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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
241
:
川蝉
:2003/05/19(月) 14:43
235 : 愚鈍凡夫 さんへ。
>三身論は、天台本仏論、日蓮本仏論を支える理論じゃなくて、
>いわば、釈迦牟尼仏本仏論(本門の釈尊)を支える理論と言えません>か。
その通りだと思います。
>報身を重視していたようですね。
云われる通り、「三身即一正在報身」と云うことになっていますね。
ただし、什門では「報身・応身の顕本」(開目抄・学会版198頁)とあり、また常説法教化の仏であることから「応身顕本(応身中心の三身仏)」としています。
「宗全第一巻」にある直弟の中山日常上人の「観心本尊抄私見聞」にも、
「法華経の心は三身即一の応身也。その故は滅不滅を論ずる故なり」(156頁)とあり、応身中心の三身仏と見る考えも古来からあります。(中山三代日祐より更に後人の作とも云われていますが、望月歓厚師が日蓮宗学説史で、もし後人の作としても常師の教学を推断できるものだと云っているので、応身中心の三身仏と見る見解が宗門上古に有ったことが伺われます)
「報身・応身の顕本」(開目抄)とあるので、視点の置き方で、報身中心とも応身中心とも言い得るのだろうと思います。
宗祖は、寿量品の釈尊を
「寿量品の仏」(開目抄・215頁)
「久成の三身(応身・報身・法身ー無始無終)」(一代五時鶏図・632頁)
「法華経本門久成の釈尊」(曽谷入道殿許御書・1030頁)
「本地久成の円仏」(守護国家論・72頁)
「五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏」(本尊抄・247頁)
等と表現しています。
寿量品の仏を表現する場合、「久成」「三身具足」」「無始の古仏」とうの概念を明示するだろうと思うのです。
(文句寿量品釈に、仏は三世に於いて等しく三身あり、諸経の中に於いて之を秘めて伝えたまわずとあり、また愚鈍凡夫 さん提示の玄義の不縦不横の三身の概念は、無始の概念と共に、寿量品の仏の重要概念だと云えます)
上のような想いが有って
「久遠元初の自受用報身如来」と云って、一身に限って、三身具足の無始の古仏を表すことは無いだろうと思っています。」
と書いたわけです。
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