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日本男児と徴兵検査  M検・徴兵検査場の羞恥

1名無しさん:2019/07/28(日) 09:15:59 ID:DK9oyGfI
日本男児と生まれたからには貴賤上下の区別なく、その年末に満0歳になるものは
その年の夏ごろに徴兵検査をうけなければならなかった。
そこには婦人会や、うら若き処女会の女たちの見学も許された。
素っ裸にして行われる徴兵検査、そのなかでもハイライトはMとよぶ性器・肛門検査だった。
徴兵検査場で繰り広げられる羞恥の検査風景

67名無しさん:2020/07/25(土) 19:28:38 ID:DK9oyGfI
こんな野蛮な徴兵検査が!

 日本の自衛隊は志願制だから、強制的に韓国のように軍隊にとられることはない。日本の敗戦前は徴兵制だったから、21歳になると徴兵検査を受けなければならなかった。

 1980年(昭和53年)の『薔薇族』7月号に貴重な記録が残っていた。

「私は徴兵検査を郷里で受けた。当時、この徴兵検査という制度はきびしいものであり、またひとつの若者のセレモニーでもあった。第一日目は、軍服を着た軍医大殿が、最初に訓示を行い、その後、各教室に分かれて入って、筆記試験を受けた。
 その内容は一般的な社会常識と、科学、数学などであったと思う。30分もあれば簡単にできる問題だったが、1時間半いっぱいまでねばっている人もいた。

 2日目は当初から身体検査だった。前日より、いや、それよりも以前から通知が有り、身体検査当日は、必ず褌をつけてくるよう指示があった。したがって200名の男子が、一斉に裸姿になっていた。

 最初は眼、口腔、耳、鼻などの検査が行われた。そして手足の障害者について行われた。
 最後は内診、そして陰部、肛門の順に検査が続けられる。陰部、肛門を担当するのは、少尉ぐらいの軍医であったと思う。

 5人ずつが1列になって続いて検査を受けるのだが、その軍医は5人集まると大声で「おれの前に来たら、すぐに褌をはずせ、貴様らの金玉を検査するので、足を半歩開け」と言ったことを覚えている。
 そしてまた「それがすんだら、すぐ後ろを向いて四つん這いになれ。肛門を検査する。それで終わりだ。以上」と、いかにも軍隊調で言うのだった。

 軍隊という世界は、これまったく男の世界だ。男ばかりの世界であったら、なんであんなにもはっきりと露骨に言うのだろうか? と、みな唖然として聞いていた。
 一瞬静かになった。突然、陰部、肛門検査の軍医がおろおろしている私らに対して、「早く来んか」と大声を発したので、またびっくりした。
 みんな最初はこの雰囲気に飲まれていたが、だんだん慣れてくるにしたがって、笑い声や、こそこそ話も出てきた。

 私より7人先のずんぐりした男を何気なしに見ると、越中褌の前に垂れている部分が持ち上がり、明らかに勃起していることに気がついた。
 こんな雰囲気の中で勃起するなんて、たいした度胸の持ち主だと、私はひそかに感心したものだ。もっとも当の彼は少し恥ずかしそうに手で押さえていたが……。

 陰部、肛門の検査は順調に進行した。軍医の検査が、私の所よりよく見えるようになった。
 みな恥ずかしそうに褌をはずして立つ。ほとんど同年輩の者ばかりなのに、あそこだけはさまざまで、大きいの小さいの、短いの、ホウケイ、ムクレ、大型雁等などさまざまだ。

 いくらなんでも、一日に何百人ものチンを検査したら、さぞ、いやになるのではないか、それにほとんどが緊張して縮み上がっているものばかりで……と、私は軍医に同情を覚えた。
 軍医は鼻先に立った若者の褌をはずした。それを見ながら、陰茎の周囲や、睾丸を引き上げて注意深く見る。そしてそれがすむと陰茎の皮を親指と、人差指で根元まではじき、今度は親指と人差指、中指を使ってしごき戻すのである。

 なんでそんな方法で診察するのかというと、陰茎を根元からしごき戻すと、性病持ちの人は尿道から、うみがでるのだ。」

 平和が続いているから、こんな野蛮なことをされないですんでいるが、戦争にでもなったら、また、こんなことに。

68名無しさん:2020/07/25(土) 19:31:46 ID:DK9oyGfI
笹岡作治    ああ、M検物語        薔薇族12号   S48年7月
笹岡作治    地獄の顔          薔薇族15号   S49年1月
笹岡作治    小僧残酷物語        薔薇族17号   S49年5月
笹岡作治    続・若者狩り        薔薇族23号   S49年12月
笹岡作治    百姓哀歌          薔薇族24号   S50年1月
笹岡作治    名もなき草紙作者でありたい 薔薇族25号   S50年2月笹岡作治    若者狩り          薔薇族20号   S49年9月
笹岡作治    若者狩り          薔薇族20号   S49年9月
笹岡作治    褌談議           薔薇族28号   S50年5月
笹岡作治    新・若者狩り        薔薇族31号   S50年8月
笹岡作治    素っ裸の儀式-大日本帝国海軍のM検薔薇族86号 S55年3月
笹岡作治    調教の館"一褌亭"      薔薇族345    H13年1月
東京都・太   少年曲馬団の思い出     薔薇族32号   S50年9月秋田春彦    薔薇の履歴書(小説)     薔薇族18号   S49年7月愛知・M     体臭の思い出(薔薇模様欄)  薔薇族22号   S49年11月
千葉・M     赤銅色の男たち       薔薇族25号   S50年2月
東京・S     もう一度、あんな体験を   薔薇族25号   S50年2月花田勇三    炎と煙(小説)        薔薇族29号   S50年6月江口良一    一兵士の告白(小説)     薔薇族34号   S50年11月1????      素裸の信号訓練      薔薇族38号   S51年3月
竹内幹行    わが戦争体験-2 露営の夜  薔薇族39号   S51年4月
笹岡作治    わが戦争体験-3 海軍内務班 薔薇族40号   S51年5月
村田研之介   わが戦争体験-4 最後のちぎり薔薇族41号   S51年6月
志野三郎    愛と死の果てに 前編 後編 薔薇族48/49号  S52年1月
農上輝樹    現職・自衛隊記〜汗くさい男の記録薔薇族37号 S51年2月
山口淳     潰された夜(小説)      薔薇族57号   S52年10月
農上輝樹    薔薇と軍隊(小説)      薔薇族79号   S54年8月
花里良太    初年兵残酷物語(小説)    薔薇族79号   S54年8月相原誠     愛と死を賭けて ある将校の記録 薔薇族93号 S55年10月
斎藤謙一    文学に現れたM検       薔薇族??号   S61年3月
中茎丁男    我々の興味をそそってやまないM検とは-1
        -羞恥の受験体験、興奮の立ち会い目撃-    薔薇族??号

69名無しさん:2020/07/26(日) 16:31:58 ID:DK9oyGfI
「兵隊になる最初の徴兵検査は単なる肉体検査というだけではなく、兵隊(兵隊は自分の意志で動いてはならない)となるための儀式でもあり、「しゃばっけ」を抜き、兵隊であることを肉体に叩き込む場でもあったという。
 毎日新聞社刊『写真昭和三十年史』には、大勢のそれこそ一糸まとわぬ壮丁が一列に並ばされている後ろ姿の写真がある。並んだ裸の尻は壮観である。
「しゃばっけ」とは、羞恥心に代表される。二十歳といえば、まだ隠したい最中である。命令一下、さまざまなポーズをとらされる壮丁の羞恥は、M検において最高潮に達する。
 なにしろ親にも見せないところを何の容赦もなくむんずとつかまれて、数回しぼるようにしごかれたあげく、むきあげられるのだという。
 露出している者もさらに冠状溝までむきあげられるというから、包茎の者には大変なことだろう。ちなみに徴兵検査では六割がまだ包茎だったという。少年のように堅く包まれていて、日本男児のシンボルたるそれを羞恥に縮ませている者には、「活を入れる」と称し、意地悪な検査官なら、むかないかわりに、先端の敏感な部分を刺激して、「ホラ、ホラ、まだだめだ。まだ先が出てこんぞ!」とやる。意志に反して立つと「勘違いしていい気になるな!」と、なぐられる。
 そんな羞恥に、あとの者は「もうすぐ自分もあのようにされるのか」と思うと、気が気ではないという。
 なお、徴兵検査は婦人会が見学に来たそうで、羞恥にからだがほてるという。また地方によっては、最初から最後まで、身長も体重もすべてフリチンのブラブラで行なったということであり、『絵とき日本陸軍』(三恵書房)には、広い講堂の中で全裸で体重測定を受ける者や、次の順番を待つ者など、羞恥の検査場風景の絵も出ている。なお岩波文庫50『戦争と日本人』が復刻された。この中に徴兵検査の写真があり、全裸で並んだ壮丁の一人だけ前向きで、性器まで見えるということで、知る人ぞ知る伝説的な貴重な写真であるので、ぜひ見られたい。
 とにかく丸裸にされた壮丁は、自分のからだが自分のものでないことを知ることになる。そこにぶら下がっているモノでさえ「男子のシンボル」、つまりお国のものであって、婦人会の前でも隠せないということになる。
 日本男児と生まれたからには、何人もこの検査場に臨み、しゃばっけを抜かれたうえ兵営に入ったのだ。」
 



宮崎清隆著「青春監獄―初年兵日記」(東京ライフ社1955)
日華事変当時、軍都長岡における徴兵検査風景・・
渋谷知美著「立身出世と下半身」(洛北出版)では、M検について120ページにわたって、調査した内容を論考しています。また、薔薇族に掲載された笹岡作治の文章も引用されています。ご存じだと思いますが、コメントさせていただきました。


  少年も受けた国民徴用検査
昭和14年   16歳ー50歳  男子
昭和19年   12歳ー60歳  男子

毎日新聞社「写真 昭和30年史」1956.3に、昭和14年の国民徴用身体検査の写真が載っている。

広いどこかの小学校ので広い教室か講堂で、開け放たれた窓、褌一枚すら許されない生まれたまま素っ裸のフリチン
について姿の気をつけてください若者20人くらいが整列に検査官のこれから行う厳しい検査について訓示を受けているところ。検査官の前にはこれから容赦なくM検で剥き上げ、肛門を開いた指を消毒する洗面器が置かれ
これから行われるM検という厳しい身体検査をうかがわせる。

徴兵検査と違って10代から40代まで。

・・40代の男たちの中で、右端のは16、17歳くらいの
ほんの少年。綺麗で細い少年体形、姿態、瑞々しいお尻・・まだ硬く包まれているのだろう・
小沢真人・NHK取材班「NHKスペシャル 赤紙 男たちはこうして戦場へ送られた」創元社1997.7
にも同じ写真が小さいが載っている。


恥ずかしい検査が常識の世界
h ttps://jbbs.shitaraba.net/otaku/16648/

70名無しさん:2020/07/30(木) 08:17:56 ID:DK9oyGfI
陸軍身体検査規則 徴兵と志願、12歳のM検
[書誌情報]

責任表示:
木谷俊男 編著
出版者:
[木谷俊男]
出版年月日:
2003.2
請求記号:
AZ-666-H3
書誌ID:
000004023794

71名無しさん:2020/08/02(日) 09:21:28 ID:DK9oyGfI
婦人会まで見学した軍隊のM検!
 なんで『薔薇族』の読者って、こんなに軍隊の「M検」に興味があるのだろうか? バックナンバーをめくっていくと、「M検」に関する記事が何度も出てくる。

 1988年の1月号No180に投稿されている「われわれの興味をそそってやまないM検とは? 婦人会の前で、冠状溝までむき上げられた」を読んでみると、この人は戦後の生まれで、ご自分の体験ではない。

 読者にとって多数の若者がオチンチンを他人にいじくりまわされるという行為に、興奮し、想像をたくましくするのだろう。

 ぼくは中学1年生のときに窓越しに、M検の現場を目撃している。もう敗戦が色濃くなってきていた、終戦の前の年に世田谷中学に入学したが、2年生以上は工場などに行かされて、1年生しか残っていない。

 若い兵隊はいなくて、年をとって肉体も貧弱な兵隊が招集されて、学内に宿泊していた。全員が素裸にされて、「M検」をされているところを目撃してしまったときのことをよく覚えている。今どきの人には考えられない野蛮な行為だ。

「兵隊になる最初の徴兵検査は単なる肉体検査というだけではなく、兵隊(兵隊は自分の意志で動いてはならない)となるための儀式でもあり、「しゃばっけ」を抜き、兵隊であることを肉体に叩き込む場でもあったという。

 毎日新聞社刊『写真昭和三十年史』には、大勢のそれこそ一糸まとわぬ壮丁が一列に並ばされている後ろ姿の写真がある。並んだ裸の尻は壮観である。

「しゃばっけ」とは、羞恥心に代表される。二十歳といえば、まだ隠したい最中である。命令一下、さまざまなポーズをとらされる壮丁の羞恥は、M検において最高潮に達する。

 なにしろ親にも見せないところを何の容赦もなくむんずとつかまれて、数回しぼるようにしごかれたあげく、むきあげられるのだという。

 露出している者もさらに冠状溝までむきあげられるというから、包茎の者には大変なことだろう。ちなみに徴兵検査では六割がまだ包茎だったという。少年のように堅く包まれていて、日本男児のシンボルたるそれを羞恥に縮ませている者には、「活を入れる」と称し、意地悪な検査官なら、むかないかわりに、先端の敏感な部分を刺激して、「ホラ、ホラ、まだだめだ。まだ先が出てこんぞ!」とやる。意志に反して立つと「勘違いしていい気になるな!」と、なぐられる。

 そんな羞恥に、あとの者は「もうすぐ自分もあのようにされるのか」と思うと、気が気ではないという。

 なお、徴兵検査は婦人会が見学に来たそうで、羞恥にからだがほてるという。また地方によっては、最初から最後まで、身長も体重もすべてフリチンのブラブラで行なったということであり、『絵とき日本陸軍』(三恵書房)には、広い講堂の中で全裸で体重測定を受ける者や、次の順番を待つ者など、羞恥の検査場風景の絵も出ている。なお岩波文庫50『戦争と日本人』が復刻された。この中に徴兵検査の写真があり、全裸で並んだ壮丁の一人だけ前向きで、性器まで見えるということで、知る人ぞ知る伝説的な貴重な写真であるので、ぜひ見られたい。

 とにかく丸裸にされた壮丁は、自分のからだが自分のものでないことを知ることになる。そこにぶら下がっているモノでさえ「男子のシンボル」、つまりお国のものであって、婦人会の前でも隠せないということになる。

 日本男児と生まれたからには、何人もこの検査場に臨み、しゃばっけを抜かれたうえ兵営に入ったのだ。」

 この投稿者、M検を想像し、カキまくって書いたに違いない。

72名無しさん:2020/08/02(日) 09:23:51 ID:DK9oyGfI
訂正

とにかく丸裸にされた壮丁は、自分のからだが自分のものでないことを知ることになる。そこにぶら下がっているモノでさえ「男子のシンボル」ではなく「日本男児のシンボル」、つまりお国のものであって、婦人会の前でも隠せないということになる。

 日本男児と生まれたからには、何人もこの検査場に臨み、しゃばっけを抜かれたうえ兵営に入ったのだ。」

73名無しさん:2020/08/04(火) 15:46:42 ID:DK9oyGfI
昔の海軍兵学校の入学時の身体検査、旧制中学5年生、当時の少年「現在の高校二年」たちは今と違ってトテモうぶであった。当時の受験雑誌にはよくM検のない高校はどこですかというような質問があった。当時は殆どの高等学校の入試身体検査でM検と称して局部の検査があった。私が始めてM検されたのは中学4年の夏休みの海軍兵学校の身体検査のときである。その時は満16歳、私は毛が薄くてその時はまだパイパンだった。そしてせんずりのしすぎか中学入学前から完全に剥けていた。しかし、まだその方面の知識の薄い私は、剥けているのが悪いことに思っていた。さて、いよいよ身体検査のM検のことを思い出すと。他の検査を終えて、いよいよ肛門・陰部の検査である。その区画にはカアテンで仕切られていた。丁度誰もいないようなので、カーテンを開けて入っていった。その時の服装はパンツ1枚。なかには軍医と看護兵が1人いた。看護兵がパンツを脱いでと言った。言われるままにパンツを脱いで、軍医の前に行く。軍医は私の一物を握り、根元までグイグイと扱いて、尿道に膿が出ないか調べる。私は完全に剥けていたから痛くなかったが、包茎の人は痛かったと思う。ついで睾丸をさわり、少し揉んでいた。それから後ろを向けと言われ、前に手を付かされ、肛門の検査。何かを入れられたがすごく痛かった。このときはカーテンのなかは三人のみだった。
ついで、合格して最終の身体検査があった。この時は広い場所で区画は仕切られておらず、流れ作業のように行われた。即ち、人の見ている前で全裸になり、軍医に前と同じにしごかれた。前以上恥ずかしかった。しかし、他の人のしごかれるのが見られた。これは、これから海軍で長いこと一緒に勤務する同級生、お互い隠すことのない仲間になれということだったと思う。今の若者は、特別の者を除いてM検などされないで幸福だが、戦後数年経過するまでは、徴兵検査や学校の入試の身体検査でM検が行われた。今は、高校、大学の部活動や寮生活で遊び半分に行われているかもしれないが、昔は100人の成年男子100人すべてM検を受けたのである。

74名無しさん:2020/08/04(火) 15:56:52 ID:DK9oyGfI
9『少年が怯えた 徴兵検査のM検 Ⅱ』
《昭和十年代の世の中は戦争一色で 今時のようにエロもグロも見られ無い時代だったが、食う物に困っても子供は生まれ 生まれた子は年頃になると、自然に見よう見まねで 固く勃ったマラを弄りセンズリを掻いた。(続く)
(承前)戦災で家が焼けると 家族が一部屋で暮らすことも多く、現在の中高年には そんな環境で両親の赤裸々な媾合を目撃した人も多いと聞いている。そんな半ば開いた情況の中でも 少年に取って性は神秘であり、必死になって 他人の目から隠そうとした。
そんなときに東京周辺でも空襲が始まり 少年にも幼年学校・兵学校を始め、予科練や整備科練習生等の受験が勧められた。そしてその受験要領を見ると 身体検査項目の処に、必ず書いてあるのが 「生殖‥器」の奇怪な文字だった。
学校での性教育なども無く 自分の勝手に勃ち捲くるマラを持て余し、密かなセンズリの快楽を 友達と話し合うことも出来ず、途方に暮れる少年の前に また問答無用で「生殖‥器検査」と云う難題が突き付けられたのである。
そして耳に這入って来る情報は これから述べるような、客観的で リアルなものでは無く、誇大で羞恥心に耐えられ無い 恐ろしい性が蹂躙される世界だったのである。》

75名無しさん:2020/08/04(火) 15:58:03 ID:DK9oyGfI
【思い出話】 「春樹の雑記帳」h ttp://homepage3.nifty.com/harukinote/ より
(前略)
[戦時中] 1.徴兵けんさ
 昭和19年4月から学徒勤労動員で長崎のM造船へ行った。朝8時から5時まで船台周辺で鉄板に穴を開ける作業をした。別のクラスは船台の上でリベット打ちをしていた。私は満で20才になり徴兵検査受験の通知が来た。3日程の休暇?で本籍地で現住所の熊本へ帰った。栄養不足と過労と風邪気味でしんどかった。友人に聞いていたヒロポン(今の覚せい剤)の小瓶を薬局で買い、白く小さな錠剤を一つ飲んで検査に向かった。城内の第六師団司令部の講堂みたいな処であった。
 集まった100人ほどは越中褌一つで整列し順番に身長体重視力などの検査を受ける。

そして土嚢こう挙と言って20kgほどの土嚢を或る時間で何回持ち上げられるかのテストがあった。今朝はあれほどだるかったのに身体がしゃんとして軽く、すいすいと土嚢を持ち上げてしまった。後から友人がお前は砲兵に廻されるぞと言っていた。
最後は簡単な衝立の陰の軍医の前に進み、褌の前を横にずらすと軍医が一物を握って検査する。次ぎは後ろを向いて四つん這いになり痔の検査で終わる。その付近には白い割烹服に愛国婦人会のたすきを掛けたおばちゃんたちが十人ほど見物していた。
服を着て整列すると一人ずつ前に呼び出され、私は検査官から良い体をしておるが近眼だから第一乙種と言い渡された。(尚私は国立大の工学部へ進学したので、卒業まで徴兵猶予があり、大学1年の終わりに終戦となった)

《この例などは 既に戦局が不利になり、もう兵隊の質を言っておられず 数を集めるのに狂奔していた軍や政府の、足掻きに似た空気が仄見える 徴兵検査の情況である。》

【余談】
《これからは 余談だが、私は 自分のバイ気質に気付いてから、昔の徴兵検査のときに ゲイかバイの検査官が居たらどうだったろうか‥と、妄想を 逞しくしたことがあった。ところが やはり居たのである。次の告白は 戦中はノンケだったと云っているが、読むと‥充分に その気があって徴兵検査に臨んでいたことが察せられる。
これはもう‥窃視なんて云うものは無く 仕事で、ソノ気なのにそれを隠して 他人の勃起したマラを握り、棹を絞り扱いて 性病の検査の名目で先走りまで確かめるのだから、恐らく数人も検査すれば 検査官自身のパンツの中はズルズルになっていたと思う。つくづく‥抜き打ちで 検査官の勃起と先走り情況を調べてやりたかった気がする。》

76名無しさん:2020/08/04(火) 15:59:57 ID:DK9oyGfI
「ノンケであった徴兵医官の頃」
(身体検査、M検の記録保管庫:保管書庫1A 身体検査関連 より)
慎太郎's HP 「徴兵検査・強制露出の記録保管庫」
h ttp://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hinoki/4247/
これは昔、高齢者から聞いた本人の体験談を、パソコンに打ち込んだものです。
以下にある「私」とはその高齢の軍隊体験者-黒岩さん-の事です。
***********************************************************************
 戦時中、男は満20歳になると必ず徴兵検査を受ける事になっていた。そして身体強健な者は兵役に服したのである。
 徴兵検査では厳密に全身各部を詳しく診る。およそ身体と名の付く部分はすべて診る。最後には全裸にされ陰部及び肛門の検査も行われる。当時、私は徴兵医官としてこの検査を担当していたのである。
 軍医として勤務していた頃、私はノンケであり男性の性器に特別な興味と云う程のものを感じた事もないし、月例検査で兵隊達を全裸で並べて置くことも日常茶飯事であった。軍隊では兵隊をこのように素っ裸にして並ばす事はいくらでもあり、当時は何とも思っていなかった。

 しかし、この歳になり徴兵医官だった昔を懐かしく思い出す。なぜ今になって思い出すかと言うと、60歳近くになってこの(ゲイの)道を覚え、今さらながら戦時にノンケであった事を残念に思うからである。
 私は終戦で軍医を辞めてからは、故郷で内科医を開業していた。
 ヒョンな事からこの道をむりやり教えられ、それから男の体に興味を持つようになった。しかし田舎の開業医ではあまり派手なことも出来ず、時々、都会で欲望を満たす程度である。徴兵医官時代にこの道に興味があれば、どんなに楽しかったであろう。(中略)

 これは私が検査官の間に一度だけあった珍しい出来事である。
 壮丁は漁師と思われる日焼けした若者であった。その陰茎は越中褌を外したときからすでに完全勃起していた。恥ずかしさの為か、興奮している為か、顔が紅潮していた。大きさはありふれた普通の陰茎であった。
 私が陰茎の根元から先端に向けて扱いた時、陰茎がビクンと上反りに固くなり、射精を始めてしまった。精液は私の胸のあたりに飛んだ。陰茎を握っている私の掌の中で、ビク、ビクと数回、しゃくり上げながらタップリ射精し、止められなかったようである。
 その時は興奮し易い体質であろうと思いながら精液を拭いてやったが、尿道口からの分泌物の検査が出来なかったため、順番を後回しとし再検査を行った。2回目は勃起していなかったので通常に検査し合格となった。当時の私には思いもよらなかったが、もしかしたら、この道の若者だったのかもしれない。
 初めから勃起している例は極めて少ないが、検査中に勃起が始まってしまう事はそんなに珍しいわけではない。しかし、射精にまで至るのはあまり聞かない。

77名無しさん:2020/08/04(火) 16:01:53 ID:DK9oyGfI
 最初は平常状態であった陰茎が検査の触診をしている間に勃起してしまう壮丁はかなり居た。その当時は恥部に触られ若干の刺激を受けるのだから止むを得ないのだろうと思い、検査をできるだけ短時間にサッとして、屹立しないうちに済ませてやろうと思った。
 そういう壮丁達はきっと生殖器検査への不安と好奇心と羞恥心などで興奮していたのであろう。全裸で私の前に立った時に陰茎の先端がかなり粘液で濡れている者も居たから、自分の番が来るまでに幾度か勃起と収縮を繰り返していたに違いない。大抵は今にも膨れ出しそうな不安定な感じで、ダラリと伸びるだけ伸びた様な恰好をしている。
 壮丁の顔は懸命に勃起の防戦に苦慮している表情である。このような場合は、他と同じようにごく普通に検査をするだけで、すぐに勃起してしまう。陰茎を掴んで皮を剥き、次にぐいーと扱いて尿道口を見てから手を離す頃にはすでに陰茎が膨れ始めている。
 急いで睾丸の検査を済ませるが両股を撫でて診る頃には亀頭がズッキンズッキンと持ち上がり始めて、もう止めることが出来ない。
 その後、後ろ向きの四つん這い姿勢で肛門を診るのだが、それが終わって立ち上がった時に収縮していればよいが、若い者は一旦勃起しかけると、ひとまず屹立まで進まないと、途中で収縮する事は冷水でもかけない限り難しい様である。

78名無しさん:2020/08/04(火) 16:03:25 ID:DK9oyGfI
 勃起してしまった陰茎で、特に変わったものとして、長さは普通だが根元が極端に太くて亀頭が細く尖っているものや、反対に茎部分は人並み以下に細いのに亀頭がちょっと想像できない程大きくて、亀頭がちぎれはしないかと思う様なものがあった。また殆ど真横に勃起する物もあれば、前と後ろが逆になるほど捻れ曲っているものもあった。強度の下反りも時折り見受けられた。他と比べて特徴を持つ人は緊張し過ぎてかえって勃起してしまうのか、色々と変わった形を見る事ができた。

 殆どの者は勃起しないで、平常状態のままになっているのが普通であるが、私が見た範囲では医学的正常者は長さが2.5cmから15cmであった。
 2.5cmの壮丁は検査のため勃起させたら5.5cmとなったので合格にした。そして15cmの壮丁も参考のため勃起させて確認したら19cmとなり合格としたが、あまり硬くならなかった。

 完全露茎は少なくて大部分は仮性包茎である。包茎の場合は越中褌を外して私の前に立った時に自分で剥かせた。どうしても剥けない真性包茎の場合もある。
 軍隊では入隊すると生殖器検査がたびたびあり、亀頭部分をいじくられる機会も多く、包茎では困ったことになる。軍隊では何事も他の兵隊と同じであることが望ましく、性器の状態についても同様で、露茎または簡単に剥ける仮性包茎であることが望ましい。そのため真性包茎の者や、剥く時痛がる者、あるいは皮がやっと剥けても先端が赤く湿潤な者には手術を奨める。軍隊に入ってから亀頭をいじられる検査や訓練の時に痛くて困るからである。(中略)

 中年以後にこの(ゲイの)道を知り、同性の性器に歪んだ興奮を感じる様になった今、時々思い出す懐しい昔の経験である。
 もし、再び生殖器を集団検査する仕事につく事が出来たらどんなにか素晴らしい事であろう。かつては実際に毎日、壮丁の陰茎を握って検査を行ってきたのである。
 現在ではその場面を想い出すと、後頭部が疼いてくる様な性的興奮を感じるのである。表面は真面目な顔をして、色々とイジリ回して必要以上の刺激を加え、その変化の状況を眺めて内心で楽しんだらよかったと悔やまれる。

 今ふたたび、徴兵医官として毎日何百人もの陰茎をいじくり回す生殖器集団強制検査をする事ができるのであれば、陰茎を剥き、睾丸を握って遠慮なく壮丁の性器を精査する事と思う。 立派な陰茎、大きな睾丸をした壮丁には特に丁寧に検査を行う。
 壮丁が必死に勃起を押さえようとしている半勃起状態の陰茎も必要以上にイジクリ回して完全勃起に導いて詳細な検査を行う。
 私の顔に陰部がくっ付きそうなほど腰を前に突き出させ、陰嚢の皺や陰茎の血管の一本も見逃さないように精査をするであろう。わざと勃起させた陰茎を刺激して、亀頭の鈴口を指で開いて、溢れる分泌物を調べるであろう。◇

《実は私は このようなM検は戦中のことで、敗戦後には行われ無くなった と思っていた。ところが今回‥このようなM検資料を漁っていたら M検が戦後も10年近く続けられたと聞いて驚いた。それは東大を始めとする主要大学や 当然のように自衛隊で、そして女性の社会進出に伴い 自衛隊に於いては女性自衛官にまで行われたことを知り、心底‥ホントかよ!?‥と 仰天した。
しかも内科検診に至っては 性病検査と称してあの産婦人科の診察台、私も一度見たことがあるが 何とも残虐とより云いようの無い、足を乗せる台が 大股開きに開いて天井に突き上げている‥診察台に乗せられるのだ。そして既婚未婚を問わず 逆さに持ち上げられ剥き出しになった局部を覗かれて、性病の検査だけで無く (ついでに?)性交渉の有無や発育状況までも検査されるのだと云う。
あんな診察台は 男性経験を済まし、数多くの媾合を経て 妊娠でもした女性が乗るものだと思っていた。それが‥男を知らない処女が大股を開き 男の検査官に、陰毛を掻き分けられ 大陰唇を冷たい器具で拡げられ、小陰唇のビラビラから 処女膜の情況まで観察されるのである。処女の恥ずかしさは云うに及ばず 未婚でも男性経験があれば、小陰唇のビラビラは黒ずみ 処女膜はとっくに破れて退化しているだろう。そこで‥泣き出す女性自衛官も居ると云うが 尤もだと思う。》

「M検室 Ⅰ」より 
 (名無し2chより) (2008/02/01 採録)

79名無しさん:2020/08/04(火) 16:04:52 ID:DK9oyGfI
(名無し2chより 採録)             ★
直接には関係無いが、(健康診断では無く)身体検査の原点を知る上で参考になるので参考までに記します。真偽について若干判らない所もありますが、かなり当たっている、処があるようなので。‥健康優良児審査では、「身体の傷跡」について、精密に調べたと言います。

26歳 女性(元自衛官)
あゆみ、と言います。
私は(他からのコピーですが)、入隊直後に受ける身体検査の事を書きます、元自衛官なのですが、入隊直後(確か二十二才の時)に受けた身体検査です。
身体検査は三人一組で、検査室に入れられました。そこで着ている服を全部脱いで全裸になるように言われました。さらに髪の長い娘は、ゴムを渡され、髪を後ろで束ねるように言われます。

そして全裸のまま、直立不動の姿勢で医務!官(男性)の前に立たされ、身体を見られました。その時、私は恥ずかしさで膝が震え、後ろにいた医務官(こちらも男性)に、キチンと背筋を伸ばすように注意されました。こうして身体の傷跡や欠損の有無を確認されると、身体検査に移ります。この後の検査は、全て全裸で受けました。この部屋では身長、体重、視聴力、採血、レントゲン、心電図と進み、内科検診はカーテンに区切られた場所に入って実施されました。

皆さんがご想像の通り、自衛隊では男女を問わず、全員が性病検査と称して局部を検査されます。
女性は産婦人科の診察台に上がって、女の部分を全部調べられますね。断言できませんが、性病の検査だけでなく、性交渉の有無や発育状況までも調べられている筈です。
男子の方は、入隊後に女友達伝いに聞いた話ですので、実際は分から無いのですが、指で局部を触られるばかりで無く、包茎の人はキチンと皮が剥けるか、包皮を剥かれたりするそうです。
また尿検査の尿は、自分でコップに採ってくるのでは無く、診察台に乗せられている時に、導尿されて取られました。男性の方はどうだったのかしら、と思いながらこの文章を打っています。

なお余談ですが、身体検査のときに恥ずかしさのあまり、泣き出したりグズグズしていた女の隊員は、その日の夜に女性管理官に集められて、説教と懲罰が与えられました。泣いた事で支障を来たし、全体に迷惑を掛けたという理由でした。
その時私は、自衛隊員としての厳しさを知りました。個人のプライバシーよりも全体の規律を重んじ、自己を捨てて国家に仕える意思を持たねばならないのです。他人に見られたくない局所までも調べられる事で、それらを思い知らせる意味合いもあるのでしょう。


貴重な証言ありがとうございます。「全身の傷の検査」と言うことで、そこまでの検査があったことは貴重な証言です。女子自衛官でも同様にあったってことは本当ですか。また、防衛大入試でも同じでしょうか,それとも防衛医大だからでしょうか。なお、全身の傷の有無については、健康優良児審査でも行われたといいますが‥。◇

80名無しさん:2020/08/04(火) 19:25:12 ID:DK9oyGfI
昭和十九年、政府は兵員の補充を迫られ徴兵検査の年齢を一年早めた。この年は十九歳と二十歳の若者が受けることになった。

 徴兵検査でM検という触診がある事は大人から聞いていたので小学生の頃から知っていた。

 六年生の時のことだ。

81名無しさん:2020/08/04(火) 19:26:02 ID:DK9oyGfI
小学校の講堂は毎年徴兵検査場に使用されていた。この頃から既に大人の男性性器に興味を覚えていた。 先生からは「絶対講堂へ近づいてはなりません」と厳しく言われていたが、どうしても覗いてみたい誘惑に駆られ、僅かな時間を盗んで講堂に行き、「M検場」とおぼしき暗幕の下ろされた窓に近づき、僅かな隙間から中を覗いた。

 胸がドキドキしていた。

 なんとも変な顔をして頭を掻きながら下を向いている全裸の若者の上半身が見えた。下半身は白衣の検査医官に邪魔されてなにをされているのかよく分からない。大人たちはチンポを剥かれるのだと言っていたがどう剥かれるのだろう?

 もっと下を見てやろうと窓をよじ登ったとき始業を告げる鐘が鳴りあわてて教室へもどったが、赤銅色の胸のよく発達した、胸毛の筋肉隆々たる若者がちらっと見せた太い陰茎が眼にちらついて、小さな陰茎を机の下で突っ勃てていた。これが私が徴兵検査の「M検」に、たまらない興味と堪えられない羞恥心を持つようになる最初の体験だった。

 そしてその事をはっきり意識したのは、昭和十五年に制定された国民体力法という法律に基づく「疾病検診」を受けさせられた時だった。

 この法律は十七歳から徴兵検査を受けるまでの二十歳まで、毎年受けなければならないもので、検査実施の季節が来ると厭な気分になった。「疾病検診」には性器触診があり、他人に性器を見られ触られることが耐えられないほどに恥ずかしかったからである。

 この法律により日本男児として生まれたからには誰でも、十七歳からは毎年一回は性器触診を強要されたのである。それ以外にも当時の日本では入学試験や入社試験など何かあるごとに厳密な身体検査が行われ、年に数回は性器触診を受けさせられたのである。

 そして二十歳になり徴兵検査を受け、兵隊として入営すると月例検査と称する、更に厳しく恥ずかしいM検を毎月実施されたのである。それ以外にも初年兵は先輩古兵から性的いたずらとも思える性器露出を何度も強制されるのが軍隊と知った。

 しかし、初めはあれほど恥ずかしかった性器検査も繰り返し受けるに従って、やがて恥ずかしいだけでなく何か待ち遠しい様な気持ちになってきたものである。

82名無しさん:2020/08/04(火) 19:26:49 ID:DK9oyGfI
当時、私はある会社の軍需工場に勤めていたが、そこは全国から勤労青少年が集まってきており、彼らと一緒にこの「疾病検診」の性器触診を工場医の手で受けた。

 心底厭だったが有無を言わさず裸にされ、最初から最後まですべての検査が全裸で行われた。「M検場」は講堂の隅につくられていたが、囲いもなく遠くからでも丸見えであった。自分の順番が近づき、全裸の若者が白衣姿の年配の工場医から長い陰茎の皮をずるりと剥かれて、検査されている姿を間近で見た時、全身の血が逆流し、頭がボーッと麻痺したようになった。

 自分もすぐにこんな事をされるのかと思うと逃げ出したくなった。しかし、気持ちとは反対に眼は次々と剥かれてゆく受験者の性器に引き寄せられ、私の陰茎は徐々に膨らみかけていた。全裸のまま、両手を腿に付け直立し、性器を隠す事も許されない状況であった。全員無関心を装いながら、勃起しようとする衝動を必死で抑えていた。一寸したことにも敏感に反応をする年頃だった我々にとって、皆の視線を感じながら順番に陰茎を剥かれ握られるのは酷だった。

 二年目の時だ。私の前の番で触診を受けていた先輩が、「穴検」のために向きを変えようとしてよろめいた。期せずして彼の陰茎が気を付けの姿勢で順番待ちしていた私の掌に当たった。しごかれて少し勃起していたようで、弾力のある柔らかな温かい感じが掌に残った。これが他人の陰茎に触った最初だが、白衣の工場医が彼の双丘を押し拡げ肛門を覗き込んでいる姿と共に後々この場面を思い出しては手淫をするようになった。

 工場医の前に立った時、抑えきれず、すでに陰茎は水平近くまで鎌首を持ち上げていた。

 「ほうッ!立派な一物になったね」工場医は困惑している私の顔をちらっと見上げ、小声で、「私のも大きいが、君の方が太いだろうなあ、今度入浴した時、比べて見るかね」冗談とも本気ともつかぬことを、こともなげに言いながら左手で陰嚢を包み、右手で陰茎をギュッと握り締めた。

 思わず反射的に腰を引こうとしたが、工場医はより強く握り、ゆっくりと亀頭の方へ絞るように揉み上げた。二回、三回と繰り返されると若い陰茎はたちまち反応し、勃起させてはならないという切ない思いに反してますます堅さを増していった。

 工場医はよく知っている職員だったから、にやにやされると受検者全員からも見詰められているような気がして、顔から火が出るほどに恥ずかしかった。

 しかし、恥ずかしさと同時に、自分の性器を他人にいじくられ検査される切なくも待ち遠しいような気持ちもあった。この疾病検診は徴兵検査の予備体験となった。翌年の徴兵検査のM検を想像するといじくられる恥ずかしさと同時に、何かを期待するような嬉しさに陰茎が疼くようになった。

83名無しさん:2020/08/04(火) 19:29:12 ID:DK9oyGfI
私は満十九歳の春、帰郷して母校の講堂で徴兵検査を受けた。強制的に性器を人前に曝し、いじくられるという恥ずかしく、惨めで、しかしどこか切ない体験を今は懐かしく思い出すのである。

 徴兵検査は地方によっては最初から最後まで身長も体重もすべて全裸で行なった。

 また徴兵検査会場には国防婦人会も見学に来ており、大勢の主婦たちの見守る中で終日、全裸のまま検査を受けるのである。

 丸裸にされた壮丁は、自分の体が自分のものでないことを知ることになる。そこにぶら下がっている性器でさえ”男子のシンボル”でなく”日本国男児のシンボル”、つまりお国のものであって、大勢の国防婦人会の主婦たちの前でも隠さず、堂々とさらけ出して、規律正しく行動することを要求されるのである。

 日本男児と生まれたからには、何人もこの生殖器検査を数回以上受け、性器を恥ずかしがるなどと言う感情は許されなかった。

 当時、男は徴兵検査を受けて一人前になると言われていた。それは徴兵検査が疾病検査とは異なり病気の検査だけでなく、生殖器としての機能も調べるからである。徴兵検査を受ける事で男性生殖器である睾丸や陰茎を握ぎられ、亀頭溝まで完全に皮をめくって生殖機能を触診検査をされる。それでようやく奇形も性病もない、男性生殖器を使ってもよい健全な男であると証明されたのである。

84名無しさん:2020/08/04(火) 19:30:32 ID:DK9oyGfI
 その日、小学校は休日だった。

 受付をすませ廊下で越中褌一枚の裸体となり徴兵検査場である講堂へ入る。私の地方では全裸でなく越中褌で検査を受けた。正面の壇上には50代くらいのカイゼル髭の立派な徴兵検査官が座って全体を見渡していた。

 入り口から身長・体重・胸囲・座高・視力・色盲検査というように、順序よくその場が設定されており、最後の場所に「M検場」があった。そこはかって小学生の時覗き見した場所だった。

 私ははじめの方だったから順調にゆけば早く終わるはずだったが、視力検査で引っ掛かり最後まで待たされたので「M検場」に到達した時は、既に陽は西へ傾き、壮丁はM検を受ける者だけが残っていた。

 「M検場」は他の受検者から見えないように衝立で囲み隔離され窓は暗幕で隠されていた。

 工場で性器触診を受けた時は丸見えだったが、ここでは中が見えないので救われた気持ちになったが、一人づつ壮丁が衝立の中へ消えてゆき、順番が繰り上がってゆく間、衝立の中で何が行われているかを色々と想像させて、逆に見えないことに不安を感じ切なかった。

 どんな格好で剥かれるのだろう? 工場の時と同じなのだろうか? 勃起してきたらどうしよう? 検査医官はどんな人なのだろう? などと衝立の中の妄想に胸は高鳴り褌の中では陰茎が疼きに悲鳴をあげて何度も勃起を繰り返した。

85名無しさん:2020/08/04(火) 19:31:42 ID:DK9oyGfI
 いよいよ私の番がやって来た。

 早鐘のように心音がドクッドクッと打つのが聞こえる。そっと褌の上から陰茎に触れてみる。どうやら膨れてはいるが勃ってはいない事に安心する。

 その時、慌ただしく衝立の中から医官と看護婦が壮丁を中に残したまま出て来ると講堂の外へ消えた。前の壮丁の淋病が露顕したようであった。

 しばくして医官が帰って来て「中へ入れ」と私を呼んだ。

 看護婦は前の壮丁の淋病処置に手を取られているのだろう、中にはいなかった。医官は書類を一覧すると椅子に股を拡げて座った。白髪の老医であった。私はその股間に指定された足型の位置に立った。

「褌の前を外せ」の声に褌の前垂れを尻の方へ引き抜きいた。

「両手を後ろに組んで、腰を前に突き出す。もっと……もっと……。」

 促されるままに徐々に腰を医官の鼻先へ突き出すと医官は左手で陰嚢を持ち上げ、右手で陰茎を握り亀頭の方へ皮が突っ張るほど剥き上げた。

 少し痛かったが、なんとなく気持ちよさを感じていた。

 生温い掌が陰茎を締めて亀頭の方へ絞ってゆく。この動作を三度繰り返され、カリ首を強く締め付けられると、陰茎は敏感に反応を示し、奥底から感応してはならない疼きが沸き出し、半勃起の弾力ある状態になってしまった。

 勃起しては困ると他のことを懸命に考える。

86名無しさん:2020/08/04(火) 19:33:21 ID:DK9oyGfI
しかし医官の掌は容赦なく前より一層強く握り締めて極めてゆっくり亀頭の方へ数回絞りあげる。痛いほどの快感がビンビンと頭に伝わってきてどんなことも考えられない。

 じっと切なく、残酷なしごきに耐えた。

 医官は尿道口の膿の有無を見定めようと亀頭をひねるようにして鈴口を開いた。

 その瞬間、先走り液がプクッと飛び出した。待機中でも幾度となく出そうで危惧していた事が医官の前で起こった。

 陰茎が固くなってゆくのを感じた。

 もう、どうしようもない。医官が鼠けい部の辺りを圧するために両手を離すと陰茎は意思とは関係なくズキン、ズキンと大きく波打ちながら急速に天に向かって勃起していった。恥ずかしさに生きている心地がしなかった。

 医官は見馴れた様子で別に気にとめる風もなく、陰茎を腹の方へ押しつけ睾丸を片方づつ丁寧に握り固さを検査している。

 私は放心したように彼の掌の動きを無感覚に見詰めていた。

 それほど陰茎勃起はショックだったのである。

「後ろを向いて……床に掌をついて……」

 四つんばいになり医官の眼前に尻を高く差し上げた。

「もっと高く……」

 両手で強く肛門を開き、金属棒のようなものを押し込んでぐっと拡げたような感じがした。

 冷やりとして痛かったが、同時に快感とも違う痺れるような妙な感覚が陰茎を走った。

 ふと、自分の股間を見ると先走り液が粘い糸を引いて垂れ下がっていた。陰茎は完全勃起に近いくらい大きく膨らんでいた。顔が真っ赤に火照ってるのが分かった。

 「竿も睾丸もよく発育している。よい道具である。大事にせい。」と言って尻を叩かれた。

 向き直ると医官は、天を突いて勃ちきっている陰茎を引き下げ、握手でもするように握って前後に動かした。恥ずかしさと照れくささに私は頭を掻いた。

 まさしくその姿は小学校六年生の時、盗み見したこの場所で頭を掻いていたあの筋肉隆々たる若者の姿と同じであった。彼も勃起していたのかもしれない。

 逃げるようにして出口に向かい急いで越中褌の前垂れで隠したが、興奮した陰茎は怒張したまま収縮せず前垂れを突き上げていた。横から越中褌の中が丸見えで衝立の外へ出ようにも出られず困ってしまった。

 すでに次の壮丁が入って来て医官の前に立っている。困っている私に気が付いた医官が側に寄って来て褌の前を外し、いきなり睾丸をピシリとはじいた。屈み込むほどの激痛だったが、その瞬間陰茎は力を失っていた。心得た処置であった。

 出口で次の壮丁の陰部を見ると、すでに包茎の陰茎が水平近くまで持ち上がっていた。包皮が半剥けになり虚空に息づいていた。直立不動の姿勢で、間近で腰掛けている医官に陰茎を突きつけ、恥ずかしいしごきが始まるのを待っていた。

h ttp://nonbiritona.sumomo.ne.jp/paku_archives/3paku/pakurina/07nonjanal/non02-05.html#3

87名無しさん:2020/08/04(火) 20:20:14 ID:DK9oyGfI
昭和十九年に海軍に入隊した私の兵種は衛生兵と決まった。

 軍隊での兵務内容にはいろいろあったが、ここでは性器の露出に関係する場面だけを記すことにする。ただし、もちろんこれは兵務のごく一部である。

 私は出生地が福井の漁村であったためか徴兵検査で乙種合格すると海軍に入隊に入ることに決まった。昭和十八年四月のことである。海兵団入団の日、見送ってくれた両親と海兵団の門の前で別れ、分隊ごとに約百名ぐらいずつ各兵舎にひとまず案内された。各分隊とも下士官指導のもとに、古参の兵が引率する。入隊して最初の行事は入営時身体検査である。

 身体検査では全裸にされ詳しく全身を検査をされる。兵舎の筵(むしろ)の上で分隊百名は全裸となり、靴から褌まで一切の私物を持参の風呂敷で包む。そして紐でしばって荷物札をつけ名前を記入する。荷物は、係の手で門前の親もとに届けられ、見送りのない者の荷物は国もとへ返送される。

 こうして我々新兵は入営後、30分も経たないうちに個人の持ち物は全て取り上げられて、すっ裸にされ自分の身体だけが唯一の頼りという大変心細い状態に追いやられた。それから全裸のままで身体検査の順番を待つのである。その間越中褌ひとつ与えられず、古兵達の好奇の視線を前にただ恥ずかしそうに並んで待っていた。

88名無しさん:2020/08/04(火) 20:21:20 ID:DK9oyGfI

 身体検査は分隊毎に行われるのだが、自分の分隊の順番が来るまでにはだいぶ時間があった。その待ち時間のことであった。下士官が席を外すのを見計らうかのように、古参兵達がおもしろ半分に我々の生殖器検査を始めると宣言したのである。

「まもなく軍医による正式の身体検査があるが、その時にまごついて我が分隊の名誉を傷つけないよう注意しなければならない。そこで今から生殖器検査を受けるための訓練を行う」と古参兵から言われた。

 すでに全裸で性器を晒している新兵達は、3人ほどの古参兵に命令され直立不動の姿勢で立ち性器を検査された。そして勃起する程まで執拗にいじくり廻され、生殖器の品評会をさせられた。

 自分の分隊に身体検査の番がくると、引率されて医務室前の中庭に集合する。全裸で戸惑っている私たちは、すのこ板を渡って医務室前の控所に整列する。手で陰部を隠すことは禁止されている。古参兵は意地悪そうに陰部のあたりを眺めまわす。

 四列に並んだ新兵達の先頭には衛生下士官が4人いて検査をしている。陰茎をつかんで皮をむき上げてから厳密丁寧にしごく。それがすむと別の衛生下士官の手で四つんばいの肛門に硝子の丸棒をつっこまれて検便をした。軍医は椅子に座って眺めているだけであった。

 身体検査が終わると、再び全裸のまま行列を作ってすのこを渡り元の兵舎にもどる。やがて自分の分隊の受け持ちとなる下士官に一人ずつ名前を呼ばれる。氏名、出身地、生年月日などを申告すると、顔と陰部をじろりと眺められてから、越中褌を手渡される。

 その後下着、軍服、靴を支給され格好だけは海軍二等水兵となった。

89名無しさん:2020/08/04(火) 20:22:52 ID:DK9oyGfI
しかし翌日から始まった新兵教育訓練ではやっと支給された軍服も役に立たなかった。

 訓練中に着衣する事が許されないのである。新兵達への訓練は、正しい姿勢で兵隊らしく規律ある行動が出来るようになるまでは全裸で行われると言うのが、ここの新兵教育隊の慣例だったのである。

 海軍に入営した兵隊が一番最初に受ける訓練は兵隊の基本、命令にしたがって規律正しく行う行進である。その訓練はすっ裸で行われる。兵舎で越中褌を外して全裸のまま集合させられた。

 何百人もの全裸の新兵が号令にあわせて、規律正しく、掛け声をあげながら集団行進するのである。性器に対する羞恥心をなくす事と行進の姿勢矯正には全裸がもっとも効率的なのである。

 号令の従って準備体操をしたり、駆け足しをしたりしていると全裸の陰茎がブラブラ動いて太腿に当たったりするため、どうかすると勃起してしまう事がある。だいたい一班50人のなかで2人か3人は勃起させていたが、それでも何事もなかったかのように、隠しもせず勃起陰茎をさらしたまま大きく腕を振り行進していた。また号令をかけている上官も勃起陰茎を見てもまったく気にしていないようであった。

 キンタマをぶらぶらさせ、時には勃起してしまった陰茎ですら、隠すこともできずに晒らけ出したまま明るい太陽の下で終日、全裸の徒歩訓練させられる、それが軍隊なのである。

 全員の姿勢が矯正され、兵隊らしく号令通りに行進できるまで連日、全裸での訓練が続いた。性器への羞恥心を無くさせるため、大小さまざまな性器を訓練と称してわざと露出させるのである。

 軍隊では「集団陰部露出」を強制される場面は珍しい事ではなく頻繁にあった。それは陰部露出が新兵を早く兵隊らしくする方法の一つと考えられていたからである。

 兵隊となったからには、その肉体はすでに個人のものでなく軍隊のものである。その肉体の一部分である性器に対して個人的な感情や羞恥心を持つことは許される事ではなかったのである。

90名無しさん:2020/08/04(火) 20:24:13 ID:DK9oyGfI
性器に対する羞恥心を早く捨てさせる事も兵隊に必要な訓練であり、上官の任務であった。

 折にふれ、部下の兵の性器を露出させ、あるいは性器をもて遊ぶようにいじくり、性器の対する羞恥心を無くさせる事が軍隊における上官の任務のひとつであったという事である。罰直としての砲身磨きや集団発射訓練もその手段である。

 特に発射訓練は班全員が上官の号令に従って一斉に射精するという点で兵隊の羞恥心をなくすと同時に、兵隊にとって一番大事な素養である。「上官の命令には絶対服従し、命令どうりに行動する」を教えるのに最適な集団訓練であり、新兵にはよく行われた。

その他に性器露出を伴う兵隊生活には以下のような物があった。

91名無しさん:2020/08/04(火) 20:25:49 ID:DK9oyGfI
■月例検査

 毎月行われる身体検査で、身長、体重を折れ線グラフにして検査表に記入される。

 体重が減っている者は、軍医あるいは衛生兵による診察が行われる。またこの月例検査では性器の検査も行われる。将校クラスを除いては、月例検査は一人の抜けも許されないほど厳格に行われた。

■性器露出を伴う罰直

 軍隊では失敗をすると厳しい制裁を受ける。その中には強制陰部露出を伴うな罰ちょくも数々あった。

「砲身磨き」とはよく初年兵に課した罰ちょくの一つである。鉄製の本物の大砲ではなくて、すべての男子が股間に所有している大砲を磨くこと、すなわちセンズリを掻くことである。

 また「セミ」、「ウグイスの谷渡り」は陸軍で広く用いられていた。いずれも褌を取らされ、強制陰部露出して課せられる罰ちょくである。

 ●有名なセミというのは昆虫の蝉の生態が語源になっている罰ちょくである。

 セミが木でミーンミーンと鳴いている。鳴きやんで飛んで行くとき、せみは小便をしてから飛んで行く。この生態のまねをさせられるのが「セミ」という罰ちょくである。

 方法は

 ・越中褌一つまたは全裸。どちらかは内務班の伝統により様々。

 ・兵舎内の柱に登らされる。登ると上でミーンミーンと鳴いてセミのまねをする。

 ・ひととき、「もっと威勢良く鳴け」とか、いたぶられたあと、「よし、小便して逃げろ」と命令される。

 ・柱に両足を絡ませ片手でチンポを握って、振り、小便をするまねをする。

 ・これで許してもらえる場合もあるが更に、

 ・「小便が出てないぞ、小便がでなければチンポをしごいて白い水を出せ」と 命令される場合もある。

  しかたなくしごくが、無理な体勢で、勃起はしても射精までは難しく、

  射精のまねごとのよがり声を出せば途中で許してもらえる 場合が多いという

 セミは大体以上であるが、屋外の場合は木に登らされるとか月例検査でチンボが大きいと思われると狙われやすいとか、チンポをしごいて射精のまねをしても上官が「よし」という終了の合図を出さないとかの変形もある。

92名無しさん:2020/08/04(火) 20:27:07 ID:DK9oyGfI
 ●ウグイスとは語源である「ウグイスの谷渡り」を省略したもの。

 軍隊で「ウグイスをやれ」といわれたら、ウグイスのまねをしてホーホケキョと鳴くのだが、普通にウグイスの物まねする訳ではない。

 ・越中褌ひとつ、または全裸にさせる。

 ・兵舎の中にずらっと並んでいる寝台を谷にみたてて、順番に訪れ、鳴き真似をする。

 ・具体的には寝台と寝台の狭い間をくぐり抜けて一つの寝台の上に乗りホーホケキョと鳴く。

 ・次の寝台はその下をくぐりぬけて、その次の寝台の上にあがり、鳴く。

 ・このウグイスの谷渡りを一列に並んだ寝台の端から端までやれされる。

以上がウグイスであるが、変形も色々あり、ウグイスの鳴き声の代わりにP屋(軍隊用の女郎屋)の客引きのまねをさせられる方法もあった。

■吹き流し

 兵舎の入り口などに吹き流しの格好で直立不動にさせる。吹き流しの格好とは、越中褌1つにし、前布を引き抜いて性器を露出させ、越中褌の布がお尻の後ろで風にはためいている状態で立たせておくという罰直である。

■砲身磨き

 兵営では班ごとに連帯責任を課された。たとえば中の一人がヘマをすると班全員に罰直が行われる。

 兵隊への罰直に”砲身磨き”という方法がある。軍隊では鉄砲は大切に整備し磨きをかけなければならなかったそうで、夜にその点検があったという。

 そして、もし鉄砲の磨きが不足と判断されると、その班全員が、砲身を磨いて”発射検査”を受けなければならなかったのだという。

 ここで砲身というのが銃ではないという事で、そこが罰直の罰直たるところ。自分の股間にぶら下げている生身の銃身を磨くのである。

 各自支給されている銃の砲身は常にピカピカに磨いておく事が大事であるが、股間にぶら下げている生身の銃も時々磨かされるのである。もちろん磨くだけでなく発射性能も検査される。

93名無しさん:2020/08/04(火) 20:29:14 ID:DK9oyGfI
■発射訓練

 兵隊は自分の意志で動いてはならない。上官から命令されたときだけ、号令通りに動かないといけないのである。そのため上官の命令による集団行動を徹底的に訓練されるのが軍隊である。

 その訓練を徹底するため精液の発射というもっとも個人的な行動まで、号令に合わせて班全員が一斉に射撃できるようになるまで訓練される。

 早漏ぎみあるいは遅漏の者がいる班は発射のタイミングがずれるので、全員が一斉に発射できるまで生殖器が赤くヒリヒリなっても何度も発射訓練される。

 徴兵検査で包茎が認められた壮丁には、入営日までに包茎手術を受けておくように指導される。衛生面の観点以外に、このような訓練に備え、早漏になりにくい完全露茎にしておいた方がいいのである。

 発射訓練は、たとえ兵務とはまったく関係ない射精という個人の秘め事であっても、上官から命令されればその命令に従って動くという「立派な兵隊」となるための訓練でもある。

「娑婆っけ」を抜き兵隊である事を肉体に叩き込むために発射訓練を好む上官もいた。

■当番兵

 そのほか罰直ではないが当番兵という役割も廻ってくる。

 中尉以上の上官の部屋掃除、洗濯など、身の回りを世話をおよそ1ヶ月間当番制でするのである。

 軍隊では新兵の性器を露出させるだけでなく、上官も平然と性器を新兵達に露出する。入浴中に背中を流すついでに前まで綺麗にさせられる事もよくあることであった。

 また腰を揉めと言われて始めたら、センズリの手伝いをさせていたという事もあり、時には尺八を所望される事もある。肩の凝っている上官が部下に按摩をさせるのと同じ気持ちで、上官は勃起した性器を新兵にさらして揉ませるのである。

h ttp://pakurogu02.fc2web.com/pakuri3/05/member/001otakara/tetuo/tetuo11-kinnji.html

94名無しさん:2020/08/04(火) 20:30:51 ID:DK9oyGfI

senzurinitouhei senzurinitouhei
検診の使役兵の一人に奥野古年兵がいた。奥野は、志願兵であった。奥野は、故郷で、伯父の診療所を手伝っていた。その経歴が買われたのか、衛生兵として従軍した。いつ外地へ飛ばされてもよい時であったが、何故か内地任務であった。

 奥野は、この三年の間、幾度も新兵の徴兵検査に立ち会っていた。数百、数千のM検、穴検をやってきた。奥野古年兵の手にかかると、どんなセガレでも固くなっていた。その手腕の結果、彼が誰よりも多くの病気持ちのセガレを見つけ出していた。

 奥野は使役に出掛ける前、内務班の仲間たちに

「俺の凄腕を見にこいや」と吹聴をした。

 見物に集まった古年兵は、彼の手練の確認に来ていたのかもしれなかった。

「こら、そこばっかり固まるな、そこの色の黒いの、こっちイこい」

 使役兵は、再三、若者たちを呼びつけねばならなかった。その三人は手荒ではなく、むしろ丁寧である。見物の古年兵たちがこの三人を中心にして集まっているのも仕事が事務的ではないからだ。

 健次は、空いている使役兵の前に立ち、名前を告げ、記録用紙を渡した。

 使役兵は何も言わずに、記録用紙に目を通し、健次の顔を見上げた。その目が健次の胸、腹、股間に移っていった。使役兵が感嘆の目を向けた。奥野使役兵であった。

「田村健次か、うむ、よい体をしておる」

 奥野は、自分の喉が乾いているのを知った。

 奥野は、健次の胸、腹、尻を手の平で撫でた。それは、男の体を触ると言うよりも、女の体を撫でるような仕草であった。

 充分な栄養と力仕事が若者の筋肉を育てている。張りつめた皮膚は、うっすらと脂肪を浮かべ、滑らかである。目の前には充分な太さを持った男根が垂れ下がっていた。

「よし、股を開いてここに立て」

 奥野は、健次の男根を見つめながら声を放った。その言葉が、喉の奥に絡んでいた。

 奥野の言葉に従って、健次が前に立つと、奥野の手がいきなり、男根を握り締めた。柔らかな男根は、手の中に充分な質量を示していた。思わず健次が腰を引くと、奥野が低い声で怒鳴った。

「こら!しゃんと立たんかい!」

 それは、健次が初めて聞く、軍隊の叱責の言葉であった。

 性病の検査は男根を扱き、尿道からの分泌液をみる。

 奥野の手慣れた手が、男根を扱きだした。

 萎縮して縮んだ男根には痛いほどの扱きを与える。被検査者があきらめを感じるまで扱くのである。被検査者は、その痛みから逃れるため、身体の力を抜く。少しでも検査者の言いなりになった方が早く終わると考える。身体の力を抜くと男根からの刺激が徐々に脳に伝わる。男根は徐々に大きくなる。

 奥野は、健次の重量感ある男根を愛しむように扱いた。それは、検査のためというよりも、健次の男根の感触を楽しむような手つきであった。

h ttp://novel.bookstudio.com/author/10910/14161/5.htm

7 リアクション

95名無しさん:2020/08/04(火) 20:34:52 ID:DK9oyGfI
fundoshinitouhei fundoshinitouhei
昭和十九年に海軍に入隊した私の兵種は衛生兵と決まった。

 軍隊での兵務内容にはいろいろあったが、ここでは性器の露出に関係する場面だけを記すことにする。ただし、もちろんこれは兵務のごく一部である。

 私は出生地が福井の漁村であったためか徴兵検査で乙種合格すると海軍に入隊に入ることに決まった。昭和十八年四月のことである。海兵団入団の日、見送ってくれた両親と海兵団の門の前で別れ、分隊ごとに約百名ぐらいずつ各兵舎にひとまず案内された。各分隊とも下士官指導のもとに、古参の兵が引率する。入隊して最初の行事は入営時身体検査である。

 身体検査では全裸にされ詳しく全身を検査をされる。兵舎の筵(むしろ)の上で分隊百名は全裸となり、靴から褌まで一切の私物を持参の風呂敷で包む。そして紐でしばって荷物札をつけ名前を記入する。荷物は、係の手で門前の親もとに届けられ、見送りのない者の荷物は国もとへ返送される。

 こうして我々新兵は入営後、30分も経たないうちに個人の持ち物は全て取り上げられて、すっ裸にされ自分の身体だけが唯一の頼りという大変心細い状態に追いやられた。それから全裸のままで身体検査の順番を待つのである。その間越中褌ひとつ与えられず、古兵達の好奇の視線を前にただ恥ずかしそうに並んで待っていた。

 身体検査は分隊毎に行われるのだが、自分の分隊の順番が来るまでにはだいぶ時間があった。その待ち時間のことであった。下士官が席を外すのを見計らうかのように、古参兵達がおもしろ半分に我々の生殖器検査を始めると宣言したのである。

「まもなく軍医による正式の身体検査があるが、その時にまごついて我が分隊の名誉を傷つけないよう注意しなければならない。そこで今から生殖器検査を受けるための訓練を行う」と古参兵から言われた。

 すでに全裸で性器を晒している新兵達は、3人ほどの古参兵に命令され直立不動の姿勢で立ち性器を検査された。そして勃起する程まで執拗にいじくり廻され、生殖器の品評会をさせられた。

 自分の分隊に身体検査の番がくると、引率されて医務室前の中庭に集合する。全裸で戸惑っている私たちは、すのこ板を渡って医務室前の控所に整列する。手で陰部を隠すことは禁止されている。古参兵は意地悪そうに陰部のあたりを眺めまわす。

 四列に並んだ新兵達の先頭には衛生下士官が4人いて検査をしている。陰茎をつかんで皮をむき上げてから厳密丁寧にしごく。それがすむと別の衛生下士官の手で四つんばいの肛門に硝子の丸棒をつっこまれて検便をした。軍医は椅子に座って眺めているだけであった。

 身体検査が終わると、再び全裸のまま行列を作ってすのこを渡り元の兵舎にもどる。やがて自分の分隊の受け持ちとなる下士官に一人ずつ名前を呼ばれる。氏名、出身地、生年月日などを申告すると、顔と陰部をじろりと眺められてから、越中褌を手渡される。

 その後下着、軍服、靴を支給され格好だけは海軍二等水兵となった。

 しかし翌日から始まった新兵教育訓練ではやっと支給された軍服も役に立たなかった。

 訓練中に着衣する事が許されないのである。新兵達への訓練は、正しい姿勢で兵隊らしく規律ある行動が出来るようになるまでは全裸で行われると言うのが、ここの新兵教育隊の慣例だったのである。

96名無しさん:2020/08/04(火) 20:37:06 ID:DK9oyGfI
海軍に入営した兵隊が一番最初に受ける訓練は兵隊の基本、命令にしたがって規律正しく行う行進である。その訓練はすっ裸で行われる。兵舎で越中褌を外して全裸のまま集合させられた。

 何百人もの全裸の新兵が号令にあわせて、規律正しく、掛け声をあげながら集団行進するのである。性器に対する羞恥心をなくす事と行進の姿勢矯正には全裸がもっとも効率的なのである。

 号令の従って準備体操をしたり、駆け足しをしたりしていると全裸の陰茎がブラブラ動いて太腿に当たったりするため、どうかすると勃起してしまう事がある。だいたい一班50人のなかで2人か3人は勃起させていたが、それでも何事もなかったかのように、隠しもせず勃起陰茎をさらしたまま大きく腕を振り行進していた。また号令をかけている上官も勃起陰茎を見てもまったく気にしていないようであった。

 キンタマをぶらぶらさせ、時には勃起してしまった陰茎ですら、隠すこともできずに晒らけ出したまま明るい太陽の下で終日、全裸の徒歩訓練させられる、それが軍隊なのである。

 全員の姿勢が矯正され、兵隊らしく号令通りに行進できるまで連日、全裸での訓練が続いた。性器への羞恥心を無くさせるため、大小さまざまな性器を訓練と称してわざと露出させるのである。

97名無しさん:2020/08/04(火) 20:38:38 ID:DK9oyGfI
軍隊では「集団陰部露出」を強制される場面は珍しい事ではなく頻繁にあった。それは陰部露出が新兵を早く兵隊らしくする方法の一つと考えられていたからである。

 兵隊となったからには、その肉体はすでに個人のものでなく軍隊のものである。その肉体の一部分である性器に対して個人的な感情や羞恥心を持つことは許される事ではなかったのである。

 性器に対する羞恥心を早く捨てさせる事も兵隊に必要な訓練であり、上官の任務であった。

 折にふれ、部下の兵の性器を露出させ、あるいは性器をもて遊ぶようにいじくり、性器の対する羞恥心を無くさせる事が軍隊における上官の任務のひとつであったという事である。罰直としての砲身磨きや集団発射訓練もその手段である。

 特に発射訓練は班全員が上官の号令に従って一斉に射精するという点で兵隊の羞恥心をなくすと同時に、兵隊にとって一番大事な素養である。「上官の命令には絶対服従し、命令どうりに行動する」を教えるのに最適な集団訓練であり、新兵にはよく行われた。

その他に性器露出を伴う兵隊生活には以下のような物があった。

98名無しさん:2020/08/04(火) 20:39:50 ID:DK9oyGfI
■月例検査

 毎月行われる身体検査で、身長、体重を折れ線グラフにして検査表に記入される。

 体重が減っている者は、軍医あるいは衛生兵による診察が行われる。またこの月例検査では性器の検査も行われる。将校クラスを除いては、月例検査は一人の抜けも許されないほど厳格に行われた。

■性器露出を伴う罰直

 軍隊では失敗をすると厳しい制裁を受ける。その中には強制陰部露出を伴うな罰ちょくも数々あった。

「砲身磨き」とはよく初年兵に課した罰ちょくの一つである。鉄製の本物の大砲ではなくて、すべての男子が股間に所有している大砲を磨くこと、すなわちセンズリを掻くことである。

 また「セミ」、「ウグイスの谷渡り」は陸軍で広く用いられていた。いずれも褌を取らされ、強制陰部露出して課せられる罰ちょくである。

 ●有名なセミというのは昆虫の蝉の生態が語源になっている罰ちょくである。

 セミが木でミーンミーンと鳴いている。鳴きやんで飛んで行くとき、せみは小便をしてから飛んで行く。この生態のまねをさせられるのが「セミ」という罰ちょくである。

 方法は

 ・越中褌一つまたは全裸。どちらかは内務班の伝統により様々。

 ・兵舎内の柱に登らされる。登ると上でミーンミーンと鳴いてセミのまねをする。

 ・ひととき、「もっと威勢良く鳴け」とか、いたぶられたあと、「よし、小便して逃げろ」と命令される。

 ・柱に両足を絡ませ片手でチンポを握って、振り、小便をするまねをする。

 ・これで許してもらえる場合もあるが更に、

 ・「小便が出てないぞ、小便がでなければチンポをしごいて白い水を出せ」と 命令される場合もある。

  しかたなくしごくが、無理な体勢で、勃起はしても射精までは難しく、

  射精のまねごとのよがり声を出せば途中で許してもらえる 場合が多いという

 セミは大体以上であるが、屋外の場合は木に登らされるとか月例検査でチンボが大きいと思われると狙われやすいとか、チンポをしごいて射精のまねをしても上官が「よし」という終了の合図を出さないとかの変形もある。

 ●ウグイスとは語源である「ウグイスの谷渡り」を省略したもの。

 軍隊で「ウグイスをやれ」といわれたら、ウグイスのまねをしてホーホケキョと鳴くのだが、普通にウグイスの物まねする訳ではない。

 ・越中褌ひとつ、または全裸にさせる。

 ・兵舎の中にずらっと並んでいる寝台を谷にみたてて、順番に訪れ、鳴き真似をする。

 ・具体的には寝台と寝台の狭い間をくぐり抜けて一つの寝台の上に乗りホーホケキョと鳴く。

 ・次の寝台はその下をくぐりぬけて、その次の寝台の上にあがり、鳴く。

 ・このウグイスの谷渡りを一列に並んだ寝台の端から端までやれされる。

以上がウグイスであるが、変形も色々あり、ウグイスの鳴き声の代わりにP屋(軍隊用の女郎屋)の客引きのまねをさせられる方法もあった。

99名無しさん:2020/08/04(火) 20:40:36 ID:DK9oyGfI
■吹き流し

 兵舎の入り口などに吹き流しの格好で直立不動にさせる。吹き流しの格好とは、越中褌1つにし、前布を引き抜いて性器を露出させ、越中褌の布がお尻の後ろで風にはためいている状態で立たせておくという罰直である。

■砲身磨き

 兵営では班ごとに連帯責任を課された。たとえば中の一人がヘマをすると班全員に罰直が行われる。

 兵隊への罰直に”砲身磨き”という方法がある。軍隊では鉄砲は大切に整備し磨きをかけなければならなかったそうで、夜にその点検があったという。

 そして、もし鉄砲の磨きが不足と判断されると、その班全員が、砲身を磨いて”発射検査”を受けなければならなかったのだという。

 ここで砲身というのが銃ではないという事で、そこが罰直の罰直たるところ。自分の股間にぶら下げている生身の銃身を磨くのである。

 各自支給されている銃の砲身は常にピカピカに磨いておく事が大事であるが、股間にぶら下げている生身の銃も時々磨かされるのである。もちろん磨くだけでなく発射性能も検査される。

■発射訓練

 兵隊は自分の意志で動いてはならない。上官から命令されたときだけ、号令通りに動かないといけないのである。そのため上官の命令による集団行動を徹底的に訓練されるのが軍隊である。

 その訓練を徹底するため精液の発射というもっとも個人的な行動まで、号令に合わせて班全員が一斉に射撃できるようになるまで訓練される。

 早漏ぎみあるいは遅漏の者がいる班は発射のタイミングがずれるので、全員が一斉に発射できるまで生殖器が赤くヒリヒリなっても何度も発射訓練される。

 徴兵検査で包茎が認められた壮丁には、入営日までに包茎手術を受けておくように指導される。衛生面の観点以外に、このような訓練に備え、早漏になりにくい完全露茎にしておいた方がいいのである。

 発射訓練は、たとえ兵務とはまったく関係ない射精という個人の秘め事であっても、上官から命令されればその命令に従って動くという「立派な兵隊」となるための訓練でもある。

「娑婆っけ」を抜き兵隊である事を肉体に叩き込むために発射訓練を好む上官もいた。

■当番兵

 そのほか罰直ではないが当番兵という役割も廻ってくる。

 中尉以上の上官の部屋掃除、洗濯など、身の回りを世話をおよそ1ヶ月間当番制でするのである。

 軍隊では新兵の性器を露出させるだけでなく、上官も平然と性器を新兵達に露出する。入浴中に背中を流すついでに前まで綺麗にさせられる事もよくあることであった。

 また腰を揉めと言われて始めたら、センズリの手伝いをさせていたという事もあり、時には尺八を所望される事もある。肩の凝っている上官が部下に按摩をさせるのと同じ気持ちで、上官は勃起した性器を新兵にさらして揉ませるのである。

h ttp://pakurogu02.fc2web.com/pakuri3/05/member/001otakara/tetuo/tetuo11-kinnji.html

100名無しさん:2020/08/05(水) 08:47:19 ID:DK9oyGfI
小山内宏著三恵書房1975刊「絵とき日本陸軍」「絵とき日本海軍」に絵
がある。
また、NHK取材班編「赤紙」創元者1997に徴兵検査の素っ裸の写真が
載っている。
 (この写真は,毎日新聞社1955「写真・昭和30年史」の写真である。

岩波写真文庫101(復刻ワイド判50)「戦争と日本人]岩波書店1987
に素っ裸で こちらを向いている伝説的な写真が載っている。
本籍地の同級生や、同級の女が見ていてもその前でフンドシ一枚すらつけな
い露もない姿で,勿論隠したり女々しいことは許されない。朝から終わりまで
、地獄の羞恥の一日。強制露出の一日。

101名無しさん:2020/08/05(水) 08:48:00 ID:DK9oyGfI
小山内宏著三恵書房1975刊「絵とき日本陸軍」「絵とき日本海軍」に絵
がある。
また、NHK取材班編「赤紙」創元者1997に徴兵検査の素っ裸の写真が
載っている。
 (この写真は,毎日新聞社1955「写真・昭和30年史」の写真である。

岩波写真文庫101(復刻ワイド判50)「戦争と日本人]岩波書店1987
に素っ裸で こちらを向いている伝説的な写真が載っている。
本籍地の同級生や、同級の女が見ていてもその前でフンドシ一枚すらつけな
い露もない姿で,勿論隠したり女々しいことは許されない。朝から終わりまで
、地獄の羞恥の一日。強制露出の一日。

102名無しさん:2020/08/05(水) 08:54:13 ID:DK9oyGfI
小山内宏著三恵書房1975刊「絵とき日本陸軍」「絵とき日本海軍」に絵
がある。
また、NHK取材班編「赤紙」創元者1997に徴兵検査の素っ裸の写真が
載っている。
 (この写真は,毎日新聞社1955「写真・昭和30年史」の写真である。

岩波写真文庫101(復刻ワイド判50)「戦争と日本人]岩波書店1987
に素っ裸で こちらを向いている伝説的な写真が載っている。
本籍地の同級生や、同級の女が見ていてもその前でフンドシ一枚すらつけな
い露もない姿で,勿論隠したり女々しいことは許されない。朝から終わりまで
、地獄の羞恥の一日。強制露出の一日。

103名無しさん:2020/08/06(木) 07:33:08 ID:DK9oyGfI
日本段位として、この世に生を受けたものは貴賤上下なく必ず受けた徴兵検査、地方によっていくらかやり方に
違いはあったようだ、それは下着の着用。

一般には、褌着用、徴兵検査の令状には裏に小さく。「褌着用のこと」と書いてあって、
褌のみ着用が許された。
徴兵検査は、本籍地で受けることになっているのだが、都会で仕事をしているものは、たいていパンツで褌などはいたこともない。
検査場で、褌を持たず。パンツ一枚で検査場に出て行くと、ビンタを食らった上、パンツは脱がされる。
徴兵検査場には婦人会の手伝いがあり、婦人会や処女会の見学がゆるされていた。しかし、
褌を忘れてパンツで出て行くものも必ずいて、可哀そうに婦人会も見学してるのに、朝から晩まで生まれたままで右往左往することになる。

地方によっては、最初から褌一枚許されず全員生まれたままのフリチンの素っ裸でてきぱきと行動させられる。
徴兵検査場につくと、持ってきたフロシキにきているものをすべて脱ぎ、まとめて預けてしまう。

当時の身長は150センチ代で、今の中学生くらい、ほとんどが包茎だったようだ。

最初から、素っ裸というのも恥ずかしくかわいそうということで、素っ裸になって、
前垂れだけをつけることができたところもあった。
ハンカチ大の小さな布切れに紐をつけただけで尻は前だし。
、自分で、母親が作って持たせるようだが、これも忘れるものが必ずいて、忘れたものは可哀そうに
最初から生まれたままで検査場を右往左往羞恥に耐える。

104名無しさん:2020/08/06(木) 07:34:42 ID:DK9oyGfI
日本男児として、この世に生を受けたものは貴賤上下なく必ず受けた徴兵検査、地方によっていくらかやり方に
違いはあったようだ、それは下着の着用。

105名無しさん:2020/08/06(木) 09:21:28 ID:DK9oyGfI
貴賤上下の別なく徴兵検査場に立たされた壮丁は、M検という性器・肛門検査を受ける。
これは、徴兵検査だけでなく、陸軍身体検査規則というのによって厳しくきまっていて、
兵隊だけではなく、14歳の少年兵、13歳の陸軍幼年学校や17歳士官学校等の軍学校、国民徴用身体検査、中学生からの国民体力検査、
専門学校や大学の入試身体検査でも行われた。

徴兵検査でも、6割は包茎だったという。中学生のように先まで硬く包まれているのは当たり前。

M検では、チンポはむんずと掴んで剥きあげる。先まで包まれていても、中1,2,13歳の陸銀幼年学校でも同じで、亀頭が露出し環状口が露になるまで完全に剥きあれる。

徴兵検査では。その場面を周りで婦人会や処女会の女が見ることができる。

そんなとき、先まで包まれているチンポコは、直ぐ剥きあげないそうだ。
見ている女たちにサービスとして、すぐ剥くことはしないで、その敏感な包皮を揉んだりつついたりする。
嫌でも、恥かしくとも意思に反して膨らみ始め、硬さを増し角度を増す。
でも、まだ、まだ駄目だ!、先が出てこんではないか!とやる。

M検では膿がでないか、ギュっと扱く・・膿ではなく白い液体が噴き出してしまう。

そして四つん這いになって肛門検査を受け、やっと解放される。
次ぎのものも、まだ包茎、自分ももうすぐ、次にはあんなことをされるのかと思うと羞恥にたまらない。
婦人会の女も早く行ってしまえ‥と思うのだが…次!・・

106名無しさん:2020/08/06(木) 09:56:58 ID:DK9oyGfI
*「風俗奇譚」 昭和37.年8月号「読者サロン」から・・

大勢の一糸まとわぬ壮丁が整列して、検査官の号令一下行動する検査場のながめは、すばらしいものでした。
徴兵検査でかかせないのはM検で、当時の青年たちの恐怖のまとでした。徴兵検査では、これが公衆の面前で、何の遠慮容赦もなく行われ、軍医の手でつかまれたり、周りで見学している婦人会の人の視線がそこに集まるのを感じて、全身が厚くなる思いでした。当時は、性器の検査は、入試の身体検査や国民体力検査でも行われ、
何度か経験がありましたが、女性を交えてた大勢の前で検査されたのは初めてであり、そのときの光景を思い浮かべ、そのことだけで、徴兵検査が再開され羞恥と屈辱の検査風景画実現してほしいものです。検査が済むと入営です。
入営時の身体検査は体重とM検だけで性器の検査が以下に重視されてたかがわかります。・・
入営後、古兵によって加えられるヤキ入れなど、私刑が皆初年兵を裸体にし、時には褌まで取らせて行われたのは全国同じだったでしょう。・・
  h ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/33/1054372095/
  h ttp://www.megabbs.com/cgi-bin/readres.cgi?bo=boylove&vi=1190343261&rm=100


M検は徴兵検査以外にも、いろいろなところで行われた。中学生以上の男子が上級学校
を受験する時にはたいてい受けなければならなかった。高校や大学入試ではそうであり、特に軍関係の学校では必ず行われたし、軍需工場の少年工の採用試験(14才)でもおこなわれた。

陸軍幼年学校(中学1.2年)、陸軍士官学校、海軍兵学校(以上中学5年)予科練、(甲種15.才、乙種15才,その後14才に引き下げ)、少年戦車兵、少年航空兵、少年通信兵、海軍特別年少兵(以上14歳)、少年志願兵(16歳以上、実際は15歳から、実際海軍は志願兵がほとんど)などで行われた。
なお海軍ではオナニー盛りの15-6,7の少年兵が多く、彼らに対する罰直に“砲身磨き”(集団センズリの強制)というのがあった。

陸軍幼年学校は軍の最上級幹部を養成するもので、なんと中学1年生か2年生(13,4才)しか受験できない。大将はたいてい幼年学校出身が多く、幼年学校に合格者を出すということは、その中学の大変な名誉だったらしく、優秀な生徒は先生から受験をすすめられたそうだ。東京でも一中とか四中とかの優秀な生徒たちであったという。

幼年学校は、東京、広島、名古屋、仙台、熊本などに有り、まさに優秀な美少年集団であった。
少年兵は高等小学校(2年制)を出た14才で受験した。予科練は15才で受験。陸軍士官学校と海軍兵学校は中学5年で受験。
村上兵衛は幼年学校を中一で受験したが、休が小さく身体検査で不合格、中二で再度受験して合格、その模様を「陸軍幼年学校よもやま物語」(光人社)に書いている。

107名無しさん:2020/08/07(金) 17:39:17 ID:DK9oyGfI
M検は被験者を全身脱衣させ、性器や肛門を検査した。検査の内容は鼠径部、睾丸、陰茎の目視と触診を行い、包皮をめくり、亀頭を露出させ、陰茎を按圧して性病の罹患を検査し、肛門部では臀部を開脚させ、痔疾、痔瘻の有無を検査した。 「陸軍身体検査規則」(1928年3月26日陸軍省令第9号/昭和3年第15号)第二十三条七号で軍隊での検査方法が確立された。

「陰部ノ検査ハ受検者ヲシテ脱褌セシメ両脚ヲ開キ検者ニ正面シテ立タシメ鼠蹊部、陰茎、陰嚢、精系、睾丸及副睾丸ノ異常ノ有無ヲ検査シ排尿ノ難易、遺尿ノ有無ヲ検シ必要アルトキハ排尿セシメテ尿ノ性状ヲ検査ス」とした。

108名無しさん:2020/08/08(土) 12:32:16 ID:DK9oyGfI
羞恥の徴兵検査場 日本男児とM検
h ttps://min-h.com/63643

109名無しさん:2020/08/18(火) 11:08:22 ID:DK9oyGfI
陸軍身体検査規則 徴兵と志願、12歳のM検
[書誌情報]

責任表示:
木谷俊男 編著
出版者:
[木谷俊男]
出版年月日:
2003.2
請求記号:
AZ-666-H3
書誌ID:
000004023794

110名無しさん:2020/08/21(金) 21:34:02 ID:DK9oyGfI
徴兵検査には,婦人会(既婚)や処女会(未婚)の女の見学があった。徴兵検査場
で花婿を探す者もあったという。徴兵検査礼状には「フンドシ着用のこと」となっ
ていてフンドシ一枚でてきぱきとうごくのだが、普通 M検は,ついたての中でやった
そうだ。よく体操の時、パンツを忘れ,昔はフリチンでさせたりした事もあるそうだ
が、どこの世界にも間抜けなヤツはいるもので、100人200人となると必ず一人や二人
はいるもの。特に都会でサラリーマン生活をしていて、フンドシなど付けた事がなく
パンツをはいて来た物は、ビンタを食らった上,フンドシ姿も気恥ずかしいだろうに
可愛そうにその場でパンツを取らされ、そのまま最初からフリチンのブラブラの素っ裸
で検査場に出ていかなければならなかったという。勿論隠したり女々しいことは許されない。



小山内宏著三恵書房1975刊「絵とき日本陸軍」「絵とき日本海軍」に絵
がある。
また、NHK取材班編「赤紙」創元者1997に徴兵検査の素っ裸の写真が
載っている。
 (この写真は,毎日新聞社1955「写真・昭和30年史」の写真である。

岩波写真文庫101(復刻ワイド判50)「戦争と日本人]岩波書店1987
に素っ裸で こちらを向いている伝説的な写真が載っている。
本籍地の同級生や、同級の女が見ていてもその前でフンドシ一枚すらつけな
い露もない姿で,勿論隠したり女々しいことは許されない。朝から終わりまで
、地獄の羞恥の一日。強制露出の一日。


また九州やその他の地区では,全員最
初から素っ裸で行われたという。都会暮らしのインテリでも、たとえば九州出
身者は,地もとの九州の小学校の講堂とかでうける。徴兵検査令状には「ふん
どし着用のこと」とは書いてなく忘れる必要はない。全てが検査場に着くと,
来ている物は全て脱ぎ生まれたままの姿になって,たとえ朝顔の蕾でも,ずる剥
けでも,大きくても小さくても,毛深くても、パイパンでも,色が白くても黒く
ても隠さず,てきぱきと行動しなければならない。身長・体重は勿論M検さえ全裸,
ついたてもない広広とした講堂の中で,様々な羞恥が繰り広げられる。
[赤紙]や「絵とき日本陸軍」「絵とき日本海軍」のとおり。当時20歳の身長は
5尺5寸といわれ、165センチ台,今の中学生でもそのくらい。M検では6割が
包茎だったという。性器検査は,徴兵検査のハイライト。まず陰嚢をぐいと掴みぐ
りぐりした上で,親指人差し指で,指を丸めるようにして陰茎の根元を掴み下に向け
て絞るように強くしごくようにも揉みしだく,その上で包皮を剥く。剥くといっても,
環状溝が露になるまで剥くので生易しいことではない。たとえ,ずる剥けでも,
さらに剥きあげることなので、朝顔の蕾では大変なこと。
しかし,剥くのよりもっと大変な目にあうこともある。
徴兵検査場では,その雰囲気からして,とても立つような雰囲気ではないとい
う。 最初から裸で,女がいたら、とても恥ずかしく立たないで、縮みあがっ
てしまうだろう。 これから恥ずかしい事の順番を待つ者もたまらない。
包茎の一物を縮こませ,毛の中に隠れてしまうくらい羞恥にどうしようもないと
いう者もいる。嫌らしい検査官は剥かない代わりに,先端の皮を指でさする。
そして,敏感なところをいじめられようやく起ちあがった頃,もじもじして逃れ
ようとするのを、「どうした,まだまだ、まだだめだ・・まだ先が出てこんで
はないか…」とやる。勿論出そうになっても手を押さえたり抵抗は許されない。
次の順番を待つ同じようにちじ込ませている者も,次は自分も同じ目にと思うと
たまらなくなってくる,そして早く女があっちへ行ってくれないかなと祈る。

111名無しさん:2020/09/07(月) 10:10:05 ID:DK9oyGfI
参考

h ttps://min-h.com/?s=%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%81%95%E3%82%93

112名無しさん:2020/09/07(月) 11:50:00 ID:DK9oyGfI
エッチ健康診断
学校で人権問題になることがよくある。
昭和44年に、映画「青い山脈」のロケ地にもなった岐阜県の辺地にある岩○高校では、春の定期健康診断に男女とも全裸にして性器・肛門まで検査し人権問題化した。「週刊新潮」は、「下着を脱がせた病院長のクビ」と題しレポート。これなどによると、この高校は共学で女子のほうが多い(男子265人、女子310人)そうで、5月15日の午後、2年生・
1年生の順で校内の医務室と礼法室を使って男女別に5人ずつが呼ばれて校医の病院長と随行の看護婦が検診した。その健康診断を受けた2年生女子の話として、5人一組みで診察室にはいり、そこで一人ずつパンツまで取らされ、一人ずつ検査を受けた。

第一日目は2年生全員(男女210名)と1年生の半数(男女80名)が受けた。普通の検査の後ヘルニアと痔をしらべるからと言って全裸に脱がせた。直接手を触れてくまなくなく検査したといい、なまやさしいものではなかったという。

「今までの健康診断とは、ぜんぜん違って、みんなに裸になりなさいといわれてもはじめのうちパンツまでは、と思ってそのまま取らずにいると、診察の終わった同級生たちが、[全部脱ぐのよ、パンツも。]と赤い顔をして言うので私達5人もパンツをぬいで一人ずつ院長さんの前へ立って検診を受けました。いつもは胸部をたたいたりで終わりなんですが、後ろ向きになったとき、院長さんが背中の下半部を両手で腰まで押えるようにさわって検診されました。きょうはヘンだな、とは思いました。」ということで「ヒドいわ、エッチだわ」と泣いている子をなぐさめながら学級委員が担任の先生に抗議を申しこんだため、学校側もビックリぎょうてんして診断を中止させたが、もうあとのまつりだったという。翌日校長の手元に届いた身体検査書には、血圧異常などの通常疾患の他、大腿部膿瘍1名、陰部白癬(インキン)3名、痔核7名が報告されていたという。

「男生徒はともかく女生徒のなかには恥ずかしさのあまり、教室に帰ってから泣き出す者もいたと」いう。第2回目(6月5日)の検査を受ける予定の生徒は、学校をやめちゃいたい」とまで言いだしていたという。
こんな時、男生徒はともかくと言うが男子の方が困るはずだ。男子には大きいとか小さいとか、ムクレているとかいないとか、それに一番困るのは形が変わることだ。
高校一年頃といえば、中学時代とともに恥ずかしい盛りだ。5人一組みといえば他の生徒の目の前で触診されるわけだから、初めのものも勿論、それをみながら間もなく自分もあのようにされるのかとおもいながら順番を待つものも気が気でないだろう。膨らみ始めたらどうするのだろうか。


エッチ検診、ストリップ検診と騒がれ、議員の中には「兵隊検査を思い出す」と言ったそうだ。兵隊検査(徴兵検査)では、頭の先からつま先まで、性器肛門まで男のすべてを検査した。M検と言い、だんだん知っている者はいなくなってくるが、これまで雑誌に何回か写実的に取り上げられているので参考になる。

113名無しさん:2020/09/12(土) 18:27:28 ID:DK9oyGfI
参考
h ttps://min-h.com/?s=%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%81%95%E3%82%93

114名無しさん:2020/11/03(火) 11:15:18 ID:DK9oyGfI
資料・徴兵身体検査規則 : 徴兵と徴兵検査   木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2003.1 <AZ-666-H2>

陸軍身体検査規則 : 徴兵と志願、12歳のM検  木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2003.2 <AZ-666-H3>

115名無しさん:2020/11/03(火) 11:17:47 ID:DK9oyGfI
国会図書館所蔵

身体検査の歴史とM検 : 学校身体検査と受験等  木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2004.1 <Y94-H6440>

新聞記事に見る杉並の少年通り魔事件と、戦後少年愛事件史 木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2003.1 <Y94-H2314>

身体検査の歴史とM検 : 徴兵検査と国民体力検査の時代  木谷俊男 編著. 木谷俊男, 2003.1 <Y94-H2039>

身体検査の歴史とM検 : 国民徴用と身体検査  木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2003.1 <Y94-H1966>

身体検査の歴史 : 徴兵検査、大学等入試身体検査と"M検"  木谷俊男 編. [木谷俊男], 2001.10 <EF91-G466>

116名無しさん:2020/11/03(火) 11:18:21 ID:DK9oyGfI
宦官とカストラート : 少年去勢の歴史と文献   木谷俊男 編. [木谷俊男], 2001.10 <GE257-G11>

賎のおだまき考 : 少年13歳・少年美と少年愛の系譜  木谷俊男 編著. [木谷俊男], 1998.10 <EF91-G289>

文献に見る小中高校男子に見られる性的イジメの諸相  木谷俊男 編著. [木谷俊男], 1998.9 <EF91-G279>

文献に見るセクハラの系譜と諸相 : 性と人権 男子篇   木谷俊男 編著. [木谷俊男], 1997.4 <EF91-G91>

資料・徴兵身体検査規則 : 徴兵と徴兵検査   木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2003.1 <AZ-666-H2>

陸軍身体検査規則 : 徴兵と志願、12歳のM検  木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2003.2 <AZ-666-H3>

資料・健康優良児表彰 : 健康優良児表彰,その光と 影  木谷俊男 編. [木谷俊男], 2003.5 <FC14-H31>

蔭間と少年性愛の系譜 : 日本における少年愛と少年売春の歴史  木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2003.2 <EF91-H20>

男子児童生徒と性被害の諸相 : 性的いじめ・裸体罰、逆セクハラ被害、少年売春の衝撃実態  木谷俊男 編. [木谷俊男], 2001.10 <EF91-G464>

身体検査の歴史とM検 : 健康優良児表彰、その光と影   [木谷俊男], [2003] <Y94-H2851>


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