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新エスペラントNEPO*進行中

56ベダウリンデ:2009/09/12(土) 09:56:35
>>55
参考ご意見ありがとうございます。
きちんと公的に定義されていれば、それはそれで「使える定義」と思いました。
気になるのは「私の場合」とあるので、エスペラント界で意識統一されてる事象ではない、という事でしょうか?
意識統一が無いなら、各自勝手に母語の影響のもとで使用してしまう可能性が考えられます。
そうなると、表面上は意思疎通しているようでも、本当の意味ではできてない可能性がでてきます。
今のエスペラントでは、とにかく意思疎通できればそれでOKなのですが、
理想の人工言語では、母語が異なっても中身の食い違いが無いようにするにはどうすべきか、考えてます。

愛の反対語は憎しみか、という事を検討していました。
中国六情では、喜怒哀楽に加え、愛悪が追加されます。
愛と悪は反対語である、との理由で並べて追加されたと思われます。(この場合、悪の訳語はにくしみ)
英語でもloveの反対語はhateとなってます。
デカルトは善い対象への気持ちが愛、悪い対象へは憎しみ、として対にしています。
アーノルドは、有益対象へは愛情、有害対象へは憎悪、としています。
愛を基本感情とせず、喜びや幸福をそれに代える学者は、決して憎しみを加えず、嫌悪を加えます。
愛を喜び・幸福という感情に含める場合、憎しみは嫌悪に含まれるのではないか、
というのが私の仮説です。
喜びの反対語は悲しみであるにも関わらず、喜びと嫌悪は密接に関係しています。
英語のhateは日本語訳では、憎しみと嫌悪があてられます。
漢字の悪にも、わるい、むかつく感じ、にくむ、と色々な意味があるようです。
日本語の嫌悪を辞書で引くと、「憎み嫌う、不愉快」なので、憎むという感情を含んでいる。
また、日本語で「罪を憎む」とか言う場合は、憎む気持ちに干渉を伴うとは限らない。

55の案は優れていますが、am-とŝat-は、意味を完全に分離する必要があるのか、と私は思ってました。
分離したとして、みんなが自然に「厳密に」使い分けできるのか。
どちらかがどちらを含む事はできないか、 ŝat-はam-etなのか、それともŝatがamを含むのか、など。。。


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