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宗教・哲学・思想を語るスレッド
112
:
サイカイアトリー
:2011/03/10(木) 13:11:47
続き
そして、それらの存在(ルシファー・アーリマン)が
人間にとって供犠の存在であるのかを理解しなさいと言ったのです。
進化から逸脱した存在がいたからこそ、我々人間は自由を獲得する事が可能となったと。。
そしてルシファーの作用とアーリマン作用の均衡をはかる存在がキリストであり、
ゴルゴダの秘儀において、キリストは新たなステージを人類に与えたと彼は言いました。
人は自らの力で真の意味での自由を獲得することが可能であり、
中道の道を歩むのなら、人は自らキリスト存在を見出す事ができるだろうと説きました。
つまり真の意味でのキリストの理解と認識に至る道です。
ちなみに、神智学と人智学は似たようなものに見えますが、方向性が違います。
シュタイナーはブラバッキーの良き理解者でもあり、神智学協会に関わりましたが、
最初から彼の方向性ははっきしていました。
極論を言えば、神智学は神から与えられるものを求めたり、覚者の存在を探す方向に行きがちです。
逆に、人智学は人間自らが歩むべき道を示したのであり、始めにゲーテの認識論を用いました。
また彼が、ニーチェの大変な理解者であった事を考えれば、その方向性も想像できるでしょう。。。
いずれにしろ、精神世界を求める事はルシフェル的であり、偏ると過てるものが発生します。
これは、神智学、人智学とて同じ事です。行き過ぎは原理主義となり、一知半解は狂気になるのです。
これらが難解であり、過てる可能性がある・・即ち実相への道は自ずと『狭き門』であるという真相です。
聖杯さんも宗教を求めないと言われましたので、私はそれが正解だと思います。
まずは、自立できなければ何も始まりません。
ただ、私はカトリックを始め真面目な信仰をとろうとは思いませんし、
神に対する畏敬の念、真摯な祈り、正直な信仰は大切な事であります。
正しい態度を取るのなら、それらは私達に福音をもたらす事でありましょう。。。
長文失礼しました。
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