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新エスペラントNEPO*進行中

1ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:18:27
NEPOとは、Nova Esperanta PosteulOの略です。
訳すと、新エスペラント後継者、です。

エスペラントは好く出来た素晴らしい人工言語ですが、
貴方は、次のように思った事はありませんか?

①エスペラントの単語は合成語が意外と少なく、
 ヨーロッパ語をそのままエスペラント化したような単語が非常に多くて、難しい。
②それゆえに、我々非ヨーロッパ人には不利で、不平等だ!

NEPOは、上記の点を改善したいと思ってる新エスペラント構想です。
現在のエスペラント最大の欠陥=語彙面に重点をあて、
「語根を整理、削減する事で民族的な不平等感を減らす」事を目指しています。
このスレで公開活動中です。貴方のアイデア募集中です。
>>2 説明目次

56ベダウリンデ:2009/09/12(土) 09:56:35
>>55
参考ご意見ありがとうございます。
きちんと公的に定義されていれば、それはそれで「使える定義」と思いました。
気になるのは「私の場合」とあるので、エスペラント界で意識統一されてる事象ではない、という事でしょうか?
意識統一が無いなら、各自勝手に母語の影響のもとで使用してしまう可能性が考えられます。
そうなると、表面上は意思疎通しているようでも、本当の意味ではできてない可能性がでてきます。
今のエスペラントでは、とにかく意思疎通できればそれでOKなのですが、
理想の人工言語では、母語が異なっても中身の食い違いが無いようにするにはどうすべきか、考えてます。

愛の反対語は憎しみか、という事を検討していました。
中国六情では、喜怒哀楽に加え、愛悪が追加されます。
愛と悪は反対語である、との理由で並べて追加されたと思われます。(この場合、悪の訳語はにくしみ)
英語でもloveの反対語はhateとなってます。
デカルトは善い対象への気持ちが愛、悪い対象へは憎しみ、として対にしています。
アーノルドは、有益対象へは愛情、有害対象へは憎悪、としています。
愛を基本感情とせず、喜びや幸福をそれに代える学者は、決して憎しみを加えず、嫌悪を加えます。
愛を喜び・幸福という感情に含める場合、憎しみは嫌悪に含まれるのではないか、
というのが私の仮説です。
喜びの反対語は悲しみであるにも関わらず、喜びと嫌悪は密接に関係しています。
英語のhateは日本語訳では、憎しみと嫌悪があてられます。
漢字の悪にも、わるい、むかつく感じ、にくむ、と色々な意味があるようです。
日本語の嫌悪を辞書で引くと、「憎み嫌う、不愉快」なので、憎むという感情を含んでいる。
また、日本語で「罪を憎む」とか言う場合は、憎む気持ちに干渉を伴うとは限らない。

55の案は優れていますが、am-とŝat-は、意味を完全に分離する必要があるのか、と私は思ってました。
分離したとして、みんなが自然に「厳密に」使い分けできるのか。
どちらかがどちらを含む事はできないか、 ŝat-はam-etなのか、それともŝatがamを含むのか、など。。。

57なつ:2009/09/12(土) 16:03:36
>>52
その通り。
分かって頂ければ今までの失礼な談お詫びいたします

58なつ:2009/09/12(土) 16:26:23
sxatiは、
amiが英語のloveとlikeの二つを包含するフランス語のaimer由来であるものに対して
作られた(正しくは新しい概念を付け加えられた)likeの意味の語であり比較的新しい概念の語だと認識しています。
すなわち英語のlikeとloveを分けたい人(イギリス人や日本人)がsxatiをlikeの翻訳に便宜上使うと思っていましたが、どうでしょうか。
おそらくフランス人はami=aimerとしsxatiを使わない傾向なのでは?
それが本来のエスペラントでもあり、物について好き(like)といいたいのであればplacxiを使えば誤解なく問題ないとエスペラント初級を学ぶと思いますが・・
(これは僕の決め付けだったのかもしれませんが。)
それにしても、gxojiとgxuiは僕には何が何やらわかりません。

59ベダウリンデ:2009/09/13(日) 14:57:09
>>58
母語の影響でamiとŝatiの使い方の差が出る、という事ですね。
個人的にamiとŝatiを使い分けたとしても、相手によっては意図が通じない可能性もある、という事ですね。
ReVoにも(ってReVoも古いとか言われそうだけど)元々のŝatiはamiより高い尊敬を意味してたのに、
今はplaĉiと同じになっちゃって、尊敬の意味では他の単語を使うようになった、とありますね。
他の例では、「〜したい」という意味でmi ŝatus 〜と使う例も見るし、ŝatiは混乱の元となってるので削除かな?とも思います。
或いは、amiを「好き」程度の意味で使う事に対して心理的に抵抗のある民族が多数派だったとしたら(現にそうだから意味が変わってきた?)
ŝatiを残してamiは削除でもいいと思います。
削除するにも抵抗があれば、ami=ŝat-egiの特殊な意味、としても良い。そしたらplaĉiは無くしてしまっていいかもしれない。
何を取るかは置いといても、ami(love)とŝati(like)は厳密に区別せず、まとめていいかな、と思いました。

ĝojiとĝuiは、ĝojiは基本感情語として重要ですが、ĝuiは検討を進める必要がありますね。

あと、雑談的に思った事。
英語やエスペラントには「吐き気がするほど嫌い」という単語があるんですが、日本語にはそういう単語無いな〜、というのが不思議でした。
日本語で、最も嫌う単語は「嫌悪」「憎悪」で精いっぱいなんですよ。
なのでエスペラントのabomeniも、日本語にはできないかも。
なんでかな?と思うと、日本って農耕民族で、江戸時代なんかでも町は清潔だった。
西洋は肉食だから家庭で家畜の処理をするのも普通だし、都市なんかも汚物で不潔だったっていうし、
「吐き気する」環境が西洋にはごく身近にあったのかな、なんて思ったりした。
どっちにしろ、「嫌い」という感情にetとegはあっても、
「どのように嫌いか」で単語を分ける必要は無いかも、と思いました。

60ベダウリンデ:2009/09/13(日) 17:33:58
基本感情は、「喜び、恐れ、驚き、嫌悪、怒り、悲しみ」の6感情が、学者達に共通して多く取り上げられる。
エスペラントではĝojo,timo,surprizo,malŝato(malamo),kolero,malĝojo、であろう。

そもそも感情(少なくとも基本感情)が人類に共通(普遍的)なのか、という点では、
ダーウィンの進化論に基づく学派であるエクマン、イザード、プルチック、といった有名どころが支持している。
ただし、感情の表出(表情)は、文化差や性差で異なる。(ごもっとも)
「社会構成主義」とやらでは、感情は社会レベルでの分析の結果、らしい。
国際共通語の立場としては、感情の表出はともあれ、感情そのものは人類に共通してくれてないと、
そもそも国際共通語が成り立たない。よって「進化論学派」を支持するしかない。

プルチックのように、感情を円錐状の立体にする案は応用できるかな、と思ったけれども、
日本人の自分から見ると、円環状のつながり部分が若干不自然に感じられた。
感情を座標上に並べる案は他にもあるけど、概して不自然な感は否めなかった。

また、感情を説明する時「〜した時などの××な気持ち」と書く場合があるが
「〜した時」に表れる感情は文化によって異なる可能性があるため、多用すべきでない、と思った。
例えばこう?
ŝati=senti al io agrabla aŭ bona aŭ bela aŭ inda por vi(好きという感情)
malŝati=senti al io malagrabla aŭ malbona aŭ malbela aŭ malinda por vi(嫌いという感情)

61ベダウリンデ:2009/09/14(月) 16:53:26
心理学入門書に興味深い事が書かれてあったのでメモ的に。
エクマンと意見を対立させてるラッセルは、情緒語を調べ、
「アフリカ人は怒りと悲しみを同意語に用い、サモア人は憎しみと嫌悪を区別せず、
タヒチ人は恥と困惑を区別しない。また、日本人は恥と自責心を区別しない」と述べたという。
確かに、怒りと悲しみは非常に近い感情で、怒りが悲しみになったり、悲しみが怒りになったり、容易に変貌する。
憎しみと嫌悪が近い感情だという感覚も、今まで私が分析してきたとおりだし、恥と困惑が近いのも理解できる。
ただし、日本人は恥と自責心を区別しない、というのは、どーでしょう?
区別できないんじゃなくて、恥という感覚が広くて、その中に自責心も含まれる、というだけではないか。
自分のせいで失敗した事を日本人は恥とみなすけど、西洋人はそうじゃないのかもしれない。
となると、アフリカ人、タヒチ人、サモア人の例でも、感情を区別できないのではなく、広く大きな意味の語があるだけで、
自分の感情を分析して区別すれば区別できるのではないか、と思った。
NEPOでも、広く大きな意味の語を作り、必要ならばその中の特別な意味に単語を割り当てたいと思った。
また、「〜なくらい嫌い」という意味を表す場合、abomeniのような別単語にするのではなく、
(preskaŭ)vome malŝati とか言えばいいと思う。
日本語では「唾棄」という語があるが、それはkraĉe malŝati。
他の民族語でも「〜なくらい嫌い」という表現が他にもあれば、自由に応用でき、表現力も損なわない。
恥や罪悪感という感情については、その要因はそれこそ文化によって非常に異なるであろうので、
定義する時は注意しなければならない。

62ベダウリンデ:2009/09/18(金) 09:01:12
感情語について不思議に思う点。
例えば同じ境遇にさらされても、怒る人と怒らない人がいるように、
感情とは、各個人がそれぞれの内面で感じ取るものである。
エスペラントでは、ĝoji,mal-ĝoji,koleri,timi、は、"senti 〜"と定義される。
つまり、「〜と感じる事」という定義で、主語は、その感情を感じる本人となる。
一方、感情を表す語として、驚き、興奮、興味、等もあるが、これらは
surprizi,eksciti,interesiで、意味としては「驚かす」「興奮させる」「興味を持たせる」となる。
つまり、これらの単語では、主語は、その感情を感じる本人ではなく、別の物となる。
感情とは、個人が内面で感じるものなので、驚きや興味も、感じるのはその人本人の筈である。
同じ物を見ても、他の人も自分と同じく「驚き」や「興味」を持つとは限らない筈である。
なぜ、一部の感情語は、主語が本人にならないのであろうか。
感情語の主語を何にするか、統一しないと不自然ではないか、と思った。

これらの単語を名詞化した単語も、ĝojo,kolero,timoが、その感情を感じてる人の気持ち=感情そのもの、であるのに対し、
surprizoは驚かす行動または驚かす物、interesoは興味を持たせる物、または興味を持った人の感情、
一方、興奮はekscitiĝoとなるらしく、名詞化した時の意味づけもばらばらで、統一性が無い、と思った。

日本語でも、「面白いもの」は、面白がるのは各人であるにも関わらず、物そのものが「面白い」となるので、その点はエスペラントと同じである。
民族語ではこのように表現するのが普遍的なのか、もし普遍的であるとするならば、
喜ぶ怒るなどの感情語と、何を基準にして差異が生じるのか、その点は明確にすべきである、と思った。

63ベダウリンデ:2009/09/20(日) 16:30:03
エスペラントの難点を考えていると、人間の思考の不思議さにも気付かされます。
人間は、自分自身の「感情」と、その感情をもたらす要因となってる「物」を、区別しづらいのではないか、と思いました。
「面白い」は人間の感情であるが、「面白い物」は自分の外部に存在する「物」である。
エスペラントでもfeliĉa「幸福な」の名詞形であるfeliĉoには
feliĉaなsento=感情という意味と、feliĉa okazaĵo=出来事=物、の二つの意味がある。
interesoもinteresasする物と、interesataなsento=感情、と二つの意味がある。

以下、感情語の語根のいくつかについて調べました。
各語根の、動詞形、形容詞形、名詞形の意味を分析し、
それが意味する事は「感情」なのか「物」なのか、分類してみました。
動詞形は、自動詞的な意味をもつもの=senti〜 と、他動詞的な意味をもつもの=他者を〜する の2タイプに分かれます。
形容詞形は、「感情」を形容する場合(mi estas 〜a, 〜a mieno, 〜a homo)、「物」を形容する場合(〜a aferoなど)、と分けられる。
名詞も、「感情」そのものを指す場合(〜なsento)と、その感情をもたらす「物」(io,ago,situacio,okazaĵo)を表す場合とがある。

おそらく辞書により定義が異なるであろうと思われますが、主にReVoに従いまとめました。

64ベダウリンデ:2009/09/20(日) 16:42:55
感情語語根------------------------------------動詞形(-i)-------形容詞形(-a)----名詞形(-o)
ĝoj/i(koler/i,kompat/i ktp)-------------------自動詞型-----------感情----------感情
plezur/o(abomen/o)----------------------------自動詞型----------------物-------感情
feliĉ/a----------------------------------------------------------感情-物-------感情-物
trankvil/a-------------------------------------------------------感情----------感情
interes/i-------------------------------------他動詞型----------------物-------感情-物
surpriz/i(amuzi)------------------------------他動詞型----------------物------------物
ĉagren/i(ted/i)-------------------------------他動詞型----------------物-------感情
embaras/o-------------------------------------他動詞型-----------感情-物------------物

以上の様に、感情語は、動詞化した時に、自動詞型と他動詞型に分かれるのに加え、
形容詞化・名詞化した場合も、感情を意味するのか、物を意味するのか、が、単語によりバラバラに定義されている、
という事が分かる。

65ベダウリンデ:2009/09/20(日) 17:03:52
このような事象は、エスペラントに甚だしい不規則性をもたらしている、と言える。
我々が学ぶ場合も、いちいち正しく覚えなければならないので非常に負担である。
おそらく、民族語の影響であろうが、せっかくの人工語なのだから、びしっときっちり、例外なくしたらどうだろうか。

例えば、感情語は全部、基本的に形容詞として定義し、表、上から、
「喜んでいる状態」「楽しんでいる状態」「幸福を感じてる状態」「平静な状態」
「興味を持ってる状態」「不意をつかれ驚いてる状態」「困ってる状態」「当惑してる状態」
と、意味的に統一する。
-iĝiを付ければ「〜な状態になる」。-igi=「他者を〜する」。
名詞化した場合は「〜な感情」を主な意味とし、場合によっては、同時にその感情の要因となってる「物」も意味する、とする。
「物」である事を明示したければ、-aĵoとする。

この点については、今回はこれ以上掘り下げず、「案」という段階で終わらせておく。

感情語とは不思議なもので、自分の感情とその要因を区別できない他に、
人間には「共感力」があるんだなあ、と痛感させられた。
人間は、自分の感じる感情と同じ感情を、他者に対し-igiする事ができる。
また、他者から何かされた時の感情を、自分一人でも感じる、つまり、-iĝiもできるのである。
人間の「共感力」が、感情語を複雑にしたのかもしれない、と思うと面白い。

66ベダウリンデ:2009/09/24(木) 17:14:36
迷ってるのは感情語のベースを動詞にした方がいいのかどうか、です。
エスペラントは、品詞語尾の付け替えで品詞は何にでもなるけど、ベースの品詞が何であるか、重要なようです。
形容詞は状態を表しますが、分類すると、純粋に客観的な状態(赤い等)と、主観で判断した状態(美しい等)、
感情と結びついてる状態(楽しい等)、とに分けられ、その区別が非常に難しいです。
例えばagrablaは、物を形容し、「快い物」となります。
日本語の感覚では、「快い」は感情語のように思いましたが、「私はagrabla」とは言わないようです。
なのでagrablaは主観で判断した状態、と言えると思いました。
trankvilaは「私はtrankvila」と言うので、感情の状態です。
これらの違いの判断は非常に難しいです。
感情と結びついた状態は動詞化すると、その違いが明確化するかもしれない、と思いました。

67ベダウリンデ:2009/09/25(金) 10:27:34
主観で判断した状態も、感情に密接してるレベルと、感情から比較的独立してるレベルとがあります。
agrablaは、感情密接度がかなり高いので、感情語とみなしても良いようにも思います。
ある物をagrablaだと思うのは、それを見た自分の感情がagrablaになるからです。
malĝojaな物は、それを見た自分がmalĝojaになるからです。それと同じ意味で。
gaja,viglaも主観で判断した状態ですが、感情密接度は低いです。
なぜなら、ある物(人)をgaja,viglaだと思っても、それを見て自分もgaja,viglaになるとは限らないからです。

このように、エスペラントでは、感情語の品詞が統一されていないので、非常に分かりづらいです。
感情語は感情語であると明示的に定義して、どれも動詞(自動詞型)として同じ扱いでまとめてくれれば、分かりやすかったと思います。
感情語にはこれこれがあって、動詞ならこういう意味、形容詞化すればこういう意味、とはっきり決まってたら、何と使いやすいか。
人間の感情なんて大体決まってるから、今の状態に一番近い感情語を選択すればいいと思う。
せっかくの人工語なのだから、語彙の意味まで統制して使いやすくしてほしかったな、と思います。

68ベダウリンデ:2009/09/29(火) 09:14:19
「困る」という意味で使われるĉagreni, ĝeni,embarasoの区別がつかなくて「困って」います。
ReVoでは
ĉagreni=誰かの意図や希望に反対して、その人に不愉快を起こさせる。
日本語では「悩ませる, 困らせる, 苦しめる」

ĝeni=①誰かの動作を邪魔する、誰かに対し不便にする、居心地悪くする。
===②道徳的に邪魔して誰かの行動や決意を困難にする。
日本語では「邪魔する, 厄介をかける, 気を使わせる」

embarasi=①物理的な邪魔をして、誰かの動作や行動をĝeniする
===②誰かを、簡単に抜け出られない状況に置く。
日本語では「(動作を)妨げる, 迷惑をかける, 当惑させる」

どれも迷惑をかける側が主語になる「他動詞型」で、名詞形は、邪魔となる「物」を表します。
日本語訳を見ると、まったくもって区別がつきませんが、
自分なりに区別してみると、ĉagreniは故意や悪意を感じ、やられた側も苦痛が大きい?
ĝeniは「気をつかわせる」的な意味に使う場合が多い? 意味的には軽い?
embarasoは英語のembarrassだとすると意味がはっきりする。「当惑、決まり悪い」という意味。

69ベダウリンデ:2009/09/29(火) 09:31:37
3語の意味が漠然としていて区別が曖昧です。
「邪魔する」という動作だけを表したいなら、malhelpiで十分です。
ĝeni①、embarasi①は不要です。何でmalhelpiして、その結果相手がどうなるか、は文脈で分かります。
「やられた側の感情や状況」まで、意味の中に持ち込もうとしているから、単語が複雑化したんだと思う。
「気を使う」とか「当惑する」とか、その本人にしか分からない感情だと思う。
その感情を抱いてる本人を主語とする自動詞ではなく、他動詞にするから不自然なんだと思う。
だって、敢えて「気を使わせてやる」「当惑させてやる」なんて、普通、思いますかね?
相手が気が回らないから、こっちが余計に「気を使う」んじゃないですか。
それに「当惑」だって、こっちに悪気は無くても、本人が勝手にするんじゃないですか、普通は。
感情語と動作語は、きちっを分けてほしい。

70ベダウリンデ:2009/09/29(火) 09:52:40
「気を使う」「当惑する」を「気を使わせられた」「当惑させられた」と
被害者意識をこめて表現する民族の割合は多いのでしょうか?
他の民族語について知らないので、是非とも知りたいですね。
少なくともヨーロッパ系は、被害者感情で表現する、という事でしょう。
民族語は自然に発展したものだから文句は付けられないですが、
人工語では「妥当な表現」に修正する事が可能です。
感情の表現として、被害者意識で表現するのと、相手には関係ないけど自分はこう思った的に表現するのと、
国際語ではどっちがふさわしいでしょうかね?
被害者意識は出さないでいた方が、異文化交流には無難だと思うのですが。

71ベダウリンデ:2009/09/30(水) 09:24:34
感情語の定義は、おそらく、人工言語を作る上で、最も難しい点なのではないか、と思いました。
私は人工語一般には興味が無いので、他の人工語ではどうやってるか知りませんが、
感情は、目に見えない事象である点、論理で説明できない点、各民族語で定義の分け方が全く異なるであろう点、
などの理由で、定義が非常に難しいと思う。
西洋語(またはその他の自然語)を簡略化してそれでよしとする人工語ならば、特定の民族的な言い方に偏っても良いのですが、
仮にも「言語的な中立」を掲げるならば、最も苦心する箇所だろうと思うのですが。

そもそも、「気を使う」という繊細な感情が、日本と同じ意識で他民族も意識してるのか、疑問になりました。
もちろん、どの民族の人だって、他人に対し良かれと思う事を、言われる前に率先して行う(つまり気を使う)事はするでしょう。
でも、和英辞典を引くと「気を使う」は「人に対して常々親切な、思いやりのある」という単語を使え、とありました。
言われてみれば、「気遣い」と「親切・思いやり」の差って何でしょう。はっきり説明できないです。
強いて言えば、「親切」は自分から進んで行い、自分も豊かな気分になるけど、「気を使う」は、実は気が重い、嫌々ながらやる感じ?
世界には、旅人を「心から」もてなす民族がいるみたいですが、そういう民族は「気を使う」のでしょうか?
いつも「親切」になれるのかな?
英語やエスペラントで、「気を使う」という単語が単独で存在しないのは、日本的な「気遣い」の感覚があまり無いのかな?
そうならば、日本的な意味での「気を使う」はどこに分類したらいいのでしょうか?「迷惑をかけられる」「親切にする」「世話する」?

72ベダウリンデ:2009/10/02(金) 10:28:59
「エスペラントで感情は表現できるのか?」は、よく聞かれるエスペラント批判です。
エスペラントにだって「怒る」とか「喜ぶ」とかいった感情語はあるので、私は今までは「感情は表現できる」と思ってました。
でも厳密に言えば、各民族特有に存在するであろう繊細な感情レベルまでは、正確に伝えるのは難しいかもしれませんね。
まあ、それを言ったら、英語で日本人特有の感情を伝えるのも難しいだろうし、何もエスペラントに限った話ではない。
そもそも文化の根底が異なれば、価値観だって違うし、全く同じ感情を共有してると思う方が勘違いかもしれない。
民族語ならば、感情語もその民族の感覚に合われて使いこなすのが正しい用法でしょうが、
エスペラントには、お手本とすべき「特定の民族」は、理論上存在しない。
ここはやはり、感情語はできるだけ大雑把に区分し、どの民族も平等に、自分の感情を大雑把に言ってもらうのが良いと思う。
それでは「エスペラントでは感情の表現はできないのではないか」となりますが、
幸い、人間には「共感力」があるんですよね。

私がエスペラント文を読んで、ĉagreno, ĝeno,embarasoのいづれか一つが出てきたとする。
私はその用法の正確な使い分け方を知らない。
でもシチュエーションは分かるから、日本語で言うと大体こんな感じで「困って」るんだろうな、と想像はできる。
感情が想像でき、共感でき、感動だってできる。
感情の単語が厳密に分からない癖に感動できるって一体どういう事なのか、と。
基本感情語をキーワード的に置いておけば、かなりの部分、読者が補って理解してくれちゃうのでは、と。
それでいいんじゃない?と。
対面の会話なら、表情が見えるので尚更「感情語」なんて必要ないでしょう。
表情で伝わるのは、基本感情的なものだけだろうし。

73ベダウリンデ:2009/10/06(火) 11:05:28
学問疎いんですが、NEPOでやろうとしてる事は、言語学で言うと「意味論」のジャンルかもしれないですね。
言語学にも色々ジャンルがあって、音韻論とか統語論(文法の分析?)とかは研究も割と進んでいるみたいですね。
意味論は、学問的にも難しい領域なんだろうなーと思う。
今までの「エスペラント改造論」は、音韻(LとRの区別をやめろ、とか)や文法(対格なくせ、とか)のレベルに止まっていたと思う。
それはきっと、言語学で完成したジャンルがそこまでだからなんだ、と思った。
意味論レベルでの改造って未開拓の分野で、実はものすごーく高度な事かもしれないですね。

『対論 言語学が輝いていた時代』の中で、エスペラントに懐疑的な鈴木氏は
「地球環境が均一でない以上、人類の言語が一種類になるはずがない」と言い、
「(エスペラントは)単語同士がほとんどイコールでつながってる欧州六カ国語対照辞典的な発想」なので
「そこにアジア語、日本語が入ると意味論的なギャップが大きくなる。私のエスペラントの世界性に対する疑問がそこにある」と言う。
それに対してはエスペラント支持派の田中氏も「エスニックな固有性の部分が一番弱いところ」と認める。

鈴木孝夫さんは著書「ことばと文化」(1973年の古い本です)の中でも次のように述べている。
「私の考えでは、日本語を、そして日本的現実をはかる尺度は、日本語それ自体、日本的現実それ自体に求められるべきだと思う。
もし西欧起源の尺度と対比させ、普遍化を目ざすならば、それは両者を共に含み、共に説明できる一段高い次元に於いてのみ可能」
と言っている。そうなんです、そういう高い次元での普遍化を、私は新エスペラントに求めているのです。
でないと鈴木氏の言うように「西欧の尺度を流用しての安易な普遍化」にすぎないし、そんな言語が「共通語」なんて嫌なのです。

74ベダウリンデ:2009/10/08(木) 10:07:24
挨拶語について
挨拶とは、『人と人とが出会ったときや、別れるときに交わす儀礼的な動作や言葉。また、その言葉を述べること。』(goo辞書)
エスペラント語ではsaluti=礼儀正しい身振りで、誰かに尊敬や行為を示す(ReVo)
salutiの定義には、「出会った時」などの使用場面の定義が無いのですが、日本語の定義と同じような場面で使用されると想定します。
挨拶は、動物の仲間同士が出会った時の、「敵じゃないですよ」と示すサインと同じ所から発達したと思われるので、
おそらく人類でも、普遍的に行われるでしょう。
でも、その表現方法は、各民族で異なっている。
日本語では「こんにちは(良いお日柄ですね)」。ヨーロッパ語一般では「良い日」。
他には「貴方の上に平安あれ」「もうご飯食べましたか」「どちらへお出かけですか」などなど。
未知の民族が一体どんな表現で挨拶してるのか、全く想像もつきません。
が、それらをひっくるめて、抽象的に「挨拶」=salutoと言います。

saluti(o)は抽象的な意味の単語です。エスペラントでは、この抽象語を用いてsalutonと挨拶します。
「挨拶を」という意味です。民族のオリジナリティを超えた抽象単語を用いて「挨拶」を表現するのです。
抽象語なので、相手への具体的な思いやりなどは、一切感じられません。
しかし、抽象的=普遍的=民族的差異の克服です。
私は人工語には、既存の民族語では不可能な「普遍性」を求めるので、salutonという表現を高く評価します。

エスペラントにはBonan tagonという言い方もありますが、
これはヨーロッパ一般の表現(ヨーロッパ民族以外でも同様の表現をする地域もあるが)の直訳なので「普遍性」がありません。
NEPOでは、Bonan tagonでなく、Salutonを、出会い時の挨拶用語として固定したいです。

75ベダウリンデ:2009/10/08(木) 11:07:17
狭い意味での「挨拶語」の他に、コミュニケーションを手軽にする短い決まり文句が必要です。
日本語で言う「ありがとう」「ごめんなさい」「おめでとう」などの類です。
そういう言葉で何が必要か考えると、①感謝とその返礼、②謝罪とその返礼、③許可を求める言葉と受諾と拒否、④勧める言葉と受諾と拒否、⑤おめでとうなどの祝辞とその返礼
他にも⑥頑張れなどの励まし⑦よく来たねなどの歓迎の意、⑧その他、日本的ですが、いただきます、おかえり、ただいま、おじゃまします、などなど、考えられます。

エスペラントではsalutonの要領での決まり文句が他にも既にあります。
①感謝=danko なので、ありがとう=dankon
⑤祝辞=gratuloなので、おめでとう=gratulon
②誤る言葉pardononについては、若干検討します。
saluton,dankon,gratulonは、話者が聞き手にsaluto,danko,gratuloを「渡す」のですが、
pardonoの意味は「許し」なので、pardononは、話し手は聞き手からpardonoを「受ける」のです。
でもまあ、pardononはpardonoを下さいの略、と考えて、現状でよし、としましょうか。
もしも、-onという挨拶語を、話し手が聞き手に「言葉の意味を渡す」と意味に統一して定義すれば、
渡すべきものは「謝罪の意」なので、pardon-peto=許しを請う事を、聞き手に「渡す」べきです。
或いは「許して下さい」という命令形で表現するなら、全く文句なかったです。

⑥「頑張れ」は色々な言い方が考えられる。「勇気を」「努力を」「幸運を」などなどを、あなたに祈る、とでも言うのでしょうか。
励まし方には色々民族性が出そうなので、「励まし」という抽象語をあなたに「渡す」と考えれば、「普遍的」かもしれません。

76ベダウリンデ:2009/10/09(金) 09:37:31
salutiの定義は、日本式の「挨拶」で考えるのか、ReVo式の「敬意を示す」で考えるのか、きちんと決めなければなりませんね。
日本式なら「出会ったときや、別れるとき」なので「さようなら」もsalutonになります。
ReVo式は時点を定義してないので、出会い別れと間の、何らかの時点でも必要ならばsalutonと言っていい事になります。
日本式定義に従って「さようなら」もsalutonにしたら、現実問題として支障が出るのは必須です。
ReVo式に、salutonを「敬意の表明」とすると、日本人感覚での「礼」も、言葉で言えばsalutonになります。
昔の日本人のように会話中に何回もペコペコお辞儀したり、何かのイベント開始時・終了時に「礼」したりも、
言葉ではsalutonとなるのでしょう。
しかし、現代社会の、特に国際交流では、「敬意の表明」は、出会いの開始時に一回行えば十分です。
そうすると、今のsalutonの使い方に近くなります。
もちろん、開始時以外であっても「敬意を表明」したければ、個人の自由で随時salutonと言って良いとします。

日本人のイベント開始時・終了時の「礼」は、言葉にすると、「お願いします」「ありがとうございました」かもしれません。
「ありがとうございました」はdankonでいいけど、「お願いします」はエスペラント訳しにくい。
この場合、イベント開始時に改めて「敬意を表明」するという意味で、salutonと言えば良いと思う。
エスペラント会でも囲碁はさかん(?)だと聞きましたが、対局の前には何と言って挨拶してるのでしょうか?
私の理屈ではsalutonですけどね・・・

77ベダウリンデ:2009/10/13(火) 10:10:47
「励ましを」という意味での決まり文句を考えていたのですが、いいのがありませんね。
日本語では『励まし』は『励むようにする』『励む』は『気力を激しくする』。
エスペラントで言うと、kuraĝigi勇気づける、が最も近いかもしれない。
だったら、頑張れ=kuraĝonでもいいんだけど、なんか、もうちょっと意味の深みが欲しい。
「勇気」を出して、できるだけ「努力」して、なお且つ「幸運」にも恵まれ、しかもそんなに自分を追い詰めず「気楽に」、その結果「成功を」あなたに望みます、
というような便利な言葉があったらいいのに。
そんな単語、日本語にもエスペラント語にも英語にも無い。でも便利ならば新しく作っても良いと思う。

言語の文化とは何でしょう? その言語で文学が存在する事? それだけではないと思います。
人間の身の回りに存在するあらゆる具体抽象を、適当に切って意味づけしていくのが言語です。
存在自体には区切りは無いけど、その切り方が言語によって異なるから、
同じような意味の単語でもよく調べると、言語によって細かい意味づけが違っていたりする。
そういった「区切り方と意味づけ」が言語の文化なのではないか、と思う。

その民族しか理解できない微妙なニュアンスを持つ単語が存在するという。
俗説承知で例をあげると、日本語の「もったいない」、韓国の「ハン」、ポルトガル語の「サウダージ」などなど。
エスペラントにもそういうのがあってこそ「文化がある」と言えるのではないか?

エスペラントにも「カベる」「ワニる」など、独自で生み出した言い回しがあるから文化があるんだ、という説は聞く。
でもそれって、業界用語、陰語のレベル。これを「文化」などと言うには気恥ずかしくないだろうか。
「カベる」「ワニる」という単語に、エスペランチストにしか理解できない微妙なニュアンスがあるとは思えない。
もしあったとしても「侮蔑」というニュアンスを超えるものではないと思う。
「カベる」「ワニる」は、エスペラント運動に対して負の行動をする者に対する揶揄の言葉である。
そんな陰湿な単語だけが「エスペラントにも独自の文化があるよ、ほらこのとおり」では寂しすぎる。
国際語としてコミュニケーションを円滑にするような、プラスの意味での独自の単語があれば、威張っても良いと思う。
その意味で、エスペラント版の「頑張れ」を、そういう言葉として新たに作ると良いと思う。

78ベダウリンデ:2009/10/19(月) 09:52:57
鈴木孝夫さんの説のパクリなんですが、日本語は音韻数が少ないので、単語(=音韻の組み合わせ)の数が制限される。
つまり、日本語(やまとことば)では単語が少ししか作れないから、一つの単語の表す意味が広くなった、という事のようである。
例では、日本語の「なく」は生物が音を出す事全部。「なる」は無生物が音を出す事全部。英語では動物の種類ごとに「なく」単語が異なる、という事だ。
つまり、音韻数の少なさが幸いして(?)、日本人は物事の概念を広くとらえる習性を持つようになった。
あるいは逆に、概念を広くとらえてたから、音韻数を増やさなくてすんだ、とも言えるのか。
まあ、相乗効果なんでしょう。

NEPOは意味論的な改造が主体のエスペラント改造で、単語の「意味」の変革が主たる目的です。
やまとことばの「なく」のように、単語の概念を広げることで全体の単語数を減らし、それにより学習者の負担を減らすのです。
その意味では、日本人の概念の分け方は、NEPOの参考になると思いますね。
てゆうか、意味論での異議申し立て自体、日本人にしかできないかもしれません。

79ベダウリンデ:2009/10/19(月) 10:54:55
例えば、日本語の「言う」は、広辞苑では「必ずしも伝達を目的とはせず言葉や音声を発する表出作用をいう」とある。
つまり、「ぶつぶつ言う」「きーきー言う」など、伝達を目的としないような発声も「言う」で言える。
和英で「言う」を引くと、tell,say,talk,speakなどがある。
エスペラントでは、say,tellがdiri、talk,speakがparoliのようです。
ここで気になるのは、英語やエスペラントに、日本語の「言う」と同じ意味の単語(つまり必ずしも伝達目的で無い発声を含む)があるのか、という事です。
paroliは初心者風に訳せば「話す」なんですが、日本語の「話す」は「言う」より狭い意味です。つまり「伝達目的」が前提です。
ReVoを見ると、paroliの一番目の意味は「自分の音声器官を機能させる」なので、「言う」に近い広い定義となってます。
せっかく定義はありながら、日本語の「言う」のような有効活用はされてないのではないか、と思いました。
初心者風の勘違いかもしれないですが、talk,speak,paroliは、日本語の「話す」の意味、
つまり、ちゃんとした言葉で表現する事が前提になってる様なイメージが、あくまでイメージですが、あるんですよ。
ぶつくさぐだぐだ「言う」ような、曖昧な発声をする「言う」の意味では使いづらい気がする。
実際使いづらいから、grumbliという別単語があるのかもしれないし。

単純にvoĉi(”声”の動詞化)を日本語の「言う」みたいな広い意味で使えばいい!と思ったけど、
voĉi=voĉdoni(投票する)なんだって。そういう「変な点」を変えたいよなーと思う。

80ベダウリンデ:2009/10/23(金) 12:52:06
仮にvoĉiという単語を「発声する」という意味で使えば、
声が大きいか、小さいか、高いか、低いかという発声方法に主眼を置いて、
様々な発声に関する単語を網羅することができる。
大きい発声=叫ぶ、どなる、わめく
小さい発声=つぶやく、ささやく
高い発声=金切り声
低い発声=どすをきかす
voĉiには独り言的な発声も含み、paroliは内容を伴って相手に伝える事と定義すれば、
小さいvoĉiはつぶやく、で、小さいparoliがささやく、と意味を分化する事ができる。
どすをきかす時も、一人で「ゴルア」とか言うだけならvoĉiで、内容が伴う時はparoliとすればよい。
それプラス、話し手(その発声を聞いてる人である場合が多い)の感情も入れられると良い。
現在は-aĉは「粗悪」を示す接尾辞であるが、「話者の不快感」を示せると良いと思う。
高い声には良い声も悪い声もあるけど、キーキー言う声は聞き手に不快なので
高いvoĉ-aĉiと言えば分かりやすい。

81ベダウリンデ:2009/11/02(月) 17:00:57
-aĉを「話者の不快感を示す」という意味にすると、用途が広がると思う。
別掲示板で見かけた意見で、abruptaとsubitaの違いが分かりにくい、とあったけど、
abruptaを「不快にsubita」つまりsubit-aĉa、とすればいいと思う。
また、「やせている」という語もmal-dikaだけでなく、
「ほっそりした」とか「貧相な」とかいう意味で、それぞれ別単語があるらしいです。
それらも、話者から見てみっともないと思う痩せ方には-aĉを付けてmal-dik-aĉaとし、
美しいと思う痩せ方には、別の接辞をつければいいと思う。
「太ってる」も同様で、日本語で「ふっくらした」と言いたいなら、「美しい太り」と表現すればいい。
嫁入り前の女性を小屋に閉じ込めて食べさせて太らせる民族もいるというので、そういう場合も「美しい太り」と表現してもらえれば意は通じると思う。
日本人の感覚では「ふっくら」じゃなくて「ぶくぶく」じゃん、という肥り方かもしれないけど、その民族が美しいと思うなら「美しい太り」なのです。

つまりまとめると、「時間的な唐突性」とか「サイズ的な太さ」は、話者の気持ちを含まない、あくまでも物理的な視点での言及とし、
話者の価値観・感情は接尾辞で付け足す、という案です。

82talisker:2009/11/05(木) 22:19:10
ご苦労様です。
スレを頭から読み通した印象としては、エスペラントの意図的なピジン化を目指しているのだろうか、と感じられました。
>>3 で不満の具体例を述べておられますが、実際の作業?は真っ先にあげた不満の解消とは別のところから取りかかっておられるんですね。
あくまでも不満の一例でしかないからということなのでしょうか。
不満の主要点としてヨーロッパ由来の語が多いことを槍玉に挙げておられますが、こうしよう!と作り上げた俺様語的な合成語もまたヨーロッパ由来の基本語の組み合わせなんじゃないでしょうか。
結局のところ、あれこれと頭でっかちな理屈を述べるわりには、わけの分からない変種表現を増やしているだけに思えてなりません。
そもそも欧米からの脱却とやらを目指すのであれば、非欧米圏のエスペランチストにここで出している珍妙な合成語の代案を実際に使ってみて、説明抜きで疎通するか検証しないんですか?

83ベダウリンデ:2009/11/06(金) 09:46:36
>82
ご意見ありがとうございます。スレを頭から読んで頂いただけで御苦労さま、感謝です。
>エスペラントの意図的なピジン化
ピジンじゃないですよ。ピジンはあくまでも自然発生言語で、文法規則等が確立してない状態の言語です。
NEPOは人工語なので、規則性は人工的に作りますし、それが目的です。

>実際の作業?は真っ先にあげた不満の解消とは別のところから取りかかっておられるんですね。
そうなんですよ。手のつけやすい箇所&自分の関心のある箇所からやってます。
でも根本は同じですよ。多すぎる語根の削減と、ヨーロッパ人だけが語感的に理解できるという優位さの解消、です。
職業名は-istで統一したいな〜等という事は、今でも頭を巡らせているのですが、なかなか難しいのです。
そのあたりもそのうち書きたいのですね。なにしろテーマが壮大なので、思った以上に大変なのです。

>こうしよう!と作り上げた俺様語的な合成語もまたヨーロッパ由来の基本語の組み合わせなんじゃないでしょうか。
基本的に既存のエスペラント語根を使っています。(エスペラントの遺産を継承して分かりやすくするためです)
故にヨーロッパ由来の基本語の組み合わせになります。エスペラントが元々そうですから。
エスペラントの悪い点は、単語の意味までも、ヨーロッパ人が暗黙に理解できる定義にしてしまって、
説明も十分ではない、という点です。私が分かりにくい、と思う点はそういう点なのです。
>説明抜きで疎通するか検証しないんですか?
既存のエスペランチストは、今のエスペラント語を信奉して満足してる人がほとんどですから、
馬鹿にされて終わりなのが目に見えてます。「理屈」というより「信念」で受け入れられないでしょう。
もしも同じ趣旨の人がいるならば、相談してみたいです。

最近の言語学では、ものの考え方や概念など、人類の普遍的な部分と、民族文化に依存する部分がある、と
だんだん分かってきたみたいなのです。(言語学は入門書読んでる段階)
人類普遍的な部分だけを学術的に抽出すれば、そこから人工言語ができそうだし、
なんで無いのかな、と思いますが、何十年か後にはほんとに誰かが作りそうだな、とも思います。
それは「エスペラント」から離れたものかもしれないけど、私の理想と同じものです。

84:2009/11/06(金) 17:20:27
-istの「主義者」という意味は世界中に浸透してるので分離は難しそうですね。

85なつ:2009/11/08(日) 00:40:14
感情語は今の僕には発言できるレベルではありません。
特に語彙の取捨選択。
ただ、たとえば英語で「退屈だ」は
私は退屈だはboredで動詞受身、あれは退屈だはboring形容詞
あるいは、
それは、interestingだ。に対して、私はinterestedだ。です。
中学校で習う英語です。
つまり、私はinterestingだって言うと、「自分は興味深いと思われる存在である」ってなる。
退屈だなあって思って「私はboring」っていうと「自分は退屈と思われる存在である」ってなる。
自分は動詞受身であるべきで、be+形容詞にしてしまうとおかしくなるわけです。
でも「私はam angry」(形容詞)で怒っているを表します。不規則なんですよね。
あるいは「私はam enjoying」(動詞)です。
これはNEPOではぜひ統一すべきですよね。
esti 形容詞、igxi、igi等で・・・
少しでたので・・○○の人を意味する語はエスペラントでは区別しすぎなんじゃないかと
これ、以前言った感じがしますが・・uloなんているんですかね。
いや逆にuloを「○○って人」っていう意味ですと、なんでもこれ一つで当てはめられる気もします。
istoなんて廃止したらどうでしょうかね?職業人限定語なんて造語豊富な漢字も基本ありません。

>>-istの「主義者」という意味は世界中に浸透
世界中!!!!!!!!!
おっと、ここにも世界=ヨーロッパと思っている人発見
日本の欧米奴隷主義こそ浸透して気持ちの悪い

86なつ:2009/11/08(日) 11:03:20
vocxiを発声行為すべてに適応するのはとてもいいことだと思います。
vocxiに接辞を付けたり、副詞を置いたり。
「言う」系もですし、「話す、会話する」系もvocxiでいいんじゃないでしょう。
alvocxiやkunvocxiやintervocxiなどが考えられます。

87ベダウリンデ:2009/11/08(日) 16:20:01
なつさんは大胆派だから、意見も自由で面白いですね。
私も目標としてはなつさんのように大胆にばっさり切りたいのですが、慎重派なんだと思います。
これは切っても安心だと思われる周辺部からちょこちょこ切ってる感じですね。
見る人によってはもどかしいかもしれないですね。

>>-istの「主義者」という意味は世界中に浸透してるので分離は難しそうですね。
英語の接尾辞-istは、エスペラント同様に、専門家とか主義者とかの意味も含み、
他にも、…する人、…に関係してる人、…の性格の人の意味を持つようです。
日本語でもピアニスト、ロマンチスト、等と言うではありませんか。
〜イスト=〜主義者という思い込みは、逆に偏ってます。
また、英語でも-istは接尾辞であるので、「分離」は簡単です。

私が困っているのはistのつかない職業名です。(ist残すか否かは別にして)

例えば、外交官はdiplomat-oで、外交(名詞)はdiplomati-o、明らかに同根の単語なのに別語根の扱いです。
それでいて、「外交する」という動詞は無いんですよ。
「外交する」という動詞があれば、外交官も外交も一つの語根から派生できるのに。
例えば、外交する=diplomat-i、外交官=diplomat-isto、外交=diplomat-o。
これでもいいんですけど、いいのかなーこれで、的な躊躇も。上手い案、無いですかね?

88なつ:2009/11/08(日) 23:17:55
外交「diplomatio」というのがありますから、
外交する「diplomatii」でいいんじゃないでしょうか。
外交官は「diplomatiisto」とする。
これだと今の語根を使いしかも1語根(diplomati)で間に合います。

同じように
filozofo「哲学者」に対して現行エスは、
filozofio「哲学」。これまた2語根つかってわけがわかりません。
これもfilozofiistoで対応可能でしょう。

vocxiは「発声行為すべて。声を出す行為全部」としたら説明は容易になると思うのですが。
これは、「聞く」auxdiは聴覚一般すべてを包含していて「聴く」としたいのであれば
alauxdiなどにすればいいし、
「見る」vidiは視覚器官が受け止めるすべてを指し、「観る、視る」としたいのであれば、
alvidiなどにすればいい、というのと同様です。

89ベダウリンデ:2009/11/09(月) 16:50:12
>外交する「diplomatii」でいいんじゃないでしょうか。
外交官diplomat-oが元来の語源で、それからの派生が外交diplomati-oではないか、と思ったのです。
哲学者=filozof-o→哲学=filozofi-oのように、先に「職業名」が有り、職業内容はそこから派生されたのではないか、と。
ところが、-istoという接尾辞は、先に職業内容が有り、そこから派生される職業名なので、順番が逆になります。
-istoを付けるために、diplomat-oから派生したdiplomati-を語根として採用し、本来の語根であったdiplomat-を破棄するのは、
なんか順番が違うようで、それで悩んでいたのです・・・
この悩みは、エスペラントが、設計理念である造語体系に馴染まない西洋語を安易に採用した結果から生じてると思います。
エスペラントの負の遺産だな、と思います。

まあ、理屈は置いておいて、我々の分かりやすさを重視すれば、
diplomati-を語根として採用し、diplomat-は破棄した方がいいかもしれませんね。
哲学者もfilozofoなんて言わないで、filozofi-istoにした方が、長くはなるけど、反面耳で聞いて分かりやすい。
「哲学する」も従来通りのfilozofi-asの方が、filozof-asより、フィロゾフィーという音が強調されて分かりやすいですね。

ここには書かないで悩んでいましたが、書いてみると視点が新たになりますね。

vocxi、auxdi関係は、最終的にはそうなってもいいと思いますね。まだ検証はしてないですが。

90なつ:2009/11/10(火) 20:57:42
なるほど、そういう意図だったんですね。
確かに、外交官、哲学者という語がはじめにありきの語幹と派生語幹であり、
負の遺産です。istoとは造語法が逆なんですよねえ。

vocxi、auxdi、vidiは検証しても大丈夫だと思うんですけど・・・
vocxorganoは「くち」でしょうかね

91ベダウリンデ:2009/11/11(水) 10:30:06
auxdi、vidiは、今のところ、問題は思い浮かびません。
vocxiに関しては、「声を発する」をいう広い意味にして、
vocxiの中の「言葉として相手に通じるように発する」という意味は、diriだけでも残しておいた方がいいのではないか、と今は思っているのです。
理由は、言葉は人間だけが持つ能力で、人間にとって非常に重要な要素である、と思われるからです。
vocxiだけだったら猿でもできる。或いは動物が鳴く、吠える事もvocxiに含めていいかもしれない。それと区別してdiriは残す。
絶対こうあるべきだ、という強い主張ではなく、個人的な意見です。一人の意見で決まる事ではありませんから。

vocxorganoは「くち」、は問題ないと思います。

同じ趣向を理解できる人が、もー少しいたらいいのになーと思いますね。
言葉について深く考えるきっかけにもなるし、考えてみると面白いものですよ。

92なつ:2009/11/11(水) 23:21:04
僕は、もともと
言う、話す、会話する、しゃべる、diri、paroli、say、talk、speakなど、
diriすべてがそれらを包含するという考えでした。
それは、vocxiでもいいなという考えでした。
それは動物などの声を含めるかどうかというのは考えていませんでした。
diriは人間唯一のものであるという意味にしては、という検討ですね。
なるほど、それは考える余地ありですね。

もう少し考えが同じ人が増えればいいんですけどね。
僕はエスペラントを学んで必然的な帰結であり、
日本人がエスペラントを学べば必ず至る帰結だと思ったんですが・・・

93なつ:2009/11/13(金) 15:06:13
勘違いを生むかもしれないので訂正
「diriすべてがそれらを包含するという考えでした」
→「diriすべてにそれらを包含させよてもいいかなという考えでした」
vocxiには、その包含したdiriよりもさらに広い概念になりうるわけです。
人類以外の動物のものまで含ませられるという点で。
じゃあそうしてもいいんじゃないかなと思うのです。diriすら不要でvocxiで。
すべての生物の発声・発音行為をvocxiで。僕には、
新聞で「誰々が〜〜と言った」も、
壇上からスピーチで「話した」も、
みんなでわきあいあい「会話したも、
犬がワンワン「吠えた」も、
脳裏に描く無音の映像は「口をパクパクしている」もので全く同じなんですよね。
引用伝達だけの無感情の「言う」でも、ある意図目的をもって一方向に向けるスピーチも、
目的のない双方向の会話も、威嚇だけの発声行為も、みんな同じに見えてしまう。
じゃあそういうのは、みんなvocxiでいいじゃないかと。
犬の場合はvocxi malalteとかvocxi grandeと副詞で補ってもいいし、
鳥の場合はkantiにしてもいいし。

広い概念を使うということで思い出すのが、アルカだったでしょうか。
各言語には、「ある物を使用するとき決まった動詞」が存在する。
いわゆるコロケーションの話
松戸さんの例示を引用させてもらえば、
エスペラントでは「傘をさす」や「傘をさしている」に相当するものすら
コロケーションとしてないに等しいそうだ。
Mi malfermis ombrelon.(傘を開いた)
Mi sxirmas min per ombrelo.(傘で自分を覆っています)
Li estas kun omblelo.(傘をもっている)
アルカでは、ある物をその目的に応じて使用するときには同じ動詞があるという。
仮にNEPOではuziとすることにしましょう。
となると、傘をさすのは、傘の目的に応じて使用するわけですから、
Li uzas ombrelon nun.で一発です。上記3つでもいいですが、まよえばこれを使えばいい。
ロウソクをつけるも、テレビをつけるも、シャワーを浴びるも、湯船につかるも
とりあえずuziで済ますことを許容させてしまうわけです。
「その目的に応じて使用する行為に、ある動詞(仮にuzi)を使う」という発想は異文化、異言語間の
人たちがコミュニケーションを円滑にするには、結構、使い勝手がいいのではないでしょうか。

94ベダウリンデ:2009/11/16(月) 10:01:02
なるほど、ある物をその目的に応じて使用する場合はuziなのですね。
そういうルールが公式に確立されていると、西洋文明に詳しくない諸民族にとって、
西洋ルールをいちいち気にしなくてすむので、非常に楽になると思いますね。

前から思っていた事ですが、エスペラントでは、道具とその道具を使う動詞の区別が難しいのです。
動詞の中に道具のイメージが一体化してる。(英語も同じみたいですね)
例えば、よく言われる例に、kombi=髪を櫛でとかす、というのがあり、櫛はkomb-iloとなります。
動詞=行いたい動作、があって、それを行うために考案された道具に-iloを付ける。
しかし、broso=ブラシは最初から道具名で、「ブラシする」はbrosiであっても、ブラシそのものはbros-iloではない。
kombiは櫛でとかす事だから、ブラシで髪の毛とかす事は、kombi per brosoと言えるのかどうか、不明。
それから、ナイフはtranĉ-iloだけど、フォークはforkoなんですよね。「フォークで刺す」はforkiなのにfork-iloではない。
似たもの同士がなぜ区別されるのか、西洋文明を日常で生きていない私には謎です。
鋏はtond-iloなので、「鋏で切る」はtondiかな、と思うと、tondiの元々の意は羊毛などを刈り込む事なのです。
つまり、元々牧畜民族が羊の毛を刈り取るために考案した道具が鋏であり、
我々が文房具として使ってる鋏は応用例にすぎないのか〜と初めて認識する次第。
その辺りの感覚が、「昔は○○で使ってたんだよね」的な感覚としても、全く理解できないので、
非西洋人には不利だな〜と思っていたのです。
人間の意思(=動詞)があって、それが道具を生むのか(-ilo)
道具が先にあって(他所から流入してきたりして)、その道具を使うという意味で動詞を作るのか、
統一するか、或いは、併存するならその区別の基準をはっきりしてもらいたいのです、エスペラントには。

今のエスペラントを変えるのは無理だから、新改造案としてやるしかないのです。
現代文明には電話やパソコンなど、一言で「○○するための道具」と表現できない道具が多い。
またブラシやフォークのように、単純な道具なのに西洋人にとってさえ「最初から道具名」である物も多い。
そうすると、道具名を基準にしてuziを使うか、あるいは単純に動詞化するのも、エスペラントルールでは可能だと思う。
「傘をさす」もombrel/iと言えるのでは?

>日本人がエスペラントを学べば必ず至る帰結だと思ったんですが・・・
エスペラントには様々な不備が存在するのに、既存エスペランチストの皆さんは、
平気で目をそらして満足しきれるという、右翼とか左翼とか問わずに皆がそうだという事が
非常に驚きであります。

95なつ:2009/11/17(火) 19:18:02
エスペラントを学ぶ前あるいは学ぶ直前までは、
人工語でありすぐマスターできる。
すぐマスターできる細工が、ふんだんにほどこしてあるに違いない。
という錯覚に陥っています。少なくとも僕はそうでした。
でも、万年コメンツァントがこれでもかっている。
理由はいろいろありますが、基本単語は造語法によってどんどん記憶できるが、
500語くらい覚えれば、あとは遅々として進まなくなる。ヨーロッパの価値観で造語法にたよらずヨーロッパの単語をどんどん取り入れていってるからで、
ここまでは何回も書いたことがあります。で、NEPOを考える上で意味論的に語について考えていくと、
外見上エスペラントは不規則的なものを廃しているかに思えて実は、あまりにも不規則なもので塗り固められているというのが分かってきますね。
それが万年コメンツァント製造の理由でもあったわけですね。
つまり、「istoは職業にする接尾語である」簡単でしょ?って初め教わるのに
あらら、filozofoとfilozofioの関係のごときものを散見しはじめる。
「道具にはiloをつける」ほら簡単に語彙を増やせるでしょ?すごいでしょ?で教わるのに、
実は、ナイフで切るtrancxi、ナイフ→trancxilo (これはいいねえ)。
forkiフォークで刺す→forkoフォーク (× forkilo あれ??)
tondi毛を刈る→tondiloはさみ (なんじゃ?)
となるわけだ。
動詞(-i)から道具(-ilo)にするのを原則にすべきだと思うんですよね。
なぜなら、道具(o)が先にありきで動詞(-i)があるものは、
動詞「〜する」(-i)→「〜すること」(-o)と混同の恐れがあるわけです。
わかりやすい例をいうと、forki刺す→forko刺す道具「フォーク」であるのなら
plori泣く→ploro泣く道具??となってしまう。
逆に、ploro「泣くこと」であるのならforkoは「刺すこと」でなくてはならないはず。
やはり道具があるものは動詞を基本にして-i「〜する」、-o「〜すること」、-ilo「〜する道具」
と統一すべきなんじゃないかと思う。これが、人工言語の真髄の一つなんじゃないかと。
いたずらに自然言語のように不規則にする必要は全くないわけです。
ombreli傘を差す→ombrelilo傘
telefoni電話をかける→telefonilo電話 いいでしょうかねえ
まあいっそのこと、forvocxiloでもいいですし。
傘はkontrauxpluvilo長いかな。
ombri影をつくる、傘をさす→ombrilo傘なんてどうでしょう。

96ベダウリンデ:2009/11/19(木) 09:45:16
フォークはforkiloにしたい、と、私も全く同じく考えていました。
なぜならば、一目瞭然でそれが道具であると分かるからです。
エスペラントの接尾辞は非常に便利で、造語のためだけでなく、それを付ければ単語の性質までが一目瞭然となります。
様々な言語で名詞をグループ分けするという概念があります。
日本語では〜個、〜本という助数詞もその一種だそうです。印欧語の男性名詞女性名詞、スワヒリ語の名詞クラス、など。
NEPOでも接尾辞を利用して、名詞のクラス分けのような概念を導入したらどうでしょうか?
職業人には全部-istoがつく、道具には全部-iloがつく、というように。
それと同じく、動物や植物にも名詞クラスを示す接尾辞があったらいいと思う。
全部の名詞に接尾辞を付ける必要はない。抽象名詞や世界共通の自然物には不要かもしれない。
文化や住んでる地域によって大幅に異なるものだけに、名詞クラス接尾辞をつけると良いと思う。

例えば、「○○のように」とか「○○が立っていた」と書かれている時、その○○が大体何なのかだけ分かれば良い。
いきなり全く分からない単語が出てきて、そこでストップして辞書のお世話になって、
その和訳名を知って、なんだ動物・植物かと思っても、結局それが具体的にどんなものなのか、身近に存在しないから分からない。
西洋固有種の鳥とか魚とか草木の名前をいきなり書かれても困る、と思ってた。
住んでる地域が違うのだから、何かの動物に例えてるんだ、とか、なんかの木が立ってるんだ、とか
それさえ分かれば十分なのです。

>ombrilo傘
いいですね。そもそもombrelo自体がombroからの派生語だったのでしょう。
日本人はアンブレラという英単語は知ってても、「影」という単語はシャドーだと思ってるから、
エスペラントではombroを新しく覚えなくてはならなかった。
影->影を作る->影を作るための道具、という流れになるのですね。
「物(人)が影を作る」場合と「傘をさす」場合は区別したいので、その場合はuzi ombrilonとするか、
或いはombr-il-iと言えば、-il-iという接尾辞で、何らかの道具を使用してるのだ、という事がはっきりするから良いのでは?

97なつ:2009/11/19(木) 19:54:49
名詞クラスを表す接尾辞(接頭辞)は、考察するに有意義だと思います。
人間を表す接尾辞はいっぱいあるのですから。
ベトナム語を少し紹介しますと・・・
日本語の助数詞にあたるものにベトナム語では類別詞があり、
日本語の助数詞のような働きのほか、そのほかのひとつとして、名詞クラスを示す働きをします。
日本語でいうと、一匹のウサギは言えますが、ベトナム語風にいえば、1動物ウサギで
さらに、動物ウサギと言え、ウサギは「動物」なんだといい始めで示すわけです。
無生物(物)、生物(動物)、機械、乗り物、書物、果物(丸い物)、薄い四角い物、
大建物など。また、例えば「乗り物・踏むこと」で自転車を意味します。
僕が前に考えていたのは、例えば、(あくまでも例えば)besto malpuro→ねずみ みたいなものです。
これを、besmalpuro、あるいは、malpurbesoと接辞を使うようにするのも、いいかもしれません。
名詞クラス提示に加えて同時に造語にも使うわけです。
名詞クラスだけを示すのであれば、ただ長ったらしくなるデメリットがあります。
なので超基本なものとか、明白なら省略可能としたりが可能なシステムがいるとは思います。

--iliで「ある道具を使っている」というのはいいかもしれません。

98だにょ:2009/11/19(木) 22:35:53
単純な語(=知覚可能な事物の名詞)でも、「ウサギ」のように西洋文化の影響が強いものがありますね。
家兎kunikl/oと野兎lepor/oを分ける必要があるのでしょうか?
BROの重要度は低いのですが、使用頻度の高いkunikloだけで十分な気がします。
英語でもrabbitとhareを厳密に使い分けていないみたいですし。

・kunikuloは、意味を脱色する(般化する)。家兎、野兎を問わず、ウサギ一般を指す名詞とする。
・野兎を言い表すときは、接頭辞「sovagx-」をつけて「sovagx-kuniklo」と造語する。
・家兎を言い表すときは、飼育目的に応じてbruta kuniklo(家畜のウサギ)、hejma kuniklo(ペットのウサギ)などと呼ぶ。

このような感じで改良してくれたら、例えば「月の兎」を訳すとき、
いちいち説話を調べて野兎か家兎かを吟味しなくて済むのですが。

99だにょ:2009/11/19(木) 22:38:39
>>9
エスペラントの改良手続きに名前をつけてみました。
意味についての改良案は、だいたいこの10パターンに収まるかも?
「融合」「分離」「吸収」「発散」
「般化」「特化」「付加」「捨象」
「維持」「認容」の10パターンです。

▼融合
複数の語からなる語を、より少数からなる語へ置換すること。造語要素の抽象度を高める。
・mal/san/ul/ejo→hospitalo
・mangx/o/baston/etoj→baston/etoj

▼分離
一又は二以上の語からなる語を、より複数からなる語へ置換すること。造語要素の抽象度を下げる。
・hospitalo→mal/san/ul/ejo
・butiko→vend/ejo
・hospitalo→mal/san/ul/ejo
・monoteismo→unu/di/ismo
・abomeno→mal/sxat/ego
・abrupta→subit/acxa
・gxeniとembarasi→mal/helpi
・kukoとtorto→dolcx/ajxo
・「使いたくないエスペラント単語集」の置換例

▼吸収
類似包含関係にある語群から語を選択して代替させること。語の重複を是正。
・animoとspirito→animo
・mensoとintelekto→intelekto
・amiとsxati→sxati
・bon/vol/usとmi pet/as→mi petas
・strandoとplagxo→どちらか一方。
・auxtomobiloとauxto→auxto(人為的にZipfの法則にあわせる。使用頻度が高いほど語が短いとの法則)
>>66 感情語は、動詞に変化させて使用しないことにする。ベースとなる品詞を形容詞に定め、
 副詞と名詞にだけ品詞語尾を変化させる運用でいく。以下、例。
 Mi sensas agrablecon.
 Kusxi estas agrable.
 Li donis al sxi ion agrablan.
 Ni dezras sensi agrablecon.
 Mi estas trankvila.
 Reakiru vian trankvilon!

▼発散
主に多義的な語を、複数の語に「分離」して、それぞれの語に用途・機能を割り当てて専門化させること。
・多義語deのほかに、前置詞farを導入して、deとfarを使い分けることにする。

▼般化
その語の持つ意味を一般化・抽象化して拡張すること。語義範囲の拡張。
・teoは「紅茶」ではなくて、「お茶一般」という意味にする。
・sxakoは「西洋のチェス」がディフォルトではなくて、「将棋類(日、韓、中、印、欧米の)」という意味にする。

▼特化
その語の持つ意味を具体化して限定すること。語義範囲の縮減。
・neces/ej/oは「要所」ではなくて、「便所」という意味に限定する。
・前置詞jeは時刻の表現のみに使用?

▼付加
本来の意味に類似しない、別の意味を新たに付け加えて、多義的な語にすること。転義も「付加」に含まれる。
・krokodilは「ワニ」という意味だけでなく、「母語で会話する」という意味も付け加える。

▼捨象
類似しない複数の意味を持つ語について一部の意味を無効にすること。
・vocxoの「票」という意味を封じ、「発声」の意味だけに限定する。

▼維持
従来どおり、変更を加えないことを(ほぼ確信をもって)決定すること。
・「名詞の語尾はoで終わる」というルールには変更を加えない。

▼認容
従来にない語根を導入すること。
・数字表現にtelionojやgilionojを導入。
・発明品テレビは、造語せずにtelevid/oという語根を導入。

100だにょ:2009/11/19(木) 22:39:18
●用例1

「方向に関する言葉は、非常時に聞き間違わないよう改良すべき。mal/dekstraを発散させて、新語根のlivaを認容する。ただし、mal/dekstraはlivaに融合させず、維持したままにして、どちらの語も使えるようにする」
「Bonan tagonは、Salutonに融合させてしまおう」
「ザメンホフはabruptaという語を故意に語根リストに入れたそうだが、この語はsubit/acxaという語に分離・吸収できそうだ」
「leporoは、kunikloを般化させた上で、それに吸収させたらどうか?」
「他動詞と自動詞の区別が複雑なので、感情語の動詞は形容詞と副詞と名詞に吸収させて運用したらどうか?」
「vocxoは、票という意味を捨象するべきだ」
「箸を意味するhasxioは、日本語に偏っているので認容しない」
「el/don/iは、“ある特定の空間や時点から外部へ与える”という意味を捨象し、“出版する”という意味を付加した語なのだろう。ひょっとすると、el/don/iは“ある人の脳から他人へ観念を与える”という意味かもしれないので、意味を特化してできた語かもしれない」
「私はfare deという言い方を維持しているが、アルカのkakisさんはdeを発散させてできた前置詞farを用いる。farは、動詞語根far/iに新たな意味を付加したものなのか?」

101だにょ:2009/11/19(木) 22:40:34
●用例2(活用例)造語はデタラメです。

◎ヘロイン(heroin/o)の検討リスト(ヒロインhero/in/oの混同を避ける)

融合→なし
分離→fort/eg/morfin/o, plej/supr/narkot/ajx/o... ←デタラメ(^_^;
吸収→morfin/o, opi/o
発散→なし
般化→なし
特化→なし
付加→pulvor/suker/o
捨象→なし
維持→heroin/o
認容→diamorfin/o

◎外交官(diplomato)の検討リスト

融合→なし
分離→diplomati/ist/o, diplomati/an/o, diplomati/ul/o, regn/agent/o,
   regn/agent/o, regn/komisi/ul/o, regn/funkci/ul/o, ekster/funkci/ul/o... ktp
吸収→なし
発散→なし
般化→なし
特化→なし
付加→なし
捨象→なし
維持→diplomat/o
認容→なし

◎憲法(konstitucio)の検討リスト

融合→なし
分離→suveren/jur/o, plej/alt/jur/o, rajt/kod/o... ktp
吸収→jur/o
発散→なし
般化→なし
特化→なし
付加→なし
捨象→なし
維持→konstituci/o
認容→なし

◎コスプレの検討リスト

融合→なし
分離→kostum/o/lud/o
吸収→maskerad/o, mask/o/vest/o
発散→なし
般化→なし
特化→なし
付加→なし
捨象→なし
維持→なし
認容→kosple/o

102だにょ:2009/11/19(木) 22:46:04
>>99
「融合」と「分離」のところで、造語要素の抽象度を「高める」と「下げる」
と書きましたが、逆かもしれません。汎用的な語を使って表現することが「分離」ですね。

もっとも、このような分類が役立つかわかりませんが。

103ベダウリンデ:2009/11/20(金) 10:08:42
だにょさん、bonvenon!緻密な分析力は流石ですね。
その優秀な能力の一部を「エスペラント改造案」にも向けてみませんか?
既存のエスペランチストは現状満足派ばっかりだから、
いくら「萌え〜でエスペラント普及を!」と訴えても馬の耳に念仏でしょう。
NEPOでも現状は(今のところは?)何も変わらないかもしれないけど、
テーマは「エスペラントの理想化」なので、たとえ一人でやってても「夢」があるから、空しさ感は無い。
一人でなく複数の人で考えれば、自分の考え方も刷新されるし、さらに有意義なのです。
現存エスペラントの活動や学習も続けながらできますよ。とりあえず、ごあいさつまで。

104ベダウリンデ:2009/11/21(土) 10:52:42
>>97
>なので超基本なものとか、明白なら省略可能としたりが可能なシステムがいるとは思います。
BROにある動物単語を一部整理して、それだけは普遍名詞扱いでクラス提示を不要とし、それ以外は明示する、とか。
地域に馴染みの深い、住民にとって思い入れのある動物種などは、民族語名+動物クラスで示してもらう。
例えば、鯉karpoは現在BROにあり、これはそのまま普遍語として残して良い。
並んでgobioカマツカという魚もBROにあるが、コイ科らしいが、私はそんな名前の魚初めて聞いた。
なので、gobioはgobio-fiŝoなどと言ってほしい。
日本語でフナと言いたい場合、karasoはBROには入ってない。しかもkarasoはヨーロッパブナであるかもしれない。
日本人はここでいつも悩む、日本のフナはkarasoかどうか。
だったら、funa-fiŝoと言うか、特にフナという呼び名を強調する必要がなければkarp-etoでも良い。

>>98
>このような感じで改良してくれたら、例えば「月の兎」を訳すとき、
>いちいち説話を調べて野兎か家兎かを吟味しなくて済むのですが。
そうなんです、こういう悩みをいつも押しつけられるのです、非西洋人は。ウサギは一個にしたいですね。
ちなみに、「月の兎」の訳はどっちにしたのですか?
月に兎がいるというイメージは日本的なので(中国韓国あたりにもあるかもしれないけど)
日本のイメージで考えると野兎じゃないか、と私は思いましたけど。

105ベダウリンデ:2009/11/21(土) 11:01:24
>>99
ここまで緻密に分析してもらえて感動です。
今まではてきとーに思いつくままに考えていましたから。
10分類は、どのやり方もNEPOでは可能性に入っています。
ただし、新語根が増えるやり方(融合、発散、認容)は、よっぽどの理由がある場合に限ります。
そうしなければ非常に不都合であり、新語根を導入したメリットがかなり大きい場合です。
また、語彙が比喩的に拡大する「付加」も、そうとう検討する必要があります。

106Kanva:2009/11/21(土) 19:17:27
> 月に兎がいるというイメージは日本的なので(中国韓国あたりにもあるかもしれないけど)

インドでもあります。
月のことをシャシン(śaśin=兎を持つもの)とも言う。

107luni ◆CcpqMQdg0A:2009/11/23(月) 17:15:08
ええと、Kakisの二次人格だよ。=・д・=
fare deの用法をどこで使ったのかは定かでないけど
rezenzo fare de fama verkisto(有名な作家による批評)みたいに使うのかな。
英語で言うbyで、行為者を表すのです。fare deを直訳するとmakely ofみたいだけど……。
アルカでもklit yut axtan estiで、"yut"だけでbyの意味にしてるから誤解しちゃったのかな。

108だにょ:2009/11/24(火) 22:09:22
>誤解しちゃったのかな

えっ? fare deとfarは同じ意味ですよね?
luniさんの使い方は、正しい使い方なのでは?
よくわからないけれど。ブログで見たような気がしますが。
勘違いかも。

109だにょ:2009/11/24(火) 22:33:50
様々な立場から語根がセレクトされているようなので、面白いのをリンクしておきます。

◎エスペラント日本語基本辞書(4,730語)=公認基礎語根+エスペラントの基礎+アカデミーオ公認語
http://vastalto.com/kagi/zyuuyoudo.html

◎エスペラント日本語辞典(JEI)が指定する重要語(2,400語)
http://www.jei.or.jp/eldono/ejvortaro_gravaj_0.htm

◎沼津エスペラント会が指定する重要語(重複含めて1,019語)=機能語リスト+基本語彙リスト
http://www2.tokai.or.jp/esperanto/kinogo.html
http://www2.tokai.or.jp/esperanto/kihongoi.html

◎コーパスによる使用頻度調査(467〜465語)固有名詞、魔法用語(?)を含む。上位467語(上位664語)
http://miresperanto.narod.ru/biblioteko/tishljar/15.htm
http://eeo.8k.com/EoDktH/Morfemo1.htm

◎ベーシック・イングリッシュ850語とエスペラントの対比(952語)
http://www5b.biglobe.ne.jp/~shu-sato/esp-siryo7.htm

110ベダウリンデ:2009/11/26(木) 09:24:37
>109
情報収集ありがとうございます。私はそういうのが不得意なので非常に助かります。

日本指定の基本語根は西欧指定のBRO等と比べると、若干違いがあると思います。
おそらく、日本人が見て過不足の無いように選択してあり、
それを見る日本人にとっても、違和感は生じないかもしれません。
また、日本指定のものでは、動物名を取り入れる頻度は低いようです。karpoも入ってません。

問題なのは、それが日本国内だけで有効な状態になってる事です。
BROなんか無視して日本指定の基本語根だけ覚えればいいよ、と言われても、
西欧の文書に西欧指定の基本語根に入っていれば、文句は言えない訳です。
必要なのは、両者のすりあわせです。「互いに勝手に」では「国際的」でも何でもないです。
他のアジア諸国でも勝手に独自の「基本語根」を定めているかもしれない。
それらを突き合わせて、何が共通かそうでないかを洗い出してみる、という作業が
ほんとは必要なんですが、そんな大変すぎる地味な作業は、、、なかなか手が出せません。
誰かそんな仕事してくれてないでしょうかね?
とにかく、日本指定の基本語根で満足するのではなく、
異文化のものを異文化の目で検証する方法が、国際基準に向けての作業としては比較的楽か、
と思い、今はその路線でいってます。
BROの語根は、日本人からすると破棄して当然な単語が沢山入ってるわけですが、
彼らから見るとそれらは必要な単語なのです。
なので、破棄する代わりに代案も考えてあげるようにしないといけない、と思うのです。
日本指定の基本語根を、異文化人が検証してくれたら、それもいいかもしれません。

コーパスは、「生きた言語」としての参考資料になりますが、
NEPOでは、それにそんなに囚われる必要ないと思います。
近い意味の語の中では何が好まれてるか、などを参考にするのには良いですね。

ベーシックイングリッシュは、私も調べたく思ったのですが、本とか、無いんですよね。
それに、いくら簡単になったとしても、結局は「米国文化」を表現するための言語だと思います。
また、動詞の数を少なくして多くの事を表現するには、我々が中学の時に苦労した「イディオム」を使う事になります。
「探す」はlook forじゃなくてサーチでいいです。エスペラントでもvidi porじゃなくてserĉiでいいのです。
単純に850語の比較ではなく、イディオム込みでどんな動詞表現が用意されているのか、知りたいです。

111ベダウリンデ:2009/11/26(木) 09:34:10
別スレでだにょさんが書いた小話、すごくいいですね。
>>http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1160742040/135
>>http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1160742040/136
お茶については私も前に調べて、「紅茶」は英語やエスペラント語では「黒茶」だけど、
中国では、さすがお茶の原産地、もっと色々な色でお茶を分けてるんですよね。
そういう「エスペラントならではの文化摩擦」みたいなネタをお笑いとして、もっと書いて下さいよ。
語彙の解釈がそれぞれの文化でバラバラである、という問題点の指摘となるので、非常にNEPO的発想です。

112だにょ:2009/11/26(木) 23:04:55
この前の質問に答えます。どうも投稿方法に問題があって、タイムラグが出てしまう(^ ^;

>「月の兎」の訳はどっちにしたのですか?

leporoです。
エスペラント改良の必要性を感じていますが、いざ実行の段となると使い分けてしまいます。
説話はウィキペディアで調べました。
>この伝説は、仏教説話『ササジャータカ』を発端とし、『今昔物語集』などを始めとして多く語られている。
とあります。「手塚治虫の漫画にそんなのあったっけ」というわけで、おそらく野兎。

電子辞書には「(一般に)ウサギ(兎)」とあります。ウサギ一般はleporoなのでしょう。
しかし、コーパス調査によるとleporoは上位に入っていません。kunikloはかなり上位です。

ドラマの世界では「天(時代)、地(場所)、人」の3つを最初の段階で観客に状況をみせて
理解させるというルールがあります。それを応用して、、、

言葉には、
(1)歴史的に、できる限り不変的、
(2)地理的に、できる限り普遍的、
(3)民族的に、できる限り不偏的との3つの守るべき「フヘン原則(=平等原則)」があると仮定します。
となると、過去の使用頻度が多いkunikloを消すのは、歴史的な継続を極端に断絶させるのでためらってしまうのです。
「sovagx-kunikloって何だよ? 野生化した飼いウサギ? ペットでも逃げ出したのか?」と言われるのが落ちですし。

113だにょ:2009/11/26(木) 23:06:06
妙なことをどんどん書きます。次の単語を採用しろと主張しているわけではないです。

頻出語根kunikloは次のような処理も可能ではないでしょうか。長い耳が特徴の動物ってウサギが代表なので、
ウサギという言葉を知らなくても、besto de longaj orelojで十分意味が通るはず。
だからkunikloとleprtoは、longorel/best/oまたはlongorel/animal/oという語に分離吸収させたい。
なるべく短い語にしたいなら-ul-という「人・動物の接尾辞」を使用すればlong/(a)/orel/ul/o。
「月の上の長い耳の野郎たち」と思われますが。

月の兎 la longorelbestoj sur la lumo (月の上の長い耳の獣)

114だにょ:2009/11/26(木) 23:06:56
↓コーパスの解説です。

>3. Kelkaj morfemoj havas klare tro altan nombron. Temas chefe pri vortoj el familia konversacio,
>kiam patro rakontis fabelon al infano, kie ofte ripetighis vortoj alie neuzataj.
>Ili estas: "karoto", "shafo", "lago", "chevalo", "kuniklo" kaj "sauno".
(適当訳)形態素の中はとても高い出現頻度のがある。おとぎ話の朗読といった家庭での会話だと、
他の場面では使われない言葉がよく繰り返される。にんじん、ひつじ、湖、馬、家ウサギ、sauno(サウナ?)なんかがそれ。

たぶん絵本に「家ウサギ」が沢山登場しているということでしょう。
エスペラントと、ある程度の互換性を持たせたいなら、
ウサギの吸収等はこういう利用実態を捨てちゃうことになるんですよね(>_<;

115だにょ:2009/11/26(木) 23:28:49
こうして、書いたのを垂れ流すのためらいがあるんですよ。
個人的には、このスレッドは、非常に重要だと思っているんですが。
前回も「あーあ、とうとうやっちゃった」という感じで。

唐突ですが、コンビニって墓参り用の線香などの葬式用品をたいてい売っているそうです。
コンビニは売れた商品の数などのABC分析というのをやっていて、Aの売れ筋商品を残し、
Cの死に筋商品を切っていき、売れる商品だけが常時店内に陳列されるようにしています。
ところが滅多に売れない線香のようなCの商品も置いてある。これはなぜかというと、
突然誰かが亡くなったときとか、緊急事態に困らないようにするためですね。

語彙の選択にもこういった事が大切で、単純に使用頻度の高いAの商品(語彙)から選べば良いってもんじゃない。
ベーシック英語は、7,000の英単語を重複がないように絞っていき、使用頻度ではない基準で850語を抽出したとか。
コンビニでいえば線香のような語を、緊急時にちゃんと表現できるよう抽出してあるそうです。

何が言いたいかというと、頻出語根(売れ筋商品)+必須語根(線香を含む)という組み合わせで、
本当に基本的な語根をはっきりできたら、いいんじゃないかと。

中途半端ですみません。

116ベダウリンデ:2009/11/27(金) 10:26:50
>「月の兎」の訳はどっちにしたのですか?
思うのですが、西洋人の感覚では、家兎=かわいい、野兎=かわいくない、
というイメージがあるのではないか、と。
英語で言うと、rabitとhareの違いだけど、例えばクマのプーに出てくる「ラビット」という兎は、
外見的にはかわいくないし、おそらく野生だし、私の感覚では野兎っぽいんだけど、
物語の登場人物だから、伝統的に言ってラビットなんだと思う。
(家兎は穴兎の家畜化で、「ラビット」は穴兎だ、とも言えますが)
逆に、日本の雪ウサギは、種別は野兎だけど、超かわいい。
それなのに、どうして「かわいくない名前」で呼ばれなければならないのか。
ネズミもそうです。英語の辞書に「西洋の家ネズミはマウスだが、日本の家ネズミはラットである」とある。
マウス=かわいいハツカネズミ、ラット=汚いドブネズミみたいなイメージで、
日本のネズミは汚いラットだ、と決めつけられたら不快だな、と。
月の兎も、かわいさイメージが必要なら、rabitと呼んでもいいじゃないか、とも思う。

おそらく、rabitイメージがエスペラントではkunikloに置き換わっているんですよね。
そういう動物への「イメージ」は、それこそ文化で異なるので、払拭したいのです。
kunikloは現コーパスでは上位ではあるが、兎の一般名称はleporoを採用して(longorelbestoも当然視野に)、
leporoから「かわいくない」というイメージを払拭できたらいいのに、と思う。
NEPOではコーパスに囚われる必要無い、とはそういう事です。
はっきり言うと、今までの「利用実態」は無視していい。そうじゃなきゃ、やる意義も無いと思う。
日本指定の基本語根では、動物名は極力控えた印象だが、使用頻度は低くても人間生活には絶対必要だと思う。
それをどうやって、極力語彙を減らして取り込むか、です。

117なつ:2009/11/29(日) 19:34:31
とても興味深い内容が続いていますね。
売れ筋商品と「緊急的必須商品」ですか・・・

少なくとも僕には野うさぎ、家うさぎ、穴うさぎの区別を目でみてわかりません。

子供のころ、アメリカのドラマを見たんですが、親が鼠駆除をしようとしたら、
子供たちが「マウス」駆除反対というプラカードをもってデモを部屋でするという内容でした。
ミッキーマウスもミッキーラットだったら人気がでていなかったと思います。
実際、ウサギもネズミもかわいいかどうかが判断の指針のウェイトを占めているんじゃないかと思うんですが。
だから童話に出てくるのはkunikloが圧倒的に多いわけで。
ただ、仏教説話のウサギはどっちなのかなあって悩みどころです。
正直いって、考えてもみてなかったのを今、僕なりに考えたら、
僕の感覚では餅をついてる月のうさぎちゃんはkunikloで
話自体に出るのは野性で食用になるようなイメージでleporo
なんです。大麦と小麦の区別と同じで「そんなのどっちでもいい!
いや、むしろ同じであるべきだ!」と思ってしまう。
もう一つ、生物学的には同じでも、大きさで表現を変える動物もいますよね。
わし・たか。くじら・いるか などです。
こういうのは総称名で一括して特にいいたいときはetをつけるあるいはsovagxなどして
言い分けるようにすればいいとは思いますが、その総称名をどっちにするかが悩むところですね。
まあ、いずれも僕は「分離」が好きですので、
「長耳野郎」(ウサギ総称)、「強鳥」(猛禽類総称)
「海動物」(鯨イルカ類)、「歯動物」(ネズミ総称)でしょうか・・・

118ふじこlp:2009/11/30(月) 04:36:00
可愛いか可愛くないかを決めるのは誰なんですか?
個々人が主観で決めて良いのであれば、ある一匹のウサギが怠惰そうにこちらを
睨みつけ、地面をダスダスと踏み鳴らしたときにはleporoと呼び、同じウサギが
餌欲しさでピョコピョコと近付き、すがりつくように前足をこちらの太腿にのせて
甘えた表情でこちらを見上げてきたときにはkunikloといったふうに、状況に応じて
呼び分けると、そういうことでしょうか。
個人的には月にいるウサギが野ウサギか穴ウサギかなんてことは、それこそどうでも
良いことに思えるのですが。月面の模様にウサギを見出さない民族からすれば、どの
ウサギを選んだところで、kuniklo/leporoになんて見えるかなあ?と思うだけの話
だし、ぶっちゃけ月面に獣などはおらず、surluna videblajxoでしかないので。
また、大麦と小麦の区別がどうでも良いのであれば、大豆と小豆の区別もどうでも
良いということでしょうか。球体で大粒の種はすべてpizo?大豆で赤飯作れますかね。
小豆粉の搾り汁にニガリを加えても凝固せず、豆腐にならなかったという実験番組を
テレビで見ましたが。言語上、両者の区別がなされないのであれば、材料にどちらを
使っても良いことになりますよね。
ここで交わされる話を見ていると、大衆食堂でたぬきうどんを注文したとき、店の人が
間違えてきつねそばを出しても「まあ麺には違いないからどうでもいいか、食えるし」
という発想なのだなと感じさせられるのですが。冷やし中華なんかを出しても文句は
言えないってことになるのでしょうか。
だとすればウサギやネズミといったミクロなレベルでどうこう言うのではなく、全部
まとめて kvarpieduloj(四足歩行の獣すべて)とか、fluguloj(鳥類すべて)、
nagxuloj(魚類すべて)とかで済ませてしまえば良いのでは。閾値をどこに置くかの
違いでしかないのですから。
vocxiのくだりを読むと、she speaks, yet she says nothing(口を開けてなにか
話してはいるが、意味内容のあることを何も語ってはいない)のような表現を、英語
からであれ日本語からであれ翻訳できそうにはありませんね。
いずれにせよ、非常に雑で抽象的な表現力しか持たない言語を目指しているのだろう
ということは分かりました。

119ベダウリンデ:2009/11/30(月) 16:50:36
>可愛いか可愛くないかを決めるのは誰なんですか?
「民族文化」です。動物の個体を各個人が見てその都度判定するものではありません。
日本には古来は野兎しかいなかったが、お伽噺に登場する兎を見る限り、日本人にとって兎は「かわいい存在」であったと思われる。
野兎=かわいい、と決めたのは「日本文化」です。
ヨーロッパには、ヨーロッパ人が区別したくなるほどに異なる2種の兎がいたと思われる。
足が短く丸っこい体型のかわいいkunikloと、すばしこそうで野性味あるleporoと。
kunikloの写真http://eo.wikipedia.org/wiki/Kuniklo
leporoの写真http://eo.wikipedia.org/wiki/Leporo
ヨーロッパ人は両者を区別してkunikloのみを「かわいい兎」と認め、物語にも多く登場させた。
それは「ヨーロッパの文化」がそう決めたのです。

>ぶっちゃけ月面に獣などはおらず、surluna videblajxoでしかないので。
科学的にはそうでしょう。しかし「フォークロア」では違います。
人間は古今東西、その想像力で、動物や、時には生命の無い物まで擬人化し、
神話やお伽噺の中で、人間のように行動させ、会話させてきたのです。
それはどの世界でも共通です。人間共通の文化だと思うので、私は大切にしたいですね。
ふじこさんにとっては、そういうフォークロアは「どうでも良いこと」なのですね。
「エスペラントでお伽噺を訳すな」というお立場なのですね。まあそれはそれで、個人の好みでしょう。

私は「お伽噺を訳す」事には賛成なので、その立場で考えます。
その場合例えば、「月の兎」をkunikloで訳すかleporoで訳すかは重要問題です。
生物学的に言うと日本の兎はleporoなので、日本人がイメージする月の兎は、かわいいleporoです。
でも、leporoと訳した場合、ヨーロッパ人にそのかわいさをイメージしてもらえるのかどうか。
もしもあんまり良くないイメージをもたれたら、本当の意味での「日本人の心」って通じなくないですか?

120ベダウリンデ:2009/11/30(月) 17:24:04
>大麦小麦、大豆小豆、たぬきうどんときつねそば
まあ、たぬきうどんを食べたければ日本語で注文しろ、という事ですね。
人間は自分達の周りにある存在物を、区別する必要がある限り細かく分類し、個々に名前を付けます。
そうしないと生活に不自由だからです。
でも、自分の見たことも無いもの、区別のしようもない物を、細かく分類されて言われててもすぐに理解できますか?
南米だの何処だののバザールで、日本では見たこともないような色とりどりの豆だの野菜だのを売っている。
きっと現地ではそれぞれに名前があるのでしょう。
でも、それの名前を現地語でいきなり言われて理解できますか?
外国人もdaizu-oだのazuki-oだのいう単語を暗記しなくてはならないのですか?
世界に存在する物の種類は無限大です。それらに個々に名前をつけるのですか?
そうしたいなら、それも良いでしょう。
でも、そうしたら暗記量が無限大となり、「覚えやすい使いやすい」国際共通語ではなくなると思いますね。
暗記しなくていい、分からなかったら質問すれば良い、と?
azukiとまず言って、それは何かと聞かれて、豆の一種です、と答える。
豆の一種ですと言われても、相手の知識が前提に無ければ、どんな豆か具体的にイメージできない。
なら最初から「豆」って言えばいいじゃん。
もしも相手が日本のお店でazuki買ってお汁粉作りたいなら、そこで初めてazukiという日本語名を教えてあげればよい。
エスペラントは民族語ではないのだから、特定の民族文化の物だけ細かく命名されてても、使いづらいと思う。

121ベダウリンデ:2009/11/30(月) 17:54:46
>vocxiのくだりを読むと、she speaks, yet she says nothing(口を開けてなにか
話してはいるが、意味内容のあることを何も語ってはいない)のような表現を、英語
からであれ日本語からであれ翻訳できそうにはありませんね。

エスペラント単語と民族語単語を一対一で翻訳しようとするから「できない」のです。
NEPO語でvocxiは日本語での、わめく、うなる、ぶつぶつ言う、等の単語を表現する事ができます。
vocxiに副詞を付けて表現し分けるのです。一対一の発想ではありません。

>非常に雑で抽象的な表現力しか持たない言語を目指しているのだろう
ということは分かりました。

民族語と同じくらい精密には、その民族の文化を表現することはできませんね、きっと。
つまり、特定の民族文化を表現する事に対しては「雑」になるでしょうね。
それは「世界が視野」なので仕方ないと思ってます。
貴方の頭には、世界中の文物の固有名詞が入りそうですか?
kunikloとleporoの違いが無くなれば、ヨーロッパ人にとっては「雑」になるでしょう。
その代わり、日本人との間での違和感とか誤解は無くなるでしょう。どっちを取るか、です。
アナウサギとノウサギを学術的に区別して表現したいのであれば、
そのための表現手段は考える必要がありますね。

それから、別掲示板での話をちょっと脚色すると、
「産声」をkriiで訳すか、ploriで訳すかで議論してた。
plori派の人は、「赤ちゃんが泣いている」というではないか、声だって泣いてる声ではないか、と。
krii派の人は、産声は初めて肺に空気が入ってその反動で出る声で、泣いているのではない、と。
krii=叫ぶ、plori=泣く、は一対一に翻訳できそうでいて、
実際はイメージ上に違いがあるのではないかな、と私は思いました。
日本語の叫ぶは、あまりいい感じのしない語。うるさい、とか、取り乱してる、とか。
泣く、は人間が感情を爆発させるほか、動物が「なく」も同じ語源であり、
赤ちゃんの産声も、人間と動物の中間状態での「なく」なのではないか、と。
エスペラントの意味は、私は断言できないけど、
kriiはただ単に大きい声を出す、の意味で「不快感」は伴わないのかもしれない。
そして、ploriは、喜びや悲しみで人間が感情を爆発させて泣く時だけに使用する語なのかもしれない。
産声をkriiと訳してもploriと訳しても、どちらでもいいけど、
日本人と、エスペラント人(?)では、イメージの捉え方が変わる可能性がある。
kriiで訳したら、日本的発想の人は「叫びながら生まれてきた?なんかすげー偉人の誕生?」みたいな。
ploriで訳したらエスペラント人は、「生まれた時から人生の喜びや悲しみを予知してるんだ、深イイ話だな」とか。
エスペラント語と民族語を一対一で翻訳してると、解釈上の文化差が出るのではないか、と思ってました。

122なつ:2009/11/30(月) 19:30:45
ふじこさん
>>可愛いか可愛くないかを決めるのは誰なんですか?
kunikloかleporoかは、正しくは生物学上決められていると思いますが、
実際の運用は個々人の主観なのではないかと思います。
僕は日本人なので詳しくは分かりません。
あなたは、
ウサギの区別→不要。大麦と小麦の区別→不明。大豆と小豆の区別→必要。
うどん、そば、中華麺の区別→必要。
この日本的区別をナイジェリア人に強制しろと?ラオス人に強制しろと?
すべきではないですよね(と僕は固く思っています)。ですが、今のエスペラントはヨーロッパよりに強制の方向が強いですよね。
(いや、完全な日本的でもない。きし麺、ちゃんぽん麺、ソーキそば麺なども入れろ!スパゲッティ入れろ!スパゲッティーニもだ!いやいやフォーや春雨もだってなるw)
>>だとすればウサギやネズミといったミクロなレベルでどうこう言うのではなく、全部
>>まとめて kvarpieduloj(四足歩行の獣すべて)とか、fluguloj(鳥類すべて)、
>>nagxuloj(魚類すべて)とかで済ませてしまえば良いのでは。閾値をどこに置くかの
>>違いでしかないのですから。
そう!!まさにどこに線を引くかが重要なんです!
ただ、例えば四足動物全部ひっくるめてしまうと、全世界の人が不便でしかたなくなるんじゃないかなって思いますでしょ。
食べるか、食べないか、食べたいか、食べちゃだめなのか、宗教的、占い的その他四足動物の各種類の区別は、「全世界の人が」重要視します。
牛、豚は明確に区別した語のほうがいいと思います。豚と猪の区別は世界的に重要ではないと思います。
NEPO語の語彙選定作業で最も重要な作業だとも言えます。あなたのご意見を今後もお聞かせください。
小豆と大豆は日本人が日本料理について区別したい語なので第二段階です。
ちなみに、「たぬきうどん」を東京で注文するとテンカス・揚げ玉が入り、
京都では油揚げが入り、名古屋では鶏肉が載って来るそうです。まさに地域差w第二段階!w

123なつ:2009/11/30(月) 20:56:53
>>vocxiのくだりを読むと、she speaks, yet she says nothing(口を開けてなにか
>>話してはいるが、意味内容のあることを何も語ってはいない)のような表現を、英語
>>からであれ日本語からであれ翻訳できそうにはありませんね。
おっしゃることがよくわかりません。
この英文のspeakとsayを明確に区別して日本語には容易に翻訳できるが、vocxi談義では無理である。
ってこと?僕にはそのような日本語訳できません。あなたもできていません。speak=話す、say=語るではないですよね。
英語→日本語は、逐語訳じゃなくてもいいが、
英語→NEPOは、逐語訳で体をなすべきってこと?
何主義者ですか?(冗談)
まあ、she alvocxas, yet she vocxas nothingで逐語OKだと思いますよ(だめ?ww)
>>いずれにせよ、非常に雑で抽象的な表現力しか持たない言語を目指しているのだろう
>>ということは分かりました。
言葉とは多かれ少なかれそうですよねw
そして究極的には言葉なんていらないのです。友情や愛情は言葉によるものではない。
she〜〜のくだりを出されるくらいの識者ですからそれくらいは言わずもがなでしょう。
ただNEPO語は「非常に〜〜表現力しか持たない」という批判を受けないようにしなければなりません。
「結構できるじゃん」といわれたい・かな。

124ふじこlp:2009/12/01(火) 01:28:24
私個人としては、この計画に将来性はなく、早晩失敗すると確信しています。
そのため、引用を持って返信いただいた個々の事案に対して返答するだけの価値をNEPOに
見出すことができません。なぜでしょうか。
論文口調で失礼しますが、以下列挙します。
・計画の方針や方向性に一貫性がない。
・そもそもきちんとした言語計画すらない。
・NEPOとやらをアピールする対象が不明瞭。
 仲間うち向け?エスペラント習得に挫折した日本人向け?
・脱欧化を主張するが、アジア全体を意識している様子はなく主観的基準に則っている。
・語の定義について語るわりにはPIVに記されている語義をもとにしている様子もない。
 脱欧化なのでPIVの定義自体が否定対象というのは推測されるが、元の定義が何かも
 曖昧なままで、いったい元の定義のうち何を取捨選択するのかさえ明確でない。
・エスペラント語彙の多くは確かにヨーロッパの言語が語源となっていることに間違いはない。
 そしてそれらの語は、ものによってはある一定の観念が含まれている。すなわち我々日本人が
 「タヌキ」という音を耳にしたとき、イヌ科の「あの」動物というイメージ以外に「平成狸
 合戦ぽんぽこ」に出てくる巨大なフグリを持った、人間を化かすケモノとしてのイメージが
 脳裏に浮かぶようなものである。単語の背後にあるそのような暗喩を断ち切る操作がNEPOと
 いえるが、それはいわばこれらの暗喩を前提とする人々と、前提としない人々とのコミュニ
 ケーションにおいて、多かれ少なかれ新たな誤解を生じさせる原因ともなる。
 最後の点について何が言いたいかというと、NEPOが目指すと謳っているような中立性とやら
 を真剣に検討するのならば、既存の語彙の定義をいちいちふるいにかけて検討していくより
 も、アプリオリな語彙をエスペラントの文法上に積み上げたほうがよっぽど現実的だろうと
 いうこと。ウサギなんて語をどちらにするかという取り決めだけで一週間以上もかけている
 ようでは、一通りの語彙を洗い出すまでにどれだけの期間がかかるのか予想不可能。
・既存のエスペラントに満足している人々に対して、NEPOのメリットを論理的に訴えかける
 でもなく排除するのであれば、エスペラントを土台にする必然性すら疑われる。失敗した
 idoでさえ、エスペラントの改良案として既存のe-istoを吸収しようとしていたのに、既存
 の話者を目指さないNEPOに寄りつくようなまったく新規の物好きなどいるものだろうか。
……
落ち着いて思いめぐらせばまだまだ見出せるかもしれません。個々の話題が些末に流れがちで
あっちふらふら、こっちふらふらという印象を持ちます。設計図も骨格もなく、どうでもよい
部分の小刻みなリフォームを重ねたところで、まともな改築ができるとは思えません。(大豆・
小豆の例で通じなかったようなので敢えて記せば、これは「ものの例え」です)
「他の掲示板で」という発言をしばしば目にしますが、そんなものは一つの課題が完結して
から検討すれば良いのではないでしょうか。木の枝葉ばかりに気を取られて、森どころか木
さえ見ていないように感じられます。(これも例えです)ここには俯瞰的な視点がないのです。
個人的には、だにょさんの書き込みには、言語というものに対する一定の論理的思考が見え
隠れしていて面白いなと思いました。

その一方で素朴な疑問を提示する者に対していちいちナントカ主義者とカテゴライズすること
で悦に入っている人がおられるようですが、他者に何らかのラベルを付けることでささやかな
安心でも得られるものなのでしょうかね?それこそ根拠薄弱な自慰的幻想と思いますが。
「究極的には言葉なんていらない」のなら、この計画自体が無意味なのでは?バカなの?
「友情や愛情は言葉によるものではない」と言いますが、みなさんエスパーですか?
一般的には相応の語り合いがなければ友情や愛情が発声することは滅多にありません。互いに
むっつり黙りこくって、いったいどのような共感が発生するというのでしょうか。言語は理解
のための道具であり、そのためのコミュニケーションではないのでしょうか。もっとも欧州に
対する卑屈なコンプレックスの塊が「全世界」などと口にしたところで、説得力などは微塵も
感じられませんし、どれほど矮小な「世界」なのだろうとしか思えませんが。

ちなみに特定の食材が摂取可能か否かについては、動物の種類だけでなく、屠殺法や調理法に
よっても禁忌はありますが、「全世界の人が重要視」するそのような区別をNEPOは行うという
ことなのでしょうか。大変結構なことです。

とりあえず、論理的破綻が多すぎるこの井戸端掲示板は時間の無駄と思われるので、私が
目にすることはもうありません。

125なつ:2009/12/01(火) 01:34:27
加筆 訂正
>>実際の運用は個々人の主観なのではないかと思います。
→生まれ育って生活する環境文化が多大に影響しているのが前提での主観です。

kunikloとleporoの写真を見ましたが、この二つだけをみて区別しろといわれればできますが、
違う種類、老若、赤ちゃん、などいろいろ見た上での区別は僕にはやはりできないでしょう。
どれもみな「かわいい」と思ってしまうから。

オーストラリア人は日本人が動物園でかわいいと思っているカンガルー君たちを
「害獣」だとして、むやみに虐殺するそうですね。
反対にオーストラリア人は日本人が生活の糧として鯨類を捕獲するのをむやみに妨害しようとする。
こういうのを思い出しました。

提案なんですが、語彙選定作業を漠然とし始めるのはどうでしょうか?
ほかのこととの並行で。
この初期段階の選定作業をするとやはり日本的な部分が出てしまうでしょうから、
おおいに批判されて磨きがかかるかもしれません。

126なつ:2009/12/01(火) 02:24:19
ふじこさん
>>計画の方針や方向性に一貫性がない。
あなたが下に列挙されているのがまさに現在のNEPOの計画、方針、方向性でしょうww
よくお読みくださいましたwwあなたにとっては、フラフラでしょうねw
僕はベダウリンデさんのご意見を読んでいって十分「そうだ!」と納得しましたよ。
あなたバカなの?読解力がないの?それとも何主義者なの?w
まあ、フラフラ状態が続くでしょうね。こんなに理解されず、賛同者がいず、攻撃者ばかりだとは思いませんでしたからw
その攻撃批判が、やっぱり、なんていうんでしょうか、違うんですよね、まさに誤解されるというかね。
誤解じゃないですね、とんちんかんが分かってない。
逆に
エスペラントってなんなのか?なにがしたいのか?どうなるべきなのか?どうなっていくのか?
それが、とんちんかん。エスペラントゥーヨ
実際、ちゃんとした思考をお持ちの賛同者が増えれば、分野別、細分化ができ個別議論が活発になるだろうと思います。
それまでは細々、遅々でしょう。

>>それはいわばこれらの暗喩を前提とする人々と、前提としない人々とのコミュニ
>> ケーションにおいて、多かれ少なかれ新たな誤解を生じさせる原因ともなる。
日本語だけでもこれだけ誤解されるんですからねwww
まあエスペラントより「マシ」なんじゃないすか?w
>>一般的には相応の語り合いがなければ友情や愛情が発声することは滅多にありません。
まじめか!www
牛と豚との区別が重要というのはたぶん「全世界」共通だと思いますよ(きっぱり)。
しかし、全世界共通ではいかないものはたくさんあるでしょう。
そこがこのNEPOの挑戦すべき一番の課題。
アルカなる言語は、あるひとつの基準的文化価値に依拠しなければ(エスペラントではヨーロッパ)、
言語として機能できないと結論付けたアプリオリだそうです。
NEPOはできると仮定して目標にしています。しかもアポステリオリで。
一見矛盾をはらんでいると思われるかもしれませんが、それがいいんだな。
できると将来もしも万一思われたら、そのときご参加ください。
ね、批判の返事だけで時間を費やすでしょ?あなたが言うとおりねw
建設的なことが進まないの。

127なつ:2009/12/01(火) 18:27:19
今日、昼ふと感じました。勘違いされているのかもしれないのでは、と思ったのです。
僕は、NEPO提唱者ではありません。(提唱者はもちろんべダウリンデさん)。提唱者に賛同し協力したいと思っただけの一人間です。
ですから提唱者の「グループ」なるものはまだ存在していません。たとえるなら閣外協力でありますので、
僕個人の意見が提唱者とは相容れないものであることはかなりありうる話です。
それは閣外協力だから内閣不一致のぶれまくりではないわけです。
提唱者には計画の方針や方向性に一貫性があります。
僕が提唱者グループの一人だと誤解なさる人がいるなら、NEPO構想には一貫性がないように感じるでしょう。
それは不本意であり、残念であり、提唱者に申し訳ないことだと思います。
つまり、NEPO構想一般に対する批判で下記のごとく、
>>その一方で素朴な疑問を提示する者に対していちいちナントカ主義者とカテゴライズすること
>>で悦に入っている人がおられるようですが、他者に何らかのラベルを付けることでささやかな
>>安心でも得られるものなのでしょうかね?それこそ根拠薄弱な自慰的幻想と思いますが。
>>「究極的には言葉なんていらない」のなら、この計画自体が無意味なのでは?バカなの?
僕の批判は的外れもいいところなんですよね。僕個人の批判は別にしてほしい。NEPO批判に僕の批判を入れることは
かたはらいたいとともに馬鹿に誤解されるなんて提唱者には申し訳なくまた思うしだいです。
読解力というか、僕の存在がどんなものか分かっていただけないのはさびしいことです。
なんせ、上記引用で書かれていることは、ほかのすべてのスレッドの中の僕でもあるのですから。
僕はすべてをチャカしカテゴライズしてオナニーを今まで「一貫」してやってきましたから(笑)
それには一貫性がありますし、それに関してはこの引用はまことに的を貫いています(笑)
ありがとうございます。
なお、究極的には言葉はいらない。男は勃起してなんぼだというのは僕の個人的意見です。
それともうひとつ。このNEPO構想は「エスペラント内改革」を目指しているということです。
ほかの言語を作るということではありません。エスペラントを裏切って出て行くということでもありません。
ですから良きエスペラント思想を踏襲していくわけです。
何がしたいんだ?誰をターゲットなのだ?究極の目的はなんなんだ?などなどの質問はそっくりエスペラントを主語にしてお考えくだされば結構なんじゃないかな。
面倒くさいので、JEIか北海道真っ赤掲示板にでもお聞きくださればいいでしょう。

128なつ:2009/12/01(火) 18:45:03
このスレッドの>>1など、このNEPO構想は、(ベダウリンデさんじゃないので誤解しているのかもしれませんが)、

1現在の欧米有利のエスペラントをより公平にするために
2非欧米人に、より容易に習得できるような
3新しいエスペラント構想
なんじゃないでしょうか。そしてベダウリンデさんは、1に重きを置きスタートされており、
僕は2に重きを置いています。そこに、はたから見たら一貫性がないように見られる原因があるのかもしれない。
そして、3も重要です。批判者に忘れられがちだと思います。
そしてぼくは提唱者でなく賛同者です。

129ベダウリンデ:2009/12/03(木) 09:01:08
>>124 ふじこlp様
長く、熱意ある書き込み見て、ちょっと驚きでした。
最初の書き込みでは、ふじこさんは単なるいちゃもん屋かな、と思ったのですが、
意外と、NEPOに熱い期待を寄せてくれていたのかも、と思いました。
ふじこさんは「私が目にすることはもうありません。」とおっしゃったので、
返信する意味無いかもかもしれませんが、私としては黙っておれない点が多々あるので、
コメントさせて頂きます。
それに、私個人の経験では、腹が立って「もう絶対見ない!」と思う時に限って、
逆に心にひっかかっていて、そのうちそれに抗しきれず、見てしまうのです。
興味が無ければ「もう見ない」なんて決意しなくても、自然に「見ない」でしょう。
ふじこさんも私のように、つい気になって見てしまう人だったらいいな、と願いつつ・・・・

>私個人としては、この計画に将来性はなく、早晩失敗すると確信しています。
私としては、この企画、一生かけてのろのろと、ゆるいライフワークのような形で、
何かの折に常に気にかけて生活するという形でもいいかな、と思ってます。
そもそも、結果を早晩に出そうという気が無いです。個人でやるには壮大なテーマすぎるので。
ただし、精力的に仕事をこなしてくれる賛同者がいれば、その人がどんどん進めてほしいと思います。
その方が私も一人で考えてるより、私個人にとっても良い刺激となり、得られる所も大きいと思われるからです。
ふじこさんは早期の結果を期待してくれていたのだな、と思いました。

>・計画の方針や方向性に一貫性がない。
理念的な方向性なら、完全に一貫してると、私は自負してます。
計画=作業スケジュール、という意味であれば、それはまだ無いし、今は必要ないと思ってます。
理念的な方向性は、なつさんが、>>128で記してくれたのと全く同じです。
私の言葉で言えば「真に人類共通的に平等でしかも覚えやすい言語は無いものか、あればいいのに、ほしい」という「高邁な理想」と、
「それを実現するにはどういう方向性で考えればいいか」という「基本方針」だけは、完全に確立していて、そこは決して揺るいでいません。
もし「一貫性がない」と思われる箇所があれば、是非指摘して下さい。

>・NEPOとやらをアピールする対象が不明瞭。
アピール=勧誘は、今の所、全く考えていません。
強いて言えば、エスペラントを学び、その西欧的な偏りに不満を抱き、変えたい、と思った事のある人が対象です。
ただし、そういうのは、「説得」して理解してもらえるような事ではないのです。
運動論を主に掲げて既存エスペランチストさん達に意識改革を促してる人もいますが、
私は全くの初心者の頃から、そういった運動論の意義は理解できました。
でもベテランは、全く聞き耳持たなかったみたいなのです。
人は「説得されて」考えを変えるのではなく、説得されたように見える場合は
聞き手の側に既に同じ問題意識が芽生えていた、という場合だけなのだと思います。
よって、問題意識が共通してない人には「説得」しても時間の無駄だと思っているのです。
早い話「分かる人には分かる」

130ベダウリンデ:2009/12/03(木) 09:41:43
追加します。賛同者の人で、NEPOをアピールしたい、対外交渉してくれる、という人がいれば、大歓迎です。

>・脱欧化を主張するが、アジア全体を意識している様子はなく主観的基準に則っている。
これは完璧に誤解です。正確には「アジア」に限らず「人類全体」を、意識のターゲットとしてるんですけど、
なにせ日本で得られる知識が、欧米とせいぜいアジアの有力民族くらいなので。
例えば、ミリオン・ビリオンなどの数の単位を考える時、私は中国インド、アラビア語トルコ語などと参照しました。
また、subiteとabrupteの違いに関しては、アラビア語と韓国語では、同じ訳語があてられている、というのも確認しました。
「外国語の知識がない」という評価は甘んじて受けますが、自分のできる範囲でアジア語にも目を向けています。
外国語はできないけど、日本語文献などで、諸民族の言語表現などの記述があれば、ちゃんと参考にしてます。

>・語の定義について語るわりにはPIVに記されている語義をもとにしている様子もない。
これは単純な理由「PIVを持ってない」というだけです。
ふじこさんもPIVを信奉してるなんて、立派なエスペランチストだったんだな、と今更気づきました。
PIVは、あるにこしたことないけど、絶対必要か、というと、絶対でもないです。
高額だし、額に見合った分厚さのある辞書です。もし買ったら、「家で一番でっかい本」になってしまう。
そこが「重い」んですよね。なんか、買ったらエスペラントと心中しなくちゃいけないような。
今私はReVoを参照にしてるけど、結構古いらしくて、voĉiは=voĉ-doniなんて記述してあるけど、
現実では、「声を出す」をいう意味でvoĉiって使われているのです(ekvoĉiとか)。
PIVでは既に改訂されてるかもしれないけど、NEPOでは主に基本語が主体なので、
古い辞書&現実の使用状況で、ある程度カバーしてる状態です。
まあ、PIV持ってる人が賛同者になってくれたら超嬉しいのは、正直な所です。

それから、手順としては、辞書を傍らに置いてそれを削減する、というよりも、もっと抽象的に物事を考え、
例えば、身体を使った動作ならどういう動詞を用意すれば、「人類共通的に」最小限の表現ができるか、とか
液体に関する用語では何があればいいか、とか、日本語で考えたとしても、
日本語に縛られない形で、抽象的に考えられたらいい、と思ってます。

131ベダウリンデ:2009/12/03(木) 09:54:52
>アプリオリな語彙をエスペラントの文法上に積み上げたほうがよっぽど現実的だろうということ。
基本的な単語の意味が表す範疇をどこで区切るのか、という点を考えると、
アプリオリだろうと、同じ問題に直面すると思います。
生活で必要な基本単語として、野兎と穴兎を分けるのか否か。ナキウサギとかもいるし、どうするのか。
NEPOは単語の表向きの形ではなく、意味の区切りを改造する試みなので、
アプリオリ、アポステリオリは、そんなに関係無い、むしろ瑣末な表向きの違いにすぎない、と思います。

>ウサギなんて語をどちらにするかという取り決めだけで一週間以上もかけているようでは、
これも誤解。私となつさんの考えでは、ウサギ属の名称はまとめて一個になる、と、おそらく確実に決まってると思う。
その単語の表向きの形をどうするかは、今は「決められない」「敢えて決めない」のです。
なぜなら、今はまだ賛同者が少なすぎる。今の段階で「はい、決定です」としてたら、今後の人が意見を言いにくくなる。
違う意見が採用されれば、その都度に「改訂」となるでしょう。
そうじゃなくて、今はゆるく、色々な案を出す、という段階に「敢えて」してるのです。

>既存のエスペラントに満足している人々に対して、NEPOのメリットを論理的に訴えかけるでもなく排除するのであれば、
これも完全なる誤解です。排除する気持ちなんて全くありません。
むしろ、ふじこさんが「排除された」と思ったなら、申し訳なかった、と思います。
「ふじこさんもNEPOやりませんか?」とお誘いしてみるべきでした。
だって、せっかくここに書きこんでくれたんですから、関心はあったのですよね。
松戸さんやだにょさんは「勧誘」したのに、ふじこさんだけ無視した形になってしまって、本当にごめんなさい。
松戸さんやだにょさんは、他にもっとやりたい事がありそうだから、私はしつこく勧誘しません。
なつさんも、私が説得して勧誘したのではなく、たまたま最初から同じ問題意識を持っていたのです。
だから、すぐに賛同してくれたのです。
そんなこともあり、「分かる人には分かる」し、分かる人には、説明しなくても
考えも自然に同じ方向性に向かう、というのが、ここでの経験でよく分かったので、
しつこい勧誘はしてないのです。

132ベダウリンデ:2009/12/03(木) 10:29:10
>なつさん
私が頭で考えていても個々の文面に出しきれなかった事を、なつさんが代わりに書いてくれた、
というのが、多々あるんですよ。
例えば、>>117
>もう一つ、生物学的には同じでも、大きさで表現を変える動物もいますよね。
>わし・たか。くじら・いるか などです。
>こういうのは総称名で一括して特にいいたいときはetをつけるあるいはsovagxなどして
>言い分けるようにすればいいとは思いますが、その総称名をどっちにするかが悩むところですね。
>>122
>そう!!まさにどこに線を引くかが重要なんです!
>ただ、例えば四足動物全部ひっくるめてしまうと、全世界の人が不便でしかたなくなるんじゃないかなって思いますでしょ。
>食べるか、食べないか、食べたいか、食べちゃだめなのか、宗教的、占い的その他四足動物の各種類の区別は、「全世界の人が」重要視します。
>>126
>実際、ちゃんとした思考をお持ちの賛同者が増えれば、分野別、細分化ができ個別議論が活発になるだろうと思います。
>それまでは細々、遅々でしょう。

などなど、私が言いたかったけど、文面の都合で書けなかったことと同じなのです。
問題意識の方向性が同じだと、考えもシンクロする、というか、その点がすごい事だな、と思います。
私がたった一人で、誰も賛同者がいなければ、自分が変人なんだって凹むけど、
「分かる人には分かる」んだな、と思うと、きっと他にもいるかもと、希望も出ます。
なつさんの文章は時々刺激的ですが、面白くていいんじゃないでしょうか。
自分にも欠点あるし、NEPOやってる人の人間性が完璧だから賛同します、というのでは、
ザメンホフが偉人で感動したからエスペラントやってます、と同じで、
なんだ結局「言語」は関係ないじゃん、という話になってしまいます。
各自の人間性じゃくて、どういう言語を理想とするか、同じ問題意識がある人が増えたらいいと思います。

>>123
>ただNEPO語は「非常に〜〜表現力しか持たない」という批判を受けないようにしなければなりません。
>「結構できるじゃん」といわれたい・かな。
そうですね。それを目指さないとね。

>>125
>提案なんですが、語彙選定作業を漠然とし始めるのはどうでしょうか?
>ほかのこととの並行で。
なつさんはなつさんのやり方で、どんどん進めて下さい。
私は、最近は言語学の一般教養をつけるのと、エスペラントの学習をしてたのですが、
エスペラントに接すると、これは無駄な語じゃないか、とか、分かりにくいな、とか、
逆にこれはよくできた造語表現だ、とか、色々出くわします。そのうち書きたいと思います。
ふじこさん流に言えば、個々の些細な単語に目が行き過ぎ、とも言えますが、
その積み重ねでいいではないですか?

133なつ:2009/12/03(木) 19:52:26
ベダウリンデさん
ありがとうございます。
正直いうと、少々感涙しました。samideanoと言い合うのは根底はこういうことかと思いました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
実は11月下旬ずっとベトナムに行ってました。
今からは個人的経験談ですが、NEPOいや日本のエスペランティストに有意義だと思い書き込みます。
ほとんど日本語が出来ない時に親友になって同居させてた大好きなベトナム人親友が結婚するからでした。
彼の影響で日本で友達になったベトナム人にも会いましたし、今回初めて会ったベトナム人もたくさんいます。
ですから僕は言葉なしでの友達のなりかた、日本語をほとんど知らない人との友達のなりかた、
日本語を少し知っている人との友達のなりかた、まあまあ知っている人との友達のなりかた
熟知しています。(中国、韓国人は日本語検定2級いくが、ベトナム人は3級と4級の間フラフラその日本語での勝負です)
アジア人は英語できると、なぜか、不思議にも思っている人がいますが、ベトナムの一般人は皆無です。
たまにのベトナム英語(日本でいうカタカナ英語)は僕には聞き取れません。
来年の夏か冬にまた行きますが、それまでに「お前次あうときまでNEPOちょっとやっとけ」と言えたらなんて素敵なことを考えてましたよ。
正直、エスペラントやっとけとは自信もって言えませんでした。英語ちょっとやっとけ、いや、日本語ちょっとやっとけのほうがむしろ僕にはいい感じがするからです。
「俺様とまた会うときまでエスペラントをやっときやがれ」とは言えないエスペラントの難度なのです。残念ながら僕にとっては。

134だにょ:2009/12/06(日) 19:30:53
前回、ちゃんと読んでから投稿すると述べましたが、何か議論が進んでいるようなので、
投稿してから後で読みます(^_^; 情報提供です。

>ベーシックイングリッシュは、私も調べたく思ったのですが、本とか、無いんですよね。

▼『850に魅せられた天才オグデン』
理論面を平易な言葉で解説。図書館で借りてきて、第4章だけは目を通すといいかも。
動詞を16語まで削った話。5文型を否定し1文型しか認めない話。7000語を850語まで絞った方法。
ベーシックは名詞中心の言葉である話。単語が持っている文化面が払拭されて
「中立的で、情緒的連想が少な」くなったという話。NEPOの作業そのものです。

ちなみに、その本にはエスペラント側からの問いに次のように述べたとか。72ページ。

「もちろん英語にも弱点はある。学習の難点は発音とスペリングのずれ、動詞の難解さだといわれている。
彼は語彙、特に動詞を科学的に少数にしぼることで整理して学習しやすい体系にすれば、
国際語としても通用するし、外国人のための学習の第一歩ともなると主張している」

そう言うなら、エスペラント側も負けずに語彙制限を行う?

▼『850語で考える英語』
具体的な使い方を知りたければこれです。付録に850語以外の分野別語彙が掲載されています。
しかし、ベーシックの理屈はわかりません。

▼『絵で見る英語』(全3巻)
ベーシック英語を発展させたもの。世界的大ベストセラーかつロングセラー。
850語だけでは使いにくいので、単語を1,000語程度まで拡張。
この本のヒットにより、『絵で見るドイツ語』『絵で見るスペイン語』
『絵で見るフランス語』『絵で見るロシア語』が生まれて本屋に並んでます。
第3巻の科学読み物が「改良版ベーシック」の記述水準とみていいでしょう。
「唯一成功した人工言語はエスペラントだけである」と宣伝されていますが、
簡略英語の成功を無視しています。簡略英語は現在も英語の学習と普及に一役買っており、
英語と同じにみえるため気づかれないだけです。

▼『意味の意味』
最近、再版されたようですが、難解で読めません。
『850語に魅せられた天才オグデン』の著者も、難解すぎて読めなかったとのこと。
私も立ち読みでペラペラめくってみて諦めました。

135だにょ:2009/12/06(日) 19:46:31
語根の粒度について

牛乳からできているものは、次のような感じで造語できないこともないでしょう。
しかし、日常生活で頻繁につかう言葉なのに、却って使いにくいものになってしまうかも。
語根の適切な粒度を考慮しないと。

バター butero → lakt-graso (牛乳の油脂)
チーズ fromagxo → lakt-koagul(-ferment)-ajxo (牛乳の固形(発酵)食品)
ヨーグルト jahurto、jogurto → lakt-blank(-ferment)-ajxo (牛乳の白色(発酵)食品)

ちなみにベーシック英語だと、蜂蜜はthick liquid sugar、bee sugarとのこと。

ミツバチ abelo
蜂蜜 mielo → abeldolcxajxo (蜂の甘味食品)
蜂蜜水 mielakvo → abeldolcxajx-akvo
蜂蜜酒 medo、mielvino → abeldolcxajx-vino、abeldolcxajx-alkoholajxo
 エスペラントはvinoを「酒類」の代表とみて、比喩的に使っているようです。
 alkohol-ajxoという言い方もあるようですが少し長くなってしまいます。

うまく語根の粒度を設定しないと、妙な造語が増えてしまいます。事物の名詞に限っては、
従来通りの方がわかりやすいことの方が多そうです。。

136なつ:2009/12/07(月) 00:13:45
オグデン氏のベーシックは僕もかつてどんなものかと思ったこともあります。
これは、850語を選定してそれを使うのですが、
どうも英語ができる人のお遊び的なものに感じてしまう、僕には。
少なくとも日本ベーシック英語協会の例文集を見るとそう感じてしまう。
http://homepage3.nifty.com/BasicEnglishSociety/example.html
英語ができる人が遊びという感じが。この例文集は彼らにとってマイナスだと思う。
そして850語内じゃないのも平気で出してしまう。
そしてこれは、入ってませんけどね、で済ませてしまう。
それとこの聖書を英語、エスペラントと見比べたことがありますが、「あらすじ」か?
としか思えなかった。表せないのはどんどん省く。洋画の日本語字幕以上に。
も一つ、まじかよって思うのが、インタナショナル単語だとか、エコノミー用単語だとか
称してどんどん850に足してしまう。変にわかりづらい表現もしたりするところも散見される。
それならね、1500語にしてVOAのスペシャルイングリッシュのほうが、いい。
VOAのスペシャルイングリッシュは英語普及、英語学習にとてもいいと思う。
ベーシックイングリッシュよりとても自然ですっと入る。(さらにゆっくりしゃべってくれるしね)
こういう簡略英語は、語彙レベルのあるイージーリーダーブックもあり、英語はいいなあと思う。
(どうして日本語にはないのか、文科省、厚生労働省、外務省は国家をあげても作るべきだなんて思う。
いやほんとなんで外国人用にないのかって思う。新常用漢字をランク分けしてもいいと思うけどそれもしない)
で、簡略英語は英語普及に一役かってるが、それはじゃあ、
簡略英語のままで済ませていいのか?ということになる。簡略英語は英語習得の途中段階にすぎない。
英語習得者同士がわざわざ簡略英語を使うとは思えないし、英語を習得一旦してしまえば、
例えば「どの単語が850だったっけ?これは850内だっけ?」と考えながら話すわけがない。
英語が苦手な人に英語で話すには簡略英語じゃなくやさしい英語を話す。これが実情だ。どんなに簡略英語が普及しても。
やはり「途中段階の英語普及、学習に有意義なもの」にすぎないと思う。
そしてもちろん欧米的考え方が根底にあるし、nova→malnovaや malsanulejoのような造語はできず倍以上の記憶をしなければならない
NEPOの通常使用の語幹は850語未満でなければならないというのは強く思います。
まあベーシックレベルのものなら100語程度でいけるでしょう。

137なつ:2009/12/07(月) 00:29:13
>>そう言うなら、エスペラント側も負けずに語彙制限を行う?
どうやら、エスペランティストの多く、ここに来られる人の多くは、
語彙を増やす方向だと思われます。
たとえば
意義のあると僕が思うmalについてmalの排除運動をする人も多い。
単純にいえば基本語彙が倍増してしまう。初心者は語彙記憶が一番面倒だと知らないのだろうか?
大人になれば子供の心が分からなくなるのと同じなのかな。

138ベダウリンデ:2009/12/07(月) 09:12:33
>>133 なつさん
エスペラントの問題点を考えさせられる体験があったのですね。
>>134  だにょさん
ベーシック英語、方向性はNEPOと同じだったのですね。
私が最初にベーシック英語の単語リストを見て、即座に「これは違う」と思ったのは
shoeとbootという単語が二つとも入っていたからです。(動詞化したりして違う意味を含ませたりするのかもしれないけど)
動詞の絞り方は参考になりそうだけど、自分で独自に考えてみるのもいいかも、と思う。
あとはなつさんの言うように、ベーシックでは結局、民族語である本物の英語に対しては「劣った英語」でしかないのだろうな、という点です。
>>135 だにょさん
「語根の粒度」は同感です。どこで区切るか、で使いやすさが変わると思う。
乳製品、蜂蜜製品について、考えてくれてありがとうございます。
乳製品はlakt-ajxoとして、バター、チーズ、ヨーグルトは**-lakt-ajxoと形を揃えるといいかも、と思いました。
これら製品の世界普及度と、世界中でのバリエーション度(似て非なるオリジナルな物の存在)を調べないといけませんね。(蜂蜜も)
ベーシック英語では、たぶん、そういった視点は欠けてるんじゃないかな〜と疑ってます。
西洋文化の日常品を網羅していれば大成功、みたいな。

139ベダウリンデ:2009/12/07(月) 09:53:27
私は、生物の分類と、命名について考えてました。まず、ウサギの名称について。
ウサギはウサギ科というものの中に、ノウサギ属、アナウサギ属、ワタオウサギ属、メキシコウサギ属、等々が含まれます。
ウサギ科は世界各地に広く存在し、耳の長さ等に差はあれ、似た印象の動物だと思われます。
ウサギ科は、学名でleporidaeと言い、エスペラントでもleporedojです。
ウサギ属のうち、エスペラント名がついているのは、leporoとkunikloだけで、
その他は学名のままでエスペラント化しています。http://eo.wikipedia.org/wiki/Leporuloj
これらをあわせ考えると、ウサギ科でひとまとめにして一つの名称を与えると良い、と思いました。
「耳の長い奴」でも構わないですが、私は、leporoで統一でもいいかな、と思いました。理由は、
①世界中に分布し(絶滅危惧こみで)外見も似ていて、同一名で呼んでも不自然さが無い。
②学名leporidaeと一致している。
③比較的簡単な単語で、非西欧人でも覚えやすい。

ちなみに、ナキウサギ科、というのがいて、エスペラントではlagomisoと言うらしいですが、
これは頂けない。なぜならば
①長い名前で覚えづらい。
②学名Ochotonaとも一致してない。(学名の由来はモンゴル語、エスペラントはモンゴル語を無視するのか〜)
なので、英語でrock rabbit, whistling hare,mouse hareなどと言うように、
エスペラントでも**-leporo(mus-leporo)と言うと、非常に分かりやすいと思う。

140ベダウリンデ:2009/12/07(月) 10:18:51
たまたまやってみたウサギは簡単な例でした。
タヌキもやってみましたが、こちらは難しかった。
イヌ科に入るのですが、イヌもオオカミもジャッカルもキツネも入るので、
ウサギ科のように科で一つにまとめるのには無理がある。
タヌキ属は東アジア原産で、最近はヨーロッパにも進出してるらしいが、
世界的に見ると「有名な動物」とは言えない。
エスペラントではniktereŭtoという非常に難解な単語である。これは学名のnyctereutesから来ている。
エスペラントvikipedia http://eo.wikipedia.org/wiki/Niktere%C5%ADtoでは
「この科学芳しい奇妙な名前は、日本人が使っている、口頭でも」なーんて
嫌味っぽく書かれているので、西洋人には不評らしい。
日本人でも難解で覚えられない、西洋人でも奇妙なniktereŭtoは、よろしくない、と思う。
エスペラントでは、prociona hundo とも言う。procionoはアライグマである。
つまり、英語のraccoon dogと同じやり方である。
しかし、procionoも分かりづらい。エスペラントではrav-urso(文字通りアライグマ)でもいいらしい。
ならば、アライグマ=rav-urso、タヌキ=rav-urs-hundoでもいいじゃないか、と思った。
一方で、こんな言い方許されるのか不安があった。
ところが、オランダ語ではタヌキはwasbeerhondと言うと分かり、
なんだそれでいいじゃん!と膝を打った次第です。
日本人でも西欧人でも、そしておそらくタヌキを知らない南アジア人でも、
これなら分かりやすいと思う。
動物基本語を作り、それらを組み合わせて別の動物を表すのも良いと思う。

141なつ:2009/12/07(月) 20:14:31
>>140
僕も、まずは哺乳類と思ったんですが、頓挫(挫折?)しました。
ウシ科がこれまた難しいんですよ(笑)
レイヨウを一緒くたにどのくらいしていいのか、
ヤギとヒツジは同語幹にして、接辞をつけるのか、それとも全くわけるのか、
わけるとしてどう分けるのか、
ただウシ族は
ウシBOVOで、米バイソン、欧バイソン、アジア水牛、アフリカ水牛はそれぞれ地域名をふせば簡単なような。
バイソンはSOVAGXをつけ、水牛はAKVをつけるとより正確になる。

僕も最近、なんでもかんでも既存の基本語幹の貼り付け造語じゃなく、ある程度語幹を増やしてもいいなと思い始めました。
それでも数百語が目安ですが。
長耳奴じゃなくてLEPOROでいいと思います。クマもURSOでいいと思いますし。
ウサギ科の学名に似ていますしね。

142ベダウリンデ:2009/12/08(火) 09:05:27
生物分類学は、最近の分子遺伝学の発展で分類体系に変化があり、今後も一定ではないと予想されるそうです。
しかし、生物学者ではない凡人にとっては、今までの様に、主に外見に基づく分類分けで十分実用的かと思う。
○○科や○○属でまとめられる種が、たまたま似た外見や印象を持っていれば、そこで区切って同じ名前で呼べる。(例:ウサギ)
ただし、同じ○○属の中にも、非常に特徴的な個性を持つ種が存在する場合もあるので、
もし、それが世界的にも有名な動物であれば、それだけは別の名前にしても良いと思う。(例:ライオン)

言語学では、カテゴリー、とか、プロトタイプ、とか、スキーマ、とかいう専門用語があります。
私は入門書読んだ程度なので詳しくは語れないのですが、そういう概念を応用すると良いと思っています。
カテゴリーは三階層に階層化できるそうです。
基本レベルというのが真ん中にあり、子供が最初に覚えるような、日常で最も使うようなレベルの単語です。(例:椅子)
上位レベルは、それらをまとめた抽象的概念である単語。(例:家具)
下位レベルは、より分化した専門的な用語。(例:肘掛椅子)
NEPOでも「基本レベル」は、語根として、ある程度揃えないといけないと思ってますが、
特定の民族文化に偏らないという条件を満たして決める必要があります。
なので、我々の民族語では基本語だから、という理由では安易に取り込めないのが難しい所です。
視野を世界に置いて、どこまで一般化できるか、です。
尚、上位レベルと下位レベルは、基本語を含めた造語で作る方針が良いと思う。
基本語根を決めたら、それについてプロトタイプとかスキーマとかも考えてみるといいと思う。

143ベダウリンデ:2009/12/08(火) 10:13:49
なつさんは、ウシ族やったのですか。私はイヌ科を見ました。
イヌ科は、イヌ族とキツネ族に分けられています。
動物基本語を与えられる第一条件は、
「世界的に広く分布し、それらが似たような外見を持っている」場合だと思います。
キツネ族は世界的に広く存在し、犬のようだけど、とがった鼻先など、一見して共通した容貌があると思う。
なのでキツネは動物基本語vulpoでいいと思う。学名もvulpesだし、短くて覚えやすいし。
ちなみに、イヌ族の中にも、日本語で○○ギツネ、英語で○○foxというのがいるのですね。写真見るとキツネっぽい。
あまり厳密にせず、話者がキツネっぽいと判断した動物は(母語の影響もあるだろうし)vulpoでいいと思う。

イヌ科は、イヌ、オオカミ、コヨーテ、ジャッカルが同じイヌ属で、他にタヌキ属、リカオン属、ドール属などがある。
私は、イヌhundo、オオカミlupoだけを基本語にして、その他は○○hundoまたは○○lupoでいいと思った。
ジャッカルはアフリカ・南アジア、ドールはアジアが生息地で、その土地ではかなり有名で愛着も持たれてるかもしれないけど、
ここは涙をのんで削る。
オオカミは生息地は北半球なので、世界的生息とは言えないけど、動物基本語にする。
そして、ジャッカル、ドールは、地元民がイヌ、キツネよりは野性味があって怖い動物と思ったら○○lupoと名づけてもらう。
写真では、ドールはイヌとキツネの中間のような気もするから、○○hundo、○○vulpoでも良いかもしれない。御随意に。
つまり、イヌっぽいカテゴリーには、hundo、vulpo、lupoがいて、
hundoのプロトタイプは飼い犬一般、野生のものでも非常にイヌっぽければ○○hundoと呼んでも良い。
vulpoとlupoは野生で、怖いのがlupoで怖くないのがvulpo、みたいに、スキーマ(?よくわかってない)決めて
あとは話者にまかせる、感じ?

144ベダウリンデ:2009/12/08(火) 18:32:53
エスペラントVikipedioで、イヌ科の中でエスペラント名を付けられているものを上げます。
http://eo.wikipedia.org/wiki/Kanisedoj
KANISO(イヌ属一般名称)
HUNDO,LUPO,VULPO・・・NEPOの動物基本語候補
DINGO(オーストラリアのイヌ属の一種)
ŜAKALO(BRO基本単語に含まれている。生息地アフリカ・南アジア)
KOJOTO(PRERI-LUPOとも言う、生息地北アメリカ)
AGVARAO(タテガミオオカミ、学名Chrysocyon、生息地南米、Ava&ntilde;e'ẽ 語で「キツネ」らしい)
MUSTEL-VULPO(ヤブイヌ、生息地南米、エスペラントではイタチキツネと名づけられている、そんな感じの外見)

例えば、今までのエスペラント感だと、現地Ava&ntilde;e'ẽ語で呼ばれてる名がエスペラント単語に登録されれば、
「平等だ!素晴らしい!」と讃えられるのであろうが、
日本人がこの単語を見て、何を指すか即座に理解できるであろうか。
この例をみると、現地語をどんどん取り入れる事が決して「分かりやすい」ものでないと分かる。
それと比べれば、PRERI-LUPO、MUSTEL-VULPOは、例えPRERI、MUSTELと言う単語を知らなくても、
オオカミっぽい或いはキツネっぽい動物だろうと即座に想像できる。
NEPOでは、そのように動物基本語を元に、その他の動物達も表現できるようにしたいのである。
現地語流入を手放し礼賛ではなく、西欧語を基本とした基本語根で「分かりやすい」言語を目指したい。
頭の固い旧来の人には「平等じゃない、差別じゃないか!!」と罵られそうですが、
「分かりやすさ」こそ「公平、平等」だという信念で。

145ベダウリンデ:2009/12/09(水) 21:05:06
イヌっぽい基本語がhundo,lupo,vulpoなら、今までのエスペラントと同じではないか、と思われそうなので、補足。
PIVは持ってないのでReVoで見ると、
lupoは、北半球に住む飼い犬の祖先と考えられるイヌの一種
vulpoは、長いふさふさした尾を持つ赤っぽい毛皮のイヌ科の一属
みたいに書かれている。
この書き方では、lupoはタイリクオオカミを指すと思われる。
vulpoの説明はアカギツネの特徴とぴったりだが、
全部のキツネ属がそういう特徴なのだろうか、疑問である。
この定義だと、lupoでもvulpoでもないイヌ科は、新たに別の名前が必要になる。
そういう点が良くないと思うので、NEPOでは、定義を変えるのである。
lupoのプロトタイプはタイリクオオカミ、vulpoはキツネ族だが、プロトタイプは一応アカギツネとする。
イヌ族の中には、オオカミとキツネの中間のようなものが沢山いる。
それらが、どちらのプロトタイプと近い印象を持つか、主にその地域の住民が判断して、
○○lupo、○○vulpoと名付ける。場合によっては○○hundoでもよい。
ジャッカルは、私ならばキツネオオカミと名付けたい外見である。

146ベダウリンデ:2009/12/12(土) 09:06:37
現在の案:
動物基本語(基本レベルのカテゴリ)は、プロトタイプを中心とした、それに似た印象を持つ動物全てを含む。
似た印象の判断は話者が行ってよいが、多くは、母語などからの類推となるであろう。
下位レベルの正式種別名は、動物基本語の前に何かを足して**−○○の形にする。

例:hundo一語では、プロトタイプの飼い犬一般、及びその野生化したものを指す。
**-hundoは、①飼い犬の下位レベル。ブル-hundo、ハスキー-hundoなど、
**-は、固有名詞的な特殊な語でもよいとする。イヌである事が分かればよいので。
②正式にはイヌではないが、外見的にそれに近い印象を与える動物にも、種別名として**-hundoと名付けてよい事とする。
その場合の**-は、基本語の組み合わせとし、その性質がよく伝わるように工夫する。
例えばタヌキは、日本では愛される動物だが、世界的にはまだまだ無名であると思われる。
英語ではアライグマ犬と呼ばれる。日本人からすると。快くない呼び名だが、
かといって、○○ギツネと新しい名称を付けるのにも抵抗がある。
アライグマとタヌキは実際よく似ていて、その特徴をよく示しているし、英語の影響力に便乗した分かりやすさもあるし、
rav-urs-hundoでもいいんじゃないか。
これが認められれば、タヌキはイヌではないが、正式名称として**-hundoの名が与えられる事となる。
これは試案なので、他の案もあれば、どうぞ。

lupo,vulpoはそれぞれ、タイリクオオカミ、アカギツネをプロトタイプとした、それに似た印象を持つ動物。
各種の正式名称は、**-lupo,**-vulpoとなる。
**-は、地名や性質を含む基本語の組み合わせが望ましい。
現地語名称など、世界的に有名ならば、固有名詞的にその名を冠してもよいとするかは、思案のしどころ。
ここを認めるとなし崩し的になるのでなるべく避けたい。
例えば、フェネックギツネは、サバクギツネ等とするのが望ましいが、
フェネックという名も有名かもしれないので、fenek-vulpoとする案もあるかもしれない。
でもそうしたら、なし崩し的にfenekoになってしまう不安がある。
なので、なるべく、地名+性質などで考えたい、と思っている。

>なつさん
ウシ科にも手を付けました。量が多くて大変でした。

147ベダウリンデ:2009/12/12(土) 12:06:14
**-に、固有名詞的に特殊な語を持ってくる場合、特殊なルールが必要になるかもしれない。
つまり、ブル-hundoは、それでもって一語の扱いとし、
ブルだけを取り出して品詞語尾を付けて独立させるのはよくない。
エスペラントは品詞語尾を付け変えて勝手に増殖できるので、それは便利な反面非常に危険でもある。

動物は非常に種類数が多く、有名な動物は基本語の組み合わせで何とかなりそうだが、
マイナーな種、或いは、専門的な下位レベルの分類では、いちいち基本語で名前を付けられない可能性も出てくる、と思いました。

148だにょ:2009/12/12(土) 21:55:37
訂正:

>7000語を850語まで絞った方法。

7000語から絞ったというのは記憶違いかも。7500を言い換えたことがあるというのが実際かも?

>『850語に魅せられた天才オグデン』の著者も、難解すぎて読めなかったとのこと。

その本の著者はちゃんと読んでいます。全部理解するのが困難だとのこと。

私は大雑把に言ってしまう傾向があるのでご注意!

149だにょ:2009/12/12(土) 22:00:56
2000語根くらいまでは良いような気もしますが
(中学と高校1年生くらいで覚えるくらいだったらなんとかなると)
ベーシックの宣伝というよりも、ベーシックを参考にしようということで、、、

▼語彙制限の実験:

「いんみー表」>>109に従い、語彙の数や動詞の使用を制限して、ベテランの発言を書きかえてみます。

◎ケースⅠ(>>22

>Mi estas japano... Mi asertas ke lingvo bezonas iagradan koincidon aux konkorodon...
>Ne uzeblas nek praktikeblas ia lingvo kia konsistas el disordo kaj miksigxo vortare kaj gramatike...?
>私は日本人です・・・私は、言語には一定の整合性が必要だと思います・・・
>語彙でも文法でも、ごっちゃ混ぜの言語は、使いものにならないのでは・・・?

Mi estas japano... Mi sendube diru, ke estas bezonate al lingvo havi ia-gradan harmonion...
Ia lingvo, kia estas farita el dis-ordo kaj miksigxo en vortaro kaj lingv-regulado,
ne estos uz-ebla nek donos helpon por cxiutaga uzado...?

このケースではkoincid-o, konkord-o, praktik(ebl)i, konsist-i, gramatik-eを使わないで済みます。

◎ケースⅡ(>>33

>Kion vi imagas au~ fantazias pri la situacio??!!?

Kian ideon aux bildon en via menso vi prenas pri la kondicxaro??!!?
Kio estas en via menso pri la kondicxaro??!!?
Kion vi prenas/havas/akiras en via menso pri la kondicxaro??!!?

la kondicxaroは無理があるかもしれませんが、電子辞書には「状況、環境」と載ってました。
このケースは原文の方がわかりやすそうです。

◎ケースⅢ(>>93

>Mi malfermis ombrelon.(傘を開いた)
>Mi sxirmas min per ombrelo.(傘で自分を覆っています)
>Li estas kun omblelo.(傘をもっている)

Mi faris ekspansion de ombrelo.
Mi donis al mi kovr(ec)on de/per/el ombrelo.
Li tenas ombrelon en sia mano.

Li havas ombrelon.(所有または所持)
Mi donas al ni kovron de ombrelo.(相合傘)

傘を「開く」はどういった動詞を使えば良いものか?
「開くとは何か?」なんて考えこんでしまいます。

150なつ:2009/12/13(日) 00:51:37
Hundo(イヌ族)とVulpo(キツネ族)でいいのではないでしょうか?
ただし実際は、話者の主観でよく、(あるいは厳密でなくてもよく)○○ギツネ(fox)という「イヌ族」は〜〜hundoでもちろんいい。
カニクイギツネ=カニクイイヌでもあるわけですし。
つまりプロトタイプ:Hundo→イエイヌ、Vulpo→アカギツネといったほうがいいかもしれない。
ただ、どっちかなと思ったときはイヌ族→Hundo、キツネ族→Vulpoという具合で。
と僕は思いました。
大陸狼の家畜化がイエイヌいわゆるhundoなわけですからオオカミというふうに区別したければsovagxを付けたらいいと思うのですが。
逆にHundoとVulpoではなく、LupoとVulpoの2分類でもいいとも思います。とにかく、LupoとHundoの区別は細かい気がするんですが。
暴論をいうとHundoとVulpoはKanisoという上位概念で集約させてしまう。
Kanisoという語があるのは面白いと思いました。ザメンホフが発表した当初、「なんでHundoなんだ!Kanisoにすべきだ!絶対に!」という意見がよせられていたというのを思い出しました。
その後、自然に勝手にKanisoという語が増えたわけですね。

現地の言語を語根としてどんどん取り入れるのが平等だという意見は、僕はノシロ語的発想だと思っています。
一つの言語を優先することによって他の何百という言語話者が分かりづらくなるだけですからね。
仮に100言語あり100地域あるとすれば、1つの優先によって「みんな等しく」99個も分かりづらいものが乗っかるわけですから。
みんな等しく分かりづらいという平等には僕も反対です。

151なつ:2009/12/13(日) 01:27:36
訂正
1  〜〜hundoでももちろんいい。→〜〜vulpoでももちろんいい。
2  暴論をいうとHundoと「Lupo」はKanisoという上位で集約させてしまう。
僕は、専門的下位レベルは「学名」併記でいいんじゃないでしょうか。
そこまではやれないし、やるべきでもないと思います。キリがなくなります。
キンイロジャッカルは、たとえば、「or-vulpo-hundo(Canis aureus)」のような。
タヌキは「Lav-urs−hundo」で充分だと思います。日本以外どうでもいいような感じだと思いますし、必要なら学名を併記させる。
やはり動植物の名前は種類がありすぎるし地域差がかなりありすぎます。馴染みのない所にはどうでもいいわけで、ほんとにザックリとしたもので充分です。
それに**を前につけたりすると。そして必要なら学名を併記させとくと。これでいいと思います。

152ベダウリンデ:2009/12/13(日) 16:40:35
>150
私がlupoとhundoを分けた方がいいと思った理由は、
人類にとっての古くからの「友」であるイヌと、危険な敵であり、時に崇拝する対象でもあるオオカミは、
確実にどの人類も区別するであろうし、したいであろう、と思ったからです。
また、ディンゴなど、野生化したイヌもいるので、オオカミも野生イヌとすると、その区別が困る。
生物学的な分類なら、おおまかにイヌ系とキツネ系で分ければいいですが、
人類文化的な事を考えると、イヌとオオカミは分けてもいいのではないか、と私は思いました。
イヌとオオカミの区別は、レポロとクニークロとは異なり、
特定の民族のみが持つ特殊な分類意識でなく、人類に普遍的なものであるだろう、という判断です。
野生のイヌ科は、できれば、lupoかvulpoに分類する。
hundoは生物的にはlupoの仲間であるが、イヌのみに与える特殊な名称とする。
「ジャッカルが来た」は「lupoが来た」で十分に近い意味が通じる。
「kanisoが来た」では、ただのイヌが来たのか、危険な種が来たのか、分からない。
いちいち「vulpo-sovagx-kanisoが来た」と言うのは大変です。

ところで、私は今回初めてkanisoの語を知ったのですが、
kanisoってエスペラントの醜さを示す語だなーと思いました。
結局ラテン語に引きづられて、独自の言語として自立できてないのです。
そんな程度なら最初から全部ラテン語系に統一すべきだったですね。
日本語ではイヌ科をカニス科と絶対言わないのに。

153なつ:2009/12/13(日) 22:54:14
なるほど多くの民族語でイヌとオオカミは区別しているから分けてもいいではないか、ということですね。
僕としては、例えば日本人は、特別な存在であるタヌキに語幹を与えないことでよしとし、
ブタとイノシシを上位レベルに集約して「porko」(sovagx、domを付加で区別)でよしとし、
「ブタ年」で日本人のイノシシ年の人は甘んじてよしとするわけです。
じゃあ、みんなでオオカミとイヌは一緒の語幹で甘んじてもいいんじゃないかなあって思うんですけどねえ。
ただウィキではベトナム語でハイイロオオカミの正式名称は「灰色禿犬」となっていました。
日常的には、「Kaniso!!」と言う時、まあ犬でしょう。仮にオオカミであるなら口調に恐怖、怒りなどが伴います。
狼と羊飼いの少年の物語なら「Sovagxa-Kaniso!!Helpu!」と表記すれば分かるでしょう。

僕もKanisoっていうのには驚きました、同じ理由で。Kanisoにしても今や造語じゃないんですよね、なんか変です。

154ベダウリンデ:2009/12/14(月) 08:46:48
問題は、hundoにするかkanisoにするか、ではなく、
イエイヌとオオカミを基本語として分けるか否か、です。
本来なら、もっと多くの意見を集めて議論するべきですが、
当面は、お互いに自説の根拠を述べて終わり、にしておきますか?

イヌ科をイヌ族とキツネ族に分けて、イヌ系をkanisoとしたとしても、
ラテン語ではkanisoは犬、狼はlupusなので、kanisoという単語がイヌっぽい、という点は否めないでしょう。
英語でもイヌ属はthe Canisというようですが、おそらく学術用語でしょう。
エスペラントでは、学術用語と日常語が乖離するような現象は、なるべく避けてほしかったです。

ところで、日本では「ヤマイヌ」は、ニホンオオカミの事だそうです。(転じて野生化した犬も)
単語の上では、日本人も、オオカミとイヌを同一視してる民族、と言えます。
「もののけひめ」に出てくるヤマイヌをhundoと訳すのとlupoと訳すのと、どっちがイメージを伝達しやすいだろうか、とも思いました。

ちなみに、ウシ族ヤギ族にも、家畜化されたものと野生のものがいます。
私はブタ同様、これらはbovo,karpo,porkoで統一し、野生はsovagx-で分別する、で良いと思いました。
hundo・lupoと違うじゃないか、と自分でも思いました。
思うに、ウシ・ヤギ・ブタは、肉、毛、乳その他を提供するために家畜化された。
本来なら野生のものを捕まえれば十分なのに、効率上、家畜化された。
逆に言えば、家畜がいなければ、野生のものを狩ればいい。
ウシ・ヤギ本人としても、放牧されてたりして、結構「自由」なつもりかもしれない。
その点、イヌは、肉のために(食用にする民族もいますが)家畜化されたのではなく、
「主人に忠実に働く」点が評価され、いわば人間の手下となるべく飼われたのだろう、と思った。
野生化したものでは、代わりにならない。
そんな点で、肉用草食家畜と、イヌは区別してもいいかな、と思ったのです。

155ベダウリンデ:2009/12/14(月) 09:16:08
雑談:
NEPOは、ただの「言語学」じゃなくて「博物学」である点も面白い所です。
最近はイヌ科やウシ科を調べたけど、今まで知らなかった生物種も新たに知って、面白かった。
NEPOは、「世界の○○」みたいなものに興味関心のある人が非常に向いていると思う。
イヌとオオカミを分けるか否か、なんて、文化人類学的要素もあると思うし。
西欧文化=現代文化なのだから、西欧文化のものだけ細かく表現できれば十分、
と考える人にはNEPOは理解できないと思うから、そういう人はたぶん興味を示さないと思う。
言語オタクは、各民族語の音韻、文字、文法の知識を収集するのが生き甲斐なんだと思う。
世に人工言語はいっぱいあるけど、エスペラントに○○語の要素を加えて新言語作ったら、それだけで満足してしまうのかも。
エスペランチストには「ただの言語オタク」も多そうだから、なかなか理解は得られないかも。
逆に、広い知見のある人にとっては、エスペラントなんて、「失敗した数ある人工言語のひとつ」かもしれない。
NEPOの賛同者になれる条件ってかなり狭そうだけど、自分がやってて面白い点もあるから、
ぼちぼちやろうと思う。
だにょさんへ。書き込みしてくれたけど、忙しくてまだ読んでない。読んだらコメントします。


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