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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

229愚鈍凡夫:2003/05/17(土) 12:51
「願わくば日本国の道俗選択集の久習を捨てて法華涅槃の現文に依り肇公慧心の日本記を恃みて法華修行の安心を企てよ」(「守護国家論」 学会版P71)

このように一時期、中古天台を好意的に見ていた時機があったように思いますが、「撰時抄」では慧心を徹底的に破折しています。
「守護国家論」を述作した1258(正嘉2)年から「撰時抄」を述作した1275(建治1)年の間に、御自身の教学に大きな変化があったのではないでしょうか。

それは、三災七難の有様を目の当たりにしたことと、
「而此経者。如来現在。猶多怨嫉。況滅度後。(而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや)」(「妙法蓮華經法師品第十」)
この文証を身で読まれたことが大きな要因だと思います。

「慧心先徳にすぎさせ給へる天台真言の智者は末代にをはすべきか彼の往生要集には顕密の教法は予が死生をはなるべき法にはあらず、又三論の永観が十因等をみよされば法華真言等をすてて一向に念仏せば十即十生百即百生とすすめければ、叡山東寺園城七寺等始めは諍論するやうなれども、往生要集の序の詞道理かとみへければ顕真座主落ちさせ給いて法然が弟子となる」(「撰時抄」 学会版P274)

このように顕密の教法を否定し、東密の軍門に下った台密を破折しています。
密教の影響を受けつつも、本覚思想を中心に展開される中古天台を否定的に捉えていたのではありませんか。


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