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明主様
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モロクロさん
>「メシヤ降誕仮祝典となった理由だと推察されます。「仮」をつけるか、「本」をつけるかは、『メシヤと呼べぬ者は、出て行け!』というお言葉を、どのように受け止めたかにも関わっており、
仮に 面従腹背で聞いていたならば、「本」をつけるの事がお出来になる訳でありません。
なぜなら、神様は人間の腹の底の底を、ご覧になっているからで、『本当はお守りはなくても、いいんだけどな』、とおっしゃってるにも関わらず、
本当でない事を続けているのですから、本祝典はならないのです。
多くの教団が体制や、建設や こういう形に焦点を当ててきました。
それは、?お守り?という形にすがっているから仕方がない面もあるのですが、しかし想念の時代というお言葉からしても、メシヤ様、メシヤという
存在への認識、想念に大きく関係しているのです 。
『今まではお詫びをすれば許され、ご守護をいただけたが、これからは、お詫びだけではダメである。先に悔い改め、そして心よりお詫びしなければ、許されない。またお詫び申し上げても、お許しがあるのはそれだけの、理由がなくてはならない』と、仰せられています 。より一層み教えを軽く考えず、
神の言葉として受け止め、お言葉通り実践出来るように、努める事が
そういう意味では、専従者、資格者はさらに厳しく、守り実践しない限り、 御守護 頂く事は出来ないものと思います。メシヤ様のご神格の高まりとともに、
資格者、信者にも神の御心に適う自分づくりを、厳しく求めていく事が推察されます。」
◆
(私はこれは神慈秀明会の実態がこれだと思うんです。神慈秀明会を 言うと 厳しすぎると 嫌う方が、私は ある程度 投稿を遠慮 しているんですが、
御神体、お屏風観音様は 当時としては事情があって、 切貼印刷や職人の手作りであるんですが、 御真筆をいただいている教団と比べても、
秀明の奇跡、奇瑞は、
多いんですね。
びっくりするような事もあるんです。それだけ厳しく守っている。
また、 信者にしても 、み教えから外れたと思ったらすぐに、御神前でお玉串を包んで想念のお詫び、『神言祝詞』を挙げています。よく見る光景です。
他の教団から見たら、
その程度でと思えるかもしれません。しかし、ご本人は真剣に誠を込められている。 それゆえに あまりにも厳しすぎると
批判する人達も出てくるんです。
想念だと思いますね、 そしてそれを守って、厳しく実践している。 私はモノクロさんの投稿を見て 、
神慈秀明会が頭に浮かびました。
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