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鬼和尚の仏教購読会 別館

903避難民のマジレスさん:2020/08/13(木) 21:06:35 ID:xWDZfxlg0
一休さんも、小僧時代に師匠から厳しく指導されることがあり、気づくことがあったので
ありますかね。
(´・(ェ)・`)b

904鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/13(木) 22:39:08 ID:1d4drIFg0
そうかもしれん。
真の自己などないのじゃ。
そもそも自己という概念が間違いなのじゃ。
全て一つなのじゃ。
それが無位の真人なのじゃ。

905避難民のマジレスさん:2020/08/13(木) 23:01:52 ID:/igPDOOk0
うむ。
梵我一如:アートマン=ブラフマン・・全ては一つ=無位の真人
臨済はアートマンを理解してたのでありますね。
(´・(ェ)・`)b

906避難民のマジレスさん:2020/08/14(金) 19:57:42 ID:87zFCRkc0
「か」行関連の詩がまだ140首ほどあるが、「あ」行の詩がいくつか見つかったので、
取り上げるのである。
尚、詩の番号は、あくまでもくまの整理番号である。

一休さん推奨偈
292
見識明心
憶得寒山見月題 憶ひ得たり寒山月を見るの題
眼睛落地衆生迷 眼睛地に落ちて衆生迷ふ
洛陽三月貴遊客 洛陽三げつ貴遊の客
閃爍紅旗残照西 せんじゃくたる紅旗残照の西

くま訳
物事の本質をとらえる悟り
思い出すのは、寒山が詠んだ月の詩である
視線を地に落すと、衆生は迷ってしまう、
洛陽では三月になると貴族が花に誘われあつまるように、、
仏道を求めるものにとっては、寒山の詩は、閃きを与えてくれる、機鋒が、今でも鮮烈にあるのだ。

*見識:物事を深く見通し、本質をとらえる、すぐれた判断力。ある物事に対する確かな考えや意見。識見。
*明心(あかきこころ・みょうしん): 誠実な、偽りのない心。まごころ。清き心。心を明らかにするこ 
 と。さとりを開くこと。また、明らかな心、さとりの心。
*寒山:天台の国清寺の僧、豊干(ぶかん)が拾った、拾得と、拾得の友達、寒山。豊干によると、拾得は、
 実は、普賢、寒山は、実は文殊と評している。豊干自身には実は神通力があるらしい。
 究極の狂風の逸話、禪画多数あり。一休さんの重要な師匠に含まれるでありましょう。詩は真面目に書い
 ているのである。(おまけの詩 参)
*閃爍(せんじゃく):ひらめき輝くこと。
*紅旗閃燦:厳しく機鋒が峭峻であり、矛先のように鋭いこと、37の詩 参
*国訳禪学大成脚注:朗月の天にある、月光の地にある、此れ皆見性の種子なり、洛陽三月酒旗の点頭に翻 
 るも又同斷
(´・(ェ)・`)つ

907避難民のマジレスさん:2020/08/14(金) 20:01:04 ID:87zFCRkc0
おまけ:一休さん推奨・寒山の詩①
吾心似秋月 (寒山詩)
吾心似秋月 吾が心 秋月に似たり
碧潭清皎潔 碧潭清うして皎潔(こうけつ)
無物堪比倫 物の比倫に堪えたるは無し
教我如何説 我をして如何が説かしめん

恵林寺 HP訳・訳・解説抜粋
自分自身に向き合い、心の奥底に見入るとき、その凛として澄み切った清らかさは、まるで
秋の月のようだ
碧に見える湖の水面を覗き込むならば、その湖底は、あくまでも清らかに澄んでいるのです
その透き通った有り様は、実は秋の名月の比ではない...はるかに素晴らしいものなのだ
わたしたちめいめいの心の本当の姿を、この世界の、どのような素晴 らしいものにたとえ
ようとしても、とてもたとえることなどできない

おまけ:一休さん推奨・寒山の詩②
指月歌《寒山偈》寒山
岩前獨靜坐 巌前に独り静坐すれば 
圓月當天耀 円月 天に当って輝き
萬象影現中 万象 影中に現わる
一輪本無照 一輪 本(もと)照らすなし
廓然神自清 廓然として 神(しん)自から清く
含虚洞玄妙 虚を含みて洞として玄妙なり
因指見其月 指に因って其の月を見れば
月是心枢要 月は是れ 心の枢要なり 

くま訳
岩前で独り坐禅をしていると
満月が天に輝きだして
万象が闇の中に現れた
月は、本来、何かを照らそうとしいない
わだかまりなく心晴れ渡っているので、自ずから清く
虚無をも含む、全てを見通せる、奥深く、優れた境地である
指差す先の月を見れば
(見ている)月は、心そのもの、月と心と別にないのだ。
(´・(ェ)・`)b

908鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/14(金) 21:18:00 ID:1d4drIFg0
>>905 そうじゃ、一つなのじゃ。
個我なくして無位の真人があるのじゃ。
それを理解しているのじゃ。

909鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/14(金) 21:21:25 ID:1d4drIFg0
月をさす指とは法なのじゃ。
法に拠って心を観れば空虚であるが玄妙な働きをするのじゃ。
それは全てを映し出す心の要なのじゃ。

910避難民のマジレスさん:2020/08/15(土) 21:20:18 ID:dnNbHAY60
291
長禄庚辰庚辰八月晦日 長禄庚辰八月かいじつ
大風洪水衆人皆憂   おおかぜ洪水あり衆人皆憂う
夜有遊宴歌吹之客   夜遊宴かすいのかく有り 
不忍聞之       これを聞くに忍びず 
作偈以慰云      偈を作って以って慰むと云う  
七言絶句

大風洪水万民憂 大風洪水万民憂う
歌舞管弦誰夜遊 歌舞管弦誰か夜遊ぶ    
法有興衰劫増減 法にこうすい有りこうに増減あり 
任他明月下西楼 さもあらば他あれ明月西楼を下る 

ある男の残日HP 宇野直人先生訳・解説
長禄4年(1460年)は8月末に台風洪水があり、民衆はとても心配した。
夜、宴会の客があり歌を歌っているが
とても聞くに堪えない。
禅の韻文を作って、心を静めた。

暴風に洪水に民衆は苦しんでいる
歌舞管弦誰か夜遊ぶ   
仏法に盛衰があり天変地異もそれに応じて増減する
明月が西の高楼に沈むなどどうでもいいことだ

長禄4年(1460年)、8月末の台風と洪水をきっかけとして、無策の幕府や為政者を批判している。

くま訳
台風洪水に、民衆は愁う
歌ったり踊ったり楽器演奏したりして、誰が夜遊びできるか。
仏法に盛衰があり、悠久の時の流れも増減するのか
であるのか、ではないのか、いずれにしても、月は西楼に沈むのだ。

仏法に盛衰なく、時間などなく今だけ、ありのままだ。

*劫:仏教などインド哲学の用語、極めて長い宇宙論的な時間の単位。サンスクリット語カルパ の音写文 
 字「劫波(劫簸)」を省略。 循環宇宙論の中で、1つの宇宙(あるいは世界)が誕生し消滅するまでの 
 期間と言われる。また、ブラフマー(仏教では梵天)の1日(半日とする説もある)に等しい。西洋では、
 まれにイーオン (aeon) と意訳される。1劫 = 43億2000万年である。
(´・(ェ)・`)つ

911鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/16(日) 00:25:20 ID:1d4drIFg0
月が沈むのに喩えて幕府ももう終わりじゃと嘆いているのじゃ。
洪水で民が苦しんでいるのに幕府の高官は夜遊びをしていたのじゃろう。
そんな幕府はもう長くはないというのじゃ。
実際に乱世になってしまったのじゃ。

912避難民のマジレスさん:2020/08/16(日) 17:27:17 ID:MddoNkts0
293
愛念盟 1/2
婆子侍慈明老師 婆子慈明老師の侍す
婚姻脚下結紅絲 婚姻脚下紅絲を結ぶ
驪山春色三生睡 り山の春色三生のねむり
千歳海棠花一枝 せん歳海棠の花一枝

くま訳
男女の愛の誓い
老婆が慈明禪師に仕える
婚姻は足下の赤い糸の結びつきである
りさんは春の色に染まり、始皇帝と麗姫が三生の誓いの下眠っている
これからも千年つづくカイドウの花一枝の思いである。

*慈明石霜楚円禅師:一休さんが、自分で生前作った墓を慈揚塔と名づけるくらいに 、敬愛していた。
 身寄りの無い老婆を世話していた。
*愛念:1 非常にいとしく思うこと。深く愛する気持ち。2 男女の愛情。
*盟:ちかいをたてること。また、そのちかい。
*驪山(りさん):秦始皇帝の陵(墓)兵馬俑坑(ようこう)

294
愛念盟  2/2
恩愛紅塵誰人掃 恩愛の紅塵誰人かはらはん
娘生赤肉父子道 にょうじょうの赤肉父子の道
羅睺羅箇歡喜丸 らごらこの歓喜丸
携來直授釋迦老 携へ来たって直に釋迦老に授く

くま訳
恩愛を、俗世の煩わしさだといい誰が払いさると言うのだ
母から生れたこの身体もつ人間の、親子の、あるべき道があるのだ。
ラーフラは、仏の功徳を見聞きして,信心を得て歓喜した釋迦の子である
連れてきて直接お釈迦様が教えを伝授したのだ。

*紅塵:1 赤茶けて見える土ぼこり。市街地に立つ土ぼこりなどにもいう。2 俗人の住む世の中。また、 
 俗世の煩わしさ。俗塵。
*羅睺羅(らごら、梵・ ラーフラ)は、仏教の開祖たる釈迦の実子であり、またその弟子の一人
*歓喜:説法を聞いたり,仏の功徳を見たりして,信心を得て非常によろこぶこと。

一休さんにも息子がいた。:岐翁紹偵((きおう・しょうてい) 。偉大すぎる一休パパの子は苦労したことでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

913鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/16(日) 22:19:28 ID:1d4drIFg0
中国の伝説では赤い糸は男女の足首に結び付けられるというのじゃ。
お釈迦様にもラーフラという子があったというのじゃ。
男女の愛も悪いものではないというのじゃ。

914避難民のマジレスさん:2020/08/17(月) 21:50:47 ID:1yezVXyg0
295
末後涅槃堂懺悔1/2
風音気象頌兼詩 風いん  じゅとしと
乗興邪慢吟撚髭 興に乗ずる邪慢吟じて をひねる
悪魔内外託吾筆   内げ我筆に託す
猛火獄中無出期 みょうか  しゅつご無し

蔭木英雄先生訳
風の音や天気によって頬や詩を作り  
興に悪のりして髭をひねって詩を吟ずる  
悪魔外からも内からもワシの筆に乗り移って 
猛火の地獄から脱出する時がないわい

*邪慢じゃまん:間違った行いをしても、正しいことをしたと言い張り、徳が無いのに有ると思うこと。
*悪魔:仏道修行においては、かならず魔の障難がそなわっている。仏道をこころざし、真実に目覚めるこ
 とを「我がいのち」と選び取った者だけに、「そのいのち」を奪おうとして悪魔は現れてくる。

296
末後涅槃堂懺悔2/2
艶簡艶詩三十年  
虚名天沢正伝禅  
吟身半夜与灯痩  
雪月風流白髪前

蔭木英雄先生訳
恋文や艶詩を三十年作り続けたワシは 
虚堂(天沢庵主)正伝の禅者といっても、それは虚しい名声じゃ  
艶詩を苦吟する身体は灯火が薄れるのと一しょに痩せ  
雪じゃ月じゃと風流にうつつをぬかしてい
る間に白髪になってしもうたわい

(´・(ェ)・`)つ

915鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/18(火) 00:39:56 ID:1d4drIFg0
わしは三十年も艶詩を詠って来たと誇っているようでもあるのう。
悟りの道はお香くさいものばかりではなく、こんな道もあると言いたいのじゃな。
自然に親しむのもよいものじゃ。
詩も極めれば道になるものじゃ。

916避難民のマジレスさん:2020/08/18(火) 21:27:14 ID:7OJSsgOo0
一休さん、たとえば話で世情分析(富子の陰謀説)
154
因亂      乱に因って
韓信昔年雲夢殃       のわざはひ
人心眞僞自然彰   真偽じねんにあらはる
安危不定箇時節   定まらずこの時節
人畜難分剕棘墻   分かち難しけいきょくのしゃう

*韓信(かん しん):秦末から前漢初期にかけての武将。劉邦の元で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を 
 決定付けた三傑の一人。
*荊棘墻(けいきょくのしょう):いばらの垣根。
(´・(ェ)・`)つ
武田 鏡村先生訳・解説抜粋
漢の武将の韓信は信じていた高祖(劉邦)に、雲夢の地に旅をするといってダマされて捕らわれた。
人の心のウソか真かは自然にハッキリするものだ。
安全か危険かハッキリしない今日この頃では、
いくら棘の垣根で分けておいたとしても、人と畜生とは見分けがつきにくいものだ。

一休は韓信を応仁の乱に登場した人物の誰に比定したかはわからないが、韓信が高祖の夫人である呂后の 
陰謀によって殺害されていたことを考え合わせると、応仁の乱の背後に女性の存在があることを早くも感
じとっていたようである。その女性とは、今参局を死に追いやり、日野重子亡きあと、将軍義政を思いの
ままに操ろうとする人物、すなわち日野富子であったことは、以下の数多くの一休の詩からうかがうこと
ができる。・・・(79の詩 前スレhttps://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/  >>831
「美色傾城」参)・・一休は、これら国を傾けた中国の女性たちを詩に詠みながら、じつは乱を引きおこし
国を亡ぼしても、その栄華を貪欲に求めて飽くことを知らない日野富子の姿を読み込んでいる。・・らしい。

くま訳
韓信、昔年、雲夢禍の故事にあるように、
人の心の真偽は自ずと明らかになるが、
安全か危険か定まらない昨今では、
いばらの垣根でも、人畜分け難いのである。

917避難民のマジレスさん:2020/08/18(火) 22:33:17 ID:C90TsP.U0
狂雲集、上下巻の詩、偈頌、法語を数えてみたら
560首であった。
その内、ネットで訳が見つかるのがI〜2割である。
狂雲集、全現代語訳、ネット版を目指すのである。

最初は、漢詩にチャレンジする予定ではなかったのであるが、ハマってしまったのである。
(´・(ェ)・`)b

918鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/18(火) 22:54:32 ID:1d4drIFg0
誰か偉い人が死んだようじゃのう。
真偽は自然に現われるというのじゃ。
時節が不安定で人も畜生も見分けがつかないというのじゃ。
もはや乱世なのじゃ。

919避難民のマジレスさん:2020/08/19(水) 23:16:19 ID:227hnK8M0
名居士紹介
150
龐居士製竹漉籬圖 ほう居士ちくろくりを製するの絵を見て
河裏捨來十万銭  かり捨て来る十万銭   
庫中終没半文銭  庫中終に半文銭なし
眞箇簸箕門下客  真こひき門下のかく
笟籬賣不直多銭  さうり売って多銭にあたらず

くま訳
ほう居士竹かごを作るの絵
浄土への路の絵(維摩図)を見ようと、十万銭を寄進する人も居たそうだ。
わしの蔵の中には終にお金が無くなったのだ。
仏道を生きるために、ざるを売って生活した龐居士の絵を見るために客が集まる。
ざるを売って暮らし、儲けようとはしなかった清貧の居士である。

*龐居士(ほうこじ)?‐815。唐代の仏教者。馬祖と石頭に参禅して,印可を得るが,出家せず。東土の
 維摩とよばれる。禅僧との問答が多く,その偈頌(げじゆ)300首とあわせて,早くより語録としてまと
 められた。
*第2句:瓦棺寺(364年建立、顧愷之(こがいし)が描いた維摩図が三絶とよばれて有名。また天台大 
 師智顗(ちぎ)がここで講説した。)が、建立にあたつて、寄進をもとめた際、画家の顧榿之は百万と記
 帳した。その日頃の貧しさを知る人々は大言だと思ったが、一ヶ月余にして維摩像一躯を描きあげ、第一
 日に観る者は十万銭を施さんと宣言してその通りになった。との故事から、
*漉籬・簸箕・笟籬(ろくり・ひき・さいり): ざる。
*真個(しんこ)真実であること。まこと。真実であるさま。本当に。真に。
(´・(ェ)・`)つ

920避難民のマジレスさん:2020/08/20(木) 19:11:10 ID:lVkxHBd60
いたずらのオチ
297

異類行中是我曾 異類かう中是れ我かつてせり
能依境也境依能 能は境に依りまた境は能に依る
出生忘却來時路 出生忘却す來時の路
不識當年誰氏僧 識らず当年たがうじの僧

くま訳
菩薩が死後も涅槃にとどまらず、六道輪廻に身を転じつつ、衆生を救うということを、我(老牛)かつて行ったのである。
境界は認識能力によって境界としてあり、認識能力も境界を認識する事でなりたっているのである
転生する時には、前世のことは全て忘れてしまうのだ。
現世でなんと言う名の僧になるかは誰もわからないのである。

おまけ:年譜・永亨四年(1432年39歳)
師年三十九歳冬携沅子遊泉 時有女子名彭(ほう)自殺 其夫請師秉炬(ひんこ)
其語曰 手裡吹毛 能死能活 小姑彭耶 一刀兩割擲火炬於背後赴荼毘會者
火星點衣 師一日入檀家 欄有老牛戯書一偈掛其角端云 
異類行中是我會 能依境也境依能 出生忘却來時路 不識前身誰氏僧

其夜牛斃矣 
翌日 牛主戯師 頌殺吾牛
師一咲

くま訳
一休師39歳、南江くんと、泉に遊びに行ったときに、ホウという女子が自殺をした。その夫に火葬の儀を頼まれた。
一休師は、お安い御用と引受けた。「よく生きて死んだホウよ」といって、サッとたいまつを投げ込んで、火葬の儀を
取り仕切った。
精進落しに一休師が檀家のところへ行ったところ、囲いの中に老牛が居たので、そのその角の端にいたずらで頌を書いた
・・297の詩

その晩老牛は死んだ。
翌日、牛の持ち主が一休師に戯れて言った。「一休さんの詩が、私の牛を殺した。」
一休師は、笑った。

うむ。一休さんは、泉の街の人から信頼され、愛されていたようである。」

*沅子:南江宗沅(なんこう そうげん)のことでありましょう。1387-1463五山文学者。一休に傾倒。永 
 享4年一休とともに和泉(いずみ)にいき,晩年は在俗にちかい生活をおくった。
*秉炬(ひんこ)火葬の儀
*火炬(たいまつ)
*欄: 木を横に渡した囲い
*南泉普願(なんせんふがん748〜835)南泉水牯牛
*潙山霊祐(いさんれいゆう771〜853)潙山水牯牛
*異類行中:仏果位以外の菩薩や衆生などの六道に生きる者をいう。異類中行は、異類の中を行く意味であ 
 り、発願利生する菩薩が成仏した後も涅槃にとどまらずに六道の衆生を救うことである。71の詩 参
 https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/589-n   >>762

水牯牛はバラモン教のなごりでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

921鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/20(木) 23:29:53 ID:1d4drIFg0
今は畜生に生まれたが来世は善いところに生まれよという意味じゃな。
死は必ずしも悲しむべきことでもないというのじゃ。
女子も牛も善事を重ねていれば善い所に生まれるのじゃ。
今の生まれは関係ないのじゃ。

922避難民のマジレスさん:2020/08/21(金) 20:33:57 ID:OIJS2RiY0
大燈が世界一
298
賛大燈國師   大燈國師を賛す
畫出面門無覆蔵 ゑがきいだす面門ふ蔵無し
須彌百億露堂堂 須彌百億露堂堂
徳山臨済若入室 徳山臨済若し室に入らば
螢火應須遇太陽 螢火まさに須らく太陽にあふべし

大燈國師を賛す
ゑがきいだす面門ふ蔵無し
須彌百億露堂堂
徳山臨済若し室に入らば
螢火まさに須らく太陽にあふべし

くま訳
頂相に描かれてるところに、包み隠すところ無く全てがあらわれている。
全世界に対して、威風堂堂たるものである。
徳山や臨済も、もし大燈の教を受けていれば
螢の光が太陽のように輝いたであろう。

*腹蔵・覆蔵(ふくぞう):心の中に秘め隠すこと。
*頂相(ちんぞう):禅僧の肖像画

299
音と悟りに付いての一考察
風鈴   1/2
静時無響動時鳴 じょうの時は響き無く動の時は鳴る
鈴有聲耶風有聲 鈴に聲あるか風に聲有るか
驚起老僧白晝睡 老僧が白昼の睡りを驚起す
何須日午打三更 何ぞもちひん日午の三更を打すを

柳田聖山先生訳
風が止むと声をたてず、風が起こると鳴るのは、
鈴が音をたてているのか、風が音をたてているのか。
昼寝を妨げるなら、
正午に夜半の時を知らせてくれるには及ばない。

くま訳
風が静かな時は響かず、風がおきると鳴る
鈴に音があるのか、風に音があるのか、
音に驚き起こされるのである、
わしが昼寝してるときに、
何で昼に夜警のような鐘を鳴ら必要があるのだろう。

うむ。ありのままの観察をしてるのでありますね。
カラスの声で悟った一休さんによる、音と悟りについての考察は、明日もつづく。
(´・(ェ)・`)つ

923鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/21(金) 22:59:12 ID:1d4drIFg0
↑そうかもしれん。
風鈴が鳴るのは風に音があるからなのか、鈴に音があるからなのか。
公案のようじゃのう。
縁に拠って起こるものと答えておくかのう。

924避難民のマジレスさん:2020/08/22(土) 14:23:26 ID:QXTWiZ2M0
300
風鈴   2/2
見聞境界太無端 見もんの境界はなはだたん無し
好是淸聲隠隠寒 好し是れせいせいいんいん寒し
普化老漢活手段 普け老漢の活手段
和風塔在玉欄干 風にかして塔在す玉欄干

柳田聖山先生 訳
見聞きの相手は、些か気が散りすぎる、
ちょうどよいのは爽やかでそれとは見えぬところだろう。
普化老人の腕の見せ所も、
風ぐるみでは玉のおばしまにひっかけた感じだ。

くま訳
聞聲悟道 見色明心の道は極めて偶然に起こるのである。 
静かなことは好ましいが、静けさは清らかさの中に覆い隠してしまうのである。
普化老漢の、悟りへ導く為の手段なのである(本人が予期しない音をたてることは)
和やかな春風〈悟り)が寝室(心)のわずかに開けた窓から欄干に流れるのを感じるのである。(予期せぬ音で、
我が起こる瞬間に気づき、無我を悟るのである)

*見聞:聞聲悟道 見色明心 93の詩 参  
             https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/589-n >>924
*端無:何のきっかけもなく事が起こるさま。思いがけなく。偶然。
*寒い:貧しい・貧弱である・寒い
*普化(ふけ)和尚:瑞雲院法話のページより抜粋。
 奇僧として知られる唐代の人。生没年、生地、俗名などすべて不詳、馬祖大師の法嗣の盤山宝積(ばんざ
 ん・ほうしゃく)禅師に師事し法を密受したが、常に狂をよそおいその発言は尋常ではなかった。
 ・・・普化和尚は人の耳のそばで鐸を振り、あるいは鐸で人の背を打ち、そして相手が振り返ると言った。
 「我れに一銭供養せよ」。このようにおよそ人を見れば、相手の高下にかかわらず鐸を振ること一声した 
 ことから普化(普遍の教化)と号したという。
 唐の咸通(かんつう。860〜873)年間の初めごろ、滅を示すべく市に入り人々に言った。「我れに衣を

 枚供養せよ」。ところが人々が衣を与えても受けとらなかった。そこで臨済和尚が人をつかわして棺桶を 
 一つ与えると、普化はそれを受けとって言った。「臨済の小僧は饒舌だ」。そして皆に別れを告げて言っ
 た。「明日、東門へ行って遷化する」
 翌日、人々が連れ立って見送りに行くと普化は言った。「今日は日が悪い。二日後に南門で遷化する」。 
 人々が南門へ行くとまた言った。「明日、西門から出発するのが吉だ」。ところがその日も遷化せず、見 
 送る人がようやく少なくなってきた。そして四度目には北門へ行き、門の外に棺桶をかつぎ出すと鐸を振
 りながら自ら棺桶に入って亡くなった。それを聞いた人々が競って北門へ走り棺桶のふたを開けると、そ 
 こに和尚の姿はなくただ遠ざかる鐸の声を聞くのみであった。
 普化和尚を宗祖とする日本の普化宗は虚無僧(こむそう)の宗派である。
 ・・・普化和尚はいつも鈴鐸を持ち、これを鳴らしながら「明頭来明頭打、暗頭来暗頭打、四方八面来旋
 風打、虚空来連架打」と唱えて歩いていた。この偈を普化四打話とか普化鈴鐸偈という。

*和風塔在玉欄干:徐仲雅「宮詞」知恵袋・おうえつ 先生訳
 内人曉起怯春寒
 輕掲珠簾看牡丹
 一把柳絲收不得
 和風搭在玉欄杆 風に和して搭ざいす玉欄杆

 知恵袋・おうえつ 先生訳
 妻が朝起きて春の寒さに耐えなかったから、
 すだれを少し掲げて牡丹の花を見た。
 側の柳の垂れた枝を一束手に入れることができなかった。
 春風が玉の手すりから掠める。

(´・(ェ)・`)つ

925鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/23(日) 01:14:30 ID:1d4drIFg0
忠言は耳にいたしというのじゃ。
どんなに善い言葉も人には寒々しいのじゃ。
一休の布教も蛇足というのじゃ。
塔に玉の欄干があるがごとしなのじゃ。

926避難民のマジレスさん:2020/08/23(日) 03:01:29 ID:/74Q.gck0
>>925
鬼和尚、ありがとうであります。
なおしてみたであります。
300(修)
相手に気づかせるように見聞きさせることは、はなはだ難しいのである。
好いこと伝えても、反応は薄く、寒々しいのである。
普化老僧の教化法(鐸を振り、一声する)も、わしの話も、
玉欄干が邪魔をして、何も手に入れられなくしているようなものなのである。
(´・(ェ)・`)b

927避難民のマジレスさん:2020/08/23(日) 17:21:01 ID:cvVqWIyM0
266
井    1/2 
高下互看打氷輪 高下互ひに看る氷輪を打するを
衲僧轆々轉機輪 衲僧ろくろく機輪を転ず
安禪出定淸華暁 安禪出じょう淸華の暁
汲盡天邊月一輪 汲み尽くす天辺月一輪

くま訳

天空と井の中に冷たく輝く月が見る
禅僧は強烈な禅機を働かせる
一心に坐禅をして、本來あるべき所に戻り、
天に輝く月一つを汲み尽くすのだ

*氷輪(ヒョウリン):氷のように冷たく輝く月。
*安禅:いっさいの動揺を去り、身心安楽になるところから一心に坐禅を行なうこと。坐禅。
*淸華:栄華・ 権力や財力を得て、はなやかに栄えること。
*淸華家の略・公卿の家格の一。七家。九清華
(´・(ェ)・`)つ

928鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/24(月) 00:26:39 ID:1d4drIFg0
水車が回るように日々倦まずに精進すると成果も出るのじゃ。
安禅は清い華の如く暁を出だすというのじゃ。
そして天の月も汲みつくすと言うのじゃ。
月を映す水が無ければ月も映らないのじゃ。

929避難民のマジレスさん:2020/08/24(月) 20:20:34 ID:fBHCYJXA0
152
洛陽火後
寒灰充寒洛陽城 寒くわい充そくす洛陽城
二月和花春草生 二月花にくわして春草生ず
黄金宮殿依然在 黄金の宮殿依然として在り
勅下千秋萬國清 勅下って千秋万国清し

柳田聖山先生訳
京都炎上
寒々とした灰に包まれた洛北の街は
二月を迎えて早春の草花が生えだし
天子の在す御所のみが火災を免れて
日本は勅命により国家は安泰である 

くま訳
冷たい灰塵に埋もれた冬の京都の町
二月になり、春の花が咲く
皇居は依然として健在だ
天子の、御心とともに、いつまでも安泰であれと願う心が清いのだ。

*洛陽火:190年、後漢の洛陽に董卓火をかけ、戦乱が始まった 。1467年応仁の乱:大徳寺炎上。
*千秋萬(万):千年も万年もいつまでも健康であるようにと言う意
(´・(ェ)・`)つ

930鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/24(月) 22:34:19 ID:1d4drIFg0
応仁の乱では京都も焼け野原になったというのう。
皇居だけは焼けなかったというのじゃ。
それもみんなが消火に励んだからじゃろう。
そのように安泰を願う気持ちが尊いのだというのじゃ。

931避難民のマジレスさん:2020/08/25(火) 21:42:02 ID:peDpOx2g0
涅槃堂でも笑いをとりたい、一休さん。
153
涅槃堂
眼光落地涅槃堂
自悔自愧螃蠏湯 自ら悔い自ら愧ずほうかいのとう
七手八脚萬劫苦 しちしゅ    の苦
無常刹鬼火車忙 無常の    忙はし

くま訳
死を迎える場所である涅槃堂
後悔して、恥かしく思うのは、蟹汁を食すなどの贅沢をしたことだ。
多くの人が寄ってたかって、世話を焼きに来るのが、なんともも心苦しいことである。
悪行を積み重ねた末に死んだ者の亡骸を奪うとされる妖怪も忙しいことであろう。

*螃蠏(ほうかい):蟹
*七手八脚:多くの人が一斉に慌ただしく動き回る,皆が寄ってたかってやる.
*劫苦:長い期間続く苦しみのこと
*殺鬼:万物をほろぼし去る無常をたとえていう語
*火車/化車(かしゃ):悪行を積み重ねた末に死んだ者の亡骸を奪うとされる日本の妖怪
(´・(ェ)・`)つ

932鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/25(火) 22:46:53 ID:1d4drIFg0
人が死ぬ時には自ら悔い愧じるものじゃ。
それを閻魔の裁きと解釈したりするのじゃ。
死に際には湯に落ちた蟹の如く手足をばたばたさせて苦しむのじゃ。
禅語では蟹の如く手足をばたばたさせる様を七手八脚といったりするのじゃ。
無常の羅刹鬼が乗る火車も忙しく走り回るのじゃ。
生きている内に善事をつむと善いのじゃ。

933避難民のマジレスさん:2020/08/25(火) 23:32:49 ID:peDpOx2g0
>>932
鬼和尚、ありがとうであります。
あらためて検索したら、出てきたであります。
柳田聖山先生著・禅語の発掘(キャッシュ)より
『無関門』の第三十五に、倩女離魂の公案がある。もと、唐代の伝奇小説『離魂記』からとったもので、こ
の相い寄る魂のものがたりは、よほど人々の関心をひいたものとみえ、元代には、別に雑劇の一つにもなっ
ている。
ところで、無門はこの公案の説明のうちに、「驀然として地水火風の一散するとき、湯に落ちたる螃蟹のご
とくに七手八脚ならん」といっている。断末の際、肉体を構成する四つの要素が空にかえるとき、われわれ
はあたかも熱湯の中におとされたカニのように、もがきくるしむほかはないとういう意味である。螃蟹はカ
ニの俗称、七手八脚は手足をバタバタさせる形容である。カニのたとえは、じつは雲門の説法からきている。

忽ち一日、眼光の地に落つるとき、前頭に什麼を将って抵擬せん。湯に落ちたる螃蟹に似て、手忙しく脚乱
るること莫かれ。你が掠虚に大話を説く処無からん。(『伝燈録』巻十九)

これで明らかなように、「七手八脚」は手忙しく脚乱るる様子である。『五燈会元』の仏照徳光の説法にも、
「七手八脚、三頭両面、耳は聴くも聞えず、眼は覷るも見えず」とある。この場合は、カニではなくて人間
のことである。せっぱつまると、人間でも手足が八本、顔が二個あることになるらしい。
(´・(ェ)・`)b

934避難民のマジレスさん:2020/08/26(水) 00:29:14 ID:peDpOx2g0
153修正くま訳
修正くま訳
死を迎える場所である涅槃堂では、
悔い、愧じて、湯に投ぜられた蟹のようにもがくものなのだ。
手足をばたつかせて永遠の苦しみのように感じるのだ。
悪行を積み重ねた末に死んだ者の亡骸を奪うとされる妖怪も忙しいことであろう。
(´・(ェ)・`)b

935避難民のマジレスさん:2020/08/26(水) 19:41:44 ID:5PNHw7hQ0
師家養成講座 譬喩の使い方
155   1/2
倭國以譬喩作實 倭国比喩を以って実となす 
勘辨入邪毒気深 勘弁邪に入って毒気深し
元非君子小人心 元君子に非ず小じんの心
暗認譬喩作實會 暗に比喩をとめて実ゑをなす
苔衣雲帯楽天吟 たいえ雲帯楽天が吟

くま訳
日本では、遠まわしな比喩で、物事を伝えようとする。
修行者の力量を測るのに間違った方法をとれば、毒になってしまう。
元々学識の深い人格者ではなく未熟な相手には、
遠まわしな比喩を使い、実際の指導効果をもたらすのである。
山の景観について、苔むした岩は衣の様であり、山肌にまとわる白雲は帯の様であると、謡曲白楽天に詠ま
れているような感じに、比喩を使うのである。

*譬喩:教説の意味内容を理解しやすくするために、実例や寓話などを用いて説明すること。釈尊は説法に

 際して譬喩を巧みに用い、大乗・小乗を通じて諸経論に多くの譬喩が説かれている。
*勘辨:禅宗で、修行者の力量や素質を試験することにいう。
*邪:心がねじ曲がって正しくないこと。また、その人。よこしま。不正。
*君子:学識・人格ともにすぐれた、りっぱな人
*苔衣:僧・隠者などの着る粗末な衣服。こけごろも。こけのたもと。こけのきぬ。

しかる時には比喩は使わない一休さん
156    2/2
今時日用誰人道 こんじ日用たれ人かいふ
超越佛祖是野老 仏祖を超越す是れや老
這般輩法中畜生 しゃ般のともがらほっ中のしゅくさん
胸襟愚不鋤荒草 胸襟愚にしてくわうさうをすかず

くま訳
今時、日常の振る舞いに付いて誰が指摘するだろうか。
仏祖をも超越する一休爺さんくらいなものである。
今時の輩は僧であっても畜生である。
心うちが愚であり、心中迷いの中にあり、目もあてられぬ有様である。

*法中(ほっちゅう・ホウジュウ)多くの僧をさしていう。僧の仲間。
*荒草曾て鋤かず:臨済録の「上堂」にある、言葉。「心中の迷いの茫々たり。目もあてられぬむさむさし
さ」
(´・(ェ)・`)つ

936鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/26(水) 21:40:40 ID:1d4drIFg0
>>933 そうじゃ、禅語では世間の言葉と違う用法をするから気をつけなければならんのじゃ。
 後ろ禅と追加して検索すると善いのじゃ。

937鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/26(水) 21:43:38 ID:1d4drIFg0
もはや乱世になって誰が道を行くのかとと嘆いているのじゃ。
ただこのじいさんだけというのじゃ。
僧と名乗るものでも畜生に等しいのじゃ。
本心には触れもせずほったらかしでは修行にもならないのじゃ。

938避難民のマジレスさん:2020/08/27(木) 20:18:06 ID:cj1chvzQ0

自分の正しさが理解されずに、嘆いてみせる一休さん
158
示禮佛組禱福力僧 仏祖を礼(らい)し福力を祈る僧に示す
覊客恨多天地人  きかく恨み多し
愚哉鬼窟舊精神  愚なる哉鬼窟の旧精神
元來諸法従縁起  元來諸法縁によって起こる
風月沈吟一箇貪  風月沈吟一個の貧

くま訳
仏を拝んでご利益を祈る僧に示す
束縛の多い人生行脚、恨みが多いこの世である。
愚かなことである、ものの道理に暗い、古い物事の考え方
元來諸法は縁起によって起こる。
風月をめでて、作詩に耽るのも、三毒の一つ貪であるというのだ。

羈客:旅客
羈絆(きはん):牛馬をつなぎとめるものの意。行動する者の妨げになるものや事
福力:福徳の力。財に富んで勢力のあること。また、その人。
鬼窟:知識が開けないで、ものの道理にくらいこと。また、そういう所や仲間。転じて、くだらないことの
意にもいう。

名僧紹介
159
賛慈恩窺基法師 じおんきき法師を賛す
窺基三昧獨天眞 きき三昧独り天眞
酒肉諸経又美人
座主眼睛猶若此 ざすの眼睛かくの如し
宗門唯有箇宗純    個の宗純有り

くま訳
慈恩大師を讃える
慈恩大師は独り三昧に入り、諸法の本然の姿を知っている。
酒肉を食らい、諸経を修め、又美人を愛す。
一山首席の僧の真実を見抜く力とは、かくの如きものである。
大徳寺宗門では、独り宗純のみがそれを持つのである。

*慈恩窺基法師:慈恩大師・(632-682)唐代、法相宗を起した。玄奘三蔵に師事『成唯識論』を注釈して
 『成唯識論述記』『成唯識論掌中枢要』を著し、『唯識三十頌釈』中の護法の釈論を中心に据えて、真諦
 (しんだい)訳を中心としたそれまでの唯識説を批判し、新唯識説を打ち立てた。
 出家するにあたって、師の玄奘に、女色と酒肉を断たないことを条件として要求し、僧となってからは酒
 、女、そして経典をのせる三つの車を率いたという逸話から、三車法師というあだ名がつけられたという。 
 しかし、「宋高僧伝」における玄奘と基とのエピソードは学術的には信頼性に欠けるものとされ、この逸
 話を記載する「宋高僧伝」自身も、基自らが「自序」において語る来歴との齟齬から、もし基が事実を述
 べているとするなら、誹謗中傷の説であると述べている。
*座主(ざす):住職最上位の別称
(´・(ェ)・`)つ

939鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/27(木) 22:29:27 ID:1d4drIFg0
酒色を嗜む自分を同じく嗜む慈恩の宗門と詠っているのじゃな。
真の悟りを得ればもはや酒色も囚われずに嗜むのじゃ。
それが出来るのは自分と慈恩のみというのじゃ。

940避難民のマジレスさん:2020/08/28(金) 20:57:42 ID:RoJ3t8Ms0
うむ。寺経営は難しいのでありましょう。
157
行脚
咸陽金玉幾楼臺 咸陽の金ぎょく幾楼台
方寸封彊歸去来 方寸のほうきょう帰へんなんいざ
一箇出頭天外看  一個天外に出頭して看れば  
須彌百億草蛙埃 しゅみ百億草あいのちり

くま訳
咸陽の黄金と宝玉を散りばめ幾重もの楼台に囲まれた阿房宮(如意庵)を出て
狭いどての庵に帰るぞ!いざ!
迷妄の雲を 突き破って悟り、天の外に 飛び出せば、
須彌山(世界)が百億あっても、そんなものは、草履の塵にに過ぎないと分かるのだ。

*封彊(ほうきょう):どて
*帰去来(ききょ らい):陶淵明(とうえんめい)「帰去来辞」より。故郷に帰るために,官職をやめてそ
 の地を去ること。「かえりなんいざ」と訓読されてきた。
*出頭天外看 :迷妄の雲を 突き破って 天の外に 飛び出してみなさい
(´・(ェ)・`)つ

941鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/28(金) 22:45:06 ID:1d4drIFg0
なかなか壮大な詩なのじゃ。
黄金や宝玉をちりばめた楼台より、狭い我が家に帰るほうがよいというのじゃ。
天の外まで頭を突き出せば、チョモランマも草履の塵なのじゃ。
それは観念ではなく実感なのじゃ。
ブラフマンの法なのじゃ。

942避難民のマジレスさん:2020/08/28(金) 23:17:01 ID:RoJ3t8Ms0
>>941
鬼和尚、ありがとうであります。
明日取り上げる詩が、明確に如意庵脱出の際の詩なので、それに引き寄せられて、狭く解釈
してしまったであります。
気宇壮大な悟りの詩と解釈したほうが、良いで有りますね。
くま訳の(如意庵)を削除するであります。
(´・(ェ)・`)b

943避難民のマジレスさん:2020/08/29(土) 18:24:05 ID:hDzlT5kk0
如意庵脱出大作戦
160
将入山中      将に山中に入らんとして  
一偈書屋壁以示衆去 一偈を屋壁に書し以って衆に示して去る  
愧慚禍起自蕭墻   愧慚す禍のせうしゃうより起こるを    
我見折人如劍鋩   我見人をひしいでけんぼうの如し
從此空山幽谷路   此れより空山幽谷の路
誰人來踏板橋霜   たれ人か来ってはんけうの霜を踏まん

くま訳
これより寺を出て、山に入ろうとするに際して
偈を一首、屋壁に書き残し、皆に示した
残念で愧ずべきなのは、寺内の内輪もめにより禍が起こったことである。
我見、相手を圧し潰す、剣の切先のような偈を書き残した。
これより、空山幽谷へ旅立つ
一体誰が、訪ねてきて、板橋の霜を踏むというのか。

*偈(げ、サンスクリット語: gāthā)とは、仏典のなかで、仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに韻文
 の形式で述べたもの。「偈陀(げだ)」「伽陀(かだ)」とも音写し、意訳して「偈頌(げじゅ)」とい 
 う。対して散文部分を「長行」という。中国日本の偈禅僧などが悟境を韻文の体裁で述べたものを「偈」
 と呼ぶ。中国の偈は押韻しているのが普通であるが、日本人の詩偈と呼ぶ儀式に使用される法語には破格 
 のものも多い。

*蕭牆の患い(しょうようのうれい):一族の内輪もめ。内乱。「蕭牆」は君臣の会見所に設けた屏風。
*我見:①自分だけの狭くかたよった意見や見方。② 「我執(がしゆう)」に同じ。
*折ぐ・拉の異字体(ひしぐヒサグ)押しつぶす。ひしぐ。押されてつぶれる。ひしゃげる。
*剣鋩・剣芒(けんぼう):つるぎのきっさき。剣鋒

一休さん47歳 大徳寺で華叟和尚の十三回忌があり、放浪中の一休さんも参加。大徳寺の人の要請で山内の
如意庵に住むが、嫌気して十日で出ていってしまった。そのときの偈↓ くま訳は後日

住庵十日意忙忙
脚下紅絲線甚長
他日君來如問我
魚行酒肆又淫坊
(´・(ェ)・`)つ

944鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/29(土) 22:32:40 ID:1d4drIFg0
>>942 そうじゃ、一休も全てになったのじゃ。
 全てが全ての境地なのじゃ。

945鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/29(土) 22:34:30 ID:1d4drIFg0
寺に内輪もめが起きて捨てたというのじゃ。
出家の出家なのじゃ。
もはや誰も来ないところに行くというのじゃ。
しかしやはり戻ったりするのじゃ。

946避難民のマジレスさん:2020/08/30(日) 13:10:00 ID:GUs4LvF60
手紙の書き方講座(近況・お礼・用件・励まして、締め)
161
示山中典座   山中典座に示す
皈宗一味日興餘 きすの一味にっきょうの余
典座山中功不虚 典座山中功虚しからず
休覓浄名香積飯 浄名のこうしゃくのはんをもとむるをやめよ
何時饍有美雙魚 何れの時か膳に美双魚あらん

くま訳
如意庵の典座に示す
わしは、帰宗の一味禅のように、余計な事に囚われずに、本来の修行生活に戻り、日々興じているよ。
典座の如意庵における功績は、大であった。
ただ、在家の富豪の信者に豪華な食事の提供を求めるのはやめなさい。
そのうち、良い便りがあるさ。

*典座(てんぞ)禅宗用語。禅林において座具,炊飯,料理を司る僧侶の役職名。重要な役なので高潔の僧 
 が選ばれる。
*歸宗:帰宗智常・馬祖の弟子
*浄名:維摩詰(ゆいまきつ)」。漢訳して「浄名」「無垢称」〕 古代インドの毘舎離(びしやり)城の
 富豪で、釈迦の弟子となり在家のまま大乗仏教の奥義に達したと伝えられる人物
*香積飯(こうしゃくはん):「維摩経‐下・香積品」香積如来の食べるご飯。転じて、僧の食べる物を
 敬っていう。
 香積如来:この世界の上方にある、すべてが香気を放つという衆香世界の仏。
*双魚・:遠来の客が置いていった2匹の鯉 (こい) の腹中に手紙があったという「古楽府 (こがふ) 」  
 の故事から、手紙のこと。
(´・(ェ)・`)つ

947鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/30(日) 22:05:26 ID:1d4drIFg0
出家でも名声や美食を求める者が居たのじゃな。
そのようなものを求めるのは止めよというのじゃ。
全ての世を捨てるのが出家であるからのう。
真の喜びは自らの心の中にのみあるのじゃ。

948避難民のマジレスさん:2020/08/31(月) 20:00:47 ID:1yezVXyg0
宮沢賢治憧れの菩薩紹介(けど、一休さんは、黙ってない)
162
禮常不軽菩薩  常不きょう菩薩をらいす
記得昔年常不軽 記どくす昔年の常不軽
可惶血気衆生情 おそるべし血気衆生の情
看看火宅脚跟下 看よ看よ火宅脚こん下
滿目無間獄大城 満目無間獄の大城

くま訳
常不軽菩薩を礼拝する。
昔覚えた常不軽菩薩。
おそるべし、旺盛な活力、生きとし生けるものの心の働き。
見よ足元の、煩悩、苦に満ちた娑婆世界を
見渡す限り無間地獄の大城だ

*常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ、梵:Sadāparibhūta):法華経に登場する菩薩である。釈尊の前世の
 姿であったとされる。常不軽菩薩は自身が誹謗され迫害されても、他人を迫害するどころか、仏法に対す 
 る怨敵などと誹謗し返さなかった。この精神や言動は、宗派を問わず教理を越えて、仏教徒としての原理 
 的な行動・言動の規範としてよく紹介引用される。
 宮沢賢治は、この菩薩のように生きたいと手帳に書いて常に持ち歩いていた。
*血気:旺盛な活力、気力
*火宅:煩悩、苦に満ちた此の世、娑婆世界
*無間獄:無間地獄:八大地獄の一つで、八熱地獄の八番目、最下底の地獄。「五逆」と「謗法ほうぼう
 (仏法を誹謗ひぼうすること)」の大罪を犯した者が落ちて、絶え間なくきびしい責め苦を受ける所とさ 
 れる。
(´・(ェ)・`)つ

949鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/31(月) 22:21:50 ID:1d4drIFg0
もはや乱世も近く血気盛んな若衆もいたのじゃろう。
傍若無人な者を見ては世も末であると嘆いていたのじゃろう。
一切皆苦の火宅に喜びはないのじゃ。
火宅から無間地獄に行かないように謙虚に生きるのじゃ。

950避難民のマジレスさん:2020/09/01(火) 20:16:53 ID:CccXjOcY0
事件であります
163   1/2
前年辱賜大燈國師頂相 前年大燈國師の頂相を賜ふことをかたじけなうす
予今更衣入浄土宗   予今えを改めて浄土宗に入る
故茲奉還栖雲老和尚  故にここにせい雲老和尚に還し奉る 

離却禪門最上乗    禅門最上乗を離却して
更衣浄土一宗僧    えをかふ浄土一宗の僧
妄成如意霊山宗    みだりに如意霊山の衆と成って
嘆息多年晦大燈    嘆息す多年大燈をくらますことを

くま訳
前年大燈國士の肖像画を頂いたことを、かたじけなく思います。
私はこれから、僧衣を改めて、浄土宗に改宗します。
故に、ここに、栖雲老和尚に対して、画を返還し奉る。

禅門最上の達磨の禅を離却して、
僧衣をかえて、浄土宗の僧になります。
今まで無分別にに、如意庵や徳禅寺で僧となり、
嘆き、苦しんでいます。長年大燈國師の法灯をたぶらかしてきました。

*頂相(ちんぞう・ちんそう・ちょうそう)または頂像は、禅僧の肖像画、または肖像彫刻のこと。
*最上乗禅:達磨の系統の禅をいったもの(この上ない乗り物としての禅の意)。中国唐代の宗密が、禅に
 外道禅・凡夫禅・小乗禅・大乗禅・最上乗禅があるとしたのによる。

結局、最後には大徳寺住持になり、今やその墓所は宮内庁管理下でありますから、臨済宗と浄土宗で、一休
さんの取り合いでありましょうが、本人にとってはどうでも良い事なのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

951鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/01(火) 22:48:32 ID:1d4drIFg0
そうじゃ、もはや宗派などどうでもよいのじゃ。
どこにでも行ったりきたりするのじゃ。
自在なのじゃ。
今までこんなに自由だった者はいなかったじゃろう。
これからもいないじゃろう。
それが一休が愛される理由なのじゃ。

952避難民のマジレスさん:2020/09/01(火) 22:57:32 ID:BDVNOiQA0
うむ。で、ありますね。
すっかり、とりこのくまであります。
(´・(ェ)・`)b

953避難民のマジレスさん:2020/09/02(水) 13:45:30 ID:tKAk9nHE0
鬼和尚さま

2才半になる子どもを育てているのですが、食べむらや偏食があり、栄養が心配なのでアドバイスお願いします。

具体的には、小食で、バナナや甘い物ばかり食べたがり、野菜は、カレーやミートソースなど、みじん切りかペースト状のものしか食べません。
お好み焼き、麺類はほとんど食べません。
ご飯は食べず、バナナ牛乳だけ飲むなんてことも多いです。
カレーやミートソースも頻繁だと飽きて食べなくなります。
野菜類がうまく食事でとれない時は、野菜ジュースを飲んで貰うようにしてます。
野菜ジュースは、スーパーで200円代で売ってる果物入りの物です。
西式健康法の本を読んだことがあるので、野菜は野菜ジュースでとれればいいかと思っていたのですが、果物入りで甘く、鮮度も良くないでしょうし、体に良いのか心配になりました。
もし、市販品で良いものがあれば教えていただけないでしょうか。

また、ナッツ系にアレルギーがあります。
甘い物の食べすぎでアレルギーになってしまったのでしょうか?

よろしくお願いします。

954避難民のマジレスさん:2020/09/02(水) 13:47:02 ID:tKAk9nHE0
953です。
すみません。
書くところを間違えました。
相談のところに書きます。

955避難民のマジレスさん:2020/09/02(水) 20:37:07 ID:giq2kMYI0
164    
前年辱賜大燈國師頂相 2/2 
狂雲大徳下波旬 狂雲大徳下のはじゅん
會裡修羅勝負嗔 えりの修羅勝負いかる
古則話頭何用處 古則話頭何の用じょぞ
幾多辛苦數他珍 幾多の辛苦他の珍を数ふ

くま訳
狂雲は大徳寺の悪魔のような奴らと、
一休会下の醜い争いに怒っているのである。
古人が残した手本や公案を用いるような場合ではないのだ。
幾多の辛苦を経ることにより、他の者が滑稽な誤りを犯していることに気づけるようになるのだ。

*波旬:サンスクリット語のパーピーヤス、パーリ語のパーピマントの音写で、悪意(パーパ)ある者の意。
仏や仏弟子を悩ます悪魔、魔王として登場し、しばしば魔波旬(マーラ・パーピマント)とよばれる。魔
(マーラ)は殺す者の意。個人心理的には安定(悟り)に対する不安定(煩悩(ぼんのう))の、集団心理的
には新勢力(仏教)に対する旧勢力(バラモン教)の象徴と考えられる。
*修羅:阿修羅(あしゅら、梵, 巴)六道の一つであり、戦闘をこととする鬼類。
(´・(ェ)・`)つ

956鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/03(木) 00:25:02 ID:1d4drIFg0
わしは悪魔じゃとかいうのじゃ。
修行は阿修羅が怒りて勝負する如しなのじゃ。
いにしえの手本など通用しないのじゃ。
さんざん苦労して修行してこそ真に尊いものを知ることが出来るのじゃというのじゃ。

957避難民のマジレスさん:2020/09/03(木) 00:49:17 ID:iMRndr5k0
>>956
鬼和尚、ありがとうであります。
くま訳改
狂雲は大徳寺の悪魔である
一休会下の者たちは、阿修羅の如く修行せよ。
古則考案等も修行のために使わなければ無意味である。
幾多の辛苦を乗り越えてこそ、真に尊いものに出会えるのだ。
(´・(ェ)・`)b

958鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/03(木) 22:39:00 ID:1d4drIFg0
↑そのような感じじゃな。
なかなか厳しいことをいうのじゃ。
修行も命がけでやらなければ意味がないというのじゃな。
昔は徹夜で座禅するのもあたりまえだったというのじゃ。
真摯に悟りを熱望すれば悟道も向こうからやってくるのじゃ。

959避難民のマジレスさん:2020/09/03(木) 22:51:30 ID:U//D.ckI0
一休さん、宣戦布告!
165
自山中昄市中  山中より市中に帰る
狂雲誰識属強風 狂雲たれかしらん強風に属するを
朝在山中暮市中 あしたに山中に在り暮には市中
我若當機行棒喝 我若し機に当たって棒喝を行ぜば
徳山臨済面通紅 徳山臨済面通こう

くま訳
山(譲羽山)から(京都)市中へ帰るのだ
狂雲が、実は狂風だとは誰も知るまい。
朝、山中に居たと思ったら、夕方には市中に居るのだ。
わしが、臨機応変に、棒喝を駆使したら、臨済や徳山でも、ビビッて赤面するであろう。

*山:譲羽山
*風狂:中国の仏教、特に禅宗において重要視される、仏教本来の常軌(戒律など)を逸した行動を、本来
 は破戒として否定的にとり得るものを、その悟りの境涯を現したものとして肯定的に評価した用語である。
*臨済の喝徳山の棒:「伝灯録」・臨済禅師はよく大喝を与え、徳山和尚はよく痛棒を加えたことから、  
 禅宗の修行のきびしさのたとえ。

一休さんの師家養成講座
166
竹幽齋
香厳多福主中賓 きゃう厳多福主中のひん
密密参禪到要津 密々参禪要津に到る
六六元來三十六 六六元來三十六
清風道處有佳人 清風動く処佳人有り

くま訳
竹幽斎
香厳は、とても幸運だった。師匠には力量が無かったが、本人に力があった。
独り緻密な瞑想に取組むことこそが、悟るための重要な手段なのである。(知識ではないのである)
六×六は三六。道理にかなった結果である。
清らかな風が吹くところには、美人が居るものである。

*竹幽斎:香厳智閑(きょうげん・ちかん。?〜898)道を掃除している時に、竹に小石が当たり、響いた
 音を聞いて(撃竹)を聞いて大悟す、故に之を云ふ
*佳人:美人。此の佳人、大悟底の因縁なり。
*要津:迷いの海を渡りさとりの彼岸に達するための重要な手段、方法。港
(´・(ェ)・`)つ

960避難民のマジレスさん:2020/09/03(木) 23:10:09 ID:U//D.ckI0
おまけ①:四賓守(飛不動HP解説)  
 四賓主は、賓と主、二人の能力の関係を四通りに分けたものです。賓は客、主は亭主。通常、客が修行者、
 主は師となります。
 ① 客看主 「客、主を看る」
  修行者が力量のある者で、師に力量がない=劣る場合。
 ② 主看客 「主、客を看る」
  師に力量があり、修行者に力量がない=劣る場合。
 ③ 主看主 「主、主を看る」
  師も修行者も、ともに優れた者の場合。
 ④ 客看客 「客、客を看る」
  師も修行者も、ともにまだ悟っていない力量不足者同志の場合。

以上は臨済宗の場合で、曹洞宗では、
 ①主中賓 ②賓中主 ③主中主 ④賓中賓 と表します。

 ① 修行者に見破られている状態。
 ② にわか住職に見破られている状態。
 ③ 共に悟りの眼があり、禅の話をして相通じる状態。
 ④ 共に悟りの眼がないので、お互い話がチンプンカンプンの状態。

おまけ②:四料簡 しりょうけん(飛不動HP解説) @前スレ31〜34の詩・参
こちらも臨済義玄禅師が提唱したもので、臨機応変に修行者を導くことを示した四種類の指導方法です。

1、奪人不奪境だつにんふだつきょう 
  修行者が自分を見つめることを否定して、現象とか環境に没入させる。
2、奪境不奪人だつきょうふだつにん 
  修行者が現象とか環境に没入することを否定して、自分のみ見つめさせる。
3、人境両倶奪にんきょうぐだつ 
  修行者を徹底的な無の境地に導く。
4、人境倶不奪にんきょうぐふだつ 
  修行者に、すべてありのままに受け止めさせて、何ものにも束縛されない境地に導く。

これも日常生活に置き換えてみることができると思います。

1、ある時は、自分を忘れて相手を生かす。
2、ある時は、相手を無視して自分だけで振舞う。
3、ある時は、自分も相手も忘れる。
4、ある時は、自分もあり、相手もある。"
(´・(ェ)・`)つ

961鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/05(土) 00:18:34 ID:1d4drIFg0
本人が強く悟りを求めていれば師匠がいなくても悟れるのじゃ。
マハリシのようにのう。
日々精進してこそ悟りもやってくるのじゃ。
六根六強の凡人も元来仏なのじゃ。
修行してきた者にのみわかる道理も在るのじゃ。

962避難民のマジレスさん:2020/09/05(土) 02:43:46 ID:0F70uATg0
>>961
鬼和尚、ありがとうであります。
くま訳改
香厳には、幸いなことに、本人に悟りを求める力があった。
独り緻密な瞑想に取組むことこそが、悟るための重要な手段なのである。
六根に囚われる凡人も、元来仏なのである。
形式に囚われず、ありのままに気づく修行を続ければ、悟りがおとずれるのである。

*六六:六根六強:六根「感覚や意識を生じ、またそれによって迷いを起こさせる原因となる六つの器官」に強 
 く囚われる。
*三十六:仏の「三十二相」を七言三十六句 (または四十句) の韻文にした声明の句数から「仏」のこと。
*清風道:清風動脩竹・『普燈録』上堂・・形式に囚われず本質をありのままにとらえること・・でありま 
 しょうか
(´・(ェ)・`)b

963鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/05(土) 22:27:53 ID:1d4drIFg0
六強は六境の間違いだったのじゃ。
変換間違いじゃな。
六根の認識対象なのじゃ。
色声香味触法なのじゃ。

964避難民のマジレスさん:2020/09/05(土) 23:37:53 ID:nenS2e0o0
>>963
鬼和尚、ありがとうでであります。
くま訳改改
感覚や意識とその認識対象を分別し、認識主体ありとする凡人も、本来仏なのだ。
(´・(ェ)・`)b

965避難民のマジレスさん:2020/09/05(土) 23:55:36 ID:nenS2e0o0
臨終に立ち会う際の心構え
167
我病不及良薬効験 我が病良薬の効験に及ばず
不及経呪霊験   経呪の霊験に及ばず
逐日窮困     日逐ふて窮困す
有我情識儞等諸人 我が情識有るときなんぢら諸人
縦雖刹那     たとひ刹那と雖も 
縦雖一念     たとひ一念と雖も
成真正工夫    真正の工夫を成し
窮決未了處    窮決未了の処
到着實處     実処に到着せば
諸魔障頓除    諸の魔障頓(とみ)に除いて
老懐如意耳    老懐如意ならんのみ
衆無對      衆こたへ無し

右霊山和尚因病示衆法語 右霊山和尚病に因って衆に示す法語
題其後云     其の後に題すと云ふ     

不須経呪亂心頭 経じゅの心頭を乱すことをもちひず
佛界伎窮魔界収 佛界伎窮まり魔界収まる
莫向愁人説愁意 愁人に向かって愁意を説く莫れ
相如雲雨渇望秋 相如が雲雨渇望の秋

くま訳
我が病は良薬の効果なく、
経呪を唱えてもご利益なし。
日をおって、悪化している。
我が心の迷いがあり、混乱しているとき汝等各人
仮に刹那であり、
仮に一念であっても、
真剣に、加持祈祷などの工夫をしてくれて、それでも、
最終的な解決法がもたらされないとき
現実の結果(死)が出れば、
(心をかき乱す)魔性はただちに取り除かれるものであるよ。
死を前にした年寄の願いはそれだけである。
修行僧たちは、一言も無かった

この霊山和尚病に因って修行僧に示した法語
其の後にと題して

経呪を唱えるなど、心を混乱させることする必要は無い。
仏界の智慧の技が窮まれば、魔界を鎮めることができる。
愁い悲しむ人に対して、愁い悲しみを説くことなかれ。
一緒に、エッチなことでもしに行きたくなる秋ですね。とでも言えば良いのである。

*情識:心。迷いの心。本能のままの心の作用
*工夫:参禅修行に励み、様々な努力を重ねる
*魔障:仏道の修行の妨げをなすもの。また、悪魔。
*相如(しゃうじょ): 性質や状態などが互いに匹敵する。
(´・(ェ)・`)つ

966鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/06(日) 22:45:36 ID:1d4drIFg0
経典も呪文も頭を乱すのみというのじゃ。
仏界も無く、魔もない究極の境地に行くのじゃ。
自己を持つものに自己を説いても無意味なのじゃ。
それは雲や雨が秋を渇望しているというようなものなのじゃ。
己を極めれば自然に悟りはやってくるのじゃ。

967避難民のマジレスさん:2020/09/07(月) 19:18:00 ID:RoJ3t8Ms0
>>966
鬼和尚、ありがとうであります。
くま訳改
経呪を唱えるなど、心を混乱させることしてはならない、
仏界の智慧の技を窮め、魔界を鎮めて、仏界、魔界の彼方へ行くのだ。
愁い悲しむ自我がある者に対しえ、愁い悲しむ自我を説くことは無意味である。
それは、雲や雨が秋を渇望しているようなものである。観念を追うのではなくて、ありのままをありのままに極めるのだ

*窮まる:①極限に達する。②この上なく…である、きわめて…であるなどの意を表す。
 ③(「谷まる」とも書く)行き詰まって困りはてる。④終わる。尽きる。⑤結論が出る。決まる
*収まる:取り入れる。 乱れがしずまる。2.おだやかに落ち着く
*愁い:①悪い状態になることを予想し心配すること。不安。②心中にいだくもの悲しい思い。憂愁。③災 
 い。難儀。
(´・(ェ)・`)b

968避難民のマジレスさん:2020/09/07(月) 19:22:12 ID:RoJ3t8Ms0
覚者の真の心境
168
人境懐古 1/2
境無心燈籠露柱 境は無心なり燈籠露柱
人辨別珠玉塊土 人は弁別す珠玉くわいど
一夜五十年前吟 一夜五十年ぜんの吟
青塚残月巫山雨 せいちょうの残月ぬざんの雨

くま訳
人里の思い出
感覚や意識の対象、その認識主体など無いのだ。ただ、ありのまま、燈籠やお堂の柱があるのみである。
人は宝玉と土塊を分別する。(が、本来何の違いも無い、従って、)
五十年前の一夜の吟
京都久津川青塚古墳に残月がかかる中、夢の中で契りを結んだ珠玉の思い出。(んなものに何の価値もないこ
とを、わしは知っておるのだ。)

*境:視覚 (眼) ,聴覚 (耳) ,嗅覚 (鼻) ,味覚 (舌) ,全身体的触覚 (身) ,心の感覚 (意) の6種の
 知覚器官 (六識 ) によって知覚される対象のことで,それぞれ,形 (色) ,音声 (声) ,匂い (香) ,
 味 (味) ,接触されるもの (触) ,考えられるもの (法) をいう (→六境 ) 。
*露柱:むきだしになった柱のことで、法堂や仏殿にある円柱のことを指す。瓦礫?や灯籠?などと同じよう 
 に、無情・非情な物の喩えに使われて、特に曹洞宗の宗乗では、この露柱こそが仏法を説いている無情説 
 法を会得せんとする。
*巫山の雲雨:楚の宋玉(屈原の弟子)の「高唐賦」序に楚の懐王が高唐に遊んだ際、疲れて昼寝している 
 と、夢の中に「巫山の女(むすめ)」と名乗る女が現れて王の寵愛を受けた、という記述がある。彼女は
 立ち去る際、王に「私は巫山の南の、険しい峰の頂に住んでおります。朝は雲となり、べは雨となり(旦
 為朝雲、暮為行雨)、朝な夕な、この楼台のもとに参るでしょう」と告げた。
 この故事から、「巫山の雲雨」あるいは「朝雲暮雨」は、男女が夢の中で契りを結ぶこと、あるいは男女
 の情交を意味する故事成語として用いられるようになった。
*懐王(かいおう、? - 紀元前296年)は戦国時代の楚の王
*青塚:京都久津川青塚古墳・報恩庵から歩いて1時間半
(´・(ェ)・`)つ

969鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/07(月) 22:03:00 ID:1d4drIFg0
六境無き心の灯篭は柱を露にするというのじゃ。
玉と土塊を分別するのは人なのじゃ。
一夜に五十年を前に吟唱するのじゃ。
青塚に月が残り、巫山に雨がふっていたのじゃ。

970避難民のマジレスさん:2020/09/08(火) 19:23:49 ID:1NnBepF.0
>>969
鬼和尚、いつもありがとうであります。
くま訳改
六境無き心の燈籠柱を露にする
珠玉と土塊を分別するのは人なのだ
一夜五十年前を吟じる
青塚に残月巫山に雨が降っていたのである

覚者の心境 その2
169    2/2
兩片皮復一具骨 両片ぴまた一具骨
島虫馬牛更魔佛 島虫馬牛更に魔佛
混沌未分暗昏昏 混沌未分暗昏昏
雲月知爲誰風物 雲月は知らぬ誰が為の風物ぞ

石井恭二先生訳
人には二つの耳たぶと、一そろいの骨が具わっている、
鳥虫馬牛、また魔仏と、さまざまだ。
天地が開けるまでは、すべては暗闇に包まれて混沌としていた、
雲や月は、誰かのための風物ではないことを知っている

くま訳
上下の唇、人体の骨
鳥虫馬牛更には仏魔
なにもかも混沌として、見分けがつかなくなる日暮れ時
雲月は誰かの為にあるわけではないのだ。
(´・(ェ)・`)つ

971鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/08(火) 22:53:58 ID:1d4drIFg0
両耳と頭蓋骨のある頭は一切衆生がもっているものじゃ。
鳥や虫や馬や牛や魔も仏さえも同じなのじゃ。
一切は混沌として分別できぬ同じものなのじゃ。
雲や月が風物とするのも人の分別なのじゃ。

972避難民のマジレスさん:2020/09/09(水) 20:29:03 ID:qC4HxYB20
>>971
鬼和尚、ありがとうであります。
くま訳改
両耳と頭蓋骨のある頭をもつ、
鳥虫馬牛、魔も仏も、
一切は衆生みな同じ。混沌として分別できないのでる
雲月を風物とするのも人の分別なのである。

ありがとう、達磨さん
170
渡江達磨    渡江の達磨 
脚下苦哉平地波 足下苦なるかな平地の波
誰人梁魏定聱訛 たれ人か梁魏にがうぐわを定む
西來莫道大難意 西来いふなかれ大難の意
河廣傳聞一葦過 かこう伝へ聞く一ゐ過ぐと

くま訳
達磨が梁から北魏に移る時、葦を折ってそれに乗り、揚子江を渡ったという伝説あり。
予想外の事が起こり、足下が苦しかったであろう。
だれが、梁と魏との複雑な関係を治めることができただろう。
インド、中国を経て仏教が伝わるのは大変困難であると言うなかれ。
確かに隔てる河は広かったが、既に達磨を乗せた小船が通り過ぎて行ったと聞いたのである。わしが、達磨
の正伝を説くのである。

*平地風波(へいちのふうは):予想外の出来事や事件のたとえ。または、自ら争いを起こすことのたとえ。
 穏やかなところに波風が立つという意味から。
*誵訛・聱訛(ごうか):「いりくんで、むつかしきこと」
*いちゐ(一葦):一葦とは小舟のこと。一葦とは一束のこと、一束の葦を浮べれば、これを桴〈いかだ〉 
 として渡ることを得るといふことから、一葦は小舟を指すことになる。
(´・(ェ)・`)つ

973鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/09(水) 22:51:15 ID:1d4drIFg0
達磨の渡江にかけて仏道の伝道を鼓舞しているのじゃな。
足の下には平地でも波があり、国境もあって伝道が困難じゃというのじゃな。
伝道にいろいろ苦難が有るという意味じゃな。
それでも伝道が困難とは言うべきではない、達磨は葦の船で大河を渡ってきたではないかというのじゃ。

974避難民のマジレスさん:2020/09/10(木) 19:31:39 ID:tQxP6Xgs0
>>973
鬼和尚、ありがとうであります。
くま訳改
脚下は苦労が絶えない、
誰が梁魏の国境を超えていくのか、、
それでも、伝道は困難であると言ってはならない。
既に達磨は、葦の船で大河を渡ってきたのである




森羅万象我が思い(唯識)
171
不嫌念起所 1/2
平生贏得蠚苴名 平ぜいかちえたりらその名
信口言詮群集驚 口にまかせてごんせんして群衆驚く
自讃毀他長情識 自讃毀他情識を長ず
乾坤江海我詩情 乾坤江海我が詩情

蔭木英雄先生訳
ふだん拙僧(一休は)嘉菖の名を頂戴しており
口まかせの言葉(艶詩や罵署雑言)に人々は驚いている 
自分をほめ他人をそしって情欲と小知を増長して
広い天地江海がそのままワシの詩情なのじゃ

くま訳
日ごろわしは放大胆であると評判なのだ。
口からでまかせの言葉が、群衆を驚かせているのである。
自分を誉めて、他人を貶すことは、自分の迷情を深めるのである。自他ありのままをとらえるのだ。
天地河海全てが我が詩情なのだ。森羅万象は我が思いの中にあるのだ。

*平生:1終生,一生,生涯,終身.2平素,日ごろ,日常,従来,これまで,ずっと.
*贏得(えいとく・かちえる):利益を得ること。獲得すること。
*蠚苴(らそ):放胆。荒々しい。
*信口:口から出任せに[しゃべる]
*言詮(ゲンセン):言葉で説明すること。また、その言葉。
(´・(ェ)・`)つ

975鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/10(木) 21:56:44 ID:1d4drIFg0
一休みは自らでまかせを言って民を驚かせていると自覚しているのじゃ。
自分をほめて他人を謗ると情の認識がよくなるというのじゃ。
自分を鼓舞しているのじゃな。
天地の全てが自分の詩じゃというのじゃ。

976避難民のマジレスさん:2020/09/11(金) 21:22:18 ID:sfCtiVOE0
172
不嫌念起所 2/2
脚下紅絲妻子盟 脚下の紅糸妻子の盟
驪山私語約三生 り山の私語三生を約す
良宵共愛夢閨月 良せう共に愛す夢けいの月
照看一聲望帝情 良せう共に愛す夢けいの月

くま訳
思いが起こる場面を、分け隔てしない
赤い糸で結ばれた妻女との堅い約束
驪山(華清宮)で湯浴みした楊貴妃のように美しい森と交わした三生の誓い
素晴らしい宵に、愛し合う夢のような閨(ねや)を照らす月
森は、声望の高い天子様の情を、照らし看ているのだ。

*驪山の麓にある、「華清宮」は楊貴妃が湯浴みしたことで有名
*閨:夜、寝るための部屋。寝間。寝室。特に、夫婦の寝室。
*声望:(せいぼう ばう):世間でのよい評判。名声と人望。
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
前スレ>>647 21の詩看森美人午睡で森w楊貴妃にたとえている。
前スレ>>943 99の詩で、「皇孫であることや誉れ高い噂を聞いて、森公はぼくを密かに慕っていることを
知って、ぼくも愛おしく思っていたんだよ。」と詠っている
(´・(ェ)・`)つ

977鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/11(金) 22:34:57 ID:1d4drIFg0
大体そのような感じじゃな。
艶歌なのじゃ。
これもまた一休の民を驚かせる詩じゃろう。
悟った者はもはや恋愛などしないとか思われているからのう。
やろうとすれば何でも出来るのじゃ。

978避難民のマジレスさん:2020/09/12(土) 14:47:22 ID:IheNw6bk0
173    1/3
不邪淫戒 三首 
痛飲誰家楼上謳 痛飲たが家の楼上の歌ぞ
少年一曲亂心頭 少年の一曲心頭を乱る
阿難逆行淫坊暁 阿難逆ぎょう乱心の暁
妙解方便残月秋 妙げの方便残月の月

柳田聖山先生訳
大酒を飲んで楼上で歌っているのは何処の誰か 
いかにも男色の一節が心を取り乱すではないか 
弟子のアーナンダが婬坊で戒律に背いたその朝 
長者マンジュシリーが救済の思案する残月の秋

伊井暇幻先生訳・解説
痛飲した状態で歌が聞こえてきた。どの女郎屋で歌っているものだろうか。
若い声が歌う一曲に、心掻き乱される。
阿難でさえ女性の色香に執着してしまったという。私も女郎屋で夜明けを迎えている。
しかし、此れは妙解を得るための方便である。白んだ空に残月が浮かんでいる秋の夜明け

月を【夜/陰の存在/煩悩】とすれば、残月であるから、其れが白日の下に晒されていることになる。煩悩
を隠さず晒し、妙解の方便であると言い切る。一休独特の境地である。

くま訳
痛飲したのである。遊郭の歌声はどこから聞えるのだろう。
若者の一曲の歌声が、心を乱す。
阿難が、淫坊から逃げ出した暁
釈迦から、阿難救出を命じられた文殊菩薩が、作戦を練った有明の月の秋、
わしは、自分で妙解を得るために、遊里に遊ぶのだ。

*阿難(アーナンダ)が、女郎屋で、心神耗弱状態にされ犯されそうになった挿話を下敷きにしているらしい。
(大佛頂如来密因修證了義諸菩薩萬行首楞厳経)
この詩に於いても、男色説は却下である。
(´・(ェ)・`)b

979鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/12(土) 23:02:01 ID:1d4drIFg0
アナンダはお釈迦様が生きている時にはまだ悟っていなかったというからのう。
いろいろ創作されるのじゃ。
お釈迦様の死後に残された法を実践することで悟れたのじゃ。
お釈迦様が居なくとも欲があっても実践すれば悟れるのじゃ。

980避難民のマジレスさん:2020/09/13(日) 12:47:44 ID:b2BllLSc0
ありのまま。
174    2/3
逆行慈明婆子身 逆行の慈明婆しが身
紅絲脚下絆婚姻 こうし脚下婚姻を結ぶ
一曲楼頭綠珠笛 一曲楼頭綠珠の笛
可憐昔日趙王輪 あわれむべし昔日趙王の輪

柳田聖山先生訳
逆手をとった慈明は老婆を案じてのこと
脚に纏いついた紅糸が男と女の縁を結ぶ
一人楼上で笛を吹く緑珠にも夫はいたよ
戦国の趙王も夫のいる羅敷の絆を乱せず

伊井暇幻先生解説
慈明と婆は色っぽい関係だったわけではない。ただ、慈明和尚は説法をスッぽかして婆の家に入り浸ってい
たらしい。一休は「紅絲脚下絆婚姻」としているので、夫婦関係と見ているようだ。此の場合の「夫婦関
係」は現代流に性交を意味せず、ただ、【寄り添い合って生活する】ほどの意味だ。「薪を割って」「茶を
淹れて」と、呼び掛ければ反応がある、優しく温かく寛いだ空間を構成している。が、此処で話は一転し、
晋書に載す趙王倫の専横に繋がる。

趙王倫の配下 孫秀が妓女 緑珠に懸想した。しかし緑珠は崇季倫の愛人であった。孫は譲るように迫っ
たが、崇は拒否した。孫は趙を唆し、崇を罪した。緑珠は崇の目の前で楼から飛び降り自殺した。崇・母・
兄・妻子十五人が殺された。五十二歳であった。・・・このあと趙王司馬倫は恵帝を廃し簒位した。が、程
なく叛乱が起き司馬倫は殺され、恵帝が復位した。権勢を恣にし緑珠と崇季倫の仲を引き裂き殺した趙王倫
は、結局、命を失った。

一休は、前半で慈明・慈明婆のホノボノとした清廉な半同棲を羨み、後半で権力の亡者となった趙王倫の
末路を憐れんでいる。則ち一休は、水魚の如き自然な共存 恩愛を賞賛し、人々の愛を踏みにじり権力に執
着した趙王倫に憐憫の情を示しているのだ。単純な否定ではなく、憐憫である。ややもすれば、権力を求め
る人のココロを否定するのではなく、そんな煩悩を凝視し、自らも苦悩している。「現に小人は度し難い」
と突き放すのではなく、【悪人】へこそ大悲の心を向けているか。

くま訳
慈明和尚は、遊郭に出かけたりするのではなく、身寄りの無い老婆を案じて、
縁を大切にして、一緒に住んでいたのである。
楼上で笛を奏でた綠珠(愛人の目の前で楼上から飛び降り自殺をした)
憐れむべきは、綠珠を死に追いやった趙王である。因果はめぐり、臣下に殺害されたのである。
(´・(ェ)・`)つ

981鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/13(日) 22:48:28 ID:1d4drIFg0
昔の中国では足首に夫婦となる運命の赤い糸がつながっていると信じられていたのじゃ。
そのような正しい運命の恋愛ならば善いというのじゃ。
横恋慕して悪逆なことをすれば、身を滅ぼすというのじゃ。

982避難民のマジレスさん:2020/09/14(月) 19:09:11 ID:3QLePqvQ0
一休さんの主張 
175    3/3
沙門何事行邪淫 沙門何事ぞ邪淫を行ず
血気識情人我深 血気識情にん我深し
淫犯若能折情識 淫ぱん若しよく情識を折らば
乾坤忽變作黄金 乾坤たちまち変じて黄金とならん

柳田聖山訳
修業僧がどうして情欲をほしいままにする
向こう見ずに欲にかられて自分勝手に動く
愛欲を持て余しても情を抑制ができるなら
その時は天地は一挙に金色に変わるだろう

伊井暇幻先生訳
沙門よ、何故に邪淫を行うか、と人は問う。
確かに、人の姿や声や動作、肌の柔らかさ温かさ臭いを貪る欲が私は深いし、感情が動いてしまう。無我の
境地には遙か遠い。
しかし、人と交わり、且つ、煩悩を折伏することが出来れば、
対象への愛が深い分だけ大逆転して、黄金のような素晴らしい悟りの極致に達する

くま訳
修行者が邪淫を犯すとは何事か!と、叱られた、
確かに、わしは、血気盛んで、迷情、我執が深いのだ。
けど、交情しても、迷情を断つことが出来れば、
天下世界がたちまち、悟りの世界になるのである。

*人我(にんが・じんが):人間にあるとされた、常住不変の我(が)のこと。我執。
*血気: 向こう見ずで盛んな意気。客気。血の気(け)。
(´・(ェ)・`)つ

983鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/14(月) 22:13:00 ID:1d4drIFg0
僧になっても邪淫から離れられない者が多いというのじゃ。
血気は自我の深くに本能としてあるから離れ難いのじゃ。
もし邪淫を犯しても、執着しなければよいというのじゃ。
そうすれば世界は黄金の如くになるというのじゃ。

984避難民のマジレスさん:2020/09/15(火) 19:17:18 ID:Hg2uwcrw0
176
聞聲悟道    聞しょう
擊竹一朝忘所知 擊竹一朝所知を忘ず
聞鐘五夜絶多疑 聞鐘五夜多疑を絶す
古人立地皆成佛 古人立地皆成佛
淵明端的獨顰眉 淵明が端的獨り眉をひそむ

くま訳
瓦礫が竹にあたる音を聞いて、たちまち、今までのことを全て忘れて、悟りの境地を得た(香厳)
明け方、鐘の音を聞いて、今までの多くの疑問を絶して悟りを得た(天真毒峰善禪師)
古人は音を聞いて、即座に皆悟った。(一休さんもカラスがカーで悟った)
陶 淵明だけ、明らかに独り、眉を顰めた。
(下戸なのに、酒席に招かれ、一度は断わったが、付き合いで出席することにした。けど、現地に付いて、
たまたま鐘の音を聞いたら、ふと我に返り、眉を攅(あつ)めて、帰ってしまった。

*鐘の聲で悟ったので有名なのは、白隠さんであるが、年齢的に、毒峰善禅師。おまけ参
 
*陶淵明(とうえんめい365–427)文人
*慧遠(えおん334-416)念仏宗開祖 

音声が悟りか、悪感情か、どちらに結びつくかは、常日ごろの心構えに依るのでありましょうか。
(´・(ェ)・`)つ

985避難民のマジレスさん:2020/09/15(火) 19:22:33 ID:Hg2uwcrw0
おまけ①:香厳の詩(投機偈でありましょう)
香厳撃竹
一擊忘所知 更不假修持  一撃所知を忘ず  更に修治を仮らす
動容揚古路 不墮悄然機  動容に古路を揚く 悄然の機に堕せず
處處無蹤跡 聲色外威儀  処々蹤証跡無し  声色威儀を忘ず
諸方達道者 咸言上上機  諸法達道の者   みな言ふ上々の機

「禅と悟り」HP訳
石が飛んで竹を撃ちカチンという音が出た。その音を聞いたとたん、今まで覚えていたいろんなことが、ど
こかへ行ってしまった。 それは別に修行や鍛錬の結果ではない。本来そこにあったものだ。
手足を動かしても本来の古路を踏み外すことはない。 もう何か物寂しくなって気分がおちこむようなこと
はない。
その古路は空寂で、どこにも足跡のようなものは残っていない。(しかし、単に空寂なものではなく、その
中に働きがある。)五官や思慮はそのままで動いている。別にかれこれと威儀に囚われることではない。
そこに上々の働きがあるのだ。

おまけ②:毒峰善の投機の偈
間宮英宗先生訳・解説
毒峰善禅師は、鐘聲を聞いて忽ち宇宙の大機に投入せられました。其の時の偈に曰く、
沈沈寂寂絶施爲 觸著無端吼似雷 動地一聲消息盡 髑髏粉砕夢初回
「沈沈寂寂絶施爲」、と云ふは、坐も又禪、臥するも禪、言語するも亦禪で、考案三昧になり忘想分別も打
破る工夫三昧になりきった時の境涯である、此の時に、ゴーン、と一聲の鐘を聞いて忽ち大機に投じて見れ
ば、「 觸著無端吼似雷」で其の時の鐘は實に天地にひびき渡って、百雷の一時に落ちたような聲であった、
此の一聲は盡十方世界にひびき渡ってて居る、「 動地一聲消息盡」、で此の天地も動揺した程の鐘の一聲
は無字も如来も、宇宙の大眞理も云ひ盡くして居る、「髑髏粉砕夢初回」、即ち此の超音聲で、けがれたる
ガリガリの五尺の髑髏を粉微塵に打ち砕き、初めて眞に宇宙の大眞理を悟る事が出来た、と云ふ意味である。

沈沈寂寂絶施爲 沈沈寂寂施爲を絶す
觸著無端吼似雷 触著すれば端無く吼えて雷に似る
動地一聲消息盡 動地一声消息尽き
髑髏粉砕夢初回 髑髏粉砕して夢初めて回る

くま訳
深夜静寂の中、三昧に入っていると
全てが明らかになった。雷のよな轟音、鐘の音
地響きがするほどの一声の後、消息は尽きた
締め付けていた頭蓋が粉砕されたように、初めて夢から覚めたのである。

*天真毒峰善禪師:1419-1482(中国語サイト:人名規範資料庫)
 
これは、軍荼利明王降臨の表現でありましょうか?
(´・(ェ)・`)b

986鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/15(火) 23:26:04 ID:1d4drIFg0
>>984 心構えと実践じゃな。
 悟りを得ようと強い意欲をもって、日々実践していれば音声にょって悟りも得られるのじゃ。
 そうでなければただ耳障りなだけなのじゃ。
 同じ音でも受け取る者に拠ってそれだけ違うのじゃ。

987避難民のマジレスさん:2020/09/16(水) 19:37:02 ID:5SfEipAk0
177
破譬喩示病僧  比喩を破して病僧に示す
弓影膏盲在酒中 弓影かうくわう酒中にあり
毒蛇影落客盃弓 毒蛇影落つかく盃のきゅう
楓林黄葉蜀江錦 ふう林の黄葉しょくかうのにしき
染得心頭満目紅 染め得たり心頭満目の紅

くま訳
比喩を論破して病僧に説き示す
盃に映る弓の影とは病のことであり、その病は身体の奥深いところに有る、
毒蛇の影と思い込んでいるのは、弓なのだ。
かえで林の紅葉を蜀江の錦・高級絹織物と見間違えるよなものだ。
染めてしまうことが出来るものなのだ、心、頭で思い込めば、一面何もかも紅一色に。

*膏肓(コウコウ): からだの奥深いところ。ここに病気が入ると治らないという。
*国訳禪学大成の解説
 病膏盲に入れば冶せず。
 盃中の弓影、毒蛇と観ずる、
 己に迷妄の裡あり、
 楓林の紅葉も見様にて蜀江の錦に同じ、
 病は心からである、之を無形に治せば、効有形に現る。
(´・(ェ)・`)つ

988鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/16(水) 21:32:36 ID:1d4drIFg0
病は気からとも言うのじゃ。
酒の水面に写った蛇の影を呑んで病にかかったと思ったものも居るのじゃ。
それは弓が写ったものだったというのじゃ。
紅葉の景色を錦と見るようなものじゃ。
心に病があれば肉体も病むのじゃ。

989避難民のマジレスさん:2020/09/17(木) 18:59:58 ID:7OJSsgOo0
178
渡江達磨    渡江の達磨
去々來々随意行 去去来来意に随って行く
乾坤萬里俗塵生 乾坤万里俗塵生ず
西天此土姓名重 西天し土姓名重し
脚底客頭藘葉軽 脚底客頭ろえふかろし

くま訳
何の囚われもなく、意のままに好きなところに行く。
確かに、天下地の果て何処へ行っても、浮世の煩わしさが生じる。
極楽浄土と現世の「法」のことを思うとき、達磨の存在は大変重いのであるが、
その言動は、徹底して軽やかであったのだ。

*去々来々:波が寄せては返す様子、これは一つのことにとらわれない姿、自由な様子。
*俗塵(ゾクジン):浮世のちり。俗世間の煩わしい事柄。
*西天(さいてん):西方浄土。極楽。天竺(てんじく)。インド。
*此土(シド):この世。現世 自分のいる所。この土地。
*蘆葉達磨(ろよう--):インドから中国に来て梁の武帝に法を説き、さらに洛陽を目ざし揚子江をのぼっ
 たが、その時、一葉の蘆(あし)の葉に乗って渡ったとの伝説を示す語。「蘆の葉に法の方便」

参)170 の詩 >>974 >>972
(´・(ェ)・`)つ

990鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/17(木) 21:37:21 ID:1d4drIFg0
達磨は去るのも来るのも自由だというのじゃ。
俗塵のあるところどこにでもいくのじゃ。
インドから中国までその名は重く語り継がれているのじゃ。
しかし、その身は脚底から頭の上まで葦の葉に乗って川をわたるほど軽いのじゃ。

991避難民のマジレスさん:2020/09/17(木) 22:09:39 ID:7OJSsgOo0
>>990
鬼和尚、いつもありがとうであります。
くま訳改
達磨は去来自在何所へでも行くのだ。
天下どんなに遠くても、俗世間のどこにでも行くのである。
インドから中国までその名は重く語り継がれているのである。
けど、頭の天辺から足の裏まで、葦の葉に乗って川をわたるほど身軽なのだ。
(´・(ェ)・`)b

992避難民のマジレスさん:2020/09/18(金) 19:10:12 ID:vvZ4Fpoo0
179
正工夫示久参徒 しょう工夫久参の徒に示す
機輪轉處實能幽 きりん転ずるところ実によく幽なり
臨済正傳名利謀 臨済の正伝名利のはかりごと
一枕春風鷄足暁 一ちんの春風鶏足の暁
三生夜雨馬嵬秋 三しょうに夜雨馬かいの秋

くま訳
正しい仏道修行の仕方を長く修行している者に示す
禅修行によってよく整えられた意識の働きは、実に奥深いのである。
臨済の正伝などと言っても、そんなものは名利を求めるはかりごとの結果に過ぎない。
一人寝の朝は、春風のように爽やかで、釈迦を継いだ迦葉(かしょう)が入滅した鶏足山の暁のようだ。
三生を誓った森と過ごす、雨の夜は、唐の玄宗皇帝が護衛兵の反乱により、やむなく寵愛した楊貴妃の殺害を命じた、馬嵬駅に居るようだ。

鶏足山の暁とは、我こそは仏教正伝であると言う自負でありましょうか。
馬嵬秋とは、80歳を過ぎて、いづれ死により愛する森と分かれなければならない一休さんの、惜別の念でありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

993避難民のマジレスさん:2020/09/18(金) 19:20:43 ID:vvZ4Fpoo0
*おまけ①:大燈国師が死に臨んで、その心境を吐露した詩
仏祖を截断し
吸毛常に磨す
機輪転ずる処
虚空牙を咬む

中村元先生訳 
わたしはこれまで仏や祖師たちをばさばさ切りたおし、
その都度吸毛剣(髪の毛をその刃の上に吹きつければスパリと切れるほどの見事な剣)を磨き続けてきた。
俊敏な禅のはたらきを発動するときには、
虚空もギリギリと歯ぎしりする。

くま訳
仏祖の言葉を裁断乗り越えるため、
その切れ味を研ぎ澄してきた。
その臨機応変な禅機の向かうところ
虚空に対してさえも牙をきしませるのである。

*おまけ②禅宗伝法祖師22祖の摩拏羅(まぬら)尊者の伝法の偈(げ)である。
心随万境転  心は万境に随って転ず
転処実能幽  転処実に能(よ)く幽なり
随流認得性  流れに随って性(しょう)を認得すれば
無喜亦無憂  喜びもなくまた憂いもなし

承福寺HP訳
人の心と言うものは、外界の現象に惑わされて揺れ動き移ろい変わりやすものである。
しかしその外界の現象に執着することなく、無心無自性であれば自由無碍であり、まさに幽玄なる心境にあ
るといえる。
たとえ外界はたえず揺れ動き、激しく変貌することがあっても、
心中においては常に平常であり喜びも、悲しみも時の流れのままに処して何のわだかまりもなく、随処に主
となるところの境地である。

悟りの証明HP訳
私たちの意識作用は周りのあらゆる物事に随って、その物事に転じる(その物事を映す)。
(その意識作用の)転じる様は実にありがたく奥深い。
(しかし)意識作用のハタラキそのものになって意識の本性(仏性)を体得すれば、
喜びも憂いもない(意識作用の世界は絶体無である)。

くま訳
心は外界の変化に応じて移ろう。
修行により、心を整え、転じれば、実に奥深い境地にに到れる。
移ろい行く心のあり様を見て、自分のありのままを捉えることが出来れば、
喜びも憂いも無く、苦も無い。
(´・(ェ)・`)b

994鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/18(金) 22:16:47 ID:1d4drIFg0
>>992 特に自負は無いようじゃ。
 ただ鶏足山にいるような爽やかさじゃといっているようじゃ。
 
 それも特定の女子ではなく、愛別離苦を詠っているようじゃ。
 独りで修行することを勧めているのじゃな。

995避難民のマジレスさん:2020/09/19(土) 17:13:12 ID:WIUog5qw0
>>994
鬼和尚、いつもありがとうであります。
くま訳改
第4句:三生を誓ほどの深い情愛は、玄宗皇帝がやむなく寵愛した楊貴妃の殺害を命じた、馬嵬駅に居るような苦をもたらすのだ。
(´・(ェ)・`)b

996避難民のマジレスさん:2020/09/19(土) 17:14:31 ID:WIUog5qw0
180      1/2
虚堂和尚十病 二首
 1.病在自信不及處 2.病在得失是非處    1.病は自信不及のところに在り
 3,病在我見偏執處 4,病在眼量窠白處                    3,げんりょうくわきう
 5,病在機境不脱處 6,病在得少為足處
 7,病在一師一友處 8,病在旁宗別泒處                    8,    別派
 9,病在位貌拘束處 10病在自大了一生小得處
 
是非元勝負修羅 是非は元勝負の修羅
傍出正傳人我多 傍出す正傳人我多し
近代邪師誇管見 近代の  管見に誇る
識情毒気任偏頗     偏頗に任す

 曹洞宗長泉禅寺 HP訳
 1,失敗からも成功からも学べていない
 2,感情に左右され、目先の報酬にとらわれる  
 3,自分の体験や知識なる偏見によって動けない
 4,かきゅうとは鳥の巣のことで、固定観念によって「こうあるべき」と決め込む
 5,心が自由に働かず、視点を変えられない
 6,小さな満足に甘んじてしまう
 7,交際や知識の範囲が狭い
 8,一つの理論に凝り固まる
 9,自他の地位や肩書きにとらわれる
 10,自分の慢心に気づかぬようでは生涯得られない

 つらつら日暮HP訳
 この「病」だが、学道の障害を指しており、これがあるために、学人は妙境を得られないという。
 1.自己本道中に在ることを信じられない場合に病になるという。
 2.思慮分別に立つことをいう。
 3.自分の見解に偏ってしまうことをいう。
 4・限られた型にはめ込んでしまうことをいう。
 5.特定の働きや対象から脱せられないことをいう。
 6.僅かの境涯を得ただけで満足することをいう。
 7.一人の師、一人の友だけと交わり、遍参しないことをいう。
 8.宗派の善し悪しを区別することをいう。
 9.地位や見た目にとらわれることをいう。
 10.自分が大事であって、僅かな見解を得ただけでそれ以上の向上心が無い状態をいう。

くま訳(詩の部分のみ)
分別することは、元々勝ち負けが生じることであり、修羅場になってしまう。2
傍流か主流・正伝かを問うのは、我執によるものである。3 4
昨今の邪視は、狭い視野の狭い考えを誇らしげに主張する8 9
迷情、悪意、により不公平な判断をする。

*管見(かんけん〕:狭い見識。視野の狭い考え方。 自分の知識・見解・意見をへりくだっていう語。
(´・(ェ)・`)つ

997鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/19(土) 21:36:03 ID:1d4drIFg0
↑そのような感じじゃな。
これが正しいとかあれが間違いとか分別していれば戦いになるというのじゃ。
論争とか宗派の争いもそれがもとなのじゃ。
それでまた見解も狭まり、考えも歪んでしまうのじゃ。
実践のみが仏道なのじゃ。

998避難民のマジレスさん:2020/09/20(日) 15:34:53 ID:Y9d16ak.0
いつもと違う一休さん、金持ちの娘に手を出して、詰められてるのでありましょうか?
     2/2
議論未休正與邪   未だ休せず正と邪と
無慙愧漢是天魔 無慙愧の漢これ天魔
狂雲臥病相如渇 狂雲が病は相如が渇
一枕秋風奈我何 一ちん秋風我をいかんせん

くま訳
正邪の議論がいつまでたってもやまない。
無反省で天に愧じることのない輩は、天魔である。
狂雲の病は、相如の病とおなじである。
一人寝の秋風、わしをどうしようと云うのだ。

*相如が渇:司馬相如(禅179-117)富豪卓王孫の娘分君を誘惑して駆け落ち。父は怒り財産はやらないと
決めたが、その後相除は病気(糖尿病らしい)を患う。それを見かねた周囲の嘆願により財産をもらえるこ
とになった。
(´・(ェ)・`)つ

999鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/20(日) 23:03:24 ID:1d4drIFg0
正邪の議論は無意味というのじゃ。
ただ慙愧するべき時にしなければ天魔だというのじゃ。
糖尿病は昔、消渇といったのじゃ。
相如と同じ病というのじゃ。
病で寝ていると秋風が沁みてくるというのじゃ。

1000避難民のマジレスさん:2020/09/21(月) 19:27:26 ID:9PoQw6NM0
鬼和尚、ありがとうであります。
くま訳改
正邪の議論は無意味である 
しかし、慚を知らない者は天魔である。 
狂雲の病は相如と同じ糖尿病である。 
病床では風が吹いても痛いのだ。

181    
示耽名僧 1/3 名に耽る僧に示す   
腹中地獄成   腹中に地獄成る
無量劫識情   無量劫の識情
野火焼不儘   やくわ焼けども尽きず
春風草又生  春風草又生ず

名利を求めてやまない僧に示す
胸中地獄になる
永遠の迷情
野火で焼けても、根絶えることは無い
春風吹く頃には、又生えるのだ

*腹中:1 腹の中。また、胃腸。2 心の中。胸中。3 度量。
*野火焼不盡:白居易の詩の一節。野火で焼けても根は絶えず、春風の吹く頃にはまた生えてくる。
(´・(ェ)・`)つ

1001避難民のマジレスさん:2020/09/21(月) 19:29:04 ID:9PoQw6NM0
*おまけ: 野火焼不盡(白居易の詩)

賦得古原草送別 「古原の草」を賦し得て、別れを送る 
離離原上草    離離(りり)たる 原上(げんじょう)の草、
一歳一枯栄    一歳(いっさい)に一たび枯栄(こえい)す。
野火焼不盡    野火(やか) 焼けども尽きず、
春風吹又生    春風 吹いて又生ず。
遠芳侵古道    遠芳(えんぽう) 古道を侵し、
晴翠接荒城    晴翠(せいすい) 荒城に接す。
又送王孫去    又王孫(おうそん)の去るを送る、
萋萋満別情    萋萋(せいせい)として別情(べつじょう)満つ。

ふさふさと垂れ下がった野原の草は、
一年に一度、枯れていたのがまた栄える。
野火で焼けても根は絶えず、
春風の吹く頃にはまた生えてくる。
はるか彼方、芳しい草は旧道の上に伸びひろがり、
緑の色も鮮やかに、荒れ果てた都の城壁につづいている。
こうしてまた、遠く旅立つあなたを送る。
あおあおと茂った草にも別れを惜しむ情が満ちみちている。

人間誰しも大きな失敗や、心が折れそうになる出来事を経験します。自分はもう終わりだ、取り返しがつか
ないことをした。そう思える瞬間もあるでしょう。しかし、若草山のように時が経てば必ず新しい青々とし
た芽が吹いてきます。
(´・(ェ)・`)b

1002鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/21(月) 22:50:24 ID:1d4drIFg0
名声に囚われてはいかんというのじゃ。
僧はもはや金とか権力とは無縁であるが、名声は得られるのじゃ。
名僧と呼ばれるために名声に囚われていては苦難が待っているのじゃ。
何度でも苦しむことになるのじゃ。


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