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新エスペラントNEPO*進行中

94ベダウリンデ:2009/11/16(月) 10:01:02
なるほど、ある物をその目的に応じて使用する場合はuziなのですね。
そういうルールが公式に確立されていると、西洋文明に詳しくない諸民族にとって、
西洋ルールをいちいち気にしなくてすむので、非常に楽になると思いますね。

前から思っていた事ですが、エスペラントでは、道具とその道具を使う動詞の区別が難しいのです。
動詞の中に道具のイメージが一体化してる。(英語も同じみたいですね)
例えば、よく言われる例に、kombi=髪を櫛でとかす、というのがあり、櫛はkomb-iloとなります。
動詞=行いたい動作、があって、それを行うために考案された道具に-iloを付ける。
しかし、broso=ブラシは最初から道具名で、「ブラシする」はbrosiであっても、ブラシそのものはbros-iloではない。
kombiは櫛でとかす事だから、ブラシで髪の毛とかす事は、kombi per brosoと言えるのかどうか、不明。
それから、ナイフはtranĉ-iloだけど、フォークはforkoなんですよね。「フォークで刺す」はforkiなのにfork-iloではない。
似たもの同士がなぜ区別されるのか、西洋文明を日常で生きていない私には謎です。
鋏はtond-iloなので、「鋏で切る」はtondiかな、と思うと、tondiの元々の意は羊毛などを刈り込む事なのです。
つまり、元々牧畜民族が羊の毛を刈り取るために考案した道具が鋏であり、
我々が文房具として使ってる鋏は応用例にすぎないのか〜と初めて認識する次第。
その辺りの感覚が、「昔は○○で使ってたんだよね」的な感覚としても、全く理解できないので、
非西洋人には不利だな〜と思っていたのです。
人間の意思(=動詞)があって、それが道具を生むのか(-ilo)
道具が先にあって(他所から流入してきたりして)、その道具を使うという意味で動詞を作るのか、
統一するか、或いは、併存するならその区別の基準をはっきりしてもらいたいのです、エスペラントには。

今のエスペラントを変えるのは無理だから、新改造案としてやるしかないのです。
現代文明には電話やパソコンなど、一言で「○○するための道具」と表現できない道具が多い。
またブラシやフォークのように、単純な道具なのに西洋人にとってさえ「最初から道具名」である物も多い。
そうすると、道具名を基準にしてuziを使うか、あるいは単純に動詞化するのも、エスペラントルールでは可能だと思う。
「傘をさす」もombrel/iと言えるのでは?

>日本人がエスペラントを学べば必ず至る帰結だと思ったんですが・・・
エスペラントには様々な不備が存在するのに、既存エスペランチストの皆さんは、
平気で目をそらして満足しきれるという、右翼とか左翼とか問わずに皆がそうだという事が
非常に驚きであります。


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