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新エスペラントNEPO*進行中

118ふじこlp:2009/11/30(月) 04:36:00
可愛いか可愛くないかを決めるのは誰なんですか?
個々人が主観で決めて良いのであれば、ある一匹のウサギが怠惰そうにこちらを
睨みつけ、地面をダスダスと踏み鳴らしたときにはleporoと呼び、同じウサギが
餌欲しさでピョコピョコと近付き、すがりつくように前足をこちらの太腿にのせて
甘えた表情でこちらを見上げてきたときにはkunikloといったふうに、状況に応じて
呼び分けると、そういうことでしょうか。
個人的には月にいるウサギが野ウサギか穴ウサギかなんてことは、それこそどうでも
良いことに思えるのですが。月面の模様にウサギを見出さない民族からすれば、どの
ウサギを選んだところで、kuniklo/leporoになんて見えるかなあ?と思うだけの話
だし、ぶっちゃけ月面に獣などはおらず、surluna videblajxoでしかないので。
また、大麦と小麦の区別がどうでも良いのであれば、大豆と小豆の区別もどうでも
良いということでしょうか。球体で大粒の種はすべてpizo?大豆で赤飯作れますかね。
小豆粉の搾り汁にニガリを加えても凝固せず、豆腐にならなかったという実験番組を
テレビで見ましたが。言語上、両者の区別がなされないのであれば、材料にどちらを
使っても良いことになりますよね。
ここで交わされる話を見ていると、大衆食堂でたぬきうどんを注文したとき、店の人が
間違えてきつねそばを出しても「まあ麺には違いないからどうでもいいか、食えるし」
という発想なのだなと感じさせられるのですが。冷やし中華なんかを出しても文句は
言えないってことになるのでしょうか。
だとすればウサギやネズミといったミクロなレベルでどうこう言うのではなく、全部
まとめて kvarpieduloj(四足歩行の獣すべて)とか、fluguloj(鳥類すべて)、
nagxuloj(魚類すべて)とかで済ませてしまえば良いのでは。閾値をどこに置くかの
違いでしかないのですから。
vocxiのくだりを読むと、she speaks, yet she says nothing(口を開けてなにか
話してはいるが、意味内容のあることを何も語ってはいない)のような表現を、英語
からであれ日本語からであれ翻訳できそうにはありませんね。
いずれにせよ、非常に雑で抽象的な表現力しか持たない言語を目指しているのだろう
ということは分かりました。


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