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新エスペラントNEPO*進行中

1ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:18:27
NEPOとは、Nova Esperanta PosteulOの略です。
訳すと、新エスペラント後継者、です。

エスペラントは好く出来た素晴らしい人工言語ですが、
貴方は、次のように思った事はありませんか?

①エスペラントの単語は合成語が意外と少なく、
 ヨーロッパ語をそのままエスペラント化したような単語が非常に多くて、難しい。
②それゆえに、我々非ヨーロッパ人には不利で、不平等だ!

NEPOは、上記の点を改善したいと思ってる新エスペラント構想です。
現在のエスペラント最大の欠陥=語彙面に重点をあて、
「語根を整理、削減する事で民族的な不平等感を減らす」事を目指しています。
このスレで公開活動中です。貴方のアイデア募集中です。
>>2 説明目次

2ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:24:23
>>3 難しいな、の具体例
>>4 現状と原因
>>5 既存の対策
>>6 新対策NEPO
>>7 何を変えるのか-1
>>8 何を変えるのか-2
>>9 何を変えるのか-3
>>10 NEPOとエスペラント
>>11 活動方針
>>12 将来像

前スレ
NEPOを思いついたのは、「なぜエスペラントは普及しないのか?」スレの515です。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1199456754/

方向性模索中の頃
「新エスペラントNEPO構想*アイデア募集中」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1249603204/

方向性が定まってきたので、スレ独立しました。

3ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:30:22
難しいな、の具体例

エスペラントを初めて知った時、期待に胸を膨らませたあの頃。
数少ない語根を組み合わせれば、何でも表現できるんだって。
中立平等な国際補助語、ばんざーい!!
ところがどっこい、そうではなかった・・・

①お店はvend-ejo、病院はmal-san-ul-ejoと造語する、と入門書には書いてあったのに、
butiko(ブティック)、hospitalo(ホスピタル)が普通に使われてると知った時の、軽い幻滅。

②teoが紅茶で、緑茶はverda teo。ŝakoはチェスで将棋はjapana ŝako。西洋中心主義だなー。

③litero(文字)とletero(手紙)、klubo(クラブ)とklabo(こん棒)、humoro(気質)とhumuro(ユーモア)などなど、
似て非なる単語があって間違いやすい。英語ではletter、club、humorと同じ単語である。
西洋文化の中で生じた多義語が、そのままエスペラントの単語に受け継がれてるんだね。

④instru-isto(教師)、kurac-isto(医師)など、-istoは従事者を示す接尾辞、と入門書にはあったのに、
弁護士はadvokato、外交官はdiplomato、編集者はredaktoroと言う。
便利な-istoを使わないから、単語知らないと、それが人だとも分からなかった。

⑤diplomat-oは外交官だけど、外交はdiplomati-oで、それぞれ別の語根である。
同じ語根から造語すればいいのに。

⑥一神教をunu-di-ismoと言わず、monoteism-oとする。monoはお金、teoはお茶、なのに。
このように、学術語は西洋で共通した用語があり、それがそのままエスペラント化している。
学術語だけでなく、一般人でも使う政治用語も同様です。
憲法konstitucio、内閣kabineto、国民投票referendumo、委任mandato等々、
西洋共通の単語をそのまま使ってる。非ヨーロッパ人には明らかに不利だ!

⑦西洋の文化が分からないと区別できない単語もある。kukoとtorto、valizoとkofro等々。
同じような物をそんなに細かく分けられても、異文化人には理解できず、困る。

⑧同じ「砂浜」を表すにも、ドイツ語系のstrandoと、フランス語&スラブ系のplaĝoと、
二種類の言い方がある。喧嘩せずに統一してくれ!と思う。

等々、私は思ったんですが、他にもありませんか?

4ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:36:17
現状と原因

・現状
「具体例」であげたように、今のエスペラントには、ヨーロッパ人の都合に合わせたような単語が満ち溢れています。
それゆえに我々非ヨーロッパ人は「不平等感」を感じ、「エスペラントは中立平等な言語ではない」と思うのです。
なぜ、このような事になってしまったのか。

・原因
人間には、「楽したい」という本能があるのでしょう。
誰でも、自分の母語が「楽」です。人工語も、自分の母語に近ければ「楽」です。
母語のイメージのまま、エスペラント単語も言えたら、すごく「楽」です。
ヨーロッパ人は、dolĉ-aĵoですむ物を、kukoだtortoだと分けたがる。
その方が自分のイメージに合ってて「楽」だからです。
日本人だって、箸はhaŝioと言いたいでしょう。弁当をbentooと言えたらすごく「楽」でしょう。

西洋ではどの国でも、外交官をdiplomatoのように言う。
だからそのままエスペラント化されたのですが、その理由はやはり「その方が楽だから」です。
これに対しては、ザメンホフの15条目の条文が正式許可を与えてしまったという、別方面からの要因もあります。

ヨーロッパ人の気持ちになって考えれば、エスペラントが今のような状態になるのは至極当然の事なのです。
エスペラントはヨーロッパで生まれたし、発展したのもヨーロッパだから、ヨーロッパ人達が楽なように発展した。
ただしそれはヨーロッパ人には楽であっても、非ヨーロッパ人にはそうではなかった、という事なのです。

5ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:39:44
既存の対策

今の状態が改善されればいい、という想いは、今のエスペランティスト達の中にも、十二分にあります。
今までは、次のように言われてきました。

エスペラントが広まって、非ヨーロッパ人が使用すれば、ヨーロッパ語直訳単語だらけの状態も
「自然に」改善されるでろう、という説。

しかしもし、日本人エスペランティストがヨーロッパエスペランティストに対抗して、
日本語由来の単語を広めたとして、はたして、それによって「改善」されるのかどうか。
語根数が増え、混乱し、日本人以外の非ヨーロッパ人には、ますます分かりづらくなるだけです。
その上、数多の諸民族がそれぞれ「自分達が楽」な単語をエスペラントにどんどん導入したら・・・
収支がつかなくなるのは目に見えてます。

また、ヨーロッパ語由来の長い単語を、基本語根を組み合わせた合成語に置き換えよう、という提案も古くからありました。
古くから提案されてるものの、未だに、そちらが主流にならないのはなぜでしょう。
どんなに良い提案であっても、ヨーロッパ人は当然、旧来の楽な言い方を選択するでしょう。
また、習慣という面も無視できません。
日常頻出語であれば尚の事、一人の個人がどんなに優れた提案をしたとしても、
その他の多数が素直に受け入れるはずないです。
いつか「自然に」エスペラントは改善するだろう、と言われても、先が全く見えない状態なのです。

そんな八方ふさがりを打破したいのが、NEPOです。

6ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:41:31
新対策NEPO
エスペラントの「不平等感」は、今は多くの人に自覚され、
「エスペラントは中立平等の言語とは言えないのだから、中立平等の看板を下ろすべきだ」という意見も、ごく普通に見受けられます。

もし本当に中立平等の看板を下ろしたら、エスペラントは「国際交流語」としての価値を全く失ってしまうでしょう。
そんなエスペラントは、不平等であるが国際語化した英語と、一体何が違うのでしょう。
英米人だけが優位な英語と、ヨーロッパ人だけが優位なエスペラント。
非ヨーロッパ人にしたら、不利なのはどちらも同じです。

NEPOは、エスペラントを、「国際交流語」の名に値するものに変えたいのです。
そのためには、非ヨーロッパ人が感じる「不平等感」を無くす事です。
そうすれば、エスペラント本来の理想である「中立平等」に、今よりは近づくのではないか。
「国際交流語」と名乗るにふさわしい言語になるのではないか、と思っているのです。


また、「現状と原因」で述べたように、エスペラントは「自然に」は改善しないでしょう。
改善は「自然に」ではなく、「計画的に」行う必要があります。

つまり、NEPOとは、
「不平等感」を軽減したエスペラントの改訂版を「計画的に」作っておこう、
とする企画なのです。

7ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:45:01
何を変えるのか-1
NEPOでは何を変えるのか、大体の方針を示します。

①音素
音素は、変えません。
エスペラントには、ある人にとっては発音しにくい音素、が含まれています。
けれども、発音しにくい、しやすいというのは、その人の母語や経験によるのです。
誰かにとって発音しやすい音素でも、他の誰かにとっては発音しにくい。逆もしかり。
何をどう変えても誰かが不満になるのです。
世界の民族語で共通的に表れる音素というものも存在しますが、その数は少なく、
語彙を構成するのは不利となります。よって、今のエスペラントの音素を継承します。

②文字
文字も、変えません。
ラテン文字を使用してる時点で不平等じゃないか、という意見もあるでしょう。
しかし、新しい文字を発明したとして、それを覚えられるでしょうか。
世界には様々な文字体系がありますが、世界一普及してる文字は、ラテン文字がダントツです。
NEPOは「平均的な分かりやすさ」を重視して、ラテン文字を継承します。

また、比較的不人気の「字上符」ですが、これも継承します。
この山形記号のおかげで、ぱっと見でエスペラントと分かります。
エスペラントのアイデンティティとして継承します。

③文法
文法は、今後の意見交換により、是非とも改造を、という箇所があれば改造がありえます。
その際は、変更は最小限となるように、しかも、例外を作らない事を最前提の条件として、綿密に検討しなければなりません。
例外が無い、というのは、「覚えやすさ」の点で最も重要であると考えるからです。

エスペラントの文法は、類型的には屈折語と言われる印欧語の文法を、極度に簡略化したものです。
この文法だけで不平等じゃないか、という意見もあるでしょうが、文法は単なる規則です。
最も単純な形に整備され、誰にとっても比較的理解が容易であれば、「類型」にこだわる必要はないでしょう。
ただし、今のエスペラント文法にも、複雑すぎる点、区別が困難な点、というのが無いわけではありません。
そういった点においては改造も視野に入れてます。

8ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:49:19
何を変えるのか-2

④語彙
非ヨーロッパ人が今のエスペラントで最も「不平等感」を感じるのは語彙面です。
よって、NEPOで大々的に変更するのは語彙です。
ヨーロッパ語直訳の長い単語を、語根を組み合わせた合成語にするのはもちろんの事ですが、
語根そのものも見直しして、数を大幅削減します。
語根は、覚えなければならないパーツです。それが少なければ使用者の負担も減ります。
誰の母語でもない交際補助語は、「覚える苦労」が少ない方が良いでしょう。

ここで重要なのは、見直し前の元の語根の「字面」は変えない点です。
今の基本語根も、語源は全てヨーロッパ語ですが、変えません。
それでは不平等のままではないか、という意見もあると思いますが、
もし、語根の「字面」を変えたら、エスペラント学習者が今まで覚えた単語は全て無駄になります。
何語でもない単語を導入したとしたら、厳密な意味で「平等」になるかもしれませんが、
「覚えやすさ」の面はどうでしょう。
ヨーロッパ語の単語は比較的世界に広まっていて馴染みやすいという長所があります。
その数を減らして、覚える負担を軽くすれば、例え語根の語源はヨーロッパ語であっても、
非ヨーロッパ人にとっての不利という想いは軽減されます。

ただし、既存の「字面」が、誤解を生みやすく著しい混乱の原因となっている場合は、
「字面」そのものの改定もありえます。

まとめると、NEPOでは、「厳格な平等」よりは、現実に即し、
「厳密には平等でないかもしれないが比較的万人に分かりやすい」という意味での「平等」を目指す、
という事です。
(この項、さらに続く)

9ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:52:35
何を変えるのか-3

④語彙(の続き)
さて、語根の数を削減する方法は
a.語根の意味を拡大する
b.似た意味の語根をひとつにまとめる
c.より応用力の高い接辞を考える
などが考えられます。

このようにすると、語根の「字面」は今と同じでも、意味内容が多少変わってくる可能性があります。
今のエスペラント単語は、ヨーロッパの単語と一対一に相当したものが多いですが、その点は変わるので、
ヨーロッパ人達にとっては、「今までの様にはいかないぞ」という事です。

語根は造語を作る上でのパーツとなりますが、
今までは、例え造語するにしても既存の語根を駆使して作らなければなりませんでした。
NEPOでは語根そのものを変えることが可能なので、今までのパーツに囚われる事なく、
全く新たな自由な発想での造語もできる事になります。
その点が、既存の枠内での改良案とは、根本的に異なる点です。

語根を減らして表現力が落ちないか、という懸念もあると思います。
NEPOは「国際交流」に目的を特化した言語になると良いと思います。
「国際交流」には、民族性に依存した、同一文化に所属する人しか理解できないような単語は、
個別の語根としては全く必要ないと思います。
今まで存在していた単語は、基本語根による合成語に置き変えれば、同じものが表現できます。
そのようにすれば、表現力そのものが低下するという事はないでしょう。

まず、自分が当然と思ってる事が相手にとっては必ずしも当然ではない、という事を意識できるようにしたいです。
その事を自覚して、人類として共通な感覚の上に立って交流できるような言語にしたいです。
よって、今後の語彙設定で最も意識していくことは、
「民族性に依存していないか」「人類共通的であると見なして良いかどうか」という事になります。
簡単なようで非常に難しい作業になると思います。
上手く成功するかどうかも未知数です。
ただ、多くの人から有意義なアイデアを集められたらいいな、と思ってます。

10ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:55:57
NEPOとエスペラント

昨今、「エスペラントは中立平等じゃないじゃないか」と、あからさまに批判されています。
厳密な意味での「中立平等」を目指した人工語も続々開発されつつあります。
エスペラントが今のままで止まっていたら、いつかは、人々から見放されてしまう可能性が高いです。

エスペラントには独特の魅力があり、歴史も長いです。
そんなエスペラントを「過去の遺物」にしてしまいたくはありません。
そのためには、本来の理想である「中立平等」になるべく近付けるよう改善を模索するべきです。

NEPOはエスペラント語で「孫」の意味です。
エスペラントの改造版でIDOというのがありますが、「たび重なる改造で結局見限られた」と言われます。
NEPOもエスペラントの「改造版」ではありますが、IDOを反面教師とし、
改造するにしても同じ過ちは繰り返さないようにしたいものです。

「孫」であるNEPOのお爺さんは今のエスペラントです。
お爺さんの良い点を継承するとともに、お爺さんの時代では成しえなかった点を、
世界規模の視点で見直して変えていくのが「孫」です。
偉大なお爺さんは今はまだ頑張ってくれてるけど、いつまで「もつ」か。
「もしも」の時に、大事な遺産を継承してくれるのが「孫」です。

NEPOはエスペラントを「改造」するものではありますが、直接には改造を求めません。
今のエスペラントと併存する形で、次世代エスペラントとして、これから徐々に形作っていこうと思います。
そして、今のエスペラントではいよいよ駄目だとなった時、その時がNEPOの出番です。
NEPOは今、構想が生まれたばかりなので、完成には時間がかかります。
その間、今のエスペラントで何としてでも頑張ってもらいたいです。
エスペラントとNEPOは決して「敵」ではなく、先代と後継者、という、お互いにとって必要な存在なのです。

「何を変えるのか」で説明したように、NEPOは、見かけ上はエスペラントと、ほとんど変わらないでしょう。
NEPOは、現在のエスペランティストが活動したり学習したりしていく中で、
「ここが直ればいいのに」という想いを受け止め、未来につなぐ役割も担ってます。
そのためには、今のエスペランティストから見て、違和感なく今後を託せる存在である事が重要です。

また、現在のエスペラントの豊かな遺産を引き継ぐためには、
エスペラントからNEPOへの翻訳が容易となるように、考えておく必要もあります。

11ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:58:16
活動方針

NEPOは、今のエスペランティスト達の「こうだったらいいのに」という想いを体現するものです。
なので、NEPOには「特定の作者」は存在しません。
エスペランティスト達の総意から形成されるものであるのが理想です。
危機感を共有し、NEPOの趣旨をご理解して頂ける人が、今後増えてきたらいいな、と思います。

今のエスペラント活動で十分満足しているエスペランティストの皆さんの数が多いのは知ってます。
ただ、その方々の全ての人が、今のエスペラントに言語的に十分に満足してるとは限らないようです。
英語よりはマシだから、普及してない他の人工語よりはマシだから、と、
消去法でエスペラントを選択してると自覚してる人が多いです。
そのような方にとっても、前向きな発想転換をして、本来の理想を追い求めてみる、夢を形にしてみる、
というのは、案外と楽しい事かもしれません。

活動は今のところ、「この掲示板でテキトーに意見を出し合う」程度です。
様々な視点での、雑多な意見を集めたいです。
書き込みしたから、とメンバー扱いはされません。お気楽にどうぞ、です。

初心者大歓迎です。
今までのエスペラントの常識にとらわれない自由な発想を、むしろ、求めています。
初心者の人が「ここが難しい」と思った点は、他の非ヨーロッパ人の誰かも同じように感じてるかもしれません。
その感覚を忘れないうちに、ここに書き込みしてほしいです。

ベテランさんは、今までのエスペラントに馴染みすぎて、新しい発想はなかなかできないでしょうが、
「そこ矛盾してる」というつっこみとか「昔は〜と言っていた」とかいう情報なら大歓迎です。

そのほか、学問一般に詳しい人も、いたらいいですねー。

12ベダウリンデ:2009/08/24(月) 10:04:59
将来像(楽したい本能への対策)

NEPOは、民族間の「不平等感」を無くすのが最大の目標です。
特定の民族だけが理解できる概念は、なるべく排除したいです。
しかし、「現状と原因」で述べたように、人間には「楽」したいという本能があります。
人工語では、自分の馴染んだ言い方をしたくなるのが当然なので、
何の対策も打たないでいると、今のエスペラントのように、無条件に「弱肉強食」の状態で、
どんどん新語が流入してしまう結果となるでしょう。それに歯止めをかけるには・・

①民主的な決定機構
NEPOでも将来的には「新語導入」を検討する必要が生じると思います。
時代の流れに従って、何らかの対処が求められる事もあるでしょう。
その時に「野放し」にするのではなく、民主的な機構を通じ、綿密に検討した上で決定して、公表できるようであってほしいです。
また、誰でも平等に新情報を得られるような工夫も必要です。
現在のエスペラントでは、現代的な概念に対し、どのような単語を用いたら良いのかという情報がほとんど得られない状態です。
将来のNEPOには、オープンで、民主的に物事を決定をする統括機構のようなものがあったらいいなーと思います。
そのためには、今から、「民主的に」、自由な意見交換を重視した活動ができたらいいな、と思ってます。

②部分的自由化
NEPOは国際交流に特化するため、特定の民族語を意味内容まで丸々一致させてエスペラント化したような単語は、使用を控えるべきです。
そうする意識がNEPO使用者には求められますが、
一方、民族性に依存したまま「楽」したいのも、捨てがたい本能です。
個人的に気楽に、ブログや小説を書きたい人もいるでしょう。
また、同一の文化背景を持った者同士の交流も考えられます。
特定の学問分野で議論したい人や、インターネットで特定のジャンルの用語を駆使したい人などです。
そのような「文化を共有する」人々向けに、対象限定のオプションがあってもいいか、と思ってます。
国際交流に目的を限定した、特定の文化に依存しない基本版NEPOがまず存在した上で、
範囲限定ならば、そこからはみ出してもいいですよ、と一部自由化する。
それらは登録制団体のような形を取り、基本版NEPO訳を併記した「専門用語集」のようなものを公開してもらうようにする。
そうすれば、部外者から見ても翻訳可能となります。
そのような形になれば、ヨーロッパ文化に依存した現在のエスペラントも、「ヨーロッパ文化」のオプションとして吸収する事ができます。
正式な出版物としては基本版NEPOで、少なくともその注釈付きとなるように、自主的に規制する必要はあります。

つまりNEPOでは、自主規制と部分的自由化を両方使い分け、
各自意識して「楽」したい本能をコントロールし、
今のエスペラントが陥った無秩序状態を回避できたらいいと思ってます。
そこまで意識高めるのは無理かな?
将来像なので、夢の夢、イメージの話ですが。

13ベダウリンデ:2009/08/24(月) 10:19:06
以上、自分なりに理想をまとめてみましたが、
今後の皆さまのご意見により、考え方が変わる場合も十分ありえます。
遠慮なく無くご意見お寄せ下さい。
NEPOは私一人ではとうてい成しえない「壮大な」企画だと思ってます。
色々意見を取り入れて、「みんなで作る」的になったらいいな、と思ってます。

14ベダウリンデ:2009/08/24(月) 11:12:37
前スレで大きな数の単位の話が出ました。
日本や中国では、数を4桁で区切るのに対し、エスペラントは西洋語と同じく3桁で区切るから、日本人には分かりづらい、と。
ちょっと調べたのですが、中国では古くは、1桁ごとに名前を付けてたのか、
十万が億で、百万を兆と言っていた、と辞書にありました。
ヒンディー語のサイトで調べたら、ヒンディー語では千以上は2桁で区切って名前があるようでした。

アラビア語、トルコ語は、千までは独自の民族語っぽいですが、
百万からはミリオン的な言い方をしてます。3桁で区切るのも西洋と同じでした。
ウイグル語でもそうみたいだから、この概念は結構古くから、イスラム教を通じて(?)入ってきたのかな??
などと思いました。起源はどこなんでしょうね? 
日本でもお金書くときは10,000円とか、3桁で区切って書くから、
世界的には3桁区切りが多数派なのかな、と思いました。

百万がミリオンという言い方は、調べた限りではどこでも共通的なのですが、それ以降は混乱が見られます。
ちなみに、エスペラントでは、miliardo十億、biliono兆、trilionoがその6桁上となってます。
この、ミリアルド系、ビリオン系、トリリオン系は、他の民族語でも同じような言い方をしますが、
どの数値にあてるのかで混乱してます。
十億にミリアルド系を使うのは主流派で、アラビア語、トルコ語でもそうでした。
英語ではミリアルドは使用せず、十億はビリオンを使います。(一部他のヨーロッパでも)
そして兆がトリリオンとなります。
アラビア語とトルコ語では、ミリアルドの次をビリオンとせず、ビリオン抜かして
兆をトリリオンと言う場合もあるようで、非常に混乱してます。
民族語ではそれでいいのですが、エスペラントではどうなんでしょう。
英語からの類推も簡単に入って来るだろうし、混乱の影響を受けやすいのではないでしょうか。

そこで考えました、新しい単位を作ろう、と。
メガ、ギガ、テラ、ってありますが、それも3桁区切りで、それぞれ、
百万、十億、兆、と同じ値らしいです。
なら、ミリオンはそのままで、十億ギリオン、兆テリオンとか、新語を作ったらどうか、と。

そのほか、日本中国その他向けに、4桁づつの区切り体系も、併用して考えてもいいかな、とか。
万のマリオン、億のオリオン、とか。
既存の枠にとらわれず自由に考えるって楽しいな、と思いましたよ。

15ベダウリンデ:2009/08/24(月) 18:02:52
数字についてもっと調べたんですが(調べる前は全く知らなかった)、
西洋式はショートスケール(英・露・トルコ)とロングスケール(仏・独など、ほとんど)があるのですね。
ミリオン百万までは同じで、
〜リオンが、3桁づつ変わっていくのがショートスケールで、6桁づつがロングスケール(みたいです)
エスペラントも基本ロングスケールなので、ミリオンとビリオンの間にミリアルドが入るのですね。
これではますます混乱するのが明らかとなりました。

メガ、ギガ、テラ式なら、3桁単位と決まってると思うので、やはり変更したいですね。

123,456,789,012,345=百二十三兆、四千五百六十七億、八千九百一万、二千三百四十五を訳します。

NEPO案(ショート)
cent dudek tri telionoj kvarcent kvindek ses gilionoj sepcent okdek naux milionoj dek du mil tricent kvardek kvin
エスペラント(ロング)
cent dudek tri bilionoj kvarcent kvindek ses miliardoj sepcent okdek naux milionoj dek du mil tricent kvardek kvin
英語(ショート)
hundred twenty-three trillion four hundred fifty-six billion six hundred eighty-nine million twelve thousand three hundred forty-five(合ってるか不明)

試しに日本式
cent dudek tri telionoj(兆) kvarmil kvincent sesdek sep olionoj(億) okmil nauxcent unu malionoj(万) dumil tercent kvardek kvin(分かりやすっ)

16エスペロ:2009/08/24(月) 20:12:51
Kara Bedaurinde...Pardonon pro desanponto je via deklamata projekto NEPO...
ベダウリンデさん・・・ご提唱のNEPO構想に水をさすようで済みませんが・・・

Mi mem kontentas pri la nuna E,cxar mi nur esperas ke E estu simple
komuna lingvo NUR inter europanoj...E ne celu esti eventula universala lingvo
inter cxiuj popoloj de la mondo...tio ne eblas...
私自身は、今のエスで満足しています・・・それは、エスはヨーロッパ人の間での
共通語でありさえすればいいと思うからです・・・エスは、世界の全民族間の「共通語」を
目指すべきではありません・・・それは不可能です・・・

Mi plue esperas ke E eliminu vortojn ne naturajn je parolantoj de europaj lingvoj:
ekz. malvarma→frida maldekstra→sinistra malfermi→uvri...
私は、さらにエスはヨーロッパ語の話者にとって不自然な語彙を排除すべきだと
思います・・・malvarma maldekstra malfermi...

17北辰:2009/08/25(火) 05:00:01
Volapu"k, Esperanto 以来一世紀の間に国際語案として発表されたものは三百
ぐらいあるようですが、その99%は案が発表されただけで終わっています。
1世紀を越えて実用されているのはエスペラントだけですが、この場合
その創始者が発表に先立つ5年ほど自分の言語案を試し続けていたことが
注目されます。
 詩や散文を作ってみる、作家・詩人の作品を訳してみる、その中で
言語案を使いやすいように手を加えていった。そのため発表後すぐ
多くの文献が現れて 実際に使える言葉だ、と理解されました。
 ここでは新しい国際語案(? 改良案?)が論じられているようですが、
ザメンホフの国際語案発表までの努力に学ぶところが多いかと思います。
理屈ではいろいろな考え方が出るでしょう。例外を設けたり、かえって
ややこしくなる感じもあるが ---- 最後は、理屈よりも実践です。
 案ができたら、詩でも散文でも、形あるものを見せてもらえればいいな。
実用できるかどうか、見る人が判断できます。Fundamento に反しない限り
実用の自由度は大きいので、エスペラントで活用できるものが
あれば おもしろい。

18ベダウリンデ:2009/08/25(火) 17:30:48
エスペロさん、北辰さん、興味が無い人には、決してお勧めしません。
今までのエスペラント運動を、どうぞ頑張って下さい。
NEPOは「エスペラントの保険」です。もし「不平等」が原因で人々から見捨てられた時の。
NEPOは壮大すぎる企画なので、どっちにしろ、出来上がりまで、何十年もかかるでしょう。
それまでは今のエスペラントが長く継続するように、
御自身の信念に基づいて、是非、頑張ってほしいです。
これやってお二人に迷惑をかけるような事は何も無いと思います。

19ベダウリンデ:2009/08/25(火) 17:54:43
ちょっと他を読んでたら、エスペラントにも敬語があったら面白い、みたいな事が書かれていました。
話題としては面白いので、検証してみます。
NEPOでは、どんな案でもないがしろにしないで、まず検討します。
それをどのようにして具体化するのか、且つ、それが本当に国際交流語としてふさわしい機能かどうか。
NEPOでは、「敬語あったら面白いね」
「エスペラントは生きてる言語だから、そのうち自然にそう変わるかもね」だけでは終わらないのです。

英語を除くヨーロッパ語では、二人称代名詞単数形にくだけた言い方と丁寧な言い方があるそうです。
一人の相手に対して二人称複数形を使うと丁寧になる。
その意識が、相手への尊敬となり、さらには、
お互いに対して二人称を使い分ける事で上下関係を表明するようになったらしいです。(参考「言語と社会」)

エスペラントではviが普通の丁寧な言い方で、二人称親称ciもあるけど、もう死語みたいですね。
つまり、相手を選んで二人称を使い分ける事はしない。不要な語だったので自然退化してしまったのでしょう。

英語も二人称使い分けは無いですが、丁寧な、気を使った言い回しはあるらしいですね。
エスペラントでは、頼む時はbonvolusを使うと丁寧だ、と入門書にはありますが、
丁寧表現と敬語表現とは、微妙に異なるようにも思います。

他の民族語では、丁寧さや上下関係を表すために、語彙や文法まで変わる場合がある。
日本語だけでなく多くの言語で存在し、その方法は想像もつかないのですが、
日本語の例で考えてみます。

a.新たな語彙を増やす。「言う」と「おっしゃる」の使い分け
・・・・覚えなければならない語彙が増え、国際交流語としてはマイナス。

b.接辞を作る。「お」言いに「なられる」的な。
c.副詞などで表現 「恐れ多くも、ありがたくも」的な副詞を入れる。

b.c.は、できなくはないけど、そこまでして必要かな、と思いますね。

敬語をどの場面で使うか、民族により習慣が異なるらしいです。
ヨーロッパ語での二人称使い分けも、具体的に、誰と誰の関係で何を使うかという点は、
民族性で異なるそうです。(出典同じ)
日本語では「母が申しておりました」ですが、韓国語では、親の事は外の人に対しても敬語で表現するって聞いてますし。

習慣が異なるものを国際共通語に導入したら、非常に混乱すると思います。
自分の感覚では敬語を使う場面で、もし相手が使わなかったら「何と失礼な」と思ってしまうでしょう。
今の日本では、若者がお年寄りにタメ口をきき、お年寄りが嘆いているではありませんか。

余計なイザコザを避けるためには、NEPOは「敬語は一切無し」がふさわしいですね。

20ベダウリンデ:2009/08/26(水) 08:49:10
こんなに早く文法に手を付けるとは思ってなかったんですが、-usの用法について。
丁寧に頼むbonvolusなどの-usは、無くたっていいと思いました。
これにより、-usの用法が複雑になってます。
-usは、本来の、現実でない事を表現する機能だけにした方がいいと思う。
遠慮がちな依頼->実現するなんて思ってませんよ的アピール -> -usの使用、になったのだと思いますが、
そこまでの言い回しは必要なのだろうか。
英語のCould youに近いから、ヨーロッパ語の表現習慣なだけかもしれません。

-usは話し手が現実でないと思ってる事の表明ですが、
依頼の-usは、心の底では現実になってほしい、と思ってるのだから、聞き手は混乱します。
一体どっちなんだ、と。混乱の例http://www5b.biglobe.ne.jp/~shu-sato/esp-reibun5.htm

民族語ではコトバの細かいニュアンスで意思を通じあう。それが可能なのは、共通の文化背景があるから。
国際交流では、共通の文化が無いから、細かいニュアンスはなかなか伝わらないと思う。
要求を「〜だったらな〜」と独り言のように言うのが礼儀正しいとされてる民族がいたとする。
それが依頼だと気づかずに「あーそーだね」などと流してたら、「何と気の利かない奴」と思われたりして。

国際交流では、遠回しな言い方せず、率直に表現した方がいいと思う。
聞き手も裏の意図などを勘ぐったりしないように、誠実に対応すればいいと思う。

もしも「遠慮がちに頼んでる気持ち」を表現したいなら、わざわざ混乱される-usを使用するのではなく、
副詞的なものをいれるか、「ご都合よろしければ云々」的に複文にする、とかすればいい。
Mi petas 〜ではぞんざいな感じになるらしいのですが、別にいいじゃん、と思います。
求めてる事は率直に相手に伝えた方がいいと思う。
例えば、Mi petas 〜, se bone. とか言えば「遠慮」が伝わるようであれば十分だと思う。

21なつ:2009/08/26(水) 19:24:39
こんにちは。
ベダウリンデさん。まったくそう。うなずきながらこのスレを読んでいました。
まあ数詞に関しては煮詰める必要がかなりあるでしょうね。そこは僕は保留です。

さて、これは国語レベルの問題ですが、日本人の人で敬語が分かってない人が大勢います。
「敬語と丁寧語の区別が分かっていない!」という表現をする人自体わかっていない。敬語と尊敬語の混同です。
敬語には、尊敬語、丁寧語、謙譲語の3つ(最近では5つに分け始めてもいる)あります。
「英語には敬語がない!」という表現は、間違いで「英語には尊敬語がない!」あるいは、「英語には敬語のうち丁寧語しかない!」というのが適切だと思います。
この英語というのにはエスペラントあるいは他のヨーロッパの言語がたぶんあてはまります。
そして丁寧表現というのはすべての言語にあるんじゃないかな。
ただしその考え方、使用方法は各言語で違い、誤解を生む可能性のほうが高い。
NEPOの場合、ベダウリンデさんが言うように尊敬語、謙譲語は不要でしょう。
そしてぞんざいに、あるいは、高圧的に、命令形の「動詞だけ」をどなって用いるのと、bonvoliを用いて「文」を構成するのとでは、
国際共通的に丁寧であるか否かほぼわかることですので、それで必要かつ十分でしょう。
エスペラントが条件形を用いて丁寧表現をするのは、ヨーロッパ的だと思います。
フランス語ではMi volas〜じゃなく、Mi volus〜というのが丁寧表現で一般的です。
英語では、条件形の活用が失われて過去形にすることで丁寧を表しますね。
どっちみちヨーロッパ的表現であることはまちがいありません。
命令形の動詞1語よりも、Mi petasで文を構成するほうが丁寧であり、
自分の名前を1語言うだけよりも、Mi estasで文を構成させるほうがより丁寧である
というのは共通的(あるいは容易に理解できる)ではないでしょうか。
参考になるか分かりませんが、「日本語手話」は日本語とは別言語と言ってもいいくらいです。
違いは、コミュニケーションをとるため、より簡略化された身振りを使うということです。
それによって、一番の違いは、健常者の日本語よりも直接的な表現かつ感情が豊かだということでしょう。
NEPOもそれにあてはまると思います。価値観の違う人たちの最も効率的に誤解の少ない表現方法は、直接的な言い方(と顔で感情をはっきりと表現)でしょう。

エスペロさんは、エスペラントはヨーロッパ人同士の共通言語であればいいという考え方ですが、
エスペロさん自身ヨーロッパ人なんですか?そうじゃないと矛盾した考えだと思うのですが。
それともアジア人とは話す気はさらさらなく、ヨーロッパ人とだけ話すのだという昔のインテリぶった考え方であるとか?

22エスペロ:2009/08/26(水) 20:07:04
Kara Nacu...Dankon por via mencio pri mia komento...
なつさん・・・私のコメントに関するお言葉に感謝します・・・

Mi estas japano...Mi asertas ke lingvo bezonas iagradan klincidon au konkorodon...
私は日本人です・・・私は、言語には一定の整合性が必要だと思います・・・

Ne uzeblas nek praktikeblas ia linvo kia konsistas el disordo kaj miksigxo vortare kaj
gramatike...?
語彙でも文法でも、ごっちゃ混ぜの言語は、使いものにならないのでは・・・?

E estis kreita kiel pure europeca lingvo...Kaj europaj lingvoj(angla,hispana
,franca,portugala,rusa...) nun estas parolataj kiel oficialaj lingvoj en plejparto da la mondo...
Europo,Norda Euroazio,Norda kaj Suda Ameriko,Oceanio,Afrika,Suda Azio...
エスは、純粋にヨーロッパ語としてつくられました・・・そして、ヨーロッパ語(英語、スペイン語、
フランス語、ポルトガル語、ロシア語・・・)は、世界の大半で公用語として話されています・・・
ヨーロッパ、北ユーラシア、南北アメリカ、オセアニア、アフリカ、南アジア・・・

23ベダウリンデ:2009/08/27(木) 10:21:04
>それによって、一番の違いは、健常者の日本語よりも直接的な表現かつ感情が豊かだということでしょう。
そうなんですか。ちょっと感動しますね。
民族語では「いやみ」や「皮肉」、比喩を使用しての悪口、とか、いやらしい表現にも満ち満ちてます。
それが民族語の「豊かな表現力」ではあるけれど、文化が違えば皮肉が皮肉として通じない可能性もある。
褒めてるのに相手はいやみだと思ってしまったり、これは、同一文化に属していてもありうる。
「文化による裏読み習慣」が存在すると、意思疎通って複雑になるんだと思う。
スムーズな意思疎通のためには、手話でやってる「顔表現」を文字化して、
自分がどう思ってるのかを率直に、他意なく、伝えられるといいと思う。

エスペロさん。
今のエスペラントはヨーロッパ語的で、エスペロさんはそれに満足してるかもしれないですが、
実際には、「エスペラントをアジア化したい」と思ってる日本人エスペランティストは多いみたいですよ。
一月をウヌア・モナートと言う主義の人とか、「敬語導入」の話も私が発想したものではないですし。
NEPOでは各文化を「ごちゃ混ぜ」に取り入れるのではなく、エスペラントから、国際交流には不要なヨーロッパ色を排除する感じです。
「敬語取り入れたから平等になった」みたいな、単純なアジア化とは、ちょっと異なります。

それと、作業面ですが、巨視的な作業と、ちまちま作業があるのです。
ちまちま作業は、エスペラント語根の個々の見直しです。考えただけで気が遠くなります、が、手はつけはじめようか、と・・

巨視的な作業は、夢があって、考えると面白いですよ。
例えば、病名。 病気は複雑なので、正式な名称は国際的な医学名になると思いますが、
日常使う範囲では、「何の、何が、どうなる、病気」程度に表せたら、専門用語知らなくても分かりやすいかな、みたいな。
まず、大きく、①体内における異常症状、②感染による病気 ③怪我、に分けて、
①では、 「何の」は「脳の、心臓の、血液の・・・」。「何が」は「動きが、血流が、成分が・・・」
「どうなる」で「止まる、破裂する、乱れる・・」みたいな感じで、大雑把に言う。
医学の知識が無ければ「何が痛い」病気、でもいい。
他にもっと良い発想ありませんか?
NEPOはエスペラントのベテランより、エスペラントは初心者でもいいから、
学術一般に詳しい人や、人ができない自由な発想ができるやわらか頭の人を、最も求めてます。

24北辰:2009/08/27(木) 14:35:55
ベダウリンデさん
> 興味が無い人には、決してお勧めしません
 「興味が無い」わけではありません。エスペラントの実用上の問題や
その解決のための意見、工夫は聞きたいと思います。
> エスペラントの単語は合成語が意外と少なく、
とは、何によって判断したのですか。辞書によって?
JEIの「エスペラント日本語辞典」と、大学書林の「エスペラント小辞典」との
ページを開いてみた印象、ずいぶん違いませんか?
辞書の編集方針の違いからですが、どう思います?
 エスペラントの合成語は日常の言葉の使用上の必要によって自由に作れるもの、
辞書が その大きな可能性をすべて記録している、とは思えません。
ベトナムの作品でよく見た samsortulo, 辞書には見えないようだが、
合成語と理解すれば、すぐわかりますね。そんなものは載せてないのかな。
使われたものは皆載せれば親切だが、辞書が大きくなりますね。
samideano のような 立派な純合成語を どんどん使って、理解されれば
広まるでしょう。
> ヨーロッパ語をそのままエスペラント化したような単語が非常に多くて、難しい
我々非ヨーロッパ人にとっては、そうですね。ヨーロッパ人にとっては
逆でしょう。だから Ido, Occidental, Interlingua のような
「自分たちになじみやすい」ことばを作りたがるのでしょう。
 基本的なエスペラントの単語からの合成語を広げる事も考えていい、と思います。
エスペラントの非ヨーロッパ化、中立化になりますね。

25なつ:2009/08/27(木) 19:31:26
エスペロさん
では、中立的でもなければ、国際的でもないエスペラントを
そうだと、認めた上で、それでもやる日本人は、
ヨーロッパに隷属、服従的以外のなにものでもないと思いますよ。
また、中立的である国際的であるという表の看板を外したヨーロッパ言語の一つのエスペラントは
ヨーロッパ言語からみたら癒着語的で不自然であり、まるで魅力がありません。
よりヨーロッパ的なインテルリングワをやればいいと思いますよ。

26エスペロ:2009/08/27(木) 20:09:53
Dankon...kara Nacu...
なつさん、ありがとうございます・・・

Vi prave deklamas ke Interlingua au Ido pli preferatas de europanaoj pro
sia europeco...
おっしゃるとおり、インテルリングワやイドの方がヨーロッパ語的でヨーロッパ人には
好まれています・・・

Ili,tamen,estas parolataj au uzataj de malmultaj homoj...E jam agnoskatas kaj
rekonatas kiel planlingvo...tion mi taksas alte...
しかし、これらの言語を話す、或いは使う人たちは少ないです・・・エスはすでに
計画語として認知されています・・・私はこのことを高く評価しています・・・

Kaj ecx inter azianoj Esperanton eklernas tiuj,kiuj jam komprenas europajn lingvojn...
tiuj azianoj ne havus ne-akordan senton pri europeco de E...
それから、アジア人の中でも、エスを始める人たちは、ヨーロッパ語をすでに
理解している人たちです。これらのアジア人たちは、エスのヨーロッパ語性に違和感を
もたないでしょう・・・

27なつ:2009/08/28(金) 18:10:34
エスペロさん、ありがとうございます。
つまり妥協ですね。
エスペロさんは、より広く認知されているということを重要視してエスペラントを選んでいる。
そして、自然言語では、英語がお得意なんですかね。これは単なる想像ですが・・・
「みんなが知ってるからだもんねええ」という考えはエスペロさんの日ごろの意見と違い、主体性がなく受動的で違和感があります。
みんなが知っているものをさらにより使いやすくしようというのがNEPO思想です。
NEPOが「みんなが知ってるからだもんねええ」になったら、ご理解しはじめてくださいね。

(ちなみにアジアで第一外国語が英語じゃなくほかのヨーロッパの言語のところって現時点でありますかね)

28ベダウリンデ:2009/08/30(日) 10:26:45
北辰さん
>> エスペラントの単語は合成語が意外と少なく、
>とは、何によって判断したのですか。辞書によって?
ヨーロッパ系の文書を読んだ上での判断です。
例えばpola radioの冒頭ニュースで、誰某の談話がポーランド語で流れ、その少し後にエスペラント語で訳されるのですが、
全く同じ単語使ってるんだな、と思いましたよ。
アジア人同士で片言のエスペラント語で交流して、それで満足ならそれはそれでいいのですが、
私は、ヨーロッパ人の文書でも、分かりやすく読みたかったのです。それが理想だったのです。
今は、ヨーロッパ人はヨーロッパ語をそのまま使って、楽にエスペラントしてると思います。
アジア人のやり方はよく知らないし、合成語はヨーロッパ人よりは多く使ってるかもしれませんが、
ヨーロッパ人を前にしたら、ヨーロッパ人の言い方を理解するのに必死になると思います。
今のままではヨーロッパ人に楽なエスペラントであり続ける事は変わらないでしょう。
それを変えるには、別派として、非ヨーロッパ人が望む形の新エスペラントをちゃんと作って、
彼らの前に提示してやらなくちゃ駄目だろう、と思うのです。
彼らが新エスペラントに従うかどうかは非常に怪しいですが、
今のままずるずると、ヨーロッパに引きずられた言語を「国際共通語」だなどとうそぶくよりは
きちんと理想を形にしたいと思ったのです。

ちなみに今の作業ですが、Baza Radikaro Oficialaの名詞だけ表にコピーして分類分けしてるのですが、
ヨーロッパ文化に偏ってるな、と改めて思いましたよ。
あれは、アカデミーオとかいう公的機関が公式に決定した基本語根なんですよね?
それがどうしてヨーロッパ寄りに偏ったままの状態で権威ある存在になってるのですか?

29北辰:2009/09/01(火) 02:26:51
ベダウリンデさん
> 談話がポーランド語で流れ、その少し後にエスペラント語で訳される
> のですが、全く同じ単語使ってるんだな、と思いました
ポーランド語にもラテン系の単語は結構あるようだから、これを使えば
ポーランド語の文のあとに似たエスペラントの単語を並べることはできそうです。
そうするとエスペラントの単語もなじみやすく、記憶しやすい、なかなか
いい聞き取り練習の学習教材になっているようですね。
 しかしポーランド語のすべてがラテン系ではないから、この方法、ある限界が
あるでしょう。そこに samideano のような純エスペラント的合成語が入って
くればおもしろい。
 昔UEA本部で働いていた永田明子さん、だいぶ前の世界大会で
文法用語のエスペラント化(脱ヨーロッパ・脱ラテン化)を提案した。
動詞の 現在・過去・未来 は aseco, iseco, oseco とする、など
わかりやすいもので、アジア人出席者は 拍手で歓迎、
ヨーロッパ人は「なにそれ?」といった受け取り方に見えたが、
その場だけで忘れられるには 惜しい提案でした。
> アカデミーオとかいう公的機関
は確かに存在し、時々「勧告案」など出しているが、それに従うかどうかも、
その権威を認めるも認めないも、エスペランチストが実用の中で決めることです。
20年ほど前に出た「国名表」は該当国のエスペランチストの使い方を無視した
ものがあって、アジアではまったく Akademio の案の方が無視されています。

30ベダウリンデ:2009/09/01(火) 09:08:34
>いい聞き取り練習の学習教材になっているようですね。
polaの冒頭ニュースは政治的な内容が多いので、政治用語というのはヨーロッパ全域で共通語になってるな、
というのがよく分かります。
日本人には馴染みのない用語(カタカナ語になってない)なので、
「西洋人はこんなに楽してるのか!ずるい」と思うショックが大きいですよ。
>ヨーロッパ人は「なにそれ?」といった受け取り方に見えたが、
やはり、ヨーロッパ人に提案しても無駄なのでしょう。
>アジアではまったく Akademio の案の方が無視されています。
でしょうね。しかし「抗議」もしないで「無視」と言うのは、アジア人らしい大人しさですね。
それではいつまでたっても、ヨーロッパ人は「自分たちの非」に気がつかないでしょう。
また、それを作った時点で、非ヨーロッパ人の意見が全く反映されてなかったという意味では、本当に差別的言語ですよねー。
酷すぎる差別言語エスペラント!と、訴えたくなりますね。
そんな言語を「中立平等」だなんて、差別されてる側が、よく言えるもんだ、と思います。
エスペラントは、ヨーロッパ人と非ヨーロッパ人を差別で分断する差別言語ですよ。

私の理想では、基本用語くらい全世界で統一し、何人であってもそれを基本に造語するように取り決めれば、
本当の意味で「国際共通語」になったのに、と思います。

31ベダウリンデ:2009/09/01(火) 09:45:14
で、「力及ばず」は目に見えているのですが、アカデミーオ語根の見直しを、細々と行い続けてます。
すごく大変です。民族語の力も無いし、手がかりも少ないし。でも、自分の理想は自分なりに試してみようかな、と。
のめりこむと人生狂いそうだし、そこそこ、で。

例えば、animo,spirito,mensoの違い。
日本語ではどれも「精神」で、あったとしても微妙な違いで、自信を持って「使い分け」できない。
今までのエスペランチストは、その違いを必死になって理解しようとしてたんだけど、
NEPOでは、不要なものは削っちゃえるんです。

animo,spirito,mensoは、英語ではsoul,sprit,mindoと、それぞれ意味が近いようです。
日本人でもカタカナ語で「ソウル、スピリット、マインド」と言いかえれば、区別できそうですが、
その区別の根拠に自信が持ててるとは限らない。英語話者の意識と一致してるかも自信ない。
英語でも、3語が一対一かというと、そうでなく、animoの一部の語義はspritである。
違いを際立たせれば、animo=死んでも生きる霊魂、spirito=精霊、menso=知性に近い、と区別できるが、
各民族語で訳語の当て方がばらばら。(参考lernu辞書,ReVo)

①仏語や独語、露語では、animoは別の訳語で、spiritoとmensoが同一訳語。
②中国語ではanimoとspiritoが「精神」で、mensoは「心智」。
(心智という熟語は日本語には無いですが、すごくいい訳語だと思った)
③韓国語とトルコ語では、animoの訳語は載っていても、spiritoとmensoの訳語が載ってない。
(訳しづらいのかな、と思った)
④3語に3つの別々の訳語を載せてたのは、ポーランド、イタリア、フィンランドなど)
全部は調べてないけど、上記4タイプに分類できるかも。

つまり、3語のイメージは民族によってばらばらみたいです。
ヨーロッパ人でも一対一になってないし、絶対混乱してるはずです。
(話し手と聞き手が自分の母語に合わせて解釈して通じた気になってる)
特にアジア人は、3語の区別が難しいようなので、それだったら、まとめちゃいましょうよ、と。
案ではanimoにspiritoの意味を吸収してspirito削除。
mensoはintelektoとか、よりはっきり定義できる別語に吸収して削除。なんてどうか、と。
「心智」をエスペラントにするならsaĝ-animoとかにする。

32ベダウリンデ:2009/09/01(火) 12:06:54
>文法用語のエスペラント化(脱ヨーロッパ・脱ラテン化)を提案した。
>動詞の 現在・過去・未来 は aseco, iseco, oseco とする、など
よく考えたら、これは絶対変ですよ。
だって、-as,-is,-osという時制の説明をする前の段階で、
これから説明するはずのas,is,osという用語を使う!?
「-asを使うのはどんな時ですか?」「as時制の時です」????
はあ?って思ったヨーロッパ人が正しい。
ろくに考えもせず拍手喝采したアジア人って、、、、。。。

そう考えると、今使うpasinta tempo,venonta tempoもおかしい。inta ontaが入ってるから。
nun-tempo,antaux-nun-tempo,malantaux-nun-tempoにすればいい。

33北辰:2009/09/03(木) 15:38:35
> > 動詞の 現在・過去・未来 は aseco, iseco, oseco とする、など
> よく考えたら、これは絶対変ですよ。だって、-as,-is,-os という時制の説明
> をする前の段階で、これから説明するはずのas,is,osという用語を使う!?
Kion vi imagas au~ fantazias pri la situacio??!!?
世界エスペラント大会の場だから、as, is, os なんか日常使い、わかっている
人間の前での話だったんだけど?? 何を説明する必要がある??!
> pasinta tempo,venonta tempo もおかしい
??? 現実に問題なく使われておりますが? PMEGを見てください。
> nun-tempo,antaux-nun-tempo,malantaux-nun-tempoにすればいい
Nun-tempo: AS-finaj^o として PMEGに 出ています。あとの二つは
まるで判じものですね。ここの4行前の例で、すんなりわかる、と思いますが。

34なつ:2009/09/03(木) 19:44:06
面白いwwww
北辰さんは、文の解釈力が全くないのが分かりました。
最近の書き込みの全て把握力の欠如から述べておられますので、
僕も含めみなさん、分からせようと説明しなければならないのが面倒臭いですw
>>日常使い、わかっている人間の前での話
wwwwwww
>>現実に問題なく使われておりますが
wwwwwww
なんで日常使ってて問題にしていないやつ限定にしちゃったんだ??www

動詞の語尾がasの時の時制をAS時制という
では、語尾をASにするのはどういうときか?
それはAS時制のときに、語尾をASにするのである。w
循環論法っつうかなんていうんでしょうか。論理学を中等教育で学ぶ西洋人は嫌がりますかね。
「これでいいではないか!みんなasがどのように使用するか、知ってるではないか!」
んなこといってねえってwトートロジーのこと言ってるんだってw
pasintaやvenontaにしても日常語で使われていても、はたして
それは、NEPOとしてふさわしいかどうかの話なの。日常的に使われていようがいまいが
関係ないの。
矛盾点、理解度、論理構成などなど、再検討すべきかどうかがここのスレね。
このスレではね。

この人、疲れますね、ベダウリンデさん、Rakuさん

35:2009/09/03(木) 21:20:04
>なつさん
そういう嘲笑的な書き方は非常に不愉快です。
NEPOに対する「ひいきの引き倒し」的な言動は慎んでください

36ベダウリンデ:2009/09/04(金) 11:18:19
asecoが変なのは、
日本語文法で、非過去を「う時制」、過去を「た時制」と言うがごとくの、一目瞭然の変さです。
日本人なら、語尾が「う行」は非過去、「〜た」は過去と、日常使ってて説明する必要無いでしょ、
だからって、「書く、走る、読む、という時の時制はなんですか」「う時制です」。変でしょう。
おかしいと思わない方がおかしい、としか思えないんですが、なんでおかしいと思わないのでしょうね?
pasinta venontaも厳密には怪しい言い方だけど、
pasiで過去を予感させ、 veniで未来を予感させてるから、まだマシなんだと思う。

ところで、今は感情を表す語を整理中なのですが、感情語って民族語に依存してて難しいですね。
日本語の、恨むと憎む、悲しいと切ない、は、英語の分け方と異なるんだなー、などと再発見。
日本語の基準にとらわれず、ネットでちょろっと見た色々な学説を参考にしつつ、
また、現行エスペラントにもできるだけ合わせて、不要な語はまとめてみようと思ってます。が、困難な作業です。
怨むは憎むに吸収し、切ないは悲しいに吸収となると思いますが。
また、感情語を動詞に統一するか、とか。色々と悩んでます。

37なつ:2009/09/04(金) 19:05:31
申し訳ございません。
が、NEPOに対するひいきの引たおしなるものではなく事実だというのは明々白々。
ですが、ここでリセット!

38ベダウリンデ:2009/09/04(金) 19:21:26
ウィキペディアの「感情」で調べたんですが、
中国の五情、七情、六情には、怨 (うらみ)、 悪 (にくしみ)、 憎 (にくしみ)が入ってる。
中国語での正しい意味は知らないですが、日本語訳から察するに「憎む」だと思いました。
それに対して西洋の学説では、ダーウィンとエクマンさんという人の説が載っていたのですが、
両者に「軽蔑」と「嫌悪」が入っていて、「憎しみ」 は入っていない。
「憎しみ」「軽蔑」「嫌悪」は、日本語のニュアンスでは、それぞれ異なるけれど、
西洋語は日本語とは感情の区分けが一致しないのだろうな、と思いました。
英語のhateも憎むと嫌うの意味がある。lernuの英E辞書でも、hateはmalamoとmalŝato。
しかしmalŝatoを引くと、disdain(軽蔑)とdislike(嫌い)。

エスペラントだと、malを付けるので、日本語の感覚に近くなるかもしれない。
malamo=amoの反対なので、malŝatoやmalestimoより、積極的に強く嫌う感じとなる。つまり「憎む」。
ŝatiには二つ意味が合って「高く評価する」「好む」があるけど、malŝatiを「好む」の反対だとすると「嫌う」。
malestimiは「その人の人間性を高く評価する=尊敬」の反対なので「低く評価する=軽蔑」。
嫌悪という激しい意味の単語にはabomenoがあるが、これはmal-ŝat-egoで代用できるから、削除可能。

39エスペロ:2009/09/04(金) 19:35:44
Miaj karaj,pardonon por vin desaponti...
皆さん、水をさしてすみません・・・

Mi preferas 'prezenco','preterito','futuro'...al 'aseco','iseco','oseco'...
私は、'aseco','iseco','oseco'より、'prezenco','preterito','futuro'の方を好みます・・・

Tiuj vortoj ja estas pli facile akcepteblaj de parolantoj de europaj lingvoj...
これらの言葉の方がヨーロッパ語の話者には容易に受け入れられやすいからです・・・

40北辰:2009/09/05(土) 07:31:46
このスレの最初(1 名前:ベダウリンデ)に次の発言がありました。
> ①エスペラントの単語は合成語が意外と少なく、
>  ヨーロッパ語をそのままエスペラント化したような単語が非常に多くて、難しい。
> ②それゆえに、我々非ヨーロッパ人には不利で、不平等だ!
> NEPOは、上記の点を改善したいと思ってる新エスペラント構想です。
第1行には同意しにくいが、第2行以下は理解できます。つまるところ、
エスペラントの現実の 問題点の認識の上に立って、改善を進めようとするもの、
と理解します。現実にエスペラントを使っているものとして興味を感じ、
ご意見を拝聴しております。
そこで(29 名前:北辰)で 故 永田明子さんの提案を紹介しました。
> 動詞の 現在・過去・未来 は aseco, iseco, oseco とする、など
純エスペラント語根の合成語でヨーロッパ系の 影もなく、わかりやすい。
ヨーロッパ人からは「疑問だ」と反論が相次いだが、日ごろ使い慣れた
ヨーロッパ系の文法用語への なじみが強かったから でしょう。
> 日常語で使われていても、はたしてそれは、NEPOとしてふさわしいか
> どうかの話なの。日常的に使われていようがいまいが関係ないの
と発言される方もありましたが、現実に使われている上での問題点への言及は
ありませんでした。現実無視の空想的議論でいいのでしょうか?
それで現実の問題点を「改善」できると思いますか?

41ベダウリンデ:2009/09/05(土) 10:52:25
>'prezenco','preterito','futuro'
極端なヨーロッパ語志向=現行エスペラントでは個人的志向として使えますが、NEPOでは絶対不可。
>aseco, iseco, oseco
純エスペラント語根の合成語だが、「論理的な破たん」をしてるので、エスペラントでもNEPOでも不可。
もしこれが仮に、現行エスペラントで「現実に使われて」いたとしても、
使われてる事自体が、考え不足による提案、群れ体質による安易な同調、習慣化させてしまえば勝ちだという弱肉強食主義、
などの結果だと思うので、矯正されるべきです。

>現実に使われている上での問題点への言及
「現実に使われている」用語の中には、ヨーロッパ人が勝手に母語に合わせて解釈したりして、
その結果、非ヨーロッパ人には理解しづらくなってる概念などもあります。
NEPOではそれらを再定義して修正したいです。

NEPOはエスペラントとは異なった別分派なので、現行エスペラントの「現実」に対して
必ずしも迎合する必要はありません。
用語の再定義の際しては、元々のエスペラント定義は『できるだけ』尊重しますが、
かなり変える可能性もありです。

42ベダウリンデ:2009/09/05(土) 11:39:54
感情語に関しては、ざっと調べた結果、「喜び」「悲しみ」「怒り」「恐れ」が、
人類共通的な最も基本の感情と言える、と思いました。
さらに他の感情も追加するが、どこまでが人類共通的にできるか、今後の課題です。

今は、「怒り」「憎しみ」「嫌悪」について考えています。
日本語と英語で比較しています。
日本語の「怒る」=激して気があらだつ。
同「憎む」=感情を傷つけ逆なでするものに対し、不快感・抵抗感を持ち、時にはそれをことばにし、そのものをやっつけたいと思う意)
同「嫌悪」=憎み嫌うこと。不愉快に思うこと。

英語angry=不当、非情、不快なふるまいをした相手を傷つけたくなるような、強い感情
同hate=誰かを非常に嫌う、非常に嫌ってangryを感じる

エスペラントでは
koleri=侮辱や不満を与えた人に対する強い精神的動揺
mal-amo=誰かに対し悪意や悪事をしたくなる情熱

A=感情、B=原因、C=意思(相手を傷つけたい)、D=嫌う、とすると、
怒る=A、憎む=BC、嫌悪=BCD
angry=ABC、 hate=(AB?)CD
koleri=AB、malamo=C

辞書の説明だけでは片手落ちですが、各自母語の影響で、koleriやmal-amoの解釈は
かなり変わると思いました。

今は誰の助けも無く、一人でできる範囲で考察してますが、
民族語について詳しい人の助言があれば非常に助かります。
一人でも細々やっていく事が重要だと思ってます。
作業は困難で時間が取られます。ただの楽しい「空想」ではありません。

43なつ:2009/09/06(日) 01:24:32
エスペロさんの思考はもうみんな知っています。
まず、mal排除論者でしょ?
malnovaじゃなくoldaのような。
malaltekostaじゃなくcxipaとかもかな
ヨーロッパ主義のインテリ臭ぷんぷんの感じがします。

こういうのを最近ではヨーロッパに土下座フェラチオする人間といいます。

44エスペロ:2009/09/06(日) 13:49:13
Lingvistiko instruas ke NE ekzistas iuj ajnaj lingvoj,kiuj estus intermiksitaj
de pluraj lingvofamilioj...
言語学の教えるところでは、複数の語族が交じり合った言語は存在しないということです・・・

Ene de Duon-Kontinento Barato,ekz. ekzistas pluraj lingvofamilioj: Hindo-Europa, Dravida, Austro-Azia,
Cin-Tibeta...sed lingvistoj asertas ke NE ekzistas tie iaj ajnaj lingvoj, kiaj estas intermiksitaj de tiuj
diferencaj lingvofamilioj...
例えば、インド亜大陸では、インドヨーロッパ語族・ドラヴィダ語族、アウストロアジア
語族、シナチベット語族など複数の語族が存在しますが、言語学者によれば、インドには
これらの異なった語族が交じり合った言語は存在しないということです・・・

Lingvo bezonas ian koincidon, mi asertas...E estis kreita kiel pure europa lingvo...
E devu konsisti el pure vortoprovizo kaj gramatiko de europaj lingvoj...se ne,
tia eventuala lingvo ne uzeblus nek praktikeblus...mi pretendas...
言語には一定の整合性が必要だと思います・・・エスは純粋にヨーロッパ語として
つくられました・・・エスは、純粋にヨーロッパ語の語彙と文法から成り立つべきだと
思います・・・もし、そうでない言語ができたとしても、実用にならないと思います・・・

45:2009/09/06(日) 21:56:43
>43
そういう言い方が他人を不快にさせるのです。

46なつ:2009/09/07(月) 20:22:08
>>44
そのソースをお願いします。
オーストロアジア語族のベトナム語が一見シナチベット語族のごとく、
声調言語であることをご存じないご様子。
さらに漢字文化圏で語彙の60%が日本のように漢語なので、
学べば学ぶほどどっからみてもシナ・チベット語族です。でも違うみたいです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E8%AA%9E

>>45
他人を不快にさせないようにさせないように当たり障りの無い表面的な言葉ばかり使う日本人はどうですかな。
ぼくは自分の言葉に責任は持っています。

47エスペロ:2009/09/08(火) 07:07:35
...First Farmers The Origin of Agricultural Societies(Japana traduko:
・・・農耕起源の人類史 2008)de Peter Bellwood p.286...
ピーター・ベルウッド著 日本語訳『農耕起源の人類史』(2008年)p.286・・・

La vortoprovizo de korea lingvo,ekz. konsistas plejparte(70%) el cxin-devena vortoj.
Sed oni ne asertas ke korea lingvo apartenas al cxin-tibeta lingvofamilio...
例えば、韓国語の語彙の大部分(70%)は漢字語ですが、しかし、韓国語がシナチベット語族に
属しているとは言いません。

Distingendas depruntitaj vortoj kaj tiuj originaj...
借用語と本来の語彙とは、分けられなければいけません・・・

48ベダウリンデ:2009/09/08(火) 10:36:35
理想的な国際語として、感情語は何をどのような定義で取り入れるべきか、考えてます。
様々な学者が、生物学的な研究などを経て、数多くの定義をしています。
それらを融合し、考えようと思ってます。

中国五情  喜,楽         哀    怒 怨
中国六情  喜,愛,楽       哀    怒 悪
礼記七情  喜,愛         哀    怒 悪      摺          欲
仏教七情  喜,愛,楽 哀 怒 悪 欲
印度9情  恋愛,笑い   悲しみ  怒り 嫌悪    恐れ  驚き     平和 活力
デカルト  喜び,愛        悲しみ   憎しみ          驚き  欲望

       
マクドゥーガル(1908)本能 愛情・慈悲(tender-emotion) 怒り 嫌悪 恐れ 得意 服従 おどろき(wonder)
ワトソン(1930)神経学的基盤 愛情             いかり(rage)   恐れ,
アーノルド(1960 )好意傾向 愛情      悲しみ  怒り 憎悪,    恐れ 欲望 希望 忌避 勇気 落胆
プラッチク(1980)生物学的 喜び 悲しみ 怒り 嫌悪 恐れ 驚き 予期 受容
パンクセップ(1982)神経学的 いかり(rage) 恐れ 期待 パニック
トムキンス(1984)神経学的   喜び, 苦痛 怒り 嫌悪 軽蔑 恐れ 興味 驚き 恥
イザード(1991)神経学的    喜び, 苦痛 怒り 嫌悪 軽蔑, 興味 驚き 恥 罪
エクマン(1992)顔面表出    喜び, 悲しみ 怒り 嫌悪 恐れ 驚き
ジョンソン=L&O(1987)生物学的 よろこび(happiness) 悲しみ 怒り 嫌悪, 不安


各単語英訳
怒り(anger) 嫌悪(disgust) 悲しみ(sadness)憎悪(hate)喜び(joy)軽蔑(contempt) 驚き(supraise)愛情(love)興味(interest)苦痛(distress)

複数参考にしましたが、特に http://www30.atwiki.jp/_pub/numazaki07/affec09.pdf p39参考

49ベダウリンデ:2009/09/08(火) 10:55:37
ずれたので書きなおし
中国五情-----------------------------喜,楽-------------哀-------怒-----怨---------------------------------------------------------------------
中国六情-----------------------------喜,愛,楽----------哀-------怒-----悪---------------------------------------------------------------------
礼記七情-----------------------------喜,愛-------------哀-------怒-----悪-----------摺-------------------欲----------------------------------
仏教七情-----------------------------喜,愛,楽----------哀-------怒-----悪--------------------------------欲----------------------------------
印度9情-----------------------------恋愛,笑い---------悲しみ---怒り---嫌悪---------恐れ----------驚き------------平和--活力----------------
デカルト-----------------------------喜び,愛-----------悲しみ----------憎しみ---------------------驚き---欲望--------------------------------
マクドゥーガル(1908)本能-------------愛情・慈悲(tender-emotion)-怒り---嫌悪---------恐れ--------------------------得意--服従--おどろき(wonder)
ワトソン(1930)神経学的基盤-----------愛情-----------------------いかり(rage)--------恐れ--------------------------------------------------
アーノルド(1960 )好意傾向------------愛情-------------悲しみ----怒り---憎悪---------恐れ-----------------欲望-----希望--忌避--勇気--落胆
プラッチク(1980)生物学的-------------喜び-------------悲しみ----怒り---嫌悪---------恐れ----------驚き------------予期--受容-------------
パンクセップ(1982)神経学的--------------------------------------いかり(rage)--------恐れ--------------------------期待--パニック----------
トムキンス(1984)神経学的-------------喜び-------------苦痛------怒り---嫌悪---軽蔑--恐れ---興味---驚き------------恥-------------------
イザード(1991)神経学的---------------喜び-------------苦痛------怒り---嫌悪---軽蔑---------興味---驚き------------恥----罪------------
エクマン(1992)顔面表出---------------喜び-------------悲しみ----怒り---嫌悪---------恐れ----------驚き--------------------------------
ジョンソン=L&O(1987)生物学的------よろこび(happiness)-悲しみ----怒り---嫌悪---------------------------------------不安--------------------

各単語英訳
怒り(anger) 嫌悪(disgust) 悲しみ(sadness)憎悪(hate)喜び(joy)軽蔑(contempt) 驚き(supraise)愛情(love)興味(interest)苦痛(distress)

50ベダウリンデ:2009/09/08(火) 11:12:18
考察:
アジアではプラスの感情を細やかに感じ分ける。(喜愛楽)。西洋人は一つにまとめる。
デカルトは例外的(17世紀の人だし)で、アジア的な定義をする。
悲しみと怒りは、東西を問わず感じるが、特に悲しみを定義しない西洋人学者もいる。
主に神経学系で、悲しみの代わりに、いかりをrageと定義し嫌悪も含めるか、または、悲しみの代わりに苦痛を定義する。

中国では「悪」と書くが、日本語訳では「にくしみ」となる。仏教でも同じ。
憎しみと嫌悪が別の感情として並ぶ事は全くないので、両者は区別できない近い感情であることが分かる。
恐れ、驚き、興味、欲望なども、感情として考えられている。

日本人は憎しみと嫌悪を別の感情のように感じるが、正確には定義分けできない。
日本人は「エスペラントでamoの反対はmalamoだから憎しみだね」などと安易に解釈しているが、
その感情を嫌悪とどう区別するかが問題である。

51なつ:2009/09/08(火) 18:32:48
>>47
韓国語の語彙が漢語だからってシナチベット語族とは似てもにつかぬことぐらい誰だってわかる。
ベトナム語はどうなの?
オーストロアジア語族なのに声調言語であり孤立語。
オーストロアジア語族だといわれなければ、シナチベット語族だと、間違ってしまう。
さらに付け加えて、語彙が漢語が多いから、なおいっそうシナチベット語族だと思ってしまう。
っていう付け加えで語彙の話を言ったまでのこと。別に語彙は本質的ではないことは百も承知。
韓国語とりたてるまでもない。でも、その欧米人の筆者が間違っているだけであり、
あなたは裏を取らず信頼してしまっただけなので別にいいですよ。
朝鮮半島、中国に関しては綿密に調べられるのに、別分野では安易に信じてしまうんですかな。
ただし、ベトナム語は「シナチベット語族である」という言語学者もいるかもしれないし、
「声調があるからなんなんだ!孤立語だからなんなんだ!それはシナチベット語族の根本的特徴ではなく、ただの地域性である」
って言い始めると、もうお話にならなくなるんだけどね。

さて、これは雑談。日本語はどうなんだろうか。
南島語族的発音体系で、朝鮮半島的な文法体系。語族不明とされることが多く、複数の語族の混成言語なのではとも思う。
となると複数言語の混成言語は語族不明とするから複数言語の混成言語は存在しないということもいえるかもしれないw

52エスペロ:2009/09/09(水) 07:30:04
Kara Nacu,vi pravas...Cxina-Tibeta lingvofamilio kaj Austroazia lingvofamilio,
plue Taja lingvofamilio estas karakterizataj de tonaj kaj izolaj lingvoj...mi
ne komprenas kial lingvistoj diferencigas tiujn 3 lingvofamiliojn en apartajn
lingvofamiliojn respektive...
なつさん、おっしゃるとおりです・・・シナチベット語族とアウストロアジア語族、
さらにタイ語族は、音調言語と孤立語が特徴です・・・何故言語学者たちがこれら
3語族をそれぞれ別の語族とするのか、分かりません・・・

Supozeble ekzistas iaj karakterizagxoj,kiuj apartigas tiujn lingvofamiliojn...
おそらく、これらの語族を別ける何か特徴があるのでしょう・・・

Peter Bellwood k.a. konsideras ke tiuj 3 lingvofamilioj kaj Austronesia lingvofamilio
(Malaja,Tagaloga,Malagasa k.a.) originis en la suda kaj centra parto de Cxinio...
ピーター・ベルウッドらは、これら3語族とオーストラネシア語族(マレー語、タガログ語、マラガシー語など)
は中国南部および中部に起源したと考えています・・・

Antau 6 au 5 mil jaroj,ties parolantoj kreskis en procedo de kultivado, kaj ili enmigris suden en
Sud-Orientan Azion...tiele Bellwood k.a.asertas...
6000年か5000年前にこれらの語族の話者たちは、農耕の進展につれて
人口が増え、東南アジアへ移住していったと、ベルウッドらは主張しています・・・

53ベダウリンデ:2009/09/09(水) 09:49:39
ミスを修正(学術的な事なので、ミスはなるべく修正)
中国五情-----------------------------喜,楽-------------哀-------怒-----怨-------------------------------------------------------------------
中国六情-----------------------------喜,愛,楽----------哀-------怒-----悪-------------------------------------------------------------------
礼記七情-----------------------------喜,愛-------------哀-------怒-----悪-----------摺-------------------欲---------------------------------
仏教七情-----------------------------喜,愛,楽----------哀-------怒-----悪--------------------------------欲---------------------------------
印度9情-----------------------------恋愛,笑い---------悲しみ---怒り---嫌悪---------恐れ----------驚き------------平和--活力----------------
デカルト-----------------------------喜び,愛-----------悲しみ----------憎しみ---------------------驚き---欲望--------------------------------

マクドゥーガル(1908)本能-------------愛情・慈悲(tender-emotion)-怒り---嫌悪---------恐れ--------------------------得意--服従--おどろき(wonder)
アーノルド(1960 )好意傾向------------愛情-------------悲しみ----怒り---憎悪---------恐れ-----------------欲望-----希望--忌避--勇気--落胆
プルチック(1980)生物学的-------------喜び-------------悲しみ----怒り---嫌悪---------恐れ----------驚き------------予期--受容-------------
ワトソン(1930)神経学的基盤-----------愛情-----------------------いかり(rage)--------恐れ--------------------------------------------------
パンクセップ(1982)神経学的--------------------------------------いかり(rage)--------恐れ--------------------------期待--パニック----------
トムキンス(1984)神経学的-------------喜び-------------苦痛------怒り---嫌悪---軽蔑--恐れ---興味---驚き------------恥-------------------
イザード(1991)神経学的---------------喜び-------------苦痛------怒り---嫌悪---軽蔑--恐れ---興味---驚き------------恥----罪------------
エクマン(1992)顔面表出---------------喜び-------------悲しみ----怒り---嫌悪---------恐れ----------驚き--------------------------------
ジョンソンレアード&オートレイ(1987)生物学的---よろこび(happiness)-悲しみ----怒り---嫌悪---------------------------------------不安----------------

ブリッジェス・2〜4歳児の感情------喜び,愛情,愉快--------------怒り----------------恐れ--------------------------不愉快---興奮--------

各単語英訳(マクドゥーガル〜ジョンソンの行)
怒り(anger) 嫌悪(disgust) 悲しみ(sadness)憎悪(hate)喜び(joy)軽蔑(contempt) 驚き(surprise)愛情(love)興味(interest)苦痛(distress)

他にも無数の学者が感情について研究し、ロボットの表情、介護、ビジネス等、様々な分野で応用されているようである。
人工言語でもなるべく応用したいものである。

54ベダウリンデ:2009/09/09(水) 10:05:37
他には、シュロスバーグやラッセル等、感情を円環モデルに配置する研究もある。
プルチックは立体形である。

喜びと悲しみについては、それらが対象の感情であるとの認識は共通のようである。
デカルトは自分に属したものが、善いものなら「喜び」、悪いものなら「悲しみ」とした。
プルチックとラッセルも、表の上で、喜びと悲しみを対象軸に置いている。
ゆえに、ĝojo喜びの反対はmalĝojo悲しみである点は、現エスペラントを継承して良いと思われる。

55Velanoju:2009/09/09(水) 18:27:14
> 50
> 日本人は憎しみと嫌悪を別の感情のように感じるが、正確には定義分けできない。
> 日本人は「エスペラントでamoの反対はmalamoだから憎しみだね」などと安易に解釈しているが、
> その感情を嫌悪とどう区別するかが問題である。

私の場合は

憎しみ --- malamo  干渉したくなる。
嫌悪 --- malŝato  干渉したくなくなる。軽蔑感または吐き気を伴う。

という感じで区別しています。

am- は干渉したくなる気持ち
ŝat- は評価による感情

を表す、と。

56ベダウリンデ:2009/09/12(土) 09:56:35
>>55
参考ご意見ありがとうございます。
きちんと公的に定義されていれば、それはそれで「使える定義」と思いました。
気になるのは「私の場合」とあるので、エスペラント界で意識統一されてる事象ではない、という事でしょうか?
意識統一が無いなら、各自勝手に母語の影響のもとで使用してしまう可能性が考えられます。
そうなると、表面上は意思疎通しているようでも、本当の意味ではできてない可能性がでてきます。
今のエスペラントでは、とにかく意思疎通できればそれでOKなのですが、
理想の人工言語では、母語が異なっても中身の食い違いが無いようにするにはどうすべきか、考えてます。

愛の反対語は憎しみか、という事を検討していました。
中国六情では、喜怒哀楽に加え、愛悪が追加されます。
愛と悪は反対語である、との理由で並べて追加されたと思われます。(この場合、悪の訳語はにくしみ)
英語でもloveの反対語はhateとなってます。
デカルトは善い対象への気持ちが愛、悪い対象へは憎しみ、として対にしています。
アーノルドは、有益対象へは愛情、有害対象へは憎悪、としています。
愛を基本感情とせず、喜びや幸福をそれに代える学者は、決して憎しみを加えず、嫌悪を加えます。
愛を喜び・幸福という感情に含める場合、憎しみは嫌悪に含まれるのではないか、
というのが私の仮説です。
喜びの反対語は悲しみであるにも関わらず、喜びと嫌悪は密接に関係しています。
英語のhateは日本語訳では、憎しみと嫌悪があてられます。
漢字の悪にも、わるい、むかつく感じ、にくむ、と色々な意味があるようです。
日本語の嫌悪を辞書で引くと、「憎み嫌う、不愉快」なので、憎むという感情を含んでいる。
また、日本語で「罪を憎む」とか言う場合は、憎む気持ちに干渉を伴うとは限らない。

55の案は優れていますが、am-とŝat-は、意味を完全に分離する必要があるのか、と私は思ってました。
分離したとして、みんなが自然に「厳密に」使い分けできるのか。
どちらかがどちらを含む事はできないか、 ŝat-はam-etなのか、それともŝatがamを含むのか、など。。。

57なつ:2009/09/12(土) 16:03:36
>>52
その通り。
分かって頂ければ今までの失礼な談お詫びいたします

58なつ:2009/09/12(土) 16:26:23
sxatiは、
amiが英語のloveとlikeの二つを包含するフランス語のaimer由来であるものに対して
作られた(正しくは新しい概念を付け加えられた)likeの意味の語であり比較的新しい概念の語だと認識しています。
すなわち英語のlikeとloveを分けたい人(イギリス人や日本人)がsxatiをlikeの翻訳に便宜上使うと思っていましたが、どうでしょうか。
おそらくフランス人はami=aimerとしsxatiを使わない傾向なのでは?
それが本来のエスペラントでもあり、物について好き(like)といいたいのであればplacxiを使えば誤解なく問題ないとエスペラント初級を学ぶと思いますが・・
(これは僕の決め付けだったのかもしれませんが。)
それにしても、gxojiとgxuiは僕には何が何やらわかりません。

59ベダウリンデ:2009/09/13(日) 14:57:09
>>58
母語の影響でamiとŝatiの使い方の差が出る、という事ですね。
個人的にamiとŝatiを使い分けたとしても、相手によっては意図が通じない可能性もある、という事ですね。
ReVoにも(ってReVoも古いとか言われそうだけど)元々のŝatiはamiより高い尊敬を意味してたのに、
今はplaĉiと同じになっちゃって、尊敬の意味では他の単語を使うようになった、とありますね。
他の例では、「〜したい」という意味でmi ŝatus 〜と使う例も見るし、ŝatiは混乱の元となってるので削除かな?とも思います。
或いは、amiを「好き」程度の意味で使う事に対して心理的に抵抗のある民族が多数派だったとしたら(現にそうだから意味が変わってきた?)
ŝatiを残してamiは削除でもいいと思います。
削除するにも抵抗があれば、ami=ŝat-egiの特殊な意味、としても良い。そしたらplaĉiは無くしてしまっていいかもしれない。
何を取るかは置いといても、ami(love)とŝati(like)は厳密に区別せず、まとめていいかな、と思いました。

ĝojiとĝuiは、ĝojiは基本感情語として重要ですが、ĝuiは検討を進める必要がありますね。

あと、雑談的に思った事。
英語やエスペラントには「吐き気がするほど嫌い」という単語があるんですが、日本語にはそういう単語無いな〜、というのが不思議でした。
日本語で、最も嫌う単語は「嫌悪」「憎悪」で精いっぱいなんですよ。
なのでエスペラントのabomeniも、日本語にはできないかも。
なんでかな?と思うと、日本って農耕民族で、江戸時代なんかでも町は清潔だった。
西洋は肉食だから家庭で家畜の処理をするのも普通だし、都市なんかも汚物で不潔だったっていうし、
「吐き気する」環境が西洋にはごく身近にあったのかな、なんて思ったりした。
どっちにしろ、「嫌い」という感情にetとegはあっても、
「どのように嫌いか」で単語を分ける必要は無いかも、と思いました。

60ベダウリンデ:2009/09/13(日) 17:33:58
基本感情は、「喜び、恐れ、驚き、嫌悪、怒り、悲しみ」の6感情が、学者達に共通して多く取り上げられる。
エスペラントではĝojo,timo,surprizo,malŝato(malamo),kolero,malĝojo、であろう。

そもそも感情(少なくとも基本感情)が人類に共通(普遍的)なのか、という点では、
ダーウィンの進化論に基づく学派であるエクマン、イザード、プルチック、といった有名どころが支持している。
ただし、感情の表出(表情)は、文化差や性差で異なる。(ごもっとも)
「社会構成主義」とやらでは、感情は社会レベルでの分析の結果、らしい。
国際共通語の立場としては、感情の表出はともあれ、感情そのものは人類に共通してくれてないと、
そもそも国際共通語が成り立たない。よって「進化論学派」を支持するしかない。

プルチックのように、感情を円錐状の立体にする案は応用できるかな、と思ったけれども、
日本人の自分から見ると、円環状のつながり部分が若干不自然に感じられた。
感情を座標上に並べる案は他にもあるけど、概して不自然な感は否めなかった。

また、感情を説明する時「〜した時などの××な気持ち」と書く場合があるが
「〜した時」に表れる感情は文化によって異なる可能性があるため、多用すべきでない、と思った。
例えばこう?
ŝati=senti al io agrabla aŭ bona aŭ bela aŭ inda por vi(好きという感情)
malŝati=senti al io malagrabla aŭ malbona aŭ malbela aŭ malinda por vi(嫌いという感情)

61ベダウリンデ:2009/09/14(月) 16:53:26
心理学入門書に興味深い事が書かれてあったのでメモ的に。
エクマンと意見を対立させてるラッセルは、情緒語を調べ、
「アフリカ人は怒りと悲しみを同意語に用い、サモア人は憎しみと嫌悪を区別せず、
タヒチ人は恥と困惑を区別しない。また、日本人は恥と自責心を区別しない」と述べたという。
確かに、怒りと悲しみは非常に近い感情で、怒りが悲しみになったり、悲しみが怒りになったり、容易に変貌する。
憎しみと嫌悪が近い感情だという感覚も、今まで私が分析してきたとおりだし、恥と困惑が近いのも理解できる。
ただし、日本人は恥と自責心を区別しない、というのは、どーでしょう?
区別できないんじゃなくて、恥という感覚が広くて、その中に自責心も含まれる、というだけではないか。
自分のせいで失敗した事を日本人は恥とみなすけど、西洋人はそうじゃないのかもしれない。
となると、アフリカ人、タヒチ人、サモア人の例でも、感情を区別できないのではなく、広く大きな意味の語があるだけで、
自分の感情を分析して区別すれば区別できるのではないか、と思った。
NEPOでも、広く大きな意味の語を作り、必要ならばその中の特別な意味に単語を割り当てたいと思った。
また、「〜なくらい嫌い」という意味を表す場合、abomeniのような別単語にするのではなく、
(preskaŭ)vome malŝati とか言えばいいと思う。
日本語では「唾棄」という語があるが、それはkraĉe malŝati。
他の民族語でも「〜なくらい嫌い」という表現が他にもあれば、自由に応用でき、表現力も損なわない。
恥や罪悪感という感情については、その要因はそれこそ文化によって非常に異なるであろうので、
定義する時は注意しなければならない。

62ベダウリンデ:2009/09/18(金) 09:01:12
感情語について不思議に思う点。
例えば同じ境遇にさらされても、怒る人と怒らない人がいるように、
感情とは、各個人がそれぞれの内面で感じ取るものである。
エスペラントでは、ĝoji,mal-ĝoji,koleri,timi、は、"senti 〜"と定義される。
つまり、「〜と感じる事」という定義で、主語は、その感情を感じる本人となる。
一方、感情を表す語として、驚き、興奮、興味、等もあるが、これらは
surprizi,eksciti,interesiで、意味としては「驚かす」「興奮させる」「興味を持たせる」となる。
つまり、これらの単語では、主語は、その感情を感じる本人ではなく、別の物となる。
感情とは、個人が内面で感じるものなので、驚きや興味も、感じるのはその人本人の筈である。
同じ物を見ても、他の人も自分と同じく「驚き」や「興味」を持つとは限らない筈である。
なぜ、一部の感情語は、主語が本人にならないのであろうか。
感情語の主語を何にするか、統一しないと不自然ではないか、と思った。

これらの単語を名詞化した単語も、ĝojo,kolero,timoが、その感情を感じてる人の気持ち=感情そのもの、であるのに対し、
surprizoは驚かす行動または驚かす物、interesoは興味を持たせる物、または興味を持った人の感情、
一方、興奮はekscitiĝoとなるらしく、名詞化した時の意味づけもばらばらで、統一性が無い、と思った。

日本語でも、「面白いもの」は、面白がるのは各人であるにも関わらず、物そのものが「面白い」となるので、その点はエスペラントと同じである。
民族語ではこのように表現するのが普遍的なのか、もし普遍的であるとするならば、
喜ぶ怒るなどの感情語と、何を基準にして差異が生じるのか、その点は明確にすべきである、と思った。

63ベダウリンデ:2009/09/20(日) 16:30:03
エスペラントの難点を考えていると、人間の思考の不思議さにも気付かされます。
人間は、自分自身の「感情」と、その感情をもたらす要因となってる「物」を、区別しづらいのではないか、と思いました。
「面白い」は人間の感情であるが、「面白い物」は自分の外部に存在する「物」である。
エスペラントでもfeliĉa「幸福な」の名詞形であるfeliĉoには
feliĉaなsento=感情という意味と、feliĉa okazaĵo=出来事=物、の二つの意味がある。
interesoもinteresasする物と、interesataなsento=感情、と二つの意味がある。

以下、感情語の語根のいくつかについて調べました。
各語根の、動詞形、形容詞形、名詞形の意味を分析し、
それが意味する事は「感情」なのか「物」なのか、分類してみました。
動詞形は、自動詞的な意味をもつもの=senti〜 と、他動詞的な意味をもつもの=他者を〜する の2タイプに分かれます。
形容詞形は、「感情」を形容する場合(mi estas 〜a, 〜a mieno, 〜a homo)、「物」を形容する場合(〜a aferoなど)、と分けられる。
名詞も、「感情」そのものを指す場合(〜なsento)と、その感情をもたらす「物」(io,ago,situacio,okazaĵo)を表す場合とがある。

おそらく辞書により定義が異なるであろうと思われますが、主にReVoに従いまとめました。

64ベダウリンデ:2009/09/20(日) 16:42:55
感情語語根------------------------------------動詞形(-i)-------形容詞形(-a)----名詞形(-o)
ĝoj/i(koler/i,kompat/i ktp)-------------------自動詞型-----------感情----------感情
plezur/o(abomen/o)----------------------------自動詞型----------------物-------感情
feliĉ/a----------------------------------------------------------感情-物-------感情-物
trankvil/a-------------------------------------------------------感情----------感情
interes/i-------------------------------------他動詞型----------------物-------感情-物
surpriz/i(amuzi)------------------------------他動詞型----------------物------------物
ĉagren/i(ted/i)-------------------------------他動詞型----------------物-------感情
embaras/o-------------------------------------他動詞型-----------感情-物------------物

以上の様に、感情語は、動詞化した時に、自動詞型と他動詞型に分かれるのに加え、
形容詞化・名詞化した場合も、感情を意味するのか、物を意味するのか、が、単語によりバラバラに定義されている、
という事が分かる。

65ベダウリンデ:2009/09/20(日) 17:03:52
このような事象は、エスペラントに甚だしい不規則性をもたらしている、と言える。
我々が学ぶ場合も、いちいち正しく覚えなければならないので非常に負担である。
おそらく、民族語の影響であろうが、せっかくの人工語なのだから、びしっときっちり、例外なくしたらどうだろうか。

例えば、感情語は全部、基本的に形容詞として定義し、表、上から、
「喜んでいる状態」「楽しんでいる状態」「幸福を感じてる状態」「平静な状態」
「興味を持ってる状態」「不意をつかれ驚いてる状態」「困ってる状態」「当惑してる状態」
と、意味的に統一する。
-iĝiを付ければ「〜な状態になる」。-igi=「他者を〜する」。
名詞化した場合は「〜な感情」を主な意味とし、場合によっては、同時にその感情の要因となってる「物」も意味する、とする。
「物」である事を明示したければ、-aĵoとする。

この点については、今回はこれ以上掘り下げず、「案」という段階で終わらせておく。

感情語とは不思議なもので、自分の感情とその要因を区別できない他に、
人間には「共感力」があるんだなあ、と痛感させられた。
人間は、自分の感じる感情と同じ感情を、他者に対し-igiする事ができる。
また、他者から何かされた時の感情を、自分一人でも感じる、つまり、-iĝiもできるのである。
人間の「共感力」が、感情語を複雑にしたのかもしれない、と思うと面白い。

66ベダウリンデ:2009/09/24(木) 17:14:36
迷ってるのは感情語のベースを動詞にした方がいいのかどうか、です。
エスペラントは、品詞語尾の付け替えで品詞は何にでもなるけど、ベースの品詞が何であるか、重要なようです。
形容詞は状態を表しますが、分類すると、純粋に客観的な状態(赤い等)と、主観で判断した状態(美しい等)、
感情と結びついてる状態(楽しい等)、とに分けられ、その区別が非常に難しいです。
例えばagrablaは、物を形容し、「快い物」となります。
日本語の感覚では、「快い」は感情語のように思いましたが、「私はagrabla」とは言わないようです。
なのでagrablaは主観で判断した状態、と言えると思いました。
trankvilaは「私はtrankvila」と言うので、感情の状態です。
これらの違いの判断は非常に難しいです。
感情と結びついた状態は動詞化すると、その違いが明確化するかもしれない、と思いました。

67ベダウリンデ:2009/09/25(金) 10:27:34
主観で判断した状態も、感情に密接してるレベルと、感情から比較的独立してるレベルとがあります。
agrablaは、感情密接度がかなり高いので、感情語とみなしても良いようにも思います。
ある物をagrablaだと思うのは、それを見た自分の感情がagrablaになるからです。
malĝojaな物は、それを見た自分がmalĝojaになるからです。それと同じ意味で。
gaja,viglaも主観で判断した状態ですが、感情密接度は低いです。
なぜなら、ある物(人)をgaja,viglaだと思っても、それを見て自分もgaja,viglaになるとは限らないからです。

このように、エスペラントでは、感情語の品詞が統一されていないので、非常に分かりづらいです。
感情語は感情語であると明示的に定義して、どれも動詞(自動詞型)として同じ扱いでまとめてくれれば、分かりやすかったと思います。
感情語にはこれこれがあって、動詞ならこういう意味、形容詞化すればこういう意味、とはっきり決まってたら、何と使いやすいか。
人間の感情なんて大体決まってるから、今の状態に一番近い感情語を選択すればいいと思う。
せっかくの人工語なのだから、語彙の意味まで統制して使いやすくしてほしかったな、と思います。

68ベダウリンデ:2009/09/29(火) 09:14:19
「困る」という意味で使われるĉagreni, ĝeni,embarasoの区別がつかなくて「困って」います。
ReVoでは
ĉagreni=誰かの意図や希望に反対して、その人に不愉快を起こさせる。
日本語では「悩ませる, 困らせる, 苦しめる」

ĝeni=①誰かの動作を邪魔する、誰かに対し不便にする、居心地悪くする。
===②道徳的に邪魔して誰かの行動や決意を困難にする。
日本語では「邪魔する, 厄介をかける, 気を使わせる」

embarasi=①物理的な邪魔をして、誰かの動作や行動をĝeniする
===②誰かを、簡単に抜け出られない状況に置く。
日本語では「(動作を)妨げる, 迷惑をかける, 当惑させる」

どれも迷惑をかける側が主語になる「他動詞型」で、名詞形は、邪魔となる「物」を表します。
日本語訳を見ると、まったくもって区別がつきませんが、
自分なりに区別してみると、ĉagreniは故意や悪意を感じ、やられた側も苦痛が大きい?
ĝeniは「気をつかわせる」的な意味に使う場合が多い? 意味的には軽い?
embarasoは英語のembarrassだとすると意味がはっきりする。「当惑、決まり悪い」という意味。

69ベダウリンデ:2009/09/29(火) 09:31:37
3語の意味が漠然としていて区別が曖昧です。
「邪魔する」という動作だけを表したいなら、malhelpiで十分です。
ĝeni①、embarasi①は不要です。何でmalhelpiして、その結果相手がどうなるか、は文脈で分かります。
「やられた側の感情や状況」まで、意味の中に持ち込もうとしているから、単語が複雑化したんだと思う。
「気を使う」とか「当惑する」とか、その本人にしか分からない感情だと思う。
その感情を抱いてる本人を主語とする自動詞ではなく、他動詞にするから不自然なんだと思う。
だって、敢えて「気を使わせてやる」「当惑させてやる」なんて、普通、思いますかね?
相手が気が回らないから、こっちが余計に「気を使う」んじゃないですか。
それに「当惑」だって、こっちに悪気は無くても、本人が勝手にするんじゃないですか、普通は。
感情語と動作語は、きちっを分けてほしい。

70ベダウリンデ:2009/09/29(火) 09:52:40
「気を使う」「当惑する」を「気を使わせられた」「当惑させられた」と
被害者意識をこめて表現する民族の割合は多いのでしょうか?
他の民族語について知らないので、是非とも知りたいですね。
少なくともヨーロッパ系は、被害者感情で表現する、という事でしょう。
民族語は自然に発展したものだから文句は付けられないですが、
人工語では「妥当な表現」に修正する事が可能です。
感情の表現として、被害者意識で表現するのと、相手には関係ないけど自分はこう思った的に表現するのと、
国際語ではどっちがふさわしいでしょうかね?
被害者意識は出さないでいた方が、異文化交流には無難だと思うのですが。

71ベダウリンデ:2009/09/30(水) 09:24:34
感情語の定義は、おそらく、人工言語を作る上で、最も難しい点なのではないか、と思いました。
私は人工語一般には興味が無いので、他の人工語ではどうやってるか知りませんが、
感情は、目に見えない事象である点、論理で説明できない点、各民族語で定義の分け方が全く異なるであろう点、
などの理由で、定義が非常に難しいと思う。
西洋語(またはその他の自然語)を簡略化してそれでよしとする人工語ならば、特定の民族的な言い方に偏っても良いのですが、
仮にも「言語的な中立」を掲げるならば、最も苦心する箇所だろうと思うのですが。

そもそも、「気を使う」という繊細な感情が、日本と同じ意識で他民族も意識してるのか、疑問になりました。
もちろん、どの民族の人だって、他人に対し良かれと思う事を、言われる前に率先して行う(つまり気を使う)事はするでしょう。
でも、和英辞典を引くと「気を使う」は「人に対して常々親切な、思いやりのある」という単語を使え、とありました。
言われてみれば、「気遣い」と「親切・思いやり」の差って何でしょう。はっきり説明できないです。
強いて言えば、「親切」は自分から進んで行い、自分も豊かな気分になるけど、「気を使う」は、実は気が重い、嫌々ながらやる感じ?
世界には、旅人を「心から」もてなす民族がいるみたいですが、そういう民族は「気を使う」のでしょうか?
いつも「親切」になれるのかな?
英語やエスペラントで、「気を使う」という単語が単独で存在しないのは、日本的な「気遣い」の感覚があまり無いのかな?
そうならば、日本的な意味での「気を使う」はどこに分類したらいいのでしょうか?「迷惑をかけられる」「親切にする」「世話する」?

72ベダウリンデ:2009/10/02(金) 10:28:59
「エスペラントで感情は表現できるのか?」は、よく聞かれるエスペラント批判です。
エスペラントにだって「怒る」とか「喜ぶ」とかいった感情語はあるので、私は今までは「感情は表現できる」と思ってました。
でも厳密に言えば、各民族特有に存在するであろう繊細な感情レベルまでは、正確に伝えるのは難しいかもしれませんね。
まあ、それを言ったら、英語で日本人特有の感情を伝えるのも難しいだろうし、何もエスペラントに限った話ではない。
そもそも文化の根底が異なれば、価値観だって違うし、全く同じ感情を共有してると思う方が勘違いかもしれない。
民族語ならば、感情語もその民族の感覚に合われて使いこなすのが正しい用法でしょうが、
エスペラントには、お手本とすべき「特定の民族」は、理論上存在しない。
ここはやはり、感情語はできるだけ大雑把に区分し、どの民族も平等に、自分の感情を大雑把に言ってもらうのが良いと思う。
それでは「エスペラントでは感情の表現はできないのではないか」となりますが、
幸い、人間には「共感力」があるんですよね。

私がエスペラント文を読んで、ĉagreno, ĝeno,embarasoのいづれか一つが出てきたとする。
私はその用法の正確な使い分け方を知らない。
でもシチュエーションは分かるから、日本語で言うと大体こんな感じで「困って」るんだろうな、と想像はできる。
感情が想像でき、共感でき、感動だってできる。
感情の単語が厳密に分からない癖に感動できるって一体どういう事なのか、と。
基本感情語をキーワード的に置いておけば、かなりの部分、読者が補って理解してくれちゃうのでは、と。
それでいいんじゃない?と。
対面の会話なら、表情が見えるので尚更「感情語」なんて必要ないでしょう。
表情で伝わるのは、基本感情的なものだけだろうし。

73ベダウリンデ:2009/10/06(火) 11:05:28
学問疎いんですが、NEPOでやろうとしてる事は、言語学で言うと「意味論」のジャンルかもしれないですね。
言語学にも色々ジャンルがあって、音韻論とか統語論(文法の分析?)とかは研究も割と進んでいるみたいですね。
意味論は、学問的にも難しい領域なんだろうなーと思う。
今までの「エスペラント改造論」は、音韻(LとRの区別をやめろ、とか)や文法(対格なくせ、とか)のレベルに止まっていたと思う。
それはきっと、言語学で完成したジャンルがそこまでだからなんだ、と思った。
意味論レベルでの改造って未開拓の分野で、実はものすごーく高度な事かもしれないですね。

『対論 言語学が輝いていた時代』の中で、エスペラントに懐疑的な鈴木氏は
「地球環境が均一でない以上、人類の言語が一種類になるはずがない」と言い、
「(エスペラントは)単語同士がほとんどイコールでつながってる欧州六カ国語対照辞典的な発想」なので
「そこにアジア語、日本語が入ると意味論的なギャップが大きくなる。私のエスペラントの世界性に対する疑問がそこにある」と言う。
それに対してはエスペラント支持派の田中氏も「エスニックな固有性の部分が一番弱いところ」と認める。

鈴木孝夫さんは著書「ことばと文化」(1973年の古い本です)の中でも次のように述べている。
「私の考えでは、日本語を、そして日本的現実をはかる尺度は、日本語それ自体、日本的現実それ自体に求められるべきだと思う。
もし西欧起源の尺度と対比させ、普遍化を目ざすならば、それは両者を共に含み、共に説明できる一段高い次元に於いてのみ可能」
と言っている。そうなんです、そういう高い次元での普遍化を、私は新エスペラントに求めているのです。
でないと鈴木氏の言うように「西欧の尺度を流用しての安易な普遍化」にすぎないし、そんな言語が「共通語」なんて嫌なのです。

74ベダウリンデ:2009/10/08(木) 10:07:24
挨拶語について
挨拶とは、『人と人とが出会ったときや、別れるときに交わす儀礼的な動作や言葉。また、その言葉を述べること。』(goo辞書)
エスペラント語ではsaluti=礼儀正しい身振りで、誰かに尊敬や行為を示す(ReVo)
salutiの定義には、「出会った時」などの使用場面の定義が無いのですが、日本語の定義と同じような場面で使用されると想定します。
挨拶は、動物の仲間同士が出会った時の、「敵じゃないですよ」と示すサインと同じ所から発達したと思われるので、
おそらく人類でも、普遍的に行われるでしょう。
でも、その表現方法は、各民族で異なっている。
日本語では「こんにちは(良いお日柄ですね)」。ヨーロッパ語一般では「良い日」。
他には「貴方の上に平安あれ」「もうご飯食べましたか」「どちらへお出かけですか」などなど。
未知の民族が一体どんな表現で挨拶してるのか、全く想像もつきません。
が、それらをひっくるめて、抽象的に「挨拶」=salutoと言います。

saluti(o)は抽象的な意味の単語です。エスペラントでは、この抽象語を用いてsalutonと挨拶します。
「挨拶を」という意味です。民族のオリジナリティを超えた抽象単語を用いて「挨拶」を表現するのです。
抽象語なので、相手への具体的な思いやりなどは、一切感じられません。
しかし、抽象的=普遍的=民族的差異の克服です。
私は人工語には、既存の民族語では不可能な「普遍性」を求めるので、salutonという表現を高く評価します。

エスペラントにはBonan tagonという言い方もありますが、
これはヨーロッパ一般の表現(ヨーロッパ民族以外でも同様の表現をする地域もあるが)の直訳なので「普遍性」がありません。
NEPOでは、Bonan tagonでなく、Salutonを、出会い時の挨拶用語として固定したいです。

75ベダウリンデ:2009/10/08(木) 11:07:17
狭い意味での「挨拶語」の他に、コミュニケーションを手軽にする短い決まり文句が必要です。
日本語で言う「ありがとう」「ごめんなさい」「おめでとう」などの類です。
そういう言葉で何が必要か考えると、①感謝とその返礼、②謝罪とその返礼、③許可を求める言葉と受諾と拒否、④勧める言葉と受諾と拒否、⑤おめでとうなどの祝辞とその返礼
他にも⑥頑張れなどの励まし⑦よく来たねなどの歓迎の意、⑧その他、日本的ですが、いただきます、おかえり、ただいま、おじゃまします、などなど、考えられます。

エスペラントではsalutonの要領での決まり文句が他にも既にあります。
①感謝=danko なので、ありがとう=dankon
⑤祝辞=gratuloなので、おめでとう=gratulon
②誤る言葉pardononについては、若干検討します。
saluton,dankon,gratulonは、話者が聞き手にsaluto,danko,gratuloを「渡す」のですが、
pardonoの意味は「許し」なので、pardononは、話し手は聞き手からpardonoを「受ける」のです。
でもまあ、pardononはpardonoを下さいの略、と考えて、現状でよし、としましょうか。
もしも、-onという挨拶語を、話し手が聞き手に「言葉の意味を渡す」と意味に統一して定義すれば、
渡すべきものは「謝罪の意」なので、pardon-peto=許しを請う事を、聞き手に「渡す」べきです。
或いは「許して下さい」という命令形で表現するなら、全く文句なかったです。

⑥「頑張れ」は色々な言い方が考えられる。「勇気を」「努力を」「幸運を」などなどを、あなたに祈る、とでも言うのでしょうか。
励まし方には色々民族性が出そうなので、「励まし」という抽象語をあなたに「渡す」と考えれば、「普遍的」かもしれません。

76ベダウリンデ:2009/10/09(金) 09:37:31
salutiの定義は、日本式の「挨拶」で考えるのか、ReVo式の「敬意を示す」で考えるのか、きちんと決めなければなりませんね。
日本式なら「出会ったときや、別れるとき」なので「さようなら」もsalutonになります。
ReVo式は時点を定義してないので、出会い別れと間の、何らかの時点でも必要ならばsalutonと言っていい事になります。
日本式定義に従って「さようなら」もsalutonにしたら、現実問題として支障が出るのは必須です。
ReVo式に、salutonを「敬意の表明」とすると、日本人感覚での「礼」も、言葉で言えばsalutonになります。
昔の日本人のように会話中に何回もペコペコお辞儀したり、何かのイベント開始時・終了時に「礼」したりも、
言葉ではsalutonとなるのでしょう。
しかし、現代社会の、特に国際交流では、「敬意の表明」は、出会いの開始時に一回行えば十分です。
そうすると、今のsalutonの使い方に近くなります。
もちろん、開始時以外であっても「敬意を表明」したければ、個人の自由で随時salutonと言って良いとします。

日本人のイベント開始時・終了時の「礼」は、言葉にすると、「お願いします」「ありがとうございました」かもしれません。
「ありがとうございました」はdankonでいいけど、「お願いします」はエスペラント訳しにくい。
この場合、イベント開始時に改めて「敬意を表明」するという意味で、salutonと言えば良いと思う。
エスペラント会でも囲碁はさかん(?)だと聞きましたが、対局の前には何と言って挨拶してるのでしょうか?
私の理屈ではsalutonですけどね・・・

77ベダウリンデ:2009/10/13(火) 10:10:47
「励ましを」という意味での決まり文句を考えていたのですが、いいのがありませんね。
日本語では『励まし』は『励むようにする』『励む』は『気力を激しくする』。
エスペラントで言うと、kuraĝigi勇気づける、が最も近いかもしれない。
だったら、頑張れ=kuraĝonでもいいんだけど、なんか、もうちょっと意味の深みが欲しい。
「勇気」を出して、できるだけ「努力」して、なお且つ「幸運」にも恵まれ、しかもそんなに自分を追い詰めず「気楽に」、その結果「成功を」あなたに望みます、
というような便利な言葉があったらいいのに。
そんな単語、日本語にもエスペラント語にも英語にも無い。でも便利ならば新しく作っても良いと思う。

言語の文化とは何でしょう? その言語で文学が存在する事? それだけではないと思います。
人間の身の回りに存在するあらゆる具体抽象を、適当に切って意味づけしていくのが言語です。
存在自体には区切りは無いけど、その切り方が言語によって異なるから、
同じような意味の単語でもよく調べると、言語によって細かい意味づけが違っていたりする。
そういった「区切り方と意味づけ」が言語の文化なのではないか、と思う。

その民族しか理解できない微妙なニュアンスを持つ単語が存在するという。
俗説承知で例をあげると、日本語の「もったいない」、韓国の「ハン」、ポルトガル語の「サウダージ」などなど。
エスペラントにもそういうのがあってこそ「文化がある」と言えるのではないか?

エスペラントにも「カベる」「ワニる」など、独自で生み出した言い回しがあるから文化があるんだ、という説は聞く。
でもそれって、業界用語、陰語のレベル。これを「文化」などと言うには気恥ずかしくないだろうか。
「カベる」「ワニる」という単語に、エスペランチストにしか理解できない微妙なニュアンスがあるとは思えない。
もしあったとしても「侮蔑」というニュアンスを超えるものではないと思う。
「カベる」「ワニる」は、エスペラント運動に対して負の行動をする者に対する揶揄の言葉である。
そんな陰湿な単語だけが「エスペラントにも独自の文化があるよ、ほらこのとおり」では寂しすぎる。
国際語としてコミュニケーションを円滑にするような、プラスの意味での独自の単語があれば、威張っても良いと思う。
その意味で、エスペラント版の「頑張れ」を、そういう言葉として新たに作ると良いと思う。

78ベダウリンデ:2009/10/19(月) 09:52:57
鈴木孝夫さんの説のパクリなんですが、日本語は音韻数が少ないので、単語(=音韻の組み合わせ)の数が制限される。
つまり、日本語(やまとことば)では単語が少ししか作れないから、一つの単語の表す意味が広くなった、という事のようである。
例では、日本語の「なく」は生物が音を出す事全部。「なる」は無生物が音を出す事全部。英語では動物の種類ごとに「なく」単語が異なる、という事だ。
つまり、音韻数の少なさが幸いして(?)、日本人は物事の概念を広くとらえる習性を持つようになった。
あるいは逆に、概念を広くとらえてたから、音韻数を増やさなくてすんだ、とも言えるのか。
まあ、相乗効果なんでしょう。

NEPOは意味論的な改造が主体のエスペラント改造で、単語の「意味」の変革が主たる目的です。
やまとことばの「なく」のように、単語の概念を広げることで全体の単語数を減らし、それにより学習者の負担を減らすのです。
その意味では、日本人の概念の分け方は、NEPOの参考になると思いますね。
てゆうか、意味論での異議申し立て自体、日本人にしかできないかもしれません。

79ベダウリンデ:2009/10/19(月) 10:54:55
例えば、日本語の「言う」は、広辞苑では「必ずしも伝達を目的とはせず言葉や音声を発する表出作用をいう」とある。
つまり、「ぶつぶつ言う」「きーきー言う」など、伝達を目的としないような発声も「言う」で言える。
和英で「言う」を引くと、tell,say,talk,speakなどがある。
エスペラントでは、say,tellがdiri、talk,speakがparoliのようです。
ここで気になるのは、英語やエスペラントに、日本語の「言う」と同じ意味の単語(つまり必ずしも伝達目的で無い発声を含む)があるのか、という事です。
paroliは初心者風に訳せば「話す」なんですが、日本語の「話す」は「言う」より狭い意味です。つまり「伝達目的」が前提です。
ReVoを見ると、paroliの一番目の意味は「自分の音声器官を機能させる」なので、「言う」に近い広い定義となってます。
せっかく定義はありながら、日本語の「言う」のような有効活用はされてないのではないか、と思いました。
初心者風の勘違いかもしれないですが、talk,speak,paroliは、日本語の「話す」の意味、
つまり、ちゃんとした言葉で表現する事が前提になってる様なイメージが、あくまでイメージですが、あるんですよ。
ぶつくさぐだぐだ「言う」ような、曖昧な発声をする「言う」の意味では使いづらい気がする。
実際使いづらいから、grumbliという別単語があるのかもしれないし。

単純にvoĉi(”声”の動詞化)を日本語の「言う」みたいな広い意味で使えばいい!と思ったけど、
voĉi=voĉdoni(投票する)なんだって。そういう「変な点」を変えたいよなーと思う。

80ベダウリンデ:2009/10/23(金) 12:52:06
仮にvoĉiという単語を「発声する」という意味で使えば、
声が大きいか、小さいか、高いか、低いかという発声方法に主眼を置いて、
様々な発声に関する単語を網羅することができる。
大きい発声=叫ぶ、どなる、わめく
小さい発声=つぶやく、ささやく
高い発声=金切り声
低い発声=どすをきかす
voĉiには独り言的な発声も含み、paroliは内容を伴って相手に伝える事と定義すれば、
小さいvoĉiはつぶやく、で、小さいparoliがささやく、と意味を分化する事ができる。
どすをきかす時も、一人で「ゴルア」とか言うだけならvoĉiで、内容が伴う時はparoliとすればよい。
それプラス、話し手(その発声を聞いてる人である場合が多い)の感情も入れられると良い。
現在は-aĉは「粗悪」を示す接尾辞であるが、「話者の不快感」を示せると良いと思う。
高い声には良い声も悪い声もあるけど、キーキー言う声は聞き手に不快なので
高いvoĉ-aĉiと言えば分かりやすい。

81ベダウリンデ:2009/11/02(月) 17:00:57
-aĉを「話者の不快感を示す」という意味にすると、用途が広がると思う。
別掲示板で見かけた意見で、abruptaとsubitaの違いが分かりにくい、とあったけど、
abruptaを「不快にsubita」つまりsubit-aĉa、とすればいいと思う。
また、「やせている」という語もmal-dikaだけでなく、
「ほっそりした」とか「貧相な」とかいう意味で、それぞれ別単語があるらしいです。
それらも、話者から見てみっともないと思う痩せ方には-aĉを付けてmal-dik-aĉaとし、
美しいと思う痩せ方には、別の接辞をつければいいと思う。
「太ってる」も同様で、日本語で「ふっくらした」と言いたいなら、「美しい太り」と表現すればいい。
嫁入り前の女性を小屋に閉じ込めて食べさせて太らせる民族もいるというので、そういう場合も「美しい太り」と表現してもらえれば意は通じると思う。
日本人の感覚では「ふっくら」じゃなくて「ぶくぶく」じゃん、という肥り方かもしれないけど、その民族が美しいと思うなら「美しい太り」なのです。

つまりまとめると、「時間的な唐突性」とか「サイズ的な太さ」は、話者の気持ちを含まない、あくまでも物理的な視点での言及とし、
話者の価値観・感情は接尾辞で付け足す、という案です。

82talisker:2009/11/05(木) 22:19:10
ご苦労様です。
スレを頭から読み通した印象としては、エスペラントの意図的なピジン化を目指しているのだろうか、と感じられました。
>>3 で不満の具体例を述べておられますが、実際の作業?は真っ先にあげた不満の解消とは別のところから取りかかっておられるんですね。
あくまでも不満の一例でしかないからということなのでしょうか。
不満の主要点としてヨーロッパ由来の語が多いことを槍玉に挙げておられますが、こうしよう!と作り上げた俺様語的な合成語もまたヨーロッパ由来の基本語の組み合わせなんじゃないでしょうか。
結局のところ、あれこれと頭でっかちな理屈を述べるわりには、わけの分からない変種表現を増やしているだけに思えてなりません。
そもそも欧米からの脱却とやらを目指すのであれば、非欧米圏のエスペランチストにここで出している珍妙な合成語の代案を実際に使ってみて、説明抜きで疎通するか検証しないんですか?

83ベダウリンデ:2009/11/06(金) 09:46:36
>82
ご意見ありがとうございます。スレを頭から読んで頂いただけで御苦労さま、感謝です。
>エスペラントの意図的なピジン化
ピジンじゃないですよ。ピジンはあくまでも自然発生言語で、文法規則等が確立してない状態の言語です。
NEPOは人工語なので、規則性は人工的に作りますし、それが目的です。

>実際の作業?は真っ先にあげた不満の解消とは別のところから取りかかっておられるんですね。
そうなんですよ。手のつけやすい箇所&自分の関心のある箇所からやってます。
でも根本は同じですよ。多すぎる語根の削減と、ヨーロッパ人だけが語感的に理解できるという優位さの解消、です。
職業名は-istで統一したいな〜等という事は、今でも頭を巡らせているのですが、なかなか難しいのです。
そのあたりもそのうち書きたいのですね。なにしろテーマが壮大なので、思った以上に大変なのです。

>こうしよう!と作り上げた俺様語的な合成語もまたヨーロッパ由来の基本語の組み合わせなんじゃないでしょうか。
基本的に既存のエスペラント語根を使っています。(エスペラントの遺産を継承して分かりやすくするためです)
故にヨーロッパ由来の基本語の組み合わせになります。エスペラントが元々そうですから。
エスペラントの悪い点は、単語の意味までも、ヨーロッパ人が暗黙に理解できる定義にしてしまって、
説明も十分ではない、という点です。私が分かりにくい、と思う点はそういう点なのです。
>説明抜きで疎通するか検証しないんですか?
既存のエスペランチストは、今のエスペラント語を信奉して満足してる人がほとんどですから、
馬鹿にされて終わりなのが目に見えてます。「理屈」というより「信念」で受け入れられないでしょう。
もしも同じ趣旨の人がいるならば、相談してみたいです。

最近の言語学では、ものの考え方や概念など、人類の普遍的な部分と、民族文化に依存する部分がある、と
だんだん分かってきたみたいなのです。(言語学は入門書読んでる段階)
人類普遍的な部分だけを学術的に抽出すれば、そこから人工言語ができそうだし、
なんで無いのかな、と思いますが、何十年か後にはほんとに誰かが作りそうだな、とも思います。
それは「エスペラント」から離れたものかもしれないけど、私の理想と同じものです。

84:2009/11/06(金) 17:20:27
-istの「主義者」という意味は世界中に浸透してるので分離は難しそうですね。

85なつ:2009/11/08(日) 00:40:14
感情語は今の僕には発言できるレベルではありません。
特に語彙の取捨選択。
ただ、たとえば英語で「退屈だ」は
私は退屈だはboredで動詞受身、あれは退屈だはboring形容詞
あるいは、
それは、interestingだ。に対して、私はinterestedだ。です。
中学校で習う英語です。
つまり、私はinterestingだって言うと、「自分は興味深いと思われる存在である」ってなる。
退屈だなあって思って「私はboring」っていうと「自分は退屈と思われる存在である」ってなる。
自分は動詞受身であるべきで、be+形容詞にしてしまうとおかしくなるわけです。
でも「私はam angry」(形容詞)で怒っているを表します。不規則なんですよね。
あるいは「私はam enjoying」(動詞)です。
これはNEPOではぜひ統一すべきですよね。
esti 形容詞、igxi、igi等で・・・
少しでたので・・○○の人を意味する語はエスペラントでは区別しすぎなんじゃないかと
これ、以前言った感じがしますが・・uloなんているんですかね。
いや逆にuloを「○○って人」っていう意味ですと、なんでもこれ一つで当てはめられる気もします。
istoなんて廃止したらどうでしょうかね?職業人限定語なんて造語豊富な漢字も基本ありません。

>>-istの「主義者」という意味は世界中に浸透
世界中!!!!!!!!!
おっと、ここにも世界=ヨーロッパと思っている人発見
日本の欧米奴隷主義こそ浸透して気持ちの悪い

86なつ:2009/11/08(日) 11:03:20
vocxiを発声行為すべてに適応するのはとてもいいことだと思います。
vocxiに接辞を付けたり、副詞を置いたり。
「言う」系もですし、「話す、会話する」系もvocxiでいいんじゃないでしょう。
alvocxiやkunvocxiやintervocxiなどが考えられます。

87ベダウリンデ:2009/11/08(日) 16:20:01
なつさんは大胆派だから、意見も自由で面白いですね。
私も目標としてはなつさんのように大胆にばっさり切りたいのですが、慎重派なんだと思います。
これは切っても安心だと思われる周辺部からちょこちょこ切ってる感じですね。
見る人によってはもどかしいかもしれないですね。

>>-istの「主義者」という意味は世界中に浸透してるので分離は難しそうですね。
英語の接尾辞-istは、エスペラント同様に、専門家とか主義者とかの意味も含み、
他にも、…する人、…に関係してる人、…の性格の人の意味を持つようです。
日本語でもピアニスト、ロマンチスト、等と言うではありませんか。
〜イスト=〜主義者という思い込みは、逆に偏ってます。
また、英語でも-istは接尾辞であるので、「分離」は簡単です。

私が困っているのはistのつかない職業名です。(ist残すか否かは別にして)

例えば、外交官はdiplomat-oで、外交(名詞)はdiplomati-o、明らかに同根の単語なのに別語根の扱いです。
それでいて、「外交する」という動詞は無いんですよ。
「外交する」という動詞があれば、外交官も外交も一つの語根から派生できるのに。
例えば、外交する=diplomat-i、外交官=diplomat-isto、外交=diplomat-o。
これでもいいんですけど、いいのかなーこれで、的な躊躇も。上手い案、無いですかね?

88なつ:2009/11/08(日) 23:17:55
外交「diplomatio」というのがありますから、
外交する「diplomatii」でいいんじゃないでしょうか。
外交官は「diplomatiisto」とする。
これだと今の語根を使いしかも1語根(diplomati)で間に合います。

同じように
filozofo「哲学者」に対して現行エスは、
filozofio「哲学」。これまた2語根つかってわけがわかりません。
これもfilozofiistoで対応可能でしょう。

vocxiは「発声行為すべて。声を出す行為全部」としたら説明は容易になると思うのですが。
これは、「聞く」auxdiは聴覚一般すべてを包含していて「聴く」としたいのであれば
alauxdiなどにすればいいし、
「見る」vidiは視覚器官が受け止めるすべてを指し、「観る、視る」としたいのであれば、
alvidiなどにすればいい、というのと同様です。

89ベダウリンデ:2009/11/09(月) 16:50:12
>外交する「diplomatii」でいいんじゃないでしょうか。
外交官diplomat-oが元来の語源で、それからの派生が外交diplomati-oではないか、と思ったのです。
哲学者=filozof-o→哲学=filozofi-oのように、先に「職業名」が有り、職業内容はそこから派生されたのではないか、と。
ところが、-istoという接尾辞は、先に職業内容が有り、そこから派生される職業名なので、順番が逆になります。
-istoを付けるために、diplomat-oから派生したdiplomati-を語根として採用し、本来の語根であったdiplomat-を破棄するのは、
なんか順番が違うようで、それで悩んでいたのです・・・
この悩みは、エスペラントが、設計理念である造語体系に馴染まない西洋語を安易に採用した結果から生じてると思います。
エスペラントの負の遺産だな、と思います。

まあ、理屈は置いておいて、我々の分かりやすさを重視すれば、
diplomati-を語根として採用し、diplomat-は破棄した方がいいかもしれませんね。
哲学者もfilozofoなんて言わないで、filozofi-istoにした方が、長くはなるけど、反面耳で聞いて分かりやすい。
「哲学する」も従来通りのfilozofi-asの方が、filozof-asより、フィロゾフィーという音が強調されて分かりやすいですね。

ここには書かないで悩んでいましたが、書いてみると視点が新たになりますね。

vocxi、auxdi関係は、最終的にはそうなってもいいと思いますね。まだ検証はしてないですが。

90なつ:2009/11/10(火) 20:57:42
なるほど、そういう意図だったんですね。
確かに、外交官、哲学者という語がはじめにありきの語幹と派生語幹であり、
負の遺産です。istoとは造語法が逆なんですよねえ。

vocxi、auxdi、vidiは検証しても大丈夫だと思うんですけど・・・
vocxorganoは「くち」でしょうかね

91ベダウリンデ:2009/11/11(水) 10:30:06
auxdi、vidiは、今のところ、問題は思い浮かびません。
vocxiに関しては、「声を発する」をいう広い意味にして、
vocxiの中の「言葉として相手に通じるように発する」という意味は、diriだけでも残しておいた方がいいのではないか、と今は思っているのです。
理由は、言葉は人間だけが持つ能力で、人間にとって非常に重要な要素である、と思われるからです。
vocxiだけだったら猿でもできる。或いは動物が鳴く、吠える事もvocxiに含めていいかもしれない。それと区別してdiriは残す。
絶対こうあるべきだ、という強い主張ではなく、個人的な意見です。一人の意見で決まる事ではありませんから。

vocxorganoは「くち」、は問題ないと思います。

同じ趣向を理解できる人が、もー少しいたらいいのになーと思いますね。
言葉について深く考えるきっかけにもなるし、考えてみると面白いものですよ。

92なつ:2009/11/11(水) 23:21:04
僕は、もともと
言う、話す、会話する、しゃべる、diri、paroli、say、talk、speakなど、
diriすべてがそれらを包含するという考えでした。
それは、vocxiでもいいなという考えでした。
それは動物などの声を含めるかどうかというのは考えていませんでした。
diriは人間唯一のものであるという意味にしては、という検討ですね。
なるほど、それは考える余地ありですね。

もう少し考えが同じ人が増えればいいんですけどね。
僕はエスペラントを学んで必然的な帰結であり、
日本人がエスペラントを学べば必ず至る帰結だと思ったんですが・・・

93なつ:2009/11/13(金) 15:06:13
勘違いを生むかもしれないので訂正
「diriすべてがそれらを包含するという考えでした」
→「diriすべてにそれらを包含させよてもいいかなという考えでした」
vocxiには、その包含したdiriよりもさらに広い概念になりうるわけです。
人類以外の動物のものまで含ませられるという点で。
じゃあそうしてもいいんじゃないかなと思うのです。diriすら不要でvocxiで。
すべての生物の発声・発音行為をvocxiで。僕には、
新聞で「誰々が〜〜と言った」も、
壇上からスピーチで「話した」も、
みんなでわきあいあい「会話したも、
犬がワンワン「吠えた」も、
脳裏に描く無音の映像は「口をパクパクしている」もので全く同じなんですよね。
引用伝達だけの無感情の「言う」でも、ある意図目的をもって一方向に向けるスピーチも、
目的のない双方向の会話も、威嚇だけの発声行為も、みんな同じに見えてしまう。
じゃあそういうのは、みんなvocxiでいいじゃないかと。
犬の場合はvocxi malalteとかvocxi grandeと副詞で補ってもいいし、
鳥の場合はkantiにしてもいいし。

広い概念を使うということで思い出すのが、アルカだったでしょうか。
各言語には、「ある物を使用するとき決まった動詞」が存在する。
いわゆるコロケーションの話
松戸さんの例示を引用させてもらえば、
エスペラントでは「傘をさす」や「傘をさしている」に相当するものすら
コロケーションとしてないに等しいそうだ。
Mi malfermis ombrelon.(傘を開いた)
Mi sxirmas min per ombrelo.(傘で自分を覆っています)
Li estas kun omblelo.(傘をもっている)
アルカでは、ある物をその目的に応じて使用するときには同じ動詞があるという。
仮にNEPOではuziとすることにしましょう。
となると、傘をさすのは、傘の目的に応じて使用するわけですから、
Li uzas ombrelon nun.で一発です。上記3つでもいいですが、まよえばこれを使えばいい。
ロウソクをつけるも、テレビをつけるも、シャワーを浴びるも、湯船につかるも
とりあえずuziで済ますことを許容させてしまうわけです。
「その目的に応じて使用する行為に、ある動詞(仮にuzi)を使う」という発想は異文化、異言語間の
人たちがコミュニケーションを円滑にするには、結構、使い勝手がいいのではないでしょうか。

94ベダウリンデ:2009/11/16(月) 10:01:02
なるほど、ある物をその目的に応じて使用する場合はuziなのですね。
そういうルールが公式に確立されていると、西洋文明に詳しくない諸民族にとって、
西洋ルールをいちいち気にしなくてすむので、非常に楽になると思いますね。

前から思っていた事ですが、エスペラントでは、道具とその道具を使う動詞の区別が難しいのです。
動詞の中に道具のイメージが一体化してる。(英語も同じみたいですね)
例えば、よく言われる例に、kombi=髪を櫛でとかす、というのがあり、櫛はkomb-iloとなります。
動詞=行いたい動作、があって、それを行うために考案された道具に-iloを付ける。
しかし、broso=ブラシは最初から道具名で、「ブラシする」はbrosiであっても、ブラシそのものはbros-iloではない。
kombiは櫛でとかす事だから、ブラシで髪の毛とかす事は、kombi per brosoと言えるのかどうか、不明。
それから、ナイフはtranĉ-iloだけど、フォークはforkoなんですよね。「フォークで刺す」はforkiなのにfork-iloではない。
似たもの同士がなぜ区別されるのか、西洋文明を日常で生きていない私には謎です。
鋏はtond-iloなので、「鋏で切る」はtondiかな、と思うと、tondiの元々の意は羊毛などを刈り込む事なのです。
つまり、元々牧畜民族が羊の毛を刈り取るために考案した道具が鋏であり、
我々が文房具として使ってる鋏は応用例にすぎないのか〜と初めて認識する次第。
その辺りの感覚が、「昔は○○で使ってたんだよね」的な感覚としても、全く理解できないので、
非西洋人には不利だな〜と思っていたのです。
人間の意思(=動詞)があって、それが道具を生むのか(-ilo)
道具が先にあって(他所から流入してきたりして)、その道具を使うという意味で動詞を作るのか、
統一するか、或いは、併存するならその区別の基準をはっきりしてもらいたいのです、エスペラントには。

今のエスペラントを変えるのは無理だから、新改造案としてやるしかないのです。
現代文明には電話やパソコンなど、一言で「○○するための道具」と表現できない道具が多い。
またブラシやフォークのように、単純な道具なのに西洋人にとってさえ「最初から道具名」である物も多い。
そうすると、道具名を基準にしてuziを使うか、あるいは単純に動詞化するのも、エスペラントルールでは可能だと思う。
「傘をさす」もombrel/iと言えるのでは?

>日本人がエスペラントを学べば必ず至る帰結だと思ったんですが・・・
エスペラントには様々な不備が存在するのに、既存エスペランチストの皆さんは、
平気で目をそらして満足しきれるという、右翼とか左翼とか問わずに皆がそうだという事が
非常に驚きであります。

95なつ:2009/11/17(火) 19:18:02
エスペラントを学ぶ前あるいは学ぶ直前までは、
人工語でありすぐマスターできる。
すぐマスターできる細工が、ふんだんにほどこしてあるに違いない。
という錯覚に陥っています。少なくとも僕はそうでした。
でも、万年コメンツァントがこれでもかっている。
理由はいろいろありますが、基本単語は造語法によってどんどん記憶できるが、
500語くらい覚えれば、あとは遅々として進まなくなる。ヨーロッパの価値観で造語法にたよらずヨーロッパの単語をどんどん取り入れていってるからで、
ここまでは何回も書いたことがあります。で、NEPOを考える上で意味論的に語について考えていくと、
外見上エスペラントは不規則的なものを廃しているかに思えて実は、あまりにも不規則なもので塗り固められているというのが分かってきますね。
それが万年コメンツァント製造の理由でもあったわけですね。
つまり、「istoは職業にする接尾語である」簡単でしょ?って初め教わるのに
あらら、filozofoとfilozofioの関係のごときものを散見しはじめる。
「道具にはiloをつける」ほら簡単に語彙を増やせるでしょ?すごいでしょ?で教わるのに、
実は、ナイフで切るtrancxi、ナイフ→trancxilo (これはいいねえ)。
forkiフォークで刺す→forkoフォーク (× forkilo あれ??)
tondi毛を刈る→tondiloはさみ (なんじゃ?)
となるわけだ。
動詞(-i)から道具(-ilo)にするのを原則にすべきだと思うんですよね。
なぜなら、道具(o)が先にありきで動詞(-i)があるものは、
動詞「〜する」(-i)→「〜すること」(-o)と混同の恐れがあるわけです。
わかりやすい例をいうと、forki刺す→forko刺す道具「フォーク」であるのなら
plori泣く→ploro泣く道具??となってしまう。
逆に、ploro「泣くこと」であるのならforkoは「刺すこと」でなくてはならないはず。
やはり道具があるものは動詞を基本にして-i「〜する」、-o「〜すること」、-ilo「〜する道具」
と統一すべきなんじゃないかと思う。これが、人工言語の真髄の一つなんじゃないかと。
いたずらに自然言語のように不規則にする必要は全くないわけです。
ombreli傘を差す→ombrelilo傘
telefoni電話をかける→telefonilo電話 いいでしょうかねえ
まあいっそのこと、forvocxiloでもいいですし。
傘はkontrauxpluvilo長いかな。
ombri影をつくる、傘をさす→ombrilo傘なんてどうでしょう。

96ベダウリンデ:2009/11/19(木) 09:45:16
フォークはforkiloにしたい、と、私も全く同じく考えていました。
なぜならば、一目瞭然でそれが道具であると分かるからです。
エスペラントの接尾辞は非常に便利で、造語のためだけでなく、それを付ければ単語の性質までが一目瞭然となります。
様々な言語で名詞をグループ分けするという概念があります。
日本語では〜個、〜本という助数詞もその一種だそうです。印欧語の男性名詞女性名詞、スワヒリ語の名詞クラス、など。
NEPOでも接尾辞を利用して、名詞のクラス分けのような概念を導入したらどうでしょうか?
職業人には全部-istoがつく、道具には全部-iloがつく、というように。
それと同じく、動物や植物にも名詞クラスを示す接尾辞があったらいいと思う。
全部の名詞に接尾辞を付ける必要はない。抽象名詞や世界共通の自然物には不要かもしれない。
文化や住んでる地域によって大幅に異なるものだけに、名詞クラス接尾辞をつけると良いと思う。

例えば、「○○のように」とか「○○が立っていた」と書かれている時、その○○が大体何なのかだけ分かれば良い。
いきなり全く分からない単語が出てきて、そこでストップして辞書のお世話になって、
その和訳名を知って、なんだ動物・植物かと思っても、結局それが具体的にどんなものなのか、身近に存在しないから分からない。
西洋固有種の鳥とか魚とか草木の名前をいきなり書かれても困る、と思ってた。
住んでる地域が違うのだから、何かの動物に例えてるんだ、とか、なんかの木が立ってるんだ、とか
それさえ分かれば十分なのです。

>ombrilo傘
いいですね。そもそもombrelo自体がombroからの派生語だったのでしょう。
日本人はアンブレラという英単語は知ってても、「影」という単語はシャドーだと思ってるから、
エスペラントではombroを新しく覚えなくてはならなかった。
影->影を作る->影を作るための道具、という流れになるのですね。
「物(人)が影を作る」場合と「傘をさす」場合は区別したいので、その場合はuzi ombrilonとするか、
或いはombr-il-iと言えば、-il-iという接尾辞で、何らかの道具を使用してるのだ、という事がはっきりするから良いのでは?

97なつ:2009/11/19(木) 19:54:49
名詞クラスを表す接尾辞(接頭辞)は、考察するに有意義だと思います。
人間を表す接尾辞はいっぱいあるのですから。
ベトナム語を少し紹介しますと・・・
日本語の助数詞にあたるものにベトナム語では類別詞があり、
日本語の助数詞のような働きのほか、そのほかのひとつとして、名詞クラスを示す働きをします。
日本語でいうと、一匹のウサギは言えますが、ベトナム語風にいえば、1動物ウサギで
さらに、動物ウサギと言え、ウサギは「動物」なんだといい始めで示すわけです。
無生物(物)、生物(動物)、機械、乗り物、書物、果物(丸い物)、薄い四角い物、
大建物など。また、例えば「乗り物・踏むこと」で自転車を意味します。
僕が前に考えていたのは、例えば、(あくまでも例えば)besto malpuro→ねずみ みたいなものです。
これを、besmalpuro、あるいは、malpurbesoと接辞を使うようにするのも、いいかもしれません。
名詞クラス提示に加えて同時に造語にも使うわけです。
名詞クラスだけを示すのであれば、ただ長ったらしくなるデメリットがあります。
なので超基本なものとか、明白なら省略可能としたりが可能なシステムがいるとは思います。

--iliで「ある道具を使っている」というのはいいかもしれません。

98だにょ:2009/11/19(木) 22:35:53
単純な語(=知覚可能な事物の名詞)でも、「ウサギ」のように西洋文化の影響が強いものがありますね。
家兎kunikl/oと野兎lepor/oを分ける必要があるのでしょうか?
BROの重要度は低いのですが、使用頻度の高いkunikloだけで十分な気がします。
英語でもrabbitとhareを厳密に使い分けていないみたいですし。

・kunikuloは、意味を脱色する(般化する)。家兎、野兎を問わず、ウサギ一般を指す名詞とする。
・野兎を言い表すときは、接頭辞「sovagx-」をつけて「sovagx-kuniklo」と造語する。
・家兎を言い表すときは、飼育目的に応じてbruta kuniklo(家畜のウサギ)、hejma kuniklo(ペットのウサギ)などと呼ぶ。

このような感じで改良してくれたら、例えば「月の兎」を訳すとき、
いちいち説話を調べて野兎か家兎かを吟味しなくて済むのですが。

99だにょ:2009/11/19(木) 22:38:39
>>9
エスペラントの改良手続きに名前をつけてみました。
意味についての改良案は、だいたいこの10パターンに収まるかも?
「融合」「分離」「吸収」「発散」
「般化」「特化」「付加」「捨象」
「維持」「認容」の10パターンです。

▼融合
複数の語からなる語を、より少数からなる語へ置換すること。造語要素の抽象度を高める。
・mal/san/ul/ejo→hospitalo
・mangx/o/baston/etoj→baston/etoj

▼分離
一又は二以上の語からなる語を、より複数からなる語へ置換すること。造語要素の抽象度を下げる。
・hospitalo→mal/san/ul/ejo
・butiko→vend/ejo
・hospitalo→mal/san/ul/ejo
・monoteismo→unu/di/ismo
・abomeno→mal/sxat/ego
・abrupta→subit/acxa
・gxeniとembarasi→mal/helpi
・kukoとtorto→dolcx/ajxo
・「使いたくないエスペラント単語集」の置換例

▼吸収
類似包含関係にある語群から語を選択して代替させること。語の重複を是正。
・animoとspirito→animo
・mensoとintelekto→intelekto
・amiとsxati→sxati
・bon/vol/usとmi pet/as→mi petas
・strandoとplagxo→どちらか一方。
・auxtomobiloとauxto→auxto(人為的にZipfの法則にあわせる。使用頻度が高いほど語が短いとの法則)
>>66 感情語は、動詞に変化させて使用しないことにする。ベースとなる品詞を形容詞に定め、
 副詞と名詞にだけ品詞語尾を変化させる運用でいく。以下、例。
 Mi sensas agrablecon.
 Kusxi estas agrable.
 Li donis al sxi ion agrablan.
 Ni dezras sensi agrablecon.
 Mi estas trankvila.
 Reakiru vian trankvilon!

▼発散
主に多義的な語を、複数の語に「分離」して、それぞれの語に用途・機能を割り当てて専門化させること。
・多義語deのほかに、前置詞farを導入して、deとfarを使い分けることにする。

▼般化
その語の持つ意味を一般化・抽象化して拡張すること。語義範囲の拡張。
・teoは「紅茶」ではなくて、「お茶一般」という意味にする。
・sxakoは「西洋のチェス」がディフォルトではなくて、「将棋類(日、韓、中、印、欧米の)」という意味にする。

▼特化
その語の持つ意味を具体化して限定すること。語義範囲の縮減。
・neces/ej/oは「要所」ではなくて、「便所」という意味に限定する。
・前置詞jeは時刻の表現のみに使用?

▼付加
本来の意味に類似しない、別の意味を新たに付け加えて、多義的な語にすること。転義も「付加」に含まれる。
・krokodilは「ワニ」という意味だけでなく、「母語で会話する」という意味も付け加える。

▼捨象
類似しない複数の意味を持つ語について一部の意味を無効にすること。
・vocxoの「票」という意味を封じ、「発声」の意味だけに限定する。

▼維持
従来どおり、変更を加えないことを(ほぼ確信をもって)決定すること。
・「名詞の語尾はoで終わる」というルールには変更を加えない。

▼認容
従来にない語根を導入すること。
・数字表現にtelionojやgilionojを導入。
・発明品テレビは、造語せずにtelevid/oという語根を導入。

100だにょ:2009/11/19(木) 22:39:18
●用例1

「方向に関する言葉は、非常時に聞き間違わないよう改良すべき。mal/dekstraを発散させて、新語根のlivaを認容する。ただし、mal/dekstraはlivaに融合させず、維持したままにして、どちらの語も使えるようにする」
「Bonan tagonは、Salutonに融合させてしまおう」
「ザメンホフはabruptaという語を故意に語根リストに入れたそうだが、この語はsubit/acxaという語に分離・吸収できそうだ」
「leporoは、kunikloを般化させた上で、それに吸収させたらどうか?」
「他動詞と自動詞の区別が複雑なので、感情語の動詞は形容詞と副詞と名詞に吸収させて運用したらどうか?」
「vocxoは、票という意味を捨象するべきだ」
「箸を意味するhasxioは、日本語に偏っているので認容しない」
「el/don/iは、“ある特定の空間や時点から外部へ与える”という意味を捨象し、“出版する”という意味を付加した語なのだろう。ひょっとすると、el/don/iは“ある人の脳から他人へ観念を与える”という意味かもしれないので、意味を特化してできた語かもしれない」
「私はfare deという言い方を維持しているが、アルカのkakisさんはdeを発散させてできた前置詞farを用いる。farは、動詞語根far/iに新たな意味を付加したものなのか?」

101だにょ:2009/11/19(木) 22:40:34
●用例2(活用例)造語はデタラメです。

◎ヘロイン(heroin/o)の検討リスト(ヒロインhero/in/oの混同を避ける)

融合→なし
分離→fort/eg/morfin/o, plej/supr/narkot/ajx/o... ←デタラメ(^_^;
吸収→morfin/o, opi/o
発散→なし
般化→なし
特化→なし
付加→pulvor/suker/o
捨象→なし
維持→heroin/o
認容→diamorfin/o

◎外交官(diplomato)の検討リスト

融合→なし
分離→diplomati/ist/o, diplomati/an/o, diplomati/ul/o, regn/agent/o,
   regn/agent/o, regn/komisi/ul/o, regn/funkci/ul/o, ekster/funkci/ul/o... ktp
吸収→なし
発散→なし
般化→なし
特化→なし
付加→なし
捨象→なし
維持→diplomat/o
認容→なし

◎憲法(konstitucio)の検討リスト

融合→なし
分離→suveren/jur/o, plej/alt/jur/o, rajt/kod/o... ktp
吸収→jur/o
発散→なし
般化→なし
特化→なし
付加→なし
捨象→なし
維持→konstituci/o
認容→なし

◎コスプレの検討リスト

融合→なし
分離→kostum/o/lud/o
吸収→maskerad/o, mask/o/vest/o
発散→なし
般化→なし
特化→なし
付加→なし
捨象→なし
維持→なし
認容→kosple/o

102だにょ:2009/11/19(木) 22:46:04
>>99
「融合」と「分離」のところで、造語要素の抽象度を「高める」と「下げる」
と書きましたが、逆かもしれません。汎用的な語を使って表現することが「分離」ですね。

もっとも、このような分類が役立つかわかりませんが。

103ベダウリンデ:2009/11/20(金) 10:08:42
だにょさん、bonvenon!緻密な分析力は流石ですね。
その優秀な能力の一部を「エスペラント改造案」にも向けてみませんか?
既存のエスペランチストは現状満足派ばっかりだから、
いくら「萌え〜でエスペラント普及を!」と訴えても馬の耳に念仏でしょう。
NEPOでも現状は(今のところは?)何も変わらないかもしれないけど、
テーマは「エスペラントの理想化」なので、たとえ一人でやってても「夢」があるから、空しさ感は無い。
一人でなく複数の人で考えれば、自分の考え方も刷新されるし、さらに有意義なのです。
現存エスペラントの活動や学習も続けながらできますよ。とりあえず、ごあいさつまで。

104ベダウリンデ:2009/11/21(土) 10:52:42
>>97
>なので超基本なものとか、明白なら省略可能としたりが可能なシステムがいるとは思います。
BROにある動物単語を一部整理して、それだけは普遍名詞扱いでクラス提示を不要とし、それ以外は明示する、とか。
地域に馴染みの深い、住民にとって思い入れのある動物種などは、民族語名+動物クラスで示してもらう。
例えば、鯉karpoは現在BROにあり、これはそのまま普遍語として残して良い。
並んでgobioカマツカという魚もBROにあるが、コイ科らしいが、私はそんな名前の魚初めて聞いた。
なので、gobioはgobio-fiŝoなどと言ってほしい。
日本語でフナと言いたい場合、karasoはBROには入ってない。しかもkarasoはヨーロッパブナであるかもしれない。
日本人はここでいつも悩む、日本のフナはkarasoかどうか。
だったら、funa-fiŝoと言うか、特にフナという呼び名を強調する必要がなければkarp-etoでも良い。

>>98
>このような感じで改良してくれたら、例えば「月の兎」を訳すとき、
>いちいち説話を調べて野兎か家兎かを吟味しなくて済むのですが。
そうなんです、こういう悩みをいつも押しつけられるのです、非西洋人は。ウサギは一個にしたいですね。
ちなみに、「月の兎」の訳はどっちにしたのですか?
月に兎がいるというイメージは日本的なので(中国韓国あたりにもあるかもしれないけど)
日本のイメージで考えると野兎じゃないか、と私は思いましたけど。

105ベダウリンデ:2009/11/21(土) 11:01:24
>>99
ここまで緻密に分析してもらえて感動です。
今まではてきとーに思いつくままに考えていましたから。
10分類は、どのやり方もNEPOでは可能性に入っています。
ただし、新語根が増えるやり方(融合、発散、認容)は、よっぽどの理由がある場合に限ります。
そうしなければ非常に不都合であり、新語根を導入したメリットがかなり大きい場合です。
また、語彙が比喩的に拡大する「付加」も、そうとう検討する必要があります。

106Kanva:2009/11/21(土) 19:17:27
> 月に兎がいるというイメージは日本的なので(中国韓国あたりにもあるかもしれないけど)

インドでもあります。
月のことをシャシン(śaśin=兎を持つもの)とも言う。

107luni ◆CcpqMQdg0A:2009/11/23(月) 17:15:08
ええと、Kakisの二次人格だよ。=・д・=
fare deの用法をどこで使ったのかは定かでないけど
rezenzo fare de fama verkisto(有名な作家による批評)みたいに使うのかな。
英語で言うbyで、行為者を表すのです。fare deを直訳するとmakely ofみたいだけど……。
アルカでもklit yut axtan estiで、"yut"だけでbyの意味にしてるから誤解しちゃったのかな。

108だにょ:2009/11/24(火) 22:09:22
>誤解しちゃったのかな

えっ? fare deとfarは同じ意味ですよね?
luniさんの使い方は、正しい使い方なのでは?
よくわからないけれど。ブログで見たような気がしますが。
勘違いかも。

109だにょ:2009/11/24(火) 22:33:50
様々な立場から語根がセレクトされているようなので、面白いのをリンクしておきます。

◎エスペラント日本語基本辞書(4,730語)=公認基礎語根+エスペラントの基礎+アカデミーオ公認語
http://vastalto.com/kagi/zyuuyoudo.html

◎エスペラント日本語辞典(JEI)が指定する重要語(2,400語)
http://www.jei.or.jp/eldono/ejvortaro_gravaj_0.htm

◎沼津エスペラント会が指定する重要語(重複含めて1,019語)=機能語リスト+基本語彙リスト
http://www2.tokai.or.jp/esperanto/kinogo.html
http://www2.tokai.or.jp/esperanto/kihongoi.html

◎コーパスによる使用頻度調査(467〜465語)固有名詞、魔法用語(?)を含む。上位467語(上位664語)
http://miresperanto.narod.ru/biblioteko/tishljar/15.htm
http://eeo.8k.com/EoDktH/Morfemo1.htm

◎ベーシック・イングリッシュ850語とエスペラントの対比(952語)
http://www5b.biglobe.ne.jp/~shu-sato/esp-siryo7.htm

110ベダウリンデ:2009/11/26(木) 09:24:37
>109
情報収集ありがとうございます。私はそういうのが不得意なので非常に助かります。

日本指定の基本語根は西欧指定のBRO等と比べると、若干違いがあると思います。
おそらく、日本人が見て過不足の無いように選択してあり、
それを見る日本人にとっても、違和感は生じないかもしれません。
また、日本指定のものでは、動物名を取り入れる頻度は低いようです。karpoも入ってません。

問題なのは、それが日本国内だけで有効な状態になってる事です。
BROなんか無視して日本指定の基本語根だけ覚えればいいよ、と言われても、
西欧の文書に西欧指定の基本語根に入っていれば、文句は言えない訳です。
必要なのは、両者のすりあわせです。「互いに勝手に」では「国際的」でも何でもないです。
他のアジア諸国でも勝手に独自の「基本語根」を定めているかもしれない。
それらを突き合わせて、何が共通かそうでないかを洗い出してみる、という作業が
ほんとは必要なんですが、そんな大変すぎる地味な作業は、、、なかなか手が出せません。
誰かそんな仕事してくれてないでしょうかね?
とにかく、日本指定の基本語根で満足するのではなく、
異文化のものを異文化の目で検証する方法が、国際基準に向けての作業としては比較的楽か、
と思い、今はその路線でいってます。
BROの語根は、日本人からすると破棄して当然な単語が沢山入ってるわけですが、
彼らから見るとそれらは必要な単語なのです。
なので、破棄する代わりに代案も考えてあげるようにしないといけない、と思うのです。
日本指定の基本語根を、異文化人が検証してくれたら、それもいいかもしれません。

コーパスは、「生きた言語」としての参考資料になりますが、
NEPOでは、それにそんなに囚われる必要ないと思います。
近い意味の語の中では何が好まれてるか、などを参考にするのには良いですね。

ベーシックイングリッシュは、私も調べたく思ったのですが、本とか、無いんですよね。
それに、いくら簡単になったとしても、結局は「米国文化」を表現するための言語だと思います。
また、動詞の数を少なくして多くの事を表現するには、我々が中学の時に苦労した「イディオム」を使う事になります。
「探す」はlook forじゃなくてサーチでいいです。エスペラントでもvidi porじゃなくてserĉiでいいのです。
単純に850語の比較ではなく、イディオム込みでどんな動詞表現が用意されているのか、知りたいです。

111ベダウリンデ:2009/11/26(木) 09:34:10
別スレでだにょさんが書いた小話、すごくいいですね。
>>http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1160742040/135
>>http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1160742040/136
お茶については私も前に調べて、「紅茶」は英語やエスペラント語では「黒茶」だけど、
中国では、さすがお茶の原産地、もっと色々な色でお茶を分けてるんですよね。
そういう「エスペラントならではの文化摩擦」みたいなネタをお笑いとして、もっと書いて下さいよ。
語彙の解釈がそれぞれの文化でバラバラである、という問題点の指摘となるので、非常にNEPO的発想です。

112だにょ:2009/11/26(木) 23:04:55
この前の質問に答えます。どうも投稿方法に問題があって、タイムラグが出てしまう(^ ^;

>「月の兎」の訳はどっちにしたのですか?

leporoです。
エスペラント改良の必要性を感じていますが、いざ実行の段となると使い分けてしまいます。
説話はウィキペディアで調べました。
>この伝説は、仏教説話『ササジャータカ』を発端とし、『今昔物語集』などを始めとして多く語られている。
とあります。「手塚治虫の漫画にそんなのあったっけ」というわけで、おそらく野兎。

電子辞書には「(一般に)ウサギ(兎)」とあります。ウサギ一般はleporoなのでしょう。
しかし、コーパス調査によるとleporoは上位に入っていません。kunikloはかなり上位です。

ドラマの世界では「天(時代)、地(場所)、人」の3つを最初の段階で観客に状況をみせて
理解させるというルールがあります。それを応用して、、、

言葉には、
(1)歴史的に、できる限り不変的、
(2)地理的に、できる限り普遍的、
(3)民族的に、できる限り不偏的との3つの守るべき「フヘン原則(=平等原則)」があると仮定します。
となると、過去の使用頻度が多いkunikloを消すのは、歴史的な継続を極端に断絶させるのでためらってしまうのです。
「sovagx-kunikloって何だよ? 野生化した飼いウサギ? ペットでも逃げ出したのか?」と言われるのが落ちですし。

113だにょ:2009/11/26(木) 23:06:06
妙なことをどんどん書きます。次の単語を採用しろと主張しているわけではないです。

頻出語根kunikloは次のような処理も可能ではないでしょうか。長い耳が特徴の動物ってウサギが代表なので、
ウサギという言葉を知らなくても、besto de longaj orelojで十分意味が通るはず。
だからkunikloとleprtoは、longorel/best/oまたはlongorel/animal/oという語に分離吸収させたい。
なるべく短い語にしたいなら-ul-という「人・動物の接尾辞」を使用すればlong/(a)/orel/ul/o。
「月の上の長い耳の野郎たち」と思われますが。

月の兎 la longorelbestoj sur la lumo (月の上の長い耳の獣)

114だにょ:2009/11/26(木) 23:06:56
↓コーパスの解説です。

>3. Kelkaj morfemoj havas klare tro altan nombron. Temas chefe pri vortoj el familia konversacio,
>kiam patro rakontis fabelon al infano, kie ofte ripetighis vortoj alie neuzataj.
>Ili estas: "karoto", "shafo", "lago", "chevalo", "kuniklo" kaj "sauno".
(適当訳)形態素の中はとても高い出現頻度のがある。おとぎ話の朗読といった家庭での会話だと、
他の場面では使われない言葉がよく繰り返される。にんじん、ひつじ、湖、馬、家ウサギ、sauno(サウナ?)なんかがそれ。

たぶん絵本に「家ウサギ」が沢山登場しているということでしょう。
エスペラントと、ある程度の互換性を持たせたいなら、
ウサギの吸収等はこういう利用実態を捨てちゃうことになるんですよね(>_<;

115だにょ:2009/11/26(木) 23:28:49
こうして、書いたのを垂れ流すのためらいがあるんですよ。
個人的には、このスレッドは、非常に重要だと思っているんですが。
前回も「あーあ、とうとうやっちゃった」という感じで。

唐突ですが、コンビニって墓参り用の線香などの葬式用品をたいてい売っているそうです。
コンビニは売れた商品の数などのABC分析というのをやっていて、Aの売れ筋商品を残し、
Cの死に筋商品を切っていき、売れる商品だけが常時店内に陳列されるようにしています。
ところが滅多に売れない線香のようなCの商品も置いてある。これはなぜかというと、
突然誰かが亡くなったときとか、緊急事態に困らないようにするためですね。

語彙の選択にもこういった事が大切で、単純に使用頻度の高いAの商品(語彙)から選べば良いってもんじゃない。
ベーシック英語は、7,000の英単語を重複がないように絞っていき、使用頻度ではない基準で850語を抽出したとか。
コンビニでいえば線香のような語を、緊急時にちゃんと表現できるよう抽出してあるそうです。

何が言いたいかというと、頻出語根(売れ筋商品)+必須語根(線香を含む)という組み合わせで、
本当に基本的な語根をはっきりできたら、いいんじゃないかと。

中途半端ですみません。

116ベダウリンデ:2009/11/27(金) 10:26:50
>「月の兎」の訳はどっちにしたのですか?
思うのですが、西洋人の感覚では、家兎=かわいい、野兎=かわいくない、
というイメージがあるのではないか、と。
英語で言うと、rabitとhareの違いだけど、例えばクマのプーに出てくる「ラビット」という兎は、
外見的にはかわいくないし、おそらく野生だし、私の感覚では野兎っぽいんだけど、
物語の登場人物だから、伝統的に言ってラビットなんだと思う。
(家兎は穴兎の家畜化で、「ラビット」は穴兎だ、とも言えますが)
逆に、日本の雪ウサギは、種別は野兎だけど、超かわいい。
それなのに、どうして「かわいくない名前」で呼ばれなければならないのか。
ネズミもそうです。英語の辞書に「西洋の家ネズミはマウスだが、日本の家ネズミはラットである」とある。
マウス=かわいいハツカネズミ、ラット=汚いドブネズミみたいなイメージで、
日本のネズミは汚いラットだ、と決めつけられたら不快だな、と。
月の兎も、かわいさイメージが必要なら、rabitと呼んでもいいじゃないか、とも思う。

おそらく、rabitイメージがエスペラントではkunikloに置き換わっているんですよね。
そういう動物への「イメージ」は、それこそ文化で異なるので、払拭したいのです。
kunikloは現コーパスでは上位ではあるが、兎の一般名称はleporoを採用して(longorelbestoも当然視野に)、
leporoから「かわいくない」というイメージを払拭できたらいいのに、と思う。
NEPOではコーパスに囚われる必要無い、とはそういう事です。
はっきり言うと、今までの「利用実態」は無視していい。そうじゃなきゃ、やる意義も無いと思う。
日本指定の基本語根では、動物名は極力控えた印象だが、使用頻度は低くても人間生活には絶対必要だと思う。
それをどうやって、極力語彙を減らして取り込むか、です。

117なつ:2009/11/29(日) 19:34:31
とても興味深い内容が続いていますね。
売れ筋商品と「緊急的必須商品」ですか・・・

少なくとも僕には野うさぎ、家うさぎ、穴うさぎの区別を目でみてわかりません。

子供のころ、アメリカのドラマを見たんですが、親が鼠駆除をしようとしたら、
子供たちが「マウス」駆除反対というプラカードをもってデモを部屋でするという内容でした。
ミッキーマウスもミッキーラットだったら人気がでていなかったと思います。
実際、ウサギもネズミもかわいいかどうかが判断の指針のウェイトを占めているんじゃないかと思うんですが。
だから童話に出てくるのはkunikloが圧倒的に多いわけで。
ただ、仏教説話のウサギはどっちなのかなあって悩みどころです。
正直いって、考えてもみてなかったのを今、僕なりに考えたら、
僕の感覚では餅をついてる月のうさぎちゃんはkunikloで
話自体に出るのは野性で食用になるようなイメージでleporo
なんです。大麦と小麦の区別と同じで「そんなのどっちでもいい!
いや、むしろ同じであるべきだ!」と思ってしまう。
もう一つ、生物学的には同じでも、大きさで表現を変える動物もいますよね。
わし・たか。くじら・いるか などです。
こういうのは総称名で一括して特にいいたいときはetをつけるあるいはsovagxなどして
言い分けるようにすればいいとは思いますが、その総称名をどっちにするかが悩むところですね。
まあ、いずれも僕は「分離」が好きですので、
「長耳野郎」(ウサギ総称)、「強鳥」(猛禽類総称)
「海動物」(鯨イルカ類)、「歯動物」(ネズミ総称)でしょうか・・・

118ふじこlp:2009/11/30(月) 04:36:00
可愛いか可愛くないかを決めるのは誰なんですか?
個々人が主観で決めて良いのであれば、ある一匹のウサギが怠惰そうにこちらを
睨みつけ、地面をダスダスと踏み鳴らしたときにはleporoと呼び、同じウサギが
餌欲しさでピョコピョコと近付き、すがりつくように前足をこちらの太腿にのせて
甘えた表情でこちらを見上げてきたときにはkunikloといったふうに、状況に応じて
呼び分けると、そういうことでしょうか。
個人的には月にいるウサギが野ウサギか穴ウサギかなんてことは、それこそどうでも
良いことに思えるのですが。月面の模様にウサギを見出さない民族からすれば、どの
ウサギを選んだところで、kuniklo/leporoになんて見えるかなあ?と思うだけの話
だし、ぶっちゃけ月面に獣などはおらず、surluna videblajxoでしかないので。
また、大麦と小麦の区別がどうでも良いのであれば、大豆と小豆の区別もどうでも
良いということでしょうか。球体で大粒の種はすべてpizo?大豆で赤飯作れますかね。
小豆粉の搾り汁にニガリを加えても凝固せず、豆腐にならなかったという実験番組を
テレビで見ましたが。言語上、両者の区別がなされないのであれば、材料にどちらを
使っても良いことになりますよね。
ここで交わされる話を見ていると、大衆食堂でたぬきうどんを注文したとき、店の人が
間違えてきつねそばを出しても「まあ麺には違いないからどうでもいいか、食えるし」
という発想なのだなと感じさせられるのですが。冷やし中華なんかを出しても文句は
言えないってことになるのでしょうか。
だとすればウサギやネズミといったミクロなレベルでどうこう言うのではなく、全部
まとめて kvarpieduloj(四足歩行の獣すべて)とか、fluguloj(鳥類すべて)、
nagxuloj(魚類すべて)とかで済ませてしまえば良いのでは。閾値をどこに置くかの
違いでしかないのですから。
vocxiのくだりを読むと、she speaks, yet she says nothing(口を開けてなにか
話してはいるが、意味内容のあることを何も語ってはいない)のような表現を、英語
からであれ日本語からであれ翻訳できそうにはありませんね。
いずれにせよ、非常に雑で抽象的な表現力しか持たない言語を目指しているのだろう
ということは分かりました。

119ベダウリンデ:2009/11/30(月) 16:50:36
>可愛いか可愛くないかを決めるのは誰なんですか?
「民族文化」です。動物の個体を各個人が見てその都度判定するものではありません。
日本には古来は野兎しかいなかったが、お伽噺に登場する兎を見る限り、日本人にとって兎は「かわいい存在」であったと思われる。
野兎=かわいい、と決めたのは「日本文化」です。
ヨーロッパには、ヨーロッパ人が区別したくなるほどに異なる2種の兎がいたと思われる。
足が短く丸っこい体型のかわいいkunikloと、すばしこそうで野性味あるleporoと。
kunikloの写真http://eo.wikipedia.org/wiki/Kuniklo
leporoの写真http://eo.wikipedia.org/wiki/Leporo
ヨーロッパ人は両者を区別してkunikloのみを「かわいい兎」と認め、物語にも多く登場させた。
それは「ヨーロッパの文化」がそう決めたのです。

>ぶっちゃけ月面に獣などはおらず、surluna videblajxoでしかないので。
科学的にはそうでしょう。しかし「フォークロア」では違います。
人間は古今東西、その想像力で、動物や、時には生命の無い物まで擬人化し、
神話やお伽噺の中で、人間のように行動させ、会話させてきたのです。
それはどの世界でも共通です。人間共通の文化だと思うので、私は大切にしたいですね。
ふじこさんにとっては、そういうフォークロアは「どうでも良いこと」なのですね。
「エスペラントでお伽噺を訳すな」というお立場なのですね。まあそれはそれで、個人の好みでしょう。

私は「お伽噺を訳す」事には賛成なので、その立場で考えます。
その場合例えば、「月の兎」をkunikloで訳すかleporoで訳すかは重要問題です。
生物学的に言うと日本の兎はleporoなので、日本人がイメージする月の兎は、かわいいleporoです。
でも、leporoと訳した場合、ヨーロッパ人にそのかわいさをイメージしてもらえるのかどうか。
もしもあんまり良くないイメージをもたれたら、本当の意味での「日本人の心」って通じなくないですか?

120ベダウリンデ:2009/11/30(月) 17:24:04
>大麦小麦、大豆小豆、たぬきうどんときつねそば
まあ、たぬきうどんを食べたければ日本語で注文しろ、という事ですね。
人間は自分達の周りにある存在物を、区別する必要がある限り細かく分類し、個々に名前を付けます。
そうしないと生活に不自由だからです。
でも、自分の見たことも無いもの、区別のしようもない物を、細かく分類されて言われててもすぐに理解できますか?
南米だの何処だののバザールで、日本では見たこともないような色とりどりの豆だの野菜だのを売っている。
きっと現地ではそれぞれに名前があるのでしょう。
でも、それの名前を現地語でいきなり言われて理解できますか?
外国人もdaizu-oだのazuki-oだのいう単語を暗記しなくてはならないのですか?
世界に存在する物の種類は無限大です。それらに個々に名前をつけるのですか?
そうしたいなら、それも良いでしょう。
でも、そうしたら暗記量が無限大となり、「覚えやすい使いやすい」国際共通語ではなくなると思いますね。
暗記しなくていい、分からなかったら質問すれば良い、と?
azukiとまず言って、それは何かと聞かれて、豆の一種です、と答える。
豆の一種ですと言われても、相手の知識が前提に無ければ、どんな豆か具体的にイメージできない。
なら最初から「豆」って言えばいいじゃん。
もしも相手が日本のお店でazuki買ってお汁粉作りたいなら、そこで初めてazukiという日本語名を教えてあげればよい。
エスペラントは民族語ではないのだから、特定の民族文化の物だけ細かく命名されてても、使いづらいと思う。

121ベダウリンデ:2009/11/30(月) 17:54:46
>vocxiのくだりを読むと、she speaks, yet she says nothing(口を開けてなにか
話してはいるが、意味内容のあることを何も語ってはいない)のような表現を、英語
からであれ日本語からであれ翻訳できそうにはありませんね。

エスペラント単語と民族語単語を一対一で翻訳しようとするから「できない」のです。
NEPO語でvocxiは日本語での、わめく、うなる、ぶつぶつ言う、等の単語を表現する事ができます。
vocxiに副詞を付けて表現し分けるのです。一対一の発想ではありません。

>非常に雑で抽象的な表現力しか持たない言語を目指しているのだろう
ということは分かりました。

民族語と同じくらい精密には、その民族の文化を表現することはできませんね、きっと。
つまり、特定の民族文化を表現する事に対しては「雑」になるでしょうね。
それは「世界が視野」なので仕方ないと思ってます。
貴方の頭には、世界中の文物の固有名詞が入りそうですか?
kunikloとleporoの違いが無くなれば、ヨーロッパ人にとっては「雑」になるでしょう。
その代わり、日本人との間での違和感とか誤解は無くなるでしょう。どっちを取るか、です。
アナウサギとノウサギを学術的に区別して表現したいのであれば、
そのための表現手段は考える必要がありますね。

それから、別掲示板での話をちょっと脚色すると、
「産声」をkriiで訳すか、ploriで訳すかで議論してた。
plori派の人は、「赤ちゃんが泣いている」というではないか、声だって泣いてる声ではないか、と。
krii派の人は、産声は初めて肺に空気が入ってその反動で出る声で、泣いているのではない、と。
krii=叫ぶ、plori=泣く、は一対一に翻訳できそうでいて、
実際はイメージ上に違いがあるのではないかな、と私は思いました。
日本語の叫ぶは、あまりいい感じのしない語。うるさい、とか、取り乱してる、とか。
泣く、は人間が感情を爆発させるほか、動物が「なく」も同じ語源であり、
赤ちゃんの産声も、人間と動物の中間状態での「なく」なのではないか、と。
エスペラントの意味は、私は断言できないけど、
kriiはただ単に大きい声を出す、の意味で「不快感」は伴わないのかもしれない。
そして、ploriは、喜びや悲しみで人間が感情を爆発させて泣く時だけに使用する語なのかもしれない。
産声をkriiと訳してもploriと訳しても、どちらでもいいけど、
日本人と、エスペラント人(?)では、イメージの捉え方が変わる可能性がある。
kriiで訳したら、日本的発想の人は「叫びながら生まれてきた?なんかすげー偉人の誕生?」みたいな。
ploriで訳したらエスペラント人は、「生まれた時から人生の喜びや悲しみを予知してるんだ、深イイ話だな」とか。
エスペラント語と民族語を一対一で翻訳してると、解釈上の文化差が出るのではないか、と思ってました。

122なつ:2009/11/30(月) 19:30:45
ふじこさん
>>可愛いか可愛くないかを決めるのは誰なんですか?
kunikloかleporoかは、正しくは生物学上決められていると思いますが、
実際の運用は個々人の主観なのではないかと思います。
僕は日本人なので詳しくは分かりません。
あなたは、
ウサギの区別→不要。大麦と小麦の区別→不明。大豆と小豆の区別→必要。
うどん、そば、中華麺の区別→必要。
この日本的区別をナイジェリア人に強制しろと?ラオス人に強制しろと?
すべきではないですよね(と僕は固く思っています)。ですが、今のエスペラントはヨーロッパよりに強制の方向が強いですよね。
(いや、完全な日本的でもない。きし麺、ちゃんぽん麺、ソーキそば麺なども入れろ!スパゲッティ入れろ!スパゲッティーニもだ!いやいやフォーや春雨もだってなるw)
>>だとすればウサギやネズミといったミクロなレベルでどうこう言うのではなく、全部
>>まとめて kvarpieduloj(四足歩行の獣すべて)とか、fluguloj(鳥類すべて)、
>>nagxuloj(魚類すべて)とかで済ませてしまえば良いのでは。閾値をどこに置くかの
>>違いでしかないのですから。
そう!!まさにどこに線を引くかが重要なんです!
ただ、例えば四足動物全部ひっくるめてしまうと、全世界の人が不便でしかたなくなるんじゃないかなって思いますでしょ。
食べるか、食べないか、食べたいか、食べちゃだめなのか、宗教的、占い的その他四足動物の各種類の区別は、「全世界の人が」重要視します。
牛、豚は明確に区別した語のほうがいいと思います。豚と猪の区別は世界的に重要ではないと思います。
NEPO語の語彙選定作業で最も重要な作業だとも言えます。あなたのご意見を今後もお聞かせください。
小豆と大豆は日本人が日本料理について区別したい語なので第二段階です。
ちなみに、「たぬきうどん」を東京で注文するとテンカス・揚げ玉が入り、
京都では油揚げが入り、名古屋では鶏肉が載って来るそうです。まさに地域差w第二段階!w

123なつ:2009/11/30(月) 20:56:53
>>vocxiのくだりを読むと、she speaks, yet she says nothing(口を開けてなにか
>>話してはいるが、意味内容のあることを何も語ってはいない)のような表現を、英語
>>からであれ日本語からであれ翻訳できそうにはありませんね。
おっしゃることがよくわかりません。
この英文のspeakとsayを明確に区別して日本語には容易に翻訳できるが、vocxi談義では無理である。
ってこと?僕にはそのような日本語訳できません。あなたもできていません。speak=話す、say=語るではないですよね。
英語→日本語は、逐語訳じゃなくてもいいが、
英語→NEPOは、逐語訳で体をなすべきってこと?
何主義者ですか?(冗談)
まあ、she alvocxas, yet she vocxas nothingで逐語OKだと思いますよ(だめ?ww)
>>いずれにせよ、非常に雑で抽象的な表現力しか持たない言語を目指しているのだろう
>>ということは分かりました。
言葉とは多かれ少なかれそうですよねw
そして究極的には言葉なんていらないのです。友情や愛情は言葉によるものではない。
she〜〜のくだりを出されるくらいの識者ですからそれくらいは言わずもがなでしょう。
ただNEPO語は「非常に〜〜表現力しか持たない」という批判を受けないようにしなければなりません。
「結構できるじゃん」といわれたい・かな。

124ふじこlp:2009/12/01(火) 01:28:24
私個人としては、この計画に将来性はなく、早晩失敗すると確信しています。
そのため、引用を持って返信いただいた個々の事案に対して返答するだけの価値をNEPOに
見出すことができません。なぜでしょうか。
論文口調で失礼しますが、以下列挙します。
・計画の方針や方向性に一貫性がない。
・そもそもきちんとした言語計画すらない。
・NEPOとやらをアピールする対象が不明瞭。
 仲間うち向け?エスペラント習得に挫折した日本人向け?
・脱欧化を主張するが、アジア全体を意識している様子はなく主観的基準に則っている。
・語の定義について語るわりにはPIVに記されている語義をもとにしている様子もない。
 脱欧化なのでPIVの定義自体が否定対象というのは推測されるが、元の定義が何かも
 曖昧なままで、いったい元の定義のうち何を取捨選択するのかさえ明確でない。
・エスペラント語彙の多くは確かにヨーロッパの言語が語源となっていることに間違いはない。
 そしてそれらの語は、ものによってはある一定の観念が含まれている。すなわち我々日本人が
 「タヌキ」という音を耳にしたとき、イヌ科の「あの」動物というイメージ以外に「平成狸
 合戦ぽんぽこ」に出てくる巨大なフグリを持った、人間を化かすケモノとしてのイメージが
 脳裏に浮かぶようなものである。単語の背後にあるそのような暗喩を断ち切る操作がNEPOと
 いえるが、それはいわばこれらの暗喩を前提とする人々と、前提としない人々とのコミュニ
 ケーションにおいて、多かれ少なかれ新たな誤解を生じさせる原因ともなる。
 最後の点について何が言いたいかというと、NEPOが目指すと謳っているような中立性とやら
 を真剣に検討するのならば、既存の語彙の定義をいちいちふるいにかけて検討していくより
 も、アプリオリな語彙をエスペラントの文法上に積み上げたほうがよっぽど現実的だろうと
 いうこと。ウサギなんて語をどちらにするかという取り決めだけで一週間以上もかけている
 ようでは、一通りの語彙を洗い出すまでにどれだけの期間がかかるのか予想不可能。
・既存のエスペラントに満足している人々に対して、NEPOのメリットを論理的に訴えかける
 でもなく排除するのであれば、エスペラントを土台にする必然性すら疑われる。失敗した
 idoでさえ、エスペラントの改良案として既存のe-istoを吸収しようとしていたのに、既存
 の話者を目指さないNEPOに寄りつくようなまったく新規の物好きなどいるものだろうか。
……
落ち着いて思いめぐらせばまだまだ見出せるかもしれません。個々の話題が些末に流れがちで
あっちふらふら、こっちふらふらという印象を持ちます。設計図も骨格もなく、どうでもよい
部分の小刻みなリフォームを重ねたところで、まともな改築ができるとは思えません。(大豆・
小豆の例で通じなかったようなので敢えて記せば、これは「ものの例え」です)
「他の掲示板で」という発言をしばしば目にしますが、そんなものは一つの課題が完結して
から検討すれば良いのではないでしょうか。木の枝葉ばかりに気を取られて、森どころか木
さえ見ていないように感じられます。(これも例えです)ここには俯瞰的な視点がないのです。
個人的には、だにょさんの書き込みには、言語というものに対する一定の論理的思考が見え
隠れしていて面白いなと思いました。

その一方で素朴な疑問を提示する者に対していちいちナントカ主義者とカテゴライズすること
で悦に入っている人がおられるようですが、他者に何らかのラベルを付けることでささやかな
安心でも得られるものなのでしょうかね?それこそ根拠薄弱な自慰的幻想と思いますが。
「究極的には言葉なんていらない」のなら、この計画自体が無意味なのでは?バカなの?
「友情や愛情は言葉によるものではない」と言いますが、みなさんエスパーですか?
一般的には相応の語り合いがなければ友情や愛情が発声することは滅多にありません。互いに
むっつり黙りこくって、いったいどのような共感が発生するというのでしょうか。言語は理解
のための道具であり、そのためのコミュニケーションではないのでしょうか。もっとも欧州に
対する卑屈なコンプレックスの塊が「全世界」などと口にしたところで、説得力などは微塵も
感じられませんし、どれほど矮小な「世界」なのだろうとしか思えませんが。

ちなみに特定の食材が摂取可能か否かについては、動物の種類だけでなく、屠殺法や調理法に
よっても禁忌はありますが、「全世界の人が重要視」するそのような区別をNEPOは行うという
ことなのでしょうか。大変結構なことです。

とりあえず、論理的破綻が多すぎるこの井戸端掲示板は時間の無駄と思われるので、私が
目にすることはもうありません。

125なつ:2009/12/01(火) 01:34:27
加筆 訂正
>>実際の運用は個々人の主観なのではないかと思います。
→生まれ育って生活する環境文化が多大に影響しているのが前提での主観です。

kunikloとleporoの写真を見ましたが、この二つだけをみて区別しろといわれればできますが、
違う種類、老若、赤ちゃん、などいろいろ見た上での区別は僕にはやはりできないでしょう。
どれもみな「かわいい」と思ってしまうから。

オーストラリア人は日本人が動物園でかわいいと思っているカンガルー君たちを
「害獣」だとして、むやみに虐殺するそうですね。
反対にオーストラリア人は日本人が生活の糧として鯨類を捕獲するのをむやみに妨害しようとする。
こういうのを思い出しました。

提案なんですが、語彙選定作業を漠然とし始めるのはどうでしょうか?
ほかのこととの並行で。
この初期段階の選定作業をするとやはり日本的な部分が出てしまうでしょうから、
おおいに批判されて磨きがかかるかもしれません。

126なつ:2009/12/01(火) 02:24:19
ふじこさん
>>計画の方針や方向性に一貫性がない。
あなたが下に列挙されているのがまさに現在のNEPOの計画、方針、方向性でしょうww
よくお読みくださいましたwwあなたにとっては、フラフラでしょうねw
僕はベダウリンデさんのご意見を読んでいって十分「そうだ!」と納得しましたよ。
あなたバカなの?読解力がないの?それとも何主義者なの?w
まあ、フラフラ状態が続くでしょうね。こんなに理解されず、賛同者がいず、攻撃者ばかりだとは思いませんでしたからw
その攻撃批判が、やっぱり、なんていうんでしょうか、違うんですよね、まさに誤解されるというかね。
誤解じゃないですね、とんちんかんが分かってない。
逆に
エスペラントってなんなのか?なにがしたいのか?どうなるべきなのか?どうなっていくのか?
それが、とんちんかん。エスペラントゥーヨ
実際、ちゃんとした思考をお持ちの賛同者が増えれば、分野別、細分化ができ個別議論が活発になるだろうと思います。
それまでは細々、遅々でしょう。

>>それはいわばこれらの暗喩を前提とする人々と、前提としない人々とのコミュニ
>> ケーションにおいて、多かれ少なかれ新たな誤解を生じさせる原因ともなる。
日本語だけでもこれだけ誤解されるんですからねwww
まあエスペラントより「マシ」なんじゃないすか?w
>>一般的には相応の語り合いがなければ友情や愛情が発声することは滅多にありません。
まじめか!www
牛と豚との区別が重要というのはたぶん「全世界」共通だと思いますよ(きっぱり)。
しかし、全世界共通ではいかないものはたくさんあるでしょう。
そこがこのNEPOの挑戦すべき一番の課題。
アルカなる言語は、あるひとつの基準的文化価値に依拠しなければ(エスペラントではヨーロッパ)、
言語として機能できないと結論付けたアプリオリだそうです。
NEPOはできると仮定して目標にしています。しかもアポステリオリで。
一見矛盾をはらんでいると思われるかもしれませんが、それがいいんだな。
できると将来もしも万一思われたら、そのときご参加ください。
ね、批判の返事だけで時間を費やすでしょ?あなたが言うとおりねw
建設的なことが進まないの。

127なつ:2009/12/01(火) 18:27:19
今日、昼ふと感じました。勘違いされているのかもしれないのでは、と思ったのです。
僕は、NEPO提唱者ではありません。(提唱者はもちろんべダウリンデさん)。提唱者に賛同し協力したいと思っただけの一人間です。
ですから提唱者の「グループ」なるものはまだ存在していません。たとえるなら閣外協力でありますので、
僕個人の意見が提唱者とは相容れないものであることはかなりありうる話です。
それは閣外協力だから内閣不一致のぶれまくりではないわけです。
提唱者には計画の方針や方向性に一貫性があります。
僕が提唱者グループの一人だと誤解なさる人がいるなら、NEPO構想には一貫性がないように感じるでしょう。
それは不本意であり、残念であり、提唱者に申し訳ないことだと思います。
つまり、NEPO構想一般に対する批判で下記のごとく、
>>その一方で素朴な疑問を提示する者に対していちいちナントカ主義者とカテゴライズすること
>>で悦に入っている人がおられるようですが、他者に何らかのラベルを付けることでささやかな
>>安心でも得られるものなのでしょうかね?それこそ根拠薄弱な自慰的幻想と思いますが。
>>「究極的には言葉なんていらない」のなら、この計画自体が無意味なのでは?バカなの?
僕の批判は的外れもいいところなんですよね。僕個人の批判は別にしてほしい。NEPO批判に僕の批判を入れることは
かたはらいたいとともに馬鹿に誤解されるなんて提唱者には申し訳なくまた思うしだいです。
読解力というか、僕の存在がどんなものか分かっていただけないのはさびしいことです。
なんせ、上記引用で書かれていることは、ほかのすべてのスレッドの中の僕でもあるのですから。
僕はすべてをチャカしカテゴライズしてオナニーを今まで「一貫」してやってきましたから(笑)
それには一貫性がありますし、それに関してはこの引用はまことに的を貫いています(笑)
ありがとうございます。
なお、究極的には言葉はいらない。男は勃起してなんぼだというのは僕の個人的意見です。
それともうひとつ。このNEPO構想は「エスペラント内改革」を目指しているということです。
ほかの言語を作るということではありません。エスペラントを裏切って出て行くということでもありません。
ですから良きエスペラント思想を踏襲していくわけです。
何がしたいんだ?誰をターゲットなのだ?究極の目的はなんなんだ?などなどの質問はそっくりエスペラントを主語にしてお考えくだされば結構なんじゃないかな。
面倒くさいので、JEIか北海道真っ赤掲示板にでもお聞きくださればいいでしょう。

128なつ:2009/12/01(火) 18:45:03
このスレッドの>>1など、このNEPO構想は、(ベダウリンデさんじゃないので誤解しているのかもしれませんが)、

1現在の欧米有利のエスペラントをより公平にするために
2非欧米人に、より容易に習得できるような
3新しいエスペラント構想
なんじゃないでしょうか。そしてベダウリンデさんは、1に重きを置きスタートされており、
僕は2に重きを置いています。そこに、はたから見たら一貫性がないように見られる原因があるのかもしれない。
そして、3も重要です。批判者に忘れられがちだと思います。
そしてぼくは提唱者でなく賛同者です。

129ベダウリンデ:2009/12/03(木) 09:01:08
>>124 ふじこlp様
長く、熱意ある書き込み見て、ちょっと驚きでした。
最初の書き込みでは、ふじこさんは単なるいちゃもん屋かな、と思ったのですが、
意外と、NEPOに熱い期待を寄せてくれていたのかも、と思いました。
ふじこさんは「私が目にすることはもうありません。」とおっしゃったので、
返信する意味無いかもかもしれませんが、私としては黙っておれない点が多々あるので、
コメントさせて頂きます。
それに、私個人の経験では、腹が立って「もう絶対見ない!」と思う時に限って、
逆に心にひっかかっていて、そのうちそれに抗しきれず、見てしまうのです。
興味が無ければ「もう見ない」なんて決意しなくても、自然に「見ない」でしょう。
ふじこさんも私のように、つい気になって見てしまう人だったらいいな、と願いつつ・・・・

>私個人としては、この計画に将来性はなく、早晩失敗すると確信しています。
私としては、この企画、一生かけてのろのろと、ゆるいライフワークのような形で、
何かの折に常に気にかけて生活するという形でもいいかな、と思ってます。
そもそも、結果を早晩に出そうという気が無いです。個人でやるには壮大なテーマすぎるので。
ただし、精力的に仕事をこなしてくれる賛同者がいれば、その人がどんどん進めてほしいと思います。
その方が私も一人で考えてるより、私個人にとっても良い刺激となり、得られる所も大きいと思われるからです。
ふじこさんは早期の結果を期待してくれていたのだな、と思いました。

>・計画の方針や方向性に一貫性がない。
理念的な方向性なら、完全に一貫してると、私は自負してます。
計画=作業スケジュール、という意味であれば、それはまだ無いし、今は必要ないと思ってます。
理念的な方向性は、なつさんが、>>128で記してくれたのと全く同じです。
私の言葉で言えば「真に人類共通的に平等でしかも覚えやすい言語は無いものか、あればいいのに、ほしい」という「高邁な理想」と、
「それを実現するにはどういう方向性で考えればいいか」という「基本方針」だけは、完全に確立していて、そこは決して揺るいでいません。
もし「一貫性がない」と思われる箇所があれば、是非指摘して下さい。

>・NEPOとやらをアピールする対象が不明瞭。
アピール=勧誘は、今の所、全く考えていません。
強いて言えば、エスペラントを学び、その西欧的な偏りに不満を抱き、変えたい、と思った事のある人が対象です。
ただし、そういうのは、「説得」して理解してもらえるような事ではないのです。
運動論を主に掲げて既存エスペランチストさん達に意識改革を促してる人もいますが、
私は全くの初心者の頃から、そういった運動論の意義は理解できました。
でもベテランは、全く聞き耳持たなかったみたいなのです。
人は「説得されて」考えを変えるのではなく、説得されたように見える場合は
聞き手の側に既に同じ問題意識が芽生えていた、という場合だけなのだと思います。
よって、問題意識が共通してない人には「説得」しても時間の無駄だと思っているのです。
早い話「分かる人には分かる」

130ベダウリンデ:2009/12/03(木) 09:41:43
追加します。賛同者の人で、NEPOをアピールしたい、対外交渉してくれる、という人がいれば、大歓迎です。

>・脱欧化を主張するが、アジア全体を意識している様子はなく主観的基準に則っている。
これは完璧に誤解です。正確には「アジア」に限らず「人類全体」を、意識のターゲットとしてるんですけど、
なにせ日本で得られる知識が、欧米とせいぜいアジアの有力民族くらいなので。
例えば、ミリオン・ビリオンなどの数の単位を考える時、私は中国インド、アラビア語トルコ語などと参照しました。
また、subiteとabrupteの違いに関しては、アラビア語と韓国語では、同じ訳語があてられている、というのも確認しました。
「外国語の知識がない」という評価は甘んじて受けますが、自分のできる範囲でアジア語にも目を向けています。
外国語はできないけど、日本語文献などで、諸民族の言語表現などの記述があれば、ちゃんと参考にしてます。

>・語の定義について語るわりにはPIVに記されている語義をもとにしている様子もない。
これは単純な理由「PIVを持ってない」というだけです。
ふじこさんもPIVを信奉してるなんて、立派なエスペランチストだったんだな、と今更気づきました。
PIVは、あるにこしたことないけど、絶対必要か、というと、絶対でもないです。
高額だし、額に見合った分厚さのある辞書です。もし買ったら、「家で一番でっかい本」になってしまう。
そこが「重い」んですよね。なんか、買ったらエスペラントと心中しなくちゃいけないような。
今私はReVoを参照にしてるけど、結構古いらしくて、voĉiは=voĉ-doniなんて記述してあるけど、
現実では、「声を出す」をいう意味でvoĉiって使われているのです(ekvoĉiとか)。
PIVでは既に改訂されてるかもしれないけど、NEPOでは主に基本語が主体なので、
古い辞書&現実の使用状況で、ある程度カバーしてる状態です。
まあ、PIV持ってる人が賛同者になってくれたら超嬉しいのは、正直な所です。

それから、手順としては、辞書を傍らに置いてそれを削減する、というよりも、もっと抽象的に物事を考え、
例えば、身体を使った動作ならどういう動詞を用意すれば、「人類共通的に」最小限の表現ができるか、とか
液体に関する用語では何があればいいか、とか、日本語で考えたとしても、
日本語に縛られない形で、抽象的に考えられたらいい、と思ってます。

131ベダウリンデ:2009/12/03(木) 09:54:52
>アプリオリな語彙をエスペラントの文法上に積み上げたほうがよっぽど現実的だろうということ。
基本的な単語の意味が表す範疇をどこで区切るのか、という点を考えると、
アプリオリだろうと、同じ問題に直面すると思います。
生活で必要な基本単語として、野兎と穴兎を分けるのか否か。ナキウサギとかもいるし、どうするのか。
NEPOは単語の表向きの形ではなく、意味の区切りを改造する試みなので、
アプリオリ、アポステリオリは、そんなに関係無い、むしろ瑣末な表向きの違いにすぎない、と思います。

>ウサギなんて語をどちらにするかという取り決めだけで一週間以上もかけているようでは、
これも誤解。私となつさんの考えでは、ウサギ属の名称はまとめて一個になる、と、おそらく確実に決まってると思う。
その単語の表向きの形をどうするかは、今は「決められない」「敢えて決めない」のです。
なぜなら、今はまだ賛同者が少なすぎる。今の段階で「はい、決定です」としてたら、今後の人が意見を言いにくくなる。
違う意見が採用されれば、その都度に「改訂」となるでしょう。
そうじゃなくて、今はゆるく、色々な案を出す、という段階に「敢えて」してるのです。

>既存のエスペラントに満足している人々に対して、NEPOのメリットを論理的に訴えかけるでもなく排除するのであれば、
これも完全なる誤解です。排除する気持ちなんて全くありません。
むしろ、ふじこさんが「排除された」と思ったなら、申し訳なかった、と思います。
「ふじこさんもNEPOやりませんか?」とお誘いしてみるべきでした。
だって、せっかくここに書きこんでくれたんですから、関心はあったのですよね。
松戸さんやだにょさんは「勧誘」したのに、ふじこさんだけ無視した形になってしまって、本当にごめんなさい。
松戸さんやだにょさんは、他にもっとやりたい事がありそうだから、私はしつこく勧誘しません。
なつさんも、私が説得して勧誘したのではなく、たまたま最初から同じ問題意識を持っていたのです。
だから、すぐに賛同してくれたのです。
そんなこともあり、「分かる人には分かる」し、分かる人には、説明しなくても
考えも自然に同じ方向性に向かう、というのが、ここでの経験でよく分かったので、
しつこい勧誘はしてないのです。

132ベダウリンデ:2009/12/03(木) 10:29:10
>なつさん
私が頭で考えていても個々の文面に出しきれなかった事を、なつさんが代わりに書いてくれた、
というのが、多々あるんですよ。
例えば、>>117
>もう一つ、生物学的には同じでも、大きさで表現を変える動物もいますよね。
>わし・たか。くじら・いるか などです。
>こういうのは総称名で一括して特にいいたいときはetをつけるあるいはsovagxなどして
>言い分けるようにすればいいとは思いますが、その総称名をどっちにするかが悩むところですね。
>>122
>そう!!まさにどこに線を引くかが重要なんです!
>ただ、例えば四足動物全部ひっくるめてしまうと、全世界の人が不便でしかたなくなるんじゃないかなって思いますでしょ。
>食べるか、食べないか、食べたいか、食べちゃだめなのか、宗教的、占い的その他四足動物の各種類の区別は、「全世界の人が」重要視します。
>>126
>実際、ちゃんとした思考をお持ちの賛同者が増えれば、分野別、細分化ができ個別議論が活発になるだろうと思います。
>それまでは細々、遅々でしょう。

などなど、私が言いたかったけど、文面の都合で書けなかったことと同じなのです。
問題意識の方向性が同じだと、考えもシンクロする、というか、その点がすごい事だな、と思います。
私がたった一人で、誰も賛同者がいなければ、自分が変人なんだって凹むけど、
「分かる人には分かる」んだな、と思うと、きっと他にもいるかもと、希望も出ます。
なつさんの文章は時々刺激的ですが、面白くていいんじゃないでしょうか。
自分にも欠点あるし、NEPOやってる人の人間性が完璧だから賛同します、というのでは、
ザメンホフが偉人で感動したからエスペラントやってます、と同じで、
なんだ結局「言語」は関係ないじゃん、という話になってしまいます。
各自の人間性じゃくて、どういう言語を理想とするか、同じ問題意識がある人が増えたらいいと思います。

>>123
>ただNEPO語は「非常に〜〜表現力しか持たない」という批判を受けないようにしなければなりません。
>「結構できるじゃん」といわれたい・かな。
そうですね。それを目指さないとね。

>>125
>提案なんですが、語彙選定作業を漠然とし始めるのはどうでしょうか?
>ほかのこととの並行で。
なつさんはなつさんのやり方で、どんどん進めて下さい。
私は、最近は言語学の一般教養をつけるのと、エスペラントの学習をしてたのですが、
エスペラントに接すると、これは無駄な語じゃないか、とか、分かりにくいな、とか、
逆にこれはよくできた造語表現だ、とか、色々出くわします。そのうち書きたいと思います。
ふじこさん流に言えば、個々の些細な単語に目が行き過ぎ、とも言えますが、
その積み重ねでいいではないですか?

133なつ:2009/12/03(木) 19:52:26
ベダウリンデさん
ありがとうございます。
正直いうと、少々感涙しました。samideanoと言い合うのは根底はこういうことかと思いました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
実は11月下旬ずっとベトナムに行ってました。
今からは個人的経験談ですが、NEPOいや日本のエスペランティストに有意義だと思い書き込みます。
ほとんど日本語が出来ない時に親友になって同居させてた大好きなベトナム人親友が結婚するからでした。
彼の影響で日本で友達になったベトナム人にも会いましたし、今回初めて会ったベトナム人もたくさんいます。
ですから僕は言葉なしでの友達のなりかた、日本語をほとんど知らない人との友達のなりかた、
日本語を少し知っている人との友達のなりかた、まあまあ知っている人との友達のなりかた
熟知しています。(中国、韓国人は日本語検定2級いくが、ベトナム人は3級と4級の間フラフラその日本語での勝負です)
アジア人は英語できると、なぜか、不思議にも思っている人がいますが、ベトナムの一般人は皆無です。
たまにのベトナム英語(日本でいうカタカナ英語)は僕には聞き取れません。
来年の夏か冬にまた行きますが、それまでに「お前次あうときまでNEPOちょっとやっとけ」と言えたらなんて素敵なことを考えてましたよ。
正直、エスペラントやっとけとは自信もって言えませんでした。英語ちょっとやっとけ、いや、日本語ちょっとやっとけのほうがむしろ僕にはいい感じがするからです。
「俺様とまた会うときまでエスペラントをやっときやがれ」とは言えないエスペラントの難度なのです。残念ながら僕にとっては。

134だにょ:2009/12/06(日) 19:30:53
前回、ちゃんと読んでから投稿すると述べましたが、何か議論が進んでいるようなので、
投稿してから後で読みます(^_^; 情報提供です。

>ベーシックイングリッシュは、私も調べたく思ったのですが、本とか、無いんですよね。

▼『850に魅せられた天才オグデン』
理論面を平易な言葉で解説。図書館で借りてきて、第4章だけは目を通すといいかも。
動詞を16語まで削った話。5文型を否定し1文型しか認めない話。7000語を850語まで絞った方法。
ベーシックは名詞中心の言葉である話。単語が持っている文化面が払拭されて
「中立的で、情緒的連想が少な」くなったという話。NEPOの作業そのものです。

ちなみに、その本にはエスペラント側からの問いに次のように述べたとか。72ページ。

「もちろん英語にも弱点はある。学習の難点は発音とスペリングのずれ、動詞の難解さだといわれている。
彼は語彙、特に動詞を科学的に少数にしぼることで整理して学習しやすい体系にすれば、
国際語としても通用するし、外国人のための学習の第一歩ともなると主張している」

そう言うなら、エスペラント側も負けずに語彙制限を行う?

▼『850語で考える英語』
具体的な使い方を知りたければこれです。付録に850語以外の分野別語彙が掲載されています。
しかし、ベーシックの理屈はわかりません。

▼『絵で見る英語』(全3巻)
ベーシック英語を発展させたもの。世界的大ベストセラーかつロングセラー。
850語だけでは使いにくいので、単語を1,000語程度まで拡張。
この本のヒットにより、『絵で見るドイツ語』『絵で見るスペイン語』
『絵で見るフランス語』『絵で見るロシア語』が生まれて本屋に並んでます。
第3巻の科学読み物が「改良版ベーシック」の記述水準とみていいでしょう。
「唯一成功した人工言語はエスペラントだけである」と宣伝されていますが、
簡略英語の成功を無視しています。簡略英語は現在も英語の学習と普及に一役買っており、
英語と同じにみえるため気づかれないだけです。

▼『意味の意味』
最近、再版されたようですが、難解で読めません。
『850語に魅せられた天才オグデン』の著者も、難解すぎて読めなかったとのこと。
私も立ち読みでペラペラめくってみて諦めました。

135だにょ:2009/12/06(日) 19:46:31
語根の粒度について

牛乳からできているものは、次のような感じで造語できないこともないでしょう。
しかし、日常生活で頻繁につかう言葉なのに、却って使いにくいものになってしまうかも。
語根の適切な粒度を考慮しないと。

バター butero → lakt-graso (牛乳の油脂)
チーズ fromagxo → lakt-koagul(-ferment)-ajxo (牛乳の固形(発酵)食品)
ヨーグルト jahurto、jogurto → lakt-blank(-ferment)-ajxo (牛乳の白色(発酵)食品)

ちなみにベーシック英語だと、蜂蜜はthick liquid sugar、bee sugarとのこと。

ミツバチ abelo
蜂蜜 mielo → abeldolcxajxo (蜂の甘味食品)
蜂蜜水 mielakvo → abeldolcxajx-akvo
蜂蜜酒 medo、mielvino → abeldolcxajx-vino、abeldolcxajx-alkoholajxo
 エスペラントはvinoを「酒類」の代表とみて、比喩的に使っているようです。
 alkohol-ajxoという言い方もあるようですが少し長くなってしまいます。

うまく語根の粒度を設定しないと、妙な造語が増えてしまいます。事物の名詞に限っては、
従来通りの方がわかりやすいことの方が多そうです。。

136なつ:2009/12/07(月) 00:13:45
オグデン氏のベーシックは僕もかつてどんなものかと思ったこともあります。
これは、850語を選定してそれを使うのですが、
どうも英語ができる人のお遊び的なものに感じてしまう、僕には。
少なくとも日本ベーシック英語協会の例文集を見るとそう感じてしまう。
http://homepage3.nifty.com/BasicEnglishSociety/example.html
英語ができる人が遊びという感じが。この例文集は彼らにとってマイナスだと思う。
そして850語内じゃないのも平気で出してしまう。
そしてこれは、入ってませんけどね、で済ませてしまう。
それとこの聖書を英語、エスペラントと見比べたことがありますが、「あらすじ」か?
としか思えなかった。表せないのはどんどん省く。洋画の日本語字幕以上に。
も一つ、まじかよって思うのが、インタナショナル単語だとか、エコノミー用単語だとか
称してどんどん850に足してしまう。変にわかりづらい表現もしたりするところも散見される。
それならね、1500語にしてVOAのスペシャルイングリッシュのほうが、いい。
VOAのスペシャルイングリッシュは英語普及、英語学習にとてもいいと思う。
ベーシックイングリッシュよりとても自然ですっと入る。(さらにゆっくりしゃべってくれるしね)
こういう簡略英語は、語彙レベルのあるイージーリーダーブックもあり、英語はいいなあと思う。
(どうして日本語にはないのか、文科省、厚生労働省、外務省は国家をあげても作るべきだなんて思う。
いやほんとなんで外国人用にないのかって思う。新常用漢字をランク分けしてもいいと思うけどそれもしない)
で、簡略英語は英語普及に一役かってるが、それはじゃあ、
簡略英語のままで済ませていいのか?ということになる。簡略英語は英語習得の途中段階にすぎない。
英語習得者同士がわざわざ簡略英語を使うとは思えないし、英語を習得一旦してしまえば、
例えば「どの単語が850だったっけ?これは850内だっけ?」と考えながら話すわけがない。
英語が苦手な人に英語で話すには簡略英語じゃなくやさしい英語を話す。これが実情だ。どんなに簡略英語が普及しても。
やはり「途中段階の英語普及、学習に有意義なもの」にすぎないと思う。
そしてもちろん欧米的考え方が根底にあるし、nova→malnovaや malsanulejoのような造語はできず倍以上の記憶をしなければならない
NEPOの通常使用の語幹は850語未満でなければならないというのは強く思います。
まあベーシックレベルのものなら100語程度でいけるでしょう。

137なつ:2009/12/07(月) 00:29:13
>>そう言うなら、エスペラント側も負けずに語彙制限を行う?
どうやら、エスペランティストの多く、ここに来られる人の多くは、
語彙を増やす方向だと思われます。
たとえば
意義のあると僕が思うmalについてmalの排除運動をする人も多い。
単純にいえば基本語彙が倍増してしまう。初心者は語彙記憶が一番面倒だと知らないのだろうか?
大人になれば子供の心が分からなくなるのと同じなのかな。

138ベダウリンデ:2009/12/07(月) 09:12:33
>>133 なつさん
エスペラントの問題点を考えさせられる体験があったのですね。
>>134  だにょさん
ベーシック英語、方向性はNEPOと同じだったのですね。
私が最初にベーシック英語の単語リストを見て、即座に「これは違う」と思ったのは
shoeとbootという単語が二つとも入っていたからです。(動詞化したりして違う意味を含ませたりするのかもしれないけど)
動詞の絞り方は参考になりそうだけど、自分で独自に考えてみるのもいいかも、と思う。
あとはなつさんの言うように、ベーシックでは結局、民族語である本物の英語に対しては「劣った英語」でしかないのだろうな、という点です。
>>135 だにょさん
「語根の粒度」は同感です。どこで区切るか、で使いやすさが変わると思う。
乳製品、蜂蜜製品について、考えてくれてありがとうございます。
乳製品はlakt-ajxoとして、バター、チーズ、ヨーグルトは**-lakt-ajxoと形を揃えるといいかも、と思いました。
これら製品の世界普及度と、世界中でのバリエーション度(似て非なるオリジナルな物の存在)を調べないといけませんね。(蜂蜜も)
ベーシック英語では、たぶん、そういった視点は欠けてるんじゃないかな〜と疑ってます。
西洋文化の日常品を網羅していれば大成功、みたいな。

139ベダウリンデ:2009/12/07(月) 09:53:27
私は、生物の分類と、命名について考えてました。まず、ウサギの名称について。
ウサギはウサギ科というものの中に、ノウサギ属、アナウサギ属、ワタオウサギ属、メキシコウサギ属、等々が含まれます。
ウサギ科は世界各地に広く存在し、耳の長さ等に差はあれ、似た印象の動物だと思われます。
ウサギ科は、学名でleporidaeと言い、エスペラントでもleporedojです。
ウサギ属のうち、エスペラント名がついているのは、leporoとkunikloだけで、
その他は学名のままでエスペラント化しています。http://eo.wikipedia.org/wiki/Leporuloj
これらをあわせ考えると、ウサギ科でひとまとめにして一つの名称を与えると良い、と思いました。
「耳の長い奴」でも構わないですが、私は、leporoで統一でもいいかな、と思いました。理由は、
①世界中に分布し(絶滅危惧こみで)外見も似ていて、同一名で呼んでも不自然さが無い。
②学名leporidaeと一致している。
③比較的簡単な単語で、非西欧人でも覚えやすい。

ちなみに、ナキウサギ科、というのがいて、エスペラントではlagomisoと言うらしいですが、
これは頂けない。なぜならば
①長い名前で覚えづらい。
②学名Ochotonaとも一致してない。(学名の由来はモンゴル語、エスペラントはモンゴル語を無視するのか〜)
なので、英語でrock rabbit, whistling hare,mouse hareなどと言うように、
エスペラントでも**-leporo(mus-leporo)と言うと、非常に分かりやすいと思う。

140ベダウリンデ:2009/12/07(月) 10:18:51
たまたまやってみたウサギは簡単な例でした。
タヌキもやってみましたが、こちらは難しかった。
イヌ科に入るのですが、イヌもオオカミもジャッカルもキツネも入るので、
ウサギ科のように科で一つにまとめるのには無理がある。
タヌキ属は東アジア原産で、最近はヨーロッパにも進出してるらしいが、
世界的に見ると「有名な動物」とは言えない。
エスペラントではniktereŭtoという非常に難解な単語である。これは学名のnyctereutesから来ている。
エスペラントvikipedia http://eo.wikipedia.org/wiki/Niktere%C5%ADtoでは
「この科学芳しい奇妙な名前は、日本人が使っている、口頭でも」なーんて
嫌味っぽく書かれているので、西洋人には不評らしい。
日本人でも難解で覚えられない、西洋人でも奇妙なniktereŭtoは、よろしくない、と思う。
エスペラントでは、prociona hundo とも言う。procionoはアライグマである。
つまり、英語のraccoon dogと同じやり方である。
しかし、procionoも分かりづらい。エスペラントではrav-urso(文字通りアライグマ)でもいいらしい。
ならば、アライグマ=rav-urso、タヌキ=rav-urs-hundoでもいいじゃないか、と思った。
一方で、こんな言い方許されるのか不安があった。
ところが、オランダ語ではタヌキはwasbeerhondと言うと分かり、
なんだそれでいいじゃん!と膝を打った次第です。
日本人でも西欧人でも、そしておそらくタヌキを知らない南アジア人でも、
これなら分かりやすいと思う。
動物基本語を作り、それらを組み合わせて別の動物を表すのも良いと思う。

141なつ:2009/12/07(月) 20:14:31
>>140
僕も、まずは哺乳類と思ったんですが、頓挫(挫折?)しました。
ウシ科がこれまた難しいんですよ(笑)
レイヨウを一緒くたにどのくらいしていいのか、
ヤギとヒツジは同語幹にして、接辞をつけるのか、それとも全くわけるのか、
わけるとしてどう分けるのか、
ただウシ族は
ウシBOVOで、米バイソン、欧バイソン、アジア水牛、アフリカ水牛はそれぞれ地域名をふせば簡単なような。
バイソンはSOVAGXをつけ、水牛はAKVをつけるとより正確になる。

僕も最近、なんでもかんでも既存の基本語幹の貼り付け造語じゃなく、ある程度語幹を増やしてもいいなと思い始めました。
それでも数百語が目安ですが。
長耳奴じゃなくてLEPOROでいいと思います。クマもURSOでいいと思いますし。
ウサギ科の学名に似ていますしね。

142ベダウリンデ:2009/12/08(火) 09:05:27
生物分類学は、最近の分子遺伝学の発展で分類体系に変化があり、今後も一定ではないと予想されるそうです。
しかし、生物学者ではない凡人にとっては、今までの様に、主に外見に基づく分類分けで十分実用的かと思う。
○○科や○○属でまとめられる種が、たまたま似た外見や印象を持っていれば、そこで区切って同じ名前で呼べる。(例:ウサギ)
ただし、同じ○○属の中にも、非常に特徴的な個性を持つ種が存在する場合もあるので、
もし、それが世界的にも有名な動物であれば、それだけは別の名前にしても良いと思う。(例:ライオン)

言語学では、カテゴリー、とか、プロトタイプ、とか、スキーマ、とかいう専門用語があります。
私は入門書読んだ程度なので詳しくは語れないのですが、そういう概念を応用すると良いと思っています。
カテゴリーは三階層に階層化できるそうです。
基本レベルというのが真ん中にあり、子供が最初に覚えるような、日常で最も使うようなレベルの単語です。(例:椅子)
上位レベルは、それらをまとめた抽象的概念である単語。(例:家具)
下位レベルは、より分化した専門的な用語。(例:肘掛椅子)
NEPOでも「基本レベル」は、語根として、ある程度揃えないといけないと思ってますが、
特定の民族文化に偏らないという条件を満たして決める必要があります。
なので、我々の民族語では基本語だから、という理由では安易に取り込めないのが難しい所です。
視野を世界に置いて、どこまで一般化できるか、です。
尚、上位レベルと下位レベルは、基本語を含めた造語で作る方針が良いと思う。
基本語根を決めたら、それについてプロトタイプとかスキーマとかも考えてみるといいと思う。

143ベダウリンデ:2009/12/08(火) 10:13:49
なつさんは、ウシ族やったのですか。私はイヌ科を見ました。
イヌ科は、イヌ族とキツネ族に分けられています。
動物基本語を与えられる第一条件は、
「世界的に広く分布し、それらが似たような外見を持っている」場合だと思います。
キツネ族は世界的に広く存在し、犬のようだけど、とがった鼻先など、一見して共通した容貌があると思う。
なのでキツネは動物基本語vulpoでいいと思う。学名もvulpesだし、短くて覚えやすいし。
ちなみに、イヌ族の中にも、日本語で○○ギツネ、英語で○○foxというのがいるのですね。写真見るとキツネっぽい。
あまり厳密にせず、話者がキツネっぽいと判断した動物は(母語の影響もあるだろうし)vulpoでいいと思う。

イヌ科は、イヌ、オオカミ、コヨーテ、ジャッカルが同じイヌ属で、他にタヌキ属、リカオン属、ドール属などがある。
私は、イヌhundo、オオカミlupoだけを基本語にして、その他は○○hundoまたは○○lupoでいいと思った。
ジャッカルはアフリカ・南アジア、ドールはアジアが生息地で、その土地ではかなり有名で愛着も持たれてるかもしれないけど、
ここは涙をのんで削る。
オオカミは生息地は北半球なので、世界的生息とは言えないけど、動物基本語にする。
そして、ジャッカル、ドールは、地元民がイヌ、キツネよりは野性味があって怖い動物と思ったら○○lupoと名づけてもらう。
写真では、ドールはイヌとキツネの中間のような気もするから、○○hundo、○○vulpoでも良いかもしれない。御随意に。
つまり、イヌっぽいカテゴリーには、hundo、vulpo、lupoがいて、
hundoのプロトタイプは飼い犬一般、野生のものでも非常にイヌっぽければ○○hundoと呼んでも良い。
vulpoとlupoは野生で、怖いのがlupoで怖くないのがvulpo、みたいに、スキーマ(?よくわかってない)決めて
あとは話者にまかせる、感じ?

144ベダウリンデ:2009/12/08(火) 18:32:53
エスペラントVikipedioで、イヌ科の中でエスペラント名を付けられているものを上げます。
http://eo.wikipedia.org/wiki/Kanisedoj
KANISO(イヌ属一般名称)
HUNDO,LUPO,VULPO・・・NEPOの動物基本語候補
DINGO(オーストラリアのイヌ属の一種)
ŜAKALO(BRO基本単語に含まれている。生息地アフリカ・南アジア)
KOJOTO(PRERI-LUPOとも言う、生息地北アメリカ)
AGVARAO(タテガミオオカミ、学名Chrysocyon、生息地南米、Ava&ntilde;e'ẽ 語で「キツネ」らしい)
MUSTEL-VULPO(ヤブイヌ、生息地南米、エスペラントではイタチキツネと名づけられている、そんな感じの外見)

例えば、今までのエスペラント感だと、現地Ava&ntilde;e'ẽ語で呼ばれてる名がエスペラント単語に登録されれば、
「平等だ!素晴らしい!」と讃えられるのであろうが、
日本人がこの単語を見て、何を指すか即座に理解できるであろうか。
この例をみると、現地語をどんどん取り入れる事が決して「分かりやすい」ものでないと分かる。
それと比べれば、PRERI-LUPO、MUSTEL-VULPOは、例えPRERI、MUSTELと言う単語を知らなくても、
オオカミっぽい或いはキツネっぽい動物だろうと即座に想像できる。
NEPOでは、そのように動物基本語を元に、その他の動物達も表現できるようにしたいのである。
現地語流入を手放し礼賛ではなく、西欧語を基本とした基本語根で「分かりやすい」言語を目指したい。
頭の固い旧来の人には「平等じゃない、差別じゃないか!!」と罵られそうですが、
「分かりやすさ」こそ「公平、平等」だという信念で。

145ベダウリンデ:2009/12/09(水) 21:05:06
イヌっぽい基本語がhundo,lupo,vulpoなら、今までのエスペラントと同じではないか、と思われそうなので、補足。
PIVは持ってないのでReVoで見ると、
lupoは、北半球に住む飼い犬の祖先と考えられるイヌの一種
vulpoは、長いふさふさした尾を持つ赤っぽい毛皮のイヌ科の一属
みたいに書かれている。
この書き方では、lupoはタイリクオオカミを指すと思われる。
vulpoの説明はアカギツネの特徴とぴったりだが、
全部のキツネ属がそういう特徴なのだろうか、疑問である。
この定義だと、lupoでもvulpoでもないイヌ科は、新たに別の名前が必要になる。
そういう点が良くないと思うので、NEPOでは、定義を変えるのである。
lupoのプロトタイプはタイリクオオカミ、vulpoはキツネ族だが、プロトタイプは一応アカギツネとする。
イヌ族の中には、オオカミとキツネの中間のようなものが沢山いる。
それらが、どちらのプロトタイプと近い印象を持つか、主にその地域の住民が判断して、
○○lupo、○○vulpoと名付ける。場合によっては○○hundoでもよい。
ジャッカルは、私ならばキツネオオカミと名付けたい外見である。

146ベダウリンデ:2009/12/12(土) 09:06:37
現在の案:
動物基本語(基本レベルのカテゴリ)は、プロトタイプを中心とした、それに似た印象を持つ動物全てを含む。
似た印象の判断は話者が行ってよいが、多くは、母語などからの類推となるであろう。
下位レベルの正式種別名は、動物基本語の前に何かを足して**−○○の形にする。

例:hundo一語では、プロトタイプの飼い犬一般、及びその野生化したものを指す。
**-hundoは、①飼い犬の下位レベル。ブル-hundo、ハスキー-hundoなど、
**-は、固有名詞的な特殊な語でもよいとする。イヌである事が分かればよいので。
②正式にはイヌではないが、外見的にそれに近い印象を与える動物にも、種別名として**-hundoと名付けてよい事とする。
その場合の**-は、基本語の組み合わせとし、その性質がよく伝わるように工夫する。
例えばタヌキは、日本では愛される動物だが、世界的にはまだまだ無名であると思われる。
英語ではアライグマ犬と呼ばれる。日本人からすると。快くない呼び名だが、
かといって、○○ギツネと新しい名称を付けるのにも抵抗がある。
アライグマとタヌキは実際よく似ていて、その特徴をよく示しているし、英語の影響力に便乗した分かりやすさもあるし、
rav-urs-hundoでもいいんじゃないか。
これが認められれば、タヌキはイヌではないが、正式名称として**-hundoの名が与えられる事となる。
これは試案なので、他の案もあれば、どうぞ。

lupo,vulpoはそれぞれ、タイリクオオカミ、アカギツネをプロトタイプとした、それに似た印象を持つ動物。
各種の正式名称は、**-lupo,**-vulpoとなる。
**-は、地名や性質を含む基本語の組み合わせが望ましい。
現地語名称など、世界的に有名ならば、固有名詞的にその名を冠してもよいとするかは、思案のしどころ。
ここを認めるとなし崩し的になるのでなるべく避けたい。
例えば、フェネックギツネは、サバクギツネ等とするのが望ましいが、
フェネックという名も有名かもしれないので、fenek-vulpoとする案もあるかもしれない。
でもそうしたら、なし崩し的にfenekoになってしまう不安がある。
なので、なるべく、地名+性質などで考えたい、と思っている。

>なつさん
ウシ科にも手を付けました。量が多くて大変でした。

147ベダウリンデ:2009/12/12(土) 12:06:14
**-に、固有名詞的に特殊な語を持ってくる場合、特殊なルールが必要になるかもしれない。
つまり、ブル-hundoは、それでもって一語の扱いとし、
ブルだけを取り出して品詞語尾を付けて独立させるのはよくない。
エスペラントは品詞語尾を付け変えて勝手に増殖できるので、それは便利な反面非常に危険でもある。

動物は非常に種類数が多く、有名な動物は基本語の組み合わせで何とかなりそうだが、
マイナーな種、或いは、専門的な下位レベルの分類では、いちいち基本語で名前を付けられない可能性も出てくる、と思いました。

148だにょ:2009/12/12(土) 21:55:37
訂正:

>7000語を850語まで絞った方法。

7000語から絞ったというのは記憶違いかも。7500を言い換えたことがあるというのが実際かも?

>『850語に魅せられた天才オグデン』の著者も、難解すぎて読めなかったとのこと。

その本の著者はちゃんと読んでいます。全部理解するのが困難だとのこと。

私は大雑把に言ってしまう傾向があるのでご注意!

149だにょ:2009/12/12(土) 22:00:56
2000語根くらいまでは良いような気もしますが
(中学と高校1年生くらいで覚えるくらいだったらなんとかなると)
ベーシックの宣伝というよりも、ベーシックを参考にしようということで、、、

▼語彙制限の実験:

「いんみー表」>>109に従い、語彙の数や動詞の使用を制限して、ベテランの発言を書きかえてみます。

◎ケースⅠ(>>22

>Mi estas japano... Mi asertas ke lingvo bezonas iagradan koincidon aux konkorodon...
>Ne uzeblas nek praktikeblas ia lingvo kia konsistas el disordo kaj miksigxo vortare kaj gramatike...?
>私は日本人です・・・私は、言語には一定の整合性が必要だと思います・・・
>語彙でも文法でも、ごっちゃ混ぜの言語は、使いものにならないのでは・・・?

Mi estas japano... Mi sendube diru, ke estas bezonate al lingvo havi ia-gradan harmonion...
Ia lingvo, kia estas farita el dis-ordo kaj miksigxo en vortaro kaj lingv-regulado,
ne estos uz-ebla nek donos helpon por cxiutaga uzado...?

このケースではkoincid-o, konkord-o, praktik(ebl)i, konsist-i, gramatik-eを使わないで済みます。

◎ケースⅡ(>>33

>Kion vi imagas au~ fantazias pri la situacio??!!?

Kian ideon aux bildon en via menso vi prenas pri la kondicxaro??!!?
Kio estas en via menso pri la kondicxaro??!!?
Kion vi prenas/havas/akiras en via menso pri la kondicxaro??!!?

la kondicxaroは無理があるかもしれませんが、電子辞書には「状況、環境」と載ってました。
このケースは原文の方がわかりやすそうです。

◎ケースⅢ(>>93

>Mi malfermis ombrelon.(傘を開いた)
>Mi sxirmas min per ombrelo.(傘で自分を覆っています)
>Li estas kun omblelo.(傘をもっている)

Mi faris ekspansion de ombrelo.
Mi donis al mi kovr(ec)on de/per/el ombrelo.
Li tenas ombrelon en sia mano.

Li havas ombrelon.(所有または所持)
Mi donas al ni kovron de ombrelo.(相合傘)

傘を「開く」はどういった動詞を使えば良いものか?
「開くとは何か?」なんて考えこんでしまいます。

150なつ:2009/12/13(日) 00:51:37
Hundo(イヌ族)とVulpo(キツネ族)でいいのではないでしょうか?
ただし実際は、話者の主観でよく、(あるいは厳密でなくてもよく)○○ギツネ(fox)という「イヌ族」は〜〜hundoでもちろんいい。
カニクイギツネ=カニクイイヌでもあるわけですし。
つまりプロトタイプ:Hundo→イエイヌ、Vulpo→アカギツネといったほうがいいかもしれない。
ただ、どっちかなと思ったときはイヌ族→Hundo、キツネ族→Vulpoという具合で。
と僕は思いました。
大陸狼の家畜化がイエイヌいわゆるhundoなわけですからオオカミというふうに区別したければsovagxを付けたらいいと思うのですが。
逆にHundoとVulpoではなく、LupoとVulpoの2分類でもいいとも思います。とにかく、LupoとHundoの区別は細かい気がするんですが。
暴論をいうとHundoとVulpoはKanisoという上位概念で集約させてしまう。
Kanisoという語があるのは面白いと思いました。ザメンホフが発表した当初、「なんでHundoなんだ!Kanisoにすべきだ!絶対に!」という意見がよせられていたというのを思い出しました。
その後、自然に勝手にKanisoという語が増えたわけですね。

現地の言語を語根としてどんどん取り入れるのが平等だという意見は、僕はノシロ語的発想だと思っています。
一つの言語を優先することによって他の何百という言語話者が分かりづらくなるだけですからね。
仮に100言語あり100地域あるとすれば、1つの優先によって「みんな等しく」99個も分かりづらいものが乗っかるわけですから。
みんな等しく分かりづらいという平等には僕も反対です。

151なつ:2009/12/13(日) 01:27:36
訂正
1  〜〜hundoでももちろんいい。→〜〜vulpoでももちろんいい。
2  暴論をいうとHundoと「Lupo」はKanisoという上位で集約させてしまう。
僕は、専門的下位レベルは「学名」併記でいいんじゃないでしょうか。
そこまではやれないし、やるべきでもないと思います。キリがなくなります。
キンイロジャッカルは、たとえば、「or-vulpo-hundo(Canis aureus)」のような。
タヌキは「Lav-urs−hundo」で充分だと思います。日本以外どうでもいいような感じだと思いますし、必要なら学名を併記させる。
やはり動植物の名前は種類がありすぎるし地域差がかなりありすぎます。馴染みのない所にはどうでもいいわけで、ほんとにザックリとしたもので充分です。
それに**を前につけたりすると。そして必要なら学名を併記させとくと。これでいいと思います。

152ベダウリンデ:2009/12/13(日) 16:40:35
>150
私がlupoとhundoを分けた方がいいと思った理由は、
人類にとっての古くからの「友」であるイヌと、危険な敵であり、時に崇拝する対象でもあるオオカミは、
確実にどの人類も区別するであろうし、したいであろう、と思ったからです。
また、ディンゴなど、野生化したイヌもいるので、オオカミも野生イヌとすると、その区別が困る。
生物学的な分類なら、おおまかにイヌ系とキツネ系で分ければいいですが、
人類文化的な事を考えると、イヌとオオカミは分けてもいいのではないか、と私は思いました。
イヌとオオカミの区別は、レポロとクニークロとは異なり、
特定の民族のみが持つ特殊な分類意識でなく、人類に普遍的なものであるだろう、という判断です。
野生のイヌ科は、できれば、lupoかvulpoに分類する。
hundoは生物的にはlupoの仲間であるが、イヌのみに与える特殊な名称とする。
「ジャッカルが来た」は「lupoが来た」で十分に近い意味が通じる。
「kanisoが来た」では、ただのイヌが来たのか、危険な種が来たのか、分からない。
いちいち「vulpo-sovagx-kanisoが来た」と言うのは大変です。

ところで、私は今回初めてkanisoの語を知ったのですが、
kanisoってエスペラントの醜さを示す語だなーと思いました。
結局ラテン語に引きづられて、独自の言語として自立できてないのです。
そんな程度なら最初から全部ラテン語系に統一すべきだったですね。
日本語ではイヌ科をカニス科と絶対言わないのに。

153なつ:2009/12/13(日) 22:54:14
なるほど多くの民族語でイヌとオオカミは区別しているから分けてもいいではないか、ということですね。
僕としては、例えば日本人は、特別な存在であるタヌキに語幹を与えないことでよしとし、
ブタとイノシシを上位レベルに集約して「porko」(sovagx、domを付加で区別)でよしとし、
「ブタ年」で日本人のイノシシ年の人は甘んじてよしとするわけです。
じゃあ、みんなでオオカミとイヌは一緒の語幹で甘んじてもいいんじゃないかなあって思うんですけどねえ。
ただウィキではベトナム語でハイイロオオカミの正式名称は「灰色禿犬」となっていました。
日常的には、「Kaniso!!」と言う時、まあ犬でしょう。仮にオオカミであるなら口調に恐怖、怒りなどが伴います。
狼と羊飼いの少年の物語なら「Sovagxa-Kaniso!!Helpu!」と表記すれば分かるでしょう。

僕もKanisoっていうのには驚きました、同じ理由で。Kanisoにしても今や造語じゃないんですよね、なんか変です。

154ベダウリンデ:2009/12/14(月) 08:46:48
問題は、hundoにするかkanisoにするか、ではなく、
イエイヌとオオカミを基本語として分けるか否か、です。
本来なら、もっと多くの意見を集めて議論するべきですが、
当面は、お互いに自説の根拠を述べて終わり、にしておきますか?

イヌ科をイヌ族とキツネ族に分けて、イヌ系をkanisoとしたとしても、
ラテン語ではkanisoは犬、狼はlupusなので、kanisoという単語がイヌっぽい、という点は否めないでしょう。
英語でもイヌ属はthe Canisというようですが、おそらく学術用語でしょう。
エスペラントでは、学術用語と日常語が乖離するような現象は、なるべく避けてほしかったです。

ところで、日本では「ヤマイヌ」は、ニホンオオカミの事だそうです。(転じて野生化した犬も)
単語の上では、日本人も、オオカミとイヌを同一視してる民族、と言えます。
「もののけひめ」に出てくるヤマイヌをhundoと訳すのとlupoと訳すのと、どっちがイメージを伝達しやすいだろうか、とも思いました。

ちなみに、ウシ族ヤギ族にも、家畜化されたものと野生のものがいます。
私はブタ同様、これらはbovo,karpo,porkoで統一し、野生はsovagx-で分別する、で良いと思いました。
hundo・lupoと違うじゃないか、と自分でも思いました。
思うに、ウシ・ヤギ・ブタは、肉、毛、乳その他を提供するために家畜化された。
本来なら野生のものを捕まえれば十分なのに、効率上、家畜化された。
逆に言えば、家畜がいなければ、野生のものを狩ればいい。
ウシ・ヤギ本人としても、放牧されてたりして、結構「自由」なつもりかもしれない。
その点、イヌは、肉のために(食用にする民族もいますが)家畜化されたのではなく、
「主人に忠実に働く」点が評価され、いわば人間の手下となるべく飼われたのだろう、と思った。
野生化したものでは、代わりにならない。
そんな点で、肉用草食家畜と、イヌは区別してもいいかな、と思ったのです。

155ベダウリンデ:2009/12/14(月) 09:16:08
雑談:
NEPOは、ただの「言語学」じゃなくて「博物学」である点も面白い所です。
最近はイヌ科やウシ科を調べたけど、今まで知らなかった生物種も新たに知って、面白かった。
NEPOは、「世界の○○」みたいなものに興味関心のある人が非常に向いていると思う。
イヌとオオカミを分けるか否か、なんて、文化人類学的要素もあると思うし。
西欧文化=現代文化なのだから、西欧文化のものだけ細かく表現できれば十分、
と考える人にはNEPOは理解できないと思うから、そういう人はたぶん興味を示さないと思う。
言語オタクは、各民族語の音韻、文字、文法の知識を収集するのが生き甲斐なんだと思う。
世に人工言語はいっぱいあるけど、エスペラントに○○語の要素を加えて新言語作ったら、それだけで満足してしまうのかも。
エスペランチストには「ただの言語オタク」も多そうだから、なかなか理解は得られないかも。
逆に、広い知見のある人にとっては、エスペラントなんて、「失敗した数ある人工言語のひとつ」かもしれない。
NEPOの賛同者になれる条件ってかなり狭そうだけど、自分がやってて面白い点もあるから、
ぼちぼちやろうと思う。
だにょさんへ。書き込みしてくれたけど、忙しくてまだ読んでない。読んだらコメントします。

156ベダウリンデ:2009/12/14(月) 09:47:39
>149 だにょさん
一見してエスペラント分が多かったのでびびったけど、割とすぐ読めました。
抽象的な単語も、どの程度に絞るか、という「程度」が肝心です。
覚やすく応用しやすいものは、やみくもに削らず、ある程度は残すと良いのではないか、と私は思ってます。

>傘を「開く」はどういった動詞を使えば良いものか?
>「開くとは何か?」なんて考えこんでしまいます。
そうなんです。そこを考えるのが「意味論」なんです。
人間には共通した知覚がある、との説もあります。
動詞もまず、プロトタイプとかスキーマとかを考えていくといいと思います。

157ベダウリンデ:2009/12/14(月) 13:11:50
ウシ科もやったので、まとめてみます。
ウシ科にはヤギ亜科も含まれ、ヤギ亜科にはヒツジも含まれる。
ヒツジの取り扱いは、イヌの取り扱いに似ている点があるので、
今は保留し、ヒツジはヤギに含めて考えます。

まとめ案を先に書きます。
①亜科や族といった生物学上の分類に囚われず、主に外見の印象からbovoかkarpoに分ける。
その上で、細かい分類を、**-bovo,**-karpoとする。
亜科や族という生物学上の分類は素人目では分からない上、
現在の分類分けも恒久的なものではないと思われるので、それに囚われすぎない方が良い。
ただし、ここで会話してる間は、「○○属は〜、○○族は〜」という言い方は便利なので、使います。

②レイヨウなどのような、中間カテゴリーは特に作らない。
レイヨウは、生物学的な分類体系ではない一般名称であり、
ウシ科からウシ族とヤギ亜科を除いた残りで、主にアフリカで野生で生息するものを指し、
生物的にはそれぞれが、ウシまたはヤギに近い、とある。
個々の種別は、○○アフリカウシ、○○アフリカヤギ等と名付けると良い。
漠然と「レイヨウがいた」と言いたい時は「アフリカヤギがいた」でよい。

③bovoとkarpoは、家畜か野生かを問わない。
理由は、家畜であろうと野生であろうと、人間に与える印象は大差が無い、と思われるから。
家畜でも野生でも「ウシがいた」と言ってよい。

ヒツジに関しては今は保留だが、羊毛を取るために品種改良された家畜という意味ならば、
ヤギと区別できた方が、使用上便利かもしれない、と思う。

158ベダウリンデ:2009/12/14(月) 14:11:51
訂正:×karpo->○kapro

Vikipedioウシ科の考察。http://eo.wikipedia.org/wiki/Bovedoj
大文字はエスペラントで公認された単語?でしょうか??
そうだと仮定して、どんな単語が「エス化」されているか、ご紹介。。
TRAGELAFO(学名に同じ) ブッシュバック。ウシ亜科だがレイヨウ
BOSELAFO(学名に同じ)インドのニルガイという牛
ALCELAFO(学名に同じ)ハーテビースト レイヨウ
GNUO  ヌー レイヨウ
ANTILOPO(学名に同じ)アンテロープ、現エスペラントではレイヨウをアンテロープと総称
GAZELO(学名に同じ) ガゼル レイヨウ
ANTIDORKO(学名に同じ)または SALT-ANTILOPO スプリングボック レイヨウ
ĈAMO シャモア ヤギ亜科 ヨーロッパ・小アジアのカモシカの仲間
KAPRO ヤギ 野生ヤギも含む
IBEKSO アイベックス 野生ヤギ
OVIO(ŜAFO) ヒツジ 野生ヒツジも含む ovioは学名
MUFLONO ムフロン 野生ヒツジ
OVIBO または MOSKO-BOVO ジャコウウシ 英語でもmuskoxだけど、ヤギ亜科に入る
BUBALO アジアスイギュウ akvo-bubalo ちなみにアフリカスイギュウは別の種類だが、Afrika bubaloとする例も。
BOVO ウシ 家畜牛の他、インドの野生牛も含まれる
BIZONO バイソン 野牛 

考察:レイヨウ類は学名そのままに命名していて分かりづらいので、分かりやすい命名にすべき。
シャモア、アイベックス、ムフロンなど、ヨーロッパ近郊に生息する種だけ大文字扱いだが、○○kaproなどにすべき。
時々面白い命名も見られる。
レイヨウのオリックスだけは、なぜかrektkornulo(まっすく角の奴)というエスペラント名が。
ĝirafa gazeloはĝiraf-karpoとすると使えそう。
http://eo.wikipedia.org/wiki/Bovenojでは、ヤクをGrunt-bovo(ブーブー鳴く牛)と名付けている。

159なつ:2009/12/14(月) 19:38:25
>>イエイヌとオオカミを基本語として分けるか否か
ええそうですね。hundoとlupoと二つにわけるか、
hundoか、lupoか、あるいはkanisoと1つの語に約めるのかという議論ですね。
僕はおっしゃるとおり分けてもいいとも思います。ただ、それがなし崩し的に語を増やしていく方向になるのではないかという、
不要な危惧を抱いてるといったほうがいいかもしれません。動物すべてやって基本語幹が多くなかったなら分けていいと思います。
それぐらいの浅い考えです。というか5分5分で悩んでいる状態。
牛、羊、豚は、家畜・野生人間にとって関係なく食用に供します。
犬は家畜愛玩用であり野生では困る。逆にオオカミは野生であるという、ほぼ人類共通の認識がありますね。
なるほどね。
まあイヌ食民族はオオカミを捕らえたときも食べちゃうでしょうけど(笑)

ウシ科は難しいですよね。
僕も見た目bovoかkaproに分けるって思ったんですが、それで大丈夫ですかねえ。
青系と赤系に分けるとして、紫はどうする?のごとく、どっちかなあああなんていません?
また、日本では区別はあまりしないとも思うが世界的には
ヒツジとヤギの毛、肉、乳などを明確に区別する民族はかなりあると思います。
また、世界人口の3分の1とも言われるキリスト教徒・ユダヤ教徒(敬虔、名目上含む)は、自らをヒツジと称し、
ヤギを悪魔の象徴とみます。あるいは生贄にヤギを使いスケープゴートの語源にもなっています。
僕としては、イヌ、オオカミ以上に区別されるべきものだと思うのです。
ただそうするとヤギ亜科のどれをsxafoを基本語幹とすべきか悩みどころをまた増やしてしまいそうです。
見た目となると、ウシとヤギとヒツジとさらにシカやウマの中間みたいな感じのやついません?
bovo!っぽいかkapro!っぽいかだと人によって線引きが変わるかもしれない。
ということで、妥協のレイヨウという語も浮かんでくるわけです。
ベダウリンデさんは実際bovoとkapro(あるいはsxafo)に、どう分けます?
今、僕はもう一度ウシ科をざーっと見ましたが、シカに似ているやつも結構います。
やっぱり中間もいる。ヤギのような角がなければウシのようなやつもいます。
どうですか?
ほんと、面白いですねえ。人って、目に映ったあらゆるものを過去に経験して見たものと合致させようとします。
レイヨウではじめてみるものは脳が何か判別付かずにアイデンティティの崩壊が起こりそうです(笑)

160ベダウリンデ:2009/12/15(火) 11:16:15
ヒツジに関しては、私も、イヌをオオカミから分離するのと同じ理由で、
ヤギから分離したいと思っていてました。
ヒツジは主に羊毛用なので、ヤギとは異なった用途を持っていて、
共に生活してる人々からすれば、区別したいのではないか、と。
なつさんが、語根増加に反対のようでしたので、一応「保留」としてましたが。
ヤギ亜科の中でヒツジ属に含まれる種は非常に限られています。
その中の家畜のヒツジをsxafoと名付ければよいと思います。
野生のヒツジもいますが、ムフロン、ビッグホーンは毛が短く、見た目ヤギっぽい感じもしますが、
種別はヒツジ属に含まれるので、これらはsovagx-sxafoで良いと思います。
ただし、もしも仮に、地元民が「ヤギ」と呼んでいれば、ヤギと呼んでも良いでしょう。

ヤギとウシも、家畜種のヤギ属・ウシ属をkapro,bovoのプロトタイプとする。
その他の種は、きちんと表現したい時は、**-bovo,**-kaproとする。
(一時的な個人の判断で、ウシっぽいのがいた、と言う場合なら、家畜じゃなくてもbovoでよい)
(アイデンティティの崩壊が起こりそうな種なら、ウシみたいなヤギみたいな変なのがいた〜でよい。)

アイベックスなど、野生ヤギはsovagx-kaproです。
牛は、アジアには、インターナショナルな家畜牛とは別の種に分けられるウシ属(バンテン、ガウル、ガヤル、クープレイ、ヤクなど)
もいますが、それらは地名を冠して、インドウシ、ジャワウシ、チベットウシなどとすればよい。
(喧嘩になりそうだけど、そこは当事者の話し合いで)
コブウシは、現在でも、ZEBUOまたはGXIBO-BOVOと、名づけられているので、GXIBO-BOVOでよい。

その他には、レイヨウ類、ジャコウウシ族、シャモア族、サイガ、チルーなどがいる。
見かけはまさにウシとヤギの中間で、中には小鹿のように愛らしいものもいる。
なので、bovo-kapro或いはcervo-kaproという言い方もありだと思う。それに地名または特徴を冠する。
完全にウシっぽい、ヤギっぽいものならば、**-bovo,**-kaproと名付けてもよい。
ジャコウウシはウシではないけど慣習的にウシと呼ばれているように。
ニホンカモシカだったら、ヤパーナウシヤギ、かな?
ヒマラヤ周辺にはタール、ゴーラル、バーラル、ターキン、チルー、サイガなど、
ウシヤギっぽいものが多数いる。それらも、最も有名産地の地名、或いは特徴を冠して名付ければよい。
アフリカのレイヨウには、完全なウシ・ヤギはいないかもしれない。
なので、ウシヤギと呼ばず、まとめてアフリカ(或いはサバンナ)ヤギでもいいかな、とも思う。
この名付けは、地元民で、彼らの特徴をよく知る者が名づけるとよいと思う。
最悪、地元語呼称+ウシヤギでもいい。
私がウシかヤギかを決めるのではなく、決めるのは地元民。
タヌキをアライグマイヌで妥協したように、ほんとは犬じゃないけど、と思いつつ、
キツネでもないし、ならば外人の視点を利用するか、という発想でもよいと思う。

161ベダウリンデ:2009/12/16(水) 09:20:31
ウシ科を調べた時は、私も頭が爆発しそうになりましたが、それを克服したのが157の結論です。

まとめると、イヌ科はlupoとvulpoという二つのプロトタイプを設け、家畜化されたイエイヌは別格でhundoとする。
ウシ科も、bovoとkaproの二つのプロトタイプに分け、家畜化されたヒツジは別格でsxafoとする。
二つのプロトタイプの周辺部には、狼と狐の中間のような、牛と山羊の中間のような、どっちつかずの種が存在する。
また、イエイヌではないけど犬に似ている種、毛がもこもこしてないけど羊の原種とみなされる種も存在する。
あるいは、イタチのようなイヌ科、鹿のようなレイヨウなど、別の科の動物に似た印象を醸し出す種もいる。
それらは生物学上の分類や慣習的な呼び名を元に、とにかく、lupoかvulpoか、bovoかkaproか、どちらにより近いかを決断する。
そして、kaproに入れたけど牛っぽい、bovoに入れたけど山羊っぽいものは、bov-kapro,kapr-bovoと名付けても良いとする。
同様にイタチキツネ、シカウシ、シカヤギという名もあり。
イエイヌじゃないけど**-hundo、羊じゃないけど**-sxafoという呼び名も、慣習的であれば容認する。

学術的な文章など、必要ならば学名を併記するが、
日常会話では、学名をエスペラント化した名前では呼ばないようにする。
このようにする利点は、話者に対しても聞き手に対しても分かりやすくなる点である。
話者は、例えば「ニホンカモシカ」と言いたい場合、「エスペラントではカモシカってなんて言うんだろう」と調べる必要がなくなる。
調べても、難しくて覚えられない場合もある。(例:タヌキはニクテレウト)
聞き手にとっても、「カプリコルノ」と言われても、何だかさっぱり分からない場合がある。(特に非西欧人)
bov-kaproと言われれば、聞き手の自己流イメージであっても、とにかくイメージは湧く。
kaproに対するイメージは、民族性や個人の経験などで、厳密には異なる場合もある。
でも、とにかく何らかの草食獣のイメージは湧くし、NEPOではプロトタイプがしっかり定義されてるので、そのイメージが無秩序に分散する事もない。

動物名に関する問題点はまだありますが、またまとまったら・・・

162なつ:2009/12/16(水) 22:09:01
そうですね。現時点では全く同意です。
プロトタイプを決めてそれを用いることはとても有益ですね。
動物の語幹がエスペラントよりもずっと少ないのに、プロトタイプの定義がしっかりされて
いるので、逆にわかりやすく混乱も少ないでしょうし、動物にかたよりがなくなる。
僕は、前までは、ある程度のものを99%作ったうえで、完成発表(?)を全世界にすると思っていましたが、
そうではなく、程度をもっと深いものにし、数十%作って、あとは、地域にまかせたほうがいいという発想ですかね。
ただし、土台はしっかりと作っておき、それに逸脱してもらわないようにしてもらわなければならないという配慮ははじめの段階でしておくと。
賛同者、協力者がもっといれば、議論が活発にでき、ほかの動物、植物なんてのも、すぐ大筋が見えてきそうなんですけどね。

163ベダウリンデ:2009/12/17(木) 09:11:13
>賛同者、協力者がもっといれば、議論が活発にでき、ほかの動物、植物なんてのも、すぐ大筋が見えてきそうなんですけどね。
そうなんですよ。一人二人で全部やるのは所詮無理な壮大な企画なのです。
でも、「宣伝」に労力を費やすのは非常に時間と精神力の無駄だと思うし、
(今の状態で十分満足してるエスペランチストの皆さんの考え方も、もう大体見えてますので)
エスペラントの改革意識を自発的に持てるような人が出現したら、お誘いしたいなーと。
(エスペラントの存在価値に関して悶々と悩む人はいるけど、それが改革志向に至らない人も多いような気が・・・)
それまでは、できる所だけでもコツコツやってノウハウを蓄積する、というのも大事かな、と。
勿論、今決めた事を「決定事項」にするのではなく、あくまでも「案」として。

動物名問題では、基準を設けると良いかもしれない。例えば、
「家畜は人類にとって身近な存在であるので命名は優先する」hundo,sxafoなど。
野生種、特に雑多な小動物は世界中に無数にいるので、「科」「目」「亜科」等でまとめて一つの名前とする。
生物学上の分類が異なっても、外見に共通性があれば同じ名前を許容する。

大型ネコ科は、各地方で個性的な種が存在し、それぞれの地で王様みたいになってる。
アフリカのライオン、アジアのトラ、南米のジャガーなど。
ヨーロッパでは、オオヤマネコが、あれでも存在感が大きいみたいだし。
ネコ科をどこで区切って命名するかが問題。名案希望。

特定の地域だけに存在する種だが非常に個性的で、動物園や子供の絵本などでも人気者の動物はどうするか。
パンダ、カンガルー、キリン、シマウマなど。
キリンは首長シカ、シマウマは?なんとかロバ(ウマ)??

家畜は優先したいが、地域的に限定された家畜はどうするか。(トナカイ、ラマ・アルパカ)
トナカイはツンドラシカ、ラマ・アルパカはアンデスラクダじゃだめかな?とか。
小動物を肉や毛皮が目的で飼育するのも地域限定的な家畜だから、地域限定家畜には命名優先権はなし、とする?

164なつ:2009/12/19(土) 18:01:50
まずパンダが出たので「クマ科」を見てみました。

比較的容易かなと思いました。
クマ亜科クマ属アメリカグマ→amerika nigra urso(同エス。nigraをとってもわかる)
同ヒグマ→bruna urso(同エス)
ホッキョクグマ(シロクマ)→blanka urso(同エス)
ツキノワグマ→azia nigra urso(同エス。これもnigraはとってもいいだろう)
クマ亜科マレーグマ属マレーグマ→malaja urso(同エス)
クマ亜科ナマケグマ属ナマケグマ→初めその行動からむしろナマケモノに近いとヨーロッパに持ち込まれたとき思われてたそうです。
だから学名も何度も変わってたり別名を持っていたりする。インド、スリランカ、ネパール、バングラデシュ、ブータンに分布。
怠け者熊に相当する語が各言語に多いが、唇熊というのが先にくる言語もある。当地はなんといっているかわからないが。
Hindia-ursoとしながらもmallaborema-urso、lipita-ursoとまずは別名をもうけてもいいかもしれません。
同メガネグマ亜科メガネグマ属メガネグマ→okulvita urso(同エス)ただし、分布が南米限定なのでsudamerika-ursoでもいいかもしれない
同ジャイアントパンダ亜科ジャイアントパンダ→nigra-blanka-ursoでしょうか。
これでウィキペディアの現存するクマ科は全部です。
ここで思ったのが、「特徴-urso」と「地名-urso」と両方とも可能なものがある場合、
どちらを優先させるか、ということが出てきました。
パンダの場合は中国熊にするより、白黒熊のほうがわかりやすいのですが、
メガネグマのほうがわかりやすいか南米熊のほうがいいのか、
印度熊でいいのならそれでいいが、特徴が優先となれば、怠者熊なのか唇熊なのかその他なのか悩むことになる。
まあ、一番は現地の人の意見尊重でしょうけど。
それと、長い名前は避けたいですが、順番的には「地名-色-特徴-基本語幹」となるでしょうね。

165ベダウリンデ:2009/12/21(月) 16:16:42
なつさん、調べてくれてありがとう。
怠け熊は唇熊とも言うのですか。(唇を突き出してシロアリを吸うんだって・・)
ドイツ語、オランダ語でそうみたいですね。
動物名は、民族語で面白い呼び名を付けている例がありそうなので、
NEPOで名付ける時にも参考になりそうです。
先のレスで、言語オタクは興味無いかも、と書いたけど、撤回します。
各民族語に強い人も興味持ってくれたら、どんなに助かることか。。。

メガネグマは、アンデスグマという別名もあるらしい。
地名は固有名詞として便利なので、利用すると良いかもしれない。

>順番的には「地名-色-特徴-基本語幹」となるでしょうね。
そうですね。全部その形に統一するのではないですが、最も長くなった場合は、その形になりますね。

似たような外見で居住地域が明確に分かれてる場合(アフリカゾウとアジアゾウなど)は地名がいい。
世界的に分布してる種は、地名を冠せないので特徴で言い分けなければならない。
地域的に限定されてて、しかも外見や習性に著しい特徴がある種の場合、どっちを優先するか、、、
私の好みでは、特徴重視、かな? 中国や印度には他の熊もいるかもしれないし。

166ベダウリンデ:2009/12/21(月) 17:11:04
現在の生物学の分類に従い(参考ウィキペディア)、哺乳網を網羅して検討すれば、
どの程度の動物名を基本語根とすればよいか見通しがつきます。
哺乳網には何がいるのか、最初に概観しておくとよい、と思いました。

原獣亜綱(単孔目)
獣亜綱
--後獣下綱(有袋類)
--真獣下綱
-----異節上目(アルマジロ、ナマケモノ、アリクイ)
-----アフリカ獣上目(ゾウ、ジュゴン、その他)
-----真主齧上目(ネズミ、ウサギ、サル、その他)
-----ローラシア獣上目(下記)
・・・ハリネズミ目、トガリネズミ目
・・・コウモリ目、センザンコウ目
・・・鯨偶蹄目
・・・・・・ラクダ科(ラクダ、リャマ )
・・・・・・イノシシ科(ブタ、イノシシ)
・・・・・・ペッカリー科
・・・・・・マメジカ科
・・・・・・ジャコウジカ科
・・・・・・シカ科 (シカ、 トナカイ、シフゾウ )
・・・・・・キリン科 (キリン、オカピ )
・・・・・・プロングホーン科
・・・・・・ウシ科 (ウシ、アンテロープ、ヤギ、ヒツジ)
・・・・・・クジラ目
・・・・・・カバ科 (カバ、コビトカバ )
・・・ウマ目
・・・・・・ウマ科(ウマ、ロバ、シマウマ)
・・・・・・サイ科
・・・・・・バク科
・・・ネコ亜目
・・・・・・キノボリジャコウネコ科
・・・・・・ジャコウネコ科
・・・・・・ネコ科 (ネコ亜科、ヒョウ亜科)
・・・・・・ハイエナ科
・・・・・・マダガスカルマングース科
・・・・・・マングース科
・・・イヌ亜目
・・・・・・イヌ科(イヌ族、キツネ族)
・・・・・・クマ科(ジャイアントオアンダ亜科、メガネグマ亜科、クマ亜科)
・・・・・・レッサーパンダ科
・・・・・・スカンク科
・・・・・・アライグマ科
・・・・・・イタチ科(カワウソ亜科、アナグマ亜科、ラーテル亜科、イタチ亜科)
・・・・・・鰭脚類(アザラシ科、アシカ科、セイウチ科)

基本語根は、①「科」で一つ ②近縁の複数の「科」でまとめて一つ 
③一つの「科」に複数の基本語根が存在 ④遠縁の他の「科」の語根を借用
などのタイプに分かれると思われる。

167なつ:2009/12/21(月) 23:09:58
感情、状態、動作などの語根は極力少なくする(なる)わけでして、
それに動植物の語根が極力少なくなるとしても前者に比べてかなり比率的に多くなると思うのです。
NEPO一般語根と動植物語根とに分けてみるというのも手ですね。

ええっと誤解されそうな記述で、誤解されたかされてないかわからないのですが、
ナマケグマは日本では唇熊とはいいません。
で(僕の知りうる言語で)ナマケグマ系の言語は、日本語、中国語、韓国語、ベトナム語。
唇熊的名前の言語は、ドイツ語、オランダ語
別名があり二つ以上あるものは、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語
学名は初め、「五指ナマケモノ」次には「熊のナマケモノ」「唇熊」。ほかはわかりません。
現在一般的な学名は「melursus」蜂蜜熊・・

168ベダウリンデ:2009/12/22(火) 10:37:43
動植物は無限に存在し、それらは別の種別なので、どうしても呼び分けしたい場合が生じる。
しかし、日常会話で頻出する程ではなく、普段は稀にしか使わないと思われる。
必須の「基本語根」としては、家畜名を入れておけば十分だと思う。
それ以外にNEPO公認の動物基本語を設けるとよいと思う。
そうしないと、ある動物について言及したい時に、何を基準に命名して良いか分からず、
結局は、現地語名や学名のエスペラント化、という今までと同じ流れになるのが予想される。
普段は使わないであろう動物名でも公認語根の中に入れておいて、
それらを駆使して全動物を表現するようにルールを設けておけば、
分かりにくい命名が無秩序に野放しにされる、という今までのような現象は防げると思う。
公認語根は数は多くなってしまうかもしれないが、動物の種類は想像を超えて多様であるで、
それらを網羅できる程度の数は必要だと思う。

唇熊の件
呼び名が色々あって、それらのどれを選ぶのか、が問題ですよね。学名もあてにならないし。
その動物の個性をよく表す呼び名がいいと思うけど、今は決められないですね。
ただ、何であれ、○○グマと命名できそうだ、というのは確かです。

169ベダウリンデ:2009/12/22(火) 11:09:15
本当は、動植物を示す分類辞的な短い接尾辞があったらいいなーと思うのです。
ursoもlupoも、最初から語尾が統一されてたら、全然困らなかったのに。
usro-besto,lupo-bestoでは長すぎるけど、そんな感じに一目で「動物だ」と分かるのが一番良い。
そしたら、バクとかサイとか馴染みのない動物名でも、一目瞭然で何らかの動物であると分かる。
でもそうしたらhundoとかkatoとか、馴染みのある動物名にまで接尾辞を付けなければならず、
それが面倒くさがられて、結局グダグダになる可能性も出てくる。

動物名を全廃して、犬は「よく命令聞く」-besto、ネコは「気ままだけど愛され」-besto、等としても良いが、
もっと細かい種を表すには、その長い語に、さらに説明的な語句を付けなければならず、不便なので、
私は、動物名はあった方がいい、と思う。

その場合、バクやサイのような非日常的な動物にも、「科」として一つの「公認語根」を与えるか、
鼻短いゾウ、とか、角付き川馬、などとするか、は問題です。
バクやサイが、他のどの動物に似てるか決めるは、それがまた難しい。
なので私の今の考えでは、公認語根を与えてしまっても良いかな、と思う。
覚える数は増えるけど、今までよりは数が減るのは確実。

170ベダウリンデ:2009/12/22(火) 11:31:38
亜科とか亜目とか、見る資料で違ってたりして、たぶん今後も変更になるかもしれないけど。
イヌ亜目はイヌ下目とクマ下目に分かれ、クマ下目は、クマ上科・イタチ上科・鰭脚類に分かれる。
なつさんが調べてくれた熊系はクマ上科かな。全部ursoで問題ない。
イタチ上科は、レッサーパンダ科・スカンク科・アライグマ科・イタチ科です。
イタチ上科はursoと呼べるものと、イタチと呼びたいものに分かれます。
イタチは世界中に分布するけど地味な動物で、エスペラントでmusteloと言われても初耳。
でも、私は、musteloは公認語根に入れた方がいいと思う。
そうすると、イタチを長細クマとかネコクマとか言うよりは、格段に命名しやすくなる。
カワウソは水イタチ、ラッコは海イタチ、スカンクは臭イタチと言えるし、
イタチ=細長い体型という、クマには無いイメージを生かして、
イタチっぽいクマ系やネコ系を、イタチクマとかイタチネコとか呼べて応用がきく。

171なつ:2009/12/23(水) 05:26:50
ええ、そういうことですよね。語彙リストにするときすべて一緒くたにするのではなく、
動植物系は別にNEPO公認動植物語根としてまとめてリスト化したらいいと思いますね。
そしてNEPOの理念を周知徹底してもらいたいですね。
キリンについて中国語では「長頸鹿」というみたいで、NEPOでもlongkol-cervoでいいかなと思うのですが、
象はlongnaz-何にしようかなとか、
面白いのは、サイもkorn-naz-何かなと思って、調べると生物分類ではウマ目なんです、
で、中国語では犀牛、牛とみるわけです。
逆に、河馬(カバ)は、ギリシア語由来の学名ヒッポタムスで意味は「河の馬」、ヨーロッパではみなそれ由来の語で
漢字圏国もみな「河馬」。でもみためむしろ牛かなとも思うし、分類学上もウマ目じゃなく旧ウシ目なわけで、
まったく逆なんですね。
でも伝統的に河馬は、rivier-cxevaloのほうが分かりやすいかなとも思う。
カンガルーは豪州先住民の一部族の言葉で「跳ぶもの」という意味らしい。
中国語では袋鼠。なるほど、と思いつつ、かなり大きい鼠だなあとも思う。
先住民の言葉から、saltuloというのもいいんじゃないかと思う。
uloをつけるというのは避けるべきかどうするべきか。
象は、longnazuloで解決できる。でもキリンはlongkoluloよりもlongkol-cervoのほうが分かりやすいだろう。
河馬もcxevaloかbovoか悩むが、かといってuloにしてしまうと逆にわかりにくいだろう。
動植物名だと分かるマーカーはあったらいいかもしれません。
uloをつけるとか、bestoを前あるいは後ろにつけるか、新しい接辞(接頭語含む)を作るか。
思い切って動植物名詞は大文字から始めるとか(ドイツ語では名詞はすべて大文字からなのでそんなに変ではないかも)
あるいはもっと思い切って、動植物名詞語尾を作る。
でも、マーカーなしでもわかるっちゃ、わかる気もします。基本的に、基本語根のみの動物か、基本語根を含んだ複合語なので。
複合語には、「−」をつけてつなぐという規則を徹底すれば「−」がマーカーのようにもなりますね。
以前僕は語彙を徹底的に少なくしようとするあまり、犬「よく命令聞く」besto、猫「気ままだけど愛され」besto
のようなものを考えようとしていましたが、問題がありますよね。
基本的動物でも長くなりさらにさらに長くなっていく。と同時に地域によってイメージが違うというのが問題です。
犬は日本で言うと「忠実」、軽蔑的に「手下」でしょうか。エスペラントあるいはヨーロッパでは「みじめ」というイメージがあるみたいです。
英語ではほかに「不誠実」という意味もあるみたいです。
ドブネズミは不潔というイメージが僕にはあるんですが、エスでは「欲張りもの、守銭奴」、英語では「裏切り者」
まあ不潔・不浄は「ブタ」になりますかね。いろいろある。
やはり基本的な動物には基本語根を用いたほうが簡潔で便利ですね。
musteloについては僕も賛成です。こういう頻出語ではないけど応用が利き便利だっていうのを選定していったのが、
オグデンのBASIC英語らしいです。実際そうなのかどうかは、いろんな実用例をみてないのでわかりませんが。

172ベダウリンデ:2009/12/24(木) 09:24:13
>やはり基本的な動物には基本語根を用いたほうが簡潔で便利ですね。
全動物名の末尾を、厳選された公認語根で統一する、というやり方でいいよね?
末尾は、生物学的な所属や、外見的な印象で決める。
公認語根の数を多めにするか、少なめにするか、という問題点はまだ残りますが。
世界の動物の中には、個別の語根を与えるほどの大グループは形成してないけど、
といって、他の動物に例えるには無理のある動物もいる。
例えば原獣亜網のカモノハシ、異節上目のアルマジロ、ナマケモノ、アリクイ。
カモノハリはエスペラントではornitorinko、英語ではduck-billです。
duskbill鴨の嘴でいいんだけど、それでは動物なのか何なのか分からない。
オランダ語ではvogel-bek-bier鳥嘴獣というらしいので、NEPOでもbird-bek-bestoがいいかと思った。
つまり、他の何の動物にも例えようのない動物は-bestoとしてしまう。(中文でも鸭嘴兽だった)
カモノハシはイタチかな?モグラかな?と悩むより楽かも、と。
アリクイは英語ではant bearと言われるけど、クマでいーのかなー?とも思う。
エスペラントでは、formiko-mangxuloで、これは分かりやすいですが、
私は、動物にuloは避けた方がいいように思う。人間と区別がつかないではないですか。
クマ公みたいな擬人化した口語表現ならいいけど、正式名としては如何なものか、と。
(uloを動物接尾辞に限定にするなら-bestoの代わりに使っても良いですが。)

大グループは構成してないが、他の動物に容易に例えられない動物は-bestoとすれば、
サイはkorn-naz-bestoとなる。ゾウがlong-naz-besto。
(ちなみに動物の鼻はnazoではない、とどこかで読んだ気もするけど、まあ、それはヨーロッパ的発想だと思うので、
NEPOでは、その発想自体を変える事が可能です)
ちなみに、アルマジロはエスペラントではdazipoですが、ドイツ語オランダ語ではベルト獣と表現する。
ローラシア獣上目のセンザンコウはドイツ語オランダ語で鱗獣。
ドイツ語オランダ語って、動物を面白く表現するなーと関心。NEPOでも真似できそう。
キリンはシカと近縁なので、cervoの仲間に入れて何の問題も無い。
カバは、私は馬には見えないけど、古来からの慣用ということで容認するとして、
バクは?

173だにょ:2009/12/24(木) 19:43:59
>ベーシック英語では、たぶん、そういった視点は欠けてるんじゃないかな〜と疑ってます。

その通りなのですが、サイズが合わない着物は、仕立て直せば良いのでは?
でも、ベダウリンデさん、なつさんは、今、非常に巧く行っているので、以下の点について聞き流して結構です。

絵を描く方法として、
(1)キャンバス全体に大雑把に下書きしてから細部を詰めていくやり方、
(2)左上端から右下端へと順に緻密に描いていくやり方、
の二つがあるとします。私は色々と挫折経験が多いので(^_^;、(1)を採りたがるんです。
途中で挫けてもそれなりに完成している;最後までやりとげる自信がないので早々と結果を出して見通しを立てたい;
という理由でです。

そういうわけで、欠陥だらけでも良いから、とにかく短期間で試作品を完成させてしまいたい。
試作品を完成させたあとで語根の過不足を調整して欠陥を修正していけば良いという風に思ってしまう。
犯罪捜査でいえば、過去の捜査経験から、「犯行現場から半径5キロ圏内の家庭を訪問する」、
「被害者の親戚から友人までのアリバイを調べる」と、一定の基準を設けて最初に捜査範囲を絞り込んでしまい、
もしもこの範囲に犯人がいなかったら捜査範囲を広げるというやり方で行きたくなってしまう。
「基本語根」が以下の範囲内にあると仮定して、最初に絞り込んでしまう。

基本語根
=頻出語根+必須語根
={コーパス467語+沼津エス会の指導経験による基本語彙リスト}+{機能語リスト+いんみー表}

その式をとりあえず承認して基本語根を暫定的に抽出してしまう。あっという間に試作品の完成です。
こうしてできた「暫定基本語根表」は、中立性や実用性などの条件を満たさないでしょう。
しかし、《机上の理屈》では、それらの語根の組み合わせだけで、9割5分以上のことを言い表せるはず。
あとは、この「基本語根表」どんどん改定していく。
不要な語根を削ったり、動物基本語や度量衡などを付け足たしたりしてブラッシュアップしていく。

上の手続きで抽出した語根を次の場所にアップしておきました。表計算ソフトで開けます。
http://www1.axfc.net/uploader/Sc/so/66941.csv
この基礎語根表の語「だけ」を検討すべきだというのではありません。
この表はキャンバスに大雑把に描いたラフスケッチです。役立つかはわかりませんが。

ちなみに生物に関連した語根は次だけです。熊、象、蛙、蝶、蚊などはいません。
なつさんと、ベダウリンデさんの博物学的なやり方で代表的な生物を挙げていくと、動物基本語だけで3桁は行きそうですね。

animal/o: 動物
best/o: 獣
insekt/o: 昆虫
azen/o: 驢馬
bov/o: 牛
cxeval/o: 馬
hund/o: 犬
kapr/o: 山羊
kat/o: 猫
kunikl/o: 家ウサギ
pork/o: 豚
rat/o: 鼠
simi/o: 猿
sxaf/o: 羊
bird/o: 鳥
fisx/o: 魚
serpent/o: 蛇
abel/o: ミツバチ
formik/o: アリ
musx/o: 蝿
verm/o: ミミズ・イモムシ

174ベダウリンデ:2009/12/25(金) 09:16:29
だにょさん、表、ありがとう。参考にさせて頂きます。
だにょさんは何気NEPOに協力してくれてるので大感謝です。
できれば、だにょさんの方法で、最少の語根であらゆる物事を表現できるような造語マニュアルを考えてもらえたら、と思います。
こちらの流れとは同調しなくても良いから、独自路線でやって頂けたら、と。で、どっかにアップしてほしいな、と。

ちなみに、私の感覚でも、(1)の大雑把でやってるつもりではあります。
私よりなつさんの方が大胆派なので、それも参考にして考えると、
動物語根はかなり少なくなる予感がします。個数は間もなく明瞭になるでしょう。
なるべく全動物を網羅できるようにしたいですが、実際の検証は、地球上の動物種は無限大である、という点から考えると不可能なので、
結局どうしたって「大雑把」なのです。

ゾウやサイ、ライオン、トラは日常会話では頻出しないとはいえ、実際言わねばならない場面があったら、どうするのか?
今のエスペラントでは、だにょさん表で上げられた動物語根で造語表現するという習慣は無い。
elefanto,rinocero,leono,tigroと普通に言ってると思う。
基本語根では動物語は21個しかありません、すごいでしょう、と言われても、
実際はそれに載ってない無数の動物名が普通に使われているのです。
ゾウやサイくらいならまだいいのですが、ヴィキペディオにはマイナーな動物名までご丁寧にエスペラント化され、じゃかじゃか載ってますよ。
イタチ系では、ヨーロッパケナガイタチはputoro、オコジョはermeno、テンはmarteso、クロテンはzibeloなどなどキリが無いです。
そういう事態を避けたいがため、全動物を概観し、最少語根を選定してるのです。
今のエスペラントの動物基本語根は、自分が知ってる身近な種だけに名前を付けて、他はどーせ使わないから不要だよね、と考えた結果の産物のように思う。
それがダメの所以だったのだと思う。

175ベダウリンデ:2009/12/25(金) 10:11:38
今検討中の動物語根は、正確には哺乳類語根です。
だにょさん表は、虫なども含んでるのでそれを除くと11〜3個ですね。
幾つ増えるか、ですが、全動物網羅できるかできないかの違いもありますので。
鳥、爬虫類両生類、魚、虫、植物も考えなくちゃいけないけど、
哺乳類で、やり方の見当がついてきた感じもする。

176なつ:2009/12/26(土) 00:19:18
今までの人工言語って
あまりにも多い動植物の名称を無限に増やしていくか、
ある価値観に基づく基本的な動植物の語彙は採用するが、それ以外は無視するか、
どっちかだったのではないでしょうか?
僕も初めは後者でした。もっともできるだけ造語法を使ってあらわそうとはしましたが。
無限ともいうべき動植物に手をつける初めからあきらめるという方向ではないでしょうか。
ベダウリンデさんは、それに手をつけはじめたわけです。
語彙制限、最小限語彙を目指す言語では初めてなんじゃないでしょうか?
この前向きな試みは僕はかなり驚きました。そして今ではパンドラをあけようではないかとも思っています。
達成すれば快挙だと思います。
例えば、一般語彙語根500に動植物語彙語根500とか、普通ではありえない比率であり、過去の常識ではアンバランスなものとなるでしょう。
ただ達成すればPIVがウヌアリブロの薄さになるわけです。
すべての語根でも1000前後であれば覚えていただけるはずです。動植物は初め全部覚える必要はないでしょうし。
僕は以前は300とか400とかで日常会話すべてという目標をたてたことがありますが、
無理やりなものや、長ったらしいものが増えるので、それより語根を若干増やしたほうがいいなとも思いはじめました。
ただ闇雲に数を限定したチャチイものじゃなくPIVや聖書なんての(全世界のエスペランティストに有名な厚い書籍ってなんなんでしょうか・・・)を完璧に置き換えられる本格的なものにしたい。
動植物にはそうでしょう。
が、一般語根に関しては、今まで苦労され選定されてきた語彙が参考になるでしょうね。
それをNEPOに置き換えられなきゃ意味がないわけですし。

177なつ:2009/12/26(土) 01:06:58
日本ベーシックイングリッシュ協会がウェブで紹介しているBASIC英語は、僕からすれば、
「最悪!」です。これを読んで「しょぼおおおお」でした。
初めの紹介文「TOMATO」ですよ。トマトは選定語彙になっていないばかりか、トマトを表現する方法もない。
だからトマトはTOMATOと書かざるをえない。
しかも、この文章は「みんなTOMATOくらい知ってるでしょ?」という偏った前提で書かれてある。
なんのためのBASIC英語なのか??こいつら、お遊びです、お遊び。少なくとも日本の連中は。
動植物は無視っていうのだけ分かります。結局、選定語彙を飛び越えて使用してんじゃんと。しかも750語っていいながらインターナショナル語彙だのなんとか語彙とか言って
どんどん語彙を増やす一方だし。しかも運用、普及を目指してる(?)人が、いきなり「TOMATO」!って言ってしまう無頓着さ。この紹介文章はすべて似たようなものがずらり
トマトは現在ナス属なのだそう。唐柿(とうし)、赤茄子(あかなす)、蕃茄(ばんか)、小金瓜(こがねうり)の異称があるんだとか。
中国語では蕃茄、西紅柿。ベトナムでも「すっぱいナス」。
BASICでも、「sour and red eggplant-like」(すっぱくて赤いナスのような)とか少しは工夫のあとをみせるべきかも。
いや、やっぱり無理だね。英語学習の通過点にしかならず、これを世界共通的に使おうなんてのはどだい無理な話。
NEPOでも、「赤」「丸」「茄子」とあらわすでしょうかね。「茄子」は英語のように「卵植物」でいいかどうかというのも楽しみになる。

178ベダウリンデ:2009/12/26(土) 10:33:31
哺乳類を見てますが、ネズミ目は現生種の1/2が含まれるそうで、その数に驚き、
今サル目見てますが、サルの種類の多さ(また外見の多様さ)にも驚き。
ですが、サル目は全部simioにするしかないな、と思います。
サル目はエスペラントヴィキペディオでもまだまた未開拓の分野らしく、エスペラント化された単語も少ないです。
また、英語でmonkeyというのは、オナガザル科と広鼻猿だけを指し、キツネザルやメガネザル等の下等なサルは個々に別の名前で呼ばれるそう。
エスペラントでは(ドイツ語でも)下等なサルをduonsimioと総称するそうで、そんな半端な言い方するならsimioで統一。
サル目の名前は中国語が非常に参考になりそうな予感がします。

バクに関しては、たまたま見たヴェトナム語では、Lợn v&ograve;iブタ+からん(くちばし)らしいので、
NEPOでも**-porkoまたはporko-**でいいと思いました。一応ウマ目なのでpork-cxevaloとか。

今の考えでは、
ある目や科が、他に類を見ない独自の外見を持っている場合は、動物語根を与えずに-bestoにしようかな、と思っています。
例えば、ゾウ、サイ、コウモリ、センザンコウ、モグラ、アルマジロ、ナマケモノ、アリクイ、カモノハシ。
カバとバクはcxevalo,porko等、既存の動物名で代用する。

179ベダウリンデ:2009/12/27(日) 18:10:26
だにょさん表では哺乳類は11個です。(animalo・besto除く)
azen/o: 驢馬 bov/o: 牛 cxeval/o: 馬 hund/o: 犬 kapr/o: 山羊 kat/o: 猫 kunikl/o: 家ウサギ pork/o: 豚 rat/o: 鼠 simi/o: 猿 sxaf/o: 羊
これに加えて、lupo vulpo urso mustelo sciuro cervo kamelo を考えています。プラス7個です。
kunikloはleporoに変えます。
それプラス大型ネコ科を意味するpanteroを入れてもよいかと思ってます。
ネコ科が一個に対しイヌ科3個では多すぎて、アンバランスなのでそれを修正するため。
一応、これで可能かどうか、少し検証します。

色々やってみて思う事。
学名はラテン語やギリシャ語から来てますが、その由来は実は単純で
例えばOrnithorhynchusだったら鳥の嘴、サイも鼻+角など、見た目で決めてる場合が多い。
ドイツ語やオランダ語では、国粋主義なのかどうか、学名を独訳、蘭訳して意味が分かるように命名してる。(サイはNashornなど)
エスペラントでは意味でエス訳しないで、綴りだけをエスペラント化する。
ドイツ語などの風習は知られてるはずなのに、なぜ意訳しないのか。
きっと、アジア人は日常会話で四苦八苦してて、生物名を論じる場には現れない。
西洋人エスペランチストで生物学をエスペラントで議論できる人は
ラテン語やギリシャ語などヨーロッパ古典語なんて朝飯前の常識で、
学名そのまんまでも、彼らにとっては意味がよーく通じるんだと思った。

NEPOでも、元が分かりやすい意味の学名なら、エスペラントに意訳して命名し直せばよいと思った。
学名では不都合な場合は、他の民族語で言い得て妙な名前を付けてる例を探し、それを参考にするのも良い。

180ベダウリンデ:2009/12/27(日) 18:28:47
また、今までのエスペラントとNEPOの思想が大いに異なる点は、
旧エスペラントでは、各民族語の単語が取り入れられれば取り入れられるほど、
エスペラントの発展、平等化の実現とみなす。
hajkoがエスペラント単語に認められました。ネイティブアメリカンの単語も認められてるんですよ。すごいでしょう。
自分の民族語が取り入れられれば、その単語を知らない人がいようがいまいが気にしないで大喜び。
自分本位で傲慢だと思う。NEPOはそういう発想を否定する。
自分の民族語を押しつけるのではなく、相手に分かるような言い方を目指す。
その意味では「外人目線」が重要だと思った。
自分の身近な物の名前は、身近で当たり前すぎて、逆に何と表現してよいか分からない。
タヌキはタヌキでしょう?他に言いよう無いでしょう、と。
そうではなく、外人ならタヌキを見てどう思うか、その見方を尊重し、その見方で名付ける。
バクも、現地で見慣れた人は現地語の名前で普通に呼んでたでしょう。
バクを初めて見た人が何に似てると思うか、それを参考に命名すれば、誰にでも分かりやすくなると思う。
民族語の自己主張ではなく、外人ならどう見えるかをまず考える。そこが発想の違いだと思った。

181ベダウリンデ:2009/12/27(日) 18:37:28
サル目
原猿亜目
・・・・キツネザル下目 中国語で鼠狐猴、狐猴、鼬狐猴、大狐猴(インドリ)、冕(カンムリ)狐猴(シファカ)と呼ばれるのでvulp-simio。
アイアイも含まれるが指猴と言われ、エスペラントでもfingro-bestoなので、fingro-simio。
・・・・ロリス下目 懒猴(スローロリス)蜂猴(スレンダーロリス)熊猴(ポットーなど)まとめてurs-simio?
ガラゴ=婴猴・ブッシュベイビーには尻尾があって熊っぽくない。耳が大きいからorel-simio?
・・・・メガネザル下目 眼镜猴 okul-simio?
真猿亜目
・・広鼻亜目 (新世界ザル)
・・・・・・マーモセット 絹のような毛で日本語ではキヌザル。見た目ネコっぽいのでkat-simio?
・・・・・・タマリン マーモセットに近い。口髭やタテガミが目立つ。
・・・・・・リスザル 英語でも中国語でも同様なのでsciur-simio。
・・・・・・ティティ リスザルに似てる。kat-sciur-simio?
・・・・・・オマキザル 卷尾猴なのでrul-vost-simio。
・・・・・・ヨザル 英語でnight monkeyなので、nokt-simio。
・・・・・・サキ 僧面猴。肩までの長い頭毛が僧侶っぽいと。
・・・・・・ウアカリ 秃猴 sen-kap-hara-simio?
・・・・・・ホエザル howler monkeys 吼猴 vocxegaca-simio?
・・・・・・クモザル spider monkeys 蜘蛛猴
・・・・・・ウーリーモンキー woolly monkeys 绒毛猴 sxaf-simio?

・・狭鼻亜目 (旧世界ザル)
・・・オナガザル亜科
・・・・・・マカク ニホンザルを含むサル。赤いお尻が特徴? 英語でMacaque中国語で獼(モンキー)猴。いい名前があれば。
・・・・・・マントヒヒ・ヒヒ・マンドリル・ドリル・ゲラダヒヒ 外見に共通性。イヌっぽいのでhund-simio? 
・・・・・・マンガベイ 白眉猴
・・・・・・何々モンキー・グエノン 長尾猴
・・・・・・パタスザル、ベルベットモンキー 赤猴、䖝猴
・・・コロブス亜科
・・・・・・コロブス 疣(イボ)猴
・・・・・・ラングール、スレリ、ルトン、ドゥクモンキー、リーフモンキー まとめて葉猴。
・・・・・・キンシコウ 仰鼻猴(金絲猴)Snub-nosed Monkey ora-simioでよいでしょ
・・・・・・テングザル long-naz-simio
・・・・・・ブタオザル pork-vosta-simio

・・・類人猿
・・・・・・・テナガザル(東南アジアの熱帯雨林) 長臂猿、英語gibonは現地語から。long-brak-simio。
・・・・・・・オランウータン arba-hom-simio
・・・・・・・ゴリラ granda-hom-simio
・・・・・・・チンパンジー nigra-hom-simio
・・・・・・・ボノボ(ピグミーチンパンジー) malgranda-nigra-hom-simio

マカクをhund-simio、ヒヒをlup-simioにしようかな。

これは決定じゃなく、他の民族語の言い回しも参考にして、より良い案があれば修正します。
まあ、こんな感じでやれば、少ない基本語でもなんとかできそうだ、という事です。

182ベダウリンデ:2009/12/28(月) 18:34:14
年末年始お暇な人、あなたもNEPOやってみませんか?
①あなたが興味を持ってるジャンルは何ですか?
専門知識が無くとも、関心が持てるジャンルならok。今はウィキペディアとかあるしね。
NEPOは、辞書を頭から見て行って語彙削減するのではありません。
ジャンル別に、基本語根を選定していく事で削減します。
②ジャンルが決まったら、博物学的に、世界的に見てどういうものが存在するか概観する。
系統樹的なグループ分けが既にできてるものは楽。
そこから比較的普遍的に存在する物は何か、何と何の語彙を統合できるか、
どんな形容つければ区別できるか、等々を考える。
③最少語根の候補ができたら、それらを組み合わせて語彙作ってみる。あんまり細かすぎなくても良い。

例えば、人体構造、病名、衣食住。動作など抽象的な事象、などなど。
現エスペラントでは軍隊用語が煩雑なので誰か整理してほしい。

183なつ:2009/12/28(月) 18:42:14
もう僕の意見は予想されているかもしれませんが、w
azenoとcxevaloを区別するわけですね?
日本人の僕からすれば遠い存在のロバなので区別すべきかどうか、よくわかりません。
日本人は年長者が「ロバのパン屋さん」の馬をロバと思ってるのが関の山ですし。
次にrato目からsciuroを独立した語根にするわけですね。
ねずみ目をよく見ていないので僕にはわかりませんが、有益なのですか?
そして、大型ネコ科のpanteroはkategoなんてどうでしょうか?
機械的に分類学にそってつけていないので偏りはどうでもいいわけですし。

また、思い始めたのが、性格、仕草やイメージによる名称(例:犬の「忠誠」-besto、猫の「気まま」-bestoのような)
は、なるべく避けるとしても、
「顕著な外見的特徴」がある動物は、逆に採用していくというのはどうでしょうか?
(例えば、象の「longnaz-besto」、犀の「nazkorn-besto」のような)
むしかえしのような気がしますが
ウサギは「longorel-besto」でいいような気がしてきました。新しくleporoを覚える必要はなく、外見的特長により少なくとも一度意味を聞けばすぐ覚えられるものです。
やはりbestoは長い気がします。uloのような短いものがいいような。
仮にeboにするとしたならば、longorelebo、long-orelebo。
人間にとって、犬や猫、あるいは牛、豚ほどには身近ではないと思うので多少長い語になってもいいような気がしてきました。

184なつ:2009/12/28(月) 19:39:30
早いうちに一般語彙選定はある程度しなければならないのでは、と思いはじめています。
動植物語根に影響していきますから。

例えば、僕は、「見る」は視覚器官による作用でありvidiだけでいいと思っています。
見方を分けたいのであれば、副詞や接辞をおけばいいことです。
そして、それに付随して「目」がokuloというのも覚えにくい。
視覚器官なのでvidorganoでいいと思う。
エスペラントも「視覚器官」はvidorganoというみたい。
organoが長ければ「体の部位」を示す新しい有益な短い語根を作るというのもいいと思います。
仮にogoとするとvidogo。
こうすると鼻は、「嗅覚器官、嗅ぐ(flari)部位」でflarogoとなる。
僕は、flar語根よりもodor語根のほうがいいと思います(いずれ言及)ので仮にodorogoになる。
とすると動植物の名前に影響してきます。
象はlongodorog-bestoになりでしょう。
(サイがrinoceroというのも関連しますが)耳鼻咽喉科医はotorinolaringologo、耳鼻咽喉科学はotorinolaringologioっていうみたいです。
ヨーロッパエスペランティストのセンスが垣間見られます(皮肉)。

185なつ:2009/12/28(月) 20:00:13
「使いたくないエスペラント」
http://www3.ocn.ne.jp/~gthmhk/trmnr.html
我々が素直に感じることと同じ思いの人は少なからずいます。
決して挫折者のたわごとではありません。
「エスペラントは、文法に関しては確かに合理的で簡単だが、高級語の多くを基本語から
造語もせずにラテン系の語彙から安直に取り込んでいるのは不合理で語彙の習得を困難にしている」
「『英語=国際語』を否定している筈のエスペランチストが、
『ヨーロッパ語の高級語語幹=国際語語幹』を擁護するというのは、少なからぬ自己矛盾」(以上引用)
素直な日本人が素直にエスペラントを学んだときに素直に感じる素直な気持ちだと思います。

186だにょ:2009/12/28(月) 21:13:16
▼生物用の接尾詞

生物用の接尾詞は使えませんか? 辞書から写しておきます。

-ac- 植物分類学上の科名を作る。マメ科の植物はfabaco.
-ed- 動物分類学上の科名を作る。模式属につけて上位の科を示す。ヒバリ科の鳥はalauxdedo.
-oid- 類似物を示す。属名を表す語根につけて、上科などの類似系統の動物群の呼び名を作る。
 …類:asterioidoヒトデ網の動物/ekinoidoウニ類/papilionoidojアゲハチョウ上科.
pseuxdo- 擬似・類似・準を示す。pseuxdonomo仮名/pseuxdosciencoえせ科学/pseuxdobazo疑塩基

187だにょ:2009/12/28(月) 21:16:02
▼象

>「最悪!」です。これを読んで「しょぼおおおお」でした。

だから、BASIC英語の欠点はいいですって(^_^;
これの理論面は面白いですよ。単なる単語減らしじゃないから。

NEPOでは、どんどん増やせばいいです。
ちなみに象をBASIC英語で表現するとこうなってしまう。
BASICの辞典のは凄く長くて使いにくい。

象:a great four-legged animal with a very long nose and two pointed outside teeth

象(ショートバージョン):a great animal

象の鼻は、本当は唇なんでしょうが、西洋人が作ったBASIC英語の辞典
(古本屋で売られていることあり)でも「鼻」とあるので、それほど問題がなさそう。
タイのように象が身近にいて、家畜扱いしている国で、唇としているか、
鼻としているかが気になりますが。

188だにょ:2009/12/28(月) 21:20:07
▼二語動詞

古本屋で買ってきた100円本なので相当古いのですが、二語動詞について扱った単語集がありました。
二語動詞(two-word verbs)のコーパス単語集『75動詞の英会話』ダイヤモンド社。
二語動詞とは「go up」「go into」といったものです(「動詞+方位詞」の二語で表したもの)。

なぜこのスレに二語動詞の話が出てくるのかというと、エスペラントで二語動詞に相当するのが
「接頭詞や前置詞+基本動詞」の造語と思われるからです。オグデンの解説書に従った例をエス訳してみます。

go up → superiri(上がる)
go into → eniri(入る)
go to → aliri(近づく?)
go down → subiri(沈む)
go back → reiri(戻る)
go out → foriri(立ち去る)
go from → eliri(発する?)
go through → trairi(通過する)

BASICの場合、二動詞の組み合わせを利用して「約4,000語の動詞の意味を代用できることになっている」そうです。
無理に動詞を16まで絞る必要はありませんが、接頭詞や接続詞と、基本動詞を組み合わせて動詞を減らせるといいですね。

189なつ:2009/12/28(月) 22:05:45
だにょさん
相手の欠点を指摘せず、いいところを見出す。
恋愛にも通じることですね。反省します。

190だにょ:2010/01/01(金) 20:01:33
>>189

反省はいりませんって(^_^; 本当のことですし、私は英語を弁護する立場じゃないし。
一応追加しておきます。

>BASICでも、「sour and red eggplant-like」(すっぱくて赤いナスのような)とか少しは工夫のあとをみせるべきかも。

なつさんのその無意識な言い方こそがBASICの王道なのに、何かその協会の説明は妙ですね。
(そのサイトの英語よくわからないので、何が書いてあるか、いま一つわかりませんが)
TOMATOをTOMATOと書くという紹介文は、イロハのイから道を踏み外している気がします。
その協会「意味解析の手法に慣れ親しめば、BASICで大部分のものを表現できる」と紹介しないと、誤解を招きますね(^_^;

トマトはBASICの辞書にないので、私なりにBASICの造語規則を使って(たぶん)「トマト」を書いてみます。
英語は良く分かりませんが、だいたいこんな感じじゃないでしょうか?

>a red eggplant-likely fruit with acid taste

BASICの欠点は、、、
(1)文が長くなりがち。反射的に即答すべき日常の場面に応えられない
(2)意味解析よりも、単語の記憶に頼る方が楽な場合が多い(例:トマト、ゾウ)
(3)状況や文脈に頼りすぎるため、荒い言い方が増える(後述)
(4)読者や聴者は「なぞなぞ」を解くことを強いられる(「赤いナス状の酸っぱい果実」ってなあに?)
といったことだと思います。

なお(3)はどういうことかというと、ゾウを「a great animal」というような言い方が増えてしまうということです。
エスペラントでの実際の使用例を言います。
海外暮らしの日本人エスペランティストで日常生活でバシバシ使っている人のブログでの話です。
「洗濯バサミ」を、たしか「ilo por sekigi」と写真つきで訳して表現していたことがありました。
その人はエスペラントの習熟度が高い人。「tukpincxilo」(洗濯バサミ)という表現を使わずに、
「ilo por sekigi」というように《事物と語の対応関係を大雑把》に済ましていました。
これはハンガーや物干し竿を含む定義。状況から「洗濯バサミ」を指しているとわかります。
同様に、ゾウの図を示しながら「a great animal」と言えば通じてしまう。これが「荒い言い方」という意味です。

全体をざっくり作る方向と、博物学的な方法で細部を丹念に作る方向とで、うまく挟み撃ちできるといいのですが。

191だにょ:2010/01/01(金) 20:13:22
>②ジャンルが決まったら、博物学的に、世界的に見てどういうものが存在するか概観する。
>系統樹的なグループ分けが既にできてるものは楽。

・十進分類法を応用? 図書館学の分野ですが。
・ブリタニカ百科事典の「大項目事典」で概観?
・日本で売られている辞典、事典、字典を片っ端から集めるとか。
・日常生活用はロングマンの『フォトディクショナリー』みたいな薄手の辞典を一冊買って来て、エスペラント版を作るとか。

エスペラントにも『ロングマン現代英英辞典』みたいのがあるといいのに。
2000語の定義語彙がきっちり設定されていて、その2000語で辞書に載っている全ての語を言い換えてある。
さらにコーパスの頻度が高い語には印がついている。
英語は、エスペラントよりも、自分自身を数量的に分析しているんですよね。

もしもロングマンのような辞書がエスペラントにあれば、定義語を使った文を見ながら
どんどん造語していけばいい。エス・エス辞典って定義語がきちんと吟味されているのでしょうか?

192ベダウリンデ:2010/01/04(月) 15:09:19
>>183
>azenoとcxevaloを区別するわけですね?
はい、そうです。
>日本人の僕からすれば遠い存在のロバなので区別すべきかどうか、よくわかりません
原則、家畜、特に人類史上、早い時期に家畜化され、地域的にも広く普及している家畜は優先します。
日本ではロバは飼育されず「ウサギウマ」と上手い表現で呼びましたが、
世界では、ヨーロッパはもとより、中央アジアのウイグル人(?)などが
ロバの両側に荷物を括り付けて運ばせてる映像など、目にしたことはないですか?
中国でも多く飼われてるみたいですよ。やっぱし、食べちゃうみたいですが。
私のロバのイメージは「荷物運び用の家畜」です。
馬は種別的には近いですが、乗用として特化され、騎馬民族など、軍事用にも使われました。
馬とロバは用途が全く異なるので、ヤギとヒツジを分けるのと同様の理由で分けようと思いました。
問題はシマウマでした。馬のように乗れないけど、活発な感じはロバよりは馬。
ここは馬で一般化して、stria-cxevaloとでも。

>次にrato目からsciuroを独立した語根にするわけですね。
リスは中国語では松鼠ですから、ネズミに入れてもいいんですが、ネズミ目って非常に数が多いんですよ。
現生哺乳類が4500〜4600種で、そのうち、ネズミ亜目・リス亜目・ヤマアラシ亜目を含む齧歯目が2000種だそうですから。
リスは、オーストラリアと南極大陸を除く世界各地に分布してて、インドとかアフリカにもいるんですよ。
プロトタイプ的な特徴としては、長い身体と長いふさふさした尾。
リスは木に住んでるから、木ネズミとかにすればいいと思ったけど、
プレーリードッグやマーモット・ハタリスなと、地上性リスもいるんですよ。
しかも、ネズミの中にはキノボリネズミなどもいて、住処では分別できない。
ネズミ亜目・ヤマアラシ亜目は大所帯なので、少数派だけど特徴が一定してるリスだけでも別枠にした方が、
その他大勢の命名が楽になるのでは?と思いました。

大型ネコ科はまだ保留です。正直、これはどっちでもいい感じです。

>ウサギは「longorel-besto」でいいような気がしてきました。
ウサギも、正直私も同様に悩みましたが、
ゾウ、サイと異なる点は、生息地が広く、家畜化もされ広まっている。
また、耳の短いウサギ目もいる、という事です。
逆に、ウサギみたいなネズミ目もいるのです。
ゾウとかサイは生息地が限られていて、外見が一定してる。鼻の短いゾウ、角の無いサイはいないでしょう。
また、ゾウと同じ形状の鼻を持つ、或いは、サイと同じ位置に角を持つ動物は他にはいないでしょう。
-bestoを名乗れるのは、「他に類を見ない特殊な存在」としての特権、と考えました。
ゾウも家畜となりますが、タイ人(?)なら誰でも、買ってくれば飼い馴らせるという代物ではない、という点で特殊な家畜です。

193ベダウリンデ:2010/01/04(月) 15:16:44
>>184
身体部位の表現も考えなければならないので、なつさん、やって下さい。
仮に今ゾウをlong-naz-bestoとしても、nazoやbestoの表現がもし変われば、
そこだけ置き換えれば済むのですから、同時並行作業して何の問題もありません。
○○器官として明確な役割が見えにくい身体部位、例えば、額、頬、顎、こめかみ、背中、尻とか、
そういう単語はどう表現するか、です。

194ベダウリンデ:2010/01/04(月) 17:49:34
>>184
○○類という意味で接尾辞をつけると長くなってしまうので、私の今の考えでは、
例えばウニ類だったら、ウニ類全体をekinoと表現し、ウニらしいウニはそのままekinoと呼ぶ。
ウニっぽくないけどウニ類なのがいれば(無脊椎動物はまだ全然見てない)**-ekinoとする。
ただしekino自体が難しい単語なので、今のエスペラントでもmar-kaŝtanoとも言うようなので
そう言えればそれで済ましたい。
魚類や無脊椎動物は、種類も多く分類分けも発展途上のようなので、これから方法を考えてみたいです。

>>188
空間の理解は、人類共通してあるらしい、という事を本で見ました。
空間的な表現は共通して使えそうですね。

>>190
850語のBASICでは、何かを表現する時に長々しい辞書説明みたくなってしまうのが欠点なのですね。
NEPOではそうなりたくないので、例えばゾウなら、ゾウの何に注目すれば最も端的に表現できるかを考えたいです。
ゾウの最大の個性は大きさなのか長い鼻なのか、そこを見誤ると変になると思う。
洗濯バサミについて。
どこの国の人か分からないけど、「干具」と言えば洗濯バサミしかない所もあるかもしれませんね。
洗濯バサミとロープだけで事足りているという国ってありそうじゃないですか?(よく知らんけど)
「干具」と言うと、物干し竿か、洗濯バサミがいっぱい付いたハンガーか、針金ハンガーが複数付いたハンガーか、とか、
省スペース便利グッズが多様なのは日本の特徴かもしれないし。
そういう「文化の差」をどう表現するか、ですよね。写真は無くても文脈で分かる場合もあるし。
でも、便利グッズが多様な日本人からすると、iloでは曖昧すぎるから、pincxilo por sekigiの方が親切かなーなんて思う。
上級者の表現にケチつける気はないですが。

>>191
ジャンルによりますよ。
学問の名前だったら図書館のやり方がベストかもしれないけど、
マイナーな事物は、スペシャリストがいて個人的に世界の物件をコレクションして
分類してくれてる場合もありそうだし。

195ベダウリンデ:2010/01/06(水) 09:42:46
ウィキペディアを参照してると、英語の情報量の豊富さには、改めて敬服してしまいますね。
生物名(今はネズミ目)を調べているのですが、英語情報の良い点は、
世界各地のマイナーな種にまで、民族語(つまり英語)で分かりやすく命名している事です。
それに次いで健闘してるのが中国語ウィキです。
例外を除き、基本的に、英語の命名を中国語訳にしてる感じです。
それに比べると、日本語版は、まだまだ国内情報(国内生息種)に偏りすぎ。
フランス・イタリア・スペインなど、ロマンス諸語系では、ラテン語学名のままに載せてる場合が多々あります。
ロマンス系の人は学名のままでも十分に良く分かる、という証明なのでしょう。
エスペラントも英語や中国語を見習って、難解な学名を分かりやすい民族語(ここではエスペラント語)で置き換える努力が必要でしたね。

生物の命名については、生物学学会(?)でも色々問題あるのだろーなーーーと推測できますが、
まあ、妥協的だけど、英語の命名に準じて訳す方が、後々無難かな〜、と思いました。
各民族語で古くからの言い回しが存在する場合を除き、
アフリカの珍しい種の名前などは、英語名の翻訳が世界的に広まるであろう、というのが目に見えてますからね。
それに反抗して、「エスペラントは反英語主義なので、英語に頼らず学名で通す!!!」というのでは
あまりに頑固で、結局不自由だと思いますね。

英語名は、特徴が分かりやすいように簡単な言い回しで上手に表現してるので、
英語からNEPOに翻訳する場合も、言い回し表現の点では非常に参考になります、が、
問題なのは基本語彙の違いです。
例えば、英語でネズミを表す語彙は、mouse(小型ネズミ),rat(中型以上のネズミ),gopher(ホリネズミ),
vole(ハタネズミ),jerboa(トビネズミ),gerbil(アレチネズミ・スナネズミ),lemming(レミング・タビネズミ)
と、豊富ですが、NEPOではこれらをratoの一語で表す。
まあ、日本語も中国語も、ネズミ・鼠の一語でやってるから、NEPOでもそれを参考にすれば、
mouseは中国語で小鼠という言い方を真似てratetoとすると、mouse=ratetoと置き換える事ができます。
ちなみにピグミーマウスと呼ばれる極小マウスは、中国語では小鼠のままだった。

それと、特に南米の大型ネズミは、カピバラ、アグーチなどの固有名詞がそのまま英語化し、
その他の民族語でもそのまま外来語化してしまっているのも問題です。
中国語では頑固に、特徴で○○鼠と名付けてたりしてますが。
NEPOでも、まずは**-ratoと表現するように工夫する方向でいきます。

196ベダウリンデ:2010/01/07(木) 17:26:19
ネズミ目(げっ歯目)検討してみました。まず、特殊な種から先にあげます。

プロトタイプ的樹上性リス・・sciuro
地上性リス・・ter-sciuroなど(マーモットは山岳にいるのでmont-sciuro)
モモンガ・ムササビ・・flug-sciuro(現エスペラントでも)
ヤマネ・・英語ではdormouse現エスペラントでもdormo-musoだが、rato-sciuroにしたい。

ビーバー&ヤマビーバー・・ビーバーは今はネズミ科のようだが、かつてはリス科だったかも??
ビーバーは中国語で河狸。(現エスペラントではkastoro) 尾が太くてリスっぽいし、river-sciuroでは?
ヤマビーバーは山河狸なので、monta river-sciuro。たぶん頻出しない単語。
ヌートリア・・河狸鼠。ビーバーに似た生活をしてるが、見た目は尾が細くネズミっぽい。river-ratoでは?
ヤマアラシ&アメリカヤマアラシ・・豪豬。英語でPorcupine。各ヨーロッパ語でもブタと呼ばれ、
現エスペラントでもpik-porkoとも言われるので、そのまま継承する。

テンジクネズミ・・豚鼠。英語でguinea pig。各ヨーロッパ語でもブタと呼ばれる例が多い、と(Vikipedio)。
(この部分、珍しくエスペラントヴィキが優れた情報を掲載してた、パチパチ
このように、『読む価値ある』記事が増えるとエスペラントの評価も上がると思うのに)
正式な現エスペラントでは学名由来のKavioらしいけど、porko-ratoでいいのでは?

その他のネズミ類で、形状に特徴があり、比較的名付けやすい種。
トビウサギ・・ネズミ目だけど見た目ウサギっぽい。英語でspringhare。salt-leporo?
トビネズミjerboa・・耳が短いためネズミらしさがある。salt-rato。
ウロコオリス・・尾が一部うろこ状のリス。scaly-tailed squirrel。skvama-vosta sciuro
(続く)

197ベダウリンデ:2010/01/08(金) 10:34:31
その他のネズミ類は、南米の大型ネズミを除き、大体が「ネズミ」っぽい。
英語で〜rat・〜mouseと呼ばれる種が無数に存在する。
その中でも全世界に分布している種は、ハツカネズミ、クマネズミ、ドブネズミ+α?くらいで
その他の種は、意外と生息地は限定されているので、命名は地域名+特徴+rato、とすると分かりやすいと思う。
特徴としては、ミズ(泳ぐネズミが結構いる)、イワ、キノボリ、トゲ、などをよく見かけた。
ちなみに、ワールドワイドなネズミの名前を、中国語、英語、現エスペラントであげると
ハツカネズミ・・小家鼠/House Mouse/MUSO DOMA
クマネズミ・・鄢鼠/Black Rat/RATO NIGRA
ドブネズミ・・溝鼠/Brown Rat/RATO BRUNA
NEPOでも同じ感じで踏襲できますが、musoはratetoに置き換え、brunaは色彩語としてどうするか、によります。

また、英語のgopher(ホリネズミ),vole(ハタネズミ),gerbil(スナネズミ),lemming(レミング)をどう翻訳するか、です。
ホリネズミは頬袋が特徴だそうで、正式にはpocket gopherです。中国語では囊鼠です。
でも頬袋のある種は他にもいるんですよ。ホリネズミの特徴はモグラのように地を掘るらしいから、
「掘る」を特徴として名付けた方がいいと思う。
voleは田鼠なのでkampo-ratoでいいでしょう。gerbilは沙鼠なのでsablo-rato。
レミングは、ハタネズミの仲間なのでnorda kampo-ratoとでも。

また、英語名の中には、モグラ(mole)ネズミ、トガリネズミ(Shrew)ネズミのように名付けられている種もあるので、そこは独自に考えないと。
NEPOでは今のところ、モグラとトガリネズミには基本語根を与える予定ではないので。
また北米の種の英語名は、アメリカ人には身近な種だから、命名が大雑把である場合が多い。
その場合は、頭にamerika-を付けて他と区別しないといけない。
英語名をNEPOに翻訳する場合も注意が必要なのです。
(続く・・南米大型ネズミ編)

198ベダウリンデ:2010/01/12(火) 10:15:46
ホリネズミの件は、英語に準じて訳す方が無難かな、と思いました。
pocket gopherの学名はGeomysで、地+ネズミ、という意味らしいのですが、
ドイツ語、ハンガリー語はバッグ+ネズミと名付けていて、ベトナム語でも頬袋鼠と呼んでいる。
袋鼠と名付けてないのは日本だけだったりして、と思った。
だとしたら、日本生物学学会は英語からの自立度が極めて高いので、日本のエスペランチストの皆さん、自慢していいですよ!

南米大型ネズミについて。
大型のみならず小型もいるし、アフリカの一部ネズミに関しても言えるのですが、
現地語名などがそのまま英語になってしまっている場合が多いです。
他のネズミは、英語で〜rat、〜mouseと、その特徴を簡単な表現で表してるので、NEPOでも模倣すればいいのですが、
外来語で呼ばれて、それが普及しまっている種は、何と呼ぶかが難しい。
これはネズミ以外の種や、その他の事物についても、全般的に言える事ですが。

一番有名なのはカピバラ。各民族語でも大体「カピバラ」と呼ばれてしまっている。
学名の意味は水+豚で、中国語でも「水豚」だし、エスペラントでもkapibaroの他にakvo-porkoとも呼ばれる。
NEPOでもakvo-porkoが無難かな、と思う。

他には、知らない人は知らないでしょうが、パカ、アグーチ、フチア、パカラナ、マーラ
クイ、モコ、ツコツコ、デグー、チンチラ、ビスカーチャなどなど、いっぱいいるのです。
中国語は頑張っていて、それぞれの特徴を漢字で表現してます。
NEPOでもとりあえず、「勝手に見かけで名付ける式」でやっておくしかないでしょう。
外来語表現が世界的に普及すれば、NEPOでも外来語の取り扱いを改めて考えるとして。。

マーラ・・パタゴニアノウサギ(英語でもhare)ともいい、外見がウサギそっくり。**-leporo或いは**-leporo-ratoで。
パカ、アグーチ、フチア(カリブ限定)、パカラナ(偽パカ)・・見かけはシカっぽいものもいる。cervo-ratoやcervo-sciuroなど、特徴で名付けたい。
クイ、モコ・・テンジクネズミの一種。英語では〜cavyと名付けられてるので、cavy=porko-ratoに置き換える。
ツコツコ・・南米のpocket gopher的存在だそうである。ホリネズミのNEPO名が決まれば、それにsudamerikaを付ければよい。
デグー・・ペット化もされている。学名は「歯の断面が八の字」という意味で、中国語でも八歯鼠。
しかし歯の断面なんて見かけでは分からない。「アンデスの歌うネズミ」との愛称もあるらしいが。。。
チンチラ・・毛皮で有名。各国語でもチンチラ。中国語は毛絲鼠。ちょっとリスっぽい外見。
悩ましい事に、チンチラウサギ、チンチラネコはおろか、チンチラネズミも別種でいるのです。
「毛が美しい」を上手く表現して+sciuroで妥協はどうか?
ビスカーチャ・・アンデスウサギとも呼ばれる(日本だけ?)くらいウサギっぽい。
日本語でビスカーチャラットという種もいるが、別名はヤマビスカッチャとも言うらしいので安心。

たぶん、自信を持ってrat,mouse、ネズミ!とはっきり呼べないような外見を持つ種は、
〜ratと呼ぶのがためらわれ、それで、苦肉の策で現地名で呼ばれているのかもしれない。
すると、NEPOで名付ける時も、単純に**-ratoとするのではなく、ネズミっぽくないネズミですよ、
という事を伝えるために、lerepo-rato やcervo-rato、sciuro-ratoという表現を使うと良いかもしれない。

199ベダウリンデ:2010/01/13(水) 09:26:24
今の方針では、モグラには基本語根を与えず、ウサギには与える、としているのですが、
基本語根を与えるか否かの境界を、どこで線引きするのかが問題です。
モグラは「地下で穴掘ってる動物」という「他に類を見ない特徴」があるので
subter-bestoなどとしても良いと思ってました。
ところが、デスマンという水中生活をするモグラはいるし、モグラとネズミの中間みたいな動物もいる。
そうなると、耳の短いウサギもいる、ウサギとネズミの中間もいる、というウサギと、扱いを同じにしなければならないのか?

そこで、基本語を与えるか否かを判断する基準を設けてみました。

200ベダウリンデ:2010/01/13(水) 10:08:58
下記の項目に沿って判断し、○が多ければ基本語根を与える、とする。

①科・目など、大きな集団を構成する。(しかも、他の科と外見が似て混同される事がない)
②「○○獣」と一言で呼べるような著しい特徴は無い。(他に類を見ない外見の動物は×となります)
③他の科で外見が似ている動物がい。
④生息地域が比較的広い
⑤現地語名などが英語を通じて全世界に普及している。
⑥エスペラント基本語根BROに入っている

クマ/urso・・・・・・・①○ ②○ ③○ ④○ ⑤× ⑥○
ゾウ/elefanto・・・・・①○ ②× ③× ④× ⑤× ⑥○
イタチ/mustelo・・・・①○ ②○ ③○ ④○ ⑤× ⑥×
ウサギ/leporo・・・・・①○ ②× ③○ ④○ ⑤× ⑥○ 
モグラ/talpo・・・・・①○ ②× ③○ ④○ ⑤× ⑥×
リス/sciuro・・・・・・①○ ②○ ③○ ④○ ⑤× ⑥○
カンガルー/kanguruo・・①○ ②× ③○ ④× ⑤○ ⑥×
ライオン/leono・・・・①× ②× ③○ ④× ⑤× ⑥○
タヌキ/niktereŭto・・・①× ②○ ③○ ④× ⑤× ⑥×
ハツカネズミ/muso・・・①× ②○ ③○ ④○ ⑤× ⑥○

科や目の下の一種にすぎない動物名(①×)には基本語根は与えない。(ライオン・タヌキ・ハツカネズミ)
それ以外で、○が4つ以上の動物名は基本語根を与える。(クマ・イタチ・ウサギ・リス)
3つ以下の動物名は、基本語根無し(ゾウ・モグラ・カンガルー)
ウサギとモグラの違いは、現在BROに入っているかいないかの違いだけとなりましたが・・

まあ、モグラは、人間に関わったとしてもモグラ塚とか作って迷惑をかける程度。
常に地下にいて、決して目立つ動物ではない。地下獣といえば、たぶんモグラを連想してもらえる。
デスマンは、akva subter-bestoなどと、変な呼び方をしたとしても、
水中のモグラだよ、という事が、デスマンを知らない人にもよーく通じて、却って都合がいいかもしれない。
デスマンは死人の意味じゃなく、スウェーデン語でジャコウの意味だって。

201ベダウリンデ:2010/01/13(水) 10:15:52
③他の科で外見が似ている動物がい。=>③他の科で外見が似ている動物がいる。

202ベダウリンデ:2010/01/20(水) 17:44:27
哺乳類はまだ全般見きってないのですが、この調子でやれば可能だろうな、
というのが大体見えてきました。
哺乳類は、語彙を決めるのが最も簡単なジャンルだと思う。その理由は
①自然物である
人工物は文化により差があるが、自然物は人間の文化に関係なく、物として存在する。
たぶん、人工物は、より難しい作業だと思う。
②物体として明確に定義できる。
同じ自然物でも、例えば、岩・石・砂となると、これらの境界は定かでないので
改めて定義する必要がある。
③学術的にグループ分けがほぼ確立している。
たぶん、魚と虫とか植物は、生態系的により多様だと思われるので、その分だけ作業量も増えて大変だと思う。

哺乳類の場合、種の数は無限だが、どの民族語でも、動物を表す語彙というものは限定されている。
違うのは、語彙が多いか少ないか、境界をどう設けているか、という点だけである。
限定された動物語彙を組み合わせて別の種の動物を表す事は、複数の民族語で普通に行っている。
例・ウサギウマ、shrew-mole
NEPOの場合、動物語彙の数は、通常の民族語に比べて極端に少なくなるであろう、という事と、
外来語表現は避けたいという点で、普通の民族語よりは不自由すると思うけど、
理論的には全くもって可能である、なぜなら民族語では既にそうしてるから、という事が明らかとなった。
そのうち全般的に今までのまとめをアップしたいです、ちょっと大変なんですが。

今のエスペラントは、動物語彙に限って言ったとしても、「サボりすぎ」だと思う。
例えば、エスペラント版ヴィキペディオのコウモリなんですが、http://eo.wikipedia.org/wiki/Kiropteroj
さすがにコウモリは全部vesportoだろうと思ってたのに vespertoなのはヒナコウモリだけで、
他のは全部違う名前が付いてるなんて、初めて知って呆れました。
個々の名前を聞いて、それが「コウモリ系」だと誰が分かるか?

203ベダウリンデ:2010/01/28(木) 17:50:35
最近ちょっとエスペラント作文にはまったので、ついでに。またすぐ飽きるかも
Mi rimarkis, ke en Esperanto vespertoj ne estas 'VESPERTOJ',
kiam mi vidis Vikipedion.http://eo.wikipedia.org/wiki/Kiropteroj
La suba listo estas nomoj de vespertoj: de maldekstre, Esperante / scienca nomo / angle / japane

PTEROPO(FLUGHUNDO) / Pteropus / flying foxes / オオコウモリ
FILOSTOMO / Phyllostomus / Spear-nosed Bats / オオヘラコウモリ
VAMPIRO / Vampyrum / Linnaeus's False Vampire Bat or Spectral Vampire / チスイコウモリモドキ
DESMODO / Desmodus / Common Vampire Bat / チスイコウモリ
PIPISTRELO / Pipistrellus / Pipistrelles or Pipistrelle bats / アブラコウモリ
VESPERTO (VESPERTILIONO) / Vespertilio / Frosted bats / ヒナコウモリ
BARBASTELO / Barbastella / Barbastelles or Barbastelle bats / チチブコウモリ
PLEKOTO / Plecotus / Lump-nosed bats / ウサギコウモリ

Vespertoj havas diversajn nomojn en Esperanto.
Se iu diras la nomon DESMODO, ĉu vi povas kompreni, ke temas pri iu speca vesperto?
Mi ne povas diveni eĉ ke temas pri besto.
Angle DESMODO estas Vampire Bat kaj japane チスイコウモリ.
'Bat' kaj 'コウモリ' signifas vesperto.
Do angle kaj japane oni povas diveni, ke temas pri ia vesperto.
Kial Esperanto ne estas tiel?
Mi proponas , ke ankaŭ esperante ĉiu nomo de vesperto finiĝu per '-vesperto'.
Aŭ pli facile estos anstataŭ 'vesperto' uzi vorton 'flug-besto'.


日本語要約
ヴィキペディオを見た時、エスペラントでは「コウモリはコウモリにあらず」なんだなーと思った。
下記リストはコウモリの名前で、左から、エスペラント、学名、英語、日本語。
(略)
コウモリはエスペラントでは色んな名前なんですね。
もし誰かがDESMODOって言ったら、あなたはそれがコウモリ(vesperto)の事だと分かりますか?
私は分からないですよ、動物だとも分からない。
英語ではバンパイヤバット、日本語ではチスイコウモリという。
英語でバットはコウモリの事だから、英語や日本語だと、何らかのコウモリだという事が分かる。
なぜエスペラントはそうじゃないのかな?
エスペラントでも、コウモリは全部-vespertoで終わらせればいい。
或いは、vespertoの代わりにflug-bestoとでも言えば、より簡単だろう。

204ベダウリンデ:2010/02/04(木) 10:46:31
哺乳類名はこんな感じという事で。。
カモノハシ ornitorinko -> bird-bek(buŝ)-besto
ハリモグラ(英名spiny anteater) ekidno -> pik-formiko-besto
有袋類 poŝ-**
アルマジロ dazipo -> zon-besto
ナマケモノ bradipo -> pend-besto
アリクイ formikomanĝulo -> formiko-besto
アフリカトガリネズミ目
・テンレック afrika-pinta-rato(mustelo)
・ポタモガーレ(英名otter shrew) akvo-mustelo-rato
・キンモグラ(英名golden mole) ora-sub-ter-besto
ハネジネズミ long-naz-rato
ツチブタ orikteropo aŭ terporko -> ter-porko
イワダヌキ(ハイラックス) prokavio aŭ hirako -> kato-rato
ゾウ elefanto -> long-naz-besto
ジュゴン dugongo -> mar-bovo
マナティ manato -> amerika-mar-bovo

「使いたくないエスペラント単語集」という若干昔のHPがあって、
作者さん偉いのは、ちゃんと代案を提案してる点なんですよね。
こちらも見習って、暫定案ながらも、代案を考えていくべきかな、と。
ちなみに、難しい単語を簡単に言いかえる、という発想は同じなのですが、
基本語の意味内容までも根本的に変えて最少語根を実現する、と言う点が、
今までの「体制内での」改革案とは異なります。
単純な話ではないので遅々としてますが、ぼちぼち考えていきます。

それから、「使いたくない」のHP見てると、昔の人は「気骨」があったな、と思いますね。
昔と言っても10年ちょっと前なんですが。
自分の意志とか理想とかを、実にはっきり主張してる。
私としては全面賛同じゃないんですが、筋が通っていて分かりやすいから、読んでいても気持ちがいい。
エスペラントは既に簡単で正しいんだ、だから変える必要が無いんだ、
と根拠もなく言い続ける今の人達より、ずっと良かったと思う。
今のエスペランチストは若い層も含めて、そういった意味での「気骨」は無さそうですね。
かつてはladioさん、だにょさんが、個性的な提案を引っ提げて華々しくこの掲示板に登場したんだけど、
今はそういう人も全く出ませんね。
みんな、なんか、体制に順応して、楽しければそれでいい、みたいな?
あるいはこのご時世、反骨する気力も消えうせた、みたいな悲しい状況?
スモー界の話じゃないけど、内部改革の意識の乏しい団体には、団体として魅力が無いですね。

205だにょ:2010/02/04(木) 21:26:21
たまに来ると、だいぶ進んでいるので、このスレを全部読み終えるの、いつも大変。

206ベダウリンデ:2010/02/08(月) 16:22:08
>205
久しぶりですね。お元気でしたか?
最近なつさんがいないので私もペースダウンです。
気が向いたらまたテキトーに茶々入れて楽しんで下さい。

政治的な「○○主義」という言葉を思いつくだけ上げて、簡略化してみました。
日本語(英語) 現エスペラント->NEPO案 の順
自由主義(liberal-ism) liberal-ismo->liber-em-ismo(liberoは自由の意)
社会主義(social-ism) social-ismo->soci-em-ismo(socioは社会の意)
保守主義(conservat-ism) konservativ-ismo->konserv-em-ismo(konserviは保存する)
民主主義(democracy) demokrat-ismo->popol-reg-ismo
共産主義(commun-ism) komun-ismo->同じ
資本主義(capital-ism) kapital-ismo->今のところ同じ
絶対主義(absolut-ism) absolut-ismo->今のところ同じ
帝国主義(imperial-ism) imperi-ismo(imperial-ismo)->今のところ前者に同じ
全体主義(totalitarian-ism) total-ismo(totalitar-ismo)->前者に同じ
無政府主義(anarch-ism) anark-ismo->sen-reg-ismo

英語の**ismという語とエスペラントの**ismoという語が一体化しているのが分かります。
英語のliberal,socialの-alは、「〜の性質の」と形容詞化する語尾なので
エスペラントではそれに相当する-emという接尾辞があるので、-alの代わりに-emにして造語しました。
保守主義のconservativeの-ativeも形容詞化する語尾なのでこれも-emにしました。
保守傾向な主義、という意味です。
民主主義(デモクラシー)は特殊な語で、-ismが付いていません。
demo(民衆)cracy(統治)の意味なので、意訳しました。
資本、絶対、帝国は、それらの単語がそのままの形で残れば変更ありません。
無政府主義もテキトーに意訳しました。

207ベダウリンデ:2010/02/10(水) 08:50:16
レルヌ、非常に久々に読んだのですが、あるスレッドが面白かった。
「どの文化も同じ価値か?」というアンケートのスレッド。
私は「コンプレネブレ、同じでしょ」と思ったのですが、驚くなかれ「同じ55%、違う45%」という僅差。
西欧文化至上主義はエスペラントでも健在なりという証拠か!?と思って読んだのですが
話はそんなに単純ではなく、「カニバリズムやナチスは許せない!」とか
アフリカやイスラーム圏で行われる女性差別的風習をあげ「そんな文化は認めたくない!」という感情らしいです。
こいつら子供か?なんか違ううんだよな、といらいらと読み進めていくうち、
やっと、物を知ってる大人の書き込みがあって、私も溜飲を下げ、議論も終結したようです。
感想:欧米の、一見賢そうなエスペランチスト坊ちゃん達も、意外とばかなんだなーという事。
そして、こんな面白い議論にも、日本人は(アジア人含め)全然参戦しないんだなーと、いう事。
こういう場に堂々と日本人が参加して丁々発止してる現場を目撃できれば
あーエスペラントって使える言語なんだなーと実感できるのですが、
そんな事できる人誰もいないので、「なんだエスペラントってアジア人には使いこなせないんだ」と思ってしまうのですよね。
エスペラント=駄目言語、という印象を私に与え続けるのは、他でもない、ベテランエスペランチストさん達なんです。

208ベダウリンデ:2010/02/12(金) 15:53:19
身体部位語彙にも手をつけちゃいました。(なつさんいないけど)
最初、難しいかな、と思ったのですが、
①身体の形状は人類共通
②部位的に区切りがしやすい
という点では、楽かもしれません。
肩から指先までを「手」とするか、肩から手首までをarmとするか、或いはもっと細かく区切るか、区切り方は民族語によって異なるけど、
胴体から出た棒状の部分と言う点では、どの民族も区切りとして認識してるであろう(できるであろう)と思われます。
エスペラントではarmとhandと同じ関係でbrakoとmanoがありますが、
手首から先の「手」を指す語彙が無い日本語人でも、見た目の区切りは明確に認識できます。
brakoとmanoは簡単な言葉だし、manoに相当する単語が存在しない日本人でも使いこなせるし、今のままでいいか、と思います。

そんな感じで、人体部位を、目で見て区切れる部位に、まずは大まかに切り分けていく方法が良いと思いました。
頭、首、胸、腹、腕、手首から先の手、足、足首から先の足、という感じです。
背、顔も入れると使い勝手が良いでしょう。(顔の各部位は別検討します。)
肩、肘、膝、指は、人体として動かしやすい目立つ箇所なので、残しておいて良いでしょう。
そうすると、現在のBROに登録されてる基本語と、ほぼ一致してしまいます。
kapo,kolo,brusto,ventro,brako,mano,kruro,piedo,
dorso,vizagxo,sxultro,kubuto,genuo,fingro14語です。
BROにはその他、こぶし、かかと、乳房、くるぶし、足の裏、胴、うなじ、のど、も入ってますが、
これらは覚える手間から省きたい語なので、できれば造語したい。
例えば、こぶしはfermita-mano、かかとはpiedo-postajxo、乳房はvirin-brusto、くるぶしはpiedo-radiko-osto(英語でankleboneだから)
足の裏はpiedo-plato(手のひらがman-platoだから)胴はbrusto kaj ventro、うなじはkol-dorso、のどはvocx-tubo、とか、いかようにでも作れますね。
そのほか、脇、脇の下、みぞおち、ウエスト、腰、尻、もも、ふくらはぎ、土ふまず、等の細かい部位も必要に応じて基本語から造語する。
区切りにくい部位をどう区切って名付けているかは、民族語によって異なる可能性があるので、あんまり細かく定めても意味無いかもしれない。
まあ、脇はbrusto-flanko、脇の下はsub-brako・・いかようにでも作れます。

209ベダウリンデ:2010/02/16(火) 17:16:13
雑談:片言の外国人に向かって、日本人はよく「日本語お上手ですね」という。
これは、母語話者の「上から目線」なんだと思う。
エスペラントでは例外を除き母語話者は存在しないので
「エスペラントお上手ですね」と人を褒める事はあり得ないのでろうか?
しかし私は、他人のエスペラント文を読んでて、「この人上手だな」と思う時がある。
私のような初心者の頭にもするする入る論理展開と文章構造と、そして使用単語の分かりやすさ。
それも、稚拙な中一英作文程度の内容で、とかじゃなくってですよ。
ぐだぐだ長いだけの文章は、日本語でも読む気しないけど、エスペラントでは尚更。
使用単語は上手く造語してくれると本当に分かりやすいと思うし、それは可能だと思う。
「分からない単語」があると、理解はそこでストップするし、
ある物が、民族語由来の固定の名前で呼ばれる必要は全くないと思う。

210ベダウリンデ:2010/02/16(火) 18:04:03
今見たら、先に言及した(>>207)レルヌのスレにアル○ングルと名乗るJPの某氏が意見書いてた。
209はそれに対するアテツケではありません、念のため。
私にはいまいち主旨が読みとれなかったけど、書いただけも拍手喝采ですよ!ガンバレニッポン

211ベダウリンデ:2010/02/22(月) 16:47:54
松戸さんとこの掲示板でD氏が、何だか元気の無い様子。
エスペラントに関して恐怖感が抜けないみたい。
私はおそらく、Dさんとほとんど同じ時にエスペラント始めたと思う。
その時の、ネット上のエスペラント界は酷かった。
Maldekstruloj insistis, ke Esperantistoj devas esti maldekstruloj kaj diskutis kun dekstruloj.
Maldekstraj esperantistoj nomis sin plejparto de esperantujo.
Kaj ili asertis, ke tiu,kiu ne povas havi la saman ideon, ne povos dauxri Esperanton.
Mi timis, ke esperatistoj ne devas havi propran opinion.
Eble iu timis, ke lernado de Esperanto envolvos lin en politikan konflikton.
つまり、右派左派の争いが凄かったんですよ。私も怖いと思ったし、今でも悪印象が抜けない。
Dさんも、きっとその時の印象が強いんだと思う。
でも、最近は潮流変わってきてると思う。
ここも「よろず」も閑散だし、政治的話題を論じてる場面を目にする事が非常に減った。
Lastatempe tiela afero ne aperas.
Oni ne diskutas pri politika temo.
La tempo sxangxigxis, mi sentas.
Mi gxojas, ke multaj komencantoj lernas Esperanton sen ia ajn timo.
Esperanto disvastigos pli kaj pli.
ツイッターとか見ても、最近勉強してる人は、何にも難しい事考えてなくて、素直でかわいい感じする。
Dさんが願った「政治ではなく萌えで普及を」は、お気楽に楽しんでる新エスペランチスト達によって着実に実行されると思う。
そして、そういう流れに持ってったのは「我々の代」だと思うのですよ。
言ってみれば、多大な自己犠牲を払って、彼らを駆逐した(と、私は自負したい)。
Kie ne trovigxas maldekstruloj, tie ne aperas ankaux dekstruloj.
Sekve venis la paco.
うざかった「左派」は、今でも同じ考えでどっかに潜んでいると思うけど、表に出なければ平穏そのもの。
表向き平穏ならば、何にも知らずに気楽に学び始める人はどんどん増えると思う。
それにより「萌え」も拡大するでしょう。
Dさん、元気出して、せっかく学んだエスペラント、楽しんで使って下さい。
Via celo jam duone realigxis.

212ベダウリンデ:2010/02/26(金) 09:22:16
昔の人はある意味熱かったなーと、今つくづく思う。
エスペラントは本当に公平な言語か?という事を真剣に考えてたHPが複数あった。
「真の意味での言語的平等とは何か」という崇高な探求精神があったからこそ、そういう疑問が生じるのだと思う。
理想の高い人はエスペラントを「非難」し、現実のエスペラントが大好きな人は何とかして「反論」を試みエスペラントを擁護してきた。
どちらも、熱かった、と思う。
でも今の雰囲気は何か違う。「平等とは」という崇高な理想が失われてると思う。
複合的な時代の流れだとも思いますが、その背景の一つに、現代の「格差の固定」があるんじゃないか、と私は読んでます。
絶望的な「格差の固定」が、平等を求める精神的な基盤すら破壊したのかな、と。平等なんて言っても空しい的な。

今、エスペラントは、「公平かどうか」の疑問なしに多くの人が「楽しんでる」ように感じられる。
「政治ではなく娯楽で普及を」と主張していた人々の願いは、今の時代に実現されたように思う。
今の時代、英語ができるのは当たり前、それプラスアルファ、個性的な外国語ができれば
この「格差社会」において何らかの自分の「売り」になる。できる外国語の中にエスペラントも一応追加しておけば、
プロフィールに書ける項目が一個増える。英語できない人もエスペラントができれば何となく個性を発揮できそうな気になる。
今後のエスペラントは、「格差の中でのちょっとした味付け」の地位をこのまま伸ばしていけば、「大衆への普及」も夢でないように思う。
ちなみに自分は古い人間だから、「理想」は常に心の奥底にとどめていたいな、と思う。

213だにょ:2010/02/27(土) 17:44:56
>Dさん、元気出して、せっかく学んだエスペラント、楽しんで使って下さい。

ありがとうございます。

>ちなみに自分は古い人間だから、「理想」は常に心の奥底にとどめていたいな、と思う。

そうだったのですか。若くて博学な人かと思ってました。


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