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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

842復興G:2011/07/26(火) 16:46:23
──<村上和雄著『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』より(2)>──

 私の専門は生命科学、遺伝子研究ですが、科学者だから目に見えるものだけを相手にしているのかというと、実はそうではありません。

 生命の設計図と呼ばれるDNA(デオキシリボ核酸)を解読し、その働きが理解できるようになっても、そもそもなぜ、そのようにDNAが振る舞い、エネルギーを使って細胞をつくり続けるのかは「見えない」のです。そうした、一見、見えないけれど確実にある何か、そうしたものを無視して、今回の大震災が私たちに提示した「大きな問い」に答えることはできないのではないか、私はそう思っています。

 そのようなことを言うと「科学者なのに科学的でない」「論理的整合性があるのか」とおかしなものでも見るように批判されたり、あるいは心配をされるかもしれません。しかし、実は科学の歴史においても、画期的な大発見や大発明は「科学的でない」ことがキッカケになっていることがたくさんあるのです。

 毎日毎日、思うような結果が出ない実験に疲れ果て、半分、気晴らしのように違う材料を混ぜてみたら思わぬ物質が出来上がった。そんな偶然や失敗から成果が生まれるケースは科学の世界ではザラにあります。かの有名な世界初の抗生物質ペニシリンの発見も、細菌学者フレミングの雑然とした実験室で放置されていた黄色ブドウ球菌の培地に、たまたまアオカビが繁殖し、そのカビの周囲だけ細菌が生育していないことに気づいたことによるものでした。

 こういった、科学らしからぬ成果を「ナイト・サイエンス(夜の科学)」と呼びます。これに対して、論理的で計画的な科学的方法に基づいた「デイ・サイエンス(昼の科学)」と呼ばれるものだけが科学ではないのです。むしろ、どちらか一方だけでも、現在の科学は成り立たないでしょう。だからこそ、科学者は「偶然」のように思えることも含め、より多くの物ごとに謙虚に向き合わなければなりません。
───────────────
(つづく)


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