レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
ID再考 & 科学と疑似科学とを判別する
-
仕切り直します。
新しいスレッドも、基本的な課題設定から始めます。
-
>地動説と波動説が棄却されなかったからこそ、次の世紀の展開があったのだから。
そう、実際に両者とも「正しかった」ですね。波動説の場合、光がそういう性質を持つことは間違いないですから。
「正当な科学の手段」という基準を評価するにあたり、科学史を踏まえた上で、
その当時の知識水準に基づいて地動説と波動説は「物理矛盾があった」とことさらに言いつのり、デザイナー論の方が蓋然性が高いと言うことの意味はどこにあるでしょう。
「現在は客観的な証拠を持たないデザイナー論が、それを引き継ぐことで新たな科学の地平を拓く可能性があるのだから、摘んではいけない、教育すべきだ。」
と言いたいのなら、誤りです。
なぜなら地動説も波動説も客観的に確認できる証拠があったから、科学理論であり得たわけですから。
中生代の品種改良説に表されるように、デザイナー論は確認できる証拠から出発していないんですよ。
人の想念をどれだけ積み重ねようと、科学理論にはなり得ないんです。
-
>>525
>そして目的は、これらの理論やID論の評価ではなく「正当な科学の手段」という基準を評価することです。具体論をやってゆけば結論が出ます。
でしたら、さっさと当時の波動論や地動説が科学の手段を逸脱してる部分を具体的に示して下さい。
何度も言っていますが矛盾のように見えることがあることと、本当の矛盾は違いますからね。
そして当時、矛盾のような部分もなんとか説明しようと色々と工夫検討されており本当に矛盾かどうかの結論は出ていませんよ。
で、物理矛盾を認めたとして当時もそれで根拠バトルに敗北してるんだからやっぱり無意味な事だと思います。
>回答になってません。他と異なる特性をもつ物質の存在を示す、どんな観測事象がありますか?
貴方が散々言ってる矛盾部分が他と異なる特性ですね。
当時は波は媒質が絶対的に必要と考えられていました。波動性を示す現象が観測されたら媒質の存在を考えるのは当時は普通のことです。
粒子で説明できると言うのは、対立する別の理論が考えられると言うだけで波動説を否定する根拠や粒子説を肯定する根拠とはなりませんよ。
>これ、本気で尋ねているのですか????
>質量mの粒子が速度vで動けば「mv²/2」という運動エネルギーをもつことも知らないのですか?
>知らないのなら、高校の理科からやり直してください、というしかありません。
そんなこと言ってねーよ。
他人を馬鹿にする前に何を言わんとしてるか、もっと考えなさい。
光同士交差しても接触せず物質の間も透過する希薄な粒子でどうエネルギーを伝えていけるのか聞いているんです。
粒子一つ一つに運動エネルギーがあろうが接触せず透過するなら伝わらないでしょ?と言ってるの。
大阪の自動車が東京の自動車と追突事故起こせないような状況です。それでどうやって大阪の車のエネルギーを東京に伝えるの?と言う疑問。
あとガラスは透過するのにそれより密度の低い軽金属とかは透過しないのはなんでですかね?
>光粒子説の粒子は、粒子間の結合を必要としません。波動を伝えるエーテルとの違いはそこにあります。ゆえに、物質の隙間を光粒子が透過しても、エーテルは透過できないのですよ。
エーテルが粒子間の結合を必要とするってのはどっから出てきたんですか?
独立した粒子の集合体でも波は起こせますよ?
-
>>質量はエネルギーの一形態ですよ
>意味不明。もし特殊相対論の話をしてるなら、18世紀に相対論はありません。だいいち、核反応が起こるわけでなし、相対論を語って何になりますか。
>>んで、m d²x/dt² + c dx/dt + kx = 0のmってバネの端につけた重りとかの質量であり、バネに掛かる力を表しているモノでバネそれ自体の質量ではないと思うのですが?
>・・・数学と物理の教科書を読んでくださいというしかありません。物理的解析の基礎を習得すれば、私が言うことを理解できます。
私も同様に物理の教科書を読んでとしかいえないですね。
私のような基礎知識が欠けている者の立場で恐縮ですが、そのmはバネの端に付ける物体の質量です。
バネがそこにあるだけでは振動なんか起こりません。重りをぶら下げるなり指で引っ張るなり力が加わって始めて伸びるわけです。
バネそれ自体の質量も考慮した式はもっと複雑になりますよ。
私の言うことが信用できないなら、知人の物理教師にでも尋ねてください。
>>それに質量が必須だと言うならエーテルも質量があるんだね、で良いんじゃないですか?
>そうです。「質量は必須じゃ無いよ(>>513)」と言われたことを撤回してください。
残念ですが撤回するまでは行かないねぇ。
波動は似たパターンで空間をエネルギーが伝播する現象であり、とりあえず一定のパターンで伝播するだけで良く質量が絶対的に必要とは思えません。
そもそも波動方程式の基本形は位置と時間、早さの変数の等式と言うだけで質量は必須でも無いでしょう。
その速さが質量で表されることができるってだけさね。質量をわざわざ入れる式は質量のある媒質に限ったお話だと思います。
E=mc2が質量の無い光子では成り立たないのと一緒。
>そうです。ご自身の今回の発言を忘れないでください。波動を伝える媒質には、質量と弾性が必要だと理解されたのなら、1歩前進です。
と言うわけで質量が必要とはまだ思ってません。
>光粒子説の粒子と違って、光波動説のエーテル粒子は粒子間に結合力があるのです。そうでなければ媒質が弾性をもちえないからです。ゆえに、たとえ個別の粒子は小さくても、物質の隙間を透過できません。エーテルの中の物体は強い抵抗を受けるはずなのです。質量から生じる慣性力が、粒子の結合によって伝わるからです。
>それが光波動説の根源的矛盾です。
先にも言いましたがエーテル粒子に結合力があると言うのがどっから出たのか?
そう言う説があったとして、それ当時コンセンサスを得られていましたか?
大きな鉄塊で波動が伝わるようにバラバラの鉄球を並べた状態でも波動は伝わります。粒子一つ一つが弾性を持てば良いと思うのですがなぜ結合する必要があるのですか?
もう一回問いますが、なんか頑張って当時の波動説を否定するのに躍起になっていますが、何のためですか?
当時も波動説派は根拠バトルに負けてたんですよ?
これについても貴方が何をしたいか私には理解出来ません。
何をしたいか一回‘ちゃんと”説明してくれませんかね?
-
中生代の品種改良論の論拠と言えば
・物理的に矛盾がないこと(地動説や波動論は物理矛盾)
・恐竜の一部が世代交代を繰り返すなかで飛翔能力をもつ、というのは物理的(力学的)にあり得ない
・地球生物史の知識体系より、より根源的な物理法則の知識体系が優先される
・品種改良者を想定すれば、これらの問題は解決できる
という流れになりますが、「飼育者がいた」という結論はどうでしょう。
化石証拠から力学的にあり得ないと断言することは困難ですし、まして飼育者の存在はどうしたら客観的に示せるのか自然科学者は途方に暮れるでしょう。
デザイナー論が科学理論として認められるためには、遠回しに力学などを持ち出すのではなく、
原因としてのデザイナーがもたらす自然への影響の具体例とその機序を示す必要があることをご理解ください。
、
-
アインシュタインが最後までその存在の同意を拒んだ量子世界にける因果律では説明しきれない諸現象は現在事実として認められ、それらは世界認識のパラダイムシフトを要求しかねない状況にあります。
人間の想像力はまだ事実に全く追い付けていません。
それが理解できないでいると結局科学も理解できないことになります。
どちらにしても自然選択論者はそもそも科学者ではありませんが。
-
あなたの思想がどんなものかみんなわかってるので、もう書き込まなくていいです。
どうしても書きたいなら、ご自分のスレッドでお好きなようにしてくださいね。
-
やはり物理の話を詰めないと。すべてはそこからです。
>エーテルが粒子間の結合を必要とするってのはどっから出てきたんですか?
>独立した粒子の集合体でも波は起こせますよ?
波がどうして伝わるかを考えてください。ある粒子が動くと隣りの粒子を押す。押された粒子はさらに次の粒子を押す。反対方向に動くと隣りの粒子を引っ張る。引っ張られた粒子はさらに次の粒子を引っ張る。このリレーですよ。
このように力が伝わるには、粒子間に結合力が必要です。独立した粒子の集合体でも、粒子間で力を伝えるほどの結合力は必要なのです。結合力がなく粒子同士がすり抜けたら、隣りの粒子を押すことも引くこともできません。そして結合力が強いほどすり抜けは少ないから、波は早く伝わります。空気中より水中の、水中より鉄塊中の音速が大きいのはそのためです。
>光同士交差しても接触せず物質の間も透過する希薄な粒子でどうエネルギーを伝えていけるのか聞いているんです。
>粒子一つ一つに運動エネルギーがあろうが接触せず透過するなら伝わらないでしょ?と言ってるの。
接触しないとはいってないし、むろん光粒子説でもエネルギーは伝わりますよ。ただし、光粒子同士が衝突することは非常にまれで、そういうことが起こっても、観測は不可能です。
例えば、弾丸が飛び交う戦場を考えてください。どれだけ大量の弾丸が飛び交っても、弾丸同士の衝突は奇跡に近く、仮に100万発に1発そういうことが起こっても、現場での観測は不可能です。ましてや個々の光粒子は到底観測できないほど小さいのですから、観測できるのは全体の流れだけです。
個々の粒子は観測できず、全体の流れだけが観測されるというと、風もそうです。ものすごい強風でも、反対方向に動く空気の分子はあり、衝突もするが、そんなもの観測できません。
しかし弾丸が兵士に当たれば、エネルギーを伝えた影響は観測できます。兵士の体の粒子は密集してるからです。光が目に見えるのも鏡で反射するのも、同種の影響と解釈可能です。目や鏡の粒子は密集してるから、光の粒子を通さないのです。
ガラスや水の粒子は、目や鏡の粒子よりは隙間が大きいので、ただちに光粒子を止めることはないが、すべて透過するのではなく反射も起こります。そして透明とされる物質でも分厚くなると、つまり光が通る距離が長くなると、光粒子と衝突する粒子の数は増え、光は透過しなくなります。深海は闇の世界ですよね。
>あとガラスは透過するのにそれより密度の低い軽金属とかは透過しないのはなんでですかね?
「密度」とおっしゃるのは、体積当たりの質量のことですね。今、問題にしているのは粒子の密集度ですよ。軽金属の粒子の質量が小さいなら、粒子の密集度が高く光を通さなくても、体積当たりの質量は低くなります。光の代わりに風で考えてみましょう。布と金網なら、金網の方が体積当たりの質量は大きいですが、つまり「密度」は大きいですが、風を通すのは布ではなく金網ですよね。
-
>バネがそこにあるだけでは振動なんか起こりません。重りをぶら下げるなり指で引っ張るなり力が加わって始めて伸びるわけです。
・・・教科書を読んでから発言をされませんか? 紹介したウィキペディアの記事の図は見ましたか? 波動を伝える媒質を、重りとばねでモデル化しているでしょう。
媒質とは質量と弾性をもつばねの「連なり」なのです。隣接部分の質量が動き、その慣性力に押されたり引かれたりして、ばねが伸び縮みします。おっしゃるところの、ぶらさがってる重りに該当するのが、隣接部と考えてください。
>そもそも波動方程式の基本形は位置と時間、早さの変数の等式と言うだけで質量は必須でも無いでしょう。
必須です。伸びたばねが復元力の働きで元の釣り合い位置に戻ったとき、そこで止まらず反対方向に変位するのは、慣性力つまり「勢い」がついてるからです。質量がなければ慣性力もありません。
それと「波動方程式の基本形は位置と時間」なんて言葉でいわずに、実際の数式を出してください。「質量はエネルギーの一形態」もそうですが、具体例を挙げない粗雑な言い方が誤解を招きます。波動方程式とは、この数式のことを言ってますか?
∂²u/∂t² = v² ∂²u/∂t²
質量とばね定数は「v²」に含まれます。紹介したウィキペディアの記事では「v²」がKL²/Mで表現されています。Kがばね定数、Mが質量です。何度も言ってますが、電磁波が知られる前の18世紀の知識体系では、質量と弾性をもつ物質でしか波動は伝わりません。電磁波が知られると「v²」に質量と弾性の代わりに、空間の誘電率と透磁率が入り、質量も弾性もない波動があることが分かりました。
頼むから、教科書を読まないなら、せめてウィキペディアの記事を読んでください。波動方程式がどうやって導かれてますか? ばね定数(k)を含むフックの力と、質量(m)を含むニュートンの力を等号で結んで、方程式を立てているでしょう。
en.wikipedia.org/wiki/Wave_equation#From_Hooke's_law
>その速さが質量で表されることができるってだけさね。質量をわざわざ入れる式は質量のある媒質に限ったお話だと思います。
では質量を含まない波動の数式を示してください。むろん18世紀の知識体系の中で。
-
ゲノム、つまりDNAの塩基配列は生命の根幹にある訳です。
生命体を誕生させるためにはゲノムの存在が必要条件、ゲノムなくしては生命体は存在しえない、
と言う話になる訳です。
このゲノムの極めて精密で周到なシステムが偶然誕生しえたのか、
これが進化論を考える上でもその根幹に置くべきテーマです。
ダーウィンの時代は想像もしえなかったこのシステム、それがダーウィンの提唱した
自然選択説で説明可能、と未だに多くの人たちが疑いもなく考えています。
もっとも原始的な単細胞生物が何故誕生したのか、これは未だに全く解明されていない
謎です。
その原初の生命体が人にまで進化したその過程は、複雑化と多様化です。
その複雑化と多様化が何故成し遂げられたか。
自然選択論者は当然その自然選択論によってその過程を説明しようとしますね。
自然選択論は、簡単に言えばより生存に適したものがより多く生き残ることによって、
進化がもたらされる、と言う考え方です。
ツマリ生存に有利なものが生き残り、より生存に有利な形態になる。
では、複雑化と多様化は本当に生存に有利であったのか。
単にその個体数を増やすためだけであれば、複雑化は全く必要がありません。
多様化も、その環境に応じた多様性があれば十分で、現在の様に数百万種に及ぶ種を
誕生させる必要はありません。
コレは極めて自明の事柄なんですが、何故か自然選択論者はそれを無視します。
不都合な事実にはすべて目をつむる、若しくは何とか言い訳をこじつける、残念ながら
それが自然選択論者の態度の真実です。
-
>むろん、鳥が発生した時代に、そのような飼育者がいた証拠は、これまでに見つかってません。言い換えれば、これまでに構築されてきた地球生物史の体系とは、整合しないということでしょう。
>しかし、そうなると、地球生物史の体系と整合するか、力学の体系と整合するか、どちらを優先するかが問われます。そしてその場合、優先されるべきは力学の知識体系です。なぜなら、力学は物理法則に依るもので、生物史よりも根源的な法則だからです。
力学の知識体系によって、地球生物史の知識体系を否定できる? そりゃ無理、カテゴリーエラー。
・飛翔という機能の獲得が力学的に不可能だというのは、そう思うというだけで実証されてるわけじゃない。
・たとえば地球生物史上、何度も繰り返された大量絶滅という現象を、物理法則を元に否定できと言っているに等しい。
生物の歴史って、偶然の要素がどうしたって関わるじゃないですか。遺伝子の変異も環境の変動も。
そうした自然のダイナミズムを踏まえて、子孫の継承というコア概念をもとに組み立てられたのがナチュラルセレクションです。
>ここまで鳥の話をしたのは、IDが疑似科学ではないことを示すためです。スレッドの主題はここからです。
鳥はデザイナーがいなければ存在しないとは客観的に確かめられておらず、個人的にそう思ってるだけですよね。
「優先されるべきは力学の知識体系」というのは、デザイナー論が疑似科学ではないことを示すための努力だとは思いますが、
つまるところは詭弁に堕するしかない。「事実」の取り扱いがずさんすぎますから。
-
言葉選びでエラーがあったので訂正。ダイナミズム→ダイナミクス
失礼しました。
-
現在、有性生殖が無性生殖に比べてそれ自体で決して有利ではない、基本的に
不利でしかない、というは多くの研究者の認めるところです。
より単純な無性生殖の方が単に個体数を増やすだけであれば遥かにリスクが少なく
有利と言えます。
その生存に有利とは言えない有性生殖が何故誕生したのか、その理由に多くの研究者は
頭を悩ませています。
悩む、という事はつまり自然選択論が念頭にあるからなんですね。
自然選択論的に説明のしようがない。
そこまで自然選択論を意識していなくても、その根底にはやはり生存に有利なものが生き残って進化するという
自然選択論が暗黙の了解事故になっています。
それが実は進化の考察の科学性を大きく損なっているのです。
-
自然選択論は基本的に偶然性に依存しています。
「偶々環境に適した生存に有利なものが生き残って進化した」
と言ってる訳で、そこに予めの目的性は全くありません。
つまり偶然が積み重なって人間も誕生した、と言っているわけです。
そう信じ込んでいる。
偶然が積み重なって人のような複雑極まりない生物がどうして出来上がるのか、
それを真剣に考えれば疑問をいだきそうですが、そうならない。
ツマリ信じ込んでいる、それこそ宗教的な態度といえるでしょう。
-
創造論を代表するものの一つとして、旧約聖書にある天地創造の記述通りに
生命が神によって創られた、とする考え方があります。
そしてこの天地は約6千年前に創られたことにされています。
ID論のロジックの組み立ては、知的な設計者が存在しなければ、
現在のような生物たちが誕生するはずがない、と言う事実に基づく推論です。
推論であり再現性もないので、証明の仕様もありません。
しかし、あらゆる科学的な知見を総合的に検証した結果導かれた結論なので、
非科学的と言う批判は的外れです。
上述のような聖書に基づく創造論者がID論を支持するのは別に勝手ですが、
ダカラと言ってID論が宗教である事には勿論なりません。
あらゆる科学的知見は聖書的創造論に反しています。
一部の宗教者たちがID論を支持してるという事実は、ID論が宗教かどうかとは
全く別の事です。
それを多くの人たちが混同しています。
-
科学が、デザイナーを前提としない自然理解の方法だというだけです。
-
科学は事実を解明する学術分野である、と定義することが出来ます。
事実の対極にあるのは、虚構、想像、信仰、と言った概念になります。
科学とはそもそも基本的に西欧文明によりもたらされたものです。
そして、西欧文明を中世までの西欧文明を覆っていたのはキリスト教です。
キリスト教は宗教であり信仰です。
つまり、中世までの文明は事実と虚構の区別が曖昧な状態だったわけです。
その事実と虚構の区別が曖昧なカオス状態から脱却する先鞭をつけたのが、
ガリレオからニュートンに至る近代物理学の系譜です。
それは事実を数理的に説明する、と言う普遍性を持つ試みでもあります。
ポイントは事実です。
事実の裏付けが無いものは科学とは呼べません。
それは想像に分類されます。
従って、科学とされるためには事実による検証が絶対的な必要条件になる訳です。
その要件を踏まえたうえで自然選択論を検証すれば、それが科学かどうか
自ずと明らかになります。
-
ガリレオ以前、ギリシャ哲学から続く学術史の中では、考証は基本的に思索による
論考によって行われ、実験によって何かを検証するという態度は殆ど取られませんでした。
それは、一つには実験設備、機器と言ったものが存在せず、正確に何を実際に行って試すより
思考のみによって物事を検証する方がより正確だと考えられていたことにもよります。
それを覆す上で極めて重要な役割を果たしたのが望遠鏡や顕微鏡いった光学機器の発明です。
見れば信ずる、それが事実だからです。
今まで見えなかったものが見えて来る、それによって空想に頼るしかなかった事柄が、
実際に実際に視覚に認知され事実として明らかにされる訳です。
近代科学の歴史は想像からの脱却でもある訳です。
それは信仰からの脱却でもあります。
ダーウィンが評価されている一つのポイントは信仰からの脱却ですが、実はそれはダーウィンが
存在しなくても簡単に事実によって証明される話であり、ダーウィンのクドクドとした
論考を待つまでもありません。
あらゆる化石証拠が明白にそれを示しています。
その辺りの思い違いが、未だにダーウィン信者が生き続けている理由でもあります。
-
物理学がガリレオに始まりニュートンに至る経緯を経て近代科学化を成し遂げていきますが、
それに対して生物学の近代化は2世紀以上の遅れをとります。
生物学の近代化を成し遂げたのはパスツールです。
パスツールは初めて実験手法を用いて微生物が自然発生しないことを示しました。
それが科学的な手法です。
それに対して、またダーウィンの話になりますが、彼は科学者でも何でもありません。
ダーウィン自身、ずっと地質学者を自称していますね。
純粋に地質学の観点からいえば地質学者も科学者ですが、彼が提唱しているのは生物の進化に関する理論です。
それが何ら科学的手法に依拠していないのは、「種の起源」を読めば明らかです。
「科学(science)」と言う言葉がよく使われだしたのは比較的近年ですが、ダーウィン自身
科学と言う言葉を殆ど使っていません。
実際、実験と観察、観測による事実の検証、この最も基本的な近代科学の手法をダーウィンが
十分に理解していたと思える痕跡はありません。
「このように考えれば説明できる」
これがダーウィンの口癖です。
そこに事実による検証は存在しません。
ダーウィンが最後まで気にしていた「あるべき膨大な中間種の化石の不存在」に関しても、
自説の最大の弱点と認めながらも、その不存在の理由に様々な言い訳を用意することに熱心で
事実の裏付けがないままに自説の正しさを主張し続けます。
これは思索だけに頼った古代ギリシャ哲学者と大差ありません。
彼が引用している膨大と思える事例も、現存する数百万に及ぶ生物種に比べればほんの大河の一滴にしか
過ぎません。
それを科学を称することが如何に無意味であるのか、そこに未だに気付けない人たちが多いのには
本当に驚かされます。
-
デザイナーを前提にしてしまうと、自然理解はおぼつかないです。
-
問題を混乱させている最大の問題の一つは宗教の介入です。
ID論を攻撃する人たちはソレが宗教であると言うのが一つの論拠です。
ドーバー裁判の判事もベーエの主張を宗教に根差していると極め付けていますね。
ベーエが公式に宗教的な発言をした記録は残っていません。
この判事の判断は根拠のない予断に基づいています。
一般的にID論を攻撃する人たちの論法に乗っかっているだけで、この判事自身が思考し判断した形跡はありません。
実際宗教者からもID論は主張され、米国プロテスタント聖書原理主義者からも強く主張されていますが、彼らの採る若い地球説はID論と本質的に折り合う訳もありません。
自然神学の説く神の存在はそのままIDに繋がりますが、勿論それは人格神、啓示神ではありません。
ID論自体は宗教とは切り離して論じられるべきで、それが混同されるとID論の本質を見誤ることになります。
ID論が科学的でないと主張する人たちは自然選択論の検証を全く棚に上げて非難しますね。
自然選択論が科学である根拠を彼らは決して語れません。
そう勝手に思い込んでいるだけで、実際は何ら科学的な手法に則っていませんからね。
これは何度も述べてきた通りです。
それにも拘らず、ID論は宗教若しくは非科学で自然選択論は科学であると主張します。
何らその根拠を示せないにも拘らずです。
背理法によるIDの存在証明が理解出来ない、ロジックが分からない、それは自らの知性の低さを示すだけなんですがね。
-
ID論が声高に叫ばれているのは米国です。
背景には多くのプロテスタントの存在があります。
米国大統領もID論に言及しています。
従って、裁判でその教育問題が取り上げられるような事態になる訳ですね。
ここで一つの誤解と混同があります。
ID論は別に進化自体を否定していないんですね。
その様に主張しているのは聖書原理主義者たちです。
従って、進化論vsID論と言う対決構図は誤解を招くものです。
ID論は謂わば有神論的進化論です。
進化の事実は認める、科学的な知見は全て受け容れる、それがID論者の姿勢です。
つまりID論が非科学的と言われる根拠は何処にもありません。
知性ある設計者の想定は、逆に科学的な知見からロジカルに導かれるものです。
それは背理法であり消去法です。
そのロジックが非科学的だと言ったら、数学の証明は成り立ちませんね。
ドーバー裁判の判事の判断は、それらが全く理解出来ない偏見に基づいています。
彼の論拠はID論批判者のID論は宗教であると言う一般的な見解をそのまま口移しにしているだけで、彼自身が思考して判断したものではありません。
元より科学的な知見の乏しいこの判事にはこの裁判を裁く資格はありません。
鞭毛モーターの問題も全く検証できずにID論教育違憲の判決を下します。
それをあたかもID論裁判のスタンダードであるかのように見做すのはとんでもない誤謬ですね。
-
「種の起源」の体裁は神学書のものだと言う指摘があります。
種の起源は有害無益ですが、同様に神学も科学にとって有害無益です。
宗教は科学を妨害することすらあれ、科学に利することは何一つありません。
ID論もソレを神学の流れで捉えている限り宗教のドグマから逃れることが出来ません。
宗教は人間の無知と弱さによって紡ぎ出されます。
逆に言えば人間が全知であり強靭な理性を持つ存在であれば宗教が誕生する余地はありません。
つまりダーウィンの居場所はそこだという事です。
-
極小世界から全宇宙まで張り巡らされた膨大なアルゴリズムも極めて明確にその存在を窺わせます。
より明示的なのは生物の存在ですね。
中でもゲノム情報の暗号性はその存在なしには決して有り得ないこの上なくあからさまな事実として提示されます。
全ては単一では存在しえず、膨大なアルゴリズムの中で相互連携の中で初めて存立し得ます。
ダーウィンも生物種間の相互連携については何度も言及していますが、残念ながらそれが自然選択論にフィードバックされることは
全くありません。
自然選択論は彼が大事に温めて育てた子供で如何に風雨に曝されようと守り抜く、大変ひ弱な過保護児です。
-
ID論を正確に理解するためには、いくつかの基本的な事項の理解が前提になります。
先ず、IDを神と称してID論を宗教と極め付ける、この様な態度を取り続ける人たちには先ずID論を理解する資格はありません。
ID論が宗教であるなら、科学的な知見も不用、ロジックも顧みる必要はありあません。
逆にID論は科学的な知見に立脚しロジックによって証明されるものですから、全くその逆を行っている訳でそもそも話になりません。
更に、自然選択論に基づく総合説に代表される現代進化論が実際の進化のメカニズムを何一つい説明出来ていない事を十分に理解する必要があります。
現代進化論は基本を偶然性に置いています。
それはつまり現代進化論を認める事は進化が偶然の産物であると理解することです。
完全な偶然では如何なる進化も起らない、それを理解出来なければ矢張りID論を理解することは出来ません。
それが十分に理解できたなら、自ずと進化にはそれを必然たらしめる何らかの要因が存在する、と言う結論になります。
その進化を必然たらしめる要因の存在が承認出来たなら、それは何らかの設計の存在に帰着します。
つまりID論は極めて自然な思考の流れの中で示されるものなのです。
そして何らかの設計が介在するとした場合、それは宇宙生成のビッグバンにまで遡り、その初期設定まで行ったと考える必要があります。
それは時空、物質、あらゆる物理法則、物理定数を含みます。
それをIDは生物的な何者かだ、等と言ってるようでは全く話になりませんね。
ID論について何一つ理解できていない、と言う話です。
-
>>535
>波がどうして伝わるかを考えてください。ある粒子が動くと隣りの粒子を押す。押された粒子はさらに次の粒子を押す。反対方向に動くと隣りの粒子を引っ張る。引っ張られた粒子はさらに次の粒子を引っ張る。このリレーですよ。
>このように力が伝わるには、粒子間に結合力が必要です。独立した粒子の集合体でも、粒子間で力を伝えるほどの結合力は必要なのです。
並べた鉄球とかはただ接触しているだけで結合力なんざ関係ないです。
私は「エーテルが粒子間の結合を必要とするってのはどっから出てきたんですか?」と聞いています。その情報源を聞いています。
そして、そう言う説があったとして、それ当時コンセンサスを得られていましたか?
貴方個人の意見を求めているのではありません。当時コンセンサスを得られていないお話なら無意味な主張です。
そもそもこの発言から思うに、貴方は波動の伝播を波動の進行方向に媒質が移動していくものと勘違いしてませんか?
>接触しないとはいってないし、むろん光粒子説でもエネルギーは伝わりますよ。ただし、光粒子同士が衝突することは非常にまれで、そういうことが起こっても、観測は不可能です。
へぇ、そんなので良いのなら
>エーテルの微粒子が、あまりにも小さくて物体の隙間を通るのですか? でも、それほど小さい粒子なら、粒子同士も互いに接触せずに通り抜けるではありませんか。どうやって力を伝えますか?
ってのも同じ論法でいけますね。
>「密度」とおっしゃるのは、体積当たりの質量のことですね。今、問題にしているのは粒子の密集度ですよ。軽金属の粒子の質量が小さいなら、粒子の密集度が高く光を通さなくても、体積当たりの質量は低くなります。光の代わりに風で考えてみましょう。布と金網なら、金網の方が体積当たりの質量は大きいですが、つまり「密度」は大きいですが、風を通すのは布ではなく金網ですよね。
ここで言っているのは真密度です。
金網の方が布より体積当たりの質量が大きい?一概には言えませんよ。金網の厚さや編み目部分の空白の体積も考える必要がありますよ。
空白部分の体積考えてないでしょ?
軽金属とガラスが納得いかないならダイヤモンドと黒鉛はどうですか?
ダイヤの方が密度が高いのに光が透過します。なぜでしょうね?
>頼むから、教科書を読まないなら、せめてウィキペディアの記事を読んでください。波動方程式がどうやって導かれてますか? ばね定数(k)を含むフックの力と、質量(m)を含むニュートンの力を等号で結んで、方程式を立てているでしょう。
>en.wikipedia.org/wiki/Wave_equation#From_Hooke's_law
波動方程式の導出の部分に
「長さhの‘質量の無いバネ”と相互に接続された質量mの小さな重りの配列」って思い切り書いとるやないかーい
もうね。本当にいろいろ面倒なんですけど。コレに何の意味があるんですか?
当時はエーテルによる光波動説も一定の支持があったのも、物理的矛盾というのも証明もされていないってのも絶対的事実であり
それ以上でも以下でもありません。ここで物理知識に劣る私をボコったところで何の意味があるのですか?
本当に何のためにこんな過去の終わってる話題に粘着しているんですか?
当時の波動説が科学を逸脱してたと示したいなら、さっさと当時の波動論や地動説が科学の手段を逸脱してる部分を具体的に示して下さい。
何度も言っていますが矛盾のように見えることがあることと、本当の矛盾は違いますからね。
そして当時、矛盾のような部分もなんとか説明しようと色々と工夫検討されており本当に矛盾かどうかの結論は出ていませんよ。
このやり取りで科学と非科学を判別することに繋がるものに至れるんですか?
どう言う流れを考えているんですか?何か本質を見失っていませんか?
本当にどう言う意味があるのか、まずそこを明確に語って頂けませんかね。意味が見出せないのでただただ面倒でなりません。
-
自然選択論に科学的な証明が皆無であることは繰り返し述べてきましたね。
進化の証明は化石証拠に依るしかありません。
ダーウィン自身が繰り返し「種の起源」の中で述べている様に、化石証拠は存在しません。
現在に至るも状況は何も変わっていません。
もう一つは実験的証明です。
これは進化自体の証明にはなりませんが、分子レベルの進化に関して重要な示唆を与えます。
一つの例が有名なレンスキーの大腸菌培養実験です。
多くの人は誤解していますが、何か環境に有利な変化が起こったとしても直ちにそれが自然選択の結果であることの証明にはなりません。
環境に有利な変異は自然選択以外にも起こり得ます。
これも繰り返し述べてきましたが、ゲノムの環境応答性です。
エピジェネティクスでは環境によって遺伝子の発現がコントロールされそれが遺伝することが現在よく知られています。
それ以外にも未知のシステムが存在する可能性が十分にあります。
逆にそれが自然選択の結果であることを証明するためには自然選択の各工程が存在したことを証明する必要があります。
殆どの人たちがそれをよく理解できていません。
そもそも自然選択の起こる工程が理解できないでいますね。
つまり環境に有利な変異がおこればそれが自然選択の結果であるとするのは無知と無理解によるものでしかありません。
-
>矛盾のように見えることがあることと、本当の矛盾は違いますからね
「矛盾のように見える」のではなく「本当の矛盾」があることを、説明の仕方を工夫しながら、理解されるまで続けます。
>私は「エーテルが粒子間の結合を必要とするってのはどっから出てきたんですか?」と聞いています。
なぜ分からないのだろう? 「結合」という言葉を誤解されているのでしょうか? もしかして、粒子同士が完全固着してびくともしない状態を「結合」と考えてますか? それは違いますよ。
個々に独立したH₂Oの分子でも、液体の水と気体の水蒸気では、分子間に働く力が違いますよね。液体の分子間力が切れたら気体になりますよね。だから気体の方が分子がまばらですよね。気体の方が音速が小さいですよね。
粒子間に働くそういう力が、私が言う「結合」ですよ。この「結合」が弱まると、粒子間で力が伝わりにくくなり、波の伝播速度が下がります。「結合」が強いと物質が硬くなり、伝播速度が上がります。
ここまで説明しても分からないのなら、音が伝わるメカニズムをご自身で考え、自分の言葉で説明してみてください。それが、理解への早道かもしれません。
>へぇ、そんなので良いのなら
>>エーテルの微粒子が、あまりにも小さくて物体の隙間を通るのですか? でも、それほど小さい粒子なら、粒子同士も互いに接触せずに通り抜けるではありませんか。どうやって力を伝えますか?
>ってのも同じ論法でいけますね。
だめです。光粒子説の光粒子と、光波動説のエーテル粒子には、決定的な違いがあるからです。
波を伝える媒質は、粒子から粒子へ力が伝わらねばなりません。ある粒子が動くことで、別の粒子が動かねばなりません。そのように力が伝わる状態が「結合」であり、空気より水、水より鉄と、結合が強いほど波は速く伝わります。一方、光粒子はそういう「結合」が不要なのです。簡単にいえば「ばらばら」なのです。ゆえに、光粒子は物体を透過できるが、エーテル粒子はできないのですよ。
>ダイヤモンドと黒鉛はどうですか?
>ダイヤの方が密度が高いのに光が透過します。なぜでしょうね?
おっしゃってるのは、ダイヤと黒鉛の密度(体積当たりの質量)です。問題にしているのは、粒子の密集度です。18世紀の技術では、密度は測定できても、粒子の分布など分かりません。原子の配列が観測されるのは、X線による解析技術が確立した20世紀のことです。ゆえに、ダイヤは光粒子を通すが黒鉛は通さないなら、黒鉛は布と同じで粒子が均一に分布し、ダイヤは金網と同じで密部分と疎部分があると考えるのが最も自然です。
>波動方程式の導出の部分に「長さhの‘質量の無いバネ”と相互に接続された質量mの小さな重りの配列」って思い切り書いとるやないかーい
微積分を知ってる人は、そんな理解の仕方をしません。引用された文章は、波を伝える媒質を、質量mとばねkに分けてモデル化するという意味です。「モデル化」って分かります? この場合は、実態とは異なる形を仮定することです。引用された1文を全部読んでください。
長さhの質量の無いバネと相互に接続された質量mの小さな重りの配列を、想像する(imagine)
とあるでしょう。想像です。そういうものだと、仮に考えるのです。
説明を読み進めると、最終的な数式の形にする前に「h→0」としていますね。これの意味が分かりますか? 解析のために「質量」と「質量」の間に、質量が無い長さhの「ばね」をおいてモデル化したのを、hをゼロにすることで、質量に切れ目がない本来の形に戻したのです。微積分を知ってる人には、お馴染みの解析手法ですよ。
もしかして、微積分を、ご存じないのですか?
円の面積が、なぜ「円周率×半径の2乗」になるのか、説明できますか?
そもそも媒質に質量がないのなら「質量mの小さな重り」は、何の質量だと思いますか?
>本当にどう言う意味があるのか、まずそこを明確に語って頂けませんかね。
議論のこの段階では、16世紀の地動説と18世紀の光波動説に矛盾があると明らかにします。そうやって歴史を明らかにし、最終的には歴史から学びます。でも、先を急がず1歩ずつ進みましょう。まずは、地動説と波動説の矛盾が論点です。
-
学術分野にも色々ありますが、進化論に関して最も大きな問題は科学では無いものが科学だと信じられている事です。
現在主流とされる総合説もダーウィン進化論がベースになっています。
それを科学だと主張している訳ですから、それはつまりダーウィン進化論を科学だと信じている訳ですね。
この空想と科学の区別が付けられない致命的な誤謬を長年にわたって犯し続けています。
かれらはID論を非科学的だ、宗教だと言って排撃する訳ですが、では彼らの信じているダーウィン進化論の一体どこが科学なのか。
自然選択が観察されたとする数少ない実例であるダーウィンフィンチにしても工業暗化にしても、全く厳密に自然選択を説明できるものではありあません。
繰り返し説明してきた通り、それは単に都合の良い変異が起こりさえすればそれを自然選択と極め付ける、自然選択の工程に対する完全な無理解が生むものです。
自分達が科学でなく癖に相手を非科学と論難する。
それが彼ら進化論者の採っている態度です。
科学の方法論に対する無知、無自覚。
長くアカデミズムで科学的と主張されてきたからと言って、それが科学である根拠にはなりません。
科学であるためには、どうしても科学と主張したいなら、科学の方法論に則って、事実に依る証明を行ってもらいましょう。
-
ID論の証明は、従来の科学的証明とは異なります。
その理由は「知性」を証明する必要があるからです。
この知性の存在自体が従来の科学の方法論には馴染みません。
知性の定義自体が科学的には中々説明しづらいものだからです。
だからと言ってそれを非科学的と非難するのはお門違いですね。
では、人間の持つ知性は一体どう説明するんでしょう。
我々は人間の持つ知性に対してさえその実体に十分な説明を与えることは出来ません。
しかし「知性」が無ければ文明が成り立たない事は誰でも理解できる紛れもない事実です。
逆にこの文明を成り立たせているものが知性であると定義することも出来るでしょう。
ではその知性の由来は一体何処から来てるのか、それを完全に説明することが出来る人は誰もいないでしょう。
しかし「知性」が存在するのは紛れもない事実ですね。
それを否定する人は誰もいないでしょう。
それを理解するのがID論の理解にとっても極めて重要な事です。
-
>>555
>「矛盾のように見える」のではなく「本当の矛盾」があることを、説明の仕方を工夫しながら、理解されるまで続けます。
だ か ら 、
当時コンセンサスが得られていなかったんだから今示したところで当時の科学者が非科学的思考だったとはならないの。
当時の大多数が「あぁ、こりゃ確かに疑いようも無く矛盾だ!」となってない限り無意味です。
そして、何度も言いますがそれでIDがどうにかなるもんでもありません。
>粒子間に働くそういう力が、私が言う「結合」ですよ。
貴方個人の定義をさも一般的のように語られても困ります。
粒子間に相互作用があるのは初めから言っているのでそう言う意味なら「結合」はありますよ。
で、硬い方がより速く伝えるなら、エーテルがガッチガチなら光速を超えるほど速く伝わるんだろうなぁ、と言う単純な考えに私は至ります。
>光粒子はそういう「結合」が不要なのです。簡単にいえば「ばらばら」なのです。ゆえに、光粒子は物体を透過できるが、エーテル粒子はできないのですよ。
非常に希に光粒子同士が衝突するからエネルギーが伝わるとか言ってましたね。だったら光粒子も「結合」してるってことじゃねーか。
それで許されるならエーテルもいけるでしょ。
>おっしゃってるのは、ダイヤと黒鉛の密度(体積当たりの質量)です。問題にしているのは、粒子の密集度です。18世紀の技術では、密度は測定できても、粒子の分布など分かりません。原子の配列が観測されるのは、X線による解析技術が確立した20世紀のことです。ゆえに、ダイヤは光粒子を通すが黒鉛は通さないなら、黒鉛は布と同じで粒子が均一に分布し、ダイヤは金網と同じで密部分と疎部分があると考えるのが最も自然です。
真密度だと言ってるんだが、まぁいいや。
あえて同素体を選んだ意味が分りませんか?
同じ原子で構成されているんだから高密度の方が金網状になるなんて考えがたいでしょうが。
>微積分を知ってる人は、そんな理解の仕方をしません。引用された文章は、波を伝える媒質を、質量mとばねkに分けてモデル化するという意味です。「モデル化」って分かります? この場合は、実態とは異なる形を仮定することです。引用された1文を全部読んでください。
話の本質を誤魔化さないで下さい。
質量mの質量が最初から言っているようにバネ自体の質量を指していないことを示しただけです。
モデル化?分ってるに決まってるでしょう。
貴方が分ってなかったことを示しただけです。
私と違って高校で物理をとってたんでしょ?その時のバネの問題でmがバネの質量って問題がどれ程ありましたかね?
波動は似たパターンでエネルギーが空間を伝わる現象です。媒質である粒子が相互作用するなら起こりうる現象であり。
相互作用できるなら質量があろうと無かろうと問題ありませんよ。
>議論のこの段階では、16世紀の地動説と18世紀の光波動説に矛盾があると明らかにします。そうやって歴史を明らかにし、最終的には歴史から学びます。でも、先を急がず1歩ずつ進みましょう。まずは、地動説と波動説の矛盾が論点です。
矛盾の有無はどうでも良いんです。当時、それが矛盾だと明らかだったか?が問題なんです。
前にも言いましたよね。武器軟膏でさえその当時は立派な科学だったって。
貴方のやってることに本当に意味を見出せません。
そんなもんよりIDの矛盾の有無とか検証する方が有意義ですよ。
-
テネシー州議会下院は今日、学問の自由に関する法案を72対23で可決した。この法案は、生物学的進化、気候変動、ヒト・クローンなど論争の多い科学的問題について、批判的思考と客観的議論を奨励しようとする教師や学区を保護するものだ。
「この法案は、科学教師の学問の自由を保護して進化論のような論争の多い科学的テーマを十分かつ客観的に議論できるようにすることで、健全な科学教育を促進します」とディスカヴァリー研究所のCasey Luskinは述べた。ラスキン氏はさらに次のように述べた。
この法案が科学ではなく宗教を奨励していると批判する人々は、法案を読んでいないか、あるいは異なる科学的意見を検閲するという彼らの目的から注意を逸らすために、煙幕を張ろうとしているのです。
法案は次のように明白に述べている。この法案は
いかなる宗教的または非宗教的教義をも奨励するものではない。
本項は科学情報の教育活動を保護しているに過ぎず、いかなる宗教的または非宗教的教義をも奨励せず、特定の宗教的信条または非信条、宗教または非宗教に対して賛成または反対の立場で差別を奨励するものではない。
テネシー州議会上院はすでに超党派の圧倒的支持でこの法案を可決していた。テネシー州の法案は、2008年にルイジアナ州で採択され「ルイジアナ科学教育法」(Louisiana Science Education Act)として知られる学問の自由政策と類似している。
進化理論の科学的長所と短所の両方を教える教師を保護するため、今年四つの州が学問の自由に関する法律の制定を検討した。その法案の多くが、オンラインでwww.academicfreedompetition.comに掲載されたモデル法令を含め、ディスカヴァリー研究所が起草した法律サンプルを参考にしている。
現在少なくとも九つの州の州政府や自治体が、ダーウィン進化論を支持または支持しない科学的証拠について教師が議論することを擁護し、奨励し、場合によっては義務付ける政策をとっている。
-
自然選択論に基づいたダーウィン進化論が完全に証明された科学であると信じ込む頑迷なダーウィン教徒でなければ、上記法案は妥当であると考えるのが極めて常識的な判断でしょう。
それに反対するのは、つまり頑迷固陋のダーウィン教の信徒という事です。
-
>議論のこの段階では、16世紀の地動説と18世紀の光波動説に矛盾があると明らかにします。そうやって歴史を明らかにし、最終的には歴史から学びます。でも、先を急がず1歩ずつ進みましょう。まずは、地動説と波動説の矛盾が論点です。
当時の知識からすれば矛盾をはらんでましたが、その後積み重ねられた知識によって解消されました。
現在確認されていないデザイナーが、今後積み重ねられる知識によって確認されるに違いないというにしても、
16世紀の地動説と18世紀の光波動説より蓋然性が高いというのは、なぜでしょう。
-
>当時コンセンサスが得られていなかったんだから今示したところで当時の科学者が非科学的思考だったとはならないの。
なぜ「コンセンサス」を問題にされるのでしょうか?
もし矛盾があり、かつ矛盾があるというコンセンサスがないなら、矛盾がないと誤って考えた人がいた、というだけのことです。人間の行動を問題にしてるのではありません。
問題は矛盾があるかないかです。そのために地動説と波動説を、当時の知識体系の中で評価します。
>粒子間に相互作用があるのは初めから言っているのでそう言う意味なら「結合」はありますよ。
>で、硬い方がより速く伝えるなら、エーテルがガッチガチなら光速を超えるほど速く伝わるんだろうなぁ、と言う単純な考えに私は至ります。
問題は、それほど相互作用の強い、硬い物質が空間に充ちていたら、我々を含む物体が影響を受けるはずということです。実際には受けないのだから、観測事実と矛盾します。
>非常に希に光粒子同士が衝突するからエネルギーが伝わるとか言ってましたね。だったら光粒子も「結合」してるってことじゃねーか。
私が、エネルギーが伝わる事象が観測されると言ったのは、光粒子と、鏡面のような他の物体とのあいだですよ。(>>535)
重要なのは、非常に稀な光粒子の衝突は観測が困難という理由で、光の交差を説明できるのに対し、エーテル粒子は恒常的に力を伝えあわないと波動にならない点です。それも光の巨大な伝播速度を生じる強い力です。ゆえに、エーテル中の物体が抵抗を受けないのがおかしいのです。
>同じ原子で構成されているんだから高密度の方が金網状になるなんて考えがたいでしょうが。
18世紀にその判断ができますか?
原子の特性も、原子が結びつく原理も分かってない時代に、ある構造はとりうるが、別の構造はとりえないという判断を、どうやって行いますか?
同じ元素で、外観も硬度も全く異なるダイヤと黒鉛は、何が異なるのか。当時の人も考えたことでしょう。普通に考えうるのは、原子の並び方と結合の強さのはずです。原子の並び方が異なるなら、一方はより均一に分布し、他方は疎密があってもおかしくありません。疎密があれば、疎の部分を光粒子が通るでしょう。
>質量mの質量が最初から言っているようにバネ自体の質量を指していないことを示しただけです。
いいえ、ばねの質量です。私が最初から「ばね」と呼んできたのは、弾性をもつ媒質のことです。そして質量も媒質の質量です。「ばね」を伸び縮みさせる力は「ばね」の質量から生じる慣性力ですよ。だって、おっしゃるような「重り」のない、正真正銘のばねだけで波が伝わるではありませんか。
www.youtube.com/watch?v=fMJrtheQfZw
>相互作用できるなら質量があろうと無かろうと問題ありませんよ
では>>536での問いに答えてください。質量を含まない波動方程式を示すことです。具体的には「v²」の項に何が入るかですね。
-
進化論vsID論と言う対決構図は、より正確に言い換えれば進化の過程に設計者が介在するかしないかと言う議論になります。
設計者が介在するかしないか、これ以外の選択肢はないですね。
1かゼロかです。
従って、その設計者の実体が一体何のか、その介在の方法がどんなものか、それらは議論の論点ではありません。
介在したかどうか、その判断が問題の核心であり、議論すべき論点です。
それを実体は何だ、どの様な方法で介在した、それを示せなければID論は成立しない、この様に主張するのは論点のすり替えでしかありません。
ID論の本質は、設計者の存在を示す事であり、その実体や介在方法を示すものではありません。
ソレに関して言えばそれは不可知論の範疇です。
重力の本質が示せないのと全く同様の話です。
言い換えれば、知性の本質が不可知であるのと同様の事です。
ID論否定論者は知性に対する理解自体が不足していますね。
-
日本は均一性国家ですが、アメリカは分断国家です。
大統領選でも見事に分断されますね。
そもそもがプロテスタントの国ですからその影響力が強く、それが進化論にも反映します。
進化論に宗教がなだれ込み、ただでさえ整合性の採れない議論が更に混乱します。
未だに若い地球説を唱え、それが信じられたり、一方で勿論それを排撃する人たちもいます。
イギリスはダーウィンの国ですからアメリカに比べて実際の所宗教的な意識は低く、英国国教会は世俗的ですね。
それぞれの立場から様々な主張がなされますが、未だにアカデミズムの中心で唱えらているダーウィン進化論自体が科学に立脚していないので、進化論自体がカオス的な状態にあります。
その辺りの整理が付けられないでいる人たちが専門家も含めて極めて多い。
科学と宗教が入り乱れ、更に空想と現実が混同される。
現在日本の教科書は進化論の説明にやや及び腰です。
ある意味それは妥当な態度と言えなくもないですね。
ID論に踏み込む勇気はとてもないでしょうから。
そこが正面衝突しているアメリカとの大きな違いです。
創造論、ID論に関しても行きつ戻りつしています。
アメリカでそれが決着できない理由は科学信仰と宗教信仰が共に信仰である事です。
-
むろん光粒子説にも弱点はあります。ただ、18世紀までは、粒子説の弱点を解決する想定には、当時の知識体系に変更を要求するほどのものはありませんでした。たとえばダイヤモンドの原子分布に疎密があっても、それで覆される法則はありません。ニュートン環も粒子説の弱点で、粒子説論者は知恵を絞ってその説明を考えました。それらの説明は、今の私たちが見ると、おかしなところがありますが、やはり当時の知識体系と両立できない矛盾ではありません。
光波動説の弱点も、多くは同様の事情でした。たとえば光が回折を起こさないことも、その弱点でした。これは光が作る影の輪郭がくっきりとしていて、ぼやけないという意味です。干渉縞ができないことも弱点でした。ニュートン環も縞模様ですが、肝心の、2つの光を重ねた時にみられるはずの縞模様がないのですから。
今の私たちは、それは光の波長が非常に短いからと知ってますし、同じことを考えた人は17〜18世紀にもいたろうと、私は想像します。重要なのは、そのような短い波長は「想像しにくい」けれども「あり得ない」とはいえないことです。そんな波長の波があったとしても、当時の知識体系をご破算にしてしまうにはいたりません。
しかし、光波動説の媒質問題だけは、そうはいきません。光速のような巨大な速度で波が伝わるには、エーテルに巨大な弾性がなければなりません。言い換えれば、光を伝えるエーテルが実在するなら、確立された波動理論を棄却するという、知識体系の一大変更が要求されるのです。
たしかに、矛盾を容認する場合もあります。極小エントロピーの起源に矛盾があっても、熱力学第2法則はあらゆる観測事象が裏付けるから、矛盾を容認するしかありません。2重スリット実験が登場した時もそうでした。光が2つの穴を通ったときのみ干渉縞を作るとなると、エーテルの矛盾を容認してでも、光波動説を受け入れるしかありません。
光波動説の2重スリット実験に相当する、地動説の証拠が、ケプラーの法則です。これほどの証拠が見つかると、風が吹かない矛盾の方を容認するしかありません。
でも、16世紀の地動説と、18世紀の光波動説には、そういう証拠がありませんでした。それなのに矛盾を容認するのは、正当な科学の手段に反するではないか。私はこのことを訴え続けております。
-
ハイゼンベルクの不等式が示す不確定性原理は小澤の不等式によって書き換えられ小澤の不等式を支持する実験結果も報告されています。
ハイゼンベルクの不等式は実験によって検証される事なく量子論の中心概念のひとつとしての不確定性原理を示すもの信じられてきましたが、それが覆えされたと言う事です。
ハイゼンベルクは量子そのものの特性である揺らぎと観測する事によって生じる誤差の切り分けが曖昧であったのを小澤の不等式によって整理されたとされます。
もう一つ、ケナードの不等式がありますが、これは量子論から数学的に導かれるものとされ、ハイゼンベルクはその辺りも混同していたと指摘されています。
一般に言われる量子論における観測問題は観測による波動関数の収縮です。
この波動関数が収縮する理由に関しては実際全く不明で、そこにまたさまざまな解釈が存在します。
そしてこの問題も今の所完全に解決される兆しはありません。
人間の意識の介在も主張されています。
二重スリット実験で量子の波動性が示され、観測する事によるその収縮も確認されます。
その二重スリット実験で人間の意識によってスリットを通過した粒子が偏在することを示す実験も報告されています。
実験結果に対する解釈はその理論に拠って常にその結果が示されれば証明された仮説と認定でき、逆にその過程と結果における因果律が示せなければ、それは一つの解釈と言うことなります。
極めて検証が重要視される物理学の分野においても、解釈問題は想像の世界です。
そして想像だけでは勿論それが検証された科学理論とは言えません。
そして自然選択論は完全に空想の世界の物語に過ぎません。
-
ダーウィンは自らを不可知論者と称します。
つまり最終的には知り得ない。
その観点から言えば創造の主体は知り得ないという事になります。
この基本的な構想はIDとほぼ同一です。
そしてダーウィンは無神論者ではなくて不可知論者だと主張します。
不可知論と言うのも宗教的な不可知論から非宗教的な不可知論まで内容はかなり錯綜しています。
ラッセルは不可知論者であり更に言えば無品論者だと名乗ります。
彼の根本はむしろ無神論者です。
様々な立場から不可知論は語られますが、要は最終的には決して知り得ないものがあると言う認識は一致しています。
不可知論を完全に否定するのは不可能でしょう。
完全に全てを知り得る事が出来ない事はロジカルにも証明出来そうです。
何処まで行ってもその先があります。
その存在理由の追求は止むことなく無限に連鎖します。
IDの実体も最終的には不可知です。
不可知が不存在の理由にならないことは見てきた通り明らかですね。
つまりIDの実体が不明であることはIDの存在自体を否定する理由にはならないのです。
それを混同して、論拠にしようとする人たちもいますが、それは論点のすり替えです。
IDの存在はあらゆる事象の観察から極めて簡明にロジカルに証明されます。
-
>>562
>なぜ「コンセンサス」を問題にされるのでしょうか?
それが科学の手法で重要だからです。
コンセンサスがどうでもイイなら「IDは正しいと思います!」でもう終わりです。
これは科学とは言えませんでしょ。
>もし矛盾があり、かつ矛盾があるというコンセンサスがないなら、矛盾がないと誤って考えた人がいた、というだけのことです。人間の行動を問題にしてるのではありません。
>問題は矛盾があるかないかです。そのために地動説と波動説を、当時の知識体系の中で評価します。
矛盾が矛盾であると当時の知識でしっかり示されるなら良いでしょうが、無理です。
当時のトップレベルの科学の偉人達も完全否定できなかったモノをできると言うのは大変な思い上がりですね。
これ、もう一度言っておきますが、エーテルが鋼のように硬いとか言われたのは19世紀に入ってからですからね?
>問題は、それほど相互作用の強い、硬い物質が空間に充ちていたら、
当時は基本的に流体と見なされてます。
>我々を含む物体が影響を受けるはずということです。実際には受けないのだから、観測事実と矛盾します。
粒子説がまれにしか衝突しないってのと同様に考えます。粘性や摩擦がないなら本当に垂直に接しなければすり抜けちゃいます。
>>同じ原子で構成されているんだから高密度の方が金網状になるなんて考えがたいでしょうが。
>18世紀にその判断ができますか?
ダイヤモンドが炭素で出来ているのは18世紀後半に解明されています。
同じ元素で構成され密度の高い方がスカスカってのは当時でも大矛盾ですよね。
>いいえ、ばねの質量です。
はぁ、左様ですか。教科書読んで、としか私には言えません。
>では>>536での問いに答えてください。質量を含まない波動方程式を示すことです。具体的には「v²」の項に何が入るかですね。
「v²」のままで良いんだよ。表そうと思ったら質量を使っても表せれるってだけのこと。
E=mc²が光だと成り立たないでしょ?同じようなモン。
>>565
>しかし、光波動説の媒質問題だけは、そうはいきません。光速のような巨大な速度で波が伝わるには、エーテルに巨大な弾性がなければなりません。言い換えれば、光を伝えるエーテルが実在するなら、確立された波動理論を棄却するという、知識体系の一大変更が要求されるのです。
別に棄却する必要は無いなあ。仮に一大変更が要求されて何が駄目なの?
一大変更も、もしそちらが正しいなら良いことじゃないの。過去の理論を未来永劫大事にするのが科学じゃ無いの。
検証を続けて確からしさをより強固にしていくことが科学なの。
>光波動説の2重スリット実験に相当する、地動説の証拠が、ケプラーの法則です。これほどの証拠が見つかると、風が吹かない矛盾の方を容認するしかありません。
なんで?
コペルニクスより正確に表されるってだけで風が吹かない理由を容認する意味が分りません。
そんなもんで矛盾を容認するの?
だったらエーテルもさっさと認めたら良いと思いますね。
>16世紀の地動説と、18世紀の光波動説には、そういう証拠がありませんでした。それなのに矛盾を容認するのは、正当な科学の手段に反するではないか。私はこのことを訴え続けております。
示す証拠と矛盾する証拠があった。それに対し意見を出し合い根拠バトルを展開する。それだけの話。
矛盾を容認とか言いますが、何度も言いますが「本当に矛盾か?」を検証する必要がありますし、矛盾なのに成立する証拠が多数示されたら考えざるを得ない状況になります。
矛盾と言う根拠が揺らぐからです。
当時の科学界の巨人達も矛盾と断ずる確信はなかった。それに尽きます。
仮説を立てる、それを検証する。それに対して科学の手段に反するもクソもありませんよ。
-
進化論vsID論と言う対決構図は、より正確に言い換えれば進化の過程に設計者が介在するかしないかと言う議論になります。
設計者が介在するかしないか、これ以外の選択肢はないですね。
1かゼロかです。
従って、その設計者の実体が一体何のか、その介在の方法がどんなものか、それらは議論の論点ではありません。
介在したかどうか、その判断が問題の核心であり、議論すべき論点です。
それを実体は何だ、どの様な方法で介在した、それを示せなければID論は成立しない、この様に主張するのは論点のすり替えでしかありません。
ID論の本質は、設計者の存在を示す事であり、その実体や介在方法を示すものではありません。
ソレに関して言えばそれは不可知論の範疇です。
重力の本質が示せないのと全く同様の話です。
言い換えれば、知性の本質が不可知であるのと同様の事です。
ID論否定論者は知性に対する理解自体が不足していますね。
-
>コンセンサスがどうでもイイなら「IDは正しいと思います!」でもう終わりです。
理論を支持する理由は当然説明しますよ。ただ、理論の正しさは、その内容だけで決まると思いませんか?
電気にプラスとマイナスがあると考える理由に「そういうコンセンサスがあるから」なんて説明が教科書にありますか?
コンセンサスは理論が正しいことの結果であって、理論が正しい原因にはなりません。科学は多数決ではないのですから。センメルウェイスの提案が支持を得られなかったと、おっしゃったのはご自身ですよ。
>粒子説がまれにしか衝突しないってのと同様に考えます。粘性や摩擦がないなら本当に垂直に接しなければすり抜けちゃいます。
どうしても理解できませんか?
すり抜けたら、波が伝わりません。部分から部分へ、押したり引いたり、力がリレーされる現象が波動です。光粒子同士はすり抜けてもよいが、エーテル粒子同士は力を伝えねばならないのです。
>エーテルが鋼のように硬いとか言われたのは19世紀に入ってからですからね?
硬くない媒質が巨大な速度の波を伝えるメカニズムを、18世紀の知識で説明してみてください。
>同じ元素で構成され密度の高い方がスカスカってのは当時でも大矛盾ですよね。
いいえ。全体をならせば、ダイヤモンドの原子数が多いが、それが一部の場所に集中していれば、矛盾になりません。原子が均等に並んでいる保証はないのですから。
今の私たちは、原子の質量は大半が原子核に集中しており、周囲はスカスカと知ってます。物質の構造が知られてない時代でも、質量の集中自体は、矛盾ではありません。
>「v²」のままで良いんだよ。表そうと思ったら質量を使っても表せれるってだけのこと。
質量を使わずに「v²」を表してください。そんなことができるのなら。
>仮に一大変更が要求されて何が駄目なの?
一大変更をしなくても現象を説明する理論があるのに、一大変更を要求する理論をわざわざ支持しますか?
ある日ニワトリが観測され、後日たまごが観測され、それを説明する2つの理論が提示されたとします。
1.ニワトリがたまごを生んだ
2.ニワトリがたまごに戻った
1は既存の知識体系と整合するが、2は既存の知識体系の一大変更が必要です。そのとき、1より2を唱えるのが「科学の正当な手段」ですか、と尋ねています。
>コペルニクスより正確に表されるってだけで風が吹かない理由を容認する意味が分りません。
そんなもんで矛盾を容認するの?
科学的検証の最重要事項は、事実を予測できることです。熱力学第2法則は、事実を予測できるから、起源問題の矛盾があっても支持されます。ケプラーの法則は天体位置を予測できたから、風の矛盾が未解決でも支持されました。
>矛盾を容認とか言いますが、何度も言いますが「本当に矛盾か?」を検証する必要がありますし、矛盾なのに成立する証拠が多数示されたら考えざるを得ない状況になります。
はい。「本当に矛盾か?」を検証しましょう。波を伝えるエーテル粒子は、すり抜けてはいけません。隣りの粒子を動かす行為を、切れ目なく継続せねばなりません。
私の主張が間違いとおっしゃるなら、
粒子が隣りの粒子を動かすことなく、波動を伝えるメカニズムを示してください。
粒子間に強い結合力が働くことなく、巨大速度の波が伝わるメカニズムを示してください。
質量の項が入らない波動方程式を示して下さい
できないなら、ご自身の主張を撤回してください。
-
見て感じて考える、これが意識です。
では誰が見て感じて考えているのか。
これが極めてシンプルで且つ究極的な意識に対する問いかけです。
それは私です、と誰しも答えるでしょう。
ではその私とは何のか、と問われると誰もが答えに窮します。
私とは何処にあるのか、頭の中?頭の中の何処?
これは前に述べたニューロンの電気信号の話になります。
つまり意識の物質的な説明が付きません。
物質の先にある何かが意識です。
AIが進歩すれば何れ意識を獲得する、と主張する人たちがいますが、AIはただコンピューター上で演算しているに過ぎません。
どれだけ演算速度が上がろうと、プログラムが高度化しようと、演算装置に意識が宿ることはありません。
ただ意識があるかのように振る舞う、そう見せかけることが出来るだけです。
つまりAI自体には見たり感じたり考えたりする「主体」は存在しません。
その真似をして見せているだけです。
機械に意識が宿ることはありません。
プログラムと意識は無関係です。
意識は別の所に存在します。
-
自律性の獲得が生命の核心です。
そしてそれはそのまま意識に繋がります。
それがどう設計されどう実際に運用されているのか。
中間関与が存在するのかしないのか。
そもそも意識は物質としての説明が付かないのでアリゴリズムに支配されているかどうかも不明です。
あらゆる接合と相関は極めて精妙でそれらは全て奇跡としか言いようのないものです。
生物進化は有り得ない奇跡が無数に連なっています。
意識と自律性の問題はその中でも想像が遥かに及ばぬ世界です。
科学が物質世界をどれだけ解きほぐしてもそこに到達できるかは不明です。
-
>>570
>理論を支持する理由は当然説明しますよ。ただ、理論の正しさは、その内容だけで決まると思いませんか?
>電気にプラスとマイナスがあると考える理由に「そういうコンセンサスがあるから」なんて説明が教科書にありますか?
その内容の検証結果がコンセンサスです。
教科書に説明?いちいち書きませんよ。それが絶対条件ですから。
逆にコンセンサスが全く得られていない内容が教科書に載ってる例がありますか?
>センメルウェイスの提案が支持を得られなかったと、おっしゃったのはご自身ですよ。
センメルヴェイスの例は疫学的データが無視された例であって根拠が薄いのに持ち上げられた例ではありません。
ルイセンコにしろセンメルヴェイスにしろ何のために挙げたか理解して下さい。
>すり抜けたら、波が伝わりません。部分から部分へ、押したり引いたり、力がリレーされる現象が波動です。光粒子同士はすり抜けてもよいが、エーテル粒子同士は力を伝えねばならないのです。
すり抜けるのは物質とエーテルであって、エーテル同士がすり抜けるとは一言も述べていませんよ。
>硬くない媒質が巨大な速度の波を伝えるメカニズムを、18世紀の知識で説明してみてください。
普通の媒質と同様です。
硬ければより速く伝わるならカッチカチのエーテルなら光速を超えるレベルで伝わるんだろうね、ってだけ。
>いいえ。全体をならせば、ダイヤモンドの原子数が多いが、それが一部の場所に集中していれば、矛盾になりません。原子が均等に並んでいる保証はないのですから。
>今の私たちは、原子の質量は大半が原子核に集中しており、周囲はスカスカと知ってます。物質の構造が知られてない時代でも、質量の集中自体は、矛盾ではありません。
だったら黒鉛も透過しないとおかしいでしょ?矛盾ですね。
それにダイヤモンドにそのようなムラがあるなら一部の集中してる部分とやらが観測されないのは矛盾ですね。
>質量を使わずに「v²」を表してください。そんなことができるのなら。
表す必要がありません。質量が無いんだから。
>一大変更をしなくても現象を説明する理論があるのに、一大変更を要求する理論をわざわざ支持しますか?
そちらに妥当性があるなら支持しますよ。当たり前です。
変更が面倒だから後生大事にするってもんじゃありません。
>ある日ニワトリが観測され、後日たまごが観測され、それを説明する2つの理論が提示されたとします。
>1.ニワトリがたまごを生んだ
>2.ニワトリがたまごに戻った
>1は既存の知識体系と整合するが、2は既存の知識体系の一大変更が必要です。そのとき、1より2を唱えるのが「科学の正当な手段」ですか、と尋ねています。
2の根拠となる事象があるなら全く持って「科学の正当な手段」です。
地動説にしろ波動説にしろ、ニワトリがタマゴに戻ったとか、中生代に品種改良があったとかと違いそう説明できるってだけじゃなく
それを示す根拠があったわけです。
>ケプラーの法則は天体位置を予測できたから、風の矛盾が未解決でも支持されました。
その理屈ならエーテルも支持されるでしょ。
>はい。「本当に矛盾か?」を検証しましょう。波を伝えるエーテル粒子は、すり抜けてはいけません。隣りの粒子を動かす行為を、切れ目なく継続せねばなりません。
>私の主張が間違いとおっしゃるなら、
>粒子が隣りの粒子を動かすことなく、波動を伝えるメカニズムを示してください。
>粒子間に強い結合力が働くことなく、巨大速度の波が伝わるメカニズムを示してください。
>質量の項が入らない波動方程式を示して下さい
>できないなら、ご自身の主張を撤回してください。
①波を伝えるエーテル粒子は、すり抜けてはいけません。
A,いけないとは思いません。
②隣りの粒子を動かす行為を、切れ目なく継続せねばなりません。
A,切れ目無く継続する必要も感じませんが、エーテル粒子同士は相互作用するので問題ありません。
③粒子が隣りの粒子を動かすことなく、波動を伝えるメカニズムを示してください。
A,エーテル粒子は相互作用するので動かすこと無くと言う前提が誤りです。
④粒子間に強い結合力が働くことなく、巨大速度の波が伝わるメカニズムを示してください。
A,並べた鉄球の例ですね。相互作用するので強い結合とやらは想定する必要を感じません。
⑤質量の項が入らない波動方程式を示して下さい
A,波動方程式の基本形に質量はありません。そもそも波動方程式成立は20世紀に入ってからです。示す意味が分りません。
⑥できないなら、ご自身の主張を撤回してください。
A,撤回する必要性も意味も分りません。
で、本当にどうしたいの?当時の波動説支持が仮に科学を逸脱してたとしてどうしたいの?
当時逸脱が容認されていたからIDの逸脱も容認しろとかでも言いたいの?
-
物理法則が何よりも優先されるなら、恐竜が鳥になれないことや、中生代に品種改良が行われたことを、数式で示してくださいね
あははw
-
学術分野にも色々ありますが、進化論に関して最も大きな問題は科学では無いものが科学だと信じられている事です。
現在主流とされる総合説もダーウィン進化論がベースになっています。
それを科学だと主張している訳ですから、それはつまりダーウィン進化論を科学だと信じている訳ですね。
この空想と科学の区別が付けられない致命的な誤謬を長年にわたって犯し続けています。
かれらはID論を非科学的だ、宗教だと言って排撃する訳ですが、では彼らの信じているダーウィン進化論の一体どこが科学なのか。
自然選択が観察されたとする数少ない実例であるダーウィンフィンチにしても工業暗化にしても、全く厳密に自然選択を説明できるものではありあません。
繰り返し説明してきた通り、それは単に都合の良い変異が起こりさえすればそれを自然選択と極め付ける、自然選択の工程に対する完全な無理解が生むものです。
自分達が科学でなく癖に相手を非科学と論難する。
それが彼ら進化論者の採っている態度です。
科学の方法論に対する無知、無自覚。
長くアカデミズムで科学的と主張されてきたからと言って、それが科学である根拠にはなりません。
科学であるためには、どうしても科学と主張したいなら、科学の方法論に則って、事実に依る証明を行ってもらいましょう。
-
ID論の証明は、従来の科学的証明とは異なります。
その理由は「知性」を証明する必要があるからです。
この知性の存在自体が従来の科学の方法論には馴染みません。
知性の定義自体が科学的には中々説明しづらいものだからです。
だからと言ってそれを非科学的と非難するのはお門違いですね。
では、人間の持つ知性は一体どう説明するんでしょう。
我々は人間の持つ知性に対してさえその実体に十分な説明を与えることは出来ません。
しかし「知性」が無ければ文明が成り立たない事は誰でも理解できる紛れもない事実です。
逆にこの文明を成り立たせているものが知性であると定義することも出来るでしょう。
ではその知性の由来は一体何処から来てるのか、それを完全に説明することが出来る人は誰もいないでしょう。
しかし「知性」が存在するのは紛れもない事実ですね。
それを否定する人は誰もいないでしょう。
それを理解するのがID論の理解にとっても極めて重要な事です。
-
ビッグバンを起点とするこの宇宙の生成、生命の誕生、生命の進化、これらの過程に関しては、現在その概要はかなり明らかになっています。
宇宙誕生時の極小時間単位のモデルも示されています。
しかしその根本原因に関しては全く未解明、謎のまま残されています。
宇宙誕生前が完全に無であったのかどうかも全く不明、何故極小空間が突然膨張を始めたのかも不明です。
更にその後原子とそれによる物質が生成され、星が誕生しこの宇宙が出来上がったメカニズムに関しても、解明されているのはごく一部に過ぎません。
更に生物に関して言えば、その誕生の過程は全く謎に包まれいます。
提唱されているRNAワールド仮説にしても、とてもその全体像を説明し得るものではありません。
進化の過程も全く同様、何故個々の種が誕生したのか、その正確なメカニズムは全く未知です。
つまり、この宇宙の生成原因、生物誕生と進化、それらの根本原因は現在科学においては全くお手上げの状況にある訳です。
誤った科学主義とは、それをそうではない、現代科学は既に十分な事象を解明しておりそれで説明出来ない事象は殆ど存在しない、こんな思い上がりによって生み出されます。
従ってその様な誤った科学主義者たちは現代科学で説明のつかない事象を何とか既成の科学で説明を付けようとする、更にはその様な事象は事実として存在しないとまで主張するトンデモナイ暴論に走る訳です。
-
>設計者が介在するかしないか、これ以外の選択肢はない。
それは世界の原因という広い意味での哲学的な問いで、自然科学では扱いません。
>ID論の本質は、設計者の存在を示す事であり、その実体や介在方法を示すものではありません。
その通りですね。長い伝統をもつデザイナー論であり、かつ自然科学の方法に基づくものではありません。
>ソレに関して言えばそれは不可知論の範疇です。重力の本質が示せないのと全く同様の話です。言い換えれば、知性の本質が不可知であるのと同様の事です。
科学的には、人間の知性が不可知であるとは捉えず、チンパンジーやオランウータン、ゴリラたちがもつ知性との連続性の方が大事だと考えます。
人間の知性が「不可知」になってしまうのは、世界の原因をデザイナーに求めるという伝統的な心性に基づているから、でしょう。
-
ID論が声高に叫ばれているのは米国です。
背景には多くのプロテスタントの存在があります。
米国大統領もID論に言及しています。
従って、裁判でその教育問題が取り上げられるような事態になる訳ですね。
ここで一つの誤解と混同があります。
ID論は別に進化自体を否定していないんですね。
その様に主張しているのは聖書原理主義者たちです。
従って、進化論vsID論と言う対決構図は誤解を招くものです。
ID論は謂わば有神論的進化論です。
進化の事実は認める、科学的な知見は全て受け容れる、それがID論者の姿勢です。
つまりID論が非科学的と言われる根拠は何処にもありません。
知性ある設計者の想定は、逆に科学的な知見からロジカルに導かれるものです。
それは背理法であり消去法です。
そのロジックが非科学的だと言ったら、数学の証明は成り立ちませんね。
ドーバー裁判の判事の判断は、それらが全く理解出来ない偏見に基づいています。
彼の論拠はID論批判者のID論は宗教であると言う一般的な見解をそのまま口移しにしているだけで、彼自身が思考して判断したものではありません。
元より科学的な知見の乏しいこの判事にはこの裁判を裁く資格はありません。
鞭毛モーターの問題も全く検証できずにID論教育違憲の判決を下します。
それをあたかもID論裁判のスタンダードであるかのように見做すのはとんでもない誤謬ですね。
-
Irreducible complexityは還元できない複雑さと和訳されますが、これは完全に誤訳です。
このことも繰り返し説明して来ましたね。
大体複雑さを還元する、って一体何のことですか?
還元とは元の状態に戻すと言う意味です。
なんですか、元の状態って?
全く意味が分かりませんね。
Irreducibleのreduceは減らす、削減する、と言った意味です。
従って、Irreducibleは減らせない、削減できない、complexity(複雑性)と組み合わされた場合それ以上簡略化できないと言う意味になります。
つまりそれ以上簡略化できない複雑性(組み合わせ)と言う意味です。
reduceが還元を意味するのは化学反応の場合を指す時のみで、この場合は勿論化学反応の話ではありません。
この化学用語として使わるときにのみ持つ還元の意味を誤ってその訳語に当てている訳で、誰が最初にこの訳語を使いだしたのか知りませんが、全くの誤訳な訳です。
分かり易く言い直せば、それ以上簡略化(省略)できない複数の要素の組み合わせという事です。
省略してしまうとその機能が失われる、と言う意味です。
この明らかな誤訳が現在も使用し続けられている事には正直驚きます。
それで分かった気になっている人たちは自身の不明を恥じなければいけません。
そしてこのIrreducible complexityはベーエの指摘を待つまでもなく極めて当然の事であり、それは生命誕生の当初から進化の各段階においても、また細胞で構成された生命体の構造と機能においても常に全ての場面で当て嵌まる話です。
それはつまり必要な要素の同時性と言い換えることも出来ます。
そしてこの同時性が現代科学ではまだ全く説明が付けられていない事象なのです。
同時性が強く要請される典型的な例が生命誕生です。
生命誕生、言い換えれば原初の生命体が生命体として成立し得るには最低限の生命としての条件を備えていなければならない、その生命要素、生命体の定義の話です。
その生命と定義される複数の要素は何れを欠いても生命体として存在することは有り得ない、これは同時にもたらせる必要がある、そうでなければ生命体として機能しない、そういう話です。
これはそのままIrreducible complexityであり、生命活動、進化のどの場面においても確認され検証される事象です。
-
日本は均一性国家ですが、アメリカは分断国家です。
大統領選でも見事に分断されますね。
そもそもがプロテスタントの国ですからその影響力が強く、それが進化論にも反映します。
進化論に宗教がなだれ込み、ただでさえ整合性の採れない議論が更に混乱します。
未だに若い地球説を唱え、それが信じられたり、一方で勿論それを排撃する人たちもいます。
イギリスはダーウィンの国ですからアメリカに比べて実際の所宗教的な意識は低く、英国国教会は世俗的ですね。
それぞれの立場から様々な主張がなされますが、未だにアカデミズムの中心で唱えらているダーウィン進化論自体が科学に立脚していないので、進化論自体がカオス的な状態にあります。
その辺りの整理が付けられないでいる人たちが専門家も含めて極めて多い。
科学と宗教が入り乱れ、更に空想と現実が混同される。
現在日本の教科書は進化論の説明にやや及び腰です。
ある意味それは妥当な態度と言えなくもないですね。
ID論に踏み込む勇気はとてもないでしょうから。
そこが正面衝突しているアメリカとの大きな違いです。
創造論、ID論に関しても行きつ戻りつしています。
アメリカでそれが決着できない理由は科学信仰と宗教信仰が共に信仰である事です。
-
>教科書に説明?いちいち書きませんよ。それが絶対条件ですから。
プラスとマイナスの電気があると考える理由は、引き合う電荷と反発する電荷を示して、生徒に納得させますよね。
合理的な説明と納得すれば、コンセンサスがないのはおかしいと思うでしょうし、合理性がなければ、コンセンサスがあるのがおかしいと思います。それだけのことです。
>センメルヴェイスの例は疫学的データが無視された例であって根拠が薄いのに持ち上げられた例ではありません。
だから、問題は疫学的データの内容でしょう。理論自体の合理性であって、コンセンサスの有無ではありません。18世紀の波動説に矛盾があったかは、18世紀の波動説を検証して判断すればよいのです。検証対象は当時の理論です。当時の科学者ではありません。
>すり抜けるのは物質とエーテルであって、エーテル同士がすり抜けるとは一言も述べていませんよ。
・・・まだ、その誤解から抜けられませんか? エーテルは物質です。何のために「KL²/M」を出したと思いますか。ばね定数Kと質量Mをもつ物質だと示すためです。
そして、ばね定数と質量があるとは、ばねと質量による抵抗があるということです。物体がその中で距離xを動いたらKxの力で押し返されるし、加速度aで動いたらMaの力で抵抗されます。ばね定数と質量の定義からそうなるのです。そして、そのようなばね定数と質量をもつ物質が、切れ目なく続いていないと波が伝わりません。切れたらそこで波は止まりますから。
ゆえに、エーテルと物体がすり抜けられないのです。
物理の基本中の基本です。必ず理解してください。
>硬ければより速く伝わるならカッチカチのエーテルなら光速を超えるレベルで伝わるんだろうね、ってだけ。
「硬ければより速く伝わるならカッチカチのエーテル」という言い方が、すでに硬さ(弾性)をもつ「物質」であることを前提にしてると分かりませんか? 当然です。そうでなければ意味が通じないのだから。
>だったら黒鉛も透過しないとおかしいでしょ?矛盾ですね。
原子核の話は、質量集中自体に矛盾がない例に挙げました。本題は原子の並び方です。黒鉛の原子が均一に分布していれば、矛盾ではありません。
>それにダイヤモンドにそのようなムラがあるなら一部の集中してる部分とやらが観測されないのは矛盾ですね。
集中も分散も、光粒子程度の大きさを通すか通さないか、というレベルの話だから、当時の技術では観測などできません。
>表す必要がありません。質量が無いんだから。
まってください!
私は、質量が入った「v²」を求めたのではありませんよ。質量がないとおっしゃるから、質量の項がない形で「v²」を表すことを求めたのです。
「v²」が質量を含まないのなら、質量を含まない形で「v²」を表してください。必ずやってくださいよ。
>その理屈ならエーテルも支持されるでしょ。
ケプラーの法則によって、天動説では説明できない予測精度が得られたことが問題なのです。何度も繰り返してますが、粒子説では説明できない事象が観測されたのは、19世紀の2重スリット実験です。矛盾をおしてもエーテルを想定する必要が出たのはそのときで、それまでは、矛盾のない粒子説でよかったはずです。
>並べた鉄球の例ですね。相互作用するので強い結合とやらは想定する必要を感じません。
あれ? 結合とは相互作用のことだと、理解されたではありませんか。
>>558
>粒子間に相互作用があるのは初めから言っているのでそう言う意味なら「結合」はありますよ。
よろしいですか? 波動には振動が必要で、振動は変位に復元力が働かねば生じません。並べた鉄球に復元力が働きますか? 隣の鉄球を押すことはできても、引っ張ることができますか?
結局「v² = KL²/M」に帰着します。そこから、
*エーテルは弾性(K)と質量(M)をもつ物質である
*速度(v)が大きいなら弾性(K)が大きい。つまり硬い
ことが分かります。これを否定なさるのなら「v²」を「KL²/M」以外の形で表してください。必ずやってくださいよ。
>そもそも波動方程式成立は20世紀に入ってからです。
20世紀に成立!! どこのだれが成立させましたか? 情報源を示して答えてください。必ずやってくださいよ。
18世紀にダランベールが波動方程式を成立させたことの情報源はこれです。
en.wikipedia.org/wiki/Wave_equation#Wave_equation_in_one_space_dimension
>当時の波動説支持が仮に科学を逸脱してたとしてどうしたいの?
>当時逸脱が容認されていたからIDの逸脱も容認しろとかでも言いたいの?
先走らないでください。今は、地動説と波動説が逸脱していたことを、納得してもらいます。それだけでも、科学と疑似科学を判別するスレッドの主旨にかないます。
-
学術分野にも色々ありますが、進化論に関して最も大きな問題は科学では無いものが科学だと信じられている事です。
現在主流とされる総合説もダーウィン進化論がベースになっています。
それを科学だと主張している訳ですから、それはつまりダーウィン進化論を科学だと信じている訳ですね。
この空想と科学の区別が付けられない致命的な誤謬を長年にわたって犯し続けています。
かれらはID論を非科学的だ、宗教だと言って排撃する訳ですが、では彼らの信じているダーウィン進化論の一体どこが科学なのか。
自然選択が観察されたとする数少ない実例であるダーウィンフィンチにしても工業暗化にしても、全く厳密に自然選択を説明できるものではありあません。
繰り返し説明してきた通り、それは単に都合の良い変異が起こりさえすればそれを自然選択と極め付ける、自然選択の工程に対する完全な無理解が生むものです。
自分達が科学でなく癖に相手を非科学と論難する。
それが彼ら進化論者の採っている態度です。
科学の方法論に対する無知、無自覚。
長くアカデミズムで科学的と主張されてきたからと言って、それが科学である根拠にはなりません。
科学であるためには、どうしても科学と主張したいなら、科学の方法論に則って、事実に依る証明を行ってもらいましょう。
-
自然選択の各工程の詳細な検証が何故行われてこなかったのか、それにも拘らず自然選択論を何故平然と科学と称して来たのか。
その理由がよく理解できません。
恐らくは単純に信じ込んでいる。
検証せずに信じ込むわけですから、それは宗教です。
それを科学であると信じ込めるその背景は権威ですが?アカデミズムですか?常識ですか?
その無能ぶりは目を覆うばかりですね。
再現可能性が大変低いが故に実験的な検証観察が困難。
その隙間に入り込んで繁殖する宗教的な思い込み。
それが自然選択論に立脚した現代進化論です。
-
「生命は最初創造によってそのいくつかの能力とともに吹き込まれ」
これはダーウィンが「種の起源」の巻末結びの文章で述べている言葉です。
創造と言う言葉を使っていますね。
これには主語が必要です。
つまり何者かによって創造された、と言う事になります。
創造する主体が存在しなければ、創造物は誕生しません。
これは自然発生と対極にあります。
創造者と被創造物はペアです。
単独では存在し得ません。
種の起源の最後で語られたこのダーウィンの生物観は殆ど突然の様に出現します。
そしてその生物観はほぼ正しく、ダーウィンの文章としてはとても美しいものです。
最後の最後に書かれたこの文章が彼の真情からかけ離れているという事はないでしょう。
従ってこの生命観は彼が実際に抱いていたものだと考えられます。
しかしこの生命観は種の起源の他の部分では殆ど書かれていません。
自然選択はそもそも創造の否定、対極に存在します。
それが何を物語るのか。
致命的な自家撞着ではないですか。
彼は創造の主体を一体どう考えていたんでしょうね。
-
第1掲示板でKenさんが議論を始めてから6年以上が経過しているにも関わらず
いまだ議論を本題に絡めることすら先走りとして扱うような状態では
もはや根負けした相手が議論を打ち切ることを待っているとしか思えないのですが・・・
-
なるほどね
-
と言うか、実は本論には興味はない、そっちはどーでもいいと言う事でしょう
-
>>582
>合理性がなければ、コンセンサスがあるのがおかしいと思います。それだけのことです。
?
合理性が無いのにコンセンサスが得られてるもんはないでしょ。
一部だけ見て判断していませんか?総合的に見て判断するもんです。
それが根拠バトルです。
>・・・まだ、その誤解から抜けられませんか? エーテルは物質です。何のために「KL²/M」を出したと思いますか。
なんども言うように普通の物質でないからね。
当時は現在の知識では摩訶不思議な物質が真面目に論じられてきました。熱や磁気、電気も粒子と考えられたりしてました。
磁気なんか鉄の中を自由に透過して他の物質に影響しないのにその粒子同士は作用する不思議物質と考えられていました。
繰り返しますがどんなトンチキなものでも仮説を立てるのは正しい科学の姿勢です。
大事なのはその後に検証をすることです。それこそ科学であり、エーテルは実際それを行っていました。
>「硬ければより速く伝わるならカッチカチのエーテル」という言い方が、すでに硬さ(弾性)をもつ「物質」であることを前提にしてると分かりませんか?
貴方が硬い硬い言うからそれに合わせているだけです。
私は流体だと言っています。
>原子核の話は、質量集中自体に矛盾がない例に挙げました。本題は原子の並び方です。黒鉛の原子が均一に分布していれば、矛盾ではありません。
そんな物質が存在するなら貴方の大好きな具体例をお願いします。
密度が濃くても通過する並びがあるとしてそれより密度の薄い方が全く通過しないって明らかにおかしいですよね。
無理矢理ありえない仮定で説明する、いや別に良いですよ。先ほども言ったように仮説を立てるのは科学として正しいですから。
でもそれって、エーテルの性質の仮定と本質的に同じ行為ですよ。エーテルのみ頑なに否定するのはおかしいと思いますね。
>私は、質量が入った「v²」を求めたのではありませんよ。質量がないとおっしゃるから、質量の項がない形で「v²」を表すことを求めたのです。
じゃあ、それでいいじゃん。
E=mc²が光だと成り立たないみたいなもんだと思います。
>ケプラーの法則によって、天動説では説明できない予測精度が得られたことが問題なのです。何度も繰り返してますが、粒子説では説明できない事象が観測されたのは、19世紀の2重スリット実験です。矛盾をおしてもエーテルを想定する必要が出たのはそのときで、それまでは、矛盾のない粒子説でよかったはずです。
二重スリット実験は波動性が観察されたモノですが同時に粒子性も観察されています。粒子説の否定じゃありません。
それにスリットの縁に引っかかって軌道が曲がって結果的に干渉縞が生じるとか粒子だけでも無理くり説明も出来ますよ。
>あれ? 結合とは相互作用のことだと、理解されたではありませんか。
相互作用はしても私はカッチカチとは微塵も思っていませんからね。
>並べた鉄球に復元力が働きますか? 隣の鉄球を押すことはできても、引っ張ることができますか
実際に並べた鉄球で波動は伝わります。
もう一度問いますが、貴方は波動の伝播を媒質自体が伝達方向に移動していくことと勘違いしてませんか?
>これを否定なさるのなら「v²」を「KL²/M」以外の形で表してください。必ずやってくださいよ。
表す意味が分りません。
vって波の伝播速度であって媒質の速度じゃ無いですからね。
モノによって色々です。弾性体中なら仰る通り弾性率と体積密度の比になるでしょうが電線とかなら電気容量で決まるみたいな。
それに>>522でも言いましたが質量が絶対的に必要なら別にそれでもいいんですよ。
エーテルが不可量流体ってのはそう言う説があるってだけのことですから。質量があろうが他の物質を透過するなら別に問題ありませんから。
特に質量が必要とは私は全然思いませんが、正直どっちでも良いです。
-
>20世紀に成立!! どこのだれが成立させましたか? 情報源を示して答えてください。必ずやってくださいよ。
>18世紀にダランベールが波動方程式を成立させたことの情報源はこれです。
これは貴方が正しいです。
古典的波動方程式とシュレディンガーの波動方程式を混同していました。私が間違っています。
>先走らないでください。今は、地動説と波動説が逸脱していたことを、納得してもらいます。それだけでも、科学と疑似科学を判別するスレッドの主旨にかないます。
いや、もう面倒なんで先走って下さい。
どれだけ言葉を尽くされても私が納得することは「絶対に」ありませんから。
当時、エーテルが否定しきれなかったと言うのは動かしがたい絶対的事実ですので、今更どう語られても「当時はそう思われてなかった」、と言うことは変えようがありません。
とりあえず、地動説と波動説が科学の手順を逸脱していた体で話を進めれば良いんじゃないですか?
正直、当時の波動説とかが逸脱していようがいまいが、IDにどう関わるか全く持って検討がつきませんのでね。
-
ID論の証明は、従来の科学的証明とは異なります。
その理由は「知性」を証明する必要があるからです。
この知性の存在自体が従来の科学の方法論には馴染みません。
知性の定義自体が科学的には中々説明しづらいものだからです。
だからと言ってそれを非科学的と非難するのはお門違いですね。
では、人間の持つ知性は一体どう説明するんでしょう。
我々は人間の持つ知性に対してさえその実体に十分な説明を与えることは出来ません。
しかし「知性」が無ければ文明が成り立たない事は誰でも理解できる紛れもない事実です。
逆にこの文明を成り立たせているものが知性であると定義することも出来るでしょう。
ではその知性の由来は一体何処から来てるのか、それを完全に説明することが出来る人は誰もいないでしょう。
しかし「知性」が存在するのは紛れもない事実ですね。
それを否定する人は誰もいないでしょう。
それを理解するのがID論の理解にとっても極めて重要な事です。
-
ID論は一種の認識論と見做すことが出来ます。
つまりこの世界をどのように認識するか、という事です。
世界観ですね。
この世界を何者も介在することのない完全な自然状態にある、その自然状態の結果がこの様な宇宙と生物が存在している、と考えるか或いはこの世界は設計されている、それは何らかの知性による設計だ、と考えるのかその何れか、2択の話です。
そのどちらの世界観を選ぶか、という事です。
2者択一ですから、それ以外の選択肢はありません。
どちらの世界観を選ぶかによって、この世界の認識は全く異なるものになります。
認識論ですから、それが直ちに科学体系をもたらすことはありません。
ID論は勿論設計されていると言う立場です。
設計されているという事はその設計を行った主体が存在するという事ですから、それをIDと称する訳です。
設計とはそもそも知的な作業ですが、敢えてそれを強調してIDを呼ぶわけですね。
-
ID論はその様な認識論ですから、それを体系的な科学として成立させようと本格的に取り組むとあらゆる科学分野を網羅するトンデモナイ体系を構築する必要がります。
それは全く現実的ではありませんから、ID論を科学的な体系として示せと言うのは直ちには到底無理な話です。
だからと言ってID論が非科学的であると言うのは極めて不当な極め付けです。
ID論、つまりこの世界は設計されていると言う世界認識はあらゆる科学的知見によってロジカルに導かれるものですから、それは少なくとも科学的な推論である訳です。
それを科学では無い、宗教に過ぎない、言って非難するのは、偏見、無理解、或いは特定の立場からその様に規定しないと都合が悪い、そういう話になります。
ID論自体は科学の方法論ではありませんが、どちらの世界観を選ぶかによって科学に対するアプローチの方法論は全く異なるものになります。
設計を前提とするかしないかです。
それは科学の方法論の効率化の問題でもあります。
-
科学の方法論は、自然について従来の世界観では説明が不可能になってしまったから発案され、発展したものです。
>この世界を何者も介在することのない完全な自然状態にある、その自然状態の結果がこの様な宇宙と生物が存在している、と考えるか或いはこの世界は設計されている、それは何らかの知性による設計だ、と考えるのかその何れか、2択の話です。
ではなく、人間が実際に確認できることをもとに、人にとって確かな知識の体系をつくろうじゃないか、ということです。
でも、人間が「事実」を知るというのは、なまやさしいことではありません。
光の性質の理解や、ほぼ同時代のフロギストン説にまつわる展開は、1世紀を超える時間をかけて多くの科学者が努力を重ね、
ようやくコンセンサスを得て主流となりえて、次のより確かな事実につなげる、という経緯をもちます。
ダーウィンの進化理論も、同じなんです。19世紀終わり頃は、ほとんど葬り去られていましたし。共通祖先からの分岐と仕組みとしての自然選択が、いまでも進化理論のコアとして認められているのは、多くの科学者が長い時間をかけて「事実」を求めた結果で、認識論や世界観ではありません。
あなたが言う通り、デザイナー論は世界観であって、科学理論ではありませんね。
反証がありえないという明言も、科学理論ではないこと示してますよ。ここはちょっと理解が及ばないかもしれませんが。
-
ID論を正確に理解するためには、いくつかの基本的な事項の理解が前提になります。
先ず、IDを神と称してID論を宗教と極め付ける、この様な態度を取り続ける人たちには先ずID論を理解する資格はありません。
ID論が宗教であるなら、科学的な知見も不用、ロジックも顧みる必要はありあません。
逆にID論は科学的な知見に立脚しロジックによって証明されるものですから、全くその逆を行っている訳でそもそも話になりません。
更に、自然選択論に基づく総合説に代表される現代進化論が実際の進化のメカニズムを何一つい説明出来ていない事を十分に理解する必要があります。
現代進化論は基本を偶然性に置いています。
それはつまり現代進化論を認める事は進化が偶然の産物であると理解することです。
完全な偶然では如何なる進化も起らない、それを理解出来なければ矢張りID論を理解することは出来ません。
それが十分に理解できたなら、自ずと進化にはそれを必然たらしめる何らかの要因が存在する、と言う結論になります。
その進化を必然たらしめる要因の存在が承認出来たなら、それは何らかの設計の存在に帰着します。
つまりID論は極めて自然な思考の流れの中で示されるものなのです。
そして何らかの設計が介在するとした場合、それは宇宙生成のビッグバンにまで遡り、その初期設定まで行ったと考える必要があります。
それは時空、物質、あらゆる物理法則、物理定数を含みます。
それをIDは生物的な何者かだ、等と言ってるようでは全く話になりませんね。
ID論について何一つ理解できていない、と言う話です。
-
生物の進化と多様化の科学なる番組を現在もBS232で放送していますが、同番組講師の主張は相変わらず古色蒼然たる自然選択論に軸足を置いており、全く無意味です。
同講師は他の自然選択論支持者と同様自然選択論の工程を全く理解していません。
つまり自然選択論に無知でありながら、それを正しいと信じ込む例の不明の態度を取り続けます。
同講師も他の自然選択論者と同様自然選択論のセントラルドグマである「選択」の概念を理解していません。
ダーウィンは少なくとも自然選択が膨大な敗者を生むシステムであることまでは理解していましたが、彼の追随者たちの多くはその事実すら理解していません。
しかしダーウィンが理解できていたのはそこまでで、その形質の優位性が生存率にどれだけの差異をもたらすのかについてまでは想像力が及びませんでした。
これは致命的な見落としです。
自然が行使できる唯一の力が生存の制限、つまり生存率に関してであることに対する理解が不足している訳です。
その点を多くの自然選択論支持者たちは極めて安易な態度でに見過ごしています。
有性生殖で言うなら繁殖年齢における生存率の差異が現実にどれほどのものなのか。
その具体的な考察を行って自然選択論を検証しようとした自然選択論者は皆無です。
それが自然選択論を科学として検証する核心です。
それが言い出せない、それを認識するだけの知能が無い、勇気が無い、目を背ける、権威に隷属する、それらがないまぜになって自然選択論の悪夢は続きます。
-
ダーウィンは宗教嫌い、唯物論嫌いです。
彼のターゲットは宗教的創造論であり、有神論的進化論ではありません。
言いたかったのはただ一つ、種は変異する、です。
そしてその変異の原因を自然選択に求めます。
そもそも進化と言う言葉も最初は使っていませんでした。
自然選択のアイデアを得たマルサスの人口論も稚拙、とても一般論に敷衍できる代物ではありません。
何故ダーウィンがこれ程までに自然選択論に固執したのかも不明。
その自説の正当化しようとする異常な情熱の出所も不明です。
科学と言う用語を殆ど使わない彼が科学をどこまで意識していたかも不明です。
少なくとも科学的方法論には関心があったとは思えません。
従って全ては彼の想像の世界の中で語られており、事実による検証は皆無です。
ダーウィン自身が自然選択の工程に対する理解が不足しているので、検証の仕様もありませんね。
その自然選択論を無検証に金科玉条の如く信じ奉る。
未だにそれをやっているのが総合説に代表される現代進化論です。
-
設計問題はあらゆる場面で突き付けられます。
現代科学の進歩はそれを更に切実なものにします。
宗教とそれをしっかり切り分けるためには上質の知性が必要です。
それが無い者に語る資格はありません。
宗教者には更に語る資格がないですね。
宗教者もどきも。
-
デザイナーの存在そのものや、どのようにして生物の進化を司ったのか、
客観的に示せないなら、「科学理論ではない」ということはわかりますか。
-
設計問題はあらゆる場面で突き付けられます。
現代科学の進歩はそれを更に切実なものにします。
宗教とそれをしっかり切り分けるためには上質の知性が必要です。
それが無い者に語る資格はありません。
宗教者には更に語る資格がないですね。
宗教者もどきも。
-
極小世界から全宇宙まで張り巡らされた膨大なアルゴリズムも極めて明確にその存在を窺わせます。
より明示的なのは生物の存在ですね。
中でもゲノム情報の暗号性はその存在なしには決して有り得ないこの上なくあからさまな事実として提示されます。
全ては単一では存在しえず、膨大なアルゴリズムの中で相互連携の中で初めて存立し得ます。
ダーウィンも生物種間の相互連携については何度も言及していますが、残念ながらそれが自然選択論にフィードバックされることは
全くありません。
自然選択論は彼が大事に温めて育てた子供で如何に風雨に曝されようと守り抜く、大変ひ弱な過保護児です。
-
ダーウィンは宗教嫌い、唯物論嫌いです。
彼のターゲットは宗教的創造論であり、有神論的進化論ではありません。
言いたかったのはただ一つ、種は変異する、です。
そしてその変異の原因を自然選択に求めます。
そもそも進化と言う言葉も最初は使っていませんでした。
自然選択のアイデアを得たマルサスの人口論も稚拙、とても一般論に敷衍できる代物ではありません。
何故ダーウィンがこれ程までに自然選択論に固執したのかも不明。
その自説の正当化しようとする異常な情熱の出所も不明です。
科学と言う用語を殆ど使わない彼が科学をどこまで意識していたかも不明です。
少なくとも科学的方法論には関心があったとは思えません。
従って全ては彼の想像の世界の中で語られており、事実による検証は皆無です。
ダーウィン自身が自然選択の工程に対する理解が不足しているので、検証の仕様もありませんね。
その自然選択論を無検証に金科玉条の如く信じ奉る。
未だにそれをやっているのが総合説に代表される現代進化論です。
-
自然選択論は極めて稚拙です。
それに対して進化の過程は極めて複雑で精妙です。
とても偶々の変異とそれに対する環境による生存率の制限で説明できる代物ではありません。
自然選択論において自然が行使できる唯一の力は生存率の制限です。
それによって全てが成し遂げられるとダーウィンは言っている訳です。
それが科学的であると主張し信じ込んでいる人たちが未だにアカデミズムの中央に陣取っているんですから呆れます。
中立説は自然選択論に対立こそすれ補強しないものであることは言うまでもありませんが、それがあたかも自然選択と折り合って説明可能であると言うデタラメなレトリックが弄されます。
まず何が必要か、それは自然選択論を一度完全にリセットして素直に進化の事実と向き合う事です。
それが出来ない限り、進化論が科学として成立することは決してありません。
-
今回の最重要点はこれですね。
>当時は現在の知識では摩訶不思議な物質が真面目に論じられてきました。熱や磁気、電気も粒子と考えられたりしてました。
>磁気なんか鉄の中を自由に透過して他の物質に影響しないのにその粒子同士は作用する不思議物質と考えられていました。
摩訶不思議かどうかしりませんが、波動方程式を見れば分かるように、波動は質量と弾性を前提にしています。質量があれば「質量×加速度」の抵抗を生じ、弾性があれば「ばね定数×変位」の抵抗を生じます。そういう抵抗を生じる物質が切れ目なくつながっていれば、物体がすり抜けることができません。
熱や磁気や電気が物体をすり抜ける粒子なら、光粒子と同様、つながりのない離散的な存在ということです。波を伝える媒質でないならそれでよいですが、すり抜ける粒子は波を伝えません。
質量の定義はMaなる抵抗を与える存在です。弾性の定義はKxなる抵抗を与える存在です。抵抗自体が定義なのですから、巨大な弾性をもつエーテルは、エーテル同士だろうが、別の物体とだろうが、すり抜けることはありません。この場合の別の物体は、天体や砲弾や人間のことで、自分も質量と弾性をもつ存在です。
もし磁気の粒子なるものが他の物体をすり抜けるなら、磁気粒子間には弾性を作るような相互作用が働かず、その粒子同士が干渉するなら、干渉の原因は弾性ではないということです。
そのことは、熱、電気、磁気の作用が、加速度に比例する慣性力とも、釣り合いからの変位に比例する弾性力とも、まったく異なる法則に従うことで裏付けられます。熱、電気、磁気の粒子なるものがあったとて、その事例を波動の媒質には適用できません。
>貴方が硬い硬い言うからそれに合わせているだけです。
>私は流体だと言っています。
波を伝える空気も水も流体ですが、その中を動く物体は抵抗をうけます。当然です。質量と弾性がなければ波は伝わりません。そして波動方程式に従えば、巨大な速度の波には巨大な弾性が必要で、必然的に「ばね定数×変位」の巨大な抵抗を生じます。流体か固体かの問題ではありません。
-
>密度が濃くても通過する並びがあるとしてそれより密度の薄い方が全く通過しないって明らかにおかしいですよね。
おかしいですか? 要は、物質が均一に分布するか、部分に集中するかの問題でしょう。
17世紀のボイルの実験以来、一様に見える物質も、実は細かい粒子に集中しており、粒子間に隙間があると分かってきました。でも、なぜ集中するかは不明な時代です。物質が粒子に集中するなら、粒子同士の集中も、集中の集中も考えられます。ダイヤモンドと黒鉛では、集中形態が異なることも考えられます。どんな構造を否定する法則もないのですから。
>エーテルのみ頑なに否定するのはおかしいと思いますね。
いいえ。質量と弾性をもつ物質が切れ目なくつながりながら、物体の通過に抵抗を与えないのは、物理法則で否定されます。そういう物理法則があるのだから、しかたがありません。物質内部の構造とは、そこが違います。
>スリットの縁に引っかかって軌道が曲がって結果的に干渉縞が生じるとか粒子だけでも無理くり説明も出来ますよ。
実際に、18世紀までに観測された縞模様は粒子説で説明されました。しかし、2重スリット実験の縞模様は、ニュートン環の縞模様とは違うのです。ファインマンの図は光ではなく電子を扱ったものですが、同じ現象なので、再度紹介します。スクリーンに反映されるのが、光の明るさと考えれば、ヤングの実験の再現になります。
www.feynmanlectures.caltech.edu/I_37.html
Fig. 37–1は粒子が2つのスリットを通る場合ですが、スクリーン上の光の強さは、2つのスリットを通ってくる光の合計になってるのが分かりますか? 粒子なら当然そうなります。
ところがFig. 37–2では、2つの光が重なった部分に、1つの光だけの時より暗い部分がありますよね。これこそ、ヤングが見つけた、粒子では絶対にありえない現象です。2つの合計が1つの時より暗くなる現象を説明できるのは、波の位相しかありません。位相が180度ずれた波は、打ち消しあうからです。
もはやエーテルの矛盾があっても波動説を排除できませんでした。時系列を整理すると、
18世紀まで:波動説にはエーテルの矛盾、粒子説には矛盾なし→波動説は正しい科学を逸脱
2重スリット実験:波動説にはエーテルの矛盾、粒子説には干渉縞の矛盾→どちらも逸脱
電磁波の発見:波動説の矛盾は解消、粒子説には干渉縞の矛盾→粒子説が逸脱
となります。
>実際に並べた鉄球で波動は伝わります。
それは鉄球に質量と弾性があるからでしょうが!
「並べた鉄球」って説明のための比喩ではなく、本物の鉄球を言われていたのですか? それなら、並べた鉄球にご自身が突っ込んで、無抵抗で通過できるか、試してみてください。
>vって波の伝播速度であって媒質の速度じゃ無いですからね。
むろんです。私の投稿のどこが媒質自体の移動を語っていますか? 波の伝播速度を解析した結果が「v² = KL²/M」だと言っており、解析過程も紹介しました。否定をなさるのなら「v² = KL²/M」以外の形で、波の伝播速度を表してください。
>合理性が無いのにコンセンサスが得られてるもんはないでしょ。
それは切り口が違います。エーテルは矛盾というコンセンサスがあったか、と問われたのだから、合理性がある理論が必ずコンセンサスを得られるかを考えるべきです。データに裏付けられたセンメルウェイスの主張は、コンセンサスを得ませんでした。合理性のない理論がコンセンサスを得るのは不可能でしょうが、合理性のある理論がコンセンサスを得ないことはあり得ます。
>「当時はそう思われてなかった」、と言うことは変えようがありません。
>>582で述べたとおりです。検証対象は当時の理論です。当時の科学者ではありません。
-
ID論の証明は、従来の科学的証明とは異なります。
その理由は「知性」を証明する必要があるからです。
この知性の存在自体が従来の科学の方法論には馴染みません。
知性の定義自体が科学的には中々説明しづらいものだからです。
だからと言ってそれを非科学的と非難するのはお門違いですね。
では、人間の持つ知性は一体どう説明するんでしょう。
我々は人間の持つ知性に対してさえその実体に十分な説明を与えることは出来ません。
しかし「知性」が無ければ文明が成り立たない事は誰でも理解できる紛れもない事実です。
逆にこの文明を成り立たせているものが知性であると定義することも出来るでしょう。
ではその知性の由来は一体何処から来てるのか、それを完全に説明することが出来る人は誰もいないでしょう。
しかし「知性」が存在するのは紛れもない事実ですね。
それを否定する人は誰もいないでしょう。
それを理解するのがID論の理解にとっても極めて重要な事です。
-
ビッグバンを起点とするこの宇宙の生成、生命の誕生、生命の進化、これらの過程に関しては、現在その概要はかなり明らかになっています。
宇宙誕生時の極小時間単位のモデルも示されています。
しかしその根本原因に関しては全く未解明、謎のまま残されています。
宇宙誕生前が完全に無であったのかどうかも全く不明、何故極小空間が突然膨張を始めたのかも不明です。
更にその後原子とそれによる物質が生成され、星が誕生しこの宇宙が出来上がったメカニズムに関しても、解明されているのはごく一部に過ぎません。
更に生物に関して言えば、その誕生の過程は全く謎に包まれいます。
提唱されているRNAワールド仮説にしても、とてもその全体像を説明し得るものではありません。
進化の過程も全く同様、何故個々の種が誕生したのか、その正確なメカニズムは全く未知です。
つまり、この宇宙の生成原因、生物誕生と進化、それらの根本原因は現在科学においては全くお手上げの状況にある訳です。
誤った科学主義とは、それをそうではない、現代科学は既に十分な事象を解明しておりそれで説明出来ない事象は殆ど存在しない、こんな思い上がりによって生み出されます。
従ってその様な誤った科学主義者たちは現代科学で説明のつかない事象を何とか既成の科学で説明を付けようとする、更にはその様な事象は事実として存在しないとまで主張するトンデモナイ暴論に走る訳です。
-
学術分野にも色々ありますが、進化論に関して最も大きな問題は科学では無いものが科学だと信じられている事です。
現在主流とされる総合説もダーウィン進化論がベースになっています。
それを科学だと主張している訳ですから、それはつまりダーウィン進化論を科学だと信じている訳ですね。
この空想と科学の区別が付けられない致命的な誤謬を長年にわたって犯し続けています。
かれらはID論を非科学的だ、宗教だと言って排撃する訳ですが、では彼らの信じているダーウィン進化論の一体どこが科学なのか。
自然選択が観察されたとする数少ない実例であるダーウィンフィンチにしても工業暗化にしても、全く厳密に自然選択を説明できるものではありあません。
繰り返し説明してきた通り、それは単に都合の良い変異が起こりさえすればそれを自然選択と極め付ける、自然選択の工程に対する完全な無理解が生むものです。
自分達が科学でなく癖に相手を非科学と論難する。
それが彼ら進化論者の採っている態度です。
科学の方法論に対する無知、無自覚。
長くアカデミズムで科学的と主張されてきたからと言って、それが科学である根拠にはなりません。
科学であるためには、どうしても科学と主張したいなら、科学の方法論に則って、事実に依る証明を行ってもらいましょう。
-
ID論、つまりインテリジェントデザイナー論というのは、1980年代以降提唱された、
比較的新しい議論です。
それ以前の創造論は基本的に宗教に拠って立つものが殆どで、そういった従来の創造論から
宗教色を一切排したものがID論です。
提唱者に宗教的な背景を持つ人たちが多いのは事実で、その為科学を装ったIDを隠れ蓑にした
宗教だと言う指摘もよくなされます。
これな何度も言ってきたことですが、提唱者に宗教的な背景があろうがなかろうが、ID論自体は
宗教ではありません。
そこには協議もなければ人格神も存在しない。
神からの啓示も存在しません。
従って、ID論自体を宗教と決めつけるのは誤りなわけですが、ID論に対する未理解、
若しくは単にID論の攻撃材料にするためにID論を宗教と決めつけている人たちも
少なくありません。
ID論には宗教の前提である無検証の信仰が存在しません。
そもそもこの問題は、この世界は何の作為もなく全くの偶然、偶々の産物なのか、
それとも何らかの作為、意図に基づいて設計されたものかなか、
と言う根本命題に由来します。
これは突き詰めれば宇宙誕生のビッグバンにまで遡ることになります。
この宇宙の誕生が全くの偶然なのか、そうではなかったのか、と言う話ですね。
ツマリ簡単に言ってしまえば、この世界の設計者がいるのかいないのか、
と言う話です。
この場合、設計者が何者か、は特定できない、特定しない、特定しようがない、
と言う話になります。
設計者の実体が全く不明なので、それを検証しようがありません。
従って、ID論を従来の科学の範疇で規定することは出来ないわけです。
あくまで仮説、さらに言えば仮説以前の推論ですね。
しかしながら、その推論の根拠は全て科学的な知見に基づいています。
あらゆる科学的な事実を検証し、それ以外の結論が導けない、つまり設計者なしには
この宇宙も存在しえない、と言うのがその論理で、その結論の正しさを担保するのは
ロジックの正確さ厳密さ以外にはありません。
それを非科学的と非難するのが的外れであることは、言うまでもありません。
-
ダーウィンは存在する化石群が不連続である事、また例えばカンブリア紀に突然一斉に出現する多様な化石群がそれ以前の地層には全く存在しないことを認めています。
これは地質学者としては当然の態度です。
しかしそれにも拘らず彼は変異は全て連続的であり、カンブリア紀以前にもそれ以降と同様に生物の進化の連続が存在していた筈と主張します。
ただ化石証拠がいくつかの理由により存在してないだけ、発見されていないだけというのが彼の言い訳です。
つまりそれは全て彼の空想です。
カンブリア紀に至るそれ以前の連続した変異は現在完全に否定されていますね。
彼はスノーボールアースを知りません。
全ての中間種を埋め尽くす微細な変異の連続も未だ発見されていません。
自然選択論はつまりこの様なダーウィンの想像に完全に依存しています。
そしてその証拠が存在しないものを科学と称したりします。
それに対する反論を非科学的と非難したりもします。
呆れ果てますね。
それが現代進化論の主流とされる立場です。
この愚かしさは一体何なんでしょうね。
-
>もはや根負けした相手が議論を打ち切ることを待っているとしか思えないのですが・・・
いや、相手も相手だからね
絡みを止めるだけの知性も無い笑
-
ダーウィンは自らを不可知論者と称します。
つまり最終的には知り得ない。
その観点から言えば創造の主体は知り得ないという事になります。
その認識は正しいですね。
そしてダーウィンは更に無神論者ではなくて不可知論者だと主張します。
この基本的な構想はIDとほぼ同一です。
不可知論と言うのも宗教的な不可知論から非宗教的な不可知論まで内容はかなり錯綜しています。
例えばラッセルは不可知論者であり更に言えば無神論者だと名乗ります。
彼の根本は無神論です。
このように様々な立場から不可知論は語られますが、要は最終的には決して知り得ないものがあると言う認識では一致しています。
不可知論を完全に否定するのは不可能でしょう。
完全に全てを知り得る事が出来ない事はロジカルにも証明出来そうです。
何処まで行ってもその先があります。
その存在理由の追求は止むことなく無限に連鎖します。
IDの実体も最終的には不可知です。
不可知が不存在の理由にならないことはこれまで見てきた通り明らかですね。
つまりIDの実体が不明であることはIDの存在自体を否定する理由にはならないのです。
それを混同して、論拠にしようとする人たちもいますが、それは論点のすり替えです。
IDの存在はあらゆる事象の観察から極めて簡明にロジカルに証明されます。
-
アインシュタインが最後までその存在の同意を拒んだ量子世界にける因果律では説明しきれない諸現象は現在事実として認められ、それらは世界認識のパラダイムシフトを要求しかねない状況にあります。
人間の想像力はまだ事実に全く追い付けていません。
それが理解できないでいると結局科学も理解できないことになります。
どちらにしても自然選択論者はそもそも科学者ではありませんが。
-
ま、デザイナー論は「科学理論ではない」、ということだけわかっていればOKです。
-
ID論が声高に叫ばれているのは米国です。
背景には多くのプロテスタントの存在があります。
米国大統領もID論に言及しています。
従って、裁判でその教育問題が取り上げられるような事態になる訳ですね。
ここで一つの誤解と混同があります。
ID論は別に進化自体を否定していないんですね。
その様に主張しているのは聖書原理主義者たちです。
従って、進化論vsID論と言う対決構図は誤解を招くものです。
ID論は謂わば有神論的進化論です。
進化の事実は認める、科学的な知見は全て受け容れる、それがID論者の姿勢です。
つまりID論が非科学的と言われる根拠は何処にもありません。
知性ある設計者の想定は、逆に科学的な知見からロジカルに導かれるものです。
それは背理法であり消去法です。
そのロジックが非科学的だと言ったら、数学の証明は成り立ちませんね。
ドーバー裁判の判事の判断は、それらが全く理解出来ない偏見に基づいています。
彼の論拠はID論批判者のID論は宗教であると言う一般的な見解をそのまま口移しにしているだけで、彼自身が思考して判断したものではありません。
元より科学的な知見の乏しいこの判事にはこの裁判を裁く資格はありません。
鞭毛モーターの問題も全く検証できずにID論教育違憲の判決を下します。
それをあたかもID論裁判のスタンダードであるかのように見做すのはとんでもない誤謬ですね。
-
ビッグバンを起点とするこの宇宙の生成、生命の誕生、生命の進化、これらの過程に関しては、現在その概要はかなり明らかになっています。
宇宙誕生時の極小時間単位のモデルも示されています。
しかしその根本原因に関しては全く未解明、謎のまま残されています。
宇宙誕生前が完全に無であったのかどうかも全く不明、何故極小空間が突然膨張を始めたのかも不明です。
更にその後原子とそれによる物質が生成され、星が誕生しこの宇宙が出来上がったメカニズムに関しても、解明されているのはごく一部に過ぎません。
更に生物に関して言えば、その誕生の過程は全く謎に包まれいます。
提唱されているRNAワールド仮説にしても、とてもその全体像を説明し得るものではありません。
進化の過程も全く同様、何故個々の種が誕生したのか、その正確なメカニズムは全く未知です。
つまり、この宇宙の生成原因、生物誕生と進化、それらの根本原因は現在科学においては全くお手上げの状況にある訳です。
誤った科学主義とは、それをそうではない、現代科学は既に十分な事象を解明しておりそれで説明出来ない事象は殆ど存在しない、こんな思い上がりによって生み出されます。
従ってその様な誤った科学主義者たちは現代科学で説明のつかない事象を何とか既成の科学で説明を付けようとする、更にはその様な事象は事実として存在しないとまで主張するトンデモナイ暴論に走る訳です。
-
ゲノム、つまりDNAの塩基配列は生命の根幹にある訳です。
生命体を誕生させるためにはゲノムの存在が必要条件、ゲノムなくしては生命体は存在しえない、
と言う話になる訳です。
このゲノムの極めて精密で周到なシステムが偶然誕生しえたのか、
これが進化論を考える上でもその根幹に置くべきテーマです。
ダーウィンの時代は想像もしえなかったこのシステム、それがダーウィンの提唱した
自然選択説で説明可能、と未だに多くの人たちが疑いもなく考えています。
もっとも原始的な単細胞生物が何故誕生したのか、これは未だに全く解明されていない
謎です。
その原初の生命体が人にまで進化したその過程は、複雑化と多様化です。
その複雑化と多様化が何故成し遂げられたか。
自然選択論者は当然その自然選択論によってその過程を説明しようとしますね。
自然選択論は、簡単に言えばより生存に適したものがより多く生き残ることによって、
進化がもたらされる、と言う考え方です。
ツマリ生存に有利なものが生き残り、より生存に有利な形態になる。
では、複雑化と多様化は本当に生存に有利であったのか。
単にその個体数を増やすためだけであれば、複雑化は全く必要がありません。
多様化も、その環境に応じた多様性があれば十分で、現在の様に数百万種に及ぶ種を
誕生させる必要はありません。
コレは極めて自明の事柄なんですが、何故か自然選択論者はそれを無視します。
不都合な事実にはすべて目をつむる、若しくは何とか言い訳をこじつける、残念ながら
それが自然選択論者の態度の真実です。
-
なぜ、デザイナーは数百万種に及ぶ種を誕生させたんでしょうか。
-
>>604
>波動方程式を見れば分かるように、波動は質量と弾性を前提にしています。
していません。あくまで波動の速度と言うだけで媒質に質量があれば影響を受ける場合があると言うだけです。
>そういう抵抗を生じる物質が切れ目なくつながっていれば、物体がすり抜けることができません。
相互作用する独立した粒子ならエネルギーも伝わるし、その粒子間を別の物質等が通ることも可能です。
>すり抜ける粒子は波を伝えません。
と言うわけで、私はそうは思いません。
>波を伝える空気も水も流体ですが、その中を動く物体は抵抗をうけます。当然です。質量と弾性がなければ波は伝わりません。そして波動方程式に従えば、巨大な速度の波には巨大な弾性が必要で、必然的に「ばね定数×変位」の巨大な抵抗を生じます。流体か固体かの問題ではありません。
粘性が0ならその流体中の物体は理論上抵抗は受けませんよ。
実際に超流動体は抵抗0です。
>17世紀のボイルの実験以来、一様に見える物質も、実は細かい粒子に集中しており、粒子間に隙間があると分かってきました。でも、なぜ集中するかは不明な時代です。物質が粒子に集中するなら、粒子同士の集中も、集中の集中も考えられます。ダイヤモンドと黒鉛では、集中形態が異なることも考えられます。どんな構造を否定する法則もないのですから。
ですから具体的にどう言う構造?グラファイトより密度が高いのに透過するのはその密度に偏りがあって超々高密度の部分があるからでそこ以外はグラファイトより密度が低い?
グラファイトより密度が低い部分があるのにグラファイトより硬いのはなんで?そもそもその根拠は?
仮説としてはありでしょうけど無理も大いにありますね。
エーテルと本質的にかわらんです。
>いいえ。質量と弾性をもつ物質が切れ目なくつながりながら、物体の通過に抵抗を与えないのは、物理法則で否定されます。そういう物理法則があるのだから、しかたがありません。物質内部の構造とは、そこが違います。
その物理法則が絶対との根拠は?その物理法則とやらが間違ってる可能性や正しいとしてもちょっとした改良やアレンジで普通に成り立つかも知れません。
と言うのも根拠無く妄想で作り上げたものでなく、観察事例に対して立てられた仮説だからです。
だから即否定みたいに短絡にいかないのです。
>しかし、2重スリット実験の縞模様は、ニュートン環の縞模様とは違うのです。
繰り返しますが粒子としての振る舞いも観察されているのが二重スリット実験です。
波動が肯定されたのはそっちの方が説明に説得力があったと言うだけです。
>18世紀まで:波動説にはエーテルの矛盾、粒子説には矛盾なし→波動説は正しい科学を逸脱
>2重スリット実験:波動説にはエーテルの矛盾、粒子説には干渉縞の矛盾→どちらも逸脱
>電磁波の発見:波動説の矛盾は解消、粒子説には干渉縞の矛盾→粒子説が逸脱
科学の逸脱を間違って理解しています。
何度も言っていますよね。矛盾があったところで即却下にはならないと。
記憶に新しいところでは2011年にニュートリノが光より速いと言う実験結果が得られたとして話題になりました。
特殊相対性理論をひっくり返すものですが即否定せず追試検証がなされました。これが正しい姿勢です。
結果を結果としてありのまま受け入れどう説明できるか仮説を立て検証するのは逸脱でも何でもありません。
-
>「並べた鉄球」って説明のための比喩ではなく、本物の鉄球を言われていたのですか? それなら、並べた鉄球にご自身が突っ込んで、無抵抗で通過できるか、試してみてください。
粘性0、つまり摩擦が0なら理屈の上では可能ですよ。
>否定をなさるのなら「v² = KL²/M」以外の形で、波の伝播速度を表してください。
その式は弦の波動や音波などの波に関して成り立つってだけです。
あくまで波の伝播速度は媒質の特性に依存すると言うだけで質量の無い媒質だと質量に依存しようがありません。
例えば電磁波なんか質量に依存しないため媒質の質量に関する考慮はありません。
電磁波の伝播速度は誘電率や透磁率など媒質の物質特性に依存しますが、これらの物質特性は質量とは直接関係ありません。
ですから、電磁波の伝播速度を求める際には、媒質の物質特性に基づく計算が行われますが、その中には媒質の質量は含まれませんでしょ?
重力波とかもそうですね。どちらも19世紀以降のものですが考え方はこう言うことです。
vはあくまで波の伝播速度ってだけで波長と時間で表されるものでしかないの。質量を持った媒質なら質量が媒質の特性に影響するかもね、ってだけの話。
媒質の物質特性に質量が直接関係しているかどうかはモノによるとしか言えないの。
>データに裏付けられたセンメルウェイスの主張は、コンセンサスを得ませんでした。
ですからセンメルヴェイスの件は科学では無く政治的なもので潰された例です。
エーテルの話とは意味が違います。
>検証対象は当時の理論です。当時の科学者ではありません。
当時の科学者が何を持って判断したか?当時の理論ですよ。何言ってんの?
で、繰り返しますがどう言葉を重ねようと絶対に納得は出来ませんよ。
そもそもエーテルの否定っていわば悪魔の証明のようなもんですからね。却下しきれるもんじゃ無いんです。
だからもうすっ飛ばして先に進めて下さい。
もう当時の波動説が科学を逸脱してた体でいいから、そこからIDとかにどう繋げるのか
さっさと語って下さい。
-
今回の一番の論点は、これですかね。
>その物理法則が絶対との根拠は?その物理法則とやらが間違ってる可能性や正しいとしてもちょっとした改良やアレンジで普通に成り立つかも知れません。
むろん物理法則とて絶対ということはありません。
しかし物理は自然科学の知識体系の中で最も根源的なものです。仮説Aと仮説Bがあり、Aは既知の物理法則と整合するが、Bは既知の物理法則の変更を要求する場合、AよりもBの方が、はるかに受け入れがたいことを意味します。相対的な蓋然性に格差があるということです。
16世紀の地動説と18世紀の光波動説の話をするのは、それが理由です。私が本サイトでやってきたのは、すべて相対比較ですよ。
>あくまで波動の速度と言うだけで媒質に質量があれば影響を受ける場合があると言うだけです。
私としては、繰り返すしかありません。
質量と弾性が入らない波動方程式を導いてください。誘電率や透磁率のような、19世紀以降の知見を使わずに。
>19世紀以降のものですが
はい。電磁波も重力波も、18世紀には観測どころか概念すらなかったものです。イメージできないものが、科学の対象になりますか。いったい何を探求し検証するのですか?
品種改良なら、概念もあり、人類が行う実例もあり、>>472で述べたように検証可能とは思いませんか?
正当な科学を、逸脱してるのは、どちらですか?
>相互作用する独立した粒子ならエネルギーも伝わるし、その粒子間を別の物質等が通ることも可能です。
>粘性が0ならその流体中の物体は理論上抵抗は受けませんよ。
エネルギーが伝わるのは分かってます。問題は波動が伝わるかです。質量と弾性が入らない波動方程式を導いてください。
>グラファイトより密度が低い部分があるのにグラファイトより硬いのはなんで?
密度と硬さに関係がないことは、18世紀でも分かってます。金は鉄より重いけど柔らかい。同じ元素で比べるなら、氷の密度が水より小さいことも知られてました。硬さを決めるのは密度ではなく、結合の強さです。その結合力を支配する原理が不明な時代でした。
>仮説としてはありでしょうけど無理も大いにありますね。
>エーテルと本質的にかわらんです。
それを否定する物理法則があるかないかです。ダイヤモンドの質量分布に疎密があっても覆される法則はありませんが、エーテルは力学体系を覆します。また、質量分布の疎密は具体像をイメージできても、電磁波を知らない時代に、質量と弾性のない媒質はイメージできません。
>粒子としての振る舞いも観察されているのが二重スリット実験です。
私が言ってるのは1801年のヤングの実験ですよ。どういう粒子性が観測されましたか?
>vはあくまで波の伝播速度ってだけで波長と時間で表されるものでしかないの。質量を持った媒質なら質量が媒質の特性に影響するかもね、ってだけの話。
質量と弾性が入らない波動方程式を導いてください。
>センメルヴェイスの件は科学では無く政治的なもので潰された例です。
政治的な理由で反対する人だって、まさか政治スタンスを反対理由には挙げないでしょう。反対論が科学に依るものか、科学以外に依るものか。それを判断するには、論者ではなく、理論自体を検証するしかありません。検証対象は当時の理論です。当時の科学者ではありません。
>そもそもエーテルの否定っていわば悪魔の証明のようなもんですからね。却下しきれるもんじゃ無いんです。
質量と弾性が入らない波動理論を具体的に構築すれば、エーテルが必要なくなります。それでよいのです。ですので、質量と弾性が入らない波動方程式を導いてください。
>もう当時の波動説が科学を逸脱してた体でいいから
理解も納得もなく「逸脱してた体」で進めるのが、あなたがおっしゃる正当な科学ですか?
-
何とか言い逃れの口実を探す。
これがダーウィンが種の起源で繰り返し行っていることです。
彼がその思い付きである自然選択論に何故そこまで固執したのかはよく分かりません。
それを危うくする証拠、否定しかねない現実に対して彼が取り続けた態度です。
事実によって反論することはしない、出来ないですね。
従って「こう考えれば説明できる」と言う言い訳に終始します。
事実による反論は皆無です。
この様に考えれば自説による説明は可能だ、つまり想像です。
それを現代の総合説はそのまま引き継ぎます。
従って進化論の多くの部分は想像になります。
そしてそれを科学と称したりするわけです。
訳の分からない無知な人達もソレを科学と信じ込みます。
これは映り込んだ解明できない映像を単なる光学現象や自然現象、フェイクと断じてそれ以外の可能性を何が何でも否定るやり方と何の変りもありません。
そもそも進化論は再現検証不能です。
レンスキーの大腸菌培養実験の様に細胞や分子レベルでの実験が可能なだけです。
レンスキーの大腸菌培養実験は色々と示唆に富んでいますね。
それを自然選択論の論拠にしようとする人たちもいますが、それは自然選択論の必要な工程の詳細を全く理解しない人達です。
実際自然選択論の必要な工程を殆どの人たちは理解せずに自然選択論を振りかざします。
それでよく科学を名乗りますね。
想像と科学の区別すら付けられない、つまりフィクションとノンフィクションの判別が出来ない訳です。
それが自然選択論を支える人たちです。
-
前適応、適応放散、共進化、遺伝的浮動、淘汰圧、これらの曖昧な理解、不正確な用法、様々な理解のミスリードをもたらすこれらの用語も進化論学会の惨状をよく示しています。
誤解を与える、更に言えば言葉によって欺く。
現代の総合説は進化の真実を何一つ説明出来ていません。
何一つ、です。
そのベースとなっている自然選択論からしてダーウィンの妄想に過ぎないのですから、その上に成り立っている総合説が正しかろう筈もありません。
この科学の方法論に則らない学問分野が成立している自体が極めて嘆かわしいですね。
中立説自体は基本的に科学的な手法に則っていますが、それを進化殊に自然選択論と無理やり接合しようとするともうデタラメです。
何故こんな惨状を呈しているのか。
ひとつは進化が再現検証が殆ど不能であるという事実です。
その状況に付け込んでレトリックを弄して言いたい放題、言葉では何とでも言える世界です。
もう一つは彼らが宗教的と考える事柄にたいする強いアレルギーです。
一種の科学信仰ですね。
これは進化論学者以外の科学者にもある程度共通するものです。
そしてこれも理由が不明ですがダーウィンに対する強い思い入れがあります。
このダーウィン崇拝が止まない理由が何処にあるのか、それは彼らに自問してもらうしかありません。
-
自然選択によっていかなることも成し得る、と言うのがダーウィンの構想ですね。
生物を自然が選択し得るのは唯一生存率のコントロールと言う手段によってです。
それですべてが成し得ると考えた訳です。
環境によって生物の生存に制約を与える、その方法以外にありません。
これはラマルク的な用不用による変異を度外視しての話です。
ダーウィンも実は変異はラマルクと同様に考えていたので話は少しややこしくなりますが、これは総合説における自然選択で考えましょう。
全くランダムな変異を生存率の制限によってコントロールすることでこれだけ複雑で精巧で多様な現実の進化の事実が説明可能なわけもありません。
中立説、遺伝的浮動なども総合説は持ち出しますが、更に進化の実体を説明する力はありません。
お伽話ですね。
それを科学と信じる住人達。
この話も飽きるほど繰り返してきましたね。
-
自然選択論者に共通している特徴は決定的な想像力の欠如なので、そういった事にすら考えが及びません。
彼らの自然選択論に対する思い込みは正に宗教者の態度ですから、そもそもそもそう言った事柄に対して想像を巡らそうとする意志が存在しないんでしょうね。
その点において完全に科学者失格と言われても彼らは何も抗弁できない筈です。
ゲノムだけに限定して観察してもその驚くべき周到さ、計算され尽くした複雑さ、精密さはそれ自体人智を遥かに超えるものです。
現在急速にゲノムのメカニズムは解明されつつありますが、それはまだゲノムの持つ巨大なシステムのほんの一部にしか過ぎません。
そんなものが自然選択の結果で説明できる訳もありあせません。
そんなことにすら、彼らは想像が及ばない訳です。
彼らのそんな存在自体、想像を絶するものですね。
-
科学の方法論を知らないものが科学を名乗る、科学者を詐称する。
かれらの宗教的な態度はつまりは無知と想像力の欠如の産物です。
それに気付くことなく科学を標榜します。
それを許しているのは一つは進化論の再現検証不能性であり、もう一つは極めて貧弱な理性です。
これは殆ど惨状です。
-
進化はゲノムの突然変異、つまり単塩基置換、ゲノム重複、そして遺伝子の水平伝播、取り込み、共生とそれによる遺伝子取り込み等によってもたらされます。
これらはエラーではありません。
エラーは基本的に有害、ゲノムは強いエラー修復機構を有しています。
それらの変異の原因、何故その様な変異が生じたかについては現在の所殆ど分かっていません。
しかし説明不能だからと言ってまさかその想定が非科学的だとは誰も言わないでしょう。
しかし実際殆どそれと同じ事を言ってるのが自然選択論者です。
それらの変異は跳躍的な進化をもたらします。
自然選択論者、ダーウィンは進化は全て漸進的であると主張します。
全く事実と反する訳です。
-
果たしてこの世界は設計されたものなのか。
或いは設計など全く存在しない完全な自然状態の中で成立しているものなのか。
世界認識はこの2択になります。
中間形態のモデルとしては、一部は設計されている、と言う考え方もあるでしょう。
しかし、一部にしろ設計されていると言うその一部とは何を意味するのか。
一部でも設計を成し得る設計者が存在するとすれば、その設計者が全体の設計を成し得ない理由が何処にあるのか。
ID論名は理神論とニアイコールです。
つまりIDとはこの世界全体の設計者です。
生物を設計し得るという事はひいてはこの世界を設計したことになります。
この辺りの概念が整理できないとID論の基本が理解できません。
理神論は初期設定にすべてを委ねますが、そこは異論のあるところですね。
敢えて中間関与の可能性を否定する理由は見当たりません。
その方法に関しては、初期設定と同様不明と言う他ありません。
自己組織化が大きな役割を果たしているのは容易に想像できますが、自己組織化も初期設定が必要です。
初期設定に依らない中間関与があり得るとしたら、それはどの様な形で行使されるのか。
進化における有り得ない奇跡群にそれは適用されたのか。
生命誕生、真核生物誕生、多細胞生物誕生、有性生殖、カンブリア爆発、それ以降の有り得ない奇跡が中間関与なしに可能なのか。
可能であればそこには驚くべき初期設定が存在したことになります。
先ずは、ゲノムの変異に関して地道な研究を続けるしかありません。
設計の前提はそのアプローチの仕方の話です。
|
|
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板