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新エスペラントNEPO*進行中
73
:
ベダウリンデ
:2009/10/06(火) 11:05:28
学問疎いんですが、NEPOでやろうとしてる事は、言語学で言うと「意味論」のジャンルかもしれないですね。
言語学にも色々ジャンルがあって、音韻論とか統語論(文法の分析?)とかは研究も割と進んでいるみたいですね。
意味論は、学問的にも難しい領域なんだろうなーと思う。
今までの「エスペラント改造論」は、音韻(LとRの区別をやめろ、とか)や文法(対格なくせ、とか)のレベルに止まっていたと思う。
それはきっと、言語学で完成したジャンルがそこまでだからなんだ、と思った。
意味論レベルでの改造って未開拓の分野で、実はものすごーく高度な事かもしれないですね。
『対論 言語学が輝いていた時代』の中で、エスペラントに懐疑的な鈴木氏は
「地球環境が均一でない以上、人類の言語が一種類になるはずがない」と言い、
「(エスペラントは)単語同士がほとんどイコールでつながってる欧州六カ国語対照辞典的な発想」なので
「そこにアジア語、日本語が入ると意味論的なギャップが大きくなる。私のエスペラントの世界性に対する疑問がそこにある」と言う。
それに対してはエスペラント支持派の田中氏も「エスニックな固有性の部分が一番弱いところ」と認める。
鈴木孝夫さんは著書「ことばと文化」(1973年の古い本です)の中でも次のように述べている。
「私の考えでは、日本語を、そして日本的現実をはかる尺度は、日本語それ自体、日本的現実それ自体に求められるべきだと思う。
もし西欧起源の尺度と対比させ、普遍化を目ざすならば、それは両者を共に含み、共に説明できる一段高い次元に於いてのみ可能」
と言っている。そうなんです、そういう高い次元での普遍化を、私は新エスペラントに求めているのです。
でないと鈴木氏の言うように「西欧の尺度を流用しての安易な普遍化」にすぎないし、そんな言語が「共通語」なんて嫌なのです。
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