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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

844復興G:2011/07/26(火) 17:43:22

──<村上和雄著『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』より(4)>──
第1章 今、「祈り」が必要な理由

 文字通り、世界を震撼させた今回の大震災。激しい揺れのさなか、心の底から「早くこの揺れがおさまってほしい」と、思わず念じた人は多かったのではないでしょうか。
 何か想定外のことが起こったときの、とっさの祈り。
 それは、誰に教えられたわけでもなく自然にわき上がってくるものです。太古の昔から、私たち人間は、そのような祈りとともに生きてきたといってもいいと思います。
 では、いったい、この「祈り」とは何に向けられたものなのでしょうか。そして、なぜ私たちは祈るのでしょうか。

 あの地震が発生したとき、東京都内にいたある知人女性は、
「本気で祈ったのは、あの地震の日が人生で初めてだったと思います」
 と話していました。
 この女性は、昭和46年(1971年)生まれ。つまり、日本が高度経済成長を遂げるさなかに育ち、物質的な不自由さを味わうという経験をしていない世代です。
 彼女は地震発生時、都内の自宅の近くにいたため、帰宅困難にはなりませんでしたが、すぐに家族と連絡を取ろうとして、まず、携帯電話が通じないことに気がついたそうです。
 彼女には、知的障害のある妹がいます。その時刻は、都内の勤務先にいるはずですが、交通機関がマヒした状態で妹がどうやって帰宅すればいいのか、それが、彼女の最大の心配事でした。このような状態で混乱して、怖い思いをしていないだろうか。不安と心配が急な夕立の雲のようにわき起こってきました。
 今すぐ連絡を取りたい相手と連絡が取れない。
 「生まれた時から電話があることが当たり前の生活をしていますから、『連絡が取れない』なんて想像したことすらありませんでした。連絡が取れない、と分かったとき、無意識に取ったのが『祈る』という行動でした。それしかできなかった」
 テレビの画面では被災地の惨状とともに、都心で帰宅困難になった人の群れが上空から映し出されていました。彼女は通じない携帯電話を握り締めながら、画面を見つめ膝を祈って「無事に帰宅してほしい」と願い、祈り続けたといいます。
 果たして、彼女の祈りはきちんと通じていました。
 日付が変わろうか、という頃になって、ようやく妹は、大渋滞の中、勤務先の先輩が送り届けようと自分の車に乗せてくれていたことが分かったのです。
 彼女は言います。
 「妹の無事を知って思ったんです。電話もない時代に暮らしていた人たちは、こうやって身近な人たちのことを思い、祈っていたのかもしれないなと」
 この出来事は、大震災が多くの人々にもたらした苦難の、ほんのわずかな部分かもしれません。けれども私は、このとき同じように日本中で、いや世界中で、多くの人の無事を祈る思いが飛び交っていたと感じました。
 人には、「祈ることしかできない」というときが必ずあります。
 ともすれば、現代では、そうした状況は人間としての無力さの表れのように思われがちですが、それは違います。
 人は、無力だから祈るのではなく、祈りには思いもよらない力があるから祈るのです。
 太古から、人間はそうした力を知っていて、本当に苦しいときに、まさに祈りの遺伝子のスイッチがパチンと入るようにできているのです。
 祈りには力がある。そして、そのことを私たちは遺伝子レベルで受け継いでいる。そうでなければ、誰に教えられたわけでもないのに、「祈る」という行為をいちばん大切なときに行うでしょうか。
 プロローグでも触れましたが、人間は奇跡ともいえる細胞のバランスで成り立っています。人間の中に備わっているもので、無駄なものは何ひとつとしてないといっていいでしょう。これは遺伝子レペルでも、同じです。だとしたら、「祈り」という無意識にとってしまう行為は、人間という生物にとって最初から組み込まれている大切な働きと考えたほうが自然かもしれません。
───────────────
(つづく)


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