[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
つぶやきすれっど2
1559
:
犀角独歩
:2005/05/01(日) 06:49:30
ラキさん
> 組織に期待…大聖人の仏法を正しく教えてくれる場所
このようなことを組織に期待すると、違う方向に歩いてしまいます。
> 独学では理解できません…教えを請う…判りやすい…教え…先生か師匠。先輩…組織
蓮師の教えは、難信何解、随自意といいますから、そのような欲求は、そもそも無意味であるとわたしには思えます。
「判りやすい」ということは、結局、判りやすいという範囲だけのことでその先がいつになって見えない。あたかも教学が簡単なことであると即断して、その先に進むのをやめてしまう、そんな効果以上のものはないでしょう。
> …教学の基礎…学会関係と石山関係の書籍
では、いったん、その「基礎」をすべて捨て去る、もしくは、根底から徹底して疑ってかかるところからやり直すことです。
釈尊の遺訓は、自灯明・法灯明ですから、自分自身により、ただ法と向かい合ってみることです。自分は師匠先輩と言える人に比べれば劣っている、だから、判ることが知れている。そうかもしれません。しかし、それがいまの自分が理解できる精一杯のこと、いわば、自分が許容できる範囲ということでしょう。法といわれても、そもそもそれがなんであるかわからない。そのとおりで、法がなんであるか、書籍で読んだり、組織先輩が教えてくれたり、そんなことで簡単に判ることではない。そうやって教えられてきたは全部、嘘かも知れません。それを知るために一生を費やすかも知れません。そんな大問題です。かんたんには手に入らないものです。
幸福を目指すのであれば、日蓮、法華経はおやめになったほうがよろしい。艱難辛苦を乗り越えいくこと、身を粉にして法華経に捧げることを教えるものであり、幸福の追求を目的としていないからです。もっとも『御義口伝』(後世のの成立)では「妙法蓮華経を修行するに難来たるを以て安楽と意得べき」ということですので、安楽を幸福と解釈すれば、艱難辛苦を受けることこそ、最高の幸福というのが蓮師門下、取り分け、御義口伝を重視する派の結論であるからです。
幸福を追求するのであれば、さっさとこんな教えから足を洗って、ワーカーホリークなるほど、高収入、好条件の仕事を探すこと、また、そのような収益につながる資格、勉強をして、金儲けのうまい人に師事すること、もしくは玉の輿(逆玉)を求めることのほうがよろしい。もっともその前に、では、自分にとって「幸福」とは何かをもう一度、考えてみることです。
ラキさんにとって、幸福とは何でしょうか。そのしっかりとしたビジョンがありますか。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板