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明主様
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(無題)
平成元年出版の岩松栄先生編纂「私の御教え抄」に、お守りに関した興味深い記述がありました。
【余の許しを受くれば】
此の療法の創成は、主神が人類の最も苦悩とする病気疾患を根絶せんとなし給う御目的に出でたるものにして、その御目的遂行の為表現仏たる観音の霊体を通じ、仁斎の肉体を活用させ、茲に、神人合一的大能力を発揮するに到ったのである。余の許しを受くれば、其の人の霊体を通じて発揮する観音力によって、驚くべき治病能率を挙げ得るのである。
「日本医術講義録 第一篇」(昭和10年)
【お守りを出さんのでもいいのだが】
私が許すといえば、その人はその時から人を治す力が働くんだが……今の人達は、何かお守りのような形がないと効かないと思うので、お守りを授けているんだが、どうせお守りなら、普通のお守りより大きい方が効くだろうと思うから、治療のお守りを大きくしているんだよ。
「宝山荘浄霊の間にて」(昭和15年)
二つ目のほうは、岩松先生が宝山荘で直接お聞きになったお言葉でしょうか。
つまるところ、おひかり・お守りを首にかけるかかけないか、ロケットかそうでないか、等よりも何よりも、明主様のお許しをいただけた人がご浄霊力をお許しいただける、ということですね。ということは、どんなに立派なおひかり・お守りを首にかけていても、想念が間違っていたりすれば、お許しをいただけないということになりますね。
これからご経綸が進んでいく中で、おひかり・お守りをいただくというプロセスを経ないでご浄霊力をお許しいただく方が増えていくのかもしれません。
ただ個人的には、おひかり・お守りをいただいたのであれば、そういう形で明主様がご神縁をくださったのですから、折角いただいたものをわざわざはずすことはないと思いますが。
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