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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

854復興G:2011/07/31(日) 07:03:00

 前にも言いましたように、榎本先生が昇天されてから、恵吾先生の書き遺されたものや講話のDVDなどをくりかえし拝読・拝聴していましたら、あるときフト気がついた──

 自分が、まだ現象にとらわれて「自分が、自分が」と戦ってた「自分」は本来無かったんだ。空っぽだったんだ。空っぽだとわかったら、自由自在。自分の中にすべてがあり、すべての中に自分があった。すべてが自分だったんだ──と、ふと気がついたんです。

 そのとき、榎本先生がおっしゃってる
<「招神歌」の中の「元津みたまゆ幸はえ給え」というお言葉は、わが内なる神と神の国にある「元津みたま」をすべてに向って「幸はえ給え」ということであります。>

 そのことを思い出し、そうだ! それを実修し始めました。「元津みたまを、生きとし生けるすべてのものに幸はえ給え」という思いで招神歌を唱えるようにしたんです。

 そして、前にも言いましたように、基本的神想観で念ずるときにも、まず身近な妻を思い浮かべて
 「神の無限の生かす力、○○(妻)のうちに流れ入る・・・・満たされている、生かされている・・・・もはや○○は自分の力で生きているのではない。神のいのちがここにありて生き給うている。○○は神にまします」というように念ずることができるようになったとき、以前よりも格段に神想観が面白く楽しくなって、基本的神想観も大好きになってきた。そして夫婦円満大調和になり、万事がスムースに展開するようになってきたんです。

 ここまでは自分だけのことなんですが、これから、別スレッドの「トーキングスティックボード」から触発された思いを書きます。

 前記、榎本先生が言われている、

 「神の国がわが内にあるかぎり、すべてのものはわが内より展開し生れ出でたものであります。山も川も草も木も空も海も、日本も天皇も、谷口雅春先生も、生長の家も住吉大神も、天照大御神も、すべてはわが内なる神の国から出でまし給うたのであります。これは、天地は失せても崩れることのない真理であります。」

 これは実にすごい言葉であります。

(つづく)


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