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新エスペラントNEPO*進行中
71
:
ベダウリンデ
:2009/09/30(水) 09:24:34
感情語の定義は、おそらく、人工言語を作る上で、最も難しい点なのではないか、と思いました。
私は人工語一般には興味が無いので、他の人工語ではどうやってるか知りませんが、
感情は、目に見えない事象である点、論理で説明できない点、各民族語で定義の分け方が全く異なるであろう点、
などの理由で、定義が非常に難しいと思う。
西洋語(またはその他の自然語)を簡略化してそれでよしとする人工語ならば、特定の民族的な言い方に偏っても良いのですが、
仮にも「言語的な中立」を掲げるならば、最も苦心する箇所だろうと思うのですが。
そもそも、「気を使う」という繊細な感情が、日本と同じ意識で他民族も意識してるのか、疑問になりました。
もちろん、どの民族の人だって、他人に対し良かれと思う事を、言われる前に率先して行う(つまり気を使う)事はするでしょう。
でも、和英辞典を引くと「気を使う」は「人に対して常々親切な、思いやりのある」という単語を使え、とありました。
言われてみれば、「気遣い」と「親切・思いやり」の差って何でしょう。はっきり説明できないです。
強いて言えば、「親切」は自分から進んで行い、自分も豊かな気分になるけど、「気を使う」は、実は気が重い、嫌々ながらやる感じ?
世界には、旅人を「心から」もてなす民族がいるみたいですが、そういう民族は「気を使う」のでしょうか?
いつも「親切」になれるのかな?
英語やエスペラントで、「気を使う」という単語が単独で存在しないのは、日本的な「気遣い」の感覚があまり無いのかな?
そうならば、日本的な意味での「気を使う」はどこに分類したらいいのでしょうか?「迷惑をかけられる」「親切にする」「世話する」?
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