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第46回衆議院議員総選挙(2013年?)
8229
:
名無しさん
:2012/12/18(火) 23:54:17
>>8224
前々回の参院選で国民新党は比例区で2.15%
来年の参院選までは政党
8230
:
チバQ
:2012/12/19(水) 00:03:56
297 :無党派さん:2012/12/18(火) 00:28:32.25 ID:xa17YYje
>>287
藤田幹雄はいろいろついてないな
相手が首相になっちまううえに、惜敗順でもあと一歩とかw
301 :無党派さん:2012/12/18(火) 00:36:23.70 ID:AH+NJyq/
>>297
山梨3区で勝てていればなぁ
惜敗率99.6%だったんだし
462 :無党派さん:2012/12/18(火) 17:22:52.97 ID:n1FFGaTS
>>301
比例票エクセルにうつしてて気づいたんだが
南関東の自民があと540票ぐらい上積みできてれば
最後の議席は維新じゃなくて自民だったみたい
藤田はついてないのか努力が足りないのかw
8231
:
チバQ
:2012/12/19(水) 00:09:26
369 :無党派さん:2012/12/18(火) 04:14:50.48 ID:uFg0Gqya
>>351
長文だけどどうぞ
これは山形県第3区(庄内地方&最上地方)における
酒田市自民党と鶴岡市自民党の主導権争い、内ゲバみたいなモノ
どちらも人口10万人前後(現在は市町村合併で鶴岡市が13万人)のちょうど同規模の隣接する市で
簡単に言うと、お互いがライバル視して、バカげた意地の張り合いをしている
ド田舎の中核都市になりきれない2都市が酒田市と鶴岡市
ただ加藤紘一の地盤が鶴岡市だったため
ここ最近はずっと庄内地方の政治的主導権は鶴岡市側自民党にあった
今回は、それが不満の酒田市側が反旗を翻して、元酒田市市長の阿部寿一を擁立したってこと
(庄内地方は、中選挙区時代は近岡理一郎という自民党代議士が他にいて
そいつが、酒田市を含む庄内北部と最上地方が地盤、
加藤紘一は鶴岡市を含む庄内中、南部が地盤で住み分けていたんだけど
近岡の引退&小選挙区制移行で、庄内地方の自民党代議士は加藤だけになっていた)
(現在最上地方は、参議院議員・岸宏一の地盤になっており、岸自身は中立宣言
ただ加藤は以前岸に嫌がらせをしていて、岸の後援会は加藤嫌いで、安部支持に回ってる)
阿部が今後自民党に入党しても、次回は鶴岡市側から保守系の対立候補(加藤の後継)が出るかもしれず
今後山形3区は、酒田市系候補と鶴岡市系候補の自民党の分裂選挙が続く可能性もある
8232
:
名無しさん
:2012/12/19(水) 02:15:48
http://jp.wsj.com/article/JJ11750017763426943384817017520081411525380.html
2012年 12月 18日 19:36 JST 更新
落選議員、衆院会館引っ越し=「後悔ない」気持ちも整理—永田町
民主党が議席数を4分の1に減らすなど、多くの前職が落選した衆院選。東京・永田町の衆院議員会館では18日、落選議員らが引っ越し作業に追われる姿が見られた。
「敗戦処理です」。埼玉9区で敗れた五十嵐文彦氏は、女性秘書と手分けして本や書類の片付けに汗を流した。「残念の一言。でも後悔はない」と気持ちの整理も進める。
静岡2区で落選した津川祥吾氏の男性秘書は「郵政選挙ほどの逆風は感じなかった。敗因分析はこれから」と悔しさをにじませた。
東京18区で菅直人前首相らと争った無所属の横粂勝仁氏の事務所では、支援者2人が作業を手伝った。秘書は「あれだけ批判された菅さんにも多くの票が入った。組織は強い」と振り返る。自身も職を失うが、「新人(議員)が増えるから、働き口はあるだろう」と前向きに語った。
日本未来の党から比例単独で出馬した福田衣里子氏の事務所には、兄康二さん(44)の姿も。名簿順位は最下位だったが、「次も出るなら手伝う」と妹を気遣った。
引退する鳩山由紀夫元首相の事務所は早々に引き払われ、「次の住人」を迎え入れるため清掃作業などが始まっていた。
退去期限は19日。出入りの引っ越し業者は段ボール8000箱を用意した。前議員の心情に配慮し、作業員は会社から「笑顔は作らない」などの注意を受けたという。
[時事通信社]
8233
:
名無しさん
:2012/12/19(水) 02:52:04
>>8224
政党要件は来年の参院選まで満たしていますが、解党らしい
http://mainichi.jp/select/news/20121219k0000m010122000c.html
国民新党:解党の方針 自見代表、自民と連携か
毎日新聞 2012年12月19日 02時30分
国民新党の自見庄三郎代表=和田大典撮影
拡大写真
国民新党(代表・自見庄三郎参院議員)は18日、解党する方針を固めた。19日の両院議員総会で正式に確認する。連立政権を組んできた民主党が衆院選で大敗し、野党に転落するのを機に解党の道を選んだ。
国民新党関係者によると、自見氏は解党後に古巣の自民党との連携を模索する方向で、野党が多数を占める参院の情勢に影響する可能性もある。
国民新党幹事長の下地幹郎郵政担当相は18日の記者会見で「(党が)継続することも解散することもあるだろう」と語った。衆院選では選挙前の2議席から1議席に減り、下地氏も落選。参院の3人と合わせ衆参4人となっていた。
国民新党は05年の郵政民営化法の衆院採決で造反した自民党議員を中心に結党され、郵政民営化見直しが党是だった。完全民営化路線を転換する改正郵政民営化法が今年4月に成立し、党の役割を終えたと判断した模様だ。【木下訓明】
8234
:
名無しさん
:2012/12/19(水) 04:11:24
>>8233
野間はどうするんですかねえ?
補欠選に出る前まで民主党員だったみたいですが
8235
:
名無しさん
:2012/12/19(水) 04:42:23
http://sankei.jp.msn.com/region/news/121219/ymn12121902030000-n1.htm
【衆院選2012 山梨】
長崎氏、自民復党に意欲 「まずはきっちり仕事」
2012.12.19 02:02
県庁で18日開かれた衆院選選挙区当選者への当選証書付与式に出席した長崎幸太郎氏(44)=山梨2区、無所属=は式後、報道陣の質問に答える格好で「自民復党を含みながら議員活動を進めていく」考えを明らかにした。自民県連は今回選挙で2区に堀内詔子氏を擁立した経緯や、今後選挙区再編もあり、長崎氏の復党には難局が予想される。
長崎氏は「郵政解散」となった前々回選挙では自民公認で2区から出馬し、公認されなかった堀内光雄氏と激しい選挙戦を展開した。選挙区では敗れたが、比例代表で復活当選し、前回選挙では逆に堀内氏が党公認となり、長崎氏が無所属で出馬した経緯がある。党所属問題では「7年間争ってきた」と振り返る。今回選挙でも長崎氏は無所属での立候補となったが、自民公認候補に約7千票の大差をつけて当選を果たした。
付与式で当選証書を受け取ったあと、報道陣の質問で復党問題に言及し、「自民復党を含んで、具体的にはこれから考えたい」と復党には意欲を見せた。ただ「支持者の中で考えが二分している」とし、「当面はやるべき仕事をやって結果を出していきたい」と話した。
長崎氏はさらに外交、防衛問題では無所属のままでは関与が「難しい」とも話し、党に所属することで議員活動の幅が広がる優位性に強い認識を持ちながら「(無所属で)仕事をきっちりやって、地元に認められること」と重ねて話し、段階を踏みながら復党を目指す姿勢だ。
この日の付与式には宮川典子氏(33)=1区、自民=と、後藤斎氏(55)=3区、民主=が出席した。当選証書を受け取った宮川氏は「有権者の期待が手にずしっときて、証書の重みを知りました」。接戦を制した後藤氏は「ようやくここ(付与式)にたどり着いたというのが実感。地域課題を熟知している。野党の立場だが日本再生戦略を進めたい」と感想を語った。
当選証書を付与した県選挙管理委員会の戸栗敏(さとし)委員長は当選した3氏に「国政の場において国民と考え、行動し、任を果たされることを期待する」と祝辞を贈った。
8236
:
チバQ
:2012/12/19(水) 06:52:25
>>8234
たぶん大丈夫って書いたけど駄目だったか(´・ω・`)
野間が大地か新党日本に入れば政党要件を維持できるなあ
8237
:
居酒屋逃わず集りなう
◆S3/.7DxKSg
:2012/12/19(水) 12:04:56
「年を越せば、もっとひどく」首相、決断の理由
読売新聞 12月19日(水)8時15分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121219-00000225-yom-pol
野田首相が18日、首相官邸で川上義博首相補佐官と会談した際、
今回の衆院解散・総選挙について「来年1、2月も考えたが、年を越せば(結果は)もっとひどくなる。年内にやるしかなかった」などと、
年内の衆院選を決断した理由を語っていたことが分かった。
首相は「(来夏の)衆参同日選はやってはいけないと思っていた」とし、
衆院選と参院選の時期を離すことを考慮したと説明。
社会保障・税一体改革関連法が成立した直後の解散も考えたが、
「(衆院の)『1票の格差』や(赤字国債を発行するための)特例公債法案の問題があり見送った」と述べたという。
8238
:
名無しさん
:2012/12/19(水) 14:26:53
>>8236
大地はあと一人足りない
8239
:
名無しさん
:2012/12/19(水) 22:11:35
無所属で当選した5人の動向も気になりますな。邦夫、キシロー、阿部、長崎、小泉の動向
8240
:
チバQ
:2012/12/19(水) 22:49:21
>>8238
失礼!間違えた
>>8239
国民新党を「無所属の会」に党名変更して入党すればいい
8241
:
チバQ
:2012/12/19(水) 23:13:52
http://blogos.com/article/52539/
2012総選挙 惜しかった落選者ベスト5!
352012年12月19日 00:05
(省略)
「惜しかった」の定義は、「〇〇の得票があとα票多ければ当選していたのに」のαの数の少ない順とします。
ということで、さっそく発表します。
第1位 中田敏博(千葉2区、維新・新) 26票
【南関東ブロック維新比例(議席5)】
5位 椎木保(千葉13区) 53.85%
6位 中田敏博(千葉2区) 53.82% 54,123票
(あと26票多い54,149票なら、中田氏が当選、椎木氏が落選)
第2位 黒岩宇洋(新潟3区、民主・前) 34票
【北陸信越ブロック民主比例(議席2)】
2位 菊田真紀子(新潟4区) 82.54%
3位 黒岩宇洋(新潟3区) 82.50% 76,135票
(あと34票多い76,169票なら、黒岩氏が当選、菊田氏が落選)
第3位 藤田幹雄(千葉4区、自民・元) 173票
【山梨3区】
後藤斎(民主・前) 50,362票
中谷真一(自民・新) 50,190票
(あと173票多ければ、中谷氏が小選挙区で当選、後藤氏は比例復活へ)
【南関東ブロック自民比例(議席6)】
1位 中谷真一(山梨3区) 99.65%
7位 藤田幹雄(千葉4区) 44.19%(←千葉4区の当選者は野田首相)
(中谷氏が山梨3区で当選すれば、藤田氏は繰り上がって6位で当選)
【南関東ブロック民主比例(議席4)】
4位 生方幸夫(千葉6区) 66.48%
(後藤氏が山梨3区で落選すれば、生方氏は繰り下がって5位で落選)
第4位 神風英男(埼玉4区、民主・前) 199票
【埼玉6区】
中根一幸(自民・元) 90,871票
大島敦(民主・前) 90,763票
(あと199票多ければ、大島氏が小選挙区で当選、中根氏は比例復活へ)
【北関東ブロック民主比例(議席3)】
1位 大島敦(埼玉6区) 99.78%
4位 神風英男(埼玉4区) 75.09%
(大島氏が埼玉6区で当選すれば、神風氏は繰り上がって3位で当選)
【北関東ブロック自民比例(議席6)】
1〜5位 小選挙区重複立候補者
6位 新谷正義(比例単独33位)
(中根氏が埼玉6区で落選すれば、新谷氏は繰り下がって7位で落選)
第5位 川端達夫(滋賀1区、民主・前) 217票
【京都3区】
宮崎謙介(自民・新) 58,951票
泉健太(民主・前) 58,735票
(あと217票多ければ、泉氏が小選挙区で当選、宮崎氏は比例復活へ)
【近畿ブロック民主比例(議席3)】
1位 泉健太(京都3区) 99.63%
4位 川端達夫(滋賀1区) 90.57%
(泉氏が京都3区で当選すれば、川端氏は繰り上がって3位で当選)
【近畿ブロック自民比例(議席7)】
7位 原田憲治(大阪9区) 86.20%
(宮崎氏が京都3区で落選すれば、原田氏は繰り下がって8位で落選)
ということで、中田敏博さん(維新)、黒岩宇洋さん(民主)、藤田幹雄さん(自民)、神風英男さん(民主)、川端達夫さん(民主)、惜しかったですね。
椎木保さん(維新)、菊田真紀子さん(民主)、生方幸夫さん(民主)、新谷正義さん(自民)、原田憲治さん(自民)、危なかったですね。
そんなことは本人と周辺以外は誰も知らないと思いので、私がここで広くお知らせさせていただきました。あしからず。
8242
:
チバQ
:2012/12/19(水) 23:16:25
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/12/20121219t51005.htm
衆院選山形3区、加藤氏落選 「安泰」から暗転、なぜ
敗戦の弁を述べ、うつろな表情で事務所を後にする加藤氏=16日午後11時50分、鶴岡市
保守分裂選挙となった衆院選山形3区で、14選を目指した自民党前議員加藤紘一氏(73)が無所属新人の阿部寿一氏(53)に敗れた。事前の下馬評で「安泰」と見られていた加藤陣営に何があったのか。選挙戦を振り返ると、陣営の状況判断ミスに想像以上の地盤の劣化、体調不良が重なり合った結果だったことがうかがえる。
加藤氏を支援した公明党系の議員は「本気でやっている人がいないという印象を最後まで拭えなかった」と打ち明ける。
加藤氏は厳しい選挙をほとんど経験しておらず、陣営スタッフで競り合いの選挙を知っているのはごく少数。約7万人分の後援会名簿をもとに動きだしたのは、選挙戦終盤になってからだった。「危機的と口では言いながら、どこか楽観して行動が伴わない。負けるべくして負けた」と議員は断言した。
加藤陣営は、岸宏一参院議員(72)=山形選挙区=の側が加藤氏に寄せていた不信感の大きさも見誤っていた。2年前の参院選で自民党が実施した公募をめぐり、加藤氏が事実上の謝罪で岸氏と和解したのは、公示のわずか2日前。加藤陣営幹部を務めた鶴岡市議の一人は「岸さんから(和解の)サインは早い段階からあった。橋渡しをしようとしたが、加藤さんの反応は鈍かった」と振り返る。
岸氏の地盤の新庄・最上地域で、加藤氏は阿部氏に約3000票差まで迫られ、新庄市と岸氏が町長を務めた金山町では阿部氏に敗れた。前酒田市長の阿部氏が同地域でここまで得票すると予想した関係者は少ない。遅すぎた和解が響き、岸氏支持者をつなぎ留めきれなかったとみられる。
最も深刻だったのは病気による衰えだ。足を引きずり、演説で舌がもつれる。集会に参加した支持者から「体調は本当に大丈夫なのか」との疑問の声が上がり、遊説担当者が「(遊説に)回るほど票が減る」と漏らす場面もあった。
1972年の初当選から支え続けてきた古参の陣営幹部は「“プリンス”への期待感で40年勝ってきた。期待に応えられないことが分かり、一気に崩れた」と嘆いた。
加藤氏は17日、党県連会長辞任の意向を明らかにした。今後については「後で考える」と述べるにとどまっている。
2012年12月19日水曜日
8243
:
チバQ
:2012/12/19(水) 23:57:00
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/news/20121219-OYT1T00349.htm?from=y10
自民も民主もいない東京12区、無効投票1割超
16日に投開票された衆院選で、小選挙区の無効投票率が東京都内全25選挙区とも2009年の前回衆院選を上回ったことが、都選挙管理委員会のまとめでわかった。
都全体の無効投票率は4・20%で、前回(2・23%)より1・97ポイント増えた。
選挙区ごとに見ると、無効投票率が最も高かったのは12区(北区、足立区の一部)の10・83%。増加幅も7・59ポイントに上り、25選挙区で最大だった。
12区の候補者は、日本未来の党の前議員と公明党の元議員、共産党、幸福実現党の新人の計4人。都内選挙区で唯一、民主、自民の2大政党の候補者がともにいなかった。選挙戦は公明党の候補が次点に2倍以上の得票差で大勝した。
北、足立の両区選管によると、無効票の大半は何も書かれていない白票だった。ある区議は「後援者から『誰に入れていいかわからない』と言われた」と打ち明ける。
無効投票率が2番目に高かったのは17区(葛飾区、江戸川区の一部)で7・77%(前回比2・4ポイント増)だった。
一方、最も低かったのは7区(渋谷区、中野区)の2・75%(同1・02ポイント増)だった。
都選管は「政党数も候補者数も多かったので、投票に迷った有権者が多かったのではないか」と推測している。
◆無効投票率=投票総数のうち、何も書かれていなかったり、記述不明だったりした投票数(無効票)の割合。総務省によると、今回の衆院選小選挙区の無効投票率は全国計で前回比1・32ポイント増の3・31%。東京都は、高知県(5・23%)、大阪府(4・62%)、熊本県(4・43%)に次いで4番目に高かった。
(2012年12月19日15時54分 読売新聞)
8244
:
名無しさん
:2012/12/20(木) 00:44:22
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1212190024/
12神奈川衆院選:18人へ当選証書、県庁で授与式
2012年12月19日
衆院選の県内18小選挙区の当選者に19日、県選挙管理委員会の梅木武夫委員長から当選証書が授与された。激戦を勝ち抜いた当選者らは、喜びを分かち合うとともに、政治の信頼回復に向けた責任の重みをかみしめていた。
県庁の大会議場で行われた授与式には、18選挙区すべての陣営が出席。自民党で初当選の星野剛士氏(12区)、牧島かれん氏(17区)のほか、雪辱を果たした赤間二郎氏(14区)、民主党で唯一議席を死守した笠浩史氏(9区)の4人は自ら証書を受け取った。
梅木委員長は「国内外で厳しい課題を抱えている日本のために全力で尽力し、国民のために大いに活躍されることを祈念する」とあいさつ、一人一人に証書を手渡した。
式典後、牧島氏は「課題が山積みしている中で議員になった重みを感じている」。星野氏は現職大臣や党副代表との激戦を振り返った上で、「地元経済は疲弊している。デフレや円高からの脱却に全力を注ぎたい」と意気込みを語った。
8245
:
バハムート
:2012/12/20(木) 14:20:33
>>8239
鳩山邦夫氏…自民党に復党願を提出したという報道があった。
小泉龍司氏…来年早々に復党するのではと思われる。(復党を前提に自民党会派に入っているため)
長崎幸太郎氏…復党にはなお時間がかかる見通し。山梨県の小選挙区の区割り対象となることから。
阿部寿一氏…地元の組織や加藤紘一氏の動向が鍵を握るため、自民党入りにはなお時間がかかる見通し。
8246
:
阿倍野マゾ伝
:2012/12/20(木) 14:24:03
>>8239
中村喜四郎氏については、今のところ自民党伊吹派の客員会員となっているが、復党するかどうか本人の意思にかかっている。
8247
:
名無しさん
:2012/12/20(木) 18:20:46
鳩山邦夫氏が復党希望 自民安倍総裁に
2012.12.20 17:41
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/121220/mca1212201741019-n1.htm
先の衆院選で無所属当選した鳩山邦夫元総務相(福岡6区)は20日、
自民党の安倍晋三総裁と党本部で会い、早期復党を要望した。
鳩山氏によると、安倍氏は「よく検討してみる」と応じた。
8248
:
名無しさん
:2012/12/20(木) 18:56:42
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/news/national/20121219-OYT1T00429.htm
衆院落選2氏ネットに御礼…公選法抵触の可能性
衆院選に出馬した民主党前議員・石森久嗣氏(栃木1区)とみんなの党新人・藤岡隆雄氏(栃木4区)が、インターネットのツイッターなどで衆院選のお礼とも受け取れる文章を投稿していることがわかった。
公職選挙法では、選挙後にその結果に関し、有権者に対してあいさつ目的の文書掲示を禁じており、インターネット上の書き込みも含まれる。栃木県選管は「お礼目的ならば、公選法に触れる可能性がある」と指摘している。石森氏は17日にツイッターで「応援して頂いた皆様ありがとうございました!!」、藤岡氏はブログに「応援してくださった全ての皆様に感謝の気持ちで一杯です」と記した。両氏は落選している。
(2012年12月20日09時58分 読売新聞)
8249
:
名無しさん
:2012/12/20(木) 19:07:37
>>8247
無所属(新自由クラブ推薦)→自民→無所属→改革の会→自由改革連合→新進→民主→無所属→自民→無所属→自民?
8250
:
名無しさん
:2012/12/20(木) 21:13:21
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/news/20121219-OYT8T01647.htm
新進石川、事実上の解散
県議会第2会派「新進石川議員会」(8人)は19日、事実上の解散を決めた。6人が新会派を結成し、会長の宇野邦夫氏は新進石川に残り、新谷博範氏は一人会派になるという。新進石川は故・奥田敬和元運輸相の流れをくみ、県内政界で勢力を誇示してきたが、衆院選で支援する民主党候補が全敗したことが、分裂の引き金になったとみられる。谷本知事を支える屋台骨でもあり、県政への影響は必至だ。
19日午後、会派幹事長の石坂修一氏が「一身上の都合で会派を離脱したい」と宇野氏に申し出た。宇野氏以外の残り6人の県議も賛同した。石坂氏は「新しい会派を結成することになると思う」と話したが、詳細のコメントは避けた。
ある県議は「会派の総意を無視した(宇野氏の)言動を踏まえた行動」と説明。衆院選で奥田建氏の選対事務長を務めた新谷氏は「県議は今期限り。後援会にも話してある」と述べ、今後の政治目標として金沢市長選を目指す考えを明かした。
新進石川は旧新進党解党後の1998年、「新進党石川議員協議会」に所属していた県議らが結成。金原博氏と宇野氏を中心に奥田氏の地盤だった金沢市を中心に国政、地方選で強さを発揮。ただ、09年の政権交代後に民主党入りしたが、労組系議員とは距離を埋められなかった。
自民党にも衝撃が走った。金沢市で19日夜に行われた会合で、ある県議が新進石川の解散を伝えると、馳浩氏は「いや、びっくりした。まずびっくりした」と話し、会場を後にした。森喜朗元首相は「新進党なんてのは(今は)日本のどこにもない。無責任の限りの政党で、いつまでもあることが間違っている」と切り捨てた。
(2012年12月20日 読売新聞)
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:
チバQ
:2012/12/20(木) 23:11:59
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121219-00000147-mailo-l28
2012衆院選:4区維新候補、「竹やり」で7万票 党支援なし、街頭に立ち続け /兵庫
毎日新聞 12月19日(水)15時26分配信
自民、公明の圧勝で終わった衆院選。結党時から注目されていた日本維新の会は、県内では8選挙区に候補を擁立し、3、5、6区の候補が比例代表で復活当選した。維新政治塾出身で大半が初めての選挙だった維新候補は選挙戦をどう戦ったのか。約7万8000票を集めながら落選した4区の清水貴之さん(38)の戦いを追った。【桜井由紀治、内橋寿明】
清水さんは、解散2日後にゆかりのない4区からの出馬が決まった。神戸・三宮のウイークリーマンションに泊まり込み、事務所探しから始めた。
期間中、維新からのバックアップはなかった。清水さんは知名度が高い橋下徹代表代行の選挙区入りを要請し続けたが、結局4区には党から誰も応援に来なかった。橋下代表代行は公示日、党公認候補を擁立していない1区内の元町・大丸神戸店前に立った。橋下代表代行は、候補者から「広報費」を徴収したことに触れ、「候補者からお金を取るのは維新だけ」と胸を張った。
橋下代表代行は公示前日にも、2区の神戸市北区で推薦する公明元職の赤羽一嘉さん(54)の応援をしている。公明の要請だが、党公認候補より、他党の推薦候補の支援を優先する形となった。
維新は初めての選挙に混乱していた。清水さんが電話をかけても、常にバタバタしていた様子が伝わってきた。「どこの選挙区でも一緒なんだなと思い、わがままは言わなかった」という。
組織を持たず党の支援もない選挙。同じく維新候補として3区に立候補、比例代表で復活当選を果たした元自民県議、新原秀人さん(50)とは決定的に違っていた。新原さんは県議時代からの後援会組織を生かし、選挙に手慣れたスタッフが集票の原動力となった。どちらが維新候補の選挙かといえば、清水さんの方が主流だろう。全国各地で維新候補は「落下傘候補」として悪戦苦闘した。
清水さんの選挙はボランティアが支えた。最初はスタッフが1人だけだったが、最終的に十数人が集まった。事務所の固定電話設置が間に合わず携帯電話で連絡。新興住宅地で大票田の神戸市西区に狙いを定め、朝夕の駅立ちに徹した。後援会組織もないため有権者を集めたミニ集会も開けず、名前の連呼になっていく選挙にむなしさも感じた。
それでも、有権者に覚えてもらうと向こうから手を振ってくれたり、握手を求められ、手応えを感じるようになった。その姿に、当選した自民新人の藤井比早之さん(41)の陣営は危機感を抱いた。
藤井陣営を支援した小田毅・県議会自民党議員団幹事長は「街頭に立つだけの選挙に負けるわけがないという思いもあるが、無党派層の既成政党に対する批判票が清水さんに集まるのではないかと不安だ」と漏らした。
藤井さんは、故井上喜一元防災担当相の後継として地盤を引き継ぎ、自民県議・市議らが実働部隊となり支持者を固める旧来型選挙。陣営は守旧派対改革派の構図となることを恐れた。後半は藤井さんも西区に集中して立ち「改革」を訴えた。
結果は保守層を徹底して固めた藤井さんは10万4202票。対する清水さんは7万8565票で、西区では藤井さんを約1000票上回る約4万票を獲得した。出遅れを考えれば大善戦といえる。
「8万票近い票の期待に応えられなかったのが悔しい」。17日未明、清水さんは事務所で敗戦の弁を語った。比例代表での復活当選もならず、党の名簿登載順位への疑問も口にした。「自民、民主の組織挙げての活動を見ていると、僕たちは竹やりで戦っているんだなと思った」と振り返りながら「支持してくれた人の声を忘れずに次に何ができるかを考えたい」と話した。
〔神戸版〕
12月19日朝刊
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チバQ
:2012/12/20(木) 23:44:19
http://mainichi.jp/area/hokkaido/news/20121217ddr041010003000c.html
衆院選:崩れ落ちた民主王国 「よりまし」自民回帰(その1) 道内大物、続々苦杯
毎日新聞 2012年12月17日 北海道朝刊
北海道の有権者が下した判断は「民主党王国」との決別だった−−。16日投開票の衆院選で、民主党道連が候補を擁立した道内11小選挙区で閣僚や大物議員らが相次いで敗れた。民主にとって、悲願の政権交代から3年余り。マニフェスト(政権公約)に反した消費増税、長引く景気低迷、繰り返した党内抗争などから政権批判という逆風が吹き荒れ、05年の「郵政選挙」でも自民に大勝した「王国」は崩れ落ちた。
◆北海道1区
◇横路氏、笑顔なき復活
北海道1区は、前衆院議長で民主前職の横路孝弘氏(71)が自民新人の船橋利実氏(52)に敗れた。比例復活は果たしたものの、道知事を3期務め、高い知名度と強固な地盤で当選10回を重ねてきた横路氏も逆風に吹き飛ばされ、「民主の牙城」はついに崩された。
横路氏は96年の小選挙区制導入後、毎回10万票以上を獲得してきたが、70歳を過ぎ、後援会も高齢化。05年から衆院副議長、09年から議長に就任したため、地元入りする機会も減った。
支持基盤の労働組合もまとめ切れず、危機感から「自民党は富国強兵、維新は弱肉強食の思想。そんな世界でいいのか」と他党批判を強めた。
17日午前0時半過ぎ、事務所に姿を見せた横路氏は比例当選の報にも笑顔はなかった。
「(小選挙区では)残念ながら力不足で皆さんの期待に応えられなかった。平和憲法を守ることをベースにしてきた政治活動を、力の限りやっていきたい」と厳しい表情で話した。【山下智恵、森健太郎】
◆北海道2区、10区
◇現職閣僚、三井・小平両氏が落選
北海道2区は、厚生労働相の民主前職、三井辨雄(わきお)氏(70)が自民元職の吉川貴盛氏(62)に4度目の対決で初めて敗北し、議席を失った。
三井氏は公示後はほぼ毎日、街頭演説を繰り返し、副国土交通相時代に北海道新幹線の札幌延伸に向け尽力した実績などをアピール。だが、道医師連盟が厚労相の三井氏の推薦を見送るなど、業界団体も距離を置いた。
三井氏は17日午前0時45分ごろ、支持者約30人が集まる札幌市北区の事務所で「大逆風の選挙となった。これまでの政策、実績を十分にPRできなかった。これを機会にきちんと総括したい」と話した。今後の進退については「今のところ引退まで考えていない」と語った。【佐藤心哉】
◇
北海道10区は、連続8回の当選を目指した民主前職の国家公安委員長、小平忠正氏(70)が公明前職の稲津久氏(54)に敗れた。10月に初入閣したが、民主への逆風に屈した。
小平氏は前回、過去最高の約15万9000票を獲得し、自民候補に圧勝したが、今回は民主への逆風などから連合などが一時、引退を迫ったこともあり、選挙態勢づくりが遅れた。また、現職閣僚とあって、選挙区入りできない日が多かった。
環太平洋パートナーシップ協定(TPP)問題では「例外なき関税撤廃、交渉は認められない。阻止する」と訴えたが、党本部の公約と齟齬(そご)があり、農業票の離反を招いた。午後10時前、事務所に姿を見せた小平氏は「今回は民主党、私にとって歴史的大敗。不徳のいたすところ」と述べた。【吉田競】
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チバQ
:2012/12/20(木) 23:46:23
http://mainichi.jp/area/hokkaido/news/20121217ddr041010007000c.html
衆院選:崩れ落ちた民主王国 「よりまし」自民回帰(その2止) 有権者「地に足を」
毎日新聞 2012年12月17日 北海道朝刊
◆北海道11区
◇中川氏、夫の議席奪還
北海道11区は、自民新人の中川郁子氏(53)が大地前職の石川知裕氏(39)らを破り、初当選を果たした。元財務相で夫の故昭一氏が前回失った議席を奪還した。
中川氏は昨年8月に公募で党11区支部長にになり、昭一氏の後継候補として旧後援会を引き継いだ。昭一氏の父で元農相の故一郎氏から続く「中川ブランド」には陰りも見えたが、女性の起業推進や出産後の職場復帰・再就職支援といった女性目線の政策をアピールし、無党派層にも支持を広げた。
午後10時前、帯広市の事務所に姿を見せた中川氏は支援者約100人に拍手で迎えられ、「十勝のため、日本のために頑張ろう」のかけ声とともに右腕をつき上げた。その後、表情を緩めず「緊張しています。十勝の事を国に届けるこれからが本当の勝負」と話した。
昭一氏が失った議席を取り戻したことについては「夫の議席というより地域に根ざした政策を訴え、新しい風を起こすことができた。意識はしていませんでした」と話した。【三沢邦彦】
◆北海道9区
◇堀井氏、鳩山氏牙城崩す
鳩山由紀夫元首相の突然の引退表明で、新人対決となった北海道9区は、自民新人の堀井学氏(40)が、鳩山氏の後継として比例代表道ブロックからくら替えした民主前職の山岡達丸氏(33)らを圧倒し、自民5連敗の同区で初議席を獲得した。盤石を誇った「鳩山王国」がもろくも崩壊した。
94年リレハンメル冬季五輪の男子スピードスケート500メートル銅メダリストで前道議の堀井氏は、スケート競技の先輩で党9区支部長代行の橋本聖子参院議員の強い要請で立候補。選挙区内の室蘭市出身を強調し、民主批判も追い風にして支持を広げた。
堀井氏は午後8時過ぎ早々と事務所入り。待ち構えた約200人の支持者を前に「9区の議席獲得は自民党の悲願だった」と長身を折り曲げて深々と頭を下げた。「最後まで鳩山さんが前を走っていると思って戦った」と選挙戦を振り返り、「地方の切実な声を国政に届ける大きな仕事が待っている」と抱負を述べた。
公示直前の11月26日に出馬表明し、異例の短期決戦に挑んだ山岡氏は「鳩山元総理の思いを受け継ぐ」と訴えたが、知名度不足に苦慮。最終盤の14日には鳩山氏が応援に駆け付けたが、情勢は変わらなかった。【斎藤誠】
◆北海道5区
◇町村氏、病床から喜び
北海道5区は、9月の自民党総裁選中に体調を崩して入院している元官房長官で自民前職の町村信孝氏(68)が11選を果たした。
町村氏は「軽い脳梗塞(こうそく)」と診断され、選挙中一度も地元入りできなかった。公示前の決起集会で頬がこけ、涙ながら支援を呼びかける町村氏の映像が流され、不安の中、逆に後援会は結束。妻の淳子さん(68)らが選挙区をくまなく回った。
当選確実が伝えられると、淳子さんが入院中の町村氏に電話をかけ「当選したよ。おめでとう」と涙ながらに報告。町村氏の声は会場内にもスピーカーで流され、「うれしくて言葉も出ない。一日も早くみなさんのお目にかかれるよう頑張る」と話した。【小川祐希】
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チバQ
:2012/12/20(木) 23:54:09
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1112/20121218_01.htm
流転 東北・政権振幅(上)民意/民主逆風、他党に風なし
宮城4区で落選した民主党前議員の石山敬貴氏。民意の風圧はすさまじかった=16日午後8時すぎ、大崎市古川
とてつもない破壊力を伴った政権交代劇が、またも繰り返された。16日投開票の衆院選で、自民党は294議席を獲得して政権を奪還した。57議席に沈んだ民主党は、東北でも支持基盤崩壊の瀬戸際だ。30日間の激闘の末の政治の激変。候補者たちは何を見て、何を思ったのか。(敬称略)
◎消去法で自民選択
<「恐怖」現実に>
宮城4区で落選した民主党前議員の石山敬貴(42)は16日深夜、大崎市の事務所で悔しさをにじませた。「党分裂が一番、民主党の評価を下げてしまった」
絞り出すように言ったのは、消費税増税政局をめぐる党内抗争。離党者が相次ぎ、党内ガバナンスが欠如していたことに対する怒りだった。
石山は圧勝で初当選した前回(2009年)を振り返る。「正直、怖いと思った。有権者のマニフェストへの期待が大きすぎた」。3人の首相が十分に民意に応えられなかったつけが、候補者たちの立場を逆転させた。石山の「恐怖」は現実になった。
<勢力図が一変>
民主党から自民党へ。東北の勢力図は一夜にしてひっくり返った。候補者や陣営は、小選挙区制がもたらす強烈なオセロを再び目の当たりにした。
「全国的な大逆風の中での戦いだったが、温かい声を頂き、感触は悪くなかった」
福島5区の民主党前議員吉田泉(63)は16日夜、いわき市の事務所で憔悴(しょうすい)した表情で敗戦の弁を語った。
復興副大臣を務め福島第1原発事故の対応に当たった。辛うじて比例復活で4度目の議席をつかんだが、表情は晴れない。「福島の状況を一番知っている政治家は自分。野党の立場で全体をチェックする役割を担いたい」と語るのが精いっぱいだった。
前回衆院選で民主党は東北25選挙区のうち、自民候補の地盤だった12の選挙区を奪った。今回、自民候補に明け渡した選挙区は14にも上る。
<重い責任負う>
それでも、自民党の陣営には意外なほど高揚感が少ない。
「追い風を感じない。果たして自民支持に戻ってくれているのか」。青森1区で初当選した自民党新人の津島淳(46)は選挙中、強い違和感を抱いていた。有権者の熱気が全く感じられなかったというのだ。
当選に沸く青森市内の事務所で、選対本部長の参院議員山崎力(65)は「自民党への支持が伸びた結果ではない。民主党の敵失だ」といさめるように語った。
福島1区で2回目の議席を得た自民党元議員亀岡偉民(57)も「勝ち取った多数でなく、消去法で自民党が残ったという感じだ」と振り返った。
東日本大震災を挟み、立ちすくんできた政治に冷厳な審判を下した民意。その矛先はいつ変わってもおかしくない。
青森3区で10選を果たした自民党前議員の大島理森(66)は事務所で1人表情を引き締めた。「政治の信頼を回復しろ、という有権者の問い掛けにどう応えていくか。自民党は重い責任を負った」
民意の風を待ち続け、青森1区で次点に泣いた日本維新の会の升田世喜男(55)は一夜明けた17日、有権者心理を読み解いた。
「第三極はたくさんできすぎて、ばらばらの状態だった。有権者は政治の流動化を避け、経験と安定感を自民に求めたのではないか」
2012年12月18日火曜日
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チバQ
:2012/12/20(木) 23:54:35
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1112/20121219_04.htm
流転 東北・政権振幅(中)圧勝/手応えなく拭えぬ不安
宮城3区で議席を奪還した自民党元議員の西村明宏氏。選挙中、勝利の感触は強くはなかった=16日午後8時すぎ、名取市
◎参院選へ油断せず
国政復帰の歓喜に浸る間もなく口をついたのは、不安だった。
「勝っておごらずの気持ちで政権に取り組まなければ、また同じ審判が下されることになる」
<重みと危うさ>
衆院選投開票日の16日夜。岩手2区で7回目の議席を手にした自民党元議員の鈴木俊一(59)は、岩手県滝沢村であった祝勝会で語った。
前回(2009年)は敗退。ライバルの前議員は岩手4区で当選した小沢一郎と行動を共にし、民主党から日本未来の党に移ったことで、急速に支持基盤が弱まった。
民主党分裂と第三極の主導権争いが有権者の政治不信を増幅させ、その受け皿が自民党しかなかったという構図だ。
閣僚経験もあるベテランを慎重にさせるのは、党が獲得した294議席の重みと危うさ。破壊的な政権奪還が、逆に重責となってのしかかる。
山形1区の前議員遠藤利明(62)は前回、1291票差で選挙区を落とし、比例で復活当選した。相手は元農相で党内グループを率いる民主党前議員鹿野道彦(70)。今回は大差で突き放した。
それでも遠藤に会心の笑みはなかった。山形市内のホテルで沸き立つ支持者をよそに「自民党が変わったとは思えない。まだ道半ばだ」と言葉を選んだ。
自民党は東北で選挙区と比例を合わせ、前回の9議席から24議席に増やした。圧倒的な挽回劇だが、陣営の多くは民意の自民回帰を感じない。民主党の自滅と第三極勢力のつぶし合いで、ようやく転がり込んできた勝利と受け止める。
<謙虚さ崩さず>
「そんなに甘い戦いではない。ここは(元蔵相の)故三塚博先生の時から弱い土地なんです」
最終盤の14日夜、宮城3区の岩沼市であった個人演説会で自民党元議員の西村明宏(52)は、地盤を継いだかつての派閥の領袖(りょうしゅう)の名前を出して切迫感を訴えた。
西村に勝利の手応えはなかったが、支持者や業界団体には盤石ムードが広がる。拡大する温度差に危機感を強め、引き締めに躍起になった。
結果的に圧勝した西村。倒した民主党前議員とは選挙の度にシーソーゲームが続く。「東日本大震災の被災者のために頑張る」と謙虚な言葉を繰り返した。
衆院の勢力は自民、公明両党で3分の2を超えたが、参院は自公で過半数に届かない。「ねじれを解消しないと安定政権にはならない」というのが党内の共通認識だ。
<二の舞い警戒>
18日夜。前回の5選挙区全敗から4議席を奪還した自民党福島県連は、福島第1原発事故の収束や被災者支援を加速させる組織を発足させた。福島市内であった発足式には県選出の衆参国会議員が並んだ。
投開票から2日後の素早い対応。もちろん、復興のもたつきで大敗した民主党政権の二の舞いを避けようという狙いだ。
県連幹事長の平出孝朗(56)は「衆院選勝利は元の福島に戻す一里塚でしかない。県民の負託に応えないと次(の選挙)は逆の結果になる」と油断を戒める。
来夏は再び、参院選で各党が相まみえる。宮城6区で5選を果たした党宮城県連会長の小野寺五典(52)は、振り子が逆に振れることを懸念する。「議席が増え、下野した反省や謙虚さを忘れてしまわないか心配だ」
(敬称略)
2012年12月19日水曜日
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チバQ
:2012/12/20(木) 23:54:58
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1112/20121220_02.htm
流転 東北・政権振幅(下)逆風/党内エリート、足場崩壊
秋田1区で落選した民主党前議員の寺田学氏。常勝だった選挙区でも逆風は猛烈だった=16日午後8時15分ごろ、秋田市
◎民意の嵐、容赦なし
退場宣告は東北でも容赦なかった。
「申し訳ない。結果は民意と受け止める」。衆院選秋田1区で4選を阻まれた民主党前議員の寺田学(36)は16日夜、秋田市内のホテルで、187センチの長身を深々と折り曲げた。
<前回から半減>
首相菅直人、野田佳彦の補佐官を務めた党内エリート。キャリアに反比例するように、足元の支持は崩れていた。
「3年間、ことあるごとに期待に応え切れていないと感じていた…」と努めて淡々と話す寺田。得票は4万9000で前回からほぼ半減した。
首相野田の側近を自任する山形2区の民主党前議員近藤洋介(47)も、前回得た東北最多の16万6000票を半分以下に落とし、敗れた。
野田が打ち出す環太平洋連携協定(TPP)の交渉参加推進に同調する姿勢が、農村部で反発を招いた。公示直前、山形県農政連などが主催した反TPP集会では激しいブーイングを浴びた。
「(他陣営が)農業対工業で対立をあおった。誤解を生んだ選挙だった」と近藤。比例復活で4選に滑り込むのがやっとだった。
宮城では復興副大臣の今野東(65)、復興政務官の郡和子(55)=比例復活=、国土交通政務官の橋本清仁(41)らが敗北した。普通なら強みになる政権中枢とのつながりは、全く武器にならなかった。
東北の選挙区で勝ったのはたった四つ。荒涼とした失地が広がる。敗れた陣営は支持基盤の立て直しを模索するが、ダメージはすさまじい。
「参院はまだ勢力が残る。来夏の参院選までに党執行部がどう立ち直るかだ」と言うのは宮城県連幹部の一人。「新生をアピールできなければ来夏は存続の危機だ」と悲壮な覚悟をにじませる。
<躍進実感なく>
「当選は福島、東北の維新への期待の結集だ」。比例で復活した日本維新の会新人の小熊慎司(44)は16日夜、会津若松市の事務所で語った。
みんなの党から維新に合流し参院議員からくら替え。善戦が伝えられたが、福島4区では自民党新人に大敗した。維新が東北で擁立した10選挙区は、第三極同士のつぶし合いもあって全敗。比例東北で2議席を取ったが、全国的な躍進ムードは東北にはない。
日本未来の党はさらに深刻だ。前議員9人、新人6人のうち勝ったのは岩手4区前議員の小沢一郎(70)だけだった。
福島1区で落選した前議員石原洋三郎(39)は16日夜、さばさばしていた。自民党元議員とは7万票差。「民主党への失望や守られない公約への不信も向けられた」と振り返る。
第三極の陰で既存政党は明暗を分けた。公明党は比例東北で1議席にとどまったが、選挙協力で政権復帰を強固にした。
<視界に入らず>
共産党は東北全選挙区に候補を立て、比例前議員の高橋千鶴子(53)と連動し1議席を守った。宮城2区の新人福島一恵(52)は「多党化で票は分散したが党勢は踏みとどまった」と強調する。
社民党は、社会党時代も含め戦後初めて東北の議席を失った。宮城1区の新人桑島崇史(33)は「残念ながら社民党は有権者の視界に入らなかった」と言う。
師走の民意は、自民党への「期待票」となって振り切れた。この振幅はどんな潮流を生むのか。各党は来夏を見据え始めた。(敬称略)
2012年12月20日木曜日
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チバQ
:2012/12/20(木) 23:55:45
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121218-00000110-mailo-l02
乱:’12衆院選・審判の果てに/上 民主 組織弱く、風頼み /青森
毎日新聞 12月18日(火)14時45分配信
◇国会議員ゼロ 県連瀬戸際に
吉田泉88%、近藤洋介80%、田名部匡代75%−−。16日午後11時半過ぎ、八戸市にある3区の田名部匡代氏の選挙事務所では、大型テレビ横のホワイトボードでスタッフが惜敗率の計算を続けていた。
小選挙区で早々と落選が決まった田名部氏。この時点でまだ比例復活の可能性が残っていた。「(惜敗率で)3番以内に入れば当選もある」。スタッフの説明に支持者の期待は高まったが、開票が進むにつれて田名部氏の数字は徐々に低下。翌日午前0時前、ついに計算の手が止まった。「政権交代から3年間で期待に応えられなかった。党分裂や見通しの甘さもあったが、結果が出せなかったのは私の責任」。田名部氏は深々と頭を下げた。
一方、自民前職に3倍近い差を付けられた4区の津島恭一氏。16日午後9時15分には、比例復活の目も断たれたと判断、弘前市の選挙事務所で敗戦の弁を述べた。「民主はうそつきというレッテルで有権者に見られた」。居合わせた支持者は約20人と少なく、本人も早々に帰宅した。
◇
逆風にのみ込まれた民主は県内4選挙区で全敗。比例復活当選もなく、県連の国会議員はゼロになった。
共同通信社の出口調査によると、「支持政党なし」と答えた無党派層のうち、県内4選挙区で民主候補に投票したと回答したのは、わずか22・3%。自民候補の45・1%に大きく水をあけられた。
県内の組織が強固でなく“風頼み”だった民主。県連は全市町村に党支部を作り、ブロック単位で地域協議会を置くなど強化に乗り出していたが“身内”の急な解散には対処できなかった。急ごしらえのマニフェスト(政権公約)など政権運営のまずさも加わり、逆風をまともに受けた。
◇
横山北斗氏ら、国会議員3人の離党で支持層が分裂したことも大きく響いた。3区では公示直前に出馬を決めた未来新人が1万3000票近くを獲得。田名部氏が比例復活を逃す遠因になった。1区では、一部の地方議員が離党して未来の支持に回った。ある県連幹部は「分裂は自民を利するだけ」とぎりぎりまで自党候補の擁立見送りを求めた。
県連の松尾和彦幹事長は「政治の信頼を損ね(急な解散で)十分準備ができなかった」と総括。「2大政党制で政治をレベルアップさせるには、自民と非自民に結集しなければならない」と政党再編を求める。
ある地方議員は「頭を冷やして、活動を見直すいい機会」と冷静だ。しかし、国会議員不在の民主県連にとって、来夏の参院選は瀬戸際の戦いだ。県連代表の田名部氏は話す。「今回の選挙を振り返り、どういう戦いができるか相談したい」。あと半年、惨敗を喫した民主に残された時間は少ない。
12月18日朝刊
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チバQ
:2012/12/20(木) 23:56:01
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121219-00000027-mailo-l02
乱:’12衆院選・審判の果てに/中 自民 実感ない追い風 /青森
毎日新聞 12月19日(水)11時57分配信
◇おごり警戒の声相次ぐ
16日午後9時半、1区で新人、津島淳氏の当選確実が伝わると、青森市内の選挙事務所は拍手と歓声に包まれた。しばらくして姿を見せた津島氏は「追い風をなかなか実感できなかった。有権者が自民に戻ってくれるのか手探りだった」と選挙戦を振り返った。
陣営が05年の「郵政選挙」のような追い風を実感できない一方で自民は民主に失望した有権者の受け皿となった。最激戦区の1区を含む県内4小選挙区の議席を独占した上、他党の比例復活も許さない完勝を収めた。
1区も報道各社の調査で序盤から優勢と言われたが、陣営では「現場の感覚とは違う」と危機感を持つ関係者が多かった。党本部が終盤に実施した調査では、維新の升田世喜男氏に猛追されていた。
それでも勝利できたのは、組織戦で支持層を手堅くまとめたからだ。升田氏の地盤、五所川原市では同氏支持の市議の切り崩しなどで優勢に。全体で約2万6000票の大差を付けた。「こうであれば良いと思っていた数字が出た」(県連幹部)。
◇
陣営内では、早くもおごりを警戒する声が相次いでいる。3区の大島理森氏は16日夜、「多くの議席を獲得するからこそ、謙虚でないといけない」と戒めた。4区の木村太郎氏も翌17日の記者会見で「謙虚に丁寧に与党の責任を果たすことで、自民は変わったと思ってもらえる」と語った。
おごり警戒の背景には、民主の自滅で自民への批判票が分散したとの見方がある。県連の選対幹部は「相手が割れれば小選挙区は勝てる。(非自民で)相手が一本化すれば、こうはならない」と分析する。それを裏付けるように比例東北ブロックの自民の得票率は、大敗した前回並みにとどまった。
◇
揺り戻しも懸念材料だ。風で動く民意をつなぎ留めるには、自民が厳しい審判を下された3年前とは「変わった」と見せる必要がある。しかし、派閥政治や世襲温存への反発は党内にも少なくなく、安倍晋三氏が選出された9月の総裁選でも、地方の声と派閥の力学がねじれ、県内の地方議員から疑問が続出した。
次の選挙で逆風が吹けば、県内で最も影響を受けるのは前回敗れた1区だとみられている。浮動票が多く、これまでも風が勝敗を左右してきたからだ。津島氏は17日の記者会見でこう自戒した。「自民が生まれ変わったのか、有権者は測りかねている。不信は簡単にぬぐえない。勝利の真価が問われるのはこれからだ」
12月19日朝刊
8259
:
チバQ
:2012/12/20(木) 23:56:15
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121220-00000084-mailo-l02
乱:’12衆院選・審判の果てに/下 第三極 風に変える時間なく /青森
毎日新聞 12月20日(木)12時22分配信
◇「受け皿」まとまらず
「涙が出るほど悲しい戦いだった。何を言っても『民主党にいたんでしょ』と耳を傾けてもらえなかった」
09年の前回、1区で民主党から出馬し、10万票あまりを獲得して圧勝した横山北斗氏。県連代表まで務めた民主を離党して未来から出馬した今回は一転、わずか3万2050票で落選した。
組織に頼らない独自の選挙スタイルは他陣営から動きが見えず、「ステルス戦闘機」と恐れられてきた。今回の戦術は自称「無差別攻撃」。公示1週間前に生活が未来に合流、支持者に合流や離党の経緯を説明できないまま選挙戦に突入した。「時間がないなら徹底して街頭演説する」。冬空の下、1日平均70回街頭演説に立ち、消費増税や環太平洋パートナーシップ協定(TPP)への反対を訴え続けた。だが、得票には結びつかなかった。
「今回は『ステルス戦闘機』があだになった。逆風の中で演説を聞いてもらえず、組織力のなさが露呈した」とある陣営幹部。約7万票もの目減りを、別の幹部は「前回期待して支持してくれた多くの人が今回は棄権したのでは」と推測する。
◇
「淡い風を確かな風に変えていく時間がなかった」。1区の維新新人、升田世喜男氏は敗因をこう分析した。
解散直前、所属するたちあがれ日本を母体に太陽の党が発足。当時は街頭演説で有権者の反応は良く、「第三極への期待を肌で感じた」。続いて太陽が維新に合流し、公示前に橋下徹代表代行と石原慎太郎代表が相次いで来県。勢いに乗るとみられたが、「期待ほど効果はなかった」と陣営幹部は話す。升田氏も「維新になっても、有権者の反応は微増だった」と振り返る。
むしろ維新をじっくりアピールする時間もないまま、焦った陣営は選挙戦終盤の12日、約1500枚の選挙ポスターを一気に張り替える戦術に出た。ごく普通の升田氏の写真入りポスターから、石原、橋下両氏と升田氏の3人が並び、党名がより目立つものに替えることで「風が吹きやむ中、なんとか追い上げムードを演出したかった」と陣営幹部は明かす。
「第三極」への追い風はなぜ吹かなかったのか。升田氏は「第三極がまとまっていれば違う結果もあった。有権者は、ばらばらの第三極に投票したら、政治までばらばらになると感じたのだろう」と悔やむ。受け皿がなければ風はやむ。「改革を求める民意は確かにあった。今度変化を求める先は第三極。次の衆院選こそ大勝負だ」(この企画は高橋真志、神崎修一、鈴木久美が担当しました)
12月20日朝刊
8260
:
チバQ
:2012/12/20(木) 23:56:37
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1112/20121218_03.htm
落日 小沢王国−いわての審判(上)1勝3敗/無敵の神通力に陰り
小沢氏の為書きの前で、敗戦の弁を述べる岩手1区の達増陽子氏と夫の拓也岩手県知事
日本未来の党の小沢一郎氏(岩手4区)のカリスマ的な影響力で、岩手県は「小沢王国」と呼ばれてきた。未来は今回の衆院選で県内の4選挙区に候補を擁立したが、結果は1勝3敗。比例復活の1人を加えてもわずか2人となった。「剛腕」と呼ばれた小沢氏の力の源泉だった県内基盤が、かつてないほど弱まっている。
◎お国なまり、どぶ板不発
<自民、満面の笑み>
「本日をもって『小沢王国』をぶち破った」
16日午後10時40分ごろ、自民党高橋比奈子氏の選挙事務所(盛岡市)。玉沢徳一郎元農相が祝杯を手に高らかに宣言した。高橋氏は岩手1区では敗れたものの、比例東北で復活当選した。
2009年の前回衆院選で、自民党は県内議席ゼロに終わった。今回は2区で当選した鈴木俊一氏、比例で復活した3区の橋本英教氏と4区の藤原崇氏を加え、立候補した4人全員が当選を果たした。
千葉伝県連幹事長は「優勢を伝えられる全国と、岩手は全く違うとイメージしていた。小沢王国で4人。これ以上の結果はない」。これまで小沢氏に何度も煮え湯を飲まされてきただけに、満面の笑みを浮かべた。
同じころ、落選が決まった未来の達増陽子氏は記者会見に臨んでいた。「敗因は私の力不足」と達増氏。「私の声を1区のすみずみまでお届けすることができなかった」と悔しさをにじませた。
1区から立候補を表明したのは公示直前。達増拓也岩手県知事の妻という知名度を生かして4万票以上を獲得したが、及ばなかった。
2区で落選し、辛くも復活当選した未来の畑浩治氏の陣営も時間不足を痛感していた。ある秘書は「未来は、政党名が公示の数日前に決まった。『そんな政党に何ができるのか』と有権者は思っただろう」と振り返る。
しかし、そんな厳しい情勢でも、ひっくり返してきたのが小沢氏だった。今はたもとを分かった平野達男復興相が、自由党から初当選した01年の参院選岩手選挙区。自民党候補に先行を許していたが、党首だった小沢氏が2度も岩手入りして土壇場で逆転した勝利は今も語り草となっている。
<「仲間」が減った>
選挙戦最終盤の15日午後。盛岡市の住宅街では雨の中、公民館前に集まった聴衆約60人に、小沢氏が普段は使わないお国言葉で語り掛けた。
「俺だげで、いぐら頑張っでも一人では(政治は)できません。大勢のながま(仲間)がいて、初めて民主主義ですから」。時間は約5分。駆け足でワゴン車に乗り込むと次の会場に向かった。
達増氏の応援で盛岡市に14日から入った小沢氏。2日間で計数十カ所の街頭演説をこなすどぶ板選挙を展開したが、かつての神通力はもはやなくなっていた。
「仲間」は減った。小選挙区で勝ったのは4区の小沢氏だけ。1993年に自民党を離れて以来、県内の衆院選で小沢氏が系列候補の複数議席を獲得できなかったのは今回が初めてだ。
民主党分裂まで小沢氏と行動を共にした渡辺幸貫党県連代表代行は「候補者擁立のやり方も、政治家を育てるのではなく、選挙受けばかりを考えている」と批判。「どんどん党を変わる。作り屋だか壊し屋だか分からない」と語った。
2012年12月18日火曜日
8261
:
チバQ
:2012/12/20(木) 23:56:56
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1112/20121219_06.htm
落日 小沢王国−いわての審判(中)崩された牙城/被災地離反、予想以上
地元で異例の街頭演説に立つ小沢氏。「王国」の本丸でも求心力の陰りをうかがわせる選挙戦となった=15日、北上市
◎旧地盤への「刺客」惨敗
<異例のお国入り>
三十数年ぶりのたすき姿だった。「王国」の主(あるじ)が地元の岩手4区でマイクを握った。選挙区の首長や系列地方議員が横に並ぶ。
「本当に長い間支援いただき、まだご恩返しもできずに申し訳ないが、郷里や国民のため、この一命をささげて頑張る」
選挙戦最終日の15日、北上市であった日本未来の党前議員小沢一郎氏の街頭演説。異例のお国入りに危機感がにじんだ。
小沢氏は15選を果たしたが、得票は約7万8000票。1996年の小選挙区制導入以来、初めて10万票を割り込み、60%前後を誇った得票率も約45%にとどまった。後援会連合会の小笠原直敏会長は「これまでと空気が違い、大変な圧力があった」と振り返る。
「小沢離れ」の予兆を肌で感じた後援会関係者は、少なくなかった。
奥州市前沢区の女性は「個人演説会に誘っても、つれない返事で来てくれなかった」と漏らす。同市江刺区の男性幹部によると、選挙用はがきの推薦人名の掲載を断られる例も相次いだ。
前回衆院選後、小沢氏を取り巻く環境は激変した。陸山会事件で強制起訴(無罪確定)されたり、二大政党制を実現しながら自ら離党したりした。後援会幹部は「期待が薄れ、『何とか支えよう』というムードが弱まった」と指摘する。
<「呪縛が解けた」>
強固な後援会組織を武器に、鉄壁の地盤を築いた小沢氏。そこに今回、仲間だった民主党が候補者を擁立し、くさびを打った。比例代表で復活当選した自民党候補の29歳という「若さ」も有権者には新鮮だった。「小沢氏の呪縛が解けた」と、ある民主党県議は語る。
中選挙区時代の小沢氏の地盤とほぼ重なる岩手3区。たもとを分かった民主党の黄川田徹氏への「刺客」に、小沢氏と政治行動をともにした元衆院議員菅原喜重郎氏の次女佐藤奈保美氏を立てたが、惨敗した。
小沢氏は秘書を投入し、かつての有力支持者を足掛かりに黄川田氏の地盤の切り崩しを図った。自らも選挙戦終盤にてこ入れした。佐藤氏は地元の一関市など内陸部ではわずかに黄川田氏の得票を上回ったが、沿岸部では大差をつけられた。
勝敗の鍵となったのは「震災」だ。家族を亡くした黄川田氏は「政局よりも復興」と繰り返し、ほとんど被災地入りしてこなかった小沢氏との違いを強調。「黄川田さんを落としたら、被災地の恥だ」(野田武則釜石市長)と、沿岸首長も相次いで援護射撃した。
黄川田氏が初当選したのは2000年。小沢氏の強力な後押しが原動力となった。それから4期12年。小沢氏系列の参院議員の地元で、一定の影響力が残っているとみられていた大船渡市でも倍以上の得票差がついた。
「岩手県南は小沢先生の金城湯池だと思っていたが、違った」。佐藤氏の陣営幹部は疲れ切った表情でつぶやいた。
2012年12月19日水曜日
8262
:
チバQ
:2012/12/20(木) 23:57:15
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1112/20121220_04.htm
落日 小沢王国−いわての審判(下)激戦の余波/後援会組織、真っ二つ
選挙戦最終日に応援に入り、支持を訴える小沢氏(中央)=15日、盛岡市
◎「次は参院選」幹部強調
<「ついていけぬ」>
「家庭を壊すような強引なやり方には、ついていけない」
達増拓也岩手県知事の妻、陽子氏が岩手1区から出馬表明した翌日の今月1日。後援会の緊急会合で、ある幹部から痛烈な身内批判が飛び出した。
矛先は、知事や陽子氏というより、知事の妻というだけで立候補させた日本未来の党の小沢一郎氏(岩手4区)に向けられていた。
対する民主党の候補は、衆院議員を4期務めた知事の後継、階猛氏。家族ぐるみの付き合いがあった達増、階両家。「悲しい選挙」(階氏)の始まりだった。
支持層が重なる両陣営には、ほぼ同じ後援会員や紹介者の名簿があった。「(有力支持者の)名前を勝手に使われた」「名簿を盗まれた」。怪情報や感情的な中傷が飛び交った。
自民党政治の打破を目指し共に歩んできた。階氏は1区で3選を果たしたが、陽子氏と票を食い合い、皮肉にも自民党候補の比例復活を容易にしてしまった。
「どうして考えが近い者同士でいがみ合い、共通の敵を助けなくてはいけなかったのか」。達増後援会女性部の一人は疲れた様子で振り返った。
<巻き返しを誓う>
陽子氏の落選が決まった16日深夜。選対幹事長の佐々木順一県議は、選挙事務所から引き揚げようとするスタッフらに声を掛けた。「夏の参院選でこの悔しさを晴らしましょう」
単なる負け惜しみではなかった。比例代表で見ると、未来の県内得票数は約14万4000票で、1位の自民党に約6000票差まで肉薄。県内4選挙区を合わせた得票数は約22万6000票で、逆に自民を上回った。
小沢氏の地元、4区の後援会幹部は「来夏の参院選に向けた足掛かりができた。(空白区だった)1、3区に候補を擁立できなければ、参院選はまるっきりめどが立たなかった」と語る。
岩手選挙区で改選期を迎えるのは、小沢氏とたもとを分かった民主党の平野達男氏。復興相を務め、高い知名度で未来の前に立ちふさがる。
この後援会幹部は「衆院選の結果だけで、小沢先生の政局観が衰えたと結論を下さない方がいい。戦いはまだ続くんだ」と巻き返しを誓う。
小沢氏を支援する経済人の団体「欅(けやき)の会」の幹部も小沢氏の復活を信じて疑わない。「『小沢は終わった』と離れていった支持者は、先生の理念を理解できなかっただけだ」と語気を強める。
将来の首相候補として期待を集めてきた小沢氏。その存在感は強力な求心力でもあり、時に分裂の原因にもなった。
達増後援会の一人は1区で繰り広げられた同門対決を振り返り、つぶやいた。
「小沢さんへの評価で、後援会が二つに割れた。また一つになれるとしたら、小沢さんの力が本当になくなったときなのかもしれない」
2012年12月20日木曜日
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8263
:
チバQ
:2012/12/20(木) 23:58:08
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121218-00000067-mailo-l03
漂流:県内政局 衆院選/上 「小沢王国」崩壊 /岩手
毎日新聞 12月18日(火)12時51分配信
◇復興への熱意で明暗 前回から勢力図一変
選挙戦も終盤に入った13日午後2時ごろ、小沢一郎氏は釜石市天神町の仮設団地にいた。「お金も権限も地域の皆さんに与えることにより、皆さんの創意工夫で地域の復興、振興を図っていく改革をぜひしたい」。持論の地方分権と、自身が合流した「日本未来の党」の候補者への支持を訴えると、足早に次の遊説地に出発した。
その間、わずか15分程度、集まった数十人の聴衆の中には作業服を着た建設会社の従業員も交じっていたが、反応に熱はなかった。 震災後、姿を見せない小沢氏に対する不満が被災地にはくすぶっていた。小沢氏が初めて被災地に入ったのは今年1月。演説を聞いた仮設暮らしの男性(69)は「霞が関の話をしていたが、我々には関係ないし難しくて分からない。復興を一生懸命やると言ってもらいたかった。選挙の時だけ来るなら正直来てもらいたくない」と吐き捨てるように言った。
今回の衆院選、民主党の前職と「未来」の新人が対決した1、3区では、それぞれ小沢氏とたもとを分かった、階猛氏と黄川田徹氏が再選した。長年、県内政局で絶大な影響力を誇ってきた小沢氏はなぜ敗北したのか。
かつて同氏と行動を共にしたある民主党関係者は「復興にかける熱意が勝敗を分けたのではないか」と分析する。震災で家族を失い副復興相を務める黄川田氏はもちろん、階氏も選挙戦では、二重ローン対策をはじめ国会での実績や被災地でのボランティア活動の経験など、復興への取り組みを繰り返し訴えた。
投開票から一夜明けた17日の朝、小沢氏の側近の1人で、1区から公示直前に妻が出馬した達増拓也知事は「突然の解散総選挙の中で、未来の党はきちんと国政に第一歩を記した」と衆院選の結果を総括。自民党を離党後に、小沢氏らが結成した新生党の出発時を引き合いに出し、「小沢さんとその仲間たちが、今やろうとしているのは、単に2大政党制を実現するだけでなく、政治の中で民意を形にするという、当時以上に大変な事業」と前を向いた。
しかし、93年の新生党の結成からは既に20年近くが経過。今回の選挙を機に、かつて共に竹下派七奉行と呼ばれた渡部恒三氏や、自由党結成にも加わった中井洽氏といった、小沢氏と同期や同年代の政治家が引退した。
小沢氏自身は4区での議席を堅持したが、得票数は前回よりも約5万5000票減らし8万票を割り、自民党新人の藤原崇氏の比例での復活当選を許した。選挙戦を通じて「世代交代」を訴えた藤原氏は、96年に小選挙区制が導入されて以降の自民党候補では、最も小沢氏に迫る得票を獲得した。
「なんといっても、これまでは全国的だったが、今回マイナーな存在になった。『小沢王国』は崩壊した」。藤原陣営の幹部の1人は、小沢氏の威信の低下をそう断言する。
◇ ◇
16日に投開票された衆院選。県内では自民党4人、民主党2人、日本未来の党2人の計8人の国会議員が誕生し、小沢氏を中心とした当時の民主党が県内選挙区の4議席を独占した、09年の前回衆院選と勢力図は一変した。小沢氏に代わる「盟主」も見つからぬ中、県内政局は行方の定まらぬ漂流を始めた。【衆院選取材班】
12月18日朝刊
8264
:
チバQ
:2012/12/20(木) 23:58:27
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121219-00000035-mailo-l03
漂流:県内政局 衆院選/下 変わる政治風土 /岩手
毎日新聞 12月19日(水)11時58分配信
◇「新しい夜明け」期待も 有権者が票使い分け
「自民党バンザイ」。比例での復活当選を果たした盛岡市の自民新人、高橋比奈子氏の事務所では、16日午後11時過ぎ、県内同党候補者の当選の報がテレビで流れると、集まった約100人の支持者や県連幹部から歓声がわき起こった。
今回の衆院選、自民党は2区で元職の鈴木俊一氏が、「日本未来の党」の前職を破り当選。1区の高橋氏をはじめ3、4区で敗れた候補者も比例で復活し、小選挙区制導入以降、過去最大の4人を国会に送り出した。
県内でも自民復活を印象づけたかに見えたが、党内には慎重な意見が目立つ。鈴木氏自身、当選直後の取材に対し、「ある意味で消極的な風でしかない。決して自民が信頼を回復し、もろ手を挙げて、信任を与えられたと思っていない」と言葉を選んだ。
1区の高橋氏の得票は、投票率が59・01%と前回の09年から10ポイント以上下がったとはいえ、6000票以上減った。3区の橋本英教氏も、初挑戦した05年は約6万9000票を獲得したが、今回は約3万6000票にとどまり、選挙区の順位は3位だった。
同党のある県議は「比例で3人も復活できたのは、全国的に非民主の風が吹き、東北の他県の自民候補が小選挙区で頑張ったから。この結果で『勝った』と浮かれていれば足元をすくわれる」と警戒する。
一方、民主党は、たもとを分かった小沢一郎氏に「刺客」を送られた1、3区で、前職の階猛氏と黄川田徹氏が議席を守った。両選挙区での勝利を受け、渡辺幸貫・県連代表代行は、「政局を見ながら政策もぶれていく」小沢流に対し、「政治に携わる私たちも有権者も、小沢さんについて行けば良いというところから、一つ一つ自分たちで考えなければならないと変わった。岩手は新しい夜明けを迎えた」と期待感をにじませた。
ただ、県内の比例での同党の得票率は19・02%と、自民の23・30%、未来の22・41%を下回った。階氏が、選挙区で次点の自民党候補に1万票以上の差をつけた盛岡市でも、比例の得票では自民と未来が上回り、有権者が選挙区と比例で票を使い分けていたことがうかがえる。
自民、民主、未来の各党ともに、決定的な支持を得られていない中、来年の夏には参院選がある。
改選を迎える平野達男復興相を擁する民主党のある関係者は、「全国的に民主が大敗し、県内でも(候補擁立を見送った)2区の基盤は揺らいでいる。今回の選挙結果を早急に総括し、参院選を見据えた体制構築に着手する必要がある」と危機感を募らせる。
12月19日朝刊
8265
:
チバQ
:2012/12/20(木) 23:59:14
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121218-00000014-mailo-l04
自民“圧勝”の背景:12年衆院選/上 漁夫の利 消極的な選択肢 /宮城
毎日新聞 12月18日(火)11時31分配信
◇「追い風なかった」 「復興」で真価問われる
衆院選の県内小選挙区の大勢が判明した16日午後10時。宮城1区で返り咲いた自民の土井亨氏(54)が、仙台市青葉区の事務所に現れた。詰めかけた支持者の「万歳」の声が響く中、壇上の土井氏は深々と頭を下げた。万歳はしなかった。
前回選(09年)は民主の郡氏に約6万2000票差をつけられて完敗。今回は約2万6000票上回っての勝利となった。だが、当選のセレモニー後、土井氏は「期待は感じたが、(自分への支持という)手応えはなかった」とかすれた声で選挙戦を振り返った。
「追い風があるわけではなかった。『民主も第三極も選べない』と消極的な選択肢として自民が浮上した」。ある自民県連幹部は、今回の“圧勝”を、「漁夫の利」と認める。
◇
「既存の2大政党を信頼しきれないということが第三極を生み出した。自民党が下野して何か変わったのかを訴えることが、最大の第三極対策」
11月下旬、小野寺五典・県連会長はそう話した。「新しい自民党」を訴えることを、今回の選挙戦で自民は自らに課したはずだ。
だが、選挙戦を通じ、候補者らが自民の変革を示すエピソードとして訴えたのは、主に「若さ」と「候補者の公募制」だけ。
自ら「漁夫の利」を認めることを示すかのように、共同通信の出口調査では、支持政党で自民と答えた層は3割弱にとどまった。小選挙区別にみても、1、2区は無党派層の支持は自民候補と民主、第三極候補が約2〜3割で拮抗(きっこう)している。
土井氏は「無党派層にもっと支持してもらわなければ。自分自身を反省し、変えていく必要がある」と語る。
◇
一方、東日本大震災からの復興に関し、被災地で自民への期待は確かに高まっている。
公示日の4日、JR仙台駅前。街頭演説を終えた安倍晋三総裁に、津波被害を受けた仙台市若林区・荒浜の住民らが駆け寄った。
「集団移転に向けた支援を拡大してほしい」。移転に向けて住民の思いをまとめてきた末永薫・荒浜移転まちづくり協議会長は、安倍総裁に移転が進まない荒浜の現状と、被災者支援への要望書を手渡した。「特に自民党がいいからというわけではないが、少しでも現状を分かってほしいから」と心情を語る。
また、集団移転に向けた合意形成が進まない石巻市・雄勝地区。阿部晃成さん(24)は産業が伴わない家屋だけの移転に反対していたが、自宅跡地に建築制限がかり移転を余儀なくされた。ただ「政権交代すれば何か変わるかもしれない」と、かすかな期待はある。
◇
「前に進める」「スピードを上げる」−−。自民の候補者らは、民主党政権下での復旧・復興を「遅い」と批判し、自民系の地方議員や自治体首長の多さを挙げ、繰り返し「実行力」を訴えた。
被災地は今、さまざまな価値観がぶつかり合い、事業の進捗(しんちょく)だけで復興のスピードを測れない段階にきている。何を被災地にとっての「復興」と考え、どこで政治の責任を果たすのか。「復興」を叫んだ自民の真価が問われる。【宇多川はるか、近藤綾加】
12月18日朝刊
8266
:
チバQ
:2012/12/20(木) 23:59:43
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121219-00000042-mailo-l04
自民“圧勝”の背景:12年衆院選/中 逆風 組織力不足が露呈 /宮城
毎日新聞 12月19日(水)11時58分配信
◇政策浸透せず 求められる信頼回復
消費増税など前回選の“マニフェスト違反”や政権運営の未熟さ。民主党にとって、最初から最後まで謝り続けた選挙戦だった。県内でも5議席を獲得し政権交代を実現した前回から一転、小選挙区と比例復活で計2議席のみだった。岡崎トミ子・県連選対本部長は「選挙では政策中心に訴えたが、残念ながら聞く耳を持ってもらえなかった」と敗因を語った。3年半前の追い風は、向きを変えてそのまま逆風となって民主に吹き付けた。
「私は泣きびっちょ(泣き虫)だから、応援してもらうとすぐ涙が出てしまう」。4区で落選した石山敬貴氏は投開票前の14日夜、多賀城市での決起集会で感極まった。150用意した椅子はすぐ満席、壁際に立つ支持者も多く、絶叫に近い声援が何度も飛んだ。
しかし、前座を務めた桜井充・参院議員は「本人が到着する前に聞いてほしい」と前置きし、「小選挙区で負けても惜敗率で上がる可能性がある。最後の一押しを」と檄(げき)を飛ばした。会場外でビラ配りしていた陣営スタッフは「なかなか受け取ってくれない」とぼやき、会場の熱気とは異なる世間の「逆風」を、身をもって感じていた。
石山氏は在任中、選挙区でのミニ集会を300回も開き、復興に尽力する姿勢に被災地の首長からも「同志のよう」と評価する声もあった。しかし、その支持は限定的で無党派層に浸透せず、逆風下にこそ必要な後援会や支援団体などの組織力の弱さが露呈される選挙の結果となった。1区で比例復活した郡和子氏も「国会議員が地方議員より多いという『ねじれ』があった。足腰を強くしていきたい」と、民主候補に共通の課題である組織力不足を認める。
一方、選挙戦で民主候補は「復旧・復興には全力で取り組んだ」と繰り返し強調し、副復興相の今野東氏は落選決定後、「自民はラッキーだ。復興はこれから順調に進む。下地は民主が作ったんだから」と恨み節まで漏らす。だが、自民に投票したという愛島東部仮設住宅(名取市)の遠藤一雄自治会長(66)は「求めているのは復興のスピードアップ。自民の政策が良いわけじゃないが、民主は政策がすぐに変わる。この先の復興も信頼できない」と、被災者からは厳しい声が上がる。岡崎氏も選挙後、「(民主の復興施策は)不十分だった、という有権者の判断だ」と認めざるを得なかった。
民主候補は、高校授業料無償化や子育て支援の実績を強調し「生活者に目線を置いた政治を」とも訴え続けた。毎日新聞が選挙期間中に実施した世論調査によると、比例投票先を尋ねた質問では、社会保障に関心のある層の2割強が自民に投票すると答えたのに対し、民主は2割弱にとどまっていた。訴えている政策が有権者の投票行動に結び付いていないことがうかがえる。
惨敗だったとはいえ、民主候補は県内6小選挙区で計28万人以上から得票した。名取市で被災した男性(58)は「負けるのは分かってたけどさ、震災の時、足しげく通って頑張ってくれたから」と、民主の前職・橋本清仁氏に1票を投じたという。5区で当選した安住淳氏は「復興をどうやって加速していくかは、与野党を挙げて前向きな提言をするべきだ」と訴えてきた。復興は、政局にも政権にも関係なく進めなければならない。野党となる見込みの民主党は、落選した候補者も含め、これから何をするのか。「風」に左右されない政治家としての信頼を手に入れる行動が求められている。【金森崇之、渡辺豊、山越峰一郎】
12月19日朝刊
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:00:10
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121220-00000007-mailo-l04
自民“圧勝”の背景:12年衆院選/下 第三極 最後までちぐはぐ /宮城
毎日新聞 12月20日(木)10時59分配信
◇「離合集散」を象徴 比例には期待の表れも
維新の石原慎太郎代表と橋下徹代表代行という“二枚看板”は、総選挙で仙台市入りした。しかし、その口からは、東日本大震災からの「復興」を任せるに足る言葉は聞こえてこなかった。
11月下旬のJR仙台駅前。橋下代表代行は「役所組織を動かせないから震災復興が進まない。一体何年たったんですか」と数百人の聴衆に呼び掛けた。震災発生からまだ2年もたっていない。そんなことも意識のうちになかったかのよう。また、選挙戦最終盤に青葉区の繁華街で演説した石原代表に至っては「自民も民主もバカ」「有色人種で近代国家を造ったのは日本だけ」など過激な発言で聴衆をあおるものの、復興については口にすることもなかった。
◇
その橋下、石原両氏の名前を街頭で連呼した維新の候補者たち。選挙戦を通じ、ちぐはぐな動きを続けた。
「復興」を掲げてみんなの候補者がいる1区で出馬表明した榎秀隆・新宿区議は、公示当日になって「家族、支持者の理解が得られなかった」と出馬を断念した。みんなの党との競合関係がなくなると、維新はみんなの林宙紀氏に推薦を出して連携。4区の維新、畠山昌樹氏は選挙戦終盤、仙台市で林氏と街頭で肩を組んで「実行力があるのは橋下徹と林宙紀」と叫んだ。
太陽の党から維新に合流した2区の中野正志氏。選挙戦では、自民時代からの地盤固めに注力したうえで維新の浮動票に期待したが、及ばなかった。
中野氏は「東北では維新のイメージは遠かった」。落選が決まると敗因をそう語り「落下傘はダメ。有権者をなめてる」と1区で出馬断念した榎氏を非難。批判の矛先を維新そのものにも向けた。
4位だった自身の比例順位については「自民ですら比例重複の候補者はオール1位(で平等だった)。『維新さん』が既存政党をいろいろ言うけど、比例順位のつけ方については既存政党以下だ」。維新を「さん」付けして呼ぶ様子はまるで他党批判。一枚岩になれない党内事情を象徴していた。
民主を離党して2区で未来から出馬し、惨敗した斎藤恭紀氏は「政党が離合集散することに対し、(有権者に)嫌悪感が強くあったのではないか」と語る。民主で政権交代の風に乗った前回選は約6万票もの大差をつけて自民候補に圧勝した斎藤氏。今回の選挙戦を「多党化で票が分散した。逆風ではなかったが、無風状態だった」と振り返る。
◇
一方、有権者が「第三極」に一定の期待を寄せたことは確かだ。比例代表の県内での得票率は、維新(17%)、みんな(8・8%)、未来(7・1%)。3党合計で3割を超え、2大政党と言われた自民(28・3%)や民主(18・1%)を上回った。
みんなは比例東北ブロックで議席も得た。ただ、県内の「第三極」で唯一当選(比例復活)した同党の林氏は「小選挙区では確実に負けた。それも3番で、トップには大差をつけられた。有権者は、私ではダメ、という判断を下した」と、笑顔は見せなかった。
県内で有権者の選択肢としての浸透力は弱く、結果として自民圧勝の一因となった「第三極」。林氏は気を引き締める。「少数では壁にぶつかることを避けられないだろうが、自分たちの政策を曲げず、少しずつでも人々の心に届くことを信じたい」【宇多川はるか、金森崇之、三浦研吾、近藤綾加】
12月20日朝刊
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:00:39
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1112/20121218_02.htm
反転の衝撃 師走攻防(上)1勝5敗の民主、深層崩壊
落選が決まり、支持者に頭を下げる今野。2区での得票は自民、維新に次ぐ3番目に甘んじた=16日夜、仙台市泉区の選挙事務所
16日投開票された衆院選で、県内の6小選挙区は自民党5勝、民主党1勝の結果となった。政権交代劇が起きた前回(2009年)から反転。「民主王国」は強烈な政権批判を浴びて崩壊した。東日本大震災の後、初の総選挙に挑んだ各党の戦いの軌跡を振り返った。(衆院選取材班)
◎未熟さ「風」で露呈
熱気に包まれた3年前の夏とは正反対の、冷え冷えとした光景だった。
「マニフェスト(政権公約)を達成できない民主党への怒りだろう」
16日深夜。宮城2区で落選が決まった民主党元議員の今野東(65)は、支持者が帰り始めた仙台市泉区の事務所で、静かに敗因を語った。
選挙戦では達成できなかったマニフェストの釈明に追われた。個人演説会でも、街頭演説でも謝罪の言葉が入り交じり、有権者の支持離れを加速する悪循環を生んだ。
自民前議員に4万票差をつけられる惨敗。比例復活の可能性も早々に消えた。
「結果を謙虚に受け止める」。支持者に深々と頭を下げた今野。政権党のプライドを懸けて挑んだ戦いは、怒りの民意の前に沈んだ。
<不信感と諦め充満>
「民主党議員だった時期も含め、活動や訴えに審判が下った」
昨年12月の民主離党後、新党きづな、国民の生活が第一を経て日本未来の党に合流した前議員斎藤恭紀(43)は16日、今野の事務所から約2キロ離れた泉区内の事務所で、がっくり肩を落とした。
「脱原発」「反消費増税」。選挙戦では未来の看板政策を訴えたが、事務所には「民主党から2人が立候補したのか」との声が寄せられた。民主批判の火の粉からは、逃げようがなかった。
「政治に対する不信感と諦めが充満していた。逆風というより無風の選挙だった」。前回、2区で過去最多となる15万8000票を得た票は4分の1以下に激減した。かつて同僚だった今野との悲しい相打ちだった。
<支持基盤強化怠る>
民主党元議員の郡和子(55)は、1区で自民党元議員に敗れたが、かろうじて比例で復活した。
「政権運営に未熟な部分があった。慢心やおごりもあったのだろう」
民主王国の発祥の地である仙台での惨敗。比例の市内の得票は自民だけではなく、日本維新の会にもリードを許す結果となった。
政権にいる間、逆風にも揺るがない強固な支持基盤づくりを怠ってきたことも、拍車を掛けた。
3区の前議員の橋本清仁(41)は、前回退けた自民党元議員に4万票以上の大差で完敗した。国土交通、復興両政務官など与党議員としての活動を充実させたが、地域単位の後援会は、前回衆院選からの3年余りで一つも増えなかった。
選挙戦では、辻立ちや自転車での街頭活動に力を入れ、無党派層の取り込みを重視した。作戦は裏目に出た。陣営幹部は「目先の大票田に飛びついた。焦りが出た」と、空中戦頼みの民主の「悪癖」を悔やんだ。
6区では、2区で当選経験がある元議員鎌田さゆり(47)が、自民前議員に大敗を喫した。結果に立ちすくむ選対本部長で党県議の内海太は、自虐的に語った。
「民主党はかつての自民党議員のように議席を守る執念がない。与党から野党に落ちる怖さ、惨めさを知らない。未熟な政党だ。逆風が吹けば飛んでしまう」(敬称略)
2012年12月18日火曜日
8269
:
チバQ
:2012/12/21(金) 00:01:04
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1112/20121219_05.htm
反転の衝撃 師走攻防(中)自民、実感なき勝利
当選が確実となり、乾杯する土井(中央)。徹底した自民党型選挙で再選を果たした=16日夜、仙台市青葉区の選挙事務所
◎振り子「次」に警戒
「いつも通りの地上戦を展開しただけだ。これだけの票差がついた実感がない」
16日夜。宮城1区で再選を決めた自民党元議員土井亨(54)の選対幹部は、議席奪還に沸く仙台市青葉区の事務所で、しきりに首をかしげた。
得票数は8万7482票。政権交代の風になぎ倒された前回2009年の得票数を81票上回ったにすぎない。一方、争った民主党前議員の郡和子(55)は投票率が約10ポイント下がったことも相まって、9万票近くを失った。
「追い風は感じなかった」と土井は言う。選挙運動は郡部から都市部に向かって票を固める基本を徹底した。郡の地盤の太白区では3度目の対決で初めて勝利した。
「県議や市議の議員団が引き回しや個人演説会を設定した。古い選挙手法だが『古いから駄目』ではない」
選対本部長を務めた県議の相沢光哉(74)は久しぶりに奏功した「自民党型選挙」の威力に満足しつつ、「第三極勢力が東北で大きな風にならなかったことが幸いしたことも否めないが…」と付け加えた。
<下野の代償 得票減>
4区は党の「看板」に物を言わせ、食らい付く民主党候補を退けた。
「政治への信頼を取り戻す」。4選した元議員の伊藤信太郎(59)は16日夜、塩釜市の選挙事務所で党のフレーズと絡めて勝ちどきを上げた。
前回大敗した民主党前議員の石山敬貴(42)に2万6000票の差をつけての快勝だったが、野に下った3年3カ月の代償は小さくなかった。
得票は前回から1万2360票減らした。元衆院議長で父の故宗一郎の地盤だった加美地区では石山の後塵(こうじん)を拝した。熱気のない不思議な勝利に、自民党県議の一人は「候補者がどうこうではない。有権者は最初から『自民』と決めていた」と分析する。
選挙のたびに左右に揺れる民意の振り子。民主の自壊と、第三極勢力の票の分散で、自民は地滑り的勝利を手に入れた。
5区では、5月の公募で支部長に就いた大久保三代(36)が比例東北で復活当選した。1996年の小選挙区比例代表並立制導入後、5区の候補が初めて議席を獲得。結果、6選挙区に擁立した全員が当選を果たした。
<真の勝負は参院選>
実感の伴わない圧勝。県連内には先を見据えた警戒感が漂い始める。2区の混戦を制した前議員の秋葉賢也(50)は当選後、「全国でこんなに勝つとは思わなかった。次の衆院選を考えると思いやられる」と語った。
17日に仙台市内であった党県連の三役会議で、県連選対本部長の参院議員愛知治郎(43)は「返り血を浴びる覚悟で政権を批判した。わが党にも有権者の厳しい目が向けられている」と選挙戦を総括した。
愛知は来年夏の参院選で改選を迎える。「揺り戻しは必至」(党関係者)と言われる情勢に、県連幹部は「真の勝負は夏の参院選になる」と表情を引き締めた。
(敬称略)
2012年12月19日水曜日
8270
:
チバQ
:2012/12/21(金) 00:01:28
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1112/20121220_03.htm
反転の衝撃 師走攻防(下)離合集散、第三極の拙攻
比例復活を果たし、気勢を上げる林(右から2人目)。1区では自民党の後塵(こうじん)を拝した=17日午前0時30分ごろ、仙台市青葉区の選挙事務所
◎「身内」つぶし合う
二大政党への攻勢、第三極勢力内の競合を経て、たどり着いた最後の敵は「身内」だった。
17日午前0時すぎ。宮城1区のみんなの党新人林宙紀(35)は、半信半疑のまま仙台市青葉区の事務所に入った。歓喜に沸く支持者。開票速報は、林の比例復活当選を告げていた。
小選挙区では、自民党元議員に5万票近い大差をつけられて落選。一方、みんなは東北で約30万票を獲得し、悲願の比例1議席を確保した。
林と、その議席を争ったのは2区の新人菊地文博(52)。林陣営は電卓を片手に開票速報を見守った。「菊地の惜敗率が予想以上に良さそうだ」「薄氷だな…」
惜敗率は林が43.79%、菊地は30.20%。軍配は林に上がった。
<維新、ちぐはぐ対応>
1、2区でみんなの戦い方はねじれていた。原因は日本維新の会のちぐはぐな対応にあった。
維新は当初、両選挙区に独自候補の擁立を予定していたが、1区の新人が公示日にまさかの撤退。維新は林を推薦した。維新元議員が立つ2区で、菊地は対決を余儀なくされた。
16日夜、菊地は泉区の事務所で「第三極が競合したことで二大政党に対する批判票の受け皿になりきれなかった」と恨めしそうに語った。
維新の2候補は、党内事情も相まって、風を起こせなかった。
公示日前日の3日夜。2区の維新元議員中野正志(64)の陣営に激しい動揺が走った。党が発表した比例名簿で中野は4位。復活は厳しい順位だった。自民党時代、衆院議員を3期務めた実績は無視され、新人と同列の扱い。不満を抱えたまま、戦いは始まった。
選挙戦では「自民の中野」が、維新の追い風を阻んだ。「自分の支持者は自民支持層が多い。何度も離党理由の説明を求められ、つらかった」と中野。強固な支持基盤が逆に足かせとなり、維新効果を相殺した。
<わだかまり抱えて>
4区に立った維新政治塾出身の新人畠山昌樹(38)もわだかまりを抱えたままの選挙戦だった。
「有権者には、党の政策がぶれたように映ったのかもしれない」
畠山は16日夜、多賀城市内の事務所で党への不満をのぞかせた。脳裏にあったのは中野も所属し、石原慎太郎が率いる太陽の党との合流だった。
「日本を変えるのは橋下の突破力だ」。街頭演説で、畠山は代表代行の大阪市長橋下徹の名前のみを連発。14日に石原が仙台入りし、中野と中心商店街を回った際も、合流を断った。
畠山が省みる。「第三極は有権者の信頼を勝ち取るまでに至らなかった。『(他党に比べれば)信用できる』と自民に票が流れたのではないか」
第三極では日本未来の党も1、2、5区に候補者を立てた。結党は公示日の1週間前。名刺やポスターを間に合わせるのが精いっぱいだった。政党の浸透すらままならないまま、沈んでいった。
有権者不在の離合集散を繰り返した第三極勢力。風狙いの戦いは低投票率の前に屈し、拙攻は自民を大勝へと導いた。(敬称略)
(衆院選取材班)
2012年12月20日木曜日
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:02:04
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121218-00000018-mailo-l05
保守回帰:12衆院選・秋田/上 3区 村岡氏「維新」掲げ猛追 /秋田
毎日新聞 12月18日(火)12時5分配信
16日投開票された衆院選で、県内3選挙区は自民が議席を9年ぶりに独占した。維新も比例で復活当選し、第三極として一定の支持を獲得した。一方、民主は全議席を失い完敗。未来も支持が広がらず惨敗した。「民意」が前回選から一転、保守勢力を選択した背景には何があったのか。選挙戦を各区ごとに振り返り、再び大きく変わり始めた政治を展望する。
◇御法川氏は組織フル回転
「1カ月前まで3区は楽勝と言われた。しかし今は(相手が)後ろ、手の届くところに迫っている」。選挙戦終盤の13日夜、大仙市の自民元職、御法川信英氏(48)の個人演説会で、党県連の渋谷正敏幹事長は声を張り上げ、接戦を強調した。
猛追していたのは日本維新の会新人、村岡敏英氏(52)。元官房長官の父、兼造氏の地盤を受け継ぎ、浪人中に3区内の14万軒を回るという従来型のどぶ板選挙に加え、無党派層から第三極勢力への追い風を受けようとしていた。
「どんでん返しもありうる」(農業関係者)。御法川氏の陣営は危機感を深め、組織の引き締めにかかった。
個人演説会や街頭では「公共工事が必要」と強調。陣営幹部は「これで村岡氏側からこちらへ回った建設業者もいる」と明かす。
自民党系の県議や市議は政権再交代を目指して「自民党選挙」をやろうと、各自の後援会組織をフル回転させた。前回は自主投票だった公明党も実質的に支援。今回は県本部の田口聡代表が応援に駆けつけ「自公でもう一度政権を取り戻そう」と呼びかけた。
投票結果によると、地盤の大仙・仙北地域では得票率65%と圧倒的な強さ。保守系の地元候補がいない湯沢・横手地域でも票を伸ばした。共同通信社の出口調査では自民支持層の8割が投票した。
◇ ◇
「4回目の挑戦なんて普通できない。皆さんに支えていただいたおかげです。これからが本当のスタートだと思っています」
17日未明に比例復活で初当選が決まった村岡氏は、目を赤くしながら頭を下げ、感謝と決意の言葉を述べた。
御法川氏とは今回で3回目の顔合わせ。2世同士の保守分裂と見なされてきたが、村岡氏本人はこの構図に違和感を漏らしていた。事務所幹部は「(村岡氏は)当初から地方の大切さと政界再編を訴えてきた。維新の登場でそれが浮上し、有権者に受け入れられたのでは」とみる。
選挙期間中、事務所には若者からの応援電話がこれまでにないほど寄せられたという。しかし、投票率は前回より10・06ポイントも落ち込み、期待の「風」は吹かなかった。地盤の本荘由利地区は固めたが、得票数は従来と同じ7万票台にとどまった。ただ、東北ブロックの維新比例候補で固い地盤を持つ候補は少なく、惜敗率76・59%で当選を果たした。
一夜明けた17日、村岡氏は「(維新は)第三極の中心で第二極になっていく勢力。大きな一歩を踏み出した。仲間とともにこの国の政治を変え、地方の時代を作っていきたい」と力を込めた。
◇ ◇
未来前職、京野公子氏(62)は、前回の10万票から2万5000票に激減。「未来が浸透しなかった」と敗戦の弁を語った。
民主を離党して結党に参加した国民の生活が第一は、選挙戦直前に未来に合流。地元で離党と生活について説明に回り「ようやく浸透してきた」(後援会関係者)ところだった。
京野氏は消費増税反対、原発ゼロなど「信念は貫いた」とし、今後は「生まれたての未来を育てていきたい」と語った。
民主新人、三井マリ子氏(64)は民主が空白区になった3区に擁立。高校卒業以来という古里・横手に帰郷し、「社会保障のプロ」をアピールして回った。公示後は毎晩個人演説会を開き、国道で朝立ちするなど知名度アップを図ったが、浸透しきれなかった。
9年ぶりに候補を擁立した共産新人、佐藤長右衛門氏(68)は党勢拡大に努め、比例代表の東北ブロック1議席死守に貢献した。【小林洋子】
12月18日朝刊
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:02:31
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121219-00000105-mailo-l05
保守回帰:12衆院選・秋田/中 1区 寺田氏、逆風読み切れず /秋田
毎日新聞 12月19日(水)12時58分配信
◇冨樫氏は組織戦で着実に
「これが国民のみなさんのご判断だったと真摯(しんし)に受け止めたいと思います」。16日午後8時すぎ、秋田市選管がまだ開票も始めないうちに自民新人、冨樫博之氏(57)の勝利が伝えられると、民主前職、寺田学氏(36)は同市のホテルに設営した会場で支持者らに頭を下げた。
公示後、選挙カーを一切使わず、前回よりも多い108カ所で小集会を実施。有権者との対話を進め「コンクリートから人へ」の政治の継続などを訴えた。集会の参加者は毎回数十人程度で、合計すると約2000人に上ったが、わずか数人だったり、誰も訪れなかったことすらあった。陣営内には選挙カーの使用などを勧める声もあったが、圧勝した前回と同じ「有権者と触れ合う」スタイルにこだわった。
選挙戦最終盤の14日の集会。この時だけは約300席の会場を用意していた。既に各種世論調査で劣勢が伝えられていた寺田氏は「ここまで大きなうねりで『もう一回自民党にやらせてみよう』という流れになるとは正直思わなかった」と心情を吐露。首相補佐官として政権中枢にいた寺田氏だが、民主への逆風の強さを読み切れていなかった。
共同通信社が実施した投票出口調査によると、寺田氏に投票したのは民主支持層は8割超だったが、無党派層は約4割。さらに連合秋田の推薦を得たものの、連合も一枚岩ではなく、自治労県本部など参加の一部労組は支援を見送った。また、父で前知事(97〜09年)の典城氏(現みんなの党・参院議員)の影響力の低下を指摘する声もある。
寺田氏は「政権交代に期待した方々の失望感が厳しく逆風としてあった」と戦いを振り返った。
◇ ◇
一方、寺田氏の4選を阻んだ冨樫氏は、徹底した組織戦を展開した。
「知名度ではかなわないが、地の利では負けない」と、昨年から1000社以上の企業を訪問。環太平洋パートナーシップ協定(TPP)反対の姿勢を打ち出し、県農政連と公明党のほか700以上の企業・団体から推薦を得て着実に支持を広げた。
公示後は自民党会派の県議と約20人の秋田市議団の協力を得ながらほぼ毎晩集会を重ねた。集会には各地区を地盤とする県議らがあいさつに立ち、地盤とする仁井田地区以外にも浸透、自民支持層を固めた。
演説では「秋田市生まれの秋田市育ち」をアピール。「秋田に軸足をしっかり置く」と強調し、首相補佐官になり地元に帰る機会が限られた寺田氏との違いを訴えた。また、自分は「農家の次男」だとして、前知事の次男で商社マンから転身した長身の「イケメン」寺田氏との差別化も意識。演説では決まって「最後に一つだけ」と切り出し、若くして夫を失い女手一つで自分たち兄弟を育て上げた母親の言いつけだとして「私はウソはつきません」と力を込めた。冨樫氏自身も「情に訴えた」と認めるが、こうした従来型の手法が、投票率の低下もあり、冨樫氏の圧勝につながった。
陣営幹部の一人は「(05年の)郵政選挙の時のような追い風は感じなかった。相対的に自民が支持を受けただけ」とあくまでも民主への逆風が大きかったとみる。
「第三極」を目指した日本維新の会と日本未来の党は支持に広がりを欠いた。共産も前回選から大幅に得票数を減らす結果となった。【坂本太郎】
12月19日朝刊
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:02:58
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121220-00000090-mailo-l05
保守回帰:12衆院選・秋田/下 2区 金田氏、追い風なくも圧勝 /秋田
毎日新聞 12月20日(木)12時30分配信
◇組織の弱さ露呈した川口氏
「今回は民主党の敵失だな」。自民党の鈴木洋一県議は投票前から自民優勢の雰囲気をこう表現した。安倍晋三総裁も16日夜、「自民党に信頼が戻ってきたというよりも、民主党の3年間の混乱に対するノーという国民の声だ」と圧勝した選挙戦を総括した。
得票率51%と自民の県内3候補の中で最も高かった2区の金田勝年氏(63)。前回選は1351票差で民主の川口博氏(65)に敗れたが、雪辱を期し後援会を37から56に増加。特に川口氏の地盤、大館市は後援会を3から11に増やした。地元の首長や県議をはじめ、金田氏を後継指名した元衆院議員、野呂田芳成氏も応援に駆け回った。結果的に川口氏に3万4000票の大差をつけ、念願の小選挙区勝利を果たした。
しかし、2区の投票率は63・28%と前回比11・32ポイント減。県内3区の中で最も大きく落ち込んだ。その中で金田氏は前回比853票減の9万1747票とほぼ同数を維持したのに対し、川口氏は同3万6559票減の5万7392票。民主の自滅に加え、組織力を強化した金田氏の戦術が奏功したといえる。
それでも「前回選の政権交代に期待したような追い風が自民にあったわけではない」(鈴木県議)。集会のたびに支援者は何百人と集まったが、「政権交代」や「小泉旋風」の時のような高揚感は最後まで見られなかった。陣営幹部も「自民支持層は高齢化が進み、若い世代や無党派層への浸透が今後、特に重要な課題」と話す。
金田氏は17日、記者団に「みなさんとお約束したことを真剣に受け止め、責任ある誠実な安定した政治をしっかりやっていく義務を示す必要がある」と語り、気を引き締めた。
◇ ◇
民主党が6月に実施した選挙区の情勢調査。川口氏は金田氏に「かなり離されていた」(陣営幹部)という。川口氏は危機感を深め、地元での国政報告会だけではなく、農業や地場産業などの従事者に会いに現場へ足を運び、膝をつき合わせて将来を語った。8月の党調査では2人の差は縮み、川口氏は「現場主義」に手応えを感じていた。
人物本位を訴え選挙戦に突入したが、遊説先では「民主だろ」「うそつき」とののしられ、話も聞いてもらえないことも。逆風の強さは予想以上だった。
「私の不徳のいたすところ」。投票終了直後の16日午後8時過ぎ、大館市の選挙事務所に集まった支援者に、川口氏はトレードマークの白いジャージー姿で敗戦の弁を述べ、深々と頭を下げた。陣営幹部は「川口は事務所スタッフらに、支援してくれる町村議を増やし、旧市町村単位で支援組織を作っておけと口すっぱく指示していたが、それができなかった。不徳というのは、その反省もある」と解説する。
前回選で民主、社民両党と連合秋田との3者協力が崩れた問題が今回も尾を引き、連合秋田は川口氏を推薦でなく支持ににとどめた。党の組織力の弱さも敗北の要因だったことは否めない。
◇ ◇
社民、共産の「老舗」護憲政党は憲法改正反対、原発ゼロなどを訴えたが、2区では第三極勢力が候補を擁立しなかったにもかかわらず政権批判票の受け皿となれず、退潮傾向に歯止めをかけられなかった。
社民の石田寛氏(65)は地元・大館市で健闘。得票は前回選で社民候補が取ったより5600票多い1万724票だったが、ほかの市町村は知名度不足が響いた。共産の佐藤邦靖氏(57)は選挙戦で178回の街頭演説をこなし浸透を図ったが、伸び悩んだ。【仲田力行】
12月20日朝刊
8274
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:04:52
>>8242
とか 山形
http://www.asahi.com/area/yamagata/articles/MTW1212190600001.html
2012年12月19日12時07分
衆院選振り返って 記者紙上座談会
「日本を耕す」「新しい自民党」を訴えた鈴木憲和氏=米沢市役所前
∞ 当選者が一変 背景は
16日の衆院選は自民が294議席を獲得し、政権を奪回した。県内では1、2区でともに自民が勝利し、2区で民主候補が比例区で復活。3区では14選を期した自民の重鎮が敗れた。2009年の前回衆院選から当選者が一変した背景に何があったのか。選挙戦を取材した西尾邦明、遠藤隆史、伊東大治、内藤文晴、岡田和彦、上田真仁の6人の記者が振り返った。
◇ 遠藤氏、目標を上回る票差
西尾 民主党への逆風は予想以上だった。1区では投票率が低い中でも、遠藤利明氏が各市町で目標を上回る票差で鹿野道彦氏を突き放した。鹿野陣営にすれば解散のタイミングが悪すぎた。地元秘書に「年内解散はない」と伝えており、大きく出遅れた。「逆風どころか台風に吹き飛ばされた」という連合山形会長の言葉が印象的だった。
内藤 2区の近藤洋介陣営の幹部は公示前、「車で回っても市民の反応が悪く、こんなことは初めてだ」と嘆いていた。連合の取り組みが遅いとも感じていたようだ。特に主力の電機労連は半導体不況やリストラなどの影響をまともに受けて選挙どころではなかったという。
伊東 鈴木憲和氏は自民の地方議員と公明の組織に頼る選挙だけに、100もの後援会を持つ近藤氏がぎりぎり競り勝つとの見方もあった。最大の有権者がいる米沢市の得票は近藤氏が前回3万3千余から1万7千票と半分に減らしたが、鈴木氏は前回落選した自民候補とほぼ同じ。民主への逆風が自民への追い風とはならず、減った票は一部は維新、あとは投票率低下分だ。地元県議で自民党県連の中川勝政調会長は「自民に風が吹いた感じはしなかった。民主が自滅しただけ」と話していた。
◇ 加藤氏、鶴岡でも票奪われ
岡田 3区の加藤紘一氏の陣営は厳しい選挙と口々に言ってはいたが、よもや敗れるとは思っていなかったのではないか。マイナス要因としては、「加藤の乱」以後影響力を失い、ともに活躍した大物政治家も次々と引退、自身の健康不安も顕著だったこと。陣営は「集大成」と最後の選挙をにおわせて引き締めを図ったが、引き際を見誤った感が強い。個人演説会などで応援弁士の大物政治家らが盛り上げた後、加藤氏が力のない口調で話し始めると会場が静まりかえる場面を何度も見た。落選後、「健康管理も含めて、私の判断ミス」と述べたが、今後4年間、政治家を続けていけるのかとみた長年の支持者が離れたとみるべきだろう。一方、阿部寿一氏は新庄・最上では足場をつくり手応えを感じていたが、鶴岡市中心部は最後まで連絡所も設けられなかった。それでも鶴岡市で1万5千票余も取ったのは陣営も予想していなかった。
遠藤 加藤氏の周辺は「酒田市で負けても新庄・最上で五分に持ち込めば、鶴岡市で逆転できる」と踏んでいたが、鶴岡で予想以上に票を奪われた。阿部氏との票差はわずか1465。ある自民党関係者は「加藤さんはこれまで『絶対に勝つ選挙』ばかりだった。固い地盤が崩れ始めたとき、陣営や県議もどう対応すればいいのかわからなかったんだろう」とこぼした。阿部氏支援に転じた有力者を取り返す努力も足りなかったといえそうだ。
岡田 候補を擁立できず「不戦敗」だった民主の影響も大きい。前回は選挙協力で民主支持層の多くは社民党の吉泉秀男氏に投票し復活当選の原動力となったが、今回は4割以上が阿部氏に流れた。民主候補が出ていれば阿部氏当選の目はなかっただろう。
上田 2年前の参院選の公認をめぐる岸宏一参院議員氏と加藤氏のしこりが、これまで加藤氏が圧倒的に強かった最上地方で票を減らす一因となったのは間違いない。新庄市と金山町で阿部氏に敗れたのには、正直驚いた。
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:05:31
◇ 橋下人気でも維新振るわず
内藤 公示前に維新の橋下徹代表代行が初めて来県し、米沢市と酒田市で熱弁を振るった。米沢では激しい吹雪の中を500人近い人が駆けつけた。川野裕章氏は直前にみんなの党を離党して維新に移ったこともあり、維新の名前がそれほど知れ渡っていると思わなかったから驚きだった。しかし、選挙結果は7万票の目標に対し2万6千票余りで、橋下人気を得票につなげることはできなかった。
岡田 酒田市での3区の佐藤丈晴氏の応援では、人気者の登場に最初は会場が沸いたが、原発問題を中心に50分間話すと、参加者がしだいに下を向き、熱を失っていった。「実行力のある我々にまかせてほしい」と橋下代表代行は繰り返し強調したが、小選挙区ではブームにほど遠かった。ただ、比例区では民主を上回り、県内でも一定の支持を集めた。
◇ TPP・原発・・・争点不明確
西尾 今回の衆院選では民主党政権への評価はもちろんとして、具体的な政策では何が最大の争点だったのか、はっきりしなかった。TPP(環太平洋経済連携協定)をめぐって、鹿野氏は交渉参加反対を解散後の反TPP集会で明言し、農家やJAは好意的に受け止めた。その意味では近藤氏とは対照的だった。鹿野氏はマニフェストからTPP交渉参加を「進める」という表現を削るなど歯止めの役割も果たしたが、民主党そのものへのJAの不信感は大きかった。情勢調査などでは農林漁業者層の支持が圧倒的に遠藤氏より少なかった。1年9カ月間の農林水産相としての実績が十分に評価されていないことに驚いた。県農政連が推薦を出さなかったことも大きなポイントだった。
岡田 3区の争点は景気回復、雇用だった。加藤氏は党の要職を歴任して国家を論じ、地元へのめだった利益誘導をせず、地元でもその姿勢を認めてきた風土があった。ただ、地方では高速道路や新幹線などの社会資本(インフラ)整備の遅れが目立ってきた。酒田市長として周辺町村と地域の悩みを共有していた阿部氏にその点を突かれ、新庄・最上でも共鳴する支持者が増え、「加藤王国」の一角が崩れ始めるきっかけとなった。加藤氏は敗戦の弁で「政権をとったら、今度は地元のために仕事をするつもりだった」と言っていたが、有権者にとっては遅かった。
伊東 原発事故とエネルギー政策に関する関心は、景気回復・経済再生の掛け声にかき消され、争点だったのかと思えるくらい低かった。2区の鈴木氏は原発はできるだけ早くなくすべきだとの考えだが、「現実を直視して電力は足りなくていいのか」との立場でもある。近藤氏も脱原発を達成するため、ありとあらゆる政策投資を進めると訴えた。けれど電力会社の発送電を分離させるところまで電力会社を解体しないと、脱原発は実現できない。「新しい自民党」を掲げる鈴木氏が電力=財界との関係にメスを入れられるのか、電力労組を傘下に抱える連合の支援を受けた近藤氏も事情は同じだ。
◇ 自民・民主 難題抱える
西尾 加藤氏の落選で、今後は遠藤氏が自民党県連をリードする一定の役割をはたしていく。3区の分裂という難題も抱える。本人は「早急に整理したい」と話しており、岸参院議員と連携して対応していくのだろう。一方、民主党は県連の屋台骨だった鹿野氏がいなくなり、参院選にも影響が出るだろう。吉村和武幹事長が言うように「地方組織の強化」が必要で、そのためにはまず党員や議員数を増やしていくなど地道な努力が必要だ。
岡田 加藤氏は開票翌日に予定していた記者会見を、「いまさら言うことはない」と
取りやめた。落選のショックは大きく、進退については後日、改めて述べるとしている。問題は今後だ。現時点では鶴岡の自民党は阿部氏の自民入りは認めないとの姿勢だ。酒田と鶴岡で、意地を張り合ってさらに足の引っ張りあいをするのか。協力しあって活気ある庄内をつくる努力をするのか。支持者たちはお互い冷静に将来のことを考えるべきだろう。
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:05:47
◇ 知事選へ影響は
西尾 鹿野氏は前回に続き、吉村美栄子知事の支援を期待した。しかし、知事選を来年1月に控え、自民党県議22人も知事を支援する中、政権復帰する自民党との関係悪化はプラスにならない。知事の後援会には「前回衆院選で恩は返した」との声が大勢で、知事自身、早い段階から「県政に邁進(まい・しん)したい」と特定候補を支援しない意向だった。もっとも心情的には鹿野氏に近いだけに、鹿野氏苦戦が報じられると「知事はとても心配している」と後援会幹部が明かした。
遠藤 知事の動向を自民党側が最終盤まで気にしていたのは間違いない。県議会の代表質問で金沢忠一県議が「知事はこれまで個人的な恩義に報いる形で特定候補を応援してきたが、県政を担う知事の振るまいは(選挙情勢に)影響を与える」と、選挙戦に首を突っ込まないよう釘を刺した。親吉村派の自民党県議には「鹿野氏の応援に動いたら、知事選で吉村知事の支援は絶対にしない」との声が根強かった。衆院選を終え、自民党県連の志田英紀幹事長は「今月中には知事選の対応も考える」としているが、知事が特定候補の応援に動かなかったことから「個人的にはその部分は踏まえる必要があると思う」と対立候補を擁立すべきでないとの考えを示唆している。自民党が大きく方針転換する大義もなく、主戦論を掲げていた加藤氏も落選したことから、候補者擁立はないだろう。
8277
:
チバQ
:2012/12/21(金) 00:06:23
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121218-00000082-mailo-l06
風は吹いた:12年衆院選/上 3区 結束乱れた自民 /山形
毎日新聞 12月18日(火)13時14分配信
◇候補公募せず不信感 「鶴岡VS酒田」「健康不安」も
衆院選で県内3小選挙区は、自民が追い風を受けて議席を1増やして2議席に。一方、民主は逆風を受けて2議席を失った。また「世代交代」という風も吹いた。各小選挙区の結果について事情を探った。
「政界のプリンス」と言われた自民、加藤紘一氏(73)の落選は多くの県民にとって衝撃だった。前酒田市長の阿部寿一氏(53)と競り合い、山形3区の投票率65・32%の中で得た両氏の票数は、阿部氏7万1768票、加藤氏7万303票。差はわずか1465票だった。加藤陣営の選対幹部は「(後援組織に)ねじを巻くのが遅かった。圧倒的勝利を重ねてきた我が陣営は戦い方を忘れてしまった」と悔やむ。
一方、阿部陣営には期するものがあった。鶴岡、酒田の2大都市は常にお互いを意識する。保守系国会議員がおらず「加藤代議士」誕生以来40年、酒田は鶴岡の風下に立ってきた。酒田に転機が訪れたのは昨年。加藤氏が病に倒れたのだ。発声や歩行に障害が出て、それが阿部陣営には「世代交代」の絶好の機会に映った。
阿部氏をさらに後押ししたのは加藤氏と自民の岸宏一参院議員(72)との確執だ。前々回05年知事選で新人斎藤弘氏を推す加藤氏と当時現職の高橋和雄氏を推す岸氏。前回09年知事選でも両氏の推す候補は割れた。そして2年前の参院選を巡り、決定的な出来事が起きた。金山町長の鈴木洋氏は言う。「加藤氏は岸氏にウソをついた」
当時も同党県連会長だった加藤氏は、現職で続投に意欲を示す岸氏に対し「公認公募」を提案。岸氏が「加藤氏もやるのか」と本人に尋ねると「やる」と答えたため公募を了承したという。阿部氏は金山町長から参院議員になった岸氏を自らの立場に投影するのか、岸氏を「政治の師」と言う。
関係者によると今年7月下旬、岸氏は阿部氏に「だから君にもチャンスがある。名乗りを上げれば公募になる」と言ったという。だが加藤氏は、立候補に関して阿部氏が直接相談しないことを快く思っていなかったとされる。結局、加藤氏は自ら公募を行うことなく3区公認候補となり、阿部氏は無所属で立候補することになった。
一方、岸氏はこの出来事が相当腹に据えかねたという。岸氏の支持者らも同様だった。今月2日、新庄市で開かれた自民・公明両党の総決起大会で、同席する岸氏に加藤氏は謝罪したが、不信感は容易にぬぐえず岸氏の支持者らの「阿部氏支持」の動きは止まらなかった。結果、阿部氏は新庄、最上地域で3084票差まで加藤氏に詰め寄った。
選挙期間中、阿部陣営のある幹部は得票率の当選ラインを鶴岡市20%▽酒田市50%▽両市以外30%−−と設定した。開票の結果、阿部氏の得票率は鶴岡市22%(加藤氏48%)▽酒田市52%(同18%)▽両市以外37%(同37%)。幹部は「見事的中した」と目を丸くした。
公示前、阿部氏と県議の会談を設定した鶴岡の県議の後援会幹部は「阿部氏がもろ手を挙げて良いわけではないが、加藤氏のあの姿では誰も付いていかない。加藤氏は引退時期を誤った。本物の鶴岡、酒田戦争は次期衆院選だ」とつぶやいた。加藤氏は「公認問題」と「酒田からの議員待望」、「健康不安」のトリプルパンチに沈んだ。【佐藤伸、浅妻博之】
12月18日朝刊
8278
:
チバQ
:2012/12/21(金) 00:06:57
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121219-00000112-mailo-l06
風は吹いた:12年衆院選/中 2区 民主の地盤崩壊 /山形
毎日新聞 12月19日(水)12時59分配信
◇自公が協力再構築 近藤氏、党と「TPP」の逆風
投票日前々日の14日、米沢市金池の自民、鈴木憲和氏(30)の選挙事務所。自民党市議数人が住宅地図を広げて協議していた。民主の近藤洋介氏(47)の支持者が多い芳泉町から鈴木氏に、遊説に来てほしいと要請があったため。市議の一人は「『今回(近藤陣営から支持要請など)何も言ってこないので来てほしい』と言われ、15日の遊説に急きょ組み込んでいる」。同市では鈴木氏が242票差で肉薄、近藤氏の牙城の地盤を切り崩していた。
鈴木氏は4選を目指す民主の近藤氏に挑んだ。近藤氏は前回09年選で自民候補の約2倍の16万票を獲得。今回、民主への逆風が激しいとはいえ自前の組織で固める「厚い壁」となった。自前組織がない中、自民、公明の地方議員らの組織に頼り知名度アップを図った。
結果は2区の17市町のうち米沢、大石田を除く15市町で最高得票数となり約1万8900票の大差を付けた。16日夜、鈴木氏は「『追い風』は微風だと思った。結局、民主はやると言ったことをやらなかった」と初当選の高揚の中で語った。
11月下旬、鈴木陣営は自民・公明がほぼ機能しなかった前回選を参考に2区内の自民の「基礎票」は約8万とみた。「公明党の推薦と農協関連票がカギ。10万票なら比例代表の復活当選圏だ」とし、当選には11万票以上が必要と見立てた。
公明との協力関係が本格的に機能し始めたのは11月下旬から。「小選挙区は鈴木」「比例は公明」という票のやりとりだ。1、3区の前職候補に早々と出た公明推薦は鈴木氏には公示日前日までずれこんだ。前回不調だった公明との信頼関係を再構築したのは「現役時代には公明党の皆さんに大変お世話になった」という遠藤武彦元農相(74)だった。
決起大会や個人演説会に公明の来賓として出席し続けた遠藤氏。3日夜、村山市民会館で開かれた「自民・公明合同総決起大会」にも出席した。公明党県本部の菊池文昭代表は鈴木氏に推薦状を渡した後「遠藤先生からの格別なご指導をたまわり推薦が決定した」と話した。鈴木氏も各地の総決起大会で「比例は公明党と書いてください」と訴えた。
ただし2区の公明の比例票は2万107票で、前回09選を3531票下回った。2区の目標の3万4200票にも届かず自公協力による票は伸びなかった。菊池代表は「短期間で手探りの選挙協力だった。お互いの戦い方が不明だった部分もあるので検証が必要」と課題を指摘。その上で「信頼できる関係をつくる選挙でもあった。信頼のために一歩踏み出した」と協力関係の意義を説明する。
一方、近藤氏は環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉参加で反対の立場をとらないため農協の反発を招いた。
選挙期間中唯一の日曜日の9日、近藤氏と支援関係の連合山形の組合員約80人が、街頭演説したスーパーから市役所まで「地域の即戦力」などのプラカードを持って約700メートルを行進。市役所前での街頭演説を始めると、道路向かいのJA山形おきたま系ガソリンスタンド従業員から「お客さんの声が聞こえないので音を下げてください」と苦情が寄せられた。近藤氏は「これは公選法で認められている選挙運動なので、よろしくお願いいたします」とマイクで同スタンドに向かいお願いした。このやりとりに近藤氏の支持者からは「これも農協が猛反対のTPP交渉参加に反対ではないせいかな」という声も漏れた。【近藤隆志、浅妻博之】
12月19日朝刊
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:07:27
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121220-00000157-mailo-l06
風は吹いた:12年衆院選/下 1区 鹿野氏の敗戦 「解散反対」で出遅れ /山形
毎日新聞 12月20日(木)15時34分配信
◇遠藤氏、夏から活動本格化
「比例代表の復活当選はないと判断しましたので、ここで解散します」。16日午後11時ごろ、山形市芳野の民主の鹿野道彦氏(70)の選挙事務所で、陣営の山形市議が集まった報道陣に説明した。
午後8時すぎに自民の遠藤利明氏(62)に当選確実の一報が流れると、鹿野氏は事務所で「政権与党としての責務、内閣の一員としての職責に全力を挙げた。しかし選挙区になかなか帰ってくる機会も少なく皆様方には本当に大変なご苦労をかけた」とわびた。
午後11時ごろには陣営幹部の多くも事務所を離れ、17日午前1時ごろ、スタッフは事務所に張られたポスターをはがし始めた。
結局、鹿野氏は比例代表東北ブロックでの復活当選も果たせなかった。民主が獲得したのは3議席。鹿野氏は惜敗率で4位。わずか惜敗率0・72ポイントの差で議席に届かなかった。
なぜ議席を守れなかったのか。陣営関係者は後援会組織の高齢化、選挙準備の遅れを理由に挙げる。陣営は「一票一票がやはり重いということに尽きる。もう少し早く動いていればひっくり返せたのではという思いはある。鹿野さんは『年内解散をすべきではない』との立場で、選挙準備をこそこそ進めるわけにもいかなかった」と後悔をにじませた。
遠藤陣営は、今夏の段階で解散総選挙を見すえて活動を始めていた。区内のポスターを張り替え、上山市で支援者を集めた会合を開催。「山形市以外で2万票差をつけ、山形市で五分の勝負に持ち込む」を目標に、支持固めを進めた。
公示の段階で既に選挙は終盤戦−−。選挙経験者の間で教訓のように語られる言葉は今回はあてはまらなかったようだ。選挙戦に入ると、遠藤陣営関係者は「相手(鹿野氏)の姿が見えない。向こうは何をやっているんだろう」と首をひねった。出足が鈍いのか、支援者が動けていないのか。激戦を重ねてきた相手だけに、疑心暗鬼が募った。
遠藤陣営幹部の県議は「追い風はありません。自分たちで風を吹かせなければなりません」と演説会で繰り返し訴えた。「今回は遠藤さんで大丈夫だべ」と支持者が緩むのを心配して、引き締めを図った。「小選挙区は遠藤、比例は公明」との呼び掛けも徹底した。
選挙運動最終日の15日夜。陣営の自民県議が「今回ほど公明党さんと団結してできた選挙はない」と語るほど公明との関係は強固だった。遠藤氏は「追いかける選挙は得意だが、追いかけられるのは経験がなくペースがつかめなかった」と振り返り、結果を待った。
一方の鹿野陣営。「誰も追い抜くとか、逆転するとあいさつで言わなかった。勝てると思っていないからだ」。13日夜、山形市のホテルで開かれた鹿野陣営の総決起集会の後で、陣営の一人がつぶやいた。投票を3日後に控えた段階で、陣営の一部にはあきらめの雰囲気が既に広がっていた。
小選挙区では6回目となった「遠藤・鹿野対決」。結果は、山形市で遠藤氏が鹿野氏を1万4195票上回り、山形市以外では1万7563票の差をつけ、完勝と言ってよい結果になった。【安藤龍朗、鈴木健太】
12月20日朝刊
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:08:13
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121218-00000062-mailo-l07
ふるさとを選ぶ:’12衆院選・声は届いたか/上 戦後最低の投票率 /福島
毎日新聞 12月18日(火)12時44分配信
震災と原発事故後、初の国政選挙となった今回の衆院選。自民党が圧勝し、県内の衆院議員は自民6人(比例中国ブロックの吉野正芳氏含む)、民主2人、維新1人となった。課題が山積する中での選挙戦だったが、投票率は戦後最低の58・86%に。新議員に県民の声は届いたのか。新政権での課題は何か、選挙戦を振り返る。【衆院選取材班】
◇被災地置き去りの論争
「行ってもしょうがねえ」。会津若松市の仮設住宅で、大工の男性(65)=大熊町=は棄権の理由を吐き捨てるように言った。各党が掲げた「脱原発」「卒原発」もむなしく響く。「再稼働や新規建設を認めながら、選挙の時だけ言われても信用できない」。被災地置き去りの論争に、怒りを感じた。
「結局国は何もしてくれない。それが事故の教訓」。郡山市に避難中の2児の母(43)=楢葉町=は、候補者の話を聞き比べたが投票しなかった。「日常の中で苦しんでいる問題を理解してくれる人がいなかった」。娘の甲状腺検査のため訪れた病院の受付で言われた「楢葉町」の言葉に視線が集まるのを感じ肩身が狭い。「心も体も疲弊している。投票しないと何も変わらないのは分かるけど、心が折れたままでは……」とうつむいた。
県内5選挙区の中でも、5区(いわき市・双葉郡)は最も投票率が低い54・70%。今後の暮らしは、政治の行方に直接影響される。それなのに「投票の意味を感じられない」と棄権した有権者の声が多数聞かれた。
候補者側も感じていた。5区で当選した自民の坂本剛二氏は「街宣車から訴えても、皆疲れ切っていた」。4区で比例復活した維新、小熊慎司氏は「候補者が期待されていなかった。非常に恥ずかしい」と振り返った。
投票率49・62%で県内最低だった富岡町。遠藤勝也町長は「投票所も少ない。物理的問題もあった」とみる。全国各地に避難するが、投票所は県内3カ所、期日前は5カ所にしか設けられなかった。
投票所に行けない場合、不在者投票しかない。町選管は、県外避難者らに、本来は取り寄せる必要がある不在者投票用請求書をあらかじめ送付。約1000人が利用した。しかし、避難先を転々とするなど町が把握する住所に実際は住んでいない人もいる。担当者は「本人に確実に届いたかどうか、分からない」と頭を悩ませる。
町は仮設住宅と投票所を結ぶ送迎バスも運行させた。郡山市の仮設住宅に住む元農家の男性(74)=富岡町=は、このバスに約30分揺られ、1票を投じた。しかし、周りは空席だらけ。そうなるのも分かる。「仮設の生活実態など知ろうともしなかったのに、選挙になると『復興支援』だ。命がけで仕事してる政治家はいるのか」
大熊町も投票支援をした。だが、雪の積もった会津若松市の仮設住宅に暮らす女性(91)=大熊町=は「風が冷たく出歩けない」と、送迎バスにも乗れず、投票はあきらめた。
「選挙どころではない」。福島だけでなく、被災地選出の国会議員の多くがこう訴える中、野田佳彦首相はその声を振り切って解散を断行。それを再三要求していたのは自民ら当時の野党だ。「自民も民主も、どっちも同じ」(富岡町の女性)。いつの間にか、国政の主な話題は政権の再交代に移っている。そんな中、声さえ出せない被災者の存在は、今にもかき消されそうだ。
12月18日朝刊
8281
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:08:41
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121219-00000118-mailo-l07
ふるさとを選ぶ:’12衆院選・声は届いたか/中 原発、争点にならず /福島
毎日新聞 12月19日(水)12時59分配信
◇県内自民、再稼働賛成触れず
「原発は争点にならなかった」。民主・増子輝彦県連代表(参院議員)はこう分析した。福島第1原発事故は、避難や被ばくだけでなく、人口流出や風評被害など間接的な影響も含め、県民皆を今も苦しめ続けている。なぜ争点になり得なかったのか。【衆院選取材班】
原発に対し、民主・自民の両党の立場は一見、真逆に見える。民主はマニフェストで「30年代原発ゼロ」を掲げた。これに対し、自民は政権公約では態度を保留したものの、安倍晋三総裁は再稼働に賛成の立場を表明している。
ところが、民主は今夏、関西電力大飯原発3、4号機(福井県)を再稼働させ、電源開発の大間原発(青森県)建設再開を容認した。対する自民は、県連公約に「全原発廃炉」を掲げた。ただし、県内原発に限っての話。候補者も個人として「再稼働の前に事故の責任を国が取るべきだ」(1区・亀岡偉民氏)、「脱原発の英知を結集させる」(4区・菅家一郎氏)などと訴え、党の推進方針は覆い隠した。結果的に、県内で両党の原発に対する姿勢の違いが際立つことはなかった。
第三極の日本維新の会は、石原慎太郎代表と橋下徹代表代行の方向性の違いから原発についての方針はぶれ続けた。未来は「卒原発」を明確にしたが、実現に向けた具体的手順は書かれず仕舞い。両党ともに非民主・非自民の受け皿になり得なかった。
県議会は昨年10月に福島第1、第2原発廃炉の請願を「県民の総意」として採択したが、国の方針はまだ、決まっていない。自民県連は17日、「ふくしま復興本部(仮称)」を設置。県内原発全基廃炉を盛り込んだ県内版公約実現に向け党本部へ働きかけるとした。
だが、大飯原発でも、民主の県選出国会議員(当時)6人を含む衆参119議員は野田佳彦首相に再考を申し入れていた。方針が変わらなかったのは米国の圧力や使用済み核燃料を受け入れる青森県の事情などが原因で、廃炉の困難さを示しただけだった。
さらに、安倍政権誕生を前に、全国の原発では、経済界を中心に再稼働への期待感が高まる。県内でも、周辺自治体はそれぞれ原発に代わる新しい雇用や産業振興を目指すが容易ではない。
15日の「脱原発首長会議」で、自民の原発推進方針を痛烈に批判していた南相馬市の桜井勝延市長も、自民のあまりの大勝ぶりに、発言をトーンダウンさせた。17日の取材に対し「国の政権がどうなろうと、住民の生活を守る責任がある。現場を預かる者として意見、要望は言っていく」と述べるにとどめた。「立地自治体の首長は、止めちゃうと経済的に疲弊する現実を抱えている」とも話した。
全国の原発どころか、第2原発が再稼働の例外になるかどうかさえ、未知数だ。県関係の衆院議員が6人となった自民。県連の岩城光英会長(参院議員)は「県内廃炉方針」について「地元の思いを大事に議論していきたい」と本部への働きかけを約束した。その約束を果たし、福島の声を国政に反映できるか、その力量が問われる。
12月19日朝刊
8282
:
チバQ
:2012/12/21(金) 00:09:11
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121220-00000003-mailo-l07
ふるさとを選ぶ:’12衆院選・声は届いたか/下 マニフェスト破綻で自滅 /福島
毎日新聞 12月20日(木)10時45分配信
◇民主に逆風、自民の実行力期待
選挙戦は、民主「自滅」の色合いが強かった。政権運営の3年3カ月間、有権者の失望は「マニフェスト」の破綻にたどり着く。利益誘導から政策選択型の政治への転換を目指したが、実行できず迷走、信用を失った。この裏面で「実行力」を強調した自民が復権した。復興予算獲得などで地元首長らは、政権に期待するが、陳情政治へと時代が再び逆戻りする弊害も懸念される。【衆院選取材班】
「現政権のさまざまな失政が我々への追い風になった」。6人当選の「歴史的快挙」に沸く自民県連で17日未明、岩城光英会長(参院議員)は冷静に勝因を分析した。自民の得票数は、惨敗した09年の前回選より減った。自民元職の3候補は落選した前回選より1万〜3万票近く減らし、比例票も約8万4500票減った。戦後最低を記録した投票率と、新党乱立による「非自民」票の奪い合いが、結果的に自民を浮かび上がらせた。猛烈な逆風に見舞われた民主の得票数は、自民以上に激減した。
「(前回選で)有権者は、マニフェストで何かが変わる、変わってほしいと思った。だから、裏切られたという気持ちがあった。書いてないことをやる、やることは中途半端だった」。民主県連の増子輝彦代表(参院議員)は、有権者の民主への失望感をこう表現した。実現できなかったマニフェスト、進まない復興。政権の実績に疑問符が付いた。対して雪辱に燃える自民元職勢は、政権批判だけでなく、着々と「実行力」アピールにも励んでいた。
2区で当選した自民、根本匠氏に一票を投じた郡山市の木元秀雄さん(62)。「震災後4日目で来てくれた」。自宅裏の高さ約5メートルの法(のり)面が地震で崩落。自宅や周囲の民家が傾いた。市議に訴えると、県議を通じ聞きつけた根本氏がやってきた。「補修を国交省に掛け合う」と約束、民有地ながら国の災害復旧事業に認定されたという。木元さんは、前回選では民主の候補に投票していた。しかし、その候補は「震災後、姿を見なかった」。「根本さんの行動力に感動したんだ」。地域で支持が広がった。
「実行力」は第三極への支持が広がらなかった理由の一つでもある。どんなに良い政策でも、実現できなければ「絵に描いた餅」。政権交代後の民主への期待と失望を経て、有権者にはそんなムードも広がっていた。
「いわき出身の副大臣は、今まで金を出してくれたのか。まったく情けない」。5区での終盤戦。自民、坂本剛二氏の応援演説で涙ながらに訴えたのは、いわき市の渡辺敬夫市長だ。解散前、民主、吉田泉氏の仲介で復興事業の予算化を国交省へ陳情したが、「何も進まなかった」。そこで、今回選では自身の後援会をフル回転、何度も演説をぶち、坂本氏を強力に後押しした。「ぜひとも大臣に」。復興事業の後押しに期待を募らせる。
同様に、会津若松市の室井照平市長も、4区で当選した菅家一郎氏の事務所に駆けつけ「東京で我々をあたたかく迎えてほしい」と、陳情窓口としての役割を待望している。
政策力より実行力。一刻も早く復興を進めたい首長らには、新政権による復興予算獲得とスピードアップに期待感が広がっている。ただ、集票力と引き換えに政治家が支援団体に利益を誘導する「陳情政治」を否定し生まれたのが、マニフェスト選挙だった。
政策決定プロセスの透明性が濁り、時代が逆戻りしないか、有権者の監視が必要だ。
12月20日朝刊
8283
:
チバQ
:2012/12/21(金) 00:11:44
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20121219/CK2012121902000151.html
衆院選 回顧(上) 民主惨敗 弱い足腰 逆風で倒壊
2012年12月19日
衆院選後、初めて顔をそろえた(右から)4区落選の工藤氏、1区落選の石森氏、2区比例復活の福田氏とともに、反省の弁を述べる谷県連代表=宇都宮市で
県内全五選挙区のうち三選挙区にしか候補者を送り出せなかった末に、全敗した民主党。比例代表北関東ブロックで前職の福田昭夫氏(2区)が復活当選し、かろうじて“一議席”を死守した。
十八日夜、宇都宮市の県連事務所で開かれた緊急幹事会では総括と今後の対応を協議。県連代表の谷博之参院議員は「どん底状態にある民主党を、もう一度、再生させる第一歩にしたい」と呼び掛けた。
幹事会後、松井正一県連幹事長は「足腰を強くしていくことが課題」として、今後四年間の地方選挙も見据えた中長期的な選挙戦略が重要と指摘。さらに、通常は衆院議員や候補者が就く各選挙区ごとの総支部長について「地方議員が就き、運動体として機能するようにしなければ」と、組織を大幅に立て直す必要性を強調した。
「短期決戦の中で、ゼロからの出発だった。私にとって貴重な戦いをすることができた」
谷氏は投開票日の十六日夜、落選が伝えられた4区の前職工藤仁美氏の選挙事務所(小山市)で、気丈に振る舞った。
自身が県連代表に就任したのは十一月十九日。衆院解散の直前に突然、前県連代表の富岡芳忠氏が離党届を提出(除名)したことを受けた緊急登板だった。「審判の日」まで一カ月を切ったところから、立て直しに向けて奔走した。
短期間の中で唯一、擁立にこぎ着けた候補者が工藤氏だった。谷氏は「栃木にすべてをなげうって来てもらい、歯を食いしばって戦い抜いてくれたことに感謝したい」と、比例北海道ブロックから転身した工藤氏の健闘をねぎらった。
歯車が狂い始めたのは今年六月、衆院での消費税増税法案をめぐる採決だった。反対票を投じた当時の党副代表山岡賢次氏が七月、除籍(除名)となり党を離れた。当時の県連代表だった石森久嗣氏も棄権し、役職を辞任。新たに県連代表に就いた富岡氏も、わずか四カ月で役職を放り投げ、党を去った。
「具体的な敗因としては、多くの議員がほかの党に移動してしまい、印象があまり良くなかった」と、谷氏は“お家騒動”が今回の衆院選の結果につながったことを認める。
加えて、十一月にあった知事選、宇都宮市長選に候補者を擁立できなかったことも最後まで響いた。自民、公明両党がいずれも現職候補の選挙戦に乗って存在感を示し、衆院選に向けた準備を着々と進めていったのに対し、民主党は傍観者と化した。
十七日未明、福田氏の選挙事務所(日光市)で復活当選を喜び合った谷氏。「福田氏の当選で衆院(の議席)を確保できた。敗北の中でも、踏みとどまることができたのは良かった」と語った。それでも、惨敗の爪痕は深い。「力がなかったということ。政策や人柄を備えた候補者を、つくっていかなければならない」 (磯谷佳宏)
◇ ◇
今回の衆院選は、県内でも「脱原発勢力」が伸び悩み、原発を容認する立場の自民党の大勝につながった。初めて政権与党として臨んだものの大幅に議席を減らした民主党。一方、渡辺喜美代表のお膝元・北関東で比例復活を含めて議席を増やしたみんなの党。県内の勢力図が変わった背景を検証する。
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:
チバQ
:2012/12/21(金) 00:12:00
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20121220/CK2012122002000139.html
衆院選 回顧(下) みんな健闘 既成政党 批判受け皿
2012年12月20日
自身の当選が確実となり、拍手するみんなの党の渡辺代表=東京都千代田区で
「農協の人たちは、『渡辺を落とせ』と3区全域で運動をやっている。私は比例代表には出ない。信念をまっとうして、落選させられるのなら本望」
衆院選の公示を目前にした十一月末。矢板市内で会合を開いたみんなの党の渡辺喜美代表は、満員の有権者を前に、環太平洋連携協定(TPP)交渉参加の意義を力説しながら、選挙戦への並々ならぬ決意を語った。
みんなを旗揚げして初めて挑んだ二〇〇九年衆院選から三年余り。民主、自民両党に対抗する勢力拡大のチャンスが巡ってきた。県内五選挙区すべてに候補者を立て、自民と全面対決になったが、状況は三年前とは違っていた。
一〇年の大田原市長選で、みんな市議が現職(当時)の支援を求めたが、渡辺氏が応じず現職が落選。この亀裂を引きずる形で今年九月、市議六人が党を離れた。さらに十一月の県議補選小山市・野木町選挙区で、渡辺氏が進めた候補擁立に反発し、小山市議三人が離党。組織立て直しを迫られる中での衆院選突入となった。
三年前は対抗馬擁立を見送った自民党も、今回は新人の簗和生氏を立て、死にもの狂いで挑戦してきた。
「何とか役に立ってくれる男になったかと思ったら、那須とか栃木なんて話はしなくなる。『わが党、わが国』ばかり。跡取り息子も立派になりすぎた」
簗氏の演説会で農協幹部は、地元に目を向ける姿勢が見られないとして渡辺氏を批判。簗氏も、TPP反対を訴えながら「テレビで評論家みたいなことをやっている暇があったら、地域の皆さんの顔を見て、どれだけ生活が苦しいのかを聞くべきだ」。安倍晋三、麻生太郎両元首相ら大物も3区入りした。
それでも「渡辺王国」の壁は厚かった。渡辺氏は選挙期間中、全国遊説の合間に数回県内入りしただけだったが、底力を見せて勝利。残り四選挙区は自民党に議席を許したが、比例代表北関東ブロックは前回より十九万票以上も票を伸ばした。比例議席は前回より一増の二議席になった結果、栃木2区の柏倉祐司氏が比例復活で初当選を果たした。
共同通信社の出口調査を見ると、渡辺氏には民主支持層の69・6%、未来支持層の59・1%、そして自民支持層さえ25・3%が投票。柏倉氏にも、公明支持層の24・5%が投票している。栃木では日本維新の会が擁立を見送ったこともあり、「今回は民主や自民に入れたくない」という批判票をほぼ一手に引き受ける形になったようだ。
「私は既得権益とは全くつながりがない。政治に対してのクリーンさ、しがらみのなさを皆さんが求めている」。柏倉氏も、既成政党批判が追い風になったと振り返る。
もっとも、今回、簗氏が比例北関東で復活当選した。渡辺氏が3区でライバルの比例復活を許したのは、自民党時代を通じて初めて。今後、国民の信頼を損ねれば、お膝元でも足元は簡単に揺らぐ。 (神田要一)
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:13:31
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20121219ddlk10010084000c.html
2012衆院選:検証 民主の空中分解 お家騒動、次々離党 法定得票届かぬ候補も /群馬
毎日新聞 2012年12月19日 地方版
◇参院選へゼロから
「大差ですね。ダブルスコア以下だ」。16日夜、自ら出馬した群馬3区での落選が決まった民主の柿沼正明県連会長(47)は、予想以上の惨敗ぶりにさばさばした表情さえ浮かべた。民主の現職閣僚が耐え切れずにバタバタと吹き飛ばされる、猛烈な逆風。1年生議員にはひとたまりもなかった。
野田佳彦首相の解散時期の決断は、結果として「自暴自棄」と言えるものだった。態勢が整わない第三極を封じ込める効果はあったが、それは、県内のように組織が脆弱(ぜいじゃく)な地方にも、同じ効果をもたらした。候補者選定、支持率回復策などが全く無策のまま、総選挙へと突入。群馬4区に新人の青木和也氏(25)の擁立を決定したのは公示のわずか11日前だった。
「『かかしでもいいから立てたい』という気持ちだった。だが、まさか、法定得票数にも届かない有り様とは」。県連幹部は開票結果に絶句した。群馬4区の法定得票数は2万7878票。青木氏の得票は約1万票も下回った。
民主は「選挙互助会」ともやゆされるほど、党そのもののバラバラ体質が指摘されてきた。県内では態勢不備に加えて、選挙の度に繰り返される「お家騒動」もあった。保守系と労組系の確執が表面化し、長年、県連大会すらも開けないほど際立っていた。
前回の衆院選で議席を獲得した6人のうち、中島政希、三宅雪子、石関貴史の3氏が次々に離党。労組系の県連幹部は「出て行ってもらってせいせいした」と漏らした。県連は、労組系主体の「純化」が図られ、10月には7年ぶりに県連大会が開かれた。だが、その代償として組織は弱体化。今回の衆院選で、県内の民主の国会議員は1人もいなくなった。
中央政界は、すでに来夏の参院選を見据える。出直しを迫られる県連だが、一筋の光も見えない状況だ。政権与党の3年3カ月の間、自民党の支持基盤を崩せなかったことが露呈。一方、民主の支持組織である連合群馬は、今後も民主を支持し続けるものの、課題が山積して身動きを縛られている。
政府系ファンドによる買収が決まった半導体大手のルネサスエレクトロニクスは、従業員の5000人規模の追加削減を要求されている。不振の家電業界は、パナソニックが2年連続の巨額赤字を抱えるなど、組合員は雇用不安を抱えているからだ。
「ゼロからのスタート。地元を地道に回り、根付いていくしかない。そうでなければ、長年組合運動を続け、政権交代を実現させてくれた先輩たちの努力が水の泡になる」。連合群馬の幹部は、来夏の参院選をにらみ、そう語った。【奥山はるな、畑広志】
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:14:10
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20121220ddlk10010035000c.html
2012衆院選:検証 自民の勝利 公共事業、拡大訴え 街頭演説、反応鈍く /群馬
毎日新聞 2012年12月20日 地方版
◇得票は前回下回る
「国土の強靱(きょうじん)化を進める政策を掲げ実行する政党や候補者を推薦する」
衆院が解散された11月16日。県建設業協会(青柳剛会長)は、前橋市内で、常任理事会を開き、衆院選への対応を決めた。
業界が注目したのは、自民が掲げた「国土強靱化計画」。防災対策などへの公共事業の拡大策で、政権公約では具体的な額は示されなかったが、予算規模は「10年間で200兆円」といわれる。だが、世界的に見ても突出する名目GDP(国内総生産)比200%超の政府債務残高の増加への懸念は残る。
前回(09年)の衆院選で勝利した民主は「コンクリートから人へ」を掲げた。だが、今回は、振り子のように逆方向へ。自民は、逆風下の民主への対立軸として「国土強靱化」を打ち出した。毎日新聞が行ったアンケート調査では、公共事業について、県内の5小選挙区の自民候補の4人が「増やすべきだ」と、回答した。
同じ16日、修正特例公債法が、ようやく参院を通過した。次期政権を担う、自民、公明両党が政局に利用し、野田佳彦首相が衆院解散の条件の一つとしていた。県の財政担当者は、ほっと胸をなでおろす一方、新たな問題に頭を悩ませている。
県によると、通常なら9月に交付される地方交付税の約326億円が3分割に。さらに11月初旬に交付されるはずだった同月分の同額の支払いが同月19日までずれ込んだ。
交付が遅れた穴を埋めるため、県は一時的に金融機関からの借り入れを実施。国は9月分の135万円(概算)は負担するとしたが、11月分の2週間余りの遅れを補填(ほてん)のために発生した50万〜60万円(同)の金利については、「月内に交付した」として負担を突っぱねている。県の担当者は「新政権に代わってしまい、11月分の金利はうやむやになるのでは」と危惧する。
衆院選の選挙戦最終日の今月15日、自民の安倍晋三総裁が、桐生市のJR桐生駅前で応援演説に立った。「公共投資によって、日本企業への投資を増やし、雇用を作っていく。無駄な公共事業、古い自民党とのレッテル貼りにだまされてはいけない」。そう政策を訴えたが、詰め掛けた聴衆の反応は鈍かった。
県内の小選挙区の5議席は、自民が再び独占した。だが、政策や野党時代の行動が評価された結果ではないことは、開票結果で示されている。戦後最低の低投票率で、自民の得票は敗北した前回を約5万2000票も下回った。【塩田彩、庄司哲也】
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:
チバQ
:2012/12/21(金) 00:14:55
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121218-00000098-mailo-l11
回帰・衆院選’12:政権再交代/上 自民大勝 得票率、前回と大差なく 民主の「分解」に助けられる /埼玉
毎日新聞 12月18日(火)14時5分配信
「自民党のもともとの組織と新しい候補者がうまくコラボレーション(共同作業)した結果が出た。新しい自民党の種をまくことがうまくできたのではないか」
衆院選の投開票から一夜開けた17日午前、自民党県連の新藤義孝会長(54)は川口市にある自身の事務所で記者会見し、胸を張った。県内15小選挙区で全敗した前回09年衆院選から一転し、13議席を制する大勝。自らも埼玉2区で5選を決め、「新しい日本が動き出すきっかけになる政権を作りたい」と意欲を語った。
「新生自民党をアピールして、一致団結して戦った」(埼玉1区の新人陣営)、「新しい自民党のためにも若い人が一人でも多く当選するのは大事」(埼玉9区の元職陣営)−−。16日夜、当選の喜びにわいた候補の事務所では、自民の新しさが幅広く受け入れられたと評価する声が相次いだ。
新藤氏が党改革のシンボルとして真っ先に挙げたのが、公認候補となる小選挙区支部長の公募制の導入だ。今回擁立した7新人は全員が公募で選ばれた。新藤氏は「新しい有為な人材が選ばれた」と強調した。
だが、実態は親族から地盤を受け継いだり、中央省庁の元キャリア官僚だったりして、自民の伝統的な政治家像と重なる候補が目立った。選考に不満を抱いた前県議が党を離れ、日本維新の会や無所属で出馬し、地域間対立を生み出す副作用もあった。
県内の比例代表の得票率を見ると、自民は25・73%。前回の23・59%とさほど変わらない。小選挙区の候補15人を合わせた得票率は39・07%で、これも前回よりも2・79ポイント増えただけだ。これに対し、民主党の小選挙区の得票率は前回が52・64%に上ったが、今回は半分以下の23・02%にまで落ち込んだ。
17日に県庁で記者団の取材に応じた上田清司知事は、自民党の勝因について「絶対的な勝利だとは思わない。いろいろな付け足しがあった民主のくいが拡散した結果として、自民のくいが高くなり、各地区で比較第1党化した」との見方を示した。
埼玉5区で民主前職の枝野幸男氏(48)との接戦に敗れた自民元職の牧原秀樹氏(41)も「正直、自民が何か良かったということではないと思う。民主党があまりにひどく、国民の猛烈な怒りがあった」と語った。比例復活で返り咲いたものの、こう戒めた。「この後の責任は本当に重い。結果に対する国民の目は厳しい。国民の失望までの期間は短い」
◇ ◇
自民党が県内でも大勝を収めた第46回衆院選。民主党は議席を激減させ、「第三極」の政党が比例復活ながら議席を確保した。各政党の選挙戦を振り返り、これからの政治を展望する。
12月18日朝刊
8288
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:15:20
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121219-00000078-mailo-l11
回帰・衆院選’12:政権再交代/中 民主惨敗 前回の勢い、見る影なし 教訓導き、立て直しへ /埼玉
毎日新聞 12月19日(水)12時27分配信
「こんなに運動した選挙はいままでにない」。衆院選埼玉5区で7選を果たした民主前職の枝野幸男氏(48)の陣営幹部が振り返った。
1993年の初当選以降、これまでにも逆風下の選挙はあったが、弁舌さわやかなイメージや知名度を生かした「空中戦」で勝ってきた。だが、今回は組織選挙を展開せざるを得なかった。選挙対策組織も初めて編成し、さいたま市大宮区の事務所には、支持を頼む電話をかける専用ブースを初めて設け、11台の電話機を置いた。
自民が圧勝した05年の郵政選挙でも小選挙区で勝ち残った埼玉1、5、6区の前職でさえ、今回は落選の瀬戸際に立たされた。小選挙区で当選できたのは枝野氏1人。1区と6区の前職2人が比例代表で復活するのがやっとだった。小選挙区の公認候補14人全員が当選した前回の勢いは、見る影もなかった。
「今回はより民主への風当たりが厳しくなった。ビラすら拒否され、選択肢の中から完全に外されていた」。枝野氏の陣営幹部は、そう悔しがる。埼玉12区の前職陣営は、大物議員を招いた集会でも会場が埋まらず、関係者は「民主に聞く耳を持たない雰囲気があった」とこぼした。
埼玉4区では、民主出身の上田清司知事から地盤を受け継いだ前職の神風英男氏(51)が自民新人に敗れた。上田知事は「新たに神風ファンを作っていない。遺産だけで食っていれば、(支持は)減る」と苦言を呈し、「政権与党が野党の批判をしてもしようがない。自分たちの成果、継続し、新たにやることを訴えるべきだった」と、民主の敗因を指摘した。
政権交代の原動力となったマニフェストの使い方も、陣営によってばらつきが見られ、候補個人のビラ配りを優先する陣営もあった。前回版は実現できなかった政策が多かったため、民主県連の山根隆治代表は「マニフェストというだけで拒否感を持たれることはあった」と言う。
「民主には2大政党の一翼を担ってもらいたい」。さいたま市浦和区の70代の男性はそんな思いで小選挙区は自民候補、比例代表で民主に投票したという。「自民一強」では政界に緊張感が失われる恐れがあると考えるからだ。山根代表は「コアな支持は崩れていない。熱い思いを寄せる方々を大切にして、新しい再建に向けて考えていきたい」と強調する。
党の立て直しは、貴重な与党経験からいかに教訓を導き、生かしていけるかにかかっている。
12月19日朝刊
8289
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:15:58
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121220-00000035-mailo-l11
回帰・衆院選’12:政権再交代/下 第三極・共産・社民 新党に一定の存在感 自民以外、既成政党厳しく /埼玉
毎日新聞 12月20日(木)11時51分配信
6日午後、JR大宮駅西口(さいたま市大宮区)の駅前デッキが聴衆で埋まった。お目当ては日本維新の会代表代行の橋下徹・大阪市長だ。「僕らは、いい意味でも悪い意味でも根無し草。大阪は動きました。ぜひ埼玉でも動かしてくださいよ」。マイクを握った橋下氏が訴える。民主党を支持する連合埼玉幹部は警戒した。「これだけ人を集めたのは、小泉純一郎元首相以来ではないか」
「第三極」の台風の目とみられていた維新。県内の小選挙区に擁立した候補9人の公認決定は衆院の解散後と出遅れたが、小選挙区の3選挙区で次点につけた。比例代表の県内の得票率も18・8%と民主党(16%)をしのぎ、「第2党」に躍り出て北関東ブロックで2人が復活当選した。
自民党を離党して埼玉14区で出馬した新人の鈴木義弘氏(50)は「(地盤ではない)北部でも『維新の鈴木』と言うと、チラシを取ってもらえた」と維新効果を語る。だが、候補の多くは地縁のない「落下傘」。県内での組織作りは未定だ。
日本未来の党は、民主を離党した前職2人が小選挙区の議席を守れなかった。このうち、埼玉7区の小宮山泰子氏(47)は比例で滑り込んで4選したが、「卒原発、消費税増税反対、反TPPという三つの柱で戦ったが、浸透するまでに至らなかった」と話す。公示直前に「国民の生活が第一」が未来に合流した混乱も影響したとみられる。
みんなの党は都市部を中心に6新人を擁立したが、追い切れなかった。埼玉2区で民主前職を上回り、次点となった松本佳和氏(47)は「投票率が上がって浮動票が流れてくるはずだったが、低くなった」と悔やむ。ただ、県内の比例代表の得票率は前回に比べ約5ポイント増の10・9%に上昇。松本氏は「根っこができ始めている」と手応えを語った。
共産党は全小選挙区に15人を立てたものの、議席に届かなかった。県委員会の小松崎久仁夫委員長は「全選挙区に擁立していなければ、存在感が低下し、比例の票も減らしたと思う。積極的な意味があった」と説明。社民党は埼玉1区の新人が敗れ、県連の佐藤征治郎代表は「惨敗だった。護憲一本で勝負すべきだった。今後の右傾化が心配」と嘆いた。脱原発や消費増税反対などの主張が他党と重なったことが、不振の要因となった。
第三極が一定の存在感を示し、自民以外の既成政党が伸び悩んだ衆院選。各政党は収穫と反省を胸に、来年夏の参院選に向けて走り始めている。
◇ ◇
この企画は、木村健二、林奈緒美、西田真季子、海老名富夫、町田結子、大平明日香、清水勝、狩野智彦、中山信が担当しました。
12月20日朝刊
8290
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:17:30
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121218-00000125-mailo-l12
2012衆院選:風無き圧勝/上 「スイング層」第三極へ 県内初、3選挙区で各3人当選 /千葉
毎日新聞 12月18日(火)15時28分配信
「当選して良かった。あなたを応援するけど、自民党にはもっと頑張ってもらわないと困るよ」
衆院選から一夜明けた17日朝のJR新松戸駅前。再選を果たした自民党の斎藤健氏(53)が街頭演説に立つと、複数の支持者からこう声をかけられた。千葉7区(流山市など)で次点の3・5倍を得票し大差で勝ち抜いたが、選挙中には、「追い風は感じなかった」という斎藤氏。「自民党は消去法で選ばれただけ。本当に期待に応えるためには、これからだ」と実感した。
今回、自民は全13小選挙区中、11小選挙区で勝利を収めた。小選挙区での獲得議席数は、当時の小泉純一郎首相が「郵政民営化」を掲げてブームを巻き起こした前々回05年の12議席に迫る結果だ。だが、比例の結果からは、全く異なる状況が見えてくる。
◇
自民が県内で獲得した比例票は、実は前回09年より約9万票少ない約77万票。投票率低下の影響があるとみられるが、得票率も前回よりも0・4ポイント低い26・4%だ。民主党の得票率も18・6%(約54万票)で、前回の42・4%(約136万票)から激減。一方で、今回初めて国政選挙に参入した第三極の日本維新の会は18・9%(約55万票)となり、比例票では“県内第2党”に躍り出た。
3区(市原市など)で5選した自民党県連会長の松野博一氏(50)が17日の記者会見で「これまで自民と民主の間で動いていた、選挙ごとに投票先を判断して変える『スイング層』を第三極が吸収した」と指摘したように、2大政党の減少分が、維新に多く流れたとみられる。
野党側が民主政権批判を強め続ける中で始まった選挙戦。報道各社の世論調査で自民の優勢が明らかになると、他陣営から「古い自民党の政治に戻すのか」との訴えが目立ち始めた。こうした状況で維新などの第三極は、既成政党に不満を持つ有権者に支持を呼びかけた。
共同通信が16日に実施した出口調査によると、小選挙区で維新の候補者に投票した無党派層は10・8%だったのに対し、比例では21・3%と倍増している。「第三極の候補者は立候補表明が公示直前で出遅れたが、政党レベルでは2大政党への批判がかなりあった」(自民関係者)とみられる。
この結果、選挙基盤が弱い自民の新人が出馬した1、9、13区で、維新の新人が比較的高い惜敗率を出し、比例復活を果たした。これらの選挙区では民主の前職も当選し、1小選挙区に出馬した3人が同時に当選する県内初の事例が3選挙区で発生する極めて異例の結果となった。自民県連幹部は「今回の『圧勝』を勘違いしたら、あっという間に支持率が低くなる」と指摘している。
16日夜、松野氏は当選が決まった新人に電話して発破をかけた。「次の総選挙は自民党に厳しい選挙環境で戦うことになると思う。国会活動と同時に、地域での活動も緩めないように」
◇
今回の選挙結果には、県内の首長もそれぞれ見解を示した。
森田健作知事は記者団に「自民党はここで公約をしっかりやらないと、次は反対の立場だぞというものすごいプレッシャーがある」と解説。民主政権が約束した放射性物質を含む「指定廃棄物」の最終処分場の早期確保についても「政権が代わってもちゃんとやってもらえると確信している」とくぎを刺した。
千葉市の熊谷俊人市長は「政権交代が2度行われ、政治家も国民も政権が代わることで、変わること、変わらないことが何なのかを認識するのではないか。国民は政権交代によってすぐに良い方向にすべてが変わるという幻想を抱かず、我慢強く政権を見守っていく姿勢が必要だ」とのコメントを発表した。【田中裕之、斎川瞳、野原大輔】
◇
政党乱立下で自民の圧勝に終わった衆院選。県内の余波を取材した。
12月18日朝刊
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:19:07
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121219-00000059-mailo-l12
2012衆院選:風無き圧勝/中 維新の勢力、根付くか 3議席確保も不協和音 /千葉
毎日新聞 12月19日(水)12時10分配信
17日午前3時過ぎ。全国の開票作業が大詰めを迎え、比例南関東ブロック(定数22)の最後の議席を日本維新の会が獲得した。その瞬間、13区(印西市など)で3位にとどまった維新新人の椎木保氏(46)の比例での復活当選が決まった。「少ない仲間が支えてくれた。本当に奇跡的なことだ。(党代表代行の)橋下徹さんを信じて覚悟を決めて良かった」。富里市内の事務所で右手を上げてガッツポーズし、集まった支援者約20人から大きな拍手が起こった。
衆参ねじれ国会での与野党の「決められない政治」が続いたとし、既成政党への批判票を取り込もうとした維新は、千葉県を含む比例南関東で自民党に次ぐ約144万票を獲得。民主党を1議席上回る5議席を得た。県内では椎木氏に加え、1区の元千葉市議の田沼隆志氏(36)と、9区の元県議の西田譲氏(37)の計3人が比例復活し、田沼氏は当選直後、記者団に「維新への期待を感じた。民主でも自民でも満足できないという人がたくさんいたということだ」とまくしたてた。
◇
「維新への有権者の期待感は真摯(しんし)に受け止めないといけない」(民主県連幹部)。この結果は、既成政党に少なからず衝撃を与えた。しかし、維新の候補者個人の浸透度は決して高いとはいえない。3人とも小選挙区3位で、どれだけ善戦したかを示す惜敗率(当選者の得票に対する該当候補者の得票の割合)は50%台。民主は66%以上の候補者でなければ復活当選できず、議員個人よりも「党」で選ばれた色彩が強い。
惜敗率53・8%で最後の当選者となった椎木氏は元茨城県鹿嶋市職員の“落下傘候補”だ。公認決定は衆院解散後の11月22日とギリギリ。さらに選挙区も党側に「どこでもいい」と伝えていたため、本人が13区から出馬すると知ったのは、その前日だった。
自宅は鹿嶋市にあるうえ、選挙スタッフも全員、同市からの“外人部隊”。13区内の支援者が一人もいない中、「近くにインターチェンジがあり、鹿嶋市から高速(道路)で45分で来ることができる」という理由で富里市に事務所を置いた。
1000万円超の選挙資金は自分の蓄えで用意。有権者数を調べて浮動票がありそうと感じた印西市や鎌ケ谷市で、地図を見ながら重点的に街頭演説などをした。「私は橋下徹の分身。(私が)13区でやることは橋下のやることと同じなんです」。維新への追い風に乗ろうと、この決めゼリフで有権者に印象づけようとした。また、13区は、みんなの党や日本未来の党といった第三極が出馬しておらず、既成政党への批判票が競合しなかったことも椎木氏に有利に働いたとみられる。
元千葉市議の田沼氏も惜敗率は58・0%。「もっと多くの人の信用を獲得していくよう頑張りたい。時間は必要だ」と課題を口にした。
◇
「党の勢い」だけではなく、今後も県内政界で存在感を示し続けるには、県連組織の発足が不可欠だ。しかし、その作業はスムーズに進んでいない。
県議会と千葉市議会で維新系会派を結成する地方議員は公示直前、「日本維新の会県支部設立準備会」(会長・宍倉清蔵千葉市議)を設立したが、党本部に県連組織として正式に承認されていない。準備会関係者は「当選した3人を交えて話し合い、組織を早急に設立したい」と話す。
一方、準備会と距離を置く県議らもおり、独自に県連組織の設立準備を進め、党本部に認可を求めている。この県議も「当選者と合意形成を図りたい」と話しており、両者間で主導権争いをしている格好となっている。
当選者の思いは複雑だ。西田氏は「維新の旗の下に集まり、同じ価値観を共有している者同士なので、しっかりと議論をして一つにまとまってほしい」と求める。
知事選や千葉市長選、参院選が予定される来年を控え、新興勢力の維新は県内で根付くのか。今回の衆院選で大勝した自民県連の松野博一会長(50)は「維新が県内に党として基盤を築くかどうかは、今後の動きや支持の広がりを見ないと判断できない」と静観する構えを見せている。【橋本利昭、斎川瞳、田中裕之、黒川晋史】
12月19日朝刊
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:20:04
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121220-00000041-mailo-l12
2012衆院選:風無き圧勝/下 大敗民主、原点へ 分裂で有権者離れ /千葉
毎日新聞 12月20日(木)11時51分配信
「しっかりやります。民主党、頑張ります」。18日夜、千葉市花見川区のJR幕張駅前で、民主党から新人で千葉2区(八千代市など)に出馬し落選した樋口博康氏(53)の姿があった。衆院選翌日から朝晩、選挙区内の駅でコートを着ずにスーツのまま1人でのぼりを掲げ、通行人に党の再起を訴えている。
党本部幹事長室部長代理を務める樋口氏の出馬が決まったのは公示1週間前。前回09年の2区に民主から出馬、当選した黒田雄氏(53)=日本未来の党=は消費増税に反発して離党し対立候補となったが、共に落選。樋口氏は「(バラバラの)民主党は頼りないと思われ、最初から聞く耳を持たない有権者が多かった」と振り返る。
民主は前回、比例単独を含め県関係の候補者15人が当選した。しかし、小沢一郎氏(70)と行動を共にした7人が7月に離党。5選挙区が空白区となったが、このうち11、12区は最後まで擁立できなかった。民主県連の田中信行幹事長(61)は「離党組が出たことで党支部が大きく壊れたままの状態で選挙に突入した」と話す。
結果的に民主の分裂は、日本維新の会などの第三極の参入に加え、さらに非自民支持層の票を分散させる「自民党有利」の状況を生み出した。今回、民主は野田佳彦首相(55)の4区と田嶋要・県連代表(51)の1区でしか小選挙区で勝てず、比例復活を合わせても当選者は前回の3分の1の5人にとどまる。
樋口氏は党再起の姿勢を示すため、党職員の仕事をこなしながら2区での政治活動を続けるという。職員歴13年で党内を眺めてきた経験から語った。「民主党は国民参加型の政治が原点だったが、特に09年に党の追い風だけで当選した1回生は国民の中に入らなかった。落選した自民党議員の秘書が雇われ、議員より大きな顔をすることもあった。今回の敗因は政党としての在り方だったと思う」
◇
19日朝、千葉市中央区のJR蘇我駅前であいさつをしていた田嶋氏は、選挙期間中とは異なる有権者の変化に気づいた。5人に1人程度の割合で握手に応じてくれるのだ。「不思議だよ。これがみそぎなんだ。また頑張れということがある」と驚いた様子で語った。
県内の次の大型選挙は来春の知事選。民主県連の対応は、突然の衆院解散で議論がストップしたままだ。3議席を争う来夏の参院選も「今の実力では現状維持の2議席を狙うのは高望みかもしれない」(県連幹部)との声も漏れる。先の展望は決して明るくない。
それでも、田嶋氏は「自民党の支持率が大幅に上がったわけではない。再び2大政党と言われるよう頑張っていかないといけない」と決意を示す。
民主への反発は、09年の選挙で掲げたマニフェスト(政権公約)の多くを実現できなかったことも大きい。田嶋氏は「くだらない国会戦術を取らず、政治を前に進めるために与党に協力すべきは協力する野党になることが必要だ」と語った。
◇
18日、東京・永田町。11区(茂原市など)で大差で落選した未来の金子健一氏(55)が国会事務所の撤収作業に追われていた。地元の茂原事務所もなくして、「ゼロからの出発を果たす」つもりだ。
民主離党組が合流した未来は小選挙区で立候補した10人全員が落選する大敗。「(獲得した)この票は皆さんが積み上げてくれた貴重な票。これを生かすためにも今後のことは後援会の皆さんと相談したい」。金子氏の敗戦の弁を聞きながら、支援者の1人は「公示間際に国民の生活が第一から未来に党籍が変わったことが有権者にわかりにくかった。あれでは戦えない」とつぶやいた。
◇
自民圧勝だった今回の衆院選。だが、自民の比例票は伸びず、小選挙区の勝利も、民主の分裂や維新など第三極の参入による非自民支持層の票が割れた側面が大きい。決して自民への「白紙委任」とは言えない結果に自民、民主、第三極など各党、当選議員はどう応えるのか。突きつけられた課題は重い。【田中裕之、斎川瞳、吉村建二】
12月20日朝刊
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:27:11
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121218-00000118-mailo-l15
2012衆院選:検証/上 民主、惨敗に大きな衝撃 政策に一貫性欠き /新潟
毎日新聞 12月18日(火)15時23分配信
「せめて謝ることから始めてほしかった」
新潟市で民主党候補の演説を聞いた若い女性は、握手のため歩みよってきた候補者と応援演説者に対し、消費増税や関西電力大飯原発再稼働を決めたことなどを批判した。
3年余のうちに米軍基地移設問題や原発政策、消費増税など政策に一貫性を欠き、マニフェスト(公約)にない政策を実行した民主政権。16日投開票された衆院選では県内小選挙区も全6議席を自民に奪われ、惨敗した。
この結果に県内の同党関係者は驚きを隠せない。小泉旋風が吹いた前々回選(05年)でも県内では民主候補が3議席を確保し、それが自信につながっていた。民主党県連の市川政広幹事長は「新潟の候補者は個人の底力がある。ここまで全敗するとは思ってなかった」と漏らす。1、3区の陣営も「候補でなく、民主党ということで判断されてしまった」と悔しがった。4区陣営は「消費増税の責任を全部民主党がかぶることになってしまったのが大きかった」とも。2区の鷲尾英一郎氏は「(政党が)簡単に分裂してしまうことは、政権担当能力に対する根本的な疑問を植え付けてしまった」と分析した。実際、1〜4区は当選した自民候補との得票率の差は10%未満にとどまり、候補本人への批判は少ないともみられる。
6区の元副農相の筒井信隆氏は党政策に苦しんだ。農業者が多く、有権者の関心が高いTPP(環太平洋パートナーシップ協定)問題では、交渉参加に積極姿勢を示す党に対し、自分は慎重姿勢だという説明や弁明に追われた。筒井氏は「党執行部はこれだけの暴風雨を起こしたことを考えてほしい」と話す。
7選を目指した5区の田中真紀子氏は、自民の長島忠美氏に約3万票の大差で敗れた。
裏には党への逆風だけでなく、支援者との溝がある。田中氏は03年に自民を離党。民主に入党後も前回選では連合新潟の推薦を返上するなどトラブルは絶えなかった。今回も連合は「支持」にとどまった。父角栄氏からの長年の支持者が対立候補の支援に回ったりしたことも打撃となった。元越山会の男性も「(田中氏は)陳情を受けるのを嫌がり、地元に何もしない」と批判を緩めなかった。
以前、田中氏を支援した自民党県連の星野伊佐夫会長は「真紀子さんは小泉純一郎首相と話して、私たちには何も説明なく自民を去った。これが一つの区切り。あの瞬間、田中角栄がすごく遠くなった」と田中氏の個人的資質に疑問を呈した。
市川幹事長は惨敗を受け「候補者は自前の組織や支援団体を作って戦える体制にしないといけない。新しい民主党を作り、来年の参院選に臨む」と決意を語る。だが国民の信頼を取り戻すのは、そう容易ではなさそうだ。
12月18日朝刊
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:30:37
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121219-00000127-mailo-l15
2012衆院選:検証/下 全議席奪還した自民 従来型組織力頼み /新潟
毎日新聞 12月19日(水)13時4分配信
「我々の仕事は6割以上減った。どうやって生きていくか非常に困ってる。(民主は)『コンクリートから人へ』なんて言うが、コンクリートも人も大事。民主は何もしていない。怒りをぶつけようじゃありませんか」
衆院選終盤の13日、新潟3区の五泉市で開かれた建設関連業の集会で、地元の建設業協同組合幹部が声を張り上げ、約170人の参加者に呼び掛けた。その後を3区の自民候補が引き受け「(10年間で200兆円を公共投資に充てる)国土強靱(きょうじん)化の予算を3区に持ってくる。建設業に力を入れる。それは間違いなく、日本全体のためになる」と強調した。
公共事業よりも社会保障に重点を置いた施策を展開してきた民主。だが公共事業減少が地域に与えた影響は少なくない。新潟は日本海に面し、面積が広い上、全国有数の豪雪地帯でもある。道路や港湾整備など公共事業の重要度は極めて高い。
県によると、県内総生産の建設業の割合は7・7%(09年度)で、全国平均の6・2%(09年)を上回る。公共事業の減少が暮らしを直撃した有権者も少なくなかったはずだ。地震や地滑りなど度重なる自然災害に見舞われた6区では、自民候補が「必要な公共事業をする」と訴えた。
今回、自民は建設業界などの企業がフル稼働、協力関係にある公明党に加え、自党を中心に県議、市議を動員した従来型の組織戦を展開。前回、民主への政権交代の原動力になった無党派層にも食い込みを見せ、全6議席を民主から奪還した。
民主はマニフェスト(政権公約)で掲げた主要政策が財源不足で大きく後退し、破綻に終わった。一方、公共事業に集中投資する自民の国土強靱化計画は、景気回復の歩みが滞る中、一部有権者には大きな魅力として映り、特に地方では自民大勝を下支えした。
ただ有権者が、自民への大きな期待から選択したとは言い難い。政治不信を反映し、投票率は戦後最低の59・66%(小選挙区)となった。
前回の大敗の記憶が生々しく記憶に残る自民にとって、民主の政権奪取そして今回の壊滅は、政権運営を一歩間違えれば、再び自党に襲いかかりかねないと映る。民主が招いた「マニフェスト不信」を念頭に、自民党県連の星野伊佐夫会長は「できないことは(公約に)書いちゃいけないし、言っちゃいけない。今後の教訓になる」と語る。
開票の翌17日、当選した6人が、自民県議や市議にお礼に訪れた。星野会長はあいさつで「現場主義で、選挙区のことだけは、どこに行っても考えながら活動してほしい。きょうから次回選挙のことも考えて活動してほしい」と語り、気を緩めることはなかった。
自民の新人候補を応援した市議は「今回は県議や市議のみこしに乗ってたまたま当選したみたいなもの。本人は選挙を分かってないし、全然地元を回ってなかった。これからは自分で後援会組織を作らないと」と漏らす。
民主への逆風や自民の組織力で、知名度や実績がない自民新人が当選した今回選。次回はもう頼ることはできない。「新しい自民党」の真価が問われる中、当選者がどう公約を守り、活動していくのか。有権者の視線はさらに厳しくなる。
12月19日朝刊
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:34:58
http://mainichi.jp/area/toyama/news/20121218ddlk16010409000c.html
2012衆院選:回想 自民、組織力で圧倒 投票率ワースト、県民「置いてけぼり」 /富山
毎日新聞 2012年12月18日 地方版
◇選択の幅狭く、争点あいまい
16日に投開票された衆院選は、自民が県内全区を独占した。1区では田畑裕明さんが民主前職の村井宗明さんを抑え初当選。2・3区ではそれぞれ自民前職の宮腰光寛さん、橘慶一郎さんが手堅く再選した。自民圧勝や過去最低の投票率の要因などについて、各区の取材を担当した記者たちが振り返り、検証した。【大森治幸、畠山哲郎、成田有佳】
◇全区独占の自民。その強さの源は?
A 「1区の議席奪還」を掲げ、党本部の大物や2・3区の前職候補のほか、他県の自民県議も駆けつけるなど、「援護射撃」が徹底していた。分裂した民主や第三極とは団結力の次元が違った。
B 2区は公示後、候補が北海道や沖縄に出向いて不在がちでも圧勝するほど、組織力が頭抜けていた。また今回は議会中の選挙で、選挙の実働を担う市町村議にとっては掛け持ちが大変だったが、頭数で勝る自民は有利だった。
C 3区も同様。出陣式には区内の首長らが顔をそろえ、JAや医師会などの団体からの支援も強力。地盤の厚みがまるで違った。また陣営幹部の県議らはあいさつや電話など常に忙しく働いており、選挙慣れしていた。
◇他の党の課題は?
C 3区では民主の候補擁立が公示の2週間前。しかも地元での知名度はほぼゼロの新人。事情もあるのだろうが、もっと周到に準備すべきでは? 選挙自体の盛り上がりにも影響してしまった。
B 社民も2区への候補擁立が10月上旬。さらに連合富山の支援も選挙戦後半からと、多くの面で対応に出遅れた感は否めない。知名度アップなどに約1年をかけた準備で臨んだ前回(09年)は今回の約3倍の得票だった。
A 1区は前職候補が消費増税法案の衆院採決を棄権した「しこり」が尾を引いた。また県内では日本維新の会が比例で民主を上回り、既成政党への不信の受け皿になった格好だ。参院選に候補者を擁立するか、注目したい。
◇投票率は過去最低。さらに前回から下落率は全国ワースト。
B 2区は民主が候補者を立てず与党不在。有権者に選択肢を示せなかったのが一番の要因だろう。自民支持層でも優位な選挙戦で、投票へのモチベーションが下がったとみられる。
C 師走の慌ただしさに加え、争点の政策について候補者の踏み込み不足もあるのでは? TPP(環太平洋パートナーシップ協定)や消費増税などは富山にも関わる重要なテーマ。主張が明確だったのは共産党候補だけだったと思う。
A ある有権者がこの選挙を「置いてけぼり選挙」と表現したのが印象的だった。突然の解散で有権者に何を問いたいのか、分からなかった。自説をまくし立て、他党を非難するだけの政治家の姿に「置いてけぼり感」が募り、白けた。国民目線の政治を願いたい。
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:35:32
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121218-00000225-mailo-l17
2012衆院選:回想/上 準備万端「自民王国」復活 /石川
毎日新聞 12月18日(火)16時35分配信
◇予想外の逆風、失われた求心力−−出遅れが響いた民主
16日投開票された衆院選は、自民党が単独過半数を確保する圧勝となり、県内でも3小選挙区全てで自民が議席を独占した。かつての「自民王国」復活ともいえそうな結果となった師走の総選挙。選挙戦の様相を、取材した記者のメモから2回にわたり振り返る。【衆院選取材班】
◆序盤から勢い
A 自民は、既に選挙戦序盤から勢いを感じたね。
B 集会を開けば満員で、事務所は土日に支持者らでごったがえした。急きょ衆院解散が決まったというのに、準備は万端という印象を受けた。
C 自民は長年、小選挙区の議席を守ってきたわけで、本来の強さをみせたということなのだろう。石川3区の北村茂男氏の陣営では、公示直後こそ、小選挙区での議席獲得を目標に掲げていたけれど、選挙戦中盤には、当選を前提に「リードを広げて惜敗率を低め、次点の候補が比例復活するのを防ぐ」と公言していた。
B 石川2区の佐々木紀氏の陣営も強気で、選挙戦後半には同様の発言が飛び交っていたね。当選を確信するどころか、投開票日には投票終了直後に勝利宣言し、午後10時半までに計5カ所に当選あいさつする、という予定を前日に組んでいたよ。
A 開票を始める時間は、最も早い自治体で午後8時だったのだけどね。
B 自民の各陣営はそれほどまでに、当選の自信を持っていたということ。
D 石川1区の馳浩氏に至っては、他党や候補の批判を極力抑えて勝利するという、“品格”の横綱相撲だった。
◆後手、後手、後手
A 一方の民主。解散後に田中美絵子氏が石川2区から国替えし、県連幹部が後継選びに奔走するなど、急転直下の解散劇に翻弄(ほんろう)されたね。
B 石川2区で解散後に急きょ出馬表明した宮本啓子氏の陣営幹部からは「あと1週間、擁立が早ければもう少し態勢が整ったのだが……」との恨み節もこぼれていたよ。事務所の場所が決まったのが解散の10日後。個人演説会の日程も思うように組めなかった。
A 突然の解散に戸惑い、準備不足に泣かされたのは、野党の自民側ではなく与党の民主側だったようだ。本格的な選挙戦に入る前に、既に差がついていたと言わざるを得ない。
B 宮本氏の敗戦が決まった事務所内で、県連代表の一川保夫・参院議員は、民主への逆風が予想以上だったことも敗戦要因に挙げていたな。
C だが、逆風下でも、石川3区の近藤和也氏は奮闘したように思う。前回選で当選した後も街頭演説やミニ集会など、地道に地元回りをずっと続けていたんだ。自民の一部には「侮れない」と警戒する声もあったね。だが、民主への批判は厳しかった。近藤氏は敗戦の弁で、個人票を積み上げる今までのやり方は「逆風の選挙で(組織型選挙に)負ける」と語ったほどだ。
D 石川1区の奥田建氏の陣営は、父の故・敬和氏の時代から支えた金原博、宇野邦夫の両県議が選対から一歩引き、比較的若手で態勢を組んだ。選挙に強いベテラン2人の不在が影響した、とみる向きもある。また保守系と、労組系議員とで別々に選対ができるなど、意思疎通が不十分で態勢が固まらなかったようだった。求心力を取り戻せるか、これからが勝負だね。
12月18日朝刊
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チバQ
:2012/12/21(金) 00:35:58
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121219-00000236-mailo-l17
2012衆院選:回想/下 低投票率に泣いた第三極 /石川
毎日新聞 12月19日(水)16時45分配信
県内の3小選挙区の議席を、全て自民が独占する結果に終わった衆院選。相次いで結党した新党を中心とした「第三極」や、「老舗」政党の共産党や社民党への支持はどうだったのか、あるいは選挙結果が県内政界などにもたらす影響について、前回に続き、担当記者が振り返った。【衆院選取材班】
◇民主惨敗、知事選に影響も 「脱原発」主張際立たず
◆「第三極」の健闘
C 結党が相次いだ新政党の「第三極」の戦いぶりや有権者の受け止め方はどうだったろう。
A 石川1区は、維新や未来など全国をにぎわせた新しい政党の候補が立った。5人の候補者から選ぶこととなり、有権者にとっては選択肢が増えたという意味ではよかったとは言えないかな。
D 維新・小間井俊輔氏の陣営は、自民の馳浩氏と民主の奥田建氏が議席を争ってきた構図を見て、両氏に投票した人のうち、情勢によって投票先が変わる無党派的な層の票の取り込みを狙った。奥田氏に迫る勢いだったが比例代表での復活当選できなかった。
A 小間井氏は「石川1区の金沢市は大半が無党派層」と語っていた。だが、今回は戦後最低の投票率。取り込める層は少なく、目算が外れたね。
D ただ、陣営幹部は「馳氏ではなく、奥田氏を支持していた層から票が流れたようだ」とみている。民主の支持層の票が分散し、第三極に流れ込んだことで、結果的に自民の候補を利した面があるといえそうだ。
A 未来の熊野盛夫氏は、応援で知人のミュージシャンが生演奏するなど、独自の選挙戦を展開した。出馬表明は公示日直前であり、1万票を集めたのは健闘といえるんじゃないか。
◆「原発ゼロ」、憲法改正反対などを訴えた「老舗」政党の共産、社民
D 石川1区の熊野氏の主張のメーンは「卒原発」。そのため、共産の黒崎清則氏も原発推進に反対を掲げたが、主張を際立たせることができなかったようだ。
B 石川2区では、前加賀市議で一定の知名度があるとみられた社民・細野祐治氏と、衆院選挑戦5回目の共産・西村祐士氏の得票はいずれも1万数千票。原発推進やTPP交渉参加について明確に「反対」を掲げたけれど、それを望む有権者の受け皿になりきれなかった。
C 石川3区は自民と民主、共産の争い。03年衆院選と同じ構図だが、共産の渡辺裕子氏の得票率は当時の共産候補の1・6倍。原発推進への反対を明確に掲げ、存在感を示せたと思う。
◆総選挙の結果がもたらす影響とは
B 森喜朗元首相の引退を受け、石川2区で初当選した自民の佐々木紀氏に対し、森氏は今後、積極的な支援も、行動を制御するようなこともしないと公言している。佐々木氏の総決起集会では「政治家としての演説はこれが最後」と語った。政界の表舞台からは一歩退いた形になるとみられる。
A ただ、森氏の悲願の北陸新幹線の全線フル規格化が実現するまでは影響力を発揮するだろうとの見方もあるね。
B 16日夜、佐々木氏が当確の知らせを受けて勝利宣言したときのこと。報道陣から万歳を依頼された佐々木氏に対して森氏が、あの太い声で「(当選しても)万歳するもんじゃないんだ」とたしなめた姿が印象に残っている。重鎮として県内政界への影響力は残るだろう。
D 民主は、3小選挙区で敗北した上に比例代表で復活もできず、県内の所属衆院議員はゼロ。この民主の求心力の低下が、民主に合流した県議会会派「新進石川」の発言力に影響するのではないかと見る向きがある。新進の県議は、谷本正憲知事を初当選から支えてきただけに、勢力が低下すれば、14年春の次期知事選の構図に絡むかもしれない。
A 次の知事選で、これまでは新進と相乗りだった自民が、衆院選全勝の勢いに乗って独自候補を擁立する可能性がある、ということだね。6選出馬に意欲的と言われる谷本知事は、自民の勢力伸長を複雑な思いで受け止めているかもしれない。
12月19日朝刊
8298
:
チバQ
:2012/12/21(金) 00:36:30
石川
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/feature/kanazawa1355753757041_02/news/20121217-OYT8T01785.htm
12衆院選 王国復活の背景
(上)自民 追い風なき大勝
「自民党に特別な期待や風が吹いたわけではない」
16日夜、金沢市間明町の馳浩の事務所。自民県連幹事長の紐野義昭は、勝利の余韻を感じさせない淡々とした口ぶりで戦いを総括した。
「馳には入れる。だけど、自民はだめや」。9日夜、金沢市での馳の個人演説会に出席した男性は、きっぱりと言い放ち、会場を後にした。
選挙戦序盤から「自民優勢」を伝える報道各社の世論調査結果とは裏腹に、自民の各陣営では追い風を感じることは少なかった。ただ、前回初めて小選挙区の議席を失った自民王国・3区では「だまされた思いは絶対に許せない」と、民主党に憤る有権者の声は届いていた。あまりにも強い民主への逆風。自民は「いかに組織を壊さず安全運転するか」(県議)との戦略を立てた。
1区では候補が街頭を飛び回る陰で、県議らは解散後から「1万件以上」の電話作戦で票を積んだ。ある集会では開始の遅れを伝える司会者が、おわびとともに一言、付け加えた。「待つ時間を使って、皆さんの携帯電話から知り合い3人にお電話を」
当確の一報が入り、握手を交わす森さんと佐々木さん(16日午後8時過ぎ、小松市の事務所で) ◎
元首相の森喜朗が約43年にわたって議席を守り続けた2区。9月20日に森の後継に選ばれた佐々木紀は、衆院解散後まで立候補表明が遅れた民主候補を尻目に、着実に森後援会の支持者を固めた。38歳という若さを武器に、同世代を中心とした若年層にも支持を訴えた。「私の後援会の8割を取ればいい」(森)とされた佐々木は初陣にもかかわらず、苦戦した前回の森をしのぐ得票率で大勝した。
全選挙区で、各地に張り巡らされた後援会組織が一斉に動き、戦後最低の投票率の低さも勝利を後押しした。自民の強さの源泉を、ある県議は不敵な笑みを浮かべて説明した。「長年築いてきた力、つまり、『しがらみ』の勝利だ」
◎
「自民に風が吹いた訳ではない」との自民関係者の実感は、データでも裏付けられる。県内の比例選での自民の得票率は34・65%と、民主に政権交代を許した前回09年の35・43%を下回った。県連幹部は「民主政権への強い不満や乱立する新党への不安などで行き場を失った『消極的自民票』が招いた圧勝に過ぎない」と口をそろえる。
1選挙区から1人しか当選できない小選挙区制では、政党への「風」が全国の選挙区での勝敗、ひいては政党全体の議席数に影響しやすい。05年の「郵政選挙」で自民、09年の「政権交代選挙」で民主が大勝した事実が、それを物語る。
ましてや、政党が乱立する中、「消極的支持」で大勝した自民にとっては、ひとたび失政を犯せば、有権者から強烈な「しっぺ返し」を食らう恐れは消えない。来夏に参院選を控え、県連会長の岡田直樹は自戒の言葉を口にした。
「今回がラストチャンス。これで期待に応えられなければ、今度こそ国民から鉄槌(てっつい)を下され自民党は再起不能になる」(敬称略)
(2012年12月18日 読売新聞)
8299
:
チバQ
:2012/12/21(金) 00:36:53
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/feature/kanazawa1355753757041_02/news/20121219-OYT8T01553.htm
12衆院選 王国復活の背景
(中)民主 身内からも逆風
支援者に敗戦のあいさつをする一川氏(左)(小松市の事務所で) 県議会会派「新進石川」会長の宇野邦夫は17日、県議会の控室で記者団に一川保夫・民主党県連代表の責任論を口にした。
その直後、一川本人があいさつに訪れたが、2人が言葉を交わすことはなく、一川は「お世話になりました。また、よろしくお願いします」と頭を下げ、10秒ほどで部屋を後にした。
民主党は県内3選挙区で議席を獲得できず、候補は比例復活もかなわなかった。惨敗の要因は、全国的に吹き荒れた逆風だけではなく、身内のゴタゴタが最後まで尾を引いたためだ。
◎
「獲得できるはずの票を割ったのは大変ショックだ」。1区の奥田建は17日未明、金沢市西念の事務所で悲痛な表情で語った。基礎票が「7万」(陣営幹部)とされた奥田の得票は過去最低の4万7582票にとどまった。
奥田は地元での活動不足を再三にわたって指摘され、ある金沢市議は衆院解散後、「民主党への逆風に加え、奥田に対する逆風もある」と厳しい表情を見せていた。
2009年の政権交代後に民主党入りした新進石川は労組系議員との距離を埋められず、これまで奥田の選挙を率いてきた宇野と、新進石川顧問で県議11期の金原博は選対から一歩退いた。奥田の父・敬和(故人)に見込まれ、秘書を務めた宇野が敬和の長男・建の苦境に際して関与を控えたのは、“見限った”とも受け取れる。
◎
2区で田中美絵子の国替えが決まった時、県連内では「一川に責任を取って出てもらうしかない」との声が大勢を占めたが、一川はかたくなに固辞した。
田中が6月、週刊誌でスキャンダルを報じられた後、「田中では戦えない」と悲鳴を上げたのは2区内の県議たちだった。県連幹部は「自分の選挙の時に、支持者から『なぜ田中を推した』と追及されるのが怖かったからだ」と解説する。
10月に来県した民主党幹事長代行の安住淳は「『田中はダメ、代わりもいない』は認められない」と県議らを諭し、県議らは数人に立候補を打診した。だが、県連は党本部が田中の国替えを決めた時点でも、後任候補を用意できていなかった。
民主の支援団体・連合石川は、宮本啓子を推薦しなかった。民主候補を支援してきた社民党も独自候補を擁立し、連合は民主と社民に分裂。宮本は前回の田中の3分の1に満たない3万7601票で惨敗した。
◎
3区で近藤和也が健闘したのは、前回の初当選後、「1500回以上の街頭演説などを重ねた」という近藤自身の努力が大きい。一川は近藤の選対本部長に就いたが、「自分の選挙目当て」と見る向きもある。
民主は県内の国会議員が一川だけとなり、来夏の参院選で一川の議席を守ることが最大の課題となる。
宇野は参院選について「わしは戦わん」と言い切り、ある県議は「一川は任期中、何もしなかった」と切り捨てる。その一川は衆院選の結果を「有権者が何を判断基準に(自民を)選んだのか理解しがたい」と振り返った。
政権与党から陥落した民主党。惨敗後もどこか「他人事」のように映る関係者の振る舞いからは、再生への道筋が見えてこない。(敬称略)
(2012年12月19日 読売新聞)
8300
:
チバQ
:2012/12/21(金) 00:37:17
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/feature/kanazawa1355753757041_02/news/20121219-OYT8T01573.htm
12衆院選 王国復活の背景
(下)維新 急ごしらえ露呈
橋下代表代行(中央)、中田宏氏(左)と街頭演説した小間井氏(2日、金沢市香林坊で) 衆院選公示2日後の6日夜、報道各社に1枚のファクスが届いた。「てんてこまい俊輔通信」――。送り主は日本維新の会の小間井俊輔の事務所。翌日の選挙活動の予定を記載したA4判1枚の紙の表題が、前日の「こまい俊輔予定表」から変わっていた。
初めての選挙で自民党の馳浩、民主党の奥田建という「強敵」に挑んだ小間井。自虐的にも思える「てんてこまい」は、今回衆院選での自身や維新の戦いぶりを象徴していた。
◎
「最終的には(当時の日本維新の会の)橋下(徹)代表と松井(一郎)幹事長が決めると思う」。10月31日、県庁の記者会見室。維新北陸信越ブロック長・阿部賞久は県内全3小選挙区に候補を立てる方針を示す一方、小間井の1区での公認については言葉を濁した。
党本部が小間井に公認を伝えたのは衆院解散後の11月18日。党本部は「維新政治塾」塾生の政治活動を禁じ、塾生の小間井は公認されるまで街頭演説もできなかった。維新の会は太陽の党と合流し、代表に石原慎太郎、代表代行に橋下が就任。第3極としての期待感が高まる一方で、合流による政策の変化も生じていた。
12月9日、金沢市諸江町での演説会。小間井陣営幹部の県議・田中博人は「小選挙区では現職2人がいて頂上は見えないが、比例選では(議席を)獲得できるところまできている」と比例復活へ望みを語った。
ただ、党本部は比例選北陸信越に前横浜市長の中田宏を擁立、名簿順位を1位にした。小選挙区と重複立候補した8人はみな2位。小選挙区で「生死」をかけて戦う候補より、知名度があり、党の「顔」となる中田を優遇していた。
橋下は12月2日、金沢市香林坊での街頭演説で、日本未来の党の原発政策や自民党の公共事業政策への批判をまくし立て、こう述べた。「正直、小間井さんが当選するかどうかどっちでもいい。当選するためだけにいいこと言ったらダメ」。聴衆に笑いが漏れた。橋下のすぐ横で小間井は苦笑いを浮かべた。その後、小間井陣営が望んだ石原代表の県内入りも実現しなかった。
小間井の得票は4万1207票で、惜敗率は41・39%。維新は比例選北陸信越で3議席を獲得。重複立候補した8人の中で小間井の惜敗率は6位で、最後に当選した百瀬智之(長野2区)を11・77ポイント下回った。
◎
維新が県内でも存在感を示した一方で、共産党、社民党、日本未来の党の得票は伸びなかった。3党に共通するのは消費増税反対、反原発などの公約を前面に掲げたことだ。
読売新聞社が12月7〜9日に行った世論調査では、「安全性を確認した原子力発電所の運転再開」は賛成が43%、反対が49%、「消費税率を14年4月に8%に引き上げ、15年10月に10%まで引き上げる」は賛成が49%、反対が44%と賛否が拮抗(きっこう)した。国民全体が悩んでいる様子がうかがえ、これらの争点で明確な立場を示すことは必ずしも得票に結びつかなかったとみられる。
◎
「選挙前に争点形成し、他党との違いを明確化できなかったことが敗因」。小間井は16日夜、金沢市入江の事務所で報道陣に答えた。維新の県内での比例選得票は12万4559票で、自民(19万5795票)の次だった。小間井は次回衆院選への立候補を明言しなかったが、「石川でも新しい政治に期待する声は十分にある。維新を北陸、石川に広げていける活動を考えていきたい」と語る。
維新は一時のブームで終わるのか、国政を刷新する一大勢力に育つのか。真価は来夏の参院選、そして次回衆院選で問われる。(敬称略)
◇
この連載は、福森誠、益田耕平、加藤哲大、池田創、三歩一真希が担当しました。
(2012年12月20日 読売新聞)
8301
:
チバQ
:2012/12/21(金) 00:41:41
http://mainichi.jp/area/fukui/news/20121220ddlk18010484000c.html
2012衆院選:記者座談会 原発政策 各候補、争点化避ける 全国最多立地県、物足りなさ指摘 /福井
毎日新聞 2012年12月20日 地方版
自民が県内3選挙区を独占し、民主が全議席を失った衆院選。選挙戦を担当記者4人が振り返った。
−−3選挙区とも、自民が大差をつけた。
記者A 福井の保守地盤の厚さをまざまざと見せつけられた。「切り崩すすき間がない」と弱音を漏らす他党の選対幹部は多かった。1区では、稲田朋美氏の後援会組織の強さが目立った。陣営関係者は「公示を迎えるころには、試験は終わっている」と話していたが、常在戦場で組織を鍛え上げている。
記者B 2区の山本拓氏の個人演説会は連日、数百人が駆けつけた。前回選は中立に回った県農政連が動員をかけ、応援弁士にも立った。自治会単位の推薦状が事務所の壁に所狭しと並び、支持層の厚さを物語っていた。対照的に民主・糸川正晃氏は逆風に苦しみ、陣営は「『糸川本人は良いけど、民主党はちょっと……』と言われる」と嘆いていた。
記者C 自民大勝というより民主自滅の印象だ。3区は元々自民が強いから順当勝ちと言える。陣営は完勝気分の引き締めのため、組織固めに万全を期していた。組織の機動力、活動量は圧倒的だった。
−−第三極は風を巻き起こせなかった。
A 維新の橋下徹代表代行が福井市で応援演説を行った時、約2000人(陣営発表)が集まったが、現場からわき上がる高揚感のようなものは感じられなかった。橋下氏は「さらに公共工事をしても日本は成長しない」と訴えたが、北陸新幹線や足羽川ダムが主要課題の福井の現状とかけ離れていた。政策的に受け入れられなかったのではないか。
B みんなは2区に候補を立て、維新と連携して2大政党打倒を訴えたが、保守層には浸透できなかった。ただ、1割強の票を集め、一定の手応えは感じたようだ。
記者D 3区の維新候補は“落下傘”。公示の約10日前に公認が発表され、事務所にするため急いで借りた敦賀市繁華街のテナントには、前に入っていた店舗のカウンターがそのまま残っていた。事務所開きに知人ら数人しか集まらず、党本部の支援が厚いとは思えなかった。大阪での維新の熱狂とは対照的に、地方での悲哀を感じた。
−−原発問題は争点となったのだろうか。
C 原発が集中立地する3区でさえ原子力が再重要の争点にはならなかった、というより、どの候補も争点化を避けた。原発と切り離せないという意味で、経済・雇用問題に一般化されたように感じる。「安全なら動かす」と現実論を強調していた自民にしても、国策としての見通しが不透明で、本質論に踏み込めなかった。立地自治体の関係者は「原発の必要性をもう少し訴えてもよかったはず」と物足りなさを指摘していた。
A 1区で共産、社民候補が脱原発を柱に訴えたが、伸び悩んだのが象徴的だった。毎日新聞の世論調査で、最も重視する争点に原発を挙げた人の割合は景気対策や社会保障に比べて低かった。ただ、立地県の方が若干、原発への関心は高い傾向があった。
B 2区でも、共産以外の候補が街頭演説で原発に触れることはほとんどなく、景気回復やTPPが主な主張だった。原発から距離があり、住民の関心事ではないと判断したのかもしれない。しかし、全国最多の原発立地県の候補者として、自らの考えを有権者に示してほしかった。
8302
:
チバQ
:2012/12/21(金) 00:45:48
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20121218/CK2012121802000079.html
衆院選検証(上) 自民、組織選挙で大勝
2012年12月18日
選挙期間中、安倍晋三自民党総裁の応援演説に大勢の人々が集まった=掛川市のJR掛川駅前で(袴田貴資撮影)
衆院選の投開票から一夜明けた十七日午前。静岡県内の戦いを取り仕切った自民党県連の杉山盛雄幹事長は余裕をのぞかせた。「もっと早く注射を打っておけば、6区も勝てたかもしれない」
六選を目指した民主前職に新人が挑んだ6区。自民は主戦場と位置づけ「注射」と呼ぶ候補者本人や組織への引き締めを十日から繰り返した。敗れはしたが、約一万二千票差まで追い詰めて比例で復活当選。県内で小選挙区六、比例三の計九議席を獲得した自民復権を象徴する区となった。
自民は今回、環太平洋連携協定(TPP)反対を条件にした農協や、安倍晋三総裁が掲げる公共事業拡大に期待が大きい土木・建設業界といった組織の支援を受けた。民主党の敵失で勝利が転がり込んだ面は大きいが、得意とする旧来型の組織選挙の強さが目立ったのも事実だ。小選挙区の全国投票率は戦後最低の59・32%と低迷し、確実に計算できる票が自民を支える構図が一層際立った。
1区で支援した農協幹部は「われわれは一人一人が十票を稼ぐことを目標にした」と胸を張る。街頭演説の七割方を農協関連施設の前に集中させる戦いぶりで、小選挙区での当選を手にした陣営もあった。
「選挙は外交や防衛ではなく、安定した生活。そこを訴え、組織の支援を受ける」。杉山幹事長はこう説明する。勝利を手に十七日午後には早速、支援を受けた団体へのお礼回りに繰り出した。
ただ、大勝の陰で危うさものぞく。ある新人は「支持なし層を取り込めていない。街頭に立つと、有権者の政治不信はすさまじい。今回の票がイコール自民への支持とは思ってはいない」と自己分析。1区で当選した元職も、落選した前回より約一万五千票も落とした。自民幹部は「原因をしっかり分析したい」と慢心を戒めた。
大勝、大敗を繰り返す小選挙区制の怖さがより鮮明になった今回の衆院選。揺り戻しへの不安はつきまとう。杉山幹事長は「しっかりした政策を実現しないと、次回はまた、自民はダメだったとなってしまう」と警戒感を口にした。
それでも今回の圧勝が自民への追い風となるのは間違いない。来夏には知事選が控え、県議会で対立する川勝平太知事との対決を念頭に自民幹部の鼻息は荒い。「党勢拡大しているんだから、候補者を立てるのは当然。年明けから候補選びを本格化させる」
自民が今回得た優位は知事選まで続くのか。その保証はどこにもない。
◇
十六日投開票された衆院選は静岡県内でも自民圧勝、民主大敗で終わった。第三極も比例復活で念願の議席を獲得した。師走の選挙戦を振り返り、各党の戦いぶりを検証する。
8303
:
チバQ
:2012/12/21(金) 00:46:15
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20121219/CK2012121902000080.html
衆院選検証(中) 民主、結束できず惨敗
2012年12月19日
◆信頼回復への道遠く
民主党・ふじのくに県議団の控室を訪れ、落選を伝える牧野聖修県連会長(右)=17日、静岡県庁で
「民主惨敗」の衝撃も冷めやらぬ十七日、静岡1区で議席を失った党県連会長の牧野聖修さんは、党再建への道筋を問われ、憔悴(しょうすい)しきった表情で絞り出した。「風に頼っていてはだめ。自分の足で組織づくりをしっかりやるしかない」
比例と合わせた県内八議席は、前職が圧倒的な知名度と地盤を誇る5、6区で死守できただけ。政権交代への高揚感に包まれた二〇〇九年の前回選から、多い候補で三分の二以上の票を失った。
前回、党への追い風で誕生した一年生議員は、足元を固めきれないまま、厳しい戦いに直面した。頼みとなるのは労組。支持母体の連合静岡の役員会では、特定の一年生議員を名指しし「(支援は)やれない」と切り捨てる声も出た。
「前回は事務所で『明日はこうしよう』『どこに行こう』と意見が飛び交っていた。今回は熱気がなかった」。8区の応援に入った労組幹部は振り返る。
一方、当選を重ねた中堅、ベテランの前職は、東日本大震災の被災地復興や原発再稼働をめぐる党務、政務に追われた。「今回の選挙を戦うための地元活動が手薄になっていた。地域に根を張る地方議員らと日常的に連携し合う重要性を痛感した」と牧野さんは悔やむ。地元入りが限られたばかりか、党への逆風が強まるにつれ、政府の要職を務めた経歴は決してプラスに働かなかった。
離党者続出で党が瓦解(がかい)を始める中、県内から離党者はなかった。だが、党運営のごたごたは、選挙態勢のまとまりを欠く形で現れた。有権者受けを狙ったのか、「リーダーとして、日本維新の会の橋下徹代表代行には期待している」と街頭演説で堂々と述べる民主候補者も。選対本部長代行の岡本護県議は十七日の総括で、一丸となれなかった党の姿勢を敗因の一つに挙げた。
民主党は二十二日、党代表辞任を表明した野田佳彦首相の後任を決める代表選で再生への一歩を踏み出す。県連も、牧野さんが会長を、林芳久仁県議が幹事長を退く。二回続けて小選挙区で勝てなかった7区と、今回得票数で離された8区は新たな候補を探り、県連もまた解体的出直しに迫られる。
圧勝の自民党が北朝鮮や尖閣などの領土問題の対応で一段と保守色を強める中、民主党はどこを目指すのか。牧野さんは「日本にとって平和で安全な国家とは何か。大規模な公共投資を推し進める古い政治はどうなのか。自民路線へのアンチテーゼを示していきたい」と強調するが、失った信頼を回復させる道は、あまりにも険しい。
8304
:
チバQ
:2012/12/21(金) 00:49:03
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121219-00000063-mailo-l21
2012衆院選:戦いを振り返って/上 民主、足腰の弱さ露呈 /岐阜
毎日新聞 12月19日(水)12時11分配信
◇重点区でも完敗 比例代表得票、09年の3分の1に
. 「苦戦は覚悟していたが、まさかここまで差が開くとは……」。衆院選から一夜明けた17日、民主党県連幹事長の渡辺嘉山県議はしばらく二の句が継げなかった。
県連が当初、比例復活で「当選可能」と見込んだ1、3区ですら自民候補の6割程度の得票にとどまった。大物弁士の応援を優先的に設定するなど力を入れた末の大敗だけにショックは隠しきれない。
◇ ◇
民主にとって09年は追い風、今回は逆風だった。「共に異常」(県連関係者)な2回を比べると、以前から指摘される「足腰の弱さ」が浮かび上がる。
県内の比例代表得票数をみると、今回、民主は16万3661票。09年の約3分の1に落ち込み、小選挙区候補が1人しかいない維新にすら及ばなかった。一方、自民は31万583票。投票率が下がったため前回より約4万票減らしたが、得票率は微増だ。民主県連代表代理の伊藤正博県議は「今回が積極的な自民支持ではないこと、組織票では歯が立たないことの二つを表している」と指摘する。
◇ ◇
3区で落選した園田康博氏は期間中、JR瑞穂駅で配ったビラを目の前で破り捨てられた。投票前日に事務所前で頭を下げて最後の支持を訴えたが、ほとんどの有権者が素通り。陣営幹部は「初当選から9年間、自前の後援会を作ってこなかった努力不足に尽きる」と悔やんだ。
「民主へのアレルギー反応は相当強い。もう追い風に乗った選挙は期待できない」。県連は今後、浮動票に左右されない票の上積みに注力する方針だ。例えば県議会での党勢拡大。今は自民所属の30人に対し民主所属は8人。差は歴然としている。
しかし、県内の衆院議員がいなくなった今、求心力が弱まるのも確実。「課題が多すぎて、どこから手をつければいいのか整理がつかない」(伊藤県議)と悩みを抱える中、来夏の参院選が刻一刻と迫る。「次負けたら、党の存続問題に発展しかねない」とある県連幹部は危機感をあらわにする。参院岐阜選挙区は改選数が1減る。「改選1」の激戦区だ。【三上剛輝】
………………………………………………………………………………………………………
■民主と自民・前職対決の得票数
今回 前回
1区 柴橋正直 5万4254 11万1987
野田聖子 9万164 9万9500
3区 園田康博 7万107 16万5017
. 武藤容治 12万865 11万6353
5区 阿知波吉信 5万5283 11万4676
古屋圭司 9万8718 10万934
※上が民主
12月19日朝刊
.
8305
:
チバQ
:2012/12/21(金) 00:49:22
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121220-00000023-mailo-l21
2012衆院選:戦いを振り返って/下 安倍色に身内も懸念 /岐阜
毎日新聞 12月20日(木)11時29分配信
◇低姿勢崩さぬ自民 急ごしらえ第三極、受け皿たりえず
. 「憲法改正により自衛隊を国防軍として位置づけます」
自民党の政権公約集の21ページにこう記されている。「外交・安全保障」のテーマ20項目中5番目。1区の自民、野田聖子氏は「なぜここに明記したのかという思いはある」と複雑な胸中を明かす。尖閣諸島や北朝鮮問題、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)より上位の位置づけだ。
自民は県内5小選挙区を独占し、民主候補に比例復活も許さなかった。しかし「とりあえず自民という選択をしてもらった」(野田氏)と低姿勢を崩さない。
なぜか。県連幹事長の猫田孝県議は要因を二つ挙げた。一つは「解散のタイミング」。野田内閣の支持率が低迷し、第三極の準備が整わないまま選挙戦を迎えたからだ。もう一つは「多党化」。政党の乱立で「非自民」票が分散した。
他党が勝手にこけて、自民の頭が一つ出ただけ、との見方だ。実際、比例代表の得票率は大敗した09年に比べ微増にとどまり、得票数自体は4万票減らした。
それだけに民主の惨敗を「明日は我が身」と警戒する。「安倍カラー」が強い政策は有権者の反発を招く恐れもある。「まずは経済、次に教育・社会保障。やるべきことはいっぱいあるよ」。ある県連幹部は改憲まで手が回らないことを願っている。
◇ ◇
12日午前9時過ぎ、JR岐阜駅前。黄金色に輝く織田信長像の下で4人が街頭演説に立った。1人は日本未来の党代表の嘉田由紀子・滋賀県知事。残る3人は未来の1〜3区の立候補者だ。
「卒原発」「消費増税凍結」。政策に期待し、演説を聴きにかけつけた大垣市の男性は顔をしかめた。「コントみたい」だったからだ。
嘉田知事は2区の橋本勉氏を紹介する際、名前につまった。そして、たすきに書かれた名前を見ようと橋本氏の腕を上げた。1区、笠原多見子氏は嘉田知事から「鉛筆持ったら、み・ら・い」のコールを言うようマイクを向けられ、拒否した。笠原氏は演説後「私にとって真剣な選挙。あんなテンションじゃない」と話した。
解散後に急ごしらえでできた党。一体感は感じられなかった。大垣の男性は「やっぱり第三極は寄せ集め」という印象を強くし、未来の候補に投票しなかったという。
笠原氏は「既成政党に不満を持つ人の受け皿となりきれなかった」と反省する一方で、「自民への一票は消費増税、原発再稼働を容認したということ。それを肝に銘じてほしい」と訴えた。【三上剛輝】
.12月20日朝刊
.
8306
:
チバQ
:2012/12/21(金) 00:50:09
http://mainichi.jp/area/mie/news/20121218ddlk24010185000c.html
2012衆院選:記者座談会/上 民主に活気無く、消去法で自民へ /三重
毎日新聞 2012年12月18日 地方版
第46回衆院選は、逆風の民主党が壊滅的な敗北を喫する一方、自民、公明両党で325議席を獲得する圧倒的な勝利を収めた。県内5小選挙区で自民3、民主2議席だったが、自民は2人が比例復活した。各陣営を取材した記者たちがこの1カ月を振り返った。【衆院選取材班】
−−序盤から民主の劣勢が伝えられていた。各選挙区の様子は?
A 4区は、前回衆院選時の自民に対するようなすさまじい勢いの逆風はなかったように思う。だが、結果はそれ以上だった。敗れた森本哲生氏も、敗因としては逆風を否定。後半は「追い上げていた」と分析している。
B 森本氏は初陣の05年衆院選でも自民の田村憲久氏に食い下がり、比例復活した。県議時代からの個人票も多く、今回も陣営の多くの人が「比例復活は間違いないだろう」と言っていたが。各種世論調査での苦戦ぶりに皆が首をひねった。
C 5区の藤田大助氏の事務所は公示直前になっても閑散としていた印象がある。前回とは違い、決起集会を取材しても、集まった人に「当選させてやろう」という活気を感じなかった。
D 議席を守った2区でも逆風があった。中川正春氏の演説会に来ていた人も、民主党には投票しないと言う人が多くいた。結果、過去最少の得票数になり、自民新人の比例復活にもつながった。中川氏も「ここまで追い詰められるとは意外」と言っていた。
B 投票率の大幅低下も考慮すると、推薦した連合三重傘下の労組員でさえ、棄権も含めて民主候補への投票を避けるケースがあったのでは。そう考えると県全体での低調ぶりが分かる気がする。1区でも橋本千晶氏の擁立の遅れがあったとはいえ、最後まで支持が広がらなかった。
−−自民に追い風はあったのか。
E 政党乱立、閉塞(へいそく)感から、自民に回帰した人が多かったのでは。1区では、川崎二郎氏のこれまでの実績から、安定した政権運営を期待したのだと思う。だが多くは「民主は駄目、他の政党も二の舞いになる。ならば、自民に」といった消去法的選択だろう。「自民政権の時の方がまし」という有権者の声も聞いた。
D 積極的支持者はそれほど多くないだろう。根拠は、自民演説会に集まる支持者の数だ。収容人数50人ほどの小さな会場でも埋まらず、文化施設などでは4分の1もやっとだった。「動員を掛けても人は集まらない」(地元県議)。応援弁士も会場の埋まり具合をみて「寂しい」とぼやいていた。
. A 敵失ということだ。自民の政策が大きく支持されたわけではないと思う。だだ、善しあしは別に、公共事業の推進は間違いなく進むわけで、景気回復に期待する部分があったのでは。
B 自民への熱い支持があればこんな低投票率にはならない。今回の自民前職候補の得票数は、民主候補が大きく票を減らす中で、逆風だった前回以下か前回並み。新人は比例復活したとはいえ、惜敗率は2区が約67%、3区は約43%と低かった。自民に高い期待があったわけではないということだ。
8307
:
チバQ
:2012/12/21(金) 00:50:52
http://mainichi.jp/area/mie/news/20121219ddlk24010187000c.html
2012衆院選:記者座談会/下 第三極に不安 迷いが投票率低迷に /三重
毎日新聞 2012年12月19日 地方版
−−第三極として、三重1区と2区に日本維新の会の新人が立候補したが、比例復活も出来なかった。
E 維新は浸透しきれなかった。1区の松田直久氏は、維新候補というより、元津市長として期待を寄せる声が圧倒的に多かった。知名度のある松田氏だからここまで戦えた。代表代行の橋下徹大阪市長の来県も追い風にはならなかった。
一方で、2区の珍道直人氏が地縁もなく、選挙態勢が十分整わない中で3万4000票余を得票したことや、比例代表の県内得票率が公明を上回ったことは評価できるのでは。
D 珍道氏には反民主の浮動票が流れたと考えられる。維新幹事長の松井一郎大阪府知事らが選挙区入りした時も、足を止めて演説を聞く人がほとんどいなかったのが印象的。2区の自民候補は「途中からは名前も聞こえなくなっていた」と言っていた。日本未来の党など、ほかの第三極の名前を聞くことは皆無だった。
B 維新もそうだが、公示直前に合流したり、合流に伴ってそれまで掲げていた政策を下ろしてしまったり、ドタバタが目立った。有権者は「また裏切られるのではないか」と第三極の政権担当能力に不安を抱いたのだろう。
A 急に年内総選挙が決まったとはいえ、あの乱立ぶりは結局、有権者を惑わせた。自民を利する結果になったのではないか。
−−戦後最低の投票率を記録した。
C 5区の自民陣営は、師走で忙しい時期に選挙をしたせいだ、と言っている。
B 自民党県連も「冬場のせいだ」と。
E 1区では60%台後半と読んでいたようで、ここまで下がると考えていた人は少ない。この低投票率では無党派層、若年層に期待していた第三極は苦しい。
F 3区は公示直前に四日市、桑名市長選があり、選挙疲れも要因の一つかも。自民選対幹部は投票率低下が好結果につながったと言っている。自民は前回に近い得票、共産は前々回以上の得票で、基礎票を固めた結果だろう。下がった分のほとんどを民主がかぶった。
D 2区の民主候補は「政治家に対する憤りと不信の結果」。自民も「政治不信と党の乱立のため」と一致している。
A 4区陣営は、低投票率をほぼ読み当てた。当初はもう少し高くなると見ていたが、期日前投票の推移で修正した。
D 期日前投票の状況から各陣営とも予想していたという。誰に入れていいか分からない、誰に入れても一緒という有権者の心理がそうさせたのではないかと思う。
B まとめると、民主政権にはうんざりだが、3年3カ月前に「ノー」を突き付けた自公政権に戻すのもどうか、第三極に託すのも不安だ、という迷いを多くの人が持ち、投票を棄権した、ということではないか。
〔三重版〕
8308
:
チバQ
:2012/12/21(金) 00:52:46
少しもどって静岡
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shizuoka/feature/shizuoka1355749373784_02/news/20121217-OYT8T01577.htm
12衆院選 検証
(上)自民
新人てこ入れ成功
自民党の安倍総裁(中央)とともに、選挙カーに立つ勝俣孝明氏(左)と吉川赳氏。(14日、JR三島駅前で) 県内8小選挙区のうち6選挙区で勝利した自民党。前回選(2009年)の大敗で失った議席を一気に取り戻した。その原動力になったのは、4選挙区に擁立された新人たちだ。2人は小選挙区で勝ち上がり、残る2人も比例での復活当選を果たした。その背後には、若手をもり立てる県連幹部たちの必死な思いがあった。(文中敬称略)
「相手は前回16万5000票を取った怪物だぞ」
選挙戦終盤。自民党県連幹部は静岡2区の新人・井林辰憲をどなりつけた。「相手」とは、最大のライバルである民主党前議員・津川祥吾だ。
井林は36歳。さわやかな笑顔がトレードマークで、精力的に辻(つじ)立ちをこなしていた。民主への逆風で、「優位に立っている」と評価されていたが、選挙戦終盤、背水の陣で臨む津川は、顔に悲壮感を漂わせ、必死に選挙区を回っていた。
「笑顔は余裕と受け取られかねない。引き締めが必要だ」。県連幹部はあえて井林をどなりつけ、「必死さ」を演出しようとしたという。12月12日、藤枝市の事務所で演説した井林からは笑顔が消えていた。
「よろしくお願いします」と頭を下げる井林は、涙を拭うようなしぐさも見せた。
16日夜、津川に3万票以上の差を付けて初当選を決めた井林は、集まった支援者を前に「今日からがスタートのつもりで精進する」と神妙な顔つきで語った。
県連幹部たちも必死だった。2005年の「郵政選挙」では、当時首相だった小泉の圧倒的な人気のもと、県内小選挙区で6議席を得たが、民主党への政権交代に期待が高まった09年には、その6議席すべてを失っている。まるでドミノ倒しだった。
17日に記者会見した県連幹事長の杉山盛雄は「今回は浮かれた当選者は1人もいない」と言い切った。「国政に送り出す議員には必死さが必要」というのは、県連幹部に共通した思いだ。杉山は「しっかりとした政策を実現しないと、次回また『自民党はダメだった』となる」と口元を引き締めた。
選挙戦では、自民党総裁の安倍を、県内で走り回らせる一幕もあった。
選挙戦終盤の14日夕、JR三島駅前に、安倍が駆け足で現れた。聴衆とともに出迎えたのは、吉川赳(5区)、勝俣孝明(6区)の2新人。3人は選挙カーの上で固く握手し、安倍は力強く支持を呼びかけた。
当初、安倍は焼津駅、沼津駅の2か所で演説する予定だったが、県連が「三島にも入ってほしい」と要請した。
三島駅は5区だが、6区の長泉町が目と鼻の先だ。沼津―三島駅間は約5キロ。これだけ近い場所での連続演説は異例だが、県連が党本部と「相当激しいやりとり」(杉山幹事長)をした結果、安倍に3か所での街頭演説を了承させたという。
吉川と勝俣はともに小選挙区で敗れたものの、比例で復活当選を果たした。特に勝俣は、前回選で10万票以上の差があった民主対自民の票差を約1万2000に縮めた。
(2012年12月18日 読売新聞)
8309
:
チバQ
:2012/12/21(金) 00:53:12
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shizuoka/feature/shizuoka1355749373784_02/news/20121218-OYT8T01263.htm
12衆院選 検証
(中)民主 風頼みの弱さ 露呈
県議会会派「民主党・ふじのくに県議団」の控室を訪れ、深々と頭を下げる牧野聖修・県連会長(右)(17日、県庁で) 「誰が選対幹部なんだ」
公示直前、8区の斉藤進陣営で行われた選対会議。出席した浜松市議はいらだちを隠せない様子で秘書を問い詰めた。秘書は黙ってうつむくだけだった。
斉藤陣営と7区の斉木武志陣営は、選挙の要である選対本部長を決められないまま選挙戦に突入した。斉藤も斉木も2009年8月の「政権交代選挙」で、民主党への風を受けて初当選した1年生議員。組織の弱さを露呈した形だが、県連内部には「候補者としての資質に問題がある」との声もあった。
世論調査などで「自民優勢」が伝えられる中、県連幹部は「金も人も限りがある。候補者をトリアージしなきゃダメだ」という言葉を盛んに口にした。「トリアージ」とは、多数の負傷者がいる場合、状態に応じて搬送・治療の優先順位を決める行為のこと。県連幹部の言葉には「当選の見込みが薄い候補者を見捨てる」というニュアンスが含まれる。11月24日に開かれた常任幹事会では、県議から「勝てる候補に集中すべきだ」との発言が飛び出した。
組織のほころびは、衆院選前から顕在化していた。
09年の衆院選で民主党政権は誕生したものの、県議会会派「民主党・ふじのくに県議団」の所属議員(無所属を含む)は11年4月の県議選直前には26人いたが、今では19人に減っている。市議や県議の間では、党務や政務などに奔走し、地元入りが少ない国会議員への不平や不満が渦巻いていた。
県連選対委員長の岡本護は「(政権)与党になって(県議を)増やすはずが減らしてしまった。与党であるメリットは正直、何もなかった」と打ち明け、「国会議員は何をやっているんだという気持ちがどこかにあった」と話す。
今年8月には、若手のホープと評されていた県議の源馬謙太郎が「維新政治塾」に参加していることが発覚。結局、源馬は日本維新の会の公認候補として8区から出馬した。
こうした県連内部の事情に加え、今回の衆院選では民主党政権への「逆風」がとどめとなった。今回落選した県連会長牧野聖修は当選4回のキャリアがあるが、「地元にはかなり浸透していると思う私ですら、吹っ飛ばされるくらい強い風だった」と振り返る。
支持母体である連合静岡会長の吉岡秀規は「民主党というブランド力が劣化した」と分析する。吉岡は、政権交代直後の鳩山政権のつまずきなどに触れ、「政権交代で最高潮に達した期待は、一気に坂を下って深い谷に落ちた」と表現する。
来年には知事選や参院選が予定されている。組織をいかに立て直すかは、喫緊の課題となっている。
6区の激戦を制した渡辺周は17日朝、沼津駅前で訴えた。
「民主党は歴史的大惨敗で、8人いた県内の議員は2人になった。言い訳や内部分裂は許されない」
(文中敬称略)
(2012年12月19日 読売新聞)
8310
:
チバQ
:2012/12/21(金) 00:53:34
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shizuoka/feature/shizuoka1355749373784_02/news/20121219-OYT8T01791.htm
12衆院選 検証
(下)第3極 比例頼み 脱皮なるか
日本維新の会の橋下氏(中央)が応援に入った維新の会の合同演説会(9日、浜松市中区で) 「新しい政治への期待があった」「議席が取れてうれしい」。投開票日翌日の記者会見で、静岡維新の会代表の柏木健やみんなの党県議会第1支部長の遠藤行洋は、念願だった議席獲得の感想を述べた。
比例選東海ブロックで、県内から1人ずつ当選者が出た日本維新の会とみんなの党。比例で獲得した県内の票の割合は、維新の会が21・84%、みんなが9・44%で、合わせれば自民の28・61%を超える数値だった。
だが、県内有権者の投票行動を分析すると、政党名(比例選)と候補者名(小選挙区)のつながりが弱いという実態が浮かび上がってくる。
読売新聞社と日本テレビ系列各局が16日に共同実施した出口調査では、比例で第3極の政党に投票した人のうち、小選挙区でその政党の候補者に投票した人は5〜7割。8〜9割がほとんどの自民、民主とは差があり、「第3極の政党は支持するが、候補者本人は魅力に欠ける」という有権者の意識が透けて見える。
そもそも、小選挙区に立候補した第3極の陣営は、最初から比例復活での当選を目指していた節がある。
1区で比例復活した小池政就(みんなの党)の陣営幹部は公示直後から「愛知10区はどう?」などと、惜敗率で争うことになりそうな同党候補者の情勢を気にしていた。落選した8区の源馬謙太郎(維新の会)陣営幹部も、11月末に浜松市内で開かれた別の政治家のパーティーで「小選挙区での当選は120%ない」と胸の内を明かしていた。
今回、第3極から出馬したのは、前民主党県議、前磐田市長、前静岡市議、前三島市長の息子など、元々政治と深いかかわりを持っていた顔ぶれが多かった。他陣営からは選挙期間中、「新党に続々そろう古い顔」(公明の山口代表)、「要するにみんな国会議員になりたいだけ」(民主県連幹部)などと揶揄(やゆ)する声も聞こえてきた。
◇
衆院選の熱気が冷めやらない18日昼。静岡市葵区呉服町の静岡維新の会本部で、同会関係者4人が会合を開いた。会合では「参院選や知事選に候補者を立てよう」「地方議員を増やさないと」「静岡でも維新塾を開いては」「資金集めパーティーもやりたい」などの意見が交わされた。
選挙準備に費やす期間が短かった第3極の候補者にとって、今回選は「風と投票率頼り」(源馬陣営幹部)にならざるを得なかった。第3極をただのブームで終わらせないためには、県内での組織作りが「次の一手」となる。
第3極は今後地域に根付き、自民や民主のような存在感を示す政党になりうるのか。当選した議員らの今後の動向に、有権者は目を光らせている。
(文中敬称略)
(2012年12月20日 読売新聞)
8311
:
名無しさん
:2012/12/21(金) 02:37:01
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121221/elc12122102010001-n1.htm
【衆院選2012 兵庫】
衆院選民主党の大敗
2012.12.21 02:01
■神戸市長「いわばオウンゴール」
神戸市の矢田立郎市長は20日の定例会見で、16日投開票の衆院選で民主党が大敗したことについて、「民主党の負けというよりも、いわば“オウンゴール”。党が分裂し、結果的に軸になる政策が打ち出せないままだったように感じる」との見解を示した。
また、県内で、日本維新の会やみんなの党などの第三極勢力の候補の比例復活当選が相次いだことについては「どこに入れたらいいのか迷った無党派層が票を投じたのでは」と分析した。
8312
:
名無しさん
:2012/12/21(金) 04:01:56
http://mainichi.jp/area/nagano/news/20121220ddlk20010068000c.html
民主県連:次期衆院選に向け、候補者差し替えも /長野
毎日新聞 2012年12月20日 地方版
民主県連の倉田竜彦幹事長は19日、衆院選で支援を受けた連合長野の執行委員会に出席し「期待に沿えない結果になり、おわびを申し上げる」と陳謝した。落選した選挙区については、次の衆院選で候補者の差し替えもあり得るとの認識を示した。
連合は衆院選で県内5小選挙区の民主公認候補者を推薦したが、前職2人が落選。当選は1区前職と3区新人にとどまった。
倉田幹事長は「マニフェストの失敗、統治能力のなさというのが有権者が離れた一番の要因だ」と分析。「落選した選挙区では、連合との連携や総支部づくりが思うようにできず組織的な選挙ができなかった」と述べた。
落選した2、4、5区については、党本部の方針に沿って総支部を解散することを明らかにし「候補者を含めて新たな方向づくりをする。まず本人の意向を聞くが、単に捲土(けんど)重来を期するだけでは議席を取り戻すことは難しい」と話した。
連合長野の中山千弘会長は「大敗の総括と総支部の充実を早急に実施していただきたい。連合は今後も最大の応援をする」と述べた。【小田中大】
8313
:
名無しさん
:2012/12/21(金) 18:39:22
http://news.tv-asahi.co.jp/news/web/html/221217034.html
「未来の党」がない…投票台に掲示ミス 長野(12/17 03:58)
長野県南牧村の投票所で、投票用紙記入台に掲示した比例代表の表に「日本未来の党」が記載されないミスがあったことが分かりました。
南牧村によりますと、村内7カ所の投票所のうち5カ所で、「日本未来の党」が記載されていない表が投票用紙記入台に掲示されていました。県選挙管理委員会によりますと、掲示する表の原本は県選管が各市町村に配布していましたが、南牧村はこの表を使わず、村の選管が作ったものを掲示していました。日本未来の党が記載されていないことに気づき、16日午前10時半までにすべての投票所で新しい表に取り替えました。県選管は17日、村の選管に「経過報告」を求めることにしています。
8314
:
名無しさん
:2012/12/21(金) 22:12:49
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012122100983
衆院会派勢力が確定
衆院事務局は21日、衆院選後の会派数と所属議員数が確定したと発表した。新たな勢力分野は次の通り。
自民294▽民主・無所属クラブ57▽日本維新の会54▽公明31▽みんな18▽日本未来の党9▽共産8▽社民・市民連合2▽無所属7。 (2012/12/21-20:59)
8315
:
旧ホントは社民支持@鹿児島市
:2012/12/21(金) 23:06:50
>>8314
石川(大地)と野間(国民)も無所属ってことなんでしょうね。
社民・市民連合もついに2議席か…
8316
:
チバQ
:2012/12/21(金) 23:16:52
ああ 石川か。野間はすぐ気付いたけど
あと一人誰だ?って考えてしまった
8317
:
名無しさん
:2012/12/22(土) 13:36:28
いずれにせよ1993年から続いてきた非自民の組織的抵抗は民主のバンザイ突撃
によりここで終了。
8318
:
名無しさん
:2012/12/22(土) 19:33:13
.
8319
:
名無しさん
:2012/12/22(土) 23:21:32
09選挙後のように民主チルドレン等々は続々と引退だろうな。
浪人生活に耐えられる奴は少ないだろう。
8320
:
Social Bookmarks Service
:2012/12/23(日) 01:36:26
CQuF0e A round of applause for your article.Thanks Again. Will read on...
8321
:
名無しさん
:2012/12/23(日) 05:11:31
530 :無党派さん:2012/12/22(土) 22:33:50.61 ID:yple0lGM
小選挙区で当選した民主幹部らはデカいツラしているが、対抗馬の自民に公明推薦が無い場合が非常に多い。
野田(千葉4区):藤田(自民)は公明推薦なし→野田が大勝。
前原(京都2区):上中(自民)は公明推薦なし→前原が楽勝。
安住(宮城5区):大久保(自民)は公明推薦なし→安住が楽勝。
玄葉(福島3区):菅野(自民)は公明推薦なし→玄葉が楽勝。
岡田(三重3区):桜井(自民)は公明推薦なし→岡田が爆勝。
枝野(埼玉5区):槙原(自民)は公明推薦あり→枝野は辛勝。
渡辺周(静岡6区):勝俣(自民)は公明推薦なし→渡辺は辛勝。
菅(東京18区):土屋(自民)は公明推薦あり→菅 は惜敗。
海江田(東京1区):山田(自民)は公明推薦あり→海江田は惜敗。
枝野は大したもんだが、渡辺周は公明が自民候補を推薦すれば落選だった。
8322
:
名無しさん
:2012/12/23(日) 13:31:12
>>8321
公明は常勝大勝利理論に基づいて土台無理筋な小選挙区には推薦を出さない。
元々自民も民主鉄板区にはブレーン志望の学者とか
コネ作り目的の自営業者とか出してることも多いし。
藤田はついてないとしか言いようがないが…
8323
:
名無しさん
:2012/12/23(日) 15:43:19
>>8321
長妻はどうだったっけ
8324
:
チバQ
:2012/12/24(月) 03:05:58
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1112/20121222_01.htm
惨敗社民 衝撃大きく 東北、初の国会議員ゼロ
衆院選で、社民党は東北の比例代表ブロックと小選挙区で惨敗し、旧社会党時代を含め初めて東北選出の国会議員がゼロになった。歴史的敗北は、労働運動の低迷や党員の高齢化を背景にした党勢の衰退を象徴した。衝撃が広がる各県連や支持労組は、再起に向けた道筋を描きかねている。
<比例票が半分に>
「こんな結果になるとは思わなかった。有権者の反応は良かったのに…」。比例東北に立候補した党宮城県連代表の元衆院議員菅野哲雄氏(64)は、予想を超える大敗にぼうぜんとする。
比例東北の票は前回(2009年)の約31万6000票から約16万票に半減。得票率も半分に落ち込んだ。得票が3分の1に激減した民主党の票は第三極勢力にさらわれ、受け皿にはなり得なかった。
青森県を除く5県に擁立した5人の選挙区候補の惜敗率は31〜7%。今回初めて比例単独候補を2人立てたが、票は掘り起こせなかった。
党東北ブロック協議会議長を務める高橋啓介山形県議は「東北の比例票がなぜ半減したのかしっかり分析する。来年夏の参院選に向け、党勢回復を目指す」と力を込めるが、長年、党を支持する労組の疲労感は深い。
秋田県教職員組合の伊藤正通委員長は「社民党は脱原発を長年の看板政策として訴えてきたが、今回は同じ公約を掲げる政党が次々と現れ、埋没してしまった」と嘆く。
自治労岩手県本部の野中靖志書記長は、敗北と労組の衰退をだぶらせる。県本部の組合員は約7000人。地方公務員を削減する国の改革プランで10年前と比べ約2000人減った。野中書記長は「今後は青年層や子育て世代にも支持の輪を広げるべきだ」と労組一辺倒の限界を指摘した。
<人材育成できず>
旧社会党時代、党は総評を軸とした強固な支持基盤を武器に、常に一定の数を確保してきた。消費税導入の是非が争点になった1989年の参院選では東北の7議席中4議席を奪取した。
その後、党員の高齢化と、人材育成や集票を労組に頼り切る体質に何ら手を打てないまま、党はじり貧に追い込まれた。
党福島県連の加藤雅美代表は「社会党時代から党員の顔触れが変わっていない。若い人材の確保を模索したが、うまくいかなかった」と省みる。
旧社会党の衆院議員を1期務めた今村修氏(70)=旧青森1区=は「今の各県連の幹部は党の良い時代を体験しており、新たな支持層を開拓する意識の転換ができなかった」と厳しく指摘。「労組関係者ら身内とだけ付き合っていれば活動が内向きになる。積極的に一般市民と関わり、地域の課題に取り組むべきだ」と警鐘を鳴らした。
2012年12月22日土曜日
8325
:
ugg
:2012/12/24(月) 04:01:49
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2012-12-16 10:59:15
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8326
:
チバQ
:2012/12/24(月) 10:54:13
>>8308-8310
静岡
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121218-00000032-mailo-l22
一票を託す:’12しずおか衆院選 有権者の審判/1 自民 追い風なかった「大勝」 /静岡
毎日新聞 12月18日(火)12時39分配信
◇得票数減らす選挙区も
今回の衆院選で自民党は05年以来の6議席を県内8小選挙区で奪還し、前回09年に他党を圧倒した民主党は2議席まで後退した。比例復活組を含めると県内で新たに誕生する12衆院議員のうち、自民は8人、「第三極」が2人と県内の勢力図は大きく塗り替えられた。「師走の決戦」で明暗を分けた各党を追った。
「自民党が勝ったというよりも、民主党(政権)の3年数カ月に対する不信感が最大の要因だった」。比例復活を含め擁立したすべての小選挙区候補者が当選する「大勝」から一夜明けた17日午前、静岡市葵区の県庁で記者会見した自民党県連の杉山盛雄幹事長は勝因を問われ、開口一番こう答えた。前回で民主に吹いたような「追い風」の存在を明確に否定した。
「衆院選の勝利は、来年の県知事選や参院選にも大きな意味を持つ」と話し、県知事選での独自候補擁立の可能性にも言及して自民の勢いをにじませた。しかし、約15分間の会見中、表情を緩めることはほとんどなかった。
記憶にあるのは、05年の「郵政解散」で大勝した後にやってきた前回の大敗だ。「『郵政選挙』のような浮かれた当選者は一人もいないだろうと私は思っている。次の衆院選でまた『自民はだめだ』ということになると大変だ」
自民が素直に喜べないのにはわけがある。
投票率が下がったため、単純に比較はできないが、勝利した6選挙区のうち4選挙区で、大敗した前回の党公認候補の得票数を下回った。1選挙区では、ほぼ横ばいだった。自民が支持を伸ばしたわけではないことが、開票結果から裏付けられたともいえる。「なぜ減ったのか、細かく見ていかなければいけない」。17日の県議会本会議に集まった自民系県議たちは、「おめでとう」と口々に祝福のあいさつを交わす一方で、党勢復活がどこまで本物か測りかねていた。
「民主と『第三極』が票を食い合ってくれた。ラッキーだった」との指摘もある。勝利した6選挙区は、民主に加え「第三極」の新党、日本維新の会や日本未来の党が選挙戦に加わった。
杉山幹事長は、「(支部組織など)うちが一番しっかり地域に根がある政党だ。国民が安定を求めたのではないか」と選挙戦を振り返り、「老舗の看板」を誇った。【樋口淳也】=つづく
12月18日朝刊
8327
:
チバQ
:2012/12/24(月) 10:54:31
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121219-00000071-mailo-l22
一票を託す:’12しずおか衆院選 有権者の審判/2 民主 地方議員に強い国政不信 /静岡
毎日新聞 12月19日(水)12時19分配信
◇連合「説明が足りない」
衆院選から一夜明けた17日午後、静岡1区で落選した民主党前職の党県連会長、牧野聖修氏が県議会の「民主党・ふじのくに県議団」控室を訪れ、県議らに「引き続きお力添えと、ご指導をよろしくお願いいたします」と深々と頭を下げた。
政権交代につながる09年の衆院選大勝から3年余り。今回県内で当選した同党公認候補は、テレビ出演などで知名度が高く、強固な後援会組織を持つ細野豪志氏と父親の時代からの強固な地盤を誇る渡辺周氏の2人のみ。他の前職6人は比例復活もかなわず、ほとんどが得票を半減させた。牧野氏は「民主党は許さないという有権者の意思は最後まで変わらなかった」と唇をかみしめ、再起に向け「市議や県議と連絡を取り合い、自分の足で仲間づくりをする必要がある」と語った。
その地方議員からは「地域をないがしろにしたツケだ」と冷めた声が漏れてくる。
民主党が政権を取ってからの県内の地方選は、11年4月の県議選で現職が続々と落選。衆院解散後の焼津市長選でも、民主系の現職が落選した。
地域で活動する県議や市議は、「国政の失敗が地方に及んでいるのに、国会議員から説明はない」と不満を募らせる。同党県連の岡本護・選対本部長代行は「政権交代したメリットを地方議員は実感できなかった」と断言した。
説明不足は民主党の最大支持母体、連合静岡にも影を落とした。連合静岡の吉岡秀規会長は「組合員や国民の多くは失望を味わっている。今回は単に推薦するのではなく、丁寧にやっていくことが求められている」と異例の個別面談を実施。衆院の前職候補らに「民主党政権でできたこと、できなかったこと」を組合員に説明するよう求めた。連合幹部は「あれだけの期待を背負っていたのに、政権与党に説明する姿勢が足りなかった。選挙戦が始まった時には、もう手遅れなくらい信頼が失われていた」とため息をついた。
牧野氏は、これまで国会議員から話し合いで選ばれてきた県連会長の後任について、「実動部隊の県議にやっていただくのがいいと思う」と述べ、県議から選出することを示唆した。地域から信頼回復ができるかが、党再生の鍵を握る。【小玉沙織】=つづく
12月19日朝刊
8328
:
チバQ
:2012/12/24(月) 10:54:50
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121220-00000015-mailo-l22
一票を託す:’12しずおか衆院選 有権者の審判/3 第三極 組織育つ道のり不透明 /静岡
毎日新聞 12月20日(木)11時8分配信
◇各党足場づくりこれから
選挙戦中盤の今月9日午後6時半過ぎ。JR浜松駅の新幹線改札口から出口への通路に、数百人の人垣ができた。ほどなく、歓声に包まれ速足で歩く、日本維新の会の橋下徹代表代行が姿を現した。静岡市での遊説を終え、県内2カ所目の応援演説。興奮した若者が、カメラを手に走って後を追った。
「第三極への『熱狂』を象徴するような出来事だった」と他陣営の幹部は指摘する。維新は比例代表で自民党に次ぐ40万3220票(得票率21・84%)を獲得し民主党を上回った。4人の小選挙区候補は全敗したが、3区2位の鈴木望氏が比例代表で復活当選。自民党のあるベテラン県議は、「来年の参院選まで、この勢いが続くかもしれない」と警戒感を隠さない。
自民、民主党のいずれをも支持したくない有権者の受け皿を目指した第三極。県内から3党が候補を擁立したが、その先行きは波乱含みだ。
みんなの党(同9・44%)は、小池政就氏が1区4位で落選後、復活当選した。みんなは前回選挙から参戦した第三極の先輩格。一時は党本部同士で維新との合流も取りざたされた。
全国の小選挙区で相互に推薦し合ったが、1区では対決。みんなの遠藤行洋・県議会第1支部長は、「有権者に分かりにくい構図となり、1区は非常に厳しい選挙戦になった」と話す。1区以外でも、「現実的に選挙協力はなかったように思う」と振り返った。
静岡維新の会代表の柏木健県議は、「個人的には、みんなの党とは一緒にやっていけばいいと思う」と語る。他方で今後については「党本部次第」と言い、県内で第三極の組織が育つ道のりははっきりしない。
日本未来の党は4人の候補を立てたが、比例での同党の得票率は4・28%と低迷し、小選挙区で惨敗した。4区で落選し、17日に「県内の候補者を代表する立場」として記者会見した小林正枝氏は「国民の生活が第一」からの移籍組。公示の8日前に、4人中3人がそろって生活の公認候補として会見したばかりだった。
「結果としては公示直前に政党の名前が変わり、有権者に分かりやすい政策を訴えきれなかった。心残りだ」と悔やむ。
風が吹いた党も、吹かなかった党も、県内での足場はまだこれから。来春の静岡市議選が一つの試金石となりそうだ。【樋口淳也、山本佳孝】=つづく
12月20日朝刊
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