レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
明主様
-
掲示板が完成しました
ご利用ありがとうございます。
teacup.掲示板は
スレッド作り放題
画像・動画・音楽の投稿
ケータイ絵文字が使える
RSS対応
かわいいケータイテンプレ
足あと帳はコチラ
スレッド内容は管理画面内「スレッドの管理」から編集できます。
-
Rayさん
なるほど 世界メシア教の 人から見たら、そのように見えるんですね。
れいさん、もっと あなたは、この掲示板に投稿してください。
そうしたら、よくあなた達の気持ちが、分かります。 どのような心情でまた、
アーメンと唱えることに、違和感がないか、浄霊が変わってしまっているとか、色々聞いてますが、
その辺を具体的に 書いてください。
-
ほらっ
ゲラちゃんとこだけじゃないじゃないか!
ほかも活力満載、生き生きしてるってよ。
ほんと、ちがうよな、今までの信仰とは一変してる。
天国感覚あるぜ!!
-
ドラゴンクエストの霊的意義?
採用曲はドラゴンクエストのメインテーマ
ドラゴンクエストは、基本的にたった一人の勇者が
諸悪の根源、悪魔の総大将、魔王に抗い、挑み、
立ち向かうストーリーがコンセプトの作品。
https://www.youtube.com/watch?v=GrOBF27_Vu4 (40秒辺り)
https://www.youtube.com/watch?v=SEgdfEf2Fhc
-
何だ?
なんか変な風が吹いてきましたが。
話は変わって、 地元の番組で 、 映画評論家 「おすぎ」が、初めて見た映画で心に残るのは、アニメーションの「バッタ君町に行く」と言ってました 。
私も小学校4年生ぐらいでしたでしょうか、家に帰ったら当時は、番組も少ないので、名画劇場をやってました 。
その中に「バッタくん町に行く」があり、私も心に残っております。
何とも言えない夢があるんですね 。真っ暗いビル群の中に煌々と光る街あかり、そのビルの中をバッタや昆虫たちが 登っていくんですね。 上に何か 植木かなんか植えていたんでしょうか、記憶が定かじゃありません。
これはウォルトディズニーよりも、前のアニメーションだと聞いています 。全国で年に何回か上映会があっていて 、ジブリを作った人も 、影響を受けたと言っているそうです 。残念ながら DVD は出ていないみたいですが。
-
異常気象を起こす
宇野正美さんは講演で 、異常気象は アメリカ軍がオーロラ観測と言って 、ハーブと言う 軍事兵器を 上空に 放射して 、引き起こしていると言っていましたが、
そんなことは可能なんでしょうか。
講演会から(抜粋)
「今は異常気象ですね 。冬が 暖かくなったり変ですね。 その原因はなにかと言うと、アラスカで実験をやっているんです。 サンヘドリンが アメリカ軍を使って、
どういう事かと言ったら 、オゾン あれは空気 、オーロラを使って 、それをスクリーンにして、 映画のようにして、 オーロラとか空気がスクリーンですから ものすごく大きいわけです 。
その実験が、( ハープを放射して)ここ数年でひどくなってきたから 、世界の異常気象が起きたんです。 変です。冬がむちゃくちゃ温かったり、どかっと雪が降ったり、 世界中が変です。 最近は異常気象とは言わない 。ひどくなってきたのは、ここ数年です。」( 宇野 氏はハリウッド映画「インデペンデンス、デイ」の中の一場面を例として挙げています)
もちろん明主様のみ教えには 火素で、昼の世界になったから、 太陽の力が 強くなった影響であるとありますが。 アメリカ軍が何かの意図で 起こしていると、今はないと言えないかもしれません。
明主様は、最後の審判を、 昭和29年 3月、み教え集、32号 に、『 戦争や何かで破壊したりするのは、みんな龍神がやっているのです。 焼いたり色々するのもそうです 。日本に対する広島、長崎に原子爆弾をやったのも龍神がやっているのです。
原爆は、 それで最近さかんに水素爆弾とか、今度は窒素爆弾という、すこぶる恐ろしい のが出てきましたが 、 これは いよ々、これから世界の切り替えについて、神様の方で深い考えがあるのです。
あれはみんな神様が作ったのです。 よくみんな悪魔が作ったように言ったり、思ったりしてますが、悪魔にはそんな力はないので、
神様が作ったのです。つまり悪魔に作らせたのです 。その悪魔が、本当に世の中を浄める働きをするのだから、形は悪魔でも、根本はやはり正義、善なのです。 ただ人間の判断は、極薄っぺらな判断だから、そう思うのです。』
これは晩年の お言葉です。 このように根本は 捉えるべきとあります。
なか々、このようには 普通は捉えられません。
しかし 現実として 悪魔は、 今 異常気象を起こす一つの要因を作り出している。
私は 解釈するんですが。
これは分かりません。
-
破壊の動き
宇野氏の講演会、原爆は サンヘドリンが 世界支配の目標で作り上げたと、
明主様はその一つ上の ご判断、主神の視点でのお言葉。
つまり 悪魔、 フリーメイソン、 サンヘドリン、 これらは、その 意図(浄める)で動かされている。
そこに至るまで世界は 、徹底的に破壊されるんでしょうか 、サンヘドリン(龍神)によって。
-
併せ持つ
破壊されているということは、その分、建設が進んでいることでもある。
併せ持つ、合わせ持つ。どっちが正しいかの議論もあるようだが、
一般的には、併せ持つが多い。
両者は、一緒に進んでいくということだからな。
破壊されるのは、無神世界。
建設されるのは、有神世界。
破壊されたくないからって、建設の邪魔はすんなよな!
-
自作自演ウイルス
英語ニュースを聞いていたら、やたら神戸、神戸が聞こえてくる。
画面を見て、納得。 COVID-19 (コビットナインティーン)。
英語が聞き取れるようになったなんて言わなきゃよかった、とちょっと後悔した。
ところでコロナが、武漢発祥というのは米国の陰謀だと言ったスイスの生物学者だったかがいた。
スイスでは、この生物学者を探しているそうだ。該当する人物がいないらしい。
暗に、あの国の自作自演だということを匂わせているというわけだ。
あの国も苦し紛れに自作自演の情報なんか流さなきゃよかったのに、と思うが、
嘘をばらされることを恥と感じない国だからしかたない。
そして、そしてだ。
あの国が主張していた、自然発生説も、ひっこめられようとしているのだとも。
自然発生ではないとすれば……。
あんたら、なんちゅうことすんねん!?
-
細菌は作られた?
宇野正美さんの講演サイトがスマホに、よく入って来ます。それで
私は これだけの事 言ったら、このサイトは削除されるか、この人自体が 危ないと思うんですが、 しかしこの人の使命なんでしょうか。
しかし
説得力がある。明主様のみ教えと、
共通点がある。
ユダヤ、日本人説以外は、
耳に入ってきます。
また新しいの があったので、 聞いたんですが、
私は 3、11( 東日本大震災)の人工地震とか、ハープ( 気象兵器 )説に疑問はあったんですが、
またコロナ、ウイルスにしても、人為的 説は、理解出来なかったんですが、
この人の解説を聞いていたら、なる程と思える。またコロナ菌、
これが人為的ならば、昔からある 伝染病に、この技術があったのかと 疑問はあった、
そして今の
アメリカが 、アメリカ大陸 をインディアンを追い出し、植民地にする 。
それが当時の白人等が天然痘菌を ばらまき、それで殆んどのインディアンが、亡くなった。
その後 白人が入って来た。
今日のアメリカ合衆国になった。
これは今までに無い説なので、
疑問を持つ人はいるかもしれません。
しかし、この人の 解説を聞いていたら 、私にはあるかも知れないと思えて来きます。
-
(無題)
https://blog.goo.ne.jp/palinokuni/e/cc9a80f7fb9e09108de3b30a8958c53b
-
自白
立ち入り検査を拒否してるから、本当のところはまだまだやぶのなか。
ただ、あの国がよけいな自作自演をするから、自ら疑いを濃くしたという段階。
つじつまが合わなくなったんだよ。
うそをつくと、放っておいても、自ら墓穴を掘る。
よくあることだよな。
事実がない、論理的整合性がないことは要注意だってことさ。
問題は、あの国の場合、うそをつく、うそがバレる、ことを恥と思わないところ。
そこが日本人との大きな違いなんだよな。
-
(無題)
https://cocorofeel.blog.fc2.com/
-
タリバン
もう消滅かと思っていたら、元気モリモリだなぁ。
アフガン政府、事実上崩壊というニュースが飛び交っている。
世界は混迷。
コロナどころじゃないぜ。
-
(無題)
https://www.youtube.com/watch?v=3xwO4J8Q9Bk
-
(無題)
>もう消滅かと思っていたら、元気モリモリだなぁ。
ウイグル人が参加していて、中国が警戒している、という話が興味深かった。
戦闘員のモラルは相当低いみたい。
崩壊したアフガン政府は汚職の温床だったみたいだけど、
国民のモラルに応じて、イラクのフセインみたいな強権政治も一般民衆の安全にとってはいいのかもしれない。
フィリピンのドゥテルテなんかは相当適材適所感があるな。
-
五輪の神的意義
こう意見する方も ↓
「元来のオリンピックはギリシャの神々に捧げるため祭儀の一環。
其れと比べ現代ではかなり商業的に傾倒し、さらに政治的思惑も絡み利用されているのが
遺憾に思え、多神教、アニミズムの地である日本で開催される五輪は、
やはり他国で開催の場合とはどこか異質に感じられ。個人的に願わくは開会式にて
神道的、或は縄文的な要素があれば、どんなに素晴らしかったか・・・」と
-
何事もさん。
アフガニスタン米軍撤退、どういう意味があるんでしょうか、 まだ、あのイスラムの連中は生き残ったんですね。 訳分からんですね。
今回の件は。
しかし、イスラムの教えは恐い。
犯罪者、首を出して埋める。皆で 石を投げて 殺す。
または、公開むち打ち。盗みをしたら手首 切り落とす、 これが刑罰 、野蛮極まりないですね。
話は変わりますが 、オリンピックを投稿されていますが、
もう少し 分かりやすく、書いて頂いたらありがたい 。ちょっと自分には解釈が出来ないんですが。
後から読み直したら、あなたの仰しゃる意味が分かりました。 確かに 今のバッハは、 IOC は 莫大な 金が入ってくると聞いてますね。
日本にオリンピックを誘致する時も、
すごいお金が動いたと聞いていますので、
昔の神様に捧げるは ないですね。
-
順番がある
何事も惟神から
神社や寺にてお手洗いを使うのも、本殿・本堂に祈ってから。
-
原爆投下の日、終戦記念日も過ぎ
https://www.youtube.com/watch?v=ledy5yECAJs
-
忘れてないよね?
「私は言うのです。今原子爆弾を嫌っていろいろ言うが、日本人は原子爆弾に対して大いに感謝しなければならない、と。
あのくらい感謝しなければならないものはないのです。
なぜなら、あれが広島、長崎にドカンと来たので戦争が済んだので、そうでなければ日本の都市という都市はあれで壊されてしまいます。
なにしろあの当時、軍人は非常に執着が強くて、どこまでも戦争を続けるという決心であったのですが、
原子爆弾によって“これはもう敵わない、手をあげる” という決心が決まったのですから、あの戦争を打切りにした力は原子爆弾です。
だから広島、長崎で済んだわけですが、そうでなかったら他の都市も全部壊されるのです。
と共に人間も殺されるのです。
それを救ったのは原子爆弾です。
これは神様のほうから私は分かったのですが、原子爆弾は神様が作ったのです。
あれは悪魔が作ったように思いますが、そうではないので、神様が作ったのです。
これも今に“なるほど”ということが分かります。
だから主神がいろいろな経綸をされているのは、とても人間などの判断で分かるものではないです。
実に深い、大きな、たいへんなものです。
「主神は善悪両方を作られた」 (昭和29年4月1日) より
-
忘れてないよね?2
「日本に対する広島、長崎に原子爆弾をやったのも、龍神がやっているのです。
それで最近盛んに水素爆弾とか、今度は窒素爆弾というすこぶる恐ろしいのが出てきましたが、
これはいよいよこれから世界の切り替えについて、神様の方で深い考えがあるのです。
あれはみんな神様が作ったのです。
よくみんな悪魔が作ったように言ったり思ったりしてますが、悪魔にはそんな力はないので、神様が作ったのです。
つまり悪魔に作らせたのですが、その悪魔が本当に世の中を浄める働きをするのだから、形は悪魔でも、根本はやはり正義、善なのです。
ただ、人間の判断はごく薄ッペラな判断だからそう思うのです。
人間の解釈というのは深い所が分からないのだから、メシヤ教信者たるものはその点をずっと深い根本へ気がつかなければいけないのです。
それで、原子爆弾が日本にとってはたいへんな結構な発見なのです。
原子爆弾に大いに感謝しなければならないのです。
というのは、もし原子爆弾がないとすると、あの戦争というものはもっと続いたわけです。
なにしろあのとおり、日本人の戦争に対する執着が強いのですから・・・。
〜 中略 〜
そういうわけですから、もし原子爆弾で広島、長崎をやらなかったら、日本の各都市ほとんどが壊され焼かれてしまって、
日本に都市というものはなくなってしまったかもしれません。
それが原子爆弾のために食い止められたのですから、日本人は原子爆弾に大いに感謝しなければならないのです。
たいへんなものです。またそのために人間の死ぬのがたいへんです。
ですから原子爆弾のために広島、長崎だけは、はなはだ気の毒ですが、そのために日本人の何百万の生命を救ったかも分かりません。
それで日本人は原子爆弾を忘れられないほど怨んでますが、もういっそう考えれば怨むどころではないので、大いに感謝してもよいのです。
そういうようなことがたくさんあります。」
「神様が原爆を作った」 (昭和29年4月5日) より
-
忘れてないよね?3
「これを例えて言うと、日本の広島と長崎に原子爆弾が放たれて、一ぺんに日本が降伏して平和になったのですが、
もしあの原子爆弾が無かったら、まだ戦争が続いたに違いないです。
日本は、降伏なんてとんでもないとどこまでも戦った。
今は笑い話ですが、知っているとおり、竹ヤリの稽古までやったのですから。
しかしあまりに原爆の威力が恐ろしいので、これは駄目だという事になったのです。
〜 中略 〜
それで日本人は今もって広島、長崎の原子爆弾を怨んでますが、
実は広島、長崎の原子爆弾で日本の都市はみんな助かったのです。
そうでないと、みんな潰されてしまいます。
「水素爆弾を作ったのは神様」 (昭和29年5月26日発行)より
-
忘れてないよね?4
「水爆も神様がやっている」 (昭和29年4月7日)
「今大騒ぎをやっている水爆ということなども、少しも恐れることはないのです。
あんなものは神様の方ではわけないのです。
水爆を止めようとすることも、破裂させようとすることも、神様の方では指一本もかからないのです。
しかしあれも神様の方での深い仕組みがあるのです。
あれは神様がやっているので、悪魔がやっているのではないのです。
仮に悪魔がやっているとしても、悪魔が神様に使われてやっているのですから、元は神様です。
ですからいずれ「アレが良かった、ありがたかった」ということになるのです。
その点、日本人として一番分かりやすいのは、広島、長崎の原爆を、日本人は大いに感謝しなければならないのです。
アメリカにお礼を言ってよいのです。
というのは、もしかあの時に原爆がなかったらどうなるかということを考えてみれば分かります。
あれまでは、各都市を順繰りに爆弾で爆破してきたのですが、
もしあの時に原子爆弾が出なかったら、日本はなかなか降伏しませんから、結局日本の主な都市は全部やられます。
ところが、ただ広島、長崎の二つを犠牲にしただけで、あれで止めることができたのですから、「原爆日本を救う」というわけです。
あと復興するにしても、あれ以上もっと壊されて、それとともに人間が何十何百万死ぬか分からないですから、
そうなってからの復興ではたいへんなのですから、あの程度で止めてくれたということは、日本を救った第一の功労者は原子爆弾です。
あの当時は、とんでもない恐ろしい物を持ってきやがったと言って憤慨もし、いろいろ愚痴もこぼしましたが、
それを大局から考えてみると、今言ったとおりですから、
今の水素爆弾が将来どんなに大きな働きをするか分からないです。
なにしろ神様は、もう時期が近寄ってきたので、予想外のことをやります。
だからメシヤ教信者ならだいたい分かるが、そうでない人だったらテンデ分かるはずがないです。」
-
み教えと、宇野さんの講演
宇野さんの講演会で、
コロナは生物兵器で8種類のウイルスが作られ、ばら蒔かれた。 詳しい医者に聞いたら 、コロナで亡くなる人よりも、インフルエンザで亡くなる人の方が多い。
それなのに大騒ぎをしている。
これは三波 、四波と 。偶然ではない。ある意図でばら撒かれている。
これがまた五波が来たら、
大騒ぎ。
これはよく言われてますが、 私が今回驚いたのは、
群馬の御巣鷹村 の日航機事故ですね。 500人以上の人が亡くなり、 当時の 写真誌では、その状況が 公開されてました。 木の枝に人間の遺体の一部が、引っかかっている生々しい写真でした。
当時はこれは事故であろうと、知りようがありません。疑問はあるけど、
分かるはずがありません。
それが 当時、日本経済は世界一と言われ発展してましたが、 バブルで崩壊、 ひっくり返り、そのきっかけが、 この日航機事故であるのが驚きでした。
円高ドル安、 これをしなければ、日本は世界一になってしまう。
世界を支配しているイルミナティが動いて、
円高ドル安をしかけた。
1985年中曽根総理 にアメリカは要求 、 中曽根 首相は抵抗、そして日航機事故があった。
ミサイルが打ち込まれた。 中宗根は驚いて
円高ドル安を受入れた。
日本経済はそれから 低迷期となっていく。
-
大乗的になれ
機が熟す時に、近づいたという事じゃないでしょうか、
いきなり大乗的な 、主神の み教えが入ってきても、
理屈は分かっても、何か 分不相応 な感じがして 、凡人には
変な感じがします。
表現は悪いかもしれませんが、ホームレスの人に、大金を差し出しても、すぐに分からんものに使ってしまう。残らない。
やはりそこには、ある程度理解する 時期があると思うんですね、
この『原爆、水爆は悪魔が作った』という、み教えは、
そのように『見真実』を目指せという意味、お言葉であると思います。
とても大きな意味があると思うんです。だから、また
これだけで全てを、判断する事は出来ませんが。
しかし、これが基本でしょうか。
難しいですが。
-
イエスとは
今日お昼、ジャーナリスト池上彰さんがユダヤ教を話してました、 その中でイエスは、ユダヤ人であってユダヤ教はあまりにも厳しい。
万人に受け入れられるように、キリスト教として改革を始めた 。
それを本来の ユダヤ人は、ユダヤを裏切ったとしてイエスを 磔(はりつけ)の刑に、
それに賛成をした。 それで、キリスト教徒は 、 自分達の開祖、イエスを 殺めたとして、ユダヤ教の ユダヤ人達を恨み出した。
その対立が今日まで続いていると言ってました 。
元はユダヤから始まったんですね。
そのイエスが 神世の時代、 素盞嗚尊であると 、
明主様は仰しゃっておられます。
-
大乗的にやるor見る?
確認したわけではないが、記憶をたどると、
「大乗的にやれ」という聖言は、思い出せない。
「神様のことは大乗的に見ないとわからない」
という聖言なら思い出せる。
人間の分際で大乗的に行動していたら、ヤバイ奴になっちまうんじゃないかなぁ。
尾行・盗聴・盗撮とかな。
「本当の大乗は、これまではなかった」という聖言もある。
大乗は難しい。人間の分際でそうそうわかることではないと思うんだが。
「神様のことは」って部分も、なぜか消えちゃってるんだよな。
-
御講話
昭和10年7月11日ご講話 『貧乏製造宗』、御発表、
『 こういう風に宗教は貧乏を作る。
どういう訳か、これがまだ誰も気が付いていない。 〇理教にしろ、あらゆる宗教にしろ、最初 教祖が出た時は良い。行いも正しかった。
ところで、邪神界の方では2000年前から、大きい野望をしている。それがフリーメーソンであります。
新しい宗教とか、新しい思想とかが、起こるとすぐそれを狙う。 そしてこれもご存知の事ですが、将来世界を自分のものにしようとしている為に、ユダヤ人は今もって国家を形成していない。
キリスト教は表面ああなっているが、実権はユダヤ人が握っている。 彼は最後にならなければ表面に ならないでロシアなどはまだ本当に表面に出ていない。奥の奥で操っている 。フリーメーソンは各宗教へ働きかけている 。そして世界を人間を残らずフリーメーソンの会員にしようとしている。(中略) 〇理教はご多分に漏れず、実はユダヤの悪魔が入ってきて、教祖はこれと戦って負けているんであります 。ですから〇理教の神は実はユダヤの神であり、それがために盛んに金を搾取する実に残酷なものであります。(後略)』
昭和10年8月11日、御講話、
『(前略) 人間の間違った言葉、人間の間違った心で、天変地異を作るんであります。 今年の8月は10日ほど前から涼しいというより寒いくらいで、こんな事は実に珍しい。
毎年今頃、一番暑い時で寒いという事は、人間の心が冷酷だからで、全て陽気は人間の想念、天気は人間の言葉によって作られる事を、私は知らされているんであります。
陽気の不順なのは、人間の心が不順で、変動が激しければ、人間の心の変動が激しい。
それがそっくり そのまま、天気に出る。
人の悪口を言ったり、悪い事を言ったりすると霊界が曇る。ある程度曇ると掃除されなければならぬ、一つの法則が出来ている。従がって、それは風によって吹き払い。あるいは大雨によって水で流し、火によって浄化したりされる。(中略) 去年大阪方面の70 メートル の台風があったのも、あのくらいひどい風がなくては曇りが取れない。今度の水もそうで、水は物質、火は霊ですから、物質を出すべきものを出さず貯めていて金儲けしている。 自分の懐だけ肥して、 世の為人の為に使わないで貯めるから、 水が溜まる事になる。その為に水が溜まって苦しむ、挙句の果てはその金を出さなくてはならぬ事になる。大変な損害だという事であります。 (中略 )※方角も 家相もない。 曇りのない人は家相の悪い所へ越せない。越そうとすれば故障が出て来るという具合であります。
人間の曇りなどにより、人間のあらゆる事件などは、根本にはそれによって起こる。非常に曇った時には戦争などある。その点がはっきり判かれば、もう自分は綺麗になるよりしょうがない。 始終、悪い事を 喋ったり、嫌な事を喋ると、言葉が一種の雲りになる。
以前見た人の話によると、悪口言ったりなどする時は、?スス?みたいの、ねずみ色の雲となって出る。
神様の話したり、神様を讚美するような事言ってると、白い光となって出る。
ですから、多くの人が神様を讃えるような言葉を、沢山言えば、雲りがとれて、光の方が多くなる訳であります。 そして天変地異がなくなる。( 後略)』
◆
(いかに今世界がフリーメーソンが実権を握り、 霊界が曇りに曇っているかが書いてあります。)( 当時はまだ姿を現していなかった、しかし今は ネットでも、フリーメイソンの正体が表に。 宗教を狙っていると言われています。
キリスト教はもう支配して、 その他 多くの宗教も フリーメイソン だと思います。 彼等の本丸は 明主様信仰。
9割9分、目的を遂げられている。
後一厘 残されている。)
(一番)
-
ペコちゃん
昔からの知り合いのペコちゃんが来た。20年前からの知り合い。
当時3歳くらいで、髪の毛チリチリ。その後クラスメートの中では一番我が家に泊まりに来た子だ。
その子がペコちゃんで、それこそ不二家に売り込めと・・・。
まあいっちゃん仲のいい子で、しばらく見なかったら、大学を卒業したので帰ってきた。我が家の庭が大好き。
-
マヨ氏はこういう
>操作(線状降水帯)は日本の軍事特許
ということのようだ。
それでも被害の大小の差はあるようで、やはりそれはクモリの量の差ということなのだろうか?
-
パーパス
人がモノを言ったり、書いたりするのは、目的がある。
単なる雑談で、単に相槌を打てばいいというケースをあるだろうが、
その場合でも、相槌を打つという目的がある。
明主様が、ユダヤのことを話した目的はなんだろう。
ユダヤは危険だから近づくな、
ユダヤをやっつけろ、否定しろということが目的ではないと思う。
その理由は、明主様のお仕事は、全人類を救うことがだからだ。
当然、救うなかには、ユダヤ人も含まれる。
なにせ、主神様がメシア降誕の予言を預けた人たちなのだから、よほどの
信頼があったことが推測される。
では、明主様の目的は何だったんだろう。
ユダヤ人はけっして神を否定してはいない。
一神教の元祖ともいえる人たちなのだ。
ただ、メシアの降誕までは苦しみのなかにいる、つまり神を当てにしないで生きる。
神はないものを仮定して生きるということ。
これが、唯物思想と呼ばれるものの中身だ。
メシア降誕が間近に迫った、あるいはすでに降誕した現在もなお、
神はいないものと仮定して生きる思想が私たちのなかにないのか?
「まだ天国が来ていないんだから」という逃げ口上で、
神はいないものとして行動してしまう。
私たちのなかにもあるじゃないか、明主様の指摘された「ユダヤの不要な部分」が。
このことを言いたかったんだと思う。
-
資本主義 、素盞嗚尊、黒龍
(み教え)
『(前略)やはりフリーメイソンですね。マッソン秘密結社と言って2000年前にできた。
世界を掌握すると言うんですね。それが中途で派に別れた、フリーメーソンの方はその中の、極良い方ですね。これは資本主義を作ったものです。
( 中略)素盞嗚尊が非常に働かれたんです。
その奥の奥というのはサタンです。 最初マッソンができた時には、事務所を当時の石屋組合ですね。そこを事務所にした 。 ですからフリーメイソンの儀式の時は前掛けをしてますね。 あれは石屋の前掛けです。それで「石屋」という言霊は「医者」になる。
だから石屋は医者やなんです。そこで石屋組合はどこまでも「神はない」と否定した。
(中略) 病気にかかっても物質で治すという事を見せようという事が、唯物科学の医学になった訳です。
(中略)「神はない人間の病気も物質で治す」という事を信じさせようという一つの深い謀略ですね。それにみんな引っかかった。
マッソンの親玉は?黒龍?と、?赤龍?なのですが、 これがまた大変なのです 。それで私は今まで黒龍と戦ってきたのです。
(中略) 医学というのは邪神が作ったものなんです。人間を弱らせるんです。それでヒョロヒョロにして、最後の奥の手を出して、世界を制覇しようというのが、邪神の2000年の計算なんです。(中略)
お医者さんが騙されたんですね。お医者さんが騙されて一般人が騙されたんですね。
それを見破ったのが私なのです。(後略)』
-
ラジオから
河野ワクチン大臣が 、デルタ株の次の株が発症している。
新型株の 3回目のワクチンのため、 ファイザーと供給交渉。モデルナからも、来年分が確保したと。
ワクチン接種が、当たり前に、
いつも聞いてるラジオの MC が、ひと月前に打ったワクチンが、昨日副反応が出たと、
37 度以上の熱になって、奥さんから解熱剤を渡され、 それで治ったと言ってました。
後から出てくるんですね。
-
(無題)
単なる風邪なのか副反応なのかは分かりませんが、せっかく熱が出たのに勿体ない話です。
今後、同様の事を繰り返すほどに熱を出しにくい体になっていく事だけは確実でしょうね。
-
みのるさん
そうですね、ラジオパーソナリティ、地元で有名 出身タレントに影響も、尊敬されているんですが 、やはり人間的なものは 限界がある。
あっさりワクチンを打ってしまいました。
本当に今回のコロナは 、最後の審判なのかもしれませんね。 人間的には 分からない 。副反応も薬で 慣れて、最後は薬を頼る。
ユダヤに騙されてるんですね。
-
出雲
テレビ東京でやっていた、韓国番組。
美容整形で 劣等感のある女性を呼んで、
整形させ、助けるというもの。 何度かやってましたが、今日のは 、顔の輪郭、歯と胸とお腹の脂肪吸引、 20代で 年寄りに見られ、会社をクビになり 、
何とかしてあげたい 。美容整形医たちが集り、整形手術を、劇的に容姿が 変わる。よかった。素晴らしい。美しい。
これで本当なんだろうかと、日本からも今、整形に韓国に、日本の半額で出来るからと、
また経済では 、今厳しいので、韓国政府が財閥のナンバー2を 特別に 罪を軽減、釈放するという前代未聞をやっていました 。
正々堂々と、これが朝鮮民族なんですか 。
日本では 考えられない 。隣の国ですが、 出雲と大和の違いでしょうか。
-
メシヤ様御尊影
知らない方にはチンプンカンプンでしょうが、我慢してお付き合いください。
明主様ご自身でご自分の『御尊影』に拇印を押され、メシヤ降誕仮祝典で下付されたのですが、後で回収され、より信用できる弟子何人かに改めてお渡しした、という事だそうです。
なんだか出来すぎた話しです。
明主様の拇印が押されているものが本物でその拇印に??印が押されているものが偽物だと言いたかったのでしょう。
河合輝明元総長が二代様を言いくるめて暗躍したのが真相だと思います。
普通なら岡田宗家のものなのに、河合家が版権(著作権)を所有していたという事は、明主様御昇天以降の明主様の『御尊影』が偽物(バツ印)であるなら・・・
その『御尊影』のコピーは独立教団やら分裂教団やら殆どの明主様関連の教団の手に渡ってしまった・・・となります。
日本は言うに及ばず、世界にまで・・・
金儲けとしても、理想的な方法でしょう。
その『御尊影』と『大光明真神』をセットとしたのです。
明主様を救世主でもなく『人間教祖』と位置づけ、『おしえみおやぬしの神』という誠に都合の良い名前をでっち上げたのです。
宗教組織の維持としての形を選んだのでしょう、当時の二代様と大幹部連は・・・
いろいろな先達のお名前が出ていましたが、京都の中村先生を除いたら河合一派とその派生となるのでは、無いでしょうか・・・
だから、奇跡が出なくなったんだ!と仰る方もいらっしゃるでしょうが・・
こちらの暴露の目的は別の方向ですので、その事は皆さんのご判断にお任せします。
思うに・・・
書いた人やその他の追加した人も、拇印を確かめていないみたいです。
先達から聞いた話しとして書かれています。
拇印が押されているから本物?
??印を明主様御自ら?
果たして・・・どうなんでしょう・・・・
最近、確かな情報を入手しましたので、ここからその真相を暴露します。
名前は言えませんが、実際にその拇印を確かめ衝撃を受け本物だと確信された人の話しであります。
" 協力者に尽力いただいた、ある外国の独立教団の教会長の話しです。
○○○○○教会の『ご尊影』は今の教会ができた時に京都の中村先生からいただいたもので・・・
以前の御神前にずっとお祭りしていたもので、
裏に 確かに明主様の母印が押されています。
この指紋が【丸にチョン】になっています。
魂を入れられたものでしょうか。貴重なものです "。
『丸(○)にチョン』!!
メシヤ降誕仮祝典なのに、その裏では明主様は『主神』の証しを残されたのです!
これは衝撃であります。
これは二代様と河合一派には都合が悪いでしょう、完全に。
一言言っときますが・・
河合輝明元総長の言葉は殆ど嘘なのです。
明主様が違う人に話したものが、彼に話した事になってたのは知る人ぞ知る事実であります。
ばつ印を明主様が?
怪しいです。。。。
明主様が回収して、改めて信用できる弟子に渡された?
その中に河合輝明氏も入っている?
断じて、あり得ません!!
さらに・・・
当時の傍流派は、こちらこそ本物の明主様信仰者であるという事を強調したかったと思います。
拇印と『丸○にチョン』の2種類が存在している・・・
明主様のお捺印された指紋が『丸(○)にチョン』だから、大奇跡であり大神秘となるのです。
『主神』だけしかできない『主神技』なのです!
本当に本物を観た人は、『丸(○)にチョン』と伝えるでしょう?
拇印と伝えますか?
言い伝え、聞き伝えを信用しない事です。
それをさも事実のように書くのは、『絶対的明主様信仰者』としての配慮に欠けているとしか言えません。
ぶっちゃけて書きますが・・
ネットの明主様の話しは、『画竜点睛を欠く』!であります。
肝心な証拠や答えが抜けているのです。
『丸○にチョン』が本当の答えとなるのです。
さぁ、この本物が果たして教団にあるのでしょうか?
これを観て、新たに捏造しますか?
皆さんも今の内に、明主様の『御尊影』をチェックされた方が良いかも・・・
『明主様』が『主神』だという真実は、これからもいろんな方向から暴露されるでしょう。
最後に・・
偽物のコピーだから、奇跡が出なくなったというのは結論としては違うと思います。
勿論、本物の【丸(○)にチョン】の『御尊影』で凄い奇跡が出ている地域は確かにあります。
が然し・・
私が言いたいのは、『善悪』ではなく『真(ス)の経綸』がこれからの中核を成すのですから・・・
これまで邪道と言われていた『お光』無しの『浄霊』の形が普通になるのが理想なのです。
それに関連しての、明主様御付きの秘書の○○氏が明主様により解雇されたとかありますが・・
『事実は小説よりも奇なり』ですから、鵜呑みには出来ません。
が、それもどうでも良い事であります。
宗教の垣根を越えるには、世界が明主様と向き合うには、『お光(御守り=ロケット)』が無くなるのが本当なのです。
常々言っている『超能力(絶対力)浄霊』に必要なのは、ただ一つ!なのです。
我々に大事なのは、明主様が『主神』である!
なのです。。。
-
メシヤ降誕仮祝典
昭和25年の6月15日に、「神人合一」という境地に到達された岡田茂吉師ことメシヤ様ではありましたが、この時は、まだ自らメシヤであるとは名乗られませんでした。しかし、五六七大祭 (救53号 昭和25年3月11日)でのお言葉からも、既にメシヤであると感じ取れると思います。
そうして、その4年後の昭和29年4月19日に突然浄化に入られました。そして、浄化が続く中、6月5日に、幹部、教会長をはじめとして選ばれた者たちを碧雲荘に呼びました。
そして当日集まった人達は、「お庭に入るように」と指示を受け、一同が庭に移ると筵(むしろ)が敷いてあり、そこに整列してお言葉を賜わりました。
この筵(むしろ)の上に、多くの人を救ってきた教会長はじめ、人を救ってきたと自負する幹部や選ばれた者たちが上がったという事は、これはただ事ではない。これは何を意味するのか・・・読者の皆さんは、どのように考えられるでしょうか?
このことは、大変大切なことであると編集者は思っておりますが、このことについては、別の機会に譲ることとして、この項では避け、「メシヤ降誕」について、史実に沿って昭和29年の御教えを学んでいきたいと思います。
「メシヤが生まれた」
「ずいぶん若くなってるよ私の方は−−メシヤ降誕と言ってね、メシヤが生まれたわけです。言葉だけでなく事実がそうなんですよ。私も驚いたんです。生まれ変わるというんじゃないですね。新しく生まれるわけですね。ところが、年寄りになって生まれるのは変ですが、いちばんおもしろいのは、皮膚が赤ん坊のように柔かくなる。それからこのとおり、髪の毛が生まれたと同じような−−床屋がこれを見て、子どもの頭髪だと言うんです。だんだん白いのがなくなって、黒いのばかりです。いまに黒髪になりますよ。だから、神様はおおいに若返れと、そして、仕事をしなきゃならんというわけなんです。
それで、今度のことについては、もう奇蹟っていうどころじゃない、奇蹟以上の奇蹟がたくさんあったんですけども、さしつかえない点だけはだんだん発表します。
それで、このメシヤというのは、世界中で最高の位(クライ)なんです。西洋では王の王ということになってますが。キングオブキングスと言ってその位をもってるんです。だから、私が出てはじめて人類は救われるのです。たいへんな事件なんです。それで、いろいろ話がしたいけれども、何しろまだ生まれたての赤ん坊なんですから、あんまり面倒くさいと嫌で、簡単に、要点だけを話をしたつもりです。また、この十五日にもっと詳しい話ができると思いますので、きょうはこのへんにして−−。」 (「明主様御言葉」昭和29年6月5日)
このように話されて、メシヤが自らの肉体に降誕されたことを、教会長をはじめとする幹部たちに示されました。
この時、阿部執事より「メシヤの徴として明主様のお手に天下筋5本(掌から各指先まで延びる筋)がはっきりと表われた」と発表されました。
その年の5月29日、『今まで気付かなかったが、こんな手の筋が出来た』と仰せられ、掌のお手筋が指の上に向かってのびていることを側近にお示しになられると共に、6月3日には、『5日程前に気付いたのだが、手に世界を治める筋が現れた。このことは昭和6年6月15日に知らされていた』と再び側近に、掌に五本の筋が現れたことを仰せられていました。
また、それより前の4月23日の夜、号泣されているメシヤ様を叔母様が見られ尋ねると、『メシヤとして降誕し、大変結構なことである。その嬉しさに号泣したんだ』とお仰せになられたということです。
そして、昭和29年6月15日に、建設途上のメシヤ会館(旧救世会館)において「メシヤ降誕仮祝典」を挙行し、メシヤとして自らを拝させたのでした。しかし、この時は、「十五日にもっと詳しい話ができると思います」と話されていたにも拘らず、当日は「今日は何も言わぬ」と言われ、お言葉はいただけませんでした。誠に残念なことですが、この時、教団幹部はメシヤ様の御神格の受け止めが十分に出来ていなかったためのようでした。
これは御昇天後の話だと思われますが、ある時、ある人が○○管長の家に行ったら、
「明主様が主神でないということは、もとから思っとったよ。」
とこう言うそうで、
「だけど、事実、御神体様に向かってお願いしてどうにも治らんのが、明主様をお念じした時に治るとか、遠方から御守護お願いした時、その時間にキチンと治るじゃないか。」と言うと、
「それは君、そう思うからだよ。」
とこのように言ったということです。誠に残念でなりません。具体的表記はさけますが、この人の死に際は信仰者らしからぬ、大変壮絶というか言葉に表せないくらい悲惨であったということです。
話は戻りますが、この仮祝典の時期から約二カ月の間自ら「メシヤ」と称することで、人類待望のメシヤがこの地上に出現したことを内外に示されました。その二カ月の間の様子を一部紹介しましょう。
ある側近奉仕者の言葉として、
「昭和29年6月15日、メシヤ降誕仮祝典を熱海のメシヤ会館でなさって、その日の夕方に箱根にいらっしやいましたから、メシヤ様として生活をされたのは観山亭ですね。明主様は『私はメシヤとして最高の位についた。今日から皆で私のことをメシヤ様と言いなさい。私のことをメシヤ様と言えない者はここを出ていきなさい』とおっしやいました。そして『最高の位についたのだから、最高の言葉、最高の扱いをしなさい』と。」
また、6月17日のご様子の中に、
「メシヤ様は、『太田を呼べ』と仰せになり、その連絡を受けて、太田氏は作業場から急ぎ駆けつける。メシヤ様は太田氏が足袋を履いていないことに気付かれ、『メシヤの前に出るのに下袋を履いていないとはどういうことだ。長年私の元で奉仕しているためにいまも同じ気持ちでいるのだろう。私がメシヤとなった今、想念を改めて奉仕をしなければ、今後お許しにならなくなる』と厳しく仰せになられる。太田氏はお詫び申し上げると共に、他の奉仕者にもメシヤ様としての受け止めを確認する。」とあります。
また、6月22日には、
メシヤ様は、『日光殿のメシア観音のご神体を私の写真(御尊影)に換えよ』と仰せられ、本金の雲盤形式のお額にメシヤ様の御尊影を入れ、3日間に亘って、日光殿での御参拝は、御簾をおろし、電気を消して天津祝詞を奏上。「天照皇大御神守り給へ幸倍賜へ」と奉唱するという「型」を示されました。
その祭典後、日光殿幹部室(後部和室)に於て会長会議が開かれ、その時の本部の役員より以下の説明があったということですが、ついに実行されずに終わってしまいました。
1、「明主様」を「メシヤ様」と申し上げる事になった。
1、「メシヤ様」は最高神であらせられるから今後は最高の敬語を使用しなければならない。
1、朝夕、祝詞を奉唱する時は「天照皇大御神守り給へ幸倍賜へ」と唱和させて頂く。
1、御神体はお写真(御尊影)にかわる。
1、お写真の御奉斎の前に御簾をお掛けする。それに伴い御神前の縦、横を採寸し、見取図を 作成して本部へ報告する。
そして、7月3日の出来事ですが、
「角○美○子は神山荘で料理をお作りしている時、一寸した心得違いからガスが顔面にかかり、二目と見られない程に火傷する。その上、前掛で顔を庇ったのがくっついて、とれなくなる。阿部執事は角田氏を急ぎ日光殿の御神前へ連れていき、お詫びとご守護のお願いをしてご浄霊を取り次ぐ。その一方で、他のお勝手奉仕者も角○氏の火傷を心配し、お側奉仕の樋口氏を通してメシヤ様にご守護をお願いしてはと、使いの者が観山亭へ行く。樋口氏を通してメシヤ様にご守護をお願い申し上げる。程なく激しい痛みがおさまる。翌朝起きてみると、やけどのあとはすっきりと直り、前より顔の膚がきれいになっていた。メシヤ様に角○は「私のように罪深い者がご祈願とご浄霊によりやけどのご浄化をこのようにご守護を頂きました。このご浄化で前より綺麗にならせて頂きました」とご報告を申し上げると『これが唯一の見本だよ。これからは祈願が第一である』と仰せられる。『それから“私の様なものが”ということは、これは大いなる間違いである』とお叱り給わる。『謙虚と卑下とー緒にしてはいけない。謙虚であるべき所は謙虚たるべきだが、卑下はいけない。“自分のような者”という事は絶対に思ったリ言ったりしてはいけない。どんな人でも神の御子である。神様がおつくりになったものである。“自分のような者”と卑下するのはまるで神様に意見するような形となる。すべて神様がなされていることであるから自分勝手に自分を考えてはいけない。またお前を使っているのはわたしだ。わたしが使う者に“私のような者”と言えば神様は変な者を使っているという事になるのではないか』と御教え賜わる。」
というようなことがありました。
少し前に遡って、4月には、
『これからは想念の世界である。御浄霊は二の問題で、先ず想念である。お念じしなさい』と仰せられておられましたが、このように「メシヤ様」とお呼びするようになってからは、
『これからは祈願が第一である』と仰せられているように、「メシヤ様」の御神格を十分認識すると共に、我々のメシヤ様に対する想念、姿勢、祈りが大変重要なことが理解できると思います。人間が神に合わすよう努力する事が重要ですが、信仰をしているという人の中にも、自分が中心で神を従にしているような人が多く見られるのは、残念なことです。
またここで、明主様を「メシヤ様」とお呼びすることにかかわる御教えを抜粋して紹介します。参考に学んでください。
「私に居る神様は一番最高、私が拝む神様は無い」
「(前略)この中にある「明主」というのは、つまり私の代理なのです。それで私の代理になって仕事をする私の部下の神様が幾人か居るのです。それで何かの重要な事に私として出るのです。ですから私と思って差支えないわけです。それから天理教の教祖の事は、何時か話をした事がありますが、静岡県の留置所に居る時にいろんな霊を呼んでいろいろ話をした時に天理教の教祖とも話をしたのです。それで救ってくれ、宜しいと言ったその事を言っているのです。
こういうような工合です。ですから私に居る神様は一番最高なのです。ですから私は神様を拝んだことはないと前にも言った事がありますが、私より上の神様は無いのだから、別に拝む神様は無いわけです。それで私は拝まないわけです。けれども、こういう事が時節によってはっきり出て来るので、私は自分で“オレは救世主だ”とか、そういう事は言いたくないのです。つまり事実で見せる、事実によって“なるほど”力と結果において“そうだ”という事を分って、それが本当なのです。(中略)」
今までのキリスト、釈迦、マホメット等は、こうやって(手をかざして)病気を治す事ができなかったですし、しかもこうやって病気を治す人を作れなかったのですから、そこにおいて、力において想像できるわけです。それで私は自分自身ああこうと、ドエライ事は言いたくないですから言わないのですが、だんだん時節に応じてそういう事が証拠立てられ、分らないわけにはゆかなくなって来るのです。(後略)」 (御教え集32号 昭和29年3月27日)
「或時期までは神様から発表を禁じられている」
「(前略)大体、メシヤとはキリスト教と深い関連があるので、此解釈は欧米に於ても諸説紛々として今以て決定はされないようである、というのは人智では深い神秘の奥を探り当る事は困難であるからである。
私自身としても未だメシヤとは名のらないと共に、キリストの再臨ともいはない、之は或時期までは神様から発表を禁じられてゐるからでもある、尤も仮にメシヤの降臨などと思はれでもしたら大変である、世界中からワーワーとやって来て、到底仕事など出来るものではないからである。
今日確実にいえる事は、世を救ふべく大経綸を行ふ事である、之は現に私が行ひつつある事実を見れば判る、救世(メシヤ)教の名を冠したのもその為である。(後略)」
(「五六七大祭」救53号 昭和25年3月11日)
「メシヤの降臨---選ばれた人間の肉体に宿る」
「キリストの再臨と云ひ、メシヤの降臨と云うが、これは肉体そのままを以て天から降るのではない。それは特殊の神霊が天から降下し、選ばれた人間の肉体に宿るのである。彌勒下生と云うも彌勒の御魂が下生、つまり下層社会に生れると云う訳である。又胎蔵彌勒と云う言葉があるが、之は仏教の内に胎中の期間を言うので、実は已に誕生されたのである。従而、彌勒が生れた以上仏界は最早消滅期に入ったのである。彌勒出現成就経に仏滅後彌勒が生れると云う事が書いてある。(後略)」 (「天降説」昭和二十三年)
「私の名称に就て」
「(前略)私は現在は光明如来の働きを主にしておるので、釈迦如来、阿彌陀如来と同等の地位として、釈迦如来がよく曰われた十大弟子の意味と思えばいいのである、又浄霊を専門にしてる人と、普通信者と紛れ易いので、そう言った方が判り易いからでもある。
以前私は大先生と呼ばれた事があったが、其時は観世音菩薩という菩薩行であったからそれでよかったが、如来となってから明主の名にしたのである、又自観とは自分は観音の働きをしてるという意味であり、 (中略)
そうして神様は私の霊的地位や、仕事の関係などから、相応した名前を御付けになるので、今後と雖も名前が変るかも知れないし、変らないかも知れないと思うが、考えてみると明主の言霊は、メシヤと五十歩、百歩だから、或いはメシヤの名前になるかも知れないとも想っている。」 (栄121号 昭和26年9月12日)
「私は自分から救世主と名乗る事は好まない」
「(前略)救世主即ちメシヤなる言葉は、洋の東西を問はず、時の古今を問はず、如何に言ひ古された事であらう。全人類待望の救世主なる超人間的力の持主が、現実に此世の中に生れるべきものであらうかといふ事であるが、一部の宗教信者を除き、世界の大多数者は、単なる理想的希望でしかない、大きな夢でしかないと思ってゐると見るのが間違ひない事であらう。尤も俺は救世主だと誇称する人も稀にはあったが、時の推移と共に何れも消えてしまふにみても、未だ真の救世主は表はれない事は明かな事実である。
私は自分から救世主と名乗る事は好まないのである、といって救世主ではないと断定する事も出来得ないといふのが偽らざる告白である。実に救世主出現といふ事程重大なる問題は、人類史上曽てない事は今更いふ迄もない。此意味に於て決して軽々に論議すべきではない事も勿論である。飜って考ふるに、救世主出現は単なる人類の理想と極める事も出来得まい。何となればキリストの再臨もメシヤの降臨も、ミロク下生も、往昔の聖者が予言してゐるに於てをやである。故に、何時かは出現の可能性がある事を信じない訳にはゆかないのである。
之から私の心理描写にとりかかるのであるが、私は救世主の第一条件として以前から考えてゐた事は、何よりも先づ人間の病気を解決する事であって、人間の健康を完うし天寿を得させるといふ事の絶対的方法を授けると共に、それへ具体化する力を有する−−その資格こそ救世主としての最大要素であらねばならない。勿論肉体の健康と相俟って、精神の健康が伴はなくてはならないのである。
ナザレの聖者キリストの曰った、「汝世界を得るとも、生命を失へば何の利かあらん」といふ有名な言葉によってみても明かである。此意味に於て、人類から病気を滅消し得る力のない宗教も、宗教家も、その価値は限定的のものしかないといえるであらう。私は此理論を常に抱懐してゐたのである。然るに、私が信仰生活に入って十数年を経た頃の或日、病気の根本原理と、その解決法とを知り得たのである。嗚呼、其時の私の驚きと喜びは、何人も想像はなし得ないであらう。何となれば今日迄の世界の人間のうち、之程大きな発見をしたものは絶無であったからである。如何なる大発見も大発明も、此事に比較すれば問題にはならない。実に私といふものは何たる不思議な運命を持って生れたものであらう。」
(「救世主は誰だ」昭和23年10月20日)
「私は許し主」
「メシヤといふのはヘブライ語ですから一寸日本語には解し難い。意味は救世主、救ひ主といふ事です。キリスト教の人はキリストが救ひ主だと信じてゐるが、本当は贖罪主であって救世主とは大変違ふのです。万民の罪を贖った人、罪の代表になり生命を「ギセイ」にして初めて許された人ですが、救世主の方は許されるのではなく許す方です。」
(御光話録 昭和23年9月28日)
「(前略)キリストは贖罪主なんです。贖罪主と言うのは、一つの会社なら専務ですね。専務みたいなものです。若し会社で色んな過ちがあつたりしますと、専務が代表者になつて、許して呉れと言つて社長にお詫びします。贖罪主と言うのは、そう言うものです。万民の罪を御自分が負つて、万民になり代つて十字架にかかる。贖罪主とは別に、社長――即ち、よし許すと言う、許し主がなくてはならない。私は許し主なんです。(後略)」
(御教え集9号 昭和27年4月6日)
「私に憑いている神様が一番光が強い」
「(前略)神様の格にあります。高い神様だと光が相当あります。普通は白い煙です。靄の様なのです。産土さん位になると薄光がある。神という名が附くと薄光がある。良い神様になると段々光が強くなつて来る。産土の神というと其土地丈の光しかない。それから国魂の神様というと、相当広い範囲になる。天照大神、素盞嗚尊とかそういう神様になると、日本とか朝鮮とか、それ丈の大きさの光になる。で、世界全部の光というと私に憑いているメシヤの神様です。之は世界全部になる。それで世界メシヤ教と言うのです。(中略)ですから、私に憑いている神様というのは一番光が強いのです。(後略)」(御垂示録12号 昭和27年8月1日)
概要 | プライバシーポリシー | Cookie ポリシー | サイトマップログイン
-
メシヤ様の証
11、メシヤ様の証
この項は、「メシヤ様の証」というタイトルをつけていますが、昭和29年から30年の御昇天になるまでの期間に、側近奉仕者がメシヤ様から賜ったお言葉を中心に、抜粋して掲載しています。
〔その1〕
「昭和29年4月24日、『今まではお詫びをすれば許され、ご守護をいただいたが、これからは、お詫びだけでは駄目である。先に悔い改め、そして心よりお詫びしなければ許されない。また、お詫び申し上げてもお許しがあるのはそれだけの理由がなくてはならない』
とお仰せられた。」 (側近奉仕者)
〔その2〕
「昭和29年4月26日、理髪のために三枝敏三郎氏が来られ、明主様のお頭の髪の変化に気付く。「明主様は、不思議ですよ。前額部のビンのあたりのうしろの方の三ケ所の銀髪の中に黒い髪の毛が新しく、しかも沢山生えて来ているんですが、どういうわけでしょうか」とお伺いする。明主様は、
『私は浄化されて生まれ変ったんですよ。今赤ちゃんですよ。まだよちよち歩きの1才ですが、これからだんだんとよちよち歩きから歩けるようになり、その成長に従い黒い毛が生え、しまいには全部黒い毛になりますよ』
と仰せられる。」(側近奉仕者)
〔その3〕
「昭和29年4月28日、側近奉仕者に対し、『メシヤとして私の御神格が非常に高くなった。これからは我を
出さず素直になるように努めなくてはご奉仕は許されなくなる』
と厳しいお言葉を賜わる。また、『これからは想念の世界である。御浄霊は二の問題で、先ず想念である。お念じしなさい』
と仰せられる。」(側近奉仕者)
〔その4〕
「昭和29年5月6日、明主様は、お側奉仕の中村氏に、『新しくメシヤとして生まれた私に、如意宝珠の力が授けられた』
とお話を遊ばされ、『これは救世主にだけ与えられる力で、自分もびっくりしている』
と仰せられる。」(側近奉仕者)
〔その5〕
「昭和29年5月12日、御浄化後、御守護御願いの電報がずっと溜まっていた。今日は御体調がよろしいかと思い、御守護願いの報告を申し上げたところ、『今までと違う。これからは自らが神様へ心からお詫びと、お槌りする想念が大事なのだ』
と仰せられ、お叱りを頂く。」(側近奉仕者)
〔その6〕
「昭和29年5月13日、『想念による新しい浄霊を発見した』
と仰せられる。」(側近奉仕者)
〔その7〕
「昭和29年5月20日、明主様はメシヤとして生まれたことを繰り返しお口になされる。『メシヤに生まれ変わったのではなくて、生まれたのだ』
と仰せられる。また『今は乳児なんだ』『今嬰児だ』
とも仰せになられる。」(側近奉仕者)
〔その8〕
「昭和29年5月23日、午後9時30分、碧雲荘の温泉タンクの上方の隣家に火災が発生。明主様はその報告を聞かれると、短冊に何かをお書き遊ばされた。そして、『この短冊を火事場に投げよ』
と仰せられ、奉仕者に手渡される。奉仕者は火事場に行き、仰せの通りに短冊を火の中に投げ込む。不思議にも急に火は小さくなり程なく鎮火した。明主様は、
『短冊は燃えずに残っているから、取りに行って来なさい』
と仰せられる。奉仕者は火事場に行ってみると、短冊は焼け跡の所にそのまま残っていたという。
この時の隣家の火災について明主様は『この火事は意味があり、この日を境に、今までの乳児ではなくなった』
と仰せられる。」(側近奉仕者)
〔その9〕
「昭和29年6月3日、『5日程前に気付いたのだが、手に世界を治める筋が現れた。このことは昭和6年6月15日に知らされていた』
と仰せられる。」(側近奉仕者)
〔その10〕
「昭和29年6月15日、明主様は、『私はメシヤとして最高の位についた。今日から皆で私のことをメシヤ様と言いなさい。私のことをメシヤ様と言えない者はここを出ていきなさい』とおっしゃいました。そして、『最高の位についたのだから、最高の言葉、最高の扱いをしなさい』
とおっしゃいました。」(側近奉仕者)
〔その11〕
「昭和29年7月3日、側近奉仕者、○田○代子は神山荘で料理をお作りしている時、一寸した心得違いからガスが顔面にかかり、二目と見られない程に火傷する。その上、前掛で顔を庇ったのがくっついて、とれなくなる。
阿部執事は○田氏を急ぎ日光殿の御神前へ連れていき、お詫びとご守護のお願いをしてご浄霊を取り次ぐ。その一方で、他のお勝手奉仕者も○田氏の火傷を心配し、お側奉仕の樋口氏を通してメシヤ様にご守護をお願いしてはと、使いの者が観山亭へ行く。樋口氏を通してメシヤ様にご守護をお願い申し上げる。程なく激しい痛みがおさまる。
翌朝起きてみると、やけどのあとはすっきりと直り、前より顔の膚がきれいになっていた。メシヤ様に○田は「私のように罪深い者がご祈願とご浄霊によりやけどのご浄化をこのようにご守護を頂きました。このご浄化で前より綺麗にならせて頂きました」
とご報告を申し上げると『これが唯一の見本だよ。これからは祈願が第一である』と仰せられる。『それから"私の様なものが"ということは、これは大いなる間違いである』
とお叱り給わる。」(側近奉仕者)
〔その12〕
「昭和29年9月27日、メシヤ様は、尾○氏を呼ばれ、『大○栄○に、最後の審判が近づいている。救われたければ私のいうことを素直に聞かなければならない。世界人類を救うものが、そんなことでは駄目だ、と伝えよ』
と仰せられる。」(側近奉仕者)
「昭和29年9月28日、阿部執事と大○氏と尾○氏を前にして、『お前たちは知らないだろうけど、救世教の信者でも最後の審判によって残される者は少ないんだぞ。それなのに、そんな気持でいたら、亡びるよりほかにないではないか。救われたいのなら、もっと心を入れかえなければならない』
とお言葉を頂き、心から御詫びを申し上げる。」
(側近奉仕者)
〔その13〕
「昭和29年11月3日、メシヤ様は、一週間に亘って続いた下痢と痰、咳のご浄化により御体調が悪く、全くご食欲がないご様子であらせられる。午前10時頃、奥様、おば様をお呼びになり、『朝から食欲がないから駄目かも知れない。体熱がでればよいが、出なければ駄目だ。死ぬかもしれないのでこれから私の気持ちを言うから』
と、御遺言様のことを仰せられた模様である。」
(側近奉仕者)
〔その14〕
「昭和29年12月11日、メシヤ様は、わるい方の御手で1分足らず長谷川氏を御浄霊遊ばす。その折、『これからは1千人位の浄霊をする時、1分とかからぬよ』
と仰せられる。」(側近奉仕者)
〔その15〕
「昭和29年12月14日、『今までは考えて物をするということもあったが、メシヤとなってからは、全くそれがなくなった。メシヤの都合で予定が急に変更することがあり、まるで分らぬ』
と仰せられる。」(側近奉仕者)
〔その16〕
「昭和30年1月6日、メシヤ様は、長谷川氏を前にして、『今に皆、この人(奥様の事を指される)の世話になるよ』
と仰せになられる。また、『これから、貴方方の世が来ますよ』
と仰せられる。」 (側近奉仕者)
〔その17〕
「昭和30年1月14日、メシヤ様は、時聞を守らなかった事を厳しくお叱り遊ばされ、
『いつも馬車馬のように私を見つめていなければならない。よそ見してはいけない』
とご注意頂く。」(側近奉仕者)
〔その18〕
「昭和30年2月5日、メシヤ様は、血を吐くご浄化を遊ばされ、『今に非常に浄化が厳しくなり、一度に血を吐いて死ぬ者も出るであろう』
と仰せられる。」(側近奉仕者)
概要 | プライバシーポリシー | Cookie ポリシー | サイトマップ
-
事実ともに去りぬ
いまの日本に、大和民族がどんだけおるねん。
いまのギリシアに、アテネやスパルタ時代のギリシア人がおらんのと同じ。
半島にだって、聖言にある時代の出雲族と、現在の半島人とはまったく別。
中国だって、孔子時代の中国人は、ほとんどいない。
そもそも、民族という語自体、日本人が作ったもので、世界じゅうのどれだけの
国に通用する概念かって問題がある。
事実がないから、正解も去って行く。
事実と論理的整合性のない見解には、くれぐれも注意せんとな。
-
(無題)
明主様のおじゃる大和民族というのは、血筋じゃあなく、魂の霊的系統のことじゃあないかと思うのです。
大和民族は日本人100人中に一人しか居ないと明主様おしゃってますね。これから大和族の系統が先頭に立って世を変えていくのでしょう。
残念ながら私は、スサノオの系統ということがある時わかりました。キリスト教にも縁が深く、ユダヤ教にも縁があったようです。うん残念。
子供の頃から 明主様=主神 と教えられ
そのように確信して育った自分は
主神、明主様を別扱いの投稿を何度も拝見し
衝撃を受けました。どうなんでしょう?
-
メシヤ
そうですよね、りーチさん血筋ではなく霊統ですよね。
モロクロさん私は一番知りたかったことを教えてくださってありがとうございます。 今仕事中で全部見れてませんが後でゆっくりコピーして拝見します。
-
(無題)
平成元年出版の岩松栄先生編纂「私の御教え抄」に、お守りに関した興味深い記述がありました。
【余の許しを受くれば】
此の療法の創成は、主神が人類の最も苦悩とする病気疾患を根絶せんとなし給う御目的に出でたるものにして、その御目的遂行の為表現仏たる観音の霊体を通じ、仁斎の肉体を活用させ、茲に、神人合一的大能力を発揮するに到ったのである。余の許しを受くれば、其の人の霊体を通じて発揮する観音力によって、驚くべき治病能率を挙げ得るのである。
「日本医術講義録 第一篇」(昭和10年)
【お守りを出さんのでもいいのだが】
私が許すといえば、その人はその時から人を治す力が働くんだが……今の人達は、何かお守りのような形がないと効かないと思うので、お守りを授けているんだが、どうせお守りなら、普通のお守りより大きい方が効くだろうと思うから、治療のお守りを大きくしているんだよ。
「宝山荘浄霊の間にて」(昭和15年)
二つ目のほうは、岩松先生が宝山荘で直接お聞きになったお言葉でしょうか。
つまるところ、おひかり・お守りを首にかけるかかけないか、ロケットかそうでないか、等よりも何よりも、明主様のお許しをいただけた人がご浄霊力をお許しいただける、ということですね。ということは、どんなに立派なおひかり・お守りを首にかけていても、想念が間違っていたりすれば、お許しをいただけないということになりますね。
これからご経綸が進んでいく中で、おひかり・お守りをいただくというプロセスを経ないでご浄霊力をお許しいただく方が増えていくのかもしれません。
ただ個人的には、おひかり・お守りをいただいたのであれば、そういう形で明主様がご神縁をくださったのですから、折角いただいたものをわざわざはずすことはないと思いますが。
-
はぐらかし
得意のはぐらかし、実演。
ゲラちゃんの前回書き込みは、その前の書き込みに対して書いたもの。
半島という土地について書いてあるよな。
だから、血筋が違う、民族という概念があやふやであることを指摘した。
それをいつのまにか、血筋であるかのように理解した書き込みが来た。
例によって、はぐらかし。
論理的な流れとか一切無視。
得意中の得意だよな、ここの奴らの。
-
で、本来の主張
霊統などは、誰ひとり正確に判断できる人間はいない。
あの聖言は、神の立場でこれまでの歴史を記したものだと思う。
人間の分際で、あの人の霊統がどうだとかいうことは、神様の地位を侵す
ことだと考えるがな。
前の前の書き込みを書いたパーパスは、このことを主張することにある。
-
(無題)
他人の霊統は言ってないし、知らんがな。
ちゃんと読んでる?
-
そのまま返そう
流れを読んでる?
ところで、自分の霊統はわかるの!?
ここ、特殊能力者多いんだよな。
-
本日のこと
今日は不思議な一日でありました 。
午前中に メシヤ降誕仮祝典のメシヤ様の 重大な御発表。の投稿がありました。
これらはすべて 隠蔽されています。
今の教団関係者は知らないんじゃないでしょうか、 私が知る
離脱教団も神慈秀明会も知りません。
ユダヤのメシヤ隠しです。
それとまた別の方の、投稿、『おひかりは本当はいらない』というお言葉、これも大変な事だと思いました 。 そして昔から岡田茂吉研究をしている仲間から電話があり、その人は御尊影を お祭りしているんですが、そのことを言ってきました。
そしてその後、世界救世教いづのめ教団の教友から、 私を担当している、先日 電話で話した世話人が 、大腸癌で帰幽されたとありました。
-
(無題)
明け方にかけて雨音が聞こえて、8月の雨。
祓え給い、清め給え、 神 かむ ながら守り給い、 幸 さきわ え給え
神様の御気持ちのままに、お守りください、幸を倍にしてください。
祈りが利己になっていて、それは利他の姿勢から外れているようだけれど、祈りは利己なんだ。
大谷選手、ホームラン打ってというのも、私の願望にすぎない。
-
神の用途
天国は、芸術とスポーツの発達した世界。
天国になると、争いはなくなるが、スポーツが発達する。
こんな聖言を思い出す。
戦争は、紛争は、スポーツの原始形態として存在しているのではないか
とさえ思うときがある。
利己とは、神のものを自分のもののようにしてしまうことであると思う。
神の用途に沿って心を、時間を投じる作業は利己とはいえない。
スポーツの発展には有益だからだである。
ま、そこまで考えて観戦しても、楽しめないんだけどな。
もっとも何が何でも勝つ、ズルいことをしても勝つ。
これは神様の用途に沿うとは思えず、人間の都合。
利己の範疇を出ない行為だとは思う。
-
(無題)
自分の霊統
大和族でありたいと強く思っていましたが、
いろいろなお印が重なって
その霊統なんだなあ と思わざるを得ない状況
になりました。
堪忍して認めました。霊能者ではありません。
-
大谷
18番さんの投稿によれば 、
大谷はアメリカで相当人気が出ているんですね。
こちらでもニュースでありますが 、あの人の人格 が、日本人を宣伝していると思います。 いつでしたか 、 ピッチャーとして出た時、 大谷が投げて 打者へ、危険球とデッドボール。本来喧嘩になるところ、大谷が頭を下げたら、相手は笑って 収った 。
あの場面は 普通は大乱闘だと思うんですが、
「こいつのやっている事だから、しょうがない。」
と思わせる。
私は大谷は「東方の光」の宣伝をしていると思います。
-
(無題)
https://www.youtube.com/watch?v=4TuU6wfHtK4
-
晩年のお言葉
昨日の投稿は 印象が強かったですね 。
もしも明主様が晩年あのように、 奥様に指を差さされ、『君の世だ』とおっしゃったならば 、それが次を後継した。
そして今、世界救世教を見た時に、 発展というよりも 混乱、闘争、分裂 、当時が跡形もない。
そこが 人間には分からない。
神様のされる神秘なところかもしれません。
-
かなわんから たまらない
明主様御垂示 「一流の神様は殺人強盗もお許しになる」 (昭和28年8月1日)
信者の質問
「本守護神、副守護神、一切は神様がお与えになってあるものでございましょうか」
明主様御垂示
「神様と単純に言うが、神様と言っても、一流、二流、三流とありますが、一流の神様はなんでもお許しになります。
それは殺人強盗でもお許しになります。
それはそうでしょう。戦争もお許しになりますが、これは何十万と殺すのですから、殺人強盗どころではありません。
それは一流の神様はお許しになりますが、二流、三流の神様はお許しにならないのです。
だから二流、三流の神様は始終邪神と戦っているのです。
そこに面白味があるわけです。」
-
此の子もそうか・・・
https://9013.teacup.com/goodluck/bbs
-
清濁併せ呑む1
明主様御垂示 「主神は善悪両方を作られた」 1 (昭和29年4月1日)
信者の質問
「神様のことにつきまして、本日もお言葉がありましたが、最近霊的な現象がいろいろ出て来ており、信者として神様のこともお伺いいたしたいのでございますが、
非常に難しいことでもありますので遠慮いたしておりましたが、二つほどお伺い申し上げます。
伊弉諾尊、国常立尊、伊都能売神、天照大御神、明主様との御関連と、主神が邪神をお使いになっており、御神業に何かと邪魔をするということとのご関連を」
明主様御垂示
「邪魔をすると言うが、それは見方によるのです。
本当は邪魔ではないので、必要なのです。
つまり浄化作用の一種なので、その人に穢れがあるから、穢れをとるにはその人を苦しめなければならない。
それから時期があるから、その時期を延ばすために邪神が邪魔するのです。
ですから今言ったとおり、正邪両方を主神が作ったのですが、邪というものも必要なのです。
邪というのは、邪魔したりすることですが、その人を磨くにはそういうことも必要なのです。
ある期間は邪だが、イコール正なのです。」 つづく
-
清濁併せ呑む2
明主様御垂示 「主神は善悪両方を作られた」 2 (昭和29年4月1日)
信者の質問
「明主様の意向に邪魔する邪神というのは、表面的にはあるような形の場合と、そうでない場合と」
明主様御垂示
「邪魔しているということはどうして分かりますか。」
信者の発言
「何かと御神業に差し障りがあるということでございます」
明主様御垂示
「どうして差し障るまたは差し障らないという判断が分かりますか。」
信者の発言
「それは分かりません」
明主様御垂示
「あなたの目には邪魔するように見えるが、神様のほうではそれでよいのです。
だから人間の小智小才で判断して“あれが悪い”とか“これが悪い”とか言うが、実はご自分のほうが悪いのです。
例えば“医者というのはけしからん。
病人を作り、人を死なせる。病気を治らないようにしている。
詐欺だ、けしからん” と言うが、医者がそうだからメシヤ教が発展するのです。
もし医者がそうでなかったら、メシヤ教の信者は一人もできないです。
そうすると医者はたいへんな役をしているわけです。
だから医者がそうして病気を作っていることは、神様のほうからは必要があるのです。
それはいずれ説きますが、今はまだ早いから言わないのです。
ですから人間が、善いとか悪いとか言うことはできるが、結論は人間ではつかないのです。
“あいつは悪いお邪魔している”ということも、それは確かに邪魔しているから、邪魔しているということを言うのは差し支えないです。
しかし“だからあいつはやっつけなければならない”ということはいけないのです。
というのは、もしやっつけなければならないものなら、神様がやっつけるのです。
“あれは邪魔しているようだが、やっぱり神様のほうで御都合があるのだろう”として善いとか悪いとか決めることはいけないのです。」 つづく
-
清濁併せ呑む3
明主様御垂示 「主神は善悪両方を作られた」 3 (昭和29年4月1日)
〜 中略 〜
だから人間が、善いとか悪いとか、善とか悪とか、いろいろ決めるということは、実にごく薄ッペラなものです。だから多く、逆が多いです。
メシヤ教を発展させているのは医学なのです。
医者が病人を作り治さないようにしているから、メシヤ教というものがありがたいものになっているのです。
医者のほうでそんなことをしないで、病人を片っ端から治してしまえば、病人はなくなってしまいますから(その代わり医者もなくなってしまいます)そうすればメシヤ教の出る隙もなくなってしまいます。
神様は医学とか薬という、そういった間違ったものを作り、病人を作り、人間を苦しめるというそのことがまた非常に必要な意味があるのです。
医学や薬で人間を弱らしているが、また一つにはすばらしい、よいことがあるのです。
それはまだ時期が早いから言わないが、それが分かっては、ちょっと具合が悪いことがあるのです。
また自然農法にしても、肥料が良いとして米の不足やいろんなことをしたということは、神様としてはまるで無慈悲なように思うが、
ところがやっぱりそれがたいへんな必要があったわけです。
だから本当の深い意味というものは、今までに説いた人もないし、またそういうことが今までは知れてはいけなかったし、
やっぱり時期が来て、そういうことを知らせなければならない時期が来たわけです。
それを知らせる役が私なのです。」
-
大乗を言う
これですよね。 大乗と小乗 で判断する。そして 中庸 でまた判断をする。
大乗で判断すれば殺人は許される 。
小乗で判断すれば殺人は大罪になる。
中庸で判断すれば、それはどちらとも言えない 。
これは主神がされる事であるから、人間には分からない。 その都度その都度で形が変わる。答えが変わる 。
基本は??中庸である。
これは明主様が一番 仰しやる、 伊都能売( 中庸)ですね。
そして明主様の お答えも、その人によって、変わってきます。
偏っている人には、その反対の事をお答えされます。
ですから、一つの御垂示で、全てを判断出来ない。
この殺人が 強盗が、許されるというのは、究極のみ教えであると思います。これはよほど磨けた人が 理解し、
また
よほど、信仰 がないと 人に伝えるのは 難い。
この投稿された人の 心情は分かるんですが、
?人を裁くな?と、仰しやりたいと思うんですが。
例えば ドラマで言うならば、 結論を先に聞かされるようなもので 、
全て神様がされているとなったら、理解出来ますが、実感が湧いてこない。 それはなぜなんだろうかと 、
この殺人、強盗でも、許されるを投稿した人は、何かご自分の意見と少し 離れているというものを、 ご自分で 思われませんでしょうか 。
分かりやすく言ったら、申し訳ありませんが、 ホームレスに 皇室の服を着せる。
善悪は別として、 分 不相応ですね。
何が言いたいか 、み教えを 判断して、人に伝えるというのは、自戒もこめ、 どれだけ難しいかという事を思いました。
-
迷信邪教呼ばわり
される理由もわかるね。
ここに集う人々、神様になりたがり。
神様の地位を侵したがり。
怖い、怖い
-
水晶殿でのお言葉
、水晶殿に於いて
そのような中、同年12月には、瑞雲郷の最も眺望のよいところに、水晶世界の雛型をあらわす「水晶殿」が完成するにいたりました。完成した11日の水晶殿の竣工式において、まず大草直好管長より「今日ここに水晶殿が完成されまして、明主様のご遷座あそばせることを深くお喜び申し上げます」という一同を代表したご挨拶を受けられた後、粛として居並ぶ教会長を前に、メシヤ様は低く厳かなお声で、
『しゃべりたい事はありますが、ま、しかし、やっとこれだけ声が出て、これが、やっぱ、頭、響くみたいですよ。ですからあの阿部さんにね、私が言いたい事を書いてもらっておきましたから、それで、阿部さんから後で話がありますから、それをよく聞いて今後の方針を立ててもらいたい……。只一言だけ言いますが、愈々御神業の本スジに入って来たわけですですからこれから色んな変った事が沢山出てきますから、まごつかないように……。それにもう一つは、驚くような事が段々世の中に出て来ますからね。それについて、私は神様から知らされてますが、とに角余程肝っ玉を落着けないと、中々大変ですからね。それだけお話をしておきます』
と述べられ、一同平伏する中をお部屋に戻られました。しばらくして阿部晴三執事が戻って来られて次のようにお取次ぎされました。
「本日、明主様が水晶殿に御入りになられますにつきまして、仰せられました『御言葉』を御取次ぎさせて戴きます。
『水晶殿は地上天国の一部の雛形として、神様が御造りになるようさせられたものであって、これを神様はメシヤ教に造らせるようになされたものである。又、今後教団の組織にも多少の変革があるものと思う』との御言葉でございました。尚、これにつきまして、一言付け加えさせて戴きとうございますが、明主様には、『この水晶殿は決して独占的のものではないので、―人でも多くの人々に天与の景勝地を楽しんでもらいたい』と仰せられていますので、教団としては、この御趣旨を体し、皆様に御助力願いたいと思います。(中略)又教団の組織の事につきましては明主様には、段階――階級を設けられるような御模様でございました。その標準としましては、一つには、最も御浄霊力の優れた人、又、信者を沢山お導きになられた方、又、神様に対して非常に御奉仕の強い方、こういった点を考えまして教団で決めるように、という意味の御言葉を仰言っておられました。私から御取次させて戴きます事は以上でございます。」
という内容のものでした。
このお言葉の中に「これから色んな変った事が沢山出てきますから、まごつかないように・・・。」という部分がありますが大変重要なお言葉で、メシヤ様の御神格をしっかり理解して、御教えをしっかり拝読して腹に落として理解しておかないと、まごつくということです。
さらに「余程肝っ玉を落着けないと、中々大変ですから」とお述べになっているのを考え合わせると「何が真か」ということが分からなくなり、迷うということではないでしょうか?
このことは、現在の系列教団の多くを見れば理解できるのではないでしょうか。
ですから、我々信者としては、起きてくる事象に対しては、御教えに返して判断していかなくてはいけないということになります。
具体的には、それぞれの教団から出される方針に対しては特にそうであり、専従者の言葉も御教えに返して判断していかなくては間違うということです。
また、教団の組織とか人事についても、
1、最も御浄霊力の優れた人
2、信者を沢山お導きになられた方
3、神様に対して非常に御奉仕の強い方
このような点を考慮して決めるということです。しかし、メシヤ様ご存命中はこの体制は出来ませんでした。さらに現在までどの団体においてもこの救いの体制は出来ていません。
実際の組織にあっては、専従者と信者という一つの区別がありますが、現在において、このような区別する考え方や物の見方は、非常に間違っていると思います。
メシヤ様にお使いいただく地所位は違っていても、専従者、信者の分け隔てなく、信者にしろ専従者にしろ、この水晶殿の3訓を信仰課題として日々積み上げ、利他愛があり、誠の強い自分作りに励みつつ、そうした人達を中心に「徳で治める」救いの体制を作っていくということが大切であると思うのです。それが本来の世界救世(メシヤ)教であると・・・。
話は戻りますが、この日、メシヤ様が、水晶殿にお出ましになり、教団役員や教会長に御垂示あらせられた頃、つつじ山参道やメシヤ会館側の道路に参列した資格者や信者さん達は、水晶殿より空に向って立ち上る巨大な光の柱を拝しました。
初めは、水晶殿のメシヤ様の御座所辺りと思われる御位置から白雲のようなものが立ち上り、その下の方から次第に金色に変わることに、居並ぶ信者さん達が気付き、「アッ、御光だ!御光だ!」という声があっちこっちから上りました。また、その立ち上る御光の雲を拝しているうちに光の柱と変り、大空に届くが如き情景を拝しまして、参拝者一同、メシヤ様の御威徳に感動したということでした。
そして、メシヤ様は、その夜、一夜を「水晶殿」で過ごされました。
ここで「水晶殿」の御遷座祭については、他のホームページで掲載されていた参考になる資料があるので、学びたい方は読んでいただければと思います。
〔参考文献2〕
「天のみろくは水晶の館に一夜を宿し、
天に帰りて再び地上に降りて火の守護をいたすぞよ」
〔参考文献3〕
「その1 水晶殿に大御神光を拝して」
「その2 水晶殿に御神光を拝す」
「その3 御神光の奇蹟」
〔参考文献4〕
「S29年の水晶殿上棟式及び水晶殿完成について」
そして、昭和29年7月6日には、側近奉仕者へ
『水晶殿は、水晶世界の型である。水晶世界になれば、水晶の心にならねばならぬ。一寸の邪念があってもいけない。一切を無にしなくてはいけない。我があっては神意に添わない。その水晶の心となるように修行すれば、神様より素晴らしい力が頂ける』
とご垂示あらせられました。
この御言葉を心に刻み「水晶の心となるよう」信仰心を培い、自らの向上に励みたいと思います。
さらに、メシヤ様は、昭和29年7月13日には、側近奉仕者へ
『人類救済のために余を真似よ』『メシヤ教の教えは厳しくなり、少しの間違いも許せない』
と仰せになられました。
また、昭和30年1月22日には、側近奉仕者へ
『(前略)私のまねをしなさい。私はそんな事はしないだろう、もっとしっかりしなさい』とのお言葉を、。さらに、『御神書を読んでいるのか』「はい、読ませて戴いております」。『御神書にそんな事は書いてないがなあ』と仰せられました。
信者たるもの、御教えの徹底した拝読と実践が求められていると思います。また、このお言葉から考えると、薬を飲んだり、また飲ませながら浄霊することについて、メシヤ様は『御神書にそんな事は書いてないがなあ』とおっしゃられるかもしれませんね。
-
モロクロさん
モロクロさん 同感です。 時期が来たんですね 。こういう貴重なものが出てきました。
あなたは離脱教団の人ですか。これだけ重要なみ教えは公開されてません。
部分々はありますが、 世界救世教いづのめ教団でも 、途中まではありました、 『メシヤと言えないものは、この部屋を出て行きなさい。』
厳しくなられたは、 また 水晶殿でのお言葉「東方の光」の自叙伝に載っています、
もっと詳しくはあなたは投稿されました。これは貴重だと思います。 あなたは 世界救世教 いづのめの人ですか? これはどこにあった資料なんですか。
これからはこれを 同列教団関係は腹に入れなければいけない、時期が来たと思います。
どなたかの投稿に 、『裁いてはいけない』と言う み教えがありました 、明主様は
今はメシヤとなられた。 メシヤとはエンマ大王と観音様のお働き。
裁いてはいけないは、観音様ですが 、エンマ大王は裁かれます。
今、立て分け、裁きの時代に入ったと思います。
-
反社系教団は
反社系専従者と、反社系信者を集めて、反社活動に精を出したらいい。
ゲラちゃんは、こういう反社教団から救い出してくださったことを
神様に感謝する。
救い出してくれた証として、反社書き込みを見せていただいている。
これが、想念の御用の具体的活動。
せいぜい反社書き込みに精を出してくれや。
-
天国が完成した
ことも知らず、いまだに地獄時代のやり方に邁進する。
哀れな人間の姿をじっくり観察させてもらうおうぜ。
さぁ、書きこめ、反社書き込み。
ごめん、書き込みじゃなくて、コピペだったな。
地獄時代の人類は、言葉を持たなかったんだよな。
事実がない、論理がない、美がないことが読み取れるだろ。
-
(無題)
1番さん
裁くのは神様で、人間は裁いてはならないのですから、そこに気をつけないといけません。
-
勉強中さん
勉強中さん具体的に書いていただけますか、 私が二代教主に対しての 書き込みに対してでしょうか。
どの部分であなたはそう判断されたのか 、聞かせていただきたい。
-
(無題)
1番さん
時間的に厳しいので、また後ほど。すみません。
-
私の事
勉強中 さん 、36年生さんが、私が二代教主を批判するような事を書いたら、反応されます。
勉強中さんは他にあるかもしれませんが、
離脱教団の立場から見て、
それが 見えてくるんですね。
これは逆に、どうして 世界救世教側にいて、
また この掲示板に投稿される人達 、
世界救世教に疑問を持ち、??外から見る立場になった人達。
でもこれだけは譲れないものがあるんでしょうか。 確かに、二代教主を 、私は徹底的に批判しますが、
あれだけ、み教えに精通しておられる、元専従さんも、 二代教主を擁護されていましたので、
そういうものなのかと思いました。
外部に居る人間と、内部におられた人間の違いなのか。それともまだ他に、そこに 霊線というものがあるのか。
私は神慈秀明会や他の離脱教団の 信者でもあり、
また、世界救世教の信者でもある、
両方から見ようと努力をしました。
確かに大乗から見たら 、人を裁いていると、投稿されても 間違いないかもしれません。
大きく善悪は神が作られたと、投稿された人も、
これは私に対して、「お前は 人を裁いている。」
と 言われていると、
確かに明主様のお墓には、 二代教主と 一緒にお祀りされてありますから 、これは何をか、いわんやであります。
-
裁く
1番さんは常に誠実にいろいろなことをお考えになっておられるので、余計なことかとも思いましたが、つい…申し訳ありません。
>どなたかの投稿に 、『裁いてはいけない』と言う み教えがありました 、明主様は
今はメシヤとなられた。 メシヤとはエンマ大王と観音様のお働き。
裁いてはいけないは、観音様ですが 、エンマ大王は裁かれます。
今、立て分け、裁きの時代に入ったと思います。
という部分に引っ掛かりました。
確かにそういうみ教えがありますので、その通りなのですけれど、「裁きの時代に入った」というのは神様(明主様・メシヤ様)のセリフであって、私たち人間はあくまでも、本当の善悪は我々にはわからない、それは神様の領分である、ということに徹底すべきだと思うのです。観音様は善悪無差別の救いであったけれど今は善悪立て分けの時代だぞ、という視点から物事を見ると、どうしても、これはいいけどこっちは閻魔様に裁かれるぞ、という風に見てしまう。そういうつもりでなくても、その瞬間、自分の心の中に裁きが生まれてしまう。そんな気がするのです。
善悪立て分けの裁きの時代というみ教えをいただいて、私たち人間がすべきことは、自分自身に悔い改め正していくべき部分がないか、常に自分を省みることであって、それが日々の生活の中での、たとえささやかであろうとも御用をさせていただくことにつながると考えますので、そこを頑張りたいと思っています。
蛇足ついでに
「裁くなかれ」より
『…要するに人の善悪よりも自分の善悪を裁く事で、他人の事などは無関心でいる方が本当である。
ところがまだ驚く事は、アノ人は余り感心しない事をしているのに、明主様はお気が付かれないのか、イヤ御気が付かれても、御慈悲で御見逃しになられているのか、あるいは仰言(おっしゃ)り難いのでそのままにしておかれるのではないか、もしそうだとすれば、吾々が明主様に成り代って、警告を与えなければならないと思うのだろうが、これが大変な誤りで、私としては反って不快である。というのは私はそんな甘ちゃんに見られているのかと思うからである。考えてもみるがいい、仮にそうだとしたら世界人類を救い、悪魔の巨頭と闘って勝つというような、すばらしい事など出来る訳がないではないか、ゆえにこういう御親切な人達こそ、私からみれば大甘ちゃんどころか、赤ん坊としか見えないのである。以前私がかいた“甘くない者を甘く見る甘さ”である。
そうして信者は知らるる通り、現在どんな人間でも、毒素のない者は一人もない。これは体的だが霊的にみても同様、欠点のない者は一人もないので、それだからこそ神様は浄化によって救われるのである。また“馬鹿野郎よく考えりゃ俺の事”の名句の通り“甘い奴よく考えりゃ俺の事”でもある。ついでだから今一つの事をかいてみるが、私は誰の心の中でも必要だけはチャンと分っている。ただそれを口へ出さないだけで、そのため明主様は御存知ないのだろうと心配するが、私としては百も承知で、ただ黙して神様にお委(まか)せしているのである。というのはどうしても見込のない人は、神様は撮(つま)み出すか、悪質な人は命まで召上げて解決されるのであって、今までもそういう人も何人かあったので、古い人はよく知っているはずである。』
-
信仰のパーパス
信仰とは、神をたたえるためにある。
明主様のパーパスも、人間に神をたためることを教えることだ。
と思う。
すべての聖言は、このパーパスに狙って読んでいくと理解しやすくなった。
黒一色、昨夜、コピペしまくった真っ黒け。
貼り付けるだけで、神をどうたたえるのか、人間としての視点がない。
だから言葉がない、論理がない、美がない作業になってしまった。
批判するだけで、どうやって神をたたえるのか!?
自画自賛で心苦しいが、わが教主様だって、尾行・盗聴・盗撮という
非常なる怒りと、ストレスに強いられ、そのことを通して神をたたえる
視点を見出そうとされている姿を感じる。
そして、そのことと社会人として、どう整合性をとればいいのかと模索する
姿も推察される。
これが信仰者の姿だなと、無言のうちに伝わってくる。
-
天のみろく
「天のみろくは水晶の館に一夜を宿し、
天に帰りて再び地上に降りて火の守護をいたすぞよ」
これは勝野先生が岩松先生に教えられた「お筆先」であるとされていますが、出処を確かめたかったので、大本教にお聞きしたことがあります。対応してくださった方は、それがネットに出ていることは知っているが、そういうお筆先の存在は大本教のほうでは確認されていない、といわれました。
詳しいことをご存じの方がいらっしゃったらぜひ教えてください。
-
そういえば獣と
人間の境界線は、二足歩行、火を使うなどさまざまあるが、
言葉を使うことも、その一つ。
コピペはできても、言葉がない。
これって……。
せっかく神様が与えてくれた機会だ。
しっかり学ばせてもらおうぜ、真っ黒け。
地獄界からの通信コピペ。
-
勉強中さん
私の言い方が悪かったですね。
私が言うセリフではない。 厳密に お前が神様になったのではないか 。
本当にここは気をつけなければ、いけないですね。 慎重に慎重に書かないと 、
軽い気持ちで書いてしまったら 、
つい自分の思いが出てしまいます 。
自分の中では今はもう裁きの時代に入っていると、
どう考えても 、コロナワクチンがそうであろうと思うんですが 、そういうものを見ていて、
書いてしまいますが、
足元を見ていませんでした。
勉強になります。ありがとうございました。
しかしこの掲示板は、薄氷の上に立っているようなものでもあると思います
それだけ重要なもの、今本家 明主様信仰は行き詰まっている。それを語り合うというのでありますから、 文章一つにしても、 十分な配慮がいる。
「 裁きの時代に入ったと 思います。 」これは本当に 神様の言われるセリフであって、人間が言うべきものではない。 これは大きいですね。
人間的に見ればつい口に出してしまいますが、
それだけこの掲示板に集まって来る人たちは、 深い 思慮 がありますから、
慎重に書かないと 突き上げをくらいます。
-
(無題)
ペコちゃんは、いつの間にか人の輪の中に入ってしまう。物怖じしない。
お茶目でおてんばであわてんぼうでとまるでサリーちゃんのようだ。まったく明るい。
天性の性格。
-
達人の集まり
これはかねてから思っていました 。ここに集まる人達は 、黒澤明の「七人の侍」を思い出します。
それぞれの達人が集まって来ています。
神様が用意されていたんでしょうか 、映画の中では 、中心の人が 仲間を集める為に、 やってきた侍の実力を見る為、背後から木刀で殴りますが、 気配を感じて避ける。
達人ですね。
それぞれが個性を持って 攻めてくる 悪を退治します。 この映画は世界的に 評価をされ。
私は黒澤映画で 一番の名作と思うんですが、
また世界的いろ々名作がありますが 、その中の 上位に入るものだと思います。
-
(無題)
人は面白い。
最近のワクチン打たないで死亡のニュースに対して、
『ワクチン打つと良いことばかりだよ!
悪い事はなにもないよ!
みたいな言い方だとまるで詐欺のようでかえって打ちたくなくなる、、、、、』
という意見があった。
俺も自分の主張をつい繰り返しがちだけど、
実際相手へは、逆効果になっていることもありそう。
『ちょっと話して相手が乗り気で有るようならば続けても良いが、
そうでなければ差し控え、次の機会を待つべし』
好きな御教えです。
ネットと対面、その場に応じたそれぞれの最適バランスがあるはず。
最適バランス、模索中。
-
恋や仕事も
そうだよな。
恋焦がれて、そのために自分を磨こうと思い、柄にもなく努力の限りを尽くしても、
見向きもされない。
どうせ、どうせ、と自暴自棄になって分相応の手に入るところで妥協する。
そのとたん本命が、向こうからやってくる。
言い訳のつかないことが、実際に起こるんだよな。
悪者になるしかない事態ってけっこうある。
-
(無題)
>そのとたん本命が、向こうからやってくる。
>言い訳のつかないことが、実際に起こるんだよな。
>悪者になるしかない事態ってけっこうある。
妙、ってやつだね。
後からなら面白味も感じられるけど、
渦中では中々難しい(苦笑)
-
メシヤ様のお言葉を実践
「メシヤ様は、『人類救済のために余を真似よ』『メシヤ教の教えは厳しくなり、少しの間違いも許せない』と仰せになる。」 (お言葉 昭和29年7月13日)
「メシヤ様のお言葉通りやらなかったら救われない」
「(前略)信者になった以上――じゃない、メシヤ教の浄霊で救って貰った以上――つまり私のやり方を言つて、その通りやらなかったら救われっこないですね。だから、そのお詫びをするんです。頭に激痛――之は、祖霊さんが戒告したんです。それでも気がつかないんでお腹が膨張したりしたんです。それで治る訳ですがね。本人が心からお詫びしなければ駄目ですね。」
(御教え集7号 昭和27年2月27日)
この御教えの通り、間違いに気付いて「心から本人がお詫びすれば」御守護いただけるというのが神の人間に対する大慈悲心の表れと言えますが、御晩年、メシヤ様の「御神格」の高まりに伴う29年4月24日の「お言葉」には、
『今まではお詫びをすれば許され、ご守護をいただいたが、これからは、お詫びだけでは駄目である。先に悔い改め、そして心よりお詫びしなければ許されない。また、お詫び申し上げてもお許しがあるのはそれだけの理由がなくてはならない』
と仰せられています。信者である以上、より一層、御教えを軽く考えず「神のお言葉」として受け止め、お言葉通り、御教え通り実践できるように務めることが、今後はさらに求められると思います。
そういう意味では、専従者、資格者はさらに厳しく守り実践しない限り、御守護いただくことはできないものと思います。
メシヤ様の「御神格」の高まりと共に、資格者、信者にも“神の御心に適う自分作り”を厳しく求めていたことが拝察されます。
「神格をいただく道」
「(前略)神とは、言い換えれば完全なる人間という事である、故に人間は努力次第で神にもなり得るのである、そうして本当の宗教の行り方は一歩々々完全人間即ち世にいう人格完成に近づかんとする努力の生活であらねばならない、然らば完全人間とは如何なる意味であらうかというと真理即ち神意を骨とし、人間生活を肉とみるのである、即ち如何なる不正にも誘惑にも動かざる確固たる精神を内に蔵し、常に天空海濶的心境に在って、日常の言動は融通無碍時所位に応じ何物にも拘泥する事なく、千変万化身を処すべきである、又規律を尊び、怠惰を嫌い、万人を愛し、人に接しては春秋の気候の快適の如く、何事も極端に走らず、人に好感を与える事を之努め、親切謙譲を旨とし、他人の幸福を念願し、人事を尽して神意に任せる態の信念を以て進むべきである。
人事百般完全は望むべくもないが、一歩一歩その理想に近づく努力こそ、人として最尊最貴のものであり、斯の如き人間こそ生甲斐ある真の幸福者というべきである、勿論信仰の妙諦も是に在るので、此様な人間の集団こそ地上天国でなくて何であろう。(後略)」
-
メシヤ様と明主様の違いについて
まず、「現在ネット上で『メシヤと呼べぬ者は出て行け』という御言葉があったことや、御神格について学ぶことは多いのですが、実際上『メシヤ様』と『明主様』の違いは、どのように解釈したらよいのでしょうか?」という質問が多く寄せられました。
『メシヤ様』とお唱え申し上げて取り次ぐ浄霊による恩恵の素晴らしさや偉大さ、絶対性はこれまで幾度となく取り次ぎ、実証例は枚挙に暇(いとま)がない程ですので、十分な情報を得ている方々に“押さえ処”として次のようなことをお伝えしました。
それは、「お守り」を御揮毫に“なられたか”“なられなかったか”の違い、という表現もできるということでした。これが、『メシヤ降誕仮祝典』を執り行われた前後のことなのです。『明主様』時代は『お守り』を御揮毫になられて浄霊力を授けておられて、『メシヤ様』時代は御揮毫になられずに浄霊力を授けられた、ということなのです。勿論、形としては『御守り(後におひかり)』という形は残りました。メシヤ様が昭和29年4月19日に御浄化に入られて御揮毫になられなくなった際に理事会で印刷に踏み切ったことは、皆さん、ご承知の通りです。
印刷のことを後で御知りになったメシヤ様は二つの御言葉を垂れています。『それで良かった』という御言葉と、『本当は御守りはなくてもいいんだけどな』という御言葉です。この御言葉は御自身のことを弟子達がどのように認識しているかの分水嶺でもあります。つまり、『本当は』と仰った内容をどのように受け止めたかが重要で、仮に「『本当は』と仰っているが今は・・・」ということで御神意を汲まずに過ごしたならば、それは既に神権を侵(おか)していることになるのです。
このことに思いを馳せない者は、メシヤ様の弟子ということの前に宗教家としての資質が問われるのではないでしょうか。
しかも、この受け止め方が『メシヤ降誕仮祝典』となった理由だと拝察されます。『仮』を付けるか『本』を付けるかは、『メシヤと呼べぬ者は出て行け』という御言葉をどのように受け止めたかにも係っており、仮に面従腹背で聞いていたのならば、『本』を付けることがおできになる訳がありません。何故なら、神様は人間の肚の底の底を御照覧されているからです。
『本当は御守りはなくてもいいんだけどな』と仰っているにも拘らず、『本当』でないことを続けているのですから『本祝典』とはならないのです。多くの教団が体制や建設という型に焦点を当ててきました。それは、『御守り』という形に縋っているから仕方がない面でもあるのですが、しかし、『想念の時代』という御言葉からしても、メシヤ様という御存在への認識、想念に大きく関係しているのです。
こうした内容に多くの方々が得心された御様子で、次世代を担う志しが眼差しに光となって灯されていました。
-
分かり易い
なるほど、これは分かりやすい。 メシヤと明主の名称の違い。
説得力ある。 なるほどこういう事だったのか、
モノクロさんは質問が来ると書かれてありますが、
サイトをされているんですか?
拝見させていただきたい。
どんどん 先を走る人が登場されますね。
いや勉強になる。
-
モロクロさん
>「メシヤ降誕仮祝典となった理由だと推察されます。「仮」をつけるか、「本」をつけるかは、『メシヤと呼べぬ者は、出て行け!』というお言葉を、どのように受け止めたかにも関わっており、
仮に 面従腹背で聞いていたならば、「本」をつけるの事がお出来になる訳でありません。
なぜなら、神様は人間の腹の底の底を、ご覧になっているからで、『本当はお守りはなくても、いいんだけどな』、とおっしゃってるにも関わらず、
本当でない事を続けているのですから、本祝典はならないのです。
多くの教団が体制や、建設や こういう形に焦点を当ててきました。
それは、?お守り?という形にすがっているから仕方がない面もあるのですが、しかし想念の時代というお言葉からしても、メシヤ様、メシヤという
存在への認識、想念に大きく関係しているのです 。
『今まではお詫びをすれば許され、ご守護をいただけたが、これからは、お詫びだけではダメである。先に悔い改め、そして心よりお詫びしなければ、許されない。またお詫び申し上げても、お許しがあるのはそれだけの、理由がなくてはならない』と、仰せられています 。より一層み教えを軽く考えず、
神の言葉として受け止め、お言葉通り実践出来るように、努める事が
そういう意味では、専従者、資格者はさらに厳しく、守り実践しない限り、 御守護 頂く事は出来ないものと思います。メシヤ様のご神格の高まりとともに、
資格者、信者にも神の御心に適う自分づくりを、厳しく求めていく事が推察されます。」
◆
(私はこれは神慈秀明会の実態がこれだと思うんです。神慈秀明会を 言うと 厳しすぎると 嫌う方が、私は ある程度 投稿を遠慮 しているんですが、
御神体、お屏風観音様は 当時としては事情があって、 切貼印刷や職人の手作りであるんですが、 御真筆をいただいている教団と比べても、
秀明の奇跡、奇瑞は、
多いんですね。
びっくりするような事もあるんです。それだけ厳しく守っている。
また、 信者にしても 、み教えから外れたと思ったらすぐに、御神前でお玉串を包んで想念のお詫び、『神言祝詞』を挙げています。よく見る光景です。
他の教団から見たら、
その程度でと思えるかもしれません。しかし、ご本人は真剣に誠を込められている。 それゆえに あまりにも厳しすぎると
批判する人達も出てくるんです。
想念だと思いますね、 そしてそれを守って、厳しく実践している。 私はモノクロさんの投稿を見て 、
神慈秀明会が頭に浮かびました。
-
ブドウと入れ替わり
熟し始め。赤くなると自然に落下する。
数日後に一夜だけの花月下美人が10個ほど同時に開くようだ。夜中の9時から明け方までが見頃なんだけれど・・・。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0003153.jpg
-
針で突いた傷
昔の聖言を読んでいると、
人体を針で突いて傷つける程度でもいけない
ということが出てくる。
魚の目を針で突いたことから、命の危険にまで及んだ12歳の少年についての
ご垂示だったと記憶している。
魚の目という浄化、神様の愛を邪魔することになるからという理由だったと思う。
同時に、
その程度の手術は大したことはない
という記述も見られる。
罪はどこにでもある。
その罪とどう向き合っていくか。
神様のことは本当にわからない。
神様にすべてをゆだねること以外、人間にできることはあるのか!?
という気持ちになる。
人間がでしゃばるな! とな。
この世は、神の愛で充満しているのだ!
-
不思議
幽体離脱が救いの道という考え方があるそうですが、二十一世紀のみ教えの世界に存在するというのは、なんだか想像もつかない。今とのつながりが
感じられない。
-
(無題)
>この世は、神の愛で充満しているのだ!
ここは同意。
>人間がでしゃばるな!
ここは見解が分かれるかも。
何を持って『でしゃばる』とするか。
動機次第・想念次第だと思う。
『でしゃばる』とは神目線で分かることであり、
人目線では個々に最善と思うことをやるだけなんちゃうかな。
単純に感謝と愛があれば、
ほとんどの行動が『でしゃばる』にはならず、
仮に神目線で『でしゃばる』だったとしても、
修正の機会はちゃんと与えられる(愛には愛で対応される)、んじゃないかな〜。
-
でしゃばりとは
言葉で説明するのは難しいが、神様にゆだねることができない人のこと。
女を例にすると、
お風呂に入った? ちゃんと着替えた? タバコ辞めなさい!
あの人と付き合っちゃダメ!
ほんと、ウザい。
こいつらの決まりセリフ。
「あなたのためを思っているから言ってるのよ」
セリフに、独創性がないところが共通点。
理想から言えば、
「あなたの思う通りにやったらいいわ、私はすべてを受け入れてついていくだけ」
こんな女に会ったことはないわけだが、せめて
「あんたはどうなってもいいの、私の生活が困るから言ってるのよ」
くらい言えよ。
そのほうが、まだ思考の跡が見えて微笑ましい。
昔、仕事ができなくて、「もう死にそう」と言ったことがある。
そしたら、言われたんだよ。
「冗談じゃないから、その仕事終わらせてから死んでくれよ」
独創性のある言葉って、けっこう好きなんだよな。
-
神様の女
ゲラちゃんは、神様の女になるんだ!
理想の女、な。
そばに、おんな! とか言われないような、いい女になるんだ♪
-
空腹のトキワ荘
先週、トキワ荘に行った。
漫画家の聖地ともいえる安アパートだ。
復元されたトキワ荘からは、昭和の匂いがプンプンして安らぎと興奮の
時間を過ごした。
それはいいんだが、食う店がない。
民家も人もけっこういるんだが、食う店がない。
わずかにある店は、かなりの時代物。
若い人は入りないだろうという外観。
表通りにある中華店は、近所でも有名な大盛り。
大盛りでもいいんだが、限度ってものがない。
1人前を3人で食っても、食べきれないほど。
ピラミッドみたいな、ご飯は見ただけで、食う気が失せる。
もう少し駅寄りには、おしゃれな喫茶店がある。
ここは、注文してから料理が出てくるまでに、1時間かかるそうだ。
というわけで、まともに食える店は、寿司屋が1軒あるだけとのことだ。
この寿司屋をはじめ、どの店も旨いことは旨い。
値段も手ごろ。
店の人も感じはいい。
しかし、寿司屋を除けば、どっか変。
本気で商売する気があるんだろうかという感じだ。
その寿司屋も、値段はやや高めだが、それでも値段に比べると、ネタが豪華。
こんなんで商売成り立つんだろうかと、思わないでもない。
そして、茶わん蒸しも旨いんだが、こってり味だ。
こってり味の茶わん蒸しは、初めて食った。
ま、旨いんだけどな。
-
ときわ莊
ときわ莊か、懐かしいな。
行ったことはないんですが、 私は漫画家を目指していたので、 その周辺に友人もいました 。また当時の名、石森章太郎の所に行った人もいて、 まさか今聖地になるなんて、世界的に漫画が評価されるなんて、
フランスでは芸術と言われていますので、
私が子供の頃は、漫画を見るな、
漫画を見たらバカになると言われていました。
-
今月の秀明紙から
7月 月次祭から
《ヨーロッパ記念祭が行われたロンドンからの報告》
「(前略)、 6月27日新型コロナウイルスのパンデミックのため、2回目のオンラインによる第24回ヨーロッパ記念祭をさせて頂きました 。
ロンドンセンターでの式典を中継し、時間を合わせて、他の国センターで職員が礼拝し、各家庭で信者達が参加させて頂きました。 これまでの半年を振り返りまして報告をさせて頂きます。昨年に続き今年もコロナ禍の規制の中で、布教や お世話をさせて頂だく日々が続いておりますが、 そんな中でも明主様のお計らいを、感じる事が幾つかありました。
四年前に入信したジテンドラ、テーラーという信者が、 今年の2月に命に関わる、大きな浄化を頂きました。
一週間の入院を含めて、10日間食べても嘔吐し、点滴で過ごしました。
私たち職員は交代で御浄霊に通い、なんとか危ないところを切り抜けました。 妻のバブナは 大英図書館 の責任ある立場にあり、 普段自宅にいる事はほとんど、ありませんでしたが、この時期テレワークで自宅にいる為に接触する事が、出来るようになりました。 バブナが?おひかり?を頂く事が、 ジテンドラの霊的な支えになる事を訴え、4月10日に入信のお許しを頂きました。
バブナの入信後、ジテンドラの健康状態は安定するようになりました。(中略) 今年に入ってからの入信者も、その出身国やルーツはさまざまで、イギリス人以外にも、ルーマニア、ナイジェリア、インド、ブラジル、ノルウェー、マレーシア、アイルランド、ポーランドなど多国籍にわたります。(中略) 2019年の事になりますが、マルセロ、デ、ソウサの長年の友人で、グローリア、レビタスと、ダン、レビタス夫婦が入信しました。
グローリアの肺癌が入信動機でした。私達がその年の5月に知らされた時、癌がリンパ節に転移しており、首の あたりに二つ、脇の下に一つ腫瘍が出来ていました。本人は 人間には本来自然治癒力があるという考え方で、医師がすすめる放射線療法、化学療法も拒否し御浄霊で、それまで実践していた、瞑想、食事に気をつける事、そして感謝の想念で、日々の生活を送るという事を頑張る決心でした。
私達 職員、青年研修生、現地の信者達が交代で彼らの家を訪問し、3か月以上にわたり、ほぼ毎日浄霊座談会が行われました 。その年の8月半ばに一度検査したところ医師は肺癌の進行が、ほとんどない事を認めました。 また通常、肺癌の人に起こる、咳き込みや、胸の痛みがなく、体の疲れもなく、食欲も相変わらずある事に、医師は首をかしげていたと言います。
その頃本人は首にある二つの 腫瘍、脇の下にある腫瘍が前より小さくなっている事に気がつきました。
10月の終わりに、もう一度検査をしたところ、首と脇の下の腫瘍は無くなっており、リンパ節の癌と、肺癌は、それぞれ1/3になっていました。
その後も定期的な浄霊座談会と、本人達の参拝が続きました。
2020年に入り、新型コロナ ウイルスのパンデミックが始まりました。ロック ダウンの為、私達は彼らの家を訪ねる事が出来なくなりました。
時々、 SNS で「しっかり浄霊交換をして下さい」とメッセージを送るのみでした。 その後 この二人は外出を控えるなど細心の注意を払っていたのですが 、
特にグローリアは七十歳以上の高齢と、肺癌を患っていた中での感染でしたので、通例、命に関わる状況ですが、軽い風邪のような症状と、味覚を数日間失っただけに留まりました 。 その後、本年2021年になりまして、病院で精密検査をしたところ、肺から始まってリンパ節に広がったステージ4の癌は、全て消えている事が分かりました。
この夫婦を含めてロンドンセンターの信者で、新型コロナウイルスに感染した人は、10名以上を数えました 。しかし、誰一人重症化する人はなく、乗り越えさせて頂きました 。
世界的大浄化作用の中でも、私たち神慈秀明会信者は、明主様からしっかりお守り頂だいております。感謝報恩の転法輪あるのみです。」
( ここでの講師の説明は 、浄霊座談会は、おひかりをかけた人が3人以上集まるので、そこにパワースポットが出来ると言って、 浄霊座談会の重要性を訴えていました。)
-
メーテルも、フジコちゃんも
アトムも、ドラえもんも、そのままで登場することはないと思うが、
聖言によれば、マンガは実現するとある。
ゲラちゃんは子どものころ、トランシーバが欲しかった。
「こちら、正太郎」ってやってみたかった。
トランシーバは手にすることはなかったが、思えばケータイやスマホが
トランシーバかなと思ったりする。
想念、人間の考えることは実現するってことなんだろうなと考えている。
-
これだけ違う
今回私の周囲に 末期癌の人が1人、
電話でお話をして、五日後に亡くなりました。
その人は 別の教団の明主様信仰者です 。いくらコロナとはいえ、浄霊座談会のような形で 接触があったならば 、もう少し寿命はと、思うんですが 、
これは分かりません。
遠隔でその人が良くなりますように、その位置に向かって、浄霊をする。
神慈秀明会では考えられない。
それはそれぞれ教団の方針もあります。想念の浄霊もあるかもしれませんが、
秀明とその別の教団の違いは 、秀明は 浄霊は人にする、人を助ける為にするというのを徹底してますが、
毎日 浄霊をさせて頂だく、
別の教団は品物にしてもいいと 、それで浄まる、そしてそれが広がってその周囲も浄るのでという事をでしたが、彼等も、 人を助けるための浄霊と、分かっているんですが、
-
こんだけ違う
いまだに明主様を病気直し屋にしてしまう、教団。
明主様のお創りになった天国へ導く、教団。
-
日本人の起源
古代史の定説を覆す、 日本の文明論 、太古の昔日本人は、中国大陸から 渡ってきたというのが、定説となりつつ ある日本人の起源、
しかし近年急速に発展した血液研究の結果によると、
日本の歴史学者の主張や 、教科書にあった事とは全く違う、
日本人の DNA が 中国人や、朝鮮人とは違う、別物 であるという、 なぜ日本人の DNA が、 中国人や 朝鮮人と、 一致しないのか 、
文化遺産を読み解けば、日本人の起原が見える 。
これは 日本国史学会代表、東北大教授 、 田中英道 、この先生が書いた本の 紹介でありました。
これは明主様の お言葉にある、 天孫、出雲、大和を言っていると思いました。
それが 本当であると、科学的に今証明されようとしています。
昼の時代になったので、
-
昼の世界
本家の教団は なぜ 明主様がお創りになった 聖地、美術館 、奥津城、お光りが、いっぱいであるはずなのに、熱海と、箱根、 手を組む事が出来ない。 分裂状態が治らない。
今日その孫までが多くの信徒を連れ、離脱すると言う、 もはや壊滅状態と思える。
それと比べ 離脱教団によっては 、世界的にお救いが広がっている。
そこに何があるのか。
私が知る離脱教団は 離脱する時、 本家( 明主様の元)から離れて行く、 お光りは続かない。
また戻って来ると当時、言われてました。
明主様がおいでになるなら、 御在世当時と同じ状態で 収っている。
しかしそうでない、
また、 離脱教団に、よっては 、まとまってお救いが広がっている。そこには明主様がおいでになると。
どうしても思えてきます。
何が違うのか。
本家は まず御神体を明主様の御揮毫に変え、
方針を大きく転換しなければ 、
そして離脱教団を引き戻す、
元の御在世当時に戻す。
お考えください。
-
事実がないうえに
論理的整合性がとれていない。
聖言では、
日本人の大半が大陸からわたってきた天孫、かなり減って半島由来の出雲、
列島古来の大和や、コーカサス系の土匪はごく少ない。
となっている。
昼の時代になって、聖言が証明されつつあるなら
DNAの多くが大陸
となっていないとつじつまが合わない。
もし、「考古学的日本人」とあるなら、つじつまが合うんだが……。
同じように、
幾度も、教主様は離脱したんじゃない
と告げても、相変わらず「離脱した」と、改めようとはしない。
幾度、事実をあげて説明を繰り返しても、その事実を否定する事実は提示されない。
自分の主張だから、「離脱した」と表記するのは自由。
ただ、その場合は、なぜ離脱したんじゃなく、「離脱した」んだと表記するのか、
その理由が必要。
自分が思ったから、事実も論理も関係ない! という態度では進歩がない。
「無」毛の議論。
からかいの対象にするしかない。
-
他の投稿
今スマホをいじってたら 、
浄霊を受けた人が、疑問に思うという事を 書いているサイトが出てきたり、
また黎明教会、救いの光教団の奇跡の体験発表も出てきました 。
これらを見ていたら また視野が広がります。
-
やっぱしなー
豆腐屋を開業したチラシを見て、買いに行ったら、
家具がずらりと品揃えされていた。
例によって例のごとしなんだよな、こいつ。
まじめに答えてやったら、はぐらかし。
聖言では、「正直者が馬鹿を見るとは嘘だ」とあるが、
正直に対応したら、いっつも馬鹿を見るんだよ。
それでいて、明主様のみ心を代表しているかのような書き込みをする。
いいかげにしろって、言いたい。
情報に対して真摯な態度がないから、上質な情報が集まらないんだと
思うぜ。
|
|
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板