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第46回衆議院議員総選挙(2013年?)

8283チバQ:2012/12/21(金) 00:11:44
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20121219/CK2012121902000151.html
衆院選 回顧(上) 民主惨敗 弱い足腰 逆風で倒壊
2012年12月19日

衆院選後、初めて顔をそろえた(右から)4区落選の工藤氏、1区落選の石森氏、2区比例復活の福田氏とともに、反省の弁を述べる谷県連代表=宇都宮市で


 県内全五選挙区のうち三選挙区にしか候補者を送り出せなかった末に、全敗した民主党。比例代表北関東ブロックで前職の福田昭夫氏(2区)が復活当選し、かろうじて“一議席”を死守した。

 十八日夜、宇都宮市の県連事務所で開かれた緊急幹事会では総括と今後の対応を協議。県連代表の谷博之参院議員は「どん底状態にある民主党を、もう一度、再生させる第一歩にしたい」と呼び掛けた。

 幹事会後、松井正一県連幹事長は「足腰を強くしていくことが課題」として、今後四年間の地方選挙も見据えた中長期的な選挙戦略が重要と指摘。さらに、通常は衆院議員や候補者が就く各選挙区ごとの総支部長について「地方議員が就き、運動体として機能するようにしなければ」と、組織を大幅に立て直す必要性を強調した。

 「短期決戦の中で、ゼロからの出発だった。私にとって貴重な戦いをすることができた」

 谷氏は投開票日の十六日夜、落選が伝えられた4区の前職工藤仁美氏の選挙事務所(小山市)で、気丈に振る舞った。

 自身が県連代表に就任したのは十一月十九日。衆院解散の直前に突然、前県連代表の富岡芳忠氏が離党届を提出(除名)したことを受けた緊急登板だった。「審判の日」まで一カ月を切ったところから、立て直しに向けて奔走した。

 短期間の中で唯一、擁立にこぎ着けた候補者が工藤氏だった。谷氏は「栃木にすべてをなげうって来てもらい、歯を食いしばって戦い抜いてくれたことに感謝したい」と、比例北海道ブロックから転身した工藤氏の健闘をねぎらった。

 歯車が狂い始めたのは今年六月、衆院での消費税増税法案をめぐる採決だった。反対票を投じた当時の党副代表山岡賢次氏が七月、除籍(除名)となり党を離れた。当時の県連代表だった石森久嗣氏も棄権し、役職を辞任。新たに県連代表に就いた富岡氏も、わずか四カ月で役職を放り投げ、党を去った。

 「具体的な敗因としては、多くの議員がほかの党に移動してしまい、印象があまり良くなかった」と、谷氏は“お家騒動”が今回の衆院選の結果につながったことを認める。

 加えて、十一月にあった知事選、宇都宮市長選に候補者を擁立できなかったことも最後まで響いた。自民、公明両党がいずれも現職候補の選挙戦に乗って存在感を示し、衆院選に向けた準備を着々と進めていったのに対し、民主党は傍観者と化した。

 十七日未明、福田氏の選挙事務所(日光市)で復活当選を喜び合った谷氏。「福田氏の当選で衆院(の議席)を確保できた。敗北の中でも、踏みとどまることができたのは良かった」と語った。それでも、惨敗の爪痕は深い。「力がなかったということ。政策や人柄を備えた候補者を、つくっていかなければならない」 (磯谷佳宏)

   ◇  ◇

 今回の衆院選は、県内でも「脱原発勢力」が伸び悩み、原発を容認する立場の自民党の大勝につながった。初めて政権与党として臨んだものの大幅に議席を減らした民主党。一方、渡辺喜美代表のお膝元・北関東で比例復活を含めて議席を増やしたみんなの党。県内の勢力図が変わった背景を検証する。


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