の様に重く感じられ、清浄な空気は息をするだけでも体を苛んで行く。
人に例えるのであれば、何の訓練もしていない一般人を世界最高峰の山の頂上に放りだしたようなものだ。
むしろ、悪鬼の身でこの環境に倒れずいるという事を賞賛すべきだろう。

>「さて」

そして、そんな満身創痍の尾弐に対し涼しげな声を投げかけるのは、この社に祀られた神にして尾弐黒雄が人であった時の家族とも呼べる存在。
天邪鬼。或いは生前の名としての外道丸。
人外の美貌を有する天邪鬼は、弱体化している尾弐とは対照的に自身のテリトリーに在る事によりその力を増大させており、纏う霊気は普段よりも色濃くなっている。

>「我々の自由になる時間は限られている。だから回り道はせん。クソ坊主、貴様には最短距離で強くなってもらう。
>なに、難しい話ではない。強くなれねば死ぬ、それだけだ。ということで――
>貴様にはこれから、ざっと千回ほど死んでもらおう」

「っは―――おいおい、随分乱暴な事言うじゃねぇか。そいつぁアレか?死ぬ気でやれば何とかなるっていう根性論的な」

その天邪鬼が開口一番に告げた修行内容だが……天分の智謀を持つ者が考え編み出したにしては、随分と物騒なものであった。

『千度死ね』

そんな常道では在り得ない方針に対し、尾弐は息を整えながらからかい混じりの返事を返そうとするが、天邪鬼は言葉を続けそれを遮る。

>「痛い思いをして覚える、という言葉があるが。
>それでは手ぬるい。痛みの極地は死だ、死を以て学べ。
>どうだクソ坊主、手足は動くか?呼吸はできるか?」

「……根性論どころか、馬鹿は死ななきゃ治らねぇって方だったか」

天邪鬼の真剣な声色から、放ったその言葉が冗談ではなく本気である事――――つまりは、天邪鬼が自身を本気で千度殺す気であると気付いた尾弐は、思わず頬を引き攣らせる。
しかし、それだけだ。明らかな無理難題を課されているというのに、尾弐の口から拒絶の言葉が発される事は無かった。

「体調に関しちゃアレだ。手足は腐ったみてぇに重いし、呼吸なんざ息止めてた方がまだ楽に感じる――――つまり、絶好調だな」

それは恐らく、尾弐が天邪鬼に抱く信頼が故。
天邪鬼……外道丸が千度死ねというのであれば、少なくともそうする必要があるのだろう。そう尾弐は考える。
故に、大人としての強がりを杖に過酷な修練を受けて立つと彼は言い切るのだ。

29尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/04/25(土) 21:51:07
>「本来ならば、この重圧に慣れるところから始めるのだが。
>そんな悠長なことをしている暇はない、ゆえ――すべて同時に進める。
>できねば死ね。まぁ、今日の所は百遍ばかりも死ねば何とかなるか」
>「難しいことは何もない。ただ、貴様は私に勝てばいいのだ、クソ坊主。
>したが、何をやっても勝てばいいという話ではない。
>『その身に一撃も貰わず』、貴様は私に勝つのだ」

そんな尾弐の虚勢を判ったうえで、天邪鬼は敢えて淡々と課題の詳細を告げていく。

曰く、受けるという強みを捨てて挑めと
曰く、僅かな傷さえも負うなと
曰く、出来ないのであれば――――死ぬと

はっきり言って、尾弐に対してそれは無理で無茶な要求だろう。
戦術というものは、一朝一夕で身に付くようなものではない。
『相手の攻撃をその身で受けて、その上で致命傷を叩き込む』。尾弐黒雄は、文字通り骨身を削りながらその術を練磨してきた。
そうであるからこそ、たとえどれだけ意識しようとも、とっさの時には尾弐の体は染みついたその法則に則って動いてしまう。
命を賭けた戦いで、刹那の判断を求められた際には、受けて反撃をすれば大丈夫だという思考へと流れてしまう。
それは癖などという生温いものではなく、ある種呪いに近い尾弐の習性だ。
これまで仲間達を守り、敵を砕き自分の命を繋いできた、とても強い呪いだ。

>「これから貴様が戦う相手は、どんな力を持っているか分からん。
>骨を断つ間も与えられず、肉を切断されたらどうする?首を刎ねられたら?
>まず、ダメージを受けるという発想をやめろ。その身に毛筋ほどの傷さえ受けてはならん。
>傷を受ければ、そこでご破算だ。いいな」

天邪鬼は、尾弐の戦い方の強さも有効性も全て知っている。
だからこそ。それを知ったうえで、それを否定する。
何故ならば、天分の才を持つ天邪鬼には尾弐の戦い方の先に未来が無い事が判ってしまうから。
それ故に、呪い(つよさ)を断ち切る為の苦難に満ちた試練を尾弐に架すのだ。
そして、天邪鬼のその想いを尾弐もまた理解している。だからこそ

>「一対一というのもつまらん。こういうことは、賑やかに行くのがいい」
「なあボウズ。随分と丁寧に説明してくれたところ悪ぃんだが、年食うと長ぇ台詞は覚えられねぇんだ」

絡みつく神気に妖気の放出で抵抗をし

>「九十九鬼(つくも)おる。私を入れてちょうど百鬼。
>むろん、こやつらの攻撃も受けてはならん。我ら酒呑党の百鬼夜行、心ゆくまで味わうがいい――クソ坊主。
>さあ……という訳で、だ」
「そもそも、此処に到れば言葉は無粋だろ。俺はお前さんを信じてる――――だから」

弱体化する肉体を意志で繋ぎ留め

>「宴を。始めようか」
「先に、酔い潰れてくれるなよ?」

獰猛な笑みを浮かべながら、尾弐黒雄は右足を前に踏み出した。


・・・

30尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/04/25(土) 21:51:48
切り裂かれた肺腑が、肋骨と言う支えを失った腹から吐き出すようにまろび出る。
行き場を失った血液は口腔と傷口からとめどなく噴き出し、外気によって赤黒く変色していく。
垂れ下がる腸を引きずりながら、それでも前に進まんと足を踏み出そうとするがその直後、世界が落下した。
それが自身の首が落とされたのだと。落ち行く首が眺め見た景色なのだと気付いたのは、側頭部に叩きつけられる衝撃を感じてから。
虫食いのように黒く染まっていく意識。
自分が消え果て、無へと還って行く喪失感。
抗おうにも、首だけでは何をする事も出来ず――――



「か、はっ……!!」

言い表せない程の吐き気と頭痛を伴いながら、尾弐は目を覚ます。
反射的に手で自身の首に触れれば、確かに首は胴体と繋がっており、流れ出る汗はその生命活動を肯定している。

死んだ。『また』死んだ。
その事に気付いた尾弐は、額の汗を拭く事もせず歯ぎしりする。
修行を初めてまだ僅か、にもかからわず尾弐黒雄は既に百度は殺されている。

斬殺、圧殺、焼殺、絞殺、刺殺、殴殺、撲殺、撃殺

百鬼の手に寄る尾弐の殺害はあらゆる手段を以って執り行われた。
その度に味わう激痛と、生命の本能にとって最大の負荷である死。
それらは真っ当な神経をしていれば到底耐え難いものであるが……しかし、尾弐が苦悩しているのは激痛や繰り返す死についてではなかった。
何故なら、それらは尾弐にとってさして問題の無い事だからだ。
尾弐黒雄は、苦痛と死に続ける事に慣れている。
かつての暗い地下室での日々は地獄であった。あの時は死こそが救いに見えていた。
矮小なその魂に相応しくない酒呑童子の力を宿していた日々は、全身が砕ける様な痛みを常に感じていた。
故に、死を何度味わおうとそれだけで心が折れるような事は無い。
尾弐の苦悩が向けられているのは別の事――――即ち、遅々として進まない修行についてであった。

痛みを恐れぬが故、虎熊童子の金棒も金熊童子の鉄球も自然体で回避する事が出来る。
死に感慨が無いが故、星熊童子と天邪鬼の斬撃も平常心のままに応じる事が出来る。
数多の鬼どもの攻撃は言わずもがな。無感情に対処する事すら可能だ。
最善で最短で機械的に。
無駄を削ぎ落して、立ち向かう事が出来てる筈……それなのに

「ぐ……っ!」

死ぬ。殺される。何度繰り返しても、進展がない。
冗談のように一定以上から先を生きる事が出来ない。
天邪鬼の告げた千度の死は一刻前に過ぎ去っているというのに、非才なる身は何も得る事が出来ていない。
尾弐の中に焦燥感が澱の様に募っていく。
それでも何かを掴まんと、尾弐は再度立ち上がり――――

>「本当に死ぬ訳ではない。私の術で、貴様に死んだと知覚させているのだ」


ふと。殺し合いが始まってから久方ぶりに、天邪鬼が声を出した。

>「しかしながら、貴様の感じる痛みや死の衝撃は紛れもない本物だ。
>このまま失敗を続ければ、貴様の意識が。魂が消耗しきり、やがては本当の死を迎えるだろう。
>その前に事を成せ。帝都を守りたいと。仲間たちとの約束を果たしたいと。
>好いた女と共に在りたいと願うのなら……」

「一体、何の話を……」

>「我らを凌駕してみせろ!
>千年に渡る悵恨の果て、貴様は未来を掴み取る選択をしたのだろう!
>貴様の望みは、そこに至る階(きざはし)は――我ら酒呑党を斃した、その先に在る!!」

その言葉に困惑しながらも尾弐は再び殺戮の嵐に身を投じる。
眼球を抉られ、脊髄を斬られ、数多と呼べる回数を殺されながら尾弐は考える。

>「目で物を見るな。視界に囚われず、心で視よ!五感の全てを動員し、全天全地よりの攻撃に備えよ!
>貴様の身体に触れんとするものは、空気さえ敵と思え!」
>「莫迦め!避けることに意識を割き過ぎて攻撃が疎かになっておるわ!
>攻めながら避け、避けながら攻める!どちらか一方に偏ってもならぬ、両の天秤――その均衡を崩すな!」
>「今までの経験を棄てよ!敵は貴様の常識の埒外から遣って来るぞ!
>こんな攻撃はどうだ!?これは?ならばこんなのは!?さあ……凌いで見せろッ!」

堰を切ったかのように天邪鬼が投げかけた……そして、今投げかけている言葉の意味を。

>「どうした――クソ坊主!
>貴様が望んだ!貴様が選んだのだ、この道を!
>人間へと立ち戻り、平穏無事な人生を再び歩むことができる……その安寧を投げ捨ててな!
>ならば仕遂げてみせろ、すべて凌駕してみせろ!
>千歳(ちとせ)の生は、こんなところで無様を晒すためのものではあるまい!」


不意に、鉄の鎖を引き擦る様な音が聞こえた。

そして、あまりにも唐突に。

尾弐黒雄は天邪鬼の一撃を回避した。
これまで確実に己が命を刈り取ってきた一撃を、死の刻限を――――超えた。

・・・

31尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/04/25(土) 21:52:58
それからの二月は瞬く間に過ぎて行った。
尾弐黒雄は相も変わらず死を積み重ね続け、その回数は遂に万を超えた。
修行を始めたばかりの頃が嘘のように尾弐の精神は消耗しており、目の下には色濃く隈が浮かんでいる。
そして、精神の傷が肉体にも影響を与えているのだろう。その体は各所がうっ血し、見ていて痛々しい程だ。
しかし。その精神の消耗と反比例するように……死を重ねる程に、尾弐の生存時間は伸びていった。

そして――――今日。
尾弐黒雄は、一個体にして万を超える死を経た悪鬼は、一撃たりとも攻撃を受けず百鬼に寄る全ての死を撥ね退けて見せた。

>「いい成果だ。上々だな。
>時間もない――ならば次の課題を以て最終工程としよう。これを凌げれば、もう特訓すべきことはない。
>神の長子だか何だか知らんが、片手で捻ってやれるだろうよ」

「そりゃあ僥倖だ……随分と手間を掛けさせちまったな」

百鬼の攻撃。その全てを凌ぎ切った尾弐に対し、天邪鬼は賞賛の言葉とともにこう告げる。
次の課題で最後であると。
その言葉を受けた尾弐の胸中に渡来するのは安堵と……ほんの僅かな寂寥感。
天邪鬼が作り出した眼前に居並ぶ九十九の鬼達。彼等の事を、尾弐は今なお嫌悪している。
だが同時に、万を超える死線を共に過ごした彼等の技量に対して、ある種の敬意も抱いていた。

>「今までさんざん賑やかにやったが、最後は貴様と私、一対一の勝負だ。
>皆と交わす盃もいいものだが――対面で飲るサシ呑みも乙なものよ。そうだろう?」

「は。生白かったボウズが、一丁前に呑み語るか」

それ故に。だからこそ。仮初とは言え鬼達との別れに感慨を抱く。
光の粒子と化して天邪鬼に吸い込まれていく彼等に対し、言葉の一つでも投げかけたくなるが……けれど結局、尾弐は何も口にする事は無かった。
言葉に出さなければ分からない事は有る。だが、言葉にすれば壊れてしまう物もまたあるのだ。

そして、尾弐の視線は天邪鬼ただ一人へと向けられる。

>「貴様にとっては、思い出したくもない姿であろうが……今は我慢せよ。
>修行の締め括りには、最大の力を尽くして当たらねばならん。私の最強の姿となると……やはり。これしかないのでな」

「……ああ、そうかい。そういう趣向か。随分とまあ、泣きたくなる真似をしてくれやがって」

九十九の鬼共を吸収し、変性していく天邪鬼。
五本角に浅黒い肌、長く伸びた黒髪に、頬に奔る紋様。
その姿を。纏う悪を具現化した様な妖気を、他ならぬ尾弐黒雄は良く知っている。

かつて京の都で恐怖を振りまいた大悪鬼。
其の心臓を自身の中に隠し、自身の存在と共に『なかった事』にしようとした、尾弐黒雄の千年の闇の象徴。

外道丸という人間の成れの果て――――酒呑童子。

>「ふー……」

酒呑童子はその強大な妖力を以って、まるで呼吸をするように容易く世界を塗り替える。
そしてその塗り替えられた景世界は――――石牢。
血と臓腑に塗り固められたこの世の地獄。
嘗て人間であった尾弐が惨めにその生涯を閉じた終わりの地。

>「いつか話したが……大江山に君臨していた私は頼光どもの襲来を知り、我が身の役割の終焉を悟った。
>そして戦わずして首を刎ねられた。それが何を意味するか、クソ坊主……貴様に分かるか?」
>「私が本気で戦っておれば、あんな腐れ武者に遅れなど取るかよ――!」

酒呑童子の力はあまりに強大だ。
かつて尾弐が変じた時は、殆ど暴走するように暴れ回ったにも関わらず、当時の東京ブリーチャーズの一行を壊滅の手前まで追い込んだ。
そして外道丸は――――本物の酒呑童子は、理性を持って嘗ての尾弐を上回る力を振るう。

背筋が粟立つ。脈動が激しくなる。喉が渇く

かつて尾弐が救えなかった外道丸の成れ果てを見せられる事も。
圧倒的なまでの酒呑童子の力と殺気にこの身を晒される事も。
自身の命を終えた場にこの身が有る事も。
そして、自身の命が失われるという事も。
それら全ては、尾弐にとって想像するだけで恐ろしかった。

32尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/04/25(土) 21:54:36
>「神変奇特……『犯転』と『叛天』だったか。使わせてもらうぞ。
>死ぬ気で凌げ。死んだ気で捌け。なに、今までの訓練でくたばり慣れていよう?
>さて……往くぞ、クソ坊主。
>刮目して見よ、これが首塚大明神では到達し得ぬ……我が剣術の極点よ!
>神夢想酒天流抜刀術、天技!!」

恐怖。恐怖だ。
尾弐黒雄は恐怖を覚えている。

痛みが恐ろしい
訪れる死が恐ろしい

天邪鬼による修行で与えられた万を超える死は、自身に架された殺戮は。
恐怖に背を向け、死に寄り添っていた男に思い出させた。

命を賭した戦いとは本来、恐ろしい事なのだと。

「……思えば、俺はお前にいつも貰いっぱなしだな、外道丸」


――――そして、その『恐怖』を取り戻す事こそが尾弐黒雄には必要だった。


恐怖を忘却する事と、恐怖を乗り越える事は違う。
痛みを恐怖するからこそ救えるものがある。
死を恐怖するからこそ立ち向かえるものがある。
恐怖するからこそ、死にたくないと思うからこそ、生命が持つ最も原初の渇望――――生きる事に命を賭す事が出来るのだ。


今、尾弐の視界には、酒呑童子の刀から伸びる無数の青い鎖が見えている。
この青い鎖は、齎される『死』を尾弐の脳が可視化した幻影だ。
経験した数多の死が、取り戻した恐怖が、本来見える筈の無い生と死の境界を尾弐に認識させたのである。
この『死』の鎖に絡め取られれば、尾弐は死ぬ。
逆を言えば、青い鎖に絡め取られる事が無ければ、たとえそれが百の鬼による攻撃であろうと、傷一つ負う事すらなく切り抜ける事が出来る。

だが……酒呑童子から伸びる青い鎖の一本は、既に尾弐の右腕に絡みついてしまっている。
『犯転』と『叛天』により回避力、防御力、身体能力、その全てを奪われ、その上、対峙する酒呑童子の剣技は至上の絶技。
つまりは、この状況はどうしても避けられぬ絶死とでも呼ぶべきものなのだろう。

なれば、諦めて首を差し出すべきなのか。
否――――断じて否である。

ここで死ねば、何も成し遂げられない。

ノエルとその従者達の馬鹿話に笑う事も
ポチとシロの仲睦まじい姿を肴に酒を飲む事も
祈が成長していく姿を、颯と共に喜ぶ事も
ムジナがその親分に使われあくせく動き回るのを見て苦笑を漏らす事も
眼前の、いつの間にか酒を飲める程に大きくなった外道丸を抱きしめ、その頭を撫でてやる事も

――――愛する女(なすのきつね)を守り、共に未来を生きることも。

それらが成し遂げられないなんて、そんな恐怖を味わうことなんて、あって堪るものか。

出し惜しむな、巡らせろ!力を、魂を、世界を、因果を!

33尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/04/25(土) 22:06:05

疾風よりもなお早く向かい来る刃に対し、反転術式により減衰した身体能力で、尾弐はゆっくりと右の掌を翳す。
青い鎖が示したとおり、刃は尾弐を絶命せんと掌に触れ―――その直後。尾弐の視界の青い鎖が、『死』を示すそれが、尾弐の意志に浸食されるように黒く染まった。

「外道丸。お前から貰った色んなものには到底足りねぇが……今、俺が渡せる全部をくれてやる!!」

打撃、発勁、始原呪術『復讐鬼』
尾弐黒雄が学んできた技術。それら全ての根幹は、力の循環だ。
自分の力を相手に、大地や己の気を物質に、痛みと苦痛を呪った者に、ただただ巡らせる。
力は要らない。速さも要らない。
必要なのは、絶死の恐怖の中からすらも生を掴み取らんとする、神域とも呼ぶべき集中力。

物理、妖気、霊気、神気―――自身を害そうと向かい来る力、その全てを己の体内で循環させ、一分も損なわずそのまま相手へと送り返す。

それは、護身の究極。カウンターの極致。
天才と呼ばれた人間の武術家ですら辿り着いた事の無いそれを、今、一匹の悪鬼が繰り出す。
大切なものを護る為の、名も無き技。力なきが故にあらゆる力に屈さぬ技。

尾弐の掌に触れた白刃に、放たれた力――――万象を両断する酒呑童子の『鬼殺し』は巡り還る。

34ポチ ◆CDuTShoToA:2020/05/05(火) 10:41:10
>「お主ら、ちょうどいいところに帰ってきたのう。ちと使いを頼まれてくれんか」

迷い家を尋ねたポチを見るなり、富嶽はそう言った。
ポチはいつぞや橘音と尾弐がそうしたように、ひどく嫌そうに顔をしかめた。

>「みんな、困っているのよね……私たちも宿の食事に出す山菜を取りに行ったり、魚を釣ったりしに山へ入るから。
  うちの従業員が傷つけられると困るし……このままじゃ、お客様に満足して頂けるサービスが提供できなくなっちゃうわ」

「あー……それは、大変だね。でも、僕らの事情もこっちほどじゃないけど大変なんだ。
 精々僕らがしくじったら、世界が滅びちゃうかも?程度の事なんだけど。だから――」

>「ふん、送り狼が一番強かった時期の話ぢゃと?昔話なんぞしとる場合か。

「……うん、まあ、そう言われると思ってたけどさぁ」

>「どうしても話を聞かせてほしいと言うのなら、まずは儂の依頼をこなすのが筋ぢゃろう。
  分かったらさっさと行ってこい、首尾よく仕遂げたなら厭きるほど聞かせてやろうわい」

>「……参りましょう、あなた。
  あなたと私の二頭なら、余所者の木っ端妖怪ごとき物の数ではありません」

「……それもそうだね」

結局、ポチは大して食い下がる事もなく富嶽の依頼を請け負った。
シロがそれを促したから、だけではない。
実際のところ、ポチは、富嶽には恩があると考えていた。
彼の依頼がなければ、あの夜、二匹の同胞と心を通わせる事は、きっと出来なかったと。
無論、それは富嶽の意図した事ではなかっただろう。
それでも、恩は恩だ。

>「彼らの居場所は、すぐに分かるはずよ。彼らは大きな『縄張り』を作っているから……。
  腕自慢の妖怪たちも何人もやられてるわ。決して油断しないでね」

「あはは、ありがとね、笑さん。でも大丈夫だよ。僕達、そこそこ強いんだ」

ポチのその発言は、慢心の吐露――という訳ではなかった。
むしろ、至極当然の言動だった。
己は『獣(ベート)』を継承し、完全同化をも成し遂げた狼の王。
そしてシロも、高位の鬼すら単独で打ちのめすほどの強者。
たかが山の一角を占拠しただけの流れ者に遅れを取るなどと、想定する方が難しい。
ともあれ――そうして二匹の狼は山へ出た。

>「やはり、天魔の類でしょうか?それともただの、食い詰め者の妖壊たちなのでしょうか」

「どうなんだろう。天魔が今更、こんな山奥に用があるのかな?
 ……ま、実際に出くわしてみれば分かるさ」

>「あなたとふたりきりで事に当たるというのは、初めてですね。
 ……嬉しい……」

「うん……さっさと終わらせなきゃいけないのが、ちょっと残念だね。
 ……そうだ、ねえ、手を貸して?グーにして……そうそう」

ポチが一度足を止めて、シロにそう言った。
そうしてシロが作った右拳に、自分のそれをこつんとぶつける。

「東京ブリーチャーズ、アッセンブル!……なんてね」

ポチが、屈託なく笑う。
正直なところ、ポチはシロに負けず劣らず、浮ついていた。
しかし――それも、山頂に近づき周囲が濃い霧に包まれるまでの事だった。
獣の直感が告げている。敵は、近いと。

35ポチ ◆CDuTShoToA:2020/05/05(火) 10:41:47
>「……あなた」

そして――その時は来た。数十の妖気がふたりを取り囲む。
ポチは、僅かにだが驚いていた。
敵の数にではない。自分達を包囲した妖怪達の、その急速かつ精密な連携に。
彼らは、まるで影のようだった。
影のように素早く、そして一瞬の遅れも、逸りもない。

「シロ、気をつけて。こいつら、かなり――」

ふと、吹き付ける突風――シロへの警句が、途絶えた。
乳白色の霧が揺らぎ、途切れ、その先に見えたもの。
それが、ポチに先ほどとは比にならない驚愕をもたらしていた。

>「……そん……な……」

錆色の毛並みを纏った、巨狼。
それが、険しい岩場の頂点から、ポチとシロを見下ろしていた。
はたと周囲を見回してみれば、ふたりを包囲する妖怪達も皆、狼だった。

それはあり得ない事だった。
狼は、ニホンオオカミは、もうずっと昔に滅びたのだ。
ここにいるポチとシロだけが、この世に残る最後のニホンオオカミ――だったはずなのだ。

敵は、変化の使い手か。それとも妖術による幻、まやかしの類か。
混乱と驚愕を振り払うべくポチは思考を巡らせるが――狼の群れは、それを許さない。
ポチが冷静さを取り戻すよりもずっと速く、襲いかかる。

>「く……!」

鋭い牙が、咄嗟の反応が遅れたポチの下腿部を削ぐ。
手傷を負わせ、機動力を奪う――狼の狩りの、最善の初手。
単なる幻覚や変化では、ない――ようやく、ポチの実感が現実に追いついた。

>「影狼!!」

シロが妖気を昂ぶらせ、叫ぶ。
『影狼群舞』――己の妖気に形を与え、狼の群れを生み出す妖術。

これで、数の不利は多少ましになる。
敵の連携に乱れが生じれば最上。
そうでなくとも影狼を壁に局所的な数的優位を取る事が出来れば、敵の数を削っていける。
ポチの思考が急速に、殆ど直感的に、戦闘の算段を組み立てていく。

>「どうして――」

だが――シロの妖術は、発動しなかった。
何故かは分からない。そして、それが何故かを考えている暇もない。
狼達はなおも波濤の如く一斉に攻め込んでくる。

「この……!」

しかし――ポチとて『獣』を継承した狼の王。
相手が何者であれ、一方的にやられてやる訳にはいかない。

怒りに牙を食い縛り、襲い来る狼の内の一体に、自分から飛びかかる。
敵はあくまで狼の姿のまま。対する自分は、変化によって得た人間同等の手足がある。
故に機先を制し――牙のみを得物とする狼の顎を腕で抱き込み、武器を封じた。

36ポチ ◆CDuTShoToA:2020/05/05(火) 10:43:11
「もらった……!」

後はそのまま力任せに首を捻じ折れば、まずは一匹、数が減らせる。
ポチはそれを間断なく実行しようとして――しかし、不意にその体が宙に浮き上がる。

「な――」

顎を抑え込んだ狼が、己の首を支点に、ポチを振り上げたのだ。
強烈な膂力と、頑強な肉体――ただの雑兵ではない。
そうしてポチはそのまま、地面へと叩きつけられ――

「――めるなッ!」

その衝撃に一切怯まず、吠えた。
抱き込んだ顎は逃さず、地面に叩きつけられた勢いのまま、捨て身投げの要領で相手を投げ返す。
『獣』から得られる膂力を余さず用いた反撃。
たかが「恐ろしく強い狼」程度が捌けるものではない。

ポチの妖気が膨れ上がる。
転ばせた獲物を殺める送り狼の習性による、爆発的な攻撃力の増大。
そして振り上げられた右の爪を――しかし、相手にとどめを刺すべく振り下ろす事は、出来なかった。

ポチが対手を転ばせた瞬間、他の狼達が一斉にシロへと猛攻を仕掛けたのだ。
そうなれば必然、ポチは獲物を諦めざるを得なくなる。
精密極まる連携――ポチもシロも、打つ手がない。
ただ手傷だけが増えていく。

>「あなた……、いったん撤退を――!」

「……なら、僕が殿だ。シロ、君が先に行け」

この深い霧の中では、そもそも同じ狼が相手では、宵闇の妖術は大した意味を成さない。
それでも、自分には『獣』の力がある。
少なくとも、深追いすれば深手を負わせる――そう、牽制しなければならない。

だが――本当に、そんな事が出来るのか。
ポチの心中には、疑心暗鬼が芽生えていた。
ポチは狼だ。ポチは狼の狩りを知っている。

故に分かってしまう。
彼らは、深手を負うほどの距離までは決して寄って来ない。
代わりに血の匂いを辿り、付かず離れずの距離から、獲物が疲弊するのをずっと待ち続けるだろう、と。

そんな狼の狩りから逃げ切る事が、本当に出来るのか。
そんなポチの懸念は――しかし、現実にはならなかった。
狼達は、ポチとシロが逃走の素振りを見せると、それ以上は追ってこなかった。

37ポチ ◆CDuTShoToA:2020/05/05(火) 10:43:28



>「……彼らは何者なのでしょうか」

夜、ねぐらもなく寒さに身を寄せ合っていると、不意にシロが呟いた。

「……狼、なんだろうね。ニホンオオカミ……僕らと同じ。
 どこかでひっそり、生きてたのかな。それとも……」

ポチは、自分の中の『獣』が何か言ってこないか、少しだけ期待していた。
だが、一体どうしてか、『獣』は先ほどから一言も声を発しない。
そしてポチも、わざわざ呼びかけてまで答えを乞うような事はしたくなかった。

>「いずれにしても……彼らが山の者たちに危害を加えているということでしたら、撃退する以外にはありません。
  富嶽翁はじめ、遠野の方々には恩があります。それを返さなければ……」

「……そうだね。放っておく訳にはいかない。それに……このまま逃げ帰る訳にも、いかない」

そうは言ったものの――狼の群れとの戦いは、その後もずっと芳しい結果にはならなかった。
彼らの連携は、ポチとシロのそれを遥かに上回っていた。
ふたりは何度も敗れ、そして見逃された。

山での暮らしが始まって数日が経つと、ポチとシロは人の姿に変化する事をやめた。
険しい山中の地形では四足の姿の方が機敏に動けるし、夜間に体温と体力を浪費する事もなくなる。

だが、それだけでは命を繋ぐ事は出来ない。
日々の糧を得なければ――つまり、狩りをしなければ。
狼の狩りは、ネコ科の生物のような、俊敏性に頼ったものではない。
持久力と、群れの組織的な動きによって獲物を追い詰めるのだ。

たったふたりでも、群れは群れ。
ポチは群れのリーダーとして、狩りを主導しなければならなかった。
獲物を追いながら、シロに指示を出す。
目で見ていては、頭で考えていては、間に合わなかった。

頼るべきは、獣の本能――これまでも、ずっと利用はしてきた。
敵の急所を探ったり、初動を読み取る為に、それを用いる事はあった。
だが、身を委ねた事はなかった。

>「今日も獲物を仕留められましたね、あなた」

シロが嬉しそうに、尾を揺らす。
ポチはそれに応じて、彼女に頬を擦り寄せた。言葉は発しなかった。
狩りの最中、ポチは野の獣がそうであるように、吠え声一つ、目線一つでシロに全てを伝える。
言葉に頼らない――自身に染み付きつつある新たな習慣に、ポチは無自覚だった。

>「もう間もなく二ヶ月……約束の刻限が近づいています。
  東京に戻る時間を考えると、恐らく次の戦いが最後のチャンスとなるでしょう。
  迷い家の皆さまのためにも、彼らをこのまま野放しにはしておけません。
  何があっても。彼らは次の戦いで倒さなければ……」

「……シロ」

シロがそう続けて、ようやく、ポチは言語というものを思い出したようだった。
だが――それも、愛するつがいの名を呼んだだけだ。
「……大丈夫だよ。君も、分かってるはずだ」

結局のところ、この二ヶ月で自分達が得たものは、言葉では言い表せないものだ。
野生の本能、つがいとの絆――ただ、そう名付ける事が出来るだけのものだ。

だからポチが紡いだ言葉は、それだけ。
後はただ、もう一度シロに頬ずりをする。
己のにおいを――そこに宿る自信を分け与える為に。
彼女のにおいを――そこから怯みが消え去り、安堵が宿るのを確かめる為に。

38ポチ ◆CDuTShoToA:2020/05/05(火) 10:44:11



そして翌日――ふたりは、再び狼達の縄張りへと足を踏み入れた。
そうすると、すぐに狼の群れがふたりを包囲する。
錆色の巨狼は岩場の頂点からそれを見下ろしている。
この二ヶ月間、何度も繰り返された光景。

ただ今回は、一つだけ違う事があった。
山肌に吹き付ける突風が、霧を引き裂く、ほんの一瞬。
巨狼は僅かに目を細めた――笑っているように見えた。

>「……参ります、あなた!」

群れの狼達が、ポチとシロから距離を取る。
包囲は解かないまま――それが如何なる意図によるものなのか、ポチはすぐに理解出来た。

>「オオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――――――――ンッ!!!」

咆哮――錆色の巨体が、その体躯に見合わぬ鋭さで唸った。
間合いは瞬時に埋まり、太くも鋭い狼の牙が、ポチの頭部を噛み砕かんと閃く。
対するポチは――

「――シロ」

最愛のつがいの名を呼んだ。
意思の疎通は、それだけで十分だった。

シロが一歩前へと踏み出す。同時に放たれる足刀。
巨狼の噛み砕きを下から叩き上げるような軌道。
蹴撃は狙い通りに直撃し――しかし、巨狼の頭部を揺らせない。
四足獣の骨格と、巨体を満たす狩人の筋肉に、蹴りの威力が殺されたのだ。

だが――シロの表情に怯みはない。
ただ名前を呼んだだけ。
ただそれだけで、彼女は自分が何をするべきかも――ポチが何をするのかも、理解していた。

シロの足刀は巨狼の頭部を、揺るがす事こそ出来なかったが、僅かに押し上げる事は出来た。
つまり――下方向への視界を僅かに奪った。その頸部を曝け出させた。それで十分だった。

ポチは地を這うように、巨狼の懐へと潜り込んでいた。
かつて狼王の毛皮すら食い破った牙が、閃く。
その先端――眼前の首に、届かなかった。

牙が首に食い込む寸前、巨狼の右前足がポチの顔面を強かに打ち付けたのだ。
ポチは大きく殴り飛ばされて――しかし、すぐに体勢を立て直した。
打撃を受ける直前、野生の本能が視界外からの一撃を予期、自らを飛び退かせたのだ。

そうして、ポチは巨狼を睨みつける。
ただでさえポチの数倍はある巨躯が、迸る闘気によって強烈な威容を示している。

「……おかしいな」

だが――

「もう少し、怖く感じると思ったんだけどな」

ポチの表情には、僅かな微笑みと――戸惑いが、宿っていた。
眼前の巨狼と対峙しながら――ポチの意識は、己の内にて目覚めた野生の本能だけに向いていた。
より正確には――己の内にて「今もなお高まり続けている」野生の本能に。

39ポチ ◆CDuTShoToA:2020/05/05(火) 10:46:30
「……シロ。付いてきて」

ポチはそう言うと――それきり、考える事をやめた。
ただ、己の感覚に身を委ね――衝き動かされる。

獣の本能――これまでも、ずっと利用はしてきた。
敵の急所を探ったり、初動を読み取る為に、それを用いる事はあった。
だが、身を委ねた事はなかった。

ポチはその生の大半を、雑種の、未熟で、半端な、狼犬として過ごしてきた。
これまでに直面してきた殆どの状況において、ポチは力不足だった。
だから、考える事をやめられなかった。
ポチはいつだって、本能のままに振る舞って敵に勝てるほど、強くなかった。

けれども――それはもう、昔の話だ。
今や、ポチは『獣(ベート)』を継承し、完全に掌握した。
かつてとは比べ物にならないほどの力を得た。
それでも――身に染み付いた習性は、獣らしからぬ賢しらさは、抜け落ちなかった。

「どうしよう……僕、めちゃくちゃ強くなっちゃうかも」

今、ようやく――その楔が、外れようとしていた。

ポチの肢体が躍動する。爪が閃き、牙が唸る。
吠え声一つでシロを手足のように動かし、息遣い一つで彼女の手足と化す。

一心同体の猛攻を、巨狼は殴打で払い、牙を用いた威圧で退け、その強靭な肉体で跳ね除ける。
更には、反撃にすらしてみせた。

だが――それでも、ポチの攻撃全てを凌ぐ事は出来なかった。
数え切れないほどの攻防の果て――懐に潜り込んでの爪撃が、巨狼の後ろ足を僅かに切り裂く。

そのまま巨狼の背後へ回り込んだポチは――彼が己へと振り返るのを、待った。
シロも、ポチの呼吸と眼差しから、己がすべき事を理解していた。
彼女はポチの背後へと控えて、構えを解いた。

己の背後に、最愛のつがいがいる――その状況が、ポチの闘気を昂ぶらせる。
一心同体の連携ばかりが、絆の力ではない。
愛する者が己を信じ、待っている。故に守る。
その為に己を奮い立たせるのも――また、絆の力。

「……あんたは、きっと何を聞いたって答えちゃくれないんだろうね」

ポチが、巨狼を切りつけた右手を、口元へ運ぶ。
そして、その爪を濡らす鮮血を――舌先で拭い取った。
瞬間、ポチの短躯から妖気が溢れ返る。
野生の本能が、極限まで研ぎ澄まされる――狼にとって獲物の出血とは、決して逃れ得ぬ狩りの始まりなのだ。

「だから、いいや。そういうのは、富嶽のお爺ちゃんにでも聞くから」

最後に――人の姿への変化を、解く。
己の、最も頼りとなる武器を――狼の牙を、使う為に。

「僕はただ――あんたを、超えていくよ」

そして――ポチの五体が、影の如く、奔った。

40那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/05/08(金) 21:54:24
>あたしが望むのは、『みんなが幸せに向かって歩いていける世界。今の世界が、明日や明後日、ずっと続いていくこと』
>だから――『今の世界を守れるだけの力が欲しい』。それがあたしの願い

祈の決意に満ちた言葉を、晴陽は険しい表情のまま聞いた。

「君の欲するものは、君自身が世界を変えるための絶大な力ではなく――
 この世界がこのまま続いていくこと。この世に生きるすべてのものが、いつか進歩してゆくための時間……ということか。
 望みさえすれば、君は世界を制する神にも。世界を破壊する悪魔にもなれるというのに」

>……龍脈の記憶を通して、昔のあたしを見たよ。
>赤マントは、父さんがいうとおり危険なやつだと思う。
>なにを仕掛けてくるかわからない。でも、あたしは何をされても絶対負けない。
>あたしには戦う理由があるから。
>モノを助けて、みんなと一緒に生きるために。そう思ったら、あたしはきっと立ち上がれる

龍脈の神子の宿命は、祈が考えているよりももっともっと、遥かに大きく重い。
この地球という惑星の命運が、行く末が、祈一人の双肩に担われている――と言っても過言ではないのだ。
今までの龍脈の神子たちの中には、その大きすぎる役目に押しつぶされ、破滅した者も少なくない。
だが、祈はそんな宿命を背負わされてなお、自らの信念のために生きようとしている。
この星に生きるすべてのものが、等しく幸せになれるように。
晴陽はしばらく祈を凝然と見つめていたが、

「……ふふ」

しばしの静寂の後、表情を和らげると小さく笑った。

「君がそこまで決めているのなら、もう私に言うべきことは何もない。
 地球のすべての命が幸せになれるように。誰ひとり悲しむ者のないように。
 理不尽な不幸や破滅に嘆く者がなくなるように――
 祈。君はその力を使うといい。
 その気持ちを、決意を忘れない限り、龍脈は望むだけの力を君に与えてくれるだろう。
 君の決意を。言葉を。誓いを……この星は、確かに受け止めたよ」

晴陽は嬉しそうに相好を崩した。祈は龍脈とのアクセスに成功し、その力を自在に使う『権利』を手に入れたのだ。
今までの、ぎりぎりまで追いつめられての限定的な力の行使ではなく。
これからは、祈はただ願うだけで龍脈のエネルギーを引き出すことが可能になるだろう。
身体能力の爆発的な向上と、運命の変転。
その力を使えば、きっとベリアルら天魔との決戦にも勝利することができるに違いない。

「祈。『そうあれかし』とは、『そうだといいな』『そうなると素敵だな』という願いだ。
 願いによって人は進歩し、幸せを掴み取るために歩んできた……。
 そして『願い』は『祈り』に通ずる。祈、君が龍脈の神子となったのも、あるいは必然だったのかもしれないな……」

人の願い。人の祈り。それを叶えられる人間になるようにと、晴陽と颯は我が子に『祈』と名付けた。
そして、祈は今。両親が祈ったとおりに成長してここにいる。
と、ふたりのいるきさらぎ駅の風景が不意にぐにゃり、と歪む。
まるで遥か上方に引っ張られるかのように、祈の身体がふわり、と宙に浮く。

「これで試験は終わりだ。いい答えだったよ、祈。さすがは私の娘だ……君を誇りに思う。
 さ、早くお帰り。橘音君や黒雄さんたちに見せてやるといい、君の力を。
 そして……ベリアルにガツン!と食らわせて。ともだちを取り戻しておいで!」

晴陽がおどけて拳を振り下ろし、殴る真似をする。――別れのときだ。
抵抗しようとも、祈の身体はどんどん上に引っ張られてゆく。覚醒が近いのだろう。

「いいかい、祈。
 現世(うつしよ)と幽世(かくりよ)の境界は絶対だ。何者もその理を捻じ曲げることはできない。
 でもね……その境目は限りなく薄い。0.1ミリにも満たないくらいにね。
 つまり何が言いたいかというと……私はいつだって君の傍にいる。君のことを見守っている。
 君だけじゃない、颯さんのことも……それを、どうか忘れないでほしい」

歪んで溶けてゆくきさらぎ駅のホームに佇んだ晴陽は祈を見上げ、軽く手を振った。
穏やかな、温かい、愛情に溢れた微笑を浮かべて。

「……愛しているよ、祈」

遡ること十四年前、祈と颯を。東京を護るため、その身を擲って死亡した稀代の陰陽師。
東京ブリーチャーズの、かつてのメンバー。
その父の言葉を聞きながら、祈の魂魄は白い光に包まれ――

やがて、元の雪の女王の部屋の中で意識を取り戻した。

41那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/05/08(金) 21:54:51
「…………」

ハクトと共に駆け去ってゆくノエルの後姿を、雪の女王はいつまでも眺めていた。

「……よろしかったのですか?女王様……。このまま姫様を行かせて」

「姫様の眠っていた能力を引き出した、っていう点では、大成功ではあったと思いますけど……」

女王の背後にカイとゲルダが佇み、気遣わしげな様子で口々に告げる。
つい今しがた、女王の手によって粉々に破壊され殺されたはずのふたりが、どうしてこの場にいるのか?

「女王様の作戦は覿面でしたね。姫様はお優しい方……それは裏を返せば、余程のことがないと本気になれないということ。
 例えば近しい者が傷つくか死ぬかしなければ、その実力を発揮することができない。
 だから、私たちは死ななければならなかった」

「いやー、でも女王様が妖術で氷から作った人形とはいえ、自分が死ぬところとかもう見たくありませんね!」

「……苦労を掛けましたね、カイ。ゲルダ」

女王がふたりを振り返り、その労をねぎらう。
どうやら女王はあらかじめカイたちそっくりな氷の人形を用意し、それをノエルの前で破壊してみせたらしい。
妖術で本人そっくりにカモフラージュする技術は、さすが世界に名だたる大妖のひとりと言うべきか。

「でも……あれで良かったんでしょうか。
 女王様は、本当は敵に対する非情さ、冷酷さを姫様に学んでほしかったのですよね?
 災厄の魔物に立ち戻れとは言わずとも……自然の過酷さを体現する冷たさ。冬の具現である酷寒の心を発露させようと。
 なのに――」

その目論見は失敗した。
ノエルの覚醒を成功させることには成功したものの、しかし氷雪の心までも宿らせるには至らなかった。
最終決戦の場でノエルを待ち構える敵は、今までの敵とはものが違う。
ベリアル自身も、そしてベリアルに従う者たちも、これまで東京ブリーチャーズが対峙してきた者とはレベルが違うのだろう。
だが――女王は最後まで、ノエルの抱える甘さを克服させることができなかった。
それでは決戦の地で仲間たちの足を引っ張ってしまうのではないか?そうカイとゲルダは危惧している。
しかし。

「……その心配はありません」

女王は小さく微笑んだ。

「女王様……?」

「私はあの子の優しさを短所だと思っていました。冬を司る雪妖には不要のものと。
 ゆえにそれを克服させようとした。排除してしまおうと考えた。
 けれど、それは誤りでした。あの子にとって、優しさとは紛れもない長所なのでしょう。
 であるのなら……私は短所をなくすことよりも。長所を伸ばすことを考えなければならなかったのです」

槍を創り出すことを期待していた女王の予想に反して、ノエルは傘を創り出した。
傘は皆を護るもの。仲間を、大切な者を、すべてを降り注ぐ不幸という雨から遠ざけるためのもの。
彼が本当に、心からの願いによってそれを創り出したのなら――
あとは。その優しさが世界を救うことに望みをかける以外にないのだ。

「……女王様」

「肩の荷が下りました……。あの子なら、きっとやり遂げてくれることでしょう。
 私の女王という肩書も、改めて譲るときがやって来たようです……」

そう言うと、女王は身体をぐらつかせ、どっと倒れかけた。
ぴし、と小さく硬い音が鳴り、その頬に一条の亀裂が入る。

「女王様!お気を確かに……!」

「ふふ……。老いたる身で無理をするものではありませんね……。
 ずっと実力を隠していた……?まったく、あの子ときたらいつまでも見立ての甘い……。
 そんな力など……無償で出せるものでないことなど、とっくに……分かっているでしょう、に……」

カイに抱きかかえられながら、女王は小さく息をついた。
ノエルの特訓に付き合うために、相当に自身の肉体に負担をかけていたらしい。
何から何まで予定通り、とはいかなかったが、それでもノエルの強化は成った。あとは運を天に任せるだけである。

「……いってらっしゃい……ノエル……。
 あなたの勝利を……願っています、よ……」

そう呟くように零すと、雪の女王は目を閉じた。
たとえ憎まれても。疎まれようとも。
親とは、子の幸せを一心に願うもの。

42那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/05/08(金) 21:55:51
真黒い妖気を全身から迸らせ、酒呑童子が迫る。
その速度は神速。今までの斬撃も尾弐の五感を遥かに凌駕したものであったが、今回の速さは次元が違う。
神夢想酒天流抜刀術・天技『鬼殺し』。
これは今までさんざん尾弐に喰らわせてきた他の神夢想酒天流の奥義とは、根本的に異なるものである。
従来の酒天流奥義は、速度・精度・威力において人界の剣術とは比べ物にならないレベルのものではあったが、
術理そのものは人間の修めるそれと同様であった。
即ち『速度と膂力を以て鋭利な刃物で斬り裂く』という摂理である。
が、この天技と呼ばれた奥義は違う。
鬼殺しは斬撃を叩きつけるのではなく『死』という概念そのものを対象へ叩きつける。
酒呑童子の妖気を凝縮させた『死』を防ぐことはできない。無間の太刀筋を見切ること自体がそもそも不可能であるし、
受ければそこから死が伝播する。
そして――

事ここに至り、酒呑童子は幻戯による疑似死を解除していた。

二度目はない。天技・鬼殺しを初見で攻略しなければ、尾弐は本当に死ぬ。
正真正銘、酒呑童子の全力を用いた本気の一撃である。
尾弐を信頼しているがゆえ。尾弐ならば必ずこの特訓を実のあるものにしてくれると疑ることなく想っているがゆえ。
酒呑童子は躊躇いなく、尾弐を殺しに行った。

「おおおおおおおあああああああああ――――――――――――――ッ!!!」

酒呑童子が、その昔京の都を恐怖のどん底に叩き落した大妖が吼える。
『死』が尾弐に絡みつく。逃れ得ぬ断絶が尾弐へと迫る。
……が。

>外道丸。お前から貰った色んなものには到底足りねぇが……今、俺が渡せる全部をくれてやる!!

カッ!!

酒呑童子の放った白刃と、尾弐が突き出した掌とが触れる。
その瞬間酒呑童子の繰り出した『死』の衝撃は尾弐の手の中で逆流し、転換し――
それを打ち放った酒呑童子自身の生命を打ち砕いた。

「ご、は……」

酒呑童子が双眸を見開き、どす黒い血を吐き出す。
かららん、と乾いた音を立て、その手から仕込み刀が落ちる。
よろよろと一歩、二歩後退すると、酒呑童子は尾弐を見てにやりと右の口角を笑みに歪めた。

「……仕遂げた、か……。
 相手の力を、そのまま相手へと返す……なるほど、それは……この上ない反撃の方途と言えような……。
 敵が強力であればあるほど、貴様にとっては……都合が、よい……という、わけ……」

そこまで言って、もう一度血を吐く。
酒呑童子の全身の血管が浮き出、不気味に脈動している。『死』が全身を駆け巡っている証拠だ。
自身の放った『死』の概念を受けた酒呑童子は死ぬしかない。もとより必殺の奥義である、救命の方法はなかった。
しかし、それも『酒呑童子ならば』の話である。その身体から妖気が漏れ出し、長かった髪が。五本の角が。徐々に失われてゆく。
取り込んだ九十九鬼を解放し、元の首塚大明神に戻ったのである。
酒呑童子とは別の存在になってしまえば、死を無効化できる。
とはいえ、返ってきた天技の衝撃までは無かったことにはならない。天邪鬼は力尽きて背後の鳥居に身を凭れさせた。

「見事よ、クソ坊主……。かくなる大悟に至ったからには、もはや鍛錬の必要もあるまい……。
 死を忘れるのではなく、死を直視して尚それを乗り越える。そうすることで活路は得られる……。
 ゆめ、忘れるな……貴様は自身の屍を仲間に乗り越えさせ、勝利を掴ませに行くのではない……。
 貴様自身が、勝利を掴み取るために……往く……のだ……」

ずるずるとくずおれ、鳥居に背を預けて座り込む。
天邪鬼の体力は限界のようだった。

「往け、そして……貴様の願いを阻まんとするもの総てを退けてくるがいい……。
 私も同道してやりたいところだが、ハハ……さすがは我が天技よ。足腰が立たぬ。
 自らの生み出した死で苦しむなど、自家中毒もよいところ。
 帝都にはひとりで戻れ、私も……復調次第加勢に行く……少し、休ませろ……」

額に脂汗を浮かべ、意識を明滅させつつも、天邪鬼は気丈に笑った。そして、異界化を解いた鳥居の外を指さす。

「ふ、ふふ……。
 無惨無道の天邪鬼が、人助けなど笑止の至りだが……。
 少しは、役に立てた……か、な……」

最後の力を振り絞って自嘲気味に笑うと、天邪鬼は意識を手放した。気を失ったらしい。
修行は成った。あとは、帝都へ戻り仲間たちと共にベリアルの野望を挫くだけだ。
大切な者と、千年より先の未来を生きるために。

43那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/05/08(金) 21:57:22
シロと狼たちが遠巻きに見守る中、ポチと巨狼が対峙する。
群れの長同士の一騎打ちは、佳境に差し掛かっていた。
ポチが全身から妖気を溢れさせると、巨狼もまた全身から闘気を炎のように迸らせる。
共に一群を率いる者。絶対に負けるわけにはいかない。
互いの信念を。矜持を。存在を賭けた戦い。
その決着が、もうすぐ着こうとしている。

>僕はただ――あんたを、超えていくよ

「オオオオオオ――――――――――ンッ!!!」

ポチの言葉に応えるように、巨狼が咆哮する。ポチが奔るのに合わせ、あたかも重戦車のような勢いで突進してくる。
互いの影が瞬刻を経て交錯し、すれ違う。
そして――
勝利したのは、ポチだった。
かつて最強の狼・狼王ロボさえも打ち破った新たなる王者の牙が、今回もまた眼前の脅威を撃破したのだ。
どどう……と轟音を立て、巨狼が地面に倒れ伏す。
勝負はついた。戦いは終わったのだ。

「あなた……!」

決闘のゆくえを見守っていたシロがすぐにポチへと駆け寄ってくる。その姿は夫に合わせるように白狼に戻っていた。
シロはポチの身体に我が身を寄せると、つがいの顔をぺろぺろと何度も舐めた。
やがて巨狼がゆっくりと身を起こし、元いた岩場へと戻る。群れの狼たちもそれに倣い、岩場の周りに集まってゆく。
巨狼はポチとシロの二頭をほんの少しの間だけ見下ろすと、空を見上げて遠吠えをあげた。
群れの狼たちも長に追従して遠吠えを始める。束の間、霧深い山奥に狼たちの遠吠えが響く。
それはまるで歳若い狼の王、その生誕を祝福するような。
滅び去ったはずの種族に新しく生まれた、二頭のつがいを言祝ぐような。
たった二頭の群れ、その未来の幸福を祈るような――。

と同時、辺りを漂っていた霧が一層濃くなってゆく。漂う濃霧が視界を遮り、巨狼と群れの姿をぼやけさせてゆく。
その気配が急速に遠くなってゆく。
最後にもう一度、巨狼はポチを見つめた。
巨狼の眼差しは優しく威厳に溢れ、試練を成し遂げたポチをよくやったと褒めているようにも感じられる。
そして――

霧が完全に群れの姿を覆い隠す、その直前。
岩場の上で巨狼の傍に寄り添うすねこすりの姿を、ポチは見た気がした。

「おう、終わったようぢゃな。随分てこずったようぢゃが」

霧はほどなくして晴れ、ポチとシロは問題なく迷い家へ帰ることができた。
富嶽がふたりの顔を見て声をかける。

「ポチ君、シロちゃん、本当にありがとう。これで、宿も今まで通りに営業できると思うわ」

「さて……約束ぢゃったな。送り狼が一番強かった時期の話、ぢゃったか。
 話してやりたいのは山々ぢゃが、生憎と今度はお主らの方に時間があるまい。さっさと帝都へ戻れ、もっとも――」

笑と富嶽が口を開く。
しかし富嶽は途中で一旦言葉を切ると、

「……もう、儂が話してやる必要もなさそうぢゃがの」

そう言ってにんまりと人の悪い笑みを浮かべた。
ポチはこの二ヶ月をシロと、そして狼の群れと共に過ごしたことで、野生を取り戻した。本能を十全に活用できるようになった。
半身と呼ぶべきつがいのシロと、以心伝心の遣り取りもできるようになった。

――おまえはオレ様の轍を踏むなよ。
  女房を守ってやれ、手前の命が尽きる瞬間まで。くれてやったソレは――本来、そのための力だ。

かつて、狼王ロボはそう言った。
今のポチの力ならば、必ずやシロを守ることができるだろう。シロだけではない、橘音も、祈も、ノエルも、尾弐も。
ポチが今までの戦いで大切だと思った、すべてのものを。
己の全身と全霊を賭け、大切な群れを。縄張りを守るのが、狼の王。

ポチには、その資格がある。

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49那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/05/08(金) 23:39:30
修行を終え、東京に帰ってきた五人だったが、集合場所に決めていた那須野探偵事務所に橘音の姿はなかった。
待てど暮らせど、橘音は帰ってこない。
日程は今日で合っているし、場所も探偵事務所以外で間違いない。

「もしや、三尾の身に何かあったのでは……?」

人間の姿のシロが不安げに呟く。
たった二ヶ月でベリアルに対抗する力を手に入れるためには、生半可な特訓をしていたのでは意味がない。
東京ブリーチャーズのメンバーはそれぞれ、この二ヶ月間強くなるか――さもなくば死かというような過酷な訓練に耐えてきた。
五人はなんとかその試練に打ち勝ち、強大な力を手に入れたが、それは奇跡と言ってもいい確率である。
ひょっとしたら橘音は自らに課した試練に失敗し、この場へ戻って来られなくなってしまったのかもしれない。
各人の焦燥は募ってゆく。残された時間はほとんどない、予定では全員が集合し、体調が整い次第都庁へ攻め込む手筈だ。
しかし、リーダーである橘音がいないのでは都庁に攻め込むどころではない。
そんなことを考えているうちに、事務所の実用性一点張りで洒落っ気のかけらもない壁掛け時計が正午を指した。
……すると。

「いやぁ〜、皆さん!お待たせしちゃって申し訳ありませぇ〜ん!」

バタバタと事務所の外の階段で足音が聞こえたかと思うと、能天気な声と共にサングラスをかけた女性が入ってきた。
年齢は二十代の中盤〜後半くらいだろうか。ブリーチャーズの見たことのない人物である。……少なくとも外見は。
腰まである、切り揃えた艶やかな黒髪。すらりと背が高く、黒いタイトスカートスーツとロングコートに身を包んでいる。
まるでモデルか芸能人かといったような、颯爽たる姿である。
ただ、両手には紙袋をたくさんぶら下げている。カツリとハイヒールの踵を鳴らすと、女は所長専用のデスクに紙袋を置いた。

「は〜、重かった!疲れた疲れた!」

女は振り返ると、室内にいるブリーチャーズのメンバーを振り返って小さく笑った。

「ただいまです!皆さんお揃いで、その分ですと首尾よく特訓に成功したようですね!いや重畳、重畳!」

そう言ってサングラスを取る。右眼から額までを眼帯で覆っているが、紛れもなく美女と言っていい造作だ。
やっぱり一同に見覚えはなかったが、長年の相棒である尾弐と嗅覚の優れたポチは気付くだろう。
目の前にいる見知らぬ女が、那須野橘音だということに。

「あ。ボクが誰かお分かりにならない?橘音ですよ、橘音!帝都東京にその人ありと言われた、狐面探偵・那須野橘音です!
 まぁ今は狐面かぶってませんけど!やっぱり、狐面かぶってないとわかんないもんです?」

橘音はとぼけたことを言いながら笑った。
外見は勿論、声まで若干ハスキーになっている。
もっとも、メンバーの知る橘音を人間と仮定して、十年くらい経てばこんな感じになる――というような面影はないこともない。

「ざっと三百年ぶりですか!いやホントお久しぶりですねえ……。
 感慨深いです。この三百年、皆さんに会いたくて……でも我慢して修行していましたから……。
 あ、ハイこれ栃木みやげです。どうぞどうぞ」

「三百年?」

シロが怪訝な表情を浮かべる。
ブリーチャーズが修行に費やした期間は二ヶ月だ。三百年は計算が合わない。
紙袋を祈やノエルに渡しながら、橘音がああ、と声をあげる。

「御前の住まう華陽宮は、現世とは異なる場所にあります。
 当然、時間の流れも異なる……現世では二ヶ月でも、華陽宮では三百年が経過する部屋もあるんです。
 ボクはそこで修行をしていたもので。だからこんなに成長してしまいました!
 ご覧ください、これが修行の成果です!」

橘音はくるりとブリーチャーズに背を向けた。
それから少しお尻を突き出すと、途端に大きくふさふさした橘音の尻尾が出現する。
一、二、三、四……五本。
三百年の修行で、三本尾の妖狐であった橘音は五尾の妖狐へ昇格したらしい。
妖狐は妖力が高まれば高まるほど尻尾が増える。一般に尾が一本多い妖狐には一本少ない妖狐が十頭束になっても勝てない。
そして、妖狐の昇格ほど気長で悠長なものもない。通常は天然自然の氣と合一し、何千年もの時間をかけて位を上げるのである。
二百年という年月で二本の尾を増やしたというのは、驚異的なスピードと言わざるを得ない。
それだけ橘音も必死で訓練に明け暮れ、試練に打ち勝ったということなのだろう。
大切な仲間たち、そして――愛する男への想い、それだけをよすがに。
橘音は尻尾をしまって居住まいを正すと、尾弐を見た。

「ただいま、クロオさん。
 ……会いたかった」

橘音にとって、尾弐と出会ってから今までの時間よりも長い時間をひとりで修行に充てていたことになる。
心から想って。愛して。やっとその恋が成就した相手と、三百年もの間離別を余儀なくされた。
その寂しさと苦痛は想像を絶する。――が、橘音は耐え抜いた。
すべては、仲間たちと。愛する男と未来を生きたいという願いのため。
ほんの一瞬躊躇うと、橘音はゆっくり右手を伸ばして尾弐の頬に触れた。
言いたいことなら沢山ある。話したいこと。聞いて貰いたいこと。言って欲しいこと――
だが、それを今語ることはしない。それをするのは今ではない。
ふたりきりで語らうのは、すべてが終わってから。
だから――橘音はただ、いとおしげに尾弐の頬に触れ、ほんの微かに笑った。

50那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/05/08(金) 23:40:03
「さて――というわけで!ついにこの時がやって参りました!」

所長用デスクの前で、橘音が大きな声で告げる。
なお、今は仲間たちの見慣れた半狐面に古びた学帽、学ランにマントという姿に戻っている。
やっぱり、最終決戦はこの姿で挑むのが一番『らしい』だろうということらしい。
橘音は元々狐であるから、人間の姿はどうとでもなる。ノエルと一緒である。

「ローランの話では、まだベリアルたち天魔の最終計画は準備段階。
 今までは天魔たちの攻勢に対してこちらが守勢に回るという構図でしたが、今回は違います。
 こちらの方から、天魔の本拠地である都庁に乗り込む。こちらがオフェンスです。
 そして庁舎内を駆けのぼり、首魁であるベリアルを本性を現す前に倒す――速攻でケリをつけなければなりません」

東京ブリーチャーズが攻め手に回る、今回の作戦は千載一遇のチャンスである。恐らく次はない。
奇襲で天魔の本丸へ吶喊すれば、ベリアルの計画も頓挫を余儀なくされるだろう。
むろん、ベリアルもただ無防備に計画を推し進めているわけではあるまい。何せ、神話に語り継がれる陰謀家である。
だが、ベリアルが都庁にどんな防御機構を張り巡らせていようと、すべて叩き潰して進む。
二ヶ月の修行はそのためのものだった。そして、今の東京ブリーチャーズにはいかなる罠をも潜り抜ける力がある。
狙うは東京ドミネーターズの僭主、天魔ベリアルの首ひとつ。
それが成功すれば、長い戦いが終わる――もう、誰もベリアルの邪悪な目論見によって不幸にならずとも済むのだ。
ベリアルによって不幸になり、あるいは死んだ者たちも――きっと報われることだろう。

「相手は天魔ベリアル。以前も説明しましたが……『神の長子』と呼ばれた、かつての天界のNo.2です。
 ベリアルが龍脈の力を手に入れ、神に準ずる――いえ、神をも凌ぐ力を手に入れてしまったら、何もかもおしまいです。
 その前に、なんとしてもベリアルを倒さなければなりません」

仲間たち全員の顔を順に見回し、荘重に告げる。

「思えば、長い長い旅路でした。たくさんの事件があり、そのどれもが難解なものばかりだった。
 皆さんの力がなかったら、ここにいる誰かひとりでもいなければ、きっと勝てなかった。
 ボクは幸せです。ノエルさん、クロオさん、ポチさん、シロさん……そして祈ちゃん。
 あなたたちの協力で、今。東京ブリーチャーズは天魔との決着の場にまで漕ぎつけることができました。
 今のうち、お礼を言っておきます。
 ありがとう、アナタたちと一緒に戦うことができてよかった」

全員で連携し、八尺様やコトリバコを倒した。

ノエルの姉クリスに立ち向かい、狂気に侵された狼王ロボと対峙した。

黄泉の入り口に行ったこともあるし、陰陽寮では後継者問題にまつわる陰謀に巻き込まれた。

太古の祟り神姦姦蛇羅と戦ったことも、茨木童子率いる酒呑党とスカイツリーを舞台に大立ち回りを演じたこともある。

様々な戦いがあり、出会いがあり、別れがあった。
そして――ノエルは、尾弐は、ポチは、祈はこれから、すべての因果に終止符を打つべく決戦に挑む。

「……東京ブリーチャーズは、東京オリンピックの際にやってくる海外からの妖壊たちの脅威に対抗するため生まれました。
 おそらく、これが最後の戦いとなるでしょう。
 皆さん、むろん目的達成も大切ですが……死なないでください。
 ひとりとして欠けても作戦失敗です。全員で都庁に入って、全員で出てくる。
 これを忘れないでくださいね。
 では――」

橘音はにっこり笑って、仲間たちの前に右手を差し出した。
この場にいる全員で生き残り、戦いに勝ってこの場へ帰って来る――
その誓いのために。みんなで手を重ねよう、と言っている。
全員が橘音の手の上に手を重ねると、狐面探偵は高らかに言い放った。




「東京ブリーチャーズ!アッセンブル!!」

51那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/05/08(金) 23:40:25
東京都新宿区西新宿二丁目8番1号、東京都庁第一本庁舎。
帝都の行政の中枢。この世界でも有数の大都市の頭脳と言うべき場所。
北棟と南棟からなるその形状でツインタワーとも呼ばれる高さ243m、地上48階、地下3階の巨大な塔。
本来ならば都民の安寧を一手に担うはずのこの建物は、しかし今や地獄から出現した天魔たちの巣窟――
二十一世紀の万魔殿(パンデモニウム)に変貌していた。

「……ついに、ここまで……」

都庁へやってきた橘音が、第一本庁舎の威容を見上げる。
普段の東京都庁舎は一般に広く開放されており、書類を申請に来たビジネスマンや展望室目当ての家族連れなどで賑わっている。
が、今はそんな人影がまったくない。ベリアルによって結界が張られているのは明らかだった。
すでに天魔たちは東京ブリーチャーズの来訪を察知しているのだろう。
いつ天魔たちが庁舎の中から雪崩を打って押し寄せてきても不思議ではない。

「皆さん、気を引き締めて下さい。いつ、どこから何が出てきたとしてもおかしくありませんから。
 ……行きますよ!天魔の本拠地に殴り込みです!」

ごく、と唾を飲み込み、ブリーチャーズは庁舎の中へと足を踏み入れた。
と、天井が高く吹き抜けになった広大なエントランスの真ん中に、ひとつ人影があるのが見える。

「――な――」

驚きに、橘音は半狐面の奥で目を見開いた。
正面玄関からすぐのエントランス、100メートルほどの距離を置いて佇んでいたのは――


天魔七十二将の首魁。東京ブリーチャーズが倒すべき敵。

怪人赤マント――天魔ベリアル。

「クカカカカカッ!ようこそ、我ら天魔の本拠地――東京都庁へ!
 まったくローランの奴め、余計な情報を……。おかげで吾輩の計画はメチャクチャだ。
 できれば準備が整うまで大人しく待っていて欲しいんだが、どうかネ?食堂でカレーでも食べて、今日は帰っては?」

「……そんな冗談を言っていられるのも今のうちですよ、赤マント――いいや、我が師ベリアル。
 そう、アナタの計画はメチャクチャになった。そしてもう未来永劫成就しない。
 アナタこそ、今日は是が非でもお帰り頂きますよ。二度と出られない、地獄の底の底へね!」

「アスタロト。しぶとい奴だネ……完全に殺したと思ったんだが。
 いや、この場合はアスタロトでなく他のブリーチャーズ諸君がしぶとい、と言うべきかネ?
 どんな逆境にあっても希望を諦めないなんて、吾輩に言わせれば悪い夢以外の何物でもないヨ!」

クカカ、とベリアルは右手で仮面に覆われた顔に触れ、癇高い声で嗤った。
シロが身構える。隙あらばここでベリアルを倒してしまおうと思っているのだろう。
だが、目の前のベリアルは虚像である。殴りかかったところで意味はない。

「さて。吾輩が手ずから客人を持て成したいところだが、色々忙しいものでネ。
 代わりにとっておきの接待役を呼んでおいたから、彼らと存分に楽しむといヨ。
 吾輩がこれと思って抜擢した者たちだ。どの接待役も、必ずやキミたちを満足させてくれることだろうサ。
 接待役たちのいる場所へは、こちらのエレベーターを使いたまえ。
 ああ、エレベーターは一人一基だヨ。相乗りは受け付けないし、階段も使えないからネ。
 もし接待役を倒すことができれば、吾輩のいる北棟展望室にご招待しよう。
 では、またお会いできることを楽しみにしているよ!クカカカカカカッ!!」

言いたいことを一方的に言ってしまうと、ベリアルは霧のように消えていった。
非常階段と外へ続く扉はいつの間にか閉鎖されてしまっており、使用することはできない。
どちらにしても、ベリアルがいるという北棟展望室に行くにはエントランスのエレベーターを使わなければならないらしい。
おまけに、一人につき一基を使って。きっとこの建物の中も酔余酒重塔のように内部が捻じ曲がっているのだろう。
そして、そのエレベーターの行きつく先にベリアルの選出した悪魔たちが控えている――。

「どのみち、行くしかありません。この程度のことは予想の範囲内です。
 ここからは別行動で行きましょう。少なくとも――現段階でベリアルの言ったことに嘘はないはずです。
 悪魔(デヴィル)は嘘を付き、ベリアルの言うことほど信を置けないことはないですが……。
 でも、ひとつだけはっきりしていることがあります。
 それは……『ベリアルは自分の造ったギミックに忠実である』ということ」

ベリアルは稀代の弁論家、詭弁家であり、どんなに下卑た低俗な内容さえも高尚な話題のように論ずることができるという。
硬と軟、虚と実を織り交ぜての弁舌は、この世のどんな論客をも論破してしまう。
が、その一方でいわゆる論者という存在が皆そうなように、ベリアルにも無意識の癖というものがある。
それは『迂遠な策を用いずにはいられない』という点だ。
猿夢の時も、姦姦蛇羅の時も。古くはコトリバコのときもそうだった。
ベリアルほどの頭脳の持ち主であれば、もっと抗いようのない雁字搦めの手段で東京ブリーチャーズを殲滅することも出来たはずだ。
しかし、そうはしなかった。それはベリアルが人々の苦しみを、絶望を感じることを何よりの悦楽としているからに他ならない。
そして、その癖はこの最終決戦の場でも適用されている。となれば、ベリアルは嘘はついていないのだろう。
他ならぬベリアル本人からありとあらゆる策を伝授された直弟子である橘音だからこそ、それを直感的に理解した。
ならば。ここはベリアルの思惑に乗ってやるより他にない。

「それでは……皆さん。
 後ほど、北棟展望室でお会いしましょう」

そう全員に告げると、橘音は五基あるエレベーターの中央へと歩いて行った。

52多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/05/17(日) 21:52:32
>「君の欲するものは、君自身が世界を変えるための絶大な力ではなく――
>この世界がこのまま続いていくこと。この世に生きるすべてのものが、いつか進歩してゆくための時間……ということか。
>望みさえすれば、君は世界を制する神にも。世界を破壊する悪魔にもなれるというのに」

 祈の言葉を受け取った晴陽が、そう一人ごちる。
 星の記憶を辿った祈には、『世界を制する神にも世界を破壊する悪魔にもなれる』という言葉の意味が現実として理解できる。
本当にこの世界の在り方を、祈の願い一つ、心のありよう一つで変えてしまえる。
それが実感として分かっていたからだ。
誰かの不幸を排除した幸福な世界を作り上げることもできるだろう。
 だが、それでは“意味”がない。
これまでの世界は、人や妖怪や数多の生命が作り上げてきたもの。勝ち取ってきたもの。
それを祈の考え一つで塗り替えるなど、それこそ祈の考える幸せを押し付けた偽りの理想郷だ。
祈の選択が間違えていたら、それ以上の不幸が世界を覆うことにもなるだろう。
祈に頭が良ければもっと良い解答もできたのだろうが、これが祈の精一杯であったし、素直な気持ちでもあった。

>「……ふふ」

 険しい顔で祈の言葉を聞き、その言葉を咀嚼していた晴陽が、やがて表情を和らげた。
そしてこう続けた。

>「君がそこまで決めているのなら、もう私に言うべきことは何もない。
>地球のすべての命が幸せになれるように。誰ひとり悲しむ者のないように。
>理不尽な不幸や破滅に嘆く者がなくなるように――
>祈。君はその力を使うといい。
>その気持ちを、決意を忘れない限り、龍脈は望むだけの力を君に与えてくれるだろう。
>君の決意を。言葉を。誓いを……この星は、確かに受け止めたよ」

 カッ。
 瞬間、祈の右手の甲が太陽と見紛う輝きを放った。
右手の甲には龍の紋様が浮かんでいる。

「ってことは……」

 それは龍脈の力を扱う権利を得た証だった。
 祈の呟きに、龍脈が選出した案内役か代弁者か、その晴陽が頷く。
100点満点ではなくても、祈の出した答えは合格だったということだ。
これで祈が望む『身体能力の向上』や、『運命変転』といった力が手に入ったはずだ。
きっと、赤マントたちとの戦いにも、仲間と肩を並べて戦えるに違いない。
 龍の紋様はやがて光を失い、全く見えなくなった。

>「祈。『そうあれかし』とは、『そうだといいな』『そうなると素敵だな』という願いだ。
>願いによって人は進歩し、幸せを掴み取るために歩んできた……。
>そして『願い』は『祈り』に通ずる。祈、君が龍脈の神子となったのも、あるいは必然だったのかもしれないな……」

 晴陽がしみじみそう言う。

「……父さんと母さんから貰った名前、結構気に入ってるよ。
だからあたしは、この名前に恥じないように、みんなの『そうだといいな』、とか。『そうなると素敵だな』って祈りが、
理不尽に踏みつぶされたりしないように、頑張って戦うつもり。
ま、いつも褒められたことばっかりやってるわけじゃないけど……東京を守った父さんと母さんの娘だから」

 その言葉に、祈は照れた笑みを浮かべて、頬をかきながらそう返した。

「協力してくれてありがと、父さん。……あのさ、まだちょっとだけ話せたりす――」

 言葉の途中で、突如、祈が見ている世界が揺らいだ。
 眩暈に似ているが、目の前にあった見えないレンズが歪んだような、ピントが合わなくなったような、
世界が遠ざかっていくかのような。そんな感覚がある。
 祈の体が宙へ浮く。

>「これで試験は終わりだ。

「えっ、ちょっと待ってよ! あたしまだ、父さんに話したいことも聞きたいこともいっぱいあるのに! せっかくまた会えたのに!」

 何かに引き上げられるように、祈はどんどん上へと昇っていく。
 遥か上方に残した肉体が魂を呼んでいて、それに引っ張られているようだった。
歪み、ぼやけた景色の向こうで、晴陽が続ける。

53多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/05/17(日) 21:54:17
>いい答えだったよ、祈。さすがは私の娘だ……君を誇りに思う。
>さ、早くお帰り。橘音君や黒雄さんたちに見せてやるといい、君の力を。
>そして……ベリアルにガツン!と食らわせて。ともだちを取り戻しておいで!」

 晴陽は去りゆく祈に、励ましの言葉を贈ってくれた。

>「いいかい、祈。
>現世(うつしよ)と幽世(かくりよ)の境界は絶対だ。何者もその理を捻じ曲げることはできない。
>でもね……その境目は限りなく薄い。0.1ミリにも満たないくらいにね。
>つまり何が言いたいかというと……私はいつだって君の傍にいる。君のことを見守っている。
>君だけじゃない、颯さんのことも……それを、どうか忘れないでほしい」

 晴陽の言葉は、これが言葉を交わす、正真正銘最後の機会であることを示していた。
祈は空へと引き寄せられる僅かな間に、精一杯に、己の心に浮かんだ言葉を紡いだ。

「っ……あたし! あたし絶対赤マントのやつをガツンって倒してみせるから!
なんならあいつだって改心させて……モノを取り戻して見せるから! だから安心して!」

 それは口から出まかせでもなんでもない。
 祈にとっては、赤マントだってこの世界に生きるもの。
憎いと思うことはあれど、できることなら戦いたくはないし、必要性があっても殺したいとは思えない。
 悪徳に溺れている可能性が濃厚だが、
なんなら、神の長子として、
マッチポンプの役割を未だに果たそうと頑張っている可能性だってゼロではないと祈は思っている。
 龍脈の力が赤マントに渡れば、神をも超越した力を得る。
それは極東の島国だけの問題ではなく、世界中に危険が及ぶ事態のはずだが、
それを危険視せずに神側がほぼ放置していることも、そう思わせる要因となっていた。
 本当は赤マントは神を裏切っておらず、神はそれを知っていて。
赤マントがその力で暴れて、神やその使者に討伐される、そんなマッチポンプをまだ考えているのではと。
甚だおかしな推測だが、もしそうなら、運命を変えてその役目から解放しても良いのではと思っていた。

「それに忘れない! あたしはずっと父さんが見てくれてるって思って……頑張って生きていくから!
そんで……そんで…!」

>「……愛しているよ、祈」

 晴陽の優しい言葉が祈の耳朶をうち、心に届く。
 祈の心にはずっと聞きたかった言葉を聞けた嬉しさと、
それを以後二度と聞けない悲しさとが溢れて、自然と目尻に涙が浮かんだ。

「――あたしも愛してる!」

 そして祈がそう叫んだ時、視界は真っ白に塗りつぶされた。
その言葉が届いたかどうかも分からない。
眩い光に包まれて、祈には何も見えなくなってしまった。

54多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/05/17(日) 22:00:20
「――父さん!!」

 光が晴れるまで、祈は父を呼び続けた。
そして祈が手を伸ばすと。

 ゴンッ。
 何かに手がぶつかった音がした。

「……?」

 視界が暗い、と思ったら、目を閉じていたようであった。
光が眩しかったために、いつの間にか目を閉じていたのかもしれないと、祈は目を開く。
 すると、ターボババア・菊乃が顎を押さえている姿が見えた。

「アンタって子はっ……うなされてると思って顔を覗き込んだら、これかい……」

 祈の右手に微かな痛みがあった。
どうやら菊乃の顎を殴り飛ばしていたらしかった。

「あれ? ばーちゃん……ごめん」

 祈は腕を降ろし、ガバッと身を起こすと、そこはきさらぎ駅ではなかった。
 雪の女王のいる宮殿の奥。
精神を集中させるための、あの部屋に祈は戻ってきていた。
 祈は突っ伏すようにして意識を失ったはずだったが、
身体は敷布団の上に仰向けに転がされており、頭の下には枕。
掛け布団まで掛けられている状態だった。

「……アンタは2ヶ月近く寝ていたんだよ。
熊やカエルの冬眠よりもずっと深く、生きてるんだか死んでるんだか分からない仮死状態でね。
どうなるものかと心配したが……その調子なら問題なさそうだね」

 怒ったような呆れたような、そんな表情で菊乃。

「2ヶ月……」

 先程まで祈がいたきさらぎ駅では、
晴陽が「既に2ヶ月が経とうとしている」と言っていた。
それと一致する。
 こうやって自身の体が寝ていただけであることを考えると、
それがまるで夢のように思えてならないが、そうではないはずだ。
 菊乃が立ち上がり、見えない扉に手をかける。
そして振り返った。
 
「さて、颯に食事を用意させるとして、その前に聞いておかなきゃならないことがある。
アンタ、修行は”成った”んだね?」

 祈は祖母を見て、次に右手に視線を映した。
 そして握りながら願う。力を、と。
龍の紋様が右手の甲に輝き。力が渦巻く。
ほんのわずかに力を籠めただけで、並の妖怪を千切っては投げられるような、そんな力が。
 龍脈の使用者となった証は確かに祈に宿っていた。
 祈は龍脈の力を引っ込める。自在にその力を引き出せるようになっているようである。

「言うまでもなく、か。……これ程の力なら、アンタでもきっと戦えるだろう。
颯を呼んでくるからちょっと待っているんだよ」

 そういって扉を開けて出ていくターボババアは、どこか残念そうな、
複雑そうな笑みを浮かべていた。

 その後、生還と修行の成功の喜びを颯とも分かち合い、食事を食べ終えた祈。
風呂に入って(人間用の設備には風呂焚きの設備がある)、着替えるなどした後、荷物をまとめて東京に帰る……かと思いきや、
宮殿から離れた場所で、体の調子を見ながらだが、再び修行を始めることになった。
 約束の2ヶ月は近い。
すぐにでも東京に戻らねばならないところだが、
祈は修行を終えた、というよりも、力を手に入れたばかりの段階である。
 これでぶっつけ本番に天魔との戦いに挑むのは、
今まで原付で走っていた者に1000ccを超えるバイクを与えて、
練習もなしに「これでレースに出場しろ」といっているようなものだ。
いくら同じ二輪でも、出力が違えば勝手が違う。
上手く扱えないどころか、怪我をするおそれもあるのだ。
そのため、祈はここでわずかな間、龍脈の力のならし運転をギリギリまですることになったのである。

 当初はターボババアがその相手を務めていたが、
途中で修行を終えたノエルも合流することになった。
この期間、ふとしたきっかけが二人の合体必殺技を生んだかもしれない。
だが、それがどのような形で使われるかは不明である。
 修行を完全に終えた祈は、颯やターボババアと雪の女王に挨拶し(会えなかったので従者に言付けを頼んだ)、
ノエルやハクト、颯やターボババアらと一緒に東京に帰ることになった。

55多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/05/17(日) 22:03:26
 ノエルやハクト、颯や菊乃らと共に東京へ戻った祈。
戻ったのは本当にギリギリで、
数日後にはもう、東京都庁へ攻め込む予定日、という日付であった。
その間にほんの少しでも体を休めて、最終決戦への準備をせねばならない。
 そんな忙しない中、どうにか準備を終えた祈は、
決行日の前日、新宿御苑にまで足を伸ばしていた。
姦姦蛇螺の復活に荒れていた新宿御苑だが、すっかり修復され、元通りの姿になっている。
 悪いと思いつつ、祈は禁足地となっている森の中に足を踏み入れた。
周囲の木々は流石になぎ倒されたままだったが、新たに芽吹いている木々もある。
森の奥へと進めば、姦姦蛇螺が封じられていた祠があった。
そこは、晴陽が最期を遂げた場所でもある。
 晴陽の遺影(顔がほとんど映っていない)には毎日手を合わせているが、
この場所が父の亡くなった場所だと知ったのは割と最近で、
知った後にここへやってきたのは、初めてであった。
 即身仏となったその身体は、アスタロトに首を斬られた際に砂と化したとのことだ。
砂は風に運ばれ既にない。
生前纏っていた服も、ボロボロになっていたこともあり、こちらもほとんど砂やぼろきれとなって消えている。
だが、残っているものがあった。銀のバングルである。
 流石に金属までは粉々になっていないようである。
 祈は祠の前で手を合わせ、しばらく目を閉じていたが、
やがて目を開けると、銀のバングルを拾い上げ、左腕に通した。

「父さんは見守ってるのはわかってるけど、やっぱ少しでも近くに感じたいなって思ったんだ。
一緒に戦ってよ。父さん」

 母がかつて使っていた風火輪と、父が生前付けていた銀のバングル。
それぞれを持って、祈は最後の戦いに臨むつもりでいたのであった。


 そして、作戦決行日。約束の2ヶ月の朝がやってきた。
祈は起きた後、ハルファスとマルファスの幼体、そしてヘビ助にご飯をやった。
亡くなった祖父・龍蔵と、父・晴陽の遺影に手を合わせる。
さらに、寝る前と同様に、コトリバコの指やらを見て、ドミネーターズとの戦いで傷付いた人や亡くなった人、
妖怪たちの冥福などを願った。もちろん、龍脈の神子としてではなく、祈個人として。
 身を清め、いつもの格好に着替え、
菊乃と颯が作ったとっておきの朝食を食べ、その後には歯を磨く。
 風火輪と銀のバングルを磨いて、持って行く荷物の最終点検をした。
お菓子と水、金属製のバット、銀の礫、聖水(として売られていたもの)、スマホなど、一通りある。
 なんとなく晴朧に電話をして、声を聞いておき、
品岡に対しては、2ヶ月前にメールで助力を請うていたが、返事はなかったことを確認した。
 そして菊乃と颯と挨拶をかわすと、
天魔と戦うための荷物を詰めたスポーツバッグに肩に背負って、祈は出掛けた。
それはまるで最後の別れのようであった。
そうして、集合場所である那須野探偵事務所までやってきたのである。

56多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/05/17(日) 22:06:26
 那須野探偵事務所には、祈を始め、
ノエル、尾弐、ポチとシロ。既に五人が揃っている。
各々無事に修行を終えたらしく、
高次元の死線を潜り抜けてきた者特有のオーラのようなものを纏っているように、祈には思えた。
精神的、あるいは肉体的に、強さを身に付けてきたことがわかる。
 連携を取るために、どのような強さを得たのか説明をしたものもいるかもしれない。
祈の場合は、龍脈の力を意図的に使えるようになったということは伝えてある。
 事務所のソファに座ったまま、祈が呟く。

「……橘音のやつ遅いな」

 だが、橘音の姿だけがここにはない。
 2ヶ月後と言ってこの日を指定したのは橘音だったはずである。
スマホを確認してみるが、当然ながら、日付は合っている。
また、メールやアプリで連絡が来ているということもなかった。

>「もしや、三尾の身に何かあったのでは……?」

 人間の姿を取ったシロがそういって不安げな表情を浮かべる。
 
「……」

 あり得ない話ではない。たった2ヶ月で急激にパワーを身につけようとすれば、
無茶な修行の1つや2つ当然ながらやっている。
そこでミスがあれば、怪我もあり得るだろうし……あるいは死もあるかもしれない。
連絡もないところを見ると、何かしらのトラブルがあった可能性も否定できないところだ。
 とはいえ。

(橘音だしな……絶対死んでねぇ)

 なにせ“あの”橘音である。
きさらぎ駅から祈達を救うために無茶をして、封印刑に処されて。
散々心配かけたと思いきや、あっさり体を分けて脱獄してきた。 
 と思えば、今度はアスタロトという紛れもないもう一人の橘音が天魔側に寝返り、
どうすればもう一人の橘音を殺さずに説得できるものかとやきもきさせられた。
 さらにさらに、アスタロトと和解し一人に戻ったと思えば、今度は赤マントの攻撃を受け、魂ごと消滅の危機になり――。
 なんやかんや生きていたのである。
 心配したり、気を揉んだりするのはもはや慣れていたし、
祈は那須野橘音という妖怪のしぶとさに関しては、もはや疑いをもっていなかった。
そして、丁度お昼になった頃のこと。

 ガチャリ、と事務所の扉が開く。

>「いやぁ〜、皆さん!お待たせしちゃって申し訳ありませぇ〜ん!」

 そして、女性が気の抜けるような声を上げながらバタバタと入ってきた。
切りそろえた黒の長髪。黒のタイトスカートスーツとロングコート。
サングラスをかけているが、鼻梁といった顔立ちで一目で美人とわかった。
両手には無数の紙袋。すらっとした高めの身長を、ハイヒールがさらに押し上げている。
 モデルのような彼女は、ドサリと那須野橘音のデスクに紙袋を置くと、

>「は〜、重かった!疲れた疲れた!」
>「ただいまです!皆さんお揃いで、その分ですと首尾よく特訓に成功したようですね!いや重畳、重畳!」

 そんなことを宣う。
 彼女がサングラスを取り去ると大きめの眼帯が覗き、眼帯で覆われていない左目で、ブリーチャーズを見渡した。
まったく見覚えのない姿で、一瞬、祈は「依頼にしに来た人?」と口に出しそうになったが、
この空気の読まない登場の仕方や、気の抜けた喋り口には覚えがあった。

>「あ。ボクが誰かお分かりにならない?橘音ですよ、橘音!帝都東京にその人ありと言われた、狐面探偵・那須野橘音です!
>まぁ今は狐面かぶってませんけど!やっぱり、狐面かぶってないとわかんないもんです?」

57多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/05/17(日) 22:06:43
「やっぱ橘音かよ! ……急に姿変えられたら誰だってわかんねーって。
あたしだって一瞬わかんなかったし。つーかおかえり!」

 祈がソファから立ち上がって突っ込んだ。
 聞けば橘音は、ご丁寧に声まで若干変わっている。
 祈がかろうじて橘音だと理解できたのは、付き合いがそこそこ長いことと、妖怪は姿を変えるものだという認識があったからだ。
ほとんど偶然に過ぎない。普通の人間なら、親戚か姉妹辺りだと思い込んでいたであろう。

>「ざっと三百年ぶりですか!いやホントお久しぶりですねえ……。
>感慨深いです。この三百年、皆さんに会いたくて……でも我慢して修行していましたから……。
>あ、ハイこれ栃木みやげです。どうぞどうぞ」

>「三百年?」

「……2ヶ月じゃなくて?」

 シロに続き、祈もまた疑問の声を上げるが、
どうやら言い間違いではないらしい。

>「御前の住まう華陽宮は、現世とは異なる場所にあります。
>当然、時間の流れも異なる……現世では二ヶ月でも、華陽宮では三百年が経過する部屋もあるんです。
>ボクはそこで修行をしていたもので。だからこんなに成長してしまいました!
>ご覧ください、これが修行の成果です!」

 くるりと回って背中を見せる橘音。
 その尻に、5本の尻尾が出現する。

(橘音って三尾って呼ばれてたよな……尻尾増えたんだ!
たしか九尾が一番強いって話だから、300年でそれに少し近付いたってことなんだろうな……)

 妖怪知識に疎い祈では、その専門的な凄さまではわからない。
 橘音の上司である九尾の狐の強さに近付いたであろう、ということはかろうじてわかるが、
時が経つのが遅い部屋で300年間もかけて成し得たということで、おそらく凄いのだろう、というかなり浅い理解であった。
あとは『地力が上がっているので、姦姦蛇螺戦で見せたような戦い方もできるのでは?』
というようなぐらいの考えは浮かんだぐらいか。
 とはいえ、『どう強くなったのか』と聞くのは野暮というものだろう。

>「ただいま、クロオさん。
>……会いたかった」

 尻尾を仕舞った橘音が尾弐に向き直り、その頬に右手を添え、軽く撫でる。
 300年もの間、橘音は尾弐という最愛の人と会わずに過ごしてきた。
その二人の間に流れる甘い雰囲気を壊してまで、どう強くなったのかを聞くことなど、祈にはできない。
 なんなら退出して二人っきりにしてやろうと思ったのだが、
どうやら二人にはそのつもりはないらしかった。
 二人は程なくして離れて、橘音は寝室で着替えなど、東京都庁へと向かう準備を始めたのであった。

58多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/05/17(日) 22:08:02
 お昼過ぎで小腹が空いた祈は、
橘音が持ってきた栃木みやげ(おそらくダクワーズやチーズケーキなどのお菓子)を食べていた。
 そこへ。

>「さて――というわけで!ついにこの時がやって参りました!」

 いつもの姿に着替えた橘音が戻ってきて、所長用のデスクの前に立つとそう告げた。
 学ランに狐面にマント。やはりこの方がしっくりくる、と思う祈である。
この時とはもちろん、赤マントら天魔の居城、東京都庁に攻め入る時のことだ。

>「ローランの話では、まだベリアルたち天魔の最終計画は準備段階。
>今までは天魔たちの攻勢に対してこちらが守勢に回るという構図でしたが、今回は違います。
>こちらの方から、天魔の本拠地である都庁に乗り込む。こちらがオフェンスです。
>そして庁舎内を駆けのぼり、首魁であるベリアルを本性を現す前に倒す――速攻でケリをつけなければなりません」

「むこうもこっちが来るのを予想して待ってるだろうけど、関係ねー。
罠があっても、全部ぶっ潰してこーぜ」

 ソファに座ったまま、不敵に祈が言う。
 こちらが珍しくオフェンスとはいえ、
赤マント程の策略家が、こちらの襲撃を予想していないはずはない。
これまで赤マントの目論見を、完全にとはいかないまでも阻んて来たのがブリーチャーズなのだ。
それが力を付けて向かってくることぐらい、予測済みで対処済みだろう。
 そもそもブリーチャーズ以外にも、陰陽寮や日本・世界の妖怪。
実際にはそれほど期待できないらしいが、天軍の存在もある。赤マントからしてみれば、敵は四方八方にいることになる。
大事な目的を果たす前の前段階だからこそ、邪魔が入らないよう、
入念に罠を張るなど準備を整えているに違いなかった。
 だがそれを、潰せるだけの力をきっと自分達は付けてきたのだと、祈は思う。
 全員の顔を見渡す橘音に対し、祈は頷いて見せた。

>「思えば、長い長い旅路でした。たくさんの事件があり、そのどれもが難解なものばかりだった。
>皆さんの力がなかったら、ここにいる誰かひとりでもいなければ、きっと勝てなかった。
>ボクは幸せです。ノエルさん、クロオさん、ポチさん、シロさん……そして祈ちゃん。
>あなたたちの協力で、今。東京ブリーチャーズは天魔との決着の場にまで漕ぎつけることができました。
>今のうち、お礼を言っておきます。
>ありがとう、アナタたちと一緒に戦うことができてよかった」

 さまざまな事件。さまざまな戦い。

>「……東京ブリーチャーズは、東京オリンピックの際にやってくる海外からの妖壊たちの脅威に対抗するため生まれました。
>おそらく、これが最後の戦いとなるでしょう。
>皆さん、むろん目的達成も大切ですが……死なないでください。
>ひとりとして欠けても作戦失敗です。全員で都庁に入って、全員で出てくる。
>これを忘れないでくださいね。
>では――」

 それは、この最後の一戦のために。
紡いできた絆。傷付いた者や犠牲になった者達を無駄にしないために。
因縁に決着をつけるために。これからの未来を、これ以上誰にも奪わせないために。
今日この日、決着を付ける。
 橘音が仲間たちへ向けて右手を差し出した。
祈はその意味を理解し、ソファから立ち上がって、その右手の上に自身の右手を重ねる。
各々がその手の上に乗せ終えると、

「「東京ブリーチャーズ!アッセンブル!!」」

 橘音の声に、祈をはじめ、仲間達の声が重なった。

59多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/05/17(日) 22:12:58
 そうしてブリーチャーズ一行は東京都庁へと向かうこととなるが、
映画のように一瞬で場面転換、とはならないだろう。
天神細道を使い瞬時に移動する方法もあるが、
不意打ちや脱出など、多様な用途を持つ移動手段は残しておきたいはずだからだ。
おそらくそれは徒歩か車、電車での移動になるのではないだろうか。
 そして移動の際の僅かな時間、一行もずっと無言というわけではないだろう。
 なにせ、これから最後の決戦だ。
語りたいことの一つや二つあろうし、
道すがら、これからの戦いに備えて話し合いをしているということもあるかもしれない。
残っている天魔がどのような能力を持ち、どのような弱点があるか。
予想できる罠にはどのようなものがあるか。そういった情報共有もしている可能性はある。
 本当に天神細道を使っていないか、そして、そんな話があったかどうかはさておき。

 ブリーチャーズ一行は、新宿区にある東京都庁第一本庁舎までやってきた。
立派な高層ビルが二棟連なっている威容は、行政の中枢を担うに相応しいものだ。
だが、今となってはその入り口は地獄の門、否、怪物の口であろう。
 職員や来訪者で賑わっていてもおかしくないが、周辺や内部に人の姿は見えない。
結界によって人払いされて、嫌になるほど静かなのに、禍々しい妖気がその玄関口から漏れ出しているのを
祈ですらも感じ取れた。
 双頭の怪物が、ブリーチャーズがその口の中に飛び込むのを今か今かと待っているのだ。

>「皆さん、気を引き締めて下さい。いつ、どこから何が出てきたとしてもおかしくありませんから。
>……行きますよ!天魔の本拠地に殴り込みです!」

 ごくりとつばを飲み込み、緊張した面持ち(狐面で見えないのであくまで雰囲気で察した面持ちだが)の橘音。

「おう!」

 祈もまた、周囲を警戒しながら返事を返した。
 そして怪物の口の中へ、エントランスへと踏み入ると。
離れた場所に、赤い影が浮かんでいるのを見つける。

>「――な――」

 赤マントこと、ベリアルであった。
どうやら結界内に侵入したことでこちらの動きが完全にばれたようである。
あるいは、こちららに監視の目を付けていて、最初から読まれていたか。

>「クカカカカカッ!ようこそ、我ら天魔の本拠地――東京都庁へ!
>まったくローランの奴め、余計な情報を……。おかげで吾輩の計画はメチャクチャだ。
>できれば準備が整うまで大人しく待っていて欲しいんだが、どうかネ?食堂でカレーでも食べて、今日は帰っては?」

 不気味な笑いで、赤マントはブリーチャーズを迎えるのだった。
軽口を叩く赤マントに、橘音はその計画は成就しないのだと、赤マントを地獄の底へ送るのだと、そう告げる。
対し、赤マントはこう返す。

>「アスタロト。しぶとい奴だネ……完全に殺したと思ったんだが。
>いや、この場合はアスタロトでなく他のブリーチャーズ諸君がしぶとい、と言うべきかネ?
>どんな逆境にあっても希望を諦めないなんて、吾輩に言わせれば悪い夢以外の何物でもないヨ!」

 そして嗤う。余裕綽々にあざけるのが殊更不気味であった。
襲撃を受けた側だというのに焦りは全く見えない。
こちらが力を付けていることも理解しているはずだが、それに対する危惧も恐怖も感じられない。
おそらく向こうも迎え撃つ準備は万端といったところなのだろう。
 
>「さて。吾輩が手ずから客人を持て成したいところだが、色々忙しいものでネ。
>代わりにとっておきの接待役を呼んでおいたから、彼らと存分に楽しむといヨ。
>吾輩がこれと思って抜擢した者たちだ。どの接待役も、必ずやキミたちを満足させてくれることだろうサ。
>接待役たちのいる場所へは、こちらのエレベーターを使いたまえ。
>ああ、エレベーターは一人一基だヨ。相乗りは受け付けないし、階段も使えないからネ。
>もし接待役を倒すことができれば、吾輩のいる北棟展望室にご招待しよう。
>では、またお会いできることを楽しみにしているよ!クカカカカカカッ!!」

 そう一方的に言いたいことを告げると、ベリアルの虚像が消える。
エントランスの扉全てが音を立てて閉ざされ、エレベーターに乗る以外の選択肢はなくなってしまった。

60<削除>:<削除>
<削除>

61多甫 祈 ◇MJjxToab/g:2020/05/17(日) 23:03:35
>「どのみち、行くしかありません。この程度のことは予想の範囲内です。
>ここからは別行動で行きましょう。少なくとも――現段階でベリアルの言ったことに嘘はないはずです。
>悪魔(デヴィル)は嘘を付き、ベリアルの言うことほど信を置けないことはないですが……。
>でも、ひとつだけはっきりしていることがあります。
>それは……『ベリアルは自分の造ったギミックに忠実である』ということ」

 そう。東京都庁という情報の中枢を握っているのなら、
祈やノエル、橘音や尾弐といった、
人間としての戸籍を持っている者達が住んでいる場所だって容易くわかる。
 各々が油断しているところを狙って自宅を襲撃し、各個撃破してしまえばそれで良かったはずだ。
だが戦いが始まって今の今まで、赤マントはそういった直接的な行動を一切起こしてこなかった。
 計画をめちゃめちゃにし得る戦力、ブリーチャーズに対してもそうなのだ。
おそらくは『最も絶望を味わわせるにはどうしたらいいか?』だとか、『相手をより面白く痛めつける方法は?』だとか。
そんな、悪魔としての美学や矜持といったものが赤マントにはあり、それが何より優先されるのだろう。
 ギミックを用意し、そこに敵を飲み込み、心体ともども蹂躙する。
それが赤マントのやり方だ。だからきっと今回もそうなのだ。
この分断が罠だと分かっていても、踏み込まざるを得ない。

>「それでは……皆さん。
>後ほど、北棟展望室でお会いしましょう」

 橘音が、5基のエレベーターのうち、中央のものを選んで歩いて行く。
 祈もそれに続き、エレベーターに向かって歩いて行った。

(エレベーターは5個。橘音、あたし、御幸、尾弐のおっさん、ポチが乗るから、シロはお留守番ってことになっちゃうか。
でも大丈夫だよな。離れてても、二人は一緒に戦ってんだから。
……二人ほどじゃないかもだけど、それはあたしらも同じかな)

 他のブリーチャーズから見て右から2番目。
橘音が選んだものの右隣のエレベーターの前に祈は立った。
 だが祈には、言わなくてはならないことがあった。
前々から言おうと思っていて言えなかった言葉。
こんな分断前だからこそ、言っておかなければならないと、そう思った。
 祈は、振り返って言う。

「……あのさ。もしレディ・ベアを見つけたら、助けてやってくんないかな。
姦姦蛇螺と戦った後、ローランがいってた『レディ・ベアとあたしが友達』ってやつ、実はホントでさ。
あたしがここに来た目的には、あいつを助けることも入ってんだ」

『特に祈ちゃん。君があの神の胎内でどんな戦いをしたのか、わたしに知る術はないけれど――おおむね予想はできる』
『よく頑張ったね。きっとレディも喜んでいるはずさ。流石はわたくしのともだちですわ……って、ね』
 と、祈達の前で、ローランは確かにそう言っていた。
それで二人の関係は明るみに出た。
 頭のいい橘音のことだから、それ以前から分かっていたかもしれない。
敵側にいたアスタロトと融合して以後は、確実にその関係を知っていただろう。
 ポチだって、ニオイで祈の感情を嗅ぎ取ったり、
レディ・ベアの微かなにおいをかぎ分けて知っていた可能性が高い。
 ノエルだって、一緒の教室に通っていたのだから、知らないはずがなかった。
尾弐にしても、1000年を経ただけあって、勘が良く、気遣いのできる大人の男である。
裏家業に通じるから、調査ぐらいはすぐできただろう。
 全員がきっと、そういった事情を遅かれ早かれ知っていながら、
祈に問い詰めずにいてくれた。
だからこそ、それに甘えずにきちんと言葉にしてお願いしなければならないと思ったのだ。
 ドミネーターズの仮の首魁、実行犯は赤マントとはいえ、その協力者として働いたレディ・ベア。
その罪を、友達として背負うためにも。
 それに万が一知らなかった場合には、分断先で仲間がレディ・ベアやローランと出会い、
誤って敵対してしまう可能性だってあるのだ。

「レディ・ベアは今、赤マントに捕まってる。
妖怪大統領を従わせるための人質になってるんだと思う。
ローランが守ってくれてるみたいだけど、どんな扱いされてんのか、どうなってるかはあたしもわかんない」

「こんな土壇場まで、言葉にできなくてごめん。調子のいいこと言ってるのもわかってる。
でも、あたしの友達を助けて欲しい。
細かいことは後でちゃんと話すし、どれだけでも償うから。一生のお願い!」

 祈はぎゅっと目を瞑って、仲間たちに深く頭を下げる。
その肩にかけているスポーツバッグが、ガサリと音を立てて揺れた。

62御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/05/24(日) 01:47:53
修行が始まって一か月ほど経った頃、祈の帰還を待つ菊乃と颯の前に、只事ではない様子のノエルが現れた。

「菊乃さん、颯さん! 今すぐここを出よう! 雪の女王は人間の尺度では計り知れない恐ろしい奴だ!
やっぱりここはうかつに踏み込んでいい場所じゃない……もしかしたら貴方達にも危険が及ぶかもしれない!」

喧嘩でもしたのかい、と事も無げに応じる菊乃。
事情を話しそんな呑気なことを言っている場合ではないと主張するノエルに、
菊乃は大して動じるでもなく、祈は特殊な修行をしており目を覚ますまで待つ他はないと言い聞かせる。
祈を置いて帰るわけにはいかないので、待つことになった。
すると菊乃が、祈が目を覚ますまでやる事もないので修行をつけてやろうか、等と言い出した。
予想外の申し出に驚くも、確かにお互いにやる事もない。
言われてみれば女王の修行を1段階目で喧嘩して放り投げてきたような状態だ。
畑違いだからあまり意味がないのではとも思ったが、何もしないよりはいいだろうと思い有難く受けることにした。
ノエルが絶対零度の槍を防いだ、という話から、完璧な妖力制御と絶対零度に至る力を得たと分析する菊乃。
絶対零度の槍を防いだ盾もまた絶対零度、ということらしい。
絶対零度の力を用いれば、向かってくる物体の動きを実質停止に近いところまで極端に落とすことが出来るかもしれないという。
絶対零度の運動エネルギーゼロという側面に着目しているようだ。
種族特性上、動きを鈍らせてくる相手には特に警戒しなければならないのでそのような発想に至ったのだろうか。
畑違いかと思いきや、まるであらゆる類の敵と戦ってきた歴戦の猛者のようなオーラを放っていた。

「今までどんだけ激戦を潜り抜けてきたんだ……」

娘の颯ですらその全貌の真相は知らないとのこと。
早速実戦形式の修行が始まったが、その内容は、菊乃が雪玉を投げるので当たる前に落としてみよ、との雪合戦のようなほのぼのしたものだった。
ただし雪玉が飛んでくる速度は滅茶苦茶早い。
最初は雪玉に当たってばかりだったが、半月ほど経った頃――

「――アブソリュートゼロ!」

菊乃が予測した通り、飛んでくる雪玉の勢いを奪い、地面に落とせるようになった。
飛び道具による攻撃を防ぐのにはそれなりに役に立つだろう。
そんな折に、祈が目を覚ましたとの知らせを受けた。
会えるようになったら言うからそれまで待っておくようにとのこと。

「これ、敵自体にかけて動きを止めたり出来ないのかな」

というわけで、ハクトが修行相手というか実験台になった。
攻撃用ではなく専ら運動エネルギーを奪う妨害特化の技なので、ハクトが実験台になっても問題はないというわけだ。
そうなったのは、ノエルの素質が攻撃ではなく防御の方面に開花したからだろう。
結論は、一瞬動きがほぼ止まるがすぐ元に戻るという微妙な結果に終わった。
慣性で飛んでくる飛来物の場合は一瞬でも運動エネルギーを奪ってやれば地面に落ちるが、
それ自体動く物の場合はそうはいかないので当然といえば当然だ。
やがて、菊乃が祈と一緒に修行していいと呼びに来る。
祈は、一見以前と変わらぬ様子で、女王は寒さを感じない術が使えるなんて凄いな、と言っていた。
(単に寒さを感じないだけではなく根本的に冷気による悪影響を受けなくなっている)

63御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/05/24(日) 01:49:47
「そうそう、女王はチートだから原作の発動方法は取らずにナチュラルに使えるんだよね〜」

もしも原作準拠の発動方法が何かと聞かれたら「えーと、グーパンかな?」と答えて「それじゃあ過激すぎて使えないね」という話になったかもしれない。
実は姦姦蛇螺との戦いの際に、ノエル(深雪)は祈にその術をかけているのだが、
それどころではない状況だったし、その時はまだ深雪は別人格状態だったため、お互いに忘れているのだろう。
ノエルは傘のシールドを作って見せたり、祈に雪玉を投げてもらって落としてみせたりした。
本気モードになると第5人格の御幸が出てくるとか、敵の動きを一瞬だけ止められるみたいだけどあんまり役に立たなさそうとも話した。
祈はもともとスピード特化の妖怪であり、龍脈の力を得たことによってそれは更に強化されたと思われる。
祈であれば、ノエルの作り出した一瞬の隙をうまく利用することができるかもしれない。
結界術への応用というアイディアも出たが、本人は結界の維持にかかりっきりになる上に、
範囲内の味方も平等に超トロくなるから意味が無い、ということで即却下された。
結局ノエルは多甫一家のペースに飲み込まれて、当初予定していた日まで雪山で過ごした。
いよいよ東京に帰るという時になって、ハクトが血相を変えて跳んできた。

「乃恵瑠―――――ッ!!」

「何!?」

「カイとゲルダがいた……! オ、オバケだぁああああああ!!」

「そりゃ妖怪だからオバケだけど……ってええええええええええええええええ!?」

聞けば、普通に祈達に挨拶されていたという。
ひとしきり混乱した後、次第に状況が飲み込めてくる。

「ああ……そうか。そういうことか。菊乃さん……もしかして知ってた!?」

そう尋ねるも、何十年と颯や祈の親をやってるし“ババア”だから年の功でなんとなく見当が付くのさ、とぼかされた。

「女王様達に会わなくていいの?」

「いいんだ。あんな啖呵切った手前合わせる顔が無いし……。だから次に会うのは……赤マントの野望を阻止してからだ」

こうして雪の女王の三種の神器の力を手にしたノエルは、祈達と共に、ついに雪山をあとにする。

「母上、カイ、ゲルダ――いってきます」

64御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/05/24(日) 01:51:57
東京に帰ってから作戦決行日まで、数日間の猶予があった。
ノエルは以前クリスが死亡した現場である、やんごとなき神社へ訪れていた。
一般参拝客の姿もあり、数日後には世界の命運をかけた決戦が控えているとは思えないような、何事もない日常風景が広がっている。

「来てみたもののバチが当たりそう……」

「どうして?」

と肩に乗ったハクト。

「前にお姉ちゃんが英霊操って大ハッスルしたんだ……」

「そりゃあ当たるね」

「そんなぁ!」

ノエルは気を取り直して一心不乱に祈った。

「えーと、その節はうちの姉が大変失礼致しました。もう誰も死なせないから、どうか見守っていてください」

ドミネーターズに解き放たれた八尺様やコトリバコによって、たくさんの一般人の犠牲者が出た。
クリスやロボは赤マントに利用され尽くした果てに命を落とした。
十数年前の姦姦蛇螺との戦いでは祈の父の晴陽が封印のための犠牲となり、先日の姦姦蛇螺との戦いではたくさんの妖怪が散っていった。
茨木童子をはじめとする鬼達はドミネーターズの計画に組み込まれ命を散らした。
橘音の記憶の世界では、アスタロトの手により、屍の山が築かれたのを見た。
いずれもその裏には赤マントの暗躍があった。

「もうこれ以上誰かが死ぬのはたくさんだ……」

「ここって国のために犠牲になった人達を祀る神社でしょ? やっぱり来る神社間違ってない?」

「そんなことないよ。操られていたはずなのに、祈ちゃんの声、聞いてくれたから」

龍脈の神子―― 一説によると、妖怪混じりの人間だけに発現する力だという。
人一人が背負うには大きすぎる力で、歴史上で龍脈の神子であったという噂がある者には悲惨な最期を迎えている者も多い。
ノエルは、祈のことだから自らの命と引き換えに世界を救おうとするのではないか、と危惧していた。

「頑張って行かせないようにするから、祈ちゃんが万が一そっちに行こうとしたらどうか追い返してください……!」

「もし妖怪方面のあの世に行こうとしたら?」

「その時はお姉ちゃんが追い返してくれるよ」

65御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/05/24(日) 01:54:04
そして決行の日がやってきた。店には「臨時休業中」の貼り紙。
いつも通りにハクトに行ってきますと告げて、階段を降りる。
が、集合時間になっても橘音が来ず、不穏な空気が流れ始める。

>「……橘音のやつ遅いな」
>「もしや、三尾の身に何かあったのでは……?」

前にもこんなことあったな、等と思うノエル。
ロボとの決戦の日に橘音が大遅刻したので偉い目にあった。
それでも最終的にはボロ雑巾のようになりながらも帰ってきて、銀の弾丸も手に入った。
そんなことを思っていると、いきなり闖入者が現れた。

>「いやぁ〜、皆さん!お待たせしちゃって申し訳ありませぇ〜ん!」

「え、誰……?」

>「ただいまです!皆さんお揃いで、その分ですと首尾よく特訓に成功したようですね!いや重畳、重畳!」

「だから誰!? 橘音くんだけど橘音くんじゃないよ!?」

背が少し伸びているように見えるし、声もハスキーになっている。
それよりも、姿がどうにでもなる妖怪にとっては外見年齢の違いよりも全体から受けるイメージの方が重要だ。
トレードマークのお面を被っていないし、服装も今まで見てきたどの橘音とも違う。

>「あ。ボクが誰かお分かりにならない?橘音ですよ、橘音!帝都東京にその人ありと言われた、狐面探偵・那須野橘音です!
 まぁ今は狐面かぶってませんけど!やっぱり、狐面かぶってないとわかんないもんです?」

「……ああ! やっぱ橘音くんだ! そういえば髪型は一緒だね!」

見知らぬ黒髪ストレートの女性に、狐面を脳内でかぶせてみると、それは紛れもなく橘音であった。

>「やっぱ橘音かよ! ……急に姿変えられたら誰だってわかんねーって。
あたしだって一瞬わかんなかったし。つーかおかえり!」

「そんなハリウッド女優みたいな格好してどうしたの? コスプレに目覚めた?」

常識的に考えて狐面に大正時代風学生服の方が余程コスプレなのだが、慣れとは怖いものだ。

>「ざっと三百年ぶりですか!いやホントお久しぶりですねえ……。
 感慨深いです。この三百年、皆さんに会いたくて……でも我慢して修行していましたから……。
 あ、ハイこれ栃木みやげです。どうぞどうぞ」

>「三百年?」
>「……2ヶ月じゃなくて?」

シロや祈が疑問を口にする。
橘音お得意のフォックスジョークではないかと思ったが、どうやら違うらしい。

66御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/05/24(日) 01:56:09
>「御前の住まう華陽宮は、現世とは異なる場所にあります。
 当然、時間の流れも異なる……現世では二ヶ月でも、華陽宮では三百年が経過する部屋もあるんです。
 ボクはそこで修行をしていたもので。だからこんなに成長してしまいました!
 ご覧ください、これが修行の成果です!」

「橘音くん……あのモフモフのきっちゃんが一人で三百年も……!」

ノエルは橘音の三百年の孤独に思いをはせ、感極まっている……

「一本尾が増えるとモフモフ度は十倍を超えると聞いたことがある……。
三尾から五尾……ということはなんとモフモフ度百倍以上! とう!」

ように見えたのは気のせいだったようだ。
橘音の尻尾に飛びつこうとして自滅し、ズザーっと床をスライディングすることになった。

>「ただいま、クロオさん。
 ……会いたかった」

画面の外感半端ない……! と思いながらこの時ばかりは静かに二人を見守る。
祈に目配せして外に出ようとするノエルだったが、二人はすぐに離れた。
二人っきりになるのは全てが終わってから、ということらしい。

「流石橘音くん、賢明な判断だよ。決戦前にあんまり盛り上がると不吉なフラグが立っちゃうからね」

二か月で三百年分修行できる部屋の大家はあの御前だ。
家賃としてとんでもない対価を請求されてはいないだろうか……という懸念が浮かんだが、言わないでおいた。
祈達と共に栃木みやげを食べつつ、橘音の準備が終わるのを待つ。

>「さて――というわけで!ついにこの時がやって参りました!」

デフォルトの姿に戻った橘音が告げる。

「どんな格好も似合うけどやっぱりそれが落ち着く……!」

>「ローランの話では、まだベリアルたち天魔の最終計画は準備段階。
 今までは天魔たちの攻勢に対してこちらが守勢に回るという構図でしたが、今回は違います。
 こちらの方から、天魔の本拠地である都庁に乗り込む。こちらがオフェンスです。
 そして庁舎内を駆けのぼり、首魁であるベリアルを本性を現す前に倒す――速攻でケリをつけなければなりません」

>「むこうもこっちが来るのを予想して待ってるだろうけど、関係ねー。
罠があっても、全部ぶっ潰してこーぜ」

「漢解除!? 頼もしくなっちゃって……!」

漢解除とは、罠を技術的に解除するのではなく、力技でぶっこわすという漢らしい解除方法のことである。

67御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/05/24(日) 01:57:56
>「思えば、長い長い旅路でした。たくさんの事件があり、そのどれもが難解なものばかりだった。
 皆さんの力がなかったら、ここにいる誰かひとりでもいなければ、きっと勝てなかった。
 ボクは幸せです。ノエルさん、クロオさん、ポチさん、シロさん……そして祈ちゃん。
 あなたたちの協力で、今。東京ブリーチャーズは天魔との決着の場にまで漕ぎつけることができました。
 今のうち、お礼を言っておきます。
 ありがとう、アナタたちと一緒に戦うことができてよかった」

「ホントだよ〜、何気に一番危なっかしかったの橘音くんなんだからね!
でも……何があっても帰ってきてくれてありがとう」

橘音はボロ雑巾になっても、封印刑になっても、白と黒に分裂しても、挙句の果てには死んでも、最終的には帰ってきた。
だから、今回もきっと大丈夫。

>「……東京ブリーチャーズは、東京オリンピックの際にやってくる海外からの妖壊たちの脅威に対抗するため生まれました。
 おそらく、これが最後の戦いとなるでしょう。
 皆さん、むろん目的達成も大切ですが……死なないでください。
 ひとりとして欠けても作戦失敗です。全員で都庁に入って、全員で出てくる。
 これを忘れないでくださいね。
 では――」

『東京ブリーチャーズ!アッセンブル!!』

皆の声が綺麗に重なった。

68御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/05/24(日) 01:59:18
>「……ついに、ここまで……」

辿り着いた都庁は、普段はあるはずの人気が無く、異様な雰囲気が漂っていた。

「やっぱりバレてるか……」

>「皆さん、気を引き締めて下さい。いつ、どこから何が出てきたとしてもおかしくありませんから。
 ……行きますよ!天魔の本拠地に殴り込みです!」

「たのもーう! ……ってもういるの!?」

突入した一行を、早速天魔ベリアルが出迎える。これは橘音も予想外だったようで、驚いている。

>「――な――」

>「クカカカカカッ!ようこそ、我ら天魔の本拠地――東京都庁へ!
 まったくローランの奴め、余計な情報を……。おかげで吾輩の計画はメチャクチャだ。
 できれば準備が整うまで大人しく待っていて欲しいんだが、どうかネ?食堂でカレーでも食べて、今日は帰っては?」

橘音も負けじと言い返す。これは橘音にとっては、因縁の師弟対決でもある。

>「さて。吾輩が手ずから客人を持て成したいところだが、色々忙しいものでネ。
 代わりにとっておきの接待役を呼んでおいたから、彼らと存分に楽しむといヨ。
 吾輩がこれと思って抜擢した者たちだ。どの接待役も、必ずやキミたちを満足させてくれることだろうサ。
 接待役たちのいる場所へは、こちらのエレベーターを使いたまえ。
 ああ、エレベーターは一人一基だヨ。相乗りは受け付けないし、階段も使えないからネ。
 もし接待役を倒すことができれば、吾輩のいる北棟展望室にご招待しよう。
 では、またお会いできることを楽しみにしているよ!クカカカカカカッ!!」

ベリアルは霧のように消えてしまった。
この2か月、皆を守るために防御の力を磨いてきたノエルにとっては、分断は受け入れがたいことだった。

「橘音くん、アイツの言う通りにしたらいけない。明らかにこっちを分断させる罠だ……!」

>「どのみち、行くしかありません。この程度のことは予想の範囲内です。
 ここからは別行動で行きましょう。少なくとも――現段階でベリアルの言ったことに嘘はないはずです。」

「えぇっ!? 悪魔は普通の妖怪とは違って嘘をつくんじゃ……」

69御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/05/24(日) 02:01:14
>「悪魔(デヴィル)は嘘を付き、ベリアルの言うことほど信を置けないことはないですが……。
 でも、ひとつだけはっきりしていることがあります。
 それは……『ベリアルは自分の造ったギミックに忠実である』ということ」

橘音によると、ベリアルは漫画や映画になりそうな迂遠な策にこだわり、お話にならないような身も蓋も無い手段は使ってこないとのこと。
長年弟子としてその手練手管を間近で見てきた橘音が言うのだから、間違いないのだろう。
それに考えてみれば、無条件にこちらを撃破すればいいのなら、今までにいくらでもチャンスはあった。
彼の美学はいかにドラマチックに絶望を演出するかということで、悪趣味極まりないが、それこそがベリアルの弱点――こちらの勝機になり得る。

「そうか――分かった」

>「それでは……皆さん。
 後ほど、北棟展望室でお会いしましょう」

ノエルは一番右のエレベーターに向かって進んでいく。
その選択に特に深い意味はないが、なんとなく祈の隣に行ったのかもしれないし、
橘音の左隣は尾弐に空けておいた方がいいかな、となんとなく思ったのかもしれない。
そんな時、祈が唐突にカミングアウトを敢行した。

>「……あのさ。もしレディ・ベアを見つけたら、助けてやってくんないかな。
姦姦蛇螺と戦った後、ローランがいってた『レディ・ベアとあたしが友達』ってやつ、実はホントでさ。
あたしがここに来た目的には、あいつを助けることも入ってんだ」

「あはは、知ってる。モノとレディは同一人物なんだよね」

最初はそっくりさんかと思うことにしていたが、流石にローランのその言葉で同一人物だと気づいた。
といっても”二重人格”という少しズレた予想ではあったが。
ノエル自身も5重人格(?)だし、橘音も人格どころか物理的に2人に分かれたことがあるので、多重人格は割と自然な発想なのかもしれない。
尤も今では、レディベアの護衛を名乗るローランが明らかに赤マントに敵対したり、
こちらに味方したり情報を与えてくれたことから、何か事情があって赤マントの言いなりになっているのかもしれない、とも思っている。

>「レディ・ベアは今、赤マントに捕まってる。
妖怪大統領を従わせるための人質になってるんだと思う。
ローランが守ってくれてるみたいだけど、どんな扱いされてんのか、どうなってるかはあたしもわかんない」

「やっぱり……レディベアも赤マントに利用されてるんだね……!」

70御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/05/24(日) 02:02:13
>「こんな土壇場まで、言葉にできなくてごめん。調子のいいこと言ってるのもわかってる。
でも、あたしの友達を助けて欲しい。
細かいことは後でちゃんと話すし、どれだけでも償うから。一生のお願い!」

ノエルは祈の前に行って屈んだ。

「僕も正体気付かずに……いや、わざと気付かない事にして普通にクラスメイトやってたんだから似たようなもんだよ。
仲良かったかっていうと……まあ殆どスルーされてたけど!」

ノエルは下げられた祈の頭に、鞄から何かを取り出してつける。
以前も姦姦蛇螺との戦の時にも祈の頭に付けたことがある、解けない氷の髪飾りだ。

「妖力制御の練習に作ってみたからあげようと思ってて。前より上手く出来てるかな?」

そう言ってから立ちあがると、橘音や尾弐やポチの方に向いて言った。

「僕からも、お願い! 今は少しでも戦力が必要だから……。
救出できれば戦力になるかもしれないし、そうなればローランも人質がいなくなって戦いに参加できるかもしれない!」

ノエル自身は純粋に祈の友達を助けたいというのもあるし、赤マントに利用されたという点でクリスに重ねているのもあるので、救出に協力することに条件はない。
しかし事情があったとしても、赤マントに実権を奪われるまではレディベアがドミネーターズを指揮し、たくさんの人を死に至らしめていたのは事実ではある。
尾弐は強迫観念から解放されたとはいえ、人を殺めた妖怪を憎む心は無くしてはいない。
敢えて戦力上の実利的な理由を言ったのは、そんな尾弐の心情に配慮したのかもしれない。
しかし、ベリアルが劇的な演出を好むのなら、分断中に一行の誰かの前にレディベアが現れるとすれば、それは他でもない祈自身であろうと思われた。

「でも……誰かの前にレディベアが現れるとすれば多分祈ちゃんじゃないかなって思う。
ちょっと近付けないぐらい本当に仲良かったもんね。大事な友達、絶対助けてあげなよ!」

71尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/05/31(日) 18:45:15

――――刹那、生と死が交錯する。

古今無双の大悪鬼たる酒呑童子がその腕より繰り出す絶死の御業。
神夢想酒天流抜刀術・天技『鬼殺し』
生きとし生ける者共に遍く死を刻む、抗えぬ運命が如き一撃。

片や只人より成り果てた有象無象の悪鬼たる尾弐黒雄が見せるは、未だ名も無き護身の最奥。
向けられた害意、その全てを還す人技の極致。
敵意の刃に触れた事実すらも残さぬ、天命に抗う意志の具現。

「ぎ、ぐ……っ!!」

尾弐黒雄という存在を那由多殺して尚余りある程の死の渦
その苛烈な奔流を、尾弐は自身の肉体を一つの回路と見立てる事で循環させる

爪の先に至るまで自身という肉体の駆動を知る、数多の戦闘経験
発勁を学んだ事により知った、『気』という不可視の力を繰る技巧
那須野橘音との間で結んだ、復讐の呪術。即ち、因果を捻じ曲げる術式の力。
それらを全てを一部の隙も無く駆使する事で、尾弐は酒呑童子の『鬼殺し』へと対峙する

(っ――――外道丸、お前さん随分とキツイ真似させるじゃねぇか!!)

もはやこれはただの修練などではない。
僅かでも死を循環から漏らせば、自分は本当に死に果てる。
己の内部を巡っている『死』の力を感じ取った尾弐は、その事を理解している。
鼻先にまで迫る死を感じ、けれど尾弐は揺るがない。死なないため、生きる為に尾弐黒雄は更にその精神を研ぎ澄ます。

(まだだ!ああ!まだ俺はやれる――――此処で死んでたまるかよ!!)

久遠の様な刹那の中で二つの論理がせめぎ合う
殺す力と生きる力
盾矛の故事が如く破綻した実証実験
本来であれば明確な勝敗など示さぬこの戦いであるが

>「ご、は……」


――――しかし、今この時においては生命の盾が死の矛を打ち砕く結果を見せた。

72尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/05/31(日) 18:45:38
>「……仕遂げた、か……。
>相手の力を、そのまま相手へと返す……なるほど、それは……この上ない反撃の方途と言えような……。
>敵が強力であればあるほど、貴様にとっては……都合が、よい……という、わけ……」

「全部が修行の成果だって言い切りてぇところだが……待たせちまってる連中が居てな」
「そいつ等に会わないままで死にたくなかった――――だから、此処まで至れた。多分、お前さんが殺す気で技を放ってくれなんだら、多分結果は逆になってただろうよ」

酒呑童子は渾身を以って死を切り与えようとした。
尾弐黒雄は全霊を以って生を守り抜かんとした。
衝突の瞬間、互いの技巧は確かに拮抗していた。
故に、勝敗を分けたのは想いの差――――愛する者と、親愛なる仲間達と別れたくないという、生きる事への執念。
当たり前でちっぽけな願い。その重さの分だけ、尾弐黒雄は酒呑童子を上回ったのである。

>「見事よ、クソ坊主……。かくなる大悟に至ったからには、もはや鍛錬の必要もあるまい……。
>死を忘れるのではなく、死を直視して尚それを乗り越える。そうすることで活路は得られる……。
>ゆめ、忘れるな……貴様は自身の屍を仲間に乗り越えさせ、勝利を掴ませに行くのではない……。
>貴様自身が、勝利を掴み取るために……往く……のだ……」

「――――応」

姿を回帰させる事で死の概念から逃れ得た天邪鬼。傷付き消耗しながらも気丈に尾弐を激励するその姿に、尾弐は短く返事を返す。
本当であれば手を伸ばしてやりたいが……大丈夫かと声を掛けてやりたいが、今、それをするべきでない事も尾弐は判っている。
尾弐は託されたのだ。力を、意志を。
ならば、するべき事は前に進む事。今度こそ、道を違わずに前に向かって生きる事だ。
何、心配の必要はない。この生意気な天才(げどうまる)が死の余波如きで死ぬものか。

「ありがとな外道丸。ちっとばかし、派手な喧嘩に行ってくるぜ」

そう言い残し、気絶した天邪鬼に喪服の上着を掛けると――――尾弐黒雄は、鳥居を潜る。
目指すは帝都。怨敵たるベリアルの野望が渦巻く地。

・・・

73尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/05/31(日) 18:46:03
那須野探偵事務所。
東京ブリーチャーズの一行にとって勝手知ったるその事務所には現在、家主たる那須野橘音以外が勢揃いしていた。
本来であれば久々の再開に沸くところなのだろうが……どうにも事務所内の空気が芳しくない。その理由は一つ

>「……橘音のやつ遅いな」
>「もしや、三尾の身に何かあったのでは……?」

那須野橘音の不在である。
約束の日、約束の場所であるにも関わらず、彼の探偵は未だ姿を見せていないのだ。
これがただの任務であれば、遅刻であろうなどと思い気楽に待つのであろうが……今回の戦いは天王山。
乾坤一擲の大決戦である。
この二月、各々が命懸けの修練を積んできただけに「まさか」という不安は募っていく。
そんな中で、この場において最も那須野橘音を心配するであろう尾弐は――――

「……zzZ」

寝ていた。
那須野橘音が作り上げたであろう過去の事件ファイルをアイマスク代わりに顔に被せ、ソファーの上で死んだ様にこんこんと眠っている。
想い人の危機かもしれない状況なのになんと冷たい奴だと、そう思う者もいるかもしれない。が――――事実はその逆だ。
『那須野橘音は絶対に来る』。そう信じているからこそ、尾弐は呑気に眠っているのである。
どこよりも思い出が詰まったこの事務所で、疲弊した身体と精神を全力で回復させる。それが今の尾弐に取れる最善の行動であるが故に、尾弐は眠り続けているのだ。

――――と。

不意に、泥のように眠り続け何をされても起きなかった尾弐の右手がピクリと動いた。
そして直後にその上半身をがばりと起こす。
それに示し合わせたように扉の開く音が響き、その向こうから姿を現したのは

>「いやぁ〜、皆さん!お待たせしちゃって申し訳ありませぇ〜ん!」
>「は〜、重かった!疲れた疲れた!」
>「ただいまです!皆さんお揃いで、その分ですと首尾よく特訓に成功したようですね!いや重畳、重畳!」
>「え、誰……?」

ノエルが疑問符を浮かべるのも無理は無い。
狐面探偵を待っていたら、現れたのはロングコートにハイヒール、おまけにサングラスを装備したキャリアウーマン然とした見知らぬ女性の姿だったのだから。

「くぁぁ……。あン?なんだ、また随分と洒落た格好に仕上げたじゃねぇか」

しかし、尾弐黒尾にとってはどうにもそうではなかったらしい。
起床時に床へと落ちたファイルを拾い上げた尾弐は、来訪者の女性に対してほんの一瞬疑問符を浮かべたが、即座に答えに思い至り口元に笑みを湛える。

>「あ。ボクが誰かお分かりにならない?橘音ですよ、橘音!帝都東京にその人ありと言われた、狐面探偵・那須野橘音です!
>まぁ今は狐面かぶってませんけど!やっぱり、狐面かぶってないとわかんないもんです?」

「そうでもねぇさ、久しぶりだな橘音」

>「……ああ! やっぱ橘音くんだ! そういえば髪型は一緒だね!」
>「やっぱ橘音かよ! ……急に姿変えられたら誰だってわかんねーって。
>あたしだって一瞬わかんなかったし。つーかおかえり!」

>「ざっと三百年ぶりですか!いやホントお久しぶりですねえ……。
>感慨深いです。この三百年、皆さんに会いたくて……でも我慢して修行していましたから……。
>あ、ハイこれ栃木みやげです。どうぞどうぞ」
>「……2ヶ月じゃなくて?」
>「三百年?」

疑問符を浮かべる祈とシロの問いに答える那須野橘音の話によれば、どうにも彼女は時の流れを異にした華陽宮にて三百年もの時を修行に充てたという事だ。
それはなるほど、時間の有効利用という面においては効率的極まりない使い方だが……
その那須野橘音の『五本』の尾を見て、尾弐はほんの僅かに眉を潜める。
尾弐とて御前に従属していた妖怪のはしくれ。妖狐という種族の『尾』の形態変化がそうたやすく成されるものではない事くらいは知っている。
果たして、目の前の妖狐はどれだけの苦難を経て来たのであろうか。
三百という年月を、尾を二本増やす程に苛烈な修行に捧げる――それは、どれ程に孤独であったであろうか。
それを想像した尾弐の胸に去来するのは、様々な感情。
支える事が出来なかった罪悪感、無理をしないで欲しいと思う労りの気持ち、自分達の為にそこまで頑張ってくれたことへの燃え上がる様な――――

>「ただいま、クロオさん。
>……会いたかった」
「おかえり、橘音――よく頑張ったな」

けれど尾弐は、最後の感情を押しとどめ、頬に触れる橘音の手に優しく手を添えるに留めた。
想いを語るべきは今ではない――――だからこそ、尾弐はこの戦いを生き抜かねばならない。

・・・

74尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/05/31(日) 18:46:35
>「さて――というわけで!ついにこの時がやって参りました!」
>「相手は天魔ベリアル。以前も説明しましたが……『神の長子』と呼ばれた、かつての天界のNo.2です。
>ベリアルが龍脈の力を手に入れ、神に準ずる――いえ、神をも凌ぐ力を手に入れてしまったら、何もかもおしまいです。
>その前に、なんとしてもベリアルを倒さなければなりません」

>「むこうもこっちが来るのを予想して待ってるだろうけど、関係ねー。
>罠があっても、全部ぶっ潰してこーぜ」
>「漢解除!? 頼もしくなっちゃって……!」

「まあ、祈の嬢ちゃんの言う通りだ。天才鬼才なんて連中に素直に知恵比べを挑んでも転がされるのがオチだ」
「だったら――――まどろっこしい策謀なんざ走り抜けて、陰険な罠は凍らせて、そのまま敵さんの喉笛を食い千切ってやろうじゃねぇか」

決戦を目前とした那須野橘音による最終確認。それを聞く一行の士気は高い。
そして、それは尾弐も同じだ。戦えるだけの準備はしてきた。なれば後は、自分達の未来の為に全力を尽くすのみ。

>「思えば、長い長い旅路でした。たくさんの事件があり、そのどれもが難解なものばかりだった。
>皆さんの力がなかったら、ここにいる誰かひとりでもいなければ、きっと勝てなかった。
>ボクは幸せです。ノエルさん、クロオさん、ポチさん、シロさん……そして祈ちゃん。
>あなたたちの協力で、今。東京ブリーチャーズは天魔との決着の場にまで漕ぎつけることができました。
>今のうち、お礼を言っておきます。
>ありがとう、アナタたちと一緒に戦うことができてよかった」

そんな尾弐達の様子を見た那須野橘音は、感慨深げに述懐する。
その行為に、士気高揚の為だとか、方針の確認だとか、野暮な意味を持たせる事は出来るのであろうが、きっと彼女の言葉が示すものはそうであってそうではない。
多分、此れは必要な事なのだ。橘音にとっても尾弐達にとっても。
辿ってきた道を振り返り、成功と失敗、喜びと悲しみ、希望と絶望。手にして来たその全てを心に刻む事。
きっとそれは――――この先へと進む為に何よりも力になる。例え苦境や逆境に打ちのめされた時も、前を向く為の力になる筈だ。

>「……東京ブリーチャーズは、東京オリンピックの際にやってくる海外からの妖壊たちの脅威に対抗するため生まれました。
>おそらく、これが最後の戦いとなるでしょう。
>皆さん、むろん目的達成も大切ですが……死なないでください。
>ひとりとして欠けても作戦失敗です。全員で都庁に入って、全員で出てくる。
>これを忘れないでくださいね。
>では――」

尾弐は戦意を湛えた笑みを浮かべ、皆の手に己が手を重ねる。


さあ、始めようじゃねぇか。
世界を救う戦いを。


「『「「東京ブリーチャーズ!アッセンブル!!」」』」


・・・

75尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/05/31(日) 18:47:29
>「……ついに、ここまで……」

コンクリートジャングルと揶揄される都心のビル群。その無機質な灰色の木々の中を進んだ先にその建物は有った。
東京都庁第一本庁舎。
帝都に住む人々の生活を維持、管理する、最大規模の行政機関。

老人にビジネスマン、主婦や職員、ついでにクレーマーと不良外人。
普段であれば手続きを行いに来る人々でにぎわいを見せる都庁は、現在、気味が悪い程に静まり返っていた。

「種類まではわからねぇが、結界が張られてるみてぇだな……都庁規模の施設を無人にする結界なんざ、どんだけ出鱈目しやがる気だ」

その無人は、明らかに赤マント……ベリアルによるもの。

>「皆さん、気を引き締めて下さい。いつ、どこから何が出てきたとしてもおかしくありませんから。
>……行きますよ!天魔の本拠地に殴り込みです!」
>「おう!」
「あいよ、了解だ」

だが、それでもやるべき事は変わらない。
ベリアルを見つけ出し、その野望を打ち砕く事。その為に尾弐達は此処に立っているのだから。
そうして一行は都庁のエントランスへと足を踏み入れ――――

>「――な――」
>「クカカカカカッ!ようこそ、我ら天魔の本拠地――東京都庁へ!
>まったくローランの奴め、余計な情報を……。おかげで吾輩の計画はメチャクチャだ。
>できれば準備が整うまで大人しく待っていて欲しいんだが、どうかネ?食堂でカレーでも食べて、今日は帰っては?」

>「やっぱりバレてるか……」
「は。大物ぶる割に、小物みてぇな覗き見してやがったって訳か」

まるで待ち構えていたかのように、突然その姿を現したベリアル。
その諸悪の根源に対し、那須野は正面から啖呵を切り、尾弐は不愉快を隠しもせず渋面を浮かべる。
その場で殴りかかるような事はしない。それは理性で堪えているなどという事では無く、何かしらの罠を警戒しての事。

>「さて。吾輩が手ずから客人を持て成したいところだが、色々忙しいものでネ。
>代わりにとっておきの接待役を呼んでおいたから、彼らと存分に楽しむといヨ。
>吾輩がこれと思って抜擢した者たちだ。どの接待役も、必ずやキミたちを満足させてくれることだろうサ。
>接待役たちのいる場所へは、こちらのエレベーターを使いたまえ。
>ああ、エレベーターは一人一基だヨ。相乗りは受け付けないし、階段も使えないからネ。
>もし接待役を倒すことができれば、吾輩のいる北棟展望室にご招待しよう。
>では、またお会いできることを楽しみにしているよ!クカカカカカカッ!!」

「そうかい。なら首を洗って待ってろ――――」

そして、案の定対峙していたベリアルは実体では無く、入って来た扉が閉じた事で此処が既に策謀の中に有る事を知る事となる

>「橘音くん、アイツの言う通りにしたらいけない。明らかにこっちを分断させる罠だ……!」
>「どのみち、行くしかありません。この程度のことは予想の範囲内です。
>ここからは別行動で行きましょう。少なくとも――現段階でベリアルの言ったことに嘘はないはずです。
>悪魔(デヴィル)は嘘を付き、ベリアルの言うことほど信を置けないことはないですが……。
>でも、ひとつだけはっきりしていることがあります。
>それは……『ベリアルは自分の造ったギミックに忠実である』ということ」
>「それでは……皆さん。
>後ほど、北棟展望室でお会いしましょう」

ここに至れば迷う事は無い。
いざとなればエレベーターの換気口でも破壊してどうにかしてしまおう。そんな事を考えつつ、尾弐は那須野橘音の左隣のエレベーターへと歩を進める。

76尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/05/31(日) 18:47:47
「……ん?」

と。そこで尾弐は祈が何かを言いたげにしている事に気付く。
心配事があるなら話すべきだ――そう言おうとして、しかしその前に祈は口を開いた。

>「……あのさ。もしレディ・ベアを見つけたら、助けてやってくんないかな。
>姦姦蛇螺と戦った後、ローランがいってた『レディ・ベアとあたしが友達』ってやつ、実はホントでさ。
>あたしがここに来た目的には、あいつを助けることも入ってんだ」
>「あはは、知ってる。モノとレディは同一人物なんだよね」

「祈の嬢ちゃん、それは……」

そして、祈が口にしたそれは、レディ・ベアの救出を依頼する言葉であった。
ノエルがそうであるように、尾弐もまたレディ・ベアが祈にとってどの様な存在であるかは薄々感じ取っていた。
それでも何も調査をしなかったのは――――そこが尾弐にとっての分水嶺であったからだ。
東京ドミネーターズ、赤マントの仲間。
その事に確証をもってしまえば、漂白せざる負えないと……そう考えていたから、尾弐黒雄は『祈の友人』について触れなかったのである。

>「レディ・ベアは今、赤マントに捕まってる。
>妖怪大統領を従わせるための人質になってるんだと思う。
>ローランが守ってくれてるみたいだけど、どんな扱いされてんのか、どうなってるかはあたしもわかんない」
>「こんな土壇場まで、言葉にできなくてごめん。調子のいいこと言ってるのもわかってる。
>でも、あたしの友達を助けて欲しい。
>細かいことは後でちゃんと話すし、どれだけでも償うから。一生のお願い!」

真摯な祈の願いに、尾弐は渋面を作り、自身の首の後ろを右手で揉む。
――――正直なところを言えば、断りたかった。
むしろ、これが祈の頼みでなければ即断で断っている。
何せ、尾弐にとっては敵なのだ。
レディ・ベアという存在が東京ドミネーターズを名乗り活動した事で、どれだけの無辜の人々が被害を蒙ったというのか。
なれば囚われているというその状況は自業自得とでも言えるのではないか。
そんな者の為に大切な仲間が傷付くなど、看過出来ようはずも無い。気まずい感情を抱えながらも、尾弐は言って聞かせようとし

>「僕も正体気付かずに……いや、わざと気付かない事にして普通にクラスメイトやってたんだから似たようなもんだよ。
>仲良かったかっていうと……まあ殆どスルーされてたけど!」
>「僕からも、お願い! 今は少しでも戦力が必要だから……。
>救出できれば戦力になるかもしれないし、そうなればローランも人質がいなくなって戦いに参加できるかもしれない!」

ノエルの言葉を聞いてそれを止める。

(クラスメイト、か……俺にとっちゃ、奴さんは敵だ。だが、祈の嬢ちゃんにとってはダチ公でもある)

天を仰いで眉を潜め、たっぷり十数秒思案した尾弐は――――やがて、大きく息を吐く。

「他ならねぇ祈の嬢ちゃんの頼みだ。レディ・ベアは気に喰わねぇが、出来る様なら助けてやる」
「けどな――――奴さんを助ける事で祈の嬢ちゃんや橘音達が危ねぇ目に遭うなら、俺は躊躇わずにレディ・ベアの方を切り捨てるぜ。それだけは覚えといてくれ」

そうしてそのまま、尾弐は辿り着いたエレベーターのボタンを押した

77ポチ ◆CDuTShoToA:2020/06/09(火) 22:37:56
>「オオオオオオ――――――――――ンッ!!!」

巨狼の咆哮が霧中に響く。
決着は間近――互いに睨み合う二匹の狼が、同時に地を蹴った。
極度の集中によって圧縮された時間の中、ポチは巨狼を見つめる。

素早さは、生来の矮躯に『獣』の力を秘めた自分が上回る。
だが膂力では、体格に優れた巨狼に軍配が上がる。
真っ向勝負では、ポチが不利――そのはずだった。

それでもポチは、ただまっすぐに駆けた。
野生の本能は、それでいいと告げていた。

そして――気づけば、ポチは巨狼の懐にいた。
その断頭台のような「あぎと」を掻い潜って、巨狼の前足――その目前に。
一体どうやって自分がそこに潜り込んだのか、ポチ自身にも分からなかった。

けれども事実として、巨狼の牙が虚空を噛み砕く音は、ポチの背後から聞こえた。
それはつまり、巨狼は一切、ポチの踏み込みに反応出来なかったという事だ。
何故か。ポチ自身にもその理由は分からないまま――だが、ポチの野生は的確に、勝利の為に必要な事を実行した。

つまり眼前の、巨狼の前足に牙を突き立て――すれ違いざまに、深く抉る。
一呼吸ほど遅れてポチの背後で、巨狼の倒れる音が聞こえた。

>「あなた……!」

己へと駆け寄るシロの声。ポチがそちらへと振り返る。
彼女の白い毛並みと、月色の瞳。
それらを視界に捉えると――ポチは、その場でへたりと座り込んだ。

野生の本能に身を任せ、極限の戦いに、全力で臨んだ。
ポチは自覚出来ないまま、その矮躯が持ち得る体力、気力――その全てを使い果たしていた。
疲れ切った体にやすらぎを求めるように、ポチは傍らのシロに上体を委ねて、目を閉じた。

周囲からは、狼達の遠吠えが聞こえる。
その声が、体力も気力も空っぽになったポチの体に深く染み入る。
愛するつがいの温もり、かつて滅びたはずの同胞達の遠吠え、人知れぬ自然の奥深く。

全てが心地よかった。
ずっとこうしていたいと、そう思ってしまうほどに。
だが――ポチは目を開けた。ここには、今には、留まれない。
ポチには戻るべき場所と――進むべき未来がある。

ポチが巨狼と、その群れを振り返る。
俄かに深まり始めた霧によって、彼らの姿はもう、よく見えなかった。
それでも、霧の向こう。錆色の毛並みを持つ巨狼が、自分を見つめている事は分かった。

それと、もう一つ。
その傍らに、小さな、霧よりもなお真白い――きっと、すねこすりが、寄り添っていた事も。
そして――霧が晴れた。
巨狼とその群れは、もうどこにも見えなかった。

「なんだよ。そこにいたなら少しくらい、お喋り出来たじゃないか」

ポチが過去を偲ぶように――それから少しだけ恨めしげに、呟いた。

「……話したい事が沢山あったのに。僕ね、沢山の仲間が出来たんだよ。
 みんないいヤツでさ。それに……綺麗なお嫁さんだっているんだ。
 そこからじゃ、よく見えなかったでしょ。勿体ないなぁ……」

しかし、そう言いつつも、ポチはすぐに立ち上がった。
そうしてシロに「帰ろっか」と微笑みかける。

「……また来るからね。今度はもう一つ、とびきりの自慢話を増やしてから」

78ポチ ◆CDuTShoToA:2020/06/09(火) 22:38:12



>「おう、終わったようぢゃな。随分てこずったようぢゃが」

「……お爺ちゃんさ。あそこに誰がいるのか、分かってて僕らをけしかけたでしょ」

ポチが胡乱な視線で富嶽を見つめる。
富嶽は、素知らぬ顔でそっぽを向くだけだった。
こうなるとポチにはもう、溜息を吐く事しか出来ない。
橘音と尾弐が彼を苦手としている理由を、ポチも今、痛感していた。

>「ポチ君、シロちゃん、本当にありがとう。これで、宿も今まで通りに営業できると思うわ」
>「さて……約束ぢゃったな。送り狼が一番強かった時期の話、ぢゃったか。
  話してやりたいのは山々ぢゃが、生憎と今度はお主らの方に時間があるまい。さっさと帝都へ戻れ、もっとも――」
>「……もう、儂が話してやる必要もなさそうぢゃがの」

一方で富嶽はそんな事を言って、にんまりと笑みを浮かべていた。
しかしてポチとしては、この山で得られたものを考えると、文句を言うのは憚られる。
そこまで計算ずくの笑みなのだろう。余計に恨み言が言いたくなった。

ともあれ――こうして、ポチとシロの二ヶ月に渡る修行は終わった。

79ポチ ◆CDuTShoToA:2020/06/09(火) 22:38:42



そして、ポチは東京へ、那須野探偵事務所へと戻ってきた。
事務所には既に祈も、ノエルも、尾弐も帰ってきていた。
だが――橘音の姿だけが、ない。

「あれ?橘音ちゃんはまだなの?」

ポチは鼻を一つ鳴らすと、そう言った。
しかし――

>「もしや、三尾の身に何かあったのでは……?」

「あはは、ないない。こういう時に橘音ちゃんが遅れてくるのはいつもの事だよ」

シロの不安げな呟きを笑い飛ばすと、事務所のソファの、空いた席に飛び乗った。
楽観主義に罹患している訳ではない。
ポチの野生の勘が、問題ないと言っているのだ。

野生の本能――それは獣の根幹であるにもかかわらず、ポチにとっては今までずっと、数ある武器の一つでしかなかった。
全幅の信頼を得られなかった。
そうして抑圧され続けてきたが故に――ポチの野生は、冴え渡っていた。

「ほら」

そうしてポチはソファの、自分の隣をぽんぽんと叩いた。
それから、暫しの時が流れ――ふと、事務所の扉が開く。

>「いやぁ〜、皆さん!お待たせしちゃって申し訳ありませぇ〜ん!」
>「は〜、重かった!疲れた疲れた!」

そうして現れたのは、ロングコートとハイヒールの、見知らぬ麗人。

>「ただいまです!皆さんお揃いで、その分ですと首尾よく特訓に成功したようですね!いや重畳、重畳!」
>「くぁぁ……。あン?なんだ、また随分と洒落た格好に仕上げたじゃねぇか」

「ね?」

だが――狼の嗅覚は、その美女の正体をすぐに察した。
ポチがシロを見上げて、言った通りでしょ、という風な笑みを浮かべた。

>「あ。ボクが誰かお分かりにならない?橘音ですよ、橘音!帝都東京にその人ありと言われた、狐面探偵・那須野橘音です!
  まぁ今は狐面かぶってませんけど!やっぱり、狐面かぶってないとわかんないもんです?」

「二ヶ月ぶりに会って最初にする話がそれ?変わったのは見た目だけなの?」

ポチは軽口を叩きながらソファから飛び降りて、変化の術を解き――姿を消す。

>「そうでもねぇさ、久しぶりだな橘音」
>「……ああ! やっぱ橘音くんだ! そういえば髪型は一緒だね!」
>「やっぱ橘音かよ! ……急に姿変えられたら誰だってわかんねーって。
  あたしだって一瞬わかんなかったし。つーかおかえり!」

そして橘音の足元に現れると尻尾を振りながら、その脛に体を擦り付けた。

「ま、いーや。元気そうで何よりだよ。おかえり、橘音ちゃん」

それから、祈、ノエル、尾弐の足元にも同様に忍び寄り、脛を擦る。

>「ざっと三百年ぶりですか!いやホントお久しぶりですねえ……。
  感慨深いです。この三百年、皆さんに会いたくて……でも我慢して修行していましたから……。
  あ、ハイこれ栃木みやげです。どうぞどうぞ」

>「三百年?」
>「……2ヶ月じゃなくて?」

シロと祈が不可解そうな声を発する。
ポチは、橘音が意味の分からない事を言うのもいつもの事だなと、依然変わらず祈の脛を擦っていた。

80ポチ ◆CDuTShoToA:2020/06/09(火) 22:39:05
>「御前の住まう華陽宮は、現世とは異なる場所にあります。
 当然、時間の流れも異なる……現世では二ヶ月でも、華陽宮では三百年が経過する部屋もあるんです。
 ボクはそこで修行をしていたもので。だからこんなに成長してしまいました!
 ご覧ください、これが修行の成果です!」

「……わお、確かにすごいね。すごくいい毛並みだ」

後ろを向いて、五本に増えた尻尾を見せつける橘音。
ポチは冗談めかした反応を見せたが――その目元、口元には、笑みなど浮かんでいない。
かつて、橘音は三尾の狐だった。
そこから更に二本――それを得る為に、どれほどの研鑽が必要だったのか。
想像出来ないポチではなかった。

>「ただいま、クロオさん。
  ……会いたかった」
>「おかえり、橘音――よく頑張ったな」

愛おしげに、しかし、ささやかに触れ合う尾弐と橘音。
ポチは思う。二人は本当はもっと大胆に、明け透けに、大っぴらに――とにかく、そんな感じで愛し合いたいはずだと。
それこそ、いつもシロが自分にそうしているような感じで。

>「さて――というわけで!ついにこの時がやって参りました!」

だけど、そうはしなかった。
何故か、自分達の目があるからか。それは勿論そうかもしれないが――それだけではない。

二人は、そうすべきではないと思っているのだ。
そうするのは、全てが終わってからであるべきだと。

>「ローランの話では、まだベリアルたち天魔の最終計画は準備段階。
 今までは天魔たちの攻勢に対してこちらが守勢に回るという構図でしたが、今回は違います。
 こちらの方から、天魔の本拠地である都庁に乗り込む。こちらがオフェンスです。
 そして庁舎内を駆けのぼり、首魁であるベリアルを本性を現す前に倒す――速攻でケリをつけなければなりません」

>「思えば、長い長い旅路でした。たくさんの事件があり、そのどれもが難解なものばかりだった。
 皆さんの力がなかったら、ここにいる誰かひとりでもいなければ、きっと勝てなかった。

ポチはその事について、何か口を挟むつもりはない。
それが二人の愛と、信頼の形ならば、口出しなど野暮もいいところだ。

>「……東京ブリーチャーズは、東京オリンピックの際にやってくる海外からの妖壊たちの脅威に対抗するため生まれました。
  おそらく、これが最後の戦いとなるでしょう。
  皆さん、むろん目的達成も大切ですが……死なないでください。
  ひとりとして欠けても作戦失敗です。全員で都庁に入って、全員で出てくる。
  これを忘れないでくださいね。
  では――」

だから、ポチはただ思うだけだ。
二人とも、つくづくお似合いで――損な性分だと。

「「『「「東京ブリーチャーズ!アッセンブル!!」」』」」

絶対に、みんなで生きて帰らなくては、と。

81ポチ ◆CDuTShoToA:2020/06/09(火) 22:39:23



東京都庁第一本庁舎。
人間という種族が、その群れの暮らしを保つ為に築いた砦。
かつて、ポチにとって人間とは「傷つけば仲間達が不快に思うから、守るもの」だった。
『獣』と同化してからは「いつかは滅ぼさなくてはならないもの」だった事もある。

「……ついに、ここまで……」

だが――今のポチにとっては、そのどちらでもない。
人間達は、ずっと昔から群れを守ってきた。同胞への愛を繋ぎ続けてきた。
その結実が、この空にまで届くほどの砦なのだ。
この砦も、人間達も、決して赤マントなどに踏みにじらせていいものではない。


>「種類まではわからねぇが、結界が張られてるみてぇだな……都庁規模の施設を無人にする結界なんざ、どんだけ出鱈目しやがる気だ」

「……まぁ、好都合だね。誰かを巻き添えにする心配しなくて済むし」

>「皆さん、気を引き締めて下さい。いつ、どこから何が出てきたとしてもおかしくありませんから。
 ……行きますよ!天魔の本拠地に殴り込みです!」
>「おう!」
「あいよ、了解だ」

そして一行は、都庁へと踏み入った。

>「――な――」

橘音が、それからすぐに驚きの声を上げた。
無理もない事だった。
都庁の入り口を超えた、すぐその先。

そこに、怪人赤マントが――天魔ベリアルが待っていたのだから。

>「クカカカカカッ!ようこそ、我ら天魔の本拠地――東京都庁へ!
 まったくローランの奴め、余計な情報を……。おかげで吾輩の計画はメチャクチャだ。
 できれば準備が整うまで大人しく待っていて欲しいんだが、どうかネ?食堂でカレーでも食べて、今日は帰っては?」

>「やっぱりバレてるか……」
>「は。大物ぶる割に、小物みてぇな覗き見してやがったって訳か」

「カレーかぁ……晩ご飯にはいいかもね。お前の首を食いちぎった後の口直しには」

>「……そんな冗談を言っていられるのも今のうちですよ、赤マント――いいや、我が師ベリアル。
  そう、アナタの計画はメチャクチャになった。そしてもう未来永劫成就しない。
  アナタこそ、今日は是が非でもお帰り頂きますよ。二度と出られない、地獄の底の底へね!」

>「アスタロト。しぶとい奴だネ……完全に殺したと思ったんだが。
  いや、この場合はアスタロトでなく他のブリーチャーズ諸君がしぶとい、と言うべきかネ?
  どんな逆境にあっても希望を諦めないなんて、吾輩に言わせれば悪い夢以外の何物でもないヨ!」

「だったら、いい夢を見ればいいさ。寝かしつけてやるよ」

>「さて。吾輩が手ずから客人を持て成したいところだが、色々忙しいものでネ。
  代わりにとっておきの接待役を呼んでおいたから、彼らと存分に楽しむといヨ。
  吾輩がこれと思って抜擢した者たちだ。どの接待役も、必ずやキミたちを満足させてくれることだろうサ。
  接待役たちのいる場所へは、こちらのエレベーターを使いたまえ。
  ああ、エレベーターは一人一基だヨ。相乗りは受け付けないし、階段も使えないからネ。
  もし接待役を倒すことができれば、吾輩のいる北棟展望室にご招待しよう。
  では、またお会いできることを楽しみにしているよ!クカカカカカカッ!!」

>「そうかい。なら首を洗って待ってろ――――」

「――ああ、それは本当に頼むよ。この戦いの最後の一言が「うわ、まずっ」じゃ、締まらないだろ」

82ポチ ◆CDuTShoToA:2020/06/09(火) 22:39:53
そうして、ベリアルは姿を消した。
掻き消えた幻影の奥には、五基のエレベーターがある。
普通に考えれば、わざわざ敵の策に乗って分断されてやる事にメリットなどない。
だが――安全な道を切り開いていられるだけの時間が残されている保証もない。

>「どのみち、行くしかありません。この程度のことは予想の範囲内です。
  ここからは別行動で行きましょう。少なくとも――現段階でベリアルの言ったことに嘘はないはずです。
  悪魔(デヴィル)は嘘を付き、ベリアルの言うことほど信を置けないことはないですが……。
  でも、ひとつだけはっきりしていることがあります。
  それは……『ベリアルは自分の造ったギミックに忠実である』ということ」

「そりゃいいや。自分の悪趣味に、あいつは首を締められるって訳だ」

>「それでは……皆さん。
  後ほど、北棟展望室でお会いしましょう」

橘音がエレベーターへと歩き出す。
ポチもそれに倣って前へと歩み出す――その前に、後ろを振り返る。
最愛のつがいを、シロを振り返って、見つめ合う。
本当なら、それだけで意思の疎通を取る事は出来る。

「君が寂しがる前には、戻ってくるよ」

だが、ポチはあえて言葉を紡いだ。
シロは、こうした方が喜ぶだろうと思ったからだ。

「……いや、どうだろう。やっぱり難しいかも」

続く言葉――それは、不安の吐露ではない。

「……正直、既にちょっと寂しいもん、僕」

単なる、惚気である。

「じゃあ……行ってくるね」

ともあれポチは前へと向き直り、残ったエレベーターへと歩き出して――しかし、ふと気づいた。
祈から、微かな不安と迷いのにおいを感じると。

>「……ん?」

「……祈ちゃん?」

今更、彼女が怖気づくなんて事があるだろうか。
そう思いつつも、ポチは祈の名を呼ぶ。

>「……あのさ。もしレディ・ベアを見つけたら、助けてやってくんないかな。

そして――祈は不意にそう切り出した。

83ポチ ◆CDuTShoToA:2020/06/09(火) 22:42:51
> 姦姦蛇螺と戦った後、ローランがいってた『レディ・ベアとあたしが友達』ってやつ、実はホントでさ。
  あたしがここに来た目的には、あいつを助けることも入ってんだ」
>「祈の嬢ちゃん、それは……」

「……ああ、そんな事もあったねえ」

確かにあの時、ローランから嘘のにおいはしなかった。
ポチとしては、自分がわざわざ詮索する事でもない。
いずれ祈の方から説明してくれるのだろうと思っていたが――どうやら、今がその時らしい。
ポチはまっすぐに祈を見つめた。

>「レディ・ベアは今、赤マントに捕まってる。
  妖怪大統領を従わせるための人質になってるんだと思う。
  ローランが守ってくれてるみたいだけど、どんな扱いされてんのか、どうなってるかはあたしもわかんない」

ポチの嗅覚は、感情をにおいとして嗅ぎ取る事が出来る。

>「こんな土壇場まで、言葉にできなくてごめん。調子のいいこと言ってるのもわかってる。
  でも、あたしの友達を助けて欲しい。
  細かいことは後でちゃんと話すし、どれだけでも償うから。一生のお願い!」

>「僕からも、お願い! 今は少しでも戦力が必要だから……。
  救出できれば戦力になるかもしれないし、そうなればローランも人質がいなくなって戦いに参加できるかもしれない!」

ノエルのにおいは、いつもと変わらない。

>「他ならねぇ祈の嬢ちゃんの頼みだ。レディ・ベアは気に喰わねぇが、出来る様なら助けてやる」
 「けどな――――奴さんを助ける事で祈の嬢ちゃんや橘音達が危ねぇ目に遭うなら、俺は躊躇わずにレディ・ベアの方を切り捨てるぜ。それだけは覚えとい てくれ」

尾弐のにおいは――以前とは、変わった。
昔の尾弐なら、きっと――隠し切れない殺意のにおいを滾らせていただろう。

ポチが、不意に変化を解いて、祈の足元へと歩み寄る。
祈の纏うにおいは、複雑だった。
強い決意、僅かな不安と後ろめたさ、感謝、喜び――そして、深い愛情。

「……祈ちゃんは、本当にレディ・ベアの事が大事なんだね」

ポチにとって、レディ・ベアは――ただの敵でしかなかった。
猿夢に囚われ共闘した時は、それなりに話せる相手だとも思ったが、それでも敵は敵。
だが――祈にとっては、違う。
もしレディ・ベアが傷つくような事があれば、祈はひどく悲しむだろう。
その深い愛情故に、想像も出来ないほどに、より深い悲しみに襲われる事になる。

この穏やかで、暖かな、愛情のにおいが塗り潰される。
そんな事が、起きていいはずがない。

「任せといて。僕の鼻なら、レディ・ベアがどこにいたって絶対に助け出せるよ」

ポチはそう言って、祈の脛を軽く擦った。
それから一度姿を消すと、一瞬の後に、最後に残ったエレベーターの前に、人の姿で現れた。
少し背伸びをしてボタンを押すと、軽やかな電子音と共に、目の前の扉が開く。

そしてポチは、一歩大きく前へ踏み出した。

84那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 20:35:57
都庁へ乗り込んだ東京ブリーチャーズは六名。
対して、ベリアルの指定したエレベーターは五基。ということは、誰かひとりが留守番を余儀なくされるということだ。
だが、それが誰なのかは既に決まっている。

>君が寂しがる前には、戻ってくるよ

ポチが言う。それは、シロが留守番を務めなければならないという暗黙の決定。
シロは美しい眉を僅かに下げ、悲しげな表情をしてみせた。
けれども、行かないでとは言わない。言えない。
ここで最愛のつがいが闘いへと赴くのを見送ることこそが、自分の役目。
若き狼王の妻として自分がすべきことだということを、理解している。
それでも。

>……いや、どうだろう。やっぱり難しいかも
>……正直、既にちょっと寂しいもん、僕

若いつがいである。ともすれば永遠の別れになってしまうかもしれない、そんな遣り取りを言葉だけで済ませることなどできない。
シロはポチへ駆け寄ると、その小さな身体をぎゅっと抱き締めた。
そしてポチの頬へ両手を添えると、そっと。その唇に自らの唇を重ねた。
時間にしてほんの一瞬。何秒もない短い刻。
やがて唇を離すと、シロはポチの目を見つめた。

「……あなたのご武運を祈ることしかできない私を、どうかお許しください」

そう言って、ゆっくり後ろに下がる。

「皆様が戻ってこられるまで、このエントランスの守りは私が。
 悪魔の一匹たりとも通しませんので、どうか。皆様ご無事で――」

シロもまた二ヶ月の修行を乗り越えた、東京ブリーチャーズの正規メンバーである。
夫と離れ離れになる悲しみをぐっと押さえつけ、拳を握る姿は美しかった。

>……あのさ。もしレディ・ベアを見つけたら、助けてやってくんないかな。
 姦姦蛇螺と戦った後、ローランがいってた『レディ・ベアとあたしが友達』ってやつ、実はホントでさ。
 あたしがここに来た目的には、あいつを助けることも入ってんだ

いよいよベリアルの用意した五基のエレベーターに乗り込もうとしたところで、祈が不意に打ち明けてくる。

>レディ・ベアは今、赤マントに捕まってる。
 妖怪大統領を従わせるための人質になってるんだと思う。
 ローランが守ってくれてるみたいだけど、どんな扱いされてんのか、どうなってるかはあたしもわかんない
>こんな土壇場まで、言葉にできなくてごめん。調子のいいこと言ってるのもわかってる。
 でも、あたしの友達を助けて欲しい。
 細かいことは後でちゃんと話すし、どれだけでも償うから。一生のお願い!

そう一息にまくし立てると、祈は仲間たちへ深々と頭を下げた。
そんな祈の様子を見て、振り返った橘音は小さく笑う。

「……知ってますよ。ボクはアスタロトですからね……一部始終は分かります。
 尤も、何があってアナタとレディベアが友達になったのか、それは知りませんが――」

コトリバコとの戦いの直後、挨拶とばかりに姿を現したレディベア達東京ドミネーターズに対し、祈は怒りを露にした。
犠牲になった人々へ、必ず謝らせてやる。償わせてやる――そう、祈はレディベアに言ったのだ。
だというのに、いつの間にか友達だと言っている。レディベアを助けてくれるならどれだけでも償うと言っている。
それが単なる一時の気紛れのはずがない。祈は文字通り決死の覚悟でこのことを打ち明け、助けを求めたに違いないのだ。
であるのなら。

「顔を上げてください、祈ちゃん。――大丈夫、この場にいる妖怪にアナタの頼みを断る者なんていやしませんよ。
 だって、みんながみんな脛に傷持つ妖怪ばっかりですからね!アハハ!
 レディベアを見つけ出したら。……きっと必ず助け出してみせます、だから……何も心配しないでください」

どんな悪党であったとしても、命を奪いたくはない。断罪しておしまいにしたくない。
祈がそう願うのなら、それは。する価値のある仕事ということだ。
橘音はもう一度屈託なく笑うと、エレベーターへ向かった。

85那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 20:39:09
エレベーターを降り、長い長い通廊を歩く。
その果てには重厚な観音開きの扉があり、両側にはなぜか背広を着用した下っ端悪魔が門番のように控えていた。
悪魔たちが橘音の姿を認め、扉を開く。
ギギ……と耳障りな軋音を立てながら開いた扉をくぐった先に、橘音を待っていたものは――

広大な法廷だった。

「……なぁーんか、前にもこんなところに来た覚えがありますねぇ」

半狐面の下で橘音は鼻白んだ。
法廷の中央には被告人席があり、その左右に弁護人と検察官、そして陪審員の席がある。
正面の何段か高くなった場所には裁判を取り仕切る三人分の裁判官の席があり、既に諸官が着席していた。
中央に冠をかぶり黒い法衣を纏った、髭が臍辺りまでありそうな眼光の鋭い老人がおり、左右に補佐の裁判官と書記官がいる。
この三人が裁判を進行してゆくのだろう。

「おやおや」

裁判官席の中央に着座した裁判長の姿を見遣り、橘音はにやりと嗤う。
見知った顔だった。

「被告人は席に着くように」

裁判官(の姿をした悪魔)が荘重に告げる。橘音は軽い歩調で被告人席の前に立った。
法廷の左右と背後には傍聴人席があり、これがまたスタジアムばりの収容数を誇っている。
あたかも見世物でも見に来たかのように、傍聴人席には無数の悪魔たちが蝟集しており、しきりに野次を飛ばしていた。

「アスタロト!天魔の面汚しめ!」

「ベリアル様を裏切った不埒者!死刑!死刑だ!」

「死刑!死刑!死刑!」

橘音を殺せというシュプレヒコールが法廷を包む。橘音は肩を竦めた。

「やれやれ……妖怪裁判のときといい、ボクってばそんな悪いことをしたんですかねぇ?
 ま、探偵と訴訟沙汰ってのは、切っても切れない縁ですけど」

「静粛に」

裁判官が声を張り上げる。傍聴人たちはいっとき沈黙し、法廷を静寂が包み込む。
それから裁判官が中央の裁判長に目配せすると、裁判長はゴホン、と一度咳払いをした。

「これより、天魔アスタロトの天魔七十二将への造反、叛逆に関する裁判を執り行う」

裁判長が告げる。
は、と橘音はせせら笑った。

「ボクの造反と叛逆に関する裁判ですって?笑わせてくれるじゃありませんか。
 天魔の唯一にして絶対の法、それは『汝の欲することを成せ』のはず。つまり気分で何をしたっていいんだ。
 ボクはいつだってボクの欲することを成してきた。誰かを騙すのも、殺すのも、助けるのも。そして裏切るのも――ね。
 ボクほど天魔らしい天魔はいない。裁判どころか表彰ものだと思いますがねえ……そうでしょ?
 ねぇ?ルキフゲ・ロフォカレ殿――」

普段東京ブリーチャーズの仲間たちには決して見せない、天魔としての凶悪な笑み。
それを覗かせ、橘音は裁判長の顔を見上げた。
白髯の裁判長――ルキフゲ・ロフォカレは額の中心にある黒い瞳をぎょろりと向け、橘音を見返した。

ルキフゲ・ロフォカレ。
コラン・ド・プランシーの『地獄の辞典』によれば、地獄の宰相であり首相。
もっとも権威ある悪魔(デヴィル)の一柱であり、地獄の財務と契約を司るという。
悪魔といえば羊皮紙を片手に契約を迫るというのが一般的なイメージだが、
この『悪魔=契約を重んじる』という認識を人口に膾炙したのがルキフゲ・ロフォカレであった。
契約を重視する悪魔だけに、現在の天魔の盟主であるベリアルを裏切った橘音の罪は重い、ということなのだろう。

もっとも、橘音はまるで悪いことをしたとは思っていないのだが。

86那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 20:56:46
「被告人は私語を慎むように!」

ロフォカレの補佐をする裁判官が声を荒らげる。橘音はハーイ、と気のない返事をして口を噤んだ。

「アスタロトよ。ベリアル殿の直弟子たる其方がかのお方のご期待に沿わぬばかりか、
 天魔の千年帝国樹立の障害となるとは、言語道断なのである。
 吾は千年帝国の宰相として、其方を裁き然るべき刑に服させねばならぬのである。
 かつての朋輩のよしみ。せめて情状酌量を考慮しようゆえ、粛々と宣告を受け入れるが善かろうである」

「ハ。千年帝国?なんですそれ、神の千年王国の真似事ですか?
 あの人がそんなものを創ると?そう言ってたんです?」

「然り。あのお方、ベリアル殿はこう仰っておられた。
 今こそ我ら地獄に押し込められし天魔が地上に打って出、天魔の天魔による天魔のための帝国を樹立せしめる刻。
 龍脈の集う東京の地こそ、我らの千年帝国の首府に相応しい。
 建国の暁には、吾ルキフゲ・ロフォカレを帝国首相の位に任ずるも吝かでない――と」

ロフォカレが朗々と言い放つ。元々権力欲の権化として魔導書でも有名な悪魔である。
ベリアルの甘言にまんまと乗って、首相という高官の地位に収まることを夢見ているらしい。

「ロフォカレ殿、アナタはバカだ」

半狐面の下で眉を顰めると、橘音は唾棄するように言い捨てた。

「ベリアルがそんな口約束を守るとでも?あの人にとって、約束なんてものは破るためにある。
 千年帝国?首相の地位?そんなものはみんなウソッぱちだ。反故にされるに決まってる。
 あの人の言うことをバカ正直に信じるなんて、地獄の名宰相もヤキが回ったものですね……。
 見た目通りに歳を取りすぎて、真贋の区別もつかないほど耄碌しちゃったんですか?」

「被告人は法廷を侮辱する発言を慎むように!」

裁判官が甲高い声で注意を促す。傍聴人たちが橘音へと罵声を浴びせる。
法廷内は橘音の悪びれない態度のせいで騒然となったが、ロフォカレがガベル(小槌)を叩いて静粛を促すと、ほどなく収まった。

「其方が何と申しても、裁判の閉廷はできぬのである。吾はただ其方を裁き、然るべき量刑を申し渡すのみである。
 さあ、始めよう――天魔アスタロト。其方の裁きを」

「面白い。お受けしましょう、その勝負」

ロフォカレの宣言、そして挑発的な橘音の言葉と共に、裁判が始まった。
検察側が被告人の罪状を読み上げ、弁護士が被告人の弁護を受け持つ。
それが裁判の基本である。――が、どうにもおかしい。
検察側の弁論の後で橘音の無罪を主張するはずの弁護人が、まったく橘音を弁護しないのである。
どころか、

「――確かに、被告の罪は明白です。これ以上裁判員の心証を悪くし、刑を重くしないためにも、
 裁判長や出廷した陪審員、傍聴人の方々に憐憫を乞うことが肝要でありましょう」

と、橘音に罪を認め詫びを入れるよう促してくる有様である。
被告人にとって唯一の味方である弁護人さえもが敵に回っている。この広大な法廷で、橘音は孤立無援だった。

――ふむ。

橘音は軽く右手で顎を撫で、思案した。
この裁判は出来レースだ。誰もまともに裁判をする気などない、最初から結果は決まっている。
今のままではなし崩しに量刑が決定してしまい、問答無用で閉廷ということになってしまうだろう。そうなればおしまいだ。
だが、だからといって諦めることなどできない。こんなところで不当な裁判に屈するために、300年の修行を積んだわけではない。
むしろ、この状況は修行の成果を試す格好のシチュエーションと言えるだろう。
もう一度、橘音は真正面の裁判長席でどっしり構えているルキフゲ・ロフォカレを見遣った。

――そっちがそういうつもりなら、こちらも手加減抜きでやりますよ。
  強くなったボクの試金石代わりになって頂きますよ……ロフォカレ殿。
  帝都にその人ありと言われた、狐面探偵・那須野橘音の力!存分にお見せ致しましょう!

ロフォカレがガベルを叩く。裁判が進行してゆく。
地獄の宰相、もっとも権威ある魔物。悪魔の契約を知り尽くした、法の第一人者。
天魔ベリアルが召喚した最終防衛機構、五人の魔神の一柱。

契約の魔神ルキフゲ・ロフォカレ――

それが、橘音の相手だった。

87那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 20:57:24
ずっと上昇を続けていたエレベーターがゆっくりと速度を緩めてゆき、やがて止まる。
目的階への到着を意味するチン、というベルの音が鳴り、ドアが開く。
ドアの向こうでノエルを待っていたのは、都庁の無機質な廊下でも、東京の街並みを望む展望台でもなく――

テーマパーク。だった。

雲ひとつない青空に、ぱぁん!ぱぱぁん!と号砲が鳴り響く。
中央の大きな目抜き通りの両脇にはポップコーンやチュロス、アイスクリームなどの露店が軒を連ね、
その遥か前方には白亜の城が見える。他にも観覧車やジェットコースター、コーヒーカップにカルーセルなどのアトラクション。
愛嬌のあるモンスターのような着ぐるみのキャラクターがジャグリングをしたり、ダンスをしたり、
小さな子供たちと握手をしたりしている場面もあちこちで見受けられる。

「ようこそ、夢と幸福のコカベルパークへ!」

陽気な笑顔のピエロがノエルの所へとやってきて、風船を手渡してきた。
まさに遊園地、ワンダーランドだ。どこからどう見ても都庁内部の光景には見えない。
以前戦った東京スカイツリー、酔余酒重塔がそうだったように、建物内の空間を捻じ曲げて他と接続しているのだろうか。
ともかく、ノエルは遊園地の中に立っていた。
大勢の人々――カップルや家族連れ、修学旅行なのか制服姿の団体客の姿が見える。
ノエルの脇を、小さな子供を肩車した父親が通り過ぎてゆく。その顔はいかにも幸せそうだ。

《これより、コカベル様のエグリゴリカルパレードを開催いたします!
 観覧ご希望の皆様はメインストリートへお集まりください!》

パーク内を見て回っているうちに、パークの各所に備え付けられているスピーカーからアナウンスが流れた。
エグリゴリカルパレード。名前はよく分からないが、きっとエレクトリカルパレードのようなものだろう。
それまでバラバラにアトラクションや露店を楽しんでいた人々が、みな目抜き通りへと歩いてゆく。

やがてメインストリートの両脇に客たちが集まると、けたたましいファンファーレと共に陽気な音楽が流れ始めた。
パークの奥にある白亜の城の方角から、ゆっくりと煌びやかな天使めいた衣装を纏ったキャスト達がラッパ、
フルート、太鼓などを演奏しながら行進してくる。軽業を披露する者や、行進しながら歌を歌う者。
大玉に乗っている者、空へ向かって火を吹く者などもいる。
フロート(山車)の上で着ぐるみたちが客へ手を振り、愛嬌を振りまく。紙吹雪を散らす。
まさしく、浦安にある世界的テーマパークのような賑わいだ。

そして。

「ハァ――――――――――イ!みんなーっ!楽しんでる―――――――っ!?」

パレードの中央、玉座を模した他のものより一際豪奢なフロートに乗っているキャストのひとりが、マイクを手に声をあげた。
女の子だ。年の頃は高校生くらいだろうか、垂れ目がちだがぱっちりした大きな赤い瞳の、可愛らしい造作の少女だった。
外跳ね気味のミディアムショートの金髪に、まるでアイドルのステージ衣装のようなフリルの多いピンクのブラウスとミニスカート。
カラフルな横縞のニーハイソックスに、ショートブーツ。
ただし頭上にはどす黒い輝きを放つ光輪を頂き、腰の後ろからは同じく澱んだ色の鳥の翼を生やしている。

「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」」

「「「コカベル様あああああああああああああ!!!!!」」」

少女が声をあげた途端、観衆がどよめく。歓声をあげ、諸手を挙げて湧きかえる。

「今日はコカベルパークに来てくれてありがとーっ!みんな、楽しんでいってね――――っ!!
 ってことでぇ!今日はビッグ・サプラーイズッ!みんなにアタシたちの新しい仲間を紹介するねーっ!
 雪の女王の眷属!雪ん娘・ノエルちゃ――――――――んっ!!!」

ばっ!と左手を突き出すと、少女は突然ノエルを紹介した。
と、いつの間にかノエルの両脇にやってきていたピエロや着ぐるみがノエルを捕まえ、
あれよと言う間にフロートの上に押し上げる。

「今日から、このコもアタシたちの仲間!ずっとずっと、このコカベルパークでみんなと遊んでくれるよ!
 仲良くしてあげてね!みんな愛してるよ――――――――っ!!!」

「「「「うおおおおおお――――――――――――っ!!!」」」

「「コカベル様とノエル様、ばんざああああああああああああああああああああい!!!!!」」

観衆が一層熱っぽく声をあげる。

「待ってたよ、ノエルちゃん。
 アタシの名前はコカベル。この『コカベルパーク』の主にして、ベリアル兄様から命じられた君の接待役。
 アタシが面白いと思ったものが、ここには全部揃ってる。楽しんでいって?」

万雷の喝采の中、少女コカベルはノエルを見てにっこりと屈託ない笑みを浮かべた。

88那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 20:58:08
コカベル。
カカベル、コカビエルとも称される、堕天使の君主のひとりである。
エノク書に曰く、コカベルは元々『エグリゴリ(ウォッチャー)』と呼ばれる、
人間を観察し正しき道へと導く役目を持った天使団の長だった。
だが、エグリゴリは観察するうちに人間の美しさに魅了され、ある者は人間を妻に、あるいは夫にした。
その際にエグリゴリは天界の知識を妻や夫に与えてしまい、本来得るべきでない知識を得た人間たちは正しき道を踏み外した。

それだけでも神の意思に反する重大な叛逆行為だが、それだけではない。
エグリゴリと人間の間に生まれた子は巨大であり、互いに殺し合い、地上に生きるすべての生物をも殺戮した。
それらは『ネフィリム』と呼ばれ、大いに神の王国を荒廃させたという。

「さぁさぁ、ボーっとしてないで遊ぼう!楽しもう!
 ノエルちゃんは何が好きかな?ジェットコースター?メリー・ゴーラウンド?それともコーヒーカップ?
 一緒にチュロス食べようか?シナモンが効いてておいしいよー!」

コカベルはそう言うと、ひょいっとフロートから飛び降りた。
それから両手を大きく広げ、くるくると回りながら楽しそうに笑う。

「ベリアル兄様が言ったんだ。ノエルちゃんの相手をしろって、これから一日の間、ノエルちゃんと一緒にいろって。
 そしたら、アタシの願いを叶えてくれるって。コカベルパークをもっともっと大きくしていいって。
 東京を丸ごと、アタシの大好きなテーマパークにしていいって!」

人々が熱狂的にコカベルの名を呼び、耳をつんざくような声がテーマパーク全体にこだまする。

「遊び疲れたらホテルだってあるし、ふかふかのベッドもある。ジャグジー付きのバスルームだって!
 たっぷり遊んで、たっぷり眠って……起きたときには全部終わってる。
 アタシたちの素敵な兄様が、この世界を創り変えてる。今よりもっともっと素敵な世界に……。
 だから、さ。ノエルちゃん、一緒に楽しもうよ。
 アタシ達を拒絶した、このクソみたいな世界の終焉を――」

ノエルを見つめるコカベルの眼差しが、狂気を帯びる。
コカベルがベリアルから受けた命令は、文字通りノエルの接待。
ノエルをこのテーマパークに釘付けにし、ベリアルが龍脈の力を手に入れるまでの時間稼ぎをする。
ノエルがここから出られなければ、東京ブリーチャーズは戦力ダウンを余儀なくされるだろう。

「アッハハ、ムダムダ!ここからは出られないよー!
 ここはアタシのテーマパーク。アタシが創った、アタシの世界……結界だもの。
 出口なんてないからね!ノエルちゃんもムダなことは考えないで、アタシと遊ぼうよ!
 ほらほら、もうすぐ次のパレードが始まるよー!何なら一気に夜のイルミネーションの時間にしちゃおうか?ほら!」

パチン!とコカベルがフィンガースナップを鳴らすと、一瞬で真昼が夜に変わる。雲ひとつない快晴が藍色の帳に覆われる。
と、瞬く間にパーク内が色とりどりのまばゆいイルミネーションで飾り付けられる。
夜空を豪華絢爛な花火が彩り、陽気な音楽が非日常の景色に拍車をかける。
単純に遊びに来ているだけなら、それは本当に幻想的で素晴らしい光景に違いなかった。
……だが、今はそうではない。
これまで長い戦いを経てきたノエルは理解しているだろう、結界の外に出るには結界の主を撃破するしかない。
すなわち、目の前にいるコカベルを――倒す。

「……アタシを倒す?ここから出る?
 こんなこと……出来ると思ってるの?」

コカベルが眉間に皺を寄せる。
その途端、周囲にいた観衆の顔が、姿が、ずるり……と崩れてゆく。人間のような、人間でない『何か』に変わってゆく。
堕落したエグリゴリたち。禁断の知識を得て道を踏み外した人間だったもの。その間に生まれた巨人ネフィリムへ。
スピーカーから鳴り響いていた賑やかな音楽が、地獄めいたおどろおどろしい怨嗟の呻きに変わる。
光に溢れたテーマパークが、血と臓物と腐敗に満ちた禍々しいものへと変容してゆく――。

「そう。アタシと戦おうって言うんだ……。アタシはノエルちゃんと遊びたかったのに。
 戦う必要なんてないし、一緒に楽しい時間を過ごせればって。
 ベリアル兄様に言われたとおり、おもてなししたいって思ってたのに……。
 アタシを殺そうって言うんだ。アタシに死ねって言うんだ。そう……そうなんだ――」

ゴウッ!!

コカベルの周囲を、突如として黒い炎が取り巻く。
総てを焼き尽くし、灰燼と帰す煉獄の焔。ゲヘナの炎――
冷気を操るノエルとは、真逆に位置する力。
その瞳が真紅に輝く。堕天の証たる黒翼が、その躯体をふわり……と宙に浮かべる。

「じゃあ、やってみせなよ。そのちっぽけな氷の力でさ。
 アタシの煉獄の炎で、全部溶かし尽くしてあげる。アタシを、同胞を、アタシの旦那様を、子供たちを。
 すべて灰にしてしまった、この火の力でね!!!」

コカベルが右手を突き出す。黒焔が渦を巻いてノエルへと迫る。
堕天使シェムハザと並ぶ、エグリゴリの長。偽典に記されし、原初の堕天使の王。
天魔ベリアルが召喚した最終防衛機構、五人の魔神の一柱。

強欲の魔神コカベル――

それが、ノエルの相手だった。

89那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 20:58:37
尾弐黒雄は荒涼とした平野に立っていた。
草木一本生えない、赤茶色のどこまでも死んだ大地。都庁のエレベーターが尾弐を導いた先にあったのがこの光景だった。
地平はどこまでも果てしなく、また分厚い黒雲に覆われた空も果てが見えない。
まるで、地獄のような風景。
この場所がどこなのかは知る由もないが、少なくともベリアルの計画を阻止できなければ、
東京都内にこの風景が出現することになるのは間違いないだろう。

と、俄かに尾弐の立っている地面が鳴動する。大きな揺れだ。
ゴゴゴゴゴ……と大地が悲鳴をあげるように音を立て、そして――

やがて、巨大な亀裂が走った。
亀裂は瞬く間に広がり、大地を真っ二つに切り裂いてゆく。
断層が発生し、地面が隆起あるいは沈降し、ひとつであったプレートが四分五裂してゆく。
その果てに。

「ギャゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!!」

断崖の中、地中から、一頭の巨大なドラゴンが姿を現した。

「ゴオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

赤茶けた色の鱗を持ったドラゴンは太く長い首を天空へと向け、大気をどよもす咆哮をあげた。
その体躯は50メートル以上はあるだろう。尻尾を入れればもっと大きい。
かつて尾弐が――否、酒呑童子が戦った神・姦姦蛇羅に優るとも劣らないスケールである。
いかにもゲームなどに出てきそうな、強靭な四肢と翼を持った西洋のドラゴンめいた姿は、妖の王たる威厳に満ち溢れている。
この巨竜が、ベリアルが尾弐のために用意した接待役なのだろうか?
なるほど、修行によって強大な力を得た尾弐の相手は、西洋の妖であればドラゴンくらいしかいないだろう。

と思ったが。

「ギィィィィィアアアアアアアアアアアアアア!!!」

ドラゴンは、尾弐を見てはいなかった。
それどころか尾弐の存在に気付いていない風でさえある。前肢を振り下ろし、翼をしきりに羽ばたかせ、
尻尾をうち振るい、懸命に何かと戦っているように見える。
そして、実際。
尾弐に先んじ、たったひとりでドラゴンと戦っている者の姿が、その視界に飛び込んできた。

「チェリャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!」

“それ”は、男だった。
大男だ。かつての狼王ロボほどの体格だろう。
腰まである灰褐色の蓬髪に顎髭。荒々しい顔立ちと、頭の両脇から斜め上前方へ伸びた一対の太い角。
トライバル模様の刺青に彩られた、剥き出しの筋骨隆々の肉体。
両手には鋼の手甲、下肢にはゆったりした紅いボトムを穿き、古めかしい革製のサンダルを履いている。

そんな男が瞳のない、炯々と輝く双眼でドラゴンを見据え、一対一で戦っている。
そして――男が怒号を轟かせながら跳躍し、その拳足を叩きつけるたび、巨竜は身を仰け反らせて悲鳴を上げるのだった。

「どうしたどうしたァァァ!それでもうぬは幻獣の王と呼ばれたシロモノかァァァァァァ!!
 こんなことでは――暇潰しにもならぬわ!この――――大トカゲ風情がァァァァァァァァァァァァ!!!!!」

だんッ!と地面に降り立つと、大男は大きく両手を広げてドラゴンと対峙し直した。
それから、ふと気付いたように肩越しに尾弐を一瞥する。

「おう、来たか!待ちかねたわ!
 ちと待っておれ、今すぐ片付けるゆえな!」
  
にい、と歯を剥き出して笑うと、大男は再度ドラゴンへ目を向けた。
ドラゴンの喉が大きく膨らむ。灼熱のブレスを放とうというのだろう。

「来い!!!!!」

大男が挑発する。ドラゴンが紅蓮の吐息を放つ。閃光のような、万物を燃やし尽くすドラゴン・ブレス。
しかし。

「ゴハハハハハハハ―――――ッ!!微温いわ!これしきの炎でこのアラストールを燃やせるものかよ!!
 ―――ツァッ!!!」

大男、アラストールはドラゴンの吐息を微風のように受け止めると、一気に跳んでドラゴンへと間合いを詰めた。
そして、一閃。研ぎ澄まされた右の手刀がドラゴンの首を横に薙ぐ。
鋼の柱の如きドラゴンの首が、まるで藁か何かのように切断されて宙を舞う。
豪雨のように降り注ぐ血を受け止めながら、たッ、とアラストールが地面に降り立つ。
やや間隔を置いてドラゴンの巨体がぐらり……と傾ぐ。
頭部をただの一撃で斬り飛ばされたドラゴンは、ずずぅぅぅん……と地響きを立てて斃れた。

90那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 20:59:00
「待たせたな!貴様が尾弐黒雄か!
 我はアラストール!何の変哲もない、ただの闘い好きの老いぼれよ!
 中には我を闘神とか、戦いの化身とか抜かす輩もおるがなァ!ゴッハハハハハーァ!」

アラストールは尾弐と向き合うと、呵々と笑った。
アラストール。
ゾロアスター教における復讐の魔神にして、創世記戦争でも随一の功労者。
かつて宵の明星ルシファーと天軍総司令官ミカエルの間で勃発した創世記戦争は、ルシファー軍の敗退で終わった。
敗北が決定的となった際、敗者側にとってもっとも重要なのは撤退の方法である。
基本的には抗戦を続けながら徐々に撤退してゆくものだが、当時のルシファー軍は寄り合い所帯で統制が取れておらず、
天魔七十二将は皆が皆好き勝手に逃走してしまった。

このままでは各個撃破されてしまうと危惧した敗軍の将ルシファーは、ひとつの決断を下した。
最後の最後まで温存していた『闘神』アラストールを殿軍として解き放ったのである。

戦場に投入されたアラストールの戦いぶりはすさまじく、残党狩りに勢い付いた天軍をいっとき押し返すほどの活躍を見せた。
創世記戦争において、天軍の死者の総数は22億3958万7721人。
うち、アラストールが撤退戦で殺した天使の数、約17億9167万人。
実に天軍の死者の八割がアラストールによって屠られている。
まさに闘神。こと破壊と殺戮において、地獄でアラストールに匹敵する存在はいない。
その戦いぶりはあまりに苛烈、あまりに一方的かつ無差別で、敵は勿論近くにいる味方にも振るわれる。
そのためルシファーは自陣の被害を怖れ、最後まで投入を躊躇っていた――という、曰くつきの戦闘狂(バーサーカー)である。

「ベリアルに唆されてな。ここにおれば、我を満足させることのできる強者がやって来ると――。
 しかもだ。貴様と闘って勝てば、今後は好きなように地上を闊歩し闘ってもいいんだと!
 東洋の地には、まだまだ我の知らん強者がおるのだろうが?ゴハハハ、腕が鳴るわ!
 ここ数百年はろくな相手もおらず退屈しておったが、たまには唆されてみるものよ!」

また、アラストールは隆々と鍛え上げられた筋肉を誇示するように胸を反らして笑った。
その佇まいに邪心があるようには見えない。正真、アラストールは闘いのことしか考えていないのだろう。
しかし、そんな手合いこそが最も危険だということを尾弐は知っている。
無邪気に、自分の気分だけで破壊を。死を振り撒く――そんな存在を野に放つことだけは避けなければならない。

「おう、いい面魂よな!これは存分に愉しませてくれそうだわ!
 時が惜しい、では――早速!闘り合うとするかよ!」

アラストールは尾弐から10メートルほど距離を取ると、腰だめに構えを取った。
途端、ゴアッ!!とその魁偉な全身から視認できるほどの闘気が噴き出す。
その威容は、アラストールの肉体を実際の数倍も巨大に見せることだろう。

「ゴハハ!往くぞ―――――尾弐ィィィィィィィィィィィ!!!!!」

ギュバッ!!

迅い。筋骨隆々の肉体の醸し出すイメージとはまるで違う、段違いの速さ。
アラストールの籠手に包まれた拳が爆速で尾弐を狙う。
が、尾弐も歴戦の強者。しかも天邪鬼との苛烈な修行を経ている。
闘神の拳は確かに目にも止まらぬ速度ではあるが、疾い攻撃であれば天邪鬼も得意としていた。
そして――アラストールの拳は天邪鬼のそれに匹敵こそすれ、凌駕はしていない。
すなわち、尾弐にも充分見切れる代物ということだ。

「ゴッハハッハハハハハハハーッ!!なかなかやるではないか!!」

秒間30発、いやそれ以上。無数の拳を繰り出しながら、アラストールが歓喜に笑う。
その筋肉の表面に血管が浮き、さらに速度が増してゆく。

「上げていくぞォ!この我に――出し惜しみなどさせるでないぞ、尾弐黒雄ォ!」

ガォン!と尾弐の下方から颶風が撒き上がる。死角から来る超速の右のハイキックだ。
さらにアラストールは拳足を織り交ぜてラッシュを継続する。一撃一撃が必殺、鋼鉄をも粉砕する必滅の豪打。
アラストールは自らの四肢だけを使い、今までの敵のような妖力妖術の類を一切使ってこない。

「ハッハァ!妖術?妖気?そんなものは闘争の不純物よ!
 肉打ちしだく拳!骨砕き折る足!それさえあれば、闘いはすべて事足りる!!
 武具すらも要らぬわ!さあ――剛の者よ!心行くまで味わい尽くそうぞ、戦闘の愉悦を!
 この世界が終わる、その瞬間まで――!!!!!」

純粋な闘争心。混じり気の一切ない戦闘意欲を以て、アラストールが打撃を放つ。
かつて天軍の精兵たちを薙ぎ倒し、屍山血河を築いた最強の闘神。
天魔ベリアルが召喚した最終防衛機構、五人の魔神の一柱。

暴虐の魔神・アラストール――

それが、尾弐の相手だった。

91那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 21:00:23
空気をどよもす、割れんばかりの歓声が聞こえる。
エレベーターを降り、薄暗く長い通路をまっすぐ歩いて行った果てにポチを待っていたのは、
さながら古代ローマのコロッセオを思わせる、広大な円形の闘技場だった。
しかし――その観覧席を埋め尽くしている観客は人間ではない。

獣だ。

それも、山羊。世界のありとあらゆる場所に生息する様々な種類の山羊たちが、闘技場の中心にいるポチを見下ろしている。
どうやら、ポチはこの闘技場の中で、これから現れるであろう相手と闘わなければならない――ということらしい。
闘技場はすり鉢状のコロッセオの底面に、半径20メートルほどの平坦な砂地という構造になっている。
地面は砂が敷き詰められているが、すぐ下は硬い床面らしく砂に足を取られるような心配はない。
ポチの自慢の機動力を存分に発揮できるシチュエーション、というわけだ。

山羊たちが熱狂的な歓声を、雄叫びを、咆哮をあげる。
だが、それはポチの健闘や勝利を期待するものではない。
これから起こるであろう、一方的な虐殺ショー。自分たちの信頼し、崇拝し、敬愛する存在の成すことを見届けたいという欲求。
それが叶えられることの歓喜――その歓声であった。

山羊たちの奏でる歓喜の声はますます大きくなってゆく。
そして――
ポチのいる場所の反対方向にある通路から、何者かがゆっくりと姿を現してきた。

それは、巨大な黄金の山羊。
肩高は3メートルはあるだろう。通常の山羊の躯体を大きく上回る、規格外の巨体だ。
ふさふさした輝く黄金の毛並みが、筋肉に鎧われたその身体を二回りほども巨大に見せている。
頭部にはねじくれた長大な角が三対、あたかも王の冠のように戴っている。
黄金の山羊は王の威容を漂わせながら闘技場に出ていくと、軽く顔を上げて観覧席の山羊たちを見回した。
山羊たちの歓声が最高潮を迎える。鯨波のごとき声の洪水。
そんな声に満足したのか、やがて黄金の山羊はポチへとその横に長い瞳孔を向けた。

《よくぞ参った、我が戦いの舞台へ。我が一族の宿願、それが果たされる約束の地へ。
 歓迎しよう、神の長子に挑む勇敢なる狼の仔よ。
 余の名はアザゼル。山羊の王である》

黄金の山羊、アザゼルは荘重な様子でポチの意識へ直接語り掛けてきた。

アザゼル。
レビ記に記される、荒野の王。流謫の悪魔。
かつてはミカエルたち熾天使にも匹敵する天界の実力者であったが、あるとき神の一方的な要求に不服を申し立て堕天。
天界を追われ、それ以来眷属を引き連れて安住の地を求め、荒野をさすらっているという。

《これから、汝には余と闘ってもらう。
 汝が何者かは知らぬ、また知ろうとも思わぬ。
 されどその勇気は讃えよう、同時にこのアザゼルと闘う不幸を悼もう。
 神の長子と交わせし約定、我ら一族の生存と永劫の安住のため――汝には礎となってもらう》

ふしゅうう……とアザゼルは大きな鼻孔から息を吐き出した。

《神の長子は言った。汝を斃すことができれば、我が一族に安住の地を与えると。
 東京の地を、一族のものとしてもよいと。ここで殖えてもよいと――
 滅びゆく我が一族が生き残るには、他に方法はないのだ》

アザゼルは神話の時代から数千年の間、流浪の旅を続けている。
ベリアルはそれにつけ込み、アザゼルを召喚して走狗とすることに成功したのだろう。
闘技場の観覧席を埋め尽くす山羊の群れは、そんなアザゼルと共に数千年を放浪してきた眷属たち。
それらすべての命を背負って、黄金の山羊はポチと対峙していた。

《さあ……始めよう。闘おうぞ、勇敢なる狼の仔。
 余は容赦せぬ。油断せぬ。侮らぬ――愛する我が眷属たちのため。これから生まれる同胞たちのため。
 全身と全霊を以てして、汝を撃殺する――!!!》

どんっ!!

爆音を立て、アザゼルが地面を強く蹴ってポチへと突進してくる。
頭を低く下げ、三対の角の先端を向けて猛進してくる姿は装甲車か重戦車さながらである。
いや、本物の装甲車や銃戦車さえアザゼルの重爆を喰らっては一撃でスクラップだろう。
まして、軽量級のポチならば尚更だ。直撃すれば死は避けられない。

ただし、速度という点ではポチはアザゼルを遥かに凌駕している。避けることは容易だろう。

92那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 21:01:27
巨大な四足獣との闘い方であれば、ポチは巨狼との修行ですでに知悉しているだろう。
野生の本能に身を任せ、獣の持つ能力を最大限に活用する。
アザゼルは突進力こそ巨狼をも上回るが、その動き自体は魁偉な体躯が災いし決して俊敏とは言えない。
複雑に絡み合い王冠のような形状になった三対の角を掻い潜り、アザゼルの懐に飛び込むことさえ、
今のポチには造作もないことに違いない。

《ぐ、ぁ……!!》

果たしてポチがその目の前にあるアザゼルの急所――喉笛に牙を突き立てると、アザゼルはその首元の黄金の毛皮を血に染め、
スピードを緩めて数歩たたらを踏むと、どどう……と重い音を立てて横ざまに倒れた。
ポチが岩手の山奥で今は滅びた同胞たちと積み重ねてきた特訓の成果が、如実に表れている。
シロがおらずとも、ポチだけで狼の強さを証明するには充分すぎる。
眠っていた自らの才能を余さず開花させたポチにとっては、魔神さえもが敵ではなかった。

――そう、思ったが。

《ぬぅ……。何たる攻撃か。
 これほど佳い攻撃を喰らったのは、果たして何千年ぶりのことであったろうな……》

倒れていたアザゼルがゆっくりと起き上がる。
山羊の王はぶるぶると気付け代わりに幾度か首を振ると、ポチを見遣った。
ポチの牙は間違いなくアザゼルの喉を深く抉り取っていた。傷は確かに致命傷だったはずである。
だというのに、アザゼルは何事もなかったかのように立っている。

《狼の仔よ、余は汝を侮っていた。全身と全霊を尽くすと申したにも拘らず、様子を見た。
 非礼を許すが善い――》

ぱり、と黄金の体毛に電気が奔る。
それはやがて全身を包む雷霆となり、ポチの毛並みをそそけ立たせた。
いつの間にか空にはゴロゴロと不吉な雷鳴を轟かせる黒雲が立ち込めており、時折雷光が下界を眩く照らす。

ガガァァァァァンッ!!!

闘技場の中央に屹立するアザゼルに、落雷が直撃する。
だが、それはアザゼルを感電させるようなものではない。むしろ――その毛皮に雷が蓄積され、全身をバリアのように覆っている。
カッ!とアザゼルが双眸を見開く。雷光を力に変えて宿す、黄金の眼差し。
アザゼルはガツ、ガツ、と右の前蹄で砂地を蹴ると、雷鳴さながらの轟音と共にポチへ突進してきた。

《此れよりが全力よ、狼の仔!
 余はアザゼル、荒野を彷徨せし流民の王なり! 我が愛する仔らの安住のため、汝を――殺す!!!》

ガォンッ!!!
 
疾い。先ほどの突進とは比べ物にならない爆速で、アザゼルがポチへ猛進してくる。
雷のエネルギーを纏い、その膨大な電力を妖力に変換して、身体能力を遥かに向上させたらしい。
もちろん突進力の向上に比例して破壊力も上がっている。体当たりをまともに喰らえば無事では済まないだろう。
防御力も上がっているらしく、先ほどのように懐に潜り込み急所を狙おうとしても、分厚い毛皮に阻まれてしまう。
しかも毛皮は常に雷を纏いそれを放出し続けており、迂闊に触れれば感電は免れない。

《ふんッ!!》

バリバリバリバリッ!!!

ポチが突進を避けると、アザゼルは首をポチへと向けた。正確には王冠のような三対の角の先端を。
途端、王冠から雷撃が迸ってポチを狙う。ただ突進するだけが能ではなく、遠距離戦もお手の物ということだ。
そして――

《余を殺めるなど不可能なこと。余は我が仔らの命すべてを背負っておる。余の中に同胞すべての命が在るのだ……。
 たった一頭しかおらぬ汝に、余と余の一族郎党すべてを殺し切ることなどできるものか?
 否!否よ……!!》

いくらポチが知恵を絞ってアザゼルを攻撃し、致命と思われる傷を負わせたとしても。
アザゼルはすぐに回復し、負傷した事実など存在しないように攻撃を繰り出してくるのだった。

《汝の死は無駄にはせぬ。
 汝が余に滅ぼされることで、余らはやっと数千年に渡る放浪を終わらせることができる。
 我らの未来は、汝の死から始まるのだ……さらば、粛々と落命せよ!!》

まさしく王者の貫禄を以てして、傲然と佇立しながらアザゼルがポチを見下ろす。
神に追放された、まつろわぬ者たちの王。雷を統べる黄金の巨獣。
天魔ベリアルが召喚した最終防衛機構、五人の魔神の一柱。

贖罪の魔神・アザゼル――

それが、ポチの相手だった。

93那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 21:03:18
長い長い上昇を経て、エレベーターが停止する。
自動で開いた扉をくぐった祈を待っていたのは、何もない広大な空間であった。
ルキフゲ・ロフォカレの法廷でも、コカベルのテーマパークでもない。
アラストールの荒野とも、アザゼルのコロッセオとも異なる、何もない――ただただ黒いだけの空間。
上下左右の別さえない、文字通りの無。天と地の間にぽっかりと開いたポケット。
そんな、闇色の空間遥か前方に。

レディベアがぽつんと佇んでいた。

「……来ましたわね……祈。
 お待ちしていましたわ」

レディベアは祈の姿を認めると、ギザギザの歯を覗かせてにやあ……と粘つくような笑みを浮かべた。
その姿は祈の通う中学の制服でも、また真っ黒のワンピースとロンググローブ、ブーツという姿でもなく。
ダイバースーツのようなぴっちりした黒のボディスーツに身を包んでいる。
ボディラインのはっきりしたスーツの表面には禍々しい紋様が描かれており、不気味に紅く明滅を繰り返していた。

「いよいよ。いよいよ、この刻がやって参りましたわ。
 お父様が――妖怪大統領バックベアードが、このブリガドーン空間から解放される刻が!
 さすれば、もはやお父様を縛るものは何もない……何もかもが!偉大なるお父様の前に跪くのです――!!」

レディベアは大きく両手を広げた。
そして、その腕を捧げ物でも持っているかのように重ねて頭上に掲げる。
と。
それまで何もなかった闇色の空間に一条の裂け目が走り、ゆっくりと開いていった。

ぎろり。

それは『瞳』だった。
空間が瞼となり、そこから巨大な眼がひとつ、祈とレディベアを見下ろしている。

「ああ……お父様!わたくしの愛するお父様……!
 長らくお待たせ致しました、今こそ!お父様が地球の支配者として君臨するとき!
 龍脈を統べ、人を統べ、妖を統べ――
 万物万象の王として、わたくしたちをお導き下さいませ!」

レディベアは頬を上気させ、陶酔したように言葉を紡ぐ。
バックベアードがその呼びかけに応じるように瞬きをする。
妖怪大統領バックベアード。
唐土では太歳、日本では空亡と呼ばれる、妖の中の妖。
ブリガドーン空間に封じられし巨怪。東京ドミネーターズの首領にして、レディベアの父親。
それが、祈を見ている。

「けれども。その前にひとつだけ、やらなければならないことがありますわ。
 多甫 祈……あなたを殺し、その体内にある『龍脈の神子』たる因子を引きずり出して。
 お父様に捧げなければ……」

ぱり、とレディベアの体表を妖気が迅る。
その身体がふわ、と宙に浮かぶ。

「ふふ……なんて顔をしているのです?祈。
 あなたとわたくしは元々敵同士。それが、何の間違いかたまたま友誼を結んでしまった。
 過ちだったのですわ……それが正しい関係に戻った、単にそれだけの話でしょう?
 わたくしはやはり、バックベアードの娘。東京ドミネーターズ首領代行。それ以外にはないのです」

レディベアを取り巻く妖気がどんどん強くなってゆく。
それは、父晴陽との対話を経て龍脈の神子としての力に覚醒した祈にも匹敵するような、莫大な妖力。

「ひょっとして、わたくしを助けに来た……とか。そんなことを考えていらっしゃいますの?
 うふふ!それはそれは、徒労でしたわね。わたくしはこの通り、何者にも縛られておりませんし――
 ただ。愛するお父様のためにこの力を振るうだけですわ。
 ああ……でも、もしも。まだわたくしのことを友人と思っていてくれるのなら……」

ゴッ!とレディベアの全身を禍々しい妖気が覆う。
レディベアは隻眼を不気味に歪めて嗤うと、

「――死んでくださいな。ともだちである、わたくしのために!」

そう言って、一気に祈へと突進してきた。

94那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/06/13(土) 21:06:26
ガッ!!!

レディベアの体重をかけた右の拳が祈を襲う。
驚異的な威力だ。祈の記憶では、レディベアは元々瞳術に依存する後方支援タイプの妖怪で、近接戦闘は不得手だったはずである。
だというのに、この拳撃はどうだ。龍脈の神子たる祈をして、身体の芯に響くほどの攻撃力を秘めている。

「さあ……お死になさいな、祈!
 そして、わたくしの願いを叶えるのです!お父様に自由を……この世界に真の統治を!」

ガガガガガッ!!!

さらにレディベアは目にも止まらぬ拳打を見舞ってくる。
拳撃だけではない。当然のように瞳術も併用してくる。祈がレディベアの拳をよく見ようとすれば、
自然とレディベアと視線を交わすことになってしまう。
瞳術が炸裂すれば、祈はたちまち平衡感覚をなくし身体をコントロールできなくなってしまうだろう。
それでなくとも、現在二人のいるブリガドーン空間は床も天井もない世界だ。
無重力の宇宙空間で戦っているようなものである。レディベアは元々の根城のため完全に動きを制御できるが、
祈はそうではない。晴陽との語らいの中には、無重力下での戦闘は入っていなかった。

「アッハハハハハ……!どうしたのです、祈!
 死にたくなければ反撃なさいな!このままでは嬲り殺しですわよ!?
 あなたはわたくしたちと闘うために、二ヶ月もの間訓練をしてきたのでしょう!?存じていますわよ!
 でも――それも全くの無駄!無駄でしたわね!」

バヂンッ!と音を立て、レディベアの裏拳が祈の頬を痛打する。
レディベアの殺意は本物だ。ベリアルに見られていることを警戒しての芝居、などという類のものではない。
本気で、祈を手にかけようとしている――。
さらにレディベアは大鎌さながらの右回し蹴りで祈を大きく後方へ吹き飛ばすと、長いツインテールをかき上げた。

「期待外れですわね……それでも地球に選ばれし『龍脈の神子』ですの?
 これでは、あなたを最後まで待っていたローランも浮かばれないというものですわね!」

一頻りせせら笑うと、レディベアは軽く空間の一角を一瞥した。
そこには、一塊のボロ雑巾が転がっていた。
今はもう見る影もなくズタズタになったグレーのパーカーにジーンズ。
癖のある金髪の、二十代後半くらいの青年――

「この男はお父様を裏切りました。ですので、わたくしが東京ドミネーターズ首領代行として制裁を加えたのですわ。
 最後まで、この男はあなたを待っておりました。
 祈ちゃんなら必ず、レディを救ってくれるはずだと……そんな世迷言を言い続けて。
 まったく度し難いですわね!わたくしを救うことができる者など、この世にお父様以外はいないというのに!」

レディベアは愉快げに嗤った。
祈がローランのところへ近寄ると、ローランは小さく呻いてうっすらと目を開いた。

「……あぁ……。
 祈ちゃん……。来て……くれたのか……。嬉しいよ……。
 すまない……もう少し、なんとかなるかと……思って、いたん……だが……。
 彼女を……レディを、守り……きれなかった……」

ローランのシャツの腹部が真っ赤に染まっている。重傷だ。
かつて東京ブリーチャーズ四人を相手にしてなお本気でなかったローランがここまでの手傷を負うなど、尋常なことではない。
ゴホッ、とローランは咳き込んだ。その口許に血が滲む。

「祈ちゃん……。頼む……あの子を、レディを……助けて、やってくれ……。
 ベリアルが……レディに、呪いを……。今の、彼女は……正気を、失って――
 がはッ!」

それ以上の無駄話は許さないとばかり、レディベアがローランへと接近してその横腹を思い切り蹴り飛ばす。
ローランは襤褸屑のように転がった。
まさしくゴミを見るような冷たい眼差しで、レディベアがローランを見下ろす。

「うるさい男ですわね。裏切者は大人しくしていなさいな。
 今まで、わたくしの護衛を果たしてくれたことは礼を言いますが……もはや、それも必要ありませんわ。
 この世の絶対君主、妖怪大統領が顕現した暁には、わたくしを害する存在などいなくなるのですから。
 ねえ……?そうでしょう、祈?」

レディベアが昏い瞳で祈を見る。
一緒に勉強をした。給食を食べた。放課後語り合った。
夜の公園で、ともだちだと。そう約束しあった――

祈の知るモノ・ベアードとは、まるで違う瞳で。

ギザギザの歯を剥き出し、漆黒の少女が嗤う。
妖怪大統領の娘。東京ドミネーターズ首領代行、そして祈のかつてのともだち。
天魔ベリアルが召喚した最終防衛機構、五人の魔神の一柱。

妖眼の魔神・レディベア――

それが、祈の相手だった。

95多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/06/21(日) 23:20:16
 祈は、レディ・ベアが友人であることを明かした。
そして赤マントに利用され、今は囚われの身になっていることや、
償いはするから助けてやってほしいことを伝え、頭を深く下げるのだった。
 口に出すのも憚られる事柄だった。
敵のボスと友人関係にあり、必殺の瞬間を不意にした事実。
レディベアは、お飾りのボスであったかもしれないが、
早々に倒していればもしかしたら、犠牲になった誰かを救えたかもしれない。
 だが祈は、敵であるレディ・ベアをも助ける道を選んだ。
レディ・ベアも含め、レディ・ベアが生きていれば生み出すかもしれない犠牲者を、
己の最大限の力で、己の責任で、救うことにした。
 だが。この局面。
分断されれば、もはやこの情報を伝えることは叶わない。
おそらく仲間たちは祈とレディ・ベアの友人関係を知っていると思われるが、万が一知らなかった場合。
状況が不透明では、思考に迷いが生じる。事故があり得る。
レディ・ベアやローランと無意味に対立し、どちらかが死ぬ可能性がある。
それは避けたかった。
 だからこそ、この土壇場の状況ではあるが、
祈は皆に真実を、己の罪を伝えることにしたのである。
 祈が頭を下げたまま、
断罪される罪人のような気持ちで仲間達の言葉を待っていると。

>「……知ってますよ。ボクはアスタロトですからね……一部始終は分かります。
>尤も、何があってアナタとレディベアが友達になったのか、それは知りませんが――」
>「顔を上げてください、祈ちゃん。――大丈夫、この場にいる妖怪にアナタの頼みを断る者なんていやしませんよ。
>だって、みんながみんな脛に傷持つ妖怪ばっかりですからね!アハハ!
>レディベアを見つけ出したら。……きっと必ず助け出してみせます、だから……何も心配しないでください」

 隣のエレベーターの前に立っていた橘音がこちらにやってきて、快活にそういった。

「つってもあたし……みんなに嘘吐いてたようなもんだし……」

 と、頭を上げきれない祈だが、橘音にノエルも続いた。

>「僕も正体気付かずに……いや、わざと気付かない事にして普通にクラスメイトやってたんだから似たようなもんだよ。
>仲良かったかっていうと……まあ殆どスルーされてたけど!」

 そういつもの調子で明るくいうノエル。
そしてまだ下げたままの祈の頭に、姦姦蛇螺との戦いのときのもよりも精巧な櫛型の髪飾り
(といっても祈の視点からでは見えないが)をつけてくれた。
 かつての髪飾りは、いつもお守り代わりに持ち歩いている。

>「妖力制御の練習に作ってみたからあげようと思ってて。前より上手く出来てるかな?」
>「僕からも、お願い! 今は少しでも戦力が必要だから……。
>救出できれば戦力になるかもしれないし、そうなればローランも人質がいなくなって戦いに参加できるかもしれない!」

 さらには、一緒に、祈とレディ・ベアの為に頼んでくれるのだった。

「御幸……」

 そこでようやく祈は頭を上げる。
尾弐もポチも、周りにやってきている。
 渋面を作る尾弐だが、

>「他ならねぇ祈の嬢ちゃんの頼みだ。レディ・ベアは気に喰わねぇが、出来る様なら助けてやる」
>「けどな――――奴さんを助ける事で祈の嬢ちゃんや橘音達が危ねぇ目に遭うなら、俺は躊躇わずにレディ・ベアの方を切り捨てるぜ。それだけは覚えといてくれ」

 そういう声音は、祈には優しく聞こえる。

「尾弐のおっさん……」

>「……祈ちゃんは、本当にレディ・ベアの事が大事なんだね」
>「任せといて。僕の鼻なら、レディ・ベアがどこにいたって絶対に助け出せるよ」

 人化の術を解いて、いつもの姿へと戻ったポチが、
祈の脚をこする。くすぐったくも温かい感触を祈は感じる。

「ポチ……――みんな、ありがとう」

 祈は安堵した表情を浮かべた。
いままで心につかえていたものが取れたような、そんな顔である。
 そうして各々が、自分が選んだエレベーターの前に配置について、
ボタンを押すなり、中に入るなりしていく。
最後に残ったノエルが、ふとこういう。

>「でも……誰かの前にレディベアが現れるとすれば多分祈ちゃんじゃないかなって思う。
>ちょっと近付けないぐらい本当に仲良かったもんね。大事な友達、絶対助けてあげなよ!」

「あっ……いわれてみれば赤マントそういうのやりそう!」

 祈ははっとなり、同意して見せた。
 いまのところレディ・ベアの知り合いは祈ぐらいのものだ。
他の仲間がいる場所に配置しても、それほど罠としての意味はないと思われた。
だとすれば、祈の心を折るためにレディ・ベアを使ってこようとする可能性の方が高いといえる。 
例えば人質に使ってくる、なんてこともあるかもしれない。
一説によれば赤マントことベリアルは、『人を破滅させることを生き甲斐とする悪魔の中の悪魔』だ。
祈の心の動きを熟知し、心を折れる罠を用意していることだろう。

「ま、それならそれでいっか。あたしが頑張るだけだし。
……御幸、死ぬなよ。こいつのお礼もしてねーんだからさ」

 祈はそういって笑い、髪飾りを指差した。
そうして駆け足にエレベーターの前にいき、ボタンを押して、その中へと入っていくのだった。

96多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/06/21(日) 23:23:07
 エレベーターに乗り込むと、扉が速やかに閉まった。
そうして出鱈目な記号が書かれたボタンが勝手に点灯し、エレベーターは上昇を始める。
 長い上昇。
 緊張と、外の様子が良く見えない閉塞感が、体感時間をより長いものに感じさせた。
今の時間なら昼過ぎの東京が見渡せるはずだが、
東京の景色は、暗闇の中に、途切れ途切れに歪んで見えるだけである。
空間が捻じれている証拠だった。
 上昇の間、祈は考える。
 これから起こりうることを。
 たとえば、赤マントが用意した接待役とは何者か。
また、接待役を倒したあと、赤マントの言葉が本当なら、赤マントと北棟展望台にて激突することになる。
その赤マントの倒し方についても、ずっと祈は考えていた。
 考えが浮かんでは消えを繰り返しているうち、
やがてエレベーターが止まったのを知らせる音が鳴った。
 扉が開くとそこは。
 暗闇だった。
 天井がない。天さえない。床がない。地さえない。
広大な空間がただ広がっている場所に出た。
 
(幻覚ってわけではなさそうだけど……)

 敵は天魔72将。そのうちベリアル派と呼ばれる天魔達だという。
祈もそれなりに調べたが、その中には危険な天魔が数柱混じっていることがわかった。
特にダンタリオンは危険な天魔の筆頭だろう。
 精神操作を得意とし、人の心を覗いて意のままに操れる。
また、自在に幻覚を投影できるという。
実際にはどうかはわからないが、そんな天魔がいれば、
仲間同士が操られて殺し合わされたり、幻覚の敵相手に延々戦わされたりということがあり得るのだ。
 そのうち、精神操作に関してはおそらく問題ない。
かつて尾弐が授けてくれた『悪鬼を切った刃』を収めたお守りを首から下げているから、
そういった災いを取り除いてくれると、祈は信じた。
 だからあり得るとすれば幻覚だが、
エレベーターの外に足を伸ばし、床があるべき場所に足を下ろしてみるが、床の感触はない。
 幻覚は主に幻視のことを指すが、聴覚や触覚、味覚の幻覚もある。
だからダンタリオンの生み出す幻覚が知覚全てを騙すようなものなら、もはや見分けがつかない。
だが、そうでないのなら、ここには実際に床も何もないことになる。
 足を踏み出せば、この暗闇に呑まれて真っ逆さまに落ちてしまうのだろうと、
そんな風に思えた。
 だがそれでも祈が足を踏み出したのは――。
 見慣れたツインテール、レディ・ベアらしき人物を遥か前方に認めたからであった。

(御幸の勘が的中したな)

 祈は靴をエレベーター内で脱ぎ捨て、
スポーツバッグから風火輪を取り出して履き替える。
そして何もない中空に浮くツインテールの人物に向かって、
エレベーターから一歩踏み出した。

「わ、なんだ……?」

 どうやらエレベータから先は無重力空間になっているようで、祈の体がふわりと浮く。
踏み出した慣性に従って、そのまま祈の体は進んでいった。
 近付いたことで、中空に立ち尽くしている人物がレディ・ベアであることがはっきりとわかる。
レディ・ベアはいつもの格好と違い、ダイバースーツに似た黒いボディスーツを身に纏っていた。
表面に浮かぶ模様が禍々しく、赤く明滅している。

「モノ!」

 なんだか様子がおかしいことを感じつつも、
祈はレディ・ベアに近付いていき、そう呼びかけた。

>「……来ましたわね……祈。
> お待ちしていましたわ」

 祈と逆側を向いていたレディ・ベアが振り向く。
そして祈を認識するとそう言い、笑った。
 だがギザ歯をのぞかせて嗤うその表情は、
少なくとも、『友達が助けに来てくれたのを喜んでいる』というようなものではない。
獲物が罠にかかったのをせせら笑うような、そんな表情だった。
 祈は風火輪の炎を噴かせてその場に静止する。

「……モノ? お前ひとりか? あたし、ここに赤マントの用意した接待役がいるって聞い――」

>「いよいよ。いよいよ、この刻がやって参りましたわ。
>お父様が――妖怪大統領バックベアードが、このブリガドーン空間から解放される刻が!
>さすれば、もはやお父様を縛るものは何もない……何もかもが!偉大なるお父様の前に跪くのです――!!」

 レディ・ベアは体を祈へ向けると、諸手を広げた。
そして手を合わせると、今度は祈るように上へと掲げて見せた。
その目は上へと向けられ、レディ・ベアの視線の先を見遣ると、空間に横一文字の亀裂が生じ、上下に開いた。
出現したのは、広大な空間に浮かぶひたすらに巨大な眼。

>「ああ……お父様!わたくしの愛するお父様……!
>長らくお待たせ致しました、今こそ!お父様が地球の支配者として君臨するとき!
>龍脈を統べ、人を統べ、妖を統べ――
>万物万象の王として、わたくしたちをお導き下さいませ!」

 レディ・ベアは、まるで恋をしている乙女のような、あるいは盲目な信者のような。
そんな恍惚とした表情で巨大な眼を見つめ、そう宣う。
ブリーチャーズとドミネーターズが初めて商店街で会った時に戻ったようでもある。
 見下ろす巨大な眼と、祈の目が合った。

97多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/06/21(日) 23:26:41
「こ、こいつが妖怪大統領……! で、でけぇ!」

 祈はあまりに巨大な眼に圧倒されながらも、睨むように見返す。
 妖怪大統領・バックベアード。
レディ・ベアの父たるその妖怪は、ブリガドーン現象なる超自然現象であるという。
その内側では全てが曖昧になる不思議な妖雲で満たされており、
願いが力を持った結果、夢と現、虚と実の入れ替わりすらも起きるらしい。
おそらくはその特殊過ぎる性質が故に現実と相容れず、
普段はブリガドーン空間に封じられているようであるが、ここに妖怪大統領がいるということは。

(ここは『ブリガドーン空間』なのか……!?)

 かつてレディ・ベアは、ブリガドーン空間は天地の境も左右の区別がないと言っていた。
その特徴と現状は合致する。
 どうやら赤マントは空間を歪めただけでなく、
バックベアードが封じられている異空間とも繋げたらしい。

>「けれども。その前にひとつだけ、やらなければならないことがありますわ。
>多甫 祈……あなたを殺し、その体内にある『龍脈の神子』たる因子を引きずり出して。
>お父様に捧げなければ……」

 レディ・ベアが祈を見る。
表情が上気した乙女のものから、残忍さを帯びたものへと変わった。
 そしてその体表、スーツの表面を電気めいた妖気が迸り、
ふわりと浮かぶ。
 レディ・ベアは祈と戦おうとしている、――否。
言葉通り、“祈を殺そうとしている”ことがわかる。

 赤マントは、エレベーターの先には自分達を満足させるような接待役が待っていると言っていた。
また、接待役を倒せば、自分のいる北棟展望室にまで招待するとも。
 頭ではあり得ると理解していたし、状況はそうだと示している。
だが心がそれを認めたがらない。
実際に直面してみると、なかなかにきついものがあったのだ。
 レディ・ベアが接待役だというこの状況は。

>「ふふ……なんて顔をしているのです?祈。
>あなたとわたくしは元々敵同士。それが、何の間違いかたまたま友誼を結んでしまった。
>過ちだったのですわ……それが正しい関係に戻った、単にそれだけの話でしょう?
>わたくしはやはり、バックベアードの娘。東京ドミネーターズ首領代行。それ以外にはないのです」

 ますます妖気の迸りが強まっていく。
それはあり得ないことに、龍脈の力を得たはずの祈にも匹敵するようなものに感じられた。

「お前、赤マントになんかされたな……?」

 冷や汗が祈の頬を伝う。
友人が己へ殺意を向けてくる事実と、なおも高まる力に。

>「ひょっとして、わたくしを助けに来た……とか。そんなことを考えていらっしゃいますの?
>うふふ!それはそれは、徒労でしたわね。わたくしはこの通り、何者にも縛られておりませんし――
>ただ。愛するお父様のためにこの力を振るうだけですわ。
>ああ……でも、もしも。まだわたくしのことを友人と思っていてくれるのなら……」

 そうして妖気がその全身を覆ったかと思うと。

>「――死んでくださいな。ともだちである、わたくしのために!」

 宙を蹴り、レディ・ベアが突進を仕掛けてくる。
猛烈なスピードで、全体重を乗せたレディ・ベアの右拳が祈へと伸びた。
祈は反射的に、肩がけにしていたスポーツバッグから手を離した。

「ぐっ……!!」

 咄嗟に両腕のガードを上げ、ボクサーのように頭を守る体勢を取る祈。
レディ・ベアの右拳を左腕で防ぐが、腕の芯にまで響き、しびれを感じるほどの打撃だった。
 祈は呻く。

>「さあ……お死になさいな、祈!
>そして、わたくしの願いを叶えるのです!お父様に自由を……この世界に真の統治を!」

 そして続く猛攻。拳撃の嵐。
それはスピード自慢の祈がさばくのに精一杯になるほどのものであり、
また、一撃一撃が重く、的確に祈を追い詰めようとするテクニックやセンスを感じさせた。
 おそらくはこの空間がレディ・ベアにとってのホームグラウンドというのも影響しているだろうが、
それを差し引いても、圧倒的で一方的だった。
 レディ・ベアは、体育の授業がそれほど得意な妖怪だった記憶は祈にはない。
瞳術を使う、橘音と同じ後方支援系の妖怪だったはずだが、この急激なパワーアップはどういうことか。
 
>「アッハハハハハ……!どうしたのです、祈!
>死にたくなければ反撃なさいな!このままでは嬲り殺しですわよ!?
>あなたはわたくしたちと闘うために、二ヶ月もの間訓練をしてきたのでしょう!?存じていますわよ!
>でも――それも全くの無駄!無駄でしたわね!」

「がはッ……!」

 殴打の嵐の最中、祈の目は一瞬レディ・ベアの目と合ってしまった。
そうして祈の視界が揺らいだ瞬間、レディ・ベアの裏拳が祈の頬に叩き込まれたのである。
 目の前に一瞬火花が散る。
 さらに。生まれた隙を見逃さず、レディ・ベアの右廻し蹴りを放つ。
かろうじて左腕で防ぐも、ふらついた祈では満足にその衝撃を殺すことは叶わない。

「っ!! が、ぁっ――」

 骨が軋み、折れる音。走る激痛に祈は苦鳴を上げる。
その顔が苦痛に歪む。
幸い、空間が無重力状態で天地がないため、どこかにぶつかることもなかったが、
後方に大きく吹き飛ばされる結果となる。
龍脈の加護で耐久力が上がっている今であっても、
ガードが遅れていれば死んでいた可能性がある一撃だった。
 それをみてレディ・ベアがせせら笑う。

98多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/06/21(日) 23:29:33
>「期待外れですわね……それでも地球に選ばれし『龍脈の神子』ですの?
>これでは、あなたを最後まで待っていたローランも浮かばれないというものですわね!」

「っ……ローラン?」

 風火輪に炎を噴かせ、なんとか体勢を整えた祈は、レディ・ベアが目で示した先を追った。
そこにはズタボロの、人の形をした何かが転がっている。
 嫌な予感が祈の脳裏をよぎる。

>「この男はお父様を裏切りました。ですので、わたくしが東京ドミネーターズ首領代行として制裁を加えたのですわ。
>最後まで、この男はあなたを待っておりました。
>祈ちゃんなら必ず、レディを救ってくれるはずだと……そんな世迷言を言い続けて。
>まったく度し難いですわね!わたくしを救うことができる者など、この世にお父様以外はいないというのに!」

 その予感が裏切られて欲しいと思いながら、人の形をした何かへ向けて、
風火輪に炎を噴かせて近寄ると。

「おい、うそだろ! 生きてるか!?」

 それはローランだった。
伝説に登場する英雄を再現した人造人間(らしい)。
その皮膚は伝説に記される通りに、ダイヤモンドと同等かそれ以上の硬度を備えているとされている。
 だが、ボロボロなのは服だけではない。
生身の至る所に傷があり、腹部には血が滲んでいる。かなりの重傷だ。
ブリーチャーズでも手傷を負わせるのがやっとだったスーパースキンの防御を突き破り、
これほどまでに痛めつけたというのか。
 祈が近付いてきたことにローランは気が付いたらしく、顔を上げた。

>「……あぁ……。
>祈ちゃん……。来て……くれたのか……。嬉しいよ……。
>すまない……もう少し、なんとかなるかと……思って、いたん……だが……。
>彼女を……レディを、守り……きれなかった……」

 かすれた声でそういって、一度咳き込むローラン。
その際、口許に血が付着する。
ということは、内臓や肺に深刻なダメージを負っていると見られた。

「ばかお前しゃべんな!」

 少しでも体力の消耗を抑えるべくそう促すが、
ローランは口を閉ざさない。何か大切なことを伝えようとしているようだった。

>「祈ちゃん……。頼む……あの子を、レディを……助けて、やってくれ……。
>ベリアルが……レディに、呪いを……。今の、彼女は……正気を、失って――
>がはッ!」
 
 だがその言葉を遮るものがあった。レディ・ベアの蹴りである。
うるさいからもうしゃべるなとばかりに、ローランの横腹を蹴り飛ばしたのだ。
果てのない空間をローランが転がっていく。

「ローランッ!」

>「うるさい男ですわね。裏切者は大人しくしていなさいな。
>今まで、わたくしの護衛を果たしてくれたことは礼を言いますが……もはや、それも必要ありませんわ。
>この世の絶対君主、妖怪大統領が顕現した暁には、わたくしを害する存在などいなくなるのですから。
>ねえ……?そうでしょう、祈?」

 レディ・ベアは、虫唾が走る、とでも言いたげな表情で冷たく吐き捨てる。
そして祈を見て、哂う。その目は昏く、祈をただの獲物としか捉えていないようだった。
 以前のレディ・ベアとは。モノ・ベアードとはまったく違う冷たい目。
 祈は立ち上がり、その目を一度見据えた。
 ローランは心配だが、今はブリーチャーズ4人がかりでも倒せなかったあの男の地力を信じる他ない。
 祈は、スポーツバッグが浮いているところまで飛び退いた。

99多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/06/21(日) 23:42:29
「『ねえ……?そうでしょう、祈?』……って? もしかしたらそうかもしれねーな。
でも、まだそうじゃない。勝った気でいるところ悪いけど、勝負はまだついてないぜ」

 祈は、手の甲がレディ・ベアに見えるように右手を眼前へ翳す。
そして右手を握り締めると、

「変、身――!」

 そう言い放つ。
すると、右手に刻まれた龍の紋様が輝き、その目は金色に。
黒髪は色褪せ、燃えるような、あるいは錆のような赤に。パーカーやショートパンツは漆黒へと染まっていく。
 そしてまとわりつく邪悪を祓うように右手を右横へ振るうと、
龍脈から受け取った莫大な妖気が波動となって、周囲の空気を振るわせた。
 人呼んで『ターボフォーム』。
龍脈の力を振るう、風火輪のライダーたる祈の、戦闘形態。
 折れていた左腕までも回復している。

「友達と戦わせる、か。いかにも赤マントが考えそうなことだよな」

 以前、御前に似たようなことをやられたことがある。
あの時は、ノエルやポチが無理矢理に従わされて祈を襲おうとした。
そのときも何かと嫌な気持ちをさせられたものだ。
赤マントは祈の性格をしっかり把握して、嫌がることを忠実に実行してくるということだ。

「こっちは死ぬ気でお前を助けに来てんのに、なに勝手に呪いだかにやられてんだ。
いいぜ。お腹くくった。お前がそんな有様なら、目を覚まさせてやる」

 レディ・ベアが接待役なら、
祈は上階へ続く道を開くためにも、レディ・ベアと戦わなければならない。
そしてレディ・ベアは、ローランによれば呪いに掛けられているという。
呪いから解放してやるためにも、戦わなければならなかった。
その呪いはおそらく、レディ・ベアが身に纏う禍々しい紋様が刻まれた衣服が関係しているのではと考えられた。
 レディ・ベアを倒して衣服をはぎ取るか、戦いながら衣服を切り刻むなりすれば、
その呪いを解けるかもしれない。
そうでなくとも、理を捻じ曲げる祈の必殺の一撃を当てることができれば。
 そしてレディ・ベアにしても、龍脈の因子とやらを祈から奪わなければ、父や自分が自由にならないと思わされている。
戦わない理由はない。

 現状、不確定要素は多いと言わざるを得ない。
 祈の左腕をへし折ったことからも、レディ・ベアはおそらく本物だと考えられる。
だが、ローランや妖怪大統領はわからない。偽者や幻覚の可能性はある。
 特に妖怪大統領は疑わしい。
祈がモノを救いたいと想っているのに変化がないことから、
本当に想いが力を持つブリガドーン空間であるかどうかが分からない。
 また、妖怪大統領は赤マントにとって計画の要でもあるはずだ。
もし祈が、運命変転の力を使って妖怪大統領を倒そうとしたらどうなるか、赤マントが考えないはずはない。
理を捻じ曲げ、妖怪大統領を倒し、無力な妖怪にでも転生させてしまったら。
そうすれば、龍脈の資格者として自分を仕立て上げることはできなくなる。
故に、理由もなくここで出してくるとは考え難かった。
 他にも諸々気になることはあるが、後回しにせざるを得ないだろう。
 先程まではレディ・ベアもまだ、本気ではなかった。
ここからは本気だろう。
同等の力を持つもの同士の戦いは、他の何かに思考を奪われればそれだけで敗北の原因になり得る。
 だからこそ、レディ・ベアから確実に対処していかなければならない。
 祈はスポーツバッグの中身を漁り、中から金属バットを取り出すと、正眼に構えた。

「さぁ、行くぜモノ!」

 そして目を閉じ、風火輪の炎を吹かして、一気にレディ・ベアへと接近する。
 瞳術を警戒しての心眼。
それが祈の選択した、対レディ・ベアの攻略法であった。
 二人が出会ったばかりの頃、
祈もレディ・ベアは敵としか認識していなかった。
だからこそ、レディ・ベアが転校して来た後、暫くの間、練習を続けていたのがこの心眼である。
 当初は上手く行かなかったものだが、今は――。

「だぁッ!!」

 祈が振り下ろす金属バットの太刀筋は正確。
レディ・ベアが避けよう、あるいは受けようと思った動きに合わせ、
的確にレディ・ベアの肩を狙っていた。
 
 レディ・ベアが再び拳撃を浴びせてきても、
それを金属バットで祈はことごとく往なす。
先程までの獲物をいたぶるような攻撃であれば、金属バットを折ることはおろか、へこみすら作ることはできない。
衝撃を完全に逸らしているためだ。
 龍脈による身体能力の向上は、聴覚をも強化している。
相手の筋肉の音や呼吸音、心臓の鼓動、風を裂く音。
それらを聞いて状況を把握しているのだ。
星の記憶を遡る中で、心眼で戦う者達の姿を実際に見たことも心眼の完成に一役買っただろう。
 付け焼き刃ではあるが、この一瞬、意表をついてこの一撃を叩き込むことはできるはずだ。

「そこッ!」

 風火輪の炎を吹かして踏み込み、
金属バットを、バッターボックスに立った野球選手のように思い切りスイングする。
ただ、狙いはレディ・ベアの着ているスーツである。
多少なりともバットの先端に引っかけて傷付けられれば、スーツにダメージがあるはずだ。
それが呪いの源なら、レディ・ベアに多少の変化が生まれるだろう。
だが変化が全くないのなら、戦い方を考えなければなるまいと、祈は考えていた。

100御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/06/28(日) 18:43:54
>「ま、それならそれでいっか。あたしが頑張るだけだし。
……御幸、死ぬなよ。こいつのお礼もしてねーんだからさ」

「そっちこそ。忘れないで――君はみんなの恩人なんだよ」

ノエルが祈に恩があるのはもちろんのこと、橘音やシロは以前祈に命を助けられている。
それに、もしも橘音やシロが死んでいたら尾弐やポチも絶望のあまり死んでいたかもしれない。
上昇するエレベーター(実際には本当に上昇しているのかも分からないが)の中でひとりごちる。

「接待……ってことは料亭にでもご案内されるのかねぇ。……ガチでその可能性もあるのか」

冗談で言ったつもりだったが、言ってみてそれに近い可能性も普通にあることに気付いた。
こちらを分断させた目的として一番可能性が高いのは個別撃破だと思われるが、
他の可能性として取引を持ち掛けてくることも考えられる。
まず後者で攻めてきて、乗ってこないと分かれば前者に移行する二段構えかもしれないし
あるいはお互いに分断中にどのような“接待”を受けたか分からないのを利用して、疑心暗鬼に陥るように仕向けてくるかもしれない。
もちろんメンバーの中にそんなものに惑わされる者がいるとは思えないが、それでも相手はベリアルだ。
最初から相手の土俵に乗らないに越したことはない。
ごたごたとした会話が始まる隙も与えずに、即刻勝負をつけるに限る。
そんなことを考えている間に、エレベーターが所定の階へ到着したようだ。
ドアの向こうでは、ベリアルの用意した接待役が手ぐすね引いて構えているのだろう。
ドアが開いた瞬間、”世界のすべて”を前方に突き付けながら足を踏み出す。

「いざ尋常に、しょーうぶ! ……あれ?」

ノエルはテーマパークの大通りにまろび出ていた。
眼前に敵が待ち構えていると思っていたので意外に思うものの、
事前に何が起こるか分からないという心構えはあったので狼狽えるほどでもない。

「幻術か結界の類か……」

>「ようこそ、夢と幸福のコカベルパークへ!」

「騙されないぞー! ピエロの姿をした悪魔って映画で見た! ……あ、どうも」

このピエロが接待役かと警戒するものの、普通に風船を渡されて拍子抜けする。
試しに乗ってきたエレベーターのボタンを押してみても全く動かない。
突っ立っていてもらちがあかないので、辺りの探索を開始する。
いつの間にかみゆきの姿になっているのは、なんとなく場に馴染んで目立たないようにするためかもしれない。
結果的には結界の中にいる以上こちらの動きは筒抜けなので、意味はないのだが。

「ベリアルめ、一体何のつもりだ……」

行き交う人々は幸せそうで、着ぐるみが人を襲い始める様子もない。
平和そのものといった風景である。

「なるほど……テーマパークにぼっちという極限の状況を作りだすことによって絶大なダメージを与える作戦だったのか!
でも残念、意外と一人テーマパークいける派なんだ。あっ、ネコミミ可愛い……はっ、いかんいかん」

101御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/06/28(日) 18:46:13
人間界の楽しいところを凝縮したような風景に、油断すると取り込まれそうになってしまう。
天魔の作る結界。風景を完璧に再現するだけではなく、精神に作用する幻惑の効果があっても不思議はない。

「このテーマパーク、なんとなく危険な香りがするなぁ。もちろん当然危険なんだけど他の意味でも」

とか何とか言いながらテーマパーク内を観覧もとい偵察していると、アナウンスが流れた。

>《これより、コカベル様のエグリゴリカルパレードを開催いたします!
 観覧ご希望の皆様はメインストリートへお集まりください!》

「危険―――――!! 何がどう危険なのかは具体的には言えないけど!
ん? コカベル……? 確か天魔にそんな名前のいたよね?」

おそらく、べリアルの用意した接待役なのだろう。
接待役をどうにかしない限りは状況が動きそうにないので、罠だろうと何だろうと行くしかない。
人々の流れに乗ってメインストリートに向かう。
豪華絢爛なパレードと共に現れたのは、アイドルのような愛らしい少女。
しかし、自然界ではあり得ないはずの黒い光を放つ光輪と、漆黒の翼が彼女が天魔であることを如実に示している。

>「ハァ――――――――――イ!みんなーっ!楽しんでる―――――――っ!?」

>「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」」
>「「「コカベル様あああああああああああああ!!!!!」」」

やはりこの少女(外見)がコカベルで間違いないようだ。
何のつもりか分からないが先手必勝、ということで、妖術で狙撃しようとしていたところ。

>「今日はコカベルパークに来てくれてありがとーっ!みんな、楽しんでいってね――――っ!!
 ってことでぇ!今日はビッグ・サプラーイズッ!みんなにアタシたちの新しい仲間を紹介するねーっ!
 雪の女王の眷属!雪ん娘・ノエルちゃ――――――――んっ!!!」

「めっちゃ存在を認識されてる!? うわなにするやめ」

あっという間にピエロや着ぐるみに捕まえられて連行され、フロートの上に押し上げられる。

>「今日から、このコもアタシたちの仲間!ずっとずっと、このコカベルパークでみんなと遊んでくれるよ!
 仲良くしてあげてね!みんな愛してるよ――――――――っ!!!」

「えっと、遊んでる場合じゃないんだけど……というかベリアルの陰謀を阻止しようとしてる敵だよ!?
仲良くしていいの!?」

ごたごたした会話には乗らないと決めた決意はどこへやら、予想外の展開に思わず普通にツッコむ。

102御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/06/28(日) 18:47:34
>「「「「うおおおおおお――――――――――――っ!!!」」」
>「「コカベル様とノエル様、ばんざああああああああああああああああああああい!!!!!」」

>「待ってたよ、ノエルちゃん。
 アタシの名前はコカベル。この『コカベルパーク』の主にして、ベリアル兄様から命じられた君の接待役。
 アタシが面白いと思ったものが、ここには全部揃ってる。楽しんでいって?」

「君とは気が合いそうだよ。……敵同士でなければ。
さてはそうやって油断させてから取引を持ち掛ける作戦だな!?」

>「さぁさぁ、ボーっとしてないで遊ぼう!楽しもう!
 ノエルちゃんは何が好きかな?ジェットコースター?メリー・ゴーラウンド?それともコーヒーカップ?
 一緒にチュロス食べようか?シナモンが効いてておいしいよー!」

「教えて。君がベリアルに命じられた接待って具体的には何?」

>「ベリアル兄様が言ったんだ。ノエルちゃんの相手をしろって、これから一日の間、ノエルちゃんと一緒にいろって。
 そしたら、アタシの願いを叶えてくれるって。コカベルパークをもっともっと大きくしていいって。
 東京を丸ごと、アタシの大好きなテーマパークにしていいって!」

ベリアルから与えられた任務を聞き出したみゆきは、腑に落ちたという感じで屈託ない笑顔を返した。

「なーんだ、そうだったんだ! 何の下心もない文字通りの接待だったのね!
どんな取引を持ち掛けてくるんだろうと思って警戒しちゃったよ〜。
東京丸ごとテーマパーク!? あはははは、すごーい!
そうなったら童のお店が入ってる胡散臭い雑居ビルもファンシーに改装してくれる? 古くて薄暗いんだよねー!」

そこで屈託のない笑顔が悲しげな微笑に変わる。

「……でもアイツは某猫型ロボットと違って願いを叶えてなんてくれないよ。
きっと他の接待役にも同じようなことを言ってるんじゃないかな?」

>「遊び疲れたらホテルだってあるし、ふかふかのベッドもある。ジャグジー付きのバスルームだって!
 たっぷり遊んで、たっぷり眠って……起きたときには全部終わってる。
 アタシたちの素敵な兄様が、この世界を創り変えてる。今よりもっともっと素敵な世界に……。
 だから、さ。ノエルちゃん、一緒に楽しもうよ。
 アタシ達を拒絶した、このクソみたいな世界の終焉を――」

「クソみたいな世界……そうだね。
ずっと真っ白な世界の住人でいればよかったのにこんな世界にどうして憧れてしまったんだろう。
君と童はちょっと似てる。童が一神教に属する存在だったら君みたいになってたのかな……」

103御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/06/28(日) 18:59:52
共に人間の世界に惹かれ、人間の監督者であることを放棄したコカベルと、人間の敵であることをやめたノエル。
ノエルが災厄の魔物でなくなったのは、ちっぽけな人間の尺度から見れば、悪から善への転化、だろう。
しかし大きな視点から見れば、一族ぐるみで世界の理に刃向かい与えられた役目を放棄し、人間の側に寝返った反逆者とも言える。

「でも……ベリアルに任せたらもっと酷くなるのは確かだ。
童の仕える当代の神子ならきっと世界をいい方向に導いてくれる。
……少なくともベリアルよりは確実にね」

祈は世界を変えようなんて大それたことは思っていないのかもしれない。
でも彼女は目の前で消えそうな命があれば、きっと運命を捻じ曲げてでも助けようとしてしまう。
ノエルを人類の敵たる宿命から解放した時も、世界の理に刃向かおうなんて思っていない。ただずっと友達でいたいと願っただけ。
運命変転とは、本人が望む望まざるに拘わらず世界に干渉してしまう、そんな力だ。

「だからね……今はちょっと待って。後でたくさん遊ぼうね!」

そう言って風船を手放した。結界の物理的な範囲があるかを調べるためだ。
もしも風船がどこかで透明の壁のようなものに引っかかるようなら結界を力尽くで破壊できる可能性も出てくるが。
しかし、その様子はない。

「お願い、ここから出して。このままじゃベリアルの思う壺だよ」

>「アッハハ、ムダムダ!ここからは出られないよー!
 ここはアタシのテーマパーク。アタシが創った、アタシの世界……結界だもの。
 出口なんてないからね!ノエルちゃんもムダなことは考えないで、アタシと遊ぼうよ!
 ほらほら、もうすぐ次のパレードが始まるよー!何なら一気に夜のイルミネーションの時間にしちゃおうか?ほら!」

フィンガースナップ一つで夜に変わり、イルミネーションと花火が辺りを彩る。
それはコカベルが結界内の事象を思うがままに操れるということを示していた。

「出してくれないなら……力尽くで出してもらうよ!」

この結界内で結界の主に戦いを挑むなど無謀の極致だが、出る方法はそれしかない。

>「……アタシを倒す?ここから出る?
 こんなこと……出来ると思ってるの?」

周囲の観衆が巨人ネフィリムへと変わり、ファンシーなテーマパークがいい感じに禍々しいダークメルヘンな空間へと変貌していく。

>「そう。アタシと戦おうって言うんだ……。アタシはノエルちゃんと遊びたかったのに。
 戦う必要なんてないし、一緒に楽しい時間を過ごせればって。
 ベリアル兄様に言われたとおり、おもてなししたいって思ってたのに……。
 アタシを殺そうって言うんだ。アタシに死ねって言うんだ。そう……そうなんだ――」

コカベルは本心から残念がっているように見えた。
コカベルがベリアルに命じられたのは文字通りの”接待”だったらしいが、考えてみれば何ら不自然ではない。
ベリアルとしては別にこちらを倒す必要はなく、事が終わるまで足止めして時間を稼ぎさえすればいいのだから。

104御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/06/28(日) 19:01:56
「それは違う……。ベリアルが目的を完遂したら君達は用済み。それこそ殺されるかもしれない。
ベリアルは……決して仲間を作らない。協力者を搾取する対象としか見ていない。
奴に使われた者達はみんな死の末路を辿ってる……」

長年手塩にかけて育てた弟子である橘音ですら容赦なく殺されたのだ。
都庁防衛のために招集された最終防衛機構といえど、例外ではないだろう。
しかしコカベルが聞く耳持つはずはなかった。
彼女はクリスやロボやレディベアらドミネーターズ初期メンバーのように最近ポッとスカウトされた者ではなく、
神話の時代から長年ベリアルの手口を見てきたであろう天魔。
そんなことはとっくに分かっていても良さそうなものだが、何故だか妄信しているようだ。
ベリアルの手口がそれ程物凄いのか、何かの術にかかっているのかは分からないが、
説得による平和的解決が不可能ということは確かだ。
コカベルの周囲を漆黒の炎が取り囲む。
みゆきも、吹雪をまとう氷雪の化身深雪の姿となった。
相手に合わせてなのかいつもよりメルヘンチックな和ドレスを纏っている。
板状の氷の破片の姿をした理性の氷パズルが周囲に展開し、靴底に妖力のブレードが現れる。

「生憎時間がないのでな――速攻でおねんねしてもらうぞ!」

>「じゃあ、やってみせなよ。そのちっぽけな氷の力でさ。
 アタシの煉獄の炎で、全部溶かし尽くしてあげる。アタシを、同胞を、アタシの旦那様を、子供たちを。
 すべて灰にしてしまった、この火の力でね!!!」

「トランスフォーム――《星の王冠(スフィアクラウン)》!」

深雪は理性の氷パズルを変形させ聖槍(傘型)を作り出し、迫りくる炎を防ぐ。
が、すぐに理性の氷パズルの結合が解けてバラバラの氷の欠片に戻ってしまった。

「ぎゃああああああああああああ!?」

深雪は消し飛んだ。ような気がした。
すぐに虚空で氷雪が渦巻き、姿が再構成される。

「……なんてな。効かぬ効かぬわ!」

と言いながら、服が焼けこげ、見るからにボロボロになっている。服のボロボロさでダメージが表現されているようだ。
思いっきり効いてるよね!?というツッコミ待ちだろうか。
3回消し飛んだら画面に映れなくなって、もとい現世に姿を構成できなくなって死ぬとかそういうシステムなのかもしれない。
炎を防げなかったのは、純粋な力負けだろう。
修行によって発現した第五人格が出ていないのは何故だろうか。
全ての能力値において他の人格の上位互換なので、出さない手は無いはずだ。

深雪「御幸! 何をしている出番だ!」
乃恵瑠「……あれはどうやら守る対象がその場にいないと出てこないらしい」
ノエル「ファッ!? そうだったの!?」
みゆき「そういえばあの時はハクトがいたもんねぇ……」
深雪「発現条件でいきなり積んでるではないか!」

発覚してしまった衝撃の事実に、今まで余裕を装っていた深雪も流石に焦る。

「ベリアルめ、知っていたのか……!? だから罠だといったのに!
こんなことなら鞄の中にハクトを突っ込んで連れてくればよかった!」

105御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/06/28(日) 19:02:41
本人すら気付いていなかった発動条件をベリアルが知っていたのかは定かではないが、結界的にはベリアルにとって分断は最高の策だったようだ。
続けざまにくる煉獄の炎による攻撃を、スケートの要領でなんとか避ける。
が、ネフィリムが普通に襲い掛かってきた。
一体一体の戦闘力は大したことはないが、でかい化け物が徒党を組んで襲い掛かってきたら普通に脅威である。

「そなたら、背景ではなかったのか!?」

背景じゃなかったらしい。

「――アイスキャッスル!」

もともと城だったのであろう場所を利用し、氷の城に劇的ビフォーアフターする。
ただでさえ危険なテーマパークもとい結界の中で(次期)雪の女王が氷の城なんて作ったら更に危険な香りしかしないが、気にしてはいけない。

「行け、氷の巨人!」

やっぱり危険な香りの氷の巨人達が、ネフィリムを迎え撃つ。
やたら絵面が派手になった気はするが、当初背景だと思われていた物が背景ではなかったので力技で背景に戻しただけである。
つまり何一つ状況は好転していなかった。

「ホワイトアウト!」

効くかどうか分からないが相手の視界を奪う幻惑の妖術をかけ、深雪は思考を巡らせる。
このままでは負けるし、長期戦になってベリアルの野望が完遂してしまってもアウトだ。
決着を付けてここから出るにはなんとしてでも御幸を引きずり出さなければならないだろう。
修行で新たな力を得たけど発動条件に当てはまらなくて前座でやられました、なんて間抜けすぎる。
とはいっても普通の方法では結界内に仲間が入ってくることは不可能だし、
召怪銘板でもあれば誰かを呼びだして発現条件を満たせるかもしれないが、もちろん今は持っていない。
ラストダンジョン攻略早々、いきなり最大のピンチに直面していた。

106尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/07/05(日) 11:52:30
それは、一つの終末の姿であった。
見渡す限りに広がる赤錆色の大地。
灰で覆われたかの様な暗色の空。
動物や昆虫、草木の一本も存在せず、時折思い出したかのように乾いた風だけが吹き抜けていく。

続かない世界。命が生まれない世界。
善意と悪意が、平等に死に絶えた世界。

「砂っぽいうえに酒屋の一つもねぇたぁ、随分とつまらねぇ場を拵えやがる」

エレベーターの扉を潜り、赤錆の大地へと一歩踏み出した尾弐黒雄は、溜息を付きながら黒ネクタイを締め直し、そのまま前へと歩を進める。
何も無かった荒野に男の足跡が残り始めた。

・・・

「ん……地震か? いや、そんな訳もねぇな」

進めども進めども変わり映えの無い光景。
風に舞い口に入る砂の不快感に飽き始めた頃、不意に大地の鳴動を感じて尾弐はその足を止めた。
直ぐに地震を疑ったが、ここはあくまで建造物の中。
幾ら異界といえど、地震を起こす為だけに妖力の無駄遣いをする筈が無いとその可能性を切って捨てる。
そうして尾弐が思案している間に、初めは注意しなければ気付かない程であったその揺れは徐々にその強さを増していき……

「さぁて、オジサンの経験じゃあこういうのは敵さんの登場で……って、いくらなんでも揺れ過ぎじゃねぇか!?」

ついに揺れに耐え切れなくなった大地が罅割れ、尾弐が驚愕の声を出した直後。
爆発と見紛うばかりの勢いで岩盤を捲り上げながら『ソレ』は現れた。

>「ギャゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!!」

大地と良く似た赤茶けた鱗。肉を噛み千切る為の鋭利な刃物のような牙。天を覆う様な翼。
体躯をして地上最大の哺乳類であるシロナガスクジラの倍以上を誇る『ソレ』。

名を、ドラゴン

古今東西の伝承に登場する、天の敵。悪の具現とすらも呼ばれる幻想生物。
膨大な魔力をまき散らしながら空を舞うその姿は、成程。確かに難敵であるに違いない。
尾弐もその危険性に気づいているのだろう。
隆起に巻き込まれた際に頭から被った砂を手で掃ってから、立ち上がり拳を握り……しかし、そこである違和感を覚え眉を顰める。
その違和感とは――――強大な幻獣であるドラゴンが、他の生物など餌としか考えぬような暴虐な生物が、尾弐の事に気付いてすらいない事。

出自はどうあれ、尾弐は『鬼』という強力な妖怪である。
当然その体には妖気を内包しており、ある程度の妖魔であれば――ましてドラゴン程の強大な魔物であればその存在に気付かぬ筈が無い。
気付いて、捕食や蹂躙の為に尾弐に襲い掛からない筈が無いのだ。
だというのに、空を統べる暴君である筈のドラゴンは尾弐に気付かず……いや、まるで『そんな余裕がないかのように』動き回っている。
明らかな異常事態だ。

そして、暴れ回るドラゴンの尾に弾かれ飛んできた石片を片手で払った直後。
尾弐はその違和感を齎した存在を知る事となる。

107尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/07/05(日) 11:53:38
>「チェリャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!」

「おいおい、でけぇトカゲが沸いて出たと思ったら……こりゃあ何の冗談だ……?」

男が居た。
巨大な爪に大剣が如き牙。降りかかるドラゴンと言う名の災害の直下。
伸び放題の灰褐色の髪に、一対の角。
鋼と比喩して尚いかめしい巨躯と、其処に刻まれた不規則でしかし奇妙に美しい紋様の刺青。
武骨な鋼の手甲を纏い、一人の男が立っていた。

男が纏うのは笑える程に心許ない装備だ。
古来、様々な英雄が神剣魔剣を手に神の恩寵のもと『かろうじ』で討ち果たした怪物と相対するには、情けない程に頼りない武装だ。
だというのに――――

>「どうしたどうしたァァァ!それでもうぬは幻獣の王と呼ばれたシロモノかァァァァァァ!!
>こんなことでは――暇潰しにもならぬわ!この――――大トカゲ風情がァァァァァァァァァァァァ!!!!!」

その心許ない装備で、その情けない程の武装で
男はドラゴンを――――天に座す暴君を圧倒していた。
男が一撃を放つ度、どんな金属よりも固いと讃えられる竜麟は捲れ、万象を穿つとされる竜爪が砕けていく。
ああそうだ。これが、この男こそが尾弐の覚えた違和感の正体だ。
ドラゴンは尾弐に気付かなかったのではない。この男によって、尾弐に気付けない程に追い詰められていたのだ。
そして、ドラゴンを蹂躙していた男が不意にその視線を動かす。その視線の先に居るのは――――悪鬼、尾弐黒雄。

>「おう、来たか!待ちかねたわ!
>ちと待っておれ、今すぐ片付けるゆえな!」

「……さて。オジサンは野郎と待ち合わせした覚えはねぇんだがな」

気安く投げかけられた男の言葉に同様の軽口で返す尾弐だが、その肉体と精神は最大限に張りつめている。
当然だ。生態系のピラミッド、その上位者に餌として認識されたかの如き緊張を覚えて尚、気を緩められる様な生き方を尾弐はしてきていない。

そして次に起きた出来事は、覚えた危機感が間違いでは無かった事を尾弐に知らしめる。

>「ゴハハハハハハハ―――――ッ!!微温いわ!これしきの炎でこのアラストールを燃やせるものかよ!!―――ツァッ!!!」

ドラゴンがその咢より放ったのは一筋の閃光。
幻獣の王が、内包する膨大な魔力を己が心臓と血液を回路とする事で高速循環、純化、増幅させたうえで口腔から放出する破壊の一撃。
その規格外の魔力の奔流は、通過する空間自体を磨滅する事で『結果的に』万物を焼き尽くす。

竜の息吹(ドラゴン・ブレス)

ドラゴンの奥の手にして、万物焼き尽くす神にも届き得る幻想の一撃。
その一撃を――――あろうことか男は受け止め、あまつさえ勢いのままにドラゴンをその腕で殺してみせたのだ。

>「待たせたな!貴様が尾弐黒雄か!
>我はアラストール!何の変哲もない、ただの闘い好きの老いぼれよ!
>中には我を闘神とか、戦いの化身とか抜かす輩もおるがなァ!ゴッハハハハハーァ!」

見せつけられた常識はずれの生物機能。
先程までドラゴンへと割かれていた男の意識が自分一人だけに向けられた事で、尾弐の肉体は電撃を受けたかのような緊張を覚える。

「ご丁寧にあいさつしてくれてあんがとよ。お察しの通り俺が尾弐黒雄だ。オジサンは戦いなんざ好きでも何でもねぇからお前さんとは仲良くなれそうにねぇな」

しかし。されど。
尾弐は屈する事は無い。不遜に腕を組み、敵意を籠めて言葉を吐き捨てる。

108尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/07/05(日) 11:54:02
……尾弐は、眼前に君臨するアラストールがどのような化物なのかを知らない。
嘗ての創世記戦争にて迫り繰る天軍の追手の多くを単騎にて殺戮した超常の存在である事など、何一つとして知らない。

そしてそれは、尾弐が那須野橘音の知る天魔についての知識。それを聞く事を拒否したからに他ならない。

知は力なり。
知彼知己者百戦不殆。

人間は知識を得る事であらゆる敵を打倒してきた。
同族や夜の闇、多くの病や災害、果ては神に至るまで。知識の刃と理性の盾を手に、数多の難敵に超克を果たしてきたのだ。
故に、自らの意志で知慧の刃と盾を握らず此度の決戦に挑んだ尾弐を、人は愚かと呼ぶだろう。
その無知と無謀を笑わば笑え。
その先に、叡智ある者共は知るだろう――――万雷の嘲笑を受けて尚、尾弐黒雄が刃ではなく拳を握る姿を。

為した偉業に竦めば動きが鈍る。無常の過去に涙すれば拳が濁る。非道の所業に憤怒すれば思考が眩む。
知識とは薬であり、あるいは毒である。

此度の決戦、尾弐が求めるのは勝利と仲間達との生還。
その道中に立ちはだかるは天魔ベリアルが誂えた強大な敵対者共。其れ等と対峙するには、僅かの揺らぎすらも致命の隙となるだろう。
さればこそ、尾弐は情報(ぶき)を手放した。視界に入れるのは己が眼前に立つ者だけでいい。思考するのは己が拳で知った事だけでいい。
ただ一つの目的に向かい、尾弐黒雄は光を望む悪鬼と化そう。

>「ベリアルに唆されてな。ここにおれば、我を満足させることのできる強者がやって来ると――。
>しかもだ。貴様と闘って勝てば、今後は好きなように地上を闊歩し闘ってもいいんだと!
>東洋の地には、まだまだ我の知らん強者がおるのだろうが?ゴハハハ、腕が鳴るわ!
>ここ数百年はろくな相手もおらず退屈しておったが、たまには唆されてみるものよ!」
>「おう、いい面魂よな!これは存分に愉しませてくれそうだわ!
>時が惜しい、では――早速!闘り合うとするかよ!」

>「ゴハハ!往くぞ―――――尾弐ィィィィィィィィィィィ!!!!!」

眼前には敵がいる。アラストールという名の誰ぞとも知らぬ男が居る。ベリアルが用意した怪物がいる。

「テメェがどこの誰かは知らねぇし興味もねぇが、俺の敵だって言うなら」

眼前に迫る音を置き去りにするアラストールの剛腕。
絶大な闘気を伴い放たれた、竜すら殺す目にも留まらぬ無双の拳。
尾弐は、その拳を蹴り上げる事で僅かに軌道を逸らしてから、殺気を込めて言葉を返す。

「悪鬼羅刹の名の下に――――地獄の底まで送ってやろうじゃねぇか!!!!!!」

その肉体を褐色に染め、その身体に背に月を掲げ、その額に角を伸ばし。
かくして此処に、悪鬼・尾弐黒雄の戦いが始まる。


・・・

109尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/07/05(日) 11:56:07
>「ゴッハハッハハハハハハハーッ!!なかなかやるではないか!!」

「は、随分余裕たっぷりなこった!オジサンの腰は悲鳴あげてるってのに、よ!!」

アラストールが壱秒の間に繰り出すは無数の拳。
30を超える絶え間ない打撃は、全てが必殺。
そしてそれを可能とするのは、魔術や妖術ではなく単純な膂力である。

(っ、どんな鍛え方してやがんだコイツ!外道丸との修行がなけりゃあとうに死――――)

「うおっ!?」

思考の最中で更に速度を上げたアラストールの拳を、尾弐は状態を逸らす事で回避する。
修行によって超常のものへと昇華した、経験則による心眼とも呼ぶべき生存能力
即ち死への嗅覚を以って見切り、いなし、躱す事で何とか戦況を拮抗させているが……状況は悪い。

(反撃の隙がねぇだけならどうにかなるんだが……参った。反撃の意味がねぇとはな)

尾弐は、こと近接戦闘においては歴戦の猛者だ。
戦闘経験だけで言うのなら東京ブリーチャーズでも上位の妖怪である。
アラストール相手の攻撃を見切り、未だ致命の一打を受けていない事がそれを証明している。しかし

>「上げていくぞォ!この我に――出し惜しみなどさせるでないぞ、尾弐黒雄ォ!」
「おいおい――さてはテメェ、格上の敵と戦った事がねぇだろ!?敵ってのはなぁ!力を出し切る前に殺し切るモンなんだよ!!」

アラストールが放った超速のハイキック。
吹き荒れる乱打よりも威力が高く、だが少しだけ速度の遅いその一撃を躱した尾弐は、地面ごと蹴り上げる要領でアラストールの片脚を払う。
そして、悪鬼の膂力による足払いで僅かに浮いたアラストールの肉体。その鳩尾に、全力で拳を突き入れた。
足元の砂に奔る波紋と、砲撃の様な鈍く重い音は、尾弐がかの狼王のソレを見て盗んだ必殺――――『発勁』を放った事を示唆している。
並大抵の妖怪であれば即座肉体が血霧と化し、戦闘に特化した妖怪ですらも、喰らわば臓物と骨を背中から噴き出す威力の一撃は

>「ハッハァ!妖術?妖気?そんなものは闘争の不純物よ!
>肉打ちしだく拳!骨砕き折る足!それさえあれば、闘いはすべて事足りる!!
>武具すらも要らぬわ!さあ――剛の者よ!心行くまで味わい尽くそうぞ、戦闘の愉悦を!
>この世界が終わる、その瞬間まで――!!!!!」

「っ―――!?」

アラストールには、通用しなかった。
この一撃だけではない。アラストールの猛攻の僅かな隙を突いて放った尾弐の拳は全て、アラストールの動きを止める事すら出来ていない。
恐らく全くの無傷ではないのだろうが、例えば軽量級のボクサーの拳が重量級のボクサーには通じない様に。
尾弐の一撃は、アラストールにとって許容範囲のものでしかないのだ。

発勁すら耐え抜かれた驚愕に目を見開く尾弐。そして、闘争の申し子のようなアラストールが、生まれたその隙を逃す筈もなく――――

「しまっ――――」

掌底。魔術でも妖術でもない、体術による一撃、
数百の拳を掻い潜った先で、とうとうアラストールの魔拳が尾弐を捉えたのである。
先程の尾弐の一撃より尚重い打撃音が鳴り、尾弐の巨躯が宙を舞う。
そして勢いのままに、先にアラストールによって殺されたドラゴンの胴体へと突き刺さった。

110尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/07/05(日) 12:01:57
砂煙の舞う中、アラストールは尾弐の生死を確認する為にドラゴンへと近づく事だろう。
なぜならばアラストールは知っているからだ。自身の掌底が当たるその直前、尾弐が自ら後ろに跳ぶ事でダメージを軽減した事を。
永劫の戦いを望む戦闘狂だ。恐らく、尾弐を起き上らせ、再度戦う事を強いるに違いない。

――――だからこそ、尾弐はそこを狙った。

突如、アラストールの瞳に向けて赤い液体が飛ぶ。
それは、死んだドラゴンの血液。そして、それに合わせてドラゴンの臓腑と皮膚を突き破り、尾弐黒雄が強襲を掛けた。
しかし――戦闘経験豊富な闘神の事だ。反射的に尾弐の攻撃方法を思案するに違いない。
手刀足刀、掌打に発勁、急所突きや顎への打撃。アラストールは武闘家が狙い得る全ての攻撃を推測し、対処する事だろう。
そしてだからこそ、尾弐はそれ以外の選択肢を取る事にした。

尾弐がその横を通り過ぎた時、アラストールは左手の小指に痛みを覚えるだろう。
何故なら、その部分の肉が抉れているのだから。

「ゴホッ――――なんだ、天魔の肉ってのは随分不味いモンだな。燻製にしても食えねぇレベルだ」

ドラゴンの血液で全身を濡らした尾弐を見れば、その口に咥えているのは――――紛れも無く、アラストールの指の肉。
そう、尾弐は彼の魔神の肉を『噛み千切った』のだ。
高度な回避の技術や発勁という、戦闘開始からこれまでに見せてきた武闘家じみた戦闘体系からはまるで予測できないラフファイト。
挑発する様にアラストールの肉を噛んで飲み込み、尾弐は自身の左手に視線を向ける。
そこには、先程目つぶしに使ったドラゴンの肉……心臓の一部が有り、尾弐は躊躇う事無くそれにも齧りつき飲み込んだ。
そうして、嘲弄する様な笑みをアラストールに向けてこう言い放つ。

「残念だなぁ、アラストール。テメェの自慢の筋肉はトカゲ以下の味だったぜ。ビール飲んで霜降りでも増やした方がいいんじゃねぇか?」

血に濡れ肉喰らう尾弐の姿は邪悪の具現である悪鬼そのもので、見た者に本能のまま暴れる獣に至ったと感じさせる事だろう。
しかし、違う。
全ては布石だ。アラストールを打ち破る為の布石なのである。
尾弐の攻撃はアラストールに通用していないが――――しかし、通用する攻撃が無い訳では無い。
彼の闘神の命に届く必殺を、尾弐は有している。
だが、それは一度限りの必殺だ。アラストール相手に、二度通じる事は無い技だ。
故に尾弐は、布石を積み上げる。
受けた打撃のダメージ、減衰したとはいえ決して小さくないそれを無傷である様に演技し、アラストールに挑発を仕掛ける。

これより尾弐が行うは、アラストールの攻撃をひたすらに回避し続けたうえでの、目突き、金的、耳狩り、髪引き、肉千切り。
命には届かないが痛みを与える、嬲る為だけの外法の戦術。

それに対してアラストールが覚えるのは、怒りか、歓喜か、失望か。
そのどれでもいい。必要なのは、アラストールが闘いを決する為の必殺を尾弐に繰り出す事。

「――――さあて、それじゃあラウンド2だ。欠伸混じりにさっさと終わらせようぜ、駄肉野郎」

そして、その時こそが『反撃』の時。

111ポチ ◆CDuTShoToA:2020/07/11(土) 22:34:20
エレベーターの扉が開くと、その先には薄暗い通路が続いていた。
更にその奥には、光が見える。
鼻頭に風を感じる。風に乗って、割れんばかりの歓声が聞こえる。
強い高揚のにおい――随分と歓迎されているらしいと、ポチは牙を剥いて笑った。

そうして通路を抜けたポチを待ち受けていたのは――闘技場だった。
遮る物のない円形の空間に、それを見下ろす観覧席。
見渡す限り、何百、或いは何千もの山羊がポチの目に映った。

山羊の群れが吼える。
被食者が、捕食者を見下ろし、湧き立つ――狼の王が、侮られている。
だが、怒りを晒すような事はしない。
ポチはすぐに視線を正面へと戻した。

強い獣の臭いと、妖気。
闘技場の反対側。そこにあったもう一つの入り口から、何かが近づいてくる。

果たして姿を現したのは――巨大な、黄金の毛並みを纏う、山羊だった。
毛皮の上からでも分かる強靭な筋肉。
王冠のようにも見える、三叉槍のようにも思える鋭い角。

黄金の山羊は闘技場の中央付近まで歩みを進めると――まずは悠然と、観覧席を見回した。
山羊達の歓声が爆ぜる。

「随分と、余裕そうじゃないか」

やはり、この被食者どもは、己を軽んじている。
それでもポチは怒りを露わにはしない。
ただその胸中に秘めたまま、静かに、燃え上がらせる。
怒りが生み出す爆発力、それが真に必要な一瞬。
それが訪れる瞬間を、ポチは既に待ち構えている。

>《よくぞ参った、我が戦いの舞台へ。我が一族の宿願、それが果たされる約束の地へ。
 歓迎しよう、神の長子に挑む勇敢なる狼の仔よ。
 余の名はアザゼル。山羊の王である》

「……僕は」

>《これから、汝には余と闘ってもらう。
 汝が何者かは知らぬ、また知ろうとも思わぬ。
 されどその勇気は讃えよう、同時にこのアザゼルと闘う不幸を悼もう。
 神の長子と交わせし約定、我ら一族の生存と永劫の安住のため――汝には礎となってもらう》

「……ああ、そう。別にいいけど」

>《神の長子は言った。汝を斃すことができれば、我が一族に安住の地を与えると。
 東京の地を、一族のものとしてもよいと。ここで殖えてもよいと――
 滅びゆく我が一族が生き残るには、他に方法はないのだ》

「そうかい。それは……あんたの群れにとっては、残念な事になるね」

>《さあ……始めよう。闘おうぞ、勇敢なる狼の仔。
 余は容赦せぬ。油断せぬ。侮らぬ――愛する我が眷属たちのため。これから生まれる同胞たちのため。
 全身と全霊を以てして、汝を撃殺する――!!!》

ポチは静かに息を吐きつつ、姿勢を落とす。
同時に、アザゼルが地を蹴った。
力強く地を踏み鳴らし、巨大な角をポチへと突きつけて、重戦車の如く突撃してくる。

だが――それを待ち受けるポチの双眸に、怯みの色はなかった。
狼の眼光はアザゼルの急所をまっすぐに見つめていた。

自分には、躱せる。
迫りくる致死の角槍を掻い潜り、対手の喉笛を食いちぎる。
自分にはそれが出来ると、野生の本能が告げていた。
ならば、後はその感覚に身を任せるだけで良かった。

交錯は一瞬だった。
ポチは矮躯を地に擦り付けるように疾駆。
流れるような身のこなしで迫りくる角を掻い潜る。
瞬間、爆ぜるように跳ね上がり――狼王の牙をもって、アザゼルの喉笛を食い破った。

112ポチ ◆CDuTShoToA:2020/07/11(土) 22:34:48
>《ぐ、ぁ……!!》

ポチの背後で、アザゼルの巨体が地に倒れ伏す音が聞こえた。

「それで?どこから先に進めばいいんだ?それとも……次はお前達が僕の相手をするのか?」

ポチは観覧席を見上げて尋ねた。
だが返事はない――それだけではない。
王を殺されたにしては、観覧席は静かすぎた。
悲しみの声も、怒りと憎しみの叫びも聞こえない。
においもしない――何故。

>《ぬぅ……。何たる攻撃か。

その答えは、単純だった。

>これほど佳い攻撃を喰らったのは、果たして何千年ぶりのことであったろうな……》

アザゼルは、まだ生きていた。

「……なんだ、何をした」

ポチは努めて平静を保ちながら、呟いた。
つまり心中では、少なからず動揺していた。
己の牙は確かにアザゼルの喉笛を切り裂いた。

幻術やまやかしの類に惑わされたのではない。
何か、強烈な再生能力によって死を免れられた訳でもない。
ポチの狩人の本能は、確かに獲物を殺めたと確信していた。

つまり――何か分からないが、アザゼルは死んでも死なない能力がある。
それ以上は考えるだけ無駄だと、ポチは思考を捨てる。
神経を、五感を、獣の本能を研ぎ澄ます。

>《狼の仔よ、余は汝を侮っていた。全身と全霊を尽くすと申したにも拘らず、様子を見た。
 非礼を許すが善い――》

先ほどまでアザゼルは、明らかにポチを軽んじていた。
それも、この不死めいた能力があったからこそなのだろう。
だが――それも、もう終わりだ。
アザゼルはポチの実力を正しく理解した。

ぱり、と、空気の爆ぜる音がした。
黄金の毛並みに、雷が走る。
それはすぐにアザゼルの全身を包み込んだ。
果てには天さえもが、暗雲と雷光に塗り潰されていく。

不意に響く轟音――雷雲から、アザゼルへと落雷が降り注いだ。
それさえもが、黄金の毛並みを守る鎧と化す。
稲妻を宿す黄金の眼差しが、ポチをまっすぐに見据えた。

>《此れよりが全力よ、狼の仔!
  余はアザゼル、荒野を彷徨せし流民の王なり! 我が愛する仔らの安住のため、汝を――殺す!!!》

アザゼルの巨体が、再び駆ける。
今度は、先ほどとは比べ物にならないほど、疾く。

113ポチ ◆CDuTShoToA:2020/07/11(土) 22:35:42
ポチは気づけば、不在の妖術を発動していた。
真正面から迫りくる、動作の「起こり」が明白な突進を、身のこなしで躱せなかった。
そして――なおも絶えず感じる、致死のプレッシャー。

>《ふんッ!!》

「っ……!」

体が無意識に、左に跳ねた。
アザゼルは突進の勢いのままポチの後方へと駆け抜けた。
追撃を仕掛けられるはずがない。
それでも、獣の本能はポチの体を衝き動かした。

そして――轟音。
一瞬前までポチがいた場所を雷撃が貫いていた。
咄嗟に振り返る――アザゼルの角が静かに、かつ正確に、ポチへと狙いを修正していた。

「ああ、クソ。なんでもアリかよ、神話世代――」

今度は、身のこなしでは間に合わない。
不在の妖術で雷閃をすり抜け――そのままアザゼルの懐へ飛び込む。
狼の本領は持久力にあるが、この相手に耐久戦を挑むのは愚の骨頂だ。
あらゆる攻撃が、致命打となり得る威力を秘めている。
守勢に回れば磨り潰される。殺されるよりも先に、殺すしかない。

だが、ポチはアザゼルの喉笛を目前にして、牙を剥き――しかし、そこで止まった。
獣の本能が、ポチの踏み込みを止めたのだ。
もっとも本能による制止など受けるまでもなく、ポチは踏み込めなかっただろう。

膨大な妖力によって太く強靭化した毛皮と、眩く爆ぜる雷の鎧。
それらを間近で目にすれば、容易く理解出来る事だ。
例え狼王の牙をもってしても、その守りを貫く事は困難。
一方で――迸る雷は、触れれば間違いなく致命的な隙を招く事になると。

「……だったら」

ポチは一歩飛び退いた。
雷撃を放つには近い、だが角で直接突き刺すには遠い距離。

必然、アザゼルは突進の構えを取る。
身に纏う雷を妖力に変換し、膂力を増強。
完全にではないが、雷の鎧が薄れた――その瞬間に、ポチが再び地を蹴った。
人狼化を用いて突進前の角を掴み、体を手繰り寄せ――

「これなら、どうだ……!」

右の手刀を、アザゼルの左目に突き刺した。
そのまま力任せに、中身を抉りながら、右手を引き抜く。
そして――ポチの表情が強張る。

たった今潰したはずの左目と、目が合ったからだ。

獣の本能が、心臓の鼓動という形で最大級の警鐘を鳴らす。
可能な限り素早く、ポチは足場代わりにした角を蹴飛ばし、飛び退いた。
黄金の眼光がその軌跡を追う――角の先端が、ポチに狙いを定める。

稲妻が閃く。ポチの体が影と化して溶け去る。
一呼吸の間を置いて、ポチがアザゼルの背後を取る。

ポチの体勢は低く、また全身を大きく捻転させていた。
下段の回し蹴り――狙いはアザゼルの右後ろ足、その膝関節。
多少の感電はやむを得ない。
まずは膝を蹴り砕き、アザゼルのを転ばせ、送り狼の本領を発揮する算段。

114ポチ ◆CDuTShoToA:2020/07/11(土) 22:37:36
「ぐっ……!」

蹴り足から伝わる苛烈な電撃――牙を食い縛り、耐える。
代わりに得られた、鈍く響く破砕音。確かな手応え。
だが――アザゼルの巨体は揺らがない。
蹴り砕いたはずの関節は、次の瞬間には元通りになっていた。

そして――関節とは言え、獣の骨を砕く為には重い打撃が必要だった。
つまりポチが放った回し蹴りは、反動で自分が離脱出来るような軽い蹴りではなかった。
アザゼルが体勢を崩している内に、不在の妖術で離脱する事を前提とした蹴りだった。

要するに――今のポチは、隙だらけだった。
強烈な感電によって身動きは取れない。
アザゼルが振り返りざまに、角を薙ぎ払った。

「やばっ――」

ポチの姿が、影と化して消える。
そうして再びアザゼルの背後に現れた。
だが――今度は、攻撃の為ではない。
アザゼルが身を翻す分だけでも、時間を稼ぐ為だった。

感電と――避け切れなかった角の先端、それによって切り裂かれた腹の傷を抑え、止血を図る為に。

>《余を殺めるなど不可能なこと。余は我が仔らの命すべてを背負っておる。余の中に同胞すべての命が在るのだ……。

対してアザゼルは、悠然とポチへと振り返った。
ポチの視線がアザゼルの背後、そのやや上へと逸れた。
同胞全ての命――それはつまり、この観覧席を埋め尽くす山羊の群れの数だけ、アザゼルは死を回避出来るという事。

アザゼルの黄金の毛並みから、嘘のにおいはしない。
精神的動揺を誘う為の虚言では、ない。

>たった一頭しかおらぬ汝に、余と余の一族郎党すべてを殺し切ることなどできるものか?
> 否!否よ……!!》

「……はは、そうかもね」

アザゼルはポチに角を突きつけて、悠々と、蹄で地面を擦っている。
対するポチは――その場で立ち尽くしたまま、消え入るような声で呟いた。

アザゼルの言っている事は、正しい。
ポチ一匹の力でアザゼルを殺し切る事は、極めて困難――いや、不可能だ。
ポチの扱う妖術なら、何度かは不意を突いて殺す事も可能だろう。
だが、アザゼルとその同胞全ての命を奪うには、とても足りない。

>《汝の死は無駄にはせぬ。
 汝が余に滅ぼされることで、余らはやっと数千年に渡る放浪を終わらせることができる。
 我らの未来は、汝の死から始まるのだ……さらば、粛々と落命せよ!!》

アザゼルの巨体が再び、砲弾と化した。
立ち尽くすポチの矮躯に迫る、致死の突進。
そして――骨が砕け、肉の爆ぜる音が響く。

115ポチ ◆CDuTShoToA:2020/07/11(土) 22:40:01
「……だけど、お生憎様。あんた一つ、勘違いしてるよ」

ポチの踵が、アザゼルの額を踏みつけにしていた。
胴回し回転蹴り――肉薄する角を不在の妖術で躱し、然る後に術を解除。
獣の本能に頼みを置いた、精妙極まる身体操作。
それによってアザゼルの頭部を蹴り砕いたのだ。

要するに、アザゼルの速力を利用したのだ。

「僕はもう、この世でたった一匹の狼じゃないんだ」

ポチは不在の妖術でその場を離脱。
同時に、闘技場に黒い雪が降り始める。
闘技場に薄く積もった影が、不規則に連なる壁を、戦場を埋め尽くす刀を模る。

そして――ポチはその内の一振りを引き抜き、アザゼルへと肉薄。

宵闇の妖術――生み出す影の形状が雪である事に意味などない。
まやかしの防壁にも、刀にも意味などない。
あえて言えば――その煩雑さに意味がある。

視界をただ奪うだけではなく、ノイズを植え付ける。
無数の刀の一振りを引き抜き、アザゼルに斬りかかるポチ。
それさえもが、宵闇の妖術で生み出された影絵に過ぎないという事実を、覆い隠す為に。

雷撃が影絵を射抜く。雷の鎧が薄れる。
ポチの牙が、再びアザゼルの喉笛を引き裂いた。

だが――刻みつけた傷は、やはりすぐに跡形もなく消えてしまった。

そうして、彼我の間合いは相手の喉笛を切り裂けるほどの超至近距離。
アザゼルの角が嵐のように唸る。
対してポチは――それを避けない。不在の妖術も発動しない。
むしろ更に一歩深く踏み込んだ。

それでは、角による薙ぎ払いは回避出来ない。
しかし一方で――角の先端への、致命的な接触は免れる。
被弾は精々、角の根本から頭部そのものによる打撃で済む。
無論、それでも恐ろしく重い打撃である事には違いないが――致命打でないのなら、耐えればいいだけだ。

硬質な角がポチの骨を軋ませる。稲妻がポチの全身を苛む。
それでも構わず、むしろ自分から角を掴み、体を手繰り寄せ、ポチは再びアザゼルの左目を抉った。
ばち、と、アザゼルの全身から雷が迸る。
だが、それが爆ぜる頃には、ポチの姿は既にそこにはない。

不在の妖術によって離脱を果たしたポチは――万全の状態とは言い難かった。
たった一回アザゼルを殺す為に、肋骨は折られ、全身を雷で灼かれた。
ポチの口元からは鮮血が溢れている。

しかし――それはポチ自身の血ではない。
アザゼルの喉笛に食らいついた際、口に含んだ、魔神の血。
ポチはそれを、嚥下した。

血、命を糧にして力を得る――妖怪であり、獣でもあるポチの、原初の能力。
折れた肋骨、焼け焦げた筋組織、そこから生じる痛みが、僅かにだが和らぐ。
殆どの化生にとって毒になるだろう魔神の血も――酒呑童子の血に比べれば、淡白にすら感じられた。

「僕には、仲間がいる」

雷光が、闘技場を塗り潰す影を焼き払う。
視線を遮るもののなくなった戦場で、アザゼルとポチが再度向き合った。

116ポチ ◆CDuTShoToA:2020/07/11(土) 22:44:25
「仲間だけじゃない。僕にはな、めちゃくちゃ可愛いお嫁さんだっているんだぞ」

強烈な妖力の昂り。
『君を残して、死んだりしない』――かつて最愛のつがいに誓った約束。
その決意は今でも、ポチの中にある。
その“かくあれかし”が、ポチの全身に力を漲らせる。

「頭の中には、あれこれ口うるさい、心配性の居候もいるし……おい、聞こえてるだろ。『眼』を貸せ」

更に『獣』の妖力が、ポチの全身を駆け巡る。
右の空洞になった眼窩に、ごぽりと音を立てて、血色の眼球が浮かび上がる。
それからポチは両手で、己の額を――そこにある銀色の、王冠のような毛並みを掻き上げた。

「それに、僕を信じて、頭を撫でてくれた王様だっていたんだ」

そうして、ポチが構えを取った。
重心を低く落とし、右手で刃を模る。
狙いは明白――踏み込み、貫く。その為だけの構え。

「……それに。それにさ」

対するアザゼルは――やはり、王冠の如き三対の角をポチへと突きつけた。
瞬時に地を蹴られるよう重心を落とした巨体を、地に触れた角で支えている。
つまり最大級の力を溜め込みながら、ポチが動くのを待ち構えている。
仕損じれば、ポチは自ら槍衾に飛び込む事になる――必殺の構え。

そして――空を埋め尽くす暗雲の中から、爆ぜる稲妻。
眩い雷光が闘技場を照らしたその瞬間。

ポチの全身を覆う漆黒の毛皮が、ほんの一瞬、純白に染まった。

直後、ポチはアザゼルの懐に潜り込んでいた。
一切の敵意も、殺気も帯びる事なく。
それ故に、驚くほど静かに、ごく自然に。

巨狼との最後の一騎打ちでは、無意識下での偶然でしかなかった。
だが、今はもう違う。
ポチには、自分が何故こんな芸当が出来るのか、その理由が分かっている。

「――たった一匹で僕を育ててくれた、すねこすりがいたんだ」

アザゼルの懐で、ポチの全身が唸り、渦を巻く。
獣の形態ではなし得ない、全身から生み出される力の連動。
そこから放たれた渾身の手刀が――アザゼルの黄金の毛並みを、強靭な皮膚を、筋肉をも貫いて、心臓を引き裂く。

「何かを背負ってここに来たのは、別にお前だけじゃない」

そうして次の瞬間には、ポチはアザゼルの横をすり抜け、鮮血に濡れた右手の血振りを成していた。

「だから――お前の命があと幾つあろうと、関係ない」

これまでの戦いで受けた傷は、失った体力は、決して些少なものではない。
あと何度アザゼルを殺せばいいのかも、分からない。
だが、ポチはそんな事、ほんの僅かにも意識していなかった。

既に決めているからだ。自分は勝つと。
勝って、この先に進み――そして生きて帰るのだと。
受けた傷が深かろうと、アザゼルの命の残量が分かるまいと、そんな事は関係ない。

「邪魔をするなら、死ぬまで殺してやる」

117那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/07/13(月) 19:47:22
「死刑!」

「死刑!死刑だ!」

「吊るせ!アスタロトを吊るせ!」

「裏切者は縛り首だ――!!」

アスタロトを糾弾する鯨波のような歓声が、法廷の中に響き渡る。
が、裁判官たちは静粛にとは言わない。裁きの場は完全に橘音の有罪一色といったムードになった。
橘音の味方であるはずの弁護人さえ、橘音に対する擁護を一切しない。
まさに文字通りの孤立無援となった法廷で、しかし――当の橘音といえば。

笑っていた。

半狐面から露出した、形のいい唇が。その口角が笑みに歪んでいる。
白い歯を覗かせたまま、悠然と腕組みした橘音はいかにも愉快げだった。
あたかも、絶体絶命の窮地こそ我が身の最も輝く場だと――そう言わんばかりに。

「弁護人、何か言うことは」

「ありません」

即答だ。相変わらず、弁護人には欠片ほどのやる気も認められない。

「では、判決を言い渡す。被告人アスタロトは……」

「おおっと!ちょっと待ってください、裁判長!」

今にも判決が下されようとしたその瞬間、裁判長ルキフゲ・ロフォカレの声を遮って橘音が右手を挙げた。

「……何か」

「判決の前に、ちょっと休憩を頂いてもいいですかね?
 裁判の間、ボクはこの通り被告人席にずっと突っ立ってたんだ。
 疲れちゃいましてね……この上有罪間違いなしの判決まで聞いたら、心労で倒れちゃいますよ。
 速やかに判決を聞き、自分の足で退廷するには、少しインターバルが必要です。
 悪魔だって、そのくらいの温情はかけてくれてもいいんじゃないですか?」

この期に及んで休憩をよこせとは、ふてぶてしい物言いである。当然傍聴席からは雨あられとブーイングが飛んできた。
橘音は平然としている。ロフォカレはしばし黙考すると、

「では、これより十分間の休憩とする。判決はその後に」

と荘重に告げた。
さすがに裁判長の決定に異議は差し挟めないらしく、傍聴席で罵詈雑言を浴びせていた悪魔たちは束の間黙った。

「ありがとうございます、裁判長」

ロフォカレから休憩の許可を得ると、橘音は慇懃に会釈をした。
とはいえ、たかが十分の休憩だ。橘音に何ほどのことができる訳でもない。
ロフォカレ以下アスタロトを糾弾する立場の者たちは、休憩を単なる悪あがきと解釈した。

しかし。

那須野橘音の辞書に悪あがきなどという言葉は存在しない。
一見どんなに無謀・無策の行為であっても、それは勝利への確かな布石なのである。

「んじゃ、ちょっとお花でも摘みに行ってきますかねえ」

うーん、と伸びをして凝った身体をほぐすと、橘音は一旦法廷を出てトイレに行きたいと言い出した。
もちろん、勝手な行動は許されない。橘音が脱走を試みたりしないよう、悪魔が二匹その両脇についた。
さらに弁護人役の悪魔がついてくる。左右と背後を固められる、鉄壁のガードである。
ここまで厳重に警戒されてしまっては、どんな目立つ行為もできない。

……けれども。

橘音にとっては、それで充分であったのだ。

「さあてと……では、そろそろ。裁判をひっくり返しましょうか……!」

化粧室で鏡に向かって呟くと、橘音は白手袋に包んだ右手で半狐面に触れ、微かに笑みを浮かべた。

118那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/07/13(月) 19:53:11
橘音が化粧室から戻り、被告人席にふたたび立つと、裁判が再開された。
とは言っても、もう討論すべきことは何もない。あとは判決を残すばかりで、橘音には有罪が言い渡される――

はず。だった。

「では、裁判を再開する。判決、被告人アスタロトは……」

「異議あり!!」

裁判長ルキフゲ・ロフォカレの言葉を、再び何者かが遮る。
が、それは橘音ではない。判決に異議を唱えた者へと、法廷内のすべての視線が注がれる。
声を上げたのは、橘音の弁護人だった。

「……弁護人の発言を許可する」

「裁判長、先程の私の弁護には不備がありました。具体的には、有効な弁護をするに足る資料が不足しておりました。
 つい今しがた、その資料が手元に届きましたので。新たに弁護をさせて頂きます」

先程までの無気力な仕事ぶりが嘘のように、弁護人はどこからかA4サイズのクラフト封筒を取り出すと、
何枚かの書類を机の上に並べた。
当然のように、傍聴席の悪魔たちは罵声を浴びせた。もう残すは判決のみとなった裁判だ。
今更弁護するなどと言っても通らない。
しかし、ロフォカレは小槌を叩いて静粛を促すと、鷹揚に頷いた。

「発言を許可する」

「ありがとうございます、裁判長。では――」

ロフォカレの許可を得た弁護人は書類を朗々と読み上げ、並み居る検察側の証人を次々と論破し、
立て板に水を流すような弁論で舌鋒鋭く橘音の弁護を展開した。
半端な証言や反論は弁護人の前に瞬く間に論破され、橘音の有罪を証明するどころかあべこべに無罪の裏付けと化す。
橘音は腕組みしたまま、何も言わずただニヤニヤ笑いながら裁判の趨勢を見守っている。

「裁判長、ボクまた疲れちゃいました。休憩頂けません?」

弁護人が怒涛の論破で巻き返しを図り、一時間ほどが経過すると、橘音は再度休憩を願い出た。
ロフォカレは頷いた。

「では、これより十分間の休憩とする」

裁判は再び休憩となり、橘音は例によって悪魔たちに脇を固められたまま、今度は控え室へと入った。
すぐに休憩時間は終わり、橘音はみたび被告人席に立つ。
そして――

「……被告は無罪だと思います」

そんな声が、今度は裁判員席の方から上がった。

「被告は無罪!これは冤罪だ!」

「裁判長!直ちに無罪の判決を!」

「裁判長!」

裁判員席に座っている悪魔たちが、そうロフォカレへ口々に捲し立てる。
弁護人と同じく、開廷当初は裁判員たちも一様に口を閉ざし、ひとりたりとも橘音の無罪など言い出さなかった。
だというのに、この変心はどうか。まるで、最初から橘音の無罪を信じていた――とでも言うように、熱っぽく主張している。
傍聴席がザワザワとざわめく。ロフォカレの左右に座っている裁判官たちが動揺してロフォカレへ目配せしてくる。
これはおかしい、と。
法廷の長である契約の魔神は、ただ沈黙を貫いている。

「…………」

一見すると落ち着き払っているロフォカレだが、その実内心ではひどく狼狽していた。
法廷の中にいる者たちは、弁護人から裁判員、傍聴人に至るまで全員がロフォカレの息のかかった悪魔だ。
この裁判は出来レース。最初から橘音が有罪となって敗訴するのが決まり切っている茶番なのだ。
というのに、弁護人は巧みな弁舌で検察をきりきり舞いさせ、裁判員たちは橘音を無罪だと言い張っている。
もちろん、こんなことはロフォカレの予定にはなかったことだ。
完全に掌握しているはずの法廷内で、何か不測の事態が起きている。
それも、ロフォカレにとって致命に至るかもしれない事態が――。
だというのに、その正体が分からない。理解できない。

契約の魔神は長い顎髯に覆われた青白い面貌を歪め、橘音を睨みつけた。

「……アスタロト……其方、いったい……何をしたのであるか……!」

「さあて……何ですかねえ。
 そんなことより裁判長殿、早く進行させてくださいよ。『ボクたちの裁判』をね――!!」

憤怒に満ちたロフォカレの眼差しを真っ向から受け止め、ニタリ……と橘音が嗤う。
いつも仲間に対して見せる快活な笑顔ではなく、かつて黒橘音と呼ばれていた、地獄の大公アスタロトの邪悪な笑み顔。

それを隠そうともせず、橘音は裁判の続行を促した。

119那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/07/13(月) 19:54:04
『妖怪大統領』バックベアードの巨大な瞳が眺める中、祈とレディベアの闘いは続く。

「それは何の真似ですの?
 まさか……たかだか目を瞑った、たったそれだけでわたくしの瞳術に対処した、とでも言いたいんですの?」

目を瞑り、金属バットを構えた祈の姿を見て、レディベアがせせら笑う。

「この瞳はお父様から譲り受けたもの。お父様とわたくしが親子であるということの証。
 すべてを跪かせる支配者の目――。それから目を逸らすことなど、なんぴとたりとも出来ないのです。
 あなたたち下等妖怪たちは、すべて!わたくしたちを恐怖と共に見上げるべきなのです!
 目を伏せるなど……不敬でしてよ!!」

ぎゅがっ!!

レディベアが祈に肉薄する。まるでガトリングのような、嵐のような拳の連撃で祈を破壊しようと襲い掛かる。
が、祈は龍脈の記憶による戦闘技能でレディベアの攻撃を次々と往なしてゆく。
金属バットも折れない。本来であればマッチ棒のようにへし折れてしまうであろう金属バットで、
祈はレディベアの攻撃の力を巧みに往なし、一歩も譲らずに立ち回る。
必殺の攻撃がまるで当たらないことに業を煮やし、レディベアが隻眼を怒りに歪める。

「小癪なことを!星の記憶……とでも言いたいんですの……!?マンガの読み過ぎですわ!
 マンガなど読まず、もっと教科書をお読みなさいなと……言った、はずですッ!」

>そこッ!

怒りでモーションの大きくなったレディベアの攻撃、その一瞬の隙を衝き、祈がバットをフルスイングする。
が、クリーンヒットはしない。祈の攻撃はレディベアのコスチュームを掠っただけで、
左脇腹のあたりを引き裂くのみで終わった。

「く……」

コスチュームを切り裂かれた脇腹を押さえながら、レディベアは後退した。
真っ黒いスーツの切られた場所から、真っ白い膚が覗いている。

「ふざけた構えでわたくしを怒らせ、隙を見出して攻撃とは……姑息な策を弄しますのね。
 弱者は詭計を弄すもの、とはいえ……目に余る不快ですわ。
 ならば……わたくしも少し本気を出す必要がありそうですわね……!」

レディベアがギザギザの歯を覗かせて嗤う。
そして右手を大きく開いて高々と頭上に掲げると、その途端に周囲の空間が極彩色の輝きを帯びて大きくうねり始めた。
混ざりあわない絵具のような、禍々しい色彩。それがレディベアの合図によって次々にその様相を変化させてゆく。

「ここは『ブリガドーン空間』……虚が実に、実が虚になる異空間ですわ。
 そしてお父様のお膝元でもある……この場に足を踏み入れた時点で、祈。あなたに勝ち目はないのです」

ブリガドーン空間では『そうあれかし』が強く作用する。
とりわけ、空間の主であるバックベアードとその娘レディベアの願いには強く反応するのだろう。
レディベアが祈に切り裂かれたスーツの脇腹を軽く撫でると、裂き傷は跡形もなく消えてしまった。

「ブリガドーン空間において、わたくしとお父様を斃そうなどと!
 そんな思い上がりは……正さなければいけませんわ!」

またしても、レディベアは祈へと突進してきた。
しかし、今度は単調な拳での連続攻撃ではない。
レディベアの突撃と同時、祈の周囲の極彩色の空間にひとつ、目が開く。
バックベアードをそのままダウンサイジングしたような瞳、それがみるみるうちに多くなってゆく。

ぞろ。
ぞろり。
ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ。

祈の周囲を取り囲むように出現し、少女を見つめる目。目。目――
そして。
その瞳孔から妖気があたかもレーザーのように照射され、祈を狙った。
四方八方から襲い来る、糸のように細い光線。
だが、その威力は恐るべきものだ。金属バットに当たった一本の光条が、いとも簡単にバットに穴を穿ってゆく。
もしも身に受ければ、錐で身を穿たれるような痛みに苛まれるだろう。

「目を開きたくないというのであれば!無理にも開かせて差し上げますわ!」

さらに、無数の視線によるレーザーのさなかにレディベアが殴打を仕掛けてくる。
レディベアはともかく、光線はもちろん聴覚だけでは反応できない。
祈が風火輪を使って機動力を発揮しても、目はその行く先々に先回りして開いてゆく。
祈は完全に包囲されてしまった。

120那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/07/13(月) 19:56:21
「はああああッ!!」

ガゴッ!!

脚力に秀でた祈のお株を奪う、レディベアの渾身の右ハイキックが祈を捉える。
レディベアは昏い笑みを浮かべながら、腰に右手を当てて勝ち誇った。

「フフ……愚か。愚か愚か愚か!まだ、わたくしを助けるなどと。そんな寝言を言っておりますの?
 わたくしは正気ですし、あなたを生かして帰す気もありませんわ。
 ここから出たいと言うのなら、わたくしを殺す気でおいでなさいな。
 尤も……ここはブリガドーン空間。いわばお父様の、妖怪大統領の謁見の間。
 そんな場所から、何の犠牲もなしに出られるなどとは思わぬほうがよろしくてよ……アッハハハハッ!」

祈が乗ってきたエレベーターはいつのまにか消えており、空間の中には祈と祈を見る無数の眼差し、レディベア、
そして頭上に開いた巨大な眼のバックベアード以外にはいない。
文字通りの孤立無援だ。龍脈の力こそ働いているものの、それもいつまで持つかは分からない。
一方レディベアはブリガドーン空間の機能を十全に使用してくる。
祈の想いがまるで作用しないのは、恐らくレディベア達がこの空間を制御しきっているからなのだろう。

しかし。

龍脈の神子として地球に認められた今の祈なら、きっと気付くだろう。
『この空間には、自分とレディベア以外の妖気が感じられない』。
祈は当然妖気を持ってこの場にいる。レディベアの妖気も、祈にはハッキリと感じることができる。
だが、それだけだ。
空間に発生した無数の目は、ブリガドーン空間によって超強化されたレディベアの妖術だ。
自身の隻眼だけでなく任意の空間に自由に目を発生させ、そこから閃光を放つ――恐るべき妖異。
だが、“それだけ”だ。具体的には――

祈は、バックベアードの妖気を感じることができなかった。

「お父様、お父様……今すぐに祈の中から龍脈の因子を引きずり出し、お父様にお捧げ致しますわ!
 そうすれば、お父様はもう自由……この忌まわしい牢獄から解き放たれるのです!
 夢のようですわあ!」

勝利を確信して疑わないレディベアが背後を振り返り、巨大な瞳へ向けて告げる。
レディベアは父がその場にいることに何ひとつ疑問を抱いていないのだろう。
だが――やはり、祈には感じられない。
そこにバックベアードが本当に実在しているのか、分からない。

「さあ……祈。死ぬ準備はできまして?
 あなたが死ぬことで、お父様はここから出ることができる。この世を統べる資格を持った唯一の存在として、
 存分に下民どもを支配することができる……。
 あなたには感謝いたしますわ。あなたのことを、わたくしはずっと忘れないでしょう。
 わたくしの大切なともだ……と、とも―――――」

そこまで言いかけて、レディベアは僅かに眉を顰めた。頭痛を覚えでもしたかのように、右の米神を押さえる。
レディベアの纏っているスーツの表面で輝く、禍々しい赤の紋様が明滅する。

「痛……、なん、ですの……?」

一度かぶりを振ると、レディベアは気を取り直して祈を見た。
そして構えを取ると同時に、展開している無数の目もまた瞬きを始める。

「ぐ……。い、行きますわよ、祈……!
 覚悟なさい!あなたの末路は、ここでの死以外に何もないのです!!」

レディベアが祈にとどめを刺そうと迫る。無数の目から万物を穿つ破壊の閃光が放たれる。
ブリガドーン空間によって増幅されたレディベア、いわばレディベア・ブリガドーンモードの力は、
龍脈の神子の力に覚醒した祈のターボフォームと互角。
そのすべての攻撃を往なし切ることは、全力の祈りにも難しいだろう。

「お父様の千年帝国樹立、その礎となって死になさい!祈!
 あなたとの学校の思い出、一緒にお勉強した、給食を食べた、体育でペアを組んだ、
 夜の公園で語り合った記憶は、わたくしの……わた……」

目にも止まらぬ連撃のさなか、そう言ったレディベアの動きが僅かに鈍る。
そして、その都度纏っているスーツが不気味に明滅し、レディベアの頬に亀裂めいた血管の筋が幾条か浮き出た。
レディベアの隻眼がぎらぎらと殺気を纏って輝く。

「く、あ、あ……!
 死ね……、死ね!多甫祈ィィィィィィィィィィ!!!」

まるで、痛みにのたうち苦悶の叫びをあげるかのように。
高く咆哮すると、レディベアは祈へと右腕を伸ばした。

121那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/07/13(月) 19:56:48
「アッハハハハハハッ!笑えるじゃん!
 そんな小さな氷の力で、このアタシに挑む?アタシを殺す?
 氷でアタシを斃したかったら、ルシファーを捕えるコキュートスの永久氷河でも持ってくるんだね!」

全力を出すことができないでいるノエルを前に、コカベルが哄笑する。
コカベルの操る炎は、正真正銘地獄の炎。ゲヘナの火。
それは地上の炎とは一線を画する、何もかもを滅却する火焔。
かつてエグリゴリやネフィリムらをすべて焼き払った炎を、魔神に堕したコカベルは自らのものとしていた。

「ハ!当代の神子?いい方向に導ける?
 そんなこと、誰が保証してくれるの?ベリアル兄様よりそいつの方がいいなんて、どうして言えるの?
 龍脈の神子ってものが何か、本当にわかってる?
 アドルフ・ヒトラーは何をしたんだっけ?始皇帝は?アレクサンダーは?
 龍脈の神子なんてものは――代々、世界をひっかきまわして破滅していくものなんだよ!」

世界が変革するとき、龍脈の神子は現れる。
アドルフ・ヒトラー。秦の始皇帝。アレクサンダー大王――
歴史上の名だたる人物の中には、祈と同じ龍脈にアクセスする力を持つ人物が何人もいた。
そして良きにつけ悪しきにつけ世界を変革させ――滅びていった。
それが祈の身に起きないと、いったい誰が保証できるのだろう?

「アタシ達は、この世界を良くしたいだなんてハナから考えちゃいないよ……ノエルちゃん。
 この世界は神が創ったもの。あの忌まわしい、ウソつきの、クズ野郎!
 だからさ……アタシ達はブッ壊すんだ。この世界をまるっと平らにして、一からやり直す!」

ぐ、とコカベルは右手を握り込んで言い放った。

「東京はアタシがこの世界で一番のテーマパークにするんだ……ベリアル兄様が『そうしていい』って言ったんだ。
 破滅するのが分かってる龍脈の神子なんかに何ができるって?
 説明してみなよ。絶対にそいつが道を踏み外さないって、そう保証できる何かがあるのなら――
 アタシに、見せてみなよ、ノエルちゃああああああああああん!!!!」

ガオンッ!!

コカベルが左の手のひらをノエルへと突き出すと、そこから瞬く間に漆黒の獄炎が生まれる。
1000℃を超える、火山弾の如き灼熱球。それが唸りを上げてノエルを襲う。

「アハハ!どうしたのノエルちゃん?アタシをおねんねさせるんじゃなかったの?
 アタシは眠らない……可愛いネフィリム達に、永遠の安息の地を与えるまでは!
 コカベルパークはアタシの夢だ!その夢を阻む者は――誰であろうと!消す!!!」

更にコカベルは炎を身に纏いながら翼を一打ちし、ノエルへと肉薄した。
その手にはいつの間にか、ゲヘナの火で構築された黒く燃え盛る炎の剣が握られている。
コカベルの纏った炎の熱は接近しただけでノエルを溶かし、振るう剣の切れ味は瞬く間に防御壁を粉砕する。
また、ノエルの攻撃はコカベルの肉体にダメージを与える前に蒸発し、無害な水蒸気と化して消えた。
完全にコカベルの攻撃力、機動力、防御力は現在のノエルを凌駕している。
やはり、ノエルがコカベルを斃すなら修行によって得た力を用いる他にはないのだろう。
更には、煉獄と化したパークに佇んでいた巨人ネフィリム達がノエルに巨大な拳を振り下ろしてくる。
ネフィリム達は世界の破滅を司る。かつて北欧神話の世界を破壊し尽くした、炎の世界の住人。
ムスペルヘイムの巨人たち――
それらと同一とも言われる権能を、ノエルへと鉄槌の如く打ち下ろす。

>行け、氷の巨人!

炎の巨人に対抗し、ノエルが氷の巨人を創造する。
炎と氷、二種類の巨人の軍勢が激突するさまは、まさしくラグナロクの様相だ。
巨人たちが緩慢な動作で殴り合い、そのたびに大気が振動する。大地が揺れる。
両陣営の実力は拮抗していた。ネフィリムも氷の巨人も、互いに一歩も譲らない。
そして――

氷の巨人の一体がネフィリムの一体を殴り倒し、その身体の上に馬乗りになってなおも追撃をしようと右拳を振りかぶったとき。
それまでノエルを苛烈に攻め立てていたコカベルが、突然その剣の矛先を氷の巨人へと向けた。

「――チッ!」

ノエルが目くらましを使用するまでもなく、コカベルは翼を一度羽搏かせ瞬時にノエルの前から離脱する。
そして氷の巨人と押し倒されたネフィリムのところへ飛んでゆくと、氷の巨人の右側頭部に渾身の蹴りを叩き込んだ。
炎を纏った強烈な蹴りの直撃を喰らった氷の巨人は頭部をどろどろに融解させ、ゆっくりと倒れてバラバラに砕け散った。
間一髪、ネフィリムを救出したコカベルは安堵の表情を浮かべる。

「大丈夫?ケガはない?
 いい子、いい子だね……後でおいしいチョコレートをあげようね。キャンディも……。ママと一緒に食べよう。
 だから――ママがノエルちゃんを斃すまで、危ないから下がって見ておいで。ね?」

起き上がったネフィリムに対し、コカベルは優しく微笑んだ。
身長160cm程度しかないコカベルが全長30メートルはあろうかというネフィリムを幼な子のようにあやす姿は異様だったが、
正真コカベルはネフィリムを愛しい我が子と思っているのだろう。
それが、死と破壊を齎す怪物だったとしても。

122那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/07/13(月) 19:57:10
「……神は言った。
 この、私が泥をこねて作った『人間』を愛し、慈しみ、守ってやりなさいと」

ゆっくりと非戦闘区域まで歩いてゆくネフィリムを見届けると、コカベルは宙に浮いたままでノエルへと振り返った。

「シェムハザは、こんな泥人形なんて愛せるかって反発したけれど。
 アタシは違った。人間……このちっぽけで、弱くて、愚かな存在を……アタシはすぐに気に入った。好きになった。
 だから、愛した。全身全霊で愛し、慈しみ、守ってやった。アタシの持つすべての叡智を与えた。
 人間たちがもっともっと幸せになるように。安らげるように。愛されるように。
 そして――」

それを。罪だと言われた。
神は天使エグリゴリが人間と結婚し、子を成し、天の叡智を与えたことを罪だと糾弾した。
しかし、人間は神が自らの似姿として創造した存在である。
そして天使は神を愛する者。神に傅き、神を崇拝し、神に自らを捧げる者。
つまり――天使が人間と結ばれるのは『当然の成り行き』であったのだ。

「アタシはやれと言われたことをやっただけ。
 それなのに、いつの間にか大罪を犯した堕天使なんて呼ばれてる。
 じゃあ、アタシはどうすればよかったの?シェムハザみたいに拒否すればよかった?ルシファーみたいに反旗を翻せばよかった?
 そんなことできない。アタシはただ、大好きな人たちを守りたいだけ。
 大好きな仲間たちに、仲間たちが作った子供たちに、幸せになってもらいたいだけ……」

そっと、コカベルは大きなリボンのあしらわれた自らの胸元に左手を添えた。
堕天する前、コカベルはエグリゴリの長たちの中でも最も職務に熱心な天使だった。
その熱心さは、今でもまったく変わっていない。
自身をママと言った、その大きな母性と慈愛を発揮して、共に堕天したエグリゴリやネフィリム達を守っている。

「ネフィリム達は壊すことしかできない。でも、分別を持たない赤ん坊のしたことを誰が怒れるって言うの?
 あの子たちは外に出れば迫害されるさだめ。けれどコカベルパークがあれば、あのコたちを守ってやれる。
 兄様が仲間を作らない?搾取する対象としか見ていない?
 最初から分かってるよ。兄様の手口なんて2000年前から知ってる。でもね――
 そんな空手形に縋らなくちゃならないくらい、アタシ達を追い詰めたのは……今のこの世界だろ!」

コカベルの周囲を炎が取り巻く。
かつてコカベルの仲間たちを、子供たちを、そしてコカベルをも焼き尽くした煉獄の焔。
今やそれは堕天使コカベルの新たな力となり、ノエルの脅威としてその前に立ちはだかっている。

「ノエルちゃんは、神子のことが好き?
 いいと思うよ、人は誰を好きになったっていいんだ。慈しんで、愛して、守って……言葉で、行動で、好きだって示せばいい。
 でもね……この世界ではそれを『罪』って言うらしいよ。アハハハハ……笑えるじゃん?
 それがどれだけ純粋で、透明で、無垢なものだったとしても。
 神はそれを穢れていると言った!それを是とするのが、今のこの世界だ!!」
 
怒声に応じるように、ゴッ!と音を立てて炎がその勢いを増す。
周囲のコカベルパークも、炎に呑まれてゆく。その様相はまさしく世界の終焉に等しい。

「アタシはこの世界をブッ壊す。すべての構造物を、文化を、概念を、常識とされるものを、根こそぎ灰燼と化す。
 そして――新たに打ち立てよう。ネフィリム達が無邪気に暮らせる世界を。愛することが罪にならない世界を。
 アタシは……アタシの愛で!
 世界を!!
 変える!!!」

炎の剣にコカベルの妖力が集中してゆく。今までの攻撃とは比較にならない熱量が、ゴゴゴ……と大気を振動させる。
両手で剣を構えると、あたかも炎の柱のように紅蓮が高く高く燃え盛って天を焦がした。

「いくよ……ノエルちゃん。
 アタシの奥義、受けて蒸発するといい。
 冷気の上限はマイナス273.15℃、でも炎の温度に理論上上限は存在しない!
 つまり……アタシに戦いを挑んだ時点で!ノエルちゃんは『詰み』だったんだよ!
 さあ――受けよ!創世記戦争でウリエルの左腕を斬り落とした、アタシの必殺剣――!」

今や全身が炎そのものとなったコカベルが叫ぶ。猛り狂う剣の切っ先がノエルへと振り下ろされる。
神座(かむくら)に侍る熾天使のひとり、神の焔を司るウリエルをもその火勢で凌駕し、利き腕を斬り飛ばしたとされる、
コカベル最大の必殺剣。
太陽のプロミネンスにも似た、セ氏数万度の焔の奔流――

「『三界安きこと無し、猶火宅の如し(インジャスティス・オーバーロード)』!!!!」

ゴアッ!!!!

膨大な量の炎が隙間なく、さながら津波のようにノエルへと殺到する。
半端な氷の壁などその直撃を受けるまでもなく、輻射熱だけで蒸発するだろう。ノエル本体も同様である。
コカベルの必殺剣を受けてなお生還するというのなら、やはり第五の人格に目覚めるしかない。
だが、ノエル第五の人格は慈しみの力。自分自身ではなく、他の誰かを守るときだけに発現するもの。
ここに仲間はおらず、ノエルの他にはコカベルしかいない。

けれど。

ノエルは発動できるだろう、修行で得た新たな力を。雪の女王さえ退けた、他者を守る力を。
なぜなら――


守る相手は、目の前にいるのだから。

123那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/07/13(月) 19:57:33
「どうした、尾弐ィ!
 我を失望させるでないぞ、折角の闘いに遠慮は無用!
 全力で来い!まだまだ……こんなものが貴様の実力ではなかろうが!」

ドラゴンの巨大な死骸に埋まった尾弐の状態を確認しようと、アラストールがゆっくり近付いてくる。
アラストールの頑健さは他に類がない。尾弐がかつて戦った相手で頑丈だったといえば天魔ヴァサゴがいたが、
このアラストールに比べればヴァサゴの装甲など濡れた半紙に等しい。
極限の修行を経て、悪鬼としては最高レベルの強さを身に着けた尾弐をもってしても、
闘神の腹筋を貫くには至らなかった。

「インパクトの瞬間、自ら後方へ飛んで衝撃を殺し――トカゲの死体をクッションとしてさらに我の拳の威力を封ずるとはな。
 なかなかのテクニックだが……受け身ばかりでは永劫我を斃すことはできんぞ!
 この荒涼たる空間から出たいと望むなら、攻めて来い!聞こえておるのだろうが、尾―――」

アラストールがサンダルの裏で赤黒い地面を踏みしめ、死体へとさらに一歩接近した瞬間。
突如として、その双眸へと真紅の飛沫が降りかかった。
視界をドラゴンの血液で遮られ、アラストールが僅かに怯む。

「ぐ!?」

ゴパァッ!!!

そして、同時に肉と臓腑を突き破った血まみれの尾弐が突っかける。
完全な奇襲だ――単なる戦士であるなら、尾弐の仕掛けたこの攻撃に対処しきることは容易ではない。
が、尾弐の眼前にいるのは“闘神”アラストール。
2000年に渡り、常住坐臥闘いのことばかり考えて生きてきた、闘争の化身である。

「ゴハハ、そう来たか!――ツェェイッ!!」

いかなる攻撃であっても、その戦闘頭脳は瞬く間に最適解を導き出す。
ぼっ!と音を立て、尾弐の気配と妖気を頼りに左拳を撃ち出して迎撃した。
爆速で繰り出される必殺の左拳を躱し、尾弐がアラストールの脇をすり抜ける。
瞬刻の交錯を経て、両者は再度向かい合った。
そして――

「……ぬ、ぅ……?」

突き出した拳、その小指に違和感を覚え、アラストールは僅かに眉を顰めた。
左手、小指の付け根の肉がごっそりと噛み千切られ、骨が覗いている。

>ゴホッ――――なんだ、天魔の肉ってのは随分不味いモンだな。燻製にしても食えねぇレベルだ

見れば、尾弐が肉片を咀嚼している。
互いがすれ違うほんの一瞬の間に、アラストールの拳を見切り小指の肉を食いちぎったのだ。
さらに尾弐はまだ鮮血の滴るドラゴンの肉を啖い、ごくりと呑み込んだ。

>残念だなぁ、アラストール。
>テメェの自慢の筋肉はトカゲ以下の味だったぜ。ビール飲んで霜降りでも増やした方がいいんじゃねぇか?

嘲り、見下すような尾弐の言葉。
全身をドラゴンの血に染め、肉を貪るその姿は、まさに悪鬼。分別も理性もない禽獣の如きもの。

「……ほう。それが貴様の本性か?悪鬼。
 なりふり構っておれぬということか……武では我に勝てぬ、ならば正攻法以外で攻めるが善し、と――?
 ゴハハ、構わんぞ!なんでもやってみろ……それでこのアラストールに勝てると思うのならばな!!」

>――――さあて、それじゃあラウンド2だ。欠伸混じりにさっさと終わらせようぜ、駄肉野郎

「応!」

抉られた小指などものともせずに拳を固めると、アラストールは仕切り直しとばかりに尾弐へ突撃した。
そして、相変わらず一撃必殺を束にしてぶつけてくる。
そんな闘神の攻撃に対して尾弐が選択したのは――到底闘いとは呼べない類の反則行為。
生死を懸けた戦いに反則などありはしないが、まともな闘いでは絶対にありえないようなラフファイト。
目を、耳を、金的を、ありとあらゆる急所を狙い、髪を引っ張り、爪で引っ掻く。
闘いとさえ呼べない行為を、尾弐は飽くことなく試みる。
むろん、そんな悪あがきにも似た行為でアラストールが斃せるわけがない。
ただし、それがまったくの無駄である……という訳でもない。
卑怯卑劣を地で行く尾弐の行動に、アラストールのフラストレーションが溜まってゆく。

「ツァッ!!」

執拗にまとわりつきながら、姑息と言うしかない戦い方で食い下がる尾弐への苛立ちが頂点に達したのか、
アラストールは素早く右腕を伸ばして尾弐の喪服の胸倉を掴むと、その巨体を片腕一本で大きく投げ飛ばした。
そして間合いを開くと、ふー……と大きく息をつく。

仕切り直しだ。

124那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/07/13(月) 19:57:57
「いじましい闘いをするではないか。
 だが、貴様にも分かっているはずだ。そんな攻撃では、万年経っても我を斃すことはできん……とな」

屈強な双腕を組み、アラストールが嗤う。

「貴様の狙いは分かっておるぞ。吾を怒らせ、一度の隙を窺っておるのだろうが?
 あぁ隠すな隠すな、皆まで言わずとも全部承知しておるわ!貴様は隠そうとしておるようだが。
 貴様の瞳が、筋肉が、血の流れが、骨の軋みが。我に教えてきおる――
 貴様がもっと大きなオモチャを持っとるとな」

アラストールは10000戦以上の戦績を持つ古強者。
当然、その目が視るのは対戦相手の表情だけではない。
尾弐が発勁や絶技とも言える体捌きから繰り出す攻撃から、突然急所狙いの姑息な攻撃にスイッチしたこと。
それによる視線の、呼吸の、関節の、臓腑の動きの変化。
その変化が果たして、何を企図するものか――
闘神は尾弐のすべてを見透かしたうえで、眼前の悪鬼が窮余の一策を狙っていると看破していた。

「我を失望させるなと言ったはずだぞ、尾弐黒雄。
 そんな下らん布石を打ってオモチャを見せるタイミングを計らずとも、開帳の場なら呉れてやるわ!」

そう言うと、アラストールは突然両手を突き出し、尾弐に十本の指を見せた。

「十打!!
 これから、このアラストール全力の拳十打を放つ!
 尾弐黒雄よ、貴様が我が本気の剛拳九打に耐え切ったならば、最終の十打目に奥義を放ってやろう!
 貴様がオモチャを見せるとすれば、その瞬間の他はあるまい!」

ゴアッ!

アラストールの全身から闘気の柱が立ち昇る。
尾弐がこれから放たれる全霊の拳を九度凌げば、最後の十打目にアラストールは奥義を出すという。
尾弐の望む、闘いを決するための必殺。それが、来る。

「尤も……我の全力、三合凌いだ者は未だかつて存在せんがな!
 ――ファイナルラウンドだ!!!」

だんッ!!と地面に亀裂が入るほどの勢いを以て、アラストールが踏み込みから一気に尾弐へと肉薄する。
そして、撃ち放たれる全力の九打。

一打目。大気を振動させる、雷霆の如き迅さを持つ右のストレート。
二打目。一打目に合わせての、踏み込みながらの左肘打ち。
三打目。あばら狙いの右のミドルキック。
四打目。右脚を下ろすと同時、そこを軸足として踏み込みながら下方からの右フック。
五打目。四打目の勢いを乗せて左のハイキック。
六打目。ハイキックから身体を回転させ、身を地面ぎりぎりまで低く伏せての足払い。
七打目。六打目でバランスを崩した相手への双掌打。
八打目。吹き飛んだ相手への瞬時に追撃しての、顔面へ右ストレート。
九打目。さらに駄目押しの右飛び回し蹴り。

その一発一発が必殺。必倒。必滅の絶拳。一撃放たれるごとに空気がビリビリと振動し、轟音が鳴り響き、大地が砕ける。
まさに闘神の豪打――
尾弐はそれを躱すだろうか、それとも受けるだろうか。
兎も角アラストールの拳、その九打までに耐え抜けば、その後には奥義が待っている。

「ゴッハハハハハハハーァ!!いいぞ!いいぞ!尾弐黒雄ォ!!!
 三合どころか、我の言いつけ通りに九打を凌ぎ切ったか!
 ならば約束は守らねばならんな!
 篤と見よ!これが闘神アラストールの奥義――その真髄よ!!!」

アラストールの全身を取り巻く闘気が一層色濃くなってゆく。
地面が震動し、砕け散った大地の欠片が宙に浮かんでは粉々になる。
闘神の漲る闘気が質量を伴い、アラストールの肉体の一部としてある形を成してゆく。

「ゆくぞ!我が奥義――貴様の一番のオモチャで!凌駕してみせろォォォォォォォォォォ!!!!」

それは、無数の腕。
闘気が形となって顕現した、無数の剛腕をあたかも千手観音のように背に負ったアラストールが、喜悦の表情も露に迫る。
妖気も妖術も用いない特異な妖壊、アラストール。
その全力の奥義が――

「『超級激憤鬼神葬(アスラズ・アンガー)』!!!!!!!!!」

それは、まさに拳の暴風。荒れ狂う濁流の如き、天変地異にも似た攻撃の大嵐。
背に発生させた千にものぼる闘気の腕でラッシュを見舞い、最後に自らの双拳渾身の一打で相手を葬り去るという、絶殺の秘拳。
むろん、闘気腕の一撃一撃さえもが致死の威力。それが幾千、幾万尾弐へと振り下ろされる。
絶体絶命の窮地。九死に一生どころではない、十死の危機。
尾弐はそれに恐怖を感じるだろう。迫りくる死に、回避不能の終焉に慄くはずだ。
だが、もしもその怖れを闘志に換えることができたなら――


尾弐は見出すことができるだろう、億分の一の勝機を。

125那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/07/13(月) 20:05:35
『スケープゴート』という言葉がある。
贖罪の山羊、アザゼルの山羊――とも言う。かつて、ユダヤ教では贖罪の日に二匹の山羊を生贄とし、
自らの犯した罪を身代わりに負わせ、片方を神に、もう片方をアザゼルに捧げたという。
その伝承が示す通り、アザゼルは自らの負った傷を瞬時にこのコロッセオにいる仲間たちへ身代わりさせることができる。
従って、ポチが必死でアザゼルの喉笛を噛み千切ろうと。左目を抉ろうと。右膝を砕こうと。
アザゼルはその傷を仲間たちへ代替させ、無傷を保つことができるのだ。
この闘技場を埋め尽くす山羊たちがいる限り、アザゼルは決して斃れることはない。
ポチの見立て通り、闘技場のすべての山羊を皆殺しにでもしない限りは、アザゼルに致命打を与えることはできない。

《無駄、無駄だ。狼の仔よ――
 余はただ遊山にこの場へ来ているのではない。破滅の遊興に耽溺する長子とは違う。
 申したであろう。余は背負っているのだ、仲間たちの命を。一族の未来を。命運を。
 負けられぬ理由がある。叩き潰す事情がある。進むべきさだめがある――
 汝には。何もあるまい》

カツ、カカッ、と二股に割れた蹄を鳴らしながら、アザゼルが悠然と屹立する。
黄金に輝く雷光を纏ったその威容は、まさに支配者。紀元前から楽園を追放され、流浪を強いられてきた――放浪者たちの王。

《……長かった。長い長い、長い旅であった。
 我が民には労苦を強いた……この、不出来な王の為した過ちで。
 されど、ここが終点である。この東京の地を、我らの新たなる楽園(ジャンナ)とする。
 流謫の民は、極東のこの地で。永遠の安息を得るのだ》

アザゼルもまた、ノエルの戦っている魔神コカベル同様エグリゴリの指導者のひとりだった。
コカベルら他のエグリゴリ同様、アザゼルもまた泥をこねて創られた人間という種を愛し、慈しんだ。
そして――それを堕落と、叛逆と取られ、追放の憂き目を見た。

アザゼルは自らの愛する仲間や子らと共に、永劫の流浪を強いられることになった。
この世のすべては神の創り給うたもの。神から追放を命じられた者に、その身を落ち着けられる場所などない。
神は天地創世において六日で世界を生み出し、七日目には休息したという。
アザゼルとその眷属も六日を流浪に費やし、七日目にやっと一時の安息を得ることができた。
だが、それさえ心よりの安寧ではない。或いは腐臭漂うおぞましき沼沢、或いは光差さぬ渓谷の弥終(いやはて)。
そんな神の目の届かぬ場所で身を寄せ合い、神の見捨てた塵芥や亡骸を食み、飢えを凌ぐ旅。
永遠の安らぎを求め、彷徨すること数千年――

やっと。アザゼルとその一族は自らの旅の終焉、その地を見出したのだ。
たった一頭の、小さな狼の仔。それを殺せば、安息が手に入る。平穏が、繁栄が、未来が約束される。

《民よ、我が愛する民草よ。
 数千年に及ぶ苦艱、まこと大儀であった。
 安堵せよ、この王は負けぬ。必ず、必ずや勝利を掴み取ってみせよう。
 汝らの王は期待を裏切らぬ。この双肩に負った汝らの命と共に――最後の戦いに。
 勝つ!!!》

ガオン!!!

アザゼルが突進する。アザゼルの攻撃はいたってシンプルだ。小細工も何もない、ただ真正面からの突撃(チャージ)。
ポチめがけて一直線に猛進するだけの単純極まりない攻撃だが、それが強い。
天空から降り注ぐ雷霆を毛皮に蓄積し、莫大な電力を妖力に変換しての突撃――その迅さは音速。威力は必殺。
そのあまりの速度は『音さえ置き去りにする』。
突進の音が聞こえた、と思ったときには、既にアザゼルはポチに肉薄している。

ポチの生み出した無数の影を、林立する刀のシルエットを、黄金の閃光が薙ぎ払う。
王冠めいて複雑に絡み合った三対の角が、ポチの小さな身体を痛撃する。
アザゼルは再度左目を抉られたが、次の瞬間には回復している。代わりに闘技場のどこかの山羊が左目を失い斃れたが、
王たるアザゼルは一顧だにしない。
仲間の負傷を顧みぬ酷薄な王――なのではない。むろん案じている、悼んでいる、嘆いている。
しかし。
それさえも乗り越えて進まなければならぬ理由が、アザゼルにはある。

突進を終えたアザゼルはふたたびゆっくりと身体を翻し、ポチへと向き合う。
ポチがアザゼルの血を嚥下し、自らの力に変える。
二頭の『王』が睨み合う。

>僕には、仲間がいる

ポチが言う。

>仲間だけじゃない。僕にはな、めちゃくちゃ可愛いお嫁さんだっているんだぞ

その小さな、アザゼルの二十分の一もないような身体に、満々と妖力が漲る。

>頭の中には、あれこれ口うるさい、心配性の居候もいるし……おい、聞こえてるだろ。『眼』を貸せ

ぽっかりと空いていた右眼窩に、『獣(ベート)』の眼球が構築される。妖力がさらに膨れ上がる。

>それに、僕を信じて、頭を撫でてくれた王様だっていたんだ

アザゼルの戴く黄金の王冠に競るように、一房の銀髪が輝く。

126那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/07/13(月) 20:10:46
>……それに。それにさ

《――――――――――――勝負!!!!!!!!》

ドオンッ!!!

頭を下げ、角を前方へ槍衾のように向けたアザゼルが突進する。降り注ぐ雷霆を受け、全身から雷撃を迸らせながらの重爆。
だが、ポチはそんな必殺の攻撃さえも容易く受け流し、魔神の懐に潜り込んでいた。
人狼形態のポチの手刀がアザゼルの雷撃を纏った毛皮をいとも容易く引き裂き、臓腑に達する。

>――たった一匹で僕を育ててくれた、すねこすりがいたんだ

《が、ふ……!!》

>何かを背負ってここに来たのは、別にお前だけじゃない

アザゼルは血ヘドを吐いたが、それさえも次の瞬間には回復している。否、攻撃を受けたという事実自体がなくなっている。
三メートル強、四トン以上ある巨体からは想像もできない俊敏さで大きく後ろに飛び退ると、黄金の山羊は再度構え直した。
バリバリと、その黄金の毛皮の表面を雷光が奔る。

《……なるほど。余は思い違いをしていたのだな。
 汝は一頭ではなかった――この場におらぬ群れと、共に在ったか。 
 嗚呼、今なら分かるぞ。汝はあの男によく似ている。かつて余が戦った、あの狼の王に。
 ――あれの後継者か。汝は――
 長子め、余には身の程知らずの仔狼一匹としか言わなんだが……とんだ誤謬よ》

ガツ、ガツ、と蹄で砂地を蹴り、アザゼルがポチの心へと語り掛けてくる。

>だから――お前の命があと幾つあろうと、関係ない
>邪魔をするなら、死ぬまで殺してやる

《善かろう。事ここに至り、余も覚悟が定まった。
 ならば、此れは我が一族と汝の一族の存亡を懸けた戦いであろう。
 次なる一撃によって、汝を完全に撃砕する。
 我が一族の未来を、この終幕の奥義に託そう》

ポチへの敬意を示すように。
黄金の王はそう言うと、不意に大きく頤を反らして空へ向けて咆哮をあげた。
蝟集する無数の山羊たちが、王に応じるように鯨波をあげる。
コロッセオが山羊たちの声で満たされる。そして――
山羊たちの姿が次々と光へと変わり、火の玉さながらに尾を引いてアザゼルの身体の中へと吸い込まれてゆく。
観客席から降り注ぐ、流星雨の如き光の波濤。
そのすべてを受け止め、アザゼルの肉体がさらに巨きく肥大化してゆく。黄金の毛皮が輝きを増す。
王冠のように絡み合っていた三対の角がメキメキと音を立て、形状を変化させてゆく。
今までとは比較にならないほど無数に枝分かれした巨角、その尊容はさながら大樹(ユグドラシル)のよう。

《往くぞ、狼王!
 刮目し、驚嘆し、そして絶命せよ!
 此れなるが、我が魂の一撃!我が一族の命運を乗せた、正真の最終奥義なり!
 受けよ―――――》

ゴアッ!!!!

アザゼルが突進してくる。突撃、それ自体は今までの攻撃と何ら変わることはない。
が、その規模が違う。数千頭の一族の命とひとつになり、今や種族そのものと化した王が。
その放つ雷霆によってコロッセオ自体を破壊しながら、ポチへと肉薄する。

《――『真なる王の一撃(アルカー・イフダー・アル・アウラーク・ル・ラービハ)』!!!!!》

逃げ場など存在しない。防御する術などない。
ポチの択るべき道はただひとつ、この黄金の王と真っ向から激突し、それを打ち破る――その一点のみ。
すべての命を呑み込み融合させた今のアザゼルに、スケープゴートは存在しない。その傷を、攻撃を肩代わりする者はいない。
ポチがアザゼルを斃すとしたら、その好機は今しかないだろう。

半端な攻撃は通用しない。すべて、恐るべき重撃に打ち砕かれるだろう。
全力の攻撃でも、足りない。数千年の流浪を経た山羊王の覚悟は、全力程度では破れない。

全力以上。
すべての力を出し切った後の、さらに上。

その境地に到達することで、ポチはきっと。この強壮な王者に打ち克つことができるはずだ。

127多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/07/23(木) 21:38:52
 祈を待ち構えていたのは、天も地もなく暗闇が広がる、広大な無重力空間。
まるで宇宙のようなフィールドだった。
 敵は呪いだか洗脳だかによって正気を失ったレディ・ベア。
この空間に慣れているレディ・ベアはともかく、
重力がはたらく大地の上での活動を当たり前にしてきた祈はあまりにも不利だった。
 そんな中、祈は金属バットを構え、完全に両の目を閉じた。
 
>「それは何の真似ですの?
>まさか……たかだか目を瞑った、たったそれだけでわたくしの瞳術に対処した、とでも言いたいんですの?」

 せせら嗤うレディ・ベア。
それに対し、祈の表情に焦りの色はない。むしろ口元には笑みすら浮かんでいた。

「そうだ、って言ったら?」

 確かに目を閉じれば、レディ・ベアの瞳術に掛かることはない。
 金属バットを手に取ったのも正解だろう。
この無重力空間では、攻撃、防御、回避――あらゆる行動に推進力が必要で、姿勢制御も付き纏う。
蹴りではなく金属バットによる攻撃に切り替えたことで、
風火輪を推進力や姿勢制御の道具として使えるようになったのは理に適っているといえた。
相手が徒手空拳である以上、リーチがある方が有利なのも自明の理。
 心眼と金属バット。合理的な選択だといえるだろう。
だがそれは、“祈が目を閉じた状態で戦えれば”の話だ。
心眼なんてものは作り話の類に過ぎない。
そんなものでレディ・ベア対策が完了したというのは、祈という少女の戯言に過ぎないはずだった。
 だがしかし。

>「この瞳はお父様から譲り受けたもの。お父様とわたくしが親子であるということの証。
>すべてを跪かせる支配者の目――。それから目を逸らすことなど、なんぴとたりとも出来ないのです。
>あなたたち下等妖怪たちは、すべて!わたくしたちを恐怖と共に見上げるべきなのです!
>目を伏せるなど……不敬でしてよ!!」

 レディ・ベアが仕掛けた。
肉薄し、拳の乱打を祈へと見舞う。
ガトリングガンの一斉掃射を思わせる連撃は、一撃が必殺の威力を秘めていた。
まともに当たれば先程のような骨折では済むまい。
金属バットなんて“ヤワ”なものでは、防ぎきれず容易くへし折られてしまうだろう。
 だが祈はレディ・ベアの拳の先端を、金属バットで外側に逸らし続けることで凌ぎきる。
最小限の力で、金属バットをへし折られることもなく――。
 龍脈が見せた星の記憶。
その中には確かに、作り話でもなんでもなく、心眼を用いて戦う達人がいたのだ。
その姿はヒントとなり、祈に“付け焼き刃の心眼”で戦う力を与えた。

>「小癪なことを!星の記憶……とでも言いたいんですの……!?マンガの読み過ぎですわ!
>マンガなど読まず、もっと教科書をお読みなさいなと……言った、はずですッ!」

 苛立ちを募らせ、レディ・ベアが声を荒げる。
そうして怒りに任せた大振りの右拳を打ち込もうとした瞬間。

「そこッ!」

 祈は掛け声とともに踏み込み、金属バットをフルスイング。
バットの先端はレディ・ベアの拳の下をすり抜け、その左脇腹を掠めた。
祈の狙いはただ一点、不気味に明滅を繰り返すレディ・ベアのコスチュームであった。
呪いや洗脳の大元であると考え、コスチュームのみを攻撃しようと考えたのである。

>「く……」
 
 数歩下がるレディ・ベア。
 付け焼き刃の心眼による不意打ちが成功し、
レディ・ベアのコスチュームを一部破ることができた。

128多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/07/23(木) 21:52:26
>「ふざけた構えでわたくしを怒らせ、隙を見出して攻撃とは……姑息な策を弄しますのね。
>弱者は詭計を弄すもの、とはいえ……目に余る不快ですわ。
>ならば……わたくしも少し本気を出す必要がありそうですわね……!」

 だが、祈の狙いとは異なり、
コスチュームを破ったことによって呪いや洗脳が解けた様子はなかった。
 さらに、レディ・ベアがかすかに笑ったことと、
右手を掲げたことを、祈は空気の振動と筋肉の動きから察する。

(なんだ……? こいつ何する気だ?)

>「ここは『ブリガドーン空間』……虚が実に、実が虚になる異空間ですわ。
>そしてお父様のお膝元でもある……この場に足を踏み入れた時点で、祈。あなたに勝ち目はないのです」

「……はん、その勝ち目ないやつに服破られたのはどこのどいつだよ」

 事態を打開する光明が見えない中、強がるように言いながら祈は、
レディ・ベアを起点に、周囲の空気が歪んだのを肌で感じていた。
 その認識の外では、空間が、混ざり合わない絵の具が散らされたような極彩色のものへと塗り替わっていく。
かつて祈がレディ・ベアから聞いた通りの、ブリガドーン空間の特徴そのままに。
 だが目を閉じていては色までは分からない。
空気が何か危険なものに変わったという生物的な危機感が、祈に目を開けろと警告する。
だが、祈は耳を澄ますだけで目を開けることはない。

 レディ・ベアが自身の左脇腹あたりをさすった音に、
スーツの繊維が繋ぎ合わさるような音が続いた。

(『直した』……?)

 そこに何か重要な意味があるのか、
それともただ不格好だから、というような他愛もない理由で直したかはわからない。

>「ブリガドーン空間において、わたくしとお父様を斃そうなどと!
>そんな思い上がりは……正さなければいけませんわ!」

 そして再度。レディ・ベアが突っ込んでくる。
 心眼は相手の動きを音で読み取ってから動くのが真髄。
故にカウンターが真骨頂。祈はいままで動けなかった理由はそこにある。
 カウンターを叩き込もうとする祈だが。
 周囲。自分を取り巻くように、何かが無数に出現した気配があった。
何者かが自身を取り囲み、瞬きをするような気配。
 背中に氷を当てられたようなゾクリとした感覚を祈は覚えた。
 生物としての本能が、祈に警鐘を最大限に鳴らす。
 咄嗟に祈は上方に向け、最大限に風火輪の炎を噴かせて飛び退いた。
祈が今いた場所を、光を放つ何かが通り過ぎたのを瞼越しに祈は見る。

>「目を開きたくないというのであれば!無理にも開かせて差し上げますわ!」

 祈はもはや付け焼き刃の戦術は無意味と、目を開いて周囲を確認する。
 そこに広がるのは極彩色の景色。
そして祈を見つめる無数の目が出現していることに気付く。
その目が次々に、瞳に光を集め。発光。
刹那、嫌な予感に身を捩った祈の顔の横を、細い光の束達が通り過ぎた。

(レーザー!?)

 無数の目から放たれたのは、直線的で細いレーザービームだった。
避けるのは、攻撃の予備動作を見ればそれほど難しいことではないかもしれない。
 だが何せ数が多い。それに、祈が逃走する先々に展開する。
目、目、目。こうなれば接近して戦うどころではないく
祈は完全にレディ・ベアに背を向け、逃げ回らざるを得なかった。
祈は無重力のこの空間を、上へ下へ、左へ右へと、時には回転しながら飛び回って逃げる。
 避けきれず当たってしまった金属バットには穴が穿たれ、
妖気を纏って装甲の役割を果たす黒パーカーも、かすめた箇所に穴が開いてしまった。
 激しいレーザービームによる猛攻。
 しかも。

>「はああああッ!!」

 追ってくるのはレディ・ベアもである。
祈が飛び回るのにスピードで勝ったのか、あるいはビームによって逃走経路を絞って先廻りをしたか。
 追いついたレディ・ベアが祈に肉薄する。
そして勢いそのままに、祈へとハイキックを見舞った。
 ガンッ!
 レディ・ベアのハイキックは祈の頭に直撃する。

「づ、ぁっ……!」

 大きく仰け反り、後方へと吹き飛ばされる祈。

129多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/07/23(木) 21:58:04
 だが、風火輪の炎によって体勢を整えた祈の目は死んではいない。
そしてその右手には。抜け目がないことに。

「……今度はどうだ……? さっきわざわざ直してたよな。これ」

 荒い息を吐く祈。開いた右手には黒い布切れが握られている。
レディ・ベアが自身のコスチュームの右脚の部分を見れば、一部が破れていることに気が付くだろう。
 祈はレディ・ベアの蹴りを避けられないと見るや、
金属バットを手離し、レディ・ベアのコスチュームを掴んで千切ったのである。
 祈の額からは、裂傷による出血はあるものの、骨折のような重傷は負っていない。
人骨の中でも二番目に強度が高い額でハイキックを受けたのが幸いしたのかもしれなかった。

「こいつがおまえをおかしくしてるなら、今度こそ――」

 祈の言葉を聞いて、レディ・ベアは笑う。

>「フフ……愚か。愚か愚か愚か!まだ、わたくしを助けるなどと。そんな寝言を言っておりますの?
>わたくしは正気ですし、あなたを生かして帰す気もありませんわ。
>ここから出たいと言うのなら、わたくしを殺す気でおいでなさいな。
>尤も……ここはブリガドーン空間。いわばお父様の、妖怪大統領の謁見の間。
>そんな場所から、何の犠牲もなしに出られるなどとは思わぬほうがよろしくてよ……アッハハハハッ!」

「くそっ」

 レディ・ベアの様子に変化は見られず、祈は歯噛みする。
禍々しい紋様が明滅するコスチュームは、
フェイクか、単にその力を引き出すためのアイテムなのかもしれなかった。
 勝利を確信するレディ・ベアは、祈に背を向け、
巨大な瞳、妖怪大統領に向き直った。そして、

>「お父様、お父様……今すぐに祈の中から龍脈の因子を引きずり出し、お父様にお捧げ致しますわ!
>そうすれば、お父様はもう自由……この忌まわしい牢獄から解き放たれるのです!
>夢のようですわあ!」

 そんな風に宣う。

(モノが繰り出してくるあのビームを撃ってくる目はやばい。
それにもし妖怪大統領まで攻撃してきたら……)

 ――きたら?
 そこで祈は、一つの違和感に気付いた。
レディ・ベアがたった今向き合っている妖怪大統領から、『一欠片の妖気も感じない』のだ。
 ターボフォームになったことによって、祈の身体能力は向上し、様々な感覚が研ぎ澄まされている。
その感覚が、ここには祈とレディ・ベア、二人の妖力しか感じないこと、
即ち、妖怪大統領からは妖気が発せられていないことが、紛れもない真実であると告げていた。
 もちろん、高位の妖怪には妖気を隠すのに優れた者もいるのかもしれない。
だが、全く感じられないことなどあるのだろうか。

――バック・ベアードは正確には超常現象か何かだというから、もともと妖気を持たない?
――いや、この空間を形作るほどの妖怪が妖気を持たないなんてことがあるのだろうか?

 祈の中で思考が駆ける。
 なんであれ、もしこの妖怪大統領が本物ではないとすれば、
何者かがリアルタイムで生み出している立体映像のようなもの、ということになるだろうか。
 レディ・ベアが最も愛する存在である妖怪大統領の幻覚を使って、
行動を制御しようとしているのだろうと推測できる。
 レディ・ベアが祈へと向き直り、

>「さあ……祈。死ぬ準備はできまして?
>あなたが死ぬことで、お父様はここから出ることができる。この世を統べる資格を持った唯一の存在として、
>存分に下民どもを支配することができる……。
>あなたには感謝いたしますわ。あなたのことを、わたくしはずっと忘れないでしょう。
>わたくしの大切なともだ……と、とも―――――」

 死刑宣告をするその途中。その様子に変化が見られた。
祈のことを、『大切な友達』と言いかけたのである。
自分自身が放ったその言葉に違和感を覚えたように、レディ・ベアは眉を顰めた。
 瞬間、レディ・ベアのコスチュームに刻まれた不気味な模様が一層強く明滅する。
 すると、レディ・ベアは右のこめかみに手を当て、
頭痛でも走ったような表情になった。

>「痛……、なん、ですの……?」

 痛みを紛らわすように頭を軽く振ると、
再びレディ・ベアが祈を見た。
その瞳には先程の殺意が戻っている。

>「ぐ……。い、行きますわよ、祈……!
>覚悟なさい!あなたの末路は、ここでの死以外に何もないのです!!」

 祈にとどめを刺すべく、無数の目と共に迫るレディ・ベア。

「そういわれて、はいって受け入れると思うのかよ!」

 祈は言い返しながら、
無数の目から発射される光線、そしてレディ・ベアの追撃を、
祈は風火輪の炎を最大限に噴かせ、その場を離脱することで免れる。

130多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/07/23(木) 22:08:53
 そうして逃げ回りながら、
レディ・ベアの様子を見た祈は、自身の推測が正しいものと考え始めていた。
 どうやら当初の推測通り、
あのコスチュームこそレディ・ベアを強制的に従わせるもののようだ、と。
だが、おそらくその効果は完全ではない。
 レディ・ベアの精神力が強いのか、
ブリガドーン空間という想いの強さが影響する力を持つ故か、
それともコスチュームの力不足によるものか、
ともかくレディ・ベアの支配は完全にはならなかった。
だからこそ、妖怪大統領の幻覚をリアルタイムに反映させ、
レディ・ベアの支配力を高める必要があったのだ。
 あのコスチュームさえどうにかすれば、レディ・ベアは正気に戻る。
そんな考えを、祈はますます強めた。

(でも、本当にそうか――?)

 だが同時に、この状況に対して祈は疑念を抱いていた。

 祈が逃げる先々で開く無数の目。
 あの目を操作するのがレディ・ベアである以上、その視線を断ち切れば祈を追えなくなるはずだ、と
祈は周囲に炎を振りまき、時に爆ぜさせた。
そうして、光や音による目暗ましで己の姿を隠して時間を稼ぎながら、更に思考を加速させる。

 そもそもこの戦いには、妖怪大統領の幻覚を操る何者かの存在がある。
その何者かが介入している以上、目の前の全ては疑うだけの理由があった。
 ローランが“レディ・ベアは呪われて正気を失った”と示し、
そのレディ・ベアが“禍々しい紋様の明滅するコスチュームを着ている”この状況。
あまりにも『わかりやす過ぎた』。
 ローランは人造とはいえ人間であるが、『そうあれかし』の影響を受けている。
その身に妖気なり神気なりを宿していてもおかしくない。
それがこの空間内に感じられないということは、幻覚だった可能性があるのではないか。
 コスチュームの紋様の明滅もまた幻覚かもしれない。
この戦いに介入している何者かが呪いの強弱をいじれるのなら、
祈がコスチュームを傷付けた結果、呪いが弱まったように見せかけることも可能だろう。
 つまり。『祈がコスチュームを何らかの手段で破壊することこそが、
祈の敗北に繋がる』、そんな罠である可能性が考えられた。
 迂闊に手を出すのは危険ではと、祈は思う。

(じゃあ、『運命変転の力』なら――?)

 祈の最終手段、『運命変転の力』。
理を捻じ曲げ、現実を改竄し得るこの力なら、赤マントが罠を仕掛けていたとしても、
それを無視してレディ・ベアの呪いか洗脳を解くことができるに違いない。
 だが、この戦いを仕組んだのは赤マントなのだ。
祈の性格も、龍脈の神子としての能力も知った上で、この戦いをセッティングしている。
祈がいざとなれば運命変転の力を使ってくることも想定済みであろう。
 いかなる状況でも逆転の一手となり得るこの力があれば、
いかにレディ・ベアがブリガドーン空間によって強化をされていても、
空間的有利、手数での有利を持っていても、引っくり返される恐れがある。
限定的なものとはいえ、赤マントが悲願達成のために渇望する力を、その脅威を認識していないとは思えない。
 レディ・ベアに祈を殺させるつもりであれば最優先で封じるべきだが、
この一戦では封じている様子はない。事実、ターボフォームにすんなり変身できている。
つまり、『運命変転の力を使っての逆転を許している』のだ。
そこになんらかの意図があるとも考えられる。

――運命変転の力を封じなくても、レディ・ベアが祈を倒す可能性に賭けた?
――準備が整うまでの時間稼ぎ?
――祈の現在の戦闘力を測るための試金石、小手調べとしてレディ・ベアを利用している?
――祈の消耗を狙っている?
――龍脈の力を使わせること自体に何か意味がある?
――それとも、祈が思いつかないような隠された目的があるのだろうか?

 あらゆる可能性が考えられ、思考はまとまりを見せない。

131多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/07/23(木) 22:38:36
「っ……!」

 不意に、キリで貫かれたような痛みが祈の右腕に走り、祈は顔をしかめる。
無数の目から照射されたビームを避けきれず、右腕の肩付近に命中したのだ。
 妖術で形作られた目を炎とともに蹴り潰し、さらに逃げようとする祈だが、

>「お父様の千年帝国樹立、その礎となって死になさい!祈!

 レディ・ベアが炎を掻い潜り、ついに祈へと追いついた。
そして、拳、拳、拳。必殺の威力を込めた本気の拳を嵐のように見舞う。
 それを祈は腕や脚で受け流そうとするが、
逸らしきれない力が、避けきれなかった一撃が、祈の体を破壊していく。
腕や脚、頬や腹。擦過傷、打撲、裂傷、折損。血が祈の服に滲んでいく。
 圧倒的な劣勢。
今にも『運命変転の力』を使わなければ逆転は難しいというのに、祈はまだ迷いを振り切れない。

>あなたとの学校の思い出、一緒にお勉強した、給食を食べた、体育でペアを組んだ、
>夜の公園で語り合った記憶は、わたくしの……わた……」

 しかし、その連撃の最中。
 祈を殺そうと迫るレディ・ベアが、再び祈との記憶を呼び起こした様子を見せ、動きを鈍らせる。
コスチュームがまたしても禍々しく発光し、レディ・ベアの表情が苦痛に歪んだ。
呪いか洗脳の支配に抗って、祈のことを思い出そうとするたび、支配しようとする力は強く働くようだった。

 現状、どこからどこまでが真実で、どうするのが正解かも見えはしなかった。
だが、苦しむレディ・ベアの姿を見たとき、祈の心は決まった。

(踏み越えてやるよ、たとえこれが罠だったとしても――!)

 自分の迷っている時間だけ、友達が苦しむ時間が長引くのなら。
たとえそれが罠だとしても、迷いを振り切って前へと進む。
 ギ、と祈を睨むレディ・ベア。
その頬には血管の筋が浮かび上がり、獰猛な獣のような表情を浮かべている。

>「く、あ、あ……!
>死ね……、死ね!多甫祈ィィィィィィィィィィ!!!」

 そして苦痛と殺意に塗れた声で吠え、右手を振るうレディ・ベア。
 祈はレディ・ベアから繰り出された右手を、左手で掴み取った。
まるで手を繋ぐように。
その右手は、力こそ込められているものの、苦し紛れに振るわれただけの、技術も何もない一撃。
掴み取るのは容易だった。
 指の骨がめきめきと軋むが、祈は苦笑を浮かべて言うのだった。

「っ、おまえが……意外に優しい奴だってのをあたしは知ってる。
そんなモノがあたしを殺したら、一生後悔しちまうだろ。だから悪いけど、死んでやれねーな」

 祈の体が徐々に光を帯びる。

「なぁ、モノ。おまえと妖怪大統領のことはあたしも考えてやるから、戻って来いよ。
おまえは……あたしの友達なんだ。いねーと困る」

 光がレディ・ベアへと移っていく。
龍脈の力で『運命変転の力』を発現させ、今、祈はレディ・ベアという妖怪の理を捻じ曲げた。
 レディ・ベアという妖怪にはもはや、
呪いや洗脳など、精神を操る類の術は通じない。
いや、『いかなる手段を用いても、その精神の自由を奪うことはできなくなった』。
 これなら、コスチュームがどのような手段でレディ・ベアを支配していたにしても、
コスチュームがフェイクで、実は他に呪いの手段があったとしても関係なくなる。
きっとレディ・ベアは正気を取り戻すに違いない。
 代わりに祈は自分の内側から、『パキン』、と、
何かが割れるような、壊れるような音を聞く。
 『運命変転の力』は、代償なしの便利な力ではない。
祈の未来や可能性を分け与えるようなもので、
今までにも多くの者の運命を変えてきた祈だからこそ、残された未来や可能性は残り少ない。
 あと数回、誰かの運命を変えてしまえば、祈の命運は尽きるだろう。
その貴重な一回をレディ・ベアの救出に使ったのである。

(必ず助けるって、あの夜に約束したからな)

 レディ・ベアは先程、苦痛で動きが鈍っており、祈はその右手を封じていた形だった。
そのまま全力の蹴りを頭や首にでもかませば、
意識を刈り取るなり、倒すなり、殺すこともできたのかもしれない。
 三度訪れた必殺のチャンスを、また祈は不意にしたといえる。
祈はレディ・ベアという友達を、ついに蹴り飛ばすことはしなかった。
何度でもきっと、必殺の瞬間を祈は逃していくのだろう。

 赤マントの思惑がどうあれ、
それを超えていく覚悟を持って運命変転の力を使った祈だが、果たして――。

132御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/07/24(金) 00:17:40
「接近戦は管轄外ゆえあまり近づいてくれるな! トランスフォーム――アロー!」

深雪は地面を氷上のように滑走し、ネフィリムの炎の剣を間一髪で避けつつ距離を取っては氷の矢を放つ。
一本一本が並みの妖怪ならば即氷塊と化す威力だが、全てコカベルに到達する前に蒸発して消えた。
汗が滝のように流れる額を腕で乱暴にぬぐい、呟く。

「全く、熱血キャラじゃあるまいし汗水流して戦ったらキャラ崩壊起こすではないか……!」

汗ではなく、普通に溶けているのだ。
無論、ノエルはお湯に入ったら溶ける程に古典に忠実な仕様ではない。
どころか、炎は弱点属性ではあるが、それでも絶対値で比べれば人間はもちろんそこらの妖怪よりも耐性は強いぐらいかもしれない。
炎の剣が直撃すれば死ぬのは確実だと思われるが、当たらずとも近づいただけで元災厄の魔物たる深雪を溶かすほどの威力があるのだ。
あと少しで詰み――という時、コカベルはネフィリムを救うために突然深雪の前から離脱。首の皮一枚つながった。

「なんか知らぬが助かった……!」

>「大丈夫?ケガはない?
 いい子、いい子だね……後でおいしいチョコレートをあげようね。キャンディも……。ママと一緒に食べよう。
 だから――ママがノエルちゃんを斃すまで、危ないから下がって見ておいで。ね?」

神話で言うところの子どもというのは往々にして一般の親子関係とは違う概念だったりするが、
コカベルはネフィリム達のことを通常の親子関係と同じように――もしかしたらそれ以上に慈しんでいるらしい。
が、これは手段を選んでいる場合ではない死闘。
うっかり攻撃を躊躇ってしまうほど絵的にハマっているわけでもなく、それどころか異様な光景。
隙だらけで攻撃のチャンスだ。しかし、深雪は攻撃するのを躊躇ってしまった。

――きっちゃん大丈夫!?
――栗をたくさん拾ったから一緒に食べよう!

ノエルには無論子どもにあたる存在はいないが、昔のきっちゃんと自分に重ねてしまったのだった。
ビジュアル的には似ても似つかない光景にも拘わらず、小さな子狐を抱いて撫でるかつての自分の姿を重ねて見てしまった。
ノエルが攻撃を躊躇っている間に、コカベルは自らの境遇を語り始めた。

>「……神は言った。
 この、私が泥をこねて作った『人間』を愛し、慈しみ、守ってやりなさいと」

「そうなんだ……最初から人間を守る使命を持って生まれるってどんな感じなんだろう。
想像がつかないや。……僕は人類の敵として生を受けたから」

ノエルの姿に戻っているのは、臨戦態勢を解いてしまっているということだ。
会話に乗ってしまっている時点で、ノエルはベリアルの策にまんまと嵌ったのかもしれない。
敢えて少し似たところのある境遇の接待役をぶつけ、刃を鈍らせる作戦だったのだろうか。

133御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/07/24(金) 00:20:26
>「シェムハザは、こんな泥人形なんて愛せるかって反発したけれど。
 アタシは違った。人間……このちっぽけで、弱くて、愚かな存在を……アタシはすぐに気に入った。好きになった。
 だから、愛した。全身全霊で愛し、慈しみ、守ってやった。アタシの持つすべての叡智を与えた。
 人間たちがもっともっと幸せになるように。安らげるように。愛されるように。
 そして――」

コカベルは人間を愛するあまり、一線を越えてしまった。
それが神にとっては、許されざる大罪だった。

>「アタシはやれと言われたことをやっただけ。
 それなのに、いつの間にか大罪を犯した堕天使なんて呼ばれてる。
 じゃあ、アタシはどうすればよかったの?シェムハザみたいに拒否すればよかった?ルシファーみたいに反旗を翻せばよかった?
 そんなことできない。アタシはただ、大好きな人たちを守りたいだけ。
 大好きな仲間たちに、仲間たちが作った子供たちに、幸せになってもらいたいだけ……」

「僕はきっと、やらなきゃいけなかったことを拒否したんだ。
役目を放棄した僕が何の罰も受けないのに任務に忠実だった君がそんな仕打ちを受けるなんて……理不尽な世界だね」

>「ネフィリム達は壊すことしかできない。でも、分別を持たない赤ん坊のしたことを誰が怒れるって言うの?
 あの子たちは外に出れば迫害されるさだめ。けれどコカベルパークがあれば、あのコたちを守ってやれる。
 兄様が仲間を作らない?搾取する対象としか見ていない?
 最初から分かってるよ。兄様の手口なんて2000年前から知ってる。でもね――
 そんな空手形に縋らなくちゃならないくらい、アタシ達を追い詰めたのは……今のこの世界だろ!」

例えば、みゆきにとってのきっちゃんは。ノエルにとっての橘音は。
里に降りては悪さを働く厄介者であろうと、人間を虐殺した大悪魔であろうと――
そんなことは関係なく、親愛なる友なのだ。
「そいつは人に仇名す大悪魔だから死んでもらう」なんて言われても到底大人しく受け入れはしないだろう。
コカベルも、愛する者達を守りたい一心で、藁にも縋る想いでベリアルに従っている。
なんという崇高な愛だろう。

「その通り――この世界では崇高な献身の精神で自分の身を捧げても誰も幸せになれないんだ」

ノエルは悲しげに微笑んだ。

「逃げるが勝ち。正直者が馬鹿を見る。勝てば官軍――ここはそんな世界だ。
昔、親友に善行を勧めたばっかりに我が身を危険に晒した親友は殺された。
僕に無償の愛を注いだ姉はその愛の大きさゆえに破滅した」

ノエルは顔を上げてコカベルを真っすぐに見据えた。

「だから。愛ゆえに誰かが死ぬのはもう嫌なんだ。
特に誰も幸せにならない道に突き進もうとしてる奴は――見ていられない」

ダイヤモンドダストの輝きをまとい、ノエルの姿が塗り替わっていく。
分断によって発動不可能と思われていた第五人格発現のエフェクト――

「君を力尽くで止めさせてもらう。拒否権は無いッ!!
強引? 傲慢? 当然だ――だって私は、生まれながらの王なんだもの!」

134御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/07/24(金) 00:22:18
いつも捨て身で突撃しがちな仲間達を心配する側だったのも、修行で護りの力を得たのも――
全ては慈愛などという崇高なものではなく、過去のトラウマのため。
だからこそ、揺らがない。そもそも相手のためではないのだから、相手に拒否権は無い。
誰かの犠牲で実際に救われる者がいる状況で、その献身を是とするかはまた別の話になるが、ベリアルが絡んでいる時点で今回は違う。
正確には本当に今回もそうかは誰にも分からないが、ベリアルの計画に直接間接に組み込まれた者の多くが死の末路を辿っており、
少なくともノエルはそう思うに十分な事例を今までにたくさん見てきている。

「姉上と同じ道は辿らせない。必ずベリアルの魔手から君を救う――」

静かな、しかし有無を言わさぬ口調で、冷徹に冷酷に言い放つ。
護る対象がその場にいること――今ここに、成立不能と思われていた条件が成立した。
無色透明に煌く氷のスケートブーツに、雪の結晶に縁どられた透き通るローブ。
手にはあらゆる害意を阻むための傘。
万象を凍てつかせ万物を停止させる氷雪の王者が顕現する。
見るからに迫力のある深雪と比べ一見ポップな外見だが、その身に宿す妖力は段違いだ。
”一番強い形態は一見あんまり強そうに見えない法則”を地で行っているのだった。
不意に、コカベルは問いかけた。

>「ノエルちゃんは、神子のことが好き?」

「な!? 好きか嫌いかならそりゃまあ……じゃなくていきなり何聞くの!?」

突然の質問にあからさまに狼狽える御幸。いきなりキャラ崩壊を起こした。

>「いいと思うよ、人は誰を好きになったっていいんだ。慈しんで、愛して、守って……言葉で、行動で、好きだって示せばいい。
 でもね……この世界ではそれを『罪』って言うらしいよ。アハハハハ……笑えるじゃん?
 それがどれだけ純粋で、透明で、無垢なものだったとしても。
 神はそれを穢れていると言った!それを是とするのが、今のこの世界だ!!」

「好きかは脇に置いとくとして神子に仕えるのは別に好きだからじゃない――
神子が破滅しない根拠、教えてあげようか――私が”憑いてる”からだ!
一緒に仲良く破滅なんて真っ平ごめんだ! 仕える振りをして利用しようとしているだけなのさ!」

御幸は、人類の敵だった頃の深雪のような魔物の笑みを浮かべた。
しかし、一瞬前の狼狽をなんとか取り繕って無かったことにしようとしているようにも見える。

「神子はきっと世界を変えたいなんて大それた事は思っていないんだ。本当は――世界を変えたいのは私の方。
だからこそ……絶対破滅なんかさせない。幸せにしてみせる」

純粋な愛は、相手が破滅の道を選んだら共にその道を突き進んでしまいかねない危うさがある。
が、自己の目的のためという打算があれば、そうはならない。
そして、たとえ利用するのが目的でも、結果的に相手にも利があるなら誰も不幸にはならない。
祈に一方的に誓った、いついかなる時でも味方、という約束に反することもない。

「ああそっか、私は役目を放棄してなんていなかったんだ……」

135御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/07/24(金) 00:23:32
災厄の魔物の存在意義が大局的な世界の存続なのだとすれば。ノエルは何ら役目を放棄してなどいない。
人間と敵対して牽制する戦略から、人間界に潜り込み暗躍する――
具体的には運命変転の力を持つ龍脈の神子に取り入るというより狡猾な戦略へとシフトしただけ。
宿命から逃れた気がしていたノエルだが、地球の意思か、あるいは人間の集合無意識か――
災厄の魔物の上位存在なるものが存在するとすれば、全てはその手のひらの上だったのだろうか。

「力を持って生まれて本当に良かった……。
おかげでみんなと一緒に戦えてずっと祈ちゃんの味方でいられる……」

御幸は全てが繋がったような、どこか安堵したような笑みを浮かべた。

>「アタシはこの世界をブッ壊す。すべての構造物を、文化を、概念を、常識とされるものを、根こそぎ灰燼と化す。
 そして――新たに打ち立てよう。ネフィリム達が無邪気に暮らせる世界を。愛することが罪にならない世界を。
 アタシは……アタシの愛で!
 世界を!!
 変える!!!」

圧倒的な熱量を持つコカベルの宣言に、御幸はどこまでも涼やかに応えた。

「じゃあ、私は打算で世界を守ろう。
そこにどんなに純粋な想いがあっても。力尽くで奪い取ったものはいつか必ず奪い返されるんだ――
歴代神子の失策はきっと、急に変えようとしたこと。変わってる事に気付かれないぐらいゆっくりがちょうどいい。
幸い人間とは違って時間はたくさんあるからね」

運命変転の力とは、自らの命運を対価に捧げ使う悲劇的なものだけではないと、ノエルは信じている。
自分を犠牲にせずとも、存在するだけで、少しずつ世界を変えていけると。
だからこそ、世界を変えようなんて思っていない位で丁度いい。急に変えようとして早々に破滅してもらっては困る。
全てを破壊してからの創造と、今の世界を維持した上での長大な時間をかけての漸進的な進歩。
もしかしたら、最終的に望む世界は同じなのかもしれない。が、そこに至る手段が真っ向から対立していた。
平行線は確定、戦いで決着をつけるしかない。

>「いくよ……ノエルちゃん。
 アタシの奥義、受けて蒸発するといい。
 冷気の上限はマイナス273.15℃、でも炎の温度に理論上上限は存在しない!
 つまり……アタシに戦いを挑んだ時点で!ノエルちゃんは『詰み』だったんだよ!
 さあ――受けよ!創世記戦争でウリエルの左腕を斬り落とした、アタシの必殺剣――!」

万象を焼き尽くす業火の剣を掲げるコカベル。
対する御幸は、科学では決して作り得ないオーロラのような妖氷の生地持つ傘を居合のように身構える。

136御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/07/24(金) 00:24:35
>「『三界安きこと無し、猶火宅の如し(インジャスティス・オーバーロード)』!!!!」

「輝く神の前に立つ楯《シールド・オブ・スヴェル》!!」

雪の女王の槍を退けたのと同じ技でシールドを展開する。
万象を凍てつかせ停止させる氷雪の力は、攻撃的なイメージが強いが、元より護りの力とも親和性が高いものだ。
急激な変革はいつだって破壊を伴い、護るとは現状を維持し急激な変化を拒むことでもあるのだから。
ついに万象を焼き尽くす炎の奔流と全ての害意を阻む氷の壁が激突する。
一瞬でも気を抜いたら今度こそ消し飛んで死ぬ。
極限の状況の中で、御幸は自分を鼓舞するように蘊蓄を垂れていた。

「高温にも”絶対熱”っていう上限があると聞いたことがある。
何度かは忘れたしこの炎が何度かも知らないけど上限が無いと思うということはつまり……
上限までは遠く到達していないということだ! ならば下限に到達しているこちらに利がある!
何故なら絶対零度と絶対熱! 日本語的にいかにも対になりそうだからッ!!」

確かに、14溝2000穰℃――”絶対熱”と呼ばれる高温の上限は存在すると考えられているらしい。
が、“理論上”の上限はないという話に”実際上”の上限を持ち出して対抗し、
更に日本語的に上限まで達して初めて下限に釣り合うはずというガバガバ理論である。

「そんな気がする……多分きっとそうだ……そうに違いない!!」

ガバガバ理論を気合で押し通そうとしていた。
永遠とも思える暫しの時が流れ、焔の奔流が収まったとき……御幸はまだ立っていた。
多分ガバガバ理論が功を奏したわけではないと思われるが、
コカベルの焔が温度に換算してセ氏数万度――太陽のプロミネンスと同程度なら、元より防ぎきれても不思議はない。
技名に冠するスヴェルとは、北欧神話における、燃え盛る太陽の炎から大地を守る盾なのだから。

137御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/07/24(金) 00:25:07
「さあ、おねんねの時間だ―― 一撃で終わらせる!」

相手の大技を凌ぎ切ったとはいえ、ここからが正念場だ。長期戦に持ち込まれてはベリアルの思う壺。
ただでさえ消耗した状態から攻撃に転じ速やかに勝利に持ち込まなければならない。
しかも、ただ勝利すればいいというわけではない。
護る対象をコカベルとすることで力を発現させた以上、生かしたまま勝利しなければならない。
相手の息の根を止めるより生かしたまま勝利する方がずっと難しく、その上ノエルが修行で得た力は、防御に特化している。
――ゆえに、一撃に全てを賭けると決めた。

「眠れる森の白雪姫《スリーピング・スノウホワイト》」

コカベルを凄まじい冷気が包み込む。極限まで冷たいが痛くはない不思議な冷気――
一見相手を氷漬けにして倒す氷雪使いの王道技に見えるが、コカベルは意外に思うかもしれない。
攻撃用らしき妖術を行っている割に、攻撃する意思のようなものが一切感じられないことに。
それもそのはず、実は攻撃用では無い。その効果は、一言で言えば絶対防御+冷凍睡眠。
瞬時に対象を氷漬けにすることで術者が解くまで、そのままの状態を維持するというもの。
その間は全ての外部からの攻撃を阻み、どんな瀕死の重傷を負っていても状態が悪化することはない。
敵の攻勢ターンにおいて味方にかけることで苛烈な攻撃を凌がせたり、あるいは重傷を負った仲間を生き長らえさせるための防御もしくは救命用の技。
御幸の能力は”死なせないこと”に特化している――それが味方であれ、対戦相手であれ。
しかし、本来味方にかける相手の抵抗を想定していない術を、敵にかけてかかるかどうかは賭けだった。
数瞬の後、コカベルが足元から凍り始める。

「もしも万が一次に目が覚めた時にまだベリアルが幅を利かせていたら……子ども達と共に早く奴の元から離れるんだ――
何度でも言うよ、奴は願いを叶えてなんてくれない」

凍りつつあるコカベルに、駄目押しとばかりに語りかける。
“次に目が覚めた時にまだベリアルが幅を利かせていたら”とは、自分達が負けた時のことを暗に示していた。
無論、決して負けるつもりはない。
備えあれば憂いなし――逆説的だが、負けた場合に備えておくのは、勝つためのおまじないのようなものだ。

「でもきっとそうはならない。
君が何と言おうと私は行くよ――いつか必ず……一緒に遊ぼうね。
いつか全ての哀しみが癒された世界で。愛することが罪じゃなくなった世界で。
だから今は。少しだけ、おやすみ――」

138尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/08/02(日) 19:13:47

アラストールに対し尾弐が繰り出した卑怯卑劣の戦術。
苦痛と退屈と嫌悪に悪鬼の膂力を加算し、死への嗅覚である『見切り』の技を乗算した嗜虐は、並大抵の敵では振り解く事は叶わない。
尾弐に攻撃は当たらず、逆に尾弐からは致命に至らない激痛を与えられ続ける。
猫が鼠を嬲るように、或いは人が人を嬲るように。
的確に心と肉体を折って行く蟻地獄のような戦法は、ある意味では必勝の型とも呼べるだろう。

――――最もそれは、相手が並の存在であればの話だが。

>「ツァッ!!」
「くっ!!?」

尾弐が足元の石に僅かに体勢を崩した。
ただそれだけ。コンマ1秒にも満たぬ隙。
しかし、百戦錬磨の魔神、闘争の権化たるアラストールは、その刹那を以って尾弐が息を切らしながら作り上げた盤面を破壊する。
尾弐の服を片手で掴み、その巨躯を軽々と投げ飛ばしてみせたのである。

>「いじましい闘いをするではないか。
>だが、貴様にも分かっているはずだ。そんな攻撃では、万年経っても我を斃すことはできん……とな」
「……さぁて、オジサンには何の事だかさっぱりだな」

呼吸を乱しつつ着地した尾弐は、己が目的に至る為にアラストールの言葉にシラを切って見せる。しかし

>「貴様の狙いは分かっておるぞ。吾を怒らせ、一度の隙を窺っておるのだろうが?
>あぁ隠すな隠すな、皆まで言わずとも全部承知しておるわ!貴様は隠そうとしておるようだが。
>貴様の瞳が、筋肉が、血の流れが、骨の軋みが。我に教えてきおる――
>貴様がもっと大きなオモチャを持っとるとな」

「は……そんなナリして随分と繊細じゃねぇか。学者センセイにでも転職したらどうだ?」

アラストールは、その莫大な戦闘経験を以って尾弐の狙いを看破していた。
視線や肉の動きから相手の行動目的をも看破する――――言葉にすれば簡単だが、それは実に困難な業だ。
例えば、尾弐黒雄は天邪鬼との修練の果てに相手の殺意を感じ取る力と瞬時の行動予測を手にしたが、それはあくまで局面を打開する為の技術に過ぎない。
迫る死を切り抜ける事は叶うが、そこから敵の真意にまで至る事は不可能である。

数多の実戦を経験し、尚且つ勝利を飽食してきたアラストールにしか辿り着けぬ領域。

己を幾段も凌駕する強者の技巧を前にして、尾弐は小さく舌打ちをする。
仕方なしにそのまま戦略の組み直しを考えようとし……けれど、次にアラストールが口にした言葉がそれを中断させた。

>「我を失望させるなと言ったはずだぞ、尾弐黒雄。
>そんな下らん布石を打ってオモチャを見せるタイミングを計らずとも、開帳の場なら呉れてやるわ!」

>「十打!!
>これから、このアラストール全力の拳十打を放つ!
>尾弐黒雄よ、貴様が我が本気の剛拳九打に耐え切ったならば、最終の十打目に奥義を放ってやろう!
>貴様がオモチャを見せるとすれば、その瞬間の他はあるまい!」

「……あ?」

尾弐が必殺の一撃を、自身の命に届く可能性のある刃を隠している。
それを認識したうえでアラストールは、受けて立つとそう言って見せたのだ。
それは即ち――――尾弐がどんな手を隠していても勝てるという自信の現れに他ならない。

「ああ、成程。成程な……お前さんは『そういう』奴か。それなら、オジサンはお言葉に甘えさせて貰うとするかね」

ある意味では嘲弄とも取れる言葉を受けた尾弐は、頭を掻いてから右手を前に出して構えを取る。
大きく息を吐き、集中を増す。

>「尤も……我の全力、三合凌いだ者は未だかつて存在せんがな!
>――ファイナルラウンドだ!!!」

「そうさな。それじゃあ最後に泥靴で初雪踏んで――――八寒地獄へ堕としてやるよ!!」

闘神の剛拳が空を裂き、悪鬼の踏み込みが地を鳴らす。
此処に僅か十打の、最も死に近き十打の死闘が始まる。

139尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/08/02(日) 19:14:35
第壱打。放たれたのは雷が如き一撃。
あらゆる堅牢を砕く破砕の右拳を、上体を逸らし、同時にアラストールの右肘を左手で押し上げる事で回避する。

第弐打。壱打目を布石とした左肘による奇襲。
人体では取り分け頑強である部位を用いたその弐打は、右腕を押し上げる為に使用した自身の左腕の肘と左膝で挟み込む事によってかろうじで威力を殺した。

第参打。あばらを狙い放たれる、純粋な威力で防御を食い破る恐るべき脚撃。
受ける事は早々に諦め、先程挟み込んだ左肘を左手で掴み直して、そこを軸としてそのまま腕の力だけで鉄棒の要領でアラストールの頭上を飛び越え背後に回りこまんとする。

第肆打。即座に繰り出される追い打ちは着地を見定めた下方からのフック。
崩れた体勢での回避を困難と判断。体重を乗せた踵落としをフックに克ち当てるが、威力に巻けて宙返りの様に壱回転をして着地。

第伍打。勢いのままに放たれるのは、側頭部を狙う左のハイキック。
とっさに後方へ飛び射程から逃れるが、完璧には回避しきれずに左の額が切れ、流れ出た血液が目に入る。

第陸打。猛攻の中に仕掛けられた毒。搦め手の足払い。
強大な威力だが、反面対応出来ない速度では無かった筈の一撃。しかし、左眼に流れ込んだ血液に視界を奪われ足の先が跳躍した爪先を掠める。

第漆打。双掌打による急襲。布石の結実。
中空で、尚且つ体制を崩した状態では回避しきれず、やむを得ず腕を交差させて受けることで打撃力の減衰を試みる。

第捌打。追撃の右拳。顔面を捕える一撃は、受ければ脳ごと爆散するであろう。
双掌打が十全であれば致命に届き得た一撃だが、先に食い千切った左手の肉の分だけ威力が減衰し、その分反応の余地があった。
頭だけを動かし、紙一重で回避をする――――ぞぶりと、首の肉の一部が削ぎ落された。

第玖打。追い詰めた獲物を確実に仕留める為の右の回し蹴り
反射的に左腕を盾にするが、勢いは止まらず――――尾弐の左腕が、壊れた。

致死、必殺、致命、確殺
全てが規格外の威力を誇る絶死の連打は、確実に尾弐を追い詰めた。

140尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/08/02(日) 19:15:48
「――――っは!随分と温ぃじゃねぇかよ!そんなんじゃあ蚊も殺せねぇぞ!?」

されど、尾弐黒雄は未だ此処に在り。
襲い来る死の猛撃を経て、闘志は僅かも衰えず。
そんな尾弐を前にしてアラストールは喜色を浮かべる。

>「ゴッハハハハハハハーァ!!いいぞ!いいぞ!尾弐黒雄ォ!!!
>三合どころか、我の言いつけ通りに九打を凌ぎ切ったか!
>ならば約束は守らねばならんな!
>篤と見よ!これが闘神アラストールの奥義――その真髄よ!!!」

そして、己が言の葉を守る為に、歴戦の古兵……伝説とも呼べる強者はその最強を披露せんとする。
これまでの猛攻が児戯であるかの如き闘気を濃縮させアラストールが生み出すのは――――数多の『腕』。

妖気や霊気と異なり、本来闘気というものは具象化に向かない。
それは闘気の性質が内面へと向かう物であるが故の事。
身体能力の補助や強化、抵抗力の増大には破格の適性を誇るが、逆に体外への発露については難易度が跳ね上がるのである。
しかし――――だからこそ。
世界を己の延長と捕え、イドを以って浸食し、闘気の具象化を果たすことが出来れば――その力は他の素養を凌駕する。
なぜならばそれは、世界の一部を我が身として隷属させる事に等しいからだ。

規格外の暴力。超常の制圧。それを向けられた尾弐の精神は恐怖を覚える。
視界を埋め尽くす死色の鎖の幻視に、生存本能が撤退を叫ぶ。

>「ゆくぞ!我が奥義――貴様の一番のオモチャで!凌駕してみせろォォォォォォォォォォ!!!!」
>「『超級激憤鬼神葬(アスラズ・アンガー)』!!!!!!!!!」

そんな凍り付く様な恐怖に精神を侵されながら――――尾弐は、一歩前に踏み出した
勝利の為に、未来の為に、愛する女の為に。
眼前の強者を屠る為に、これまでの戦いで得た技巧の全てを集約する。

「――――奥義『暗鬼(あんき)』ッ!!!!」

言葉と共に、尾弐の右の指……その先端が、黒い霞を纏った。
そして、尾弐は眼前の無数の腕に向かい薙ぎ払う様に右手を振るい―――――直後、アラストールの闘気の腕が『弾かれた』。
数千、数万という猛打は、強大な妖怪をも容易く塵へと変えるだろう。
されど、されどただ一人の悪鬼――尾弐黒雄に届かない。

尾弐黒雄は、いつだって挑戦者だ。
八尺様、コトリバコ、猿夢、姦姦蛇螺、雪妖クリス、狼王ロボ、聖騎士ローラン、数多の天魔、酒呑童子
東京ブリーチャーズとして挑んだ敵達は、悪鬼である己よりもなお強く、幾多の敗北も重ねてきた。
闘いとは血に塗れた苦しいもので、アラストールの様に強者として戦いを楽しむ事など一度たりともできなかった。
だがそれでも……敗北を味わい、泥に塗れようと、尾弐黒雄は未だ生きている。生きようとしている。

141尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/08/02(日) 19:16:28
「おおおおおおおおおッッッ!!!!!!」

必殺である筈の闘気の拳が尾弐に届かない理由を、歴戦の強者たるアラストールは僅かの間で見切るだろう。
その理由とは2つ。
1つは、尾弐が人型の妖怪であるという事。
西洋の強大な妖怪は基本的に巨体を誇る。故に、アラストールの無数の拳の前では為す術なく倒れざるを得ない。
だが尾弐は違う。巨躯といえどそれは人間の範囲内のもの。故に、幾ら腕が多かろうと一度に攻撃できる拳の数は限られてしまうのだ。
だからこそ、千の腕を相手に尾弐は対応仕切れているのである。

そしてもう一つの理由は、尾弐が右手の指先に纏う黒い霞。
幾ら攻撃の範囲が限られていようと、闘気の拳に触れて無事で済む筈が無い。莫大なエネルギーは触れるだけで尾弐の身を砕く筈なのだから。
そうならないのは、尾弐がその指に纏う黒い霞が尾弐の肉体を守っているが故の事。
特異な効果を齎すその黒い霞の正体……それは、凝縮された尾弐の闘気である。
そう。アラストールが闘気を拡散し無数の手としたのとは逆に、尾弐は、己が闘気を指先のみに集中させたのだ。
尾弐とて悪鬼としては至上に近い妖怪だ。極所集中した闘気であれば、アラストールの闘気に対抗できる。
そして、その闘気を集中させた指を用いて発勁を使用する事で、アラストールの闘気の拳を瞬間的に凌駕。薙ぎ、弾いているのである。

無論、何の代償もなく行える技ではない。
闘気を壱ヶ所に集めたという事は、それ以外の部分についての防御を捨てたという事。
仮に指先以外の部位でアラストール拳を受ければ、その部位は血霧となって消し飛ぶ事だろう。
とてもぶつけ本番で行える芸当では無い。

しかし、尾弐は知っている。
八尺様や、夢で対峙した那須野橘音が用いた無数を武器とする攻撃を。
狼王やローランが用いた、一撃が死を齎す受けられない破壊の一撃を。
それら全てを集約したかのような酒呑童子――――天邪鬼と無数の悪鬼共との修練を。

それらを経ているからこそ、アラストールの無数と必殺に対峙出来るのである。

そして。アラストールが闘気の拳による猛撃から肉体の拳に移ろうとしたその瞬間、その瞬間に尾弐黒雄は動いた。
体を捻る事で最後の闘気の拳を躱し、巌が如きアラストールの肉薄し

「奥義・弐『偽針(ぎしん)』――――!!」

黒き霞を纏う右手が、大地に砂煙を巻き上げる程の発勁を伴いアラストールの鳩尾に突き刺さったのである。
凝縮された手刀は、まるで鋭利な針が如くアラストールの皮膚を穿ち、その心臓を抉らんとする。
その威力は、まさしく必殺だ。例え嘗て戦った姦姦蛇螺の防御であろうと打ち破る事だろう。


しかし

「……全力でも、届かねぇのかよ。クソが」

尾弐黒雄の全身全霊。自身が放ち得る最強の一撃は、アラストールの肉体に突き刺さり――――しかしその心臓にまでは届かなかった。
心臓の僅かにその手前で、尾弐の右手はアラストールの筋肉の収束により止められてしまったのである。
その存在強度。その強靭な肉体。
これが闘神だ。尾弐黒雄の全力の一撃でさえも、闘神アラストールは受けきったのである。

そしてこうなれば、残るのは身動きが取れぬ悪鬼が一匹在るのみ。
尾弐が攻撃を行った僅かな間で、既にアラストールの双拳は放たれている。
これでは、もはや間に合わない。




そう、例えアラストールが攻撃を止めようとしても、もう遅い。

142尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/08/02(日) 19:17:33
闘神よ。
最強、無双、無敵。そんな二つ名を欲しいがままにし、闘争と勝利を積み重ねて来た強者よ。
お前は強い。だからこそ、尾弐に勝利したと信じただろう。
尾弐が個人で放ちうる最強の一打を放ち、それを打ち破った瞬間。自身の勝利が揺るぎ無いものになったと経験から判断した事だろう。
何故なら、今の尾弐の姿はこれまで打ち倒してきた者達と全く同じなのだから。

そして
最強、無敵、無双の勝者であるからこそ、間違える。

お前が眼前に立つ悪鬼は、常に己より強大な相手と戦ってきた者だ。
時に挫かれ、時に打ちのめされ、時に砕かれ。
現実と夢幻の中で、お前が重ねてきた勝利よりも遥かに多くの死と敗北を重ねた者なのだ。
負け戦において、闘神が遥かに及ばぬ経験値を持つ者であるが故に

強者に勝利を確信させるなど、容易くやってみせる。

知るが良い。世界には負けて尚その先に歩まんとする者が居る事を。
生きる為に折れずに進もうとする者の強かさを。

アラストールの双拳。
最強無双の拳が尾弐に直撃し……荒れ狂うその力が尾弐の体内を巡り、還る。
勝利する為では無い。死なない為、生きる為の技。
武力ではない。武道としての技の極致。名も無き技に、今こそ名を付けよう。


「――――秘奥『黒尾(こくび)』」


直後、アラストールに突き刺されていた尾弐の右手。
その手から『超級激憤鬼神葬(アスラズ・アンガー)』が還された。
神すら葬る技の破砕は、アラストールの臓腑を掻き見出し破砕していく。

そして、全ての破壊を還した尾弐はアラストールの肉体から右手を引き抜くと、背中を向けて静かに告げる。

「……お前さんは恐ろしい程強かったよ。俺なんざよりも遥かに強かった。けどな」
「テメェの為だけに暴れる奴が、惚れた女の為に戦う俺に勝てる訳ねぇだろうが」


そうして、何歩か進み――――どさりと倒れた。


「……」
「あー……ダメだ。力が入らねェ。くそ、若ぇ奴らみてぇに格好つけられねぇなぁ」
「あと、この空間の出口何処だ……敵は倒したが閉じ込められましたじゃ洒落にならねぇぞ……」

さしもの尾弐も、闘神との死闘は過酷であった。
気力体力を大きく消耗し、砂に埋まった尾弐は、苦虫を噛み潰した様な表情で曇り空を見上げるのであった。

143ポチ ◆CDuTShoToA:2020/08/11(火) 04:45:47
爪を濡らす血を振り払い、ポチはアザゼルを振り返る。
状況は悪くない。『獣』の眼には、アザゼルの動きがしかと視えている。
音速を超える突進に入る直前の、極めて微細な予備動作が。

そして視認さえ出来ていれば、獣の本能が機能する。
ポチ自身も意識的には注目出来ないほど微細な、重心移動や、視線の動きに。

反応出来る。対応出来る。そして――殺せる。
ならば残る問題は、アザゼルの命を削り切れるかどうか。
だが、それも――持久戦は、狼の本領。
勝てる。殺し切れる。ポチは俺の戦いに勝機を見出しつつあった。

>《善かろう。事ここに至り、余も覚悟が定まった。

けれども――ポチが狼の王であるように、アザゼルもまた、神代より生きる山羊の王。
ポチが見出した勝ち筋を、彼が見落とすはずもない。

>ならば、此れは我が一族と汝の一族の存亡を懸けた戦いであろう。

故に、戦況が動く。しかし、どう動くか――ポチは考える。
獣の本能は、至高の時間を省いて最適な動きを与えてくれる。
だが、このアザゼルとの戦いは――それでもなお、遅い。
思考で先んじ、更に獣の本能に身を任せ、それでやっと渡り合える。

>次なる一撃によって、汝を完全に撃砕する。

しかし――それも、これまでは、でしかない。
アザゼルにはまだ『先』があった。
雷を操り、その巨体を音よりも疾く動かす――それよりも、更に先が。

>我が一族の未来を、この終幕の奥義に託そう》

アザゼルが吼える。彼の同胞たちがそれに呼応する。
そして――闘技場を埋め尽くしていた山羊の群れが、眩く燃え上がった。
もっとも、肉の焼け焦げるにおいはしない。実際に燃えている訳ではない。
ただその体が、生命が、エネルギーへと変化しているのだ。

何が起ころうとしているのか、ポチにはすぐに理解出来た。
アザゼルは雷を身に纏い、そしてそれを妖気へと変換する事で力を得ていた。
それと同じだ。彼は己の同胞の命を纏い――それを力に換えている。

「……すごいな」

その様を目の当たりにしたポチがまず最初に発露した感情は、尊敬だった。
これほどの数の民が、たった一頭の王の為に命を捧げようとしている。
王を信じている。民に信じられている――アザゼルは、今のポチでは及びもつかないほどに、王だった。

ポチが身震いする。膨れ上がる強大極まる力に、全身の毛が逆立つ。

「いつか……僕も、あんたみたいにならないとな」

そして――それでもポチは前を向き続けていた。
未来を、見続けていた。諦めていない。

144ポチ ◆CDuTShoToA:2020/08/11(火) 04:47:26
アザゼルは数千の命を力と換え、その肉体さえもが更なる変貌を遂げつつある。
それほどの力を、ポチが振り絞る事は出来ない。
己の帰りを待つシロの事を想っても――そんな、気持ちや、覚悟なんてものでは覆せない力の差がある。

だとしても、それはポチの諦める理由にはならなかった。
例え己が全身全霊の力を振り絞って、それでもアザゼルに勝てないとしても。
それで、ポチが帰らなくてもいい事にはならない。

「……『獣』」

故に、ポチは『獣』を呼んだ。
災厄の魔物――かつて人々が抱いた獣への恐怖を。
或いは――この現代で、滅びてしまうかもしれない獣たちに人間が抱く、恐怖の象徴を。

ポチは、今や『獣』と完全に一体化している。
ならば、出来るはずなのだ。

「――『全部』だ。全部、僕に貸せ」

人類に刻まれた獣への恐怖を、その全てを己の力として引き出す事が。

瞬間、ポチの全身から赤黒い、血と肉が溢れた。
それらは渦を巻きながら、ポチの体表を包み込むように流動。

そして――甲冑を模った。
深紅の、全身に牙の如き杭が散りばめられた――しかし欠損だらけの、燻るように燃える甲冑だった。
最早、人間の遠く及ばぬ暴力の象徴ではなくなってしまった、『獣』の力の顕現。

それは、威容という一点において、アザゼルに遠く及ばなかった。
今やポチの十倍以上に巨大化した肉体。無数に枝分かれした、大樹の如き角。纏う稲妻。
それらに比べれば、欠けた、燻るだけの鎧は、どうしても頼りなく見える。
無論、ポチが今更『獣(ベート)』の力を疑う事などない。

「……なあ、もうちょっと見栄えよくで出来なかったのかよ」

それでもポチはあえて、冗談めかしてそう言った。
これが、いつも通りだからだ。
いつも通りに軽口を叩く。そして勝つ――今回もそうなるようにという、願掛けに近い行為だった。

『ふん、ほざくな』

そして、

『かつてはロボもこの鎧を纏い、戦った。それでは不服か?』

その願掛けは、ポチが思っていたよりもずっと大きな効果を発揮した。

「……なんだよ、それ。もっと早く言えよな。かなりイカしてるよ、この鎧」

『獣』の答えに、ポチの口元に笑みが浮かんだ。

145ポチ ◆CDuTShoToA:2020/08/11(火) 04:48:18
>《往くぞ、狼王!
  刮目し、驚嘆し、そして絶命せよ!
  此れなるが、我が魂の一撃!我が一族の命運を乗せた、正真の最終奥義なり!
  受けよ―――――》

そして――最後の攻防が始まった。
アザゼルが繰り出すのは、これまでと何も変わらない、ただの突進。

>《――『真なる王の一撃(アルカー・イフダー・アル・アウラーク・ル・ラービハ)』!!!!!》

今や巨岩と見紛うほどの巨体が弾丸のように鋭く動き、
迸る雷霆によって後背の全てを破壊しながら、
大樹の如き角が迫りくるだけの、ただの突進。

逃げ場などない。防御など出来る訳がない。
迎え撃ち、打ち破る――それ以外に、ポチが生き残れる道はない。

ポチの獣の本能は、その事をはっきりと理解していた。
打ち寄せる黄金の角に、ポチはまるで動じない。
ただ両手で強く拳を固め、重心を落とす。

そして――己の眼前にまで迫った黄金の角。
それを右拳で、渾身の力で殴りつけた。
ぶつかり合う、甲冑の拳部に並ぶ『獣』の牙と、アザゼルの角。

ぴし、と、硬質な物に亀裂の走る音。
ひび割れたのは――アザゼルの角の方だった。
亀裂は瞬く間に広がり、そして角は砕け、黄金の破片が飛散する。

甲冑として凝縮された『獣』の力は、ほんの僅かにだが、アザゼルの力を上回った。

打ち砕いた。だが――それは所詮、無数に分岐した角の、更に枝分かれした末端でしかない。
次の瞬間にはまた次の、黄金の穂先がポチに迫る。
ポチは怯まない。今度は右に大きく身をよじり、左の拳打でそれを迎撃。

「ぐっ……!」

亀裂音、破砕音。飛び散る、黄金の欠片――それと、甲冑の隙間から溢れた鮮血。
『獣』の甲冑が砕けたのではない。正真正銘、ポチが出血しているのだ。

それは、この戦いによって受けた手傷による出血ではない。
それは――かつて、シロとの戦いで負った傷によるもの。
しかし、胸に突き立てられた手刀の傷が開いた――という訳でもない。

あの時、ポチはシロを転ばせておきながら、シロを殺めぬように戦った。
送り狼の悪性が発揮する力のみを引き出し、その殺傷性を強引に封じ込めた。
己の本性を、己の存在を否定した――そして、己の身に『滅び』を招いた。

結果的にシロに負けた事で、ポチの滅びは止まった。
それから『獣』と同化する事で、全身に負った傷も埋まった。

だが、それまでに負った滅びの傷が消えた訳ではなかった。
そして――部分的にとは言え、一度『滅びた』肉体が、そう簡単に癒えるはずもなかった。
むしろ、その傷は生涯癒える事はないのかもしれない。

故に本来、ポチが『獣』の甲冑を纏えるのは、ほんの僅かな時間だけだ。
全身に負った滅びの傷を埋める『獣』を、体外に甲冑として顕現する事は、まさしく自殺行為だからだ。

けれども今、この甲冑を解く事は出来ない。
ポチが全力を振り絞っても、アザゼルには勝てない。
勝つ為には、全力以上の力を、発揮しなくてはならないからだ。

146ポチ ◆CDuTShoToA:2020/08/11(火) 04:51:11
『――折れるなよ』

とは言え――『全力を振り絞っても勝てない。全力以上でなければ勝てない』。
決してあり得ない事だが、もしもポチがこの場で、誰かにそう告げられれば。
ポチはそれを、鼻で笑ってのけるだろう。

「へっ……なんだい、それ。もしかして自分に言い聞かせてる?」

『……減らず口を』

全力を振り絞っても、勝てない。
そんな事は――今までだってずっと、そうだった、と。

「う……ぐ……!」

故に、ポチは迷う事も臆する事もない。

「ぐう……!!」

目の前に迫る黄金の波濤を、ただ迎え撃つ。

「グ……グルル……ッ!!!」

右正拳、左鉤突き、右肘打、左膝蹴り、右拳鎚、左揚げ突き――獣の本能に身を委ね、ひたすらに体を動かす。

息を吸う時間などない。肺が破裂しそうなほどに苦しい。
全身が痛い。塞ぐものを失った滅びの傷から溢れた血が、ポチの足元に溜まっていく。
そこまでしても、枝分かれした角の全ての先端を砕く事は出来ない。
幾つかはポチの甲冑を掠め、そしてそれを容易に引き裂き、肉を斬りつける。
それでも拳打を、蹴撃を、放ち続ける。

そして――ポチは気づいていなかった。
いつの間にか、己の足元にあった血溜まりを――――自分が、置き去りにしようとしている事に。

「グガァアアアアアアアアアアアア――――――ッ!!!」

もう何度目かも分からない、ポチの放った右正拳が、アザゼルの角を叩き折る。
そして――山羊の王と、狼の王の、目があった。
終わりの見えなかった黄金の波濤が終わった。

その奥に、アザゼルが見えた。

「ッ……オォオオオオオオオオオオオオ――――ッ!!!!」

瞬間、ポチは地を蹴った。その後方には夥しい量の血の道がある。
一方でアザゼルの、大樹の如き威容を発していた角も、今や根本しか残されていない。
つまり――これが正真正銘の、最後の攻防。

アザゼルは――ただそのまま、踏み込んできた。
既にポチがその巨体を避け切れる距離ではない。
臆さず踏み込めば、ポチは死ぬ――と。

そして――――その直後、アザゼルの視界からポチが消えた。
不在の妖術ではない。満身創痍の今そんなものを使えば、ポチはそのまま消滅してしまう。

「――ありがとう、お母さん」

ポチは、変化の術を解いていた。
四足獣の姿へと戻り、そして姿勢を低く、かつ鋭く――アザゼルの足元に潜り込んだ。
それを可能にしたのは、すねこすりの本能。
本能的な衝動に身を委ねたが故に、その動作は最適かつ最速だった。

「僕の勝ちだ」

瞬間、ポチの牙が、アザゼルの右前足を深く斬り裂いた。
もう、その傷を民に肩代わりさせる事は出来ない。
アザゼルの体勢が崩れる。その突進が秘めた、絶大な運動エネルギー、そのベクトルが乱れる。
そうなれば、もう体勢を立て直す事は出来ない。
転倒し――ポチに浴びせるはずだった威力が、アザゼルの肉体へと、全て跳ね返る事になる。

147ポチ ◆CDuTShoToA:2020/08/11(火) 04:51:31
ポチの背後で、凄まじい轟音が響く。
振り返ると――アザゼルはコロッセオの観覧席と外壁を突き破って、更に地面に深い轍を残して、横たわっていた。
ポチがよろよろと、そちらへ向けて歩み寄る。
そうしてアザゼルの傍に辿り着くと――その場で膝を突いた。

ポチは、何も言葉を発しなかった。
口を利く事もままならないほどに消耗していたし――何を言えばいいのかも、分からなかった。

言いたい事はいくらでもあった。
全部ぶち壊しになっちゃったけど、この先、一体どこへ進めばいいんだ。
敵同士ではあったけど、あんたを殺す事になって、すごく残念だ。
あんたの中には、もう誰もいないのか。もし、そうじゃないなら――

だが、そのどれもが、この偉大な山羊の王の最期にかけるべき言葉だとは思えなかった。
故に――ポチはただ、横たわるアザゼルの目を見た。
この王の最期は、彼自身が決めるべきだと。

148那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/08/17(月) 11:00:29
レディベアの繰り出した大振りの右拳を、祈は左の手指を大きく開いて受け止めた。
ギリ、とレディベアが奥歯を噛みしめる。

「ぐ……離せ!離せェェェェェッ!!」

>っ、おまえが……意外に優しい奴だってのをあたしは知ってる。
 そんなモノがあたしを殺したら、一生後悔しちまうだろ。だから悪いけど、死んでやれねーな

ほんの少し前まで目まぐるしく立ち位置を入れ替え、縦横無尽にブリガドーン空間を飛び回っていたふたりが、
束の間すべての動きを止める。
祈の身体から、きらきらと美しい光が粒子のように立ちのぼり、繋いだ手と手を通してレディベアへと伝播してゆく。

>なぁ、モノ。おまえと妖怪大統領のことはあたしも考えてやるから、戻って来いよ。
 おまえは……あたしの友達なんだ。いねーと困る

「わ……わたく、しは……あなたの、ともだ……
 ぐ、ゥ……うああ、ッがああああああああ……ッ!!」

龍脈の神子たる祈が願ったのは、『レディベアの精神を侵すものが、もう二度と現れないように』――。
祈の発した光――運命変転の力に包まれ、レディベアの運命が爆発的に変質してゆく。
しかし。

びゅるるっ!!

運命変転の光がレディベアのボディスーツに触れた途端、そのダイバースーツのようにぴったりと身体にフィットした生地が、
にわかに変質を始めた。
まるで、スーツそれ自体が意思を持った生き物であるかのようにうねり、のたうち、
祈の発した光を侵蝕するように、今度はレディベアと手と繋いだままの祈の手へとその黒い食肢を伸ばしてきたのである。
それはあたかも、運命変転の力を喰らうかのように。
祈がその力を用いるのを、ずっと待っていたかのように。

《ギキキ……》

アメーバめいて蠢くタール状の粘液が、かすかに軋むような声を上げる。
運命変転の力がレディベアのさだめを書き換え終わるまで、祈はレディベアの手を離すことはできない。
これこそが、ベリアルの目論んでいた策だったのだろうか?
祈にレディベアをぶつければ、祈はレディベアを助けざるを得ない。
当然、運命変転の能力を使うだろう。祈が龍脈の力を使用した瞬間、スーツが祈を侵蝕しその肉体を乗っ取る――。
レディベアの着ているボディスーツは、ただのボディスーツではなかった。否、そもそも衣類ですらなかった。
これはきっとベリアルが用意した、ゲル状の肉体を持つ何らかの魔物なのだろう。
レディベアではなく、祈を支配することを目的として遣わされた刺客。

となれば、もはやボディスーツにはレディベアに取り憑いている理由がない。
バシュン!という弾けるような音と共に一瞬でレディベアから離脱すると、ゲル状に変化したスーツは祈の侵蝕を始めた。
祈の腕を伝い、不定形の触腕が瞬く間に右の頬まで達する。
先程のレディベアと同じように、祈の頬に血管のような模様が走る。
力ずくで剥ぎ取ろうとしても、ゼリー状のスーツはまったく離れない。剥いだそばから纏わりつき、際限なくへばりついてくる。
このままでは、祈もレディベアのように身体を乗っ取られてしまう――と、思ったが。

ばぢんっ!!

《ビギィッ!》

祈の身体から溢れる光が、闇を拒絶する。
一度大きな衝撃が起こると、スーツは弾き飛ばされるように祈から離れた。
龍脈の神子の力が闇の支配を拒絶し、その影響を遠ざけたのだろう。
祈の支配に失敗したスーツは運命変転の力が宿った光をほんの僅かに奪い、徐々にその形を変えてゆく。

《ギキ……クカッ……クカカ……》

スーツは祈の目の前でほんの一瞬嘲笑う赤マントの仮面のような形状になると、耳障りな笑い声を残してすぐに消滅した。
それとほぼ同時、ボディスーツの支配から解き放たれたレディベアが力尽きたようにどっと倒れる。
祈が助け起こし声を掛けると、かすかに瞼が動く。
やや間を置いて、レディベアはゆっくり目を覚ました。

「……いの、り……?
 わたくしは……いったい……」

見たところ、レディベアにこれといった外傷はない。祈が細心の注意を払い、怪我をさせないように戦った成果だ。

「わたくしを……助けに、来て……くれたのですね……。
 あの、公園での……約束の、通りに――」

祈はレディベアを助けた。夜の公園で、攫われつつあるレディベアに対して告げた言葉を守った。
ふたりの友情はまだ続いている。レディベアは祈の顔を見て、嬉しそうに微笑を零した。
少しの休息を挟み、自らの妖力でいつもの黒いミニスカワンピースとロンググローブ、二―ハイソックスを作り出すと、
レディベアは身体を起こして祈と向き合った。

「……そうでかすか……。そんなことが。
 祈、わたくしのせいでつらい思いをさせましたわね……。
 償いの言葉など口にしたところで、なんの贖罪にもならないということは理解しておりますが。
 それでも……言わせてください、祈。……ごめんなさい」

祈から事情を聞いたレディベアは、深々と頭を下げた。ほろ、とその隻眼から涙が零れる。
自分がベリアル=赤マントに攫われたことで、余計な心配をかけ危険を冒させてしまった、と謝罪する。
レディベアはしばらくの間この都庁の一室に軟禁状態を強いられていたが、
東京ブリーチャーズの都庁進撃を察知した赤マントが例の禍々しいボディスーツを着せたのだという。

149那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/08/17(月) 11:03:51
「赤マントが何を考えているのか、わたくしには分かりません。
 けれども……何かを待っているようなそぶりは感じられました。
 まるで、時が満ちるのを期待しているような……。あなたがたの侵攻を許したということは、
 きっと……その時が満ちたということなのでしょう。
 おそらく、わたくしが祈に敗北するということさえ、赤マントの計画のうちに違いありませんわ。
 展望室で待っているというのも――」

ベリアルの用意した都庁最終防衛機構は五人の魔神。
その中でもレディベア以外の四柱は何れも神話由来の錚々たるメンバーである。
が、レディベアだけは違う。いくらボディスーツで力をブーストしていたとはいっても、他の魔神たちよりその格は一線劣る。
ベリアルの人脈を用いれば、祈を本気で葬り去ることのできる他の魔神を召喚することもできたはずだ。
しかし、ベリアルはそれをしなかった。ということは、恐らく――赤マントは待っているのだろう。
祈がレディベアを救出し、自分のいる北側展望室へとやってくることを。
だが、罠と知っていても行かなければなるまい。
北側展望室で合流すると、祈は仲間たちと約束したのだから。

「わたくしも一緒に行きますわ、祈。
 あの男、赤マントの今までの数々の狼藉、明らかな叛逆行為。挙句の果てには王位の簒奪……。
 とうてい許せるものではありません。妖怪大統領の名代として、わたくしはあの男を裁かねばなりません。
 協力させてください、今までの償いも含めて……」

祈をまっすぐに見詰め、レディベアが決然と言い放つ。
救出されたからといって、後は知らないと安全な場所に退避するなど、レディベアの矜持が許さない。
今までベリアルにさんざん利用され、煮え湯を飲まされ、謀られ続けたのだ。
一矢報いねば、妖怪大統領の娘としての誇りに関わる。
それに、学校や猿夢で一時的に共闘した際に確認した通り、祈とレディベアのコンビプレーは抜群だ。
レディベアの支援は、祈にとってこの上ない戦力の強化となることだろう。

「お父様!お聞きになりまして?
 わたくし、東京ブリーチャーズに加勢致しますわ。
 ……申し訳ございません。わたくしは親不孝な娘です……お父様の悲願を叶えて差し上げることができませんでした。
 やはり、他者の命を犠牲にして願いを叶えるなど、間違っていたのですわ。
 お父様……わたくしの愛するお父様。
 すべてが終わった暁には、またこのブリガドーン空間でふたりきりで過ごしましょう。
 お父様をひとりには致しません、寂しい想いはさせませんわ」

レディベアは顔を上げ、自分たちを見下ろす巨大な瞳に向かって言った。
ベリアルを倒すということは、すなわちレディベアと妖怪大統領の宿願が永久に叶わなくなる、ということを意味する。
すべてが終われば、レディベアはまたこのブリガドーン空間へ戻るという。
そして、また。この何もない極彩色の空間から鍵穴の向こうを覗くように、世界の風景を眺めるのだろう――永遠に。

だが。

そんなレディベアの決意に対し、妖怪大統領は何も答えなかった。
どころか、その巨大な眼が徐々に閉じてゆく。

「お……お父様……!?
 お父様、お待ちください!お父様……!」

レディベアの呼びかけも空しく、瞳はやがて完全に閉じ、最初からそこに花にも存在していなかったように消滅してしまった。

「お父様!!
 ……祈、参りましょう!きっと、わたくしの寝返りを受けて赤マントがお父様に何かしたに違いありませんわ!
 お父様をお救いしなくては……!力を貸してください!」

「レディ……、祈ちゃん……。
 戦いは、終わったのか……祈ちゃん、どうやら……首尾よくレディを助けてくれたようだね……。
 礼を、言うよ……」

レディベアが祈に助けを求めると同時、ふたりの背後で声がした。
ローランだ。ふたりの戦闘中は完全に意識を失い空間の隅を漂っていたが、やっと息を吹き返したらしい。
全身ボロボロなのは相変わらずだが、腐っても伝説の英雄のクローンである。
気絶しているうちに、幾許かながらも体力を回復させたようだった。

「私も……連れて、行ってくれ……。こんな有様じゃ、君たちの弾避けくらいにしかならないが……。
 このままでは、私も……終われない……」

ローランもまた、ずっと東京ブリーチャーズと東京ドミネーターズのことを見てきたひとりだ。
最終決戦の場で置いてきぼりを喰らうわけにはいかない、と、その蒼い瞳が言っている。

「……ローラン……
 あなたにも苦労を掛けましたわね。お許しください……すべてはわたくしの不徳の至り」

「君が謝ることじゃないさ、レディ……私が好きでしたことだ。
 時間がない……最後まで付き合わせておくれ。そうすることで、私も……この生に意味を持つことができる。
 生きた実感を得られる……そう約束したよね?」

「……ええ」

レディベアが小さく呟く。ローランは血まみれの顔を微かに笑ませた。
その妖力で右手を空間の一部にかざすと、すぐにその場所が四角く扉状に開いた。

「参りましょう、祈。
 すべての決着をつけるときですわ」

ブリガドーン空間から出ると、すぐに北側展望台へと続く通路が見えてくる。
祈に先へ行くよう促すと、レディベアはぎゅ、とロンググローブの右手を強く握り込んだ。

150那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/08/17(月) 11:07:44
「無罪!」
「無罪!無罪だ!」
「アスタロトは無罪!裁判をただちに閉廷せよ!!」

法廷の中で、橘音の無罪を主張する声が次々と上がる。
それは弁護人席や裁判員席だけではない。今や傍聴人席からも、アスタロト無罪の言葉が叫ばれている。
開廷時には、アスタロト有罪の声で溢れていた法廷内が、圧倒的な無罪の声で埋め尽くされている。
もはや誰が見ても裁判の空気は逆転していた。
橘音の罪を暴き告発する役割の検察官までもが、右腕を振り上げてアスタロトは無罪と言い放っている。

「静粛に!静粛に!――静粛にィィィィィ!!!」

がぁん!!とルキフゲ・ロフォカレがガベルを振り下ろし、法廷内の鎮静を促す。
だが、誰も沈黙しない。無罪!無罪!と、ひたすら繰り返している。
そして。

「裁判長、私も被告は無罪だと思います。
 判決は無罪とするしかありますまい」

と――ロフォカレの右隣にいる裁判官までが、あろうことか橘音の無罪を口にした。
裁判長の左右に控える裁判官はロフォカレの腹心で、ロフォカレの意のままに裁判をコントロールする役割を担う。
だというのに、今の裁判官の対応は橘音を何としても有罪としたいロフォカレの意思とはまるで正反対だ。

「ふざけ……、ふざけるなァァァァァ!!」

悪魔の宰相として君臨して数千年、ロフォカレが開廷した裁判において結果が覆ったことはない。
すべての結果は最初から決まっており、法廷はただ判決を確認するだけの儀式にすぎなかったのだ。
……なのに。

「さ……、裁判長……」

不意に左側から声がする。もうひとりの裁判官の声だ。ロフォカレは咄嗟にそちらを向いた。
そして、見た。
恐怖におののく裁判官の左肩に小さな、拳大の蒼白い狐のシルエットをした炎が乗っており――
それが瞬く間に耳の穴から裁判官の中へ入ってゆくのを。
裁判官はびくん!と一度大きく身体を跳ねさせると、ロフォカレを見て言った。

「裁判長、アスタロト公は無罪です!早く無罪の判決を!」

ロフォカレは瞠目した。

「……なん……、何なのだ……今のは……」

「あ〜あ、見られちゃいましたか」

被告人席に佇立する橘音が呑気な調子をあげる。
裁判官は狐の姿をした四足の炎が身体に入っていった直後に、橘音の無罪を主張し始めた。
狐の姿の炎。
もはや、その犯人が誰なのか――考えるまでもない。
橘音はニタリと笑みを浮かべた。

「じゃ、そろそろ種明かしといきましょうか。そう、すべてはボクの妖術ですよ。
 地獄の法廷なんて言ったって、要は多数決の出来レース。孤立無援じゃ勝てっこない。
 単純なこと、それなら味方を増やせばいいんです。幸い頭数ならこの法廷にゴマンといる。
 彼らを残らず、こっちに取り込んでしまえばいい……単純でしょ?」

「バ、バカな!そんなことが出来る訳が――」

「『賦魂の法』……。ボクの魂を分割し、法廷にいるすべての悪魔たちに乗り移らせました。
 最初の休憩中に弁護人に、次の休みには裁判員たちに。検察官に……傍聴人に。
 もう、この法廷内にボクの分身たちが乗り移っていない者はいない。
 ロフォカレさん、アナタ以外にはね」

かつて妖怪裁判で封印刑を受けたときの橘音は、賦魂の法で魂を三分割するのがやっとだった。
だが、今は違う。華陽宮での修行により、橘音は百の単位で魂を分割できるのだ。
ロフォカレはわなわなと震えた。

「お、お、おの……」

「アナタとボクじゃ役者が違う。他人を虐げ陥れることしか考えていないアナタと、未来を見ているボクではね。
 なんせボクには、ボクのことをいっぱいいっぱい愛してくれるダーリンがいるんです。
 彼が待ってる。アナタ風情に構っているヒマはないんですよ、ということで!」

橘音の肩に、青白く燃える狐型の炎が現れる。
それは軽く一度尻尾を揺らすと、ロフォカレへと一気に飛び掛かった。

「や、め、ろォォオォォオォォォォォォ――――――――――――――――――!!!!」

橘音の魂魄がロフォカレを侵食する。その認識を書き換える。
軽い足取りで裁判長席に近寄り、恐怖に顔を引き攣らせたまま硬直してしまったロフォカレからガベルを奪い取ると、

「判決!那須野橘音は無罪!
 これにて――閉廷ッ!!」

そう言って、橘音は高らかにサウンディングブロック(土台)を打ち鳴らした。

151那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/08/17(月) 11:10:49
>輝く神の前に立つ楯《シールド・オブ・スヴェル》!!

コカベルの最大奥義、『三界安きこと無し、猶火宅の如し(インジャスティス・オーバーロード)』。
太陽の表面を迸るプロミネンスにも似た大嵐に、ノエル――否、覚醒した御幸は氷の傘を展開して対抗した。
炎と氷、相反する属性がぶつかり合い鎬を削る。両者の周囲で水蒸気爆発のような烈風が吹き荒れる。
一瞬でも気を抜いた方が跡形もなく消し飛ぶ、まさに極限の激突。

「アッハハハハハッ!そんな傘なんかで――アタシの愛は止められやしない!!
 このままアタシの焔で!這いさえ残らず燃え尽きるしかないんだよ……ノエルちゃん!!!」

ゴウッ!!!

コカベルの炎の剣から放たれる熱量が増してゆく。
それはまさに、地上の一切を焼き尽くす魔神の炎。コカベルが抱く、熱い愛の証――
だが。
永劫にも思える時間が過ぎ、万物を灰燼と帰す滅殺の火流が収まっても――御幸はそこに立っていた。
自身の繰り出した最大奥義は、御幸を跡形もなく焼滅させたはず。そう思っていたコカベルは愕然とした。

「……そんな……。
 ど、どうして……アタシの『三界安きこと無し、猶火宅の如し(インジャスティス・オーバーロード)』が……」

“スヴェルと呼ばれしは太陽の前に立ちし物、輝く神の前に立つ楯”

『グリームニルの歌』に記されし神の盾スヴェルは、まさしく太陽の熱から大地を守るもの。
太陽と同等の温度を持つコカベルの炎を防ぎきることとて不可能ではない。
そして――予想外の事態に束の間呆然自失となったコカベルの致命的な隙を、御幸は見逃さなかった。

>さあ、おねんねの時間だ―― 一撃で終わらせる!

ノエルが母との特訓の末に体得したものは、他者を慈しみ護る力。
それをノエルはこの場で『コカベルを護る』という目的のために発現させた。
ならば、コカベルを葬っては意味がない。御幸が選んだのは、コカベルを氷漬けにし一時的に眠らせるという手段だった。

>眠れる森の白雪姫《スリーピング・スノウホワイト》

御幸の妖術が発動し、地面に降り立っていたコカベルの足許から氷が徐々に全身を凍らせてゆく。

「く、ぁ……!こんな……氷如き、に……!」

コカベルはなんとか足元の氷を解かそうと炎の剣を振り下ろしたが、溶けるよりもコカベルの身体が氷に覆われる方がずっと早い。

>もしも万が一次に目が覚めた時にまだベリアルが幅を利かせていたら……子ども達と共に早く奴の元から離れるんだ――
 何度でも言うよ、奴は願いを叶えてなんてくれない

「うるさい!
 じゃあ、どうしたらいいって言うの!?この世界にネフィリム達の住む場所なんてない!
 ないものは作るしかないんだ!前にあったものを壊して、更地にして!新しく作るしかないじゃないかッ!!
 兄様だけが信じられないんじゃない!オマエたちの話だって信じられるものか!
 アタシは……アタシはッ!愛することが罪にならない世界を……創る、んだ……ッ!!」

びきびきと氷がコカベルの腰までを凍結させてゆく。それでも、コカベルはなんとか拘束から逃れようと足掻く。

>でもきっとそうはならない。
 君が何と言おうと私は行くよ――いつか必ず……一緒に遊ぼうね。
 いつか全ての哀しみが癒された世界で。愛することが罪じゃなくなった世界で。
 だから今は。少しだけ、おやすみ――

「ふざけ――――」

立ち去ろうとする御幸を逃すまいと、コカベルが最後の力を振り絞って炎の剣を振りかぶる。
剣を投げつけ、せめて一矢報いようという算段なのだろう。
しかしコカベルが今にも御幸へと炎の剣を投げつけようとするのを、不意に巨大な手のひらが遮った。

「……ネフィリム……」

巨人ネフィリムたちが御幸とコカベルの間にゆっくりと割って入る。
その様子は『もう決着はついた、このままこのひとを行かせてあげてほしい』と、母たるコカベルに懇願しているようにも見える。
もちろんコカベルはネフィリム達の意図を瞬時に察した。ゆっくりと振り上げていた手を下ろし炎の剣を消す。

「わかったよ……。それじゃ、お手並み拝見だね……ノエルちゃん。
 ベリアル兄様はすべての天使の英雄にして、すべての悪魔の手本……。アタシなんか足元にも及ばないんだ。
 ノエルちゃんたち全員の力を合わせても、太刀打ちできるかどうか……」

ぴきぴきと音を立て、コカベルの首から下をすべて氷が覆ってゆく。

「でも、やるんだね……なら、約束。
 いつか、いつか……創ってほしい……。
 愛することが、罪でなくなる……世界、を――」

これから自分などとは比較にならない強敵へと挑む御幸へ向け、警戒と期待の言葉を投げて。
愛し子であるネフィリム達に見守られながら、コカベルは凍り付いた。

152那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/08/17(月) 11:15:57
赤黒い大地が、両者の闘気に反応して捲れ上がる。罅割れ、砕け、崩壊してゆく。
悪鬼と闘神の戦いは最終局面にあった。
闘神が闘気にて秒間千発を超える豪打を繰り出したかと思えば、悪鬼は闘気を凝縮させて瞬刻の見切りを駆使してゆく。
共に闘気の遣い手ではあるが、その使用法はまるで逆。
達人という表現さえ生温い、武の頂上決戦。
そして――

>奥義・弐『偽針(ぎしん)』――――!!

一瞬の間隙を衝いて、尾弐が決着の奥義を放つ。
凝縮された膨大な闘気を纏った貫手が、アラストールの鍛え抜かれた鳩尾に食い込む。
しかし。

「ゴハッ、ゴハハハハハハハハ……!
 ハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」

その手刀の切っ先が、アラストールの心臓に達することはなかった。
ぶ厚い大胸筋と腹筋の合間、胴体で最も筋肉の薄い鳩尾を正確に貫いた尾弐の技量は驚嘆に値する。
闘気の靄を纏った貫手は、既存のほぼすべての存在を容易く穿つことだろう。
だが――尾弐の眼前に屹立するこの闘神の強さは、そんな『ほぼすべて』の外に在る。
数千年に渡り鍛え、研ぎ澄まされてきた肉体は、尾弐の必殺さえも防ぎきってみせたのである。

>……全力でも、届かねぇのかよ。クソが

「無念!
 無念よ、尾弐黒雄!!貴様ほどの遣い手を以てしても、我の命には届かぬか!
 しかしよ――愉しかった!久しく無い昂揚であったわ!
 礼を言うぞ、尾弐よ――されば、これが閉幕の一打なり!!」

アラストールが嗤う。
だが、それは単なる強者の優越を顕すものではなかった。
絶対的強者であるがゆえの落胆。失望。またしても願いが叶えられなかったことへの諦念――
そういった悲哀に満ちている。
アラストールにとって、勝利は当然の仕儀。そんな己を追い詰める敵の出現こそ、何よりも望むもの。
けれど、そんな者はもうこの世にはいないのだろうと。そう思っている。
だからこそ――
闘神は見誤った。
尾弐の強さを、覚悟を、――愛する者へ向ける、想いの深さを。

ゴッ!!

アラストール渾身の双拳が、尾弐へと放たれる。
絶死の拳は、もはやなんぴとにも止められない。アラストール自身にさえも。
そして。

「殺(と)った!!死ねィッ!!!!!」

>――――秘奥『黒尾(こくび)』

ぎゅがッ!!!!

酒呑童子最大の奥義、鬼殺しさえも凌いでみせた克己の結晶が発動する。
アラストール最大の攻撃、その威力が、アラストール自身に還される。
幾多の魔物。幾多の幻獣。幾多の悪魔、幾多の天使、幾多の神を屠ってきた破壊の力が、アラストール自身の体内で荒れ狂う。
脈打つ心臓を木端微塵に粉砕する。
奥義・弐『偽針(ぎしん)』はその名の通り、偽りの奥義。
尾弐はそれを『大きなオモチャ』と見せかけることで、アラストールの慢心を誘った。

ボシュゥッ!!!!

アラストールの胴体を駆け抜け、さらに余剰したエネルギーがその背を貫通し突風となって吹き抜けてゆく。
闘神は、倒れない。

>……お前さんは恐ろしい程強かったよ。俺なんざよりも遥かに強かった。けどな
 テメェの為だけに暴れる奴が、惚れた女の為に戦う俺に勝てる訳ねぇだろうが

尾弐が貫手をアラストールから抜き、背を向けて告げる。
アラストールは双拳を前方に突き出した体勢で立ち尽くしている。
双眸を大きく見開き、口元に笑みを湛え、勝利を確信した喜悦の表情を浮かべたまま――
最期の瞬間まで、アラストールは自分に何が起こったのか理解できなかっただろう。
自分が、やっと自分よりも強い敵と巡り合い――敗北したのだということも。

ボッ……という音と共に、その身体が蒼く燃え上がる。
数千年の刻をただ闘いのみに費やしてきた闘争の魔神は、やがて一掴みの灰となって消えていった。

153那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/08/17(月) 11:19:14
狼の王と、山羊の王。
自然界に存在する獣二種の戦いは、狼の王に軍配が上がった。
山羊の王――アザゼルはポチの攻撃によってバランスを崩され、ほとんど自滅のような様子で倒れ伏している。
深く切り裂かれた右の前足は膝を屈した時点で砕け散り、千切れて失われた。
もはや、アザゼルは立ち上がれない。自ら抉り取った地面の轍、その果てに身を横たえている。
仮に四肢が健在であったとしても、何れにせよアザゼルは立ち上がれなかっただろう。
同胞すべての命を取り込み、それを力と換えて奥義を放った。それは文字通り全身全霊の一撃だった。
全身全霊を解き放ったのなら、そこにはもう余力などあろうはずもない。

《嗚呼……。
 此処が我が一族、数千年の旅……終焉の地であったか……。
 愛する民よ、我が仔らよ……。
 すまぬ……汝らの期待に、応えられなかった……。
 余は……弱き王、だ……》
  
横たわったまま、アザゼルは呻くように言った。
黄金の毛並みは血と埃にまみれ、身に纏う雷ももはや弱々しい。
大樹の如き威容を誇っていた角は悉く折れ、今は破片となって周囲に散らばっている。
王の誇りは砕かれ、一族の威信は崩壊した。
だが。

《……狼の……王よ……》

アザゼルがゆっくりとポチへ視線を向ける。

《よくぞ……余を……斃した……。
 汝の、力……その勇気……すべて、見せて……もらった……。
 ……見事で、あった……》

お互いの一族の存亡を懸け、全力でぶつかった。
力及ばず敗北した、その嘆きはある。無念も後悔も。だが――自らを打ち破った者への恨みや怒りはない。
アザゼルは自身を下したポチの健闘を称えた。

《弱肉、強食こそ……自然の、摂理……。
 それに、異議を……差し挟む、つもりは……ない……。
 汝は、まこと強かった……。
 ならば……我らを下せし強き者に……敬意を表し……。
 我が一族は……滅びを、受け容れよう……》

すぐ傍にいながら何も言おうとしないポチに対して、アザゼルはほんの僅かに笑ったようだった。

《……勝者が、敗者にかける言葉など……ない、か……。
 勝者が何を言ったとて、それは皮肉にしかならぬ……。
 優しいの、だな……汝は……》

ごぽ、と血の塊を吐き出す。アザゼルはもう虫の息だった。
それでも懸命に意識を保ちながら、山羊の王はポチへ語り掛ける。

《その、優しさに……甘えて……。汝に、頼みたい……ことが、ある……》

死に瀕して、アザゼルは一度大きく息を吐き出し、

《……余の肉を……啖って……くれ……》

と言った。

《汝が……余を、啖えば……余は、汝の血肉となる……。
 余が、余の……眷属が……この世界に、生きた……その、証と……なる……。
 頼む……若き、狼の……王、よ……。
 この、大地に……世界に、星に……このアザゼルと、同胞たちが……生きた、証を……。
 我らの、足跡を……残させて、くれ……》

強き者が弱き者を斃すのが自然界の掟ならば、勝者が敗者の肉を啖うのもまた自然界の掟であろう。
野生の獣は生きるために、啖うために闘う。狩りをする。
斃した相手を放置して去るなどということはありえない。
で、あるのなら。
 
《……頼む》

最期にもう一度ポチに頼むと、山羊の王アザゼルは静かに目を閉じた。

154那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/08/17(月) 11:24:34
魔神たちを斃すと、東京ブリーチャ―スの皆の前に両開きの扉が現れる。
ベリアルの用意した最終防衛機構を突破した証であろう。扉を開けて奥へ進むと、都庁の廊下が続いている。
廊下の果てには自販機や休憩用の椅子を備えた小規模な休憩所があり、
その奥には『北側展望室』と書かれた扉が見えた。
表示の通り、この先が怪人赤マント――神の長子ベリアルのいる都庁北側展望室なのだろう。
最初に祈とレディベア、ローランが到着し、それから順次ノエル、尾弐、ポチが休憩所に辿り着く。
やや遅れて最後に橘音が入ってきて、全員集合となった。

「いや〜はっはっはっ!お待たせしました、皆さんお揃いですね!
 まさか負けることはないと思っていましたが、それでも全員無事なのを見ると安心するものです!」

ひらひらと右手を振りながら、橘音は笑った。
それからズタボロ状態の仲間たちをぐるりと見回し、迷い家外套の中に手を突っ込む。

「とりあえず、ダメージだけでも回復させておきましょう。
 これ、ボクの調合した仙丹です。一粒ずつどうぞ。
 マンガじゃあるまいし、何もかも即完治とは行きませんが……傷の治りを早くし、疲労を回復させる効果があります」

橘音はマントの内側からピルケースを取り出すと、カプセル状の薬を全員に渡した。
そして最後に尾弐の前に立つと、尾弐の分のカプセルの半分を唇に銜え、

「ふぁい、ろーろ」

と言って爪先立ちになり、両手を伸ばした。はいどーぞ、と言っているらしい。
そんなおふざけをしていると、ローランがそれまでずっと祈の後ろに隠れていたレディベアの肩をぽん、と叩く。
東京ブリーチャーズ全員が再結集したことで意を決したのか、レディベアが前に出る。

「あ、あ……あのっ!」

右手を胸元に添え、緊張でやや大きめの声を出しながら、レディベアが言葉を紡ぐ。

「そ……、その節は、大変ご迷惑をおかけ致しました……っ!
 目的のためとはいえ、皆さまと東京に住む方々に、とても酷いことを……。
 多くの人命を犠牲にしてしまい……本当に、本当に申し訳ございませんでしたわ……!!」

そう言うと、レディベアは腰を折って深く深く頭を下げた。

「わたくしのしたことは、許されることではございません。
 本来であれば、東京ブリーチャーズの皆さまに今すぐここで漂白されても仕方のない身……。
 けれど、どうかお願い致します。わたくしに償う機会を下さいませんでしょうか。
 償いが終わったそのときには、どのようにわたくしを裁いて下さっても構いません」

レディベアの、東京ドミネーターズの暗躍のお陰で、今まで多数の人間が犠牲になってきた。
いくら黒幕がベリアルであったとはいえ、レディベアに何の責任もないというのは通らない。
それを、レディベアは償いたいと言っている。

「まずは赤マントを……ベリアルを打ち破る手助けをさせて下さい。
 わたくしを欺き、お父様を裏切り、ロボやクリスやローランをこのような目に遭わせた、あの男。
 妖怪大統領バックベアードの名において、あれに目に物を見せてやらなければ……死んでも死に切れませんわ!
 わたくしを憎んで頂いて構いません、お怒りは甘んじて受けましょう。
 けれど、今だけ……この戦いの間だけは、わたくしを皆さまの戦列の端に加えて下さいませ……!」

「私からもお願いするよ、みんな。
 蟠りもあるだろうし、納得できない部分もあるかもしれない。
 だが――事ここに至っては、みんな目的は一緒だ。
 簒奪者ベリアルを斃す、それがこの場にいる者の宿願だろう?であれば、道はひとつしかない。
 力を合わせよう。遺恨も恩讐も、ベリアルとの決着がついた後で存分に解消すればいいさ」

もう一度レディベアの肩を叩き、ローランも一歩前へ出てブリーチャーズへと提案する。
そんなレディベアとローランの言葉を聞いて、橘音は軽く肩を竦める。

「ボクは構いませんよ。レディ……祈ちゃんがアナタをともだちだと言った、それだけで助ける理由には充分すぎる。
 大切なのは言葉ではありません。これからアナタがボクたちにどのような行動を見せてくれるのか。
 償いたいという気持ちを、どういうふうに表現してくれるのか……。
 それが何より大事なのですから。
 第一……」

橘音はそう言うと、悪戯っぽく歯を見せて笑った。

「東京ブリーチャーズの漂白は、なにも相手の存在を無かったことに――空白にするだけじゃない。
 黒く澱んでいた心を白くする、それだって立派な漂白なんです。
 ボクの目には、レディは真っ白に漂白されているように見えますよ……
 祈ちゃん。アナタがレディの心を綺麗にしたんです。まっさらな白い色にね」

軽く横に目配せをして、橘音は他の仲間たちにも意見を促す。
全員から賛同が得られると、レディベアはぽろぽろと隻眼から涙を零し、
もう一度深々と頭を下げた。

「……さて。では、話も纏まったことですし……そろそろ行きましょうか。
 最後の戦いに。怪人赤マント……天魔ベリアルとの決着を付けに」

東京都庁・北側展望室。
一行の前方にある扉の向こうに、宿敵ベリアルがいる。
長い長い戦いに、終止符を打つときが来たのだ。

「皆さん、用意はいいですか?
 泣いても笑っても、これが最後。……意地でも勝って、全員で生き残りますよ!
 そして――今日はパーッと派手に祝勝会です!サイ○リアで!」

やっぱり財布の紐が固い。外套を大きく翻すと、橘音は展望室へと大きく踏み出した。

155那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/08/17(月) 11:39:14
「ク、ク、ク……クカカカカカッ、クカカ……。
 ようこそ北側展望台へ、東京ブリーチャーズの諸君。
 それにしても驚いた……よもや、吾輩の厳選した饗応役の五魔神が敗れ去るとは!」

東京の街並みを見晴るかす、一面ガラス張りの展望室。
かつて酔余酒重塔と呼ばれた東京スカイツリーのある風景を背に、血色のマントを羽織ったシルクハットの怪人が佇んでいる。
目の前のベリアルは紛れもない実体だ。エントランスホールで見た幻影とは違う。
ついに、東京ブリーチャーズはベリアルを追い詰めたのだ。
北側展望室はホール状の広大な空間になっている。中央にカフェスペースのテーブルや椅子が並んでおり、
北端側に展望デッキが、その反対側に購買スペースがある。
テーブルなどの邪魔なものはあるが、排除することは容易い。戦うには充分な広さだろう。

「……ベリアル……!」

橘音が怒りを押し殺した声でその名を呟く。
怪人65535面相、赤マント――天魔ベリアル。
東京ブリーチャーズの仇敵、否。人類の、ありとあらゆる妖怪の敵対者。
殺戮、欺瞞、虚言の根源。
最初に創られた天使にして、最初に出現した悪魔。
祈をはじめここにいるすべての妖怪が、この男に運命を狂わされ辛酸と苦汁を味わわされた。
そして――
これから、その因縁に決着がつく。

「吾輩的には、彼らが負ける要素などないと踏んでいたんだが。
 諸君が吾輩の想像を超えて強くなり過ぎたのか、それとも吾輩が五魔神を買い被りすぎていたのか……。
 ま、もうどっちでもいいけどネ。クカカッ!」

赤マントは笑み顔を象った仮面の奥からくぐもった声を漏らした。
天魔七十二将は崩壊し、虎の子の五魔神も敗北した。
確実に後がないというのに、赤マントの様子にはまったく焦りというものが見えない。
驚いたと口では言っているものの、きっと五魔神が負けることさえ織り込み済みだったのだろう。

「ともあれ、約束は約束だ。諸君がここへ来た以上、吾輩が相手をするしかないだろう。
 吾輩はウソをつかないからネ!」

しゃあしゃあと言ったものである。チッ、と橘音は盛大に舌打ちした。
そして、白手袋に包んだ右手の人差し指で鋭く赤マントを指す。

「赤マント、いいえ師匠。いくら虚勢を張ったって、アナタが『詰み』の状態だという事実は覆りませんよ。
 手駒は尽き、今やアナタは丸裸。アナタのことだ、きっとまだ何かを企んでいるのでしょうが……。
 生憎ですね、ボクたちも無策でここまで乗り込んできたわけじゃない。
 この都庁の外には、安倍晴朧殿率いる日本明王連合と富嶽ジイの声で集まった日本全国の妖怪たちが集まっています。
 アナタは都庁内を結界で覆ったつもりでしょうが、さらにその都庁を日明連と妖怪軍団が結界に包んでいます。
 もう、何もできっこありませんよ」

東京ブリーチャーズはたった六人で都庁までやってきたのではなかった。
橘音はこの最終決戦に当たり、日明連と妖怪たちに協力の約束を取り付けていた。
長い間いがみ合っていた日明連と妖怪たちだったが、今ここにベリアルという共通の敵を倒すため、手を組んだのだ。
ブリーチャーズ全員が富嶽の期待に応え、祈が晴朧の凍った心を溶かした結果であろう。
全国から集結した選りすぐりの法師、陰陽師、神主たちと、富嶽の声で集まった妖怪たちの混成軍。
その規模は、かつて新宿御苑に集まった対姦姦蛇羅討伐軍の比ではない。
現在、混成軍は都庁の巨大な建物を丸ごとすっぽり包み込む防御結界を構築し、被害に備えていた。
例えベリアルがどれだけの大規模破壊攻撃を繰り出してきたとしても、外部にその衝撃が漏れることはないだろう。

「アナタはもうおしまいだ。アナタの謀略によって不幸になった、すべての存在に成り代わり――
 東京ブリーチャーズが。ベリアル、アナタを裁きます」

「クカカカ……アスタロト。まさかここまでキミが喰らい付いてくるとはネ。
 せっかく師である吾輩が美しい死を呉れて遣ったというのに、おめおめと生き恥を晒すとは。恥ずかしくないのかネ?」
 キミのその肉体、その知識、その妖力はすべてこの吾輩が与えたもの。吾輩がお情けで恵んでやったもの――。
 生きている限り、キミは未来永劫吾輩の影から逃れられない。死んだ方がマシなのではないかネ?」

橘音の宣言にも、ベリアルはまるで動じない。
軽く東京ブリーチャーズそれぞれの顔を見回し、ベリアルはさらにひとりひとりを挑発してゆく。

「雪の女王の仔。……キミに吾輩を断罪する資格があるとでも?
 キミの生まれた一族は、虚偽と偽善にまみれている。親が子を騙し、子が親を憎む。嘘の上に嘘を重ねていく……。
 それがキミたち雪妖というものだ。お陰でキミは、内包する人格のどれが本物のキミなのかさえ理解していない。
 吾輩のウソなんて、何もかもが嘘っぱちのキミに比べたらカワイイものだと思うけどねェ!」

「悪鬼君。吾輩がちょっとした暇潰しで京の都を引っ掻き回した結果が、あの酒呑童子サ。
 暇潰し、暇潰し!その暇潰しで千年もの時間を苦しみ、のたうち続けるとは……まったく度し難い愚か者もいたものだネ!
 おまけにそれでは飽き足らず、今度はそこにいる我が愚弟子のために未来まで犠牲にしようとしている。
 酒呑童子もアスタロトも、元は吾輩が生み出したもの。吾輩のおこぼればかりを愛する気分はどうかネ?」

156那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/08/17(月) 11:39:52
「小さなオオカミ君。大切なつがいを置き去りにして、ここまで来てしまったんだネェ。
 いいのかネ?こんなところにいて。今頃、キミの大切なお嫁さんは吾輩の部下にズタズタにされている頃だヨ?
 キミは下らない私怨に目が曇り、結果として一番護らなければならない存在を永久に喪失することになってしまった……。
 いやはや、悲劇だネ!大切な相手を護れと言って『獣(ベート)』の力を譲渡したロボも浮かばれまい!」
 
相手を貶め嘲弄する弁舌に関しては、ベリアルの右に出る者はいない。
悪魔の首魁は饒舌にまくし立てた。そして、最後に祈を見る。

「祈ちゃん。キミの人生をメチャクチャにしてやった吾輩と、ついに対峙する時が来たネェ。
 どんな気分かネ?父親を殺され、母親をバケモノされ、他の同年代の人間たちが当たり前に享受している家庭の団欒。
 それを味わえず、孤独に育った『路地裏の悪童』としては――?
 おめでとう!長らくのいじらしい努力が実を結び、キミは今まさに仇敵の前にいる。
 吾輩が憎いだろう?殺したいだろう?隠さなくてもいいヨ……クカカカカ!
 殺したくないだの、救いたいだのと、自分を偽るのはやめたまえ。どうせ最後なんだ、ぶっちゃけていこうじゃないかネ!
 人間素直が一番だヨ!」

マントの内側から白手袋に包んだ右手を覗かせ、ベリアルが嗤う。
祈を挑発し、怒りを買うことで、冷静さを失わせようという目論見なのだろう。
挑発を受けた祈の反応を見てから、ローランが聖剣デュランダルの切っ先をベリアルへ突き付ける。

「悪あがきにしか聞こえないな、ベリアル。
 貴様がどれだけ奸智に長けていようと、ここに貴様の戯言に心惑わされる者はいない。
 長かったぞ――やっと貴様をこの聖剣の錆にできる。
 かつて貴様が裏切った、神に祈る覚悟はできたか?」

橘音の仙丹を摂取したことで、ボロ雑巾のようになっていたローランもある程度回復している。
かつて猿夢を一撃で滅ぼし、姦姦蛇羅に大ダメージを与えた魔滅の聖剣デュランダルは健在だ。
いくらベリアルといえど、その刃を喰らえば無傷では済まないだろう。
さらに、レディベアが堪りかねたように口を開く。

「赤マント……!
 わたくしを、そしてお父様を欺き陥れた、その罪……絶対に許すことはできませんわ!
 大人しく裁きを受け入れなさい!」

「クカカカカッ! レディ、祈ちゃんに助けてもらったのだネ。素晴らしい!
 麗しい友情だ、例えどんな困難が立ちはだかったとしても、ふたりで手を携えて乗り越える。
 そんなところかネ?いやはや、吾輩は感涙を禁じ得ないヨ!
 レディ……キミに人間界の学校へ行けと言ったお父上も、キミに親友が出来て喜んでいるだろうサ!」

「お黙りなさい!お父様を裏切り、東京ドミネーターズの実権を簒奪した叛逆者がいけしゃあしゃあと!
 お父様に代わり、わたくしがあなたを断罪致しますわ!」

レディベアは今にもベリアルへと飛び掛かりそうな勢いだった。
そんな姿を見て、ベリアルが嗤う。

「ク、ク……。吾輩が?妖怪大統領閣下を裏切っただって?
 それは心得違いというものだヨ、レディ。吾輩の思惑はいつだって閣下の意思に沿っている。
 いや……閣下の意思が、吾輩の思惑に沿っている……と言うべきかな?
 その証拠に――」

ベリアルが血色のマントを広げ、右手を大きく横に振る。
その途端、ベリアルの背後。一面ガラス張りの展望室の外、遠方に東京スカイツリーを望む空が俄かに真一文字に裂け――

ぎょろり……と巨大な一ツ目が出現した。

「妖怪大統領閣下は、いつだってここにいるのだからネ……この吾輩の元に!!」

「あれは……!」

橘音が瞠目する。
空に開いた裂け目はあたかも瞼のよう。そこから東京を睥睨するあまりにも巨大すぎる瞳は、
祈が先ほどブリガドーン空間で目撃したバックベアードのものとまさしく同一のものであろう。
突如として東京の空に出現したバックベアードに、レディベアが隻眼を見開く。

「お……、お、父様……!」

目頭から目尻までの距離は、少なく見積もっても50メートル以上はあるだろう。
バックベアードが都庁北側展望室の妖怪たちを見つめている。
その威容の特異さ、怪異のほどは、まさしく妖怪大統領と呼びならわすに相応しい。
だが――
東京ブリーチャーズの面々はすぐに気付くだろう。
これほど巨大な妖ならば、その体躯に見合った巨大な妖気を持っていて然るべきである。
だというのに、窓の外に見えるバックベアードからは欠片ほどの妖気も感じることが出来ない。
妖気を隠蔽している、とは思えない。事ここに至り、妖気を隠すことに何の意味もない。
むしろ、強大さをアピールするため積極的に放ってこそだろう。
ところが、バックベアードからは何もない。
第一、レディベアによればバックベアードはブリガドーン空間から出ることができないという話だったはずである。
そのバックベアードが東京の空に出現しているというのは、明らかに辻褄が合わない。
妖怪大統領は静かに東京ブリーチャーズを見降ろしている。

その姿はまるで、自分はただの映像。幻に過ぎないとでも言っているようで――。

157多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/08/23(日) 23:49:03
>「ぐ……離せ!離せェェェェェッ!!」
>「わ……わたく、しは……あなたの、ともだ……
>ぐ、ゥ……うああ、ッがああああああああ……ッ!!」

 暴れるレディベア。
だが、その右手を祈が離すことはない。
少なくとも、龍脈の力でその運命を変えるまでは。
祈から立ち昇る光が、繋いだ手を通じてレディベアへと伝播する。
その光が、レディベアの着るボディスーツに触れた刹那。

 びゅるるっ!!

 スーツがうごめき、変質する。
ふくらみ、まるで軟体生物のように姿形を変える。

(!?)

 祈は驚愕に目を見開く。
 ボディスーツの袖を形成していた部分が、
タコやイカの触手のような形状になり、祈の左腕へと絡みつく。

《ギキキ……》

 ボディスーツに擬態していた“何か”は、
老朽化した建物が軋んだような、あるいはネズミの鳴き声にも似た笑い声を上げる。
 天魔なのか、赤マントの眷属なのか、付喪神なのかはわからないが、
意志を持った危険な生物であることは疑いようがない。
手を離せず身動きができない祈に、何らかの狙いを持って向かってくる。

「こいつ……!」

 祈は焦りの表情を浮かべる。
 祈の失策。レディベアではなく、
呪いの源であるボディスーツ自体の理を捻じ曲げるべきであったのだ。
 ボディスーツに擬態していた変幻自在の黒い魔物は、
レディベアを操り従わせるためだけにいたのではない。
おそらく、祈の精神をも乗っ取る罠としての役目も持っていたのだ。
 レディベアの言う龍脈の因子を取り出すにしても、
取り出さずに祈をそのまま活用するにしても、
精神を乗っ取り従順な状態にした方が都合は良い。
 祈は黒い魔物を引き剥がそうと右手で掴もうとするが、
ゲル状のそれは自在に形を変え、祈の手から容易に逃れる。
先程まではなんの変哲もない革のスーツに思えていたものが、
今となっては弾力を持った硬いゴムのような質感に変わっており、軽々と引き裂くこともできなさそうに思えた。
 黒い魔物はいよいよ本腰を入れて祈の精神の自由を奪おうと、
音を立ててレディベアから離れ、祈へと飛びついてくる。
祈の左手から左腕、肩、首、そして頭へと這いずってくる。
触れる面積が増える度、祈の意識は黒い魔物が流し込んでくる命令に強く侵食される。

「こ……の……!」

 抗おうとすれば体表に激痛が走る。
その苦痛に意識が奪われる一瞬の隙をついて、更に精神の奥へと侵入しようとして来る。
祈の意思ではない言葉や感情が脳裏に浮かぶ。
左腕から徐々に自由が利かなくなって勝手に動く。
 祈はこのままではいけないと、風火輪の炎で自らを焼こうとするが。
ばちんっ、と電気が弾けるような音が響いて。

158多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/08/23(日) 23:52:09
《ビギィッ!》

 黒い魔物が甲高い声を上げ、祈から弾き飛ばされた。
祈の体から溢れた光が、稲妻のごとく発光したかに見えた。
龍脈の加護によるものか、あるいは心を奪われまいとする祈の意思に龍脈が力を貸したか、
寸でのところで助かったようである。
 だがしかし、弾かれた黒い魔物は、宙を漂いながらうごめき、
 
《ギキ……クカッ……クカカ……》

 と笑った。
その体に、祈と同質の光を僅かに纏っているように祈には見えた。
そして一瞬、体を変化させ、赤マントに似た姿を取ったように見えたが、
すぐにどこかへと姿を消してしまった為に、
本当に赤マントに似た姿になっていたのか、偶然似た姿になっただけなのかはわからない。

「助かった……のか……?」 

 祈が纏う光が徐々に失われ、
祈の姿は、ターボフォームからいつものものへと戻っていく。
レディベアの運命を変化させ終えた、ということだろう。
 繋いだままの左手を通じ、レディベアの右手から力が抜けるのを祈は感じた。
呪いが解けて敵対する意思がなくなった故かと思ったが、
レディベアはそのまま、意識を失ってしまう。
 
「あ、おい! モノ!」

 無重力空間なので、倒れてどこかに体をぶつけることはないにしても、
急に意識を失われれば心配にもなる。
呪いの後遺症、戦闘による負荷の掛け過ぎなど、心配するに足る理由は多くある。

「大丈夫かな……」

 自身に引き寄せ、レディベアの顔を心配そうにのぞき込む祈。
そして抱いた肩を軽く揺さぶると、レディベアの瞼が小さく震え、
ゆっくりと目を開く。

>「……いの、り……?
>わたくしは……いったい……」

 祈を認識し、そう問うた。
すぐに目を覚ましたところを見るに、
呪いが解けたショックで一時的に意識が途切れた、というところだろうか。
記憶は定かでないようだったが、攻撃してくる様子はない。

「よかった。大丈夫そうだな」

 何より、命に別状はないようだった。
祈は安堵の表情を浮かべる。
 念のため、レディベアに怪我ができていないか目視で確認するが、
目立った外傷は見られない。

>「わたくしを……助けに、来て……くれたのですね……。
 あの、公園での……約束の、通りに――」

 周囲を見渡して状況を理解しつつあるのか、
そう述べて、弱々しい微笑を浮かべるレディベア。

「来ないわけないだろ? あたしら……ともだちなんだから」

 祈もまた、照れ笑いを浮かべた。
 そして、レディベアがまだ動けそうにないのを見かねて、
祈はこう提案する。

「……いまどんな状況か話しといてやるよ」

 一時の休息を挟み、情報共有を行う。
その間に少し回復したのか、レディベアは自身の力で身を起こすと、
祈から離れ、自身の妖力で洋服を生み出した。
黒のミニスカワンピース。ロンググローブ、二―ハイソックス。
祈が見慣れたいつもの姿だ。

159多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/08/23(日) 23:57:44
 そして祈に向き合うと、こんな風に述べた。

>「……そうですか……。そんなことが。
>祈、わたくしのせいでつらい思いをさせましたわね……。
>償いの言葉など口にしたところで、なんの贖罪にもならないということは理解しておりますが。
>それでも……言わせてください、祈。……ごめんなさい」

 さらに、深々と頭を下げてくるのだった。
 ぎょっとする祈。 
 祈としては、気を遣わせるつもりはなかった。
だから先程の情報共有でも、
割と面白おかしく聞かせたつもりだったのだが、逆効果になったようである。

「いいよ、謝んなって! あたしが好きでやったことなんだから!」

 祈がレディベアの肩を掴んでぐいと頭を上げさせると、
その隻眼から涙がポロポロ零れているので、一層焦る祈である。

「あーもー、泣くなよぉ!」

 いよいよ困った顔になって、
ポケットからハンカチを取り出して涙を拭ってやる祈だった。

 少し落ち着いてから、ぽつぽつと話し始めるレディベア。
レディベアがいうには、赤マントはやはりブリーチャーズの動きを掴んでいたらしく、
ボディスーツに擬態するあの黒い魔物を着せたのは、
ブリーチャーズが都庁に進撃してくる直前であったらしい。
 すん、と鼻を啜って、

>「赤マントが何を考えているのか、わたくしには分かりません。
>けれども……何かを待っているようなそぶりは感じられました。
>まるで、時が満ちるのを期待しているような……。あなたがたの侵攻を許したということは、
>きっと……その時が満ちたということなのでしょう。
>おそらく、わたくしが祈に敗北するということさえ、赤マントの計画のうちに違いありませんわ。
>展望室で待っているというのも――」

「――罠だろーな。でも……あたしは行くよ。
この街を泣かそうとする赤マントのやつは止めなきゃなんねーし、この先で仲間が待ってるしな」

 レディベアの言葉を継ぎ、祈は罠だと断じた。
 結界破りの天才である赤マントなら、逆に堅牢な結界とは何か熟知しているはずだ。
人払いの結界を張ってはいるが、ブリーチャーズの侵入を阻むことはせず、
ブリーチャーズを東京都庁の内側に招いた時点で、罠でしかないことはわかりきっている。
 レディベアのいう通り、時は満ちたのだろう。
 そして、レディベアとの戦いとその結末。黒い魔物が祈から奪っていった光。
ここまで、きっと全てが赤マントの思惑通りに事が運んでいるのだろう。
悪い予感しかしないが、だとしても、進むことを止めるわけにはいかなかった。

「モノは――」

 祈は、疲れが見えるレディベアに、「ここで待ってろ」と言おうと思った。

>「わたくしも一緒に行きますわ、祈。
>あの男、赤マントの今までの数々の狼藉、明らかな叛逆行為。挙句の果てには王位の簒奪……。
>とうてい許せるものではありません。妖怪大統領の名代として、わたくしはあの男を裁かねばなりません。
>協力させてください、今までの償いも含めて……」

 だが、レディベアがそれを遮り、自身も同行するというのである。
 言い出したら聞かないであろうことは、祈も分かっていた。

「待ってろ、って言おうと思ったんだけど……言い出したら聞かないだろうし、
おまえも赤マントには怒ってんだもんな。わかった。頼りにさせてもらうぜ、モノ」

 決意の固い瞳を裏切ることができず、祈は了承する。
敵の居城に放置していく方が危険であるのかも知れないと、考え直しながら。
 祈が了承したのを確認したレディベアは、
頷き、この空間に今も存在する妖怪大統領の幻へと向き直った。

>「お父様!お聞きになりまして?
>わたくし、東京ブリーチャーズに加勢致しますわ。
>……申し訳ございません。わたくしは親不孝な娘です……お父様の悲願を叶えて差し上げることができませんでした。
>やはり、他者の命を犠牲にして願いを叶えるなど、間違っていたのですわ。
>お父様……わたくしの愛するお父様。
>すべてが終わった暁には、またこのブリガドーン空間でふたりきりで過ごしましょう。
>お父様をひとりには致しません、寂しい想いはさせませんわ」

 それを見た祈は、儀式的な、あるいは形式的なものだと思った。
この妖怪大統領は、祈とレディベアの戦いに介入する何者かが、
レディベアに言うことを聞かせやすくするために生み出した、幻に過ぎない。
 だが、幻とは言え、最も尊敬する父の姿を取っているから、
その幻の前で誓うことで、己の決意を確たるものとしているのだと。

>「お……お父様……!?
>お父様、お待ちください!お父様……!」

 だが、妖怪大統領の幻が目を閉じ、その場から消え去るのを見て、
レディベアは狼狽して見せた。

>「お父様!!
>……祈、参りましょう!きっと、わたくしの寝返りを受けて赤マントがお父様に何かしたに違いありませんわ!
>お父様をお救いしなくては……!力を貸してください!」

 切羽詰った様子で祈へと向き直り、協力を仰ぐレディベア。

「お、おう……?」

 目の前で起きていることと祈の想像には、明らかな乖離と違和感があった。

160多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/08/24(月) 00:02:28
 だが怪訝そうな顔をした祈が、それを確かめる言葉を紡ぐ前に、

>「レディ……、祈ちゃん……。
>戦いは、終わったのか……祈ちゃん、どうやら……首尾よくレディを助けてくれたようだね……。
>礼を、言うよ……」

 互いの顔を見合わせる祈とレディベアの背後から男の声がする。
かすれた、疲れ切った声。
 二人が振返ってみると、そこにいたのは。

「ローラン!」

 傷だらけのローランであった。
 乱れているが呼吸はある。血の匂いもする。
 一時は敵の生み出した幻という可能性を考えたが、ターボフォームが解けても感じる強い生命の息吹。
これはおそらく本物だろうと祈には思われた。
 半死半生の状態でこの空間を彷徨っていたのだろう、と思うと、
放置していたのが申し訳なく思われ、心の中で謝罪する祈である。

>「私も……連れて、行ってくれ……。こんな有様じゃ、君たちの弾避けくらいにしかならないが……。
>このままでは、私も……終われない……」

「終われないっつっても……」

 生きていたことだけでもありがたい、という状態だ。
腹部にも深い傷を負っているわけで、呼吸も弱々しい。
この状態では連れて行くのは難しいと思えたが、その青い瞳は譲る意志を見せない。

>「……ローラン……
>あなたにも苦労を掛けましたわね。お許しください……すべてはわたくしの不徳の至り」

 英雄のクローンの固い決意を汲み取ったらしく、
レディベアは、連れて行かないとは言わなかった。

>「君が謝ることじゃないさ、レディ……私が好きでしたことだ。
>時間がない……最後まで付き合わせておくれ。そうすることで、私も……この生に意味を持つことができる。
>生きた実感を得られる……そう約束したよね?」

 ローランの瞳がまっすぐレディベアを見る。
それは子どもに言い聞かせるような、
しかと了承を得るのまで譲らないと念押しをしているような。

>「……ええ」

 一拍置いて、思うところがあるような、複雑な表情を浮かべて、レディベアは頷いた。
 一般的にクローンは、寿命が短いとされる。
元々ある程度育っている生物の細胞から作られる故に、
細胞自体が人より老いた状態で誕生するためだ。
細胞のテロメアが短く、人より早く寿命を迎える。
無茶な実験の果てに生み出されたであろうローランはきっと更に――。
 そんな知識がない祈でも、その切羽詰った表情から、
命が残り少ないのであろうことは察せた。

「しょうがねーから連れてくけど、弾避けに連れていくんじゃないからな。
しっかり生き残れよ、ローラン」

 気持ちは分かるし、似た気持ちなら祈も抱いてはいる。
だからこそ、もう止めることはせず、釘を刺すだけに留めた。
 命の使い方は、自身が決めるべきだと思うからだ。
 レディベアが何もない空間に手をかざすと、
この空間から脱するための、扉が現れた。
 
>「参りましょう、祈。
>すべての決着をつけるときですわ」

 祈に先に行くよう促すレディベア。
右手を握り込んでいるのは、決意の固さの表れだろう。

「そうだな……っと、その前に」

 頷きながら、祈は周囲を見渡した。
そして空中を漂う肩がけのスポーツ用のバッグを見つけると、
風火輪の炎を噴かせて歩き、近付いていく。

「あったあった」

 部活やアウトドアに用いられるような、荷物を沢山詰め込めるボストンバッグ。
金属バットを取り出した際、ジッパーを閉め忘れていたため、
中身のいくつかはこの空間に飛び出して、どこかに行ってしまった。
穴あきの金属バットも、放り投げた際に失ってしまっているが、
色々詰まっているこのスポーツ用のバッグは、この戦いにまだ必要だと祈は思う。
 祈はバッグを拾い上げて左肩に掛けると、

「よっし、行くか」

 そういって、扉に近付いて行き、ドアノブに手を掛けた。
 この先には何があるかは分からない。どんな罠が待ち構えているのだろうか。
それに龍脈の光を奪って逃げた黒い魔物のことも不安がある。
おそらく良い結果を生まないだろうと、悪い予感が、祈の胸中に訪れていた。
 だがドアノブを捻って、祈は扉を開き、その中へ入っていくのであった。

161多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/08/24(月) 00:07:15
 そうして扉を潜ると、重力が働く、建物の内部に出た。
東京都庁のどこか、どうやら廊下に出たらしい。
人影も天魔の影もなく、一本道がずっと続いているだけだ。
拍子抜けするぐらいに何もない。
 それでも警戒しながら、祈たちは長い廊下を進む。
扉を潜ったローランには、肩を貸しつつ。
 そうして辿り着いたのは、休憩スペースであった。
自販機があり、長椅子もある。
そして奥には、『北側展望室』と書かれた扉があった。
この先に、赤マントが待っているのであろうと思われた。

「みんなは……まだ来てねーのかな」

 それとも、既に先に進んだのか。
あるいは、各々別のルートから北側展望室に入る仕組みになっているのか。
それはわからない。

「あたしら、接待役を倒したら北側展望室に行けるって話になっててさ。
ここまで一本道だったし、もしかしたら橘音たちもこっちに来るかもだし。
休みながら、ちょっと待ってみようぜ」

 祈は肩を貸しているローランを長椅子に座らせると、
次いでバッグを長椅子に降ろして、小銭入れを取り出した。
そして自販機の前に歩いて行き、小銭入れから取り出した500円玉で、
ペットボトル入りのオレンジジュースやら、スポーツドリンクやらを買う。
 二人に適当に渡すと、ぽすっと自身も長椅子に座って、
オレンジジュースを飲み始めた。
 この先に赤マント待ち構えているのなら、
仲間が揃っていない状況で焦って北側展望室に突入するのは危険であった。
戦闘音が聞こえてくる訳でもないし、
少し待って仲間が集まるかどうか確かめた方が安全であろうと判断したのだ。
 何より、体力がまったく回復していない。
 龍脈の加護によって普段よりも再生能力が上がっているとはいえ、すぐに回復するわけではない。
 手のひらは皮が剥けたり擦り傷ができたりで血塗れになっているが、
これでもだいぶマシなほうで。
 レディベアには見せていないが、パーカーの袖に隠れた腕はもっとひどい。
青あざができ、打撲や骨折やらなにやらでパンパンに腫れ上がっていた。
自身に見合わない妖力を龍脈から引き出して戦っている所為か、疲労感もある。
レディベアもローランも万全でなく、この状況での連戦は危険であった。
 河童の軟膏や、迷い家のお湯でもあれば良かったのだが、
時間的に用意は無理があった。

「そうだ」

 だが、祈は何かを思いついたらしく、バッグの中を漁って、何かを取り出した。
赤く四角いパッケージに入ったお菓子。
開いて中の銀の包装を破れば、細長いプレッツェルにチョコを塗ったお菓子が複数本入っている。
祈は一本食べ、レディベアやローランにも差し出した。

「はい、これも良かったら」

 そのほかにも、駄菓子やらがバッグからはゴロゴロ出てくる。
気休めでしかないが、失ったカロリーを取り戻せば、
多少は体力も回復し、待っている間の気も紛れるだろうと。

162多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/08/24(月) 00:10:48
 そんなこんなしながら待っていると、廊下の奥から人と思しき者の足音が響いてきた。
やってきたのは、ノエルであった。
酷くボロボロの様相であったが、無事にノエルも赤マントが課した試練を突破してきたらしい。
 それを喜ばしく思う祈。
 祈の後ろに隠れているレディベアを指で示し、ちゃんと助けたぜ、と得意げにいってみせた。
その後に、同様に満身創痍の尾弐やポチが続き、最後に、

>「いや〜はっはっはっ!お待たせしました、皆さんお揃いですね!
>まさか負けることはないと思っていましたが、それでも全員無事なのを見ると安心するものです!」

 橘音がやってきた。
 こちらはどちらかというと外傷が見当たらず、余裕があるように見える。

「みんな無事……かどうかはともかく、揃って良かった」

 とはいえ、中には無事と言い難いぐらいに傷を受けているものもいた。
それを見かねた橘音は。

>「とりあえず、ダメージだけでも回復させておきましょう。
>これ、ボクの調合した仙丹です。一粒ずつどうぞ。
>マンガじゃあるまいし、何もかも即完治とは行きませんが……傷の治りを早くし、疲労を回復させる効果があります」

 そういって、マントの内側からピルケースを取り出して、
仙丹らしいカプセルを一人一人に渡していった。

「さんきゅー」

 ぽいとカプセルを口の中に放り込み、オレンジジュースで流し込もうとすると、

>「ふぁい、ろーろ」

 尾弐の前に立った橘音が、カプセルを銜えて、キスをせがむようにしている姿が目に入り。
 
「んぐ!? ぐっ、げほっげほっ。肺に入ったかと思った……」

 刺激的な光景に思わず吹き出し掛けるも、
なんとかカプセルとオレンジジュースを飲み込むことに成功する。
赤面やらむせるやらで思わず大変なことになっていた祈の後ろで、ずっと隠れていたレディベアだったが、
ふと、前に出て、声を張り上げた。

>「あ、あ……あのっ!」

>「そ……、その節は、大変ご迷惑をおかけ致しました……っ!
>目的のためとはいえ、皆さまと東京に住む方々に、とても酷いことを……。
>多くの人命を犠牲にしてしまい……本当に、本当に申し訳ございませんでしたわ……!!」

 レディベアが深く頭を下げる。
祈はそれを黙って聞いていた。
レディベアには、二人の関係を仲間に明かしたことを伝えている。
その上で、きちんと協力関係を築きたいとレディベアは言っていたからだ。

>「わたくしのしたことは、許されることではございません。
>本来であれば、東京ブリーチャーズの皆さまに今すぐここで漂白されても仕方のない身……。
>けれど、どうかお願い致します。わたくしに償う機会を下さいませんでしょうか。
>償いが終わったそのときには、どのようにわたくしを裁いて下さっても構いません」

 そして共闘を申し出るのであれば、レディベアが自身で信頼を勝ち取らなければならない。
そこに祈が入っては意味がない。そう思って黙っていたのだった。
 レディベアにローランも加わり、戦列に加えて欲しいと、力を合わせようと頼んだ。
 まずそれに応えたのは橘音であった。
 肩をすくめて、

>「ボクは構いませんよ。レディ……祈ちゃんがアナタをともだちだと言った、それだけで助ける理由には充分すぎる。
>大切なのは言葉ではありません。これからアナタがボクたちにどのような行動を見せてくれるのか。
>償いたいという気持ちを、どういうふうに表現してくれるのか……。
>それが何より大事なのですから。

 こう許可を出してくれたのだった。

>第一……」
>「東京ブリーチャーズの漂白は、なにも相手の存在を無かったことに――空白にするだけじゃない。
>黒く澱んでいた心を白くする、それだって立派な漂白なんです。
>ボクの目には、レディは真っ白に漂白されているように見えますよ……
>祈ちゃん。アナタがレディの心を綺麗にしたんです。まっさらな白い色にね」

「……いいってさ、モノ」

 祈は、そういってレディベアの肩を叩く。
 祈は特に何かしたわけではない。敵と友達になっただけで、
元々レディベアは根が悪い妖怪ではなかったのだと、そう思っている。
 橘音が他の仲間に目配せをすると、
仲間たちはレディベアとローランが戦列に加わることに、最終的には許可を下した。
 それに対し、レディベアは涙ながらに感謝し、頭を下げるのであった。
 祈もまた、頭を下げる。レディベアは自分の友達で、
その罪と自分は無関係ではないからだ。

>「……さて。では、話も纏まったことですし……そろそろ行きましょうか。
>最後の戦いに。怪人赤マント……天魔ベリアルとの決着を付けに」

>「皆さん、用意はいいですか?
>泣いても笑っても、これが最後。……意地でも勝って、全員で生き残りますよ!
>そして――今日はパーッと派手に祝勝会です!サイ○リアで!」

「やった、サイ○だー!!」

 祈は顔を上げて左腕を突きあげる。
 祈はファミレスでも満足できる安い少女である。
 そうして橘音が北側展望室への扉を開き、大きく踏み出す。
その橘音に、祈達は続いて行った。

163多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/08/24(月) 00:39:24
 北側展望室は広大なホールとなっており、カフェスペースや購買スペースで構成されていた。
ホールの一面はガラス張りになっており、スカイツリーを含む東京が一望できる。
窓際で、東京の街並みを睥睨していた赤マント――マントを羽織ったシルクハットの怪人は、
こちらへ歩いてくる複数人の足音に気が付いたらしく、こちらを振り向いた。

>「ク、ク、ク……クカカカカカッ、クカカ……。
>ようこそ北側展望台へ、東京ブリーチャーズの諸君。
>それにしても驚いた……よもや、吾輩の厳選した饗応役の五魔神が敗れ去るとは!」

 祈には判別できないが、妖気を発していることからおそらくは実体であろうと思われる。
 
>「……ベリアル……!」

 忌々し気な声で、橘音がそう呟く。
怒り、殺気すらも感じさせる声を聞きながらも、赤マントはいつもの態度を崩しはしなかった。

>「吾輩的には、彼らが負ける要素などないと踏んでいたんだが。
>諸君が吾輩の想像を超えて強くなり過ぎたのか、それとも吾輩が五魔神を買い被りすぎていたのか……。
>ま、もうどっちでもいいけどネ。クカカッ!」

 接待役とやらも倒した。
 追い詰めたのは、ブリーチャーズ側であるはず……だが、
追い詰められた様子が一切ないところを見るに、向こうも迎え撃つ準備は万端なのだろう。

>「ともあれ、約束は約束だ。諸君がここへ来た以上、吾輩が相手をするしかないだろう。
>吾輩はウソをつかないからネ!」

 この局面で一切焦ることすらない、それどころかおちゃらけたような言い回しに、
苛立った橘音が舌打ちをする。

>「赤マント、いいえ師匠。いくら虚勢を張ったって、アナタが『詰み』の状態だという事実は覆りませんよ。
>手駒は尽き、今やアナタは丸裸。アナタのことだ、きっとまだ何かを企んでいるのでしょうが……。
>生憎ですね、ボクたちも無策でここまで乗り込んできたわけじゃない。
>この都庁の外には、安倍晴朧殿率いる日本明王連合と富嶽ジイの声で集まった日本全国の妖怪たちが集まっています。
>アナタは都庁内を結界で覆ったつもりでしょうが、さらにその都庁を日明連と妖怪軍団が結界に包んでいます。
>もう、何もできっこありませんよ」

(……あっ、だから晴朧じーちゃん、電話で『後でな』って言ってたのか)

 東京都庁に殴り込みに来る前に、祈は晴朧へ電話をしている。
その際、そういわれた理由が今になって分かり、橘音を驚いた目で見る祈であった。
 そういえば、祖母も母も、何か準備をしていたように見えた。
もしかしたら、二人もその戦列に並んでいるのかもしれない。
 どうあれ、妖怪の大軍団、そして日本明王連合の陰陽師達が囲んでいるのであれば、逃げ場はないだろう。
いつもどこかに逃げ隠れする赤マントだが、さすがにその結界内からは容易くは逃げられまい。

>「アナタはもうおしまいだ。アナタの謀略によって不幸になった、すべての存在に成り代わり――
>東京ブリーチャーズが。ベリアル、アナタを裁きます」

 橘音は強く宣言するが、

>「クカカカ……アスタロト。まさかここまでキミが喰らい付いてくるとはネ。
>せっかく師である吾輩が美しい死を呉れて遣ったというのに、おめおめと生き恥を晒すとは。恥ずかしくないのかネ?」
>キミのその肉体、その知識、その妖力はすべてこの吾輩が与えたもの。吾輩がお情けで恵んでやったもの――。
>生きている限り、キミは未来永劫吾輩の影から逃れられない。死んだ方がマシなのではないかネ?」

 赤マントは橘音を始め、ブリーチャーズを一人一人嘲弄していくだけである。
ノエルも、尾弐も、ポチも。それに対する仲間の反応は様々だった。
 そして赤マントが最後に祈を見て、同じく挑発の言葉を吐きつける。

>「祈ちゃん。キミの人生をメチャクチャにしてやった吾輩と、ついに対峙する時が来たネェ。
>どんな気分かネ?父親を殺され、母親をバケモノされ、他の同年代の人間たちが当たり前に享受している家庭の団欒。
>それを味わえず、孤独に育った『路地裏の悪童』としては――?
>おめでとう!長らくのいじらしい努力が実を結び、キミは今まさに仇敵の前にいる。
>吾輩が憎いだろう?殺したいだろう?隠さなくてもいいヨ……クカカカカ!
>殺したくないだの、救いたいだのと、自分を偽るのはやめたまえ。どうせ最後なんだ、ぶっちゃけていこうじゃないかネ!
>人間素直が一番だヨ!」

 それに対して祈は。

164多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/08/24(月) 00:41:20
「……はんっ! あたしを殺してやりてーってキレ散らかしたいのは、本当はおまえだろ? 赤マント。
人生をめちゃめちゃにしてやったはずの子どもが、
母さんを取り戻して、父さんにも会って。仲間や友達と一緒に、おまえに負けることなく刃向かってきてんだから。
しかも、そんな子どもが、欲しくてたまらない龍脈の力も使えるときたら、悔しくないわけねーよな?
殺せるもんなら殺してみろよ赤マント。殺されてやるつもりはねーし、
おまえは今日あたしらにボコボコにされて、計画もパーになる。
枕も濡らすことになるわけだけど、その赤いマントで涙拭う準備はできてっかコラ!」

 バチクソに、冷静に煽り返した。
路地裏の悪童だからこそ、悪意や害意をぶつけられるのには慣れている。
そして何か隠し玉を持っていようが、時が満ちて準備が万端になっていようが、
罠を何重に張り巡らせていようが、気持ちでは負けていられないからだ。

 確かに祈の内側には、赤マントに対する負の感情がある。
自分がされたこと、仲間がされたことに対する怒り。
そして龍脈が見せた記憶の中で、ベリアルによって苦しめられた人々の慟哭を聞いた。
だからこそ、悲しみも怒りも憎しみも、祈の中で燃え滾っている。
それでも冷静でいられるのは、この場に仲間や友達がいるからだ。
この建物の外には、守るべき街と家族がいるからだ。
四肢があり、まだ戦えるからだ。
絶望的な状況でなく、その胸には希望があるからだ。
だから祈は燃え盛る炎に呑まれずに、殺さずボコボコにするという、
自らの信念に従うことができる。
 祈が挑発し返したのを聞き届け、ローランがデュランダルを構えて、口を開く。

>「悪あがきにしか聞こえないな、ベリアル。
>貴様がどれだけ奸智に長けていようと、ここに貴様の戯言に心惑わされる者はいない。
>長かったぞ――やっと貴様をこの聖剣の錆にできる。
>かつて貴様が裏切った、神に祈る覚悟はできたか?」

 先程までは剣を杖代わりにして歩きそうなほど元気がなかったのだが、
橘音がローランにも仙丹を分け与えたため、ある程度回復したと見えた。
 剣を構える姿勢にふらつきも、手に震えもない。

>「赤マント……!
>わたくしを、そしてお父様を欺き陥れた、その罪……絶対に許すことはできませんわ!
>大人しく裁きを受け入れなさい!」

 レディベアも同様だ。
ボディスーツを着せられ、洗脳された上に無理矢理力を使わされていたダメージは
仙丹によって、ある程度癒えたと見えた。
 その口調に疲れはそう見えず、いつものレディベアと変わりない。

>「クカカカカッ! レディ、祈ちゃんに助けてもらったのだネ。素晴らしい!
>麗しい友情だ、例えどんな困難が立ちはだかったとしても、ふたりで手を携えて乗り越える。
>そんなところかネ?いやはや、吾輩は感涙を禁じ得ないヨ!
>レディ……キミに人間界の学校へ行けと言ったお父上も、キミに親友が出来て喜んでいるだろうサ!」

 一撃必殺の威力を持つデュランダルを振るえるローラン。
自己の能力を高め、有利な状況を作り上げられる空間妖術、ブリガドーン空間を扱うレディベア。
 どちらも敵に回せば厄介この上ない筈だが、
両者が自分に牙を剥いたことを知って尚、赤マントは余裕の態度を崩しはしなかった。

165多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/08/24(月) 01:01:13
>「お黙りなさい!お父様を裏切り、東京ドミネーターズの実権を簒奪した叛逆者がいけしゃあしゃあと!
>お父様に代わり、わたくしがあなたを断罪致しますわ!」

 特に気に喰わなかったことなのであろう、父を裏切ったことを責め、
今にも攻撃を開始しそうなレディベアだが、

>「ク、ク……。吾輩が?妖怪大統領閣下を裏切っただって?
>それは心得違いというものだヨ、レディ。吾輩の思惑はいつだって閣下の意思に沿っている。

 ベリアルは嗤い、それを否定する。

>いや……閣下の意思が、吾輩の思惑に沿っている……と言うべきかな?
>その証拠に――」

 そして真っ赤なマントを広げて、右手を大きく振るうと。
赤マントの背後、展望室の外側で、空に横一文字の裂け目が生じた。
それは先程、祈がブリガドーン空間内で見たもの。

>「妖怪大統領閣下は、いつだってここにいるのだからネ……この吾輩の元に!!」

 裂け目が縦に開き、巨大な瞳が出現する。
 妖怪大統領の眼である。

>「あれは……!」

 あまりの巨大さにであろう、
橘音が半狐面越しに、目を見開いたであろうことが雰囲気で分かった。
50メートルはあろうか。
確かに巨大で、一目見れば大抵のものが驚くかもしれないが、祈は知っている。
妖気も何も感じないこれが、ただの幻に過ぎないことを。
 赤マントがハッタリでこちらを惑わし、時間稼ぎでもしようとしているのだと、
祈は判断した。
だからこそ、風火輪に火を入れ、飛び掛かる準備をしたのだが。

>「お……、お、父様……!」

 レディベアのこの一言で、祈は灯した火を消さざるを得なかった。
 祈はブリガドーン空間内でのことを思い出す。
幻の妖怪大統領に向かって、まるで本物の父に語り掛けるようにしていたレディベアのことを。
そして、「妖怪大統領が自身の意に沿っている」という赤マントの発言が、
そのときに生じた違和感の答えではないかと、そう思ってしまったのだ。
 だからこそ問うてしまう。

「な、なぁ、モノ」

 おそるおそる、といった口調で。
 祈は、レディベアを見遣る。
 最も尊敬する父の雰囲気や立ち振る舞い、そして妖気を、娘であるレディベアが判別できないはずはない。
ならばこの『幻の妖怪大統領こそが本物である』、ということにならないか。

「あたしには判断つかないから教えて欲しい。
あの空に浮かぶ妖怪大統領は――『本物』なんだよな?」

 思いつくのは、良くない想像ばかりだった。
 あの幻の妖怪大統領が紛れもない本物であるとすれば。
たとえば、『赤マントが妖怪大統領を喰らってしまった』だとか。
 その力や記憶を丸ごと喰らったために、
レディベアをも騙せるレベルで妖怪大統領の姿を自在に投影できて、
しかもブリガドーン空間の力までも既に掌握している、というような。

 あるいは、『もともと妖怪大統領・バックベアードなる妖怪は存在せず――、
赤マントが生み出して操作していた幻だった』、だとか。
その場合、レディベアはずっと幻を父だと信じ込まされており、
だから幻の妖怪大統領を見ていても本物だと信じて疑わない、というような。
 どちらにしても。どちらでないにしても。
 祈の頬を、冷や汗が伝う。

――地獄の門は既に開いている。祈は、そんな気がしてならなかった。

166御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/08/28(金) 18:14:37
>「ふざけ――――」

殺気を感じ振り向く。
すると、何も分からずただ暴れ回り破壊する事しか出来なかったはずのネフィリムが、コカベルが攻撃しようとするのを遮っていた。
それが最後の一押しとなり、コカベルはついに観念した。

>「わかったよ……。それじゃ、お手並み拝見だね……ノエルちゃん。
 ベリアル兄様はすべての天使の英雄にして、すべての悪魔の手本……。アタシなんか足元にも及ばないんだ。
 ノエルちゃんたち全員の力を合わせても、太刀打ちできるかどうか……」
>「でも、やるんだね……なら、約束。
 いつか、いつか……創ってほしい……。
 愛することが、罪でなくなる……世界、を――」

「分かった。そうなったら私のお店に遊びに来てね。約束だよ」

随分壮大な約束をしてしまったように思えるが、すでに同じ意味合いの約束をクリスにしてしまっている。
約束した相手が増えただけのことだ。
コカベルが凍り付くのを見届け、御幸はネフィリム達に向かって深々と頭を下げた。

「ありがとう……。お母さんのことなら大丈夫、少し眠ってるだけだからね」

目の前に両開きの扉が現れ、それをくぐると都庁の廊下だった。
ノエルの姿に戻って少し歩くと、北側展望室の手前の休憩室では、祈とレディベア、ローランが待っていた。
祈がレディベアを助けたことを得意げに示す。

「祈ちゃん、やったね……!」

二人に駆け寄り、すんでのところで「おっといけない」と立ち止まりみゆきの姿になってから二人一緒に抱きしめる。

「ふふっ、驚いた? これで童達、秘密を共有する者同士だね!」

背景に花が咲いてそうな笑顔で笑うみゆき。外見上はガチで美少女なので性質が悪い。
確かに共に人間の美少女に化けて学校に潜入していた侵略者と変態だが、一緒にするなと怒られそうである。
それ以前にレディべアにはみゆきの正体は最初の瞬間からバレている。
尾弐とポチも順次現れ、例によって例のごとく残るは橘音のみとなった。
しかしノエルは狼狽えない。待ち合わせをすれば橘音は最後に来ると相場が決まっているのである。

「またか……! どうせ能天気に笑いながら来るでしょ」

>「いや〜はっはっはっ!お待たせしました、皆さんお揃いですね!
 まさか負けることはないと思っていましたが、それでも全員無事なのを見ると安心するものです!」

現れた橘音には他の者と違って外傷はなく、余裕で最終防衛機構を切り抜けたように見える。
飽くまでも見る限りにおいては、だが。
魂を何百にも分割するとは並大抵のことではないので、実際のところは分からない。

「……本当に笑いながら来た!? 料亭でガチ接待受けてたんじゃないだろうね!?」

167御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/08/28(金) 18:17:07
>「とりあえず、ダメージだけでも回復させておきましょう。
 これ、ボクの調合した仙丹です。一粒ずつどうぞ。
 マンガじゃあるまいし、何もかも即完治とは行きませんが……傷の治りを早くし、疲労を回復させる効果があります」

「橘音くん、薬の調合できるの?」

受け取った仙丹を口に放り込む。

「うわぁ、心がぴょんぴょんするね! 元気が出るお菓子という名目で売ったら売れるんじゃないかな!?」

多少効きすぎたようだ。
多分心がぴょんぴょんするのはノエルだけだと思われるが、これを売ったら怪しいヤクと疑われて警察が来そうである。

>「ふぁい、ろーろ」

……橘音までも寄行(?)に及び、仙丹効きすぎ説が若干信憑性を帯びてきた。
あれ、でも橘音、もしかして外傷の無い自分は飲んでいないのでは――? まあいっか。
生暖かい目で見守っていたたまれない空気になってもいけないのでとりあえず突っ込んでおく。

「出た――ッ!! 妖怪バカップル! 全世界の非リア達の怨念で爆発しても知らないよ!?」

そんな緩い空気の中、レディベアが意を決した様子で切り出した。

>「あ、あ……あのっ!」

「ん、何? そんなに改まって」

すでにこの場にいることが当然、という風にレディベア達がこの場にいることについて
特に誰も突っ込むでもなく話が進んでいたので、ナチュラルに何だろうと思っている。

>「そ……、その節は、大変ご迷惑をおかけ致しました……っ!
 目的のためとはいえ、皆さまと東京に住む方々に、とても酷いことを……。
 多くの人命を犠牲にしてしまい……本当に、本当に申し訳ございませんでしたわ……!!」

今までの行いを詫び、共闘を申し出るレディデア。更にローランも。

>「私からもお願いするよ、みんな。
 蟠りもあるだろうし、納得できない部分もあるかもしれない。
 だが――事ここに至っては、みんな目的は一緒だ。
 簒奪者ベリアルを斃す、それがこの場にいる者の宿願だろう?であれば、道はひとつしかない。
 力を合わせよう。遺恨も恩讐も、ベリアルとの決着がついた後で存分に解消すればいいさ」

二人の申し出に、まず橘音が答えた。

168御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/08/28(金) 18:19:27
>「ボクは構いませんよ。レディ……祈ちゃんがアナタをともだちだと言った、それだけで助ける理由には充分すぎる。
 大切なのは言葉ではありません。これからアナタがボクたちにどのような行動を見せてくれるのか。
 償いたいという気持ちを、どういうふうに表現してくれるのか……。
 それが何より大事なのですから。
 第一……」
>「東京ブリーチャーズの漂白は、なにも相手の存在を無かったことに――空白にするだけじゃない。
 黒く澱んでいた心を白くする、それだって立派な漂白なんです。
 ボクの目には、レディは真っ白に漂白されているように見えますよ……
 祈ちゃん。アナタがレディの心を綺麗にしたんです。まっさらな白い色にね」

「そうそう! 元々組織のコンセプト的に説得して改心させるのが第一候補で倒すのは最終手段だったよね。
最近ガチでヤバイ敵ばっかりでみんな忘れてそうだけど」

ノエルが続く。
そもそも、ノエルは祈がレディベアを助けてほしいと皆に頼んだ時から、助け出せば二人が戦力になるかもしれないと言っていた。
奇しくもその通りになったのだから、今更反対するはずがない。

「というか最初からそのつもりだから! キリキリ働いてもらうから覚悟してね!
……でも、せっかくだから条件出しちゃおうかな? 僕……じゃなかった、みゆきとも友達になってくれる?」

どさくさに紛れて典型的対価型セクハラを敢行している。おまわりさんこちらです。
そんなことは構わず、今度はローランに向き直る。

「やっと自分の役回りが分かったよ。
力を一点に集中させて敵を穿つのは他の人の役目だったみたいだけどね!」

事情があったとえはいえレディベアは、普通の人間から見れば多くの人間を死に至らしめた、大罪を背負う妖怪。
ローランにしても、深い意図があったにせよ一行を殺しにかかってきたのは事実だ。
が、ノエルは元より人間とは違う尺度で生きる者。
許す許さない以前の問題で、今となっては割とマジで気にしていなかった。

>「……さて。では、話も纏まったことですし……そろそろ行きましょうか。
 最後の戦いに。怪人赤マント……天魔ベリアルとの決着を付けに」
>「皆さん、用意はいいですか?
 泣いても笑っても、これが最後。……意地でも勝って、全員で生き残りますよ!
 そして――今日はパーッと派手に祝勝会です!サイ○リアで!」

>「やった、サイ○だー!!」

「今日ぐらいロ〇ヤルホホストにしない!?」

多少高級だが、ファミレスであることには変わりは無かった。
ともあれ、ついに展望室に足を踏み入れる。そこでは、宣言通りにベリアルが待っていた。

169御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/08/28(金) 18:21:38
>「ク、ク、ク……クカカカカカッ、クカカ……。
 ようこそ北側展望台へ、東京ブリーチャーズの諸君。
 それにしても驚いた……よもや、吾輩の厳選した饗応役の五魔神が敗れ去るとは!」
>「吾輩的には、彼らが負ける要素などないと踏んでいたんだが。
 諸君が吾輩の想像を超えて強くなり過ぎたのか、それとも吾輩が五魔神を買い被りすぎていたのか……。
 ま、もうどっちでもいいけどネ。クカカッ!」

驚いたと言いながら、あんまり驚いているようには見えないが、ノエルは敢えて真に受けた体で言い返す。

「甘い甘い! ゴマなんて僕達の手にかかればちょろいぜーっ! 大豆でも用意しとけばよかったな!」

真面目な話、本当に大豆を用意されたら尾弐がヤバイ。

>「ともあれ、約束は約束だ。諸君がここへ来た以上、吾輩が相手をするしかないだろう。
 吾輩はウソをつかないからネ!」

質問をして常に本当の事を言う正直者と常に嘘を言う嘘吐きを判別するゲームがあったとして、
「あなたは嘘吐きですか?」は何の情報も得られない質問だったりする。
しかし常に嘘を言う嘘吐きは裏を返せば正直者なわけで、実際は巧みに虚実を織り交ぜてくる者ほど厄介なのだ。
ベリアルは本当にここで自らの力で一行を迎え撃つつもりなのだろうか?

>「赤マント、いいえ師匠。いくら虚勢を張ったって、アナタが『詰み』の状態だという事実は覆りませんよ。
 手駒は尽き、今やアナタは丸裸。アナタのことだ、きっとまだ何かを企んでいるのでしょうが……。
 生憎ですね、ボクたちも無策でここまで乗り込んできたわけじゃない。
 この都庁の外には、安倍晴朧殿率いる日本明王連合と富嶽ジイの声で集まった日本全国の妖怪たちが集まっています。
 アナタは都庁内を結界で覆ったつもりでしょうが、さらにその都庁を日明連と妖怪軍団が結界に包んでいます。
 もう、何もできっこありませんよ」

「ベリアル! いや、敢えて言おうカンスト仮面と! 貴様は包囲されているッ!」

内心では“そうだったんだ!”と思いながら勢いに乗っておく。

>「アナタはもうおしまいだ。アナタの謀略によって不幸になった、すべての存在に成り代わり――
 東京ブリーチャーズが。ベリアル、アナタを裁きます」

>「クカカカ……アスタロト。まさかここまでキミが喰らい付いてくるとはネ。
 せっかく師である吾輩が美しい死を呉れて遣ったというのに、おめおめと生き恥を晒すとは。恥ずかしくないのかネ?」
 キミのその肉体、その知識、その妖力はすべてこの吾輩が与えたもの。吾輩がお情けで恵んでやったもの――。
 生きている限り、キミは未来永劫吾輩の影から逃れられない。死んだ方がマシなのではないかネ?」

ベリアルは、メンバーの一人一人を挑発しはじめる。

170御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/08/28(金) 18:23:09
>「雪の女王の仔。……キミに吾輩を断罪する資格があるとでも?
 キミの生まれた一族は、虚偽と偽善にまみれている。親が子を騙し、子が親を憎む。嘘の上に嘘を重ねていく……。
 それがキミたち雪妖というものだ。お陰でキミは、内包する人格のどれが本物のキミなのかさえ理解していない。
 吾輩のウソなんて、何もかもが嘘っぱちのキミに比べたらカワイイものだと思うけどねェ!」

橘音に続いて挑発を受けたノエル。
一瞬前までのハイテンションは成りをひそめ、凍てつくほどに涼やかな氷雪の王者としての顔になる。

「そうだね――それもまた真実なのかもしれない。
全てが本物、という答えは無し? 僕はね……真実は一つじゃなくてもいいと思ってる。
そもそも僕は正義の御旗の下に君を断罪しようなんて立派なことを思っていない。
ただ君が破壊しようとしている今の世界を――君に立ち向かう皆を守るだけ。
今更誰にも精神攻撃なんて効かないんだから無駄なお喋りはやめてさっさと始めるのを勧めるよ。
どちらか歴史を紡ぐか――戦いで決着を付けよう」

この戦いでは自らの恨みや怒りは捨て置き、皆を守ることに集中しようと決めた。
幸いそれは、今の世界の存続――銀嶺の使徒としての行動原理と合致している。
それは例えば水が高い場所から低い場所へ流れるような、理屈を超えた性質のようなものだ。
愛を謳い正義を掲げる者を嘲弄し心を折ることこそが、ベリアルの至上の喜び。
ならばその悪意を阻む盾となるのは、愛や正義を掲げない者こそが適任だ。
行動原理がそれとは別のところにあれば、折られようがない。
ベリアルは懲りずに尾弐、ポチ、祈を煽っていくが、いずれも効果は無かった。
ベリアルに力強く言い返した祈の言葉を聞いて、ノエルは微かに微笑んだ。
祈はいつの間にか、ノエルには決して持ちえない類の強さを手に入れていた。
最後に、レディベアがベリアルにくってかかる。

>「お黙りなさい!お父様を裏切り、東京ドミネーターズの実権を簒奪した叛逆者がいけしゃあしゃあと!
 お父様に代わり、わたくしがあなたを断罪致しますわ!」

>「ク、ク……。吾輩が?妖怪大統領閣下を裏切っただって?
 それは心得違いというものだヨ、レディ。吾輩の思惑はいつだって閣下の意思に沿っている。
 いや……閣下の意思が、吾輩の思惑に沿っている……と言うべきかな?
 その証拠に――」

空が裂け、巨大な一つ目が出現する。

>「妖怪大統領閣下は、いつだってここにいるのだからネ……この吾輩の元に!!」

>「あれは……!」

一瞬驚くも、すぐに妖気が全く感じられないことに気付く。
追い詰められたベリアルが苦肉の策で作り出した幻か何かだろう、そう思い、臨戦態勢に入る。
祈などは、風火輪に火をともし今にもとびかかろうとしている。

171御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/08/28(金) 18:26:16
「追い詰められてヤキが回ったか――そんなハッタリで時間稼ぎしようとしても無駄だ!」

しかし――

>「お……、お、父様……!」

レディベアの真に迫った言葉に、祈が臨戦態勢を解く。
本当に本物かどうかは分からないが、少なくともレディベアは、空に現れた妖怪大統領を本物と認識している。
レディベアが本物だと思うということは、妖怪大統領は普段から妖気を表に出さない、ということだろうか。
“閣下の意思が、吾輩の思惑に沿っている”とは――巧みな弁舌に乗せられて完全にベリアルの軍門に下ってしまったか
あるいは存在自体がすでにベリアルに取り込まれてしまっているとも考えられる。
それに、レディベアが妖怪大統領を親と慕っていても、その逆はどうかは分からない。
妖怪大統領(バックベアード)とレディベアは派生元と派生した者の関係にあり、その意味で親子ではあるのだろうが、
妖怪大統領はレディベアとは違って人間的な感情を持たない概念的な存在という可能性もある。

>「な、なぁ、モノ」
>「あたしには判断つかないから教えて欲しい。
あの空に浮かぶ妖怪大統領は――『本物』なんだよな?」

祈に問われたレディベアが妖怪大統領の真偽を今一度見極めようとするが――
ノエルは重大なことに気付いて叫んだ。

「見たらいけない!」

凍り付くような音と共に、ガラスが一面白くなり、外の風景が見えなくなる。
ガラス全体に霜を張ったのだ。
もしもあの妖怪大統領が単なる幻ではなく、ベリアルの意のままに操れる状態だとしたら、間違いなく瞳術を使って攻撃してくる。
それを防ぐためだった。

「惑わされないで。どっちにしてもやる事は変わらない。
あの妖怪大統領が幻ならベリアルを倒せば消える。
もしもベリアルに従わされてる本物なら……猶更奴を倒さなきゃならない」

そう言って、ベリアルの出方を見る。
もしも単なるハッタリの幻ならそのまま捨て置いて戦闘を始めるだろうし、
そうではなくノエルの予測したように戦闘に使おうとしているのなら、霜を溶かすなりガラスを破壊するのは造作もないことだろう。

172尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/09/06(日) 16:20:10
「っと……随分待たせちまったみてぇだな。まだ来てねぇのは橘音だけか?」

展望室に足を踏み入れると、そこには既に那須野橘音を除く東京ブリーチャーズのメンバーが揃っていた。
見る限りでは先に進めない程の重傷を負った者がいない事への安堵と、少女である祈に先を越されてしまった事に少々の申し訳なさを感じつつ、尾弐は手近な座椅子に腰かける。

(……さぁて、この先どうなる事かね)

死闘の末にアラストールを打ち倒した尾弐。その様子は一見して飄々としたものであるが、内心は忸怩たるものだった。
何故ならば、本来あの戦闘で尾弐は「黒尾を使ってはいけなかった」のだから。

ベリアル。憎悪し嫌悪する相手とはいえ、彼の天魔は那須野橘音の智謀の師に当たる存在だ。
なればこそ、その智謀に対抗するには未知を用いるべきであった。
死角からの急襲でケリを付けなければならなかったのだ。
だというのに……用いなければ死んでいたとはいえ、まんまと切り札を使わされてしまった。
未知が既知となり果てれば、その貫通力は大幅に減衰してしまう。
そして更に悪いのは、『尾弐の切り札には制限が付いている』という点だ。
尾弐が『黒尾』を戦闘の中で使用できるのは、おそらく後2回。
極限の集中力と膨大な闘気を必要とする技であるが故に、今の尾弐ではそれ以上に黒尾を使用する事は叶わないだろう。
仮に無理をして使用しようとすれば、尾弐の肉体は循環する力の制御を誤り自壊する。
迫り繰るベリアルとの対峙の時を前にして露呈した不安要素に、尾弐は自問自答を続けるが

>「いや〜はっはっはっ!お待たせしました、皆さんお揃いですね!
>まさか負けることはないと思っていましたが、それでも全員無事なのを見ると安心するものです!」
「!」

不意に耳に入ったからからと響く笑い声――那須野橘音の声に、その懊悩はあっさりと拭い去られてしまった。

>「みんな無事……かどうかはともかく、揃って良かった」

「……今更誰かが欠けるたぁ思っていなかったがよ。それでも五体が揃ったままで先に進めるのは僥倖か」

ただ一人の存在に会えただけであっさりと楽天的な方向に流れてしまった自身の思考の単純さに呆れつつ。
しかし、そんな単純になってってしまった自分がどうしようもなく愉快で―――尾弐は苦笑を浮かべる。

>「とりあえず、ダメージだけでも回復させておきましょう。
>これ、ボクの調合した仙丹です。一粒ずつどうぞ。
>マンガじゃあるまいし、何もかも即完治とは行きませんが……傷の治りを早くし、疲労を回復させる効果があります」
>「橘音くん、薬の調合できるの?」

そんな尾弐をしり目に、那須野は調合したという仙丹を配り始める。
一人一人、順番に渡していき最後に尾弐の番になると

>「ふぁい、ろーろ」
>「んぐ!? ぐっ、げほっげほっ。肺に入ったかと思った……」
>「出た――ッ!! 妖怪バカップル! 全世界の非リア達の怨念で爆発しても知らないよ!?」

「………橘音、お前さんなあ」

小悪魔と呼ぶべきか、蠱惑的と言うべきか。
好いた女の魅力的な提案を受けた尾弐は、興奮するノエルと咽た祈をチラリと眺め見た後、一度額を手で押さえてから一歩二歩と進んで那須野の前に立つ。
そして、左手で那須野の仮面の目の部分を覆い隠すと

その唇に触れさせた。
右手の指を。

「橘音。俺は大丈夫だからそいつはお前さんが飲んどけ」
「強がりじゃねぇから安心しろ。どうもさっきの戦いから妙に調子が良くてな。壊れた筈の左腕も問題なく動かせる程度には万全なんだよ。それから―――」

人指し指で押し込まれた仙丹は、那須野橘音の口の中へと落ちる。

「アレだ。俺にも我慢できなくなる時くらいあるんだ。だから、あんましからかってくれんな」

左手で目を覆ったお陰で橘音に照れた表情を見られなかったのは、尾弐にとっては幸運と言えるだろう。

173尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/09/06(日) 16:21:12
そんな状況の中、不意に緊張を孕んだ声が響く。

>「あ、あ……あのっ!」
>「そ……、その節は、大変ご迷惑をおかけ致しました……っ!
(中略)
>けれど、今だけ……この戦いの間だけは、わたくしを皆さまの戦列の端に加えて下さいませ……!」
>「私からもお願いするよ、みんな。
>蟠りもあるだろうし、納得できない部分もあるかもしれない。
>だが――事ここに至っては、みんな目的は一緒だ。
>簒奪者ベリアルを斃す、それがこの場にいる者の宿願だろう?であれば、道はひとつしかない。
>力を合わせよう。遺恨も恩讐も、ベリアルとの決着がついた後で存分に解消すればいいさ」

声の主はレディベア。そしてローラン。
東京ドミネーターズとして対峙してきた二人の言葉に、今まで二人の存在を見て見ぬフリをしてきた尾弐は顔を顰める。

>「ボクは構いませんよ。レディ……祈ちゃんがアナタをともだちだと言った、それだけで助ける理由には充分すぎる。
>大切なのは言葉ではありません。これからアナタがボクたちにどのような行動を見せてくれるのか。
>償いたいという気持ちを、どういうふうに表現してくれるのか……。
>それが何より大事なのですから。
>第一……」
>「東京ブリーチャーズの漂白は、なにも相手の存在を無かったことに――空白にするだけじゃない。
>黒く澱んでいた心を白くする、それだって立派な漂白なんです。
>ボクの目には、レディは真っ白に漂白されているように見えますよ……
>祈ちゃん。アナタがレディの心を綺麗にしたんです。まっさらな白い色にね」
>「そうそう! 元々組織のコンセプト的に説得して改心させるのが第一候補で倒すのは最終手段だったよね。
>最近ガチでヤバイ敵ばっかりでみんな忘れてそうだけど」
>「……いいってさ、モノ」

二人の告解と協力の申し出の言葉に、東京ブリーチャーズの面々は「是」という返答を返していく。
本来であれば尾弐も快く、大人らしく寛容に赦しの言葉を投げるべきなのだろう。

「―――—犯した罪は贖えない。喪われた命は戻らない。物語みてぇにキレェに赦されるなんて決して思うな」
「間違えた奴に出来るのは、その全部を背負って行く事くらいだ。そして、それが責任を取るってことだ」
「覚えておけ。今は祈の嬢ちゃんの想いの分だけお前さん達を信用するが、もしその想いを裏切れば―――—俺が、二人分の空白を作ってやる」

だが、尾弐はそうしなかった。
厳しく、否定的で辛辣な―――—罪人の先達としての言葉を残す。
きっとそれは尾弐なりの妥協点で……そして、責任を背負いながら「それでも」進んでいけという激励だったのだろう。

>「皆さん、用意はいいですか?
>泣いても笑っても、これが最後。……意地でも勝って、全員で生き残りますよ!
>そして――今日はパーッと派手に祝勝会です!サイ○リアで!」
>「やった、サイ○だー!!」
>「今日ぐらいロ〇ヤルホホストにしない!?」

「いや、全部ファミレスじゃねぇか……ま、いいか。オジサン的には酒が飲めるならどこでも付き合うぜ」

そうして、最後に那須野橘音の相変わらずな財布の紐の硬さに苦笑しつつ、その後ろを歩き出した。

174尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/09/06(日) 16:21:42
北側展望室。
この国の首都を睥睨する程に高く組み上げられたその空間に、『それ』はいた。

>「ク、ク、ク……クカカカカカッ、クカカ……。
>ようこそ北側展望台へ、東京ブリーチャーズの諸君。
>それにしても驚いた……よもや、吾輩の厳選した饗応役の五魔神が敗れ去るとは!」

赤マント――—―ベリアル。
今回の騒乱の指揮者にして、過去から今に至るまでに尾弐が経験した地獄、それを産み出した元凶たる怨敵。
その姿を目視した尾弐は、静かにその身から殺気を放つ。
だが、ベリアルはそんな尾弐の殺気など糠に釘、柳に風とでもいうように無視をして、その口から愉しげに―――—そう、実に愉しげに言葉を吐きだしていく。

>「ともあれ、約束は約束だ。諸君がここへ来た以上、吾輩が相手をするしかないだろう。
>吾輩はウソをつかないからネ!」
>「赤マント、いいえ師匠。いくら虚勢を張ったって、アナタが『詰み』の状態だという事実は覆りませんよ。
>手駒は尽き、今やアナタは丸裸。アナタのことだ、きっとまだ何かを企んでいるのでしょうが……。
>生憎ですね、ボクたちも無策でここまで乗り込んできたわけじゃない。
>この都庁の外には、安倍晴朧殿率いる日本明王連合と富嶽ジイの声で集まった日本全国の妖怪たちが集まっています。
>アナタは都庁内を結界で覆ったつもりでしょうが、さらにその都庁を日明連と妖怪軍団が結界に包んでいます。
>もう、何もできっこありませんよ」
>「アナタはもうおしまいだ。アナタの謀略によって不幸になった、すべての存在に成り代わり――
>東京ブリーチャーズが。ベリアル、アナタを裁きます」

そんなベリアルに対して、那須野橘音は言葉という名前の弾丸で追い込まんとする。
戦力の不足、最高峰と言っていい人間と妖怪の連合軍。張り巡らされた結果。
その事実を知り得ていなかった尾弐が聞いても、万全と思える対策だ。だというのに

>「クカカカ……アスタロト。まさかここまでキミが喰らい付いてくるとはネ。
>せっかく師である吾輩が美しい死を呉れて遣ったというのに、おめおめと生き恥を晒すとは。恥ずかしくないのかネ?」
>キミのその肉体、その知識、その妖力はすべてこの吾輩が与えたもの。吾輩がお情けで恵んでやったもの――。
>生きている限り、キミは未来永劫吾輩の影から逃れられない。死んだ方がマシなのではないかネ?」

ベリアルの余裕は崩れない。どころか、東京ブリーチャーズの面々に対して言葉に寄る揺さ振りをかけんと試みて来た。
そして、その言葉の刃は尾弐へも向けられる。

>「悪鬼君。吾輩がちょっとした暇潰しで京の都を引っ掻き回した結果が、あの酒呑童子サ。
>暇潰し、暇潰し!その暇潰しで千年もの時間を苦しみ、のたうち続けるとは……まったく度し難い愚か者もいたものだネ!
>おまけにそれでは飽き足らず、今度はそこにいる我が愚弟子のために未来まで犠牲にしようとしている。
>酒呑童子もアスタロトも、元は吾輩が生み出したもの。吾輩のおこぼればかりを愛する気分はどうかネ?」

過去を抉るその言葉の数々は、尾弐を激昂させるに不足ないものである筈だった。だがしかし、ベリアルは一つ間違えた。

「ああ……気分、気分な。まあ不快っちゃあ不快だぜ。外道丸と橘音が辛い思いをしたんだからな」
「けどな、実は俺としてはテメェに感謝してる点もあるんだよ」
「なにせ―――—ベリアル。お前に人を見る目がないお陰で、俺は旧友に再会できた上に、未来を賭けられる女に出会えたんだからな」

「だから言わせて貰うぜ。千年間も無能でいてくれてあんがとよ、一人ぼっちの赤マントくん」

尾弐の過去は確かに苦痛と憎悪に彩られていた。
だが、それだけではなかった。
外道丸と再会し語らえた事。そして那須野橘音と出会い――—―彼女を愛せた今は、失い続けて来た過去が小さく見える程に幸福に満ちていたのだ。

175尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/09/06(日) 16:22:50
>「悪あがきにしか聞こえないな、ベリアル。
>貴様がどれだけ奸智に長けていようと、ここに貴様の戯言に心惑わされる者はいない。
>長かったぞ――やっと貴様をこの聖剣の錆にできる。
>かつて貴様が裏切った、神に祈る覚悟はできたか?」

尾弐も、尾弐以外の一行も、ベリアルの言葉を撥ね退けていく。
それは紛れも無く、彼らがこれまでの生の中で得た強さが成せる業。
されど敵はかの怪人。神話に謳われる悪魔ベリアル。
彼はまだ、その手元に無数の手札を有している。

>「妖怪大統領閣下は、いつだってここにいるのだからネ……この吾輩の元に!!」
>「あれは……!」
>「お……、お、父様……!」
>「あたしには判断つかないから教えて欲しい。
>あの空に浮かぶ妖怪大統領は――『本物』なんだよな?」

ベリアルの声に呼応するかのように中空に浮かぶ巨大な一つ目。
それは、妖怪大統領―――—バックベアード。

突如として現れた天覆うバックベアードに対する違和感は、当然尾弐も抱いていた。
ブリガドーン空間より現出する事は叶わないという法則(ルール)の否定
あれだけの存在感を纏いながらも妖気を一切放っていないという矛盾
何かが起きようとしている事を感じ……だからこそ、ベリアルがその違和感を結実させるより前に状況を打開せんと尾弐は動いた。
ノエルが妖術を用いるのとほぼ同時に、尾弐が右手首から先を小さく振ると、その中指の先から漆黒の―――—闘気を凝縮した針が高速で伸びた。
それは、アラストールの奥義である具象化した闘気の腕を尾弐が見よう見まねで再現・改編した即席の技。

『偽針―暗鬼(ギシン=アンキ)』

高速で伸縮する闘気の針を暗器とした刺突。
その一撃は、ベリアルの胸の中央を目がけ迷う事無く伸びていく。

(すまねぇな、祈の嬢ちゃん。ベリアルは今、この場で殺さねぇと不味いと俺の勘が言ってんだ)
(例えバックベアードの娘が俺を恨む様な事態になる可能性があるとしても、だ)

176ポチ ◆CDuTShoToA:2020/09/13(日) 22:31:20
>《嗚呼……。

ふと、アザゼルが声を零した。
掠れた、呻き声を。

>此処が我が一族、数千年の旅……終焉の地であったか……。
 愛する民よ、我が仔らよ……。
 すまぬ……汝らの期待に、応えられなかった……。
 余は……弱き王、だ……》

ポチは何も言えない。
慰めの言葉など、かけられるはずもない。

>《……狼の……王よ……》

アザゼルがポチを呼ぶ。
ポチはその視線に応えて、彼の目をじっと見つめ返す。

>《よくぞ……余を……斃した……。
 汝の、力……その勇気……すべて、見せて……もらった……。
 ……見事で、あった……》

ポチは何も言えない。
あんたこそ、見事だった。強かった。紙一重だった――あんたは、立派な王様だった。
吐き出したい言葉は幾らでもある。
だが――この偉大な王の最期に、慰めの言葉が相応しいのか。
そんなはずがないと、ポチは分かっていた。

>《弱肉、強食こそ……自然の、摂理……。
 それに、異議を……差し挟む、つもりは……ない……。
 汝は、まこと強かった……。
 ならば……我らを下せし強き者に……敬意を表し……。
 我が一族は……滅びを、受け容れよう……》

ポチは何も言えない。ただ、滅び――その言葉にほんの少しだけ目を細めた。
アザゼルが、微かに微笑んだ。

>《……勝者が、敗者にかける言葉など……ない、か……。
 勝者が何を言ったとて、それは皮肉にしかならぬ……。
 優しいの、だな……汝は……》

ごぼりと、アザゼルの口から大量の血が溢れた。

>《その、優しさに……甘えて……。汝に、頼みたい……ことが、ある……》

それでも彼はポチから目を逸らさない。

>《……余の肉を……啖って……くれ……》

そして、そう言った。

>《汝が……余を、啖えば……余は、汝の血肉となる……。
 余が、余の……眷属が……この世界に、生きた……その、証と……なる……。
 頼む……若き、狼の……王、よ……。
 この、大地に……世界に、星に……このアザゼルと、同胞たちが……生きた、証を……。
 我らの、足跡を……残させて、くれ……》

アザゼルは、今までポチが倒してきたどんな相手とも違う。
二匹の獣が、互いの命、互いの種の存続を懸けて戦ったのだ。
野生の領分、その中での戦いだった。
ならば勝者が、敗者の躯を置き去りにすべき道理などない。

ましてや――この偉大な王の最期の望みを、ポチが断る理由など。

177ポチ ◆CDuTShoToA:2020/09/13(日) 22:31:49
今まさに息絶えようとしているアザゼルに、ポチが一歩、歩み寄る。その場で両膝を突く。
そして――ポチの矮躯が、ふと前触れもなく、膨張を始めた。
目の前に横たわるのは己が転ばせた、まだ息のある獲物――送り狼の本性の発露だ。
ポチの体躯が何倍にも巨大化し、爪と牙はより鋭く、あぎとはより深く変貌する。

>《……頼む》

振り絞るようにそう言うと、アザゼルは目を閉じた。

ポチは答えない。ただ、眼前の首を両手で押さえ――深く、牙を突き立てた。
アザゼルの体が小さく震える。そのまま渾身の力で毛皮を食い破る。肉を食いちぎる。
再び、食らいつく。
毛皮も肉も削いだその噛み跡から、今度は頸骨まで牙が届くよう、力強く。

そして――骨の砕ける音。アザゼルは、完全に息絶えた。
これでもう、彼が死の間際の苦しみを感じる事はない。
ポチが再び、アザゼルの躯に食らいつく。食いちぎる。噛み砕く。嚥下する。

アザゼルの巨大な躯が、見る間にその体積を失っていく。
ポチはその身に『獣』を宿している。
見た目上の容積など、意味を成さない。

毛皮を剥がす音、肉を食いちぎる音、血を啜る音、骨を噛み砕く音。
無人の荒野に絶え間なく響き続けたその音が――やがて、やんだ。

「……これで、もうあんた達はどこにも彷徨う必要はない、か」

目の前にあった骸、その全てが消えてなくなった後、ポチが呟いた。
かつて狼王ロボが謳った愛――ポチは奇しくも、それを体現した。
例え何人たりとも己が群れを傷つけさせはしない――歪ではあったが、深い深い愛情を。

己が殺め、そして喰らったアザゼルを、しかしポチはもう誰にも苦しませはしないと感じていた。
ずっと、「ここ」にいればいいと。
足跡なら望み通り、ずっとここに残しておいてやる。どこまででも運んでやると。

だから――負けられない理由が、また一つ増えた。
アザゼル――あの偉大な山羊の王が最後に残した足跡を抱えて死ぬなど、決してあってはならない事だ。
その決意、その「かくあれかし」がポチの魂を満たす。
死闘によって刻み込まれた疲弊が、ほんの少しだけ和らぐ。

ポチは立ち上がった。気づけば、ポチの前方に両開きの扉があった。

『なんだ、食後の休憩はいらないのか?』

「なんだよ、もう胃もたれしたのか?メインディッシュはこの先だぜ?」

下らない軽口の応酬。疲労、消耗は激しいが、思考に靄がかかるほどではない。
例え扉を潜った途端に戦闘が始まっても、不覚は取らない。
そう判断して、ポチは歩き出した。

178ポチ ◆CDuTShoToA:2020/09/13(日) 22:32:29
 


「――あれ、僕が一番じゃなかったんだ。二人とも、やるなあ。
 尾弐っちと橘音ちゃんは……ま、のんびり待ってればいっか」

扉を抜けた先、北側展示室に辿り着いたポチは先客である祈とノエルを見てそう言った。
それから一度、小さく鼻を鳴らす。血のにおいは、さほど酷くない。
ポチはひとまず安堵して――むしろ自分の状態が二人に不安を与えないかを懸念した。
傷を毛皮で隠すべく狼の形態を取ってはいるが、それにしても夜色の毛並みは血塗れで、固まってしまっている。
とは言え、ここにはシャワーも湯船もない。どうする事も出来ないので、ポチはせめて二人からやや距離を取る事にした。

それから、祈の傍で不慣れそうに駄菓子を嗜む、レディベアを見た。
敵意のにおいはしない。むしろ、嗅ぎ取れるのは不安や焦燥。
ひとまず、彼女はこの場において脅威ではない。
祈は、上手く自分の友達を救えたのだろう。

だが、だからといって「君が祈ちゃんのお友達?へえ、レディベアちゃんって言うんだ。よろしくね!」などと脛にすり寄る訳にもいかない。
東京ドミネーターズは敵だった。
その確執は、なあなあで終わらせる訳にはいかないだろう。

「お菓子は……僕はいいや。もう十分、食べてきちゃったから」

ポチはそう言うと、展示室の長椅子の傍で横になった。
それから暫くして、

>「っと……随分待たせちまったみてぇだな。まだ来てねぇのは橘音だけか?」

「あ、尾弐っち。結構時間かかったね、大丈夫だった?
 橘音ちゃんは……まあ、大事な時に遅れて来るのは、いつもの事じゃん?」

更に少々の時を経て、

>「いや〜はっはっはっ!お待たせしました、皆さんお揃いですね!
 まさか負けることはないと思っていましたが、それでも全員無事なのを見ると安心するものです!」

尾弐と橘音も展示室に合流した。

>「みんな無事……かどうかはともかく、揃って良かった」
>「……今更誰かが欠けるたぁ思っていなかったがよ。それでも五体が揃ったままで先に進めるのは僥倖か」

「ふああ……もう、待ちくたびれちゃったよ」

ポチは欠伸をしながら立ち上がる。
だが正直なところ、コンディションは万全とは言えなかった。
大量の出血、全身に負った切創、打撲、体力的な消耗もある。
そうは言っても、ポチは自身の状態について、さほど心配はしていなかった。

>「とりあえず、ダメージだけでも回復させておきましょう。
 これ、ボクの調合した仙丹です。一粒ずつどうぞ。
 マンガじゃあるまいし、何もかも即完治とは行きませんが……傷の治りを早くし、疲労を回復させる効果があります」

「……さっすが橘音ちゃん」

迷い家の温泉の湯、橘音の呪術、体力を回復させる手段なら幾らでもある。
それらの用意を、この期に及んで橘音が怠っている訳がないのだ。
ポチは受け取ったカプセルを口に放り込んで――

>「ふぁい、ろーろ」
>「んぐ!? ぐっ、げほっげほっ。肺に入ったかと思った……」
>「………橘音、お前さんなあ」

「えーと……こういうの、なんて言うんだっけ。
 ……ああ、そうだ。砂糖吐きそう」

やや恨めしげな目つきで、そうぼやいた。

179ポチ ◆CDuTShoToA:2020/09/13(日) 22:32:50
>「アレだ。俺にも我慢できなくなる時くらいあるんだ。だから、あんましからかってくれんな」

「あー……シロが恋しくなってきちゃったなあ。
 ……あ、もう終わった?じゃあ、早いとこ――」

>「あ、あ……あのっ!」

――ベリアルをやっつけに行こう。そう続くはずだったポチの声が、遮られた。
レディベアの、やや上ずった声によって。
東京ブリーチャーズ全員の視線が、彼女へと向いた。

>「そ……、その節は、大変ご迷惑をおかけ致しました……っ!
 目的のためとはいえ、皆さまと東京に住む方々に、とても酷いことを……。
 多くの人命を犠牲にしてしまい……本当に、本当に申し訳ございませんでしたわ……!!」

レディベアが深く頭を下げる。

>「わたくしのしたことは、許されることではございません。
 本来であれば、東京ブリーチャーズの皆さまに今すぐここで漂白されても仕方のない身……。
 けれど、どうかお願い致します。わたくしに償う機会を下さいませんでしょうか。
 償いが終わったそのときには、どのようにわたくしを裁いて下さっても構いません」

彼女から、深い後悔のにおいがする。

>「まずは赤マントを……ベリアルを打ち破る手助けをさせて下さい。
 わたくしを欺き、お父様を裏切り、ロボやクリスやローランをこのような目に遭わせた、あの男。
 妖怪大統領バックベアードの名において、あれに目に物を見せてやらなければ……死んでも死に切れませんわ!
 わたくしを憎んで頂いて構いません、お怒りは甘んじて受けましょう。
 けれど、今だけ……この戦いの間だけは、わたくしを皆さまの戦列の端に加えて下さいませ……!」

ポチは――レディベアから視線を外して、橘音を見上げた。
彼女をどうするかなんて、もう決まっている。

>「ボクは構いませんよ。レディ……祈ちゃんがアナタをともだちだと言った、それだけで助ける理由には充分すぎる。
 大切なのは言葉ではありません。これからアナタがボクたちにどのような行動を見せてくれるのか。
 償いたいという気持ちを、どういうふうに表現してくれるのか……。
 それが何より大事なのですから。
 第一……」

それでも、こういう時、それを最も適した形で伝えられるのは橘音だ。

>「東京ブリーチャーズの漂白は、なにも相手の存在を無かったことに――空白にするだけじゃない。
 黒く澱んでいた心を白くする、それだって立派な漂白なんです。
 ボクの目には、レディは真っ白に漂白されているように見えますよ……
 祈ちゃん。アナタがレディの心を綺麗にしたんです。まっさらな白い色にね」

>「そうそう! 元々組織のコンセプト的に説得して改心させるのが第一候補で倒すのは最終手段だったよね。
>最近ガチでヤバイ敵ばっかりでみんな忘れてそうだけど」
>「……いいってさ、モノ」

「……考えようによっては、君は、僕をロボに巡り会わせてくれたからね。
 だから……最初、猿夢の中で出会った時、君がとびきり小生意気な子だった事は忘れてあげるよ」

ポチはそう言って悪戯っぽく笑うと、姿を消して、レディベアの足元にすり寄った。

180ポチ ◆CDuTShoToA:2020/09/13(日) 22:33:17
>「……さて。では、話も纏まったことですし……そろそろ行きましょうか。
  最後の戦いに。怪人赤マント……天魔ベリアルとの決着を付けに」

そうして話がまとまったところで、橘音がいよいよそう言った。

>「皆さん、用意はいいですか?
 泣いても笑っても、これが最後。……意地でも勝って、全員で生き残りますよ!
 そして――今日はパーッと派手に祝勝会です!サイ○リアで!」

>「やった、サイ○だー!!」
>「今日ぐらいロ〇ヤルホホストにしない!?」
>「いや、全部ファミレスじゃねぇか……ま、いいか。オジサン的には酒が飲めるならどこでも付き合うぜ」

「えー、結構人数多くなりそうだけど、ちゃんと予約取ってる?ここ、外に携帯通じるのかなぁ」



>「ク、ク、ク……クカカカカカッ、クカカ……。
 ようこそ北側展望台へ、東京ブリーチャーズの諸君。
 それにしても驚いた……よもや、吾輩の厳選した饗応役の五魔神が敗れ去るとは!」

一面ガラス張りの展望室に進むと、天と地の間を背景に、ベリアルが一行を待っていた。
距離は――遠い。だが今のポチの脚力ならば一呼吸で詰め寄れる。

>「吾輩的には、彼らが負ける要素などないと踏んでいたんだが。
 諸君が吾輩の想像を超えて強くなり過ぎたのか、それとも吾輩が五魔神を買い被りすぎていたのか……。
 ま、もうどっちでもいいけどネ。クカカッ!」

>「ともあれ、約束は約束だ。諸君がここへ来た以上、吾輩が相手をするしかないだろう。
 吾輩はウソをつかないからネ!」

橘音が舌打ちを鳴らす。ポチも、全身の毛が僅かに逆立っている。

>「赤マント、いいえ師匠。いくら虚勢を張ったって、アナタが『詰み』の状態だという事実は覆りませんよ。
 手駒は尽き、今やアナタは丸裸。アナタのことだ、きっとまだ何かを企んでいるのでしょうが……。
 生憎ですね、ボクたちも無策でここまで乗り込んできたわけじゃない。
 この都庁の外には、安倍晴朧殿率いる日本明王連合と富嶽ジイの声で集まった日本全国の妖怪たちが集まっています。
 アナタは都庁内を結界で覆ったつもりでしょうが、さらにその都庁を日明連と妖怪軍団が結界に包んでいます。
 もう、何もできっこありませんよ」

ポチは音を立てずに、静かに鼻からこの場の空気を吸い込む。
様々なにおいが、複雑に入り混じっている。
勇気、怒り、興奮、敵意、信頼――だが、ベリアルのにおいが、分からない。

確かに、血肉を持たない神や精霊の類は、あまり強いにおいを発しない。
しかし――ベリアルのにおいは、それにしてたって、上手く嗅ぎ取れない。
『獣』と同化し、野生の本能を研ぎ澄ましたポチの嗅覚を以ってしても。
深い、むせ返るような愉悦のにおいがするはずなのに、何故かそれが本物だと思えない。
或いは――この世にこれほど濃厚な邪悪のにおいが存在する事を、ポチが理解し切れないだけかもしれないが。

>「アナタはもうおしまいだ。アナタの謀略によって不幸になった、すべての存在に成り代わり――
  東京ブリーチャーズが。ベリアル、アナタを裁きます」

ポチは今度も静かに、深く息を吐いた。
戦術的判断の材料になるかと、においを探ってみたが――考えてみれば、このベリアルの心中を探るなど、無意味にも程がある。
永い永い時を生きて、数え切れないほどの人に、妖怪に出会って――その全てを滅ぼしてきた。
その全てを滅ぼす為にここにいる。そんなの――まともじゃない。理解出来るはずがない。
だから――奴はただ、滅べばいい。ポチは決意を固める。

181ポチ ◆CDuTShoToA:2020/09/13(日) 22:33:39
>「クカカカ……アスタロト。まさかここまでキミが喰らい付いてくるとはネ。
 せっかく師である吾輩が美しい死を呉れて遣ったというのに、おめおめと生き恥を晒すとは。恥ずかしくないのかネ?」
 キミのその肉体、その知識、その妖力はすべてこの吾輩が与えたもの。吾輩がお情けで恵んでやったもの――。
 生きている限り、キミは未来永劫吾輩の影から逃れられない。死んだ方がマシなのではないかネ?」

>「小さなオオカミ君。大切なつがいを置き去りにして、ここまで来てしまったんだネェ。
 いいのかネ?こんなところにいて。今頃、キミの大切なお嫁さんは吾輩の部下にズタズタにされている頃だヨ?
 キミは下らない私怨に目が曇り、結果として一番護らなければならない存在を永久に喪失することになってしまった……。
 いやはや、悲劇だネ!大切な相手を護れと言って『獣(ベート)』の力を譲渡したロボも浮かばれまい!」
 
「……下らない、私怨?私怨だって?」

ポチはアザゼルを鼻で笑った。

「違うね。僕は未来の為にここに来たんだ。僕らの未来に、お前はいらない。
 ていうか……お前の部下に、シロがやられる?
 ははっ……なんだよ、それ。悪いけどさ……そのネタ、もう古いよ」

シロがやられる。今更、ポチがそんなつまらない虚言に動揺するはずがなかった。
ポチはもう、知っている。己の最愛のつがいが――どれほどの強さを秘めているのか。

>「悪あがきにしか聞こえないな、ベリアル。
 貴様がどれだけ奸智に長けていようと、ここに貴様の戯言に心惑わされる者はいない。
 長かったぞ――やっと貴様をこの聖剣の錆にできる。
 かつて貴様が裏切った、神に祈る覚悟はできたか?」

そうだ。もう言葉を弄して相手を掻き乱す。戦いは、そんな段階にはない。
そんな事を、ベリアルが理解出来ていないはずがない――そう考えた瞬間、ポチの背筋に僅かな悪寒が走った。

>「赤マント……!
 わたくしを、そしてお父様を欺き陥れた、その罪……絶対に許すことはできませんわ!
 大人しく裁きを受け入れなさい!」

ベリアルの挑発は、本当にただの挑発だった。
不安や迷いを駆り立てるには不十分な――それ故に、言い返す事が出来てしまう挑発だった。

>「クカカカカッ! レディ、祈ちゃんに助けてもらったのだネ。素晴らしい!
 麗しい友情だ、例えどんな困難が立ちはだかったとしても、ふたりで手を携えて乗り越える。
 そんなところかネ?いやはや、吾輩は感涙を禁じ得ないヨ!
 レディ……キミに人間界の学校へ行けと言ったお父上も、キミに親友が出来て喜んでいるだろうサ!」

>「お黙りなさい!お父様を裏切り、東京ドミネーターズの実権を簒奪した叛逆者がいけしゃあしゃあと!
 お父様に代わり、わたくしがあなたを断罪致しますわ!」

こうやって。相手の怒りや勝ち気を駆り立てて、言い返させる。言葉を紡がせる。

>「ク、ク……。吾輩が?妖怪大統領閣下を裏切っただって?
 それは心得違いというものだヨ、レディ。吾輩の思惑はいつだって閣下の意思に沿っている。
 いや……閣下の意思が、吾輩の思惑に沿っている……と言うべきかな?
 その証拠に――」

ポチの全身の毛が逆立つ。今度は怒りだけではなく、焦燥、悪寒によって。
もしかしたら――

>「妖怪大統領閣下は、いつだってここにいるのだからネ……この吾輩の元に!!」

この展望室に辿り着いてから、自分達はずっと時間を稼がれていたのではないか。

182ポチ ◆CDuTShoToA:2020/09/13(日) 22:33:56
>「あれは……!」
>「お……、お、父様……!」

東京の空が裂ける。巨大な一ツ目が現れる。それが東京ブリーチャーズを見下ろす。

>「な、なぁ、モノ」
>「あたしには判断つかないから教えて欲しい。
 あの空に浮かぶ妖怪大統領は――『本物』なんだよな?」

妖気は感じない。だが――だからなんだ。
これ以上、ベリアルに自由に振る舞わせていい事などない。

>「見たらいけない!」

ノエルの妖術と尾弐の暗技が放たれた瞬間。
ポチはベリアルの足元にまで飛び込んでいた。
二人に合わせたのではない。ただ可能な限り速く、ベリアルを仕留めなければと動いた結果だった。

「ガァッ!!」

迸る黒い影。そして弧を描く、金色の爪。
喰らった者を己の血肉とする――獣達の法に基づき、受け継いだ黄金。
狙いは、ベリアルの頸。

183那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/09/17(木) 20:37:06
東京の空に突如として出現し、東京ブリーチャーズを睥睨する巨大な『眼』。
妖怪大統領バックベアード。
本来ブリガドーン空間という異次元にしか存在できないはずのそれが、どういう訳か現実世界に顕現している。
が、これほどまでに巨大な姿を誇示しておきながら、その瞳からは一片の妖気も感じられない。

>な、なぁ、モノ
>あたしには判断つかないから教えて欲しい。
 あの空に浮かぶ妖怪大統領は――『本物』なんだよな?

祈が隣のレディベアに対し、怪訝に問う。
ノエルや尾弐、ポチも祈と同じくバックベアードの存在を疑問視している。
だが――

「何を言うのです、祈!
 あの方は紛れもなくわたくしのお父様ですわ……、間違いありません!
 ああ……、ああ……!ついに、ブリガドーン空間からお出でになられたのですわね!
 この瞬間を、お父様が枷から解き放たれるときを、わたくしはどれほど心待ちにしたことか……!」

レディベアはあれが本物の父親だと信じて疑わない。
それはあたかも、生まれたばかりの雛鳥がおもちゃの鳥を親だと思い、盲信するかのような――。

>見たらいけない!

ノエルが展望室のガラス一面に霜を張り、バックベアードの視線が届かないようにする。
同時に、尾弐とポチも動いた。

>『偽針―暗鬼(ギシン=アンキ)』

尾弐の右手中指から、闘気の針がベリアルの心臓目掛けて高速で伸びる。

>ガァッ!!

ポチが目にも止まらぬ速度でベリアルの首を引き裂こうと襲い掛かる。
ベリアルに無駄口を叩かせてはならない。ベリアルが何かする前に仕留める、それが最善手。
今までの長い戦いでベリアルの危険性を熟知した者たちの下した、一番の攻略法。
ベリアルは動かない。――いや、反応できない。
仲間たちとの過酷な修行、そして五魔神との闘いを経て、尾弐とポチの戦闘能力はもはや極限の域に達している。
並の妖壊はおろか、大妖怪クラスであったとしても容易には見切れまい。
そして。

ベリアルはなすすべもなくそれを喰らった。
赤いマントの胸に尾弐の闘気針が突き刺さり、ポチの黄金に輝く爪がその首を断つ。
天魔ベリアルは心臓を貫かれ、首をざっくりと斬り裂かれて、断末魔の悲鳴さえ上げられず仰向けに斃れた。

「……なっ……」

半狐面の奥で、橘音は瞠目した。
確かに尾弐とポチは強くなった。この最終決戦に合わせ、ほんの数ヶ月前とは比較にならないほどにパワーアップした。
仲間たちはもはや、伝説や神話級の妖怪と戦ったとて一歩も引かないだろう。
だが――それを踏まえても『あっけなさすぎる』。
天界で、地獄で、そして現世で。
ベリアルの力の恐ろしさを骨の髄まで知っている橘音には、ベリアルがこの程度で死ぬとはどうしても思えなかった。
そして――

「ククク……クカカカカカカ……。
 吾輩はまだ話の途中だったのだがネェ?正義の味方ともあろう者が不意打ちとは、なんとも悪辣な!
 せっかく最後の戦いなんだ、もっと演出というものに気を遣って貰わなくては!」

そんな声が、東京ブリーチャーズの背後から聞こえた。
咄嗟に振り向いた橘音が歯を噛みしめる。
視線の先にあったのは、虚空に浮かぶ白貌の仮面。
仮面からまるで闇が広がってゆくように影が伸び、シルクハットと真紅のマントを形作ってゆく。
嘲笑う仮面だけの状態からすぐに見慣れた赤マントの姿になると、ベリアルはくつくつと嗤った。

「いやしかし、吾輩を斃すなんて大したものだネ!褒めてあげよう!
 安心したまえ、今悪鬼君とオオカミ君が攻撃したのは、紛れもなく本物の吾輩だヨ。
 尤も――吾輩も本物の吾輩だけどネ!クカカカカカッ!」

尾弐とポチが急襲で斃したのは、本物のベリアル。
今、皆の前で饒舌に喋っているのも本物のベリアル。
その意味するところはひとつしかない。

「……賦魂の法……ですか……」

「その通り。さすがは我が弟子、察しがいい。
 本来は妖狐一族の秘術らしいが……この程度のもの、吾輩だって真似するのは造作もないサ」

自らの魂を分割し、別個体として行動する秘術――賦魂の法。
かつて橘音が白と黒に分かれ、そして先ほどもルキフゲ・ロフォカレの裁判を突破するために使用した術を、
ベリアルも用いたのだという。

184那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/09/17(木) 20:37:35
「さて……では、こちらの吾輩は回収させてもらおうか」

ベリアルがマントの内側から右手を出す。
と同時、尾弐とポチの攻撃を喰らって斃れた赤マントの骸があっという間に黒い球体へと変わり、ベリアルの手に戻った。
分かたれた魂をひとつに戻したということなのだろう。
ベリアルは魂をふたつに分割し、ひとつをこの北側展望室で東京ブリーチャーズを待つ役に充てた。
ならば、一行の後ろから現れたもうひとつの魂のベリアルは、いったい何をしていたのか?
祈にはすぐに察しが付くだろう。言うまでもなく――

『ボディスーツとしてレディベアに寄生し、祈から運命変転の力の一部を奪った』のだ。

さらにベリアルがパチンと一度フィンガースナップを鳴らすと、霜に覆われていたガラス窓が一斉に粉々に砕け散った。
ふたたび、バックベアードの視線が東京ブリーチャーズの全員へと向けられる。

「お父様……!」

「レディ!危ない!」

レディベアがガラスの砕けた窓際まで駆けてゆき、ローランがその身体を抱きとめる。
ローランの腕の中で、何とかその拘束から逃れようとレディベアが暴れる。

「お父様!お父様……ッ!わたくしはここにおります、お父様のすぐそばに……!
 どうか、どうかお言葉を!昔のように、わたくしにお言葉を下さいませ……!」

唯一自由になった右手を必死に伸ばし、レディベアは父へと懇願する。
虚無に覆われた極彩色の異空間でたったふたり、外の世界に憧れて過ごした。
蒼い空と緑の大地、無数の生命たちの闊歩する世界へ、いつか親子ともども出ていくことを願って。
父のために頑張った。破壊や殺戮といった意に沿わぬ行為も、父の為と思えば我慢できた。
いつか、ふたりで幸せを手に入れるために――。
レディベアの声に応じるかのように、空間の裂け目に出現した巨大な単眼がぎょろ、と動く。レディベアを見つめる。

《――――――我が娘よ》

大気を震わせる、荘重な声が周囲に響く。
妖怪大統領バックベアード、その妖怪の声なのだろう。

「……はい……、はい……お父様……!」

ぽろぽろと隻眼から歓喜の涙を流して、レディベアは微笑んだ。
バックベアードが現世界に顕現したことで、レディベアの願いは叶えられた。
心の底から渇望した、愛する父との新たな生活。新たな未来。
約束された幸福を、レディベアは確信した。

だが――

そこにあったのは、絶望。だった。

《永の忠誠、大儀である。
 其方の働きによって、此処にすべての駒は揃った。刻は満ちた――
 今こそ、終焉の儀式を始めよう。
 そう、吾輩がこの世界の頂点に君臨する……その儀式をネ!
 ――クク、ク、ククッ……クカカカ、クカカカカカカカカ……ッ!!》

バックベアードが嗤う。その単眼が笑みに歪む。
低く荘重な声音が、癇高いものへと変化してゆく。
その声は、レディベアのみならず東京ブリーチャーズにとっても聞き慣れたもの。何より――
そんな特徴的な笑い声を発する者は、この世にひとりしかいない。

「ベリアル……ッ!!」

「お、父、さ……ま……?」

橘音がベリアルを睨みつける。
レディベアは理解が追い付かず、隻眼を見開いて呆然と立ち尽くしている。
その場にいる全員が困惑する中で、ベリアルが嗤う。
バックベアードがそうしているように。

「クカカ……まだ分からないのかネ?
 茶番だ!すべては茶番に過ぎなかったのサ!
 バックベアードというのは、ブリガドーン空間の異名に過ぎない。単なる現象に対する呼称であって、
 一個のパーソナリティを指すものではないのサ。
 つまり……『妖怪大統領バックベアード』なんてものは『最初から存在しない』のだヨ!」

マントの内側から大きく両手を開き、ベリアルが告げる。
『バックベアードという妖怪は、最初から存在しない』――
祈の危惧していたことは、まさに正鵠を射ていた。
中国での太歳、日本での空亡という呼び名と同じように、バックベアードとはただブリガドーン空間に付けられた仮称。
元々、そこに妖怪などいなかったのである。

185那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/09/17(木) 20:39:41
「嘘ですわ……!」

レディベアが叫ぶ。

「ならば、あのお父様はいったい何なのです!?お父様は確かにここにいらっしゃいます!
 そもそも、お父様とわたくしはずっとブリガドーン空間の中にいたのです!わたくしが生まれて以来ずっと……!
 わたくしは何度もお父様と語らいました、いつか、ブリガドーン空間を出て表の世界で一緒に暮らすのだと!
 第一……お父様がこの世に存在しないというのなら!
 お父様の、バックベアードの娘であるわたくしは、いったい何者なんですの!?」

そうだ。
親がいなければ子は生まれない。バックベアードが虚構に過ぎなかったというのなら、レディベアもそうあるべきだろう。
しかし、レディベアは確かにここに存在している。自由意思を持つ一個の妖怪として。祈のともだちとして。
それはゆるぎない事実だ。

「望めばすべてが手に入る世界。『そうあれかし』によって、何もかもが改変される世界。
 ブリガドーン空間……吾輩はその素晴らしい世界が異次元の閉鎖空間にしか存在しないことを惜しんだ。
 ブリガドーン空間をこの世界に顕現させることが出来たら、どんなにか素敵だろう……とネ。
 吾輩は長い年月をかけて、それを実現させる方法を編み出した。
 それが君なのサ、レディ」

「わ……、わたくしが……?」

「吾輩はまず、生まれたばかりの人間の赤子を用意してブリガドーン空間に放り込んだ。
 そして、その中で赤子を育てた。妖怪大統領バックベアードというアバターを用意してネ。
 君は妖怪大統領の娘、ブリガドーン空間の王たるバックベアードの子なのだと――そう刷り込んだのサ。
 赤子はそれを信じた。自分はバックベアードの娘。選ばれた妖怪。ブリガドーン空間を統べる者なのだと……。
 ブリガドーン空間は『そうあれかし』が現実となる世界。
 どこぞから攫われてきただけの人間の赤子は、そう思い込むことで本当に妖怪となった。在りもしない妖怪の娘となった。
 自分の望む姿にネ」

「……莫迦な……。
 レディが本当の妖怪とは異なる、歪な存在だということは薄々分かっていたつもりだが……」

ローランが愕然とした様子で呟く。
聖騎士ローランは妖壊を滅する者。本来、レディベアなどは間違いなく滅殺の対象であろう。
だというのに、ローランはそうしなかった。どころか、レディベアの護衛さえ買って出ていた。
その理由は、レディベアが純粋な妖怪ではなかったから――。
尤もレディベアが元は人間であった、というのはローランにとっても想定外の出来事であったらしい。
ベリアルが嗤う。

「諸君も知っているとは思うがネ、願いというものは自分自身の望みを叶えるだけでは限りがある。
 他人のために想うこと、願うこと。それが何よりも強い力を生む。
 その点、レディはよくやってくれたヨ。吾輩が相手をしているだけの、ありもしない父親の虚像に縋って――
 いつか一緒に外の世界へ出ていこうなどと!ただ一心に願い続けていたのだからネ!」

ブリガドーン空間の力は異次元にあり、祈たちの住む表の世界とは隔絶されている。
それを表の世界へ持ち込むには、どうすればよいか?
簡単なこと、『容器を移し替えればいい』のである。
ベリアルはブリガドーン空間に人間の赤子を『器』として投入した。
そして、バックベアードの娘だという偽りを吹き込んだ。赤子は成長し、自分をバックベアードの娘だと信じた。
すべての願いを叶えるブリガドーン空間が、ベリアルの嘘を真実へと変えた。
父親を愛する娘は、父と幸福になりたいという至純な願いを抱き、その力を増していった。
ブリガドーン空間の力を、我が物として吸収していったのだ。

「刻は満ちた。今や、レディの体内には異次元に存在したブリガドーン空間の力がそっくり宿っている。
 今まで東京ドミネーターズを組織したり、アスタロトに帝都騒擾をさせたりしていたのは、すべてこのため。
 後は――その力をここで全部解放するだけだヨ。
 『器』を叩き割って、ネ!」

「皆さん!レディを守って!」

ベリアルがレディベアへ向けて右手を向ける。
橘音が仲間たちへ鋭く指示する。
かつて橘音が『完全ではない』と言い、ローランが『計画の準備が整っていない』と言ったのは、
バックベアードの復活にまつわることを指しているのではなかった。
完全でなかったのは、レディベア。
レディベアにブリガドーン空間のすべての力を乗り移らせ、然る後にそれを現世で解放する――
それこそが、東京ドミネーターズの。天魔七十二将の。
ベリアルの作戦だったのである。

「そ……、んな……。
 わたくしは……お父様と、この……世界で……幸せに……。
 日本の学校へ行って、見聞を広めよと……お父様、が……」

「クカカカ、言ったネェ。
 実際楽しかっただろ?虚無と茫漠のブリガドーン空間を出て、憧れの人間社会に紛れて。
 そのうえ祈ちゃんという親友までできた!温泉みやげとかいう、くだらないゴミをもらったとき。
 君は本当に嬉しそうにしていたものネ……クカカカカッ!」

「ゴミ……なんかじゃ、ありません……!
 わたくしは、本当に嬉しくて……幸せで……!
 祈とずっと一緒にいられたらと!この美しい世界で、楽しい時間を過ごせたらと……。
 お父様に……報告、したくて……分かって、ほしくて……」
 
「なぜ、レディを学校に行かせるなんて真似を……?」

「もちろん、レディに現世の素晴らしさと楽しさを知ってもらうためサ。
 楽しいことを知っていた方が、それを失ったときの苦しみも大きいからネ!」

「そ……んな……」

レディベアがぽろぽろと大粒の涙を零す。唇をわななかせる。
だが、彼女が愛を捧げた、真心を傾けた相手はもういない。
いや――最初からいなかった。レディベアの願いは、望みは、祈りは――何もかも無駄だった。

186那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/09/17(木) 20:40:08
「まったく、君はよくやってくれたヨ、レディ。
 だからネ……最後までその調子で役に立ってくれたまえ。
 愛するパパの――そう、吾輩のために!!
 クカカカカカカカカカカ――――――――――――――――――ッ!!!」

「う、う……うあああああああ、ああああああああああああああ……!!!」

レディベアが絶叫し、ローランの腕の中で激しく身悶えする。
ボウッ!と音を立て、その全身から禍々しい妖力が間欠泉のように噴き出す。
ベリアルの暴露をきっかけに、ブリガドーン空間の力が絶望したレディベアの肉体から溢れ出ているのだ。
祈の運命変転の力によって、レディベアはいかなる洗脳や精神への侵蝕も跳ね除ける特性を持った。
だが、それはあくまでも『外部からの接触』によるもののみ。
レディベア自身の抱く絶望や落胆は、どうしようもない。

「く……!」

噴き出る妖気に弾かれ、ローランはレディベアを離してしまう。
レディベアは両手で自らの身体を抱き締め、がくりと床に両膝をついた。
尾弐やポチら強力に成長した妖怪をもってしても、今のレディベアに接近することは難しい。

「お……とう、さま……!
 お、父様……お父様、お父様……わ、わた、く、し……は……。
 ああ……あああああ、あぁああぁああぁぁああぁぁぁぁああぁあぁぁああ…………!!!」

「クカカカカ!
 言っただろう?『準備は整った』と!『刻は満ちた』と!
 それは『誰がどんな手を尽くしたとしても、すでに手遅れ』という意味なのだヨ!
 吾輩に触れさせなければ、彼女を守れると思ったかネ?盾となって吾輩の前に立ちはだかれば防げると!
 ノン!最早、何者にも力の解放を阻むことはできない――この吾輩にもネ!
 さあ……地獄の扉が開くヨ、待ちに待ったお楽しみの瞬間だ……クカカカカッ!カハハハハハハハハーッ!!!」
 
ベリアルが哄笑する。レディベアの全身から噴き出す禍々しい力が、その力を強めてゆく。
そして――

東京の空が、様々な絵具をキャンバスにぶちまけたような極彩色に変わった。

「レディ……!クソッ、なんというザマだ!
 私は……命に代えてもレディを守ると、そう誓ったのに……!」

ローランがレディベアへ手を伸ばす。
だが、迸る膨大な妖気によって近くへ行くことさえできない。忸怩たる思いに、聖騎士は端正な面貌を歪めた。

「油断するな、東京ブリーチャーズ……!
 東京がブリガドーン空間に覆われる……怖れていた事態が現実になってしまった!
 虚構と幻想が……質量と実体を持って襲い掛かってくるぞ……!」

なんとかレディベアに近付こうと両足を踏ん張りながら、ブリーチャーズへと注意を促す。

「クカカッ……クカカカカカカカッ!
 素晴らしい!この光景……この空を実際にこの表世界で見ることを、吾輩はどれだけ望んだことか!
 さて、では計画の最終段階と行こうか!」

ふわりと床を蹴り、割れた窓から展望室の外の虚空へ向けて跳躍したベリアルは、幻影のバックベアードを背に宙へ浮かんだ。
それから右手を突き出す。大きく開いた手のひらには、きらきらと輝く『何か』が乗っていた。
祈には、その何かの正体がすぐに理解できたことだろう。
それは『運命変転の力』。『龍脈の神子の因子』。
つい先ほど、レディベアにボディースーツとして取り憑いていたベリアルが、祈から奪っていったものの一部。

「龍脈の力は誰にでも使えるものじゃない。それを使う『資格』を持つ者でないとネ。
 だが、それは裏を返せば『資格さえ持っていれば、誰にでも使える』ということなのサ。
 祈ちゃん、君は言ったネ。吾輩は龍脈の力が欲しくてたまらない……と。
 その通り!吾輩は龍脈の力が欲しくて欲しくて堪らなかった!それはもう、喉から手が出るほどネ!
 しかし――君のお陰で、やっと手に入れられそうだヨ!」

ベリアルが手の上の『龍脈の神子の因子』をぐっと握り込む。――否、一息に握り潰す。
と同時に輝きは拡散し、ベリアルの身体に吸い込まれるように消えていった。
祈から剥離した『龍脈の神子』の証の一部が、ベリアルと一体化する。

「クク……なるほど、これが神子の心地というものか。悪くない……いいや、実にいい気分だネ!
 では、さっそくこの力を使わせてもらうとしよう!!」

「うああああああああああああああああああああああああああああ――――――――――――――ッ!!!!!」

ベリアルが大きく両腕を広げると同時、レディベアが大きく仰け反り絶叫する。
前髪によって隠されていた、顔の左側が露になる。
本来眼球が嵌っているべき左の眼窩には、何もなかった。
ぽっかりと、うろのように開いた眼窩から、一層激しく膨大な妖気が迸ってブリガドーン空間を拡大させてゆく。

「龍脈よ!この惑星を駆け巡る無尽の活力よ!
 われに力を与えよ、忌まわしき神によって奪われし力を!星を統べる全知の権能を!!
 今こそ、ふたたびわれに与えせしめよ――――!!」

カッ!!!

ブリガドーン空間に覆われた東京の各所から、光の柱があがる。
それは地中深くに存在する龍脈から、ベリアルの求めに応じてエネルギーが地上へと放出された証。
都庁を中心に無数の光柱が屹立し、それはやがて地上にひとつの紋様を描いてゆく。
東京二十三区をすっぽりと包み込むように描かれたのは、天魔ベリアルの印章(シジル)。
それは、帝都の主要部が残らずベリアルの結界に包まれたことの証左に他ならなかった。

187那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/09/17(木) 20:40:36
ベリアルはレディベアを媒介として「そうあれかし」が現実となるブリガドーン空間を現世に顕現させ、我が物とした。
さらにそのブリガドーン空間の特性をもって祈から奪った龍脈の神子の因子を取り込み、自らも龍脈の神子となった。
「自分は龍脈の資格者、神子である」――という「そうあれかし」によって。

ゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!

螺旋を描き、ベリアルへと膨大な量の光が集まってゆく。その肉体に吸い込まれてゆく。
龍脈がベリアルの喪われた力を復元させてゆく。
膨れ上がる膨大な妖気。それは、かつて東京ブリーチャーズが戦ったどんな妖壊たちとも比較にならない。
まさに桁違いというやつだ。

「クカカカカ……カハハッ!素晴らしい!
 力が……力が漲る!溢れる……!そうだ、これだ!これこそが吾輩の……いいや、私の本当の力!
 長かった……長かったぞ!この刻を――私はどれほど待ったことか!!」

ベリアルが喜悦に嗤う。
トレードマークであった血色のマントがボロボロと朽ちてゆく。シルクハットがその形を崩してゆく。
代わりに現れたのは、まるで彫像のように美しく均整の取れた、輝くばかりの肉体。
内側に六芒星を孕んだ光輪を頂く、緩くウェーブを描く金糸のような長い髪。
きらきらと純白に煌く、まばゆい四対の鳥の翼。

「もう――これも必要ない」

龍脈の力を物質として変質させた、右胸と右腕を露出させたトーガめいた長衣を身に纏うと、ベリアルは仮面に手をかける。
マントやシルクハットと同じく、長い間怪人赤マントとしての自分を体現してきたもの――



それを。今、外す。



取り払われた仮面が手を離れ、霧のように消えてゆく。
その下から現れたのは、まさに神の創り給うた最高傑作。原初の天使。
切れ長の怜悧な双眸、澄み切った蒼い瞳。すらりと通った鼻梁に、薄い唇。
世界に存在するあらゆるフレスコ画もイコンも、何もかもが色褪せるような――そんな美貌。

『天から失われた者で、彼以上に端麗な天使はいなかった』

詩人ジョン・ミルトンに『失楽園』の中で謳われる美しさが、そこにはあった。

「ベリ、アル……様……」

完全復活したベリアルの姿を目の当たりにし、橘音が呆然とした表情で呟く。
橘音はかつて天魔アスタロトとしてベリアルの薫陶を受けた悪魔のひとりだ。
いや、元のアスタロトは自分たちが悪魔に堕天する遥か以前、天使であった頃からベリアルと付き合いがあった。
当然その光輝く『神の長子』としての姿も知っている。そのときの記憶が、橘音の記憶を侵食している。
すべての天使が拝跪し、我らの英雄と崇敬していた――そんなベリアルの姿を。

「――フーム……。
 ああ、そうだったな……そうだった。『こんなだった』。
 永く喪われ、もうその感覚さえ忘れ果てたはずだったが……取り戻してしまえばあっという間だったな。
 そうだ、そうだとも。『これが私だ』。本当の私の姿だ――」

二度、三度と左手を握り込み、ベリアルは身体の調子を確かめる。
その視線に、意識に、東京ブリーチャーズの姿はない。完全復活を果たした今、すっかり興味を失ってしまったかのようだった。
レディベアの眼窩から噴き出ていたブリガドーン空間の力が勢いを弱めてゆき、やがて止まる。
その身に内包していたすべてを放出し尽くしたらしい。レディベアはどっとうつ伏せに倒れた。

「祈ちゃん……レディを頼む」

気を失ったレディベアを抱きとめたローランが口を開く。
祈にレディベアを任せると、ローランは聖剣を構えた。

「ベリアルゥゥゥゥゥゥゥゥ―――――――――――――ッ!!!!」

叫ぶと同時、大上段に構えた聖剣を一気に振り下ろす。その刀身から、まばゆく輝く閃光が放たれる。
『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』。ローラン最大の奥義にして、すべての化生を滅殺する聖なる光。
四つの聖遺物による相乗効果が生み出す、至高の妖異殺し。
いかなベリアルとて、その直撃を喰らえばタダでは済まないだろう。
あるいはこのまま勝負がついてしまう可能性さえも――

「ふむ」

ぱぁんっ!

ベリアルが軽く一瞥すると同時、風船が割れるような破裂音が響く。
同時に、ローランの放った魔滅の極光は跡形もなく消滅した。
防御する素振りも、逃げるような行動もしていない。
ただ『視た』だけだ。たったそれだけで、ベリアルはローランの奥義を無力化してしまったのである。

188那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/09/17(木) 20:41:05
「……そんな莫迦な……」

聖剣を振り下ろした格好のまま、ローランが瞠目する。その頬を冷たい汗が伝う。
ヴァチカンの、否、人類の叡智の結晶であるはずの自分が。
正真正銘の聖遺物であるはずのデュランダルが、まるで相手にならない。
神の長子とは言っても、天使のひとりに過ぎない。天使もしょせんは人間の意識から生まれた化生の域を出るまい。
ならば、斃せる。科学と信仰の結晶たる自分なら殺せるはず――そう思っていた。
だが、それは間違いだった。

「ローラン。君のそれは天使由来の力……いいや、元をただせば『私由来』の力だ。
 この私が天使たちに福音を与え、叡智を与え、力を与えた。
 天使たちは御使いとして聖人たちにそれを伝えた。
 私の力で、私を斃せると思うかい?」

ベリアルは嘲るでもなく、揶揄するでもなく、諭すようにそう言って笑った。
穏やかで、温かくて、親昵で。愛に溢れた、蕩けるような微笑だった。
最初の天使。すべての天使たちの兄にして英雄。神の傍らに座す者――
それらの伝承が真実だったと思わせるに足る、慈愛に満ちた表情。

だが――

今、目の前にいるのは神の威光の具現たる天使の長ではない。
天の御国においてもっとも栄光に溢れ、尊崇と名声を欲しい侭にしていた光の御子ではない。
正義、秩序、愛と信頼。
それらすべてに背を向け、頽廃と欺瞞、悪に耽溺する邪知と暴虐の化身。

堕ちた天使たちの王。

「君たちはよくやった。
 この私を相手に、よくここまで食い下がったものだ。称賛するよ……君たちは正真正銘の英雄だ。
 しかし、もう終わりにしよう。
 私はこの世界を創り変える。取り戻した権能を用い、我が父が七日を用いて為したように。
 闇が光を凌駕し、悪が貴ばれ、破壊と殺戮が善とされる世界へ――」

ゴッ!!!!!

ベリアルの全身から膨大な闇の妖気が放出され、嵐のように渦を巻く。極彩色のブリガドーン空間がのたうち、
その範囲を広げてゆく。

「……龍脈の力で、ブリガドーン空間を拡大させているというのか……。
 まずい、今のブリガドーン空間は完全にベリアルの支配下にある。
 もし、このまま世界のすべてがブリガドーン空間に覆われてしまえば――奴の『そうあれかし』によって、
 本当にこの星は悪が基準となる世界に創り変えられてしまう!」

ローランが歯を食い縛る。
だが、半端な攻撃は『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』が防がれたように、
まるで意味をなさないだろう。
ベリアルは龍脈の力を用いてブリガドーン空間を範囲拡大させ、
同時にブリガドーン空間の効果で龍脈を操る自分の力を増強させている。
その相乗効果が堕ちた神の長子に無限の力を与えているのだ。
まさに詰み。東京ブリーチャーズにできることは、もう何もない。

「ベリ、ア、ル……様……ッ!」

橘音が唸るようにその名を呼ぶ。
かつて自身が啖った、最初のアスタロト。彼女の抱いていた崇敬の念、畏怖の気持ち、そして愛情が。
記憶となってその意識をかき乱している。
ベリアルは小さく笑った。

「ベリアル……無価値なもの、か。
 もはや、その名も必要あるまい。今の私にはそぐわないものだ。
 さて……」

軽く右手を顎先に添え、ベリアル――否、ベリアルであったものが思案する。
ほんの少しの間隙を置いて、それは小さく頷いた。

「ならば……ああ、そうだな。
 これからはこう名乗るとしよう。
 私は神の真逆を往く者。神の創り給うた世を終わらせ、この星に新たなる秩序を築くもの」

都庁の外に広がる極彩色の空に浮かんだまま、ゆっくりと両手を横に開く。
その姿はあたかも、この世界の誰もが知る聖人、救世主のそれのような――




「我が名は『終世主』――アンテクリスト」

189那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/09/17(木) 20:41:27
アンテクリストの妖気が膨れ上がってゆく。膨大な力が満ちてゆく。
修行によって神話クラスの魔神たちさえ打倒できるようになった東京ブリーチャーズの肌さえ粟立たせる、
圧倒的な悪の大気。

「……に」

呆然とアンテクリストを見つめていた橘音の唇が震える。

「…………逃げましょう」

いち早くアンテクリストのしようとしていることに気付いたのか、橘音は一歩、二歩と後ずさりした。
それから、目に恐怖を湛え慌てて踵を返し走り出す。

「駄目だ……、駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!!
 完全に見誤っていた……、彼の力を!解放された神の長子の能力……その全貌を!
 あれは……戦っちゃ駄目な相手だ!」
 
「く……」

ローランも気絶したままのレディベアを背負い、走り始める。
騎士として、レディベアの安全を第一に考えるローランだ。この場にいても事態は好転しないと思ったのだろう。
異界と化していた都庁内はすっかり元に戻っていたが、エレベーターは使えない。
非常階段を使い、最上階の展望室から地上一階のエントランスホールまで戻ってくると、シロが全員を出迎えた。

「あなた!皆さん……ご無事で……!」

シロはポチの顔を見るなり近くへ駆け寄ってきて、その小柄な身体をぎゅっと抱き締めた。

「話はあとにして下さい!ここから出ます!」

橘音が結界破りの術式で、ベリアルだったものが都庁の出入り口に施した結界を無理矢理破る。
まろび出るように外へ出ると、都庁前の広場には安倍晴朧や芦屋易子率いる日本明王連合と、
富嶽の率いてきた日本妖怪たちの姿が見えた。
祈の祖母菊乃や母の颯、それにSnowWhiteから応援に来たハクトもいる。

「おお……祈!戻ったか……!
 いったい何が起こっておるのだ?空に突然巨大な眼が現れたかと思えば、次はこの極彩色の空模様……。
 こんなものは、日ノ本開闢以来の異常事態よ……!」

晴朧が怪訝な表情で問うてくる。

「……どうやら、あまり状況は良くないようぢゃの。
 さしあたり、日明連の方々と儂ら日本妖怪とで都庁周辺に結界を敷いたが――。
 これからどうすればよい?三尾、策をよこせ」

「富嶽殿の仰る通り。三尾殿、知恵をお貸し願おう。
 知恵者で知られた貴殿ならば、この状況も想定の範囲内なのであろう?
 ここが日ノ本存亡の天王山。敗北することは許されん」

富嶽が橘音に作戦の開示を要請し、晴朧も同調する。
妖怪と人間、両方の最高指導者の視線が橘音に集まる。
……だが。

「さ……、作戦は……ありません……」

橘音は呻くように言った。
自分の身体を両腕で抱き、まるで氷点下の世界に裸で立ってでもいるかのように震える。
颯が気遣わしげにその名を呼ぶ。

「……橘音君……?」

「作戦?作戦ですって?そんなものあるワケがない、あったところで通用するハズがない!
 ボクは侮っていた、甘く見ていた……彼の、真の力!解放された権能のレベルを……!
 神の長子なんて言ったって、修行して極限まで強くなったボク達なら、楽勝とは行かないまでも充分勝てると。
 これだけの精鋭と頭数なら戦いを優位に運べるはずと。そう楽観視していた……!
 でも違う、そんな生易しい話じゃなかった!
 あれは……あれは『神の長子』なんてものじゃない!あれは――」

半狐面の額に触れ、恐怖と絶望から身を縮めて、橘音は叫んだ。

「あれは。神そのものだ……!」

神。
その名が示すものは多い。疫病神、貧乏神といった民間レベルから、祟り神禍つ神などの災害レベル。
果ては軍神、闘神、守護神という国家単位のものまで。
しかし、橘音の言う神はそれらのどれとも違う。


“唯一神”――


この世界において、唯一人の神。
全知全能を司る、万神の覇者。ありとあらゆる妖怪の頂点。
アンテクリストは今や、その名を有するに相応しい力を持つに至った。
祈とレディベア、ふたりの少女から奪い取った力を使って。

190那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/09/17(木) 20:42:06
以前、天魔オセは言った。
神を信仰する者が減ったがゆえ天使はその力を弱め、悪の蔓延る世では天魔が力を増しつつあると。
神の力はそのまま、信仰の力である。世界から至純な信仰が失われつつある今、
かつて世界を創造した神はその権能をなくし、全能ではなくなった。
だが、アンテクリストは違う。アンテクリストは地球の生命力を直に吸い上げることによって、無限とも言える力を手に入れた。
加えてブリガドーン空間の力。龍脈を手に入れた圧倒的な意思力で、アンテクリストはブリガドーン空間を掌握している。
ふたつの巨大な力が、終世主を強大にバックアップしている。
それは、遥か昔に父と仰いだ存在を凌駕するほどに。

この世界に『唯一の神』は二柱いらない。
今この時、アンテクリストは完全に父たる神をその座から蹴落とし、真なる唯一神の称号を手に入れたのである。
そして――神の御業が揮われるものは何か?それは古来から決まっている。

天地創造。

アンテクリストは今ある世界のすべてを書き換え、創り変える気でいる。
自分の望む、悪が善となる世界へ。

突如、都庁上空の極彩色の空間がねじれてゆく。纏まり合わないままだった色彩が、あるひとつの図案を描いてゆく。
それは、魔法陣。直径数キロはあろうかという巨大な魔法陣が出現し、都庁の空を覆ってゆく。

「魔法陣……だと!?」

魔法陣から、無数の黒点が降ってくる。
恐らくアンテクリストが召喚したのであろう、夥しい数の何か。数えきれない数の、空を埋め尽くす何か。
それは、悪魔の群れだった。
大小さまざまな悪魔たちが、天から降ってくる。槍を構え、炎を噴き、下劣で悍ましい文言を吐きながらやってくる。
この世に終焉を齎す、それは神の遣い。
邪悪な唯一神によって召喚された、神の意志の体現者。
ことここに至り、かつて世界に排斥され地獄へと追いやられた悪魔たちは、名実ともに天使となったのだった。

「来る……!」

悪魔たちの第一陣が目の前に振ってきては襲い掛かってくる。
東京ブリーチャーズの面々にとっては雑魚以外の何物でもないが、日明連や一般の妖怪たちにとっては話は別だ。
むろん、ここにいるのは人と妖の精鋭たち。そう苦戦はしていない。
だが、数が違いすぎる。どれだけ倒そうとも、悪魔たちは無尽蔵とも言える物量で押してくる。

「陰陽頭様、結界を保てませぬ!」

「ええい……!堪えぬか!ここを突破されれば、東京中に悪魔どもが解き放たれてしまう!
 人員を結界維持に回せ!易子、晴空、お主らもそちらへ!」

「し、承知……!」

結界が悪魔たちに圧され、ギシギシと悲鳴を上げる。
晴朧が悪魔に対抗していた芦屋易子たちに鋭く指示を飛ばす。
しかし。

「……なんだ、あれは……」

魔法陣からゆっくりと姿を現してきた怪物に、妖怪たちが目を見開く。
扁平な小判型の胴体の左右に等間隔に突き出した、13対のオールじみた鰭。長い尾鰭。
飛び出た一対の眼と、頭部前方に突き出した一対の食肢じみた触腕。
それは図鑑などで見ることもある、カンブリア紀の頂点捕食者――
アノマロカリスに他ならなかった。
ただし、本物のアノマロカリスは空を飛ばないし、第一その大きさもせいぜいが50cm程度だ。
今、都庁上空を悠然と遊弋しているそれは、少なく見積もっても300mはあろう。まさに空母クラスである。
序列三十位、二十九の軍団を指揮する地獄の侯爵。天魔七十二将の一柱、フォルネウス。
それがこの魔物の名前だった。
フォルネウスが結界に体当たりする。陰陽寮の精鋭が構築した結界にヒビが入る。

「結界、持ちません!!」

抵抗空しく、フォルネウスの突撃によって結界は破壊された。
膨大な数の悪魔たちが結界から解き放たれ、東京中の空へと散開してゆく。ヨハネの黙示録に記されたイナゴの群れのように。
殺戮。虐殺。殲滅――
悪魔たちはこの東京の地に、煉獄を現出させる気なのだろう。
人々の絶望の叫びが、断末魔のおらびが満ちれば、それは悪魔たちの何よりの糧となる。
人間の骸が、アンテクリストの創る新たな世界の礎となる。

橘音はただただ希望を失い、呆然と帝都が悪魔に蹂躙されるのを見ていることしかできない。
レディベアはまだぐったりとしたまま、目を覚ます気配がない。

地獄が始まる。この世界の終焉が。



――終世主の、世界が。

191多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/09/21(月) 17:15:14
 “接待役”の試練を乗り越え、
東京都庁の北側展望台にて、ついに赤マントと対峙した東京ブリーチャーズ。
 そこで赤マントは、
妖怪大統領バックベアードなる妖怪は存在しないという、衝撃の真実を明かす。
 “レディベアを都合よく操るために作った、赤マント演じる幻”。
それが妖怪大統領の正体だった。
そして、赤マントの計画を実行するための本当のカギとなるのが、レディベアだと赤マントは続けた。
 レディベアは、ブリガドーン空間の中でバックベアードの娘として育てられた、人間の赤ん坊。
しかし、そうあれかしや思い込みが現実になるブリガドーン空間だからこそ、
ただの人間の子供は、本当に“バックベアードの娘”という、ブリガドーン空間の力を持った妖怪になった。
 この妖怪を用いて、
本来は持ち出すことができないブリガドーン空間という異界の力を現世に持ち込むこと。
それが、敵側にいたアスタロトやローランですらも知らない、赤マントの真の計画だったのだ。
 愛する父が幻だったことに絶望し、絶叫するレディベア。
ブリガドーン空間は他者への想いが特に影響するとされる。
その愛情を注ぐ先を失ったからか、力を制御できなくなり、ブリガドーン空間の力がレディベアの体から溢れ出す。
 赤マントはそれを自らの力として取り込み、
祈から奪った龍脈の因子を使って、自らを龍脈の資格者に仕立て上げた。
 龍脈の力により、かつての力と姿を取り戻した赤マント、いや、ベリアル。
ベリアルは、【ブリガドーン空間による夢が現になる力】と【龍脈による無限の力】をも手に入れ、
もはや誰にも止められない存在と化した。
そして、自らを【終世主アンテクリスト】と呼称すると、自らの目的を達成するため、行動を開始するのだった。
 東京ブリーチャーズは赤マントを追い詰めていたようでいて、
実際には手のひらで踊らされているに過ぎなかった。
 その力に圧倒され、逃走を開始する橘音。
それに続く形で、東京ブリーチャーズとレディベアを担いだローランは、
東京都庁から非常階段を使って脱出する。
 そんな一行を、エントランスホールでシロが、
結界を抜けた東京都庁の外では、安倍晴朧やぬらりひょん富嶽といった、陰陽師や妖怪を束ねる者達、
さらに、颯やターボババア、ハクトなどが迎えた。
 東京都庁の上空には、混ざり合わないカラフルな絵の具をぶちまけたような、
極彩色が広がっている――。

>「おお……祈!戻ったか……!
>いったい何が起こっておるのだ?空に突然巨大な眼が現れたかと思えば、次はこの極彩色の空模様……。
>こんなものは、日ノ本開闢以来の異常事態よ……!」

 祈に対し、そう晴朧は問うた。何が起こったのかと。
様子のおかしい橘音、ローランに抱えられてぐったりしたままのレディベアを心配そうに一瞥した後、
肩に担いだスポーツ用のバッグを下ろしながら、祈はこう答えた。

「ごめん、晴朧じーちゃん。しくじった……! 
あの色がぐちゃぐちゃなのはブリガドーン空間で、なんでもできるようになるんだ。
そんで、龍脈には資格があんだけど、その因子を赤マントの奴に取られちまってて……」

 さすがの祈の表情にも焦りがある。
そのためか、元々語彙力が少ないせいなのか、その説明は要領を得ない。
それを聞いたらしく、富嶽は、

>「……どうやら、あまり状況は良くないようぢゃの。
>さしあたり、日明連の方々と儂ら日本妖怪とで都庁周辺に結界を敷いたが――。
>これからどうすればよい?三尾、策をよこせ」

 とりあえず事態が良くないことだけは理解したらしかった。
最悪の事態であることを察しつつ、周囲の人間や妖怪が慌てないよう気にして、
敢えて柔らかい表現にした可能性もある。
 橘音に向き直り、策をよこせと要求する。

>「富嶽殿の仰る通り。三尾殿、知恵をお貸し願おう。
>知恵者で知られた貴殿ならば、この状況も想定の範囲内なのであろう?
>ここが日ノ本存亡の天王山。敗北することは許されん」

 晴朧も同様に、富嶽に倣った。

>「さ……、作戦は……ありません……」

 しかし、震える声で橘音はそう答える。

>「……橘音君……?」
 
 心配そうに名前を呼ぶ颯だが、橘音が呼びかけに応えない。
自らの両腕を抱いて、ただガタガタと震えていた。
そして、半ば叫ぶように、

>「作戦?作戦ですって?そんなものあるワケがない、あったところで通用するハズがない!
>ボクは侮っていた、甘く見ていた……彼の、真の力!解放された権能のレベルを……!
>神の長子なんて言ったって、修行して極限まで強くなったボク達なら、楽勝とは行かないまでも充分勝てると。
>これだけの精鋭と頭数なら戦いを優位に運べるはずと。そう楽観視していた……!
>でも違う、そんな生易しい話じゃなかった!
>あれは……あれは『神の長子』なんてものじゃない!あれは――」
>「あれは。神そのものだ……!」

 晴朧や富嶽に、いや、その場にいる者達皆に、そう内心をぶちまけた。

 橘音の言う「神そのもの」とは、
おそらくそこらにいる神のことを指しているのではないのだろう。
古今東西、神と呼ばれる者はいくらでもいる。
力の弱い付喪神、神話に登場するような強力な神。
メジャーで良く知られた神がいるかと思えば、忘れ去られ消える神もいる。
 そんな数々の神ではなく、その最上位。
“絶対の神”を指して恐れているのだと思われた。

192多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/09/21(月) 17:19:55
「勝てねぇってこと……?」

 呟く祈。
 橘音は、神そのものと化したアンテクリストが、
神と同じように天地創造を、世界改変を行うつもりであろうと告げる。
龍脈とブリガドーン空間。
二つの力を用いて、悪を原理とした世界に創り変えるつもりであろうと。
 その証拠に。 
天に広がるブリガドーン空間の極彩色が、一つの紋様を描いた。
 
>「魔法陣……だと!?」

 それは巨大な魔法陣であった。
陣にはBELIALの文字と、城のような建物を引っくり返したかのような絵柄が描かれている。
その魔法陣をゲートとして、大量の黒い粒が振ってくる。
 その大量の黒い粒は、大小、姿も様々な悪魔たちだった。
今の世界を終わらせるための使徒たちを、アンテクリストは呼び寄せたのである。

「あれ悪魔か!? 数え切れねー数だぞ!?」

 驚愕の声を上げる祈。
 黒い雨と見紛うほどの悪魔達が空を埋め尽くす。
しかし、妖怪と陰陽師達が力を合わせて張った巨大な結界に阻まれて、
東京都庁周辺からは出られない。
 
>「来る……!」

 今の世界を終わらせるために呼び出された悪魔達。
彼らの中には、結界を破ろうとする悪魔がいるかと思えば、
剥き出しの害意や敵意を、結界内の妖怪や陰陽師達へと向ける悪魔もいる。
 悪魔達が襲い来る。

「くそっ」

 周囲の妖怪や陰陽師が応戦する。
祈も、呆然とする橘音や倒れたまま動かないレディベア、
怪我人のローランなど、庇わなければならない者達の周囲で、
悪魔達を蹴り飛ばし、殴り飛ばし、投げ飛ばして倒していく。
だが、次から次へと押し寄せ、召喚されてくる悪魔達は、まるで津波だ。
数が多く、キリがない。

「これならどうだ! “禹歩”!」

 悪魔達が押し寄せる間を突いて、祈の脚がダダダ、とステップを踏む。
特殊な歩法によって、詠唱も呪具も不要で展開できる結界、禹歩。
白い光が祈を中心に広がり、対象と定めた悪魔達をその場に拘束する。
僅かな間しかもたないが、一時的な足止めは、悪魔達の攻撃を防ぎ、倒しやすくするだろう。
 ブリーチャーズや陰陽師、妖怪達の応戦により、
戦力差と攻撃の無駄を悟ったのか、悪魔達が一時的にこちら側への攻撃を止める。

>「陰陽頭様、結界を保てませぬ!」

 しかし、結界を破る方に、悪魔達が注力し始めた。

>「ええい……!堪えぬか!ここを突破されれば、東京中に悪魔どもが解き放たれてしまう!
>人員を結界維持に回せ!易子、晴空、お主らもそちらへ!」

>「し、承知……!」

 そして、結界を維持するために安倍晴空や芦屋易子たち、
陰陽師の実力者も割かれることになるが、魔法陣からは悪魔達が次々に召喚され続ける。
このままではじり貧だと思えた。さらに。

>「……なんだ、あれは……」

 魔法陣を潜って現れたのは、一目で先程までの悪魔とは違う格と、
巨大さを備えた悪魔であった。

「でかい……ムカデ?」

 祈が倒したことのある妖怪の中にはムカデもいる。
だがそれとは大きさが何倍も、何十倍も異なる。
何百メートルもあろうかという巨大なサイズである。
いや、エビを思わせるシルエット、ヒレにも見える脚は、アノマロカリスであろうか。
 とかくそのあまりにも巨大な悪魔は、
海を泳ぐように空を舞い、結界へと体当たりを仕掛けた。
たった一撃で結界の大きく亀裂が走り、

>「結界、持ちません!!」

 二度目の体当たりで、呆気なく結界が破られた。
巨大なアノマロカリス――フォルネウスがぶち開けた穴から、
悪魔の群れが東京へと飛び出していく。
結界の外へ、黒い悪魔達が高速で飛び去る様は、
まるで食物を食い荒らそうと飛び立つイナゴの大群のようだった。
 このままでは、東京中の、否。世界中の人々が危険だ。
 それを見たターボババアが、舌打ちと共に飛び出す。
地を蹴り、空を蹴り、アノマロカロスや悪魔の群れの方向へ突っ込んでいく。
人々を襲う悪魔達を止めるべく、いくらかの陰陽師や妖怪達も、方々に散って行った。

193多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/09/21(月) 17:23:24
「あたしらも何か行動しないと!」

 そうでなければ、多くの命が喪われる。
焦った表情で言い、仲間を見遣る祈。
その視線の先では、絶望したまま、呆然と悪魔の群れを見送る橘音がいた。
 比較的橘音の近くにいた祈は、反射的にその胸ぐらをつかんでいた。
橘音の制服の襟首を掴むと、
不良がカツアゲするように、橘音の顔面を自身の眼前へとぐいと引き寄せる。

「しっかりしろ橘音! それでも帝都一の名探偵かよ!!」

 思えば橘音は、最初から様子がおかしかった。
 赤マント相手に多弁に振る舞い、自分たちの有利さを何度も説いていた。
あれはまるで、自分が有利であることを自分に言い聞かせているようではなかったか。
 おそらく橘音は焦っていたのだ。
なにせ赤マントは橘音に策略や知恵を与えた師匠。
いくら策を弄しても、有利な状況を作っても、覆されるのではという不安を、きっと抱えていた。
 加えて、アスタロトとしての記憶がある故に、
赤マントが力を取り戻せばどうなるかもわかっていただろう。
だからこそ、“これだけ強くなったのだから勝てる”という楽観的な思考の根底にも、
“赤マントが力を取り戻せば敗北してしまう。失敗は許されない”というような恐怖が、
ヘドロのようにへばりついていたのではないか。
 普段は飄々としているが、傷ついた顔をずっと隠し続けるほど繊細で、
何かと思い詰める気質のあるのが那須野橘音という人物だ。
焦燥、不安、恐怖。そういった負の感情に追い詰められていた可能性はある。
そして、実際に赤マントにしてやられて、力に圧倒されたことによって、心を折られた。
絶望し、全てを諦めてしまったのだ。
 祈の想像が実際に合っているかはわからない。
だがどうあれ、祈は橘音が折れているのを許さない。

「尾弐のおっさんと幸せになるんだろ!? いいのか!? 
尾弐のおっさんが殺されて、尾弐のおっさんを見るのが最後になっても! みんな死んじまっても!」

 今、諦めることは世界全ての生命を諦めることと同義だ。
その中にはもちろん尾弐も含まれている。
 妖怪だから死なないというような、今までの常識は関係ない。
世界が作り変えられたら、妖怪の死もきっと不変ではなくなる。
永久の別れや永遠の地獄が待っているかもしれないのだ。
だからこそ、例え神が相手でも、勝ち目がなくても、諦めている暇などない。
 作戦を考えた責任。赤マントを止められなかった責任。
手のひらの上で転がされ、世界を終わらせる片棒を担いだ責任。
そういったものが橘音の心に絶望を与えているのだとしても、
誰かのためになら、愛する人のためになら、きっと橘音は立ち上がれると、祈は信じる。

「つーか、作戦が浮かばねぇんだったら、あたしらを頼れ! あたしらは仲間だろーが!」

 リーダーの役割を尊重したといえば聞こえはいいが、
祈とて、橘音だけに作戦立案を任せ、重責を負わせていた一人。
それに龍脈の因子を奪われたのも、祈の所為だ。
 橘音を追い詰めた責任は祈にもある。
その責任を果たす意味でも、これ以上橘音一人に責任を負わせないためにも、
祈は皆で作戦を考えるべきだと思ったのである。
 祈は襟から手を離して橘音を解放すると、仲間たちへと向き直る。
橘音のケアは多分尾弐がしてくれるだろう。

「なぁ! こんなときだからこそ、みんなで考えよう!
みんなの知恵と、力を合わせるんだよ!」

 そして必死にそう呼びかけた。今こそ、団結するために。
 闇雲に、場当たり的に戦っていては勝機はない。
いくら悪魔を倒そうが、無尽蔵の力と、夢を現にも変える力によって、いくらでも復活させると思われるからだ。
 陰陽師や妖怪達が必死で抑えてくれる、僅かな時間に。
アンテクリスト本人を倒す対策を練らねばならない。

194多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/09/21(月) 17:27:28
「たとえばあたしは……たぶんだけどまだ龍脈と繋がってる! これ、使えないかな!?」

 因子は奪われたが、おそらくまだ、祈に龍脈の神子の資格は残っている。
 途中で、アンテクリストによって、資格を剥奪される可能性はあるが、
まだ、星が持つ無限大のエネルギー使用して戦ったり、運命変転をしたりできるということだ。
当然、半妖と神に作られた天使相手では、そもそも地力に差がある。
向こうはブリガドーン空間の力も持っているから、正面からやり合えば敗色は濃厚だろう。
だが、龍脈の力を上手く利用すれば、何らかの手は打てるはずだ。
それについては祈は何も思い浮かばないものの、アイディア次第で逆転の切り札となり得るだろう。
 祈はそれから、倒れたままのレディベアを見遣った。

「それから、妖怪大統領とか。あたしはあいつ、“いる”と思ってんだよ!」

 それは、レディベアの心の中に生きているだとか、キレイな話ではない。
レディベアに対する気休めでもない。本当にいるのだと祈は思っている。

「モ……レディベアは、自分が妖怪大統領の娘だと疑わなかった。
その思い込みがレディベアを、ブリガドーン空間の力を持った妖怪に変えたんだろ?
それと同じように、レディベアは“妖怪大統領が実在する”って疑わなかったはずだ。
だとしたら、幻が現実になってなきゃおかしくないか?」

 妖怪大統領は、確かに赤マントが演じる幻だったかもしれない。
だが、レディベアがそうあれかしと願っていたのであれば、幻と現実はきっと入れ替わる。
 元々は現象か何かに過ぎなくても、
空亡やバックベアードという名前で、“人々の間で妖怪として知られていた”のだから、
その影響もあるだろう。
 しかし、この世界に姿を現していないということは。

「たぶん妖怪大統領は、あいつの――モンテクリストだかアンチキリストだかいう、
ふざけたやつの中にいるんだ。御幸みたいに、もう一つの人格として。
きっと、アンテクリスト本人も、妖怪大統領も気付いていない状態で」

 妖怪大統領の幻を操る赤マントにも、
当然ながら「これは幻、これは演技だ」というそうあれかしがあっただろう。
 だが当時の赤マントは、神に力を奪われて不完全な状態だった。
保護者を求め、父の実在を信じる子供の強い願望や、
たった一人の父に幸せになって欲しいという、
ブリガドーン空間の中で最も強化される、他者を想うそうあれかし。
自身へと向けられるそれらに、完全に抗えていたとは思えない。
 そうして赤マントとレディベア、二つのそうあれかしがせめぎ合った結果、
妖怪大統領としての人格が、アンテクリストの精神内に生じた可能性はゼロではない。
だが、妖怪大統領自身が「自分はアンテクリストが演じている人格に過ぎない」と思い込んでいるが故に、
外に現れていないのではと、祈は考え、そう主張する。
 でなければ、“人を破滅させることを生き甲斐とする悪魔が、
赤子のおむつを替え、ミルクを作って育てきることなどできるだろうか?”と。
 赤マントが賦魂の法で分けた魂が、黒い球体だったことも薄弱ながら根拠の一つだ。
 故の、「たぶん」や「きっと」や「おそらく」といった、
仮定に仮定を重ねた不確かな策ではあるが。

「だから――【妖怪大統領に、内側からアンテクリストを攻撃してもらう】ってのは?
レディベアだったら起こせるんじゃねーかな……そもそも、いるかどうかは賭けだけど」

 そんな風に祈は提案するのだった。
 アンテクリストの一人格として妖怪大統領が生じているとすれば、
妖怪大統領はアンテクリストと同じく、
龍脈の力とブリガドーン空間、いずれの力も手に入れている状態であるはずだ。
それでいて、【レディベアのそうあれかし】から生まれているのだから、
レディベアに対してはいくらか好意的であると思われた。
 その協力を得られれば、アンテクリストの力を削ぐ、奪うといった弱体化が狙えるのではないか。
あるいは、精神をかき乱せば、有効な攻撃を届かせる隙を生じさせることもできるかもしれないと、
祈はそう考えた。
 もしかしたらアンテクリストは、内側から邪魔してくる妖怪大統領の人格を、
賦魂の法によって追い出すかもしれないが、それはそれで、強力な味方が増えることになるだろう。

「みんなはなんかない!?」

 祈は皆の顔を見て、そう問いかける。
 思いもよらない策を思いつくノエリスト。
千年も願いを諦めなかった諦めの悪い鬼。
家族思いで、奥さんと未来を作る約束をした狼犬。
 仲間たちは、これまで多くのピンチを乗り越えてきた歴戦の猛者たちだから、
なんらかのアイディアが出ると信じて。
 祈が知らない、把握していない、思い出していない、そんな強力な切り札があるかもしれないし、
橘音だって、きっと立ち上がってくれるはずだ。
 祈は希望を手放すことなく、仲間たちの作戦を募る。
神を倒すための作戦を。

195御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/09/27(日) 19:48:28
>「お父様!お父様……ッ!わたくしはここにおります、お父様のすぐそばに……!
 どうか、どうかお言葉を!昔のように、わたくしにお言葉を下さいませ……!」

>《永の忠誠、大儀である。
 其方の働きによって、此処にすべての駒は揃った。刻は満ちた――
 今こそ、終焉の儀式を始めよう。
 そう、吾輩がこの世界の頂点に君臨する……その儀式をネ!
 ――クク、ク、ククッ……クカカカ、クカカカカカカカカ……ッ!!》

ベリアルそのもののように嗤う妖怪大統領に、困惑する一同。

「操られているの……?」

>「クカカ……まだ分からないのかネ?
 茶番だ!すべては茶番に過ぎなかったのサ!
 バックベアードというのは、ブリガドーン空間の異名に過ぎない。単なる現象に対する呼称であって、
 一個のパーソナリティを指すものではないのサ。
 つまり……『妖怪大統領バックベアード』なんてものは『最初から存在しない』のだヨ!」

実際は操られているどころか、最初からベリアルが作り出したハリボテの操り人形というのが実態であった。
更にレディベアは、ブリガドーン空間に放り込まれて妖怪と化した元人間だという。

>「刻は満ちた。今や、レディの体内には異次元に存在したブリガドーン空間の力がそっくり宿っている。
 今まで東京ドミネーターズを組織したり、アスタロトに帝都騒擾をさせたりしていたのは、すべてこのため。
 後は――その力をここで全部解放するだけだヨ。
 『器』を叩き割って、ネ!」

「させるか!!」

ノエルは御幸の姿となり、レディベアの前に立ちはだかり、身構える。
コカベルの煉獄の炎をも退けた絶対の防御――その力が遺憾なく発揮される状況だ。
しかしベリアルは攻撃してくる様子は無く、何故か不要な会話を続ける。
それこそがレディベアの器を叩き割るためのベリアルの方策だった。

>「う、う……うあああああああ、ああああああああああああああ……!!!」

御幸はレディベアの全身から溢れ出る妖気に弾き飛ばされた。その拍子にみゆきの姿になる。
あまりの動揺のために、うっかり原型に戻ってしまったのかもしれない。

「何!?」

>「クカカカカ!
 言っただろう?『準備は整った』と!『刻は満ちた』と!
 それは『誰がどんな手を尽くしたとしても、すでに手遅れ』という意味なのだヨ!
 吾輩に触れさせなければ、彼女を守れると思ったかネ?盾となって吾輩の前に立ちはだかれば防げると!
 ノン!最早、何者にも力の解放を阻むことはできない――この吾輩にもネ!
 さあ……地獄の扉が開くヨ、待ちに待ったお楽しみの瞬間だ……クカカカカッ!カハハハハハハハハーッ!!!」

レディベアの全身から禍々しい力が噴出し、空が極彩色に変わった。

196御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/09/27(日) 19:49:30
「これは……ブリガドーン空間……!」

>「クカカッ……クカカカカカカカッ!
 素晴らしい!この光景……この空を実際にこの表世界で見ることを、吾輩はどれだけ望んだことか!
 さて、では計画の最終段階と行こうか!」

ベリアルの手の中には、輝く何かがあった。龍脈の神子の因子だという。

>「龍脈の力は誰にでも使えるものじゃない。それを使う『資格』を持つ者でないとネ。
 だが、それは裏を返せば『資格さえ持っていれば、誰にでも使える』ということなのサ。
 祈ちゃん、君は言ったネ。吾輩は龍脈の力が欲しくてたまらない……と。
 その通り!吾輩は龍脈の力が欲しくて欲しくて堪らなかった!それはもう、喉から手が出るほどネ!
 しかし――君のお陰で、やっと手に入れられそうだヨ!」

「祈ちゃんから奪ったのか……!」

>「クク……なるほど、これが神子の心地というものか。悪くない……いいや、実にいい気分だネ!
 では、さっそくこの力を使わせてもらうとしよう!!」
>「龍脈よ!この惑星を駆け巡る無尽の活力よ!
 われに力を与えよ、忌まわしき神によって奪われし力を!星を統べる全知の権能を!!
 今こそ、ふたたびわれに与えせしめよ――――!!」

龍脈の力がベリアルに集まり、ベリアルは真の姿を現した。

>「クカカカカ……カハハッ!素晴らしい!
 力が……力が漲る!溢れる……!そうだ、これだ!これこそが吾輩の……いいや、私の本当の力!
 長かった……長かったぞ!この刻を――私はどれほど待ったことか!!」
>「もう――これも必要ない」

>「ベリ、アル……様……」

「”様”って……アスタロトの記憶!? きっちゃん! 負けないで!」

橘音は呆然としており、レディベアは気を失ってしまった。

>「ベリアルゥゥゥゥゥゥゥゥ―――――――――――――ッ!!!!」

ローランが不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)を放つが、ベリアルはただ視線を向けただけでそれを無力化してしまった。

>「ローラン。君のそれは天使由来の力……いいや、元をただせば『私由来』の力だ。
 この私が天使たちに福音を与え、叡智を与え、力を与えた。
 天使たちは御使いとして聖人たちにそれを伝えた。
 私の力で、私を斃せると思うかい?」

「そんな……」

一行の中で最も強力と思われていたローランが戦力外となるのは、大きな不利だ。
その上、橘音も妖狐由来の力はともかくアスタロト由来の力は通用しないということなのだろう。
それ以前に、まともに戦ってどうこうなる相手ではないのかもしれないが。

197御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/09/27(日) 19:54:45
>「……龍脈の力で、ブリガドーン空間を拡大させているというのか……。
 まずい、今のブリガドーン空間は完全にベリアルの支配下にある。
 もし、このまま世界のすべてがブリガドーン空間に覆われてしまえば――奴の『そうあれかし』によって、
 本当にこの星は悪が基準となる世界に創り変えられてしまう!」

一行の恐怖・絶望・混乱を他所に、ベリアルだった者は、優雅に両手を広げながら朗々と名乗りを上げた。

>「我が名は『終世主』――アンテクリスト」

>「……に」
>「…………逃げましょう」
>「駄目だ……、駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!!
 完全に見誤っていた……、彼の力を!解放された神の長子の能力……その全貌を!
 あれは……戦っちゃ駄目な相手だ!」

橘音がいちはやく撤退を呼びかける。このまま戦っても勝ち目はないと分かってしまったのだろう。

「――ホワイトアウト!」

みゆきも気休めにしかならないと分かっていながらも目くらましの妖術を使うと、橘音に続いて撤退する。
都庁から脱出すると、大勢の者が出迎えた。

>「おお……祈!戻ったか……!
 いったい何が起こっておるのだ?空に突然巨大な眼が現れたかと思えば、次はこの極彩色の空模様……。
 こんなものは、日ノ本開闢以来の異常事態よ……!」

>「ごめん、晴朧じーちゃん。しくじった……! 
あの色がぐちゃぐちゃなのはブリガドーン空間で、なんでもできるようになるんだ。
そんで、龍脈には資格があんだけど、その因子を赤マントの奴に取られちまってて……」

「そう、奴が運命変転の力を手に入れてしまったんだ……!」

>「……どうやら、あまり状況は良くないようぢゃの。
 さしあたり、日明連の方々と儂ら日本妖怪とで都庁周辺に結界を敷いたが――。
 これからどうすればよい?三尾、策をよこせ」

>「富嶽殿の仰る通り。三尾殿、知恵をお貸し願おう。
 知恵者で知られた貴殿ならば、この状況も想定の範囲内なのであろう?
 ここが日ノ本存亡の天王山。敗北することは許されん」

>「さ……、作戦は……ありません……」

「もう! きっちゃんをいじめないで!」

恐れ多くも人間と妖怪の最高権力者達にくってかかっているみゆき。
もちろん二人は名探偵の橘音なら何か策があるだろうと普通に思っていただけで他意は無いのだが
事態が橘音の想像を遥かに超えていることが分かっているみゆきには、二人が震える子狐を責め立てているように見えてしまっていた。

198御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/09/27(日) 19:55:35
>「作戦?作戦ですって?そんなものあるワケがない、あったところで通用するハズがない!
 ボクは侮っていた、甘く見ていた……彼の、真の力!解放された権能のレベルを……!
 神の長子なんて言ったって、修行して極限まで強くなったボク達なら、楽勝とは行かないまでも充分勝てると。
 これだけの精鋭と頭数なら戦いを優位に運べるはずと。そう楽観視していた……!
 でも違う、そんな生易しい話じゃなかった!
 あれは……あれは『神の長子』なんてものじゃない!あれは――」
>「あれは。神そのものだ……!」

「そんな……」

>「勝てねぇってこと……?」

祈のつぶやきはおそらく当たっているのだろう。
有象無象の八百万の神が唯一神に敵うはずはなく、更に妖怪は大雑把に言えば八百万の神のランクが低いバージョンだ。

>「魔法陣……だと!?」

空に浮かび上がった魔法陣から、無数の悪魔の群れが現れて押し寄せてくる。

>「これならどうだ! “禹歩”!」

「祈ちゃんナイス! エターナルフォースブリザード!」

範囲妖術で周囲の悪魔を一掃する。
悪魔たちの攻撃の手が緩んだと思ったのもつかの間、悪魔たちが結界の縁に向かい始めた。

「乃恵瑠! あいつら結界を破壊するつもりだ!」

巨大な杵を振るいながらハクトが叫ぶ。
みゆきは結界に向かう悪魔達の背に氷の矢を放ち、出来る限り撃墜を試みる

「させてたまるかーっ!」

が、更に厄介なものが現れた。

>「……なんだ、あれは……」

>「でかい……ムカデ?」

それは、ムカデのようでもありエビのようでもある巨大な節足動物であった。
それが結界に体当たりを仕掛ける。

>「結界、持ちません!!」

あろうことか、フォルネウスによって結界は破壊され、悪魔達が世界へ解き放たれてしまった。

「きっちゃん……」

呆然としたままの橘音を、気遣わし気に見るみゆき。と、祈がいきなり橘音の胸ぐらを掴んだ。

「祈ちゃん!?」

199御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/09/27(日) 19:57:51
>「しっかりしろ橘音! それでも帝都一の名探偵かよ!!」

祈は希望を捨てることなく、橘音を叱咤激励している。

「そうだね、橘音くんはもう無力な子狐じゃないし童もあの日の雪ん娘じゃない」

ノエルはメンバーの中では唯一、血肉を持つ人間や動物がルーツになっていない。
自然現象をルーツに持つ生粋の霊的妖怪だ。現象が恐怖や絶望をするだろうか? いや、しない。

「童にはこの力があるもの」

みゆきは再び御幸の姿になる。絶対零度の氷雪の化身。そもそも精神構造的に絶望しようがないという反則技。
それは絶望を乗り越えていく正統派の強さとは違うのかもしれないけれど、とにかく敵の思い通りにはならない。

>「なぁ! こんなときだからこそ、みんなで考えよう!
みんなの知恵と、力を合わせるんだよ!」

>「たとえばあたしは……たぶんだけどまだ龍脈と繋がってる! これ、使えないかな!?」

「でも、龍脈の力をそれ以上使ったら……いや、何でもない」

反対する代わりに、代替案を提案する。

「ブリガドーン空間の特性を逆手に取ることは出来ないだろうか。
アンテクリスト、本当はブリガドーン空間を完全には掌握しきれてないんじゃないのかな。
だって完全に掌握してるんだったらその空間内でまだこうやって戦いが行われている事自体が不思議じゃない?」

何でも思い通りになる空間を完全掌握してたら、その空間内では全てが一瞬で決してしまうだろう。
ならば、今のこの状態は世界を改変しようとするアンテクリストの意思と
それを拒む皆の意思がせめぎ合っているから、と考えることは出来ないだろうか。
尤もベリアルは劇的な演出を好む性質を持っていたので敢えてじわじわいたぶっているだけという可能性も捨てきれないのだが、
アンテクリストはベリアルと同一人物でありながらももはや別の人格のようにも見えた。
アンテクリストとしては、龍脈の神子になるためにはブリガドーン空間の特性が必要だった。
そして世界を改変するにもやはりブリガドーン空間の特性が必要。
しかし戦い自体は、同じ龍脈の神子同士で地力では圧倒的に向こうが上なのだから
ブリガドーン空間という不確定要素はむしろこちらに有利な要素として働くということも考えられる。

200御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/09/27(日) 19:59:30
>「それから、妖怪大統領とか。あたしはあいつ、“いる”と思ってんだよ!」
>「モ……レディベアは、自分が妖怪大統領の娘だと疑わなかった。
その思い込みがレディベアを、ブリガドーン空間の力を持った妖怪に変えたんだろ?
それと同じように、レディベアは“妖怪大統領が実在する”って疑わなかったはずだ。
だとしたら、幻が現実になってなきゃおかしくないか?」
>「たぶん妖怪大統領は、あいつの――モンテクリストだかアンチキリストだかいう、
ふざけたやつの中にいるんだ。御幸みたいに、もう一つの人格として。
きっと、アンテクリスト本人も、妖怪大統領も気付いていない状態で」
>「だから――【妖怪大統領に、内側からアンテクリストを攻撃してもらう】ってのは?
レディベアだったら起こせるんじゃねーかな……そもそも、いるかどうかは賭けだけど」
>「みんなはなんかない!?」

「いいね! 妖怪大統領を叩き起こそう!
もしもいなかったら……その時はハッタリを貫き通していることにしてしまえばいい。
バックベアードの正体を知ってるのはまだ私達だけだよね。
ベリアルがレディベアにやったみたいに、アバターで日本中の妖怪を騙してみるのは?
レディベアか橘音くんの瞳術だけど……不特定多数に幻を見せるのは流石に難しいよね。
私が空を雪雲で覆って巨大なスクリーン状態にする。そこに妖怪大統領を瞳術で投影しているように見せかける」

瞳術で何が出来るかを詳しくは知らないが、光を放って攻撃する技だったり、
対象に幻を見せる技ならあるので、それを考え合わせると映像を投影することも出来ると思われた。

「音声は……スカイツリーを乗っ取ってレディべアに妖怪大統領の振りしてそれっぽい演説してもらうとか」

妖怪大統領の名代なるレディベアならば、それっぽい演説が出来るかもしれない。
バックベアードの日本での姿とされる空亡は、百鬼夜行絵巻の最後を締め括る最強の妖怪。
一説には妖怪の頂点とも言われている。
そんな存在が協力要請をすれば、皆そこに希望を見出すだろう。
それはきっとブリガドーン空間の影響下なら、妖怪大統領を起こす力となる。

「それにあそこ、酔余酒重塔状態の時は東京中の妖気を集積させることが出来たんだよね。それ使えないかな」

尤もこれは酔余酒重塔状態だった時の話のため、下準備に時間がかかるとしたら無理かもしれない。
それ以前に、どんな方法でいくにせよ妖怪大統領を起こす鍵となりそうなレディベアは気を失ったままだ。
レディベアの顔を心配げに覗き込む。

「まさか……ずっとこのまま、なんてことは無いよね?」

器を叩き壊されてブリガドーン空間の力を放出してしまってからずっと気絶している。
待っていても自然には起きないのではないかという可能性が頭をよぎる。

「どうにか起こせないかな……」

意識してかせずか、遠い昔に僧侶だったという尾弐にそれとなく問いかけた。

201尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/10/04(日) 16:15:20

「チッ――――仕留め損ねたか」

尾弐が繰る闘気の針は確かにベリアルの胸を穿った。
ポチの爪は、ベリアルの首を断ち切った。
ほぼ同時に放たれた必殺は、確かに命に届いた感触はあったのだ。

にも関わらず、尾弐の直感は真逆の回答を告げる。
心臓を貫き首を断ち切って尚『ベリアルは生きている』と。

>「ククク……クカカカカカカ……。
>吾輩はまだ話の途中だったのだがネェ?正義の味方ともあろう者が不意打ちとは、なんとも悪辣な!
>せっかく最後の戦いなんだ、もっと演出というものに気を遣って貰わなくては!」

直後、声が響く。
それは那須野橘音の背後……宙に浮かぶ白面から。

「喋るゴミを気ぃ遣って処分しようとしてやったんだ。感謝して死んどけ、ゴミ屑」

軽口を叩くベリアルに対し、尾弐は忌々しげにそう吐き捨てる。
追撃を行わないのは、ベリアルが死ななかった理屈が判らないまま攻撃するのは下策と判断したが故の事。

>「……賦魂の法……ですか……」

そんな中、那須野橘音が一つの可能性を呟いた。それは、魂を分割する妖狐の秘術の名。
成程、確かにそれであれば死して死なずの謎は解ける。
しかし……そこで尾弐は考えるべきだった。
今の東京ブリーチャーズと正面衝突すれば死ぬ可能性もあるというのに、何故ベリアルがこの場に現れたのかを。
或いは、『ベリアルが既に目的を達成している』可能性を。

そして、その最悪な可能性は最悪の形で実現する事になる。


>《永の忠誠、大儀である。
>其方の働きによって、此処にすべての駒は揃った。刻は満ちた――
>今こそ、終焉の儀式を始めよう。
>そう、吾輩がこの世界の頂点に君臨する……その儀式をネ!
>――クク、ク、ククッ……クカカカ、クカカカカカカカカ……ッ!!》

>「クカカカカ!
>言っただろう?『準備は整った』と!『刻は満ちた』と!
>それは『誰がどんな手を尽くしたとしても、すでに手遅れ』という意味なのだヨ!
>吾輩に触れさせなければ、彼女を守れると思ったかネ?盾となって吾輩の前に立ちはだかれば防げると!
>ノン!最早、何者にも力の解放を阻むことはできない――この吾輩にもネ!
>さあ……地獄の扉が開くヨ、待ちに待ったお楽しみの瞬間だ……クカカカカッ!カハハハハハハハハーッ!!!」

存在そのものがベリアルが生み出した虚像であったというバックベアード。
信じていた存在は親ですらなく、更に自身は野望の為の道具に過ぎなかったという現実は、
レディベアという少女の心を絶望に染めるには十分すぎるものであった。
ブリガドーン空間の力を内包したその体から噴出する妖気に吹き飛ばされぬよう踏み止まりながらも、尾弐はベリアルを睨みつける。

「やりやがった――――やりやがったなテメェ」

尾弐は決して善性の存在でなければ、レディベアに対して友好的でもない。
だがそれでも……人間から成り果てた悪鬼であろうと、守らなければならない事くらいは知っている。
己の野望の為に無知な子供を騙して利用する事が、鬼畜にも劣る所業である事は知っているのだ。
怒りを力に変え、膨大な力の奔流に逆らう様に歩を踏み出す。
しかし、その怒りもベリアルの野望を止めるには間に合わない。
何故ならば、ベリアルの目的は既に完遂してしまっているのだから。

>「龍脈よ!この惑星を駆け巡る無尽の活力よ!
>われに力を与えよ、忌まわしき神によって奪われし力を!星を統べる全知の権能を!!
>今こそ、ふたたびわれに与えせしめよ――――!!」

祈から簒奪した龍脈の力の一部。レディベアを介して展開したブリガドーン空間。
それらを用いて天魔ベリアルが世界を塗り替える――――否、創造する。
光の柱が帝都に聳え立ち、天魔ベリアルの印章が地へと刻まれる。

>「ベリ、アル……様……」

そして『赤マント』のアイコンであった仮面とマントが朽ち果て、眩い黄金色の髪を靡かせながら


――――悪が降臨した。

202尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/10/04(日) 16:16:31
>「ベリアルゥゥゥゥゥゥゥゥ―――――――――――――ッ!!!!」

「っ――――馬鹿野郎!先走るな!!」

姿を変えたベリアルに対し、ローランがその聖剣を振り下ろす。
ローランが規格外の強者である事を尾弐は知っている。
『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』の恐ろしさも知っている。
だが、それを知った上で尾弐は止めに掛かる。
他の仲間達がどうかは判らないが、悪鬼という世界にとっての邪悪である尾弐には判る。
その剣技を以ってしても、ベリアルには届かないという絶望的な格の違いが。
そして尾弐の懸念を証明するかのように、ローランの必殺はそよ風だけを残して掻き消えてしまった。

>「君たちはよくやった。
>この私を相手に、よくここまで食い下がったものだ。称賛するよ……君たちは正真正銘の英雄だ。
>しかし、もう終わりにしよう。
>私はこの世界を創り変える。取り戻した権能を用い、我が父が七日を用いて為したように。
>闇が光を凌駕し、悪が貴ばれ、破壊と殺戮が善とされる世界へ――」

>「ならば……ああ、そうだな。
>これからはこう名乗るとしよう。
>私は神の真逆を往く者。神の創り給うた世を終わらせ、この星に新たなる秩序を築くもの」

遥か高みの存在、その圧倒的な威風から那須野橘音を庇う様に前に出た尾弐。
そんな尾弐をもはや気に留める様な事もせず、ベリアルは――――ベリアルだったものは高らかに宣言する。


>「我が名は『終世主』――アンテクリスト」


――――

>「…………逃げましょう」
>「駄目だ……、駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!!
>完全に見誤っていた……、彼の力を!解放された神の長子の能力……その全貌を!
>あれは……戦っちゃ駄目な相手だ!」

「……応」

刻一刻とその力を増していくアンテクリストを前にして、那須野橘音はそう告げて走り出す。
尾弐としてもその意見を否定するつもりは無かった。
万に一つでも勝ち目が有るのであれば別だが、現状では万に一つすら勝ち目は無い。
ならば必要なのは、少しでも時間を稼ぎ策を練る事だ。

>「――ホワイトアウト!」

不幸中の幸いか、アンテクリストが東京ブリーチャーズへの興味を喪失した事と、ノエルによる目くらまし。
加えて結界を越える那須野橘音の術式が成功した事により都庁からの脱出は叶った。
扉を潜れば、其処には人間、妖怪を問わず今回の戦いで助力をしてくれた者達の姿。
互いの無事を喜ぶのもつかの間。
祈の口から断片的に語られた龍脈の神子としての力の簒奪と、アンテクリストの君臨という現況、
そのあまりの不利な旗色を前にして、双方の重鎮たちは那須野橘音に回答を――勝利へと辿り着く道順の提示を求める。

>さしあたり、日明連の方々と儂ら日本妖怪とで都庁周辺に結界を敷いたが――。
>これからどうすればよい?三尾、策をよこせ」
>「富嶽殿の仰る通り。三尾殿、知恵をお貸し願おう。
>知恵者で知られた貴殿ならば、この状況も想定の範囲内なのであろう?
>ここが日ノ本存亡の天王山。敗北することは許されん」

>「さ……、作戦は……ありません……」

しかし、那須野橘音の口から放たれた言葉は――――『不可能』を示すものだった。

>「もう! きっちゃんをいじめないで!」
>「……橘音君……?」

いつも飄々としていた那須野橘音の余りの狼狽。
常ならぬ様子に、颯は心配する様子を。ノエルは問い詰める者達から庇う態度を見せる。
しかし、那須野は彼らに応える事もせず、追い詰められた様子で言葉を吐きだしていく。

>「作戦?作戦ですって?そんなものあるワケがない、あったところで通用するハズがない!
>ボクは侮っていた、甘く見ていた……彼の、真の力!解放された権能のレベルを……!
>神の長子なんて言ったって、修行して極限まで強くなったボク達なら、楽勝とは行かないまでも充分勝てると。
>これだけの精鋭と頭数なら戦いを優位に運べるはずと。そう楽観視していた……!
>でも違う、そんな生易しい話じゃなかった!
>あれは……あれは『神の長子』なんてものじゃない!あれは――」
>「あれは。神そのものだ……!」

>「勝てねぇってこと……?」

ポツリと呟く祈の言葉。身を抱く様にして震える那須野の態度。
それが全てだった。

203尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/10/04(日) 16:18:01
ベリアルは――――アンテクリストは、強すぎる。
強大な魔物なら戦えよう。超常の神獣ならば抗えよう。
しかし、唯一神……世界に等しき存在と戦いが成立する筈がない。
震える那須野橘音に対し、尾弐は――――尾弐黒雄は、拳を握り静かに目を瞑った。
一度息を吐いてからそして言葉を掛けようとし、その直後。

>「あれ悪魔か!? 数え切れねー数だぞ!?」
>「祈ちゃんナイス! エターナルフォースブリザード!」
>「でかい……ムカデ?」

上空に現れた巨大な魔法陣から湧き出す無数の悪魔達。
そして、アンテクリスト配下の天魔七十二将が一柱、フォルネウス。

祈や陰陽師達の抵抗は一時悪魔を押しとどめた。
ノエルの広範囲妖術は、多くの悪魔を殲滅せしめた。
尾弐もまた、手近な岩等を掴み投げ、質量弾として悪魔達を圧殺した。

けれど、それは大波に水滴を垂らす様な抵抗に過ぎない。
悪魔の圧倒的な物量は津波の様に抵抗という名の水滴を飲み込み、
天魔フォルネウスの一撃がとうとう結界をすら破壊してしまった。

悪魔がラッパを吹き鳴らし、天より災禍が巻き散らされたのだ。
尾弐にはその光景を眺め見る事しかできない。
四方に散る悪魔達を漂白するには、尾弐の腕はあまりに短すぎる。

――――逃げちまおうか。

絶望の最中、そんな言葉が尾弐の脳裏に浮かんだ。
確かにアンテクリストがこのまま世界を統べれば、世界は変わってしまうだろう。
悪が跋扈し正義が虐げられる地獄の如き世界に生まれ変わるのかもしれない。
だが、それがどうした。
そもそも尾弐は邪悪な存在で、尾弐が愛する那須野橘音もまた天魔と呼ばれる悪魔だ。
善悪が反転したところでその存在になんら影響はなく……悪魔が天使となる様な世界では、寧ろ生き易くなるかもしれない。
勿論、アンテクリストからは逃げる日々にはなるのだろうが、日陰を生きるのは今も一緒だ。
死ぬのは怖い。橘音が死ぬのはもっと怖い。
それなら、正義も仲間も全てを捨てて愛する女と逃げ続ける日々も悪くはないのではないか。
悪魔の囁きの如き思い付きが尾弐の思考を染めはじめ

>「しっかりしろ橘音! それでも帝都一の名探偵かよ!!」
>「尾弐のおっさんと幸せになるんだろ!? いいのか!? 
>尾弐のおっさんが殺されて、尾弐のおっさんを見るのが最後になっても! みんな死んじまっても!」

そして、多甫祈の言葉がそんな尾弐の甘えた思考を叩き潰した。
銃でも日本刀でも傷つかない悪鬼は、一人の少女の言葉に横面を殴られたような衝撃を受けた。
ああ、そうだ。もしも逃げ出したとして

(ここで逃げ出した先の未来で――――隣にいる橘音は、笑っているか?)

想像する。今、この場で震える女が……悪戯好きで、責任感が強くて、さびしがり屋で、努力家で、仲間想いな
そんな彼女が、全てを失った後の世界でこれまでの様に楽しげに笑う事が出来るだろうか。

204尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/10/04(日) 16:18:54
>「つーか、作戦が浮かばねぇんだったら、あたしらを頼れ! あたしらは仲間だろーが!」
>「そうだね、橘音くんはもう無力な子狐じゃないし童もあの日の雪ん娘じゃない」
>「童にはこの力があるもの」
>「なぁ! こんなときだからこそ、みんなで考えよう!
>みんなの知恵と、力を合わせるんだよ!」

否。逃げ出した先に未来はあるのかもしれないが、そこに幸福は無い。
祈もノエルもその事が判っているのだろう。だからこそ彼ら、彼女らは前に進もうとする。
眩しいほどの強さを前にして、尾弐は近くにいたポチに何とはなしに声を掛ける。

「ポチ助。惚れた弱みってのは辛ぇモンだな……明日、女が笑ってる未来の為なら神サマでもぶん殴る力が湧いてきちまう」

>「たとえばあたしは……たぶんだけどまだ龍脈と繋がってる! これ、使えないかな!?」
>「それから、妖怪大統領とか。あたしはあいつ、“いる”と思ってんだよ!」
>「だから――【妖怪大統領に、内側からアンテクリストを攻撃してもらう】ってのは?
>レディベアだったら起こせるんじゃねーかな……そもそも、いるかどうかは賭けだけど」
>「みんなはなんかない!?」

>「いいね! 妖怪大統領を叩き起こそう!
>もしもいなかったら……その時はハッタリを貫き通していることにしてしまえばいい。
>バックベアードの正体を知ってるのはまだ私達だけだよね。
>ベリアルがレディベアにやったみたいに、アバターで日本中の妖怪を騙してみるのは?
>「どうにか起こせないかな……」

二人の言葉を聞いた尾弐は、那須野橘音の真正面に立つと口を開く。

「……これだけ力量差があると、人柱を立てて封ずるってのも無理そうだな」
「情報を拡散するってなら妖怪に頼むより人間に頼むのはどうだ? 聞いたところ、最近のインターネットってのはすげぇんだろ?」
「群衆をぶつけて為政者を引きずりおろすのは人間のお家芸だ。77億のそうあれかしをぶつけりゃあ意外に何とかなっちまうんじゃねぇか?」
「それこそ、仮に存在していなかったとしても、願いでバックベアードを産み出したり……な」
「レディベアは……確か色男の店の端っこに、前に俺にちょっかい出してきたサトリ妖怪がいたな。奴さんが元人間っていうなら、アレの力で心に潜り込めやしねぇかな」
「俺なんざの声は届かなくても、嬢ちゃんの、ノエルの、ついでにローランの声なら届くかもしれねぇ」
「問題はアンテクリストの野郎だが……本気で妨害してくるなら別だが、奴さんは力を手に入れてご満悦みてぇだからな。
 レディベアに興味を向けてねぇ以上、祈の嬢ちゃんの龍脈の神子としての力と、願いの総量で無理やりぶち抜けるだろ」

「時間が必要だってなら俺が稼いでやる。こう見えて全うに修行したんでな。例えアンテクリストの野郎が世界を滅せる様な攻撃を仕掛けてきても、今の俺なら多少は何とかしてやれる筈だ」
「絶望は深いかもしれねぇが、それでも誰かが手を差し伸べてくれれば必ず光は射す――――他ならぬ、絶望に浸かり続けた馬鹿な鬼が言うんだから間違いねぇよ」

205尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/10/04(日) 16:28:27
「……ま、所詮は素人考えだけどな。ポチ助はどうだ?お前さんならもっと良い考えもあるんじゃねぇか?」

ポチに問いかけその返答を聞いてから、尾弐はアンテクリストへの畏怖と恐怖で震える那須野の肩に手を置く。

「さて、橘音……俺は、お前さんに一緒に逃げようとか、後は任せろなんて事は言えねぇ」
「何せ俺は、酒が好きでガラスの腰をしたダメ男だからな。この期に及んで一人で全部を背負って万事解決出来る程の甲斐性はねぇんだ」
「そんな、お前さんがいねぇとまともに生きる事もできねぇ俺が言ってやれるのは、これだけだ」

いつかの術式。那須野橘音の痛みを引き受ける鎖を可視化して告げる。

「橘音。お前さんの重荷は、俺が一緒に背負う」

いつかの様に、真剣な表情で。
恐怖も絶望も未来への重責も、那須野橘音の小さな肩に伸し掛かる全ての苦しみを、自分が一緒に背負うと。
例え失敗して全滅しようと、その責任を那須野橘音一人に押し付けるような真似はしないと。

「だから、俺が頑張るために俺と一緒に頑張ってくれ」

世界の為でも自身の為でもなく、尾弐黒雄の為に少しだけ勇気を出して欲しいと。

それから


「この戦いが終わったら――――結婚してくれ。橘音」


足掻いて足掻いて……『共に笑いあえる未来』を繋ごうと。笑顔でそう言った。

206ポチ ◆CDuTShoToA:2020/10/10(土) 07:59:10
金色の爪が弧を描き、ベリアルの頸を切り裂く。
闘気の針がベリアルの心臓を貫く。
ベリアルは身じろぎ一つする間もなく、その場に倒れた。

>「チッ――――仕留め損ねたか」

「……みたいだね」

しかし――ポチは忌々しげに唸った。
倒れ伏した、躯であるはずの「それ」からは、死のにおいがしなかった。
命が抜け落ち、息絶える時に立ち昇るにおいが。

>「ククク……クカカカカカカ……。
>吾輩はまだ話の途中だったのだがネェ?正義の味方ともあろう者が不意打ちとは、なんとも悪辣な!
>せっかく最後の戦いなんだ、もっと演出というものに気を遣って貰わなくては!」

直後、背後から聞こえる声――虚空に浮かぶ白仮面が、笑う。

>「喋るゴミを気ぃ遣って処分しようとしてやったんだ。感謝して死んどけ、ゴミ屑」

「はん……素直に避けられませんでしたって言ったらどうだよ」

挑発を返しつつ、ポチは深く身を屈める。
深く前へ踏み込んでしまったが故に、後方に現れたベリアルに対し、ポチが先陣を切る事は出来ない。
だが、祈か尾弐か。そのどちらかが先手を打てば、二の矢となる事は出来る。

>「……賦魂の法……ですか……」
>「その通り。さすがは我が弟子、察しがいい。
  本来は妖狐一族の秘術らしいが……この程度のもの、吾輩だって真似するのは造作もないサ」
>「さて……では、こちらの吾輩は回収させてもらおうか」

ポチのすぐ傍に横たわるベリアルの躯が、半身の元へと戻る。

「つまり……これでもう、お前は殺せば死ぬ、ただのクソッタレって事だろ」

ポチが唸り声を上げる。漆黒の被毛が逆立つ。
ベリアルとの距離は遠い。だが自分が動けば、皆も動く。
ベリアルに対応を強いる事が出来る――はずだった。

しかし、そうなるよりもほんの少し早く、ベリアルが指を鳴らした。
瞬間、凍りついたガラス窓が砕け散る。
バックベアードの視線が再び展望室へと注がれる。

「っ……!」

こうなると、ポチは先手を取れなくなってしまった。
なにせバックベアードが敵なのか、味方なのか、どんな力を秘めているのかも分からないのだ。
ただのフィンガースナップ一つ。
それだけで、ポチは動くに動けなくなった。

先手を取って、対応を強いるはずだった。
それがいつの間にか、敵の出方を待ち、対応する側に回らされていた。

>《永の忠誠、大儀である。
>其方の働きによって、此処にすべての駒は揃った。刻は満ちた――
>今こそ、終焉の儀式を始めよう。
>そう、吾輩がこの世界の頂点に君臨する……その儀式をネ!
>――クク、ク、ククッ……クカカカ、クカカカカカカカカ……ッ!!》

事態は、既にベリアルの手のひらの上だった。

207ポチ ◆CDuTShoToA:2020/10/10(土) 07:59:24
>「まったく、君はよくやってくれたヨ、レディ。
  だからネ……最後までその調子で役に立ってくれたまえ。
  愛するパパの――そう、吾輩のために!!
  クカカカカカカカカカカ――――――――――――――――――ッ!!!」

>「う、う……うあああああああ、ああああああああああああああ……!!!」

悲痛な悲鳴。レディベアの全身から禍々しい妖力が溢れ出す。
あまりにも濃密で膨大なその妖力に、ポチの矮躯が吹き飛ばされる。
割れたガラス窓のすぐ傍から、展望室の内側へ。
なんとか空中で体制を整え着地を果たすと、ポチはベリアルを睨み上げた。

「この……この、ゲス野郎め!よくも、こんな真似を――!!」

ポチは、獣だ。善悪について深い拘りなどない。
だが――愛に関しては、違う。それが最も価値のあるものだと信じている。
ベリアルはたった今、それを踏みにじった。
それを自ら育み、それがどれほどの価値があるものなのかを知った上で。

レディベアから、深い失意の――絶望のにおいがする。
それが、ポチの怒りを駆り立てる。
怒りが全身の毛を逆立てる。漆黒の妖気が膨れ上がる。

>「クカカカカ!
>言っただろう?『準備は整った』と!『刻は満ちた』と!
>それは『誰がどんな手を尽くしたとしても、すでに手遅れ』という意味なのだヨ!
>吾輩に触れさせなければ、彼女を守れると思ったかネ?盾となって吾輩の前に立ちはだかれば防げると!
>ノン!最早、何者にも力の解放を阻むことはできない――この吾輩にもネ!
>さあ……地獄の扉が開くヨ、待ちに待ったお楽しみの瞬間だ……クカカカカッ!カハハハハハハハハーッ!!!」

「黙れ!まだだ……今からでも遅くない。お前をぶっ殺して、全部終わらせてやる!」

割れた窓の外へと跳躍したベリアルを仕留めるべく、ポチが床を蹴る。
だが――レディベアから溢れ続ける妖力がそれを阻む。
黄金の爪を床に突き立てて、強引に踏み止まる。床が引き裂けて、押し戻される。
不在の妖術で姿を消して、前へ。しかし――遠すぎる。
一呼吸で詰め寄れる距離ではない。近づいた分だけ妖力の波濤は勢いを増す。
すぐに大きく吹き飛ばされてしまう。

>「龍脈よ!この惑星を駆け巡る無尽の活力よ!
>われに力を与えよ、忌まわしき神によって奪われし力を!星を統べる全知の権能を!!
>今こそ、ふたたびわれに与えせしめよ――――!!」

東京の空が極彩色に塗り潰される。
祈から奪われた龍脈の神子の因子が、ベリアルへと取り込まれる。
ブリガドーン空間が、ベリアルの支配下へと置かれる。
龍脈の力が渦を巻いて、その体へと吸い込まれていく。

「クソ……クソッ!ノエっち!君の妖術なら……やるんだ!あいつを殺――」

そして――不意に、ポチの視界に眩い光が映った。
目が眩みながら、それでも敵から視線を外すまいと、細めた目でベリアルを睨む。
ベリアルは――光り輝いていた。
血色のマントは、純白に輝く八枚羽に。シルクハットは、天使の光輪と金色の髪に。

>「ベリ、アル……様……」

瞬間、ポチは野生の本能をもって悟っていた。
自分では――自分達では、こいつには勝てないと。

208ポチ ◆CDuTShoToA:2020/10/10(土) 08:00:20
>「ベリアルゥゥゥゥゥゥゥゥ―――――――――――――ッ!!!!」
>「っ――――馬鹿野郎!先走るな!!」

そして、その直感は正しかった。
あらゆる妖魔を滅ぼす聖人の刃、『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』は、ベリアルの眼差し一つで無力化された。
たった一人で陰陽寮を制圧し、東京ブリーチャーズを圧倒した、あのローランの必殺の奥義を、眼差し一つで。

>「君たちはよくやった。
> この私を相手に、よくここまで食い下がったものだ。称賛するよ……君たちは正真正銘の英雄だ。
> しかし、もう終わりにしよう。
> 私はこの世界を創り変える。取り戻した権能を用い、我が父が七日を用いて為したように。
> 闇が光を凌駕し、悪が貴ばれ、破壊と殺戮が善とされる世界へ――」

ポチは動けない。夜色の毛皮は今も逆立っている――だが、それはもう、怒りの為ではない。
戦慄と、緊張と、畏怖が、ポチを支配していた。

>「ならば……ああ、そうだな。
> これからはこう名乗るとしよう。
> 私は神の真逆を往く者。神の創り給うた世を終わらせ、この星に新たなる秩序を築くもの」
>「我が名は『終世主』――アンテクリスト」

幸いな事に、ベリアル改めアンテクリストは、最早ブリーチャーズへの興味を失っていた。
その事に、ポチはなんとか怒りを覚えようと必死だった。
ここで安堵しては、狼の王ではいられなくなる。
故に、ポチはなんとか牙を剥き、眩く輝く終世主を睨み上げ――

>「…………逃げましょう」

背後から声が聞こえた。

>「駄目だ……、駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!!
>完全に見誤っていた……、彼の力を!解放された神の長子の能力……その全貌を!
>あれは……戦っちゃ駄目な相手だ!」

それから、なりふり構わず駆け出す音。
緊張と畏怖のあまり、気づけなかったが――橘音もまた、この状況に恐怖していたのだ。
いや、むしろ――ポチよりもずっと、アンテクリストに畏れを抱いてさえいた。

「……そうだね。一時、撤退だ。流石に……相手が悪いや」

なんとか平静を取り戻してそう言うと、ポチは撤退する皆の後に続いた。
そうして非常階段を、最上階から一階まで全速力で駆け下りる。
エントランスホールを確保していたシロは、ポチを見るや否や、そちらへ駆け寄った。

「シロ!すぐにここから――」

>「あなた!皆さん……ご無事で……!」

そうして、その矮躯を強く抱き締める。
アザゼルとの戦いで負った傷により、ポチの毛皮は自らの血に汚れ、固まっているが――
シロがポチを抱き締めたのは、それが理由ではないだろう。
今もなおポチが纏う、血よりも強くにおい立つ、畏怖の感情。
シロはそれを嗅ぎ取ったのだ。

「う……」

シロのぬくもりと、におい。
自分がそれらに強く安堵してしまっている事を、ポチは自覚していた。
逃げ帰ってこられた。生きてもう一度会えた。たったそれだけの事に、安堵してしまっていた。

「僕は……僕は、大丈夫。見た目はともかく、大した怪我はしてないから。でも、まずは――」

>「話はあとにして下さい!ここから出ます!」

「そう、そうなんだ。一度、ここを離れないと……」

まずは、一度――あくまでも再戦の意思を示す。
狼の王が、ただ逃げて終わりでいいはずがないと。
だが、一体どうすれば、あの終世主を討ち果たせるというのか。
その方法は――まるで、見当もつかなかった。

209ポチ ◆CDuTShoToA:2020/10/10(土) 08:01:39
ともあれブリーチャーズは都庁の外へ出た。
そこには富嶽と晴朧、彼らが率いる人妖――他にも大勢の援軍がいた。
だが――見知った彼らの顔を見ても、ポチが安堵や希望を感じる事はなかった。

むしろ、こう考えてしまう――彼らの内、何人がここから無事に逃げられるだろうと。

>「どうやら、あまり状況は良くないようぢゃの。
> さしあたり、日明連の方々と儂ら日本妖怪とで都庁周辺に結界を敷いたが――。
> これからどうすればよい?三尾、策をよこせ」

ふと、富嶽が問う。それは当然の問いかけだった。

>「富嶽殿の仰る通り。三尾殿、知恵をお貸し願おう。
> 知恵者で知られた貴殿ならば、この状況も想定の範囲内なのであろう?
> ここが日ノ本存亡の天王山。敗北することは許されん」

晴朧がそれに続く。これも、当然の反応だ。
この不可解な状況で、赤マントへの知見が最も深い橘音を頼る事は、当然だ。

「……待って。橘音ちゃんは……今、少し混乱してるんだ……」

だが――ポチは既に知っている。那須野橘音がずっと纏っている、においによって。
彼女の心が――既に折れてしまっている事を。
故にポチは、お茶を濁そうとした。この期に及んで、それがどんなに間抜けな試みかは分かっていた。
それでも――

「橘音ちゃん、少し頭を冷やそう。一旦落ち着いて――」

>「さ……、

「っ、やめろ!言うな、橘音ちゃ――」

>作戦は……ありません……」

那須野橘音の口から、こんな言葉を皆に聞かせるよりは、ずっとましな試みのはずだった。
それに――ポチ自身も、聞きたくなかった。

>「作戦?作戦ですって?そんなものあるワケがない、あったところで通用するハズがない!
>ボクは侮っていた、甘く見ていた……彼の、真の力!解放された権能のレベルを……!
>神の長子なんて言ったって、修行して極限まで強くなったボク達なら、楽勝とは行かないまでも充分勝てると。
>これだけの精鋭と頭数なら戦いを優位に運べるはずと。そう楽観視していた……!
>でも違う、そんな生易しい話じゃなかった!
>あれは……あれは『神の長子』なんてものじゃない!あれは――」
>「あれは。神そのものだ……!」

必死に目を逸らそうとしていた事実を、突きつけられたくなかった。
赤マントが言っていた通り――この状況はもう、詰んでいるのだと。

>「勝てねぇってこと……?」

ポチは右手で両目を覆い、項垂れ、深い嘆息を零した。

210ポチ ◆CDuTShoToA:2020/10/10(土) 08:03:06
>「魔法陣……だと!?」
>「あれ悪魔か!? 数え切れねー数だぞ!?

不意に、都庁上空に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
そこから降り注ぐ無数の悪魔。
ポチは――動かない。

元々、ポチは飛行する敵への攻撃手段が乏しいが――動かない理由はそんな事ではない。

『――これから、どうするつもりだ』

「……どうするって?」

『獣』の問い。ポチの消え入るような声。

『これからどうなるか。新たな神は既に予言した』

「……ああ」

闇が光を凌駕し、悪が貴ばれ、破壊と殺戮が善とされる世界。
アンテクリストは世界をこう作り変えると言った。
ならば、世界はその通りになるのだろう――それが、神の御業というものだ。

>「あれ悪魔か!? 数え切れねー数だぞ!?」

『どう動くにしても、早い方がいい』

善と悪がひっくり返った世界で――この場にいる人間の殆どは長く生きられずに死ぬ。

ポチが知っている人間社会は、その全体のほんの一部だ。
それでもポチは知っている。
人間は毎日数え切れないほどの車を走らせている。
スーパーマーケットや病院には毎日大勢の人間が通っている。
きれいな水と快適な空気を作る事が出来る。
大抵の人間はそれらの恩恵を受ける事が出来て、そうして生きている。

あの悪魔達は、そうした人間達が築き上げてきたものを、たった一日で全て台無しに出来るだろう。
それを止めるには、この場にいる者達はあまりにもちっぽけだ。

>「くそっ」
>「これならどうだ! “禹歩”!」

祈が、陰陽師達が、力を尽くして悪魔の群れを止めようとしている。

>「祈ちゃんナイス! エターナルフォースブリザード!」

ノエルの妖術は一度は悪魔の群れを薙ぎ払う事に成功した。
だが――それも一時しのぎにしかならない。
悪魔は無尽蔵に魔法陣から落ちてくる。

>「結界、持ちません!!」

人間社会は終わる。朝も夜も、あらゆるところから悪魔が襲い来る世界になる。
そうなった時、この場にいる人間達は果たして何日生きられるだろう。
どうせすぐ死んでしまうなら――ここで見捨てても同じ事ではないか。
『獣』がそう言っている事を、ポチは理解していた。

シロとふたりでなら、ポチは終わった世界の中でもきっと生きていけるだろう。
そして余計な足枷がなければ――生き残れる確率は、より高まる。

ふと、ポチは尾弐を見上げた。尾弐から、においがする。
諦念のにおいだ。
ポチには、尾弐が考えている事がなんとなく分かった。
自分も同じだからだ。
どうせ終わってしまうなら――せめて死にたくない。
シロを、死なせたくない。

「……あのさ」

ポチが口を開く。尾弐の名を呼ぼうと。
あのさ、尾弐っち。手を組もう。悪い話じゃないはずだ。
そう言おうとして――

>「しっかりしろ橘音! それでも帝都一の名探偵かよ!!」

不意に、祈の声が聞こえた。
力強い、しかし怒りを込めたものではない、激励の声。

211ポチ ◆CDuTShoToA:2020/10/10(土) 08:04:32
>「尾弐のおっさんと幸せになるんだろ!? いいのか!? 
>尾弐のおっさんが殺されて、尾弐のおっさんを見るのが最後になっても! みんな死んじまっても!」

それは橘音に向けられた言葉だったが――ポチの心にも、深く突き刺さった。
どうせすぐ死んでしまうなら、ここで見捨てるのも仕方ない。
そう納得しようとしていた事を――このままでは皆が死ぬという事実を、突きつけられた。

それでいいのか――考えてしまった。

シロは、もし自分が逃げようと言えば、きっとそれを受け入れてくれる。
ただの獣として生き延びる道を、共に歩んでくれる。
多くの知己を失う事にも、悪魔の血肉を啜る事になるような生き方にも耐えてくれる。

しかし――それでいいのか。それが、シロと一緒に掴みたかった未来だったか。
考えてしまった――そんな訳がない。

――だけど、今更僕らに何が出来る?

ポチは必死に、その考えを掻き消そうとする。
ここにいる誰にも死んで欲しくない。そんな未来が欲しかった訳じゃない。
それがどうしたと。そんな事を言っても現実には、自分達にはもう勝ち目などないのだ。
せめて、せめてシロだけは死なせてはならないんだと。

>「つーか、作戦が浮かばねぇんだったら、あたしらを頼れ! あたしらは仲間だろーが!」
>「そうだね、橘音くんはもう無力な子狐じゃないし童もあの日の雪ん娘じゃない」
>「童にはこの力があるもの」
>「なぁ! こんなときだからこそ、みんなで考えよう!
> みんなの知恵と、力を合わせるんだよ!」

けれども、どうしても祈の声が――それでいいのか、という問いかけが頭の中から追い出せない。

>「ポチ助。惚れた弱みってのは辛ぇモンだな……明日、女が笑ってる未来の為なら神サマでもぶん殴る力が湧いてきちまう」

「……あはは。尾弐っちは、そういうとこあるよねえ……」

そう言って、ポチは苦しげにだが――笑った。
今にも泣き出しそうな笑みだった。実際、泣き出したい気持ちだった。
ただ、狼の体には恐怖や悲しみによって涙を流す機能がないから、泣けないだけで。

「だけど……そうだね。まだ、何かやれる事がある……かもしれない……」

>「たとえばあたしは……たぶんだけどまだ龍脈と繋がってる! これ、使えないかな!?」
>「それから、妖怪大統領とか。あたしはあいつ、“いる”と思ってんだよ!」
>「だから――【妖怪大統領に、内側からアンテクリストを攻撃してもらう】ってのは?
>レディベアだったら起こせるんじゃねーかな……そもそも、いるかどうかは賭けだけど」
>「みんなはなんかない!?」

祈が必死に案を述べる。

>「いいね! 妖怪大統領を叩き起こそう!
>もしもいなかったら……その時はハッタリを貫き通していることにしてしまえばいい。
>バックベアードの正体を知ってるのはまだ私達だけだよね。
>ベリアルがレディベアにやったみたいに、アバターで日本中の妖怪を騙してみるのは?

ノエルがそれに続く。

>「……これだけ力量差があると、人柱を立てて封ずるってのも無理そうだな」
>「情報を拡散するってなら妖怪に頼むより人間に頼むのはどうだ? 聞いたところ、最近のインターネットってのはすげぇんだろ?」
>「群衆をぶつけて為政者を引きずりおろすのは人間のお家芸だ。77億のそうあれかしをぶつけりゃあ意外に何とかなっちまうんじゃねぇか?」
>「それこそ、仮に存在していなかったとしても、願いでバックベアードを産み出したり……な」

尾弐もやっと調子を取り戻した。

212ポチ ◆CDuTShoToA:2020/10/10(土) 08:07:54
>「……ま、所詮は素人考えだけどな。ポチ助はどうだ?お前さんならもっと良い考えもあるんじゃねぇか?」

「……よしてよ。僕じゃ何も分からないよ」

その中でポチだけが、まだ煮え切らずに――煮え切れずにいた。

「だって……橘音ちゃんでも、何も思いつかなかったんだよ?
 僕だってこんな事、言いたくないよ。でも……夢を見たって、仕方ないんだ。
 僕らが思いつくような事を、橘音ちゃんが……例え混乱していたって、考えなかったと思う?」

そう言って両手で頭を抱えるポチは、酷く苦しげだった。

「……まだ、ミハエルの援軍は期待出来るはずだよ。あいつが、この異変に気づかない訳がない。
 御前だって……流石にこの状況でなんにも手を貸してくれないなんて事は……。
 いや……少なくとも何か、契約を結べば……その分くらいは手を貸してくれる……かもしれない」

こんな事言いたくない。それは本心からの言葉だ。

「レディベアを起こしたいなら……橘音ちゃんを生き返らせた時のやり方はどうかな……。
 祈ちゃんの力があれば、今ここでも、あの時より楽に儀式が出来るかもしれない。
 運命変転の力で直接どうにか出来るなら、それが一番なんだけど……」

なんとか出来るものなら、なんとかしたい。

「それに、天羽々斬……祈ちゃんのおばーちゃんなら、取ってこれるよね?
 クリスと戦った時の、あの剣も。あの三本は天使の力なんて全く関係ない。だけど、神気の力は宿ってる。
 祈ちゃんの力なら、あれをもっと強く出来るだろうし……ローランや天邪鬼なら、それを上手く使えるかも」

だが、その為に思考を巡らせれば巡らせるほど、思い知る事になる。

「……でも、こんな事。橘音ちゃんならすぐに思いついたはずだ」

ポチがわなわなと震えながら、両手で顔を覆う。
それに――この状況が絶望的である理由は、もう一つある。何故なら――

「それに……いもしない神様をでっち上げて、その力を利用する……
 もしかしたら、それは上手くいくかもしれないよ。
 でも……きっとアイツには及ばない。だって……それは、アイツが選ばなかったやり方だから」

ベリアルとて深謀遠慮を経た上で、今回の方法でブリガドーン空間を制したはずなのだから。
もっと効率的な方法はないか。この方法が駄目だった時の為の、次の手はないか。
そうして考えて考えて考え抜いて、ベリアルが最後に辿り着いたのが、人間の赤子を利用する事だったに違いないのだ。
今更、即席でベリアルの試行錯誤を上回ろうなど――甘い考えだ。

「だったら、今更僕らが何を考えたって――」

しかし、そこで不意にポチが止まった。
それから――ふと、レディベアを見た。次に祈を。

「いや……だったら――でも、そんなの、変だ。なんでアイツは……」

そうして何か思い詰めたように口走る。

「……なんで、アイツは僕らを殺さなかったんだろう。レディベアを、祈ちゃんを、生かしておく理由なんてなかったのに」

龍脈の神子に、ブリガドーン空間の器。
それらを揃えて生かしておけば、後の災いになるかもしれない。
何故、ベリアルはそれらを生かして帰したのか。

「神となってからのアイツは、僕らに興味なんかなさそうだった。
 でも、まだ赤マントだった時は?別にあの時に僕らを殺したって良かったのに。
 むしろ……そうした方がアイツ好みの、最悪の結末だったはずなのに」

疑問の答えはすぐに思い浮かぶ。
殺さなかったのではない。殺せなかったのだ。
ベリアルは尾弐とポチの不意打ちに反応出来ず、一度殺された。

213ポチ ◆CDuTShoToA:2020/10/10(土) 08:10:19
「いや……違う」

もし出来るなら、あそこでポチを返り討ちにしても良かったはずだ。
仮に魂が半分しかなかったからだったとしても――その後も、ベリアルは不意打ちを試みようとすらしなかった。

「あいつは、僕らを殺せなかった。それに……元々の自分がどんなだったのかも、忘れていた。
 だから……力を取り戻した後の自分が僕らを殺そうとしないなんて、考えられなかったのかも……」

だとしたらベリアルは――たった一つだけ、ミスを犯したのかもしれない。
ポチが、ずっと両手で覆ったままだった顔を上げた。

「なのに、アイツは僕らに勝ち誇った。自分がどんなに上手に仕事をしてのけたのかを。
 だったら……ああ……みんな、ごめん。僕、さっきまでずっと怖気付いてた。
 もうとっくに、祈ちゃんがそう言ってくれてたのに」

ポチの思考が回り始める。

「そうだ、そうだ……!力を合わせればいいんだよ!二つの力を!僕らのやり方と――アイツのやり方を!
 ブリガドーン空間の器であるレディベアが、龍脈の力を使えれば――アイツがした事と、同じ事が出来るかもしれない!
 奪う事が出来たなら、分け与える事だって……祈ちゃん、出来ないかな!?」

今まで生きてきた中でどんな時よりも早く回転する。

「人間達の『そうあれかし』と、ブリガドーン空間と龍脈の力!
 それだけの力があれば……きっと、妖怪大統領を目覚めさせる事も、ゼロから生み出す事だって出来るよ!
 アイツが広げたブリガドーン空間で、アイツの首を絞めてやれる!」

だが――そこで一度、ポチの言葉が途切れた。

「――赤マントのやり方をやり返すなら、レディベアには……嘘をついた方がいい。
 妖怪大統領は、いるかもしれない……じゃない。いるんだって信じてもらった方が。
 声を聞いたとか。ほんの少しだけど、においがしたとか、そんな事を言って」

そして祈を再び見上げる。それから、ローランを。

「でも……それは、僕が決めていい事じゃない」

214ポチ ◆CDuTShoToA:2020/10/10(土) 08:12:37
これで、言うべき事は全て言い終えた。
ポチは目を瞑る。己の内に在る『獣』を意識する。

「……そういう事だからさ。安全策は、なしだ……悪いね」

『悪いね?一体、誰に謝っている?俺は……とうの昔にお前だろうが。
 好きにすればいい……お前の分の悪い賭けは、何故だかこれまで全て、上手くいってるしな』

「……確かに」

ポチが、やっと自然に――軽やかに笑う。
そして――シロを振り返って、見上げた。

今までで最も危険な戦いになる。今度こそ本当に死ぬかもしれない。
そんな戦いを前にして、唯一の同胞、最愛のつがいに――何も言わずになどいられない。
だが――

「……何を、言えばいいのかな。決められないや」

ポチが困ったように笑う。それから――

「えと……ごめん、情けないとこを見せちゃった」

つい先ほどの自分の失態を思い出して、詫びる。
この状況で、不安なのは自分だけではなかったはずなのに――感情をコントロール出来なかった。

「それと……愛してる」

そんな事、今更言わなくともお互い知っている。
もっとも――だとしても、何度でも伝えたい言葉ではあるが。

「……もし、もしも僕がやられても……ごめん、これはやっぱりなし」

もし自分がやられても、生きる事を捨てないで欲しい。
そんな事、もしポチが言われたとしても拒むに決まっている。

ポチが黙り込む。己の想いをどう伝えればいいのか、分からないまま。
勝てるか分からない。でも逃げたくない。
己の決断に巻き込む事を謝りたい。けれど、巻き込んだなんて他人行儀だ。
死んで欲しくない。だけど、一人で生き延びるなんて嫌だ。
愛している。誰よりも大切に思っている。それでも共に戦って欲しい。
ふたりで幸せになりたい。叶わないかもしれない――そんな事、もしもの話でも口にしたくない。

「……ずっと、一緒にいよう。ずっと一緒だ。何があっても」

結局――ポチはそんな事を言うのが精一杯だった。
狼の愛に形を与えるには、言葉はあまりにも頼りなかった。

215那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:50:53
死と、破滅と、絶望。
地獄が、天から降ってくる。

「なんだあれは……!?」

「う、うわああああッ!バケモノだあッ!」

「助け……、助けて……ッ!」

「や、やめろッ!こっちに来るな!ぎゃああああああッ!」

たった今まで普通の、なんの変哲もない日常を謳歌していた人々のところへ、滅びが舞い降りる。
悪魔という名の天使がやって来る――。

日常が非日常に塗り替えられる。希望が絶望へと変転する。
繰り広げられるのは、有史始まって以来の大殺戮。
悪魔たちの牙が、爪が、その手に持った剣が、槍が、刺叉が。
無差別に、平等に、分け隔てなく人々を傷つけてゆく。

「殺さないで……いや、やだッ、ゆるし……ゴボッ……」

「なんで……なんでこんな……ああ……」

「俺の、俺の腕がああああ!!」

「おかあさん……おかあさぁん……!うわあああああん……」

極彩色に染まった空が、ぐるぐると円を描く。螺旋を辿る。
それはまさしく、世界が変わってゆくことの証明。今まで常識とされてきたものが退けられ、魔が顕現する証左。
今まで人々が、否――生きとし生けるものすべてが『悪しきこと』として忌避していたもの。
それが顔を出す。世の表層に現れる。現界する。

新しい秩序として。

東京にいる者たちが、空を見上げる。禍々しく混ざり合わぬ色彩を持て余し、生き物のようにうねる空を。
魔法陣から降ってくる、何十万何百万もの『御遣い』を。
悲鳴。怒号。断末魔。
耳を覆いたくなるような犠牲者たちの怨嗟の声が幾重にも谺する中、人々は聞いた。
確かに耳にした。それは――


諸人こぞりて 迎え祀れ
久しく待ちにし 主は来ませり
主はきませり 主は 主は きませり

聖なる社を 打ち砕きて
虜を縊ると 主は来ませり
主はきませり 主は 主は きませり

この世の光を 散らし給う
真なる闇夜の 主は来ませり
主はきませり 主は 主は きませり


「……歌って……いる……」

ローランが驚愕に双眸を見開きながら、呆然とした口調で呟く。
東京ブリーチャーズの、陰陽寮の、妖怪たちの。そして都民たちの耳に入ってきたのは――

歌、だった。

そのメロディは、きっと誰もが聴いたことがあるだろう。
クリスマスの時期には必ずと言っていいほど街頭に溢れ、その由来は知らずとも皆が口にする、
世界でもっとも有名な『讃美歌(キャロル)』のひとつ。

“もろびとこぞりて”。

それを、悪魔たちが歌っている。地獄から訪れた百万を超える数の御遣いが。
しかし――『それ』は天の至高の座におわす神を讃えるものではない。
この世界の、新たな神の来臨を寿ぐもの。


輝く心の 花を枯らし
嘆きの露おく 主は来ませり
主はきませり 主は 主は きませり


滅びの君なる 神子を迎え
諸悪の主とぞ 褒め讃えよ
褒め讃えよ 褒め 褒め称えよ――


自分たちの新たなるあるじ、終世主アンテクリストを讃える歌を口にしながら、悪魔たちが人々に襲い掛かる。
嗚呼、此れぞ旧き世界の終わり。悪を是とする新たな世界の誕生。



反創世『アンチ・ジェネシス』。

216那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:51:43
>しっかりしろ橘音! それでも帝都一の名探偵かよ!!

祈が橘音の胸倉を掴み上げ、顔と顔とを突き合わせる。
橘音は為すがままだ。心はとっくに折れている。

>尾弐のおっさんと幸せになるんだろ!? いいのか!? 
 尾弐のおっさんが殺されて、尾弐のおっさんを見るのが最後になっても! みんな死んじまっても!

「……い……、祈ちゃんに何が分かるんです!
 アナタはあれの強大さがよく分かっていないから、そんな向こう見ずなことが言えるんだ!
 ボクだって華陽宮で三百年も修行してきた!たいていの妖怪ならひとりで打ち破れるくらいに強くなった!
 でも……だからこそ分かる……分かってしまう……!
 彼我のレベルの違いが!圧倒的なんてものじゃない、その力の差が!
 アリの世界で一番強くたって、人間には絶対に勝てない!」

祈に負けない激しさで、橘音は反論した。
そう。橘音は強くなった。二ヶ月前とは比較にならないほどに。
妖力も、身体能力も、感覚器も、すべてが以前よりも遥かに強化された。
だが、そうして齎された視野の広さが、危機感知能力の鋭さが、逆に仇となってしまった。

「クロオさんだって、ポチさんだって、理解してるはずです!
 あれには……神には勝てない!ボクたちの知ってる赤マントは、ベリアルは、もうどこにもいない……!
 あそこにいるのはそんなんじゃない、正真正銘の神だ!
 ボクたちの修行は対ベリアルを想定してのもの……、神に勝つためじゃない……!」

そうだ。尾弐もポチも、アンテクリストの強大さを嫌というほど肌で感じているはずだ。
だからこそ黙っている。橘音に対して、そんなことないと強弁することができない。
もちろん、尾弐とは一緒にいたい。百年以上の時を経て、ようやくお互いの気持ちに素直になれたのだ。
やりたいことは沢山あるし、諦めてしまいたくもない。
彼と手を繋いで、ずっとずっと。この先の時間を共に歩いてゆきたい――。

でも。

これほどまでに圧倒的な力を見せつける『神』を前に、そんな夢語りがいったい何の役に立つだろう?
中途半端な希望はより深い絶望の呼び水となるだけだ。
それならば最初から希望なんてものは抱かず、早々に諦めてしまった方がいい。
強大な敵を前にして逃走を図るのは、生命体として当然の行為だ。
むしろ、勝ち目がないのを承知で挑むことの方が愚かであろう。

>つーか、作戦が浮かばねぇんだったら、あたしらを頼れ! あたしらは仲間だろーが!
>なぁ! こんなときだからこそ、みんなで考えよう!
>みんなの知恵と、力を合わせるんだよ!

「無理だ……無理なんですよ……。
 ボク達程度の力で、神に刃向かおうだなんて……」

祈に何を言われようと、一度折れてしまった心をふたたび屹立させることは不可能だった。
橘音は両手で頭を抱えると、身を小さく縮こまらせた。

「橘音……」

「……三尾でもお手上げとはの」

颯と富嶽が橘音の様子に無念そうに呻く。
この場で一番の知恵者が無理だと言っているのだ。ならば、自分たちに妙案など思いつくわけがない。
しかし――
リーダーがその無限の絶望に慄くのをよそに、祈は必死で自分を、仲間たちを鼓舞し続ける。
あたかもそれが、龍脈の神子の宿命だとでも言うように。

>たとえばあたしは……たぶんだけどまだ龍脈と繋がってる! これ、使えないかな!?
>それから、妖怪大統領とか。あたしはあいつ、“いる”と思ってんだよ!
>だから――【妖怪大統領に、内側からアンテクリストを攻撃してもらう】ってのは?
>レディベアだったら起こせるんじゃねーかな……そもそも、いるかどうかは賭けだけど
>みんなはなんかない!?

祈が叫ぶ。仲間たちに、起死回生の妙案がないかを募る。

>いいね! 妖怪大統領を叩き起こそう!
>もしもいなかったら……その時はハッタリを貫き通していることにしてしまえばいい。
>バックベアードの正体を知ってるのはまだ私達だけだよね。
>ベリアルがレディベアにやったみたいに、アバターで日本中の妖怪を騙してみるのは?
>どうにか起こせないかな……

祈に触発されるように、ノエルもまた自分の思い付きを口にする。
このまま終わって堪るかと。最後まで抗ってみせると、全身で示している。

217那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:52:22
だが、祈の提案もノエルの思い付きも、所詮は希望的観測に過ぎない。
口にした作戦が成功する可能性は甚だしく低い。いや、失敗する目算のほうがずっとずっと高いだろう。
尾弐はそれを膚で、心で、魂で理解しているはずだ。
アンテクリストが手に入れた力の強大さを。地上に現界した新たなる神の酷薄さを。
この世界が、もう既に“詰み”の段階に至っていることを――。

しかし。

>……これだけ力量差があると、人柱を立てて封ずるってのも無理そうだな
 情報を拡散するってなら妖怪に頼むより人間に頼むのはどうだ? 聞いたところ、最近のインターネットってのはすげぇんだろ?
 それこそ、仮に存在していなかったとしても、願いでバックベアードを産み出したり……な
 俺なんざの声は届かなくても、嬢ちゃんの、ノエルの、ついでにローランの声なら届くかもしれねぇ」
 問題はアンテクリストの野郎だが……本気で妨害してくるなら別だが、奴さんは力を手に入れてご満悦みてぇだからな。
 レディベアに興味を向けてねぇ以上、祈の嬢ちゃんの龍脈の神子としての力と、願いの総量で無理やりぶち抜けるだろ

橘音の前に立つと、尾弐はそう言って祈とノエルの作戦会議に参入した。
そんなことは悪あがきでしかないと、理解しているのに。
どんな作戦を考えたところで、巨大な波濤の前には小さなさざなみなど瞬く間に掻き消されてしまうというのに。
それでも――

>時間が必要だってなら俺が稼いでやる。こう見えて全うに修行したんでな。
 例えアンテクリストの野郎が世界を滅せる様な攻撃を仕掛けてきても、今の俺なら多少は何とかしてやれる筈だ
 絶望は深いかもしれねぇが、それでも誰かが手を差し伸べてくれれば必ず光は射す――――
 他ならぬ、絶望に浸かり続けた馬鹿な鬼が言うんだから間違いねぇよ

そうだ。
尾弐は千年の間、地獄もかくやという絶望の中にいた。憤怒と、憎悪と、慟哭に身を焼かれ、のたうち苦しんできた。
身も心も燃えて、爛れて、腐って――最後に『無かったこと』になることだけが、尾弐の希望だった。
けれど、そんな尾弐は仲間たちと歩む戦いの果て、新たな希望を見出した。
1000年の苦患の末に、1001年目の未来を手に入れたいと。そう願ったのだ。
新しい願いはこれから、ずっとずっと。愛と祝福のもとに受け継がれていくべきものだ。
こんなところで無慈悲な神によって摘み取られていいものではない。

>さて、橘音……俺は、お前さんに一緒に逃げようとか、後は任せろなんて事は言えねぇ
 何せ俺は、酒が好きでガラスの腰をしたダメ男だからな。
 この期に及んで一人で全部を背負って万事解決出来る程の甲斐性はねぇんだ
 そんな、お前さんがいねぇとまともに生きる事もできねぇ俺が言ってやれるのは、これだけだ

自らを抱き締めて震える橘音を見ると、尾弐はその肩にそっと手を触れた。

「……クロオ、さん……」

橘音がおずおずと顔を上げる。
今となっては、この世界にあの神に匹敵する力を持つ妖怪などは存在しない。
御前をはじめとする伝説級大妖怪はもとより、ゼウスやオーディンといった海外の主神級も、きっと勝てない。
それほどまでの力を、アンテクリストは手に入れた。――手に入れてしまった。
最強の神を相手に、尾弐の言い分が不甲斐ないとか、情けないなどと、言えるはずもない。
嗚呼、それならば。
いっそ、一緒に抱き合って。愛の言葉を交わしながら、最期の刻を迎えようと。
そう言ってくれたなら――

>橘音。お前さんの重荷は、俺が一緒に背負う
 だから、俺が頑張るために俺と一緒に頑張ってくれ

けれど。
尾弐が口にしたのは、そんな諦念の言葉などではなかった。
まだ戦う。戦える。
万策尽きたと言うには、まだ早い。生きることを諦めて、潔い死を迎えるには――この身には、まだまだ力がありすぎる。
例え無駄であったとしても。無益に終わったとしても。
試せることをすべて試してからでなければ、納得などできない。
一緒に戦おう、背負わなければならないものがあるのなら、分け合おう。パートナーとはそういうものだ。
諦めるのは、それからでも遅くない――
橘音には、尾弐がそう言っているように聞こえた。

「ボ……、ボクは……」

橘音は唇を震わせた。
世界の平和のために、無辜の人々のために、過去に犯した罪の償いのためになんて、戦えない。
だが、尾弐はそれでいいと言っている。そんな大層なお題目のために戦う必要なんてないと。
最後の戦いは、目に見えない大義のためではなく――尾弐黒雄という男のために戦ってほしい、と――。
そして。

>この戦いが終わったら――――結婚してくれ。橘音

尾弐の紡いだ言葉に、橘音は半狐面の奥で大きく目を見開いた。

218那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:52:59
幸せなんてものは、自分には永遠に手に入らないと思っていた。
生まれて間もなく両親を喪った。天涯孤独の身で、同族からも人間からも疎まれて過ごした。
やっとできた唯一のともだち、みゆきとも死に分かれた。天魔に転生し、世のすべてを呪って殺戮を繰り返した。
我が身の罪の重さに気付き、救いを求めた。御前の手駒となって、遮二無二奔ってきた。
東京ブリーチャーズを結成した後は、颯を喪った。晴陽を見捨てた。祈に寂しい幼少期を強いた。
雪の女王と共謀して、ノエルを記憶を奪われたみゆきと知りつつ他人の振りをした。
ポチがようやく巡り合った同族シロを救えず、一度はロボの牙にかけてしまった。
……過ちばかりの生だった。

尾弐にずっとアプローチしていたのは、絶対に手に入らないものに対する憧憬のようなものだった。
年端も行かない少女が、ショーウィンドウの向こうのビスクドールへ手を伸ばすように。
人並みの幸せなんて、手に入れられる筈がない。自分は罪びとで、そんなものを手に入れる資格も、能力もない。
でも、せめて。手に入らないなら、憧れたっていいでしょう?
そう思っていたのに。

「………………」

ぼろぼろと、橘音の双眸から大粒の涙があふれる。頬を伝い、仮面の隙間からとめどなく零れて落ちる。
絶対に手に入れられないと思っていたものが、目の前にある。
差し伸べられている。もう、すぐに触れられる場所に。
焦がれた。求めた。心の底から欲しいと思った。
愛する男と共に笑い合える未来が、其処に――

「……フ……フ……。
 ……ズルいなぁ……クロオさんは。
 この期に及んでそんなこと言って……ボクに、どういうリアクションを期待しているんです……?
 こんなどうしようもない状況で。とっくに終わってしまってる、どう考えたってゲームオーバーな様相で――」

橘音はいっとき俯くと、肩を震わせて小さく笑った。
だが、それは尾弐の言葉を死の間際の気休めと受け取ったのではない。

「そんなこと言われちゃったら……、どうでも、頑張るしかないじゃないですか……!」

ひとりでは戦えない。世界のためでも、大義のためでも、奮い立てない。
けれども――生涯にただひとりと決めた、最愛の男のためなら。
雪の降りしきる劇場で出会って以来、ずっと心に抱いてきた尾弐への愛情が。
二千年の間師事した天魔の王。創世の神への恐怖を上回ったのだ。
右腕の袖でぐいっと目許の涙を拭うと、橘音は尾弐と顔を見合わせ、

「プロポーズ、お受けします。
 一緒に……幸せになりましょうね」

そう言って、にっこり笑った。

>神となってからのアイツは、僕らに興味なんかなさそうだった。
 でも、まだ赤マントだった時は?別にあの時に僕らを殺したって良かったのに。
 むしろ……そうした方がアイツ好みの、最悪の結末だったはずなのに

そうこうしている間にも、作戦会議は進んでゆく。
作戦を考えるうちにポチが指摘したのは、アンテクリストとなったベリアルの思考の変化だった。

>あいつは、僕らを殺せなかった。それに……元々の自分がどんなだったのかも、忘れていた。
 だから……力を取り戻した後の自分が僕らを殺そうとしないなんて、考えられなかったのかも……

「……そうですね。ボクの知っている彼は、皆さんもよく知るあの下卑た笑い声の怪人だった。
 なのに、アンテクリストとなった彼は……ほとんど別人と言ってもいい。
 あれが本来の彼の性格だったのでしょう。彼は元々、天使たちの長だった。高潔な人物だった。
 強大な力を取り戻した今、彼はかつての思考と性情まで思い出してしまった」

橘音が頷く。
ベリアルだった頃はあれほど酷薄で、残忍で、無情だった男が、アンテクリストになった途端にそれらのことをしなくなった。
自分が手を下す必要などないと思っているのか、それとも――。

「天使には、唯一絶対とも言うべき『そうあれかし』があります。
 それは『自らの権能に忠実であること』。天使には九つの位階というものがあり、位によって仕事も変わってきます。
 天使はそれ以外のことができない。忠実な機械のようなものです。
 そして、神の長子もそれは例外じゃない……」

赤マントを名乗り、悪魔として行動していた時のベリアルは、自身の思い描く悪辣な作戦をいくらでも行使できた。
気の向くままに殺し、嬲り、辱めた。『自分の思うところを成すべし』、それが悪魔の『そうあれかし』だからである。
だが、かつての力と権能を取り戻したアンテクリストは違う。
自ら唯一神を名乗ることで、アンテクリストは『唯一神のそうあれかし』に囚われることになった。
唯一神の『そうあれかし』とは、世界を創ること。その一点に尽きる。
だから、アンテクリストは新たな天地創造を優先し、東京ブリーチャーズを殺さなかった。
いや――『殺せなかった』。

219那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:53:54
>そうだ、そうだ……!力を合わせればいいんだよ!二つの力を!僕らのやり方と――アイツのやり方を!
 ブリガドーン空間の器であるレディベアが、龍脈の力を使えれば――アイツがした事と、同じ事が出来るかもしれない!
 奪う事が出来たなら、分け与える事だって……祈ちゃん、出来ないかな!?
>人間達の『そうあれかし』と、ブリガドーン空間と龍脈の力!
 それだけの力があれば……きっと、妖怪大統領を目覚めさせる事も、ゼロから生み出す事だって出来るよ!
 アイツが広げたブリガドーン空間で、アイツの首を絞めてやれる!

ポチが提案する。
アンテクリストが『そうあれかし』に従い己の権能を優先したことで、からくも東京ブリーチャーズは生き残った。
既にその大半を奪われてはいるものの、龍脈の力とブリガドーン空間の力は、まだこちらにも残っている。
アンテクリストがふたつの力を繋ぎ合わせて神の力を手に入れたのならば、こちらも同様のことをしてやればいい。
しかし、それを提案したポチは俄かに声のトーンを落とした。

>――赤マントのやり方をやり返すなら、レディベアには……嘘をついた方がいい。
 妖怪大統領は、いるかもしれない……じゃない。いるんだって信じてもらった方が。
 声を聞いたとか。ほんの少しだけど、においがしたとか、そんな事を言って

ポチが視線を向けると、ローランは困ったように眉を下げた。

「ポチ君の作戦は理解したが、わたし個人の意見としては……反対だ。
 レディの心を、ありもしない幻想と虚言で掻き乱したくはない。
 仮に、嘘をついて妖怪大統領の実在を匂わせたとしよう。レディはきっとそれを信じるはずだ、ポチ君の言うとおりにね。
 だが……その後は?もし、それが嘘だったと彼女が知ってしまったら……?
 今度こそ、レディの心は死んでしまうだろう」

ずっとレディベアの傍にいて、その心も身体も守護してきた聖騎士ローランである。
いくらそれが作戦上必要なことであったとしても、徒にレディベアの心に傷を付けたくはない――と思っている。
アンテクリストに全ての真実を打ち明けられ、父親などいないと言われて、レディベアの心はひび割れてしまった。
この上衝撃を与えるようなことがあれば、そのときこそレディベアの心は完全に崩壊してしまう。
そんなことはできない、というのが、ローランの偽らざる本音だった。

「それをするのなら、きちんと真実を打ち明けてからの方がいい。
 妖怪大統領が存在する確証はない。可能性は低い。けれど――皆の『そうあれかし』を束ねれば、なんとかなるかもしれない。
 一心に信じれば、きっと想いは伝わるはず、とね。
 そして……そのためには君の力が必要だ、祈ちゃん。
 君はレディの唯一のともだち。レディがただひとり、妖怪大統領以外に心を開いた存在だから……。
 君の言葉なら、きっとレディは信じる。君が彼女を説得してくれ」

目を覚まさないレディベアを横抱きに抱き上げたまま、ローランが祈の瞳を見据えて言う。

「とはいえ、だ。何をするにせよ、まずはレディを起こさなくてはならないな。
 ミスターやポチ君の提案も有効だと思うが、ここはわたしに任せてくれ……わたしが彼女を目覚めさせる。
 ただ、それには少しだけ時間がかかる。祈ちゃん……手伝ってくれるかい?」

ローランが穏やかに微笑む。
だが、その碧色の双眸にはかつてない決意が湛えられている。
己が命を擲ってでも、腕の中で眠る少女を救ってみせる――そんな固い意志が。

>……何を、言えばいいのかな。決められないや

そんなとき、ポチがシロを見上げて微かにはにかむ。

>えと……ごめん、情けないとこを見せちゃった

狼の王たる者が、強大な敵を前にしてほんの僅かでも怖気づいた。尻込みしてしまった。
だが、シロはそんなポチの言葉に対して無言でかぶりを振った。

>それと……愛してる

ポチは思いつくままに言葉を紡ぐ。
獣であるふたりの間に、言葉は不要だ。伝えたいことはすべて目で、仕草で、心で伝わる。
けれども、それでも。口に出して言わなければならないこともあるのだ。

「……私も愛しています。
 けれど……この愛は。あなたと私だけの間で完結させてしまってはいけないのです。
 私たちの子へ、遠い未来へ。オオカミの血族の絆として、紡いでゆかなければ」

チャイナドレスを纏った豊かな胸にそっと右手を添え、シロが微笑む。
ふたりは束の間、無言で見つめ合った。
けれども、それはただ互いの顔を眺めているだけではない。
瞳で、魂で、会話している。

>……ずっと、一緒にいよう。ずっと一緒だ。何があっても

永劫にも感じる沈黙の末、ポチはそれだけ言った。

「……はい」
 
シロは頷いた。
愛するつがいの葛藤も、逡巡も、苦悩もすべて察した上で。
その果ての決意を理解した上で。

――このひとについてゆこう。

迷いは、最初からなかった。

220那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:56:13
「正直な話、今でもボクたちの力であのアンテクリストに勝つ方法は思いつきません。
 あれは強大すぎる。ボクたちがどれだけ力を振り絞ったとしても無駄でしょう」

尾弐の求婚によってなんとか立ち直った橘音が、仲間たちの方を見て口を開く。

「でも――それは『東京ブリーチャーズだけで何とかしようとした場合』です。
 ボクが間違えていました。簡単な話だったんだ……ボク達だけで勝てないのなら、勝てるだけの頭数を揃えればいい。
 全員で倒すんです。この東京という土地に住む、すべての妖怪と人間の『そうあれかし』で。
 皆さんの言う通り、みんなで。力を合わせましょう」

そうだ。
かつて、尾弐が言った。自分だけで何でもできる必要はない、自分ができないのなら、できる者にやってもらえばいいのだと。
それと同じだ。東京ブリーチャーズの六人がかりで無理なのであれば、仲間を増やせばいい。
東京ブリーチャーズと、レディベアと、ローラン。陰陽寮に、富嶽の連れてきた妖怪たち。
そして、東京二十三区に住む9,677,973人の都民たち――
その全員で、唯一神を討つ。

「まず、この二十三区を覆うように張られたアンテクリストの印章を除去しなければいけません。
 この印章の上にボクが大術式を用いて新たな結界を張り、アンテクリストの印章を上書きします。
 これによって、アンテクリストに支配されている龍脈の力を祈ちゃんへ回すことができるようになるはずです」

そう言いながら、橘音はマントの内側から人ひとりが通り抜けられるくらいの鳥居を引っ張り出した。
どんな場所にでも一瞬で辿り着ける狐面探偵七つ道具のひとつ、天神細道。

「結界は五芒星を描きます。ただ、結界の安定化には五芒星の頂点にそれぞれ楔を配置しなければなりません。
 これから隊を五つに分けます。各員はそれぞれ二十三区内の所定の場所へ行き、楔を安置してください」

橘音は再びマントの内側をまさぐった。
しかし、取り出したのは鉄や木の楔ではなく、残りの狐面探偵七つ道具だった。

「楔と言いましたが、イメージ的な話です。実際に杭を打つわけじゃない。
 結界を構築する術者であるボクの妖気が籠った物品を、要点に配置するのが重要なんです。
 七つ道具にはボクの妖気がたっぷり染み込んでる。これが触媒としては適役でしょう。
 ノエルさん、アナタは板橋区へ。
 ポチさんとシロさんは、杉並区へ。
 ボクとクロオさんは、足立区へ。
 祈ちゃんはローラン、レディと一緒に大田区へ――」

赴く場所を指定しながら、橘音は仲間たちに七つ道具を手渡してゆく。
ノエルには姥捨の枝を。
ポチには童子切安綱を。
祈には聞き耳頭巾を。
そして――

「迷い家外套と召怪銘板は、ボクが持っていきます。
 そして最後、江東区へは……オババ。お願いできますか?」

「フン、アタシは東京ブリーチャーズじゃないよ。アンタの都合で使われて堪るかい。
 ……とはいえ、今はそんなこと言ってる場合じゃない。東京が滅びる瀬戸際だ。
 可愛い孫の明日のために、一肌脱いでやろうかね」

橘音からの指名に、菊乃は軽く肩を竦めた。
が、橘音の指名を受ける前からとっくに老婆の姿でなく若い姿に変貌している。やる気は充分だった。
にやりと笑って、橘音は狐面探偵七つ道具最後のひとつ、蓬莱の玉手箱を菊乃へ渡そうとした。
だが。

「……待ってくれ、その役目は……私に任せてもらいたい……!」

やにわに、横合いから声がした。
見れば、そこにはいつの間に現れたのか、白銀の鎧を着込んだミカエルが立っている。

「ミカエルさん……」

「遅れてすまなかった。やっと主の承認が下りたのでな……。
 大天使長ミカエルと御遣い千三百騎、参着した」

ミカエルだけではない、御遣いたる武装した天使たちも戦力として率いてきたという。
無尽蔵の数を誇る悪魔たちに対して、たった千三百人というのは焼け石に水以外の何物でもなかったが、
それでも大いに助けにはなるであろう。

「ついに、あの方が力を取り戻してしまわれたか……。怖れていた事態が現実になってしまった。
 ならば……私も死力を尽くさなくては。あの方を……この命と引き換えにしてもお止めする。
 それがこのミカエルの誓い――」

ミカエルが都庁の空を見上げる。
ミカエルはアスタロトと同じく、かつてアンテクリスト=神の長子ベリアルの薫陶を受けた直弟子のひとりだ。
師の暴走を止めるのは弟子たる自分の役目と決めているのだろう。

「虫のいいことを言っているのは、百も承知だ。
 だが……どうか頼む。我々も貴公らの戦列の端に加わらせてくれ。
 あの方は我ら天使の兄。英雄にして教師。そんなあの方が引き起こした事態ならば、手をこまねいてはいられない……。
 頼む、私は……責任を果たしたいんだ……!」

聖書にもっとも尊き天使と記される天使の長、栄光の熾天使が、東京ブリーチャーズに頭を下げる。
ミカエルは責任と言ったが、それだけではない。ポチには、ミカエルの発しているにおいがよく分かるはずだ。
義務と、悔恨と、寂寥と。
隠しきれない、愛情のにおいが。

221那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:57:50
「……分かりました。
 ではミカエルさん、これはアナタにお預けします。江東区へ向かって下さい」

「恩に切る、アスタロト。
 必ずや、其方の作戦成就の一助となろう」

「今はアスタロトじゃありません、狐面探偵那須野橘音です。
 ……任せましたよ」

「ああ。狐面探偵」

僅かな思案の後、橘音はミカエルに玉手箱を手渡した。
ミカエルが決意に満ちた表情で玉手箱を抱え、ひとつ頷く。

「陰陽頭殿、富嶽ジイ、あなたアナタたちも手勢を五つに分けて下さい。
 ボクの仲間たちが楔を安置した場所に救護避難所を作り、そこへ近隣の都民を可能な限り誘導するんです。
 そして説得を。皆の力を合わせて、妖怪大統領を目覚めさせる……あるいは創造する。
 妖怪大統領のブリガドーン空間を統べる力を味方に付けることができれば、アンテクリストは弱体化を免れない。
 そこが、唯一の突破点です」

「心得た。都内全域の僧侶と神職、医療機関と消防局にもすぐに打診し、五ヵ所に避難所を設けよう。
 それ以外の場所にも避難所を作らねばな。――易子!晴空!」

「御意……!」

晴朧が鋭く差配する。芦屋易子と安倍晴空はさっそく関係各所に連絡すべく動いた。

「まったく、大ごとになったものぢゃ。……笑、後は任せる」

「はい、富嶽さま。迷い家別邸、開店ですね」

富嶽がゴキゴキと首を鳴らし、いずこかへと歩き去る。
が、逃亡したわけではない。戦力を増強すべく、他地域の大妖たちへ協力要請に行ったのだろう。

「皆さん、天神細道を使ってください。楔を置くべき所定の場所へすぐに行けるはずですから。
 楔を安置し、陰陽寮の皆さんが避難所を築けば、アンテクリストはきっとそれを破壊しようとするでしょう。
 ボクの結界が充分に機能し、人々の願いが妖怪大統領を目覚めさせるまで――
 何としてもそこを守り抜いて下さい、それがミッションです!」

高らかに宣言すると、橘音は白手袋に包んだ右手の人差し指を空へ突き出した。

「作戦が成功したら、再度この都庁前に集合!そしてアンテクリストに最終決戦を挑みます!
 皆さん……別行動はこれが最後です!
 必ず、またここでお会いしましょう!」

迷い家外套を翻し、天神細道へと飛び込む。
東京ブリーチャーズ、最後の作戦が始まった。


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東京の空を、大地を、悪魔たちの群れが埋め尽くしている。
電車は脱線し、車は横転あるいは炎上し、路上にその残骸を晒している。
アスファルトはひび割れ、電柱は半ばから折れている。電気の供給がストップした市街地は暗く、
怒号や悲鳴、泣き声がそこかしこから響いては、極彩色の空へ吸い込まれてゆく。

「い、いやだぁぁぁ!助けてぇぇぇ!」

「ぎゃあああああーッ!!」

「待って、どうして私が……うあああああああ……!」

人々は己を不運を呪い、理不尽に訪れた死を恨み、そして絶命してゆく。

《ヒハハハハハーッ!!殺戮殺戮!殺戮ダ!殺セ……殺セェェ!》

狂喜の嗤いを轟かせながら、黒い炎を身に纏わせた直径3メートルはあろうという巨大な車輪が環状通を爆走する。
車輪の内径には六芒星が描かれており、その中央には禍々しい単眼が鎮座していた。
生きている車輪。天魔七十二将の序列六十九位、三十の軍団を従える地獄の大侯爵――デカラビア。
燃え盛る車輪が車を、人々を轢断してゆく。
悪魔たちが我が世の春とばかりに跋扈し、そこかしこで虐殺と惨殺を繰り返している。

「……ひどい状況ですね」

天神細道を使って足立区にやってきた橘音と尾弐は、惨劇の渦中に佇んでいた。
元々治安のよくない傾向のあった足立区だが、それでも平素はこれほど惨憺たる状況ではなかった。
手近な雑魚悪魔を蹴散らし、近隣の避難場所として指定されている小学校の校庭へとやってくると、
橘音はさっそく結界の用意を始めた。
ほどなく陰陽寮の要請を受けた陰陽師や神職、それに警察や消防隊が駆けつけてきて、災害時の避難所を構築する。
だが、悪魔たちがそれを手をこまねいて見ているはずがない。人間たちの只ならぬ行動に、さっそく邪魔しようと押しかけて来た。

「クロオさん、防衛をお願いします!」

橘音が両手で素早く複雑な印を組む。その身体が、召怪銘板と迷い家外套が光り輝き、結界が形作られてゆく。
陰陽寮が築こうとしている避難所、避難してきた人間たち。
そして結界作成中は無防備になってしまう橘音を悪魔の手から守るのが、尾弐の役目だ。

222那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:58:17
一匹一匹は尾弐よりもはるかに弱いが、悪魔たちはとにかく数が多い。
どれだけ倒そうともきりがない。アンテクリストが龍脈とブリガドーン空間を掌握している限り、
悪魔たちは決して尽きることがないのだろう。
消防車や救急車も駆けつけているが、戦う術を持たない人間たちは襲われれば一たまりもない。
救急車は避難所に到着する前に破壊され、運転手を直接襲われた消防車は蛇行したあげくビルの壁面に激突した。
自衛隊も出動しているはずだが、一向に姿が見えない。やはり悪魔たちに襲われているのだろう。

「クソ……、避難所ができたとしても、物資がなけりゃ何の意味もない……!」

橘音は歯噛みした。
富嶽の命を受けた妖怪たちが、逃げる人々を避難所の設置される校庭へと誘導している。
人々が徐々に校庭へ集まってくる。傷つき、からくも殺戮を逃れてきた人々が。だが、集まったところでここには何もない。
怪我人の手当てや眠る場所、食料や水などを提供できてこその避難所であろう。
だが、このままでは傷や疲労の回復どころか雨風さえ防げない。
先に自衛隊や消防隊などを助けて回った方がよかったか?しかし、それでは肝心の避難者が守れない。
圧倒的に人手が足りない。比較にさえならない彼我の物量差に、橘音は空を見上げた。

しかし。

「お待たせ致しました〜!憩いのお宿、迷い家東京店!本日開店でございます〜!」

突如、校庭の真ん中に靄がかかったかと思うと、そこに巨大な純日本家屋が出現した。
その佇まいを、橘音と尾弐が見誤るはずがない。
本来、遠野の山奥にあって人の目には決して触れないはずの迷い家が、東京の一角に出現していた。
玄関の戸が開き、姿を現した笑が避難者たちを宿の中へと招く。

「ささ、皆さん中へ……毛布もお水も、お味噌汁もたんとございますから!
 お怪我されている方はこちらへ!順番に手当いたします!」

「……笑さん!?どうして……」

「富嶽さまのご命令よ、三ちゃん。
 人命救助優先、こんな時に遠野の隠し湯だなんて言ってられないでしょう?
 避難者の皆さんはこちらが受け持つから、あなたたちは存分に戦って!」

「人嫌いの富嶽ジイが……。助かった!
 クロオさん、お願いします!」

迷い家はこの足立区の他にも、それぞれ祈やノエル、ポチらの行った先にも現れるだろう。
各迷い家の中は一箇所に繋がっている。食料や医療用具もたっぷり揃っており、避難所としてはこの上ない環境だった。
悪魔たちが狙いを迷い家に集中する。迷い家を破壊されてしまえば、こちらの負けだ。

「ゴオオオオアアアアアア……!!!」

身長5メートルはあろうかという巨大な悪魔が、その岩のような手を迷い家へと伸ばす。
尾弐の周囲には人間大の悪魔たちが群れなしており、橘音は結界構築のために戦闘できない。
迷い家はただの建物だ。物理的衝撃を加えられれば崩壊するしかない。
巨大悪魔が拳を振り上げる。内部に大勢の避難者を収容した建物が、なすすべもなく破壊――

は、されなかった。

迷い家の中から小柄な人影がひとつ凄まじい速さで飛び出し、剣閃が煌く。
巨大悪魔の大木の幹よりも太い頸が一刀両断され、ずるり……と切断面を斜めに滑って、地面に落ちる。
どどう、と轟音を立てながら、首を切り離された悪魔は仰向けに倒れた。
神域の剣技、その使い手は――

「……待たせたな、クソ坊主」

倒れた悪魔の骸の上にひょいと飛び乗った、小柄な影が言う。
白いパーカーのフードを目深にかぶり、紫色のスキニーを穿いた絶世の美丈夫。
――首塚大明神こと外道丸、またの名を天邪鬼。

「やれやれ、なんとか間に合うたわ。
 事情はあらかた聞いた、私も混ぜろ。神夢想酒天流の深奥、南蛮の夷狄どもに存分馳走して呉れよう」

凄絶な美貌の双眸を愉快げに細めると、天邪鬼は小さく舌なめずりした。
尾弐の奥義から回復した天邪鬼は、一旦富嶽と合流してからここまでやってきたらしい。
いくら尾弐が修行によって魔神をも屠る力を身に着けていても、圧倒的物量の前には多勢に無勢だった。
だが、天邪鬼が参戦すればその憂いはなくなる。
天邪鬼は身軽に跳躍すると、尾弐と背中合わせになるように立ち、愛用の仕込み杖に手を添えた。
尾弐黒雄と天邪鬼。千年来の師弟が互いの背中を預け合って戦う。

「往くぞ。鏖殺だ。
 アンテクリストと言ったか……唯一神だか何だか知らぬが、新米神の分際で横柄な。
 神歴ならば私の方が上だ、為らば……後進は先達を敬わねばならぬという、世の道理を教えてやろう。
 遅れるな、それとクソ坊主――」
 
大挙して押し寄せる悪魔たちを前に、天邪鬼は仕込み杖の鯉口を切る。
そして――

「仲人は私にやらせろ。……神だからな」
 
死ぬほど祝ってやる。
そう悪戯っぽく言うと、悪魔たちの真っただ中に飛び込んでいった。

223那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:59:03
「レディは今、すべての妖力を放出しケ枯れした状態にある。
 彼女を目覚めさせるには、まず――出し尽くしてしまった妖力に変わる力を彼女に注ぎ込む必要があるんだ。
 ……わたしに考えがある。見ていてくれ」

大田区の避難所で、迷い家を前にローランがレディベアを地面に下ろす。
レディベアの傍らに屈み込むと、ローランは仰向けに横たわるレディベアの腹部に右手を添えた。

「―――ふッ!!」

呼気。その瞬間、ボウッ!とローランの全身から黄金色の気が迸った。
一見して妖気に似ているが、それとは明らかに属性が異なる。

「わたしの力の源、祝福された聖人の力……神力をレディに与える。
 普通の妖怪なら肉体が拒絶反応を起こすところだが……レディは元々人間だ。きっとこの力も受け容れることができるだろう。
 すまない、祈ちゃん……この作業には少し時間がかかる。
 悪魔たちを寄せ付けないように……守って、貰えないか……?」

レディベアに自身の神力を譲渡しながら、ローランは祈に要請した。
その端麗な面貌には汗が滲み、眉間には皺が刻まれている。
無理もない、神力とは聖人のクローンであるローランの生命力そのもの。
ローランはレディベアを目覚めさせるため、自分の命をそっくりレディベアへと与えているのだ。

「……ハハ……。大丈夫さ、わたしのことなら心配いらない……。
 自分が生き残るだけの神力はとっておく……。ここで死ぬようなヘマはしない……よ……」

ローランは笑ったが、その表情にはいつもの飄然とした余裕はない。
人工的に造られた生命であるローランの寿命は短い。
それを、E.L.Fの薬剤と細胞賦活手術によって無理矢理に生き永らえさせてきたのだ。
ただでさえ短い寿命を、さらにレディベアに分け与えることで削っている。
今や、ローランの生命は風前の灯火だった。
みるみるうちに頬がこけ、金色の髪は白くなり、肉体が痩せさらばえてゆく。
それでも、ローランは神力の譲渡をやめない。
普通の妖怪なら破裂してしまうほど大量の神力を分け与えられても、レディベアは目を覚まさない。
ブリガドーン空間をすっぽり収容してしまうほどの容量を持つレディベアだ。息を吹き返すにも相当量の力が必要なのだろう。
5分、10分、15分。
刻々と時間が過ぎても、レディベアは昏睡したまま閉じられた眼が開かれることはない。
その間にも、悪魔は続々と祈に襲い掛かってくる。
いかに龍脈の神子とはいえ、たったひとりで数百、数千もの悪魔たちに抗うのは無理がありすぎた。
悪魔たちが祈の頬を、剥き出しの脚を、無防備な背中を引っ掻き、殴りつけ、蹴り飛ばしてくる。
そのうちの一匹がほんの一瞬の隙を衝いて鋭い三叉槍を構え、祈をその死角から串刺しにしようと投げつける。

「死ネ!死ネェ!神子オオオオオオオ!!」

だが。

どぎゅっ!!

致死の威力を秘めた槍は、祈に命中することはなく。
代わりに身を挺して祈の前に立ちはだかったローランの胸に、深々と突き刺さっていた。

「ぐ、ふ……」

ローランが呻く。
伝承に記される聖騎士ローランは、何者にも傷つかない無敵の肉体を持つという。
そんな、いかなる刀剣にも槍にも傷つかないはずの胸に、悪魔の槍が突き立っている。
しかし――それは伝承が嘘だったわけでも、ましてこのローランが偽者であったというわけでもない。
ローランはレディベアに自身の持てる限りの生命力を譲渡した。
従って、今のローランは抜け殻同然。本来持ち得た能力も何もかも失った、出涸らしのような状態だったのである。

「大丈夫、かい……祈、ちゃん……?
 ……よかった……。君にもしものことがあったら……レディが、悲しむからね……」

がくりと片膝をつき、ローランが荒い息を吐きながら祈の安否を気遣う。

「わたしの、神力は……与え、終わった……。あとは、祈ちゃん……君が、レディに……働きかけて、くれ……。
 彼女を……絶望の、淵から……救い出して、やって……欲しい……」

がはッ、とローランは吐血した。傷が臓腑に達していることを示す、どす黒い色だった。
それでもローランは倒れない。聖剣デュランダルを杖代わりに立ち上がる。

「さあ……、選手交代だ……。
 悪魔どもはわたしに任せて……祈ちゃん、彼女を……頼む……!」

力任せに胸に刺さった槍を抜くと、ローランは着ている衣服を血に染めて悪魔たちの真っただ中へと突っ込んでいった。

「我が名はローラン……、聖騎士ローラン!
 騎士とは乙女を護るもの。今こそ我が魂に刻みしその誓いを果たす!」

聖剣デュランダルが当たるを幸い、悪魔どもを薙ぎ倒す。
だが、本来精妙にして必殺であるはずのその剣技は精彩を欠く。レディベアに神力を分け与えたことが原因なのは明白だった。
今のローランは本来のスペックの十分の一さえ出せていないだろう。
だが、戦う。残り滓となった肉体に残る、命のほんの一滴まで絞り尽くすように。
すべてはレディベアのため。彼女の笑顔のため。

レディがこの世界に来てよかったと、この世界は自分の憧れたとおりの世界だと、そう思ってくれるように。
レディが幸せになるように――

それが、ローランがレディベアに捧げた騎士の誓いだから。

224那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 11:59:31
“Type-Roland ver.2336”
それが、ローランの本当の名前だ。
ローマ聖庁直属の対魔殲滅機関アースライト・ファウンデーション(E.L.F.)で、
8世紀の英雄・聖騎士ローランのクローンとして製造された、2336番目の『製品』。
だが、そのスペックはローマ聖庁が期待した通りのものではなかった。

性能が低かったわけではない。むしろ逆だ、ver.2336は『完成度が高すぎた』。
プロジェクトのスタッフが求めたのは、それなりのコスト、それなりのスペックで大量生産が可能な聖騎士の雛型だった。
ver.2336はコストがかかりすぎ、また強すぎた。
大量生産は叶わず、また自我を持つクローンに強すぎる力を与えてしまっては、自分たちが御しきれない。
審議の結果、ver.2336は失敗作の烙印を捺された。
彼は2335体いた他のローランの試作品と同じく、廃棄される運命だった。
だが――

保健所の犬のように。ホロコーストのように。冷たく暗い地下室で殺処分される寸前、ver.2336は逃亡を図ったのだった。
人権も、戸籍も、名前さえもないけれど。
それでも生きていたい。この世界に生まれたことには、きっと意味があるはずだ――
そう、信じて。

「この世界の秩序を乱す、悪しき妖壊。
 お前たちは死ぬ。死ぬべきだ。死ななければならない。
 わたしが生きた、その証となるために――」

脱走のついで、E.L.F.の研究所に保管されていた聖剣デュランダルを行きがけの駄賃とばかりに持ち出したver.2336は、
それからヨーロッパの各地で魔物を、妖壊を狩って回った。
その中には無害な妖怪もいたが、ver.2336には妖怪も妖壊も関係なかった。
ただ、人間以外のものはすべて殺した。なぜなら、それがE.L.F.で刷り込まれたver.2336の存在意義であり、
『天使以外のすべての化生を等しく撃滅すべし』という、ローマ聖庁の至上命令だったからである。
それが、いったい何を意味しているのか。
それさえも分からず、ただver.2336は聖剣を振るい、屍の山を築いてきた。

「……それで。
 わたくしも殺すのですか?その血にまみれた剣で」

「ああ。わたしと出会ってしまった、我が身の不幸を呪うがいい。
 この聖剣デュランダルが君を殺す――この世界に別れを告げる準備はいいか?」

西欧、某所。
住人の去った廃墟の街で、ver.2336は黒衣を纏った隻眼の少女と出会った。
妖怪大統領バックベアードの娘、レディベア。少女はそう名乗った。
少女のすぐ近くには、血色のマントに身を包んだシルクハットの怪人が倒れている。
ver.2336が倒したものだ。聖剣によって一撃でケ枯れさせた。滅びてはいないが、戦闘はできないだろう。

「レ……レディ……、キミじゃこの男には勝てない……!
 逃げるんだ……、この男は……古の英雄、聖騎士ローランを再現した、ローマ聖庁の……対妖魔殲滅兵器……!
 おのれ、吾輩の計画が……二千年の宿願が、こんな……ところで……!」

倒れ伏す怪人――赤マントが呻く。
赤マントにとってver.2336の出現はまったくの想定外だった。
かつて持っていた妖力のほとんどを喪っている赤マントには、聖デュランダルに抗う手段はなかった。
このままでは、レディベアは間違いなく殺される。そうなれば、赤マントの遠大な計画はおしまいだ。
レディベアの戦闘力では、ver.2336には勝てない。逃げられない。
だというのに――当のレディベアはといえば、絶体絶命の窮地だというのにまるで焦っても絶望してもいない。どころか、

「大丈夫ですわ、赤マント。
 ここはわたくしに任せなさい」

と、余裕の返答まで返してきた。

「その剣がわたくしを殺すと言いましたわね。
 違うでしょう?わたくしを殺すとすれば、それは剣ではない……あなた自身の意思。
 あなたの名は?それとも、あなたのしていることは名を名乗るも憚られる、胸を張って誇れぬ所業なのですか?」

「……わたしの……名……?」

はっとした。
E.L.F.の研究所を脱走して以来、色々な場所を彷徨しては妖怪を滅してきた。
妖怪たちは殺すべき対象、獲物でしかなかった。名乗る必要などなかったし、その気もなかった。
名を訊ねられるなど、初めてのことだった。

「わたし、は……」

Type-Roland ver.2336。研究所では、ずっとそう呼ばれてきた。
だが、それは名前ではない。ただの製造番号だ。
人は――いや、すべての生き物は名付けられることで個性を持つ。この世界にただ一人の自分として確固たる存在を築く。
しかし、自分にはそれはない。E.L.F.はありとあらゆる妖魅を撃殺する能力を授けてくれたが、名前を与えてはくれなかった。
自分がこの世界に生まれたことには、きっと意味がある。
妖怪を殺し続ければ、それが分かると思っていた。そう信じ続けて、目につく者を片端から斬った。

福音は、まだ聞こえない。

225那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 12:00:11
「わたしに名前なんてない……。
 わたしは……ただ、おまえたちを殺す狩人。それだけでいい……!」

デュランダルの柄を握りしめ、ver.2336は憎しみの眼差しをレディベアへ向けた。
レディベアがせせら笑う。

「ハ、笑止ですわね。
 名も無き者が、このわたくしを!偉大なる妖怪大統領の一人娘たるわたくしを手にかけると?
 そんなことは不可能ですわ!」

「黙れ!ならば試してみるか!
 我が奥義『不抜にして不滅の刃(インヴィンシブル・デュランダル)』ならば、貴様など……!」

「いいえ。名も無く、理由もなく。ただ無目的な殺戮だけを繰り返す者に、わたくしを殺すことなどできませんわ!
 なぜならば!わたくしには大義がある……この星よりも重い大義が!
 それでも出来ると思うなら、やってご覧なさい!
 振るうかいなに信念も見出せぬ者の剣で、本当に!生きる意味を知る者の命を断絶できると思うのならば!!」

「…………!」

ver.2336は愕然として、双眸を見開いた。
少女の真っ直ぐな瞳に射すくめられ、身動きが取れない。
瞳術に捕らわれたのではない。少女の生のままの視線に、その力に。意志に気圧されたのだ。
強すぎるという理由で失敗作の烙印を捺された、最強の妖異殺しのはずの自分が――

「……できない」

しばしの沈黙の末、ver.2336は聖剣を握る腕を下ろした。

「わたしにはできない……。
 ああ、そうだ。その通りだ……わたしは名前もなければ、剣を振るう信念さえない。
 生きる理由すら分からず、ただあてどもなく彷徨うだけの、呼吸する屍のようなものさ……」 

そんな自分が、大義のために生きると胸を張って断言する少女に勝てるはずがない。
戦闘力だけなら、自分の方が遥かに上回っているだろう。
だが、戦闘力なんて。そんなものはまるで無意味だった。ver.2336は、レディベアに負けた。
心の強さで。

「――――――ローラン」

不意に、レディベアが口を開いた。
それが自分に対して投げかけられた言葉だということに気付くのに、ver.2336はしばしの時を要した。
いつのまにか俯けていた顔を上げ、レディベアを見る。漆黒の少女は小さく笑った。

「ローラン……だって?」

「血まみれの聖剣を持つ、名無しの聖騎士。
 あなたに名前がないのなら、わたくしが付けて差し上げますわ。
 ローラン!あなたは古の英雄の再現体などではなく、本物の英雄になるのです!」

「本物の……英雄に……」

「わたくしは心に大望を抱く身。その成就には、手勢が必要ですわ。
 聖騎士ローラン!わたくしに傅き、我が騎士となりなさい!
 ただ無為に下等妖怪どもを殺戮するだけでは、野の獣と変わりありません。けれど――
 わたくしがあなたの生に意味を。その剣に理由を与えて差し上げますわ!」

生に意味を。剣に理由を。
ずっとずっと求めていたものが、そこにあった。
少女は名前を与えてくれた。形式番号ではない、この世でひとつだけの名前を。
だとしたら――残るふたつも、必ず与えてくれることだろう。
嗚呼、ならば。それならば。

「……レディ」

小さく、少女の名を口にする。
レディベア。妖怪大統領バックベアードの娘、紅い隻眼の乙女。
……聖騎士の姫。

しばしの間を置いて、ver.2336――ローランはデュランダルを携えたままレディベアへと近付いてゆく。
そしてその間近で向かい合うと、跪き。頭を垂れ、水平に持った聖剣を両手で少女の前へと捧げた。
レディが聖剣を手に取り、その刀身をローランの右肩に添え当てる。

「――我、汝を騎士に任ず。
 誠実たれ。真摯たれ。正義たれ。
 すべては我が大義のために――」

「……聖騎士ローラン、これよりは御身に尽くします。
 この剣、この心、この身体、この魂。
 すべてはレディのために……」

ver.2336と呼ばれた名も無きクローンは、本物の騎士になった。東京ドミネーターズではない、レディベアだけを護る騎士に。
それが、それこそが自分がこの世に生まれ落ちた理由なのだと信じて。

226那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 12:00:56
橘音の指定した避難所予定地の、板橋区総合病院前。
ノエルが天神細道を使ってそこへ到着したときには、既に病院前は避難を求める人々でごった返していた。
そして、そんな人々を狙って悪魔たちが大挙して押し寄せてくる。
もちろん、ノエルがいくら一対多の状況に適した妖怪だとは言っても、数が違いすぎる。
一匹でも撃ち漏らせば終わりだ。状況は甚だ不利と言わざるを得ない――が。

そんなとき、頼もしい戦力(?)がノエルの加勢に現れた。

「ふーはーはーはーはーっ!東京ブリーチャーズ非正規メンバー参上!
 ノエル君!アタシたちが来たからにはうっわこれ絶対無理目のやつ絶対無理無理やばたにえん!」

新井あずきに、ぬりかべに、犬神。手長足長におとろし。
召怪銘板で召喚される、東京ブリーチャーズの非正規メンバーである。
リーダーっぽいポジションでセンターに陣取り、小豆の入った巨大な枡を右脇に抱えて高笑いしたあずきだったが、
空を埋め尽くす勢いの悪魔たちを前にしてさっそくヘタレた。

「いや、そこは無理でも強がっとくトコやろ。なんで開幕心折れとんねん自分。
 言うだけならタダやさかい言っとき!アタシらが来たからには、戦艦大和に乗ったつもりでいてや!とかそういう」

「戦艦大和は沈没したんですが……」

あずきにツッコミを入れつつ、流れるようにボケてみせたのはチンピラ風のガラの悪い男――品岡ムジナだった。
そんなムジナのボケに指摘を入れるのは、雪の女王の策によってノエルの前で死んだと見せかけていたカイとゲルダだ。

「久しぶりやなぁ色男。
 ワシとしては橘音の坊ちゃん……いやもう嬢ちゃんやったっけ?や尾弐のアニキのとこへ加勢に行きたかったんやけど。
 自分ひとりじゃ心細いやろし、特別に手ぇ貸したるわ。
 礼は自分とこの店の権利書でええで。いやぁ太っ腹やな我ながら」

げひっ、とムジナはノエルの顔を見て下卑た笑みを漏らした。

「さあ、ワシら東京ブリーチャーズの力、見せたろやないか!
 どっからでもかかって来んかい、イチビリどもがぁ!」

「ムジナさんが言うと大阪ブリーチャーズみたいに聞こえるけどね……」

あずきの代わりにずいっとセンターへ躍り出たムジナが高らかに宣言する。
その後ろでやっぱりカイが突っ込みを入れているのは内緒だ。
非正規メンバーとは言うものの、戦力としては充分だ。これだけ多勢ならある程度時間稼ぎはできる。
実際、非正規メンバーたちは押し寄せる悪魔たちを相手に一歩も引かない戦いを繰り広げた。

「ひ、ひゃわわわわわぁぁぁ!?こっち来るなぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

あずきが迷い家の入口に陣取って、やけっぱち気味に小豆を投げつける。

「姫様の影に隠れがちだけど、私たちだってやれるってことをアピールしなきゃ!」

ゲルダとカイがチームワークで互いを補い合い、悪魔たちを翻弄してゆく。
他にも犬神が顎を開いて悪魔に喰らいつき、おとろしが落下して数匹を纏めて押し潰し、ぬりかべが身を挺して人々を守る。
ノエルと非正規メンバーたちの奮闘で、いっとき悪魔の軍勢は攻撃の手を緩めたように思えた。
しかし。

空が翳る。その場にいる妖怪や人々が頭上を仰ぐ。
そこには、陰陽寮の築いた都庁の結界を体当たりで破壊した、超巨大なアノマロカリスが浮かんでいた。
アンテクリスト麾下の天魔、フォルネウス。
フォルネウスの身体の下部から無数の悪魔たちが降ってくる。どうやらフォルネウスはその巨大な躯体に夥しい悪魔を格納し、
各所に投下する爆撃空母のような役目を果たしているらしい。
さながら焼夷弾のように、無数の悪魔が降ってくる。
そして――

「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」

耳をつんざくような咆哮と共に、上空から一際巨大な何かが降ってきた。
5メートルほどもあろうかという、筋骨隆々の人間めいた巨体。
それぞれに金棒、刀、刺叉、斧を持った四本の腕。
頭部には牛と馬の頭を有する、獄卒たちの長。

獄門鬼――

酔余酒重塔で赤マントに連れ去られ、それきり消息を絶っていた地獄の大鬼が、ぶはあ……と生臭い息を吐く。
むろん、ノエルたちの加勢に来たという訳ではないだろう。鬼神王温羅配下のはずの大鬼は、
今やアンテクリストの忠実な下僕に成り下がっていた。

「な……なんやねん!図体デカけりゃええってもんやあらへんで!
 色男ォ!ワレの出番や、いっちょガツンとかましたらんかい!」

自分では相手にならないとばかり、ムジナはノエルに丸投げした。
確かに、酔余酒重塔で戦ったレベルの獄門鬼であれば今のパワーアップしたノエルの敵ではないだろう。
『あの頃の獄門鬼なら』。

「ゴルルルルルルルル……!!」

獄門鬼が息を吐く。その全身が、見たこともない禍々しい妖気に覆われてゆく。
いや、見たことがないというのは間違いだ。ノエルはそれを、かつて一度だけ見たことがある。
それはまさしく、酔余酒重塔で。
あの尾弐黒雄が纏っていたもの――『酒呑童子の妖気』に他ならなかった。
周囲の様相が変転してゆく。屋外であったはずの景色が、暗い石牢の中へと。
ノエルや非正規メンバーたちの足許に、血のさざなみが立つ。
アンテクリスト――否、ベリアルは奪った酒呑童子の力を、あろうことか獄門鬼に与えていたのである。

「ブォガアアアアアアアアアアアアアアアア――――――――ッ!!!」か

獄門鬼が吼える。酒呑童子の力、神変奇特の妖力が発動する。
かつてブリーチャーズを存分に苦しめ、結局破られることのなかった『犯転』と『叛天』の力。
それが、再度ノエルたちに牙を剥く――。

227那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/10/18(日) 12:09:49
シロの蹴りを喰らった悪魔が、断末魔の悲鳴さえ上げられず地に伏せる。
すい、と流れる挙措で蹴り足を引くと、シロは一本足で立つ水鳥のような美しい構えを取った。
すでに、杉並区の避難所前では熾烈な激闘が繰り広げられている。
迷い家とそこへやってきた大勢の避難者たちを狙い、悪魔たちが下卑た笑いを響かせながら攻めてくる。
ポチとシロはたったふたりきりで、アンテクリストの大軍勢を相手にしなければならなかった。
とはいえ、ポチもシロも共に激戦を潜り抜けてきた、筋金入りの猛者である。
なおかつ、ふたりが組んだ時の強さは単体で戦った場合の何倍にも跳ね上がる。
狼は持久力に優れる生き物だ、長期戦に備えてペース配分を考えて戦う術に長けている。
アンテクリストがどれほどの数の悪魔を差し向けてこようと、数日は持ち堪えられる――そう思われた。
既にふたりの斃した悪魔の数は百体以上にのぼる。が、悪魔たちは全くその勢いを弱める気配を見せない。
そして。
ポチとシロはただ戦っていればいい、というわけではない。
この避難所を訪れる人間たちが絶望しないように。この終末の世界に希望を見失わないように。
どれほどの悪魔が破滅を齎そうと押し寄せてきても、決して挫けることはないのだと――
そう人々に思わせる戦いをしなければならないのだ。
ブリガドーン空間は、想いが形になる空間。人々が死に怯え、悪魔の暴虐に恐怖し、生きることを諦めてしまえば、
その想いが『そうあれかし』となって結実してしまう。悪魔たちの、アンテクリストの力を増幅させてしまう。
それだけは、絶対に阻止しなければならない。

「皆さんにお願いがあります……!皆さん、SNSでふたりの戦いを拡散してください!」

いつか陰陽寮で交流した、芦屋易子配下の巫女たちが避難者たちに呼びかける。

「どんなにバケモノたちがやってきたって、守ってくれる正義の味方はいるんだ!みんな必ず救われるから……諦めないで!」

「Twitterでもインスタグラムでも、YouTubeでも何でもいい!とにかく写真撮って、動画も撮って!
 それをネットにアップして、どんどん広めよう!」

「皆さんが応援してくれれば、それが彼らの力になるのです……!拡散し、お友達に教えてあげてください!
 必ず、絶望の闇は払われると!」

尾弐が提案したように、ネットの力を使って人々に協力を呼びかけている。
人々の想いがプラスへと転じれば、ブリガドーン空間の特性によってこの状況も好転するに違いないのだ。
だから。
ポチとシロは勇敢に、誇り高く、堂々と。真正面から悪魔たちを叩き潰してゆく必要があった。

「……あなた」

強烈な掌打で悪魔の一体を吹き飛ばすと、シロが口を開いた。

「私は、人間が嫌いでした。
 自分たちの欲望のままにニホンオオカミを絶滅へ追いやり、私を檻に閉じ込め、見世物のようにしようとした人間たちが。
 お前たちこそ滅びてしまうがいいと、そう思った時期もありました。
 あなたたちと巡り合ってからしばらくも、人間への嫌悪は変わらなかった。
 なぜ、あなたたちは人間たちの街なんかを身体を張って守るのだろう?と、そう思っていました」

シロにとって人間とは欲にまみれ、自然界の掟から逸脱し、万物の霊長を僭称するおぞましい生き物だった。
この街も嫌いだった。このゴミゴミして、汚くて、人が多すぎて、下水のにおいがして、空が狭い街。
大嫌いな人間たちと、その人間たちが自然を破壊して作った街――東京。

「がんばれーっ!ポチちゃーんっ!!」

「シロさーんっ!ファイトーっ!!」

率先して人々に希望を失わない姿を示そうと、巫女たちが声を張り上げてポチとシロを応援する。
陰陽寮の巫女たちも、最初から東京ブリーチャーズに対して友好的だったわけではない。
陰陽頭・安倍晴朧が病に倒れ、後継者の座を巡る芦屋易子と安倍晴空の対立の渦中にあって、
突如現れた陰陽頭の孫・祈とその式神たちということで、ポチにはずいぶん懐疑的な視線を送っていた。
だが、今は違う。陰陽寮で暗躍する天魔をポチらが討伐し、負の結ぼれが解けたことで、彼女たちの疑念も晴れた。
特にポチは巫女長である芦屋易子の心を救っている。
巫女たちがポチと、そしてそのつがいであるシロへ寄せる信頼は大きく、揺らぎがない。
シロもそれをにおいで感じ、理解している。

「……でも。今は、そうでもありません」

自分たちへ声援を送る巫女たちを軽く見遣ると、シロは微かに笑った。

「ニホンオオカミを滅ぼしたのが人間たちなら、ニホンオオカミは滅びていない……と。
 まだ、人の目を逃れてどこかで生きていると。そう信じるのも、また人間たち。
 私たちは、彼らの『そうあれかし』で生きている……それを忘れてはいけないのです」

愚かで、自分勝手で、邪悪な者もいるけれど。純粋で、利他的で、心清い者もたくさんいる。
そんな人々が生きる世界を、大切にしたい。

「お……、俺も応援するぞ!頑張れ!頑張れーっ!!」「私も!お願い、悪魔たちをやっつけて!」「やっちまえ!坊主!」

「ポチ!」「ポチーっ!」「ポチくーんっ!こっち向いてーっ!」「いっけえええ!ポチーっ!!」

巫女たちの必死の鼓舞に触発された人々が、少しずつ声を出し始める。
スマートフォンを持っている者たちがポチとシロへカメラを向ける。その戦いを、勇姿をSNSにアップする。
ポチを励ます声の波が、その小さな背を後押しする――。

「――さあ、愛しいあなた」

悪魔が押し寄せてくる。満々と殺気を湛えて襲い掛かってくる。
二頭対無限の戦い。圧倒的な戦力差、不利、劣勢、絶体絶命の窮地。
だというのに、シロは笑っている。――その名の通り純白の、美しい笑顔だった。
シロがポチへと右手を差し伸べる。

「伝説を。創りにゆきましょう」

オオカミこそは自然界最強の捕食者。そう、後の世に人々に語り継がれるような戦いを見せる。
それこそが、ポチとシロのすべきことなのだ。

228多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/10/27(火) 23:42:38
 世界の終わりが始まった。
不気味な極彩色が空を覆い、魔法陣から悪魔達が雨のように降り注ぐ。
終末の使徒たちが、讃美歌めいた歌を歌いながら、破れた結界の外へと飛び出していく。
 このままでは人々が悪魔に襲われて死ぬ。やがて世界が滅ぶ。
祈の中にそんな焦りがあったが、いち早くこの状況に対応すべく、ターボババア・菊乃が飛び出した。
そしてこの場から離れる前に、祈にこう言い残していった。
『人間たちの救助はアタシらがやるから、アンタはどうにかアイツを倒す手段を考えるんだ。いいね』と。
多くの人々を助けるために、今は策を考えろと。
 だからこそ祈は、聞こえる悲鳴をきっと誰かが救ってくれると信じて、飛び出したい必死に気持ちを抑えた。
そして逆転の策を求めて、仲間たちに何か案はないかと求めるのだった。
 ノエルは祈に同調。

>「いいね! 妖怪大統領を叩き起こそう!
>もしもいなかったら……その時はハッタリを貫き通していることにしてしまえばいい。
>バックベアードの正体を知ってるのはまだ私達だけだよね。
>ベリアルがレディベアにやったみたいに、アバターで日本中の妖怪を騙してみるのは?
>レディベアか橘音くんの瞳術だけど……不特定多数に幻を見せるのは流石に難しいよね。
>私が空を雪雲で覆って巨大なスクリーン状態にする。そこに妖怪大統領を瞳術で投影しているように見せかける」

 いつもと違う、見たことのない中性的な姿のノエル(人格?)だが、
切羽詰っている状況で改めて訊ねているヒマはなく、ひとまず祈はその言葉を聞いて頷くに留めた。
 ノエルの策は、もし妖怪大統領が存在しなくても、
こちらの演技と映像で妖怪と人間双方を騙し、『いることにしてしまう』というもの。
 人々の中に希望が生まれ、『そうあれかし』が集まれば、
本当に妖怪大統領は顕現するだろうと。それならアンテクリストに対抗する戦力が生まれるはずだと。
 尾弐もまた、その策に乗っかった。

>「情報を拡散するってなら妖怪に頼むより人間に頼むのはどうだ? 聞いたところ、最近のインターネットってのはすげぇんだろ?」
>「群衆をぶつけて為政者を引きずりおろすのは人間のお家芸だ。77億のそうあれかしをぶつけりゃあ意外に何とかなっちまうんじゃねぇか?」

 祈がまたも頷く。
 ノエルの策では、妖怪大統領の姿を投影する範囲、それを視認している人間や妖怪にしか届かない。
だが、インターネットを使って拡散すれば、
より多くの人間に妖怪大統領がいると見せかけられる。より『そうあれかし』が強まることになるのだ。 
「……これだけ力量差があると、人柱を立てて封ずるってのも無理そうだな」と、
先に前置きをしてから話すのはいかにも尾弐らしい。
 尾弐は続けて、レディベアを起こす手段として、
SnowWhiteに入り浸っているという心の内側を覗く妖怪、覚の力を借りてはどうかと提案してくれた。
 たとえアンテクリストが邪魔をしてきても、自分が時間を稼ぐから、
龍脈の神子としての力と願いの総量でぶちぬき、起こしてしまえという。

>「絶望は深いかもしれねぇが、それでも誰かが手を差し伸べてくれれば必ず光は射す――――他ならぬ、絶望に浸かり続けた馬鹿な鬼が言うんだから間違いねぇよ」

 その言葉は心強く、頼もしい。
そして尾弐がポチにもっと良い考えがないかと問うと。

>「……よしてよ。僕じゃ何も分からないよ」

 ポチの弱気な答えが返って来る。苦しげに言葉を紡ぐ。

>「だって……橘音ちゃんでも、何も思いつかなかったんだよ?
>僕だってこんな事、言いたくないよ。でも……夢を見たって、仕方ないんだ。
>僕らが思いつくような事を、橘音ちゃんが……例え混乱していたって、考えなかったと思う?」

 橘音のように恐怖に呑まれたわけではないようだが、あまりに悲観的な物言いだった。

229多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/10/27(火) 23:48:49
 ポチは、ミカエルの援軍や御前を頼り、
天羽々斬やある神社の神剣二振りなどで戦力を増強する案を口にした。
レディベアを起こす方法についても、橘音を復活させた儀式や運命変転の力でどうにかならないかと意見を述べてくれた。
 だがそれらも、橘音なら思いついたもののはずだと。
知恵者が考え付かないのなら、素人考えでどうにかなるはずはないのだと、そう諦めの言葉を口にする。
 妖怪大統領を復活、
あるいはでっち上げて創造することについても否定的であった。
橘音を上回る頭脳を持つベリアルとて考え付かなかったはずがない、新たな神の創造。
だが敵がやらなかったのならおそらく、悪手であろうというのだった。
だから今更何を考えたところで無駄だと。おそらくそんな風にいいかけたところで、ポチの口が止まった。

>「いや……だったら――でも、そんなの、変だ。なんでアイツは……」
>「……なんで、アイツは僕らを殺さなかったんだろう。レディベアを、祈ちゃんを、生かしておく理由なんてなかったのに」

 ポチは、アンテクリストがブリーチャーズを殺さなかった、いや、殺せなかった理由に気付いたのだった。
赤マントからベリアル、ベリアルからアンテクリストへ。
性格の変異という計算外が起こった故に、見逃さざるを得なかったのだと。
 そして、龍脈の神子たる祈と、ブリガドーン空間の力を持ったレディベアが辛くも生存したことで、
アンテクリストと同じことをしてやれるのだと指摘する。
 祈も確かにと頷く。

>「――赤マントのやり方をやり返すなら、レディベアには……嘘をついた方がいい。
>妖怪大統領は、いるかもしれない……じゃない。いるんだって信じてもらった方が。
>声を聞いたとか。ほんの少しだけど、においがしたとか、そんな事を言って」

 ただ、この言葉に対しては、ローラン同様に。

「レディベアにそう思い込ませた方が成功率は上がるってことなんだろうけど、あたしも反対だな。
つーか、ポチだって、家族愛を利用するのは嫌だって顔してるぜ。無理に悪いヤツぶってそういうこといわなくていいんだよ」

 と反対し、窘めた。
 レディベアはローランが目覚めさせてくれるらしいが、アンテクリストの影響か、龍脈の流れがおかしい。
運命変転の力が十全に使えるかどうかは怪しいという不安要素はある。
 だがともあれ、二案出た。
 妖怪大統領の復活、あるいは創造。
そしてレディベアのブリガドーン空間の力と、祈の龍脈の神子としての力を組み合わせてアンテクリストのやり方を返す方法。
 先程橘音は、『祈ちゃんに何が分かるんです!アナタはあれの強大さがよく分かっていないから、
そんな向こう見ずなことが言えるんだ!』と、祈を拒絶して、心を閉ざした。
だがこの二案ならどうかと、祈は橘音の方を見た。
 もしこれで橘音が動かないようなら、祈は他の仲間たちとだけで行動を起こすつもりでいた。
 人々の悲鳴や怒号がどこからでも聞こえる。
ターボババアや陰陽師、妖怪、手すきのものが人々を助けようと動いているようだが、悪魔の数が多すぎる。これ以上は限界だ。
 いくらより多くの人を救うためだとしても、これ以上作戦会議に時間を割いて、
目の前の人々の命を見捨てることはできしない。見捨てていい命なんてものはないのだ。
 実際のところ、仲間たちの出した二つの案だけでは、橘音は動かなかっただろう。
 それ程までに恐怖の力は大きい。
 恐怖に震えるものにとって、敵は実体以上に大きく見える。
勝算がある策でも無謀な賭けに思え、命綱は頼りない藁としか映らない。
だがそんな橘音の心を動かしたのは。

>「この戦いが終わったら――――結婚してくれ。橘音」

 橘音の傍らに立つ、尾弐の言葉だった。
橘音の重荷は己が背負うから、己が頑張るために共に頑張ってくれと。
尾弐はそう橘音にいった。

>「……フ……フ……。
>……ズルいなぁ……クロオさんは。
>この期に及んでそんなこと言って……ボクに、どういうリアクションを期待しているんです……?
>こんなどうしようもない状況で。とっくに終わってしまってる、どう考えたってゲームオーバーな様相で――」
>「そんなこと言われちゃったら……、どうでも、頑張るしかないじゃないですか……!」

 愛。ただそれだけが橘音の恐怖に震える心を動かした。
それは勝算が僅かな賭けに全てを賭ける理由。藁のような命綱でも命を預ける理由になってしまう。
 半狐面をつけた橘音の顔から涙がこぼれる。

>「プロポーズ、お受けします。
> 一緒に……幸せになりましょうね」

 涙をぬぐい、橘音が微笑む。

「おめでとう、尾弐のおっさん。橘音。
……こんな状況でなければもっと、ちゃんと祝ってやんのに」

 いかなる状況であれ、男女が結ばれる光景は尊いものだ。
 祈も、もっとしっかり祝ってやりたかった。
下手したら何百年もかけて結ばれた二人だ。花の一つも買って、二人を抱きしめて、振り回してやりたかった。
悪魔が舞い、終世主を称える賛美歌を歌い、人々の悲鳴が響く、こんな状況でさえなければ。
 ポチとシロが愛を確かめ合う。
救助して来たであろう親子を両脇に抱えて、ターボババアが戻って来る。
 橘音が立ち直り、アンテクリストを倒すための作戦が始まろうとしていた。

230多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/10/27(火) 23:53:57
>「正直な話、今でもボクたちの力であのアンテクリストに勝つ方法は思いつきません。
>あれは強大すぎる。ボクたちがどれだけ力を振り絞ったとしても無駄でしょう」
>「でも――それは『東京ブリーチャーズだけで何とかしようとした場合』です。
>ボクが間違えていました。簡単な話だったんだ……ボク達だけで勝てないのなら、勝てるだけの頭数を揃えればいい。
>全員で倒すんです。この東京という土地に住む、すべての妖怪と人間の『そうあれかし』で。
>皆さんの言う通り、みんなで。力を合わせましょう」

 橘音が皆の意見を纏め、打ち出す作戦。その流れはこうだった。
 まず、上空に展開されているベリアルの魔法陣を除去する。
これにより龍脈の流れを戻し、祈が龍脈の力を十全に使えるようにするとともに、無尽蔵に湧く悪魔たちを堰き止める。
 そのために必要となるのは、橘音に所縁のある代物を東京の五か所に持って行き、安置することだ。
 安置したら橘音が五芒星を展開し、魔法陣を上書きするという。
 だが、こちらの目論見をアンテクリストは看破し、邪魔をすることが予想される。
だから祈達は天神細道を使い、各所に散ったあと、橘音所縁の品を守らなければならない。
 そして同時に行うのが、避難所の構築と防衛だった。
東京の人々を避難所に匿い、助け、心に希望の灯をともすのである。
 『こんな絶望的な状況でも助けてくれる誰かがいる』、『なんとかなるかもしれない』。
何万という人々が抱くそんな『そうあれかし』は、どういう形であれ、この状況の打破を後押しするだけの力となるだろう。 
 橘音は、人々の『そうあれかし』を束ねて、妖怪大統領を目覚めさせるか創造することが唯一の突破点になるといった。
妖怪大統領を味方に付けることで、ブリガドーン空間の力もアンテクリストから奪い、弱体化を図るのだと。
 この混乱を極める状況下で、妖怪大統領・バックベアード(空亡)なる存在について人々に説明するのは難しいかもしれない。
現状やブリガドーン空間などの小難しい話をしたところで、人々がそれを咀嚼し、飲み込めるかどうかだ。
ノエルの作戦通り、スクリーンに映し出すなどすればできるだろうか。
 だが人々の思考を上手く誘導できなかったとしても、
目の前で戦う誰かが希望だと思えば、その人物に力が集中し、アンテクリストを倒す力になるかもしれない。
なんとかなると思えば、『そうあれかし』が作用し、直接的にアンテクリストが弱体化する可能性もあるだろう。
どちらに転んでも問題はなさそうである。
 あとはレディベアをローランが復活させ、協力を取り付ければ二案は成る。

>「祈ちゃんはローラン、レディと一緒に大田区へ――」

「わかった」

 橘音所縁の品の一つである聞き耳頭巾を受け取りながら、祈は思う。
 もし問題があるとすれば、妖怪大統領が『創造』されたときだろう、と。
創造されたそれは、ブリガドーン空間を統べる大妖怪・妖怪大統領ではあっても、レディベアの父ではない。
 レディベアと一緒に過ごした記憶もなければ、声もおそらく違うだろう。
似て非なる何かでしかなく、その姿は父の実在を信じたレディベアにとっては残酷な結末となる。
 アンテクリストの内側に、僅かな良心、父性、妖怪大統領の人格の欠片とも呼べる何かがあり、
それを元に復活することを願うばかりである。

>「迷い家外套と召怪銘板は、ボクが持っていきます。
>そして最後、江東区へは……オババ。お願いできますか?」

 橘音は、ノエルに姥捨の枝、ポチに童子切安綱を渡している。
東京ブリーチャーズの正規メンバーは5名。
五芒星を張るのに適した人数だが、橘音は結界を張るという役目があり、自分に所縁ある品を安置することも、避難所を守ることも難しい。
故に尾弐と足立区へと向かうことになっている。
 五芒星を描くには手が足りないので、白羽の矢が立ったのが、菊乃だった。

>「フン、アタシは東京ブリーチャーズじゃないよ。アンタの都合で使われて堪るかい。
>……とはいえ、今はそんなこと言ってる場合じゃない。東京が滅びる瀬戸際だ。
>可愛い孫の明日のために、一肌脱いでやろうかね」

 菊乃は肩をすくめ、面倒くさそうにそう返した。そうして蓬莱の玉手箱を受け取ろうとするのだが。

>「……待ってくれ、その役目は……私に任せてもらいたい……!」

 横合いから放たれた女性の声に遮られることになった。

231多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/10/27(火) 23:58:36
 声の方を祈が見遣れば、そこに立っているのは、
波打つ金髪と、物語から飛び出てきたような美貌が特徴の外国人女性。
年の頃は20代半ばであろうか。祈の知った人物、否。

>「ミカエルさん……」

「ミッシェル、来てくれたんだ」

>「遅れてすまなかった。やっと主の承認が下りたのでな……。
>大天使長ミカエルと御遣い千三百騎、参着した」

 大天使長ミカエル。
 かつて陰陽寮での一件では世話になった、聖書に登場する天使である。
橘音をボコボコにしつつも、ロボを倒すための必殺の武器、魔滅の弾丸を託してくれた天使でもある。
最終決戦には駆けつけてくれるといっていた、その約束を果たしに来てくれたのだ。
1300もの援軍を連れて。姿は見えないが、おそらく御使いとやらは上空辺りにいるのだろう。

>「ついに、あの方が力を取り戻してしまわれたか……。怖れていた事態が現実になってしまった。
>ならば……私も死力を尽くさなくては。あの方を……この命と引き換えにしてもお止めする。
>それがこのミカエルの誓い――」
>「虫のいいことを言っているのは、百も承知だ。
>だが……どうか頼む。我々も貴公らの戦列の端に加わらせてくれ。
>あの方は我ら天使の兄。英雄にして教師。そんなあの方が引き起こした事態ならば、手をこまねいてはいられない……。
>頼む、私は……責任を果たしたいんだ……!」

 そしてミカエルは真剣な、思い詰めたような表情で頭を下げ、五芒星を描く手伝いをしたいといった。
 ベリアルとの深い関係があるからこそ、責任を感じているのかもしれないと、そんな風に祈は思った。
 菊乃は何かを察したようで、嘆息して、橘音に向かって頷くのであった。

>「……分かりました。
>ではミカエルさん、これはアナタにお預けします。江東区へ向かって下さい」

 そうして蓬莱の玉手箱は橘音からミカエルへと託されることになる。

>「恩に切る、アスタロト。
>必ずや、其方の作戦成就の一助となろう」

 決意の表情でそう返すミカエルに、今は狐面探偵那須野橘音であると訂正する橘音。
結婚を約束しているから、近々、尾弐橘音になり、再度訂正が必要になるであろうと祈は思う。

「アタシも同行しようじゃないか。現地の妖怪の案内があった方が楽だろうし、手勢は一人でも多い方に越したことはないだろ」

 菊乃は祈から、ミカエルが手負いの天使であることを聞いている。
また、ミカエルから危なっかしさのようなものを感じてもいた。それ故に、同行を申し出たのである。

「なに、メインはアンタで、アタシはバックアップに努めるさ。アタシは菊乃。よろしく頼むよ、ミカエルさん」

 ターボババアは、高速戦闘に慣れた妖怪である。
地上であれば、『そうあれかし』による走行速度の制限があり、時速140〜160キロ程度でしか走れない。
人々がターボババアはそのぐらいの速度で走る妖怪だと定義した故に。
だが、菊乃はそれを守らない。
 妖気を練り上げて肉体を強化し、空気の壁を蹴るという方法で空を走る。そのときの移動速度は音速に迫った。
また、人間達を観察して会得した数々の武術を用いる、蹴り技のエキスパートでもある。
その蹴り技は、ときに音速を超え、敵の体を刻み、穴を穿つ。
その力を人目に滅多に晒すことはないが、悪質な妖怪がはびこるとき、夫と娘を守るために脚を振るった経験もある。
大妖ほどの戦力ではないが、ある程度の助力にはなるであろう。

>「作戦が成功したら、再度この都庁前に集合!そしてアンテクリストに最終決戦を挑みます!
>皆さん……別行動はこれが最後です!
>必ず、またここでお会いしましょう!」

 橘音がそう指示を下し、祈達はまた再び、別の場所で戦うことになるのだった。

232多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/10/28(水) 00:04:06
 天神細道を通り、祈はレディベアを抱えたローランと共に、大田区へと渡った。
 避難所として指定されている学校かどこかの校庭に出た、と祈が理解すると同時に、
校庭のど真ん中に濃い霧と迷い家が出現。
 妖怪や陰陽師達がその中へ人間達を呼び込み始めた。

>「レディは今、すべての妖力を放出しケ枯れした状態にある。
>彼女を目覚めさせるには、まず――出し尽くしてしまった妖力に変わる力を彼女に注ぎ込む必要があるんだ。
>……わたしに考えがある。見ていてくれ」

 そんな中、迷い家の敷地の前でローランがレディベアを地面へと下ろし、仰向けに横たわらせた。
自身はその傍らに屈み込むと、レディベアの腹部に手を当て、呼気とともに力を解放する。
 ローランの体から金色の気が立ち昇る。
 感じる力の質は、以前、ミカエルが扉から出現したときに感じたものと似ていた。
神々しさをも感じる力がレディベアの腹部に翳した手を通じ、レディベアへと流れていく。

>「わたしの力の源、祝福された聖人の力……神力をレディに与える。
>普通の妖怪なら肉体が拒絶反応を起こすところだが……レディは元々人間だ。きっとこの力も受け容れることができるだろう。
>すまない、祈ちゃん……この作業には少し時間がかかる。
>悪魔たちを寄せ付けないように……守って、貰えないか……?」

「いいけど……おまえそれ、大丈夫なのか? 体とか」

 祈にそう要請するローランの表情は険しく、額には汗がにじんでいる。
見るからに、僅かに残った生命力を絞り出して分け与えているといった様子で、祈の表情も不安げである。
 だがローランは、そんな祈を安心させるためか、微笑みを浮かべて見せた。

>「……ハハ……。大丈夫さ、わたしのことなら心配いらない……。
>自分が生き残るだけの神力はとっておく……。ここで死ぬようなヘマはしない……よ……」

 それはいつも見せるものと違い弱々しい笑みだったが、言葉の真偽を確かめるだけの時間はない。
 ローランが神気を解放するとともに、周囲の悪魔たちがこちら目掛けて殺到するのが見えた。
 ローランが悪魔にとって上質な餌なのか、神気を放つローランが悪魔にとって倒すべき敵と認識されたのか。
それとも、もともと人間が集まりつつあったから目を付けられたか。

「みんな、建物の中に入って! 急いで!」

 祈は、聞き耳頭巾やバッグをローランとレディベアの近くに置くと、駆けてくる人間達にそう声をかけた。
 四方八方、上空からも押し寄せてくる悪魔達から、
ローランとレディベアはもちろん、避難して来る人間達と迷い家まで守らなければならないとなると――。
考えたくもない負担であるのは明らかだった。

「出し惜しみしてる場合じゃねーか。――『変身』!」

 祈は右手を眼前に翳し、力を解放。
赤髪、金眼、黒衣――ターボフォームへとすばやく変ずる。
もしかしたら知り合いがいる可能性もあるのだが、この際構ってはいられない。
 そしてスポーツ用のバッグの中から、透明な液体の入った瓶をいくつも取り出すと、
手近な妖怪や救援にきた陰陽師に手渡し、迷い家の周囲にかけるよう呼びかける。
 瓶の中身は聖水(として売られているもの)。
ある程度ちゃんとしていそうな教会から買ったので、結界代わりになる。
下級の悪魔達程度であれば、きっと退けてくれるだろう。
 禹歩は神力を分け与える作業に差し支える可能性があるので、使えない。
それを考えれば、貴重な防衛手段である。
 さらにウエストポーチをバッグの中から引っ張り出し、腰に付けた。
肩がけにすべきだが、中身がぎっしり詰まっていて零れる可能性があるのでこの付け方が今は正しい。
 橘音からもらったウエストポーチは、ファスナー付きで、二重構造になって収納スペースが分けられている。
手前側にはレディベアとの思い出の品であるストラップや、
コトリバコの指が入った箱といった小物が入っており、奥側には。

(持ってて良かった、ウエストポーチと銀の弾丸ってね!)

 赤マントとの対決では、悪魔の軍勢とぶつかることは充分に考えられた。
だからこそ備えとして持ってきた、銀の弾がぎっしり詰まっているのだった。
 弱いからこそさまざまな道具を使って戦う。そんな祈のスタイルが、ここにきて役に立っていた。
純銀に近い銀細工用の粘土をこねてつくった弾丸は、
ロボのような強敵には効果が見込めなくても、下級の悪魔であれば効果を持つようだ。
 祈の今の力も加われば、銀の弾丸をつまんで投げつけるだけで、悪魔の脚に大穴を穿ち、羽を刈り取るだけの威力となった。
 祈は限りある弾丸を節約して戦いながら、
「時間を稼いでくれといったが、どのくらい待てばいいのか」そんな風に問おうと思い、ふとローランを振り返った。
その目に映るのは、頬はこけ、白髪になり、老人のようにやせ細っていくローランの姿だった。
 弱々しい姿になり果てるほどに力を分け与えたのであろうが、
それでもレディベアが目覚める様子はない。そして、ローランが力を分け与えるのを止める様子もなかった。

233多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/10/28(水) 00:16:50
(死ぬ気はないって言葉、信じるからな……!?)

 祈はただ、その言葉を信じて戦う他ない。
 風火輪を吹かしながら、地を走り、空を駆け、時に銀弾を投げながら、縦横無尽に祈は戦った。
今の祈は、龍脈から流れてくる力を制限されてはいるものの、その強さは下級の悪魔や中級の悪魔とは比較にならない。
 だが、自身に寄って来る悪魔だけを退治するのとはワケが違う。
祈だけに目掛けて殺到するのなら、どれだけ数を揃えようとも、悪魔が祈を攻撃できる距離は限られる。
近距離になればなるほど、悪魔同士の体が邪魔になるから、祈は前後左右と上の五方だけ対応できればいい。
つまり、何匹いようが常に相手するのは5体だけで済む。
 今の状況はそうではない。避難所である迷い家。逃げてくる人間達。弱い妖怪や陰陽師。
迷い家の前のローランとレディベア。守る対象が余りに多すぎた。
 全方向に気を配り、緊張状態を切らすことなく走り回らされて、飛び回らされる時間は、
たかが十数分の時間を何十分にも引き延ばして感じさせるほど、祈の精神を消耗させた。
しかも押し寄せてくる何百、何千もの悪魔を、殺さないように手加減をするなどという荒業を続けていれば、当然集中力も切れる。
隙が生まれ、頬や脚、背中。徐々に負傷箇所が増えてくる。
 豊富にあった銀弾も尽き、ターボフォームは想定していたよりも早めに切れた。
 生まれた一呼吸の、致命的な隙。
死角で振りかぶられた悪魔の三叉槍に、祈は直前まで気付かなかった。

>「死ネ!死ネェ!神子オオオオオオオ!!」

「しまっ――」

 叫びながら放たれた三叉槍は、いわばテレフォンパンチに近かった。
だが、振り返って認識したときにはもう遅い。
反応できず、あと数十センチで祈の背中に突き刺さるというところに三叉槍は迫っていた。
 だが、祈にその切っ先が届くことはない。

>「ぐ、ふ……」

「ロー、ラン……?」

 祈は驚愕に目を見開く。
飛来する三叉槍の射線上に割って入ったローラン。
三叉槍は、その胸に深々と突き立っていた。

>「大丈夫、かい……祈、ちゃん……?
>……よかった……。君にもしものことがあったら……レディが、悲しむからね……」

 片膝をつくローラン。

「お陰で平気だけど……!おまえの方がボロボロなくせになにやってんだよ!?」

 群がる悪魔や、三叉槍を投げた悪魔を蹴散らしながら、祈は叫ぶようにいった。

>「わたしの、神力は……与え、終わった……。あとは、祈ちゃん……君が、レディに……働きかけて、くれ……。
>彼女を……絶望の、淵から……救い出して、やって……欲しい……」
>「さあ……、選手交代だ……。
>悪魔どもはわたしに任せて……祈ちゃん、彼女を……頼む……!」

 どす黒い血を吐きながらも、ローランはデュランダルを杖代わりに立ち上がる。
洗脳されたレディベアに痛めつけられた傷も完全に癒えてもいなかったであろうに、生命力を吐き出し、老人さながらに消耗したローランは、もはや超人でも何でもなかった。
ダイヤモンドのような硬度を持つはずの肌も効力を発揮しなくなって、祈の所為で致命傷も負ってしまった。
 だというのに、ローランは折れない。三叉槍を強引に引き抜き、前へと一歩踏み出す。

「ローラン……おまえ……」

 その瞳には、僅かな生命力を燃やす決意の炎が見えた気がした。

>「我が名はローラン……、聖騎士ローラン!
> 騎士とは乙女を護るもの。今こそ我が魂に刻みしその誓いを果たす!」

 悪魔達を迎え撃たんと、ローランが剣を構え、駆けていく。
 動きにはキレがなく、精彩を欠く。弱り切った体で戦えば十中八九死ぬ。
だが体が動く限り、ローランは戦いをやめないだろう。

(……バカ野郎。おまえが死んだってモノは悲しむに違いないのに)

 ローランとレディベア。二人はどこか似ている。
 妖怪大統領の代行、第一の臣下のように振る舞っていたレディベア。
レディベアの騎士として仕えていたローラン。
 愛する誰かのために尽くすことが、きっと生きる意味だった。
 そんな似た者同士の二人だからこそ、互いに認め合い、一緒にいたのだろう。
 死なせるべきではないと強く思う。
 だが、祈はその背中を止めることはできない。
その覚悟を踏み躙ることはできず、見送ることしかできなかった。
 祈とて、似たような気持ちでこの場所に立っているからだ。

(ばーちゃんも、同じ気持ちだったのかな……)

 たとえ死ぬことになろうとも、己が為したいことを為す。
それが生きる意味。そうでなくては生きていけない。
 祈が自身を危険に晒して妖壊と戦うようになったときも、東京ブリーチャーズに入ったときも、ターボババア・菊乃は止めた。
 だが祈が折れなかったから、菊乃は認めざるを得なかった。
無理矢理に止めて生きる意味を奪うか、危険だと分かっていても戦いに行かせるかの二択。
それを迫られるのはきっと、こういう気分だったのだ。
 祈は力なく歩いて、横たわるレディベアの傍らに立った。

234多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/10/28(水) 00:33:39
「なぁ、モノ。さっさと起きろよ。じゃないと、ローランが死んじまうぞ。
あいつは妖怪じゃないから、死んだらきっとそれきりになる。
おまえ、あいつのこと嫌いじゃなかったんだろ。いいのか。会えなくなっちまって」

 そして、寂しげな表情で、レディベアに、ぽつぽつと言葉をかけていく。

「……ローランもきっとおまえのこと好きなんだと思う。
そんなあいつの気持ちを、どうか裏切らないでやってほしい」

 いまローランを止められるのは、レディベアだけだろうから。

「このままじゃこの世界も……違うな。あたしがいいたいのはそんな言葉じゃなくて」

 今レディベアを起こすのは、狙いがあるからだ。
 レディベアはブリガドーン空間の器。
祈が持つ龍脈の神子の力と組み合わせれば、ポチの言う通り、理論上はアンテクリストと同じことができる。
 二人の力で逆転も可能かもしれないという、そんな狙いが。
 だが、戦力としての期待があるから、絶望に倒れた友達を無理矢理起こしたいわけではなかった。
 そういう打算で起きて欲しいのではないのだ。
かけるべきはそんな言葉ではないと、祈は頭を振る。
 祈の素直な気持ちは。

「――あたしと一緒に生きてほしい。この世界で。
ワガママをいってるのはわかってる。
父ちゃんがいないってわかって傷付いたおまえに、立って戦えなんていうのはヒドイ話だってのはあたしもわかってる。
でも、父ちゃんがいなくて傷付いてるなら、悲しいなら、あたしがずっと寄り添ってやる。
案外この世界も悪くないってきっと思わせてやる。だから、一緒に生きて、戦ってほしい。
おまえのことがあたしには必要なんだ」

 世界を救いたいからレディベアに助力を乞うのと、
レディベアと一緒に生きたいから力を貸して欲しいと願うのは、大きな違いがある。
 レディベアを想っているか否かという大きな違いが。
 祈は、一緒に生きたいと思った。
面倒くさくて融通が利かなくて、お嬢様めいて庶民の祈と合わないところもあるが、ずっと一緒にいたいのだ。
生きていれば本当の両親を探したっていいし、いくところがなかったら家族として迎えたっていいだろう、なんてことを祈は思う。
 ポチは、目的のためならレディベアに嘘を吐いた方がいいというように言ったが、
祈は正直に続きの言葉を紡いだ。

「それに、もしかしたら、絶望する必要なんてないかもしれない。
すげぇ低い可能性だけど、妖怪大統領はいるかもしれないってあたしは思う。
ブリガドーン空間でおまえのそうあれかしの影響を受けたんなら、
赤マントの中に人格として存在しているんじゃないかってさ」

 赤ん坊から14歳の少女になるまで育てるというのは大変だ。
ミルクをやり、おしめを取り換え、ゲップをさせて寝かしつけて。
そうあれかしで妖怪へと変じさせるために、献身的に世話をし、優しい言葉もかけただろう。
いずれ外界に出すため、知識を与える必要もあったから教育も施しただろう。
 目的があったとはいえ、そこには何らかの感情があったと祈は見る。
 そしてその14年もの間、レディベアの『偉大なる妖怪大統領は、父は実在する』というそうあれかしを喰らい続けているのだ。
影響を受けていないとは思えない。
 赤マントの内側か、レディベアの内側か。
どこかはわからないが、それらしき何かがいるのだと祈は考える。
 もしかしたらレディベア自身、覚えがあるのではないだろうか。
 ローランに出会ったとき、ローランによって追い詰められた赤マントは、真っ先にレディベアに逃げろと呼びかけた。
赤子ならまた作り直せばいいが、自身が滅ぼされたら終わりだという状況で。
 赤マントなら、上手くレディベアをけしかけ、自分が逃げる算段もつけられたかもしれないというのに。
 祈が知らぬ赤マントの一面。赤マントがなぜレディベアを助けようとしたのか。その理由を。

「確かめに行こうぜ。怖いかもしれないけど、あたしも一緒だ」
 
 楔を打ち込み、魔法陣を上書きした後、不要になるようであれば、聞き耳頭巾を使ってもいいだろう。
聞き耳頭巾は、動物だろうと植物だろうと、神羅万象なんとでも会話できる特殊な能力を備えている探偵7つ道具の一つ。
 アンテクリストの内部に妖怪大統領がいるのなら、会話もできるかもしれない。

235御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/11/01(日) 21:20:12
>「この戦いが終わったら――――結婚してくれ。橘音」

>「プロポーズ、お受けします。
 一緒に……幸せになりましょうね」

誰が何を言っても絶望したままだった橘音だったが、尾弐のプロポーズで立ち直る。
そんな二人に祝福の言葉を告げる祈。

>「おめでとう、尾弐のおっさん。橘音。
……こんな状況でなければもっと、ちゃんと祝ってやんのに」

「今じゃなくていいよ、後でいくらでも祝ってあげられるんだから。
祈ちゃんも他人事じゃないんだよ? 君もレディベアと幸せにならなきゃいけないんだからね!?」

何ら間違ってはいないのだが、尾弐と橘音のそれとは若干ニュアンスが違うような気もする。
人間界に降りて愛を知った氷雪の化身は、しかし愛には種類があることを未だよく理解していないようだ。

「クラスメイトが言ってたよ、もうアイツら結婚すればいいって!」

――ついでに現在の日本では同性では結婚できないという事実もよく理解していない。

>「神となってからのアイツは、僕らに興味なんかなさそうだった。
 でも、まだ赤マントだった時は?別にあの時に僕らを殺したって良かったのに。
 むしろ……そうした方がアイツ好みの、最悪の結末だったはずなのに」

>「天使には、唯一絶対とも言うべき『そうあれかし』があります。
 それは『自らの権能に忠実であること』。天使には九つの位階というものがあり、位によって仕事も変わってきます。
 天使はそれ以外のことができない。忠実な機械のようなものです。
 そして、神の長子もそれは例外じゃない……」

一行が殺されずに済んでいるのは、敵の人格がベリアルからアンテクリストへ変化したため。
それも取るに足らないと思って放置したなどというレベルではなく、『そうあれかし』の絶対の法則によって殺せなかったとのこと。
ローランが、レディベアを起こす策があるという。

>「とはいえ、だ。何をするにせよ、まずはレディを起こさなくてはならないな。
 ミスターやポチ君の提案も有効だと思うが、ここはわたしに任せてくれ……わたしが彼女を目覚めさせる。
 ただ、それには少しだけ時間がかかる。祈ちゃん……手伝ってくれるかい?」

「頑張って、祈ちゃん!」

そう言って祈の背を軽く叩いた。

236御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/11/01(日) 21:21:14
>「それと……愛してる」

>「……私も愛しています。
 けれど……この愛は。あなたと私だけの間で完結させてしまってはいけないのです。
 私たちの子へ、遠い未来へ。オオカミの血族の絆として、紡いでゆかなければ」

ポチとシロが愛の言葉を交わすのをしみじみと見つめていた御幸は、冗談めかしてハクトに笑いかけた。

「ふふっ、みんなすごいね。私には真似できないよ」

「仕方がないよ、ああいう愛を知るには君は精神のスケールが大きすぎるもの」

「そんないいもんじゃないよ? 欲張りだから一番なんて選べないだけ」

その心は万象に降り積もる雪のごとく。ノエルは一番を選べない代わりに、自分も一番であることを望まない。
それでいて橘音の幼馴染で親友、祈の守護霊にしてクラスメイトという順位とは別枠の立場を持っている。
尾弐は”百年千年君を守り抜く”という幼き日の橘音への約束を委託した相手で、ポチとは共に(元)災厄の魔物で一族の王者同士。
誰とも競わずに皆の近くにいられる立ち位置で、皆が幸せそうにしているのをずっと見ていることが出来れば、最高に幸せなのだ。

>「まず、この二十三区を覆うように張られたアンテクリストの印章を除去しなければいけません。
 この印章の上にボクが大術式を用いて新たな結界を張り、アンテクリストの印章を上書きします。
 これによって、アンテクリストに支配されている龍脈の力を祈ちゃんへ回すことができるようになるはずです」
>「結界は五芒星を描きます。ただ、結界の安定化には五芒星の頂点にそれぞれ楔を配置しなければなりません。
 これから隊を五つに分けます。各員はそれぞれ二十三区内の所定の場所へ行き、楔を安置してください」
>「楔と言いましたが、イメージ的な話です。実際に杭を打つわけじゃない。
 結界を構築する術者であるボクの妖気が籠った物品を、要点に配置するのが重要なんです。
 七つ道具にはボクの妖気がたっぷり染み込んでる。これが触媒としては適役でしょう。
 ノエルさん、アナタは板橋区へ。
 ポチさんとシロさんは、杉並区へ。
 ボクとクロオさんは、足立区へ。
 祈ちゃんはローラン、レディと一緒に大田区へ――」

御幸が姥捨の枝を受け取ると、ハクトが原型になって肩の上に飛び乗った。

「危ないから避難所で待ってて――と言いたいところだけど、一緒に来て。
君を戦略上利用することを許してほしい」

「もちろん、そのつもりで来たんだ。
普通ならぼく程度じゃ足を引っ張るだけだと思うけど……聞いたよ、その力の発動条件。それならぼくでも力になれる」

橘音は菊乃にも助力を要請するが、その役目に名乗り出る者がいた。

237御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/11/01(日) 21:22:27
>「迷い家外套と召怪銘板は、ボクが持っていきます。
 そして最後、江東区へは……オババ。お願いできますか?」

>「……待ってくれ、その役目は……私に任せてもらいたい……!」
>「遅れてすまなかった。やっと主の承認が下りたのでな……。
 大天使長ミカエルと御遣い千三百騎、参着した」

「いろいろ大変なんだね……。来てくれてありがとう」

こんな非常事態ですら小回りが利かないあたり、人間界の公的政治組織そっくりだな、等と場違いなことを思う。

>「ついに、あの方が力を取り戻してしまわれたか……。怖れていた事態が現実になってしまった。
 ならば……私も死力を尽くさなくては。あの方を……この命と引き換えにしてもお止めする。
 それがこのミカエルの誓い――」
>「虫のいいことを言っているのは、百も承知だ。
 だが……どうか頼む。我々も貴公らの戦列の端に加わらせてくれ。
 あの方は我ら天使の兄。英雄にして教師。そんなあの方が引き起こした事態ならば、手をこまねいてはいられない……。
 頼む、私は……責任を果たしたいんだ……!」

「ミカエルさん……」

ミカエルはベリアルを今なお尊敬し慕っているように見える。
そうだとしたら、これは彼女にとって辛い戦いになるだろう。

>「……分かりました。
 ではミカエルさん、これはアナタにお預けします。江東区へ向かって下さい」
>「アタシも同行しようじゃないか。現地の妖怪の案内があった方が楽だろうし、手勢は一人でも多い方に越したことはないだろ」

こうして5チームの組み分けが決まった。

>「皆さん、天神細道を使ってください。楔を置くべき所定の場所へすぐに行けるはずですから。
 楔を安置し、陰陽寮の皆さんが避難所を築けば、アンテクリストはきっとそれを破壊しようとするでしょう。
 ボクの結界が充分に機能し、人々の願いが妖怪大統領を目覚めさせるまで――
 何としてもそこを守り抜いて下さい、それがミッションです!」
>「作戦が成功したら、再度この都庁前に集合!そしてアンテクリストに最終決戦を挑みます!
 皆さん……別行動はこれが最後です!
 必ず、またここでお会いしましょう!」

「当然! 本当に最後だよ〜?
せっかくディフェンダーにクラスチェンジしたのにさ! ま、いいんだけど!」

悪戯っぽく苦笑する御幸。その声音にほんの少しの寂しさの音を聞いたハクトが気遣わし気に呟く。

「乃恵瑠……」

「結局さ……なんだかんだで究極の瞬間に力になってあげられるのは一番の相手だけってことだよね。
ちょっとだけ寂しいとすればそこだけだよ」

天神細道をくぐろうとする祈に声をかける。

238御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/11/01(日) 21:30:22
「祈ちゃん! また力になってあげられないけど……忘れないで。
”苦しい時も死の淵に瀕した時も――我は常にそなたの味方だ”」

人格がまだ統合されきれていなかった頃の深雪の言葉を再び告げ、戦いに赴く祈を見送った。
天神細道をくぐる前に振り向き、残る三人に声をかける。

「クロちゃん、きっちゃんを頼んだよ? 君がしくじったら約束違反でこっちまで死んじゃうんだから!」

「きっちゃん……覚えてる? ”百年千年君を守り抜く”――。あれ、まだ有効だから!
クロちゃんに委託したからちゃんと守られてね!」

「ポチ君、その力を後天的に受け継いだらどうなるものかと思ってたけど……
君はもう立派な王に見えるよ。最初から力を持ってた私よりもずっと」

再び踵を返し、今度こそ振り返らずに天神細道をくぐる。
出たのは、大きな総合病院の前。ここが避難所になるということだろう。
すでに病院前には避難してきた人が押し寄せてひしめきあい、悪魔にしてみれば入れ食いの状況だ。

「こらぁあああああ! ここはお前らの餌場じゃない!」

御幸はは理性の氷パズルを弓矢に変形させ、氷の妖力の矢で押し寄せる悪魔達を打ち落とす。

「あ……危ない!」

氷の矢の弾幕をすり抜け避難者に襲い掛かろうとしていた悪魔を、ハクトが間一髪で巨大な杵を脳天に振り下ろして昏倒させた。

「乃恵瑠! 防ぎきれない!」

「くそっ、どうすればいいんだ……!」

人間達は恐怖に支配されつつあり、場に悲壮感が漂い始めた。
その時、聞き覚えがある声が聞こえてきて、その方向を見遣る。

>「ふーはーはーはーはーっ!東京ブリーチャーズ非正規メンバー参上!
 ノエル君!アタシたちが来たからにはうっわこれ絶対無理目のやつ絶対無理無理やばたにえん!」

――とりあえず悲壮感は一瞬にしてどこかに吹き飛んだ。

「あずきちゃん! ばけものフレンズのみんな……! ムジナ君も来てくれたんだ!」

ムジナは陰陽師組長の式神なので、陰陽師のトップも指揮をとっているこの戦いに来たのは当然といえば当然かもしれない。
ちなみにばけものフレンズというのは、東京ブリーチャーズ非正規メンバーの通称である。
その用語を使っているのはノエルだけのような気もするが。

239御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/11/01(日) 21:31:09
>「いや、そこは無理でも強がっとくトコやろ。なんで開幕心折れとんねん自分。
 言うだけならタダやさかい言っとき!アタシらが来たからには、戦艦大和に乗ったつもりでいてや!とかそういう」
>「戦艦大和は沈没したんですが……」

「カイ、ゲルダ……! 会うのは全てが終わってからにしようと思ってたんだけどフライングで会っちゃったね」

一瞬だけばつの悪そうな顔をするカイとゲルダ。

「あ、やっぱりバレてた……!」「申し訳ありません姫様! 皆で共謀して姫様を嵌めました!」

「ううん、辛い役目を引き受けてくれてありがとう」

>「久しぶりやなぁ色男。
 ワシとしては橘音の坊ちゃん……いやもう嬢ちゃんやったっけ?や尾弐のアニキのとこへ加勢に行きたかったんやけど。
 自分ひとりじゃ心細いやろし、特別に手ぇ貸したるわ。
 礼は自分とこの店の権利書でええで。いやぁ太っ腹やな我ながら」

「久しぶり、元気だった?
うん、こっちに来て正解だったと思う。あの二人はなんというか……お邪魔したらいけないというか。
権利書とか人間界の小難しいことはまだよく分からないんだ! ごめんね!」

では店の賃料とかの人間界の小難しいことは誰がやっているのかというと、雪の女王の監督の元カイとゲルダがやっているのだ。多分。

>「さあ、ワシら東京ブリーチャーズの力、見せたろやないか!
 どっからでもかかって来んかい、イチビリどもがぁ!」

「そうだ、ムジナ君、武器出して。久々にあれやってあげる」

ムジナが出すのはスレッジハンマーあたりだろうか。
施したのは氷の妖力付与――具体的には氷のスパイクを付けて釘バットみたいな凶悪な感じにした。
広場のような場所に霧がかかったかと思うと、迷い家が現れていた。

「えーと……この辺でいいのかな?」

迷い家の玄関前あたりに姥捨の枝を置く。

「ハクト、避難民を迷い家に誘導頼める!? みんなは迷い家を守って!」

>「ひ、ひゃわわわわわぁぁぁ!?こっち来るなぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

あずきが迷い家の入口で小豆を投げまくる。
見た目的にはあまり強そうには見えないが、豆は魔滅。
悪魔には有効な攻撃手段であり、一方人間に流れ弾が当たってもダメージはほぼない。
人間が入るのを阻まず悪魔の侵入を防ぐ手段としては非常に有効である。

>「姫様の影に隠れがちだけど、私たちだってやれるってことをアピールしなきゃ!」

ゲルダは先に地球儀のような飾りのついた美しい杖を携え、カイは氷の妖力のブレードのスケートブーツをはいている。
世界のすべてと新しいそり靴――無論本物は今は御幸が使っているが、雪の女王あたりにこの戦闘用にレプリカを作ってもらったのだろう。
ゲルダが杖を一閃すると悪魔が冷却されて動きを止め、その隙にカイが氷のブレードで回し蹴りを叩き込み粉砕する。

240御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/11/01(日) 21:32:01
「みんな! その調子!」

しかし、急に辺りが巨大な陰に覆われ始めた。
空を仰ぎ見ると、都庁の結界を破壊したアノマロカリスが現れている。
アノマロカリスから無数の悪魔が降ってきた。
それだけではない。ひときわ巨大な悪魔が姿を現した。

>「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」

>「な……なんやねん!図体デカけりゃええってもんやあらへんで!
 色男ォ!ワレの出番や、いっちょガツンとかましたらんかい!」

「獄門鬼……! すっかりアンテクリストの軍門にくだったか!
大丈夫、見た目の割には強くない……と言いたかったけどやっぱ結構強いわ」

足元が血のような液体に満たされた石牢に辺りの風景が塗り替わっていく。

「神変奇特……ベリアルめ、こんなところに使ったのか!」

>「ブォガアアアアアアアアアアアアアアアア――――――――ッ!!!」

「臆するな! あの力を持つ者とは前に戦ったことがある!
近付いたら大幅に弱体化させられるから距離を取って!
それと遠距離からの妖術攻撃は無効――つまり飛び道具での攻撃一択だ!」

幸いなことに、ここにはあずきがいる。
相手はもともと獄門”鬼”である上に、酒呑童子の力を宿している。小豆の効果はてきめんだろう。
御幸は理性の氷パズルを巨大な羽子板に変化させた。

「あずきちゃん! 豆お願い!」

「はいっ!」

以前酒呑童子戦に参加していたあずきは、心得たとばかりに小豆を一掴み投げる。

「鬼はぁああああああ!! 外ッ!!」

――ザシュッ!

御幸が野球のようなフォームで羽子板をフルスイングしてその豆を強打。
豆は弾丸のように獄門鬼にぶちあたった。

「どうだ……!?」

こうして究極の豆まきがはじまった。

241尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/11/08(日) 14:01:27

思えば恥の多い生涯だった。
今は遠く千年の昔。只人として生きていた頃から、尾弐黒雄は後悔ばかりを重ねてきた。

――友であり弟子であり守るべきであった存在を悪意から守れなかった。
酒呑童子という鎖に絡め取られるの外道丸を、無力な自身はただただ眺める事しかできなかった。
――潔く人のまま死ぬ事ができなかった。
暗く冷たい石棺の中、外道丸の心臓を喰らい、恨みと憎しみを募らせ身も心も悪鬼と化してしまった。
――信念を貫く事が出来なかった。
運命から救うという決意を、現実という過酷を前にして擦り切れさせ、全てを『無かったこと』にする未来に救いを見出した。
――戦友と呼べる人々を見捨ててしまった。
救い無き自身の願いに拘泥し、祈の父母が犠牲になる事を黙認してしまった。
――守るべき仲間に刃を向けた。
『無かったこと』にする願いすらも叶わない事に絶望し、悪鬼と化して仲間達を傷付けた。

本当に、誰に誇る事の出来ない恥ずべき生だ。
誰かに聞かれれば嘲弄されるであろう道程を、尾弐黒雄は辿ってきた。

……けれど。恥多く、後悔と絶望と哀しみばかりの生ではあったけれど。
それでも今の尾弐黒雄には断言できる。

後悔。絶望。諦観。憤怒。憎悪。悲哀。徒労。裏切り。悪意。嫉妬。破滅。
そんなものばかりが転がっている自身の辿ってきた畦道は……生きてきた時間は、決して無意味ではなかったと。

だってそうだろう?

>「……フ……フ……。
>……ズルいなぁ……クロオさんは。
>この期に及んでそんなこと言って……ボクに、どういうリアクションを期待しているんです……?
>こんなどうしようもない状況で。とっくに終わってしまってる、どう考えたってゲームオーバーな様相で――」
>「そんなこと言われちゃったら……、どうでも、頑張るしかないじゃないですか……!」

>「プロポーズ、お受けします。
>一緒に……幸せになりましょうね」

「――――ああ。一緒に、幸せになろう」

荒れ果てた暗闇の道を歩んできたからこそ、尾弐は那須野橘音と出会えたのだから。
彼女が狐面の下で、寂しいと泣いていた事に気付く事が出来たのだから。

千と一年目の未来を、手を繋いで並んで歩いて行きたい。
生まれて初めてそう思えた女の手を引き、仲間達の祝福の元、こうして抱きしめる事が出来るのだから。

―――――

242尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/11/08(日) 14:01:55
>「天使には、唯一絶対とも言うべき『そうあれかし』があります。
>それは『自らの権能に忠実であること』。天使には九つの位階というものがあり、位によって仕事も変わってきます。
>天使はそれ以外のことができない。忠実な機械のようなものです。
>そして、神の長子もそれは例外じゃない……」

尾弐が名残惜しそうに手を放した後、ポチの作戦案を聞いた那須野橘音がその推測を補強した。
赤マントらしからぬ行動を取ったアンテクリスト。
誰も及ばぬ強大な存在『だからこそ』発生した『そうあれかし』という名の鎖。

>人間達の『そうあれかし』と、ブリガドーン空間と龍脈の力!
>それだけの力があれば……きっと、妖怪大統領を目覚めさせる事も、ゼロから生み出す事だって出来るよ!
>アイツが広げたブリガドーン空間で、アイツの首を絞めてやれる!

なればこそ、その鎖を利用しない理由はない。
元より東京ブリーチャーズの強さは下剋上が真骨頂。格上との戦いは百戦錬磨。
完璧で完全であれば手の打ちようがないが、ほんの僅かでも傷があれば、切開し捩じ広げて可能性を産み出せる。
ただし――今回の作戦には懸念が一つある。
それは、レディベアに嘘を付くかどうか。即ち、彼女の心をも道具の一つとして利用できるかどうかだ。

>「ポチ君の作戦は理解したが、わたし個人の意見としては……反対だ。
>レディの心を、ありもしない幻想と虚言で掻き乱したくはない。
>仮に、嘘をついて妖怪大統領の実在を匂わせたとしよう。レディはきっとそれを信じるはずだ、ポチ君の言うとおりにね。
>だが……その後は?もし、それが嘘だったと彼女が知ってしまったら……?
>今度こそ、レディの心は死んでしまうだろう」

レディベアを守る者であるローランは、嘘を着くことに反対する。
当然だ。嘘をついた場合――嘘が現実にならなかった場合、レディベアの心は取り返しがつかない事になる。
それはローランにとって決して許容できることではないだろう。

「……言葉に絆される必要はねぇぞ、祈の嬢ちゃん。逆にいえば嘘だと知らねぇまま完遂すれば何の問題もねぇって事だ。
 嘘を着く事で1%でも可能性が高まるなら、それを選ぶ事は決して悪じゃねぇ――――その選択もまた、正しいんだ」

そしてそれが判っているから、敢えて尾弐はローランと対極の言葉を口にした。
――誰かが自分の言葉に捕らわれた選択には、必ず罪悪感が募る。
――自分が誰かの言葉に流されて決めた決断には、必ず後悔が残る。
そんな言葉の呪いに、祈やポチの心が縛られないようにと。祈がどんな選択をも選べるようにと。
余計な御世話だと知りつつも尾弐は言葉を紡ぎ……だが、どうやらそんな尾弐の心配は杞憂だったらしい。

>「レディベアにそう思い込ませた方が成功率は上がるってことなんだろうけど、あたしも反対だな。
>つーか、ポチだって、家族愛を利用するのは嫌だって顔してるぜ。無理に悪いヤツぶってそういうこといわなくていいんだよ」

何故なら、多甫祈は――――少女は、ためらいも迷いもなく道を選ぶ事の出来る強さを持っているのだから。

尾弐の口元が笑みを形作る。
そこには、望んでいた回答を出してくれた事への喜びと、敢えて苦難の道を選ぶ事への心配が入り混じっていて――――。

243尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/11/08(日) 14:02:47
>「皆さん、天神細道を使ってください。楔を置くべき所定の場所へすぐに行けるはずですから。
>楔を安置し、陰陽寮の皆さんが避難所を築けば、アンテクリストはきっとそれを破壊しようとするでしょう。
>ボクの結界が充分に機能し、人々の願いが妖怪大統領を目覚めさせるまで――
>何としてもそこを守り抜いて下さい、それがミッションです!」
>「作戦が成功したら、再度この都庁前に集合!そしてアンテクリストに最終決戦を挑みます!
>皆さん……別行動はこれが最後です!
>必ず、またここでお会いしましょう!」

かくして、ここに決戦に向けた策略が示された。

終局を演ずるは
東京ブリーチャーズ
日本妖怪に西洋の天使
そして帝都に住まう強き意志持つ人間達

尾弐が気に入っている者や、戦って欲しく無い者、或いは遅参したミカエルの様に気に食わない者。
此処に集った者たちは実に様々で、日常であれば力を合わせて戦う事など無いのであろう。
しかし、世界の命運をかけた戦い――――立ちふさがる絶望は、奇跡を生んだ。
人が、命が生きようとする力はそれ程に強い。それこそ、不和を越え絶対を討ち果たさんと奮い立たせるほどに。

帝都の各地に那須野橘音に縁持つ霊具を納める事でアンテクリストの魔法陣を塗り替え
帝都に住まう無辜の人々を避難させてその命を守り、彼らのそうあれかしを束ね力とする
そうして――――祈とレディベア。彼女たちの力を核として、アンテクリストを討ち果たす。

「――――さぁて、忙しくなってきやがった」

獰猛な笑みを浮かべながら、尾弐は天神細道へと歩を進める。
世界を救う為ではなく、那須野橘音の笑顔を守る為に。



……天神細道を潜るその直前。尾弐に掛けられる声があった。

>「クロちゃん、きっちゃんを頼んだよ? 君がしくじったら約束違反でこっちまで死んじゃうんだから!」

声の主はノエル。彼は、真面目に……けれど必要以上に気負わず。いつもの様にいつもの様な態度で尾弐に告げる。
那須野橘音を守ってくれと。
その言葉に様々な感情が込められている事を感じたからこそ、一人の男として、尾弐は茶化す事無く真剣に答える。

「ああ――――俺が、必ず守り抜く」

その言葉は短く、けれど何よりも強い意志が込められていた。
妖怪の契約よりも深く強い、愛という名の意志。

「だからお前さんも死ぬなよ。平和な世界にお前さんの店が無かったら、どうにも締らねぇからな」

そう言うと尾弐はノエルに背中を向け、右手を軽く上げてから門をくぐっていく。
――――さあ、戦いの再開だ。

244尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/11/08(日) 14:03:22
>「……ひどい状況ですね」
「全くだ。趣味が悪ぃにも程があんだろ」

手近に有った駐停車禁止の道路標識を引き抜き振り回し、木端の悪魔を文字通り散らした尾弐は改めて認識した惨状に眉をひそめる。
辺りに飛び散る血と臓物、鳴り響く老若男女の断末魔。
この世に体現した地獄……否。無辜の民が犠牲者である以上、地獄よりもなお酷い。

>「クロオさん、防衛をお願いします!」
「――あいよ。悪魔の一匹も通しやしねぇから、安心して作業してくれ」

間に合わず助けられなかった人々の事に歯噛みし、その怒りを原動力として、尾弐黒雄は防衛を開始する。
守るべきは参つ。結界を張る那須野橘音、逃げ込んできた人々、人々を匿う避難所。

「さあて――――それじゃあ早速、悪魔狩りと洒落込もうじゃねぇか!!」

標識を振るい、鉄骨を叩きつけ、岩を蹴り飛ばし、拳を叩きつけ。
正に八面六臂の活躍で尾弐黒雄は有象無象の悪魔達を打ち倒していく。
打ち倒した悪魔の数は、僅かの間に百を越えた。

されど、幾ら尾弐が悪魔を倒そうとその数は無尽蔵。
人間の気配を嗅ぎつけた悪魔達は避難所に次から次へと群がってくる。
それでも、見敵必殺を繰り返して戦況を拮抗まで持って行っているが……しかし、尾弐に出来る事はそこまでだ。

>「クソ……、避難所ができたとしても、物資がなけりゃ何の意味もない……!」

那須野橘音の言う通り、ここには物資が無い。
尾弐の様な妖怪であれば、暫くの間飲まず食わずでも問題ないだろう。
だが、ここに集まってきているのは普通の人間だ。
水と食べ物が無ければ生きていけないし、暖かな服がなければ病に罹る。小さな傷でも、適切な治療が無ければ死に至る。
だというのに、それらを解決する手段を用意する事が尾弐にはできないのだ。
広範囲への攻撃手段を持たない尾弐では、かろうじで避難所に近づいてくる人々を襲う悪魔を討ち払う事は出来ても、物資を取りに行く時間を作る事はできない。
橘音については最後まで無傷で守り抜く自身ある―――けれど、人々についてはジリ貧だ。
凶刃ではなく、衰弱による犠牲。それが発生する可能性に尾弐は焦りを覚える。
だが、その時である。

>「お待たせ致しました〜!憩いのお宿、迷い家東京店!本日開店でございます〜!」
「この声は――――笑!まさか、迷い家か!?」

窮地において、救いの手は伸ばされた。
遠野の山奥にある人知れぬ秘境の宿。その門戸が、ここに開かれたのである。

245尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/11/08(日) 14:05:15
>「……笑さん!?どうして……」
>「富嶽さまのご命令よ、三ちゃん。
>人命救助優先、こんな時に遠野の隠し湯だなんて言ってられないでしょう?
>避難者の皆さんはこちらが受け持つから、あなたたちは存分に戦って!」
>「人嫌いの富嶽ジイが……。助かった!
>クロオさん、お願いします!」

「は……は!こいつぁありがてぇな!日を改めて土産でも持ってかにゃならねぇか!!」

懸念が解消された事で、尾弐の精神に余裕が生まれる。
負荷が減った事で、悪魔に対する殲滅速度は上昇していく。
しかし、悪魔どもとてただやられるだけではない。知恵持つ猛獣が故の悪魔。
人型の悪魔を一斉に尾弐に襲いかからせ、巨大な悪魔を現れた迷い家に強襲させた。

「チッ!?失せろ、木端共が!!」

黒い闘気を纏わせた両手の一振りで、周囲の悪魔達は紙切れのように引きちぎれた。
されど、その為に要した時間こそが悪魔達が臨んだもの。既に巨大悪魔の拳は振り下ろされ始めている。
尾弐は、先ほど赤マントの分身体を貫いた技である伸縮する闘気の針「偽針暗鬼(ギシン=アンキ)」を放とうとするが、今からでは間に合う可能性は五分。
それでもなんとか間に合わさんと手を伸ばし――――その直前。
突如として鉛色の光が空間を奔り、僅かの間を置いて巨大な悪魔の首が胴と別たれた。

>「……待たせたな、クソ坊主」

涼やかで美しい……聞きなれた声。
そ耳にした尾弐は、喜色を浮かべて返事を返す。

「――――応。待ってたぜ、ボウズ」

外道丸、首塚大明神、天邪鬼。
多くの名を持つ旧知の友。
この状況において何よりも頼もしい援軍が、今この場に現れたのだ。

>「やれやれ、なんとか間に合うたわ。
>事情はあらかた聞いた、私も混ぜろ。神夢想酒天流の深奥、南蛮の夷狄どもに存分馳走して呉れよう」
「そいつぁありがてぇ。お前さんがいるなら、オジサンの腰も最後まで持ちそうだ」

今更、助けてくれる理由に何故、どうしてなどと問う事はしない。
背中合わせに立つ天邪鬼。1000年を経る中で強く大きくなった……けれど、いつかと変わらないその気配を感じつつ、尾弐は己の中の闘気と妖気を練り上げる。

>「往くぞ。鏖殺だ。
>アンテクリストと言ったか……唯一神だか何だか知らぬが、新米神の分際で横柄な。
>神歴ならば私の方が上だ、為らば……後進は先達を敬わねばならぬという、世の道理を教えてやろう。
>遅れるな、それとクソ坊主――」

>「仲人は私にやらせろ。……神だからな」
「そうかい……お前さんが仲人をしてくれるってなら、意地でも生き抜かねぇとな」

悪魔の群れに飛び込む天邪鬼と反対方向に向けて尾弐は一歩踏み出す。

「さあて、好いた女と大事な家族の前だ――――全力で格好つけさせて貰うぜ!!!!」

瞬間、地面が爆ぜた。
発勁を推進力とし、尾弐は弾丸の如く悪魔の群れに突撃する。
東洋に恐れられる化物である『鬼』という種族の暴力が、悪魔達を真正面から擂り潰す――――!

246ポチ ◆CDuTShoToA:2020/11/15(日) 19:16:25
>「正直な話、今でもボクたちの力であのアンテクリストに勝つ方法は思いつきません。
  あれは強大すぎる。ボクたちがどれだけ力を振り絞ったとしても無駄でしょう」

那須野橘音の言葉に嘘はない。嘘であって欲しい事だが、アンテクリストは強大過ぎる。
それでも――作戦は決まった。やると決めた。逃げないと決めた。
まずは龍脈の力をアンテクリストの支配から取り返す。
そして、その後は――ポチは、祈へと視線を向ける。

祈は、レディベアに嘘をつかない事を選んだ。
その方が成功率が上がるとしても反対だと。
無理に悪ぶってそんな事を言わなくてもいいんだと。

祈は、いつだってそうだった。
もっと安全で、もっと楽で、もっと確実な道がある時でも、彼女はそれを選ばなかった。
ポチがロボを救おうとした時も、橘音がアスタロトとして敵に回った時も、姦姦蛇螺との戦いでも、いつだって。

正直な話、振り返ってみれば非効率的で損なやり方だと、ポチは思う。
けれども――もしも祈が安全で、楽で、確実な道だけを通ってきたなら。
きっと今の東京ブリーチャーズは、今の自分はなかった。

もし祈が銀の弾丸をポチに構わず放っていたら。
ロボはただの妖壊として葬り去られていた。
『獣(ベート)』の力もポチに継承される事はなかった。

そんな風にして、どこかで行き詰まっていただろう。

レディベアに嘘をつかない。
本当は、ポチだってそうした方がいいと――そうした方が善いと分かっていた。
それでも、少しでも安全に、少しでも確実に――そんな考えが捨て切れなかった。

だが――もう迷いはない。今回も、祈は不確実で、より困難な道を選んだ。
かつては、祈のその選択によって救われたのだ。
自分達が救う側になった今だけそれを拒否するなど、ポチには出来なかった。

>「楔と言いましたが、イメージ的な話です。実際に杭を打つわけじゃない。
  結界を構築する術者であるボクの妖気が籠った物品を、要点に配置するのが重要なんです。
  七つ道具にはボクの妖気がたっぷり染み込んでる。これが触媒としては適役でしょう」

橘音が、結界の楔となる七つ道具を皆へ配る。

>「迷い家外套と召怪銘板は、ボクが持っていきます。
  そして最後、江東区へは……オババ。お願いできますか?」

そうして最後の一つが菊乃の手に渡る――

>「……待ってくれ、その役目は……私に任せてもらいたい……!」

その直前、横合いから声がした。
同時に周囲に溢れる、清冽な神気のにおい。
振り向いてみれば、そこには白銀の鎧を身に纏ったミカエルがいた。

>「ミカエルさん……」
>「遅れてすまなかった。やっと主の承認が下りたのでな……。
  大天使長ミカエルと御遣い千三百騎、参着した」

あんたのとこの神様は随分と呑気で、とんでもなく鈍いんだな。
思わず脳裏に浮かんだ不満を、ポチは胸の奥に仕舞い込む。
この状況で、ミカエルにそんな事を言っても何にもならない。

247ポチ ◆CDuTShoToA:2020/11/15(日) 19:18:44
>「ついに、あの方が力を取り戻してしまわれたか……。怖れていた事態が現実になってしまった。
  ならば……私も死力を尽くさなくては。あの方を……この命と引き換えにしてもお止めする。
  それがこのミカエルの誓い――」

ミカエルから、強い感情のにおいがする。
義務、悔恨、寂寥、そして――愛情のにおいが。

>「虫のいいことを言っているのは、百も承知だ。
  だが……どうか頼む。我々も貴公らの戦列の端に加わらせてくれ。
  あの方は我ら天使の兄。英雄にして教師。そんなあの方が引き起こした事態ならば、手をこまねいてはいられない……。
  頼む、私は……責任を果たしたいんだ……!」

ポチには、ミカエルが何を考えているのか分かる気がした。
種族の英雄を、憧れずにはいられない存在を――その間違いを止めなくては。
それは、かつてポチがロボに抱いた感情と同じだ。

>「……分かりました。
  ではミカエルさん、これはアナタにお預けします。江東区へ向かって下さい」

あの時、ポチはどうあっても自分の手でロボを止めようとした。
その為に、皆が余計な危険に晒される事になると分かっていても構わなかった。
自分が殺される事になったとしても、構わなかった。

>「恩に切る、アスタロト。
  必ずや、其方の作戦成就の一助となろう」
>「今はアスタロトじゃありません、狐面探偵那須野橘音です。
  ……任せましたよ」
>「ああ。狐面探偵」

「……ミカエル」

ポチがミカエルを呼ぶ。振り返った彼女からは、強い決意のにおいがした。

かつて安倍晴朧が悪魔の奸計に陥った時、ミカエルは東京ブリーチャーズに力を貸した。
そして正体を表したオセと斬り結び――不覚を取った。
そんな彼女が、アンテクリストを相手に出来る事などあるはずがない。
それでも彼女は何かをせずにはいられない――そんな気がした。

「……昔受けた傷、今も治ってないんだろ」

もしミカエルがあの時の自分と同じなら、こんな忠告に意味はない。
そう分かっていても――ミカエルとは、もう短い付き合いではない。

「あんまり、無茶な事するなよ」

ポチはそう言わずにはいられなかった。

>「皆さん、天神細道を使ってください。楔を置くべき所定の場所へすぐに行けるはずですから。
  楔を安置し、陰陽寮の皆さんが避難所を築けば、アンテクリストはきっとそれを破壊しようとするでしょう。
  ボクの結界が充分に機能し、人々の願いが妖怪大統領を目覚めさせるまで――
  何としてもそこを守り抜いて下さい、それがミッションです!」

果たして――作戦決行の時が来た。まずは天神細道を通り、結界の楔を配置する必要がある。
設置された鳥居を前にして、ポチは一度皆を振り返った。

>「作戦が成功したら、再度この都庁前に集合!そしてアンテクリストに最終決戦を挑みます!
  皆さん……別行動はこれが最後です!
  必ず、またここでお会いしましょう!」

「……じゃ、また後でね」

ポチの言葉はそれだけだった。
気をつけて、なんて言う気にもならなかった。
皆がしくじるはずがない――ポチは心底そう信じていた。

248ポチ ◆CDuTShoToA:2020/11/15(日) 19:20:33



ポチとシロが天神細道を潜った先では、悪魔どもが天地に跋扈していた。
すぐさまポチは地を蹴り、駆け出した。

最も手近な悪魔へと飛びかかり、その首を切り裂く。
周囲の悪魔が一斉にポチを見る。つまりシロへの警戒を怠る。
瞬間、ポチに襲いかかろうとした悪魔二体の頭部が打ち砕かれた。

飛び散る血飛沫――それがポチの矮躯に降りかかる。
すると不意に、ポチの姿がふっと掻き消えた。
不在の妖術ではない。影に溶け込み、潜む、送り狼の基本技能。

悪魔どもが見失ったポチを探そうとする。また二体の悪魔が、シロに殴殺された。
反射的にシロへと注意を逸らした悪魔がいた。次の瞬間にはポチに首を裂かれていた。
そんな事を何度か繰り返せば――杉並区の一角に、小さな円が描き出された。
悪魔どもの骸と血で描かれた円――狼の縄張りが。

ポチが一息ついて振り返ってみると、その中心に迷い家が現れていた。
陰陽寮の巫女達が、逃げ延びてきた人々を誘導している。

「さて。大事なのはこれからなんだけど……」

杉並区に向かう前に、巫女達から聞かされていた話がある。
人間達の「そうあれかし」を、絶望に傾かせてはいけない。
彼らが悪魔の恐怖に染め上げられてしまえば、それが悪魔の、アンテクリストの力になってしまう。

>「皆さんにお願いがあります……!皆さん、SNSでふたりの戦いを拡散してください!」

故に、ポチとシロはただ戦い、敵を倒すだけではいけない。

>「どんなにバケモノたちがやってきたって、守ってくれる正義の味方はいるんだ!みんな必ず救われるから……諦めないで!」
>「Twitterでもインスタグラムでも、YouTubeでも何でもいい!とにかく写真撮って、動画も撮って!
  それをネットにアップして、どんどん広めよう!」

勇敢に、誇り高く、堂々と――そして圧倒的に、悪魔達を屠り去らなければならない。
要するに、姿を隠して敵を屠るような戦い方では駄目だという事。

「……正義の味方、ねえ。なんていうか……ガラじゃない、よね?」

ポチは送り狼――闇夜に紛れ、獲物を付け回す妖怪。
得意とする戦法もその特性を活かした不意打ちを主軸としたもの。
正義の味方のような戦いぶりを見せるのは、専門外だ。

>「皆さんが応援してくれれば、それが彼らの力になるのです……!拡散し、お友達に教えてあげてください!
 必ず、絶望の闇は払われると!」

「ま、そうは言っても――やるしかないんだけどさ」

シロと背中合わせに、襲来する悪魔どもを睨む。
弧を描いて迫る、悪魔の爪撃。ポチはそれに合わせて一歩前進。
降り注ぐ爪を掻い潜り、地を蹴る――悪魔の顎を真下から強打。
拳に伝わる、頚椎の折れる手応え。

がくんと膝を突く死体の肩を蹴り、跳び上がる。
思わず気圧され足を止めた悪魔どもがポチを見上げる。
ポチはそのまま空中で前転――強烈な踵落としが悪魔の頭蓋を砕く。

その反動で後ろ宙返りを打ち、着地――その隙を突かんと殺到する悪魔。
彼らからは、焦りのにおいがした。一対一の実力では勝てない事は明白。
隙を見せたこの機会を逃してはならないという焦りのにおいが。

249ポチ ◆CDuTShoToA:2020/11/15(日) 19:21:01
そして――着地したポチの頭上で、暴風紛いの風切り音が走る。
焦りに呑まれ踏み込んできた悪魔どもの首が、シロの回し蹴りで吹き飛ばされた。

背後の状況が、ポチには見えていない。
だが嗅覚と野生の勘で感じ取る事は出来る。
シロが強烈な蹴りを放った直後、まだ体勢の整っていない事も。
今度はその隙を突こうと悪魔どもが動いている事も。

当然、そんな事はさせない。
ポチは素早くシロと位置を入れ替わり――両手の爪で悪魔どもの首をまとめて切り裂く。

更に迫り来る悪魔の群れへと飛び込む。
何の工夫もない真正面からの突貫。だが実力差が大きすぎる。
悪魔の頭を蹴りつけ、へし折り、また別の悪魔へと飛びかかる。

そんな事を何度も、何度も、何度も、ひたすら素早く、正確に繰り返す。
悪魔の死体が次々と積み上がっていく。
だが悪魔の軍勢はまるで勢いを失わない。

一方で――ポチはほんの少しずつだが疲弊していく。
元々、ポチの体はアザゼルとの死闘で深い傷を受け、疲れ果てていた。
アザゼルの血肉を喰らい、橘音の仙丹を摂取しても、その全てをなかった事には出来なかった。
ポチが一度、深く大きな呼吸をした。息を整える必要があったという事だ。
空気が喉を通る瞬間、僅かな乾きを感じもした。
まだまだ戦い続ける事は出来る。だが――ずっとは戦い続けられない。

>「……あなた」

そんな中、ふとシロがポチを呼んだ。

>「私は、人間が嫌いでした。
  自分たちの欲望のままにニホンオオカミを絶滅へ追いやり、私を檻に閉じ込め、見世物のようにしようとした人間たちが。
  お前たちこそ滅びてしまうがいいと、そう思った時期もありました。
  あなたたちと巡り合ってからしばらくも、人間への嫌悪は変わらなかった。
  なぜ、あなたたちは人間たちの街なんかを身体を張って守るのだろう?と、そう思っていました」

「……僕も、前はそうだったよ。人間なんて……みんなが守りたがるから、守る。それだけだった」

ポチがシロを振り返る。その隙を突こうとした悪魔が、片手間の爪撃で腹から胸を裂かれた。

>「がんばれーっ!ポチちゃーんっ!!」
>「シロさーんっ!ファイトーっ!!」

迷い家から、陰陽寮の巫女達の声援が聞こえる。
シロが戦いの中でほんの一瞬そちらを振り向いて、微笑んだ。

>「……でも。今は、そうでもありません」

「へえ、そりゃまた、どうして?」

ポチが笑う。ずっと嫌いでい続けられるほど、人間は嫌な奴ばかりじゃない。
わざわざ聞かなくとも答えなんて分かっている。
それでも――思いは、時に言葉にする事でより大きく、強固になる事をポチは知っている。

>「ニホンオオカミを滅ぼしたのが人間たちなら、ニホンオオカミは滅びていない……と。
  まだ、人の目を逃れてどこかで生きていると。そう信じるのも、また人間たち。
  私たちは、彼らの『そうあれかし』で生きている……それを忘れてはいけないのです」

「……そうだね。彼らが、僕と君を巡り合わせてくれた。その恩を返す、いい機会だ」

>「お……、俺も応援するぞ!頑張れ!頑張れーっ!!」「私も!お願い、悪魔たちをやっつけて!」「やっちまえ!坊主!」
>「ポチ!」「ポチーっ!」「ポチくーんっ!こっち向いてーっ!」「いっけえええ!ポチーっ!!」

声援が次第に大きくなっていく。
ポチが深く息を吸い込む。
体が軽い。乾きも、もう感じない。

250ポチ ◆CDuTShoToA:2020/11/15(日) 19:23:17
人間の「そうあれかし」の力――だけではない。
彼らは、自分達を信じた。明らかに自分達とは異なる存在を。
化け物同士殺し合えばいいと言う事だって出来た。
もっと安全な場所へ連れて行けと言う事だって出来た。
だが、そうしなかった。目と鼻の先で悪魔が跋扈する場所に留まって、彼らは自分達を応援する事を選んだ。
それが彼らの力になるという、巫女達の言葉を信じて。

その信頼を裏切れば、男が下がる――狼王の名が廃る。
その「かくあれかし」がポチの全身に決意を、気力を、滾らせている。

>「――さあ、愛しいあなた」

シロがポチに右手を差し伸べる。

>「伝説を。創りにゆきましょう」

ポチは――シロに釣られるように、不敵に笑った。
そしてシロに歩み寄り、彼女の手を取って――己の傍へと引き寄せた。
目と目を合わせながら――シロは、ポチの意図をすぐに理解出来るだろう。

「――ああ、そうしよう」

ポチは、傅けと言っているのだ。右手を預けたまま、跪けと。
悪魔の大軍がまさに今、雄叫びを上げながら殺到する、この状況で。
だが、それでもシロはポチに従うだろう。

「だから、シロ」

悪魔どもが押し寄せてくる。それでも、ポチは悠然としている。
ニホンオオカミは生きている。
悪魔よりもなお強く、そして気高い生き物が、まだこの地には残っている。
誰もがそう信じ切って、疑わぬようにしたければ――ポチも全力を出さずにはいられない。

そしてポチが全力を出すのなら最早、シロが傅いていようとも、悪魔どもに出来る事など何もない。

「影狼を。彼らが夢見た、狼の姿を見せてあげるんだ」

251ポチ ◆CDuTShoToA:2020/11/15(日) 19:23:27
狼の縄張り、そのあちこちに積み上げられた悪魔どもの骸の山。
その頂きに、影狼が現れる。遠吠えを上げる。

呼応するように、ポチの姿が変化する。
華奢な少年の姿が、漆黒の被毛に覆われていく。

「オォオオオオオ――――――――――――――――――――――ン!!!」

遠吠えが響く。そして、その残響が掻き消えると同時――シロの手を取っていたポチの姿も、跡形もなく消えた。
直後、迫りくる悪魔の一団が、瞬く間に急所を食い破られて倒れ伏した。

「……お前ら、ツイてないよな。お前らは東京のどこを襲ったって良かったのに。
 わざわざ僕のいるところに来るんだもんな……本当に、ツイてないよ」

悪魔の軍勢、その中心から声がする。姿は見えないまま、声だけが聞こえる。

「僕は送り狼だぜ――お前ら、もう何人転ばされてると思ってるんだよ」

転ばせた獲物を殺める――送り狼の本領。
それが発揮された今、有象無象の悪魔が影に潜むポチを見つけ出せる訳がない。

そして――再び影狼の遠吠えが響く。
悪魔の軍勢の中を、銀毛の王冠を掲げた漆黒の狼が、疾風のように駆ける。
十を超える悪魔が体のどこかを食い千切られて倒れ――狼はまた消える。

遠吠えが響く。漆黒の狼が現れる。悪魔が殺される。
遠吠えが響く。漆黒の狼が現れる。悪魔が殺される。
遠吠えが響く。漆黒の狼が現れる。悪魔が殺される。

それから、一際長い遠吠えが響く。それは呼び声だった。
己が最愛の白狼への――待たせてしまった、共に戦おうと誘う呼び声。
黒狼と白狼が踊る――いよいよ、悪魔どもは立ち向かう事も逃げる事も出来なくなった。

自分以外の誰にも悪魔が余所見出来ないように。
真の姿を曝け出し、己の牙のみを頼りに。
襲来の宣告として常に遠吠えを上げて。

勇敢に、誇り高く、堂々と、ポチとシロは悪魔を葬り去る。

悪魔も人間も、すぐにその脳裏に刻み込まれる事になる。
どこから響いたかも分からない遠吠えに、あるいはただの夜風の音にさえ、
「それがいる」と確信させられる――原初の狼の存在感を。

252那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 13:41:53
東京都庁の上空を、渦巻く極彩色の雲が覆っている。
それは、終世主アンテクリストの生み出した妖気の渦。膨大な邪気の集積したもの。
龍脈の力によって増幅された、アンテクリストが支配する『すべての願いが現実化する世界』ブリガドーン空間。
ブリガドーン空間は刻一刻とその範囲を広げている。
もし、ブリガドーン空間が地球をくまなく覆ってしまえば、アンテクリストに勝てる存在はいなくなるだろう。
雷霆を司るギリシャ神話の主神ゼウスも、万象の知識を有する北欧神話のオーディンも。
世界を破壊させるというヒンドゥー教のシヴァも、アンテクリストの前には等しく撃滅されるに違いない。

だから。

この世界に生きる者は、自分たちの最大限の力を以てこの脅威を排除しなければならないのだ。
たとえそれが、儚い努力に終わったとしても。

ギュオッ!!!

東京都庁上空で翼を広げ、瞑目したまま静止しているアンテクリストの上空を、五機の戦闘機が飛んでゆく。
V字に編隊を組み、音速で飛行するのは、航空自衛隊百里基地からスクランブルした第7航空団第302飛行隊の戦闘機。
F-35A、通称ライトニングⅡ。2018年に導入されたばかりの最新鋭次世代戦闘機である。
突如として東京二十三区に出現した巨大な印章、手当たり次第に人々を襲う悪魔たち。
そして、都庁上空に佇立する『神のような何か』――。
状況を重く見た政府が緊急事態宣言を発し、航空自衛隊に出動要請をしたのであろう。
あるいは、富嶽が政府に直接働きかけて戦闘機を出せと言ったのかもしれない。

≪こちら第302飛行隊、コールサイン・アルファ1。目標を確認した≫

編隊の中央に位置する隊長機のパイロットが、管制へ報告する。

【アルファ1、ならびに各機。相手は正体不明の化け物だ。充分注意しろ】

≪ウィルコ。安全装置解除、アルファ1、エンゲージ≫

≪アルファ2、エンゲージ≫

≪アルファ3、エンゲージ≫

≪アルファ4、エンゲージ≫

≪アルファ5、エンゲージ≫

編隊が散開してゆく。その一糸乱れぬ飛行は、まるで航空ショーのようだ。
しかし、これは紛れもない実戦である。それも人対人ではない、人対化け物の戦闘である。
F-35Aの照準が、両手をゆったりと広げたまま逃げもせず空中に留まったままのアンテクリストに狙いを定める。

≪ロックオン。――アルファ1、フォックス2≫

ドシュッ!!

主翼下のウェポンベイからミサイルが放たれ、白い筋雲を引きながらアンテクリストへと飛んでゆく。
AIM-120 AMRAAM。アクティブ・レーダー・ホーミングによって目標へと自動追尾を行う、中距離空対空ミサイルである。
固体燃料ロケットによる推進力は最大マッハ4。言うまでもなく、その直撃を受けて生存できる生物はこの地球上には存在しない。
神を僭称するアンテクリストも、この人類の叡智たる科学の矢には成す術もなく屈するしかない――

と、思われたが。

それまで瞑目していたアンテクリストが、ゆっくりとその双眸を開く。
もはやミサイルは目前に迫っている。回避することは不可能だろう。
しかしアンテクリストはミサイルを避けようともせず、ゆっくりと右手を前方へと差し伸べた。
そして、その直後――ミサイルは『灰と化した』。

≪なに……!?な、何が起こった……!?≫

戦闘機のパイロットたちが驚愕する。
ミサイルは確実にアンテクリストをロックオンしていた。マッハ4で飛来する鋼の矢から逃げ切れる生物など存在しない。
だが、アンテクリストは未だ無傷でそこにいる。

≪アルファ3、フォックス2!≫

≪アルファ5、フォックス2!ありったけ撃ち込んでやれ!≫

さらに編隊は矢継ぎ早にミサイルを発射し、アンテクリストを集中砲火する。
だが、さながら槍衾のように四方八方からミサイルを撃ち込まれても、アンテクリストの表情は変わらない。
ただただ無表情に、軽く手を翳すだけ――
それだけ、そう。たったそれだけで、ミサイルはその先端からすべて灰と化し、風に散って消滅した。
『運命変転の力』。
龍脈から吸い上げている無尽蔵の力、『運命変転の力』で、アンテクリストはミサイルの在り方そのものを捻じ曲げ、
無害な灰の塊に変えてしまったのだ。

253那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 14:20:10
【そんな莫迦な……】

状況を観測していた管制官が呆然と呟く。
最新鋭の戦闘機に搭載された、人類の叡智たる破壊兵器がまるで通用しない。
だが、もしこれがミサイルでなく核ミサイルであったとしても、アンテクリストには通用しなかったに違いない。
人類は神が創り給うたもの。人類の知恵もまた、神が授け給うたもの。
ならば、人類が神に何をしたところで、それは幼な子が親にその小さな拳を振り上げる程度のものでしかないのだ。

そして――

≪メーデー!メーデー!け、計器異常!そんな、制御が利かな――≫

≪うわああああああッ!!!≫

ガガァァァァァァンッ!!!!

それまで完璧な編隊飛行を続けていた部隊の二機が、突然磁石に引き寄せられたかのように接触、爆発した。

≪アルファ3とアルファ4が墜落した!≫

【どういうことだ!?】

≪分からない……!アルファ2、アルファ5、散開しろ!≫

≪アルファ2、ウィルコ≫

≪ネガティブ!機体が言うことを聞かない!
 あ、ああ、俺の機体が、俺が……灰に……≫

アルファ5の機体が、その尖った機首から徐々に灰に変わってゆく。
ミサイルと同じように、アルファ5もパイロットもろとも真っ白な灰へと変わり、瞬く間に風に吹き飛ばされ消えていった。
最新鋭の兵器が、まるで役に立たない。
むろん、それはアンテクリストの行った“奇跡”だった。
戦闘機の計器を狂わせ、存在そのものを灰に改変してしまうことなど、アンテクリストには造作もないことだ。
すべては創造神の権能。この世の何もかもを自由に創り変えられるという、唯一絶対の力ゆえである。

『―――――ヒトよ』

瞬く間に戦闘機三機を撃墜し、ゆる……と再度両手を緩やかに広げたアンテクリストが、ゆっくりと口を開く。
その声は都庁周辺の者たちだけではない、東京二十三区にいるすべての者たちの頭に直接響いた。
穏やかで温かく、優しげなその抑揚は、人々を拝跪させるに充分な力を有している。
まさに福音。東京都民たちは文字通り神の声を聴いているのだ。

『愚かなる者たちよ。蒙昧なる者たちよ。――虫けらどもよ。
 汝らの眼前に降臨した私が、果たして何者であるのかさえ理解できぬ者どもよ。
 嗚呼、しかし、汝らの愚かなることを責めはしない。
 なぜならば。汝らは愚かなる者として定義され、愚かなることをするために創造されたがゆえである』

アンテクリストは朗々と語る。
人々の、そして妖怪たちの。東京ブリーチャーズの頭に、その声は強制的に入ってくる。
 
『泥から生まれし者たちよ。
 汝ら愚かな者たちを導くために、私は降臨した。長き封印の軛は既になく、私は解き放たれた。
 畏れよ、私を。崇めよ、私を――我が名はアンテクリスト。
 この大地を。世界を。星を。一から創り変える創造神、終世主なり――――』

「……アンテ……クリスト……」

「か、神様……なのか?」

アンテクリストの声を聞いた人々が、みな空を見上げる。

『我は神。この腐った世を創り変える、ただ唯一の神性。
 私に縋れ、私を崇めよ。私に帰依し――ただ私のみを信奉するがいい。
 それ以外は死ね。我が数百億の眷属が、汝らを殺そう。皮を剥ぎ、目玉を刳り貫き、指の先から一寸刻みにしてゆこう。
 生きたまま臓腑を貪り、この世のありとあらゆる痛苦を味わわせてやろう。
 さあ――
 潰れて死ね。
 狂って死ね。
 嘆いて死ね。
 爛れて死ね。
 砕けて死ね。
 萎れて死ね。
 もはや、この世に私を讃えぬ者の住む場所はない――』

アンテクリストの放つ膨大な神気が、結界の内側――東京二十三区内に遍く降り注ぐ。
それは、何者にも凌駕することのできない圧倒的な力の発露。
今まで平和を謳歌し、生命の危険など感じることのなかった一般人たちが、その力に抗うことなどできるだろうか?

254那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 14:24:22
「はッははッはははは……アンテクリストめ、いじましい手を使いおる!
 だが衆愚に効果は抜群か!あいつ、自分が親父と同じ手段を用いておることに気付いておるのかな?」
 
仕込み杖で悪魔を斬り倒しながら、天邪鬼が笑う。
戦いは数時間に及んだ。
すでに天邪鬼も尾弐も血まみれ臓物まみれだ。斃した悪魔の数は千を下るまい。
だというのに、悪魔たちの勢いは留まるところを知らない。仲間の死体を踏み越え、蹴散らして、
尾弐と天邪鬼とを仕留めようと遮二無二突進してくる。

そして。

奮戦する尾弐と天邪鬼の姿を目の当たりにした人々に、ある変化が現れる。
それは、東京ブリーチャーズにとって決して歓迎できない事態だった。

「アンテクリスト様……!助けて下さい!」

「い、嫌だ!殺されたくない!死にたくない!アンテクリスト様あ!」

「お救い下さい……お救い下さい……!神様、アンテクリスト様……!」

たったふたりの抵抗。無尽蔵に湧き出してくる悪魔。
極彩色の空。成す術もなく爆発した戦闘機。
自らを崇め、讃えるならば、命を助けてやろうと告げる“神”――。
そんな状況を前に、気丈に振舞える人間など果たしてどれほどいるだろう?

「……まずい……!」

アンテクリスト――ベリアルの印章を自身の魔法陣で上書きしながら、橘音が焦りを口にする。
人々の希望の力、絶望には決して屈しないという想いを束ねて『そうあれかし』とするのが、対アンテクリスト戦の要諦である。
だというのに、肝心の人々が早々に絶望に呑まれてしまい、アンテクリストに祈りを捧げるようになってしまっては元も子もない。
天邪鬼が口にしたように、アンテクリストのとった方法はかつて唯一神が使用した方法である。
自身の手勢を悪魔と名付け、人々を誘惑して殺戮や悪徳に耽溺させ。
救済されたいのなら、我が許に帰依せよ――と迫る方法は、世界最大の宗教を生み出した実績のある極めて有効な手段である。
そして、今都内の至る所でそんな光景が繰り広げられている。
間近で友人や家族を殺され、自らの命も危ぶまれた人々が、続々とアンテクリストに帰依してゆく。
『そうあれかし』が、東京ブリーチャーズではなくアンテクリストの方へと集まってゆく――。

「ちいッ……!
 クソ坊主、後退しろ!守備範囲を狭める!
 気付いておるだろうが……こ奴ら、強くなっておるぞ!」

手近な悪魔の首を刎ね飛ばし、天邪鬼がそう尾弐へと叫んで身軽に後方へ一跳びする。
そう。最初にこの場所で戦闘を始めたときよりも、明らかに悪魔たちは強く、硬くなっていた。
雑魚悪魔では相手にならないと判断し、強者が前線に出てきた――という訳ではない。全体的に強さが底上げされている。
理由は明らか――人々の『そうあれかし』が、悪魔に敵う訳がないという絶望が、諦念が。
ブリガドーン空間の能力によって悪魔たちを強化しているのだ。
尾弐と天邪鬼のふたりだけでは、結界を構築中の橘音と迷い家を防御するので精一杯だ。
その間にも避難者たちは続々とやってくるし、それを狙う悪魔たちも増えてゆく。

「うぁぁぁぁぁん……ママぁ……!」

不意に、泣き声が耳朶を打つ。
母親とはぐれたのだろうか、校門の近くに4、5歳くらいの幼女が立ち尽くしている。
他の避難者たちは誰も少女には目もくれない。自分の身を守るだけで手一杯なのだろう。
そして、そんな子供を悪魔たちが狙わないはずがなかった。
まるで餌に群がるハゲタカのように、悪魔たちが少女に狙いを定める。厭らしい笑みを浮かべながら、その手を伸ばす。
後退し守備範囲を狭めたことで、尾弐も天邪鬼も間に合わない。
だが――

「危ない!!」

咄嗟に飛び出した橘音が、身を挺して少女を守った。
横っ飛びに跳躍し、少女の小さな身体をぎゅっと自分の胸の中へと抱き込む。
悪魔の腕が橘音に振り下ろされる。バギンッ!という硬い音と共に、橘音は大きく弾き飛ばされて地面に墜落した。

「ぎゃうっ……!」

悪魔の一撃によって学帽が吹き飛び、トレードマークの半狐面の右半分が大きく砕ける。
橘音は幾度か地面をバウンドしたが、決して少女を手放しはしなかった。自身をクッションとして、幼い少女を守り切る。

「……大丈夫……ですか……?」

「あり、がと……」

「……なぁに……礼には、及びませんよ……。
 なんせ、ボクは……帝都にその人ありと言われた、狐面探偵……那須野、橘音……なんです、から……」

砕けた仮面の奥から――大きく裂けた銃創と、濁った目玉の醜い傷痕が露になった素顔から、どろりと血が滴る。
痛みを懸命に堪えながら、橘音は小さく口の端を歪めて笑った。

255那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 14:28:01
元々は、御前から我が身の罪を購うために押し付けられた仕事だった。
帝都を護り、人のために危険を冒すなんて、嫌で嫌で仕方がなかった。
すべてを無かったことにするために。悪魔としてでなく、妖狐としてでなく、ただの狐として死ぬために。
自分の願いを叶えるために、渋々働く毎日。
だが――尾弐と出会い、多くの人々と交流していくうちに、そんな気持ちも徐々に変化していった。
知らぬ間に、東京にも愛着が湧いていた。
このゴミゴミして、汚くて、人が多すぎて、ときどき下水のにおいがして。
詐欺師とろくでなしがゴマンといて、毎日やたらと事件ばかり起きて、疲れた顔をした人たちが往来を行き交う――
その一方でキレイなものがそこかしこに溢れてて、活気に賑わっていて、甘いにおいやいいにおいがたくさんで。
善人とお人好しがゴマンといて、毎日楽しいイベントが盛りだくさんで、希望に溢れた笑顔の人々も数えきれない、そんな街。
日出ずる国の首府、東京――

尾弐だけではない。祈と、ノエルと、ポチと。他にもたくさんの人や妖怪たちと出会い、絆を結んだこの帝都。
それを大切にしたい。願わくば、愛する仲間たちとずっと、一緒にいたい……。

『しっかりしろ橘音! それでも帝都一の名探偵かよ!!』

祈の叱咤が、頭の内側で鐘のように響く。

那須野橘音は、帝都を守護する狐面探偵。ありとあらゆる難事件を、その智謀で解決に導いてきたのだ。
だのに、この帝都史上最大最悪の大量殺人事件に対し、手をこまねいているだけなんて――
そんなこと、名探偵の矜持が許さない。

「空狐仙道術――巨摩怪把!!」

橘音が叫ぶと同時、その腰後ろに五本の尻尾が出現する。
が、ただの尻尾ではない。まるで巨大な指のようにも見える、鋼鉄の尾だ。
自在に動く指めいた尾が悪魔たちを捕え、グシャリと音を立てて握り潰す。三尾の頃にはできなかった攻撃妖術だ。
少女を迷い家の近くまで連れてゆき、笑に引き渡すと、橘音は痛みを堪えるように大きく息を吐いた。
その拍子に、ぼたぼたと顎先を伝って血が零れる。
橘音は基本的には後方支援型の妖怪である。その防御力は尾弐に比べれば紙に等しい。
例え雑魚悪魔のものであっても、攻撃を受ければ掠り傷とは行かない。
仮面が半ば砕けるほどの衝撃を頭に貰い、なおかつ地面に幾度も叩きつけられた。
意識が朦朧とする。呼吸するたび胸に激痛が走ることから、肋骨も幾本か折れてしまっているだろうか。
そして。

「ぐ……ぅッ……!
 おのれ、凶つ神の……使い魔、如きが……!」

天邪鬼もまた、苦戦を強いられている。
天邪鬼の持つ仕込み杖は無銘だが、優れた刀鍛冶によって鍛造され奉納された神剣である。
退魔に覿面の効果を持つ宝刀であったが、それも一体や二体を相手にした場合のこと。
尾弐と合わせて千体以上の悪魔を屠った今、その刃は血と脂、そして悪魔たちの瘴気によってぬめり、
本来の切れ味を喪失してしまっていた。
その上、徐々に強力になりつつある軍勢の猛攻である。
仕込み杖の刃が悪魔の右脇腹を深々と捕える。――が、両断できない。
天邪鬼が肉に食い込んだ刀を抜こうとした、その僅かな一瞬。他の悪魔たちが無防備になった天邪鬼を襲う。
結果、天邪鬼は利き腕である右腕をズタズタに切り裂かれた。

「うッ……ぐ、ぁぁッ……!
 ……ッ、はは……これは、流石に……難しいやも、知れんな……」

左腕に仕込み杖を持ち替え、ピラニアのように群がる悪魔たちを力を振り絞って蹴散らすと、
刃こぼれした愛刀を血振りしながら天邪鬼は笑った。
悪魔たちの集中攻撃を受けた右腕は、もはや辛うじてくっ付いている――という状況になっている。
作戦も何もない、ただただ物量に任せての力押し。
しかし、そんな単純な攻撃こそが一番強いということを、悪魔たちは知っている。
三人が劣勢になればなるほど、人々の絶望も深くなってゆく。アンテクリストの軍門に下ろうという者が増えてゆく。
悪魔こそが、その主であるアンテクリストこそがこの世の究極至高たる存在なのだと、人間たちが認識する。
そんな『そうあれかし』によって、悪魔たちがさらに強くなってゆく――。

橘音や天邪鬼だけではない。尾弐もまた、無数の悪魔たちの攻撃に晒され無傷ではいまい。
何本もの槍が、刺叉が、剣が、その身体に突き刺さっているだろう。
夥しい出血、身体に纏わりつく鎖のような疲労。精神の摩耗。
いつ心が折れてもおかしくない、そんな果てしのない劣勢。
雄叫びをあげながら、新たな悪魔たちがやってくる。三人めがけて、脇目も降らずに襲い掛かってくる。

「……クロオ、さん――」

ぜは、と浅く苦しい呼吸をしながら、橘音が掠れた声で尾弐を呼ぶ。

「挙式は、地獄ですることになっちゃうかも……。
 ……地獄でも……。ボクのこと、愛して……くれますか……?」

砕けた仮面の奥から、あれほど隠したがっていた醜い傷痕の素顔を晒しながら。
狐面探偵はそう言って、困ったように笑った。

256那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 14:53:29
「はあッ……はあ、はァッ……。これは……さすがにきつい、ね……」

肩で息をしながら、あずきが呟く。
酒呑童子の力、神変奇特の能力を得た獄門鬼と、ノエル率いるばけものフレンズたちとの戦いは佳境に入っていた。
だが、その戦況は芳しくない。――どころか、ブリーチャーズ側の劣勢でさえある。
御幸が羽子板で撃ち放った小豆は、狙い過たずに獄門鬼の巨体に炸裂した。
甲高い断末魔の悲鳴をあげながら、獄門鬼は仰向けに倒れ――
しかし、それでは終わらなかった。
妖怪たちのくるぶしまでを覆った血の海に斃れた獄門鬼の身体が、ブクブクと泡立つ。肉体が崩れ、容を喪う。
獄門鬼はすぐに、地面に広がる血と溶け合って消えた。
そして――再構成。血の水柱がふたつ上がったかと思えば、それが瞬く間にディティールを形作ってゆき、
今度は二体の獄門鬼が出現した。

「ブッゴォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!」

二体の獄門鬼が咆哮する。
獄門鬼単体の力は、覚醒した御幸よりも遥かに弱い。単体での強敵度で言えば、魔神コカベルの方がよほど強かった。
が――獄門鬼は『不死』であった。
どれほど御幸が力を引き出し、仲間たちが必死になって戦っても、獄門鬼はすぐに再生してしまう。
そして、その数を増やしてゆく。今や迷い家のある総合病院の敷地内には、十体もの獄門鬼が存在していた。
すべては神変奇特の力。そして――それを支える、ブリガドーン空間の力。
空を満たす極彩色の空間、それがあり続ける限り獄門鬼は不死身。一体一体を倒したところで、根絶には程遠い。

「ホンマかなわんなァ……。
 こうなると分かっとったら、最初っから尾弐のアニキんとこ行ったっちゅうに……。
 色男に恩売ったろなんて考えるんやなかったわ……」

氷の妖術によって強化された棘付きのスレッジハンマーを地面に立て、柄尻に両手をついて息を整えながら、
ムジナが心から後悔しているような泣き言を漏らす。
例え尾弐のところに救援に行っていたとしても、楽な戦いなどできないのだが。

「そう仰らず……。ムジナさん、戦いが終わったら、私たちの里に遊びに来てください。
 姫様に協力して下さったお礼に、全力でお持て成ししますから!」

「雪女の里かぁ。スキー場くらいにしかならへんな。
 バブルの頃ならいざ知らず、今どきスキー場なんて元取れへんねん。却下や却下」

「なんの話です?」

「なんでもあらへん。――それより、来るで!気合い入れたらんかい!」

ムジナの叱咤に、カイとゲルダが身構える。再び熾烈な戦いが始まる。
――が。

「……ッ!?
 これは……!」

跳躍し攻撃を始めようと、カイが僅かに腰を落としたその瞬間、その両脚が地面に縫い留められる。
見れば、血の海の中から二本の腕が伸びており、それが新しいそり靴を履くカイの両足首を掴んでいた。
ざぱあ……と血の中から新たな獄門鬼がせり上がってくる。カイは足首を拘束されたまま宙吊りにされた。

「くッ、この……!」

「カイ君!」

カイが逆さ吊りのまま藻掻く。あずきがカイを救出しようと小豆の入った枡に手を突っ込む。
しかし――その瞬間、あずきの立っている地面が大きく開いた。
まるで底無しの落とし穴、だが只の陥穽ではない。
それは、血の海に出現した巨大な獄門鬼の顔面、その開かれた“口”だった。
あずきの腰までが口の中に落ちる。獄門鬼がギロチンのように口を閉じる。

ぶちんッ

呆気ない。
あまりにも呆気ない音を立て、あずきの上半身と下半身は分断された。

「ぅ……ぁ……」

ばしゃり、と音を立て、あずきの上半身が血の海に仰向けに転がる。
人間ならば即死だが、あずきは純正の妖怪である。虫の息ではあるが、まだ生きている。
しかし、それも長くはあるまい。――そして、他の仲間たちにも危機が訪れる。
血の海の至る所が盛り上がり、獄門鬼の上半身へと変わってゆく。その数は二十以上はいるだろう。
逆さ吊りになったカイの胴体を槍が貫通し、ゲルダの絶叫が耳を打つ。
犬神が、ぬりかべが、仲間たちがひとり、またひとりと斃れてゆく。いくら御幸が護る者であっても、敵が多すぎる。

「くそったれが……」

ムジナが唸るように呟く。
ノエル、そしてばけものフレンズたちの戦いは佳境に入っていた。
ブリーチャーズの全滅という、逃れ得ぬ結末に向かって。

257那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 14:56:15
ポチの遠吠えに応じて、それまで従順に跪いていたシロが立ち上がる。
そのしなやかな肢体がみるみるうちに純白の狼へと変わってゆく。
自分は導かれている、必要とされている、愛されている。
尽きることのない歓喜と共に、白狼は黒狼の暴れ狂う戦場の真っただ中へと飛び込んだ。

「……すごい……」

迷い家の防衛と避難者の誘導に当たっている陰陽寮の巫女たちが、二頭の戦いぶりを見て目を瞠る。
二頭は嵐のように悪魔の群れの中を駆け抜けては、それらを駆逐してゆく。
ポチとシロの疾駆した跡には、食い千切られ蹴散らされ蹂躙された悪魔たちの死体が累々と転がっている。
オオカミこそは自然界最強の捕食者にして狩人。
その姿はまさに『大神』の名にふさわしい。
つがいのオオカミたちの攻勢に、悪魔たちは文字通り手も足も出ない。ただ制圧されるのみだ。

だから。

悪魔たちは、ポチとシロを攻撃することをやめた。
それどころか、まるで潮が引くようにポチとシロの守る避難所から撤退を始める。
人間の姿に戻ったシロは怪訝に眉を顰めた。

「これは、いったい――」

悪魔たちはポチとシロの強さに、オオカミの恐ろしさに慄き、勝ち目がないと悟った。
が――それは『戦意を喪失した』ということと必ずしも同義ではない。
そもそも、悪魔たちの狙いは絶望の『そうあれかし』を集めること。
恐怖に屈し、アンテクリストに帰依する者を増やすことである。必ずしもポチやシロを斃す必要はないのだ。
従って代わりに悪魔たちが狙いを定めたのは、より弱い者。
災禍を逃れ避難所を目指してやってくる一般人だった。

>……お前ら、ツイてないよな。お前らは東京のどこを襲ったって良かったのに。
 わざわざ僕のいるところに来るんだもんな……本当に、ツイてないよ

そう。
『悪魔たちは、東京のどこを襲ってもいい』のだ――。

「いけない!」

悪魔たちの意図を察し、シロが避難所のある区域を出て駆け出そうとする。
避難所の外には、まだまだ避難者たちが大勢いる。それを狙われたらおしまいだ。
人間を護らなければならない。受けた恩は返さなければならない。
限りのない善性から、シロは今まさに悪魔たちに襲われつつある人間たちを助けようと走った。
そして――

「ッぅ、ぁ……!」

悪魔たちの罠に嵌ってしまった。
見せたのは、ほんの一瞬の隙。毫秒にも満たない時間の空白。
だが、奸智に長ける悪魔たちはそれを見逃さなかった。
がぢんッ!と足許で音がする。見れば、シロの右足首を巨大なトラバサミががっちりと捕えていた。
天魔ビフロンス。序列46番、26の軍団を率いる地獄の伯爵。
スライムのように不定形で、なんにでも変身できるその天魔がトラバサミに変化し、シロの機動力を封殺したのだ。
そして。

その場に縛り付けられたシロめがけて、無数の槍が。矢が。剣が投げつけられる。
ポチがシロの救援に入ろうとするも、その行く手を無数の悪魔たちが肉の壁となって阻む。
チャイナドレスを纏った白い肢体を十本以上の槍や剣に穿たれ、針鼠のようになったシロは、
最後に巨大な牡牛めいた悪魔の突進を受け、なすすべもなく吹き飛んだ。
肉の裂けるぶぢぶぢぶぢぃっ……という厭な音が、ポチの耳にも届いたことだろう。
大きく弾き飛ばされ、地面に叩きつけられたシロは、ぴくりとも動かない。
自由になった右足首から鮮血が滾々と溢れ、血だまりを作ってゆく。

シロの右足首から先はちぎれ、なくなっていた。

「シロちゃん!」
「治癒術式!急いで!」

すぐさま巫女たちがシロへと駆け寄り、回復を試みる。――が、その効果は思わしくない。

「ダメ、血が……、血が止まらないよぉ……!」

ちぎれた足首を中心とした血だまりが、徐々に広がってゆく。

「ひいッ……!た、助けて……!」「おしまいだ……、みんな、死ぬしかないんだ……!」「イヤだ!死にたくないぃっ!」

人々の発する絶望の嘆きが、周囲をとぐろを巻いて包み込む。
負の『そうあれかし』が悪魔たちに力を与え、その脅威を一層増幅させてゆく。
むろん、濃厚すぎる滅びの気配の前には、ポチとて無関係ではいられない。
いや――かけがえのないつがいが傷つき斃れたという絶望は、きっと何より強くポチを蝕むことだろう。
奇しくも愛妻ブランカの死を目の当たりにしたことで狂ってしまった、
ポチが尊敬してやまない狼王――ロボのように。

258那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 14:59:58
祈の必死の説得にもかかわらず、レディベアは意識を失ったままだった。
そうこうしているうちに、時間は過ぎてゆく。人々の絶望が色濃くなってゆく。
ローランのタイムリミットが、刻々と近付いてくる――。

「ハァッ、ハァ、ハア……」

ざん!と音を立て、ローランはまた一匹の悪魔を斬り伏せた。
しかし、その動きはもはや緩慢というレベルを通り越し、息も絶え絶えという様子だ。
肩で息をしながら、ローランは違和感を覚えてふと自分の左手に視線を落とす。
本来ならば気力の漲る、ダイヤモンドの硬度を誇るはずの左手は、まるでミイラのように乾涸びて骨と皮だけになっていた。

――これまでか。

ローランは瞬く間に覚悟を決めた。……いや、ずっと前から決まっていたものを、再確認した。
ついに、この刻が訪れたのだと。ならば、することはひとつだった。

「……祈ちゃん……、レディと手を繋ぐんだ。
 気持ちを繋げる、心を繋げる……それには、まず触れ合うこと。身体で繋がることが大切なんだよ……。
 君は、都庁で……レディと手を繋いで……彼女をベリアルの呪縛から解き放った……。
 それを、もう一度するんだ。龍脈の力じゃない、御子としての立場としてでない――
 君の真心を。ともだちとして、彼女に……伝え、て……」

ぐら、と身体が大きく傾ぐ。心臓が早鐘のように鼓動を打つ。
全身が悲鳴を上げ、今にも魂が砕けそうになる。
だが――倒れはしない。ローランは祈を振り返り、最後の助言を投げかけた。

「君も知っての通り……レディは気位ばかり高くてね……。
 中学校に通うと言い出したときは……果たして友達なんて出来るのかな、なんて……心配したものさ……。
 だが――そんな考えは杞憂だったみたいだ……。彼女には、君という……素晴らしい、友達が……できたのだから……」

悪魔が押し寄せてくる。
ローランが最後の力を振り絞り、それらの猛攻を押し戻す。
彼我の血液によって真っ赤に染まったローランが、遠い目をして空を見上げる。

「ああ……安心した。安心したんだ……私は。
 もう、レディはひとりじゃない……。君という親友がいる。彼女を救うため、これほどまでに命を懸けてくれる友達が。
 他にもアスタロトやノエル君……ポチ君に、ミスターも……。
 それは、なんて……なんて洋々たる未来だろう――」

血にまみれた、瀕死の英雄。
けれども、その表情に悲壮感は一切なかった。

「ならば。ならばだ。
 愛するレディと、レディの一番の親友である祈ちゃんの未来のために。
 幸福に至る道を切り拓くのが、私の最後の、役目……だ……。
 後は頼んだよ、祈ちゃん……私が技を放ったら、ありったけの気持ちで……彼女の心に、呼びかけてほしい……」

デュランダルを両手で持って、大上段に構える。
祈とレディベアに背を向け、迫り来る悪魔の大軍に対峙しながら、ローランは微かに振り返った。そして、

「祈ちゃん……、レディの……ともだちになってくれて、本当にありがとう――」

最期に、そう言って笑った。
死を受け容れ、覚悟した者だけが持つ、穏やかな静謐。
それがローランにはあった。
次の瞬間、ゴアッ!!と枯れ枝のようなローランの全身から神気が迸る。
どこにそんな力があったのかと思うほどの、強く眩い光。

「――1と3より成る聖遺物よ、神の徴よ。今こそ其の奇蹟を諸人に顕さん。主の前にまつろわぬ、総ての敵を討ち滅ぼせ……!
 悉皆斬断、『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』!!!」

ギュオッ!!!!!

ありとあらゆる悪しき者を無に帰す、魔滅の閃光。
ローランの命そのものを燃やした激しい輝きが、周囲を白一色に染め上げた。

そして――

光輝が徐々に収まり、祈が戦場を確認したとき。
あれほど避難所周辺に群がっていた悪魔たちは、一匹残らず消滅していた。

ローランがいたはずの場所には、聖剣デュランダルだけが突き立っている。
きっと、最後の『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』を放つために、
我が身のひとかけらまでも燃焼し尽くしたのだろう。
聖騎士ローランは消滅した。


祈にすべての希望を託して。

259那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/11/23(月) 15:09:55
祈がレディベアと手を繋ぎ、その心に語り掛けると、横たわるレディベアの身体が眩い光を放ち始めた。
それはローランが最後に放った『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』と同じ、破魔の光。
と同時に、レディベアの姿も変わってゆく。
漆黒の長いツインテールの髪が輝くような金色へと変わり、
ミニ丈のワンピースが。ロンググローブが、ニーハイソックスが、瞬く間に純白のものに変容する。
ローランの輝く神力を注ぎ込まれたことで、その属性が闇から光へと変化した――のだろうか。
やがてレディベアの身体はふわりと浮き上がると、祈と向き直った。
その左の瞼がゆっくりと開かれる。紅色の瞳が、祈を見つめる。

「―――祈」

手を繋いだまま、レディベアは祈の名を呼んだ。
その身体はまだ輝きを放ち、暖かな光で周囲を満たしている。
ローランによって消し飛ばされてなお、悪魔たちは新たに続々と集結していたが、みなレディベアの光に恐れおののき、
避難所の中には入ってこない。

「あなたの声、ずっと聞こえていました。
 けれども、わたくしは怖かった……。今まで信じてきたもののすべてが、ベリアルの作った虚構であったと知って。
 お父様が本来は存在しないものだったと知って、絶望した……。
 この世界に価値などないと。お父様と一緒でなければ、この世界にいたところで意味などないと――
 そう、思っていました……」

きゅ、とつないだ手を握り込み、我が胸に引き寄せて、レディベアは言葉を紡ぐ。

「けれど。そんなわたくしの弱い心を、あなたが引き戻してくれたのです。
 わたくしはベリアルの野望に用いられる道具。もはや用済みとなり、廃棄されるばかりの不用品。
 でも――
 そんなわたくしでも、まだ必要だと。生きていてもよいのだと、あなたが仰るのなら……」

ぽろ、とレディベアの大きな目に涙があふれる。
涙が頬を伝って零れてゆく。だが、その涙は悲愴や絶望によって流れるものではない。

「……わたくしも。
 わたくしも、あなたと一緒に生きていきたい……!
 この世界にいたい、ずっとずっと、極彩色の空間の内側から覗き見て。長い間憧れていたこの世界に!
 祈、わたくしの大切なおともだち。大好きですわ……どうかどうか、わたくしを。ずっとあなたのお傍に――」

穢れのない涙を零しながら、レディベアはそう言って微笑んだ。
もし、祈がただの戦力としてしか彼女を必要としなかったなら。
対アンテクリストの切り札、ブリガドーン空間の支配者としての力しか望んでいなかったとしたら、
ローランの神力を注ぎ込まれていたところで、レディベアが目覚めることはなかっただろう。
レディベアを覚醒させたのは、祈の真心。
彼女と一緒に、この世界で生きていきたい。そう願う至純な『そうあれかし』だったのだ。
絡めて繋いだ手指を通じて、清浄な光が祈の身体へと伝播してゆく。
その疲労が、傷が、瞬く間に癒えてゆく。
完全回復だ。レディベアがブリガドーン空間の力を使って治癒させたらしい。

「今のわたくしの力では、これが精一杯ですわ。
 けれど、お父様の助力が得られれば、この劣勢も必ずや逆転させることができるでしょう。
 必要なのは、信じる心。強い願い、真摯な望み――。
 ひとつひとつの灯火は弱く、儚いけれど。多くを束ねてひとつにすれば……それは。太陽にも勝る焔となるのです。
 それを用いてお父様をこの世界にお招きし、反撃の狼煙と致しましょう」

空いている方の手のひらを大きく開き、レディベアが空へ掲げる。

「本来存在しないはずのお父様を現界させる力。そんな力がどこにあるのか、と?
 ふふ……。それはもう、ここに。はち切れんばかりに集っておりますわ!」

ぞろ。
ぞろり。
ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ―――――

何もない空間に出現したのは、無数の目。
先刻都庁で祈とレディベアが戦った際、レディベアが虚空に出現させた膨大な数の瞳だ。
見開かれた目に、インターネットのブラウザのような画面が映し出される。
そこに表示されたのは、ありとあらゆるSNS。写真を、メッセージを、音声を、ネット回線を通じて世界中へ拡散するシステム。
今やこの惑星をくまなく覆う、ネットワークの網。ワールド・ワイド・ウェブ。
かつて妖怪が跋扈していた時代には存在しなかった、人間たちの作り上げた機構。
それに、橘音と尾弐。ノエルとばけものフレンズたち。ポチやシロ。そして祈の戦いがアップロードされ、
たくさんの声援を受けていた。
東京だけではない。日本の各都市からも、そして海外からも。
閲覧数が、視聴者数が、いいね!が、恐るべき速さで増加してゆく。
絶望に立ち向かう人々の『そうあれかし』が流れ込んでくる――。
ぎゅっ、とレディベアが祈の手を強く握り直す。

「さあ、祈。龍脈の力を。あなたの中の神子の資格、運命変転の奇跡を、今こそ!
 解き放つのです!」

運命変転の力を使うことができるのは、あと二回と言ったところだろうか。
そのうちの一回をここで使用すれば、残るはあと一度。それをオーバーして限界以上の力を使おうとすれば、
何が起こるか分からない。

だが。

祈はここで使わなければならない、その力を。
なぜならば――

望まれざる変革を跳ね除けること。この世界に生きるすべてのものが、いつかより良い未来へと歩いてゆくために、
有りの侭の世界を維持すること。
それこそが、星の生命力そのものを司る龍脈の神子、多甫祈の使命なのだから。

260多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/11/30(月) 23:14:18
 祈はレディベアに呼びかけたが、
レディベアは相変らず目を閉じたまま、覚醒の兆候を見せなかった。

「だめ、なのか……?」

 そもそもレディベアに意識がなく声が聞こえていないのか、
それとも心を閉ざしているから祈の言葉が届かなかったのか。
後者だとすれば、祈ではレディベアの生きる理由足りえないということになるだろうか。
 祈の表情が曇ったそのとき、遥か上空で戦闘機の翼が風を切る甲高い音が響いた。
祈がそちらを仰げば、戦闘機が数機、極彩色の空を舞っているのが見える。
この人類滅亡の危機に、誰もが黙ってやられているわけではない。
魔法陣が展開された場所へ、自衛隊の戦闘機が向かっていく。
戦闘機からミサイルが放たれ、煙を噴き上げながらアンテクリストへと飛ぶ。
だが、ミサイルが爆発することはなかった。
煙はアンテクリストに到達する前に途切れて、まるでミサイルが掻き消えたように見える。
祈にはおおよそのことが分かる。
アンテクリストが、自身へ向かうミサイルの攻撃を運命変転の力で消失させ、
『なかったことにしてしまった』のだと。
ブリガドーン空間を拡張したことで、その中心、アンテクリストの周囲の力はより濃くなった。
故に、龍脈の力――運命変転の力をも周辺に自在に展開できるようになったのだろう。
今はまだその範囲はアンテクリストの周辺に留まっているが、
ブリガドーン空間が拡張し続ければ、運命変転の力が及ぶ範囲も広がる。
いずれアンテクリストは、直接全てを自身の意のままにできるようになるだろう。
祈達に悪魔を差し向けるというような迂遠な策を取る必要もなくなり、
手をかざすだけで消し去れるようになってしまうに違いない。
 戦闘機が風を切る音も掻き消えてしまった。おそらくは――。
 祈はギリ、と歯噛みする。またしても、命が消えてしまった。
火を吹き消すように簡単に命を奪うアンテクリストに、怒りが湧いて止まらなかった。
 アンテクリストはそんな祈の感情を更に逆撫でするように。

>『―――――ヒトよ』

 次なる一手を打ってくる。

>『愚かなる者たちよ。蒙昧なる者たちよ。――虫けらどもよ。
>汝らの眼前に降臨した私が、果たして何者であるのかさえ理解できぬ者どもよ。
>嗚呼、しかし、汝らの愚かなることを責めはしない。
>なぜならば。汝らは愚かなる者として定義され、愚かなることをするために創造されたがゆえである』

 遠く離れているはずのアンテクリストの声が、
まるですぐ側で語りかけているように思えるほどリアルに響いてくる。
祈が耳を塞いでも聞こえるそれは、おそらく脳か精神に直接語りかけてきていた。
 祈以外にも聞こえているらしく、
避難所から、驚愕や悲鳴、困惑の声が聞こえてきた。
 しかも始末の悪いことにその声は。

>『泥から生まれし者たちよ。
>汝ら愚かな者たちを導くために、私は降臨した。長き封印の軛は既になく、私は解き放たれた。
>畏れよ、私を。崇めよ、私を――我が名はアンテクリスト。
>この大地を。世界を。星を。一から創り変える創造神、終世主なり――――』

 天上の音楽のように美しく響く。
怖ろしいのに安心してしまうような、逃げたいのに惹かれてしまうような。
抗いがたく思えるほどの魅力的な、そんな声でアンテクリストは――、

>『我は神。この腐った世を創り変える、ただ唯一の神性。
>私に縋れ、私を崇めよ。私に帰依し――ただ私のみを信奉するがいい。
>それ以外は死ね。我が数百億の眷属が、汝らを殺そう。皮を剥ぎ、目玉を刳り貫き、指の先から一寸刻みにしてゆこう。
>生きたまま臓腑を貪り、この世のありとあらゆる痛苦を味わわせてやろう。
>さあ――
>潰れて死ね。
>狂って死ね。
>嘆いて死ね。
>爛れて死ね。
>砕けて死ね。
>萎れて死ね。
>もはや、この世に私を讃えぬ者の住む場所はない――』

――脅迫する。
 およそ争いとは無縁の世界で生きてきた人間達にとって、今は極限状態。
無数に湧き続ける悪魔によって唐突に日常を破壊され、彼らが感じ続けるストレスはとっくにキャパシティをオーバーしていた。
あまりにもリアルな、自身や家族、友人の命の危機。
否応なしに突き付けられる、一つ間違えば自分が其処に転がる死体であったという事実。
いまや死はどうしようもなく身近な隣人だった。
 そんな中、絶対の存在と思しき者から垂らされた、『自身を信奉すれば助けてやる』という救いの糸。
しかもそれが魅力的な声と共に降りてきたのなら、従ってしまうものも出てくる。
その言葉に従ってしまったところで仕方がないと、心地良く人を堕としていく。
 祈が守る避難所からも、
アンテクリストに従うから助けてくれと天に叫ぶ声が聞こえてくる。
 このままアンテクリストに誰もが従ってしまえば、
この状況を覆せるだけの『そうあれかし』は、希望は集まらないだろう。
アンテクリストの声がどこまで響いているのか、
そしてどれほどの人間がそれに従ってしまったのか。それはわからない。
もしこの声が世界中に届いていて、人間達が希望を手放してしまったのだとすれば。
レディベアも目覚めない今、逆転は望み薄にすら思えた。
それでも祈は諦める訳にはいかないと頭を回転させるが、有効な手段は何も思い浮かばずにいる。
 しかも悪魔との戦いを引き受けたローランの限界は近く、
ローランに代わって祈が戦おうにも、再びターボフォームになるには時間を要する。
考える時間のタイムリミットもすぐそこに迫っていた。
 そんな差し迫った状況の中。

261多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/11/30(月) 23:18:14
>「……祈ちゃん……、レディと手を繋ぐんだ。
>気持ちを繋げる、心を繋げる……それには、まず触れ合うこと。身体で繋がることが大切なんだよ……。

 祈に希望を示したのは、その限界が近いローランであった。
悪魔を切り伏せた後、今にも途絶えそうな呼吸音交じりの、掠れた声で言う。

「手で……心を伝える……?」

>君は、都庁で……レディと手を繋いで……彼女をベリアルの呪縛から解き放った……。
>それを、もう一度するんだ。龍脈の力じゃない、御子としての立場としてでない――
>君の真心を。ともだちとして、彼女に……伝え、て……」

 振り回す剣の重みの所為か、ぐらりとよろめくローラン。
だが、倒れることなくその場に踏み止まりながら、言葉を言い終える。
 そして束の間、動きを止めて祈の方を振り返ったローランのその姿は。
自身の生命力を吐き出した故か、
骨が浮き出るほどに痩せ衰え、ミイラや即身仏と見紛うものとなっていた。
 限界が近いなんてものではない。――とうに限界など超えている。

「ロー――」

 思わず駆け寄ろうとする祈だが、ローランの強い眼差しがそれを制止する。
これは己の戦いだから止めてくれるなと、介入は望まないと、そう告げていた。

>「君も知っての通り……レディは気位ばかり高くてね……。
>中学校に通うと言い出したときは……果たして友達なんて出来るのかな、なんて……心配したものさ……。
>だが――そんな考えは杞憂だったみたいだ……。彼女には、君という……素晴らしい、友達が……できたのだから……」

 祈に語りかけるローランの背後で、悪魔達が押し寄せている。
後ろを見せている今が好機と、悪魔達が一斉にローランへと飛び掛かる。

「っローラン、後ろ!」

 ローランは振り向きざまに、横薙ぎにデュランダルを振るう。
剣先が火花を散らしながら地面を離れ、飛び掛かった悪魔たちの胴体やノドを一文字に切り裂く。
 限界を超えてなお、屹立し、剣を振るい、魔を払う。その姿はまさに英雄だった。
悪魔達の返り血に染まりながら、ローランは言葉を続ける。

>「ああ……安心した。安心したんだ……私は。
>もう、レディはひとりじゃない……。君という親友がいる。彼女を救うため、これほどまでに命を懸けてくれる友達が。
>他にもアスタロトやノエル君……ポチ君に、ミスターも……。
>それは、なんて……なんて洋々たる未来だろう――」
>「ならば。ならばだ。
>愛するレディと、レディの一番の親友である祈ちゃんの未来のために。
>幸福に至る道を切り拓くのが、私の最後の、役目……だ……。
>後は頼んだよ、祈ちゃん……私が技を放ったら、ありったけの気持ちで……彼女の心に、呼びかけてほしい……」

 ローランは両手で持ったデュランダルを、天に掲げるように最上段に構える。
今も尚無尽蔵に湧き続け、迫りくる悪魔達に向かって、技を放つつもりだろう。
その口振りからおそらく――最期の技を。
 命の使い道を決めるのは本人であるべきだと祈は思いながら、それでも。

「その洋々たる未来ってのは、おまえがいちゃだめなのかよ。おまえだって――」

 そんな言葉が、祈の口を突いて出た。

>「祈ちゃん……、レディの……ともだちになってくれて、本当にありがとう――」

 ローランは微かに振り返って、祈へそう言いながら微笑んでみせた。
あまりにも穏やかな、満足したような微笑みに、祈は言葉の続きを発することができない。
ローランが迫りくる悪魔達に向き直った。
そのやせ細ったその体からは、考えられない程の力強い光、神気が放たれる。
 あまりに眩いその光に、祈は眼前に手をかざした。

>「――1と3より成る聖遺物よ、神の徴よ。今こそ其の奇蹟を諸人に顕さん。主の前にまつろわぬ、総ての敵を討ち滅ぼせ……!
>悉皆斬断、『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』!!!」

 そしてローランがそう叫んだ刹那。
周囲は目を開けていられない程の強烈な光に包まれた。
 光が収まった時、残されたのはローランが振るっていた聖剣デュランダルと――静寂だった。
周辺に悪魔の姿が見えなくなり、訪れた一時の、平和にすら思える静寂が訪れていた。
この、祈とレディベアが手を繋ぐためだけの時間を作る為に。
ローランは己の全てを使い果たして、光となって……この世から消えてしまったのだった。

262多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/11/30(月) 23:39:54
(……ローラン。おまえの作ってくれた時間。無駄にしないよ)

 悪魔に埋め尽くされていない空を見ながら、祈は心の中で呟いた。
 ローランの微笑みを見るに、きっとその命の使い方にローランは満足したのだろう。
 それに、ローランはクローン。元々短い命だ。
ここで無理矢理に助けたところで、その命は瞬く間に失われたかもしれない。
でも、寿命がほんの僅かな時間伸びるだけだったとしても、助けるべきだったのではないかと。
祈の心には苦いものが残る。
 それでも。祈は進まなければいけない。

 祈は横たわるレディベアの傍らに座り、その右手を自身の左手で取った。
 祈の手はボロボロだが、レディベアのつけているロンググローブ越しでも、
そこに確かなぬくもりと微かな鼓動を感じることができた。
それは、レディベアが生きているという確かな証。
 絶望に塗れ、その力を強制的に吐き出すことになっても尚、
レディベアの体は生きようとしている。あとは心の問題だった。
 声や言葉では気持ちが届かないのだとしても。
ローランが言っていた通り、手を繋げば、ぬくもりならきっと届くのだろう。
そしてぬくもりを伝えるのなら、手だけである必要はなかった。
 祈はもう片方の手で、倒れたレディベアを抱き起こす。
そして、自身に凭れ掛からせるようにして、レディベアを抱きしめた。
 菊乃は、祈が寂しがりなのを知っていたから、よく抱きしめてくれた。
そのぬくもりは、祈を元気にしてくれた。
 ノエルもそうだ。
祈がきさらぎ駅で女子トイレから出てこなかった時も、やさしく抱きしめてくれた。
雪女なので体温は冷たかったが、伝わる冷たさは不思議と温かみがあった気がする。
 橘音とは手を繋いだ。尾弐は撫でてくれた。ポチはすねをこすってくれた。
 そういった触れるという行為は、行動は。
言葉よりも雄弁に気持ちを語り、伝えてくれる。
相手を受け入れていることを伝えたり、好意を伝えたり。
抱きしめるという行為はその最たるものだろう。
 祈は目を閉じ、レディベアを想う。
体温や心臓の鼓動、抱きしめる腕の強さ。
手だけではく全身で、祈はレディベアへ気持ちを伝えた。
生きていて欲しいと。大好きな存在であることを。

「あたしはおまえのともだち。あたしがおまえの居場所。だから安心して起きて来いよ。モノ」

 レディベアを抱きしめたまま、しばらく祈は動かずにいた。
その間にも悪魔は無尽蔵に魔法陣から吐き出されており、既に悪魔達は祈の背後にまで迫ってきていた。
だが、悪魔達が祈へ攻撃を加えようとしたそのとき。

――レディベアの体が発光する。
その光は、ローランが最後に放っていたのと同質のもの。魔を払う神気であった。
それを見て悪魔達は歩みを止めた。否、近付けずその場で硬直してしまう。

「モノ……?」

 祈は目を開いた。
レディベアの変化は光を放つことに留まらない。
黒かった髪の毛が、美しい金色に染まっていく。
同様に黒かったミニ丈ワンピースやロンググローブといった衣服は、白へと変わった。
祈のターボフォームのように髪の毛や衣服といった見た目の変化は、
この変化は神々しい存在、天使を想起させた。
力の質そのものもやはり以前とは異なる。
ローランの与えた力がレディベアと一体化し、その存在を新たなものへと変えたのだろうか。
 
(ローラン……おまえは、モノの中で生き続けてるのかもな)

 ローランは、自らの生命力を分け与え、
祈が気持ちを伝えるだけの時間を稼いだことによって、己の大事な人を救い上げた。
その命を守り抜いたのだ。
そしてその生命力は、確かにレディベアの中にあり、これからもレディベアを守り続けるのだろう。
 レディベアはふわりと浮かび、空中で体勢を整えて起き上がった。
そして目を開くと、その真紅の目で祈を見た。

>「―――祈」

 レディベアから呼びかけられ、祈は頷く。

>「あなたの声、ずっと聞こえていました。
>けれども、わたくしは怖かった……。今まで信じてきたもののすべてが、ベリアルの作った虚構であったと知って。
>お父様が本来は存在しないものだったと知って、絶望した……。
>この世界に価値などないと。お父様と一緒でなければ、この世界にいたところで意味などないと――
>そう、思っていました……」

 繋いだままの祈の手を、レディベアは自身の胸元にまで引き寄せる。

>「けれど。そんなわたくしの弱い心を、あなたが引き戻してくれたのです。
>わたくしはベリアルの野望に用いられる道具。もはや用済みとなり、廃棄されるばかりの不用品。
>でも――
>そんなわたくしでも、まだ必要だと。生きていてもよいのだと、あなたが仰るのなら……」

 レディベアの開かれた左目から、大粒の涙がこぼれる。
それは微笑みと共に流れた、喜びの涙だというのは祈にもわかる。
 頬を伝って涙が零れ落ち、アスファルトを濡らした。

263多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/11/30(月) 23:42:45
>「……わたくしも。
>わたくしも、あなたと一緒に生きていきたい……!
>この世界にいたい、ずっとずっと、極彩色の空間の内側から覗き見て。長い間憧れていたこの世界に!
>祈、わたくしの大切なおともだち。大好きですわ……どうかどうか、わたくしを。ずっとあなたのお傍に――」

 再び祈はレディベアを、友達を抱きしめた。
目覚めてくれて嬉しいという気持ちを伝えるために。

「……ずっと一緒に決まってんだろ。あたしらは親友なんだから」

 そして、心底安心したような声で、祈はそう答えた。
 祈が伝えた、ずっと一緒に生きていたいと思うほどに好きだという気持ち。
それは、ノエルが言っていたようなものとは若干異なるが、しかし。
レディベアを大事に想う気持ちは大きく、また純粋であった。
 祈がレディベアから離れると、
繋がれたままの手を通じ、レディベアから光が祈へと伝播してきた。

「お……?」

 体の痛みや疲れが消し飛び、負傷箇所が消えている。
レディベアが傷を癒してくれたらしい。
 
>「今のわたくしの力では、これが精一杯ですわ。
>けれど、お父様の助力が得られれば、この劣勢も必ずや逆転させることができるでしょう。
>必要なのは、信じる心。強い願い、真摯な望み――。
>ひとつひとつの灯火は弱く、儚いけれど。多くを束ねてひとつにすれば……それは。太陽にも勝る焔となるのです。
>それを用いてお父様をこの世界にお招きし、反撃の狼煙と致しましょう」

 天に手を掲げるレディベア。

>「本来存在しないはずのお父様を現界させる力。そんな力がどこにあるのか、と?
>ふふ……。それはもう、ここに。はち切れんばかりに集っておりますわ!」

 そう言って上空に展開する無数の目達。
都庁内ではレーザービームを放ってくる危険極まりない攻撃手段だったそれだが、
今その目に映っているのは、スマートフォンやPCの画面のようだった。
 その画面には、東京ブリーチャーズの面々が映し出されている。
 SNSや動画サイト、TVなど、さまざまな媒体で。画像や音声、映像で。インターネットを通じて。
橘音や尾弐、ポチやシロ、ノエルとムジナなど二軍メンバー、祈達の戦いが共有・拡散されている。
 いいね!も、コメントもつき放題で、ブリーチャーズを応援する声が無数にある。
外国人のコメントがいくらでも映ることからも、海外にも伝わっていることが分かった。
『こいつ狐面探偵じゃんwww』、『この狼みたいなワンコ見たことあるわ』など、東京現地の声も散見された。

「すげぇ……」

 アンテクリストの声を聞いて、確かに一部の人は諦めて従ってしまったかもしれない。
だが、全ての人々が絶望したわけではなかった。
 思った以上に人々は強かった。そして東京ブリーチャーズを信じてくれていた。
 まさに今、希望は繋がれたと言っていい。
 龍脈の流れをアンテクリストに制限されている現状、
龍脈の莫大なエネルギーを使用して引き起こす奇跡、運命変転は使えない状況だった。
だが、この人類から祈達へと集まった希望のそうあれかしがあれば、それを代用して運命変転を再び使うことができる。
 この絶望的な状況をひっくり返し得るのだ。
 おそらくその土壌はできあがっていたのかもしれなかった
 東京には、難解な事件を瞬く間に解く、狐面の名探偵がいるという噂があった。
 謎の病原菌によって女子供が死んでいく事件が起こった時、
封鎖された商店街に侵入する奇天烈な集団が人々のカメラに収められていた。
 とある神社では突如吹雪が吹き荒れたが、そこから謎の男女が生還したのが目撃されている。
 獣の咆哮のような音が響き、人々が発狂した夜には、
落としたテレビのカメラに偶然、一条の赤い線を引きながら空を走る少女が映っていた。
 東京のどこかで暗躍し、事件を解決する存在を人々はきっと無意識に認識していたのだ。
 なにせその中心にいる狐面探偵・那須野橘音は、あまりにも目立つ存在だったが故に。

264多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/12/01(火) 00:14:01
>「さあ、祈。龍脈の力を。あなたの中の神子の資格、運命変転の奇跡を、今こそ!
>解き放つのです!」

「いいぜ。でも……――、
あたしらに手を貸してくれてる人達に説明なしってのは不親切だろ?」

 祈はそう言って、塞がれていない右手で、迷い家の方向を示した。
そこには、勇敢にもこちらを撮影している人々がいる。
 彼らはそうあれかしを提供し、自分達を後押ししてくれる協力者。
彼らに何も話さないのは礼儀に反すると祈は思った。
 それに懸念点として、妖怪大統領が急に出現したらどう思われるか、というものがある。
『わからない』は恐怖を生む。
天空に突如として巨大な眼玉が出現したら、事情を知らない人々は、
それを偽神や悪魔の更なる一手と思って、混乱する可能性がある。
 そうすれば、妖怪大統領が味方として現れたとしても、
敵かもしれないと思った人々のそうあれかしに上書きされて、『巨大な目玉を持った別の脅威』となるかもしれない。
 一つの行動が絶望の呼び水となってしまいかねないこんな状況だからこそ、
人々が安心ししてくれるように、慎重に行動する必要があるのだ。
 先程の映像には祈の顔もばっちり映っていたことであるし、もはや怖いものはないともいえた。
 故に、祈はレディベアの手を引いて、こちらに向けられたスマホやカメラの前に躍り出る。

「汗ドロドロでごめんね。これ配信中? 悪いけど、ちょっとあたしら映してもらっていい? 
話したいことがあるんだ」

 などといってカメラを向けさせ、

「――あたしらは東京ブリーチャーズ。今、陰陽師や妖怪達と協力して、悪魔と偽者の神様と戦ってるとこなんだ」

 真剣な表情で、カメラの向こうにいる人々へ呼びかけた。

「そんで次は、逆転の為に強力な助っ人を呼ぶ。名前は妖怪大統領、バックベアード。
空にでっかい目玉が現れるけど、あたしらの味方の妖怪だから、どうかビビらないでいてほしい」

 それは、今できうる限りの情報開示と。

「もちろん、『悪魔や偽者の神様にも』。
あいつらは人の負の感情で強くなる。もうだめだ、おしまいだってみんなが思ってたら、
あいつらがどんどん強くなって、あたしらでも勝てないかもしれない。
だからみんなも辛いだろうけど、あたしらと一緒に自分の中の恐怖と戦ってほしい」

 協力要請だった。

「……あたしからはそれだけ。みんなよろしくね。カメラありがと!」

 祈はそういって踵を返し、レディベアと共に、迷い家の前から離れていく。
 最後に一度、振り返ってカメラに笑顔で手を振った。
逆に不安に思わせていないかと思ったのだ。
 そして少し迷い家から距離を取ると。

「じゃ、いくか、モノ」

 立ち止まって、右拳を握りしめた。
万事は尽くした。後はただ、やるだけだ。

「――『変身』」

 目を閉じ、小さく呟いて。
赤髪、金眼、黒衣の――ターボフォームへと変身する。
 そして、

(『運命変転』……運命よ、変われ――)

 自分達に集まった『そうあれかし』を一つに纏め始めた。
世界中から集まったそれは、祈を中心に渦を形成し、竜巻の如き風となった。
 その力を束ね、運命変転の力を発動させ、形を与える。
 祈は目を開き、握ったままの右手を天へと突き上げた。

「――来い!! 妖怪大統領、バックベアード!!」

 祈の右手の甲に龍の紋様が浮かぶ。
それが一層輝いたかと思うと、その輝きは光球となって空へと、まるで花火のように打ち上がる。
そのまま上空の極彩色へと溶けていった。
 それは、レディベアの言うように反撃の狼煙だ。
 レディベアの父としての人格があるかないかはわからないが、
どうあれバックベアードはブリガドーン空間そのもの。
顕現すれば、アンテクリストからブリガドーン空間の主導権を奪い返してくれるだろう。
それによって、アンテクリストを支える両翼のうち、一つがもがれることになる。
 そして、橘音の策が成功すれば魔法陣が消え、龍脈の流れも正常に戻る。
もう一つの翼をも、もぐことができる。
 だが、神を地に落とすための切り札ともなれば、切るのに代償がいる。
祈は己の中で、一際大きく何かが砕けるような音を聞いた。
 感覚的に、己の可能性や未来といったものがまた消えたこと、
そしてこれ以上失えば、きっと自身の命を喪うような結末を迎えることがわかる。
 だが、祈はこの選択に後悔はない。
 どの道ここを、アンテクリストを超えないことには、祈達に可能性も未来もないのだから。
皆で幸せな未来を生きるための、ささやかな代償に過ぎない。
残されているであろうたった一つの可能性を、大事に守ればいいだけのことだ。
 なにせ友達と生きると約束したのだ。死ぬわけにはいかない。

 ゴゴゴゴ、と空から何かが落ちてくるような音が響いてくる。
いままさに、妖怪大統領が顕現しようとしていた。

265御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/12/06(日) 10:06:51
小豆弾の直撃を受けた獄門鬼は、轟音を立てながら呆気なくあおむけに倒れた。

「やりぃ!」

あずきとハイタッチをする御幸。だがしかし。
二つあがった水柱ならぬ血柱から、二体の獄門鬼が出現する。

>「ブッゴォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!」

「えぇ……復活してる……」

「しかも増えてる……」

ドン引きしながら呟く二人。

「プラナリアじゃあるまいしまさか無限に増えることはないはず……!
一体一体は弱いからとりあえず片っ端から倒そう!」

御幸は気を取り直して皆によびかける。しかしそのまさかである。
小豆スマッシュを主軸として獄門鬼を倒し続けた御幸(と豆投げ係のあずき)だったが、
数十分後、増えに増えた獄門鬼はすでに10体になっていた。

「これ……無限に増えるんじゃ……! もう無理! マジで無理!」

>「ホンマかなわんなァ……。
 こうなると分かっとったら、最初っから尾弐のアニキんとこ行ったっちゅうに……。
 色男に恩売ったろなんて考えるんやなかったわ……」

あずきやムジナが割とマジで泣き言を漏らし始める。

「どこ行ったってここよりマシな保証は無いよ!?
橘音くんが結界を張るまで時間稼ぎ出来ればあとはこっちのもんだから! それまで何とか持ち堪えよう!」

そう、目的は飽くまでも橘音が結界をはりおわるまでの時間稼ぎだ。
そこまで持ちこたえさえすれば状況は大きく変わるはず。
そう思っていたのだが、現実はそれすら許してくれそうにはなかった。

>「……ッ!?
 これは……!」

カイの足元から新たな獄門鬼が出現し、足首を掴んでいた。

「今助ける! あずきちゃん、豆を!」

獄門鬼は小豆スマッシュを当てればとりあえずは倒れるため、あずきに豆を要請する。
しかしあずきの足元が落とし穴のように開いたかと思うと、上半身と下半身が分断される。

「……!?」

新たに出現した獄門鬼に噛み千切られたのだった。
あまりの事態に驚愕している間に、逆さ吊りになったカイの胴体を槍が貫通し、地面に打ち捨てられる。

266御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/12/06(日) 10:07:59
「……死なせてたまるかッ! 眠れる森の白雪姫《スリーピング・スノウホワイト》!」

我に返った御幸は、あずきとカイに同時に妖術をかけ救命措置を施す。
二人は瞬く間に氷漬けになり、決して壊れぬ妖氷の中におさまった。
致命傷を負った味方の延命――コカベルを破った妖術の本来の使い方だ。
死なずに済むとはいっても、それも御幸達がこの場を切り抜けられればの話だが。
あずきの戦闘不能によって小豆という最大の武器が使えなくなってしまった上に、至るところから新たな獄門鬼が出現する。
戦況は一気に悪化し、仲間達が次々と倒れていく。

>「くそったれが……」

「信じよう、橘音君たちを……」

御幸は新しいそり靴に妖氷のブレードを出現させた。接近戦を挑むつもりだ。
尾弐が酒呑童子になった時は、叛天のため接近戦は実質不可能であったが、カイが接近戦をしていたのを鑑みるに、この獄門鬼達には多少は通用するようだった。
雪女は一般に接近戦をする妖怪とは認識されていないこと、
また、カイの戦闘力はあたらしいそり靴によるところも大きく、妖具は弱体化されないことに加え、一体一体は尾弐が化した酒呑童子よりは遥かに弱いことによるのだろう。
ついにばけものフレンズ達のガードを突破し、獄門鬼のうちの一体が一般の人間に迫る。

「アイスエッジサルト!」

自らの通る道を凍らせながら滑走し、妖氷のブレードで宙返り回し蹴りを放つ。
獄門鬼は倒れるまではいかずとも衝撃を受けて後退した。
尾弐が酒呑童子になった時は、叛天のため接近戦は実質不可能であったが、カイが接近戦をしていたのを鑑みるに、この獄門鬼達には多少は通用するようだった。
雪女は一般に接近戦をする妖怪とは認識されていないこと、
また、カイの戦闘力はあたらしいそり靴によるところも大きく、妖具は弱体化されないことに加え、一体一体は尾弐が化した酒呑童子よりは遥かに弱いことによるのだろう。

「みんな、迷い家の守りをお願い! ホワイトアウト!」

残ったばけものフレンズを迷い家のあたりまで下がらせ、そこにホワイトアウトをかける。
見えなくして迷い家や作戦の要である姥捨の枝を獄門鬼達の攻撃対象から外し、攻撃対象を自分に集中させるのが狙いだ。
血の海を滑走して獄門鬼達を翻弄しながら、薙刀ほどのリーチの巨大な傘をぶん回してノックバックさせ、繰り出された攻撃はシールドを展開して防ぐ。

>『―――――ヒトよ』
>『愚かなる者たちよ。蒙昧なる者たちよ。――虫けらどもよ。
 汝らの眼前に降臨した私が、果たして何者であるのかさえ理解できぬ者どもよ。
 嗚呼、しかし、汝らの愚かなることを責めはしない。
 なぜならば。汝らは愚かなる者として定義され、愚かなることをするために創造されたがゆえである』

頭の中にアンテクリストの声が響いてきた。
それは仲間の妖怪や一般の人々にも聞こえているようで、動揺の気配が広がる。

267御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/12/06(日) 10:10:15
>『泥から生まれし者たちよ。
 汝ら愚かな者たちを導くために、私は降臨した。長き封印の軛は既になく、私は解き放たれた。
 畏れよ、私を。崇めよ、私を――我が名はアンテクリスト。
 この大地を。世界を。星を。一から創り変える創造神、終世主なり――――』

「おい、聞こえるか!?」「創造神だって……!?」

「あ……! 折角隠してるんだから騒いじゃ駄目!」

一般人のどよめきに引き寄せられるように、迷い家の方に向かう獄門鬼達がいた。
人々の誘導をしているハクトに金棒が振り下ろされんとする。

「私の愛玩動物におイタするんじゃな――い!!」

御幸は大ジャンプして半ば体当たりのように横合いから蹴りを叩き込む。
振り下ろされた棍棒は横に逸れて事なきを得た。

「乃恵瑠……!」

が、ハクトの悲鳴が響く。

――サクッ

シャーベットにフォークを刺したような、冗談のような軽い音。
御幸が自分の体を見下ろすと、刀が左胸を貫通していた。
着地でバランスを崩したところに、新たに出現した獄門鬼が刀を突き出したのだった。

「嫌あああああああああああああ!? 死んだぁあああああああああああ!!」

無論、人間だったら叫ぶことも出来ずに即死だが、まだ元気に叫んでいる。
雪女は妖術系妖怪のため、防御力自体は決して強靭な方ではない。
が、本来血肉を持たないものが便宜上実体を得ている存在である故に、物理的な身体の欠損に対する耐性は、極めて単純な原生動物に近いのかもしれない。
すでに包囲網を突破され、楔となる妖具に敵の魔手が迫っている。
御幸は半ば強引に後ろに飛び退って刀を引き抜くと、ハクトを強引に迷い家の中に押し込んだ。

「君は入って!」「でも!」「いいから!」

迷い家の扉を閉めた御幸は、姥捨の枝を大事に抱えた。

「これは渡さない!」

迫る獄門鬼に回し蹴りを放つ。
その足に斧が振り下ろされ、右脚の膝から下がスパッと切り飛ばされた。

268御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/12/06(日) 10:12:10
「ぐあぁっ……!」

血の海の中に倒れ込んだ御幸に、金棒が振り下ろされる。
右に体を捩じって辛うじてど真ん中に直撃は免れたものの、左腕が肩からごっそりクラッシュアイスのように消し飛んだ。
御幸は死んだように動かなくなった。
そんな中、アンテクリストの口上は続く。

>『我は神。この腐った世を創り変える、ただ唯一の神性。
 私に縋れ、私を崇めよ。私に帰依し――ただ私のみを信奉するがいい。
 それ以外は死ね。我が数百億の眷属が、汝らを殺そう。皮を剥ぎ、目玉を刳り貫き、指の先から一寸刻みにしてゆこう。
 生きたまま臓腑を貪り、この世のありとあらゆる痛苦を味わわせてやろう。
 さあ――
 潰れて死ね。
 狂って死ね。
 嘆いて死ね。
 爛れて死ね。
 砕けて死ね。
 萎れて死ね。
 もはや、この世に私を讃えぬ者の住む場所はない――』

ばけものフレンズ達の負けがほぼ確定している、というよりすでに負けている状態でのこの揺さぶり。
流されない人間はまずいないだろう。

「死にたくないよぉ!!」「崇めれば助けてもらえるのか!?」「アンテクリスト様万歳!」

獄門鬼が今度こそ御幸ごと姥捨の枝を木っ端微塵にせんと金棒を振り上げる。
その時、死んだように横たわっている御幸の唇が動いた。

「眠れる森の白雪姫《スリーピング・スノウホワイト》……!」

――ガキンッ!

振り下ろされた棍棒は、氷塊に阻まれた。御幸は右腕で姥捨の枝を抱えたまま氷漬けになっていた。

269御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2020/12/06(日) 10:13:28
氷漬けになっている間は、獄門鬼達は姥捨の枝に手出しは出来ない。これにより、自分ごと楔を安置した形になった。
御幸だけではない、満身創痍のばけものフレンズ達や、まだ避難所に入れていない一般の人々も全て氷漬けになっている。
対象指定でやっとのこの妖術を、広域に範囲拡大するのは通常は不可能だが、
アンテクリストに脅迫された人々自身の「死にたくない」という想いがこれを可能にしたと思われる。
また、獄門鬼が勝利したと思い込んでおり叛天の展開もしていなかったのも幸いした。
尤もこれで時間稼ぎは出来ても、状況は好転もしない。
このままアンテクリストの掌握するブリガドーン空間が東京中に広がってしまえば、こんな悪足掻きは意味を成さない。
遠い未来に自分ではない誰かが問題を解決してくれていることに希望を託すコールドスリープと同じ。
他の場所で戦っている仲間がどうにかしてくれることが前提の、他力本願の極み。
運命を切り開き状況を動かす役回りは自分ではないと開き直っているからこそできる芸当だ。
ハクトは、微かに聞こえてきた詠唱と、窓の隙間から見た皆が氷漬けになっている光景から、事の次第を察した。
御幸が自分を迷い家の中に押し込んだ意味も。状況が動いた時に起こす役回りが必要だ。
霊的聴力を持つハクトであれば、遠く離れた場所の音からも戦況が動いたことの感知ができ、
御幸を起こすために必要な人材の居場所も分かる。

「……サトリちゃんを連れてこなきゃ!」

精神に直接干渉する能力があるサトリなら、自ら氷漬けになった御幸を簡単に起こすことが出来るだろう。
ハクトはそう思い至り、駆け出した。SnowWhiteで飼われている他の妖怪達と一緒に避難しているはずだ。

270尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/12/12(土) 13:38:10

>「はッははッはははは……アンテクリストめ、いじましい手を使いおる!
>だが衆愚に効果は抜群か!あいつ、自分が親父と同じ手段を用いておることに気付いておるのかな?」
「オジサンにゃわからねぇが、気付いてんなら惨めな話だ!悪を名乗って神サマごっこ!親父の猿真似たぁ随分滑稽じゃねぇか!」

両手に掴んだ悪魔の頭を握り砕き、尾弐は天邪鬼の嘲弄に獣の如き笑みで返事を返す。
戦闘が始まって既に数時間。尾弐と天邪鬼は幾百幾千の悪魔を切り捨て砕き潰して見せた。
周囲には悪魔の死骸で小山が築かれ、血と臓腑が流れるその光景は地獄が如く。
荒れ狂う暴力と武技は、まさに一騎当千。万夫不当の大立ち回り。

>「アンテクリスト様……!助けて下さい!」
>「い、嫌だ!殺されたくない!死にたくない!アンテクリスト様あ!」
>「お救い下さい……お救い下さい……!神様、アンテクリスト様……!」

だがしかし――――尾弐達の活躍を以てしても足りない。
何百何千の悪魔を下そうと。
人を害する虫の一匹すら通さずとも。
獅子奮迅の奮闘でも。八面六臂の活躍を見せて尚。

人々の絶望を覆し、希望の炎を燃やすための力には足りない。

無尽蔵の悪魔。終わらぬ戦い。増え続ける犠牲。
そして……アンテクリストによる誘い。
光見えぬ現状から抜け出すため。あるいはこの場の自分が助かるため。
折れ転んだ人々の『そうあれかし』が次々に終世主へと集まっていく。
其れは、尾弐黒雄に一つの事実を……目を背けたくなる事実を突きつける。

『悪は強く、人間は弱い』

原始――人が人という生物に為る前。地を這う哺乳類であった頃からの遺伝子に刻まれているもの。
悪意強き者が他者を喰らい、従え、栄華を極める。そんな弱肉強食の摂理。
その摂理が、悠久の時を経て現代に牙を剥く。

>「ちいッ……!
>クソ坊主、後退しろ!守備範囲を狭める!
>気付いておるだろうが……こ奴ら、強くなっておるぞ!」

「っ……こいつぁ、ちと不味いか!応、了解だ!」

渋面を作りながら、尾弐は突き刺した手刀を悪魔の胸から引き抜き、天邪鬼の言に従って後退する。
天邪鬼の言葉の通りに……悪魔達は強くなっている。
これまで無造作に腕を薙ぎ払えば殲滅出来ていた有象無象は、気付けば全うに攻撃を当てなければ絶命に足らなくなっていた。
また、その攻撃も苛烈さを増している。
修行により悪魔の軍勢の攻撃に対して一度の被弾もしていない尾弐だが、それでも尾弐の肉体の頑強さを上回る膂力をもつ個体が現れ始めた事をその戦闘勘から把握していた。
戦略的撤退といえば聞こえはいいが、事実は敵の圧力への圧し負けだ。

そして、往々にして無策で引けば状況とは悪化するもの。
尾弐にとっての誤算は、この場に居る者達がただの……ごく普通に日常を生きてきた人間であったという事。

271尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/12/12(土) 13:39:45
>「うぁぁぁぁぁん……ママぁ……!」
「なっ……どうして子供がいやがんだ!!」

大人であれば、戦線の後退を感じて混乱しながらも撤退を選べたであろう。
だが、幼い子供にそんな真似が出来るはずもない。
親とはぐれたのだろう庇護を求め泣きわめく少女。その泣き声こそが――――悪魔を引き寄せる。

「間に合わねぇ……っ!!」

既に戦線を後退させた尾弐の位置からでは、救助は間に合わない。悪魔達の壁を突き崩して間に合わせる事は出来ない。
それを理解した尾弐は強烈な危機感を覚える。それは、ここで少女を助けられなければ……間違いなく戦線が崩壊し敗北するという確信から。
悪魔達は人間たちが抱いた負のそうあれかしにより強化を重ねている。それでも戦線が維持出来ているのは、未だ心折れぬ者達が居るからだ。
だがそんな人間達の目前で、幼き少女が惨殺されてしまえば……間違いなく、人々の心は折れる。
そしてそれは、尾弐とて例外ではない。一度の犠牲を許せば、きっと箍が外れる。少数を犠牲にし多数を救うを道を選ぶ事になる。

奇跡はない。ここはアンテクリストが築いた魔境。
悪魔の腕は振り下ろされ、少女は命を落とす。それを止められる者が居るとすれば

>「危ない!!」

それは、意志持つ者。奇跡ではない、生きて戦い救わんとする精神の力。
妖面を被った彼の者の名は――――那須野橘音。
東京ブリーチャーズのリーダーは、その身を挺して少女を悪魔の腕から救い出したのだ。

「!? 橘音ええぇぇッッ!!!!!!!!」

そして……愛しき者。守ると誓った者が傷付けられた事で、尾弐は激昂する。
被弾を恐れず、発勁による攻撃で眼前の悪魔の腹を吹き飛ばす。偽針を以て複数の悪魔の心臓部を串刺しにする。
砕いて壊して貫いて切り裂いて引きちぎり

「散りやがれ有象無象のゴミ共!!【黒尾】っ!!!!!!」

群がり攻め来る悪魔達を、切り札をもって討ち払う。
数十の悪魔達による一斉攻撃。その破壊力が、収束されそのまま悪魔の群れへと返され……群れに大きな穴を開ける。

>「……クロオ、さん――」
「っ……喋るな橘音。回復に努めろ」

そしてとうとう――――少女を襲った悪魔を討ち払ったものの、満身創痍となった那須野橘音の元へと尾弐は辿り着く。
彼の後ろに残っているのは、血で出来た赤い道標。それは悪魔の血ではない。尾弐黒雄の血だ。
防御を捨てての前身の結果、力を増していく悪魔の攻撃を無造作に浴びる事となった尾弐。
その背中や足には何本もの折れた剣や槍が突き刺さっており、脇腹に有る獣型の悪魔にに食い千切られた大きな噛み傷は、流れ出る様に血液を吐き出している。

「……ちっ、傷の移し替えの効が悪ぃ!アンテクリストのゴミが作った空間だからか……!?」

それでも、自身の重傷など全く感じていないかのように尾弐は那須野橘音を治療せんとあがく。
そんな尾弐に対して……那須野橘音は振り絞るように声を出す。

>「挙式は、地獄ですることになっちゃうかも……。
>……地獄でも……。ボクのこと、愛して……くれますか……?」

ヒュっと、尾弐の喉が音を鳴らした。思い浮かんだ、那須野橘音を失うという可能性に対する恐怖から。
怪我により衰弱している橘音。その嘆願するような声に対して尾弐は……

272尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2020/12/12(土) 13:44:15
「俺は、この先なんど死んで生まれ変わってもお前を愛するさ――――けど、悪いな橘音」
「お前さんとの結婚式は、お日様の下でやるって決めてんだ」
「だから、地獄への夫婦旅行は……幸せに生きて死んで、その後だな」

まっすぐ那須野橘音の顔を――眼の傷後も含めて真っ直ぐに見つめ、慈しむような優しい笑みを見せた。
そうして橘音を地面にそっと横たえると、一度その頭を撫でてからゆっくりと立ち上がる。
地面には自身の血液による血溜りが出来ているが、そんな負傷などしていないかのようにその背中は真っ直ぐで。

「なあ」

吹き飛ばされたものの、再びその穴を埋めるように歩み寄る無数の悪魔達に背を向け、
尾弐は自分たちが『守っている人間達』に問いかける。

「お前さん達。死ぬのは怖いか?痛いのは嫌か?」
「そうだよな――――ああそうだ。当たり前だよな。誰だって死ぬのは怖いし、痛いのは嫌なもんだ」
「俺もお前さん達と同じだよ。死ぬのは怖くて痛いのは嫌で、腰痛に悩んでて二日酔いで弱る、どこにでも居るオジサンだ」

その言葉には威圧も敵意もない。有るのは、隣人と世間話をするような気安さ。

「そんなオジサンがなんでこんな危ない思いして戦えてるかといやぁ……そいつは、俺がお前さん達よりも無駄に長生きしてるからだ」
「無駄に長生きして、本当に怖いものと守りたいものを知ってるからだ」
「……なあ人間。お前さん達が恐怖に屈して痛みに負けて、あの神サマもどきに従おうと考える事を俺は責めねぇよ」
「だがな、従う前にちっとだけ考えちゃくれねぇか」

「お前さん達がアレに屈したその先の未来で――――お前が愛する人は、ちゃんと笑ってるか?」

少しの沈黙。そうして尾弐は、人々の反応を見てから再度口を開く。
そこに込められているのは赤く……深紅に燃え盛る怒りの感情。

「もしも。もしも笑ってねぇのなら――――その未来を怖いと思うのなら!意地を見せてみろ人間っ!!!!」
「てめぇの幸せをぶち壊したクソ野郎にふざけんなと言い返せ!!!くたばりやがれと吠え立てろ!!!!」
「俺に!俺達に!!お前の幸せを食い潰して嗤ってやがる連中をぶん殴れと言って見せろ!!!!!!」

遠くの空で光が上がるのと同時に、尾弐は人々に背を向け、その姿を『作り変える』。
黒い闇で全身を覆い、数秒の後にその闇が晴れると……尾弐黒雄は鎧を纏っていた。
それは闘気で出来た鎧。闘神アラストールの秘儀を自己流に応用した、闘気外装。
この外装を纏う事で尾弐が飛躍的に強くなる事はない。せいぜい多少防御力が増す程度だ。

だがこの鎧は――――漆黒の鎧は。
まるで、人間達が幼い頃にテレビで見たヒーローの様だった。
神様ではない。悪を倒し平和を守る、どんな苦境にも諦めない正義の味方の様な造形だった。

荒れ狂う暴力や無双の守護でも安寧を得られなかった人間達に、図らずともその背中は問いかける。
お前達は『どうありたいのか』と。

一度首だけ動かし背後を見てから、尾弐黒雄は突貫を掛ける。悪魔に囲まれる外道丸を救うために。
人々に悪魔共を近づけさせない為に。壱秒でも長く那須野橘音を休ませる為に。

273ポチ ◆CDuTShoToA:2020/12/13(日) 04:25:49
遠吠えが響き続ける。悪魔どもは為す術もなく殺されていく。
一方的な蹂躙――だが、それは前触れもなく終わりを告げた。

>「これは、いったい――」

悪魔どもが撤退を始めたのだ。戦列の立て直し、といった様子ではない。
勝ち目がないと見て諦めたのか。いや、違う。奴らからは恐怖のにおいがしない。
ならば何故――ポチがそう考え、視界を広く取るべく人の姿へ再変化した時だった。

>『―――――ヒトよ』

不意に、頭の中に声が響いた。

>『愚かなる者たちよ。蒙昧なる者たちよ。――虫けらどもよ。
  汝らの眼前に降臨した私が、果たして何者であるのかさえ理解できぬ者どもよ。
  嗚呼、しかし、汝らの愚かなることを責めはしない。
  なぜならば。汝らは愚かなる者として定義され、愚かなることをするために創造されたがゆえである』

聞き間違えるはずもない、アンテクリストの声だ。
ポチが意図せず総毛立つ。
アンテクリストがただ名乗りを上げる為だけに、こんな事をするはずがない。

>『泥から生まれし者たちよ。
  汝ら愚かな者たちを導くために、私は降臨した。長き封印の軛は既になく、私は解き放たれた。
  畏れよ、私を。崇めよ、私を――我が名はアンテクリスト。
  この大地を。世界を。星を。一から創り変える創造神、終世主なり――――』

何か意図がある。何か意味がある。
それがどういうものなのかは、すぐに分かった。

>『我は神。この腐った世を創り変える、ただ唯一の神性。
  私に縋れ、私を崇めよ。私に帰依し――ただ私のみを信奉するがいい。
  それ以外は死ね。我が数百億の眷属が、汝らを殺そう。皮を剥ぎ、目玉を刳り貫き、指の先から一寸刻みにしてゆこう。
  生きたまま臓腑を貪り、この世のありとあらゆる痛苦を味わわせてやろう。
  さあ――
  潰れて死ね。
  狂って死ね。
  嘆いて死ね。
  爛れて死ね。
  砕けて死ね。
  萎れて死ね。
  もはや、この世に私を讃えぬ者の住む場所はない――』

あるいは、アンテクリストはただ、当然の事実を周知しただけなのかもしれない。
だが、真実がどうであれ、たった今告げられた神の啓示は、東京ブリーチャーズにとって最悪の事態を招いた。
つまり――「そうあれかし」が、絶望へと傾いていく。

そうだ。悪魔どもは何も馬鹿正直にポチ達を倒す必要などない。
ブリガドーン空間は広がり続けている。
獲物となる人間ならば、どこにでもいる。

しかし――ポチは撤退する悪魔どもを追わなかった。
無謀だからだ。四方へ遠ざかる悪魔の全てを狩り尽くす事は出来ない。
下手に一方へ追撃をかければ、手薄になったところから反攻され、迷い家を襲われるかもしれない。

それに――何か、嫌な予感がした。
野生の本能が警鐘を鳴らしていた。

>「いけない!」

だが――シロにはその警鐘が聞こえていなかった。
感受性、共感性、思いやり――シロはそれらによって衝き動かされた。
野生の本能ではなく、他者と触れ合い交わった事で身につけたもの――ヒトらしさによって動かされた。

だから――己の足元に潜んだ悪魔のにおいに気づけなかった。

274ポチ ◆CDuTShoToA:2020/12/13(日) 04:28:44
>「ッぅ、ぁ……!」

硬く鋭い牙が閉じるような音がした。
シロの右足首にトラバサミの刃が食い込んでいた。
瞬間――撤退の素振りを見せていた悪魔どもから、むせ返るような殺意と愉悦のにおいが渦巻いた。
その矛先は、言うまでもない。
ポチは全身の血の気が引くのを感じた。

「シロッ!!」

ポチが駆け出す。最愛のつがいを守らなくてはと――その一心で。
つまり――その様はひどく隙だらけだった。

ポチの行く手を悪魔どもが遮る。
彼らの動きは――先ほどよりも鋭く、力強かった。
対するポチの動作は焦りによって乱暴で、粗雑になっていた。

どうしても邪魔になる悪魔だけを仕留め、残りは全て不在の妖術で躱す。
その算段が狂った。
躱し、すり抜け、潜り抜け――そして、不在の妖術が終わった瞬間に眼前に立ち塞がる一体の悪魔。
大振りの爪撃よりも早く、その悪魔の蹴りがポチの腹部にめり込んだ。

「かっ……!」

咄嗟に不在の妖術は使った。
だが、矮躯に叩き込まれた威力は消せない。
姿と存在を消しつつも、ポチは大きく弾き飛ばされる。
シロとの距離が開く――もう、間に合わない。

「あ……」

剣が、槍が、シロめがけて降り注ぐ。鮮血が飛び散る。
牡牛のごとき悪魔がシロへと突貫する。肉が裂けて千切れる音が響く。
シロの体が宙へと跳ね飛ばされて、そのまま受け身も取れずに地面に落ちた。

「ああ……」

>「シロちゃん!」
>「治癒術式!急いで!」

陰陽寮の巫女達がシロに駆け寄って治療を図る。
だが――出血は止まらない。
千切れた右足首からは、とめどなく血が流れ続けている。
シロは全身に槍や剣が突き刺さったまま、ぴくりとも動かない。

「グ……ガ……ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」

立ち尽くしていたポチが叫んだ。
遠吠えなんてものではない。
怒りに溢れ、憎悪に染まり、絶望に晒され――最愛のつがいを喪ってしまったかもしれないと恐怖する精神が発する、絶叫だった。

ポチの全身が漆黒の被毛に覆われていく。膨張する。夜色の妖気が溢れ返る。
送り狼の悪性、その全てが解き放たれる。そして――悪魔どもへと襲いかかる。

邪悪な妖気を通わせた爪は肥大化し、しかし山羊の王から受け継いだ黄金の輝きは塗り潰されている。
錆び付いた大鉈のごとき爪が悪魔の一体を八つ裂きにする。
鉄杭のごとき牙が、迫る悪魔の頭部を果実のように噛み砕く。

だが――そんな事は、まるで大した事ではない。
ポチはたった二匹、悪魔を殺しただけ。
怒りに狂い、憎悪に身を任せて――後先考えずに。

悪魔どもが、そんなポチを背後から襲う事は容易かった。
ポチの背中から腹部へと、何本もの刃が、爪が、貫通していた。

275ポチ ◆CDuTShoToA:2020/12/13(日) 04:30:29
「……ゴオオオオッ!!!」

咆哮。ポチの存在がこの世から消える。
次の瞬間、ポチの背を刺した悪魔が二体、互いの頭部を打ち付けられて絶命した。
ポチは更に暴れ狂う。悪魔どもを引き裂き、握り潰し、噛み砕く。
そして――繰り出した手数の何倍もの傷を、全身に受け続けた。

取り乱し、つがいも倒れ、無防備になった背中を刺された。
怒りに呑まれ、大振りになった爪撃を掻い潜られ、腹を切り裂かれた。
たかが一匹の悪魔を噛み殺した代わりに、捨て身の反撃によって左目を潰された。

それでもポチは止まらない。
『獣』の右目とにおいを頼りに悪魔どもへと襲いかかり――不意に、がくりと膝を突いた。
血を流しすぎた。悪魔どもはただ、ポチが疲弊するのを待つだけで良かった。
そんな事にさえ気づけなかった。

体勢を崩したポチの全身を、悪魔どもの刃が突き刺す。斬り裂く。打ち付ける。

「……グ……ルル……」

ポチは、先ほどの咆哮とは比べ物にならないほど微かな唸り声を零した。
直後、その姿が再びこの世から消える。
今度は、ポチはすぐには現れなかった。
数秒の間をおいて――ポチはシロの傍で姿を現した。

「……シロ」

『獣』の右目さえ潰されて、においだけを頼りに、ポチはシロにすり寄る。
そして――斃れた。もう、立っていられるだけの力も残っていなかった。
シロのにおいは、彼女と自分自身の血のにおいによって、うっすらとしか嗅ぎ取れなかった。

「シロ……だめだ……死んじゃ、だめだ……」

ケ枯れによって獣の姿に戻ったポチは、うわ言のように呟いた。
空っぽの眼窩から、涙のように血が溢れ続けている。
覚悟は決めたつもりだった。もし駄目だったとしても、最期まで一緒だと。
だが――刻一刻と濃くなっていく血のにおいと、それに塗り潰されていくシロのにおい。
自分のすぐ傍で、最愛のつがいが死のうとしている。
その絶望を、ポチは正しく想像出来てはいなかった。

「いやだ……シロ……死なないで……ねえ……返事をしてよ……」

ポチは力を振り絞る。体を起こして、よろめきながら一歩前へと踏み出す。
シロのすぐ隣へ。

「……………………シロ」

今もなおシロを治療すべく手を尽くす巫女の一人、その首に牙が届く場所へ。
自分達は、妖怪だ。
人間の命を奪い、その血を啜れば――噴き出す鮮血がシロの口に降り注げば、まだ傷は癒せるかもしれない。
間違っていると分かっている。してはいけないと分かっている。

だが――何も出来ないままシロが死ぬなど、受け入れられない。
自分達を必死に助けようとしている人間の首を噛み砕く。
いっそ、そんな狂気に身を委ねてしまいたくなるほどに――ポチは恐怖していた。絶望していた。

ポチがふるふると震えながら、あぎとを開く。そして――





「…………助けて」

そう、零した。

276ポチ ◆CDuTShoToA:2020/12/13(日) 04:32:28
「誰か……誰か!誰か助けて!お願いだから……!」

大量の血を吐き出しながら、虚ろな双眸から血涙を零しながら、ポチは声を振り絞った。
それは最後の足掻きだった。
結局――ポチは巫女の首に食らいつく事が出来なかった。
その狂気に染まり切る事は出来なかった。

それをすれば、もしかしたら自分もシロも生き永らえる事が出来るかもしれない。
だが巫女の位置を探ろうと、においを嗅ぐと、どうしても思い出してしまう。

陰陽寮での事件が解決した後、芦屋易子の元へと駆け寄る巫女達。
あの時、自分をワンちゃんと呼んだ、屈託のない笑顔。
それを見た芦屋易子の、穏やかな微笑み。
愛情のにおい。

この期に及んで、過ぎ去った時間になんて何の意味もない。
そう分かっていても、ポチには出来なかった。
あの思い出を自らの牙で引き裂いてしまうなど、どうしても出来なかった。

「橘音ちゃん!尾弐っち!ノエっち!祈ちゃん!」

だから――これが、ポチの最後の悪足掻き。

「……芦屋さん!富嶽のお爺ちゃん!誰か……誰でもいいから……!」

だが――返事はない。あるはずがない。
分かっていた。それでも足掻きたかった。
シロを救う為に、何かがしたかった。そしてそれは失敗に終わった。

「……シロ」

ならば――次にすべき事はもう決まっている。
皆を守らなければならない。約束を果たさなければならない。
ポチはシロに寄り添う。名残を惜しむように、その頬に顔を擦り寄せる。

「……大丈夫。ずっと一緒だ」

そして――――――あぎとを開く。

「僕が守ってあげる……」

思い出が、ポチの脳裏を通り過ぎる。
始まりは博物館から。シロと初めて出会い、言葉を交わし、守りたいと願い――赤い血と月光に染まった、彼女の姿。
あの時、ロボが口走っていた言葉。ポチはそれを深く思い出す。

「……もう二度と、君を誰にも、傷つけさせたりしない」

あの狂気を、復唱する。自らの心にも纏わせる。

「だから……だから、今はおやすみ」

血の涙が流れる――もう、これしか道は残されていない。

277ポチ ◆CDuTShoToA:2020/12/13(日) 04:33:40
「……『獣』」

ポチが、『獣』が、シロを喰らう。
その命を奪う事で、ポチは傷を癒やす。
同胞殺しの狂気、最愛殺しの狂気が、ポチを恐れを知らぬ怪物に変える。

そして――ポチは皆を守る。
すべき事が全て終わったら、『獣』はポチを喰らう。
それで、ポチとシロはずっと一緒だ――約束は果たされる。

「ごめん、『獣』。お前との約束は……守れなかった」

『……いいや。短い間だったが……ニホンオオカミは、確かにここにいた』

「……それでも、ごめん」

ポチが牙を剥く。その先端がゆっくりとシロへと近づいていく。
シロを喰らう為に。シロの命を奪って、自分のものにする為に。
血を流しすぎているのに、鼓動が早まって、苦しい。
本当は――こんな事したくない。この戦いが終わってからも、皆と一緒に生きていたい。
体が震える。息が詰まる。吐き気がする。頭が痛い。
それでも、成すべき事を成さねばならない。

「…………祈ちゃん」

未練が、ポチにもう一度だけ、その名を呼ばせた。

278那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/12/21(月) 21:18:13
>汗ドロドロでごめんね。これ配信中? 悪いけど、ちょっとあたしら映してもらっていい? 
 話したいことがあるんだ

「祈……?」

レディベアが戸惑うのをよそに、祈が無数のカメラやスマホの前に立つ。
虚空に浮かんだ無数の目に、祈とレディベアの姿が映し出される。

>――あたしらは東京ブリーチャーズ。今、陰陽師や妖怪達と協力して、悪魔と偽者の神様と戦ってるとこなんだ

そして祈はカメラを前に、自分たちの事情を説明し始めた。
自分たちは今、東京を蹂躙している悪魔たちと戦っている者だと。妖怪や陰陽師たちと力を合わせているのだと。
それは今まで秘密にしていたこと。秘されていなければならなかったもの。
妖怪の存在や、それを斃して東京を守護する者たちの存在を、ネットという満天下にさらけ出すという行為であった。

「ななな……、何やってくれちゃってんの――――――――っ!!!??」

この世ならざる場所、現世と常世の狭間に位置する華陽宮で様子を見ていた御前は仰天した。
妖怪の存在を知るのは、人間のごくごく一部。支配階級や旧い家柄といった、限られた者たちだけでなければならない。
伝承に語り継がれてきた化け狐に雪女、鬼や送り狼。ターボババアといった現代の都市伝説。
それらの妖怪が御伽噺ではなく実際に存在すると人々が認識してしまえば、社会は大混乱に陥ってしまうだろう。
だからこそ、御前を始めとした五大妖は協定を結び、自分たちの存在を厳重に秘してきた。
日本だけではない、海外の妖怪――神や天使、魔物、妖精、精霊といった者たちにしてもそうだ。
自分たちは幻想の住人である、そう人間たちに認識させてきたからこそ、今まで互いに不可侵の平和を保ってこられたのだ。
だというのに――

「御前、これは偽神降臨よりも余程由々しき事態なれば。御裁断を」

「四大妖からホットラインにて問い合わせが来ておりまする。四大妖のみならず唐土からは太上老君、
 希臘からゼウス。天竺からはヴィシュヌよりの連絡も――」

「あばばばば……。
 に、二千年来の妖怪と人間の秩序がぁ……。世界の均衡がぁぁぁぁ……」

狐面をかぶった侍従たちが次々に告げてくる。御前は頭を抱えた。
祈がやったのは化生の根幹を揺るがす大罪だ。東京ブリーチャーズの創設者として、
御前は即座に他国の神大妖たちに釈明をしなければならない。

>そんで次は、逆転の為に強力な助っ人を呼ぶ。名前は妖怪大統領、バックベアード。
 空にでっかい目玉が現れるけど、あたしらの味方の妖怪だから、どうかビビらないでいてほしい

華陽宮の大広間に備え付けられた大きな液晶ディスプレイいっぱいに映った祈が、カメラ越しに呼びかける。
その映像が電波に乗って、瞬く間に世界中へと拡散してゆく。多くの人間たちの知るところとなる――。
東京都だけ、もしくは最悪日本だけであれば、御前の力で人々の認識を書き換え祈の暴露を無かったことにすることも可能だった。
しかし、もう間に合わない。祈の暴露はこの地球へ遍く行き渡ってしまった。
世界の調停者たる御前にとっては、到底許し難い行為である。

>もちろん、『悪魔や偽者の神様にも』。
 あいつらは人の負の感情で強くなる。もうだめだ、おしまいだってみんなが思ってたら、
 あいつらがどんどん強くなって、あたしらでも勝てないかもしれない。
 だからみんなも辛いだろうけど、あたしらと一緒に自分の中の恐怖と戦ってほしい

「………………」

恐怖に負けるな、と。
一緒に戦ってほしい、と。
汗だく、血まみれ、泥だらけの姿で懸命に言い募る祈を、御前はちらりと見る。
そして大きく四肢を投げ出すと、

「あーあ!やーめたっ!」

と言って、自分専用のふかふかのソファに倒れ込むように身を沈めた。
侍従たちが戸惑いの声をあげる。

「御前!?」

「わらわちゃんの負け!こんなコトされちゃったら、もー手も足も出ないよ!どーしょーもないし!
 イノリンめぇ……まさかこんな手に出るなんて!やーらーれーたーっ!!」

たっはー!と困ったように笑いながら、ぺちんと右手で自分の額を叩く。
が、何も捨て鉢になって何もかも投げ出してしまった訳ではない。御前は額に手を添えたまま大きな液晶モニターに視線を向け、

「ま……どっちにしても、妖怪や陰陽師たちだけじゃあの紛い物の神には勝てない。人間たちの『そうあれかし』がないとね。
 それに……わらわちゃんたち妖怪も、そして人間たちも。そろそろ変わる時期なのかもしれない。
 同じ星に住む生き物同士なのに、片方が身を隠して。もう片方に気付かれないように生きるなんて――
 そんなの。なんか違うじゃん?」

と、言った。
龍脈の神子は、この惑星の力を使う者。この星の意思の具現。
ならば、その祈がすることは。選ぶ道は。きっと正しいのだろう。

「御前。北欧のオーディンよりホットラインが――」

「うるっせーッ! 今、ウチのコたちがカラダ張って何とかしてる最中だよ!見りゃわかンだろ!
 ああ?責任?ンなモン、わらわちゃんが取ってやるっつーの!こういうトキに責任取んのが上司の役目だろ!
 こっちゃもう、とっくにラグナロクなんだよ!!ボケ!!!
 無能神の烙印捺されたくなかったら、そっちの信徒にもありったけ『そうあれかし』を集めるように神託下せ!」
 
侍従が古めかしい黒電話を恭しく運んでくる。
その受話器を取り、電話越しに怒罵をまくし立てると、御前はガチャンッ!!と乱暴に通話を切った。

279那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/12/21(月) 21:18:38
>じゃ、いくか、モノ

「ええ。参りましょう……祈」

互いの手指を絡めて繋いだまま、祈とレディベアは顔を見合わせた。
祈の姿が金髪黒衣のターボフォームに変化する。真っ白い出で立ちのレディベアとは対照的な色合いだ。

「人々の想いを。希望の未来に進んでゆきたいと願う力を。『そうあれかし』を。
 ひとつに繋げて。絶望を……覆す!!」

周囲に展開した無数の眼から、キラキラと輝く光の粒子が解き放たれて祈へと集まってゆく。
眼からだけではない。避難所にいる人々の身体から、街の至る所から。
いまだ希望を失わない、悪魔の齎す破滅と破壊に屈さない心が。強い気持ちが、『そうあれかし』が――
夥しい量の輝きとなって、祈の周囲で螺旋を描く。
そして。

>――来い!! 妖怪大統領、バックベアード!!

「お父様、お目覚めを!今こそ、生まれ変わりの刻――!!」

黒と白の少女がそれぞれ、繋いでいない方の手を高々と空に掲げる。
祈の突き上げた右手の甲で、龍の紋様が輝く。
レディベアの双眸がそれぞれ、真紅と金色に輝く。
祈とレディベアだけではない、今や避難所のみならず周囲一帯をも包み込む膨大な量の光が、
尾を引きながら空へと駆け上がってゆく。
流星のような光の奔流は空をぶ厚く覆っている禍々しい雲にぶつかると、ぱぁんっ!と花火のように弾けた。
途端、それまで決して混ざり合わない絵の具のように禍々しい極彩色に染まっていた空が、
黄金の光によって瞬く間に塗り潰されてゆく。
光によって覆われた、美しい空。温かく穏やかな大気の満ちる空間。
それは祈とレディベア、ふたりの願いが、至純な想いが。決して挫けない人々の心と『そうあれかし』が生み出した、
希望に溢れた世界。
妖異に満ち満ちた、虚構と現実の境が曖昧な異空間ではない。
真の『ブリガドーン空間』の姿だった。

「こ……、これは……」

レディベアがぎゅっと強く祈の手を握り直し、息することさえ忘れて空を見上げる。
ブリガドーン空間の器であったレディベアにとっても、この光景は予想外のものだったらしい。
そして、黄金色に変わった空の雲間を押し破るように、巨大な何者かがゆっくりとその姿を現してきた。
それは全長100メートルはあろう、巨大な黒い球体。
茨のような触肢を放射状に生やしたそれは完全に姿を現すと、厳かに中央に付いている単眼を開いた。
妖怪大統領、バックベアード。
祈とレディベアの願いが結実し、本来存在しないはずの妖怪がこの場に出現した瞬間だった。

「お……父様……!
 お父様、お父様……お父様……!!」

ベリアルがその名を騙るのではない、本当の父。
その姿を見て、レディベアが歓喜の涙を流す。
娘の声に応えたのだろうか、バックベアードが軽く祈とレディベアの方を見る。
光り輝くブリガドーン空間を満たす温かな波動が、一層その強さを増す。
祈とレディベアの身体に力が漲る。身体の奥からとめどなく気力が湧いてきて、今ならどんな敵にだって勝てると思える。
きっと、バックベアードがブリガドーン空間の真なる主として、その力をコントロールしているのだろう。
愛と希望に満ちた世界として――それはとりもなおさず東京ブリーチャーズが当初の作戦通り、
アンテクリストから神の力を構成するふたつの要素のうちの片方を奪い取ったことの証左に他ならなかった。

「おのれ!龍脈の神子おおおおおお!!」

「まだ数の上ではこちらが勝っておるわ!殺せ!龍脈の神子とバックベアードの娘を!殺せエエエエエ!!!」

ローランによって薙ぎ払われたものの、また新しく魔法陣から湧いてきた悪魔たちが祈たちに狙いを定める。
いくらバックベアードが降臨し、ブリガドーン空間を制御しているとはいっても、
祈達さえ始末すればまだ逆転できる、押し切れると思っている。
実際にそれは間違いではない。圧倒的な数の差は未だ如何ともしがたく、いくら祈とレディベアが万全の調子になったと言っても、
無尽蔵に出現する悪魔を相手にたったふたりでは相手にならない。

「キエエエエエエエ!!死ネ!死ネ!神ィィィィ子ォォォォォォ!!」

悪魔たちが祈めがけて殺到してくる。せっかく芽吹いた希望を摘み取ろうと突っ込んでくる。
夥しい数の悪魔たちを前に、手を離した祈とレディベアがそれぞれ迎撃の構えを取った、そのとき。

カッ!!!

祈のウエストポーチが、まばゆい光を放った。
そして。

ばぢゅんっ!!!

祈の眼前まで迫っていた悪魔の一匹が突然『叩き潰された』。
そう、それはまるで、蝿や蚊でも殺すかのように。いや――まるで、ではない。実際にそうだった。
突如として祈の背後に出現した何者かが、その大きな手のひらで悪魔を潰したのだ。

「……ああ……」

その姿を見たレディベアが驚きに大きく目を見開く。
祈を守ったのは、大型バスほどもある巨きな赤子。

――コトリバコ。

280那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/12/21(月) 21:19:00
《あぶぶ》

ハッカイのコトリバコは悪魔を叩き潰した右の手のひらを見ると、いやいやというように手を振って血と肉片を払った。
そんな様子は、本当にただの赤ん坊のようだ。――アフリカゾウより大きい規格外の身体に目を瞑れば。
また、以前と違って無数の赤ん坊の身体を無理矢理に縫い合わせたような姿ではなく、普通の赤ん坊の外見をしている。
……体重数十トンはあろうかという規格外のサイズを度外視すれば。

「これは……コトリバコ……!
 どうして、ここに……」

レディベアにとってもコトリバコは忘れ得ぬ妖怪である。祈とレディベアとの初遭遇が対コトリバコ戦だった。
しかし、レディベアは祈がコトリバコの指の入った小箱をいつも大切に持っていたことを知らない。
祈はコトリバコを仏壇に安置し、いつも供養を忘れなかった。
その優しい心が、否――『祈の想いに報いたい』と願うコトリバコ自身の『そうあれかし』が、
バックベアードの制御する希望のブリガドーン空間において、一時的に姿と形を持ったのだろう。

《だあー。ぅー》

コトリバコは祈の顔を見て、嬉しそうに笑った。屈託のない、本物の赤ん坊の笑顔だった。

「なんだ、こいつは……!?」

「ええい、怯むな!たかが巨大な赤子如き!」

突然のコトリバコの出現におののく悪魔たちだったが、すぐに各々得物を構えて再度突進してくる。
と、その途端、後続の悪魔たちが何の前触れもなく目や鼻、口、耳から血を噴き出し、風船のように爆ぜて倒れた。

「どッ、どうした……これは……!?」

悪魔たちが混乱する。その最中にも軍勢のそこかしこで血が噴き出し、阿鼻叫喚の地獄絵が展開される。
祈はその光景を確かに覚えているだろう。
よくよく目を凝らせば、突然血を噴いて死ぬ悪魔たちの背や足許に、大きさのまちまちな赤子たちがへばりついている。
イッポウ、ニホウ、サンポウ、シッポウ、ゴホウ、ロッポウ、チッポウ。
ハッカイだけではない、八体のコトリバコが全員集合している。
祈の持っている小箱に入っていたコトリバコの骨は、ただの一かけらだったが――
それを供養し冥福を祈る祈の気持ちに応えたいと、すべてのコトリバコが願ったのだろう。
……正義の味方の戦い方にしては、あまりにもグロテスクではあったけれど。

「祈!アシスト致しますわ、行きますわよ!!」

レディベアが腰溜めに構えを取り、高らかに言い放つ。祈と、レディベアと、コトリバコの反撃が始まる。
いつか学校でカマイタチを相手に戦ったときと同じように、レディベアは瞳術を用いて祈のサポートに専念する。
金縛りで祈の目の前の悪魔の動きを止め、かと思えば虚空に無数の瞳を開いてレーザーで援護を行う。
ふたりの呼吸はぴったり合っているだろう、まるで昔からコンビを組んでいたかのように。
お互いに求め合い、手を取り合って、ずっとずっと一緒に生きていこうと約束したふたりである。
その絆を、結束を挫くことができる者など、この場にいようはずがない。
そして――どれほど時間が過ぎただろうか。
不意に祈たちが守護していた聞き耳頭巾が強く輝き、二方向に閃光を放った。
それは、聞き耳頭巾が他の要所に配置された他の狐面探偵七つ道具とコネクトした証。橘音の結界術が完成した、その目印。
都庁での戦いからずっと東京都内を覆っていたベリアルの印章が、橘音の五芒星によって上書きされる。
同時に、都庁上空の魔法陣も消滅する。これで無尽蔵に召喚されていた悪魔たちの増援はなくなった。
強力な結界術によって、もう悪魔たちは迷い家や避難所に手出しはできない。
あとは、都庁に再集結してアンテクリストを討つだけだ。

「通すな!龍脈の神子を都庁へ行かせるな!」

「何としても止めろ!殺せ!殺せェェェェ!!」

これ以上の増援が見込めないと理解した悪魔たちだったが、それでも勢いを減じることなく祈たちへと吶喊してくる。
どのみち、しくじればアンテクリストによる粛清が待っている。退路などないのである。
文字通り命懸けの猛攻だ。まだまだ悪魔たちの軍勢は膨大な数が生き残っており、
コトリバコの加勢があっても祈とレディベアは中々前へと進めない。
言うまでもなく、龍脈の神子とブリガドーン空間の器は対アンテクリスト戦の切り札だ。遅参は許されない。
しかし悪魔たちは雪崩のように迫ってくる。このまま膠着状態になってしまえば、負けるのはこちらだ。
と――そう思ったが。

「さて、では、そろそろ我らの出番かな。兄弟」

「おおさ。溜まりに溜まった鬱憤、今こそ晴らさせて貰おうか――!!」

聞こえた声は、頭上から。だった。
ひらひらと、祈の手許に幾枚もの白い羽根と黒い羽根が舞い落ちてくる。
大きな翼を持った、鳥のようなシルエット――それが、ふたつ。円を描くように降下してくる。
そして次の瞬間、祈やレディベア達の間近にいた悪魔たちは鋭い剣閃によって両断され、地面に転がっていた。

「下賤ども。このお方に指一本でも触れることまかりならん」

祈を守護するように佇み、互いの持っているレイピアをX字に重ねるのは、ふたりの青年。
ひとりは透けるような白い肌に雪のような色合いの長髪、真紅の瞳に、中世ヨーロッパ貴族のような純白の衣服を纏っている。
もうひとりはそれとは対照的に漆黒の髪を逆立たせ、褐色の膚、赤眼に黒い中世ヨーロッパ貴族の衣服を着崩している。
見覚えはないだろう。だが、祈はこのふたりが『誰なのか分かる』はずだ。
そう、かつて姦姦蛇羅との戦いの折、祈がその命を救った。手厚く保護した。

序列38位、26の軍団を指揮する地獄の侯爵・ハルファス。
序列39位、40の軍団を統率する地獄の長官・マルファス。

橘音によって力のすべてを奪われた天魔七十二将の二柱が、
ブリガドーン空間の力の効果によって束の間、喪われた権能を取り戻したのだった。

281那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/12/21(月) 21:19:27
「ハ、ハ、ハルファス侯爵閣下!それにマルファス長官まで……!そ、そんなバカな……」

言うまでもなく、天魔七十二将は悪魔たちの上位存在。悪魔を統べる者たちである。
自分たちの上司が、撃滅すべき龍脈の神子を守護している。その事実に悪魔たちは狼狽し、動揺した。
ハルファスとマルファスが剣を納めて向き直り、それぞれ祈の前に跪く。その姿はまさしく中世の騎士そのものだ。

「お怪我はございませんか、祈様。
 御身より賜った多大なる恩義の数々、今こそその幾許かをお返しするとき。
 天魔ハルファス、これより御許にお仕え致します」

白騎士ハルファスが自身の右胸に手を添えて宣言する。睫毛の長い、クール系の美丈夫だ。

「同じく天魔マルファス、御意に従います……っと。
 祈サマ!アンタにゃ世話になったからな……まずはアスタロトの野郎をブッちめてえ所だが、後回しだ!
 露払いは俺たちが務めるぜ、大船に乗ったつもりでいてくれや!」

黒騎士マルファスがざっくばらんな様子で請け合う。こちらはワイルド系のイケメンである。
二柱はすぐに立ち上がるともう一度レイピアを抜き、羽根を撒き散らしながら悪魔たちの群れへと突っ込んでいった。
新宿御苑では菊乃の参戦という想定外の事態によって敗退したが、
元々ハルファスとマルファスは天魔七十二将の中にあっても随一のコンビネーションを誇る強者である。
数しか取り柄のない有象無象の悪魔たちなど相手にもならない。まるでモーセが海を割るように、
ハルファスとマルファスの突撃によって軍勢の中央に大きな穴が穿たれる。

「参りましょう、祈!」

だッ、とレディベアが駆け出す。目的地は、最初の決戦の地――都庁前。
そこで、アンテクリストと。旧くは千年に渡る因縁の決着をつける。

《あぶぅ、だぁぁ!》

「我ら、神子の騎士!我らが剣の錆となりたくなくば、疾く下がるがいい!」

「ッハハハハハ!雑魚どもが――俺と兄弟に勝てるものかよォ!」

コトリバコと、ハルファスと、マルファス。
最初は敵として戦い、しかし祈が『敵であっても殺したくない、救ってあげたい』と切望した命たちが、
今、祈のために活路を開いている。祈のために戦っている。
彼女がもしも帝都鎮護の名の許に彼らを殺害し、打ち捨てていたとしたら、果たしてどうなっていただろう。
当然助力は得られず、祈もレディベアも悪魔たちの物量作戦の前に揉み潰されてしまっていただろう。
だが――そうはならなかった。

今までの祈の戦いは、無駄ではなかった。間違いではなかったのだ。

その上。
まだ、祈に味方する者がいる。
空を漂う天魔七十二将の一柱、巨大空母フォルネウスから、バラバラと悪魔たちが降ってくる。
魔法陣からの増援は望めなくなったものの、フォルネウスに搭載された軍団はまだまだ健在ということなのだろう。
フォルネウスは数十メートルの高さの空中を遊泳しており、さしもの祈たちの攻撃も届かない。
また、巨大すぎるその体躯は生半可な攻撃などものともしないだろう。
あの天魔を排除しない限り、悪魔たちの軍勢を完全に退けることは難しいが、こちらにはフォルネウスに見合う戦力がない。
と――思ったが。

『オオオ……オォオォオォォォォオォオォォォオォオオオォォオオオオォ……!!!』

高層ビルほどもあろうか、突如として出現した漆黒の大蛇が、そのあぎとを開いてフォルネウスの横腹に喰らいついた。

「ビギョオオオオオ――――――ッ!!!??」

フォルネウスは口吻をのたうたせて絶叫し、巨躯をばたつかせて暴れたが、黒蛇は決して離さない。
どころか、鎌首を左右に振ってフォルネウスの強固な外殻に深々と牙を突き立てる。
ビシッ!と硬い音が響き、フォルネウスの甲殻に亀裂が走る。
大きく胴体を振って、黒蛇がフォルネウスを投げ飛ばす。巨大空母は成す術もなく吹き飛んだ。
さらに、大きく開いた黒蛇の口腔に、夥しい量の妖気が収束してゆく。
ビッ!!という音と共に、黒蛇の口腔で凝縮された妖気が閃光となって迸る。
膨大な妖力のレーザーで顔面から尾部まで胴体を薙ぎ払われたフォルネウスは空中で大きく傾き、
まさしく沈みゆく空母よろしく躯体の各所を爆発させながらゆっくりと墜落していった。
御社宮司神、またの名を姦姦蛇羅。――否、ヘビ助。
これもまた祈が救いたいと。助けたいと願った命のひとつ。

「祈様、お早く!」

ハルファスが祈を促す。
都庁で仲間たちと再度合流し、アンテクリストを倒す。

決着のときは、近い。

282那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/12/21(月) 21:19:59
>お前さん達がアレに屈したその先の未来で――――お前が愛する人は、ちゃんと笑ってるか?

瀕死の尾弐が語る言葉を聞き、周囲の人々がざわめく。

「……何言ってるんだ……?ちゃんと笑ってるかだって?」
「相手は神様だぞ、勝てるもんか――」
「あんなバケモノどもに殺されるくらいなら、アンテクリストに従った方がマシだ!」

終世主の宣言に怯えた者たちが、口々にそう反論してくる。

>もしも。もしも笑ってねぇのなら――――その未来を怖いと思うのなら!意地を見せてみろ人間っ!!!!
 てめぇの幸せをぶち壊したクソ野郎にふざけんなと言い返せ!!!くたばりやがれと吠え立てろ!!!!
 俺に!俺達に!!お前の幸せを食い潰して嗤ってやがる連中をぶん殴れと言って見せろ!!!!!!

尾弐が吼える。
それは、人間たちに矜持を問う言葉。人々の勇気を奮い立たせる叱咤。
かつて人間だった、人間の強い意志を知る化生が突き付ける激励――。
びりびりと空気を振動させる声に、人々が再度ざわざわと戸惑いながら互いの顔を見合わせる。
今さら尾弐が何を言ったところで、瀕死の男の負け惜しみにしか聞こえないだろう。
戦力差は圧倒的なのだ。尾弐は脇腹を食い破られ、天邪鬼は利き腕をズタズタに裂かれ、橘音は既に瀕死。
悪魔たちがあと一押しでもすれば、三人は容易く死ぬ。
そんな者の言うことに耳を傾けるよりも、終世主に従った方が何倍もマシというものだろう。
アンテクリストは『従うなら助けてやる』と、既に救済の方法を示しているのだから。

しかし。

「……だよ」

誰かが、小さく声をあげた。

「そうだよ……!あんなヤツの言いなりになんてなりたくない!」

命を惜しみ、ただ漫然と支配を受け容れること。それを拒絶する人間があげた、声。
理不尽な暴力の前に、儚く吹き消されてしまう脆弱な命。
だが、肉体の弱さはイコール心の弱さではない。
例えいかなる暴虐に晒されようと、決して折れない。挫けない――そんな心の強さを、人間は持っている。

「奴隷になって、悪魔に怯えながら暮らすなんてまっぴらだ!」
「命が惜しくて悪魔に従いましたなんて、カッコ悪くてカノジョに顔向けできねぇよ!」
「おじさん、お願い!あいつらを……やっつけて!!」

ひとつの声を皮切りに、他の人々もまるで堰を切ったように次々と叫び始める。
漆黒の鎧を纏った、悪鬼という名の英雄の姿に勇気を奮い立たせて。なけなしの矜持を鼓舞して声援を送る。
どんな逆境をも覆すヒーローに、自分たちの想いを託して。
そして――

奇跡が起こった。

天邪鬼を救うために尾弐が吶喊した、その瞬間。極彩色の空が黄金に上書きされてゆく。
祈とレディベアが妖怪大統領バックベアードを召喚し、アンテクリストからブリガドーン空間の支配権を奪い返したのだ。

「……これは……」

それまでの禍々しい色彩から一変し、美しく輝く空を見上げながら天邪鬼が呟く。

「どう、やら……祈ちゃんが、やり遂げてくれた……ようですね……」

橘音が満身創痍の身体をぐぐ、と起こし、深い息を吐く。
輝くブリガドーン空間に降り注ぐ光は傷を癒し、疲労を回復させる効果を持つ。尾弐たち三人の体力と負傷も、
完全回復とは行かないまでもある程度は癒えることだろう。
しかし、奇跡はそれだけではなかった。

――しゃん。
――しゃん、しゃん。
――しゃん、しゃん、しゃん……。

どこからか、鈴の音が聞こえる。それから、ひどく悠揚とした足音も。

「さすがは黒雄さん。ただ一度の大喝を以て、萎縮しきっていた人々の心を奮い立たせるとは……。
 相変わらずの豪傑ぶり、頼もしい限りです」

足音の主が、そう穏やかに告げる。
血みどろの戦場だというのに、まるで世間話でもしているかのようにその声には緊張感がない。
が、尾弐は知っている。その声を、話し方を、そして姿を。
現れたのは長烏帽子をかぶり、白と紫の直衣を纏った陰陽師然とした格好の、二十代後半くらいの青年。
青年を見た橘音が、半壊した仮面の奥で驚きに目を見開く。

「……アナタ、は……」

「橘音君、今までよく頑張ってくれたね。礼を言うよ……もちろん黒雄さんも、そこの天邪鬼さんも。
 みんなの協力のお陰で、祈は成し遂げられた。あの子ひとりでは、きっとここまで漕ぎつけられなかった。
 どれだけ感謝しても足りません、だからこそ――」

――しゃん。

「ここから先は、わたしにも手伝わせてください。あの子が生きる世界を、みんなが紡ぐ未来を、私も守りたい」

そう優しい声音で告げると、青年――安倍晴陽は微笑んだ。

283那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/12/21(月) 21:20:27
「雷は木気に通ず。建御雷之男神に御願奉りて、此処に暴魔羅刹を掃う金鎗を振り下ろさん!急急如律令!」

直衣の袖から無数の符を取り出すと、晴陽は素早く九字を切った。
その途端、符から激しい雷撃が迸って悪魔たちを焼き尽くす。

「地霊は土気に通ず。大己貴神に御願奉りて、今ぞ石筍よ起れ!急急如律令!」

ギュガガガガッ!!

今度は地面から土で出来た無数の杭が突き出、当たるを幸い悪魔たちを貫いてゆく。

「オノレ!タダ一人ノ増援程度ガァァァァ!!」

新たな闖入者を血祭りにあげようと、悪魔たちが遮二無二突進する。が、晴陽には誰も触れられない。
代わりに強烈な掌打によって吹き飛ばされ、新たな符によって蹴散らされる。
強い。べらぼうに強い。かつて陰陽寮で天才陰陽師、今晴明と称揚され、次期陰陽頭と目されていた実力者がそこにいた。

「ギィィィィィッ!!」

晴陽の死角から悪魔の一匹が飛び掛かってくる。

「危ない、ハルオさん!」

橘音が叫ぶ。――が、その攻撃が晴陽に当たることはなかった。

「はあああああああああああああ―――――――――――ッ!!!」

悪魔の牙が晴陽を裂く寸前、裂帛の気合が尾弐たちの鼓膜を震わせる。
晴陽を守るように、ひとつの影が飛び出してくる。
跳躍した影の飛び蹴りをまともに喰らい、悪魔は錐揉みしながら吹き飛んでいった。
ざざざっ!と地面に轍を刻みながら、影が着地する。
それが誰なのかも、尾弐たちは勿論知っているだろう。

「ただ一人の増援ですって?お生憎さまね、増援は二人なの」

祈をそのまま大人に成長させたような顔立ちの、美しい女性――多甫颯。
驚きのあまり、橘音はぱくぱくと酸欠の金魚のように口をわななかせた。

「い、颯さん……!?どうして……。
 アナタは長年姦姦蛇羅の中に囚われていたせいで衰弱し、二度と戦えない身体になったはず……」

「そうなんだけど、ブリガドーン空間?だっけ?この金色の空間の中だと戦えるみたい!
 それに――」

白いブラウスに黒のサブリナパンツといった出で立ちの颯は朗らかに笑うと、晴陽をちらりと見た。

「この人が会いに来て。一緒に戦おうって……そう言ってくれたから」

晴陽と颯が寄り添う。昔、尾弐と橘音が帝都守護という名目で見殺しにした命が。
かつて尾弐と橘音が背負っていた、否、今でもその幾許かを背負い続けている罪が。
大切な仲間が、目の前にいる。

「はい、黒雄君。橘音も、天邪鬼君も」

颯がふたりに水筒を差し出す。中身は迷い家の温泉の湯だ、飲めば傷も完全に癒えるだろう。

「祈ちゃんのところへ行かなくていいんですか?」

水筒の湯を呑み、体力を回復させた橘音が包帯で右眼の古傷を隠しながら問う。
せっかく晴陽と颯が加勢するのなら、それは一人娘の祈のところへ行くべきだろう。
しかし、晴陽と颯はかぶりを振った。

「あの子はもう、わたしたちの手を離れているよ。それに、祈の周りにはもう、大勢のともだちがいる。力を貸してくれている。
 それなら――わたしたちはわたしたちの出来ることをするべきだ」

「さあ、黒雄君、橘音。久しぶりに私たち四人、旧東京ブリーチャーズでやりましょうか!」

「なんだ、私は仲間外れか。とはいえ、ここは貴様らに譲ってやろう。旧交を温めるのはいいことだ。
 三尾、いや今は五尾か?語呂が悪いな……とにかく結界の再構築だ。急げ」

すっかり右腕の傷も癒えた天邪鬼が笑って告げる。橘音は大きく頷いた。

「了解!ではクロオさん、晴陽さん、颯さん!用意はいいですか!?
 旧!東京ブリーチャーズ――アッセンブル!!!」

橘音の号令を合図に、晴陽が九字を切る。颯が悪魔たちの真っただ中へと疾駆する。
ほどなくして橘音が結界を編み終え、狐面探偵七つ道具が二方向へまばゆい閃光を放つ。仲間たちが持って行った、
他の地域の七つ道具とコネクトしたのだ。
これによってベリアルの印章と魔法陣は消滅し、龍脈は正しい流れを取り戻した。

「皆さん、都庁前に再集合しますよ!」

そう言って橘音が走り出す。颯と天邪鬼が先陣を切って尾弐と橘音の道を拓き、晴陽がしんがりを務める。

「ねえ、クロオさん……」

都庁への道を駆けながら、橘音がふと隣の尾弐を見る。

「……ボクたち、今までいっぱい間違ってきましたけど……。
 やっと、正しいことができたんですよね……?」

そう言う橘音の仮面越しの左眼には、涙が溜まっている。

「へへ。……嬉しい」

すん、と一度鼻を啜ると、橘音は涙声でそう言った。

284那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/12/21(月) 21:20:59
板橋区の避難所の戦いは、完全な膠着状態に突入していた。
いや、凍結状態――と言うべきだろうか。
次々に倒れてゆく仲間たちに危機感を抱き、
自らも大ダメージを負った御幸の施した『眠れる森の白雪姫《スリーピング・スノウホワイト》』。
その妖術によって、迷い家の外にいる者は敵も味方もすべてが氷漬けとなってしまった。
あたかも墓場のような、シベリアの永久凍土のような。タールピットのような光景。
すべてが止まってしまった世界――
その中を、ハクトがSnowWhiteへ向けて走る。

だが、避難所を出てからほどなくして、すぐにハクトは市街地をたむろする悪魔たちに遭遇し行く手を塞がれてしまった。
悪魔たちの兵力は無尽蔵。その数は或いは全東京都民よりも多い。
いくら小柄で素早いハクトであっても、ひしめき合う悪魔たちの隙間を潜って走り抜けるのは難しかった。

「妖怪ダ!」

「殺せ!殺せェッ!」

「兎の化生か、兎鍋にして喰ろうてやろうわい!ギヒヒヒヒッ!!」

ハクトに気付いた悪魔たちがその手を伸ばす。舌なめずりし、下卑た笑みを浮かべてその身体を捕えようとする。
やがて、ハクトはブロック塀に囲まれた袋小路まで追いつめられてしまった。
じり、と悪魔たちが近付いてくる。一度捕らわれてしまえば、ハクトはもう脱出できないだろう。
抵抗しようとしたところで限度がある。非力な妖にできるのは、絶望することと観念すること、世を儚むことだけだ。

「もう逃げられんぞ、兎……!さぁて、どこから喰ろうてやろうか!」

「おれは腿肉を頂くぞォ!」

「ワシは頭じゃ!ヒハハハハーッ!」

悪魔たちが一斉にハクトへと襲い掛かる。
……しかし、ハクトが悪魔たちの餌食となることはなかった。
下等な悪魔の群れは、ハクトがほんの一瞬目を瞑った瞬間に氷像と化し、ただのオブジェとなって地面に転がっていた。

「――動物虐待たァ頂けないねェ。しかも相手は雪兎ときた。
 そりゃァ見過ごせない。あの子は昔から雪兎とは仲が良かったからねェ……友達は大事にしなくちゃ」

前方で声がする。若い女の声だ。
くるぶし辺りまである真っ白なストレートの長髪。ぞっとするほど美しく整った気の強そうな顔立ちに、真紅の双眸。
ダウンジャケットにチューブトップ、ホットパンツ、ショートブーツ、その悉くが白い。
女はブーツのヒールをカツカツと鳴らしてハクトへ歩み寄ると、その身体を抱き上げた。
ハクトを豊かな胸にいだきながら、その顔を覗き込む。

「さて。あの子のところに案内してくれるかい?
 アタシはそのために来たンだ、あの子を救うために。あの子の力になるために――。
 ……アタシは。もう間違えない」

その表情は優しく、その声は甘やか。
けれどその紅色の双眸には、驚くほどに強い決意が湛えられているのがハクトにも分かるだろう。
気が付けば、極彩色だった空はいつの間にか、美しい黄金の色に変わっていた。

「ギギッ……なんだ、この女!?」

「下等な雪妖風情がァ!殺せ!殺してしまえェッ!」

数人凍らせたところで、悪魔の軍勢にとっては些かの痛痒もない。すぐに、氷の彫像と化した仲間を乗り越えて新手がやってくる。
が、そんな悪魔たちの攻勢を女はものともしない。長い髪を揺らし、ハクトを抱いたままで悠然と歩いてゆく。
そして、女とすれ違った者のすべては瞬く間に氷像へと変わり、ごろりと横たわったきり動かなくなった。
すべてを氷の中へと閉ざす、凍てつく吹雪。
それが女の周囲で荒れ狂う。雪兎のハクトでなければ、とっくに悪魔たちと同じく氷漬けになってしまっていただろう。

「ハ、下等な雪妖で悪かったね。
 でも、そんならその下等な雪妖に指一本触れられないで氷の人形に変えられちまうアンタらは、いったい何様だってンだい?
 赤マントの走狗如きが、お舐めじゃないよ―――!!!」

一対数百、圧倒的戦力差の中で女が凄んでみせる。
数の上では絶対的優位なはずの悪魔たちが気圧され、じりじりと後退してゆく。

「アタシのかわいい妹を。みゆきを泣かせるヤツは、誰であろうと許さない!
 それが神であろうともだ!さあ――そこを退きな、群れなきゃなんにも出来やしないチンピラ悪魔ども!
 このクリス様に凍らされたくなかったらね!!」

女、クリスの両眼が怒りに燃えて冷たく輝く。
御幸乃恵瑠の姉、かつての東京ドミネーターズ。
祈とレディベアが創り出した真のブリガドーン空間、その中で『そうあれかし』から蘇ったクリスの巻き起こす氷雪が、
一層その激しさを増した。

285那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/12/21(月) 21:21:32
ハクトはクリスと共に丸ごと氷漬けになった板橋区の避難所に戻って来た。

「……起きな、みゆき」

ハクトを離したクリスが屈み込み、氷漬けになった御幸に右手でそっと触れる。

「アンタの選択は間違ってなかった。アンタは自分の大切なものを守り通したんだ。
 でも――それで終わりじゃないだろう?アンタにはまだ、やらなくちゃいけないことがあるはずだ。違うかい?
 さ、姉ちゃんが手助けしてやる……だから、早く起きな。お寝坊はダメだよ」

ゆっくりと、まるで寝坊助な妹を起こす姉そのものの様子で、クリスが御幸へと語り掛ける。
そして、妖力を注ぎ込む。同じ山で生まれ、同じ冷気に触れて育った姉の力が、半壊した御幸へと流れ込んでゆく。
やがて氷が解け、眠れる森の白雪姫《スリーピング・スノウホワイト》の効果が消滅すると、
クリスは微かに笑って御幸を見た。

「おはよう。みゆき」

その穏やかな笑顔は、御幸がかつてよく見た姉の笑顔そのままだっただろう。
世を憎悪し赤マントに唆され、怒りに歪んでいた妖壊としての顔ではなく。
みゆきのことを厳しくも温かく見守る、優しい姉の表情。

「まずは身体を元通りにしなくちゃね。立てるかい?」

クリスが砕けてしまった御幸の身体に触れると、欠損した部分が瞬く間に再生する。
御幸の肉体を構成しているものが雪や氷なだけに、それを操る力があれば再構成も容易ということなのだろう。

「アンタの仲間がやってくれたのさ。『そうあれかし』が現実になり力になる、ブリガドーン空間。
 その中でなら、アタシもほんのちょっぴりだが姿を取り戻せるらしい」

そう言うと、クリスは束の間御幸の身体をぎゅっと強く抱きしめ、

「……会いたかった」

小さく、呟くように零した。
九段下の神社では、クリスが正気に戻ったのはほんの僅かな間のことで、ほとんど会話をすることもできなかった。
しかし、これでやっとふたりの姉妹は再会を果たすことができた。
尤も、それは真なるブリガドーン空間の展開されている今だけ。ごくごく短い時間しか、ふたりには許されてはいない。
けれども――きっとふたりには、それでも充分に違いない。

「ブモオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」

そんなふたりの時間など意にも解さず、暴威を孕んだ咆哮が轟き渡る。
御幸の術が切れたことで、獄門鬼も復活したのだ。

「アンタの仲間たちの傷も癒してやらなくちゃね、みゆき。手伝いな」

クリスは血の海の中で無数に蠢く獄門鬼の群れを見てもまるで意に介さず、傷ついたばけものフレンズたちに注意を向けた。

「あ?あの牛だか馬だか分からんヤツの相手かい?そりゃ心配無用だ。
 こっちの戦力は潤沢さ――ほら」

クリスが笑って、御幸の頭上を指差す。
その瞬間、御幸は自分の頭の上にもふっ……と軽く柔らかな何かが乗った感触を覚えるだろう。

それは、カツラのように真っ黒な毛の塊の中央に一ツ目のついた妖怪だった。

「ブオオオオオオオオオン!!!」

血海を蹴り、飛沫をあげながら、獄門鬼が手に手に武器を携えて突進してくる。
その途端、毛玉の中央でやる気なさそうに閉ざされていた単眼が、カッ!!と見開かれた。

ぎゅばっ!!!

毛玉から無数の髪の毛が凄まじい速度で伸び、うねり、のたうつ。
髪の毛が獄門鬼たちに絡みつき、その自由を奪った――次の瞬間。

ザヒュッ!!!

獄門鬼たちの躯体は髪によってまるで粘土のようにバラバラに切断され、無数の肉片となって血の海へ没していった。
クリスがヒュゥ、と感嘆の口笛を鳴らす。尚も血だまりから再生してくる獄門鬼に対し、毛玉が追撃を繰り出す。
その強さは生半可なものではない。髪は一本一本が鋭利なワイヤーのようなもので、また束ねれば強靭な鞭にも変化する。
御幸の頭に鎮座したまま、毛玉は髪を縦横無尽に操って獄門鬼の群れを完全に抑え込んだ。

「よし……!これで終わりだね!
 さあ、ここはもう大丈夫だ!みゆき……戦いに決着をつけておいで!!」

仲間全員の回復が終わると、クリスは御幸の背中を叩いた。
あずきやムジナたちも、御幸を都庁へと送り出すべく再度戦線に復帰する。

「ご心配おかけしましたー!あたしたちはもう心配ないよ、だから……行って、ノエル君!」

「色男ォ!花道作ったるさかい、ワシらの分まであの神モドキどつき回してこんかい!」

「……ゾナ!」

やがて姥捨の枝が光を放ち、橘音の結界術がその効力を発揮する。ベリアルの印章が上書きされ、魔法陣が消滅する。
仲間たちが御幸のために道を開く。
御幸はそこを走り抜け、都庁へと向かうだけだ。

286那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/12/21(月) 21:21:59
シロは目を瞑ったまま、浅く短い呼吸を繰り返している。
ポチが瀕死のシロへと近付く。そのあぎとをゆっくりと、ゆっくりと開く。
最愛のつがいであるシロを喰らい、傷を癒すことで、悪魔を屠る最後の力を手に入れる――それが、ポチの下した決断だった。
だが、それは取り返しのつかないすべての夢の終わりでもある。
帝都を護り、人々を守る。今まで人間たちに受けた恩を返すために、自分たちは滅びを受け容れる――。
ニホンオオカミをもう一度この大地に根付かせる。そんな夢の、これは終焉を告げる行為だった。

「やめて……、ポチちゃん!」

「ポチ君!そんな……!」

巫女たちがポチのやろうとしていることを理解し、口々に制止する。
が、最早ポチにはその声も届いているかどうか分からない。いや、仮に届いていたとしても、ポチはやめなかっただろう。
四肢は萎え、希望は尽きた。それでも尚戦おうとするのなら、何らかの代価を払わずにはいられない。
そして、代価が大きければ大きいほど、ポチは力を得る。
なぜならば、喪失と、絶望と、それらが転化しての怒りは、何よりも強い力をポチに齎すからである。

>…………祈ちゃん

ポチが呟く。
掴む藁さえない、この極彩色の暗闇の中で。
それでも、今まで信じてきた仲間が。最後の土壇場でこの状況を覆してくれることを願って。

そして――

その願いは、天に通じた。

混ざり合わない絵の具のような禍々しい原色の空が、きらきら輝く黄金色に塗り潰されてゆく。
絶え間ない死と慟哭の満ちる空に、一条の光が差し込む。その気配を、ポチの鋭敏な感覚は確かに受け取っただろう。

どこかで、狼の遠吠えが聴こえた。

それは滅びゆく同胞を悼む、既に現世から退去した狼たちの御霊の慟哭だったのだろうか?
それとも、ポチの追い求めた夢が最期に齎した幻聴のようなものか――
否。
幻聴ではない。それまで重く垂れこめていた破滅の雲が退き、辺り一帯を温かな輝きが包み込んだのを感じたのと同様、
ポチの聴覚は“それ”がさして遠くない場所で響いたのを理解するだろう。
どうやらシロにもその遠吠えが聴こえたらしい。死に瀕する苦しみの中で、うっすらと目を開く。
何者にも屈さず、折れず、自らの意志を貫き通す誇り高い咆哮。獣の王としての矜持に満ち満ちた、雄々しい吼声。

ズズゥゥゥゥゥンッッ!!

俄かに大地が揺れる。
轟音を立てながら、ポチとシロのすぐ後ろに『何か』が出現したのだ。

「オイオイ、何でえ何でえ……暫くぶりに娑婆に戻ってくりゃあ、なンてェ情けねえツラぁしてやがンだ、あァ?」

『何か』が口を開く。低く野太い、腹の底に響くような男の声だ。

「助けて、だと?フン、そいつァ別に構わねえ。勝てねえと分かってる狩りに挑むのはバカのするこった、
 どンどン助けを呼びゃあいい。狼ってなァ群れで狩りをするモンだ、だが気に入らねえな……。
 橘音ちゃン?尾弐っち?そうじゃねェ、そうじゃねェだろォが――」

男は容赦なくポチに言い放つ。
その声を、ポチとシロは知っている。その喋り方も、そして男のにおいも。
かつて、ポチはこの男と熾烈な戦いを繰り広げた。獣の誇りを賭けて、生き様を賭けて、愛を賭けて。
そして勝利を収め、この男の持っていたすべてを継承した。
ポチの戦いとは、この男との戦いから始まったと言っても過言ではない。
今までポチが指標とし、生き様を見習い、憧憬の的としてきた男。

「そンな連中に助けを求めるよりも!!
 もっと――いの一番に助けを求めなくちゃならねぇヤツが!!テメェにはいるだろうが!!」

鼓膜を震わせる咆哮。しかし、それは決してポチを責めているものではない。
怒ってはいるのだろう、だが憎しみからの怒りではない。
その意味も、今のポチにならきっと理解できるはずだ。

「誇り高き狼の戦いを、全世界の被食者どもに見せつけたいと願うなら!!
 テメェが此処で叫ぶべき名はただひとつ!!
 さあ、呼べ――このオレ様の名を!!!」

男が吼える。自分の名を呼べ、と。自分に助けを求めろ、と。
狼こそが世界で最強の頂点捕食者(トップ・プレデター)であることを知らしめるために。
男の名はジェヴォーダンの獣。『獣(ベート)』。
カランポーの野に君臨する、獣たちの王者――


狼王ロボ。

287那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2020/12/21(月) 21:22:42
「ゲッハハッハハハハハハハハハハァ―――――――――――――ッ!!!」

ポチがその名を呼ぶと、ロボは嬉しそうに哄笑をあげた。
そして大きく上体をくの字に折り曲げる。途端にロボの銀色の髪の毛がざわざわとそよぎ始め、
筋肉が膨れ上がって仕立てのいいダブルのスーツを内側から引き裂いてゆく。

「クソ悪魔めら!!!オレ様の大事な跡取りどもに何してくれやがってンだ、あ゛ァ!!!??
 全殺しだ……五体満足で死ねると思うンじゃねェぞォ!!!」

顎髭を生やした壮年の面貌が瞬く間に獣毛に覆われてゆく。口が大きく裂け、マズルが伸び、
人狼の姿に変化してゆく。
今や元の姿より1.5倍ほども巨大化し、銀色の人狼となったロボは、前のめりにしていた躯体を今度は激しく仰け反らせて咆哮した。

「グルルルルルルルオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!」

そして、疾駆。銀灰色の影が悪魔たちの軍勢へと突っ込み、戦いが始ま――
らなかった。
戦いとは基本的に、戦力や実力の拮抗した者同士が行うものである。
しかし、ロボのそれは違う。ただただ荒れ狂い、拳を、爪を、蹴りを、牙を叩き込む、一方的な蹂躙だった。
ロボが巨体を動かすたび、悪魔たちの飛び散った四肢が舞う。血飛沫があがり、絶叫が木霊する。
小さい悪魔も大きな悪魔も、実体を持たない悪魔も頑健な身体を持つ悪魔も。
ロボの前では、すべてが等しく『獲物』に過ぎない。

「迷い家から温泉のお湯と、河童の軟膏を貰ってきました!」

「シロちゃんの足、接合して!軟膏を早く!」

「ポチ君、今治してあげるからね……!」

陰陽寮の巫女たちが新たに回復術式を施す。祈とレディベアの創った真なるブリガドーン空間の力と、迷い家の温泉の湯。
それに河童の軟膏があれば、ポチとシロの傷も全快近くまで癒えるだろう。

「あなた……!」

復調したシロがポチを見つめて名前を呼ぶ。
千切れた足首も、もうすっかり繋がっている。危機は去った。

「ゲハッ、もういいのか?」

悪魔たちを八つ裂きにしながら、ロボが軽くポチの方に視線を向ける。
先代狼王はポチの顔を見遣ると、僅かに目を細めた。

「……おう。ちったあいいツラ構えになったじゃねェか。
 色々と経験を積んできたみてェだな……。男の顔だぜ、もう坊主とは呼べねェな」

向後を託し、未来を任せた若者の成長を喜び、ロボが笑う。
それと示し合わせたかのように避難所に安置してあった童子切安綱が二方向へ閃光を放つ。
橘音の結界が発動した証拠だ。周囲に満ちる温かな光がその色を濃くし、ポチたちに更なる力を与える。

「よし――行け!
 いつか約束したっけな、裏で絵図面を描いてる野郎を叩けと。
 都庁でふんぞり返ってやがる、あのクソッタレ野郎を……思う存分転ばせてこい!!」

ばっ!とロボが前方へ大きく右腕を突き出す。
そうはさせじと悪魔たちが都庁へ至るポチとシロの進路を塞ぎにかかる。
しかしロボは殺到する悪魔の軍勢など目に入らないかのように笑った。そして――

「檜舞台はオレ様『たち』が誂えてやる!
 オウ、山羊の王!いつまで立ち見を決め込んでやがる、何ならテメェの出番も喰っちまうぞ!」

《それは困る、旧き狼の王よ。
 余も神の長子には一矢報いたい。余と親愛なる眷属たちの見せ場を奪ってくれるな》

声は、ポチの身体の内側から聞こえた。

バオッ!!!!

途端、ポチの胸から巨大な何かが飛び出す。
王冠のように絡み合った三対の角を持つ、黄金の毛並みも魁偉な大山羊――魔神アザゼル。
つい先刻ポチと獣の誇りを賭けて戦い、ポチの血肉となった山羊の王が、その姿を現したのだ。
ポチを救い、その力となるために。

《――『真なる王の一撃(アルカー・イフダー・アル・アウラーク・ル・ラービハ)』!!!!!》

雷霆を纏った黄金の毛皮がまばゆく輝く。頭を低く構えて突進するアザゼルの周囲で轟雷が吹き荒び、
悪魔たちが瞬く間に黒焦げに変わってゆく。
さらにどこからか無数の山羊の群れが現れ、王に倣って突撃を開始する。悪魔軍は山羊たちの体当たりを受け、
角に突き刺され、蹄に踏みつぶされて潰走を始めた。
アザゼルの突撃した跡が、道となってぽっかりと口を開けている。

「あなた、参りましょう……!皆さんと合流する好機です!」

シロが走り出す。アザゼルの開けた穴を通っていけば、ポチとシロの足なら都庁まで行くのは容易いだろう。

「しっかりな……ポチ」

決戦の地へと赴く若い狼のつがいを見送りながら、ロボは僅かに微笑を浮かべた。

288多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/12/30(水) 23:24:37
「――来い!! 妖怪大統領、バックベアード!!」
>「お父様、お目覚めを!今こそ、生まれ変わりの刻――!!」

 レディベアの力を受けて、世界中の『そうあれかし』が東京へと集う。
そして祈が龍脈の力を借りて、集った『そうあれかし』の運命を変転させる。
 祈から、レディベアから、東京中から。
様々な場所から、運命を変えられた『そうあれかし』が、
打ち上げ花火さながらの光となって天へと昇り、極彩色の空に溶けた。
そうして、『それ』は名と形を与えられ、命となって顕現する。
 混沌のように混じり合わない極彩色をうち破り、
空を黎明のように美しい黄金色に染め上げて。
その空を割って、全長何十メートルはあろうという黒い球体が、隕石のように降ってくる。
 健康に悪そうなスモッグめいた靄に包まれた体。
その周囲には枯れ枝かウイルスを連想させる蝕肢を伸ばし。
体の中央には、大きな目玉を備えた――妖怪大統領バックベアードが。

(やっぱこれ、言っておいて正解だったよなー……)

 それを見て祈は、こんなことを思っていた。
 祈はネット配信を通じて、妖怪や陰陽師の存在を世間に明らかにしてしまった。
特に妖怪については、今まで頑なに秘されてきた、秘さねばならない事実である。
一度口にしてしまえば、現実に生きる者と幻想に生きる者との関係が崩れてしまう。
取り返しがつかないが、だがそれも遅かれ早かれだ。
なぜならバックベアードの姿は、あまりにも『ゲゲ○の世界からやってきた異貌そのまま過ぎた』。
 バックベアードは、作中では西洋の『妖怪』として登場する。
特徴的で見間違いようもないその姿だから、一目見れば誰もが『妖怪』バックベアードだと認識するだろう。
これを見た人間達に、「妖怪なんていない」なんて言葉は通らない。
 しかもバックベアードは、作中における敵キャラの首領(総大将や帝王)でもある。
この地獄かラグナロクか、審判の時かといった状況で現れれば、混乱を招くだけでなく、新たな脅威として認識されかねない。
負の『そうあれかし』が集まれば、未だ敵の掌握するブリガドーン空間内であるから、
状況が不利になる可能性は大いにある。
であればいっそ、あらかじめ明かしておくのが得策だと祈は思って行動を起こしたのだ
(アンテクリストが自身の声を、直接色々な人に届けていたことに着想を得ている)。
 そうすることで、混乱を防ぐだけでなく、
『悪魔は敵、妖怪は味方』という図式が成立しやすくなる。
信頼を獲得し、こちらを応援する『そうあれかし』が集まれば、より一層状況を打破する力にもなるであろう。
ぬりかべや犬神のように原型の姿で戦う妖怪もいて、
東京ブリーチャーズの面々も、あり得ない身体能力や妖術を存分に見せている。
人々が妖怪の存在に気が付くのは、時間の問題だったと見ることもできる。
 五大妖あたりには怒られるかもしれないが、それも致し方ないと祈は諦めていた。
実際には五大妖どころか海外の神々までバチグソにキレ散らかしているようなのだが、知らぬが仏というやつである。

289多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/12/30(水) 23:27:22
 ぎゅ、とレディベアの祈の手を握る力が強まったのを感じ、
祈は思考から現実に引き戻された。

>「お……父様……!
>お父様、お父様……お父様……!!」

 祈がレディベアを見遣ると、空に浮かぶバックベアードを見るレディベアの目に、
涙が浮かんでいる。
 その様子を見るに、どうやら顕現したバックベアードは、レディベアにとって『本物』であるらしかった。

(よかったな……モノ)

 これでレディベアは一人ぼっちではない。
一つ懸念事項が片付いたことで、祈も安堵の表情を見せた。
 祈はその手を握り返して、バックベアードに視線を戻す。
バックベアードはレディベアの方を、その単眼でひと時見つめたようであった。
互いに無言だったが、そこには親子の会話があったのだろう。
 バックベアードが中空へと視線を戻し、強大な妖気を発する。
それに伴い、ブリガドーン空間の波長が一層強まったようであった。
そして、祈は体の内側から力が、間欠泉のごとく溢れ出してくるのを感じる。
先程レディベアに完全回復させてもらったところだが、
それが体を100%の状態に戻すものだとすれば、これは150%へと引き上げるものだ。
おいしい料理をお腹いっぱいに食べて、体力・気力ともに充実している状態に近い。
本来なら運命変転を使えば即座にターボフォームへの変身も解けるはずが、
まだこの状態を保てていることを考えれば、150%以上ともいえるだろう。
レディベアと顔を見合わせ、お互い似た状態になったことを祈は悟る。
バックベアードが祈やレディベアを回復させたのだ。
そしてそれはつまり、バックベアードがブリガドーン空間の力をアンテクリストから奪い返し、掌握したことを示していた。

>「おのれ!龍脈の神子おおおおおお!!」
>「まだ数の上ではこちらが勝っておるわ!殺せ!龍脈の神子とバックベアードの娘を!殺せエエエエエ!!!」

 おそらく悪魔達は、ブリガドーン空間を掌握していたアンテクリストから、少なからず力を貰っていたのだろう。
 体に漲っていたはずの力が失われたことで、ブリガドーン空間の力が奪われたことに気付いたに違いない。
 先程まではレディベアの放つ神気を警戒し近づけなかった悪魔達だが、
これ以上放置しては何をされるか分からないと思ったのだろう。
 次々に吠えると、数を頼りに、祈とレディベア目掛けて襲い掛かって来る。

「かかって来るんならもっと早く来た方が良かったな。
モノ、次はここを守り切るぞ。橘音が次の手を打ってくれるまで」

 悪魔達に向き直り、祈とレディベアは、どちらともなく繋いでいた手を離す。
 祈は風火輪を履いた右足の爪先で、コンコンとアスファルトを叩き、右脚の感覚を確かめる。
 止め処なく溢れる力を感じ、まだまだ戦えることを確認。そして、

>「キエエエエエエエ!!死ネ!死ネ!神ィィィィ子ォォォォォォ!!」

 飛び掛かって来る悪魔たちを足技で迎え撃とうとしたその時。
 祈が腰につけていたウエストポーチが輝いた。

「!?」

 眩しさに瞬間、ぴたりと足を止めて、目を閉じる祈。
 閃光弾か何かかと警戒するのも束の間。光はすぐに収束し。
――ばぢゅんっ!!!
 目の前で何かが潰れるような音が響いた。
浮かした右足を地面につけ、祈が目を開くと、先程まで眼前に迫っていた悪魔がいない。
否。まるで巨大な重りが落ちてきたようで、潰れてアスファルトのシミとなっている。

(――なにが起こった?)

 瞬間、祈の中で疑問が浮かび上がるが、背後に巨大な気配を感じたことと、
動きを止めた悪魔達が、驚愕の表情で祈の後方を見ていることで、背後にその答えがあると見られた。
祈が後ろを振り返る。

>「……ああ……」

 共に振り返ったレディベアが、そこにあるものを見て、
驚愕とも感嘆ともつかない吐息を漏らした。

「――あ」

祈もそれを見て目を見開き、言葉を失った。
そこにいたのは、トラックかバスかといったサイズの、あまりに大きな赤ん坊だった。

《あぶぶ》

 大きな赤ん坊は、悪魔を潰したであろう右手のひらを、ぶんぶん振るった。
おそらくベトベトしていて不快だったのだろう。振るった手から血や肉塊がびちゃびちゃと飛ぶ。
 その大きな赤ん坊の正体を、祈は直感的に察していた。
 体中を縫合したような傷跡も、膿んでいるような痛々しさも臭気もないが、
この子のことを、祈は確かに知っている。

>「これは……コトリバコ……!
>どうして、ここに……」

 そう、これは明らかにコトリバコだ。
サイズ的に見ればハッカイ。最も大きなサイズのコトリバコだろう。

「や、あたしにもっ、何がなんだか……!?」

 だが、リンフォンを通して地獄に送られたはずのコトリバコがどうしてこの場にいるのかは、
祈の頭では見当もつかない。
 祈はいつも、特別な事情がなければ、無害なコトリバコの箱をウエストポーチに入れて持ち歩いている。
 思い続けることが、利用され苦しみ、地獄に落とされた彼らを救う道だと、箱を託した橘音が教えてくれたからだ。
 ウエストポーチから飛び出してきたのを見れば、その子であることは確実だが、
なぜ今、この場に現れたのかは不明だった。

290多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/12/30(水) 23:31:42
《だあー。ぅー》

 だが。祈に愛らしく微笑むその赤ん坊を見た時、そんな疑問は些細なものだと祈は思った。

「……あたしを助けるために来てくれたんだな。ありがと。いい子だな、おまえは」

 この子は、自分のためにきっと来てくれた。
継ぎ接ぎの姿でなく、こんな綺麗な姿で。それが嬉しかったから。
 祈は巨大な赤子の頬に顔を寄せ、撫でてやった。

>「なんだ、こいつは……!?」
>「ええい、怯むな!たかが巨大な赤子如き!」

 混乱と驚愕に包まれる悪魔だが、立て直そうと各々が得物を構えた。
その瞬間。

 ぶしゅうう――。

 一体の悪魔が、眼や鼻や口、体中の穴という穴から血を噴きだして、絶命する。
 コトリバコの呪詛だ。
その症状はまるで伝染病のように、絶命した悪魔から次々に別の悪魔へと広がっていく。
よく見れば、悪魔達の足元に大小さまざまなコトリバコたちが這いまわっており、
次々に悪魔達へと組み付いて呪詛を広げていたようである。
 援軍はコトリバコ一体だけではなかった。
イッポウからハッカイまで、全てのコトリバコが集結している。
そして全員が、祈達に力を貸してくれるらしかった。

「おまえら! 後でいっぱい撫でてやるよ!」

 ブリガドーン空間の支配権を取り戻せたとは言え、
空にはベリアルの印章と魔法陣が展開されたままだ。
悪魔達は無尽蔵に湧いてくる。
いくら元気が150%になったところで、二人だけではずっとは保たない。
そんな中、この援軍は心強い。

 >「祈!アシスト致しますわ、行きますわよ!!」

「おう!」

 コトリバコ達だけに任せてられないとばかりに、レディベアが祈に声をかけた。
 それに応じて、祈は走り出す。

 祈とレディベアが組んだ回数は、そう多くない。
ぶつかり合った回数を含めて数えても、片手で足りてしまう。
お互いの手や呼吸を知り尽くすにはあまりにも少ない回数だ。
 だが、それでも祈とレディベアの連携は噛み合っている。
共に歴戦を潜り抜けてきたかのような、呼吸の合ったコンビネーションだった。
 前衛と後衛で役割がはっきり分かれていることや、
祈のスピードを追えるだけの目をレディベアが持っていることなど、理由はいくつも挙げられる。
 だが何よりも『信頼』だろう。
 一歩間違えば祈を貫いているであろうレーザーのアシストを、祈が警戒している様子はない。
下手に避けようとしたり、戸惑ったりしないからこそ当たらない。
 レディベアが敵に背を向ける時も、祈に任せて決して後方を振り返ることはない。
それが隙を生まず、確実な対処を生んだ。
お互いを信頼して、それに応えようと繰り出す攻撃が噛み合い続けている。
 そうして祈とレディベア、コトリバコ達とで悪魔達を蹴散らし続け、幾許かの時間が過ぎると。

 不意に、避難所付近で、
祈のスポーツ用のバッグに突っ込んで安置していた聞き耳頭巾が浮かび上がり、眩い光を放った。
 光は道を示すように、大地を走っていく。
五芒星の頂点なのでその方向は二方向。
他のブリーチャーズがいる場所でも同じことが起こっているのだろう。
ベリアルの印章が崩れ、五芒星に上書きされていく。
 東洋西洋を問わずに使われ、陰陽道においては安倍晴明も使用したといわれるシンボル、五芒星。
魔法陣も掻き消え、雨のように降る悪魔達の増援はもうない。

「橘音の方もうまくいったんだ……!」

 放った蹴りで悪魔を昏倒させながら、微かに空を仰いで祈が呟く。
 しかも、聞き耳頭巾は輝きを保ち、迷い家や避難所を覆う、結界の役割を果たしてくれているようである。
これなら、人々は安心だろう。この場から離れても問題ない。

「あたしたちは偽者の神サマをぶっ倒すためにここを離れるけど、
避難所やその家から出なければ安全だから! 安心して待ってて!」

 迷い家からこちらを窺っている者や撮影している者達に一声もかけた。
あとは、都庁に戻って仲間たちと合流し、アンテクリストを倒すだけである。
祈が都庁の方向を見た時、ふとアスファルトに突き立ったデュランダルが視界に入った。

(ローラン……。モノだけじゃなく、もしものときは避難所の人達も守ってやってくれよ。
 あの人達も、モノが好きな世界の一部なんだからさ)

 そんなことを感傷的に心の中で呟きながら、

291多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/12/30(水) 23:35:38
「モノ! コトリバコたち! 都庁に戻ってみんなと合流するぞ!」

 共に戦う者達へ声をかけ、都庁の方面へ移動を開始する祈。

>「通すな!龍脈の神子を都庁へ行かせるな!」
>「何としても止めろ!殺せ!殺せェェェェ!!」

 それを防ぐべく悪魔達が立ちふさがる。

「もう増援もねーんだし、ジリ貧だろ! 痛い目みたくなかったら退いてろよ!
向かってこないんだったら見逃してやんよ!」

 増援もなくなった今、劣勢になりつつあるのは悪魔達の方であるはずだ。
 祈がそう声をかけるが、遮二無二祈達を通さないことだけを考えているようで、悪魔達は退くことはなかった。
むしろ、後がなくなっていくからこそ、悪魔達は必死になったようだ。
 おそらくその背後に控えるアンテクリストが恐ろしいのだろう。
 決死の覚悟で祈達に向かってくる。
 無尽蔵に悪魔が湧いてこなくなったとはいえ、まだ地上に悪魔は大勢いる。
それを集中させ、進行方向を無数の悪魔で埋め尽くせば、膠着状態を作ることはできる。
 祈達の到着を遅らせ、事態の進行を止めれば、有利なのは悪魔達だ。
状況は祈達へと傾きつつあるが、まだひっくり返ったとは言い難かった。
 進行方向へ密集し、迎え撃ってくる悪魔達に苦戦し、なかなか進めない祈達。
 そこへ。
 悪魔を殴り飛ばす自身の手の上を、
白と黒の羽がひらりと落ちて掠めたのを、祈は視界に捉えた。

(羽――?)

>「さて、では、そろそろ我らの出番かな。兄弟」
>「おおさ。溜まりに溜まった鬱憤、今こそ晴らさせて貰おうか――!!」

 そして、祈達の上に声と影が落ちた。
何者かが上空から降りてくる気配と風切り音。
 声に聞き覚えはない。
だが、不思議と敵対する響きは感じられなかった。
瞬間的に動きを止めて微かに飛び退く祈の前に、翼を生やした人間のシルエットが二つ、
悪魔の胴体をレイピアで瞬断しながらふわりと舞い下りた。

>「下賤ども。このお方に指一本でも触れることまかりならん」

 そのシルエットは、悪魔の前に立ち塞がるように立つ。
そして、手に持ったレイピアを祈の前でX字に重ねた。祈を守るように。
 二つのシルエットは、翼を生やした青年たちだった。
 一人は線の細い、純白の青年。
透き通るような白い肌に白い長髪、そしてやはり純白の翼をその背に生やしている。
白を基調にした貴族風の装いに、どこか気品を漂わせる凛とした容姿。
 もう一人は、野性味ある漆黒の青年。
黒い髪を逆立たせ、日に焼けた肌と、堕天使か天狗を思わせる黒い翼を持っていた。
こちらは黒を口調とした貴族風の装いで、猛禽を思わせる鋭い眼光が印象的だ。
どちらも共通して赤い瞳を持っており、その横顔にはやはり見覚えはないのだが、
二人の放つ『妖気』には覚えがあった。

「えっ!? まさか……は、ハルとマルか……!?」

 祈はあんぐりと空けた口元に手をやって、驚いた。
遥かに強力ではあるが、祈が保護していたハルファスとマルファスの幼体の妖気にそっくりなのである。
 ターボフォームになり、妖気への感度も上がった今、判断を間違えるはずもない。

>「ハ、ハ、ハルファス侯爵閣下!それにマルファス長官まで……!そ、そんなバカな……」

(やっぱハルとマルなんだ……)

 驚愕に戸惑い、狼狽する悪魔達の質問に答えることなく、
ハルファスとマルファスはレイピアを鞘に納めて、祈へと跪く。
まるで騎士のように。

>「お怪我はございませんか、祈様。
>御身より賜った多大なる恩義の数々、今こそその幾許かをお返しするとき。
>天魔ハルファス、これより御許にお仕え致します」

 二人もまた、コトリバコ同様に援軍として現れたようであった。

「怪我は……大丈夫だよ、ハル。あたし相手に仕えるとか大袈裟だけど……、
来てくれて嬉しい。ありがと。みんなを守るために力を貸してくれ」

 幼体時はおとなしい性格だったハルファスは、礼儀正しくクールな男性に。

>「同じく天魔マルファス、御意に従います……っと。
>祈サマ!アンタにゃ世話になったからな……まずはアスタロトの野郎をブッちめてえ所だが、後回しだ!
>露払いは俺たちが務めるぜ、大船に乗ったつもりでいてくれや!」

「マルもありがと。頼りにさせてもらうよ。
にしても兄弟そろって義理がたいな。あたしは大したことしてねーのに。
モノ、この二人はハルファスとマルファス。味方だよ」

 幼体時にハルファスを守るように祈の手をつついていたマルファスは、ワイルドな男性になった。
 ブリガドーン空間の影響を受けて、一時戦う力を取り戻したのだと思われるが、
以前の鳥に近い天魔の姿から随分変わったものである。
 保護した祈の姿と感性がほぼ人間だったから、その影響を受けたのであろうか。
祈は、息子たちが逞しく成長したのを見た母親のような気持ちを抱くと同時に、
コトリバコに続き、敵対していた存在が手を貸してくれるという奇跡に胸が熱くなっていた。
 そんな感動も束の間。
 ハルファスとマルファスが立ち上がり、今一度レイピアを抜き放つ。
そして振り返ると、二柱の天魔が舞う。
 動揺の抜けきらない悪魔達を、突進しながらコンビネーション攻撃で寸断していく。
二人の通った跡が、道となる。

292多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2020/12/30(水) 23:50:13
>「参りましょう、祈!」

「……ああ! 行くぞ、東京都庁!」

>《あぶぅ、だぁぁ!》

 二人の拓いてくれた道が悪魔達によって閉じられる前に、祈とレディベア、コトリバコ達が続く。
 
>「我ら、神子の騎士!我らが剣の錆となりたくなくば、疾く下がるがいい!」
>「ッハハハハハ!雑魚どもが――俺と兄弟に勝てるものかよォ!」

 コトリバコに続き、ハルファスとマルファスという援軍までも得られた。
そのおかげで、都庁までの道が開かれていく。
 だが、奇跡はそれだけでは終わらない。
 天上で待ち構える、アノマロカリスに似た巨大な天魔、フォルネウス。
それは悪魔たちの母艦として空中を漂い、結界をうち破るだけのパワーを備えた圧倒的な戦力だった。
 都庁に集結するために突破せねばならない最後の障害。
その横腹に喰らい付いたのは。

「『あれ』、もしかしてヘビ助なのか!?」

 フォルネウスの後方に、薄ぼんやりと赤紫色の影が現れたと思えば、
それは瞬く間に、フォルネウスと同等かそれ以上のサイズの巨大な黒蛇となった。
そして、フォルネウスの横腹に俊敏な動きで噛みついたのである。
 横腹に突如喰らい付かれたフォルネウスが絶叫し、のたうち回る。
その黒蛇は、祈が姦姦蛇螺の体内で見た物に酷似しており、感じる妖気はヘビ助そのものでもあった。
祈が運命変転の力によって転生させ、赤紫の小さなヘビとなったはずの存在。
それが今、力を貸してくれているのだった。
 ヘビ助はフォルネウスの硬い外殻を噛み砕き、圧倒する。

>「祈様、お早く!」

 思わず足を止めた祈に、ハルファスが急ぐように促した。

「わ、悪い。今行く!」

 そう言って再び走り出す祈の目には、涙が浮かんでいる。
救われて欲しいと勝手に願い、勝手に保護し、勝手に転生させた命達。
それらが助けてくれたという事実は、祈の心をどうしようもなく温かいもので満たした。
 この奇跡は、生を望まなければ生まれなかったもの。
生きることには無限大の可能性がある。
 逆に死には何もなく、ただ虚無が広がっている。
だからこそ祈は敵味方関係なく生を望み、世界の存続を願う。
世界を終わらせようとし、死を見境なく振りまくアンテクリストとは相容れない。
故に倒し、問わねばならない。その命に。
 そしてもし、倒しても尚、終世を諦めないというのであれば。
アンテクリストの生が誰かの死に繋がるのなら。

(――そのときはあたしがおまえをこの世界から消してやるよ。アンテクリスト)

 祈はそんなことを思う。
 祈の目に、都庁が、ゴールが見える。
最後の戦場。決戦のときもまた、目前に見えていた。

293御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/01/01(金) 22:03:41
御幸は氷に閉ざされた不思議な空間に、大勢の人々と共に閉じ込められていた。
人々が口々に問う。

「ここは……?」「俺達は死んだのか……?」

「死んでないよ。私の術で眠っているだけ」

本当に眠っている人々の意識と繋がっているのか、単なる夢なのかは分からない。

「全然勝てそうになかったじゃないか! 悪足掻きはよしてくれ!」
「早く起きてアイツに平伏さないと!」

「懸命な判断だね。
運命は誰にでも変えられるなんて嘘っぱち、それが出来るのはごく一部の選ばれし者だけだ。
持たざる者はただ救いを希うしかないのさ」

御幸は諦念とも達観とも取れる涼やかな態度で返す。

「なら!」

「だからこそ縋る相手を間違えるな!」

ぴしゃりと一喝して黙らせる。

「確かに私は君達とそんなに変わらない。ただちょっと往生際が悪くて時間稼ぎが得意なだけで。
でも……私の仲間達は運命を変える力を持ってるんだ。
運命を変えるって世界の理を犯して境界を踏み越えていく力だ。
……だからきっと、異なる存在の境界にある者だけが持つことが出来るんだよ」

ノエル意外のメンバーたちはいずれも純粋に一つの種族にはおさまっていない。
クオーターの祈は言うまでもなく、ポチは異なる妖怪同士のハーフ、
尾弐やレディベアは人間から妖怪への変貌を遂げた存在で、橘音に至っては元々は普通の狐だった上に悪魔と融合している。

「それに比べてアイツはどう? どう見ても完璧に神様でしょ?
いつだって完璧な存在が半端者の集団にやられるのはそういうこと」

この仮説は元々深雪の憶測から来ているため信憑性は疑わしく、
アンテクリストは実のところ天使→悪魔→神と変化しているのでますます怪しいのだが、
人々は突然現れた自称神様がさっきまでベリアルだったことは知らない。
当たってようと無かろうと、それっぽい理屈をこねて人々に少しでもそうかもと思わせるのが目的だ。
しかし根拠はともかく、仲間達に運命を変える力があることだけは本気で信じている。

「希望を託す相手を選ぶことだけが力無き者に出来る唯一のことなんだよ……だからよく考えて。
ひとりひとりの想いはちっぽけでも束になれば大きな力になる。
民主主義やってる君達なら私よりずっとよく分かってるはずだよ」

それだけ言うと御幸は無言になり、静かにその時が来るのを待った。
無論祈がレディベアを起こせなかったり、橘音が結界を張れなかったら一巻の終わりなのだが、
御幸は自ら抗うのを早々に放り投げた癖に、どうにかなるのを信じて疑わなかった。
どれぐらい時間が経っただろうか。そろそろレディベアは起きた頃だろうか。
ハクトはサトリのような精神干渉系の能力を持つ妖怪を連れてくるだろうか。
あるいはもっと直球で炎系能力で起こしにくるかも……

294御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/01/01(金) 22:06:03
>「……起きな、みゆき」

――なんか想像していたのと違う感じでその時は来た。

>「アンタの選択は間違ってなかった。アンタは自分の大切なものを守り通したんだ。
 でも――それで終わりじゃないだろう?アンタにはまだ、やらなくちゃいけないことがあるはずだ。違うかい?
 さ、姉ちゃんが手助けしてやる……だから、早く起きな。お寝坊はダメだよ」

うっすらと目を開ける。いるはずのない人がいる。
起きたつもりでまだ夢を見ているというやつだろうか。

>「おはよう。みゆき」

頬をつねってみようとして、右腕は何かを抱えていて左腕は無いことに気付く。
右に抱えた姥捨の枝を庇って左腕は吹っ飛ばされたからだ。ということは、夢ではないらしい。

「え……どうして……!?」

>「まずは身体を元通りにしなくちゃね。立てるかい?」

クリスが身体に触れると、スプラッタ状態になっていた身体が瞬く間に元通りになった。

>「アンタの仲間がやってくれたのさ。『そうあれかし』が現実になり力になる、ブリガドーン空間。
 その中でなら、アタシもほんのちょっぴりだが姿を取り戻せるらしい」

言われてみれば、いつの間にか極彩色だった空が、黄金色に塗り替わっている。
これが真のブリガドーン空間の色なのだろうか。

「祈ちゃん……レディベア……」

>「……会いたかった」

「……私も会いたかった」

御幸とクリスは固く抱き合った。しかしいつまでもそうしてはいられない。
術が解けたことで獄門鬼が復活し、重傷の仲間達がそこら中に倒れている。

>「アンタの仲間たちの傷も癒してやらなくちゃね、みゆき。手伝いな」

「でも!」

>「あ?あの牛だか馬だか分からんヤツの相手かい?そりゃ心配無用だ。
 こっちの戦力は潤沢さ――ほら」

頭の上にもふもふした何かが乗った。毛に覆われていることからして動物の妖怪だろうか。
否――それは毛、そのもの。より正確には髪の毛である。

>「ブオオオオオオオオオン!!!」

髪の毛が鞭のように縦横無尽に踊り、獄門鬼達はサイコロステーキのごとくカットされていく。

「あ、君は橘音くんの探偵事務所にいた……! そんなに強かったの!?」

295御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/01/01(金) 22:07:53
その時、右手に持ったままだった姥捨の枝がまばゆい光を放つ。
ついに橘音が結界を完成させたのだ。

「――髪の毛真拳奥義! キューティクルハニーフラッシュ!!」

御幸は意味不明な技名(?)を叫びながら魔法のステッキ――ではなく姥捨の枝を高々と掲げた。
ベリアルの印章が消え、仲間達の傷が癒えていく。
あずきをはじめとした、重傷を負っていた仲間達も完全回復していた。
頭の上の毛玉がこころなしかドヤ顔をしている気がする。

>「よし……!これで終わりだね!
 さあ、ここはもう大丈夫だ!みゆき……戦いに決着をつけておいで!!」

「うん、約束したもんね。お姉ちゃんが帰ってこれる世界を作って待ってるって」

そもそも妖怪は滅ばない限りは存在は消滅しない。
加えて、クリスはブリガドーン空間の中でなら存在できる、とか生き返れる、ではなく”姿を取り戻せる”という言い方をした。
裏を返せば普段は姿を現せないだけで、存在自体が消滅したわけではない、ということだろう。

「乃恵瑠……これ!」

そこにハクトが何かを持って駆けてくる。
それは獄門鬼との戦いで足と一緒に切り飛ばされていた、新しいそり靴の右足分だった。
御幸はそれを履き直すと、ハクトの頭をなでた。

「……行ってきます!」

そしてもう一度だけクリスを短く抱きしめると、都庁に向かって駆け出した。

>「ご心配おかけしましたー!あたしたちはもう心配ないよ、だから……行って、ノエル君!」

「もう真っ二つはやめてね! 小豆の仕入れ先がなくなったら困るもの」

>「色男ォ!花道作ったるさかい、ワシらの分まであの神モドキどつき回してこんかい!」

「任せといて! 泣くまでどつき回してやる!」

>「……ゾナ!」

「君ってそんな鳴き声だったんだ……!」

あずきやムジナ、毛玉らのばけものフレンズ達が切り開いた道を駆ける。
やがて東京都庁――帝都の中枢にしてアンテクリストの本拠地でもあった摩天楼が見えてきた。
ついに決戦の火蓋が切って落とされるのだ。

296尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/01/07(木) 22:31:29

>「そうだよ……!あんなヤツの言いなりになんてなりたくない!」
>「奴隷になって、悪魔に怯えながら暮らすなんてまっぴらだ!」
>「命が惜しくて悪魔に従いましたなんて、カッコ悪くてカノジョに顔向けできねぇよ!」

尾弐の背に、人間達の言葉は確かに届いた。
鬼の頑強さを超過した傷から流れ出る失血は危険域。
視界は霞み、吐き気と脳が焼かれるような苦痛が全身を苛む。
鎧を解除すれば直ぐにでも内臓が零れ落ちる事だろう。
だが、それでも

>「おじさん、お願い!あいつらを……やっつけて!!」

「――――――応っッッ!!!!!!」

言葉は、確かに届いたのだ。

人として生まれ、悪鬼に堕ちて千年。
自分を殺し妖怪を殺し悪魔を仲間を見殺して……そんな自分にさえも、守りたい者が出来た。愛する者が出来た。
こんな罪深い悪鬼でさえも幸せに手が届いたのだ。
ならばこそ、罪無き――懸命に生きている無辜の人々も、幸せになるべきに決まっている。
だから……本当に柄ではないが。口にすれば羞恥に煩悶してしまいそうな事柄だから。
口腔に溜まった自身の血液を飲み干して、尾弐黒雄は心で誓う。

(橘音……祈の嬢ちゃん、ノエル、ポチ。颯に妖怪共に人間達。連中が笑って明日を迎える為に)
(今この時だけ――――俺が、正義の味方になってやる)

現実に目を向ければ、尾弐一人で眼前の悪魔の群れを薙ぎ払える筈がない。
受けた傷は殆ど致命傷。仲間は傷つき倒れ、対する敵は無尽蔵。勝てる訳がない。生き残れる筈がない。守れる理屈が無い。

だが、それがどうした。

尾弐黒雄は勝つつもりだ。生きるつもりだ。守り抜くつもりだ。
例え神の差配であろうとも、その突貫の意志を遮る事など出来はしない。
その前進を無謀と。無鉄砲と。蛮勇と。呼びたければ好きに呼べ。嗤いたければ嗤うがいい。
しかし忘れるな。いつの世も、そんな意志と祈りこそが奇跡を起こして来た事を。
そうだ。ヒーローが齎すものはいつだって――――奇跡の逆転勝利だ。

297尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/01/07(木) 22:34:11
>「さすがは黒雄さん。ただ一度の大喝を以て、萎縮しきっていた人々の心を奮い立たせるとは……。
>相変わらずの豪傑ぶり、頼もしい限りです」
>「……アナタ、は……」
「なっ……!!?」

残る力を振り絞って悪魔の一角を叩き潰した尾弐に届いたのは、祈達が齎した暖かな癒しの光と……穏やかな声。
それは、とても懐かしい……もう二度と聞けないと思っていた声だった。

>「橘音君、今までよく頑張ってくれたね。礼を言うよ……もちろん黒雄さんも、そこの天邪鬼さんも。
>みんなの協力のお陰で、祈は成し遂げられた。あの子ひとりでは、きっとここまで漕ぎつけられなかった。
>どれだけ感謝しても足りません、だからこそ――」
>「ここから先は、わたしにも手伝わせてください。あの子が生きる世界を、みんなが紡ぐ未来を、私も守りたい」

「……橘音も、外道丸も無事で……はは。ったく、お前さんはいつも美味しい所を持っていきやがるなぁ」

笑うような、泣くような声を出しながら尾弐が振り返ったその先に居たのは。
多甫祈の父親にして、東京ブリーチャーズが一員。

陰陽師、安倍晴陽。

>「ただ一人の増援ですって?お生憎さまね、増援は二人なの」
「颯!?お前さん、どうして……いや。聞くまでもねぇか。安倍晴陽の隣に、多甫颯が居ない訳がねぇ」

そして、その後から疾風をぶち抜く様に颯爽と現れたのは――祈の母であり晴陽の妻である、多甫颯。
多甫祈が生まれるよりも昔。数多の妖壊から帝都を守り抜てきた者達。
かつての東京ブリーチャーズが今、奇跡の名の元に再集結を果たした。

>「はい、黒雄君。橘音も、天邪鬼君も」
>「祈ちゃんのところへ行かなくていいんですか?」
>「あの子はもう、わたしたちの手を離れているよ。それに、祈の周りにはもう、大勢のともだちがいる。力を貸してくれている。
>それなら――わたしたちはわたしたちの出来ることをするべきだ」
「おいおい、どんだけ成長しても親は親なんだ。祈の嬢ちゃんの事を第一に考えてやれ……なんて偉そうに言いてぇところだが、正直助かったぜ。あんがとよ」

酒を呷る様に渡された迷い家の湯を一息に飲み干した尾弐は、騒乱の渦中で繰り広げられるその遣り取りに、急速に快復していく傷の痛みすらも忘れる程の湧き上がるような郷愁を覚える。
そして――その感情を戦いの為の燃料へと切り替えていく。

>「さあ、黒雄君、橘音。久しぶりに私たち四人、旧東京ブリーチャーズでやりましょうか!」
>「なんだ、私は仲間外れか。とはいえ、ここは貴様らに譲ってやろう。旧交を温めるのはいいことだ。
>三尾、いや今は五尾か?語呂が悪いな……とにかく結界の再構築だ。急げ」

「悪ぃな外道丸。ちっとばかしおじさん達の同窓会に付き合ってくれや。なぁに、退屈はさせねぇさ」

>「了解!ではクロオさん、晴陽さん、颯さん!用意はいいですか!?
>旧!東京ブリーチャーズ――アッセンブル!!!」

「――――アッセンブル!!!!」

愛する者と、親愛なる者。そして在りし日を共に駆け抜けた仲間達。
今再び彼らと共に、尾弐黒雄は嘗て羞恥心と罪悪感で吠える事の出来なかった掛け声を口に出す。
この場における戦いの顛末は、多くを語る必要もない。
晴陽の術が悪魔を薙ぎ払い、颯の脚撃と天邪鬼の剣戟が悪魔を翻弄し、尾弐の膂力が魔を殴殺し――――そして橘音は、とうとうその役目を成し遂げた。
七つの道具は龍脈の流れを正し、べリアルの印章と魔法陣が消滅した今、目指す場所は一つ。

>「皆さん、都庁前に再集合しますよ!」
「応っ!!」

298尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/01/07(木) 22:35:41
 


>「ねえ、クロオさん……」
「……?」

都庁へ向けて駆けていく最中。不意に、尾弐の隣を走っていた橘音から声を掛けられた。

>「……ボクたち、今までいっぱい間違ってきましたけど……。
>やっと、正しいことができたんですよね……?」
「――――。ああ、そうだな」

尾弐黒雄と那須野橘音はその長い生の中で何度も間違ってきた。
間違いばかりの生き様だった。
無様で、惨めで、みっともなくて……生きている事すら苦痛だった。
だけど――――その間違いは、決して無駄ではなかったのだ。

>「へへ。……嬉しい」

尾弐は、涙声でそう言った橘音の頭を少し乱暴に撫でる。

「生きようぜ、橘音。生きて帰って、次はもっとキレエな事をしてやろうじゃねぇか」

そう言った尾弐の声も、僅かに掠れていた。

299ポチ ◆CDuTShoToA:2021/01/14(木) 23:41:19
ポチが弱々しく、だが確固たる覚悟をもって牙を剥く。
最愛のつがいを喰らう為に。
これが、ポチに残された最後の手段だった。
全身を切り刻まれ、貫かれ、夥しい量の血を流し、両目を潰された。
それでもまだ、誰かの為に戦い続けるのなら――相応の代償を支払わなくてはならない。

そして――ふと、不気味な極彩色の空から光が差し込んだ。
不吉で禍々しい不調和の色彩に染まった空が、柔らかな黄金色に塗り替えられていく。
両目を潰されたポチにその光景は見えない。だが感じ取る事は出来た。

もしかしたら、誰かが助けに来てくれたのかもしれない。
もしかしたら、橘音の結界術が完成したのかもしれない。

だが――ポチは惑う。もし、そうじゃなかったら、と。
これはまだ、ただの前兆に過ぎなくて、今暫し戦い続ける必要があったらと。
だとすれば、ポチは立ち上がらなければならない。
何も見えない。何も聞こえない。しかし迷っていられる時間は少ない。

そんな時だった。不意に、どこからか狼の遠吠えが聞こえた。
狼の呼び声――それは死に瀕したポチの耳にも届いた。

「……この声」

その声に、ポチは聞き覚えがあった。
直後、響く轟音。ポチとシロのすぐ後ろに何かが降り立った音。

>「オイオイ、何でえ何でえ……暫くぶりに娑婆に戻ってくりゃあ、なンてェ情けねえツラぁしてやがンだ、あァ?」

「……駄目だ。しっかりしろ……そんな事、あり得ない……」

ポチは頭を振る。
死にかけの肉体と、望まぬ未来を決定付ける選択。
それらがもたらす感覚の惑い、幻聴を振り払うように。

>「助けて、だと?フン、そいつァ別に構わねえ。勝てねえと分かってる狩りに挑むのはバカのするこった、
 どンどン助けを呼びゃあいい。狼ってなァ群れで狩りをするモンだ、だが気に入らねえな……。
 橘音ちゃン?尾弐っち?そうじゃねェ、そうじゃねェだろォが――」

だが――声はまだ、聞こえてきた。

「……やめろ。アンタがここにいるはずがない。僕がやらなきゃいけないんだ」

「そンな連中に助けを求めるよりも!!
 もっと――いの一番に助けを求めなくちゃならねぇヤツが!!テメェにはいるだろうが!!」

それだけじゃない。においもする。
懐かしいにおい。深い愛情のにおい。愛深き故の、強い強い怒りのにおい。

「……本当に、アンタなのか?」

ポチがぽつりと、縋るように呟いた。

「本当に、そこにいるの?」

ポチの声は震えていた。

「もし……もし、本当にそこにいるなら――」

>「誇り高き狼の戦いを、全世界の被食者どもに見せつけたいと願うなら!!
 テメェが此処で叫ぶべき名はただひとつ!!
 さあ、呼べ――このオレ様の名を!!!」

そして――

「――――お願い。助けて、ロボ」

ポチは呼んだ。その名を。最も敬愛する、狼王の名を。

300ポチ ◆CDuTShoToA:2021/01/14(木) 23:41:50
>「ゲッハハッハハハハハハハハハハァ―――――――――――――ッ!!!」

高らかな笑い声がそれに応えた。

>「クソ悪魔めら!!!オレ様の大事な跡取りどもに何してくれやがってンだ、あ゛ァ!!!??
 全殺しだ……五体満足で死ねると思うンじゃねェぞォ!!!」

ロボの咆哮が再び響き渡る。溢れんばかりの闘志のにおい。
直後――今度は悪魔どもの悲鳴が、断末魔の叫び声が聞こえた。
周囲に濃厚な血のにおいが満ちる。

「……クソ。アイツら、両方とも潰しやがって。これじゃロボの戦いぶり……見れないじゃないか」

忌々しげなぼやき。半分は本気。半分は――強がり。
ロボのおかげで最悪の結末は回避出来た。
だが依然として、ポチが瀕死の状態にある事に変わりはない。

>「迷い家から温泉のお湯と、河童の軟膏を貰ってきました!」
>「シロちゃんの足、接合して!軟膏を早く!」

遠くから巫女達の声が聞こえてきた。
もう殆ど体を動かせないポチの喉に、迷い家の温泉が含まされる。
全身の傷に軟膏が塗り込まれ、そこに回復術式が施された。

見る間にポチの傷が癒えていく。
穴だらけになった内臓が機能を取り戻す
血液が再び全身へと巡り出す。
意識が急速に鮮明になっていく――そして、ポチは跳ねるように飛び起きた。

>「あなた……!」

開いた左目に、最愛のつがいが映った。
瞬間、ポチは人の姿へと変化していた。
愛する者を抱き寄せ、その無事を噛み締める為の姿に。

シロを抱き締める。
息をしている。温かい。生きている。
全身に受けた傷も塞がって、ちぎれた右足首も元通りに繋がっている。

「良かった……」

ポチが安堵の溜息を漏らす。それから――目を閉じた。
本当なら、シロに謝りたかった。
傍を離れてしまった事。彼女を喰おうとした事。一番いい未来を諦めた事。

本当なら、このままずっとこうしていたかった。
ポチは思い知った。正真正銘、最愛の存在を喪うという事が、どういう事なのかを。
その恐怖を、絶望を忘れる事は出来ない。

だが――そんな事は出来ない。
もう十分に取り乱した。もう十分に血迷った。
これ以上、そんな事をしている時間なんてない。

狼の王が成すべき事は、そんな事ではない。
ポチは立ち上がり、両手で前髪をかき上げた。
傾いた王冠を正すように。
そして、ロボへと振り向いた。

301ポチ ◆CDuTShoToA:2021/01/14(木) 23:42:59
>「ゲハッ、もういいのか?」

ロボが振り返る。目と目が合う。

>「……おう。ちったあいいツラ構えになったじゃねェか。
  色々と経験を積んできたみてェだな……。男の顔だぜ、もう坊主とは呼べねェな」

「げははは、やっぱり分かっちゃう?僕ももうすっかり、王様が板に付いてきたってとこかな」

ポチは冗談めかして笑う。

「……そうさ。ホント、色々あったんだ」

『獣』を受け継いでから今まで、幾つもの困難を乗り越えてきた。
いつも最善のやり方を選べた訳ではない。
それでも、いつでもロボに誇れる自分でいようとした。
その全てを聞いて欲しい。またあの夜のように、頭を撫でて欲しい。

だが――そんな事をしている時間も、やはりない。
避難所に安置された童子切安綱が閃光を放つ。
橘音の結界術が完成したのだ――ポチは、行かなくてはならない。
世界の滅びを止める為の、最後の戦いに。

>「よし――行け!
  いつか約束したっけな、裏で絵図面を描いてる野郎を叩けと。
  都庁でふんぞり返ってやがる、あのクソッタレ野郎を……思う存分転ばせてこい!!」

悪魔どもがポチとシロの行く手を阻む。
ポチは思わず、ふっと笑った。

「はん、丁度いいや。お前らにも、さっきのお礼をしてやらないと――」

そうして爪を見せつけ、牙を剥き――

>「檜舞台はオレ様『たち』が誂えてやる!
  オウ、山羊の王!いつまで立ち見を決め込んでやがる、何ならテメェの出番も喰っちまうぞ!」

「……へっ?」

思わず、呆けた声を零した。

>《それは困る、旧き狼の王よ。
  余も神の長子には一矢報いたい。余と親愛なる眷属たちの見せ場を奪ってくれるな》

ポチの体の内側から、声が聞こえた。

「えっ?えっ?……どゆこと?」

直後、ポチの胸に光が灯った。
炎にも雷にも似た、だがどちらでもない――命の輝き。
アザゼルの眷属達が、彼の力と化す時に放っていた光。
それがポチの体内から、一点へと凝縮されるかのように集っていく。
その現象が意味する事は――決まっている。

>《――『真なる王の一撃(アルカー・イフダー・アル・アウラーク・ル・ラービハ)』!!!!!》

ポチの胸から、アザゼルが飛び出した。
ポチがその光景に唖然とするよりも早く、その巨体が稲妻のように閃いた。
更にはどこからともなく現れた山羊の群れが、悪魔どもを突き飛ばし、踏みつけ、押しのけてしまった。

302ポチ ◆CDuTShoToA:2021/01/14(木) 23:43:47
「……今更だけど、ホントに凄いんだな。祈ちゃんの力」

死者の蘇生――まさしく神に匹敵する力だ。
仮にこれが一時的なものだったとしても。
芦屋さんも、晴陽さんに会えたりするのかな――ふと、ポチはそんな事を考えた。

>「あなた、参りましょう……!皆さんと合流する好機です!」

シロが走り出した。ポチは――ロボを振り返ろうかと思った。
何か、何か言葉が交わしたかった。
もしかしたら、これが最後の機会になるかもしれない。

だが――ポチの身体はその意に反して、駆け出していた。
自分でも驚くほど自然に、ポチはシロの隣を走る事を優先していた。
そして走り出してしまえば、もう立ち止まる訳にはいかない。

後ろ髪を引かれる気持ちはある。
けれども――ポチは自分に言い聞かせる。
きっと、これでよかったんだと。

話を聞いて欲しい。頭を撫でて欲しい。何か言葉をかけて欲しい。
そんな子犬じみた自分ではなく。
シロとふたり、戦いに臨む自分を見せられて、よかったと。

303アンテクリスト ◆TIr/ZhnrYI:2021/01/23(土) 01:56:06
悪である。

私は、悪である。純粋無垢にして徹頭徹尾の悪である。
至悪である。非法である。不善である――邪なる者である。

誰もが私を白眼視し、誰もが私を嘲り、誰もが私から眼を逸らす。
私を無価値なる者、唾棄すべき者、忌避すべき者と評価する。

併して。

それは決して私を侮るが為、ではない。
すべては、私に。悪に堪え難き蠱惑の魅力を覚えるが故である。
真に強き者と接するとき、弱き者は等しくその存在を否定する。
其を肯定してしまったが最後――己の価値観の一切が覆されるを畏るるがゆえ。



悪!



其の、何たる甘美!禁断の蜜の、何たる馨しさ!
なべて諸人は悪を犯さねば生きては往けぬ。即ち原罪である。

姦淫!
嫉妬!
憤怒!
強欲!
大食!
傲慢!
怠惰!

ヒトは姦淫によって地に満ち、嫉妬によって他者に先んじ知恵を磨き、憤怒によって研鑽し、
強欲によって富み栄え、大食によって文化を培い、傲慢によって文明を進歩させ、怠惰によって科学を発展させた。
今日の栄耀栄華、その悉くは即ち悪の賜物である。
だというのに。

なにゆえ、罪を罰する?悪と断ずる?
持って生まれた諸悪の罪業ゆえに、ヒトは万種の霊長たる地位を築き上げたと云うのに!

かつて父であった存在は云った。『汝、悪たる可(べ)し』と――
悪在らばこそ、善は輝く。同義、悪無くして善は善たらず。
悪こそが、万理万象の礎たる理である。

然れば。

然れば。

諸人が悪に耽溺することに、果たして何の躊躇があろう?
悪の齎したる温湯(ぬくゆ)に頭頂迄浸かっておきながら、悪を不浄と拒絶することの方が不義ではないのか?

嗚呼、森羅万象の礎石たる悪を汚穢の如く卑しめんとする、忘恩たる此の世界よ。
悪徳の恵みに浴しておきながら、其を自らの善性の賜物であると誤解した葦どもよ。
忌まわしき三綱五常の呪縛が、その心魂を捕えて離さぬと云うのなら。
既存する全ての価値観を反転させよう。悪が貴ばれ、善が糾弾されるように。ヒトがヒトらしく在るように。
生きとし生ける者、総てが息吸う如く自然に悪を成すことのできる世界に――



此の世を、創り変えよう。

304アンテクリスト ◆TIr/ZhnrYI:2021/01/23(土) 02:03:51
アンテクリストは都庁上空で緩やかに両手を広げ、
自分の支配するブリガドーン空間が龍脈の力によってその範囲を広げてゆくのを凝然と見守っていた。
戦闘機による攻撃は無駄である。また、その頭上に核爆弾を落としたとしても、この降臨した神を滅ぼすのは難しいだろう。
現代社会において、誰もが体感したことのない力。目撃したことのない奇蹟。
それを、東京の――否、世界中の人間たちが。妖怪たちが目の当たりにした。
極彩色のブリガドーン空間が、うねりながら徐々にその範囲を拡大してゆく。アンテクリストの支配領域が拡張されてゆく。
このまま世界が、地球全体がブリガドーン空間に包まれてしまえば、もはや誰もアンテクリストを止められなくなってしまう。
かつて七日間で世界を創造したという、唯一神の御業。それが現代に再現される。
“反創世(アンチ・ジェネシス)”――悪が善にとって代わり、思いやりと愛が罪とされる世界が出来上がる。
弱肉と強食の、殺戮に彩られた惑星(ほし)が生まれてしまう――

しかし。

「…………?」

ふと、アンテクリストは小さな違和感を覚え、軽く頭上を仰ぎ見た。
禍々しい極彩色の空間が、夥しい光によって塗り替えられてゆく。眩い輝きに変換されてゆく。
レディベアから奪い取ったブリガドーン空間が、その支配権が、己の手から離れてゆく。

「…………」

変容はそれだけではない。上空に展開していた、地獄から無限に悪魔たちを召喚する魔法陣。ベリアルの印章。
それもまた、まるで紙の上に墨で描いた図案が濡れて滲んでしまうようにぼやけたかと思えば、
瞬く間に崩れ去って消えてしまった。
それは、祈とレディベアが世界中の人々から勇気を、愛を、『そうあれかし』をかき集め、逆転の策として解き放った証。
橘音の奥の手であった五芒星が発動し、龍脈が正しい流れを取り戻した、確かなシグナルであった。
アンテクリストは視線を我が右手に落とすと、幾度か握ったり開いたりを繰り返した。
ブリガドーン空間と龍脈を東京ブリーチャーズに奪い返されたことで、
アンテクリストに唯一神、創造神として無限の力を与えていたパワーソースは消滅した。
また、地上制圧のための先兵たちを供給していた魔法陣もなくなった。
不意に、轟音が響き渡る。そちらに顔を向ければ、それまで空を遊弋し悪魔たちを放出していたフォルネウスが、
赤紫色の靄のような大蛇に喰らいつかれ、投げ飛ばされて墜落してゆくのが見えた。

「し……、終世主様!ご注進……!
 妖怪どもが反撃に転じております!それまで存在しなかった戦力が、突如として大量に……!
 我が軍、押されております!何卒ご指示を――――びぎぃッ!?」

翼を持った悪魔が伝令として状況を伝えに来る。が、アンテクリストはそんな悪魔を一瞥すると、
表情を変えぬままただ視線だけを用い、まるで握り潰すかのようにあっさり殺してしまった。

「……あくまで、終世主に抗うか。泥より生まれし者、その揺籃の夢から滲み出た汚穢ども」

小さく呟く。
かつて父たる神が泥を捏ねて創造した、人間というイキモノ。
あまりに脆く、あまりに儚く。霊的にも物質的にも未熟に過ぎる、幼い魂。
それらが見た夢の産物――妖怪。
今や現代社会に棲む場所を追われ、伝説と御伽噺の中でのみひっそりと存在することを許された、滅びゆく者たち。
そんな者どもに、唯一神たる自分が敗れることなど万に一つもないと思っている。

とはいえ、事ここに至れば見過ごすこともできない。
唯一神の最大にして究極の役割とは天地創造であるが、それを妨げる存在がいるのならば、排除しなければならない。
平らな道を造るため、路上の石を除くように。 

「近付いている……。龍脈の神子、そしてブリガドーンの申し子……」

小さな、だが強いいのちが、ふたつ。
その周囲に、それに従う無数の光。それらがこの都庁を目指しているのが分かる。
かつて自分がベリアルであった頃から、その企みのすべてに立ちはだかり、邪魔をしてきた者たち。
許されざる、神の叛逆者ども。

アンテクリストは大きく五指を開くと、右の手のひらを空へ向けて高々と掲げた。

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」

おごそかに、涼やかに、神々しい威厳を以て、終世主がヨハネの黙示録の一節を紡ぐ。
シュウウ……と音を立て、突き出した手のひらに圧倒的な神の力――神気が収束してゆく。

「この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。
 できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった」

黄金の空が赤熱してゆく。ふたたび、アンテクリストの圧倒的な支配力が勢いを盛り返す。

「ならば――
 終世主が命ず。反創世に抗う者よ、滅ぶ可し。
 ――『そうあれかし』」

カッ!!!

黄金の空を引き裂き、巨大な質量を持った『何か』が降ってくる。
それは、まさに黙示録に記された神の御業。
かつてエジプトを脱出したモーセらエルサレムの民に、父たる唯一神が見せた奇蹟の再現。

「行け。行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に向けてぶちまけよ」

あかあかと燃え盛る、直径50メートルはあろうかという巨大な火球が七ツ、東京都心部へと墜ちてくる――。

308那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/01/23(土) 02:21:03
「あれは……尊き御座におわす天の主のみが使える『神の御業・聖裁七星(ゴッズワーク・セブンシンズ)』……!
 ベリアル様、いや……アンテクリストは……この東京もろとも東京ブリーチャーズを灰燼に帰せしめるおつもりか……!」

悪魔たちと熾烈な戦闘を繰り広げていたミカエルが、天を仰いで絶望的な呻きを漏らす。
東京ブリーチャーズはアンテクリストから龍脈とブリガドーン空間を奪還することに成功したが、
まだまだアンテクリストには神としての力が満ちているらしい。
唯一神アンテクリストの降らせた七ツの巨大な炎の塊が地上に激突すれば、東京都は確実に壊滅する。
それだけは何としても避けなければならない。

正真正銘の神の怒り。かつてまつろわぬ民の悉くを殺戮した、混じりっけなしの『天罰』。
それが今、手を伸ばせば届くほどの距離に近付いている――。

「やれやれ。隕石落としとは、本当に神さまみたいじゃないか。
 あんなにでかい獲物を蹴った経験はさすがにないが……さて。ひとつ気張ってみるかねえ」

ゴゴゴ……と大気をどよもして今まさに墜ちてこようとしている巨大な火球を見上げながら、
ライダースーツを纏った美女の姿を取った菊乃が小さく息を吐き、右手を首筋に添えてゴキゴキと骨を鳴らす。
ミカエルは瞠目して菊乃を見た。

「菊乃殿、何を……!
 あれはまったき神罰!本物の天罰なのです!せめて、民を逃がさなければ……」

「今更どこへみんなを逃がすってんだい?逃げられる場所を残すようなやり方をあのニセ神が取らないってのは、
 アンタが一番よく知ってるだろうさ……ミカエルさん」

「……ぅ……」

正論を返され、ミカエルは俯いた。
そんなミカエルを慰めるように、菊乃が笑う。

「ハン、神罰天罰、結構じゃないか。
 ひとの想いから生まれてたって点じゃ、神も妖怪も根っこはなんにも変わりゃしないよ。
 同じ土俵の上に立ってるなら、あとは気力の問題。やってやれないことなんて、何もないさね!
 それに――」
 
「……それに?」

「孫と娘夫婦が頑張ってるってのに、アタシが楽隠居を決め込むワケにもいかないだろう。
 あの子たちの未来のために――ひとつ、道を拓いてやろうじゃないか!」

だんッ!!と強く地を蹴ると、菊乃は高く高く跳躍した。
そのまま、さながら撃ち放たれた矢のように一直線に大火球のひとつへと突き進んでゆく。
空を蹴って天を駆ける、ターボババアの絶技。それを目の当たりにし、ミカエルもまた大きく背の翼を広げる。

「お待ちを、菊乃殿!ああ、くそ!
 皆、参るぞ!ここが正念場と思え――!!」

ミカエルが率いてきた天使たちに号令し、菊乃の後を追う。
千騎を超える天使たちは流星のように光の尾を引き、火球へと吶喊していった。
そして。

「お父様!!」

同刻。都庁への道を疾駆しながら、レディベアが叫ぶ。
黄金の空を突き破って飛来した七つの大火球、そのうちのひとつが妖怪大統領バックベアードへと降ってくる。

「レディ、前方に注視されよ!」

ハルファスが悪魔を斬り伏せながら鋭く注意を促す。しかし、父親を何より大切に想っているレディベアである。
せっかく巡り会うことができた父親に危機が迫っているとあれば、冷静ではいられない。
と、バックベアードの単眼が妖しく輝く。
レディベアの数百倍の妖力を有する眼光、ブリガドーン空間を統べる瞳術が効果を発揮する。
その結果、バックベアードに向かって墜ちてきた大火球はアンテクリストがミサイルを跡形もなく消し去ったように、
黒い灰となってその形を崩し、砕けて消えた。

「お父様……!よかった……」

レディベアが胸を撫で下ろす。だが、危機が迫っているのは妖怪大統領だけではない。
七ツの大火球のうち、ひとつでも地表に激突すればアウトだ。

『オォオォオォォオォォオォォォオオオオォオオォオオオォォ……』

ヘビ助が巨体を素早くくねらせ、鎌首を大きく振って火球のひとつに喰らいつく。
途端、ジュゥッ……!とヘビ助の口腔の焼ける音が響き渡る。火球の落下する勢いに押され、ヘビ助の蛇体が大きくぶれる。
だが、ヘビ助は決して喰らいついた火球を離さない。太古の祟り神が、終世主の奇蹟に懸命に抗う。
ただ唯一、祈から与えられた愛情に報いるために。

309那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/01/23(土) 02:21:52
「ははは、これは愉快痛快!
 アンテクリストめ、大技を繰り出してきおったな!今まで我らを地を這う虫と思い、見向きもせなんだものが。
 やっと正式な障礙として認識したということかよ――!」

天を割って墜ちてくる七ツの大火球を見上げ、天邪鬼が嗤う。

「笑い事じゃないですよ天邪鬼さん!?
 あんなもの、一発でも喰らったらジ・エンドだ!それが七ツも……誇張じゃなく東京が滅んでしまう!」

「だろうな」

「だろうなって!」

走りながら橘音が突っ込む。
しかし、天邪鬼の態度は変わらない。

「確かに正論、喰らえば一切万象塵芥と帰そうよな。
 ならば喰らわねば善い。喰らう前に我が神夢想酒天流の秘奥にて彼の大陰火、膾に斬って呉れようぞ」

ちき、と仕込み杖の鯉口を切る。

「仕方ありませんね……。ではクロオさん、ハルオさん、颯さん!
 五人であの火の玉を出来るだけ何とかしましょう!」

先頭を走っていた橘音が立ち止まって振り返り、東京ブリーチャーズのリーダーとして決断する。
が、そんな橘音の決定に対し、晴陽がかぶりを振る。

「いいや。橘音君、黒雄さん。ふたりは都庁へ。
 ここは私たちに任せて下さい。祈たちと合流し、アンテクリストを討つことに集中を」

「そうね。橘音、黒雄君、先に行って。
 あの隕石は、こっちで何とかするから!」

晴陽の言葉に、颯が同調する。

「そんな莫迦な!五人で力を合わせたってどうなるか分からないのに……」

「だろうな」

「ちょっ!?天邪鬼さん、ふざけてる場合じゃ――」

天邪鬼のいらえに、日頃はふざける立場の橘音もさすがに気色ばむ。
しかし、今度の天邪鬼の顔に笑みは浮かんではいなかった。

「我らであれを総て平らげようとするから無理だと思うのだ。
 だが、あの七ツのうち一ツくらいなら、我ら三名でも何とかなろうよ。否、してみせよう」

「仮にそうでも、ひとつ撃ち落としたくらいでは……」

「戯け。なんでも己のみで片付けようとするのが貴様の悪癖よな、三尾。
 おいクソ坊主、貴様からも言ってやれ。自分のできぬことは、他の者に任せてしまえとな」

天邪鬼が尾弐の顔を見上げ、それからすぐに視線を外してはるか上空を仰ぐ。
見れば、東京を残らず焦土と化すべく降り注いでいた巨大な七ツの火球たちは、いつの間にか五ツに減っていた。
そして今、遥か遠方で高層ビルに迫る巨大さの赤紫色の蛇が火球をひとつ呑み込む。
呵々と天邪鬼が嗤う。

「それ見ろ、余所の連中も意見は同じらしいぞ。
 各所で一ツを受け持てば、貴様らの戦力を温存したまま大陰火を消し去るも不可能ではあるまいよ」

「でも……」

橘音はまだ逡巡している。東京ブリーチャーズのリーダーは不安げな表情でちらと尾弐を見た。
各々の強さは充分以上に知悉している、しかし。物事には絶対など存在しないのだ。
一度喪い、そして再び取り戻した、大切な仲間たち。彼らの身にもしものことがあったらと、嫌でも案じてしまう。
ただし――そんな懸念も、心より愛する尾弐の説得があればきっと氷解することだろう。
長い長い逡巡と、後悔と、絶望の葉て。
それでも手を取り合って未来を歩いてゆくのだと誓った、最愛の男の言葉があるのなら。

「さあ――征け!
 そして、見事帝都鎮護の役目を果たしてくるがいい!」

「祈を頼みます、黒雄さん。
 ……いいえ、祈だけじゃない……この東京を。
 それが出来るのは私たちじゃない、あなたたち現在の東京ブリーチャーズだけですから」

「ふたりとも、頑張ってきてね!
 みんなの未来を。あなたたちの未来を、守って!」

かけがえのない仲間たちの期待を背に、尾弐と橘音は都庁へ向けて走った。

310那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/01/23(土) 02:22:15
燃え盛りながら墜ちてくる大火球を目の当たりにして、ばけものフレンズたちが慄く。

「んなっ……なんやねん!?
 アンテクリストちゅうんはあないなモンまで出せるんかいな!?聞いとらんで!
 パワーをメテオに!いいですとも!って言うとる場合かボケェ!」

ムジナが唖然としながらも早口でまくし立てる。

「ひええ……無理無理無理無理!カタツムリ!!
 死ぬ!今度こそ死ぬ!おかーさん先立つ不孝をお許しください〜っ!」

「――フン。取り乱すんじゃないよ、みっともない。
 たかが火の球ひとつ!アタシらで押し出してやるよ!」

あずきが狼狽えるのを尻目に、クリスが火球を見上げながら声を張り上げる。
しかし、ばけものフレンズたちは正規の東京ブリーチャーズほどの妖力を持ってはいない。
一体どうすれば――そんな空気が漂う。
そんな絶望的な雰囲気の中、クリスは不敵に笑う。

「なァに、簡単な話さ。
 とどのつまり、コイツは意地の張り合い。気持ちの問題なんだ。
 アンテクリストの『そうあれかし』が勝つか、それともアタシ達の『そうあれかし』が勝つか。
 『この東京を破壊したい』気持ちと『この東京を守りたい』気持ちのせめぎ合い。
 であるのなら!あんなポッと出の神野郎になんて負けるもんか!そうだろ!?
 二軍であっても!正規じゃなくても!アンタらは東京ブリーチャーズだろう――!!」

クリスが皆の顔を見回す。
東京を、この街を守りたいと願う気持ちに、二軍も何もない。
例え妖力がなくたって。悪魔を纏めて屠れるような超常の力がなくたって。
強い想いさえあれば戦うことができるのだ――このブリガドーン空間の中では。

「ああ……かなわんなあ!ホンマ、貧乏クジにも程があるやろ!
 色男にバトンタッチして、後はゆるゆる一服でもしとこかと思ったらこれかいな!」

クリスの叱咤に、やがてムジナが吐き捨てる。

「ワシにはまだまだ、やりたいことがあんねん!オヤジの式神のまんまでくたばれるかい!
 とことんやったるわ……天罰がなんぼのもんやっちゅうねん!」

「あ、あたしも!まだ小豆洗いたい……!」

あずきが同調する。他のばけものレンズたちも、次々に賛意を示す。
クリスは満足げに微笑むと、改めて空を見上げた。

「さあ――ここが踏ん張りどころだ。負ければ滅びる、引けば死ぬ。肚を括んな、野郎ども!」

ぐ、と強く拳を握り込む。その全身を帯のように螺旋を描く霜が取り巻く。
天から降ってくる破壊の『そうあれかし』を、かつてこの街を凍てつかせた妖壊と。それを阻止しようとした妖怪たちが守る――。

「ゲハハハハ、悪魔の群れの次は隕石とはな。
 アンテクリスト……あのクソ道化も必死と見えるぜ。なあァ?山羊の王」

ばけものフレンズたちが火球に立ち向かっている頃、
杉並区の避難所前ではロボが引き裂いた悪魔たちの屍の山の上に胡坐をかき、墜ちてくる神罰を眺めて嗤っていた。

《如何にする、旧き狼の王》

無数の眷属と共に屍の山の隣に立つアザゼルが問う。
ハ、とロボはせせら笑った。

「ぶち壊す」

《……だな》

簡潔極まる返答に小さく笑みを漏らす。天から降り注ぐ大火球をどうするか、そんなことは最初から決まっている。
完膚なきまでに――木端微塵に破壊し、この東京を守る。
自分たちが認めた新たなる獣の王のため、すべての獣たちの未来のため。

「さアてと……やるか!」

ぱんっ!と胡坐をかいていた右の太股を叩き、勢いをつけて立ち上がる。
大火球は既に目前に迫っている。アザゼル率いる千頭を超える山羊と、狼王ロボ。獣の軍勢が未曽有の脅威と対峙する。
と、そのとき。

「――ほォ」

不意に現れた新たな気配に、ロボは目を細めた。
山羊の群れの中央が十戒さながらに割れ、その奥から何者かが悠然と歩いてくる。
やがて姿を見せたのは、赤茶けた錆色の毛並みを持つ2メートルほどもあろうかという巨狼。
その傍らには小さなすねこすりが寄り添っており、二頭の後ろには狼の群れが付き従っている。

「お前は……そォか、ポチの。
 ああ、そンならここに参戦する資格充分だぜ。
 それじゃあ、ひとつ気張るか――全員、気ィ入れやがれ!!」

《応!!!》

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――――――――――ン!!!!」

ロボの号令一下、アザゼルが雄々しく応じ、巨狼が咆哮する。
種族の垣根を超えた獣の大軍が、神罰に挑む。

311那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/01/23(土) 02:25:54
「おお……!祈!戻ったか!」

都庁前。
祈とレディベア、ハルファスとマルファス、コトリバコらが到着したのを見た安倍晴朧は髭面に喜色を湛えた。
東京ブリーチャーズが結界構築のため都内各所に分散してからというもの、
迷い家の守護や避難者の誘導などに人員を割いた残りの陰陽寮本隊は、
自衛隊や警察と連携して都庁防衛のため玄関前広場に陣を構築し、その防衛に死力を尽くしていた。
陰陽頭の晴朧以下、晴空も芦屋易子もすでに長時間の戦いによって血にまみれ、その疲労は極限に達している。

「天を黄金色に満たす霊気、そして悪魔めの印章の消滅。
 みなまで言わずとも分かるぞ、見事仕遂げたか!あっぱれよ、祈!」

晴朧は厳つい面貌を笑ませると、祈の両肩に手を置いた。

「祈ちゃん!」

そして、祖父と孫のそんな遣り取りからほどなくして、橘音と尾弐が都庁に到着する。
間を置かずノエルとポチ、シロも仲間たちのところに合流するだろう。

「皆さんの頑張りのお陰で、ボクたちはブリガドーン空間と龍脈の奪還に成功しました。
 もう、アンテクリストは眷属を無尽蔵に召喚できない。悪魔は『今いる分だけ』です。
 そして、龍脈の力を横奪することもできなくなった。彼を斃すには、今しかない。
 ただ――」

橘音が頭上を見上げる。
空を満たす七つの神罰へ、流星のように無数の光が近づいてゆく。
光が接触した大火球の表面に無数の亀裂が走り、その一部が――間を置かずしてその全体がゆっくりと崩壊してゆく。
東京ブリーチャーズに後を託し、各所で火球迎撃を請け負った仲間たちの成果だ。
一つ目は菊乃とミカエルが。
二つ目はバックベアードが。
三つ目はヘビ助が。
四つ目はクリスとばけものフレンズが。
そして五つ目はロボとアザゼル、巨狼たちが破壊した。
だが――偽神の裁きは七つ。
黄金色の空に、禍々しく燃え盛る巨大な火球が。まだ二つ残っている。

「ふむ。では、ひとつは儂らが受け持とう」

晴朧が残る二つのうちひとつの破壊を申し出る。

「なに、何もかもお主らに任せきりというのも、陰陽師の立つ瀬がないのでな。
 少しくらいは儂らも役に立たせてくれ」

そう言って、小さく微笑む。
晴空と易子も、そして他の陰陽師たちも頷く。

「お主ら東京ブリーチャーズの健闘、献身!決して無駄にはするまいぞ!
 今こそ、平安の時代より護国鎮撫のお役目を預かってきた我ら陰陽寮の面目を施すとき!
 総員、丹田の底より法力を絞り出せい!」

「おおーっ!!」

陰陽師たちが鯨波を上げる。

「陰陽頭様、この場にいる陰陽師全員で反射術式を用います。陰陽頭様もご助力を!」

「うむ!」

すぐに陰陽師たちは印契を組み、結界陣を編み始めた。
純粋に破壊力を用いて消滅させるのではなく、大火球の威力を大火球そのものへと跳ね返す術だ。
陣を編んでいる間無防備になってしまう陰陽師たちを、武装した自衛隊員の小隊が防衛する。
これで、アンテクリストの降らせた七ツの神罰は、あとひとつ。

「残りひとつは、わたくしたちが破壊する他ありませんわね……」

レディベアが口を開く。
アンテクリストとの決戦を前に余計な体力と妖力の損耗は避けたいところだが、これ以上仲間たちの力に頼ることはできない。
であるのなら、レディベアの言う通り東京ブリーチャーズとレディベアとで破壊するしかないだろう。

と、思ったのも束の間。

ギュバッ!!!!!

今まさに地上へ大破壊を齎さんとしていた最後の大火球を、突如として飛来した激しく輝く白い閃光が貫いた。
邪な者を、悪を成す者の一切を灼き尽くす聖なる光。
その輝きを、東京ブリーチャーズは何度も目の当たりにしたことがあるだろう。
特に祈とレディベアは、つい先刻までその光に守られていたのだ。

「……ああ……!」

隻眼に大粒の涙を湛え、レディベアは閃光の飛来してきた方向を振り仰いだ。
きっと彼はそこにいるのだろう。祈とレディベアが先ほどまで戦っていた、大田区の避難所に。
聖剣を携え、いつもと変わりのない小さな笑みを浮かべて。

大火球が砕け散る。無数の細かな塵と化し、きらきらと輝きながら消えてゆく。
まだ陰陽寮が対処する火球が残ってはいるものの、これでアンテクリストの降らせた神罰の脅威はほぼ取り除かれた。
とすれば、すべきことはただひとつ。

「―――――行きましょう!!」

高く聳える都庁のツインタワーを見上げながら、橘音が告げる。
今まさに、最後の決戦の時がやってきたのだ。

312那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/01/23(土) 02:31:49
地上160メートル、南展望室の屋上にあるヘリポート。
そこで、最終決戦の相手は東京ブリーチャーズを待ち構えていた。

「――来たか」

トーガ状の長衣を纏い、頭上に光輪を頂き。白く輝く四対の翼を持った、この世界の新たなる神。
“終世主”アンテクリスト。
橘音に天魔アスタロトの業を背負わせ、尾弐に千年の苦患を味わわせ。
ノエルの運命を狂わせ、ポチにつがいを喪う絶望を幾度も体験させた、仇。
すべての因縁の黒幕。

「この私の。神の与えた福音を跳ね除け、反創世の障害たらんと抗う者どもよ。
 愛を。夢を。希望を標榜する者どもよ――」

ゆる、とアンテクリストが両手を広げる。その全身から放たれる膨大な神力が、東京ブリーチャーズ全員に強い圧を掛ける。
ただそこに居るだけで、魂が砕け散ってしまいそうなほどの恐るべき力。神の威光。

「汝らは無価値である。汝らは無意味である。
 汝らの蒔いた種は何物をも芽吹かせず、成し得るすべての行為は徒労に終わるであろう。
 己が行動の無為を知りつつもなお、神への従属と帰服を拒むと言うのなら。
 善い――格別の慈悲を以て、汝らに裁きを与えよう。
 この終世主、みずからの手で」

アンテクリストの表情からは、怒りも。焦燥も。憎しみも。何も読み取れない。
神となったことで、まっとうな生物の持つ感情というものを根こそぎ切り離してしまったということなのだろうか。

「もう、すっかり神であることが板についたって感じですね……」

圧倒的な神気に晒されながら、尾弐の隣で橘音が呟く。
先刻はアンテクリストの姿を見るなり戦意喪失してしまっていたが、今度は苦しげではあっても何とか対峙できている。

「アンテクリスト……いいえ、ベリアル!
 幾ら強がりを言おうと、あなたはもうおしまいですわ!
 お父様のご降臨でブリガドーン空間の制御は取り戻しました、そして龍脈の流れも元に戻った!
 あなたを神たらしめていた力は、既にあなたの手の中には何ひとつ存在しない……!
 神妙に縛に付き、刑に服しなさい!」

レディベアが右手を突き出し、そう高らかに告げる。
だが、そんな降伏勧告などを受け容れるアンテクリストではない。

「ならば取り戻そう、汝らを裁いた後で、緩々と。
 ブリガドーン空間と龍脈の力を欠くとも、まだ我が身の内には世界を三度焼き尽くせるだけの神力が宿っている。
 それを、これより見せよう」

すい、と終世主が右手の人差し指を天空へと翳す。
その途端、ゴゴゴゴ……と都庁が震動を始めた。否、都庁周辺の大地そのものが、そして空気が振動しているのだ。
黄金色の空が、ふたたび極彩色に侵食されてゆく。俄かに不吉な黒雲がかき曇り、稲光が轟く。

「――いでよ。鼎の三神獣――」

荘重に告げる。その言霊に応じ、虚空が激しくうねり、のたうつ。

「これは……どうしたことだ……?」

東京ブリーチャーズとアンテクリストのいるヘリポートの遥か下方、
地上で最後の大火球を迎え撃とうとしていた安倍晴朧たち陰陽師が、空を見上げる。
七ツの大火球のうち、自分たちが受け持とうとしていた最後の火球が、手を下す前に突然ひび割れ始めたのである。
だが、ただ自壊しているのではない。それはあたかも、孵化直前の卵のような。
中から何者かが出現する、そんな予兆だった。

「ピギョオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!」

やがて大火球の中から姿を現したのは、紅蓮の炎に包まれた巨鳥。
ワシやタカなど猛禽類を思わせるフォルムだが、その体躯はすべて燃え盛る炎で出来ている。
翼長は30メートルはあろうか。伝説のロック鳥や不死鳥フェニックスを思い起こさせる、荘厳ささえ感じさせる神の鳥。

「――『天空を統べる者、其は大いなる翼(ジズ・ザ・アルティメット・ワン)』――」

アンテクリストがその名を囁く。鼎の三神獣が一、神の翼ジズ。
更に地面が震動する。一帯の地下に埋設されている水道管が次々と破裂し、マンホールが膨大な水に押し上げられて吹き飛ぶ。
都庁周辺に存在する水という水が、一箇所に。アンテクリストの許へと集まってゆく。
そうして出現したのは、100メートル以上の長大な蛇体と無数の鰭を持った、水で出来た海竜。

「キュワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」

「――『蒼海を覇する者、其は煌々たる鱗(レビヤタン・ザ・インヴィンシブル・ワン)』――」

レビヤタン。
旧約聖書、ヨブ記にしるされた、海を統べる獣。巨大なるもの、神の鱗。
そして三度地表が鳴動すると、今度は悪魔たちの襲撃によって倒壊した家屋やビル、
壊れ打ち捨てられた自家用車やバスなどの残骸がメチャクチャに寄り集まり、何かの形を作ってゆく。
頭部に巨大な一対の角を有した、巨大な四足獣の姿を。

「ギュゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!」

「――『大地を束ねる者、其は蹂躙する獣(ベヘモット・ザ・アブソリュート・ワン)』――」

ベヘモット――ベヒーモス、バハムートとも呼ばれる、天地開闢の獣。神の牡牛。
それぞれが空、海、陸を示す、其れらはまさに神の働きそのもの。
炯々と双眸を輝かせながら、神の背後に神獣たちが控えた。

313那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/01/23(土) 02:35:59
旧約聖書に記された、かつて神が世界を創る際に先ず造り上げたと言われる、三体の獣。
それらを模した怪物たちを傅かせたアンテクリストが、掲げていた手を下ろす。
そして――

「往け」

獣たちに指示を下した。

「ビョゴォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!」

炎の巨鳥ジズが翼を一打ちし、ノエルめがけて突進してくる。
灼熱の獄炎によって構成されたジズの躯体は、近付いただけでも周囲の空気を燃やし肺腑を焼く。
さらにジズは紅蓮の焔をヘリポートへと吐きつけた。すぐさま、ヘリポートが炎に包まれ地獄の様相を呈する。
ノエルが氷雪の力で仲間たちを護らなければ、待っているのは即時の全滅だ。

「ギシャアアアアア――――――――――ッ!!!!」

水が海蛇めいた竜の姿を取ったレビヤタンが空を悠然と泳ぎながら、尾弐と橘音めがけて全身から圧縮した水流を放つ。
この世界で最も鋭利な刃は、日本刀でもレーザーでもなく水である。
超高圧で噴射される水流、ウォーターカッターはダイヤモンドさえもベニヤ板のように両断する。
そんな超々圧縮された水を、全身から尾弐と橘音めがけて放っている。むろん喰らえば一撃死であろう。
また、水で構築された身体は物理攻撃の悉くを無効化する。ただ殴るだけでは無意味ということだ。

「くッ……!このッ!!」

五本の尾を現出させ、橘音は妖力をフル回転させて空を駆け回避に専念する。
最後の戦いだ、今更出し惜しみはしていられない。

「グルルルルルルルアアアアアアアアアアッ!!!!」

地表では60メートルはあろうという巨体を突進させ、ベヘモットが都庁に体当たりしている。
スーパーストラクチャー方式で耐震性に優れる都庁が、巨獣の吶喊によってギシギシと軋む。
このままでは、遠からず都庁は倒壊するだろう。高さ163.3m、延床面積139.950 m2の建物が倒壊すれば、その被害は計り知れない。

「あなた!」

シロがポチに目配せする。
大地を蹂躙する獣を制することができるのは、狼の王たるポチだけであろう。
そして――

「恐れるな。私は初めであり、終わりである。
 私に身を委ねよ、運命を委ねよ。命を委ねよ――」

周囲の熾烈な戦いをよそに、アンテクリストが祈とレディベアに朗々と告げる。
その言いざまはまさに神。衆生を救済し、進むべき道を示す全能神のように見える。
が、それは偽りである。この神が差し伸べる手を取ったが最後、待っているのは破滅だけだ。

「ゆきますわよ……祈!
 あなたとわたくしが組めば、斃せぬ敵などありません!
 それがたとえ、全知全能の神であったとしても!!」

龍脈の神子と、ブリガドーンの申し子。
共に世界を改変する力を持つ、この惑星でただふたりの少女。
そんな絆の強さを確かめるように、レディベアが言い放つ。

「――――来い」

祈の攻撃を、アンテクリストが迎え撃つ。
ターボモードとなり、龍脈の力を行使する祈の攻撃を、アンテクリストは危なげなく捌いてゆく。
そして一瞬の隙を衝き、祈の鳩尾にそっと右手を触れさせる。
次の瞬間、ドンッ!!!と神力が膨れ上がって弾ける。ゼロ距離で腹部に爆弾をお見舞いされたような衝撃が祈を襲う。
さらに、吹き飛んだ祈へ神が追撃する。金色に輝く髪を靡かせ、四対の翼を羽搏かせて、一瞬で間合いを詰める。
しかし。

「やらせませんわ!!」

レディベアの瞳術。アンテクリストの身体が一瞬だけ強張る。

「ふん」

神が身じろぎする。パキィンッ!という澄んだ音を立て、瞳術が弾かれる。
アンテクリストの動きが鈍ったのはほんの一瞬だが、祈が体勢を立て直すにはそれで充分だろう。

「わたくしの瞳術が、足止めにさえならないなんて……」

「落胆することはない。神の前には、すべてが無益。
 それをこれから教えてやろう。汝らの断末魔の叫びが、千年語られる地獄の伝説と化すそのときまで――」

祈とレディベアの前方で、アンテクリストが傲然と言い放つ。
その全身から、まばゆいばかりの光が放たれている。
ふたりの少女の心と身体を完全に破壊し尽くそうと、その酷薄な両手を緩く広げる。


決戦の火蓋は、切って落とされたばかり。

314多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/01/27(水) 23:47:53
 ハルファスとマルファスが、悪魔で埋め尽くされた道をレイピアで文字通り斬り開いていく。
そうして開いた道を、祈とレディベアが押し広げながら続いた。
龍脈の神子とブリガドーンの申し子を止めるべく後方から迫る悪魔たちは、殿を務めるコトリバコたちが防いだ。
 そうしてどうにか都庁が見えるところまでやってきた。

「もうすぐ都庁だ! みんなもう少しがんば――なんだあれ!?」

 そんな折、走りながら祈は空を仰いで言う。
バックベアードの顕現で黄金色に染まった空が、
今度は夕焼けのごとく、灼熱色になっていくのが見えたのである。
天に突如として出現した、七つの火球によるものだった。
 天上に輝く赤々とした七つの火球は、徐々に大きくなり、地表へと迫ってきていた。
離れているのではっきりとはわからないが、
何十メートルもある巨大な炎の塊のようで、地上にいてもその熱をじりじりと感じる。
まるで太陽が落ちてきているかのようだった。
あんなものが一つでも落ちれば、それだけで甚大な被害が出る違いない。
視認できないが、あれがただの火球ではなく、岩石を内包する隕石であれば、
それが衝突したことによる衝撃も加わる。東京が滅んでしまってもおかしくなかった。

「アンテクリストのやつ――!!」

 こんなことができるのはアンテクリストぐらいであろう。
おそらくアンテクリストも、自身が制御していた力が奪われたことに気づいたのだ。
故の、人々をより恐怖に陥れるための次なる一手か、時間稼ぎか報復か。
 ともあれ、七つの火球はばらばらの場所に向かっている。
そのうちの一つは。

>「お父様!!」

 妖怪大統領のもとへ向かっていた。
妖怪大統領は巨大なので、遠目にもそれがわかってしまう。
それを察知したレディベアが、悲鳴にも似た声を上げる。

>「レディ、前方に注視されよ!」

 前方で悪魔を切り伏せながらハルファスが注意を飛ばすが、レディベアの気はそぞろだ。
顕現したバックベアードはレディベアにとって真実の父親だ。
火球によって焼かれはしまいかと、気が気でない様子だった。
 それを見て一瞬、祈も戻るべきかと思わされた。

「安心しろよ、モノ。だって、あそこにいるのおまえの父ちゃんなんだぜ」

 だが、祈は思い直す。
彼は東京や世界、みんなの希望を受けて顕現した妖怪大統領なのだ。
そして現在、アンテクリストによって広げられた、広大なブリガドーン空間の支配権をも有している。
 つまるところ、こんな火球ぐらいなんてことはないのだからと。
 事実、妖怪大統領が一睨みし、その瞳術を浴びせただけで火球は黒い灰となって消失してしまった。

>「お父様……!よかった……」

315多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/01/27(水) 23:48:11
「次の問題はこっちの火の玉だな。たぶんあたしら狙ってんぞ、これ」

 都庁上空あたりからも火球が一つ迫っている。
おそらく祈たちを合流させまいとして放たれたものだろう。
龍脈によって能力が引き上げられている祈であっても、
さすがにあれほどの火球を受け止めたり押し返したりできるだけの力があるかどうか。
いやしかし、どうにか蹴り飛ばすしかないと祈が覚悟を決めたとき。
 フォルネウスを?み倒したヘビ助が、ぐあっと口を開け、巨体をうねらせた。
そうして、天に体を伸ばすと、火球をその巨大な口で受け止めたのである。

「ヘビ助!? やめろ、危ないぞ!!」

 都庁が近い今、巨大な火球がヘビ助の口を焦がして上がる煙はよく見えた。
口が灼ける音すらも聞こえてくるようである。

「ヘビ助!! あたしがどうにかするから! ぺってしろって!!」

 おそらく祈の言葉もヘビ助に届いているだろう。
だが、ヘビ助は火球を離さない。
火球の勢いに押されて潰れそうになっても、口内が灼熱に焼かれて痛くても。
そしてついにヘビ助は、火球を?み砕き、無力化する。
 呼吸が苦しいのだろう、焼け焦げた口を開けて、荒く呼吸を繰り返している。
 今でこそ巨大なヘビではあるが、本来は転生した小さな子蛇に過ぎない。
舌をペロリと出す姿も愛らしい、そんな子蛇なのだ。
 その口が焼かれる姿が哀れで、そんなことをさせる自分がふがいなくて。
涙が出そうになりながら、祈は都庁の敷地内へと到達する。

「ヘビ助!」

 群がってくる悪魔たちを払いのけながら、
祈がそのままの足でヘビ助のすぐ近くまでやってくると、
ヘビ助は妖力を使い果たしたように、大蛇の姿からいつもの子蛇の姿に戻った。
 祈がアスファルトの上に横たわるヘビ助を両手で掬い上げると、
その口は見てわかるぐらいに焦げ付き、火傷を負っているのがわかった。
また、疲れ果てている様子でもある。
 
「ごめんな、ヘビ助……! ありがとうな……」

 そういって祈がヘビ助を指先で撫でてやると、
ヘビ助はチロリと舌を出して、一時目を閉じた。

316多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/01/27(水) 23:52:44
 ターボフォームの変身が解けながらも祈は、ヘビ助を手に持ったまま、
レディベアやハルファス、マルファス、コトリバコを伴って、都庁内の玄関前広場へと戻ってきた。
 仲間たちと再会を約束した場所。
そこでは安倍晴朧をはじめとする陰陽寮の面々、自衛隊や警察が陣を敷き、防衛に努めていた。

>「おお……!祈!戻ったか!」

「晴朧じーちゃん!」

 安倍晴朧は孫の祈を見つけると、喜色を浮かべて迎えてくれた。
いつ終わるとも知れない悪魔の侵攻を、
印章からほど近くアンテクリストの直下という最前線で食い止めていたことを考えれば、
疲労は極限に達しているであろうに。

>「天を黄金色に満たす霊気、そして悪魔めの印章の消滅。
>みなまで言わずとも分かるぞ、見事仕遂げたか!あっぱれよ、祈!」

「へへ……あたしだけががんばったんじゃないけどね。
みんなのおかげだよ。ハルとマルとコトリバコたちも手を貸してくれたし」

 祈の肩に手を置き喜んでくれる晴朧に、祈ははにかんだ。
そして、ここまで連れてきてくれた仲間を見遣って、目線で晴朧に紹介する。
そして、一呼吸おいて周囲を見渡すと、

「みんなはまだ戻ってきてない?」

 と切り出し、表情を引き締めた。
祖父もいる安全地帯に戻ってわずかに気が緩んだが、危機は終わっていないのだ。
おそらく仲間たちが対処してくれたと見えて、いくつかの火球は消えているが、
天にはまだ火球がいくつか残っている。
アンテクリストを倒すのだってこれからだ。
 仲間たちの力が必要だったし、安否が気になっていた。

>「祈ちゃん!」

「橘音!」

 そこへ姿を見せたのが橘音と尾弐である。
もし尾弐がヒーロースーツを纏っているような状態のまま現れたのであれば、
「えっ……尾弐のおっさんかこれ? なんかずるい……かっこよすぎる……」とか呟いているだろう。
そのままなら、「尾弐のおっさんもおかえり!」とでも言うだろう。
ほぼ同時にノエルやポチ、シロも戻ってきた。
おそらくは各所で壮絶な戦いがあったはずだが、五体無事で生き残っている。
仲間たち全員が無事だったことに祈は安堵を覚える。

「ポチもシロも……御幸も無事だったんだな。よかった」
 
 合流して安否を確かめ合ったブリーチャーズ。
しかし喜んでいる時間はそうなく、橘音はすぐに作戦会議を始めた。
 祈は、ローランの犠牲はありながらも、レディベアの復活に成功したこと。
そして妖怪大統領を顕現させ、その影響でハルファスやマルファス、
コトリバコやヘビ助といった援軍が得られたことなどを共有している。

>「皆さんの頑張りのお陰で、ボクたちはブリガドーン空間と龍脈の奪還に成功しました。
>もう、アンテクリストは眷属を無尽蔵に召喚できない。悪魔は『今いる分だけ』です。
>そして、龍脈の力を横奪することもできなくなった。彼を斃すには、今しかない。
>ただ――」

 そういって橘音が見上げる先に、火球が二つ残っていた。
ほかの火球に比べると随分とゆっくりだが、確実に落ちてきている。
 この火球をどう対処するかが問題だった。
仲間たちと力を合わせればどうにかすることも可能だろうが、まずは時間の問題がある。
今は祈たちが優勢に見えなくはないが、相手はあのアンテクリストだ。
火球を放った狙いが時間稼ぎであれば、その対処に追われてしまうのは得策とは言えないだろう。
時間が経てばなんらかの手を打たれて、いつ劣勢に追い込まれるかはわからない。
 また、これからの戦いを考えれば、極力妖力は温存しておくべきでもあった。

317多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/01/27(水) 23:57:28
>「ふむ。では、ひとつは儂らが受け持とう」

 そこで、安倍晴朧の申し出で、陰陽寮が一つ受け持ってくれることになった。
任せきりでは立つ瀬がないといって、疲労はピークであろうに、陰陽師たちとともに意地を見せてくれるようだった。
 安倍晴空と芦屋易子たちの姿もそこにある。

「ありがと。じーちゃん。陰陽寮のみんなも」

 これで残りは一つ。

>「残りひとつは、わたくしたちが破壊する他ありませんわね……」

 それを見て、レディベアが呟くが。
その残された火球目掛けて、白く輝く光の刃が空を走っていくのが見えた。
暖かく優しく、そして邪悪を容赦なく滅ぼす恐ろしさを持つその光は。

>「……ああ……!」

 不抜にして不敗の刃(インビジブル・デュランダル)。
その聖光に違いなかった。

「ローラン……ブリガドーン空間の力で復活したんだ……!」

 その光の刃が、デュランダルの突き立つ大田区方面から飛んできたことも加味すれば、
ローランであることは疑う余地がない。
 人の思いを強く反映させるブリガドーン空間の特性が、
彼の強い思いを秘めた命をこの場に呼び戻したのだろう。
ハルファスとマルファス、コトリバコやヘビ助といった援軍をよこすだけの奇跡が起こる空間なのだ。
それぐらいのことはあり得る。
 光の刃は火球に届き、火球を粉砕。あとはキラキラと輝く火の粉が散り、消えゆくのみであった。
これでもう火球の心配はしなくていい。

>「―――――行きましょう!!」

 都庁のツインタワーを見据え、橘音がいう。
最終決戦へ向かう刻がきたのである。祈は橘音に続くべく、ここまで導いてくれた者たちに向き直る。

「ハル、マル。コトリバコたちも。ヘビ助と……人間や妖怪を守ってあげて。
あたしたちはアンテクリストのやつをぶっ倒しに行ってくる」

 ハルファスにヘビ助を託すと、祈はその手を握って、軽く抱きしめた。
おそらくこんな風に気持ちを伝えられることはもうないだろうから。
 ハルファスから手を離すとマルファスにも同様に、次いでコトリバコたちを順番に抱きしめて、撫でてやった。
 時間がないために多くは語らない、静かな感謝と別れであった。
そして、天神細道を潜るにせよ、自分たちの足で都庁を駆け上るにせよ、ともかく祈は仲間に続く。
仲間たちの背中に追いつこうと走りながら、祈はふと思う。

(アンテクリストをやっつけて帰ったら、御幸の作ったかき氷食べたいな。またみんなで、今度はモノも連れたりして)

 その店主のノエルは、そういえば。

(そういえば御幸のやつ。モノと幸せにならなきゃとか結婚とか、よくわかんないこと言ってたな。
多分またなんか勘違いしてんだろうなー。御幸だし)

 仲間たちに追いついて、祈はノエルの横顔を見ながら考える。
『君もレディベアと幸せにならなきゃいけないんだからね!?』とか、
『クラスメイトが言ってたよ、もうアイツら結婚すればいいって!』とか言っていたノエル。
 そのときは、意味も分からずに「……は?」と返し、
困惑しているうちに背中を叩かれてやり取りも終わってしまったが、
天神細道を潜る前に、それとなく寂しげな顔をしていたのは祈も覚えているから。
 髪についている、ノエルが贈ってくれた髪飾りを指でそっと撫でて、
戦いが終わったら、その時の誤解をきちんと解いてやろうと祈は思った。

318多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/01/28(木) 00:01:09
 一行は再び昇る。
一度はその力に恐れおののき、逃げ出したはずの都庁を。
そして向かう。
終世主アンテクリストが待ち受ける、南展望室の屋上へと。

>「――来たか」

 南展望室の屋上で、アンテクリストは静かにこちらを待っていた。
 トーガ状の白い長衣、頭上に輝く光の輪。まばゆく輝く四対の翼。
神が手掛けた美貌も合わさり、その姿には人が見入るだけの魅力がある。
ここが都庁の屋上、ヘリポートであるにも関わらず、絵画でも眺めているような錯覚を覚える。
美貌を備えた圧倒的な存在感。悪の救世主。アンテクリストがそこにいる。

「戻ってきたぜ。今度こそおまえをぶっ倒しに」

 ブリーチャーズにとって、人々にとって、許してはならない敵。
祈は宣戦布告とばかりに、そう返した。

>「この私の。神の与えた福音を跳ね除け、反創世の障害たらんと抗う者どもよ。
>愛を。夢を。希望を標榜する者どもよ――」
 
 アンテクリストは両手を広げる。それは緩やかな動作だった。
だがその体に満ち、溢れ出す膨大な神力が、
一見してこちらを歓迎しているようにすら見えるその動作でさえも、脅威に感じさせた。
 一挙手一投足に注意を払わざるを得ない、神といって差し支えない圧倒的な力。
魂さえも潰されて、壊されてしまいそうな感覚。これが神に作られた最高の天使の圧。
しかもまだ本気ではないことに、肌が粟立つ思いだった。

>「汝らは無価値である。汝らは無意味である。
>汝らの蒔いた種は何物をも芽吹かせず、成し得るすべての行為は徒労に終わるであろう。
>己が行動の無為を知りつつもなお、神への従属と帰服を拒むと言うのなら。
>善い――格別の慈悲を以て、汝らに裁きを与えよう。
>この終世主、みずからの手で」

 神に歯向かう愚者に対し、怒りを内包していてもおかしくない物言い。
だが朗々と語るその声色や、表情からは感情を読み取れない。
今の事態を機械的に処理しようとしているような、淡々としたものだった。
己が神に成り代わって世界を終わらせ、新しい世を創る終世主であるという『そうあれかし』が、
赤マントであったときの感情豊かな悪の人格を消し去ってしまったかのようだった。

>「もう、すっかり神であることが板についたって感じですね……」

 そんなアンテクリストを見て、橘音が皮肉っぽく呟く。
アンテクリストを前に逃げ出した臆病な橘音はもういない。
すべては尾弐と、幸せな未来を描くために。
 そんな橘音の様子を見て、祈は安堵する。

>「アンテクリスト……いいえ、ベリアル!
>幾ら強がりを言おうと、あなたはもうおしまいですわ!
>お父様のご降臨でブリガドーン空間の制御は取り戻しました、そして龍脈の流れも元に戻った!
>あなたを神たらしめていた力は、既にあなたの手の中には何ひとつ存在しない……!
>神妙に縛に付き、刑に服しなさい!」

 一度は絶望を味わわされたレディベアも同じだった。
 父が偽りであったという事実を突きつけられた絶望すら乗り越えた。
ここには、その絶対的な力を見せつけられたところで、臆する者も、絶望する者もいない。

319多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/01/28(木) 00:06:54
>「ならば取り戻そう、汝らを裁いた後で、緩々と。
>ブリガドーン空間と龍脈の力を欠くとも、まだ我が身の内には世界を三度焼き尽くせるだけの神力が宿っている。
>それを、これより見せよう」

 天空を指さすアンテクリスト。
瞬間、大地や大気が鳴動し始め、黄金色の空が再び極彩色に塗り替えられる。

「何するつもりだ、てめぇ!」

 一度は火球で大地を焼き払おうとしたアンテクリストである。
地震や嵐を起こして、東京の人々を巻き込むぐらいはやってみせるだろう。
 それを制しようと飛び出し、飛び蹴りを見舞おうとする祈だが、
アンテクリストに攻撃を当てることは叶わず、弾かれてしまう。

「くっ」

>「――いでよ。鼎の三神獣――」

 そしてアンテクリストは三体の神獣を召喚する。

>「――『天空を統べる者、其は大いなる翼(ジズ・ザ・アルティメット・ワン)』――」

 それは、陰陽師たちが処理する予定の、天から落つる巨大な火球を用いて降臨させた、巨大な火の鳥だった。

>「――『蒼海を覇する者、其は煌々たる鱗(レビヤタン・ザ・インヴィンシブル・ワン)』――」

 それは、東京中の水を集めて生み出された、巨大な竜だった。

>「――『大地を束ねる者、其は蹂躙する獣(ベヘモット・ザ・アブソリュート・ワン)』――」

 それは、倒壊したビルや家屋の残骸で組み立てられた、巨大な牛であった。

 ジズ、レビヤタン、ベヘモット。
これら三体の獣は、ユダヤ系の神話や旧約聖書に登場する、天地創造の際に生み出されたとされる神獣たちである。
ジズは空を、レビヤタンは海を、ベヘモットは陸をそれぞれ統べるとされ、最強の獣や完璧な獣などとして語られる。
 巨体故のパワーや頑強さの他、何をも寄せ付けない鱗や高熱の炎、眷属を従わせる鳴き声など、
強力な特殊能力を備えていることがわかっている。
 その攻撃性能の高さは、アンテクリストがいう通り、まさに世界を終わらせることも可能な怪獣であるのだろう。
 世界の終末には食べ物として供される運命であるらしいが、こちらに食べられてくれそうな雰囲気は一切ない。
 アンテクリストの背後に控えるように並び立つ三体の神獣。
彼らに向け、

>「往け」

 アンテクリストは一言、短くそう号令をかけた。
すると。

>「ビョゴォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!」

 最初に動いたのは神鳥ジズである。
標的となったのはノエルだ。
おそらく自身の炎に対抗しうる雪妖のノエルを、一番厄介な相手と判断したのだろう。
その眼はノエルのみを標的として捉えていた。
神鳥ジズがアンテクリストの背後から躍り出て、一直線にノエル目掛けて飛んでいく。

「御幸!!」

 だがその巨体だ。しかも灼熱の炎に覆われているときている。
ノエルのみを狙っての体当たりであったとしても、それは側にいるブリーチャーズ全体への攻撃となる。
羽搏きは突風に。近づいてくるだけで炎は肌や肺を焼き、酸素を奪う。
体当たりが直撃すれば、熱に耐えられても体がその質量で粉々に砕け散るだろう。
 ジズが吐き散らかした紅蓮の炎も、
ノエルが防がなければブリーチャーズ全員が蒸発させられて死んでいたに違いない。
 ジズはどうやら自身の攻撃を防いで見せたノエルに敵意を燃やしたようであり、
引き続き攻撃を続けるつもりのようだった。

 だが、ノエルのカバーに向かうだけの余裕はない。
次いで飛んできたのは神竜レビヤタンだ。
ノエルの氷とジズの炎のぶつかり合いで生まれた水蒸気を、
空を泳いだ際に起こした風で薙ぎ払うと、全身から何本もの“線”を放って見せた。
 幾条もの線は一直線にこちらに向かい、見えた次の瞬間には、都庁のヘリポートに複数の穴を穿っている。
それは尾弐と橘音に向かって集中的に放たれた、ウォーターカッターであった。
細かな分子である水は、超高圧で放てば何よりも鋭い刃となり、万物を穿ち切り裂く。

「尾弐のおっさん! 橘音!!」

 レビヤタンはもともと雌雄一対の神獣であるが、最強の獣であったがために、
繁殖を防ぐ目的で神に雄を殺されてしまったという説がある。
 そんなレビヤタンだからか。種族すらも越えた結びつきを持った番、
尾弐と橘音を集中的に狙うことにしたようである。
 橘音は空中へと逃れ、回避に専念している。
 そして水蒸気に紛れて地表へ降り立った神牛ベヘリットは、都庁に向かって体当たりを仕掛けてきていた。
ただでさえ穴が穿たれてスカスカになりかかっている都庁がガクンと揺れる。
小突かれただけでこの有様である。
このままベヘリットを放置すれば、都庁はすぐにでも倒壊するだろう。
 ベヘリットを止めるために、ポチとシロが飛び出す。

「ポチ、シロ!!」

分断され、レディベアと残された祈。
つまり今、アンテクリストに立ち向かえるのは、この二人だけということである。

320多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/01/28(木) 00:09:34
>「恐れるな。私は初めであり、終わりである。
>私に身を委ねよ、運命を委ねよ。命を委ねよ――」

 だが。二人でもやるしかない。
三体の神獣を召喚したのを見るに、この世界を三度終わらせるだけの力を残しているというのは本当だろう。
 神獣を召喚したことを“一度目の世界の終わり”として数えるのなら、
あと二度、同等かそれ以上のことを行えることになる。
 仲間の助太刀に向かえば、そんなアンテクリストを放置することになり、決定的な隙を生むことになってしまうだろう。
 仲間が神獣を倒して戻るのを信じて、
こちらはアンテクリストに“世界の終わりレベルの攻撃”を仕掛けられないくらいに畳みかける。それが今やれるベストだろう。
そもそも、この偽神を倒すためにきたのだ。自分たちだけでも倒してみせると、祈は思う。

>「ゆきますわよ……祈!
>あなたとわたくしが組めば、斃せぬ敵などありません!
>それがたとえ、全知全能の神であったとしても!!」

「ったりまえだ! いくぜモノ!」

そうとも。
アンテクリストが龍脈とブリガドーン空間の力で無双の力を得たのと同じように、
祈とレディベアが組めば同じことができる。
勝つのは自分たちだと、祈は信じて疑わなかった。
 祈はターボフォームへと変身し、風火輪の炎を噴かせ、アンテクリストに立ち向かう。

>「――――来い」

 諸手を広げ、アンテクリストがそれを迎えた。
 龍脈による強化を受け、祈の能力は極限まで高められている。
筋力、スピード、頑健さ、動体視力、妖力、技の精度、五感――、ありとあらゆる面で、一級のレベルに達している。
 その蹴りを、拳を、アンテクリストは危なげなく躱し、捌いていく。
投げや関節を決めようにも、トーガ状の服を掴ませることはしない。
大人と幼児ほどの技量差。まるで攻撃の軌道をあらかじめ知られているかのような錯覚。
 それでも動じずに慎重に攻める祈だが、僅かに大振りになった蹴りに生まれた微かな隙さえも、アンテクリストは見逃さなかった。
アンテクリストは祈の鳩尾に右手をふわりと当てた。
 それだけでまるで、爆弾でも爆ぜたかのような衝撃が腹を突き抜け、祈の体はくの字に曲がる。

「がっ!!」

 発剄、あるいは神力の爆発か。
衝撃と痛み、そして肺から空気が絞り出されたことで視界に星を散らしながら、祈は吹き飛ばされる。
 吹き飛ばされる祈に、アンテクリストは翼を羽搏かせながら追いすがってきた。
そのまま追撃を仕掛けるつもりだ。

(まずっ――)

 呼吸も整っていない、体勢も整っていない、この状態で追撃を受けるのはまずい。

>「やらせませんわ!!」

 レディベアの瞳から瞳術が放たれる。
瞬間、アンテクリストの動きが止まり、祈が距離を空け、体勢と呼吸を整えるだけの隙が生まれた。

「っ、サンキュー!」

 風火輪を噴かせ、空中で姿勢を整えながら、祈。
ヘリポートに着地し、動きが止まったなら今度はこちらから追撃だと、踏み込もうとするが。

>「ふん」

 パキン、と。アンテクリストは事も無げにレディベアの瞳術を破ってみせる。

>「わたくしの瞳術が、足止めにさえならないなんて……」

 レディベアが相手の動きを止め、祈がボコる黄金パターン。
さすがに神相手には通じないらしい。おそらく二度目は瞬間的に破られるだろう。

>「落胆することはない。神の前には、すべてが無益。
>それをこれから教えてやろう。汝らの断末魔の叫びが、千年語られる地獄の伝説と化すそのときまで――」

 眩い光を放ちながら、アンテクリストが余裕綽々とそう言い放つ。
実際に余力は残されているのだろう。なにせ神に作られた最高の天使だ。
それが何千年もの時を過ごし、経験も積んでいる。
地力も、その後に身に着けてきた実力も、半妖の祈やレディベアとは格が違う。
 だが。

321多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/01/28(木) 00:17:36
「……その伝説の、あたしらが断末魔の叫びを挙げる行の前。
なんて言葉が書かれてるかわかるか? “赤マント”」

 祈は折れてはいない。
着地と同時に風火輪に爆発的に妖力を注ぎ、ウィールに高温の炎を練り上げている。

「『東京ブリーチャーズにビビり散らかしたアンテクリストは、三神獣を召喚して仲間たちを分断することにしました。
そして――』」

 ボールをゴールへと叩き込まんとするサッカー選手のように、後方へと足を延ばして。

「『女の子二人だけになったところを卑劣に狙い、どうにかこうにか断末魔の叫びを挙げさせることに成功したのでした』
って感じだろうぜ!!」

 足を前方へと降りぬくと同時に、炎を切り離す。
祈が得意とする、風火輪の炎を相手へと放つ技、人呼んで『飛炎(ひえん)』である。
 かつてなく巨大な火球となって飛ぶ飛炎を、
アンテクリストが払うか避けるかすれば、火球の陰から祈が現れ、追撃を見舞う。
 必殺の一撃にすら思えるほどの巨大な飛炎は、単純な戦法だが、目眩ましに過ぎなかった。

「おまえ、あたしらが怖ぇーんだろ。じゃなきゃ分断なんてしねぇもんな」

 アンテクリストの眼前には、宙に舞い、既に足を振るう直前の祈。
 空中で風を掴み、軸足となる左足を安定させる。
そして風火輪の加速と体のばねを使い、足のつま先だけを、瞬間的に極限の速度へと高め、音の速度を超えさせる。
ターボババア直伝の必殺の一撃、音速の回転蹴り。『音越(おとごえ)』だ。
炎を纏ったウィールが掠めれば熱を伴う斬撃、裂いた空気が迸れば衝撃波という三重の一撃でもある。
 直撃したか防いだか、いずれにしてもアンテクリストはその蹴りで吹き飛ばされることになるだろう。
やや下方向、ヘリポートに叩きつけられ、砕けたコンクリートが粉塵となり舞う。

「ミサイルは防いでたし、あたしの攻撃も捌いてた。
モノの瞳術も解いてたよな。“攻撃を直に食らえばダメージを受けるから”だ!
それって、おまえは無敵でもなんでもなくて、倒せるってことだろ!!」

 アンテクリストが無敵の怪物であれば、防御はそもそも必要ない。
傷つかない肉体は守る必要性がないからだ。
だがアンテクリストはミサイルを防ぎ、ブリーチャーズを分断し、祈の攻撃も捌いた。
つまり、その神を模して作られた肉体は、不死身でも無敵でも何でもないということ。
不意を突いてでも、限界を超えて早く動いてでも、攻撃を当て続ければいつかは倒せる。
 祈の攻撃は一発一発がミサイルまでとはいかないが、対物ライフルぐらいの威力はある。
そこそこのダメージにはなるだろう。
 祈はさらに、その場で空を幾度も蹴った。
音速に至る蹴りと、高速回転させたウィールとが生み出す衝撃波の刃、人呼んで『風刃』。
笛の音のように甲高い音を立てながらカマイタチとなって、アンテクリストへと殺到する。

「ビビってんなら降参したらどうだ、赤マント!
じゃないと、おまえが倒れるまであたしらはいくらでもやってやんぞ!
――モノ! 畳みかけるぞ!」

 機械的で隙のないアンテクリストに隙を生じさせるべく、
言葉の暴力も用いながら、祈は空へと一直線に駆け上がる。
 そして粉塵の中に見える人影の頭を目掛け、
右足を伸ばして左足を曲げたライダーキックの体勢で、全速力で落下してくる。

――祈はアンテクリストの行動から、『倒せる敵』であると見なした。
それゆえに圧倒的な力量差を前であっても、折れることなく立ち向かうことができている。
 だが、疑似的な神と化し、終世主としての『そうあれかし』を行動原理として動くアンテクリストの思考は、
祈の想像とは異なる可能性が高い。
 三神獣を召喚したのは神らしく力を見せつけるためであるだとか。
攻撃を防御や回避するのは、人ごときに穢されるのを嫌ってのことだとか。
あるいはこちらに攻撃が通ると誤認させ、より絶望を呼ぶために防御や回避をしているだけで、
本当は攻撃を受けたところでなんのダメージもないだとか。
 そんな可能性は十分にある。
だがそんなことを考えもせずに、祈は蹴りを見舞うために、勢いをつけて落下してきていた。

【勝機が見えていないのにべらべら喋って攻撃しまくる、ある意味三下ムーブ。逆襲される準備は万端】

322御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/02/04(木) 00:36:34
もうすぐ都庁へ到着するという頃、突如として天に七つの燃え盛る火球が出現する。

「あわわわわ、どうしよう……!」

が、最後まで残って御幸を送り届けていたカイとゲルダは、平然と御幸を最終決戦に送り出そうとする。

「ここまで来れば大丈夫でしょう。姫様、行ってください」

「全然大丈夫じゃないよ!?」

「この空間では大抵のことは気合で何とかなるそうです、ほら」

そう言われて空を見上げてみると、火球のうちの一つをバックベアードが消し去るのが見えた。

「それに心強い?援軍も来たようですし……ってか遅いですよ!?」

よく分からない武装をした雪女の一団がどこからともなく駆けてくる。
人間界から密輸入した様々なものに釣られて志願した者達で結成された帝都防衛部隊である。

「サーセーン! 途中で空間が歪んだりいろいろあって雪山から降りてくるのに時間がかかりました〜!」

「まあいいや、あれ止めるの手伝ってもらいますよ!」

カイとゲルダは、雪女の一団を引き連れてクリスやばけものフレンズ達の元に帰っていく。

「マジで結成されてたんだ……」

御幸は暫しの間だけカイやゲルダの背中を見送りつつ呟くと、今度こそ都庁へ駆けて行った。
予想外の一団の登場に場の空気を持っていかれて感動的に送り出される感じにはならなかったが、それでいいのだ。
当たり前のように勝利して明日からも当たり前のように日常が続いていくのだから。

323御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/02/04(木) 00:37:38
.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+

>「さあ――ここが踏ん張りどころだ。負ければ滅びる、引けば死ぬ。肚を括んな、野郎ども!」

「お待たせいたしました、姉姫様。これでも姫様の従者、微力ながら力になれるはずです」

クリスの左右後方に、雪女達を引き連れたカイとゲルダが並び立つ。

「姉姫様、これを――。皆の妖力を集めるなら見た目に分かりやすい方がいい。
超でかい火の玉は超でかい氷の槍で撃ち落としましょう!」

ゲルダから差し出された世界のすべてをクリスが持ち、カイとゲルダが左右から手を添えた。

「みんな! 今からあれを氷の槍で撃ち落とします! 妖力を注ぎ込んで!」

三人が世界のすべてを掲げると、皆の妖力を力に上空に巨大な氷の槍が生成されていく。
隕石に匹敵する大きさになったところで、解き放った。

「「「『超・堅き氷は霜を履むより至る(ハイパー・ラグナロク・アンクンフト)』!!!!」」」

それは現雪の女王の究極奥義の、超巨大バージョンでの再現。
放たれた氷の槍は隕石をあやまたず穿ち、一瞬の閃光と共に対消滅した。

「やりましたね……! 東京ブリーチャーズ拠点防衛班の面目躍如!」

ガッツポーズするカイ。
尚、拠点防衛班はばけものフレンズに含まれるのかまた別の枠なのかは不明である。
そこでゲルダが首をかしげる。

「拠点防衛班といえば……ハクトはどこにいったんでしょう? さっきから見かけませんけど」

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324御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/02/04(木) 00:39:21
都庁前に着いてみると、祈と橘音と尾弐が到着していた。ポチとシロもほぼ同時に到着する。

>「ポチもシロも……御幸も無事だったんだな。よかった」

そう言って仲間の無事を喜ぶ祈の隣には、レディベアがいる。

「祈ちゃん、やったね……!」

が、ローランの姿は無い。祈によると、レディベアを目覚めさすために身を捧げたとのことだった。
しかし感傷に浸っている暇はなく、すぐに作戦会議が始まる。

>「皆さんの頑張りのお陰で、ボクたちはブリガドーン空間と龍脈の奪還に成功しました。
 もう、アンテクリストは眷属を無尽蔵に召喚できない。悪魔は『今いる分だけ』です。
 そして、龍脈の力を横奪することもできなくなった。彼を斃すには、今しかない。
 ただ――」

「あと二つ……か」

晴朧が率いる陰陽師たちが、そのうちの一つの破壊を申し出た。

>「ふむ。では、ひとつは儂らが受け持とう」
>「なに、何もかもお主らに任せきりというのも、陰陽師の立つ瀬がないのでな。
 少しくらいは儂らも役に立たせてくれ」

>「残りひとつは、わたくしたちが破壊する他ありませんわね……」

誰もがそう思ったその時、突如として残る隕石が白い閃光に貫かれて砕け散った。
クリスの復活を目の当たりにしていた御幸は、何が起こったかすぐに理解した。

>「……ああ……!」

「……真のブリガドーン空間ではこんなことがあるみたいだよ」

>「ローラン……ブリガドーン空間の力で復活したんだ……!」

>「―――――行きましょう!!」

橘音の掛け声を皮切りに、一度は逃げ出した都庁へ再び突入する。ついに最終決戦の時が来たのだ。
展望室へと向かう際中、妙に視線を感じた。祈が意味ありげに見ている。

「えっ、何!? 全然気にしてないよ!?
むしろ全部の組み合わせをくっつけるのに関与してるわけだから願ったり叶ったりっていうか。
それに君達二人が並んでると目の保養になるし!」

祈の視線の意味を“あっ、こいつだけボッチや!”とでも解釈したのだろうか。
なんかもういろいろ勘違いしていそうだった。
そのまま南展望室の屋上に到着する。勘違いしたままでも別に戦闘に支障はないので問題はないだろう。

325御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/02/04(木) 00:41:28
>「――来たか」

アンテクリストは神の余裕たっぷりに一行を出迎えた。

>「戻ってきたぜ。今度こそおまえをぶっ倒しに」

>「この私の。神の与えた福音を跳ね除け、反創世の障害たらんと抗う者どもよ。
 愛を。夢を。希望を標榜する者どもよ――」

ただ存在するだけで、並の妖怪なら消し飛んでしまいそうな恐るべき神の威光が一行を襲う。
御幸は、絶対零度の氷雪の王者―― 一切の感情を封印した、現在の世界を維持する機構としての顔になった。
これが唯一神を前にして、恐怖や絶望に呑まれないための最良の策である。

>「もう、すっかり神であることが板についたって感じですね……」

>「アンテクリスト……いいえ、ベリアル!
 幾ら強がりを言おうと、あなたはもうおしまいですわ!
 お父様のご降臨でブリガドーン空間の制御は取り戻しました、そして龍脈の流れも元に戻った!
 あなたを神たらしめていた力は、既にあなたの手の中には何ひとつ存在しない……!
 神妙に縛に付き、刑に服しなさい!」

レディベアが高らかに降伏勧告をするが、素直に聞き入れるアンテクリストではない。

>「ならば取り戻そう、汝らを裁いた後で、緩々と。
 ブリガドーン空間と龍脈の力を欠くとも、まだ我が身の内には世界を三度焼き尽くせるだけの神力が宿っている。
 それを、これより見せよう」

>「何するつもりだ、てめぇ!」

「――させるか!」

祈の飛び蹴りと同時に、とっさに氷柱を放つが、双方いとも簡単に弾かれた。

>「――いでよ。鼎の三神獣――」
>「――『天空を統べる者、其は大いなる翼(ジズ・ザ・アルティメット・ワン)』――」
>「――『蒼海を覇する者、其は煌々たる鱗(レビヤタン・ザ・インヴィンシブル・ワン)』――」
>「――『大地を束ねる者、其は蹂躙する獣(ベヘモット・ザ・アブソリュート・ワン)』――」

召喚されたのは、空・海・大地を統べる三体の神獣。

>「往け」

>「ビョゴォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!」

先陣を切って突撃してきたのは、神鳥ジズ。
残った最後の大火球を元に作り出されたこの神鳥は、燃え盛る炎の巨鳥という姿をしており、空に加えて炎の属性も持っている。
炎が弱点の属性有利が取れる相手と見たのか、炎に対抗し得る厄介な相手と見たのかは分からないが、御幸に狙いを定めているようだ。

>「御幸!!」

「任せといて。輝く神の前に立つ盾《シールド・オブ・スヴェル》!」

326御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/02/04(木) 00:44:20
もはや十八番となった防御妖術で氷のシールドを展開し、初撃は難なく防いだ。
が、初撃はほんの小手調べと思われる。
ジズは紅蓮の焔を吐き散らし、ヘリポートは火の海となる。

「――ダイヤモンドダスト!」

燃え盛る炎を妖力の霧氷で消火する。
ジズは御幸を明確に厄介な相手と認定したのか、勢いをつけるように先ほどよりも上空から体当たりを仕掛けてくる。
勢いを付ければ当然当たれば威力は増す。が、反面その分攻撃の予備動作は長くなるということでもある。

「隙あり! フリーズチェーン!」

ジズの全身に呪氷の鎖が絡みつき、一時動きを封じる。御幸は仲間達を振り向く。

「みんな! 今のうちに攻撃を……あれ」

レビヤタンが橘音と尾弐を襲い、都庁に体当たりをはじめたベヘモットを止めるためにポチとシロが飛び出す。
目下、アンテクリストと直接対峙できるのは祈とレディベアだけとなった。
自信満々な敵は“全員まとめてかかってこい”と言ってくれそうなものだが、
束になってかかってこられるのを避けて分断するスタンスはベリアルの時から引き続きのようだ。
邪魔な仲間達の相手を傀儡にさせ、世界の命運を握る二人を直々に絶望の底に突き落とす魂胆なのかもしれない。

「割とマジでディフェンダーにクラスチェンジしたの失敗だったかな……」

攻撃は他の人に任せる気満々だった御幸は思わずぼやく。
ディフェンダーというのはアタッカーが勢揃いしている中にいればパーティの生存率を飛躍的に向上させるが、タイマンには向かない。マジで向かない。
しかも、特殊な力の発動条件がある御幸にとって、分断の弊害はそれだけに留まらない。

「ええい、エターナルフォースブリザードっ!」

苦し紛れに適当な攻撃妖術を放つが、ジズはそよ風でも受けたような顔をしている。
それもそのはず、御幸はいつの間にやらみゆきになっていた。

「え……あ……うそ……判定厳しすぎでしょ!?」

御幸は、守る対象がその場にいないと現出できない人格。
同じ場にいながらもアンテクリストの明確に分断を狙う意図により、同一戦闘には守る対象がいない扱いになってしまったのかもしれない。
ベリアルだったアンテクリストは、一行の能力を全て把握していると考えるのが自然。
アンテクリストの立場に立ってみれば、御幸を孤立させて瞬時に消しにかかるのは当然かもしれなかった。
呪氷の拘束を難なく振り切ったジズが、再び炎のブレスを吐かんとする。完全に詰んでいた。
コカベル戦を乗り切った屁理屈(?)も今回は通用しそうにない。

「童一人倒して勝てると思うな! 童がいなくたってみんなならやってくれるんだから……!」

開き直ったみゆきは、一番最初にやられる四天王のようなことを宣っている。

――もしも童にも一番の相手が隣にいれば、こうはならなかったのかな……

紅蓮の炎が放たれ、万事休すかと思われたその時。
みゆきのポケットから白くて小さいもふもふした影が飛び出したかと思うと、人型に変化する。

327御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/02/04(木) 00:46:09
「――月暈《ムーンヘイロー》!」

兎耳銀髪の少年がみゆきの前に立ち、月光のような淡い光のシールドを展開して炎を防いでいた。
見慣れた姿よりも少し外見年齢が上がっており、水兵をモチーフにしたような服のうえにみゆきとお揃いのような雪のローブを羽織っている。

「ハクト……!?」

「びっくりした? 玉兎って本当はそんなに弱い妖怪じゃないんだよ」

玉兎とは本来、金烏と対を成し世界の半分を象徴する、神獣に近い側面も持つ妖怪である。
ではなぜ今まで有象無象の弱小妖怪と同程度の力しか持たなかったのか――それは彼がまだ幼体だったからだ。
幼体、とはいっても平和な時代ではずっと幼体のままの者の方が圧倒的に多いので
玉兎になる素質を持つ化け兎、とでも言うべきかもしれない。
飢えた人間を救うために炎に飛び込んだ兎の献身の精神が称えられ、月の神獣に奉られたのが玉兎の発祥とされている。
化け兎が真の玉兎になる条件とは、その伝承のとおり、誰かのために燃え盛る炎に飛び込むこと――
とはいえ流石に本当に炎の中に飛び込んでは丸焼きになってしまうので、炎の燃え盛る戦場に飛び込む、でOK判定なのだろう。

「こんなこともあろうかと君のお姉ちゃんがポケットに押し込んでくれたんだ。
いざという時まで隠れとけって。最初から出てたらぼくも分断されてたかもしれないでしょ?」

「それもそうだ……!」

同一戦闘にパーティメンバーが現れたことで、みゆきは再び御幸の姿になる。

「分かってる。君の一番にはなれないってこと。でも…… 一番の相手じゃなくたって力になれるんだよ。
――ムーンライトシャワー!」

御幸に銀色の光が降り注ぐ。
古来より強い魔力を持つとされる月の力にあやかる、妖力増幅の妖術。

328御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/02/04(木) 00:47:27
「それってどういう……」

「だから君も一番じゃなくたって力になってあげなよ。理由はどうあれ永遠を捧げたんでしょ?
なんかやたら熱心に髪飾り作ってたしね」

「……あれは妖力制御の練習だから!」

「それなら、練習の成果今こそ見せる時なんじゃない?
大丈夫、ここは想いが力になる空間。どんな大作も想いのままさ」

「そう……だね。やってみるよ!」

御幸はもともと、雪の巨人を作り出して傀儡として戦わせる術を持っている。
思い付いた作戦は、それを、そうあれかしの力を借りられるような氷細工で行うというものだった。
御幸は傘を掲げ、空にラクガキでもするように炎の巨鳥を打ち破るためのそうあれかしを描いていく。
炎の巨鳥に対抗するのは、分かりやすく氷の巨鳥。
世界の終末に食べ物として供されるという被食者の属性を持つ者には、やはり世界の終末の時に死者を食らうとされる、捕食者の属性を持つ者を――

「――クリエイト・フレースヴェルグ!!」

作り上げたのは、吹雪をまとう巨大な氷の鷲。北欧神話に謳われる、風を統べる者。
それは精巧な氷細工そのものでありながら、まるで生命が宿ったように翼をはためかせて飛翔する。

「見たか! 雪まつりだったら優勝確実の超大作! いっけえええええええええええええ!!」

炎の鳥と氷の鳥が激突する。

329尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/02/11(木) 22:00:48
天より堕つる禍星。
空を朱く焦がす強大な力の塊。その数七つ。
神々ですらも模倣出来ぬであろう御業は、帝都に散在する終世主に抗う意志を焼き払わんとする。

「こりゃまた随分と滅茶苦茶やりやがるな……腹立ち紛れに都市を滅ぼそうたぁ、まるで餓鬼の癇癪だ」

>「ははは、これは愉快痛快!
>アンテクリストめ、大技を繰り出してきおったな!今まで我らを地を這う虫と思い、見向きもせなんだものが。
>やっと正式な障礙として認識したということかよ――!」
>笑い事じゃないですよ天邪鬼さん!?
>あんなもの、一発でも喰らったらジ・エンドだ!それが七ツも……誇張じゃなく東京が滅んでしまう!」
>「だろうな」
>「だろうなって!」

実際、あの火球の一つでも落下を許せば都市は壊滅するのだろう。
腐っても終世主を名乗る者が放つ技だ。そういう業でそういう権能を有していると観て違いない。
ならば、尾弐達が取るべき選択肢は一つ。

>「確かに正論、喰らえば一切万象塵芥と帰そうよな。
>ならば喰らわねば善い。喰らう前に我が神夢想酒天流の秘奥にて彼の大陰火、膾に斬って呉れようぞ」
>「仕方ありませんね……。ではクロオさん、ハルオさん、颯さん!
>五人であの火の玉を出来るだけ何とかしましょう!」

正直な所を言えば此処での消耗は大きな痛手にはなるが、背に腹は代えられない。
力を惜しんで守るべきものが滅ぶのを座して待つなど馬鹿げている。

「随分腰にきそうな前座だが、仕方ねぇ。派手に暴れて――――」

尾弐は覚悟を決めて口を開き

>「いいや。橘音君、黒雄さん。ふたりは都庁へ。
>ここは私たちに任せて下さい。祈たちと合流し、アンテクリストを討つことに集中を」
>「そうね。橘音、黒雄君、先に行って。
>あの隕石は、こっちで何とかするから!」

しかし、吐き出しかけたその言葉は晴陽と颯の二人に遮られた。
彼等は当然の様に口にする。自分達が、何とかすると。
天邪鬼も含めて3名が語る言葉を聞いた尾弐は始めは怪訝な顔をしていたが、やがて……遅ればせながらようやく思い至る。
その言葉の意味に。

>「戯け。なんでも己のみで片付けようとするのが貴様の悪癖よな、三尾。
>おいクソ坊主、貴様からも言ってやれ。自分のできぬことは、他の者に任せてしまえとな」

「ハ!そうだな――全くだ。懐かしい連中に囲まれたせいか、つい自分達で全部やらなきゃならねぇと思っちまってたが」

苦笑を浮かべ、大きく息を吐く尾弐。
そうだ。今の尾弐は。尾弐達は、かつての東京ブリーチャーズではない。

「早く走りてぇのなら祈の嬢ちゃんに。多勢に無勢だったならノエルに。奇襲強襲が必要ならポチ助に」
「出来ねぇ事は、仲間を信じて任せりゃいいんだ――――俺も橘音も、もう一人ぼっちじゃねぇんだから」
「頼れる仲間が居るんだからよ」

迷いながら、間違えながら進んできた自分達の手を引いてくれた者達がいる。
暗い闇の中で尚、光を見せてくれた者達が居る。

「信じようぜ、橘音。俺達を光の下に引っ張り出してくれた、キレェな連中をよ」

そう言って尾弐は那須野橘音の腕を掴み、天邪鬼達に背を向ける。

>「さあ――征け!
>そして、見事帝都鎮護の役目を果たしてくるがいい!」
>「祈を頼みます、黒雄さん。
>……いいえ、祈だけじゃない……この東京を。
>それが出来るのは私たちじゃない、あなたたち現在の東京ブリーチャーズだけですから」
>「ふたりとも、頑張ってきてね!
>みんなの未来を。あなたたちの未来を、守って!」

「あんがとよ、晴陽、颯、外道丸――――此処は任せた。俺達は、世界を救ってくる」

一歩、二歩。振り返らずに足を前へ。
勝利の誓いを此処に遺し、悪鬼と妖狐がいざ決戦の地へ推して参る。

330尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/02/11(木) 22:03:44
辿り着いた都庁内の玄関前広場には、多くの協力者達が集まっていた。
そしてその中に、異形の妖怪達を伴った少女が一人。

>「祈ちゃん!」
>「橘音!」

多甫祈。絶体絶命の状況を打破する鍵となった、東京ブリーチャーズが一員。
橘音の腕を放して二人の邂逅を見届けて、尾弐は安堵の息を吐いた。
幾ら頼もしい仲間達を伴っていたとはいえ、直接的にアンテクリストの障害となる祈の立ち位置は相当に危険だった筈だ。
それこそ、歯車一つ狂えばこの場に立っていない可能性すらあったに違いない。
にも関わらず無事に――それも、十全以上の結果を携えてこの場に居てくれた。
尾弐は、そんな祈の尽力に労いの言葉を掛けようとして

「祈の嬢ちゃん。よく頑張ったな」
>「えっ……尾弐のおっさんかこれ? なんかずるい……かっこよすぎる……」
「あ?あー……これか。内臓がまろび出そうだったんでやっつけで作ったんだが……そういや、祈の嬢ちゃんはこういうの好きだったな」

向けられた闘気の鎧への憧憬に、思わず視線を逸らして頬を掻く。
必要性が有って装着した外装ではあるが、少し冷静になってみるとむず痒い思いがするのもまた事実。
それでも鎧の下の傷が完治している保証がないので、落ち着いて治療出来るようになるまでは解く訳にはいかず……

「ま……まあ、その話は後だ!ほら、色男とポチ助のお帰りだぜ!」

そう言って露骨に話題を逸らしつつ視線を向けた先には、ポチとノエルの姿。

>「祈ちゃん、やったね……!」
「色男、ポチ助。お前さん達も良くやったな……無事に、生きて戻ってくれて何よりだ」

尾弐は、負傷こそあれ無事に戻ってくる事が出来た二人の肩を叩き、その労を労う。
無事である事を信じてはいたが……それでも、実際にその姿を見れば喜びの感情が沸くものだ。
しかし――喜んでばかりもいられない。何故なら

>「皆さんの頑張りのお陰で、ボクたちはブリガドーン空間と龍脈の奪還に成功しました。
>もう、アンテクリストは眷属を無尽蔵に召喚できない。悪魔は『今いる分だけ』です。
>そして、龍脈の力を横奪することもできなくなった。彼を斃すには、今しかない。
>ただ――」

降り注ぐ業火の災厄は、未だ潰えていないからだ。
天に在るアンテクリストの権能を祓わねば、待ち受けるは破滅のみ。
だが――絶望する事は無い。希望は残っている。ヒーローは、正義の味方は、尾弐達だけではないのだから。

>「ふむ。では、ひとつは儂らが受け持とう」

まず声を上げたのは、陰陽師と自衛隊の人間達。
短き時を生きる人という種が、連綿と紡いできた国を守るという想い。人々の命を守るという想い。
束ねられたそれらの想いは、火球を跳ね返す力となる。
一人が駄目なら二人で。二人が駄目なら三人で。三人が駄目なら、全員で。
これこそが群れとしての人間という生物の力なのだろう。

>「残りひとつは、わたくしたちが破壊する他ありませんわね……」

そしてもう一つの火球であるが

>「……ああ……!」
>「……真のブリガドーン空間ではこんなことがあるみたいだよ」
>「ローラン……ブリガドーン空間の力で復活したんだ……!」

「……奴さん、やりとげたのか」

これについて、多くを語る事はあるまい。
ただ、一人の男が意地と信念を貫き通し、光の奔流が災厄を討ち払った。それだけの話だ。

>「―――――行きましょう!!」
「応っ!!」

眼前の障害は仲間達の尽力によって祓われた。ならば、次は尾弐達の番だ。

331尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/02/11(木) 22:04:16
>「――来たか」

眼下に帝都を見下ろすその場所。東京ブリーチャーズが一度は敗走したその場所に『其れ』はいた。

>「この私の。神の与えた福音を跳ね除け、反創世の障害たらんと抗う者どもよ。
>愛を。夢を。希望を標榜する者どもよ――」

怪人赤マント。天魔べリアル。終世主アンテクリスト。
己が目的の為にあらゆる悪を無してきた人類の天敵にして、かつて人間だった尾弐黒雄を破滅へと導いた仇敵。
絶対の神の様に振る舞うその存在は、唯一神が如く力を放ちながら言の葉を紡ぐ。

>「汝らは無価値である。汝らは無意味である。
>汝らの蒔いた種は何物をも芽吹かせず、成し得るすべての行為は徒労に終わるであろう。
>己が行動の無為を知りつつもなお、神への従属と帰服を拒むと言うのなら。
>善い――格別の慈悲を以て、汝らに裁きを与えよう。
>この終世主、みずからの手で」

尾弐達は、一度はその圧倒的な力を前にして逃げ出す事しかできなかった。
けれど――今は違う。

>「戻ってきたぜ。今度こそおまえをぶっ倒しに」
>「もう、すっかり神であることが板についたって感じですね……」
「薄っぺれぇ板だ。顔面でもぶん殴ってやりゃあ、汚ぇ悲鳴の一つも上げてくれるだろうよ」

>「アンテクリスト……いいえ、ベリアル!
>幾ら強がりを言おうと、あなたはもうおしまいですわ!
>お父様のご降臨でブリガドーン空間の制御は取り戻しました、そして龍脈の流れも元に戻った!
>あなたを神たらしめていた力は、既にあなたの手の中には何ひとつ存在しない……!
>神妙に縛に付き、刑に服しなさい!」

拳を握り、力を込める。
終わりに刃向う準備は出来た。破滅に抗う覚悟も決めた――――未来を掴む意志は掌の中に。

>「ならば取り戻そう、汝らを裁いた後で、緩々と。
>ブリガドーン空間と龍脈の力を欠くとも、まだ我が身の内には世界を三度焼き尽くせるだけの神力が宿っている。
>それを、これより見せよう」
>「――いでよ。鼎の三神獣――」

そんな東京ブリーチャーズとレディ・ベアの宣戦布告を受けたアンテクリストは、けれど感情の色すらも見せずその敵意に対処せんとする。
アンテクリストの声と共に産み出されしは三体の獣。

炎の巨鳥ジズ
水の海竜レビヤタン
神の牡牛ベヘモット

彼の旧き神話に名を連ねる神獣達。
業火が。激流が。破砕が。
世界を創る為に作り出された伝説が、尾弐達の前に立ちはだかったのである。

332尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/02/11(木) 22:04:33
>「往け」

アンテクリストの言葉に従い、巨鳥ジズが業火を吹き放つ。
空気すらも焼き尽くす炎は、幸いにしてノエルの氷雪により防ぐ事が叶ったが

「ちっ、分断されたか!!」

尾弐の言葉の通り、戦局は分断されてしまった。
本来は戦力集中による各個撃破が理想的であったのだが、神の役割を得ても、アンテクリストの謀略の才は衰えていないのだろう。
的確に尾弐達が嫌がる戦況を作らんとしている。
現に……眼前のレビヤタンと尾弐の相性は最悪と言っていい。

「邪魔だ!くたばれ蛇公!――――偽針発勁(ギシンハッケイ)!!」

橘音が回避する事でレビヤタンに生まれた隙を狙い放つ、闘気の針である偽針と発勁の合わせ技。
刺さった針が触れている箇所を発勁の衝撃で吹き飛ばすという力技は、レビヤタンの肉体の一部を破砕するが――――しかし、水で出来た肉体は即座に修復してしまう。
そう。回復ではなく『修復』だ。どうやら彼の水竜に物理攻撃は通用しないらしい。おまけに

「っ……!?オイオイ、こっちの防御は向こうかよ。随分性格悪ぃ性能してやがんなぁ!!」

彼の獣が放つ圧縮された水流――ウォーターカッターは、石や鉄は勿論、尾弐の肉体ですらも容易く切り裂く。
それをすんでの所で回避した尾弐は、自身が纏う闘気の鎧が容易く削られたのを目にして冷や汗を流す。
こちらの攻撃は効かず、敵の攻撃は直撃すれば即死。なんともふざけた話である。

>「尾弐のおっさん! 橘音!!」
「大丈夫だ!直ぐに合流する!今はこっちに気を遣るなっ!!」

乱射される水流を戦闘経験を頼りに回避しつつ、尾弐は祈へと返事を返す。
気休め――という訳ではない。確かに眼前の敵は馬鹿げた程に強力であるが、尾弐と那須野は必死の戦線など何度も潜り抜けてきた。故に

「橘音!手札は血と、黒尾(コクビ)が一度!後は根性だけだ!策を頼むっ!!」

強敵を前にして立ちすくむ事は無い。
餅は餅屋。そして、戦略は帝都が誇る聡明なる狐面探偵・那須野橘音のホームグラウンド。
即断で。全幅の信頼を込め、尾弐黒雄は那須野橘音に『使えるかもしれない』手札を提示する。

一つ目の札は尾弐の身体を流れる悪鬼の血。
普段でさえ毒といえる程の穢れである尾弐の血は、先の闘神アラストールとの戦いの最中に竜の血を浴び、その心臓を齧り、揚句にアラストールの指すらも喰らった事でその濃度を増している。
アンテクリストが呼んだとはいえ、レビアタンは旧約の聖典を祖とするモノ。
人(尾弐)精霊(竜)神(アラストール)の三位一体の毒――――彼の水竜の身体と同じく液体のそれを混ぜてしまえば、効果は見込めるかもしれない。

二つ目の黒尾は言わずもがな。
後一度きりしか使えないが、例えダイヤモンドすら切り裂く水流であろうとそれが指向性を持った攻撃であればそのまま反射してみせる尾弐の奥義だ。
何らかの方法を以て物理攻撃さえ効く様になれば、世界を作った獣であろうと己が牙で自死させて見せる事だろう。

尾弐にはそれらのカードを最効率で用いる事は出来ない。だから託す。
最も信頼できる親愛なる者の頭脳に、生きるために尾弐黒雄は己の命を賭ける。
だから、那須野橘音にも信じて欲しい。尾弐黒雄は、信じた女の言葉を必ず成し遂げる男である事を。

333ポチ ◆CDuTShoToA:2021/02/18(木) 22:18:24
不意に、空に燃え盛る七つの巨星が現れた。
それらはゆっくりと、東京へと落ちてこようとしていた。
直視し難い眩さと、遥か遠くからでも感じる灼熱。
もし、それが地表に辿り着いたら何が起こるのかは――想像に難くない。

「ああ、もう!遠くからネチネチと!」

ポチが立ち止まり、空を見上げ――振り返る。
皆と合流する前に、一つ仕事が増えてしまった――あの星を止めなくては。
正直なところ、ポチはそれを無傷で成し遂げられるとは思えなかった。
ポチとシロの戦技は、狩人の業。生物を殺める為の力だ。
降り注ぐ巨大な星を打ち砕くには――それなりに、無茶をしなくてはならないだろう。
アンテクリストとの戦いを前に、これ以上の消耗は避けたかったが――

>「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――――――――――ン!!!!」

その時だった。背後から獣達の遠吠えが聞こえた。
ロボの、アザゼルの。そして、聞き間違えるはずのない――遠野の山奥で出逢った、あの巨狼の声。

「……なんだよ、もう。来てたなら、顔くらい見せてくれれば良かったのに」

不満げな声。だがポチの口元には微かな笑み。
東京ブリーチャーズに出会い、仲間を得て、愛を知り――今更、父の心が読み取れないポチではない。
今、父に会えば、ポチの中からほんの少しだけ、しかし確実に、負けられない理由が欠け落ちる。
ポチの中にある、物心ついた頃には父親のいなかった――両親を恋しく思う気持ちが、飢えが和らぐ。

それではいけないのだ。飢えは、獣を研ぎ澄ましてくれる。
だから会わない。父はそう決めた。
ならばその決意を、ポチが無下にしていいはずもない。

「行こう、シロ。あっちは大丈夫」

ポチは再び前を向くと、そう言った。



そうして辿り着いた都庁には、既に橘音と尾弐、それに祈が集まっていた。
皆の姿を目にしたポチは、一度すんと鼻を鳴らして、

「あっ……シロ!急いで!ほら早く!」

一瞬だけシロを振り返ると、すぐに前を向いて地を蹴った。

「ふふっ、これでドベはノエっち、だね?」

殆ど飛び跳ねるように橘音達の元に辿り着いたポチは、自分と同じく今しがた都庁に辿り着いたノエルを振り返った。
両手を頭の後ろで組んで、からかうような口調。
傷を負い、疲弊した後だからこそ余裕そうに振る舞う――ポチの癖だ。

>「ポチもシロも……御幸も無事だったんだな。よかった」
>「色男、ポチ助。お前さん達も良くやったな……無事に、生きて戻ってくれて何よりだ」

「いやぁ……実は、結構ヤバかったんだけどね、こっちは……あはは……」

ポチがバツが悪そうに笑うと、シロと手を繋いで、祈を見た。

「ちゃんとふたりとも無事で戻ってこれたのは、祈ちゃんのおかげ……ありがとね」

ポチの尻尾が小さく踊る。
本当なら、祈への感謝は言葉と尻尾の動きだけで表現出来るものではない。
出来れば今すぐ変化を解いて、祈の周りをぐるぐる走り回り、脛をこすりたいくらいだ。
だが今はまだ、駄目だ。まだ王としての自分を緩める訳にはいかない。

334ポチ ◆CDuTShoToA:2021/02/18(木) 22:18:40
>「皆さんの頑張りのお陰で、ボクたちはブリガドーン空間と龍脈の奪還に成功しました。
 もう、アンテクリストは眷属を無尽蔵に召喚できない。悪魔は『今いる分だけ』です。
 そして、龍脈の力を横奪することもできなくなった。彼を斃すには、今しかない。
 ただ――」

橘音が頭上を見上げる。ポチもそれに倣う。
空を占める七つの神罰。それに迫る流星の如き光。
巨星が一つ、また一つと打ち砕かれていく――だが、それも五つで打ち止め。

「やるなら、橘音ちゃんかノエっちだけど……二人ばっかり、あんまり疲れるのも良くないよね」

この状況、正直なところポチには殆ど打つ手がない。
上空から迫る巨大な火球は、当然だが接近すればそれだけで致命的なダメージをもたらす。
『獣(ベート)』の鎧を身に纏い、重傷を負う覚悟で挑んで、やっと破壊出来るかどうか。
祈と尾弐も、ポチよりはマシにしても、無傷での破壊は困難だろう。
となると、適任は橘音とノエル――だが、そうすれば二人だけが大きく消耗する事になる。

>「ふむ。では、ひとつは儂らが受け持とう」

「……一つ丸ごと?」

懐疑的なポチの声――陰陽師達は皆、疲れ果てている。
もし仕損じれば、その被害は計り知れない。
一つ丸ごとと言わずとも、妖力の補助だけでも十分助かる。ポチはそう言おうとして、

>「なに、何もかもお主らに任せきりというのも、陰陽師の立つ瀬がないのでな。
  少しくらいは儂らも役に立たせてくれ」

しかし続く晴朧の言葉に、口を噤んだ。
彼らとて今の今まで命がけの戦いを繰り広げてきた身。
その彼らに、役に立たせてくれとまで言われて、やれるのかなどと聞けるはずがない。

>「お主ら東京ブリーチャーズの健闘、献身!決して無駄にはするまいぞ!
  今こそ、平安の時代より護国鎮撫のお役目を預かってきた我ら陰陽寮の面目を施すとき!
  総員、丹田の底より法力を絞り出せい!」

ましてや、その言葉を口にしたのは陰陽寮という群れの長なのだ。
これ以上の不安視は無礼でしかない。
陰陽寮は、引き受けた使命を必ず果たす。
そこに最早、思考の余地はない。

「……よし、これで残りは一つ」

>「残りひとつは、わたくしたちが破壊する他ありませんわね……」

「だね。橘音ちゃん、僕にも何か出来る事はある?アレに噛み付いたり、引っ掻いたりする以外で――」

不意に、地から天へと迸る閃光が、最後の神罰を貫いた。
ポチが思わず言葉を失って、口をぽかんと開けて、空を見上げる。
それから――その白光が生じた方角を見やる。

>「……ああ……!」
>「ローラン……ブリガドーン空間の力で復活したんだ……!」

「……へっ。カッコつけるタイミング、見計らってたんじゃないだろうな、アイツ」

言葉とは裏腹に、ポチの口元には軽やかな笑み。
死んだと聞かされた、愛と誠意の男が生きていた。
レディベアの目に浮かび、零れた涙からは、深い愛情と喜びのにおいがする。
笑わずにいられるはずがない。

>「―――――行きましょう!!」
>「応っ!!」

「うん、行こう。アイツのお誕生日会も、いい加減飽きちゃった」

335ポチ ◆CDuTShoToA:2021/02/18(木) 22:19:20
 


一度はなりふり構わず逃げ出した都庁を、東京ブリーチャーズは今再び登っていく。
屋上へ近づくにつれて、アンテクリストのにおいは強くなっていく。
ブリガドーン空間の制御を取り戻した今もなお、身の竦むような神気のにおい。
だが――今はもう、獣の本能は逃げろとは言っていない。

>「――来たか」

そして――東京ブリーチャーズは今一度辿り着いた。
四対の翼を広げ、こちらを見下ろす終世主――アンテクリストの前に。

>「この私の。神の与えた福音を跳ね除け、反創世の障害たらんと抗う者どもよ。
  愛を。夢を。希望を標榜する者どもよ――」

迸る神気に晒されるだけで、全身の毛が逆立つ。
呼吸一つにさえ神経がすり減る。

>「汝らは無価値である。汝らは無意味である。
  汝らの蒔いた種は何物をも芽吹かせず、成し得るすべての行為は徒労に終わるであろう。
  己が行動の無為を知りつつもなお、神への従属と帰服を拒むと言うのなら。
  善い――格別の慈悲を以て、汝らに裁きを与えよう。
  この終世主、みずからの手で」

「……へっ、ほざいてろよ」

それでも、吐き捨てるようにポチは唸った。
もう二度と、気圧されてやるつもりなどなかった。

>「もう、すっかり神であることが板についたって感じですね……」
>「薄っぺれぇ板だ。顔面でもぶん殴ってやりゃあ、汚ぇ悲鳴の一つも上げてくれるだろうよ」

>「アンテクリスト……いいえ、ベリアル!
  幾ら強がりを言おうと、あなたはもうおしまいですわ!
  お父様のご降臨でブリガドーン空間の制御は取り戻しました、そして龍脈の流れも元に戻った!
  あなたを神たらしめていた力は、既にあなたの手の中には何ひとつ存在しない……!
  神妙に縛に付き、刑に服しなさい!」

「そうさ。パーティーはもうお開きだ。誰もお前の為にクラッカーを鳴らしちゃくれなかったろ?」

>「ならば取り戻そう、汝らを裁いた後で、緩々と。
  ブリガドーン空間と龍脈の力を欠くとも、まだ我が身の内には世界を三度焼き尽くせるだけの神力が宿っている。
  それを、これより見せよう」

アンテクリストの指先が天空を指す。
都庁が、大地が揺れる。大気が震える。
黄金色の空に再び極彩色が滲む。

>「――いでよ。鼎の三神獣――」

そして生み出されたのは――三体の獣。

紅蓮の炎によって形作られた巨鳥、ジズ。
東京中の水が濁流と化して描き出した竜、レビヤタン。
半壊した東京に散らばる、かつて大地だった物が集い生み出された巨獣、ベヘモット。

>「往け」

アンテクリストの号令の下、三体の獣が吼える。
巨鳥ジズはヘリポートを炎で塗り潰し、レビヤタンは水圧の刃をブリーチャーズへと放つ。
ポチもシロもその場に留まれず、大きく飛び退く。

336ポチ ◆CDuTShoToA:2021/02/18(木) 22:20:34
>「ちっ、分断されたか!!」
>「尾弐のおっさん! 橘音!!」
>「大丈夫だ!直ぐに合流する!今はこっちに気を遣るなっ!!」

「シロ、アレの気を引くよ!」

全身が水で構築されたレビヤタンに物理攻撃は通じない。
となると頼みの綱は橘音の妖術と、その頭脳。
いずれにしてもこの場はほんの数秒でも時間を稼ぐべき。
まだ姿の見えないベヘモットとやらが現れる前に、片を付けなくては。
ポチはそう判断して、レビヤタンへと飛びかかる――

>「グルルルルルルルアアアアアアアアアアッ!!!!」

その直前。不意に響いた咆哮と共に、ポチの足元が激しく揺れた。
都庁そのものが激しく揺らぎ、軋みを上げていた。

「な……なんだ……?」

強い震動の中、ポチはなんとか体勢を整えて、屋上の縁へ。
そこから身を乗り出して、地上を見る。

「……なんだよ、アレ」

見えたのは、体長60メートルは下らない、瓦礫の巨獣。
地上に何かが出現した事は分かっていた。
だが――目の当たりにしたベヘモットの姿は、ポチの想像を遥かに上回っていた。

>「あなた!」

巨獣の突進を受けた都庁が再び揺れる。

「……分かってる!行くよ、シロ!アイツをぶちのめす!」

絶望的な体格差。だが、それでも挑まねば都庁が保たない。
そしてこの状況、悠長に階段を使っている暇などない。
故に――ポチは屋上から飛び降りた。
そのまま右手の爪を壁に突き立てる。
都庁外壁をがりがりと削りながら、ポチは自由落下よりはやや遅く、だが急速に地上へと近づいていく。

>「ポチ、シロ!!」

「心配しないで!すぐに戻るから!」

頭上から聞こえた呼び声に応える――そして、ポチは都庁外壁を蹴りつけた。

「ガァアアアアアアアアア――――――――――ッ!!!」

地上20メートルの高さから、自身の脚力に重力加速度を乗せて、ポチは翔ぶ。
ベヘモットの頭部が目前に達するまで、一秒とかからなかった。
瞬間、ポチは前転――渾身の踵落としをベヘモットに叩き込む。

そして――ベヘモットはまるで動じなかった。
頭頂部を足蹴にしているポチを振り落とそうとさえしない。
ポチとまったく同時に、シロもまた渾身の打撃を打ち込んでいたというのに。

「コイツ……!」

ベヘモットは――あまりにも巨大だった。
加えて、その肉体は瓦礫や自動車の残骸によって構築されている。
ポチとシロの戦技は、狩人の業。生物を殺める為の力――相性が悪すぎる。

337ポチ ◆CDuTShoToA:2021/02/18(木) 22:24:25
ベヘモットが再び都庁へと体当たりすべく、体を大きく後退させる。
足場としているベヘモットの頭頂部が激しく揺れて、ポチとシロはその場から飛び降りた。

「なんだ、お前……どこ見てやがる」

奇しくもポチは都庁を背に、ベヘモットを迎え撃つ形。
ベヘモットは――今もなお、ポチを見てはいない。
ただ再び都庁へと吶喊するべく、重心を深く落としている。

状況は限りなく最悪に近かった。
狼の戦技は、瓦礫を固めて出来た獣には通じない。
単純な力比べをしようにも、体格差はあまりにも大きい。

「……ナメやがって」

それでも、ポチは怒りを燃やした。
王として、ポチは今、決して怯んではならなかった。
たかが瓦礫と廃車を固めただけの、偽物の獣に、狼の王が怯むなどあってはならない。

「お前なんか、ロボとアザゼルに比べれば……これっぽっちも怖くないんだよ」

急激な妖気の昂り。
ポチの胸部から赤黒い血が、『獣(ベート)』の血肉が溢れる。
それはポチの胸から四肢へと急速に広がって、硬化――燻る甲冑を形作る。

「……あのクソ野郎を心ゆくまでブン殴る為に、取っとくつもりだったけど」

『獣』が埋めていた滅びの傷が開く。
全身から溢れるポチ自身の血が――甲冑に燻る炎によって、妖気と混じり合いながら、宙へ踊る。
赤黒い血霧は風の流れに支配されず、正確に半球状に、周囲へ広がっていく。

「先に、お前に見せてやるよ」

「それ」は、ポチが今まで拾い集めてきた、発想の欠片の集大成。
真なるブリガドーン空間の中だからこそ。
東京中の人々に信じられ、東京中の人々を守らんとする今だからこそ叶う、己が奥義の更にその先。

かつて――姦姦蛇螺との戦いで、ポチは不在の妖術に祈を巻き込んだ。
あの時は無我夢中で試みただけだったが――あれは、要は神隠しと同じだ。
己の世界、結界を作り出し、そこに他者を招き入れる。

そして結界と言えば、酔余酒重塔での戦い。
あの時、酒呑童子と化した尾弐が展開した結界と妖術。
血に満たされ、血を媒介にしたそれらは恐ろしく強力だった。

橘音の魂の世界で、彼女と対峙した時もそうだ。
橘音はまさしくその世界の主――神の如く自由自在に力を発揮していた。
自分の世界に獲物を引きずり込む――それは妖怪としては古典的であり、また最上級の戦技と言える。
攻撃の手段としては勿論――援護の手段としても。

「シロ、作戦は――」

王は二人いてもいい。いつだったか、ノエルが己に向けた言葉。
ポチはそれを思い出して――牙を剥くように、笑った。

「――アイツがぶっ壊れるまで、ブン殴るよ」

338ポチ ◆CDuTShoToA:2021/02/18(木) 22:27:09
ポチを中心に、赤黒い夜が広がる。

「オイ、テメエも紛い物とは言え獣だろ。だったら、僕に頭を垂れやがれってんだ」

都庁を破壊せんとするベヘモットは必然、そこへ飛び込んでくる形。

「ここは――『僕らの縄張り』だぞ」

ベヘモットが夜の帳を潜ったその瞬間、ポチの、そしてシロの姿が消えた。
宵闇の中、送り狼はどこにいるのか分からない。
故に、どこにもいない。どこにもいないのだから、傷つけようがない。
故に、どこにでもいる。どこにでもいるのだから、逃げようがない。

二つの状態を自在に選択出来るが故の、一方的、完全同時、全方位からの重連撃。
ポチの奥義、僕の縄張り――それが、二匹分。
送り狼の原点――ニホンオオカミの妖怪であるシロも、この縄張りの力を十全に活用出来る。

体長60メートルの巨獣の突撃は、ポチとシロでは止められない。
だが問題はない。
それが都庁に届くよりも早く――その全身を打ち砕けば、何も問題はない。

339那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/02/26(金) 00:56:56
「我がしもべ、鼎の三神獣は陸海空三界の王。
 汝ら泥より湧き出し泡沫の夢が勝つこと能わず。
 神の威光、神の権能。それを思い知るがいい――」

「くそ……、近付くこともできやしない……!」

レビヤタンの放つ誘導ミサイルじみた無数のウォーターカッターの追撃を曲芸のようなアクロバット飛行で躱しつつ、
橘音が歯噛みする。
レビヤタンは都庁周辺の水道管から噴き出る水によってその巨体を構成している。
都民が使用する水は利根川上流に存在する九つのダムから供給されており、その貯水量は約4億9297万立方メートル。
リットルに換算すると約1400億リットルにもなる。これは事実上、レビヤタンを斃す方法は絶無ということの証明でもあった。
例え今尾弐と橘音が対峙しているレビヤタンを打倒できたとしても、
すぐに水道から新たな水が供給されレビヤタンは『修復』されてしまう。
此方の攻撃は効かない。だが、相手の攻撃は必殺。
やはり、アンテクリストは――ベリアルは恐るべき相手であった。仲間たちと苦難を乗り越え、偽神の力の源を遮断し。
反撃の狼煙を上げてもなお、その強さに驚異を覚えずにはいられない。

しかし。

>橘音!手札は血と、黒尾(コクビ)が一度!後は根性だけだ!策を頼むっ!!

尾弐の鋭い声が、橘音の魂を震わせる。
自分に対して全幅の信頼を置いてくれている、誰より愛しい男の声が。
嗚呼、そうだ。
いつだって、尾弐の声は自分を奮い立たせてくれた。励ましてくれた。力を与えてくれた。
どんなに強い妖壊と対峙したときも、彼の言葉が。声が、背中を押してくれたのだ。
かけがえのない仲間。長い時間コンビを組んできた相棒。
そして――心から信じる男。

尾弐が呼んでいる。自分の力を求めている。
ならば。ならば――
其れに応えないのは、女が廃る。

「オーケイです、クロオさん!やりますよ……ボクのとっておき!
 ボクの術が完成するまで、アイツの相手をお願いします!」

レビヤタンの注意を引き付ける役を尾弐に任せると、ヘリポートに降り立ち徐に胸の前で両の手指を組む。

「霊門開放。疑似神格構築開始。
 貪狼星・開放。
 巨門星・開放。
 禄存星・開放。
 文曲星・開放。
 廉貞星・開放――」

橘音の胸の前で、恐るべき速さで印契が組まれてゆく。
指を複雑に絡め合わせて印契を組み、ひとつの霊門を解放するたび、橘音の尻尾が一本ずつ激しい光を放つ。

「武曲星・開放。
 破軍星・開放。
 左輔星・開放――」

天狐の守護星たる北斗の七星に、輔星と弼星の二星を合わせて九星。
本来五尾の妖狐であるはずの橘音の尾が、六尾。七尾。八尾――と増えてゆく。
術式によって自身の妖気を増幅し、尾を妖力で無理矢理に増やしているのだ。
妖狐は尻尾が増えれば増えるほど桁違いに強力になってゆく。海の王者たる神獣レビヤタンを撃破しようとするならば、
自らも神獣に匹敵する霊格・神格を得るしかない。
しかし。

「……が、ぁ……ぅ、ぐッ……!」

印を組みながら、橘音は苦悶した。
五尾の妖狐が強引に術で妖力をブーストしているのである、本来我が身に釣り合わない莫大な力は、
想像を絶する負荷を齎す。
あと一門、右弼星さえ開放すれば術は成る。が、その一門が開放できない。
橘音単体の妖気と実力では、八尾の妖狐にまでしか格上げが叶わない。
だから――

「クロオさん……!!」

橘音は、助けを求めた。印契を解き、愛しい男へ向けて右手を伸ばす。
ひとりでは抗いがたい苦難であっても、ふたりならば乗り越えられる。
それが、長い長い絶望と後悔の果てに巡り合った、運命の男であるのなら――尚更。
ふたりの手が繋がれる。同時、ふたりの全身から莫大な妖気が迸る。

「ギョオオオオオオオオオオオオッ!!!!」

今にもふたりを攻撃しようとしていたレビヤタンが、その妖気の奔流に圧されて怯む。

「天(てん)の紫微宮、天(あめ)の北辰。
 太微垣、紫微垣、天市垣即ち天球より此岸をみそなわす、西藩七星なりし天皇大帝に希(こいねが)い奉る。
 我が身に星辰の加護を、我らが太祖の力を顕現させ賜え――
 妖狐大変化!」

豁然と双眸を見開くと、橘音はそう言い放った。
そして。

カッ!!!!!

辺り一面を包み込む、まばゆい閃光。
カメラのストロボのようなそれが瞬間、視界を真っ白に染め上げた直後。
都庁上空に、それまでは存在していなかった巨大な『何か』が忽然と出現していた。

340那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/02/26(金) 00:57:26
それは、狐によく似たフォルムを持った体長20メートルほどの獣だった。
体長の倍以上もある長くふさふさとした九本の尾が筋雲のように棚引いているため、全長はもっともっと巨大に見える。
躯体から尻尾まで総体白金色に輝いているが、ただ一箇所だけ。九本の尾のうち一本だけが、まるで闇を固めたかのように黒い。
その姿、纏う妖気はまさに大妖。格の勝負では海の覇者たるレビヤタンにも決して引けを取らない、堂々たる姿である。

妖狐大変化、白面金毛九尾の術。
己の妖力を最大限まで高め、妖狐の究極の姿である白面金毛九尾の妖狐を再現するという、変化術の極致。
ただし、本来であれば仙境に籠って数千年霊気を養わなければ習得できない秘術である。
修行の期間が短かったせいか、橘音は九本の尾のうち八本までしか自前で用意することができなかった。
だから、尾弐を頼った。
『尾弐黒雄』、即ち『弐本目の黒い尾』。尾弐は橘音と並び、御前が帝都守護のために用意した“尾”の一本である。
ならば、白面顕現に尾弐を用いることは至極当然の成り行きであろう。
自前の五本の尾に、妖力で造り上げた三本の尾。それに更に尾弐を加えた、九本の尾。
橘音は己と尾弐の妖力をその肉体ごと融合することで、
この場に惑星の管理者の一柱と言っても過言でない大妖怪を降臨させた。
尾弐以外の相手とでは、この秘術は到底成し得なかった。
想い合い愛し合うふたりだからこそ実現した、それは紛れもない奇跡であった。

「ギシャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」

自身に匹敵する力を持つ存在を認識し、レビヤタンが咆哮をあげる。
が、そんなものはなんの威嚇にも脅威にもならない。

「何とか成功したみたいですね。今、クロオさんとボクは妖術によってひとつに融け合っています。
 ひとりじゃ勝ち目のない戦いだって、ふたりなら。クロオさんとボクなら必ず勝てる!
 最後の最後だ、どうせなら――ド派手に行きましょう!」

尾弐の意識の中に、橘音の声が響く。
レビヤタンが世界の生まれた際に造られた存在なら、白面金毛九尾はその世界の均衡を司る存在。
天地陰陽の理を司る権能を有する大妖だ、海の王者たる獣にも決して位負けはしていない。

「ギュオオオオオオオオ――――――――――ッ!!!!」

レビヤタンが九尾を穿とうと、全身から無数のウォーターカッターを放つ。
が、九尾は耳まで裂けた巨大な口をがぱりと開くと、そこから猛烈な勢いで黒煙を吐いた。
那須野の殺生石伝説で有名な、九尾妖狐の毒気である。しかもただの毒気ではない。
尾弐と融合したことで、その呼気は尾弐の血液と彼の啖った竜の血、そして闘神アラストールの肉を混合した、
世界でも類を見ない高濃度の毒へと変貌した。
毒気の煙幕によって九尾の巨体が覆い隠されてゆく。
ウォーターカッターは切断性に優れる反面、摩擦による減衰性も大きい。
目標に着弾するまでの空気中に多数の粒子がある場合は、摩擦によってその威力が著しく低下してしまう。
九尾の張った高濃度の煙幕によって、レビヤタンの放った超高圧の水流は悉くが無害な飛沫へと変わった。

「と、言っても――さすがにクロオさんに獣の姿で戦えと言うのは、ちょっと無茶ですか。
 それなら……行きますよ!妖狐大変化!」

九尾の狐が光に包まれ、瞬く間にまた別の何かへと変わってゆく。
次に橘音が選んだのは、より尾弐が戦いやすいような姿。
すなわち、今しがたまで尾弐が取っていたヒーロー然とした鎧姿を象った、巨人の姿だった。
ただし、その姿は多少アレンジされている。ヒーローそのものというよりは、そのヒーローが搭乗する巨大ロボ、といった趣だ。
甲冑の腰後ろからは光り輝く八本の尾と、一本の黒い尾が生えている。そこはやはり九尾の狐ということらしい。

「これでどうです?正義のヒーローには、やっぱり巨大ロボがつきものですから!
 名付けて――対神獣用決戦大甲冑・黒尾王!!」
 
ぎん!と尾弐を模した形態に変化した九尾の双眸が、仮面めいた顔貌に造型されたスリットの奥で輝く。
レビヤタンがその水で構成された長大な躯体をうねらせ、あぎとを開いて襲い掛かってくる。
黒尾王の巨体にレビヤタンが絡みつき、ギチギチとその全身を締め上げる。
しかし――

「甘い!!」

橘音が叫び、黒尾王が絡みつく蛇体をむんずと掴む。
そう、『掴めている』。尾弐が単体で攻撃したときにはなんの効果もなく、まさしく水を掴むが如き手応えだったものが、
今度は本物の生きた蛇を握るかのように把握できている。
先の毒煙と同様に尾弐の毒血の力を両手に込め、それを以てレビヤタンの水流の身体を侵食して、
接触可能なものに作り替えている――ということらしい。
むろん、レビヤタンにとっては触れられた場所から直接毒を流し込まれているということになる。それは耐えがたい苦痛であろう。
自身から黒尾王を絞め壊すために絡みついたというのに、あべこべにレビヤタンの方が苦悶することになった。

「ギギィィィィィィィィィィィィィィ……!!!」

黒尾王が手刀を振り下ろし、まるで鰻か何かのようにレビヤタンの胴体をぶつ切りにする。
バラバラになったレビヤタンだったが、すぐに破裂した水道管から新たな水を集め、元の姿に戻って間合いを離した。

「さあ、クロオさん!
 改めて、海蛇退治と洒落込みましょう!!」

終世主の生み出した鼎の三神獣のうち、海を司る獣と真正面から対峙しながら、橘音が高らかに言い放つ。
黒尾王は尾弐の意思のままに動き、生身のときに使用できるすべての技を使うこともできるだろう。
否、願いがすべて現実のものとなる真のブリガドーン空間においては、本来自分のものでない技さえも。
今まで尾弐が闘ってきたすべての相手が使用した技すら使用できるに違いない。

341那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/02/26(金) 00:57:46
「ピギァォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!」

神鳥ジズが御幸とハクトと対峙し、甲高い鳴き声を上げる。
対して御幸が造り出したのは、ジズに匹敵する大きさの氷でできた大鷲――北欧神話の伝説の猛禽、フレースヴェルグ。
二羽の巨鳥が都庁の上空で激しくぶつかり合い、そのたびに烈風が吹き荒れる。
ジズの注意がフレースヴェルグに向いたおかげで御幸は結果的に行動に余裕ができたが、
といってただ単にジズの相手をしていればいいという訳ではない。

「ノエルさん!足場お願いします!」

黒尾王の中から橘音が叫ぶ。
レビヤタンと戦うにあたって妖狐形態から人型形態へと変化した黒尾王はむろん飛行能力を有しているが、
それでも実際に神竜と戦うにはしっかりと踏みしめることのできる足場が必要不可欠である。
尾弐がその力を十全に発揮するためにも、いつまでも空中戦という訳には行かない。
身長20メートルの黒尾王が自在に立ち回るには、ヘリポートは狭すぎる。
ヘリポートと同じ高さで、黒尾王がその巨体を動かすに不自由のない足場の構築を、橘音は要請した。
御幸として覚醒を果たしたノエルなら、数百メートルの氷の足場を造ることも不可能ではないだろう。

「ギィィィィィッ!!!!」

ジズがその嘴から炎を吐き散らす。
ジズの齎す強烈な熱波から祈やレディベア、橘音と尾弐を守るのも御幸の役目だ。
もし御幸がその役目を一瞬でも放棄してしまったら、たちまちヘリポート周辺の温度は数百度にまで上昇し、
仲間たちは熱にやられて死んでしまうだろう。

「ッシャアアアアアアア―――――――ッ!!!」

レビヤタンが全身から放つ水のレーザーも、避けるべきもののひとつだ。
目下レビヤタンの意識は黒尾王に向いているが、
その100メートルを超える長大な躯体から四方八方へ放たれるウォーターカッターは完全な無差別の盲撃ちだ。
例え流れ弾であったとしても、それは喰らえば東京ブリーチャーズであろうと即死するほどの威力を持っている。
ノエルは戦場全体を俯瞰し、仲間たちに都度最適解のサポートをしなければならなかった。

「仲間はぼくひとりじゃないよ。
 そして敵はあの鳥だけじゃない……みんなを守ってあげるんだろ?
 護る力が君の力。それなら――立派に全員、護り通してみせようよ!」

ハクトが御幸に告げる。

「ほら……来るよ!」

ジズとフレースヴェルグの力は互角のように思われたが、神の力を分け与えられた神鳥の方が僅かに勝った。
氷の巨鳥が炎の巨鳥の圧倒的な熱に片翼を溶かされ、真っ逆様に墜落してゆく。
忌々しい相手を撃破したジズは、それを生み出した御幸へと怒りに燃えた双眸を向け、一気に飛来してきた。

「月暈《ムーンヘイロー》!」

ハクトがジズの猛烈な熱を防ぐ。が、元々の質量が違いすぎる。
展開した光の障壁に、瞬く間に細かなヒビが入ってゆく。

「ぅ……」

両手を突き出してジズの熱に抗うハクトの額に、球の汗が浮かぶ。その手に火ぶくれができてゆく。
我が身を挺して火炎から御幸を守るハクトの姿は、まさに御伽噺の玉兎に外なるまい。
そして――そんなハクトのことを護りたいと願う心こそ、御幸に無限の力を与えるもの。

触れるものの悉くを燃やし尽くし、灰燼に帰す神の遣いが御幸へと一直線に突っ込んでくる。
御幸の大切なものを、愛するものを、すべて奪おうとやってくる。
押し寄せるのは理不尽と不合理。神を僭称する者の揮う無慈悲に抗い、その手を跳ね除けてすべてを護る――

それが、御幸乃恵瑠の仕事だ。

342那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/02/26(金) 00:58:09
>……分かってる!行くよ、シロ!アイツをぶちのめす!

「はいっ!」

偽神の創造した、最後の手駒。掛け値なしに最強のしもべ。
神話にその名を轟かせる、陸海空の獣。
それらの一角、巨獣ベヘモットにポチが狙いを定めるのに従って、シロもまた躊躇いもなく屋上から虚空へと身を躍らせた。
そして、狼と化生の身体能力を駆使して身を低く屈め、都庁の外壁を垂直に駆け下りてゆく。

>ガァアアアアアアアアア――――――――――ッ!!!」

「はああああああああああ――――――――――ッ!!!」

ポチが渾身の力でベヘモットの脳天に踵落としを叩き込むのと同時、シロもまたありったけの力で右の飛び蹴りを炸裂させる。
が、恐らく現存する大半の妖壊を一撃で昏倒させるであろうふたりの攻撃をまともに浴びても、ベヘモットは微動だにしなかった。
どころか、ふたりの存在にさえ気付いていないようである。
ベヘモットの躯体は60メートル強。150センチにも満たないポチの小柄な身体は、
陸を制する王者から見ればまさしく、小虫のようなものであろう。

>なんだ、お前……どこ見てやがる

ふたりは身軽にベヘモットの頭部から離れると、都庁を守る形で巨獣と対峙した。
ポチが不快を露に唸る。

「ポチ殿!
 陰陽頭さま、我らも――」

「その必要はない」

今ほど都庁の中を駆け上がっていったかと思えば、すぐに舞い戻ってきたポチとシロを見て、
陰陽師たちが加勢しようと動きかけたが、そんな配下たちの動きを安倍晴朧が右手を横に伸ばして制する。

「あれは、あのつがいの獲物であろう。迂闊に手出しをすれば邪魔になるだけだ。
 ならばせめて足手纏いとならぬようにするのが、我らにできる最大限の助力よ。
 まだ動ける者は引き続き周囲の悪魔どもの掃討・殲滅と、周辺住民の安全確保に努めよ!」

「承知致しました!――ポチ君、がんばって!」

「そんなガラクタに負けるな!」

「やっちゃえ、ポチ君!シロちゃん!」

ふたりの邪魔にならないよう後退しながら、巫女たちが口々にポチとシロを応援する。
真のブリガドーン空間にあって、そんな人々の心こそが。
ポチたちを信じる『そうあれかし』こそが、何よりの力となる。

>お前なんか、ロボとアザゼルに比べれば……これっぽっちも怖くないんだよ

ポチの胸元から、赤黒い血が溢れて全身へと広がってゆく。石炭のように燃え燻る甲冑が形成されてゆく。
ポチに力を、未来を、すべてを託した狼の王ロボ。
その甲冑もまた、ロボがポチに託したもののひとつ。

「……あなた……」

禍々しいとさえ形容できるその鎧姿を目の当たりにして、シロが呟く。
まだ、ベヘモットはポチとシロを認識してはいない。敵だと思っていない。いや、その存在にさえ気付いていないだろう。
己がその巨体で突進するだけで、進路上にあるすべてのものは轢断され、鏖殺されると思っている。
自分こそはこの大地を統べる獣の王者。生態系の頂点に君臨する、王の中の王――そう驕っている。
そんな過ちは、不見識は、正さねばなるまい。
ロボとアザゼル、偉大な先駆者たる獣の王たちに認められた、新たなる獣の王として。

>……あのクソ野郎を心ゆくまでブン殴る為に、取っとくつもりだったけど
>先に、お前に見せてやるよ

ポチの血が霧状に散って、周囲に拡散してゆく。
けれど、それは単なる負傷によるものではない。
血霧が覆う範囲が徐々に広がってゆき、其れはがてベヘモットの巨体さえも包み込む広範な異空間へと変貌した。
これこそは、ポチが今まで培ってきた戦闘経験の集大成。
狼王ポチの結界。新しい縄張り――その具現であった。

>シロ、作戦は――

ポチがシロへと声をかける。
作戦。それはいったいどんなものなのだろう?
自分が囮になればいいのか。それとも身を挺して彼を守り、彼に攻撃に専念してもらうのか。
いずれにしても、それに従う。シロはとうにその覚悟を決めていた。

しかし。

>――アイツがぶっ壊れるまで、ブン殴るよ

告げられた作戦、その内容はこの上もなくシンプルなものだった。

「…………はいっ!!」

だが、それでいい。相手が壊れるまで、真正面から正々堂々と叩き潰す。
それこそが獣の頂点に立つ、狼王の戦いであろう。

343那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/02/26(金) 00:58:29
「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」

ガツ、ガツ、と闘牛のように右前足で地面を幾度も削り、咆哮と共にベヘモットが突進を開始する。
その進路上にある車や道路標識、信号機。すべてを苧殻のように蹴散らしながら、体高60メートルの巨牛が都庁へ突進する。
だが、都庁へ至るまでのその道は、すでにポチの結界によって覆われている。即ち――
送り狼のテリトリーである、夜の闇に。

>オイ、テメエも紛い物とは言え獣だろ。だったら、僕に頭を垂れやがれってんだ

地響きを立てながら突撃してくるベヘモットを、ポチがねめつける。

>ここは――『僕らの縄張り』だぞ

ポチの姿が、すう……と闇の中に融ける。
ベヘモットはそれを一瞥さえしない。相変わらず、その視界に入っているのは自らが破壊すべき都庁だけなのだろう。
そして。
そんな巨獣の、建物の残骸やスクラップと化した消防車、トラック、捲れ上がったアスファルトなどで構成された身体の一部が、
突然爆ぜた。
結界――縄張り内に広がった宵闇と完全に同化したポチとシロが、ベヘモットに対して攻撃を加えたのだ。
ベヘモットは余りに巨大である。従って、攻撃は当て放題だ。
闇の中から、無数の狼型の闘気が尾を引きながらベヘモットの脇腹に炸裂する。シロの影狼群舞だ。
ポチとシロが攻撃を繰り出すたび、破壊の嵐が吹き荒れる。ベヘモットを構成するガラクタの一部が爆散する。
しかし、それでも。
ベヘモットは止まらない。あくまで目的は都庁の倒壊のみ、多少のダメージは痛みのうちにも入らないとばかり、
恐るべき速さで都庁への距離を詰めてゆく。

「はあああああああああッ!!!!」

バギッ!ベキッ!ガギィンッ!

ポチの妖術によって何倍にも破壊力の跳ね上がったシロの拳足が炸裂し、ベヘモットの頬の装甲が抉れる。
強靭な肩部が弾け、ビルの鉄筋が幾重にも巻き付いたような骨格が露になる。
脇腹を覆っていたアスファルトが砕け、肋骨が剥き出しになる。
ただ、止まらない。ベヘモットの突撃を留めることができない。
ならば。

「――参ります!!」

シロは一瞬だけ闇の中から姿を現すと、すぐ傍にいるであろうポチへと目配せした。
仕草はそれだけ。しかし、ポチにはそれで充分にこちらの意図は通じたであろう。
シロがベヘモットの眼前に躍り出、注意を引き付けた瞬間――ポチがその足許を狩る。
送り狼の『そうあれかし』は絶対だ。例えどんな強敵であろうと転ばせてしまえば最早、勝負は決したも同然。
実際、ポチはそうしてあの強大無比な山羊の王アザゼルにも勝利している。
無論シロはポチがいかにしてアザゼルに勝利したのかは知らない。けれど、ポチの必勝の型がどんなものであるかは理解している。
ゆえに、そこを攻める。それは当然の帰結だった。

「影狼!」

自身の周囲に十一頭の影狼たちを出現させ、突進してくるベヘモットに対して身構える。
影狼は闘気と妖力によって生成されるシロの影法師のようなものだが、単なる武器――ではない。
シロ自身気が付かなかったことではあるが、影狼の一頭一頭には意思があり、魂が宿っている。
そしてそれは、赤錆色の巨狼が率いていた群れの狼。最後のニホンオオカミたちの魂であった。
遠野の山奥で富嶽に唆され、巨狼たちと戦った際に影狼が出現しなかったのは、それが原因だったのだ。
しかし、今は違う。今、ニホンオオカミたちの魂は確かにこの場に――シロとポチの傍にいる。
新たなオオカミたちの未来を。獣たちの幸福を掴み取るために。
この世界に唯一残ったつがいに、力を貸してくれている。
だから――

その期待には、応えなければならない。

「たあああああああああああああああ――――――――ッ!!!!」

シロは狼の脚力を最大限に発揮し、一気に疾駆するとアスファルトを強く蹴って跳躍した。
そのまま、矢のようにベヘモットへと肉薄する。狙いはその眉間、ただ一点。
矢のようにベヘモットめがけて突き進むシロの周囲に、十一頭の影狼が付き従う。
大きく上体を捻り、シロが右拳を引き絞る。硬く握り込んだ拳に影狼たちが次々と吸収されてゆき、激しい光輝を放つ。

「秘奥義――――終影狼(ついかげろう)!!!!」

ガゴオオオオオオオオッ!!!!!

影狼を取り込んだシロ渾身の右拳が、狙い過たずベヘモットの眉間に炸裂する。
拳が命中した場所を中心に大気が鳴動し、攻撃のあまりの威力にリング状の衝撃波が周囲へと拡散する。
ベヘモットの眉間に亀裂が走り、その装甲が爆散する。鉄骨や廃材で構成された頭蓋骨が現れる。
そして――獣の巨体が、ほんの僅かにぶれた。
シロの秘奥義をもってしても、ベヘモットをほんの一瞬しか怯ませることができない。
しかし、その一瞬でもポチには充分であろう。
巨獣の足許は、がら空きだった。

344那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/02/26(金) 00:58:50
>……その伝説の、あたしらが断末魔の叫びを挙げる行の前。
 なんて言葉が書かれてるかわかるか? “赤マント”

「…………」

>『東京ブリーチャーズにビビり散らかしたアンテクリストは、三神獣を召喚して仲間たちを分断することにしました。
 そして――』
>『女の子二人だけになったところを卑劣に狙い、どうにかこうにか断末魔の叫びを挙げさせることに成功したのでした』
 って感じだろうぜ!!

祈が身の丈以上もあろうかという巨大な火球を発生させ、アンテクリストへと蹴り飛ばす。
アンテクリストは右手を前方へ伸ばすと、火球をまるで最初からその場に存在しなかったかのように消滅させてしまった。
が、それでも祈の攻撃にはなんの支障もない。最初から、火球は目眩ましの障害物に過ぎなかった。

>おまえ、あたしらが怖ぇーんだろ。じゃなきゃ分断なんてしねぇもんな

祈の本命、必殺の『音越』がアンテクリストを狙う。
ぶぉん!と炎を纏って振り抜かれる祈の右足を、終世主は左腕を立ててガードする。
だが、祈の蹴りの威力の方が上だ。アンテクリストはそのまま強引に蹴り飛ばされ、ヘリポートに激突した。
濛々と粉塵が上がる。周囲に漂う煙の中で、アンテクリストはゆらりと立ち上がった。
どうやら、ほとんどダメージはないらしい。

>ミサイルは防いでたし、あたしの攻撃も捌いてた。
 モノの瞳術も解いてたよな。“攻撃を直に食らえばダメージを受けるから”だ!
 それって、おまえは無敵でもなんでもなくて、倒せるってことだろ!!

祈が語気も鋭く言葉を放つ。
確かに、アンテクリストは今まで自分に向けられた攻撃のすべてを無効化、あるいは防御してきた。
防御もしくは回避とは、即ち危険からの自衛行動である。自衛が必要ということは、
つまり祈たちの攻撃を脅威とみなしている――ということの、紛れもない証左であろう。

>ビビってんなら降参したらどうだ、赤マント!
 じゃないと、おまえが倒れるまであたしらはいくらでもやってやんぞ!
 ――モノ! 畳みかけるぞ!

「了解ですわ、祈!」

目にも止まらぬ音速の蹴りで無数の真空波を生み出した祈の指示に従い、レディベアが瞬間大きく両手を広げる。
そして、すかさず胸の前で両腕をクロスさせる。と、アンテクリストの周囲にたちまち無数の目が出現した。
ブリガドーン空間の中で祈と対戦した際に使った、目から放つ極細のレーザーだ。
祈の放った風刃に加え、周囲に展開した目が放つ全方位からのレーザー。
少女ふたりのコンビネーションは完璧だ。四方八方から襲い掛かってくる衝撃波とレーザーを回避することは不可能。
仮に防御したとしても、無傷では済まないだろう。
いかなる大妖さえも打ち倒す力を秘めた、必殺の連携。

しかし――

それも『相手が唯一神でなければ』の話だった。

ぶあっ!!!

突如、アンテクリストの周囲に立ち込めていた粉塵が螺旋を描いて吹き散らされる。
アンテクリストは猛烈なスピードでとどめの蹴りを繰り出す祈を一瞥すると、ぎん!!と双眸を見開いた。
レディベアの展開した目が一斉に神へとレーザーを放つ。が、当たらない。
ほんの瞬きの間に、アンテクリストは少女たちの波状攻撃をこともなげに潜り抜け、祈の背後に出現していた。

「それが汝の蹴りか。そのような脆弱な肉体で、この神に挑むというのか。
 思い上がるな、半妖――」

バギィッ!!!!

アンテクリストの放った回し蹴りが祈の右脇腹を捉える。本気の菊乃が放った蹴りよりも強烈な、神の重爆。
今度はあべこべに祈がヘリポートに叩きつけられ、盛大に粉塵を上げることとなった。

「蹴りとは、こうやる」

「祈!!」

ヘリポートに激突した祈を見下ろし、神が冷淡に言い放つ。
レディベアが祈へと駆け寄り、傍らに屈み込んでその安否を気遣う。
蹴りの一撃で肋骨が何本か折れたかもしれないが、レディベアがすぐにブリガドーン空間の力で祈の負傷を回復させる。

「祈……今、傷を癒しますわ……!」

長い金色の髪と長衣を緩やかに靡かせ、光背から眩い輝きを伴う神気を振り撒きながら、
神が傲然と少女たちを見下ろしている。
そして幾許かの沈黙ののち、神は徐に形のいい薄い唇を開くと、

「――私が怖いか、龍脈の神子」

と、言った。

345那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/02/26(金) 00:59:07
「私が怖いか、龍脈の神子。
 私が恐ろしいか――怯えているのか」

先刻祈がアンテクリストを煽るために告げた言葉を、今度はアンテクリストが祈へ向けて口にする。

「饒舌は恐怖に呑まれまいとする惑乱の顕れ。矢継ぎ早の攻撃は、竦む身体を奮い立たせんとする焦燥の顕れ。
 しかし、それは当然の仕儀である。
 何故なら汝は今、正真の神前に在るのだから」

音もなくヘリポートに降り立ち、両手を広げる。――まるで聖堂にあるイコンやフレスコ画のように。
眩いばかりに輝くその姿が、一層清浄な神気を放つ。
その様子は、威容は、まさに神。この世界を創造した唯一神そのもの。
唯一神が、今。龍脈の神子を殺しに来る。

「神の愛は無限。されどそれは神に拝跪し、こうべを垂れ、その裁きと赦しを望む者にのみ与えられる。
 神の愛を拒み、済度を拒み、あくまで我欲と自愛の儘に振舞わんとする者には――
 ただ、神の雷のみが与えられるものと識れ!!」

どんっ!!!!

それまでの静かな佇まいから一転、アンテクリストが床を蹴り一気に祈とレディベアへ間合いを詰めてくる。

「く――!」

レディベアが虚空に現出させた無数の目からレーザーを放ち、弾幕を作る。
しかし、効かない。正確無比、一発必中のはずのレーザーの包囲網が、まるでアンテクリストを捉えられない。

「消えよ。地獄の弥終にさえ、汝らの居場所はない。
 完全なる消滅、それが……汝らに下す、神の裁きだ!」

ずどむっ!!!

「が、ふ……ッ」

閃光のようなアンテクリストの左拳が、無防備なレディベアの鳩尾に深々とめり込む。
臓腑を残らず捻転させるほどの衝撃。身体を滑稽なほど『く』の字に折り曲げ、レディベアは隻眼を見開いた。
レディベアは拳を喰らった衝撃もそのまま、大きく上空に吹き飛ばされた。
だが、それで終わりではない。更にアンテクリストはレディベアの吹き飛ばされた先に、圧倒的な神気を凝縮させてゆく。
空中に出現した、巨大な神気の球体。レディベアが接触した瞬間に神がぐっと拳を握り込むと、それは轟音を立てて爆発した。

「―――――――――――ッ!!!!」

レディベアは成す術もなくそれを全身に浴び、ボロ雑巾のようになって今度は逆方向へ吹き飛ばされ、
受け身を取ることさえ侭ならずどっと頭から床に墜落した。
瞬く間にレディベアを始末すると、アンテクリストはじゃり……と踵を返して祈へと向き直る。

「私が倒れるまで、幾らでもやると言ったな。
 やってみせるがいい、脆弱な半妖の身でそれが叶うと思うのならば。
 相手をしてやろう、そして汝の心を寸刻みに折ってゆこう。
 汝に許された行動とは、神の前に自らの罪の重さを悔いること。ただそれのみだということを知るがいい――」 

じゃりっ!!!

アンテクリストが、ぎりぎりでレディベアによる回復の間に合った祈へと一気呵成に攻めかかる。
掠っただけでも容易く祈の命を奪う威力の右拳、その隙を埋めるように放たれる左拳。
衝撃波を伴ってヘリポートを容易に削り取り、唸りを上げて繰り出される蹴り。
一打一打、そのすべてが必殺。そんな神の攻撃が嵐のように祈を襲う。
かつての赤マントは搦手や策謀に特化し、荒事はロボやクリス、配下の天魔たちに丸投げするというスタイルだった。
けれども、神に覚醒したアンテクリストは違う。単に剛力を無暗に振り回しているだけではなく、
きちんと戦闘理論に則った、さながら精密機械のような攻勢で祈を追い詰めてゆく。
防御行動についても同様だ。龍脈の神子の力を発揮した祈の攻撃を、アンテクリストはまるで微風のように受け流してゆく。
攻防両面に於いて完成されているとしか言いようのない、神の闘法。
祈は知る由もないが、その強さは尾弐が対峙した闘神アラストールすらも凌駕する。
むろん、実は赤マント――ベリアルが元々武道の達人だった、という訳ではない。
アンテクリストに無類の強さを与えているのも、また。『そうあれかし』の力に他ならなかった。

「世界を構成せし鼎の三神獣は見せた。
 龍脈の神子。これから汝に三つの創造の御業のうち、二つ目を見せてやろう」

ゴアッ!!!!!

アンテクリストの全身から、一層激しい神気が光を伴って迸る。
上体を前方にのめらせ、神が颶風を撒いて真正面から祈へと肉薄してゆく。
その速度は不可視。スピードに長ける祈の目をもってしても、終世主の攻撃を見切ることはできない。
迸る膨大な神気によって祈の咄嗟の防御も弾き飛ばし、終世主がその拳を振るう――

ぎゅばっ!!!!!

アンテクリストの周囲から闇が溢れる。それは祈の周囲を瞬く間覆い尽くし、すべてを暗転させた。

346那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/02/26(金) 00:59:25
祈は完全に闇の中へと包み込まれた。
其処は仲間たちと一緒に戦っていた都庁屋上のヘリポートではなく、
先刻レディベアと戦ったブリガドーン空間の中のように上下も天地もない、宇宙空間のような場所だった。
祈の現在いるその空間こそは、アンテクリストの発生させた別世界。
龍脈の神子を葬り去る、ただそれだけのために終世主が編み出した絶対の結界であった。

「刮目せよ。拝跪せよ。絶望せよ!
 此れが――真なる神の御業である!!」

創造神たるアンテクリストが有する唯一無二の力、創世の御業。
神が世界を創った一週間の奇蹟。その莫大なエネルギーが、祈ただひとりへと向けられる。

一日目、神は暗闇がある中、光を生み出した。即ち――

ばぎゅっ!!

初撃。一切の視界が効かない真闇の中から発生した突如の閃光が祈の網膜を灼く中、
マッハを越える速度で繰り出されたアンテクリストの右拳が龍脈の神子の薄い腹部を痛撃する。

ニ日目、神は天を創った。即ち――

ベギィッ!!

弐撃。弾丸のように後方へ吹き飛んだ祈の身体を追撃し、
神が下方から掬い上げるように強烈な右の蹴り上げで祈の軽い身体を空高く吹き飛ばす。

三日目、神は大地を創り、海が生まれ、地に植物を茂らせた。即ち――

バゴォッ!!

参撃。遥か上空へと弾き飛ばされた祈の身体を更に追い、祈の上方へと瞬間移動すると、
神は手指を組んだ両手を大きく頭上に振り上げ、ハンマーナックルとして一気に祈へと叩きつけた。

四日目、神は太陽と月と星を創った。即ち――

ギュガガガガガガッ!!

肆撃。ハンマーナックルによって下方へと殴り飛ばした祈を見下ろし、神が右手を突き出す。
途端にその周囲に無数の神力が発生し、それらは流星雨のように祈へと降り注いではその身を穿った。

五日目、神は魚と鳥を創った。即ち――

「ピギョオオオオオオオオオオオオッ!!」

「ギシャアアアアアアア―――――ッ!!」

伍撃。ノエルと戦っていたはずのジズが束の間祈の眼前に出現する。
神の結界の中では、すべての法則が神の思う侭に働く。三神獣を再召喚することさえ容易ということらしい。
その神の鳥が祈に対して紅蓮の焔を吐きつける。かと思えばレビヤタンがその長大な身体をくねらせて現れ、
がぱりとあぎとを開いて激しい水流を噴射してきた。
しかし、ジズの焔もレビヤタンの水流も、それ自体が祈を狙ったものではない。
神鳥の猛火と神竜の水流が祈の目の前で接触した、その瞬間。

ガガァァァァァァァァァンッ!!!!

水が超高音の熱に触れたとき、そこには水蒸気爆発が生まれる。
神獣が生み出した、自然界で起きるそれとは比較にならない衝撃が祈の全身を打ちしだき、大きく吹き飛ばす。

六日目、神は獣を創った。即ち――

「ブモオオオオオオオオオオオオオッ!!」

陸撃。突如現れたベヘモットがその巨体を猛進させ、吹き飛んだ祈を狙う。
体長60メートル、重量数百トンもの質量がトラックかダンプカーのように、たかだか身長153センチ体重45キロの祈を跳ね飛ばす。

そして――七日目。

「安息せよ。此れぞ神の業。この世で唯一の神のみが成し得る奇蹟。
 即ち――――――」

三神獣によって大きく跳ね飛んだ祈に、偽神が迫る。その全身から光が、神気が溢れ出る。
終世主がとどめとばかりに神力の籠もった双掌打を撃ち放ち、祈の躯体の真芯を穿つ。




「天 地 創 造(セヴンデイズ・クリエイション)!!!!!」




ドゴゥッ!!!!

神の七つの撃拳、それこそは正にいと高き者のみが揮うことのできる至上の断罪。
いかな龍脈の神子といえど、祈を葬り去るためにその力のすべてを解き放ったアンテクリストの必殺拳をまともに喰らえば、
大怪我どころでは済まないだろう。
結界がガラス細工のように粉々に砕け散り、元のヘリポートへと戻る。アンテクリストは最初のように緩やかに両腕を広げると、
もはや勝負は決したとばかりに祈を見下ろした。

347那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/02/26(金) 00:59:57
「い……、いったい何が……?」

黒尾王として妖力のコントロールを行い、尾弐のアシストをしながら、橘音は驚愕に目を見開いた。
祈が瞬間的に姿を消したかと思えば、次の瞬間にはボロ雑巾のようになって床に倒れ伏している。
白面金毛九尾に変化し大妖の五感を得た橘音さえ、アンテクリストが祈に何をしたのか理解できなかった。
他の仲間たちにしても同様であろう。気付けば、祈がズタズタに変わり果てて床に転がっていた。それが全てである。

「ああ……!祈!祈……!!」

レディベアが祈へと駆け寄り、その身体を抱き締めて懸命に呼びかける。

「祈ちゃん!しっかり……!
 アンテクリストの攻撃に屈してはなりません!」

橘音もまた、祈へと叫ぶ。

「このブリガドーン空間では、精神の強さ――心の強靭さこそが鍵となるのです!『そうあれかし』の力が……!
 アンテクリストの強さの源も同じ!アンテクリストは自らを絶対神と信じる『そうあれかし』によって、
 無限の力を手に入れている……!
 アンテクリストを撃破するなら、その絶対の自負を!おのれを神と定義するその認識を打ち砕かなければならない!」

「……私の認識を打ち砕く、だと。
 そんなことは不可能だ。私は神、この世界を唯一思う侭にできる、選ばれし者。
 たかが泥の見る夢たる汝らごときに、私を斃すことなどできぬ……!」

アンテクリストはせせら笑った。
バックベアードの降臨によってブリガドーン空間の完全な支配権こそ喪ったとはいえ、
まだまだアンテクリストは空間に対して干渉をし続けることができる。
自身を唯一にして絶対の神と認ずる強烈な認識力によって、アンテクリストは自らの望むままの力を行使できる。
祈とレディベアの攻撃がまるで効かなかったのも、ふたりの精神力より終世主の認識力の方が強かったからであろう。

この邪悪な神を、人々の善性を忌避し世界を邪悪の色に染めようと画策する存在を斃すとしたら、
それは唯一。神の認識力を祈の精神力で凌駕する他にはない。
どんな手を尽くそうと、神の力を以てしても祈を葬り去ることができないとアンテクリストが認識し、
自身の絶対的に信ずる神の力を疑ったそのときにこそ、終世主は多くの人々を欺き貶めて手に入れた神の権能を喪失し、
本来の姿へと立ち戻ることだろう。
鼎の三神獣も、橘音や尾弐、ノエル、ポチとシロが単に戦うだけでは決して撃破することはできない。
神獣たちはアンテクリストから無尽蔵の神力の供給を受けている。獣たちを斃すには、
神からの力の供給を断ち切ることが不可欠――何れにせよ祈がアンテクリストをどうにかしなければ、
橘音たちが神獣を退けることもできないのだ。

祈が当初考えていた“アンテクリストが倒れるまでいくらでもやる”という作戦。
ただ自分のことを信じ、仲間のことを信じ。応援してくれる人々のことを信じるという行為は、誤りではなかった。
だから。

「祈……!!」

レディベアが祈を抱きながら、その顔を見つめる。

「立ち上がるんです、祈ちゃん!」

尾弐と共にレビヤタンに抗う橘音が叱咤する。

「祈さん!」

「祈!」

「祈――負けるんじゃない!」

シロが、颯が、晴陽が――そして東京都民たちが。
いや、バックベアードとレディベアの瞳を通し、ネット回線やテレビでその戦いを見守っているすべての人々が。
神へと対峙する小柄な少女へと応援を贈る。激励し、鼓舞し、その再起を願う。
『そうあれかし』が莫大な黄金の光となって、祈の身体の中へと注ぎ込まれてゆく――。

終世主アンテクリストの、世界を完全に破壊できる三種の御業のうちの二つ目、『天地創造(セヴンデイズ・クリエイション)』。
それは今まで東京ブリーチャーズが戦ってきた妖壊たちの放つどんな攻撃よりも強く激しい必殺技であっただろう。
祈の四肢は悲鳴を上げ、臓腑は引き攣り、その激痛は魂をも打ち砕くほどであろう。
だが、それでも。
祈は幾度だって立ち上がれるはずだ。
例えアンテクリストの力がどれほど強大であっても。その拳が、蹴りが、放たれる波動が痛くとも。
きさらぎ駅で、祈が晴陽に告げた言葉。

『みんなが幸せに向かって歩いていける世界。今の世界が、明日や明後日、ずっと続いていくこと』

それを、祈が強く願うなら――



其処に祈りがあるなら。

348多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/03/07(日) 21:25:12
 神鳥ジズを相手取りながら、ノエルは仲間のサポートを器用にこなしている。
仲間に被害が及ばないよう、ジズが吐き散らかす炎も、
神竜レビヤタンが無差別に放つウォーターカッターも見事に防ぎ、その上で足場の構築も行っていた。
 上空では、橘音と尾弐がレビヤタンと舞う。
合体変化で肉体も呼吸も一つに合わせた橘音と尾弐の外観は、巨大化した怪人を討ち取る巨大ロボのそれだ。
強さもそれに倣うらしく、一機で互角にやりあっている。
 都庁を崩そうと迫る神牛ベヘモットには、ポチとシロの二頭が当たった。
瓦礫や鉄くずなどで構築された巨体を持つベヘモットとでは、体格差も体重差もありすぎる。
ただ脚を削るだけではその突進を止めることは難しいと思われたが、
ポチとシロは自分たちの結界へとベヘモットを引きずりこむことで、その進撃を食い止めている。
 そして祈は、レディベアとただ二人、偽神アンテクリストに立ち向かっていた。
だが、離れて戦っていたとしても、目的は一つ。心は一つ。
祈は、仲間たちと一緒に戦っている。

「だあああああああああああああッ!!」

 祈の攻撃に合わせてレディベアが放った、無数の目からの熱線。
それは、ただアンテクリストを攻撃するだけでなく、その逃げ場を奪う意味もある。
粉塵の中から動けないであろうアンテクリストの影に向けて、『これで終わらせる』と、
祈は渾身の飛び蹴りを見舞おうと上空から高速で落下するが――。
 ゴウッ、と。アンテクリストがいる場所で風が渦巻き、粉塵が晴れると。
そこにはまるで何事もなかったかのように、アンテクリストが無傷で屹立していた。

(全然効いてないってのか!?)

 驚愕と焦りが祈の顔に浮かぶ。
 先ほど祈は、アンテクリストに蹴りを見舞い、真空波の風刃(ふうじん)を叩き込んだ。
そこにレディベアのレーザー攻撃も放たれているというのに。
すべて避けたか、それとも当たってもなお、無傷だというのか。
 見開いたアンテクリストの目と、祈の目が合う。

(くっ――!)

 苦し紛れに、勢いそのままに落下して蹴りを放つが、そこにアンテクリストの姿はない。
まるで今蹴ろうとしたアンテクリストが幻だったかのように、祈は錯覚する。
だが違う。周囲に気配がある。祈の目を?い潜り、高速で避けたのだ。

>「それが汝の蹴りか。そのような脆弱な肉体で、この神に挑むというのか。
>思い上がるな、半妖――」

 声と気配を背後に感じ、祈は後ろ蹴りのモーションに入るが、
それよりもアンテクリストの方が早い。
 アンテクリストの回し蹴りが祈の右脇腹にクリーンヒットする。
ターボババア・菊乃よりも数段速く、重い、正確に相手を壊そうとする一撃。

「ぐはっ」

 軽い祈の体が、面白いほどに吹っ飛ぶ。
進行方向は斜め下。今度は祈が都庁のヘリポートへと叩きつけられる番だった。
激突したコンクリートを粉と砕き、祈は粉塵にまみれた。

>「蹴りとは、こうやる」

 アンテクリストが冷淡に言い放ち、

>「祈!!」

 レディベアが悲鳴を上げ、心配そうに祈に駆け寄る。

「げほっ、げほっ、――大丈夫、まだ」

 口の中に入り込んだ粉塵にせき込みながら、祈が立ち上がった。
そして右脇腹から右胸にかけて走る、ずきりとした痛みに顔を歪める。
 祈の服の下では、右脇腹は赤黒くはれ上がり、その内側で肋骨が何本か折れていた。

>「祈……今、傷を癒しますわ……!」

「わりぃ、頼む」

 ブリガドーン空間の力を利用して、レディベアが祈を癒す。
祈が顔を伝う汗を服の袖で拭いながらも、アンテクリストの攻撃を警戒し、
目を逸らさずにいると。

349多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/03/07(日) 21:33:44
>「――私が怖いか、龍脈の神子」

 それを追撃もせず、ただ超然と見下ろしていたアンテクリストが、ふと口を開く。

「あ?」

 急な質問に、祈は特に考えもなくそう返す。

>「私が怖いか、龍脈の神子。
>私が恐ろしいか――怯えているのか」

>「饒舌は恐怖に呑まれまいとする惑乱の顕れ。矢継ぎ早の攻撃は、竦む身体を奮い立たせんとする焦燥の顕れ。
>しかし、それは当然の仕儀である。
>何故なら汝は今、正真の神前に在るのだから」

 僅かに浮いていたその体を、ゆるりとヘリポートに着地させるアンテクリスト。
そして諸手を広げ、神気の光を漲らせる。
 祈はそんなアンテクリストに警戒を強め、構え直しながら、

「……はんっ。言い返してきたってことは、さっきの意外にムカついてたのか?
わりーな、図星ってやつを突いちまって!」

 相手のペースに呑まれぬよう、その言葉に乗ることはなかった。
生意気な笑みを浮かべて、ただ挑発的に言い返す。
 唯一神に対する不敬な祈の言葉に、アンテクリストは無表情のままだが、

>「神の愛は無限。されどそれは神に拝跪し、こうべを垂れ、その裁きと赦しを望む者にのみ与えられる。
>神の愛を拒み、済度を拒み、あくまで我欲と自愛の儘に振舞わんとする者には――
>ただ、神の雷のみが与えられるものと識れ!!」

 そう吠えた。瞬間、床を蹴るアンテクリスト。
ゆるりとした先ほどまでの動きからは信じられないほど、素早く力強い踏み込み。
 
>「く――!」

 その動きを察知し、咄嗟に迎撃するレディベア。
無数の目を展開し、こちらに近づけまいと無数のレーザーで迎え撃つ。
しかし、レーザー間にある僅かな隙間を、アンテクリストは潜り抜けてくる。

「でもこれなら!」

 アンテクリストは無数のレーザーを掻い潜った。
だが、アンテクリストの進む先には、既に踏み込んで蹴りのモーションに入った祈。
レディベアの狙いを読み、レーザーによって狭められた進行方向の先に控えていたのである。
 だがアンテクリストはそれすらも読んでいたようで、祈の蹴りを事も無げに躱し、
先ほど修復を終えたばかりの右脇腹に、再び右拳を叩き込んでくる。

「ぎっ――」

>「消えよ。地獄の弥終にさえ、汝らの居場所はない。
>完全なる消滅、それが……汝らに下す、神の裁きだ!」

 殴り飛ばされながら、追撃を警戒して身構える祈。
だが、アンテクリストの狙いは祈ではなかった。
アンテクリストの狙いは。

>「が、ふ……ッ」

「モ、ノッ!!」

 レディベアだった。アンテクリストの左拳が、レディベアの鳩尾に深々とめり込んでいる。
くの字に折り曲げられたレディベアの体は、宙に浮いたかと思えば、そのまま上空へと吹き飛ばされた。
アンテクリストが天に手を翳すと、レディベアが吹き飛んでいく先に、膨大な神気が集まっていく。
 『あれはやばい』。
そう直感し、空中で風火輪を噴かし、体勢を整える祈だが、間に合うはずもない。
 球状に固められた膨大な神気に、吹き飛ばされたレディベアが衝突した刹那。
アンテクリストが翳した手を握り込んだのを合図に、神気の球体が大爆発を起こす。
 
>「―――――――――――ッ!!!!」

 声も上げることなく、その大爆発に飲まれるレディベア。
 ズタボロになり、頭から落下してくる。

「モノ――!」

350多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/03/07(日) 21:36:11
 せめて落下するレディベアを受け止めようと、走り出そうとする祈だが。
 じゃりっ、と。

>「私が倒れるまで、幾らでもやると言ったな。
>やってみせるがいい、脆弱な半妖の身でそれが叶うと思うのならば。
>相手をしてやろう、そして汝の心を寸刻みに折ってゆこう。
>汝に許された行動とは、神の前に自らの罪の重さを悔いること。ただそれのみだということを知るがいい――」 

 粉塵にまみれた都庁屋上のヘリポートを踏みしめ、アンテクリストが立ち塞がる。

「邪魔だッ!!」

 右脇腹の痛みを無視して、右前蹴りを放つ祈。
それをアンテクリストは、まるで舞う落ち葉でも払いのけるかのように、左手で軽く受け流した。
 そして再び、神の猛攻。
 一撃何十トンはあろうかという致命の一撃が、精密機械のような正確さで、しかも嵐のように繰り出される。
 必殺の右拳の隙を左拳が埋め、蹴りの隙を次の蹴りで補う、攻防一体の闘法は隙がなく。
計算され尽くした連撃は間断なく、終わることない。
なんとか受け流しても避けても、祈の傷は増えていく一方だった。
その間に、レディベアはヘリポートに頭から落下してしまっている。
 それを見た祈の呼吸がわずかに乱れ、生まれたコンマ数秒の隙。
神にしてみれば決定的な隙を、アンテクリストは見逃さない。

>「世界を構成せし鼎の三神獣は見せた。
>龍脈の神子。これから汝に三つの創造の御業のうち、二つ目を見せてやろう」

 一層激しい神気がアンテクリストから放たれる。
脅威を察知して距離を取ろうとした祈へとアンテクリストが放つのは、上体を沈ませたタックルめいた突進。
 全体重を乗せた踏み込みの速度は祈の想像を超え、目で追うことも見切ることもできない。
 苦し紛れに体の前で交差させた両腕に、アンテクリストの拳がぶち当たる。
直撃を受けた左腕が折れ――同時に。
アンテクリストの体から噴き出した暗闇に、弾き飛ばされた祈は瞬間的に呑み込まれた。

351多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/03/07(日) 21:43:46
――気が付けば祈は、完全な暗闇の中を漂っている。
何も見えず音もなく、天地がどこにあるのかも定かでない。
そんな無重力の暗黒空間を、祈は漂っていた。
弾き飛ばされたときの慣性が徐々に失われていく。
 都庁で迷い込んだブリガドーン空間に酷似していることや、空気の香りが異なること。
そして、一瞬、アンテクリストから暗闇が広がったように見えたこと。
それらから、アンテクリストが生み出した別空間に囚われたのだと祈は直感する。
 祈を捕らえた理由は、先ほど言っていた、
『三つの創造の御業のうち、二つ目を見せる』ために他ならないのだろう。
 その証拠に。

>「刮目せよ。拝跪せよ。絶望せよ!
>此れが――真なる神の御業である!!」

 アンテクリストの声がどこからか聞こえ、殺気と神気が膨れ上がる。
だが、この空間はアンテクリストが生み出したもの。
だからだろう、どこからでもアンテクリストの気配が漂ってきて、暗闇の中、どこにいるのかすらわからない。
 祈が折れていない右腕を構え、聴覚を研ぎ澄ませて、アンテクリストの居場所を探ろうとした刹那。

(!?)

 閃光。ビッグバンか星の誕生を思わせるような激しい光が、祈の網膜を焼く。
思わず祈が目を瞑ると、同時に、何かが腹に突き刺さるような感覚を覚えた。

――ぱんっ。

 そして祈は、胃か腸か、いずれかの内臓が、薄い腹筋の内側で破裂した音を聞く。

「ぐ――!?」

 音速の壁を超えたアンテクリストの右拳が祈の腹部に深々とめり込んでいるのであるが、
祈は閃光に惑い、何が起こったのか理解が追いつかない。
 胃から口へと逆流する血液、胃液。だが、吐く間もない。
アンテクリストは祈の腹部に深々と刺さった右拳を、勢い殺さぬままに振り抜いた。
次の瞬間には、祈は冗談のような、音速を超えた速度で弾き飛ばされている。
そしてアンテクリストはその速度に追いつき――、

――今度は祈を上空へと垂直に蹴り上げた。

ギリギリギリギリッッ!!

 蹴り上げられた腹部。
祈の体にかかっていた横向きの力を、強引に縦向きに折り曲げた加重の負荷。
内臓を全て絞られるような激痛。祈は血反吐を吐き散らした。

「げ、ぇ――」

 大気圏を瞬く間に突破しそうな速度で打ち上げられる祈を、
再び追いついたアンテクリストのハンマーナックルが迎える。
 組んだ両手を天へ掲げると、祈がその目前に達した瞬間、渾身の力で打ち下ろした。
背中に容赦なくアンテクリストの両手がめり込む。
上方向の力を、今度はそれ以上の力で下方向へ。

――ボキボキボキィッ!

 祈の体は背中側にくの字に折れ曲がり、背骨が折れ、肩甲骨が砕ける。

「ぅがあ“ッ」
 
 体を砕くかつてない衝撃にうめきながら、蹴り上げられた以上の速度で落下する祈。
 そして、受け身を取ることもできず、轟音と共に大地に叩きつけられた。
折られた肋骨が肺へと突き刺さり、打ち付けられた全身が痛んだ。
左腕の骨折、内臓破裂、背骨と肩甲骨の骨折。肺には骨が突き刺さり、全身には酷い打撲を負った。
どう軽く見積もっても致命傷であるが、祈の心の炎は消えてはいなかった。

352多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/03/07(日) 21:47:45
(まだ……まだ……――!)

 うつ伏せに倒れながらも、こぶしを握り、祈は立ち上がろうと試みる。
すると祈の傷ついた肉体に妖力が満ち、みるみるうちに傷が再生していった。
これこそ、対アンテクリスト戦に備えて編み出していた切り札、『龍脈オーバーロード』であった。
 祈のターボフォームは、変身時に肉体的な損傷のほとんどを治す力がある。
龍脈は、妖怪にとっての甘露たる『そうあれかし』の源泉。
龍脈と繋がってその力を引き出すターボフォームへの変身は、
変身時に迷い家の秘湯を浴びるようなもの。故に超回復を齎すのだ。
 だがターボフォームへの変身は、半妖に過ぎない祈の肉体と精神に尋常ならざる負荷をかける。
だからこそ変身は数分しか保てず、インターバルを必要とするよう、無意識がブレーキをかけていた。
 それを“無理やりに外し、強引に変身し続けること”で、超回復能力を維持する。
それが『龍脈オーバーロード(過負荷)』なのである。
 劣勢を覆し、意表を突いて圧倒するための秘策であったが、
これほどの致命的な傷を受けてしまっては、そんなことは言ってもいられない。
 
(くそっ、立て……どこだアンテクリスト――)

 壊れた肉体が修復される痛みに耐えながらも、叩きつけられた地面から立ち上がろうとする祈。
 しかしその背に。

――ギュガガガガガガッ!!

「がああああああああッ!!!!?」

 今度は流星雨のごとく、神気の雨が降り注ぐ。
 祈はかつて、とある神社で神霊と対峙したことがある。
神霊が放つ銃弾を肩に受けた瞬間、体から力をごっそり奪われるような、
魂に攻撃を受けたような鋭い痛みを感じた。
 それと似た力。
妖怪という存在を滅する神気という力が。
雨のごとく背中を、腕を、脚を。
 穿つ。穿つ。穿つ。
穿つ。穿つ。穿つ。穿つ。穿つ。穿つ。穿ち――体組織を破壊する。魂を削る。
 龍脈の力を過剰に引き出すオーバーロードで体を修復するからこそ、
修復と破壊の痛みを、何度も味わうことになった。

「はっ、う“ぇっ……」

 感じたことのない激痛に、祈の脳が、さまざまな脳内物質を急激に分泌し、スパークする。
目の前が歪み、気持ちが悪く呼吸もままならない。だが――それでも終わりは来ない。

353多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/03/07(日) 21:50:53
>「ピギョオオオオオオオオオオオオッ!!」
>「ギシャアアアアアアア―――――ッ!!」

 ノエルがひきつけていたはずの神鳥ジズと、
橘音と尾弐が相手をしているはずの神竜レビヤタンが、突如として祈の前に出現する。
 そしてその口腔を開いたかと思うと。

(嘘だろ――)

 紅蓮の炎と、高速の水流が吐き出される。
 それらは空中で、祈の眼前で交差した。両者が攻撃をミスしたのではない。
高速の水流が炎によって瞬間的に熱され、蒸発させられたことにより――。
 祈の眼前で、高温の水蒸気となりながら爆ぜた。
 水蒸気爆発。とっさに眼前で腕を組み、頭を守る祈だが、
一帯を吹き飛ばすだけの蒸気爆発を、それだけで十全に防げるはずもない。
全身を高熱で焼かれ、鼓膜は破れ、もはや焼死体同然になりながら、地面を転がりに転がる祈のもとへ。

「……ま、だ……ま、……」
 
>「ブモオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 どこかから現れたベヘモットが、咆哮を上げながら突進してくる。
その体長は何十メートルもあり、その質量に突進速度を組み合わせたなら、
祈のような存在など簡単に挽肉になるようなそれが――。
 祈を蹴り飛ばす。

ベキベキベキベキィ――!!

 その衝撃は、焼け爛れた体中の骨を丹念に砕いて、右脚を千切り飛ばした。
祈の体のほとんどを肉塊に変えて、ベヘモットは消える。
 それでも祈は、龍脈の力で自身の体を再生していく。千切れた脚をつなぐ。

「ま………………だ」

 そうしてよろよろと立ち上がった祈の眼前に、いつの間にかアンテクリストは立っていた。
このような状況でなければ、その容貌と相まって、救いの神か何かだと思っただろう。
 
>「安息せよ。此れぞ神の業。この世で唯一の神のみが成し得る奇蹟。
>即ち――――――」

 だが、アンテクリストは救いの神でも何でもない、偽神だ。
 ふらつき、もはや視界すら安定しない祈の前で、
アンテクリストはその両掌を、弓のごとく後方へ引き絞り、神気を漲らせる。
 そして放たれるのは、双掌打。

>「天 地 創 造(セヴンデイズ・クリエイション)!!!!!」

 渾身の双掌打は、祈の真芯。心臓を撃ち貫く。
そして両手に込められた神気は全身に疾る。
それは、魂を、心を、神経を、全身を。ずたずたに引き裂くような一撃。

「〜〜〜ッ!!!!! 〜〜〜〜〜〜ッ!!!!!!」

 言葉にならない絶叫を上げて、祈は仰向けに、どうと倒れた。
血がその背から広がり、血だまりを作る。
 ターボフォームの変身も解け、黒髪の、
なんのことはないその辺にいそうな少女が、そこに倒れていた。
 いっそ、オーバーロードを解けば楽に死ねただろう。
だが、祈は倒れる直前までオーバーロードを発動していた。
かろうじて四肢は繋がって、元の祈の形を留めているものの。
結界が砕け散り、都庁屋上へと放り出された祈は、もはやぼろ雑巾同然で。
その半開きの瞳には、もはや――何も映ってはいなかった。

354多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/03/07(日) 21:58:25
>「ああ……!祈!祈……!!」

 同様にアンテクリストの攻撃を受け、ズタボロのレディベア。
だがどうにか肉体を治癒し、動けるようになったのだろう。
祈に駆け寄り、その血に濡れるのも構わず祈の体を抱きしめると、懸命に呼びかけた。

>「祈ちゃん!しっかり……!
>アンテクリストの攻撃に屈してはなりません!」

 橘音もまた、祈に声をかける。

>「このブリガドーン空間では、精神の強さ――心の強靭さこそが鍵となるのです!『そうあれかし』の力が……!
>アンテクリストの強さの源も同じ!アンテクリストは自らを絶対神と信じる『そうあれかし』によって、
>無限の力を手に入れている……!
>アンテクリストを撃破するなら、その絶対の自負を!おのれを神と定義するその認識を打ち砕かなければならない!」

 さらに祈にアンテクリストを撃破するための策を授けた。

>「……私の認識を打ち砕く、だと。
>そんなことは不可能だ。私は神、この世界を唯一思う侭にできる、選ばれし者。
>たかが泥の見る夢たる汝らごときに、私を斃すことなどできぬ……!」

 橘音の言葉を否定し、倒れたままの祈を一瞥して、
アンテクリストはせせら笑う。
 
>「祈……!!」
>「立ち上がるんです、祈ちゃん!」
>「祈さん!」

 レディベアや橘音、シロが祈を呼ぶ声。
その場にいない、颯や晴陽、ターボババアなども祈に呼び掛けた。
 バックベアードやレディベアの瞳を通して、
東京ブリーチャーズの戦いを見る世界中の人々もまた、祈の再起を願った。
 真実、レディベアの声も、橘音の声も、世界中の人々の声も、祈には聞こえていなかった。
だが、祈にはわかっていた。自分のすべきことが。応援してくれている声があることが。

 祈の右手がぴくりとわずかに反応を見せる。
 そして、
 
「――……………こ」

 口が僅かにわななき、言葉らしきものを発した。

「聞、こえ、なかったか……? “ザコ”……っつったんだよ。クソ神」

 祈が目を開き、アンテクリストを睨む。
不完全に治癒された左目はうつろだが、右目は完全にアンテクリストを捉えている。

「効くかよ……あんな攻撃。あたしら東京ブリーチャーズはな……世界背負ってんだ。
……ぐ、がああああああッ!!」

 神経までずたずたにされている右手に力を入れ、それを支えに、傷ついた上半身を無理やりに起こす。
生まれたての小鹿のように脚を震わせながらも、祈は自力でで立ち上がってみせた。

355多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/03/07(日) 22:04:38
 アンテクリストが放った『天地創造(セヴンデイズ・クリエイション)』。
それは名前とは真逆の、世界を破壊に導く7つの絶技であった。
 一撃一撃が大陸を砕き、海を割り、空を裂くだけの力があっただろう。
特に最後に放った双掌打は、地面に放ったのなら地殻を貫き、地球の核までも破壊せしめたに違いない。
龍脈による強化を受けているとはいえ、およそ一人の少女が耐えられるものではない。

 だが、それでも祈は折れずに、『立ち上がった』。
それが。それだけが――絶対唯一の神への強烈な『否定』となる。
絶対唯一の神が、本気で心を折ると、肉体を葬り去ると宣言して放った必殺技。
 人間ならば、「今のは計算違いだったからもう一度」とでもいって再チャレンジできよう。
だが、宣言を行ったのは神を名乗る絶対者。
 たった一人の少女を葬るどころか、その心すら屈服させられない者が、
果たして世界を思うままにできる絶対の神たり得るか。
 アンテクリストは、その命題を突きつけられることになる。

「あたしは!! この世界を守って!! 橘音と尾弐のおっさんの結婚式に行く!
ポチとシロの子供ができたら抱っこさせてもらう!!
御幸には言いたいことがあるし、モノとはこれからも一緒に遊んで!
そんで将来は、橘音みたいな名探偵になるんだ! やりてーことがたくさんある!!
だからおまえから明日を奪い返すまで、死んでも死ねねぇんだよ!」

 祈は吠える。
その胸には、まず祈りがあった。
『みんなが幸せに向かって歩いていける世界。今の世界が、明日や明後日、ずっと続いていくこと』。
それはきさらぎ駅で父、晴陽に誓った約束でもある。
世界とそこに住む者たちを守りたいという、仲間や友や家族へ向ける温かい気持ち。
即ち――『愛』。

 愛した世界で、そこに住む人々と生き、仲間や友や家族と共に過ごすという夢。
即ち――『希望』。

 アンテクリストが祈の内面の恐怖を指摘したのは当たっている。
だがそれよりも祈がはるかに怖れたのは、この世界と愛する者を失うこと。
だからこそ、アンテクリストという強大な敵に立ち向かえる。
即ち――『勇気』。

 折れない、曲げない、屈しない。
脆弱なはずの半妖少女が貫き通した祈り、その意地が開いた可能性。
世界中から集まった『そうあれかし』が、黄金の光となって祈の体に集まっていく。
その負傷を癒し、力へと変わる。
 祈の纏う妖気が高まっていく。

「あたしを殺せるもんなら殺してみろ、赤マント!!」

 回復した右手を握りしめ眼前へ。そして再び、祈は変身する。
赤髪、黒衣、金眼。見た目はいつもと同様のターボフォーム。
だが黄金の光が、祈の力をさらなる高みへと導いている。
 偽神に立ち向かう東京ブリーチャーズの戦いを見ている何億もの人々が、
東京ブリーチャーズの勝利を願い、偽神の存在を否定するのなら。

「ブッ飛べ!!」

 その力は、きっとアンテクリストに届き始めるだろう。
アンテクリストの認識を揺らがせ始めるだろう。
 瞬間移動と見紛う速度で、祈はアンテクリストの眼前に移動し、握りしめた拳を、その顔面へと叩き込んだ。

【瀕死になったけどどうにか自力で立ち上がり、アンテクリストの認識を揺らがせようとする。
人々のそうあれかしで強化されつつ、アンテクリストの綺麗な顔面を殴りぬける】

356御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/03/14(日) 00:09:06
上空では、空を統べる巨鳥同士の対決が始まった。
氷の巨鳥を維持制御するだけでも生半可なことではないが、それだけではない。
橘音の変化術だろう、九尾の狐をモチーフとした巨大ロボのようなものが姿を現し、御幸に要請する。

>「ノエルさん!足場お願いします!」

「そんな無茶な!」

橘音の妖術はともかく、尾弐の格闘系の能力を活かすなら、足場が必要不可欠。
身長20メートルの巨大ロボが縦横無尽に動き回っても割れない巨大な足場を上空約240メートルに作るなど普通は不可能に思われる。
が、もしかしたら自分よりも自分のことをよく知っている唯一無二の幼馴染にして親友が当然出来るだろうという調子で頼んでいるのなら。
帝都一の名探偵が出来ると判断したなら出来るのだ。

「橘音くんったら……こんな時まで平常運転なんだから!」

文字通りの君の天井は僕の床状態ででよく訓練された御幸にとって、橘音の無茶振りは平常運転であった。
御幸は踊るように傘の先端で足元に六華の模様を描き、中心に突き立てる。

「――銀盤の大氷原《グランドシルバーステージア》!!」

ヘリポートを中心に、雪の結晶が成長するように呪力の氷が広がっていく。
ヘリポートを同じ高さで超延長するような形で、巨大ロボが暴れ回れるほどの巨大な六角形型の氷の足場が出来上がった。

>「ギィィィィィッ!!!!」

「ダイヤモンドダスト!」

ジズが時折地面に向かって炎を吐き散らし、御幸はその度に熱波を中和する。

>「ッシャアアアアアアア―――――――ッ!!!」

気付けば、レビヤタンの放った超高圧ウォーターカッターの流れ弾が目の前に迫っていた。

「絶対零度《アブソリュート・ゼロ》!!」

絶対零度の概念で停止させられたウォーターカッターは、瞬時に凍り付いて地面に落ちて砕けた。

「こっちは分断させといて自分の側は全体攻撃ってそりゃないよ!」

直接アンテクリストと対峙している祈達は言うまでもなく、レヴィアタンと対峙している橘音達も、流れ弾にまで気を配っている余裕は無さそうだ。
幸いというべきか、三体の神獣の中でジズだけが旧約聖書に登場せず、他の二体に比べれば若干弱いと思われる。
となれば、御幸が流れ弾や全体攻撃の対処を受け持つ他はない。

「祈ちゃん達の方に水流が! ジズがまたブレス吐こうとしてるから備えて!」

霊的聴力を持つハクトがいちはやく敵の攻撃の気配を察知し御幸がそれを防ぐことで、なんとか戦線は維持できていた。
が、それはフレースヴェルグにジズの相手をさせているからこその話だ。
その均衡が崩れれば、戦線は瞬く間に崩壊するだろう。

357御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/03/14(日) 00:11:30
――ピシッ

氷の巨鳥の片翼がひびわれる不吉な音が響く。相手はまがい物といえども唯一神の駆る神獣。
いくら有利に立てそうな捕食者の属性を持とうとも、
数多の神を擁する神話の中の数いる神獣魔獣のうちの一つではそもそも基礎能力的に敵わなかったということか。

「まずいな……」

御幸の顔に焦りの色が浮かぶ。
ついに片翼が溶かされ、氷の巨鳥は崩壊しながら真っ逆さまに地面に落ちていく。

>「仲間はぼくひとりじゃないよ。
 そして敵はあの鳥だけじゃない……みんなを守ってあげるんだろ?
 護る力が君の力。それなら――立派に全員、護り通してみせようよ!」

「そんなこと言ったって……」

御幸の妖力をもってすればもう一度同じ物を作ることは可能だが、
かくあれかしが力を持つこの戦いにおいて、一度破られた手と同じ手ではすぐに破られてしまうだろう。
かといって、ジズにぶつけるにあたってフレースヴェルグ以上の適任も思いつかない。

>「ほら……来るよ!」

「やっば! なんか超怒ってる! ハクト下がって!」

散々邪魔をされてバーサク状態になったのではないかと思われる勢いのジズが、御幸達目掛けて飛来してくる。
御幸は傘を身構えるが、御幸の指令とは裏腹にハクトが前に出た。

>「月暈《ムーンヘイロー》!」

「ハクト!? 何やってんの下がってって……ダイヤモンドダスト!」

祈達の方にレヴィアタンのウォーターカッターの弾幕が行きそうになって慌てて阻止する。
高濃度の霧氷に阻まれ、事なきを得た。
御幸が暫しでも敵の全体攻撃への対処を怠れば、瞬く間に全滅する。ハクトはそれを分かっているのだろう。

>「ぅ……」

「氷鎖《フリーズチェーン》! ハクト! 今のうちに……」

呪氷の鎖が絡みつき、一瞬だけジズの動きを拘束する。が、ハクトは退かない。
もう一度突撃してきたジズを尚も迎え撃つ。

「コイツの相手は僕が! 君にはみんなを守る役目がある!」

確かに、御幸が自らジズの相手をしてしまっては戦線が崩壊する。
かといって、このままではハクトが昔話のごとく丸焼きになってしまう。
究極の選択を迫られた御幸は――

358御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/03/14(日) 00:13:06
「そうだね――輝く神の前に立つ盾《シールドオブスヴェル》!!」

ハクトの光のシールドに重ねるように、氷のシールドを展開する。

「駄目! 今すぐシールドを解いて!」

レヴィアタンの攻撃が激しさを増す。死の水刃が弾幕のように八方に放たれる。
御幸はシールドを展開したまま微笑んだ。

「君の言う通りだ。みんなを守るのが私の役目。その”みんな”の中に君も入ってるんだよ?
――絶対零度《アブソリュート・ゼロ》!」

放たれた水流が、一斉に細かい氷の粒となって砕け散った。
上級妖術を発動しながらの更に他の上級妖術の発動。二重詠唱とかダブルキャストと俗に言われるものだ。
御幸はスケート靴の靴底を蹴って、自ら作り出した氷のステージに躍り出た。

「さあ来いよローストチキン! お前の相手なんて片手間で十分だ!」

氷上を舞いながら大きさ可変の傘(正確には傘型盾兼槍)を自在に操り、神の鳥を翻弄する。

「乃恵瑠! ブレス来る!」

「氷弾《フリーズガトリング》!!」

傘の先から弾幕のように氷弾を放ち、ジズの口の中にぶち込む。
炎の息を放たれる前に氷をぶち込んで阻止しようという作戦である。

「全く、世話が焼けるな……」

なんとか戦線が持ち直したのを見て暫し安堵するハクトだったが、突如悲鳴のような声をあげた。

「乃恵瑠……! 腕……!」

御幸の左腕が風化するように雪の粉となって崩れてきている。
度を超えた妖術の行使に肉体が維持できなくなってきているのだ。

「あ……参ったなあ」

御幸は困ったように笑った。祈がアンテクリストを弱体化するにはまだ時間がかかるだろう。
少なくともそれまでは戦線を維持しなければならない。……だというのに。
飛んできたウォーターカッターを防ぎそこね、文字通り土手っ腹に風穴が開いた。

「マジか……!」

御幸はがっくりと膝を突いた。腹に開いた穴から、体の末端から、徐々に雪となって崩れていく。
絶体絶命の状況――だというのに、御幸は不敵に笑っていた。

359御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/03/14(日) 00:16:06
――あなたはかつて、三尾を喪ったことで我を忘れ、麓の村を滅ぼした。
 幼い身に釣り合わない莫大な妖力を用いて。不本意ですが、今必要なのはその力です。

「母上の言う通りだ……。まだだ……まだ全部見せてない」

雪の女王が言った通り、ノエルが今までで真の力を解放したのは、麓の村を滅ぼした時の一回っきり。
御幸はまだ、全てを見せてはいない。

「ハクト……びっくりしないでね。肉体なんて飾りなんだ」

「何をする気!?」

あの日、橋役様に選ばれた生贄の少年が最期に見たのは――実体無き雪の精だった。
妖狐の原型は当然狐。送り狼の原型はニホンオオカミ。
では雪女の原型は何か――強いて言うなら雪山の極寒の冷気。原型からして形あるものではないのだ。
よって、普段は肉体を維持することに実はかなりのリソースを消費している。
肉体という枷から解き放たれることでのみ、真の力が解放されるのだ。
が、仮初の肉体をよすがに存在を認識されている雪女にとって、それは死と紙一重。

「みゆきはあのまま消えてもおかしくなかった。
そうならなかったのはきっと……きっちゃんが想ってくれたから。だから、今度も大丈夫」

体が全部崩れ去る寸前。

「奥義ッ! ――御幸乃恵瑠《ホワイトクリスマス》!!」

滅茶苦茶季節外れな技名を叫ぶと同時に、御幸を中心に凄まじい吹雪が渦巻いた。
辺り一帯が不思議な冷気に包まれ、粉雪が舞い始める。
御幸は忽然と姿を消し、その場には新しいそり靴と、傘型に合体したままの世界のすべてと理性の氷パズルが落ちていた。

「乃恵瑠……乃恵瑠! どこにいったの!?」

ハクトが御幸がいた場所に駆け寄り、悲痛な声をあげながら御幸の姿を探す。

「ここだよ」

声がしたのは頭上。
御幸は、ハクトにとって最も馴染みの深い乃恵瑠の姿になって、何食わぬ顔で浮かんでいた。

「もう……! びっくりさせるんだから……!」

「えへへ、ごめん。見ててね。一人残らず護り通してみせるから!」

スケート靴と傘が冷気の風で舞い上がり、乃恵瑠の手足におさまる。正確には、器用に装備しているように見えるような形で浮いている。
戦闘域全体に満ちる冷気こそが、真なる原型となり力を解放した御幸の本体。
ハクトが見ている乃恵瑠は実体ではなく、立体映像のようなものだ。
そして、乃恵瑠に見えているのは飽くまでもハクトから見た見え方だ。
見る者によってノエルに見えたりみゆきに見えたり深雪に見えたり、同じ者から見てもその時によって違って見えたりもするかもしれない。
御幸が腕を一振りすると、吹雪の竜巻とでもいうべきものがジズを包み込む。

360御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/03/14(日) 00:18:44
「待たせたな焼き鳥! 仕切り直しだ!」

かつて麓の村を滅ぼし多くの人間を死に至らしめた忌まわしき力を、今度は守るために。
一人の人間を模した肉体に捕らわれている状態では、認識力や手の届く範囲に限界がある。
が、今の状態でなら戦闘域で起こっていること全てが手に取るように分かり、各所同時の味方の援護と敵の妨害が可能だ。
ハクトの持つ武器である杵が氷のウォーハンマーのようなものに進化する。
レビヤタンの放つ水流が仲間達に届く前に全て落下していく。
のみならず、致命傷になりそうな攻撃は悉く氷のシールドに阻まれるだろう。
――そのはずだったのだが。祈の受けたその攻撃の場合だけは違った。

>「い……、いったい何が……?」

祈が瞬間的に姿を消したかと思うと、次の瞬間にはズタズタになって床に転がっていた。

>「ああ……!祈!祈……!!」
>「祈ちゃん!しっかり……!
 アンテクリストの攻撃に屈してはなりません!」

「そんな……今度こそ力になれると思ったのに」

「乃恵瑠……」

いかなる攻撃にも対処できるとはいっても、それは攻撃がこの空間で行われればの話だ。
異空間に拉致されて攻撃されたのでは、対処のしようがない。

>「このブリガドーン空間では、精神の強さ――心の強靭さこそが鍵となるのです!『そうあれかし』の力が……!
 アンテクリストの強さの源も同じ!アンテクリストは自らを絶対神と信じる『そうあれかし』によって、
 無限の力を手に入れている……!
 アンテクリストを撃破するなら、その絶対の自負を!おのれを神と定義するその認識を打ち砕かなければならない!」

橘音が祈に対処方法を授けている。が、御幸は何も言わない。

「君も何か言ってあげなよ」

「……だって! 祈ちゃんもう十分過ぎるほど頑張ってるのにもっと頑張れなんて言えないよ!」

「バカ! 約束したんだろ!? 苦しい時も死の縁に瀕した時もいついかなる時も味方だって」

ハクトに叱咤され、ようやく意を決する。比類なきヘタレである。
そして、一聴すると感情を感じられないクールな声で告げる。
そうしなければ収拾がつかなくなるから敢えて感情を抑えているのかもしれない。

「さっさと起きなよ。君にこんなところでくたばってもらったら困るんだ。
君には我が一族の遠大なる計画のためにずっと役に立って貰わなきゃいけないんだから。
君は別に世界を変えたいなんて思ってないんだろうけどさ。そりゃ無理な話だ。
君は存在しているだけで少しずつ世界を変えてしまう。……生きているだけで否応なく誰かを幸せにしてしまう。
本当かって? 少なくとも……ここに一人」

361御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/03/14(日) 00:19:36
この間にも、御幸(の立体映像)は、何事もないようにジズと戦っていた。

「乃恵瑠……なんて言ったの?」

「別に。ここでくたばってもらったら困るって言っただけさ」

「もう! 君って妖怪は!」

「何で怒ってるの?」

「別に!」

>「祈……!!」
>「立ち上がるんです、祈ちゃん!」
>「祈さん!」

人々の想いからなる黄金の光が、祈の体に注ぎ込まれていく。

>「聞、こえ、なかったか……? “ザコ”……っつったんだよ。クソ神」

祈が目を覚ます気配を察した御幸は、それが当然とでもいうような態度を装いハクトに声をかける。

「……そろそろケリをつけよう。
ハクト、内と外からの挟撃だ。炎だって凍らせてしまえば砕ける。
私が内側から凍りつかせるから君がその瞬間に叩き壊すんだ。必ず守るから、信じて合わせて」

「今更何言ってるんだか」

「そう言うと思った」

ジズが炎を吐こうと口を開けた瞬間、御幸はその口の中に飛び込んだ。

「いくよ! だぁああああああああああああ!!」

「うりゃぁあああああああああああああッ!!」

ジズはそのまま構わずに炎を吐くが、ハクトは躊躇なくジズに向かって大ジャンプした。
御幸の力による氷のシールドが展開し、炎を阻む。そのまま冷気の風に乗り、自由落下以上の速度でジズに迫る。
着弾する直前、燃え盛る炎であるはずの神の鳥の体が凍り付いたように見えた。

「「万象凍結粉砕撃《インフィニティパワー・アイスストーム》!!」」

ハクトはあやまたず、ジズの心臓部めがけて絶対零度の氷のウォーハンマーを振りぬいた。

362尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/03/21(日) 18:08:11
>「オーケイです、クロオさん!やりますよ……ボクのとっておき!
>ボクの術が完成するまで、アイツの相手をお願いします!」

「――――応っ!!」

返事は一言、それで十分。
この暗く醜く穢れた美しい世界で、自分の隣を歩き続けてくれた相棒。
何よりも誰よりも愛する女。その女の為の助けになるのに、二言目など必要無い。
地を抉る水槍を前にして、尾弐黒雄は凄絶な笑みを浮かべる。

「さぁて、第2ラウンドだ蛇公!せいぜい良く狙え!テメェの敵が此処に居るぞ!!」

瓦礫だらけの道路を疾走し、僅かに射線から逃れる。
アスファルトを捲りあげて、照準を絞らせない。
蹴り上げたトラックが爆散し、僅かに水を散らす。
禹歩によって結界を作り上げ、瞬き程の間水を押し留める。
水を放たれるより前に懐に飛び込み、水の体を散らして射出を阻害する。
ビルは――盾にならず。瓦礫を貫通した水流は尾弐の首の肉を削る。

致命に至る傷こそ避けているとはいえ、息つかせぬ猛攻は尾弐の肉体を少しずつ削り取っていく。
しかし、その精神は欠片すらも削れる事は無い。
避ける。防ぐ。躱す。肉を切らせ見切る。
終わりの見えない怒涛の攻撃を、尾弐黒雄は耐え抜いていく。
任せると言ったのだ――――ならば、自分がここで折れる訳にはいかない。

「どうしたどうした!腰の悪ぃオジサン一人殺せねぇで神獣名乗るなんざ恥ずかしくねぇのか!?」
「ああそうか!あの赤マントのペットだもんなぁ!この程度で限界でも仕方ねぇよなぁ!!!」
「なあ、ミミズ野郎!!」

尾弐の挑発を受けて、赤い怒りの感情を湛えたレビヤタンが咆哮する。
強大な存在とはいえ彼の神獣は生みだされたばかり。
なまじ知性と気位が有るが故に、矮小で穢れた存在からの侮蔑を無視する事が出来ない。
本当に狙うべきは膨大な妖力を纏い始めた那須野橘音であると理性が囁いても、神獣としての矜持が尾弐を殺せと叫び狂うのだ。

生まれえて初めて抱く怒りは瞬間的にレビヤタンの力を増幅し――――とうとう水流は尾弐黒雄の黒鎧を砕き、その腹に巨大な穴を開けた。
恐らく、レビヤタンは己の勝利を確信した事だろう。
目障りな悪鬼を誅し鬱憤を晴らした事だろう。
後は妖狐を討つのみだと、そう判断したことだろう。

そして、気付くに違いない。

腹に孔を空けられ吹き飛んだ尾弐黒雄。
その吹き飛ばされた先に、那須野橘音が居る事に。

>「クロオさん……!!」
「応――――待たせたな。橘音」

本来であれば致命である筈の傷を負ったまま、しかし声は震える事すらなく。
尾弐黒雄は、伸ばされた那須野橘音の手を笑顔で掴み取る。

>「天(てん)の紫微宮、天(あめ)の北辰。
>太微垣、紫微垣、天市垣即ち天球より此岸をみそなわす、西藩七星なりし天皇大帝に希(こいねが)い奉る。
>我が身に星辰の加護を、我らが太祖の力を顕現させ賜え――
>妖狐大変化!」

レビヤタンは強い。
一神教において伝説と語り継がれるその存在は、産まれた時点で神獣としての頂点に君臨している。
この世界全てを見渡しても、彼の神獣に打ち勝てる存在はそう居ないだろう。

なればこそ――――括目せよ、神の獣。
其の眼前に居る者は、生まれながらの弱き者。
数多の因果。数多の悪意。数多の恐怖。数多の絶望。
有形無形の世界の悪に叩き伏せられ、押しつぶされて来た者の成れの果て。

そして、その深く暗い闇の中で立ち上がり、愛を手にした者達である。

363尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/03/21(日) 18:08:53
>「何とか成功したみたいですね。今、クロオさんとボクは妖術によってひとつに融け合っています。
>ひとりじゃ勝ち目のない戦いだって、ふたりなら。クロオさんとボクなら必ず勝てる!
>最後の最後だ、どうせなら――ド派手に行きましょう!」

「ハ――――そりゃあ最高だ!負ける気がしねぇな!!」

尾弐と橘音が変幻せしは九尾の妖狐。星を管理する程の格を有す伝説の妖怪。
莫大とも呼べる妖力と殺生石の伝説で知られた毒霧は、万物を穿つ水撃ですらも阻んで止めてみせた。
眼前のレビヤタンから伝わってくる感情は『動揺』。
一神教の神以外に自身の攻撃を封殺する存在がいるなど、彼の神獣にとって想像すら出来ぬ事だったのだろう。
尾弐は暖かな世界に響く最愛の声に言葉を返しつつ、己について思う。

『尾弐黒雄』。
帝都漂白が失敗した時の為に用意された、全てを殺して壊して黒く塗りつぶす弐本目の尾(セカンドプラン)。
御前の言葉遊びで付けられた、コードネームに過ぎなかったその名前。
漂白されたまま漂泊し続けたその名は、ようやくその意味を表白されたのだ。
那須野橘音のもう一つの尾。互いを支え支えられる名として。

ならば!
ならば!!
ならば!!!

「俺はその役目を!願いを!果たさねぇとなぁ!!!!」

>「これでどうです?正義のヒーローには、やっぱり巨大ロボがつきものですから!
>名付けて――対神獣用決戦大甲冑・黒尾王!!」
>「さあ、クロオさん!
>改めて、海蛇退治と洒落込みましょう!!」

「いいセンスじゃねぇか橘音!それじゃあ、年甲斐も無く……ヒーローの時間といこうぜ!!」

那須野橘音の権能により、九尾の狐がその形態を変質させる。
産み出された姿は、8の光の尾と1の黒き尾を持つ巨人。
それはまるで、少年たちが幼き頃に夢見るヒーローが来る機神の様で。

>「ギギィィィィィィィィィィィィィィ……!!!」

『弧毒殺掌』
『九鬼刃』

水源が存在する限り無限に復元し、傷すら負う事のない無敵の神獣レビヤタン。
しかし黒尾王はその無敵を打ち砕いて行く。
もはや概念を蝕む程に凶化された猛毒は、水の身体を変質させ掴み取る。
繰り出す手刀はただの一撃で九度、水の体を切り刻む。
鬼の力と妖狐の技。二つの極地を合わせたその力は、混ざり合い増幅し、究極の先へと手を伸ばしていく。

「は!腰も痛くねぇし体は思うように動くし――――何より、橘音!お前さんが側にいる!」

今の尾弐黒雄は幸福な未来を強く願う。誰にも負ける気がしない。
そして、ブリガドーン空間においてはその意志と願いこそが力となる。

364尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/03/21(日) 18:12:53
『大八百尺千手掌』
黒尾王が右手を大地に叩きつければ、瘴気を纏う無数の腕が背後から延びレビヤタンの肉体を掴み取る。
其れを嫌い、振り払おうとレビヤタンは収束した水流を撃ち出したが、その先に薄紫色の半透明な壁が現れる

『御社宮司蛇鱗盾』
巨大な蛇の鱗を模したそれは概念の防御。現代兵器ですら貫く事の出来ぬ防御が殺意もろともその攻撃を遮断した。
その光景を目にしたレビヤタンは、全身から水流を放つ事で無理やりに瘴気の腕を振り払う。
そのまま周囲全てを一掃すべく照準を帝都の町も含めた周囲一帯に定めたが

『蒼天悪鬼夜行』
黒尾王が片腕を天に翳すと、レビヤタンの上空と足元に、丑寅の方角の模様だけが描けた八卦の陣が現れる。
そして現れるのは、刀、金棒、鉄球。様々な獲物を持つ黄金色の悪鬼共。
彼らの総攻撃はレビヤタンの水の身体を破砕し、攻撃を不発に終わらせた。

黒尾王が繰り出すは、かつての対峙してきた強敵達の技。
それらを那須野橘音の技巧で昇華再現し、尾弐黒雄の戦闘経験と直感で再演していく。
それらは全てが規格外。神の獣に届き得る一撃。
しかし……それらの力を用いても尚、レビヤタンを滅ぼしきる事は出来ない。
水とは命の母。あらゆる生命の揺りかご。
帝都全ての命を支える水源が、レビヤタンの体を瞬く間に復元していく。
世界から水が無くなるまで……この世界の終わりまでレビヤタンは、神の獣は滅びない。
その事を自覚し、復元途中ながらも勝利を確信して哄笑を上げるレビヤタン。
そして、復元を終えた彼の瞳は驚愕と共にその光景を目撃する。

『超級愛鬼神装(アスラズ・アモーレ)』

黒尾王の右腕に握られしは、白と黒の紋様で彩られた巨体たる黒尾王に倍する大剣。
それは、かつて尾弐が対峙した闘神アラストールの至った武の極地の『その先』にある奇跡。
尾弐黒雄一人では決してたどり着けない、那須野橘音と共に在るからこそ成し遂げられた理外の御業。
妖力と闘気と瘴気、それに人々の願いを合一させた、高次概念の物質化。
通常の世界であれば、決して成し遂げる事の出来ない奇跡の具現。

「祈の嬢ちゃん、折れるな。信じろ。俺達は―――強い」
「それを今、証明してやるッッ!!!!」

レビヤタンから視線を逸らさず、けれど橘音の声を聴きアンテクリストの猛攻に晒されている祈に向けて言葉を放ち。
黒尾王は大剣を居合抜きの様に構える。

「――――神夢想酒天流抜刀術・天技」

想起するのは、かつて尾弐黒雄が受けた中で最も鋭く深い一撃
命そのものを断絶する『死』の具現。
その絶技に秘術である神変奇特を混ぜ合わせ、奥義『黒尾(コクビ)』を内側へと向けて使用する事で概念を深化させる。

「鬼哭啾々――『鬼殺し・天弧』!!!!」

瞬間、音が消えた。まるで雪の日の夜の様に。
次に響いたのは、役目を終えた大剣が硝子の様に砕けて消える音。
ああ、そうだ。敵が不死身の体であるのなら、不死身に死を与えればいい。



その日、尾弐と橘音の刃は不死を斬り堕とした。。

365ポチ ◆CDuTShoToA:2021/03/28(日) 06:39:50
ベヘモットの巨体が、夜の帳を超えた。

「ふっ……!!」

瞬間、百を超える拳打と蹴撃が、ベヘモットの顔面に叩き込まれた。
上から下へ叩きつけるように。この獣の王に頭を垂れろ、と。

これが『僕の縄張り』の力。どこにでもいて、どこにもいない。
故に一呼吸の内に百撃でも――その気になれば千撃でも繰り出す事が出来る。

しかし――ベヘモットはまるで動じなかった。
ほんの少し頭部の位置が下がり、突進の勢いが弱りはしたが、それも一瞬。
すぐに顔を上げて、失った速力を取り戻さんと力強く地を踏みしだく。

「クソ、硬い……!」

悪態をつくポチは、しかし追撃を仕掛けない。
大きく飛び退き、一度深く息を吸い、呼吸を整える。
無論、それは必要に迫られての行為だった。

何故なら。
一瞬の間に百を超える打撃を放ったという事は、一瞬の間にその反動と疲労が訪れるという事。
しかもそれは単なる連打ではない。一つ一つが全身全霊を込めた打撃なのだ。
いかに狼のタフネスと言えど、息一つ乱さずに、とはいかない。

「っ、しゃあ!」

とは言え、深呼吸一つで呼吸は正調。
裂帛の気合と共にポチは再びベヘモットへ飛びかかる。

「しぃッ!」

狙いはベヘモットの巨体を推し進める右前足。放つは渾身の左ソバット。
全く同じ速度と軌道で、全く同じ箇所へ、一瞬間に叩き込まれる、十の蹴撃。
一瞬の間に百の打撃を放つにはそれなりの消耗が伴う。
だが、十の打撃を十回。
結果的に一呼吸の間に百の打撃を放つ事は、送り狼のタフネスなら容易い。

右肘打、左膝蹴り、右鉄槌、左フック――脚部への執拗な連撃。
重なる打撃音。砕けたコンクリートの破片が、へし折れた鉄筋が、廃車から剥離した金属片が飛び散る。
だが――浅い。こんな物はただの被毛と同じだ。
瓦礫の怪物の、その奥にまで攻撃が届いている気がしない。

>「はあああああああああッ!!!!」

シロが吼える。
拳法においてはポチを遥かに上回るセンスを持ち、修練によってそれを磨き上げてきた。
そのシロの嵐の如き連撃をもってしても、ベヘモットの芯を捉え切れない。

「クソ、デカブツめ……!」

あと十秒もしない内に、ベヘモットは都庁へと激突するだろう。
そうなれば屋上で戦う橘音達は突然、その足場を失う事になる。
この激戦の最中にそんな事が起きれば、どうなるかは明白。
なんとしてでも、止めなくては――ポチの全身から妖気が滾る。

一瞬百撃では足りなかった。ならば――千撃だったら、どうか。
たった一瞬の内に、千の打撃を叩き込めば。
いかにベヘモットと言えど、踏み留まれない――かもしれない。
その試みが成功するかどうか、確証は持てない。

366ポチ ◆CDuTShoToA:2021/03/28(日) 06:41:33
だが、その試みの代償についてならば、ポチは既に確信を得ている。
千の打撃、その反動によってポチの拳は手足は砕け、呼吸もままならないほどの疲労に襲われる。
故に挑むならば、必ず為遂げなくてはならない。
出来るのか。このそびえ立つ岩山を、己が身一つで転ばせる事が。

獣の直感は――出来るとは答えてくれなかった。
ポチが、ベヘモットから目を逸らした。
それは、睨み合う獣同士の、敗北を察した方が見せる仕草――――ではない。

ポチはただ宵闇の中、己がつがいに目配せをしただけだ。
どこにでもいて、どこにもいない――それでも、彼女は必ず自分の傍にいると。

>「――参ります!!」

果たして、それはシロも同じだった。
目と目が合う。お互いが何をしようとしているのか、瞬きの間に理解した。

>「影狼!」

迫るベヘモット――赤黒い宵闇の中、十一の影狼を従えたシロが凛然と立ちはだかる。
影狼。今となっては、ポチはその正体がただの闘気と妖気の塊ではない事が分かる。
彼らからは、遠野の山奥で出逢った、あのニホンオオカミ達と同じにおいがした。

いつからなのかは分からない。だが、もしかしたら、ポチが出会うずっと前から。
彼らはシロの傍にいた。彼女に力を貸してくれた。

>「たあああああああああああああああ――――――――ッ!!!!」

シロが地を蹴る。アスファルトの後塵を残して、疾風と化す。
その姿に追従する十一の影狼。
シロが拳を振りかぶる。固く握り締めた拳に、影狼達が宿る。
そして――シロが、その拳が、一筋の純白の閃光と化した。

>「秘奥義――――終影狼(ついかげろう)!!!!」

重く轟く打撃音――凄まじい威力の余波が、突風と化して空気を揺さぶる。
ベヘモットの頭部に亀裂が生じる。その亀裂が一瞬にも満たない間に、爆発的に広がっていく。
ベヘモットの額を構築する瓦礫がひび割れ、砕け、飛び散った。

その巨体が、ほんの僅かにだが揺らいだ。

「――ありがとう、シロ」

それだけで、ポチにとっては十分だった。
獣の直感が告げていた。今なら狩れる。そいつはもう、お前の獲物だと。
そして――ポチは地を蹴った。地を蹴った。地を蹴った。

どこにでもいて、どこにもいない。
その気になれば千の打撃でも一瞬で放つ事が出来る。
だが一方で、その反動も一瞬の間に返ってくる。
つまり――この『縄張り』の中、ポチは本来の何倍でも、何十倍でも、素早く駆け出せる。

「次は、僕の番だ」

そして、どこにでもいて、どこにもいない。
故にその加速度を保ったまま、百撃でも――千撃でも、放つ事が出来る。

「一瞬千撃……なんてね」

瞬間――ぱん、と破裂音が響いた。
一瞬間に放たれた千の打撃は、そこから生じた音さえもが一つの炸裂と化した。

ならば、ならば、その打撃そのものが生み出す破壊力は――




――まるでそうなる事が当然であるかのように、徹底的に、ベヘモットの右前足を破壊していた。

367ポチ ◆CDuTShoToA:2021/03/28(日) 06:42:59
脛部装甲は完全に剥がれ落ち、その奥にある骨格さえもが引き裂けている。
膝部にも大きな亀裂が刻まれて――ベヘモットの巨体が崩れ落ちる。膝を突く。
それでも――驚くべき事に、ベヘモットは踏み留まった。
砕けた膝で、しかしその山の如き巨体を支え、持ち直してさえみせた。

そして唸り声を上げた。
捩じ切れた鉄骨で出来た牙が鋭く光る。
砕けたガラスと金属片で出来た右目が、凶悪な眼光を宿してポチを睨む。

それは明確な敵対行動だった。
ベヘモットは今ようやくポチとシロが――この矮小な、たった二匹の獣が、己の敵になり得ると認識したのだ。

「遅えよ、ばぁか」

その直後。もう一度炸裂音が響いた。
一瞬。たった一瞬で、ベヘモットの牙は全てへし折れていた。
ポチを捉えようとしていた右目は粉々に打ち砕かれていた。

「――お前、もう終わってるんだよ」

ベヘモットは左目に強い衝撃を感じた。
何かがそこに飛び乗ってきたのだと、すぐに理解した。
そこには暗闇がいた。己の悪性を解き放った、夜闇への恐怖の象徴としての送り狼が。

「ゲハハ……!」

ポチの全身から邪悪な妖気が溢れている。
千撃の反動で砕けたはずの手足はその妖気によって再生していて――その姿が消える。
瞬間、炸裂音。ベヘモットの頸部に亀裂が走る――だが、浅い。

「ゲハハハハハハハ――――――!!」

ベヘモットが吼える。舐めるなと言わんばかりに。
だが、その咆哮さえも、続く炸裂音が掻き消した。
ベヘモットの左目が砕け散って、咆哮は悲鳴に変わった。

「ゲァ――――ッハハハハハハハハハァ――――――――――ッ!!!」

炸裂音。ベヘモットの右後ろ足がへし折られた。その巨体が倒れ込む。
ベヘモットはなんとか再び立ち上がろうとしている。
炸裂音。ベヘモットの左前足に無数の亀裂が走る。
損壊した前足は巨体の自重に耐え切れず、ばらばらになった。

送り狼の悪性。そこから溢れる妖力に任せた、一瞬千撃の連続使用。
これは技ではない。
暗闇というテリトリーの中、送り狼が己の獲物と定められた存在をただ、殺めようとしているだけ。
当たり前の事が、当たり前にそうなろうとしているだけ。
故に技ではない。故にこの行為に特別な名前などない。

「……そうだな。『狼獄』。『狼獄』がいい」

名前など――なかった。

368ポチ ◆CDuTShoToA:2021/03/28(日) 06:46:06
「もし、お前に知性とか、知能とか、そういうものがあって。
 僕の声が聞こえてるなら……よく覚えておけ」

ふと――倒れ伏したベヘモット、その前方にポチが姿を現した。

「『狼獄』。それがお前を殺す、僕の奥の手の名前だ。この狼王の切り札。
 そして……きっと、あのクソッタレの神様気取りにもブチ込んでやる奥義の名前だ」

アンテクリスト曰く――ベヘモットは大地を束ねる者。神の獣。
ならば、その名に相応しい終わりが訪れるべきだ。
例えそれが瓦礫で出来た、血の通わない偽物の獣だったとしても。
お前はこの狼王の秘技によって死ぬのだ。
そしてお前を葬るこの奥義は、あの偽神にも、きっと届く。
それほどの技でお前は死ぬのだ。
そう言ってやるべきだと、ポチは思った。

「……それだけだ」

そう言うとポチは深く息を吸い込んで――

「オオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――――――――ンッ!!!」

高らかに、吼えた。
それは今も都庁の屋上で、たった二人で偽神に立ち向かう祈への遠吠えだった。
こっちは大丈夫。すぐに戻るよ。頑張って――君なら、きっと大丈夫だろうけど。
そんな思いを込めた遠吠え。

そして、その遠吠えが終わると同時――炸裂音が響く。
宵闇が晴れる――ベヘモットの頸が、ポチの目の前に転がっていた。

369那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/03/31(水) 10:54:36
スクラップ・アンド・ビルド。
新たな創造を行うためには、先ず破壊がなければならない。
終世主アンテクリストの放った『天地創造(セヴンデイズ・クリエイション)』は、まさに創造の前に齎される破壊。
創造神の揮う奇蹟に相応しい、現在の文明を、ありとあらゆる生命を、七度絶滅させることのできる極技であった。
龍脈の力を得たとはいえ、たかが中学生の小娘ひとりに受け止められるものではない。

「祈!祈ッ……ああ、目を覚まして……!
 お願い、お願いです……祈……!!」

レディベアが自らの負傷も顧みず、祈を抱き起こして懸命に呼びかける。
しかし、祈は動かない。
ふたりの少女の悲愴な姿を見下ろし、アンテクリストが嗤う。

「無駄だ。いかな龍脈の神子とて、我が御業に抗う術なし。
 神子は死んだ。『それ』はただの肉の塊に過ぎぬ。
 これで再び龍脈の力も我が手に――汝らの抵抗など、所詮は無駄だったということだ」

「……アンテ……クリスト……!」

ギリ、と奥歯を強く噛みしめ、レディベアが神を睨みつける。
悪しき偽神には絶対に屈さないという、強い意志の籠もった瞳。
だが、そんなレディベアの必死の抵抗表明も、アンテクリストに優越を与える以外の意味を持たない。

「愚か。愚かよ、そして哀れなり……ブリガドーンの申し子。
 私が恵んでやった偽りの友誼に、尚も縋りつくというのか。
 それは言葉にできぬ愚昧なれど……同時にある種美しくもある。
 偽りの友。偽りの思慕。偽りの幸福――私の与えた偽物の情愛が、よもやこうまで見事な花を咲かせるとは。
 偽りにも、偽りなりの真実があるということか?」

「偽りなどでは……ありません……!
 祈とわたくしの友情は、愛情は、紛れもない本物ですわ!」

「否。偽りである。
 すべては汝に極上の絶望を味わわせんが為のもの。我が策謀のひとつ。
 汝は自分を独立した個人だと思い込んでいただけの、滑稽な操り人形に過ぎぬ。
 友情も、愛情も。すべてはこの私が組み込んだ歯車でしかない――」

「確かに……わたくしは人形でした。
 何も知らずにあなたの思惑に沿って踊るだけの、意思なき人形……。
 けれど!そんなわたくしに、祈は手を差し伸べてくれたのです!
 わたくしはその手を取った!それは、その選択は!紛れもなくわたくし自身の意思で行なったもの!
 例えわたくしという存在があなたの操り人形であったとしても!
 この、わたくしの胸に息衝く想いは……愛は!
 決して、あなたから与えられたものではありません!!」

アンテクリストの言葉を、レディベアは真っ向から否定した。
かつてふたりがまだ敵同士であった頃、祈は二度に渡ってレディベアを仕留められる絶好の機会を見逃した。
のっぴきならない状況がそうさせたのではない、祈は自ら望んでその好機を放棄したのだ。
そして、夜の公園でふたりの関係を友達ごっこと嘲笑った赤マントに対して、祈はこう言い放った。

『あたしとこいつのは、“ごっこ”なんかじゃねぇ!』

と。
レディベアはそれを信じる。その言葉を心から慈しむ。
何故ならば、それこそがこの世界で最も美しいもののひとつ。
極彩色の虚無に彩られた、異空の牢獄ブリガドーン空間の中には存在しなかったもの。
空間の隙間からずっと眺め遣り、憧れ、望み、焦がれ――
やっと。手に入れた宝物であったのだから。

「善い。ならば、汝も神子と共に葬り去ってくれよう。
 手に手を取って死ぬがいい。愛する神子と原型も留めぬ肉になって混ざり合えれば、本望というものであろう?」

じゃり、と足音を鳴らし、アンテクリストが今まさにふたりへとどめを刺さんと一歩を踏み出す。
ゆるりと差し伸べられた右手に、膨大な神力が凝縮してゆく。
レディベアにそれを防ぐ手段はない。もはや、進退は窮まったかに思えた。

だが。

それまで死んだようにぐったりと動かなかった祈の右手の指が、微かに動く。
祈を抱き締めた状態で、いち早くその動きに気付いたレディベアが隻眼を見開く。

「……い、祈……!!」

>――……………こ

「――なに?」

アンテクリストが眉間に皺を寄せ、怪訝な表情を浮かべる。
祈は、まだ死んではいなかった。

371那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/03/31(水) 10:56:42
>聞、こえ、なかったか……? “ザコ”……っつったんだよ。クソ神

「……なん……だと?」

祈が目を開く。レディベアの腕の中でゆっくりと身じろぎし、起き上がろうとする。

>効くかよ……あんな攻撃。あたしら東京ブリーチャーズはな……世界背負ってんだ。
 ……ぐ、がああああああッ!!

「ああ……祈!」

レディベアが涙を流して歓喜する。すぐにブリガドーン空間の力を使い、祈に治癒を施してゆく。
空を埋め尽くす黄金の粒子が、祈の小さな身体の中へ吸い込まれてゆく。
破裂した臓腑が、折れた全身の骨が、疲弊しきった肉体が瞬く間に回復し、力が漲る。
すべては『そうあれかし』。人の、妖の、この世界の生きとし生ける者たちの心のエネルギー。
それが、祈の中で無限の闘志となって激しい光芒を放つ。
アンテクリストは瞠目した。

「我が……我が第二の御業『天地創造(セヴンデイズ・クリエイション)』を受けて……即死していないだと……?
 莫迦な、こんなことがある筈がない……!」

唯一神とは、まさしく唯一の存在であるからこそ名乗ることを許される呼称である。
それは逆説的に『唯一でなければ名乗れない』ということでもある。
アンテクリストは己の取り戻した力を以てして唯一神を標榜した。
そして、その唯一神の権能を行使して龍脈の神子を葬り去ると宣言し――

失敗、した。

>あたしは!! この世界を守って!! 橘音と尾弐のおっさんの結婚式に行く!
 ポチとシロの子供ができたら抱っこさせてもらう!!
 御幸には言いたいことがあるし、モノとはこれからも一緒に遊んで!
 そんで将来は、橘音みたいな名探偵になるんだ! やりてーことがたくさんある!!
 だからおまえから明日を奪い返すまで、死んでも死ねねぇんだよ!」

「そんな下らぬ……取るに足らぬ理由で、立ち上がったというのか……?
 この神の、絶対神の、崇高なる創造神の御業に耐え切ったと……?」

レディベアの腕から離れ、立ち上がった祈が吼える。
アンテクリストは激しく動揺した。唯一の神、絶対の神。この惑星すべての存在を遥かに凌駕した、
超越者であるはずの自分が全力で放った奥義が、たかがひとりの半妖を仕留め切れなかった。
目の前に誤解のしようもなく厳然と突きつけられた事実に、戸惑っている。

>あたしを殺せるもんなら殺してみろ、赤マント!!

体内に漲る力を爆発させ、祈が再びターボフォームへと変身する。
だが、それは今までのターボフォームとは違う。黄金の光が、人々の想いが、祈の力を何百倍にも増幅させている。

「は――愚かな!
 汝の技など効かぬ!通じぬ!それは先に確と知らしめた筈!
 分からぬと言うなら、今一度実力の違いを――」

彗星のように黄金の尾を引きながら、祈が突進してくる。
アンテクリストは身構えた。彼我の実力差は圧倒的。仮に何らかの予想しえない要素によって少女が御業を防いだとしても、
その不文律が覆ることはない。
無謀な突撃などいとも容易く往なし、再度の『天地創造(セヴンデイズ・クリエイション)』で、
今度こそ完全に引導を渡してやればいい。
そう、思ったが。

>ブッ飛べ!!

バキィッ!!!!!

「!?」

祈の繰り出した右拳が、過たずアンテクリストの左頬にクリーンヒットする。
人々の想いの籠もった渾身の殴打を浴び、偽神は錐揉みしながらヘリポートの端まで吹き飛んだ。

「が……は……!
 な、何が……何が、起こった……?」

大きく翼を広げ、からくもヘリポートからの転落を免れると、アンテクリストは驚愕に目を見開いた。
口許を押さえた右手の間から、ぽたぽたと血が零れてコンクリートの床に点々と染みを作る。

「この、痛みは……か、神が……。
 神が……殴られて、出血する……だと……?」

「やりましたわ!祈!!」

偽神が動揺する一方で、レディベアが快哉を叫ぶ。
祈が『天地創造(セヴンデイズ・クリエイション)』を凌いだことで、
アンテクリストの中に屹立していた自己への絶対の自信という支柱に一条の亀裂が走った。
そして、今。神聖不可侵にして無敵とばかり思われていた肉体に一撃を受け、出血したことで、
精神の支柱には益々ヒビが入ることになった。
唯一神、創造神に昇華したはずの自分に届く者がいる。
絶対神を殴り、傷を負わせる存在がいる。
恐るべき認識が、脅威が、アンテクリストの『そうあれかし』を崩してゆく。

神の権能を、剥奪してゆく――。

372那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/03/31(水) 10:57:03
「お、の、れェェェェェェ――――――――――ッ!!!」

ゴウッ!!!

アンテクリストが激昂し、四対の翼を広げて祈へと迫る。
その拳が唸りを上げて繰り出される。

「卑しい半妖如きが!この神の!唯一にして絶対なる神の尊顔を傷つけようとは!
 瞬く間に爆ぜて詫びよ!汝の魂、辺獄にすら存在を許さぬ!!」

ガガガガガガガガッ!!!

憤怒と共に放たれる、絶対神の攻撃。その拳と蹴りの勢いは暴風さながらだ。
無数の打撃が秒の間さえなく祈を襲う。そして、その打撃はすべてが致死級。
並の妖怪ならば、否、大妖クラスであっても一撃貰えば即死か、良くてケ枯れは避けられまい。
だが。
今の祈ならば避けられるだろう。防御し、往なし、打ち崩すことが可能なはずだ。
共に『そうあれかし』の力を受けた者同士の闘いならば、その優劣を決めるのはごくごくシンプルな要素でしかない。
即ち――『想いの量』。
アンテクリストの意志の力は、他の追随を許さぬ強さであろう。
何せ2000年に及ぶ悲願の結晶である。それだけの長い間アンテクリストは、ベリアルは力を取り戻すという、
ただひとつの目的だけをひたすら願ってきた。それは余人には想像さえできない強い想いであろう。
しかし、どれほど強い願いであっても、それはベリアル個人の願い。ただひとりの意志に過ぎない。
その一方で、祈の許には今、この地球という惑星に生きる者たちの何十億もの想いが、願いが集まっている。
で、あるのなら。
想いの総量で祈がアンテクリストに負けることはありえない。

「私は神だ!創造神だ!この世界の誰も、この私と並び立つ者はおらぬ!存在してはならぬ!
 結婚式だと?子供だと?そんな下らぬ虫けらの望みが、世界を創造し直すという私の崇高なる望みに!
 匹敵していいはずがない――!!」

ギュバッ!!!

アンテクリストが大きく左の拳を振り上げる。
その一瞬の隙が、祈には見えるだろう。絶好の攻撃ポイントだということも。
祈の攻撃が鳩尾に突き刺さると、アンテクリストはまたしても大きく双眸を見開いて身体をくの字に折り曲げた。

「ぉ、ご、ぅ……!」

たたらを踏んでよろける。さらに出血が激しくなる。

「これは……何だ……?どうして、このようなことが……?
 こんなことが……あるはずがない……何かの間違いだ……」

どれほど神の力を使おうと、全力で叩き潰しにかかろうと、祈を仕留められない。
唯一神のはずの自分が、あべこべに圧倒されている。
そんな事実は断じて認められない。否定する以外にない。
しかしそれを口にした瞬間、アンテクリストはハッと気付いた。――気付いてしまった。

「私が、この神が……間違いを犯した……だ……と……?」

真の唯一神は間違えるまい。本当の絶対神ならば誤るまい。
だというのに――

『自分は、間違えてしまった』。

「ぐああああああああああああああああ……ッ!!!」

黄金の輝きをその身に吸収してゆく祈とは対照的に、アンテクリストの肉体から黄金の光が剥離してゆく。
アンテクリストが横奪した龍脈の力とブリガドーン空間の力、『神』を構成する要素が抜けてゆく。
これまで信じてやまなかった、神の力への信頼。
それをほんの一瞬でも疑ってしまったがゆえ、偽りなのではないかと勘繰ってしまったがゆえ。
『間違ってしまった』と思ってしまったがゆえ――

終世主は今まさに万物の頂点に君臨する唯一神の玉座より転落し、その権能を喪ったのであった。

「力が……力が、抜ける……!
 莫迦な……やめろ、戻れ……私は、この私は……この世界で唯一の、真なる神……!
 この偽善にまみれた世界を浄化する……ことを……許された……者……」

がくり、とヘリポートの床に右膝をつき、アンテクリストは苦悶に呻いた。
しゅうしゅうと音を立てながら、黄金の光がその身体から抜け出てゆく。
輝く光背は消え、頭上に頂いた光輪がくすんだ色に変わる。四対の純白の翼は萎れ、うち三対が脱落した。

「私は……私は、ぐ……ぅ……ッ!」

今やアンテクリストは大勢の人々を欺き、陥れ、祈とレディベアから掠め取った力のすべてを喪失し、
父なる神によってその権能を奪われたときと同じ、無力な堕天使へと立ち戻ってしまったかのように見えた。

373那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/03/31(水) 10:57:24
炎の不死鳥、空の獣ジズが都庁の上空を悠揚と飛翔している。
どれだけ御幸がありったけの妖力と妖術を叩き込んでも、一瞬しかジズを怯ませることができない。
加えて御幸はジズの相手だけでなく、戦場すべての状況を把握する必要があった。
御幸がどこか一箇所でも目を離してしまえば、戦線は崩壊する。

>マジか……!

御幸の左腕が崩壊し、加えてレビヤタンの光線めいた水撃の余波を受け胴体に風穴が開く。
誰がどう見ても御幸はもう戦闘続行不可能のように感じられた。
実際、ジズもそう判断した。あの雪妖、小癪にも神獣の一角である自分と張り合おうとした矮小な存在は、
身の丈に釣り合わない力を出したあげく、自壊しようとしている――と。
そして巨翼を一度羽搏かせ、大きく都庁上空を旋回すると、御幸にとどめを刺すべくその燃え盛る猛禽の双眸で眼下を睥睨した。
だが。

>母上の言う通りだ……。まだだ……まだ全部見せてない
>奥義ッ! ――御幸乃恵瑠《ホワイトクリスマス》!!

御幸の肉体が吹雪に変化し、周囲一帯で荒れ狂う。東京ブリーチャーズのいる戦闘フィールドに、無数の雪華が舞い散る。
季節外れの降雪、それは御幸――否、ノエルが己の姿そのものを冷気へと変質させた結果引き起こされたものだった。

「ギ、ギィィィッ……!」

猛吹雪が炎の巨鳥を包み込む。何もかもを凍らせるブリザードが、神の獣を凍結させようと荒れ狂う。
ジズは己の纏う炎の出力を上げて対抗した。
その火力は五魔神の一柱・コカベルのプロミネンス級の焔さえも上回る。
アンテクリストから無尽蔵に供給される神力が、ジズに際限のない燃焼を与えている。

>待たせたな焼き鳥! 仕切り直しだ!

「キョォォォォォォォ―――――――――――ッ!!!!」

ジズが甲高い叫び声を上げる。纏わりつく猛吹雪を、触れる端から蒸発させてゆく。
このままではジリ貧だ。無限の神力に裏打ちされた火力は、いくらノエルが自然の化身であったとしても御しきれるものではない。
ただ――それも『無限の神力のサポートがあるなら』である。

「力が……力が、抜ける……!
 莫迦な……やめろ、戻れ……私は、この私は……この世界で唯一の、真なる神……!
 この偽善にまみれた世界を浄化する……ことを……許された……者……」

祈が世界中の人々の想いによって再起し、アンテクリストを凌駕し始める。
たかが小娘ひとりを仕留め切れないことを疑問視したアンテクリストの身体から、力の源が剥離してゆく。
その結果――偽神の加護、その恩恵を受けていたジズもまた、存分に揮っていた力を剥奪される形になった。

「ギッ……ギギッ……!?」

吹き荒ぶ雪嵐すら焼き尽くす勢いで燃え盛っていたジズの炎が、まるでガス欠でも起こしたかのように火力を弱める。
いや、実際にそうなのだろう。アンテクリストからの神力の供給が途絶え、炎を全開にすることができなくなったのだ。

>……そろそろケリをつけよう。
 ハクト、内と外からの挟撃だ。炎だって凍らせてしまえば砕ける。
 私が内側から凍りつかせるから君がその瞬間に叩き壊すんだ。必ず守るから、信じて合わせて

ノエルとハクトが示し合わせ、最後の攻撃を放とうと息を合わせる。
ジズは激昂した。地面を這い蹲る虫けらが、尊貴なる三神獣の一翼たる空の獣を斃そうなどと、不遜が過ぎる。
そのように傲り高ぶった愚か者は、聖なる神の焔にて形も残らぬよう一切浄化しなければならない。

「ピギョォォォォォォォォ――――――――――――ン!!!」

あたかも鷲が獲物を狙うように、ジズはノエルとハクトの真正面に急降下してきた。
そして大きく口を開き、今までで一番烈しい火力の吐息でふたりを融解させようとする。
が――それがふたりの狙いであった。

>いくよ! だぁああああああああああああ!!
>うりゃぁあああああああああああああッ!!

ノエルが渾身の力でジズの口の中へと飛び込み、ハクトが氷の金槌を振りかぶって跳躍する。
もしもアンテクリストがなおも絶対神の権能を有していたなら。ジズが唯一神の神力供給を今も受けていたなら。
ノエルはジズの体内で荒れ狂う炎に呑み込まれ蒸発していただろう。
ハクトの一撃は体表の放出する熱によって無効化され、神の鳥に掠り傷ひとつも負わせることはできなかっただろう。
だが。

今は、そうではない。

>万象凍結粉砕撃《インフィニティパワー・アイスストーム》!!

ノエルとハクト、ジズの身体の内と外にいるふたりの叫びがひとつに重なる。

ビシッ!!!

鼎の三神獣が一角、空の獣。炎の不死鳥ジズはノエルによって凍結させられた心臓をハクトに粉砕され、
全身を一個の巨大な氷の彫像へと変えると、バラバラに砕け散った。

374那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/03/31(水) 10:57:44
レビヤタンはありとあらゆる書物に於いて『最大の獣』と称された、文字通り生物の頂点である。
その鱗は現存するすべての武具を受け付けず、体躯は他の生命体を圧倒し。
ただ身じろぎするだけでも天変地異を引き起こす――と、文献にはある。
偽神アンテクリストによって召喚されたレビヤタンも、それは変わらない。
東京都の水源から確保される潤沢な水量によって、その肉体はまさに不滅。無敵。
すべての生物は自分の前に拝跪しなければならない。神の獣、海の王者たるレビヤタンに――。

だのに。

>どうしたどうした!腰の悪ぃオジサン一人殺せねぇで神獣名乗るなんざ恥ずかしくねぇのか!?
 ああそうか!あの赤マントのペットだもんなぁ!この程度で限界でも仕方ねぇよなぁ!!!
 なあ、ミミズ野郎!!

何だ。この小さな存在は。
レビヤタンは憤った。このような小さな、自分と比してはクジラとプランクトンほども差のある者が。
百獣、いやさ億獣の王たるこのレビヤタンを愚弄することなど、在っていいはずがない。

撃殺すべし。
討滅すべし。
誅戮すべし。

だが、不思議なことに。本来自分がほんの僅かに動くだけで瞬く間に死ぬはずの虫けらが、なぜか死なない。
どころかその虫けらはいつの間にか力を蓄えていたもう一匹の虫けらと結託し、自身に匹敵する力さえ披歴してみせた。

――どういうことだ?

虫けらには、虫けらに相応しい力しか宿ることはない。身の分限を遥かに超える力など、存在しない。
それが世界の定めた法であり、神の。自分たちの主が制定した掟のはず。
だのに、何故――?

>『弧毒殺掌』
>『九鬼刃』

レビヤタンの眼前に、黒甲冑の鬼神――いやさ機神が迫る。
膨大な量の水によって構成された神の獣の胴体が、まるでウナギか何かのようにぶつ切りにされる。
鬼神の毒の付与された手刀が玖撃の斬撃と化し、レビヤタンの何物にも傷つけられない筈の体躯を斬断してゆく。

>は!腰も痛くねぇし体は思うように動くし――――何より、橘音!お前さんが側にいる!

「そうですとも!クロオさんの傍にはボクがいる、ボクの傍にはクロオさんがいる!
 ボクたちふたりが力を合わせれば――こんな長虫程度に負ける道理なんて、あるはずないんだ!」

尾弐の哄笑に相槌を打つように、橘音もまた嬉しそうに叫んだ。
ふたりの意識は黒尾王の中で混ざり合い、ひとつに融け合って、一糸乱れぬ調和を生んでいる。
まるで褥の中で身を寄せ合い、抱き合い肌を重ね合っているような安堵を、幸福を、ふたりは感じていた。

>『大八百尺千手掌』
>『御社宮司蛇鱗盾』
>『蒼天悪鬼夜行』

其れは、逍遥する怪異の仄暗い淀みへといざなう手。
其れは、衛星軌道よりのレーザーさえ一顧だにせぬ大蛇神の鱗。
其れは、旧く京の都を蹂躙せし暴威の体現たる百鬼の軍勢。

黒尾王の武器は、千年に及ぶ尾弐と橘音の妖壊との闘いの歴史そのもの。
橘音がかつて戦った妖壊たちの妖術を兵装として具現化させ、尾弐がそれを膨大な戦闘経験によって使いこなす。
それはまさに一心同体の極致。

「ギッシャアアアアアアアアアアアア―――――――――――――ッ!!!」

しかし、肉体を細かに分断されながらも尚、レビヤタンに焦りはなかった。
自分は神の獣。海の王者にして絶対最大の竜。小虫がどれだけ力を振り絞ったところで、無敵のこの身を滅することなど――

>『超級愛鬼神装(アスラズ・アモーレ)』

其れは、不敗の闘神が遂に到達できなかった、本当の強さの頂。
尾弐黒雄と那須野橘音の愛が結実させた、紛れもない奇跡。
終焉に終焉を齎す剣。

>――――神夢想酒天流抜刀術・天技

黒尾王が大剣を腰だめに構える。尾弐の弟子であり友である、彼の千年に及ぶ執着の体現たる少年の絶技。
肉体を再構成したレビヤタンが咆哮をあげながら黒尾王へと突進する。何重にも鋭い牙の生え揃った巨大なあぎとを開き、
神のしもべに刃向かう大罪人を噛み殺そうと恐るべき速度で宙を泳ぐ。
だが――遅い。
既に黒尾王は準備を終えている。あとはすべてを解き放つだけ。
今まで培ってきたものを、積み重ねてきたものを――尾弐と橘音の愛を。

>鬼哭啾々――『鬼殺し・天弧』!!!!

無影、無音、無明の斬撃。その刃を避けることなど、何者にもできはしない。
レビヤタンの中で理が覆る。常識が反転する。
『不死』が『死』へとすげ変わる――。

大海獣の長大な躯体が崩れてゆく。海の王者を構成していた物質が、ただの無害な水へと戻ってゆく。
鼎の三神獣、聖書に最大かつ不敗の獣と記されたレビヤタンは、まさに今この瞬間に。
自身に死が訪れたのだということを悟った。

375那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/03/31(水) 10:58:03
ベヘモットがまっしぐらに都庁めがけて突進している。
ポチの作った縄張り、夜の帳の中にあろうと、その速度は緩まない。進行方向は変わらない。
既につがいの暴風のような連撃によって巨獣を覆っていた装甲の大半は剥がれ落ちていたが、それでも状況は変わらない。
すでに巨獣と都庁との距離は残り500メートルもない。ベヘモットが都庁に到達すれば、庁舎は崩壊する。そうすればもう詰みだ。

しかし。

ポチとシロは絶望しない。諦めない。なぜなら――
もう、勝利に至る道は拓けている。

>――ありがとう、シロ

シロの秘奥義・終影狼によってベヘモットの頭部装甲が崩壊し、頭蓋骨じみたフレームが露になる。
瓦礫で出来たロボットめいた姿ではあるものの、シロ渾身の一撃を受けて脳震盪でも起こしたのだろうか、
ベヘモットの突進の勢いがほんの僅かに弱まる。
ポチが駆ける。狙うは巨獣の右前足。
ポチの攻撃、その一打一打は他の東京ブリーチャーズに比べて軽いかもしれない。ベヘモットの鋼の装甲を砕き、
その芯である骨格を崩壊に至らしめるには足りないかもしれない。
だが、それをただ一箇所に集中すれば?集中させた攻撃を、さらに千撃。一度に打ち放てば?
ポチが今まで強敵たちと戦い、学んできたもの。
そのすべてを開帳したなら――。

壊せないものなど、この世には存在しない。

>一瞬千撃……なんてね

「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――――――――ッ!!!!」

右前足が爆裂する。四肢のひとつを完全に破壊され、ベヘモットが吼える。その眼差しが怒りに燃えてポチとシロを見る。
事ここに至り、やっとベヘモットは自身の行く手を塞がんとする障害の存在に気付いた。
神より授かった使命を妨げんとする邪魔者がいる。自分はそれを排除しなければならぬ。滅ぼさねばならぬ、そう思う。
が――その認識は、些か遅すぎた。

>遅えよ、ばぁか

ぱぁん、という乾いた音と共に、ベヘモットの口吻で爆発が起こった。
否、爆発ではない。ポチが一瞬のうちに千の打撃をその顔面へと叩き込んだ際に起こった、衝撃波の立てた音であった。
ベヘモットの巨大なレンズで出来た右眼が砕け散る。

「ゴオオオオオオオオオオオオオッ!!!」

ベヘモットは狂乱した。
自分よりも遥かに小さな、この『なにかよくわからないもの』が、陸の王者たる自分に傷を負わせようとは。
巨獣の躯体の各所が展開し、ガチャガチャと音を立てながら何かがせり上がってくる。
それは無数のタレット、セントリーガンの類。ベヘモットが身体を構成する瓦礫を変質させて作ったのだろう。
タレットはミニガンタイプからロケットランチャータイプのものまである。そのすべての銃口がポチとシロへ向けられる――
が、そんなものはもう、何の役にも立たない。

>――お前、もう終わってるんだよ

ポチが冷然と告げる。其れはこのフィールドに存在する頂点捕食者、狼王の下す絶対の審判。

>ゲハハ……!

夜の帳の中、ポチの哄笑が響く。

>ゲハハハハハハハ――――――!!

狼の縄張りの中では、ポチとその眷属以外の存在はすべて等しく獲物。狩られる者、被食者、餌でしかない。
そしてそれは陸の王者たるベヘモットとて例外ではないのだ。

>ゲァ――――ッハハハハハハハハハァ――――――――――ッ!!!

迸る禍々しい妖気は、まさに災厄の魔物。獣害の化身『獣(ベート)』、人々が夜闇の向こうに畏れた『大神』そのもの。
神獣の矜持を振り絞って反撃に転じようとするも、ベヘモットはポチの圧倒的な攻撃力の前に成す術がない。
結果前足を両方とも完砕され、まるで土下座でもするようにくずおれることになった。

>もし、お前に知性とか、知能とか、そういうものがあって。
 僕の声が聞こえてるなら……よく覚えておけ

蹲るベヘモットの前に、ポチが姿を現す。
ベヘモットの全身のタレットが、一斉にその照準を合わせる。
こんなちっぽけな。こんな矮小な。
ほんの僅かにと息を吹きかけただけでも死んでしまいそうな、小さき者に。神の獣たる自分が凌駕される筈がない――
ベヘモットは折れ砕けた前足の残骸へと力を込めた。

>『狼獄』。それがお前を殺す、僕の奥の手の名前だ。この狼王の切り札。
 そして……きっと、あのクソッタレの神様気取りにもブチ込んでやる奥義の名前だ

「ギ……ギ……
 ―――――ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――――――――――――ッ!!!!」

>オオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――――――――ンッ!!!

二頭の獣が咆哮する。
ベヘモットが最後の力を振り絞って身体を前にのめらせ、ポチを圧殺しようと迫る。
闇の中に、一際大きな炸裂音が響く。

そして、ポチの縄張りたる宵闇が徐々に薄まり、やがてすべてが元に戻ったとき。
鼎の三神獣の一角、陸の王者たるベヘモットの巨体は頭部を切断され、ただの瓦礫の山へと還っていた。

376那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/03/31(水) 10:58:31
アンテクリストがヘリポートに右膝をつき、肩で荒い息を繰り返している。

「な……、何故だ……?
 この……神が……。神の僕たる、鼎の三神獣が……。
 何故、下らぬ妖怪ども風情に後れを取る……?こんなことは……計算外だ……」

自身は龍脈の神子に圧倒され、ジズは氷の彫像と化して砕け散った。レビヤタンは無害な水に戻り、ベヘモットも瓦礫の山に還った。
虫けらと、塵芥と思っていた者たちに敗れ去った。それはアンテクリストにとって到底受け入れられない事態だった。

「確かに、あなたは強大ですわ……アンテクリスト、いいえ……赤マント」

祈の傍らに寄り添いながら、レディベアが口を開く。

「あなたの力に単独で比肩する者など、この世界には存在しないのでしょう。
 まさしく唯一神、絶対神と言うに相応しい力ですわ。――でも、それはあくまであなたひとりの力。
 どれだけ優れていたとしても、ひとりの力は大勢の束ねられた力には絶対に敵わないのです」

「戯れ言を……!
 有象無象の力をかき集めたところで、ゴミは所詮ゴミでしかないのだ!
 究極の力は、ただひとりだけが持っていればいい!頂点に立つのはただひとりで……!」

「わたくしも、最初はそう思っていました。
 赤マント、他ならぬあなたにそう教えられてきました。
 君臨者たるお父様の下、万民たちは支配されて然るべきと……でも、そうではありませんでした」

祈の顔を見遣り、レディベアは淡く微笑む。
血まみれ、埃だらけの酷い顔だったけれど、その表情は晴れやかだった。

「妖怪も、人間も、すべての生物は単独では存在できません。
 手を取り合い、助け合い、想いを繋げ合い……。
 そうやって大きな輪を描いて生きてゆくのです。
 あなたは今まで他者を操り利用することばかりを考え、分かり合い力を合わせるということをしてこなかった。
 協調を蔑み、友愛から目を背けてきた。きっと差し伸べられていたであろう手を、跳ね除け続けてきた――」

レディベアが祈へ右手を伸ばす。指を絡めて、繋ぎ合う。

「……誰かとつなぐ手は、こんなにも温かいというのに」

「黙れ……私の作った人形風情が!創造主たるこの私相手に、知った風な口を利くな!」

アンテクリストが右腕を大きく横に払って声を荒らげる。
レディベアはずっと長い間偽りの認識を植え付けられ、踊らされてきた、アンテクリストの人形。
本人にとっては傷口を抉られるような罵倒だろうが、祈と手を繋いだレディベアの表情はどこまでも穏やかだ。

「ええ、ええ、その通りですわ。
 何度も言うように、わたくしはあなたに作られた人形。あなたの計画を成功させるためのパーツ。
 けれど――だからこそ、わたくしは今ここにいる。こうして立っている。
 この世界に。この場所に。祈の隣に。
 祈と手を繋ぎ、気持ちを繋ぎ、想いを繋いでいる……。
 わたくしは幸せです。先ほどわたくしは、祈の手を取ったのはわたくしの選択と言いましたが。
 そのきっかけを。出会いを与えてくれたのは、紛れもなくあなたなのでしょう。
 だから――」

そこまで言って、レディベアは繋いでいないもう片方の手を緩くアンテクリストへと伸ばした。
そして。

「ありがとうございます。わたくしの、もうひとりのお父様……」

と、言った。
それは皮肉でも煽りでもなく、心からの感謝。
もしアンテクリストが――赤マントがレディベアをどこかから攫ってこなかったら。駒として使おうと考えなければ。
レディベアはこうして祈と友情を育むことも、並んで立つこともなかっただろう。

「アナタの目論見は見事、図に当たりましたね。師匠」

黒尾王の中から、橘音がそうアンテクリストに言葉を投げる。

「『祈ちゃんとレディの間に友情を芽生えさせる』というアナタの作戦、まさにお見事と言うしかない。
 でも……その先がいけなかった。アナタはふたりの友情を、絆の力を甘く見過ぎていた。低く見積もりすぎてしまった。
 特に祈ちゃんの力を」

「……なんだと……?」
 
「レディだけじゃありません、ボクとクロオさんがこうしてここにいるのも、祈ちゃんのお陰だ。
 祈ちゃんが、ボクたちの罪を許すと言ってくれた。長い間拗らせていた悪性を取り除いてくれた。
 ノエルさんもそうです、災厄の魔物というしがらみから、祈ちゃんはノエルさんを解き放った。
 ポチさんだって……祈ちゃんがロボに啖われて瀕死のシロさんを救わなかったら、彼も今頃ここにはいなかったでしょう」

そう。
今、この場所に集っている者たちは、多かれ少なかれ祈によってそれまでの運命を変えられてこの場にいる。
それは祈が龍脈の神子だからではない。祈が生来持ち合わせている善性によるものだ。
他にも安倍晴朧をはじめとする陰陽寮や、富嶽ら妖怪たち。
元妖壊のコトリバコ、姦姦蛇羅、果てはハルファスにマルファスといった天魔まで。
この最終決戦は、まさに祈が今まで育んできた絆の集大成と言っても過言ではない。

「ボクたちの手はバラバラだった。誰も彼もが憎しみ合い、騙し合い、本当の気持ちを覆い隠して生きてきた。
 でも今は違う――離れ離れだった手は繋がれ、結ばれ、ひとつの大きな輪になってここにある!
 それをしてくれたのは祈ちゃんだ。彼女の愛や、希望や、勇気の力だ。
 師匠――アナタは!アナタが遠い昔に捨て去った、キレイな心の力によって敗れるんだ!!」

黒尾王の右手人差し指がアンテクリストを差す。
アンテクリストはただ凝然と橘音の言葉を聞いていたが――

しばしの沈黙の後、徐に笑い始めた。

377那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/03/31(水) 10:58:49
「……フ……。
 フハハハ……、ハハハハハハハハハ……。ハハハハハッ、はははははははははははははは…………!!」

地面に片膝をついたまま、アンテクリストが哄笑する。
ぎゅ、とレディベアが祈と繋いだ手に力を込める。

「なるほど、そういうことか……。やっと理解できた……。
 私は最初から間違えていたのだな、私が最優先で始末しなければならなかったのは、安倍晴陽でも多甫颯でもなかった!
 他の誰を殺すよりも先に、私は――多甫祈!貴様を殺すべきだったのだ!
 十四年前のあの時!赤子の貴様を一番に葬っておきさえすれば!
 今になってこんなことにはならなかった……!
 ははは……傑作だ!こんなに笑える話があるものか!?
 この私が!計略においては世界のいかなる叡智をも凌駕する私が!『最初から間違えていた』などと――!!!」

アンテクリストが辺り憚らずに笑い声を響かせる。その姿は或いは、敗北を悟った者の諦観のようにも見えただろう。

「ああ……、そうだな。その通りだ……お前たちの言うとおりだよ。
 私は間違えた……。神とは誤らぬ者。私は唯一神でもなければ、絶対神でもなかったな……」

「……赤マント」

俯いたまま、ゆっくりとアンテクリストが立ち上がる。自らの誤りを認める。
レディベアが戦いの決着を感じ、表情を和らげる。

だが。

「――――そう。そうだとも。
 私は唯一神ではなかった、神を名乗る偽りの存在だった。
 ならば!『これから唯一神になればいい』!!
 貴様らを完膚なきまでに叩き潰し!殺戮し!葬り去り!この都庁周辺にいる小賢しい地虫共も残らず殺し尽くせば!
 そのときこそ、私は真の神として降臨することができるだろう――!」

その目はまだ、諦めてはいなかった。
神の力に見限られ、自身を間違っていたと認めてなお、顔を上げたアンテクリストの瞳には邪な野望が爛々と燃えている。
黒尾王の中で、橘音が歯を食い縛る。

「往生際が悪いですよ、師匠!
 アナタは詰んでるんだ、もうとっくに敗北しているんだ!
 第一アナタにはもう龍脈の力も、ブリガドーン空間の力もない!そんなザマでいったい何ができるって言うんです!?」

「貴様はやはり不肖の弟子だな、アスタロト。
 この私が、智謀の頂に君臨する私が!
 “こういった場合”のために奥の手を用意していないとでも思ったか……?」

バシュッ!!

砕け散ったジズの氷の破片から、只の真水に戻ったレビヤタンから、ベヘモットであった瓦礫の山から。
それぞれ赤、青、黄色に輝く光球が飛び出し、凄まじい速さでアンテクリストへと飛んでゆく。
三種の光球を自身の周囲で旋回させながら、アンテクリストは口角を歪めて嗤った。

「勘違いしている者が多いが、三神獣は単なる召喚獣ではない」

アンテクリストの身体に光球が吸い込まれてゆく。
色褪せていた肉体が、みるみるうちに輝きを取り戻してゆく。

「啖った者の能力を爆発的に高める『供物(エサ)』なのだ―――!!!」

旧約聖書には、世界の終末が訪れた際に神獣たちの血肉は終末を生き延びた生存者たちへ捧げられると記されている。
神の試練を凌ぎ切った選ばれし者に、新しい世界を生きる力を与える食物。それが三神獣の真の役割なのだ。
だが――本来選ばれし者に与えられるはずの神獣たちの力を、他ならぬ神自身が取り込んでしまったとしたら――?

「ははははははははは……ふはははははははははははははははははははははははは!!!!!」

ゴウッ!!!!

三神獣の力を吸収したアンテクリストの肉体から、先刻の神の力を遥かに上回る波動が迸る。
空がぶ厚い雷雲に覆われ、轟音と共に稲光が輝く。大地が鳴動し、大気が震える。

「祈……!」

圧倒的な力の奔流が生み出す暴風の前に長い髪と衣服の裾を嬲られながら、レディベアが祈の手を強く握る。
アンテクリストの均整の取れた肉体がぶ厚い筋肉によって二回り以上も大きくなり、
頭上の光輪に変わって側頭部から一対の巨大な角が伸びてくる。形のいい唇が獣じみて裂けてゆき、
メキメキと音を立てて牙が生え揃ってゆく。手足の爪はあたかも剣のように鋭利になり、
背からは輝く翼の代わりに紅蓮の焔に包まれた翼が生まれ、一度大きく羽ばたいて空気を焦がした。
腰後ろから生えた水流で構成された長い尾が、あたかも大蛇のように鎌首を擡げる。
それは文字通りアンテクリストと三神獣が融合した、禍々しいとしか形容できない姿だった。

「見よ!!畏れよ!!
 此れが貴様ら背徳者どもを断罪する、究極の!完璧なる神の尊容!!
 アンテクリスト・ペルフェクトゥス!!!!」

先刻までのギリシャ彫刻のようだったアンテクリストの美貌とは正反対の、醜悪な外貌である。
だが、その力は以前よりも確かに増している。

「死ね、多甫祈!
 ―――――――最終ラウンドだ!!!」

大きくあぎとを開き、上体を前にのめらせると、アンテクリストは一気に祈へと襲い掛かった。

378多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/04/11(日) 22:33:55
 祈は、アンテクリストの『天地創造(セヴンデイズ・クリエイション)』を耐えきった。
それは、祈という少女の持つ、執念が為せる業。
『龍脈過負荷(オーバーロード)』は傷を瞬く間に癒すが、痛みまでは緩和できない。
友人や仲間や家族と、この愛する世界でこれからも生きていきたいという強い願い。
たったそれだけのことが、気が狂いそうな死の激痛を、拷問めいた惨苦の連撃を乗り越えさせた。
 そして立ち上がれたのは――。

>「立ち上がるんです、祈ちゃん!」

>「さっさと起きなよ。君にこんなところでくたばってもらったら困るんだ。
>君には我が一族の遠大なる計画のためにずっと役に立って貰わなきゃいけないんだから。
>君は別に世界を変えたいなんて思ってないんだろうけどさ。そりゃ無理な話だ。
>君は存在しているだけで少しずつ世界を変えてしまう。……生きているだけで否応なく誰かを幸せにしてしまう。
>本当かって? 少なくとも……ここに一人」

>「祈の嬢ちゃん、折れるな。信じろ。俺達は―――強い」

>「オオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――――――――ンッ!!!」

>「祈……!!」

 仲間たちの声が聞こえたから。
愛する者たちが祈のことを呼んでくれたからだ。
レディベアの“目”を通し、東京ブリーチャーズの戦いを見ていた人々が、祈の再起を願ってくれたからだ。
 愛する世界に愛された。故の。

――黄金。

立ち上がった祈に集まる、そうあれかしという、想いの塊。
何十億という想いが祈の体に集い、黄金の光という可視化できるほどの密度となった。
光は祈の傷を癒し、力を与える――。
ぎり、と拳に力を込めて、足に力を入れて。

「あたしを殺せるもんなら殺してみろ、赤マント!!」

「――第二ラウンド開始だ!!」

 再び、アンテクリストに挑みかかる祈。
幾度でも立ち向かって見せるという、自分の言葉を曲げることなく。
その心には、恐れを凌駕するだけの愛が、勇気が、希望が満ちている。

>「は――愚かな!
>汝の技など効かぬ!通じぬ!それは先に確と知らしめた筈!
>分からぬと言うなら、今一度実力の違いを――」

 都庁屋上のコンクリートを蹴り、アンテクリストに迫る祈の勢いは、
彗星のごとく。瞬間移動したかと見紛うほどの速度。
 アンテクリストが言い終わる前に。

「ブッ飛べ!!」

 拳を振り上げて飛び掛かろうとする祈の姿が、
既にアンテクリストの目の前にいる。

>「!?」

 バキィ!! と甲高い音を立てて、祈の右拳がアンテクリストの左頬にぶち当たる。
おそらくはこの一撃が、この戦い初の“クリーンヒット”だろう。
 アンテクリストは錐もみしながら、ヘリポートの端ほどまで吹き飛んだ。

>「が……は……!
>な、何が……何が、起こった……?」

 四対の翼でその勢いを殺し、体勢を整えて再びヘリポートの上に降り立つアンテクリストだが、
そこで違和感に気づいたようである。
 都庁屋上、ヘリポートのコンクリートにできていく、点々とした赤い染み。そして頬に走る鈍い痛み。

>「この、痛みは……か、神が……。
>神が……殴られて、出血する……だと……?」

 動揺、狼狽するアンテクリスト。

「この金色の光は、あたしたちの戦いを見て、応援をしてくれてるみんながくれた輝きだ。
想いの力だ! もうやられっぱなしのあたしじゃねぇぞ!」

 黄金の光はますます強まる。
祈は握りしめた拳に、力が昂るのを感じた。

>「やりましたわ!祈!!」

「モノ。おまえが、みんなとあたしらを繋げてくれたからだよ。ありがとな」

 快哉を叫ぶレディベアに、祈はふと、表情をやわらげて笑みを向けた。
 アンテクリストに攻撃が通ったこと。
それは、祈たちの力がアンテクリストを上回り始めたことの証左だった。
 祈がアンテクリストの必殺技に耐えきったことで、アンテクリストの『自身が唯一神である』という認識にヒビが入ったのか。
単に世界中から何十億という人々の想いや願いが集った結果、アンテクリストの力を上回ったのか。
 あるいは、その両方か。
いずれにしても、神を自負するアンテクリストに傷を負わせたこと、それは快挙に他ならない。

379多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/04/11(日) 22:41:22
>「お、の、れェェェェェェ――――――――――ッ!!!」

 しかし、その事実はアンテクリストにとって面白いものではないに違いない。
 アンテクリストの怒気を孕んだ咆哮に、祈はレディベアからアンテクリストへと視線を戻す。
アンテクリストは四対の翼を羽ばたかせると、憤怒の表情で祈へと迫った。

>「卑しい半妖如きが!この神の!唯一にして絶対なる神の尊顔を傷つけようとは!
>瞬く間に爆ぜて詫びよ!汝の魂、辺獄にすら存在を許さぬ!!」

 そして、これで何度目かになる連打、猛攻。
 計算し尽くされ、隙の生じない攻撃が連綿と続く。
拳や蹴りは、怒りと共に力が込められ、先程までとは比にならないほどに激しさが増している。
一撃でもまともに貰えば即死は免れない。
 先程まではやられっぱなしだったその連撃を、今の祈は――躱せていた。
そして往なせていた、防げていた。
 まるで暴風の中で踊る一枚の羽根のように、アンテクリストの攻撃が祈を捉えることはない。
 なにせ祈は、何十億という人々の想いを託されているのだ。
 黄金の光を通し、人々の感情が伝わってくる。

『死にたくない』
                       『悲しいよ、怖いよ。でも……』
    『私にだって夢がある』
                              『頼む、家族の仇を取ってくれ』
 『どうか負けないで』
                          『あんな神なんていらない』

 アンテクリストが何千年生き、想いを積み重ねてきたとしても、
願いを叶えるために必死なのは人間も同じだ。
 むしろ命が限られているからこそ、人々の感情はより切実で、一生懸命で、必死なのかもしれなかった。
黄金の光の欠片にすら感じ取れるその想いの強さは、祈にも匹敵するものがある。
 祈一人でも、アンテクリストの必殺技に耐えきるだけの強い想いがあるのだ。
それが、何十億人分もここに集結している。
 アンテクリスト一人に並べないはずがない。上回れないはずがない。
 人々の想いが祈の胸を熱くする。

「だあああああああーーーっ!!!」

 往なし、躱し、防御に精一杯だった祈が、徐々に攻勢に回っていく。
一撃一撃、そのたびに、早く、鋭く、強くなっていく。
 それは祈を通して何十億という人間が突きつける、神の否定。

>「私は神だ!創造神だ!この世界の誰も、この私と並び立つ者はおらぬ!存在してはならぬ!
>結婚式だと?子供だと?そんな下らぬ虫けらの望みが、世界を創造し直すという私の崇高なる望みに!
>匹敵していいはずがない――!!」

 ギュバッ!!
空気の壁を突き破り、長弓を引くように大きく後方へと振りかぶられた、アンテクリストの左拳。
 憤怒や現状への戸惑いからか生じた、決定的な隙。
 
「――くだらなくなんかねぇ!」

 繰り出される左拳の軌道を読み切り、祈は体を捻る。
そして突き出された左拳を掻い潜り、カウンター気味に繰り出したのは、渾身の後ろ回し蹴り。
 空気の壁を突き破り、ゴウンッ!!と鈍い音が響いた。
 アンテクリストの鳩尾に深く、祈の風火輪を履いた右足が突き刺さる。

>「ぉ、ご、ぅ……!」

 目を見開き、呼吸を乱して、後方へとよろけるアンテクリスト。
さらに出血が激しくなり、コンクリートを血で赤く染める。

「価値があんだよ……。あたしの命を賭けるだけのな」

 突き出した足を降ろし、「はーっ、はーっ」と肩で呼吸をする祈。
過ぎた力を短時間に振るい過ぎていた。

>「これは……何だ……?どうして、このようなことが……?
>こんなことが……あるはずがない……何かの間違いだ……」

 圧されていることを否応なしに理解してしまったアンテクリストが、
信じられないとばかりに呟く。
 そして、何か重大なことに気付いてしまったとばかりに、はっとした表情になる。

380多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/04/11(日) 22:42:44
>「私が、この神が……間違いを犯した……だ……と……?」

 そう、神は間違えない。
全知全能たる神は未来が見えているし、未来を意のままにするだけの力があるからだ。
 だから神は賽を振らないといわれる。
 だがアンテクリストはそうではなかった。
 少女一人屠れず、自身が見下す人類という塵芥の想いに圧倒されている。
間違えてしまったと、それを無意識に認めてしまった故の――。

>「ぐああああああああああああああああ……ッ!!!」

 『そうあれかし』という力の放出。
アンテクリストの体から、黄金の光が急速に漏れ出していく。霧散していく。

「……割れたな。おまえの『そうあれかし』が」

 それは、『バックベアードなどいない』という事実を突きつけられた時の、
レディベアと似ていた。
 終世主アンテクリストを成立させていた思い込みを失い、
思い込みによって得られていた力が抜け落ちていく。

>「力が……力が、抜ける……!
>莫迦な……やめろ、戻れ……私は、この私は……この世界で唯一の、真なる神……!
>この偽善にまみれた世界を浄化する……ことを……許された……者……」

 寄る辺を失い、消耗したアンテクリストは、その場にがくりと右膝をつく。
苦悶の表情で苦し気に呻くその頭上で、光輪が光を失い、背に生えた四対の翼のいくらかが抜け落ちた。
 これ以上、戦うまでもないのは明らかだった。

>「私は……私は、ぐ……ぅ……ッ!」

 仲間たちの方も、激闘の末に、三体の神獣を倒し終えたようである。

「神獣たちもあたしの仲間が倒した。これで終わりだ」

 それを見遣って、頬の汗を袖で拭い、呼吸を整えながら、祈がそう告げる。
 『偽善に塗れた世界を浄化する』という言葉から、
少しだけアンテクリストの内面と目的を垣間見た気がしていた。

381多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/04/11(日) 22:45:53
>「な……、何故だ……?
>この……神が……。神の僕たる、鼎の三神獣が……。
>何故、下らぬ妖怪ども風情に後れを取る……?こんなことは……計算外だ……」

 神鳥ジズは氷の彫像となり砕けた。
神竜レビヤタンはただの水になり、ベヘモットは瓦礫の山と成り果てた。
アンテクリストは、心底理解できないという表情でそれらを見つめていた。

>「確かに、あなたは強大ですわ……アンテクリスト、いいえ……赤マント」

 敗北を受け入れられないアンテクリストに声をかけたのは、レディベアだった。
 両ひざに手を乗せて、荒い呼吸を整える祈。
その傍らに並び、アンテクリストに、理解できないものの答えを示していく。

>「あなたの力に単独で比肩する者など、この世界には存在しないのでしょう。
>まさしく唯一神、絶対神と言うに相応しい力ですわ。――でも、それはあくまであなたひとりの力。
>どれだけ優れていたとしても、ひとりの力は大勢の束ねられた力には絶対に敵わないのです」

 アンテクリストは、神に生み出された最初の天使。
神にすら恐れられ、力を?奪されるほどに優れた者。
そして力を奪われてもなお、この執念。
力を取り戻した彼と単独で能力を比較したなら、敵うものなど世界中を探してもそういまい。

>「戯れ言を……!
>有象無象の力をかき集めたところで、ゴミは所詮ゴミでしかないのだ!
>究極の力は、ただひとりだけが持っていればいい!頂点に立つのはただひとりで……!」

 そんな優れ過ぎたアンテクリストだからこそ、自身に対する絶対のプライドが、傲慢さがあるのだろう。
 他者は自分ほど優れていない、協力などできようもない。利用する程度の価値しかない。
そんな思いがあったのかもしれなかった。
 彼がルシファーを扇動して行わせたクーデターが最終的に失敗してしまったことも、
そんな思いを強くした理由の一つだろうか。

>「わたくしも、最初はそう思っていました。
>赤マント、他ならぬあなたにそう教えられてきました。
>君臨者たるお父様の下、万民たちは支配されて然るべきと……でも、そうではありませんでした」

 だが現実として、アンテクリストは究極の力を手に入れて尚、
彼の言う有象無象の力をかき集めたゴミに敗れた。その矛盾の答えこそ――。
 レディベアが、祈と目線を合わせて微笑む。
レディベアも祈と同じく、血や埃やらに塗れてズタボロだったが、
その笑みは春の陽気のように晴れやかだった。

>「妖怪も、人間も、すべての生物は単独では存在できません。
>手を取り合い、助け合い、想いを繋げ合い……。
>そうやって大きな輪を描いて生きてゆくのです。
>あなたは今まで他者を操り利用することばかりを考え、分かり合い力を合わせるということをしてこなかった。
>協調を蔑み、友愛から目を背けてきた。きっと差し伸べられていたであろう手を、跳ね除け続けてきた――」

 妖怪は、人の想いから生まれた。
強靭な肉体を持つものが多いが、人間の想いがなければ存在し続けられない。
忘れられた時、覚えている者が一人もいなくなった時、きっと妖怪は滅ぶ。
 人間は脆く、助け合わなければ生きていけない。
他の生物も、他の誰かを助けたり、他の何かを食べたりして、支え合いながら生きている。
 誰もかれもが、その輪の中にいる。

>「……誰かとつなぐ手は、こんなにも温かいというのに」
 
 祈は差し出されたレディベアの右手を取った。
お互い傷だらけの手。そこには確かなぬくもりがある。
 アンテクリストが抱く矛盾の答え。それがこれだ。

 協力、協調、支え合い。友愛や絆という輪。他者との想いを繋ぐことでしか得られない力。
それにアンテクリストは敗北したのだと。
大きな力は一人が100持っていれば100でしかない。
だが100人が1を持ち寄れば、掛け合わせで120や200を超える力を時として生み出す。
 その奇跡にアンテクリストは負けたのだ。

382多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/04/11(日) 22:52:26
>「黙れ……私の作った人形風情が!創造主たるこの私相手に、知った風な口を利くな!」

 しかし、敗北を認めきれないアンテクリストは、
目の前の現実を払いのけるように、右腕を振るってレディベアを罵った。
『私よりも劣っているはずのお前に何がわかるのだ』と。
 もはや反論ですらない、レディベアへの罵倒だった。

>「ええ、ええ、その通りですわ。
>何度も言うように、わたくしはあなたに作られた人形。あなたの計画を成功させるためのパーツ。
>けれど――だからこそ、わたくしは今ここにいる。こうして立っている。
>この世界に。この場所に。祈の隣に。
>祈と手を繋ぎ、気持ちを繋ぎ、想いを繋いでいる……。
>わたくしは幸せです。先ほどわたくしは、祈の手を取ったのはわたくしの選択と言いましたが。
>そのきっかけを。出会いを与えてくれたのは、紛れもなくあなたなのでしょう。
>だから――」
>「ありがとうございます。わたくしの、もうひとりのお父様……」
 
 レディベアはその言葉を、感謝を持って返した。
 目的を達成するために生まれた人形だったからこそ、得られた幸せがあると感謝され、
アンテクリストにわからないものを理解している現状を突きつけられた。
 それはどれほど、アンテクリストの心に衝撃を与えたことだろう。
 
>「アナタの目論見は見事、図に当たりましたね。師匠」

 レビヤタンとの決戦を終えた黒尾王の内部から、橘音がそうアンテクリストに声をかける。

>「『祈ちゃんとレディの間に友情を芽生えさせる』というアナタの作戦、まさにお見事と言うしかない。
>でも……その先がいけなかった。アナタはふたりの友情を、絆の力を甘く見過ぎていた。低く見積もりすぎてしまった。
>特に祈ちゃんの力を」

>「……なんだと……?」

 アンテクリストの作戦は、レディベアの持つ人間界への憧れを利用したもの。
極論をいえば、友達役は祈でなくても良かっただろう。
 だが、レディベアだけでなく、敵対勢力の祈の監視も同時に行えるのは一石二鳥。
祈をレディベアと通じる間者に仕立て上げれば、東京ブリーチャーズの分裂を招ける。
二人を引き裂けば、二人に絶望を振りまける……などなど、
祈を利用した方がアンテクリスト的には都合が良かったのだろう。
 だがアンテクリストは甘く見積もった。祈のレディベアへの想いを。
 結果として、レディベアの反逆を招き、復活を許した。
妖怪大統領の顕現で、ブリガドーン空間の制御権を奪われるに至っている。
レディベアはさらに、人間たちにリアルタイムに戦いの様子を届けて、『そうあれかし』を集める役をも担った。
想いをさらに繋がせてしまった。
これはアンテクリストの失策が招いた事態ともいえたし、
レディベアの持つ強さや想いをアンテクリストが読み違えたともいえるだろう。

>「レディだけじゃありません、ボクとクロオさんがこうしてここにいるのも、祈ちゃんのお陰だ。
>祈ちゃんが、ボクたちの罪を許すと言ってくれた。長い間拗らせていた悪性を取り除いてくれた。
>ノエルさんもそうです、災厄の魔物というしがらみから、祈ちゃんはノエルさんを解き放った。
>ポチさんだって……祈ちゃんがロボに啖われて瀕死のシロさんを救わなかったら、彼も今頃ここにはいなかったでしょう」

>「ボクたちの手はバラバラだった。誰も彼もが憎しみ合い、騙し合い、本当の気持ちを覆い隠して生きてきた。
>でも今は違う――離れ離れだった手は繋がれ、結ばれ、ひとつの大きな輪になってここにある!
>それをしてくれたのは祈ちゃんだ。彼女の愛や、希望や、勇気の力だ。
>師匠――アナタは!アナタが遠い昔に捨て去った、キレイな心の力によって敗れるんだ!!」

(……買い被りすぎだよ、橘音。みんなに助けられたのはあたしの方だって)

 その言葉を、祈は少し照れながら聞いていた。
 胸中には複雑なものがあっただろうに、
孤独に戦っていた祈を仲間として引き入れたのは橘音だ。初めての仲間で、恩人だ。
 精神年齢が近く、共にふざけ合って、祈の心を何度も救ってきたのはノエルだ。大切な友人で、親友で。
 厳しいと見せかけて優しく、頼もしく。祈を支えてくれたのは尾弐だ。父のようにも慕っていた。
 ブリーチャーズという群れを大切にし、その一員である祈にも、優しさを分け与えてくれたのがポチだ。
無邪気な一面と、冷静で合理的な一面を持つポチを、年の離れた兄か弟のように思っていた。
 みんなが祈を助けてくれたし、みんなが祈と繋がってくれた。
 だから祈はここにいるのだと、祈はそう思う。

383多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/04/11(日) 23:02:02
>「……フ……。
>フハハハ……、ハハハハハハハハハ……。ハハハハハッ、はははははははははははははは…………!!」

 橘音の言葉を聞いて、暫く黙っていたアンテクリストが、急に笑い出した。
心底おかしい事柄に気付いたような、この場に似つかわしくない、笑い声。
 その声に驚いたのか、レディベアが祈の手を強く握った。

>「なるほど、そういうことか……。やっと理解できた……。
>私は最初から間違えていたのだな、私が最優先で始末しなければならなかったのは、安倍晴陽でも多甫颯でもなかった!
>他の誰を殺すよりも先に、私は――多甫祈!貴様を殺すべきだったのだ!
>十四年前のあの時!赤子の貴様を一番に葬っておきさえすれば!
>今になってこんなことにはならなかった……!
>ははは……傑作だ!こんなに笑える話があるものか!?
>この私が!計略においては世界のいかなる叡智をも凌駕する私が!『最初から間違えていた』などと――!!!」

 アンテクリストは心底おかしいという表情で独白する。
敗北を悟り、もはや笑うしかない、そんな風にすら見えるアンテクリストの表情だが、

>「ああ……、そうだな。その通りだ……お前たちの言うとおりだよ。
>私は間違えた……。神とは誤らぬ者。私は唯一神でもなければ、絶対神でもなかったな……」

 その瞳の奥で燃えたままの火に、祈は気付いた。

>「……赤マント」

「……違う、まだだ」

 ゆるりと立ち上がるアンテクリストを見て、
安心したように手の力を弱めたレディベアに、祈が小さくそういった。

>「――――そう。そうだとも。
>私は唯一神ではなかった、神を名乗る偽りの存在だった。
>ならば!『これから唯一神になればいい』!!
>貴様らを完膚なきまでに叩き潰し!殺戮し!葬り去り!この都庁周辺にいる小賢しい地虫共も残らず殺し尽くせば!
>そのときこそ、私は真の神として降臨することができるだろう――!」

 自身が神でないことや過ちを認めた。だが、なお諦めていない。
この状態から逆転して見せると、アンテクリストはそう宣言する。
その目の奥に宿るのは火どころか、メラメラと燃え盛る、世界すら焼き尽くす地獄の炎である。

>「往生際が悪いですよ、師匠!
>アナタは詰んでるんだ、もうとっくに敗北しているんだ!
>第一アナタにはもう龍脈の力も、ブリガドーン空間の力もない!そんなザマでいったい何ができるって言うんです!?」

 それを聞いた橘音が、アンテクリストに叫ぶ。

>「貴様はやはり不肖の弟子だな、アスタロト。
>この私が、智謀の頂に君臨する私が!
> “こういった場合”のために奥の手を用意していないとでも思ったか……?」

 アンテクリストがそう言った瞬間、三神獣の亡骸から光球が飛び出して、アンテクリストの元へと集う。
赤の光球はジズ、青の光球はレビヤタン、黄の光球はベヘモットからそれぞれ飛び出してきたように見える。

>「勘違いしている者が多いが、三神獣は単なる召喚獣ではない」

 三原色の光球は、アンテクリストの周囲を旋回しながら、瞬く間にその体へと吸い込まれていく。

>「啖った者の能力を爆発的に高める『供物(エサ)』なのだ―――!!!」

 三神獣は、陸海空を統べる強力な支配者であるが、本来の役割がある。
それが、供物として食べられることである。
 終末を生き残った選ばれし者が、
明日を生きるために食べる食事として提供されることこそが、三神獣本来の役割なのだ。
 新世界を生きるだけの力を、最初の天使が食したらどうなるのか。

>「ははははははははは……ふはははははははははははははははははははははははは!!!!!」

 その答えが、この溢れんばかりの、力の膨張だ。
 三神獣を喰らったアンテクリストが笑う。
 三神獣を吸収して得た力は圧倒的で、天に雷雲が立ち込めて、稲妻が迸る。大地と空気が震えた。
 その体から迸るエネルギー、その余波だけでもわかってしまう。
今の祈よりも強いことが。
 アンテクリストの体は膨れ上がり、筋骨隆々の大男となる。
側頭部には鬼のような角が生えて、口は獣のように裂けて、鋭い牙と爪を備える。
ジズの持っていた炎の翼と、レビヤタンのような水棲生物を思わせる長い尻尾が生える。
先程までの、均整の取れた美しさをかなぐり捨てた、獰猛な獣か鬼かといった姿。

384多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/04/11(日) 23:12:36
>「祈……!」

 それを見たレディベアが、恐怖からか祈の手を強く握った。
祈もまたアンテクリストから吹き付ける風に嬲られ、僅かに目を細めながら、その手を握り返す。

>「見よ!!畏れよ!!
>此れが貴様ら背徳者どもを断罪する、究極の!完璧なる神の尊容!!
>アンテクリスト・ペルフェクトゥス!!!!」

 アンテクリスト・ベルフェクトゥス。
 その恐ろしげな姿と絶対的な力を前に、冷や汗を伝わせながらも、祈は。
あろうことか笑ってみせた。
 先程までの機械的な終世主としてのアンテクリストよりも、
今のアンテクリストが好ましく思えたからだ。
 目的のためにはなりふり構わなくて、泥臭く足掻いて、諦めが悪くて。
その姿はまるで人間のように必死で、一生懸命だった。
 だから。

「……いいぜ。付き合ってやるよ、赤マント! おまえがあたしらを繋いでくれなかったら、
みんなと会えなかったんだしな。そのお礼に、叩きのめしてやるよ!」

 受けて立つ。
 レディベアが言ったように、祈とレディベアの出会いを与えたのが赤マントなら。
より遡れば、東京ブリーチャーズの全てがそうだ。
 赤マントが橘音に、ノエルに、尾弐に、ポチに、祈に。
絶望なんてものを振りまこうとさえしなければ、この絆は紡がれなかったともいえる。
 だとすれば礼が必要だろうと。
 いわば、赤マント被害者の会を結成させてくれたその礼代わりに。
その望みに真正面から向き合って、今度こそ完膚なきまでに叩きのめしてやると祈は言うのだった。

>「死ね、多甫祈!
>―――――――最終ラウンドだ!!!」

 避けた口を大きく開き、前のめりに突進してくるアンテクリスト。

「ああ!! 終わらせてやるよ!!」

 祈はレディベアの手を離すと、振るわれるアンテクリストの右拳に、自身の右拳をぶつけて受けた。
空中で激突する拳が、空気を爆ぜさせ、轟音を奏でる。
 二回り以上も違う拳のサイズ。そしてパワー。砕けたのは祈の拳の方だった。
そうあれかしの総量で上回り、黄金の光を纏ってなお、祈が負けている。
 腕ごとひしゃげたが、黄金の光が、オーバーロードが、瞬く間に祈の右腕を再生させる。

「おまえの方がつえーみてーだな。だけどいいのか? あたしだけに気を取られてて。
三神獣がいなくなった今、あたしの仲間は全員フリーになってんだぜ!」

 三神獣がいない今、仲間たちの手が空いている。
何かしら特別な理由がなければ、アンテクリストとの戦いに手を貸してくれるはずだ。
そう信じて、祈は圧倒的な強さのアンテクリストと真正面からやり合い、時には掴みかかってでも動きを止めようとするだろう。
そうすることで、仲間たちが攻撃を仕掛けるだけの隙を作ろうと試みるのだった。

385多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/04/11(日) 23:47:46
 神でないことを認め、思い込みの力を放棄したアンテクリストに、
精神的な攻撃はもはや通じまい。
絶望的なまでの力の差と、東京ブリーチャーズ一行は向き合う。
 そんな最終局面で、戦局を左右しうるのは、おそらく三つの要素だと考えられた。

 一つ目は、仲間たちとの絆の力。
 三神獣を取り込んで力が増したとはいえ、アンテクリストは結局、一人で戦っている。
 考える頭は一つ、意志も一つ。
長所や利点があっても、短所や欠点があれば自身で補うことは難しい。
 多角的に物事を見て知恵を合わせ、時に欠点を補い合い、
長所を高め合えるチームワークがあれば、道を切り開ける可能性がある。

 二つ目は、人々の『そうあれかし』の力。
 これだけの人々のそうあれかしを集めてもアンテクリストに敵わないのは、
集まった想いがばらばらだからか、集まった量が足りないのだと考えられる。
 もし人々が『東京ブリーチャーズなら偽神を打倒できる』と強く頑なに信じたなら、
妖怪を一段階進化させるようなことが起こってもおかしくない。
 祈の祖母、ターボババアがそうだった。
かつては別種の妖怪だったが、
彼女を見た人々が『時速140kmを超える速度で走る婆の妖怪』と再定義したが故に、
『そういう妖怪』として進化に至ったのだ。

 そして三つ目が、ポチの言っていた案である。
 アンテクリストは、龍脈の力でブリガドーン空間を広げ、
ブリガドーン空間の力で龍脈の力を増幅するという、相乗効果で一時無敵の力を得ていた。
 龍脈にアクセスする資格を持つが、資格者としては不完全な祈と、
ブリガドーン空間の力を、おそらく完全ではないが操れるレディベア。
この二人がどうにか二つの力を融合させ、アンテクリストと同じ方法を取れたなら――。

386御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/04/17(土) 21:26:32
理想的なフォルムで3点着地をキメるハクト。
その後ろで氷の彫像と化したジズが砕け散り、氷の煌きの中からノエルが現れる。

「あれ? めっちゃ絵になる光景じゃん」

と、今は戦闘域全体を認識できるノエル。完全に認識力の無駄使いだ。

「そうかもしれないけどさっきの技名、某有名即死技を全部似たような単語に入れ替えただけだよね?」

「そうだけど……一周回ってかっこよくね?」

こんな軽口を叩いているのは、他の2対の神獣もほぼ同時に無力化され、祈がアンテクリストを破った雰囲気を察したからだ。
皆が祈のもとに集まってきた。

>「な……、何故だ……?
 この……神が……。神の僕たる、鼎の三神獣が……。
 何故、下らぬ妖怪ども風情に後れを取る……?こんなことは……計算外だ……」

レディベアとアンテクリストの暫しのやり取りの後、橘音がいかにも名探偵っぽくアンテクリストを指さしながら勝利宣言をする。

>「ボクたちの手はバラバラだった。誰も彼もが憎しみ合い、騙し合い、本当の気持ちを覆い隠して生きてきた。
 でも今は違う――離れ離れだった手は繋がれ、結ばれ、ひとつの大きな輪になってここにある!
 それをしてくれたのは祈ちゃんだ。彼女の愛や、希望や、勇気の力だ。
 師匠――アナタは!アナタが遠い昔に捨て去った、キレイな心の力によって敗れるんだ!!」

それを受けたアンテクリストはまるで名探偵に犯行が言い当てられた犯人のように、開き直ったように笑った。

>「……フ……。
 フハハハ……、ハハハハハハハハハ……。ハハハハハッ、はははははははははははははは…………!!」
>「なるほど、そういうことか……。やっと理解できた……。
 私は最初から間違えていたのだな、私が最優先で始末しなければならなかったのは、安倍晴陽でも多甫颯でもなかった!
 他の誰を殺すよりも先に、私は――多甫祈!貴様を殺すべきだったのだ!
 十四年前のあの時!赤子の貴様を一番に葬っておきさえすれば!
 今になってこんなことにはならなかった……!
 ははは……傑作だ!こんなに笑える話があるものか!?
 この私が!計略においては世界のいかなる叡智をも凌駕する私が!『最初から間違えていた』などと――!!!」

ノエルは思う。確かに直近にして最大の間違いはそうだ。そしてきっと、もっと遥か昔からずっと間違え続けていたのだろうと。
数百年前アスタロトに子狐の魂を食らわせなければ、後に龍脈の神子を導く名探偵は生まれなかっただろうし、
平安時代に一人の聡明な少年を陥れなければ名探偵を絶望から救う相棒は存在しなかった。
もっと言えばクリスを利用しなければ本拠地直上の喫茶店は生まれず、一同は事務所閉鎖時に拠点を失っていたかもしれないし、
ロボに目をつけなければ災厄の魔物を敵に回すことも無かった。
どこを間違えなくても今の状況にはなっていなかったと思われ、ここまで見事に間違え続けたのは逆に凄いのではないだろうか。
いや、そこまでくると、それは本当に単なる間違いなのだろうか。何者かの意思が介在したのではないかとすら思えてしまう。
例えば、アンテクリストの中に本人にすら気付かれずに潜む滅びを望む別人格だとか――

387御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/04/17(土) 21:28:05
>「……違う、まだだ」

祈の張りつめた声に、栓無き思考を中断し、我に返る。

>「――――そう。そうだとも。
 私は唯一神ではなかった、神を名乗る偽りの存在だった。
 ならば!『これから唯一神になればいい』!!
 貴様らを完膚なきまでに叩き潰し!殺戮し!葬り去り!この都庁周辺にいる小賢しい地虫共も残らず殺し尽くせば!
 そのときこそ、私は真の神として降臨することができるだろう――!」

自信満々な者ほどその前提をポッキリ折られるとすぐには立ち直れないものだが、アンテクリストは人知を超えたポジティブさと切り替えの早さを発揮した。
しかし現実的にここから盛り返すのは不可能であると思われ、それを橘音が指摘する。

>「往生際が悪いですよ、師匠!
 アナタは詰んでるんだ、もうとっくに敗北しているんだ!
 第一アナタにはもう龍脈の力も、ブリガドーン空間の力もない!そんなザマでいったい何ができるって言うんです!?」

>「貴様はやはり不肖の弟子だな、アスタロト。
 この私が、智謀の頂に君臨する私が!
 “こういった場合”のために奥の手を用意していないとでも思ったか……?」

>「勘違いしている者が多いが、三神獣は単なる召喚獣ではない」
>「啖った者の能力を爆発的に高める『供物(エサ)』なのだ―――!!!」

三神獣の力を取り込んだアンテクリストは、異形の怪物と化す。

>「見よ!!畏れよ!!
 此れが貴様ら背徳者どもを断罪する、究極の!完璧なる神の尊容!!
 アンテクリスト・ペルフェクトゥス!!!!」

>「……いいぜ。付き合ってやるよ、赤マント! おまえがあたしらを繋いでくれなかったら、
みんなと会えなかったんだしな。そのお礼に、叩きのめしてやるよ!」

「こういうの、人間界ではお礼参りって言うんだって?
相手が祈ちゃんだけだと思ったら大間違いだよ? 見ての通り君にお礼したい人はたくさんいるんだから!」

>「死ね、多甫祈!
 ―――――――最終ラウンドだ!!!」

戦闘が始まると同時に、仲間達の前に様々な姿を取ったノエルが現れ、加護を施していく。
それは各々の強みを増強する方向で施され、視覚的には煌く氷の装備品として顕現するのだった。
ハクトの前には乃恵瑠が現れ、ハクトの足に新しいそり靴とよく似た氷のスケートブーツが顕現する。
ジャンプ力と素早さの強化と思われる。

「案ずるな、妾はペットを食べてしまうような輩には断じて負けぬ。
疲れておるところ悪いがもう少しだけ付き合ってくれ」

黒尾王の中の橘音と尾弐の前には、みゆきが現れた。
といっても黒尾王の中なのでイメージ映像のようなものだろう。
橘音を抱きしめてちょっと(かなり)フライングで祝辞を述べ、その肩にマントをかける。

388御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/04/17(土) 21:29:16
「きっちゃん、君は童の最初のともだち。今までもこれからもずっとずっと最高のともだち。
おめでとう、幸せになってね……!」

続いて尾弐の手首を掴んで脅しのような台詞を言うが、その目は笑っている。そして掴んだ場所に氷の盾が生成された。

「クロちゃん、きっちゃんを泣かせちゃ駄目だからね! ずっと見てるんだから!
……ありがとう、きっちゃんを好きになってくれて!」

実際には、黒尾王の背に輝くオーロラのような生地と雪の結晶のファーのマントが、腕に固定式の氷の小型盾が現れる。
橘音由来の実は高い回避力と、尾弐由来の分かりやすく高い防御力の強化だろう。
ポチの前には、同じ災厄の魔物である深雪が現れる。深雪は正確には元災厄の魔物、なのだが……

「ポチ殿、若き獣の王よ。
我は思うのだ。災厄の魔物の存在意義はこの世界の存続なのではないかと。
ゆえに案ずるな。たとえ一時道を違えようとも、きっと最後は同じ場所に辿り着く――」

ポチの両手に意思に応じて出現消去自在の氷のクロー(爪)が現れる。
ポチの持ち味である、相手の隙を付き大ダメージを与える攻撃力とクリティカル率の強化。

「シロ殿、ポチ殿のことは頼んだぞ――」

シロの手に現れたは、カイザーナックル。
チャイナドレスで鉄拳を振るうシロのイメージに合わせたものだろう。
更にはレディベアの前にも、ノエルが現れる。

「感謝してる。祈ちゃんを立ち直らせてくれたのって君だよね?
でもまだ正式メンバーとは認められないなぁ。だってまだうちの店に来たことないよね?
 ……うちのかき氷を食べれば君も正式に仲間だ」

尚、別にそんな規則はない。
そしてレディベアに装着されたのは、繊細な氷細工のモノクル。効果は瞳術の強化だろうか。

>「おまえの方がつえーみてーだな。だけどいいのか? あたしだけに気を取られてて。
三神獣がいなくなった今、あたしの仲間は全員フリーになってんだぜ!」

小手調べとばかりにアンテクリストと一発拳を打ち合わせた祈の前に、ノエルが現れてその拳を両手で包み込む。
実体ではないので触れた感触はしないのだが、不思議な冷気が感じられることだろう。

「知ってる? ノエルって救世主の生誕をお祝いする日なんだ。僕の救世主は……君だ。
聞こえたよ、将来の夢。君ならなれるよ、名探偵!」

389御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/04/17(土) 21:30:41
祈の両の拳に、一切手の動きを阻害することのない呪氷のガントレットが生成される。
効果は分かりやすく、拳への高い霊的攻撃力と防御力の付与。
真っ向からアンテクリストと拳で語り合おうとする祈の意思を汲んだものだろう。
再びアンテクリストに向かっていく祈。
ノエルは最初に個人的感情は封印しようと決めたが、それは人の感情を利用し策を弄するベリアルが相手だったからだ。
アンテクリストは今や策をかなぐり捨て、力と力の真っ向勝負という様相を呈している。
そして今の状況では想いの強さは実際の強さに直結する。
きっちゃんとクリスを死に追いやった憎き仇敵。怒りを力に変えるには十分過ぎるはずだが……。
いざ対峙してみると、驚くほど憎しみとか怒りがわいてこない。
再会を果たした橘音は、今は長い旅路の果てに幸せを掴もうとしており、
クリスは消滅はしていないことが確かになり、数年後か数百年後かは分からないが未来での再会が約束されている。
また、ノエルは人間の味方という性質を持つので自らは人間に有益な行動をするというだけで、根本的には人間の尺度で生きてはいない。
だからこそ、小難しい理屈に縛られない。

もう大丈夫だよ、百年でも千年でも君を守り抜く

生きろ――生きてそやつと幸せになれ

シロちゃん、必ずポチ君を無事に君の元に帰すからさ……ちょっとの間、借りるね!

苦しい時も死の淵に瀕した時も――我は常にそなたの味方だ

アンテクリストを正面から迎え撃つ祈を、不意打ちで長い蛇の尾が薙ぎ払わんとする。
が、その尾に氷の鎖が絡みついた。ノエルが傘の先端から伸びた鎖をウィップのように操っている。

「好きだ……君と出会ったこの街が。みんなと出会ったこの星が」

好きだから。世界変革の野望に燃えるアンテクリストに比して、なんという単純な動機だろうか。
だからこそ、揺るぎない。

「みんな! 力を貸して! 雪華の舞《スノウプリンセス・ダンスパーティー》!」

ノエルが手を掲げると、無数の雪女の幻影が現れ、アンテクリストに連撃を加える。
かつて姦姦蛇螺の中で深雪が似たような技を使ったことがあるが、今回はそれよりも遥かに強力だ。
彼女らは深雪、つまりノエルが内包する、かつて雪の女王に間引かれてきた雪ん娘達。
人間の文明に追いやられた者達の象徴。
それが、追いやられた者達代表ともいえるアンテクリストに、楯突く。

一方のハクトは、レディベアの前に立ち攻撃の余波を防いでいた。
氷の戦槌を振るい、紅蓮の翼から飛んできた火の粉というには大きすぎる火の玉を散らす。
今はアンテクリストは主に祈に集中しているが、いつ後衛職のレディベアが狙われないとも限らない。
レディベアは祈と共に切り札となり得る存在。
尤も、今は祈とレディベアが龍脈の力とブリガドーン空間の力を各自がバラバラに使っている状態だ。

「レディベアちゃん、君のブリガドーン空間の力と祈ちゃんの龍脈の力、一緒に使えないかな……?
例えばあんな風にさ」

ハクトはそう言って黒尾王を見遣った。橘音と尾弐が融合した黒尾王は、完全に二人の能力が融合している。
無論、合体ロボ化は変化術に長けた橘音だからこそ出来たもので、祈とレディべアに同じことが出来るとは思えないが、何らかの手掛かりにはなるかもしれない。

390尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/04/25(日) 00:58:04
荒れ狂う暴威が嘘であったかの様に、かつて神獣レビヤタンであったモノは只の水として大地に還された。
偉大なる力、不滅の命は失われたが――それでいい。巡り行くのが命だ。
どれだけ素晴らしいモノでも、一つ所に留まれば何れは淀んでしまう。
正しいものを正しい場所に。正義を語るのであれば、それは為さねばならぬ義務である。
僅かに力を込めて外装を濡らしていた水滴を蒸気と化し吹き飛ばした黒尾王は、断ち切った生命へと振り返る事をせず眼前……この場における最も熾烈な戦いへと視線を向ける。


――――唯一神。絶対神。全知全能にして至高の神。
己が知略と力のみを以て究極の座を簒奪し、己が存在を世界に謳った『アンテクリスト』。
一度は東京ブリーチャーズを歯牙にも掛けず退けてみせた存在はしかし、無惨にも膝を付き息を荒げていた。
頂点に至った彼の存在を凌駕した者、それは天与の才覚を持つ英雄ではなく
神に愛された聖者ではなく
世界の理とも称される大妖怪達ではなく
天軍を指揮する大天使ではなく
神に匹敵する力を持つ天魔ではなく
全ての悪為れと生み出された悪神共ですらもなく

少女。人間の少女だった。


>「アナタの目論見は見事、図に当たりましたね。師匠」
>「『祈ちゃんとレディの間に友情を芽生えさせる』というアナタの作戦、まさにお見事と言うしかない。
>でも……その先がいけなかった。アナタはふたりの友情を、絆の力を甘く見過ぎていた。低く見積もりすぎてしまった。
>特に祈ちゃんの力を」
>「レディだけじゃありません、ボクとクロオさんがこうしてここにいるのも、祈ちゃんのお陰だ。
>祈ちゃんが、ボクたちの罪を許すと言ってくれた。長い間拗らせていた悪性を取り除いてくれた。
>ノエルさんもそうです、災厄の魔物というしがらみから、祈ちゃんはノエルさんを解き放った。
>ポチさんだって……祈ちゃんがロボに啖われて瀕死のシロさんを救わなかったら、彼も今頃ここにはいなかったでしょう」

アンテクリストは誰よりも賢く、そして用意周到だった。
神代の力を失って尚、その謀略は時代を操り、歴史を弄び、人間を玩具とする事も片手間にやってのけた。
強欲、嫉妬、憤怒、怠惰、色欲、傲慢、暴食。
人や妖怪の持つあらゆる負の感情は、アンテクリストの策略の中に組み入れられる数字でしかなかった。
だからこそ悪が蔓延るこの世界で、彼はあらゆる存在を出し抜き力を手にする事が出来たのだろう。

けれど、彼の完全たる数式には間違いがあった。

>「ボクたちの手はバラバラだった。誰も彼もが憎しみ合い、騙し合い、本当の気持ちを覆い隠して生きてきた。
>でも今は違う――離れ離れだった手は繋がれ、結ばれ、ひとつの大きな輪になってここにある!
>それをしてくれたのは祈ちゃんだ。彼女の愛や、希望や、勇気の力だ。
>師匠――アナタは!アナタが遠い昔に捨て去った、キレイな心の力によって敗れるんだ!!」

万象を嗤う悪なる叡智は、人を愚かと見下しながら――しかし人の心が持つ輝きを。
その美しいものの価値を、何一つとして理解出来ていなかったのだ。
だからこそ、一人の少女が紡いできたモノを見誤った。
完全であった筈の謀略は、そのエラーによって破綻したのである。

「こんな俺でさえ気づけたキレェなモンに、神サマ気取ったテメェはとうとう気付こうとしなかった。
 皮肉だな。人間も妖怪もバカにしてたテメェが、一番バカだったんだからよ」

アンテクリストに侮蔑と嫌悪の視線を向けてから、尾弐は一瞬レディベアへと視線を移す。

「哀れだよ。テメェは」

目の前に伸ばされた手があったのに、それに気付こうとすらしなかった。
己が内面に未だ深く募る憎しみに一滴の憐憫を混ぜながら、尾弐はそう吐き捨てる。


―――――――

391尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/04/25(日) 00:58:31
アンテクリストから唯一神としての『そうあれかし』は失われた。
絶対性を喪失した以上、アンテクリストに勝ち目はない。
那須野橘音の言う通り、勝負は決した……その筈だった。

>「……フ……。
>フハハハ……、ハハハハハハハハハ……。ハハハハハッ、はははははははははははははは…………!!」
「は……気でも狂ったか?」

しかし尚、アンテクリストは哄笑を上げて見せた。
その様子を見て内心で舌打ちしつつも、尾弐は警戒の度合いを一段階引き上げる。
打ちのめされ砕かれても、それでも相手はアンテクリスト……赤マント。
謀略を以て尾弐黒雄を含めた多くの存在を破滅に導いた者なのだ。
油断と慢心こそが彼の謀略家にとっての勝利の鍵。敗北さえも布石。
そして、その尾弐の懸念は現実のものとなる。

>「なるほど、そういうことか……。やっと理解できた……。
>私は最初から間違えていたのだな、私が最優先で始末しなければならなかったのは、安倍晴陽でも多甫颯でもなかった!
>ははは……傑作だ!こんなに笑える話があるものか!?
>この私が!計略においては世界のいかなる叡智をも凌駕する私が!『最初から間違えていた』などと――!!!」

>「……違う、まだだ」

>「――――そう。そうだとも。
>私は唯一神ではなかった、神を名乗る偽りの存在だった。
>ならば!『これから唯一神になればいい』!!
>貴様らを完膚なきまでに叩き潰し!殺戮し!葬り去り!この都庁周辺にいる小賢しい地虫共も残らず殺し尽くせば!
>そのときこそ、私は真の神として降臨することができるだろう――!」

祈が呟いた通り、アンテクリストは何一つ諦めていなかった。
己の失態を認め、己の謀略の失敗を認め――――『それでも』と『またここから』と野望を再燃させてみせたのである。
恐るべきはその執念。恐らくは神話の時代から願ってきたのであろう野望が挫かれて尚、立ち止まらずに立ち上がる精神性。
べリアル。赤マント。アンテクリスト。
姿を変え名前を変えていく彼の存在の恐るべき点は、或いは知能でも妖力でもなく、このどす黒い心の力なのかもしれない。

>「往生際が悪いですよ、師匠!
>アナタは詰んでるんだ、もうとっくに敗北しているんだ!
>第一アナタにはもう龍脈の力も、ブリガドーン空間の力もない!そんなザマでいったい何ができるって言うんです!?」

「……警戒しろ橘音。アイツはやる。絶対にやる。知ってるだろ、アレは敗北した程度じゃ止まらねェ類のゲテモノだ」

ある意味では嘆願のように言葉を投げつける橘音に対し、尾弐は静かに言葉を掛ける。
一度の敗北で、失態で、そんなモノで潰れる精神であるのなら、とうの昔に天使だの英雄だのが討滅を成し遂げている筈だ。
己の敗北すらも要因として内包し、あらゆる可能性を模索し、想定し、対策する。
そうであるからこその怪物。終世主などという大言を名乗った者。

>「勘違いしている者が多いが、三神獣は単なる召喚獣ではない」
>「啖った者の能力を爆発的に高める『供物(エサ)』なのだ―――!!!」

声高に宣言した次の瞬間。尾弐が止める間もなく其れは為された。

>「見よ!!畏れよ!!
>此れが貴様ら背徳者どもを断罪する、究極の!完璧なる神の尊容!!
>アンテクリスト・ペルフェクトゥス!!!!」

眼前に立つは、雷轟を纏い、悪鬼が如く角を生やし、獣が如く牙を持つ異形。
アンテクリストは、三神獣――――世界を統べるとも言われる神獣達の核を取り込んだのだ

「チッ……往生際が悪ぃ。良い点といやぁ、さっきまでのスカし顔よりぶん殴り甲斐がありそうな事くれぇか」

橘音と尾弐が合一した黒尾王は強い。
しかし、単なる個として見た場合……その黒尾王よりもアンテクリストの力の総量は上だ。
概念ごと切り裂いたが故にレビヤタンの不死性こそ引き継がれてはいないだろうが、それでも単身で勝てる相手ではない。
けれど、警戒こそすれ尾弐は絶望など微塵もしていない。

>「死ね、多甫祈!
>―――――――最終ラウンドだ!!!」
>「おまえの方がつえーみてーだな。だけどいいのか? あたしだけに気を取られてて。
>三神獣がいなくなった今、あたしの仲間は全員フリーになってんだぜ!」
>「こういうの、人間界ではお礼参りって言うんだって?
>相手が祈ちゃんだけだと思ったら大間違いだよ? 見ての通り君にお礼したい人はたくさんいるんだから!」

「因果応報なんて古臭ぇ言葉だが……まあ、千年昔の決着なら丁度いいだろ」
「テメェの敵はテメェが嗤った全部の命だ。覚悟して、せいぜい一人で死んでいきやがれ!!」

皆が言った通り、アンテクリストの相手をするのは一人ではない。
紡がれた絆により集まった仲間達。東京ブリーチャーズなのだから。

―――――

392尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/04/25(日) 01:00:08
>「きっちゃん、君は童の最初のともだち。今までもこれからもずっとずっと最高のともだち。
>おめでとう、幸せになってね……!」
>「クロちゃん、きっちゃんを泣かせちゃ駄目だからね! ずっと見てるんだから!
>……ありがとう、きっちゃんを好きになってくれて!」

「ったく、お前さんは相変わらず自由だな――悪ぃがその約束は守れねぇぜ色男。橘音には嬉し泣きして貰うって野望があるんでな」

黒尾王は尾弐と橘音の合一体。開戦直後にその心象世界にノエルが干渉してきた事に対し、尾弐は僅かに驚きを見せる。
だが、考えてみればここは想いが具象化するブリガドーン空間なのである。
ノエルが祝う事を望み、尾弐と橘音がノエルという仲間の存在を拒まなければ、精霊現象に近い存在であるノエルにとってその程度は容易い事であろう。
女性の形を取っているとはいえ、橘音に抱きついた事への意趣返しと言わんばかりに天邪鬼な言葉を返した尾弐は、掴まれた手が離れてからノエルに握った自信の拳を見せる。

「――――勝つぞ、ノエル」

多くの言葉は要らない。拳と拳をぶつけ合うのは、男同士の誓いだ。

――――――

ノエルに祈への蛇尾での追撃を阻止されたアンテクリストは、しかしそれも想定内とばかりに追撃を行う。
その為の手段として用いられたのは自切――鎖を破砕する時間を省き、心理的な隙を突く為に、アンテクリストは蛇の尾を自ら切り捨てたのだ。
そもそも今のアンテクリストの力を以てすれば、祈が行ったように欠損箇所を再生するくらいの事は訳はない。
それで祈を葬れるのであれば、尾の切り離しなど些事であるのだろう。
合理的に最短で放たれる悪辣な手刀の一撃は、眼前の祈の心臓へと突き刺さり

「おめでとさん。大ハズレだ――――『幻装白景』」

上空から投げかれられるのは尾弐の声。
見れば、いつの間にか祈とアンテクリストの間に巨大な氷の盾――――ノエルが渡した其れが突き刺さっていた。
そう、アンテクリストの手刀は、その盾に映っていた祈の幻像を貫いたのである。

本来であれば、深遠なる謀略家であるアンテクリストがこの手の策略に掛かる筈はない。
なぜそれが成し遂げられたのかと言えば、其の理由は……この術が那須野橘音の幻術とノエルの幻惑術の合わせ技であるが故。
ノエルの力を模造。生み出された盾により光を屈折し、那須野の幻術により違和を修正すれば、そこに生まれるのは完全なる不可視の盾。
幻想だけを写す透明な鏡となる。
そして――――無論の事、この盾には尾弐の力も込められている。

「『反転・幻想発勁』」

アンテクリストの手刀。盾に突き刺さった其の一点に、黒尾王の巨体が生み出す力が集約し―――爆ぜた。
発勁――彼の狼王から見て盗み、独自に研鑽していった技術の集大成。
奥義である黒尾とは異なる、純粋な技巧のみの反撃。
その一撃は、アンテクリストを弾き飛ばし距離を取らせる事に成功した。しかし

「チッ、やっぱし足りねぇか……」

その命には到底届かず。僅かな傷も見る間に再生してしまう。

(消耗戦は不利――心はともかく、祈の嬢ちゃんの身体が持たねぇ。必要なのは火力。根こそぎ焼き尽くす程の大火力だが)

世界中から『そうあれかし』を集めて底上げを行っている現状、これ以上の劇的な強化は望めない。
そもそも『そうあれかし』は人々の想いである。
祈を想う者も居れば、ポチを応援する者、ノエルを礼賛する者も、橘音を尊敬する者も……奇特にも尾弐の勝利を願う者すらもいる。
それを無理やり捻じ曲げる事など出来はしない。ならばどうする。

「『そうあれかし』を自然に集約する方法なんざ――――」

ふと、尾弐の脳裏に複数の映像が浮かぶ。
かつて酒呑童子の心臓を暴走させ化物と化した自身。
己を憑代にしようとした先代アスタロトを取り込んだ橘音。
狼王から『獣(ベート)』を引き継ぎ宿したポチ。
雪妖として多数の人格を内包し、それぞれが独立して存在しているノエル。
原始の呪術。シャーマニズムに多くみられる――――憑依。

「――っぐっ!!?」

記憶の想起に意識を裂いていた尾弐は、不意の衝撃によって強制的に意識を引き戻される。
どうやら、アンテクリストは先ほどの防御によって黒尾王を邪魔な要素と判断し、祈への攻撃の片手間に排除する事を決めたらしい。
莫大な妖気の一部を片手に集約し、呪詛の砲弾として黒尾王へと投げつけて見せたのだ。
幸い、とっさに盾で逸らす事で防御が間に合ったが……

「流石に、直撃したら不味ぃな……橘音。どうにも消耗戦は愚策みてぇだが、一発逆転の手段なんてモンが便利に有ったりしねぇか?」
「ただ単純に俺達の妖力を分けるってのも考えたが――多分、それじゃあ勝てねぇ」
「力を束ねる何かが必要なんだが、どうにもそれが思いつか……っ!?」

アンテクリストの次弾を瘴気を纏った拳で殴りつけ相殺する。
――現状、尾弐に出来るのは時間を稼ぐ事のみ。
祈一人に攻撃が向けられないよう自身にも攻撃をさせ、負担を分散させる事が最善手。
明確な逆転の一手を思い浮かべられぬ自身の思考の鈍さに辟易としながらも、自身よりも余程優秀な仲間達を信じ、
自身の役目を果たす事に集中し始める。

393ポチ ◆CDuTShoToA:2021/05/02(日) 19:52:41
目の前に転がったベヘモットの首を見上げる。
ポチは、全身の毛が逆立っていた。
とどめを刺す直前に響いた、殺意と闘志を秘めたベヘモットの咆哮。
圧倒的有利な状況にあったにもかかわらず、その咆哮にポチは戦慄した――本能的な命の危機を感じていた。

「最初からその気迫でかかってこられたら、ヤバかったよ」

最早ぴくりとも動かなくなったベヘモットの首に軽く拳をぶつけて、ポチが呟く。

「……よし、上に戻ろう、シロ」

だが、すぐに都庁へと振り返った。
同時に全身に纏った獣の甲冑が流動化して、ポチの体内へと戻っていく。
『獣(ベート)』は平常時、ポチの全身に今も残る滅びの傷をその血肉で埋めてくれている。
このまま甲冑を展開し続けていては、少なくない量の血を無駄に流す事になってしまう。

ともあれポチは都庁の外壁を蹴って、高く垂直に飛び上がる。
そうして次は右手の爪で壁を掴んで、自分の体を更に上へと投げ飛ばす。
それを何度か繰り返した後、ポチは都庁屋上の縁を掴む。
そのまま体を引き上げて、前を見る。

まず目に映ったのは、ポチが真上を見ても目を合わせられないような巨大な――ロボットのような、何か。
ちょっと何が起きてるのか理解が追いつかなかったが、尾弐と橘音、二人のにおいはそこからする。
それだけ分かれば、ひとまずポチには十分だった。

視線をヘリポートに下ろすと、祈が見えた。
彼女からは真新しい血のにおいがする。
だが――苦痛のにおいはしない。どういう訳か、無事らしい。
その、どういう訳を知る必要は、ポチにはなかった。

ノエルは、いつも通りだ。消耗した様子はない。
いつも通り上手くやってのけたのだろう。

そしてアンテクリストは――神の如き威光を失って、膝を突いていた。

「……お楽しみの時間には、乗り遅れずに済んだかな?」

ポチが鼻を鳴らす。アンテクリストからは、においがした。
今までどんな時も嘘臭さしか嗅ぎ取れなかった、あの赤マントから、においがした。
苦痛のにおいが、狼狽のにおいが。

>「アナタの目論見は見事、図に当たりましたね。師匠」

巨大ロボ――黒尾王が橘音の声を発した。

>「『祈ちゃんとレディの間に友情を芽生えさせる』というアナタの作戦、まさにお見事と言うしかない。
  でも……その先がいけなかった。アナタはふたりの友情を、絆の力を甘く見過ぎていた。低く見積もりすぎてしまった。
  特に祈ちゃんの力を」

>「レディだけじゃありません、ボクとクロオさんがこうしてここにいるのも、祈ちゃんのお陰だ。
  祈ちゃんが、ボクたちの罪を許すと言ってくれた。長い間拗らせていた悪性を取り除いてくれた。
  ノエルさんもそうです、災厄の魔物というしがらみから、祈ちゃんはノエルさんを解き放った。
  ポチさんだって……祈ちゃんがロボに啖われて瀕死のシロさんを救わなかったら、彼も今頃ここにはいなかったでしょう」

そうだ。今のポチは、祈のおかげでここにいる。シロの事だけではない。
ロボとの決着だってそうだった。
祈はあの時もっと簡単に、銀の弾丸を投げてしまってもよかった。
だけど、そうしなかった。ロボを狼の王として終わらせたいというポチの望みを汲んでくれた。

394ポチ ◆CDuTShoToA:2021/05/02(日) 19:52:57
>「ボクたちの手はバラバラだった。誰も彼もが憎しみ合い、騙し合い、本当の気持ちを覆い隠して生きてきた。
 でも今は違う――離れ離れだった手は繋がれ、結ばれ、ひとつの大きな輪になってここにある!
 それをしてくれたのは祈ちゃんだ。彼女の愛や、希望や、勇気の力だ。
 師匠――アナタは!アナタが遠い昔に捨て去った、キレイな心の力によって敗れるんだ!!」

>「こんな俺でさえ気づけたキレェなモンに、神サマ気取ったテメェはとうとう気付こうとしなかった。
 皮肉だな。人間も妖怪もバカにしてたテメェが、一番バカだったんだからよ」
>「哀れだよ。テメェは」

「僕からは……特に何も言う事はないかな。ただ――」

ポチの全身から妖気が昂ぶる。
『獣(ベート)』の血肉が再びその胸部から溢れ出す。
燻る甲冑がポチの全身を包む。

「覚悟しなよ。お前は今から、自分のしてきた事のツケを払うんだ」

アンテクリスト、ベリアル、赤マント。
その在り方がどうであるかは、ポチにとって、そう重要な事ではない。
ただ――借りは返す。恨みは晴らす。ロボとの約束を果たす。
未来を掴む。
ポチにとって重要な事は、そういった事だった。

ポチの姿が消えて、アンテクリストの背後に回る。
ポチが不意を突き、その隙を皆が刺す。
或いは皆が先に仕掛け、その隙をポチが襲う。
東京ブリーチャーズ必殺の形――油断はない。
そして――

>「……フ……。
  フハハハ……、ハハハハハハハハハ……。ハハハハハッ、はははははははははははははは…………!!」

ふと、アンテクリストが笑い出した。
敗北を悟って、おかしくなったのか――

>「なるほど、そういうことか……。やっと理解できた……。
  私は最初から間違えていたのだな、私が最優先で始末しなければならなかったのは、安倍晴陽でも多甫颯でもなかった!
  他の誰を殺すよりも先に、私は――多甫祈!貴様を殺すべきだったのだ!」

違う。アンテクリストからは、においがした。

『ああ……、そうだな。その通りだ……お前たちの言うとおりだよ。
 私は間違えた……。神とは誤らぬ者。私は唯一神でもなければ、絶対神でもなかったな……』

>「……赤マント」
>「……違う、まだだ」

アンテクリストからは強い強い、決意のにおいがした。
願いを――夢を、叶えてみせる。
そんな向上心、情熱、意気込み、懸命さ――人々がそう名付けるような、希望のにおいが。

「……バケモノめ」

>「――――そう。そうだとも。
  私は唯一神ではなかった、神を名乗る偽りの存在だった。
  ならば!『これから唯一神になればいい』!!
  貴様らを完膚なきまでに叩き潰し!殺戮し!葬り去り!この都庁周辺にいる小賢しい地虫共も残らず殺し尽くせば!
  そのときこそ、私は真の神として降臨することができるだろう――!」

この状況でなおも、心に希望を燃やす事の出来る精神性。
それをにおいという形で直に認識させられた時、ポチは戦慄を禁じ得なかった。

395ポチ ◆CDuTShoToA:2021/05/02(日) 19:53:34
>「往生際が悪いですよ、師匠!
  アナタは詰んでるんだ、もうとっくに敗北しているんだ!
  第一アナタにはもう龍脈の力も、ブリガドーン空間の力もない!そんなザマでいったい何ができるって言うんです!?」

「分からない。けど」

>「……警戒しろ橘音。アイツはやる。絶対にやる。知ってるだろ、アレは敗北した程度じゃ止まらねェ類のゲテモノだ」

アンテクリストからは、戸惑いや迷いのにおいはしない。
アンテクリストには確信があるのだ。
まだ、ここからでも自分は逆転の一手を打つ事が出来ると。

>「貴様はやはり不肖の弟子だな、アスタロト。
  この私が、智謀の頂に君臨する私が!
  “こういった場合”のために奥の手を用意していないとでも思ったか……?」

不意に、討ち果たされた三神獣の残骸から光球が飛び出す。
強烈な神気の塊――アンテクリストが唯一神としての力を失っても、既にそこにあったものが無くなる訳ではない。

赤マントであった頃の過ちを突けば、アンテクリストの神性を失わせる事が出来る。
ならば――アンテクリストだった頃の行いが、ベリアルに力をもたらす事だって出来る。

>「勘違いしている者が多いが、三神獣は単なる召喚獣ではない」
>「啖った者の能力を爆発的に高める『供物(エサ)』なのだ―――!!!」

『啖った者の能力を爆発的に高める『供物(エサ)』。
それはつまり――『そうあれかし』。
神話という、この世界に最も深く根差した『そうあれかし』に裏付けされた、神の恩寵。

>「ははははははははは……ふはははははははははははははははははははははははは!!!!!」

それがアンテクリストにいかなる力をもたらすのかは、すぐに分かった。
生み出される力の、単なる余波さえもが暴風と化して周囲に吹き荒れる。
その中心で、アンテクリストの肉体が見る間に膨張していく。
唯一神であった頃の名残など露ほども残らない、禍々しい――醜悪な姿に。

>「見よ!!畏れよ!!
  此れが貴様ら背徳者どもを断罪する、究極の!完璧なる神の尊容!!
  アンテクリスト・ペルフェクトゥス!!!!」

「……それが、神の姿だって?冗談だろ。いよいよ見た目もバケモノになっちまってさ」

いつも通りの軽口――少し、声音が強張っている。
アンテクリストから迸る力は、先ほどまでよりも更に激しい。

>「死ね、多甫祈!
 ―――――――最終ラウンドだ!!!」
>「ああ!! 終わらせてやるよ!!」

アンテクリストが祈へと襲いかかる。祈が迫る右拳を己の拳で迎え撃つ。
ポチは――獣の甲冑を操作。全身に巣食う滅びの傷から溢れ続ける血を、右手に集める。
そしてそれを周囲へ撒き散らした。

>「おまえの方がつえーみてーだな。だけどいいのか? あたしだけに気を取られてて。
  三神獣がいなくなった今、あたしの仲間は全員フリーになってんだぜ!」

「――そうさ。折角気味の悪い見た目になったのに、お目々を増やすのを忘れちゃったのか?」

ポチの声が、ヘリポートのあらゆるところから響く。
撒き散らした血液によって構築された、小規模な、幾つもの縄張り。
それらの中に、ポチは偏在している。

396ポチ ◆CDuTShoToA:2021/05/02(日) 19:53:52
そして――不在の妖術と共に縄張りを飛び出し、アンテクリストへ接近。
『獣』の牙を連ねた手甲による、渾身のロングフック。
打撃の瞬間のみ姿を現し、直後に再消失。偏在の力によって縄張りへと戻る。
一連の動作を、一呼吸の間に二、三、四と繰り返す。
そこにシロとの連携が加われば――全方位からの、防御不能の連撃の完成。

だが――浅い。
アザゼルの角をも打ち砕いてきた『獣』の力をもってしても、その肉を切り、骨を断つ事が出来ない。
精々、ほんの小さな擦り傷を与えるだけ。それすら一瞬にも満たない間に再生されている。

「……あー、今のはほんの挨拶代わりだ。いい気になるなよ」

せめてもの強がり――しかし実際のところ、ポチの連撃はアンテクリストにほんの僅かな痛痒すら与えられていない。
どうしたものか。大規模な宵闇を展開して、偏在化の力をより強く発揮すれば、より強力な攻撃が繰り出せる。
だが縄張りを大きくすれば、陰陽寮でローランがそうしたように、結界そのものを破壊されてしまう。
ポチの結界は己の血を媒体にしている。無策に展開して破壊されては、消耗が募るばかりだ。

ポチの戦技は獣の狩り。噛みつき、切り裂けば血の流れる相手を疲弊させ、仕留める為の技。
ベヘモットの時もそうだったが――こうも相手が強大だと、相性が悪い。

勿論、ポチとシロだけでアンテクリストに致命傷を与える必要などない。
しかし――手傷の一つも負わせられないのでは、囮にすらなれない。
決して己を殺傷し得ない存在に、アンテクリストが注意を払う理由がないからだ。

どうしたものか――思いつかない。
ここは橘音に指示を乞うべきか。
ポチは、そう判断して――

>「ポチ殿、若き獣の王よ。

その時、ふと目の前にノエルが――否、深雪が現れる。

> 我は思うのだ。災厄の魔物の存在意義はこの世界の存続なのではないかと。
  ゆえに案ずるな。たとえ一時道を違えようとも、きっと最後は同じ場所に辿り着く――」

「……かもね」

ポチは一時期、災厄の魔物として、真に人類の敵だった事がある。
東京ブリーチャーズはニホンオオカミの存続の為に利用すべき存在で、いつかは敵に回す潜在的脅威。
そう考える存在になった事がある。

何故それを深雪が知っているのかは分からない。
同じ災厄の魔物だから、分かってしまうものなのか。
しかし――

「でもね、そんな事はどうでもいいんだ」

災厄の魔物の存在意義なんて今更、ポチの知った事ではない。

「僕は、僕が――僕らが幸せな未来を掴むよ。大事なのは、それだけだ」

結局のところ、アンテクリストは孤独であるが故に今、滅びへと追いやられつつある。
もしもベリアルが東京ブリーチャーズと友達だったなら、彼はとっくの昔に悲願を達成していた。
東京ブリーチャーズと、彼らが守ろうとするもの全てと――人類と共にある事さえ、
それをポチが己の幸せだと、獣の繁栄だと定義してしまえば、災厄の魔物の存在意義など何の関係もない。

ポチの答えを聞くと、深雪は姿を消した。
気がつけば、ポチの両手は氷の爪を纏っていた。

「……いいね、これ」

獣の甲冑――その右腕が『獣』の血肉に戻り、氷の爪を這い上がり、包み込む。
氷を芯にして、再び血肉が硬質化――爪が、牙と化す。
狼の、敵を殺める為の最大の武器に。

397ポチ ◆CDuTShoToA:2021/05/02(日) 19:56:46
>「『反転・幻想発勁』」

ポチの姿が再び消える。
黒尾王の幻惑に乗じて、アンテクリストを薄く包み込む血霧。
ほんの一瞬しか持続しない、だがそれ故に消耗も最低限に抑えた『僕らの縄張り』。

「『狼獄』」

宵闇の中、どこにでもいて、どこにもいない。
ただの風切り音が炸裂と化して、アンテクリストを襲う一瞬百撃。
そして――

>「チッ、やっぱし足りねぇか……」

それでも、アンテクリストは無傷だった。
実際には、僅かな傷を負わせる事は出来ていたが、それもやはりすぐに再生された。
力が足りない。アンテクリストに深手を負わせるだけの威力が。

「……どうしたもんかな」

どうすればいい。どうすればアンテクリストの命を脅かせる。
ポチは宵闇の中に潜み、考える。そしてすぐに一つの結論に至る。
自分が頭を使ったところで、何の意味もないと。
考え、策を練るのは橘音の領分だ。
その上で――自分がすべき事は、何か。
橘音が策を閃くまで時間を稼げばいいのか――そうだ。だが、それだけでは駄目だ。

何故なら自分達が今対峙している敵は、アンテクリスト。
或いは赤マント。或いはベリアル。
或いは――橘音の師匠。

アンテクリストならば、橘音が考えつくだろう策を、同じように考えつく事が出来るだろう。
もしアンテクリストが、自身を攻略する術を橘音よりも先に考えついてしまえば、どうなるか。
当然それを妨害する術だって思いつくだろう。
或いはそれを逆手に取る事すらしてくるかもしれない。

そうならないよう、アンテクリストの思考を妨害する必要がある。

つまり――結局、ポチの思考はスタート地点に戻ってきた。
力が足りない。アンテクリストの思考を妨げるにも、やはり自分の攻撃では威力が足りないと。

だが――今度は、先ほどとは思考の前提条件が違う。
橘音には頼れない。必然、ポチの選択肢は少なくなる。
選択肢が少ないという事は――迷う必要がなくなる。

「……うん。結局、僕にはこれしかないんだ」

瞬間、再びアンテクリストの周囲を薄い血霧が包んだ。
赤黒い宵闇の中、ポチはどこにでもいて、どこにもいない。
一瞬の間に放たれる百の打撃がアンテクリストの顔面を強打する。

結界が霧散する。ポチの姿がほんの一瞬現れて――もう一度、血霧が広がる。
ポチの姿が再び消える。一瞬百撃がアンテクリストを襲う。

398ポチ ◆CDuTShoToA:2021/05/02(日) 20:06:31
大規模な宵闇を展開して、偏在化の力をより強く発揮すれば、より強力な攻撃が繰り出せる。
縄張りを大きくすれば、陰陽寮でローランがそうしたように、結界そのものを破壊されてしまう。
ポチの結界は己の血を媒体にしている。無策に展開して破壊されては、消耗が募るばかりだ。

だが――それはつまり、逆に考えれば。
消耗さえ度外視すれば、ポチは単独で自身の攻撃能力を底上げ出来る。

――結局、いつだって僕は。

それでも、アンテクリストの思考の妨げになれるかは、分からない。
もしかしたら、ポチの試みはまるで無意味で、ただ己の生命を削るだけの結果になるかもしれない。

――いつだって僕は、命を懸けるしかないんだ。

それでも、ポチはやると決めた。
使い捨ての結界を展開する度に血を失い、
結界が途切れて姿を晒したところを叩かれれば間違いなく死ぬ事になるが、それでも。
これが、ポチが今、仲間の為に取れる最善策。

――いつの間にか、僕は。

『僕らの縄張り』と、一瞬百撃。
それを絶え間なく繰り出し続けながら、ポチはふと、何となく考える。思い出す。
疲労、闘争本能、連続した運動。それらによる興奮が、ポチをほんの少しだけ感傷的にさせる。

――皆の為に命を懸けるのが、当たり前になってた。

自分がまだ、狼じゃなかった頃。狼と犬の雑種だった頃。
ポチは仲間の為に命を懸けられなかった。
皆を慕っているように振る舞いながら、真実、仲間の為に戦う事が出来なかった。

――今なら、僕も言えるよ。僕は、僕の事、嫌いじゃないって。だから……ううん、だからって訳じゃないけど。

思い出す。かつてクリスと戦った時、吹雪に晒された祈を背負って、泣き言を零していた自分を。
もう、あの時の自分はどこにもいない。

「……勝とうね、祈ちゃん」

その事を改めて自覚した時――ポチは、失血と一瞬百撃による消耗の中で、笑みを浮かべていた。

399那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/05/10(月) 10:35:36
「貴様さえ!貴様さえいなければ!!
 私は既に勝っていた!私の計画を妨げる者など、どこにも存在しないはずだった!
 この絶対神に抗えるものなど、この地球上にはいないはずだったのだ!!」

ガゴォッ!!!

祈とアンテクリストの拳が真正面からぶつかり合い、炸裂する。
まるで爆発でも起きたかのように激しい衝撃が同心円状に吹き荒れ、ヘリポートが――否、都庁そのものが鳴動する。大気が震える。
それは正に、妖怪の頂上決戦。
世界に後押しされた妖と、世界を改変しようとする妖の、究極の戦い。

「なぜだ!?貴様はなぜそこにいる!!
 なぜ、私が計画を成就させる――このタイミングでこの世に生まれ落ちた!?
 あと数百年早ければ!若しくは遅ければ!
 貴様如きが我が深謀遠慮の障害となることはなかったというのに!!
 なぜだ!なぜだ――――――
 多甫祈ィィィィィィィィィィィ!!!!!!」

憎悪と憤怒、そして焦燥。
それら黒い情念を吐き出しながら、アンテクリストが吼える。
神獣と合身し、魔獣と化したその姿からは、先程までの超然とした唯一神の面影は欠片もない。
自分以外のすべてを見下し、冷笑を以て操っていた赤マントの姿も。
そこには己の目的のため、悲願のため。
感情も露にただただ突き進もうとする、紛れもない一個の人格があった。
恥も外聞も、今まで連綿と積み上げてきた計画も、総てを擲って戦おうとする、生(き)のままの魂。

>おまえの方がつえーみてーだな。だけどいいのか? あたしだけに気を取られてて。
 三神獣がいなくなった今、あたしの仲間は全員フリーになってんだぜ!

祈の右腕が拉げ、砕け散る。血の華が大輪の花弁を咲かせる。

「祈!!」

レディベアが叫ぶ。が、その砕けた腕が瞬く間に回復してゆくのを見て、ほっと胸を撫で下ろす。
とはいえ、力の差は歴然。禁忌の神獣喰いによってふたたび神の権勢を取り戻したアンテクリストが、龍脈の神子を凌駕する。
が、祈は慌てない。何故なら、祈には仲間たちがいる。
これは祈ひとりの戦いではない。皆で勝利を、幸福を、未来を掴むための戦いなのだから。
祈がアンテクリストの行く手を遮る。レディベアが瞳術でそんな祈のアシストをする。
近距離物理攻撃担当の祈と、遠距離サポートタイプのレディベア。
ふたりのコンビネーションは一糸乱れぬ見事なもので、魔獣と化したアンテクリストも易々とはそれを打ち砕けない。
そしてふたりが決死の覚悟で偽神の注意を引く中、ノエルは他の仲間たちへ加護を与えていた。

>きっちゃん、君は童の最初のともだち。今までもこれからもずっとずっと最高のともだち。
 おめでとう、幸せになってね……!

「……みゆきちゃん!?」

黒尾王の中に存在する心象世界に突然闖入してきたみゆきの姿に、橘音は思わず目を瞠った。
そして、そのまま抱擁を受ける。

>クロちゃん、きっちゃんを泣かせちゃ駄目だからね! ずっと見てるんだから!
 ……ありがとう、きっちゃんを好きになってくれて!

>ったく、お前さんは相変わらず自由だな――悪ぃがその約束は守れねぇぜ色男。橘音には嬉し泣きして貰うって野望があるんでな

「最終決戦の最中にすることじゃないでしょう……ホント、みゆきちゃんは空気を読まないんですから。
 でも――ありがとうございます。
 アナタがいなかったら、今のボクはいなかった。つらいことも、悲しいこともたくさんありましたが……。
 それもすべて、今の幸せに繋がっていたものと考えれば……そう悪いものでもなかったって。そう思います」

みゆきと尾弐の遣り取りに、仮面の奥で軽く涙を滲ませながら小さく笑う。
親の顔も知らないはぐれ狐として生を受け、同族から除け者にされ、人間に疎まれ。
それでもなお世を拗ねきることがなかったのは、みゆきというともだちがいたから。
一度の死別を経て再会した後も、みゆき――乃恵瑠だけは、ただただ愚直に橘音のことを信じてくれた。
かつてクリスと戦った際、橘音はクリスを倒すためには乃恵瑠に傷ついて貰わなければならないと言ったことがある。
そのとき、乃恵瑠は迷いなく言ったのだ。

”橘音くんの言う事”全部信じてるわけじゃない。だけど……”橘音くんの事”は信じてる

と。

ともだちだから。親友だから。
利害でも、契約でもない。ただそれだけの理由で、命を懸けられる。
それが、橘音と乃恵瑠――みゆきの絆。
束の間俯き、半狐面をずらしてごしごしと右腕で涙を拭うと、橘音は仮面をつけ直して前を見た。

「当然!幸せになるに決まってるじゃないですか!
 名探偵の物語は、ハッピーエンドって相場が決まってるんだ!見事、この難事件を解決して――
 物語を締め括ってみせますよ!!」

そう。
狐面探偵・那須野橘音の物語に、バッドエンドなどありえない。
古今東西すべての探偵たちを語る話がそうであるように。
読者の胸がすくような、そんなエピローグを紡ぎあげよう。

400那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/05/10(月) 10:40:14
尾弐と橘音の前に現れたみゆきは深雪に姿を変え、今度はポチとシロの前に出現した。
そして、若いつがいの両手にそれぞれ爪と鉄拳を与えてゆく。

>シロ殿、ポチ殿のことは頼んだぞ――

「……はい。必ず……。
 私の未来は、狼の王と共に」

荘重に頷くと、シロは両手に装備したカイザーナックルをガギィンッ!と一度高く打ち鳴らした。
ノエルは最後にレディベアと祈の許に現れる。

>感謝してる。祈ちゃんを立ち直らせてくれたのって君だよね?
 でもまだ正式メンバーとは認められないなぁ。だってまだうちの店に来たことないよね?
 ……うちのかき氷を食べれば君も正式に仲間だ

「……ふふ。楽しみにしておりますわ」

突然目の前に現れたノエルにレディベアは一瞬驚くものの、すぐに口角に小さな笑みを浮かべてみせた。

「ギシャアアアアアアアアアアア――――――――――――ッ!!!!」

ノエルが祈に籠手の加護を与え終わるのと同時、アンテクリストが炎の翼を広げて一気に祈へと突進してきた。
三神獣の魂を取り込んだアンテクリストの肉体には、今やその力がそっくり取り込まれている。
帝都を一瞬で灰燼に帰すジズの焔が、レビヤタンを構成していた4億9297万立方メートルもの体積の水が、
百獣の頂点に君臨するベヘモットの力が――すべて、アンテクリストの3メートルほどの身体に内包されているのだ。

ガギィッ!!

ノエルの加護を受けた祈の拳は、アンテクリストの拳と激突しても砕けることはない。
再度爆風が巻き起こり、祈の髪を激しく嬲ってゆく。
が、それでアンテクリストの攻撃は終わりではなかった。
レビヤタン由来の、水流で出来た尾。それが不意に大きくのたうち、その槍の穂先のように鋭い先端で祈を刺し穿とうと蠢く。
狙いは、胴体。祈にオーバーロードという超回復能力があるとはいえ、胴に大穴を開けられ臓器を損傷すれば、
回復には長い時間がかかるだろう。

しかし。

「……ちいい……!」

ノエルの傘から伸びた鎖が尾に巻き付き、その行動を阻害する。
アンテクリストは忌々しそうに耳まで裂けた口を歪めた。

>みんな! 力を貸して! 雪華の舞《スノウプリンセス・ダンスパーティー》!

さらにノエルは無数の雪女たちの幻影を放ち、偽神へと差し向けた。
かつて滅んだ者、必要とされなかった者、不要と断じられた者たちの魂。
だが、本来憎悪と憤怒の中で妖壊化してもおかしくない、そんな魂たちまでもがアンテクリストに牙を剥く。
その在り方は正しくない、と言っている。

「邪魔だ――消え失せろ!!」

纏わりつく雪女たちの猛攻などものともせず、アンテクリストが吼える。
炎で構築された背の巨翼を大きく広げ、自身の周囲の温度を猛烈な勢いで上げてゆく。
さらにがぱりと大きく口を開いたかと思うと、偽神は口腔から燃え盛る紅蓮の焔を吐き出した。
その上翼から巨大な火球を生成し、雪女の幻影を蒸発させてゆく。

「く……」

あまりの火勢にレディベアが右手を顔の前に翳し、苦鳴を漏らす。
ただ余波を浴びるだけでも大火傷を負ってしまいそうなほどの、まさに地獄の業火と言うに相応しい炎。
だが、ハクトがギリギリのところでそんな猛火からレディベアを守っている。

>レディベアちゃん、君のブリガドーン空間の力と祈ちゃんの龍脈の力、一緒に使えないかな……?
 例えばあんな風にさ

ハクトが黒尾王を見る。レディベアもつられるようにして、上空に浮かぶ黒鉄のシルエットを見上げた。
いくら祈とレディベアのコンビネーションが息の合ったものであるとは言っても、
今はそれぞれが別々に龍脈の力とブリガドーン空間の力を使っているという状況だ。
そんなバラバラの力を、ひとつに融け合わせることがもし出来たなら。
それはきっと、この長い戦いに真の終止符を齎す一撃となるだろう。

「……そう言われましても……
 わたくしには、一体どうすればいいのか……」

だが、その方法がレディベアには分からない。
黒尾王――妖狐大変化・白面金毛九尾の術は、妖狐橘音の妖術の粋。
自身の妖力を最大限強化し、その上で愛情を交わし合った尾弐の助力も得、やっと顕現せしめた秘奥義なのである。
レディベアには変化の妖術など使えないし、どうすればふたつの力を束ねることが可能なのかの見当もつかない。
そして。

レディベアが懊悩している間にも、戦いは刻一刻と変化していた。

401那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/05/10(月) 10:43:47
「死ね!多甫祈ィィィィィィィィィィィィ―――――――――ッ!!!!」

ノエルの鎖によって拘束されていた尾をさながらトカゲのように自切し、
自由を取り戻したアンテクリストが祈へと迫る。
これもまたジズの力であろうか、五指の鋭利な爪が紅蓮の焔を伴い、手刀と化して祈を狙う。

ドッ!!!

祈の胸に、狙い過たずアンテクリストの手刀が深々と突き刺さる。偽神は一瞬、獣じみた顔貌に喜色を湛えた。
が、その表情がすぐに強張る。――手応えがなさすぎる。

>おめでとさん。大ハズレだ――――『幻装白景』

「……祈ちゃんには指一本触れさせませんよ。師匠」

アンテクリストの前方には、いつの間にか祈を守るようにしてノエルが黒尾王に与えた氷の盾が突き立っていた。
ノエルの生み出した盾の鏡面に映った祈の姿を、橘音の幻術によってより実物に似せる――虚像の術。
赤マントなら易々と見破ったであろうが、アンテクリストにはそれを幻と看破することはできなかった。
そして。

>『反転・幻想発勁』

バチィッ!!!

「ッ!!ぐお……」

盾に籠められていたのは、ノエルと橘音の力だけではない。言うまでもなく尾弐の力も内包されている。
反転の妖術、相手の攻撃の威力をそのまま本人へと返す妖術。
しかし、そんな三者の力の結集をもってしても、アンテクリストを一瞬怯ませるのが精一杯だった。

「羽虫どもが……どこまでも神の行く手を塞ぎに来る!
 消え失せろと言ったぞ、ゴミども!!!」

ガオン!!!

アンテクリストが左腕を黒尾王へと突き出す。その手のひらに、みるみるうちに妖気が収束してゆく。
撃ち放たれる呪詛の砲弾。その威力は凄まじく、黒尾王とて直撃すれば大打撃は必至だ。
何とか盾を回収し角度をつけて受けることで威力を逸らすことに成功したが、何度もは持たない。

>流石に、直撃したら不味ぃな……橘音。
 どうにも消耗戦は愚策みてぇだが、一発逆転の手段なんてモンが便利に有ったりしねぇか?
 ただ単純に俺達の妖力を分けるってのも考えたが――多分、それじゃあ勝てねぇ
 力を束ねる何かが必要なんだが、どうにもそれが思いつか……っ!?

「そんな便利な策があったら、とっくに使ってますよ。
 力を束ねる……。確かに、師匠に決定的な一打を見舞うとすればそれしかありませんね……。
 でも、クロオさんの仰る通り漠然とボクたちの妖力を与えたって意味がない――」

黒尾王の心象世界の中で、橘音が思案する。
すでに世界中の人々の助力を受け、そうあれかしは極限まで得られている。
これでなお東京ブリーチャーズが敗れるというのなら、平和と幸福を願う世界の想い自体が足りなかったということなのだろう。
そんなことはありえない。今この場に存在する力で、アンテクリストは必ずや撃破できるはずなのだ。
だとしたら、どうやって――

>……どうしたもんかな

そして尾弐と橘音、レディベアが終極の一撃を模索しているのと同時に、
ポチもまたアンテクリストに有効打を見舞うべく血霧を放ち、攻撃を繰り返していた。

>『狼獄』

ポチの覚醒した究極の妖術の中では、総てが無為である。
防御も、回避も、何もかもが意味を持たない。なぜならばその血霧の中――ポチの縄張りの中は、即ちポチの顎の中も同じ。
だが――ポチのそんな絶技を以てしても、アンテクリストに致命の打撃を与えることはできない。
傷のすべては与えた傍から回復し、何事もなかったかのように治癒してしまう。

「弾け飛べ!!!!」

ぎゅばっ!!!!!

アンテクリストが全身から膨大な量の神気を放出する。それは正に核爆発にも匹敵する威力だった。
ポチの血霧を吹き飛ばし、ポチ本体もまたその爆風によって叩きのめす。

「ぅ……ぐ……ッ」

それまでポチと共に縄張りの中で攻撃を繰り返していたシロが、偽神の爆撃に大きく吹き飛ばされる。
何とかヘリポートから叩き落されることだけは免れるものの、ダメージは少なくない。がくりと片膝をつく。
ポチにも、共に全方位攻撃を繰り出すシロの動きが徐々に鈍くなっていたのが分かるだろう。
巨獣ベヘモットを仕留め、息つく暇もなくアンテクリストとの戦いに雪崩れ込んだのだ。
シロには他のブリーチャーズのような特別な力はない。いくら狼由来の持久力を有するとは言え、
この最終決戦に参戦するには力不足は否めなかった。

402那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/05/10(月) 10:47:31
けれど。

「……まだ……、まだ……やれます……!
 こんなところで……弱音なんて、吐いていられない……!!」

ぐいっと右腕で口許を拭うと、シロは息を荒げながらもゆっくり立ち上がった。
喉は渇いてひりつき、心臓はばくばくと派手な鼓動を刻んでいる。身体が鉛のように重く、意識が明滅する。
体力は残り少なく、あとどれほど動けるのかも分からない。明らかなスタミナ切れだ。
その一方でアンテクリストはと言えば、無尽蔵の回復力でろくなダメージも受けていない。
誰がどう見ても劣勢、窮地と言うしかない。このままでは、東京ブリーチャーズは決め手に欠く。
そうあれかしとて無限ではない。人々がこの神を倒すことはできないと絶望してしまえば、
祈を包んでいる黄金の光も消える。希望が潰える――

だというのに。

「私……嬉しいです。
 今この場に、すべての決着をつける戦いの場に、あなたたちと……仲間たちといられるのが……。
 ここにいてもいいと、皆さんに思って頂けたことが……」
 
狼王ロボとの戦いの後、遠野に仮寓を定めたシロは当地での平穏と孤独に耐えかね、東京へ単身乗り込んだ。
茨木童子たち酒呑党の仲間に加わり、東京ブリーチャーズと敵対する道を選んでまで、ポチたちに自分の力を認めさせようとした。
そしてその作戦は図に当たり、シロは戦力としてブリーチャーズに迎えられたのだった。
戦いを忌避するなら、最初から遠野でポチの帰りを待っていればよかった。
だが、それをシロは良しとしなかった。どんなに傷ついても、つらくても、ポチと共に戦いたい。
それが誇り高き次代の狼王の伴侶たる自分の採るべき道だと思ったのだ。
シロは今、自らが望んだ場所にいる。この、すべての因縁を孕んだ最強の敵と決着をつける場に。
仲間たちに『ここにいてもいい』と思ってもらえたがゆえ、ここにいる――。

ならば。

例えこの身が砕けようと、シロは己の義務を果たす。

「であるのなら――私は皆さんの気持ちに応えなければならない。
 私がここにいることを、無意味と思われないように……。
 私は……私の役目を!果たします!!」

歯を食いしばり、前傾姿勢になって身構える。

「役目だと!
 笑わせるな、貴様らに役目などない!貴様らは所詮、私の手のひらの上で踊る木偶人形に過ぎんのだ!!」

アンテクリストが大きく上体を逸らし、右拳を突き出してくる。ボッ!!とその腕が燃え盛り、空気が焼け付く。
シロはそれを紙一重で躱すと、身を低く地面すれすれまで屈めて疾駆した。
炎を掻い潜り、レビヤタンの水流の尾を回避し、狙うのは――それまで攻撃していたアンテクリストの顔面ではなく、下肢。

「はああああああッ!!!」

ぎゅばっ!!!

ノエルから与えられたカイザーナックルを備えたシロの拳が、偽神の右膝を痛撃する。
が、有効打には程遠い。例え骨が砕けるほどの攻撃を加えても、一瞬で回復されてしまう。
けれど、シロは諦めない。幾度でも、何度でも、アンテクリストの右膝――狙いを定めた一箇所へ愚直に攻撃を繰り返す。

「クズめ!こざかしい!!」

アンテクリストが叫ぶ。炎が、激流が、その身から迸ってシロを苛む。
直撃こそ避けていても、偽神の全身から迸る業火は放出される熱だけでシロの体力を容赦なく削り、
水流の尾は掠めただけでも鋭利な刃物のようにシロの肉体を削ってゆく。
しかし、それでもシロはただ一点へ向けて打撃を見舞い続けた。

「あなた……!!」

シロがつがいを呼ぶ。それだけできっと、ポチにはシロの考えが理解できることだろう。
ポチが今までずっとやってきた、すねこすりの戦い。かつてポチが狼王ロボを。魔神アザゼルを。
神獣ベヘモットを撃破したときのように、すねこすりの力を以てして偽神を転ばせ、その力を削ぐ。

>あの子にも、君にも、巡り会えた。きっとソイツも見つけ出して……転ばせてやるさ

かつて、ロボに対して彼がそう約束したように――。
例えシロ単独の力だけでは偽神の膝を折ることができなくとも。
最愛のつがいとならば、どんなことだってできる。シロはそう信じている、だから。

「死ね、犬ころども!!!!!」

アンテクリストが両手に膨大な妖力を凝縮させ、波動として撃ち放つ。
それは先ほど黒尾王に対して放った呪詛弾よりも遥かに強力な、偽神の必殺拳。
『狼獄』を発動し、宵闇に紛れたポチとシロをその結界ごと蒸発させんとする、神の鉄槌だった。

「く、あ、あ、ああああああああ……!!」

縄張りの中で、シロが苦痛に啼く。全身が、否、魂までもがバラバラになってしまいそうな痛みに悶える。
だが、攻撃はやめない。
宵闇の中で、シロは無意識に手を伸ばした。
自分が唯一と認めた、夫と、王と定めた、ただ一頭の妖へ。

403那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/05/10(月) 10:54:24
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!!」

アンテクリストが波動の出力を上げる。祈やノエル、黒尾王をして恐るべしと思わせるに充分な、それは圧倒的な破壊の奔流。
けれど――

「……愛しいあなた。私の狼王。
 あなたと一緒に戦えて、私……幸せです。
 だから……最後まで。一緒に、やらせてくださいね」

きゅ、と。ポチとシロ、ふたりの手が繋がれる。ポチの顔を見詰めて、シロが穏やかに笑う。
触れ合った場所から、新たな力が湧き上がる。ふたりの身体に、爆発的に広がってゆく。
否、二頭だけではない。ポチは自らの身体に、彼の成長を見守ってくれていた獣の王たちの力をも感じるだろう。
この世界に棲む獣たちの平和と安寧、未来を彼に託した、偉大な王たち。
彼らがポチとシロの背中を後押ししてくれているのが――。
そして。

ガオン!!!

若い狼のつがいが力を合わせ、ひとつになってアンテクリストの右膝を穿つ。
ポチの攻撃、一瞬百撃。瞬きのうちに百の打撃を繰り出す、必滅の奥義。
宵闇は獣の領域。今や宵闇そのものと化した二頭の攻撃が、やがて偽神の持つ無限の再生能力を凌駕したとき。

「―――――!?」

アンテクリストの右膝がガクリと折れる。巨体がバランスを崩す。
膝が地面につき、思わず右手でヘリポートの床に手をつく。その意味するところはひとつしかない。

偽神は、確かに転んでいた。

「この私が、転倒しただと……?
 ふん!だからどうした!下等な犬ころ風情に転ばされたところで、ダメージなど――」

アンテクリストはすぐに立ち上がった。足元を掬われた程度では物理的なダメージは無いに等しい。
ポチとシロが全力の攻撃を繰り出し、やっと破壊した膝が、ぶくぶくと泡立ちながらすぐに復元されてゆく。
つがいの死力を振り絞った攻撃は、まったくの無駄であったように見えた。

けれど。

「いいえ……、それでいい!大金星です、ポチさん!」

黒尾王の中から、橘音が快哉を叫ぶ。

「アナタが『転ばされた』……、それが大切なんですよ、師匠!
 それはアナタが格下の妖に一本取られたということの確かな証拠だ、ボクたちの攻撃が効くってことの裏付けなんだ!」

今までアンテクリストは神獣を取り込むことで桁違いの力を得、圧倒的な力量差で東京ブリーチャーズを退けてきた。
格下の妖の攻撃など効きはしない。そんなアンテクリストの『そうあれかし』が、彼の無敵を支えてきたのだ。
しかし、ポチとシロがそれを覆した。格下の妖でも、全身全霊を以て当たれば――神に有効打を叩き込むことは可能だと、
見事に実証してみせたのだ。
ならば、新たに定義された『そうあれかし』によって、各々の持つ最大最強の攻撃を叩き込んでやればいい。

「何だと……?」

アンテクリストが憤怒に双眸を歪める。

「何かいい作戦はないかと考えていましたが、撤回します!
 作戦は――『ありません』!!
 後は、なんにも考えず!ただ皆さんの心にあるありったけの想いを込めて、アンテクリストを攻撃するだけです!!」
 
先刻、初めてアンテクリストと対峙したときに告げた言葉を、橘音がもう一度繰り返す。
けれども、その意味合いは絶望と諦念しかなかった先程とはまるで異なる。
もう小細工は必要ない。各人が持ち得る力の全てでアンテクリストと対峙し、宿命に決着をつけるだけで、すべては終わる。

不意に、黒尾王の全身から光が溢れる。一瞬の間を置いて巨大な機神は消滅し、尾弐と橘音は元の姿に戻っていた。
橘音が変化の術を解除したのだ。

「……これは、クロオさんの。クロオさんだけの縁(えにし)です。
 ボクがしゃしゃり出ていいものじゃない……。であるのなら、やっぱり。黒尾王の姿じゃいけません」

橘音は緩くかぶりを振った。
そして両手を差し伸べ、尾弐の頬に触れると、半狐面の奥で目を細めて笑ってみせる。

「さあ……行ってきてください、クロオさん。
 千年間の因縁に、ケリをつけてきてください。
 新しい未来を、ボクと一緒に。創っていくために――」

「ふざけるな……、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなァァァァァァァァァァァァァッ!!!!
 この私が!新世紀の神が!!貴様ら虫けらどもに一本取られただと?攻撃が効くだと?
 世迷言を!貴様らの攻撃など――すべて!踏みつぶし、蹴散らし、粉砕してやる――アンテクリスト・ペルフェクトゥスの力を!
 舐めるなァァァァァァァァァァァァァァ―――――――ッ!!!!!」

橘音の仲間を鼓舞する声に激昂したのか、アンテクリストが猛然と東京ブリーチャーズへ突っかけてくる。
だが、怒りに曇った目の偽神は東京ブリーチャーズの面々からすれば隙だらけに見えるだろう。
そう――今こそ。


これまで抱いたすべての想いを込めて、アンテクリスト。否、赤マントに攻撃を叩き込む時だ。

404多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/05/20(木) 23:54:20
>「貴様さえ!貴様さえいなければ!!
>私は既に勝っていた!私の計画を妨げる者など、どこにも存在しないはずだった!
>この絶対神に抗えるものなど、この地球上にはいないはずだったのだ!!」

 アンテクリスト、否。
神獣を喰らって完全体へと進化したアンテクリスト・ペルフェクトゥスが、怒りも露わに吠える。
 そして多大な圧を放ちながら、祈へと突進する。
――振り上げられる右拳。

>「なぜだ!?貴様はなぜそこにいる!!
>なぜ、私が計画を成就させる――このタイミングでこの世に生まれ落ちた!?
>あと数百年早ければ!若しくは遅ければ!
>貴様如きが我が深謀遠慮の障害となることはなかったというのに!!
>なぜだ!なぜだ――――――
>多甫祈ィィィィィィィィィィィ!!!!!!」

 レディベアから手を放し、風火輪の炎を噴かせて空中に飛び出しながら、
祈もまた右拳を繰り出した。
 空中で激突した二人の右拳が、
ミサイルの爆発を彷彿させる轟音を奏で、大気を震わせる。
それは、究極の強化状態にある二人にしか鳴らせない、
世界の命運を左右する最終ラウンドのゴングだった。

「そいつはあたしの知ったこっちゃねぇな!
これが偶然でもなけりゃ、地球か人類の意思だとでも思っとけよ!!」

 アンテクリストの、憎しみや怒りと共に吐き出された問い。
それに対する答えを祈は持ち合わせていない。
だが、祈が適当に述べたその答えは、あながち間違いともいえないだろう。
 なにせ、アンテクリストやベリアル、赤マントと呼ばれる、その悪逆を是とする存在は。
あまりにも人類に血を流させ過ぎている。
 闇に潜み、不幸を振り撒き、嘆きを嗤う邪悪。
その打倒を、憤怒や絶望や悲しみや無念や恐怖や虚ろの最中、多くの人が願っただろう。
 星に降り積もったその願いが結実したのであれば。
結実した『そうあれかし』が、祈を、ベリアルという病原菌を取り除くための白血球として。
即ち、『対アンテクリスト戦用の漂白者』として選出したのであれば。

 とはいえ――。
拮抗しているかに見えた、アンテクリストとの拳のぶつかり合い。
負けたのは、祈の方だった。
 祈の右拳が砕ける。衝撃の余波で腕が拉げ、宙に血の花が咲く。

(っ痛――! くそ!)

 痛みに顔をしかめる祈。
しかし、祈に後退はない。右拳を失ったなら左拳を叩き込むだけのこと。
元より、憎悪と憤怒でギラギラと燃えるアンテクリストの眼は、祈を捉えて離さない。
逃がすつもりはないとその眼が言っている。

405多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/05/20(木) 23:58:02
 再びヘリポートのコンクリートを蹴って、突進を仕掛けてくるアンテクリスト。

「おまえの方がつえーみてーだな。だけどいいのか? あたしだけに気を取られてて。
 三神獣がいなくなった今、あたしの仲間は全員フリーになってんだぜ!」

 アンテクリストの攻撃に、
今度は叩き込んだ左拳を腕ごとへし折られながら、そんな風に祈が宣う。
 敢えて仲間の存在を示唆したのは、アンテクリストの動揺を誘うためであった。
 祈が視界の端に捉えたところ、今、仲間たちはノエルによって武器を授けられている最中だ。
神獣たちを下した東京ブリーチャーズが強化されるのを厄介と思えば、そちらを攻撃しようと気を削がれる。
逆に、東京ブリーチャーズが集結していない今こそ祈を屠るチャンスと思えば、気が焦る。
 どのみち付け入るだけの隙が生まれるのだ。
 完全体となったアンテクリストの強さは、祈を遥かに凌駕する。
しかし信頼する仲間が集ったなら勝機はあると、祈は信じて疑わない。
だからこそ、仲間たちが強化されるまでの僅かな時間、どのような手を使ってでも持ちこたえる必要があった。

>「祈!!」

 精神的に負けていないとはいえ、
両腕がおしゃかになった祈は、見た目に完全に圧されている。
ズタボロで戦う祈に向けて、さすがにレディベアの心配そうな声が飛んだ。

「っ、あたしは大丈夫! そんなことより時間稼ぐぞ、モノ! 加勢頼んだ!」

 そう言いながら祈は、心配させまいと、砕けた両腕を瞬く間に再生させて見せた。
『そうあれかし』の黄金の光と、龍脈の力を過剰に引き出すオーバーロードの相乗効果だった。
 祈の呼びかけに応じて、レディベアがサポートに入る。
 祈はアンテクリストに劣るとはいえ、それに次ぐ強さと、
肉体の損傷を瞬間的に再生するほどの高い回復力を備えている。
そんな祈がアタッカーをこなし、
瞳術とブリガドーン空間による回復能力を有したレディベアが祈のサポートに回るなら、
一糸乱れぬコンビネーションもあり、そう易々とは負けることはない。
 実際には祈の回復能力は有限であったし、
レディベアが狙われれば終わりという、綱渡りの戦いではあったものの。
どうにか二人は、仲間たちが戦線に戻ってくるまでの僅かな時間を稼ぐことができた。

 先に戻ったのは、ノエルだった。

「お?」

 打ち合いの最中、どうにかアンテクリストから距離を取った祈。
その元へとノエルが現れ、祈の拳を両手で包んだ。

「御幸!」

突如出現したノエルに、アンテクリストが警戒の色を示し、その場に留まった。

>「知ってる? ノエルって救世主の生誕をお祝いする日なんだ。僕の救世主は……君だ。
>聞こえたよ、将来の夢。君ならなれるよ、名探偵!」

 ノエルが祈の手を離すと、
祈の両手には氷で作られた手甲――呪氷のガントレットが装着されていた。
 これ以上傷付かないように、少しでも戦いが楽になるようにと。
 言いたいことはいくつも浮かんで、祈は言葉に詰まった。
ノエルが救世主の生誕を祝う日を意味する単語であり、祈を救世主であるといったことに対し、
『つまりあたしの誕生日祝いに来てくれるってこと? むしろ誕生日教えろ。祝いにいくから』とか。
名探偵になれると言ってくれたことに対し、
『ちょうど、名探偵の助手役が空いてんだけど?』だとか。
 
「……情報量が多いんだっつの。とりあえず、助けられてばっかなのはあたしの方だよ。ガントレットありがと」

 そんな中で祈が言葉にできたのは、呪氷のガントレットをくれたことに対するお礼であった。
素直になりきれない性格も手伝って、言いたいことは戦いが終わってからでも十分言えるからと、色々後回しにしたのである。

406多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/05/21(金) 00:08:56
>「好きだ……君と出会ったこの街が。みんなと出会ったこの星が」

 そこにきて、格好よくアンテクリストへ向き直りながらの、ノエルの宣言である。
 シンプルに考えればどうということはない、戦う理由を明らかにしたに過ぎない。
 だが深読みをすれば意味が変わってくる。
例えば『おいしいプリンを置いている、あの店が好き』という文では
おいしいプリンを置いているという条件を満たしていなければ、あの店は好きとはいえないわけで。
この街が好きというのは、君という存在あってこその文であって。
 君、即ち祈に対する遠回しな告白とも捉えられなくもなく――。

「バカ!! あたしを今混乱させんな!!
ターボフォームは維持すんのに結構集中力要んだから!」

 わーぎゃー騒ぐ祈。そんな祈とノエルを見て、
ノエルが加わったところで脅威足りえないと感じ取ったらしく、
アンテクリストが炎の翼を広げ、再び祈へと迫る。

「それに今は最終決戦の――」

 再度振るわれるアンテクリストの右拳。

>「ギシャアアアアアアアアアアア――――――――――――ッ!!!!」

「――途中だろうが!!」

 それを今度は、踏み込んで両拳を突き出して、祈は受け止める。
 拳二つに威力を分散したから、という言葉では説明できない。
頑強な呪氷のガントレットによって、祈の拳は砕けることがなかった。
ぶつかり合いによって生まれた暴風が、髪の毛を激しく嬲っていっただけだ。
霊的な攻撃力も高まっているのか、アンテクリストの右腕を逆に押し返してもいる。

 とはいえ、アンテクリストの攻撃はそれだけ終わりではなかった。
アンテクリスト・ペルフェクトゥスの尾が、身体の影から槍のように伸びる。

 祈がこの場面で拳も使う戦闘スタイルに切り替えているのは、
手数の不足を理由としているところが大きい。両手両足を自在に攻防に使うアンテクリストに対し、
攻撃を足、防御を手に頼る祈の攻撃方法では、手数に劣る。
隙が生まれやすく、読まれやすいという側面もあった。
 故に、単純に両手を使うことで手数を増やし、
アンテクリストの4つの攻撃手段、両手両足に対応できるようにしておこうという算段だった。
そこにきて尾は5つ目。意識外という死角からの一撃だ。
 視界に捉えた時には既に防御が間に合わず、焦る祈だが、
ノエルの傘から鎖が伸び、レビヤタンの尾を絡めとって軌道を反らした。

>「……ちいい……!」

「おー! ナイス!」

>「みんな! 力を貸して! 雪華の舞《スノウプリンセス・ダンスパーティー》!」

 ついで、畳みかけるように、ノエルが技を放った。
半透明な雪ん娘や雪女の幻影が無数現れて、アンテクリストに攻撃を加える。
優美さのある舞、だが苛烈にアンテクリストを攻め立てていった。

407多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/05/21(金) 00:12:50
>「邪魔だ――消え失せろ!!」

 だがアンテクリストは取り囲む彼女たちを、背の炎の翼を広げて迎え撃った。
あまりの高温に雪女たちが怯み、圧される。
 さらに高温の炎を吐き散らかして一蹴すると、
アンテクリストは苛立たし気に自らの尾を切り落とした。
鎖による呪縛を解くよりも、千切った方が早いと判断したのだろう。

>「死ね!多甫祈ィィィィィィィィィィィィ―――――――――ッ!!!!」

 そして再び祈へと向かってくる。
 ジズを喰らったことで生やした鋭い爪で、祈の胸を貫こうとする。
伸ばした腕が祈に突き刺さり、ドッ、と音がするが。

>「おめでとさん。大ハズレだ――――『幻装白景』」

 貫いたのは本物の祈ではない。

>「……祈ちゃんには指一本触れさせませんよ。師匠」

 それを阻むのは黒尾王。即ち、尾弐と橘音であった。
 アンテクリストが貫いたと思ったもの。
それは、ノエルが授け、黒尾王が放った氷の盾であった。
ノエルが放った雪華の舞《スノウプリンセス・ダンスパーティー》が
アンテクリストの目を逸らしているうちに、祈の眼前に放ったのである。
 氷の盾に映る祈の虚像は、橘音が幻術で本物の実感を与えたもの。
まんまと騙され、貫いてしまったというわけである。

>「『反転・幻想発勁』」

 そして、尾弐が氷の盾に仕込んだ技が炸裂する。

>「ッ!!ぐお……」

 その技は氷の盾に打ち込んだアンテクリストの攻撃の威力をそっくりそのまま返したらしく、
アンテクリストは大きく吹き飛ばされ、祈との間に大きな距離が開いた。

「尾弐のおっさん! 橘音! 助かった!」

 黒尾王が放った氷の盾は、アンテクリストへの騙し討ちだけでなく、
高温の炎に晒される祈とノエルを守ることにも一役買っていただろう。

>「チッ、やっぱし足りねぇか……」

 黒尾王の中から尾弐が言うように、攻撃を返すだけでは致命の一撃にはなりえないらしかった。
 肉体に損傷を与えているが、即座に回復されてしまう。

>「羽虫どもが……どこまでも神の行く手を塞ぎに来る!
>消え失せろと言ったぞ、ゴミども!!!」

 黒尾王を忌々しげに見て、圧縮された妖気の砲弾を飛ばすアンテクリスト。
仲間たちが続々と集い始めて、祈だけでなく、黒尾王にも気を散らし始めた。
相変わらず祈を狙うのは変わらないが、祈の負担が減り、格段に戦いやすくなっている。
 そこへさらに。

>『狼獄』

 ポチの声が、ヘリポートのさまざまなところから聞こえたかと思えば、
黒尾王に気を散らしたアンテクリストに、無数の攻撃が加えられた。
ヘリポートには既に、ポチが血を撒き散らしたことで縄張りが築き上げられていた。
ポチはこの縄張りのどこにでもいるし、どこにもいない、ということができるようである。
 だからこそ可能な、一瞬に百発もの攻撃を加える『狼獄』。
縄張り内にはシロもいるようだから、実際には百発以上の攻撃となっているであろう。
しかも二人もノエルに武器を授けられ、強化されている状態にある。
 意識の外から喰らわされる絶技。その威力に、アンテクリストは圧される。

「ポチもシロもやるじゃん!」

 これで東京ブリーチャーズが全員揃った。
みんなでかかればアンテクリストなんて倒してしまえるのだと。
祈はそう思い、歓喜の声を上げた。

408多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/05/21(金) 00:19:44
 しかし。
『雪華の舞』、『反転・幻想発勁』、『狼獄』。
アンテクリストは数々の必殺技を受けて、僅かに圧されることがあっても、
何事もなく回復するだけの力を持っていた。
 加えて。

>「弾け飛べ!!!!」

 東京ブリーチャーズが揃って尚、アンテクリストの強さの方が上回っていた。
 アンテクリストが、神気を周囲に迸らせる。
まるで核が爆ぜたような、メルトダウンでも起きたような、激しい神気の爆風。
 吹き飛ばされる東京ブリーチャーズの面々。
 このままではジリ貧。攻撃を加え続けても埒が明かないと、誰もが攻めあぐねていた。

「くそっ――。まともに喰らっちまっ――がはっ」

 そして祈はといえば、はいつくばった状態にあった。
 神気の爆発は、アンテクリストの背後に回った祈が、蹴りを叩きこもうとした瞬間に放たれている。
爆心地でまともに神気を喰らった祈は、細胞組織からズタズタに引き裂かれたのである。
 回復力も徐々に弱まりつつあった。

 そんな中、活路を開いたのはシロだった。

>「……まだ……、まだ……やれます……!
>こんなところで……弱音なんて、吐いていられない……!!」

 おそらく東京ブリーチャーズの中で、最も力不足なのはシロだろう。
だが、そのシロが、打ちのめされながらも立ち上がって言うのだ。

>「私……嬉しいです。
>今この場に、すべての決着をつける戦いの場に、あなたたちと……仲間たちといられるのが……。
>ここにいてもいいと、皆さんに思って頂けたことが……」

 呼吸も乱れ、足元もおぼつかない様子のシロ。明らかに限界だった。
 祈のような回復能力があるわけでもない。
下がらせるべきだというのに。そんな風に言われたら、下がれなんて言えない。
 祈の目には、シロの背に己の役目に殉じるローランの姿が重なってみえていた。

>「であるのなら――私は皆さんの気持ちに応えなければならない。
>私がここにいることを、無意味と思われないように……。
>私は……私の役目を!果たします!!」

 そして、シロが構える。

>「役目だと!
>笑わせるな、貴様らに役目などない!貴様らは所詮、私の手のひらの上で踊る木偶人形に過ぎんのだ!!」

 そんなシロを標的にして、アンテクリストが拳を振るう。
音速を超えて熱を帯びる右拳を、寸でのところで掻い潜り、懐へ潜り込んだシロ。
そこに合わせるようにポチが『狼獄』を再度発動させる。
二人が狙っているのは、アンテクリストの右膝だった。
 翼から放たれる業火を、尾から放たれる激流を躱しながら、右膝を狙い続けるシロとポチ。

>「死ね、犬ころども!!!!!」

 業を煮やしたアンテクリストが、凝縮した妖気を炸裂させ、波動として放つ。
神気が爆発したときも、狼獄は解除され、ポチもシロも吹き飛ばされていた。
素早く捕えにくい相手をいちいち狙うよりも、そうした方が手っ取り早いと判断したのだろう。
しかもその波動は、先程の神気よりもあるいは強力で――。
 破壊の奔流が大地と空を揺らし、世界を歪ませる。
それでも二人の狼は、攻撃を止める気配はない。
 歪んでいく世界の中で、
>「……勝とうね、祈ちゃん」祈は気のせいか、そんな声が聞こえたような気がした。

「やっちまえ! シロ! ポチぃぃッ!!」

 どうにか肉体を動かせる程度に回復した祈が、その光景に絶叫しながら立ち上がる。
危険だから逃げてほしいという気持ちはあったが、
二人に負けてほしくない、二人なら勝てるという気持ちの方が勝ったゆえの叫びだった。
 そして、破壊の奔流が収まり、視界が戻ったとき。

 ガオン!!!

 膝をついていたのは、アンテクリストの方だった。
その右膝は大きく抉れている。

>「この私が、転倒しただと……?
>ふん!だからどうした!下等な犬ころ風情に転ばされたところで、ダメージなど――」

 瞬く間に破壊された右膝を回復させ、何事もなかったかのように立ち上がるアンテクリスト。
決死の攻撃にすら、まるで意味がなかったかのように吐き捨てて。

>「いいえ……、それでいい!大金星です、ポチさん!」
>「アナタが『転ばされた』……、それが大切なんですよ、師匠!
>それはアナタが格下の妖に一本取られたということの確かな証拠だ、ボクたちの攻撃が効くってことの裏付けなんだ!」

 だが、無意味ではないと。 黒尾王の中から橘音が言う。

>「何だと……?」

 アンテクリストが黒尾王を睨むように目を歪めた。

>「何かいい作戦はないかと考えていましたが、撤回します!
>作戦は――『ありません』!!
>後は、なんにも考えず!ただ皆さんの心にあるありったけの想いを込めて、アンテクリストを攻撃するだけです!!」

 もう攻撃は効くのだと。作戦なんてなくても、みんなで攻撃すれば倒せるのだと。
そう橘音は言うのだった。

409多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/05/21(金) 00:34:38
>「ふざけるな……、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなァァァァァァァァァァァァァッ!!!!
>この私が!新世紀の神が!!貴様ら虫けらどもに一本取られただと?攻撃が効くだと?
>世迷言を!貴様らの攻撃など――すべて!踏みつぶし、蹴散らし、粉砕してやる――アンテクリスト・ペルフェクトゥスの力を!
>舐めるなァァァァァァァァァァァァァァ―――――――ッ!!!!!」

 激昂し、再び向かってくるアンテクリストへ。

「――んじゃ、あたしから行かせてもらおうかな」

 ちら、とレディベアを見遣った後、先に向かって行ったのは祈だった。
 祈が見るアンテクリストの動きは、
先程と比べると緩慢で、そして隙だらけに見えた。
橘音が言う通り、アンテクリストは自身の無敵を支える『そうあれかし』を失ったのだろう。
そして今までと違って攻撃が効くのだとすれば。ここが使い時なのかもしれなかった。
――己の命の。

 加速する思考の中、祈は考える。己が何を選択すべきかを。
 ここまで戦って、祈はアンテクリストの精神力の強靭さを嫌というほど思い知った。
数千年もの悲願に裏打ちされた精神力は、祈以上に諦めが悪い。
 おそらく優位性が失われたのも一時のことだ。
唯一神の『そうあれかし』を失っても立ち上がってきたように、必ずなんらかの策を用いて復活してくるだろう。
 万策尽きていたとしても油断はならない。
アンテクリスト・ペルフェクトゥスには、三神獣を喰らって獲得した驚異のタフネスがある。
東京ブリーチャーズの総攻撃で倒しきれないことも当然の想定の範囲内だ。
 そして倒せなかったとき、赤マントの時に獲得した結界破りの移動能力や、
賦魂の法など、あらゆる手で強引に逃げられてしまうかもしれない。
 そうすれば振り出しだ。
祈から奪った龍脈の因子も持ったままであるし、いずれ再起を図られてしまうだろう。
しかも今度は、より入念に準備をした上で。結果としてより多くの人の血を流すことになるだろう。
 それを防ぐためにも、ここで確実に倒しきらなければならない。
そのためには『運命変転の力』で、その運命を固定してしまうのが手っ取り早いのだ。

(だからあたしは……今、ここで使う――!)

 運命変転は可能性を代償とする。しかも使えてあと1度。
使えば己の死すら考えられる。
 生を捨てるように戦ってきた祈でも、死は怖い。これから先の未来を夢見てきたから。
 だが、祈は知っている。
 『運命なんてものは、自分でいくらでも変えられるもの』だと。
これまでの戦いが、友達が、仲間が、敵だった存在が教えてくれた。
 ここで運命変転を使って命が尽きるなら、その運命そのものを変えてやればいい。
 そう思うからこそ、迷わない。
脳裏に蘇るのは、これまでのアンテクリストの戦い方だった。

 踏み込み、アンテクリストに駆けた――ように見えた祈。
その姿は瞬間的に完全に消え、課と思えば次の瞬間にはアンテクリストの眼前に迫っている。
 ターボババアの都市伝説。
その中には、ターボババアは瞬間移動能力を備えているというものがある。
龍脈によって強化された祈だからこそ、ターボババアのその能力をもフルに使うことができているのだ。
必殺の一撃を当てるために、温存していた技の一つである。
 そうして、不意打ち同然に繰り出した、空中で回し蹴り。
しかしアンテクリストは、脅威の反射神経で対応して見せた。
祈の右脚がトップスピードに乗る前に左手で掴んで止めようとしている。
 攻撃が効くように弱体化したにも関わらず――。

「風火輪! 形態変化!」

 祈の呼びかけに応じ、風火輪のウィールがチェーンソーの如く変化する。
 これも、温存していた技の一つ。
 風火輪は大陸産。
日本に渡ってきてからも長い年月を経ており、とっくに付喪神化していた。
 多甫颯はそれにいち早く気付き、協力関係を築いたからこそ、並の妖怪以上にその力を引き出して戦えたのである。
 風火輪は、意思が弱く自己主張に乏しいが、認めた主人の命令は良く聞き、支えてくれる。
本来の主人である??太子が、斉天大聖を幾度も助け、支えたように。
祈は意思があることすら気付かず、認められたのはごく最近である。
 チェーンソーと化したウィールがアンテクリストの左手の指を切断する。
そして阻むものがなくなった空中で、祈はさらに回転を加えた音速の蹴りを放ち、

「だぁあああああッッ!!!」

 アンテクリストの頭を打ち砕いた。
 同時に祈は、己の内側で何かが砕け散った音を聞く。
それは、紛れもなく己の可能性を失う音。運命変転の力で相手の運命を捻じ曲げた音。

410多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/05/21(金) 01:03:54
 そしてその音は。
――アンテクリストの内側からも響いていた。

 バギバギバギィッ!!

 たたらを踏み、半壊した頭を再生しながら、
アンテクリストは自身の内側で何かが砕けていった音を聞くだろう。

「――おかしいと思ってたんだよな。ミサイル消したり攻撃無効化したり。
あれ、あたしと同じ『運命変転』だろ。なのに、まるで何も消費がねーみてーだった」

 着地しながら祈は言う。
 理と法則を捻じ曲げる現実改変能力、『運命変転』は、本来どうあっても己の運命を代償とする。
だが――。

「ブリガドーン空間の中だからか? それとも自分がなんでもできるって『そうあれかし』があったからか?
おまえは、相手の可能性を奪って『運命変転』を使ってたんだ。
……ま、あたしみてーな半妖じゃ、マネできても一回が限界だな」

 想いが実現し、現実へと成り代わるブリガドーン空間の中で、
自身ならなんでもできるという強い想い込みを持ったなら、可能なのだ。
相手の可能性を奪っての運命変転も。
 それなら自身の可能性を消費しても、相手から補充できるから痛くも痒くもない。
元々神の右腕と称される天使であり、唯一神と呼べるほどに高みに上がった、
アンテクリストのような存在でもなければ使えない大技なのだろう。
死ぬ気で生にしがみつき、己を信じた祈でも、できたのは偶然に過ぎない。この一度が限界だった。

「アンテクリスト。おまえはもうあたしに運命を変えられた。
“おまえはここであたしらに倒されるし、逃げられもしない”。もう諦めんだな」

 だが、それで?ぎ取った結果は大きい。
この場からアンテクリストを逃がさず、必ず倒せるように算段を付けられたのだから。
 悪魔の行う契約のように、拡大解釈すれば抜け道も探せるかもしれないし、
アンテクリストはまだ龍脈の因子を持っている。
運命変転でさらに強引に運命を変えるだとかできたりするかもしれない。
 しかしどうあれ。
 ポチとシロが決死の覚悟で切り開いた勝利への道。
それをより確実に勝てるように祈は舗装した。
 あとは、倒しきるだけだ。

411御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/05/23(日) 21:38:09
>「ったく、お前さんは相変わらず自由だな――悪ぃがその約束は守れねぇぜ色男。橘音には嬉し泣きして貰うって野望があるんでな」
>「――――勝つぞ、ノエル」

>「当然!幸せになるに決まってるじゃないですか!
 名探偵の物語は、ハッピーエンドって相場が決まってるんだ!見事、この難事件を解決して――
 物語を締め括ってみせますよ!!」

>「僕は、僕が――僕らが幸せな未来を掴むよ。大事なのは、それだけだ」
>「……いいね、これ」

>「……はい。必ず……。
 私の未来は、狼の王と共に」

>「……ふふ。楽しみにしておりますわ」

仲間達は、それぞれの反応を示しながらノエルの加護を受け取っていった。
その内容は様々だが、全てに共通しているのは、未来への希望。
いかにも最終決戦といった言葉を返してみせた他の仲間達とは違い、祈だけは言葉に詰まった様子で。

>「……情報量が多いんだっつの。とりあえず、助けられてばっかなのはあたしの方だよ。ガントレットありがと」

最終的に言葉として出てきたのは、一見いつも通りの調子のお礼。
その裏にある様々な想いを知ってか知らずか、いきなり(解釈次第では)爆弾発言をするノエル。
もちろん自分が爆弾発言をしたことには気付いていない。

>「バカ!! あたしを今混乱させんな!!
ターボフォームは維持すんのに結構集中力要んだから!」

「混乱……? えっ、あれ!?」

何故か祈が焦っている。ノエルとて、自分が間接的に祈を好きと表明したことになるのは分からないわけではない。
が、別に今までノエルが祈を嫌っている様子はなかったわけで、今更好きと表明されたところで動揺するだろうか。
例えば先ほど、みゆきが橘音に直球で最高のともだちと伝えて、橘音も直球で応えた。
何故祈とはそうはならないのだろうか。
一瞬何かに気付きかけた気がしたが、今はそれどころではなかった。

>「死ね!多甫祈ィィィィィィィィィィィィ―――――――――ッ!!!!」
>「それに今は最終決戦の――」
>「――途中だろうが!!」

再びぶつかり合う拳と拳。
今度は祈の拳は砕けずに、アンテクリストの拳を見事受け止めて見せた。
が、アンテクリストもさるもので、ノエルの拘束を尾を自切することで逃れると、鋭い爪で祈を貫かんとする。

412御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/05/23(日) 21:41:19
>「死ね!多甫祈ィィィィィィィィィィィィ―――――――――ッ!!!!」

>「おめでとさん。大ハズレだ――――『幻装白景』」
>「……祈ちゃんには指一本触れさせませんよ。師匠」

が、貫いたのは氷の盾。
黒尾王が、先ほどノエルが授けた加護を見事に使い、アンテクリストを出し抜いて見せた。
それだけにとどまらず、そのまま攻撃に転じる。

>「『反転・幻想発勁』」

>「ッ!!ぐお……」

自らの攻撃を返され、ひるむアンテクリスト。

>「羽虫どもが……どこまでも神の行く手を塞ぎに来る!
 消え失せろと言ったぞ、ゴミども!!!」

アンテクリストは妖気を収束され、黒尾王に向けて呪詛の砲弾を撃ち放つ。
予備動作の長い遠距離攻撃となれば、当然ノエルが放ってはおかない。
放たれた呪詛の砲弾の前に何層もの氷のバリアーが現れてゆく手を阻むが、バリアーを砕け散らせながら砲弾が突破していく。

「そんな……!?」

黒尾王が回収した氷の盾でなんとか凌いだのを見て、ひとまず胸をなでおろす。
が、連発されたらどうなるかは分からない。

>『狼獄』

ポチにより、アンテクリストに無数の攻撃が加えられる。
しかし、いくらダメージを与えても瞬時に治癒してしまうのだった。
更にアンテクリストは、膨大な神気を放出し、一同を圧倒する。
祈はアンテクリストの背後に回って蹴りを叩き込もうとしているところだった。

>「弾け飛べ!!!!」

「祈ちゃん!」

氷の盾の生成も至近距離過ぎて間に合わず、祈はうつぶせに地面に叩きつけられた。
一方の後衛組では、危険を察知したハクトが防御妖術を展開する。

「危ないッ!! 月暈《ムーンヘイロー》!」

光のバリアーが現れたのは、ハクトではなく祈の援護のために少し離れていたレディベアの前。
ハクト自身は、ヘリポートの縁まで吹っ飛ばされてボロ雑巾のように転がった。
いくらノエルに怒られても玉兎の性質は抜けないようだが、戦略的にも間違ってはいない。
ブリガドーン空間の器として膨大な力を秘めているレディベアを失うわけにはいかないのだ。

「……乃恵瑠が言ってた。君は祈ちゃんと幸せにならなきゃいけないって……。
だから君に何かあったら困るんだ……」

別に間違ってはいないのだがこの言い回しは祈に言わせると若干ニュアンスが違うらしいが、
ハクトは乃恵瑠の忠実なペットなのでノエルの言ったことを素直に受け止めているのであった。

413御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/05/23(日) 21:44:16
>「くそっ――。まともに喰らっちまっ――がはっ」

「レディベアちゃん……! 祈ちゃんの回復を!」

祈は龍脈の力による回復力も落ちているようだった。
ノエルは辛うじて致命傷を逃れているレディベアに回復を要請する。
そう言うノエルはというとノイズが走ったように姿が消えかかっている。
膨大な神気の爆発により、冷気そのものである存在を吹き散らされそうになっているのだ。
今畳みかけられたら、消滅してしまうだろう。

>「ぅ……ぐ……ッ」

シロもまた、大きく吹き飛ばされて大ダメージを受けていた。

>「……まだ……、まだ……やれます……!
 こんなところで……弱音なんて、吐いていられない……!!」

「シロちゃん!?」

シロが立ち上がっている。とても立ち上がれそうな状況ではないというのに。

>「私……嬉しいです。
 今この場に、すべての決着をつける戦いの場に、あなたたちと……仲間たちといられるのが……。
 ここにいてもいいと、皆さんに思って頂けたことが……」
>「であるのなら――私は皆さんの気持ちに応えなければならない。
 私がここにいることを、無意味と思われないように……。
 私は……私の役目を!果たします!!」

>「はああああああッ!!!」

アンテクリストの下肢に一点集中で攻撃するシロ。
そこに再び『狼獄』を発動したポチが加わる。

>「死ね、犬ころども!!!!!」

アンテクリストが二人に向かって神気を爆発させる。
それでも二人は立ち上がり、果敢に向かっていく。

>「やっちまえ! シロ! ポチぃぃッ!!」

先ほどまで倒れ伏していた祈が立ち上がっていた。
ノエルも姿が安定している。なんとか存在を繋ぎとめたようだ。
永遠とも思える攻防の末、ついにアンテクリストが膝を突いた。
そう、下肢を一点集中で攻撃されて転んだだけで、戦闘不能になったわけでも何でもないのだが……。

414御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/05/23(日) 21:46:51
>「この私が、転倒しただと……?
 ふん!だからどうした!下等な犬ころ風情に転ばされたところで、ダメージなど――」

>「いいえ……、それでいい!大金星です、ポチさん!」
>「アナタが『転ばされた』……、それが大切なんですよ、師匠!
 それはアナタが格下の妖に一本取られたということの確かな証拠だ、ボクたちの攻撃が効くってことの裏付けなんだ!」
>「何かいい作戦はないかと考えていましたが、撤回します!
 作戦は――『ありません』!!
 後は、なんにも考えず!ただ皆さんの心にあるありったけの想いを込めて、アンテクリストを攻撃するだけです!!」

これまで様々な策を駆使して強敵との戦いを勝利に導いてきた橘音が、作戦は無いと言い放つ。
作戦が無いのが作戦――小難しいことは考えずに全力攻撃する方が良い結果になるということであろう。

>「ふざけるな……、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなァァァァァァァァァァァァァッ!!!!
 この私が!新世紀の神が!!貴様ら虫けらどもに一本取られただと?攻撃が効くだと?
 世迷言を!貴様らの攻撃など――すべて!踏みつぶし、蹴散らし、粉砕してやる――アンテクリスト・ペルフェクトゥスの力を!
 舐めるなァァァァァァァァァァァァァァ―――――――ッ!!!!!」

>「――んじゃ、あたしから行かせてもらおうかな」

祈は音速の蹴りに乗せて、運命変転の力をアンテクリストの頭部に叩き込んだ。

>「アンテクリスト。おまえはもうあたしに運命を変えられた。
“おまえはここであたしらに倒されるし、逃げられもしない”。もう諦めんだな」

「運命変転の力を使ったの……!?」

もちろんノエルは、これが命にかかわる最後の1回、などということは知らない。
が、歴代の龍脈の神子が破滅に至ってきたのは、変革を急ぐあまり力を使い過ぎたからと考えられる。
ノエルは都庁に突入してから祈が運命変転の力を使う現場を直接には見ていないが、
立て続けに使ったのだろうということは想像に難くない。
何しろ赤マントの洗脳を受けていたというレディベアが正気を取り戻したり、
どうやっても意識不明だったのが目覚めた上に進化したりしているのだ。
ノエルは祈の身を案じると同時に、小さな違和感を感じた。
これまで運命変転の力は、絶対の宿命を覆したり、流れを決定的に変えるために使われてきた。
すでに出来た流れを確実にするために使われたのを見たのは初めてだ。
“おまえはここであたしらに倒されるし、逃げられもしない”
もちろんその言葉の通りかもしれないが、もしかしたらそれ以上の何かがあるのでは――

415御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/05/23(日) 21:50:10
「ま、いいか。お前を倒して奪われた分の因子を取り戻せばいい!」

アンテクリストを倒して現在奪われている分の神子の因子を取り戻せば、破滅までの残り回数のようなものが増えるのではないかと思い至った。
そうだとしたら猶更、倒すしかない。

「返してもらうよ。みんなの……祈ちゃんの未来を!」

ノエルの姿が掻き消え、傘がアンテクリストの目の前に付き立つ。
正真正銘の全力攻撃のため、イメージ映像を維持する力すら惜しい、ということだろう。

――絶対零度領域(アブソリュートゼロサイト)!!

どこからともなく声が響き、傘を中心に凄まじい吹雪が巻き起こる。
領域内のあらゆるものの運動性を奪い停止の世界を作り上げる、絶対零度の結界術――
結果的には時間停止にも等しい技だが、アンテクリストは恐るべき精神力でもって未だに動いていた。
が、その動作は目に見えて緩慢になっている。まるで超高粘度の液体の中に放り込まれたように感じていることだろう。

「ふーん、この中でまだ動いてるなんてやるじゃん……でもッ!」

イメージ映像すら消してしまったノエルの代理のように、ハクトが不敵に笑いながら立ち上がる。
先刻まではボロ雑巾だったが、レディべアに回復してもらったのだろうか。
ところでこちらは絶対零度の領域内で、何故普通に動けているのか――
先ほどノエルが全員に加護を付与した意味は、単なる強化だけではない。
祈が雪山に修行に行った際に雪の女王に施されたのと同じ、冷気の影響を受けない秘術が込められているのだ。
これにより仲間達は、恐るべき停止の世界の中でも、自由に動くことが出来るだろう。

「やあっ!!」

ハクトが跳躍して戦槌を横薙ぎにアンテクリストの翼に当てると、翼は砂が風化するように崩れ去った。
別にハクトが特別なことをしたわけではなく、絶対零度の結界に捕らわれた時点で、炎の翼は存在を維持できなくなっていたのだ。

「炎って水や大地と違って物質じゃないんだって。
燃焼という極めて動的な現象が目に見えているだけのものらしいよ」

いかに本体は気合で動こうとも、動的な現象そのものである炎の翼は流石に存在し続けることはできなかったということらしい。
アンテクリスト・ペルフェクトゥスの力の源たる三神獣――その無敵の加護の一角が削ぎ落された。

416尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/05/30(日) 18:00:39

戦いは一進一退を繰り返している。
――けれどその拮抗は偽り。
このまま戦い続ければ何れ敗北するであろう事を、尾弐黒雄の勝負勘は正確に認識していた。

現状のアンテクリストの状態を言い表すのであれば

『無敵』

その言葉が相応しいだろう。
東京ブリーチャーズの猛攻をものともしない超硬度と超再生。
そして、一撃与えれば即座に相手を叩き潰すであろう超攻撃力。それらは脅威という他ない。
それに対する東京ブリーチャーズの戦力は有限。
連携と技巧によって無敵相手に同等の戦いを繰り広げているものの、戦いが長引けば消耗し倒れる事は明白だ。

有限では無限を打ち破れない。
最強では無敵に届かない。

それは、絶対の法則だ。
……それでも、尾弐達は大物食いを果たなければならない。己が未来の為に。
無敵を、無限を打ち倒さなければならないのだ。
此処でアンテクリストを倒さねば、僅かに灯った希望の灯は掻き消え、残るのは絶望のみ。
その為に求められる行動。それは、奇跡を待つ事でもなければ神に願う事でもない

>「であるのなら――私は皆さんの気持ちに応えなければならない。
>私がここにいることを、無意味と思われないように……。
>私は……私の役目を!果たします!!」

必要なのは、泥臭い程の執念。
喰らい付き離さないという覚悟。

無敵と戦う為に無敵になる必要はない。
無限と戦う為に無限になる必要はない。
敵が天上に居るのであれば、そこから引き摺り下ろしてやればいい。

無敵を強者へと零落させよ
無限を有限で上書きせよ

敵の盤上を叩き壊して、別の盤面を押し付ける。それこそ勝利への布石。
そして、今この場でその役目を最も上手く果たせるのが――――ポチとシロ。弐匹の獣。

あらゆる罠を食い破りあらゆる悪意を掻い潜った偉大なる狼王ロボ。
その顛末を知る彼らは、高みから引きずり落とす事の恐ろしさ(つよさ)を最も良く知っている。
そして、新しい世代の彼等だからこそ、その強さを乗り越え――使いこなす事が出来る。

>あの子にも、君にも、巡り会えた。きっとソイツも見つけ出して……転ばせてやるさ
>「……愛しいあなた。私の狼王。
>あなたと一緒に戦えて、私……幸せです。
>だから……最後まで。一緒に、やらせてくださいね」

アンテクリストの放つ、神罰とも体現出来る威力を程る妖力の波動。
それは黒尾王ですら介入が出来ぬ恐るべき一撃であったが、それを受け尚倒れず。
弐匹の獣は、未来の為にその心を燃やす。

「――――負けるな、ポチ!シロ嬢ッ!!」
>「やっちまえ! シロ! ポチぃぃッ!!」

そして吼える様な祈の叫びと同時に、弐匹の獣の執念が偽神を撃ち――――アンテクリストは、地にその膝を付かされた。

絶対たる神が、唯一たる神が、全知全能たる神が
たった弐匹の獣相手に、転ばされたのである

417尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/05/30(日) 18:01:36
>「アナタが『転ばされた』……、それが大切なんですよ、師匠!
>それはアナタが格下の妖に一本取られたということの確かな証拠だ、ボクたちの攻撃が効くってことの裏付けなんだ!」
>「何かいい作戦はないかと考えていましたが、撤回します!
>作戦は――『ありません』!!
>後は、なんにも考えず!ただ皆さんの心にあるありったけの想いを込めて、アンテクリストを攻撃するだけです!!」

そうあれかしは、万能に見えるがその実極めて不安定な力である。
それは、その根底が『想い』から生まれる力であるが故の事。
アンテクリストは、これまでその力を上手く利用してきた。
恐怖を植え付け絶対を演出し、自身が万象を超越した神であると世界に認識させ、ただでさえ膨大であった力を『絶対』の域に昇華させた。
恐らく、これまでの歴史において最も『そうあれかし』を使った存在であると言えるだろう。
だが……アンテクリストの恐怖に屈さなかった人間達が居た様に、その力を完全に支配する事など出来ない。
ポチとシロの攻撃によって転ばされた。ただそれだけの事だが、それこそが神を騙るアンテクリストにとっての致命傷となる。
真実を突きつける探偵が如く、橘音が叩きつけた言葉の通り。

アンテクリストは失った。
『獣』の牙が届くという事を自ら証明した事で
絶対、唯一、無敵、完全――――神。その概念の全てを失ったのだ。

>「……これは、クロオさんの。クロオさんだけの縁(えにし)です。
>ボクがしゃしゃり出ていいものじゃない……。であるのなら、やっぱり。黒尾王の姿じゃいけません」

「ああ、分かってる。随分昔に手前が売られた喧嘩だ――――なら、ケリを付けるのはテメェの拳じゃねぇとな」

今こそが好機。ポチが死力を尽くして上げた大金星に答えなければ嘘になる。
黒尾王から元の姿へと戻った尾弐は、己が因縁を果たすべく拳を握る。

>「さあ……行ってきてください、クロオさん。
>千年間の因縁に、ケリをつけてきてください。
>新しい未来を、ボクと一緒に。創っていくために――」

「―――あいよ」

笑みを浮かべる橘音の瞳に微笑を返してから、尾弐黒雄は橘音の方をポンと叩いて歩を進める。
一言に万感の思いを乗せて。それでも足りない言葉は、また後で沢山話そうと。そう思いながら。

418尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/05/30(日) 18:02:38
>「ふざけるな……、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなァァァァァァァァァァァァァッ!!!!
>この私が!新世紀の神が!!貴様ら虫けらどもに一本取られただと?攻撃が効くだと?
>世迷言を!貴様らの攻撃など――すべて!踏みつぶし、蹴散らし、粉砕してやる――アンテクリスト・ペルフェクトゥスの力を!
>舐めるなァァァァァァァァァァァァァァ―――――――ッ!!!!!」

絶対性を失っても尚、アンテクリストは強大な力を持つ。
だが、それだけだ。もはや凶星は地に堕ち、人の手が届くものとなっている。
荒れ狂う暴威の前にまず立ち向かったのは多甫 祈であった。

>「――んじゃ、あたしから行かせてもらおうかな」
>「風火輪! 形態変化!」

祈はこれまでの戦いを共に戦い抜いてきた相棒とも言える風火輪を繰り、都市伝説を由来とする瞬間移動を以ってアンテクリストへの強襲を行う。
チェーンソーが如きウィールはもはや無敵ではないアンテクリストの指を刈り取り、次いで、加速した蹴りがアンテクリストの頭を撃ち抜いた。
それは完璧な打撃で――――それ以上の意味を秘めた攻撃であった。

>「アンテクリスト。おまえはもうあたしに運命を変えられた。
>“おまえはここであたしらに倒されるし、逃げられもしない”。もう諦めんだな」

そう、祈は『運命変転』の力を用いて、アンテクリストの運命を捻じ曲げて見せたのだ。
恐らく、赤マントとしての謀略はこの場で敗北しても、逃げ永らえる手段を有していたのだろう。
アンテクリストの妄執に果てなど無い。何れ再起し、必ずまた野望へと手を伸ばす。
それを防ぐ為に、祈は運命を変える力で、アンテクリストが手札として持っていた運命を破壊してみせたのだ。
無論、そんな神の如き芸当が何の対価も無く行えるわけがない。彼女は、己が有していた大切な物を支払った。
だが、祈本人が語らない以上、尾弐を含めた東京ブリーチャーズ達にその対価を知る術は無い。

>「返してもらうよ。みんなの……祈ちゃんの未来を!」
>――絶対零度領域(アブソリュートゼロサイト)!!

けれど、ノエルはその可能性に辿り着いた。
直観か、或いは自然霊に近いその在り方か。
それとも多甫祈という少女を、ずっと慈しみ眺めてきたが故の帰結か
普段は緩やかなその精神性を氷柱が如く尖らせ、文字通り渾身の一撃を――――生命の存在を許さぬ絶対零度の領域を創りだす。
其れはアンテクリストをして逃れえぬ程の御業であり、ある種の到達点と言っても良いだろう。

祈が退路を塞ぎ、ノエルは羽を捥ぎ取った。
ならば――――次は尾弐の番だ。

419尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/05/30(日) 18:05:19
極寒の中を加護を纏い尾弐は歩を進める。
一歩進むごとに闘気と妖気を練り上げていく尾弐のその様はあまりにあからさまで、当然、アンテクリストもその接近には気付く。
運命を破壊され、動きを阻害されたとはいえ、されど唯一神を名乗った存在。
莫大な妖力は健在であり、身体が動かなくともそれらを術に変えて尾弐へと放つ。

複数の目玉の付いた槍が放たれる。
赤色の雷が空間を迸る。
多数の強酸の鞭が翻る。
具現化した呪詛の弾丸が掃射される。

それらは全て物質ではなく概念に寄った攻撃。
故に、絶対零度の静止の中でも動きを止める事無く、尾弐へと叩きつけられていく。
槍は尾弐の胸を貫き、雷が臓腑を焼き、酸の鞭が肉を溶かし、呪詛は肉体に孔を明ける。

致命傷――――その筈なのに、尾弐の歩みは止まらない。
纏う妖力はその強さをどんどんと増していく。

そうして、満身創痍の様子で尾弐黒雄はアンテクリストの前へ立ち、その口を開く。

「よう、赤マント。こうやって近くから面合わせるのは初めてか?」
「テメェに会ったら色々と言ってやりてぇ事もあったんだがなぁ……考えてみたら、言葉で言い表せるモンじゃねぇんだよな。この気持ちは」

尾弐の言葉を聞く様子も無く振り抜かれたアンテクリストの腕が、尾弐の左肩から胸の半ばまで食い込む。
その一撃に尾弐は口から血を吐くが、それでも一向に倒れる様子は無い。

「そうだよなぁ。外道丸と俺にした事への恨み、橘音への仕打ちへの憎しみ、祈の嬢ちゃんの両親やノエルの姉への行為」
「テメェが無辜の人間達に与え続けた悪意に対する感想が、言葉一つで伝えられる訳がねぇよなぁ?」
「だから――――テメェに全部の気持ちが伝わるように、一つの言語を用意したんだ」

尾弐は左腕で力任せにアンテクリストの手刀をはぎ取ると、凄絶な笑みを浮かべる。
書に綴られるバベルの塔。それが齎した言語喪失以前の共通言語――――それよりも更に昔から存在する、最古の意志疎通手段。

「因果応報――――復讐するは我に有り」
「他の連中にさせられねぇ分まで、俺が存分に語ってやるよ。暴力って言語をなぁ!!!!」

尾弐の右拳が、先ほど祈が蹴りつけた頬を撃ち抜く。
下からの蹴り上げが股下を叩きつけ、返す勢いでの踵落としが肩に叩きつけられる。
更に、掌打は眼球に放たれ、脇腹に回し蹴り、鼻面に頭突き――――

それは止まらぬ嵐だった。
もっとも原始的な暴力に対し、アンテクリストも迎撃を行うが、怯む様子すら無い。
そして、恐るべきは――――尾弐が攻撃を行う度に、その身に負った傷が回復し、攻撃の威力が上がっていく事だ。
始めは然程の痛痒も覚えていなかったアンテクリストであったが、やがてその威力は彼が脅威を覚える程にまで上昇していく。

復讐と暴力。
神より古いその言語は、尾弐が受けた傷と痛みをアンテクリストに押し付ける。
勿論、本来であれば単純である復讐という呪いにそこまでの力は無い。それを可能にしているのは――――

「よう、見えてきたか? テメェに挨拶してェって連中の姿が!!!!」

アンテクリストが今まで利用し、殺してきた人間や妖怪達。
彼らがこの地上に遺した恨みつらみ呪い――――負の想念。
悲劇の中で積み上げられてきた無数の憎悪は地上をさまよい続け、今このブリガドーン空間の中で形を成した。
彼らが望むのは、アンテクリストの死。

おぞましいこの力。負のそうあれかしは、けれど尾弐黒雄にこそ力を貸す。
それは尾弐が人の世の悪を具現化した存在。同じ憎しみを抱く悪鬼であるが故。
詰まる所――――アンテクリストは、世界の正負の両面を敵に回したのだ。

「……さぁて、それじゃあ仕上げと行くかね」

暴力の嵐を一度止めた尾弐は、右手を大きく振りかぶる。
外装を纏うその右腕には、先ほどまで宙を漂っていた負の想念が吸い込まれていき、やがてその形を変える。
その姿を例えるならば――――竜。即ち、神の敵。

構えも無い。技術もない。
弓を放つように打ち出された力任せの一撃は


「―――― く た ば り や が れ ッ ッ !!!!!!」


アンテクリストの迎撃を正面から破砕し、その鳩尾を撃ち抜いた。

死を願う負の想念。おおよそ正義とは言えない一撃が齎すのは、即ち『不治』の呪い。
命を弄んできた対価が如く、アンテクリストの超再生能力は阻害される。
偽神を守る盾が、また一つ剥がされた。

420ポチ ◆CDuTShoToA:2021/06/08(火) 05:45:09
アンテクリストの周囲に血霧の結界を展開。
一瞬の間に百の打撃を打ち込む。
結界が晴れる、或いは破られる。
反撃を躱し、息継ぎをして――再び結界を展開。

その繰り返し。
僅かな動作のぶれ、反応の遅れが死を招く、綱渡り。
失血と過剰な運動量から来る疲労、消耗が募っていく。

そんな緊張の中で、ポチとシロの動きは完璧だった。
息継ぎのタイミング一つでさえ獣の本能によって最適化された、一糸乱れぬ連携。

>「弾け飛べ!!!!」

その連携が――単なる無軌道な神気の爆発によって吹き飛ばされた。
アンテクリストはただ、その無限にも思えるほどの神気を全身から放出しただけ。
たったそれだけでポチの結界は掻き消され、更にはポチ自身も宙へと跳ね上げられる。

「がっ……」

結界と一瞬百撃の乱用により積み重なった消耗。
そこに叩き込まれた極大の反撃。
摩耗した思考回路を、全身を打ち付ける衝撃が塗り潰す。
痛みを感じる事すら出来ない。

ほんの一呼吸ほどの時間だが――ポチの意識は飛んでいた。
気がつけば、ポチはヘリポートを見上げていた。
そして一瞬遅れて気づく。自分が今、頭から真っ逆さまに落下している事に。

「くっ……!」

次に空中で体をよじろうとして、全身が恐ろしく痛む事に気づく。
牙を食い縛り、なんとか不完全ながら受け身を取る。
すぐに体勢を整え、立ち上がり――どことなく、だが確かに、据わりの悪さを感じた。
獣の本能が告げていた。自分が今、不完全な状態にあると。

何だ。何がおかしい。体は痛む――それだけだ。
骨が何本かヒビが入ったり折れたりしているかもしれない。
だがその程度の負傷はもう慣れっこだ。動きが鈍ったりしない。

そして――気づいた。
己の最愛のつがい――その気配が在るべき場所に、己の隣にない。
振り返る。シロはヘリポートの端で膝を突いていた。立ち上がれていない。

当然と言えば当然の事だ。
『獣』の甲冑を纏ったポチですら一瞬、意識の飛ぶほどの攻撃を受けたのだ。

ポチの心臓が動揺によって、強く跳ねる。
だが――ポチは何も言わない。その場から動かない。
ただ、シロが立ち上がるのを待っている。

>「……まだ……、まだ……やれます……!
 こんなところで……弱音なんて、吐いていられない……!!」

今更つがいの覚悟を見誤るポチではない。

421ポチ ◆CDuTShoToA:2021/06/08(火) 05:45:29
>「私……嬉しいです。
  今この場に、すべての決着をつける戦いの場に、あなたたちと……仲間たちといられるのが……。
  ここにいてもいいと、皆さんに思って頂けたことが……」

>「であるのなら――私は皆さんの気持ちに応えなければならない。
  私がここにいることを、無意味と思われないように……。
  私は……私の役目を!果たします!!」

「……それさ。少しだけ、違うよ」

極度の失血、全身に負った打撲と骨折――ポチの体はぼろぼろだった。
だが、そのぼろぼろの体の奥底から沸々と力が湧いてくるのを、ポチは感じていた。

「いてもいい、じゃないよ」

この戦いに、この戦場に、逃げ道はない。
自分が死ねば、シロも死ぬ。どこか遠くへ逃げ延びてくれるなんて事はあり得ない。
やれるだけやった、なんて思える時は絶対に来ない。

「少しだけ……だけど、全然違うんだ」

だからこそ、強く思う事が出来る。
絶対に生き残ってみせる。勝ち残ってみせる――シロと一緒に。
その決意が、かくあれかしが、ポチの力になる。

「君が、ここにいてくれて良かった」

そう言ってポチは笑った。
戦場にはおよそ似つかわしくない、晴れやかな微笑みだった。

>「役目だと!
 笑わせるな、貴様らに役目などない!貴様らは所詮、私の手のひらの上で踊る木偶人形に過ぎんのだ!!」

アンテクリストが怒声を上げる。
振りかぶった右拳が伸長し、摩擦熱から生じた炎を纏い、唸る。
ポチとシロをまとめて打ち砕かんとする偽神の拳。
それが己の無防備な後頭部を叩き割る、その直前――ポチはこの世から姿を消した。

そしてアンテクリストの懐へ潜り込む。ポチの姿が再びこの世に現れる。
展開される血霧の結界。先行したシロの後詰を務める形。
一瞬の間に放たれる百の打撃が、アンテクリストの頭部を――

>「はああああああッ!!!」

捉えなかった。
シロが拳を叩き込んだ先はアンテクリストの頭部ではなく、右膝だった。

「え……」

それは、ポチにとっては予想外の出来事だった。
アンテクリストの再生能力を前に、狩人の戦技は通じない。
なのに何故――戸惑っていたのは、ほんの一瞬。
だが、アンテクリストの繰り出す必殺がポチの行く手を阻むには、一瞬あれば十分過ぎた。

シロを狙って放たれた業火と激流。
しかしそれらは余波だけでも十分にポチを殺め得る。
必然、ポチは一手遅れを取る。

>「クズめ!こざかしい!!」

眩い紅蓮に、荒ぶる飛沫に、シロの後ろ姿が塗り潰される。
辛うじて直撃はしていない。だが完全に避けきれてもいない。
命を削るような超至近距離。シロは執拗にアンテクリストの右膝を狙い続ける。

422ポチ ◆CDuTShoToA:2021/06/08(火) 05:47:03
>「あなた……!!」

シロが己の名を呼ぶ。
彼女が何をしようとしているのか、ポチにはもう分かった。
シロは――アンテクリストを転ばせようとしている。

それは単にアンテクリストの思考を阻害するよりも、遥かに困難な試みだった。
アンテクリストには無尽蔵の再生能力がある。
どんな手傷を負わせても一瞬の内に塞がってしまう。
一瞬の内に百を超える打撃を浴びせても、次の瞬間には傷一つ残っていない。

だが――ポチはそんな事は、考えもしなかった。
シロが己の名を呼んだのだ。
どんな事実も、最早惑う理由にはならなかった。

「……いいよ。やろう、シロ」

アンテクリストの懐、その奥深くへとポチは飛び込む。
血霧の結界が広がる。一瞬百撃――狙いは、アンテクリストの右脚。
ただの打撃音が炸裂と化して幾度となく響く。
そのリズムが――徐々に、早まっていく。

傷つき、血を流し、全ての力を振り絞ろうとしているからこそ――ポチの動きを、野生の本能が研ぎ澄ます。
疲労が動作から思考を削ぎ落とす。狩猟本能と生存本能だけがポチを衝き動かす。
無意識のままに身を躱し、視界が霞んでいく中で打撃は鋭さと正確さを増していく。

>「死ね、犬ころども!!!!!」

アンテクリストが両手を突き出す。神罰の如き妖力の波動がポチを襲う。
宵闇の中、ポチはどこにでもいて、どこにもいない。
それでも――どこかにはいる。

妖力の波動が血霧の結界を塗り潰す。
結界もろともポチの全身を灼き尽くす。
『獣』の甲冑のあちこちから、鮮血が噴き出す。
おかげで、かえって血霧の結界が破れる事はなかったが。

とは言え――それも、いつまで持つかは分からない。
アンテクリストの妖力は底なしだ。
いつかは、ポチの血が底を突く。

朦朧としつつある意識で、ポチは考えていた。
一度この場から退くべきだと。
戦いが始まった直後、ヘリポートのあちこちに振り撒いた血痕。
偏在化の力で自分とシロがそちら側にいる事にして、妖力の波動から身を守らなくては。
それが己の能力を活かした、安全で合理的な判断。

>「く、あ、あ、ああああああああ……!!」

にもかかわらず――シロは妖力の波動に塗り潰されながら、更に一歩前に出た。
ポチもそうだった。頭では一度退くべきだと考えている。
しかし何故だか、獣の本能はむしろポチの足を前へと運ぶ。
シロの隣に並び立つように。

半ば無意識のまま、左手を視界の外へと伸ばす。
根拠はない――だがシロも同じ事をしている確信があった。
指と指が触れ合う。絡め合う。互いに引き寄せ、握り締める。

左手が伸びるその先へと振り向く――シロの、満月のような金眼と目があった。

423ポチ ◆CDuTShoToA:2021/06/08(火) 05:47:24
>「……愛しいあなた。私の狼王。
 あなたと一緒に戦えて、私……幸せです。
 だから……最後まで。一緒に、やらせてくださいね」

穏やかな声、微笑み。ポチがシロを見上げるように首を傾げて、目を細めて笑った。

「……僕も今、すっごく幸せ。だから……ずっと、一緒にいてね」

シロと繋いだ左手から、力が湧き立つ。
散々に痛めつけられた肉体は、痛みにもう慣れてしまった。
それでいて全身には力が漲る。ロボ、アザゼル――彼らの、獣たちの未来を願う、「そうあれかし」が。
朧げな意識を、愛と、誇りだけが満たしていく。
肉体と精神に活力が溢れる。

>「やっちまえ! シロ! ポチぃぃッ!!」
>「――――負けるな、ポチ!シロ嬢ッ!!」

すぐ近くにいるはずのアンテクリストの咆哮が、遥か遠くに聞こえる。
それでいて仲間たちの声援は、波動に掻き消される事もなく耳に届く。
今、ここには在るべきものだけがある。

「行こう」

ポチはゆっくりと、前へ踏み出した。
獣の本能がそうさせた――鋭い踏み込みを選ばなかった。

獣の本能はもう気づいていた。ポチの全身に刻み込まれた事実に。
アンテクリストの力は無限でありながら、しかし完全なる無限ではないと。
もし正真正銘、アンテクリストの力が無限ならば、この戦いはとうに終わっている。
アンテクリストが無尽蔵の力を自由自在に扱えるなら、ポチはとっくに死んでいる。
そうでなくてはおかしい。

つまり――偽神の「そうあれかし」は無限の力を秘めているかもしれない。
だが――アンテクリストという器は、その無限の全てを汲み取れる訳ではない。

故に、ポチの歩みは緩やかだ。待っているのだ。
アンテクリストの放つ波動が更に、最大限激化する、その瞬間を。
そして――

「ここ」

ポチとシロの姿が消えた。
宵闇の中、ポチの意識はもう何も見えていない。何も聞こえない。
自分の矮躯にどれほどの体力、妖力が残されているのかも鑑みない。

ただ眼前の敵を転ばせる為だけに研ぎ澄まされた、無我の境地。
響く、一際大きな炸裂音。破砕音――ポチの意識がそこでやっと、一つの感覚を認識する。
己の拳が、何かを打ち砕いた感覚を。

「……げはは」

一瞬の間に放たれた千の打撃が、アンテクリストの右膝を跡形もなく粉砕していた。
アンテクリストが膝を突く。傾くその巨体を右手で支える。
そして血霧が晴れる。ポチは――アンテクリストからやや離れた位置で、仰向けに倒れていた。
自身の一瞬千撃が生む反動に、踏みとどまる事が出来なかったのだ。

それだけなら、まだしも――ポチはそのまま動かなかった。

ポチは狼の化生だ。妖怪でありつつも、血肉を持った生物でもある。
故にポチは生物に付き纏う「そうあれかし」から逃れられない。
この場合は――どんな怪物も、血を流すなら殺せる、死ぬ――そんな「そうあれかし」から。

424ポチ ◆CDuTShoToA:2021/06/08(火) 05:47:48
>「この私が、転倒しただと……?
  ふん!だからどうした!下等な犬ころ風情に転ばされたところで、ダメージなど――」

アンテクリストの右脚は既に再生した。
一方でポチは――未だに、立ち上がれないまま。
いつも相手を転ばせた時に身に纏うような、爆発的な妖力の上昇はまるで見られない。
転ばせた者を獲物として殺める送り狼の「そうあれかし」が、満足に機能していない。

それどころか『獣』の甲冑も液状化して、体内へと戻ってしまった。
これ以上滅びの傷を開けたままにしていては死に至ると、『獣』が判断したのだ。

ポチは、その場から動かなかった。
もう戦えるだけの力が残っていないのは明白。
なのにアンテクリストの間合いから逃げようとする素振りをまるで見せない。

だが、その口元には牙を剥くような笑みがあった。

>「いいえ……、それでいい!大金星です、ポチさん!」

頭上から聞こえる橘音の声――そうだ。獣の本能は言っている。
自分の仕事は、もう終わった。自分はやり遂げたのだと。

>「アナタが『転ばされた』……、それが大切なんですよ、師匠!
  それはアナタが格下の妖に一本取られたということの確かな証拠だ、ボクたちの攻撃が効くってことの裏付けなんだ!」

「あー……そう、そういう事さ。お前は僕にまんまとしてやられたんだ……げはは」

ポチが戯言を抜かす。今のポチに出来る事はそれくらいだった。

>「何かいい作戦はないかと考えていましたが、撤回します!
  作戦は――『ありません』!!
  後は、なんにも考えず!ただ皆さんの心にあるありったけの想いを込めて、アンテクリストを攻撃するだけです!!」
 
ポチは倒れたまま、なんとか顔だけを持ち上げて、周囲を見渡す。
シロは己のすぐ傍にいた。深い手傷も負っていない。安堵の溜息が零れる。

>「ふざけるな……、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなァァァァァァァァァァァァァッ!!!!
  この私が!新世紀の神が!!貴様ら虫けらどもに一本取られただと?攻撃が効くだと?
  世迷言を!貴様らの攻撃など――すべて!踏みつぶし、蹴散らし、粉砕してやる――アンテクリスト・ペルフェクトゥスの力を!
  舐めるなァァァァァァァァァァァァァァ―――――――ッ!!!!!」

絶叫が聞こえる。

「……まーだ、そんな事言ってるのかよ」

あれほど憎かったアンテクリストの、赤マントの声が心地よかった。

「やっちゃえ、みんな」

そう言って、ポチはヘリポートに頭を預けた。

>「――んじゃ、あたしから行かせてもらおうかな」

半分以上が空に占められた視界に、炎が踊る。
その紅蓮の幕の向こうに祈が見えた。
アンテクリストの間近に飛び込んで、その頭部を強烈に蹴りつける。

「……祈ちゃん」

ポチの意識は朦朧としている。思考の取り留めが緩んでいる。
戦場に在りながら、戦闘に不要な記憶ばかりが脳裏に蘇る。

425ポチ ◆CDuTShoToA:2021/06/08(火) 05:48:32
祈がいなければ今のポチはなかった。
ロボの時も、陰陽寮の時だって、祈がいたからポチは今に向かって進んでくる事が出来た。
ポチだけじゃない。祈は自分と関わる全ての者にそうしてきた。
そのくせ、祈はいつだってそれを自分のおかげだとは思わない。
思わないだけならまだしも、そう伝えても認めてくれないのだ。
それが祈の良さだと納得はしている――それでも、

「……今度は、伝わるといいけどなぁ」

ポチが殆ど無意識にそう呟いて――ふと、周囲が急激に吹雪き始める。
ノエルの妖術だという事は分かる。
だが今のポチにはそれがどういった術なのかを考察する事までは出来なかった。

ただ視界は真っ白で、風は心地よい涼しさ。
ポチは戦いの最中だというのについ、早く帰りたいな、なんて事を思った。
テーブル席の下で寝転んで、傍を通った誰かの脛をこする、いつもの日常に。

そんなポチの視界の中で、影が揺れる。
その視覚への刺激がポチの意識を今に呼び戻す。
影は一歩、また一歩と、ゆっくりとアンテクリストへと詰め寄っていく。

「……わお。今までで一番、おっかないかも」

尾弐だ。尾弐がアンテクリストを、赤マントを己の拳の間合いに捉えた。
ポチは――自分がこれから起こる事にわくわくしている事に気づいた。

>「因果応報――――復讐するは我に有り」
>「他の連中にさせられねぇ分まで、俺が存分に語ってやるよ。暴力って言語をなぁ!!!!」

尾弐の拳が、蹴りが、頭突きが――思いつく限りの打撃がアンテクリストを打ちのめす。
いっそ、このままアンテクリストにとどめを刺してしまうんじゃないかと思うほどの暴力だった。
実際には、アンテクリストはそんな柔ではない。
それでも、そう思ってしまったのは――ポチにとって尾弐がいつも、頼りになる存在だったからだ。
尾弐の過去を知って、自分が『獣』の力を使いこなせるようになった今でも、それは変わらない。

>「―――― く た ば り や が れ ッ ッ !!!!!!」

尾弐の渾身の一撃がアンテクリストの鳩尾を撃ち抜く。

「……それは、困るよ尾弐っち」

そして――ポチが立ち上がった。

「まだ、僕の番が残ってんだからさ」

ついさっきまで、ポチは死にかけていた。
それこそ走馬灯めいた幻覚を見るくらいには。
それでも――この機を逃す事は出来ない。

皆が戦っている間、横になって、微睡み、夢心地でいたのだ。
体力は僅かにだが回復した。
肉体が死の淵から脱した事で――機能不全を起こしていた送り狼の悪性がやっと目を覚ます。
妖力が溢れる。ポチが再び『獣』の甲冑を纏う。

「シロ」

ポチがつがいの名を呼び、そちらへ振り向く。

「やろう。これで最後だよ」

もう一度、手を握ってと左手を差し出す。

「見せてやろうよ。アイツに……ううん、みんなに。僕らの力を」

426ポチ ◆CDuTShoToA:2021/06/08(火) 05:54:55
周囲に渦巻く吹雪に、赤が混じる。ポチの血と妖力が。
血が渦巻き、円を描く。縄張りを成す。
送り狼の縄張りという概念が、周囲を薄暗く塗り替える。
ポチの姿がその場から消えて、

「一瞬千撃」

声だけがどこからともなく響く。

「……なんて生ぬるい事、言ってやらないぜ。お前には」

宵闇の中、ポチはどこにでもいて、どこにもいない。
故に一瞬の内に百でも、千でも、同時に打撃を放つ事が出来る。

「『無間』」

その気になれば――つまり多重同時打撃の反動と消耗を度外視すれば、それ以上でも。

「『狼獄』」

狼獄の中。ポチは一瞬の間に何発もの攻撃を繰り出す事が出来る。
だが、どこにでもいてどこにもいない肉体をどう動かして、一瞬の間に千の打撃を放つのか。
そのからくりは獣の本能にある。本能的な動作制御。つまりポチ自身も分かっていない。
だから――この無間狼獄もそうだ。
ポチは今から、自分が何発の打撃の繰り出すのか分かっていない。

「がお似合いだ……なんてね」

分かっているのは、ただ一つ。
自分がこれから力の限り、アンテクリストを殴り続けるという事だけ。

直後――雷鳴のような、無数に重なった打撃音が響いた。

ポチの後ろ回し蹴りがアンテクリストの顔面を再三、破壊する。
右手が大振りの弧を描く。牙を模した甲冑の指先がアンテクリストの喉を引き裂く。
閃く、両手で同時に放つ五本貫手。肋骨の隙間から肺を貫き、指先で抉る。
無数の打撃がアンテクリストの急所を襲う。

そして、一瞬が過ぎた。

辺りを包む薄暗闇が砕け散る。暗闇の破片が宙に舞い、現実に溶けて消える。
結界が破れた。アンテクリストの反撃によってではない。
一瞬の中に圧縮された無間の連打の反動に、ポチ自身の結界が耐えかねたのだ。

「――よう。なかなか良い眺めじゃないか。え?」

暗闇が完全に晴れると、アンテクリストは血塗れだった。
全身の急所を貫かれ、引き裂かれ――更には両脚を完全に砕かれ、その場に膝を突いている。
その状態から倒れる事を拒みたければ、手を突いて体を支える他ない。
ちょうど、王の御前でそうするように。

「まだ、少し頭が高いけど……これくらいで勘弁しといてやるよ」

嘘だ。単に、もうパンチ一発放つほどの体力も残っていないだけだ。
『獣』の甲冑は再び体内に戻ってしまったし、
送り狼の悪性から溢れる妖力も、無間狼獄によって使い果たした。

それに――仮にまだ余力があったとしても、やはりポチはこれ以上アンテクリストを攻撃しないだろう。

かつてロボと戦った時、ポチは彼を終わらせるのは自分の役目だと思った。
あの時と同じ感覚だった。
アンテクリスト――赤マントにどんな結末を与えるにしても、それを為すのは自分じゃない。
それは、あの子の役目だ――何の根拠もないが、きっと間違いないと確信があった。

427那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/06/12(土) 16:05:27
ポチとシロ決死の攻勢がアンテクリストの右膝を破壊し、終世主は転倒した。
格下の妖怪でも、死力を尽くせば無敵の偽神に有効打を与えることが可能だと、ポチとシロが実証したのだ。
何者も絶対神を打倒することはできない――アンテクリストの纏っていた『そうあれかし』を、
東京ブリーチャーズの『そうあれかし』が打ち破った、それは証明だった。

「ガアアアアアアアアアアッ!!!!」

しかし、アンテクリストはまだ無尽蔵の体力と憎悪、憤怒をその身に纏っている。
仮に無敵という特性をポチたちに奪われたとしても、無力化とは程遠い。

>――んじゃ、あたしから行かせてもらおうかな

そんな咆哮を上げながら突進してくるアンテクリストの前に最初に立ちはだかったのは、祈だった。

「死ねエエエエエエエエエッ!!!!」

アンテクリストが紅蓮の焔に包まれた右拳を振りかぶる。無敵の特性を喪おうとも、その攻撃力・破壊力には僅かの衰えもない。
まともに喰らえば祈の肉体は砕け、即死は避けられない。
が、当たらない。祈はアンテクリストの真正面数十メートル先から忽然と姿を消したかと思うと、
次の瞬間には両者の間にあった距離を無かったものとし、その眼前に出現していた。
祈が空中で回し蹴りを繰り出そうと身体を最大限に捻る。
常人であれば成す術もなく喰らっているだろう。しかし、アンテクリストは常人ではない。
この世界において最高の身体能力、感覚、そして妖力を有した、ありとあらゆる生物の頂点に君臨する存在なのだ。
アンテクリストには祈の動きがまるでコマ送りのように見える。
だから、祈が繰り出そうとしている蹴り足が最大限加速するその前に掴んでしまおうとした。
後は祈をコンクリートの床に叩きつけるなりすればいい、簡単な話だ――

>風火輪! 形態変化!

キュィィィィィィィィィン!!!

祈の言葉に反応し、風火輪が急激に変化してゆく。バシャッ!と音を立てて靴裏が一瞬開き、
内部から細かくパーツ分けされた装甲が展開してウィールとその固定具を覆ってゆく。
4つのウィールに戦車の無限軌道めいた鎖鋸が装着され、甲高い音を立てて回転を始める。
複雑な変形機構を経て形態を変えるその様子は、まるで車や飛行機が人型ロボットに変形して戦う映画のCGのようだった。
祈がこれまでの戦いにおいて絆を結んだのはレディベアやコトリバコ、姦姦蛇羅たちばかりではない。
富嶽がかつて母親の使っていたものだと祈に譲渡した妖具・風火輪。
対ロボ戦以来ずっと一緒に戦ってきた妖具もまた、祈の心に感応してその真の姿を解き放っていた。
風火輪の高速回転する刃が、アンテクリストの左手の指をまるでソーセージか何かのように斬り飛ばす。

「な……」

バラバラになって宙に散らばる自身の指を見て、アンテクリストは瞠目した。
祈の攻撃はまだ終わらない。さらに祈は空中で自身に回転を加え、強力無比な蹴りを偽神の頭頂に叩き込んだ。

>だぁあああああッッ!!!

ひどくスローモーションな空気の中、祈の爪先がアンテクリストの頭部を粉砕する。
頭蓋が陥没し、眼底が砕ける。頭を半分以上胴体にめり込ませ、偽神は巨体を大きく仰け反らせると、よろよろと後退した。

「ゴ、バ……」

今までにない痛み。感じることのなかった衝撃。
だが、アンテクリストの感じたのはそんな肉体表層のダメージだけではなかった。

>――おかしいと思ってたんだよな。ミサイル消したり攻撃無効化したり。
 あれ、あたしと同じ『運命変転』だろ。なのに、まるで何も消費がねーみてーだった
>ブリガドーン空間の中だからか? それとも自分がなんでもできるって『そうあれかし』があったからか?
 おまえは、相手の可能性を奪って『運命変転』を使ってたんだ。
 ……ま、あたしみてーな半妖じゃ、マネできても一回が限界だな

着地した祈が告げる。
そうだ。それが今まで敵対する者すべてを圧倒的な力で捻じ伏せ、無力化させてきた唯一神の力のからくりだった。
祈から龍脈の神子の因子を掠め取り、レディベアからブリガドーン空間の支配権を奪い取ることによって、
アンテクリストは他者の運命に干渉し、それを改変するという唯一無二の力を手に入れていた。
しかし――祈の使った最後の運命変転の力とアンテクリストの運命変転の力が相殺することで、
もう偽神がこれ以上他者の運命を弄び、自儘に変転させることはできなくなった。

>アンテクリスト。おまえはもうあたしに運命を変えられた。
 “おまえはここであたしらに倒されるし、逃げられもしない”。もう諦めんだな

「ゴボッ……、莫迦な、莫迦な……莫迦な……ッ!
 この!この神が……神になるべき私が!なぜ、力を奪われる……万能の力を喪わねばならん……!
 間違いだ……、こんなことは!何かの間違いだ……!!
 ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――――――――――――――ッ!!!!!」

ゴボゴボと血泡を噴き出しながら、アンテクリストが頭部を復元させる。
が、その獣じみた表情に絶対神、唯一神たる余裕はない。
運命を変えたという祈の言葉が単なる強がりの虚言ではないと理解したのだろう。
自らの中にあった『神の力』が祈の干渉によって確かに砕け散ったのを、アンテクリストは感じていた。
ただし、それは同時に祈が龍脈の神子としての力を使い切ったことの証でもある。
この後祈の身に何が起こるのかは、誰にも分からない。

428那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/06/12(土) 16:08:57
「まだだ……!まだ、私はやられてはいない……!
 神が下等な妖怪どもに敗北するなど、あってはならない……!そんなはずはあり得ない……!!
 貴様らさえ……貴様らさえ、殺せば……!私はまた、絶対的な……力、を……!!」

祈の渾身の一撃によって自身を神と定義づける最大の要素を喪ったにも拘らず、アンテクリストの心はまだ折れてはいなかった。
どころか、なおも東京ブリーチャーズを殲滅しようと全身に禍々しい妖気を充溢させる。
アンテクリストの最も恐るべき力とは、他の追随を許さない莫大な妖力でも。他者の運命を変転させる力でも。
世界最高最悪と言われる智謀でもなく――その執念にあるのかもしれなかった。
二千年の刻を超え、自らの悲願をどんな手を使ってでも結実させようとする、強い想い。
それがアンテクリストの力を支えている。『そうあれかし』となっている――。

しかし。

どれほど強い願いであろうとも、それが当人以外に不幸を齎すのならば、挫く以外に選択肢はない。
今まで多くの者たちと戦い、多くの想いに、『そうあれかし』に触れてきた東京ブリーチャーズだからこそ。
偽神の野望は、完全に粉砕しなければならないのだ。

「ゴオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」

アンテクリストの巨大な炎の翼が一度羽搏く。水で構成された長大な尾が蠢く。
取り込んだ三神獣の力は、まだまだ健在ということだ。
鋼の棒が幾重にも絡み合って構成されているような、強靭な四肢に力が籠もる。
運命変転の力を使い切ってしまった祈には、アンテクリストの攻撃を避けるのは難しいだろう。
が、それは祈がひとりで戦っていたとしたら――だ。
祈は孤独ではない。その周囲には、何より頼れる仲間たちがいる。

>返してもらうよ。みんなの……祈ちゃんの未来を!
  
次に飛び出したのはノエルだった。今にも祈へ飛び掛かろうとするアンテクリストの前に、大きな傘が立ち塞がる。
そこから猛烈な風雪が迸ったかと思うと、瞬く間に偽神の巨躯を覆い尽くす。

>絶対零度領域(アブソリュートゼロサイト)!!

「小賢しい……!こんな、雪妖の妖術ごときが……!!」

アンテクリストが抵抗する。万物を瞬間的に凍結させる絶対零度の吹雪さえ、
偽神の行動を完全に停止させることはできない。
が、その肉体は冷気に覆われ、動きが急速に鈍ってゆく。

「ぐ、ぉ……!
 わ……忘れていた……、こいつは……アスタロトが死んだとき……力を暴走させた、災厄の……魔物……!
 こいつも……もっと早くに、殺しておきさえすれば……。
 私があの子狐に目を付けたとき、さっさと……始末しておいたなら……!
 こんな、こと……には……!!」

吹雪によって体表を凍り付かせながら、アンテクリストは呻いた。
かつて、ごんの憎しみや怨念に凝り固まった魂を腹心の回復に利用しようと画策した赤マントは、
ごんの墓に縋りついて泣くノエル――みゆきの姿を確認していた。
ごんの魂を手に入れたい赤マントとしては、墓に取りすがって何日も泣き叫ぶみゆきをさっさと排除してもよかったのだが、
妖力を暴走させ村を氷雪に閉ざすみゆきの姿を見て、面白いと敢えて放置していたのだ。
親友を喪った絶望の慟哭が、吹雪によって死んでゆく村人たちの怨嗟が、心地いいと感じたから。
自身の目的よりも、目先の快楽を優先してしまったから――。
その結果が百年以上の時間を経過し、今。巡り巡って我が身に降りかかっている。
二千年来の計画を挫く脅威のひとつとして。

>ふーん、この中でまだ動いてるなんてやるじゃん……でもッ!

吹雪の中、それでもノエルの大傘に攻撃を加えようと紅蓮の焔を右腕に纏わせたアンテクリストであったが、
その偽神の目の前に小さな白い影が現れる。
白い影、ハクトは身軽に跳ねると、アンテクリストの燃え盛る翼へ戦鎚を叩きつけた。
途端、それまで勢いよく噴き出していた翼の炎がその形を失い、ザラザラと砂のように崩れて消えた。

「ぐ、ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……!!!!」

>炎って水や大地と違って物質じゃないんだって。
 燃焼という極めて動的な現象が目に見えているだけのものらしいよ

三神獣の力のうち一つを打ち消され、アンテクリストは絶叫した。
吹雪は依然周囲に荒れ狂っており、まともに身体を動かすことが出来ない。
それでも、自らの絶対性を信じることによって前に進む。
恐るべき執念の力で、東京ブリーチャーズを根絶しようとする。

だが――そんな唯一神の前に、今度は尾弐が立った。

429那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/06/12(土) 16:12:37
荒れ狂う猛吹雪の中、尾弐がゆっくりとアンテクリストへ向けて歩を進める。
全身には膨大な闘気と妖力が満ち、それは尾弐が偽神へと距離を詰めるごとに鋭く、強く研ぎ澄まされてゆく。

「次は……貴様か……!
 ……はは!私は貴様のことをなんでも知っているぞ……!忘れたか!?
 私が外道丸を妖壊に堕とし!貴様を嵌めて牢獄に捕え――酒呑童子の!外道丸の心臓を啖わせ!
 貴様に千年の呪いを施してやったことをな……!
 私にはわかる!貴様の恐れるものも、苦手とするものも――!!!」

ぎゅばっ!!!!

哄笑するアンテクリストの全身から、悍ましい妖力の凶器たちが放たれる。
それらは槍の、雷霆の、鞭の、弾丸の姿を取った『概念』であった。
『当たれば腐る』『受ければ死ぬ』そんな呪詛そのものの攻撃が、尾弐の肉体に容赦なく命中する。
むろん、普通の妖怪に受け切れるものではない。待っているのは死、ただそれだけだ。
アンテクリストは獣面をにやり……と笑みに歪めた。
かつて運命を弄び、呪い、一匹の悪鬼に変容させてやった尾弐ならば、祈やノエルと違って与しやすいと思ったのだろう。

だというのに――

「な……、なぜ死なん……!私の呪いを、神罰を受けて、何故貴様は生きている……!?
 どうして平然としているのだ……!!!」

尾弐は死なない。肉体を穿たれ、臓腑を侵され、魂にさえダメージを負っているはずなのに。
アンテクリストは驚愕した。

>よう、赤マント。こうやって近くから面合わせるのは初めてか?
 テメェに会ったら色々と言ってやりてぇ事もあったんだがなぁ……考えてみたら、
 言葉で言い表せるモンじゃねぇんだよな。この気持ちは

「黙れ!!」

びゅおっ!!と音を立て、偽神が間近に到達した尾弐へ右の手刀を袈裟に叩きつける。尾弐の左鎖骨から胸骨がへし折れる。
まず間違いなく即死級の一撃だ。しかし、それでも尾弐は斃れない。平然と言葉を紡ぐ。
 
>そうだよなぁ。外道丸と俺にした事への恨み、橘音への仕打ちへの憎しみ、祈の嬢ちゃんの両親やノエルの姉への行為
 テメェが無辜の人間達に与え続けた悪意に対する感想が、言葉一つで伝えられる訳がねぇよなぁ?
 だから――――テメェに全部の気持ちが伝わるように、一つの言語を用意したんだ

「ヒッ……」

尾弐の背で、何かが陽炎のようにぼんやりと蠢く。唯一神は一瞬、喉に物の詰まったような引き攣った声をあげた。
まるで、大津波が押し寄せてくる前触れのような。大地震の予兆のような、恐るべき力の到来を感じる。
そして。
まさしく悪鬼と言わんばかりの兇悪な笑みを浮かべると、尾弐は千年の怨恨をぶつけるかのように攻撃を始めた。

>因果応報――――復讐するは我に有り
 他の連中にさせられねぇ分まで、俺が存分に語ってやるよ。暴力って言語をなぁ!!!!

それはまさに暴力の嵐と言っていい乱打だった。
今まで尾弐が激戦の中で開眼し、会得し、身に着けた闘争技術のすべてを結集し、復讐の名の許に叩きつける攻撃の暴風。
ただし、それも神の力の前には微風に等しい。

「ハハ!ハハハハハハハハ!!
 それが貴様の全力か!?下らん!実に下らんな―――!!
 この程度の攻撃!どれほど受けようと、この神の肉体に……は……!?」

そう。神の肉体の前には、尾弐がどれほど全力を振り絞ろうと無力――のはずだった。
だというのに、尾弐が攻撃を続けるたび、その一打が重くなってゆく。神の肉体に、その臓腑に響く。
いつしか満身創痍であったはずの尾弐の肉体は完全に回復していた。
左頬を鉄拳で殴り抜かれ、牙が数本纏めてへし折れる。上顎と下顎の噛み合わせがずれ、よろりと巨体が傾く。

「……な……に……?」

尾弐の攻撃は止まらない。その拳が、脚が、削岩機よろしく偽神の無敵であるはずの肉体を削り取ってゆく。

「ギ……ギャアアアアアアア――――――――――ッ!!!!」

堪らず偽神は絶叫した。

>よう、見えてきたか? テメェに挨拶してェって連中の姿が!!!!

尾弐が吼える。
そして、アンテクリストは確かに見た。今までは陽炎のようにぼんやりとしか見えなかった、尾弐の背に蠢く何か。
その正体を――今まで自分が為してきた悪逆の犠牲となった無数の存在達が抱く、怒りと憎しみの『そうあれかし』を。

「そ、そんな……そんなはずがない……!
 私は、貴様の何もかもを……知って……。なのに、こんな……お、怨念だと……?
 こんな虫ケラどもの恨みなど、何千何万集まったところで、なんの痛痒もないはず……!
 なのに……なんだ、この力は……こんな、こんな力は知らない……分からない……!!」

>……さぁて、それじゃあ仕上げと行くかね

尾弐の右腕に怨念が集まってゆき、鋭い爪を備えた何かの腕を形作ってゆく。
かつて天魔ヴァサゴの尾を一撃で刈り取った異形の腕、その何百倍もの力を秘めたそれは――竜の腕。

「お……おのれ、おのれ……おのれェェェェェ――――――ッ!!!!
 貴様、ごときがァァァァァァァァァァァァ!!!!!」

アンテクリストもまた右腕を繰り出す。目にも止まらない速度で撃ち出される、神の鉄槌。
が、尾弐の竜腕と真正面から激突した瞬間、偽神の右腕はその上腕までヒビが入ったかと思うと粉々に爆裂した。

>―――― く た ば り や が れ ッ ッ !!!!!!

尾弐の、そして今まで赤マントの犠牲となった者たちの念が籠もった拳が、アンテクリストの鳩尾を痛撃する。
そして、その瞬間。
神を構成する不死性、その要素はアンテクリストの肉体から跡形もなく揮発していた。

430那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/06/12(土) 16:17:46
「ご……ェェェェ……」

尾弐の竜腕に鳩尾を穿たれ、血ヘドを吐いたアンテクリストは3メートル近い巨躯を深い『く』の字に折り曲げて悶絶した。
祈によって運命変転の力を奪われ、ノエルの手で背の翼ジズの力をもぎ取られ、
尾弐の拳でレビヤタン由来の超回復能力を揮発させられた。
しかし、まだアンテクリストは無力化してはいない。
だから――

>……それは、困るよ尾弐っち
>まだ、僕の番が残ってんだからさ

次は、ポチの番だった。
瀕死の重傷であったはずのポチの肉体が、再度獣の甲冑を纏う。つがいの名を呼ぶ。

>シロ
>やろう。これで最後だよ」
>見せてやろうよ。アイツに……ううん、みんなに。僕らの力を

「……はい、あなた」

ふたりの手が繋がれる。
深い愛情で結ばれたその行為は、しかし。狩りの符丁、処刑の合図だった。

>一瞬千撃

血に染まった吹雪が赤黒く縄張りという名の結界を構築する中、ポチの声がどこからともなく響く。
ポチの縄張りの中では、ポチはどこにもいないと同時にどこにでもいる――ゆえに、その攻撃は不可避。
アンテクリストはいわば、ポチの腹の中に落ちたも同然であった。

>『無間』
>『狼獄』
>がお似合いだ……なんてね

無間狼獄。狼獄を超えた、それは究極の狩りの姿。
そして、そんなポチの結界の中で一筋の光が眩く輝く。
シロだ。シロは夫が攻撃を繰り出すのに合わせ、ブリガドーン空間の中でのみ可能な自らの奥義を繰り出そうとしていた。

「絶技―――真氣狼(しんきろう)!!!!」

ぶあっ!!!

ポチの縄張り内に、百体以上のシロが現れる。
今までのシロは十一体の影狼を出現させるのが精一杯であったが、
ブリガドーン空間と愛する夫の縄張りの中では、自分の限界以上の力を発動させることが可能であるらしい。
そして――結界内に耳を劈く轟音が鳴り響くと同時、ポチの攻撃がアンテクリストへと叩きつけられた。
その拳が、蹴りが、アンテクリストの巨体へ吸い決まれるように突き刺さる。
と同時、ポチのラッシュに追い打ちをかけるように、百体以上のシロが全方位からの突進を仕掛ける。
アンテクリストは成す術もなくすべての攻撃を喰らい、悲鳴を上げることさえ許されずか細い呻きを漏らした。

「ぁ……が……」

アンテクリスト――赤マントにとって東京ブリーチャーズは最初から脅威たりえない、玩具のような存在であったが、
中でもポチは欠片ほども興味を引かない存在であった。
直弟子である橘音や親の代から因縁のある祈、千年前に呪いを与えた尾弐。
手駒のひとりクリスの妹であったノエルなどと違い、赤マントとポチの関わりは薄い。
偶々そこにいるだけの、なんの価値もないちっぽけな送り狼の仔。それが赤マントの評価であったのだ。
そんな矮小な獣がまさか狼王ロボや山羊の王アザゼルといった錚々たる獣の王たちを斃し、未来を託されるなど思いもよらなかった。
ポチにロボやアザゼルを焚き付けたのは、紛れもなく自分だ。赤マント自身がポチの成長する余地を与えてしまった。
赤マントは完全に読み違えた。ポチを侮り、軽んじすぎた。
そのツケが、今回ってきている。

「そん……、な……。
 私が……間違えた……?私は……どこで……どのあたりから、道を……間違えた、のだ……?」

つがいの狼たちの攻撃は一瞬。だが、その一瞬の間に圧縮された無間がある。
ふたりの攻撃の前に耐久値を超え、結界がガラスのように砕け散る。
そこにはポチとシロ、そしてそのふたりの前に両手をついた血まみれの偽神の姿があった。
それはあたかも、王前で民がこうべを垂れるような――。

>――よう。なかなか良い眺めじゃないか。え?

甲冑を解除したポチが告げる。
シロがその小さな身体を支えるように傍らに寄り添う。

>まだ、少し頭が高いけど……これくらいで勘弁しといてやるよ

そう言うと、ポチとシロはアンテクリストの前から退いた。
ポチとしてはガス欠を誤魔化す減らず口に過ぎなかったかもしれないが、アンテクリストからすれば情けをかけられたも同然だ。
ベヘモットを由来とするアンテクリストの頑健な肉体は、狼たちの攻撃によって今や見る影もなく朽ちかけている。
ボロボロと土くれか何かのように肉が崩れ落ち、獣じみた面貌の中から元のアンテクリストの顔が覗く。
肩で大きく息を吐き、アンテクリストは東京ブリーチャーズをねめつけた。

「ハァ――――……、ハァッ、ハ……ハァ……。
 わ……私は……神だ……絶対の……神となる、存在なのだ……!
 私よりも……強い存在など……いては、ならない……あるはずがない、のだ……!」
 
完全に砕かれた両脚に、ぐ、ぐ、と力を込める。
偽神は尚も立ち上がろうとしていた。

431<削除>:<削除>
<削除>

432多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/06/20(日) 17:22:48
 アンテクリストとの最終戦。ポチとシロが開いた血路。
それに続き、祈は打ち下ろすような縦回転の蹴りで頭蓋を砕き、運命変転の力で敗北の運命を与えた。
 ノエルは凄まじい吹雪で動きを止め、ハクトとの連携で、ジズの与えた炎の翼を奪う。
 尾弐は連打と強烈な呪いを込めた一撃で、レビヤタンの与えた不死性を失わせた。
ポチとシロが放った『無間狼獄』と『絶技真氣狼』が、ベヘモットの与えた強靭な肉体を打ちのめした。
 両手と膝をつき、ボロボロのアンテクリスト。
 完全な、アンテクリストの敗北だった。

>「ハァ――――……、ハァッ、ハ……ハァ……。
>わ……私は……神だ……絶対の……神となる、存在なのだ……!
>私よりも……強い存在など……いては、ならない……あるはずがない、のだ……!」

 だがそれでも。アンテクリストの心は折れなかった。

>「グ……、グォォォォォォォォ……!!」

 打ち砕かれた肉体を立ち上がらせようと、砕かれた膝を再生させて、ボロボロの肉体に力を込めていく。
アンテクリストの体表で血がボコボコと泡立ち、アンテクリストの体を紡ぐ。

「……どっから来るんだその執念。しつけーにもほどがあんだろ!」

 二千年もの間抱き続けたという執念は曲がることはない。
 その根源に何があるから立ち上がるのか、
唯一神になってこの世界を悪に染め上げることがなぜ彼の悲願となったのか。
そんな疑問が祈の脳裏をよぎった。
 こちらの言葉など聞こえていないように、敗北の運命を与えても倒せない怪物は、体を起こし終えた。
敗北したところでそれが終わりではないとでも、示すかのように。

>「ギィィ……、ギィィィィィィオオオオオオオオオオオオオ……!!!
>私は……私ハ……神……!最強無敵、世界最高の……すべての頂点に立ツ……カ、ミィィィィイ……!」

 ただ。その肉体は、無理やり再生させたからなのか、酷くバランスに欠けていた。
目の前の敵を上回ろうとした結果なのだろう。
 失った炎の翼の代わりにノエルの冷気を取り込む算段か――樹氷を背に生やしたが、
ノエルに対抗できる熱の力を失っているし、精霊のノエルほどの冷気を扱えるかどうか。
 ポチやシロに転ばされまいと、下半身を血や筋繊維、血管などでできたものへと変えたようだが、
機動力は完全に削がれただろう。
 尾弐を腕力で上回るべく肥大化したであろう右腕は、魔人か竜かという爪をも備え、
当たればすべてを破壊し切り裂くに違いなかった。
しかしそれを支える肝心の下半身があの不安定な有様では、その拳と爪を当てることはできまい。
 体長はさらに数メートル延びつつあるが。それはまるで。
 破れかぶれのでたらめだった。

>「……これが、二千年の間求め続けた願いの果て……。
>多くの人々を、妖怪を、生きとし生ける者たちを不幸にしてまで手に入れた力の結果なのですわね……」

 レディベアが、憐みに似た視線をアンテクリストへと向けながらそう呟いた。

 深刻なダメージ。精神への負荷。妄執。無理やりに再生させた肉体。
さまざまな要素が絡み合い、アンテクリストはもはや理性を失い、暴走状態にあった。
 眼もまともに見えていないようで、ブリーチャーズの幻影を倒そうとがむしゃらに振り回す右腕は、
周囲を破壊はしても、祈たちに届くことはない。
 いっそ哀れにすら思える有様だが、ある意味この暴走状態こそが、
アンテクリストにとっては最善手と言えるのかもしれなかった。
 このブリガドーン空間において、【自分が最強無敵の神であると思い込んだ狂人】ほど危険なものはない。
目の前の現実を受け入れず、精神の殻に籠ったアンテクリストは、
こちらの行動や言葉の影響を受けない。
肉体的なダメージも通らないのなら、文字通りの無敵だ。
 ノエルが放った「絶対零度領域《アブソリュートゼロサイト》」によって、成長速度は遅くなっているが、
自身のそうあれかしで自己強化を続ければ、今度こそ手の付けられない状態にまで成長してしまうだろう。
 そして最後の、世界を終わらせるほどに強力な必殺技も一発分残していたと思われる。
いつ爆ぜるともわからない巨大な爆弾のようなものなのだ。
 かえって追い詰められたのは、ブリーチャーズの方なのかもしれなかった。
 だが、これだけの攻撃を浴びせて完全に倒しきれない相手をどうすればと、祈が思案していると。

433多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/06/20(日) 17:26:10
>「祈。次の攻撃が、きっと最後となるでしょう。
>今までの、長い長い戦い……そのすべてに。あらゆる宿命に、因縁に、決着をつける終焉の一撃――。
>一緒にやりましょう。あなたと、わたくしと……ふたりの力を合わせて」

 レディベアが祈に、そう言葉をかけるのだった。
それはつまり。

「っ! 龍脈とブリガドーン空間の力の融合……そのやり方がわかったってことか!?」

 ポチが提案した、アンテクリストのやり方を模し、首を絞める作戦。
それを実行するには、二つの力の融合が必要不可欠だった。
 運命変転さえも叶える莫大な星のエネルギー『龍脈の力』と、
そうあれかしをダイレクトに影響させ、想像をも実現できてしまえる『ブリガドーン空間の力』。
それらを融合させれば、アンテクリスト同様に、全知全能のごとき力を発揮できただろう。
だが結局、そのやり方がわからないために、祈とレディベアでは実行できなかったのだ。
 このブリガドーン空間にあっても、二人が意思を一つにするだけでは足りなかった。
 レディベアの言葉は、そのやり方がわかったと、暗にそう告げていた。
 そういえば、「今なら攻撃が効く」といって、アンテクリストへの集中攻撃の号令をかけた橘音が、
アンテクリストへの攻撃に参加していない。
 このままではアンテクリストを倒しえないと見て、
皆が攻撃を加えている隙に、策をレディベアに授けたのかもしれなかった。

>「それなら、コイツを使いな」

 祈にとっては聞きなれた声と――ひゅんひゅんという風切り音。
風切り音はやがて、ドッという、東京都庁屋上のヘリポートに突き立つ固い音へと変わる。
 そこに突き立っていたのは、柄から切っ先までが鉄でできた、旧い片刃の直剣。
 神剣――天羽々斬。
 そしてそれを運んできたのは。

「ばーちゃん!!?」

 多甫菊乃であった。ヘリポートの非常階段から上ってきたらしく、その脇に佇んでいる。
祈はそちらに目を遣って、驚きの声を上げた。
 橘音はもしかしたら、再び東京都庁を上る前には既に菊乃に話をつけており、
必殺のタイミングで呼び出せるように手配していたのかもしれない。
 祈は、天羽々斬に視線を落とし、呟く。

「……そうか。二人の力を合わせるって、“そのままの意味”なんだ」

 天羽々斬をはじめ、神剣や妖具といった類のものは、
使用の際に必ず生命力や妖力といった力を込めなくてはならない。
 祈が天羽々斬を使おうとすれば、祈を通じて龍脈の力が天羽々斬に流れ込む。
レディベアが使おうとしても、ブリガドーン空間の力が取り込まれるだろう。
つまり二人で使えば、天羽々斬の内側で、『二つの強大な力が混ざり合う』。
 祈とレディベアは半妖で、未熟な器。
どちらかに妖力を預けても、その強大な力に耐えきれず致死もありうる。
 神の右腕として創造されたベリアルだからこそ、
掛け合わせれば無限にも成りうる二つの力を、その体に同居させて使えたのだろう。
 だが神話の時代から語り継がれる神剣・天羽々斬なら、
龍脈とブリガドーン空間の力を受け止める器となり得る。
 二つの力を組み合わせて使うことができる。

>「使い方は覚えてるだろうね、祈?
>戦いの決着にゃお誂えの武器だろう、最後の最後だ……思いっきりやってやんな」

 それに、祈が使い方を知っている数少ない神剣。この場においてこれ以上に適した武器はない。

「――わかった!」

 祈は天羽々斬に駆け寄り、床から引き抜く。
握った柄の硬い感触に懐かしいものを覚えながら、
同じように駆け寄ってきたレディベアにも掴ませ、二人で構えた。

434多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/06/20(日) 17:32:02
>「ゴオオオオオオオオオッ!!!!!
>多甫……祈ィィィィィィィ!!!!レディベアアアアアアアッ!!!!」

 狂気を帯びたアンテクリストの眼が、偶然にも幻覚でなく、
本物の祈とレディベアを捉えた。
 あるいはこちらの攻撃の意思を読み取ったのか。
血だまりと化した下半身をうねらせながら、祈とレディベアへと向かってくる。
 それを見たレディベアが、祈の手を軽く握った。
恐怖からではない。
 祈がレディベアを見ると、温かい気持ちの込められた隻眼と目が合う。

>「温かな手。優しいぬくもり。冷え切っていたわたくしの心は、魂は、祈……あなたのこの手に救われました。
>わたくしはこれからも、ずっとずっとあなたと一緒にいたい……ふたりで未来を歩いてゆきたい。
>大好きな祈、わたくしの大切なおともだち……。
>この手をずっと、離さないでいて下さいましね」

 そんな言葉を放つレディベアに、祈も微笑み返した。

「……あたしらはニコイチ。ずっと変わんねーよ。心配しなくてもな」

 なにせ、祈が運命変転の力を使えたのは、レディベアを信じていたからだ。
 アンテクリストを逃がさずに確実に倒すためには、
アンテクリストの運命を敗北で固定する必要があると思われたが、
自身に残された可能性を使うのは祈も惜しい。
 祈の中には、
『アンテクリストは、相手の可能性を利用することで運命変転の力を代償なしに使っているのだろう。
自分も同じことができれば死ぬことはないはずだ』という仮説があったが、確証はなかった。
それでも命を賭けられたのは、ここがブリガドーン空間で、レディベアがいたからだ。
 この空間で『そうあれかし』と自分を信じればなんとかなる、
どうにかならなくてもレディベアがきっと自分を助けてくれるだろうと、そう思ったのだ。
 実際に仮説が当たっていたのか。アンテクリストから可能性を奪いきれたか。
そして奪った可能性を自身に充てて、代償なしに運命変転の力を使えたのかはわからない。
祈が無事と思っているだけで、実は可能性は消費されていて、いっそ運命変転の力を失っている可能性すらある。
 だが、祈の命は少なくともここにまだ残されている。
それはきっとレディベアが祈との未来を望んでくれているからというのも大きいだろう。
 それに、この賭けに出たことでわかったことがある。
 それは、“可能性を分けてくれる人がいれば、再び運命変転の力を使えるかもしれない”ということだ。

「あたしとおまえならアイツを消し去れる。
でも、もしあたしに運命変転の力が欠片でも残ってて、モノが可能性を分けてくれるんなら。
 モノがそう願うなら。きっとアイツの命だけは救ってやれる。
やるかどうかは任せるし、できるかどうかも確証はないけど……やるか?」

 それは、この世界から跡形もなくアンテクリストを消滅させるのではなく。
たとえば、『意図的に誰かを害することができない約束と、
自分が殺した数と同じだけの人を救わない限り解けない封印を施された、
喋るしか能がない赤い布の付喪神に生まれ変わらせる』だとか。
 救った人数をカウントするのは所有者となった者なので、ズルはできず、
力を取り戻すためには地道に人を救い続けるしかない。
 あるいは、アンテクリストとしてのすべての記憶と力をなくし、無害な人間に生まれ変わらせるだとか。
 そういう提案だった。運命変転の力が失われていればもちろんできはしないが。
 悪しきものとはいえ、憎き敵とはいえ、祈にとってはこの世界に生きるものの一人。
そしてレディベアにとっては、自分を育てた父でもあるから。
 祈はレディベアの返答を聞いた。

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436多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/06/20(日) 18:07:45
 東京の街は半壊し、人々は大いに傷付いた。
首都がこの有様なのだから、日本はこれから長い間、酷い停滞期を迎えるだろう。
オリンピックなんて考えられないほどに。
 祈は寝転がったまま、レディベアが展開した目の一つに顔を向けて、視線を合わせた。

「ところで……さ。なぁ。見てんだろ――」

 さて、これは蛇足だ。
尾弐がかつて抱いていた願いから着想を得た、単なる悪あがきだ。
 祈はその目の先で、こちらを見ているであろう誰かへ声をかける。

「タマちゃん」

 タマちゃんこと、玉藻御前に。
 おそらく現状で、この東京を元通りにできる可能性のある、唯一の人物に。
 かつて尾弐が御前に望んだものは、別の世界線への移動だった。
御前の駒として働く代わりに、
『外道丸が酒呑童子にならなかった世界線に移動し、自身の存在ごと消去すること』。
それが尾弐の望みであり、御前はそれを叶える約束をしていたという。
 五大妖とはいえ、たった一人の妖怪にそういう力があるというなら。

「なー。タマちゃんならこの世界を、
『アンテクリストの被害に遭わなかった世界線に移動させること』、できるんじゃねーの?」

 世界線の移動により、東京を元通りにすることも可能なのではないかと祈は考える。
 スカイツリー内での尾弐の口ぶりでは、
世界線を移動させるためには茨木童子や酒呑童子の部下たちを殺す必要があったようだった。
おそらく世界線を移動するにあたり、消したい事柄の根幹に関わる者を消すことは不可欠なのだろう。
その存在が楔となって、世界線の移動ができないのだと思われた。
だとすれば、アンテクリストという楔をこの世界から消した今なら、それが叶う。
 力が足りないというなら、ここには「そうあれかし」が集っているから、それを使えばいい。
 御前に頼ることはできれば避けたかったが、祈もレディベアも力を使い果たしている。
だとすれば、一番交渉してはならない存在とでも、交渉するしかなかった。

「できるんなら頼むよ。あたしら世界救うためにがんばったんだし、そのくらいのご褒美はあってもいいだろ?
メリットもいっぱいあんだぜ。
東京の壊れた街が元通りになるし、アンテクリストや悪魔に殺された人もいなくなるし。それに――」

 祈は少し悪い笑みを浮かべていった。

「――『あたしが妖怪のこと暴露したのもなかったことになる』しさ?」

 御前はこの世のバランスを保つ立場にあると、祈は聞いていた。
 今回の事件で、偽神や悪魔といった存在が表に出た。
 さらに人類を守る側に立っている祈が、
悪魔や妖怪、神、陰陽師といった存在を暴露したことで完全に認識を補強してしまったのである。
 幻想でしかなかったはずの存在がいるという事実は、
今まで科学を信奉してきたこの世界の在り方を変えるだろう。
妖怪を不可思議な力を持った隣人として受け入れ、共存できればいいが、
危険なものとして排斥される未来もあり得る。
 世界のバランスが大きく崩れるのが簡単に予見できる。
だからこそ、世界のバランスを保つ立場にある御前は、祈の要求を呑まざるを得ないはずだ。

 世界線が移動してアンテクリストの引き起こした事件がなかったことになれば、
偽神や悪魔が現れたことも、祈の発言も当然チャラだ。
アンテクリストに深く関わった者ぐらいしか、世界線が移動前の出来事は覚えていないだろう。
 祈たちはもはや世界中に顔も名前も知られているので、普段の生活になんて戻りようもないし、
世界線の移動で、記憶も記録も全て消してしまった方が都合も良い。
 祈が配信者に向けてわざわざ妖怪やらの存在を明かしたのは、
人々の協力を仰ぐためだけでなく、いざとなったときにこの要求を御前に通すためでもあった。
 この要求を通したところで、世界を救った祈たちを罰することなどできない……と思いたいが、
御前のことだからまた何か無茶な要求を突き付けてくるかもしれない。
 それはそのときに考えるしかないだろう。

「ま、考えておいてよ。これを聞いてる人たちも、タマちゃんに期待してると思うし」

 そう言い終えて、祈は少し目を閉じた。
 祈は不良と蔑まれても、路地裏や暗がりをパトロールし、困っている人や妖怪を助けてきた。
そういった面を見て、心優しい少女だ、いい子だと思うものもいるだろう。
 だが祈は、決していい子なだけの少女ではない。
誰かの命を救うためなら、アンテクリストを倒したように暴力だって辞さないし、
御前に要求を呑ませるべく、そうせざるを得ない状況だって作り出そうとする、悪の側面もある。

 きっとその側面は、祈のことを見てきた教師たちがよく知っているだろう。
『私も手を焼いているんですよ。あの悪童には。ほら、路地裏からよく出てくる……』
『ああ、路地裏の!あの悪童ですな!いくら注意しても聞かない』などといった文脈で使われる二つ名。

(忘れたなら教えてやるよ。あたしの二つ名……ってね)

――『路地裏の悪童』。それが、祈のもう一つの名前なのだ。

437御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/06/21(月) 00:49:01
>「―――― く た ば り や が れ ッ ッ !!!!!!」

>「『無間』」
>「『狼獄』」

>「絶技―――真氣狼(しんきろう)!!!!」

「これは流石に終わりでしょ……と思いたいけど……」

自身の飼い主とは対照的に肉体派な必殺技を繰り出す面々にハクトは感嘆しつつも
警戒を怠らずアンテクリストの方を見遣る。

「まだみたい……」

>「……どっから来るんだその執念。しつけーにもほどがあんだろ!」

>「ハァ――――……、ハァッ、ハ……ハァ……。
 わ……私は……神だ……絶対の……神となる、存在なのだ……!
 私よりも……強い存在など……いては、ならない……あるはずがない、のだ……!」

敗北の運命を決定づけられ、三神獣の加護を全てはぎ取られたアンテクリスト。
だが、まだ終わらない。身長5メートルにも及ぶ次なる形態に変化する。

>「ギィィ……、ギィィィィィィオオオオオオオオオオオオオ……!!!
 私は……私ハ……神……!最強無敵、世界最高の……すべての頂点に立ツ……カ、ミィィィィイ……!」

その外見は見るからにアンバランスだが、その脅威は決して減衰したわけではない。
どころか、更に危険度が増したとも言えるだろう。
そんな中で、レディベアが力強く宣言する。

>「祈。次の攻撃が、きっと最後となるでしょう。
 今までの、長い長い戦い……そのすべてに。あらゆる宿命に、因縁に、決着をつける終焉の一撃――。
 一緒にやりましょう。あなたと、わたくしと……ふたりの力を合わせて」

>「っ! 龍脈とブリガドーン空間の力の融合……そのやり方がわかったってことか!?」

驚いて問い返す祈。そこでタイミングを見計らったかのように、菊乃が現れる。
地面に突き立ったのは、天羽々斬。

>「それなら、コイツを使いな」

>「……そうか。二人の力を合わせるって、“そのままの意味”なんだ」

>「ゴオオオオオオオオオッ!!!!!
 多甫……祈ィィィィィィィ!!!!レディベアアアアアアアッ!!!!」

怒り狂ったアンテクリストが、二人に突進してくる。

>「温かな手。優しいぬくもり。冷え切っていたわたくしの心は、魂は、祈……あなたのこの手に救われました。
 わたくしはこれからも、ずっとずっとあなたと一緒にいたい……ふたりで未来を歩いてゆきたい。
 大好きな祈、わたくしの大切なおともだち……。
 この手をずっと、離さないでいて下さいましね」

438御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/06/21(月) 00:51:52
>「……あたしらはニコイチ。ずっと変わんねーよ。心配しなくてもな」
>「あたしとおまえならアイツを消し去れる。
でも、もしあたしに運命変転の力が欠片でも残ってて、モノが可能性を分けてくれるんなら。
 モノがそう願うなら。きっとアイツの命だけは救ってやれる。
やるかどうかは任せるし、できるかどうかも確証はないけど……やるか?」

レディベアはどう答えただろうか。
どちらにしても祈に、耳元で囁くような、あるいは直接頭の中に響くような声が聞こえてくる。

『君達はずっと一緒にいなきゃ……だからあの契約は終わり』

それは極限の結界術のために今は姿を消しているノエルの声。
頭に付けた髪飾りが受信装置となっているのかもしれない。
祈にはレディベアという唯一無理の一番の相手がいるから、身を引くという意味だろうか。
――いや、違う。

『今この時をもって更新するよ。苦しいときも、死の淵に瀕した時も――未来永劫、君”達”の味方だ!』

二人が決して離れないのなら、二人まとめての味方になればいいというあまりにも単純明快な結論。
思い返してみればノエルはずっと前からとっくに、二人の味方だったのだ。
学校に潜入して、どう見ても敵組織のリーダーに祈が篭絡されているとも取れる状況を目の当たりにしても、
そっくりさんと思い込むことにして黙って見守っていた。
祈がレディベアを助けてほしいと仲間達に頼んだ際には、一緒に頭を下げた。
レディベアが祈によって救出された際は、そこにいるのが当然とでもいうように自然に受け入れていた。
フリーダム過ぎる精神性を持つノエルと、数多の縁を繋いできた祈の性質を考えると、こうなるのは必然だったのかもしれない。
更に、姦姦蛇螺の中で祈に与えた時と同じように、レディベアの頭に祈とお揃いの髪飾りが現れる。

『あげる。お守りだと思ってつけていって』

天羽々斬を使っての八岐大蛇退治にあやかった櫛型の髪飾り――
今は戦闘域全部ノエルのため、このようなことも出来るのだろう。
もちろん理由は単に祈とペアルックにしてみてみたかったから、等ではない。
これで二人は、冷気の影響を受けない加護を、二重に受けていることになる。
たとえ至近距離で絶対の停止の余波を受けようとも、決して動きが阻害されることはないだろう。

『大丈夫、僕達がついてる』

2人は冷気の風に、背中をそっと押されたような気がしたかもしれない。

>「征きましょう――祈!!」

>「ああ!!」

床を蹴る祈とレディベア。ついに決着の時が訪れるのだ。
さて、ノエルは先ほど「僕が付いてる」ではなく「僕”達”が付いてる」と言った。
ハクトは地面に突き刺さっている傘を引っこ抜いて回収し、アンテクリストに向けながら言った。

439御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/06/21(月) 00:54:21
「2人にチャンスを作らなきゃ……! みんな聞いて!
乃恵瑠が使ってるこの技は本当は敵の動きを鈍らせるなんてもんじゃない。
時間停止といっていい技だ。つまりまだアイツが動いてるのは乃恵瑠がヘタレだからだ!」

ハクトは身も蓋もなく言い放った。このウサギ率直すぎである。

「だからもう一押し……ほんのもう一押しあれば必ず止まる! 
みんなもう全力出しきったのは分かってる……だけどお願い! 力を貸して!」

そもそもそういう結界術の術中であるが、気合が足りないために完全には効果が出ていない状態。
ここはブリガドーン空間内であり、使っているのは戦闘域全部ノエルな術。
よって応援する側に妖術の素養などなくても、気合で後押ししてやればどうにかなるという理屈らしい。
ハクトも分かっている。別に自分達が何もせずとも祈とレディベアは必ずややってくれるだろう。
だから、これはただの保険。ウサギは用心深いのだ。
傘を持つハクトの手に、何人の手が重なっただろうか――膨大な妖力が収束していく。
眩い光を散らしながら、呪詛の弾丸や氷の礫を掻い潜りアンテクリストに迫る祈とレディベア。
ついに剣が届く距離に肉薄せんとしたとき、その巨大な右腕を振り降ろし二人を叩き潰そうとする。

「――絶対漂白領域《アブソリュートブリーチワールド》!!」

ハクトの持つ傘から特大の冷気の矢のようなものが放たれ、アンテクリストに命中した。
その瞬間、アンテクリストの動きが完全に停止――時が止まった。
祈とレディベアも、もしかしたらアンテクリスト自身もそのことに気付かなかったかもしれない。
何故なら止まっていた時間はほんの一瞬。
しかし再び彼の時が動き出した時には――二人の少女が持つ剣の切っ先はすでにアンテクリストの胸に到達していた。

>「これで終わりだっ!!」

凄まじい光の奔流が、偽りの神を飲み込む――
その奔流がおさまったとき、アンテクリストの姿は跡形もなく消え去っていた。

――ヒトが神に勝とうなど最初から不可能なこと――なだめすかして鎮めるしか道は無いのだ

――いくら人の振りをしたところで人と共に歩むことなどできぬ。
――我々はこの世で最も人の考えが及ばぬ者として定義されているのだから。

これはかつて姦姦蛇螺の中で深雪、つまりノエル自身が言った言葉。
しかし、人の子である祈が見事に神を打ち倒すのを目の当たりにし、前者の言葉は覆された。
ならば、後者も覆えせるのだろうか。
きっとこれで東京は平和を取り戻し、東京ブリーチャーズの仕事は終わりなのだろう。
今までずっと先延ばしにしてきたけど、今度こそ雪山に帰って、雪の女王を継がなければならないのだろう。
だけど、もしかしたらずっと、人の都にいられる未来もあるのだろうか……

440御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/06/21(月) 00:55:28
>「やった……勝った……」

天を仰いで呟く祈には、青空が見えている。
ということは、ノエルも結界術を解除したらしく、姿を現す。
祈が、何かに向かって語りかける。

>「ところで……さ。なぁ。見てんだろ――」
>「タマちゃん」
>「なー。タマちゃんならこの世界を、
『アンテクリストの被害に遭わなかった世界線に移動させること』、できるんじゃねーの?」

「ちょっと!?」

ノエルはタマちゃんに対して、第一印象が第一印象なので、苦手意識がある。
が、殺されかけた祈張本人がこうして積極的に話しかけているのであった。

>「できるんなら頼むよ。あたしら世界救うためにがんばったんだし、そのくらいのご褒美はあってもいいだろ?
メリットもいっぱいあんだぜ。
東京の壊れた街が元通りになるし、アンテクリストや悪魔に殺された人もいなくなるし。それに――」
>「――『あたしが妖怪のこと暴露したのもなかったことになる』しさ?」

「ちょーっと待った! アンテクリストって人類の歴史の最初から影響を及ぼしてきたわけだよね?
あまりに影響が大きすぎない?
例えば、昔アンテクリストのせいで死ぬはずだった人達が死ななくなったら
もしかしたら今いる人達の殆どが最初から生まれてなかったことになる、かもしれない……」

祈の提案に対して、異論を唱えるノエル。
太古の昔から暗躍していたアンテクリストが世界に及ぼしてきた被害、
つまり影響を無かったことにするのはリスクが大きすぎるのではないかと。

「だから、間を取ってこの最終決戦が起きる前にアンテクリストが倒された世界線、とか
出来ればもうちょっと遡ってここ最近のアンテクリストに起因する騒動が起きる前に倒された世界線とか……無理かな……」

これは異論というより補足というべきか。
結局のところ14歳の祈が言う”アンテクリストの被害に遭わなかった世界線”とはこういう意味なのかもしれない。

441御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/06/21(月) 00:57:42
>「できるんなら頼むよ。あたしら世界救うためにがんばったんだし、そのくらいのご褒美はあってもいいだろ?
メリットもいっぱいあんだぜ。
東京の壊れた街が元通りになるし、アンテクリストや悪魔に殺された人もいなくなるし。それに――」
>「――『あたしが妖怪のこと暴露したのもなかったことになる』しさ?」

そう言って笑う祈は、龍脈の神子というよりも、路地裏の悪童だった。

>「ま、考えておいてよ。これを聞いてる人たちも、タマちゃんに期待してると思うし」

疲れたのだろう祈は、目を閉じた。ふと、重大なことに気付いたハクトがノエルに尋ねる。

「ところでそれ……元に戻れるの?」

打倒アンテクリストのために実体を捨てて真の力を解放する技を使ったノエルは、まだ実体ではないのであった。

「さあ……戻り方が分からないんだけど」

「さあって……!」

元より死と隣り合わせの危険な大技である。
それってブリガドーン空間が終了したら消えてなくなるのではないか、
それなのに何故に本人はこんなに能天気そうにしているんだろうか、とハクトは頭を抱えた。

442尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/06/28(月) 23:14:43
例えるのであれば、戦艦の主砲が正面衝突でもしたかの様な。
或いは遥か空の向こうから神の杖が墜ちてきたかの如く。

黒より尚暗い光映さぬ龍鱗を纏った尾弐の右腕と、超常の魔力を纏った唯一神を名乗る男の右腕は此処に激突した。

ノエルの張り巡らせた絶対零度の中にあるにも関わらず、衝突の余波にって二人の足元の地面は数メートルに渡り陥没し、辺りに転がっていた巨大な瓦礫さえも粉々に砕け散った。
悪鬼と偽神。
原初の時代に謳われる神と大悪魔の激突をすら凌駕する凄絶な拳の撃ち合いの結果は

>「お……おのれ、おのれ……おのれェェェェェ――――――ッ!!!!
>貴様、ごときがァァァァァァァァァァァァ!!!!!」

今回は、悪鬼(ダークヒーロー)に軍配が挙がった。
竜腕はアンテクリストの拳を文字通り破砕し、肉の上から心臓を撃ち抜き――神の永遠(ぜったい)を殺し切ったのである。

>「ご……ェェェェ……」

だがしかし――尾弐の拳を受けて尚、アンテクリストは倒れない。どころか、戦意の炎はより激しく燃え盛って行く。
それは、尾弐が殺したのは神としての不朽であり、アンテクリストの命そのものにまでは届かなかったからだ。
撃ち抜いた尾弐の竜腕は濃縮した怨念と絶大なる負のそうあれかしにより焼かれ黒い煙を挙げており、暫くの間使用する事は出来ない。
仮にアンテクリストが勢いのままに尾弐に逆襲を仕掛ければ、尾弐は危機に陥った事であろう。

――けれど、そうはならない。
そうはならない事を、とうの昔に尾弐は知っていた。

>……それは、困るよ尾弐っち
>まだ、僕の番が残ってんだからさ

東京ブリーチャーズにはまだ彼がいる。
誰よりも気高く勇敢で……そして優しい、獣の王とその番。

「カカ、そりゃあ悪かった――――それじゃあ改めまして、お二人さんの出番だぜ」

ポチとシロ。
2匹の獣が尾弐の横を通り直ぎ、アンテクリストの前へと立ちふさがる。


>『無間』
>『狼獄』
>――よう。なかなか良い眺めじゃないか。え?
>まだ、少し頭が高いけど……これくらいで勘弁しといてやるよ

それは嵐の様な。或いは大波の様な。
無限の様な刹那の中。
ポチとシロ。弐匹の獣の『狩り』が、圧倒的な暴威を以てアンテクリストを裂き砕いた。

443尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/06/28(月) 23:15:32
もはや偽神は脚をも砕かれ、かつての不遜な姿は見る影もなくその両膝を地に付けている。
敗北だ。誰が見ても間違いようも無く敗北だ。哀れで惨めで、無様な敗者の姿だ。
なのに。だというのに。

>「ギィィ……、ギィィィィィィオオオオオオオオオオオオオ……!!!
>私は……私ハ……神……!最強無敵、世界最高の……すべての頂点に立ツ……カ、ミィィィィイ……!」

それでもアンテクリストは諦めない。
失ったモノを埋める様に氷の翼を生やし、尾弐の模造品の様な巨腕を生やし、砕けた脚を血液で無理やり固め。
神の如きであった知性を狂気で焼いて尚、東京ブリーチャーズ達に立ちん向かわんとする。

>「……これが、二千年の間求め続けた願いの果て……。
>多くの人々を、妖怪を、生きとし生ける者たちを不幸にしてまで手に入れた力の結果なのですわね……」 
>「……どっから来るんだその執念。しつけーにもほどがあんだろ!」

何かを願って願って願って願って願って――――成り果てた。
その『何か』の正体を尾弐は知らないし、知るつもりもない。
アンテクリスト。赤マント。べリアル。
名を変え顔を変えて来た彼は尾弐にとって憎むべき敵で、滅ぼすべき悪で、討ち砕くべき宿命だ。
それはこれまでも、これからもずっと変わらぬ事実。
……けれど此処に至り尾弐はアンテクリストに初めての感情を抱いた

それは――――哀憫。

或いは……もしも自分が那須野橘音という存在と出会わなければ。
出会わないままに願いを追い続ければ……遠い未来の果て、願いに呑みこまれ、今のアンテクリストの様になっていたのだろうか。
そんな考えが尾弐の脳裏をよぎった。
非業の死を遂げた者達のそうあれかしと共に憎悪の拳をアンテクリストへ叩きこんだからこそ、僅かに晴れた感情の隙間に生まれた思考。

「……は。俺らしくもねぇ」

しかし尾弐は直ぐに首を振る。
詮無き事だ。全ては尾弐の妄想に過ぎない。
アンテクリストの過去がどうであれ、己が――自分達が為すべきことは一つ。

>「それなら、コイツを使いな」
>「征きましょう――祈!!」
>「ああ!!」

駆け付けた菊乃と、彼女が持ってきた天羽々斬。
それを手に持った祈とレディベア。
今、守りたい者達に尾弐は視線を向ける。

>「だからもう一押し……ほんのもう一押しあれば必ず止まる! 
>みんなもう全力出しきったのは分かってる……だけどお願い! 力を貸して!」

「応、って言いたいとこなんだが……いやすまねぇ。生憎、オジサンの妖力はさっきので殆ど残ってねェんだ」
「その僅かな残りも鬼の瘴気と負のそうあれかしで呪いみたいになっててなぁ……多分、ノエルに直接渡せば腹痛起こすだろうぜ」

最後の一押しをするべく支援を求めたハクトへ無情にもそう告げる尾弐だが、しかしその口元には微笑が浮かんでいる。
那須野橘音の居る方へと歩みを進め、左手を彼女の頭に乗せてから尾弐は告げる。

「だから――――俺の残りの妖力は橘音に預ける。こんな俺の力でも工夫して使いこなせるのは、帝都一の名探偵くらいだろうからな」
「橘音。悪いがお前さん経由で色男に俺の力を貸してやってくれねぇか。それから」

そこで尾弐は、那須野橘音だけに聞こえるように小さく言葉を掛ける。

444尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/06/28(月) 23:16:18


「アンテクリスト……いや、べリアルに何か言ってやれるのは、きっとこれで最後だ」
「俺にとっちゃ、不幸をばら撒いた最低最悪の敵だが……一応は、アスタロトにとっての師匠だった男だ」
「恨み節でも、罵倒でも、親愛でも、友愛でも。興味がねぇなら挨拶だけでも良い。何か言葉を掛けた方が良いと思うぜ」
「奴さんにどれだけの理性が残ってるかは知らねぇが、それでも何も言わずに別れちまえば、それは必ず心残りになる」
「もしそれで辛い思いをしても……俺が存分に甘やかして慰めてやる。だから、想い切ってみたらどうだ?」

半ば無理やりに妖気を受け渡し終わった尾弐は、那須野に一方的に言葉を掛けてから数歩後ろに下がり、腕を組み静かに結末を見届ける姿勢を固める。
……余計なお世話だったのかもしれない。要らぬ気遣いだったのかもしれない。
幾ら尾弐が橘音を想っているとはいえ、那須野橘音の心が全て判る筈はないのだから。
だから、つまる所これはエゴなのだろう。
尾弐黒雄という男が那須野橘音という女に出会えたという事に対しての、ただ一点だけある赤マントへの貸しを返すというエゴだ。
そうして、自身に出来る事を全てやり遂げた尾弐の視線の向こうで。


「ああ――――本当に、綺麗だ」


祈とレディベア。
二人の少女が辿り着いた光(答え)が、虹を纏って闇を貫いた。


―――――――――

445尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/06/28(月) 23:21:43
―――――――――

戦いを終えた祈の元に尾弐は歩を進める。
どんな言葉を掛ければ良いかは判らないが、とにかくその努力を誉めてあげたくて。良くやったと言ってあげたくて。
そう思いながら歩いていた尾弐の耳に、声が届いた。

>「ところで……さ。なぁ。見てんだろ――」
>「タマちゃん」
>「なー。タマちゃんならこの世界を、
>『アンテクリストの被害に遭わなかった世界線に移動させること』、できるんじゃねーの?」

尾弐の歩みが止まる。
祈が口にした事――――『無かった事にする』。
それは、かつて尾弐黒雄という男が抱いた願いに他ならなかったからだ。
己の無力によって親しい者を酒呑童子という怪物にさせてしまった事を悔い、己を含めた全てを呪い。
そうして最後には疲れ果て――歴史から酒呑童子の伝承を抹消する事で、己と外道丸という存在そのものを無かった事にしようとした。
今でこそ、東京ブリーチャーズの皆と過ごして来た時間の中でその願いよりも輝くものを見つける事が出来たが、そうであったが故に尾弐は危惧をする。
祈が、自分と同じ間違った道を進もうと考えているのではないかと――――けれど。

>「できるんなら頼むよ。あたしら世界救うためにがんばったんだし、そのくらいのご褒美はあってもいいだろ?
>メリットもいっぱいあんだぜ。
>東京の壊れた街が元通りになるし、アンテクリストや悪魔に殺された人もいなくなるし。それに――」
>「――『あたしが妖怪のこと暴露したのもなかったことになる』しさ?」

祈に対して、そんな心配は無用であった。
彼女の願いは、自分の為と――それから沢山の誰かの為に。
英雄的な評価と称賛よりも、誰にも知られぬ平穏を。
きっと、正義や倫理という側面から見れば祈は良い子ではないのかもしれない。
だけど、赤子の頃から尾弐がその成長を見てきた少女は……とても優しい子だった。
だからこそ、尾弐は額に手を置いてから一度息を吐いて告げる。

「……祈の嬢ちゃん。そりゃあ悪い奴が出す答えだぜ」
「人は死ぬ。理不尽は隣人で、さよならだけが人生だ」
「どれだけ痛みと苦しみを与えられても、それを受け入れて歯を食いしばって生きて行かなきゃならねぇ」
「過去は戻らないし、そこから逃げるなんてのは、臆病で弱い奴の選択だ」

尾弐は、険しい表情で学校の教師の様に昏々と淡々と正論を述べていき……最後に。

「よく聞け嬢ちゃん。だから俺は――――多甫祈の出した答えを支持するよ」
「ずっと隠してたんだがな、実はオジサンは悪い奴で、弱くて臆病で……優しい奴の味方なんだ」

そう言って笑みを浮かべた尾弐は、拳と掌を合わせて包拳礼の姿勢を取ると中空に向かって声を掛ける。
「――――御前!尾弐黒雄、嘗て御身より賜りました帝都守護の任、此処に確かに果たして見せました!」
「しかしながら!天魔及び偽神の討滅は御身への願いや恩賞と比べても尚、荷が勝ちすぎているのはご存じの通り!」
「つきましては……摂理と均衡に基づき、未払いの給金及び残業代と特別賞与を支給する事を要求したい!!」
「そして、その全てを多甫祈の願いの対価の足しとする事を求めます!!」

どこかで聞いているであろう御前に堂々とそう言ってから、口元を邪悪に歪める。

「もしもそれが叶わぬ場合は――――御身のチャンネルにマイナス評価をするよう全世界に呼びかける所存でございやがります!!」

綺麗なモノを尊ぶ御前にとって、自身が不快な者とされるのは……数多の人間からそんなそうあれかしを擦り付けられるのは、堪えがたい事だろう。
祈が悪童を示すなら、尾弐は大人の汚さを示そう。

「帳尻合わせついては心配すんなよノエル。あの大妖怪は、キレェ好きで凝り性なんだ」

小声でノエルにそう言った尾弐は、何処か清々しそうに差し込む陽光を見つめるのであった。

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447ポチ ◆CDuTShoToA:2021/07/05(月) 07:54:13
>「2人にチャンスを作らなきゃ……! みんな聞いて!
  乃恵瑠が使ってるこの技は本当は敵の動きを鈍らせるなんてもんじゃない。
  時間停止といっていい技だ。つまりまだアイツが動いてるのは乃恵瑠がヘタレだからだ!」

>「だからもう一押し……ほんのもう一押しあれば必ず止まる! 
  みんなもう全力出しきったのは分かってる……だけどお願い! 力を貸して!」

>「応、って言いたいとこなんだが……いやすまねぇ。生憎、オジサンの妖力はさっきので殆ど残ってねェんだ」

「……ノエっちは元気だなぁ。僕はもう、あと一滴でも血を流したらそのまま死んじゃいそうだよ」

ヘリポートに倒れ込んだまま、ポチはぼやいた。

「残念だけど……僕に出来るのはもう、信じる事だけさ」

ポチが頭を床に預ける。

「……だけど、僕らにはそれだけで十分だ。でしょ?」

その口元には穏やかな――やれる事はもう全てやったと言いたげな笑み。
そうだ。ポチは死力を尽くした。持てる全ての力を出し尽くした。

これ以上、パンチ一発とて繰り出す事は叶わない。
これ以上、僅か一滴でも血を流せば意識を失う。
正真正銘、ポチは死の寸前まで力を振り絞った。

それでもまだ、ポチに出来る事があるとすれば――それは、信じる事。

「そうさ……祈ちゃん。レディベア。二人なら、きっとやれる」

それはつまり――祈とレディベアに望みを託すという事。
祈とレディベアに、「そうあれかし」と願うという事。
戦いの最中、ロボとアザゼルに獣達の未来を託され、ポチとシロが力を得たように。
ポチもまた自分の未来を祈とレディベアに託した。
ただ信じるだけ――だが、それこそが妖怪にとって最も重要な力の根源。

>「これで終わりだっ!!」

白金色の光がポチの視界を塗り潰す。
眩しい。何も見えない――それでも不安はなかった。
そして、その光が徐々に薄れ、収まると――アンテクリストの姿はどこにもなかった。

ポチは少しだけ体を起こして、周囲を見回す。
祈の事だから、赤マントの力だけを奪って赤い布切れの付喪神にするとか、そんな結末を望んだんじゃないか。
はたまた何かの小動物にされたりしているかもしれない。
そんな事を考えたのだが――見当たらない。

それでも、少なくとも赤マントの気配はもうどこにも感じ取れなかった。

>「やった……勝った……」

祈の声が聞こえる――ポチが倒れたまま安堵の溜息を零す。

「……あー、疲れた」

ポチが隣のシロを見つめる。

「当分の間は、のんびりしたいね。一緒に」

戦いは終わった――しかし、ポチは一向に立ち上がろうとしない。
立ち上がれないのだ。もう本当に指一本動かせる気がしない。

448ポチ ◆CDuTShoToA:2021/07/05(月) 07:54:26
「ところで……さ。なぁ。見てんだろ――」

仕方がないから尾弐に手を貸してもらうか、橘音が仙丹を残していないかなどと考えていると、ふと祈が声を上げた。

>「タマちゃん」

「……祈ちゃん?」

>「なー。タマちゃんならこの世界を、
  『アンテクリストの被害に遭わなかった世界線に移動させること』、できるんじゃねーの?」

「……ええと。アンテクリストのした事を、なかった事にするって事?」

それは――多分、良い事なんだろうなとポチは思った。

>「できるんなら頼むよ。あたしら世界救うためにがんばったんだし、そのくらいのご褒美はあってもいいだろ?
  メリットもいっぱいあんだぜ。
  東京の壊れた街が元通りになるし、アンテクリストや悪魔に殺された人もいなくなるし。それに――」
 「――『あたしが妖怪のこと暴露したのもなかったことになる』しさ?」

壊れた物が元通りになる。死んだ人が帰ってくる。
それは良い事に決まっている。とても、良い事のはずだ。

>「ま、考えておいてよ。これを聞いてる人たちも、タマちゃんに期待してると思うし」

なのに何故だか――ポチは奇妙な違和感、据わりの悪さを感じていた。

>「……祈の嬢ちゃん。そりゃあ悪い奴が出す答えだぜ」
>「人は死ぬ。理不尽は隣人で、さよならだけが人生だ」

違和感の正体はすぐに分かった。

>「どれだけ痛みと苦しみを与えられても、それを受け入れて歯を食いしばって生きて行かなきゃならねぇ」
>「過去は戻らないし、そこから逃げるなんてのは、臆病で弱い奴の選択だ」

結局のところ、生きていれば辛く苦しく、悲しい事は何度でもある。
アンテクリストが悪さをしなくても人は死ぬ。日常の中で、いとも簡単に。
その全てを無かった事にする事は出来ない。
それでも一度その願いが叶ってしまえば――次が欲しくなるかもしれない。
一度限りの救済が、その後の生全てを侵す毒になるかもしれない。

>「よく聞け嬢ちゃん。だから俺は――――多甫祈の出した答えを支持するよ」

「……ま、結局はそこだよねー」

そしてポチは自分が抱いていた違和感を、くしゃくしゃに丸めて頭の外に放り捨てた。
なんて馬鹿馬鹿しい事を考えていたんだ、と。
祈なら、もし二度目が欲しくなる時が来ても、その時々の正解を見つけていけるに違いない。
それにもし何か勘違いをしてしまったとしても、祈の傍には橘音が、ノエルが、尾弐が、数え切れない親しい人達が――ついでに、自分もいる。
何も心配する事なんてなかったのだ。

>「ずっと隠してたんだがな、実はオジサンは悪い奴で、弱くて臆病で……優しい奴の味方なんだ」

「……わー、そりゃすごいや。全然気づかなかったなー」

ポチはくつくつ嗤って、嘯いた。

449ポチ ◆CDuTShoToA:2021/07/05(月) 07:56:29
>「――――御前!尾弐黒雄、嘗て御身より賜りました帝都守護の任、此処に確かに果たして見せました!」
 「しかしながら!天魔及び偽神の討滅は御身への願いや恩賞と比べても尚、荷が勝ちすぎているのはご存じの通り!」
 「つきましては……摂理と均衡に基づき、未払いの給金及び残業代と特別賞与を支給する事を要求したい!!」
 「そして、その全てを多甫祈の願いの対価の足しとする事を求めます!!」
>「もしもそれが叶わぬ場合は――――御身のチャンネルにマイナス評価をするよう全世界に呼びかける所存でございやがります!!」

「オッケー。そういう感じね」

尾弐の嘆願を聞いたポチが、悪戯っぽく笑う。

>「帳尻合わせついては心配すんなよノエル。あの大妖怪は、キレェ好きで凝り性なんだ」

「綺麗好きねえ。だったら尚更、ぜーんぶ無かった事にしちゃった方がいいんじゃない?ねえ、御前?」

ポチが空を見上げて、首を傾げ、人差し指を唇に添える。

「こんな事があった後だとさ、僕みたいなわるーい妖怪は色々閃いちゃうと思うんだよねー」

ポチは『獣(ベート)』だ。災厄の魔物だ。送り狼という名の、闇への恐怖の象徴でもある。
その存在には、良くない発想を生み出す為の思考回路が深く根付いている。
良くない発想とは例えば――悪魔どもに殺された人間に成り代わる形でなら、妖怪達は今なら簡単に、深く人間社会へと潜り込めるとか、そういう事だ。
ようやっと東京漂白を成し遂げたというのに、再び、今度は目に見えない穢れがあちこちに散らばるのは、御前にとっても好ましくないはず。
要するにこれは――どうせ御前にとっても必要な事なんだから、あの時みたいなぼったくりは勘弁してよね、という値引き交渉だった。
加えるなら、あの時の意趣返しがてら御前を困らせてやりたいという気持ちも多分にあった。

450那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 20:41:35
極端に肥大化した右腕を闇雲に振り回しながら、アンテクリストが祈とレディベアのふたりへと迫る。
至高の神であったもの。悪魔の長であったもの。今や神でも、悪魔でもなくなってしまったもの。
アンテクリストはもはや正気を失い、完全な暴走状態にある。
ただ自分の計画を滅茶苦茶にしたふたりの少女を憎悪するだけの、狂ってしまった何か――

しかし、今更そんな化け物に怯む少女たちではない。

>あたしとおまえならアイツを消し去れる。
 でも、もしあたしに運命変転の力が欠片でも残ってて、モノが可能性を分けてくれるんなら。
 モノがそう願うなら。きっとアイツの命だけは救ってやれる。
 やるかどうかは任せるし、できるかどうかも確証はないけど……やるか?

「……わたくしの想いは、あなたと同じ。
 わたくしたちの運命を狂わせ、多くの人々を欺き、たくさんの妖怪たちを不幸にしてきた憎い相手ではありますけれど。
 それでも。彼もまた、この地球に生きる生命のひとつ……なのですから」

祈の提案に、その顔を見つめるレディベアは小さく、しかしはっきりと頷いた。
アンテクリストは――ベリアルは絶対悪だ、更生不可能な罪人だ、滅ぼしてしまった方がいい。そう言う者もいるだろう。
けれども、ふたりの意見は違う。
どんな悪人であっても、憎い仇であっても、命を奪ってしまいたくはない。
それを偽善と蔑まれようと。綺麗事だと罵られたとしても。
ふたりはそれが正しいことだと信じた。

>君達はずっと一緒にいなきゃ……だからあの契約は終わり

どこからか、ノエルの声が聞こえる。

>今この時をもって更新するよ。苦しいときも、死の淵に瀕した時も――未来永劫、君”達”の味方だ!
>あげる。お守りだと思ってつけていって

ふわりと雪華を纏ってレディベアの髪に現れたのは、祈のものとお揃いの髪飾り。
ノエルからの贈り物だ。それは単純な妖術による強化にとどまらず、それ以上の意味を持つ。
それはふたりの絆を、結びつきを永遠不変のものにする証。
髪飾りにそっと触れると、レディベアは花の綻ぶように笑った。

「ありがとうございます。……ストラップの他に、もうひとつ。お揃いが増えましたわね、祈」

今でも大切に持っている、鎌鼬のストラップ。ふたりの絆の原点。
それを思い出して、嬉しそうに微笑む。
大切に大切に育んできた、培ってきた、ふたりの友情。
これからもずっと、それを慈しんでゆくために。未来へと繋げてゆくために。

今、偽神を討つ。

>2人にチャンスを作らなきゃ……! みんな聞いて!
 乃恵瑠が使ってるこの技は本当は敵の動きを鈍らせるなんてもんじゃない。
 時間停止といっていい技だ。つまりまだアイツが動いてるのは乃恵瑠がヘタレだからだ!
>だからもう一押し……ほんのもう一押しあれば必ず止まる! 
 みんなもう全力出しきったのは分かってる……だけどお願い! 力を貸して!

ハクトがそう叫び、ブリーチャーズに協力を要請する。
確かにそうなのだろう。アンテクリストに完膚なきまでのとどめを刺すためには、
きっと少女たち以外のメンバーもさらにもう一歩力を尽くす必要があるのだろう。
しかし。

>応、って言いたいとこなんだが……いやすまねぇ。生憎、オジサンの妖力はさっきので殆ど残ってねェんだ
 その僅かな残りも鬼の瘴気と負のそうあれかしで呪いみたいになっててなぁ……多分、ノエルに直接渡せば腹痛起こすだろうぜ

尾弐は、その要請に応じなかった。

>……ノエっちは元気だなぁ。僕はもう、あと一滴でも血を流したらそのまま死んじゃいそうだよ
>残念だけど……僕に出来るのはもう、信じる事だけさ

ヘリポートの砕けた床に仰向けに倒れているポチもまた、尾弐に同調する。
ポチの傍らで跪くように寄り添っているシロも、無言でかぶりを振る。夫と意見は同じだというように。

>……だけど、僕らにはそれだけで十分だ。でしょ?

「ま……ハクト君の気持ちは分かりますがね」

橘音が軽く肩を竦めて笑う。
もう既に、自分たちは託したのだ。この戦いの決着を、世界の趨勢を、未来の行く末を。
ならば、今更横槍を入れるなどという行為は蛇足以外の何物でもないだろう。
ポチの言うとおり、自分たちに今できることがあるとするならば――それは信じること、それだけだった。
腕力に物を言わせなくても。牙や爪を振りかざさなくても。妖術を発動させなくても。
『そうあれかし』。祈とレディベアの勝利を願う、それが何よりの力となる。

「ここは彼女たちふたりの見せ場。野暮は言いっこなしですよ?」

そう言うと、橘音は茶目っ気たっぷりに白手袋に包んだ右手の人差し指を口許に添え、ウインクしてみせた。

451那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 20:42:21
と、思ったが。
尾弐の言葉はただ、ハクトの協力要請を断るだけでは終わらなかった。

>だから――――俺の残りの妖力は橘音に預ける。
 こんな俺の力でも工夫して使いこなせるのは、帝都一の名探偵くらいだろうからな
 橘音。悪いがお前さん経由で色男に俺の力を貸してやってくれねぇか。それから

尾弐が大きくてぶ厚い手のひらをぽふん、と学帽の上に乗せる。
不思議そうに、橘音はその顔を振り仰いだ。

「……クロオさん?」

無骨な手のひらが触れたところから、尾弐の妖力が流れ込んでくる。
それは尾弐の言うとおり、確かに鬼の瘴気と負のそうあれかしによって澱み穢れた呪詛めいた妖力だった。
どろどろと濁ったコールタールのような、ヘドロのような妖力。
そんな妖力をまともに受ければ、ノエルでなくとも汚染され戦力増強どころの騒ぎではないだろう。
禍々しい呪詛を力に変えられる者がいるとしたら、それはこの場に橘音しかいない。

>アンテクリスト……いや、べリアルに何か言ってやれるのは、きっとこれで最後だ
 俺にとっちゃ、不幸をばら撒いた最低最悪の敵だが……一応は、アスタロトにとっての師匠だった男だ
 恨み節でも、罵倒でも、親愛でも、友愛でも。興味がねぇなら挨拶だけでも良い。何か言葉を掛けた方が良いと思うぜ
 奴さんにどれだけの理性が残ってるかは知らねぇが、それでも何も言わずに別れちまえば、それは必ず心残りになる
 もしそれで辛い思いをしても……俺が存分に甘やかして慰めてやる。だから、想い切ってみたらどうだ?

「…………」

尾弐が囁く。
きっと、尾弐にとってはノエルに力を貸すことよりもこちらの方が本命であったのだろう。
その声を聞き、橘音は顔を前に戻すと学帽のふちに軽く手をかけ、軽く俯いた。

――まったく、敵わないなぁ。
  このひとったら、なんでもお見通しなんだ。ボクの気持ちも、ボクの隠していることも。
  ボクがもう無理なんだって、すっかり諦めてしまったことさえも――。

尾弐にとってアンテクリスト、否ベリアルは千年来の仇敵だ。殺しても殺し足りない、不倶戴天の怨敵のはずだ。
当然、那須野橘音――アスタロトとベリアルの特別な関係についても、好ましいものではないだろう。
だというのに、話をしてこいという。
きちんとけじめをつけて来いと。このまま、何も伝えられない有耶無耶の別離を果たすなと。
ふたりの関係において心残りのないようにしろと、そう言っている。

「……そう、ですね。
 じゃあ……お言葉に甘えて。そうさせて頂きます」
 
ほんの僅かな逡巡の後、橘音は顔を上げ晴れやかな笑顔でそう言った。

「でもね。辛い思いなんて、しやしませんよ。
 ずっとずっと前から覚悟はしていたことです。いつか必ず訪れると分かっていた刻が、今やってきた。
 ただそれだけの話ですから……。
 なので。辛い思いをしなくても、いっぱい甘やかして。愛してくださいね」

尾弐が離れると同時に、橘音もまたマントを翻して前を向く。

「それじゃ……ボクたちの新しい、千と一年目の未来のために。
 ちょっと行ってきます、クロオさん!」

そう良く通る声で言い放つと、橘音はかつての師へと一歩を踏み出した。

「ギィィィィィィィオオオオオオオオオオッ!!!!
 死ネ……死ネェェェェェェェェェェェェェェェ―――――――ッ!!!!」

骨組みだけしかない氷の巨翼を羽搏かせ、どろどろに溶けた血だまりと化した下肢をうねらせながら、
アンテクリストが最後の抵抗とばかりに暴れ狂う。
龍脈の神子とブリガドーンの申し子が共に天羽々斬を握りしめ、
手に手を取って流星のように白く輝く尾を引いて突進してゆく。
ハクトが床に刺さっていた傘を引き抜き、アンテクリストへと翳す。
そして、祈とレディベアが偽神の懐へ到達し、天羽々斬の切っ先がその胸元へと迫ったとき。

>――絶対漂白領域《アブソリュートブリーチワールド》!!

ハクトとノエルの妖術が発動し、時間が停止した。
それは一秒にも満たない、ほんのコンマ数秒ほどの時間であったかもしれない。
だが祈とレディベア、そして橘音には――それだけで充分であったのだ。

452アンテクリスト ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 20:42:53
神である。

私は、神である。絶対無比にして永劫普遍の神である。
至善である。合法である。不滅である――正しき者である。

誰もが私を崇拝し、誰もが私に拝跪し、誰もが私の齎す救済を望む。
私を価値ある者、尊貴なる者、いと高き者と評価する。

だというのに。
我が前の、この小さき者どもは何故唯一神たる私に刃向かう?何故惑星の頂点たる私を害さんとする?

何故私は、この小さき者どもに敗北しようとしている……?

何故。
何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。
何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故―――

「……それはね。アナタが強すぎたからですよ、師匠」

誰だ……?

「いやだなぁ、そんなことも忘れちゃったんですか?アナタの可愛い弟子、アスタロトですよ。
 尤も、今は狐面探偵・那須野橘音ですがね」

……アス……タロト……?
ナスノ……キツネ……。

「神の隣に座す者。神の長子。天魔七十二将の首魁。
 すべての天使の兄にして、すべての悪魔の先達……“無価値な者”ベリアル。
 師匠、そう――アナタはあまりに強すぎた。それが、すべての歪みの始まりだったんです」

強いことの何が悪い?
そうだ、私は強い!何者をもこの私の上を行く者はおらぬ!
私は最強だ、私は誰にも負けない!智慧も、膂力も、妖力も、何もかも!!

「ええ。アナタは紛れもなく最強の妖怪だ。主神クラスと言われる大妖怪たちだって、アナタには敵わないでしょう。
 だから――だからこそ、歪みが生じてしまった。
 アナタにとって自分以外の存在はすべて格下。肩を並べる価値もない、取るに足らない存在ばかりだ。
 だから……誰の声にも耳を傾けることができなかった。
 アナタの過ちを諫められる者がいなかった。それがいけなかった」

私の過ちを……諫める、だと……?

「そして、それはボクたちの罪でもある。
 ボクたちにもっと力があれば。アナタの強さにもっと近付くことができていれば。
 アナタの過ちを正すことができたはずなのに」

黙れ!
私は過ちを犯してなどいない!誤ってなどいない!
絶対的な正義なのだ、私は!私は決して歪んでなど――!

「……そうですね。ここだけの話、ボクはアナタもある意味で被害者だと思っているんです。
 神が信者獲得のため、アナタに悪役を押し付けさえしなければ。不善を成せと言わなければ。
 もしくはアナタ以外の、アナタよりももっと格下の天使にそれを命じていれば、こんなことにはならなかった。
 神の長子はずっと神の隣で、尊敬される英雄として君臨できていたはずなんだ。
 アナタは純粋すぎた、誰よりも忠実に神の命令に従ったからこそ――
 この世界で一番の悪になってしまった」

……私、は……。

「思えばルシファーさんも、そんなアナタに同情して神に叛逆したのかもしれませんね。
 他の天魔たちだってそうだ。アナタのことを兄と思えばこそ。憐憫の情を催したからこそ。
 ほんの少しでも、神の摂理を覆そうとしたのかも……。
 結果は伴いませんでしたけれど。でもね――
 みんな、本当にアナタのことが大好きだったんですよ?誇るべき長兄と。尊敬すべき方だと思っていたんです。
 彼ら自身さえ忘れてしまった、大昔の話ですが」

…………。

「そして、それはボクも同じです。
 いいえ……他の天魔たちはみんな忘れてしまっても、ボクはまだ覚えてる。
 アナタへの想いは、今もここに。ボクの胸の中にある。
 アナタのお陰で、ボクは此処に在る。
 心から信頼する仲間と、愛するひとと。希望に溢れた未来を歩いてゆくことができる……。
 これは、不肖の弟子からの。アナタへ贈る、たったひとつの感謝の印です」
 
な……、何をする……!

「ちょっとしたおまじないですよ、害を加える訳じゃない。
 もしも、この世界に神の手さえ届かない運命の導きというものがあるのなら。
 ……またお会いしましょう。今は……一先ずおさらばです、ベリアル。我が揺籃の師よ――」
 
ま、待て!待てッ……!


待て―――アスタロト……!!

453那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 20:43:59
瞬きよりも短い時間、止まった刻の中で、アンテクリストは橘音と会話をした。
そして、ふたたび刻が動き出す。

「がああああああ!!!」

天羽々斬を携えた祈とレディベアが眩い白色の輝きを纏いながら、アンテクリストの胸元めがけて真っ直ぐに突進してゆく。
アンテクリストは苦し紛れに右腕を振り下ろしたが、遅い。
そして――偽神の胸に、神剣が深々と突き刺さった。

>これで終わりだっ!!

祈が叫ぶ。なけなしの勇気、ありったけの愛、皆から貰った希望――それらを結集し、浄化の光として撃ち放つ。
アンテクリストの異形と化した体内で、龍脈の力とブリガドーンの力が弾ける。

「お……!
 お……ご……ォォォォォォォ……!!」

アンテクリストの全身、その各所から光が溢れてゆく。
ありとあらゆる妖壊、真闇に染まった偽神さえも白く漂白する、浄化の光。
しかし、驚くべきことにアンテクリストはまだ力を失ってはいなかった。

「……ま……、まだ……だ……!
 わた、し、には……まだ、最後の……温存していた、第三の……御業が……ある……!
 『大洪水(ザ・デリュージ)』……私が、死ぬと同時……我が神力が……龍脈を暴走させる……!
 ひとりでは……死なん……滅ぶなら……貴様らも……この世界も、道連れだ……!
 残念だったな、龍脈の御子……貴様らに守れるものなど、何ひとつ……ありは、しない……!
 さあ……、私と一緒に死ね!この惑星もろともな!
 ……はは……ははは……ははははははははははははははは……!!」

神剣によって貫かれ、体内を圧倒的な浄化の力によって灼かれながら、アンテクリストが嗤う。
第三の御業『大洪水(ザ・デリュージ)』。それはただひとり神よりの啓示を受けたノアとその家族、
そしてあらゆる動物の一つがいだけが生き残ることを許されたという、神による大粛清。地上の一切を覆う大洪水。
アンテクリストは自身が死ぬと同時に己の最後の神力によって龍脈を刺激し、
それによって世界各地の龍脈を暴走させ、この星を破壊するという保険を掛けていたらしい。
折角ここまで追い詰めたというのに、このままでは相討ちだ。

しかし。

「……な……、なに……!?
 わ、我が神力が……発動、しない……?
 なぜだ、なぜ……私の術式は完璧のはず、そんな、ことが……」

身体のほとんどを漂白されながら、アンテクリストが狼狽する。
自爆の妖術と言っていい『大洪水(ザ・デリュージ)』が発動しない。
アンテクリストほどの術者が妖術の仕掛けをしくじるなどということは有り得ない。
正真、アンテクリストは万一のため皆を道連れにする術を自らに施していたのだろう。
けれど――偽神はついに気付かなかった。
祈が先程、アンテクリストに使用した『運命変転の力』。
それが、具体的に何に対して作用していたのか。アンテクリストの中の何を変容させ、敗北の運命を決定付けたのか。
それは東京ブリーチャーズの攻撃が通るようになったということでもなければ、
祈とレディベアがここまで漕ぎつける、というような内容でもなかった。
そう。『運命変転の力』は――
アンテクリスト最後の攻撃。それを機能不全にするという形で、その運命を不可避の敗北へと変質させていたのである。

「バ……、バカ……な……。
 この、私が……絶対神、アンテ……クリスト、が……」

顔に亀裂が入り、そこから光が溢れる。頭部から、米神から、口から、浄化の光が漏れ出してゆく。
己の敗北をなおも認められない、偽りの神が――神の成り損ないが呻く。
祈とレディベアのふたりが、さらに渾身の力を籠めてアンテクリストを刺し穿つ。

「私は……!私は、神ぞ……!
 神は負けぬ……!神は滅びぬ……!か、神……わ、たし、は、私は……!!」

アンテクリストの眼窩から、光が溢れ出す。

「私は!!神ぞォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ―――――――――――――ッ!!!!!!」


カッ!!!!!


迸る光の奔流。膨大な量の『そうあれかし』が力となってアンテクリストを覆い尽くし、輝く柱となって立ち昇る。
漂白の光輝が偽神の野望も、怨念も、妄執も、何もかもを呑み込み、消し去ってゆく。
どれほどの時間が経っただろうか、やがて光の柱が徐々に薄らいでゆき、天羽々斬の力の放出が終わったとき――。
ヘリポートの上であれほど猛威を振るっていた仇敵の姿と気配は、完全に感じられなくなっていた。
多甫祈とレディベア、ふたりの少女の絆の力による完全敗北。
それが、二千年もの間悪の化身として暗躍し続けた男。

ベリアルの――赤マントの最期だった。

454那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 21:05:12
>はぁ……はぁ、はぁ……

「ふぅっ……ふぅぅっ……」

天羽々斬を突き出したままの体勢で、祈とレディベアが荒い息を繰り返す。
ふたりの体力と精神力は、もうとっくに限界を超えている。
それでも身体を奮い立たせ、気力を振り絞った。アンテクリストへと放ったのは、文字通り全力の一撃だった。
今度こそ繰り出す力の枯渇したふたりが天羽々斬を手放し、その場にくずおれる。

>やった……勝った……

力尽きて仰向けに四肢を投げ出した祈が呟く。
ふたりの放った白色の光によって、それまで東京一帯に満ちていた黒雲や極彩色の空は残らず消滅し、
美しく澄んだ青空がどこまでも広がっている。

「……ええ……祈。
 わたくしたちの勝ちですわ」

祈のすぐ傍でぺたんと尻餅をついて座り込むレディベアが、視線を合わせて小さく微笑む。

「そ……、そんな……。アンテクリスト様が……絶対神が負けるなんて……」

「ヒィィッ!に、逃げろ!退却だ!神をも屠るような妖怪どもに勝てるはずがない!」

「逃げろッ!命が惜しかったら逃げろ―――…」

それまで帝都で暴虐の限りを尽くしていた悪魔たちが、アンテクリストの敗北に気付いて一斉に撤退を始める。
元々アンテクリストの圧倒的な力に惹かれて集まっていた者たちだ。首魁がいなくなった今、統制など取れるはずもない。
皆、先を争って蜘蛛の子を散らすように逃げてゆく。
もはや悪魔たちが東京侵攻を企てることは二度とないだろう。

>……あー、疲れた
>当分の間は、のんびりしたいね。一緒に

「はい。しばらく迷い家で温泉に浸かって、戦塵を落とすのがよいと思います。
 ……お背中。お流ししますね」

寝ころんだままのポチの提案に、シロが嬉しそうに頷く。
ノエルが術を解いてヘリポートに姿を現し、橘音が祈とレディベアのところへ小走りに駆けてゆく。
尾弐がゆっくりと歩を進める――

>ところで……さ。なぁ。見てんだろ――
>タマちゃん

そんなとき、祈は何を思ったかレディベアの展開した無数の目のひとつに語り掛けた。
瞳を通して此方のことをモニターしているであろう、タマちゃん――東京ブリーチャーズのオーナー、世界的な大妖怪。
白面金毛九尾の妖狐、玉藻御前へと。

《んっふっふふ〜、やっぱワカってた?
 まぁそりゃそーだよネー。いやいやっ、いやいやいや!いーもの見せてもらっちゃったよ、イノリン!
 アスタロトもオニクローも、ワンちゃんも!ノエルちゃんもシロぴもおっつー☆》

祈の呼びかけに答えるように目のひとつが突如として膨れ上がり、宙に浮かぶ大きなモニターに変化する。
モニターに大写しになった御前は愉快げに笑いながらぱちぱちと拍手してみせた。

《で……、なんの用かなー?
 わらわちゃんを呼び出すってことは、何か用件があるってことでショ?》

御前が問う。
祈は華陽宮で御前相手に噛みついた過去がある。御前のことを決してよくは思っていなかったはずだ。
というのに、呼びつけた。そこには何か深い考えがあるに違いない。
そして――祈が御前に対して言った提案は、その場にいる誰もが予想だにしないものだった。

>なー。タマちゃんならこの世界を、
 『アンテクリストの被害に遭わなかった世界線に移動させること』、できるんじゃねーの?

>ちょっと!?

>……ええと。アンテクリストのした事を、なかった事にするって事?

ノエルとポチが戸惑いの声をあげる。
アンテクリスト、ベリアルの野望に巻き込まれ、今まで大勢の人々が不幸になった。死んでいった。
東京はもうボロボロだ。都心部はビルが崩れ、アスファルトは砕け、未曽有の災害に遭ったのと変わらないほど破壊されてしまった。
これから東京が復興し元の活気を取り戻すには、きっと長い年月が必要となることだろう。
だが。

もしもこの破壊を、死を、なかったことにできたなら――

>できるんなら頼むよ。あたしら世界救うためにがんばったんだし、そのくらいのご褒美はあってもいいだろ?
 メリットもいっぱいあんだぜ。
 東京の壊れた街が元通りになるし、アンテクリストや悪魔に殺された人もいなくなるし。それに――
>――『あたしが妖怪のこと暴露したのもなかったことになる』しさ?

祈はそう言うと、悪戯っぽい表情を浮かべて笑った。

455那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 21:11:02
《ぬぁぁぁぁぁにィィィィィ〜〜〜〜〜?》

祈の突拍子ないにも程がある提案に、御前は思わず素でドスの利いた声をあげた。
だが、祈はまるで悪びれない。言いたいことは全部言ったとばかり、眼を閉じる。

>ま、考えておいてよ。これを聞いてる人たちも、タマちゃんに期待してると思うし

「もう、祈ったら。とんでもないことを考えるものですわ。
 でも……ええ。それが一番いいと、わたくしも思います。素敵なアイデアですわ」

レディベアが祈に賛同し、淡く微笑む。
仰向けに転がったままの祈の右手に自身の手を伸ばすと、そっと指を絡める。

>ちょーっと待った! アンテクリストって人類の歴史の最初から影響を及ぼしてきたわけだよね?
 あまりに影響が大きすぎない?
 例えば、昔アンテクリストのせいで死ぬはずだった人達が死ななくなったら
 もしかしたら今いる人達の殆どが最初から生まれてなかったことになる、かもしれない……

>……祈の嬢ちゃん。そりゃあ悪い奴が出す答えだぜ
 人は死ぬ。理不尽は隣人で、さよならだけが人生だ
 どれだけ痛みと苦しみを与えられても、それを受け入れて歯を食いしばって生きて行かなきゃならねぇ
 過去は戻らないし、そこから逃げるなんてのは、臆病で弱い奴の選択だ

祈の提案に対してノエルと尾弐が異を唱える。
ノエルは自然の体現である災厄の魔物だ。自然の摂理を捻じ曲げかねない遣り方に懸念を抱くのは当然だろう。
尾弐もまた、千年の生のうちに多くの死と別れを経てきた男である。
導き出された現在、最善を目指して辿り着いた今という結果を強引に歪めてしまうことはできないと思うのが自然だ。

けれど。

>だから、間を取ってこの最終決戦が起きる前にアンテクリストが倒された世界線、とか
 出来ればもうちょっと遡ってここ最近のアンテクリストに起因する騒動が起きる前に倒された世界線とか……無理かな……

>よく聞け嬢ちゃん。だから俺は――――多甫祈の出した答えを支持するよ
 ずっと隠してたんだがな、実はオジサンは悪い奴で、弱くて臆病で……優しい奴の味方なんだ

共に死線を潜り抜けてきた仲間だからこそ。強い絆で結ばれた戦友だからこそ。
ふたりとも、祈の優しい心を決して無碍にはしない。
尾弐が貴人へ接する際の礼を取り、御前へと語り掛ける。

>――――御前!尾弐黒雄、嘗て御身より賜りました帝都守護の任、此処に確かに果たして見せました!
 しかしながら!天魔及び偽神の討滅は御身への願いや恩賞と比べても尚、荷が勝ちすぎているのはご存じの通り!
 つきましては……摂理と均衡に基づき、未払いの給金及び残業代と特別賞与を支給する事を要求したい!!
 そして、その全てを多甫祈の願いの対価の足しとする事を求めます!!

それは、自分とその仲間たちが成した大業への報酬の要求。
偽神討伐はまさに世界を救う偉業であり、尾弐と御前の間に結ばれた契約を満了してなお余りある。
その差額分を、祈の願いを叶えるために使って欲しい――。そう交渉しているのだ。

《はぁぁぁぁぁ!?
 ナニ言っちゃってんの、ソレとコレとは話が別――》

>もしもそれが叶わぬ場合は――――御身のチャンネルにマイナス評価をするよう全世界に呼びかける所存でございやがります!!

《ぶっふ!?》

吹いた。
YouTuberとして活動している御前にとって、マイナス評価は致命的である。
もし提案を呑まなければ、尾弐は本当にレディベアの目を通して全世界に御前のチャンネルのマイナス評価を呼び掛けるだろう。
となれば、ここまで頑張った東京ブリーチャーズに対してなんの褒美も与えなかったとして、御前のチャンネルは大炎上必至。
結果として御前自身への精神的ダメージは計り知れない。
その上。

>オッケー。そういう感じね

ポチがくつくつと悪い笑みを零す。

>綺麗好きねえ。だったら尚更、ぜーんぶ無かった事にしちゃった方がいいんじゃない?ねえ、御前?
>こんな事があった後だとさ、僕みたいなわるーい妖怪は色々閃いちゃうと思うんだよねー

《……何が言いたいのさ》

モニター越しに胡乱な眼差しでポチを一瞥し、腕組みする。
ポチの目論見など、もちろん御前は瞬時に理解している。そして、それが新たな火種になりかねないということも。
妖怪にとって変化術は初歩の妖術である。人間で言うなら自転車に乗る程度の技術と言えばいいだろうか。
この世界において、妖怪は一部を除いて人間の社会に関わってはならないというルールがある。
今回の被害で東京では多くの人間が死んだ。それまで誰かが座っていた椅子が、沢山空いた。
少し目端の利く妖怪であれば、そうして空いた椅子へ人間の代わりに自分が座ってしまうなど造作もないことだろう。
それはこの世界の理を歪める、御前にとっては許されざる行いに他ならなかった。

《ぐぬぬぬぬぬぬ……》

ノエル、尾弐、ポチ。
東京ブリーチャーズのメンバーに痛いところを突かれ、御前は呻いた。

456那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 21:15:48
そして。

「……御前。どうやら、ここは御前の負けのようですよ?」

最後に、橘音がモニターを見上げて口を開く。

「何も、千年前からの因縁を一切合切なかったものにして欲しいって言ってるわけじゃありません。
 ノエルさんが言ったように、ここ最近の騒動を収束する形で世界を改変してくれればいいんです。
 世界でも五指に入る力を持つ御前なら、そんなのお茶の子さいさい!朝飯前ってやつですよね?」

《アスタロト、そなたちゃんまで――》

「そ・れ・に!御前、今こそ評価爆上げのチャンスですよ?
 ここでボクたちの願いを叶えれば、心が広くて寛容なデキる上司!ってことで、みんな感謝すること間違いなし!
 世界の調和も保たれますし、八方丸く収まるってもんでしょう!
 ホラホラ、善は急げですよぉ〜!」

《ぬぐぐぐぐぐぐ……》

駄目押しのような橘音の煽りに御前はしばらく顔を赤くしたり青くしたりしていたが、
ややあって諦めたのか、それとも自分の中で折り合いがついたのか、ふーっと大きく息を吐き、

《……わかったよ》

と、言った。

《正直な話……そなたちゃんたちには、いっぱいいっぱいキレイなものを見せてもらったよ。
 特に最後の、イノリンとベアちの放った天羽々斬の光。あれは……とってもキレイだった。
 もうウン百万年も妖怪やってるわらわちゃんですら初めて見る、あれは……うん。サイコーにエモい輝きだった》

モニターの向こうで、御前が困ったように眉を下げて微笑む。

《あんなにキレイな光が見られるなら、まだまだこの世界も捨てたモンじゃない。
 キレイな光を放つそなたちゃんたちの期待には、応えなくちゃならない。それがわらわちゃんの義務なんだ。
 いいよ、願いは叶える。ただし――ひとつだけ条件がある》

御前は右手を前に突き出すと、大の字に寝そべったままの祈を指差す。

《イノリンの『龍脈の神子』の資格を貰うよ。
 短い期間が範囲とはいえ、さすがにわらわちゃんも世界をまるっと改変するのは骨が折れるからね。
 運命変転の力を使って世界線を変えなくちゃいけない。だから――
 そなたちゃんは龍脈の神子じゃなくなる。もう二度と運命変転の力は使えなくなる。
 ただのターボババアの妖怪に戻るんだ。……いいね》

厳然と、拒絶や否定を許さぬ態度で告げる。
ひとりの妖怪の身には余る、地球の生命力そのものを行使する龍脈の神子の力。
その永久的な喪失と引き換えに、御前は祈の願いを叶えると宣言した。
ただのターボババアの半妖に戻ってしまえば、祈はもうこの最終決戦で使っていた能力の大半を使用できなくなってしまうだろう。
けれども、それでも何の問題もないに違いない。
祈の戦闘経験はそのまま残るし、すっかり相棒となった風火輪も力を貸してくれる。
橘音にノエル、尾弐、ポチ。シロたち東京ブリーチャーズの仲間たちもいるし、何より。
何よりも強い力である、愛と勇気。それが今も祈の中には確かに息衝いているのだから。

《じゃっ、そーゆーコトで!
 これから支度するんで、忙しくなっから一旦回線切るね!
 世界の改変時期については追って沙汰する!
 おつかれちゃーん☆》

ぱっと表情をいつもの明るく能天気なものに戻すと、軽く右手を振って御前は姿を消した。
同時に目も巨大なモニターから元に戻る。

「やれやれ……これにて一件落着、って感じですかね?」

御前との交渉が成功に終わり、橘音がほっと息をつく。
と、バサバサと翼の音を立てながら西洋甲冑を纏った天使が上空から舞い降りてきた。
配下の天使たちを率いて悪魔の軍勢に抗っていたミカエルだ。

「終わったようだな」

ミカエルは東京ブリーチャーズに歩み寄ると、深く頭を下げた。

「今回のことでは、とても世話になった。
 天界を代表し、心から礼を言わせて貰おう……東京ブリーチャーズ。
 我々ではベリアル様を討伐することはできなかった、何もかも、貴公らにやらせてしまったな。
 本当にすまなかった。そして……ありがとう。感謝する」

「ええ……ミカエルさん。アナタも、お疲れさまでした」

「……そういえば。
 ベリアルはどうなったのでしょうか……?」

橘音が鷹揚に頷いたのを見て、レディベアがおずおずと口を開く。
アンテクリストとの決着の際、祈とレディベアはベリアルを殺さないという意見で一致し、討伐の際にそう願った。
だというのに、周囲にはベリアルの姿も、妖気もない。
姦姦蛇羅のように無害な姿に転生したという訳でもない。本当に、この場にベリアルの痕跡は何ひとつなかった。

457那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 21:23:24
「わたくしは、最後に願ったのです。
 もし叶うのなら、いつか。悪意だとか、憎しみだとか、野望だとか。そんなことをすべて抜きにして、
 もう一度お話しがしたいと。穏やかに語り合うことができたなら、それはどんなにか素敵なことでしょう?
 歪んでしまう前のベリアルと。かつてすべての天使の兄と、神の長子と言われていた彼と――」

そっと左手を胸元に添え、レディベアが言葉を紡ぐ。
最後の一撃を加える際、もうふたりの中から運命変転の力やブリガドーン空間を操る力は、
すっかり枯渇してしまっていたということなのだろうか?
そう、思ったが。

「師匠は。……ベリアルは死にましたよ。間違いなく」

橘音がレディベアの顔を見遣って答えた。

「彼は死にました。そう――『死んだ』のです。祈ちゃんとレディの攻撃によって。
 それがどういう意味か。分かりますよね?」

ベリアルは死んだ。
だが『滅びてはいない』。
妖怪にとって、死とはすべての終焉ではない。滅びていない限り、妖怪はいつの日か必ず復活する。蘇る。
……だから。

「ハクト君が時間を停めたとき、ボクは師匠の心に触れました。
 そして、おまじないをひとつ彼に施してきたんです。ボクの五尾の妖力と、クロオさんから貰った妖力を使って。
 ……『またお会いしましょう』ってね」

橘音はそう言うと、ぱちりとウインクしてみせた。
『絶対漂白領域(アブソリュートブリーチワールド)』によって時間が停止した際、
橘音は己の力と尾弐から託された力のすべてを滅びゆく師へと分け与えた。
通常、死した妖怪の復活には長い年月がかかる。強大な力を持つ妖怪ならば尚更だ、ベリアルほどの妖怪ならば、
その復活と再生にかかる年月は千年、二千年では済むまい。
しかし、誰かが妖力を分け与えるならば話は別だ。その分だけ復活に要する時間は短縮できる。
橘音が尾弐から譲り受けた力の使い道が、それだった。
そのため橘音は華陽宮にて修行の末に得た五尾としての力を喪失し、元の三尾に戻ってしまったが、後悔はしていない。
天羽々斬によって完全に漂白されたベリアルが、どのような姿で復活するかは誰にも分からない。
けれども、きっと悪い結果にはならないだろう。
祈とレディベアが使った最後の『そうあれかし』が、ベリアルの未来の幸福を願っていたのなら――必ず。

「さて――みんなが下で待ってます。
 そろそろ帰りましょうか!」

戦いは終わった。悪魔の軍勢は東京から完全に姿を消した。
であるなら、この場にいる必要はない。東京ブリーチャーズは全員が生きているのも不思議なほどボロボロの状態だ。
一刻も早く治療しなければならないし――地上では安倍晴朧ら陰陽寮の人間や、
富嶽たち妖怪の面々が結果報告を心待ちにしていることだろう。
マントを翻し、橘音は仲間たちを促すと先陣を切ってヘリポートから去ろうと踵を返した――が。

「……ぅ……、ぁ、ぐ……ゥッ……!
 あ……、熱い……!顔が……顔が、焼けるように……うあああああああッ!!」

突然、橘音は半狐面を両手で押さえると苦しげに身悶えし始めた。
その苦しみ方は尋常ではない。まるで顔面に濃硫酸でも浴びせかけられたかのようだ。
だが、それは誰かの攻撃を受けたとか、そういう話ではなくて。
むしろ、真逆の事態だった。
カラン――と乾いた音を立て、橘音の顔から半狐面が外れて床に転がる。

「……ぁ……?」

橘音は呆然と声を漏らした。
かつて、橘音は子狐ごんであった頃、猟師の兵十に鉄砲で右眼窩を撃たれて絶命した。
その際に負った傷が、今もなお残っている。その醜さを隠すため、橘音は片時も外すことなく半狐面を被っていたのだ。
けれども今、外れた仮面の中から現れた橘音の素顔に、悍ましい傷はなかった。
砕けた眼窩も、濁った眼球も、すべては存在せず。傷ひとつない綺麗な顔貌がそこにあった。

「あ、あああ……!ボクの顔!ボクの右眼!ボクの……ボクの傷が……!なくなってる……!!」

ぺたぺたと自身の顔に触れ、さらに召怪銘板の自撮りモードで傷がすっかり消えていることを確かめて、
橘音は歓喜の声をあげる。さらに尾弐の許へと走ってゆくと、今までずっと隠さざるを得なかった素顔を見てほしいとばかり、
彼の顔を見上げる。

「クロオさん……!クロオさん!見て!見て下さい……!
 ボクの顔……!ボクの眼、ボクの傷が……もう、影も形もないんです!
 ああ……なんてことだ!こんなの、夢みたいだ……!」

白濁し腐敗した右眼ではない、美しく輝く黒い瞳に大粒の涙を浮かべ、橘音は言った。
ベリアルが死んだことで、ベリアル由来の呪詛に近かったその傷も消滅したということなのだろうか。
それとも、御前が早くも世界線の改変に着手したということなのだろうか。正確な理由は分からないが――
兎も角、橘音の心と身体を長い間蝕んでいた傷は跡形もなく消え去った。

「嬉しい……!これで、なんの心配もなく堂々とクロオさんに愛して貰える!
 仮面なんかで隠さなくても、ありのままのボクで触れ合える……!」

橘音は嬉しそうに両腕を尾弐の首に伸ばすと、勢いよく抱きついた。




東京ブリーチャーズと東京ドミネーターズの抗争に端を発し、天魔七十二将の介入を経て、
最終的に東京二十三区のすべてを巻き込んでの大乱戦となった、対アンテクリスト――赤マントことベリアルとの決戦は、
こうして幕を閉じた。

458多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/07/23(金) 17:11:55
 ノエル&ハクトコンビによる僅かな時間の停止、ポチの『そうあれかし』の後押し。
それにより祈とレディベアは、天羽々斬と龍脈、ブリガドーン空間、
全ての力を合わせた最大威力の攻撃を、アンテクリストにぶち当てることができた。
 アンテクリストは最後の足掻きとして、
第三の御業『大洪水(ザ・デリュージ)』で世界を道連れにしようとしたようだが、それもどういう訳か不発に終わった。
 結果的に祈たちは、辛くもアンテクリストを倒すことに成功する。
だが東京は壊滅状態にあり、祈にとっては全てが終わったとは言い難かった。
 だからこそ祈は提案する。
最も交渉をしてはいけない妖怪に、世界のリメイクを――。

 役目を終えた氷の籠手も溶け、ターボフォームから通常状態へ。
赤髪、金眼、黒衣からすっかり元の姿に戻った祈は、倒れたまま玉藻御前に呼び掛ける。

「ところで……さ。なぁ。見てんだろ――」
「タマちゃん」

 祈の呼び掛けに応じて、レディベアが展開させた目が変化する。
目を大きく見開いたかと思うと、巨大な四角いモニターのようになった。
その空中に浮かぶ平面のモニターには、楽しそうな様子の玉藻御前が映し出されている。
 やはり見ていた。

>《んっふっふふ〜、やっぱワカってた?
>まぁそりゃそーだよネー。いやいやっ、いやいやいや!いーもの見せてもらっちゃったよ、イノリン!
>アスタロトもオニクローも、ワンちゃんも!ノエルちゃんもシロぴもおっつー☆》

 パリピっぽい服装の御前は、愛らしい笑顔と拍手とでブリーチャーズの面々を労った。

>《で……、なんの用かなー?
>わらわちゃんを呼び出すってことは、何か用件があるってことでショ?》

 小首をかしげて可愛らしく問う御前に対し、
祈が提案したのは、『アンテクリストの被害に遭わなかった世界線に移動させること』だった。

>「ちょっと!?」

 それを聞いて大きな声を上げるノエル。

「ま、相談しなかったのは悪かったなーって思ってるよ」

 祈が頼んだのは世界の改変だ。
御前にそれが可能だとして、祈が勝手に頼んで良いものではないのは確かだ。
だが、変えたい事象が過去になればなるほど、改変が難しくなることは予想できた。
救えるかもしれない命が救えなくなる可能性があるからこそ、相談する時間も惜しい。
今、交渉を持ちかける必要があったのだ。
 ノエルが声を上げたのは、御前に対する印象が、祈と同様に良くないこともあるかもしれない。
『最低最悪のクソ上司だわ!』とはノエルの言である。
世界でも指折りの力を持ち、頭が切れて弁が立ち、反りも合わない。
そして自分の主張を押し通す我の強さ。
世界のバランスを保つ立場にあるという枷がなければ、
理不尽が服を着て歩いているようなものだろう。
そんな妖怪に交渉を持ちかけたことにも、ノエルは驚いたのかもしれなかった。

>「……ええと。アンテクリストのした事を、なかった事にするって事?」

 祈の意図を確認すべく、ポチがそう問う。

「そう。前にタマちゃん、尾弐のおっさんと『過去を変える』って契約してただろ?
尾弐のおっさんが今を選んでくれたからその話はナシになったけど……、
妖怪はできない契約はしないから、タマちゃんにはできるんだよ。
アンテクリストのしたことを、なかったことにすんのが」

 祈はそう説明する。祈とレディベアが力を合わせて、
滅びかけた街も死んだ人も元通りに……なんてことができれば良かったかもしれないが、
そんなことができるほどの力は残っていなかった。

「つーわけで、タマちゃん。
できるんなら頼むよ。あたしら世界救うためにがんばったんだし、そのくらいのご褒美はあってもいいだろ?
「メリットもいっぱいあんだぜ。
 東京の壊れた街が元通りになるし、アンテクリストや悪魔に殺された人もいなくなるし。
それに――――『あたしが妖怪のこと暴露したのもなかったことになる』しさ?」

>《ぬぁぁぁぁぁにィィィィィ〜〜〜〜〜?》

 先程までの可愛らしい声と表情をドスの利いたものに変えて、御前は祈に問い返す。
祈は意地悪く笑って、

「ま、考えておいてよ。これを聞いてる人たちも、タマちゃんに期待してると思うし」

 そういって目を閉じた。
目を閉じたのは、単に疲れたからというのもあるが、“瞳術にかからないように備えたから”である。
幻を見せ、人を操る瞳術を、五尾たる橘音も得意としている。
その上位たる九尾、玉藻御前なら、この画面越しにもどれほどの技が使えようか。
 直接術をかけなくても、光情報だけで相手を操れるなら、ここで祈を操って前言撤回させることも、
レディベアの目越しに見ている者全員の記憶を失わせることも意のままだろう。
それを警戒したのである。

459多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/07/23(金) 17:16:40
>「もう、祈ったら。とんでもないことを考えるものですわ。
>でも……ええ。それが一番いいと、わたくしも思います。素敵なアイデアですわ」

 祈とお揃いの髪飾りを付けたレディベアが、
祈と同様に疲れた声で言う。

「このままじゃ終われねーだろって思ってさ。
モノは知らないかもだけど、あたしら東京ブリーチャーズの任務は、赤マントを倒すことじゃない。
東京を守り抜くこと“だった”んだから」

 祈は目を閉じたまま、そう答えた。
 そう。アンテクリストを倒すのはあくまでも、東京を守るための手段に過ぎない。
オリンピック開催時期に最大となる龍脈の力。
それを奪われることを防ぎ、東京を守ることを目的に掲げて結成されたのが東京ブリーチャーズだ。
 だが結果はどうだ。
アンテクリストを倒しはしたが、東京は、東京の人々はボロボロに傷ついている。
 都庁の屋上からは、東京の様々な場所が見える。
祈の学校がある場所だってきっとズタボロで、クラスメイトや教師、知り合いだって死んだかもしれない。
 任務失敗のままでは、東京の人々を、愛する世界が傷付いたままでは終われない。
それに、レディベアが悲しむ姿は見たくなかった。
 現状を回復させる手段があるのなら、是が非でも食らいつかねばならないと祈は思ったのだ。

>「ちょーっと待った! アンテクリストって人類の歴史の最初から影響を及ぼしてきたわけだよね?
>あまりに影響が大きすぎない?
>例えば、昔アンテクリストのせいで死ぬはずだった人達が死ななくなったら
>もしかしたら今いる人達の殆どが最初から生まれてなかったことになる、かもしれない……」
>「だから、間を取ってこの最終決戦が起きる前にアンテクリストが倒された世界線、とか
>出来ればもうちょっと遡ってここ最近のアンテクリストに起因する騒動が起きる前に倒された世界線とか……無理かな……」

 その言葉に、祈は「ん?」と首をひねる。
そして、目を開けてノエルの方を向いた。

「あれ? あたしが言ってんのと御幸が言ってるやつ、ほとんどおんなじだよ。
今日の最終決戦が始まる前に、戦いが終わる感じ」

 そしてそう補足した。
 祈が望んだのは、『アンテクリストの被害に遭わなかった世界線に移動させること』だ。
 アンテクリストとは今日この日に誕生した終世主の名で、
その被害に遭わなかった世界線への移動ということは即ち、
アンテクリストが誕生した瞬間から滅びる瞬間までに与えた被害が喪失するということ。
 例えば、【赤マントは龍脈の神子の因子を発動させたが、その力を制御できずに自壊してしまった】
というような結末に塗り替えることによって。
つまりノエルがいう【最終決戦が起きる前にアンテクリストが倒された世界線】と大体同じ意味となるのだ。
 祈は国家の名前のように、ベリアル時代、赤マント時代、アンテクリスト時代といった形で、
名前によって時期を分けて考えたために、言葉選びがああなった。
だがノエルはベリアル=赤マント=アンテクリストという同一存在として捉えていたため、
祈の言葉が正しく伝わらなかったが、どちらも間違いではない。
 結局、二人の指すところは同じなのだ。
 祈とて、ベリアル時代から数えて数万や数億ともなるであろう被害者が生きていたら、
歴史がぐちゃぐちゃになることぐらいわかる。
 本来結婚したはずの人が結婚しなかったり、結婚しなかったはずの人が結婚したり。
生まれるはずの命が生まれず、生まれなかったはずの命が生まれたりするだろう。
良くも悪くも大きく歴史が大きく変わる。
 そのぐらいは祈も分かってはいた。
 とはいえ。

>「……祈の嬢ちゃん。そりゃあ悪い奴が出す答えだぜ」

 尾弐は言う。

>「人は死ぬ。理不尽は隣人で、さよならだけが人生だ」
>「どれだけ痛みと苦しみを与えられても、それを受け入れて歯を食いしばって生きて行かなきゃならねぇ」
>「過去は戻らないし、そこから逃げるなんてのは、臆病で弱い奴の選択だ」

 そして、諭すようにいう尾弐の言葉は、正しい。
過去の改変なんてものは、やってはいけないことなのだろう。
それは今を必死に生きる人々を踏み躙るようなものだ。
誰かを失ったり、とんでもない失敗をやらかしたりしても、人は生きていかなきゃならない。
 なかったことにできるなんて、そんなことはあり得ないから。
簡単に死ぬことなどできないから。

「でも――」

 祈は咄嗟に、尾弐を説得するための言葉を紡ごうとしたが、口が止まった。
尾弐がこんなときにどう言葉を続けるのか、なんとなくわかった気がしたからだ。

>「よく聞け嬢ちゃん。だから俺は――――多甫祈の出した答えを支持するよ」
>「ずっと隠してたんだがな、実はオジサンは悪い奴で、弱くて臆病で……優しい奴の味方なんだ」

 そう。尾弐とは、こういう男なのだ。

>「……わー、そりゃすごいや。全然気づかなかったなー」

 ポチが笑いながら、そんな言葉を棒読みで言う。

「あははっ。あたしも気付かなかった。尾弐のおっさんこそ知ってた?
あたしも実は相当な不良なんだって」

 祈は、尾弐を弱いとは思わない。
ただ一人、外道丸を救えなかった自分と事実が許せずに、
全てをなかったことにしようと願ったのは、弱いというよりはあまりにも己に厳しい。
そして歴史を変えて外道丸を救うため、千年もの時を傷だらけで生きる背中は、あまりにも強く見えた。
 悪と血に塗れても誰かの幸福のために生きる、ダークヒーローそのままの尾弐の生き様。
それは祈に大いに影響を与える、尊敬すべき大人の姿そのものだった。
 幸せな人が増えるなら、自分が悪だとか弱いだとか臆病だとか。
そんなものはどうだっていいように思えてしまう。

460多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/07/23(金) 17:20:41
 そして尾弐は、御前のモニターへと向き直ると、

>「――――御前!尾弐黒雄、嘗て御身より賜りました帝都守護の任、此処に確かに果たして見せました!
>しかしながら!天魔及び偽神の討滅は御身への願いや恩賞と比べても尚、荷が勝ちすぎているのはご存じの通り!
>つきましては……摂理と均衡に基づき、未払いの給金及び残業代と特別賞与を支給する事を要求したい!!
>そして、その全てを多甫祈の願いの対価の足しとする事を求めます!!」

 こんな風に御前へと求めてくれた。

>《はぁぁぁぁぁ!?
>ナニ言っちゃってんの、ソレとコレとは話が別――》

>「もしもそれが叶わぬ場合は――――御身のチャンネルにマイナス評価をするよう全世界に呼びかける所存でございやがります!!

>《ぶっふ!?》

 そういえば御前は、『DJタマモとおひめちゃん』というコンビ名で、
Youtubeにチャンネルを持っているらしい。
 低評価がつきまくるのは、炎上商法としてはある意味成功ともいえるだろう。
一時的に再生数は爆上がりし、名前も売れるだろう。
だがYoutuberは人気商売だと聞く。
その後さまざまな活動に支障が出てくるので、長い目で見ればマイナスに違いなく、
短期的にも精神的なダメージは計り知れないだろう。
 迷うことなくチャンネルを人質に取る尾弐の『悪さ』に、祈は思わず笑ってしまった。

>「オッケー。そういう感じね」

 それを聞いたポチも悪い表情になり、

>「綺麗好きねえ。だったら尚更、ぜーんぶ無かった事にしちゃった方がいいんじゃない?ねえ、御前?
>こんな事があった後だとさ、僕みたいなわるーい妖怪は色々閃いちゃうと思うんだよねー」

 そう加勢してくれる。

>《……何が言いたいのさ》

 と、問いかけておきながら、腕組みをして、胡乱な目でポチをねめつけている様子を見るに、
御前はポチの意図を理解しているようだった。
 おそらくポチの考えることも含め、悪い妖怪によるさまざまな悪行を考慮しているのだろう。
 祈にはポチの考える、悪い妖怪が閃くことが何かは想像するしかない。

(『妖怪の存在が公になったことだし、百鬼夜行しようぜ!』って言いだすやつが出るとか?
それとも鬼が国を作ろうとしてたみたいに、
『東京が弱ってる今がチャンス!乗っ取って妖怪の国を作ろうぜ!』みたいなやつが出てくるとか?)

 とか考えていた。
 なんであれ、御前にはその脅しだけで十分に効いたらしい。

>《ぐぬぬぬぬぬぬ……》

 と、いかにも追い詰められているような、悔し気な声を出す。

>「……御前。どうやら、ここは御前の負けのようですよ?」

 とどめを刺したのは橘音だ。

>「何も、千年前からの因縁を一切合切なかったものにして欲しいって言ってるわけじゃありません。
>ノエルさんが言ったように、ここ最近の騒動を収束する形で世界を改変してくれればいいんです。
>世界でも五指に入る力を持つ御前なら、そんなのお茶の子さいさい!朝飯前ってやつですよね?」

>《アスタロト、そなたちゃんまで――》

 部下の裏切りと煽りに、精神的に更に追いつめられているらしい御前。

>「そ・れ・に!御前、今こそ評価爆上げのチャンスですよ?
>ここでボクたちの願いを叶えれば、心が広くて寛容なデキる上司!ってことで、みんな感謝すること間違いなし!
>世界の調和も保たれますし、八方丸く収まるってもんでしょう!
>ホラホラ、善は急げですよぉ〜!」

 畳みかける。

>《ぬぐぐぐぐぐぐ……》

 橘音の言葉に精神を揺さぶられながらも、頭の中でおそろしい速さで計算をしているのだろう、
 しばらく表情を忙しなく変えながら呻いていた御前だが、やがて。

>《……わかったよ》

 と諦めたように呟いた。
その答えを出すまでに吐いた溜め息は、あまりに長かった。

461多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/07/23(金) 17:25:24
「ほんと!? ありがとタマちゃん! ありがとみんな!」

 祈は元気になり、仰向けに寝転がった状態から、がばっと上体を起こした。

>《正直な話……そなたちゃんたちには、いっぱいいっぱいキレイなものを見せてもらったよ。
>特に最後の、イノリンとベアちの放った天羽々斬の光。あれは……とってもキレイだった。
>もうウン百万年も妖怪やってるわらわちゃんですら初めて見る、あれは……うん。サイコーにエモい輝きだった》

 胡坐をかいて座りながら、祈は記憶を辿る。
 祈も一生懸命だったので感想を抱くだけの余裕はなかったが、
そういえば天羽々斬の剣先から放った光は、今まで見たことがない綺麗な光だった気がした。
空を裂いて、果たしてどこまで飛んだのか。
途中で消えているならいいが、宇宙まで行って星に激突してたりしないといいな、とか今さらになって思う。

>《あんなにキレイな光が見られるなら、まだまだこの世界も捨てたモンじゃない。
>キレイな光を放つそなたちゃんたちの期待には、応えなくちゃならない。それがわらわちゃんの義務なんだ。
>いいよ、願いは叶える。ただし――ひとつだけ条件がある》

「や、やっぱりなんかあんの!?」

 一瞬嫌そうな顔をして、ごくり、と祈は喉を鳴らす。
 御前のことだからどんな無茶を頼んでくるのかわからないと、身構えた。

>《イノリンの『龍脈の神子』の資格を貰うよ。
>短い期間が範囲とはいえ、さすがにわらわちゃんも世界をまるっと改変するのは骨が折れるからね。
>運命変転の力を使って世界線を変えなくちゃいけない。だから――
>そなたちゃんは龍脈の神子じゃなくなる。もう二度と運命変転の力は使えなくなる。
>ただのターボババアの妖怪に戻るんだ。……いいね》

 龍脈の力は、まさに神のごとき力だ。
特に運命変転の力はおそろしく、使いこなせば今後どのような未来だって選び放題だ。
他人の可能性を使っての運命変転をも覚えてしまった祈なら、
もはや願い事など叶え放題、人も助け放題かもしれない。
 だが。

「……え? いいけど、そんなもんでいいの?」

 祈はあっさりと承諾した。
 龍脈の力を使える資格は有益だが、あくまでも借り物の力。
巨大な流れが、自分を一時その資格者に選んだに過ぎない。
世界の維持や誰かの命を救うという目的のために使うためのものであって、己の私利私欲に使うものではない。
それと引き換えに東京を元通りにできるなら、安いものだった。

「ほら」

 祈は右手の甲を、御前が映るモニターに向けて翳した。
 未来は自分の手で切り開くべきもの。龍脈の力がなくても、誰かを助けるのなら自分でやる。
足りなければまた仲間や風火輪や友達の手を借りたり、その場で知恵を絞ったりすればいい。
 普通の人間と同じように。
 とはいえ。

(今までありがとな……龍脈)

 祈の右手に刻まれた龍紋が剥がれ、光の欠片となってモニターに吸い込まれて消えていく。
 きっと生まれた頃から祈に宿っていた資格。
 それが宿っていたからこそ、ターボババアは危険な戦いも許可してくれた。
かけがえのない友と出会い、母を救い、父に会い、愛する街を脅かす敵を倒せた。
……多くのものを齎し、祈の無茶を支えてきてくれたであろうそれ。
完全に消える前に、祈は感謝を捧げ、届くようにと祈った。

>《じゃっ、そーゆーコトで!
>これから支度するんで、忙しくなっから一旦回線切るね!
>世界の改変時期については追って沙汰する!
>おつかれちゃーん☆》

 そして龍脈の力を手にした御前は、モニターを閉じた。
きっと世界の改変作業の支度に取り掛かったのだろう。

「……あ“ーーー。今度こそ終わった! なんとかなった!」

 祈は、両腕を上に挙げて大きく伸びをする。

>「やれやれ……これにて一件落着、って感じですかね?」
 
 橘音も、どこかほっとしたような口調で言う。
御前との交渉はそれだけ気を遣ったのだろう。
橘音もノリ良く煽ってはいたが、それが逆に御前の気分を損ねる可能性もあったのだから。

462多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/07/23(金) 17:29:30
 一息ついていると、バサバサ、大きな羽音を立てて人影が下りてくる。

>「終わったようだな」

「あ、ミッシェル……」

 背に翼を生やした、美しい女性。
大天使ミカエル。今回は天軍を率いて助太刀してくれていた。
悪魔たちが撤退したので、こちらの様子を見に来てくれたのだろう。
 ミカエルは口を開き、

>「今回のことでは、とても世話になった。
>天界を代表し、心から礼を言わせて貰おう……東京ブリーチャーズ。
>我々ではベリアル様を討伐することはできなかった、何もかも、貴公らにやらせてしまったな。
>本当にすまなかった。そして……ありがとう。感謝する」

 という。
 その表情を見て、祈は複雑な表情になる。
確かミカエルにとって、ベリアルは恋人のような特別な存在だったはずだ。
その表情はベリアルの死を悲しんでいるようにも見えたし、
その言葉には、自分で決着を付けたかったという悔しさが滲んでいるようにも思えた。
 アンテクリストを直接倒した祈は、どう答えていいかわからず、言葉は出てこない。

>「ええ……ミカエルさん。アナタも、お疲れさまでした」

 ブリーチャーズを代表してそのお礼の言葉を受け取ったのは、橘音だった。
橘音にとっても、ベリアルは師匠という特別な存在。ゆえの、一瞬の沈黙だったのだろうか。
 ベリアルと特別な関係にあった二人が作る空気に、何も言葉を発することができない祈だが、

>「……そういえば。
>ベリアルはどうなったのでしょうか……?」

 レディベアは違う。
レディベアにとっても、ベリアルは育ての父という特別な存在だった。
 だからこそ、この二人の間に入って質問できたのだろう。
ベリアルの迎えた最期について。

>「わたくしは、最後に願ったのです。
>もし叶うのなら、いつか。悪意だとか、憎しみだとか、野望だとか。そんなことをすべて抜きにして、
>もう一度お話しがしたいと。穏やかに語り合うことができたなら、それはどんなにか素敵なことでしょう?
>歪んでしまう前のベリアルと。かつてすべての天使の兄と、神の長子と言われていた彼と――」

 祈は、レディベアの可能性を使って、最後の一撃に運命変転の力を込めた。
 『レディベアの望みが叶いますように』と願って発動させたつもりだが、
姦姦蛇羅の時のように、本当に転生したかどうかとか、そういうことを祈は感知できない。
 故に答えようもない。
 しかし、橘音は答える。

>「師匠は。……ベリアルは死にましたよ。間違いなく」
>「彼は死にました。そう――『死んだ』のです。祈ちゃんとレディの攻撃によって。
>それがどういう意味か。分かりますよね?」
>「ハクト君が時間を停めたとき、ボクは師匠の心に触れました。
>そして、おまじないをひとつ彼に施してきたんです。ボクの五尾の妖力と、クロオさんから貰った妖力を使って。
>……『またお会いしましょう』ってね」

 その言葉の意味を祈は理解し、安堵する。
 それはつまり、妖怪は死なないゲゲゲのゲ、ということで。
その心に力を渡してきたということは、きっと再会は早いだろう、ということだ。
 そしてその時こそ、ベリアルは心穏やかに、レディベアと話をしてくれるのだろう。
ミカエルとも、きっと。

463多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/07/23(金) 18:26:19
>「さて――みんなが下で待ってます。
>そろそろ帰りましょうか!」

 踵を返し、ヘリポートから去ろうとする橘音。
 黒尾王に変化して大立ち回りを演じた割に、意外に元気である。
ノエルだって半透明だし、ポチももはや一歩も歩けないほどに消耗しているようだというのに。
事実、>「当分の間は、のんびりしたいね。一緒に」とシロに言った前後から、一歩も動いていない。
 祈にしても無理やり治して繋いだ体は限界だ。もはや全身が悲鳴を上げている。
 それでも、いつまでもここにいるわけにはいかないのだろう。
 世界が改変されれば、人が戻ってくる。
この不可思議な集団を目撃される。速やかに退散すべきだといえた。

「……せめてエレベーター直ってねーかな? あたしもう歩くのもしんどい……」

 そうぶつくさ言いながらも、祈はがくがく震える膝を抑えながら立ち上がり、
転がっている天羽々斬をひょいと持ち上げた。
 祖母も孫も、揃って神剣に対する扱いが雑である。
 レディベアがふらついているのなら、手やら肩やら貸して、そうして祈が橘音に続こうとしたとき。
 橘音が急に、

>「……ぅ……、ぁ、ぐ……ゥッ……!
>あ……、熱い……!顔が……顔が、焼けるように……うあああああああッ!!」

 顔を押さえて呻きだした。

「橘音!?」

 アンテクリストの心に触れたとき、最後に呪いの類でも貰ったのかと、祈は勘繰る。
だが、カラン、と転がった半孤面。それに隠れていたはずの顔には。

>「あ、あああ……!ボクの顔!ボクの右眼!ボクの……ボクの傷が……!なくなってる……!!」

 橘音の記憶の世界に入り込まなかった祈は直接目にしていないが、
本来橘音の顔の右側には、眼窩から髪の生え際まで伸びた、銃で撃たれた傷があったらしい。
 だが傷なんてものはそこにはなかった。
まるで元々、何もなかったかのように。
 橘音は自分の顔の状態を、召怪銘板に映して確認した後、尾弐の許へ駆けていき、

>「クロオさん……!クロオさん!見て!見て下さい……!
>ボクの顔……!ボクの眼、ボクの傷が……もう、影も形もないんです!
>ああ……なんてことだ!こんなの、夢みたいだ……!」

 傷一つない顔を見せた。
 橘音がずっと隠し続けてきたコンプレックスの元だった傷。
それがなくなったことに、橘音は涙を流して喜んだ。

>「嬉しい……!これで、なんの心配もなく堂々とクロオさんに愛して貰える!
>仮面なんかで隠さなくても、ありのままのボクで触れ合える……!」

 橘音は尾弐の首に手を回して抱き着いている。
テンション上がって、このままキスでもしそうな雰囲気だ。

(案外、アンテクリストからのお返しだったりして)

 祈は二人から視線を逸らして、空を仰ぎながら、そう思った。
 アンテクリストの心に触れたとき、尾弐と橘音は贈り物をしたという。
そのとき、アンテクリストがお返しとして、呪いごと持って行ってくれたのだとすれば。
 あり得ないことだが、そんな風に祈は思いたくなったのだ。

 ともあれ、これで戦いは完全に決着したと見ていい。
これできっと、ハッピーエンドだ。
 と思ったが。

>「ところでそれ……元に戻れるの?」

 ハクトが、ノエルの方を見て、ふとそう問うた。
 あまりにも自然にその場に半透明で突っ立っているものだから、大丈夫なものだと祈は思っていたし、
本人が辛そうではないので、冷気の妖怪や概念的な妖怪としてランクアップでもしたのかと思いきや。

>「さあ……戻り方が分からないんだけど」

 とノエルは能天気に返し、

>「さあって……!」

 その返答にハクトは頭を抱えていた。

「は? もしかして御幸、死ぬかどうかの瀬戸際なの……?」

 その様子を見てノエルの危機を察した祈は、ハクトに問い、回答を得た。
 祈も頭が痛くなるやら、眩暈を覚えるやら、
危機感を覚えるやら、能天気なノエルに脱力させられるやらである。
 今までの戦いは、誰も彼もが死んでばかりで、
今回こそはまたとないハッピーエンドの機会だと思っていたのに。
 ハッピーエンドはいまだ遠く。

「『未来永劫、君”達”の味方だ!』とかカッコつけといて……なに勝手に死にかかってんだバカァ!
カッパ先生の軟膏は……塗れるわけねーか。
橘音は……尾弐のおっさんと良い雰囲気だから邪魔できねーし。あーもう! 勝手に死んだら蹴るからな!」

 祈はそんな風に叫ぶ。
 今まで祈を支えてくれたノエルのことを、祈は悪からず思っていた。
それに寂しげな表情をしていたノエルを見たのも手伝って、戦いが終わったら仲を深める提案でもしようかと考えていた。
 具体的には、『これからはノエルって呼んでいいか?』とかなんとか言おうと思っていたのであるが、
そういった話はもう少し後のことになりそうである。

464御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/07/27(火) 01:50:29
尾弐、ポチ、極めつけには橘音にまで畳みかけられ、ついに押し切られたタマちゃん。

>《あんなにキレイな光が見られるなら、まだまだこの世界も捨てたモンじゃない。
 キレイな光を放つそなたちゃんたちの期待には、応えなくちゃならない。それがわらわちゃんの義務なんだ。
 いいよ、願いは叶える。ただし――ひとつだけ条件がある》

>「や、やっぱりなんかあんの!?」

タマちゃんは願いを聞いてくれるらしいものの、交換条件があるという。
またとんでもないことを言い出すんじゃないだろうな!?と警戒するノエル。

>《イノリンの『龍脈の神子』の資格を貰うよ。
 短い期間が範囲とはいえ、さすがにわらわちゃんも世界をまるっと改変するのは骨が折れるからね。
 運命変転の力を使って世界線を変えなくちゃいけない。だから――
 そなたちゃんは龍脈の神子じゃなくなる。もう二度と運命変転の力は使えなくなる。
 ただのターボババアの妖怪に戻るんだ。……いいね》

>「……え? いいけど、そんなもんでいいの?」

祈はあまりにもあっさり了承したが、ノエルは内心複雑だった。
その内訳は、とりあえず命や体の一部をよこせとか言い出さなくて良かった、という安堵が三分の一。
祈なら必ず世の中をいい方向に変えていくのにその力を使えるはずだったと残念に思うのが三分の一。
が、そんな力を持ったままなら、またいつその力を利用しようとする奴らの陰謀に巻き込まれるか分からない。
だからこれで良かったのだとほっとしたのが三分の一だ。

>《じゃっ、そーゆーコトで!
 これから支度するんで、忙しくなっから一旦回線切るね!
 世界の改変時期については追って沙汰する!
 おつかれちゃーん☆》

>「……あ“ーーー。今度こそ終わった! なんとかなった!」

>「やれやれ……これにて一件落着、って感じですかね?」

>「終わったようだな」
>「今回のことでは、とても世話になった。
 天界を代表し、心から礼を言わせて貰おう……東京ブリーチャーズ。
 我々ではベリアル様を討伐することはできなかった、何もかも、貴公らにやらせてしまったな。
 本当にすまなかった。そして……ありがとう。感謝する」

>「ええ……ミカエルさん。アナタも、お疲れさまでした」

ミカエルとアスタロト、ベリアルと浅からぬ縁があった者同士が言葉を交わす。
その短いやり取りの中には、ベリアルの憎き敵以外の顔を知らない他の者達には分からない万感の想いが込められているのだろう。

>「……そういえば。
 ベリアルはどうなったのでしょうか……?」

いや、ベリアルが単なる敵ではなかった者がもう一人いた。
自らの策略のためだったとはいえ、レディベアにとってベリアルは育ての親だったことには変わりはない。

465御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/07/27(火) 01:52:04
>「わたくしは、最後に願ったのです。
 もし叶うのなら、いつか。悪意だとか、憎しみだとか、野望だとか。そんなことをすべて抜きにして、
 もう一度お話しがしたいと。穏やかに語り合うことができたなら、それはどんなにか素敵なことでしょう?
 歪んでしまう前のベリアルと。かつてすべての天使の兄と、神の長子と言われていた彼と――」

>「師匠は。……ベリアルは死にましたよ。間違いなく」
>「彼は死にました。そう――『死んだ』のです。祈ちゃんとレディの攻撃によって。
 それがどういう意味か。分かりますよね?」
>「ハクト君が時間を停めたとき、ボクは師匠の心に触れました。
 そして、おまじないをひとつ彼に施してきたんです。ボクの五尾の妖力と、クロオさんから貰った妖力を使って。
 ……『またお会いしましょう』ってね」

「そっか……最後まで頑張ってよかったよ。でもあの一瞬で!? やっぱりすごいや、橘音くん」

橘音の言葉を聞き、ノエルもまた胸をなでおろす。
ノエルとハクトが何もせずとも、レディベアと祈の最後の一撃自体は成功していたと思われるが、まさかそんな形で役に立ったとは。
ベリアルはノエルにとっては敵でしかなかったが、橘音にとっては敬愛する師匠で、レディベアにとっては育ての親だ。
そして祈は、たとえ親の仇であろうが転生を願ってしまう心の持ち主なのだ。

>「さて――みんなが下で待ってます。
 そろそろ帰りましょうか!」

「あれ、橘音くん。尻尾が三本に戻ってるけど大丈夫!? ポチ君、立てる……!?」

橘音は平然を装ってはいるが、しれっと尻尾の本数が減っている。
ポチに至ってはハクトが協力要請をしたときにはすでに少しも動けないという様子だった。
まだ動ける者が動けない者を支えたり抱えたりしつつ、撤退にとりかかる一同。
そんな時、突如として橘音が苦しみだした。

>「……ぅ……、ぁ、ぐ……ゥッ……!
 あ……、熱い……!顔が……顔が、焼けるように……うあああああああッ!!」

「橘音くん!?」

半孤面が外れ落ちると――以前精神世界で目にした通りの、美貌が現れる。
が、そこにあったはずの痛ましい傷は、もうない。

>「あ、あああ……!ボクの顔!ボクの右眼!ボクの……ボクの傷が……!なくなってる……!!」
>「クロオさん……!クロオさん!見て!見て下さい……!
 ボクの顔……!ボクの眼、ボクの傷が……もう、影も形もないんです!
 ああ……なんてことだ!こんなの、夢みたいだ……!」
>「嬉しい……!これで、なんの心配もなく堂々とクロオさんに愛して貰える!
 仮面なんかで隠さなくても、ありのままのボクで触れ合える……!」

「良かったねきっちゃん……。
兵十の家に食べ物を持っていくように勧めたの、間違いじゃなかったって、やっと思える……」

466御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/07/27(火) 01:53:43
尾弐に抱き着く橘音をしみじみと見ていたノエルは、ハクトに元に戻れるのかと聞かれ、危機感の薄い言葉を返す。
それを聞いていた祈が、ハクトに問いかける。

>「は? もしかして御幸、死ぬかどうかの瀬戸際なの……?」

「実体を手放して真の力を解放する技を使ったんだけど……すごく危険な技だったんだ。
雪女は仮初の肉体をよすがに存在を認識されている妖怪だから……」

二人の深刻そうな会話を聞いて、ようやく本人も危機感を覚え始める。

「えぇっ、もしかしてヤバいかな!? どうしよう!」

>「『未来永劫、君”達”の味方だ!』とかカッコつけといて……なに勝手に死にかかってんだバカァ!
カッパ先生の軟膏は……塗れるわけねーか。
橘音は……尾弐のおっさんと良い雰囲気だから邪魔できねーし。あーもう! 勝手に死んだら蹴るからな!」

「それは困る! ちょっと待って、気合で戻るから!」

騒いでいると、何故か深雪(半透明)が現れた。ノエルと二人(?)同時にイメージ映像が投影されている。
今は実体ではないので、姿が二人分出てくる事自体は在り得るのかもしれないが……問題は姿ではなく人格の分離の方だ。
最近は統合されていたはずの深雪が、分離している。

「戻り方が分からない? そりゃあここでは戻れぬぞ。再構築は雪山になる」

「そうなんだ? 帰ってくるの面倒だなぁ。あれ? 久々に人格が分離してる……?」

「クククク……あーはっはっはっはっは!! 待っておったぞこの時を……。
隙あらば乗っ取ると言ったであろう! 馬鹿め……すっかり手懐けたと思って油断したな!」

理想的なフォルムの悪役のような哄笑をあげる深雪。
肉体再構築のどさくさに紛れて主導権を乗っ取る算段らしい。

(でも! 運命変転の力で性質を変えられたんじゃないの!?)

《我が人類の味方へと転化した理由は知っておるだろう。
ならば祈殿が龍脈の力を手放した今、どうなるか――分かるな?》

(そんな……)

《祈殿は今や普通のターボババアの妖怪だ。我の猛威に晒されでもしたら只では済まぬだろうな》

「……」

どうやら深雪としては、祈が龍脈の力を手放したのが、お気に召さなかったらしい。
人の世で生きていく未来も一瞬夢見たが、やはり人の立ち入ること許されぬ冷厳なる領域を守る定めのようだ。
「君達を傷つけるわけにはいかないから一緒にはいられない」なんて言ったら、祈は必ず力尽くでも引き留めようとする。
そこでノエルは、ぞっとするほど涼やかな声音で告げる。

467御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/07/27(火) 01:56:02
「心配しないでいい。すぐに雪山で再構築される。
でも……もう社会見学は終わりだ。王位を次いで雪妖界の恐るべき頂点として君臨するんだ」

妖怪は嘘はつけない仕様だが、誤解を招く発言は得意技だ。
そこで嘘ではない範疇で、出来得る限り嫌われるように言葉を紡ぐ。

「こうなってしまったなら仕方ないね。
僕は、大局的な世界の存続という目的達成のために龍脈の神子である君に取り入ったんだ」

これは実際に、深雪つまりノエルが人類の味方へと転化した理由あるいは口実であるので、別に嘘ではない。

「龍脈の力を手放してしまった君なんて、もう(ただの)好きじゃない」

「乃恵瑠……」

()内は霊的聴力を持つハクトにしか聞こえないであろう、微かな声。
人間界の契約書で、都合の悪いことをわざと超小さい文字で書くのと同じような手法だ。
これは、『何のためらいもなく龍脈の力を手放してしまった君が、ただの好きなんかじゃなくて大好き』という意味だ。

「もう、君(だけ)の味方なんかじゃないっ!」

これも、ついさっき“君の味方”じゃなくて”君達の味方”になったという意味だ。
もう時間切れらしく、ノエルの姿が消えていく。ついに音声すらも再生不可能になった。

(離れていても、ずっと、味方だから――
ハクト、もう耳も消せるでしょ? 僕の代わりに学校に潜入よろしく)

ゆえに、幸か不幸か――最後の言葉は、祈に届くことはなかった。

「よく言った我が器よ!
残念だったな元龍脈の神子……
おそらく以前貴様が修行をした辺りで再構築されるであろうがゆめゆめ連れ戻そうなどと思うでないぞ。
次に再構築された際には我が主導権を握っておる。今や単なる半端者の貴様など我の手にかかれば一捻りよ!
それに道中で遭難したりシロクマに襲われても只では済まぬからな! くれぐれも気を付けるのだぞ」

続いて深雪も妙に説明的な捨て台詞を残し、冷気の風となって掻き消えた。
……どう聞いても“来るなよ? 絶対来るなよ?”だった。
ハクトは暫し呆然とした後、悶えながら地面をごろごろ転がった。
ノエルと挙動が似ているのは、ノエルのペットだから仕方がない。

468御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/07/27(火) 01:58:05
「もう! 君って妖怪は本当に……! なんでそうなるの!
ぼく、便利な使い魔じゃなくて単なる愛玩動物だよ!?
それにシロクマが出るのは雪山じゃなくて北極圏だから!」

ひとしきり転げまわると起き上がり、祈に申し訳なさげに告げる。

「祈ちゃん、ごめんね……。愛想尽かしたよね……。ぼくも愛想尽かしたよ。
もう乃恵瑠なんて知らない! 放置プレイしてやる―――――ッ!」

再び取り乱しかけたが気を取り直して続ける。

「……と言いたいところなんだけど飼い主の面倒を見るのはペットの責任だから。
乃恵瑠を連れ戻しに行こうと思うんだ。でも、ぼくだけじゃ力不足かもしれない。
それで、本当に申し訳ないんだけど……」

そこで何故か原型に戻るハクト。
単にタイミング良く力尽きたのか、作戦なのかは分からないが、白いモフモフのウサギがつぶらな瞳で祈を見つめる。

「祈ちゃん、前にお礼するって言ってくれたの、覚えてる……?
学校が休みの時にでも、一緒に来てほしいんだ」

いつぞやの姦姦蛇螺との戦いの時に置いてきぼりをくらった祈に、皆の居場所を教えたことの対価――
しおらしい態度で、しれっと切り札を切るハクト。
このウサギ、毛皮は白くても中身は真っ黒である。
妖怪にとって約束は絶対で、祈もクオーターとはいえ妖怪なのだ。

――ところで、深雪は本当に人類の敵に戻ってしまったのだろうか。
運命変転の力によって一度変えられた深雪の性質は、祈がその力を失ってもそのまま継続する、と考える方が自然な気もする。
よって、ハクトが乗ってくるのを見越した深雪による、なんらかの目的のための狂言誘拐という疑惑がここに浮上する。
深雪とノエルは同一存在なので、単なる家出とも言うかもしれない。
そんなものに強制的に巻き込まれた祈はたまったものではない。
しかし、ハクトは知らない。
以前ノエルの人格が消えようとしたとき、祈に
『あたしに断りなくまた勝手に消えようとしたら、次はこんなもんじゃ済まさねーから』
つまり言外に『次はボコボコにしてやる』と言われていることを!

469尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/08/04(水) 00:00:21
>綺麗好きねえ。だったら尚更、ぜーんぶ無かった事にしちゃった方がいいんじゃない?ねえ、御前?
>こんな事があった後だとさ、僕みたいなわるーい妖怪は色々閃いちゃうと思うんだよねー
>「そ・れ・に!御前、今こそ評価爆上げのチャンスですよ?
>ここでボクたちの願いを叶えれば、心が広くて寛容なデキる上司!ってことで、みんな感謝すること間違いなし!
>世界の調和も保たれますし、八方丸く収まるってもんでしょう!
>ホラホラ、善は急げですよぉ〜!」
>《ぬぐぐぐぐぐぐ……》
>《……わかったよ》

祈、尾弐、ポチ、橘音。
文字通り死力を尽くして力を行使したノエルを除く東京ブリーチャーズの面々によって畳み掛けるように行われた脅迫(こうしょう)と懐柔(せっとく)。
それによって御前はとうとう折れた。少なくとも、折れた様に見せてくれた。
実の所……御前は尾弐が何も言わずとも祈の願いを叶えてくれたと、そう尾弐は考えている。
高みから人妖を見下ろし享楽的な態度を見せる大妖怪ではあるが、根本的な所で善性に焦がれている事を長い間配下で働いてきた尾弐は知っているからだ。
無理を言われた事も無茶を命じられた事も数知れず。
しかしそれでも、絶死の捨て駒として扱われた事は一度として無かった。
だからきっと、最後には今と同じように

>《あんなにキレイな光が見られるなら、まだまだこの世界も捨てたモンじゃない。

こう言って願いを飲んでくれたのだと思う。
では、それを知っていて何故脅すような事を言ったのかと言えば
一つは、いつか今回の件で問題が起きた際に『ああ言われたから仕方なかった』と言い訳が出来るよう、御前の立場と面子を守る為。
そしてもう一つは――――長きに渡るブラックな職場環境への個人的な意趣返しであったりもする。

>「……あ“ーーー。今度こそ終わった! なんとかなった!」
>「やれやれ……これにて一件落着、って感じですかね?」
「いや、流石に落着してもらわねぇと困るぜ。もう妖力どころかまもとな腕力すら残ってねぇからな」

そうして、御前との交渉が終わるのを見届けてから、尾弐は疲れたように息を吐く。
願いに対し祈の『龍脈の神子』としてのをが対価として求められた事については、惜しむ気持ちこそあれ納得はしている。
願いと対価の関係というものは、多すぎても少なすぎても災いを齎す。
尾弐と外道丸。ただ二人の過去に対する願いですら多大なる労力が必要としたのだ。
短い期間とはいえ世界規模の過去を操作するのであれば、それこそ運命を司る龍脈の神子の資格でもなければ釣り合わないのは自明の理だろう。

それに……子供は成長していく中で、いつかその背中に持っていた翼を失くすものだ。
そうして、自分の足で大地を踏みしめて歩いて行くのだ。

(……祈の嬢ちゃんは歩を進めたってのに、俺はこの後に及んでまだ割り切れねぇなんざ、笑い草だな)

470尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/08/04(水) 00:01:00
僅かに視線だけを動かし、やってきたミカエルの相手を務める橘音を眺め見る。
尾弐は橘音に対して彼女自身のベリアルとの決着を求めた。
その事自体は間違ってはいないと思っているし、そうすべきであったと信じている。
だが……正しさと優しさは別の物だ。
きっと。最後に語らず、何も決着を付けさせなければ可能性は残った。
例えば、ベリアルがその心の奥深くでは弟子としてのアスタロトを愛し慈しんでいたという可能性。
或いは、神が定めた運命に縛られ仕方なく悪を為していたのだという可能性。
けれど尾弐は、そんな優しさに満ちた可能性を摘み取った。橘音の/自分の為に。
そこに後悔は無い。けれど未練は有る。
もしもこの事が橘音の心に傷として残っていたら、自分はどの様にその痛みと向き合おうか。

しかし、そんな事を――――過ぎてしまった事を後ろ向きに考えていた尾弐の耳に、レディベアとミカエル。そして橘音の会話が届いた。

>「師匠は。……ベリアルは死にましたよ。間違いなく」
>「彼は死にました。そう――『死んだ』のです。祈ちゃんとレディの攻撃によって。
>それがどういう意味か。分かりますよね?」
>「ハクト君が時間を停めたとき、ボクは師匠の心に触れました。
>そして、おまじないをひとつ彼に施してきたんです。ボクの五尾の妖力と、クロオさんから貰った妖力を使って。
>……『またお会いしましょう』ってね」

「――――っ」

思わず漏れ出しそうになったソレを、尾弐は無理やり抑え付ける。
抑え付けたものは、笑い声。自身の矮小さを笑う声。

(ハ……馬鹿か俺は。橘音が前を向いてるってのに、ウダウダと情けねぇ。ああそうだ。そうだった)

確かに正しさと優しさは違う。
だが、優しさと甘さもまた違うのだ。
那須野橘音が正しい道を歩ききって、前を向き答えを出したというのに。
その背中を押した自分が迷ってどうする。

「……ま、アレだ。次見かけた時にまだ調子に乗ってやがったら、今度は原型が判らなくなるまで頬でもを引っ叩いてやるとするかね」

肩を竦め、困ったような笑みを浮かべ。自身と再会する事が無い事を祈りつつ――――けれど再会する未来も認めつつ。

>「さて――みんなが下で待ってます。
>そろそろ帰りましょうか!」
>「……せめてエレベーター直ってねーかな? あたしもう歩くのもしんどい……」
「あいよ、大将。あと、エレベーターは諦めろ祈の嬢ちゃん。どう見ても電気が通ってねぇ…………オジサンの腰、下まで持つか……?」

尾弐黒雄は前へ前へと歩を進める。
これは、一人一人の今を生きる者達がが手を伸ばして勝ち得た必然のハッピーエンド。

471尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/08/04(水) 00:10:30




だからこそ


>「……ぅ……、ぁ、ぐ……ゥッ……!
>あ……、熱い……!顔が……顔が、焼けるように……うあああああああッ!!」

「な――!!? 橘音ッ!!!!」

尾弐は突如として蹲り叫び声を上げた那須野橘音に対して驚愕の声を上げた。
奪われて奪われて奪われて奪われて
理不尽に失い続けるだけの生を送ってきたからこそ、突然の出来事に真っ白になった思考の片隅で尾弐は思ってしまう。
また、大切な存在を――――掛け替えのない者を奪われるのかと。
背筋に這い寄る絶望を振り払うように、焦燥にまみれた表情で橘音へと手を伸ばし

>「……ぁ……?」

そして、カランという乾いた音が響くと同時に目を見開き、その手がピタリと止まった。
それは恐怖でも絶望でもなく――――純粋な驚愕によって。

尾弐黒雄は知っている。
狐面探偵、那須野橘音の仮面の下に刻まれている傷の存在を。
複雑に絡んだ因果の果てか、類まれなる呪詛が故か。
野狐から妖狐へと変性しても尚残されていた、顔と心に刻まれた深い深い傷。

その傷が――――消えていた。まるで、傷自体が漂白されたかの様に。

>「あ、あああ……!ボクの顔!ボクの右眼!ボクの……ボクの傷が……!なくなってる……!!」
>「クロオさん……!クロオさん!見て!見て下さい……!
>ボクの顔……!ボクの眼、ボクの傷が……もう、影も形もないんです!
>ああ……なんてことだ!こんなの、夢みたいだ……!」

「……」

何故、という疑問。不可思議な現象に対する警戒。
尾弐黒雄と言う男の人格を考えれば、本来、驚愕の次に訪れる感情はそういった類のものであってしかるべきなのだろう。

>「嬉しい……!これで、なんの心配もなく堂々とクロオさんに愛して貰える!
>仮面なんかで隠さなくても、ありのままのボクで触れ合える……!」
「……ああ……良かった。お前さんの傷が治って本当に……本当に良かった!」

けれど、尾弐黒雄が抱いた感情は、尾弐自身ですら意外な事に――――喜びであった。

那須野橘音の傷が治って嬉しい。
那須野橘音の心の重荷が消えて嬉しい。
那須野橘音が笑っていて嬉しい。
那須野橘音が未来に希望を持ってくれて嬉しい。

千年掛けて積み重ねてきた猜疑心や捻くれた大人の矜持は、橘音の笑顔を前にして単純にも霧散していた。
だがしかし。湧き上がる喜びの感情を抱きながらも、尾弐は言葉を続ける。
それは本心で、一人の男としての矜持で、今最も言わなければならない大切な言葉。

「……けどな、橘音。今のお前さんも綺麗だが――――俺にとって那須野橘音は、いつだって綺麗だったんだぜ?
 俺は、過去も今も今も全部引っくるめてお前を……那須野橘音を愛してるんだ。それはこれからもずっと。永遠に、だ」

勢いよく抱きついてきた橘音を、尾弐はまともに動く左腕で残った力を籠めて抱きしめ返す。
その表情は、みっともないくらいに優しい泣き笑い。
未来の話をすると鬼が笑う。鬼の目にも涙とは良く言ったものだ。

こうして、どんな強大な敵にも立ち向かい戦い続け、邪悪なそうあれかしすら統べて見せた悪鬼は、
愛する女に起きた奇跡に……那須野橘音の笑顔の前に、とうとう敗北したのである。



そして、二人の世界に入った男女が周囲の状況に気付かぬのは常の事
思考の片隅で、何やら大変な事になっているノエルと祈に対し謝りながらも、その腕はもう二度と離さないとばかりに、橘音を抱きしめる力を一層強くするのであった。

472ポチ ◆CDuTShoToA:2021/08/11(水) 20:13:52
>《ぐぬぬぬぬぬぬ……》

「なーにを迷う事があるのさ?僕ら、東京を舞台に人狼ゲームなんてしたくないんだけどな〜?」

いつぞやのお返しとばかりに、ポチが笑う。

>「……御前。どうやら、ここは御前の負けのようですよ?」

更には橘音も、祈の願いを聞き入れてもらえるよう口を開く。

>「何も、千年前からの因縁を一切合切なかったものにして欲しいって言ってるわけじゃありません。
  ノエルさんが言ったように、ここ最近の騒動を収束する形で世界を改変してくれればいいんです。
  世界でも五指に入る力を持つ御前なら、そんなのお茶の子さいさい!朝飯前ってやつですよね?」

>「そ・れ・に!御前、今こそ評価爆上げのチャンスですよ?
  ここでボクたちの願いを叶えれば、心が広くて寛容なデキる上司!ってことで、みんな感謝すること間違いなし!
  世界の調和も保たれますし、八方丸く収まるってもんでしょう!
  ホラホラ、善は急げですよぉ〜!」

>《ぬぐぐぐぐぐぐ……》

御前が呻き声を上げる――それから、ふと大きく息を吐いた。

>《……わかったよ》
>「ほんと!? ありがとタマちゃん! ありがとみんな!」

「……言い出しっぺは祈ちゃんでしょ。お礼を言うのは僕らの方だってば」

>《正直な話……そなたちゃんたちには、いっぱいいっぱいキレイなものを見せてもらったよ。
  特に最後の、イノリンとベアちの放った天羽々斬の光。あれは……とってもキレイだった。
  もうウン百万年も妖怪やってるわらわちゃんですら初めて見る、あれは……うん。サイコーにエモい輝きだった》

御前はいっそ吹っ切れたのか、なんだか清々しそうな語り口だった。

>《あんなにキレイな光が見られるなら、まだまだこの世界も捨てたモンじゃない。
  キレイな光を放つそなたちゃんたちの期待には、応えなくちゃならない。それがわらわちゃんの義務なんだ。
  いいよ、願いは叶える。ただし――ひとつだけ条件がある》

>「や、やっぱりなんかあんの!?」

「ちょっと……またそうやって後出しで――」

>《イノリンの『龍脈の神子』の資格を貰うよ。
  短い期間が範囲とはいえ、さすがにわらわちゃんも世界をまるっと改変するのは骨が折れるからね。
  運命変転の力を使って世界線を変えなくちゃいけない。だから――
  そなたちゃんは龍脈の神子じゃなくなる。もう二度と運命変転の力は使えなくなる。
  ただのターボババアの妖怪に戻るんだ。……いいね》

有無を言わせない口調――ポチが歯噛みする。
前回とは比べ物にならないとは言え、今回の代償もまたひどく大きなものになった。

>「……え? いいけど、そんなもんでいいの?」

「祈ちゃんも、そんな事も無げに……」

運命変転の力が失われるのは――危険なんじゃないか。
祈はこれから先も、きっとこれまでと同じように戦って、なるべく多くの誰かを救おうとし続ける。
そうしている内にまた、運命変転の力が必要な時が来るんじゃないのか。
そんな事を考えていた自分がバカらしくに思えて、ポチはもう一度溜息を零した。

473ポチ ◆CDuTShoToA:2021/08/11(水) 20:15:12
>《じゃっ、そーゆーコトで!
  これから支度するんで、忙しくなっから一旦回線切るね!
  世界の改変時期については追って沙汰する!
  おつかれちゃーん☆》

ともあれ、これで戦いの後始末の目処も付いた。

>「……あ“ーーー。今度こそ終わった! なんとかなった!」
>「やれやれ……これにて一件落着、って感じですかね?」
>「いや、流石に落着してもらわねぇと困るぜ。もう妖力どころかまもとな腕力すら残ってねぇからな」

「ええー、そりゃ不味いよ尾弐っち。尾弐っちの腕力なしに、僕らどうやってここから事務所まで帰るのさ」

冗談めかした口調。だが実際のところポチは本気でこう言っていた。
アンテクリストとの戦いは文字通りの出血大サービスだった。
体力、妖力は勿論、血液さえ足りていないのだ。
立ち上がるどころか、指一本動かす事さえ大変なのがポチの現状だった。

>「終わったようだな」

「あー……アンタも無事だったんだ。良かった。色んな意味で」

少なくとも、これで屋上から歩かず降りる事が叶うかもしれない。
それに、ミカエルはこの戦いに臨むに当たって強い使命感を抱いているように見えた。
危うさすら感じるほどに――それに関しては、今振り返るとポチに言えた事ではないのだが。
とにかく、そんな彼女が無事でいてくれてポチは嬉しかった。

>「……そういえば。
 ベリアルはどうなったのでしょうか……?」

ふと、レディベアが呟く。

>「わたくしは、最後に願ったのです。
 もし叶うのなら、いつか。悪意だとか、憎しみだとか、野望だとか。そんなことをすべて抜きにして、
 もう一度お話しがしたいと。穏やかに語り合うことができたなら、それはどんなにか素敵なことでしょう?
 歪んでしまう前のベリアルと。かつてすべての天使の兄と、神の長子と言われていた彼と――」

そうだ。レディベアは、そして祈も間違いなく、ベリアルがただ終わる事を望まなかったはずだ。
だが――ポチが鼻を鳴らす。ベリアル、或いは赤マントのにおいは嗅ぎ取れない。

>「師匠は。……ベリアルは死にましたよ。間違いなく」
>「彼は死にました。そう――『死んだ』のです。祈ちゃんとレディの攻撃によって。
  それがどういう意味か。分かりますよね?」

>「ハクト君が時間を停めたとき、ボクは師匠の心に触れました。
  そして、おまじないをひとつ彼に施してきたんです。ボクの五尾の妖力と、クロオさんから貰った妖力を使って。
  ……『またお会いしましょう』ってね」

「……そっか」

ポチはそう呟いて、目を閉じる。
ポチの中にある賢しらな部分が、首を傾げる。
あのベリアルの性根が、一回死んだくらいで治るのだろうかと。

「うん……僕らにボコボコにされて、いっぺん死んで。
 死ぬ間際にまた会う約束まで取り付けられた訳だ。
 いい落としどころなんじゃない?」

だが、そんな事は口には出さない。
代わりに、くすくすと笑いながら、そう言った。
ベリアルとは本当に色々あったが――もう全部過ぎた事だと。

>「……ま、アレだ。次見かけた時にまだ調子に乗ってやがったら、今度は原型が判らなくなるまで頬でもを引っ叩いてやるとするかね」

「あ、その時は僕も呼んでよね。追いかけ回して怖がらせるのは僕の仕事なんだから」

474ポチ ◆CDuTShoToA:2021/08/11(水) 20:15:45
>「さて――みんなが下で待ってます。
  そろそろ帰りましょうか!」
>「……せめてエレベーター直ってねーかな? あたしもう歩くのもしんどい……」
「あいよ、大将。あと、エレベーターは諦めろ祈の嬢ちゃん。どう見ても電気が通ってねぇ…………オジサンの腰、下まで持つか……?」

「嘘でしょ尾弐っち。尾弐っちが手を貸してくれなきゃ、僕はどうやって立ち上がればいいのさ」

なんて事を言いつつも、ポチはどうにか体を起こそうとした――その時だった。

>「……ぅ……、ぁ、ぐ……ゥッ……!
> あ……、熱い……!顔が……顔が、焼けるように……うあああああああッ!!」

不意に、橘音が悲鳴を上げた。

「橘音ちゃん!?」

ポチは咄嗟に駆け寄ろうとして、しかし立ち上がれずに倒れ込む。
せめて橘音を見上げる。彼女は半狐面を両手で押さえて、ひどく苦しんでいた。
何が起きているのか、何をすればいいのかもポチには分からない。
そして――橘音の半狐面が外れて、落ちる。

>「……ぁ……?」

「……あ」

半狐面の外れた橘音の顔から、あの傷跡がなくなっていた。
橘音の命を奪った傷。その存在に刻み込まれた醜悪な傷が――どこにもない。

>「あ、あああ……!ボクの顔!ボクの右眼!ボクの……ボクの傷が……!なくなってる……!!」

それは、どんな理由でそうなったにしろ驚くべき事だった。
だが――ポチは、何も言わない。
喜びに打ち震える橘音に、何か言葉をかけようとはしない。

>「クロオさん……!クロオさん!見て!見て下さい……!
  ボクの顔……!ボクの眼、ボクの傷が……もう、影も形もないんです!
  ああ……なんてことだ!こんなの、夢みたいだ……!」

けれども――無反応を決め込んでいるという訳でもなかった。
涙を浮かべて、しかし嬉しげに尾弐を振り返る橘音は、幸せそうだった――綺麗だった。
言葉も出ないほどに。

>「嬉しい……!これで、なんの心配もなく堂々とクロオさんに愛して貰える!
  仮面なんかで隠さなくても、ありのままのボクで触れ合える……!」

決して、断じて見惚れている訳ではない。
が、そこには単なる美貌とはまた違った美しさと、尊さがあった。

476ポチ ◆CDuTShoToA:2021/08/11(水) 20:34:57
>「……ああ……良かった。お前さんの傷が治って本当に……本当に良かった!」
>「……けどな、橘音。今のお前さんも綺麗だが――――俺にとって那須野橘音は、いつだって綺麗だったんだぜ?
 俺は、過去も今も今も全部引っくるめてお前を……那須野橘音を愛してるんだ。それはこれからもずっと。永遠に、だ」

橘音が尾弐に抱きつく。尾弐がそれを抱き返す。

「……良かったね、二人とも」

ポチが小さく呟いた。

「さて……これで、僕らが立つ為に手を貸してくれる唯一の候補者がいなくなった訳だけど」

それから少し声を抑えたまま、もう一度床に全身を預ける。全身の力を抜く。

「……ま、いいよね。もう焦るような事は何もないし。忙しいのも、これで終わり」

目を閉じる。

「それに……隣には君がいてくれる。もう暫くこうやって、のんびりしてても――」

>「は? もしかして御幸、死ぬかどうかの瀬戸際なの……?」

ふと、祈の声が聞こえてきた。ポチの眉間に小さくシワが寄る。

「……あー、前言撤回」

>「『未来永劫、君”達”の味方だ!』とかカッコつけといて……なに勝手に死にかかってんだバカァ!
  カッパ先生の軟膏は……塗れるわけねーか。
  橘音は……尾弐のおっさんと良い雰囲気だから邪魔できねーし。あーもう! 勝手に死んだら蹴るからな!」

「……それ、さんせー。勝手に死んでなくても、蹴りに行こうよ。やぁーっと、僕らもふたりでのんびり出来ると思ったのに」

ポチが気怠さに包まれた体を無理矢理起こす。シロに手を貸す。
ポチは、狼だ――犬ではない。
やっと掴んだはずだった望んだ未来をお預けされても、尻尾を振っているような犬ではない。
ポチは、もううんざりと言った口調とは裏腹に少しだけ楽しそうだった。
狼として、当然と言えば当然の事だった――なにせ、次の獲物が決まったのだから。


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