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エスペラントは2045年以降も生存可能か

1悠々:2006/10/06(金) 21:02:30
これは、ご存知Tazio Carlevaroの論だ。内容は言語が生存して
いくためにはその実用性と若者の支持が不可欠との主張。僕はこ
れに”国民の常識に合致する行動範囲”を付け加えたい。平和と
称して向こうに加担し(例:本多勝一)、個人活動での意思表示
範囲を超えて、エスペラントの旗を振りかざして自衛隊派遣を非
難し、また憲法9条に固執するこの姿勢!JEIはなぜ国民世論
を無視した行動を続けるのか。この姿勢から早く脱却しないと、
日本では常識的な国民からあいそをつかされて、後継者なき高齢
者集団JEIとなる可能性がある。2045年頃には減員と会員の老齢化
により高度な組織活動は出来なくなってしまうのではと心配して
いる。軌道修正は今から遅くはない!

47Bonsano:2007/02/16(金) 16:41:38
楽々さまの意見に賛成です。常任理事国制度は廃止したほうが望ましい。
しかし国家単位で運営されている国連の今の現状では、国連自らによる改革派では、
そうとう難しいでしょう。
EUの様な国家連合的地域的な協力の拡大により徐々に国家の枠組みを緩める方向で
地域内での民主主義の充実・深化を図っていくほかないでしょうな。

48松戸彩苑:2007/02/16(金) 20:36:45
国連憲章の第7章(第39〜51条)には、武力行使のことが書いてあります。
日本も国連に加盟しているわけですから、この部分を、いちど読んでおいていた
だきたいと思いますね。
http://www.unic.or.jp/know/kensyo.htm

かつて存在した国際連盟は、武力行使が出来ず、経済制裁しか出来なかったと
いうことと、第2次世界大戦をくいとめることが出来なかったということがあっ
て、国際連合では武力行使も手段のひとつとして認めていて、それが現在に至る
まで続いてるんですよね。

要するに「武力を使わずに、ありとあらゆる問題を解決するような方法が無い」
ってことなんですよね。
そういうものが見つからないかぎり、武力は必要とされるものと思われますね。

もちろん「イラクの自爆テロをやる人間も、犠牲になるアメリカ兵も、ともに
社会の弱者である」というのは、まったくその通りであり、痛ましい限りなん
ですけどね。

かつては「ソ連とか中国といったマルクス・レーニン主義の国は、絶対に戦争を
しない(防衛のために抵抗することはありうるが)」などと言われてましたけど、
1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻し、中国がベトナムに出兵したことで、
この神話はもろくも崩れ去ってしまいました。

49Kia-kablo-mi-estu?:2007/02/17(土) 15:46:13
>かつては「ソ連とか中国といったマルクス・レーニン主義の国は、絶対に戦争を
しない(防衛のために抵抗することはありうるが)」などと言われてましたけど、
1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻し、中国がベトナムに出兵したことで、
この神話はもろくも崩れ去ってしまいました。

その通りで、西欧の多くの社会主義勢力は、東欧のソ連による非民主主義的で強引な
ソ連圏への組み入れと、更なる1956年のハンガリー動乱でソ連圏の似非社会主義が
露呈されて以来、マルクス主義の相対化が図られ社会民主主義路線への転換が
決定的になりました。
その後1989年から始まるソ連圏の崩壊で少々の否定的影響はありましたが、
今でも欧州を2分する政治勢力の一翼としてとどまっています。

それに反して、日本の左翼勢力の中心にいたインテリと活動家達の多くは、社会主義勢力
=平和勢力と長い間(所謂「プラハの春」の弾圧以降でさえ)信じ(込まされ)ていました。
何とも自分の頭でよくよく考えられない人達が沢山いたものですね。ある意味では
日本人らしさかも。。。

この厳然たる事実は、日本を現在の右傾化に導いた少なからずの原因となっています。
その事実の明瞭な総括なしには、社会主義勢力の再建と日本資本主義の米国型資本主義への
更なる傾斜を止めることはかなり難しいでしょう。

50樂々:2007/03/08(木) 12:21:23
Renato Corsetti本人はこう語っています(LIbera Folioが正確に伝えて
いるならば、ですが)
"En multaj eŭropaj landoj oni vivas tiel bone, ke oni ne plu
esperas je io ajn, kaj ĉefe ne plu esperas liberigi sin de la
internacia angla, ne plu emas labori por io, kio estas vidata
kiel nerealigebla utopio. En ĉi tiu situacio akcepti respondecojn
por io kiel Esperanto estas ĉiam pli malverŝajna."
わたしには、この会長さんは変な思想にとりつかれてるのか本心を偽ってるのかの
どちらかとしか思えません。全世界で活動するNGOの多くが欧米に本部を置いて
いますが、非欧米世界に転出する動きは見受けられません。
次の言葉はなかなか含蓄がありますね。
"Sekve la veraj aktivuloj en la maniero, kiun oni konis, kiam oni
redaktis la regularon de UEA, troviĝas nuntempe en Brazilo aŭ en
Ĉinujo aŭ en aliaj foraj landoj, certe ne en Eŭropo."
en Brazilo aŭ en Ĉinujoだそうです。中国に移転するかもしれないのです!!

51樂々:2007/03/08(木) 12:23:02
↑は「あいさつ、雑談、スレを立てるほどでもない話題 」スレからの続きです。

52松戸彩苑:2007/03/09(金) 00:57:27
>>50
でもそれは、Tazio Carlevaro 氏の分析とまったく一緒ですよね。

53樂々:2007/03/14(水) 21:48:35
UEA中央で何が起きているんでしょう。興味津々ですね。
http://www.liberafolio.org/2007/neraporto/

54松戸彩苑:2007/04/01(日) 17:43:53
>>50
Internacia Televido も、Gxangalo も、活動を休止してますもんね。

やっぱり、欧米の運動がそうとう弱体化してると判断せざるを得ないでしょう。

55樂々:2007/04/02(月) 21:05:11
エスペラント運動が欧米で衰退している原因としてRenato Corsettiがあげている
要因はまったく見当はずれです。

56松戸彩苑:2007/04/02(月) 21:58:47
>>55
では樂々さんは、エスペラント運動が欧米で衰退している原因は何だと思われ
ますか?

57樂々:2007/04/02(月) 22:55:33
ヨーロッパの共産主義体制の消滅が最大の原因でしょう。

58松戸彩苑:2007/04/02(月) 23:36:05
>>57
東欧や旧ソ連地域についてはそれで説明できるでしょうが、現実には、西側諸国でも衰退
しているわけです。
そっちの理由が説明できていないと思います。

59樂々:2007/04/03(火) 06:19:49
エスペラントは弾圧や国家的助成その他特殊な事情が無い限り
世界中で同じ方向に消長します。また、UEA系の運動は共産主義国との
協力のせいでエスペランティストからも見放されたのです。

60Kia-kabalo-mi-estu?:2007/04/03(火) 08:54:38
やはりusoneca mondigoの影響が最大の原因でしょう。
特に東欧の衰退、とりわけ、ポーランドでのusoneskigxoの影響は先のPola Radio
のエスペラント部門の廃止そして縮小という流れがそのことを象徴していると思います。

この流れはしばらく続くでしょう。なんといっても現代世界を根本的に動かしているのは
市場経済における利潤の配分を巡る戦いですから、世界の主要な思想やイデオロギーと言うものも
前者に象徴される経済的関係を基底として生まれざるを得ないのですね。

今のところ希望としてあるのは、一つにはEUの政治統合の流れの中で少数民族語の保護と
中立的共通補助語の選択問題とが切り離せないものであるという意識が少しずつ識者の間で
頭を擡げてきている事。もう一つには、interreto の拡大により国際交流(個人間の通信ではあるが)
においてエスペラントの存在がこれも非常にゆっくりではあるが徐々にクローズアップされて
きていることです。

最後に、今のところ不確実ですがBriksと呼ばれる新興発展国の間でどれだけエスペラントがUsonoの
経済的イニシアチブに抗してエスペラント支持者をどれだけ拡大できるかもエスペラントの
未来を占う重要な鍵であると思います。

61Kia-kabalo-mi-estu?:2007/04/03(火) 12:56:10
BriksをBRICsに訂正します。
BRICs = Brazil, Russia, India, and China
です。

62松戸彩苑:2007/04/04(水) 01:06:17
考えてみれば、エスペラントというのは、マルクス主義とは関係ないわけですね。

そもそも(ザメンホフの個人的見解にすぎないものではありますが)Homaranismo を見て
みても、これは「神を認める」というものであって、マルクス主義とは真っ向から対立する
ものです。

しかし世間の人たちがそんなことを知ってるはずはないので、エスペラントとマルクス主義
とを同一視しているという可能性は、たしかにあるのでしょう。

しかし、世間の人たちがエスペラントとマルクス主義とを同一視してるからエスペラントを
やらないというのであれば、エスペランティストたちが「それは間違っている」「エスペラント
は役に立つ言語なんだ」と主張・宣伝すれば良いのではないでしょうか?

実際に、エスペラントとマルクス主義との間には、直接的な関係はないのですから。

だいたい、エスペラントが本当に役に立つ言語であるならば、エスペランティストの家族や
知人もそれを認めてやるようになるでしょうから、マルクス主義がどうなろうと関係なく広ま
るはずだと思うんですね。
でも、そういうふうになっていないというところに根本的な問題があると、私は考えます。

それから、近年では「言語の権利」を主張しながらエスペラントの必要性を訴えるというこ
とが多くなっていますが、私はこれには賛成できないんですね。
というよりはむしろ、積極的に反対しています。

しかし、これについて説明すると長くなりますので、それは次回ということにします。

63:2007/04/04(水) 05:50:20
もちろんエスペラントと共産主義は関係ありませんが、両者が混同される原因は
UEAが積極的に作ってきたのではないでしょうか。ヨーロッパの自由と文明が
賭けられた闘いでエスペラントは敵の陣営にいたという認識はヨーロッパでは
かなり深く根づいています。

64松戸彩苑:2007/04/06(金) 06:57:33
理念を中心とした運動は、理念でつまづくと徹底的にダメになってしまうのでしょうかね?

65胡人:2007/04/06(金) 08:32:00
> 松戸さま
近年では「言語の権利」を主張しながらエスペラントの必要性を訴えるというこ
とが多くなっていますが…反対しています。

賛同します。正直、権利の主張と聞くと中身よりもまずそのタイトルで中身を読む気がしません。
中身はともかく、そのタイトルでの訴えが効を奏したと聞いた事は私はありません。そのネームを採用する感覚がわかりません!

やはりEU、あついはその他の国際的機関での交流語としてのEの採用化活動への取組みが、一つの前進であり、人々に訴える分かり易い主張です。

EU採用に反対している西欧のE-istojは結局マニアとしての隠語的エスペラントを維持しようとしているのであり、結局西欧文化中心主義者に他なりません。
大局観が持てない単なる議論したがりの自己中心的主張に惑わされず、多くの困難はあっても、地に足をつけた前進的活動こそがその存在の鍵とも言えると思います。

66Bonsano:2007/04/06(金) 09:41:52
>EU採用に反対している西欧のE-istojは結局マニアとしての隠語的エスペラントを維持しようとしているのであり、
結局西欧文化中心主義者に他なりません。

これはチト言いすぎですよ。誤解を招く。こういう人たちはあくまで少数派にすぎません。
UEA会長のRenato CorssetiさんにしてもEを優先的にEUの共通語化と言う考えには
消極的に観えます。
Eの世界的実現を拙速に望む人はEUの共通語化が最短の道程であるとEU以外のE-istoを
含めて多くの人が考えているのではないでしょうか。
もとより、そうなれば英語学習の熱はいっぺんにEに向かう事は確実です。

私も戦略的にはそう考えますが、唯一つ危惧すべきことはEの言語構造のより欧州語化の圧力が
増して来る事は避けられないでしょう。
従って欧州以外のE運動の進展が大変重みのある課題となってくるし、今もその通りでありましょう。

67胡人:2007/04/06(金) 11:49:41
確かに少数派です。誤解を招く表現でした。
時々DL(ML)上で見られる、その様な発言に怒りを感じています。

Bonsanoさまの後半の「私も戦略的には〜ありましょう。」のご意見に完全に同意します。

68Bonsano:2007/04/06(金) 16:42:51
胡人さま。
ご賛同ありがとうございます。

69樂々:2007/04/07(土) 22:23:54
ヨーロッパ中心主義者はEU公用語化に熱心なんじゃないでしょうか。
わたしの思い違いでしょうか。

70胡人:2007/04/08(日) 08:57:39
> 69
楽々さま
私の言葉足らずですm(_ _)m
たしかにEU公用語化にはヨーロッパ中心主義者も含めて様々な方々が様々な思惑で活動していると思われます。

私の体験的な思いとして、ごくありきたりかもしれませんが、現状のEのアピール面においては、EU等国際機関における公用語化が最も分かりやすいし、効果も大きいということです。もちろん出来たらアジアでも南米でもそのような方向性が生まれれば大変嬉しいです。

正直、EU公用語化は、一般へのアピール度ではピカ一に思われます。EU以外のE-istoのある意味希望でもあり得ると思います。

私は、共通語化を望んでいるわけではなく、交流言語としての公用化を期待しているのです。また、EU以外のE-isto のほとんどはその実験的かもしれないそのEUでの公用化への取組みを期待しているものと思えます。

それに反し肝心の欧州にはその活動に対し、反グローバル化的な立場で大きな声を挙げている方々もおられます。
結局反グローバルと言いながら欧州以外を見ない知らない、総論賛成各論反対的な、唯の地域「文化」的発想の中からの発言としか私には思えないし、無責任で自分勝手な発言でしかありえないと思います。

結局、無自覚無責任な西欧文化中心主義者(日本にも多くいるかもしれませんが)の限界を見るようです。その上で、Bonsanoさまの後半の意見に結び付くものです。

71樂々:2007/04/09(月) 23:13:16
EUでの試験的採用はエスペラントの歴史では重要な事件ですが、
運動の外への影響はほとんどないでしょう。あると信じて張り切れば
少しは成果が出るかもしれないという程度でしょう。
「英語学習の熱はいっぺんにEに向かう」という希望に対しては
「んなアホな!」と言っておきましょう。

72Kia-kabalo-mi-estu?:2007/04/10(火) 04:40:20
>「英語学習の熱はいっぺんにEに向かう」という希望に対しては
「んなアホな!」と言っておきましょう。

楽々さん。
私がこれまで述べてきたとおり、私の意見ではEUにおけると言うよりEUでさえも
Eの公用語としての採用はこれまでの政治的経済的歴史的経緯を考えるとそう簡単な
ものではないと考えております。
EUの試験的採用案も今のところEU議会では鼻にもかけられていません。

従って、EUでの試験的採用にしてもそれが公に認められた暁には、EUそのものの
政治社会状況にも画期的変化が起こっているものと当然予想されるわけですね。
そうなれば、英語を母語とする人達でさえも当然Eを習う状況が生まれてくる。
後は、我々Eの学習者が体験したようなことが全世界的に起こるわけですから、
Eの存在を知った世界中の人々がその容易さゆえ雪崩打ってEの学習に向かうと思われます。
むしろ学習に見合うサポート体制がそれに追いついていけるか、むしろ心配です。

73松戸彩苑:2007/04/14(土) 16:45:42
たいへん遅くなりましたが、私が「言語権」を前面に押し出した運動に反対する理由を説明
します。
---

考えてみれば西欧では、すでに現実に、多民族化・多言語化が進んでいるわけです。
ところがそれにも関わらず、この地域においては、エスペラント運動は衰退しているわけで
すね。

その理由として、この地域においては

(1) 行政やビジネスに関する情報を、多言語で提供することが増えている。
(2) その国の公用語を容易に学習できるように、便宜をはかっている。
(3) 多少なりとも英語が使える人が増えている。
(4) 外国で暮らす機会が多くなり、複数の言語が使えるという人が増えている。
(5) インターネット・翻訳ソフト・電子辞書などが発達・普及している。

ということが挙げられます。
そして、これが大事な点なのですが、人工国際語を支持している人以外は、これでだいた
い満足しているみたいなんですね。
これでは、エスペラントが入り込む余地はありません。

ここで我々は、Tazio Carlevaro 氏や Renato Corsetti 氏らの発言を思い出さずにはいら
れません。
また日本なども、こういう方向に進んでいるものと思われます。

ということで、今のままでは、いくらエスペランティストたちが「言語権」を叫んでも、それが
エスペラントの再評価にはまったくつながらず、逆に、英語を頂点とした多言語主義を強化
することにしかならないだろうと思われるのです。

平たく言えば、「言語の平等を!」と叫べば叫ぶほど、(1)〜(5)の条件を整えるという努
力がなされてしまい、エスペラントが活躍できる場が減少してしまうという事になるわけで
す。

そういう事態が、西欧において進行したために、エスペラント運動が衰退していったのだと、
私は思うのです。
また、このままですと、日本やアジア諸国においても同じことが起こるだろうと予想せざる
を得ません。

私が「言語権」を前面に押し出した運動に反対するのは、このような理由からです。
---

要するに、エスペラントには社会的な信用がないわけです。
だから、いくら「言語の平等」という理念が正しくても、世間から完全に無視されてしまい、
エスペラント抜きで社会全体が動いていってしまうのです。

エスペランティストたちは、エスペラントは「学習が容易である」「レベルも高い」と言ってい
ますが、世間の人たちにとってみれば「レベルの高さ」は判断できないものの、エスペラン
ティストの数の少なさから判断して「学習が容易である」というのはウソだろうと思っている
ことでしょう。

実際、eterna komencanto や、数年でやめてしまう人が欧米でもたくさんいるのですから、
その判断は正しいと言わざるを得ません。

74松戸彩苑:2007/04/14(土) 16:47:11
>>73 の続き)

ということで「学習方法」について考えなければならないわけですが、現在でも、数は少な
いながら(欧米語を母語としていないのにも関わらず)エスペラントが抜群にできる人たち
がいます。

もちろん、こういう人たちに学習法を訊ねてみると良いと思うんですが、しかし、だいたいの
場合は「三度のメシより語学が好き」って人なんじゃないでしょうか。
ですから、訊いてみることは大事なんですが、マネできるかどうかは判りません。

私は、だいぶ以前から「エスペラントで好きなことをすべきだ」「エスペラントを身につけるた
めに娯楽を利用しても構わない」と言ってきたわけですが、このほかにも「コロケーションを
重視する」ということも大事だと思っています。

ところで、エスペラントには「コロケーション」に相当する言葉が無いんですよね。
エスペラントは、言語学や文法に関する語彙・表現はけっこう有ると思ってたんですが、な
ぜか「コロケーション」は無い。
フランス語でも collocation、ドイツ語でも Kollokation というのですから、kolokacio とすれ
ば良いと思うんですが、こんな単語はNPIVや『NePIVaj Vortoj』や『Neologisma Glosaro』
にもありません。

もっとも、エスペラントに「コロケーション」を表わす表現が無いからといって、エスペラント
界でコロケーションが無視されているかというと、けっしてそんな事はないわけです。

すでに旧版のPIVはコロケーションに関する情報が豊富でしたし、『エスペラント日本語辞
典』もそうですね。
今後も、こういったことを推し進めていって、コロケーションを重視した(中等)教育を行なう
べきだと思うのです。

つまり、初めの段階では伝統的なやりかたで良いでしょうが、それを終えたら、こんどは学
習者の好きな分野の語彙・表現を、コロケーションを重視して身につけるということが出来
れば、やる気を失わずに学習が続けられると思うのです。

もちろん、これだけで事足りると考えているわけではありませんが、今回は「コロケーション
の重要性」および「やる気を無くさないようにすることの重要性」についてだけ申し述べてお
きます。
---

それから、ここでもまた「日常生活に関する語彙・表現の不足・混乱」について指摘してお
きましょうか。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1160642811/l50/107-109
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1160642811/l50/114-115
私は以前、regiona trajno という表現や、「ポスト」「郵便受け」「私書箱」を表わすエスペラ
ント訳語について論じたことがあるのですが(上記のリンクを参照)、これを読んで「今まで
は確かに混乱してたけど、もう済んだ話じゃないか」などと思った人もいるかもしれません。

しかし、それは甘すぎます。
今後、もっと違った表現が出てきて、さらに混乱したとしても、少しも不思議ではありません。
「こんな問題、大したことはない」と考える人間が多ければ多いほど、混乱は長く続くことで
しょう。

ということで、やはり日常生活に関する語彙・表現の不足・混乱は、放置しておくべきでは
ないと思うのです。
---

結局、私の言いたいことは「eterna komencanto や、エスペラントを数年でやめてしまう人
が多い」とか「日常生活に関する語彙・表現が不足・混乱している」といったエスペラント界
の問題を放ったらかしにしたままで「言語の平等」などと言っても、どうしようもないという
事なのです。

エスペラントは世間において信用されていませんから、今のままでは大々的に採用される
ことは無いでしょう。

また、まかり間違ってそんなことが起こったとしても、日常生活に関する語彙・表現が不足・
混乱していますから、数年でダメだということが露呈することでしょう。

もっとも、「語彙の問題」や「学習方法の問題」に真剣に取り組みつつ「言語権」の運動もや
るというのであれば、私も支持することを考えても良いと思っています。

しかし「言語権」を支持している人たちというのは、結局は「エスペラント界は100%正しくて、
世間は我々に従うべきなんだ」と言ってるだけであり、エスペラント界の問題についてはまっ
たく判っていないようですので、それはとても支持できない、絶対にうまく行くはずがないと
思うのです。

(終わり)

75松戸彩苑:2007/04/14(土) 16:51:06
>>74 のリンクが間違っていました。
これ(↓)が正しいものです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1160642811/107-109
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1160642811/114-115

76papageno:2007/09/10(月) 18:15:36
何で2045年なのかと思いましたが、第2次大戦後100年という事ですね。

私は残ると思います。次の世界中の言語を元にしたより公平な言語が現れるまでは。
ただそれはかなり先の事でしょう。1000年後ぐらいではないような気がします。一万年後かもしれないし、十万年後ぐらいかもしれない。
そのような言語が現れる前に、優れた翻訳機が出現して世界共通語は必要なくなるだろうというのが私の考えです。

ヨーロッパでエスペラント運動が衰退しているという事ですが、>>73で松戸彩苑さんが挙げられている5つの理由に全面的に賛成です。
その上に私なりの考えを述べますと、ヨーロッパ人自身がもはや世界はヨーロッパだけではない、ヨーロッパが世界の中心ではないという事に気付いた事が挙げられると思います。
それは何より第2次大戦後、アジア・アフリカの国々が次々と独立して行った事が第一の原因でしょう。それから日本の経済的発展も大きな衝撃だったに違いない。
文化にしても、今やヨーロッパの子供は日本のアニメや漫画を見て育っているという有様です。

そんな中でヨーロッパ人自身が、ヨーロッパ語を元にして作られたエスペラントがもはや中立公平な国際語とは言えない事に気付いてしまったという事ではないでしょうか?

77松戸彩苑:2007/09/11(火) 00:02:20
>>76
> 何で2045年なのかと思いましたが、第2次大戦後100年という事ですね。

Tazio Carlevaro というスイスのエスペランティストで本業はお医者さんという人物が、数
年前に『Cxu Esperanto postvivos la jaron 2045?』という本を出したんですね。
このスレは、この本にちなんだものなんですよ。

で、私もこの本を持ってるんですが、この本によりますと、Carlevaro 氏は1945年生まれ
なので、100歳になる2045年というのをタイトルに入れたんだそうです。
第二次世界大戦とは関係が無いみたいですね。

> ヨーロッパでエスペラント運動が衰退しているという事ですが、>>73で松戸彩苑さんが
> 挙げられている5つの理由に全面的に賛成です。

お褒めをいただいてたいへん光栄なんですが、いちおう言っときますと、私はあくまでも
「現実を直視してエスペラント運動を改善すれば、エスペラント運動が発展する可能性は
ある」という前提で話をしてるんですね。

もちろん、これはかなり難しいわけであって、今のままだと間違いなくダメになると思いま
すけどね。

それから私も、2045年になってもエスペラントの話者はいるに決まっていると思います。
しかし、たとえエスペラント話者が残っていても、発展する可能性がまったく無くなって、ヌ
ケガラのような状態になっていたのでは仕方がないわけです。

> ヨーロッパ人自身が、ヨーロッパ語を元にして作られたエスペラントがもはや中立公平な
> 国際語とは言えない事に気付いてしまったという事ではないでしょうか?

それは違うと思います。
というのも、彼らはますます英語を使うようになってるわけですが、英語はエスペラント以上
に中立公平から程遠いじゃないですか。

中立公平などということとは関係なく、ただ単純に「通用範囲が広いから」「カネになるから」
といった理由で英語を選び、エスペラントを見捨てているとしか思えません。

78松戸彩苑:2007/09/11(火) 00:34:57
>>77 の文末に補足しますが、そもそも「エスペラントには信用が無い」ってことも大きいわ
けですね。
これはどう考えても、100%エスペラント界のせいだと思いますね。

エスペラントの世界に長年いますとまったく判らなくなってしまうんですが、世間の大部分
の人たちにとっては、エスペラントなんて、ほとんど見聞きしないわけですよね。
はっきり言って世間では、UFOや幽霊の話よりも見聞きすることが少ない。

世間の人たちにとってエスペラントというのはそういうものであるのに、エスペラントの宣伝
をする人たちはそのあたりのことにまるで無頓着で、世間の人たちにいきなり「世界平和」
だの「平等」だのと説いて回るわけです。
これでは、かなり特殊な宗教か、あるいはイデオロギーだと思われても仕方がないんです
よね。

ということで、今のエスペラント運動に欠けてるのは「普通っぽさ」なんですね。

ですから私は、むしろエスペラントを「娯楽」の分野に利用したりしたほうが普通っぽくて良
いと考えてるわけですね。

たとえば、エスペラントを介して、世界中の人たちがマンガやアニメ、あるいは釣りやサッカ
ーについて話し合ったりするというのでも良いと思うんですね。

世間から見れば、このくらいでも十二分にすごいことだと思いますし、こういう活動がなされ
ていれば少なくとも「エスペラントは何の役にも立たない」とか「昔はあったが、もう無くなっ
た」だなどと言う人間も、確実に減っていくと思うんですね。

信用というのは、こうやって少しずつ築き上げていくしかないと私は思うんですね。

しかし、理念の好きなエスペランティストは、こういう「回り道」というのが出来ないセッカチな
人たちであり、また娯楽というものをはっきり見下しているので、こういうことは絶対にやりた
くない。

ですので彼らは間違いなく、今後も「新興宗教」呼ばわりされる道を歩んでいくのあろうと思
われます。

まぁ、エスペラント運動はボランティアですから、本人の好きなことをやれば良いわけです。
しかし「世間の人たちにも、本人が好きでやってる程度のことに協力しなければならない義
務みたいなものはまったく無い」ということをエスペランティストは知っておくべきでしょうね。

79松戸彩苑:2007/09/11(火) 07:30:46
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20070911AT1G1003310092007.html

  小学校の外国語、「教科」とは別扱いに・数値評価行わず

学習指導要領の改訂作業を進めている中央教育審議会の専門部会は10日、小学校高学
年で導入予定の「外国語活動」(仮称)の扱いについて、現在の道徳と同じように教科外に
する方針を固めた。検定教科書は定めず、数値による成績評価もしないことになる。

道徳の授業で使われている「心のノート」のような全国共通の教材を国が作成する方向で
検討を進める。授業は主に学級担任が行い、外国人の指導助手らが補助することを想定
している。

外国語活動は小5、6年で週1時間程度取り入れる予定。8月30日に示された改訂素案では
「英語活動」とされていたが、一部の委員から「地域によっては中国語などほかの外国語
でもいいのではないか」などと指摘があり、授業を英語に絞るか再検討する。

80Raku ◆yP0a9GGqWA:2007/09/11(火) 21:54:11
エスペラントは十分中立的です。現代の非ヨーロッパ地域の諸言語は
ヨーロッパの諸言語から膨大な借用語を取り入れています。わたしは
エスペラントに接して、なるほどほんとにわかりやすいなと思いました。
ヨーロッパの諸言語に語形と意味が類似した言葉が多いのも借用によるところが
大きいのです。

81松戸彩苑:2007/09/13(木) 21:04:40
http://www.asahi.com/national/update/0913/TKY200709120380.html

  小学5・6年生に「英語ノート」 文科省方針

文部科学省は、小学校での英語教育に使う教材「英語ノート」を作り、09年春から全国
の5、6年生とその担任約250万人に配布する方針を固めた。早ければ11年度から施
行される改訂学習指導要領では「英語活動」が小学校高学年に導入される見通しで、
英語ノートは文科省が考えている「小学校英語」を先取りして示すことになる。

文科省は08年度の概算要求に、英語ノートの編集や配布などのために約4億5000万
円を計上。編集は今年度中に終えたうえで、08年度に印刷し、09年春に小学校に配布
する計画。指導要領が予定どおりに改訂された場合、11年春から「英語活動」の授業
が全国一斉に始まるが、英語ノートを使えばその2年前から前倒しする形で学べる。

CDつきのワークブック形式になる予定。文科省は、中央教育審議会(文科相の諮問機
関)の専門部会に改訂指導要領の素案を示している。それによると、「英語活動」では、
(1)世界各国の「こんにちは」(2)自己紹介や好みを伝える(3)日常生活や事実を尋ね
る(4)世界の数遊び――などを教える予定で、ノートにはこうした内容が盛り込まれるこ
とになる見通し。教師が使う指導用資料も作成中だ。

文科省は、「英語活動」が始まるまでは、英語ノートを「総合的な学習の時間」で使うこと
を想定する一方、正式導入後も、共通教材を提供することを検討している。全国の児童
に教材を配った例としては、道徳の副教材用として作った「心のノート」がある。

小学校の英語関連の概算要求では、指導方法等の確立のためのモデル校を現在の
550校から倍増することや指導者研修も盛り込み、計20億円余を計上している。

82松戸彩苑:2007/09/15(土) 10:27:09
papageno さんも「理念」がお好きなようですけど、以下に紹介する話については、どのよ
うに思われますでしょうか。

10年ちかく前に、立川健二という人が日本エスペラント学会に入会したんですね。
で、この人は、言語学の専門家でしたので、入会早々にエスペラントの大会での講演を
依頼されたわけです。

それは良かったんですが、その講演において立川氏は、なんと「エスペラントが普及する
可能性は、絶対に無い。しかしエスペラントの理念は素晴らしいのだから、エスペランティ
ストはエスペラントなんかやめて、もっと具体的に社会を良くするような活動だけをすべき
なんだ」ってことを言っちゃったんですね。

もちろん、エスペランティストたちの評価は良くなかったわけですけれども、papageno さん
はこの意見をどう思われますか?

私はエスペランティストですから、もちろん賛成はしないんですけれども、しかし「理念を第
一に考える人がこのように言うのは当然だろうな」って思いました。

というのも、1970年前後の学生運動が盛んだったときには、大学のエスペラント部なのに、
全員でマルクスを日本語で読んでいたなどという話も聞いたことがあるからなんですね。

つまり「理念が大事だ」と考える人たちは、エスペラントみたいな発表されてから120年も
たっているのにほとんど普及していないようなものには関心を持たないし、むしろ理念の実
現にとっては「邪魔」だとさえ思うものなんですね。

私が、「理念」を前面に出した運動は良くない、むしろ「娯楽」などと一緒にしたほうが良い、
と言うのは、こういう理由があるからなんですね。

83松戸彩苑:2007/09/15(土) 10:38:48
>>82 に補足しますが、「合理主義」というのは、えてしてこのように、少人数の集団のささ
やかな活動に対して、押し付けがましくも「無効」や「死」を宣告したりするものなんですね。

84Raku ◆yP0a9GGqWA:2007/09/15(土) 10:47:53
松戸彩苑さんはこの掲示板への書き込みの他にはエスペラントに関係したどのような
活動をしてらっしゃるのでしょうか。

85松戸彩苑:2007/09/15(土) 11:06:43
>>84
ここに書き込む以外は、何にもやってないですね。
数年前に、それまで入会していたエスペラント団体から脱退しましたし、エスペラント雑誌
もまったく購読してません。
ただし、ときどきエスペラント書籍を注文して買うことはありますが。
ネット以外では他のエスペランティストとも接触せず、日々あれこれ考えてるってだけです
ね。

ここに書き込むと、反応がただちに返ってくるってのが、私にとっては有難いんですね。
そういうものを見ると、私の書いたものがどのていど他人に理解できるものなのかが判り
ますから。

86Raku ◆yP0a9GGqWA:2007/09/15(土) 14:19:12
松戸彩苑さんが入ってらした団体はどんなのだったのですか。
わたしが20年程前に脱退した団体はKia-kablo-mi-estuさんのような人に
牛耳られて中共の工作機関のようなものでした。

87papageno:2007/09/15(土) 22:41:15
>>82
もう少し具体的に立川さんがどんなことを言ったかわからないと何とも言えないんですが、「エスペラントが普及する可能性は、絶対に無い」というのが「世界の全ての人が第二の言語としてエスペラントを使用するようになる可能性は、絶対に無い」という意味でしたらその通りだと思います。

しかし「エスペラントの理念」って何でしょうか? エスペラントの理念って民族間の言語の不平等を解消しようとする事以外に何かあるのでしょうか? ブローニュ宣言を見ても、プラハ宣言を見てもそのような事は書いていないように思います。

ブローニュ宣言
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5%E5%AE%A3%E8%A8%80
プラハ宣言
http://www.jei.or.jp/hp/materialo/prago_j.htm

つまりエスペラント運動とは言語運動なのですから、言語運動を止めて「もっと具体的に社会を良くするような活動だけをすべき」なんて変な話だと思います。

88Raku ◆yP0a9GGqWA:2007/09/16(日) 07:00:42
立川氏は保守的な人なんですね。

89松戸彩苑:2007/09/16(日) 14:21:30
>>86
JEIです。

Raku さんの入っておられたのは、おそらく西日本の団体ですねw

>>87
立川氏によるエスペラント論は、『ポストナショナリズムの精神』の第3章と、大修館の月
刊「言語」2000年8月号の64〜75ページに掲載された「英語批判の手前で」という論文
の2つです。

そもそも立川氏は、伊東三郎(著)『ザメンホフ』と水野義明(編訳)『国際共通語の思想』
を介してザメンホフの言葉に触れて、たいへんに感銘を受けたらしいんですね。
しかしその一方で、エスペラントが国際共通語になることは絶対にありえないとも思ってる
わけです。

ということから立川氏は、エスペラント運動を

(1) エスペラントという人工国際語

(2) ザメンホフの人類愛(Homaranismo など)

とに分けまして、(1)には現代的価値は無いんだが(2)には現代的価値があるんだと考え
たらしいです。

それで、エスペラントを普及させようなどというムダなことはやめて、もっと社会を具体的に
良くするような活動をすべきだと思ったみたいです。

以上はあくまでも、上述の2論文を読んで、私が要約したものですので、私の解釈が間違っ
ている可能性もあります。(しかし、そう大きくは外れていないと思っていますが)

90松戸彩苑:2007/09/16(日) 15:55:24
>>87
> エスペラントの理念って民族間の言語の不平等を解消しようとする事以外に何かある
> のでしょうか? ブローニュ宣言を見ても、プラハ宣言を見てもそのような事は書いて
> いないように思います。

厳密には Homaranismo というのはザメンホフ個人の意見であって、エスペラント界全体
の理念ではないんですよね。

でも現実には、『未来をひらく歴史』なるプロパガンダ本をエス訳することも、賛同者に言
わせれば「エスペラントの理念」あるいは「ザメンホフの理念」に合致しているとされるよう
な状況があるわけです。

立川氏は、こういう反日プロパガンダに走るような人物ではないものの、しかし、社会問題
について思弁的に考えるような傾向はあるんですよね。

なお、「社会を良くするような活動」ですが、これについては、立川氏も具体的に何をしろと
は書いてないみたいですね。
でもとにかく、エスペラントの普及活動はムダなんだそうです。

91Raku ◆yP0a9GGqWA:2007/09/17(月) 06:33:38
>>89
おっしゃるとおり大阪府下の某市のエスペラント会です。

92Raku ◆yP0a9GGqWA:2007/09/17(月) 10:16:21
JEIが西日本の団体と異なるのならおやめにならなくてもよかったんじゃないかと
思いますが、JEIに入ったらどんなことをさせられるのですか?

93松戸彩苑:2007/09/17(月) 16:03:41
>>92
私がJEIをやめた理由は「皆さんに質問」スレの5に書いたことがあります。

> 私はここの提示版に書いているようなことを何年か考えてきたのですが、そんなことを
> していても他の人には判ってもらえないし、今のままではエスペラント運動が上向く可
> 能性はまったくないし…と考えた結果、エスペラントのことを考えること自体がイヤにな
> って、数年前に、それまで加盟していたエスペラント団体をやめて、現在に至っており
> ます。

ということなんですね。
ですから、べつにJEIに不満があったわけではありません。

JEIに入っても、べつに何かをしなければならないということは無いですよ。
機関誌にサヨっぽい記事が多いという程度のことですね。

94松戸彩苑:2007/09/17(月) 22:18:15
この掲示板において私が主張してきたことの一つは、「せっかくエスペラントの学習を始め
ても、エスペラントを使いこなせるところまで行かずに挫折してしまう人があまりにも多い
という致命的な問題がある」ということでした。

今回はこれに関して、いくつか述べてみたいと思います。
---

1990年代初頭に「英語帝国主義批判」を始めた津田幸男という方がおられますが、この
方はエスペラントの講習会にも参加したんですよね。
(このころのRO誌にそのように書いてありました)
しかし、それから15年ほどたちますが、津田氏がエスペラントで何かをやったという話は
聞いたことがありません。

もっとも、ここ数年は私はエスペラントの雑誌を講読していないので、ひょっとしたらそうい
う事があったかもしれませんが、しかし、そういうことが無いのであれば、津田氏は「エスペ
ラントを身につけることが出来なかった」という事になるでしょう。

津田氏の主張を考えれば、同氏の学習姿勢がいい加減だったとは思えないんですね。
それなりに頑張っただろうと予想されるわけです。

また、津田氏は英語が堪能ですが、べつに帰国子女だったりするわけでもなく、英語を一
から学習して上手になった人だったはずです。
とすれば、英語を身につけるのには成功したのに、エスペラントを身につけることは失敗し
たという事になるわけですね。

津田氏がエスペラントを身につけることに成功すれば、同氏の英語帝国主義批判もよりい
っそう勢いがついたと思うんですが、そうはならなかったので、同氏の活動は尻すぼみに
なってしまったのではないでしょうか。

このように考えますと、この問題はかなり深刻だと考えないといけないと思いますね。
---

また、「エスペラントは欧米中心である」と言われますが、実際には欧米においても挫折す
る人が少なくないんですね。

このような事実がありますので、私は「娯楽を利用すること」であるとか「日常生活のなか
で使えるようなエスペラント運用能力を身につけられるようにすること(言い換えれば、詩を
目標とするのは止めるということ)」などを主張しているわけです。

95松戸彩苑:2007/09/18(火) 23:38:32
月刊「言語」2000年8月号に掲載された立川健二氏の「英語批判の手前で」という論文
は12ページもありますので全文はアップできませんが、とくに重要だと思われる部分を
引用し、そのあとに私の考えを述べてみようと思います。
---

残念ではあるが、世間の人々が言うように、たしかに勝負はもうついているのだ。母語に
加えてなんらかの外国語を勉強するとしたら、だれでも《文明の言語》(メイエ)を選ぶに
決まっている。《文明の言語》とは、簡単に言えば情報量の多い言語のことだ。いや、エス
ペラントにも一生かかっても読み切れないほどの文献がある、と言うかもしれない。だが、
どんな分野でもいい、ある主題にかんしてもっとくわしく調べたいと思ったとき、エスペラン
トの情報量はあまりにも貧弱ではないか。ほとんどどんなテーマにかんしても、現在では
英語が圧倒的な情報量を誇っていることは、認めざるをえないのだ(過去の情報だったら、
英語ではなく、たとえばラテン語かもしれない。また、五〇年後か一〇〇年後には、中国
語が英語に取って代わるかもしれない)。多くのオリジナルな業績がどんどん英語で発表
されているだけでなく、多くの外国語文献も英語に翻訳されているのである。世界中の情
報を集めようと思ったら、なんといっても英語がいちばん有利であることはたしかだ。部分
的に、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語などが有利な分野があるということだろ
う。だから、一般の日本人が外国語をひとつ勉強するのならば、まず英語を選ぶのがいち
ばん効率がいいことだけははっきりしているのだ。これと較べると、エスペラントの情報量
の少なさは、眼をおおいたくなるほどである。フランス語や日本語と較べても、圧倒的な違
いがあるのだから。ザメンホフ以外の思想家の業績を読もうと思っても、エスペラントはほ
とんど役に立たないではないか。一個人が一生かかっても読み切れないくらいの文献は
あるかもしれない(とくに文学作品)。だが、知識人がその知的欲求を満足させようとしても、
エスペラントは情報源として役に立たないのだ。英語の力を磨いたほうが、どれだけ有利
かわからない。

(月刊「言語」2000年8月号68ページ)
---

ほとんど「無いものねだり」をしているようにしか見えませんが、しかし考えてみれば、世界
中どこでも、学校教育において英語が重要な地位を占めているのですから、知識人=「あ
るていど英語が得意な人」ということになってるわけですね。
ですから、こういうふうに考える人が多くても、当然だということになるでしょう。

どうあがいても「情報量」では大言語の足元にも及ばないのは判りきった事ですから、私は
こっちの方面で勝負するのはヤメにして、「一般人が会話(郵便やネットによる対話も含む)
をするための媒介語」として利用することを奨励・サポートすべきだと考えたんですね。

それで私は「娯楽」や「日常生活で使えるような語彙・表現」を重視しているわけです。

「日常生活」うんぬんと言うと、レベルの低いものを連想してしまうのかもしれませんが、私
の定義では「現在の文明社会に住んでいる一般的な成人であれば誰でも知っているような
事・物」はぜんぶ「日常生活で使えるような語彙・表現」ということになります。

ですから、たとえば「欧米の大部分の国では死刑は廃止されているが、日本などでは今で
も死刑がある。欧米で死刑が廃止されるさいには宗教的(キリスト教的)な価値観というもの
の影響も大きかったのだろうか?」などという質問なんかも、私の基準では「日常生活で使
えるような語彙・表現」なんですね。

もちろんこういった話は、関心のある人だけがやれば良いわけであって、マンガの話ばかり
してても、べつに構わないわけです。

いずれにしても、自分の関心のあるテーマで自由に対話ができれば、それで十二分に役に
立ってると言えると思うんですね。

96松戸彩苑:2007/09/20(木) 00:48:49
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0709/19/news061.html

  世界の商品、世界の言葉で ― 10カ国語のECサイト「Youbuy」

 トルコ産の鶏を、トルコ語で購入できる ― 10カ国語で利用できるECサイトが登場した。
 「在日外国人がそれぞれの言葉で買い物ができるように」と、在日トルコ人ベンチャーが
 構築したサイトだ。

トルコ産の鶏・丸ごと1キロ445円、「源氏物語」カレンダー英語版が2100円 ― 各国の食
材や外国人向けお土産品が、10の言語で閲覧・購入できるショッピングモール「Youbuy」
が、9月14日に正式公開された。

「それぞれの言葉で日本のお土産や母国の食品などを購入できるように」と、在日外国人
が設立したベンチャーが運営。日本語と英語のほか、中国語、韓国語、スペイン語、ロシ
ア語、ポルトガル語、ドイツ語、イタリア語、トルコ語で利用できる。

扱うのは土産品や食品のほか、国際電話に使うプリペイドカード、国際結婚について書い
た書籍など。出店者は言語を選んで出店でき、店舗によっては海外からの注文・発送も
受け付ける。

オープン時点の出店数は30だが、現在160以上の店舗を構築中で、来年までに1000店、
取扱高2億円を目指す。

  買い物に困っていた外国人に

サイトを開設したのは、横浜市のベンチャー企業E-BUYで、社長のアイディン・ヤヒヤ氏
はトルコ人だ。留学がきっかけで来日し、15年ほど日本に住んでいる。サイトは2年前か
ら構想し、今年7月に仮公開にこぎつけた。

在日外国人向けの生活情報サイトは日英対応の場合が多く、複数の外国語に対応した
ECサイトはほとんどないという。だが入国管理局の資料などによると、英語圏出身の在日
外国人はむしろ少数派だ。

ヤヒヤ社長は「わたしの周りの在日外国人も買い物に困っている人が多く、多言語対応
のECサイトを作ろうと思った」という。オズジャン・メテハン最高技術責任者(CTO)は「トル
コに帰る時、お土産を何にするかいつも迷う。毎回おはしという訳にもいかない」といい、
Youbuyなら土産も簡単に見つけられると話す。

一部店舗では海外からでも購入できる。「世界の人が、着物や日本製カメラなどを自分の
言葉で購入できるようにしたい」とヤヒヤ社長は夢を語る。

  GoogleやYahoo!のようになりたい

年内に携帯電話用サイトを立ち上げるほか、来年にはオークション機能を追加する予定。
在日外国人向けのフリーペーパーやイベントなどでプロモーションし、ユーザー獲得を目
指す。

「YoubuyをGoogleやYahoo!のような世界的ブランドにしていきたい」(ヤヒヤ社長)といい、
海外展開も行う。年内にトルコでもYoubuyを開設するほか、ロシアなどトルコの近隣諸国
でも展開していく計画だ。

「トルコでは企業の商品を売るECサイトはあるが、ショッピングモールはあまりない。トルコ
での展開を成功させ、ブランドを確立させたい」(ヤヒヤ社長)


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