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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

860初心者:2011/08/04(木) 09:57:10 ID:4IaAZAME
復興G様

返信が遅れて申し訳ありません。
じつは、復興G様のお考えを理解しかねておるのであります。
スパッと入ってこない。そんな感覚なのであります。

>「神の国がわが内にあるかぎり、すべてのものはわが内より展開し生れ出でたものであります。山も川も草も木も空も海も、日本も天皇も、谷口雅春先生も、生長の家も住吉大神も、天照大御神も、すべてはわが内なる神の国から出でまし給うたのであります。これは、天地は失せても崩れることのない真理であります。」

復興G様のいっておられる祈りとは、自分のなかにあるものが表に出ようとする際の衝動のようなものだということになるのでありましょうか。そうした衝動が言葉や想念の形をとったとき、それが祈りになるということなのでしょうか。

もしそうであったとしても、これを「祈り」という言葉で表現する理由は何なのでありましょう。「命の宣りごと」という言葉があります。内なる衝動を「命の宣りごと」と考えることはもちろん可能であると思いますが、無理にこのように考えずとも、衝動は衝動として受け止めてよいのではないかとわたくしは考えます。衝動を「祈り」という言葉に置き換えているとするなら、それはいったいなぜなのでありましょう。


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