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羽娘がいるからちょっと来て見たら?

1代理 ◆Ul0WcMmt2k:2006/08/08(火) 18:57:48 ID:/i4UGyBA
どうぞ

491二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/03(火) 01:48:19 ID:wALjVcpI
午前四時半。その気配は音を伴い始めた。
「そろそろ、だ。準備は良いか?!」
エルヤの声はヤールの声に戻り、そしてその声は皆をうなずかせる。
誰もが青の戦化粧をしていた。
ウォードという植物から抽出した物だ。
略奪の時に付けられていたそれは、今では戦の奇襲をもたらすため、そして願掛けを伴い付けられる。
「さぁ……囮は私がやる。信じてここを離れろ」
そこへは説得力があった。
彼女の腰に、四本の手斧があった。
いつもと形状の違うそれは、この領地を手に入れる前、エルヤの父、それよりも昔。
祖先より伝わる業物だ。
「ハーブローク、フギン、ムニン、ヴィドフニル」
四つの名前を告げ。彼女の言葉はまだ続く。
「不死の鳥、君たちは知っているだろう?」
異国では、
「ポイニクス、蘇る鳥はどこにでもいる。我々の蘇り。それを願う……」
そして、愛用のポールアクスを掴む。輝くたてがみ、グッルファクシと名付けられ、伝えられたそれを。
「行く……tre……en……to……」
カウントダウンをするエルヤに、皆の意識が集中。
そして、
「Nul!」
エルヤを残し、皆が飛び出す。
そして一息置き、エルヤが真逆より。
彼女は前だけを見つめ、倒すべき者と生かすべき者を思い浮かべた。

*三部終わり そろそろテンション上げて参ります

492二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/03(火) 01:49:07 ID:wALjVcpI
ただ、心配そうなナンナの表情だけは覚えている。

493二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/03(火) 02:08:21 ID:wALjVcpI
飛びだした空、そして森は雪に包まれている。足の速い雪だ。
「ああ……まだ降っている」
ちらちら、それが似合うような。
日常の雪の中、一番美しいと思う雪だ。心を落ち着け、彼女の初速は最高速度まで過たず上昇していく。
午前四時を、五時へと向かう時計のように、真っ直ぐと。
始めに行うのは、頭に被られた山猫の帽子に取り付けられた鈴を鳴らすことだ。
意識をこちらに集中させ、
「私はここだ! さぁ……この首取りたくば――かかってこいッ!」
言葉を吐けば、そばかすと三つ編みが特徴的な、愛しい娘を思い浮かべた。
そして、反乱兵とすれ違いざま、ポールアクスが遠慮無く羽根を千切る。
「ヒミングレーヴァのエルヤ! 参るッ!」
名乗りと同時、その名前――天の輝きを見せるがごとく手斧が四つ、不死鳥の手斧が舞った。
左手の一振りで舞う四本の手斧は全て重量配分を異なり、そしてそれは散開して獲物を抉っていく。
ハーブロークは一人の肩へ、フギンはもう一人の翼へ、ムニンは足を抉り、ヴィドフニルはポールアクスが弾き、そのまま弾丸として首を掠めていった。
拾っている暇は無かったが、
――これが絆だ。
ヤールの心でエルヤは小さくつぶやく。
ナンナの紡いだ長い紐、それは彼女のお守りで。
可愛らしい外見を彩る赤毛を一年間かけて紡いだ物。それを使い引き寄せ、再び不死鳥をエルヤは手にする。
――まだ、止まれないんだ。
普段ならばヤールの役目、一騎打ちで終わる仕事、この囮にはその終わりがない。
「さぁ、相手の欲しい壁の花は何処だ?」
再びの構え、そして打ち鳴らす五つの斧。
誰もが恐れ、近寄れず。されど離れることはない。
「なら――往くぞ?」
攻めの飛行ではない。エルヤの人生を考えれば、十年ほど昔にしたきりの行動だ。
いきなりの加速に泡を食う反乱兵の間、そして木立を抜ける飛行は淀みなく。

494二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/03(火) 02:14:06 ID:wALjVcpI
――そう、それでいい。
「父さんっ?!」
声が聞こえた。

――願えば距離は近くなる。
もう一つの声は約束を告げる。

「父さん、ボク……行くよ――!」
勇敢な父の娘として声を放ち、
「一時はさようなら、我が領地――」
夢と悪夢を乗せ、己を作り、己を壊し、離れようとも共にあり。
そんな領地と一時の別れを、ヤールとして告げる。
――必ず取り戻しに。
広がった皆を思い、いつかまたここに集うため。
そのための逃走は、闘争を交えた物だ。
――もっと、行くところがある、そこまで行きなさい!
「ラクェル!? 何処へ行くの?」
――信じて。お願い。貴方にしかできないことを――。
「解った!」
理由は要らない。
とにかく、信じて、愛して。
そんな二人の声に従い、エルヤは空を走る。
血しぶきは幾重にも、戦化粧の青を消すほどに、灰色がかった翼を重くするまで。
「終わらない――私が死んだとしても――この地は終わらない! 誰も、誰も終わらない!」
聞こえる声は幾重にも。
「ヤール!」「エルヤ様!」
「私達……信じてます!」
背中が熱い。思いを乗せることに、エルヤは炎より蘇る不死鳥を見た。

495二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/03(火) 02:34:28 ID:wALjVcpI
飛び続け、疲労を感じる午前十時。
聞こえてきた、失われたはずの声は、正しい。
たどり着いたこの森は、木立が多く飛びづらい。
それでもエルヤには当たりはしなかった。
その昔、ラクェルに教えられ。
そして、一人になってからは自分だけの場所にして。
今ではナンナと時を重ねた。
大事な森は、自分を守ってくれている。
迂闊に速度を落とした追跡者から、不死鳥らとポールアクスに落とされる。
――こんな、世界はこのまま変わってしまう?
異国の言語混じりで伝わるそれは、エルヤにも理解できる共通語。
――世界が?
童話を思い出し、そんな話もあったと思い。
叫んだ。己を知らせるために。
追っ手へ、そして見えぬ不安を持つ物へ。
「寂しいのか?! 変わるのが?! なら……変わってからでも間に合う……取り戻せ!」
それだけで追っ手は来た。十分な陽動は終わる、それでも――止まらないのは伝えるべき言葉。

496二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/03(火) 02:36:10 ID:wALjVcpI
「失うことを恐れ、嫌だとおもうなら――取り戻すんだッ!」
――悔しいよ。悲しいよ。
あの気持ちを忘れずに。だから叫び続ける。
「悔しいんだ! 私も! 大事な人を失ったから――」
――ありがとう
父の声は優しかった。
「だから――強くなって、守れるようになった……そして」
――今のエルヤ、格好良いわ。
ラクェルも優しく、背中を押す。
「気持ちを――力にするんだよ! ボクだって……出来たッ!」
だから、翼は叫ぶ。
小枝をへし折り、敵を断ち、まだ見ぬ道を行く。
「寒いなら――寄り添って暖めてあげなよ!」
――さびしいよ。
誰かの声が聞こえた。
それはやさしく、寂しく。
歌うように、語るように、叫ぶように。
――想いを伝えるといった約束の声みたいだ。
「手を取れば踊ってやる……ボクは踊りだって得意なんだぞ!」
顔も見えない寂しがり屋に手を向ける。

497二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/03(火) 02:43:13 ID:wALjVcpI
――もう、もう
それは心の叫びで。
「誰かが失われちゃいけないんだよッ!」
――そう、だから。ここにお墓を立ててくれた。
それはラクェルの声で。
――だから、お前はこのまま、行くべき場所へ。
夢でしか逢えぬ、二人の声に力と道しるべを。己の叫びに戦う力を。
それでも、彼女には叶わぬ事があり――。
「っあ!?」
不意の叫びは下からの衝撃だ。
「どこか……らっ!?」
「役に立ったか!」
追跡兵の声。
――異国の罠?!
対空クレイモアがエルヤを射抜く。
血を吐き、それでも、
「それでもッ!」
血が終われば、力は叫びとして口を開かせる。
ポールアクスが地の雪をえぐり、強引に高度を確保、そうすれば海があった。
ストラトフライヤーが飛んでいた。
かつて、彼女と会話した異国の女を思い出す。
「ああ、あの人のマーク……」
遠くから聞こえた絶望は、あの国の言葉だった。
ようやく思い出し、グライダーの滑空は脱力に。
――エルヤぁッ!
――エルヤ……エルヤ……!
二人の声だけが、高度を守る力だ。
「ナンナの……ところに……戻るんだっ!」
三人分でようやく、高さを上げていく。

498二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/03(火) 02:52:52 ID:wALjVcpI
――もう少しよ。
――エルヤ……翼をもう少し下げるんだ。
アドバイスと励ましはエルヤを飛ばす理由となり。
――エルヤ様……エルヤ様……声が……聞こえます……!
ナンナの声は命を燃やし続けさせた。

「痛いよ……ナンナ……ラクェル……父さん……」
弱音一つで高度が下がり、緩んだ意識で集中力だけを取り戻す。
「痛いけど……もっと痛かったんだよね……みんな……!」
下がった高度を再び、そして海を抜けた。

――もう少し! そこ……その上空よ!
ラクェルの声、それが指すのは。
「この国の中心!」
――叫ぶんだ……あそこで、お前の気持ちを!
父の言う言葉、それは――。
「解ったよ……悔しかったこと、全部吐く!」

――エルヤ様……!
「みんな……」
 ――願えば距離は近くなる
「もう、仲間同士――兄弟同士で喧嘩なんかしないで……!」
こみ上げてくる熱い物を抑え、一息吸う。
「大事な物を無くしちゃうんだ! だから……」
――世界が……取り戻したい!
そんな声は、また聞こえてきた異国の言葉。
「世界が大変なんだぞぉっ!」
そこで吐血した。
それでも叫びは止まらない。
「みんなで……ごほっ!」
血が喉に絡まり、体中から力が抜けていく。
――もう……終わりかな……?
死は穏やかではなかった。
ラクェルも、父も。
告げた感慨は無く。不満がある。
言い足りない、と。

499二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/03(火) 02:58:37 ID:wALjVcpI
「旦那様――」
声が聞こえた。
「ラクェル様――」
夢ではない。走馬燈かもしれない。エルヤはそう思う。
「私に……愛しい人を守れる力を――!」
意識が戻ってきた。抱き留められており。
「ナン……ナぁ……」
「エルヤ様! しっかりして……くださ……うくっ……」
エルヤの思い人の、暖かな涙が伝わってくる。
「まだ……終わってない……ん……だ……」
力を貰うような、涙。
「世界を救えッ! 仲間同士で喧嘩する前に――世界が危ないんだよぉ――ッ!」
叫び……。
「ありが……と……ナンナ……っ……」
――ナンナ……父さん……ラクェル……。

 ――ばいばい……だよ……。
声にならない声が、距離を無視して伝わる。
不覚にも、愛する人の涙と達成感で意識が薄れていく。
――なさけな。
最後の思い。

*第四部 終わり
使用曲:YUKI『長い夢』 ttp://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/ES/YUKI/ESCL-2651/index.html
歌手ご本人が若くして失った息子へ届けた曲。です。
俺の中で重くなっていて、使えなかった曲だけど。

――賞を出したことをきっかけに。
 叫んだ――!

500二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/03(火) 03:02:27 ID:wALjVcpI
声は、幾重にも幾重にも響く。
距離を無視した。それだけの思いを込めて。
距離も、壁も突き抜ける声は、反乱兵にも、他のヤール達にも続き。

「エルヤ様……貴方の声……みんなに伝わってますよ……エルヤ様ぁ……っ……」
眠ったような、満足しているような愛しい寝顔がある。
ナンナの涙をひたすら受けるその寝顔は、動かない。

電子音――通信機だ。
「世界を救う戦いに、出ることにした」
「ほら……聞いてくださいエルヤ様っ! みんな……喧嘩してませんよ……ぉっ……うっ……うっ……ううう……っ……」
ただ一人、誰もが声だけを知る。そんな英雄が眠る。
「ヤール!」「エルヤ様ッ!」
皆に慕われ、愛する人に守られ――。

501二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/03(火) 03:04:30 ID:wALjVcpI
――頑張った……ね。
ラクェルの声が響く。
エルヤをそっと抱くような声。

――自慢の娘だ。
父親の声が響く。
エルヤを労る声。

「エルヤ様……!」
皆の声が響く。
エルヤを慕う声。

「私だけの英雄でいて……欲しかったです……エルヤ様ぁ……っ……」
ナンナの声が響く。
我が儘を込めた、愛情の声。

502二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/03(火) 03:08:05 ID:wALjVcpI
――でも、ばいばい。よ。
――ああ、まっている。焦るなよ。

「……え?」

――孫は無理そうだな。ははは。
――もうちょっと、頑張って貰うからね。

「な……んな……」
「エルヤ様ッ!」

――もっと戦いを知ってから、来い。
――二人とも、こっちに来たら――三人でかしら? 冗談よ?

「痛い……けど……ボク……」
「エルヤ様っ! エルヤさまぁぁぁ……」

涙と、
「ゆき……きれいだ……」

「君も……」
その声で終わる。力無く愛しい人の頬を撫でるエルヤの手。
それが崩れた。
ただ、
眠りを残し、ゆっくりと。
「よかった……よかったぁ……」
満足に満ちた寝顔の向こう。心を貫かれ団結した一同が、ストラマを目指す。

503二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/03(火) 03:09:37 ID:wALjVcpI
時をようやく同じとし、場所は動きませんが。
いつもの物語と同じ、隣国の気持ちをつづった――。
たった一人で叫び、多くの人に支えられたある人物のお話。
そのお話は、重要な。
一国の意志をを担った話で。
この国ではそれを、
生まれたてのサーガと申すのでしょう。

終わり

504二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/07(土) 21:19:39 ID:3StvMh4Y
エルヤの声が届き、あの国は互いに向き直ることのできた、そんな話がありました。
それから、世間はストラマを存在として実感し、向き直ることは出来そうで。

さて、
元の時間を戻しますと。
色々なことが始まるのです。
終わりを止めれば、そこからの始まりが。

505二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/07(土) 21:20:23 ID:3StvMh4Y
「ふへー……」
かったるい、と続けるのはシヴィルでした。
「大尉。しっかりして。今日だけは……」
へいへいと返事を返されたのはユニーでした。
「それにしても、寒いですね……」
「さっむいねー……」
二人の見つめる空は鉛色で、ちらほらと白い物が落ちていきます。
「始めて見たんですよ」
「あたしもー」
雪は、彼女たちの国には降らぬ物です。
珍しく、そして寒さがあれど、二人の気分は高まっており……。
「戻ってこーい?」
「ん。もう少し」「くけー」
ええ、盛大にはしゃいでいた人らが居ました。
「ほーら、早くする!」
「うわ、珍しい。雨ふるな」
「もう降ってるような」
「ん、雪が」
――というわけで、『珍しい孝美』の理由などを語る前に、少々時間を戻りましょうか。

506二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/07(土) 21:21:03 ID:3StvMh4Y
「なんだって?」
いつものオフィス、そこでシヴィルは疑問を放ったのでした。
「要は交流なんだけど、向こうの国は武勇が物を言うのよ」
で、と次ぎまして、孝美は真面目な言葉を続けます。珍しいのはここから始まっていました。
「ヴァルキリヤ同志で交流するのが国交にいいだろう、ってさ」
「なんだ、そのヴァルキリヤって」
「戦乙女ね。向こうの伝承よ。死者の魂を導く役、戦いを重んじる向こうの住人には導き手になるんだって」
「へぇー。んで……あたし?」
「あんたなら十分でしょ。あたしと、あんた……後は……」
「ユニ子かねー。あと真理」
「……いい。シヴィル……それいい!」
「……藪蛇?」
失言でありました。

で――。
「大統領もつれてきたい」
真理の言葉でした。
「なんでまた?」
「だって、その国からの贈り物に紛れてきたし、里帰り」
「そういやそうだったなぁ……」
というわけで。
ちょっと不思議なメンバーでの外交でした。

507二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/07(土) 21:21:48 ID:3StvMh4Y
時間を戻しましょうか、合図は簡単に。
「しっかし、なんだって外交役のドリーを連れてこなかったのさ」
「戦いの国だからよ。会談じゃなくて親睦を深めるなら強い者が行くべきってね」
シヴィルのもっともな意見はあっさりとした回答でかえりまして。
「ならフレアねーちゃんでいいじゃん」
「ま……色々あるのよ」
話しながら、一同は孝美に先導されていきました。
針葉樹の茂る雪の森、そこに一軒の巨大な家屋が。
「でっか!」
「ロングハウスって言うのよ。雪に埋もれる地域での訓練所兼寄宿舎みたいな物ね」
「おっきいですねぇ……。雪の間はここから出ないんでしたっけ」
「せーかい! さっすがユニーちゃんね!」
抱きつきはあっさりかわされまして。
「いつも通りですね、鷲尾さんは」
声がありました。
長身長髪の娘と小柄な三つ編み娘が、防寒具に身を包んでおりました。
背後には数名、腕の立ちそうな男達が待機しておりまして。
「エルヤ、ご無沙汰ねー!」
「ストップ。ここはプライベートじゃない」
「おっとっと。ん? 後ならいいのかなぁ……?」
「黙秘するよ」
長身長髪の娘――エルヤは笑いまして、
「ようこそ、ノルストリガルズへ。スピネン共和国の戦士達」
手を出しました、左手を。
先頭の孝美と左手で握手をしまして。
いかなる時でも利き手は武器のため、そんな風習故の握手でした。

508二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/07(土) 21:22:18 ID:3StvMh4Y
さて、後ろの三人と一匹は。
「ノルストリガルズ……?」
聞き慣れない言葉、そこへは由来があると思ったのか、髪を伸ばしてすっかり可愛らしくなったユニーが首をかしげまして。
「北の国って意味らしいぞ」
「それにしても、孝美が代表でスピネンの意味は、怪しい」
「にひひ。どう紡ぐのかって?」
真理は否定的だわ、と心に思い、小声の会話はそこで終了です。
「ナンナ、ロングハウスへ案内してさしあげて。私は先に行く」
三つ編みの娘が恭しく一礼しました。
「かしこまりました、jarl」
そうして、エルヤは飛び去り、一同はナンナに連れられわずかな道を進みます。
「孝美ぃ。ヤールってなんだ?」
「伯爵位ね。簡単に言えば、だけど」
「へぇー……」
「家柄じゃないのよ。武勲次第」
つまり、と前置きしたのは真理で。
「手練れ、そういうこと」
「凄いなぁ……」
「あんたと同じ歳よ。シヴィル」
「うへぇ……」
国交というわりには、少しばかり遠足の匂いを漂わせる一行でした。
ナンナはその様に嫌な顔をしてはおらず――。
むしろ、微笑んでいました。
緊張していたんですよ、彼女。
手練れが来るって言われてたんです。
とにもかくにも、孝美以外の手練れもこんな感じかと安心したみたいで。
そんな事をやっている内、ロングハウスは目の前でした。

509二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/07(土) 21:22:48 ID:3StvMh4Y
ロングハウス内、ここは会議室なのでしょう。
長机がありまして、長辺へ互いに、向かい合うように座りました。
「改めて、お久しぶり。鷲尾大佐。そして、初めまして」
一息ありまして。
「エルヤ・ブレイザブリクと申します」
「……あら?」
名前にすぐ、疑問を露わにしたのは孝美でした。
「前はヒミングレーヴァ、だったわよね……?」
「ああ」
えっと、とおずおず声をかけたのはナンナでした。
「ファミリーネームは無いのです。状況に応じてそれを変えます」
それで、といった前置きで。
「手斧の使い手から天の輝きという意味のヒミングレーヴァだったのですけど、この国をまとめ、ストラマと向き合えるようになったのはエルヤ様の声が通ったからなんです」
「思えば距離は近くなる……か」
シヴィルは思い出しながらつぶやきます。
誰もが、国交を考えていないような会話でした。
文句も出ませんし、いいのでしょう。
いい。と皆は思い。何より階級ではなく武勲が優先する国だからこそでしょうね。
「ええ、ですから――ブレイザブリク、私達の言葉で広がる輝き、といった呼び名になりました」
「だからなのね」
孝美の声と、視線は彼女の右手に注がれていました。
初めて会ったとき、腕輪は一つで、孝美が帰国する前に二つであったものが三つになっていました。
「ええ」
目を細め、エルヤは微笑みます。

510二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/07(土) 21:47:31 ID:3StvMh4Y
「え、えーっと……、これは国儀なのでは……」
遠慮がちなユニーの声に皆が咳払い一つ。
「大丈夫です。あくまで交流ですし」
「この国での関心事は、あなた方のありのままですから」
「それはそれで……色々問題がありません?」
「特に孝美がなー」
視線は一点。でしたとさ。
本人は咳払いで、エルヤは笑っていて、ナンナはラクェルとエルヤから聞いた事実があるので、じと目でした。
「とりあえず――質問いいかな?」
シヴィルの一声でした。
「なんで、あたしを指名したの? もっと強い人なら居たはずだけど」
「それは――」
ナンナの返答は、エルヤの手で止められました。
彼女の言葉を継ぎ、エルヤはシヴィルを見つめました。
「前線で戦うからですよ。ヴァルキリヤとして評されるのは、先頭で配下や同胞を鼓舞する者です」
「なら、私はおまけ」
真理はつぶやきます。悪びれの欠片もない、率直な意見でした。
「お二方とも、実力は配下が見てくれました。本当なら全員お呼びしたいのですが……」
「無理は言わないさ。真理とユニ子はいいけどさ……あたしは勝手にやってるだけだよ? 見た目もいまいちだし」
「そうですか? とても可愛らしいです」
「エルヤ様っ!」
「はは……ナンナが一番だよ?」
「……もぉ」
「……惚気てる」
「エルヤー……私も私も」
「ごめん。鷲尾さんはちょっと……」
「わーんっ!?」

「なんだか普段と変わらない……」
「同感」
ユニーと真理は二人で思うのでした。

511二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/07(土) 22:20:56 ID:3StvMh4Y
「お呼びしたのは他でもないんです」
改め、気を取り直したエルヤの言葉です。
「よろしければシヴィル大尉。模擬戦をお願いしたいのです」
「は?」
「認め合うのは杯を交わすこと、そして武器を打ち鳴らすこと。それがこの国なのですよ」
「あたしー……?」
「道理で……」
疑問の氷解した、そして声を上げたのはユニーでした。
「武器の持ち込みが問題なく行われたのは、そう言うことでしたか」
「戦いの国で武器は当然ですけどね。国儀に武器携帯を願ったのはそういう事です」
「うーん……あたしか……んー……」
「一週間ほど視察期間がありますから、その間にお考え下さいね」
「うーん……」
腕を組み、それっきりのシヴィルがおりまして、時間は今後一週間の予定を語る場になりました。

「以上。では……」
一息、そして目配せ。
両方を行うのはエルヤで。
それだけでナンナを残し、配下が去っていきました。
「ここからは、プライベートだよ」
口調を改め、合図のようなエルヤの声。
合図はもう一つありまして。
「エルヤーっ! ラクェルも居ない事だし私とふふふふ!」
「だ、だめーっ!」
「ぬう。貴方の物ってわけ?」
「そ、そうですよ?!」
「……ラクェルは?」
「……」
沈黙したナンナの隣、穏やかにエルヤが告げました。
「戦死しちゃった」
「……ごめん」
「いいよ。気にしてない。あれから一年だものね、色々変わったよ」
それと。
そんな、彼女の一息に迷いはなく。
「ストラマのおかげかな。あの時、ちょっと話せたよ。だから、気にしないでね」
でも、とありまして。
「だから、鷲尾さんのお誘いは駄目だよ。ナンナもいるし」
「えー……」
「だから、鷲尾さんは趣味じゃないの。いくら攻め上手でもね」
「わーん!」
あーあ。

512二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/07(土) 23:02:40 ID:3StvMh4Y
本日は、それでお終いでした。
はからいもありまして個室をそれぞれ。
ええ、とある方の悪行を見越されてでしょう。
本人は――泣き寝入りのようで。
さてさて、ある個室にて、です。
その個室でへばっていたのは、先ほどからうなりつづけていた人で。
気楽なシヴィルとはいえ、流石に深刻です。
「模擬戦ねー……」
色々思うところはあるらしく、未だにまとまりはつかないようです。
落ち着かない異国の初日。そんな夜でした。
ノックの音に気づいたのは、二度目のノックでした。
そのくらい上の空だったようで。
「はいはい?」
「今晩は。……いいかな?」
エルヤ、でした。
「いいけど。なんか違うね」
「仕事とプライベートは別だよ」
笑顔は確かに、昼間よりも自然で明るい物でした。

513二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/07(土) 23:50:54 ID:3StvMh4Y
「さむっ」
「もっと寒くなるよ?」
笑いを含んだエルヤの声、それが聞こえるのはロングハウスの屋根でした。
屋根の上、シヴィルとエルヤが座っていました。
「寒いのは嫌だなぁ……」
「ははっ。ボクらは慣れてるからね」
寒い夜空は、綺麗な空気と共にありました。
星空を眺める二人には、沈黙と白い息があります。
「戦いは、嫌い?」
「あんまり」
「模擬戦も?」
「だから、かねえ……。練習が大事なのは解るさ。でもな……」
「ん……」
「やっぱり、相手の顔を見て、やらなきゃと思えないんだ」
「そう」
一息、それからエルヤは屋根に立ちまして。
「ボクは、君が嫌い」
シヴィルは無言で彼女を見ました。
「多分同族嫌悪かもしれないけど。嫌い」
「そっか」
「いざというときに戦えないのは、辛いんだよ?」
一息はシヴィルより。真っ白な息が続き。
「……ラクェルさんだっけ? 彼女のこと、良かったら話してくんないかな?」
「嫌いって言ったろ」
「それでもいいさ」
「そ……」
エルヤは再び屋根に座り、二人は同じ場所を、月を見ていました。
やりとりはとにかく。
二人の表情は微笑とも取れそうな、そんな穏やかな、平坦な表情でした。

514二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/08(日) 00:26:56 ID:i0Y8dC7I
ラクェルと出会ったのは、もう思い出せない昔だったよ。
小さい頃だった。隣の領地の娘でね、二つ年上の、いつもおねえさんぶった困った娘だった。
いっつもいっつも、ボクの事を子供扱いしてたんだ。

あの娘は、スカールドだった。
吟遊詩人が本当の意味。でもね、役職としては歴史を伝える為の存在なんだ。
この国には歴史書なんてほとんど無いんだよ。
伝えるのはスカールドの仕事で、あの娘は綺麗な声で、可愛くて。
変だったな、ボク。
20の頃に、久々に出会ったあの娘を見て、胸がどきどきした。
可愛い、って思えたんだよ。
女の子同士だったし、もちろん黙ってた。

ボクが22になって、鷲尾さんがね、視察に来たんだ。
そういえば――あの時と同じ三日月が綺麗だったなぁ。
ボクの事さ、鷲尾さんは気に入っちゃって、べたべたされたんだ。
――はは、あたしも。
そっか。あの人って節操ないね。ふふ。
で……凄く迫られた。
ボクの好みはラクェルで、鷲尾さんみたいな押しの強い人じゃない、おしとやかな人だから。
いきなり、さ。
鷲尾さんにビンタしたんだよ、ラクェルが。
エルヤは私の物です、いい加減にしてくださる? って。
嬉しくて、なんか……抱きついちゃったんだ。
おかげ、うん。
おかげで……ラクェルと気持ちを伝えられるきっかけが出来て……。
それから一年弱、幸せだったよ。

515二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/08(日) 00:28:35 ID:i0Y8dC7I
この国はね、いつも戦いがあった。
何かを変えるには力、戦いで勝てばいい。
だから……当然なのかな? 内乱が起きてね。
ラクェルは、ボクの戦いに付いてきてくれた。
あの頃は全然実戦慣れしてなくて、ラクェルの経験が凄く助かったんだ。
未熟だったんだよ……。

あの日、ボクの隊は孤立しかかっていた。
無茶したんだ。先走ってさ。
手斧、うん。
ラクェルがかばってくれた……。
最後に、諦めないでって言い残してあの娘は……。

ボクは強くなったと思う。
武勲は国民にとって大事な物だけど。
どうして大事なのか、本当の意味をやっと分かったんだ。
命を残して、それでもたどり着く高みに、武勲はあった。
だから、焦ったボクはあの娘を亡くしたんだって、今はそう思うんだ。

516二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/08(日) 00:30:41 ID:i0Y8dC7I
「ありがとう」
らしくない、言い方でした。シヴィルは故人を悼むより、感謝を選びまして。
「いいよ。今はナンナがいる」
「忘れきれる?」
エルヤには鼻で笑うような、――気持ちはそうではありませんが――微笑がありました。
「無理。でも、忘れなきゃって思う。この前の事件からこっち、ちょっとは忘れたと思うよ」
シヴィルも、そしてエルヤも、思い出話を噛みしめるように、輝く三日月は二人の瞳にありました。
「やっぱ、あたしもあんたの事嫌いみたい」
「そっか」
「忘れることなんか無いんだ。それが成長するって事だろ。弱点を覚えてなきゃ強くなった事にならないよ」
軽く息を呑み、エルヤは一つうなずき。
「そうだね。そうする」
「前に進むんだから」
小さく、エルヤが笑いました。それは息ではなく、言葉を伴う微笑で。
「大尉は――」
「シヴィルでいいさ」
「シヴィルは、最速なんだよね」
「一応、ね」
困ったような笑みはシヴィルにありました。
なるためになった最速ではなく、結果的な最速だった。それを思い出し。今では誇りになる速度の称号です。
「前を見たいから?」
「誰よりも……今あるゴールに走るためかな? 普段は寝てる兎でも、起きたら追い抜くつもりでね」
「あは……。やっぱ似てるよ。ボクはね、誰の心配も背負って、潰される前に進むために」
「にひ。かもね」
「「嫌いは好きの裏返し」」
「似てるなぁ」
「あはは。ボクはシヴィルのこと嫌い」
だけど、そんな前置きで月を見上げるシヴィルをエルヤは見つめまして。
「それ以上に好きかも」
はは、そんなシヴィルの笑みには悪戯っぽくも、困ったようでもあり。
「恋愛は勘弁だー」
「ボクにはナンナが居るって」
「浮気も駄目だぞー?」
「こら、ボクは真面目に言ってるのに。そう言う意味じゃないよ!」
可愛らしい。そうシヴィルは思っていました。
恋愛感情ではなく、素直に悪くない。そう思っていたのです。

517二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/08(日) 00:34:08 ID:i0Y8dC7I
「あたしも一緒かも。嫌い、だけどそれより気に入ってる。……だから、友達」
照れくさそうに、それでも満面の笑みでシヴィルは告げました。
「……んっ! 友達」
ヤールの仕事を果たしたときより、子供っぽい笑みでした。
同じ歳とは聞いていて、でも、それより、なにより。純粋な笑みだとシヴィルは思い。
「なあ、エルヤ?」
「何?」
「模擬戦さ、じゃれつくかもよ?」
いつもの、後輩いじりに最適な笑顔でした。
後輩にとっては悪戯顔とまでいわれた、そんな顔で。
「あははははっ! そんな事した覚えがないよ!」
屋根の上、足をばたつかせてエルヤが笑いました。
寒さを忘れる、そんな暖かさが胸にあると、二人は互いに思い。
「楽しみだぁ!」
「怪我は勘弁だぞー?」
「死なない程度に痛めつけるかもね?」
きっつ、と言ったシヴィルはひとつ、嬉しさの強い苦笑をしたのでした。

*音ここまで
OSTER project 様
Moonlit Monday (crescent style)
ttp://www.muzie.co.jp/cgi-bin/artist.cgi?id=a017591

518二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/08(日) 01:45:54 ID:i0Y8dC7I
一週間はゆっくりと、緊張もなく進んでいきます。
ただ、違和感はあったようで――。
ええ、エルヤとシヴィルの仲です。
「あれが、議事堂。定期的にヤールが集まって会議するんだ」
「会議はたるいなぁ……。エルヤも退屈じゃない?」
「そうでもないよ」
二人の会話が多くなりました。
「あ、あのー……大尉? エルヤ様は私の……」
「解ってるって、あたしはエルヤの友達ってだけ」
「ううっ……心配……」
「大丈夫ですって、ナンナさん。大尉はノーマルですよ……多分」
「め……目覚めたら私が狙うー!」
周囲『だけ』は放っておかないといった感じでしょうか。
「大統領、空気はどう?」
「くけっ!」
こちらはこちらで、平和ですね。

模擬戦を翌日に控えた夜でした。
あの日より、夜中の会話はありません。
シヴィルの気遣いというのもなんですが、ナンナの圧力とも言います。
――ジェラシーに勝る力無しってか。
女心は怖い、シヴィルはそう思っていたのでした。
そんな模擬戦前夜、今夜ばかりは一週の始まりと同じ、屋根での会話をしています。
「シヴィルは恋愛とかどうなの?」
第一声に唖然としたのは言うまでもなく。
「んー……前は彼氏とか居たけどね」
「男かー……ボクは前までそれでもよかったんだけどなぁ」
「今は女一筋って?」
「あはは。恋愛のこととか考えるとね。どうしてもナンナやラクェルしか思い出さないよ」
へぇへぇ、と投げやりな返事は現在思いつく相手が居ない事へのなんとやら、といったところです。
「ま……孝美には気を付けろー? 誰でも攻めるからなぁ……万が一もあるし」
「へ? 大丈夫大丈夫」
手をひらひらさせて笑うエルヤには全く心配事がない、といった感じで。
「いやぁ……意外とタチって攻められるときついって言うし……」
「ボク、ネコだよ?」
「なぬ!? ……意外だなぁ」
「そういうシヴィルだってノーマルなら、ね?」
「……なるほどねぇ」
なんとなく、納得して、
「ナンナ……だっけ? あの子が?!」
やはりしませんでしたね。
「うん」
「意外だなぁ……」

519二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/08(日) 01:47:14 ID:i0Y8dC7I
「ボクねぇ……」
頬を染め、うつむきながら言葉を紡ぐ、そんなエルヤが居ました。
見つめているシヴィルすら赤面してしまうほど可愛らしい、そんな表情で。
長身――とはいえ、二人とも羽根娘での基準であって、170もありませんが――で凛々しいイメージのつきまとうエルヤはどこへやら、といった様子です。
「おしとやかな子にちょっと意地悪されるの……好きかも」
「うわ……それはちょっと……」
いつもの調子ですぐ、シヴィルの顔を下から見上げまして。
「意地悪よくない?」
「うーん……趣味じゃ……あ」
「思い当たったね!? あたったねー!」
「いやいやいや! 無い! 無いってばー!」
前日を思わせないような、平和で。
二人にとっては間抜けな日なのでしょうが、それはまあ友人同士の特権という事で。
本日の月は昨日より細くなった物でした。
ラクェルの苦笑した瞳を思い出す、なんてロマンチックな言葉はエルヤの頭の中だけで。
今それを言えば別の意味で台無しと言ったところです。

*今日はこのへんで、あんまりテンション上げると明日の予定に響く物でorz

520隣りの名無しさん:2006/10/08(日) 17:37:30 ID:3dOaykho
戦場にいるのが戦士なのか、戦士のいる所が戦場なのか。
愛することは哀すること。それでも、―私は―愛を求める。曖昧な藍色の上。


名無しの戯言大変失礼

521二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/09(月) 00:19:36 ID:jTXZSVHM
>>520
ありがたい、ありがたい。
言葉があることに、どれだけの力を貰うことか。
ありがたい。
粋に答える意気は、ここから続けるさ!

というわけで――。

ここは、街の中心。
戦のまつられる場所、政治と思想の中心でもありました。
そんな中央にはそれらしく、競技場ともコロシアムともつかぬ物があり。
向かい合う二人の戦乙女、シヴィルとエルヤ。
二人の顔には緊張があり、しかし――。
それ以上に笑みがありました。
「エルヤ」
「何?」
「楽しいって思う?」
エルヤは微笑みのまま、得物を握りしめ。
長柄の斧、その刃はゲルで包まれていました。
このために孝美らが用意した模擬仕様のための器具で、それはシヴィルの槍にもありました。
「すごく楽しみだよ」
「あたしは――色々企んでる」
「楽しみだなぁ……」
「さ、やろ?」
「うん……!」
エルヤは斧を掲げ――今回に関しては長柄の斧、ポールアクスと手斧一つとなっていました――応じてシヴィルも槍を。
「戦を、歴史に捧ぐ! 両国の手を繋ぐ前に、武器を打ち鳴らし。対等にあらんことを!」
「応じる戦いに恨みはない! あるのは互いの認めるための物!」
覚えた言葉、二人の誓いはそれだけです。
「いざ!」
距離にして三メートル、それが二人の距離。
そして観客席の皆が、大きく声を上げず――固唾を呑みます。

522二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/09(月) 00:41:39 ID:jTXZSVHM
「いくぜぃ!」
「来いッ!」
笑顔から歯を食いしばり、シヴィルが数歩の走行。
対するエルヤは手斧を振り上げ上空へ。
つんのめるように体を寝かせたシヴィルは速度の動き、飛行に移り。
エルヤは投擲体勢への移行を完了する。
シヴィルの飛行準備、広がった背中はエルヤの的。
それでも、彼女は投擲を行わなかった。
速度に息を呑んだ。それが救いになった。
――速い!
上空、エルヤの真下にシヴィルは居た。
それも一瞬、そして背後へ速度はある。
「槍だなぁ……凄い。シヴィルが槍なんだ……!」
――でもね!
投擲体勢のまま、ポールアクスを縦に振りかぶる。
それは虚空を、かつてシヴィルの居た位置を薙ぎ、背後までを支配。
重みを利用した一回転と同時、上下逆さのエルヤから手斧が一つ飛び。
「斧……エルヤこわっ!」
「ははっ! シヴィルだって怖いよ!」
手斧を振り切らんとするシヴィルは軌道を変えられない。
半端な制動では追従するエルヤにたたき落とされる。
紙一重の挙動を行うしかない。それは簡単な行為で果たされる。
「いてっ! やっぱこれ無茶だったかな!」
「……! 頭回るね!」
地に突き刺さる、速度の先導。
槍だ。
突き刺さった槍の根元、急制動とわずかな上昇をしたシヴィルの下、手斧は通り過ぎる。

523二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/09(月) 00:53:09 ID:jTXZSVHM
「まぁだまだ!」
地の槍を抜き、姿勢と軌道を変える動き、それをシヴィルは果たす。
上昇により引き抜き、そしてそのままの勢いで逆上がり、振り抜いた槍は追いすがるエルヤへと向き。
「っ!」
剣のような軌道をした槍は、エルヤの斧が止める。
二人の加速は力となり、鍔迫り合いの形。
「ああ……やばいよエルヤ」
「ははは……シヴィルって……面白いなぁ」
「あたしも。模擬戦で熱くなったのは初めてかもしれないなぁ……」
「いいね。神様も笑ってくれる、みんなも!」
声と同時、鋭い膝蹴りはエルヤから、未だに上下逆さのシヴィルの羽根へ。
「甘ェ!」
両手を緩めた。
速度のつかえのないシヴィルはエルヤの横を飛び去り――、
「長さを利用したっ?!」
穂先に近い柄を持ち、再び槍の乙女へと戻る。
その様をエルヤは逃がさない。無理な姿勢ではある、それでも斧を振り。
「居ない……!」
速度はシヴィルと共にあった。だから、
――もっと遠くへ!
斧を手放し、それを投擲。
「っととぉ!」
横へ避ければ、エルヤが居た。
「減速はいけないね!」
彼女は拳を握り、槍の届かぬ懐へ。
「っ!」
拳を避ければ膝が来る。
「うわっと!」
「徒手戦闘も習ってるんだい!」
狙われたのは槍を握る手、それを離せば槍は落ちた。
「小手先も上手……ってかぁ……!」
笑っている。
シヴィルも、エルヤも。
歯を見せた、力強い笑み。

524二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/09(月) 01:08:28 ID:jTXZSVHM
「貰うッ!」
「そうは……させるかぁ――ッ!」
シヴィルは拳をこめかみへ。
エルヤは膝の勢いを利用した回し蹴りを側頭へ。
「当たれ……!」
「泣かせちゃるッ!」
二人の全力は武器のない、殺す気があれど不可能な力で。
それは、二人にとってどうでもいい事で。
とにかく、己の出せる力をぶつけたい。
この瞬間だけは二人は――、
恋人のようでもあり。
敵のようでもあり。
友人のようでもあり。
だから――、
全力を伝えたい。
遠慮したくない。
「傷つけてでも、手は抜かない!」
「こんなに楽しくしやがって……痣の一つでも土産にもってけ――ッ!」
最速を乗せた拳がこめかみを抉った。槍のような一撃がエルヤの頭を揺らす。
力の、まるで斧のような回し蹴りがシヴィルの頭に当たる。それは首から上を薙ぐように、埋め込みを混ぜた勢いがある。
「……!」
「同時」
観衆の中、ユニーが息を呑み、真理が辛うじて分析をした。
沈黙している孝美は一息、吐くべき言葉を大声で叫ぶための呼吸を行い。
「引き分けよ! これ以上はいけない!」
力強い笑みが、当事者二人にあった。
混信の一撃を食らおうとも、歯を食いしばった二人は笑みのまま、脱力から。
「担架!」
倒れる。
誰もが声を上げられぬ、短くも叫びを強く持った、捧げるにふさわしい戦いを、沈黙と遅れ気味の拍手が称える。

*音ここまで
OSTER project 様
crescent moon
ttp://www.muzie.co.jp/cgi-bin/artist.cgi?id=a017591

525二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/09(月) 01:14:19 ID:jTXZSVHM
意識を取り戻した二人は、驚きました。
時間を二時間ほど飛ばしていたこと、そのことに。
そして、たたえ合うことは、言葉ではありませんでした。
ナンナも、孝美も。
後ろではユニーと真理すら、嫉妬を覚えてしまうような。そんな無言の包容があり。
「最高だったよ」
「ああ、エルヤ。楽しかった」
その一言で、また友達を始めました。
「今夜はユニーさんとお話したいな。シヴィル、君の国の人に興味が出てきたよ」
「え、私です……か?」
「にひひ。嬉しいね」
その言葉は嫉妬を忘れるような。そう、ナンナは思っており。
「良かったですよ。シヴィル大尉」
「さんきゅ」
「明日は真理さんと、ね?」
「ん。でも、延長滞在になる」
「いいわよ。そのくらい」
「うん、仲良くなるためにね」
今晩のニュースはあの戦いで彩られていました。
それは互いを称える物で、国交の前に友人として、そんな言葉が印象的な物でした。

*今日はここまでー。まだ、隣国視察編は続きます。

526隣りの名無しさん:2006/10/09(月) 01:23:00 ID:3qDAWE5.
じろさんGJ!

今夜はお楽しみですね! >ユニさん&エルヤ

527二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/09(月) 23:06:23 ID:jTXZSVHM
>>526
素ーでねーよと言った俺に一言w

その夜は、約束通りの屋根より。
未だに少しばかり首を傾けたエルヤがおりました。
敬称も敬語も要らない。そんな前置きからの、何度目かの駄目出し、そういったやりとりがありまして。
「銃ってこの国では珍しいんだ。戦意を削ぐには、手斧が一番だから」
「銃は速いの。皆が銃を持てばそれだけ早くなんとかできるから」
それに、とユニーの言葉は続きまして。
「大尉達が楽になるから」
「ふぅん……集団戦なんだね。手斧は切り込みだから、ちょっと違うのか。っと」
戦術はいいや、そんな言葉は当初の話題をずらす物で。
「うーん、ユニーって可愛いなぁ!」
「ちょ、ちょっと! 私にそんな趣味はないよ……」
「素直に思っただけだって。ナンナ一筋だもん」
「そういうの、ちょっと羨ましいかな」
そお? といった言葉は少し遠く。エルヤが屋根の上に立ち上がったからなのですが。
「私ね、初恋もまだだから」
苦笑して、ユニーは髪をいじっていました。
ストレートに伸ばした髪は、あの日皆にこの性格を教えたときからの物で。
編み上げる三つ編みは長く長く。
「うーん。好きな人ってやっぱり……偶然かもね」
「運命の人はどこかなぁ……」
「勿体ないなぁもぉ」
「ふふふ……」
笑みは苦笑ではなく、少々危ない笑みで。
乾いた音は二つ。
森の木々、その小枝から垂れ下がる雪だけを払いのけまして。
狙いは確実、彼女の腕です。
「おおう、銃も凄いなぁ……」
「と……最近ようやく落ち着けるようになったんだけどね」
ようやくの苦笑でした。トリガーハッピーも抑えられるようになったようで。
「実戦じゃまだまだなんだけど」
「こわっ!」

528二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/09(月) 23:20:16 ID:jTXZSVHM
「えっとね」
一言は孝美より。翌日の朝でした。
「協議とかあって、一応来週一杯になったわ」
「おお、早いね」
「大統領、羽根伸ばしてる」
「くけー!」
「でも、何するの?」
「さぁ?」
「お話くらいでいいのでは?」
「それでいっか」
寒いし、とのまとめは皆の意見で。
初めて見る雪も、こう毎日では飽きてしまうようでした。

「寒い」
「はは、ごめんね。こっちの国はこんな奇行だよ」
エルヤと真理、屋根の上に二人は立ち。
「お話、何」
「大統領だっけ? 可愛がってるみたいだね」
「ん」
雪に指を走らせるのは真理で、そこには大統領らしき絵を描いておりました。
「いつもこんな感じなんだね。君は何を使うの?」
「刀」
あと、とは淀みなく続く言葉で。
「罠」
「いつ仕掛けるのさ……待ちの場面でしか意味が無さそうだけど……」
「いつでも。隙があれば」
ぽん、そんな音はいつもの波乱を生みまして。
「うわ、花ッ!」
「隙が無くても、このくらい余裕だから」
「はは……怖いなぁ。君の飛ぶ所、すっごいんでしょ?」
「練習したから。でも」
「でも?」
薄く笑うのは、意地の悪さではなく。素直に真理は笑いまして。
「あなたの飛行も面白いから、真似する」
「面白いんだ……」
ようやく、頭上の花を真理へ返しました。造花ではなくこの国で取れる花で。萎れていない所に仕込みの手早さが光っていました。
「振り回しの利用と、反発」
「よくわかんないなぁ。自然に飛んでるから」
「頭、使ってるの」
「……あやかりたいね」
改めて、計り知れない無表情に、別の寒さを感じていました。

529じろさん代理 ◆3i.7zy5ZPY:2006/10/09(月) 23:30:35 ID:6aDJwJG.
>>528
×「はは、ごめんね。こっちの国はこんな奇行だよ」
○「はは、ごめんね。こっちの国はこんな気候だよ」

530二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/09(月) 23:34:40 ID:jTXZSVHM
翌朝は、緊張からの始まりで。
「すいません! 今すぐ会議室に!」
慌ての色を見せたナンナの声で全員が起床しまして。
「ごめん、ちょっと慌ただしくなった」
内容はいきなりで。
「今回の講和をよく思わない集団がこっちと中央に来てる。裏切りも経験した国だからね……」
「まったく……大変だなぁ」
「のど元過ぎればって奴だね。手を取り合うのは国内だけで良い、ってさ……」
おかしいよ。そんなエルヤのつぶやきは皆をうなずかせる物で。
「どうしましょう……一旦引きます?」
「それは……屈することになるかもしれません」
「でもね? 今だけじゃないから、次もあるのよ?」
ははん、鼻で笑う声はシヴィルでした。
それには誰もが怪訝な顔をしており。
「この国はなんだよ? 戦いの国なんだろ」
エルヤとナンナ、彼女らは声を小さく上げ。それは、ただの相づちでした。
何も考えつかない思いがあります。
「手を取りたいのに邪魔をするなら、殴っていいんだなって聞いてるんだ」
間がありまして、ユニーと孝美は嫌な顔、真理は無表情で。
ナンナも怪訝な顔をしていました。
「あはははは! シヴィルってほんと……面白い人だなぁ!」
「怪我くらいなら許して貰えるかねぇ?」
「勿論!」
いいか、と言い含めるのはシヴィルの言葉で。
「あたしらとエルヤ達で協力してしばく。手を取り合って……」
「力を見せよう!」
エルヤとシヴィル、二人の言葉は力強く。
ですが、意地の悪い笑みは伝染しているようで――。

531二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/09(月) 23:45:06 ID:jTXZSVHM
「ゴム弾、ゲルコート、両方問題なし」
「準備、完了」
室内に戻ってきた真理は雪に包まれておりまして。
「仕込んでたのね……こわっ」
孝美ですら怖いような、両手に余る物体がどこにも見えない状況。
何が仕込まれているかは本人のみぞ知るのでしょう。
恐ろしい笑み、それは誰もが思ったことで。
空気を振り払って喋ろうとする、そんな音が一つ、息継ぎとして。
「なあ、エルヤ? 中央は猛者が居るんじゃないの?」
「見せるくらいはしとこ? それに……一番上は流石に歳だからねぇ」
「け、隠居かい」
「ひっどいなぁ。あはは。とっとと片付けて向こうに行けるといいんだけどね」
「配下もおります。なんなりと、ヤール」
「ああ、準備はおわったみたいだね」
この国の装備は軽装です。それでも儀式的な装飾を付けたナンナは大人しいイメージと共に、力強さもありました。
「話し合いから、始めよう」
でもさ、と言った声はシヴィルで。
「話し合ってからビンタくれるんだ?」
皆が笑いました。あの日、あの時。そんな限定は出来ない、だけど思い出せる笑みを。
任務前に放つ気楽な笑み。やる気が空回りして、緊張を振り切ってしまった。そんな雰囲気でした。

532二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/10(火) 00:58:40 ID:JYnZCcww
「主のエルヤ・ブレイザブリクである! 申し出を聞こう!」
――方針変更。
それが、シヴィルから受けた言葉でした。何を見てそう思ったのかはとにかく。
後から告げられたアイデアは彼女らしい物で、そして、信頼に裏打ちされた物だったと、エルヤは判断しまして。
彼女は矢面、相手の主導者と思われる相手へと声を張りました。
ロングハウスでは殺気がみなぎり、そして、エルヤの側にはナンナすらおりません。
「隣国の友好を断り、特使にお帰り願おう」
「断る。認め合った戦友だ」
断固、それの伝わる声です。
「ならば、友好を進めようとする貴君らと、君主殿にはご退場願うことになるが? 我等はこの国だけあればよい」
「は、私の声を聞かなかったか? 広がる輝きを見つめたのだろう?」
答えによどみはなく。
「なればこそ、不要なさざめきを加える事はどうだ?」
「なにをいうか。手を取り合ってこその今だと言うのに……」
顔を下へ、そして苦笑したのはエルヤでした。
「つまらぬ輩だ」
エルヤの上げた顔、そこへは笑みがあり。
「戦、やるのか?」
返事は無く、配下の兵が少しずつ現れました。
「手を取り合いそこねた奴には教えねばならぬな」
そこには、真理、ユニーがおり。
「繋いだ手の強さを教えてやろう!」
声は合図。
そうでした。
「じゃ、さくっと行こうかァ!」
エルヤの背後より突風があり。それは彼女を後押しする物です。
「頼むよ、シヴィル! 最速を見せてやれ!」
手は確かに繋がれました。そして、最速は二人をどこかへと。
「逃げるか!」
「いいえ、お留守は私達が」
ナンナの静かな声、それより。
「さあ、主のおらぬ城は私が代理でお相手致しますよ?」
小首を傾げ。
でも、その仕草は戦の開始に飲まれていきます。

*音入れますよ

533二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/10(火) 01:08:20 ID:JYnZCcww
「お相手。一人で十分」
大群の前、ナンナの構えを制するのは真理で。
彼女の抜きはなった刀はゲルに包まれていた。
「怪我だけ」
構えはなく、ただ掴むだけといった刀がある。
彼女は慌てず、静かに。
「土下座するまで、叩く」
一番槍の手斧は、静かに回避した。
弾道が逸れた。
「はははは……見やすい弾丸だ!」
トリガーハッピーの声、それは狙撃の完了。
弾丸に続き接近するのは、先ほど手斧を投げた男で、それでも真理は刀を振り上げるのみ。
「弱い」
感想は攻撃の前で、
その感想通り、彼女の上半身がひねりを終えればそいつは倒れた。
大群へと背を向ける真理の左手、何かを握っており。
「考え無しは、お尻ぺんぺんって言ってたけど」
乾いた音、スイッチだ。
雪の中、何かがせり上がる。
「エルヤ様を傷つけた……異国の罠でした……!」
ナンナの感想通り、それはおおぶりの球体を吐き出す罠、クレイモア。
「尻見せる前に百叩き。適当に」
入り口の一列を残し、散弾が集団を遅う。
「はぁい機先お疲れさまッ!」
上空の声は気楽。
なにより気楽と速度の塊であったシヴィルと長く友人である孝美は、代理のような声を上げた。
「極めれば無敵って本当なのよねぇ!」
適当な射撃、この場合はいい加減と訳す事にする。
「おいで? 蜂の巣じゃないけど叩いてあげる」
要求に応えたのは無機物で。
「もう少しお待ちを。まだ手斧は終わってないようです」
ナンナのささやかな声はささやかな行為と共にあり。
「わーお」
投げられた手斧は彼女の手中にあった。
「はい、お帰り下さいませ」
言葉の通り、投げ返しが相手へ――だれかへ――と突き刺さる。

534二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/10(火) 01:17:03 ID:JYnZCcww
「試射にはもってこいだなぁ……ふふふ……ははは……!」
銃機関砲、そう言えばいいだろうか。
備え付けを目的に作られた物をユニーは放つ。
「軽くなっている、良いことだ!」
片手に一丁ずつ。
紫煙を吐き出す両手の長銃に目を細め、的確な射撃は中列から後列までの縫い止めと狙撃を行う。
「整備班――実に良い仕事だ! ふはははははは!」
声も聞こえぬほどに高らかなスタッカート、それをリズムに彼女は笑う。
「うーん、怖いわねぇ」
呑気な声で感想を告げる孝美にも仕事は回ってくる。前列の肉薄によって。
「じゃ、無敵を見せましょうか」
両手の拳銃が斧を弾き、蹴りを出したと思えばその相手を踏み台に空へ舞った。
宙返りにも似た軌道、その最中にも弾丸は放たれ、過たず標的へと。
着弾を確認せず、孝美は突撃を開始する。
「やーはー、って言うのよね、こういうときはね? ナンナっ」
上空、視線を支配した孝美が跳ねる。
飛行を中止した彼女は、着地の最後まで銃撃を止めない。
「弾丸は避けてくれるもの。手斧にはふられちゃったけど、斧はどうかしらね?」
ウインク一つ、左右へ銃撃。
そうすれば、
「ううん。熱烈なアタックは女の子だけでいいわ」
腕を交差させてもう一回。
「ゴム弾足りるかしら?」
――特にユニーちゃん。
他人の心配が出来るほどには愛されているようだった。

535二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/10(火) 01:27:26 ID:JYnZCcww
「頭はどこにある」
「腕輪ですっ!」
低空飛行をするのはナンナと真理。
低い姿勢は足をふらつかせればそれだけで雪の床にあたる。
狙いにくく、そして足を狙いやすい。
だが、それは銃撃においてで、姿勢を変える近接行動を主とする二人にはさほど有利ではなく。
「はい、前失礼しますっ!」
有利ではない、それだけの事だった。
二人の視界を遮るように立つ一人、それの足をナンナは掴み、力感もなくそれを一回転させた。
「合気に、似てる」
「同じ戦闘法がありますか……! やはりあなどれない国です!」
対する真理は羽根の使い方ならば誰にも負けず。
「邪魔」
急上昇は刃と共に、呼ばれたとおりの邪魔を駆け上るが如く、蹴りが鳩尾から喉へ。
並の行動ならばそこから上空まで行ける。孝美も先ほどそうした。
教導隊という使い手の上を行ける。真理はそういう翼を持っている。
彼女の宙返りはコンパクトに、踏みつけられた男の頭へ頭突きが可能な高度で前進飛行へと。
「お土産」
閃光弾が男ののど元にあった。蹴り飛ばされ、離れる彼には解らない。
最悪の距離をわずかに離れた閃光弾が光を放ち、背後を見る必要は無い。
視力を一時的に、そして意識も奪われた男には気づかない。
頭に造花一つ。それが咲いていることに。

「……突撃可能だな!」
固定位置での射撃を止めたユニーは、トリガーを引く事だけはやめず、飛行に移る。
「固定は飽きたー!」
新たな病気ではあった。
アクション映画の見過ぎ、それは孝美も思っていることで。
「はい、次の拳銃ね!」
こちらも見過ぎであったが故、ではある。

536二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/10(火) 01:37:15 ID:JYnZCcww
「孝美、頭取る」
戦闘の矢尻、それが真理だ。
「ったくもー! 臨時とはいえ上司を敬いなさいよ!」
文句と銃弾は同時の速度、真理を援護する為に放たれた二つの力は的確に。
「あれです! 小鶴少佐!」
印をつけんばかり、相手を投げ飛ばし目標を定めるナンナが居る。
「はははは! 部下をさておき逃げるか! 顔洗って出直してくるかッ?!」
銃弾の縫い止めは少しずつ距離を詰め、ユニーのテンションと共に高まりを見せた。
肉壁、そう言うにふさわしい直衛の集団、そこへ真理は空を滑っていく。
「新技、見せる」
声は短く、彼女の軌道が乱れた。
直線から上昇は斜め右、そして下降を含む定番の軌道で。
「バレルロールじゃないの?」
孝美の指摘はそこで終わる。
半周の螺旋軌道の中、真理が銃を抜き放ち。
「真似」
短い声と共に、お得意となった一回転を集団の頭上で行う。
「やーはー」
銃弾が彼女の前後一列をなぎ払う。
着地の軌道に入るであろう真理の先、そこへは目標の指揮官がおり。
「ちぇっくめいつ」
乱れもない着地に移る直前、剣先を前へ。
全体重と加速を込めた振り下ろしが指揮官を断つ。
「螺旋兜割り」
安直なネーミングは、安直な割れ方を見せた兜が物語る。

*音区切り!
TJ_MS-DOM 様
秘剣
ttp://www.muzie.co.jp/cgi-bin/artist.cgi?id=a003080

*次の音入ります

537二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/10(火) 01:54:07 ID:JYnZCcww
木立を抜ければ、速度は最大まで。
シヴィルの翼に自由が点る。
「うわぁぁぁ……速い……!」
叫びを国中に行った、その海だ。
抱きしめられたエルヤの目、速度は未知の物で、新たな景色は新たな心情と共に、新鮮な海を見せる。
「エルヤ……! もっと速度出すぞー!」
「ええっ?! まだ出るの?! うん! 出して出してー!」
はしゃぐ子供、そんなエルヤを抱きしめ、速度の妨げ、空気抵抗を減らす。
「ははっ。ナンナに見られたら怒られそうだなー」
「その気なんて無い癖に。あははははっ!」
サービスのつもりか空中で体を一回転、姿勢を正す二人の足先で海水が跳ねた。
「うわ、つべた……やめときゃよかったかなー!」
後悔の声に非難はない。増加した速度の中、呼吸を定めることに精一杯だったからだ。
「気ぃ引き締めろぃ! そろそろ妨害が見えるぞー!」
「うぶっ……が、頑張るよ!」
羽ばたき一つ一つが大きく、そして速かった。
――すごいなぁ。
感動と感心と、それだけが一杯になり。
エルヤは一瞬だけ速度に任務を忘れていった。

「来たぞ……!」
声は、妨害を開始する合図に。
「邪ぁ魔……」
両手を離し、エルヤに持たせた槍を掴む。
空へ投げ出されたエルヤの右手は斧を掴んだまま、左手がシヴィルを向き。
「手を取り合う強みっての……みせたろじゃん!」
しっかりと左手が捕まれ、速度はわずかに落ちた。
「うん……これから続く友と戦うんだ!」
「あ……悪ぃエルヤ、このままあんたは中心突撃ね」
いきなり手を離された。
「うえええええ?!」

538二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/10(火) 02:03:30 ID:JYnZCcww
「エルヤぁ……一気に駆け抜ける!」
「う……うん!」
右足首に力を感じた。何をしようとするのか、それは薄々感づいていたことで。
「さぁさぁ……ヴァルキリヤに道をあけろ――ッ!」
シヴィルの槍が突き出され、それだけで集団が避けていく。
挟み込むようにそれはまとわりつき、
「両手持ち甘くみんなよッ!」
エルヤを振れば、斧は最速で振り回された。
「ひーっ!」
叫びは情けなく、それでも己の翼で重さを殺し、振り回しを補助する。
振り抜かれたエルヤがシヴィルから外れ、エルヤの姿勢制御を確認すれば再びホールド。
誰よりも速い無茶が、たった二人で集団を切り開いていく。
「ほい、飛び道具」
「うわああああああああん! やだああああああああっ!」
風圧のスカートめくりはひるませる効果を持っていた。

「我慢しろい! そろそろ到着だ!」
ビルがある。改めて君主の城の役目を果たすそれ、最上階への上昇を開始した。
「ガラス破っちゃうよ!」
「おうさ!」
振り回されたエルヤが生体弾頭として、先端の斧をガラスに食い込ませる。

*音終わりィ!
OSTER project 様
Shining sky
ttp://www.muzie.co.jp/cgi-bin/artist.cgi?id=a017591

あるいはあるなら、Under the skyでもいいですよ

539二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/10(火) 02:06:13 ID:JYnZCcww
537-538 間に抜けorz

「一緒がいいよー! 手を取り合う意味ないじゃん!」
速度にゆだねた体は減速をしない。
「はいはい、っと!」
再びシヴィルはエルヤを掴む。
「こっちのがいいかもなー!」
「いーやーだー!」
右足首を。
シヴィルの左手、まるで長い斧があるかのような姿が空を切る。

540二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/10(火) 02:16:08 ID:JYnZCcww
「……っててて!」
倒れ込むまでには至らず、エルヤは室内へと滑り込む。
「よーし、案内!」
「はいはい!」
殺到するのは君主の直衛ではなく、侵入者の一団と思われた。
「敵を露骨に見せるのはどうだろうね!」
「まったくだよ! 鍛え直さないと!」
文句を吐く。
それだけでは飽きたらず、槍と斧が舞った。
「遊んでる場合じゃ……ねぇッ!」
「邪魔すんなぁ……ッ!」
加速を力にタッチダウンを目指す。
長い廊下、それを右折。
減速を忘れた二人は得物を突き立て、それを中心にターンを完了。
「ゴールはあそこ!」
「あいよ!」
速度差は室内において存在しない。
シヴィルの自由な羽ばたきに対し、この国で鍛えられた狭さを武器にするエルヤには最速の場だ。
「へへっ! ここでも同時か……!」
「仲良し仲良し!」
二人の武器が同時に、ゴールのドアを貫いた。

541二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/10(火) 02:23:23 ID:JYnZCcww
「はいはい、シヴィル? うん。解ってる」
孝美と通信機、それがロングハウスの前で活動しない唯一の存在だ。
他は拘束、そして事後処理に追われている。
「もう放送されてるわよー? これで大丈夫かな?」
「うん……うん。君主がぽっくりいかないで安心したわまったく……」
「ドアも報道されてるのよねー、あはは!」
とにかく、とは彼女の表情を変えるための言葉で、孝美はゆっくりと笑いから微笑に、柔らかく変えました。
「手を繋いだって、みんな認めてる。気に入らない人は居るだろうけど、良いことよね?」

「良いことさ!」
「うんっ! ボクとシヴィルは友達!」
そんな笑顔で通信機に語る奥、年老いた君主は座っておりまして。
「無茶をするヴァルキリヤか……ははは、冥土の土産には十分だな……」
「何言ってるんですか、あたしらはもっと面白いことしますよ?」
「ええ、ですから。ちゃんと手を取り合うまで生きていてくださいな」

「手厳しいわい」
快活に笑う老人は、まだまだ元気なようで。

*今日はこのへんで
最後のシメかな、明日は

542二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/10(火) 02:48:58 ID:JYnZCcww
>>536にミス発覚
真理少尉だってorz

543隣りの名無しさん:2006/10/10(火) 18:01:11 ID:hclnmuic
仲秋は過ぎましたが、月光浴にはもってこいの月です。
銀翼という言葉がありますが、彼女達の翼も、この月のように輝いているのでしょうか。


欠けりゆく月よ。願わくは、彼女達の舞台に輝きを。
影の落ちぬように。


再び戯言誠に失礼

544二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/10(火) 23:06:49 ID:JYnZCcww
>>543
いえいえ、実は――ちょっとしたヒントを貰いました。
大感謝!

時間が過ぎれば、心は近寄りました。
ですが、時間は減っていく。
期限があるのですから。

別れの前夜、夜はいつも屋根の上でした。
「寂しくなるなぁ……」
「じゃあ、私が持ってかえって……」
「ナンナに転ばされるよ?」
「ぬぅーっ」
細くなった月を見上げるのはエルヤと孝美で。
彼女たちは杯を交わしつつ、そんな会話を繰り広げています。
残り半分、そんな消費を見せた小さな樽はしかし、二人に酔った様子も与えていません。
「飲むのも久々ねぇ……。シヴィルもユニーちゃんも強くないから」
「へぇ、意外だなぁー」
「飲むと色々変わっちゃうみたいで」
「見たいなぁ。あははは」
「私も見たいなぁ」
笑い、杯を煽り、エルヤは頬だけ赤くして孝美を見ます。
「明日が帰国じゃなかったらやるんだけどね」
酒が入ろうとも、少しばかり寂しげに。
エルヤにとっても実りの強い、そんな視察だったと思い。
「いい友達が出来たのに……ちょっと寂しいのは……」
「また会えるわよ。危なくなったら呼びなさいな?」
「あはは、孝美こそ」
笑いの後、そこからは沈黙で。
少しばかり熱い吐息が、濃い白色となって口元から出ていきます。

545二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/10(火) 23:15:16 ID:JYnZCcww
「ちょっと酔ったかな……」
「……手出さないでおくから。……ほら?」
「ん」
体を寄せたエルヤは、孝美に抱かれ。
「なんでこんなに寂しいのかなー……」
「嬉しいことよ。また会うのが楽しみになるんだから、それでいいじゃない」
「ん……っく……うえぇ……」
服を掴み、泣いてしまったエルヤをそっと撫でるのは孝美の手で。
「ふふ、ほんっと純情よねぇ……」
「うえええ……」
「きっと……」
続く言葉は、他の方々に任せましょうか。
「寝付けないなぁ……」
「……。だめだー……寝られない」
そういう日は、いつでもあるんですね。

「なんかね。細くなる月を見てるのは……ちょっと寂しい」
「戻ってくるじゃない」
「何かがへっていくみたいで……いい気持ちはしないんだ」
「降り注いでるでしょ?」
細くとも、月夜は二人を照らしておりました。
「身を削ってまで光らせたいの……? 月は……」
「私達が大事な友達だったら、そうするんじゃない?」
「面白いこと言うんだね」
目を細めただけ、それでも視界からは月が欠けることはなく。
「細くても、強くあるんだね」
「またまん丸を待ってあげればいいのよ」
「うん……。孝美がちょっと格好いいなんてね」
「何よー」
優しい光に照らされて、輝く二人がおりました。
笑顔だって、涙だって。そんな平等の光が二人の夜を彩って、最後の滞在日は終わってゆきます。

546二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/10(火) 23:40:39 ID:JYnZCcww
赤毛、そして赤目のエルヤに連れられ、最後の昼間は終わりまして。
夕刻の国境は、夕日も相まって寂しげな雰囲気を持っていました。
「また、来てね? 楽しかったんだから」
「勿論だい。エルヤもこっちきなよ?」
「また来るわよん」
「今度はゆっくり、話しようね?」
「里帰り、また来るから」
「くけっ!」
皆の返事に微笑み、そこから言葉を選んでいました。
伝えるべき言葉はあるのに、こみ上げる物があり。
「……すいません、エルヤ様ってこういうとき可愛くて……」
「惚気はいいって。エルヤー? 今生の別れじゃないんだから、な?」
「でも……さ……うぐ……。とまんないんだも……うえぇ……」
おいおい、とため息混じりに笑うのはシヴィルで。
「あたしまで泣いちゃうだろ、こら」
軽くエルヤの頭を小突きました。
「ほら、笑いな?」
「うえ……ぇ……」
「強くあろうよ」
空の月は殆ど無いほど、そんな細さで。
「この国の月は綺麗だったなぁ。また、思い出すよ」
「うん……うん……忘れない……っ……」
「なら、次のためにも、な? 泣き虫は嫌いになるぞー?」
「うぇっ……意地悪っ」
微笑んだエルヤは、やはり無理矢理な笑みで。
それでも、誰の目に見ても、一番だと言えるような笑顔でした。

*音いれます

547二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/10(火) 23:54:49 ID:JYnZCcww
「いつかまた……戦おうね?」
言いたい言葉の代わり、それが口を付いて出ました。
「またじゃれたるさ」
「あはは、もぉ、シヴィルは凄いね」
「張りつめすぎると前も見えないぞ?」
うん、と。
涙をぬぐう手を止め、エルヤはシヴィルの手を取ります。
両手で。
「気持ちの落ち着け方、いっぱい教わったよ」
「手を取るのが大事な事は、エルヤから習ったんだぞー」
月の光、それは昨夜の会話を思い出させる物で。
「誰かのために身を細くする月……ボクもなるんだ」
「消えるなよー?」
「大丈夫、疲れて消えても、また昇ってくるよ」
「ああ、待ってる。エルヤの根性ならいけるさ」
「あははは、何それっ!」
自然な笑顔に、シヴィルは釣られて笑いました。

もう、周囲は夜。
「ほら、そろそろ歩き出しな?」
「うん、歩くよ……」
両手を離し、落ち着いたエルヤは一歩下がって、隣のナンナから斧を受け取りまして。
「戦士達、また会いましょう!」
「手を取って、一緒に歩くのよ」
「友達、です!」
「こっちにも遊びに来て」
「いきなりの戦友だったなぁ。楽しかったよ!」
一言、忘れた物を思い出したのか、シヴィルはあ、と声を上げました。
「戦士はな、戦場でしか輝けないんだって」
でも、
「戦場を離れたら、友人で輝けば良いんだからな?」
「トンチ? もぉ、ボクの国じゃいつでも戦士なんだよ?」
そうは言っても、笑っていては説得力が無く。
「なら、こっちにきたら友人でいればいいじゃないか」
「あははっ! もぉー、シヴィルってば……」

548二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/10(火) 23:56:20 ID:JYnZCcww
「最高だよ、友達!」
「また会おうな!」
最後は握手ではなく。
「ふふっ」
「にひっ」
拳を打ち付けました。

「最初の一歩がこんな感じじゃ……」
「もっと楽しくなるね!」

「「またっ!」」
ハイタッチ。そこからは別れです。
――ああ、うずうずするなぁ!
次の出会いにエルヤは胸を弾ませて。
――こういうのもいいもんだ!
新しい楽しみにシヴィルは笑みを強くして。

月光を受けた羽根達が二つに分かれました。
黒翼も、灰翼も。
それぞれが月の光に輝きを持ち、風邪を切り裂いていくのでした。

♪J.e.t. 様
KAZE
ttp://www.muzie.co.jp/cgi-bin/artist.cgi?id=a000495

549二郎剤 ◆h4drqLskp.:2006/10/10(火) 23:58:20 ID:JYnZCcww
といった所で、隣国視察編は終わりです。
ちょっと賞に原稿書くので二週間ほど空きますが、それなりに希望あったらもう一つの隣国編でもやろうかと。
俺的には楽しかったんだ。
楽しかったんだ。

とりあえず、次回更新云々はまとめサイトの方に行きそうです。
プロフとかまとめないとならんので。

まとめサイト
ttp://jirou.suppa.jp/

よく考えたらこのスレで出してないのは問題じゃないだろうか

550二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/16(金) 03:02:31 ID:WF2h/ljc
久々急浮上。
繋ぎの短編いきまーす!
長文はまだまだ……今月中にはなんとか!

キーワード:馬鹿だけで作るオールスター戦

551二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/16(金) 03:03:37 ID:WF2h/ljc
 冬です。冬という物はですね、過剰に体へ熱を与えない。そういう意味では運動に適した気候ではあります。
「うーっ……! さむさむ!」
 ――こういう弊害はありますけどね。
「しーさんって寒いの駄目っすか?」
「あたしの肌みりゃ解るだろー……南向きなの!」
 グラウンドにて、体を縮めさせたシヴィルを始めとした特務に、
「はーっ。寒いですねぇ」
「運動は良いけど……ジャージなんか見ても全然見て楽しくないわよー!」
 教導隊に、
「はっはっは! 心頭滅却すれば火もまた涼し!」
「あの、あなた? それ以上冷えるのはどうかしら……?」
「ああ、いやいや! 例えの話だから!」
 軍部の面々が集合しており。そして全てがジャージでありました。
 集合した面々は流石の寒さに顔をしかめつつ、ある者は体をさすり、ある者は久々の押しくらまんじゅうに興じ、そしてある者は、
「はい、私語終了よ。これより――」
 いつもよりテンションの高い、フレアが皆の前に立ち、トランジスタメガホンを時折ハウリングさせつつ注目を集めておりました。
「唯今より冬季恒例、教導隊主催飛行禁止健脚会を執り行う!」
 返答は三々五々、あまりやる気の見られる様子ではありません。しかしながらこの鬼教官が立つ事は、年に一度の恐怖政治である事は古参にも、伝え聞いた新人にも解っていることで。
「なんで教導隊主催って言うのかしら……」
 小声でぼやくのは孝美で、隣では、
「ねーちゃん、走るの好きだからなぁ……」
 シヴィルが。
 愛弟子と賞される二人すら受け入れがたい、主催者の変わった一面でしたとさ。

552二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/16(金) 03:05:01 ID:WF2h/ljc
 ため息が白く、誰の口からも漏れた頃、改めてハウリング一つ。
「機械音痴……」
「聞こえるわよ」
 あー、あーと数回のテストの後(その間にもハウリングはあったのですけどね)、要項が伝えられていきます。
「題目の通り、飛行禁止。下位には追加教練を処す。各自頑張るように。コースは――」
 目に隈を作った夕子がふらふらと配っていくのは、ランニングのしおりです。この様子だと楽しみつつも徹夜だったのでしょう。
「しおりを参照のこと。ざっと説明する。軍部施設内を一周の後、協力元の警察署まで市街を走り――」
 その時点でため息と弱音がちらほら、何せそれだけで五キロは堅い距離です。
「警察署内コースを周遊して商店街へ。コース配置はすでにされてるから迷わないはずよ。そこから戻ってグラウンドがゴール、各自ベストを尽くすように!」
 やる気満々のジャージ姿が再びハウリングを起こしました。
 ハウリングと共にそげた士気が、空に白煙として舞い、すぐに冷やされ見えなくなったことを知っているのは、多分一人を除いた全員だったのでしょうね。
 ええ、暫定距離にして二十キロ。それは、翼には気軽で、徒歩では長く。足による走行として結構な物ですから。
「撮影の余裕もないわ」
「走れば病気も治るんじゃない?」
 古参は諦めムードで、軽口を叩いておりました。
「も……もうちょっと締め付けないと駄目かな……」
「うう……うらやましいっ……」
 胸の極端な隊員と、尻ばかり成長する娘の愚痴は別方向です。ちょっと慣れてしまったのですね。悲しいことに。
「うふふぅー……もう悔いはありませんわー」
「医療班だからって……無理しないでくださいよ」
 徹夜で役得を不意にした娘と、秘書業なのに走らされる羽目になった娘の悲喜こもごもです。
「うんどーかーい!」
「うう……実況は無いの実況はー!」
 いつもは明るい二人も二極に別れてます。大変ですね。
「はー……サボっときゃよかったぜ……」
「訓練だと思いなさいよ。黒いの」
 白黒の色は文字通り、明暗に別れて思うのでした。
「小鶴少尉は参加しないんですか?」
「ん。今日は代理の引率」
「代理……?」
「じゃーん」
「くけー」
「だ、大統領?!」
「ん。ノルストリガルズの人に聞いたの。そろそろ成長期だから運動をしっかりって」
「くけー」
「わ……頑張ってね、大統領」
「くけっ!」
 教導隊一の動物好き、ふたばに撫でられ、楽しげに翼をはためかす大統領でした。
「でも……解ってるんですか?」
「ん。上位に食い込んだら鰯山盛り」
「くけけけー!」
 やる気満々でした。引率は役得のスケートボード所持でしたが。

553二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/16(金) 03:05:56 ID:WF2h/ljc
音パート スタァト!

「位置について――用意」
 次回優勝者、グートルードは走行免除と同時にスターターでした。
 乾いた音が響き、グラウンドに砂煙が上がります。
「うわあああああああ! 追加教練は嫌だああああああああ!」
「ふふふふ燃えてくるわー! さあさあ……誰が教練を受けるのかしら!」
 テンションの高い声に皆が軽い悲鳴を息づかいに混ぜていきます。
「あなたー! 頑張ってー!」
「勿論だともー! はっはっはー!」
 事務は走行を免れたみたいですね。
「……やれやれ……整備に差し支えが出たらどうするんだ……」
 整備班は駄目だったようで。
「あーんもぉー! 隊長こわーい!」
「ねーちゃんから離れるぞ……孝美ッ!」
「言われなくてもー!」
「……私も」
 流石に冷静を装ったスヴァンもそれには従うようです。
 普段と違ったやる気で満々な人って怖いですね。

 さて、話題の主役はと言いますと――。
「……ん」
「と、飛んでるー?!」
「くけけけけけけけけー!」
 やる気が空回りしてるみたいですね。
 はい、ペンギンなのに、飛んでます。
 流石の真理も、いつもの無表情から一転してきょとんとした顔でそれを見つめていました。
「いい、大統領。前にいかないと鰯抜き」
「くけー!?」
 少しずつ前に――
「くけええええええええええええ――!」
「あ――飛んじゃだめですよぉ」
 教導隊のブービー候補、いつみさんはのんびりで、てくてくといった擬音の似合う走りで異常な加速を見せる大統領を見送ったのでした。
「――!」
 慌てて追いかけるスケートボードの引率が、彼女の長い髪を揺らします。
「大統領は特例ッ!」
 鬼主催者の言葉は絶対なのです。ええ、この瞬間だけは神に等しいんです。
 だって、怖いし。

554二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/16(金) 03:07:31 ID:WF2h/ljc
 町内に入った先頭集団は、商店主からの応援を受けつつ、誘導の矢印に従い街路を駆けていきます。
「ようし! 今年こそ一位を狙うでありますよ! はっはっはー!」
「っ……く! 村西さん速いですっ……!」
「胸があるからってええええええ!」
 実力と、努力と、コンプレックスを原動力に、三者が先頭を進んでいきました。
「くけええええええええええええ!」 
 先頭だったんでした。
「抜かれ……た?」
 唖然とするユニーの横、スケートボードと翼で屋根を駆ける真理が通り過ぎ。
「大統領が抜いたんですか?!」
 流石に二人も唖然、です。
 半分飛びながら、短足が漫画の如くしゃかしゃかと動く様に、負けていいやら、勝つ方法が思いつかないやら、それでも先頭集団は後続に追いつかれまいと速度を緩めず進んでいきました。
「おのれ短足ー! あたしだって羽根が使えりゃ……くー!」
「短足は私が撮ったわー!」
 分かりやすい後続でした。

555二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/16(金) 03:08:28 ID:WF2h/ljc
 さてさて、暫定トップの大統領ですが。
「こら、大統領、め」
「くけ?」
 疑問の声はワンテンポ遅れて返ります。そんな商店街の裏道でした。一応コースからは離れておらず、セーフではあります。それが例え、屋根の上でも。通りがかった魚屋で丸飲みした鰯が被害届を出されようとも。
 真理のボードが屋根を失いました。
 落ちたわけではなく、飛び上がりです。
「大統領、はや」
 速度を上げるための羽ばたき、それほどやる気の出た大統領は速かったのでした。
「め」
「くけ?」
 頻繁につまみ食いするほど燃費は悪いようですが。
 コースを微妙に外れつつ、先頭であった大統領が隊列を乱していることに気づくのは。
「トップはあそこでありますな!」
「うわ、上乗るなよずるいぞー!」
「あふ……はふっ……胸がー!」
「きーっ! おっきいからってー!」
「ラプちゃんのお尻だって良い物よー!」
「短足短足! 激写よー!」
 誰も気づいていなかったのでした。
「まあ……面白いからいっか」
 ショーティはペースを守りつつ一人ごち、
「手抜きは教練行きよー!」
 背後の鬼に再加速を試みたのでした。

 警察署をまわり、大統領のペースが落ちてきました。
「燃費わる」
「くけぇぇぇぇ……」
 ボードに乗ってる人間が言うなとは、全員の意見だと思って良いでしょう。
「くけ?!」
 何かを察知した大統領が、真理の追尾を振り切り直角に曲がります。
「そっち、壁」
 言うが早いが、刀が一閃、大穴が空きました。
「ちょ、ちょっと何するんですかー!?」
 応援に来ていた警官の制止も振り切り、一人と一匹がダイヴしました。
「ショートカットは反則よ! 大統領とはいえ!」
 暫定二位に急浮上した活ける鬼兼ルールブックが穴へ飛び込みます。
「コース変更?!」
「だーくしょ! 滑空くらい許せよねーちゃん!」
「きょぬーには負けないもん!」
 次々と道を踏み外していきます。
 あーあ。

556二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/16(金) 03:09:01 ID:WF2h/ljc
 さて、先頭は無事に滑空を済ませ、一人の男を捕獲していました。
「ぬおおおおおおッ?! 何事か?! 吾輩にまた追加の刑を処すというのかこの警察署はーッ?!」
 頭を丸かじりする大統領に、しばらくの思考時間を覚えた真理は、
「鯖味噌の匂いに反応した?」
 真理の雰囲気すらも丸飲みにせんとする大統領をとりあえず彼女は引きはがし、
「いいから、走る」
「くけっ!」
 言うが早いが、再びあらぬ方へ、
「コースに戻りなさあああああああい!」
 鬼が着陸する前に、急制動で本来のコースへ向け。
「ちょ、ちょっとー?!」
 警官の叫びも虚しく、コンクリートの壁に数カ所の穴。
 直線でコースを結べばこうなってしまうわけで。
「拡大ッ!」
「ば、ばばばば爆薬はやめなさいっ!?」
「きょぬーがなんですかー!」
 こちらの暴走も止まりません。合掌。
 警察署に。

 直線距離を走る大統領の前、真理の護衛があらゆる品物を出荷直前まで加工していきます。
 マグロは刺身に、野菜はサラダに。何故か本はペーパークラフトに。
「ひいいいいいい?!」
 事態を取り戻そうとしても後続が続き。
「さあさあさあさあ! 一位は私が貰うッ!」
「ねーちゃん待てーぃ! 来年こそはあたしがサボる!」
「うわーん! いたいいたい!」
「きょぬーがなんですかー!」
「妻のためにー!」
「揺れるきょぬー! ユニーちゃんのたゆんたゆーん!」
「シャッターチャンスに間に合うのよー!」
 阿鼻叫喚の団子が軍部へとなだれ込んでいきます。
「大統領……行きなさい!」
 強い言葉に大統領は返答せず、上空で宙返りした真理のゲートを高速でくぐり抜けるだけです。
「待てええええええええい! おのれペンギン! 吾輩の隠し鯖味噌を返すのだ!」
「トップは私が――!」
「「「貰ったあああああああっ!」」」
 多数の声が、ゴールテープに殺到します。

*音ここまでー!

557二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/16(金) 03:09:38 ID:WF2h/ljc
 テープは落ちました。
 徹夜明けの夕子が見守る中。
「はい、ゴールインお疲れさまでしたわー」
 半とろけの声が響きます。誰が一位なのかと、大統領を含め折り重なった集団が夕子を見つめ、そしてグートルードを見つめます。
「大統領、お疲れさま」
「くけ――――!」
 悠々と戻る真理の前、雄々しく鳴いた大統領と、脱力した集団がおりました。

558二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/16(金) 03:11:47 ID:WF2h/ljc
「二位、ですの」
「くけー!?」
全員があっけにとられます。
「コース通りに行かないから」
「私達に気づかない。と」
 二人の先客、だのに大統領は二位。何故でしょう。
「に……」
 埃まみれの鬼あらため、大人しくなったフレアが起きあがり、
「二人三脚ですって――――――?!」
 特殊ルールの双子を見て愕然としたのでした。

 表彰式は終わり、約束通りの品物を頬張った大統領は、我が家、軍部の私室こと、犬小屋もどきには居ませんでした。
 他の面々はいつも通りの生活です。懐かしの鯖味噌海賊の長は早々にしょっぴかれました。隠し鯖味噌も没収です。

 では、大統領はどこへ?
「くぇぇぇぇぇぇ……」
「お馬鹿」
 食べ過ぎで医務室に連れて行かれていたり。
「うーん……獣医ではないのですけど……」
 さてはて。
*終わり
馬鹿全力でお送り致しましたッ! 執筆100分!
本日の曲 Plus-Tech Squeeze Box 『cartooom! (+ 3 bonus)』及び、ポップンミュージック14フィーバー!より
       ♪BABY P http://www.vroom-sound.com/sound/VMSD013.html
試聴できないのがド悔いですorz

559二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 19:53:02 ID:OVKeGQEU
本日よりド長文を投下致します。
あれあれうふふ。

0.新しき千年目
  ――友の手を繋ぐならためらいは要らない。
     それが今的であろうといずれは友になると信じて

 ノルストリガルズとも交流を安定させ、一息といったある日のことだ。
 軍部のオフィスはいつもと変わらぬ様子で時間を重ねていく。要求や情報を記した紙片の舞う紙ずれの音、定期的とも言える受話器の受信音、走るボールペンがインクの足跡を残し、薄く紙を潰し削る音、紙がこすれ何かに踊る音、いくつもの音があった。デスクワークを彩る音の合間、時折発せられる誰かの声に数分の雑談とそれを咎める音、そして沈黙。音だけで誰が何をしているか漠然と解る、つながりを強く感じるのは無意識の上。
 いつも通り、と言ってしまえば乱暴な事だが、日常の音だった。
「任務?」
 受話器を持ったティアが疑問詞を投げかけた。それだけの一言で空気がかすかに張りつめる。それもいつもと変わらぬ事。任務をこなす、それが日常。
 電話を受けるティア以外が素早く己の仕事に復帰し、記憶の片隅に任務の要請があったことだけを残す。それも日常。

560二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 19:55:14 ID:OVKeGQEU
 夕刻、オフィスには定時の雰囲気はなかった。
 残業ではない。昼間に告げられた一言により開始されるミーティングの雰囲気。
 ホワイトボードの前にティアとドリスが立ち、二人の挟む白の長方形に向かい合う形で並んだ椅子には特務の面々が座っており。
「ミュトイは解るわね?」
 ティアの放つ第一声は隣国の名前を告げた。
 この国に隣接した浮き草地帯、そこから行ける二国の内一つだ。一般常識に隊員は答えず、また疑問を放つティアにもその反応は期待していない事で。
「明後日、そこへ向かうわ」
 その一言に手が上がる。隊の内でも純白とされる手は、褐色肌をした娘の鏡で。
「どうしたの、スヴァン?」
「ミュトイとは以前から中立、いえ、それなりの関係を作っていたのでは?」
 疑問の返答はうなずきの一つだけで終わり、言葉に紡がれぬ真意に対しての返答は即座。
「別に国交をしにいくわけじゃないわ」
 嫌な話だけど、と前置きをしたティアは言葉に意味を持たぬかのような変わらぬ表情で。
「ストラマとの対話、それに関わったのはノルストリガルズ、そしてこことミュトイの三国だけ。ミュトイの隣国がそれに危機感を抱いているのよ。ストラマに取り残されたのか、見捨てられたのか、三国だけで覇権を握るのでは、ってね」
 三国の中でミュトイだけが持つ問題、それは隣国を多く持つ土地であることで。
「危機感って……勝手な話だなぁ」
 代表の感想は、疑問を告げた娘の鏡写し、シヴィルのつぶやきで。誰もがそれに不謹慎という感想も抱かず、当然と沈黙を続けた。
「あの国は道具はあるけど人が居ないから、色々と協力することになるの」
「大都市……ですよね?」
 ラプンツェルの言葉。それは当然のことではあるが、
「守るためにしか戦わない、そういう方針の国だった。だから少しの戦力しか無い」
 真理の言葉は先の三国共同活動でも明らかだった。装備としては特務に勝る、しかし技術は薄かった。殆どのミュトイ勢がノルストリガルズの戦上手達に守られつつ、その力を発揮していた筈だ。
 簡潔な言葉に疑問は霧散し、ティアの語る時間が出来る。
「出動は特務だけよ、別に代理戦争をしに行く訳じゃないから」
 では、というのは誰かの言葉で、それを理解する前に返答は素早く。
「反抗活動を和らげ、ミュトイ隣国との国交正常化を手助けするためにね」
 損な役回りだと思う。誰もが同様に思った。
 悲しいかな、実力者揃いであるのは事実だが、神――ストラマ――との対話が周囲に知れ渡り、存在だけでも示威になる。それが選出の理由である事は誰にも明らかだった。
「最近忙しいね」
 最年少のため息混じりは、皆の代弁であった。
 皆の苦笑は無言に始まり、誰ともなくついたため息から本日の業務が幕を下ろす。

561二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 19:59:14 ID:OVKeGQEU
1.十一人の備え
 ――出かける前には鍵を掛け。
     その前に忘れ物がない事を確認すること。
       もっとも、負の感情だけは置いていくのが上策ともあるが。

 翌日のオフィス、それは日常ではない。翌日へ向けた準備へ各員は追われていた。
 ある者は兵装のチェックに、ある者は隣国に関する資料収集に、ある者は各種手続きに、そしてある者は――、
「あれ? たろちゃんだ」
 ドミナの撫でる子犬が目を細め、子犬とは違った意味で目を細めた夕子が苦笑した。
「明日から遠出になりますので、預かっていただこうと思うのですわ」
 そこで手を止め、ドミナの視線は子犬から夕子へ、
「誰にですかー?」
「教導隊の方にお願い致しましたの」
 ドミナの脳裏に生真面目な表情が幾つも浮かぶ、数人は平和そうで、かつ頼れる表情だった、一人怪しいとは思ったが、それは黙殺する事にした。
「いつみ少尉かふたばさんですか?」
「いえ、マルグリット大佐ですの」
「ああー」
 その点への納得は、ここ数週間でようやく得られた知識による物で。
「動物は教育にいいですよね!」
 彼女の、二人居る子供と遊ばせようとそういう事だろうかと思う。
「お手を患わせるのもなんですから……」
「海野大尉」
 不意にオフィスの入り口より声がかかった。その声は鋭く静か。
「ヴェサリウス中佐、ご苦労様です」
 視線と敬礼を返し、夕子が立ち上がる。追従するようにドミナが板に付かぬ敬礼で追従した。敬礼の先、グートルードは二人に歩み寄り、否。
 足下の子犬を抱え上げた。
 子犬はわずかに警戒心を見せ、体を硬くする。雰囲気を察知するのは野生の勘と言ったところか。
「大丈夫よ」
 グートルードの短い言葉、わずかな間と共に子犬が脱力した。安心とも言うべき表情があり、小さく鳴き声を上げる。
「いい子」
 優しく撫でる優雅な指が、子犬の毛並みをそろえ、それを見つめる二人も目を細めた。
「少佐も犬好きなんですねー」
「動物は好きね。素直だから」
 意外な返答に夕子が苦笑した。
 彼女は知っている。迷い込んだ動物をふたばがあやし、グートルードが世話をする。教導隊オフィスの一角が小さな動物王国になっていることを。
「大統領の御世話もしてましたし……うふふ」
「いいじゃない、可愛いのだから」
「ほえー……」
 ドミナは意外、といった言葉を飲み込んだ。失礼とも思えたし、何より今、子犬をあやすグートルードに違和感を感じなかったからでもある。
 間抜けな声を上げるだけ上げ、ドミナは代わり、現在にふさわしい言葉を選ぶ。
「たろちゃん、留守番頑張ってね」
「わふ!」
 可愛らしくも頼れそうな声が返って、三者三様に微笑んだ。

562二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 19:59:47 ID:OVKeGQEU
 軍部で最も躁鬱の激しい場所、そう揶揄される場所がある。
 『工作室』とプレートに記されたそこは、現在新型センサーのテストにより静寂に包まれていた。
「間に合って良かったよ」
 部屋の主、そうも呼ばれる高梨が告げ、発した言葉と入れ替わりにコーヒーカップを煽った。湯気の立たないそれは液体を満々と湛え、息継ぎのない水泳をしたような、そんな偉業を無言で語る。
「ありがとうございます」
 静かに一礼をするのはスヴァンで、その横よりベリルが声をかける。
「どっすか? すーさん」
「ノルストリガルズの発掘品……なかなか面白いですね」
 先の交流により与えられた品、それを備えた槍を持ち、視線を離せぬままに告げた。
 シヴィルの得物と寸分違わぬ槍は、先端に斧状の物体を付けられ、槍の名前を失っている。矛槍、ハルバードへと。
「しかし……私の方が階級は下ですから、敬語はおやめになっていただきたい」
「いやぁ」
 ベリルは頭を掻き、苦笑混じりに言葉を選んだ。
「しーさんはあたしの姉貴分っすから、そっくりのすーさんにゃ敬語になっちまいます」
「まあ、フェルミッテ君はすぐに階級も上がるさ、保証するよ」
 徹夜仕事を終え、くたびれた表情が見え隠れする高梨が告げる。
「光栄です」
 素直に告げるスヴァンの表情は冷静で、隣のベリルは恐縮していた。
「すんません少佐、徹夜させちちゃいましたね。奥さんに電話しとくっす」
「なに、楽しかったからいいさ。ノルストリガルズの超重金属、なかなか面白い」
 それに、とは微笑みとかみ殺したあくび混じりの声で、
「夜中にさんざん電話も来たからね。今日は堂々と家に帰って眠るさ」
 いやいや、と義理堅いベリルは電話をすること、それを告げ。
「高梨少佐ーっ」
 声は遠くから、聞き慣れた声だ。それは高梨にとってではなく、
「セリエ准尉?」
 スヴァンの伺う声はその通りの存在を入り口に顕し。
「奥さんから愛妻弁当届いてますよー!」
 彼女の持つ巨大なバスケットに唖然とした三者は、一呼吸置いて笑い声を漏らす。

563二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:00:51 ID:OVKeGQEU
 細く長い部屋がある。その部屋は縦長に仕切られており、片端には人のシルエットを示したプレートがあった。時折軽妙な、あるときは重厚な、空気の破裂音が響いていた。
 射撃訓練場、シューティングレンジである。
 軽妙な音を発するのはユニーで、重厚な音を発していたのはショーティだった。
「後少し、か……」
「後少しって……」
 唖然とするユニーの見つめる先、人を模したプレートの心臓部には穴一つ。
「それで少しなんですか?」
 複数の円を重ねた穴を見つめ、続いてショーティの得物を見つめた。それぞれ十発の弾丸を放った、大砲じみた大きさの銃器を両手に、都合二十発の弾頭は過たずその穴を通過している。
「ミュトイは市街地が多いから、最悪人質も取られるでしょう? 流れ弾も怖いし」
 冷静な言葉を紡ぎつつ、ショーティは愛用の眼鏡を外す。短い金髪がかすかに揺れ、それ以外の緊張を全くといって良いほど示さない、涼しい表情がユニーを見た。
「そうですけど、これで十分なような……」
「これに頼ってると足下すくわれるしね」
 取り外した眼鏡を見つめる。昼間であるからそれ度は無く、スイッチの入ったレンズにの中央には赤く光点が示されている。
「私も作ろうかなぁ」
「今から無い状況に慣れておきなさい。私より上達するから」
 うーん、と声を上げユニーはうなった。
 射撃の腕にも、冷静さにも、そしてそれ以上を考え、
「あはは……」
 苦笑するしかなかった。
「少佐、次はこれ」
 二人の横、歩み寄るは真理。彼女は二十発分の銃弾――サイズとしては小型の弾頭と言ってもおかしくはない――を入れた小箱をショーティに渡す。
「了解」
 言うなりショーティは手早く装弾、そして眼鏡を着け、サイティングを開始。
「少尉は訓練しないの?」
 ショーティの手早い作業に感嘆しつつ、ユニーは真理に問うた。
「ん、狙撃苦手だから」
 言い訳のような、分担を主張するような意見にユニーは何も言えず、己も渡された銃弾を込める。再び軽音と重低音が交差し、二人の射撃が行われた。
「私はこっちの方がいいかな」
「ほんとだ……結構変わりますね」
 先ほどよりぶれが少なかった。調整の妙を実感し、思わず二人がつぶやく。つぶやきにうなずく真理が近くにおり。
「頑張ってるから。あの子」
「私も負けてられないなぁ」
 ユニーの独り言は、ここにはおらぬ後輩への賛辞として真理が受け取り。
「成長した、ラプンツェル」
 過去を思い出して微笑む。いずれ仕込みにも巻き込もうなどと不吉なことを考えてはいたが、それは胸の内にしまっている。
 気に入った調合をしたラプンツェルを思い、二人は彼女の仕事ぶりを味方に、ターゲットを打ち抜く。

564二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:01:21 ID:OVKeGQEU
 軍部オフィス、その一角。会議室では資料の山を囲む形で数人が居た。
「くしゅっ!」
「なんだラプ子、風邪かー?」
 デスクワークに退屈を示していたシヴィルが、ここぞとばかりに声を掛ける。当の本人はティッシュで軽く鼻をかみ、目前の資料を汚していないかと軽い動揺を見せ。
「いえ……そうじゃないんですけど、どうしたのかな……」
「噂でもされてたりして」
 得意分野にて余裕を見せるドリスが顔を上げた。その言葉に過剰な反応を示したラプンツェルが立ち上がり、両手をばたつかせた。
「そ、そんなー……噂されるような……」
「尻がでかーい」
「た……大尉っ!」
 いつも通りの笑みを浮かべ、シヴィルは作業を再開した。文句を言う相手が職務に就けば、持ち前の生真面目さが機先を失い、軽くうなりを上げながら作業を再開する。
 しばらくの沈黙と紙を動かす音、その合間を縫うように会議室のドアが開き、ティアが現れた。彼女は少々疲労を見せつつ三者を見つめる。肉体疲労ではない事は、現在書面に目を通す誰もが持っている共通の疲労であり、
「どう、何か解る?」
「ミュトイはやはり……裏表があるのでは?」
 ドリスの結論に、
「ストラマの伝承はあります、独自に神話などを作っていることはいいのですけど」
 独特の名詞、それの確認をしていたのはラプンツェルで、彼女なりの結論を続けるべく、周囲に話すという行為を見せるかのように軽く咳払いをした。
「重きを置くのは知識と芸術、そして技術。それだけなんですよね……」
 疑問は腕組みした娘から、
「なんで軍事組織をろくすっぽ持たないで、あんな国土を守り切れていたか、だなー」
 国家間の交流がなされる前、そんな古代より国土面積が変わらない。シヴィルの眼前、開かれた書物にはそう記されており。
「最新鋭とは言え、設備だけで守りきれるのかねぇ……?」
 沈黙があった。誰にも答えられぬ回答に全員が目をつぶる。
 結論は見てから。そうまとめられたのは夕刻で、つまる所何の結論も得られなかったと言うことだ。
 不安を乗せ、疑問を乗せ、そして装備と、大荷物を乗せた時間はいつもと変わらぬペースで時計を進める。
 出立は翌日、翌朝。誰の懇願にも待たぬ時間が過ぎていく。

565二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:03:13 ID:OVKeGQEU
2.二国の交わり
 ――つとめて穏やかに、しかし姿勢を崩さず。
    手を取り合う価値があるのかの前に、友で居たいかを考えろ。

 時は流れ、午前九時。特務の面々はミュトイと浮き草地域の国境に立つ。
「ミュトイへようこそ。こちらです」
 それだけが国境に立つ男の言葉だった。
 落ち着いた声であるが行動は裏腹に迅速で。彼はそれを告げるなり背後を向き、己の翼で風を切る。
「っとと……。いきなりねぇ」
「時間が無いのは知っているでしょう?」
「でも……いきなりですよ」
 まず追従したのはティアとショーティで、続くのは慌て、それでも加速技術を持つラプンツェル。幾重にも重なる翼の音にため息一つ。
「なんだかなー」
「いいから行きましょう?」
「その通り」
 愚痴るシヴィルと、それをなだめるドリーが飛び立ち。相づちを打ちつつ飛び上がったスヴァンは周囲を見回す。
 足並みの揃う速度での飛行とはいえ、それは歩行よりも高速だ。
 そんな高速の中、視界から時間をかけて消えていく物がある。巨大が故か、建造物が視界に居座っていた。彼女たちが意識をとどめるのは巨大さではなく、
「浮遊している?」
 幾つか視界に伺える建造物を構成する、パーツの一部がそう見えた。
「この国が所有している発掘物ですわね」
 視線に答えるのは夕子だ。スヴァンは顔を彼女に向けつつ昨日のことを思い出す。
――ガイドブックとくびっぴき。
「浮遊島から掘り出してきた物なんですね、変わってるなぁ」
 会話を聞き取ったユニーが言葉を代弁した。彼女も横でガイドブックを眺めていた一人で。ガイドブックが出版されるほどには国交がある、それを確認したことはスヴァンの記憶に新しい。
「それにしても変わってますねー」
 セリエの疑問は当然のことで、技術的なことに関わることは旅行にさほど意味を為さず、彼女たちに発掘物についての知識はない。それに対する回答は無く、追従した女が真理とセリエの間に割り込むようにして現れる。
「牽引台と言うんですよ。『空に吊す』ための装置なんです」
「だからあんなにへんな構造してるんだぁ……」
 隣国人はドミナの感想にうなずき、柱ばかりで壁のない、そんな高層ビルを見つめた。朝と昼の半ばに位置するこの時間、その開放的な建造物には翼持つ人々が出入りを行い、ある者は浮遊している棒状の石材に腰掛け休憩を取っている。
「あれはマーケットです。開放的な高層建造物は私どもの国だけと言えましょう」
 解説を告げるのは別の女で。案内を受けつつ視線をやれば、いくつか閉まったシャッターが上がっていく様が見えた。マーケットの構造物に埋められたデジタル時計は午前九時半を指し、営業準備への回答を訴えている。

566二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:04:12 ID:OVKeGQEU
「もっと高いの、見えた」
 真理の告げる短い言葉、それはそびえ立つ、壁を持つ円柱形のビルであり。
「目的地はあそこの屋上です、何分入り口が上下どちらかなもので。今回は諸処の都合がありまして上から入っていただきます。万が一を考えて休憩用の台が幾つかありますのでご安心ください」
 先頭の男が顔のみを向けそれを告げた。
 ただそれだけ、簡潔な言葉のみを男は吐く。後は行動、移動のみだ。
――悪くないなー。
 そう、シヴィルは思う。そんな整った顔立ちだった。真面目なところも悪くない。
――悪くないだけだけど。
 面白味が無さそう、一人ごちて彼女も飛行を続ける。

 風に乗る彼女らを遠くから見つめる影がある。
「おー?」
 呑気な声は隣の娘に伝染し、同様に影を見つめた。
「おー」
「どうしたの?」
 背後の声に二人が振り返り、
『あ、ランさん』
 沈黙があった。そして出勤前のランから、同じ台詞を発した者を見つめあい、
『まねすんなー!』
 騒ぐ二人をさておき、ランは影を見やる。
――あ、みんなだ。
 双眼鏡を使えば彼女らが生まれ持った視力と組み合わせ、視認は容易だ。
「ミュトイに何しにいくんだろう」
 喧嘩を続ける二人にも、自分にも向けぬ独り言が風に乗った。

567二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:04:47 ID:OVKeGQEU
 目的地に到着を果たせば、ようやく周囲を見渡す余裕が現れた。速度は視界を狭める、事実を実感した特務の一同は周囲を見渡した。約束の時間には少々ある、それを考慮してか行動第一を見せつけた男も沈黙し、その様を見やるのみだ。
「うわぁ……綺麗」
 感嘆の声を発したドミーの視界、それは空気の都合で白色がかった距離を含め、図形を思い描いていた。着陸したビルの周囲――実際にはそれどころではなく、国ごと――を取り囲むように三本の巨大なタワーが設置され、それぞれが渡り廊下としてか、美観のためなのかは解らぬが、三つのリング状の構造物で一筆書きをされており。
「うーん、天使の輪っか」
 セリエの感想に追従したミュトイの女がうなずく。
「フォルトゥナ、と言うんです。省庁が部門別に技術、文化、産業とそれぞれ一つずつタワーに入っておりまして、補強のために円で繋がっているんですね」
「だから」
 真理の一言はまとめを紡ぐ準備であり、当人は理解していることを他人に解説させる要求でもあった。彼女曰く面倒臭いことであるから。
「中点には皇の城、というわけですか」
 ドリスはまとめを告げながら、記憶された内容を思い出すことに専念した。
 近代化されたビルは元の城を取り壊し、改めて建造したもので。
「技術と知恵の国は、過去の遺産すら駄目であれば作り替える、と……」
「そう言う意味では攻撃的、ですね」
 任務一辺倒と思われた男が苦笑しつつ口を挟む。多少の稚気はあるのか、それとも彼の本質なのかは解らぬが、セリエが見とれていたことだけは確かだ。
「フォルトゥナは運命の環、フォーチュンとも言いますね」
 追従した女が言葉をつむぎ、さらに彼女は言葉を終えない。
「技術と知恵に、我等が皇国の民は運命をゆだねるんです」
 さて、と一言告げたのは男で、それだけの言葉が彼の稚気を消した。
「そろそろお時間です。ノルストリガルズの皆様も到着されたようで」
 来てたんだ、とは誰もが思うことであり、口には出さぬがシヴィルが軽く笑みを見せる。
「これを機会に手を取り直す事は皇のお考えなのですよ」
 それだけの回答を告げると内部へ続く鉄扉を開いた。
「どうぞ」
 まるで執事のようだ。そうユニーは思い、実家を思い出し変わらぬ仕草に内心苦笑する。

568二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:06:44 ID:OVKeGQEU
3.二分割
 ――時には柔和に、時には断固として。
    硬軟を取り混ぜ時間は進む。
     その歩調だけが揺るがぬ信念。

 そこから、特務のメンバーは二手に分かれた。会談に参加する者、応接室にて担当からミュトイの解説を受ける者だ。
 応接室へはミュトイの男が、残りの女達は会談の会場へと案内していく。
 会談へ向かうのはティア、ショーティ、ドリスの三者で、案内された部屋にはミュトイの者であろう老年の男が一人、机に向かい合うのは初対面の壮年と、白としか言いようのない不思議な雰囲気を纏った女だった。
 彼女らはそちらへ意識を向ける前に椅子にかけ、ミュトイの老年と向かい合った。着席を確認した老年がわずかにうなずき、視線を向かい合った五名に送る。
 会談を始める、その合図であるかのように案内を行った女達が老年の背後に立つ。
 少々の間より、老年が主導権を握る。
「ようこそおいで下さいました、異国の同胞。我等が主、セオフィラス皇に変わりまして会談させていただきます。ジェローム執政官であります」
 言葉を告げ、己を示す。思い思いに認識を固め終えた頃、会談場のドアが再び開けられた。現れたのは先ほどまで案内役を務めていた男であり、彼はその場よりジェロームの隣に立つ。鷹揚にうなずくジェロームが再び言葉を告げるべく、小さく息を吸った。
「こちらは我が皇国の皇子でいらっしゃいます、ニコラス皇子です」
「身分を隠すつもりではなかったと言わせていただきます。是非お目にかかりたいと思いまして」
 少々、悪戯の色がある、そんな瞳だった。彼は一礼すると椅子にかけ、改めて一礼した。
 頭を上げ、再び周囲を見回すニコラスの瞳、そこには真っ直ぐな光があり。
――切り替え上手。
 ショーティは無表情の中、それを思う。
「申し訳ない。正装でお会いするのが礼儀だとは思うのですが、何分現状が現状なもので」
 咳払い一つ、隣のジェロームより。
「現状については後ほど……。まずは互いを知るためにもお名前をお教え頂けますかな?」
 視線はこちら、五名へと向く。水を向けるような彼の視線は最奥、ティアを注視した。解りやすい要求に彼女はうなずき、椅子より立ち上がる。

 残る特務の面々が案内された応接室には、懐かしい空気があった。
「あれ?」
 懐かしい声、懐かしい面影に、シヴィルとそれは笑う。
「シヴィル!」
「よーう久しぶり、エルヤ!」
 満面の笑みでハイタッチを交わす。思い思いに表情を交わすのは、残る特務とエルヤ、そしてナンナで。
「てっきり会談の方に行ってると思った」
「二人はボクより目上だからねぇ」
 苦笑しつつ、それを告げた。
「とりあえず待て、って事かなー?」
「ゆっくりしましょー!」
 セリエとドミナの変わらぬ精神状態に、何故か全員が安堵した。
「何かと張りつめてましたね……」
 感想はラプンツェルより。

 一方、会談場にて。挨拶は四人目、ノルストリガルズの壮年であった。
「エリク・ドゥネイル、名前の通りにドゥネイル領より参上した。ヤールである」
 尊大な、かつ簡潔な言葉であった。尊大なのは態度だけではなく、礼服なのだろうか豪奢な軍服に身を包み、力強い体型はそれでもうかがい知れる。頬に付いた傷にも、髭にも、そして眼光にも、彼の勇猛さを物語っているような雰囲気がある。着席も簡潔で素早く、そして雄大だとドリスは思う。
 エリクが着席を終えれば、浅く瞳を閉じた最後の参加者が立ち上がった。白色のローブの下、青白いと言うべき肌と髪、まるで生きていないかのようなたたずまい。そんな女性は深紅のルージュに彩られた唇を浅く開き、改めて開いた瞳に柔らかい笑みを乗せる。
――氷の人形みたいだけど、暖かい笑い方をする。
 ショーティの感想は言葉に告げない。冷たい人間だと思われたくない、そんな相手であれば侮辱になりかねない。故に、言葉を飲む。
「スノトラ・フィンブルヴェトルと申します。皆様の言うところの首都、イーヴァルディ領より参りました。意見役などを統括する、ドルイドの任に就いております」
 優雅な笑みをまずはミュトイの者へ、続き列席するティア達に向け、再びの一礼より着席した。その様を見届けたジェロームはうなずき、
「お手数おかけ致しました、では、我等が皇子より今回の会談につきまして――」

569二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:07:24 ID:OVKeGQEU
 応接室で時間をもてあましていた面々は、会談に出席した者について語っていた。
「ヤール、エリクはナンナのお父さんなんだ。ボクの父さんも昔はつかえてたんだよね」
「それはそれは……さぞ勇猛な方なのでしょうね」
 穏やかな声は聞き上手――夕子――の言葉で、その言葉にナンナが続いた。
「ドゥネイルは耳に響かせる者、それほど武勇はあるようです」
「エルヤさーん、もう一人はー?」
 誰にも様子が変わらぬ、そんなドミナの声にエルヤは笑みを返した。
「スノトラ様。ボクとシヴィルが飛び込んだイーヴァルディ領のドルイドだよ」
「あの場所、そんな名前だったんだ」
 何も考えていなかったとばかり、シヴィルは言葉を紡ぐ。その様にエルヤは笑い。
「シヴィルらしいなぁ」
「なんだよー」
 二人のやりとりに軽い嫉妬を感じたのか、ナンナは解りやすく咳払いを一つ。
「イーヴァルディは王者という意味ですね。スノトラ様の称号はフィンブルヴェトル、『大いなる冬』です」
 茶飲みにも飽きたのか、セリエが歩み寄ってきた。
「で、で……ドルイドってなんですか?」
 そうですね、と告げたきりナンナは黙ってしまった。言葉を探しているのか、彼女の沈黙はエルヤすら口出しできぬ事で。
「はいはい! 知ってるよー。調べたんだもーん」
 手を挙げ名乗りを上げたのは、ドミナだった。
「姉さんのお手伝いで覚えたの!」
 快活なブイサインに誰もが注目を彼女に送り。
「んっとね、えーとえーと……神官、賢者、占い師、教師、指導者、魔術師を兼ねる役職……だったかな?」
 説明だけが彼女の言葉とは違い、明らかに丸暗記といった風情があった。それでも記憶には感嘆せざるを得ないといった様子で、ドミナの周囲に丸い目がある。
「冬の魔法を使う、多分ボクらの国で唯一の人だよ」
 エルヤはようやくの言葉を告げ、その言葉にシヴィルは過去を思い出す。
――ドジ助ラン子はどうしてるかねぇ。
「……あれ?」
 周囲が行う過去との邂逅にエルヤとナンナは取り残され、少々とまどいを見せていた。

570二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:08:57 ID:OVKeGQEU
4.いち、たす、いちかけさん
 ――きっと、きっと。
    誰もが同じ環境で過ごさないから、こんなに人生がある。

 軽いノック、静寂を破るかすかな音。
「失礼しますぅ」
 応接室へと現れる姿に面々は息を呑む。
「でか……」
 シヴィルの声だけが沈黙に響く。それほどの体型を持つ女だった。
「どうかなされましたかぁ?」
 柔らかを通り過ぎるような声で答えた女の表情は、垂れた目尻と穏やかに瞳の半ばまでを隠す瞼と、眠気に満ちているような雰囲気を持っていた。
 長く伸びた茶色の髪、その毛先が乗るセーターのふくらみは巨大で、ベリルと同等ほどの身長を差し引いてもユニーより目立つ、威圧的な胸元がある。
「いや、なんでも……」
 一同の視線は胸元のまま、眠そうな女は微笑みを加え、
「ソフィアと申しますう。技術庁で設計主任をしておりますー」
 きりの悪い言葉尻だった。言葉にすら眠気があるような女は、セーターの上から白衣を羽織り、傍らにぬいぐるみのような物を抱えていた。
「それ……なんですか?」
 シヴィルに続き、ようやく口を開いたユニーがぬいぐるみを指さす。辛うじて趣味に近い物が存在したが故の質問ではあった。その証拠に何度と無く横目が胸元を射抜いた。
「? 抱き枕に決まってるじゃないですかー」
 眠気を湛えたような笑顔がぬいぐるみを見せた。間抜けなライオンといった外見の抱き枕は、使い込まれているのか所々にほころびが見える。
 ライオンの表情とソフィアの表情が実にマッチしているとユニーは感じる。少なくとも年上といった雰囲気はあるが、表情が全てを台無しにしているのか、そう思った事は口には出さず困った笑みを見せた。
「決まってると言われても……」
 言葉尻を濁したユニーのつぶやきに返答はなく、
「ふあひゅ……」
 眠そうな顔によく似合う、そんな可愛らしい、むしろ子供じみたあくびが一つ。

571二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:10:21 ID:OVKeGQEU
 目尻に浮かんだ涙を抱きかかえたライオン枕にすりつけるようにしてぬぐい、ソフィアは改めて客人達を見つめ、眠気の消えぬような笑顔を振りまく。
「会談は少々長引くようですのでぇ、その間お待ちいただくのもなんですしぃ……ご協力のための予備知識としてお役に立てますよう地域案内を仰せつかりましたぁ」
「わーい観光!」
「かんこー!」
「あなた達ね……」
 スヴァンのため息一つ。彼女はソフィアに向き直り。
「確かに土地を把握しておくことは重要だと思います。しかし、質疑を受けられると聴いていたはずですが?」
 はぁい、と短くも間延びした、そう反する要素を込めた返答がある。ソフィアの表情は眠気のままで、余裕とも平和とも取れた物をみじんにも変えていない。
「質問にお答えしながらご案内する予定ですけどぉ、こんなにお客様がいらっしゃってますからー。……どうぞぉ?」
 ソフィアの向けた水はこの室内に対してではなく、それは視線でも解ることで。
 彼女が向けた視線、誰の姿も見えぬ代わりとばかりにドアが動く。
 即座に見えたのは、紺のパンツスーツ、続き小柄な黒のスーツ。双方とも女性であった。
 出入り口に並ぶ二名は客人へと向き、赤毛のショートヘアを揺らして紺の娘が一礼した。
「はじめまして! 文化庁でインターンをしています、アンジェラ・ネレウスと申します! ご案内と質問を仰せつかりました!」
「音量ダウンしろ。うるさくてかなわん」
「ご、ごめんなさーい!」
「だからうるさいと言っている」
 意見を吐くのは隣の黒、小さな娘は目上のような口調で、しかし外見は少女のようであった。黒髪を左右の頭頂でまとめた、白いシニョンが目立つ。続き、彼女の肩にかけられた巨大なバッグと、尊大な口調を無表情に乗せた様が目を引く。
「法務庁所属法務官、テティス・アンブロア。敬語は苦手なのでご容赦していただく。プライベートでも家族間でもこの口調なので気にしないでいただこう」
――お人形さんみたい。
 内心、セリエはそう思う。小柄な体に無表情、可愛らしい声、どれをとってもその比喩がふさわしいと思い、少々の思考を要した。
――法務官っていうことは結構身分があって、
 外見以上にキャリアがあると判断する。合わせ、年に関することや外見に関する感想は述べず、黙ることにした。セリエの心中はさておき、
「おい、寝るな」
「うにゅー?」
 眠そうな、と見られたソフィアが短時間で眠りについており、テティスは肘でそれをつつきつつ、バッグを漁っている。目的の物を探り当て、起こすべき相手も起きたようだ。
両手の行動が終わっている。眠い目をこするソフィアへ、バッグより取り出された手と物
が突き出され。
「蜂蜜パン食え」
「ふあふゅ……寝起きじゃ入りませんよぉー」
「む。手作りだのに」
 言うなり自分の口に放り込んだ。
「えーと……」
 状況を改めるかのように絞り出された声はラプンツェルの物で。
「脱線しちゃいましたねぇー。えっとぉ、私達でそれぞれ案内しますのでぇ、三班に分かれていただきますねぇ」
 発言の終わりとばかりにあくび一つ。

572二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:10:55 ID:OVKeGQEU
「じゃ、ちょっと相談させて貰うよ。遊びで来てるわけじゃないし」
「はぁい。お待ちしてますねぇ」
 シヴィルの意見にユニーは感心する。短くも慎重で、確実な判断だ。
 とりあえずとばかりに集合した客人達へ向かい、シヴィルは小声を意識した仕草で口を開く。
「どういう意図かわかんないけど、分散したら同じ質問が被ると思うんだ」
「何より、所属が各々違われていますから、お伺いできることも変わりますわね」
 シヴィルの、そして夕子の意見に全員がうなずいた。
「ナンナとボクは技術庁の人についていこう」
「なんでさ?」
「ここは技術の国だよ」
「あ、そうか……要だから狙われる場所も解るか。じゃあ、あたしも行く」
「やたっ! シヴィルとなら楽しそう!」
「エルヤ様っ! 私という者がありながら!」
「痴話喧嘩は後にしてくれー。んー……そだな、ベル子、一緒に来な? 技術そのものは任せた」
「了解っす」
「残り二班かー……。責任者決めないとね。……ゆーこちゃんは確定として……ドリさんがいりゃ活躍できるんだけど。ユニ子、頼むよ」
「そうですわね……。とにかく、お受け致しますわ」
「了解。それじゃあ残りの人を分けましょうか」

 さて――。
「くしゅっ」
「大丈夫? 少佐」
「はい……。あ、どうぞ。お続け下さい」
 鼻をかむドリスに咳払い一つ、それはジェロームの物で。

 ――さてさて。
「お待たせ」
 たった十分弱、その相談に気遣いを見せるのはシヴィルで。彼女の視線の先、やはりといった様子でソフィアが寝こけていた。立ったままというのも器用ではあるが、ライオン抱き枕をきちんと使っているあたりに条件反射や日常の慣れを感じる。
「とっとと起きる。相談終わったぞ」
 つつくテティスの肘で何度目かの目覚めを終えたソフィアは伸び一つ。反った背中が胸元をより強調し、図らずも周囲の視線がそこへ降り注いだ。
「班分けも終わったことですしぃ、ご案内しますねぇ」
「子供の社会科見学でもこんな引率居ないぞ……」
 ベリルが思わず口に出した言葉は、ソフィアに聞こえているのか解らぬが、とにかく誰の反応をも誘わない。

573二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:13:56 ID:OVKeGQEU
5.千の積み重ね
 ――今居る瞬間にとっては千分の一。国にとっては千そのもの。
    だけど、語り合う言葉は永遠の千と、そこからの数ヶ月。

 会談場は、質疑の時間であった。真っ先に手を挙げたのはドリスで、
「保有戦力は警察機構のみとありましたが……」
「その通りです。戦力と呼ぶにはいささか武装や訓度が足りませぬが」
 先ほどまでの説明で解っている事を告げた。前置きという意図を察してか、返答したジェロームはドリスから瞳をそらさず。
「本当にそうなのですか? 国家間交流の無かった時代から国土を維持するには、少々自衛勢力が足りないと思うのですが」
 隣でショーティが顔を覆った。早い核心に呆れたような、そんな仕草を見せている。回答はわずかな間、しかし、先ほどの返答より時間をかけた間だ。
「設備力で勝っていますから。」
それはニコラスから伝えられ。
「……承知しました」
 明らかに不承不承、そんな雰囲気の間を持ってドリスは質疑を止めた。雰囲気を感じ取り、かつ質疑を止めたドリスに返答者は一礼を返し。
――流石に固いですね。
 少なくとも、特務のメンバーは同一の意見を抱いている。

 ソフィアの心配、そればかりが彼女に随伴したメンバーの脳内を浸す。
「器用なもんだ……」
 シヴィルがぼやく。彼女の視線はふらつくソフィアの後ろ姿を捉えており。
「なんで転ばないんだ……」
 呆れるベリルの耳に届く、ソフィアの寝息は確かな物で、それを裏付けるかのように時折彼女の首は船を漕ぐ。
「慣れてるんじゃない? というか……、解ってやってるって事はないのかな」
 エルヤは悩む。彼女らの求める、質疑の時間を思いつつ。
「眠れば質疑は受け取られない……ですか」
 ため息を吐くナンナの見つめる先、寝言すら交えたソフィアが緩やかな段差を歩む様がある。
 フォルトゥナと呼ばれた、街を囲ってしまうような空中の環、それが支えられているまたは支えている角柱、居住区を持つそれは一般に言う高層ビルだ。その眼前に立つ彼女らを先導した眠り姫がかすかに震えた。
「技術庁到着ですぅー。ふあふゅ……」
 振り返り、高層ビルの名前をあくびと共に吐く。
「ソフィアさん。はいはい」
 口火を切ったのはエルヤだった。
「技術庁って何してるの?」
 眠たげな笑顔は変わらず、はい、とだけ告げ。
「防衛装置や警戒網、通信インフラの確立などですねぇ。特許管理は法務庁との連携でやっておりますぅ。非常時監視システムとしましてはー、外部および市街地に緊急時のみ稼働する映像監視システム、アルゴスとかも作成しましたよぉ」
「そ……そお……」
 ギャップに面食らったのか、理解をいまいち示さないのか、エルヤが言葉を濁し、
「ECM対策はどうなってるんすか?」
「アナログ、デジタル二系統のサブルーチンを備えてますよぉ。勿論有線ルートと無線ルートを用意しておりますう」
 この質問を始まりとしてベリルとソフィアの会話は続く。なんとか追いすがるのはナンナで、シヴィルとエルヤは取り残されたままだ。
「だけど」
「だけど?」
 絵に描いたかのような『小首を傾げる』行為をソフィアは見せる。
「そんなのは、昔っからあった設備じゃ無いっすよね?」
 ええ、と淀みなく返答は返り、
「勿論ですよぉ」
 眠たげな瞼の奥、瞳は鋭さすら感じられ、しかし穏やかな光がある。

574二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:14:28 ID:OVKeGQEU
 真円をした水がある。それの周囲を取り囲むのは人工の石。中央、彼女らが着陸したビルより南へいくばくか、それはあった。
 コンクリートで形状を保たれた人工池、その先にはフォルトゥナと繋がる柱一つ。
「昔は騎士も居たんですよ。……っと、到着しました。あれが文化庁です!」
 アンジェラの指さす先をユニーは見上げる。
「近くで見ると大きいですね」
「でも、アトラス程じゃないですよ」
「アトラス?」
 セリエの疑問にアンジェラは迷わない、彼女らが背を向けた方向へ指をやり、
「あの中央ビルです。空を支える巨人の名前、建国時代の神話ですね。ミュトイの空を支えるべく、その名前を付けたんです」
 疑問を投げかけたセリエ、ユニー、そしてラプンツェルが指に従いそちらを向けば、巨大な柱は空気によりかすかに霞がかってはいたが、その偉容を示している。
「さあ、軽く文化庁をご案内しましょう! ご質問はたくさんあるようですし」
 三者が振り返れば娘のような、少女のような――発する言葉によく似合う快活な笑みがあった。

 フォルトゥナに繋がる柱、北東担当のビルはとりわけ静寂を主とする場所とされる。
 ミュトイ、ノルストリガルズ、そしてスピネン、三国を繋ぐ浮き草地帯へ繋がる方角である故かもしれない。もう一つは担う役目が理由であった。
 そこへ特務の一部を案内する者は、入館に際し黒の仕事着に身を包んだ。
 館内で行き交う時折挨拶を交わす職員も、黒衣が多い。
 案内者はその入り口にある案内板の前へ立つと、案内すべき背後に居る者達へ向く。
「ここが法務庁だ。役目は間違いなく君たちの国と少々違うだろう。そうだな……警察と裁判所を併せたと思えばいい。行きたいところはあるか? 無いなら一室を借りているのでそこで質疑応答を行うが」
 小柄なテティスは黒の法務服に身を包み、特務のメンバーに視線を巡らせた。彼女は裁判官であるようで、その衣服は常時肩にかけられた巨大なバッグより現れた物だ。
「今後の妨害を考えますと、都市犯罪などが起こりそうです。この国での逮捕能力を推し量れそうな物はございますの?」
 この方面視察において、責任者の任を与えられた夕子が問う。
「残念ながら、あまり無いな。私もそうだが……この国は未然に防ぐ事を良しとする。私は勤続六年目だが、刑事裁判など二回しか担当したことがない」
「それ、どういう事。誰も逮捕できないの」
 真理とテティスの視線が絡みつく。無表情の内に秘める意志や真意を交換するような沈黙があり、後にテティスが軽く首を振った。
「いいや、教育の賜だな。この国は教育が行き届き、犯罪に対し忌避を感じているのだろう。……むしろ私が聞きたいくらいだ。なんだって君たちの国はそんなに物騒なのかとね」
「ぶー、ひっどいんだ。そんな酷い国じゃないもん!」
 物騒なと告げた者とほぼ同等の丈をした者、ドミーが腰に手を当て食ってかかる。
「倫理観の育成が足りないんじゃないのか、君たちの親、いや……幾重にもな」
「それは家によると思うのですが」
 静かに、そして鋭くスヴァンが異論を唱える。
 対するテティスは眉をひそめ、
「何……? 義務じゃないのか?」
「は……?」
 静寂をたたえる法務庁の窓口、そこで疑問符が全員に生まれた。

575二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:15:02 ID:OVKeGQEU
 へぇ、と長ったらしい相づちを打った。ソフィアの眠気は同時に流れて広がり、空気に拡散してしまうような錯覚を覚える。
「両親による義務なんですよぉ。倫理教育三年を小学校までに受けてぇ、最後に筆記試験してから小学校に入るんですぅ」
「成る程ねぇ……あたしらんとこは小学校で全部やるからなぁ……。別に圧力をかけてるわけじゃないんだね」
 シヴィルは感心したのか、皮肉混じりなのか、誰にも解らぬ曖昧な返答をした。
「それがありゃ、あたしみたいな身の上も無くなった、か」
 感想代わり、ベリルは小声でつぶやく。誰にも聞こえぬその声はため息のようで。
「うぅん……教育体制って全然違うんだねぇ。ボクの所なんかドルイドやスカールドに言葉と歴史とか聞くのだけだよ」
 腕組みして感心を体で示し、エルヤが唸る。隣のナンナもうなずき。
「習うより慣れろ、そんな教育ですからね……」
 先ほどかすかに聞こえた、ベリルのつぶやき。シヴィルはそれを転がし、技術資料に没頭するベリルを見つめつつ、何かを考える。結局、沈黙という結論にしか至らぬ事は、今の資料に目を輝かせるベリルを見つめることで忘れることにした。

 会談場も一区切りの様相を見せていた。長く続いた会談、それのまとめをジェロームが告げる、そのような時間にある。
「先ほども告げましたとおり市街地の概要及び配置はこのように。では、明後日の交渉完了までのお手伝いをお願い致しますぞ」
 ジェロームが向かい合う、五名のうなずきを確認。
「では、長くなりましたが会談はこれにて……」
 まとめの言葉を告げ――
 きることはなかった。
 電子音が鳴り響いている。出入り口の壁、そこへと据え付けられた内線電話が犯人だ。少々顔をしかめつつ、補佐として部屋の隅にて待機していた助役がそれを取り。
「うむ……。了解した」
 長い通達があり、その返答は短かった。彼は受話器を戻すと素早くジェロームに耳打ちを開始、そして告げられた言葉を理解した執政官はかすかに表情を変え、
「失礼、今少しお時間を頂きます」
 かすかに沈痛な表情と重々しい声が、事態の概要を語っているかのように響く。

 文化庁に存在する巨大な書庫がある。本の森はそれを収容するビルの三フロアを支配し、先ほどアンジェラが伝えた事によれば、耐荷重のために書庫の構造は徹底的に補強されているという。それほどまでに所蔵された書物は、それでも公営私営の図書館と比較して中規模程度であると彼女は言っていた。
 現在、案内者と客人はそこに備えられた資料閲覧室の一室を借り、そこで会話を交わしていた。
 そしてその部屋には、筆記の音が休み無く続く。
「すいません、どなたかノートを……」
 申し訳なくそう告げるラプンツェルの言葉と共に、筆記の音は止む。視線を文字で埋め尽くしたノートから申し訳なさそうに前方へ。言葉が言いきられる前に、小さなメモ帳が机に差し出された。ラプンツェルの視線がそれを射抜き、それに添えられた手をつだえば、アンジェラの笑顔があった。
「全部メモするなんて……ラプンツェルさんって凄いですね」
 毛恥ずかしそうに目を細め、照れ笑いでその笑顔に返事を向ける。
「特技なんです。……あれ?」
 疑問の内容はユニーより。
「名乗ってませんよね。失礼でした」
 いえ、との言葉と共にそっと空気を手のひらが押す。アンジェラの手は指さしとなり、同時に視線を動かす。
「資料は見てますよ! ユニー中尉にセリエ准尉、そして……」
 数えるような指の動きが、言葉と共に空を跳ねる。そっと下ろされた指先は過たず最後の一人へ向き、
「ラプンツェルさん」
「あれー? ラプちゃんだけ階級無しなんですかー? ……年下だから?」
「え、いや! 違いますよ! 言葉のあやですってば!」
 ひっくり返らんばかりに慌てるアンジェラを見、ラプンツェルが笑う。
「そんなに慌てなくても、気にしてませんよ」
「え、あ、あのー……」
 慌てぶりから一転して頭を掻きながら赤面するアンジェラの背後、ドアより彼女を呼ぶ声がした。
「アンジェラ、アトラスからお電話。内線二番ね」
「はーい!」
 かすかに開いたドアより、閲覧者が総出で『静かに』のジェスチャーをするのが見える。
 ラプンツェルも、セリエも、ユニーも、皆が吹き出し、改めてアンジェラが恥じた。

576二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:15:50 ID:OVKeGQEU
 同様の電話通達はこちら、法務庁にも届いていた。
 先ほどまで取り残されていた真理とドミナ、スヴァンの三名がようやくテティスに注意を取り戻した。
 それまでの時間語り明かしていた夕子は考え込んでいる。
「アーモンドとか……良いかもしれませんわね」
 先ほどの話題、自作の蜂蜜パンについて。
 話題の中心であったテティスも応答を終え、会話の行われていた応接室へと戻ってきた。
「すまんな。待たせた。……リンゴを入れてアーモンドをまぶす、か……。いけるな」
「でしょう? きっと良いお味になりますわ」
「……っと、すまん。脱線した。先の電話だが……」
「こちらに関わること、ですか」
「騒がしく、なった?」
「お仕事?」
 ようやく意識を集中できそうな話題に、取り残された三者が食いつく。

 技術庁を出た面々は、ソフィアの案内によってミュトイ市街外周を歩いていた。
「なんだって会談は長引いてるんだろうなぁ」
「さぁ……。私にも存じ上げませんよぉ」
 だろうね、と言葉を飲み込むエルヤは、外周から外を見やる。
 円形に配された市街地の外周は、二方へ向け舗装された道路があるだけの平野だ。西側は隣国へ、そして東側へは彼女たちの祖国へ繋がる浮き草地帯へと。
「東側は安全のようですね」
 ナンナの一言、それは彼女たちを見送った顔を思い出させる物。ベリルもうなずき、
「そっすね。危険としたらあっち……か……」
 視線の往く西側、未だ明確に事情の解らぬ国が二つ。
「それは早計じゃないの? ねぇ、ソフィア」
 風に煽られるポニーテールごと振り向くシヴィルは、問う相手に向き。
「はいー?」
「貿易するくらいの国交はあるんでしょ?」
「はい、ありますよぉ」
 なるほど、とうなずくエルヤは頭を巡らせ。
「そっかそっか……もう入り込んでる可能性もあるんだね」
「そう言うこと」
 沈黙のまま、四人の不安げな視線は西側の道路を見つめ、
「すー……」
 ソフィアは再び眠気に体を支配されつつある。
「ねーるーなー!」
 すっかり慣れてしまった。シヴィルはそう思う。

577二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:17:48 ID:OVKeGQEU
6.もう一つの、二
 ――お隣さんにだって、隣はある。
    一つは自分の方で、
     ここは困ったことに他人が二つ、あったけど。

 北東に存在する法務庁、そこから外周の道沿いに西へ歩けば技術庁を経て国境がある。居合わせた誰もが薄もやの認識しか持たぬ二国への境界だ。
「察するに、ここが最も警戒すべき場所だと思われる。だが……あからさまな行動がどれだけ危険であるかを解っていない馬鹿とも思えぬ」
 バッグから取り出した地図を見せ、それをテティスの指がなぞる。
「常時稼働している警戒網はこれより内側の行動を察知する」
「広い……」
 つぶやくスヴァンは思う。少なくとも自軍の警戒範囲を大きく上回る範囲を。
「技術と文化、解って頂けただろうか」
 テティスの無表情に浮かんだ笑みと、高揚した声。それは祖国に対しての誇りを含んだ物だ。見渡せば、均衡状態を物語る未開発の平野と、ただ一本の道路。少なくとも見える範囲は警戒範囲内で、その広さを実感できる物だ。
「警戒は良いとしても、もし……」
「ああ、それが問題だな。そうなる前になんとかせねばならない」
「ですから、私達がお手伝いしますの、ね?」
 不安を飛ばしてしまいそうな、穏やかな笑みがある。
「ゆーこさん、さっすがー!」
 ドミナがはしゃぎ、真理がうなずく。それだけで不安を『悪くない』緊張に変えてくれそうな空気があった。テティスが軽く笑みを漏らし、
「さあ、次は何処へ行こうか。地の利を活かすのもいいが、我が国を観光することもついでにするといい」
 気が晴れる。そんな心持ちを感じて告げた。
――流石に各国から目を付けられる軍部だな。
 少々誤解はあるが、声を発さぬ思考には指摘できる者は居ない。
「さておき、蜂蜜パン食え」
 自信作をバッグから出しつつ、無意識の遠足気分に花を添える。

578二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:18:24 ID:OVKeGQEU
 何処までも続く、そのような錯覚を覚える岩壁がある。山々は高く、羽根を持つ人々にすら努力を強いられる高さ、そして吹き上がる風。ミュトイの南端は大山に守られている。
「この高い山々、海から吹き上げる風、そして最新鋭のレーダー! シシュフォス山脈は鉄壁です! 無駄骨の事をシシュフォスワークと言うくらいなんですよ!」
 山々を背に、くるりと半回転。体のぶれすらも無くアンジェラは止まる。広げた両手と翼に、ミュトイのある大陸南岸を守る山脈を、そしてその広さを示すようにして、彼女は強く笑った。
「確かに……高いー……」
 呆れたような声を上げ、セリエは山頂までを目で追う。立った麓の地面より、ゆっくりと登山気分を感じながら少しずつ。
「おおおお……?」
 霞のかかる、未だ先端を見せぬ位置まで目を上げればバランスが崩れた。
「あわあわあわ」
 両手をばたつかせ、それでも踵だけで支える体は後ろに倒れかかり、しまいにはたまらず空へ飛び上がってしまった。
「でも……登れない訳じゃないと思うんですが……」
 ラプンツェルがセリエの様子を伺い、視線の登山を諦めてつぶやく。
「はい! 山頂に行けば解りますよ! ちょっと飛びましょうか」
 ラプンツェルの手を握り、アンジェラが飛び上がる。慌て、手を取られた彼女も、引く力をきっかけに飛び上がった。
「何があるんだろう……」
 少しばかり楽しみ、観光気分がかすかに感じられるのか、ユニーが微笑みつつセリエに同行するよう促した。
 三者の飛行は素早く、速度が空気を切り裂いていく。空気の温度が次第に下がり、少しずつ霞を切り裂き、求める山頂を顕してゆく。霞を切り裂くたび、湿度を体に感じ、下がった気温も相まって清涼な感覚があった。山肌も木々の緑がまばらになり、山肌の茶、そして先端は岩石の灰色だった。山頂を吹き下ろす風に乗れば、背後に押しやられるような感覚がある。しかし、風の道はあくまで山頂への道しるべになり、強くなる逆風がまるで山頂への距離計として働いているようだ。
「役得だったぁ……。っと。山頂そのものには行きませんよ!」
 ゆったりとした飛行をするアンジェラの声を背後に聞き、先を往く三人が振り返る。
「え?」
 声より最も近くに位置していたラプンツェルが振り返りつつ、
「あああっ! だめ! それより先は駄目ですー!」
 アンジェラの制止も虚しく、三者の最後尾、ラプンツェルまでもが山頂越えを完了しようとしていた。風切る音にアンジェラの叫びが聞こえた。
 先頭のセリエがそれに疑問を覚える頃、再びの叫びがあり。
「あーっ! も、もう時間だぁ!」
「ふえ……? うわぷっ!」
 飲まれた。そう、セリエは感じる。
「ひっ……!」
 冷たくてちょっと痛い。ラプンツェルはそう思った。
「わぁぁんっ!」
 まるで逆流した滝みたいだ。ユニーはそう思い。
「羽ばたいて! こっちに山小屋がありますから!」
 アンジェラの声にずぶぬれではじき飛ばされた三者が必死の飛行で避難する。
「な……なんなの」
 濡れた衣服に強い風、そして清涼な空気に寒さを覚え、体を抱きつつユニーはぼやいた。

 この状況では都合の良い山小屋だった。アンジェラはそう安堵し、タオルに包まれしゃがみ込み震える三者を困った、そして申し訳なさそうな表情で見つめる。
「すいません、説明が遅れました……。えーっと……ここはあんまり人が来なくて放置されているのですけど……温泉が湧くからある小屋なんです。こんな目にあった人が避難するために都合がよくって……乾燥機もあるんですよ。まだ案内には時間がありますし、暖まってくださいね」
 寒さに震えつつ、セリエが入り口とは別のドアを見た。ドアに取り付けられた硝子窓は温泉があることを伝えるかのように曇り、白くその先を示さずにいる。
「こんな事ってな……くしゅっ!」
「あああ、説明は入浴時にしますので! えーっと、早く入ってくださいー!」
 何故か赤面し、アンジェラが慌てた様子で山小屋を飛び出した。
「……?」
 首を傾げつつ、ユニーが衣服を乾燥機に放り投げる。
「どうしたんでしょう?」
 ラプンツェルも首を傾げ、とにかく暖まろうと衣類を脱いだ。

579二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:19:04 ID:OVKeGQEU
 乾燥機が回転し、古さを示すかのように時折きしんだ。リズミカルな固い音は、除き窓に当たる金具だろうか。温泉に入る、バスタオルに包まれたままの三者は熱さに身を解しつつ、その音を聴く。音が明確に解るのは、山小屋のドアが半開きになっているからであり、そこから声のみが伺えるアンジェラが居た。彼女の姿は山小屋の中で、足も、羽根先すら見えない。
「定期的に海風が打ち付けるんですよ。ああやって、水のカーテンを作っているから鉄壁なんです」
「なるほどー。で、アンジェラさんは入らないの?」
 湯をばた足でかき混ぜつつ、セリエが問う。
「い、いえっ! 私は濡れてませんから!」
「待ってるだけなんだし入ればいいのにー。にゃはは」
 んー、と声をあげつつ、声の主であるセリエが口元まで沈む。暖かな泡を吐き出すセリエを見やりつつ、ラプンツェルが湯を掻き回した。
「温泉……かぁ」
「およ、どうしたのラプちゃん」
「初めてなんですよ」
「おー、私は二回目だよー。ユニー中尉は?」
「私も初めてー」
「うーん、中尉はやっぱすごいですねー! バスタオル巻いてるのに胸が浮いてるー!」
「ちょ、ちょっと……恥ずかしいー……」
「ちょーっとだけ! 触っても良いですか!」
「え……あ、ちょっとだけね?」
 恐る恐る、セリエの指がふくらみを押す。予想以上の柔らかさだったのか、ある程度の力加減を持った指がそれを押し。
「うわー! やっこ! 何これー! ちょっとわけろー!」
「もぉー、何言ってるの!」
「にゃははー」
 彼女らの浮かれを示すように、湯中より出された手のひらが温水と遊ぶ。ユニーのはしゃいだ頭は色々なことを巡らせ、考えをまとめたようで。
「アンジェラさん、乾くまであと何分ですか?」
「あと三十分くらいでしょうか……」
「なら、一緒に入りましょうよ」
「い、いえいえいえいえ! いいです! 遠慮しておきますー!」
 職務とは違う否定を聞き、温泉に浸かる娘らが首を捻った。
 一つのことにたどり着いたセリエは悪戯っぽい笑みで、
「ふーふーふ、お仕事で案内してるのにいけませんねー」
「えっえっ……」
「アンジェラさんってばー、女の子の好きな女の子なんでしょー!」
「うっ……いえ……あのー……」
 図星なのかそうではないのか、微妙な沈黙がある。
「あれぇ、違うのかな……」
「あ、別の国の方だと解らないですか」
「うえ……?」
 浴場で三者の視線が交錯する。視線が合わされば示し合わせたかのように首が捻られた。
「私、女の子じゃないですから」
「男の子?」
 あー、といった声は予想通りと、そんな声で。しかし、声の主はアンジェラだ。
「両性なんですよ」
「あ……」
 気まずい空気、それを感じつつ、当の本人は言葉を紡ぐ。姿は見えず、どんな顔をしているのか、そればかりが気にかかった。申し訳ないとも思う。
「他の国では珍しいですよね。私達両性の一族は、昔は迫害を受けて移民を続けてたんです。それで行き着いたこのミュトイは、倫理教育がしっかりできていたから落ち着けられたようです。今ではどこでもなんとか生きていけるでしょうけど、昔はそうも行かないようでした」
「ご……ごめんなさいっ」
 セリエの声、そう、アンジェラは記憶している。

580二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:19:37 ID:OVKeGQEU
「え? 何言ってるんですか、これは歴史と文化であって私には関係ないですよー! 私自身のことを呪ったことなんて一度もありませんし、当然の事と思ってますから」
「え、えっと……両性について少々お伺いしていいですか?」
 再びの沈黙を破るような質問があり、
「は、はいっ! ラプンツェルさん! どうぞ!」
「本当に失礼な事だと思うんですけど、両性の方って家庭とか結婚とか……どうなされるんですか?」
 遠慮がちな声をアンジェラに伝える。一方では申し訳なさそうな上目遣いと、その瞳に宿る好奇心を確認していた。瞳を伺った二名は何も言わず、同じく気になったといった様子で返答を待つ。
「失礼じゃないですよー! 私達の言葉で、右寄り、左寄りっていうのがあるんですけど、右は男性的、左は女性的な状態を示すんです」
「変化……するんですか?」
「いえ、精神状態です。だから、好きな人の影響で変わったりもするんですよ」
 楽しそうな鼻息があった。明らかに歌っているかのような、故意に出している、そんなメロディはセリエの物で。
「はっはーん、そんなに遠慮するなんて、誰かに恋しちゃったわけですか! あの言いっぷりだとラプちゃんですね!」
 後半のニュアンスはユニーにも通じる。しかし、前半に関してはセリエのカンと名の付いた当てずっぽうであると思い、慣れのある二人には『いつもの病気』扱いだ。
「え! えっと、そのー……ファンなだけですってば! この前の災害復旧はこっちでも放映されてたんですよ!」
「ちぇー」
 ファンと聞きつつ、自分のファンで無いのが不満なのか、セリエが湯船に沈んだ。
「そういえば……インタビューされてたんだっけ」
 ユニーの言葉に、先週のことを思い出したラプンツェルは、ファンと言われた事と下手くそなインタビューを思い出し、毛恥ずかしそうにうつむいた。
「それにしても、お三方の案内が出来て嬉しいです! 私、お三方は特にいいなぁって思ってましたから!」
 地獄耳はそれを逃さない。
「わーい! アンジェラさん、ありがとーっ!」
 セリエの声は歪んでいた。なにせ湯中より飛び出しながらの発声だ。
「もぉっ! 准尉!」
 意識をすれば、中性的なアンジェラの笑い声はなるほど両性といった物と感じたのは、セリエに苦笑しただけのラプンツェルだ。
「落ち着きなさい、一番はラプンツェル軍曹だって言ってたじゃない」
「がーん!」
 ずるずると湯船に沈んでいくセリエに、二人が笑う。

581二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:20:30 ID:OVKeGQEU
 夜の始まりが早くなった。そう実感する日没は、早く感じる対象の季節から一時間は早い暗闇を湛えている。
 各所を見て回った面々も会談を続けていた面々も応接室に戻り、一息といった時間がある。ミュトイの案内役は立ち去り、皇子も執政官もおらず。情報交換と、各々顔を合わせておらぬ者の為、紹介をようやく終えた所だ。
「隊長さ、なんで延長したの? 事件でもあった?」
 紹介が終わるや否や、そのようなタイミングでシヴィルの声は響いた。挙手は無く、さほど大きくないその声は、それでも鋭く通るような錯覚がある。普段の弾むような、楽しみを顕したような口調ではない。
――仕事モードね。
 質問を投げかけられたティアの瞳がかすかに笑う。たった一拍のリズムに割り込んできた影があり、
「異国のヴァルキリヤ殿、そなたは面白いな」
「お……父様?」
 ナンナの発した言葉に改めて認識を持つ。奇しくも現在、唯一の男性となるエリクを見やった。戦の国らしい、燃えるような瞳と頭髪の色、そして髭があった。彼は不適な笑みをかすかに滲ませ、顎髭を一つさする。
「敬語は抜きにさせて貰っていいかな、慣れないんだ。あたし」
「はは、良き哉。我が国の身分は武勇である。そなたなら良いであろうな」
 互いに力強い笑みを浮かべ、シヴィルの発言、そのような流れを感じたのは一人ではない。
「わざわざ外を見て回らせて貰ったんだ。市街地で何かあったとしか思えないんだけどね」
 エリクは鷹揚にうなずき。
「しかし、ニュースには何もありませんね。情報という物は、この国において重要かと存じます」
 穏やかな物腰で告げるのは、スノトラだった。彼女の視線だけで、全員がテレビを見つめ、その予想を裏切るような内容を放送していることを確認する。
「だが、少なくとも儂とドルイド殿はそう考えておる」
「それが真実ですと……妨害、報道規制、私達に秘密――そして現状」
 ドリスが指折りを交え、要素を錬っていく。一つ一つ折られる指が、まるで真実を掴むかのように拳となり、しかし小指を残した。
「妨害?」
 最後の指が仮説を鷲づかみにする。握られたのは虚空ではある。しかし仮説はドリスの拳にしみこみ、頭を介して言葉を紡ぐ。
「ストラマに触れた、その三国だけが手を取り合うことを嫌がっている、というのは噂ではなく、見せしめになるような行為があった……?」
 回答に対し、正否は解らない。
「お食事とお部屋のご案内をさせていただきます」
 ノックとその声だけが、次の行動を示すだけだ。

582二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:22:11 ID:OVKeGQEU
7.圧縮の一
 ――自由を知っているから不自由を知る。
    不自由を知るから自由を知る。
     さて、どちらが先か。我々は卵生動物ではないので解らないかもしれない。

 申し訳ありませんが。
 そういった前置きがあった。続いて、しばらくの軟禁状態とあり。
「どういうこっちゃ」
 中央、政治の中心となっているであろうビル、アトラスの廊下にて、シヴィルはつぶやく。
「ビンゴだったんじゃないの? あー、体動かしたいっ!」
 アトラスより出られぬ欲求不満を露わに、エルヤが腕を振る。客室用のフロアと伝えられたここには、外へ飛び出す出入り口はない。
「はめられたわけでは無いとは思うけど」
 冷静さを欠くことのない言葉と物腰で、後ろを歩くスヴァンが言う。
「でも、明後日には交渉予定なんでしょう?」
 ナンナの言葉に、皆の歩みが止まる。目的地のない歩みは、更に意味を無くしたかのように停滞を開始。
「誰がどこまではめられてるんだか、全くわかんなくなったなー……」
 一様にうなり声を絞り出す。それで解決するとは誰もが思わず、しかしするべき事を思いつかぬ為の行為だった。
「ここは一つ……」
 つぶやくシヴィルには記憶がある。昨日セリエより告げられた見学内容について。

 押し掛け一名と引きずられた三名、そう計上するのが正しいと、襲撃を受けた個室の主、ラプンツェルは思う。
「で……そのインターンの子を色仕掛けで聞き出すのはどうかな?」
「ええええええっ!」
「……シヴィル? あなた、短絡的すぎやしないかしら」
 頭痛がするのか、こめかみを押さえた手、それをシヴィルの肩に置いたスヴァンが割り込み。全く解らないと言った顔のシヴィルが彼女を見やる。
「所属も別、ましてやインターンの娘が知っていると思う?」
「むーん、だけど他に頼りようが……」
「待つしか無いわね」
「かねー……」
 再びの袋小路に至った四人を見つめ、
「御世話役の人は駄目ですか?」
 ラプンツェルの思いつき。
「女に興味無いと思う……あ」
 ぽん、と解りやすい行為を見せたシヴィルが、悪戯っぽい笑みと手をナンナに向け。
「え?」
「エルヤ、ちょっとナンナ借りるよーん」
「え、え」
「ちょ、ちょっとー!」
 返答もせずシヴィルが、そして彼女に牽引されたナンナが廊下を飛ぶ。
「何するんでしょう……?」
「さあ……」
「あーん、ナンナはボクのー!」
 私事が手入れの行き届いた、無機質な廊下に響いた。

583二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:22:51 ID:OVKeGQEU
 廊下を飛び立った二人は、無機物の迷路を往く。単純な構造ではあるが、故に目的の部屋を探すことが迷路のような感覚を覚えさせた。いくら速度を共にしても、変わらぬ景色がひたすら流れていき、まるで迷っているような錯覚がある。
 ようやくの発見は十分後、その探索中に数回は通ったような、奇妙な記憶をさておき、飛行の勢いは止まらないようで、飛び込むようにしてノックと同時、ドアを開け部屋になだれ込む。
「騒がしいな、何用であるか」
 部屋の主は鷹揚に振り返る。
「どーも、ヤール。ちょっと協力を頼みたいんだけど」
「あれ……お父様……?」
「何であるか。娘まで連れて来るとは相当のことであろうか」
 半ばプライベートといった時間でも、エリクの服装はしっかりとしていた。右手が外套より取り出され、軽い金属音がある。何かを触っていたのか、それは本人にしか解らない。
「現状、気持ち悪くない?」
 うむ、と返答したエリクは髭をさすり、ゆっくりとしたうなずきを見せる。視線は質問をするシヴィルから逸らさず、
「先ほどドルイド殿と相談していた。待つべきなのかは解らぬ」
「で、情報収集をしたいの。どう?」
「情報とな? 儂よりドルイド殿を訪ねればよかろう」
「いやー、これはヤールにしか頼めないの」
「む……?」
「今んとこ、女所帯でヤールしか男の人が居なくてさ、ちょっとお手伝いさんに大人の魅力で……」
「断る」
 即答だった。わずかばかりの思考すら無かったような即答だ。
「芝居とはいえ、ばれるとな……」
 彼はそこで息を吸う。ナンナはその様に家庭を思い出し苦笑を見せた。
「かあちゃんが恐ろしいわい」
「は?」
「あんなに恐ろしい女はおらぬぞ」
「はぁ……」
 やりとりはとにかく、この計画は失敗である事だけがありありと解る。

 さんざん妻の恐ろしさとやらを語られ、開放されたのは一時間後であった。
「どうしたもんかねぇー……」
 先ほどのこともあり、疲労を背負うシヴィルがつぶやく。
「正攻法でも口を割ってくれなかったわ。参った物ね……」
 黒のシヴィルの横、白のスヴァンが同じように疲労を見せた。
「待つしかありませんか……」
 ナンナの声に三者が再びのうなりを漏らし。
「よし、おそろーい」
 一人うなりを発さないエルヤが居た。何のことかと三者が顔を上げれば、赤毛をポニーテールにしたエルヤがおり。
「えへへ、三人でおそろいー」
「エルヤ様ぁ……」
 仲間はずれに対してか、一人気楽であることに対してか、どちらともつかぬ、あるいは両方についてか、ナンナが情けない顔をした。
「……ん? エルヤって意外と……格好いいかもね」
「何をいきなり……。ああ」
 おそろいの対象が二人して納得した。何に対してか解らぬエルヤは疑問符を顔に浮かべ、ナンナと顔を見合わせては小首を傾げあった。
「よーしエルヤ! 男装してナンパしてこーい!」
「えええええええっ!」
 強引に白と黒が赤を引きずる。
「ちょ、ちょっとー!」
 赤の従者は慌てて追いかけ、
 行き着く先は一つ。
 小鶴真理の部屋。

584二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:24:32 ID:OVKeGQEU
8.三人と、鬼一人
 ――外したはめが大きいほど、説教は長くなる。
    悪餓鬼の法則。

 廊下の角に五人分の影があった。
「よーし、誰か通ったら行くんだぞー」
「ううっ、なんでボクがこんな事を……」
「今回ばかりは我慢していただきたいです、ヤール」
「エルヤ様になんてことを……」
「用意しておいて、よかった」
 真理の言うとおり、どう必要があったのかはとにかく、準備された衣類はエルヤを包んでいた。黒い男物のスーツに、後ろでまとめられた髪も手入れを施され、大きくイメージを異にしていた。
 柔らかな絨毯を敷き詰めた床、それを歩む音がする。それだけで一同は黙り、
「さ……いってこーい」
「わぁっ!」
 背中を押され躍り出たエルヤは慌て、取り急ぎ体裁を繕う。
「お嬢さん、ボクと御茶でもどうですか?」
「あらあらまあまあ……素敵な方」
 誰か解らぬが反応は良い、そう聞こえた背後の四名は顔を乗り出し、
「うわ……よりによって」
 男装したエルヤの向こう、露骨な身振りで恥じらうソフィアが居た。
 初対面ではない相手に恥じらう様に、皆が呆れの嘆息を吐く。

 エルヤに誘われた眠り娘、ソフィアにどれまでの権限があるかは誰にも解らない。取り急ぎ男装のエルヤは確実に動ける、客人用フロアの空き部屋へ誘い込んだ。二人で紅茶を一すすり、エルヤが顔を上げれば、眠気の薄そうなソフィアの笑顔がある。
「あらぁ?」
「な、何かなっ?」
 素っ頓狂な声に軽く微笑みつつ、眠り娘改め緩い娘が両手を頬に添えた。
「御茶だけで宜しいんですかー?」
「え、いや、あのー……。そうだ。この様子は何なんだい? 君とデートに行けないじゃないか」
 必死のフォローであった。少なくともエルヤ本人はそう思い、
「なんだー……ありゃ」
「望み薄」
 ドアの隙間より覗く一同も然り。
「アドリブは駄目みたいね」
 ドアを覗かぬスヴァンは、感想を元に嘆息した。
「むぐー!」
 暴れるナンナをスヴァンが抑える、そのためだ。
「あらぁ……」
 何故か反応は良好だった。思わず声を上げそうになったシヴィルが口を押さえ、意識を室内に集中する。
「それは言えませんわぁ」
「え?」
「大事なことですからー。うふふー」
 笑う彼女は両手に頬を当てたまま顔を近づけてくる。反射的に身じろぎしようとしたエルヤは改めて気を引き締め表情を何とはなしに見つめた。落ち着かぬ様子はありありと視線に現れ、笑うソフィアと、頭上に乗せられ垂れるライオン抱き枕へと、交互に視線を交わしていた。
「う、うーん……ボクってそんなに魅力無いかな……? ショックだなぁ」
「そんなことないですよぉ。うふふ」
 でも、と言葉を残し、互いの鼻が触れそうな距離にまで顔を近づける。
「こちらの考えはまとまったみたいですからぁ、もう少しお待ち下さいねぇ?」
 開かれた瞳はやはり眠気に満ちており、間近の顔にエルヤはうろたえを見せた。
「え……? 待つって何」
「男装してまで聞きたいことだとは思いますけどぉ……」
「うあ……気づいてた?」
「うふふー。もう少し待って欲しいってぇ、伝言を預かってたんですよぉ」
 そうそう、と言葉を残し、ソフィアは頭上の抱き枕を掴み、胸元で抱く。唖然とするエルヤを余所に椅子を立ち、ドアノブに手を掛けた。
「なかなか似合ってましたよぉ。それでは、またぁ。聞いていた皆様にもお伝え下さいねー。うふふ」
「あ……はは……」
 ドアを開け、立ち去るソフィアを見送る事すらできず、エルヤは笑うしかなかった。

585二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:25:46 ID:OVKeGQEU
 監禁されたフロア、その廊下に仁王立ちする者がいる。
 そして、正座する三名がいる。
「まったくもー! 楽しそうにしてぇ……」
 仁王立ちのナンナは見下ろす。その対象は言うまでもなく正座した三名であり。
「うう……だって仕方ないじゃないかー……」
「何か言いましたか?」
「い、いえ! なんでもありません!」
 ナンナの視線が重く、痛かった。故にエルヤは反論を止めた。
「にひひ、似合ってた似合ってた」
「似合ってた、じゃありません」
「う……こっち見るなようー……」
「見ますよ?」
「こ、こわっ!」
 流石のシヴィルも視線にすくみ上がった。
「何故私が……」
「止めませんでしたよね? 納得もしていたようですし?」
「……そ、それは……」
「何か?」
「……なんでも」
 巻き添えとでも言うべきスヴァンですら黙る視線だった。
 その廊下、角には真理が隠れており。
「善意の第三者」
 一人ブイサインを見せる。
「少尉、何をしているの?」
 背後、振り返ればティアが居た。近場のドアを開けた彼女は、一部のメンバーと会議を終えたばかりだと記憶している。
「ん。三色姉妹が怒られてる」
「三色姉妹?」
 疑問符を出しつつ、角を覗く。正座で、低い位置に存在する三色のポニーテールが見て取れた。加えて、小柄ではあるが巨大な威圧感を仁王立ちに乗せた娘も。
「激写?」
「勿論」
 聞くまでもなかった。
「あ、隊長」
「何?」
 カメラをいそいそと準備するティアが、見ずに理解できた。響く軽音と、鞄を漁っているのであろう、化学繊維のこすれる、風のうなりにも似た音がする。
「そろそろ、ミュトイの人が連絡に来そう」
「どこからの話?」
「ん。技術庁から来た案内人」
「そう」
 興味の無さそうな、そんな返事がある。それでも彼女は記憶した、そう真理は思う。
 記憶以前にシャッターチャンスを逃したく無い、そんな本能が優先したことも知っている。
「あなた達……お尻ぺんぺんですっ!」
 仁王立ちから発せられた言葉だろう。色々と妄想が止まらぬ指がシャッターを連射する。

586二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:28:36 ID:OVKeGQEU
9.ふたたび、一。そして再び鬼一人。
 ――失言ほど無意識に発せられ、蛇を突く言葉もない。

 夕刻と呼ぶにはまだ早く、昼と呼ぶには遅すぎる。そんな時間だった。
「あらあら、廊下を占領して何をやっているんですか?」
 仁王立ちをかれこれ一時間以上通す娘が振り返る。
「あ」
 驚きから、ばつの悪そうな表情を見せ、そうしてからナンナはうつむいた。
「スノトラ様ぁー」
「助けてー……」
「限界……」
 説教よりもなによりも、正座で固められた下半身が悲鳴を上げている、その様子がよく分かる。折り畳まれた足を動かすでもなく、膝で歩く三者を見て、
「大丈夫ですか? ナンナさん、開放なさって? 可愛そうですよ」
「で、でもー……」
「お気持ちはよく存じてますから、ね?」
 優しく撫でる、青白い手にナンナは言葉を失い。
「スノトラ様、さっすがぁ」
「お願いします……ナンナさん」
「いやー、話せるなぁ。なんか冷たい人だと思ってたよ」
「今……」
「ん?」
 スノトラが笑顔で振り返った。先ほどまでの印象とは異なり、硬質な雰囲気のある笑顔はシヴィルに向けられ。
「何とおっしゃいました?」
「人形みたいって思っちゃったんだけど……」
「ナンナさん?」
「はい?」
「大尉だけはあと十時間ほどこのままで宜しいでしょう」
「は、はぁ……」
「ひぃー……ご、ごめんー!」
「許しませんわ」
 小首を傾げた笑顔に、開放される二名が寒気を覚えた。
 無論、それを口にすれば明日は我が身だ。沈黙のまま哀れみの視線をシヴィルに送る、それだけが精一杯の行為だ。
「わーん!」
 泣き言から、廊下のオブジェとなったシヴィルと、それをひたすら監視するスノトラが、同じフロアを行き交う誰の印象にも残った、それは言うまでもないことだ。
 印象的な竜の翼、それが悪魔のように映ったことは口には出せぬまま、ではある。

 言づて通り再びの会談が行われる、そのような事を告げられたのは夕刻、それも、少々異質な光景を見せていた面々に、である。
「かしこまりました。言づて、確かに」
「あのー、スノトラさん? ……いや、スノトラ様? そろそろお慈悲をー……」
 べそかき、そのような状況のシヴィルがおり。
「仕方ありませんね」
「わーっ!」
 シヴィルの背後に回ったスノトラが、襟首を長い鉄杖の尻でひっかけ、そのまま、
「よいしょ」
 飛脚が運ぶ荷物の如く、肩に担がれた杖があり、その先端には足を痺れさせ、もはや感覚のないシヴィルがつり下げられていた。
「うわーん! こ、これ首が……ぐえっ」
「皆様、言づてがございました」
 さほど大きくない、スノトラの声。しかしそれは鋭く、よく通った。
 状況の理解できた者から部屋を抜け、
「……なんだぁ?」
「大尉……?」
 異様な光景に目を白黒させながらそれを追従した。
「たーすーけーてーっ!」
 結局、全員が出そろうまで、彼女の物干し生活は続いた。

587二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:29:09 ID:OVKeGQEU
 夜も更け、ようやくシヴィルの足が平素の感覚を取り戻し、余裕のある愚痴を加害者のおらぬ場所ではけるようになった頃だ。
 会談に参加したティア、ドリス、ショーティ、エリク、スノトラを囲うように一同は会し、再びの会議となった。
「結論は、もう少し待つべき。という事よ」
 ティアの一言が周囲をざわつかせた。
「何も変わってないじゃないですか」
 ラプンツェルの不服は全員をうなずかせた。ティアはもっともだと言うようにうなずき、しかし理由を発するのは隣で腕を組むエリクだった。
「二国の干渉を察知する限り、確保した要人は開放せぬ。そう、国籍不明のグループが声明を出したのだ」
「要人は主に、各省庁での重役でした。守りの薄い場所はミュトイの情報網によって捕捉されています。ですが、」
 スノトラの次いだ台詞はかすかに淀み、軽い呼吸を持って再びの発言を意識させる物で。
「もっとも重要な要人……アナスタシア皇女の監禁先が不明です」
 一同が緊張、あるいは行動できぬ状況に歯がみし、緊張の呼吸を示す、音を立てた吸気が誰からともなく聞こえてくる。
 アナスタシア皇女については、隣国の者でも解る。
 何せ、彼女は特別愛されていた。ミュトイの国民では知らぬ者はおらぬし、彼女に似ていると言うだけでも十二分にメディアが注目するほど、それだけ愛されている。もし彼女が無事でないとすれば、一時的であろうとも、ミュトイは失意に飲まれる。
 それが、沈黙と緊張の理由だ。
「所属国も解らぬのでは苦情も申せぬ」
 沈黙を振り払うようなエリクの言葉に疑問を持ち、ベリルが挙手した。
「西の奴じゃないんすか?」
「あっちの国は、似たような文化圏で五カ国あるんですよ。どの国に打診しても知らぬ存ぜぬで通せてしまいます」
「……ちょっと、調べ物してくるっす」
 フロアから出られぬはずのベリルがそう告げ、部屋を出る。
「何処へ……?」
 疑問の内容にも、当座の問題にも、結果は出ぬまま会合は終了する。

588二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:31:47 ID:OVKeGQEU
10.一つの過去
 ――誰にだって言いたくもない事がある。
    それは禍根であったり、恥部であったり。あるいは武器かもしれない。

 同フロア、ベリルのあてがわれた部屋にて。
 彼女は電話をかけていた。
「あー、もしもし」
『どちらさまだ?』
「あたし、クーデルカ」
 かすかな間がある。
『どこのクーデルカさんだね?』
「そうだねー。両手を肩くらいに広げて、足はまっすぐ、帽子は脱いで左手に。羽根は閉じてる。そんなクーデルカに覚えは無い?」
 電話越し、含んだ笑みをざらついた音声が伝えた。
『なんだ、今更だな。カウフマンとこの跳ねっ返りか』
「そうそう。で、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」
『おい、ずいぶんだな。お前の親父さんは、お前がこっちに関わらないようにコウデルカの家に預けたんだろうが』
 へっ、と言葉を告げ、ベリルが苦笑する。
「仕方ねぇんだ。こればっかりはそっちに聞いた方が良いと思ってさ」
『お前よぉ……? 俺達はマフィアだぞ? なんだって軍部に手助けせにゃならん』
「そこを何とか。……親父にはあたしが謝っておく」
『……話だけなら聞いてやらぁ』
「悪ぃ」
 小さくそれだけを告げれば、即座に苦笑じみた笑いが受話器から聞こえてくる。
「ミュトイは活動圏内だったよな? 皇女誘拐については何か知ってる?」
『ああ、こっちでお引き取り願った奴だな。浮島側の港湾倉庫一つで手ぇ打ってやった』
「助かる。じゃ……親父によろしく」
『ああ、それとな』
 もう電話してくるな。
 気遣いの言葉なのだろうと思い、ベリルは何も言わず受話器を下ろす。
「いくら嫌がっていても、親父にはまだ遠い、か……」
 つぶやき、苦笑と長い沈黙を身に纏い、最後に一息ついてから部屋を出た。

 「これは、信用できるの?」
「ええ」
 短いやりとりの中、ベリルは無表情に告げた。
「皇子に通達、ね」
「うす」
 ティアは何も詮索せぬような言葉を吐き、ベリルは従う。
――詮索されないのは信用、かね。
 父親と対極と言うべき位置に立つ娘はそう思い、部屋を後にした。

589二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:35:24 ID:OVKeGQEU
 情報提供に応じたニコラス皇子は、会談場ではなく客人の集められたフロアに現れ、その言葉を聞く。妻である皇女の事も、国家の安定についても重要であるからか、彼はただ一人でここへと現れた。
「情報提供、まことに感謝致します。ですが……」
「まだ問題がありますか?」
 お恥ずかしながら、とうなずきの後に告げ、改めて沈痛な面もちを隠さずに見せた。
「我々には警察機関が僅かばかりしかない。つまり……」
「同時に数カ所の監禁者を救い出すには心許ない、という事であるか」
 言葉の終わりを、我等が出られれば良いのだが、と締めたエリクは腕を組んだままだ。
「それはありがたく思います。しかし……我が妻の監禁されている場所までは、徒歩ないし飛行が必須で、距離もあります。あそこは民間企業の廃棄港ですから。もし作戦行動を発見されればその先は明白でしょう。……妻を見殺しにする事は避けたいのです」
 私情が、ニコラスの組んだ指を白くさせた。
「私一人の問題で有ればいい。ですが、妻は国民に愛されている……」
 私情以外の物が、ニコラスの視線を下げる。
「他の地域は我々が担当すれば、どうでしょう?」
「それは有りがたいのですが。妻の監禁されている場所は先ほど望遠で確認したと連絡がありました。……残念ですが我々が応対できるかといえば、百%と言い難い人数でした」
「……我々としては、ここまで来て手を取り合えないのは不服です」
 ユニーの瞳と言葉は力強くニコラスを見つめ、対して彼はうなずきと視線で返す。想いは誰もが同じであるのか、そのうなずきは波紋の如く広がりを見せた。
「ゆーれか」
 特務の誰もが知る、その平坦な口調。振り返らずとも声の主はブイサインであると思う。
「何か案は出たの?」
「ん」
 声の主は訪ねたティアにうなずきを一つ、たったそれだけでニコラスを向く。
「監禁された場所と人数、いくつ」
 敬語抜きのストレートな疑問に少々面食らいつつ、
「え、ええ……妻の場所を含め、六名六ヶ所……不明者は点呼確認済みです」
「皇女の所以外は、あんまり人居ないの?」
「そう、ですね……。あなた方の尺度で申せば、だと思います。しかし、我々の手際では完璧とは言えない人数です」
「詳しく」
「一カ所につき二十から十五人、でしょうか。問題の廃棄港湾倉庫では五十以上と予想されます」
 ん、とうなずき一つ。遠慮のない視線変更は続く。
「隊長、私達がお手伝いで楽勝」
「だとは思うけど……皇女はどうするの?」
 何も言わぬ真理は無表情をそのまま、視線を逸らさずポケットを探っている。探る手が止まり、何かを掴んだ拳を前へと突き出した。
「これが勝利の鍵だ」
 どこかで聞いた台詞と共に見せたそれは、
「大統領キーホルダー……?」
「善は急げ、作戦の準備と開始時間を決めよ?」
 自信に満ちた淀みない言葉と何かを楽しみにするような口元の笑みに、解る者にはまたかと思い、苦笑と信頼に裏打ちされた自信が伝播した。
 多少のつき合いであるエルヤとナンナにはなんとはなく。残りの者は疑問符を浮かべるのみだ。

 先日まで会談場だった、そんな部屋は作戦会議室へと変貌していた。各々がミーティングを始め、地図を頼りに細部を錬り固めていた。
「少尉……それ本気で言ってるの?」
 あきれ顔でショーティが息を吐く。
「ん。ここには無いから大丈夫」
「まったく、いつからこんな無茶するようになったんだか」
「いつものこと」
「変わったわねー」
 苦笑混じりの笑顔を向け、左手が真理の頭を撫でた。右手は紙の小箱を操り、上部に小さく存在する小穴から物体を取り出し、それを口でくわえる。そうしてから箱をライターと入れ替え着火した。
「けむい」
「細かいこと言わない」
 言葉と同時、紫煙が漏れる。
「ま、やってみるしかないわ」
 ひと吸いした煙がリング状に三つ、空にたゆたう。

590二郎剤 ◆h4drqLskp.:2007/02/17(土) 20:35:59 ID:OVKeGQEU
 地図を中心に概要を固めるテーブルとは異なり、一方的に言葉をつむぎ続ける一角がある。
「こちらは特務所属ドリス・ルーテ少佐です。フレア大佐? 先ほどの件は如何でしょうか……? はい、はい。お手数おかけします」
「はい、それでは輸送をお願い致しますわ」
「うす、いつみ少尉には話は通ってるっす。それより高梨少佐に家に帰れって言ってやってくださいよー。奥さん心配してるっすから。あ、寝てる?」
 しばらくの後、別れの言葉と受話器を置く、プラの軽薄な音が三つ。
「わざわざ教導隊を呼び出すなんて、小鶴少尉の作戦は荒唐無稽で無茶ですね……」
 頼んでしまった手前、完全な否定ではないが呆れの混じったため息はドリスの物だ。
「私も、あれの事など記憶の片隅にしかありませんでしたのに」
「いやー、真理さんってのは何でも使う人っすねぇ……」
 頭を掻きつつベリルが笑った。

 全ての返答をまとめ、実行に移す集団へと書類を配るラプンツェルがかけずり回る。
「あ、手伝いますっ!」
 呼び出されたアンジェラが、抱えた書類の半分を受け持ち、同様に呼び出されたテティスにうるさいと言われつつ、ばたばたと周囲を走り、書類を回す。
「さて、その子を起こしてくれるかな?」
 困ったような笑みを見せつつ、支持側に回ったニコラスが眠るソフィアを指さした。
 乾いたような、湿ったような、どちらとも付かぬ音はテティスがソフィアの頭をぺたぺたと叩く音だ。
「さて、廃倉庫以外の監禁地には非常用の地下通路で接近します。なにかと機密が多く、ロックもされておりますので、各省庁から案内役を随伴させていただきます」
 言葉にうなずくティアは同様に指示をするべく、拡大コピーした図面の貼られた壁に立ち、
「北東、法務庁側の通路を使う二カ所。テティス法務官の案内で。出入り口に距離があるから速度と実力を重視。浮島地帯の近くはフレウ大尉、法務庁近辺の居住区側にはヤールエリクと海野大尉にお願いします」
 続いてティアの持つ指示棒は中央、つまりこの場所を指す。
「中央待機で通信役とフォロー役を。通信はルーテ少佐、あなたに任せるわ。フォローには対応力でフェルミッテ上等兵に」
「私ですか?」
 呼ばれたスヴァンは意外だとばかりに、そのうわずった声を聞かせる。
「ええ、あなた。速度も性格も、実力も信じているから」
「……はい」
 意志の強い瞳を返した。気後れなど無いとばかりの光だ。光を見つめるティアは満足をうなずきで返し、再び指示棒と視線を図面に向けた。口角にかすかな笑みがあり、それは信頼に応えたスヴァンに対してだろうかと誰もが思う。
「続いて南、文化庁側は防衛トラップが殆どで人数はさほど居ないようね。案内役にアンジェラさん、トラップ解除はフレトリア軍曹、にお願いするわ。掃討は……」
「私が出向きますよ。お任せ下さい」
 緩やかな物腰に、涼しげな空気が動く。
「大いなる冬、お見せ致します」
 冬の名を冠したスノトラは、春のごとき優雅で柔らかな笑みを見せる。
「では、お任せします。次は北西」
 指示棒が技術庁の周囲を叩く。
「技術庁近く、商業地域はクーデルカ軍曹、ヤールエルヤ、ハスカールナンナにお願いするわ。国境付近は私とルーデル少佐で行く」
「最終防衛戦が私達ってわけね」
 鋭く固い大音がした。全長百五十センチは下らないショーティの大砲だ。
「ええ、私達は即座に救出から国境で撃ち漏らしを叩く事になるわ。案内役は……」
「すぅー……」
「誰か言づてしておいて。……さて、残りのメンバーは。小鶴少尉」
「ん。おいで」
 彼女は呼びかけつつ、前に出る。残されたドミナ、ユニー、セリエが前に出た。
「皇女救出チームは別行動。いっぱい目立つ」
「え……?」
「これが勝利の鍵だ」
 再びの台詞。そして真理は頭を一人ずつ撫でていく。
「え?」
 ユニーの疑問符は二度とも、全員を代弁するかの如く。
「ぶい」
 食えない女。誰もがそう思う。
「と、とりあえず明日午前八時開始です。各員準備を怠らぬよう。では、解散」
 各地域毎に別れ、ある物は会話、ある者は疑問符のまま。翌日は着実に近づく。


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