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新エスペラントNEPO*進行中

93なつ:2009/11/13(金) 15:06:13
勘違いを生むかもしれないので訂正
「diriすべてがそれらを包含するという考えでした」
→「diriすべてにそれらを包含させよてもいいかなという考えでした」
vocxiには、その包含したdiriよりもさらに広い概念になりうるわけです。
人類以外の動物のものまで含ませられるという点で。
じゃあそうしてもいいんじゃないかなと思うのです。diriすら不要でvocxiで。
すべての生物の発声・発音行為をvocxiで。僕には、
新聞で「誰々が〜〜と言った」も、
壇上からスピーチで「話した」も、
みんなでわきあいあい「会話したも、
犬がワンワン「吠えた」も、
脳裏に描く無音の映像は「口をパクパクしている」もので全く同じなんですよね。
引用伝達だけの無感情の「言う」でも、ある意図目的をもって一方向に向けるスピーチも、
目的のない双方向の会話も、威嚇だけの発声行為も、みんな同じに見えてしまう。
じゃあそういうのは、みんなvocxiでいいじゃないかと。
犬の場合はvocxi malalteとかvocxi grandeと副詞で補ってもいいし、
鳥の場合はkantiにしてもいいし。

広い概念を使うということで思い出すのが、アルカだったでしょうか。
各言語には、「ある物を使用するとき決まった動詞」が存在する。
いわゆるコロケーションの話
松戸さんの例示を引用させてもらえば、
エスペラントでは「傘をさす」や「傘をさしている」に相当するものすら
コロケーションとしてないに等しいそうだ。
Mi malfermis ombrelon.(傘を開いた)
Mi sxirmas min per ombrelo.(傘で自分を覆っています)
Li estas kun omblelo.(傘をもっている)
アルカでは、ある物をその目的に応じて使用するときには同じ動詞があるという。
仮にNEPOではuziとすることにしましょう。
となると、傘をさすのは、傘の目的に応じて使用するわけですから、
Li uzas ombrelon nun.で一発です。上記3つでもいいですが、まよえばこれを使えばいい。
ロウソクをつけるも、テレビをつけるも、シャワーを浴びるも、湯船につかるも
とりあえずuziで済ますことを許容させてしまうわけです。
「その目的に応じて使用する行為に、ある動詞(仮にuzi)を使う」という発想は異文化、異言語間の
人たちがコミュニケーションを円滑にするには、結構、使い勝手がいいのではないでしょうか。


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