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宗教・哲学・思想を語るスレッド
119
:
アイボリナイト
◆OknwggPyXg
:2011/04/02(土) 08:01:36
梵天勧請[ぼんてんかんじょう]の物語
http://www.fruits.ne.jp/~k-style/sub6.html
仏陀(釈迦)は自分の悟ったダンマは深甚微妙(あまりにも深く、微妙であり人々の推論の域を
越えている)であり、人々には理解されないであろうと考え、それを人々に説くことは出来ないと
そのまま涅槃に入ってしまおうと考えていた。
(涅槃)〈ねはん〉[ニルヴァーナ] とは { 「(火が)消える」の意味から派生した言葉で、
煩悩の火が消え、悟りの境地に達したことをいう。また、輪廻からの解放、すなわち解脱を意味
する。 }そのときの仏陀がそのまま一言も説くことなく、説法をあきらめて涅槃に入ってしまえ
ば、仏陀一人の悟りであり、人々には伝わる事がない。
それを知ったブラフマー(梵天)をはじめとする天上の神々が、再三お願いして、やっと仏陀は
説法を始めることを決意した。
仏陀は以前6年の間共に苦行した友人(仲間)であった5人の修行者にその教えを説いた。
その説法をうけた5人が仏陀の最初の弟子となった。
【考察】>「人々には理解されないであろうと考え、それを人々に説くことは出来ない」と考えた。
そういうことは、あるかも知れない。しかし、普遍的真理であるのならば、全ての人にとっても真理
なのだから、そういう使命のある方は、説くのが筋である。神は、一人だけで、ご馳走を食するの
は、喜ばれないだろうと思う。
でも、だからといって、誰にでも、いつでも、提供するのはどうだろうか? 人それぞれに時があり、
今、言われても、理解できないときも有るだろう。
「豚に真珠を与えるな」とは思わない。(これは、酷いたとえだw)。ただ、思うのは、神様は、
その人にふさわしい時、その人が努力し探究し、準備の出来た時に「与えられる」のだと思う。
ベートーベンの「第九交響曲」を聴いて、深く感動するする人もいれば、チンプンカンプンの人も
いる。それは、その人の「知識があるかないか」で違ってくる。べトーベンの人生、哲学、生い立ち
、作曲技法、主題をどういう風に発展させているのか、なぜ、「合唱という人間の声を入れたのか」
、なぜ、シラーの詩か? などを知っているのと知らないのとでは、感動の仕方、その価値に対す
る理解の仕方が違ってくる。 知らない人は、その感動も浅いだろうと思う。
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