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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

199「人師」に惑わされるな!:2003/05/14(水) 16:23
私には解りません。
大聖人のおおせの通りただ余念なく南無妙法蓮華経しか、私には解りません。
それだけです。自然と仏を感じます。


「人師」にも依存せず、親近するべき良き師にも恵まれずに、教学を
身につけることは苦労ではあるが、出家者の猊下、僧侶とてアノ程度
である。ここは孤独を覚悟して、題目を羅針盤と頼り、大聖人のお心
を求めていくしかありません。
もしかしたら、信者の成仏を障害していたのは、教団に巣くい、大聖
人の仏法を「飲食の糧」とする「人師」たちだったのかもしれません。

「日蓮大聖人唯一」「依法不依人」と心して、余念無くお題目を唱え
てゆくならば、「自然に仏界に至る」と申されています。道を間違え
ることはありません。

すべての教団が「余念」を捨て『日蓮大聖人唯一』に同意ならば、対
立の中にも、理解し合える「接点」が出来る。
日蓮大聖人を『仏』と仰ぐ教団は「帰一」の可能性が見いだせる。

もっとも、教団自体が「余念」の惑の中にある。
現実は「教団経営」が優先され「帰一」は遠い。
「『飲食』の中に『道心』なし、『道心』の中に『飲食』備わる」
大聖人の仏法で身を養う「人師」達の存在は、毒にも薬にもなる。
信徒に号令する「折伏」は、客の奪い合いが本当の姿だろう。狙うは
信者の「財布」だ。

『立宗七百五十年』各教団バラバラに行われた慶事は、大聖人の発願
の理想の姿ではない。歴史的事情や、先達の経緯によって分裂、分派
し不本意ながら今日の教団の姿になった。
過去を越えて、立宗の『原点』に戻すのも「日蓮が弟子」の使命では
ないでしょうか。「我が弟子、同心すべし!」仏意と思うのだが。

「人師」に惑わされるな!


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