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エスペラントは2045年以降も生存可能か

95松戸彩苑:2007/09/18(火) 23:38:32
月刊「言語」2000年8月号に掲載された立川健二氏の「英語批判の手前で」という論文
は12ページもありますので全文はアップできませんが、とくに重要だと思われる部分を
引用し、そのあとに私の考えを述べてみようと思います。
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残念ではあるが、世間の人々が言うように、たしかに勝負はもうついているのだ。母語に
加えてなんらかの外国語を勉強するとしたら、だれでも《文明の言語》(メイエ)を選ぶに
決まっている。《文明の言語》とは、簡単に言えば情報量の多い言語のことだ。いや、エス
ペラントにも一生かかっても読み切れないほどの文献がある、と言うかもしれない。だが、
どんな分野でもいい、ある主題にかんしてもっとくわしく調べたいと思ったとき、エスペラン
トの情報量はあまりにも貧弱ではないか。ほとんどどんなテーマにかんしても、現在では
英語が圧倒的な情報量を誇っていることは、認めざるをえないのだ(過去の情報だったら、
英語ではなく、たとえばラテン語かもしれない。また、五〇年後か一〇〇年後には、中国
語が英語に取って代わるかもしれない)。多くのオリジナルな業績がどんどん英語で発表
されているだけでなく、多くの外国語文献も英語に翻訳されているのである。世界中の情
報を集めようと思ったら、なんといっても英語がいちばん有利であることはたしかだ。部分
的に、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語などが有利な分野があるということだろ
う。だから、一般の日本人が外国語をひとつ勉強するのならば、まず英語を選ぶのがいち
ばん効率がいいことだけははっきりしているのだ。これと較べると、エスペラントの情報量
の少なさは、眼をおおいたくなるほどである。フランス語や日本語と較べても、圧倒的な違
いがあるのだから。ザメンホフ以外の思想家の業績を読もうと思っても、エスペラントはほ
とんど役に立たないではないか。一個人が一生かかっても読み切れないくらいの文献は
あるかもしれない(とくに文学作品)。だが、知識人がその知的欲求を満足させようとしても、
エスペラントは情報源として役に立たないのだ。英語の力を磨いたほうが、どれだけ有利
かわからない。

(月刊「言語」2000年8月号68ページ)
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ほとんど「無いものねだり」をしているようにしか見えませんが、しかし考えてみれば、世界
中どこでも、学校教育において英語が重要な地位を占めているのですから、知識人=「あ
るていど英語が得意な人」ということになってるわけですね。
ですから、こういうふうに考える人が多くても、当然だということになるでしょう。

どうあがいても「情報量」では大言語の足元にも及ばないのは判りきった事ですから、私は
こっちの方面で勝負するのはヤメにして、「一般人が会話(郵便やネットによる対話も含む)
をするための媒介語」として利用することを奨励・サポートすべきだと考えたんですね。

それで私は「娯楽」や「日常生活で使えるような語彙・表現」を重視しているわけです。

「日常生活」うんぬんと言うと、レベルの低いものを連想してしまうのかもしれませんが、私
の定義では「現在の文明社会に住んでいる一般的な成人であれば誰でも知っているような
事・物」はぜんぶ「日常生活で使えるような語彙・表現」ということになります。

ですから、たとえば「欧米の大部分の国では死刑は廃止されているが、日本などでは今で
も死刑がある。欧米で死刑が廃止されるさいには宗教的(キリスト教的)な価値観というもの
の影響も大きかったのだろうか?」などという質問なんかも、私の基準では「日常生活で使
えるような語彙・表現」なんですね。

もちろんこういった話は、関心のある人だけがやれば良いわけであって、マンガの話ばかり
してても、べつに構わないわけです。

いずれにしても、自分の関心のあるテーマで自由に対話ができれば、それで十二分に役に
立ってると言えると思うんですね。


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