スタジオジブリ最新作で、宮崎監督によるアニメーション映画『風立ちぬ』は、第70回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品され、公式上映の翌朝にはイタリア各紙が大絶賛。イタリアの老舗全国紙「CORRIERE DELLA SERA」(コリエーレ・デッラ・セーラ)では、宮崎監督の顔写真と場面カットが一面を飾り「ベネチアに夢を見せてくれる平和主義なおとぎ話。創造性、夢、愛への讃歌歌った作品だ。映画の中で『才能は10年だ』という言葉があるが、彼の場合は例外であろう」と評した。また、各誌の"星取り"でも現時点でのコンペティション部門上映作品に比べて軒並み高評価を獲得し、アニメーションとしては史上初となる「金獅子賞」への期待が高まっている。
街の書店でベストセラーを買えないのはなぜか。棚に並ぶことなく出版社に返品される本はなぜ発生するのか。硬直していると言われる本の再販制度が守られているのはなぜか――これらの問題を考えるのに避けて通れないのが、日販とトーハンの2大取次だ。出版不況が止まらないのはなぜか? 本記事ではそれを、流通から考えていく。
[長浜淳之介,Business Media 誠]
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いじゅういん・しずか/1950年山口県生まれ。CMディレクターを経て、'81年短編小説『皐月』でデビュー。'92年『受け月』で直木賞を受賞。現在は同賞の選考委員を務める。近著は『無頼のススメ』(新潮社刊)。本誌上にて『それがどうした 男たちの流儀』連載中
ひがしやま・あきら/1968年台湾生まれ。5歳まで台北で過ごし、9歳の時に日本へ。福岡県在住。'02年『タード・オン・ザ・ラン』で第1回「このミステリーがすごい!」大賞銀賞・読者賞を受賞。'03年同作を改題した『逃亡作法TURD ON THE RUN』でデビュー。『流』で第153回直木賞受賞
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文学史を振り返れば、優れた翻訳は言語を豊かにしてきた。明治日本で西洋語の翻訳が日本語の幅を広げたという話は有名だと思われるが、英語もまた、その表現の最高峰にシェイクスピアと並んで必ずや欽定訳聖書が指摘される。しかも批評家として名高いF. O. マシーセンの、その名もズバリ『翻訳』という論文では、ラテンやギリシャの古典の英訳がシェイクスピアをはじめ当時の英語に影響を与えた「イングリッシュ・ルネサンス」が指摘されている。どんなに近い言語間でもその差がゼロということはあり得ない。それどころか講演では、漢字圏同士、アルファベット圏同士だと、つい引きずられて翻訳が上手くいかないという例も挙げられていた。とすれば翻訳とは、原理的には不可能かもしれないその差を埋めながら、実践的に最大限「等価」にすることだろう。だからこそ1言語の中だけでは起こらない変質が起こり、それはマズい場合には忘れられ、優れた場合には後世に残る豊かさを生む。