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宗教・哲学・思想を語るスレッド

1ウエスト★:2011/01/11(火) 23:53:44
幸福の科学以外の、
宗教・哲学・思想について語るスレッドです。

語っているうちに、幸福の科学の教義の問題点が見えてきたり、
新しい視点がうまれたりするかもしれません。

「こんな勉強をしています」「こんな本を読みました」
「この思想のここが面白い」「KKの元ネタってここかも?」
などなど、自由に語っちゃってください。

64タム ◆M/L2k2Eq72:2011/01/30(日) 12:55:26
あとは、教育勅語の「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」とか・・・。

65一昨年の退会者:2011/01/31(月) 21:17:48
まんだらけ出版のレムリア(介アマーリエさん)の本をよ読みました。
大川さんはもちろん、きょう子さん、KKがなぜこのようになったのか?
私なりに腑に落ちるところもありました。

この本は5、6年前から本屋さんで見かけましたが、「九次元」とか「サタン」とか
胡散臭くて、しばらく手にすることはありませんでした。

どうしてもこの手の本は、それぞれ受け止め方、反応の違いはありますが、先入観を
捨て、検証の気持ちは捨てず読まれるのも、現在のKKを理解するのに参考になるか
もしれません。

私の読んだ本=「地球最高神1,2」「サタンとの最終決戦」「日蓮聖人メッセージ集2」

一度、「癒しスタジアム」でレムリアCDの展示販売をしておられ、そこにいた担当
の人は普通のおじさん、おばさんで、前KK会員の方もおられ、少し話しもしました。
勧誘とか一切なく、組織的なことはわかりません。

66修道 ◆xvhaSPKbVw:2011/02/01(火) 22:41:42
 思ふところありまして、HNを「修道」と改めます。
 以後、よろしうに。

67修道 ◆xvhaSPKbVw:2011/02/01(火) 22:48:15
>>66
失禮。
玄道→修道 です。

68修道 ◆xvhaSPKbVw:2011/02/02(水) 19:47:16
さて、歸幽直後の樣子はこの邊にして、あの世(幽眞界)へ歸つたあとはどの樣に事が運んで行くのか、
また前掲書より拔粹してみたいと思ひます。KK教義より具體的ですよ。笑

《歸幽後の行方》

(はじめに・・)
歸幽後の經過に關しては、現世地上界の人類には漏すことの許されぬ大神祕事なので、世俗の一般人に
對しては詳説することは天機漏洩禁忌に接觸するので、・・・・本書に於いては、先づ日本人としての立場より、
死後(歸幽後)に鎭まる(住居)までの間の順序を辿つて、許されたる範圍内に於いて、此の神祕事の片鱗中の
一端を洩記して、修道上の參考に供する程度にしておきたいと思ふ。

大躰に於いて原則として、歸幽後約五十日間は在世中の住家に遺家族等と同居してゐるが、五十日間ほど
經過すると、産土別持司命神の御計らひによつて、再度、産土司命之宮に迎へられて、嚴重な修祓を受けてから、
萬靈司籍府宮の別宮たる地津出雲之幽宮(クニツイヅモノカクリノミヤ)に導かれて、再度、取り調べを受けるのである。

(※ 「産土別持司命神(ウブスナワケモチシメイノカミ)」とは、本人が出生した地區や現在住居してゐる地區を管轄する、
   謂はゆる「産土神社」の神樣のことです。
    産土神は本當はとても大切にしなければならない神樣で、其の地區の全權を掌握する幽政上の市町村長的御立場の神樣です。
    産子達の全てを御掌握されてゐて、これは信仰の有無、種類に關係がありません。そしてこの仕組は實は日本だけに限りません。)

<次囘につゞく>

********************************************************

 人はすなはち天下の神物(ミタマモノ)なり

 心神(わがたましひ)を傷ましむるなかれ -伊勢二所皇太神宮御鎭坐傳記- (伊勢神宮・内宮外宮の由緒記)

 <解説>
  人はみな一人殘らず神の「みたま」をいたゞいて、この世に生を受けたのです。
  ですから、自分の心を傷つけることは、神を傷つけることになるのです。
  神からいたゞいた心を大切に守ることが敬神の第一歩です。

69匿名A ◆TDTUHwXNYs:2011/02/03(木) 12:44:00
『何故、HSのアホ教義を信じてしまったか』 ①

反省の意味で考えてみたいと思います。

【考察】
 色々な哲学書、宗教書などを読んでも、満足のいく「人生の諸問題に関する疑問」が
解けずにいたとき、理論書としては、「太陽の法」を読んで、その「創造論」「宇宙論」とも
言える内容に驚きました。

キリスト教や仏教についての少しの知識は、あったのですが、「太陽の法」のような内容は
始めて知りました。それで、「凄いな」と思ったわけです。そして、総裁自身が、「あの世は
100%あります」と、自信をもって書いてあるのに、感動しました。

私自身は、「あるのじゃないかな」くらいの確信しかなかったとき、「100%」と言われて、
「この人は、それだけのことを知っているので、これだけ確信をもって言えるのだろう」と
信じました。まさか、宗教家が「嘘をつく」なんてことは思ってもいませんでした。

 今にして思えば、「簡単に他人を信じすぎた」のかなと思います。また、宗教理論に対する
知識が、あまりにもなかったのでしょう。「神智学」とか「スピリチュアリズム」とか、微塵も
聞いたことがありませんでした。
                           (続く)・・・

70匿名A ◆TDTUHwXNYs:2011/02/03(木) 12:59:36
『何故、HSのアホ教義を信じてしまったか』 ②

また、GLAとか、高橋信次のことも、全然、知りませんでした。高橋本を読んでいれば、
少しは、違っていたのかも知れません。

もともと、既存の、キリスト教、仏教に対して、「わからない解釈が多い」と思って、批判的
だったので、「ついに真理を発見した」と感じて、飛びついてしまったのだと思います。

20年近くかかって、今は、「邪教だった」と分かった訳ですが、悔しいやら、情けないやら、
使った時間とお金を考えると、やりきれない思いでした。

ただ、今現在は、そういう時期を乗り越えたと感じています。しかし、一つ問題が残りました。

結局私はまだ、私の目的であった、「真理を探究する事」を完結できていないということです。

ふりだしに、戻ってしまったのです。おまけに気づいたら、20年近く経っていて、たとえれば、
「浦島太郎の玉手箱」を、開けてしまった状態なのですw

「たーちまち 匿名A は おじいちゃん」♪wwwwwwwwwwwくやしい(^^ゞ  終わり。

71タム ◆M/L2k2Eq72:2011/02/03(木) 19:58:58
わたしも、HSにはまってしまった理由としては、簡単に信じすぎた、
宗教的な教養が乏しすぎたってのはあるなぁ。。。

当時は、霊的な話は信じやすかったんだよね。テレビの怪奇現象の
再現ビデオとかも、そのまんま信じてたしね。(笑)

宗教についての知識も、四つの福音書は通読したことはあったけれども、
それくらいかな。あとはオカルト、トンデモの類をちょこちょこ読んで
たくらい。まとめて読んでたのは高橋信次くらい。

あと、HSにはまってしまった理由は、やっぱ、あおられたってことかな。
世紀末天変地異がせまっている、このままでは大惨事が起きる、天上界
での誓いを思い出すのだ、光の戦士たちよ……とか何とか熱くうったえ
られて、その気になってしまった。
『仏陀再誕』で、「使命を果たすのだ」とかいってるのを聞いて、今で
もこの手のあおりがあるんだなーと感慨深いものがあった。

今になって、HSに夢中になってた自分を思い出すと、ほんと、ガキだっ
た、青かったと思わないではいられん。
ただ、あと二十年後、三十年後に、今の自分を振り返っても、同じような
感想を持つのかもしれん。(笑)

72タム ◆M/L2k2Eq72:2011/02/03(木) 20:25:58
ああ、そうだ。

HSにはまった原因には、自惚れもあります。

「オレには、人を見る目がある」
「オレには、ホンモノを見分ける眼力がある」

この自惚れが、落とし穴でした。

で、今、その自惚れは解消されたかといえば、まだあるんだよね。
探偵団とかみてると、「これはホンモノだ」「これはニセモノだ」
と自信満々で断言しながらも、外れることもしばしば。

政治家をみて、「この人はよさそうだ」といってたら、その後、
ダメダメなところが発覚したり……。とほほ、です。

73hiraoka ◆Qj9gDP9F5c:2011/02/04(金) 00:52:14
>71 >72 タムさま

まったくおっしゃるとおり・・・・
自分の人生を振り返ると、つくづく身にしみます。

もう、自分も大川君も両方とも笑い飛ばして、
精神的安定を保つしかありませんねぇ・・・ (ーー;)

74馬場 ◆//Muo9c4XE:2011/02/05(土) 23:39:05
私の頃は、講演会が会員限定だったんですよね。まだ宗教でもなかったし軽い気持ちで入会してみたら、例のサンライズだかミラクルだかに巻き込まれました。
今思うに、
・説明が明快で分かりやすいことと、それが正しいとこは別。
・自分にとって具合のいい、と思えることを、人は信じようとしてしまう。
・部分的にいいことを言っていても、その人の言うことが全部正しいとは限らない。
と思いますね。
まあ、私たちはオウム信者のように犯罪を犯したわけではないし、ここに来てる多くの人はまだやり直す時間があるはず。
歴史の中で、信じた理想に挫折した、あるいは裏切られた人は多く、そのどん底から這い上がり成功を手にした人もいる。
戦後、瓦礫の中から日本を再建した人々もそうだっただろうし、学生運動の熱から冷め、仕事に打ち込み繁栄を築いた団塊の世代もある。

スラムダンクの最後の場面、桜木たちに敗れたチームの監督は、こう選手たちに言うわけです。
「はいあがろう。負けたことがある、という経験が、いつか大きな財産になる」

75アイボリナイト ◆n2umuEbo1g:2011/02/06(日) 00:35:52
>>74 馬場さん
>「はいあがろう。負けたことがある、という経験が、いつか大きな財産になる」

うーん、良い言葉ですね。漫画もバカに出来ませんな。

>「負けたことがある、という経験が、いつか大きな財産になる」

この言葉は真実ですね。

76アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/02/06(日) 00:38:42
>>75
あ、ごめんなちゃい。トリップ間違えましたw

77アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/02/06(日) 00:41:01
匿名A ◆TDTUHwXNYs 改め → アイボリナイト ◆OknwggPyXgでお願いします。

78修道 ◆xvhaSPKbVw:2011/02/06(日) 18:39:14
玄學として捉へた《歸幽後の行方》その弐

地津出雲之幽宮と言ふ宮號は一般通用の別名にして、別に深祕なる宮號眞名があるが、
是れは幽政に關する靈的事情ありて、現世人類には宮號眞名は洩れ傳へられていない。
・・・・尚、地津出雲之幽宮と申し上げ奉りても、直接に、島根縣の出雲大社を指標するもの
ではなく、一般通用の宮號は似てゐても、別個に實在する幽宮に坐すのである。

この地津出雲之幽宮に於いて取り調べを受けてから、・・・・後に、・・・・○集大司命宮神界
(○集岳神界とも言ふ。)の萬靈司籍府宮に送られて、この萬靈司籍府宮の裁斷によつて、
當人の在世中に於ける信仰の有無・思想・言行等の正邪善惡の厚薄・深淺等によつて、
鎭まる(住居)べき當人の靈格相應の境界を定められて鎭まる(住居)のである。

特別に靈格の向上してゐるものは別として、・・・・殆どの歸幽者は、在世中の身分地位・
貧富等の差別には絶對關係なく、現世地上界とは最も密接なる接近關連のある地球上の
下等の幽境を常居として、將來は追々と上級の境界へ向上昇進する準備のために、上級の
界より派遣されたる教導師等の指導によつて、靈格向上の修道に努力精進するのが普通である。(前掲書)

(修道・註 伏字は修道によります。ネットでの神界名公開は憚り多き故。)
****************************************************************

神は人の敬によりて威を増し

人は神の徳によりて運を添ふ 

-御成敗式目-

79ウエスト ◆atahWDAI2.:2011/02/07(月) 17:02:19
アイボリナイト ◆OknwggPyXg さん、了解です!

80豆蔵(一昨年の退会者):2011/02/08(火) 22:11:38
 >78 修道さま
あのぅ‥ すみません、ちょっと読むのがしんどくて、それよりも
修道さんの普段着の物言いと落差があって、かわい、、
nん、ん、失礼‥‘無垢’な方だと‥ (-_-;)

襟を正して)最初は違和感がありましたが、そのうちに、なにか
“魂”のようなものを感じました。お名前も改められ、ご自分に
厳しく、言葉を大切にしておられるのだなぁと思いました。

いろいろと気づかせていただきました。これからは修道様の文面を
「虫眼鏡」を使って読むようにいたします。
(*肝心の内容のコメントでなくてすみません)

81サブロー:2011/02/09(水) 00:18:16
超能力を得て羨まれたいといった俗物的な欲や、妬ましいと思っている相手を卑下したい等といった地獄的な感情を持ち、
自らは何ら努力を重ねるわけでもなく神仏へ依存し、自己保身の強い怠け心などがあった為に、
本質を見抜く眼が曇っていたんだろう。
そして退会した今もまだ真理を見いだせずにいるのは、自分にそんな邪な心が残っているからだと思う。

82修道 ◆xvhaSPKbVw:2011/02/09(水) 19:05:53
>>80
豆蔵様、初めまして。

判りました。では今後は、漢字は新字(略字)を使ふ事に致します。
私が正字正仮名にこだはるのは、普段からそれらに馴れておかないと、古い神道の文献を
読むのに非常に苦労するからなのです。特に「神典」と呼ばれるやうな、古事記や日本書紀、
古語拾遺、延喜式などは正字正仮名で書かれてゐますからね。現代語訳では古典の持つ
微妙なニュアンスが伝はらないのです。

でもあまりそれにこだはつても、読んでくれなきや意味がありませんからね。最初は判る方だけ
読んでくれればよい良いと思つてましたが、それも此方の慢心であると思ひ直しました。笑

今後ともよろしくお願ひ致します。頓首再拝

83豆蔵:2011/02/09(水) 22:29:41
修道様、返信ありがとうございます。

私の書き込み内容に不適切な面があったことをお詫びいたします。

書き込みを通じて伝えたかったことは次の二点です。

まず、現在、KK撲滅の大きな動きが興りつつあり、初めてこの掲示板に来られる方が増えるにあたって、
少し入り易い雰囲気をと、私なりに考えたものがあったということ(今はどうかな、というところあり)。

次に、言葉というものを、あまり大事に扱ってこなかった私に、その深みを気づかせていただいたお礼の
気持ちをお伝えしたかった、ということです。

形では顕せない大事なものを顕すのに、やはり言葉がいる。それを正字正仮名を使われることで、そこに
宿っているものを、初めて私なりに感じることがありました。

何の造詣もない私が、修道様の文面の内容に軽々にコメントすることは失礼にあたると思い、それでも、
大事に読ませていただく気持ちを、「虫眼鏡」を使って、と表現させていただきました。

楽しみにしてますので、修道様のお考えもあるかとは思いますが、以前のようによろしくお願いします。

84修道 ◆xvhaSPKbVw:2011/02/10(木) 23:37:13
>>83
豆蔵様
あれれ、さうなのですか。それぢやあ、お言葉に甘えて元に戻しませうかね。
他の方はどうなのでせうね。読み辛くないかしら・・。(読み辛い事は決つてますが。笑)

85豆蔵:2011/02/11(金) 00:31:47
こんばんわ、修道様
>83にて私の個人的なことを書き込みましたが
おわかりのように、もともとこのスレの性格上、修道様の佇まいに合ってますので
あのなんとも言えない味わいを、これからもよろしくお願いします _(._.)_

86修道 ◆xvhaSPKbVw:2011/02/11(金) 19:03:10
玄學として捉へた《歸幽後の行方》その参

****************************************************
死後、即ち歸幽後に多くの一般人が常居とする地球上の下等の幽境は、殆んど
現世地上界と同樣な状況の處にして、明暗あり、四節氣候の變化あり、山岳・瀧溪あり、
河湖・大海あり等々、現世地上界の生活環境の如く、靈質系靈躰人類生活に適應せる
飮食物類があるのである。

現世地上界の人類の如く、民族の相異・身分地位・貴賤貧富等の差別觀念が殆んど
ないので、現世の人類の如く國家的の對立戰爭や生活難などは全然ないので、歸幽者等は
各環境に自然に適合して、大躰は各人相應に滿足?らしい生活をしてゐるやうであるが、
爾し、下等の幽境は現世地上界の人類と同樣に正邪・善惡・苦樂のある境界であるから、
上級の境界より展望して見れば、地獄界の中の上位にある煉獄界の一部の感じを受ける
やうである。

又た此の下等の幽境の中には、諸種の突發的の不慮不測の病氣や災害に遭遇して急死
(變死も同じ。)や自殺(心中も含む。)したと言ふやうな人々も多くあるが、國家の戰爭の
ために戰死した人々や國家社會人類のために犧牲的に死んだ人々などは、是等の死の
動機によつて上級の幽境に住居してゐるやうである。・・・・・但し、自殺者としても、自殺
せねばならぬ原因によつては、上級の幽境に住居を定められる場合もあるのである。(前掲書)
****************************************************

上見れば あれ欲しこれ欲し ほしだらけ

笠つけて暮らせ おのが心に

下見れば 我に勝りし者はなし

笠とりて見よ 天の高さを <格言>


<次囘につゞく>


豆藏樣、元に戻させていたゞきました。笑

87豆蔵:2011/02/11(金) 22:31:11
修道さま、いい雰囲気を醸しだしてますよ。不思議に中身も心に沁み込んでくるようで‥
読むのにスラスラいかないという点は、滋養のある食べ物と同じ、又、このスレには
個性も大事ということで。 

当方ばかりコメントするのはあれですから、とりあえずはこの辺で。
(あ、そうだ、「蔵」の正字を見た途端、急に自分がエラくなった気がしました。
 明日から手書きはそうします)

88修道 ◆xvhaSPKbVw:2011/02/13(日) 18:40:21
>>87
豆蔵樣、御名前の字はその方がお使ひになった文字をそのまま表記するのが禮儀でした。
大變失禮致しました。

89修道 ◆xvhaSPKbVw:2011/02/13(日) 19:26:01
《煉獄界の幻想境》その壱

煉獄界は穢汚の靈魂を水火の玄氣によつて祓穢淨化する界にして、地獄界の上位に
あるが、此の煉獄界の中に幻想境(夢幻境とも言ふ。)と稱せられる奇妙な一境區がある。
・・・・・自身の死を自覺してゐる人は別であるが、・・・・・色々な事情によつて、自身が既に
死んだことを自覺せずに、相變らず、現世地上界に生存して、在世中の家族や知人等と
共に、物質的の生活をして居るが如きの妄想幻覺に捉はれて、同氣同類の似た者同志の
如く寄り合ひをして、幻影に滿ちた空虚な幻覺の中に、集團的に住居生活して居るものが
驚くほど多數なのである。

殊に在世生活中に、神佛や靈魂の存在とか信仰や死後の生活等の問題には、甚だ無關心で
あつたり否定したりなどを言行して、いはゆる、醉生夢死せる連中や、殆んど自身の死んだ
事すらも氣づかない連中は、(相當の宗教者や信仰者のなかにもあるやうである。)ともかく、
是等の連中は例外なく、幻想界に在住して、周圍の状況などをただ夢幻的に眺めて生活して
ゐる程度のものである。(前掲書)

<次囘につゞく>

あくまで玄學としての捉へ方です。御了承賜はりますやう。 修道

**************************************************

この慈悲と智慧と正直を三種の六字と云ふぞ、

まず慈悲を萬(よろず)の根源と知れ、

慈悲より出でたる正直が誠の正直ぞ、

また慈悲なき正直は刻薄(こくはく)と云うて不正直ぞ、

また慈悲より出でたる智慧が誠の智慧ぞ、

慈悲なき智慧は邪の智慧なり  -松永道齊聞書- (徳川家康語録編纂者)

90退会者:2011/02/13(日) 22:16:35
<KK信者はなぜ「傲慢」「鼻つまみ」になるのか?>

この掲示板にも、たびたび現役信者等が書き込みをしていて
その横柄な態度、高飛車な言動、トラブル人格が観察できるのだが

どうして、幸福の科学にはこうした人種ばかりが量産されるのだろうか?

① 大川隆法を「手本」にしているため

類は友を呼ぶじゃないが、自己愛性人格障害の大川隆法を手本に
していれば、自分自身もまた同じような人間性になり下がる
ということの動かぬ証拠でしょうね。

KKは「ミニ大川隆法」みたいな劣悪パーソナリティーの製造工場
になってしまっていて、コア信者の人間性に深刻な影響が及んでいる。

現役信者たちの書き込みを見れば、その実態がよく分かりますね。


② 歪んだ「自力崇拝」が教義に垂れ流されているため

KK教義には、スピリチュアル系や仏教(禅宗)などに見られる
「自力救済型」の視点が、極端に「誇張」された形態で説かれています。

・自分が持っている「生得的素質・能力」によって救われる

・人のできないような「難しい秘儀」「悟り」を得れば「霊格」が上がる

・またそうした人ができない事をできる自分の努力を誇って思い上がる

こうしたスピ系やニューエイジ型の禅宗なんかに見られがちな

脳内自己満足論、「すごい自分像」の膨らまし体験、
凡人にできない「秘儀や知識」を得て、さらに思い上がりを強める

といった「歪んだ自力思想」が

大川隆法の「自己愛的」な傾向性によって
歪曲され補強されて「教え」の至る所に垂れ流されている。

だから、KKの自己愛的な自力思想を奉じることによって
「傲慢さ」「思い上がり」「自己イメージの肥大化」を強めていく。

逆にいえば、それが無くなれば「劣等感だらけのリアルな自分」が
むき出しになってしまい、彼らはすぐに鬱状態へと移行する。

これが、KK会員に多々見られる「打たれ弱さ」の原因でもある。

しかし、「宗教性」の本当に深いところは
そんな「脳内自己満足」な歪んだ自力思想には無いのではないか。

(つづく)

91退会者:2011/02/13(日) 22:31:25
たとえ自分が積極的に努力しておこなった「行為」や
苦労してようやく得ることができた「経験」や「知識」であっても

それは自分自身の「力やわざ」によって、なし得たことではなくて
(=自分自身の「手がら」「功績」であるのではなくて)

「神様」が「私を通じて」そのように達成して下さったのだ
「神様」の見えない働きに促されて、やらせて頂いただけなのだ
「神様」の力によって、私が器として用いられたのだ

というように「自力」をも包み込んで、それを可能としている
「他力」の大きな恵みを「重ね合わせ」で感じ取る

というところにこそ、
宗教性の本当に深く豊かな世界があるのではないだろうか?

KKには、そういったバランスの取れた救済論が存在しない。

ホンモノの宗教者や聖人には、
そうした「謙虚さ」「へりくだり」の姿勢が
誰に言われるまでもなく、自然とにじみ出てくるはずで、

自分を凡人とは違う「生き神」だと崇めさせて、
その自画像やら写真やらを額縁に入れて、御本尊といって拝ませて
金を巻き上げるようなことをする宗教家が「ホンモノ」なはずがない。

そうした自己愛的な教祖を拝んで、手本にしている信者たちもまた
人ができない秘儀やマニアックな知識を「自分の力とわざ」として
誇って、思い上がり、自分の功績と自己証明にばかり励むようになる。

いかに自分がすごい人間で、自分の「わざ」が素晴らしいかを誇り
自分以外の凡人に対して「高飛車」で高圧的態度を示すようになる。

この「抜きがたい傲慢さ」「見下しの姿勢」こそが、
自己愛性パーソナリティー障害の「目印」と言える。

幸福の科学会員は、まずはそうした自分の傾向性を自覚し
その劣悪な人間性を改善するようにデトックスに励むべきだろう。

いかに自分が思い上がった「傲慢」な人間になり下がっていて
自分以外の多くの人に支えられて生きているという「恵み」に
目を向けておらず、感謝が薄い生き方をしているか、という事実に

まずしっかりと目を向けなければいけないのではないだろうか。

掲示板にたびたび登場する典型的な「傲慢信者」やら
「マニアック知識秘儀型」の「電波系信者」には
そうしたクスリを付けてあげるべきなのだろう。

92アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/02/17(木) 21:49:37
退会者さんも

言われてるが、幸福の科学には色々な面で、がっかりした。もう2ちゃんを見ても
飽きてきた。

スピリチュアリズムの本や、GLA、生長の家、神智学、等の本を読んで、其処からパクッテいる
のがよく分かった。それを、自分のものとして発表してるのだから、あきれてしまう。

たとえば、シルバー・バーチの霊訓 「古代霊は語る」近藤千雄;訳 を読んでいたら
P17の9行目に、「神は、木の葉一枚落ちるのも見逃さない〜」と、いうのが書かれていた。

きっと、ここから取って、自分の言葉の如く「j講演会」で使ったのだろう。情けない!
パクルことにかけては、中国より酷い。中国のこと、非難できないだろw

かれは、初期の「太陽の法」か何かで、大学の頃、「あー、思想家になりたいな」と思ったと書
いてた。今は、信者を前に、偉そうに、思想家の如く語れるのが嬉しくてしょうがないのだろう。

今にして思えば、「心霊主義」の名作や、人を騙す実績のある神智学などの引用であったの
なら、騙される方も無理もない面もあったと思う。知識のない人間は騙されやすい。

また、彼自身、高校の頃は、「演劇部」から誘われて、演技をしたことがあり、そういう才能も
「あったかもしれません」なんて自慢げに書いてたから、「講演会」などは、「演技」なのだろう。

思わせぶりな英語版「ジーザスクライスト」の「召喚」の身振り手振りも、臭い「演技」だ。

ただ、思うのは、彼は「俺俺詐欺」のような、確信的犯罪人なのか、それとも、重度の
「宗教妄想を発症した統合失調症」なのだろうか?それとも、両方なのか?

「病人だったら」、責任は問えないのかな?どうも、其処の所がよく、わからない(^^ゞ

どなたか、どう思います?

93タム ◆M/L2k2Eq72:2011/02/17(木) 23:14:39
>>92
霊言についての見解を分類するなら、こうなるのかな。

1.本当に霊言してる。
 a.高級霊が霊言してる。
 b.低級霊が高級霊のふりをして霊言してる。

2霊言は本当ではない。.
 a.高級霊の霊言をしていると妄想している。思い込んでいる。
 b.高級霊の霊言をしていると自覚的に嘘をついている。


わたしは、初期の頃の霊言は、2aの妄想傾向が強い気がする。
ここ最近の霊言は、以前よりも、2bの要素が強くなってきている気がする。
これは何かの証拠があるというのではなくて、自分の感覚的な感想ですけど。

あと、祈願とか、グッズとかについては、お金集めが主目的で、宗教的なご利益
とか、そういう類のものは後付の理由付けにすぎないように思える。

94タム ◆M/L2k2Eq72:2011/02/17(木) 23:17:08
>たとえば、シルバー・バーチの霊訓 「古代霊は語る」近藤千雄;訳 を読んでいたら
>P17の9行目に、「神は、木の葉一枚落ちるのも見逃さない〜」と、いうのが書かれていた。

これは、はじめて知りました。ありがとう。こういうネタ元を見つけて記録しておくのは大事なことですね。

95アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/02/18(金) 00:18:17
>>94タムさん
いつも、2ちゃんでも、お疲れ様w

>たとえば、シルバー・バーチの霊訓 「古代霊は語る」近藤千雄;訳 を読んでいたら
>P17の9行目に、「神は、木の葉一枚落ちるのも見逃さない〜」と、いうのが書かれていた。

この本は、1984年5月31日第一刷発行、潮文社版 なので絶対に、父親か本人が読んで
ますよ。

私の意見では、スピリチュアリズムの
★アラン・カルデック「霊の書」「天国と地獄」、★ステイトン・モーゼスの「霊訓」、
★ヘンリー・マイヤースの「永遠の大道」、★シルバー・バーチの「霊訓」シリーズ

は、霊界のこと、生まれ変わり、などを明らかにした「名作」だと感じました。その訳本が
日本の潮文社で刊行されたのが、だいたい1985年近辺なのです。

ところが、善川三郎が、潮文社から同じ頃、「日蓮の霊言」「空海の霊言」を刊行した。
日本人には、名前も知らない外人の書籍より、こちらが受け入れ易かったんだと思います。

故に、質の高い「心霊主義」「霊言」が隠されてしまったと感じました。つまり、譬えれば、
エルメスの本物を手に入れるつもりが、中国製の安価な偽物をつかまされたわけですw

ところが、使っているうちに、「偽物の化けの皮」が剥がれてきた。
騙されて学んだので、次は本物を、間違いなく、手に入れるでしょうw 真贋がついたかも。

諦めなければ、「失敗は成功の元」です。失敗して、最悪なのは・・・

「一度、事故ったから、もう、車の免許は取らない」と、諦めることでしょう。図太くなきゃねw

96アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/02/18(金) 00:27:23
>>92 訂正
>「神は、木の葉一枚落ちるのも見逃さない〜」
        ↓
  「神は木の葉一枚が落ちるのも見落さない〜」 でした。

97アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/02/18(金) 08:14:38
シルバー・バーチの霊訓 「古代霊は語る」近藤千雄;訳 からのパクリかな?

■「神は木の葉一枚が落ちるのも見落さない〜」・・・P17の9行目

■地上で見せる個性は固体全体からすればホンの一部分に過ぎません。
私はそれを大きな「ダイヤモンドに譬えて」います。一つのダイヤモンドには
幾つかの面があり、そのうちの幾つかが地上に再生するわけです。
                      ・・・P85−6行目

■人間はあくまでも霊魂なのです。霊魂は「無限の可能性」を秘めているのです。
                      ・・・P103−14行目

■「神は耐え切れないほどの苦しみは与えないとおっしゃったことがありますが・・・」」
                      ・・・P125−12行目

シルバー・バーチの霊訓 「古代霊は語る」は、1984年5月31日第一刷発行
、潮文社版 なので、「日蓮の霊言」「空海の霊言」よりも一年はやく刊行
されている。故にパクッたのなら、エル・カンターレ様までしょう。

98アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/02/18(金) 08:21:50
>エル・カンターレ様までしょう。
  ↓
 エル・カンターレ様でしょう。

99タム ◆M/L2k2Eq72:2011/02/18(金) 19:23:28
>>93
きょう子さんは、悪妻封印祈願の霊言については、信者をコントロールする
ためのものだという主張のようです、週刊誌報道によれば。
自覚的な嘘説が一歩リードです。

あとは、初期の霊言だとか、他の霊言についても、知りたいものです。


>>97
それを見ると、まんま、パクリですな。
大川さんは、どこかで、思想に著作権はないとか主張してたかと思うけど、
それにしても、決め台詞をそのまんまパクって知らんぷりというのは、まず
かろう。
すでに、>>92で指摘されているけど、これだけ、流用しておいて、さも、
自分が発見したかのように説くのは道義的に問題ありだよ。
きちんと、何々の本には深く感銘を受けた、影響を受けたとか、正直に言っ
ておくべきだよ。

100修道 ◆xvhaSPKbVw:2011/02/19(土) 17:14:19
《煉獄界の幻想境》その弐

此の幻想境の獨特の奇妙な點は、・・・・・例へば、・・・・・何等かの物品類が欲しいと思つて、
其の必要なる物品を思念すると即座に思念の物品が眼前に出現するし、不用の物品類は
思念すれば即座に眼前より消失せると言ふのである。無論、是等の物象は現實的のもの
ではなく、總ては幻覺的の非實性のものではあるが、彼等に限り、是等の幻覺的の非實性
物象は現實在性の如く實感するのである。

・・・・・・

爾し、長年間の幻想境の生活中に、現在の生活状況に疑念を生じたのが動機となつて、
天來の神性が閃き、神の存在を探求する神光を發し、例へ神が實在し給ふ確認を得ぬ
までも、求神祈念の産靈(因縁)によつて上界との氣線が感通して、上級の界より派遣され
たる教導師等の指導によつて、幻想境より脱出して上級の境界に向上進歩し得たと言ふ
實例も多數あるのである。(前掲書)

****************************************************

不正の祈祷は天地與(く)みせず

非禮の報賽は神祇享(う)けず  - 北畠親房 -

101修道 ◆xvhaSPKbVw:2011/02/20(日) 19:02:34
《歸幽せる子供等の行方》その壱

諸種な事情によつて、僅か現世享年數歳(當人の事情によつては十數歳未滿を含む)前後の
短い幼少の人壽で歸幽した子供等は、死後、如何樣になつてゐるのであらうか?是は愛する
子供を亡くした兩親や血縁の家族等の同樣な心の苦惱であらう。

普通、年齡的に十數歳以上ならば、個人別の事情によつて別問題となる場合もあるけれども、
數歳前後の子供の場合は、精神的には正邪・善惡等の思想判斷能力が未熟であることは
申すまでもないことである。

是等の子供等の歸幽後は、當人の在世の出生地又は住地を御分掌司る産土司命宮に引き
取られるのであるが、なにぶんともに、歸幽當時の年齡は天眞無邪氣な幼少であり、隨つて
、正邪・善惡に對する精神的の分別判斷能力が未熟なのであるから、地獄界や煉獄界に落ちる
罪惡はないが、さりとて、高級な諸界境に昇進するほどの資格もないので、一應は、産土司命宮の
御管轄の保育所に收容されて、男女の保育係の仙官等の愛情の手に抱かれて養育されて、
弥も健全に成長してゆくのである。(前掲書)

<次囘につゞく>

(修道)保育所があるとは、幽眞界も味なことをなさいます。笑

**********************************************************

眼(まなこ)閉ぢ靜かに思ふ

  今日までの己の命

限りなき尊き命に支へられ

  生かされてゐるこの身

ゆるされし命の限りをつくして

  捧げ奉らん感謝のまこと  - 不詳 -

102タム ◆M/L2k2Eq72:2011/02/26(土) 11:03:00
>>99
霊言とは少し違う話ですが、今度の週刊誌記事によれば、
総裁は大地震が来るとして、方針をコロコロ転換させていたようです。
また信者が大勢いるため、自分が外にでれば、信者が鈴なりについて
くると信じ込んでいたとか。
やっぱ、思い込みが激しいというか、妄想癖があるというか、そういう
傾向はあるようです。

103タム ◆M/L2k2Eq72:2011/02/26(土) 11:05:17
>>102
>信者が鈴なりについてくる

「ついてくる」でなくて、「並んでる」のようですね。失礼しました。

104アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/02/26(土) 23:38:49
>>102
>やっぱ、思い込みが激しいというか、妄想癖があるというか、そういう傾向はあるようです。

【考察】フライデー事件の時、「狐が憑いてるかも」とか言ってどこかに相談に言ったのでしょ
う?やはり、何らかの「統合失調症」は確実じゃないかな?それと強烈な「自己愛」かな。

つまり、何らかの劣等感から来る、「目だちたい、愛されたい」思いかな。もしかして、
幼少の頃、兄の富山誠が優秀で父に愛されているのを見て、プレッシャーがあったのでは
ないのかな。確か、兄とは5−6歳離れてるのかな。晩年の父親を、四国に閉じ込めたの
を見ても、兄ほど愛されなかったという思いが、恨みとなってあったのかもしれない。
資料室の情報によれば、兄は弟を恨んでいたか、嫌っていたようだ。弟も兄の葬式にも出な
かった。1991年の「聖夜祭の準備で忙しい」のを理由にしたようだ。

父は、KKの手伝いの女性が乱暴する、と言って苦情を言っていたらしいし、晩年は四国に
封じ込められて不幸だったようだ。本当に、悲しい家族だなと思う。

そして今回の、「離婚劇&子供たちを巻き込んだ霊言」。 ああー、無情!

105タム ◆M/L2k2Eq72:2011/03/03(木) 20:31:07
>幸福の科学総裁・大川隆法夫人きょう子さん記者会見
 幸福実現党の演説では、妙にヒステリックにものを言う人だな、という印象を受けたが、記者会見では終始落ち着きを払った様子だった。
 私の質問は「霊言は方便ではないのか」というものだが、丁寧に答えてくれ、幸福実現党の創立によって財政状況がやや厳しくなったことも話してくれた。
 ただ、「大川総裁には最近、悪い霊魂が憑いている。霊言自体は本物。ただ、偉人を騙って出てきている。私自身も霊が憑依する体験をする」と話しているから、信仰を全て否定した訳ではないようだ。
 ルポライターの志水一夫さん(故人)は、「大川氏に起きている憑依霊体験は潜在意識の悪戯か確信犯的デッチ上げ」という見解を示してきたので、その真偽を確かめたいとずっと思っていたが、少なくとも霊が憑いたと思しき体験をしているのは事実のようなので、当人は「デッチ上げ」とは思っていないようだ。ちなみに私は志水氏同様「潜在意識の悪戯」の可能性が強いときょう子さんへの質問で判断した。
http://blog.livedoor.jp/abudala777/archives/51613496.html

106タム ◆M/L2k2Eq72:2011/03/03(木) 20:42:16
ちなみに、PHP文庫の「論語より陽明学」は、大塩平八郎の霊が語るという
形式のもの。HSの霊言と読み比べするのも面白いかもしれん。


>論語より陽明学
>長尾剛著 《作家》
>本書は、幕府に反旗を翻した大塩平八郎「自身」が語りかける形式で、
>儒学の祖・孔子から王陽明、日本の陽明学の礎・中江藤樹、そして西郷隆盛、
>三島由紀夫まで、歴史を辿りつつ、陽明学を平易に解説する。
http://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-67395-0

107修道 ◆xvhaSPKbVw:2011/03/05(土) 18:19:14
《歸幽せる子供等の行方》その弐

幽眞界の保育所は、現世地上界に接近せる幽境の特別區域に設備されてゐるが、此の保育所は現世地上界諸國の各地方の幽境にあつて、諸國各地方を御分掌統治

せられる産土司命宮の御管轄下にあつて、現世地上界に於ける父母や血族者に相當する養育係の男女の仙官等が多數奉仕せられて居り、無邪氣な幼少の身にて歸幽

せる子供等を引き取つて、深い愛情にて愛撫しつゝ大切に養育してゐるので、子供等は恰かも現世の肉身の父母の愛情に抱かれて養育されてゐるが如く、格別の淋

しさも悲哀の思ひもせずに、心身ともに正調に成長してゆくのが普通である。

幽眞界の産土司命宮御管轄の保育所には、靈躰生活相應の色々な飮食物はもとより果物や菓子類もあり、又た遊戲用の玩具品や娯樂用具品類も設備されてあるの

で、欲しいと思ふものは殆んど滿足し得るやうになつてをり、多數の友達と一緒に嬉々と遊戲などして、幸福な生活をしてゐるのであるが、・・・・・是等の子供

等の中には相當のイタヅラッ兒もゐて、係の保育仙官を困惑させるものもあることは、現世地上界の現世地上界の子供と同樣らしいのであるが、保育係の仙官は濫

りに叱責せずに、何時も愛情の微笑みを湛へた優しい目で見護つて指導せられてゐるのである。

斯くして子供等が正調に成長するに隨つて、學校のやうな修學院に入學して、多數の友達と一緒に色々と研究したり勉強したりなどしてゐるのである。(前掲書



<次囘につゞく>

まあなんとも面白い話です。

********************************************************************************

人をもてあそべば徳を失ひ

物をもてあそべば志を失ふ - 書經 -

108 ◆q/9ewSheIU:2011/03/09(水) 02:28:49
2011年3月9日から始まるマヤ暦の「最後の審判」
http://archive.mag2.com/0000101181/20110307194000000.html

そのメルマガの終わりの方にこう書かれています。
「チャネラーやヒーラーと称する人たちに
頼りきり精神的に自立できていない人々は<魂>の完成を見ずにおそらく分離
される側に立たざれるに違いない。」

精神的に自立するときが来てるということらしいです。
最近のスレの流れを見てると熱烈信者達が狂ったように荒らしてますが
HSの終わりを告げているのかもしれませんね。

渡邊延朗氏の考えやヤスの備忘録の記事に関しては自分は否定も肯定も
しないけどそういう考え方もあるんだなということで参考までに。

109ハチロー:2011/03/09(水) 12:37:27
2月17日のタムさんの書き込みについて一言、
ウカツにも見逃していましたが、今の幸福の科学を簡潔に表現すると
こうなるんですね、これだけでもいいんじゃないでしょうか。
ちなみに私は最近まで1ーbを信じていました、(おはずかしい)
体調不良のためしばらく休みます。
なお事情があってハンドルネーム変えました。

110サイカイアトリー:2011/03/10(木) 13:06:09
2チャンネルに聖杯と剣氏の投稿があったので、こちらで少々述べさせてください。
以下の投稿。

>>308  聖杯と剣 ◆mV44sBgxwA :2011/03/08(火) 22:39:59.31 ID:yjcrkXH8
>そう、カトリックこそシュタイナーの言った「ルシファー」の正体なんだよ。
ブラヴァツキーが最も激しく戦ったのはカトリックであった。谷口雅春も
その著作を読むと、原罪論を強烈に批判している。彼らはルシファーの正体を
知っていたんだよね。

これについてと曲解があってもいけないので、人智学的立場から述べておきます。
そもそもルシファー、アーリマン、キリストの本質とは何か。
詳細は述べませんが、概念でいうと下記のようになります。

「シュタイナーにおけるルシファー的とアーリマン的、そしてキリスト的とは」
     ルシファー的       アーリマン的

◎肉体的  軟化すること       固くなる事
      若返ること        硬化すること

◎魂的   幻想性          細事に対する拘り
      熱狂           俗物的
      神秘主義         唯物論
      神智学          干乾びた悟性

◎精神的  眠り込む事        目覚める事

人間の霊魂体はこれらの作用なくしては成立もしないし成長、老化、死という課程を通りません。
絶えず流動的である人体についてもそれら緒力の均衡を図ることがいかに大切か理解できます。
また精神的な活動においても、一方が強まったり、片方が弱まったりすることはバランスを欠きます。
そういう緒力について正しく均衡させる事を良く理解し正しく学ぶ必要が生じます。

その均衡(中道)をはかる存在としてキリスト的な存在の意義が述べられました。

111サイカイアトリー:2011/03/10(木) 13:09:34
続き

これは、聖書などの福音書を読む時にでも、正しい心の準備(諸力と均衡を知る事)が必要だと言いました。
何故ならば、そのような書物が具象的に叙述されているからだというのです。

シュタイナーがキリスト者から批判を受ける時、彼はこう答えました。
「キリスト的なものの本質は、絶えずキリストの名を口にしたりすることの中には存在しない。」
「私たちはキリストについてあまり多くは語らない。なざなら私たちは十戒を知っているからである。」
「あなた方はキリストについて非常に多くの事を語るが、『主、神の名をみだりに口にしてはならない』
 という戒律を決して知らないからである」と
「本来人間は『何が重要なのか』ということを正しく理解した場合にのみ、
 キリストの名を口にするべきである。」
「私たちは実際に正しい意味においてキリスト的であろうとしますが、
 迷信的になったり、信心深そうなふりをすることはありません。
 人智学はただ、真に学問的であろうとします。このような姿勢に基づきながら、
 ゴルゴダで起こった出来事を世界の歴史にとって決定的な意味をもつものと見なすのです。」


キリスト教の初期の時代から、13,14世紀に至るまで
一般キリスト教徒は聖書を読むことが禁じられていました。
それは、聖職者が「聖書を正しく読まなくてはならない」という事を理解していたからです。
正しい心構えの出来ていない人が聖書を読むなら、四つの福音書は相互に矛盾しています。
けれども、それは至極当然な事であり、正しい視点から見れば、
「四つの福音書はそれぞれ異なった視点から叙述している」という事を知ることができると。
ところが現代にいたり「福音書を読むために心の準備な何もする必要がない」というのなら、
それでは、本当の意味での聖書の理解、そしてキリストの存在意義、
更にはキリストに至る事もできないであろうと、シュタイナーは説いたのです。

これは当時のキリスト教に受け入れるべくもないのですが、
彼は教条主義的な態度、妄信では彼らはキリストには至れないと語った一つの真相です。

112サイカイアトリー:2011/03/10(木) 13:11:47
続き
そして、それらの存在(ルシファー・アーリマン)が
人間にとって供犠の存在であるのかを理解しなさいと言ったのです。
進化から逸脱した存在がいたからこそ、我々人間は自由を獲得する事が可能となったと。。

そしてルシファーの作用とアーリマン作用の均衡をはかる存在がキリストであり、
ゴルゴダの秘儀において、キリストは新たなステージを人類に与えたと彼は言いました。
人は自らの力で真の意味での自由を獲得することが可能であり、
中道の道を歩むのなら、人は自らキリスト存在を見出す事ができるだろうと説きました。
つまり真の意味でのキリストの理解と認識に至る道です。

ちなみに、神智学と人智学は似たようなものに見えますが、方向性が違います。
シュタイナーはブラバッキーの良き理解者でもあり、神智学協会に関わりましたが、
最初から彼の方向性ははっきしていました。

極論を言えば、神智学は神から与えられるものを求めたり、覚者の存在を探す方向に行きがちです。
逆に、人智学は人間自らが歩むべき道を示したのであり、始めにゲーテの認識論を用いました。
また彼が、ニーチェの大変な理解者であった事を考えれば、その方向性も想像できるでしょう。。。

いずれにしろ、精神世界を求める事はルシフェル的であり、偏ると過てるものが発生します。
これは、神智学、人智学とて同じ事です。行き過ぎは原理主義となり、一知半解は狂気になるのです。
これらが難解であり、過てる可能性がある・・即ち実相への道は自ずと『狭き門』であるという真相です。

聖杯さんも宗教を求めないと言われましたので、私はそれが正解だと思います。
まずは、自立できなければ何も始まりません。
ただ、私はカトリックを始め真面目な信仰をとろうとは思いませんし、
神に対する畏敬の念、真摯な祈り、正直な信仰は大切な事であります。
正しい態度を取るのなら、それらは私達に福音をもたらす事でありましょう。。。

長文失礼しました。

113タム ◆M/L2k2Eq72:2011/03/10(木) 21:38:12
>>109
ハチローさん、お大事に。
霊言に対する見方は、少しずつ変わって行くのものだろうし、
はずかしがらなくても大丈夫ですよ。

114アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/03/30(水) 06:13:05
>>112
>いずれにしろ、精神世界を求める事はルシフェル的であり、偏ると過てるものが発生します。
これは、神智学、人智学とて同じ事です。行き過ぎは原理主義となり、一知半解は狂気になるのです。

【考察】私は、神智学、人智学には詳しくない。しかし、直感的に、両方とも胡散臭さを感じる。

ただ、HSにおいて、真理を求め、邪教と分かり、挫折した元信者は、次にどうするのだろうか?

とりあえず、今は、批判し、非難し、アンチ活動するのは良いとしても、「求めた真理」を次に
どこで探すのか。

HSは、駄目だった。では、既存のキリスト教や、仏教に求めれるか?それとも、不可知論者になるか。
初代君みたいに・・・。

私は、諦めないで、真理を求めて欲しいと思う。

「求めよ、さらば与えられん!叩けよ、さらば、開かれん!」 とイエス様は言った。

一回や二回の失敗で、簡単に挫折し、諦めないで頂きたい。もともと、真理を探究するとは、
甘いものでは無いのだと思う。ただ、HSも駄目だった、というのが分かった。これは進歩だ。

では、どこに真理があるのか? また、捜し求めねばならない。私は、そうする。

115アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/03/30(水) 06:25:13
ある会員が言った。

「大川隆法は、関係ない!真理は真理だ」と、・・・彼もまた、ORが変なのは理解している。

しかし、HSで述べられている法が、全てl||li ????○ il||li 駄目だー!とは思っていないのだ。

「エル・カンターレファイトもヒーリングも、効きますよ」と、言っていた。w 私には、分からんw

アンチでも、色々な人がいるw

ただ、支部精舎に集っている、真面目な素直な、無知な(情報が乏しいと言う意味で)信者の皆さ
んを見てると、・・・「何とか、良い所だけ残して、このサロンを残せないかなー」とか、思ったりする。

人間に、完全な悪人も、完全な善人も居ない。 同じように、HSが「完全に悪である」とも、私は、断定
出来ない。良い所もあるかも知れない。w

さて、どうしようかな? 私は、悩んでいる。

116アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/03/30(水) 06:39:10
ただ、私は、既に発見した(^^ゞ

HSで失敗したおかげだと思っている。

真実の神は、無意味に試練を与えられない。

「主の山に、備え有り!」 聖書には、書き換えられ他部分もあるが「真理は真理」だ。

夜明け前の闇が最も深く、暗い。しかれども、それは、夜明けの為であり、凍てつく寒さは

「春の到来の為」である。(^^ゞ

117タム ◆M/L2k2Eq72:2011/03/31(木) 20:44:50
>>116
>ただ、私は、既に発見した(^^ゞ

何か、いいものを見つけましたか。差支えなければお教えください。


>>115
>「何とか、良い所だけ残して、このサロンを残せないかなー」とか、思ったりする。

それって、ネット上ではある程度、実現されてる気がする。

霊界に興味ある人たちが集まる場を、これまでは教団が提供していたけれども、
今後は、気の合う人たちがネット上のどこかに自然と集まり、気が変われば、
他のところに移動して行くという感じになるのではなかろうか・・・。

118アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/04/01(金) 07:54:41
>>117 タム君
>何か、いいものを見つけましたか。差支えなければお教えください。

君の求道の精神があれば、君も、やがて見つけると思う。簡単に答えを教えるのは、どうかな?

なぜ、入学試験とか宿題が在るのだろうか?親が変わりに【答】を簡単に教えていいと思う?w

自分で答えを見つけるから、嬉しいし、その人の実力になるのじゃないかな?

それと、なぜ釈迦は、ブラフマンが「真理を説いて下さい」と懇願した時、断ったのだろうか?

三度請われて、やっと承諾した、と言われている? 仏典には、どう書かれているのかな。

仏教は詳しくないからさw


でも、ヒントは、あげたいなw ただね・・・批判する人は(君の事じゃないよw)、いつでも、どこにでも
居るからねw

もう少し、待ってねw♪ 時が来たら、ヒントを書くからv(^0^)v

119アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/04/02(土) 08:01:36
梵天勧請[ぼんてんかんじょう]の物語
http://www.fruits.ne.jp/~k-style/sub6.html

仏陀(釈迦)は自分の悟ったダンマは深甚微妙(あまりにも深く、微妙であり人々の推論の域を
越えている)であり、人々には理解されないであろうと考え、それを人々に説くことは出来ないと
そのまま涅槃に入ってしまおうと考えていた。

  (涅槃)〈ねはん〉[ニルヴァーナ] とは { 「(火が)消える」の意味から派生した言葉で、
煩悩の火が消え、悟りの境地に達したことをいう。また、輪廻からの解放、すなわち解脱を意味
する。 }そのときの仏陀がそのまま一言も説くことなく、説法をあきらめて涅槃に入ってしまえ
ば、仏陀一人の悟りであり、人々には伝わる事がない。

それを知ったブラフマー(梵天)をはじめとする天上の神々が、再三お願いして、やっと仏陀は
説法を始めることを決意した。

仏陀は以前6年の間共に苦行した友人(仲間)であった5人の修行者にその教えを説いた。
その説法をうけた5人が仏陀の最初の弟子となった。

【考察】>「人々には理解されないであろうと考え、それを人々に説くことは出来ない」と考えた。

そういうことは、あるかも知れない。しかし、普遍的真理であるのならば、全ての人にとっても真理
なのだから、そういう使命のある方は、説くのが筋である。神は、一人だけで、ご馳走を食するの
は、喜ばれないだろうと思う。

でも、だからといって、誰にでも、いつでも、提供するのはどうだろうか? 人それぞれに時があり、
今、言われても、理解できないときも有るだろう。

「豚に真珠を与えるな」とは思わない。(これは、酷いたとえだw)。ただ、思うのは、神様は、
その人にふさわしい時、その人が努力し探究し、準備の出来た時に「与えられる」のだと思う。

ベートーベンの「第九交響曲」を聴いて、深く感動するする人もいれば、チンプンカンプンの人も
いる。それは、その人の「知識があるかないか」で違ってくる。べトーベンの人生、哲学、生い立ち
、作曲技法、主題をどういう風に発展させているのか、なぜ、「合唱という人間の声を入れたのか」
、なぜ、シラーの詩か? などを知っているのと知らないのとでは、感動の仕方、その価値に対す
る理解の仕方が違ってくる。 知らない人は、その感動も浅いだろうと思う。

120タム ◆M/L2k2Eq72:2011/04/02(土) 19:50:23
こちらとしては、アイボリナイトさんは何か、よい本を見つけたのかな、
と思いましたが、どうやら、よい本を見つけたというよりも、一つの悟り
を得たということでしょうか。すごい!


>もう少し、待ってねw♪ 時が来たら、ヒントを書くからv(^0^)v

では、時が満ちるのを、期待しつつ待つことにします。

121タム ◆M/L2k2Eq72:2011/04/02(土) 20:13:38
たずねてばかりなのも何なので、自分の方からも、近頃、思うところを
書いておきます。


一口に真理といっても、いろいろあると思います。
試みに、ざっと区分してみると……。

①世界観
(この世のみ実在? 霊界はある? 霊界があるなら、それはどんな世界?)

②人間観
(人間は死ねば終わり? それとも人は霊であり、輪廻転生してる? 人は
神の子? 人は悟れば神と同化する?)

③行動原理
(人間はいかに生きるべきか?)


この頃の私は、①②に対する興味は薄れているものの、③については、昔ほど
ではないにしても、まだ追っかけてるところはあるみたいです。

122アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/04/02(土) 20:33:33
>>121

真理とは、当然、①②③ すべて含まれなければならない。

123アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/04/02(土) 20:44:47
>>120
>よい本を見つけたというよりも、一つの悟りを得たということでしょうか。すごい!

あー、まだ、そんな すごくもないよ。 悟りを得た! なんて、思い上がってはいません。
ただ、君の言うように、「ある本を発見した、思想を見つけた」のほうが正しい。

これから、学んで、実践に移して、自ら検証する。で、他人様に伝えれるか考える。

誰かさんのように、間違った教えを「伝道」したら、大変な事だ。

私は 地獄へは、極力、堕ちたくないw そういう意味では、欲が深いのだ(^^ゞ計算高い。

124アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/04/03(日) 07:20:51
>>123
>「ある本を発見した、思想を見つけた」のほうが正しい。

誰かさんも書いていたが、「目的地への道を教えても、全ての人が、たどり着けるとは限らない」。

全国で何万人の野球少年が、イチローのような成功を目指しても、何人がなれるだろうか?

目的地は知っていても、たどり着ける人は、まれ、なのだ。l||li ????○ il||li !

まして、「目的地も知らない人」は、どうであろうか?それは、

はるかに、はるかに、遠い! 盲目で歩いているようなものだろう。

いわば、海図なき航海、「真っ暗闇の大海を、目的地も知らず、海図も無く、漂っている小船」だ。

それが、普通の人の人生だ。 皆、等しく、そのようにこの世に生まれてくる。

だから、「生半可な努力精進」では、困難であることを、肝に銘じなければならない。

しかし、素直な心を持っている人には、もっと簡単なのかもしれない。

「幼子のような心でなければ、天国の門は開かない」という意味のことを、イエスは言った。

真理だろうと思う。†

125タム ◆M/L2k2Eq72:2011/04/03(日) 12:27:11
>>123
>「ある本を発見した、思想を見つけた」のほうが正しい。


なるほど。
もしかしたら、いわゆるスピリチュアリズムとかの方面でしょうか。

126アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/04/03(日) 23:37:08
>>125 タム君

この件に関しては、今は、これ以上はやめにするw

前述したように、まず、自分で検証する。

それにしても、今日の 2ちゃんの part482は、永久保存 ものだねw

127アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/04/04(月) 07:34:58
イエスと釈迦 ①

イエスは、父なる神よ、と祈って、唯一の神、天地創造の神を主張し、「神の子人間」を説いた。

釈迦は、神とか、霊魂とか、あの世とかは、「無記」と言って説かなかったらしい。そして、八正道
を説いて、悟りによる「人間完成の道」を説いたことになっている。

釈迦の教えの中には、絶対者なる、天地創造者なる神は出てこない。

あくまでも、この世における人間の生き方を説いている。いわばこの世を行き渡る、人間中心の
教えで、神は関係ないようだ。

つまり、孔子がそうであったように、釈迦もまた、宗教と言うよりは、「哲学者」のようだ。

では、イエスと釈迦は、どちらがより、優れているのだろうか? 罵りあいは飽きたので、ちっと
考えてみる。

恐らくクリスチャンは、『イエス様が「愛」を説いたので優れている』などと言い、
仏教徒は、「イヤイヤ、悟りの深さにおいて釈迦の方が優れている」などと言うのかな?

128アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/04/04(月) 07:57:10
>>127 イエスと釈迦 ②

お釈迦様は、「天上天下唯我独尊」と言ったらしいが、本当だろうか?それとも作り話か。

もしも本当なら、クリスチャンから見れば、「創造主」をさておいて、傲岸不遜だと思われるだろう
。キリスト教においては、神(創造主)と人間は、「造物主と被造物の関係」、「主と僕」の関係だ。

仏教では、人間が、悟りを開くと、神のようになるのかな?やはり、仏教は神の不在のようだ。

では、仏教は人間をどのようにして出来たと考えるのだろうか?「唯物進化論」なのかな?

うーん、どうも、判らないw

129タム ◆M/L2k2Eq72:2011/04/04(月) 20:42:15
>>126
>この件に関しては、今は、これ以上はやめにするw


了解しました!

アイボリナイトさんは学習と思惟に励んでますね。
仏教だと、人間は因縁によって存在するとかいいそうな気がしますね。
まあ、詳しいことはわかりませんけど。

130タム ◆M/L2k2Eq72:2011/04/04(月) 21:15:00
>>128
>唯物進化論

長い間、進化論というのは、肉体の進化のことを語ったものだと
思い込んでいたのだけれども、肉体だけでなく、心の進化について
も語られているんだよね。

人間の成り立ちについては、進化論がもっとも有力なんじゃないかな。
とりあえず、自分の中ではそうかな。

ただ、理屈の上ではそうであっても、感覚的なものとしては、人間は
死んだら終わりでなくて、霊があり、霊界があるような気がしたりし
て(笑)。

でも、なぜ感覚的には、霊の存在を感じたりしてしまうのかについては、
進化論で上手に説明できたりするのだから仕方ない(笑)。
この分では、進化論の外に出るには難儀しそうではある……。

131アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/04/07(木) 07:45:28
タム君

私は、進化(変化でもいい)、は認める。ただ、進化論はとりあえず、地球の話で、
宇宙の成り立ち、「ビッグ・バン」などは、説明出来ない。なぜ、「無から有が生じたのか」
は、説明出来ない。

「ビッグ・バン」を起こしたのも偶然か?そもそも「偶然」なんて有るのか?「偶然」とは何か?

聖書には、「神を知ろうとすれば、万物、大自然、宇宙を、観察しなさい」みたいな内容が
あった?と思うw

法則に則った大宇宙、天体、星々の規則正しい運行、小宇宙と言われる「人体の精巧さ」
大自然の美しさ、動植物たちの見事な創り。

どれ一つ取ってみても、こんな凄いものが、「偶然」で出来るのか?

特に人間には、思慧する「心」「精神」「魂」がある。「我思う、故に我あり」と、誰かが言った。
心は目には見えない。しかし、有る。脳科学者は「心は脳の電気の作用です」なんて言う。
バカか?と思うw なんでも「脳の作用」として説明するから困ったものだw

ところが、そういう、アホみたいな仮説が、この世の大半の人には、受け入られ易いのだ。

朝、美味しい空気を吸いながら、青い空、さわやかな風、鳥の声、新緑の植物たち、
美しい花々・・・。「あー!、生かされている!幸せだなー」って、感じるよw

そして自然と、「あー、神様、今日も、生かして下さって、ありがとうございますm(__)m」と
思えるのだ。
以上 †

132タム ◆M/L2k2Eq72:2011/04/10(日) 07:14:34
私は、どちらかといえば、偶然派というよりも、必然派ですね。

何事も、何かの法則によって、必然的に起きているのだろう。
偶然と見えしものでも、その背後には何らかの法則があるのだろう。
その法則が分からないから、偶然と見えているだけだろう。……と、
いうような感じ。

あとは、分からないことを解決するために、超自然的なものを
持ち出すのは、なるだけ控えようというのもあるかな。

昔の人の多くは、分からないことがあると、神の御業だとか、霊や
妖怪などの仕業と考えたりしたのでしょう。でも、時代が下るにした
がって、それらは神や霊、妖怪などの超自然的なものが関与していた
のではなく、ふつーの自然現象だということが分かってきた。

多分、こういうパターンは、今後も続くと思う。今、現在、「これは
不可思議な現象だ、神の存在を想定せずしては、この不可思議は解明
できない」とされるものでも、やがては、それは超自然的な存在とは
無関係で、三次元下の法則によって起きたのだということが、徐々
に明らかにされてゆくのではあるまいか。

脳についていえば、私としては『脳の中の幽霊』という本が衝撃的
でした。幻肢を脳内現象として見事に説明できていたから。

この本を読むまで、私は、「切断したはずの手足が痛いというのは、
肉体の手足を切断しても、幽体の手足は残っているから、そこが
痛むのだ。これは霊の存在証明になりうるのでは……?」などと考え
たりしてたけれども、この考えは『脳の中の幽霊』で粉砕されてしまっ
たのでした。
脳と霊との関連を研究するには、『脳の中の幽霊』は必読の書だと思い
ます!

133アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/04/10(日) 10:05:53
>>132 タム君
>脳と霊との関連を研究するには、『脳の中の幽霊』は必読の書だと思い
ます!

そう?w 今日、読んでみるよ。

134穏健な自然主義者:2011/04/10(日) 23:00:33
創造主・神を想定しないとこの世界の秩序だった有様が説明できない、
という議論は実に古典的な有神論の論証ではあるのだけれど
この議論は成立しないんだよね。

有神論者の「論証」

1.万物の存在にはそれ以外の原因がある
2.世界の存在にもそれ以外の原因がある(1より)
4.それは創造者である(2より)
  (ただしこれが露骨な飛躍論証であることに注意!
   世界の原因が「者 person, agent」である必然性はどこにもない!)

哲学者の反論

5.ではその「創造者」が存在する原因はなにか?
6.創造者の存在には創造者自身の外側の原因がないというのか?
7.では、そのとき(1)は偽であるから、上の論証は成立しないことになろう
8.つまり、それ自体が自身の原因であるような存在者が存在しうるならば
  世界自体がそのような存在者であってはならない理由がない

同様にして、世界の法則的秩序が不思議だということから
創造者の存在を推論することはできない。
法則的秩序を持った世界を創造できる主体が存在するということの方が、
世界の法則的秩序より一層不可思議であるから。
有神論は世界の不可思議性の問題を悪化させるだけなのだよ。

135穏健な自然主義者:2011/04/10(日) 23:15:44
しかもさ、この手の「創造者」の存在論証は有神論者の役には立たないんだよ。
だってこの「創造者」が全知・全能・至善であると考える理由がどこにもないもの。
しかも、もし「創造者」が全知・全能・至善だったら世界に苦や悪がある理由の説明がつかないからね
(そうした創造者の創造する世界はそれ以上善い世界のない最善の世界でなくてはならないからね)。
だから、もし仮に「創造者」がいたとしてもそいつは「神」じゃない。
さらに悪いことに、もし仮に神が全知・全能・至善で、神の本性から必然的に
最善の世界を創造したんだとすると、被造物には神に感謝する理由がなくなるんだよ。
だって、神はその本性上、この世界以外の世界を創造しえなかったんだからね。
そうせざるをえなかったためにした行為というものは賞賛や感謝の対象ではない。
神はその創造という行為について賞賛に値せず感謝にも値しないのさ。

こんなことは18世紀のヨーロッパの哲学者には常識だったんだけどな。

136アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/04/11(月) 08:18:05
>>135:穏健な自然主義者さん

はじめましてw まー、あなたの論法も 分かるのだけれどねw

>>134 >>135 のような議論は、特にクリスチャンの国、アメリカでは多いだろうね。

アメリカのプロテスタントの牧師や教会、各教派は、私が見ても、「変なの?」ってのは
多いw 結構、日本の邪教にも似て、「儲け主義の教会」、「カルトっぽい教会」などが
あるようだ。

初代君の紹介の、「宗教は妄想である」も読んではみたが、・・・いまいち、ピンと来ないw

ただ、「神を見たものは一人も居ない」。 だから、「証明」なんか出来ないと思うのだ。

出来るとしたら、「感じる」とでもいうのかな? たとえば、ある書籍を読んでいたら、
(たとえば、アラン・カルデックの「天国と地獄」・幸福の科学出版)・・・

「次元の高い霊界においては、神を否定するものは一人も居ない。なぜなら、現実に
その愛とエネルギーを感じるし、食物を食べなければ死ぬように、神の愛が無ければ
霊として存在し得ないのだ」・・みたいな内容があった。

この地上は物質世界で、肉体を被っているので、霊的なものを感じにくい。ただ、一部の
「霊感の強い人」とか「霊能者」といわれる特殊能力のある人たちは、存在する。

私には「幽霊は見えない」が、私のいとこは「幽霊をよく見る」と言っていた。
頭のいい女性なので、いとこの私に、わざわざ「嘘」はつかないと思うw

「幽霊を見るのは、脳の作用、病気」なんて言われれば、もう、議論も出来ないが・・・w

とにかく、「頭の良い」方がた?は、弁論、論証、理論、理屈、なのだろうが、いまいち・・・w

見えないし、論証できない、「説明出来ないけど感じる」ってな事かな?

各種「芸術とか音楽」も、感じるもの、「感動するもの」だと、思うけどね。

以上

137穏健な自然主義者:2011/04/11(月) 09:48:31
> 「幽霊を見るのは、脳の作用、病気」なんて言われれば、もう、議論も出来ないが・・・w


病気かどうかはともかく脳の作用ではあるでしょうね。
脳の作用以外で私たちが何かを「感じる」ことなどそもそもないので。


> 見えないし、論証できない、「説明出来ないけど感じる」ってな事かな?

そら別に結構ですが。幻肢現象も当人に「感じられる」ものですが、
そこに霊体みたいな非物質的「幻肢」が存在することにはならない。
何かの存在を「感じる」ということは、それが必ずしも存在することの
証拠になるわけではありません。特に幻肢現象のように、それを
脳が外界と関係なく作り出していることが明らかな場合には特に。
たとえばいわゆるデジャヴュも逆成記憶現象・偽記憶現象である
ことが解明されていますしね。


> 各種「芸術とか音楽」も、感じるもの、「感動するもの」だと、思うけどね。

「○○は美しい」とか「○○は感動的だ」という判断とはそれでいいんですよ。
それはあなたがどう感じたかについての判断だから。
みんなが黄色だと言っているバナナがあなたには赤く見えたとしたら
「このバナナは赤く見える」といって構わない。
「幽霊が見える」もそれで構わない。何かが「見える」事自体は主観の問題で、
それについての判断はあなた(やあなたの従兄弟)の感じ方の問題。
赤いリンゴを見つめた後に白い壁を見るとぼんやりと光る緑のリンゴが見える。
「緑のリンゴが見える」と判断するのはOKだが、
そこから「あそこには緑のリンゴがある」と判断したら阿呆でしょ。

「幽霊が見える」というのは結構だが(そして私も疑っていないが)
「幽霊が存在する」は感じ方の問題じゃない。
そしてスピリチュアル好きな人はすぐにこの罠に落ち込むんだ。

138穏健な自然主義者:2011/04/11(月) 09:54:21
統合失調の人が良く「電波」を受信しちゃったりするでしょ。
もともと脳にはちょっと調子が狂うとそういう幻視幻聴や
その他の錯覚をもたらす傾向があるわけよ。
統合失調の人たちが「電波」を感じているのは疑いないけど、
それが実在すると考えたら阿呆でしょ。


そういう簡単な話なのよ。

139穏健な自然主義者:2011/04/11(月) 10:07:41

あとね>>134 >>135みたいな議論はアメリカでは多くないよ w
アメリカの南部の原理主義クリスチャンはまさに「神を感じる」ことに
重きを置くから、理知的に神の存在を論証しようとか最初からしない。
その結果が「変なの?」な諸派教会なわけさ。「神を感じる」ことに
重点を置くとどんどんおかしな方向に進んでっちゃうんだよwwwww
カルト乙wwwというわけさ。「神を感じる」てのは実に残念なことなんだねえ。


>>134,135みたいな議論はもともと理知的な信仰を大事にする傾向にある
カトリック教会とその神学の産物。これが特に18世紀以降になって
成立しない論証であることが哲学者たちに認識されるようになっていったわけ。
まあお陰さまでカトリックは信仰的には暴走もしないし熱烈な信徒も生み出しにくいね。
信徒が「神の臨在を感じる」なんていうと、神父にメンタルヘルスを心配されて
指導されちゃうくらいだからなあ。

140アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/04/11(月) 13:26:28
>>139 穏健な自然主義者 君

君は、なかなか面白いw

これからもよろしくねm(__)m (^0^)v 君みたいのは好きだよ。

意見はあるが、今は、これくらいにしとこ。 ちょっと、出かけるのだ。

やはりね、ライバルがいると、嬉しいし、学ぶ力の源泉にもなる。

まー、結局、平行線だろうとは思うけれども、「考え方」を知るのは、面白いw

もし、私が間違っていたら、いつでも、「君の信者」に成るよw

私は、結構、「異なる意見を包容」出来るし、そちらが正しいと思えば、「素直」なんだw

また、この件は、やりたいね。 今日は、ありがとう!m(__)m では、また・・・。

141アイボリナイト ◆OknwggPyXg:2011/04/11(月) 13:33:40
あ、それと 初代君お勧めの本は

「神は妄想である」 だったかな?

正直言って、私には、口が裂けても 言えない言葉だ。w

だから、潜在意識が 「宗教は妄想である」って言わしたかも・・・


・・・良い「言いわけ」だw



タム君

「脳のなかの幽霊」だっけ? は 昨日、 借りてきたw 読んでみるよ。

142アイボリナイト ◆n2umuEbo1g:2011/04/13(水) 07:36:30
508 名前:聖杯と剣 ◆mV44sBgxwA [sage] 投稿日:2011/04/12(火) 23:04:04.14 ID:frJtRNrm [8/13]
>>498
>この自己卑下をさせるための格好のネタがカトリックの教義にある。
>ルシファーが作りだした人類史上最悪の宗教教義が原罪説というやつだろう。
>人間には罪があり、それはキリストに帰依しなければ清められないとする。

【考察】聖杯さんの言っている、「原罪」について。

この「原罪説」は、最悪だ。おそらく、信者をキリスト教につなぎ置く為に、考え出された
「神学」だと思う。カトリックの「神学」というのは色々な問題がありそうだ。

つまり、その教義にそぐわないものは、「排除」「隠蔽」「弾圧」するからだ。それはつまり
「真理」ではなく、組織を守るための、「坊主どもの保身の為」であろう。

こういうことは、KKの中にもあるのだ。「仏陀再誕」「永遠の仏陀」「降魔経」がそれである。
あと、「君よ涙の谷を渡れ」などは、信者、『獣人化』の最たるものだ。

つまり、宗教の中の「あくどい坊主ども」は、己の保身の為、信者を家畜のように飼いな
らしておきたいのだ。人の良い信者ほど、利用される。

143アイボリナイト ◆n2umuEbo1g:2011/04/13(水) 07:39:31
あ、本日から、
アイボリナイト ◆n2umuEbo1g に変更します。

以前のは、私が覚えづらいので。よろしくお願いします。

144アイボリナイト ◆n2umuEbo1g:2011/04/13(水) 08:08:46
原罪については「ウイキペディア」の記述も参考になる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%BD%AA

どうも パウロ にも問題があるのかもしれない。失楽園の物語を例に出して、
パウロ自身の人間の弱さを、言い訳している。 失楽園自体が「おとぎ話」だと思うのだが。

「アダムとエバが、神の言葉に逆らって木の実を食べる罪を犯した。それで神は怒って
二人を楽園から追放し、人間は永遠に生きるのではなく、死ぬ者となった。その罪は
人類に連綿として『原罪』として、残っている。人類の歴史はこの原罪を取り除き、
エデンの園における神との良好な関係を取り戻す事である」

みたいな解釈になるのかな? こういう思想がある限り、キリスト教の坊主は、信者を、
人類を、生まれながらの罪人として、「教会に来なさい。お布施しなさい」と言える訳だ。

・・・・・うーん・・・・ 非常に、穿った、意地の悪い解釈かな?w

145アイボリナイト ◆n2umuEbo1g:2011/04/16(土) 18:27:47
KKのアンチさんの、「KKに対する批判」を知って、近頃思うのは、
KKはまだ小さな、歴史も浅い宗派だが、キリスト教は実に、2000年の歴史がある。

本当はキリスト教こそ、新しい「霊性の時代」を作るには、その教義の間違いや不備を
修正してもらわなければならないのかも、と、近頃、思うに到っている。

特に、カトリックにおいては、「処女懐胎」、「原罪」、「父と子と聖霊」の三位一体説など、
おかしな「神学」が多い。

現代の知識人からすれば、おおよそ信じられない内容であって、新しい信者の獲得とか
無理があると思う。

ローマ教皇、法王庁は、どんどん衰退していくしかないのではなかろうか?

現代においても、創造主なる神が存在し、働かれているのならば、新しい霊性の時代を
切り開く、「知識人、現代人も納得出来る新宗教」を、準備されないのだろうか?

アセンション? とか、たまに聴くけど、やがて来る、宇宙時代にふさわしい「真理の宗教」が
現われて欲しいものである。 その内容は、タム君が書いている。

>一口に真理といっても、いろいろあると思います。
試みに、ざっと区分してみると……。

①世界観
(この世のみ実在? 霊界はある? 霊界があるなら、それはどんな世界?)

②人間観
(人間は死ねば終わり? それとも人は霊であり、輪廻転生してる? 人は
神の子? 人は悟れば神と同化する?)

③行動原理
(人間はいかに生きるべきか?)


この①②③に、答えるものでなければならないと思う。 以上

146ウエスト ◆atahWDAI2.:2011/04/16(土) 22:33:14
はい、了解です。

147アイボリナイト ◆n2umuEbo1g:2011/04/17(日) 23:40:54
まったく、KK職員のスレ荒らしは下賎な行動だ。最低な奴等だ。

>>360
>こういう連中には坊っちゃんの生き方を見てほしいな。
人間全部捨てたって空手(くうしゅ)で生きていけるんだぜ。

イエスは、「明日のことを思い煩うな、まず神の国と神の義を求めよ、その他のものは
添えて与えられるであろう。神は、貴方になにが必要かご存知である。あなた方は、
肉体あるが故に弱いのである」・・のような意味のことを言われている。

其処には、強烈な、神に対する信仰、信頼がある。信仰の有る無しとは、そういうもの
であって、どなたかが言っているような、

「エル・カンターレ」を信じなければ、信仰心がない。とかいう陳腐なものでは無い。
そういう意味において、日本人は元来、「信仰心有る」民族なのである。

素朴な人々が、太陽に向かって、「感謝の思い」で手を合わせる。それもまた、
創造主を太陽に見立てた、立派な「信仰心」であると思う。

そもそも、人間は、創造主などではないのだ。もし、「我は神である」なんて人間がいれば
そんなものは、「神を冒涜」しているのである。

148穏健な自然主義者:2011/04/18(月) 01:22:51
>>145

> 特に、カトリックにおいては、「処女懐胎」、「原罪」、「父と子と聖霊」の三位一体説など、
> おかしな「神学」が多い。
> 現代の知識人からすれば、おおよそ信じられない内容であって、新しい信者の獲得とか
> 無理があると思う。

処女懐胎は現代の知識人には受け入れられないだろうね。
でもあなたが有神論者なら、有神論より不思議な教義じゃないと思うよ。
なんせ神は全能なんだからさ。あと「原罪」を強調するのは
カトリックじゃなくてプロテスタント(特に改革派)でしょ。
彼らは原罪による人間の全的堕落、とかいう話を好んでするけど
カトリックは原罪をそういう形では問題にしない。
三位一体説もカトリックだけじゃなくて正教会と多くの
プロテスタント諸派も三位一体説。しかし繰り返すが、
三位一体説は有神論ほど不思議じゃない。
なんせ神は全能なんだからさ。
全能者の存在を信じることの超絶的不可解さに気がついて欲しいねえ。
キリスト教の伝統的教義の不可解さなんかものの数にも入らないよ。

> 現代においても、創造主なる神が存在し、働かれているのならば、
> 新しい霊性の時代を切り開く、「知識人、現代人も納得出来る新宗教」を、
> 準備されないのだろうか?

そうだね。そして実際にそういう新宗教が出てこないのはまさしく
「創造主なる神が存在し、働かれて」いないからだよねwwww
ようこそ無神論へ♪

149アイボリナイト ◆n2umuEbo1g:2011/04/18(月) 04:26:50
>>148 穏健な自然主義者 君

ま、人間には「選択の自由」があるのだから、君が「無神論」なのは、かまわんよw

それに、願わくば、これからも、頑張って反論して欲しい。私は、有神論の立場で仮説を
述べるし、君は、無神論の立場で「仮説」を述べれば良いw

「森羅万象、天地万物、大宇宙、大霊界の創造主なる者」が、「存在するか否か」は、
2者択一であって、確立は50%だ。

で、私としては、「人体、動植物、天体、宇宙など」の法則性、精巧さ、美しさ、緻密さ、
完全さ、芸術性」等を見て、そこに何がしかの「目的性と意図」を感じるのだ。

それに・・・、全ては偶然の産物で、死んだら終わり、「己の認識は無くなる」のだから、
その後の宇宙や人類が有ろうがなかろうが、己にとっては、「認識できないのだから関係
ない」と考えるよりは、「永遠の命があって、自己の意識、魂は、死後も存在し続ける」と
考えた方が、より自然であるし、納得出来るし、楽しいし、希望が持てるw

もしも、完全に「無神論」が正しいと、私が信じ切れて「完全なる確信」が持てたと仮定す
るならば、私は、生き方を変えるだろう。

どうせ、やがて消滅するのならば、酒池肉林、地位、名誉、財産、お金、贅沢な生活、
ハーレムを作って、「他人を支配し、思いのままに快楽を求めて生きる」。

きっと、そういう人生を選ぶと思うw 人間より偉大な創造主、「神」が居る。悪人は、
この世においては、法律を逃れて、罰を受けずに死ぬ事があったとしても、必ず、あの世
で、「借金を支払わされる」と信じるから、上記のような生き方を思いとどまっているのだよw

私は、実に、「欲深い」のだw

150アイボリナイト ◆n2umuEbo1g:2011/04/18(月) 04:33:47
>>149 >確立は50%だ。→ 「確率は50%だ。」に訂正。

151アイボリナイト ◆n2umuEbo1g:2011/04/18(月) 06:21:22
>>148
>あと「原罪」を強調するのは
カトリックじゃなくてプロテスタント(特に改革派)でしょ。
彼らは原罪による人間の全的堕落、とかいう話を好んでするけど
カトリックは原罪をそういう形では問題にしない。
三位一体説もカトリックだけじゃなくて正教会と多くの
>プロテスタント諸派も三位一体説。

w 言い忘れたが、上記のようなのは 「釈迦に説法」というのだよ。
君は偉そうに言ってるが、ずいぶん、間違っているぞw キリスト教に詳しくないのが
もろ分かりだ。

ルターの宗教改革は、西暦何年かな? プロテスタントは、いつから始まった?
なぜ、プロテスタントという? カトリックとなにが違う?

少しかじってはいるのだろうが、少々の知識だけで、「実体験」が無いだろ?
それとも、君は、クリスチャンか? あ、「無神論」だったなw 実体験ある訳無いわな。
失礼したw

152タム ◆M/L2k2Eq72:2011/04/18(月) 20:05:04
アイボリナイトさん、なかなか情熱家だね。まったり行きましょう……。

153タム ◆M/L2k2Eq72:2011/04/18(月) 20:18:54
>>149
>で、私としては、「人体、動植物、天体、宇宙など」の法則性、精巧さ、美しさ、緻密さ、
>完全さ、芸術性」等を見て、そこに何がしかの「目的性と意図」を感じるのだ。

◎わたしも、〈意志を持つ大いなる存在〉は感じたりする。
ただその感じはただの錯覚ではないかという懐疑から自由に
なるのは難しい。「これは本物だ!」という直感に猪突猛進
して大失敗した過去があるので、自分の感覚に無条件に従順
にはなれないんだよね。臆病なのかもしれないけど。


>もしも、完全に「無神論」が正しいと、私が信じ切れて「完全なる確信」が持てたと仮定す
>るならば、私は、生き方を変えるだろう。

>どうせ、やがて消滅するのならば、酒池肉林、地位、名誉、財産、お金、贅沢な生活、
>ハーレムを作って、「他人を支配し、思いのままに快楽を求めて生きる」。

◎それはないでしょう。アイボリナイトさんの書き込みを
拝見していると、神がいないとしても、お金があれば苦境に
ある人に支援し、ハーレムを作るよりも、若い女性には
「純潔を守りなさい」と説教する真面目な人に見えますが。

154タム ◆M/L2k2Eq72:2011/04/18(月) 20:45:43
原罪か……難しいね。よく分からん。
人は善いことをしようとしても悪いことをしてしまうし、
戒を守ろうとしても、戒を守れないものだ云々とかいわれると、
なんとなく腑に落ちるような気がしないでもないが。

こういう人間観は、自己責任論者や性善説信奉者からしたら容認でき
ないものかもしれない。
でも、人間の善を実現する能力には限界があるという考え方からは、
必然的に、悪人でも救われるという救済論が出てくると思う。
ここはちょっと魅力かもしれん。

人間は善を実現できるとすれば、善を実現した人は天国、善を実現で
きなかった人は地獄ということになる。
人間が独力で善を実現するのは困難だとすれば、善を実現できないのは
本人の責任ではないから、善を実現した者も、実現できなかった者も、
どちらも裁かれることはなく、救われるのではないかと……。

ちなみに、遠藤周作の『沈黙』には、何度も退転する人が出てた。私は、
この退転常習者も救われる……ていうか、こういう人のためにこそ
イエスは存在するのではないかと思ってしまった。著者の意図をわかって
ないかもしれないが、とにかく私はそう感じてしまった。

HSでは、信仰がなければ救われぬというような教えになってきてるけれど、
私はこんな風な見方だから、「それはちがう、信仰を持てぬ者のためにこそ
救世主が来られた。退転者、無信仰者、無神論者こそが救われる」という
気がしないでもない。

155アイボリナイト ◆n2umuEbo1g:2011/04/19(火) 02:12:58
>>154
>退転者、無信仰者、無神論者こそが救われる

(^^ゞ 親鸞みたいだねw

最終的には、みんな、救われると思うよ。だって、神様から見れば、皆、「子供」だからね。

ただ、人間には「選択の自由」「自由意志」があるから、神様は「無理やり」とか「ロボット」に
はしないのだと思う。

156Truth ◆8i4DJHJniE:2011/04/25(月) 20:55:04
こんにちは。
アイボリナイト ◆n2umuEbo1gさんは、【『幸福の科学』統合スレッド】によく書き込まれていた、ジークフリートさんですか?
もしそうでしたら、お久しぶりです。

157タム ◆M/L2k2Eq72:2011/05/18(水) 19:52:25
>>155
アイボリナイトさん。
最近、他のところに書いた文章ですけど、似たようなテーマだと
思うので、コピペしておきます!



>棄教によって信仰を全うすること

信仰には試しがあるという。その際には、いかなる事があろうとも、
信仰を手放さないのが正しいとされる。

けれども、どうも自分にはそうとばかりとも思えない。棄教すること
こそが正しい場合もあるように思えてならない。

たとえば、芥川龍之介の「杜子春」「おぎん」などを読むと、強く、
そんな風に思えてくる。杜子春は師の戒めを破ったが、それで救われた
のだし、おぎんは父母は地獄にいるというのに、自分だけが天国には行
けないとして棄教することで愛に生きたのである。

これらの物語は、破戒・棄教こそが正しい場合も有り得ることを示して
いるように見える。

信仰者からしたら、破戒・棄教は絶対に回避しなければならないもので
ある。けれども上のような物語を読むと、戒を破ることで、さらに上位
にある重要な戒を守ることになり、棄教することで逆に信仰に生きて
いることになることもあると思う。

>杜子春
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/43015_17432.html
>おぎん
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/116_15168.html

158タム ◆M/L2k2Eq72:2011/05/18(水) 20:14:46
>>157
付け足していうと、棄教するのが正しいと思えるのは、愛による棄教
の場合のようです。信仰と愛とが対立したならば……そのどちらか一方
を選ばなければならないとしたら……信仰を棄て、愛を取るのが正しい
ようだということです。

これに理屈をつけるとしたならば、おそらくは、こんな感じかな。
分かり難かったらごめんね。



信仰は神を仰ぎ見、神を求めることである。信じている自分と、
信じられている神というように、自分と神は分かれているのである。
信じるというのは自分が行っているものであり、自分の行為である。

しかし愛はちがう。それは自分と神とが一体となることである。
神は愛であるから、心に愛(神)があるとは、心に神(愛)がおられる
ということである。
愛の行為とは、自分が行うのではない。神が自分の手足を用いて行
っているのである。

信仰は自分のものである。愛は神のものである。
自分の信仰のために、愛(神の行為)を押しとどめることは、神に逆らう
ことである。
よって、(自分の)信仰よりも、(神による)愛を優先するのが正しい選択
である。

159タム ◆M/L2k2Eq72:2011/05/18(水) 20:22:42
>>158

ついでに、アイボリナイトさんに、もう一言。

七色の道の向こうに、青々とした芽が双葉を広げ、
多くの鳩たちが喜び、飛び回っている。
そのはるかかなたには、燦然と輝く光が見えている。

真理の探究にふさわしい、すごく希望に満ち溢れた絵
だなぁと思いました!

160タム ◆M/L2k2Eq72:2011/05/18(水) 20:40:17
>>158
連投ごめんです!


ちょい、具体的な例も挙げときます。

信仰と愛とが対立せず、調和しているなら、問題は発生しないけれども、
信仰に熱心になると、信仰によって他者を傷つけてしまう場合も出てくる
んですよね。

もっとも多いのは、信仰に徹することで、家族に迷惑かけてしまうという
やつ。
こういう場合の信仰は、愛による信仰というよりも、エゴによる信仰に
陥っていることが無きにしも非ずだったりする。

自分の信仰によって、自分が犠牲になるのは、まあ自由ではある。殉教する
のも自由ではある。
でも自分の信仰によって、他者に犠牲を強いるのはおかしい。他者を苦しめる
のはおかしい。
これって、ある意味、親の信仰によって子供を失血死させた事件と、その構造
は似てくる。

HS信者さんを見てると、信仰を無条件に素晴らしいものであると考えてるっ
ぽい人が散見されるけれども、一口に信仰といっても、その中身はいろいろ
だから、よくよく吟味した方がいいと思う。

161アイボリナイト ◇n2umuEbo1g:2011/05/21(土) 13:48:17
>>156 名前:Truth さん   こんにちわ


答えは   「無記」 w


>>157 タム さん

 連投の内容について

・・・あのね、なかなか、そのとおりだと思います。つまり、

イエスが言ったように 「まず、神の国と神の義を求めよ!」 というのは

あらゆる教義、あらゆるリーダー、あらゆる思想に惑わされるのではなく、

「己自身の良心の声」 に 耳を傾ける。 もちろん心の中には「悪魔と天使が引っ張り合い」
してる訳ですが・・・

良心の声=神の声  だと思うのです。 人間は本来、「前記」したように「神の住む宮」だと
思うのですね。

ですから、この神の声と対話しながら、「選択する」ということだと思います。   ただ、

悪魔も邪魔に来るのですねw  それを「誘惑」と言います。 この 神の声、悪魔の声の
「分別」が、出来るかどうか、それが問われているのだと考えます。

162アイボリー・ナイト ◆86JSBCtd3c:2011/05/21(土) 13:50:41
>>161

あ、全部、コピーして名前に書き込んだら、◇になるのだなw   失礼。

163アイボリー・ナイト ◆jFZHhj094I:2011/05/21(土) 13:53:05
テスト1


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