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Tohazugatali Book Review
302
:
名無しさん
:2015/09/07(月) 22:25:20
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150907-00000037-mai-soci
<太宰治>佐藤春夫に「芥川賞を私に…伏して懇願」手紙4m
毎日新聞 9月7日(月)14時0分配信
作家、太宰治(1909〜48年)が、当時芥川賞選考委員の一人で師弟関係にあった作家の佐藤春夫(1892〜1964年)に、芥川賞の授賞を懇願していた手紙が見つかった。
長さ4.1メートルに及ぶ巻紙には、毛筆で<第二回の芥川賞は、私に下さいまするやう、伏して懇願申しあげます><佐藤さん、私を忘れないで下さい。私を見殺しにしないで下さい>などと書かれ、芥川賞を切望しながら受賞できなかった太宰が、佐藤に泣訴する様子が生々しく読み取れる。第一級の資料が約80年間、人目に触れず保存されていたことに、専門家からは驚きの声が上がっている。
佐藤の遺品を整理していた河野龍也・実践女子大准教授(日本近代文学)が発見、確認した。佐藤は実名小説「芥川賞」(36年)のなかで、この手紙の一文<……伏して懇願……>を引用していた。だが、文面があまりに直接的で手紙の現物が見つかっていなかったため、存在は研究者の間でも疑問視されてきた。一部で佐藤のフィクションとみられていた逸話が、事実として裏付けられた。
太宰から佐藤へ芥川賞を請うた書簡としてはこれまで、今回の手紙の8日後に出した<芥川賞をもらへば、私は人の情に泣くでせう>と書いたものが広く知られていた。
この頃の太宰は、文壇デビューを果たしていたものの自殺未遂を起こし、東大も中退。パビナール(鎮痛剤)中毒で借金もかさむ不安定な精神状態にあった。
手紙は36年1月28日付。当時太宰は26歳。佐藤は43歳にして大家だった。太宰は前年の第1回芥川賞の候補になりながら落選、第2回の選考会が目前に迫っていた。太宰は前年、佐藤に才能を評価されて以降、親密な関係を続けていた。
河野准教授は手紙の発見を「文学史上、欠けていた重要な部分が埋められた」と位置づけ、「太宰が相当に切羽詰まっていたことがよく分かる。プライドの高い太宰がここまですがるのは、2人の信頼関係の証しとも言える」と話している。また、太宰から佐藤に宛てた別の書簡2通も今回、新たに発見された。
見つかった書簡の全文は、10月発売の「佐藤春夫読本」(勉誠出版)に掲載される。また11月には佐藤春夫記念館(和歌山県新宮市)での展示が予定されている。【棚部秀行】
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