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つぶやきすれっど2
1478
:
ファリオン
:2005/04/04(月) 23:24:36
愚鈍凡夫さん、宜しくお願いします。
ユーモア溢れるレス、楽しく拝見しております。
このページ、最近見ました。
学会の歴史を勉強しようと思って、検索したら出て来ました。
公式サイトの「略」年表とは、えらい違いだな、驚きました。
1479
:
愚鈍凡夫
:2005/04/05(火) 00:41:15
ファリオンさん、初めまして。宜しくお願いします。 m(_ _)m
創価学会ならずとも、自分の公式サイトに自虐的な年表は載せないでしょうね。
第2代会長の戸田さん亡きあと、当分の間は集団指導体制でいくと決まっていた創価学会が、青年部クーデターにより、押し切る形で池田大作第3代会長就任が決まりました。これは、戸田さんが第3代会長の椅子を牧口門下生には渡さんと言っていたことを遺言として盾に取り、強引に会長の座を奪い取ったというのが真実のようです。
たとえそうであっても、池田さんでなくては短期間にあれだけの組織拡大は為し得なかったと思います。そういう意味で、池田さんは適任者であったと言えるのではないでしょうか。
でも、その陰には多くの被害者が生まれました。これも紛れもない真実です。そして、それは今も続いています。考えてみれば、これほど宗教の本質からかけ離れ事はないでしょう。
池田さん亡き後、集団指導体制でいくと、創価学会の方針は決まっているようですが、何時またクーデターによる独裁者誕生の一幕があるやも知れません。
創価学会に限っては、柳の下に泥鰌が何匹もいそうですから。 ( ̄Д ̄;;
1480
:
ファリオン
:2005/04/05(火) 01:35:00
愚鈍凡夫さん
>創価学会ならずとも、自分の公式サイトに自虐的な年表は載せないでしょうね。
「大本営発表」と言うより「臭いものにフタ」です。なにしろ、第4代会長逝去の項目すら削っていますからね。
宗門のも見ましたが、徹底攻撃だけで、ミソを付けた部分は削除。
う〜む。こうやって歴史は捻じ曲がって行くんだ。
池田氏の後継問題。
いろいろ有りそうですから、クーデターは勿論、分裂も考えられると思います。
歴史に残るお家騒動になったりして……
>柳の下に泥鰌……
やはり、おいしい商売なのでしょうか。
1481
:
羅臼 昆布太郎
:2005/04/06(水) 20:06:37
1480、、フアリオンさん、、。
>やはり、おいしい商売、、
さすが、、核心、、かと存知ます、、。 このセチガライ、、われのみ生きん、、という、、醜い、、? 欲望の渦巻く現今、、では、、「、、何でも、、在り、、」、、== まるで、K1 並みの、、すさまじい、、、弱肉は強食に負ける、ような、、犬。猫の世界に堕して、、いるようです、、?、、。どうすれば、、 今後の希望は、、在るの、、でしょうか、、? 。
1482
:
パンナコッタ
:2005/04/06(水) 23:10:06
先日、ウチの方の地方公明党委員会があり、その内容は公明新聞の啓蒙拡大でした。
(-_-)zzz
1483
:
犀角独歩
:2005/04/06(水) 23:37:45
> 公明新聞の啓蒙
この表現笑えます。読み下すと「公明新聞の蒙を啓く」
けいもう 0 【啓蒙】
(名)スル
人々に新しい知識を与え、教え導くこと
(三省堂提供「大辞林 第二版」)
さらに「啓蒙」の語意から読めば、
「公明新聞に新しい知識を与え、導くこと」となります(笑)
1484
:
ワラシナ
:2005/04/10(日) 22:24:36
花見駆け足 1
0,今日4/9(土)歯医者の帰りに発作的に花見を思い立って、新宿駅から総武線途中下車を繰り返すやり方で
1,四谷上智大土手、2,市谷飯田橋、3,千鳥淵、4,隅田川吾妻橋を4時間位で回ってきた。
1 千駄ヶ谷駅から新宿御苑の桜の下に人が座っているのがみえた。今日あたりかなり暑かったろうに。
隣の学会国際会館入り口の桜も見事だった。真っ白の花びらがぎっしり詰め込まれた花の塊は、そのものが太い桜の幹のように見えてしまった程である。
2, 四谷駅周辺も変わってしまった。雙葉学園も改装したかのように見えた。目の前の建物が昔の主婦会館とも思えなかった。第一、聖イグナチオ教会も改築されているし。変わらないのは土手の桜と新宿方交差点向かい側の来来軒であった。
上智大学校舎を左に眺めながら、弁慶橋方向に土手を行く。予定ではホテルニューオータニで引き返したら、今度は上智大校舎を右に見て、左側の土手の桜を見上げる景観を味わいつつ駅に戻るつもりであった。
どの桜も太い幹と枝の他は全て真っ白な花々に埋もれていた。真向かいの迎賓館側の土手に見える桜木は分厚く雪化粧したかのようだ。その見事な、迫真の真っ白な咲きっぷり、土手の新緑を背景にくっきり浮き上がった薄桃色のかたまりが並ぶ美しさには形容の言葉がない。
とにかく真っ白によく咲いてくれたものだ、年に一回しかできない見事な「手品」的美しさを今年も成功させてくれて、本当に桜さん有り難う、という気持ちがして来た。
どの桜の枝も左右に下る土手の斜面に素直に従って垂れ下がるように伸ばしている。桜は丈が高くないところがうれしい。手が届きそうなところで咲いてくれるのがありがたいのだ。
観賞する人間が親しめる、ほどよい近さで開花してくれるのが桜の有難いところだ。
それに、花びら一つ一つの美しさを間近で楽しめるだけではない、後で葉っぱになってしまうところ全てが花びらに変ってしまっているのだから一本の木そのものが遠くから見たときには集合体としての一輪の別種の花のようにみえてくる。
だから、近くで見ても好し、遠くから見ても好し、で二重に楽しめるところがすばらしいと思う。ちょっと変な譬だが霜降り肉のような綺麗さなのだ。
そんなことを思いながら進んでいくと、目の前のひたいの位置当たりに真横に伸びた太い桜の幹が近づいているのに気がついた。勿論、衝突事故防止用の注意喚起のテープが巻いてあった。
歩きながら土手からの景観そのものに利点があることに気づいた。土手を並木で配置した景観デザインとも言える。視界が水平方向だけではなく下界方向に伸びる桜も楽しめるからだ。まず並木にしたことで水平方向に見える遠くの桜は朧になって溶け込んで、酔う様な感じが出ている。それが幾重にも棚引いて近づいてくるにつれて、花びらが徐々に輪郭を持って視野に入ってくる、複雑な美しさになっている。
また、平地だけでは飽きてくる。古人が土手や坂道に桜を植えた審美眼に感じ入った。自然に眼下の光景が入ってくるようになっている。右下は水無しお堀で上智大学専用の?運動部のグラウンドになって、この暑い中練習していた。
進むにつれ三メーター先ぐらいから途切れ途切れではあるがかすかに散り始めているのが見えた。どの幹の真ん中あたりにも既に二三本新緑の枝が「V」字状に生え始めていた。
足元を見たら、ブルーシートが延々と先のほうまで点々と続いていた。
場所取りの人が、宴会の下準備をしている。無人のシートにも占有予定者の「関係者以外立ち入り禁止」などと書いた張り紙があった。
ここからの迎賓館方向の眺望の美しさは格別であった。
土手下を駅に向かう帰りのコースでは、上智大学の創立時代の校舎内部の醸す不思議な魅力について触れたかった。信仰の厳粛さに沈潜させられていくような気配と共に学問的思索に誘う知的昂揚感が同時に湧いてくるような不思議な空間について、であるが、先を急ぐ。
h17/4/9
1485
:
ワラシナ
:2005/04/10(日) 22:29:12
花見駆け足 2
2 四谷駅から飯田橋へむかう車中から、左手の外堀通り沿いを見た途端目に飛び込んできた。枝全てが濃厚な牛乳に浸かったような真っ白の桜が枝を水面近くまで伸ばせて立ち並んでいる光景が、である。
その鮮やかさは見事というほかない。飯田橋から見たお堀の左右に咲いている桜の薄桃色の連なり(もっとも法政大学側はそこからはあまり見えないのだが)も素晴しかった。
3、飯田橋を下りて九段高校(この校名廃止を悲しむOB多し)を過ぎ、靖国神社前を見たら既に凄い花見客の群れだった。殆どが千鳥が淵目当ての人々であった。歩道橋から見ると九段下から続々と上ってきている。テレビが連日千鳥が淵を映して煽るものだから自分もつられてその気になってしまったのだったから他人のことは言えなかった。
一体どこの場所から見るのが最絶景なのか、やはり客が一杯群がってるところが一番素敵な場所なのだとわかった。テレビはおそらくここから映していたんだろうと思いながら、まず、武道館入り口あたりから左右の御堀下に向かって這うように垂れ下がっている桜をながめた。周りではデジカメ撮影している人で一杯である。
桜の美しさの急所は何といっても並木として植えたことによる、近くの桜と遠くの桜が何層にも奥に向かって連なる「重なりの見え方」にある。その重なりの中にいて人は、桜に包み込まれる幸福を味わうことができる。人を包み込む程の大きさの花はなかなか見当たらないと思う。
その下で花見をしたがる人の気持ちも頷ける。
私も歩きながらビールでも飲みたくなったが、誰もしていないのでやめた。もっとも目の前を歩いている人との距離はわずか50センチしかなかったから飲まないでよかった。
先の上智大土手と同じく絶えずかすかに散り始めているが前を歩く人の肩にかかる程ではない。
皆さん御行儀よく粛々と観賞しながら歩いている。時折嘆声が聞こえた。客の多くがここ千鳥が淵の花見を例年の儀式にしてしまっているように見受けられた。
武道館入り口から、左に折れて首都高速方向を目指して左下のお堀を見れば、どの桜も腕を垂れ下げたように枝枝を白一色にまぶして斜面に沿って伸びている。水面を見ればボート遊びをしている人が多くて目障りな程である。ボート乗り場では順番待ちの長蛇の列。
並木を進む人列は凄い数で朝の通勤時間帯の駅の構内のような混雑振りであり、交通誘導の警官が出動していた。帰りは歩行者通路確保のため一部交通規制して車道を歩かされた。数少ないベンチは,手弁当を広げていた人々で占領されていた。神奈川県から繰り出してきた人々もいたようだ。また、武道館ではちょうど理科大学入学式だったから人も多かった。
ボート乗り場で引き返し靖国神社に向かって帰りながら気がついたことだが、往きとは反対に右下に御堀を見る帰り道の光景のほうが桜の重なりが増して艶やかに見えた。
九段下へ向かう途中の道端ではヤクルトの制服とmsnのチラシがみえた。販売とマーケティングの大事を教えられた感じだ。
4,このあと浅草へ行って隅田川沿いを見たのだが、桜より水上バスのUターンの光景のほうが面白かった。
h17・4・9
1486
:
藤川一郎
:2005/04/18(月) 18:00:08
最近中国のデモが盛んであります。日本の歴史認識についての事が原因だそうです。
しかしながら中国が中華主義を捨てねば、日本は引くべきではありません。
中華思想とは何か?
中華思想とは簡単に言えば、漢民族の国家が世界の中心であり、その文化、思想が最も価値のあるものとし、 漢民族以外の異民族を、「化外の民」として見下す思想のことを言います。別名華夷思想ともいいます。さて、その中で漢民族以外の国は「東夷、西戎、北狄、南蛮」と差別の別称で称されます。ちなみに日本国(倭国)は東夷であります。
さてその中華思想の体制化におきましては、全ての国の王は漢民族の皇帝(天子)に貢物を贈り臣下の礼をつくして、代わりに「○○国の王に任ず」として王に任じてもらいます。
これを冊封体制と言います。この冊封体制に最初に異議を差し挟んだのが、聖徳太子であります。太子は遣隋使の国書において、天皇をして漢民族にしか認められていない「天子」の称号を名乗らせます。すなわち「日出る国の天子、日没する国の天子へ国書を送る。恙無きや。」であります。これは中華思想史上許されない無礼な国書です。中華思想上、中国の皇帝しか名乗れない天子を名乗り、しかも礼を尽くさずに「恙無きや」であります。この言葉を現代語訳すれば「元気か?」位のものです。これをあえて聖徳太子が行ったのは、日本国の自主独立を宣言するためであろうと考えられます。
本来なら討伐されても文句は言えません。日本は四面を海で囲まれ、当時の兵員輸送は困難だった事から、たまたま征伐されなかったに過ぎません(聖徳太子がこれを計算に入れたという説もあります)。
それに対して、朝鮮は陸続きです。同じ事をすればすぐに討伐されてしまいます。
中国から見て、海の向こうの日本が、比較的大らかに国運を切り開いたのに対し、朝鮮は陸続きですので、近代まで、中華の属国(植民地)でありつづけたのです。これが独立したのは日清戦争の結果であります。その下関条約第一条にて「清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス因テ右独立自主ヲ損害スヘキ朝鮮国ヨリ清国ニ対スル貢献典礼等ハ将来全ク之ヲ廃止スヘシ」とうたわれ、その結果「李王朝鮮国」は「大韓帝国」として生まれ変わり、李王は李皇帝として生まれ変わりました。これは韓国史上画期的な事でした。(つづく)
1487
:
藤川一郎
:2005/04/18(月) 18:00:44
(つづき)
されはさておき、中華思想は中国4千年の膨張(侵略)の歴史です。
中華思想の皇帝は自らの国を統一すると即座に辺境地域の討伐に乗り出します。
その影響は今でも払拭されておりません。
中国とは本来、あんなに広大な領土を有しておりません。満州(大連)すらも本来漢民族の領土ではなく、女真族の領土です。ちなみの女真族が「文殊菩薩」を信仰していた事が「モンジュ」転じて「マンシュ」となり、満州となったと言われております。
それが清国の領土となったのは単に、満州の覇者「愛親覚羅ヌルハチ」の子、「ホンタイジ」が明国を征服し、清国を興し皇帝となったからに過ぎません。その後、宣統帝(溥儀)の時代に辛亥革命で、清朝が倒れたとは言え、満州を中国の領土とする根拠は皆無です。
関東軍の満州国建国も溥儀の、王政復古の夢が叶ったという一面もあるのです。
今でも中国の膨張主義は変わっておりません。満州もチベットも全て中国が侵略して手に入れました。そのためにダライラマは未だに亡命の身に甘んじております。
何故に中華思想で膨張する侵略主義の中国に、未だに日本は「侵略戦争云々」を言われねばならないのでしょうか?それは中華思想の「自分らのみが正当で、辺境は蛮族という考え」が未だに残っている現れでは無いでしょうか?
1488
:
問答迷人
:2005/04/18(月) 18:42:45
円借款
「2004年11月28日、東南アジア諸国連合(ASEAN)と日中韓3カ国の首脳会議出席のため、ビエンチャン入りした小泉首相は、中国へのODAについて「中国は目覚ましい経済発展を遂げている。もうODA卒業の時期を迎えているのではないか」と記者団に述べ、打ち切りの可能性を示唆した。これに対して、外交部報道官は「ODAは中日関係の発展促進につながる重要な要素であり、日本企業にとってもプラス」であり、「継続を希望する」とコメント。その後も日本で相次ぐ打ち切り論に関して、「中国がODAを受け取ることは、A級戦犯への日本の指導者の靖国参拝行動を黙認することではない」(新華社)と、日本政府や自民党の打ち切り論を「無責任な発言」と批判している。ODAの問題は政治的に微妙で、「この問題がこじれれば、日中関係は雪上加霜(災いが重なる)になる」と、温家宝首相は小泉首相の卒業論に警告を発している。」
http://www.panda.hello-net.info/keyword/a/oda.htm
(現代中国ライブラリー)
恐らく、これが彼らの理屈の中核でしょうね。円借款をやめるなら、日本企業は中国から追い出すぞ、という恫喝だろうと思います。こんな恫喝に屈しては、日本企業も日本も、中国に身包み脱がされてしまうのではなかろうか、と危惧しています。
1489
:
パンナコッタ
:2005/04/18(月) 18:54:31
反日感情がエスカレートして、玄奘の骨を返せとまで言い出しましたね。 (-_-;)
1490
:
小心者
:2005/04/18(月) 19:49:06
、、横からですが、、。 Yahooのサイトですが、その、掲示板、、「、、反日に思う、、」、、はなかなか、、趣も、、??御座います、、ようです、、。
1491
:
小心者
:2005/04/18(月) 20:34:48
,,「、中国の反日デモ、!!、」、、=Yahooの「掲示板、、」に訂正、、致します、、。 皆様が、、燃えておられる、??ようです、、。
1492
:
藤川一郎
:2005/04/18(月) 22:45:39
>>1488
横レスですが、
昭和27年5月1日付、法務総裁が発した(法務府注意総発第52号)
「連合国の軍事裁判により刑に処せられた者の国内法上の取り扱いについて」
以上の通牒は、これらの方々の名誉を完全に回復したことを表明しております。
つまり国内法上、すでに日本国にはA級戦犯は存在しません。
1493
:
愚鈍凡夫
:2005/04/18(月) 23:27:39
今回の中国での反日デモ騒ぎ。後ろで糸を引いているのは中国政府だったりして。 (^_^;)
急速な経済発展による共産主義と資本主義の狭間で矛盾を抱える中国政府が、民衆の不満を日本に向けることによって、ガス抜きしようとしているようにも見えますね。
ホンネは靖国問題とか尖閣諸島問題なんかどうでもいいんじゃないでしょうか。アジアの主導権を握っているのは中国であると、世界に見せつけているように思えます。
ただ、無償援助を受けていてイニシアチブもないと思いますが。 (○`ε´○)
1494
:
パンナコッタ
:2005/04/19(火) 00:48:00
>>1492
東京裁判で起訴された松岡洋右、永野修身は既に死亡。大川周明は病気のため刑を免除されていますね。
この板には直接関係はないのですが、4月29日知県幡豆町三ヶ根山スカイラインで
殉国七士墓前祭がとりおこなわれます。
1495
:
吉祥仙人
:2005/04/19(火) 05:32:02
ツブヤキです。
藤川一郎さんの書き込みを拝見し、右翼主義と覇権主義が違うことを学ばせて
いただきました。
いわゆる左翼は知的で、右翼は暴力的という認識を改めさせていただきます。
実際、辛亥革命に活動した中国の多くの志士が、右翼の方々の支援を
受けていたのは歴史上の事実と思います。
1496
:
藤川一郎
:2005/04/19(火) 10:43:49
>>1495
いわゆる左翼は知的で、右翼は暴力的という認識を改めさせていただきます。
仰るとおりですが、別に気にすることもありませんよ。
なぜなら、結構一般的なイメージだと思いますから!
しかしながら、20世紀史上戦争での死者数よりも左翼革命での死者数の方が多いと言われています。
悪の暴力よりも正義の暴力の方が厄介であります。
もちろん、左翼=正義とはしませんが、彼らの意識は正義の暴力なのでしょう。
顕正会の暴力体質も、学会等の謀略体質も自分こそ唯一の正義という思いこみから出ているとも思われますし!
1497
:
犀角独歩
:2005/04/19(火) 11:24:15
> 悪の暴力よりも正義の暴力の方が厄介
もっともしかりですね。滝本太郎弁護士は「悪意の殺人は際限があるが、善意の殺人には際限がない」と言いました。前者は刑事事件になる殺人、後者は正義の闘いというやつです。
1499
:
犀角独歩
:2005/04/19(火) 15:36:45
今回の反日デモのコメントを、日中平和の架け橋で中国の教科書にも載る「池田名誉会長」と創価学会からお聞きしたいものですね。
1500
:
パンナコッタ
:2005/04/19(火) 17:35:26
北側国土交通大臣は、中国人観光客へのビザ発給拡大について、 「方針に変更はない」
と 述べました。 この時期に・・・・。 大丈夫なのかな (-_-#)
1501
:
通りすがりですが
:2005/04/19(火) 18:30:26
創価学会は中国、日本の団体と共同でアピールを出していたはずです。
何日か前の聖教新聞に出ていたと思いますが。
経済的にも地政的にも中国韓国との友好という流れは、とめてはならないと
思います。
ビザの問題を憂慮する前に、中国に進出した企業の権益やそこで働く邦人の
安全のことも考えずに放言している経済産業相の政治家としての資質の方を
僕は憂慮します。
1502
:
犀角独歩
:2005/04/19(火) 18:48:00
> 創価学会は中国、日本の団体と共同でアピール
これはどんなアピールですか。
どこに載っていますか。教えてください。
1503
:
往きつ戻りつの通りすがりですが
:2005/04/19(火) 19:25:10
日中共同 「平和と善隣友好に関するアピール」
オフィシャルに出ているのかは分かりませんが、
学会員の方のブログにでていました。
ttp://jiyunobosatu.org/blog-turedure/archives/2005/04/post_82.html
4月13日の聖教新聞に掲載されたようです。
1504
:
犀角独歩
:2005/04/19(火) 20:30:12
通りすがりさん:
有り難うございました。これは知りませんでした。
創価学会と立正佼成会が名前を連ねているのですね。
時代の変化を感じました。
1505
:
犀角独歩
:2005/04/20(水) 11:22:30
直ぐに見られなくなると思いますが、なかなか興味深い論評なので、紹介します。
中国こそ恣意的に歴史を解釈…反日デモで米紙論評
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20050419i206.htm
1506
:
パンナコッタ
:2005/04/20(水) 12:41:52
第二次天安門事件以降、中共政府の愛国・反日教育の結果がこの騒ぎですね。
大躍進以外にも、国共内戦、文化大革命と都合の悪いことは隠蔽。
南京事件を利用し偽書の田中上奏文を根拠にして憎悪を煽り、チベット侵攻を
解放としたり、統治したことのない台湾を虎視眈々と狙っていたりする。
どこぞの教団のプロパガンダとまったく同じ構図ですね。
1508
:
犀角独歩
:2005/04/20(水) 13:18:34
今回の反日デモを見て、いちばんわたしが思ったことは、これに抗するデモや暴動で、日本人が中国大使館その他を攻めないこと。若年層の無関心と言えばそれまでですが、これは大変にけっこうなことであると思います。
集団化すると、暴徒となるという集団心理は、反対集団に対する憎悪が、個人でより、集団でのほうが爆発しやすい点が注視されます。
組織内で言われたことをに鵜呑みにして、直ぐその気になる人は、今回の暴動参加者と同じ心理操作に基づくのだろうと観察しました。が、パンナコッタさんの1506のご投稿を拝読して、プラス情報コントロールの永続、つまり、教育という名の操作は、どこでも実に功を奏するものであると思いました。教育を押さえるということは、よほど、恐ろしいことであると思いました。
1509
:
パンナコッタ
:2005/04/20(水) 16:31:09
新ローマ法王がドイツ人のべネディクト16世になりましたが、元ヒトラーユーゲント
だったスキャンダルがはやくも出ましたね。
ヒトラーユーゲントといえば、17歳の時初めてヒトラーに握手してもらい感激した
という指導者バルドゥーマ・シラーハはこんな詩を残しています。
ドイツの未来 アドルフヒトラーに捧ぐ
われらはあなたを魂の底から信じて疑わない。
その信頼を、誰が奪うことが出来よう。
あなたこそ、ただあなたこそ、ドイツの未来
かなりイッてますが、ヒトラーの変わりに宗教指導者を当てはめれば似たような
事を言っている人は、今でも数多くいますね。又こういう人物を作り上げるような
教団の指導があると思われます。
1510
:
三学無縁
:2005/04/20(水) 17:04:30
そういえば、ヨハネ・パウロ2世の葬儀に先進国といわれる国の首相が参列しなかったのは日本だけでしたね。
国際政治におけるローマ教皇の位置を理解していたら国内にどのような事情があろうとも欠席などできるはずがありません。
また、弔問外交の機会でもあったわけで、日中・日韓問題について各国の首脳と話すこともできたはずでした。
小泉首相、官邸、外務省の政治音痴と外交音痴を全世界に露呈したわけです。
これだけでも国会議員から首相への不信任案が出てこないものまた、議員の無知のおかげなんでしょうね。
ローマ教皇はカトリックのトップであるだけでなく、バチカン市国の国主でもあり、その葬儀に参列しないということは、日本の首相や天皇が亡くなっても諸外国の首脳はこなくてもいい、と言っているに等しいわけです。
ま、国辱ものの醜態でした。
1511
:
通りすがりです
:2005/04/20(水) 19:00:17
>>1508
の犀角独歩さんの視点は大切だと思います。
弾丸の薬莢を送りつけたり、火炎瓶をなげたりと、人数の少ない日本の方が
暴力としては先鋭的かもしれませんね。
愛国カルトと言うのでしょうか?
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■02■ANN世論調査結果報告
「韓国/中国反日運動問題について」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
テレビ朝日では韓国/中国反日運動問題に関する電話世論調査を行いました。
-------------------------------------------------------
◇調査日:4月16日(土)、17日(日)
◇調査方法:層化二段無作為抽出(全国125地点)
◇対象:1000人
◇有効回答率 57・2%
-------------------------------------------------------
1.町村外務大臣は、デモ隊が日本大使館の施設を破壊したことなどに
ついて、中国政府に謝罪を求めましたが、中国政府は「責任は中国
側にない」と反論しました。この反論に納得しますか。
納得する …5%
納得しない …89%
わからない …6%
2.中国の温家宝首相は、日本政府に中国を侵略した過去の歴史を
直視するよう求めていますが、この主張をどう思いますか。
その通りだと思う …7%
一部はそうだと思う …54%
まったく納得できない …35%
わからない …4%
3.日本政府が、今後も韓国や中国を侵略した事実を認め、反省と
謝罪の気持ちを示す必要があると思いますか。
必要があると思う …51%
必要があると思わない …36%
わからない …13%
4.すべての歴史教科書で、従軍慰安婦の記述がなくなり、朝鮮人を
労働者として強制連行した記述も減ることになりました。
この記述が減ったことついてよいと思いますか。
よいと思う …27%
よいと思わない …55%
わからない …18%
<年代別>
「よいと思う」
20代…15% 30代…19% 40代…17% 50代…33% 60代…33%
「よいと思わない」
20代…83% 30代…71% 40代…73% 50代…54% 60代…37%
適当なハンドルを考えなければならないかもしれませんね。
1512
:
犀角独歩
:2005/04/21(木) 05:29:51
1511 通りすがりです さん
ご賛同、有り難うございます。
アジア問題は前向きに考えなければいけないことですね。
しかし、暴力という形で訴えれば、今後は逆の遺恨となっていきますね。「目には目を」という論理は、もはや、過去の遺物であることに気付かなければならないのに、そうなりません。実はここに重点があるとわたしは思います。
> 適当なハンドル
ええ、是非、そうなさってください。「逗留」なさるのも一考かと存じます。
1513
:
愚鈍凡夫
:2005/04/21(木) 11:53:33
今回の中国の反日デモは、経済的に恵まれた青年層が中心と聞きます。中国国民の大多数を占める貧困層はデモに参加していないとか。米大統領選でもありましたが、ニューヨークがアメリカの世論を代表しているわけではない。といったところでしょうか。
今回の騒動の背景に反日教育が存在するとすれば、諸外国が自国に何をしたかを教えるのは当然として、反面、当時の自国政府の不甲斐なさを教訓とすることも忘れてはならないと思います。何が原因で他国の侵略を許したのか。そういった分析こそ必要ではないでしょうか。
物・物・物・・・( ̄。 ̄;)ブツブツブツ
1514
:
吉祥仙人
:2005/04/22(金) 06:11:20
今日、オフ会のスレを読みました。
重ね重ね深くお詫び申し上げます。
正直言って新幹線代が片道1万円以上しますので、無理なのです。
以上、言い訳のツブヤキでした。
1515
:
犀角独歩
:2005/04/22(金) 10:26:11
1514 吉祥仙人さん
あなたの謝罪は根本的な部分で謝罪になっていません。
> 新幹線代…無理
人にはそれぞれ事情があります。ですから、経済的な理由というのは当然、あってもよいでしょう。
しかし、これはここでいうのはどうか。あなたは自分で5月3日を希望したわけです。経済的な理由があれば、そんな希望をしなければよい。これがまず1つ。
また、自分が言い出しておいて、いざ実現の段階になったら、「本部に行くから行けない」とは何事だと言っているのです。
経済的な理由があれば、本部にも行けないのではないでしょうか。ところがそっちは自分の言ったことを無責任にも放りだしたうえで、その理由として挙げる。この常軌を逸したというか、非常識な態度を指摘しているわけです。これもう一つです。
今回のことを通じて、あなたは、一人前の男として、まともに会話のできるような人ではないという印象を、わたしのみならず、オフ会開催に関わる全員が懐いたことをお伝えします。実に残念です。
もっと、常識とは何かを真摯に学ぶべきでしょう。
ここは「つぶやき」ですから、応酬禁止、「オフ会」スレではなく、ここに書いて、非難をかわそうとするようなやり方にも、わたしは納得ができません。
1516
:
彰往考来
:2005/04/22(金) 12:25:45
1514吉祥仙人さん
今回はオフ会に出席されないようで残念です。
いつかお会いましょう。
彰往考来
1517
:
小心者
:2005/04/22(金) 21:42:32
1514 様 不参加は誠に、、、残念で御座います、、。 ご都合の良き時には、、是非、、是非、、ご参加を、、。
1518
:
犀角独歩
:2005/04/23(土) 01:32:53
517 小心者さん:
人のことはともかく、どうぞ、ご本人、ご参加を歓迎します。
1519
:
愚鈍凡夫
:2005/04/24(日) 00:06:10
早いもので、母が逝って4月24日で1年になります。1年ぐらいでは親子の確執は取れないものですね。まぁ、このことは、自分の気持ちに嘘はつけないですから、心の流れに任せようと思います。頭では理解できても、気持ちが許さないといった処もありますから。
今、ビールを飲みながらふと思ったのですが、大乗仏教は小生に大乗仏教自体が矛盾に満ちていることを教えてくれたような気がします。しかし、その矛盾が、大乗仏教を作り上げていった名もない人々の葛藤と、民衆救済の想いと、仏教を後生に伝えようとする情熱を物語っているようにも思いました。
まぁ、矛盾があるからといって、大乗仏教を捨てようとは思いませんけどね。 (^^ゞ
何故なら、やっぱり釈迦牟尼が好きだし、蓮祖も好きですから。
勿論、ゴータマブッダも好きですけどね。 ぴぃす((^へ^)v
この1年、振り返ってみれば生きているのが不思議なぐらいだったですが、小生にはやらなければならないことがあるんだと思いました。
これからもボケをかましまくると思いますが、皆様宜しくお願いします。 m(_ _)m
物・物・物・・・( ̄。 ̄;)ブツブツブツ
1520
:
犀角独歩
:2005/04/24(日) 01:15:49
愚鈍凡夫さん、故御母堂様のご冥福を心からお祈り申し上げます。
そうですか。1年、経たれましたか。御逝去のことを、投稿なさったのがついこの間のことのように感じます。
1521
:
愚鈍凡夫
:2005/04/24(日) 06:28:07
犀角独歩さん、お気遣い頂き、ありがとうございます。 m(_ _)m
小生、昨日は相当酔っていました。おかげで二日酔い気味です・・・・・。
ヨッパライヽ( ̄_ ̄*)……(|||__ __)/オエー
管理者さん、勝手にプライベートなことを書き込んでしまって済みませんでした。
ごめん隊<(_ _)><(_ _)><(_ _)>参上
物・物・物・・・( ̄。 ̄;)ブツブツブツ
「ダミダ〜、こりゃ」(by 外野席)
1522
:
尾池
:2005/04/25(月) 02:53:05
新刊紹介
讃岐本山本門寺に関する史料集が三野町史より刊行されました。
1 三野町文化史1
三野町の文化財 1,000円 三野町に所在する国・県・町指定の文化財は元より、今まで知られていなかった未指定の文化財も数多く掲載。文化財を時代順に配列して、文化財から三野町の歴史をたどることができる。約100頁。写真図版全カラー。
2 三野町文化史2
三野町の民俗 1,000円 衣食住から生産生業、年中行事や人生儀礼、祭りや芸能、口承文芸など我々の生き様を現代から過去にさかのぼって直接聞取り調査したものを写真や図表でわかりやすく解説した新しい時代の生活の古典である。約150頁
3 三野町文化史3
三野町の中世文書 1,000円 町内には、本門寺と弥谷寺の2ヵ寺に中世の古文書(こもんじょ)が残されている。本書ではそれらを翻刻(ほんこく)するだけでなく、1点ごとに解説を加え、古文書に接しやすくした。また、中世の地名や寺院の概説等も同時に収録し、読者の便宜に供することに努めた。町域の中世の概観を復元してみて欲しい。約130頁
4 三野町文化史4
三野町の近世文書 1,000円 江戸時代を中心に町内外30の家から提供された古文書の標題を目録化した。各家毎の解題に主要史料の写真を添え、当時の庶民生活に直結する重要な文章には、翻刻(文書全体の写真、解読、読下し文、解説)などを施している。約130頁
5 三野町文化史5
三野町の近世寺社文書 1,000円 この報告には、本門寺・弥谷寺・吉祥寺の各寺院と津嶋神社・正八幡神社・八幡神社・伊予神社・八柱神社の近世文書と棟札を納めた。各寺院の近世の動きや、建物の由来を読み取ることができる。約100頁
6 三野町文化史6
三野町の聖教類 1,000円 イヤダニマイリと四国霊場71番札所で知られる弥谷寺や大坊市の賑わいで有名な本門寺などには、古くからの貴重な仏教関係の書物や什宝類が伝えられている。本書は、弥谷寺の真言密教の秘法などを伝える聖教類と本門寺の本尊曼荼羅などについて、それらの概要や伝存の背景について紹介している。約90頁
*全6冊お買い上げの方には収納ケース付*
三野町のホームページで申込が可能です。
本門寺の寺史ともいえる貴重な書籍ではないでしょうか
1523
:
犀角独歩
:2005/04/25(月) 22:15:46
尾池さん、はじめまして。
先頃、とある日蓮宗のお坊さんの話したときも、このことが話題になっていました。しかし、ここまで詳しくありませんでした。
参考になりました。
1524
:
尾池
:2005/04/26(火) 10:00:57
讃岐本門寺参詣記
本門寺は予讃線みの駅から徒歩3分の所にあり、駅前には日蓮正宗本山本門寺と
鶴丸の紋が入っていた柱が印象に残った。
山門前の菓子屋さんには、大坊まんじゅうが売られていて、出来たてを注文して
寺に届けてもらうことに、山門を抜けて正面に開山堂(町文化財)があり、中を
外から見る事が出来た、開山日仙上人の木像が正面の宮殿厨子に安置されていて
後方には日興上人筆の板御本尊が確認できた。
境内は学校帰りの子供達がサッカーをしていて、田舎のお寺で正宗寺院とは思え
ない静かさが漂っていた、中門から塔中に泉要坊で休憩させてもらい、住職さん
より境内を案内してもらった。大坊にて夕勤に参加させてもらい、菓子屋さんが
大坊まんじゅうを届けてくれた。
とても1日楽しい日でいた。
1525
:
犀角独歩
:2005/04/26(火) 10:56:11
広宣流布の暁には本門寺と名前を変える、これが石山の言うところでした。ところが既に本門寺を名乗っている「日蓮正宗本山」があるというのは、何かおかしな話です。
ここの寺院はわたしも700年遠忌の頃、参詣しました。副住職三好智浄師がご存命の頃でした。気さくに本堂を案内してくれて住職室、要は阿部さんの部屋を見せてくれました。驚いたのは、興師筆の漫荼羅中央が「南無妙法蓮華経 日蓮聖人」となっていたこと。この話題で、れんさん、空き缶さんと話が盛り上がったことがありました。「日蓮在御判」と書くのが蓮師から興師を経た相伝という石山の、その本山に相伝と違った漫荼羅があるのもおかしな話です。
種々、石山常識を覆してくれる讃岐大坊、いや、讃岐本門寺というところでしょうか。しかし、古刹寺院はどこを歩いても、こんな「杓子定規」から外れた規格外の発見があり、なんだか言われていること、富要に書かれていることと違うと思うことはしばしばあります。
1526
:
尾池
:2005/04/27(水) 00:58:03
犀角さん、今晩は
たしかに、客殿の日興上人の御本尊は日蓮聖人と書写されていて、横田住職
の説明では大変に珍しい御本尊様で、もとは宝光坊什宝御本尊で紙幅は宝蔵
に厳護されているそうです。
今でも、朝勤は御影堂・精霊殿・開山堂・客殿と座を変えて行うそうです。
日達上人も総本山に参詣出来ない方は本門寺に参詣しなさいと言われた程
日蓮正宗の屈指の名刹寺院であります。
1527
:
犀角独歩
:2005/04/27(水) 11:14:48
尾池さん、わたしは石山には40年間おりましたから、讃岐大坊がどんなふうに受け止められてきたのかは知っているつもりです。けれど、わたしにとって、「名刹」云々は、あまり興味がありません。それはかつて、杉本苑子さんが『西国巡拝記』(中公文庫)に
「坊さんのすべてが、もう一度、出家しなおしたら、どんなにすばらしいことかと思う。皮肉などで決してない。実感である。
三十三カ所霊場とは限らない。日本の寺々にはともすると、草創の古さ、寺格の高さ、皇室はじめ過去の権力者にどれほどの庇護や帰依をうけたかを、とくとくと語り、あたかもそれを寺の誇りとするごとき傾向をまま見かける。しかしそんなことが、寺の名誉でも威信でもないことはあきらかである。もし寺院が、それなりに矜持(きんじ)を持つとすれば、仏の智、仏の愛を、どれだけ積極的に民衆のなかに弘通し、彼らの悩みを救ったかという一点にしぼられるはずである。過去はもちろん、現在も未来も、立派にそのつとめを果たし得る自信、そしてその実績――。寺院の誇りはこの一事に尽きる。伝統や寺歴を、問題外にするのではないが、そういうものはあくまで第二義のはずと思うのだ。かたちはでんとかまえているが、ひっくり返してみたら下のほうが腐りかけていた南瓜……。そういう哀しい存在に、寺院が成り下がることを、日本の民衆は一人として望んでいないのである」
と、記したことを岩本裕師が引用していました。わたしは、この言葉を永らく噛みしめてきました。
また、わたしが先に記したことは、讃岐大坊が本門寺を僭称してよいのかということ、また、それを何故、石山は黙認するのか、それでは伝・興師已来の石山義に自己矛盾を来すだろうと言うことです。
すなわち、『二箇相承』には「富士山に本門寺の戒壇」といい、『富士一跡門徒存知事』では「日興云く、…駿河国・富士山…本門寺を建立すべき」といいます。(重須義)それを奪い、かつ要山義も交えて、寛師は、『文底秘沈抄』に「本門寺根源…本山と仰がざらんや…本門弘通の日蓮宗、寧ろ日蓮山を以って本山…此の山に於いて本門寺を建立」といいます。
となれば、石山以外において、本門寺と呼称することを斥けるところなのに、その点を達師が等閑にすれば、先師に背いていることになるではないのかという疑義を立てているわけです。
また、『御本尊七箇相承』には「日蓮在御判…嫡嫡代代と書くべし」ということを石山の漫荼羅本尊書写相伝としています。それに反する漫荼羅があることは「大変に珍しい」という範疇ではなく、石山が好きな「不相伝」「謗法」の本尊と言うことになり、これを安置することを看過することは自己矛盾を来していると申し上げているわけです。
もっとも「嫡嫡代代」と石山漫荼羅本尊は書かれませんから、一切が不相伝という矛盾は全般に亘るのでしょう。
さて、このような「本門寺」「本尊」を認めることは、かつて讃岐大坊は石山と袂を分かち、いまは合同しているために生じた齟齬であるのに、その点を解消もせずにいることを、わたしが「謗法厳戒」を言って憚らない石山門として、矛盾していないのということです。
もちろん、資料のご紹介については、たいへんに有り難い情報提供であったことを感謝する点は動きません。
1528
:
吉祥仙人
:2005/04/27(水) 18:51:13
ラキさんへ
自己紹介に無いので質問しますが、ラキとは3人の運命の女神ラキシスから
きているのでしょうか?
もしかして「五つの星の物語」の読者ですか?
1529
:
ラキ
:2005/04/27(水) 20:18:44
皆様。こんばんは。
吉祥仙人さんへ。
>もしかして「五つの星の物語」の読者ですか?
ハイ。読者です。(^^;
FSSを知ってる方が居るとは...A;゚∇゚)/アセアセ☆
1530
:
彰往考来
:2005/04/28(木) 07:38:53
>1525, 1526, 1527 犀角独歩さん、尾池さん
“日蓮聖人”とある興師御本尊は、『日興上人御本尊集』(平成8年、興風談所)で図版が明らかな興師御本尊161幅中で下記3幅しかありません。
(1)正応3(1290)年10月8日、讃岐本門寺蔵
(2)正応5(1292)年10月13日、宮城上行寺蔵
(3)正応□年□月8□、山梨正法寺蔵
すべて興師初期の御本尊であり、“日蓮聖人”とある興師御本尊は、非常に珍しいといえます。
『御本尊七箇相承』(『富士宗学要集 第1巻 相伝・信条部』(昭和52年第3刷(初版昭和49年)、創価学会、32頁)には「日蓮在御判と嫡々代々と書くべし」とあります。『御本尊七箇相承』は一種のマニュアルであり、初期の御本尊に日蓮聖人”とあってマニュアルに準拠してないものがあることは、『御本尊七箇相承』が後世に作成されたものと示唆されます。併せて「日蓮在御判」ではなく「日蓮御判」とある興師御本尊が多いことからも後世に作成されたものであるといえるはずです。
また『奉蔵於奥法寶』(平成12年覆刻版、目師奉賛会)と『日蓮聖人門下歴代 大曼荼羅本尊集成』(昭和61年、大塚工藝社)を調べてみますと、“日蓮聖人”とある他の人師の御本尊は、目師、郷師、時師(石山6世)、影師(石山8世)、妙師(北山2世)、蔵師(北山4世)にみられます。
面白いことに石山では有師(9世)、北山では昌師(北山5世)以後で“日蓮聖人”とある御本尊はみられません。有師、昌師とも“日蓮在御判”となっていることから、『御本尊七箇相承』は有師の時代に作成された可能性があります。もちろん“日蓮在御判”とある興師御本尊は多数ありますので、“日蓮在御判”の初出が有師であるということではありません。
なお来る5月3日のオフ会で、「『飛び漫荼羅』に関する一考察」についてお話させていただく予定ですが、その中で正応5(1292)年10月13日の宮城上行寺蔵興師御本尊について詳細に説明いたします。
彰往考来(しょうおうこうらい)
1531
:
犀角独歩
:2005/04/28(木) 08:12:32
1530 彰往考来さん
「在御判」相伝に関するご賢察のご披露、有り難うございました。
この件は、たしか、過去にれんさん、空き缶さん等と行ったことがあったと記憶します。
相伝が後世の成立、「当然だろう」という思いは、わたしにはあります。ですから、1527ほかに記すことは、石山の言い分は二重の科になっているということです。
つまり、蓮興二祖に由来しないものを由来しているといい(彰往考来さんが指摘される点)さらに、その相伝を自習独自のものといいながら遵守されていないこと、さらにそのような例外に対して、何ら整合性の説明もしようとしないこと(できないでしょうが)、これら欺瞞性は素描されてしかるべきであるというのが、わたしの言いたいところです。
以上、ともかく5月3日のご発表を楽しみにしております。
1532
:
愚鈍凡夫
:2005/04/28(木) 09:52:29
彰往考来さん、どうもです。少し気になったので、質問させてください。
「日蓮在御判」とある興師漫荼羅と、「日蓮御判」とある興師漫荼羅とは、書写時期が分かれるのでしょうか。それとも、双方混在しているのでしょうか。
また、「在御判」と「御判」。日興師はどのような想いで書き分けられていたと思われますか。
お時間のあるときで結構ですから、ご教示願えれば有り難いです。 m(_ _)m
1533
:
愚鈍凡夫
:2005/04/28(木) 09:54:55
しっ、しまった。ここはつぶやきスレッドだった。 (-"-;A ...アセアセ
物・物・物・・・( ̄。 ̄;)ブツブツブツ
1534
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/04/28(木) 12:24:16
>1532 愚鈍凡夫さん
そうなんです。ここはつぶやきスレッドなんですね。
でも考えてみると、連租の著作、曼荼羅についてはスレッドが
ありますが、連租以降の人師についいては適当な場所がないで
すね。
お問い合わせの件は、今手元に資料がないので、追って連絡
します。書写時期は混在していたと記憶しています。
なお、このあたりは先の“日蓮聖人”とある御本尊との対比を
まとめて、一度整理しようと思っています。オフ会ででも披露
したいですね。
1535
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/04/28(木) 12:25:28
>1534
誤記訂正
連租 → 蓮租
謹んで訂正いたします。
1536
:
三学無縁
:2005/04/28(木) 13:31:41
「蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について」スレッドでも良いのでは?
興門の本尊書写については「三度相伝」や「七箇相承」など、「伝・従日蓮日興相伝」ということになっていますから。
もしくは、新しく「蓮祖及び門下の漫荼羅について」というようなスレッドを立てて頂いたほうが良いかもしれませんね。
5月3日も彰往考来さんの発表を楽しみにしています。
1537
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/04/28(木) 15:03:08
>1532
>「日蓮在御判」とある興師漫荼羅と、「日蓮御判」とある興師漫荼羅とは、書写時期が分かれるのでしょうか。それとも、双方混在しているのでしょうか。
これは全く混載しています。まるで無作為化されたデータ(randomized data)を見ているようです。興師の初期から最後まで同じように続いています。興師の御本尊は1紙のものと3紙のものに大別できるのですが、それぞれの中でも傾向は同じです。従って、時期、形式などで傾向を見ることは不可能です。
>また、「在御判」と「御判」。日興師はどのような想いで書き分けられていたと思われますか。
どうでしょうか。上記のような状況ですから、むしろ使い分けはなかったのかも知れませんね。もう少し解析してみないとわかりませんが、スペース的な問題で詰まってまったときは“在”を省略したりして。“菩薩”の略字(法義的に何かあるときは傾向があるものなんですけどね。
料紙枚数も蓮租御本尊はマチマチですが、興師御本尊では一部の大紙を除き、1紙か3紙と決まっています。興師御本尊の場合、かなり規則性を有した書き方で、かなり性格的にも厳しい方であったように思われます。そのときの気分で変えたとはとても思えません。
※ここはつぶやきスレッドなので、これで最後にします。必要なら三学無縁さんのお勧めの新しいスレッドを立ち上げましょう。
1538
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/04/28(木) 15:06:58
>1537
訂正
誤:“菩薩”の略字(
正:“菩薩”の略字(草冠にサ)ではスペース的要因と思われる例があります。
1539
:
パンナコッタ
:2005/04/28(木) 19:59:42
尼崎の列車事故の死者が100名を超えてしまいました。謹んでご冥福を祈りたいと思います。
又、怪我をされた方の1日も早く回復されるように願います。
1540
:
パンナコッタ
:2005/04/28(木) 20:33:21
列車事故ですっかり隠れてしまった事ですが、公明党の足立区議があっせん収賄の罪で逮捕されました。
続報によればこの人物、かなり前から高額の金銭を要求していたとのこと。このような腑の腐った人間を
”人物本位”というタテマエのもと、区議会に送り込んだ有権者は何を思っているのでしょうか。
ただ組織の上から流される事だけを実行するだけで自分では考える事が出来ない(出来なくなってる)
人たちにも原因があるように思えますが、みなさん如何でしょうか?
1541
:
愚鈍凡夫
:2005/04/28(木) 23:00:26
尼崎の脱線事故は、私鉄のとの熾烈な競合が招いた人災のような気がします。あの路線は、JR・阪急・阪神が併走しています。運賃は私鉄の方が安いので、JRとしてはスピードの速さと正確さを売りに、顧客を獲得するしかなかったのだと思います。それにあそこは、東海道線・福知山線・東西線といった三つの路線とつながっていますから、自然と過密ダイヤになってしまいます。時間の正確さを必要以上に要求しすぎた結果ですね。
今回の事故(人災ですから事件だと思いますが)で、JR西日本の虐め体質が明らかになりましたが、自殺者を出すほどの虐め体質が背景にあるとは・・・・・。阪神沿線に住む者の一人として、恥ずかしい限りです。
今回のことは、JR西日本による大量殺人だと思います。
1542
:
ラキ
:2005/04/29(金) 17:59:24
真実とは何か?・・・凡夫の私には一生掛かってもわからないかもしれないけど、
真実を知りたい気持ちは、負けないつもりでいます。
素朴な疑問で「顕正会新聞の浅井氏の発言を載せていただきました。」
その事について聞いたら「新聞を持ってる人が見当たらないので」と、回答をもらい、
「縮小版や過去の掲載記事を閲覧できる方法は?」と、聞いてもそれもない。
当時からの人に聞いたら「浅井氏は御書は作るとは、明言してないと思う」と、あいまいな回答。
理論・もんしょうを提示して説明して、回答を求めても、「歓喜や喜びがない勤行・折伏を実践できない人に、顕正会の
正しき信心がわからない」と言われ、対話拒絶状態になり、堂々巡り。
信・行(折伏)が大事で学は後から付いてくる物といわれて、御書拝読は大事ではないのかと思います。
石山系では「信・行・学」の実践を言われてきたのに、それを否定してるようは、発言は、
大聖人のお心にかなうものか?との疑いしか生まれません。
五座・三座の勤行が受け継がれているにもかかわらず、顕正会では1座のみの勤行は、
おかしくないのですかの問いもやはりうやむや。
66世日顕氏が血脈を受けてないにしろ、65世までの作法は「妙信講」時代は実践してきてるのに、
それをも否定するような、行いは納得できないです。
顕正会で発行してる「折伏理論解説書」がありますが、何を言いたいのか?
折伏をするための理論の解説書なのに、学会・正宗批判文書が目立つのは気のせいか?
御書の金言も載せてますが、短文のみで前後の金言の内容が書かれてないのは、
都合のいい部分の抜粋ではと感じております。
顕正会「ご本尊」も偽疑惑がありますし、また、破門された身ならお返しするのが
筋ではないでしょうか?
正論を述べても通じぬとはこのことだと実感しました。
顕正会発行の書籍から、質問、疑問を投げかけても、ちゃんとした回答を出来る人が
存在するのか?疑問です。
教学研鑽を怠っているのですから、幹部又は先輩からの、刷り込み理論しかないので
それ以外の事は到底、答えることができないて悲しいと思います。
疑問を疑問に思って追及して行くのが、日蓮仏法の姿ではないのかなって思っていました。
どこの書籍でも日蓮大聖人は、仏法の正しさを疑問に思ったので、研鑽の旅に出られて
経文を読み漁り、そして、「南無妙法蓮華教」の五字七字をあらわされた?
究明する姿があるのに、信・行のみの言葉でゴマカスのてズルイ!と思うのです。
愚痴・愚痴・愚痴〜魔に負けてる証拠かな?・・・
はぁ〜愚痴書いてる私て・・・自己嫌悪に落ちそう。。。。
1543
:
犀角独歩
:2005/04/29(金) 18:59:26
ラキさん、1542にお書きになっていること、愚痴でもなんでもないでしょう。至極当然の疑問です。
以前も引きましたが、日本のカルト研究の第一人者・西田公昭師は『マインド・コントロールとは何か』(紀伊国屋書店)のなかで
「何か集団のメンバーになっていても、もし何か矛盾する事実に突き当たったら、徹底的に疑ってみることが大切である。もし、個人が疑うことに対して、何か罪的な否定的意識を教えこまれているとしたら、それは科学的思考を一切否定していることと知るべきだ」(P227)
と記しています。
1544
:
ラキ
:2005/04/29(金) 20:07:49
犀角独歩さん。
>ラキさん、1542にお書きになっていること、愚痴でもなんでもないでしょう。至極当然の疑問です
この言葉で、気持ちが軽くなりました。
私自信が見て思った疑問を追及しても、一般的また、仏法の面から見てもおかしくないことですよね。
「諸法実相抄」に。
行学の二道を励み候うべし。
行学絶えなば佛法はあるべからず。
我れもいたし人をも教化候え。
行学は信心より起るべく候。
とあります。
信は弱いかもしれませんが、信が強いと仮定して、
信があるならば、行・学も怠ってはいけないと考えております。
行は、勤行・小題、折伏の行動だと思っています。
学は、御書研鑽をして学ぶ事。
御金言にあるように、信・行・学の三つがあって初めて、信心なのではないかと感じております。
いま、色々なHPを見て周り、3証の言葉が出ていて、ふと大切な事を忘れていたと感じました。
現証ばかりを言う顕正会は「理証・もん証」を持って、答えることができない。
3証を持って説明できなければ、偽りの姿なのではと、考えてしまいましたが、
私のこの考えが間違いなら、ご指摘お願いします。
近日中に会うので「現証」ばかりを、真実と言い張る矛盾?を聞いてみたいと思っています。
功徳云々ばかり言っているなら「学会・正宗」信徒がみんな、功徳はある。
体験してる。の言葉に当てはめると、顕正会の正しい信心でなければ、
功徳はないと言い張るのも、矛盾に当たるのではと感じます。
相手の事を思うと、現証=功徳ばかりに目が行き、3証をもって真実と思う事が大事なのだと、
伝えたいです。
若輩者の私が説得できる力のなさ。
信心のなさが悔しいです。(><)
涙が出てこんなに悲しい思いは、辛いです。
1545
:
ラキ
:2005/04/29(金) 21:24:22
泣きながら勤行・小題をしていたらメールがきました。
部分抜粋ですが、
「大聖人様の御心に叶う信心で正しく実践した方法でなければ功徳はありません」
それに対して私の返信は。
「功徳=現証のみを語るのではなく、三証(現証・理証・もん証)を持って、語るべき
だと思っています。功徳のみを語るなら、学会・法華講でも功徳体験談は聞いていま
す。初心の功徳なら体験しています。だから真実を知りたいのです。仏法は普遍で
す。だから、指導も普遍であるべきが、毎回違う矛盾を言う場合、何が真実かと迷う
まかりです。諸法実相抄には「一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ、あひかまへて
あひかまへて信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし、行学の二道をはげみ
候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心
よりをこるべく候、 力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし、南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経」これは、信・行・学の大切さを大聖人さまが金言として述べられて
いるものだと思います。」
大聖人のお心って考えましたが、思い浮かぶのがこれしかない、学のなさ(><)
お心は御書の中に語られているとわたしは思っています。
お題目がたりないのか?信が弱いのか?仏知が沸いてこない私にまたまた、
自己嫌悪(><)
迷ってばかりいるのは、魔に負けてる証拠なのかな?・・・TT
1546
:
問答迷人
:2005/04/29(金) 21:55:51
ラキさん はじめまして。
>大聖人様の御心に叶う信心で正しく実践した方法でなければ功徳はありません
僕は、顕正会を、大石寺門流の原理主義集団として、評価していた時期がありました。だけど、こんなことを平気で言いながら、その反面、質問にまともに答えることが出来ない様は、不甲斐ないと思います。もう少し真面目に日蓮聖人の教えを学ぶべきだと思います。真面目に勉強していない者が、こんなことを言ったら、まるで与太話。
>大聖人のお心って考えましたが、思い浮かぶのがこれしかない
日蓮聖人のお心に反しているとは思いませんが、諸法実相抄は、真蹟の存在しない、出処不明の遺文です。偽書の疑いすら掛けられています。念のために申し添えておきます。
1547
:
愚鈍凡夫
:2005/04/29(金) 22:49:10
ラキさんどうもです。今日は夏かと勘違いするぐらいの陽気でしたね。 ε-(´o`;A アチィ
創価学会や顕正会は、会員が深い教学力を身につける事を極端に嫌がる傾向があります。それは、自分たちの間違いが白日の下に晒されるからです。
彼らは、自分たちの教える教学を額面通りに受け取って欲しいのです。だから、これからも、自分の頭で考えることを阻止しようとしてきますよ。
(;`O´)oア〜デモネェ!コ〜デモネェ!
迷っているのは、進むべき方向性を模索していることです。中途半端な答えで満足するのではなく、力の及ぶ限り、突き詰めていって欲しいと思います。そのために、ここの掲示板の方々が力を貸してくださると思います。
ここの掲示板には、力強い先輩が沢山いますよ。考えて分からないことは、質問することです。
それと、「大聖人様の御心に叶う信心」との問いの回答を模索しているのなら、蓮祖真跡遺文を年代順に追ってみることをお勧めします。必ず、蓮祖の想いの一端に触れることができると思います。 ぴぃす((^へ^)v
1548
:
パンナコッタ
:2005/04/29(金) 23:13:28
>真実とは何か?
自分は言語学的に正確ではないでしょうけど、事実と真実を使い分けています。
事実とは実際に起こったことで、真実とは実際に起こっていなくてもそう思える、あるいは
そう思っている事と区別しています。
例えば、虚空会の儀式。あった事かもしれないし、今ある事かもしれない。そう思えるなら
真実と言えるでしょう。しかし、実際に起こった出来事ではありませんので事実ではありませんし、
この話を信じていない人は、アホなSFとして一蹴する事でしょう。
ですから”真実の追究”というのは余り意味がないと自分は思えるのですが・・・。
ここの板はみなさん文証や膨大な資料を検証して『事実』を知る、或いは『より事実に近づいていく』
スタンスだと私は思っています。だから都合の良い物も悪い物も事実は受け入れなくてはなりませんが、
永遠に解明など出来るものではない一教団の主張する真実などに振り回されてはいけません。
1549
:
ラキ
:2005/04/29(金) 23:42:07
問答迷人さん。はじめまして。
>顕正会を、大石寺門流の原理主義集団
凄く判りやすい、イメージがもてました。
>質問にまともに答えることが出来ない様は、不甲斐ないと思います。
先輩に聞いても回答できず、本部に質問してと言う結論になりました。
諸法実相抄の偽書疑惑は知っております。
ただ、御書の御文を引用したかったので、思い浮かんだのが諸法実相抄であり、
この御書なら、普通に読んでも相手に伝わるかな?と思いを込めて送りました。
結果は上記のように、御書講義だけ受けてればいい。
そのような研鑽する体質の場所ではないのだな、と悲しい思いです。
>愚鈍凡夫さん
学会では教学は力を入れていたと思います。
ただ、書籍販売をしたいが為とも取れますが?
過去になりますが、学会版御書は拝読しました。
他の書籍では、人間革命全巻。教学に関する本(発刊されていた物、誰かが持っていたもの全て読みました。)
その他、池田氏の著書を数冊。
感想というか、疑問に感じた事を良く質問していて、あまりいい顔はされた覚えがないです。
気になるのは気になって仕方がないので、直ぐに聞いてしまい、
質問も衣をかぶせるのではなく、ダイレクトにするので、小難しい事を言われ
最後は「信心が足りなくて魔の仕業」と、落ちが決まっていました。
>迷っているのは、進むべき方向性を模索していることです。
中途半端な答えで満足するのではなく、力の及ぶ限り、突き詰めていって欲しいと思います
はい(o^∇^o)ノ!私が納得できるまで、質問は続けて行きたいと思います。
仏法は道理ですから、必ず答えはあると確信しています。
周りで納得のできる回答をしてくれる人は皆無に感じます。
組織のマニュアルぽい、上から聞いたままの回答ばかりだからです。
それでも、「予同罪」(顕正会の本で最近知りました。(^^;)とあるように、
身近な人に聞く事が、正宗系で言う「正邪」を知り正す意味もあるから、
辛く悲しい思いをしても、ここに居る皆様が居ると思えば、心強いです。
「現代の法華経の行者は、法華経の行者の責め苦にあう」こんな事、言ったら怒られてしまいそうなので、
独り言という事で...A;゚∇゚)/アセアセ☆
正宗版御書を購入してきてもらえる事になりました。
そうしたら、ネットで真跡遺文を調べて、年代順に拝読したいと思います。
追伸。
スレット違いではありますが、悩み苦しんでる私に、優しく教えてくださり
感謝の言葉もありません。
本当にありがとうございました。m(__)m
連休中は、私にとっての戦いになります。
質問・愚痴等だらけと思いますが、一言でも言葉をかけてくだされば助かります。
ここに来ると、不思議と心のモヤモヤが晴れてきます。
早く私の進む道を見つけて、福運を頂、幸せになりたい思いでいっぱいです。
1550
:
ラキ
:2005/04/30(土) 00:08:43
パンナコッタさん。
真実と事実。今まで気が付きませんでした。(^^:
事実の追求が的確な表現になると思いました。
周りに影響されてしまった感じです。
上手く表現できませんが、教団の言う真実は事実ではない、
教団の都合の良い真実にみんな、変えられてしまう。
事実を求める為に、もっと研鑽を積みたいと思います。
1551
:
問答迷人
:2005/04/30(土) 07:28:40
パンナコッタさん
ラキさん
>真実と事実
昔、創価学会に所属していたとき、聖教新聞の通信員をしていました。そのとき、取材して書いた記事の書き直しを命じられ、その時、記者から言われたことは、「聖教は真実を報道する新聞なんだ。事実をいくら報道しても、読んだ人が信心に奮い立たなければ駄目なんだ。」
もっと平たく言うと、その体験談が事実とは違っていても、読者が信心に奮い立てば、その体験談を話してくれた人も功徳を受けることになる。それが『真実を報道する』ということだ・・・・。
この記者の話を聞いて、僕は凄く合点が行きました。その団体の意向に沿う内容は大きく、そして、そうでないものは小さく報道される意味が。この原理は国家レベルでも当てはまるように思います。政府の意向に沿う事件は大きく、政府の意向に反する事件は小さく・・・・。
結局、それ以来僕は、「『真実』とはその団体にとっての『真実』であり、情報操作を含む」と捉えて置いた方が良さそうだと僕は考えるようになりました。
1552
:
パンナコッタ
:2005/04/30(土) 11:37:58
ラキさん。悪文なのにニュアンスが伝わって良かったです。(^^)
問答迷人さんの考えを踏まえると、団体や教団の数だけ”真実”がある事になり、
それぞれが真実なのでしょう。 しかし、それは誤解や誤認(意図する・しない)を
含んだものであるという『事実』を見極めていかなければいけませんね。
1553
:
ラキ
:2005/04/30(土) 16:20:38
いま凄く悲しいです。
顕正会本部に電話して疑問を質問しました。
1.勤行について。
遥拝勤行なので1座は、ご本尊がないので省略。(しなくてもいい)
2座以降は、方便品。じがけの略式でいいとのこと。
長行できるなら長行でもかまわない。
5座3座したければ、するのはかまわない。
正宗歴代の作法に則っての勤行は「妙信講」時代は実践されていたのではといいましたが、
浅井氏の考えなので、明確には回答されませんでした。
2.御書発刊についての顕正会新聞の記事について。
何故、御書発刊が20近く経ってるのにされていないのか?
「浅井氏の激務のため、一字一句、濁点などの間違いがないようにするために
時間が掛かる」御書編纂なら、学会版であるのは、宗門が認めた正式版でそれを、
元に編纂すれば、問題はないのかとの問いに「御書編纂を出来るのは、浅井氏しかいない」
御書講義をつけるのが出来るのは、なら、わかるのですが。
「H7年度の発表では、2年に1巻の発行で、3巻まで御書講義をつけて発刊する」
このようになっているのに、いまだ10年過ぎても発刊されないのは何故?との問いに。
「御書が発刊されなくて、何か問題がありますか?信心に影響されますか?」
仏法は道理。有言実行ではないのですか?延期の理由を明確に伝えるべきではないのですか?の問いに
「浅井氏が御書講義をされている。それで充分ではないのですか?信心がないから浅井氏を信じられない、
のです。」て、話の本質をごまかそうとしていると指摘しても、「ごまかそうとしてるのは、あなたの方です。」
て話をすり替え、ごまかしに持っていく。不甲斐ないやり取りなので中略。
「浅井氏だけが御書のままに大聖人の仏法を実践している、ただ一人」と言う、
浅井氏が血脈相伝でもしてるような言い方は、狂信的な言葉は、浅井宗と同罪!
「折伏理論解説書を読みましたか?」の問いに「発刊されている書籍は、全部読みました」と応えたら、
「それでも浅井氏の心がわからないのか!」て・・・
半ページ以上が、学会批判。そして、顕正会の歩み。(一方的な内容なので、真偽は不明ですけど)
残り数ページが、三証。五綱判。十会論。等少しだけ、掲載。
信心歴長い人が読む本で、初心者向きではないと、言っていますが、
学会の初心者教学の本以下の、悪書と言い切ります。
どこが「折伏理論解説書」なのか?「じさしさん」の部分が多い書籍であって、
肝心な、理論の解説が低俗すぎだと感じます。
これが、浅井氏の著書なら学のなさを広めてる気がするのは私だけでしょうか?
学会教学部編纂、池田氏監修の書籍のほうは、数倍まともと感じてしまいます。
最後に「誹謗を言うのか」との問いに「誹謗な暴言を吐いたのはそちらでは?」
というと、言葉につまり「誹謗されて何故よろこばないのか?法華経の行者は」といい
「龍ノ口法難でも、うれしかな、うれしかな」との言葉があるではないかといったら
「罪障消滅できます。」と捨て台詞を残し、電話を切るありさま!
大聖人の慈悲の心の問いもしましたが、話にならないほどの狼狽ぶり。
いい事を言ってるようで、中身がない信心だと思いさせられました。
求道心。疑問心。研鑽する心が皆無な人しか無理な組織だと思いました。
何故今まで残ってるかと思うに、浅井氏の力ではなく、どこの組織も相手にしてない。
これが事実なのではとの、私なりの答えです。
1554
:
パンナコッタ
:2005/04/30(土) 19:01:27
ラキさん。そこまでしたのならもうスッパリと顕正会との縁を切るべきじゃないでしょうか。
求めている物が得られなければやる意味は全くありませんし、今のあなたにはもう合わない
信仰体系なのでこれ以上心力を注ぐ事は無意味ですし、自分を傷つけるだけです。
これを機に顕正会と決別したほうが良いと思われます。
1555
:
問答迷人
:2005/04/30(土) 19:39:19
ラキさん
1545で、「大石寺門流の原理主義集団」と書きましたが、僕は今でも、そのように理解しています。しかしながら、僕は、大石寺門流が日蓮聖人の原理主義集団とはとても思えません。ですから、顕正会も日蓮聖人の教えからは、遠くかけ離れた集団になってしまっていると思います。少なくとも、江戸時代以降、特に日寛上人以降の大石寺門流が日蓮聖人の教えとかけ離れているのが明らかだと僕は思います。いくら顕正会が『日蓮聖人の教えのままに実践している』と強弁してみても空しいことだと思っています。
1556
:
ラキ
:2005/04/30(土) 21:52:19
問答迷人さん。
>特に日寛上人以降の大石寺門流が日蓮聖人の教えとかけ離れているのが明らかだと僕は思います。
日寛上人の前と後の正宗の歴史を調べれば、変化が判りやすいと、思ってよいのでしょうか?
答えの破片でも見つけられればとの思いです。
立正安国論の部分だけで言えば「国立戒壇」は確かに正しいと思います。
ただ、天皇が帰依して広宣流布達成で戒壇建立だから「国立戒壇」と、現代語に直しているのみで、
言葉の表現「国立戒壇」にばかり囚われていて、それ以外の物は、道理にかなわなく
二転、三転の発言のいい加減さ。
信心強情なら確信を持って発言してるはずなのに、矛盾極まりないと思っています。
本部職員が明確な回答が出来ないのは、信心強情というより、浅井氏崇拝の意識が強いと感じてなりません。
御書の本当の意味を理解できるのは、浅井氏のみておかしいですし。
浅井氏の言葉が大聖人の言葉みたい内容の発言も、あきれるばかり。
信・行が強情と言い張っておりますが、行自体半端だと私は感じております。
学をおろそかにしていいものではないと思っていますし、行も「行学」と思い、
行って学ぶ、行になるのでは?との思いがあるからです。
信・行・学が弱い私を相手に、破斫・論破もできない、本部職員の姿は、
顕正会の事実の姿だと思い知りました。
つぶやき、愚痴ついでに・・・
正宗寺院に参詣に行って来たのですが、たまたま居た、法華講の年配のご婦人がお題目を唱えておりました。
入った瞬間!我が目、我が耳を疑うような思いで、一瞬身体が固まりそうなぐらい、
衝撃な思いをしました。
お数珠、モミモミ念仏でも唱えてる姿・・・
途中でつぶやいてる、請願の言葉が・・・
「創価学会が滅ぶように」「日蓮大聖人様」「大ご本尊様」「お願いします」
この言葉が聞こえてきて、怖い〜と恐怖心が起こったしだいです。
他の言葉は、わからなかったですけど、鬼気迫る念仏を唱えてるがごとくの姿て、
あれほど怖いとは思いませんでした。
TVの時代劇とかで見てる姿の方が、怖さなんて感じないほど、恐怖体験にも勝るとも劣らないと、
今日は、気持ちが悪い1日でした。
つぶやき・愚痴・・・日記になってきてる感じが(^^;
今日は1日、御書〜御書〜御書が読みたい!て気持ちで一杯なラキでした。^^
1557
:
犀角独歩
:2005/04/30(土) 22:22:26
ラキさん:
立正安国論からして国立戒壇は導き出されませんよ。
導き出されるのは、浄土・念仏の信仰をやめて法華経に帰依することだけです。もっと言えば、漫荼羅本尊崇拝はおろか、唱題行すら、同論からは導き出せません。
また、わたしからすれば、大石寺と顕正会、どっちがひどいかと言えば、大した差はないと思います。ただ、言えることは浅井さんはまったく仏教学その他の基礎がなく、日寛教学が最高の教学であるという浅はかさで物を推し量っているところに過ちがあります。いわば、いまだに太陽が地球の周りを回っているという科学開闢以前の100年以上遅れのアナクロニズムでしょう。
それに対して、石山阿部さんは、偽物だと知っていながら、平然と演技を続けているということでしょう。本人の「説法」で聞いたことですが、この御仁はしかし、「大乗非仏説、そんなことはないと思うんだ」ということでした。しかし、本気で言っているとは思えませんが、変に神秘主義的な側面がありますから、もしかしたら本気かもしれません。しかし、彫刻本尊が本物であるとはよもや思っているはずはありません。
創価学会は既に正本堂建立以降、事実に気が付いたけれど、その集成の未だ途上にある。会員は、池田さんのそんな合理主義に頭が追いつかず、池田礼賛は日寛顕彰であると勘違いしているといったところでしょう。しかし、池田さんが目指しているのは、そんな辺境の神話ではなく、世界に通用する脱皮でしょう。それなのに、カネさんやら、息子やらを一所懸命に聖教新聞辺りに登場させて、世襲制を露わにする辺り、案外、俗物だったとわたしはがっかりしています。
まあ、それぞれ、結局のところ、ドングリの背比べ。そんななかでどっちが上だ下だを言ってもはじまりません。そんな些細なことに留まらず、まずは蓮師の教えの輪郭を掴み、その過ちは過ちとして受け入れ、天台教学の無謬神話など捨て、さらに漢訳仏典の瑕疵に気付き、さらに経典は後世の創作という事実も受け入れ、さて、そのうえでどうするかを考えるという全日本の仏教界に突きつけられた、最低限の課題であるスタートラインに立って、、自分の信仰を考え直すところに来ている。これが今現在でいう真摯に仏道を考えることであるとわたしは思っています。
ただし、捨てるか・採るか、善いか・悪いかなどという二者択一の二極論ではなく、精神、体験、功利性として善いところは大いに褒め、採用すれば善し、しかし、自分たちが最高、他は駄目だ等言うファンダメンタリズム、さらに深刻なアナクロニズム、不勉強は「先生」だ「猊下」だというサル集団のボスを頂点にする哺乳類の本能から、一歩進んで考える余裕ぐらいは持ちたいものです。
ラキさんはいったい、浅井さんあたりに何を期待し、また、石山法華講に何を期待しているのでしょうか。学会にしても然りです。ただ、すべきことは実像をしっかり見据えること。それだけです。
1558
:
ラキ
:2005/05/01(日) 00:23:20
犀角独歩さん。
ご丁寧な解説ありがとうございます。m(__)m
私にも良く理解できました。
私が組織に期待してるのは、大聖人の仏法を正しく教えてくれる場所なのです。
独学では理解できませんし、教えを請う。判りやすいように、教えてくれる場所。
先生か師匠。先輩みたいなのを、組織に求めています。
私は、学会の縁で日蓮仏法を知りました。
日蓮関係の歴史の書籍も読んだりして、惹かれるものがあり、教学の基礎は、
学会関係と石山関係の書籍を読んで学びました。
勉強すればするほど、疑問も出てきたのです。
正宗と学会の問題で何が事実。真実なの?大聖人の仏法は功徳があるの?
謗法を犯してる方に、現罰が出て現証・実証が出ないのは何故?と疑問ばかり起こり、
信心から離れていました。
離れていても学会の人間は関係なく、身近に居るので話すきかいが多く、
PCを購入して、自力で調べる事が出来る環境になって、なおさら、わからなく迷いが出ました。
エホバの証人の人達とも出会う縁がありまして、勉強会などにも参加して見ました。
個別勉強会で、質問には聖書を通して、説明を納得が出来るまでしてくれました。
聖書も新訳・旧約と全部読みましたが、やはり神の存在は?と疑問に思い、
聖書という、世界最古の書籍の勉強程度に今は思っています。
物語として読めば、それなりに面白いと思ったので。
話がずれましたが、信仰に求めるものはやはり「幸せになりたい」これが本音です。
ただ、幸せの価値観は人それぞれだと思います。
私は物欲的思いが強いです(^^:
別な考えで言いますと「心の幸せ」これは、私自身、何をもって幸せ?と言い切れるか
判っておりません。
ただ、悲しい出来事がなく、普通に暮らしていける事かもしれません。
欲を言えば、嬉しい事がたくさんあればいいな〜とこの程度の思いです。
>捨てるか・採るか、善いか・悪いかなどという二者択一の二極論ではなく、
精神、体験、功利性として善いところは大いに褒め、採用すれば善し
このお言葉が一番今の私には、心に染み渡る言葉です。^^
>すべきことは実像をしっかり見据えること。それだけです。
改めて実像を見て、色々学んで行きたいと思います。
1559
:
犀角独歩
:2005/05/01(日) 06:49:30
ラキさん
> 組織に期待…大聖人の仏法を正しく教えてくれる場所
このようなことを組織に期待すると、違う方向に歩いてしまいます。
> 独学では理解できません…教えを請う…判りやすい…教え…先生か師匠。先輩…組織
蓮師の教えは、難信何解、随自意といいますから、そのような欲求は、そもそも無意味であるとわたしには思えます。
「判りやすい」ということは、結局、判りやすいという範囲だけのことでその先がいつになって見えない。あたかも教学が簡単なことであると即断して、その先に進むのをやめてしまう、そんな効果以上のものはないでしょう。
> …教学の基礎…学会関係と石山関係の書籍
では、いったん、その「基礎」をすべて捨て去る、もしくは、根底から徹底して疑ってかかるところからやり直すことです。
釈尊の遺訓は、自灯明・法灯明ですから、自分自身により、ただ法と向かい合ってみることです。自分は師匠先輩と言える人に比べれば劣っている、だから、判ることが知れている。そうかもしれません。しかし、それがいまの自分が理解できる精一杯のこと、いわば、自分が許容できる範囲ということでしょう。法といわれても、そもそもそれがなんであるかわからない。そのとおりで、法がなんであるか、書籍で読んだり、組織先輩が教えてくれたり、そんなことで簡単に判ることではない。そうやって教えられてきたは全部、嘘かも知れません。それを知るために一生を費やすかも知れません。そんな大問題です。かんたんには手に入らないものです。
幸福を目指すのであれば、日蓮、法華経はおやめになったほうがよろしい。艱難辛苦を乗り越えいくこと、身を粉にして法華経に捧げることを教えるものであり、幸福の追求を目的としていないからです。もっとも『御義口伝』(後世のの成立)では「妙法蓮華経を修行するに難来たるを以て安楽と意得べき」ということですので、安楽を幸福と解釈すれば、艱難辛苦を受けることこそ、最高の幸福というのが蓮師門下、取り分け、御義口伝を重視する派の結論であるからです。
幸福を追求するのであれば、さっさとこんな教えから足を洗って、ワーカーホリークなるほど、高収入、好条件の仕事を探すこと、また、そのような収益につながる資格、勉強をして、金儲けのうまい人に師事すること、もしくは玉の輿(逆玉)を求めることのほうがよろしい。もっともその前に、では、自分にとって「幸福」とは何かをもう一度、考えてみることです。
ラキさんにとって、幸福とは何でしょうか。そのしっかりとしたビジョンがありますか。
1560
:
犀角独歩
:2005/05/01(日) 08:34:48
【1559の訂正】
誤)難信何解
正)難信難解
1563
:
犀角独歩
:2005/05/01(日) 12:01:13
少しついでに書き足せば、「法」ということは、たとえば「宇宙に編曼する妙法」であるとか、「森羅三千を貫く真理」であるというが、これは果たしてどうでしょうか。結局のところ、シャキャムニといい、蓮師といっても人間です。また、仏法2500年の歴史を培ってきたのも人でした。そこで確かに法と言えるものは教えであろうと考えています。「如何に生きるべきか。修行するべきか」という範疇です。それが宇宙とは何か、生命とか何かとはじまれば、それは結局、想像の産物から一歩もでない。
それを恰も何でもわかっているように豪語するところに嘘があるのだとこの際、はっきりと記しておきたいと思います。
スティーヴン・ハッサン師は次のように記しました。
「『特殊用語』の詰め込みとは、特殊用語がそのとおりの意味を持ってくること、そして言葉やイメージが神になることである。非常に単純化された言語というものは、月並みに見えるかもしれないが、まさにその単純さのゆえに、途方もない魅力と心理的威力を発揮できる。しかもそれは、それなりにつじつまがあっているので、当人は真理を体験したと主張するし、事実そう感じるのである。答えはすぐ手に入る。ライオネル・トリリングは、これを『無思想の言語』と呼んだ」(恒友出版 P376)
確信を持って語られることが事実・真実であると限りません。確信を持って語れると言うことは、単なる強い妄想、思いこみ、詐欺紛いの話術ではないのか、信じることで完結してしまうこと、簡単に手に入る答、簡潔に言語で表現されるもの、それが本当に法であるかどうか、「妙法蓮華経」は、そんな‘特殊用語’化された言葉ではないのか。この言葉を信者に追及して問うても、大した答えは返ってきません。彼らにとって、この言語は信じることで完結し、何ら思想性を有しない特殊用語として機能しているように映じます。反論があれば、百万言を費やしてほしいと希望します。これらの点を、わたしたちは、もっとまじめに考えてみる必要があると思います。
言えること、「法」とは何か、そんなことは、ちょっとやそっと、考えてわかることではなく、もっと言えば、シャキャムニ、日蓮を含めて、結局のところ誰もわかってはいないことだったと言うこと、ただし、それがわからなくても、どのように生きるべきか、どうあるべきかはわかったということ、それが教えとしては意味を持ってきたということだけです。
換言すれば、「法」とは何かを明確に説明できる人は実は一人もいない。しかし、それをさも覚ったかのように確信を持って語り、人を誑かす連中によって、煽動されてきたということです。
わたしは南無妙法蓮華経というとき、それは宇宙真理などではなく、法華経に説かれた精神に基づいて、自分は命懸けで生きますと言う誓い、教えの範疇である考えます。
1564
:
問答迷人
:2005/05/01(日) 12:18:44
犀角独歩さん
>法華経に説かれた精神に基づいて、自分は命懸けで生きますと言う誓い、教えの範疇である考えます。
ほとんど同じですが、僕は「法華経の教えに基づいて、自分は命懸けで生きます」という誓いの言葉だと捉えています。
そしてさらに、声を出して「南無妙法蓮華経と唱える」ということ実践自体が、すでに『法華経の教えの根幹』を実践している事なのだという事を、蓮祖は教えたかったのだと思っています。
1565
:
問答迷人
:2005/05/01(日) 12:24:45
もちろん蓮祖は、「南無妙法蓮華経」が「宇宙に編曼する妙法」であるとか、「森羅三千を貫く真理」であるとか、そんなレベルの議論とは無縁で在られた。真蹟遺文で拝する限りでは、むしろ、宇宙とは何か、生命とか何か、と言った事については、釈尊と同じく「無記」として、語ろうとはされなかった事柄であると思います。
1566
:
犀角独歩
:2005/05/01(日) 13:26:48
問答名人さん
> 「法華経の教えに基づいて、自分は命懸けで生きます」
わたしが法華経の精神としたところを「法華経の教え」と仰る違いですね。
法華経とはサダルマ・プンダリーカ・スートラで、正しい法・白蓮華・教え(=経)ということだとおもうのです。ですから、「経の教え」というと教えの教えという二重定義になってしまうので、敢えて精神としてみました。しかし、仰るところに特に異存はありません。
> 声を出して「南無妙法蓮華経と唱える」…蓮祖は教え…
これが法華経自体の趣旨とは違う蓮師の独走ですね。
1567
:
ラキ
:2005/05/01(日) 18:51:33
皆様。こんばんは。
>釈尊の遺訓は、自灯明・法灯明ですから、自分自身により、ただ法と向かい合ってみることです。
>ラキさんにとって、幸福とは何でしょうか。そのしっかりとしたビジョンがありますか。
昨日から考えましたが、今言えることは、やはり学びたい思いがあります。
一から学びなおして考えて行きたいと思います。
答えが一生出ないかもしれませんが、それでも考え学んで行きたいと思います。
幸せのビジョンも明確にはないです。
これも考えていかなければいけない、私自身の課題だと感じました。
日蓮仏法を学び実践していく事で「功徳・幸せの境涯・福運を積んで来世でも幸せになれる」
この言葉は、魅力的な言葉でした。
今は、これしか言葉が出ません。
色々教えていただき、ありがとうございました。
1568
:
吉祥仙人
:2005/05/01(日) 19:43:14
ラキさんへ
一つ提案なのですが、ここは「つぶやきスレッド」なので、貴方が一番
話題にしたいことを新スレッドとして立ち上げていただくよう、管理人さん
へお願いしてはいかがでしょうか?そうすれば私も参加しやすくなるのですが
・・・・・
1569
:
問答迷人
:2005/05/01(日) 23:18:32
犀角独歩さん
>法華経自体の趣旨とは違う蓮師の独走
独創、或いは独走。いずれにしても、ここに蓮師の教えの主眼点が有ることは、誰も否定しない事実であると思います。そして、この観点に立って、蓮師の曼荼羅を拝するとき、特に、中央の「南無妙法蓮華経」の七文字は、妙法蓮華経に南無する、という信仰の表明に留まらず、音声としてのお題目の声をも表しているのだと思います。そう考えると、普通の文字では無く、ヒゲ文字で表した蓮師の意図が分かる様に思います。一字一字ゆっくりと、十方世界に響けとばかりに唱える引き題目のイメージがそこにはあるからです。
1570
:
ラキ
:2005/05/02(月) 04:55:09
皆様。おはようございます。
吉祥仙人さん。
ご提案ありがとうございます。
しばらくは、気になるスレッドを読み、学んで行きたいと思っておりますので、
それでも話題にしたいのがあれば、新スレッドを提案したく思います。
以下つぶやきです。
勤行についてのスレッド全文拝見しました。
勤行についてから話題が難しくなって6時間近く読んでいて・・・
代表的な和紙の原料は「草」
和紙に書き表す墨の原料は「木」
これで「草木」かな?て・・・
ごめんなさい(><)つぶやきです。
1571
:
犀角独歩
:2005/05/02(月) 05:12:30
問答名人さん
> 独創、或いは独走
そうですね。わたしはここに「独走」と記すのはもちろん、批判的に言うのではなく、問答さんが仰るような受容的な意味で記しました。
「五字七字」の文字として表す、そして、言語音声(おんじょう)を以て唱えることに意義を置いたのが蓮師だったわけですね。
釈迦仏像開眼でも法華経をその御前に置くことを強調されました。音声を以て、その経の題名を唱えることを行として確立したわけですね。
やや、漫荼羅本尊論者からは離れますが、蓮師は釈迦一体像を随身し、また、弟子檀那も釈迦仏像造立していたわけです。そこで開眼には仏像御前に法華経典という義も書き遺されています。そして、問答さんが仰るように唱題行の独創。となると、釈迦仏・法華経典安置の宝前に向かって唱題という、いわば三点セットであったと想像できますね。ただし、蓮師は、仏像・経典に向かうときばかりではなく、時には日月に、時には衆生に向かっても題目を唱えていたのでしょうか。またでは、ここで漫荼羅は、どのような用途であったのか、という先の議論が、やはり、思い起こされます。
1572
:
愚鈍凡夫
:2005/05/02(月) 08:35:01
もし、読経の御利益を法華経に求めるとしたら、下記の文でしょうかね。
「若説法之人。獨在空閑處。寂莫無人聲。讀誦此經典。我爾時為現。清淨光明身。(若し説法の人、独空閑の処に在って寂莫として人の声なからんに、此の経典を読誦せば我爾の時に為に清浄光明の身を現ぜん」(妙法蓮華經法師品第十)
物・物・物・・・( ̄。 ̄;)ブツブツブツ
1573
:
taitsu™ </b><font color=#FF0000>(qZdgqRP2)</font><b>
:2005/05/03(火) 20:10:06
みなさん始めまして
お話の途中の様では御座いますが
初登場(2回目かも)記念つぶやきさせていただきます
私は最近、スッタニパータを依経として読んでいるのですが
もし日蓮さんがスッタニパータを読まれたら何と言われるんだろうか?
やはり、爾前釈門、小乗教也と言われるだろうか?
涙を流されながら読まれる気がする、今日この頃です。
因みに私は嘗てはバリ、今は籍だけ学会員で、嘗ての同志は私を脳乱者と言ってました。
日蓮さんの教えや、仏教の本義を深く追求するのは二乗なんだそうです。
そんな教団なんかこっちから願い下げだ!
と、離れてから既に約5年…
偶にしか書き込みできませんが、今後とも皆様宜しくお願い致します。。
1574
:
ラキ
:2005/05/03(火) 21:32:30
ここは落ち着けるただ一つの場所。
蓮師の仏法を研鑽し求められる場所。
事実を事実と受け止めて、追求してる書き込みを読んでるだけで、
気持ちが落ち着いてくる私がいます。
正宗系団体の人達と話すと、悲しい気持ちがこみ上げてきます。
1575
:
愚鈍凡夫
:2005/05/05(木) 04:30:11
う〜ん、これって悪世末法ってやつですか。
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脱線知りながらボウリング大会 飲酒も JR西の天王寺車掌区
JR西日本は4日、兵庫県尼崎市のJR福知山線で快速電車の脱線事故が起きた4月25日、同社天王寺車掌区の区長(53)ら43人が親睦(しんぼく)のためのボウリング大会を開いていたことを明らかにした。区長は事故の発生を知りながら参加し、うち22人は大会後、同車掌区近くの居酒屋で飲酒していたという。同社は中止すべきだったとして、区長らの処分を検討している。
同社によると、ボウリング大会は事故発生約3時間後の25日午後0時半ごろ、大阪市東住吉区のボウリング場に集合し、同2時ごろまで続いた。区長ら43人は休暇を取って参加した。
区長は大会前、車掌区に立ち寄り、同社総合指令所からの一斉放送で事故発生を聞いていた。
またボウリング中、天王寺車掌区の副区長は区長の携帯電話に何度も連絡したが、区長はプレー中で携帯電話を身に付けておらず通じなかった。
終了後、携帯電話の着信に気付いた区長は同車掌区に連絡。職員3人とともに職場に戻った。
区長は同社の事情聴取に「事故が大惨事に発展したとは知らなかった。軽率で認識が甘かった」と話したという。
同車掌区のボウリング大会は職員120人が3グループに分かれ、25-27日の3日間予定されていたが、26日、27両日は中止された。
天王寺車掌区は管内で事故が起きた大阪支社にあり、脱線した快速電車の高見隆二郎運転士(23)=死亡=が車掌時代の2001年8月から03年12月まで所属していた。
◇
「大変情けなく残念な気持ちでございます」-頭を下げる社長。「これ以上隠していることはないというたやないか」と声を荒らげる報道陣。脱線事故発生当日の4月25日、車掌区長が部下とボウリングに興じるという新たな不祥事が4日発覚、JR西日本の記者会見は大荒れになった。
4日夕からJR西大阪本社で断続的に開かれた記者会見。あらかた質問が出尽くした午後10時ごろ、ある記者からの質問をきっかけに、村上恒美・安全推進部長が不祥事を明らかにした。
「これはもう漫画や」。3日に事故を起こした電車に乗り合わせた社員が負傷者を救助せず出勤していたことが、明らかになったばかり。あきれた記者から質問に交じり罵声(ばせい)が飛ぶ。
日付が変わって5日午前零時25分ごろ、垣内剛社長がようやく姿を現した。遺族への謝罪の日々が続く上、新たな不祥事にショックを受けているのか、表情は青ざめている。
社長はボウリングの事実を3日夜、部下から知らされ「考えられない。なぜこんなことが起こるのか」と絶句したという。
しかし会見では謝罪を繰り返しながらも、「おわびとお見舞いに全力を挙げる。生まれ変わったJRをつくる」と陣頭指揮をとり続ける決意を示した。
(共同)
Sankei.Web (05/05 01:58)より
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物・物・物・・・( ̄。 ̄;)ブツブツブツ
脱線知りながらボウリング大会 飲酒も JR西の天王寺車掌区
http://www.sankei.co.jp/news/050505/sha001.htm
1576
:
三学無縁
:2005/05/06(金) 14:36:41
島の研究家で民俗宗教、古神道研究家でもある、菅田正昭さんが「仏教タイムス」4月28日号に「牧口常三郎と禊流の古神道」という記事を書いています。
キャッチコピーに「正宗入信後も禊に参加」とありますが、御本人から送っていただいたコピーでは「正宗入信後も禊を行う」と訂正されていました。
牧口が正宗入信前に禊会に十数年参加していたことは全集に記述がありますが、これは一般的な「禊を行なう会」ということではなく、固有名詞としての「禊会」を指すということです。
菅田さんによれば、
「牧口が十数年間も通ったという禊会というのは、川面凡児が再興した禊流の古神道のことである。正しくは明治39年4月、東京・谷中で旗揚げされた「大日本世界教稜威会本部」の講習会が、牧口がいうところの「禊会」である。」
ということです。
牧口は「十数年間、夏冬の何れかに大概参加し」と記していますが、創価(教育)学会の「伝統の夏期講習会」のルーツは禊会にあったわけです。
菅田さんには、そのうち「とか研」で講演をお願いしたいと思っています。
1577
:
犀角独歩
:2005/05/06(金) 23:49:56
三学無縁さん、菅田さんの記事のファックス、有り難うございました。
拝読しました。なかなか面白い記事でした。
先には、新宿の勉強会で、石山、菅田さんの石山異流儀の研究を聞き、あのときも実に勉強になりましたが、徐々に近代に近づき、緊迫感があります。‘とか研’に期待です。
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