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鬼和尚の仏教購読会 別館
802
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/09(木) 23:47:28 ID:1d4drIFg0
病が多く慈悲が示せないことを嘆いているようじゃのう。
子を思って断腸した畜生にも及ばないというのであるからのう。
道場も荒れ果てたというのじゃ。
乱世でもあったからのう。
803
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/10(金) 00:03:25 ID:4q82KXfA0
うむ。凄惨な情景が目に浮かぶであります。
(´-(ェ)-`)
804
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/10(金) 20:53:08 ID:y27lq8Yo0
118
経巻拭不浄三首 3/3
信手拈來除不浄 手にまかせねんじ来たって不浄を除く
作家面目露堂堂
南山雲起北山雨 南山雲起こり北山は雨
一夜落花流水香 かんばし
手にまかせねんじ来たって不浄を除く
作家面目露堂々
南山雲起こり北山は雨
かんばし
自然にちょぴっと捻れば、不浄を除くことが出来るのである。
それが師家の面目を堂々とあらわすところであろう
南山に雲が出れば、北山に雨が降る(と雲門は)言うのだ。
一夜にして花を散らせた雨により花の香りでそこらじゅうが充たされる(と雪寶は)言うのだ。
*南山雲起北山雨:雲門露柱・・因縁を無分別心により見極める喩え。
*一夜落花流水香:宋の禅僧、雪寶智鑑(せっちょうちかん) 1105〜1192・道元の法祖父)の 「世尊有密
語,迦葉不覆藏。一夜落花雨,満城流水香」。『正法眼蔵』四十五「密語」世尊に密語有り,迦葉覆藏せず。
一夜落花の雨,満城流水香(かん)ばし。世尊(釈迦)には言葉にあらわしきれない教えがあった,それを
理解した迦葉は隠すことなく衆生に伝えた。ちょうどそれは一夜の雨が花をすっかり落とし,その水の流れ
によって花の香りが街じゅうに満ちるのと同じだ。(新ミュンヘン娘先生解説より)
うむ。一休さんは、師家の師家でありますね。
(´・(ェ)・`)つ
805
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/10(金) 22:55:03 ID:1d4drIFg0
迦葉が華を捻ったお釈迦様の真意を悟って教えを伝えたというのじゃ。
禅は迦葉を二代目教祖として広まったというのじゃ。
それを華が落ちて流れて香りが広まったと表現しているのじゃ。
風流なのじゃ。
806
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/11(土) 19:15:20 ID:j5h71ERU0
一休堂々の弥勒宣言
119
擧靈山徹翁和尚末後之垂示以示徒。 霊山徹翁和尚のまつごのすいじをこして、もって徒に示す。
其垂示云。正法眼藏無付人。 其の垂示にいはく、正法眼藏に付する無し、
自荷擔至彌勒下生噫。 自らかたんして 彌勒下生に至る。ああ
古佛靈山名不虚 名虚しからず
當來彌勒是同居 当来の 是れ同ご
兒孫一箇狂雲子 児孫一個の狂雲し
邪法大興殃有餘 大いに興ってわざわひ余り有り
霊山徹翁和尚が最後の教えを弟子たちに説いた。
其の教えにいわく、正法眼蔵に付け加えることはない。
自ら引き受けて、弥勒菩薩の下生に、今すぐから備えなければならない。ああ〜
古仏霊山の名も虚しくない。
到来するといわれる彌勒は、実は既に一緒にいるのだ。
子孫の一人がこの狂雲なのだ。
邪法が幅をきかせて、わざわいがあまた起こりたいへんなのだ。
* 徹翁義亨てっとうぎこう1295―1369大徳寺1世
*下生信仰:勒如来の下生が(56億7千万年などの)遠い未来ではなく現に「今」なされるからそれに備えな
ければならないという信仰。戦国時代に、弥勒仏がこの世に出現するという信仰が流行し、「弥勒仏の世」
の現世への出現が期待された。
*噫(ああ):①強く感動したり、驚いたりしたときに発する語。 ②肯定・承諾の意を表す語。ええ。 ③
人に呼びかける語。④あいづちを打ったり、生返事をしたりするときに発する語。 ⑤おくび、げっぷ
*同居(どうご)居を同じくすること。凡夫も聖者も共に住むこと。また、その国土。浄・穢 (え) の二土
があり、西方極楽は同居の浄土、娑婆 (しゃば) 世界は同居の穢土とされる。
(´・(ェ)・`)つ
807
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/11(土) 23:47:31 ID:1d4drIFg0
一休は宗派には拘らないのじゃ。
正法眼藏に付する無しという遺言もよいものだというのじゃ。
既に弥勒は現われているというのじゃ。
悟りを得た如来は既に世に出て、一休もその一人というのじゃ。
ただ衆生が悟りを求めていなければ何の意味もないのじゃ。
邪法に惑わされて災いを招くのみなのじゃ。
808
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/12(日) 21:22:27 ID:0xIm3.lY0
前スレ
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
>>708
50〜59の詩 参
>>717
で言及した、徹翁義亨(大徳寺1世)の法語(くま訳なし)の後に、本日の詩。
(靈山徹翁和尚示榮衒徒法語)
凡参禪学道之輩須日用清浄。不可日用不浄。
所謂日用清浄者。究明一則因縁到無理會田地。
畫夜工夫不怠。時今截断根源。佛魔難窮處。
分明坐断往々埋名蔵迹。山林樹下。挙場一則因縁
時無難純一矣。謂之日用清浄人也。然而称善知識
擎杖拂集衆説法。魔魅入家男女。心良名利招学者於室中。
道悟玄旨。使参者相似模様。閑言語使教者。
片箇情也。這輩輩非人也。寔日用不浄者也。
似佛法爲度世之謀。是世上榮衒之徒也。凡有身無不着。
有口無不食。若知此理。豈衒於世哉。豈諛於官家哉。
如是之徒。三年六十劫。入餓鬼入畜生。可無出期。
或生人間。受癩病苦。不聞佛法名字。可懼可懼。
右靈山徹翁和尚示榮衒徒法語題其後云
(靈山徹翁和尚示榮衒徒法語)
およそ参禪学道のともがらは、すべからく日用しょう浄なるべし、日用不浄なるべからず。
いわゆる日用清浄とは、一則の因縁を究明して、無理えの田地に到って、
昼夜工夫を怠らず、時々に根源を切断して、仏魔もうかがい難きところ、
分明に坐断して、往々に名を埋め跡をかくし、山林樹下に、一則の因縁をこ揚し、
時に無雑純一なり、これを日用清浄の人というなり。然り而してわれは善知識と称して
杖ほつをささげ、衆を集めて法を説き、人家のなんにょを魔みし、心に名利を好んで学者を室ちゅうに招き、
玄旨を悟らしめんといふ。参ぜしむる者、相似模様の関言語、教へしむる者、
片個の情なり。しゃはんのともがらは非人なり、まことに日用不浄のものなり。
仏法を以って渡世のはかりごとと為す、これ世上の栄げんの徒なり。およそ身あれば着ずということ無く、
口あればくらはずといふなし。若しこの理を知らば、あに世にてらわはんや、あに官けにへつらはんや。
かくのごときの徒は、三しょう六十ごう、餓鬼に入り、畜生に入りて、出ご無かるべし。
或いは人間に生るるも、らい病の苦を受け、仏法の名字を聞かず。おそるべし、おそるべし。
右靈山徹翁和尚、榮衒の徒に示すの法語、其後に題すと云ふ
* 徹翁義亨てっとうぎこう1295―1369大徳寺1世の法語
仏法を以って渡世のはかりごとと為す(仏法を名利追求の道具にする)者のことを、「日用不浄の者」というとし、
餓鬼畜生に落ちるか、「受癩病苦」・・・という
120
工夫不是涅槃堂 これ涅槃堂にあらずんば
名利輝前心念忙 前に輝いて 忙し
信道人間食籍定 いふことを信ず の定
羊糜一椀橘皮湯 羊び一椀きっぴとう
くま訳
仏道修行は、涅槃へ行くためのもの、死を見据えたものでなければ、
利害や名誉が前に出て、心がみだされてしまう。
人間の食籍(食って行けるか)は前世から定まってると信じるのだ。
一椀の粥と漢方薬をとってっれば充分生きてゆけるのだ。
(´・(ェ)・`)つ
809
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/12(日) 21:37:54 ID:1d4drIFg0
霊山もなかなかよいことを言うのう。
名利を好んで学者を招いて玄旨を悟らしめんというのは、不浄であり人でなしとまでいうのじゃ。
昔もそのような学者の言葉を信じている者が居たのじゃな。
己の心の内に因縁を究明することが清浄というのじや。
810
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/13(月) 20:36:54 ID:I6SFs6uk0
121
元正 げんしょう
現成公案任天眞 の 天真に任す
鳳暦開元世界春 ほう暦げんを開く世界の春
今日山僧換却眼 こんにちさんぞうまなこをかんきゃくす
堂中古佛面門新 あらたなり
くま訳
元旦
現成公案とは、は天真(諸法の本然の姿)に任せるということである。
元旦である。世界の春である。
今日、山寺の僧は、ありのままを見て悟りを開くのである。
お堂の古仏の顔も新しいように見えるのである。
*現成公案:現象界のすべてそのままが悟りの現れ=仏道
*眼睛換却:正法眼蔵第六十四巻優曇華「瞬目とは、樹下に打坐して明星に眼睛を換却せしときなり」
*元正:元旦
*鳳暦開元:元旦
*天真独朗:無相の一念に悟入すれば、生死の別を離れ宇宙朗然とし、凡身そのままに大覚の域に達すると
いうこと。天真とは諸法の本然のすがた
「寶鏡三昧」「天眞而妙 不屬迷悟」 天眞は天然自然と云う意味にして、純一無雑なる境界を云う。
(´・(ェ)・`)つ
811
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/13(月) 22:52:13 ID:1d4drIFg0
一休の悟りの境地じゃな。
現生公案とは本来の意識に還ることだったのじゃ。
それに拠って全ては開かれた春が訪れたのじゃ。
自らの意識が変わることで古仏の面目も一新されたのじゃ。
それも大悟して法を理解したからなのじゃ。
812
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/14(火) 21:16:43 ID:Q5SRQyNQ0
おまけとして、坐禅儀。
122
警念起所 念の起所をいましむ
公案工夫暮与朝 ぼとちょうと
山堂夜々雨蕭々 あめせうせうたり
地獄猛火百万劫 みょうくわびゃくまんごふ
満腹詩情幾日消 の 幾にちかしょうせん
Didier, DAVIN訳
一日中公案の事を考えても、
詩を作りたい気持ちが治まらない。
そのせいで地獄に落ちる。地獄の火は百万劫も続くが、
心にある詩情は何日燃え続くのであろうか。
くま訳
思念の起こるところ
明けても暮れても公案の工夫
山堂には毎晩雨が寂しくシトシトと降る
(なのに)地獄の猛火はいつ迄も燃え
胸一杯の詩情はいつ消えることやら
*警念起所:参) 坐禅儀
寛放臍腹 寛(ひろ)く臍腹(せいふく)を放ち
一切善悪 都莫思量 一切の善意すべて思量することなかれ。
念起即覚 覚之即失 念の起こらば即ち覚せよ、これを覚すれば即ち失す。
久久忘縁 自成一片 久々にして縁を忘ずれば自ずから一片となる。
此坐禅之要術也 これ坐禅の要術なり。
リンク集 Hp名不明 訳
下腹をゆったりさせて、およそ善悪というものを思慮しないことだ。
念が起こったら、直ちに目覚めよ。目覚めれば、直ぐに念はなくなる。
久しく精神を統一して、外縁を忘れていくと主観と外観とが一つになって「禅定三昧」になる。
これが坐禅のもっとも大切な方法である。
垣堺玄了老師解説
「念起即覚ねんきそくかく、覚即失かくそくしつ」とそのまま読めば、念の起こるその者が覚者、悟るもの
であり、覚というのは即ち捨てること、失であると読めます。つまり、昨日もだめ今日もだめという念の起
こるその人が覚者だぞ、その念が去った時そのまま覚者だということです。これは理屈のように聞こえるか
もしれませんが念の起こるその者が仏だから修行が成就するのです。
くま訳
臍のちょぴっと下辺りをゆったりとさせるようにして、
一切の善悪等、分別思量しないこと。
思いが生じたら、それに即気づけ、気づいたら即消えるのである(ここまで「止」の行)
ある程度の時間集中して、雑念が消え、忘我からサマディ-の境地に至る。(三昧の境地へ到達)
これが、坐禅の法である。
うむ。一休さんは、念が起これば、それを詩文に起こして、昇華させるのでありますね。
これは、ある意味、起こった念を、明確に意識して、消し去る方法とも言えるでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
813
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/14(火) 23:48:00 ID:1d4drIFg0
↑そうかもしれん。
誰にでもできる法ではないがのう。
詩の才能がなければ無理なのじゃ。
一休は稀に見る詩才があったのじゃ。
814
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/15(水) 19:30:29 ID:7v7pGZw.0
123
一休さん、悟った時の思い出。
聞鴉有省 あを聞いて省あり
豪機瞋恚識情心 しんい識情の心
二十年前在即今 ぜん即こんにあり
鴉笑出塵羅漢果 あはわらふしゅつじんのらかんか
奈何日影玉顔吟 にちえい玉顔の吟をいかんせん
くま訳
カラスの声を聞いて大悟した件に付き省みる
傲慢な思いや怒り、迷情に苦しんだ
二十年前が、つい今し方のようである。
カラスのカーという笑い声を聞き、目覚めてみれば、穢れは消え去り、阿羅漢の悟りをえたのだ
輝く朝日のなかにいるような、晴々しい思いいっぱいの詩を、さて、どうしたものか。
一休さん悟後の修業もおわり、大悟徹底して、悟ったこともどうでも良くなった心境でありましょうか。
前スレ
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
>>887
84の詩とほとんど同じである
*識情;事物を識別することと感情。総じて迷情による心のはたらきをさす。
(´・(ェ)・`)つ
815
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/15(水) 19:33:10 ID:7v7pGZw.0
訂正
カラスの声を聞いて大悟した→悟った
(´・(ェ)・`)b
816
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/15(水) 23:50:09 ID:1d4drIFg0
カラスの声を聞いてかえりみることできたというのじゃ。
かえりみるということが自分を見ることなのじゃ。
一休はカラスの声をきいたことがきっかけで自らをかえりみることができたのじゃ。
省みることは自らに気付くことなのじゃ。
817
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/16(木) 20:00:33 ID:y0myHUlI0
一休さん大悟徹底の心境か?
124
少年道心老來失 二首 1/2 少年の ろうらいしつす
五十年前大道心 ぜん大道心
來生未隔巳忘今 らいしょういまだ隔てず すでにこんを忘ず
朝得夕死立地佛 あしたに得て夕に死すとも立地ぶつ
一旦廻心百煉金 心を廻らせば百れんの金
少年の頃の道心は、老いて失った
50年前、真理を見極めよう、悟ろうと志をたてた。
未来(来世)は今と隔てがない。そして、今は既に忘れ去られる過去の中にある。
朝真理を聞くことができれば、その日の夕方に死んでも悔いはない(と思った)。
日常的な心のありようを翻せば、真の心の宝とも言える価値を見出せるのだ。
*朝聞道夕死可矣(参):あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり
*廻心(えしん):日常的な心のありようを大きくひるがえし宗教的な真実へと方向を変えること。
(´・(ェ)・`)つ
818
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/16(木) 23:00:39 ID:1d4drIFg0
昔は堅固な道心をもっていたというのじゃ。
もはやなくなったというのじゃ。
朝に悟れば夕べに死んでも善いとさえ思ったのじゃ。
そして一旦心を外から内に廻らせば悟りはそこにあったのじゃ。
819
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/17(金) 20:31:23 ID:.xUJoNTU0
125
少年道心老來失 二首 2/2
失卻悟徹捴閑事 悟徹を 失却して総て閑事
去劫來劫又如此 きょごうらいごう又かくのごとし
金鍮正邪佛難分 きんちゅうしょうじゃぶつもわかちがたし
聞説佛魔隔一紙 聞くならくぶつ魔いっしを隔つ
くま訳
大悟徹底するとことを忘れると、総てが無用なこととなる
悠久のときの中、全てはありのままだ。
真鍮か金か、正か邪か、仏も区別できない
聞くところによると、仏と魔は紙一重の違いだそうだ。
*失却:ものをなくすこと。また、忘れること。
*閑事:( 無門関第十九則)↓参照
春に百花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり、
若もし閑事かんじの心頭しんとうに掛かかる無くんば、
便すなわち是れ人間じんかんの好時節
曹洞宗 京都 亀岡 曹洞宗HP 解説
春には花が咲き、秋には明月が天にかがやく、暑い夏には涼しい風が吹き、冬には雪がさえざえとしている。
春夏秋冬いつでも好時節である。「閑事の心頭に挂る無き」とは、晴れわたった大空のような本来清浄な心
境をいう。
人間のくだらない考えを差しはさまなければいつも好時節です。「ありのまま」「そのまま」の心が「平常
心」だといっても、妄想や分別心を払いのけ、閑事すなわち実生活に役立たぬ事を断ち切ることが条件です。
すなわち仏道とは容易なものではない。
820
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/17(金) 22:53:49 ID:1d4drIFg0
もはや悟りも忘れてしまったというのじゃ。
忘中の忘、悟中の悟なのじゃ。
弓の名人が弓を忘れたようなものじゃ。
行くことも去ることも無い如来なのじゃ。
差別無ければ無為なのじゃ。
傲慢に拠って天魔に陥ることも無いのじゃ。
821
:
うんこまん
:2020/07/18(土) 09:29:22 ID:b/R.LjPg0
//
/ .人
/ (__) パカ
/ ∩(____) やぁ!
/ .|( ・∀・)_
// | ヽ/
" ̄ ̄ ̄"∪
822
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/18(土) 15:39:49 ID:U9p6ScNE0
126
山中得南江書 山中に南江の書を得
孤峰頂上草菴居 孤峰頂上草菴の居
三要印消功未盧 三要印消して功夫だ盧(むな)しからず
不意玄中有玄路 意はざりき玄中に玄路有らんとは
萬行裏涙一封書 万行涙を裏(つつ)む一封の書
野毛孝彦先生 解説
ある時、南江から寄せられた一通の手紙を見、相国寺の首座和尚の地位を捨て、還俗後、孤峰の頂上の草庵
に寓した彼が、自分も知らない「玄」(玄妙なる真理)の中の「玄路」「深奥の玄」の境に更に達した事を
知って賛嘆し、その人となりに思いを通わす一行ごとの文に涙をもって読むと詠じたもの
くま訳
山中で南江からの手紙を受取った
孤高の道を歩み、草庵に住まう。
還俗して寺の修行法を離れたが、境地はますます深まっている。
わしも知らない、玄妙なる真理、深奥の玄の境地に達していることを知り、
手紙の全ての言葉に、涙があふれる。
*南江宗沅(なんこう そうげん)1387-1463僧,五山文学者。一休を師として参禅に励むかたわら、堺で
ともに遊んだ。
*孤峰: 徒党を組まずに一人で独自の道を歩むすぐれた人。
*三要印:臨済宗為人の機関。第1,2,3要、第1,2,3玄
機関禪:「機(=学人の能力)に対して関を設ける禅」修行僧達を悟りに導く手段を段
階的に定めたものであり、段階性を強い形で示されるもの。(道元は、批判・
否定しているらしい。)
(´・(ェ)・`)つ
823
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/18(土) 22:55:20 ID:1d4drIFg0
一休にも還俗した仲間が居たのじゃな。
そして共に大悟徹底の境地に邁進したというのじゃ。
実に稀有なことじゃ。
観念遊戯と化した三要印等は捨ててよかったというのじゃ。
824
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/19(日) 21:50:08 ID:lyY6c8gM0
127
楽中苦
此是瞿曇曾所経 これはこれぐどんのかつて経し所
麻衣草座六年情 まえそうざ の情
一朝點檢将來看 一朝点検し、もち来たって看れば
寂莫霊山身後名 せきばくたり りょうぜんしんごの名
くま訳
楽中苦
これは、悟りを開く前の釈迦(ゴータマ)が、通ったてきた道である。
(菩提樹の根元で)坐禅する前の苦行六年のことである。
坐禅して、一朝大悟したのである
霊鷲山は釈迦説法の地として、寂寞として、其の名を今に残すのである。
*瞿曇〔梵 Gautama〕仏教の開祖釈迦の姓。ゴータマ。悟りを開く前の釈迦。瞿曇弥(くどんみ)。
*霊山:霊鷲山(りょうじゅせん)の略称。釈迦仏が『無量寿経』や『法華経』を説いたとされる山
(´・(ェ)・`)つ
825
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/19(日) 22:56:33 ID:1d4drIFg0
修行の道はかつてお釈迦様も通ってきた道であると言うのじゃ。
苦行をやめて座り続けて悟ったのじゃ。
そして二千五百年も名を残したのじゃ。
というような意味じゃな。
826
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/20(月) 22:51:14 ID:uLoVuJFE0
128
祝聖 祝しん
海内太平便現前 海だい太平即ち現前
清風明月碧雲天 へき雲の天
萬年七百高祖行 しち百高祖の行
看看天龍正覚禪 看よ看よ天龍しょうがくの禪
くま訳
祝聖
天下太平であれ、ありのままの全て。
清風明月碧雲天
七百年前に高祖から伝えられた禪はこれから万年も受け継がれてゆくであろう。
看よ!天龍に守られ、仏の悟りをもたらす禪を
*祝聖(しゅくしん)祝聖 禅宗の寺院で、天皇の寿命無窮を祝い祈ること。天皇誕生日および毎月の1日
と15日に行う。
*七百高祖行:達磨が中国に禪を伝えたのが5―6世紀、日本に伝来したのが13世紀頃らしいので、700
年かなと愚考した。
(´・(ェ)・`)つ
827
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/21(火) 19:56:59 ID:hp0r5VXk0
129
東坡山谷同㡧 とうばさんこく同たう
海内文章汝面前 海だいの 汝が
誰知鍛煉獨天然 たれか知る鍛錬独り天然
説法上堂法堂上 説法上堂はつたうの上
如來禪與祖師禪 如来禅と祖師禅と
くま訳
東坡、山谷の書画が、一幅の掛軸にある。
天下の名文が、目前にあるのだ。
誰も知らないのだ、鍛錬とは独りでするのが当たり前であることを。
説法は法堂(はっとう)の上で行うが、法堂の上には法があるのだ。
如来禅と祖師禅の法があるのだ。
*東坡(とうば):蘇軾東坡1036‐1101年 北宋の詩人、政治家
*山谷(さんこく):黄庭堅 1045‐1105年 北宋時代の書家・詩人・文学者
不遇の役人生活をしながら、参禅に、芸術にいそしみ、詩文のやり取りをとおして思想、心境を深めて
いった。二人は一休さんの心の師匠かも。
*同㡧:(同とう)2人の詩人の書画が一幀(ちょう・・装丁)の内にあること。
*如来禅:①如来が実践する禅法。楞伽経(りようがきよう)に説かれる四種禅の一。(大辞林)
②達磨だるまの伝えた正系の禅。圭峰宗密(けいほうしゆうみつ)が分類した五種の禅のうち、最上のも
の。のちの禅宗では自己の禅を祖師禅と呼び、不十分な禅の蔑称として如来禅の語を用いた。如来清浄禅
*祖師禅:達磨だるまの禅宗のこと。また、六祖の慧能の系統の禅(南宗禅)をいう。(大辞林)
*この辺の分類は、論者により、まちまちである。どうでもよいよいのでありましょう。
一休さんは、黙照禪よりも、悟りに導く修行法として優れているのは、説法や公案指導など、師家の指導
による風流な禪(看話禪?)であるとしている詩が、147・148 で詠まれているのである。お楽しみに
(´・(ェ)・`)b
*おまけ;三聖吸酸:儒教の蘇軾、仏教の仏印、道教の山谷(黄庭堅)・・酢が酸っぱいという事実は皆同
じであり、儒教、仏教、道教など、宗教や思想が異なっているとしても、真理は一つであるという意味。
828
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/22(水) 00:38:51 ID:1d4drIFg0
犀の角のように独りで歩めとお釈迦様も言っているのじゃ。
独りでいてこそ自分の本心が自分に現われるのじゃ。
他人が居ては仮面を被るからのう。
犀の角のように独り歩むのじゃ。
829
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/22(水) 20:20:43 ID:dinx1qu20
130
再來隔生即忘 かくしゃうそくばう
講経大士喚爲誰 かうきんのだいしよんでたれとか為す
弥勒當來之導師 たうらいの
爈鞴鈍鐵出生鐵 ろはい鈍鉄しゃう鉄を出だす
利劍鈍刀鐵不知 鉄知らず
くま訳
生れ変れば前世のことは全て忘れてしまうのである。
経を講じたのは誰であるとかとなす。
弥勒菩薩が到来して衆生を導くというのか。
師家がなまくらなら、鈍らな鉄しか生れない。
法の力を及ぼせる真の師家であるか、鈍ら坊主であるかを、修行者は知らないのだ。
(鋭利な刀剣になるか、鈍ら刀になるかは、師家次第である)
*大士:① 菩薩の異称。論主(ろんじゅ)② 如来を敬っていう語。③ 大菩提心をおこした人。道心堅固
な僧を敬っていう語。
*爐鞴(ろはい):鍛冶屋、師家の室内(碧巌録・信心銘)
*利剣:鋭利な刀剣。煩悩(ぼんのう)や悪魔を打ち破る仏法の力の意
*鈍刀:なまくら刀
(´・(ェ)・`)つ
830
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/23(木) 00:32:56 ID:b/R.LjPg0
>>828
おい!猿!
阿頼耶識の件、またまた瞬殺されて逃走か?
wwwww
831
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/23(木) 00:33:27 ID:1d4drIFg0
再生したら全て忘れてしまうのに弥勒を待っていても仕方が無いというのじゃ。
遠い未来にしか来ないのであるからのう。
とはいえぼろい炉からはよい鉄が出来ないように、師匠が駄目なら弟子もものにならないというのじゃ。
鉄がよい剣になれるかどうか知らないように、弟子も善い師匠の導きがなければ迷うばかりなのじゃ。
832
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/23(木) 00:35:04 ID:b/R.LjPg0
>>831
おい!猿!
阿頼耶識の件、またまた瞬殺されて逃走か?
wwwww
833
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/23(木) 00:37:30 ID:b/R.LjPg0
.
.
_| ̄|_| ̄| | ̄|_| ̄|__| ̄|_| ̄| | ̄|_| ̄|_| ̄|
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ヽ-ヘ_>ノ_ノ|_|、_ハ/|_|、_八ノ|_|、_ハ/|_|、_ハ/`⊇.ノ
馬鹿じゃねーの?
頭悪そうwwww
心療内科逝けよwwwww
生きてて楽しい?
知育障害?
恥ずかしーwww
まじキモ―! ,, -──- 、._ 智慧の声が聞こえた?
.-"´ \.
:/ _ノ ヽ、_ ヽ.: 偽僧侶の統失ナマポおじさんwww
:/ o゚((●)) ((●))゚oヽ:
:| (__人__) |: お薬飲んでるか??
:l ) ( l:
:` 、 `ー' /: 仏教向いてないよ、お前w
:, -‐ (_). /
:l_j_j_j と)丶─‐┬.''´ キチガイだろwwww
:ヽ :i |:
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834
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/23(木) 21:18:14 ID:tjv95wwU0
一休さん、動乱を予言?
131
題密庵和尚病起上堂後 密たん和尚病き上堂の後に題す
江山富貴是樵漁 かうざんの富貴これせうぎょ
風雨吟身一草廬 一さうろ
七顛八倒衆生苦 衆生の苦
不耐小魚呑大魚 耐へず小魚大魚を呑む
くま訳
密たん和尚が病が治り上堂後と題して、
国の富貴は、海山、様々な仕事をする人たちにより支えられている。
風雨を詩に詠み暮すわしは粗末な庵に住む。
衆生の暮らしは七顛八倒、大変苦しいものである。
苦しみに耐えられず、小魚大魚を呑むことが、実際に起こることもあるのである。
*病起:病から起きて・病が癒えて後
*密庵咸傑(みったんかんけつ):1118-1186南宋の臨済宗揚岐派の高僧。法語『密庵咸傑墨跡』 (国宝)
が日本に請来され,大徳寺の竜光院に伝わる。この掛幅のために,その茶室密庵席に密庵床が設けられた。
墨跡の内容は、修行する上での心得を説き「長く修行を続けることができれば、夢にさえ見たことのない
素晴らしい境涯が開ける」と記されてるとのこと。
*江山:川と山,国土,国家,国の支配権
*樵漁(ショウギョ):木を切ることと魚を捕ること。木こりと漁師。転じて、庶民。隠者の意味で使うこ
ともある
*草廬(そうろ): 草ぶきの粗末な家。 自分の住居をへりくだっていう語。
(´・(ェ)・`)つ
835
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/23(木) 22:19:36 ID:b/R.LjPg0
1.漢文
是無覆無記 触等亦如是
2.読み下し文
是無覆無記なり。触等も亦た是の如し。
3.翻訳(中公文庫版71p)
その(アーラヤ識)と一体になって存在している感情は、全く平静(なる感情)(捨)であって(楽でもなく苦でもなく)、
そうしてその(アーラヤ識そのもの)は(倫理的に)無性であってかつ(根本無知などにも)覆われていないのである。
漢文の文章は非常に短くとも様々な意味がその中に含意されているんですよ。
さて、
>一体となっている感情が
阿頼耶識が所縁によって見分と相分に分析されて感情になるって事で、両者の関係は非異非同って事です。
>全く平静(なる感情)(捨)であって(楽でもなく苦でもなく)、
その所縁によって種子から現ぜられた相分である感情が、平静と見分されているんです。
平静、つまり楽でもなく苦でもなくって事ですが、これは分別をしていない見分が現じられている、則ちこれが現量でしょ?
ここで、現量の定義と照らし合わせると
直接知覚。現前にある対象の非言語的な認識。
任運にして無分別なり
諸分別の行解を離れて任運の境の事相に敵う
境に任せてこれを縁ずる
上記とまさに合致してると思いますけどね。
上記を要約すると、境に任せてこれを縁じて無分別にして事相に敵うとなるでしょが、阿頼耶識が境に任せて、つまり所縁に依って見分と相分に分析されて、無分別、平静(楽でもなく苦でもなく)であると。
836
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/23(木) 23:18:15 ID:1d4drIFg0
>>835
おい!猿!
阿頼耶識の件、またまた瞬殺されて逃走か?
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馬鹿じゃねーの?
頭悪そうwwww
心療内科逝けよwwwww
生きてて楽しい?
知育障害?
恥ずかしーwww
まじキモ―! ,, -──- 、._ 智慧の声が聞こえた?
.-"´ \.
:/ _ノ ヽ、_ ヽ.: 偽僧侶の統失ナマポおじさんwww
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:| (__人__) |: お薬飲んでるか??
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:` 、 `ー' /: 仏教向いてないよ、お前w
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837
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/23(木) 23:20:02 ID:1d4drIFg0
>>834
そうかもしれん。
すでに戦国時代になる前からいろいろ騒乱は起きていたからのう。
宗派の闘争などもあったのじゃ。
838
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/23(木) 23:40:09 ID:b/R.LjPg0
>>836
あーあーww
壊れて自問自答か…
839
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/24(金) 21:09:37 ID:zr.JxX7M0
132 1/2
岐岳和尚龍寶山住院時、 ぎがく和尚龍宝山住院の時、
請御所喝食、 御前喝じきを請ひ、
於看雲亭夜夜酒宴。 看雲亭に於ひて夜々酒宴す。
因一休和尚相看、 因みに一休和尚相看す、
岐岳、問一休和尚曰、 岐岳、一休和尚に問うて曰く、
汝於老僧境界知耶不知。 汝老僧が境界に於いて知るや知らずや。
答曰知。 答へて曰く、知る。
問曰、試挙看。 問うて曰く、試みにこせよ看ん。
答曰、茂陵多病後。猶愛卓文君。 答へて曰く、もりょう多病ののち、猶ほたくぶん君を愛するがごとし。
岳大笑絶倒、随後打曰。 岳大笑絶倒して、しりへに随って打って曰く、
請為老僧題無住榜。 請ふ老僧が為に無住ぼうを題せよ。
休便題曰、 休即ち題して曰く、
龍寶禪翁活眼睛 龍宝の禅翁活眼睛
孤明歴歴磊苴名 孤みょう歴々らその名
黄金詞賦文君恨 黄金の詞賦文君が恨み
師笑茂陵空薄情 師は笑ふもりょうくうはくの情
柳田聖山先生 解説・訳
岐岳和尚、夜々酒盛りをする
応永三十一年(1424)、一休、三十一才の時の事である。
大徳寺二十一世岐岳妙周にまつわる次のような話が伝わっている。
岐岳和尚は崇福寺四十三世のとき、大応国師(南浦紹明)が残していた杖を持って大徳寺にのぼり、大応の後身を自任していた。
竜宝山の住職になると、毎夜のように、方丈の南東にあった看雲亭で若い衆を呼び寄せて酒盛りをしていた。
ある時、一休が呼ばれた。和尚は一休に尋ねた。「おまえはこの老僧の心境が判るか」。一休は答えた。
「判ります」。すると「ためしに言ってみろ」と和尚は問いかけた。「前漢の詩人司馬相如は多年病に悩ん
でいましたが、妻卓文君だけは手放そうとはしませんでした」と一休は応じた。和尚は満足げに笑った。
そこで和尚は一休に、頂相(禅僧の画像)に添え書きの賛を所望した。そこで、一休は次のように書きとどめた。
さすがに大徳寺の老僧の目はきらきらと輝く。
竜宝山歴代の評判は偏に武骨で有名ですが、
黄金百斤を貰って詩文で皇后の失寵を詰るとは
老師も御存じ、相如は粋ではありませんか。
くま訳
龍宝山住院の目が輝く
個々が光り輝き、ごろごろと石の詰まった袋のような人だ
皇后から頼まれて、黄金百斤で、武帝に対する恨みの詩を書いた詩人の話を
聞いて、老師も笑う、武帝は墓に入っても、きっと薄情な人のままであろう。
*孤明歴々:個々それぞれが輝くという意味
*磊(ライ):石がごろごろしているさま。「磊塊」 ②心が大きいさま。おおらか。
*詩賦(しふ)中国の韻文
*茂陵(もりょう)前漢の武帝の墓
*司馬相如(前179-117)は、前漢の文人で、「子虚賦」が機縁で武帝に召されて宮廷詩人として仕えた。富豪の娘卓文
君との恋愛話は著名である。
相如が武帝の皇后陳氏より黄金百斤を貰って、帝の失寵を怨む長門譜を書いた。陳氏は、黄金とともに、
相如夫妻に酒を贈ったと伝えられている。
実は、そのころ一休は、画賛を依頼され、何がしかの生活費を稼いでいたとも言われている。
一休さんはこの岐岳の酒宴に集まる僧たちを軽蔑していたのである。明日の詩でそれを詠んでいる。
(´・(ェ)・`)つ
840
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/24(金) 23:02:06 ID:1d4drIFg0
当時の坊主は普通に酒盛りをしていたようじゃのう。
乱世とはいえ酷いものじゃ。
信長に焼かれるのは当然なのじゃ。
今も葬式で金を受け取る破戒僧ばかりであるがのう。
841
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/25(土) 17:41:11 ID:b/R.LjPg0
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ヽ-ヘ_>ノ_ノ|_|、_ハ/|_|、_八ノ|_|、_ハ/|_|、_ハ/`⊇.ノ
馬鹿じゃねーの?
頭悪そうwwww
心療内科逝けよwwwww
生きてて楽しい?
知育障害?
恥ずかしーwww
まじキモ―! ,, -──- 、._ 智慧の声が聞こえた?
.-"´ \.
:/ _ノ ヽ、_ ヽ.: 偽僧侶の統失ナマポおじさんwww
:/ o゚((●)) ((●))゚oヽ:
:| (__人__) |: お薬飲んでるか??
:l ) ( l:
:` 、 `ー' /: 仏教向いてないよ、お前w
:, -‐ (_). /
:l_j_j_j と)丶─‐┬.''´ キチガイだろwwww
:ヽ :i |:
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842
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/25(土) 18:31:33 ID:9oI8Iaow0
133 2/2
高亭膓斷夜参僧 かうてい腸断すや参の僧
歌舞花前酒若澠 花前に歌舞して酒びんのごとし
長老雲門塔下逆 の逆
眞前雲雨五更燈 しんぜんの雲雨五更のともしび
くま訳
看雲亭に夜毎集まる僧たちは、真に残念な者たちである。
花見をしながら歌い舞い、酒に溺れる。
岐岳長老の下に集まる僧は大燈國師の真逆である
雲門庵のまん前でまぐわう、明け方の灯
*澠(びん):川の水、→酒量が多いこと
*大徳寺・雲門庵:大燈國師の墓所
134
偶作
餓鬼苦多也畜生 多しまた
人家魔魅長凡情 じんか 凡情を長ず
飢渇病苦五噎患 きかつ 五いつの患
邪師知識野狐精 の やこ精
くま訳
たまたま出来た詩
餓鬼の苦が多い、又畜生の苦
人をたぶらかし、下衆な感情を助長する。
飢え渇き、病に苦しみ、呼吸器の病を患う。
邪師の知識は、野狐の魂によるものだろう。
*餓鬼:六道の1つ。常に飢えと乾きに苦しみ、決して満たされることがない。
*畜生道:六道の1つ。悪業の報いとして死後に生まれ変わる世界。人間として許し難い行為・生き方や、
肉親間の色情を意味する
*魔魅(まみ):人をたぶらかす魔物。また、邪悪な人のたとえ。
*五噎患:噎气、忧噎、食噎、劳噎、思噎(中国語翻訳サイトより)
噎气:息が詰まり、話せないこと
忧噎:心臓、手、足の下でズキズキし、悪寒を
食噎:食物が喉をふさいだり、食道の最初の狭い部分に詰まったり、誤って気管に入ったりして呼吸窒息
を引き起こすことを指します。
劳噎:陰と陽の不調和、怒りが原因。胸部の完全な詰まり、背中の痛み。
思噎:考えること、心臓がドキドキすること、忘れること、見ること(目)これはすべて不安と怒りであ
り、胸部の寒さによっても引き起こされます
(´・(ェ)・`)つ
843
:
鬼和尚
:2020/07/25(土) 23:59:19 ID:1d4drIFg0
邪師の知識は、野狐の魂によるもの
一休の言うとおりなのじゃ。
臨在坊主のいかれた有様は
>>841
で自ら表現しているのじゃ。
今に続く邪師の伝統なのじゃ。
844
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/26(日) 00:08:34 ID:b/R.LjPg0
>>843
で、僧侶じゃないのになんで僧侶って嘘つくの?
845
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/26(日) 00:43:25 ID:SI43rZr.0
>>843
841くんは、ただの粘着荒し君ではありますまいか?
やめられずに苦しんでいるのでありますまいか?
坊主どころか、仏教徒でもありますまい。
むしろ、アンチ臨済でありましょう。
841くん、心を鎮めるのである。
自分の思いを見つめるのである。
全書き込みを読み返すのである。
人に天に羞じずに生きるのだよ。
(´・(ェ)・`)b
846
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/26(日) 18:10:48 ID:6kL7WP160
大切なことを言っている、けど、最後に一言言いたい一休さん
135
白居易問鳥窠和尚、 白居易ていくわ和尚に問ふ、
如何是佛法大意。 如何が是れ仏法の大意。
窠曰、諸悪莫作、衆善奉行。 くわ曰く、諸悪莫作、衆善奉行。
白曰、三歳孩兒也解恁麼道。 はく曰く、三歳のがい児もまたいんもにいうことを解す。
窠曰、三歳孩兒雖道得、 窠曰、三歳の孩兒もいいうると雖も、
八十老人行不得。 八十の老人も行ふことを得ずと。
霊山和尚毎曰、 りょうぜん和尚つねに曰く、
若無鳥窠一語、 若し鳥窠(ちょうか)の一語無くんば、
我徒盡泥乎本來無一物、 我が徒ことごとく本來無一物、
及不思善不思悪善悪不二、 及び不思善不思悪、善悪不二、
邪正一如等語。 邪正一如等の語になずんで、
以撥無因果。 以って因果をはつむし、
而世多日用不浄之邪師也。 而して世多く日に不浄の邪師を用ひん。
故余作此偈以示衆云 故に余此のげを作り、以って衆に示すと云ふ。
學者撥無因果沈 学者因果をはつむして沈まん、
老禪一句價千金 老禅の一句値千金、
諸悪莫作善奉行 諸悪莫作善奉行、
須在先生醉裏吟 須らく先生酔りの吟に在るべし。
くま訳
白居易がちょうか和尚に質問した。
「仏法の大意とは何ですか」
鳥窠が言う「諸々の悪を為さず、善い事をすることです。」
白居易が言う「三歳の稚児でも分かりそうなことですね。」
鳥窠が言う「三歳の稚児でも分かることだが、八十の老人でも実践できないことです。」
霊山和尚が常に言っていたことがある。
「鳥窠のこの一語が無ければ、
私の弟子たちは、本來無一物、
及び、不思善不思悪、善悪不二、
邪正一如等の語に囚われてしまい、
結果的に世に多くの邪師を送り出してしまっただろう」と。
それで、わしは、此の偈を作り、皆に示すのである。
修行者が因果の道理を否定したら、地獄に沈む。
老禪師の一句は価千金である。曰く
諸悪莫作善奉行
当然のこととして、白居易先生の酔裏の詩にも詠まれているはずである。
(くま調べでは、来世も仏教を修めたいという詩等が見つかった。)
*泥む(なずむ):1そのことに心がとらわれる。こだわる。執着する。2 物事がはかばかしく進まない
でいる。進むのに難渋する。とどこおる。3 なじむ。なれ親しむ。4 悩み苦しむ。病む。5 植物がし
おれる。生気がなくなる。6 ひたむきに思いを寄せる。執心する。
*撥無(はつむ):払いのけて信じないこと。否定して排除すること
*白居易(白楽天):772-846唐代の詩人。酒の詩多数。『酔吟先生伝』という自伝を67歳のとき書いた。
(´・(ェ)・`)つ
847
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/26(日) 22:15:15 ID:1d4drIFg0
>>844
臨済宗の者が僧侶で無いのに僧侶と嘘をつくのは金のためじゃろう。
葬式商売で儲けてうはうはなのじゃ。
>>845
そうじゃろう。
本当はわしに認められたくて執着しているのじゃ。
対面があるから認めたくないのじゃ。
哀れな者じゃ。
848
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/26(日) 22:20:19 ID:1d4drIFg0
悪い事をせずに、善い事をするのが仏法だというのじゃ。
三歳の子でもわかるが八十の老人でも実践は難しいというのじゃ。
人はどうしても攻撃欲に囚われてしまうからのう。
観念を打破するための善悪不二という言葉に囚われて、この言葉を忘れてしまうならば邪師になるのじゃ。
お釈迦様もそのように説く六師外道を論破したのじゃ。
849
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/27(月) 13:49:56 ID:b/R.LjPg0
>>848
で、僧侶じゃないのになんで僧侶って嘘つくの?
850
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/27(月) 20:17:51 ID:hdQ2/nGg0
136
漁父
學道参禪失本心 は本心を失す
漁歌一曲價千金 の一曲
湘江暮雨楚雲月 しゃかうのぼう楚山の月
無限風流夜夜吟 限り無き風流夜々の吟
くま訳
仏道修行、参禅は、本心を失わせる。
漁歌(漁夫の辞)は価千金である。
(屈原が入水自殺をした)湘江の夕暮れの雨、楚山の月を思うと
限り無く風流で夜々詩情が湧く
*おまけ:漁父辞 屈原
屈原曰挙世皆濁我独清 屈原曰はく、世を挙げて皆濁れるに、我独り清(す)めり。
衆人皆酔我独醒是以見放。 衆人皆酔へるに、我独り醒めたり。是を以て放たる。と。
漁父曰 漁父曰はく、
聖人不凝滞於物、而能与世推移 聖人は物に凝滞せずして、よく世と推移す。
世人皆濁、何不淈其泥、而揚其波。世人皆濁らば、何ぞ其の泥をにごして、其の波を揚げざる。
衆人皆酔、何不餔其糟、而歠其醨。衆人皆酔はば、何ぞ其のかすをくらひて、其のしるをすすらざる。
何故深思高挙、自令放為。 何の故に深く思ひ高く挙がり、自ら放たしむるを為すや。と。
屈原曰、吾聞之 屈原曰はく、吾之を聞けり。
新沐者必弾冠、新浴者必振衣 新たに沐する者は必ず冠を弾き、新たに浴する者は必ず衣を振るふ。と。
安能以身之察察、受物汶汶者乎。 いづくんぞ能く身の察察たるを以て、物のもんもんたる者を受けんや。
寧赴湘流、葬於江魚之腹中、 むしろしやう流に赴きて、江魚の腹中に葬らるとも、
安能以皓皓之白、 いづくんぞ能くかうかうの白きを以てして、
而蒙世俗之塵埃乎。 世俗のぢんあいを蒙らん。と。
漁父莞爾而笑、鼓枻而去。 漁父くわんじとして笑ひ、えいを鼓して去る。
乃歌曰、 乃ち歌ひて曰はく、
滄浪之水清兮 可以濯吾纓 さうらうの水清まば 以て吾がえいをあらふべし
滄浪之水濁兮 可以濯吾足 滄浪の水濁らば 以て吾が足を濯ふべし
遂去不復与言。 遂に去りてまたともに言はず。
マナペディアHP訳
屈原は言いました。
世の中の人々すべて(の心)が濁っている中で、私一人だけが清らかです。そして人々がみな酔っている中
で、私一人だけが醒めています。だから追放されたのです。と。
漁師は言いました。
聖人というものは、物事にこだわらずに世の中と一緒に移り変わります。世の中の人々(の心)が濁ってい
るならば、どうして一緒にその泥をかき混ぜて、波を立てないのですか。人々が酔っているならば、どうし
てその酒かすを口にして、その薄い酒を飲もうとしないのですか。どういった理由で深く考え、お高くと
まって、自分から追放されるようなことをしたのですか。」と。
屈原は言いました。
私はこういうことを聞いたことがあります。『髪を洗ったばかりの者は必ず(冠についた)よごれを払い、
入浴したばかりの者は、必ず衣服のほこりをふるってはらう』と。どうして清廉潔白なこの身に、(世俗
の)汚れたものを受け入れることができましょうか、いやできません。むしろ湘江に行って魚のエサになろ
うとも、どうして清廉潔白なこの身を世俗の埃の中にまみれされることができましょうか、いやできませ
ん。」と。
漁師はにっこりと笑って、(出航するために)船の縁を叩いて行ってしまった。そしてそのとき、次のよう
な歌を詠んだ。
滄浪の水が澄んでいるのなら、私の冠の紐を洗おう。
滄浪の水が濁っているのなら、私の足を洗おう。
とうとうそのまま去ってしまい、2人はもう2度と語り合うことがありませんでした。
(´・(ェ)・`)つ
851
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/28(火) 00:05:10 ID:1d4drIFg0
おぬしが僧侶じゃないのに僧侶とうそつくのは金のためじゃろう。
何でもお見通しなのじゃ。
852
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/28(火) 00:05:49 ID:1d4drIFg0
>>849
おぬしが僧侶じゃないのに僧侶とうそつくのは金のためじゃろう。
何でもお見通しなのじゃ。
853
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/28(火) 00:08:40 ID:1d4drIFg0
道を学び、参禅するのは却って本心を失うというのじゃ。
屈原に漁夫が説いたとおりなのじゃ。
一休は詩情に任せて吟ずることこそ自らの本心というのじゃ。
854
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/28(火) 20:42:26 ID:9Bjm15Z60
137
紹鵷蔵主規地卜居 紹ゑん蔵す地を規して居をぼくす
家徒四壁立 いへいたずらに四壁立つ
扁曰土菴 扁して土あんと曰ふ
作偈以爲證云 偈を作つて以て證と為すと云ふ
夏巢冬穴一身康 夏巣冬穴一身康し
帯水拖泥萬念忙 帯水だでい萬念いそがはし
稼檣艱難若領略 稼しょく艱難若し領略せば
梅檀佛寺名利塲 栴檀の佛寺名利の場
柳田聖山先生訳
紹鵷蔵主が、土地を探して、居を構えた。
その家は四方に壁があるだけの、粗末なもので、
土庵という額を掲げている。
そこで偈をつくって、タネ明しをしてやる。
夏は樹上に巣をつくり、冬は穴にもぐる鳥や虫は、身一つでさばさばしているが、
泥水をひきずって生きる人間は、あれやこれやと気疲れが多い。
畑仕事の苦労を身につけさえすれば、
栴檀造りの大寺院など、単なる名刹の場所にすぎまい。
くま訳
紹えん蔵すが、あれこれと土地を占って居所を決めた。
家の四方には無駄に土壁を建て
土庵という扁額を掲げている。
偈を作つて、証としてやるのだ。
夏は巣を作り、冬は穴を掘って住めば気楽でよいのだ。
苦にまみれている人たちを救う為に、共に泥にまみれて生きることは、気ぜわしいであろうが、
土の働きをよく知り、農作業の苦労を身につけさえすれば、
栴檀の寺院など、名利を追う場に過ぎないことが分かるだろう。
*蔵主(ぞうす):禅寺の経蔵を管理する僧職。
*卜する(ボクスル):うらなう。うらなって、よしあしを判断する。
*領略:物事の意味を理解すること。さとること。
*帯水拖泥(たいすいだでい):苦しみにまみれている人を、慈悲の心を持って共に生活することで救済す
ること。
*稼檣(かしょく):東洋医学の五行論でいう、土にある”種まきと収穫”という農業上の働きのこと。
僭越ながら、柳田先生が、粗末な家としたところを、土壁に囲まれた豪華な家に読み替えてみた。
(´・(ェ)・`)つ
855
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/29(水) 00:10:32 ID:1d4drIFg0
寺などは名利のための場所に過ぎないと一休は詠うのじや。
家などはぼろでよいのじゃ。
畑仕事をしていれば気苦労も無いのじゃ。
隠遁生活が一番なのじゃ。
856
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/29(水) 21:54:20 ID:IdZpVTSU0
138
賛臨済和尚 を賛す
喝喝喝喝喝 喝々々々々
當機得殺活 機に当たって殺活を得
悪魔鬼眼睛
明明如日月 明々としてじつげつの如し
くま訳
臨済和尚を賞賛する
喝々々々々
臨機応変殺活自在
人を見抜く悪魔のような鋭い洞察眼
明らかなること日月の如しである。
139
讀碧岩集序 碧岩集の序を読む
來山言教價千金 かつ山のごん教
一炬看來救古今 一きょみ来たれば古今を救ふ
休向寒灰成議論 寒かいに向かって議論を成すをやめよ
宗乗滅却老婆心 宗乗滅却す
くま訳
碧厳録の序を読む
來山善会の説き示されたことは価千金である。
一つのかがり火のような言説が、古今の人々を救う。
心の働きを鎮める為にと言って、議論するのはやめるのだ。
必要以上の親切心は、禅の極意を台無しにしてしまうのだ
*夾山:夾山善会(805〜881)。曹洞禅の法系
*一炬(イッキョ,いっこ): 一つのかがり火。 いっぺんに焼くこと
*寒灰(かんかい):火が燃え尽きたあとの灰。つめたい灰。転じて、心の働きがなくなった様子の形容。
*宗乗:自宗の教義。禅門の宗義や禅の極致をいった語。他の教えを余乗といって区別した。
(´・(ェ)・`)つ
857
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/30(木) 00:09:27 ID:1d4drIFg0
言葉はいくら集めても悟りには至らないのじゃ。
無駄な議論はやめて実践あるのみと一休も詠うのじゃ。
実践あるのみなのじや。
858
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/30(木) 19:45:19 ID:mNk/2S8Y0
140
示衆
割截難禁忍辱仙 かつせつたへ難しにんにく仙
捨身諸佛舊因縁 しゃ身は諸仏の旧因縁
千歳聲名断碑雨 千ざい声名断碑の雨
髑髏識盡北邙前 髑髏識尽く北ぼうの前
くま訳
釈迦の前世における忍辱仙人の修業のように、身体を切断されることは堪え難い、
他の生命を救うために身を捨てた前世の因縁で仏になったのだ。
千年前からの名声を伝える石碑も壊れて雨に濡れている。
髑髏は識り尽くしてるのだ。墓場の前にて。
*示衆:師家が学人に対して説法し指導すること
*忍辱仙人:釈迦の前世が暴虐な歌利王に四肢や耳・鼻を削がれながらも、怒り恨むことなく耐え忍び、
最後に国王を改心させるという説話あり。(三宝絵・忍辱波羅蜜)
*割截(かっせつ):ちきること。切りさくこと。
*捨身(しゃしん):命を捨てること。大乗の修行者が他の人あるいは生き物を救う為にみずからの生命を
なげうつことは,重要なものとして評価された。
*北邙(ほくぼう):北邙山が、後漢以来王侯公卿の墓地として知られるところから、墓地、埋葬場。
(´・(ェ)・`)つ
859
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/07/30(木) 23:01:08 ID:1d4drIFg0
無常の詩なのじゃ。
諸仏は自らの身を捨てて悟りを得たのじゃ。
いずれは朽ち果てる身ならば悟りを得るために捨てたらよいのじゃ。
身を捨てて悟りを得るのじゃ。
860
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/31(金) 19:20:28 ID:D8qZy99Q0
一休さん47歳、華叟13回忌、途中退席事件
141 1/2
華叟老師掩光 光をおほふて
而後既洎二十餘稔也 而して後既に二十余年におよぶ
壬申秋敕諡大機弘宗禪師 壬申の秋勅して大機弘宗禪師とおくりなす。
仍製禪詩 よって禪詩を製して、
呈寄大用養叟和尚 大ゆう養叟和尚に呈寄す
且陳賀忱云 且つ賀しんをのぶと云ふ。
曾謝塵寰五十年 かつてじんかんを謝す五十年
芳聲美譽是何禪 芳声美誉是何の禪ぞ
子胥晩日倒行去 ししょ日暮れて倒行し去る
覿面辱屍三百鞭 てき面屍を辱かしむ三百べん
くま訳
華叟和尚の下で光に包まれて(悟りを得て、)
その後、二十余年が経った。
壬申の秋に、華叟は、天皇から大機弘宗禪師というおくり名を下賜された。
そこで、禪詩を作り、
養叟和尚に贈呈した。
真心からのおよろこびを述べるのである。
かつて、俗世間を離れて五十年を生きた(華叟)
俗世の名声、名誉が華叟の禪と何の関係があるのか
伍子胥(養叟)は日暮れて道遠い為、(華叟の禪に)逆らっているのか。
(華叟への)恨みを晴らすために、屍に三百回の鞭打ちをして辱めるているようなものだ。
*賀忱(がしん):真心からの賀詞
*塵寰(じんかん):俗世間。塵界。
*謝す:去る。謝罪する。感謝する。(恨みなどを)晴らす。たち切る。
*芳声美誉: 誉れ高い名声。よい評判。
*覿面(テキメン): 面と向かうこと。また、そのさま。まのあたり。目前。効果・結果・報いなどが即
座に現れること。また、そのさま。
*子胥:次の(おまけ)の詩 参
*倒行:さからって物事を処すること。
(´・(ェ)・`)つ
861
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/31(金) 19:28:45 ID:D8qZy99Q0
おまけ 『史記』伍子胥(ゴシショ)列伝
八重樫一先生解説
春秋時代後期、伍子胥は楚の平王に父と兄を殺され、その復讐を心に誓いました。
以前楚にいたころ、伍子胥は申包胥(シンホウショ)と付き合っていました。
伍子胥が呉に逃亡する時、申包胥に次のように言った。
「自分はきっと楚を滅ぼしてみせる」と。
申包胥は言った。
「自分はきっと楚を保たせよう」と。
呉に亡命してから十四年、ついに伍子胥は祖国楚に戻ってきました。復讐すべき平王は、すでにこの世の人
ではなく、息子の昭王を捜させた。しかし昭王はすでに逃げ去った後であった。
しかたなく、平王の墓を掘り返し、死体を掘り出した。
(伍子胥は死体に)300回鞭打ちをして、やっと気が済んだ。
このとき申包胥は山中に逃れていたが、(その話を聞き)伍子胥に人を遣(や)って伝えた。
君の仇討ちは、酷いものだ。死屍(シシ)に鞭(むち)打つ、とは。
君は、もともと亡き平王の臣下であったではないか。
親しく仕えておきながら、今になって君王の死骸を辱めるとは。
天道を蔑(ないがし)ろにする極みではないか。
これに対して、伍子胥は(その使いの者に)言った。
為我謝申包胥曰、 我が為に申包胥に謝して曰(い)へ
吾日莫(暮)途遠、 吾れ日莫(く)れて途遠し、
吾故倒行而逆施之。 吾故に倒行して之を逆施(ゲキシ)せり、と。
私の為に申包胥に伝えてくれ
私はもう日が暮れているのに、行く道の遠い思いである。
私はだから、あわて急いで、道理に逆らうことをしたのだ、と。
*華叟の遷化に當り、養叟は、大德寺中に大用庵を新營し、華叟の塔を建て、且つ奏請して、大機弘宗禪師
の追諡を得た。(龍寶山大德寺世譜)後花園天皇其道譽を聞き、勅旨して文安二年八月大德寺に入らしめ、
其第二十六世となつた。
(´・(ェ)・`)つ
862
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/08/01(土) 00:30:23 ID:1d4drIFg0
華叟和尚に死後の名声等はいらんというのじゃ。
それはむしろ死者に鞭打つようなものというのじゃ。
本人が欲しがっている筈もないものであるからのう。
押し付けはいらんのじゃ。
863
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/01(土) 11:28:11 ID:C5vz/wP.0
142 2/2
懶瓚辭詔也何似 らいさんみことのりを辞すまた何ぞ似ん
煨芋烟鎖竹爐裏 わいうえんさす竹ろの裏
大用現前眞衲僧 大ゆう現前真のなふ僧
先師頭面潑悪水 先じのづ面に悪水を注ぐ
くま訳
懶瓚が天子の招きを辞退する話も、またどこか似ているのである。
焼き芋を焼く煙に包まれる、竹炉の裏(天子の招請を辞退した)の話は、
事に応じて活殺自在である、真の禅僧の面目の現れである。
(朝廷に奏請して追諡(ついし)を得るなどは、)先師の頭から汚水を浴びせるようなものである。
*懶瓚(らいさん・あだ名):明瓚(みょうさん・実名)は世間のわずらわしさから逃れ、山奥に隠居し、
残飯を食べて懶(なま)け者のように暮らしていたことから、懶瓚(らいさん)とあだ名で呼ばれていた
*竹爐(炉):携帯用の炉
*大用 :大いなる作用・働き。殺活自在の働き
*衲僧(のうそう)破れた僧衣を纏って修行する僧侶のこと。禅僧の通称
(´・(ェ)・`)つ
864
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/01(土) 11:52:42 ID:C5vz/wP.0
おまけ:「懶瓉煨芋」らさん芋を焼く。
懒瓚和尚隐居衡山石室中
唐德宗闻其名
遣使召之 使者至其室宣言
「天子有詔 尊者常起谢恩」
瓒方撥牛糞火 尋煨芋而食
寒涕垂颐 未嘗答
使者笑曰「且勸尊者拭涕」
瓚曰「我豈有工夫為俗人拭涕耶」
竟不起
(一財)東洋文化資料館 青山讃頌舎HP訳
懶瓚(らさん)和尚は衡山(こうざん)の石室の中に隠居していました。 唐の徳宗は其の名を聞いて、
使を遣わし之れを召します。
使者は其の石室にやって来て宣言します。
「天子の詔である、尊者はすぐに都に行って恩に応えよ」
瓚和尚はまさに牛糞の火をはらって、焼芋を掘り出して食べようとしているところで、
鼻水を顎まで垂らしたまま何も答えようとしません。
使者は笑って言います。「ともかく、尊者、鼻を拭ってはどうですか」
瓚和尚は答えて、「何でわしがわざわざ俗人の為に鼻を拭うような手間を掛けねばならんのかね」
と言って、ついにお召しに応じませんでした。
(´・(ェ)・`)つ
865
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/08/02(日) 00:38:39 ID:1d4drIFg0
天子からの招待を断った禅僧もいたというのじゃ。
俗世の名声等は出家とは無関係なものじゃ。
そのような俗世の名声を捨てるのが出家であるからのう。
死後の名声を重ねようとするのは無意味なのじゃ。
866
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/02(日) 15:59:07 ID:gYSke2Sc0
143 男一休ここにあり!
盲
瞎驢不受霊山記 かつろは受けず霊山の記
四七二三須愧慙 ししちにさん須らくぎざんすべし
豈堕在光影邊事 あに光やう辺のじにだ在せんや
銅睛鐡眼是同参 銅ぜい鉄眼これ同参
石黒吉次郎先生解説
これは盲目の者でも、銅や鉄のような優れた眼を持っていて、仏法を会得することを説いたもの
碧厳録八十八則の玄沙三種病の話に基づく
水上勉先生訳
達磨も六祖も瞎驢に傀じるべきだ。
瞎驢は霊山の記をうけてはおらぬ。
だが、その境地は、有相の仏や浄土の光影など糞くらえ。そんな分別に堕ちてはいない。
森女がそうである。仏も、色も、光も、影もみておらぬ。一休の瞎驢は観念上のめくらだったが、森女にめ
ぐりあって、そこに本物がいることに眼を瞠っている
くま訳
盲
盲目の驢馬(一休と森)は、霊山から将来仏になると約束されたものではないのだ。
釈迦から達磨までの28代の祖師、達磨から慧能までの6代の祖師たちは皆、過ちを恥じるべきである。
決して、光影などの分別に陥ることはなく、
優れた眼力をもつ(森と一休は)、同学の仲間なのだ。
*受記:授記とは、仏が修行者に対して将来必ず仏となることを予言し保証を与えることをいう。仏の側か
らは「授記」であり、修行者の側から言えば「受記」となる。
*四七二三:禅宗に於ける伝灯の仏祖を数で表したもの。
二三は東土二三(かけ算する)で6代の祖師を意味し、菩提達磨尊者から六祖慧能までの中国の祖師方を
意味する。四七は西天四七で28代の祖師を意味し、インドで釈尊から正法眼蔵を附法された摩訶迦葉尊
者から菩提達磨尊者までの祖師方を意味する。
*電光影裏:人生は束の間であるが、人生を悟った者は永久に滅びることがなく、存在するというたとえ。
*同参:禅宗で、同一の師について参学すること。また、その同学の仲間。同学。
*銅睛鐡:すぐれた眼力を譬える言葉
*35「唖」の詩 参 前スレ
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/567-n
>>663
(´・(ェ)・`)つ
867
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/08/02(日) 22:37:25 ID:1d4drIFg0
法華経にはお釈迦様が阿羅漢以下すべての弟子に如来になることを受記したとあるのじゃ。
それも創作であるがのう。
世間にもよく修行して悟りに近いものも居るといいたいのじゃな。
眼が見えなくとも修行の妨げにはならないのじゃ。
868
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/03(月) 20:14:26 ID:hkn8ohjE0
模擬テスト
145
不偸盗戒
鵝鳥呑珠刑罰辛 がちょう珠を呑んで刑罰からし
分明曲直僞兼眞 分別曲直偽と真と
翠巖老漢眉毛話 すい岩老漢びもうのわ
保福豈非家裏人 保福あにかりの人にあらざらんや
くま訳
珠を飲み込んだガチョウと、それをかばった比丘は厳しく罰せられた。
明らかなことである。正不正、真と偽と。
翠巌の眉毛の話、
保福は、きっと翠巌の身内にちがいない。
*鵝珠(がしゅ):鵝鳥の飲み込んだ珠、の意。宝玉をみがいていた珠師が、乞食の比丘のために食を取り
に行っている間に、鵝鳥が玉を呑んだ。比丘は鳥が殺されるのを哀れんで、事実を言わなかったので、玉
のないのに驚いた珠師は、比丘を疑って責め打ち、その血を飲みに来た鵝鳥をも怒りにまかせて殺した。
比丘は鳥の死によって、鳥に代わって死んでもよいと決意したことも無意味になったと告げ、珠師は鳥の
腹から出た玉を見て、泣いて懺悔したという「大荘厳論経」の話。
*翠巌令参:唐時代の禪師。
*保福従展:
*家裏(かり): 家の中。自分の家。また、家族。
*翠巖眉毛:碧巖錄第八則:翠嵒夏末示眾云:大燈が大応から与えられ、解くのに三年かかった公案(その
「関・かん」の字を見よ!・・「雲門の関」)。解いて印可を受けた。
おまけの詩↓ 参
(´・(ェ)・`)つ
869
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/03(月) 20:21:40 ID:hkn8ohjE0
おまけ:翠巖眉毛
一夏以來,
為兄弟說話,
看翠嵒眉毛在麼
保福云作賊人心虛
長慶云生也
雲門云關
野狐禅RRPG HP訳
夏安居に入って以来、諸君のために説法をしてきた。
誤った説法をすると眉毛が抜け落ちるといわれているが、わしの眉毛は残っているか?
保福が言った。泥棒は、うしろめたくてビクビクする
長慶が言った。今、眉毛が生えそろったぞ。
雲門が言った。関門だ。
禅と悟りHP訳
翠巌和尚は90日の夏安居の終りの日に大衆(修行僧達)に言った、
「この夏安居の間諸君達のために仏法をくどすぎるほど説いた
(昔から仏法は言説を超えたものであり、仏法をしゃべり過ぎると眉毛が落ちると言われる。
もしかして、わしは仏法をしゃべり過ぎて眉毛が落ちたのではないだろうか)。
どうじゃな、わしの眉毛は落ちてはおらんかな?
(言説に頼れば仏法を誹謗することになるので)」。
保福は言った、
「ヤイこの盗人め、ビクビクするない」。
長慶は言った、
「眉毛はチャンと生えているじゃないか」。
最後に雲門が言った、
「ピシャリ(門は閉められたぞ。ここが通れるか)」。
師家が、「わしはしゃべり過ぎたか?」と、弟子に尋ねる時点で、師家としてお粗末な気がするであります
が、泥棒とまで指摘できるのは、よっぽど親しい身内なのだろうと言うのでありますね。
心の中には関所はなく、どんな嘘でも、でたらめでも、信じさせてしまえば、まかり通ってしまうものであ
りますから、聞き手が、自分で真理をしっかりと見極める関所を身につけなければなりますまい。
大燈國師は、『関の字を見よ』という公案に、何と答えて合格したのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
870
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/03(月) 22:36:44 ID:hkn8ohjE0
くま訳 訂正①132の詩、:「茂陵空薄情」・・茂陵で司馬相如が卓文君を思い詩を詠んだときの情のことと思われ、
くま訳の、「武帝は墓に入っても、きっと薄情な人のままであろう」誤りと思われる。薄情の意味をどのように解す
か迷うところでありますが、ここは、柳田聖山先生訳の通り、「 相如は粋ではありませんか」と訳さないと、一休の
思いは伝わらないでありましょう。
くま訳 訂正②137の詩、:「家徒四壁立」・・一休さんがよく言及する司馬相如が、卓文君と駆け落ちした後、成都
での生活は困難を極め「家は只,四つの壁の立つのみ」とのこと、これを、引用しているものと思われ、柳田聖山先生
訳の通り、「その家は四方に壁があるだけの、粗末なもので、」とすべきでありましょう。そもそも、家徒四壁は、窮
めて貧しいことの譬えをあらわす四字熟語でありました。
真に僭越で有りました。
(´・(ェ)・`)つ
871
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/08/03(月) 23:53:41 ID:1d4drIFg0
>>869
投機の偈で答えたのじゃ。
それには既に雲関を透得し終わったと書いて在るのじゃ。
関といわれれば誰もが関の外に出ていると思うのじゃ。
どのようにして関の中に入ろうとか思って悩むのじゃ。
実は既に内に入っているのじゃ。
一休はそれを詩にしたのじゃ。
保福豈非家裏人というのじゃ。
872
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/04(火) 01:30:52 ID:ytDvJ4Pw0
>>871
鬼和尚、ありがとうであります。
「家裏人」が、関の内側の意味とは読み取れなかったであります。
精進するであります。
宗峰妙超禅師 (大灯国師)投機の偈
一回透得雲関了 一回〈ひとたび〉雲関を透得し了(おわ)って
南北東西活路通 南北東西 活路通ず
夕処朝遊没賓主 夕処朝遊 賓主を没し
脚頭脚底起清風 脚頭脚底 清風を起す
承福寺HP訳
ひとたび雲門の関を透過し終わってみると、四方八方何のとらわれるもの無いの
自由自在の境地である。立つも座るも寝るも起きるも朝夕へだつことなく、客だ、
亭主だといった賓主なく、迷いだ悟りだの区別もない。もう頭のてっぺんから足の
先まで一点の塵穢れなく清風がかけぬけるようなすがすがしさだ。
(´・(ェ)・`)つ
873
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/04(火) 20:02:23 ID:fO1sW.K20
一休さんの辞世の詩の一つ・やっぱり森が好き!
144
辭世
今宵拭涙涅槃堂 今宵涙を拭う涅槃堂
技倆尽時前後忘 技倆尽くる時前後忘ず
誰奏還郷真一曲 誰か奏すげんきょう真の一曲
緑珠吹恨笛声長 りょくしゅ恨みを吹いててきせい長し
*緑珠伝(楽史(910〜1007)宋初の歴史家。西晋の大富豪として有名な石崇の寵姫緑珠の物語。笛・舞
の名手であった美妓の緑珠が、主人に純愛を捧げ通して自決するまでの物語。
柳田聖山先生 訳
今宵かぎりと涙を拭きとる涅槃堂
根も気力も使い果たして前後不覚
誰が冥土に至るまで一曲を奏でる
緑珠が恨みをこめた笛の音を聞く
くま訳
今宵涙を拭う涅槃堂
生きる為の修業も治療もやり尽くし、ちょぴっと油断したのである。
誰が吹く、故郷涅槃へ還るために必要な真の一曲
笛の名手緑珠が吹く、心残りの笛の音のようだ。(森が帰郷の為の心の準備を思い出させてくれている。)
(´・(ェ)・`)つ
874
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/08/04(火) 23:38:40 ID:1d4drIFg0
>>872
そうじゃ、あに家の裏の人ならんやというのじゃ。
家の裏に居る人であることがあるだろうかという否定疑問文なのじゃ。
つまり既に家の中に居る人なのじゃ。
投機の偈とは鍵を投げる音を聞いて気付いたから付けた題名なのじゃ。
鍵を投げるのはいらないからなのじゃ。
なぜいらないかといえば既に家に入っていたからなのじゃ。
その音を聞いて己も既に雲関をとおっていたと気づいたのじゃ。
875
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/05(水) 00:36:01 ID:loidiCpM0
>>874
鬼和尚、いつもありがとうであります。
鍵を投げた音で悟り、それを詩に詠み、「投機の偈」と題名をつけたのは、誰でありますか?
ググってみたのでありますが、ヒットしませんでした。
(´・(ェ)・`)つ
876
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/05(水) 20:08:41 ID:88HzfH7Q0
娘生(にょじょう)とは、娘のことではなく、女から生れた子、母親から生れた自分、世俗の我、仮我、自
我、と言う意味でありました。「娘生の面目」と言い、「本来の面目」に対する用いられ方をするらしい。
又、くまのテキストには、[にゃうじゃう]と振り仮名されているが、検索すると、[じょうしょう ]とでてくる。
誤っていたので、以下の二首のくま訳を訂正するのである。
108は、
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/567-n
の
>>972
114は、当スレの
>>794
くま訳 訂正①108:(当初訳)少女が見性者を見ても見分けがつかない様なものである。
→(今回訳)本来の面目を知らないままでは、何も見えないのだ。
くま訳 訂正②114:鬼和尚に説明をいただいた点も踏まえて、大幅に直してみた。
(当初訳a.) 道理を良くわきまえている修行者が、何で、子供の着物の裾上げの糸を
切り取らないようなことをするのか。(何で言葉に囚われるのか)
(今回訳a) 目利きの僧がなぜ足の下の赤いほつれの糸を切らないのじゃ。
(そのような言辞は心を乱すのみなのじゃ。)
(当初訳b) 弟子たちを指導し導いて、心の糸を乱した
(今回訳b) 弟子たちを指導して、心の糸の乱れを正した。
(当初訳c) そのうち、娘が成長して初潮をむかえ、足元に鮮血がながれる。
(今回訳c)本来の面目を知らないままでは、その内、絡まりついた、足下の赤
い糸に締め上げられて、流血して苦しむだろう。
自分自身の足下、自分自身の心の中を良く見て、縄を蛇と見誤るようなことが無いようにせよせよ、という
ことでありましょうか。
紅絲線について一休さんは、世間との諸々のしがらみを言うような意味で使ってるようであります。
(´・(ェ)・`)つ
877
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/05(水) 21:07:20 ID:88HzfH7Q0
落ちこぼれを出さないように腐心する一休禅師
151
示久参徒 久参の徒に示す
看経看教無間業 看きん看教無げんの業
應庵但許白浄業 応庵ただ許すびゃく浄業
参禪学道閑話頭 参禪学道閑話とう
可懼身口意三業 おそるべししんくいの三業
くま訳
長く修業を続けているもの達に示す
意味を理解して経や教を読み、地獄に落ちる五つの悪業を知れ。(或いは、看経看教を絶え間なく続けろ)
應庵曇華は清らかな功徳を求めて坐ることのみを認めている。
坐禅を組み、仏道修行を行い、静かに公案に取り組む。
おそるべし、身口意の三業(実践の積み重ねが大切である。)
*看経(カンキン):古教照心。意味がわかるように経を読む事。尽十方界真実の実践。成仏行。
*五無間業(ごむけんごう):無間(むけん)地獄に落ちる5種の悪業。
*応庵曇華:南宋時代禅師:現成公案、只管打坐を強調
*白浄:「菩提心は則ち良田なり、衆生の白浄の法を長養するが故に。」(華厳経 )
さとりを求める心(菩提心)は、たとえば良質で豊かな田地です。なぜなら、それは、生きとし
生けるものの清らかな功徳を養い育てるのですから。大谷大学HPより
*身口意の三業:人間の行為を身・口・意志の三種に分類したもの。業とは行為・造作の義で、善悪にわた
る行為そのものだけでなく、その行為の余力としての習慣力が含ふくまれる。人の行為経験は、いかなる
ものでもそのまま消滅めつすることなく必ずその余力を残し、それは知能・性格などの素質として保存・
蓄積ちくせきされる。
(´・(ェ)・`)つ
878
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/08/05(水) 22:41:01 ID:1d4drIFg0
>>875
自分でつけたのじゃろう。
大体漢詩の題名は自分で付けるのであるからのう。
鍵を投げて悟ったということを知る者は自分一人なのじゃ。
>>876
そうじゃろう。
自ら観察して気付くことが大事なのじゃ。
それだけが真の修行なのじゃ。
879
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/08/05(水) 22:43:23 ID:1d4drIFg0
>>877
経を読んだり、教えを聞くだけでは無間地獄への業となるというのじゃ。
実際に座禅をして道を学ぶことが大事というのじゃ。
気をつけねば成らんのじゃ。
880
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/05(水) 23:28:37 ID:88HzfH7Q0
>>879
鬼和尚、ありがとうであります。
151の詩、くま訳修正
看経看教無間業
意味を理解して経や教を読み、地獄に落ちる五つの悪業を知れ。(或いは、看経看教を絶え間なく続けろ)
→経、教を詠だけでは、無間地獄へ入ってしまうのである。
(´・(ェ)・`)つ
881
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/06(木) 19:08:05 ID:24iU9Zco0
句中玄の応用と実践・贋艶詩創作講座
251
圓悟大病 1/4
涅槃堂裡絶言詮 涅槃堂うら言詮を絶す
棒喝機關法座禪 棒喝機關法座の禪
睡裏花顔猶醉眼 睡裏の花顔猶ほ酔眼のごとし
春風断膓海棠前 春風はらわたを断つ海棠の前
蔭木英雄先生部分訳
涅槃堂裡絶言詮・・禪寺の病室で園悟は言語詩文を超絶して悟った
くま訳
涅槃堂において圓悟は、言葉・観念の世界を超えたのである。悟ったのである。
棒喝、弟子の能力に合わせて関門を与え、説法で導く禪
花のように美しい寝顔を見る、まだ酔い覚めやらぬようだ、とは、
春風の心地よさに、たまらなく興趣を誘われる、カイドウの花の前での創作である。
*圜悟克勤(えんご こくごん1063-1135):宋代の禅僧。諡は真覚大師。五祖法演の法嗣。『碧巌録』の
著者。
*機関禅:(天神九十五先生解説抜粋)「機(=学人の能力)に対して関を設ける禅」臨済の四料簡・四照
用、雲門の三句、洞山の三路・五位等を挙げて仏道修行の標準としている。
「機関」とは「理致」と対する言葉であり、前者は公案などがその例、事象を義や理によって理解せずに
「事象を端的に掴む」ための方便であり、後者は経典・論書の道理を使って修行僧を指導することをいい
ます。・・・道元禅師は、「機関・理致」という対立を超えたところをもって、仏道参究の標準とされま
すので、身心を究めることの他に、何が必要であろうかと批判・・・夢窓国師なんかは「若し本分を論ぜ
ば、理致となづけ機関となづくべき法門なし。」とされます
*法座:①説法をする人の着く座席。②説法の行われる集会。法席。法筵(ほうえん)
*海棠(カイドウ):1 バラ科の落葉小高木。枝は紫色で垂れ下がり、葉は楕円形。4月ごろ、紅色の花
が下向きに咲き、実は丸く、黄褐色に熟す。
*悟りをあらわす言葉色々:言亡慮絶、意路不到、心言路絶、絶言絶思、名言道断、言語道断心行処滅、
言詮不及、意路不到
法演も雁艶詩を弟子にすすめていたらしい(小艶詩提)。雁艶詩は、伝統ある「機関」だったのでありますね。
句中玄の応用実践という理解でよいでありましょうか?
三玄三要;89の詩 参 前スレ
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/567-n
>>906
(´・(ェ)・`)つ
882
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/08/06(木) 22:19:00 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃろう。
機関でも修行者の本心に関していたならば己を極める役に立つのじゃ。
悟ってしまえば一緒なのじゃ。
梵我一如なのじゃ。
883
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/07(金) 20:46:39 ID:nELsQgfM0
句中玄の事例
252
圓悟大病 2/4
巫山夜々夢難驚 ふざんやや夢驚き難し
艶簡題詩對鐵檠 艶簡詩を題して鉄けんに対す
只爲檀郎呼小玉 只檀郎が為に小ぎょくを呼ぶ
風流可愛美人情 風流愛すべし美人の情
蔭木英雄先生 訳・解説
夜ごとの巫山の(神女と契った)夢は覚めがたく
恋文に詩を書きつけて鉄の燭台に向かう
それはただ愛する男性に(自分の存在を知らせようと、侍女の)小玉を呼ぶようなもので
風流な美人の心情は愛すべきである。
小艶詩に依拠する転句は、己事究明・見性成仏を自証させる為に、手段として文字言語を援用するという喩
えである。それは月と指の関係である。月(真理・仏性・美人)を相手(修行者・檀郎)に見つけさせる為
には、指(文字言語・小玉を呼ぶ声)が必要である。故に結句の“美人の情”とは、檀郎つまり修行者に、
自己の内なる仏性を自証させる慈悲心なのである。このように考えると、艶詩を吟ずる事は、一休宗純に
とっては、薫化衆生の大乗仏教精神である。
くま訳
巫山の夜毎の逢瀬の夢は、覚め難い。
恋文の詩を書く為に、鉄の燭台に向かう、
ただ、愛しい人に気づいてもらいたい一心で、侍女の小玉を呼ぶ、
その風流な思いを愛すべし。美人が思いを募らせている切ない思いを。
*巫山之夢:楚の懐王が高唐に遊んだ際、疲れて昼寝していると、夢の中に「巫山の女(むすめ)」と名乗
る女が現れて王の寵愛を受けた。彼女は立ち去る際、王に「私は巫山の南の、険しい峰の頂に住んでおり
ます。朝は雲となり、べは雨となり(旦為朝雲、暮為行雨)、朝な夕な、この楼台のもとに参るでしょ
う」と告げた。という故事。168の詩参:
*驚く:1 意外なことに出くわして、心に衝撃を受ける。びっくりする。感嘆する。2 はっと気がつく。
3 目が覚める。
*小玉:五祖法演が陳提刑(圓悟も聞いていた)に提唱した小艶詩に依っている。『大慧武庫(一休さんの
愛読書らしい)』(おまけの詩 参)
*巫山之夢:168参:巫山の雲雨と同義:楚の懐王が高唐に遊んだ際、疲れて昼寝していると、夢の中に
「巫山の女(むすめ)」と名乗る女が現れて王の寵愛を受けた。彼女は立ち去る際、王に「私は巫山の南
の、険しい峰の頂に住んでおります。朝は雲となり、べは雨となり(旦為朝雲、暮為行雨)、朝な夕な、
この楼台のもとに参るでしょう」と告げた。という故事
*檠(けい、きょう、ぎょう、ともしび):、ともしび/灯台/矯める/ゆだめ
*檀郎:女性からみて、男性の恋人。「愛しいあのお方」。詩詞では、普通名詞として使われる。
(´・(ェ)・`)つ
884
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/07(金) 20:51:28 ID:nELsQgfM0
*おまけ:小艶詩 (カメ法師先生HP・解説)
一段風光畵不成 一段の風光、画けども成らず
洞房深處説予情 洞房深き処、予情を説く
頻呼小玉元無事 頻りに小玉を呼ぶも元より事無し
只要檀郎認得聲 只檀郎が声を認得せんことを要す
この第三句は、禅門での「無門関第十七則・國師三喚」の考案の著語としてしばしば用いられる。
小玉という侍女を女が頻りに呼んではいるが、これと言った用事があるわけでもない。という意味。
頻りと呼んでいるのは、第四句にあるように、窓外の意中の君(檀郎)に私はここにいますよ、ということ
を知らせたいがため。次女を呼んでいる真意は、次女に用があるのではなく別のところにあるというもの。
くま訳
素晴らしい景色は、描こうとしても描き切れない、私の思いも言葉に現しきれない
遊郭の奥の部屋で我が思いを述べる、
頻りに侍女の小玉を呼ぶが、元より用事などないのだ。
ただ、恋しい檀那さんに気づいてく欲しいのだ。
(´・(ェ)・`)つ
885
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/08/07(金) 23:04:40 ID:1d4drIFg0
巫山の女子の夢を夜毎に見るのは驚くべきことでもないという意味じゃな。
何ゆえ用も無いのに小間使いを呼ぶのかという謎掛けじゃな。
それもまた公案といえるじゃろう。
仏の名を唱えるのは仏を呼びたいからではなく、己が仏になるためなのじゃ。
886
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/08(土) 19:39:02 ID:QIfaqeEk0
句中玄模擬テスト
253
圓悟大病 3/4
狭路慈明色欲淫 狭路の慈明色欲の淫
庭前柏樹祖師心 てい前の柏樹祖師の心
悪魔臨済正傳境 悪魔臨済正傳の境
雲暗姮娥落玉簪 雲暗してこうが玉さんを落とす
くま訳
慈明禪詩の方法は、狭い道である。(股に錐を刺して)情欲は抑えることは、誰にでもできることではない
のだ。
心境一如が、趙州和尚の悟った心である、
悪魔のように鋭い洞察眼をもつて、対象観察をするが臨済正伝のわしの境涯である、
雲天暗くて、姮娥が玉かんざしを落とすのである。(禅宗の現状は暗雲たちこめ、それを艶詩で伝えるよう
としているのだ。)
*庭前柏樹子『無門関』第三十七則・『趙州録』(細川景一先生解説抜粋)
「如何なるか是れ祖師(達磨大師)西来意」。趙州和尚、「庭前の柏樹」
僧が続けてたずねます。「和尚、境を将って人に示すこと莫かれ――私は禅とは何かと聞いているのです。
境、即ち心の外の物で答えないで下さい」というのです。
趙州和尚云く、「我れ境を将て人に示さず――私は決して心の外の物で答えてはいない」。
この僧は心と境とを対立的に見ての問いです。趙州和尚の消息は、心と境と一体一枚、心境一如、禅師
の心には境など存在しないのです。庭前の柏樹子、ただただ、庭前の柏樹子です。・・・祖師西来意だの、
・・・小理屈は捨て切って・・柏樹子に成り切った絶対的な境涯を趙州和尚は示そうとしているのです。
この消息は・・・徹底的な「無心」の心です。
その辺を後に、妙心寺の開山、関山国師は、・・この公案には恐ろしい盗賊のような働きがあって、私達
が今まで営々として築いて来た名誉財産はいうに及ばず、執着分別心、煩悩妄想を、根こそぎ奪い去らず
にはおかない機略があるというわけです。
後日談があります。
・・隠元禅師は江戸時代、明より渡来し、日本の禅道場に法戦を挑んで各地を遍参した・・その折、京都
の妙心寺にも上山し当時の山主、愚堂和尚と問答に及びます。
「開山、関山国師の語録を拝見したい」 「開山さまには語録はありません」 「語録なくして、何で開
山と云えるか」「開山さまには語録はないが、ただ『柏樹子の話に賊機有り』という言句があります」
隠元禅師、この一語を聞いて身震いし、「この一語、百千万巻の語録に勝る」と云ってうやうやしく礼拝
したと伝えられています。
*慈明石霜楚円禅師:夜坐睡らんと欲すれば、錐を引いて自ら刺す。
*境:6種の知覚器官 (六識 ) によって知覚される対象のこと
*姮娥(コウガ・ごうが):西王母の仙薬を盗んで月へ逃げたという仙女の名。月の異称。(おまけ 参)
うむ。こう言われたら、何も問えないでありますね。問が無意味だということでありましょう。楽にはなれ
るような気はするのである。
確かに、「賊機」ありである。
(´・(ェ)・`)つ
887
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/08(土) 19:44:53 ID:QIfaqeEk0
*おまけ: ↓「姮娥」「玉簪」で検索して、中国サイトで見つかった詩。
昨夜三更后,昨夜三更の後
姮娥堕玉簪 ごうが玉さんを落す
馮夷不敢受,ヒョウイ敢えて受けず
捧出碧波心 棒出すへきは心
くま訳
昨日の深夜
ゴウガ仙女が、玉かんざしを落とした
雨の神様ヒョウイは、それに気づいたが、敢えて、拾わなかった、
それでゴウガの、千々に乱れる心を引き出した
*王禹偁(おううしょう)作:954-1001、北宋(ほくそう)の詩人。低い身分から、科挙を経て官僚となっ
た。五言は杜甫(とほ)を学び、七言は白居易を学んで、平静淡泊ななかに知性と社会批判とを盛り込ん
で、 宋詩の風気の先駆けとなった。『小畜集』
*馮夷(ひょうい・ふうい):中国古代の神話に登場する川の神。雲車を御して空中を飛び回るこの神は、
また下界に雨をもたらす雨師であったとされる。こ
*捧出(ささげいだす):かつぎ出す,担出す,担ぎ出す
*碧波心:海を駆け巡る波は、時に荒々しい姿をみせる。
『白雲深處金龍躍 白雲深きところ金龍おどり
碧波心裏玉兎驚 へきはしんりぎょくとおどろく』と、言う言葉が碧眼集にあるらしいが見つからな
かった。
*檐角・簷角(えんかく):のきさき
*江戸時代後期の詩にの一節に、
家家檐角挂冰柱 家家のえんかく氷柱をかく
知是抛来幾玉簪 知る是れ抛ち来る幾玉さん
山口旬先生 訳・解説より
家々の軒先には氷柱(つらら)がかかっている。
わかった、これは彼女たちが、天から投げ捨てた幾つものだ玉の簪(かんざし)なのだ。
↑と、いうのがあるので、玉かんざしを落として、霜(雨)をかからせ、降らせてて、恋人に思いを伝え
ようとする女心を、「堕(落)玉簪」に譬えているのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ
888
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/08/08(土) 23:01:28 ID:1d4drIFg0
仏道修行は色欲を抑制して実践するものじゃ。
それは狭い道というのじゃ。
臨済宗の正伝禅ではむしろ色欲をも利用して悟りに向かうというのじゃ。
芸術とか風流の道なのじゃ。
889
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/09(日) 17:43:25 ID:tQxP6Xgs0
一休さんの艶詩提唱
254
圓悟大病 4/4
娘生佛果已圓成 にょうしゃう佛果すでに円じゃう
大病苦中無識情 大病苦中識情無し
小艶詩情人不會 小艶詩情ひとゑせず
雞聲茅店月三更 けい声ばう店月三更
蔭木英雄先生訳・解説
圓悟仏果禅師が生れつき持っている無上正等覚(仏果)はすでに成就し
金山で大病に苦しんでも、知識情念に執らわれなかった
小艶詩の心を人々は会得しなかったが、
圓悟禪師は鶏の声を聞いて大悟し、その時、夜中の月が宿屋を照らしていた
起句の仏果は、園悟克勤の禅師号と無上正等覚の意を懸けている。
転句で、”小艶の詩情 人は会せず”と吟ずるのは、裏がえすと、”圓悟禪師は小艶詩の心をきちんと会得
し、衲(わし)も理会して艶詩を吟じ続けるのだ”という宣言と受け取れるのである。なお、結句は、『三
体詩』温庭筠「商店早行」の、”鶏声茅店月”の名句と、園悟大悟の鶏鳴とに拠っており、心憎いほど巧妙
な作句である。
くま訳
圓悟仏果禅師は、生来の仏の境地(悟り)を既に成就している
大病で苦しんでいる時も迷情無し
小艶詩の心を人は理解しなかったが、
鶏の声、木賃宿のかやぶき屋根を照らす有明月
*圜悟仏果:北宋の徽宗から張商英仏果の号を賜った。
*鶏声茅店月:おまけ① 参
*おまけ② 圓悟投機の偈 訂正
この詩の蔭木先生訳を読んで、「娘生」のくま訳間違えに気付き 訂正
>>876
したのである。
(´・(ェ)・`)つ
890
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/09(日) 17:57:05 ID:OIJS2RiY0
おまけ①
商山早行 温庭筠 商山のそうこう おんていいん (Web漢文大系HPより)
晨起動征鐸 あしたに起きて 征鐸を動かす
客行悲故郷 かくこう 故郷を悲しむ
雞聲茅店月 鶏声 ぼうてんの月
人迹板橋霜 じんせき ばんきょうの霜
槲葉落山路 こくよう 山路に落ち
枳花明驛牆 きか 駅しょうに明らかなり
因思杜陵夢 因りて思う 杜陵の夢
鳧雁滿迴塘 ふがん かいとうに満つ
くま訳
早朝に、旅立つ
故郷を離れるのは悲しい
木賃宿の萱葺き屋根を照らす有明月の光を見て鶏が鳴く
足跡が橋におりた霜につく
かしわの落葉が、春が近づくのをしらせる
駅舎の土塀のからたちの花を見れば、春到来は明らかだ
それで思うのは、長安の杜陵の景色である
野鴨や雁が湾曲した池たくさんいるのである。
『三体詩』、『全唐詩』巻581、五言律詩。
*商山:漢代の初めに、四人の隠士が乱を避けて隠れ住んだことで有名。四人とも鬚ひげや眉が皓白こうは
く(真っ白)の老人であったので、「商山の四し皓こう」と呼ばれた。
*早行:早朝に旅立つこと。
*温庭筠(おんていいん): 812〜?。晩唐の詩人。
*晨:朝早く。早朝。
*征鐸:旅の車の鈴。馬の首につけた鈴。「征」は旅行くこと。「鐸」は大きな鈴。
*動:出発の合図に鈴を鳴らすこと。あるいは鈴を鳴らしつつ車を進めることか。
*客行*故郷を離れ、旅路にあること。旅する身。
*故郷:都長安を指す。
*鶏声:鶏の鳴き声。
*茅店:茅かや葺ぶき屋根の宿屋。「店」は粗末な旅館。木賃宿。
*人迹:人の足あと。人が行き来したあと。
*板橋:木の板を渡しただけの粗末な橋。通常は石橋。
*槲葉:かしわの葉。落葉樹であるが、冬の間は枝についたままで、春の新芽が出るときに落ちる。
*枳花:からたちの花。春に白い花が咲く。
*駅牆:駅舎の土塀。
*因思:そこでふと思い起こされる。それがきっかけとなって思い出される。
*杜陵:長安城の東南の郊外にある高台。当時有名な行楽地であった。
*鳧雁:野鴨と雁。
*迴塘:回るように湾曲した池。「塘」は池の堤。または堤に囲まれた池。曲江を指すと思われる。
*迴: 『三体詩』では「回」に作る。同義。
(´・(ェ)・`)
891
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/09(日) 18:35:09 ID:MIbXhRL60
おまけ②
圓悟は五祖法演の小艶詩提唱を聴いたあと、鶏が欄干に上って鳴くのを聞いて大悟した。
その開悟偶は 83 でとりあげたのでありますが、最後の一節、の文字が、蔭木英雄先生の論文のものと、
くま使用のテキストのと違っておりました。消 → 銷 ・ 只許 →祇評
83の詩
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/567-n
>>879
そこで、再度くま訳を修正してみるのである。又、前スレ
>>893
の訳は投機の偈として意訳も訂正する。。
*叢;群がり集まる。多くのものの集まり と言う意味もあり
*祇:ただ〜だけ、まさに〜、という助詞として用いられる
*銷(ショウ):1 金属をとかす。とける。2 消える。消す
金鴨香銷錦繍幃 金おう香しょうす錦しゅうのとばり
笙歌叢裡酔扶帰 しょう歌そうり酔うてたすかって帰る
少年一段風流事 少年一段風流の事
祇評佳人独自知 ただ評す佳人独り自ら知る
新くま訳
輝く渡り鳥のような貴方の香は、錦の刺繍のほどこされた帳の内に溶け入り、
貴方の笙歌を大勢の中でも、聞き分けられるのだ。酒に酔ったので、やっと帰ることができる。
恋におちた若者の風流な思いのことは、
ただあの美しい人だけが知っている。
元のくま訳83のままだと。遊里で岡惚れしたおやじがが、酔っ払って帰るときに、意中の女性を風流な青
年に持っていかれて、草むらに隠れて、ストーカーをしているような情景になってしまうのである。
本日の修正で、多少[投機の偈 」らしくなったでありましょう。
けど。圓悟和尚は、悟りの世界と、現世を行き来してるようであります。
新くま超訳(前スレ879)
悟りの世界へと、溶け入った、
小艶詩に誘われ、迷いの中から脱して、故郷に帰りついたのだ、
恋焦がれた悟りである、
ただ悟った人のみが、私の悟境を知ることができる。
(´・(ェ)・`)
892
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/09(日) 18:42:42 ID:SBsaneBs0
>>891
けど。圓悟和尚は、悟りの世界と、現世を行き来してるようであります。→削除
新くま訳。新超くま訳のように解すれば行き来することにはならないでありましょう。
(´・(ェ)・`)b
893
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/08/10(月) 00:09:43 ID:1d4drIFg0
園悟は大病でも情を知らなかったというのじゃ。
小艶詩の情を人は得なかったというのじゃ。
情けにかけているのじゃな。
大病でも無かった情が詩にはあったが人はそれを得なかったというのじゃ。
894
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/10(月) 20:34:07 ID:2/995q.60
アンチ洞山、欽山
146
賛欽山禪師 1/4 を賛す
佳名勦絶利貪稠 そう絶利貪しげし
茶店美人誰好仇 さ店の美人誰かかうきゅう
爭識洞山下尊宿 いかでかしらんとうざん下の尊宿
慈明狭路好風流 慈明の狭路好風流
くま訳
欽山禪師(曹洞宗)の評価
名声を根絶され、名利を貪る禅になってしまったのである。
遊里の美人の様な僧のことを誰が好い仲間といえようか。
洞山良价禅師の法嗣に、高徳の僧がいることをわしは知らんのだ。
慈明禅師(臨済宗)の法系は、峻厳で道狭く、又風流なのである。
*欽山文邃(ぶんすい):岩頭、雪峰と三人連れだって行脚し逸話を残している。曹洞宗の高祖である洞山
良价禅師の法を嗣いだ。一鏃破三関 (いちぞくさんかんをやぶる)公案が有名。
岩頭全豁(ぜんかつ)828-887 と 雪峰義存(ぎぞん)822- 908 は徳山宣鑑(せんかん)禅師の法嗣。
*慈明禅師:石霜楚円(986-1039)臨済下七世、
*勦絶(そうぜつ)滅ぼしつくすこと。根絶やしにすること。皆殺しにすること。
*佳名:名声、いい評判
*貪利(ドンリ たんり):欲深く利益を求めること
*稠(チュウ・ チョウ おおい・ しげる・ こい)
*好仇(こうきゅう):良い相手。良い仲間。好匹
*尊宿:老年で徳の高い僧侶
五味の禅を挙揚していた欽山は、趙州和尚にも、小知見であると見限られていた(趙州録開莚普説)ようで
あります。当て馬のように評価されているようでありますが、それはそれで、必要であることには、違い
ないでありましょう。
一休さんは、アンチ曹洞宗、欽山和尚みたいでありますが、欽山和尚は悟ってなかったのではありましょう
か?(´・(ェ)・`)つ
895
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/10(月) 20:59:42 ID:2/995q.60
おまけ:碧眼録 第五十六則 欽山、一鏃もて三關を破る(禅と悟り HPの現代語訳のみ)
垂示
ブッダ始め諸仏はこの世に出世していないし、また人に与える一法もない。
祖師達磨はインドから来て直指人心見性成仏の道を伝えたというが、
彼によって始めて「心」が伝えられたわけでもない。
「心」は諸仏の出世や祖師達磨の西来などの歴史に関係なく、
昔からあり、人々が全て具足している。
この表現は「本来の面目」は諸仏の出世や達磨の西来などの歴史的事実に関係なく、
昔から人々が皆具有しているという真理を強調するための禅特有の表現である。
世間の人々はその道理を理解しないで、外に向って追い求めるがそれは間違いだ。
殊に自己本来の面目(自己脚跟下の一段の大事因縁)は
どんな尊い聖人でも自分に代わって見性してくれる訳にはいかない。
自分で体験するほかないのだ。
本来の面目は見ようとしても見えず、聞こうとしても聞こえず、説こうとしても説けず、
知ろうとしても知ることができない。
一体どこから得たら良いのだろうか。
すべての存在が真実の相であるならば、得ようもないではないか。
もし未だそこが分からなければ、次の実例を参究してみよう。
*自己脚跟下の一段の大事因縁:自己の「本来の面目」を明らかにするという禅の根本問題。
*一鏃破三関:一本の矢(鏃)で三つの関所を打ち抜く。「一超直入如来地」の頓悟のこと。
本則:
巨良禅師が欽山に問うた、「私は一本の矢で三関を打ち抜いてしまいました。どうでしょうか?」。
欽山は云った、「そうか、それなら関中の主人公(本来の面目)を射止めたはずだ。それをここに出してみ
よ」。
巨良は云った、いや、関中の主人公(本来の面目)は射損じました。もう一度やり直します」。
欽山は云った、「待つことはできん。今すぐやれ」。
巨良は「いい矢を放ったのに、それが何処を射たか分からんような人には、何と言っても無駄ですな」。こ
う憎まれ口を叩いて巨良は出て行った。
欽山は云った、「おい、待たんか」。
巨良は何事だろうと振り返った。
欽山は、巨良の胸倉を掴んで言った、「一鏃破三関など出来もせんホラは吹かず、まあ一矢射てみろ」。
巨良はここで行きづまってしまった。欽山は彼を手にした竹箆で七、八回打って言った、「まあ今日はこれ
位で勘弁してやろう。お前さん、このぶんでは、一鏃破三関に至るには三十年くらい修行せんとだめじゃ
な」。
頌:
さあ諸君(修行者)のため関中の主(本来の面目)を出して見せよう。
矢を射る人はおおざっぱではだめだ。関中の主を射損じないよう真剣に射なければならない。
関中の主(本来の面目)は懸命に見ようと眼に集中すれば耳は聞こえなくなる。
耳に捉われるのがいけないといって耳を忘れようと耳に集中すれば
今度は目が見えなくなる(それが関中の主の性質だ)。
一鏃で一挙に三関を突破して関中の主(本来の面目)に会えた時箭の通った路は明らかに見える。
これについて玄沙師備禅師は言った、
「関中の主(本来の面目)に見(まみ)えた大丈夫は 天より先に心の祖(おや)になる」と
(´・(ェ)・`)つ
896
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/08/10(月) 23:24:26 ID:1d4drIFg0
>>894
悟っていたのじゃ。
弟子に主体を問うていたのじゃ。
それだけが大事なのじゃ。
言葉にも誤魔化されなかったのじゃ。
897
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/11(火) 19:49:59 ID:veA84P7c0
黙照禪(曹洞宗)批判
147
賛欽山禪師 2/4
上堂茶話作家禪 のさ話さくけの禪
點檢将來新婦禪 点検しもち来れば新婦の禪
錦帳香囊風起臭 きんちゃうかうなう風起こって臭し
洞山佛法是何禪 洞山仏法の是何の禪ぞ
くま訳
欽山禪師批評
寺院における、説法や公案指導などは、師家の指導による禅である。
繊細な点検を伴う黙照禅は、新婚の若妻の禅である。
錦のとばりに吊るされたにおい袋の香りが流れてきて臭いのである。
洞山の仏法のどこが禅なのか
*上堂:①法堂の法座に上り、説法すること。古来は毎日朝晩行われていたが、現代ではほとんどが、一生
に一度晋山上堂?を行うばかりである。②僧堂内の上間の別名。
*茶話:禅宗寺院で行われる説法や指導は、様々な形態があるが、随時に行われる、説法や教訓・家訓のこ
とを茶話といい、これは特に、茶を飲みながら行う場合を指す。
*錦帳(きんちょう):錦(にしき)で織った垂れ布。にしきのとばり。
*香囊(こうのう)①室内や牛車ぎつしや内につるす、あるいは腰に下げる毬香炉まりごうろ。②匂い袋。
一休さんは、曹洞宗が嫌いなようでありますめね。
(´・(ェ)・`)つ
898
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/11(火) 21:59:44 ID:PGnztOo20
おまけ:一休さんは25歳の時に洞山三頓の棒の公案を解いて、一休になったのである。
『年譜』
師年二十五歳。一日聞瞽者演妓王失寵落飾之事。
忽於雲門放洞山三頓棒因縁投機。
華叟師一日書一休二大字。與師爲號
*瞽者(こしゃ):盲目の人
*妓王失寵落飾之事:琵琶法師による平家物語「祇王失寵」の段の語り
師25歳。ある日盲目の琵琶法師が、平家物語の祇王失寵の段を語るのを聞いていた時、
洞山三頓の棒の公案で悟るところがあった。
そのときの、一休の詩、
「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」
この詩により、華叟師から「一日書一休二大字」、「一休」の道号をもらったらしいのである。
(´・(ェ)・`)
899
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/08/11(火) 22:50:57 ID:1d4drIFg0
>>897
そうかもしれん。
錦の帳や臭い袋がなぜ必要なのかというのじゃ。
曹洞宗ではそのようなものを使っていたのじゃろう。
禅は自分を見極めればよいだけなのじゃ。
900
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/12(水) 20:59:36 ID:v1Uimsho0
一休禅師の指導方針
148 3/4
賛欽山禪師
濟家純老機生銕 濟家の純老機しょう鉄
一條活路途與轍 一條の活路途と轍と
雪峰岩頭無眼睛 雪峰岩頭眼睛無し
千歳達磨宗敗闕 千歳達磨宗の敗闕
くま訳
欽山禪師批評
臨済宗の一休爺の禅機をもって、修行者を鍛えるのである。
一筋の活路、道理があるのである。
雪峰や岩頭は黙照禅では悟れなかったとのである。
千年続く達磨宗の欠点である
*濟家の純老:臨済宗家の一休
*機:はたらきの意。 禅の修行によって得られた力の発現。修行者の指導にあたって、師が説明や対話な
どではなく、相手の心の奥底に直接響くような短句や動作などを用いること。
*生鉄(ナマガネ せいてつ)よく鍛えていない鉄。
*途轍:すじみち。道理。
*敗闕(はいけつ)きずつきこわれること。また、欠けていること。欠点があること。
面壁九年の達磨さんは、黙照禪の代表なのでありましょうか?
公案指導を取り入れた閑話禪は革新派にして、より優れた指導法と一休さんは考えているようでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
901
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/08/12(水) 22:52:26 ID:1d4drIFg0
↑一休はそう思っていたのじゃろう。
本当は臨済宗の祖師でもあるがのう。
新しい公案の禅がすごいといいたいのじゃな。
それで無ければ悟れ無かった者もいるというからのう。
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