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エスペラントは2045年以降も生存可能か

73松戸彩苑:2007/04/14(土) 16:45:42
たいへん遅くなりましたが、私が「言語権」を前面に押し出した運動に反対する理由を説明
します。
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考えてみれば西欧では、すでに現実に、多民族化・多言語化が進んでいるわけです。
ところがそれにも関わらず、この地域においては、エスペラント運動は衰退しているわけで
すね。

その理由として、この地域においては

(1) 行政やビジネスに関する情報を、多言語で提供することが増えている。
(2) その国の公用語を容易に学習できるように、便宜をはかっている。
(3) 多少なりとも英語が使える人が増えている。
(4) 外国で暮らす機会が多くなり、複数の言語が使えるという人が増えている。
(5) インターネット・翻訳ソフト・電子辞書などが発達・普及している。

ということが挙げられます。
そして、これが大事な点なのですが、人工国際語を支持している人以外は、これでだいた
い満足しているみたいなんですね。
これでは、エスペラントが入り込む余地はありません。

ここで我々は、Tazio Carlevaro 氏や Renato Corsetti 氏らの発言を思い出さずにはいら
れません。
また日本なども、こういう方向に進んでいるものと思われます。

ということで、今のままでは、いくらエスペランティストたちが「言語権」を叫んでも、それが
エスペラントの再評価にはまったくつながらず、逆に、英語を頂点とした多言語主義を強化
することにしかならないだろうと思われるのです。

平たく言えば、「言語の平等を!」と叫べば叫ぶほど、(1)〜(5)の条件を整えるという努
力がなされてしまい、エスペラントが活躍できる場が減少してしまうという事になるわけで
す。

そういう事態が、西欧において進行したために、エスペラント運動が衰退していったのだと、
私は思うのです。
また、このままですと、日本やアジア諸国においても同じことが起こるだろうと予想せざる
を得ません。

私が「言語権」を前面に押し出した運動に反対するのは、このような理由からです。
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要するに、エスペラントには社会的な信用がないわけです。
だから、いくら「言語の平等」という理念が正しくても、世間から完全に無視されてしまい、
エスペラント抜きで社会全体が動いていってしまうのです。

エスペランティストたちは、エスペラントは「学習が容易である」「レベルも高い」と言ってい
ますが、世間の人たちにとってみれば「レベルの高さ」は判断できないものの、エスペラン
ティストの数の少なさから判断して「学習が容易である」というのはウソだろうと思っている
ことでしょう。

実際、eterna komencanto や、数年でやめてしまう人が欧米でもたくさんいるのですから、
その判断は正しいと言わざるを得ません。


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