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死刑制度についてひと言お願いします

1boro:2003/03/16(日) 14:16
死刑制度については他のサイトとかで
さんざんやってきたテーマだと思いますが
そのときの犯罪事情によっても意見が
違ってくると思います。そういう意味で
いま現在、どのように思っているかを
簡単でかまわないので意見をきかせてください。
場合によってはテキストを書く上で参考にさせて
いただくかもしれません。よろしくお願いします。

2550死刑已む無し:2010/02/12(金) 18:43:42
>>2549
あ、何もboroさんにそういう責任があるなどとは思っていませんよ
むしろ、管理者であるはずのboroさんが自分の為に行ったことを、私達にも公表していただけたことに感謝しております

>>2548で言っているのは、他人に対してはマナーを要求しておきながら自分達は守らないのはどうなのかと、問うてるだけです
管理人さんがどうこうしなければいけないなどとは思っていませんよ
そんなことを言っているのは彼らだけですし

2551死刑已む無し:2010/02/12(金) 19:27:25
ここで改めて、私自身の感ずる、死刑制度の目的を書いてみたいと思います

①犯罪者に後悔・反省・更生をうながす目的
②社会教育(応報原理・道徳倫理・ひきしめ効果など)
③みせしめ(公開処刑とかではない。つまり、こういう罪を犯したものはこうなるという事実だけ示せればよい)
④犯罪抑止(殺人だけにとどまらない。特に外国人他犯罪組織に対しては効果が高いだろう)
⑤仇討ち感情の鎮火(負の連鎖を断ち切る)

これらが複雑に絡み合って効果を生むものだと感じております
①などは、「死んでしまうものに更生もクソもあるものか」 などと仰る方もみえるのではと思います
が、私自身がこのスレでも書き込みしましたように、『来世にむけて』 更生する可能性を考えています
④の犯罪抑止で、外国人や、組織などをあげましたが、通りすがりさんも仰っていましたように
「ボーダーライン」 の人間に対しては、犯行直前であっても抑止力が働くと考えられますし、また
死刑制度の存在によって、その「ボーダーライン」 そのものが引き上げられるものと考えております

相手の批判以外の部分においての
死刑廃止論の意義や目的も、是非伺ってみたいです
私の考える死刑制度の目的の中には、犯罪者に対する批判は当然含まれますが
死刑廃止論に対する批判は含まれません
当然です、だってまだ何も伺ってはいないのですから

2552紫煙狼:2010/02/12(金) 22:16:39
はからずも、私がスルーを決め込んでいた某氏の書き込みに啓発されてしまっているのはお恥ずかしい限りですが、
私が考える死刑廃止の目的とは「人が人を殺す」ことの不条理やら野蛮さの排除、つまり倫理だと思うのですね。
それが副作用的に「冤罪死刑」のリスクを減らすのであれば「冤罪をなくす」という努力に恩恵をもたらしこそすれ
それを邪魔するものではないと思いたいですね。無論、死刑廃止によって冤罪死刑のリスクが排除できれば、冤罪を
なくす努力は不要であるなどと言う意味ではないですよ?これをまるで「死刑以外の冤罪は享受すべき」と曲解され
ますが、それは死刑反対派をあまりに勘違いした発言だと思いますね。

>>2551で死刑制度の目的が列挙されていますが、実際はもっと細々と目的はあるでしょう。問題は、その目的を
死刑以外で代替することの出来る手段が残されているか、いないか、ではないのかな?と思うのですね。
何かよって目的を満たそうとしても「満たされないものがきっとあるだろう」という人がいましたが、完全には
満たされないにしても、死刑と同じ程度に満たすことが出来るのであれば、死刑の代替案としては十分に意味が
あるのではありませんか?

これは批判ではないと思ってほしいのですが、「まる1(機種依存文字なので書き換えますね)」で挙げられている
「犯罪者に後悔・反省・更生をうながす目的」に関して、死刑已む無しさんは「来世に向けて」と仰るけれど、
そもそも来世を信じない人もいるわけだし、百歩譲って来世があるとしても、来世において更正されていたかを
追跡調査するというのは非常に難しいわけです。それよりも「現世において後悔・反省・更生」してもらった方が
効果としては分かりやすいのではないでしょうか?そして「現世において後悔・反省・更生」してもらえる手段が
死刑以外にあるのであれば、その方法は死刑より優れていると考えることは不可能でしょうか?
なるほど、人の心を確かめるすべがない以上、本当に後悔・反省・更生しているかは確かめようがない。しかし、
それは来世においても確かめようがないのですから、殺すだけ殺しておいて「来世ではきっと更正…」という根拠の
ない慰めにすがるよりは、仮初でも現世である程度の効果らしきものを見たほうが納得できる部分は大きいのではない
でしょうか?私は更正教育を拡充することによってこれが可能ではないかと考えているのです。

死刑の社会教育としての側面も挙げられていますが、そもそも応報原理と言うのは教育すべき題材なのでしょうか?
一緒に道徳倫理なんてものも挙げられていましたが「悪いことをすると、自分にも悪いことが跳ね返ってくる」だから
「悪いことをしてはいけない」という行為と結果に対するリンクの張り方は単純明快ではあるものの道徳倫理とは随分
趣が異なると思うのですね。むしろ悪いことが、なぜ悪いこととされているのかを教えたほうが道徳的だというのは
詭弁でしょうか?人が一人っきりで生きている状態に対して道徳という概念が残りうるのか、ちょっと分からないの
ですが、裁く者・罰を与える者が居ない状態では「悪いことをしても裁かれない・罰を与えられない」のですから、
自分に跳ね返りようがありませんよね?(いや、確かに神が裁く・神が罰を与えるでしょうけど)実はこの考え方の
発展形で考えるから「死刑をなくせば犯罪が増える」と考えられるのかな、と思ったりもします。
「罰を与えられるからやらない」のではなく「悪いことだからやらない」と教育する方が道徳的であると思うのですね。
この教育は死刑を廃止するかしないかに関わらず必要なことだと思いますよ?(つづく)

2553紫煙狼:2010/02/12(金) 23:00:19
「みせしめ」なんてのも挙げられていますが、これは「罰が与えられる」という事を広く知らしめると言うことですよね?
であれば、先ほど挙げられた社会教育と大差はなくて「どうせ罰なんかないんだから」という不心得者を震え上がらせる
には効果がある、ということでしょう。これがあるから恐怖による犯罪抑止効果という言葉が出るのであって、実際は
「社会教育」と「みせしめ」と「犯罪抑止」なんて分けて書くほどのものではなく、どれも同じ事を言っているのでは
ないでしょうか?そして、それはそもそも「教育の方法に問題があるのではないのかな?」と感じます。繰り返しますが
「悪いことだからやらない」を徹底することで「みせしめ」は不要になり「犯罪抑止効果」も生まれます。もっとも、
徹底するために「みせしめ」が必要だ、と堂々巡りになりそうですが「みせしめ」が不要になるまでの経過措置として
「みせしめ」が必要と言う意見には同意します。ゆくゆくは「みせしめ」の不要な道徳観で日本を包み込みたいですね。

そして…一番不条理にして一番悲しい、一番必要で一番間違っているのが「仇討ち感情の鎮火」だと私は思っています。
流された血を注ぐために新たに血を求める…。そういう被害者(遺族)の感情、それを求めてしまう心の動きは、正しいとか
間違っているとか、そういう問題ではなく仕方のないことですよね。これが被害者の復権と同義であれば、もはや言うこと
はありません。つまり犯罪者の命を奪うことで被害者の命が蘇るのであれば、そういう方法があるのであれば、死刑は
被害者の復権のために必要不可欠な行為として私も文句なく賛成します。(これが、以前挙げた「臓器農場」としての
「死刑囚リサイクル利用」なのですが。)つまり、被害者の命を蘇らせるのが無理であったとしても、今消えかかっている
命の灯火を永らえるために死刑囚の命を利用するのであれば、それは社会においてひとつの命が復権されるのと同意義では
ないか、と思うのですね。(Kenさんや無精髭さんには「それは死刑廃止より難しい」と言われましたが、私はむしろ
死刑廃止より先に実現できそうな案だと思っているんですよ?)死刑已む無しさんが挙げた死刑の目的の1〜4が代替され
ても、この目的(臓器のストック)のために死刑を残すというのであれば、少なくとも私は反対しません。

しかし、死刑囚を臓器のストックと看做すと言うのは褒められた倫理観ではないかもしれませんね。なので、さしあたり
この案を却下するとして、もう一度立ち返ると、被害者が復権されるわけでも、消えかかっている命が救われるわけでも
ないのに、本当に被害者(遺族)の感情慰撫のために(相手は悪人とはいえ)命を奪うことが許されるのか???
言い方を変えれば「許せないから殺してもいい」のか。「虫けら未満だから殺してもいい」のか。これはもう感性の問題
かもしれませんが、私にとっては感情というのは人の命を奪う正当な理由としては弱いと感じます。たとえどんなに強い
感情であっても、たとえどんなに共感できる感情であっても、そのために命を奪うことの違法性を阻却すると言うのは
認めてはいけないことではないでしょうか?

そういう意味で「仇討ち感情の鎮火」というのは目的と言うより、死刑によってもたらされている効果、と捉えなければ
大きく見誤ると思うのですね。もちろん、目的ではないにしても効果がある以上、それはメリットなので、そのメリット
を諦めろと言う見解に誰も賛同しないのは分かりきっている話で、実は私が「死刑しかないのかな…」と思う要素を一つ
挙げるとすれば、確かに被害者感情の慰撫ではあるのです。
ただ、明らかに今の日本は被害者救済のための制度が疎かになっていると思いますので、先にその制度の拡充を図って、
その効果が一定以上の成果を挙げたなら、その時にはもう少し被害者感情と言う問題は解決しやすくなっているのでは
ないでしょうか?どのみち被害者救済の制度は必要ですから。

2554紫煙狼:2010/02/12(金) 23:42:01
死刑已む無しさんは「将来的に死刑を廃止することに異論を唱えているわけではない」と仰いました。
そして私は「経過措置的に死刑を存置することに異論はない」と明言しています。そこで伺いたいの
ですが、なぜ「将来的に死刑を廃止することに異議を唱えない」のですか?「死刑廃止の目的も意義も
見えない」のに、なぜ「将来的に廃止する」事には異議を唱えないのですか?

なるほど、よく分かりもしないうちから反対も何もあったものではない、という言い分なら理解できます。
しかし、死刑已む無しさんには「死刑の目的も意義も明確に見えている」のですよね?そうであれば、
やはり将来的にも死刑廃止に反対するのが普通ではないのか?と思ってしまいます。
いや、実際は「将来的に死刑を廃止することに異議を唱えない」のではなく「将来的に死刑が執行されない
状態の日が来ても異議を唱えない」だけで死刑制度をなくすことには、やはり反対に近い考えなのでしょうか?

よく死刑存置を語る人が「何百人殺しても加害者の命が保障される世の中はおかしい」と仰いますね。
でも私は「緊急でもないのに人の命を奪うことの違法性が阻却される世の中もおかしい」と思うのです。
もう少し切迫した危機感をさらけ出すなら「国家が国民の命を奪うことの違法性を阻却したままにしておく」
というのは安全なことなのでしょうか?

たとえば第二次世界大戦前のドイツやイタリアには「民主政治」が無かったのでしょうか?私が知る限り
ドイツもイタリアも「民主的に非民主的政権を選んだ」ように思うのですが間違っているでしょうか?
経済の問題や外交上の問題など、いろいろな外的内的要因が重なると、国民こぞって誤った方向に向かって
しまうというのはありえない話ではなく、気づいたときには既に国の中枢に凶悪な病原菌が巣食っている…
というのは杞憂と言うほど無駄な心配ではないと思っています。そうなった時に、時の政権が意図的に冤罪を
発生させ、政敵を死刑に処すと言うのは「ありえないこと」ですか?

うん、たぶん「自分が殺されることは無いんだから何百人ころしてもいいんだ〜」という救いがたい愚者の
発生に比較して危険性は少ない、と思っていらっしゃるんでしょうね。なにしろ権力者が自分の有利に死刑を
援用するためには数千人、数万人レベルの腐った公務員が必要ですけど、連続殺人鬼の発生には一人の腐った
国民で事足りますからね。その確率論は理解できます。ただ、権力は人を狂わせる力を持っているでしょう?

倫理観だけではなくそういう側面からも「たとえ国家といえども人の命を奪うことは許されない」世の中、
もちろん「たかが一国民が人の命を奪うなんてとんでもない」という世の中が理想状態だと思うんですよね。
だから、それを実現するために何が必要かを皆さんと一緒に考えたいと思うのですが間違っていますか?

2555死刑已む無し:2010/02/12(金) 23:42:32
>>2552-2553
私のとった態度はけっして褒められたものではなかったと思います
それでも、私に対してレスをしていただけたということは、少なくとも、私が悪意をもって書きこみをしていたのでは無い
と、いうことくらいは伝わったのかな・・・・と思い、勝手に喜んでいます

さて、私が考える死刑のメリットを、廃止した後でも同じ程度に満たすことが出来るとしたら・・・・でしたね
結論から申し上げますと
『死刑制度廃止に反対する理由が無くなる』 ということです

それを前提に、細かいところに意見を申し上げたいと思います
まずは、「来世」 についてですが・・・・
これは、どちらが正しいとか間違っているかというよりも、私の死刑制度に対する考え方の根底にあるもので
おわかりかとは思いますが、仏教的な考えなしに、私の死刑観は成り立たないのです
ですが、これを理論的に説明しろと仰られても、「信じている」 としか言えない自分が腹立たしいです
とはいえ、日本は、国家としては無宗教ではありますが、仏教的な思想が根強く残っているのも事実だと思います

応報を基にした道徳倫理についてのことですが
「人にされて辛かったことは、絶対にしてはいけない」 という考えがあります
先の議論にもあった、「クオリア」 でしょうか?
言って聞かせるだけでは絶対に伝わらないものがあるとおもうのです
人を殴って嫌がるさまを見ては楽しんでいるガキ大将がいたとします
その子が、自分が殴った子が感じた痛みや恐怖や絶望感を理解するには、言葉での説明だけでは無理があると思います
辛い体験をした人のほうが、人に優しくできる、より強く共感できるのだと思います
でも、応報についてだけ言うと、それを活用するのは
取り返しのつかない、殺人などにではなく、「暴力」 や、「詐欺」 の時点で適用するほうが、更生のためにはいいのかも知れませんが・・・

他の部分については概ね同意です、反論するどころか、正に同意見であります
あ、臓器提供については・・・・論理的ではなく、まったくの個人的・・・生理的に受け付けないです・・・・

なにはともあれ、初めて私に対して真正面から当たってきていただけたと思っています
魂のこもった書き込み、有り難く思っております

2556死刑已む無し:2010/02/12(金) 23:48:41
>>2554
>いや、実際は「将来的に死刑を廃止することに異議を唱えない」のではなく「将来的に死刑が執行されない
>状態の日が来ても異議を唱えない」だけで死刑制度をなくすことには、やはり反対に近い考えなのでしょうか?

痛いところをつかれましたね
答えは、『そういう考えでした』

なるほど、犯罪組織に対する不安を持つものに対して、権力者に対して不安を持つものですか・・・・
これは考えさせられますね・・・・今すぐには答えは出せそうにはありません
申し訳ありません

2557紫煙狼:2010/02/13(土) 00:17:24
>>2555
>日本は、国家としては無宗教ではありますが、仏教的な思想が根強く残っている
私もかなり無宗教的ではあるのですが、それは何々宗という枠にとらわれないだけで、
やっぱり私も仏教的な感覚は強いと思います。それに、ワビとかサビを解する日本人は、
それらに対する造詣と同じくらい、悪いやつが始末される「必殺」シリーズに多かれ少なかれ
痛快さを感じているのでは?(私だけかな。。。)これって、日本では死刑が厚い支持を得て
いるという国民性を端的に示していると思いますね。
(私、必殺シリーズに関してはマニアの一歩手前です。)

>自分が殴った子が感じた痛みや恐怖や絶望感を理解するには、言葉での説明だけでは無理がある
ここは「そうかもしれない」と思う気持ちと「そうであってはほしくない」という気持ちが半々です。
私は一応、学校教員を目指していたものですから「体罰には断固反対」の立場でして、そこに愛情が
介在しようと、熱い魂が介在しようと、人を教え導く者が物理的な力や権力を行使するのは良くない
と思っています。だから無理を承知で「言葉で諭す」ために情熱を注ぎたいと思います。
(現在は教員ではありません。)それと…体罰を一度使った人は「言葉で諭す」努力をおざなりにして
しまう傾向はありませんか?だって、手っ取り早いですもの。でも、そこで張られるリンクは
「痛い目にあうからやらない」リンクで「痛い目にあわないならやってしまいかねない」リンクです。
これはね、やんちゃ小僧だった私が一人のすばらしい教師と出会って生き方を改めたという実体験です。
いや、小学校中学年のころの話ですよ?やんちゃといっても可愛いもんです。でも、私はその先生から
「なぜ悪いのか考える」力を授かりました。そして「悪いことだからやらない」大人になったつもりです。

こういうのは早いうちのほうが効果的です。だから
>取り返しのつかない、殺人などにではなく、「暴力」 や、「詐欺」 の時点で適用するほうが
は、まったくそうですね。というか、本当に子供の悪戯レベルのころに教えてほしいです。

>臓器提供については・・・・論理的ではなく、まったくの個人的・・・生理的に受け付けないです・・・・
あらら、やっぱり無理でしょうか…。どうもKenさんや無精髭さん死刑已む無しさんの反応を見る限り、
私の「臓器ストック案」は何か感覚的に重大な部分が欠落しているみたいですね。ただ、私の中では
本当に「死刑廃止より簡単」に思えているんです。

>>2556
>今すぐには答えは出せそうにはありません
その部分に限らず、どの問題点もすぐに答えの出るものではないと思うんですね。
ただ、その答えを探し続けるだけでも意味はあると思うんです。それを求める姿に次世代が何らかの
影響を受けて、一緒に探してくれれば、探す精神を受け継いでくれれば、私の生きている間に答えが
でないとしても、いつか答えが出る可能性は残されますもの。

スタンスは違えど、一緒に考える力を分けてくだされば幸いです。

2558紫煙狼:2010/02/13(土) 00:27:18
無精髭さんが前に私の死刑廃止論を
「教育云々は良い意味で建前で、実際は死者との約束を果たすため…。」
なんて表現してくださいましたね。そんなに綺麗な物か自信は無いですが、
たぶん、教育云々は方法論の一つで、やっぱり不幸にも事件や事故で命をなくされた
方たちを無駄死ににしない、って意識は強いです。彼らが天から見下ろした現世を
少しでもより素晴らしい物にしてお目に入れたい、そんな感覚が強烈にあります。
幸いにも今この瞬間を生きているものとして、不幸にもこの瞬間を生きていられなかった
方々に恥ずかしい生き方だけはできない。そういう思いは強いですね。

ま、何が良い世の中なのか、は人それぞれ定義があるでしょうけどね?
戦乱の世の中よりは平和な世の中のほうが見ていて心地よいかな、と。

2559無精髭:2010/02/13(土) 00:52:30
シェンさんが復帰されたのと死刑已む無しさんがシェンさんとの対話に応じる姿勢をお見せになったのは
私としても喜ばしい限りですが、、、通りすがりさんとのやり取りはまだ続いておりますので、
せっかく好いムードを放った流れを断ち切るのは酷な気もしますが、どうかご寛恕いただきたい。

>2531
>これは明らかに逆です。普遍的に続いてきた現状に問題が存在していると主張している方、
>つまり廃止派に死刑廃止状態の抑止力を立証する責任があります。
>そうでなくても、死刑以外の抑止力は証明しなくて良いのだ、というのは対称的ではありません。

初耳。というか、それって議論の話じゃないですよね。「対称的」というのも意味わかんないです。
仰るような事情で廃止派の側に立証責任が生じているのだとしても、非対称のまんまですよね。
どのみち非対称であることが許されるのなら、別に私の提案でも構わないことになりますわな。

>2538
お忙しいのでしょうか。レスの精度がだいぶ落ちているように見受けられます。

>証明できてない物を証明できるかのように扱う方がよほどずさんなのですが。
>誰かが証明できてるのなら、すでに抑止力の議論など存在しません。

現時点で証明できていないから、皆躍起になって証明しようとするんでしょうねぇ。
その証明合戦に参加もせずに高見の見物を決め込んでいる人はずさんというか、
ものぐさ太郎ですなぁ。まあ、それも仕方ないことです。大抵の人には、その証明
合戦で一体何が行われているのかも分からないでしょうから。

>私には不可能、あなたにも不可能=現時点では分からない、という結論が出ますが。

ええ、その通りです。ですが、通りすがりさんにも私にも分からないからと言って、
他の人にも分からないとは限らないです。また、現在確認できるプロの研究者全員に
さえ不可能だからと言って、この世の全ての人に不可能であるとは断言できないです。
たとえば、どこかにとんでもない英知を秘めた天才が真理を独り占めしているかも
知れませんから。何はともあれ、データをもっと充実させ、そういう例外をも排除した
上でなければ、いくら不可能だの分からないだのと言っても、単にその人の思考能力
に限界があるからその人にとってのみそう感じられるだけなんじゃないかと言われる
のがオチでしょう。通りすがりさんの考え方は、帰納的推論にありがちな「早まった
一般化」の好例だと言えます。

とはいえ、通りすがりさんがチラッとお見せになったカナダのデータに関する解釈法は、
私のようなど素人でも容易に思いつくような代物ではありませんでしたがネ。同じ「不可能=
現時点では分からない」でも、通りすがりさんと一緒にされるのはちょっと心外かな。

>自分より強い人なら誰でも良いですが、死刑の問題では警察・司法ですね。

人じゃねえし。組織だし。警察官とか裁判官などと仰りたいのですかね。だとしても、
そういう職業の人から「○○したら殺すゾ」と言われたとしても言葉通りには受け取ら
ないですよ、普通。つーか、警察官とか裁判官がそんな脅し文句を口に出すわけがない。
ちょっとでもそんなことを口から漏らしたりなんかしたら、大問題。

>死刑の存在がが冗談に聞こえる人がそんなにいますか?

死刑が脅し文句を言えるのであれば、大抵の人にはきっと冗談に聞こえると思います。

>それで行くと、倫理や常識も行動を制限するほどの抑止にはならないということになりますが。

反論の意味が分かりません。倫理や常識は、法や刑罰のように国家の権力・管轄ではないです。
また、それ自体では威嚇もしません。なぜなら、それ自体では法や刑罰のように形あるものとして
存在していませんから。

ちなみに、形あるからといって、法は「仕草」や「表情」などの言語外的な特徴を持ちえません。
言うまでもなく、法とは言語以外の何物でもないのですから。いくら読む者が恐怖するような
調子で条文が書かれていたとしても、当の自分に向けられたものという感覚が読む者に生じな
ければ、法による威嚇は成り立っていない(というより、個々人まで届いていない)と言えます。
その点、刑罰も同様。これが、個人と国家(この場合は、法・刑罰)は向き合っていないということです。

>反論は具体的にお願いします。

いや、率直に言って、以下のような抽象的な問いかけに対し具体的に答えるのは無茶です。
>2494便益でいうなら、大抵反社会的組織の中では(中略)死刑は単純にコストパフォーマンスの面からも優れていることになりませんか?
とはいえ、「ある程度」具体的には反論をお書きしておいたはずですので、もう一度お読みください。

2560死刑已む無し:2010/02/13(土) 00:52:56
>>2557
>体罰を一度使った人は「言葉で諭す」努力をおざなりにして
>しまう傾向はありませんか?だって、手っ取り早いですもの。

そこが、どんな手法であれ、『是』 であることそのものを否定する理由です
これで良い・・・・と考えることは怠惰以外の何物でもないと思います
今まで、意図的に曖昧な書きこみをした部分もございましたが、この部分においては本音でございます

本日最後に、またちょこっと論理的では無い話をしますと・・・・
話して聞かせるだけで、実際の経験無しに真に理解ができる子は・・・・はっきり言って存在すると思います
そういう人は、前世において、しっかりとした経験を積んでこられたのでは?と、考えてしまうのです

それでは、本日は有り難う御座いました

2561無精髭:2010/02/13(土) 00:52:59
>2541
>なぜですか?

以下参照。

>2485片方にある程度具体的な根拠があるのに、もう片方は抽象的な不安だけを根拠にする、
>というのはアンバランスなので、その不安の原因を探って明確にすべきだと思います。

まず、何を指して「片方」とか「もう片方」とか仰っているのかが不明瞭です。
しかし、たとえそれが分かったとしてもコンテクストがつかむのに苦労している
現時点では、通りすがりさんの仰っていることを理解することはかなり難しいの
ではないかと思われてなりません。

>言葉は紛らわしいですが、なりません。
>「分からない」が前提でなければ「あるともないとも言える」にならないからです。
>「あるともないとも言える」ことがわかっている状態が「分からない」ということです。

「あると言える」と「ないと言える」が前提にないと、「あるともないとも言える」とは
結論できませんよね。で、この「ある・なし」発言が同一人物によるものである場合は、
その人は自家撞着に陥っていることになりますよね。一方、これがそれぞれ別々の人に
言われたものである場合は、矛盾は回避されますが、それでも「あるともないとも言える」
ことには全くならないでしょう。物事はあるかないかのどちらかだからです。すなわち
ある事象に対し「あるともないとも言」うことは、本来許されてなどいないのです。
したがって「あるともないとも言える」状態とは、同じ人物によって「あるともないとも言える」
ことではなく、また、複数の人間がそれぞれ「あると言ったりないと言ったりすることが
できる」ということでもなく、単に「あると言える人とないと言える人が一緒にいる・
面と向かって話し合っている」という状態に過ぎないでしょう。しかし、その様子を知って
いるからと言って、「あるかないかが分からない」ということにならないのは自明ですね。

>それは私も同じです。

いや、違います。私は「あるともないとも言える」とか「実証不可能」とかいったことも
結論付けるべきではないと主張しておりますから。

>そんなことは言っていませんが。
>データの解析技術の開発は、死刑存廃問題とは別次元だというだけです。
>モチベーションとか関係なく、現在その技術は、抑止力がある/ないどちらの結論も出て
>相殺されるようなものしか無いのは事実です。

事実と主張なさるならば、それが正に事実であることを論拠とともに示してください。
抑止力に関する「データの解析技術」とやらについて、通りすがりさんは専門家なみの
知識をお持ちだとお見受けしました。

>私にとってそれは卑怯な手の範疇なので、おそらくその感覚の違いなんでしょうね。
>演技力の差で決着を付けるのであれば、それこそ結論はでないでしょうし、
>少数派の廃止派には決定的に不利な要素になると思います。

どうして通りすがりさんの中で、専門家による抑止力研究や論争が「今ある材料で
できるかのように振舞う」ことになってしまうのかが全く理解できません。確かに
素人がそういった権威に訴えて、「絶対に抑止力はあるんだ!」とかなんとか世迷言を
口走っていたら仰るように大問題ですが、その研究成果を参考にして「抑止力はある
かも知れない」などと譲歩しつつ主張に組み込んだり、単に当面の判断材料として用い
たりすることは、卑怯な手でも何でもないでしょう。何か勘違いされているのでは
ありませんか?

>私は思いつきませんと書いたと思うのですが。
>思いつかないので、怪しげではあるが社会全体でも同じ抑止力が働いていると考えるのが自然だ
>と思っているのです。

私の皮肉が通じなかったようです。ちょっと残念。


(他にも補足・展開しなければならない点が二三あります。続きは時間が取れてから)

2562死刑已む無し:2010/02/13(土) 00:59:06
>>2558
紫煙狼さんが口調を変えたときに私が強く反応したことがありましたね
今では、あれは貴方様の真剣さの表れだったのかとも考えております

2563ufloat:2010/02/13(土) 01:57:10
紫煙狼さんのお話で思い出しましたが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%93%E5%99%A8%E3%81%8F%E3%81%98
こういう思考実験がありますね。
この中身自体は、紫煙狼さんの主張されている案とは別物ではありますが、
紫煙狼さんの論を考える上で、ある程度参考になる部分があるのではないかと。

2564ufloat:2010/02/13(土) 08:01:39
それで、先の記事も読みつつ紫煙狼さんの論を考えてみたのですが、
紫煙狼さんがこれまでに主張されていた論と比較してみると、
やはり「矛盾」ではないにせよ、どうしても違和感を否定できませんでした。

ひとまず倫理的問題を無視して考えると、死刑存置派の人が
「どうせ死刑にするなら、移植を待つ人のために臓器も利用すべきだろう」
として死刑囚からの臓器移植を支持するなら理解できるのですが、
紫煙狼さんは廃止派で、しかも「今は無理でも、いつかは死刑のない世の中を作ろう」
という主張をなさっていますね。
仮に未来の日本において、死刑の廃止を検討できる土壌が整ったとして、
死刑囚からの臓器移植を肯定するなら、
・死刑を廃止する環境が整ったので廃止する
・臓器移植のために死刑にする
この2択になってしまい、これらは相互に相容れないものですが、紫煙狼さんは
両者を肯定していらっしゃるようなので、紫煙狼さんの意図がつかめませんでした。

さらに、「死刑によって他の命が救われる場合」という側面から考えると、
・死刑囚を新薬や治療法の実験台として使い(苦痛を与えるのが問題なら、苦痛のない方法で)、
 多数の人の命を救える医学研究をするのは許容されるのか。
・仮に死刑より終身刑の方がコストがかかることが立証され、そのコストを他に充てると
 より多くの人命が救えるのであれば、それを理由に犯人を死刑にすべきなのか。
・仮に死刑の方が終身刑よりコストが低く、しかも死刑囚の臓器移植にかかるコストを
 他に充てると、移植の場合よりも多くの人命が救えるのであれば、死刑囚はただ死刑にすべきか。
(「コスト」の言葉を使うのには抵抗がありましたが、「有形無形の資源」の意味であえて使用しました)
など、倫理あるいはその他の面から、色々とややこしい問題が考え付く限り無限に発生しますし、
このようにして論を展開していくと、最終的には先の「臓器くじ」に似た話にも行き着いたり
しかねないので(特に最後の仮定では、他では「死刑囚の命」->「他の人の命」であったのが、
「移植待ちの人の命」->「そのコストで救える命」という図式になってしまっている)、
なかなか賛同を得られにくいのではないでしょうか。

2565無精髭:2010/02/13(土) 08:34:41
まぁ、今のところ「死刑囚リサイクル利用」に対して個人的には反対とまでは
言えないですし、生理的に抵抗を感じるといったこともないですね。執行方法
を改善する必要はあるとは思いますが。

あえて「死刑囚」を生かしたまま、クローン技術やES細胞技術、iPS細胞技術
等を駆使することで、臓器や骨髄、角膜などを作り出すなんて手もあるかと。

下のような倫理的問題も、「死刑囚」のケースではどうにかクリアされるかも。
http://www.fine.bun.kyoto-u.ac.jp/newsletter/n09a1.html

2566Ken:2010/02/13(土) 14:20:17
私が好きなのはこれですね↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/トロッコ問題

の1.1派生問題(前に話したっけ?)。転轍機を切り替えて一人を犠牲にして5人を助けるか?功利的に判断すれば答えは「Yes」です。そして実際多くの人がそう答えます。ところが「転轍機を切り替える」の代わりに「太った人を突き落とす」にすると答えが「No」になるのです。一人を犠牲にして5人の命を救うという結果は同じなのに。答えが「No」になるのは生物学的に起源の古い同種殺しへの禁忌と考えられています。

それで、この判断を担う脳の部位が分かっているのです。前頭前野腹内側部(VMPFC)↓

http://en.wikipedia.org/wiki/Ventromedial_prefrontal_cortex

この部位を損傷すると「太った人を突き落とす」場合でも「Yes」と答える「冷酷」な人間になるんですねえ。ひょっとして死刑の存廃に対する態度とも関わってるかもね。

2567Ken:2010/02/13(土) 14:38:46
>>2546
また已む無しさん勝手にストーリーを変えてるし...あなた、まじめに人の投稿を読む気がないでしょ。

>>残念ですが・・・・今回のケースに於いて、通りすがりさん他に落ち度がないことを証明してくだすったのはboroさんです

私もUfloatさんもはじめから一貫して「通りすがり」が捨てハンであることを指摘しているのです。ダブハンじゃなくて。

ダブハンの問題は通りすがりさんが私の投稿を早とちりしたところから始まったのです。やりとりに誤解が生じるのはしょうがないです。だからこそ、その後、通りすがりさんがダブハンしていると私が考えているわけではないことを一貫して強調したわけです。それを已む無しさんは未だに問題がダブハンであるかのように装って、いわばありもしない非難をでっち上げて無罪を勝ち取った気分みたくなっているのです。あほらし。

「通りすがり」が捨てハンであること、捨てハンが過去に問題になったことは事実です。その事実を指摘しているだけの私に落ち度はないと考えたUfloatさんが私のことを擁護したわけです。「Boroさんが黙認している」と彼が書いたのは捨てハンのことです。ダブハンじゃなくて。もう一回まじめに読めばそれ以外の読み取り方がないことがわかるはず。

それでこういうことを書くと已む無しさんは「それはKenに落ち度がないから擁護しているのではなくて、死刑廃止派が何かをうやむやにするために擁護しているのだ」とかわけの分からんことを書くのです。今説明しているのは、Ufloatさんが何をどう考えた結果どう行動したかであって、それには已む無しさんがどう考えているかと同じである必要はどこにもないのです。

死刑存置派・廃止派を問わず、誰だって落ち度のない人を擁護しようとするものです。自分がそうするように、他人も単に落ち度がない人を擁護しているだけだ、他人にも自分と同じ心のはたらきが備わっているのだ、ということが已む無しさんにはどうしても理解できなくて、いつも自己中心的なものの見方しかできないのです。だから、いつも自分の立場からしか他人の行動を理解できないのです。困ったもんです。

ちなみに、Boroさんは捨てハンに関しては今のところ態度表明を保留しているわけですが、こういうこと書くとじゃあBoroさんに捨てハンのことも問い合わせよう、とかなるのですが、それは止めたほうがいいです。Boroさんがそのことに関して何らかの態度を表明するとどちらかに味方しているかのような予断を与えることになるから。そういうのを嫌うのです。

2568loveless:2010/02/13(土) 14:54:24
>>2565
死刑囚が希望して臓器提供する分には問題ありませんが、国家として臓器提供を強制するのは反対。

刑をまっとうした人間に対して、さらに何かを強制するというのは、ちょっとどうかと。。
(それやっちゃうと、中国になっちゃいますよw)

#同じ理由から、アメリカのように性犯罪者の出所後の情報公開も反対かな。


> 下のような倫理的問題も、「死刑囚」のケースではどうにかクリアされるかも。
> http://www.fine.bun.kyoto-u.ac.jp/newsletter/n09a1.html

そもそも、ヒト胚に人権があるというのは、さすがに無理があるんじゃ。。

2569死刑已む無し:2010/02/13(土) 15:33:16
>>2567
また蒸し返すのですか・・・

>こういうこと書くとじゃあBoroさんに捨てハンのことも問い合わせよう、とかなるのですが、

なるのですか?

>それは止めたほうがいいです。

元々そんな気は毛頭ありません

2570死刑已む無し:2010/02/13(土) 16:46:03
無限回廊のbbsの雑談スレッドを、チラと拝見させていただきました。(熟読はしておりませんが)
なるほど、合気ですか・・・・
議論にはその業は使って欲しくないものです^^;
負けると分かっている論理に対しても真っ向から挑み、その結果及ばなかったところを的確に把握し、自らの理論を練り直す
そういうのってアホらしいでしょうかね・・・

それはともかくとして、死刑囚の臓器提供について、全くの感覚的、生理的に受け付けないと言いましたが
僅かにでも理屈っぽい考えが形になりましたので書き込みます
紫煙狼さんが仰っていたような、権力者による意図的な冤罪の可能性に通じるものもあります
つまり、移植用臓器の確保の為の 『意図的な冤罪』 の可能性が無いとは言えないのでは・・・・と思い至ったのです
それ以外の部分では、凶悪な殺人者の心臓が自分の胸で鼓動することを想像した時の違和感など・・・
やはり、理屈では説明が出来ない想いが多いですね・・・

臓器くじについて
これには反対ですね・・・・赤紙を連想させます・・・・
徴兵を逃れるために、自らの体を傷物にした人達は実際に存在しましたね・・・・

クローンについての考え方は、私の中ではまだ形にはなっていませんね
ただ・・・命や魂といったもの、或いは輪廻転生といったものがもっと明らかにされるならば
クローンは認められる方向に向かうのか・・・・などとも考えています・・・・が、現状では(私にとって)受け入れ辛いものです

トロッコ問題について
最初の問い・・・・これはこうも考えられます
1人を犠牲にして5人を救うか、何もせず5人を見殺しにするか  ではなく
1人の犠牲が出るレールと5人の犠牲が出るレールの2択なのだと
公平に判断するならば、1人のほうを選ばざるを得ない・・・・と考えます

次の問い・・・・太った人を突き落としてトロッコに当てる・・・・でしたか
これは・・・・それでも自分が犬死に覚悟で飛び込んで止めにかかる、か、何も出来ずにいるかのどちらかしか私は選択できないです
太った人ならばトロッコが止まるという仮定そのものの信憑性が信じられないし(思考実験としては駄目かもですが)
それを最後に判断するのは、その太った人自身だと思うからです

(3)の問いは更に難しいですね
これを咄嗟に判断できる人は少ないのではないでしょうか、じっくり考えても、私には判断がつきません、どちらが正しいとも言えません

(4)は・・・・
先に鉄の塊を発見し、これで解決だと思っていたらそこに人が見つかった・・・・ということならばこれほど絶望的なシチュエーションもないですね・・・
その後の判断は・・・・分かりません・・・・それでも塊のほうに引き込むかもしれませんし、何も出来ないでいるかもしれません
どちらが正しいとも判断できませんね

こういうものに触れるにつけ、『正義は我にあり』 という思想を否定する想いがより強くなると感じます

2571死刑已む無し:2010/02/13(土) 16:51:43
と、書き込みしてみて
(4)の自分の考えを踏まえたうえでもういちど(1)を考え直してみると・・・・
やはり、(1)も判断はつかないと思えてきてしまうから不思議です・・・

2572死刑已む無し:2010/02/13(土) 17:03:20
トロッコ問題についての続き

結局は(1)で最初に私が、これは2択であって、どちらかを選ばなければいけないと示したのは
私自身の考えの 「正当化」 であり

逆に判断が付かないと示したのは
私自身の 「責任逃れ」 なのではないかと、両面から反省をして〆たいと思います

2573已む無し:2010/02/13(土) 21:43:10
HNから 『死刑』 を抜きたいと思います
いまだ、考えは死刑容認寄りであるとはいえ、どちらに転ぶとも分かりませんし
どちらにしても、「已む無し」 なのは変わらないと思いますので・・・

これは死刑存廃と関係あるかは分かりませんが・・・
トロッコ問題と、そもそも生物が生きる為に捕食する行為の是非は、どこか似ていませんか?
食べ物の好き嫌いなどは無くして、私達を生かすために犠牲になった多くの生物達に感謝しながら、残さず頂きたいものです

2574紫煙狼:2010/02/13(土) 23:55:21
まず、そこまで強く臓器ストックを推奨している訳ではありませんので、説得は最初から諦めていますが、
現状においては「代替臓器(機械臓器やバイオテクノロジーによる臓器複製)」はまだまだ発展途上で、
「臓器移植を必要とする誰かを助けるためにはどこかからヒトの臓器を持ってくる必要」がありますよね?
その供給源として死刑囚を利用するのであれば、まだ幾分かは死刑囚を社会貢献させることが可能かな、と。

前に、死刑囚を更正させる、という話をしましたよね?その頃は已む無しさんの言う「来世へ向けての更正」
という認識が私に無かったので「更正不可能な奴だから殺す」「更正しないから殺す」「更正しても殺す」
表面的結果だけを見れば「死刑に更正を求めるのは無意味」と思っていました。でも死刑囚に反省を求める
声は決して少なくありません。ですから「死刑囚にも更正教育・矯正教育は必要」だと思います。
そこで、死刑囚にもこれら教育を施すことを古紙回収に喩えて、再生紙にして燃やすのは無意味であると
結論したうえで、燃やすのであれば再生紙にする必要は無い。しかし、廃熱を利用しない手は無い。しかし、
廃熱利用すらしないなら、燃やすなんて「地球環境に良くないですよ」と言う訳です。

つまり「臓器牧場として利用」するのであれば更正の有無を確認できなくとも死刑囚に社会貢献させられる。
「死刑にしなければ再犯するかもしれない」けど「再犯しないかもしれない」
「死刑を廃止すれば凶悪犯罪は増えるかもしれない」けど「増えないかもしれない」
こういう思考実験的な不安要素よりは「死刑囚から臓器を取り出せば少なくとも一人の命が救われる」という
明快なメリットのほうが死刑に賛成する論拠としては「線が強い」のではないか、という話ですね。

lovelessさんは以前も「臓器提供を受けたヒトの人格に提供もとの人格が影響する」なんて話を出していましたし
おそらく「凶悪犯の臓器で生きながらえるくらいなら、喜んで死を受け入れよう」と思うのも当然かもしれません。
実際、骨髄移植を受けて血液型が変わったヒトなんてのはいくらでもいますから、血液型占いを基準に考えれば
影響を受けて当然かもしれません。これは皮肉ではないですよ?自分の体の何かが目に見えて変わってしまった
レシピエントが性格的に何らかの変化を起こすのは、ちっともおかしな話ではなくて、自分がどんなヒトの臓器を
移植されたかは教えられなくとも「日本の死刑囚の臓器は人命救助のために役立っています」なんて言われたら、
「僕の臓器って、もしかして…」と妙な苦悩を生むかもしれないから、やっぱり強制的な臓器提供は良くないかも。
ただ
>刑をまっとうした人間に対して、さらに何かを強制するというのは
には「死を以って刑を全うした」とするよりは「他者の生命維持のために自らの臓器を差し出させる」という刑罰と
定義し、その刑罰の中に「囚人の死」が含まれかつ「今死に行こうとしているレシピエント」の緊急性を以って、
「死刑囚の自然死を待たずに、それを早期に執行する」ことを正当化できるのではないかな…と。

ま、私の臓器ストック案は全体的に詭弁ですね。でもこれが実現した際に、私が今と同じほど執念深く死刑廃止を
唱え続けられる自信は、実のところありません。

2575紫煙狼:2010/02/14(日) 00:07:49
ちなみに、トロッコ問題ですが…。

「トロッコがヒトを殺そうとしている」のですから人数に関係なく「トロッコを破壊する」以外の方法は
私の中では認めることが出来ませんし「トロッコを破壊する」目的のためにヒトの生命を利用することも
同じく認められません。

したがって、とっさの判断を保留し「私が何もしなかったことによって起こる結果」を受け入れるのが
私の中での正解なのだと思います。私が迷っている間に無精髭さんが「太ったお隣さん」として私を
突き落とすのも甘んじて受け入れますし、5人が亡くなったことに対して道義的責任を問われるのも
厭わない。何もしなかったことに関して「真実を解明する」目的において釈明する用意はあっても、
自分が何もしなかったことが正当であり情状酌量を求める目的での釈明はしません。

ある意味、痩せた非力な男ではなく、デブの成人病予備軍で良かった。
という、思考実験としては甚だ題意にそむいた結論しか出ませんねぇ…。。。

2576已む無し:2010/02/14(日) 23:10:48
雑談スレへの書き込みの続きみたいになりますが・・・
私が、悪人と善人が表面上は同じ事を言っても、その言葉の内容ではなく、『ある者がこう述べている』
という全体の意味は全く違うものであると拘るのは・・・・
誠実さに拘るのはですね

私が挙げた、死刑廃止した場合の凶悪犯罪組織その他の権力者の私刑
紫煙狼さんが挙げた、死刑存置した場合の権力者による意図的な冤罪死刑

どちらにしても、制度を誠実に守る人だけしかこの世にいなかったなら起こり得ないことなんですよね・・・・
誠実であっても、意図しない冤罪が起こる可能性は0ではないでしょう
ですが、誠実であったならば、私利私欲による残虐な殺人は100%起こり得ないのですよね
そして、凶悪殺人が起こらなければ当然、冤罪私刑も100%起こることはないと思うのですよね

不誠実な人が権力を持ったならば、どんな制度であったとしても、弱いものが泣き寝入りをする世の中になるでしょう
そうさせないためにも権力の分立は必要でしょうし、死刑制度に対しての反対派もまた大切な存在なのだと思います
逆に、将来日本で死刑が廃止されたとしたならば、その時は死刑復活派が、少数派として大切な存在となるのかもしれません
法が大切なのは勿論だと思いますが、まず第一にはそれを護る 『人』 が肝心だと思っています

2577通りすがり:2010/02/15(月) 01:51:41
>>2542
>ただ、これを殺人に置き換えると、正当防衛、緊急避難、過剰防衛、情状酌量の余地があり、

「殺人」に置き換えることができるなら、「私利私欲による殺人」にも置き換えて考えてみてはいかがでしょうか?

>「死刑による自殺目的の殺人が増える」というのがありますが、

ですから、そうして犯罪を犯して自殺したい人間が、なぜ犯罪を犯した上に生きたいと考える人間より
多いと考えられるのかを聞いています。

>特別予防効果はあまり議題にならないといった感じです。

特別予防効果が無視できるほど小さいかどうかの問題ではありません。
特別予防効果が「死刑>絶対的終身刑」であることが問題なのです。
また無視出来るほど小さいとしても、それは罪の無い人の命を無視することです。
小さいからいいというのであれば、冤罪を理由にした死刑廃止論も無視できてしまいます。
同じように「犠牲は小さい」と言ってしまえばいいのですから。

2578通りすがり:2010/02/15(月) 02:59:06
>>2543
>たとえば、宇宙人は存在を証明することはできませんが、

閾値の高/低に対応する例えがありませんので、そのたとえは不適切です。
例えるのであれば、「地球人(あらゆる抑止が効かない人)」と「宇宙人を通り越した高次の存在(大抵の人)」
がいることは確かめられているが、その中間の存在(宇宙人)はいない、というようなものでないと意味がありません。
チョコレートの例の反論にもなっていません。
また、メリットやリスクの如何に関わらず必ず罪を犯す人と、絶対に犯罪をしない人しか世の中にいないのであれば、
それは目的刑論や刑事政策の全否定です。
どうやっても善人が悪人に変わったり、悪人が更生したりという往来が無いということですから。
したがって、あなたの仮説には無理があります。

>だって殺しちゃったんだから。死刑全然殺人を抑止してませんねえ。

より罪の重くなる次の犯罪を抑止しています。
本人の明確な証言もあります。これを否定するなら、タクマ他「死刑になりたかった」という証言も
信用性を否定されますから、「死刑になりたい人間の犯罪」の存在自体が眉唾となり、
ufloatさんが言うような死刑で犯罪が増えたと判断できる理由も一つ減ります。

>だから、さっきから「食べない」って言ってるんでしょ。

少なくとも「わからない」という人はいたようですが。
絶対食べない人は論の外だともすでに説明しました。

>拉致・監禁つまり懲役刑も彼らにとって自然に理解できる制裁手段であるはずです。

ご自身で言ってる通り懲役刑「も」です。死の利用価値が高いと見られている事に変わりがありません。
そしてそういった反社会的組織の自由刑は制裁と反省のための身体刑を含み、結局死刑への転落もあるので、
日本の自由刑とは中身がまるで違います。
比べれば日本の自由刑は文字通り「お勤め」のようなものです。
しかし「死」そのもののリスクは反社会的な人間にも普遍的なため、共通の価値となりえます。

>だから無視してよろしい。

特別予防効果が無視できるほど小さいかどうかの問題ではありません。
特別予防効果が「死刑>絶対的終身刑」であることが問題なのです。
また無視出来るほど小さいとしても、それは罪の無い人の命を無視することです。
小さいからいいというのであれば、冤罪を理由にした死刑廃止論も無視できてしまいます。
同じように「犠牲は小さい」と言ってしまえばいいのですから。

>死刑じゃなきゃいけない理由を挙げないとだめです。

必要なのは、死刑廃止じゃなきゃいけない理由です。廃止後に悪化しては意味がありません。
また理由を挙げないとダメというルールを死刑以外に適用しなくていいという根拠がありません。
なのでその理屈は死刑廃止状態をデフォルトで考えている人にしか通用せず、
法治国家の現行の法を変える理由にはなりません。

2579通りすがり:2010/02/15(月) 03:09:27
>>2549 boroさん
イマイチはっきりしないので直接お聞きしたいのですが、
通りすがり という言葉を使うのは、その場で「捨てハン」と判定され、
それだけでboroさんに怒られることのあるものなのでしょうか?
その辺を含め掲示板上のコードがあるならどのようなものか、
書かれている場所だけでも教えていただけると助かります。
これまでのところで私をどのように思われているかはわかりませんが、
ご迷惑をかけるつもりはありませんので。

2580無精髭:2010/02/15(月) 03:17:57
私>>>>少なくとも暫定的な判断を下すための材料をその議論から得ることはできるのではないでしょうか。
通りすがりさん>>>それが納得性ですね。
       >>>「こちらのほうが自然だ」というような納得性の問題という自覚があってやっているなら構わないと思います。
       >>>しかし死刑の社会全体での抑止力は「わからない」というのが大前提です。
       >>>「他の可能性はない」とか「原因はこれである」とか断言できると思った時点で誤りです。
       >>>暫定的な判断の前に誤りは取り除いておくべきです。
私>>「わからない」ということを前提にしちゃったら、「あるともないとも言える」ということも
 >>「わからない」ということになりませんか? それとも「あるともないとも言える」ということが
 >>それ以前の論証においてすでに前提とされているのでしょうか? というより、価値判断の妥当性
 >>を争う議論では「納得性」しか基準になりえないからなのでしょうか?
通りすがりさん>言葉は紛らわしいですが、なりません。
       >「分からない」が前提でなければ「あるともないとも言える」にならないからです。
       >「あるともないとも言える」ことがわかっている状態が「分からない」ということです。

「分からない」からこそ「あるともないとも言える」? 「あるともないとも言える」ことがわかっている
状態が「分からない」ということ?? やっぱりこれだけの説明では理解不能。いや、でも通りすがりさんが
本当に仰りたいことは分かっているんですよ。つまり「絶対に分からないことに対して分かると言うべき
ではない」「知るすべがないことに対して知ることが出来ると言うべきではない」ということでしょう。

一つ注意していただきたいのは、通りすがりさんは「実証不可能」という主張に「現時点では」と留保を
付け加えていらっしゃいるようですが、私は「現時点でも実証不可能とは断言できない」と申しております。
実証不可能と結論することは、現時点での「データ解析技術」や研究者の仕事に通暁していなければできる
わけがないでしょう。現在の科学技術では地球、火星間の往復有人飛行を実現することは難しいという事実
についても、本来素人には「専門家の間では難しいと言われている」くらいのことしか言えないはずです。

通りすがりさんのこれまでの主張からして、「分からない」は「実証不可能」と同じ意味で用いられていると
考えられます。だとすれば、通りすがりさんは、死刑の抑止力は「実証不可能」だからこそ「あるともない
とも言える」と仰っていることになりますよね。実証不可能であればこそ、根拠レス・証拠ナシで主張を
展開できる。答えがない問題だからこそ、めいめい好き勝手なことが言えるわけですよね。抑止力に関する
存廃議論の現状はどうやらそんな感じのようですしね。通りすがりさんがそれを「あるともないとも言える」
情況と表現するのには私も同感ですよ。ただし、そういう情況だからこそ、「ある」とか「ない」とか言う
にしてもデータを正確に読み込んで、妥当な論証を行わなきゃダメだと私は思います。いくら「あるとも
ないとも言える」のだとしても、通りすがりさんが>>2481>>2492でしたようなテキトーな反論は
ご法度でしょう。そういう意味では誰でも好き勝手に「あるともないとも言える」わきゃないですよね。
確証が全くないとしても、傍証が見つからないとは限らないわけですし、だとすればそれをかき集めなきゃ
いかんってことになるのは当然でしょう。

2581無精髭:2010/02/15(月) 03:18:18
ところで、もし本当に「絶対に分からない」とか「知るすべがない」とか言えるのだとしたら、通りすがり
さんの仰っていることに私は賛同いたしますよ。けれども、何度も申しますように私は「絶対に分からない
とは限らない」「知るすべがないとは限らない」と考えているんですね。なぜなら>2559でも書いたように、
誰にも「分からない」とは限らないと思いますし、現在の抑止力研究が不完全なものだとも限らないので、
「分からない」というのは、もしかしたら通りすがりさんのような無知な素人(失礼)の早とちりである
可能性だってあるからです。おそらく通りすがりさんは「分からない」という主張を大した根拠もなく、
単なる伝聞や他人の受け売りで唱えていらっしゃるのでしょう? 「データ解析技術の開発」の実情も知らず、
抑止力研究の実態も知らず、かといって抑止力論争にもさほど詳しくなく、データを読み込む能力も不足
していて、データを解釈することにも未熟であるならば、現時点においてさえも「実証不可能」と主張する
ことは控えるべきだとは思いませんか? あるかないかを確かめられないとされているものを「絶対にある」
と言ったり「ない」と言ったりするのには仰るように問題がありますが、あるかないかを確かめられないと
されているのがなぜなのかも分からずに「あるかないかは確かめられない」と断言するのにも同じように
問題があるのではありませんかね。むしろ、通りすがりさんは「あるかどうかは確かめられない」と結論する
ことで、抑止力に関して皆が議論することの意義を減じているだけ、といったふうに私には感じられます。

紫煙狼さんの>>2642に対して通りすがりさんが反論したことで始まった抑止力の証明に関する
この度の議論を事細かに分析することで、通りすがりさんの論旨の不味さを炙り出すのは長くなるし、
しちめんどくさいのでいたしませんが、通りすがりさんにはこれだけは言っておきたい。抑止力研究や
解釈に確実性がないからといって、蓋然性もありえないとまで思っちゃいけませんよ。

以下、自己レス。

>2561(上略)単に「あると言える人とないと言える人が一緒にいる・
>面と向かって話し合っている」という状態に過ぎないでしょう。しかし、その様子を知って
>いるからと言って、「あるかないかが分からない」ということにならないのは自明ですね。

混乱した議論を見て「あるかないかが分からな」くなる者はいそうですね。私が言いたかったのは、
あるともないとも言えるような好い加減な議論にいくら精通していても、あるかないかを実証する
のは不可能だと結論できるようにはならない、ということです。

2582無精髭:2010/02/15(月) 03:19:11
>2532
>何らかの要因で、これ以上やったら死刑になると思うがどうしよう、と迷う状態におかれている人が
>閾値がボーダー上にある人、
>「閾値の低い人」というのは、死刑があろうとなかろうと迷わずに死刑相当の殺人を行ってしまう人、
>「閾値の高い人」は、全く殺人を視野に入れてない人、のことです。
>存在を証明することはできませんが、ボーダー上の人はいない、と考えるのは不自然です。

「ボーダー上の人」なんて宇宙人みたいなもんだというKenさんの批判は面白いのですね。
ちなみに私は次のようなことを考えておりました。

「閾値の高い人」と「閾値の低い人」に共通して言えることは、どちらにも死刑の抑止力が
あまり効かないということでしょう。なのに、「ボーダー上の人」に限って、死刑の抑止力が
効きまくりなんですよねぇ(苦笑)。「ボーダー上の人」は、「閾値の高い人」と「閾値の
低い人」との中間にいるはずだから「閾値が真ん中の人」と言えるかと思うんですが、
「閾値」が抑止力効果と関わりがあるなら、そういった人にも死刑の抑止力はあまり効果が
ないということにならなければつじつまが合わないですよね。まぁ、「閾値」とは何なのかを
通りすがりさんからまだ教えてもらっていないので、それが分かりさえすれば、また別の解釈
もできるのではないかと思われますけれど。

もう一つ。ボーダー上の人というのは、閾値の高い人とはおろか、閾値の低い人と比べても
きわめて特殊なケースだと思われますよ。だって、通りすがりさんの定義では、死刑の抑止力
を常に感じている人、普段から自分が死刑になるかも知れないと悩んでいる人、とされている
のですから。したがって、Kenさんの考えに反して、これを見分けるのはそれほど難しくない
んじゃないかと考えられます。いつでもどこでも自分の行為が死刑に直結することを恐れている
人なんて、近くにいればすぐ分かりそうなものです。

冗談はさておき、「閾値の高い人」と「閾値の低い人」は特定の情況に関係なく存在するものと
と定義されているのに、「ボーダー上の人」は死刑になるか・ならないかという情況がなければ
そもそも存在し得ないものと定義されているのですね。だったら、通りすがりさんは「ボーダー上
の人」がいることを証明するのではなく、「何らかの要因で、これ以上やったら死刑になると
思うがどうしよう、と迷う」情況が実際にあることを証明すればいいんですよ。そして、
その情況がきわめて特殊なケースでさえなければ、抑止力の存在・効果は統計上の数値として
はっきりと表れるはずでしょう。ただ、ありふれた情況であるとすると、閾値の高低に関係なく
誰もがそういう情況に置かれる可能性は高いはずなんですけどね(苦笑)。

2583通りすがり:2010/02/15(月) 05:09:42
>>2559
>初耳。というか、それって議論の話じゃないですよね。

無関係ではありません。裁判などでも使われる証明責任のルールの話です。
詳しくは法関係の書物でもウィキペディアでも参照して頂きたいのですが、
簡単に言えば「悪いことをしているという証明が無いときは無罪」という原則です。
これを無視すると、原告が正当性の有無や人数の多寡に関わらず無限に発する訴訟によって、
わざと被告に著しい負担を与えることができるようになってしまいます。

現在死刑制度は合憲の判決とともに存在しており、世論も大多数が容認しているものです。
なのでそれに問題があると訴えてやめさせようとするのであれば、やめさせようとする方(廃止派)に
問題を証明する責任があります。死刑存廃問題の場合、より優れた代案を提示する必要もあります。
そしてそれらが完了し、その上で裁判官にあたる人あるいは機関が原告勝訴の判断を下すまでは
死刑制度は存続されることになります。
まずやめさせてから・・・という手段は少なくとも今の時点では使えません。

>証明合戦に参加もせずに

例えば、
・ある場所での殺人事件の犠牲者が100人いて、それは去年より10人増えている、とします
・神様のみ知る事実として、そのうち死刑以外の要因での増えた殺人の犠牲者は7人だったとします。
・同じくそのうち死刑があるせいで増えた犠牲者が2人だったとします。
・同じくそのうち死刑があるおかげで減った犠牲者が1人だったとします。
このような場合、去年から10人増の100人の犠牲者、という統計の結果から神ならぬ人間が
死刑による抑止力の増減分を分類するにはどうしたらいいか、仮説でもいいから立ててみるといいと思います。
ここまで単純化された要素しか無い状態でも、必ず実行不可能な分類法を使う必要が出るはずです。
そのあたりの技術開発の話も無いのでは、証明合戦にもなりようがありません。
ただ言い張り合っているだけの次元です。

>仰るような事情で廃止派の側に立証責任が生じているのだとしても、非対称のまんまですよね。

そうですよ?それだけでは「死刑以外の抑止力は証明しなくて良いのだ」というままですからね。
そしてそういう非対称なルールを使っていいのなら、
「現状にケチつけるのだから死刑廃止状態の抑止力だけを証明しろ」
という意見と平行線になることが決定し、最終的に約85〜90%の死刑容認の支持率が
モノを言うことになるだけです。

>他の人にも分からないとは限らないです〜

それこそまさに>>2543

・たとえば、宇宙人は存在を証明することはできませんが、いないと考えるのも不自然、くらいの存在ですよね。それで、ひょっとしたら宇宙人からの電波が拾えるかも、と望遠鏡を向けている人たちいますよね。個人とかグループのレベルで。でも、宇宙人が攻めてきたときのために軍事力を整備したりはしないわけですよ。そんなばかばかしいコストは害です。存在が証明できない場合、とりあえずないと仮定して対応するのが正解。とくに国のレベルでの対応を考える場合、もろもろのコストがすごいことになりますから。

の例えがふさわしい物ですね。
だからやるなとは私は言いません。証明合戦とやらに参加するのはそれができた人が現れてからでいい、
と思っているだけです。

>人じゃねえし。組織だし。

もともと比喩表現なのですから、そこは完全に枝葉末節です。
また指しているのは組織ではなく制度の事です。
日本の制度は現実に死刑を行っていますので、脅しだけではありません。

>死刑が脅し文句を言えるのであれば、大抵の人にはきっと冗談に聞こえると思います。

脅し文句は実際に法律で明記されていて現実に運用されており、
殆どの人はその存在を知っているので、冗談とは受け取らないということです。
あなたのいう「脅し文句」が、本はしゃべらないとかいう程度の次元の話でない限り。

>それ自体では法や刑罰のように形あるものとして存在していませんから。

そうですね。表情や仕草が一切存在しない上にですね。
個人と倫理は向き合いません。故に>>2530のいう抑止の効果はさらになく、
抑止としては働かない、つまり>>2526
>倫理観による抑止
の説得力もなくなってしまう、ということです。

2584通りすがり:2010/02/15(月) 05:10:45
>>2559
>コストパフォーマンスの面からも優れていることになりませんか?

というのは、「死」はごく一部の例外を除いて人間とって普遍的な恐れの対象なので、
さえ知っていればその他の価値観がまるで違っていても効果があると思われるからです。
価値観を共有する倫理教育を行わなくても理解される、それも最初から法に触れる可能性の少ない
一般人ではない、実際に死刑と触れる可能性がある反社会的な人間に理解されるという部分で
費用対効果が大きいといいうことです。

2585通りすがり:2010/02/15(月) 05:28:26
>>2561
>まず、何を指して「片方」とか「もう片方」とか仰っているのかが不明瞭です

発端である「個人レベル」における死の恐怖の抑止力 が片方
末端の「社会全体」における死の恐怖の抑止力 がもう片方です。
個人レベルでは殺すぞという脅しが「大抵」の人に効果があると考えるのが合理的ですが、
社会全体レベルではなぜそれが効かなくなるように思えるのか、その理由が思いつかないので
怪しげではあるが社会全体でも個人レベルと同じ比率で「大抵」抑止力が働いていると考えるのが自然だ
と思っているのです。

>単に「あると言える人とないと言える人が一緒にいる・
>面と向かって話し合っている」という状態に過ぎないでしょう。

本来許されないその状態に決着がつかずつづいていることが、「有ると言える」「無いと言える」の両論の
価値が等しい状態ということであり、「あるともないとも言える」状態です。

>「実証不可能」とかいったことも結論付けるべきではないと主張しておりますから。

私は「現状では」という条件をつけたはずで、それは>>2559であなたも認めてますよね。
つまり未来永劫不可能と言ってはいません。実証可能になるのは頑張って宇宙人を探してからの話というだけです。

>私の皮肉が通じなかったようです。ちょっと残念。

通じなかったとわかったなら、具体的に説明するべきだと思いますが。
議論を目的にする人がなぜそこで止まってしまうのでしょうか。

2586通りすがり:2010/02/15(月) 05:46:45
>>2580
>私は「現時点でも実証不可能とは断言できない」と申しております。

今この場にその実証可能な手段が無いことに変わりが無いので、同じです。
それを持ってきてから始めるべきだということです。
そういうのを探し出す能力が有る人すらまだここにはいないですよね。


----------------------------------------------------
残念ですが、休暇が終了したので議論を離れROMになります。
已む無しさんともやり取りしてみたかったですが、
もし次の機会があればお願いします。

管理人の方には、ご面倒をおかけしてしまったかもしれません。
その点、お詫びします。

議論に付き合ってくださった方々にもお礼申し上げます。
ありがとうございました。

2587無精髭:2010/02/15(月) 06:22:01
>>2586
承知いたしました。

思い返せば、浮かれた拍子に言葉が乱れてしまったこともありました。
数々の失礼を働いたこと、なにとぞご容赦ください。

通りすがりさんとはかみ合わないところがありましたが、議論に対する
姿勢は案外似ているのかな、とも思いました。

今後は通りすがりさんが残したレスを熟読し、批判を加えたいと存じ
上げます。また、共感・賛同できるところは今まであえて(詳細には)
お書きいたしませんでしたが、その点についてはできるだけ自身の糧
となるよう今後の書き込みに活かして行きたいと思います。

この度は貴重なお時間を割いてまで議論にお付き合いいただきまして、
誠にありがとうございます。

2588通りすがり:2010/02/15(月) 06:33:27
>>2583の一部訂正だけさせていただきます。

・同じくそのうち死刑があるせいで増えた犠牲者が2人だったとします。
・同じくそのうち死刑があるおかげで減った犠牲者が1人だったとします。

・同じくそのうち死刑があるせいで増えた犠牲者が3人だったとします。
・ただし死刑があったおかげで犠牲にならずに済んだ人が1人いたとします

2589無精髭:2010/02/15(月) 07:42:11
>ですから、そうして犯罪を犯して自殺したい人間が、なぜ犯罪を犯した上に生きたいと考える人間より
>多いと考えられるのかを聞いています。

え? 「多いと考えられる」と言った人いましたっけ? そういう比較を持ち出しているのは通りすがりさん
ご本人だけなんじゃ。。。ご自身が勝手に作り出した問題を他人に答えさせるというのはいかがなものかと。
ちなみに>>2534の「って、、、エーー!?」 部分では同じくそれを遠回しに表現したつもりでした。

あと、「殺人を犯して自殺したい人間」というのは「閾値が低い人」ですから実在するんでしょうけど、
「犯罪を犯した上に生きたいと考える」人は「ボーダー上の人」だから実在するかどうかいまだ怪しいです。
ですから、実際にいる人と、実際にいるかどうかわからない人とを比べることなんてことできやしません(苦笑)。

ちなみに、名古屋の闇サイト殺人事件における犯人による自首のケースを、「閾値の低い人」が「ボーダー上の人」
になった事例と解釈することはできるかも知れませんが、実はこの犯人は他の二人と比べれば「閾値が高い人」
だった可能性もありますね。また、「悪いことはバレなきゃいいんだ」的なコメントを鑑みるに、自首したのは、
死刑の抑止力が働いたからとするより、単にバレるかも知れないという心配が強かったためとしたほうが自然かも
知れません(逆に言うと、バレないという気持ちが強かったなら死刑になることなど思いもしなかった可能性が高い)。
バレないか否かで犯行を重ねるか否かを決める者を、死刑の抑止力が効く者、つまり「ボーダー上の人」と言っても
よいかどうかは少々疑問です。事件発覚・逮捕の可能性に関わるのは刑罰ではなく警察であり、犯行を重ねられるか
どうかは刑罰による抑止力よりも警察による抑止力に関わりますから。

ところで、タクマのような犯罪者は死刑廃止後も別の理由を付けて出てきそうですね。死刑になりたいという動機が
実はウソだったとは言えませんけど、第一の目的が社会に対して復讐するということだったとも考えられますし。
働かずに食っていけるのなら一生閉じ込められようと構わないという考えから殺人を犯す者も出てくるかも知れません。
現にそういう者がいないとも限らないです。更には大量殺戮に成功した後、自決するなんてケースが増えるかも知れません。
死刑が廃止された後は、確実に自決するための手段をより入念に講ずる必要があるでしょう。

2590無精髭:2010/02/15(月) 07:42:34
>特別予防効果が無視できるほど小さいかどうかの問題ではありません。
>特別予防効果が「死刑>絶対的終身刑」であることが問題なのです。

いや、通りすがりさんだって特別予防効果の大きさを問題にしているではありませんか(笑)。
まぁそれは置くとしても、特別予防効果の差について本当に無視できるほど小さいのであれば、
言い換えれば、どちらも再犯可能性がないと言って好いほど小さいものであれば「死刑>絶対的終身刑」
という関係も無視して良いことになります。たとえば、入ったら最後、絶対に脱出不可能な独房とか
檻というのは設計可能ですよね。さらに、そこに閉じ込めたら最後二度と出さないし、食事などの世話
も一切しないとすれば、中に入っている者はいずれ死にますから、この場合、特別予防効果は死刑と
変わらないと言えるでしょう。それをデフォルトとした上で、囚人に対して最低限施さなければいけない
ことを挙げていって、その一つ一つに刑務官に対する安全策や再犯・脱走への予防策を徹底して講じて
いけばよろしいかと。身体にGPSを埋め込むというのも好いっすね。独房から外へ一歩でも出たら
心臓に電気を流すみたいな機械を埋め込むのも、、、というのは不可能かも知れないけど、そこまで
やるのはさすがに残酷か。

あと、通りすがりさんは大事なことを忘れていらっしゃる。絶対的終身刑囚が再犯を犯そうとする場合にも、
通りすがりさんのお好きな「ボーダー上の人」が出現しちゃうことです。つまり絶対的終身刑囚が、自分が
再犯なんかしたら下手すりゃ正当防衛・緊急避難で殺されかねないんじゃないかと考えることがあっても
おかしくないですよね。え、絶対的終身刑囚はもともと「閾値が低い人」だったはずだから、再犯可能性は
非常に高いって? いや、そんなことはないでしょう。通りすがりさんは>2578でこんなことを仰っている
のですよ?

>また、メリットやリスクの如何に関わらず必ず罪を犯す人と、絶対に犯罪をしない人しか世の中にいないのであれば、
>それは目的刑論や刑事政策の全否定です。
>どうやっても善人が悪人に変わったり、悪人が更生したりという往来が無いということですから。

このお考えが妥当だとするなら、「メリットやリスクの如何に関わらず必ず罪を犯す人」は絶対的終身刑囚に
なっても、あいかわらずそのまんまで決して「ボーダー上の人」にはなりえない、とは言い切れなくなりますよね。
そんなこと言っちゃえば、目的刑論や刑事政策を全否定することになるんですから。ましてや、通りすがりさんに
よれば名古屋の闇サイト殺人事件で死刑は「より重くなる次の犯罪を抑止しています」とのことですから、絶対的
終身刑における緊急の再犯防止策(特別予防策)だって「より重くなる次の犯罪を抑止」できると考えるべきでは
ありませんかねぇ。

>また無視出来るほど小さいとしても、それは罪の無い人の命を無視することです。
>小さいからいいというのであれば、冤罪を理由にした死刑廃止論も無視できてしまいます。
>同じように「犠牲は小さい」と言ってしまえばいいのですから。

司法制度(誤判)の問題と刑執行(刑期中の再犯)の問題は違いますから。。。
guestさんと言い、なんでその二つの論点を相対化したがるのかが全く理解できません。
誤判を防ぐにはどうしたらよいかといったアイディアはないものでしょうか。まっ、
これについては廃止派が自問自答で解決すべき問題だろうなんて言われそうですがね。

2591Ken:2010/02/15(月) 14:03:56
已む無しさん江

>>また蒸し返すのですか・・・

そんなふうに書けば私が手加減するとでも思っているみたいですねー
あと、こんなニュースも↓
http://news.goo.ne.jp/article/sanspo/entertainment/showbiz/120100214001.html

>>なるのですか?

なりましたねー

>>元々そんな気は毛頭ありません

それはよかったです。

>>太った人ならばトロッコが止まるという仮定そのものの信憑性が信じられない

『塩狩峠』という映画を観るべし(主役は太ってなかったとは思いますが)。

じゃあ、たとえば、こんなのは?

戦時下、敵兵に追い詰められて他の住民とともに隠れている。そのうち、いっしょに逃げていた赤ん坊が一人泣き出した。泣き止まないと敵兵に見つかって全員が殺されてしまう。あなたは赤ん坊を窒息死させるか?(沖縄戦で実際にあったシチュエーション)

2592Ken:2010/02/15(月) 14:13:26
>>したがって、とっさの判断を保留し「私が何もしなかったことによって起こる結果」を受け入れるのが私の中での正解なのだと思います。

「何もしない」=「5人を見殺しにする」なんですよ。後でその人たちに対して良心の呵責を感じるのでは?転轍機を切り替えるだけでもだめ?

>>「トロッコがヒトを殺そうとしている」のですから人数に関係なく「トロッコを破壊する」以外の方法は私の中では認めることが出来ませんし「トロッコを破壊する」目的のためにヒトの生命を利用することも同じく認められません。

その結果、たくさんの生命が救えても?この考えと死刑囚からの臓器移植は紫煙狼さんの中で矛盾なく成り立っているのですか?

2593Ken:2010/02/15(月) 14:51:48
>>2578

全体的に何が言いたいのかよくわかんないですね。なんだか行き当たりばったりな反論のような...。

>>また、メリットやリスクの如何に関わらず必ず罪を犯す人と、絶対に犯罪をしない人しか世の中にいないのであれば、それは目的刑論や刑事政策の全否定です。どうやっても善人が悪人に変わったり、悪人が更生したりという往来が無いということですから。

そういう一般論に反対する人なんていないでしょ。話をすり替えないでよ。今、話しているのは殺人願望のある人で、死刑になるのは嫌なんだけど、無期懲役だったらなぜだか許せちゃう、という人でしょ。そういう人はいません(少なくとも聞いたことはない)。殺人を犯すような人は、捕まろうが死刑になろうが構わない、という人と、捕まるのは絶対いや(死刑も無期懲役もいや)ないし俺は絶対に捕まらないぜ、という人と、どっちか考える間もなく激情に駆られて人を殺めてしまう人しかいないですよ。

>>本人の明確な証言もあります。これを否定するなら、タクマ他「死刑になりたかった」という証言も信用性を否定されます

これもすり替え。証言の信用性なんて誰も問題にしてないよ(証言が本心であると仮定してよい)。「死刑になりたくなかった」から殺人を犯さなかったのではなくて、「死刑になりたくなかった」から自首しただけなんでしょ。その結果

>>より罪の重くなる次の犯罪を抑止しています。

というのは単なる可能性ですよね。自首しなかった二人も結局次の犯罪を犯さなかったのだから、次の犯罪を抑止したのは死刑ではなくて警察の捜査能力ですよね。

>>そしてそういった反社会的組織の自由刑は制裁と反省のための身体刑を含み、結局死刑への転落もあるので、日本の自由刑とは中身がまるで違います。

この部分が一番意味がわかんなかったですね。こういう書き方するとあたかも犯罪集団のなかで行われる私刑としての処刑と国家が制度として執行する死刑があたかも同じであるかのようですねえ。

>>小さいからいいというのであれば、冤罪を理由にした死刑廃止論も無視できてしまいます。同じように「犠牲は小さい」と言ってしまえばいいのですから。

うーん、髭さんとのやり取りを彷彿とさせますが...。
通りすがりさんのようにデータをぞんざいに扱う人は好き勝手に『同じように「犠牲は小さい」と言ってしまえばいい』くらいにしか思ってないとは思いますが、もうちょっとまじめな人は違うふうに考えますね。普通はどちらの犠牲・可能性のほうが小さいかを既知の事実に照らして見積もろうとしますよね。死刑囚・無期懲役囚が収監中に殺人を犯した、というのは少なくとも日本ではない(聞いたことがない)一方で、冤罪がその後判明した死刑囚は日本では4人もいるので、将来、どちらが起きる可能性の方が低いかは相当程度の自信をもって見積もることができると思いますが。

通りすがりさんは「可能性」にしてしまえば、何でもうやむやにしてしまえる、取り扱い不能になってしまうと思っているみたいですね。

2594紫煙狼:2010/02/15(月) 22:01:44
>>2592
>「何もしない」=「5人を見殺しにする」なんですよ。後でその人たちに対して良心の呵責を感じるのでは?
仰るとおり、凄まじい良心の呵責に押しつぶされるだろうよ。私の神経ではマトモではいられないだろう。
だけどね、結果としてプラマイで4人が助かるとしても、私にそのポイントは切り替えられないだろうと思う。
亡くなるヒトが少なければ、良心の呵責も少ないと言うのは私にはあてはまらない。
切り替えても、切り替えなくても良心の呵責に苛まれるなら、4人が助かったほうがよいというのも、それは
道理かもしれないが、私にはその場でそう考えることは不可能だと思うよ。

何も出来ない、私には何も出来ないから、良心の呵責も受け入れざるを得ないのですよ。自分を正当化しない
ことだけが、私の良心ではないだろうかね…。Kenさんは切り替えるのかい?そう、それがいい。私には出来ない
けれど、切り替えることを、被害を最小限に食い止めることを非難できる奴は自分自身以外にいないだろう。
私はその場にKenさんが居てくれることを心から願うよ。人頼みで卑怯な私は、本当にそう願うよ。

>この考えと死刑囚からの臓器移植は紫煙狼さんの中で矛盾なく成り立っているのですか?
さぁ、矛盾無く成り立っているのか、矛盾だらけなのか…どちらかと言えば矛盾だらけなのだろうね。
ただ、私は古新聞だって立派な資源、再生紙として利用することは可能だろう、と思っても、この古新聞を
燃やしたがるヒトが多いのだ。中には再生紙にして燃やすと言う酔狂を言ってのけるヒトも居る。燃やすことを
私に止められないのであれば、せめてその熱を有効に活用してもらいたいと言うのはどこかトロッコ問題に
通じるところがあるのだろうか?

死刑を執行しなければならない、命を奪わなければならない「のっぴきならない理由」があるのなら、
死刑囚の命を「おしいただいて」「無駄なく有効に活用させていただく」のがスジじゃないかなぁ。
私には「生き物を殺す権利」はないよ。でも「自分が生きる」という「のっぴきならない理由」のために
どうしたって生き物の命を「おしいただかなければならない」だろう?ならばせめて、その命を
「心のそこからありがたく」いただいて「残すことなく、腐らせることなく」平らげるのがスジだろう。
感謝の気持ち、申し訳ないと思う気持ち、その奪った命に恥じぬ生き方をせねばならぬと言う責任感なしに
飯を食うなんてのは「食育」から外れてはいないかい?
ところが、いま、監禁され、武器を奪われ、無力化された死刑囚の命を奪うことが、われわれが生きるために
どうしても必要ないけにえなのだろうかね…。私はそうは思えない。でも「われわれが生きるのに必要不可欠だ」
と言って命を奪う。「そもそもお前が悪いんだ」と言って命を奪う。それが正である是であると言うなら、
その遺体も「残すことなく、腐らせることなく」有効に活用して初めて「業」と言えるのではなかろうかねぇ。

無論、奪わずにすむなら、奪わぬ方法を選びたいのよ。私は。

2595boro:2010/02/15(月) 22:27:22
>>2586

通りすがりさんへ

>管理人の方には、ご面倒をおかけしてしまったかもしれません。
その点、お詫びします。

いえいえ、そんなことないですよー(^^

また、機会がありましたら宜しくお願いします。
そのときは何か名前を考えて投稿していただけると嬉しいです(^^ゞ

では、また。

2596紫煙狼:2010/02/15(月) 22:38:49
已む無しさん、ちょいと見方を変えてみてはどうだろう…。

例えば「とてもすばらしいと思える思想」を繰り広げている教祖がいるとしようよ。まぁ已む無しさんが
「すばらしい」と思えるような思想なんだから、その思想に共感するヒトも少なくは無いはずですよ。
そういう状況下において已む無しさんはこの教祖の人間性を探ろうとするわけですね。そこまではいい。

だけれど、已む無しさんが教祖の素行を調べた結果「教祖はロクデナシ」だった、としようね。
ここで已む無しさんは「その教祖の掲げていたすばらしい思想」も否定するわけですね。
私に言わせれば、非常に勿体無い。已む無しさんがそこでするべきことは、その思想を否定することではなく、
ロクデナシ教祖に権力を持たせないまま、そのすばらしい思想を新たな「人間的に尊敬できる第2の教祖」に
引き継がせることではないのかなぁ。なんなら、已む無しさんが最も信頼する自分自身が第2の教祖となればいい。

問題なのは「すばらしい思想」を利用して私腹を肥やそうとする教祖であって、その思想を利用して旨い汁に
預かろうとする教団幹部であって「思想」が悪いわけではない。(オウムは思想自体も難アリだけどね)

そもそも已む無しさんの不可思議なところは「言葉」と「ヒト」がつりあっているとは限らない、という
大前提を知っているから探りを入れるくせに、「つりあい」を求めて仕方が無いところ。私にはどうも理解できない。
逆に考えれば、「言葉」と「ヒト」がつりあっているとは限らないのだから「言葉」と「ヒト」を切り離せばいいのに。
「お言葉」だけ頂いて「おヒト」にはノーサンキュー。それではダメかしら?

「良い香りのする植物の実で、食べると非常においしい」のは最高だけど、世の中には「香りはいいんだけど…」とか
「味はいいんだけど…」なんて植物の実は山ほどあるよ。見た目は綺麗だけど食用にはならない植物もたくさんね。
バニラは香りは良いけど味は…。ドリアンは味が良いけどニオイが…。トリカブトは見た目が綺麗だけど毒が…。
かくしてバニラは香料に。ドリアンは「ニオイ我慢して」食用に。トリカブトは観賞用、園芸用に。
パーフェクトを求めないで、おいしいとこ取りすればいいんですよ。All or Nothingでは芽吹きかけたすばらしい物の
芽を摘むことになりかねないよ。たぶんね。そこに勿体無さを感じるなら、已む無しさんが育てて花開かせればいいんです。

2597無精髭:2010/02/16(火) 00:16:04
已む無しさんが「探りを入れる」そもそもの動機は、言葉よりも人、思想よりも人間性を
重視するからじゃないかなぁ。それはそれで大事なことだと思いますけど。

でも、それだとたぶん会話はできても議論はできないですね。まぁ、だからシェンさんが
言っているように言葉と人を切り離して、言葉だけを吟味するということもコミュニケーション
の手段として残しておいても損はないかと。

でも、言葉だけを取り出して評価するには、人を見る目を養うこととは別の意味での鍛錬が
必要だと思います。むしろ議論では、自分の人生経験から得たものさしなんて邪魔になること
が多いです。とりあえず、言葉だけを評価できるようになるための訓練として、Kenさんの
書き込みには慣れましょう(笑)。

>>2575
シェンさん。ダイエットの件はどうしました?

2598已む無し:2010/02/16(火) 13:10:48
>>2586
お疲れ様でした
とても理路整然としていてブレが無い素晴らしい議論だったと思います
私も見習わなくてはいけないなと思う部分がとても多かったです
機会があれば是非またよろしくお願いします

>>2589
通りすがりさんが身を引くと言うことですし、一箇所だけちょこっと気になったので横レス失礼します

>「殺人を犯して自殺したい人間」というのは「閾値が低い人」ですから実在するんでしょうけど、
>「犯罪を犯した上に生きたいと考える」人は「ボーダー上の人」だから実在するかどうかいまだ怪しいです。

上の例は、しきいが低いで良いのでしょうが、下の例もまた、犯行時には閾が低かった例だと思えます
まぁこの考えが、通りすがりさんの考えにそぐわない可能性もありますが
閾値というものは、その個人の「損得勘定その他の判断能力」・「道徳倫理」・「恐怖感不安感」などなど色々な要素で形成されているのだと
横から見て思っておりました
その内の多くの要素は、その時その時の環境によって大きく変動するものなのではと考えました
まぁ、一種のバイオリズムですね
その閾値の変動の波が一番高いところであっても犯罪を犯す人間が、上記 「殺人を犯して自殺したい人間」 なのではと
同じく変動の波が一番高いところにある状態ならば犯罪は犯さないが、何かのキッカケによって波が低くなり、その時に犯罪を犯す可能性が高まる人間が
上記下の例 「犯罪を犯した上に生きたいと考える人」 なのではないかと思うわけです
つまり、犯行時には、たとえば冷静さを失って損得勘定判断能力あるいは自身の死の恐怖心が薄れている状態であったが
犯行後冷静さを取り戻して、死に恐怖するようになる・・・・
さらにいうと、逆に、その判断によって、殺人を犯しても、「発覚を防ぐ、又は証拠を残さない、又は逃げ延びる」 と考えれば
これもまた、「犯罪を犯した上に生きたいと考える人」 だと言えるわけではないかと思うのですね

>>2591
>そんなふうに書けば私が手加減するとでも思っているみたいですねー

まぁboroさんもドキドキするとか仰ってますし^^;
もうやめにしませんか?

>あと、こんなニュースも

あなたは何処までが本気なんですか?w

>>>太った人ならばトロッコが止まるという仮定そのものの信憑性が信じられない

あ、じゃあしつこいようですがトロッコ問題について追記まで・・・・
特に(2)と(3)の問いですが、どちらにも太った人が登場しますよね^^;
これ・・・・思考実験の為の仮定を絶対的なものだと更に仮定?するならば
そもそも(3)と(4)って、同じ質問じゃないですかね・・・・
(2)の問いも、こう言い換えられます
トロッコが暴走していて、そのまま進むと5人が轢き殺される
貴方の隣には鉄の塊があり、それを転がり落としてトロッコにぶつければトロッコは破壊され5人は助かる
が、その暴走するトロッコには助けを求める人が1人乗っており、鉄の塊をぶつければその人は確実に死ぬ
鉄の塊をぶつけるべきか?
これって・・・太った人がどうのこうのじゃない気がするんですよね・・・・
つまり、(4)の鉄の塊は、トロッコを止める為の障壁としては余りある性能を備えているのに対し
(2)と(3)で登場する「太った人」は、痩せたA氏では止まらないとされているように
『トロッコを止める為のギリギリの性能しか持ち合わせてはいない』
と考えられる
つまり、僅かにでも計算違いが生ずればトロッコは止まらないかもしれないという「不安要素」があるということ
(3)のケースでそうなった場合には、太った人は犬死にとなり6人の人間が死ぬことにもなる「かもしれない不安がつきまとう」
のではないかと思ったわけですね
これって・・・・屁理屈とも言えない気がします・・・・

>戦時下、敵兵に追い詰められて云々・・・・

やめてください・・・・答えられない答えたくないです・・・・・無理

>>2596
言っていることはすごく分かる・・・・反論の余地も無いというか正しいと思います・・・・
でもダメなんです・・・・切り離せないです、たとえ矛盾してても両方を求めたいです
私はただの欲張りさんです
ただ、良い人、誠実な人を求める・・・・社会の価値観道徳倫理観を統一しつつ高めていく事と
社会の仕組み、法や制度の整備などは別々に行うべき事、というよりも全く別の事なのだと思えます
目的は同じでもね。たぶんですが・・・
あと、どっしり重量級の合気道家などは反則です・・・・・

2599已む無し:2010/02/16(火) 13:54:25
>>2596
追記です・・・・
私は、ある人が素晴らしい理論・思想を提示しているが、その人が悪人だと明らかになった時、
別に、その思想そのものを否定する気はありませんよ
あくまでも、その 「人」 がどういう人なのか、その思想はその人にとって建前ではないのか?その理論をどんな目的に応用するつもりなのか?
が知りたいだけです
理論を否定するのではなく
理論には目もくれず・・・・と言った方がしっくりくるでしょうか・・・・?
もちろん、その過程において、理論が理論として成り立っているかどうかは私なりに吟味します
で、良い理論、思想に触れたら、ちゃっかり自身の参考にはさせて頂いちゃいます
ああ・・・・私って不誠実だ・・・・

2600紫煙狼:2010/02/16(火) 21:18:40
>>2597
>シェンさん。ダイエットの件はどうしました?
食べ物は節制しているけど、運動不足じゃ減るものも減らないね。
ある程度減ったところから体重計は微動だにせず。
運動は苦手なんだよね…。

2601捨てハン(笑):2010/02/18(木) 01:39:03
ちょっとみんなメンタル面弱すぎるだろw。事あるごとに人格批判はさむこと我慢できないあたり(俺もだがw)
通りすがりさんのレス見たあとそう思ったわ。俺は彼の態度を見習いたいと思うよ。

という感想を持つ人もいるってことで>>通りすがりさん

2602無精髭:2010/02/18(木) 21:37:44
>2601
仰るとおり私は、「ものぐさ太郎」だの「無知な素人」だの「同じ素人でも私はあなたと一緒に
されたくない」だの、たしかに余計なことを言っていますね。ニュアンスとしては、能力批判という
より人格批判に近い気もします。こちらとしては、通りすがりさんの断定的な議論の進め方を
諌めるつもりで付け加えていたのですが、思い返せば、効果があったかどうかも疑わしいですしね。

普段からメンタルとやらが強いか弱いかは分かりませんが、通りすがりさんとのやり取りでは
時に笑い、時に呆れ、時に調子に乗ってレスを返しておりましたので、メンタル面は至って
健康そのものだったのではないかと思います。通りすがりさんの書き込みがどんなに斜め上を
行くような珍妙奇天烈なものであった時でも、イライラするなんてことはなかったですね。

困ったことに、今回の通りすがりさんのように真面目な態度で変なことを書いている人がいると、
どうも茶化したくなるんですよお。決して褒められたものでないのは重々承知しておるのですが。
私のネットでの普段のスタイルについては、慇懃無礼という一言で言い表すことができるかと
思いますし、、、はたから見れば、私はきっと手に負えない野郎なのでしょうねぇ。

まぁ、こんなふうに改めて議論を振り返させていただきますと、議論の真っ只中にいる者と
それを傍観している者との「笑い」の違いがはっきりと表われるかのようですね。

ただ、Kenさんにとっては「人格批判」云々は聞き捨てならないことなんじゃないかなぁ。
Kenさんは私ほどキツイ表現を使っていたかしら? しかも、通りすがりさんには、皮肉とは
言えチンピラ呼ばわりされたわけですし。少なくとも、一度、議論とは関係ない話に脱線した
ことについてはKenさん一人のせいではなくて、話をこじらせた通りすがりさんにも責任が
あると思いますよ。

かくいう私も、通りすがりさんって皮肉が言える人なんだなぁ、ということをご本人の
書き込みで確認したあと、議論の目的には外れぬよう注意しつつも、興に乗じて皮肉を
多用させていただきましたけど。

捨てハンさんといい、已む無しさんといい、なぜか通りすがりさんを好評価する人がいらっしゃ
るんだけど、たとえば通りすがりさんの死刑存廃問題に対する断定的な態度とか、データ扱いの
ずさんさとか、「そちらが○○と言ってしまえば、同じ論法でこちらも××と主張することができる
ことになってしまいます」というようなワンパターン、かつ、それをどこででも使うからこじつけに
なってしまうような論旨についてはどういった感想をお持ちなのかなぁ、と少なからず気になります。
私からすると、こういったところが目に付いて仕方がないので、何とも評価しづらいのですよね。
捨てハンさんが通りすがりさんの態度を見習いたいと仰るのは自由なんですけど、みんながみんな
通りすがりさんみたいになっちゃったらそれはそれで気味が悪いと言うか、ここでのやり取りが
つまんなくなっちゃうんじゃないかと。

あと関係ない話ですけど、已む無しさんのように通りすがりさんを無条件で褒めちぎっちゃう
ような人に対しては、距離を置きたくなるというか、突っ込んだ議論を仕掛けにくいですねぇ。
ちなみに相手の力を利用して倒すみたいな合気道的ロジックを駆使していたのは、私やKenさん
ではなく、むしろ通りすがりさんではあるまいかと思うんですけどね(苦笑)。

たとえば、Kenさんの>>2593と下の書き込みを併せて読んでみるといいかもです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1047995308/2440

2603捨てハン(笑):2010/02/18(木) 21:57:42
>2602
まったくそうは思わんわ。逆に確信が深まったくらいだ。
君らのそういうことに長々と文字数を割く書き込みが俺に>2601みたいな感想を抱かせるんでねぇ。
中身はどうだろうととりあえず態度はあああるべきだと思うね俺は。
別に君らにそうしろというつもりもないよ。できるとも思わんしw

2604捨てハン(笑):2010/02/18(木) 22:14:27
あ、できると思わんてのは俺も含めてな(フォローになってないか?w)

2605已む無し:2010/02/18(木) 22:41:19
>>2602
>已む無しさんのように通りすがりさんを無条件で褒めちぎっちゃう

無条件ってどういう意味でしょうか?
私は通りすがりさんの、『ブレのないところ』 と、『理路整然とした意見』 を限定して評価したのですが

無精髭さんの
>時に笑い、時に呆れ、時に調子に乗ってレスを返しておりましたので

これに対しても微動だにせず、一貫した態度でレスを行っていたことを評価したものです

議論の内容に対しては、全く同意する部分も多かったし、よくは理解出来なかった部分もありました
それについては、無精髭さんや紫煙狼さんなどに対しても同様です
ですがやはり、同じ死刑容認の考えの持ち主だけあって、廃止寄りの考えよりは、少しだけ共感する部分は多かったと思います
でも、私個人の価値観として、議論の内容よりも、その態度を重視するのは先に申し上げたとおりですが

2606無精髭:2010/02/19(金) 00:11:20
>2603-2604
>君らのそういうことに長々と文字数を割く書き込みが俺に>2601みたいな感想を抱かせるんでねぇ。

いや、無精髭だけに問題があると皆さんには言ってあげてくださいw

捨てハンさんは議論に参加していらっしゃらないのだから、私なぞと違い、
一歩も二歩も引いた視点から一部始終を眺めることができるのでしょうね。
これからも第三者の立場からお感じになったことを自由に書けばよいと思います。

ただ、お説を拝見する限りでは、長い書き込みがダメなのか、態度批判か人格批判
かが分からないような書き込みがダメなのかがよく分かりませんでした。

ちなみに、相手が短レスでのやり取りを望むという要求を出してくるのなら、
私にもそれに応じる用意がないわけではないです。ただし、議論を始める前に、
字数制限やレス回数制限について、はっきりした数字を出していただかなくては
困りますが。

しかしながら、これや>2602の書き込みは「ギャラリーにちょっかいを出す」
行為に当たるのかなぁ。だとしたら、お恥かしい限りで…。

・・・通りすがりさんへのレスを書くのは、二日三日後になりそうです。

>2605
>無条件ってどういう意味でしょうか?
>私は通りすがりさんの、『ブレのないところ』 と、『理路整然とした意見』 を限定して評価したのですが

文字通りの意味ですね。以下参照。

どうやら「限定する」という言葉を「条件をつける」という意味で用いておられるご様子。
では、「ブレのないところ」云々と「理路整然とした意見」という部分的評価はどういった
全体的評価から限定されたものなのですか? 当然の話ですが、議論というのは、そこへ参加
し遂行するための条件としてある一定以上の論理的思考が要求されますよね。ですから、
議論において「理路整然」とか「ブレのない」とか言って褒めてしまうと、次にそれを限定
しようとする場合、これといったマイナス評価が思い当たらなくなるのではありませんかね。

通りすがりさんの議論をすばらしいと已む無しさんが仰った理由が、「ブレのないところ」や
「理路整然とした意見」にあるとしていらっしゃることはもちろん理解しておりましたが、
肝心の「ブレのない」とか「理路整然」などとお感じになった理由が明記されていなかったので、
その点に関して、無条件で褒めちぎっているとお書きいたしました。ところで、理路整然
であると感じられたなら、よく理解できなかった部分もあったというのはちょっとおかしい
気がしますね。この場合の「理路整然」というのも限定(条件付)評価なのでしょうか?

>これに対しても微動だにせず、一貫した態度でレスを行っていたことを評価したものです

ああ、態度のことを仰っておられましたか。それなら納得です。今思えば、複数人に集中的
にレスされて、通りすがりさんはよく暴走しなかったものだと感心します。しかし、一方で
私はそれほど失礼なことを書いたという自覚がありません。今もそう考えております。
もし本当に問題発言があったのであれば、紫煙狼さんやufloatさんが私の不心得な発言なり
表現なりを諭してくれたはずだと考えるからです。また、同じ相手と議論しているからと言って、
私が人格批判なんぞしたら、Kenさんはきっと私を容赦しなかったことでしょう。一言申し
上げておきますが、私たち4人は、お互いに不祥事を揉み消しあうような仲ではありませんし、
議論とは無縁の何気ない会話で馴れ合うほど仲が好いわけでもありません。むしろ議論に
おいては良い意味で論敵でありたいと思っております。

>でも、私個人の価値観として、議論の内容よりも、その態度を重視するのは先に申し上げたとおりですが

うーん。やっぱり已む無しさんとやり取りするのは気が引けてしまう(汗)。
議論を楽しむのは勝手だが、それを表に出すなってことですよね。
で、一貫した態度を取ってさえいれば、たとえ少しくらい論点に不備が
あったとしても、大目に見ようってことですよね。だとしたら正直ついて
いけそうにありません。私にとって議論は態度よりも論旨こそ重要なのです。

P.S. 勘違いされることはないと思いますが、一応断っておきますと、
私は已む無しさんが嫌いだからこういうことを書くのではありません。

2607已む無し:2010/02/19(金) 00:29:25
>>2606
共感できる=理解できる  と表現したつもりです

>それについては、無精髭さんや紫煙狼さんなどに対しても同様です
とも書いてありますし・・・・
それに、言っている意味も分からないのでしたら質問させていただきますよ
まったく興味すら沸かないというのでも無ければですが

>一貫した態度を取ってさえいれば、たとえ少しくらい論点に不備が
>あったとしても、大目に見ようってことですよね。

なぜそう思ったのですか?
その先は、答えを聴いてからにすることにします

もちろん私も、議論する相手に好きも嫌いもないと思っています
好き嫌いではなく、正しいか間違っているか、善意があるか悪意があるか、を突き詰めていきたいですね
お互いに

2608已む無し:2010/02/19(金) 01:03:18
私に対してのレスの中にもいくつかあったのですが、無精髭さんの意見って
言われてもいないことを、〜ということですよね。 などと
さも、ハッキリとそう言ったかのような言い方をされるのが目に付きます

そういう意見に対して、「そんなことは言っていないですよ」 と答えを返す場面が、通りすがりさんとのやりとりでも見られましたが
傍から見てると、(私に対してのレスの時も同様) どうやったらそういう誤解が生じるのか理解できない部分もありましたね

例えば>>2362などで、国民がめいめい好きなように自分の気に入った相手だけの人権を尊重すればいい
と、私が主張していると指摘がありましたね
そのときは素直に返答致しましたが、一体どこからそんな誤解が生じたのだろうと考えたものです
ですから今回は直ぐに返答は致しません
なぜそういう疑問に至ったのかを知りたいと存じます

2609已む無し:2010/02/19(金) 01:06:12
いえ、言い間違えました、疑問ではなく、「結論」 でしたね

2610無精髭:2010/02/19(金) 01:56:35
>2607
>2602でお書きしたように、私は通りすがりさんの論旨に激しく
違和感があるため、あの方を評価しづらいのですね。その一方で、
已む無しさんは通りすがりさんを理路整然だと評価していらっしゃい
ますよね? そこで、はて、どうしてなんだろーと不思議に思ったわけですよ。

そうこうしているうちに、已む無しさんから>2605のレスです。ここでも
「議論の内容よりも、その態度を重視する」という已む無しさんの基本スタンス
の再確認ですよ。こりゃあ参った。已む無しさんは通りすがりさんを私やKenさん
とは違う目で見ているんじゃないか、ってことになりますよ。已む無しさんから
すれば、態度がスノボの国母クンみたいな感じだったら、実際のプレーがいくら
良くっても一顧だにしないと思われる。なら、その逆のパターンについては評価
するに値するとなさるんじゃあるまいか。つまり、議論の内容がダメダメでも、
態度に非の打ち所がなければ、ええやないか、ってことになるんじゃないかと。

議論の最中に私は本心から、已む無しさんは通りすがりさんに加勢、
じゃないですけど、あの方を擁護して差し上げるべきだと、と考えて
おりましたよ。今となってはもう手遅れですけど。已む無しさんが
私やKenさんよりも通りすがりさんを理解しているのなら、積極的に
通りすがりさんとコンタクトを取って、その論を補っていただけたなら、
もうちょっとマシな議論になったかもなぁ、と思っております。

>2608
手短に説明いたしますと、理由は二つあります。

一つは、私がアンカーをお付けした已む無しさんの書き込みからは、
国家を介さずとも個人間の承認があれば人権は保障されるのだという
主旨が読み取れたからです(已む無しさんが直接そう主張している
とは申しておりません)。この場合、言わないこと・書かないこと
が問題なのです。しかし、その後の已む無しさんのレスにおいて、
国家が個人間の承認を義務付けているのだということを確認させて
いただきましたので、今は以前のような誤解はしておりません。
しかしながら、已む無しさんの主張にはまだ腑に落ちないところが
ありますけれども。

もう一つは、已む無しさんの書き込みがあまりに圧縮されていたため、
いくつかの読解が可能だったので、それを主題にしてもこのままでは
円滑な議論にならないと考えられたからです。議論を成り立たせるために、
私が誤読とそれによる已む無しさんからの批判を覚悟で、已む無しさんの
書き込みを私なりに発展させました。つまり、已む無しさんの意に反した
>2362の内容は、ひとえに私の読解力不足&思考力不足によるものです。
そして発展させるならば、わざと突っ込みどころの多い書き込みをした方が
いいだろうと考えました。鋭い人であれば、必ずやおかしな箇所・無理が
ある論旨展開を徹底的に指摘してくるはずだと思われたからです。また、
それによって相手の技量も把握できるというものです。私が議論にこだわる
のは、自分の思考能力の限界を教えてくれる他人による批判や反論を大いに
望むからでもあります。

とはいえ、いくら私が批判や反論を望むからと言って、他者が同じ思いを
持っているとは限らないので、もし已む無しさんが私のレスによって
不愉快な思いをされたのあれば、また、今もされているのであれば、
二度とレスは致さないと誓いますので、なにとぞご容赦ください。

2611已む無し:2010/02/19(金) 02:25:27
>>2610
>そして発展させるならば、わざと突っ込みどころの多い書き込みをした方が
>いいだろうと考えました。鋭い人であれば、必ずやおかしな箇所・無理が
>ある論旨展開を徹底的に指摘してくるはずだと思われたからです。また、
>それによって相手の技量も把握できるというものです。私が議論にこだわる
>のは、自分の思考能力の限界を教えてくれる他人による批判や反論を大いに
>望むからでもあります。

そうですか、無粋な詮索失礼致しました

>もし已む無しさんが私のレスによって
>不愉快な思いをされたのあれば、また、今もされているのであれば、

私は、疑念を抱くことも抱かれることも不愉快だとは感じません
良くない仮定が浮かんだとき、それが証明されてしまったならば不愉快だと感じますし
それが私自身のことであるならば痛恨の極みです
今は、とても愉快な気分です。有り難う御座います
逆に、疑念を抱かれたことを不愉快だと感じたのならば申し訳ありませんでした

うーん・・・私が通りすがりさんを擁護ですか・・・・
私にとって、2人の議論は、どちらが私の味方でも敵でもない中立の立場でみさせて頂いておりました
無精髭さんの擁護はまったく考えませんでしたが、(まぁ突っ込む側だったので) 通りすがりさんを擁護するにしても
私の考え方が、通りすがりさんと同じではない部分もありましょうし
たとえば閾値などという言葉は初めて目にしましたしね
>>2598でちょこっとだけレスしましたけども、あれも別に、誰かを擁護するとかの目的ではなく
あくまでも私自身の個人的な考えと疑問です
それに、横からの擁護などは要らぬ世話にも見えましたしね

2612ufloat:2010/02/19(金) 06:27:14
>捨てハンの方
私がKenさんと通りすがりさんの議論に割って入ったことについての皮肉も
含んでおられるのですかねえ・・・。
捨てハンの方ではなく他の方々に対して弁解しておくと、あれはどちらかといえば、
以前に発生していた不毛なチンピラ合戦がまた発生し、議論があさっての方向に
進んでしまうことを危惧したという部分が大きいですね。
そのせいでboroさんにご迷惑をおかけしたことについては、かなり後悔するとともに
気に病んでおりますが、これも精神が弱いゆえということになるのですかな。

>已む無しさん
私の疑問のほとんどは、すでに無精髭さんが質問されていますので、かぶる部分もありますが。

已む無しさんの「思想や主張はさておき、相手が誠実であるかどうかをまず重視する」という
スタンス自体は尊重されるべきものですし、それはそれで立派な方針でありましょう。
しかし、ちょいと気になる点が。
先の議論では、通りすがりさんは複数人の質問のすべてに対して返答をなさっており、
そういった作業は大なり小なり齟齬を生じさせかねないわけですから、あまり執拗に
矛盾を指摘するのも申し訳ないのですが、そこはひとまずお許しいただくとしまして、
通りすがりさんのご主張のうち分かりやすい部分を例にとってみます。

・特別予防効果は終身刑よりも死刑の方が上だ。効果が多いか少ないかではなく、
 死刑の方が効果があるかないかが問題なのだ。
・死刑を使った自殺のことを言いたいのなら、そのようなケースがあるかないかではなく、
 死刑を用いて自殺する人間より、その逆の人間の方が少ないといえる理由が必要だ。

「ありゃ?」と思いませんでした?
それで、通りすがりさんならそのようなことは主張されないと思いますが、
もしguestさんに対してこのような矛盾を指摘しようものなら、
「俺ら存置派は数が多いからやっていいんだ。少数派の廃止派にこういうのは許されない」
と来るわけです。
私からすれば、このような言い分は「誠実」とは対極にあると評価せざるを得ません。
ところが已む無しさんは、通りすがりさんの論はまだしも、guestさんのご主張さえも
「理路整然として突っ込みどころがない」と評価された上、その後には
「guestさんに反論するところは全くなかった」とまでおっしゃっています。

一方、廃止派の面々に対しては、紫煙狼さんの「客観的に見て問題のない書き込み」を
どういうわけか「脅迫」であると解釈したり、その他様々な「相手が意図し得ない解釈」を
行った上、挙句の果てには「こいつら廃止派の4人は信用ならない」という結論を、
一時的にせよ見出してしまわれるわけです。
そこで気になるのが、已む無しさんがいかなるものを「誠実な態度」とみなしておられるのか、
という点です(無精髭さんの「已む無しさんは通りすがりさんを私やKenさんとは
違う目で見ているんじゃないか、ってことになりますよ」という部分は、
これと似た意味合いのことを含んでいるのではないかと思われます)。
guestさんや通りすがりさんは持っていて、私たちは持っていないもの、言い換えるなら
「已む無しさんが論客に求めるもの」というのは一体何なのでしょうか。

2613無精髭:2010/02/19(金) 20:00:57
>それで、通りすがりさんならそのようなことは主張されないと思いますが、
>もしguestさんに対してこのような矛盾を指摘しようものなら、
>「俺ら存置派は数が多いからやっていいんだ。少数派の廃止派にこういうのは許されない」
>と来るわけです

いやいや、>>2583の以下の箇所では、数の論理に関する発言がのどまで出かかってますねえ。

>>現在死刑制度は合憲の判決とともに存在しており、世論も大多数が容認しているものです。
>>なのでそれに問題があると訴えてやめさせようとするのであれば、やめさせようとする方(廃止派)に
>>問題を証明する責任があります。

>>そうですよ?それだけでは「死刑以外の抑止力は証明しなくて良いのだ」というままですからね。
>>そしてそういう非対称なルールを使っていいのなら、
>>「現状にケチつけるのだから死刑廃止状態の抑止力だけを証明しろ」
>>という意見と平行線になることが決定し、最終的に約85〜90%の死刑容認の支持率が
>>モノを言うことになるだけです。

もしも通りすがりさんの態度が本当に模範的であるなら、ユーさんの態度はネ申に匹敵すると思うんですけどw

2614無精髭:2010/02/19(金) 20:14:27
>2597へ自己レス。

言葉と人との関連性を論じるのは、実は哲学にも繋がるような、結構高度な言語思考だったり
します。たとえばハイデガーのナチ加担は、当時の民族主義的昂揚に彼が自身の理想を見出した
とか一時の気の迷いから政治的選択を誤ったとかいった単純な話で済まされることではありません。
彼の哲学には、本質的なところでナチズムを正当化せざるを得ない考えが潜んでいたのだとも
言われているからです。ハイデガーを含め、戦時中の知識人による戦争加担・全体主義への傾倒・
民族差別がなぜ起きたのかという問題は、今もなお考え続けなければならない課題です。
こういったある種の戦争責任論は、言葉と人を切り離してはならないという警告の一種でもあるでしょう。

已む無しさんは人物評価を元に言葉の意味を捉えていますよね。いわば、人を通して言葉を
評価していらっしゃる。しかし、言葉と人を切り離すだけならまだしも、一度切り離したものを
再びつなげた上で、今度は言葉を通して人を評価するのは、非常に困難を伴う作業です。さらに
それをおこなう側にも、不公正な手段を用いれば道義的責任が必ず問われるようなリスクを
事前に引き受けることが求められるでしょう。

2615已む無し:2010/02/19(金) 23:14:39
>>2612
>已む無しさんの「思想や主張はさておき、相手が誠実であるかどうかをまず重視する」という
以下
>「已む無しさんが論客に求めるもの」というのは一体何なのでしょうか。
まで・・・・・

えらく重い質問ですね^^;
先に、最後の行の質問に答えてみます・・・・
上手い言葉は見つからないですが・・・・敢えて言うなら、「覚悟」 「責任」 などでしょうか・・・・
とりあえず現時点で、ここで私に直接レスをして下さった廃止側の方の書き込みでそれを感じたのは
紫煙狼さんからでしょうかね・・・・
他の方にはそれがないとは言っておりませんよ
まだ私がそれを見出せないでいるだけです

これは、私の主観かもしれませんが・・・・
死刑容認の考えを持つ人 (推進とは違う) の多くの人が、死刑適用を 「止むを得ない」 と言います
死刑判決のときも、大概はこう示されます
その判決を、『下さなければいけない立場にあった』 裁判官は、多くの責任を一身に背負って判決を下しているのだと思うのですよね・・・

死刑存置状態と廃止状態では、この部分でも大きく変わると思っています
つまり、存置状態では、まず、殺人者の業によって無辜の命が奪われる
次に裁判官や、死刑を訴える遺族の業
さらには、死刑執行人の業・・・・・
単純に考えても、これだけの人たちが業を背負わされることになっているのですよね
子供の命を殺人鬼に奪われた母親が、殺人犯の死刑を望むことによって、心無い人から非難される
(まぁ、これに於いては、死刑廃止後に、「私は犯人の終身刑を望みます」 と言っても同様であると思うが)

これが廃止状態になると、殺人者の業は変わらずとも、その他の人々の業は少し軽くなるのかな?
という気はしております
(あれ?何か私ってば廃止論を展開してるぞ?)

ですがね・・・・
これによって、責任の重さまでが軽くなることを危惧するものです
ああ気が楽になった・・・・
では冤罪が増加してしまうかもしれません
それではいけないのですよね

私はここまで言っても尚、現時点では死刑已む無し・・・・かな?と思っています

通りすがりさんや、guestさんなどの存置派は、死刑推進ではなく、死刑は止むを得ないなんですよね
中には、更に残虐な死刑にしろとか、公開処刑にしろとかのたまうどうしようもないチンピラ存置派もいるようですが

2616已む無し:2010/02/19(金) 23:19:04
蛇足

阿修羅像に喩えたのは、けっして貶めようとしたのではなく
洒落ではあっても、褒め言葉のつもりでしたよw

論理の無精髭さん 感情の紫煙狼さん 性愛のufloatさん
kenさんは賑やか担当で(知ってるかな?)

2617捨てハン(笑):2010/02/20(土) 00:26:47
通りすがりさんのレスを見ていて一番いいなと思うのは、感情的な言い争いの種をほとんど吸収してるところだね。
そのほかの人の「私情」はさみまくりの気遣いの足りないレス見てると、こりゃ人類から争いはなくならないわな、という感想を禁じえないw

2618紫煙狼:2010/02/20(土) 00:42:33
では、已む無しさんに意地悪い質問。
「現時点では死已む無し。」承知しましたが、未来はどうなっていると良いですか?

現状において即座に死刑を廃止するのは多数であるとか少数であるとか以前の問題として
「死刑を廃止するための環境が整備されていない」ので問題外ですよね?ところが、
私が思うところの「死刑を廃止するための環境整備」で行われるべきものというのは、
「死刑を存置するとしても必要な事柄」でしかないのではないか?と思っています。
これが私の勘違いで無いとすれば、いずれ人類は「死刑を廃止するための環境整備」が
整った土壌で死刑存廃を論議することになるでしょう。その時の結論はどちらに転ぶべき
だと思われますか?

次に「死刑廃止を不法目的での利用のために熱望する非合法組織」と「世間を欺き
死刑制度を自らの利得のために援用する国家権力」を比較したときに、身近な恐怖の対象が
非合法組織に向けられるのが当然だとは思うのですが、非合法組織はそもそもが不要な
ものですから無くす事が出来るはずのモノですよね?無くならねばならぬモノですよね?
しかるに国家権力を無くすというのはよほど世の中の仕組みを変えなければ「必要な物なの
だから無くせるわけが無い」ですよね?長い将来、本当に遠い未来を考えたときに、
残される恐怖はどちらの方が大きいでしょう?

もちろん「国家権力の腐敗を心配する」というのはあくまで一例であって、私が一番念頭に
おいているのは、ヒトがヒトを殺すことの違法性を阻却できる理由を「緊急避難」もしくは
「苦痛に喘ぐ病人がそれを望み、病人の尊厳のために殺す」以外に認めるというのが倫理的に
許されるべきか否かという問題です。何らかの理由があって、それに同意するヒトが多ければ
本人が望まなくとも命を奪う、という「本人の意思を無視した生死の多数決」が存在しつづけて
よいのか、という問題です。

人類は死刑存置・死刑廃止、どちらの方向に向かって努力し続けていけばよいのでしょう?

2619無精髭:2010/02/20(土) 02:14:56
>>2591
このエントリーにあるのはどうでしょうか?
http://minkara.carview.co.jp/userid/193332/blog/12490143/
何かどこかで聞いたことある話ですね。そういえば、栗本慎一郎氏の往年のベストセラー
『パンツをはいたサル』にも載っていた憶えが。母親が選んだのは男の子の方だったと
思います。その後、泣き叫ぶ女の子を引きずるように連れ去る看守…。

>>2563
そういえばそれって福本伸行の漫画に出てきそうなシチュエーションですね。

>>2566
人の命ならどれを取っても等価だという考えが前提にないと、そもそも意味がない議論ですなぁ。
人の命に価値の差がないのだとすれば、より多くの命を救う方を選択すべきってことになるのは
自然な成り行きではないかと。だって、質で選べなければ量で選ぶしかないのだから。そういった
功利主義的視点を脇に置かせていただくなら、たとえばこんな組み合わせも考えられますね。

(1)トロッコの向かう先に5人が屯している。すわっ大変だとばかりに路線変更せねばと
もう一つの線路に目を向けたら、その先にはなぜか自分にとって最愛の人が突っ立っていた。
「待ち合わせの場所、そこじゃないでしょー」

(2)5人を助けるか、1人を助けるかという情況は同じだが、上のケースと異なり5人が
選りすぐりの美女(美男でもおk)ばかりだった場合。「でへでへ。これを機に乗り換えちゃおうかな〜」

(3)同じく5対1という人数構成は変わらないが、5人全員が常々死んで欲しいと思っていた人間だった
場合。ただし、1人でいる方は見ず知らずの人とする。「絶好の機会とは正にこの瞬間っっ」

※(2)は、美女(美男)5人とお金持ち1人のどちらを助けるかという問題にも変えられますね。
(3)では、5人全員が自分にとって、あるいは社会にとって有害もしくは無価値な存在である
ことがポイントになります。別に遺恨の対象でなくとも構いません。あるいは、老い先短い高齢者
たちの命と幼い子どもの命のどちらを選択するか、という問題でも良いでしょう。

太った人を突き落とすバージョンでは、太った人がタクマだったりジョン・ウェイン・ゲイシー
だったりした場合、答えが「No」になることが多いかどうか。

>>2568
妄想かましてよかですか?

紫煙狼さんは、死刑囚にも更正を求める声が多いことを独自に解釈して、臓器移植刑を正当化しようと
企てていらっしゃいるようですが、私も、私利私欲のために残虐非道な殺人をおこなった者に人権はない、
という声が多いことを理由に、死刑囚を人間ではない存在(人非人)と規定してみたいと思います。

早い話、生物種としてのヒトであっても、法的・倫理的な存在である人間でさえなければ、それに対し
クローン技術を応用することは許されるのではないかと考えるわけです。そして、単なるヒトから
生まれたものは同じく、人間以上でもなければ動物以下でもない単なるヒトであるはずですから、
そのクローン人間をドナー(臓器農場)として処分するにしても、家畜を解体するくらいの抵抗しか
感じられないのではないかと思うのですよ。

では、なぜオリジナルの方を殺さないのかと言うと、コピーを量産するためばかりでなく、元々人間でない
コピーを殺すよりも元は人間であったオリジナルを殺す方が、ちり紙一枚ほどの重圧を余計に感じそう
だからです。仮に家畜を殺すことに毛が生えた程度の呵責を感じたとしても、目先の目的が達成されさえ
すれば、一秒後にはもう他のことに関心が移っていそうなものです。
http://www3.kmu.ac.jp/legalmed/ethics/wadai3.html
http://www.d1.dion.ne.jp/~toyoura/clone.html
現在の技術ではたぶん代理母の存在が欠かせないでしょうが、女性の死刑囚とペアという条件で
私の妄想も何とか実現可能でしょう。願わくば、人工子宮・人工母胎さえ作り出せればなぁ。

2620無精髭:2010/02/20(土) 02:15:32
>>2574>>2594
>そこで、死刑囚にもこれら教育を施すことを古紙回収に喩えて、再生紙にして燃やすのは無意味であると結論したうえで、(下略)

シェンさんってここまでの論旨は前と変わらないんですよね。それはそれで良いことだと思います。

それはさておき、臓器移植刑が新たな死刑執行方法として採用されて、結果的に廃熱利用がきちんと
なされたとしても、絞首刑の場合と同様、更正・矯正教育は無駄にならざるを得ないと思います。
と言うのも、死刑囚当人の心の問題と、命を無駄に奪ってはならないという道徳的(功利的?)な
問題は交錯し得ないんじゃないかと私には思われるのですね。たとえ死刑囚が罪を悔い改めて、
自らの死を、市民が望むがままに選び取ったとしても、罪を悔い改めたという重要な心的事実が
死刑によって失われてしまうのです。また、たとえ臓器移植刑が社会にとって有益な刑罰であり、
死刑囚にとっても他の執行方法と比べればその価値が飲み込みやすいものだとしても、たった
これだけの道理を教えることを更正・矯正教育だとは呼べないでしょう。無論シェンさんの構想
では、更正・矯正教育の全課程を死刑囚が修了しなければ臓器移植刑はいっかな執行されない
決まりになっているのですよね?

つまるところ死刑囚が自ら進んで臓器移植刑を受けようとするのでなければ、教育の甲斐がない
わけです。他方で、死刑囚に対して臓器移植刑による死を受け入れるよう仕向けることが、
はたして更正・矯正教育と呼ぶにふさわしいのかどうかがあやしいです。最初は死を望んで
いなかった死刑囚が、教育を受けるうちにいつの間にか自らの死を以て罪を償うしかないと
考えるようになったとすれば、これは心理的誘導ではないかという批判も起こりそうですね。

でも、死刑囚に何らかの教育を施すべきだという声が根強いのは、言い換えれば、死刑囚が
反省することに何がしかの価値を見出す人が絶えないのは、Kenさんの仰るように死刑囚に
対して「死んでお詫びする」ことを強要する心理傾向というか文化背景が日本にはあるから
ではないでしょうかね。補足させていただくなら、人はもはや不可避であるがゆえに受け入れ
ざるを得ない己の死を目前にしたとき、真に心の底から生まれ変わるのだという考えがこの国
の社会には浸透しているのでしょう。死こそ最大の教育効果をもたらす事態・きっかけなので
ある、と。言い換えれば、人は死に臨むことがなければ存在を揺るがすほどの改心を自分から
生み出すことができないのだ、というある種の決定論が常識化しているとも言えます。己の存在
が根本から変わることが改心・更正であるなら、死以外の出来事は当の存在そのものを変質
することができないことを踏まえて、最大の改心・更正は死刑によってしかもたらされない
という結論が導かれたとしても不思議はありません。

しかし、シェンさんが指摘しているように、死は教育効果そのものを無にしてしまいます。
つまり、死刑は最大の教育効果を生む可能性を有すると同時に、それが実現したかどうかも
分からぬうちにその対象ごと消し去ってしまうわけです。この点において、死刑は非常に
重たいパラドクスを抱えているとも言えますね。

おまけ。私が常々贔屓(?)しているブログですよお。
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/50436712.html

2621Ken:2010/02/20(土) 14:25:39
>>トロッコ問題

ここに私が言いたかったことが全て要約されてますね↓

人間の倫理は非理性的か:「トロッコ問題」が示すパラドックス
http://wiredvision.jp/news/200811/2008111121.html

今さら気付いたのですが、紫煙狼さんの倫理観はカントの義務論?死刑囚からの臓器提供というのもそれが結果的に誰かの命を救うからではなくて、臓器を提供すること自体が善だと考えているからなのかな。なんとなく分かったような気がする。

>>髭さんの妄想

はやっぱり妄想ですね。クローン人間とは何かを根本的に理解してないような。

クローン人間がなぜ問題になるかというと、それは遺伝情報がオリジナルと同じなだけで、別の人格が備わった別人だから。たとえば、遺伝情報が瓜二つというのは別にクローン人間だけに限った話ではなくて一卵性双生児もそうですけど、そのたとえで行けば、凶悪犯罪を犯した死刑囚の兄のために弟が臓器提供するようなもの。それじゃああまりにも理不尽。

>>田島さん

今まで読んだ中で一番出来が悪いですね。

私も安田弁護士について誤解していた時期がありまして、「この件について私自身裁判記録を精査したわけではないので、決定的な判断はもってをりません」と田島さんが認めているにも関わらず、読者から指摘を受けても自分でリサーチする気が一切ないというのは姿勢に問題ありです。とりあえず想像だけで批判するのではなくて、安田弁護士の言い分を聞いてからやれよと。

>>私の考えでは、戦争はテロよりまだしも正当化しやすく、死刑は戦争よりさらに正当化しやすい。

英独仏加といった死刑廃止国がISAFとしてアフガンの戦争に積極的に加担していることからして、全く普遍性のない考え方(日本以外の西側先進国では死刑よりも戦争のほうが正当化しやすい)。

死刑存続に賛成する理由その4は最悪ですね。終身刑囚と死刑囚でその更生可能性の取り扱いが通りすがりさん並に恣意的でぞんざい。

>>私は死刑が被告にとって最期の救いとなりうると思っている。死刑が問題となるほどの凶悪な犯罪者は、たやすく改心することなどありそうもない。たとえ終身刑で監獄にいたとしても、そのような犯罪者にとって獄中の生活は無意味であろう。己れの真実と向き合わない人生など、何年生きても無意味だからである。

「もちろん、これは本人だけが自分にとって何が最善かを知りうるという考えを否定するものであり」と逃げは打っているものの、当人のためにと他人に死を強要する考え方にはぞっとしかしない。

2622Ken:2010/02/20(土) 14:29:45
ちなみに、わしは当掲示板のご意見番じゃ!

2623捨てハン(笑):2010/02/20(土) 15:41:17
ここの連中は普段は高度な話をしてるように見えるが、他人の話を否定するときにすごいダメなにおいを発するな

2624已む無し:2010/02/20(土) 19:58:48
>>2618
正しい目的に於いて死刑廃止を望む心と
戦争の全く無い世界を望む心は同じなのだと思っています

これで答えになるでしょうか?

2625已む無し:2010/02/20(土) 20:00:21
>>2622
失礼しました^^;

2626無精髭:2010/02/21(日) 00:54:31
>>クローン人間
Kenさんのご指摘とは別の文脈からですが、私も自分の間違いに気づきました。
仮に法によって人権を剥奪することが可能だとしても(これもまた逆説的ですw)、
そうして人権を持たなくなったヒトは、もはや法によって裁かれる存在ではなくなって
いるのだと。したがって、人権がない存在を死刑にすることは法における背理であると
考えられます。いずれ法の枠組みの中では、犯罪者に人権がないと言う理由で死刑を
正当化することは原理上できないのだということと、犯罪者は人権を持つ(与えられて
いる・認められている)からこそ裁判に参じることができ、刑罰の対象となりうるのだ
ということとを失念してさえいなければ、わざわざあんな兵六玉を演じようなどとは
思わなかったですよ。

Kenさんの批判は適格だと思います。批判があるとすればおおよそこんなものだろう
というふうな推測は事前にしておりました。死刑囚を人間ではない存在と規定したとしても、
そのクローンが人間ではないとするのには仰るとおり無理がありますよね。いくら死刑囚を
人非人とすることで人格を否定できるのだとしても、そのクローンの人格をも否定する
ということには度し難い飛躍があるでしょう。ちなみに先の私の書き込みには、家畜を殺す
ことに大した抵抗を感じない云々という部分もありましたけど、もしかしたら動物権利論の
視点からも何か批判があるかなぁ、とちょっと期待しておりました。

ところでしつこいようですが、クローン技術によって人為的に無脳症の複製人間を作り出せる
としたらどうでしょう? 人格のない人間を作ることは倫理的に許されない行為でしょうか(笑)。

>>田島さん
紹介する方としても一体なんて言われるかドキドキしてしまうような内容でしたw
死刑廃止国においては、死刑ならまだしも戦争は正当化するのが難しいという日本の
常識が引っくり返るというのは、私にとっても完全に盲点でした。やっぱり世界を
見渡すために母国を出るという経験は大切だなと感じましたよ。

お口直しに。
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/50461032.html

>2620へ自己レス。

あらかじめ死ぬことが決まっている者に対する教育と、行く行くは社会に順応するよう
定められている者に対する教育は本質的に異なるのではないかということ。

シェンさんのように古紙回収から再生紙へのリサイクルとして更正・矯正教育を捉えれば、
死刑囚教育は正に無駄の極致でしょう。仰るとおり、せっかく紙として使えるようにした
ものをもうイラネっと言って、丸めて屑かごにポイっとしてしまうに等しいのですから。

シェンさんの中では教育の効用が、社会との関係において初めて価値あるものとして
結実すると考えられているみたいなんですよね。教育は社会との関係において、
改心は他者との関係において、意味あるものと位置づけられているのでしょう。

ただ、そうなりますと、医者から余命わずかと宣告された人が、就活したり受験勉強を
したりするのも全くの無駄と言うことになりそうです。いや、シェンさんからすれば
ずばりそうなんでしょうけど。でも、他人から見れば無意味なことをしているように
しか見えないことも、本人からすればとてつもない意味があるかも知れません。
単に死への恐怖を紛らすためかも知れませんが、もしもその人が輪廻転生を信じて
いたとすれば?

たとえば、已む無しさんのように来世にまで目を向ける人からすれば、死刑囚教育は
「古紙を再生紙に変えたあと使わずに捨てる」というようなものとしては映らず、
おそらくソクラテスが言うような魂の世話としての性格を帯びているのではないでしょうか。

私見では、死刑囚を更正させるために教育の必要性を説く人たちの考える死刑囚教育と、
シェンさんが理想とする囚人教育のあるべき形との間には懸隔がある気がします。
臓器移植刑を打ち出したとしても、シェンさんは死刑囚教育が必要だと唱える人たちと
根本的に認識がずれているために、彼らからすればシェンさんが自分たちの声に応じた
とは思わないかも知れません。それを危惧いたしますね。

2627loveless:2010/02/21(日) 01:02:45
>>2621
>>トロッコ問題
って、私はまったく知りませんでしたが、正直自分にはどこが難しい問題なのか不明???

自分がポイント切替を職業としているならば被害を最小限に抑えるように行動し、
そうでないなら(どっちのケースでも)傍観するでしょう。多くの人もそうするのでは?


>>>私の考えでは、戦争はテロよりまだしも正当化しやすく、死刑は戦争よりさらに正当化しやすい。

>英独仏加といった死刑廃止国がISAFとしてアフガンの戦争に積極的に加担していることからして、全く普遍性のない考え方(日本以外の西側先進国では死刑よりも戦争のほうが正当化しやすい)。

戦争の正当化と死刑の正当化なんて同程度なんでは?

日本の憲法では戦争を放棄していますが、これは国家が他国の人の命を奪うという非人道的な行為を禁止しているとも言えるわけで、一方、戦争を肯定している国家では、戦争による「抑止力」(本当は他国を侵略するためかもしれませんが)などを期待しているはず。
つまり、日本は、戦争を肯定している国家に対して、非人道的だから交戦権を廃止すべき、と主張することができ、
また逆に、交戦権なんか放棄していたら抑止力が働かん!と他国から指摘を受けることもあるということです。
それらは、死刑存廃議論と同一にはできませんが、アナロジーとして捉えることはできると思います。
(普段人権にうるさい欧州が、こと戦争に関しては保守的なのは、日本と同様に歴史的な部分が大きいと思います)

#ちなみに私は改憲論者。


あと、アナロジーを多用すると、元の議論がボケるのでホドホドにしたほうがよいかと。。

2628Ken:2010/02/21(日) 14:29:57
うーん、日本に軍隊(戦争)がないと思っているのは日本人くらいなので「交戦権なんか放棄していたら抑止力が働かん!と他国から指摘を受けること」はないでしょうなあ。あんまり関係ないけど。

アナロジーで言えば、戦争が正当化されるのはそれが国内における正当防衛、緊急避難、正当行為に当たるからでしょう。事実、日本語では人と人の間は正当防衛、国と国の間は自衛権、というように呼び分けてますけど、英語ではどちらもSelf-defenceといい、特に区別されないです。

国外における自衛権と国内における正当防衛には正の相関がありそう。戦争の閾値が低い米英なんかでは正当防衛、緊急避難の閾値も低くて容疑者を現場で射殺なんてよくある(戦争の誤射・誤爆と同じで間違いもある程度許容されている)。一方の日本では戦争絶対だめだし警察官の拳銃使用の要件も大変厳しい。トロッコ問題で言えば米英では5対1ならみんな必ずポイント切り替えるけど、日本だったら1000対1になって初めて切り替えるの考えてみてもいいかな、みたいなw

そういう日本でも、最近では自衛隊が海外で活躍する場面が増えてきたし、警察官が発砲することも多くなってきました。というわけで、正の相関があります。

戦争の閾値の低い西側先進国でも死刑が正当化されづらいのは、それが正当防衛、緊急避難には当たらないからでしょう。

2629Ken:2010/02/21(日) 15:05:56
>>ところでしつこいようですが、クローン技術によって人為的に無脳症の複製人間を作り出せるとしたらどうでしょう? 人格のない人間を作ることは倫理的に許されない行為でしょうか(笑)。

いや、実際にはクローン技術の研究はそういう方向に向かっているのでは。人一人造っちゃうといろいろ問題が出てくるから臓器だけ造ろうとしてますよね。

「脳がない=人格がない」ということは心身一元論を前提にしてるんですよね?心身一元論が日本人の常識になってきているのだとしたら感慨がありますね。

>>家畜を殺すことに大した抵抗を感じない云々という部分もありましたけど、もしかしたら動物権利論の視点からも何か批判があるかなぁ、とちょっと期待しておりました。

大抵の人は抵抗を感じないのではなくてどうやって殺されるのか知らないだけでしょう。自分が食べるお肉がどうやってできるのか知ると考えが変わるかもよ。映画『いのちの食べ方』観るべし。

>>母親が選んだのは男の子の方だったと思います。その後、泣き叫ぶ女の子を引きずるように連れ去る看守…。

それ『ソフィーの選択』(メリル・ストリープ主演)。

2630loveless:2010/02/22(月) 01:06:04
>>2628
>アナロジーで言えば、戦争が正当化されるのはそれが国内における正当防衛、緊急避難、正当行為に当たるからでしょう。事実、日本語では人と人の間は正当防衛、国と国の間は自衛権、というように呼び分けてますけど、英語ではどちらもSelf-defenceといい、特に区別されないです。


日本人の感覚からすると、湾岸戦争、イラク戦争、アフガン戦争、コソボ紛争は正当防衛である、というのは違和感ある人多いでしょうね。
(もっと遡って、、フォークランド紛争くらいでようやく正当防衛かな?というところでしょう)


もし、欧米がそのように考えているならば、中国が、オバマ大統領とダライ・ラマの会談を必死に阻止しようとするのもわかる気がします。

2631無精髭:2010/02/22(月) 11:20:03
>2620への自己レスである>2626へ自己レス。

生体移植であろうが死体移植であろうが、結果的に死刑と同時進行の刑罰であることに
変わりがないのだとすれば、それとシェンさんの「死刑は躾けたりえない」という考え
とは両立しえないわけで、そういった点が矛盾していると言えば矛盾しているのでしょう。

ただし、シェンさんが臓器移植刑を正当化するために教育観を刷新なさるのであれば、
自身の道徳観や良心と結びついた強力な理論に成長する可能性は十分にあるかと思われます。

ちなみにシェンさんが条件付であるにせよ死刑に賛成することにおいて、死刑囚教育
そのものが無用とされているのであれば、言うまでもなくはじめから矛盾も何もないですがね。


臓器移植のために犯罪者を殺すのは許されないが、犯罪者を殺すしかないのだとしたら
生体移植刑を行うべき(つまり、誰かの命を救うために死刑囚を殺してはならないが、
死刑囚を殺さなければならないとすればその命を無駄にしてはならない※)。

トロッコ問題で言えば、トロッコを止められないなら何もするべきではない。同じく
死刑を止められないなら何もするべきではない。が、トロッコと違い死刑は運用方法を
変えることができる(トロッコはレールに乗って走る、死刑は規則に従って執行される
ことに注意)。

※別の言い方をすると、命を奪う行為を儀礼化すべきであるということ。死刑がより苦痛
の少ない方法へと変更されてきた歴史的推移と比較すると、これはアプローチの転換とさえ
言えるのではないかと。

2632無精髭:2010/02/22(月) 11:27:23
>>カントの義務論?(下略)
臓器移植やカントに関してはいい論文がありました。
http://plaza.umin.ac.jp/~kodama/bioethics/organ_procurement_survey.pdf
http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/kato/clone4.html
http://rose.hucc.hokudai.ac.jp/~q16628/articles/kant-bio.htm

義務論と功利主義の対立と言う論点でシェンさんの立場を分析しちゃうと、廃熱利用と
「命を押頂く」姿勢は似ているようで違うってことになっちゃう気がしないでもないです。

たとえば

>2574(上略)「死刑囚から臓器を取り出せば少なくとも一人の命が救われる」という
>明快なメリットのほうが死刑に賛成する論拠としては「線が強い」のではないか、という話ですね。

この主張って、あきらかに義務論的ではないでしょ? ただ、これは行為功利主義ではなく
(義務論に近いらしい)規則功利主義と言うにふさわしいのかも知れません。紙資源リサイクル
とか廃熱利用は功利主義的ですが、命を打ち捨ててはならないという定言命法が前提にあるなら、
確かに何となく分かった気にならなくもないです。

では、Kenさんがこだわるようにトロッコ問題から出発して死刑問題を捉え返すことができたとして、
確かにそのコンテクストだとシェンさんは臓器移植そのものを善と捉えていなければならないと
思いますけど、はたして臓器提供そのものは善と捉えていらっしゃるのでしょうかねぇ。
臓器移植よりも前の段階である臓器提供の仕方に関して、どのような善悪の観点から
区別を設ければよいということに言及されていらっしゃらないから何ともいえませんけど、
おそらくその区別を取っ払うまでは徹底されていらっしゃらないと思いますがね。

自分の臓器を提供するのはいいとしても、それを理由に自身の臓器への扱いと同様の仕方で
他者の臓器を扱ってもよいということにはならないでしょう。臓器提供そのものが善とされる
ならば、自他の区別なく臓器を等価に扱わなければならなくなるにもかかわらず、です。

また、死刑囚が死刑反対派・死刑廃止派だった場合はどうなるのかなぁと。だからこそ、
死刑囚に対しては対抗的に教育を施す必要があるのではないかと思うんですけどね。
教育でなく説得と言った方がいいかも知れませんけど。(私自身はこういった教育観に
賛同する者ではありませんが。)

だいたい、移植の上で価値ある身体部品は有効活用できても、死刑囚の脳髄やその他の
身体は無駄になるんですよねぇ。割合から見れば、価値ありとして再利用される身体部品
よりも無用として打ち捨てられる身体部品のほうが多いのではないでしょうか。とくに
脳髄や精巣を再利用するにはどうすればいいのか、という考察が必要ですね。死刑囚の
身体を再利用するのなら、身体がその本来の機能を維持できるよう再利用すべきであって、
それを無視した用途は倫理的に悪だという気がします。

2633無精髭:2010/02/22(月) 11:29:44
>「脳がない=人格がない」ということは心身一元論を前提にしてるんですよね?心身一元論が日本人の常識になってきているのだとしたら感慨がありますね。

一部の脳科学者も便乗している、ここ数年の脳ブームの影響があったりして。私自身は蚊帳の外
ですけどね。アメリカじゃどうなんです? ちなみに脳ブームについては学術的見地からの批判
も多いみたいです。
ttp://www.jimbo.tv/videonews/000506.php
ttp://www.mumumu.org/~viking/blog-wp/?p=3021
ttp://www.brain.riken.go.jp/bsi-news/bsinews33/no33/network.html

脳科学者の学際的野心から出てきた発言はかなり割り引いて見て置いたほうがいいかも知れません。
特に上の2番目のブログで転載されている小川誠二氏の論説はわが意を得たり。トロッコ問題の
意義を軽視するlovelessさんの気持ちも分からないではないです。

日本の主な脳科学者の一覧。
ttp://ansaikuropedia.org/wiki/%E8%84%B3%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%80%85

ところで、日本人にとって心身一元論は必ずしも馴染みの薄い考え方とは言えないんじゃない
ですかね。さすがに心的過程が脳の機能に合致するという心脳一元論、心脳同一説が広く浸透
しているとまでは言えないと思いますが。少なくとも現代で心身二元論をまじめに唱える人なんて
特殊で異端な存在ではないかと。
ttp://www.jinbunkai.com/entry/bun_news_syo.php?info_id=46

下はゼミ論文ですが。
ttp://www.daito.ac.jp/~uriu/thesis/2005/hasegawa.html

日本の伝統思想において身体が心に還元されているのか、心が身体に還元されているのかに
ついてははっきりとは言いづらいですけど、ここらへんの話題についてはたぶんカレーさん
とか已む無しさんが詳しそうですねぇ。

日本では脳死問題は臓器移植法の是非に絡めて論じられることが多いので、その点、国民の関心も
幾分か限定されたものになっているかも知れません。

9年前の論文ですが。
ttp://www.lifestudies.org/jp/noshiho01.htm

私個人は、人格概念は脳の機能を含意すると今のところ考えておりますので、脳がなければ人格も
もちろんないとは思いますけど、脳があるからといって人格まであるとは言えないと思います。
こういう懐疑的観点から、たとえば哲学的ゾンビなどの存在が想定されます。あと、古い議論に
なりますが、田島氏の先生に当たる大森荘蔵は、養老孟司氏の唯脳論に対して無脳論なんて奇説で
反論しましたね。
ttp://plaza.rakuten.co.jp/neuron/diary/200809070000/

同じ思考実験なら、トロッコ問題などの倫理問題よりは哲学問題の方が断然面白い(どれもセンス
がいい)と私は思いますね。サールの「中国語の部屋」とかパトナムの「桶の中の脳」とか。


>>『いのちの食べ方』
いいですね。ああいう映画は。分業とオートメーションに的を絞った映像美術には感動すら覚えるw
でも、動物虐待ともいえる一部の畜産の実態に関してはあれを見ても知ることができないんじゃないかなぁ。

日本にも『ブタがいた教室』って映画がありますね。
原案の「命の授業900日 豚のPちゃんと32人の小学生」というテレビ番組がありましたけど、
http://www.youtube.com/watch?v=3XKK_NDXdu8
こういった食育に関して、ネットを見る限りでは反対の声が目立ちますね。
要は、食育の仕方に難があるんでしょう。子どもたちには『いのちの食べ方』みたいにやらせれば
よかったわけで、そのための設備もお金もなければやっちゃいけないことだったのかも。

2634無精髭:2010/02/22(月) 19:33:17
>2583
>無関係ではありません。裁判などでも使われる証明責任のルールの話です。(下略)

やっぱり、存置派も廃止派も一歩たりとも引かないから、証明責任論の話になってしまうと妥協点は
生まれてこないでしょうね。物は試しで振ってみたのですが、さすがに存置派だけに証明責任を押し
付けるのには無理がありました。こういう責任のなすり合いは、うまく機能していない存廃議論では
ありがちなことみたいですしね。反省しています。

しかし、仰るような理由だけで廃止派のみに証明責任があると断定するのも何だか無茶なような気がします。
存廃議論を裁判になぞらえるのは通りすがりさんの自由ですけど、存置派と廃止派の議論ではルールが
明文化されていませんから、それが守られるか否か(暗黙の了解が生まれるかどうか)はお互いの良心に
掛かっていますよね。存廃議論においてどちらの言い分が正当かを判定するためのこれといった客観的基準
もなければ、第三者もいないわけです。存置派とも廃止派とも言えない中立の立場というのはあるでしょうが、それだけで判定者と呼べるほど力を持つことにはならないですし、形勢を左右するほど深く議論に関わりは
しないでしょう。

ですから、このような存廃議論の現状を考えますと、これを裁判のように進行させることは到底かないません。
したがって、そのためには審判者の設置とルールの確定が早急に求められます。しかしながら、これは議論
よりも高次の解決手段とされる多数決を排除することに繋がるのではありませんか?

また、原告が廃止派で、被告が存置派というのも恒常的なものではない気がします。存廃議論では
数ある争点のうち、今何について議論されているかによって原告と被告という役回りは入れ替わる
ものではないでしょうか。

それと、ウィキペディアを参照してくれとのことでしたら、何の項目の、どの部分の記述を参照してくれ
と具体的に指示していただきたかったです。

>現在死刑制度は合憲の判決とともに存在しており、世論も大多数が容認しているものです。(下略)

それを言っちゃあ、お終いだ(笑)。ネットでは、特にここ無限回廊掲示板では、多数派・少数派という
立場の違いを抜きにして、各々自分の良心に基づいて、互いに相手の誠実さ(正しい論述に努める姿勢)
を確認し合いながら議論していきたいものですね。

そういえば、2chでこんなことを書いていた人がいました。程度の差こそあれどんな法制度も国民の自由
を制限するのが常である以上、そこに十分な存置理由がなければ廃止というのが国家政策の原則である。
よって、政権与党には存置理由を説明する責任がある。もし説明ができないならば、それを即刻廃止して
より人権侵害の少ない制度に変えるべきだ。

ところで、その人はこんなことも言ってましたね。存廃議論では内閣が質疑して野党が応答するという
ようなケースになることがしばしばだとか。

>そうですよ?それだけでは「死刑以外の抑止力は証明しなくて良いのだ」というままですからね。

あれ? 議論の対称性にこだわっていたのは通りすがりさんなんじゃ。非対称でも好いんですか?
まぁ、誰にとっても公平な議論こそ望ましいものだとは私も思いますが。あと、「死刑以外の抑止力」
云々についてはなぜそういうふうに議論が流れるのかがよく分かりませんでした。このことに限らず、
通りすがりさんはご自身にとって自明であるという理由からか、論旨に関する説明なり根拠の提示を
いささか省略しすぎているように思われます。

ちなみに、廃止派は国家が悪いことをしていると言っているのであって、存置派が悪いことをしている
とは言っていないですね。

2635無精髭:2010/02/22(月) 19:35:31
>このような場合、去年から10人増の100人の犠牲者、という統計の結果から神ならぬ人間が
>死刑による抑止力の増減分を分類するにはどうしたらいいか、仮説でもいいから立ててみるといいと思います。
>ここまで単純化された要素しか無い状態でも、必ず実行不可能な分類法を使う必要が出るはずです。
>そのあたりの技術開発の話も無いのでは、証明合戦にもなりようがありません。
>ただ言い張り合っているだけの次元です。

その分類法がそもそも恣意的な前提によって成り立っているかも知れないということには思い及ばない
ものでしょうか? 死刑の抑止力がどのように個人において働くのかが依然不明瞭であるのに、死刑の
抑止力が確実に働く人間がいることを前提になどできるわけがないですよね。何かワケのわからぬ力が
要因となって犯罪を犯さない人間がいる、というだけでは、そこから先において効く・効かないの分類
も何もあったものではないですから。総じて人は、抑止力との関連においては原因不明のまま、結果的
に犯罪を犯した者と、今まで犯罪を犯していない者とに分類されるだけでしょう。

「ボーダー上の人間」を実在しうる者としてきちんと定義してからでなければ、言い換えれば、
「閾値がボーダー上にある」情況が単なる可能性としての次元を超えてまさに実現してゆく過程に
ついて仮説すら立てられないのであれば、抑止力がどう働くのかというプロセスについても考える
ことができないし、個人にとって抑止力が何なのかも定義付けられはしまいと私は考えております。
ですから、>>2841>>2492で抑止力の存在や、個人に抑止効果が働く要因を示唆しておきながら、
それを心の問題だからという理由で切って捨てようという通りすがりさんの態度はどうにも解せません。
抑止力は心の問題だと主張されるのであれば、認知科学的アプローチに立脚して問題に迫ってみるという
ことも選択肢の一つとしてありえたはずです。技術開発の話を他人事のように語るのもいかがなものかと。

>それこそまさに>>2543の(中略)の例えがふさわしい物ですね。

以下の箇所に注目。

>>でも、宇宙人が攻めてきたときのために軍事力を整備したりはしないわけですよ。そんなばかばかしいコス

トは害です。

自分よりも聡明な人間がどこかにいるかも知れないと考えるのは、宇宙人がどこかにいるかも知れないと
考えるのと同じように馬鹿げたことでしょうか? 死刑の抑止力についてなにか革新的な実証方法が発見
されたとすれば、たしかにそれまでの議論は無駄だったということになるでしょうが、少なくとも聡明な
人間は自分よりもバカな人間を駆逐したりはしないでしょう。私が言いたかったのは、ど素人は専門家に
の仕事に対して敬意を払うべきだと言うことです。

2636無精髭:2010/02/22(月) 19:37:21
>脅し文句は実際に法律で明記されていて現実に運用されており、
>殆どの人はその存在を知っているので、冗談とは受け取らないということです。
>あなたのいう「脅し文句」が、本はしゃべらないとかいう程度の次元の話でない限り。

その点についてはトーフさんの>>2202を参照。一言で言うと、刑法は一般報復感情として記述される以上、
個人がそれを自らへの脅し文句として受け取ることはできません。言い換えれば、どんな脅し文句も、
具体的個別的報復感情として感知できなければ、まさにそれが当の自分に向けられているという意識を
呼び起こすものでなければ、効果を発揮することなどありえないのです。

>そうですね。表情や仕草が一切存在しない上にですね。
>個人と倫理は向き合いません。故に>>2530のいう抑止の効果はさらになく、
>抑止としては働かない、つまり>>2526
>>倫理観による抑止
>の説得力もなくなってしまう、ということです。

もしや倫理・道徳に関してなら精緻な議論ができる方かも、と思っておりましたが勘違いだったようです。
仰るとおり、倫理や常識も個人とは向き合わないでしょうね。しかしながら、個人と向き合うという関係が
なければ抑止だの禁忌だのの影響は雲散霧消してしまう、などとはよもや仰らないでしょうね?

ただ、法や倫理や常識は私たちが生まれる前から権威的に存在するものであり、理由も告げずにただこれを
守れと私たちに迫るものとはいえるかも知れません。が、私たちはそうして押し付けられた規範を、誰かが・
何かがこちらへと押し付けてきた勢いに恐れを感じたから守るのではなくて、理由も何もなくただこれを
守れと言われることの不条理さにおいて、自分と世界とのつながりを失することに不安を感じたからこそ
理由なき規範を自分なりに咀嚼しようとするのです。すなわち倫理観や道徳意識という言葉にもあるように、
倫理や常識は個人において内面化されて初めて守られるべきものとなるのです。もしも個人において法や
倫理や常識が一切内面化されず、そのつどの脅しや褒めによって行動が律せられているとすれば、たとえば
治外法権地帯や他者の目が届かない場所、無人島などでは良心というものは全く機能しないことになるでしょう。
そこでは人々は環境に縛られ、情況に流されて、欲望の赴くまま生を謳歌するのではないでしょうか。

>2584
反社会的組織に属する者の中で、組織による死刑と国家による死刑とを秤にかけるようなことがあるすれば、
前者の抑止力の存在が動機となって後者の抑止力が簡単に乗り越えられてしまう可能性が考えられます。
後者の威嚇効果など、前者の残虐性に比べれば高が知れているという気がしますね。

>2585
>個人レベルでは殺すぞという脅しが「大抵」の人に効果があると考えるのが合理的ですが、(下略)

Kenさんの>>2545をお読みになりましたでしょうか。「リスク評定」を考慮に入れれば、
現行の死刑制度は、通りすがりさんが仰るほど私たちの身近にあるものではないということが
分かるはずです。トーフさんの考えを援用してご説明したように、死刑は「「社会全体」
における死の恐怖の抑止力」しか持ちえませんから、「個人レベル」における死の恐怖の
抑止力」などそもそも問題に入ってこないのだと思います。

>2586
>今この場にその実証可能な手段が無いことに変わりが無いので、同じです。
>それを持ってきてから始めるべきだということです。
>そういうのを探し出す能力が有る人すらまだここにはいないですよね。

手段がないとお考えなら沈黙すればよいだけです。他方、通りすがりさんの言い分
には他人を沈黙させるだけの納得性が見当たらないので、抑止力議論を無意義化する
ことはできないでしょう。

死刑に抑止力がないという主張に抗して、あるという主張を可能性のみを根拠にして
行いたいのであれば、裏づけが不可能である分、それを補うために可能的存在が現実的
存在へと変化する過程を論述するべきだと思います。証明不可能なばかりか、具体的な
論述すら不可能な可能性なぞ論拠にしたところで、論の納得性は高まりはしないでしょう。

2637無精髭:2010/02/22(月) 19:37:52
>2598
もしかしたら通りすがりさんの考えでは閾値は変動するものとして捉えられているのではないか
というのは、>2589で名古屋闇サイト事件の犯人自首のケースに触れた際に私の念頭にもあった
ことでした。ただ、バイオリズムというのはさすがに思い浮かびませんでしたが。

でも、通りすがりさんは下記を投稿した段階では、閾値が変動するということをまだ考慮に
入れていなかったと思われます。

>2485
>この場合、殺人を行うための閾値が非常に高い人、または非常に低い人の話をしても意味が無いと思います。
>死刑存廃の間で揺れるようなボーダーの人がどちらをとる可能性が高いか、という話をすべきだと思います。

このように死刑廃止という状況変化が凶悪犯罪を引き起こす要因になるのではないかという問題を提起
する上で、この「ボーダーの人」というのが、現に死刑存置によって犯罪欲求に抑止が掛かっている者
として想定されていないのだとすると、かなりまずいことになるでしょう。そこでは特定の人間の閾値を、
犯罪を犯すか犯さぬかというギリギリの瀬戸際で固定させているのは死刑の存在だと説かれているのです
から、そこで更に死刑以外の要因によっても犯罪が抑止されているのだとしてしまうと、死刑が固定
しているとされる当のものが本当に閾値と呼ばれるものであるのかが怪しくなってしまうからです。

以上の事情により、閾値をバイオリズムとして捉えてしまうと、閾値そのものが変動すると主張する
ことになりますから、通りすがりさんが想定するボーダーの人を見分けることはこれまで以上に難しく
なってしまいます。また、ボーダーの人が凶悪犯罪に手を染めるのを死刑が防くことができるのは、
その者の閾値を固定しているからだという理由付けの説得力が薄まってしまうでしょう。

犯罪抑止論において、バイオリズムは刑罰による抑止効果とは対極に位置する要因なのかも知れません。

2638紫煙狼:2010/02/25(木) 00:01:19
えっと、無精髭さんとかKenさんが勘違いしているとは思えないんだけど、
私が「強制的な臓器移植」を唱える場合は、教育を無意味と前提しています。

もともと、死刑に教育的側面(死刑囚に対する教育)を求めるのは単なるセンチメンタリズムで
あると考えていて、更生しても殺す、更生しなくても殺すなら、更生させるための教育努力は
無意味である、と前提しています。教育は天寿を全うするまでの余生を囚人にとって人道徳的に
実りある、よりよいものにして、社会と(塀を隔ててでも)共存できる助け合えるようにするために
あるものと考えていて、単に反省を促すものでもなければ罪の重さを知らしめるためのものでも
ないと考えます。

反省し罪の重さを知った囚人に、いかに生きることで(真の赦しを得ることは出来ないとしても)
天寿の限り続く贖罪の日々を送らせるかが教育であると思いますので、その効果の如何に関わらず
殺すのなら、コストをかけるのは無意味です。即刻処刑すべきです。再審請求をしているでもないのに、
何年も収監されていて、ある日突然、法務大臣の気が向いたから処刑。それを誰も不思議に思わないのは
私には逆に不思議です。鳩山さんがイイ事言ってましたね。自動的に処刑される方式ですか?あれ、
私はイイと思いますよ?法務大臣の「死刑執行ちょっと待った命令書」が無い限り自動的に処刑する。
そういう仕組みにしない限り、誰も今の死刑制度に疑問も問題も感じませんよ。あの鳩山さんの発言を
「ヒトの命を何だと思って…」と非難したヒトは、逆に死刑制度を何だと思っているんでしょう。
「赦せない悪人」を「正義という刀」で「一刀両断に切り捨てる」のが死刑でしょうに。

したがって、私の「強制的な臓器移植」案は教育なんてものはバッサリ切り捨ててます。
あたりまえですよ。殺さないで済ますための教育ですもの。

だいいち、更生の可能性が無い、再犯の可能性が高い、という絶対的確信に基づいて死刑を執行する
のでしょう?それ以外の要素は本当に感情に根付くものしか考えられませんから。まさか感情慰撫の
ために命を奪うことを主眼に置く、もしくは、最大の目的とすることを前面に押し出した死刑賛成論が
まかり通るとは、私には考えられませんものね。ハラが立ったら殴っていいなんて恐ろしい。

なので、今と同じ水準で、今と同じ判断基準で、今と同じ目的を以って、今と同じ理由により囚人の命を
奪うことを「法的に正等であり正義である」とするなら、せめて「エコ意識」を持って「臓器の有効活用
を求める」だけです。なにしろ、ヒトの臓器は今のところほかでは代替できないものが多すぎますからね。

今まであらゆる理由を並べられた結果としてアタシは死刑が正当な行為であるとは認められないのですから、
いまさらアタシが納得する理由を死刑に求めたりはしませんよ。単にアタシと死刑が共存するには、せめて
死刑の無駄をそぎ落としていただきたい、って話です。

もちろん「今の死刑賛成派」が「私の考える死刑の無駄」に「相応の意味」を与えてくれれば、こんな意見は
簡単に翻しますけどね。

2639已む無し:2010/02/26(金) 01:24:16
>>2633
心身2元論ですか・・・・
別に私は詳しい知識を持っているわけではありませんが、心と体は別物だと思っていますよ
精神・魂を、身体に反映するためのツールが脳〜神経系だと思っております

まだ資料を読んでる途中ですが、臓器提供の形としての「相互保険型」 は中々良いかなと思いましたね

2640無精髭:2010/02/26(金) 08:22:12
>2638
シェンさんのスタンスは重々承知しておりますので、勘違いの件についてはご心配には及びません。

シェンさんの生体移植刑案に関して、私がわざわざ教育云々とこだわったのは、>>2574にある
>已む無しさんの言う「来世へ向けての更正」
とか
>でも死刑囚に反省を求める声は決して少なくありません。ですから「死刑囚にも更正教育・矯正教育は必要」だと思います。
といった記述に大いに触発されたからです。

先だっての私の書き込みは誤読の結果というより、シェンさんの書き込みをいつもと違った
角度から読解してみようと試みた結果、得られた着想に基づいております。(Kenさんや
ユーさんにはありえないスタンスでしょうが、)そもそもシェンさんが死刑賛成と死刑反対
とを一緒に叫ばれるとき、決まってシェンさんの書き込みからは多様な解釈を導き出すこと
が可能となるように私には思われるのです。そして、かくいう私は枝葉末節にこだわるのが
大好きなのです。

さて、私はシェンさんや已む無しさんの書き込みを読んで、次のように感じたものです。

已む無しさんのような「死刑囚に反省を求める」存置派・賛成派も、シェンさんと同様、
現時点では死刑を「本当は止めたほうがいいと思うのだが、しかし自分には止められない」
ものとして認識しているのかも知れない(つまり「死刑は已む無し」)。しかし、おそらく
次の点でシェンさんとは異なっているだろう。もし死刑が止められないのであれば、シェンさん
はそれを有用性の観点から捉えなおすべきだということを提案しているのに対し、たとえば
已む無しさんは死刑による肉体の終焉は避けられない以上、精神だけでも安息を得られるように
便宜をはかるべきだということを提案しているかも知れないこと。死刑がやむをえないので
あれば、社会全体に視線を向けて、いかに死刑から利得を生じさせるか、死刑を功利的システム
として位置づけるにはどうしたらよいかと考えるのではなく、死刑囚に視線を向けて、
いかに死刑囚の内面から精神的苦痛を取り除くか、皆から死を強要されている者が
肉体の束縛状態において精神の自由を確保するにはどうしたらよいかを考えること。

つまるところ、シェンさんと已む無しさんとでは、刑罰やら受刑者やらについて同じ
「教育」とか「更正」とかいった言葉を使っていても、込めている意味・前提にしている
価値が食い違っているようです。

ちなみにシェンさんの生体移植刑について、いいかもなと思う点もありますよ。一つは、
その独特の執行方法に由来して、死刑に対する国民的関心が強まるのが期待できること。
もう一つは、やはりその独特の執行方法ゆえに、国家による情報開示と弁明が国内外から
求められるだろうこと。まあ、この二つは一組であると考えたほうがよいでしょう。

2641Ken:2010/02/26(金) 14:59:55
>>『命の授業900日 豚のPちゃんと32人の小学生』

おもわず全部見ちゃいましたけど、この教師は最悪だとしかwww
アマゾンのレヴューが私の言いたいこと全部書いてくれてる↓

http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A2PA1F6P3CKAQX/ref=cm_cr_dp_auth_rev?ie=UTF8&sort_by=MostRecentReview

豚の名前『らんま』から採っただろwww
Pちゃんカワイソス

なんか自分の学校時代のやな思い出とか思い出しましたね。子どもが何時間も議論して出した結論をそれに加わってない大人が5分でひっくり返すの。政治や民主主義に幻滅させるのに最適です、日本の学校はw

2642Ken:2010/02/26(金) 15:50:03
あと、走ってるトラックの回りで子どもうろちょろさせたらあぶねーよ。

>>臓器提供

私も『臓器提供制度のあり方に関する過去5 年間の英米学術誌の動向』(PDF)が一番読み応えがありましたね。生命倫理なんていう取り扱いが難しい問題も論理的にアプローチできるというのが新鮮でした。

私が一番興味が出たのは(7)徴用型ですね。臓器くじは選抜徴兵制に似てるなと思いましたけど、こっちはもろ『徴用』ですね。臓器移植が完璧な医療になる(確実に人命を助けることができる)、宗教上などの理由で拒否できる(←これも徴兵制がある国での良心的兵役拒否みたい)、なおかつ世間にそれを必要とする人が増えて多くの人にとって臓器移植が他人事でなくなれば、徴用型や臓器くじに反対する理由はないのでは。『臓器は貴重な資源であり、そのまま土に戻すのはもったいない』というのも紫煙狼さんチックですよね。

ところで、ちょっと調べてみたのですが、今のところ日本で死刑囚(や懲役刑受刑者)が臓器提供するのは非常に難しそうです↓

『半落ち』の結末部分における疑問点
http://www.geocities.jp/hyouhakudanna/messay/hanochi.html

ちょっと話が込み入ってますけど、中ほどの朝日新聞の報道。死刑判決を受けた被告が差し戻し審の間に骨髄バンクへの登録を申し出たが、それさえ認められなかったとのこと。受刑者からは臓器提供、骨髄移植はおろか献血さえ認められてない由。こりゃ現状は支援狼案はかなり厳しそうです。臓器提供の意思表示を情状酌量の材料に用いる被告もいるみたいです。

ミステリのプロットしては骨髄バンクへの登録後に警察に逮捕、死刑判決を受けた囚人に骨髄移植の適合者が現れた、なんて考えられますね。果たして死刑執行は停止されるのか。死刑囚が娑婆を見るのか。でも多分停止されないんだろうな。死刑囚は処刑されレシピエントは見殺し、。死刑反対運動が盛り上がりそう。

ところで、紫煙狼さんに質問
・死刑囚の臓器が無駄になるとのことですが、人一人殺すのは臓器以外にもいろいろもったいないのでは。たとえば労働力とか。死刑囚にも懲役を課すべきと考えてますか?
・その理屈で行くと脳死患者の臓器も無駄になるだけですが、その場合も有効活用すべきなのですか?

2643紫煙狼:2010/02/26(金) 22:17:43
>>2642
>死刑囚の臓器が無駄になるとの(中略)課すべきと考えてますか?
前提を取り違えていませんか?私は「殺すのであれば」の話、つまり死刑を廃止せず
執行を無期限停止せず、処刑される受刑囚もなくならないのであれば、の話であって
そもそも「殺すことが勿体無い」という論理が通用しない現状に対する妥協案です。

>脳死患者の臓器も無駄になるだけですが、その場合も有効活用すべきなのですか?
基本的人権において生命権は最も重要なものであると考えます。幽霊のような精神のみ
心のみの存在を現代の科学は確認し得ていませんから、現状においては精神・心は生命
が維持されていて脳が活動している場合においてのみ存在しうると考えるのが妥当であると
思いますので、内心の自由さえ生命権を奪うことによって強制し得ると解釈しています。
死刑判決を受けるような凶悪な犯罪者はこの最も重要な生命権すら保障されないのですから、
それ以外の権利に関しても制限を受けるのは仕方の無いことと考えます。この制限の一部に
「自らの臓器を提供することに対する拒否権」を含めるべきであると言うだけで、国家により
人権の一部を制限されたわけでもない一般脳死者と死刑囚を同列に考えるべきではないのでは
ないでしょうか?

ただし、私個人の意見としては出来る限り多くの方が臓器バンクに登録するべきである、
つまり自分の死後の臓器提供は拒否するべきではないと考えていますから、そういう面では
>その場合も有効活用すべき
ではありますね。可能な限り有効活用してほしいと思います。そこを強制的に執り行うか
故人の意思を尊重すべきかの線引きを、私は死刑囚とそれ以外に引きました。

2644紫煙狼:2010/02/26(金) 22:24:43
不適切な表現を覚悟の上で言うなら、ヒトも牛も豚も鶏も、死んだらただの肉塊ですよ。
死した者への畏敬の念は大切なものですから、それを貶めるような行為は慎むべきです。
「人体の不思議展」自体は決して悪いことではないと思いますが、それを面白半分で
「見世物を見るような気持ち」で見物に行くのは良くないと思います。しかし「死者の
生前の意志を頑なに守ること=畏敬の念」ではないと考えますので、遺体の一部を他者の
生命維持のために利用することが死者の生前の意志に一部反するものであったとしても、
それを以って「死者への冒涜」と結論付けるのはいかがなものか、と思いますね。

「遺体解剖」を拒む風潮が昔からありますよね。ただでさえ死んで辛かったろうに、
なぜ死してなお切り刻まれなければ…という風潮。確かに悪戯に無目的に遺体を切り刻むなら、
それは死者への冒涜に違いないと思いますが、明確でかつ社会福祉に利する目的を持って
遺体を丁重に解剖するのであれば、私はそれを冒涜とは考えられないのです。もう少し
キツイ言い方をするのであれば、公共の福祉はセンチメンタリズムに優先すると考えます。

従って、トロッコ問題を蒸し返せば、五人を助けるために一人を犠牲にすると言う
公共の福祉より「それは俺にはできねぇ」と自分のセンチメンタリズムを優先する私は、
公共の福祉より自分のセンチメンタリズムを優先したと言う罪で弾劾されても、それを
受け入れなければならない。裁かれ罰を受けるとすれば、それに甘んじなければならないと
覚悟して敢えて自分の感傷を優先し「何もしない」という答えを私は出すのです。そして
同時に、五人を助けるために一人を犠牲にするという方法を取った者、自分とは違う結論を
出した者に対しても私は何ら非難するべき立場にはありえないという道理も弁えなければ
ならないのです。感情を優先すると言うのはそういうことなのです。

これは遺体解剖や臓器提供に関しても同様に言える事で、自分や家族の遺体が解剖され、
あるいは臓器が提供の用に摘出されるとしても、これに異を唱えるのであれば何らかの
非難・制裁・場合によって罰を受くることすら覚悟しなければならない。それはあたかも
家族を凶悪犯に殺された時に、その凶悪犯に法に則らない私的制裁を加えるのであれば、
それが罪に問われ罰を受くる事をも覚悟しなければならないようにね。

ただ、何度も言うけど「そこまで臓器牧場には拘らないし説得は端から諦めてますよ。」

2645無精髭:2010/03/01(月) 11:26:03
シェンさんの臓器ストック案も、>2643-2644に至ってついに死刑存置論としての輪郭が
はっきりと出てきたのではないでしょうか(笑)。おかげでだいぶ理解が助けられました。

以下、覚え書き程度の書き込みとなりますが。

政治的表明という観点から言説を捉えると、それは主に二つの型に分けられると思います。
一つは、人々を自分の下へと集めるための言説(迎え入れのための言説)。もう一つは、
人々の方へと自分が擦り寄っていくための言説(歩み寄りのための言説)。

「妥協案」という記述にもあるように、シェンさんの臓器ストック案は後者に当たるのでしょう。
とすれば、上記の「人々」というのは、この場合「死刑賛成派」あるいは「死刑を支持する国民の
大多数」を指すことになるかと思います。つまり逆を言えば、「死刑反対派」は臓器ストック案の
言説の対象(聴衆)とされていないだろう、ということですね。廃止派であるシェンさんが同じ
廃止派であるKenさんに対して「妥協案」を提示するなんてことがあるわけがありませんから。

>「そこまで臓器牧場には拘らないし説得は端から諦めてますよ。」
とのことですが、もっとこだわってみてもいいんじゃないでしょうか。たしかに死刑反対派・
廃止派に対してそういった言説を繰り出すのは効果も何もないでしょうが、死刑賛成派・存置派に
対しては対立する者の立場から妥協案をぶつけるのは有意義なはずでしょう。Kenさんは無理でも
(lovelessさんも難しいにしても)、現在の執行方法にこだわりを持っていず、EUからの批判を
内政干渉だとして退けるような存置派は説得できるかも知れませんよ。あるいはシェンさんと同じ
ように「判決確定から6ヶ月以内に執行」という刑訴法の規定が守られていないことを問題視する
推進派にとっては単純に執行方法の見直しという点でも相当魅力のある提案だと思われます。
また、臓器移植推進を掲げる人々にとっては、死刑囚に対する強制摘出のみならず、その他の
受刑者が自由にドナー登録を行うことができるようになるための端緒となるような、広視野で、
先を見据えた提案でもあるのではないでしょうか。臓器移植という観点から、もはや用済みと
されたはずの死刑囚の身体的価値を、労働力とは別のものとして社会において再び普遍化する
というシェンさんの提案を世に広めることは、死刑存廃議論の枠をはみ出た議論に発展しうる
のですから、詭弁だとか妄想だとかいってそれを自粛する必要などないでしょう。

いずれにしろ、くどいようですが先にも言ったように、シェンさんの生体移植刑案は死刑反対派・
廃止派に向けた提案ではなく、賛成派・容認派に向けた提案なのでしょう。それは同時に「現在の
死刑制度がこういった条件を満たすなら、私は賛成派に転じますよ」という趣旨を出すことなのですから、
この言葉が「死刑制度に求められている効果のほとんどが他の刑罰や制度で代用できる」と主張する
Kenさんや「特定の犯罪者が逮捕・勾留後も死刑に処されなければならない理由、そして死刑制度を
存続しなければならない理由がないのであれば、人権保護の基本理念に基づいて廃止されるべき」
と主張するような死刑廃止派に向けられた言葉だとは、ますます私には思えないわけですね。ならば
翻って、死刑廃止派に対しての説得は諦めたからといって、存置派に対しての説得は諦めるべきでないし、
このスレッドで生体移植刑案を自論展開するのを躊躇するのだとすれば非常にもったいないという気がしますね。

2646無精髭:2010/03/01(月) 11:26:52
ただ、>2643-2644を考慮した上でも、現時点でのシェンさんの臓器ストック案に基づいた
存置論が、前に仰っていた「私を唸らせるような徹頭徹尾論理的な死刑存置論」の条件を満たして
いるかどうかはちょっと疑わしいです。今のままでは、シェンさん個人の納得性の問題にとどまる
のではないかなぁ、と思いました。ですから、シェンさんがご自身の提案にもっとこだわりを見せて、
現時点から更に飛躍できれば、存置論者として死刑廃止派を説得することも夢じゃないかも知れません。

シェンさんが死刑囚教育よりも国民教育のほうが難しいと感じていて、加えて現在の社会で死刑制度を
廃止することは正義に悖るとお考えなのだとしたら、そういう現実認識のまま妥協案を提示するのは、
自分にとってもう一つの側面である死刑推進派としての立場にこだわるからではなく、廃止の理想を
全面的に諦めなければならないことを痛感して、廃止を実現することができなくても自らの廃止論の
エッセンスを少しでも死刑制度に反映するためでしょう。シェンさんの存置派的側面と廃止派的側面に
共通する部分、それが何なのか分かる人には分かると思うのですが、シェンさんはそれを存置派の論に
寄生させることで、最後の最後で廃止派として少しばかり抵抗してみたいというわけなのでしょうね。

シェンさんは死刑存廃問題に頭を突っ込んでそろそろ26年経ちますか? 
このBBS以前のシェンさんの思想遍歴は不明なので憶測でしか言えませんが、過去ログを読むに、
シェンさんは最初死刑賛成派から出発して、長じて死刑廃止を唱えるようになられたかと思われます。
一方、Kenさんがどのような経緯で死刑廃止を唱えるようになったかということも分かりませんけど、
おそらくシェンさんほど極端な立場変更や自論撤回(修正)は行われなかったのではないでしょうか。
これまでの書き込みの集積から判断すれば、シェンさんが通常の廃止論者と比べていかに異色な存在
であるかが分かるかと思いますし、死刑の新たな執行方法として生体移植刑を導入することを条件に
存置派に転じるという個人的信条についても理解できなくはないでしょう。つまり、廃止派の人間から
すれば、同じ廃止派の人間が行っている死刑制度批判の中で生体移植刑が批判対象として扱われていない
ということの不可思議さが、改めて己を省みることにつながるのかも知れないのです。

また、前にも言いましたが、臓器移植刑導入を唱えている人は他にもいるみたいですから、シェンさんの
案に賛同する死刑賛成派も当然いるかと思われます。ただし、そのような死刑賛成派とシェンさんとの
違いもまた無視できないことですね。なぜ臓器移植刑導入を叫ぶのか、という点でシェンさんと他の臓器
移植刑導入論者はおそらく答えが分かれるでしょう(そこで動機の違いがはっきり出るかと)。

(・・・ところで、已む無しさんのように難色を示す存置派もいる。なぜだろうか。)

2647無精髭:2010/03/10(水) 01:28:52
雑文投稿です。まとまりありません。

  ――――――――――――――――――――

もったいないから殺さない、もったいなくないなら殺す。「もったいない」で、
シェンさんの死刑存置論と廃止論は繋がっているのですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1200.html
「もったいない」という言い方は功利主義的かなと思っていたのですけど、
これは日本文化独特の情緒を伝える言葉でもありますよね。物を大事にする
というか、どんなつまらないものでも捨てずに取っておくというか、
今は無用でもいつかは役立つかも知れないと、未知なる価値の(利用の)
可能性を信じることを言い表してでもいるのでしょうかね。

「勿体」の語源は仏教用語「物体」だそうですが、仏教の他にも日本には
「付喪神(つくもがみ)」なんていう民間信仰(観念)もあるようですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%98%E5%96%AA%E7%A5%9E

  ――――――――――――――――――――

下記を読んで、日本も変わりつつあるということを感じました。

医学教育への「献体」20年で倍増 登録制限の大学も
http://www.asahi.com/health/news/OSK201003080088.html

提供したい臓器に○→したくない臓器に× カード変更へ
http://www.asahi.com/national/update/0308/TKY201003080349.html

  ――――――――――――――――――――

命そのものが公共の福祉に適うか反するかと問うことはナンセンス。
トロッコ問題にしても、一人の命と五人の命という比較だけでは、
どちらがより社会を利するものなのかは実はそう簡単には決められないです。
確かに人一人を労働力の単位として換算すれば、一人より五人のほうが
社会を利すると考えるのが普通でしょう。が、仮に社会において個々人に
分配される福利が限られているとすれば、五人を救って福祉社会の存続を
困難なものにするよりも、一人を救って(言い換えれば差し引き四人を
犠牲にして)福祉社会の寿命を延ばしたほうがいいとさえ言えるかも知れません。

(ちなみに、>>2619ではトロッコ問題について命を等価とみなすこと
のみをもって功利主義的発想であるというようなことを書きましたが、
よく考えてみれば、その後に私が示したバリエーションについても
異質なもの同士を功利主義的に比較する例と言えますね(苦笑))

また、経済成長が著しい段階と、その後経済が安定もしくは飽和の状態に達した
段階とでは、労働価値もしくは社会における労働の必要度が異なるでしょう。

  ――――――――――――――――――――

Kenさんが仰るように制度的障害、技術的困難、はあると思う。
そして、医者の職業倫理に反する可能性大でしょう。
受刑者の苦痛を最小限に抑えるための処置は必須。

話は逸れますが、こんな記事もありました。
http://www.news.janjan.jp/world/0604/0604051968/1.php
当たり前の話ですが、薬物処刑が残虐でないとしても(その苦痛が限りなく
ゼロに近いとしても)、医療倫理に反しないなどとは言えないわけですね。

>>2654ユーさんが挙げた論点である、コストの算出・比較も重要。
臓器移植刑の導入理由に「公共の福祉」が関わるのなら避けては通れ
ない論題でしょう。

2648無精髭:2010/03/10(水) 01:29:52
功利主義から死刑を考察した論文。面白いです。
http://melisande.cs.kyoto-wu.ac.jp/eguchi/papers/sanction2007.pdf

前頭前野に損傷のある患者はトロッコ問題で功利主義的な回答をしてしまう
ということに関して「ウソくせー」という記事。
http://brainscience.blog92.fc2.com/blog-entry-60.html

書評。文脈を理解していないので意味が分からないところがほとんどですが、
これを読んで(徳)倫理学者のハーストハウスや「ナップサック問題」の
存在を知ることができました。
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~tiseda/works/kamino.html

ハーストハウスの理論の要約と解説。興味深かったです。
http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~k15696/home/phileth1/hursthouse.pdf

ナップサック問題
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AF%E5%95%8F%E9%A1%8C

伊勢田哲治氏の書評の文脈を理解するために一応挙げておきます。というか
これも実際に本を読まないと理解できませんね(苦笑)。
http://philosophy.cs.kyoto-wu.ac.jp/material/sugimoto_kemono_comment.pdf

『動物からの倫理学入門 』伊勢田哲治 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E5%8B%95%E7%89%A9%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%80%AB%E7%90%86%E5%AD%A6%E5%85%A5%E9%96%80-%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%94%B0%E5%93%B2%E6%B2%BB/dp/4815805997
ネット上にはこの本に関する書評や感想がいくつもあるみたいです。好い本らしいですね。

2649ufloat:2010/03/11(木) 21:20:18
>>2646-2648
おや、意思表示カードが変わるのですか。
以前のカードには色々不備があったとも聞いていますし、取り替えますかな・・・。

それで、私が紫煙狼さんの案において危惧するのは、死刑囚の臓器利用によって
死刑とは本来関係のない権利や生命の方向に話が進んだり、最悪の場合には死刑と無関係の
第三者同士の意見が対立し、死刑が「代理戦争」のように使われかねないという点ですね。

仮に近い将来、実際に死刑囚の臓器移植案が成立したとしましょう。
ところがその後、人間の心理や精神の研究、再教育、社会のモラル向上、価値観の変化などが進み、
死刑による一般予防効果は完全に否定され、国民の多くも「殺すより生かしての償い」を望み、
あらゆる面で死刑を廃止できるだけの環境が整ったとします。
ところが、ここで死刑を廃止するのは、本来なら死刑による臓器移植で助かったはずの
移植待ちの患者を、見殺しにしてしまうことを意味します。
そうなると、一部の存置派や患者団体などから「死刑を廃止すると患者が死ぬ」ので
死刑は存置すべき、という論理が逆転したような意見が飛び出す事態とはならないでしょうか。

これの発展系として、仮に臓器移植案が実現された後、死刑と臓器移植に必要なコストを計算したところ、
死刑を廃止して浮いたコストを犯罪抑止、社会福祉、自殺防止、事故防止、その他様々な部分に
充当した方がより多くの命を救え、しかも多くの人々を満足させられるという試算がなされたとします。
そうなると当然、死刑を廃止してコストをそちらに充当すべきとの意見が出てくるでしょう。
一方、移植を待つ側の人々からしてみれば、死刑が廃止されてはたまらないということになるはずです。
このケースでは、もはや本筋の死刑制度論自体が「代理戦争の戦場」の様相を呈してしまっており、
実質的には死刑と直接関係のない利益同士の争いとなっています。

ということで、あれこれ考えてはみましたが、紫煙狼さんの案を採用しつつ、「臓器くじ」類似の
ジレンマを解消する方法には、未だに至れていないのが現状です。


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