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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

1管理者:2002/03/08(金) 16:52

ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。

http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/gohonbutu.htm


スレッドテーマのご提案がありましたので、立ち上げます。

古来、日蓮大聖人様が御本仏である、というのは、大石寺、富士門流の根幹教義です。この教義について、幅広く、根源的な議論が展開される事を期待して、このスレッドを立ち上げます。

175ガンコ:2003/05/11(日) 18:49

愚鈍凡夫さん

>確かに、自分が信じていた本尊こそがナンバーワンだと思うのは、無理のないことです。

確かにおっしゃるとおりです。
ですから、考えるにあたって、常に自戒しているつもりですが、どうしても自己都合的というか恣意的というか、手前味噌の考えに陥ってしまいがちのところがあります。
どうぞ、遠慮なくどんどん指摘してください。

176川蝉:2003/05/12(月) 11:47
ガンコさんへ。

>中央釈尊に多宝仏をはじめとして三世十方のあらゆる仏が摂せら
>れるということになりましょう。しかしながら、ここに妙法五字
>が含まれるのはなにゆえでありましょうか?

妙法は釈尊の証悟の実質ですし、釈尊の所説です。能証・能説の釈尊に接することが出来ましょう。

>一尊四士の中央釈尊に妙法五字を接するのではなく、釈尊と妙法
>は一体である、いわゆる人法体一ということになりはしないでし
>ょうか?

妙法五字は釈尊の証悟の内容であり教法です。釈尊をその内証・教法で表せば妙法五字といえますね。

>塔中の妙法蓮華経=本門の教主釈尊と読めますがいかがでしょう
>か?

「一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦、多宝、(塔)外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし」
観心本尊に「その本尊の為体・・」と霊山虚空会の光景をもって釈尊(の身土・証悟の世界)を表してるのと同じに、「所謂宝塔の内の・・」は、大曼荼羅の構成を略して書き上げていると解釈し、「本門の教主釈尊を本尊とすべし。それは大曼荼羅で表すのである」との意味に受け取る事が妥当だと思います。
真蹟は有りませんが「報恩抄送状」に
「御本尊図してまいらせ候」(学会版・330頁)
とあるように、報恩抄と大曼荼羅本尊を一緒に送り届けてもいる事からも、「本門の教主釈尊を本尊とすべし。それは大曼荼羅で表すのである」と解釈するのが妥当だと思うのです。

「宝塔の内の釈迦、多宝、(塔)外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし」
とあるので、釈迦、多宝、(塔)外の諸仏と四菩薩がともに脇士となると解釈する人もおりますが、その場合には、釈迦、多宝は能説仏と能証仏で、釈迦、多宝・諸仏の三仏は、共に妙法の脇士であり、上行等の四菩薩は、三仏の中の能説の教主釈尊の脇士であることになりますね。、

ちなみに、録内啓蒙には、この文の解釈に古来、四種あると、四種の解釈を紹介していますが長くなるので紹介は省きます。

177日蓮大聖人絶対主義:2003/05/12(月) 16:43
あらためてて言う、

私は「日蓮大聖人絶対主義」です。
呼称としては「日蓮大聖人」とお呼びするのが、気持ちの上でシック
リしますが、大事なことは「呼称」ではない。
ご本仏を『日蓮大聖人唯一』とシッカリ認識し、「依法不依人」を徹
底する事です。


1)「日蓮大聖人唯一」
2)「依法不依人」

学会も、宗門も1)2)を希薄にして、日顕法主。池田名誉会長に重
きを置きすぎている。仏法混乱の病根です!

日顕法主、池田名誉会長も日蓮大聖人から見れば、マチガイ多き「人師」です。

各教団は「依法不依人」を忘れていないか、戒めなくてはなりません。
「日蓮大聖人唯一」「依法不依人」を徹底しなければ謗法教団になる。


日顕法主。池田名誉会長に重きを置くは『謗法』です。

すべてのマチガイはここにあります。
日蓮大聖人の前に立ちはだかる「人師」に導かれ、信者はその口より
翻訳された仏法を聞くことになる。
裁判沙汰の「法主」や「教祖」である。大聖人の仏法が正しく伝わる
のかどうか、疑わしい。
信徒も教学を身につけ「依法不依人」を徹底し、『日蓮大聖人唯一』
を再確認しなくてはなりません。

人師にも依存せず、教学を身につけることは困難ではあるが、猊下、
僧侶とてアノ程度である。ここは孤独を覚悟して、題目を羅針盤と頼
り、大聖人のお心を求めていくしかありません。
「日蓮大聖人唯一」「依法不依人」と心して、仏意をめてゆくならば
道を間違えることはありません。

すべての教団が余念を捨て『日蓮大聖人唯一』に同意ならば、対立の
中に「接点」ができる。
日蓮を『仏』と仰ぐ教団は帰一の可能性が見いだせる。

『立宗七百五十年』各教団バラバラに行われた慶事は、大聖人の発願
の理想の姿ではない。歴史的事情や、先達の経緯によって分裂、分派
し不本意ながら今日の教団の姿になった。
過去を越えて大聖人の『原点』に戻すのも「日蓮が弟子」の使命では
ないでしょうか。「我が弟子、同心すべし!」仏意と思う。

「狭い心」に囚われるべきではない。

178問答迷人:2003/05/12(月) 16:53

日蓮大聖人絶対主義 さん

初めまして

>学会も、宗門も1)2)を希薄にして、日顕法主。池田名誉会長に重きを置きすぎている。仏法混乱の病根です!

この点は、全く同感です。

>ご本仏を『日蓮大聖人唯一』とシッカリ認識

日蓮聖人が御本仏であるとは、その根拠は何でしょうか。日蓮大聖人絶対主義さんは、何を根拠にそう考えられているのでしょうか ?

179日蓮大聖人絶対主義:2003/05/12(月) 17:16
法華経を身をもって身読された行動でしょうね。

『日蓮は法華経の行者なり』と宣言され、その通り
の生涯に魂魄迫るものを感じます。
すごい法悦の世界を感ます。

180問答迷人:2003/05/12(月) 17:26

日蓮大聖人絶対主義 さん

日蓮聖人が法華経の行者であることには、異論はありません。それでは、法華経の行者がなぜ本仏と言えるのでしょうか、お伺いいたします。

181福田里敏:2003/05/12(月) 17:29
日蓮大聖人絶対主義様
>法華経を身をもって身読された行動でしょうね。
確かに、その通りです。では、「上行の再誕」とまで、おっしゃられた大聖人が、なぜ御消息等で、御自身が「末法の御本仏」であると、一言もおっしゃられてないのでしょうか?
まさか、開目抄の主師親具備を、おっしゃるのではないでしょうね?

182ガンコ:2003/05/12(月) 18:47

川蝉さん、むむむ、難し過ぎますってば。

もっともわたくしの頭が悪いだけなのかもしれませんが・・・
このところ、能生・所生、能説・所説の関係を考えているのですが、まったく整理がついていません。いろいろご質問いたしたいところですがあんまり初歩的な質問をすると叱られそうなので、しばらく勉強いたします。
本門の教主釈尊のところも、ややこしくて頭が機能しません。大聖人の仏法は奥が深いってことですね。

183川蝉:2003/05/12(月) 19:56
182 : ガンコさんへ。
ガンコさんご免なさい。

易しく言い換えると、妙法の悟りは釈尊の心(頭)の中に元々あるものなので、釈尊に摂する(収めらる)と云う事です。

184難儀 寅吉:2003/05/12(月) 20:31
素朴な疑問をお聞きください、。日蓮サンの「直筆本尊を直接拝まなければ成仏不可」だったのでしょうか、? 鎌倉時代の当時の信者の殆どは「お題目」しか知らなかったのでは、、?
 初信〜強信につれて「直筆本尊への渇仰」〜「強信者への本尊下付」〜「何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、、ウルシ千杯に蟹の足一本、、(曾屋殿、全1056〜)」のように「成仏の要諦は、正しい本尊に、正しい修行」の必要性が考察されまするが、、?

 問題は「どれが正しい本尊で、何が正しい修行?」については、どうもイマイチわかりましえん、。宜しく、。

185成仏 絶対主義者:2003/05/12(月) 21:54
参考になります、。 「釈尊の本懐=衆生の速成就仏身(正、像時代中心)」〜「末法=別途展開(釈尊予言」)〜「久遠〜多宝への継続=インド生誕の釈尊=寿量品16〜その文底=末法の予言」〜「上行再誕生=日蓮が第一発見者か、??」〜 「はたまた第一修行者か?? 本仏か、、釈仏か? 」、。

 いかにホンモノを拝んでも「謗法ならば堕地獄とは、、?」とはキビシイ、、。 その逆「ニセ物でも”正修行”なら、どうか、、?? そして、問題の「謗法とは一体何か、、??」。 そして「日蓮サンを”本仏”と確信せねば=不成仏なのでしょうか、、??」。 「成仏の可否」に「何が??」でしょうか、、? ワシにも不可解なり、。「各人の成仏の為にも」教えて下され、、。

186日蓮大聖人絶対主義:2003/05/13(火) 00:18
>>180 問答迷人さんへ  

なーるほど、大聖人は自らを「仏」とは申されていませんね。
仏になる方途は説かれています。

そこで、富士門には日興上人の重要性がある。
常随給仕された師弟不二の法華行者の日興上人は
日蓮大聖人の捨身ぐ法の振る舞いに、仏を覚知された。

リアルタイム、ライブ体験の迫力ですね。失礼

浅薄ながらそう感じております。

187問答迷人:2003/05/13(火) 05:45

日蓮大聖人絶対主義さん

>常随給仕された師弟不二の法華行者の日興上人は日蓮大聖人の捨身ぐ法の振る舞いに、仏を覚知された。

そうですか? 日興上人が、日蓮聖人が本仏だと仰ったのでしょうか? それは、いつ、どのような形で仰ったのでしょうか。文証がありますでしょうか。

188愚鈍凡夫:2003/05/13(火) 06:42
横から割り込みゴメン。

大聖人絶対主義さん、始めまして。

「日蓮聖人の御法門は、三界の衆生の為には釈迦如来こそ初発心の本師にておわしまし候を捨てて、阿弥陀を憑み奉るによつて五逆罪の人と成りて、無間地獄に堕すべきなりと申す法門にて候わずや、何を以つて聖人を信仰し進らせたりとは知るべく候。」(「原殿御返事」)
こういう文証が残っていますよ。

「日蓮聖人の御法門は、三界の衆生の為には釈迦如来こそ初発心の本師にておわしまし候」云々。
とあることから、御本仏との認識はなかったようです。

189ガンコ:2003/05/13(火) 12:48
川蝉さん、どうもご丁寧にありがとうございました。今後ともよろしくおねがいします。


さて、またまた新しい人がお見えのようですが、日蓮本仏論者受難の掲示板においでになるとは、なかなか勇気のある方のようです。しかし、わたくしもそうですが、大聖人を本仏と仰ぐことは、ある意味、究極の結論みたいなもので、なんとなくそれに安心してしまって研鑽を怠っているフシがあります。自戒しなければなりません。

原殿御返事は宗門上代の第一級史料とされ、身延離山における日興上人の正当性を裏付ける文献とも言われているかと思うのですが、なんと皮肉にも教義上は大石寺にとって不利な文証になっている、という風にこの掲示板では議論されてきたような印象があります。
しかし、ずいぶん意地悪な読み方をするものだなあ、というのがわたくしの感想です。
あ、だめだめ、質問しちゃ。

190リアルタイム、ライブ体験をされた方の確信:2003/05/13(火) 16:39
大聖人は自らを「仏」とは申されていませんね。
仏になる方途は説かれています。確かに。

日興上人には日蓮大聖人『絶対』の確信はお有りだったと思います。
リアルタイム、ライブ体験をされた方の確信は余人には計り知れぬもの
があろうと思います。その師弟愛、信頼関係は書面で知るしかありませんが、
その『尊敬の念』それが仏の概念であったかどうか不明ですが、その法華経
を行ずる大聖人の魂魄に究極の法悦の共感を感じられた。

まさか、末法が釈迦滅後三千年のその限度末に迫り、大聖人も日興上人も共
通の認識を持っておられたアノ時代に釈迦如来を継続して仏とするのには無
理がある。

当時の差し迫った末法世情を勘案して考えるに大聖人に対する師弟観は
日蓮大聖人『絶対』の確信を覚知しておられた。
それがご本仏と言葉で形容したかどうかは別として。

191「我は仏」と名乗るよりも、:2003/05/13(火) 16:53
法華経を身読した供行の信頼は『仏』と言葉で言わなくても至極の
モノがあった。
釈迦滅後三千年のその限度末に、自ら仏と名乗らなくとも
その危機感、使命感は出家者として「我は仏」と名乗るよりも、まず、
行動だったのでしょう。法華経の「仏行」によって示された。

192ガンコ:2003/05/13(火) 18:01

釈迦滅後三千年というのは?

193問答迷人:2003/05/13(火) 19:45

190 

>大聖人も日興上人も共通の認識を持っておられたアノ時代に釈迦如来を継続して仏とするのには無理がある。

日蓮聖人も日興上人も法華経の行者だと言いながら、その法華経の説法を無視して、反対のことを宣伝されるのは、どういう理由によるのでしょうか。お伺いいたします。

法華経には、「諸の善男子、我れ本、菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず。復上の数に倍せり。然るに今、実の滅度に非ざれども、而も便ち、唱えて当に滅度を取るべしと言う。」と述べられ、本門の教主釈尊の娑婆世界に於ける常住の説法を説かれています。なぜ、日蓮聖人、日興上人がそれらの釈尊の説法を無視したり、覆したりする事があり得るでしょうか。そんなの、変じゃないですかね。

194日蓮大聖人絶対主義:2003/05/13(火) 21:55
>釈尊の説法を無視したり、覆したりする事があり得るでしょうか。

まあ、『釈尊は仏』の時代の消滅期であったでしょうから、無視し
たり、覆したりはなかったでしょう。アノ時代、旧時代の仏法が効
力失うと知っていても、「仏教の経主」である釈尊は急に捨て切れ
るモノでない。

『末法』は相当深刻な混乱であったのではないでしょうか。

その末法の時代に。大聖人も『佐後』の境地に大きな変貌を遂げられた。
あのころに、「仏の自覚」に変わられたのではないか、と
私は勝手に感じています。文証も何もありませんが、

私の能力ではうまく説明できません。『密』の世界です。

195愚鈍凡夫:2003/05/13(火) 23:05
194 日蓮大聖人絶対主義へ

「文証無き者は悉く是れ邪の謂い、彼の外道に同じ」(「法華玄義卷第二下」)

「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ。誠文を仰信して、偽会を信ずること莫れ」(「法華秀句 無問自説果分勝三」)

この二つは日蓮聖人がよく引用される文証です。日蓮大聖人絶対主義さんも幾度も見かけたと思います。
自説の正当性を証明したいなら、真蹟遺文から自説を証明する文証を探すべきです。

「設い自義為りと雖も有文有義ならば何の科あらん」(「大夫志殿御返事」 学会版P1103)

この文証を忘れてはならないのではありませんか。

196愚鈍凡夫:2003/05/13(火) 23:09
>194 日蓮大聖人絶対主義へ

>194 日蓮大聖人絶対祝儀さんへ
でした。失礼。

197愚鈍凡夫:2003/05/13(火) 23:14
>194 日蓮大聖人絶対主義さんへでした。

二度も間違えると、説得力なくなりますね。

198愚鈍凡夫:2003/05/13(火) 23:15
>194 日蓮大聖人絶対主義さんへでした。

二度も間違えると、説得力なくなりますね。

199「人師」に惑わされるな!:2003/05/14(水) 16:23
私には解りません。
大聖人のおおせの通りただ余念なく南無妙法蓮華経しか、私には解りません。
それだけです。自然と仏を感じます。


「人師」にも依存せず、親近するべき良き師にも恵まれずに、教学を
身につけることは苦労ではあるが、出家者の猊下、僧侶とてアノ程度
である。ここは孤独を覚悟して、題目を羅針盤と頼り、大聖人のお心
を求めていくしかありません。
もしかしたら、信者の成仏を障害していたのは、教団に巣くい、大聖
人の仏法を「飲食の糧」とする「人師」たちだったのかもしれません。

「日蓮大聖人唯一」「依法不依人」と心して、余念無くお題目を唱え
てゆくならば、「自然に仏界に至る」と申されています。道を間違え
ることはありません。

すべての教団が「余念」を捨て『日蓮大聖人唯一』に同意ならば、対
立の中にも、理解し合える「接点」が出来る。
日蓮大聖人を『仏』と仰ぐ教団は「帰一」の可能性が見いだせる。

もっとも、教団自体が「余念」の惑の中にある。
現実は「教団経営」が優先され「帰一」は遠い。
「『飲食』の中に『道心』なし、『道心』の中に『飲食』備わる」
大聖人の仏法で身を養う「人師」達の存在は、毒にも薬にもなる。
信徒に号令する「折伏」は、客の奪い合いが本当の姿だろう。狙うは
信者の「財布」だ。

『立宗七百五十年』各教団バラバラに行われた慶事は、大聖人の発願
の理想の姿ではない。歴史的事情や、先達の経緯によって分裂、分派
し不本意ながら今日の教団の姿になった。
過去を越えて、立宗の『原点』に戻すのも「日蓮が弟子」の使命では
ないでしょうか。「我が弟子、同心すべし!」仏意と思うのだが。

「人師」に惑わされるな!

200福田里敏:2003/05/14(水) 16:33
「人師」に惑わされるな!様
>>日蓮大聖人を『仏』と仰ぐ教団
の、仏とは、自受用法身如来=御本仏という意味でしょうか?
>>自然と仏を感じます。
どのように、感じられましたか?

201 福田里敏 さんへ:2003/05/14(水) 16:42
文字で表せと・・・・

202福田里敏:2003/05/14(水) 16:45
無理ですか!ところで、繰り返しますが、仏とは、自受用法身如来=御本仏という意味でしょうか?

203福田里敏 さんへ:2003/05/14(水) 17:30
自受用法身如来=ご本尊「南無妙法蓮華経」=日蓮大聖人の魂魄
うまく表現出来ません。

ただ、ただ、大聖人を恋慕して唱えています。

204通りすがり:2003/05/14(水) 22:06
「依法不依“人”」ということは「日蓮大聖“人”にも依らず」でなければいみはないわけでしょう。大聖人は“人”であるわけですから。
けれど、大聖人に依らないとなると日蓮信者とはならないじゃないかということになるでしょうか。このときに小生は以下の書を思い出すわけです。

「依法不依人御書」
 依法不依人の仏の誓戒をそむいて人によりぬる失のいたすところなり。
 問うて云はく 人に依る失ならばなんぞなんぢは天台・妙楽・伝教大師に依るや。答へて云はく あえて天台・妙楽・伝教大師を用ひず。但天台・妙楽・伝教大師の引き給へる証文によるなり

つまり、大聖人自ら「但天台・妙楽・伝教大師の引き給へる証文による」というわけですから、これを大聖人に換言すれば「日蓮大聖人の引き給へる証文による」ということになるわけでしょう。

日蓮大聖人に依るのではなく、日蓮大聖人の引き給へる証文によるのが依法不依人ということでしょうね。

あと、自受用法身如来、本仏などの書き込みが見られますが、こちらの過去の優秀な書き込みがぜんぜん反映されていなくて残念ですね。

205日蓮大聖人唯一主義:2003/05/14(水) 22:12
まあ、日興上人から見られた大聖人観は仏だったのでは。私はソノ想いに
同感でス。日蓮大聖人唯一主義に同意です。

206質問:2003/05/14(水) 22:16
末法の仏はいるの、いないの?

207福田里敏:2003/05/14(水) 22:20
末法に仏。成仏という意味なら、仏は居るとなるでしょう。ただ、自受用法身如来のような、絶対的な存在の仏は、居ません。大石寺を絶対化するために体系づけられたものです。

208ガンコ:2003/05/15(木) 00:17

自受用報身じゃなかったかしら? もっともわたくし、報中論三ってよく存じませんので、偉そうなこと書けませんけど・・・

209問答迷人:2003/05/15(木) 08:01

日蓮大聖人唯一主義さん

>まあ、日興上人から見られた大聖人観は仏だったのでは。私はソノ想いに同感でス。日蓮大聖人唯一主義に同意です。

信仰は自由ですから、何をどう信じようとも、それは自由ですね。ただ、日興上人が日蓮聖人を仏、或いは本仏と捉えていたと主張されるなら、その根拠を示すべきであろうと思います。大石寺は、それを主張していますね、そして、文献的証拠を示しています。それが正当な文証であるか否かは別として。

勿論、僕は、大石寺の示す文証、いわゆる相伝書の類が、悉く、時代写しもなく、しかも、他山から大石寺に持ってきた物であり、上代に引用例もなく、内容的にも、室町期以降の天台本覚思想の焼き直しに過ぎないものと考えていますので、とても、文証とは言えない代物だと考えています。例えば、二箇相承書、百六箇抄、本因妙抄、産湯相承書、御義口伝、それに、総勧文抄や、当体義抄等の最蓮坊に与えられたとされる御書群。いずれも、真跡も時代写本も、上代の引用例もありませんね。

210福田里敏:2003/05/15(木) 08:03
ガンコさん ありがとうございました。
間違えていました。自受用報身でした。

211ジャージルーカス:2003/05/15(木) 13:32
そもそも、大聖人の法門自体が、中古天台の影響をたくさん受けていると考えます。
大聖人の叡山の系譜チャートを見ると、中古天台恵心流の系統です。
中古天台には、天台本仏など大聖人以前から存在しておりまして、その影響をたくさん
受けている可能性は伺えます。

中古天台には「修善寺口決」等、口伝相伝がたくさんあります。
大聖人は、自身は中古天台の影響を受けながら、あえて伝教の文証を
切り文的に飲用している傾向があります。
大聖人本仏思想は、中古天台の流れから、自然に到達する法門だったとも
言えるんでは無いでしょうか。

212ジャージルーカス:2003/05/15(木) 13:33
>211
飲用は引用の誤りです。

213ガンコ:2003/05/15(木) 18:29

>大聖人本仏思想は、・・・自然に到達する法門

す、すばらしい。(尊敬)

214愚鈍凡夫:2003/05/15(木) 19:59
中古天台教学の影響下にあった日有師、日寛師が「日蓮本仏論」に走ったのは無理ないと思いますよ。
これによって富士派の存在意義を獲得できたわけですから。
戦後、日蓮正宗が「戒壇之本尊」をウリにして大博打を打てたのも、「日蓮本仏論」のおかげですから。
偽書であろうが、何であろうが、自宗に有利なものは何でも利用する。
ある面、企業の生き残り戦略を彷彿とさせますね。

215福田里敏:2003/05/15(木) 20:58
ところで、真筆の無い御書の写本は、写本の際に「言葉を付け足した」という事は考えられませんか?皆様の考えを、よろしければ、お聞かせ下さい。

216ジャージルーカス:2003/05/15(木) 21:10
ガンコさん

鎌倉時代には既に、天台本覚思想が成立してましたから、これらの影響が
大聖人のみ無かったと考える方が無理があるように感じます。
そして、天台本覚思想の行き着くところは、本仏論だったと思います。

さて元々本覚思想では「理に合う文証は、全て使用する」原則があります。
大聖人も聖徳太子の未来記等、当時既に「偽書」扱いのものも多々、
使用してますしね。
大聖人は理に合わないものは、偽書として排斥するが、理に合っている
偽書は排斥しない用い方をしておられたようです。
もし、大聖人が仏様でないなら、自分勝手な引用者と言う事にもなろうかと
思いますが、石山では仏様ですから、このような引用にも違和感を感じない
わけでして(笑)。

217成仏 絶対獲得願望者:2003/05/15(木) 22:46
ゴメン:( 鎌倉時代には「天台本覚」の影響大で「本仏論」が既成立である)というのは、初耳です、、。 なにゆえに「御主張」されまするのでしょうか、、?? 何か文献は御座いますか、、?? 所詮=本仏論も「気=密=真言的」か、、?? ゴメン、。

218川蝉:2003/05/16(金) 12:18
211 : ジャージルーカス さん今日は。

>中古天台には、天台本仏など大聖人以前から存在しておりまし
>て、その影響をたくさん受けている可能性は伺えます。

尊舜(1451−1514)の「止観見聞」に
「(天台)智者の二字即ち是れ教主なり。智者の二字は仏徳に全同なり。即ち此を以て、三身中の自受用(報)身と為す。而して止観の教主と云うなり」(大日本仏教全書・摩訶止観見聞添註・22頁)
と、天台大師を自受用身と見ています。
天台大師を仏と見ていますが本仏(根本仏)とまでは見ていないようです。
また、尊舜は祖滅169年後生まれです。
「天台本仏」を説いている宗祖以前の文献が有るのでしょうか?。教えてください。

219ガンコ:2003/05/16(金) 14:11

川蝉さん、どうもです。

またまた初歩的な質問で恐縮ですが、正宗では大聖人を久遠元初の自受用報身如来としています。そして、それがすなわち末法の御本仏であると。

上のお話ですと、自受用身はイコール本仏ではない、ということなのでしょうか?

220通りすがり:2003/05/16(金) 14:11
本覚思想は空海に始まるというのであって、それはすでに平安朝からあったのでしょう。
けれど、それが直ちに天台本仏なんか意味しませんよ。
ここで、既に論考されてきたわけじゃないですか。
本覚思想の中で、中古天台本覚思想恵心流口伝法門で天台本仏が言われ、それを単に日蓮本仏にスライドしたのが日寛教学なわけでしょう。日寛上人は天台の学者でもあったから「こりゃ、使える」とパクッたって言ったって言い過ぎじゃない。
(少し大雑把かもしれませんが)
もともと、天台本仏といっていたものを日蓮本仏と言い換えて強がったことは、ぼくはガンコさんが言うような尊敬に値することとは思いませんね。
だって、ただの猿真似でしょう。

221川蝉:2003/05/16(金) 15:12
219 : ガンコ さんへ。
>自受用身はイコール本仏ではない、ということなのでしょうか?

「仏教語大辞典」にも、「内心の智恵が明らかで、常に真理を照らし、自らその楽を楽しむ仏身をいう。」と説明しています。
仏はいずれも自受用身と云う面を持っているわけですから、自受用身はイコール本仏と云えないのです。

同じ解説ですが「模範仏教辞典」には、
「因位(修業時代)に於ける無量の願行(願望と之を達成しんがための努力精進の行業)に報いて顕れた万徳円満の仏身を云う。
普通には報身を分って、自己のみの証悟の法悦を味わって他とともにせざるを自受用報身と云い、其の身を示現して衆生済度の作用をなす他受用報身と云う」
と説明しています。

「日蓮正宗教学小辞典」に
「自受用身とは仏自身の働きによって、一切の衆生を救うために、みずから出現された仏をいう」
と説明していますが、これでは他受用報身か応身の説明になってしまうのではないですかね。自受用報身の本来の語意と違った説明ですね。

222通りすがり:2003/05/16(金) 16:13
大石寺は他受用身との関係で、自受用身を見ないんですよね。
「自らほしいままに受け用いる身」という口伝を重視する立場。
だから、川蝉さんが引いた日蓮正宗教学小辞典みたいな説明になっちゃう。
正しいわけもありませんよね。

223ガンコ:2003/05/16(金) 16:40

川蝉さん、早速のご教示ありがとうございました。

御義口伝などの御相伝書と、御書全体でもほとんど拝見できない「自受用身」ですが、川蝉さんのお立場ではやはりこれらを偽書と見られるのでしょうか?

224ジャージルーカス:2003/05/17(土) 02:10
> 本覚思想の中で、中古天台本覚思想恵心流口伝法門で天台本仏が言われ、

仰るとおりだと思いますよ。
では中古天台恵心流は何時からあったかと言えば、大聖人以前です。
大聖人の叡山でのチャート表を見ると、恵心流の末です。
そして、その恵心流に「天台本仏」の口伝法門がある。
明らかに影響を受けなかったと考える方が不自然でしょう。

もっとも口伝法門である以上、その始まりを断定するのは難しいですが、
恵心流では伝として、最初からあると主張しているのですから、それを
否定する根拠が無ければ、少なくとも恵心流発祥からあったと考えるのが
通常だと考えますが・・・。

225問答迷人:2003/05/17(土) 06:02

ジャージルーカス さん

うーん。それは違うのでは。仰ることは、その通りかも知れませんが、問題は、日蓮聖人の真跡に、中古天台本覚思想が見られない事とです。その理由は、聖人は意図的に本覚思想を排除しておられたと考えるしかないと思いますよ。天台に戻れ、そして、法華経に戻れ、それが聖人の御主張であったと考えています。

226川蝉:2003/05/17(土) 10:12
224 : ジャージルーカス さんへ。
研究者によると、
《 恵心流の祖の源信の作と伝える本覚思想文献は多数あるものの、それらは後世の成立であり、源信の確実なる文献である「往生要集」や「一乗要決」の中、「往生要集」に一箇所本覚の語が見えるが、理の一元論をそのまま事相に当てはめ、事の一元論(事常住)と云う中古天台の思想までには成っていない》
そうです。(岩波書店・日本思想体系・天台本覚論・517頁参照)
その後、本覚思想は進展していったわけですが、岩波書店・日本思想体系「天台本覚論」に収録されている第一次的形態本覚思想文献より第五次的本覚思想文献(鎌倉末期1300〜南北朝1350)までの、代表的な文献を九種収録していますが、さつと見たところ天台仏思想は見られないようですよ。
天台本仏思想が「少なくとも恵心流発祥からあったと考えるのが
通常だと考えますが・・・。」とは言い得ないのでは。

ジャージルーカス さんが、「天台本仏など大聖人以前から存在しておりまして、」と書かれていたので、どういう文献が有るのか知りたいと思ってお尋ねしたのですが。

227川蝉:2003/05/17(土) 10:38
223 : ガンコ さんへ。
>川蝉さんのお立場ではやはりこれらを偽書と見られるのでしょう
>か?

一例を挙げると、「御義口伝」の「寿量品の第二十三久遠の事」には、祖滅169年に生まれたの尊舜の「文句略大綱私見聞」にある「久遠の文点を久遠(もとのまま)とも久遠(つくろはず)とも読むなり」(文句略大綱私見聞・日本仏教全書159頁)と同じ文があります。
中古天台の本覚思想や文献が強く混入しているので、「御義口伝」は、正確な相伝書とは率爾に云えないわけです。

本因妙抄・百六箇相承も宗祖の相伝書とは認識していません。

228ガンコ:2003/05/17(土) 11:05
川蝉さん、どうも。

さて、そうしますと、真言天台勝劣事に自受用身ないし自受用報身との仰せを拝しますが、にわか勉強なので他にあったかどうかわかりませんが、この御書もあやしいのでしょうか?

229愚鈍凡夫:2003/05/17(土) 12:51
「願わくば日本国の道俗選択集の久習を捨てて法華涅槃の現文に依り肇公慧心の日本記を恃みて法華修行の安心を企てよ」(「守護国家論」 学会版P71)

このように一時期、中古天台を好意的に見ていた時機があったように思いますが、「撰時抄」では慧心を徹底的に破折しています。
「守護国家論」を述作した1258(正嘉2)年から「撰時抄」を述作した1275(建治1)年の間に、御自身の教学に大きな変化があったのではないでしょうか。

それは、三災七難の有様を目の当たりにしたことと、
「而此経者。如来現在。猶多怨嫉。況滅度後。(而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや)」(「妙法蓮華經法師品第十」)
この文証を身で読まれたことが大きな要因だと思います。

「慧心先徳にすぎさせ給へる天台真言の智者は末代にをはすべきか彼の往生要集には顕密の教法は予が死生をはなるべき法にはあらず、又三論の永観が十因等をみよされば法華真言等をすてて一向に念仏せば十即十生百即百生とすすめければ、叡山東寺園城七寺等始めは諍論するやうなれども、往生要集の序の詞道理かとみへければ顕真座主落ちさせ給いて法然が弟子となる」(「撰時抄」 学会版P274)

このように顕密の教法を否定し、東密の軍門に下った台密を破折しています。
密教の影響を受けつつも、本覚思想を中心に展開される中古天台を否定的に捉えていたのではありませんか。

230愚鈍凡夫:2003/05/17(土) 13:38
訂正 229

>「守護国家論」を述作した1258(正嘉2)年から「撰時抄」を述作した1275(建治1)年の間に、御自身の教学に大きな変化があったのではないでしょうか。

「守護国家論」の述作は1259(正元1)年でした。
悪しからず。

231川蝉:2003/05/17(土) 14:55
228 : ガンコ さんへ。

自受用身ないし自受用報身と云う語句があるから偽書だというのではありません。
自受用身は荘厳経論四巻にあるそうですし、成唯識論巻第十に有ります。用語として宗祖以前より、遙か昔より、ある言葉です。
ゆえに、自受用身ないし自受用報身と云う言葉が文中に有る故に偽書の疑い有るとは云えません。

「真言天台勝劣事」(系年・文永七年)は真蹟がありませんが、「日祐目録」にも名があって、古来真偽論は有りません。
浅井要麟師が「成立については尚考うべきである」としていますが、現在では「(浅井教授の見解は)単なる主観的な無根拠の主張である」というのが、身延山大・立正大の研究者の見解です。

232ガンコ:2003/05/17(土) 16:34

川蝉さん、ありがとうございました。

大石寺版御書の目次を見ておりまして、この真言天台勝劣事は真蹟所在・古写本ともに空欄になっているので、やっぱり偽書なのかなあと、勝手に思い込んでしまいました。
どうもわたくしのようなシロウトは、真蹟の有無を安易な指標にしてしまう傾向があって、これは気を付けなければならないと思いました。

233事実イノチ:2003/05/18(日) 13:51
過去のログから検索すると、の独歩さんの以下のような調査結果が載っていました。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(2002/03/31(日) 20:25投稿)

○「自受用」で検索すると

【天台】
摩訶止観 0
法華文句 0
法華玄義 0

【釈三大】
止観弘決 1
文句記_ 3
玄義釋籤 1

【その他】
五百問論 9
戒疏明曠 9

【日蓮】
真蹟__ 0
註法華経 0
真偽未決 43

という結果になります。妙楽釈上で、当然、見られる語彙ですが、聖人は真蹟中で、その使用が見られません。

興味深いのは伝統的な台学81資料中、「自受用報身如来」は一箇所も使用がなく、真蹟にもなく、真偽未決でも百六箇抄に1、本因妙抄に1、産湯相承に1の使用を見るばかりです。

↑以上引用
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

身延・立正がどういっているかよりこの検索結果のほうが説得力があります。
真言天台勝劣事にも自受用の使用があります。

同じく独歩さんは「久遠元初自受用報身如来、無作三身、一身即三身」という語彙が真跡中にまったく見られないと指摘(2002/06/04(火) 11:13投稿)
また、いまここで再度、話題となっている「本覚」についても、検索調査を実施していました。さらに「無作」「無作三身」「三身即一身・一身即三身」「本因妙」についても調査されています。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(2002/02/23(土) 14:20投稿)

聖人の御妙判(御書)と言われて来たものは平成新編の掲載では501。内訳は真蹟(含曽存)257、真偽未決244となっています。ほぼ5割が未決書ということになります。

【無作】 真蹟:未決=0:96
【本覚】 真蹟:未決=1:75

となっています。この対比を見て、どのようにお感じになられるかはロムの方の判断に任せますが、私は、もはや、これだけでも一目瞭然ではないのかと思うところがあります。ただし、聖人が本覚思想に触れていないのかと言っているわけではありません。聖人はご自身の確信によって言葉と教えを選ばれたという考えを支持しているわけです。

なお、無作三身、三身即一身・一身即三身は、ともに真蹟0:未決3で、本因妙は真蹟0:未決27となっています。

↑以上、引用
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

一点、補足を行えば、上述のなか「本覚」の使用は『八宗違目抄』(文永9年(1272)2月18日51歳)における
「『蓮華三昧経』に云く「本覚心 法身常に妙法の心蓮台に住して 本より来三身の徳を具足し 三十七尊 金剛界の三十七尊なり 心城に住したまへるを帰命したてまつる 心王大日遍照尊 心数恒沙 諸の如来も普門塵数 諸の三昧 因果を遠離して法然として具す 無辺の徳海本より円満 還って我心の諸仏を頂礼す」

という引用を指すと思われます。

234川蝉:2003/05/18(日) 17:45
233 : 事実イノチ さんへ。
自受用の検索の再掲載参考になりました。

云うまでもなく、宗祖の寿量仏身観は三身具足の無始の古仏ですから、正宗のように、「久遠元初の自受用報身如来」と云って、一身に限って、三身具足の無始の古仏を表すことは無いだろうと思っています。

ガンコさんが私に質問された意趣は「自受用身ないし自受用報身の語句がある法華真言勝劣事は偽書か?」と云うことですので、
自受用身と云う語句は古くから通用している一般的言葉なので、その言葉があるからといって、すぐと偽書の疑い有るとは云えない旨を答え、「真言天台勝劣事」は真蹟は存在しないが「日祐目録」にもその名が有るので、真蹟扱いされていると述べたのです。

「大乗法苑義林章巻第七之本」の三身を説明する部分に「自受用身」に言及しているように、古からある語句ですし、
日向上人の「金綱集第六(真言見聞集)」の「四身事についての説明する項に
「受用身とは二種有り。一は自受用身。二は他受用身」
といって説明をしていますので、師の宗祖も必要があれば、自受用身の説明を弟子達に説明していたろうと思います。

「報身」の語句を使えば充分なので、宗祖はあえて自受用身・他受用身と云う語句を使う必要がなかったので真蹟存御書には使用例が見えないのだろう思います。
「真言天台勝劣事」では必要上、あえて自受用身と云う語句を使用されたのであろうと推測します。

235愚鈍凡夫:2003/05/18(日) 23:19
天台大師は法華経寿量品について、こう述べています。
「此品詮量通明三身。若從別意正在報身。(此の品の詮量は通じて三身を明かす、若し別意に従わば、正しく報身に在り)」(「法華文句卷九下」)

報身を重視していたようですね。

更に法華玄義では、
「境妙究竟顯名毘盧遮那。智妙究竟滿名盧舎那。行妙究竟滿名釋迦牟尼。三佛不一異不縱横。故名妙果。(境妙究竟を顕すを名づけて毘盧遮那。智妙究竟満つるを名づけて盧舎那。行妙究竟満つるを名づけて釈迦牟尼。三仏一にして異ならず、縦横ならず。故に妙果と名づく)」(「法華玄義卷第六上」)

とあり、三身(順に法身、報身、応身)即一身が述べられています。
三身論は、天台本仏論、日蓮本仏論を支える理論じゃなくて、
いわば、釈迦牟尼仏本仏論(本門の釈尊)を支える理論と言えませんか。

236ガンコ:2003/05/19(月) 12:17

いよいよハイレベルの議論に突入してまいりました。もう、わたくしの出る幕ではありませんが、世の中にはわたくし程度の人間もたくさんいるでしょうから、その代弁者のつもりで参加させていただきたいと思います。

愚鈍凡夫さんがひとつ前にお書きになっていらした、守護国家論と撰時抄の対比における大聖人の思想変化について、わたくしは非常に悩みました。
大聖人ほどの御方がどうしたことか、まるで、これでは自語相違ではないか? という疑問です。

「此の序の意は慧心先徳も法華・真言等を破するに非ず。但偏に我等頑魯の者の機に当たりて法華・真言は聞き難く行じ難きが故に、我が身鈍根なるが故なり。
敢へて法体を嫌ふには非ず。」(守護国家論)

ところが撰時抄において、

「法然が念仏宗のはやりて一国を失はんとする因縁は慧心の往生要集の序よりはじまれり。師子の身の中の虫の師子を食らふと、仏の記し給ふはまことなるかなや。」
「日蓮は真言・禅宗・浄土等の元祖を三虫となづく。又天台宗の慈覚・安然・慧心等は法華経・伝教大師の師子の身の中の三虫なり。」

これをどのように拝するか? 経年変化のごとく考えるのは御本仏様に失礼というのがわたくしの立場ですし、また、守護国家論の全体的な印象からして後年慧心に対してここまで仰せられるとは考えにくいのです。

「当に知るべし、慧心の意は往生要集を造りて末代の愚機を調へて法華経に入れんが為なり。例せば仏の四十余年の経を以て権機を調へ法華経に入れたまふが如し。故に最後に一乗要決を造る。」
「故に慧心の一乗要決に云はく『日本一州円機純一にして、朝野遠近同じく一乗に帰し、緇素貴賎悉く成仏を期す』已上。」

これらの御文は、次の開目抄と何ら矛盾しないことに注目すべきです。

「慧心の云はく『日本一州円機純一なり』等云々。道綽と伝教と法然と慧心と、いづれ此を信ずべしや。」

つまり撰時抄の御意は、慧心の本懐は一乗要決にある、それを往生要集にあるというのは間違いであるがどうしてもそう言い張るのであればもはや慧心を間違っていると言わざる得ない。さらに撰時抄の題号から元意を拝するならば、今はもう末法なのだから南無妙法蓮華経以外はぜーんぶダメ、ってことなのではないでしょうか? (また乱暴な結論になってしもうた)

237福田里敏:2003/05/19(月) 12:35
ガンコさんへ
佐前・佐後で考えられては、いかがでしょうか?法門の捉え方は、大聖人、御自身、変わられています。御本尊自体が、釈迦像から、紙幅本尊へと、変わっていますから。

238豊穣:2003/05/19(月) 12:47
>御本尊自体が、釈迦像から、紙幅本尊
変わってないでしょう。
忘持経事を見たって、身延に入ってからでも釈迦一体像を安置しているんだから。
ただ、曼荼羅加わったに過ぎないんでしょう。

239豊穣:2003/05/19(月) 12:51
愚鈍凡夫さんの、文句の三身が三身即一身と即断するのは納得できない。
玄義の三仏を三身のように取り扱うのも納得できない。
しかし、釈迦本仏の説明というのはわかる気がする。

240福田里敏:2003/05/19(月) 13:49
豊穣さんへ
釈迦像を安置していてる=本尊として拝しているとはなりません。本尊に限っていえば、本尊抄が、一番ではないでしょうか?また、この抄の真筆自体、怪しいですね。

241川蝉:2003/05/19(月) 14:43
235 : 愚鈍凡夫 さんへ。

>三身論は、天台本仏論、日蓮本仏論を支える理論じゃなくて、
>いわば、釈迦牟尼仏本仏論(本門の釈尊)を支える理論と言えません>か。

その通りだと思います。

>報身を重視していたようですね。
云われる通り、「三身即一正在報身」と云うことになっていますね。
ただし、什門では「報身・応身の顕本」(開目抄・学会版198頁)とあり、また常説法教化の仏であることから「応身顕本(応身中心の三身仏)」としています。

「宗全第一巻」にある直弟の中山日常上人の「観心本尊抄私見聞」にも、
「法華経の心は三身即一の応身也。その故は滅不滅を論ずる故なり」(156頁)とあり、応身中心の三身仏と見る考えも古来からあります。(中山三代日祐より更に後人の作とも云われていますが、望月歓厚師が日蓮宗学説史で、もし後人の作としても常師の教学を推断できるものだと云っているので、応身中心の三身仏と見る見解が宗門上古に有ったことが伺われます)

「報身・応身の顕本」(開目抄)とあるので、視点の置き方で、報身中心とも応身中心とも言い得るのだろうと思います。

宗祖は、寿量品の釈尊を
「寿量品の仏」(開目抄・215頁)
「久成の三身(応身・報身・法身ー無始無終)」(一代五時鶏図・632頁)
「法華経本門久成の釈尊」(曽谷入道殿許御書・1030頁) 
「本地久成の円仏」(守護国家論・72頁)
「五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏」(本尊抄・247頁)
等と表現しています。

寿量品の仏を表現する場合、「久成」「三身具足」」「無始の古仏」とうの概念を明示するだろうと思うのです。
(文句寿量品釈に、仏は三世に於いて等しく三身あり、諸経の中に於いて之を秘めて伝えたまわずとあり、また愚鈍凡夫 さん提示の玄義の不縦不横の三身の概念は、無始の概念と共に、寿量品の仏の重要概念だと云えます)

上のような想いが有って
「久遠元初の自受用報身如来」と云って、一身に限って、三身具足の無始の古仏を表すことは無いだろうと思っています。」
と書いたわけです。

242ガンコ:2003/05/19(月) 17:59

福田里敏さん、ご丁寧にどうもです。

佐前・佐後ということは当然あると思うんですが、そして守護国家論と撰時抄では相当に年月の隔たりがあるからそうとも言えるでしょうが、しかし開目抄と撰時抄では数年しか離れていませんから、前判・後判というにしてもまさか開目抄を落とすわけにもいきませんでしょうから、そういうわけであのような考えになったのです。
われわれみたいな凡夫はコロコロ変わるものですが、大聖人はそうではないと思います。立宗の時に、すでに相当のところまで御法門を詰めて居られたと思います。それを段階的に御化導あそばした、その段階の顕著な部分を佐前・佐後と分けるのでしょうけど、これはまた立場によってかなり違いがあるということなのでしょうね。

243愚鈍凡夫:2003/05/19(月) 20:25
241 川蝉さん、丁寧な御教示有り難うございます。

242 ガンコさんへ
小生は、日蓮本仏論支持者ではないので、加齢と共に法門も成熟していったと考えています。
本門の本尊・題目・戒壇の3つの秘法の概念が最初からあったのでしょうか・・・・・。
やはり、竜の口から佐渡流罪期間が大きなターニングポイントになったと思います。

「日本一州円機純一」の文証は6ヶ所存在します。「守護国家論」、「開目抄下」、「一代聖教大意」、「法華初心成仏抄(真偽未決)」、「曾谷入道殿許御書」、「南条兵衛七郎殿御書」(資料:学会版御書全集)。
法華経流布の時機を証明する依文として慧心の「一乗要決」を引用したのであって、慧心の論を信奉せよと言っているのではありません。
論旨は飽くまでも法華経流布です。

244愚鈍凡夫:2003/05/19(月) 21:27
川蝉さんへ
質問です。宜しくお願いします

先の法華玄義の文証は、

「境妙究竟顯名毘盧遮那。智妙究竟滿名盧舎那。行妙究竟滿名釋迦牟尼。三佛不一異不縱横。故名妙果。(境妙究竟を顕すを毘盧遮那と名づく。智妙究竟満つるを盧舎那と名づく。行妙究竟満つるを釈迦牟尼名づく。三仏一にして異ならず、縦横ならず。故に妙果と名づく)」(「法華玄義卷第六上」)

この読みの方が正しいでしょうか?
素人ですので、宜しくお願いします。

245みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/19(月) 21:50
> 三仏一にして異ならず

ここの訓読が間違っています。不は下にあるものを否定します。「三仏一にして異ならず」と読むなら、原文は「三仏一不異」です。
「三仏不一異」ですので、一と異の両方を否定しているのだと思われます。(つまり「三仏不一不異」(一ならず異ならず)と同じ意味。「一ならずして異なり」とも読めるが論旨上おかしいし、「不縱横」との関係上無理がある)「一・異ならず。」とでも訓ずるのでしょうかね。

246無徳:2003/05/20(火) 00:08
「境妙究竟顯名毘盧遮那。智妙究竟滿名盧舎那。行妙究竟滿名釋迦牟尼。三佛不一異不
縱横。故名妙果。」

この文を「国訳一切経」では、境妙究竟じて顕はるるを毘盧遮那と名け、智妙究竟
じて満ずるを盧舎那と名け、行妙究竟じて満ずるを釋迦牟尼と名く。と訳されてお
ります。

また、「国訳一切経」では法華玄義巻三下で「此の妙行と前の境智と一にして而も
三を論じ、三にして而も一を論ず。」としていますから、ここは「三仏は一でもあ
り、また三仏は一でもない」と訳すのが妥当かもしれません。

247顕正居士:2003/05/20(火) 01:14
妙玄六の上の文

境妙究竟顯名毘盧遮那。智妙究竟滿名盧舍那。行妙究竟滿名釋迦牟尼。
三佛不一異不縱膻。故名妙果。

「不一異」は「一にも異にもあらず」、「不一不異」と同じ。「不縱膻」は「縦にも横にも
あらず」、「不縱不膻」と同じです。

境妙究竟ジテ顯ルルヲ毘盧遮那ト名ケ。智妙究竟ジテ滿ズルヲ盧舍那ト名ケ。
行妙究竟ジテ滿ズルヲ釋迦牟尼ト名ク。三佛一異ニアラズ、縱膻ニアラズ。
故ニ妙果ト名ク。

法身、報身、応身の三の仏は一仏の三の姿ではないが、関連がないわけでない。
縦でないは三のいづれが本体ではない、横でないはおのおのばらばらでもない。

*法報応三身説と法応化三身説の対応

法身----------法身(理法身)
報身-自受用身-法身(智法身)
  -他受用身-応身(勝応身)
応身----------化身(劣応身)

妙玄六上
http://w3.cbeta.org/result/app/T33/1716_011.htm

248川蝉:2003/05/20(火) 11:17
屋上屋を重ねるようですが。

提示の「妙玄六の上の文」の訓は、
天台大師全集の訓点によると、顕正居士さんの
「境妙究竟ジテ顯ルルヲ毘盧遮那ト名ケ。智妙究竟ジテ滿ズルヲ盧舍那ト名ケ。行妙究竟ジテ滿ズルヲ釋迦牟尼ト名ク。三佛一異ニアラズ、縱膻ニアラズ。故ニ妙果ト名ク。」
と同じです。
「三佛一異ニアラズ、縱膻ニアラズ。」
の意味も顕正居士の御指摘の通りですね。

「玄義巻第七上」の「本果妙を明さば」の中に、
「三仏具足して缺減あること無く、三仏相即して一異あること無し・・円仏果成の相なり」(国訳一切経・261頁)
と云う説明もあります。
「三佛一異ニアラズ、縱膻ニアラズ。」とは、簡単に云えば、久成釈尊は、法身、報身、応身の仏格を有していると云う意味ですね。

249ガンコ:2003/05/20(火) 19:18

愚鈍凡夫さん、どうもです。

三大秘法の概念が最初からあったかどうか、これは証明のしようのないことでして、つまり本仏論者の発想ということなのかもしれませんが、まあ実際そうなんですけど、ただ御本仏かどうかは別にして、頭のいい人というのはあとさき考えて行動するものでしょうから、そんな意味で立宗の時に大聖人の御考えは相当固まってらしたと思うのです。

たまたま数日前に守護国家論を拝読しておりましたもので、しかも「日本一州円機純一」というのは結構インパクトありますから、あれ?これって他の御書でも見たような・・・といった勘が働いたのでした。

もともと、本覚も中古天台もよくわかっていませんので、愚鈍凡夫さんを批判するつもりは毛頭ございませんでした。純粋に大聖人の御意をじぶんなりに考えてみたのです。失礼しました。

250愚鈍凡夫:2003/05/20(火) 19:23
245 みかんさん、有り難うございました。

246 無徳さん、有り難うございました。

247 顕正居士さん、有り難うございました。

248 川蝉さん、有り難うございました。

小生が、訓読に一番悩んでいた箇所の指摘有り難うございます。

不縦不横とは、
「若但性徳三如來者是横。但修徳三如來者是縱。先法次報後應亦是縱。今經圓説不縱不横三如來也。(若し但だ性徳の三如来ならば是れ横、但だ修徳の三如来ならば是れ縦なり。先に法、次に報、後に応なるは、亦是れ縦なり。今経は円に不縦不横の三如来を説く也)」(「法華文句卷第九下」)

この文証に示されていることですね。

251愚鈍凡夫:2003/05/20(火) 19:35
ガンコさん、どうもです。

ただ「守護国家論」に絞って言いますと、
「当に知るべし慧心の意は往生要集を造つて末代の愚機を調えて法華経に入れんが為なり、例せば仏の四十余年の経を以て権機を調え法華経に入れ給うが如し」(「守護国家論」 学会版P54)

の文証の後に、以前引用した、

「法華経は即ち釈迦牟尼仏なり法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り此の経を信ずる者の前には滅後為りと雖も仏の在世なり」(「守護国家論」 学会版P66)

この文証があることを無視されているように感じたのでああいう発言になりました。
悪しからず。

252川蝉:2003/05/20(火) 20:52
249 : ガンコ さんへ。

>そんな意味で立宗の時に大聖人の御考えは相当固まってらしたと
>思うのです。
私もそう思っています。

守護国家論に真言経を法華と共に正法としていることや、不動愛染感見記があるので、開宗当初には、まだ真言批判が確立していなかったと云う学者もいます。
しかし、真言批判も出来ていないうちに開宗をするようないい加減な宗祖でないと思います。

守護国家論について先学が次のように解説しています。
「本書は佐渡以前の作である上、意識的に化法上(布教の手順)過時の天台を破さず、また真言経も法華涅槃と共に正法・直道・了義経・護国の法とし、鸞・綽・導の三師に大して緩やかなのは、独り法然の邪義を責めたまうことの急なる所以である。
大文第五章以下の文旨をさぐれば、涅槃経をクン拾の位(法華経の下)としており、況や真言三部経や諸経おやと意が明らかである。(大旨)」
と解説しています。
「三沢抄」に
「真言師等にも召し合わせ給はんずらむ、その時まことの大事をば申すべし、弟子等にもないない申すならば、披露して彼ら知りなんず、さらば・よもあわじと・おもいて各各にも申さざりしなり」(学会版・1489頁)
とあるように、真言宗批判や天台宗批判を、始めから詳しく披露してしまうと、真言宗や天台宗等が公場対決に乗ってこないだろうから、日蓮の真実義を教えなかったのであると云う意味ですね。
上に紹介した先学の見解は、この三沢抄に照らして妥当な見解と思います。

253みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/20(火) 22:45
いわゆる「立宗宣言」の時に、天台宗から独立した
一宗一派を立てたという意識があったと私は
思わないのですが、そのときに一宗を立てたと
思う根拠は何ですか?

254川蝉:2003/05/21(水) 09:17
253 : みかん(z8VoUpnM)さんへ。

昔から「立宗宣言」とか「開宗会」「立教開宗」等の言葉が使われていますね。
慣例に拠ってコメントの中で「開宗当初」と云う言葉を使いました。
宗祖に「天台宗から独立した一宗一派を立てたという意識があった」との意は書いていません。で、「そのときに一宗を立てたと
思う根拠は何ですか?」と問われても困るわけです。

真蹟無ですが、建治二年三月の「妙密上人女房御消息」に、
「然るに日蓮は何の宗の元祖にもあらず、又末葉にもあらず。持戒、破戒にも闕て無戒の僧、有智、無暫にもはづれたる牛羊の如くなる者也。何にしてか申し初めけん。上行菩薩の出現して弘めさせ給ふべき妙法蓮華経の五字を、先立てねごとの様に心にもあらず、南無妙法蓮華経と申し初て候し程に唱る也。」(学会版・1239頁)
とありますので、上行菩薩が弘通するとされている妙法蓮華経の五字を弘通するという意識であったのでしょう。やがて、今で云う所の宗団が形成されて云ったわけですね。

255川蝉:2003/05/21(水) 09:56

追加です。

真蹟無ですが弘安三年十月の「妙一女御返事」に
「日蓮は今時を得たり、豈此所属の本門を弘めざらんや。」

文永十年五月の「顕仏未来記」に
「安州の日蓮は恐らくは三師に相承し、法華宗を助けて末法に流通す。三に一を加へて三国四師と号す」
とあります。
真実の法華宗・所属の本門(特に、上行菩薩が弘通するとされている妙法蓮華経の五字の弘通)を広めようとの意識のもとに弘通を始めたのでしょうね。

256ガンコ:2003/05/22(木) 17:12
川蝉さん、みかんさん。
「去年の十一月より勘へたる開目抄と申す文二巻造りたり。頸切らるゝならば日蓮が不思議とゞめんと思ひて勘へたり。此の文の心は日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬へば宅に柱なければたもたず。人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり。平左衛門既に日本の柱をたをしぬ。只今世乱れて、それともなくゆめの如くに妄語出来して、此の御一門どしうちして、後には他国よりせめらるべし。例せば立正安国論に委しきが如し。」(種々御振舞御書)
「謗法の世をば守護神すてて去り、諸天まぼるべからず。かるがゆへに正法を行ずるものにしるしなし。還って大難に値ふべし。金光明経に云はく「善業を修する者は、日々に衰減す」等云々。悪国悪時これなり。具には、立正安国論にかんがへたるがごとし。」(開目抄)
立正安国論に始まり立正安国論に終わると申しますが、大聖人の仰せというものは決して後思案ではありません。
「蒙古のせめも又かくのごとくなるべし。設ひ五天のつわものをあつめて、鉄囲山を城とせりともかなうべからず。必ず日本国の一切衆生兵難に値ふべし。」
「いまにしもみよ。大蒙古国数万艘の兵船をうかべて日本国をせめば、上一人より下万民にいたるまで一切の仏寺・一切の神寺をばなげすてゝ、各々声をつるべて南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へ、掌を合はせてたすけ給へ日蓮の御房、日蓮の御房とさけび候はんずるにや。」
「若し日蓮法華経の行者ならば忽ちに国にしるしを見せ給へ。若ししからずば今の日月等は釈迦・多宝・十方の仏をたぶらかし奉る大妄語の人なり。提婆が虚誑罪、倶伽利が大妄語にも百千万億倍すぎさせ給へる大妄語の天なりと声をあげて申せしかば、忽ちに出来せる自界叛逆難なり。」
これら撰時抄の仰せは事が起こってからの仰せでありますが、決して後知恵の如きものでないことは、次の御文に明らかです。
「外典に云はく、未萌をしるを聖人という。内典に云はく、三世を知るを聖人という。余に三度のかうみゃうあり。一つには去にし文応元年太歳庚申七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏し・・・」
その立正安国論に云はく、
「薬師経の七難の内、五難忽ちに起こり二難猶残れり。所以他国侵逼の難・自界叛逆の難なり。・・・先難是明らかなり、後災何ぞ疑はん。若し残る所の難悪法の科に依って並び起こり競ひ来たらば其の時何がせんや。」
まさしく立正安国論の御精神こそ大聖人の御一代を貫く大綱であります。ゆえに聖人御難事においても終始一貫、次の仰せを拝します。
「始めはしるしなきやうなれども、今二十七年が間、法華経守護の梵釈・日月・四天等さのみ守護せずば、仏前の御誓ひむなしくて、無間大城に堕つべしとをそろしく想ふ間、今は各々はげむらむ。・・・日本国の大疫病と大けかちとどしうちと他国よりせめらるゝは総ばちなり。」
かかる大聖人御自ら、
「去ぬる建長五年太歳癸丑四月二十八日に、・・・この法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年太歳己卯なり。」
と仰せあそばす。
よって、宗旨御建立の御自覚にあらせられたものと拝してよろしかろうと思いますが、いかがでしょうか?

257川蝉:2003/05/23(金) 13:19

ガンコさんへ。

>よって、宗旨御建立の御自覚にあらせられたものと拝してよろし
>かろうと思いますが、いかがでしょうか?」

ミカンさんは「既存の宗派に対抗して新しく一宗団を作ると云う狭い考えで開宗したと思われない」旨の意見だと推します。
ミカンさんの見解通りと思うので、
結果的には宗団を形成されたが、宗祖は一宗団を作ると云う狭い考えで開宗したのではなく、
「真実の法華宗・所属の本門(特に、上行菩薩が弘通するとされている妙法蓮華経の五字の弘通)を広めようとの意識のもとに弘通を始めたのでしょうね。」
とコメントしたのです。
しかし、宗祖の開宗意識が気宇広大であっても、一般的と云うか仏教史的に見れば、一宗を創始したと見られるでしょうね。
「真実の法華宗・所属の本門」でなければならないとの確信のもとに弘通を始められたと云うことは、所属の本門をしっかり把握し、さらに法華経・釈尊を軽く見る真言宗、機に合わずとけなす浄土宗とうに対する批判はすでに固まっていたと推すべきですね。
この事を、ガンコさんが「宗旨御建立の御自覚にあらせられたもの」と表現されたのであればその通りと思います。

ただし、引用されている御書の文は「宗旨御建立の御自覚にあらせられたもの」と証するには、すこし不適かなと思いました。

258ガンコ:2003/05/23(金) 18:21

いや〜、まったく、失礼しました。

ちょっと的外れかなあとは思っていたんですけど、やっぱりそうでした。まるで相手の求めていることを理解していない、あほうな自分をさらけ出してしまいました。皆さん、あきれていらっしゃるでしょうね。

259成仏 絶対獲得願望者:2003/05/23(金) 23:14
ガンコ様  HONDA(株)での「重役会議」では「ニワトリを殺すな!」だそうです、。 その心は「ドンナ・ヘボな意見でも」「何かの起爆点(=問題提起=ヒント)になるような事柄」を含蓄する事を示唆して居るようです、。一般には「面前では、年上の方には申し上げにくい点が御座いますが」このホームページでは比較的、御自由に発言可能なこのHPは「近年まれに見る貴重なHP]かと存じます、。早々

260ガンコ:2003/05/24(土) 14:36

いや〜、どうも、ありがとうございますです。

なんとなく勇気付けられました。
さすがは世界のホンダとでも申しましょうか。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

261愚鈍凡夫:2003/05/24(土) 18:35
コケコッコーってかぁ(ケンタッキーの爺さんに言って欲しかった)。

「今久遠実成あらはれぬれば東方の薬師如来の日光月光西方阿弥陀如来の観音勢至乃至十方世界の諸仏の御弟子大日金剛頂等の両部の大日如来の御弟子の諸大菩薩猶教主釈尊の御弟子なり」(「開目抄下」 学会版P214)

「仏をさげ経を下す此皆本尊に迷えり」(「開目抄下」 学会版P215)

以上の開目抄の文証が示すように、既成仏教が教主釈尊を忘れ、蔑ろにし、本尊に迷う姿に憤慨され、仏法の正邪を質す意図を持って立宗宣言されたものと考えています。経典に照らして、三災七難の原因もそこにあると確信されていたことは、「立正安国論」を始めとする幾多の御遺文が示しています。
それでも小生は、加齢と共に法門も成熟していったとの想いに変わりはありません。

1271(文永8)年10月9日の曼陀羅
http://www.lbis.jp/gohonzon/001.htm

1282(弘安5)年6月の曼陀羅
http://www.lbis.jp/gohonzon/123.htm

この2つの曼陀羅を比較してみると、完成度の違いが一目瞭然だと思います。
これは、立宗宣言以降も試行錯誤されていたことを示す一級品の証拠だと思います。

262ガンコ:2003/05/24(土) 20:38
愚鈍凡夫さん

>コケコッコーってかぁ

そ、そんなにからかわないでくださいよう。

初期の御本尊と後期の御本尊を比較されて“試行錯誤”とか“成熟”とおっしゃるわけですが、これについて特に異論を申し上げるつもりはありません。おそらく大半の人が同じように感じることでしょうし、それに対してとってつけたような反論を試みてもますます笑われるだけでしょうから。

わたくしは大聖人を尊崇する立場ゆえに、上のような表現を極力使わないように心掛けているのです。
ですから、釈尊ははじめに華厳経を説いたとされますがこれを試行錯誤と言うか言わないか、これに係ってくると思うのです。つまり衆生の機に応じて法を説くわけですから、段階を踏んでいくのは理の当然であろうと。

また、立正安国論を引用させていただいたのは、おそらく大聖人にとっての最後の研鑽がこの直前にあったと拝するからです。安国論以降は大難の連続でありましたから、もうまとまった研鑽の機会はあられなかったわけです。
そんなことは愚鈍凡夫さんなら百も承知でしょう。つまり、われわれの言葉で言えば、人生経験を積んでいくことが成熟でしょうから、すでにご指摘のごとく況滅度後を身で読まれていったことがまさしく成熟に相当するというのはそのとおりでありましょう。
ようするに着眼点が違うだけで、そんなには意見に違いはないのではないか、と思うのです。もっともわたくしは本仏論の信者ですから、もうその時点でかみ合わないのかもしれませんが。

263みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/24(土) 23:32
>>262 ガンコさん
釈迦は華厳経なんか説いてないですよ。

それと「立正安国論を引用させていただいたのは、おそらく大聖人にとっての最後の研鑽がこの直前にあったと拝するからです。安国論以降は大難の連続でありましたから、もうまとまった研鑽の機会はあられなかったわけです。」
日蓮の伝記を読んだことがあるのかと小一時間(ry
ていうか、日蓮の真跡のある御書だけを年代順に読んでみてください。そしたらこんなこと言えないから。
それとも顕正会だから御書なんて持ってないんですか?

264みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/24(土) 23:42
>>261 愚鈍凡夫さん
同じ開目鈔の少し前の箇所に「而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり。」
とありますが、それをどう解釈なさるのでしょうか。天台宗は本尊にまどっていないと日蓮自身が言っているわけですが。

265みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/24(土) 23:46
>>256 ガンコさん
「かかる大聖人御自ら、「去ぬる建長五年太歳癸丑四月二十八日に、・・・この法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年太歳己卯なり。」と仰せあそばす。」

『聖人御難事』は弘安2年に書かれたものです。数十年後から過去を振り返って書いているわけで、その時点での日蓮自身の自覚を正しく反映しているかどうかわかりません。

たとえば、あなたは30年前に自分がやったことを思い出して、そのときの自分の気持ちや動機を正確に論述することができますか? 現在の観点・立場から粉飾していないと言えるでしょうか?

266みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/24(土) 23:53
>>257 川蝉さん
「ミカンさんは「既存の宗派に対抗して新しく一宗団を作ると云う狭い考えで開宗したと思われない」旨の意見だと推します。」

ちがいます。わたしの意見は、建長五年四月二十八日の段階では、日蓮自身には、天台宗とは違う立場に立ったという意識はなかったかも知れないということです。つまりその段階では日蓮は自分が天台宗の正統派であるという意識しかなかった可能性がある、と考えているのです。

>>254
「慣例に拠って」
同じ宗門の僧侶同士の会話ではありませんので、この掲示板では慣例によって、言語を使用されない方が良いと思いますよ。立場も、教学知識も、通仏教に対する知識もまったく違う人が集まっている場所ですから、銘々が勝手に自分の都合のように誤解するということが頻発しかねません。
厳密に言葉を使用しなければ、誤解しか生まれないと思います。

267愚鈍凡夫:2003/05/25(日) 06:55
264: みかん(z8VoUpnM)さんへ
おはようございます。

「而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり」(「開目抄下」 学会版P215)
との理由は、後に出てくる次の文証に明かです。

「華厳経乃至諸大乗経大日経等の諸尊の種子皆一念三千なり天台智者大師一人此の法門を得給えり、華厳宗の澄観此の義を盗んで華厳経の心如工画師の文の神とす、真言大日経等には二乗作仏久遠実成一念三千の法門これなし」(同抄 P215)

小生が既成仏教と表現したのは、当然、台密も含めてのことです。
日蓮聖人は、上古天台と中古天台をはっきりと区別していたのではありませんか。

268川蝉:2003/05/25(日) 11:12
266 名前: みかん(z8VoUpnM)さんへ。

「而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり」(開目抄下・ 学会版215頁)
は、諸宗は寿量品の釈尊が根本の教主であることをわきまえていない。諸宗にくらべ天台では、寿量品の釈尊が根本教主で有ることを把握しているから、本尊に惑えていない、と云う意味ですね。
215頁10行目に、妙楽大師の「寿量品の仏をしらざる者は父統の邦に迷へる才能ある畜生」との主張を提示してあることよりわかります。
ここに云う天台宗とは、天台大師・妙楽大師の正系思想を受け継ぐところの天台宗(思想)と云う概念だと思います。

「顕仏未来記」に三国四師と云うことが説かれているように、真実の法華宗を弘通すると云う意識があった事はたしかでしょう。
故に「日蓮は自分が天台宗の正統派であるという意識」はあったと思います。
また
「華厳経、乃至諸大乗経、大日経等の諸尊の種子皆一念三千なり。天台智者大師一人此法門を得給えり。」(開目抄215頁)
とあるように、内鑑的には天台大師も日蓮と同じく一念三千の法門を把握していたと云うお考えもあります。

しかし、「建長五年四月二十八日の段階では天台宗とは違う立場に立ったという意識はなかったかも知れない」かと云うと、

「日蓮が法門は第三の法門也。世間粗夢の如し。一二をば申ども第三をば申さず候。第三の法門は天台、妙楽、伝教も粗之を示せども未だ事了へず。所詮末法の今に譲り与へし也。」(常忍抄・981頁)とも、また、
「但漢土の天台、日本の伝教、此二人計こそ粗分給て候へども本門と迹門との大事に円戒いまだ分明ならず。詮する処は天台と伝教とは内には鑒み給といへども、一には時来らず二には機なし三には譲られ給はざる故也。今末法に入ぬ、地踊(涌)出現して弘通有べき事なり。」(治病大小権実違目・996頁)
とあるように、天台大師(天台宗)や伝教大師とが、闡明には説かなかった本門立脚の法門を弘通するのだという明確な自覚があったことでしょう。
255番に
「真実の法華宗・所属の本門(特に、上行菩薩が弘通するとされている妙法蓮華経の五字の弘通)を広めようとの意識のもとに弘通を始めたのでしょうね。 」
とコメントしたゆえんです

269ガンコ:2003/05/25(日) 12:51
みかんさん

ようやく本腰をお入れになられたようでございます。

釈尊が華厳経を説いたかどうかは知りません。わたくしは大聖人の御認識を申し上げたのです。いわゆる一代五時を採用されていると思うのです。ゆえに歴史上の釈尊がどうであったかは関係ない・・・なんて書くとまた物議をかもすかもしれませんが、ともかくも大聖人を中心に考えているわけです。

よって、次の問題はきわめて重要かと存じます。
>日蓮の伝記を読んだことがあるのかと小一時間(ry
ていうか、日蓮の真跡のある御書だけを年代順に読んでみてください。そしたらこんなこと言えないから。

ようするにわたくしの不勉強をご指摘くだすったのかと存じまする。これはもう、ただひたすら拝読を重ねる以外ありませんが、せっかくですからみかんさんのお考えを一分なりともご披露いただきとうございます。
顕正会は御書をもっていない・・・これは頭の痛い話です。おそらく浅井もそろそろ手を打つことでしょう。わたくしはひそかに入手して勉強させていただいておりますが、まだまだ不勉強のそしりは免かれないところでありましょう。

二十七年前の記憶がどれほど正確か、そして二十七年後において潤色・脚色をまじえずに語ることは可能か、といった問題は大変面白いテーマかと存じます。「大聖人は仏様だから可能なのだ」と言ってしまえば簡単で、それでわたくし達は納得してしまうんですけど、みかんさんは承知しないでしょうね。すでに川蝉さんから、文証として不適とのご指摘をちょうだいしておりますし、当然みかんさんのご指摘も大事な視点かと存じまするゆえ、これらを踏まえて再考させていただきます。

いわゆる立宗時において大聖人は天台宗の正当派を自覚せられていた・・・としますると、では大聖人は生涯天台宗のつもりでおられたか、あるいはどこかで独立を自覚せられたか、ということになるかと思いますが後者のばあい、その時期はいつと拝されるのでしょうか?

270みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/26(月) 07:00
>>269 ガンコさん
「後者のばあい、その時期はいつと拝されるのでしょうか?」

日蓮が生涯、自身を天台宗徒だと思っていたとは思いませんが、とりあえず、私の言っていることはしょせん仮説です。いつ自覚が変わったかについては、厳密に遺文を調べないと何とも言えませんが、なにしろ日蓮の遺文はある時期から膨大になりますが、それ以前はほとんど見られませんので、調べるのは困難でしょう。

「仏」という言葉は多義的なので、どういう意味で、ガンコさんが日蓮を仏だと思っているのか、ご自身で明確にされた方が良いですよ。覚った人という意味の「仏」と、久遠実成の報身仏という意味の「仏」ではまったく意味が違います。同じ言葉を使っていますが、指し示しているのは別のできごとです。

「また、立正安国論を引用させていただいたのは、おそらく大聖人にとっての最後の研鑽がこの直前にあったと拝するからです。安国論以降は大難の連続でありましたから、もうまとまった研鑽の機会はあられなかったわけです。」

これはまったく違うと思いますよ。安国論と、佐渡での著作(開目鈔、本尊抄)を読み比べてみられればいいと思いますが、思想的深みはまったく違います。安国論はきわめて浅いです。わたしは安国論を読んで面白いと思ったことはありません。

日蓮の遺文がいつの時点でたくさん書かれているか見てみられると良いですが、佐渡以降、特に身延です。日蓮は佐渡・身延で大きな思想的結実を見せています。また佐渡・身延では時間はありましたから、勉学は続けたでしょう。

安国論が最後の研鑽の機会だというのは、ちがうと思いますが。

271みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/26(月) 07:29
>>267 愚鈍凡夫さん

「小生が既成仏教と表現したのは、当然、台密も含めてのことです。」

その場合、既成仏教には天台顕教(天台法華宗)は入れないわけですか? そこをどう理解なさっているのでしょうか。
これは私の個人的な関心の対象ですが、日蓮は所詮天台宗の学僧出身であり、日蓮自身も天台顕教に肯定的であったにも関わらず、そこを突き抜けてしまったのは何故か、またどこが天台顕教と日蓮思想・行動を区別するところなのかということには私は興味があります。

「日蓮聖人は、上古天台と中古天台をはっきりと区別していたのではありませんか。 」

していないと思いますよ。上古天台と中古天台をハッキリと区別して、べつの体系として扱うのは現在の仏教学、文献学の立場です。日蓮は最初、当時の天台宗の学僧の一人だったわけです。彼にとって、どの文献が真跡でどの文献が仮託書であるかという区別が付いていたかどうか疑問です。多くの中古天台文献は、最澄、良源、源信に仮託されています。
また、日蓮の遺文(御書)と、中古天台の文献を読み比べてみられるとわかりますが、同じ思想体系、同じ教養の範囲内にいた者が書いていることは明白です。はっきりいってよく似ています。たとえば観心重視など。
違いは、日蓮は毘盧舎那仏・阿弥陀仏を立てないこと。日蓮は一心三観を言わずに一念三千を強調すること、などでしょう。

中古天台=台密ではありません。中古天台は、天台顕教・密教・浄土信仰が一体の者となった体系であり、華厳の影響も強く見えます。

日蓮はそれから、密教・浄土信仰の影響をぬぐい去ろうとし、表面上は成功しますが、実際は影響を免れていません。

272愚鈍凡夫:2003/05/26(月) 17:34
271: みかん(z8VoUpnM)さんへ

天台大師の法門を継承するという意味での天台法華宗(天台顕教)は、一念三千を説くことから、法華経の理念に適うと日蓮聖人は判断していたのではないでしょうか。
そして、釈迦牟尼仏・毘廬舎那仏(盧舎那仏)・阿弥陀仏も法華経の題目によって威光勢力を増すとの考えであったのではなかったでしょうか。

「仏法は時機を本とす法華経大日経天台真言等の八宗九宗一代の大小顕密権実等の諸宗等は上根上智の正像二千年の機のためなり、末法に入りてはいかに功をなして行ずるとも其の益あるべからず」(「撰時抄」 学会版P274)

しかし、ここでは天台法華宗といえども他宗同様、末法では無益であると述べていますね。
日蓮聖人が天台法華宗から離脱していった理由として、天台教学があまりにも難解なのと、当時の日本人の識字率の低さが原因の1つと考えています(板東武士にして、識字率はかなり低かったと本で読んだ記憶があります)。
いつの時代も最も苦しい目に遭うのは最下層の民衆です。その民衆を苦しみから解放してやりたいという想いは、法然と通ずるものがあったと思います。
そのためには、本尊に対する絶対信(盲信)と唱題行を宣弘するしかなかったのだと思います。そして、教義上は天台教学を踏襲しながら、本尊と行法に於いて独自性を打ち出したのが日蓮仏法ではなかったかと思います。
誰にでも可能な成道の法の探求が、結果的に天台法華宗からの離脱を促したのではないでしょうか。

「日蓮は真言禅宗浄土等の元祖を三虫となづく、又天台宗の慈覚安然慧心等は法華経伝教大師の師子の身の中の三虫なり」(「撰時抄」 学会版P286)
慈覚(円仁)・安然、共に日本天台宗の密教化に功績のある人物ですね。慧心(源信)は慧心流口伝法門の基礎を築いた人物ですね。
この3人を同列に並べて日本天台宗の獅子身中の虫としていることから、
中古天台は、台密を土台として成立していったように思うのです。
慧心流の口伝法門では、
一念三千とは自受用身のことで、その自受用身とは出尊形仏であると定義づけますね。要するに凡夫の姿をした仏と言う意味ですね。
如来蔵思想を背景とした即身成仏の影響をまともに受けているように思います。
日蓮聖人は、台密が大日経を法華経と相対して理同事勝とすることと、凡夫本仏論の源流とも言える中古天台の本覚論に、反発を感じていたのではないでしょうか。

「止観の二に云く弥陀を唱うるは即ち是れ十方の仏を唱うる功徳と等し但専ら弥陀を以て法門の主と為す、要を挙げて之を言わば歩歩声声念念唯阿弥陀仏に在り文」(「一代五時継図」 学会版P673)
とあるように、浄土信仰と言われているのは常行三昧のことですか。
それから華厳の影響とは、唯心法界論(心如工画師)の影響を受けているとのことですか。

確かに密教の影響は強いと思います(御遺文集を検索すると、圧倒的に真言系の語彙の方が念仏系よりも多いです)。
ただ、確かに晩年にいくほど御消息文に「後生善処」的(霊山浄土)な記述が多いように思いますが、阿弥陀仏の極楽浄土とは違うように思います。
阿弥陀如来の威光でなく、本門の釈尊の威光によってというのが日蓮聖人の浄土論ではないでしょうか。

273成仏 獲得希望者:2003/05/26(月) 21:21
みかん様 真跡のみの「御書」が存在とは、? 不勉強でゴメン、、。 真書から我田引水の偽書まで多々存在する、のは「日蓮入門=ちくま新書」で知りましたが、、 それを「真跡を購入するには??」「一体どこで発売」しておるのでしょうか、、?? 近隣の書店では「絶版でしょう??」という「ツレナイ返事」でした、、。 是非読みたく存じます、、。 早々。

274ガンコ:2003/05/26(月) 21:33
みかんさん、どうもです。

立正安国論の冒頭に「或は病即消滅不老不死の詞を仰いで法華真実の妙文を崇め」、「三宝世に在」すのにどうして災難ばかりが続くのでしょうか? との客の問いがあります。これをもって、余経も法華経も詮なし、三宝も下種の三宝尊でなければならぬ、ともっていくのははなはだ強引でありましょう。しかし、立正安国論を最後まで読んでいっても、具体的には本尊を何にするか、受戒はどうする、常の修行は何をやればいいのか、まったく明らかにされていないのはどうしたことでありましょうか。
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」 ここに「早く」「速やかに」と仰せでありますが鎌倉幕府が早速に帰依してしまったらどうなりましょうか。
すでにこの時点ですべての準備が整っていた・・・と考えることはそれほど不自然ではないと思います。
「具には、立正安国論にかんがえたるがごとし」「例せば立正安国論に委しきが如し」等、安国論に言及された御書はたくさんあります。
また、いわゆる建治の広本をはじめとして大聖人御自身が安国論を御書写になられていますし、御入滅にあたっての最後の御講義がこれまた安国論と言われております。
“あとじあん” “あとぢえ” という言葉を使いましたが、まさしくわたくしのようなあほうはずっと後になってから気が付くことが多いのです。しかも厄介なことには、あたかも初めからわかっていたような気になってしまうのです。もちろん見栄を張ってわかったようなポーズをつくることもありますが、そうではなくて本当にもともと知っていたように錯覚してしまうのです。
しかし、大聖人はそうではないと思います。川蝉さんが再三お引きになっている三沢抄の御文にもそれを拝するところですが、立正安国論そのものに拝することが出来るとわたくしは考えています。先には自他の二難に触れましたが、今回は上に示した如くです。つまり、大聖人は故意に具体的な法門を明かさなかった・・・と思われるのです。

>安国論と、佐渡での著作(開目鈔、本尊抄)を読み比べてみられればいいと思いますが、思想的深みはまったく違います。安国論はきわめて浅いです。

むしろ同時期に著されたとされる守護国家論や唱法華題目抄等を比較されてはいかがでしょう。わたくしには思想的深みなどということは論じられませんが、明らかに立正安国論は他とおもむきを異にするように感じます。原理のみを御示しになり、あえて御法門を御隠しになった・・・。いわば安国論は骨格であり、他の御抄は血肉と拝するべきと思います。まずは骨格を示し、そこに御法門の肉付けをあそばした。なんら順序次第に不都合はありません。

なお、大聖人はいかなる仏であられるか? これはいろいろな意味で危険をともなうので今しばらく猶予をいただきとうございます。(やっぱり避けては通れない?)


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