ここ数日、これを見ていなかったので、反論が遅れました。反論の前に、私の考えをはっきり言っておきます。
① 先の大戦は、対東アジア諸国という点では、今日振り返ってみると、確かに侵略戦争であった。一方、対英米という点では、ABCD包囲網により追い詰められた結果であり、侵略戦争とは言い切れない。ただし、ABCD包囲網を招く発端が日本の大陸侵出にあったこと、英国はブロック政策、米国は国土開発により不況に地力で対処しうる立場にあったことは、充分に留意しなければならない。
② 私は、愛国者、民族主義者を自負している。一方で、右翼諸団体や「クソウヨ2ちゃんねらー」には全く共感できず、愛国者を名乗る資格はないと思う。偏狭的なナショナリズムは、却って祖国の名誉を貶めるだけであり、有害無益である。アイヌ人、在日韓国朝鮮人、在日中国人等への差別は、言語道断である。いかなる民族であれ、その民族であることは、誇るべきアイデンティティである。真の民族主義者なら、他民族の尊さを当然に理解すべきものである。
さて、反論とまいりましょう。
① 侵略行為と植民地等における日本の政策について
私は、「日本の政策によい点があったから戦前の対外侵出政策が正当であった」、などという「木を見て森を見ず」なことは、ただの一言も言っていません。上にも述べた通り、やはり侵略であり、やってはならないことだったと思います。
ただ、例えば、台湾において風土病対策で成果をあげた、などというのは歴史的な事実です。我々日本人が積極的に主張するかどうかはともかく、そういう事実を現地の方が言うのは自由です。それなのに、例えば韓国において、日本支配時代の事実を主張しただけで非難されるのはどういうことか、というわけです。もう60年も経ったわけですから、頭を冷やしていろんな見方をしてもよいのではないか、と思うのです。まあ、あれは全くもって侵略ではなかった、と言い切るような人は、良識が疑われても仕方ありませんが。
② 戦争責任と「南京大虐殺」発言
「南京大虐殺」否定発言と、侵略戦争再発防止や戦争責任とは、何の関係もないと思うのですが。そもそも当時は、大変残念な話ではあるけれど、戦地で勝てば、略奪、虐殺の類は、うんざりするほどあったわけです。従って、南京で虐殺があったことは、悲しいことに、事実です。
問題は、南京「大」虐殺と言われるほど他と比べて大きなものだったか、ということです。もっと言えば、東京裁判において死者数が著しく水増しされた上、中国が発表するたびに死者の数が増えていき、もって繰り返し日本が責められ、軍事費に補填するための援助を迫られるのはどうしたことか、ということです。これは強盗罪を強盗放火殺人罪と言われているようなものであって、卑劣な犯罪を犯したことには変わらないとしても、あんまりな難癖です。こうして中国は、日本の弱みに付け込み、莫大な援助を要求し、軍事費に使っているのです。その手口たるや、解同と一緒ではないですか!
③ 新しい歴史教科書について
私に言わせれば、「東京裁判史観」を絶対視する立場と、大局を踏まえつつも多様な角度から歴史を検証しようと立場の違いですね。あの教科書は、「Aという側面もあった。Bという側面もあった。でも、結局は、悪いことでした」という書き振りで、大局は見失っていません。これだけ時間が経ってもなお、「悪かった。とにかく悪かった。極悪非道だった」などと言っていては、見失うことも多くあるし、歴史研究としては進歩がありません。