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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

819「訊け」管理人:2011/07/20(水) 13:19:22
山ちゃん1952さん
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=677

ちなみになにか、疑惑をもたれておりますけど・・・アッサリ白状しますと、
あれ、工作でもなんでもないのですよ(笑)

 いやホント、あの瞬間になぜか(禁止されたIP○個分が)突如、開通した
んですよ。ですんでわたし、「おお本流殿、心が大調和したか」と思ったん
です。それであんな激励・賞賛文を書き込んだんですけど・・・「あれっ?!」
ていう(笑)

 あの瞬間、なにが起こったんでしょうかね(笑)いやーやはり神想観は大行
です。なんせIP書き込み制限までも突破しちゃったんですから(笑)


追伸

 まあ本流管理人殿・・・・・聡明だけど

























あれはたぶん、

操作ミスです(笑)




※ どなた様かを「解除」されたんじゃないですか?そしてそのどなた様かを
解除したつもりになっていたのに、「よりによって」間違って、私を解除しちゃ
ったんでは?(笑)

820義春:2011/07/20(水) 14:13:14
>>819
ブログ管理人さま
まっ、自壊作用、自壊作用。

ホントに本流掲示板が怨霊の巣窟みたいになってきてますなぁ…観るのも止めとこうかな?と本気で見放しかけてます。

なんていうか、何も知らんのに、よく書けるよなぁ…と一寸、想ったりする。

821初心者:2011/07/20(水) 17:30:38
気がつかなかったのだが、不快感殿が、訊け管理人殿にあてて、
なにやら返信らしきものを書いておられるではないか。

しかも全文逃げ口上。
恥ずかしげもなく、よく書けるものだ。

穴熊が穴のなかで何やらほざいておる。
「穴から出てこい」といっても出てこない。
穴のなかから、「ボクは正義の味方だ〜」と
いう声だけが聞こえてくる。

言い訳じみたことばかり書きおって。
商人様のお見立てどおり、あれは男では
ないのかもしれぬな。

男なら、もうちっとは堂々としろよ。
相手にしないのが偉い?
相手にしたところで、どうせ君らに勝ち目はないのだから、
相手にしないというのは、たしかによい選択だ。
しかし、それは偉いのとは違う。
それはただの臆病というものなのだ。

822初心者:2011/07/20(水) 17:50:02
訊け管理人殿は、本流掲示板では自由な話し合いができぬから、
できる場所で話し合おうといっておられるだけだろう。

何をおびえておるのだ、あの連中は。

823初心者:2011/07/20(水) 19:08:38
くどいようだが、気になることがあるので書くことにする。

気になるのは、不快感殿の「私はお勧めしただけで、『対話』などとは言わなかったのに」
の一文だ。

退去は勧めたが、対話をしようとは言わなかった。
これはつまり、不快感殿は、退去を勧めれば、相手は黙って出ていくと考えていた、
ということか?

そうではないだろう。
こんなくだらんことを追求するために、あたしはくどくどと書いているわけではない。
「退去は勧めたが、対話をしようとは言わなかった」
この子供じみた言い方はどこかで聞いたことがある。
いうまでもなくそれは、20年前の副総裁の物言いだ。

あのときの副総裁の物言いに「そっくり」なのだ。
はっきりといま記憶がよみがえった。
不快感殿のパーソナリティーは、現総裁のそれにきわめて近いのだ。
現総裁がなぜ嫌われるのか、そのわけもわかった。
もしも不快感殿のようなパーソナリティーが身近に、しかもそれが
上司のような存在であれば、あたしはきっと堪えられないような気持に
なるだろう。

いまこうしてよみがえった、この苦々しい記憶の、その何十倍も何百倍もの苦痛を、
おそらく多くの人たちが抱え込んだまま、今日まで生きてこられたのだろう。
あたしにしたところで、不快感殿が総裁であれば、われを忘れて「追放」を
叫びたくなるだろう。

不快感殿は、リアルな感覚をもたらしてくれたようだ。
不快感殿の存在価値は、けっして小さくはないということだ。

824義春:2011/07/20(水) 19:29:58
>>823
初心者さま
それだから(ハリーポッターを習ってw)例のあの方は…雅宣総裁の愛弟子って書いたんですよ。選民思想とか色々な面で雅宣総裁によく似てらっしゃる…というか、本人か?というくらいにね。

まぁー…私は冷たい人間ゆえにフルボッコにしますが別の価値観の人と話せない人だろうと思ってますよ。

825復興G:2011/07/20(水) 20:17:00
> 800 初心者さま

ありがとうございます。
またまた亀レスになりました。

> 「天国よいとこ、いちどはおいで。酒はうまいし、ねえちゃんはきれいだ」というのがありましたが、実相世界でも酒は飲めるのでありましょうか。長身美形のおねえさまがたはおられるのでありましょうか。

 ──神様には御神酒を献げるのが祭りの行事であります。“サケ”は“栄える気”という意味だそうで、神様も御神酒を召し上がるのですから、神の国なる実相世界ではもちろん酒は飲めて、おいしいでありましょうね。そして、高天原ではアメノウズメノミコトが裸踊りをなさってるんですし、龍宮城では乙姫様が舞い踊っておられるのであります。高天原も龍宮城も、実相世界の別名でございますから、「ねえちゃんはきれいだ」どころではないと存じます。

> 神想観がある。たしかに神想観をしてみるという方法があるかとは思いますが、わたくしは、神想観につきましては徹底的に挫折しております。いまさらやれといわれても、無理でございます。

──そんなことは心配ご無用、神想観をする必要は全くございません。神想観してもしなくても、今此処天国、極楽浄土なのでございます。「生命の実相は自性円満(そのままでえんまん)」と教えられております。「そのままで」というのは「神想観してもしなくても」ということでございます。神想観しなければ、自覚しなければ現れないようなものは完全円満ということはできません。そのままで「今此処天国 極楽浄土」なのですから、「バンザイ!!」とただよろこべばよいのでございます。その、よろこぶ行が神想観なのでございます。

初心者さまは、かつて“本流宣言”の方で<大所高所 (2374) 日時:2011年06月02日>

「感謝の心を持つこと。これが誰にでもできる、神の流出を正しく受け止める方法なのです。感謝によって神の流出を正しく受け止めることができれば、完全円満な調和した世界があらわれてくる。このことを雅春先生は説いてくださっておられるのです。」

 とお書きになっていたではありませんか。私はそのお言葉を注目して、ちゃんとログを保存しておりますぞ。

 わかっていらっしゃるのに、というか、わかっていらっしゃるからこそ、われわれに「公案」として試験問題を出されたのでございますね。

 私の解答には合格点が頂けますでしょうか、おそれながらお伺いを申し上げます。

826初心者:2011/07/20(水) 20:19:41
たしかに、義春殿がこのようなことをいわれておりましたな。

20年ぶりに記憶がよみがえり、リアルな体験となりましたわ。
本流には近づかぬほうがよさそうですな。

827初心者:2011/07/20(水) 22:04:33
復興G様、ありがとうございます。

もちろん「感謝をすれば」の一文は覚えておりますとも。
ただ、神の流出を受け取る方法はひとつではなく、いくつもあるようです。
そのなかで、生長の家のみなさまにいちばんわかっていただき易いのが、
「感謝」ということだろうと思います。

じつは、これを書いたあとで、こちらの掲示板にも書いておりますように、
「実在宇宙」、これをわたくしはドリームタイムと呼んでおりますが、これを
発見いたしまして、神の流出とは、ドリームタイムからの流出、つまりは
ドリーミングではないかと考えるようになったのであります。

それと、神の流出という言葉も、生長の家のみなさまにわかっていただき
易いようにと選んだ言葉でありまして、個人的には「一者の流出」という
言葉を使っておるのであります。

「一者の流出」とは、少し前にこちらに書き込みいたしました、ヘルメス思想の
精髄ともいえる考え方でありまして、ヨーロッパの神秘思想は、その源流を
たどると、ほとんどがヘルメスの「一者の流出」にたどりつくようであります。

それで、「一者の流出」は錬金術師たちによって研究が続けられてきたので
ありますが、近代になって、心理学者のユングが、錬金術の研究から、
「一者の流出」の受け止め方を発見したのであります。

それをユングは、個性化、あるいは個体化と呼んでおりますが、説明をすると
長くなりますので、またの機会にゆずることにいたしまして、ユングの研究を
継承する形で、錬金術をオカルト的に解釈したのが、ルドルフ・シュタイナーで
あったのです。

シュタイナーは、「一者の流出」を受け止める器として聖杯(グラール)を考えました。
心のなかに聖杯をつくることで「一者の流出」は受け止められる。このことに
気づいたのであります。そして聖杯をつくり出す方法が、感謝であり、日時計主義の
実践であったということです。

それでわたくしが「大所高所」で紹介いたしましたのが、シュタイナーの錬金術なので
ありました。ところが、ではわたくしがシュタイナーの方法を実践しておるのかといいます、
これは実践しておりません。実践はしておりませんが、生長の家のみなさまに紹介する
には、これがいちばんよい方法だろうと思いまして、この方法を紹介いたしましたの
であります。

ではわたくしは、何も実践していないのかというと、そういうことではなくて、
じつはこちらでたびたび引用いたしておりますアーノルド・ミンデルこそがユングの
方法を受け継いでおりまして、ただそれは、ユングの方法とはまったく似ても似つかぬ
方法であり、なかなか気づきにくいのでありますが、わたくしの見るところでは、
ミンデルの主張するドリーミングこそが、ユングのいう個性化、あるいは個体化の
方法ということになってくるのであります。

それでわたくしは、「実在宇宙」の発見よりこちら、さらにドリーミングにのめり込みまして、
じつはドリーミングは、ここ4年ぐらいずっと、「一者の流出」を受け止める方法として
ドリーミングに関心を持っており、それがここにきて、さらにのめり込むということに
なってきまして、ですから、わたくしの「一者の流出」を受け止める方法は、感謝ではなく、
ドリーミングの自覚ということになってくるのであります。

ドリーミングという言葉を使っても、生長の家のみなさまにはわかりにくいのであります
から、シュタイナーの聖杯に近い方法として、感謝ということを使って、「一者の流出」、
つまりは神の流出の受け止め方の方法を紹介させていただいたような次第であります。

828復興G:2011/07/20(水) 22:14:32
> 800 初心者さま
追伸です(長鳴鳥の鶏鳴4号になるでしょうか)

> ・・・・わたくしはたしかに、真理を思えば、たちまちにしてハッピーになることができます。これはもう20年近くも続いております。しかしおそらく、このハッピーな気分と、実相世界における喜びとは、またかなり違ったものであるかとも考えます。このあたりにつきまして、復興G様が思われるところをお聞かせねがえれば、ありがたく存じます。

 実相世界は常に今此処にあり、遠くにあるものではございません。感謝の思いでハッピーになられれば、それはそのまま実相世界におけるよろこびそのもの以外の何ものでもないと存じます。

 なお、私は以前、「基本的神想観」は面白くないと思ってたときがありました。それが、今は面白くなりました。
 なぜかというと、「神の無限の生かす力わが内に流れ入る流れ入る・・・・・・」と念ずるときに、わが肉体に流れ入ると念じたのでは面白くなかったんです。それが、「肉体はなかったんだ、自分はなかったんだ。すべてが自分だったんだ」と思って、まずは「家内のうちに流れ入る・・・・満たされている、生かされている・・・・もはや家内は自分の力で生きているのではない。神のいのちがここにありて生き給うている。家内は神にまします」というように念ずることができるようになったとき、以前よりも格段に神想観が面白く楽しくなってきた。そして夫婦円満大調和になった、という体験があります。

 で、今私は、生長の家現総裁に対しても、同様にして
「神の無限の生かす力谷口雅宣総裁のうちに流れ入る流れ入る・・・・満たされている、生かされている・・・・もはや総裁は自分の力で生きていらっしゃるのではない。神のいのちがここにありて生き給うている。総裁は神にまします」というように念ずることを実行してるんです。

 アホか! とおっしゃる方があるかも知れませんが、私は村上和雄先生がおっしゃるように、アホな祈りをつづけたい。
 「世界で起こる問題の原因は、私たち自身にあります。そして、その解決も、また私たち自身から始まるのです。世界を変えるのに必要な力は、あなた自身にあるのです」
 とも、おっしゃっています。
 「奇跡を呼ぶ100万回の祈り」を重ねて、天の岩戸開きの準備をしましょう。
 それが、『教団で起きているゴタゴタは、谷口雅春先生がわたくしたちに示された禅の公案です。雅春先生は、こんにちの事態をすでに予知しておられたはずです。それを承知の上で世襲制を承認し、わたしたちに公案として残して行かれたのではないですか。弟子として恥ずかしくない答えを出しましょう。』と初心者さまがおっしゃった、公案への答えになるのではないかと、私は考えているのです。

829復興G:2011/07/20(水) 22:37:16
> 827 :初心者様

すれ違いになりましたね。

> 神の流出を受け取る方法はひとつではなく、いくつもあるようです。そのなかで、生長の家のみなさまにいちばんわかっていただき易いのが、「感謝」ということだろうと思います。

 神の造り給うた実相世界は、無限の多様性を秘めているのですから、神(一者といってもよろしいでしょう)の流出を受けとる方法も当然ひとつではなく、多様であってしかるべきでしょう。無相であって無限相、自由自在なのが神であり仏(ほどけ)であるのですから。だから面白いのではないでしょうか。

830初心者:2011/07/20(水) 22:42:07
復興G様

前回の投稿はかなり錯綜しておりますが、これは、これまでは、実相世界と
現象世界のふたつの世界の関係について考えておればよかったのですが、
ここにドリームタイムという言葉があらたに加わってまいりまして、
ドリーミングの定義が大幅に変わってきたのが原因であります。

以前は、ドリーミングを実相世界からの流出と理解しておりましたが、これは
つまり、ドリームタイムとは実相世界のことだと理解していたということなので
あります(ドリームタイムイコール実相世界でありますから、ドリームタイムという
言葉を使う必要がなかったのであります)。ところがここへきて、実在宇宙、
つまりは今の宇宙の発見により、ドリームタイムは、実相世界ではなく実在宇宙のことだと
ようやく気づいたのであります。

これにより、実在宇宙発見以前に書き込まれた「大所高所」の内容につきましても、
本来であれば変更せねばならないところなのでありますが、意味としては十分に
通用いたしますので、こまかな変更は見送ることにいたしまして、そのために、
前回の投稿文にいくらかわかりにくいところが出てくることになったような次第で
あります。

これはいってみれば、わたくしには経験のないことでありますが、新しい彼女と
歩いていると、以前の彼女とバツタリ出会い、話しかけられて右往左往している
ような状態なのであります。なかなかに説明がむつかしく、語句の説明にいささか
の混乱があるような次第であります。

それと実相世界でありますが、酒が飲めて、長身美形のおねえさまがおられる
のであれば、いうことはありません。ただひとつ疑問があります。わたくしが
考える現象世界には、見せかけの現象世界と真の現象世界のふたつがあります。
真の現象世界がドリームタイムであります。

現象世界と実相世界が相似形であるとするなら、実相世界にも、見せかけの実相世界と
真の実相世界のふたつがあるはずであります。もしもそうであるのなら、わたくしは、
復興G様のご説明に納得いたしますが、そうでなければ、納得しがたいということに
なってまいります。難しい質問だとは思いますが、実相世界にも、見せかけの世界と
真の世界のふたつがあるのかどうか、いかがでありましょうか。

831初心者:2011/07/20(水) 23:01:37
復興G様

神想観にいたしましても、ドリーミングの自覚にいたしましても、流入、あるいは流出を
観じるということでは、共通点があるかと存じます。つねにハッピーでいられるという
ことは、つねに神想観をしているのと同じことであるとこれまで考えてまいりました。

復興G様より、それもまた実相世界のよろこびであるといっていただき、わたくしも
たしかにそうだと思いますので、迷わずこのままの道を進むことにいたします。

公案の答えはひとつではなく、各人がそれぞれに出すものであると心得ます。
復興G様は、アホ力を存分に発揮されて、弟子の名に恥じぬ答えを出さねばなりません。
わたくしはわたくしで、弟子として、雅春先生に顔向けできる答えを出さねばなりません。

掲示板で悪戦苦闘しておりますが、あれやこれやともまれたことで、以前よりはだいぶ
マシな状態になってきたと思います。
復興G様ほどに心は定まってはおりませぬが、ドリーミングの力でなんとかできそうな
気がいたします。ドリーミングもまた、広大無辺の大真理なのでございますから。

832復興G:2011/07/20(水) 23:07:39
> 830 :初心者様

> 実相世界にも、見せかけの世界と真の世界のふたつがあるのかどうか、いかがでありましょうか。

 まことに難しい質問でありますね。
 私は、実相世界に見せかけの実相世界と真の実相世界のふたつがあるとは思っておりませんでした。しかし、谷口雅春先生は『古事記と現代の預言』で、

 「天照大御神が岩戸隠れなさったとき、高天原も暗くなった。これは、高天原は実相世界ですから永久に暗くなることはないのですが、見る人の心の秩序が顛倒(てんどう)して心が暗くなれば、どんなに光明遍照の実相世界でも暗く見えます。それは悟りをひらいた人には、この世界は「唯心所現の世界」即ち心の想いが展開した世界だとわかりますが、悟りのひらいていない人には、この世界が物質の塊の暗黒世界だと見えるようなものであります。」

 と書かれていますから、そういうこともあるのかと、びっくりしました。私は実相世界を全部見てきたというわけではないので、わかりませんが、谷口雅春先生がそうおっしゃっているのだから、そうなのだと思います。

833初心者:2011/07/21(木) 10:11:26
復興G様、ありがとうございます。

実相世界はふたつあるのか。たしかに難しい質問をしてしまいました。
答えはとうぶんこないだろうと、勝手に思い込んでおりましたが、さっそく
ご返事をいただきまして、復興G様がいかに熱心な雅春先生のお弟子様で
あられるのかということを、深く感じ入った次第であります。

引用していただきました『古事記と現代の預言』のご文章を拝見して、まことに
おこがましい言い方ではありますが、実相世界についてようやく納得できたという
思いであります。実相世界もまた心が展開する世界である。このことをようやく確認
できました。
これもすべて、復興G様のおかげでございます。

それにいたしましても、適材適所に雅春先生がお書きになられたご文章を引用なされる
というのは、さすがに筋金入りの信徒でなければできぬことであります。
そのような方から、こうして直接ご指導いただけましたことは、まさに望外の幸運以外の
なにものでもなく、これもまたネットならではの功徳であることを再認識させて
いただきました。

実相世界については、これまでの認識をあらためることにいたします。「ココケッコー」の
鳴き声が、なんとも心地よく聞こえくるではありませぬか。
まだまだ、ほかの点についても疑問はありますが、いずれ機会をもうけていただき、ご指導
いただければありがたく存じます。

834復興G:2011/07/21(木) 10:46:09

>833 :初心者様
どうぞお手柔らかにお願い申し上げます。

835初心者:2011/07/21(木) 11:35:48
復興G様

「感謝はやっていない」と書きましたが、それでも、ごくたまにではありますが、
わけもなく、まるで感謝の惑星にでもワープしたかのような、そんな心境になる
ことがあります。

自分の周囲がぜんぶ感謝なのです。そんな状態になることがあります。べつに
感謝しようと思っているわけではありませぬが、なぜかしら、惑星的ともいえる
感謝状態に陥ってしまうことが、ごくたまにあるようです。

それとわたくしは、物事をシャカリキになって実現しようとはいたしません。
このあたりは、復興G様のいっておられるアホ力(あほか、ではありません。
「あほぢから」と読んでください)に近いものであるのかもしれませぬが、
これは、わたくし的には、これは「無為自然」ということになるのであります。

無為自然とは、生長の家的にいえば、「わがわざはわがなすにあらず」であります。
だいたい物事は、ボーッとしているあいだに実現してしまうようなのであります。
かの道元は「諸仏の大道、究尽するところ、透脱なり、現成なり」と、究極の悟りの
境地を語ったといいます。

「透脱」とは何も考えずにボーッとしているということであり、これが無為自然で
あります。シャカリキになって物事を実現しようとしても、なかなか実現するものでは
ありません。

わたくしは、最初はとにかくジタバタいたしますが、ある時期をすぎると、ジタバタをやめて、
ボーッといたします。ボーッとしているあいだに、物事は実現してゆきます。これが「透脱なり、
現成なり」であります。

今回のドタバタにいたしましても、わたくしは、部外者でありながら、これまでずいぶんと
ジタバタしてまいりました。復興G様のおかげで、どうやらそれも落ち着き、無為自然のままに、アホ力を発揮できる段階に達しつつあるような気がしてまいりました。
わたくしは、わたくしの周囲で、できる範囲でアホ力を発揮することにいたしましょう。
それが無為自然というものであります。

それにいたしましても、このたびは、復興G様に大変なお手間をとらせてしまいました。
過去の記事を読んでいただいたようで、それは大変に根気のいる作業ではなかったかと、
いまさらながらに、復興G様の誠心(まことのこころ)を実感させていただいておるような
次第です。

真理において、生半可な心では人と接しない。それが復興G様のご信条であることを
知りました。このような方が、いまだ生長の家におられることを知り、未来への希望を
確信したのは、おそらくわたくしだけではないと考えます。

836復興G:2011/07/21(木) 12:31:51

> 835 :初心者様
 初心者さまの前記ご文章を拝読し、なんだか訳もなく涙がこみ上げてまいりました。年ですね。
 ありがとうございます。

> 「感謝はやっていない」と書きましたが、それでも、ごくたまにではありますが、わけもなく、まるで感謝の惑星にでもワープしたかのような、そんな心境になることがあります。自分の周囲がぜんぶ感謝なのです。そんな状態になることがあります。べつに感謝しようと思っているわけではありませぬが、なぜかしら、惑星的ともいえる感謝状態に陥ってしまうことが、ごくたまにあるようです。

 ──それ、最高ですね。感謝というのは、しようと思ってするものではなく、おのずから湧いてくるのが本当の感謝でしょう。

> わたくしは、最初はとにかくジタバタいたしますが、ある時期をすぎると、ジタバタをやめて、ボーッといたします。ボーッとしているあいだに、物事は実現してゆきます。これが「透脱なり、現成なり」であります。

 それ、最高です! 「み業は神が為し給う」 ですね。
 それで行きましょう!

837トキ:2011/07/21(木) 20:05:42
 いつも素晴らしいご投稿をして下さり、深く感謝申し上げます。

  ところで、最初に建てたこのスレッドが835を越したのですが、そろそろ「信仰/体験板」
スレッドをアップしようと思います。このスレッドはそのまま残りますが、1000越しても、
更新をしない、という方針で行くつもりです。

 そのスレッドの趣旨としては、ここと同じく、信仰や体験などをテーマにして、運動などは
書かない方針でいます。

 いきなり建てたら驚かれるので、予告してからアップします。数日内で建てる予定です。
では、宜しくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

838初心者:2011/07/21(木) 21:30:16
トキ様、了解いたしました。

839トキ:2011/07/26(火) 11:36:08
 このスレッドが使われないままなので、マイナーなネタを一つ。

 ある好青年が、いきなり「生長の家に入りたい」と言って、教化部に来られました。
私が担当になり、いろいろと組織内でお世話をさせていただきました。

 さて、しばらくしてから、その青年が「トキさん、実は申し上げなければいけない
事があります。」と言い出します。「何ですか?」と質問をすると、その青年曰く、

 「実は、私は統一教会の幹部で職員なんです。生長の家をスパイしにきていました。」

というので、仰天。何でも、他の宗教を調査するため、生長の家を始め、いくつかの宗教
をかけもちでしていたというからスゴいです。それが、いつの間にか洗脳が解けたらしく、
「もう統一教会は止めます。ですから、脱会するのを手伝って下さい。」と
言われ、同時に、今までの行為を細大漏らさず話してくれました。ついでに、今まで調査
したいろんな宗教のネタも話してくれたので、面白かったです。でも、統一教会のやって
いる事は笑える事ばかりではありませんでした。彼は、オウムまで潜入した経験があると
話していました。

 どうも、聞いていると、彼だけでなく、多数の統一教会の活動者が身分を偽って各種の
団体に潜入しているようです。で、たまに、彼のように途中で洗脳が解けて、自分から自首
するケースがあるようです。実際、生長の家でも、他にあったみたいです。

 その後、彼は、生命の安全のため、他府県にすぐに移転し、連絡が切れました。
どうしているのでしょうね。

合掌 ありがとうございます

840義春:2011/07/26(火) 13:20:05
>>839
トキさま
元気にしていたら良いンですけど。
にしても、ホントにめんどくさい連中ですよね、アイツ等。

841復興G:2011/07/26(火) 16:30:19
──<村上和雄著『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』より(1)>──
プロローグ 東日本大震災が私たちに提示したもの

 あの日から、「何かが変わった」と感じている人は多いのではないでしょうか。

 2011年3月11日。私たちは未曾有の大地震、大津波、原発事故の同時発生という、世界の歴史の中でも稀な大惨事に見舞われました。
 その瞬間まで、誰もが当たり前のように享受していた「日常」が文字通り崩れ去ったのです。慣れ親しんだ風景が一変し、身近な人や物を失い、残ったのは瓦礫の山。21世紀の日本で、そんな世界が現実のものになるとは誰が想像したでしょう。
 大震災から1ヵ月が過ぎても、マグニチュード6クラスの余震が続き、多くの人が避難所暮らしを余儀なくされ、行方不明者の捜索もままならない。そして原発事故収束の見通しもまるで立たない。
 本書は、そんな状況の中で書き始めなければなりませんでした。
 果たして、今、こうして目の前に起こっている現実は何なのか。それに対して何ができるのか。ひとりの科学者として、そして人間として、何か言い表しがたい「大きな問い」を突きつけられているように感じました。
 科学者の本分で言うならば、現状を冷静にとらえ、データを分析し仮説をたて、さまざまなエビデンス(証拠)を集めて、正しい知見を出すことが仕事です。
 しかし、今回の大震災は、そういった人知の及ぶ範囲ではない、もっと根源的な答えを考えなさいと言われているような気がしてならないのです。
 それは、別の言い方をすれば「目に見えるものだけではなく、目に見えないものも含めて考えなさい」ということなのかもしれません。
───────────────
(つづく)

842復興G:2011/07/26(火) 16:46:23
──<村上和雄著『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』より(2)>──

 私の専門は生命科学、遺伝子研究ですが、科学者だから目に見えるものだけを相手にしているのかというと、実はそうではありません。

 生命の設計図と呼ばれるDNA(デオキシリボ核酸)を解読し、その働きが理解できるようになっても、そもそもなぜ、そのようにDNAが振る舞い、エネルギーを使って細胞をつくり続けるのかは「見えない」のです。そうした、一見、見えないけれど確実にある何か、そうしたものを無視して、今回の大震災が私たちに提示した「大きな問い」に答えることはできないのではないか、私はそう思っています。

 そのようなことを言うと「科学者なのに科学的でない」「論理的整合性があるのか」とおかしなものでも見るように批判されたり、あるいは心配をされるかもしれません。しかし、実は科学の歴史においても、画期的な大発見や大発明は「科学的でない」ことがキッカケになっていることがたくさんあるのです。

 毎日毎日、思うような結果が出ない実験に疲れ果て、半分、気晴らしのように違う材料を混ぜてみたら思わぬ物質が出来上がった。そんな偶然や失敗から成果が生まれるケースは科学の世界ではザラにあります。かの有名な世界初の抗生物質ペニシリンの発見も、細菌学者フレミングの雑然とした実験室で放置されていた黄色ブドウ球菌の培地に、たまたまアオカビが繁殖し、そのカビの周囲だけ細菌が生育していないことに気づいたことによるものでした。

 こういった、科学らしからぬ成果を「ナイト・サイエンス(夜の科学)」と呼びます。これに対して、論理的で計画的な科学的方法に基づいた「デイ・サイエンス(昼の科学)」と呼ばれるものだけが科学ではないのです。むしろ、どちらか一方だけでも、現在の科学は成り立たないでしょう。だからこそ、科学者は「偶然」のように思えることも含め、より多くの物ごとに謙虚に向き合わなければなりません。
───────────────
(つづく)

843復興G:2011/07/26(火) 16:51:02

──<村上和雄著『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』より(3)>──

 実は、私個人も、震災前にそのような思いを新たにする経験をしていました。

 それは奇しくも、大震災の前年、2010年の秋。私は脳梗塞を起こし、病床に伏していたのです。

 50年にも及ぶ生命科学の研究の経験から、「命」の尊さを、私はそれまでも知っているつもりではありました。多くの著作で、講演で、そのことを語ってきました。

 しかし、自分が病を得て、私は初めて気づいたのです。
 それは、命の尊さを「頭で理解していただけだった」ということに。つまりそれは、命というものをいろんな角度から見ているようでいて、目に見えるものしか「見ていなかった」ということと同義だったのです。

 自分の命、そして今回の大震災で失われた多くの命。どちらも本当に尊いものです。これだけ科学や技術が進歩しても、そして世界中のお金をつぎ込んでも、私たちは命のもとになる細胞一個すらつくりだすことはできない。そのょうなすごい細胞が約60兆個もそろい、それぞれの役割を持ちながらお互いにきちんと調和して、この命を動かしているのです。

 まさに奇跡といってもいいぐらいです。

 私はよく「ひとつの命が誕生するのは1億円の宝くじが100万回連続で当たるのと同じぐらいの確率なんですよ」ということをお話しします。

 これは、生物学における世界最高レベルの賞「ダーウィン・メダル」を日本人で唯一受賞された遺伝学者の木村資生先生がおっしゃっていたことです。

 そんな奇跡の集合体である命を自分は持ち、さらには「生かされている」ということを病気を通して気づき、また今回の大震災によって覚醒させられた思いがします。

 まさに「有り難い」命を持ち、生かされている私たちが、ただただ悲嘆に暮れていたり、何も考えず無為のうちに過ごして良いはずがないのです。それこそ亡くなられた方々に申し訳が立たないでしょう。

 どんな物ごとにも、目に見える面と見えない面があります。今回の震災でいえば、未曾有の被害、さまざまな混乱というものは目に見えます。そして、私たちは、その目に見える部分で嘆き悲しみ、無力感や絶望感を持ち、目に見える世の中のインフラや機能が回復してきたことに希望を持ちます。これは、当たり前のこと。ですが、もう一方の「見えない面」にも意識を向けるべきではないでしょうか。

 日本人は、本来目に見えないことを大切にして、何か行動するときには森羅万象を慮(おもんぱか)る心を持って生きてきました。自然の恵みを育む太陽を「おてんとうさま」と敬い、おてんとうさまに恥ずかしくないように、と生き方を律して、何かの恩恵を受けても「おかげさま」と感謝する。そうした、見えないものへの畏敬の念を、特別な祈りの中だけでなく、日常の中で持ち続けてきた民族だったはずです。

 その日本人が、目に見える経済効率やシステム、技術といったことばかりに重きを置いた営みを送ってきた中に起こった今回の大震災。

 これは、そうした日本を憂う、大自然からの何らかのメッセージだと思えてならないのです。
 私たちは、目に見えない大切な何かを置き去りにしてきてはいないか。そのことを今回、私は意外なところからも気づかされました。

 現代はインターネット社会です。日本で起こった大震災とその被害の詳細は、瞬く間に世界中を駆け巡りました。すると、こんなメッセージがインターネット上で飛び交い始めたのです。

「Pray for Japan」── 日本のために祈ろう。

 写真で、ツイッターというメッセージブログで、世代も国境も宗教も超えて、世界中から届けられた「祈り」の言葉。これまでにも世界では、さまざまな災害や危機がありましたが、こんなにもひとつの国のために「祈りのリレー」が行われたことはかつてなかったことでしょう。このような状況で、直接被災者に届かないかもしれない、しかしそれでも、祈らずにはいられない。そんな何とも形容しがたい思いや気持ちが、世界中から伝わってきたのです。それは、本当に魂がふるえるような出来事でした。

 と同時に、その思いに感応するように「今こそ頑張らなくては」「何か自分にやれることを始めなければ」「もう一度、我々本来の姿に立ち返らなければ」という気持ちのスイッチが多くの日本人に入ったのも事実です。

 震災では、目に見えるものが破壊され失われましたが、同時に「目に見えない大切なもの」が自分たちの心の中に残っていると多くの人が気づいたのです。

 それは、先ほど触れたように、日本人が本来持っていた豊かな精神性の灯りに再びスイッチが入れられたことで、照らし出され見え始めた瞬間だったのかもしれません。
───────────────
(つづく)

844復興G:2011/07/26(火) 17:43:22

──<村上和雄著『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』より(4)>──
第1章 今、「祈り」が必要な理由

 文字通り、世界を震撼させた今回の大震災。激しい揺れのさなか、心の底から「早くこの揺れがおさまってほしい」と、思わず念じた人は多かったのではないでしょうか。
 何か想定外のことが起こったときの、とっさの祈り。
 それは、誰に教えられたわけでもなく自然にわき上がってくるものです。太古の昔から、私たち人間は、そのような祈りとともに生きてきたといってもいいと思います。
 では、いったい、この「祈り」とは何に向けられたものなのでしょうか。そして、なぜ私たちは祈るのでしょうか。

 あの地震が発生したとき、東京都内にいたある知人女性は、
「本気で祈ったのは、あの地震の日が人生で初めてだったと思います」
 と話していました。
 この女性は、昭和46年(1971年)生まれ。つまり、日本が高度経済成長を遂げるさなかに育ち、物質的な不自由さを味わうという経験をしていない世代です。
 彼女は地震発生時、都内の自宅の近くにいたため、帰宅困難にはなりませんでしたが、すぐに家族と連絡を取ろうとして、まず、携帯電話が通じないことに気がついたそうです。
 彼女には、知的障害のある妹がいます。その時刻は、都内の勤務先にいるはずですが、交通機関がマヒした状態で妹がどうやって帰宅すればいいのか、それが、彼女の最大の心配事でした。このような状態で混乱して、怖い思いをしていないだろうか。不安と心配が急な夕立の雲のようにわき起こってきました。
 今すぐ連絡を取りたい相手と連絡が取れない。
 「生まれた時から電話があることが当たり前の生活をしていますから、『連絡が取れない』なんて想像したことすらありませんでした。連絡が取れない、と分かったとき、無意識に取ったのが『祈る』という行動でした。それしかできなかった」
 テレビの画面では被災地の惨状とともに、都心で帰宅困難になった人の群れが上空から映し出されていました。彼女は通じない携帯電話を握り締めながら、画面を見つめ膝を祈って「無事に帰宅してほしい」と願い、祈り続けたといいます。
 果たして、彼女の祈りはきちんと通じていました。
 日付が変わろうか、という頃になって、ようやく妹は、大渋滞の中、勤務先の先輩が送り届けようと自分の車に乗せてくれていたことが分かったのです。
 彼女は言います。
 「妹の無事を知って思ったんです。電話もない時代に暮らしていた人たちは、こうやって身近な人たちのことを思い、祈っていたのかもしれないなと」
 この出来事は、大震災が多くの人々にもたらした苦難の、ほんのわずかな部分かもしれません。けれども私は、このとき同じように日本中で、いや世界中で、多くの人の無事を祈る思いが飛び交っていたと感じました。
 人には、「祈ることしかできない」というときが必ずあります。
 ともすれば、現代では、そうした状況は人間としての無力さの表れのように思われがちですが、それは違います。
 人は、無力だから祈るのではなく、祈りには思いもよらない力があるから祈るのです。
 太古から、人間はそうした力を知っていて、本当に苦しいときに、まさに祈りの遺伝子のスイッチがパチンと入るようにできているのです。
 祈りには力がある。そして、そのことを私たちは遺伝子レベルで受け継いでいる。そうでなければ、誰に教えられたわけでもないのに、「祈る」という行為をいちばん大切なときに行うでしょうか。
 プロローグでも触れましたが、人間は奇跡ともいえる細胞のバランスで成り立っています。人間の中に備わっているもので、無駄なものは何ひとつとしてないといっていいでしょう。これは遺伝子レペルでも、同じです。だとしたら、「祈り」という無意識にとってしまう行為は、人間という生物にとって最初から組み込まれている大切な働きと考えたほうが自然かもしれません。
───────────────
(つづく)

845初心者:2011/07/27(水) 12:09:44
復興G様、ありがとうございます。

わたくしは、べつの掲示板でも書きましたように、祈りは苦手です。
こういうことを書きますと女性蔑視とも受け取られそうでありますが、
祈りとは女がやるものだとしいう考えからどうしても抜け出すことが
できないのであります。

このあたりが弱点なのであります。べつの掲示板で、メルクリウスを引きあいに
出して書きましたように、人間の究極の目標が両性を具有することであるのは
わかっているつもりでありますが、しかしどうしても、祈りは乙女の仕草だという
観念が支配的となり、祈るということができないのであります。

青年会では、男子青年と女子青年はつねに対立しておりました。
対立といっても、それは活動だけにかぎるもので、それ以外のときは、
わたくしが率先して女子青年とは仲良くさせていただいておりました。

活動のなかで、女子青年は、つねに「祈り」を前面に押し立てておりました。
それに反発する男子青年は、祈りを拒否し、力づくの活動を実践していた
ように思います。
わたくしは、手前味噌ではありますが、その力ずくの活動を主導していたのが
自分であったと考えております。

このときの体験がベースとなって、祈るという行為には徹底した嫌悪感を
もよおします。実相世界にたいする嫌悪感は、復興G様のご愛念によりまして
すでに解消いたしました。しかし祈りにたいする嫌悪感は、確固とした体験が
ベースになっておりますので、それはさらに強固な嫌悪感となって、わたくしの
なかに巣くっておるのでございます。

復興G様。どうかわたくしのこの気持ちを理解してやってくださいませ。

846復興G:2011/07/27(水) 18:54:55
>845:初心者さま

合掌 よきテーマをお与えくださいまして、ありがとうございます。

>祈りは乙女の仕草だという観念

 ──「乙女の祈り」というピアノ曲が思い浮かびました(笑)。

 考えてみれば、たしかに「祈り」は「内向き」「受動的」で、「力づくの活動」は「外向き」「能動的」だと言えますから、「祈りは乙女の仕草」だという観念は、外れてはいないかも知れませんね。

 しかし、私はこう思います。

「力づくの活動」は、内から突き上げる思いがあるから、パワーが湧き出て、それが出来る。

 その「内から突き上げる思い」は、一種の「祈り」であると言うことが出来る。「祈り」は「生宣り」、すなわち生命のそこから湧き出るコトバ、思いであると言われますからね。

 祈りと行動は、別々のものではなく、一つなのではないでしょうか。私においてはそうなのですが、初心者さまは

 「祈りにたいする嫌悪感は、確固とした体験がベースになっております」

 とおっしゃっているのは、どういう体験なのでしょうか。お伺いしたいと思います。

847初心者:2011/07/27(水) 22:58:59
復興G様

わたくしの気持ちを理解していただいてありがとうございます。

>祈りと行動は、別々のものではなく、一つなのではないでしょうか。私においてはそうなのですが、初心者さまは

わたくしは、いまだ祈りとは何かということがわかっておらないのだと思います。
「祈る」というと、どうしても教会のチャペルにひざまずく乙女の姿を連想してしまいます。

自分のなかからこみあげてくる思いはもちろんありますが、これが祈りだと感じたことは、
残念ながらありません。こみあげてくる思いと教会の乙女の姿とは、どうしてもむすび
つかない。固定観念というものなのでありましょうか。祈るという姿に、抵抗を禁じえない
でおります。

>「祈りにたいする嫌悪感は、確固とした体験がベースになっております」
とおっしゃっているのは、どういう体験なのでしょうか。お伺いしたいと思います。

体験とは青年会での活動です。わたくしは、活動のなかで、とにかく成果をあげる
ということを考えておりました。目標を立ててそれを実現する。これを当然のことと
考えておりました。

ところが実際に活動をしてみると、最初に戸惑ったのが、女子青年が非協力的だと
いうことであったのです。こちらが計画を立てて示しても、相手にしてもらえないのです。
計画そのものに興味を示そうともしません。

それでも、地元の単位青年会の女子青年は協力的でした。わたくしがどんなにわがままを
いっても、じっと堪えて協力してくれました。しかし、教区単位の活動となると、単位青年会
の女子青年は出てきません。教区の女子青年を相手にしなくてはならなくなります。

ここで協力をとりつけることができなくなってしまうのであります。どうして協力してもらえ
ないのか。その理由がやがてあきらかとなりました。祈ること。これが理由であったのです。

「祈ればいい」。こんな言葉をなんども聞かされました。具体的な計画を立てる必要もない。
祈ってさえいればことは実現する。教区の女子青年は、こうした考え方に基づいて行動して
いるようでありました。

男はこういうやり方には満足できません。計画を立ててそれを実現する。それが男の
よろこびなのであります。祈って実現させる。そんなやり方など、とうてい受け入れら
れぬ。それが男子青年すべての考え方であったと思います。

相手の考え方を受け入れられないのは、女子青年もおなじでありました。男子青年の
やり方は受け入れられない。それが彼女たちの考え方であったのでありましょう。

反目がつづきました。わたくしは、祈るということが嫌いになりました。だんじて祈りは
せぬ。そうなのです。わたくしは、だんじて祈りたくはないのです。

848復興G:2011/07/28(木) 20:26:26
>847 :初心者様

 実は私も、最初から祈りが好きだったわけではありません。
 私もかつて、高校2年生の終わり頃まで、目に見えるものだけが信じられるものであって、目に見えない神とか仏とかを信じて祈る人というのは少し頭の足りない人だろう、あるいはもう棺桶に片足つっこみかけたような年寄りが、「死んでも命がありますように」と、溺れる者が藁をもつかむような気持ちで祈るなんて、「死んだら命はないに決まっているのに、ばかばかしい」ぐらいに思って、信仰心を持つ人を軽蔑する思いをもっていました。
 ところがある日突然、天地がひっくり返るような、観の転換が起こったのです。見えるものは夢まぼろしのように、本当にあるものではなく、むしろ目に見えないもの、生命的・霊的なものこそが実在するのではないかと。
 そして、本当の「祈り」というのは外なる何ものかに泣きつくことではなく、内なる生命の声を聴くことだ、ということを谷口雅春先生から学びました。
 ところが、「神想観をせよ。理屈で、頭で考えたってだめだ、神想観しなければ生長の家じゃない、神想観しなければ救われない」などと言われると、私は猛反発しました。「それじゃ、谷口雅春先生が生長の家を創始されるまでの人たちは救われることが出来なかったのか? 神とは、そんな不完全なものしか作れなかったのか」と。
 だから、私も神想観は嫌いで、苦手でした。「生長の家は“ねばならぬ”という束縛から人間を解放する」と言いながら“神想観はせねばならぬ”というのは矛盾している、と思いました。
 『生命の實相』は第1巻から第8巻までが特に基本真理が説かれていて重要だと言われますが、私にとって一番コミットするのは第7巻「生活篇」で、その他の巻は退屈でした。「生活篇」を読んで心を躍らせ、がんばっていました。
 それでも、私は初心者さまのように“だんじて祈りはせぬ”という思いを貫く根性がなくて、ある時から、教化部で行われている早朝神想観の集いに毎朝参加するようになりました。
 それは、榎本恵吾先生に出会ったことが大きなきっかけでした──。

(このつづき、後ほどにさせてください。)

849「訊け」管理人:2011/07/28(木) 21:32:53

>復興Gさま

 うわー、つづきが早く読みたいです。元・無神論者の私も、貴殿と
同じようなことを考えておりました(笑)
 ああそんな中で復興Gさまが、どんな風なきっかけで神想観を・・・?
今後の展開が楽しみです。

850初心者:2011/07/28(木) 21:54:22
復興G様も、わたくしと似たような体験をしておられたのですね。

851復興G:2011/07/29(金) 17:05:43
>849 :「訊け」管理人様
>850 :初心者様
遅くなりました。

 私も青年会活動に挺身して光明実践委員になり、常に「神想観をしなければだめだ」と言われ続けていましたが、それは苦手でした。

 ところが榎本恵吾先生に出会って──榎本先生は、
 「神想観してから生まれてきたんじゃない。神想観しても、しなくても、そのままで円満完全なのが人間だ。神を信じる必要はない。神の方でこちらを信じていてくれるだけで十分だ。ただ喜べばいいんだ」

 とコトバの力で“ねばならぬ”という束縛から私を解放してくれました。それで楽になって、うれしくなって早朝神想観の集いに通うようになったんです。

 東京で原宿本部の早朝行事に約5年通い、その後地方の教化部道場の早朝行事に約20年間、毎朝通って神想観をしました。それでいつの間にか、「神想観苦手意識」は解消していましたが、「神想観大好き」とまではなかなかいきませんでした。
 その間、いろいろな神想観を習いました。「基本的神想観」「浄円月観」「如意宝珠観」「蓮華日宝王地観」等々……その中で、最後まで一番苦手だったのは、「基本的神想観」でした。基本的神想観ではいちばん雑念が起きやすく、教えられてるような精神集中ができないのです。

 私は今思えば、青年時代、初心者さまと似てたかもしれません。青年会活動のなかで、とにかく成果をあげるということを考えてがんばってました。目標を立ててそれを実現することばかり考えてたら、いつのまにか闘争的になり、うまくいったら自分の手柄とし、うまくいかなかったら他人のせいにして、つっかかってました。それでとげとげしい雰囲気になっていたようです。

 これではいけない、と気がついたとき、「浄円月観」を習ったので特にそれを、本気でやりました。まん円いお月様のような、やわらかくあたたかく浄らかで美しい雰囲気が自分をとりまき、後光のようなオーラとなって自分から発している、という有様をじーっと心に描き見つめる。その「浄円月観」の神想観をしばらく続けていたら、ひとから言われるようになったんです──「○さんの雰囲気はすばらしく輝いて来た」と。
 で、神想観というのは効き目があるもんだ、とうれしくなり、その祈りを、勤めていた会社で自分が作る作品に応用し始めました。「神の無限の愛わが作品に流れ入りて愛の霊光燦然と輝き給う。これに浄円月の雰囲気ただよう。・・・・これを使ってくださるすべての人々に平和と喜びを与え、すべての人々の罪を赦し、すべての人々を愛するのである」と念じて制作に打ち込んだら、私の作品が喜ばれて爆発的に売れるようになった、ということが起きました。それでまず、「浄円月観」の神想観は好きになりました。
(つづく)

852初心者:2011/07/29(金) 17:47:20
復興G様、ありがとうございます

復興G様の「浄円月観」のご体験は、わたくしにも十分に納得ができるものであります。
どうやらわたくしにも試練のときがまいったようでございます。
試練を乗り切るために、すぐさま神想観というわけにはまいりませんが、復興G様のご体験に
ならって、わたくしなりの方法を編み出してみることにいたします。

853復興G:2011/07/30(土) 11:44:40
>852 :初心者様
 レスをいただき、ありがとうございます。

 さて、私はまず「浄円月観」の神想観は、その成果に味をしめて好きになりましたが、前述したように、最後まで一番苦手だったのは、「基本的神想観」でした。

 基本的神想観は、どうも面白くない。いちばん雑念が起きやすく、言われてるような集中ができないのです。
 で、「基本的神想観」は面白くないと思ってたのですが、最近やっと面白くなってきました。
 それも、榎本恵吾先生のおかげです。

 榎本先生が昇天されてから、恵吾先生の書き遺されたものや講話のDVDなどをくりかえし拝読・拝聴していましたら、あるときフト気がついたんです。

 「自分が、自分が」と戦ってた「自分」は本来無かったんだ。空っぽだったんだ。空っぽだとわかったら、自由自在。自分の中にすべてがあり、すべての中に自分があった、と気がつきました。

 榎本先生は、こうおっしゃってました。

 ──────────

 神の国とは、すべてが完全に満ち足りているということであります。一つでも足りないということのないものであります。そして「神の国は汝らの内にあり」とは、既にあるから、これから外を探さなくともよいということであります。この「外」にあたるのが、たとえ「修行」ということであっても、神の国は既にわが「内にのみ」あるのですから、修行するというような、ある時間の経過という未来なる「外」に求める必要はないということであります。
 またこのことは、天地万物が吾が内なる神の国より発していること、湧出していることを意味しているのであります。
 神の国がわが内にあるかぎり、すべてのものはわが内より展開し生れ出でたものであります。山も川も草も木も空も海も、日本も天皇も、谷口雅春先生も、生長の家も住吉大神も、天照大御神も、すべてはわが内なる神の国から出でまし給うたのであります。これは、天地は失せても崩れることのない真理であります。ここに天地万物の一体、即ち大調和のすがたがあるのであります。また、天地万物がわが内なる神の展開し給うたものであるということは、神が出でまし顕われ給うているのでありますから、天地一切は大和解そのものであるということであります。感謝、和解、大調和は今此処にあり、であります。
「招神歌(かみよびうた)」の中の「元津(もとつ)みたまゆ幸(さき)はえ給え」というお言葉は、人格的に神をよびたい我々人間の本性的なものにこたえて下さる神への歌でありますが、もう一つ「元津みたま」とは神のいのちであり、その神そのものは内にましますのであります。それ故「元津みたまゆ幸はえ給え」とは、わが内なる神と神の国にある「元津みたま」をすべてに向って「幸はえ給え」ということであります。つまり、自分は元津みたまを「分け与えられる」方ではなく、内なる神とともに、元津みたまを「わけ与える」存在であることの宣言なのであります。そして神と、ひとつの神が広がっているその広がりを、天地宇宙というのでありますから、このさまを四首目の「天地の祖神の道」と表現されているのであります。「道は宇宙にみちて欠けざるが故に道という」と『甘露の法雨』にあります。われと神と一つなる生命が全宇宙となってひろがり、全宇宙をなして満ち満ちているのであります。この全宇宙を「生長の家」というのであります。生長の家とは、天地万物を生み出し生長発展させる原理であり、その原理はわが内なる神の国にあるのであります。わが生命は、「生長の家」をなして存在しているのであります。それはまた絶えず外へ外へと拡がり生長する生命なのであります。
 (榎本恵吾先生著『研修のヒント』より抜粋)

 ──────────

 ──『招神歌で「元津みたまゆ幸はえ給え」と祈るのは、もらうんじゃなくて与えるんだ。──
(つづく)

854復興G:2011/07/31(日) 07:03:00

 前にも言いましたように、榎本先生が昇天されてから、恵吾先生の書き遺されたものや講話のDVDなどをくりかえし拝読・拝聴していましたら、あるときフト気がついた──

 自分が、まだ現象にとらわれて「自分が、自分が」と戦ってた「自分」は本来無かったんだ。空っぽだったんだ。空っぽだとわかったら、自由自在。自分の中にすべてがあり、すべての中に自分があった。すべてが自分だったんだ──と、ふと気がついたんです。

 そのとき、榎本先生がおっしゃってる
<「招神歌」の中の「元津みたまゆ幸はえ給え」というお言葉は、わが内なる神と神の国にある「元津みたま」をすべてに向って「幸はえ給え」ということであります。>

 そのことを思い出し、そうだ! それを実修し始めました。「元津みたまを、生きとし生けるすべてのものに幸はえ給え」という思いで招神歌を唱えるようにしたんです。

 そして、前にも言いましたように、基本的神想観で念ずるときにも、まず身近な妻を思い浮かべて
 「神の無限の生かす力、○○(妻)のうちに流れ入る・・・・満たされている、生かされている・・・・もはや○○は自分の力で生きているのではない。神のいのちがここにありて生き給うている。○○は神にまします」というように念ずることができるようになったとき、以前よりも格段に神想観が面白く楽しくなって、基本的神想観も大好きになってきた。そして夫婦円満大調和になり、万事がスムースに展開するようになってきたんです。

 ここまでは自分だけのことなんですが、これから、別スレッドの「トーキングスティックボード」から触発された思いを書きます。

 前記、榎本先生が言われている、

 「神の国がわが内にあるかぎり、すべてのものはわが内より展開し生れ出でたものであります。山も川も草も木も空も海も、日本も天皇も、谷口雅春先生も、生長の家も住吉大神も、天照大御神も、すべてはわが内なる神の国から出でまし給うたのであります。これは、天地は失せても崩れることのない真理であります。」

 これは実にすごい言葉であります。

(つづく)

855復興G:2011/07/31(日) 20:30:54 ID:Ir7svY6w

 「トーキングスティックボード」から触発された思いを書きます、と<854>に書きましたが、スレッド3の方で、義春様・初心者様がボードの書き込みについての投稿文(140・142)を読んで、本当に感動しました。

 義春さんのおっしゃる「一切者の自覚」というのは、前述 榎本恵吾先生のおっしゃる

 「すべてのものはわが内より展開し生れ出でたものであります。山も川も草も木も空も海も、日本も天皇も、谷口雅春先生も、生長の家も住吉大神も、天照大御神も、すべてはわが内なる神の国から出でまし給うたのであります。」

 という自覚が、その究極でありましょう。

 榎本先生は、
「これは、天地は失せても崩れることのない真理であります。」
 と強く断言されているんです。
 それで、私も目覚めたんです。

 常にこの自覚を持ち続けたい、というのが私の今の最大の思いなのであります。

856「訊け」管理人:2011/08/01(月) 08:26:12 ID:D0Kb5yw.
>復興Gさま

──『招神歌で「元津みたまゆ幸はえ給え」と祈るのは、もらうんじゃなく
て与えるんだ。──

 ああ『弟子像』拝読しているからでありましょうか、上記引用の貴殿御文章
でありますが、なにか「ピタッ」と来ました。ありがとうございます。
 お陰で、と申しますか今朝の神想観ですが・・・ああ素晴らしいものになり
ました。無論、「識ったから素晴らしくなった」わけではありませんが、
本来の素晴らしさを五官で認知できました。これは良い体験でした。

 今から営業会議です。全出席者に「さきはえ」するつもりで臨みます。
誠に誠にありがとうございます。

追伸

 本日は営業会議後、『弟子像』を拝読しようと思っております。そして
本日の拝読予定章でありますが「山口先生」の章、ここへ進みます。私は
同先生を全く存じ上げないのですけど、榎本先生が、どのような観察をどの
ように描かれるのか・・・今から楽しみです。

857初心者:2011/08/01(月) 13:14:26 ID:4IaAZAME
ブログ管理人殿

山口先生とはどなたですか?
わたくし、山口県、松陰道場の山口先生には大変によくしていただきました。
おなじ山口先生なのでしょうか。
松陰道場の山口先生のことは、一生涯忘れることができないと思います。

858初心者:2011/08/01(月) 13:35:24 ID:4IaAZAME
ブログ管理人殿

どうやらわたくしの記憶違いのようであります。
あの先生は、H先生であられました。
なんともお恥ずかしいかぎりであります。
この件は忘れてくださいませ。

859「訊け」管理人:2011/08/01(月) 14:56:07 ID:UodBcqiE
(このスレでよいのやら、と迷いながらの投稿です)

> 伝 統 さ ま

 す、す、す、杉本中佐の御名ですが、雅春先生の本に
載っていたということ!でありますか!?

●天皇獨在 (生長の家本流宣言掲示板)
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&amp;mode=res&amp;log=727

 いやー、この童子さまのご投稿ですが、素晴らしいですね。特に
『天皇信仰(二)』ですが、「そうそうそう!そうなのだ!」と声を
あげております。これ、皆で声高らかに音読したいものですね。

 いつも良質の御投稿をありがとうございます。貴殿なかりせばかの掲示板
・・・(中略)・・・「日本化するとは實相化すること」である。うんうん。

860初心者:2011/08/04(木) 09:57:10 ID:4IaAZAME
復興G様

返信が遅れて申し訳ありません。
じつは、復興G様のお考えを理解しかねておるのであります。
スパッと入ってこない。そんな感覚なのであります。

>「神の国がわが内にあるかぎり、すべてのものはわが内より展開し生れ出でたものであります。山も川も草も木も空も海も、日本も天皇も、谷口雅春先生も、生長の家も住吉大神も、天照大御神も、すべてはわが内なる神の国から出でまし給うたのであります。これは、天地は失せても崩れることのない真理であります。」

復興G様のいっておられる祈りとは、自分のなかにあるものが表に出ようとする際の衝動のようなものだということになるのでありましょうか。そうした衝動が言葉や想念の形をとったとき、それが祈りになるということなのでしょうか。

もしそうであったとしても、これを「祈り」という言葉で表現する理由は何なのでありましょう。「命の宣りごと」という言葉があります。内なる衝動を「命の宣りごと」と考えることはもちろん可能であると思いますが、無理にこのように考えずとも、衝動は衝動として受け止めてよいのではないかとわたくしは考えます。衝動を「祈り」という言葉に置き換えているとするなら、それはいったいなぜなのでありましょう。

861復興G:2011/08/04(木) 10:44:01 ID:Ir7svY6w

>860 :初心者様

 私は、初心者様のおっしゃっている「ドリーミング」というのも、一種の深い「祈り」であろうかと思っています。まだ充分理解できたわけではありませんが──。

 今日はこれから出かけなければならない予定がありますので、くわしくはまた夜以後に……。

862復興G:2011/08/05(金) 05:31:54 ID:Ir7svY6w

>860 :初心者様
>祈りとは、自分のなかにあるものが表に出ようとする際の衝動のようなものだということになるのでありましょうか。そうした衝動が言葉や想念の形をとったとき、それが祈りになるということなのでしょうか。
もしそうであったとしても、これを「祈り」という言葉で表現する理由は何なのでありましょう。「命の宣りごと」という言葉があります。内なる衝動を「命の宣りごと」と考えることはもちろん可能であると思いますが、無理にこのように考えずとも、衝動は衝動として受け止めてよいのではないかとわたくしは考えます。衝動を「祈り」という言葉に置き換えているとするなら、それはいったいなぜなのでありましょう。<

 ──「衝動」には性的衝動もあれば、「衝動買い」なんていうのもありますね。性的衝動や衝動買いが「祈り」であるとは言えないでしょう。

 では、「祈り」とは何か。

 「祈り」とは、個我を超えた大いなるものに帰命しようとする思いを述べる言葉、と言えるのではないでしょうか。
それは、魂の深いところから湧き出てくる衝動の一種とは言えるでしょうが、衝動のすべてが祈りであるとは言えないでしょう。

 それで、『初心者様のおっしゃっている「ドリーミング」というのも、一種の深い「祈り」であろうかと思っています』と申し上げたのであります。

>「神の国がわが内にあるかぎり、すべてのものはわが内より展開し生れ出でたものであります。山も川も草も木も空も海も、日本も天皇も、谷口雅春先生も、生長の家も住吉大神も、天照大御神も、すべてはわが内なる神の国から出でまし給うたのであります。これは、天地は失せても崩れることのない真理であります。」(榎本恵吾講師)

 これは、極めて深い祈りから出てきた言葉だと、私は思います。

863初心者:2011/08/05(金) 09:31:12 ID:4IaAZAME
復興G様

>「祈り」とは、個我を超えた大いなるものに帰命しようとする思いを述べる言葉、と言えるのではないでしょうか。
それは、魂の深いところから湧き出てくる衝動の一種とは言えるでしょうが、衝動のすべてが祈りであるとは言えないでしょう。

なんとなくわかるような気がいたします。人間はおそらく、心の奥深くに、これだけは
表現したいという思いを持っているはずなのですね。芸術家はそれを、絵画や音楽として
表現しますね。この意味で、絵画や音楽は、芸術家の「祈り」が形となったものと考えること
ができそうであります。

心のやさしい人であれば、苦しんでいる人を見たときに、「楽になって欲しい」という思いを
起こすはずですよね。この思いが「祈り」となりますね。復興G様がおっしゃっておられます
ように、すべてが自分から出たものだとすれば、苦しんでいる人も自分から出たということに
なりますね。そこから悲しむという思いが出てきますね。この悲しみから、楽になって欲しい
という願いが出てきますね。これらすべてのものが自分から出たということになります。

すべては自分から出たものだ。だからすべての物事にたいして責任を持つ。これが「祈り」と
いうことなのでありましょうか。

864復興G:2011/08/05(金) 14:27:10 ID:Ir7svY6w
>863 :初心者様

まさに、そういうことだと思います。

そしてさらに、「苦しんでいる人も、悲しんでいる人も、本当は神の無限の愛に包まれているんだから、安心してお任せなさい。苦しみも悲しみも本来ナイ世界に、あなたはすでに救われているんですよ。よろこんでいいのですよ」と、実相を礼拝し祝福してあげる、というのが最高の愛語になるのではないか──榎本先生はいつもそうしておられたように思います。私もそれに続きたい、と思っています。

865初心者:2011/08/05(金) 14:36:25 ID:4IaAZAME
復興G様

ありがとうございます。「祈り」にたいする抵抗感がやわらぎました。
復興G様がいっておられるように、ドリーミングはまさしく「祈り」であります。
ことさらに祈ろうとせずとも、そのままで祈っている。
これでよいのだと思います。

866復興G:2011/08/06(土) 05:17:54 ID:Ir7svY6w

>863 :初心者様
>すべては自分から出たものだ。だからすべての物事にたいして責任を持つ。これが「祈り」ということなのでありましょうか。

に対して、「まさに、そういうことだと思います。」と
864でお答えしましたが、一晩寝ている間に、榎本恵吾先生が夢に出てこられて、

「<すべては自分から出たものだ>という自分はないんだ。すべては神から出たものなんだ。だから、すべては神の責任なんだ、と神に責任を転嫁して神にすべてをあずけてしまうのが祈りなんじゃないの!」

 とおっしゃられたような気がしました。そうだったんですね。
「すべては神から出たもの。だからすべては神の責任」
だったんですね!

 それが、「わが生くるはわが力ならず」「わがわざはわが為すにあらず」という招神歌になっていたんですね。

867復興G:2011/08/06(土) 19:46:37 ID:Ir7svY6w

<補足>
上記「神に責任を転嫁して」というのはちょっと誤解を招きそうな言葉でした。

その意味はもちろん、「神が不完全な現象を作ったんだからその責任をとれ」と神を責める気持ちではなく、谷口雅春先生がご著書『神癒への道』に書かれているように、

「み業は神が為したまうのである。……吾々のなすべきことは、一切の『力み』を捨て去り、自己の欲する姿を今既にありと心に描いて神に提供する以外のことは一切せず、完全に神に全托することである。」

と、自己放棄する。そうすると神は完全だから神の完全さが顕れてすべては癒やされる、ということですね。

868初心者:2011/08/06(土) 21:56:31 ID:4IaAZAME
復興G様、ありがとうございます。

自分というものはない。ただ神のみがある。だとすれば、自分と見えているものは、
神だということになりますね。

869八百比丘尼:2011/08/11(木) 23:37:48 ID:vfQXyn92

久しぶりに、故郷へ帰ろうと思って、駅に来てみたら、
もう、切符が取れなかった。
おお、この列車はまだ席が空いておる。ずいぶん前からここに停まっていた
ようだが、急ぐ旅ではないゆえに、これにてゆるりと参ろうか。

何百年ぶりかの里帰り。
鈴夜も幼馴染みと会うのが、楽しみじゃろうて。

ところでこの列車、銀河鉄道?
車掌「いいえ、妖怪列車でございます。」


   ーー鈴夜 旧友ケルベロスと酒を酌み交わすーー居酒屋『暖手』にて

このごろ景気どうや。 ぼちぼち・・・。ま、あんまり繁盛せん方がええわな。
あ、オレはまたたび酒のソーダ割り。お前は?
ソルティドッグ、塩多めで。
相変わらず無口な奴っちゃな。
『不器用ですから。』って健さんかい。
ま、飲めや・・・・。お前んとこのハーデスさん、恐いか?
うちのオニババほどやないか。

ん?静か〜に飲んでる思たら、泣きながら笑うてるで。
笑いながら怒るのは竹中直人やけど・・・・。
あ、そや こいつ三重人(犬)格やった。頭が三つあんねん。
こら、じゃれるな、顔舐めるな。
え、次はクラブ『ベアトリーチェ』行くて? あかん、あそこは高い。

二人(匹)連れ立って、めいど筋(御堂筋ではない)のネオン街へと
消えて行った。

870八百比丘尼:2011/08/14(日) 22:01:04 ID:vfQXyn92

--不条理落語ーー
           ☆注意。
            言葉の意味を深く追究しないで下さい。
            作者にも理解不能です。
            さ〜っぱり分かりまへん。

 蒸し暑い日の続く、とある昼下がり。
小料理屋『八百禅』の女将は少々バテ気味。

「ああ、もう毎晩暑うて寝られへんわ。どないしたらええんやろ。」

その時、外から物売りの声。

「え〜、夢どないだす。新作入ってまっせ。夏向きの涼しいやつ
どないだす〜。」

「あら、夢売りや。ちょっと、お鈴、表出て引き止めといて。」

「おじちゃん、ちょっと待って。あれ?ケンタッキーのおじちゃんちゃうの。」

「いえいえ、似てはおりますが、私は風呂糸屋という夢売りでございます。
可愛らしいお嬢ちゃんやな。なんにしまひょ。
涼しなる夢がよろしか。色々新作ありまっせ。
しかし、子供にはあんまり怖いのはあかんな。
夢には、映倫のように【検閲】のチェックがありまんねん。」

なんかムカッとする言葉が入ってましたな。

「おや?おやおや、これは私のリビドーのせいやろか。
この可愛らしい女の子が、猫に見えるというのは・・・・・。」

「ちょっと待っとくんなはれ〜。風呂糸屋のお師匠っはん。
それは、シュレーディンガーの猫でんがな〜。」

「あ、羅漢くんやないか。何やて?シュレーディンガーの猫やてかいな。
そうか!(ポン)」

???お鈴、大混乱中・・・・・・

「お師匠っはん、それはシニフィアンとシニフィエでございますよ。」

「あのう、そういう名前のパン屋やったら、この道ず〜っと行って
右にトンと折れて、バ〜ッと行った先にありますけど・・・・。」

『人はパンのみにて生きるにあらず。』

え?今,上の方から何か声、聞こえたような・・・・・・。

              この続きは、またあとで。

871八百比丘尼:2011/08/14(日) 23:10:42 ID:vfQXyn92

 自転車に乗った、紙芝居屋がやって参りました。

「おうっ、お鈴ちゃん。新しい紙芝居できたで。見るか?」

「誰や?あの男。」

「誰や、ではございません。私はダリや。今回の絵は、力作でっせ。」

「おじちゃん、水あめちょうだい。」

「あ〜、水あめなあ。実を言うとあれな、ワシの自慢のヒゲを整えるために
使うてるんや。その残りでよかったら、やらんでもない。」

「汚い奴っちゃな。夜になったらカブト虫やクワガタが樹液と間違えて
止まりよんで。  わっ!何や、そのけったいな絵。
炎天下で飴が溶けたような時計が描いてあんで。」
  (ちなみに、チュパチャプスのデザインもダリよ。)

「何を言うか。これは、わが愛するガラが、あんた天才や!言うて
大絶賛したという・・・・・。」

「ああ、ラーメンのダシ取るやつ。」

「ぶ、ぶ、無礼者!!ガラスープではないわ。
うちの女神(ミューズ)に対して何という侮辱。
こうなったら、天王寺動物園に行って、キリン燃やしたるぅ!」

いやはや、大変な騒ぎ。
          このつづきは、また明日
                  おやすみなさい。

872初心者:2011/08/14(日) 23:54:39 ID:4IaAZAME
なんか、シニフィアンとシニフィエが妙に結合しているような、
真っ赤な白が黄色く光っているような、摩訶不思議な世界でおますなあ。

873トキ:2011/08/15(月) 10:48:55 ID:VOAtNldA
八百比丘尼様

 おはようございます。不思議な光景ですね。続きが楽しみです。
ぜひ、ご投稿をお願いします。

合掌 ありがとうございます

874八百比丘尼:2011/08/15(月) 12:00:36 ID:vfQXyn92

 さて、通りの向こうからリヤカーを引いた男が、とぼとぼとやって来ました。
リヤカーの上には、檻に入れられた仔猿が1匹。
猿回しの猿取(サルトル)という男でございます。

「あ〜、この暑さで商売にならんわ。だぁれも見にけぇへん。
どないだす、皆さん、ひとつ私の新しい出し物、見てくれませんか。」

「何や、可哀そうに、狭い檻の中で小さい猿が悲しそうにしてるで。
おまえ、この猿どっから取ってきてん?」

「取ってきたなどと人聞きの悪い。これなる仔猿は、箕面の山より迷い出て、
我が家の屋根に坐っていたもの。私めが保護をして、こうして育てている
というわけで。」

「見てみい。親が恋しゅうて鳴いてるやないかい。」

「ま、ま、そういわんと・・・これは新しい脚本でしてな、
この檻、見とくんなはれ。な、頑丈でっしゃろ。
題名が『出口なし』いいまんねん。そしてこの吹き出し、
『地獄とは他人のことや』と、こう書いてある。自信作ですねん。
あ、お嬢ちゃん 意味わかる?無理やろなあ、子供では・・・。」

お鈴、おもむろにポケットから1冊の本を取り出しまして、パラパラと
めくりますと、仔猿に向かって読んでやります。
『地上に天国浄土を成就するための祈り』(続・真理の吟唱より)

キーキー鳴いておった仔猿が、じっと目を閉じて聞いております。
そうして聞き終わると、きちんと坐って深深とお辞儀をいたしました。

  物語は、いよいよ佳境に入って参りました。
                    つづきます。

875八百比丘尼:2011/08/15(月) 14:42:30 ID:vfQXyn92

「わあ!えらいこっちゃ。このお嬢ちゃん、ただ者やないで。
そんな大そうな本、どこで手に入れたんや?」

「近所のキケちゃん ゆうお友だちがくれはった。」

猿回しのサルトル、頭を掻き毟りながら
「どないしよ、どないしよ。私のレーゾンデートルが・・・・・・
私の彼女がこう言うんや。
人は貧乏に生まれるのではない、貧乏になるのだ。
なるのだぁ、なるのだぁ、なるのだぁ。あああ、ゲシュタルト崩壊・・・」

「おじちゃん、そない泣かんといて。ほら、これあげるから。」

「おおきに、何や?『無限供給の鍵』と
『富を実現するための祈り。 無限の富者となる祈り。無限供給を得る祈り。』
(注:真理の吟唱より)』
ああ、こらええもんもろた。お礼にこの猿、お嬢ちゃんにあげるわ。」

燃えるキリン、燃えるキリン。と騒いでおった紙芝居屋
お鈴と仔猿を見ると、こう叫びました。

「おお!ミシンとこうもり傘の解剖台上での偶然の出会いのように
美しいやないか。」

サルトル、本の間から1枚の紙切れを発見。

「何やこれ?四無量心を行ずる神想観、新バージョン?」

「あ、あかん。それ読んだらあかん。」

鳩がバタバタと落ちて参りました。

「わっ!熱中症か。は、何?これオリジナルちゃうの。なんたら3世ゆうのが
作ったコピー。なんや、粗悪品か。捨ててもええの。
よし、こうしたる。」

「あっ、そんなことしたらバチあたんでぇ。」

「やかましわい、夢売り屋。バチが恐ろしゅうて太鼓叩けるかい。
鼻かんだる。チーン、(ポイッ)」

《これでいいのだ~、これでいいのだ~。》
どこからともなく元気な歌声が・・・・・

この裏にバカ田大学の寮がありまして、今は夏の強化合宿中。

「よし、私らも参加しよやないか。なあ、羅漢くん、そこの二人も
つれもていこか〜。」

「はいっ!多世界解釈ですね、お師匠っはん。」

一行は、団子状になって果緒巣(カオス)横丁へと消えてゆきました。


「あら、何や 風呂糸屋はん、もういてはらへんの。」

「あ、おかあちゃん。化粧長いなあ。うまいこと化けよったな。」

「憎たらしいこと言うコやな。その猿、どないしてん?
ふうん、そら早いこと本当の親に返したらなあかんな。
この檻、上の蓋開いてるやないの。何が『出口なし』や。
アホやな、その猿回し。」

その時、お空の上から何ともいえん優しい声が聞こえて参りました。

ーーー八方ふさがりの時も 天の方向は、いつも空いておるよ。−−−

二人、顔を見合わせて、つぶやきました。

まさか・・・?まさか、なあ・・・・・・・

                おしまい
  おつき合いいただきまして ありがとうございます。

876初心者:2011/08/17(水) 08:42:19 ID:4IaAZAME
八百比丘尼おねえさまは、美女で妖女だけかと思っておりましたら、すぐれた才女でも
あられたのでありますね。もっともっとお近づきになりたい気分でございます。

とろこでおねえさまは、以前、白鳩の活動でそうとうに苦しい精神状態に追い込まれた
ということを述べておられましたが、八百比丘尼おねえさまほどの知性の持ち主が、
どうしてそのような状況にまで追い込まれなければならなかったのかということが、
今ひとつ釈然とはしないのであります。

向こうは、1対1ではかなわぬと見て、数をたのみに集団で、八百比丘尼おねえさまに
精神的な圧力をかけ続けたようとしておったみたいでありますね。数をたのみとする
女社会の怖さは、いたるところで耳にいたします。白鳩会にもそうした傾向がないわけ
ではないということのようですね。

わたくしが青年会の活動をしておったころは、全体的にのんびりしておりまして、白鳩の
みなさまにも精神的な余裕があり、ずいぶんと助けていただくことができましたが、今は
そのような状況ではなくなってきているのでありましょうね。
八百比丘尼おねえさまほどの才女様が精神的に追い込まれてしまったと知り、事態の深刻さ
を実感いたすことができたように思います。


鈴夜ちゃんは、シュレーディンガーの猫にされてしまったんかいな。
えらい災難でおましたな。
生きたままあの世に送られた気分は、どないやった?

猫に聞いてもわからんというので、「ウィグナーの友人」を箱のなかに入れてみようと
いう話が持ち上がったことがあったようやけど、いくらなんでもそれは人権上の問題が
あるというので見送られてしもうた。
鈴夜ちゃんやったら、人権の問題は考えんでもすむから、箱のなかに入れとみようという
ことになって、ホンマに入れられてしもうたんやな。

生きて帰れたゆうことは、箱のなかで何があったかを知っとるゆうことやな。
こんど、わてにだけ、こっそりと教えてくれへんか。

877八百比丘尼:2011/08/17(水) 12:17:04 ID:vfQXyn92

 前に つまらぬ愚痴を書いてしまったばっかりに、
善良な白鳩さん達に対して、申し訳ないことをしました。
みなさん、本当にやさしくて善い人ばかりでした。
まあ、私よりも友人の方が、一番苦しんでいました。

雅春先生の御教えが歪められ、次々に聖典が絶版になる。
彼女は教区で、死に物狂いで闘っておりましたよ。

でもね、善良な白鳩さん達は、上から言われることを、みぃ〜んな信じて
しまうのです。
総裁先生の言われることは、雅春先生のおっしゃっていたことと同じですよ。
と言われると、皆いっせいに頷くのです。
私は、腹黒い人間ですから、事を荒立てないようにニコニコしながら
合わせていましたけれど・・・・・
いつの頃からか、耳元で囁く声が聴こえてきたのです。
『このペテン師、詐欺師、嘘つき女め。誌友会に出講してよくもまあ、
心にもないことをペラペラとしゃべれるもんだな。』

あ〜、もう無理、だめだこりゃ。というわけで出て来ちゃったの。

【適当!】 これが、我が家の家訓であります。
バカボンのパパ風に言えば
【これでいいのだ。】の境地に達すること。
でも、これはなかなか大変なことですよね。



      鈴夜 物理はいつも赤点

< しゅれーでんがなの猫?
  コペンハーゲン解釈? ハーゲンダッツの新しいアイスか?
  エヴェレット解釈?そこは、まだ登ったことはない。(エベレスト?)

  自慢じゃないが、オレはバカ田大学では
  バカボンのパパの次に優秀だったのだ。 ニャロメ。 >

878初心者:2011/08/17(水) 12:26:19 ID:4IaAZAME
「これでいいのだ」

悟りの極致ではありませぬか。

ところで八百比丘尼おねえさまは、誌友会に出講なされたおりには、
シュレーディンガーの猫であるとか、エヴェレットがどうしたこうした
だとか、こんなことばかりしゃべっておられたのでありますか?

参加されたみなさまが茫然とされているなかで、
「これでいいのだ」と無敵のほほえみ。
そんなお姿が思い浮かんでまいりますです。

879初心者:2011/08/17(水) 12:27:15 ID:4IaAZAME
一観覧者A様

とりあえず、一観覧者A様にご覧いただいていることを前提に書き進めることに
いたします。
まずは遺伝子についての考察でありますが、わたくしは、それが何であれ、全体から
考えることしかできませんので、全体とのからみで持論を述べることになります。
したがって、遺伝子の細かい仕組みについては、ほとんど何も知らないという立場で
あることをご理解いただきますようお願いいたします。

それと、これから書きますことは、かなりあやふやな知識にもとづいたことばかりです。
専門家ではないので、いたしかたのないところであります。ご容赦のほどを。

情報は思わぬ場所にある。これはひとつの考え方でありますね。その場所がどこであるの
かといえば、宇宙の表面であるということが、ベッケンシュタイン限界から予想されるので
ありますね。

では、宇宙の表面はどこにあるのかといえば、これはわたくしたちが見ている宇宙の表面
ではありませんね。宇宙というのは、遠くに行けば行くほど過去にさかのぼります。見えている
宇宙の表面は、たとえそれが存在したとしても、はるか昔の出来事でしかありません。
したがって、その場所に情報が格納されていたとしても、それは大昔の情報でありますから、
今この瞬間の出来事に役立てることはできないはずであります。

では、情報が格納されているはずの宇宙の表面はどこにあるのか。これが問題になって
くるということでありますね。そこでわたくしがかねてより述べている「実在宇宙」が
出てくるのであります。「実在宇宙」とは、今この瞬間に存在する宇宙。ドリームタイムや
ドリーミングと名づけられる宇宙のことであります。

今この瞬間の情報は、そのすべてが「実在宇宙」に格納されているはずであります。
「実在宇宙」。それはいったいどのような宇宙であると予測されるのでありましょうか。
そのことにつきまして、妄想をまじえて、持論を展開してゆきたいと思います。

880初心者:2011/08/17(水) 12:28:11 ID:4IaAZAME
ここでいきなり、「ホログラム」と呼ばれる光学装置の話になります。ホログラムとは、
立体映像をこしらえる装置でありますね。ホログラムの仕組みについては、わたくしも
よくは存じておりませんが、光のトリックを用いて、あたかもそこに3次元の物体が存在
するかのように見せかける装置であるようです。

ホログラムには写真乾板のようなものが使われます。この乾板に物体の情報を写し取る
のであります。たとえばリンゴの立体映像をつくろうとすれば、乾板にリンゴの情報を写し
取ることになります。で、これがポイントなのですが、その写し取られた情報というのは、
リンゴの形をしていないのでありますね。見たところ、それは複雑な縞模様のようでも
あります。

これがどういうことかといえば、リンゴの情報がぐちゃぐちゃにかきまぜられた状態で
保存されているということなのですね。ぐちゃぐちゃにかきまぜる、ということが何を
意味するのかといえば、コーヒーに角砂糖を入れてかきまぜたところを想像して
いただければよいですね。カップのなかのあらゆる場所に砂糖が存在する。こういう
ことが起きてきますよね。

これとおなじことが乾板のなかで起こります。リンゴの情報がかきまぜられて、乾板上に
まんべんなく散らばるということが起きますね。これが重要なことなのです。

ホログラムの立体映像は、ふつうは乾板にレーザー光線を当てることで再生されます。
乾板にレーザー光線を当てると、何もない空間にリンゴの立体映像が浮かびます。

ここで問題となるのは、乾板を真っ二つに切ったらどうなるのかということです。
結論から言いますと、真っ二つに切ってもリンゴの立体映像が再生されてしまうので
ありますね。さらに半分に切っても、リンゴは再生されます。これがつまり、リンゴの情報が、
乾板上にまんべんなく散らばっているということなのであります。

で、これのなにが重要なのかといえば、部分に全体の情報がふくまれているということ
なのです。部分と全体がイコールだということなのですね。乾板をどんなに小さく切り刻ん
だとしてもリンゴの立体映像が再生できるということは、どんなに小さな破片にも、
リンゴのすべての情報がふくまれているということでありますよね。
これがホログラムの大きな特徴でありますね。

部分のなかに全体がある。これは素晴らしい考え方でありますね。一輪の花にも、宇宙と
等しい情報がふくまれている。こんな宇宙観や世界観を妄想できますね。

「実在宇宙」はホログラムであると妄想してください。部分と全体が等しい世界であると
妄想してください。わたしがあなたであり、あなたがわたしである。これが「実在宇宙」で
ありますよね。

881一観覧者A:2011/08/17(水) 13:25:06 ID:1ElzmLO.
初心者様

知識の無い私にも、分かりやすく説明下さるご配慮、感謝です。

…実在宇宙の存在、
なんだか、やはり私には3本目の遺伝子を連想させます。
表面の情報や過去の情報ではなく、…もっと実在的で今この時に、影響をうけて存在する情報(再生装置?)、というイメージなんですよね。

遺伝子には、宇宙の情報に繋がるとか、なんらかのシステムがあるのかしら…。

部分と全体が等しいとは、論理的には矛盾していても、なんら矛盾のない世界ですね。
…どういう仕組みで、矛盾がないのでしょうね。

…ホログラムのシステムが私にはよく分からないですが、
…この時、部分が全体を知ることが出来るのは、どういうシステムで行われているのでしょうか?


…関係ない話ですが、いかにもモテなさそう醜男が、結婚詐欺で何人も女性を騙したそうです。不思議に思って手口を聞くと、とにかく、何度も女性の名を呼ぶ、そしてひたすら女性の話を聞く…と言ったそうです。
…すみません、なんとなく、思い出したので書きました。私が男なら、試してみたい。

882初心者:2011/08/17(水) 15:50:47 ID:4IaAZAME
一観覧者A

相手が女子青年であれば、わたくしは、モテたい一心で、いかなるサービスもいとわない
のでありますね。
思えば、青年会時代のわたくしは、ひたすらアッシー君であり続けましたね。女子青年を
自宅まで送り届ける。このことに無上のよろこびを感じておりましたですね。
誌友会が終わって帰り支度をしていたら、仕事帰りの美形の女子青年が突如として
あらわれて、「家まで乗せてってくれる?」。
断るはずがありませんでしょう。二つ返事でOKでありますよ。
これが青年会時代の初心者の実態でありましたね。

ところで、ホログラムというのはどのような装置なのでありましょう。
わたくしも、よくはわかりませんが、ふつうの写真ですと、被写体に反射した光を
レンズで集めて、その情報をフィルムや受光素子に残しますよね。

ホログラムはレンズを使いませんですよね。レーザー光線を発射しましてですね、どんな
色のレーザーかは知りませんが、これを2方向にわけるのでありますね。
それで、1方向のレーザーを、たとえばリンゴに当ててですね、もう1方向のレーザーは、
鏡に反射させるだけで、何物にも当てないのであります。

それでこの2方向にわかれたレーザーを、ホログラムの乾板上で合流させるわけで
すね。すると、乾板には、リンゴに当たったレーザー光と、何物にも当らなかったレーザー
光の違いが、干渉縞として記録されるわけですね。

つまり、乾板上の縞模様とは、ふたつの異なる光の干渉によってできた縞模様ということ
ですね。この縞模様が、ふたつの光の「違い」を記録しているわけでありますね。さて、それでですね、この縞模様にもとのレーザー光線を当てるわけです。すると何が起こるのでありましょう。

たとえば、A君とB君がとっくみあいの喧嘩をしていて、そこにA君の双子の兄があらわれて、
A君を引き離す。するとB君だけが残りますね。これとおなじことが起こるのではないかと、
わたくしは想像するのでありますね。

あまりもに単純すぎますが、リンゴに当たったほうの光だけが残って、乾板から出てくるわけ
でありますね。そしてリンゴの映像を空間上につくり出すと、こんなふうに単純なイメージで、
ホログラムの仕組みがわかったようなつもりになっておるのであります(じっさいは、もっと
複雑な仕組みだと思います)。

ふたつのレーザー光の違いは、乾板上のいたるところに記録されていますね。ですから、
乾板を小さく切り刻んだとしても、レーザー光はどの部分にも平等に照射されていますから、
こうした「違い」は、やはり記録されているということになるのでありますね。

部分と全体がおなじというのは、情報の量は、とうぜんのことに全体のほうが多いです
けども、質は変わらないということでありますね。部分には、全体とおなじ質の情報が
あるということなのですね。一輪の花が持っている情報の量は、宇宙全体の量とくらべ
れば少ないといえますが、質的には変わらないはずだということですね。

質的には変わらないはずなのに、ではなぜ姿かたちが異なっているのかといえば、それが
情報の再生の問題になってくるのであります。そこにあるすべての情報が再生されるのでは
なく、おそらくは、一部の情報だけが選択されて再生されるということでありましょうね。

それはつまり、わたくしたちは、無数に存在する情報のなかから、再生すべき情報を選ぶこと
ができるということであるのかもしれませんね。

883初心者:2011/08/17(水) 15:52:29 ID:4IaAZAME
すみません、「様」をつけるのを忘れておりました。
女子青年に、なんという無礼なことをしてしまったのでありましょう。

884初心者:2011/08/17(水) 16:25:33 ID:4IaAZAME
一観覧者A様

さきほどは失礼いたしました。「様」をつけわすれておりました。まるで一観覧者A様が
筆者であるような投稿になっておりました。

さて、いよいよ本題に入ることになります。まずは「実在宇宙」がどのような形をして
いるのかということですね。「実在宇宙」は、ホログラムの乾板でありますから、いうまでも
なく平面です。立体ではなく2次元の平面というのが、「実在宇宙」の姿ということになるの
でありますね。
ベケッンシュタイン限界が、なぜ体積ではなく面積で決まるのかが、これでおわかりいただけ
たことと思います。

それで、ふつうのホログラムですと、乾板にレーザー光線を当てるわけですけども、
「実在宇宙」にレーザー光線は当てられませんね。ですから、違う方法で再生しなければ
ならないのであります。

この場合、どうするかというと、数学的な変換を使うことになるのでありますね。その変換は
アルゴリズムといってよいかと思います。アルゴリズムは、コンピュータのプログラムなどで
使われておりますよね。わたくしはこの方面は弱いので、なにがなにやらサッパリわかりま
せんけども、フーリエ変換とかですね、こうした数学的な変換をおこなうことで、「実在宇宙」
に記録された情報を、立体映像として再生することができると考えられるのであります。

ここで遺伝子の話になります。遺伝子はなにをしているのか。これが問題でありますね。
わたくしの考えでは、遺伝子は、独自のアルゴリズムを駆使して、「実在宇宙「に保存された
情報を立体画像として再生しているのではないかと、こういうことを妄想しているので
あります。

情報を再生するためのアルゴリズムは、遺伝子によって異なっているはずでありますね。
遺伝子が異なれば、駆使するアルゴリズムは違ってきますよね。異なるアルゴリズムで
再生すれば、もとの情報はおなじでも、あらわれてくる画像は、とうぜんのことに違って
くるはずでありますよね。一観覧者A様がいっておられる「3本目の遺伝子」とは、この
アルゴリズムのことであるのかもしれませんね。

この世界で起きていることは、そのすべてが、人それぞれのアルゴリズムによって再生
されたマボロシということがいえそうです。アルゴリズムが変われば、まったく異なった
現象として再生することが可能であるはずです。問題は、アルゴリズムがどのようにして
つくられるのかということですよね。アルゴリズムのつくられ方が心の持ちようと関係して
いるのかといえば、関係するというのが生長の家の考え方ではないでしょうか。

以上のことから何を妄想していただけるか。それが楽しみであります。

886「訊け」管理人:2011/08/17(水) 17:07:24 ID:MPQg3/HY
885は削除ください。
投稿場所を間違いました。

887トキ:2011/08/17(水) 19:32:52 ID:ohgP6Nfk
>>886

了解しました。

888一観覧者A:2011/08/17(水) 20:46:35 ID:1ElzmLO.

初心者様

…ちょっと親しくなりかけた男子に、ある時、苗字から名前で、次第にその名前を呼び捨てされてた時、それがちょっと好意を感じる相手なら、多少ときめきを感じたものです。
…まあそういうこともあるので?お気になさらないで下さいまし。
(まあそれにしても一観覧者Aと呼んでみても色気もなんもないですが)

遺伝子が再生装置とは、そういうことなのですね。
実在宇宙の存在がどういうものなのか、それこそ妄想していますが、
生長の家の、心の映写機のイメージにも共通していますね。
ホログラムの例えが分かりやすかったです。

…ちょっと話が違うかもしれませんが、動物は遺伝子を持っていても、その「再生装置」という機能を持っているとは思えないですね…
また動物が複雑になったものが人間か、といえばそうではないですよね。…脳の進化の観点からはそう言えるのでしょうか?

私はこの「映写機」機能があるのが、人間の遺伝子の秘密のような気がいたします。

これは人間が死者を弔ったり、さらに祖霊崇拝の習慣を持つとか、信仰も、頭脳の違いというより、遺伝子の情報…?の違いのような気がするのですね…。

全く遺伝子の科学的機能を、無視した観点かもしれませんが…
またまた妄想します。

889初心者:2011/08/17(水) 23:21:38 ID:4IaAZAME
一観覧者A様

遺伝子が再生装置ということも考えられますが、再生装置が遺伝子としてあらわれたと
も考えられますよね。

遺伝子というものが最初にあって、それがたまたま再生装置として働くようになった、
というよりも、宇宙には、生命現象を再生する仕組みがあって、それが遺伝子という形と
なってあらわれた、と考えたほうが自然であるのかもしれませんね。

遺伝子を生命現象の再生装置と考えれば、動物にも再生装置としての遺伝子はそなわって
いるということになりますよね。ただ、そうした再生機能が、人としてのあり方にどこまで
かかわっているのかといえば、一観覧A様がいっておられるほどに支配的であるのかどうか、
ということが問題になってきますよね。

遺伝子が生物をどこまで支配しているのか。特に、動物ではなく、人間にたいしてはどうなのか
というのは、重要な問題であるような気がいたします。これまで遺伝子についてあまり考え
たことがなかったので、これからしばし妄想をふくらませてみることにいたしましょう。

ところで話は変わりますが、女性の名前を呼び捨てにするというのは、あこがれでありまし
たが、できませんでしたねえ。呼び捨てにできないから、「あんた」なんていってましたけどね、
色気もなんもあったものではありませんね。

ブサイクな男は女性の名前を呼び捨てにしてはいかん。信念というか、信仰というか、
怖れというか、なにかそういう強い力に縛りつけられているという感じでありました。

結婚している人の場合は、ご主人と区別するために名前を呼びますよね。○○さんとか
○○ちゃんとかいったりしてましたね。でも、未婚の女性にたいしては苗字で呼ぶのが
ふつうでありますから、女子青年は全員、苗字で呼んでおりましたですよね。

後輩の女子青年の場合は、苗字を呼び捨てにするということはありましたが、いくらなんでも
名前を呼び捨てにするなどということは、言語道断の所業にしか思えませんでしたね。

それにしましても、ブサイクな男でも女性にモテる方法があったのでございますね。
ひたすら話を聴く。これはたしかに効きますね。恋愛転移という現象がおきてくることが
ありますね。話を聴いてくれる相手のことが無性に好きになってしまうのでありますね。

わたくしは、これをやったことがあります。ひたすら相手の話ばかりを聴きつづけました。
惚れられてしまいました。いつも、うっとりたしたまなざしでわたくしをながめてくれるように
なりました。

でも、相手は男でした。人生が破壊されました。

「実在宇宙」。それはファンタジーということにしておきましょう。それは、見ることもさわる
こともできない宇宙ですね。ドリームタイムですね。夢の世界ですね。そしてなによりも、
妄想の世界でありますね。

890一観覧者A:2011/08/18(木) 10:43:02 ID:1ElzmLO.
初心者様

あ、考えをまとめて下さりありがとうございます、さすがですね。
生命現象の再生装置、それは動物にも人間にも存在しますよね。

この現実世界に「自分の思いを実現する」能力があるのは、人間だけで、どの部分が違ってこうなるのでしょうね…。
人間は祈り、動物は祈らない、肉体の生命現象以外に、人間の遺伝子は祖先から何を受け継いでいるのでしょうね。
精神や頭脳だけでなく、遺伝子の見地から分かると面白そう、と素人の私は考えます。


人間とチンパンジーの遺伝子は、以前は、99.何%だか同じと言われてましたが、今は83%だか違うと言われてるみたいですね。

決定的にどの部分の要素が違う、というのを、これから科学でどう証明されるのでしょう。

…遺伝子について興味はあっても、妄想ばかりが膨らみ、いけません。
私など、例え生物学や自然科学を学んでも、生命や自然の神秘的な相互作用などに感動や感激ばかりしていて、事実を淡々と研究するなど出来たものではありませんね。

リチャードドーキンスの「利己的な遺伝子」はドラマの中で使わたとき、確か人間の利己心に重ねて挿入されていたようでした。

私には、自然計算力が驚異でした。
ある種の鳥が、集団の中で、子を産むことを選択するメスの個体とそうではない個体がいるので調べると、子を産まない選択をし、他の個体の子育てを手伝った方が、種族全体からすると、その種が長く存続する可能性がある場合にのみ、定期的にそうする個体があらわれることがわかったそうですね。

その計算式とやらがあって、二時間ぐらいひたすら解かされたことがありましたが…こんな計算を鳥の体内では、自然に行われている、という驚異に打たれました。

人間は、自分の利益のため、とか、他を生かす、とは、とか迷いが生じますよね。
しかし、動物は、自分が生き残るため、種族を生かすために迷うことはないし、それをしてなお自然の秩序を破壊するどころか、サイクルの一要素となり他の要素生かしている。その自然計算力に驚異しています。

迷うことも、計算式に従わないことを選択するのも、人間の特権ではありますけれど。

891一観覧者A:2011/08/18(木) 10:51:38 ID:1ElzmLO.
話を聞くというのは、本当にある種の覚悟が必要かもしれないですね。
私にも、何度かの失敗があります。
ドフトエフスキーの罪と罰に被れたりして…
人に対する真の愛情とはどうしたものか分からず、
情が苦悩の出来事にに変わったりしました。

しかし初心者様のような大変ヘビーな経験にはおよびませんね。
…男性をも魅了するのは、やはり初心者様の美貌なのではなかったか…
と、これまた妄想いたします。

892初心者:2011/08/18(木) 13:01:02 ID:4IaAZAME
一観覧者A様

遺伝子にとって人間は乗り物にずきない、という考え方があるように、これまで、遺伝子には
あまりいい印象はもっておりませんでした。勉強しても、どうせロクな結論にはいたるまい、と
いうことで、関心から遠ざけてきました。

でもやはり、真理を追究していく上で、遺伝子の問題は無視できませんよね。人間は遺伝子に
支配されている部分がかならずあるわけだし、その「支配」をカルマと言い換えている可能性
は否定できないかもしれませんね。

それでもわたくしは、遺伝子だけを見ていても、遺伝子のことはわからないと思うので
ありますよね。それが何であれ、全体から考える。これがわたくしのやり方なのであります。
正確にいいますと、全体からしか考えられないのでありますね。

以前、こちらでも書き込みいたしましたが、雅春先生の『無門関解釈』というご著書を読んで
このかた、右脳がだんぜん有利に働くようになりましてですね、左脳は最低限の働きしか
していないのではないか、と思えるのでありますよね。

右脳は演繹的な働きしかできないのでありますよね。演繹的というのは、部分の積み重ねでは
なく、全体から物事を考えるということですよね。こういうことですから、遺伝子につきまし
ても、どうしても、部分からではなく全体から考えるよりほかはないということになってくる
ような気がいたします。結論を申しますと、これは妄想ということになってくるようです。
きっと一観覧者様も右脳優位でらっしゃるのでしょうね。

それと、わたくしも想像するのですが、自然というのは、高度な数式をいとも簡単に計算して
いるのではないかという気がいたします。ぶっちゃけたことを申しますと、わたくしは理系で
ありながら、偏微分方程式で、数学がすっかりいやになってしまいました。講義にも出席せず、
生長の家の活動にばかり熱中しておりましたですね。

こんなわけでありますから、自然の計算力というのは、まさに驚異であるという気がいたし
ます。昨日もうしましたアルゴリズムですけども、これにも複雑な計算式が含まれているはず
なのですね。こうした複雑な計算を、人間だけでなく、動物までもが、そして植物も含まれる
でありましょうけれども、ホログラムから現実世界を再生するために、それこそ一瞬にして
おこなっているはずなのでありますよね。

こうした関連のことも含めて、これから記事を書くつもりでありますので、よかったら読んで
くださいね。

893初心者:2011/08/18(木) 13:03:02 ID:4IaAZAME
脳科学をテーマに語りあおう。これはわたくしが言い出したことでもありますので、義春さん
だけにまかせておくわけにはまいりません。わたくしも、こちらの板で、現代脳科学の
「機能局在論」に異をとなえさせていただくことにいたします。
とはいえ、もちいるのはずいぶんと古い考え方でありまして、それはじつに40年も昔の
考え方なのであります。

40年も昔の考え方で最新の脳科学を斬る!はたしてそれが可能なのでありましょうか。
とりあえずやってみましょう。
ご登場ねがうのは、脳科学者のカール・ブリブラム博士であります。プリプラムは、40年
ほど以前に、脳のホログラフィー理論を提唱した人物であります。「脳はホログラムだ」。
これがプリプラムの考えでありました。

「脳とは何か」。これを考えるにあたって、研究者がヒントを得るのは、その時代のもっとも
進んだ情報技術であるといわれています。かつては電話通信であり、現代ではコンピュータ
ということにでもなるのでしょうか。

機械は、「機能局在論」で説明できますね。部品がそれぞれの役割を担い、その部品を組み
立てることで機械は機能を発揮します。研究者たちは、脳もこれと似たようなものだろうと
考えたのであります。脳をいくつかのパーツにわけ、それぞれのパーツの役割を明らかに
することで脳の仕組みを解明し、ひいては、心が脳の産物であることを証明しようとしている
のでありますね。

まだ若かりしカール・プリブラムは、脳の機能局在論者として名高いラシュレーに師事して、
脳の研究をはじめます。ラットに迷路の学習をさせ、記憶させたところで脳の一部を切除する
という研究でありました。脳のある部分を切除して、そのことでラットが学習したことを
忘れたとすれば、その場所に学習の記憶があったということになりますね。

実験は継続しておこなわれ、脳のさまざまな箇所が切除されましたが、ラットはそれでも、
迷路を難なく通り抜けました。脳を切除しても、学習の記憶は失われなかったのであります。
ついには、脳のほとんどの部分が切除されましたが、それでもラットは記憶を失うことは
ありませんでした。「記憶は、本当はどこにあるのか」。これが問題となりました。

ここでプリブラムが考えたのが、「記憶は脳全体に広がっているのではないか」ということ
でありました。記憶は部分にもあるが、全体にもある。しかも、脳の大半を切除しても記憶が
失われないということは、脳のどの部分にも全体とおなじ記憶があるはすだと、このように
考えたのでありますね。

部分と全体がイコールである。これがホログラムであります。脳はホログラムと同じように
機能している。プリプラムはこのように直観し、脳のホログラフィー理論を打ち立てたので
あります。

記憶は、本当はどこにあるのでしょうか。それは「カラダが覚えている」ということなので
ありましょうか。

894初心者:2011/08/18(木) 13:04:36 ID:4IaAZAME
失礼いたしました。
カール・プリブラムが正式な名称であります。

895初心者:2011/08/18(木) 19:31:21 ID:4IaAZAME
プリブラムの主張をひと言でいえば、「脳はホログラムだ」ということになるでありま
しょう。脳は、部分と全体が等しい価値を持つ。脳のどの部分にも全体と等しい情報が格納
されている。こうした共通点が脳とホログラムのあいだにはある、とプリブラムは考えた
ということでありますね。

しかし、プリブラムが、脳のホログラフィーモデルを提唱したのには、もっとべつの理由が
あったのでありますね。そもそもホログラムは、情報を格納するさいに、フーリエ変換と
呼ばれる数学的な処理をおこなっているようなのでありますね。フーリエ変換をほどこす
ことによって、複雑な情報を、いくつのかの単純なパターンにわけて保存しているのだろう
と考えることができるのでありますね。

ただしわたくしは、わが人生において、フーリエ変換を必要する場面にはただの一度として
出会っておりませんので、じっさいに計算してみたことはありません。

それはそれとして、プリブラムが脳をホログラムと見なしたのは、脳がフーリエ変換を
おこなって情報を処理しているのではないかと考えたからなのであります。外部から
入力した情報にたいして、脳はフーリエ変換をほどこし、脳の各所に、まるでホログラムの
干渉縞とみまがうような形で情報を蓄積しているはずだと、このように考えたことからこそ、
「脳はホログラムだ」と主張したはずなのであります。

では脳は、本当にフーリエ変換という数学的処理をおこなっているのでしょうか。おそらく
そうでありましょう。わたしたちが見ている現象世界とは何でありましょうか。それは、
「実在宇宙」というホログラムから再生された立体映像です。立体映像を再生するさいに、
特別なアルゴリズムが用いられます。

ホログラムと呼ばれる装置を用いることでも、リンゴの立体映像をこしらえることができます。
リンゴの立体映像。これが現象のリンゴなのであります。では、現象にあらわれる以前のリンゴ
の真の姿とはどんなものなのでありましょう。

それが、ホログラムの乾板に記録された縞模様であります。乾板に記録された縞模様。これこそが「実在宇宙」におけるリンゴの真の姿をあらわしているのでありますね。

脳は、現象としてあらわれたリンゴの姿を記憶として保存します。そのさいに、いったい何が
起きているのでありましょう。それがフーリエ変換なのです。脳は、フーリエ変換をほどこす
ことによって、現象のリンゴを、「実在宇宙」における真の姿にもどします。真の姿にもどして、
脳のなかに記憶しているのでありますね。

脳のなかには「実在宇宙」が存在します。それは時空を超えた存在であります。それが
「脳はホログラムだ」ということの真の意味であります。
リンゴは、「実在宇宙」から現象としてやってきました。そのリンゴを、脳はふたたび
「実在宇宙」にもどしてやるのです。記憶とは、リンゴを「実在宇宙」にもどしてやること
なのでありますね。

では、ホログラムという装置は、いったい何なのでありましょう。それはきっと、「実在宇宙」から
現象世界があらわれる仕組みを忠実に再現する装置なのでありますね。それはつまり、
脳は、「実在宇宙」から現象のリンゴを見ているということを示しているようでもあります。

すべてが妄想の世界。ファンタジーの世界であります。ツッコミは無用でございますよ。

896初心者:2011/08/19(金) 09:58:40 ID:4IaAZAME
はなはだ人気薄のようでありますが、話を続けます。
二十世紀に入り、量子力学があまりに奇妙な世界を描きだしたために、「物理学は世界を
説明できないのではないか」と考える人々があらわれるようになりました。

量子力学が登場するまでは、ニュートン力学に支えられた世界観が、かろうじて物理学を
支えていたのでありますね。その基本的な考え方は、「世界は粒子でできている」というもの
でありました。ところが、量子力学の出現によって、物質を粒子ととらえる方法では、世界の
成り立ちを説明できないことがわかってしまったのであります。

1960年代あたりになると、「世界はなにやら平らなものでできているのではないか」と考える
物理学者があらわれてまいりました。さらには、粒子は「ひも」のようなもので結ばれている
のではないかと、こんなことまで想像する物理学者があらわれはじめたのでありますね。

しかし、そうは考えてみたものの、いくら計算しても、望んだような結果が得られないので
ありますね。「物理学では世界は説明できない」。そんな敗色濃厚ともいえる絶望感が
物理学者のあいだを漂いはじめたのであります。

世界が夕闇につつまれるとき、ミネルヴァのフクロウは飛び立つ。絶望的な空気のなかで、
ミネルヴァのフクロウが、やっとこさ飛び立ちました。それが「ひも理論」であったのです。
「ひも理論」は物理学にとって最後の砦にも思われました。これで世界が説明できなければ
物理学は終わる。そんな期待につつまれて、「ひも理論」は歴史の表舞台に登場したのであります。

最初の開花期は80年代でありました。「ひもの世界」を記述する数式が発見されたので
ありますね。この発見により、「ひもの世界」は飛躍的に拡大いたしました。拡大しすぎて、
逆に多くの矛盾が噴出したのであります。

最初のころ、「ひもの世界」は10次元か26次元のどちらかであると考えられていました。
やがて26次元では宇宙が不安定になることがわかり、10次元と決定されました。
10次元の「ひも理論」が登場しました。しかしそれは、ひとつではなく5つの理論に分派
してしまったのであります。

「ひもの世界」は混乱いたしました。5つのうちのどの理論が正しいのか、誰も答える
ことができなかったのです。「ひもの世界」は長い停滞期間を迎えることになります。

停滞を打ち破ったのがウィッテンであります。それは1995年のことであったでしょうか。
ひも理論家の年次総会に、ウィッテンは、混迷の時代に終止符をうつ「M理論」をひっさげて
意気揚々と参加したのであります。

「M理論」は、ひも理論家を狂喜乱舞させました。「M理論」は、混迷をきわめる原因となった
5つの理論がすべてひとつの理論であったことを示していました。「M理論」によって、
宇宙が11次元の時空連続体であることが突き止められました。そして新たなナゾが
生み出されたのであります。「M理論」は、「ひもの世界」に「ひも」が存在しないことを
予測していたのであります。

897トキ:2011/08/19(金) 11:22:50 ID:p23PZUjc
初心者様

 すばらしいご投稿、ありがとうございます。フーリエ変換とか微分方程式とか、大学の
教養時代を思い出してしまいました。文科系などは単位は比較的簡単に取れると聞いています
が、理科系はなかなか単位がもられないので、苦労をした記憶があります。閑話休題。

 さて、素人の考えですが、パソコンなどは、CPUがあり、メモリーがあり、ハードディスク
があり・・・・と、役割り分担が明確です。ところが、人間の脳は、そうではありません。
そう考えると、「脳はホログラムだ」という主張にもうなずける部分はあります。
 ただ、ホログラムのほうは、フーリエ変換をする必要はあると思いますが、脳はダイレクト
にニューロンが直結しているので、違う処理をしている余地はあるかもしれません。

 この当たりは、素人なので、はなはだ怪しい考えであるのは、認めざるをえません。

 御教示のほど、お願いします。

合掌 ありがとうございます

898一観覧者A:2011/08/19(金) 11:43:42 ID:EJYJ8Pec
数学者の岡潔教授は「野に咲く一輪のスミレを美しいと思う心が数学だ」と言ったそうですが、世界の天才的数学者と言われる人は、自然の美しい環境で育ったことなとに共通点があるそうです。
…よく分かりませんが、数学の定理の理論の中で、「美しい」ものほど、なぜか後世の役に立つものとなっているそうです。
特徴は、単純な法則ほど、美しい。

そういえば、「数学における最も美しい定理」と呼ばれるオイラーの等式を、何ヶ月もかかって解く分厚い本が、今、サラリーマンなど大人の間ではやってるとか。

オイラーの等式は、「…存在の深奥にまで深く到達する」とか評されるそうですが、神の一面である、数式は、やはり美しいのでしょうね…

初心者様の偉大な論理展開に、独り言を挟み、お邪魔してすみません。
どうぞお続け下さいまし。

899初心者:2011/08/19(金) 14:40:36 ID:4IaAZAME
トキ様、ありがとうございます。

わたくしは、大学数学の落ちこぼれでありますので、偉そうなことは何もいえませんです。
ホンマに面白くなかったですね。高校数学ですと、大学受験という目標がありますけども、
大学となると、苦労して学ぶ目的を見いだすことが、まったくできずにおりました。
単位をとるために、仕方なく勉強する。モチベーションは低かったですね。

それでですね、ホログラムの話になりますが、数学的原理はもちろん理解できるはずが
ありませんね。ただ不思議なのは、なぜホログラムにフーリエ変換がかかわってくるのか、
ということですね。このあたりの必然性がまったく了解できないのでありますね。

そこで想像するのは、ホログラム装置には、人間の脳の働きが、はじめからセットになって
組み込まれているのではないか、ということなのですね。それはつまり、「人間がホログラム
映像を見る」という前提で装置がつくられているのではないか、ということなのであります。
装置と人間の共同作業。それがホログラムということになると思うのでありますね。

これは考えてみれば当然のことでありまして、ホログラム装置だけでは立体映像をつくり
出すことはできないのでありますね。人間が存在しなければ、そこにはいかなる映像も
存在し得ないわけでありますね。

人間がくわわることで、立体映像はあらわれてくるのでありますね。つまり、ホログラム装置
とは、立体映像をつくり出す装置ではなく、人間に立体映像を見せるための装置ということ
になると思うのですね(見せるための方法がなぜフーリエ変換なのか。これが疑問なのですね)。

ではなぜ、フーリエ変換をからませることで立体映像が見えてくるのかといえば、それは、
フーリエ変換と人間の知覚のあいだに密接な関係があるからではないかと、そういう予測
が成り立つことになると思うのですね。かなり乱暴かもしれませんが、そんなことを考えて
しまうのであります。

もちろん発明者のデニス・ガボーアにそうした意識はなかったと思います。純粋数学として
原理を組み立てていったのだと思います。ですが、ガボーア自身が、それとは気づかない
仕方で、人間の知覚の仕組みを装置に組み込んだのではないかと、こんなことを考えて
しまうのでありますね。

このようなわけで、脳は、知覚や記憶にあたって高速フーリエ変換を自動的におこなって
いるのではないかと、いいかげんな発想で理屈づけしているような次第でありますね。

それと、プリブラムの理論を検証するために、第三者が研究をおこなった形跡があるの
ですが、たとえば被験者に図形を見せて脳細胞の電気的な変化を調べるという実験では、
図形そのものよりも、図形のフーリエ変換に反応しているということが確認されたという
報告がなされているようですね(知りあいを街角で見かけたときに、どのような角度から
でも知り合いだと認識できるのは、外見のすべての情報を、フーリエ変換によってパターン化
して記憶しているからだ、という説明がなされたりしています)。

詳しいことはもちろんわかりませんけども、プリブラム自身の実験によっても、
フーリエ変換説はほぼ正しいということが検証されているみたいですね。
数学的な意味はもちろんぜんぜんわかりませんですよ。落ちこぼれですから。

じつはわたくし、大学に入学して3日目に、教授の説明に絶望して、まったく
やる気をなくしてしまったのであります。卒業だけはする。目標はそれだけで
ありましたね。

900かぴばら:2011/08/19(金) 15:08:44 ID:TjlpqfpM
お久しぶりに出てきました。
何やら高等な理論が展開しているので、ちんぷんかんぷん・・・。ちょっと前にやった数秘術のテキストに数とは、宇宙の波動を表現する方法のひとつで、逆にいえば宇宙は数で表現することができる。
宇宙は数学的な秩序のもとに構成され、運営されている。数を記号化したものが数学であるとあります。
オイラー博士の素数が円を創り上げる。素数が宇宙の法則と繋がっている可能性を発見。すごいですね〜ロマンですね。皆様、究極のロマンチストでありますね。

リーマン予想・・・素数の謎が非可換幾何学をつかって解けるとき、宇宙のあらゆる現象を説明する万物の理論(創造主による宇宙の設計図)も完成するだろうといわれています。

2009年8月
ルイ・ド・ブランシュ博士の4回めの論文がそろそろ完成しそう。それを検証するのに最低2年。2012年12月21日アセンションと言われる頃に新しい時代の幕開けとなるかもです。

私は、明日新幹線に乗って、初めての靖国神社。貴康先生に初めてお会いいたします。よい一日であることを願ってます。

901初心者:2011/08/19(金) 15:17:07 ID:4IaAZAME
一観覧者A様

>初心者様の偉大な論理展開に、独り言を挟み、お邪魔してすみません。
どうぞお続け下さいまし。

女子青年に口をはさんでいただけることほど心地の良いことはありませんですよ。
女子青年が存在しない世の中に、はたして意味があるといえるのでありましょうか。

偉大というよりも、いい加減な論理展開でありますが、それなりに真理は含まれていると
思うのであります。真理はけっして能弁であるはずがありませんよね。神様がなさった
ことを人間が語ろうとするのですから、うまく語れるはずがないのであります。

それはもう、悪戦苦闘しながら、それでも真理の一端でも語ることができれば、それで
御の字なのでありますよ。苦心惨憺しながら、それでも真理を語ろうとする。そのことに
こそ価値があると思うのですね。

誰かがこう言った。それで真理を語ることはできると思いますが、わたくしは自分の言葉
として語りたいのでありますよ。ただそれだけなのであります。

数式は自然の中にも意識の中にもあると思いますね。それは比喩ではなく、じっさいにある
と思いますね。
自然の中に数式を見いだしたとき、数学者は、それを「美しい」と感じるのでありましょうね。

>オイラーの等式は、「…存在の深奥にまで深く到達する」

数式は、意識の世界を数学で表現したものでもある、ということなのでありましょうね。
わたくしは、自分の意識の世界を、数式ではなく女子青年で表現したいのでしょうね、たぶん。

902初心者:2011/08/19(金) 15:28:07 ID:4IaAZAME
なにやらかぴばら様までが意味深なことを書いてらっしゃいますね。
わたくしが「数学の落ちこぼれ」であることを表明した途端に、四方八方より
数学の総攻撃を受け始めたようであります。

いまさら数学を勉強したくはないのでありますよね。
数学にロマンを見いだすよりも、女子青年にロマンを見いだしたい。
それなのに、行く手に暗雲がただよってまいりましたね。
数学なんてきらいなんだよ〜。

903トキ:2011/08/19(金) 16:26:10 ID:p23PZUjc
>>900

かぴばら様

 ご投稿、ありがとうございました。丁度、900番ですね。
最近は、「カピバラ」の動画などを見て、楽しむ事も増えました。なかなか可愛いですね。
 何でも、世界最大のネズミの仲間らしいのですが、性格は温厚で人間にもなつくみたいです。
ただ、個人が飼育できるものではないので、残念です。いつか、動物園に見に行かないと。

 靖国神社の見真会の件、楽しみです。ご様子やご感想を教えて下さい。
宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

904一観覧者A:2011/08/19(金) 17:22:06 ID:EJYJ8Pec
かぴばら様

こんにちは。可愛いお名前ですね。

気安くお声かけて、ごめんなさい。トキ様のお許しはないけど、女子の集まりも楽しいと思って(…えっと、女性ですよね?)、貴重な女子にお声をかけておかねばと思いまして。
よろしくお願いします。

>素数の謎が非可換幾何学をつかって解けるとき、宇宙のあらゆる現象を説明する万物の理論(創造主による宇宙の設計図)も完成するだろうといわれています。

これマジですか〜
理解はできないだろうけど、そうなった暁には、そうですね……
驚きたい!(笑)


明日の靖国神社、私も流れ次第でもしかしたら…
そうしたら、胸にかぴばらのバッチつけてきて下さい、探します!(笑)

905一観覧者A:2011/08/19(金) 17:35:30 ID:EJYJ8Pec
そういえば、前にニュースで、脳回路の詳細なコンピューターモデルを作成する、「コネクトミクス」という分野のことを読みましたが、
DNAにおける全ゲノムマップのようなもので…複雑な脳の神経細胞を繋ぐ経路マップの作成を目指す、ということなので…脳研究にとってはすごい事なのかな〜、と思ってました。

脳の各分野の情報の流れを調整するコアになる構造が見つかって、詳細な情報伝達経路など発見されてるようなので、
今までのような、部分の集まりとしての脳の機能ではなく、各部分が、相互にどう依存し合い繋がっているのか、これからさらに解明されていくのでしょうかね。

ATLUM装置は、脳をリンゴの皮みたいに切断した撮影ができるそうですが、想像力豊かな私は、その時自分の脳がリンゴのように剥かれる映像が浮かびました…

初心者様

>苦心惨憺しながら、それでも真理を語ろうとする。そのことにこそ価値があると思うのですね。

…やはり、結婚詐欺が行うような…テクニックではございませんね。
女性は、このような男性の真摯な姿にときめきをおぼえるのだと思いますよ。

906トキ:2011/08/19(金) 18:16:12 ID:p23PZUjc
>>902

初心者様

 数学も結局は暗記する部分が多いですから、たいへんな部分はありますね。
まあ、我慢して覚えるしかないのかもしれません。

907かぴばら:2011/08/19(金) 18:27:48 ID:TjlpqfpM
一観覧者A様

有難うございます。一応女子に入れていただいて、うれしゅうございます。とても博学な方達に囲まれてほーっ!ほーっ!と感心することしきりです。(しかし意味はよくわかってない【笑】)

のんびり・ゆっくりなかぴばらですが、明日は楽しみにしております。「かぴばらさん」をかばんにつけているのを見たら声をかけてくださいまし。

初心者様

私も数学は大嫌いでした。忘れもしない高校生、大好きな数学の先生のテストで28点という赤点をとり、泣く泣く勉強した覚えが・・・ロマンと学力は相関しませんっ。

トキ様

楽しいお話になることを期待しています。いっぱい笑ってこようと思ってます。どんなお話をされる先生なんでしょう?「百聞は一見に如かず」ですよね♪

908トキ:2011/08/19(金) 18:55:08 ID:p23PZUjc
>>904

 女子会、いいですね。応援します。頑張って下さい。

909初心者:2011/08/19(金) 19:22:11 ID:4IaAZAME
一観覧者A様

わたくしは、かぴばら様はずっと男だとばかり思っておりました。そのつもりで接しておりまし
たが、あるとき、ご自身が女性であることをお書きになって、それではじめて真実を知ったの
でありますね。

それにしても、なんという早業。まるで電光石火のごとく、女性であることを見破られました
ね。女の勘とでもいうのでありましょうか。どうして女性であることに気づかれたのでしょう。

なんにいたしましても、本日のわたくしは、四方八方からの数学責めにあい、心身ともに
ボロボロ状態であります。新しい記事を書く気力も残されておりませんです。

今宵は、ユーミンでも聴きながら、ロマンチックなひとときを過ごすことにいたしますね。

http://www.youtube.com/watch?v=lH8MTY30lKM&amp;feature=related

まあ、こんな雰囲気でございます。女子青年のことを思いながら、なんとなくメランコリー。
こんな気分もたまにはよいでありましょう。

ところで、

「非可換幾何学」ってなんですか?ちょっとしゃくにさわるので、位相幾何学の勉強でも
はじめてみましょうかね(考えただけでも暗くなる〜)。

「コネクトミクス」。これも聞きなれない言葉でありますよね。脳科学には、離れた場所にある
ニューロンどうしが、どうやって適切にデータをやりとりするのかという「結びつけ問題」が
あるみたいですが、「コネクトミクス」は、「結びつけ問題」を解明しようとする学問のようで
もありますね。

それにしても、そのときどきの状況に応じてどのニューロンどうしを結びつけるべきなのか、
これはいったい誰がどうやって決めているのでありましょうね。
「結びつけ問題」という言葉を聞くと、「女性と結びつかない問題」で悩んでいる自分の
姿が、ことさらあわれに感じられます。


トキ様

現世で数学者であった人は、来世では数学嫌いになるとシュタイナーが言っておりました
ですね。わたくしは、前世では、とんでもない天才数学者であったにちがいありません。


かぴばら様

28点。今となっては青春の勲章でありますね。
悪い点ほどなぜか覚えているものでありますね。
わたくしも思えば・・・。

青春時代はムネにトゲさすことばかり〜。
これが青春でありますよ。

910義春:2011/08/19(金) 19:36:28 ID:SjZg29/2
あー…・・・私に到っては…高校時代、
如何にして赤点(40点)
ギリギリを取れるかを競ってました…。

名付けてチキンレース…滅茶苦茶でした…。

911トキ:2011/08/19(金) 20:24:49 ID:p23PZUjc
>>909

 そうかもしれませんね。きっと、初心者様は前世では大数学者だったと思います。
幸い、ここは数学のスレッドではないので、気楽に行って下さい。(笑)

912一観覧者A:2011/08/19(金) 21:36:18 ID:EJYJ8Pec
>女子会、いいですね。応援します。頑張って下さい。

…トキ様に、応援します、なんて言われたら嬉しくなります。といってなんのプランもないのですが(笑)
…しかし、女性の皆様の本音?も、良い形で集まり語り合えるとよいですね。

初心者様

かぴばら様を女性だと思った根拠は、…おそらく3つ位はあると思います(笑)
私の勝手な基準なので…勘ということにして下さい。

913トキ:2011/08/19(金) 21:54:21 ID:p23PZUjc
>>912

一観覧者A 様

 このスレッドも、あと100を切りました。このスレッドが満杯になったら、次に
「女子限定」のスレッドを建てる事も可能かもしれません。ただ、管理人の独断で
決められないので、皆様のご意見は聞く必要はあります。一観覧者A 様の御意見も
お願いします。

合掌 ありがとうございます

914初心者:2011/08/19(金) 22:07:28 ID:4IaAZAME
わたくしが卒業した高校では、赤点というのはなかったですよ。誰かが追試を受けた
という話も聞いたことがない。「赤点とは何ぞや」といつも思っておりましたですね。

物理のテストで鉛筆を持とうともしない女子がいたから、たぶんその子は○点だった
はずだけど、それでも追試を受けたという話は聞かなかった。
どういう学校だったんでしょうね。

ユーミンを聴きながら、セブンイレブンのくじで当たった「ハイボール」を飲もうとしたら、
マズイ。飲めたものじゃない。

女子限定のスレッドができたら、あたしはおねえキャラで参加いたしますわよ。

915八百比丘尼:2011/08/19(金) 23:32:17 ID:vfQXyn92

女子会、楽しいわよ。今、女子怪って出ちゃったの。(正解?)
もちろん、初〜子(しょ〜こ)ちゃんもくれば。
マツコちゃんも、ミッツもいるし。
でも、あんまり難しい話、しないでね。
恋バナとかに花を咲かせましょ。
何飲む? ジャスミンティー? カモミールティー?


   −−鈴夜 アイドルを探せーー
《 えっと、さっき行灯の油とまちがえて、
  アロマオイル舐めちゃったんだけど・・・・・
  身体中から花のような良い香りが立ち昇ってるんだ。
  薫大将と呼んでくれ。
  よ〜し、これで女性の方々にチヤホヤされまくってやるぞ〜。》

916一観覧者A:2011/08/20(土) 09:46:08 ID:EJYJ8Pec
トキ様

ステキなご提案ありがとうございます、女子会♪

ただ女子会はオープンで、オネエキャラの男性や心優しい男性なら、
私は…歓迎というスタンスで良いと思います〜ただあくまで、女性が主役!として頂ければ!
(といって男性ばかりになったら、それも困りますね、笑)

…男性禁制!なんてしたら、いたずらっ子の女装男子が忍び込んで、
それこそ検閲や疑惑のカオスになってもつまりませんものね…

八百比丘尼さま

アロマにカモミールティー…めっちゃ乙女じゃないですか〜
シュールでファンタジーな世界も大歓迎ですよ。
香しい鈴夜ちゃんは、女子の膝の上で語って下され…

917義春:2011/08/20(土) 09:53:39 ID:SjZg29/2
>>914
初心者さま
赤点ないとは…何て羨ましい…。

赤点とは…偉大なる先生が弟子を試す為の試練です。
特に三学期の期末は『最後の審判』と呼ばれ、
これに賭ける猛者が何人もいたとか?
えっ?40点以下だとどうなると?
勿論、留年や仮進級が待ち構え、
先生や親にサンダーボルトの嵐を喰う羽目に…。
オマケに夏休みも補講が待っていますw

918トキ:2011/08/20(土) 11:07:07 ID:aBkaGUDo
 女性専門のスレッドについて。

名称は、「「今の教え」と「本流復活」を考える・女子会板」

趣旨は、以下のようにしようと考えています。どうでしょうか?

 このスレッドは、生長の家の「今の教え」と「本流復活」について、女性が自由に議論をするため
に作成したスレッドです。
 生長の家に関連する話題なら、上記に話題に限定しないで、広く受け付けます。また
どの立場の人の投稿も歓迎しますが、基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教え
を支持、共鳴する人のためにサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容
の投稿はご遠慮下さい。
 投稿資格者は、原則として女性です。男性の投稿は禁止しませんが、女子優先でお願いします。
なお、男性が投稿の内容にコメントをしたい場合は、他のスレッドに、この板の名称と投稿の
内容を明記した上で、コメントをする方法を推奨致します。
 投稿の削除はしない方針ですが、アダルトサイトや出合い系サイトの勧誘を含む内容など
明らかに目的外の投稿は、削除の対象となります。
 目的外の投稿の判断は、最終的には、管理人である「トキ」の判断になります。
ご理解下さい。

 以上、皆様のご意見をお願いします。なお、管理人は、削除とバトルの仲裁以外は、女子会板
には登場しません。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白


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