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Tohazugatali Book Review

210とはずがたり:2012/10/15(月) 17:50:52

丸谷才一氏死去 突然の悲報 惜しむ声
http://mytown.asahi.com/yamagata/news.php?k_id=06000001210150002
2012年10月15日

 ∞ 県内ゆかりの人たち 鶴岡愛し だだちゃ豆大好物

 鶴岡市出身で昨年秋に文化勲章を受章した作家の丸谷才一さんが13日、87歳で亡くなった。鶴岡市名誉市民で、7月に名誉県民の称号を受けたばかり。鶴岡を愛し、だだちゃ豆が大好物だった文学界の重鎮の突然の悲報に、県内のゆかりの人たちからは驚きとともに、惜しむ声が相次いだ。

 鶴岡市に住む甥(おい)の丸谷紘一さん(74)宅には13日午前、親族から丸谷さんが死去したと連絡があり、紘一さんが東京へ向かった。妻のあき子さん(67)は「高齢で無理はきかないけれど家では元気にしていると思っていました。急な知らせでした」と語った。

 あき子さんは毎年、丸谷さんの誕生日の8月27日に好物のだだちゃ豆を送っていた。今年のお礼の手紙には「誕生日の朝に届いた。ありがとう。だだちゃ豆の一番おいしい時期に生まれたのが自慢の一つ」と書かれていたという。

 丸谷さんは鶴岡市の名誉市民。市は今年5月に丸谷さんを招いて文化勲章受章の記念講演会を開く準備を進めていたが、丸谷さんが体調を崩したため延期になっていたという。

 榎本政規市長は「市民を挙げて受章のお喜びをし、たくさんのお教えを頂こうと思っていた矢先の知らせで言葉もありません。日本文学界の支柱で、鶴岡市にとっても名誉市民という大きな支えでした。残念でなりません」と語った。

 旧制鶴岡中学校(現鶴岡南高校)の後輩で前市長の富塚陽一さん(71)は「お盆などに鶴岡に戻ってくると、穏やかにほほえまれていた。心から古里を愛していたのでしょう。厳しい季候を乗り越えて生きてきた鶴岡人としての矜持(きょう・じ)や誇りが作品にも表れていたと思う。今はご苦労様、ありがとうございましたとお伝えしたい」と声を震わせた。

 「夏にメロンを送って、お礼の手紙をもらったばかり」という鶴岡市湯の浜温泉のホテル社長菅原一彦さん(86)は同中学時代の同級生。「10年ほど前までは毎年開く同級会にいつも顔を出していた。東京・築地のすし屋で『撃てと言われても弾もなかった。戦争は最初から負けていたようなもんだ』と砲兵時代の思い出話をしていたのを覚えている。米寿の前祝いをしようと、同級会から手紙を出したが、返事は来ないのかな」と寂しそうに語った。

 来年7月に創立125周年を迎える鶴岡南高校は、丸谷さんの記念講演を開く検討を進めていた。「在校生が伝統を引き継ぎ、文学の道を目指してくれれば」と同窓会が発案した。田中芳昭校長は「生徒が美しい日本語に触れる貴重な機会になると思ったが……。惜しい方を亡くしました」。

 同校卒業生で鶴岡市在住の直木賞作家・佐藤賢一氏(44)は「若い頃から目をかけていただいた。残念で本当にショックです」と大先輩の死を悼んだ。丸谷さんは「こんなコーナーがあるから、書いてみないか」と、時折エッセーの仕事などを回してくれたという。

 丸谷作品について「簡単に印象に流れず、理屈や教養などで書かれた知的な文章。読後感が明るく、前向きな気持ちにさせてくれる」と言い、「先生の作品を読んで、勉強させてもらいました」と語った。

 吉村美栄子知事は「図書館整備のための寄付や講演など、故郷の人材育成や芸術文化の振興に大きく貢献された。丸谷氏のような人材を輩出できるよう人材育成に取り組みたいとの思いを新たにしていたので、逝去は大変残念。功績に改めて敬意と感謝の意を表し、心からご冥福をお祈りします」との談話を発表した。


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