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新エスペラントNEPO*進行中

59ベダウリンデ:2009/09/13(日) 14:57:09
>>58
母語の影響でamiとŝatiの使い方の差が出る、という事ですね。
個人的にamiとŝatiを使い分けたとしても、相手によっては意図が通じない可能性もある、という事ですね。
ReVoにも(ってReVoも古いとか言われそうだけど)元々のŝatiはamiより高い尊敬を意味してたのに、
今はplaĉiと同じになっちゃって、尊敬の意味では他の単語を使うようになった、とありますね。
他の例では、「〜したい」という意味でmi ŝatus 〜と使う例も見るし、ŝatiは混乱の元となってるので削除かな?とも思います。
或いは、amiを「好き」程度の意味で使う事に対して心理的に抵抗のある民族が多数派だったとしたら(現にそうだから意味が変わってきた?)
ŝatiを残してamiは削除でもいいと思います。
削除するにも抵抗があれば、ami=ŝat-egiの特殊な意味、としても良い。そしたらplaĉiは無くしてしまっていいかもしれない。
何を取るかは置いといても、ami(love)とŝati(like)は厳密に区別せず、まとめていいかな、と思いました。

ĝojiとĝuiは、ĝojiは基本感情語として重要ですが、ĝuiは検討を進める必要がありますね。

あと、雑談的に思った事。
英語やエスペラントには「吐き気がするほど嫌い」という単語があるんですが、日本語にはそういう単語無いな〜、というのが不思議でした。
日本語で、最も嫌う単語は「嫌悪」「憎悪」で精いっぱいなんですよ。
なのでエスペラントのabomeniも、日本語にはできないかも。
なんでかな?と思うと、日本って農耕民族で、江戸時代なんかでも町は清潔だった。
西洋は肉食だから家庭で家畜の処理をするのも普通だし、都市なんかも汚物で不潔だったっていうし、
「吐き気する」環境が西洋にはごく身近にあったのかな、なんて思ったりした。
どっちにしろ、「嫌い」という感情にetとegはあっても、
「どのように嫌いか」で単語を分ける必要は無いかも、と思いました。


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