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■■神道とキリスト教のつながりについて

1名無しのひつじさん:2007/03/26(月) 12:04:50 ID:SqTZSP6I
★天皇陛下の叔父にあたる方が、正統なキリスト教信仰を継承する、
 プロテスタント福音主義−「福音派」教団の牧師先生をされています。
★その天皇陛下の叔父にあたる牧師先生のお話の一部抜粋
               ↓ 
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1173947639/7-10

★ラビ・アビハイル著作『イスラエルの失われた、また離散した部族たち』より
                 ↓
「日本人が失われたイスラエル10支族と関係があるかもしれないと、
ユダヤ人に思わせる理由のひとつは、日本神道の神社と、そこでの儀式である。
神道は日本全国に広がっている宗教で、興味深い独特の特徴がある。
その特徴は、ほかのどの民族にも見られないもので、ただユダヤの古代神殿にのみ見られたものである。」

★国際科学振興財団TRACE研究プロジェクト幹事・今井弥生氏は、ルベン・アルカレイ編
『ヘブル・英語大辞典』(Reuben Alcalay“The Complete Hebrew-English Dictionary")で、
学んだことをもとに、ヘブル語と日本語の類似性に関する膨大なリストを公表している。
そして、その中でこう述べている。
             ↓
「日本語の中心にあるヤマト言葉は主として、ヘブライ語の単語により、
ウラル・アルタイ系(古代朝鮮語やツングース系)の語順に当てはめて形成されている。」
(『日本語の起源に関する調査研究報告書』国際科学振興財団内、日本語の起源研究会発行)

★「彼らは異教徒の群れから離れ、人類がいまだかって住んだことのない土地へ行き、
自国では守ることの出来なかった規則をせめて守るようにとの計画を、
お互いに持ち合って、さらに遠い国へ進んだ。。。。」『エズラ第四書』第13章から

★「やがて終末の日には、神のうわさを聞いたこともなく、その栄光を見たこともない遠くの「島々」の国が、
神の栄光を諸国の民に語り告げるようになる」『イザヤ書』第66章19節
★「あなたの家とあなたの王国とは、私の前にとこしえまでも続き、
あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」『サムエル記Ⅱ』第7章16節  ■以下>>1-3のレスリスト集へ■

157名無しのひつじさん:2008/07/15(火) 13:29:43 ID:7Zai7udM
>>150-156よりつづく

O1   O2   C1   D   O3   C3    N
 アイヌ     0%   0%   0%   88%   0%   13%   0%
 旭川     1%   16%   0%   64%   12%   5%   不明
アイヌはC3であり、Dは粛慎、
アイヌ          13%
↓隠れアイヌの全国分布は
旭川        5%
青森        0%
関東        2%
東京        2%
静岡        2% 
名古屋       1% 
西日本       4%
徳島        3%
福岡        8%
沖縄        2%

158名無しのひつじさん:2008/07/22(火) 13:58:46 ID:s2dcyQG2
そういえば同じYAP+のY染色体E系統の仲間達も、多くが地中海沿岸の温暖で
食事のうまいところに住み着いていますな。

D系統の話に戻ります。

チベットなどのD1(とD3)、日本列島のD2がどちらが古いかというので、
アメリカとかの最新の研究では、ユーラシア南縁沿いに移動して日本に入り、
ここから(樺太or朝鮮半島経由かはともかく)北アジアに移動し、チベットに落ち着いた説になってきている。

その一方で日本人とかでは、D1などが古く、チベット・中央アジアからモンゴルとかの北アジア経由、
または東南アジアを経由しつつも朝鮮半島か樺太経由で日本には入ったという考えもある。
(途中の移動地域にYAP+が残らなかった説明が大変になるが。)

ミャンマーの沖合いにハプロDの古い祖型が高頻度で残るアンダマン諸島(ミャンマー沖の)がありますが、
ここから比較的近いベンガル湾沿岸は、ユーラシア南縁で最も海が北に入り込む場所ですね。
ここからヒマラヤまでの距離も結構短い。
自信があるわけではないけど特別な理由が無ければ、
D1(チベットとか)、D2(日本)ともに海辺から直接入ったとも考えられるのでははないかと。

159名無しのひつじさん:2008/07/22(火) 14:00:31 ID:s2dcyQG2
>>157
縄文人がD系統と考える前提だと、発汗が多い・彫が深いなどの特徴を持つはずなので、
元々から北方由来(特にシベリア由来)ではないだろうと。

ただ温暖だった縄文時代には、縄文系のD系統がC系統とともに
水の多いアムール川流域までひろがり、その後の寒冷化にともなって
寒地適応したC3系統(粛慎?)と混ざってシベリアと地続きの北海道に南下したとすると、
多数のD2とそのほかをC3で占めるアイヌの説明がつきますね。
アイヌは彫が深い・漁撈を行うといった古モンゴロイド一般の要素と、
B型が多い・北方系に近い言語を話す(C3系言語?)といった新モンゴロイドの要素を併せ持つ要因かと。

北九州などのC3系はアイヌとは別系統では?
東日本・中央日本にC3系が少ない上に、津軽海峡を隔てた青森ではC3系がない。
津軽海峡は対馬海峡よりは狭いけど、間宮海峡≒宗谷海峡よりはずっと広く深くなる。
暖流に乗ったD2系統の北上はできても、大陸からのC3系統の東北地方への南下は
古い時代には難しかったのではないかと。
C3系統の日本本土への多少の流入は、主に古墳時代以降と思われ。

160名無しのひつじさん:2008/07/22(火) 14:04:30 ID:7Zai7udM
>>158
>チベットなどのD1(とD3)、日本列島のD2がどちらが古いかというので、
http://www.isogg.org/tree/ISOGG_HapgrpD.html
D M174
・nbsp; D* -
・nbsp; D1 M15
・nbsp; D2 M55, M57, M64.1, M179, P12, P37.1, P41.1 (M359.1), 12f2.2
・nbsp; ・nbsp; D2* -
・nbsp; ・nbsp; D2a M116.1
・nbsp; ・nbsp; ・nbsp; D2a* -
・nbsp; ・nbsp; ・nbsp; D2a1 M125
・nbsp; ・nbsp; ・nbsp; ・nbsp; D2a1* -
・nbsp; ・nbsp; ・nbsp; ・nbsp; D2a1a P42
・nbsp; ・nbsp; ・nbsp; ・nbsp; D2a1b P53.2
・nbsp; ・nbsp; ・nbsp; D2a2 M151
・nbsp; D3 P47
例えばD2a1bの場合は、これ自体の持つ突然変異P53.2に加えて、この祖形D2a1にある突然変異
M125と、D2共通の戸津ゼ燕変異M55, M57, M64.1, M179, P12, P37.1, P41.1 (M359.1), 12f2.2とか
D共通の突然変異M174を含むということ。これはD2a1bのの出現が非常に新しいことを意味します。
そして、中央アジアのD*とかD3、チベットなどのD1は日本と比較して突然変異が少ない。これは
古代から孤立していたことを意味します。

161名無しのひつじさん:2008/07/22(火) 14:10:18 ID:7Zai7udM
>>160よりつづく
http://img438.imageshack.us/my.php?image=japan9zr.gif
これを見るとCAS(Central Asia)に古形が集中、新型は日本に集中しています。基本的に
中央アジアにいた民族が日本に移住したとしないといけない。これは日本に存在する型の
突然変異が発生するには12,000-20,000年を必要とする。日本では2万年前には姶良、6300
年前には喜界カルデラ噴火があり、西日本が初期化されています。環境が劣化したために
12,000-20,000年の間でこれほどの子孫繁栄はありえません。逆に、D1、D3のような孤立化
を辿るのが必定。それなのに事実は逆であること。これは弥生末期の渡来にその原因を
求めざるを得ない。

1.アイヌと琉球人の間には共通パターンがない
2.アイヌと本土日本人の間には4つの共通パターンがある
3.アイヌと韓国人の間には3つの共通パターンがある
http://www.dai3gen.net/mt06.htm
男性遺伝子であるYDNAだけではなく、mtDNAの立場から見ると上記の結果となります。
アイヌ人の持つ希薄なモンゴロイド特徴は非常に古い民族であることを意味し、日本列島とか
朝鮮半島の基層部分にそうした非常に古いものがあり、YDNAのDとは異なるということがいえる
と思います。

162名無しのひつじさん:2008/07/22(火) 14:11:35 ID:7Zai7udM
Y-DNAは父系だけしか追えない限界はあるが、系統はごまかしなしにはっきりと出る。
まず、日本人に多いD系統は古い出アフリカの系統であって新モンゴロイドではない。
D2はC1とともに古くから日本列島に固有の系統で、D2に関してはまず縄文人で間違いない。

> 弥生系は満州や沿海州などのツングースに近く、
> 縄文系は極北のシビリーデに近い。
上のツングースをC3系統(ブリヤートとか)、下のシビリーデをN系統(西方のサーミ人やシベリア最東部)と
なるだろう。ハプログループの分布からすると。でもこれらは日本人にはかなり少ないんだよね。

母系ではY-DNAのN系統に対応した集団がもう少し多い可能性は確かにあると思う。
でもそうなると、その偏平顔(これはC3やO3の特徴だと思うが)の男達は、
高貴なはずなのに、人類の常識と違って父系の方が減少してしまっていることになるよな。
(チンギスではなく、みんな上杉謙信みたいだったとかだったら判る。)
少なくとも天皇家や父系で同じ系統の源氏・平家や高位の公家の一定部分は、
おそらくD2系統だろうし、他系統の公家にはO2系統などが多かった可能性が高い。

D2系統とO2系統が日本人の多数を占めるが、ではどうしてシベリアに分布していないのかね。

163名無しのひつじさん:2008/07/22(火) 14:13:40 ID:7Zai7udM
アンダマン島にはD1もいたはずですが。日本にはブリャートの宝貝の展示品があります。昔は
竹馬古道といって南北シルクロードがあったそうですね。YAP+はインドに形跡がなく、北米行きの
最終電車の出た12000年前には乗り場である南シベリアにはいなかったようです。そうして兄弟の
YAP+Eはホルムス海峡、中近東、小アジアにいる。と言うことは彼らは山戎的暮らしぶりをしていた
のであるとするとイランの山地あたり、ハラフ文化の起こったあたりにおいてDE共通から12000年頃
前に枝分かれを始めたのではないかなといった感じがしますね。

アンダマン諸島にD1もいたというのが確かなら、
日本列島の経由で後の新しい時代にチベットにD系統が入ったというより、
おそらくベンガル湾周辺で、D祖型(M174)から直接D1が派生して
チベットなどに広がったという可能性もありますね。

>>692氏がいうとおり、突然変異が多い日本人のD2系統は
かなり古いということになる。
D2がチベット・中央アジアあたりから比較的新しい時代にやってきた可能性は
ありえないでしょう。
もしもD2a1aかD2a1bだけが日本人が持っていて、
その祖型になるD2aなんかが中央アジアなんかにあるなら、
日本列島のD2が新しいことになるけど、全然そうではない。
D2系統の多様なタイプを日本人だけが持つので、
古い時代に日本列島に入り、孤立した状態で少なくない人口を長期間保持した証明になる。

ただD1やD3の突然変異が少ないのも、D系統の人口が日本よりは
少なかったことを考えると、D2とともにこちらも結構古い可能性はなくはないかと思う。
日本にD1がほとんどなかったり、チベットにD2がないことから、
どちらも古い時代に派生したように思うのだけど。
それぞれ寒冷だった旧石器時代に南の海岸・島嶼ぞいを移動して、
暖かくなった縄文時代に北上したんだろうね。

164名無しのひつじさん:2008/07/22(火) 14:19:23 ID:s2dcyQG2
D、EのDE祖型からの分岐はミステリーですよね。
ペルシャは海岸沿いまで山地が迫っているし、12000年頃前でもそこそこ暖かかったから、
どちらかがこのあたりで派生した可能性はあるかもしれませんよね。

常識的には出アフリカの前にD系統、E系統ともに発生していた事になるのでしょうが、
D系統については、現在のアフリカや中東にも残っていませんから。

165名無しのひつじさん:2008/07/23(水) 10:08:42 ID:p7mjrdgY
D系統が中央アジア→内蒙古→南満州→朝鮮半島から北九州、日本列島全土へ流入と
断定できるのが全く理解できません。
特に移動時期等はこの先の結論に合わせて、後付で解釈しているようにしか思えません。

・D系統は同じくアジア太平洋にまで広がったC系統や、YAP+で祖型が共通するE系統とともに
 出アフリカをしていないA系統・B系統を除けば最も古いハプログループで、
 C系統とD系統は一緒に最古の出アフリカを行い移動したとされる。

・D系統の祖型が古くから孤立したアンダマン諸島住民(ネグリト)に、極めて高頻度で見つかっている。
 アンダマン諸島はインド領だが、インド亜大陸よりも東の海上にあり、
 (常識的には氷河期でも温暖で、食料も豊かだった海岸・島嶼沿いを移動したとしか考えられないが)
 そこまでのルートはともかく、古い時期にインドの東のここまでは確実に来られたわけだ。
 (万が一奇跡的に氷河期が終わっていない1万5000年以前に、中央アジア山岳を経由できたとしても。)

・後は、インド(or中央アジア)の東から日本までのルートがどうなのかの議論が大切なところだ。
 ミャンマーの南に連なるアンダマン諸島から海沿いの南回りでは、
 まず東南アジアの島嶼部にD系統がある程度残されている。
 アンダマン諸島に至近のスマトラ島で、この地域では最も高い10%程度のD系統ハプログループがある。

 マラッカ海峡を越えた(太古ではサフルランドで陸続きの時期が多いが)、ボルネオ島、マレー半島、
 タイ、フィリピンなどでもスマトラ島より低い頻度だがO系統が多い現在でも、古いC系統とともにD系統が存在する。
 ここからは暖流に乗って南西諸島・日本本土へとC系統とともにひろがったと考える事ができる。
 (C系統は沖縄を含めた日本では主にC1、北アジアではC3系統となる。)

・中央アジアの辺りから北周りについても考えてみる。(日本→チベット・中央アジアの可能性も大体は同様。)
 「オアシスの道(西域)→華北・内蒙古→南満州→朝鮮半島→北九州」のルートと、
 「草原の道(外モンゴル以北を通る)→アムール川流域→樺太→北海道」のルートがありえる。

166名無しのひつじさん:2008/07/23(水) 10:11:48 ID:p7mjrdgY
 縄文系であるD2系統が発汗が多い・彫が深いなどの寒地や乾燥地帯に向かない体質を保有している事、
 この北アジア地域にD系統が現在ほとんどみられないことの2点から、
 いずれのルートであっても比較的暖かい時期に、まとまって速やかに日本まで移動したことが必要となる。
 (北アジアには、日本やチベットと距離的に近く、新しい時代の交流が多い割にはDが低頻度すぎる。)
 旧石器時代までの時期では、ヤンガードリアス直前の13000年前頃の亜間氷期しかありえない。

 草原ルートの場合は、騎馬民族化していれば高速での移動は可能だが、
 古い時代の騎馬での移動は考えられず、D2系統が古い系統なのと整合性が全くない。
 (逆に、日本→樺太→モンゴル→アムド地方発祥の遊牧チベット系民族、なら後の時代で問題ないかも。)
 (3万年前〜1万2000年前の状況では、対馬海峡は暖流が流れるが、大陸・樺太・北海道は陸続き。)

 ゴビ砂漠の南縁・朝鮮半島経由ルートの場合だと、温暖な時期であっても、
 O3系統による麦と牛を主食とする黄河文明よりはるか前に、狩猟・採集型の縄文人の祖先が
 生存しつつ速やかに日本までまとまって来られたか、非常に疑問がある。
 加えて太古において、ずっと陸上を移動してきて、玄界灘のみ船で渡ったというのは想像しにくい。

 満州と米栽培と縄文人をリンクさせるのは困難では。
 特に前期渡来人(弥生人)の朝鮮半島経由説を強く推す農学系とかの学者でも、
 温暖化した時期に山東半島南部(稲作の歴史的北限)の港から朝鮮半島西部・南部を経由のナローパスを、
 少し厳しい条件と断りながら挙げているくらいなんだが。
 (今でも中国では淮河以南が稲作地帯。これより以北は畠作と牧畜地帯。)
 縄文時代の特に温暖化が進んだ時期に、寒冷地の栽培方法が日本に入ってきたというのは不自然では。

・旧石器時代の先住民としてC系統と一緒にD系統が日本列島に入ったか、C系統よりも遅れてきたとしても、
 ヤンガードリアスが終わった、9000年前頃の温暖化した縄文時代早期が自然では。
 (縄文時代早期に、日本列島が完全に大陸と離れた。)
 (もしも、D系統到来が縄文早期であれば、北アジアにほとんどひろがらなかった一因かも。)

167名無しのひつじさん:2008/07/23(水) 10:20:05 ID:p7mjrdgY
☆古代日本人が交流していた相手は、あくまでも半島南部の韓人(倭人)であって、ワイ族(今の朝鮮人の先祖)ではない。
☆古代における日本列島住民と半島南部住民の交流には、朝鮮人(ワイアン)はまったく無関係なのである。


現在の朝鮮人は、半島東北部の太白山脈(たいはく山脈)の、
東側に住んでいたワイ族(『東ワイ』とも呼ばれた)の子孫である。
高句麗人(フヨ族)ではないし、韓人(カラビト)でもない。

今、国際社会で「コリアン」と呼ばれている民族は、実は朝鮮人ですらない。
もともと朝鮮人というのは、紀元前2世紀の時代に半島北部に住んでいた漢人のことである。つまりチャイニーズのことだ。
衛氏朝鮮国の住民である漢人が「朝鮮人」と呼ばれていたのだ。

現在の『コリアン』と呼ばれている半島人(ワイ族=ワイアン)とは、異種なのである。
古代の半島南部に住み、日本列島の住民から韓人(カラビト)と呼ばれていた人々は、倭人系民族だった。
彼らは、とうぜん日本語を話したし、現在の半島人(ワイアン=WAIAN)とは人種・民族が異なっていた。

カラ半島南部においてワイ語(現在の朝鮮語の基になった言語)が公用語になったのは、8世紀以降であり、
7世紀までは、半島南部の公用語は倭語(日本語)だったのである。
つまり、7世紀の『白村江戦争』の後に、ワイアンが半島全域に移住し、今の半島人の先祖となったのである。
ワイアンは、志羅紀人(シラキ人=任那人とも呼ばれた)や百済人等のカラビトとは異なる民族なのだ。

古代日本人が交流していた相手は、あくまでも半島南部の韓人(倭人)であって、ワイ族(今の朝鮮人の先祖)ではない。
古代における日本列島住民と半島南部住民の交流には、朝鮮人(ワイアン)はまったく無関係なのである。

168名無しのひつじさん:2008/07/28(月) 10:34:12 ID:p7mjrdgY
秦の建国年代は紀元前778年、イスラエル王国の滅亡は紀元前722年。
計算が合わず、この説は成り立たないように見える。
しかし、この数値は伝えられる秦皇帝、秦王、秦公の在位年数を鵜呑みにした場合の計算。
こういうものの中には例外ともいえる以上に長いものが存在する。
その場合、彼の在位年数は故意に2倍されているのだ。
そうしたケースを秦公、秦王、秦皇帝の中から調べた所、存在した。
秦公では2代文公の50年、9代穆公の39年、13代鍼景公の40年、14代哀公の38年、17代窅共公の34年。
秦王では3代目昭襄王の55年、秦皇帝では始皇帝の36年。
秦公、秦王、秦皇帝を通して、在位年数は1桁以外は皆10〜27年に収まっている。
しかし、この7人はそれを著しく飛び越えている。
彼等の在位年数を2で割ると25、19、20、16、17、27、18となる。
これらを足すと142。
778から142を引くと636。
即ち、本当の秦の建国年代は紀元前636年なのである。
イスラエル王国滅亡より86年。
イスラエルから中国までの移動にしては長い時間だが、
此処まで来るまでにアフガニスタン、北インド、
ミャンマーなどに何度か腰を落ち着けていることを考えれば、妥当であろう。
さらに、彼等秦王族の姓であるエイはイスラエル10支族の王族エフライムの転訛である。

169名無しのひつじさん:2008/07/28(月) 10:38:33 ID:p7mjrdgY
>>156
ありがとうございます。
> Primi has the highest YAP+ frequency (72.3%)
これってプミ族のことですかね。
だとすると、下の方の
> Pumi       11.3%,
とだいぶん差があるので、居住地とかのサンプル条件で差が出るのかな。
これを見ると、雲南の少数民族は日本ほどは高頻度ではないけれど、
そこそこYAP+持ちが多いですね。

中国最南西部の雲南(昔の大理国)・ミャンマー・インド北東部・ヒマラヤ周辺
このあたりは色々と面白い場所ですね。
ちょっと秘境で狩猟・採集民が最近まで多く残っていたり、
古い田舎の日本の風景や日本人に似ている人たちが多いような。

昔、タイ、ミャンマー、ラオス3国の国境地帯で麻薬で有名な
ゴールデン・トライアングルが有名でちょっと怪しい場所でしたが、
あの辺の高原地帯はアジアでは気候が良く、
先の大戦中は軍が日本人の移住先に適した場所という報告をしていたとか。

縄文人の仲間のYAP+をもった集団は、温帯の海とか山のあるところを
好んで住み着く傾向があるような。夏冬で気温が激変するのは苦手なのかもしれないですね。

170名無しのひつじさん:2008/07/28(月) 10:49:36 ID:p7mjrdgY
遺伝的にはベトナム人に一番近いのは、韓国人なんだが。
(O3系統が4割以上で、その他にO2b系統が多いのは、ベトナム人と韓国人だけ。)

ベトナム人も中国人も台湾人も韓国人も、普通のアジア人全般に多いO系統だから、
人類の中では例外的に体臭が少ない連中だぞ。
そのかわり匂いのきつい食事とか食べる連中が多いから、そちらで匂う。

日本人は基本的にD系統(YAP+)だから、一緒にするなら
チベット人とか北東インドの田舎なんかにいる日本人そっくりのモンゴロイド系とか、
イタリア人とか北アフリカのベルベル人(ジネディーン・ジダンが有名)と一緒にしてくれ。
古い出アフリカの系統なので、かなり古くから日本独特の系統だが、
日本人のD2系統と一番近いのは同じD系統のチベット人。
D系統以外でルーツが近いのは、地中海沿岸のE系統。
(但し今の南欧人には、元蛮族のゲルマン人の血も濃く入っているが。)

日本人を象徴するD2系統が、日本人(本土・沖縄・アイヌ)だけに固有である事を何度も書かせるな。

このスレで関心の高いアムール川流域と、古い日本が関係があるかもしれないが、
 樺太・北海道が陸続きだったためで、日本列島からアムール川流域や外モンゴルにひろがった
 C3系統での共通性がある。アイヌとか、後の時代に日本に逆流した要素もあるだろう。
 母系遺伝子などで、日本に非常に多く、モンゴルにも多い、しかし朝鮮半島に少ない遺伝要素があるが、
 旧石器時代をはじめとした、樺太経由での繋がりからして不思議ではない。
 十三湊なんかあとの時代に少し、北方シベリア系が秋田周辺に入っただろうとも思う。
 しかし現在人のDNAとしては、日本人は朝鮮人と異質である。
 現代朝鮮人には、華北系のDNAが非常に強い。
 なので日朝の共通の先祖がシベリアにいたわけではない。
 この華北系DNAはモンゴル人も持っているが、日本とモンゴルで共通の遺伝子とは完全に別のもの。
 モンゴル人の一部が日本人と母系で近いが、朝鮮人はモンゴル人と父系で近い。(支配を受けた為)

171名無しのひつじさん:2008/07/28(月) 10:54:01 ID:p7mjrdgY
[下記非常に重要]
・曖昧さがない父系DNAデータにおいて、朝鮮人・台湾人・中国人・ベトナム人はすべて華北型DNAが
 圧倒的に多く、日本人とは全然別人種。

・上記中華文明圏の民族の中で、韓国人とベトナム人の共通性が極めて高い。
 また、台湾人はフィリピンとかの南島系DNAが少し入る以外は、
 華南よりも華北に非常に近い。だ か ら 日 本 人 と 別 人 種。

・日本人はD2系統を中心とする、かなり古い時代から一定の人口を保って孤立した独自性の強い人種。
 旭川から那覇まで、地理的な距離にかかわらず均質性がかなり高い。
 古くに分かれた近い系統は、チベット人、地中海・中東・アフリカのE系統(YAP+の兄弟グループ)など。

父系DNAをまた持ち出すが、これで出てくる結果に限って言えば、
今現在の日本人と韓国人(北朝鮮のデータは判らない)で、大きく共通しているのは、
中国最南端のチワン族でMAXで華南・東南アジアにも多いO2系統が、
アイヌ以外の日本人全般で多く、これを韓国人も3割近く持っていることだ。
分布からして稲作農耕民の系統だから不思議ではない。
O2系統をサブグループまで分けると、この内、O2b系統に関しては、
西日本で最も多くて、東日本、ベトナム、韓国でもそこそこ多い。
航海・水田稲作に優れていた倭人系(弥生系とか、古代朝鮮の百済・任那とかの種族)だろうとは言える。
この系統の大陸での厳密なルーツの特定は今のデータでは難しいと思うが、
O2系統の中でも福建省以南の亜熱帯のO2系統とは遠いのではないかと思う。(ここを無視しないでくれ!)
※台湾は福建省に言語などが近いが、Y-DNAではO2系統自体が少ないのこの段階で異なることになる。

あえてここから踏み込んで通説なども参考に私的な推測を許して欲しいが、
稲作先進地だった長江下流域の江南あたりが大まかなもともとのルーツで、
日本の弥生時代に、九州〜東海・山東半島南部・朝鮮半島南西部(いわゆる百済・任那)・トンキン(ベトナム北部)
そして一部は遼東(燕地方)に船舶での移動にて、日本の弥生時代に(中国の三国時代の終わりまでに)
ひろがった種族ではないかと思う。
これらの広義の倭人系種族内で、その後の古墳時代を中心に双方向での交流が多かったのではないかと。

172名無しのひつじさん:2008/07/28(月) 10:56:38 ID:p7mjrdgY
Nというのは日本人に極わずかにしか存在しない、Y-DNAの
N系統ハプログループのことか?
東北の青森だけでかなり高く8%存在するが、他の地域では0に近い。
こんなものであまり妄想逞しく出来ないので、あんまり触れてない。
(系統が明確に出るY-DNAで日本人に多いD系統やO2系統の話でも、まともに受け取られないくらいだからね。)
君の方がY-DNAのすごい微細なデータに注目しているわけだから、
これに関して何か言いたいなら自分で持論を書いてもいいんだし、
俺の意見なんかで良くて聞いてみたいことがあるなら、もっと直截に質問してくれないか。

多分、なぜ日本人にN系統が存在するんだねという含意だろうけど、
後世に平安時代にシベリアと交易があった大貿易港の
十三湊(大地震で壊滅したんで結構無名なんだがな)から入ったDNAの可能性が高いだろう。
念のために、三内丸山の縄文人がツンキーデのN系統とか妄想しないでくれよ。

土器に関しては日本は先進地域で、稲作が始まるずっと前の縄文時代の結構早い時期から
刻目式とか渦巻き文様とかの複雑な文様の土器を作っていたわけだから、
中国からあんまし真似する必要は無かったし、
アムール川流域とか沿海州の土器は、むしろ日本の縄文土器の影響じゃね。

173名無しのひつじさん:2008/07/28(月) 10:57:47 ID:p7mjrdgY
 日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はワイ族の子孫である。この2つの民族は最初から別種なのだ。
戦前に唱えられ、現在も一部の無知な日本人や朝鮮人が唱えている『日韓同祖説(日鮮同祖説)』は学問的な
根拠がまったく無い、妄説である。
                                        
■倭人とは何か
                                          
 シナ揚子江下流地域、浙江、福建、広東、広西、海南、ベトナム、ラオス、台湾、フィリピン、
沖縄諸島、九州、四国、本州、カラ半島南部などに住んでいた、南方アジア系=海洋民族の総称。
稲作も行っていた。                          
                                        
                                       
■ワイ族とは何か
                                         
 古代カラ半島東北部に居住していた北方アジア系=狩猟民族。もともとはシベリアの山岳部や森林地帯に
住んでいたツングース系民族の一派であり、現在の朝鮮民族の直系の先祖である。『東ワイ』とも呼ばれる。
 『ワイ』、『東ワイ』というのは、半島北部を支配していた漢人が付けた名称である。
 日本書紀=崇神天皇紀および垂仁天皇紀の「ソナカ・シチ=都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)の条」には、
シラキ人の敵=『ケリン族』(鶏林)という民族名で登場する。
『鶏林』という字は、民族名・『ケリン』に漢字を当てたものであり、特別な意味はない。
 ワイ族は、古代の半島南部に住んでいた倭人系民族のシラキ人(後世のミマナ人)、クタラ人などとは
敵対関係にあり、倭人系民族と領土紛争を繰り返していた。
 ワイ族は、3世紀(崇神天皇の時代)に、まず最初にシラキを侵略し、4世紀前半頃には完全に乗っ取った。
その後、シラキ領に『新羅(シンラ)』を建国し、シンラ人、シラ人と自称するようになった。
シラ人とはシラキ人という意味である。
 シラキ領(カラ半島東南部)を奪われた結果、本物のシラキ人は敵と身内を区別するために、
自国の号を『シラキ』から『ミマナ』へと改めざるを得なくなった。
 新羅は、西側に隣接する日本領=ミマナ(馬韓)への侵略を何度も繰り返し、
6世紀前半には、ついにミマナを滅ぼして、新羅(シンラ)に併合した。
 7世紀の『白村江戦争』では日本と百済を相手に戦争し、百済を滅ぼして、半島の南北地域の大部分を支配下においた。

174名無しのひつじさん:2008/07/30(水) 10:26:41 ID:p7mjrdgY
★天皇陛下の発言
日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。
韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。
宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。
こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。
日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。
私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。
武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。
また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。
しかし,残念なことに,韓国との交流は,このような交流ばかりではありませんでした。このことを,私どもは忘れてはならないと思います。

ワールドカップを控え,両国民の交流が盛んになってきていますが,それが良い方向に向かうためには,両国の人々が,
それぞれの国が歩んできた道を,個々の出来事において正確に知ることに努め,個人個人として,互いの立場を理解していくことが大切と考えます。
ワールドカップが両国民の協力により滞りなく行われ,このことを通して,両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております。
                ↑
ああ、日本の伝統文化だと思ってたものが、全部韓国から由来したものだったなんて・・・

175名無しのひつじさん:2008/07/30(水) 10:29:03 ID:p7mjrdgY
>>174 
>ああ、日本の伝統文化だと思ってたものが、全部韓国から由来したものだったなんて・・・
               ↑
陛下がおっしゃった日本と韓国とのゆかりというのはそんな意味ではない。
今韓国といわれる地域には、いにしえに和人(倭人)の百済という国があって、
そこの王の娘の子孫が桓武天皇の母である。だから、土地縁がありますね、と言われたのだと思う。
因みに陛下は新羅についてはおっしゃらなかったが、
新羅の王は代々日本人だったということはわかっている。
百済の初代の王は中国人だったが。
要するに、あの時代は日本と半島の南部は日本(倭国)文明圏であり、同じ国だったといってもよい。
最近、弥生文化や天皇家のルーツが、
中国雲南省にあるタカマガハラらしいという調査研究が発表がなされている。
だから、文化の流れは半島からではなく、中国の南西方面からといえる。
現在の韓国人は日本人たちのあとに入ってきたワイ族らしいが、
人さらいの風習があり、嘘をつくと中国の古書にはある。

176名無しのひつじさん:2008/07/30(水) 10:38:28 ID:p7mjrdgY
>>175よりつづく

日本の雅楽は天平時代にシルクロードや海を渡って西域やベトナム
から伝わった。楽器もインドやペルシャに起源をもつものが多い。
韓国の雅楽・国樂はそれより八百年くらい後に出来たもので、儒教
の礼樂系統で日本のものと別もの。廃れていたのを日韓併合後、
韓国伝統文化の保護育成策として朝鮮総督府が復興に尽力した。

177名無しのひつじさん:2008/08/06(水) 11:22:00 ID:l6VTH9BU
秦の建国年代は紀元前778年、イスラエル王国の滅亡は紀元前722年。
計算が合わず、この説は成り立たないように見える。
しかし、この数値は伝えられる秦皇帝、秦王、秦公の在位年数を鵜呑みにした場合の計算。
こういうものの中には例外ともいえる以上に長いものが存在する。
その場合、彼の在位年数は故意に2倍されているのだ。
そうしたケースを秦公、秦王、秦皇帝の中から調べた所、存在した。
秦公では2代文公の50年、9代穆公の39年、13代鍼景公の40年、14代哀公の38年、17代窅共公の34年。
秦王では3代目昭襄王の55年、秦皇帝では始皇帝の36年。
秦公、秦王、秦皇帝を通して、在位年数は1桁以外は皆10〜27年に収まっている。
しかし、この7人はそれを著しく飛び越えている。
彼等の在位年数を2で割ると25、19、20、16、17、27、18となる。
これらを足すと142。
778から142を引くと636。
即ち、本当の秦の建国年代は紀元前636年なのである。
イスラエル王国滅亡より86年。
イスラエルから中国までの移動にしては長い時間だが、
此処まで来るまでにアフガニスタン、北インド、ミャンマーなどに何度か腰を落ち着けていることを考えれば、
妥当であろう。
さらに、彼等秦王族の姓であるエイはイスラエル10支族の王族エフライムの転訛である。

178名無しのひつじさん:2008/08/06(水) 11:24:11 ID:l6VTH9BU
似ているもの

●アララト山(アララテ山)
 大洪水が止んだ時にノアの箱船が漂着した山(創世記8:4)
⇒剣山(鶴亀山)
 ノアがアララト山に漂着した7月17日(創世記8:4)に
 山頂に神輿を運ぶ祭りが行われる。(剣山神社本宮・宝蔵石神社)

●モリヤ山
 イスラエル民族の祖アブラハムが老年になって神の約束によって儲けた
 我が子イサクを神の命により神に捧げるために登った山(創世記22章)
⇒守屋山(諏訪大社の御神体)
 アブラハムによるイサク奉納に似た神事が諏訪大社の御頭祭でかつて行われていた。
 少年へ神官の振り下ろそうとした刃が別の人によって止められ少年は解放され
 動物が代わりに犠牲となる。(御頭祭では鹿、旧約聖書のイサク奉納では羊)
 犠牲の鹿の中には耳の裂けたものがいる。(聖書では角をやぶにひっかけた羊)

●シナイ山
 エジプトを脱出後、荒野でモーセがイスラエルの民から離れひとり神にまみえて
 啓示を受け、律法を授かった。(出エジプト19章)
⇒三輪山(大神神社、檜原神社の御神体)
 山が禁足地となっている。(出エジプト19:12)
 大神神社には三つ鳥居がある。祭神は大物主神、大己貴神(大国主神)、少彦名神。
 少彦名神が大国主神とともに働き後に死ぬこと、大物主神が大国主神の幸魂、奇魂、和魂と言われる。
 それらのことから、大国主・少彦名・大物主の関係性はキリスト教の父・子・聖霊なる神を連想させる。
 大神神社の摂社である檜原神社は元伊勢の一つ。天照大神を祭っている。
 能「三輪」では、キリ(終りの部分)の歌に、
 「思えば伊勢と三輪の神。一体分身の御事。今更、なんと、いわくら(磐座・言わくら)や。」
 という言葉があるという。新約のイエス・キリストと旧約の主なる神の一体に関する信仰を連想させる。

179名無しのひつじさん:2008/08/06(水) 11:34:49 ID:taPIsFPg
■新羅王家・『朴氏』は存在しなかった。
                                         
 高麗時代に編纂された朝鮮の歴史書・『三国史記=新羅本紀』の中に、新羅を建国した王家として『朴氏』という王家が登場する。
だが、『朴氏』などという王家は存在しないのである。
 この『朴氏』という王家は、『三国史記』の編纂者・金富軾(きん・ふしょく)が、任那日本府に伝わる古文書を読んで、
その記録の内容を誤解して創作した王家なのだ。
                                          
 おそらく金富軾は、任那日本府の『シラキ史』の記録に出てくるシラキ王の称号・『日子』(ボコ)を、王族の「氏」であると誤解し、
ボコに『朴』の字を当てたのであろう。
 古代日本の皇族男子の名前の頭には、『日子』(ボコ)が付くことが多い。『日子』はアマテラス大神の子孫である皇族男子を
意味する称号である。
(例:日子ホノニニギ、日子ホホデミ、日子イマス王など)
 しかし、朝鮮人(ワイ族)である金富軾が、そのような事実を知るわけがないので、彼は『日子』を氏だと勘違いしたのだ。

 第四代以降の王家だとされている『昔氏』(セキ氏)というのも、金富軾が誤解に基づいて創作した王家である。
これは金富軾が、カラ半島東南部に位置した旧シラキの別名・『南加羅』(ありし日のカラ)の号を誤解した結果、創作された氏であろう。
『南加羅』の日本式の読み方である『ありし日のカラ』の「ありし日」とは、昔の意味である。
 おそらく、高麗に残っていた任那日本府の歴史文書には、『南加羅』(ありし日のカラ)のことを『昔加羅』、
もしくは『昔新羅』と表記していたのだろう。
 それを読んだ金富軾は、『昔加羅』を「昔氏の加羅という意味なのだろう。昔氏という王家が存在したのだろう」と、
誤解したのである。
 『南加羅』『昔加羅』というのは、古代カラ半島東南部にあった頃の『シラキ』(知ら城)であり、『三国史記』が「昔氏」と
呼んでいる『シラキ王』は、ヤマト朝廷が『シラキ日本府』へ派遣した長官(ミコト持ち)であろう。だからこそ、『三国史記=新羅本紀』は、
「昔氏は倭から来た」と記しているのである。

 そして、『昔氏』の後を継ぐ王家として登場する『金氏』だけが、実在した『新羅王家』であり、『金氏』はケリン族(鶏林)の王家
なのである。つまり、新羅(ケリン)を建国したのは『金氏』であって、『朴氏』や『昔氏』などという王家は、新羅には存在しなかった。
 『三国史記』において、『朴氏』、『昔氏』という名で呼ばれている王は、実は新羅以前に存在した『志羅紀』(シラキ)を統治していた
倭人王、つまり、日本皇族のことなのだ。

180名無しのひつじさん:2008/08/11(月) 13:53:51 ID:7Zai7udM
イザヤ書第41章1節
島々よ。私の前で静まれ。諸国の民よ。新しい力を得よ。島々は見て恐れた。
地の果ては震えながら近づいてきた。私はあなたを地の果てから連れ出し、
地のはるかなる所からあなたを呼び出していった。私が北から人を起こすと、
彼は来て日の出るところから私の名を呼ぶ。(中略)

第42章10節
主にむかって新しい歌をうたえ。その栄誉を地の果てから。海に下る者、その海
を渡る全ての者、島々とそこに住むものよ。主に栄光を帰し島々にその栄誉を
告げさせよ。

イザヤ書45章22節
地の果ての全てのものよ。私を仰ぎ見て救われよ。

イザヤ書第49章1節
島々よ。私に聞け。遠い国の民よ。耳を傾けよ。

イザヤ書第66章19節
やがて週末の日には、神のうわさを聞いたことも無く、その栄光を見たことも無い
遠くの島々の国が、神の栄光を諸国の民に語り告げるようになる。

ヨハネ黙示録第7章1節
この後、私は見た。4人の御使いが地の四隅に立って、私の四方の風を堅く抑え、
地にも海にもどんな木にも吹き付けないようにしていた。また私は見た。
もう一人の御使いが、生ける神の印を持って日の出るほうから上がってきた。
彼は地をも海をもそこなう権威を与えられた4人の御使いたちに大声で叫んでいった。

ヨハネ黙示録第16章12節
第6の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけた。すると水は日の出るほうから来る
王たちに道を備えるために、枯れてしまった。

181名無しのひつじさん:2008/08/11(月) 13:55:03 ID:7Zai7udM
>>180より

地の果て
島々
日の出るところ
ユーフラテス川(イラク)の日の出る方角(東)
王国

全部当てはまるのは地球上に日本国ただひとつ。

イザヤ書は紀元前8世紀の書物である。
ヨハネ黙示録は西暦50年〜100年の書物である。
この聖書の予言が適当に書いたものとしたらすごい。
紀元前8世紀に、まだ誕生していない1000年以上も先の
日本のことを言い当てているのだから。

182名無しのひつじさん:2008/08/11(月) 13:56:56 ID:l6VTH9BU
>>180-181からつづく

そうして、西のほうでは、主の御名が、日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。
(イザヤ書59章19節)

 「日の上る方では、主の栄光が恐れられる。」(イザ59−19)・・・霊的イスラエルは
全世界のクリスチャンであるので、イスラエルを中心と見て、東のはずれにある日本には、
特別な主の栄光のわざが行われる。しかも特定の器によらず、主自らが御自身の義に頼ってこれをなされる。
 (フレッチャー師は、多くの外国からの人々が日本に(主の奇跡のわざの)
  写真を撮りにくる、と預言している。)
http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/0ribaibaru.htm

《イザヤ書24章14節 新共同訳》
彼らは声をあげ、主の威光を喜び歌い
海から叫び声をあげる。
《24章15節》
それゆえ、あなたたちは東の地でも主を尊び
海の島々でも、イスラエルの神、主の御名を尊べ。
《24章16節a》
地の果てから、歌声が聞こえる。
「主に従う人に誉れあれ」と。

14)彼らは声をあげて喜び歌う。主の威光のゆえに、西から喜び呼ばわる。
15)それゆえ、東で主をあがめ、海沿いの国々でイスラエルの神、主の名をあがめよ。
16)われわれは地の果から、さんびの歌を聞いた、「栄光は正しい者にある」と。

183名無しのひつじさん:2008/08/13(水) 17:34:08 ID:p7mjrdgY
シラキ(カラ)の領土は、時代と共に変化し、移動している。
そのようすを地図にしてみた。

(1)紀元前1世紀頃
楽浪郡(コマ)
  ↓
○○○○○△▽△←ワイ州(ワイ諸部族の居住地)
○○○○○▽△▽
○○○○○◆◆◆
○○○○○◆◆◆
○○○○○◆◆◆
○○○○◆◆◆◆    【日本海】
◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆←カラ(倭人国・シラキ=稲飯命が建国した国)
◆◆◆◆◆◆◆◆

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2)AD1世紀頃

楽浪郡(コマ)
 ↓
○○○○○△▽△←ワイ州
○○○○○▽△▽
○○○○○◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆  【日本海】
◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆←カラ(倭人国・シラキ=稲飯命の孫・天日矛の国)
◆◆◆◆◆◆◆◆     〔日本海沿岸部から東シナ海沿岸部まで領有〕
◆◆◆◆◆◆◆◆

184名無しのひつじさん:2008/08/13(水) 17:35:12 ID:p7mjrdgY
<続き>
(3)AD2世紀頃

楽浪郡
 ↓
○○○○○△▽△←ワイ州
○○○○○▽△▽
■■■■■◆◆◆
■■■■■◆◆◆
■■■■■◆◆◆  【日本海】
■■■■■◆◆◆
■■■■◆◆◆◆←シラキ(別名・カラ=弁韓=稲飯命の孫・天日矛の国)
■■■■◆◆◆◆
■■■◆◆◆◆◆
 ↑
馬韓(日本名・クタラ。シラキから分離)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(4)AD3世紀前半頃

楽浪郡=コマ
 ↓
○○○○○△▽△←ワイ州(ワイ諸部族の居住地)
○○○○○▽△▽
■■■■■▲▼▲←ケリン(ワイ族国=辰韓。元はシラキ領)
■■■■■▼▲▼      〔シラキから分離〕
■■■■■◆◆◆
■■■■■◆◆◆    【日本海】
■■■■■◆◆◆
■■■■■◆◆◆←シラキ(倭人国=弁韓。天日矛[天日日子]の国)
■■■■■◆◆◆
  ↑
 馬韓(日本名・クタラ)

185名無しのひつじさん:2008/08/13(水) 17:36:42 ID:p7mjrdgY
<続き>
(5)AD4世紀中頃

楽浪郡(コマ)
 ↓
○○○○○△▽△←ワイ州(ワイ諸部族の居住地)
○○○○○▽△▽
◆◆◆◆◆▼▼▼←ケリン(ワイ族国=辰韓。元はシラキ領)
◆◆◆◆◆▼▼▼      〔シラキから分離〕
◆◆◆◆◆▼▼▼
◆◆◆◆◆▼▼▼    
◆◆◆◆◆▲▼▼
◆◆◆◆◆◆▼▼←ケリン領土となった南加羅(ありし日のカラ)
◆◆◆◆◆◆▼▼  
   ↑      【日本海】
 ミマナ(シラキから改号。3世紀後半にシラキと馬韓[クタラ]が合併)

7世紀以前のカラ半島は、大きく3つのブロックに分けて考える必要がある。
まず、紀元前から漢人が住み、半島文明の中心地だった西北部=楽浪郡地方。
そして、太白山脈の東側(半島東北部)にあり、文明とは無縁だったワイ地方。

最後に、日本文明圏の一部であり、古代ヤマトの領土であった韓(カラ=南部)である。
これらの3つの地方は、異なる民族が住んでいたのだ。
 朝鮮人の先祖が住んでいたのは、この3ブロックのうち、文明がほとんど発達していなかった
ワイ地方(半島の東北部)であった。ワイ族が半島全域に移住するのは8世紀以降である。

7世紀の『白村江戦争』は、半島南部の倭人連合と半島東北部を本拠地とするワイ族連合の戦争であった。

186名無しのひつじさん:2008/08/13(水) 17:50:23 ID:p7mjrdgY
山辺の道にマーケットをつくり、東方山岳、辺境部と瀬戸内・玄海灘平野部との交易を図る国づくりという
のは洛東江上流方面の考えであり、これが一概に遺伝子の流れとは言えませんが、遺伝子の流れと
軌を一にする、並行する考えで、これが三内丸山時代からあったとは思えない。これは古墳時代に強く
なるものの、その始まりは遠く戦国時代の始まりの頃でしょう。この頃から遺伝子が海岸沿いにはいる
ようになった。遺伝子とプロファイリング、生業研究は関係しますね。四川、雲南とのつながりはこれで
すね。アカホヤ以降、列島は古代人に見向きもされない千年以上の年月があった。そこで山岳民遺伝子
の多様化はありえず、それをいうなら興安嶺から白頭山にかけての山間でしょうね。

秦の始皇帝の末裔、エジプト中近東に君臨した草原の民、秦氏、と黒竜江の鹿狩り民族、穢とはどこで
接点が出てきたのかは不思議ですが、ごく最近半島中央部の第一玄菟郡文化地帯の研究により、この
楽浪東方、すなわち、ソウルから日本海沿岸にかけた地方において黄海沿岸を南下した楽浪文化と
日本海沿岸を南下した箱式石棺墓文化である沃沮、穢の接点に発生した文化が検出された。そして、
朝日遺跡で発掘される鉄斧が沿海州沃沮・穢の輸出商品であることもわかってきた。BC4-3世紀の
ことらしい。

力士黒海の国、グルジアの北西沿海部アブハジアは支石墓発生のの地でもありますが、力士露鵬等の
国の攻撃を受けている。この地のコーカサス語はシノ・コーカサス語族といって中国語もその仲間に入る
言語集団に属するが、この地からヒルベト・ケラクという黒陶のような優秀な土器勢作集団と馬・馬具・馬術
集団が今のトルコに入ってはヒッタイトを建国。カザフスタンで実用化された馬・馬具・二輪車・馬術集団は
インダス、エジプトへと入る。中国で周が殷を倒したのちいち早く体制側にもぐりこむのも秦集団で、馬がらみ。
ところが、黒龍江省の沃沮・穢には室韋などと違いこうした馬の文化の形跡はない。この辺が秦集団と
穢・狛集団の大きな違いですね。

ただし、秦集団が立地したと見られるコーカサス、ミタンニ、アッシリア、太秦等は山岳地形であり、秦族
も沃沮、穢と同じ、ひいては、チベット、四川、雲南と同じYAP+の遺伝子を持っていた可能性がある。
YAP+の多様性とはこうした地球規模の多様性であり、箱庭のような環境で生まれるものではないと思います。

187名無しのひつじさん:2008/08/13(水) 17:51:29 ID:p7mjrdgY
「北方臺正東,高夷?羊,?羊者,羊而四角。獨鹿??,??善走者也。孤竹距虚。不令支玄豹。不屠何青熊。
東胡黄羆。山戎戎菽,其西般吾白虎鄢文。
 これは西周初年(紀元前1046年頃)、周の成王が洛邑(洛陽)を創建後、諸侯を招いて大会を催したとき
の記事の抜粋だが、ここに高夷の名が見える。 孔潁達(唐代の学者、隋書を編纂)は、王會篇の注釈に
次のように記している。「逸周書に記された会議に参加した北方台地の東の高夷とは、高句麗族の源流で
ある」 高夷氏は山東省に登場する最古の部族。大地に鵠(おおはくちょう)のトーテムを祀り、東夷族が
中原に進入するのに従い、商代には河南省北部に進入。やがて中原から東北地方に移住し、後に高句麗
と名乗ったと考察(あるいは調査の結果)したようだ。 」 sadabeさんHP
この高夷の鳥トーテムはヤマトタケル、神武等始祖的天皇の時代に出現するので、おそらくはヘロドトス
のいう王族スキタイのことで、白鳥等は天神のシンボルではないかと思います。高句麗とはこうした王族的
集団を含有する集団といった意味ではないかと。
「『契丹古伝』 燕国の衛満は、漢の武帝に「殷(箕氏朝鮮)は胡や秦の縁者を抱えており、これを滅して後患
を絶つべきだ」と言上。武帝が彼に兵を与えたので、殷王(箕準)は辰(辰国)に逃れ、殷は滅亡した。衛満
は殷を奪い、前漢は郡県を広げて徐珂(?)を阻んだ。[蘇我のことか。] 衛満は真番国をも奪い、朝鮮
(衛氏朝鮮)と号した。徐珂王の淮骨令南閭峙は殷の報復をすべく漢と謀った。漢は徐珂を郡としないこと
を誓い、『王印』を以て證とした。」sadabeさんHP 衛満の箕子朝鮮が胡や秦の縁者を抱えておりとした
情報は正しく、殷、朝鮮、大和、ヒクソス王朝、ヒッタイト、ミタンニを建国したのは同一のオークネフ・
カラスク文化人であると思います。ヒクソスの国境はクサエ、橋頭堡的国家にヤマハドがあります。

188名無しのひつじさん:2008/08/13(水) 17:58:27 ID:p7mjrdgY
>>186-187よりつづく

言いそびれたが、高夷すなわち、王族スキタイが諸族を動員し、
ドルメン建設を行ったのではないかということで、
この行動パターンはセファルジムユダヤ人の西欧における足跡と一致しています。

時代的には、エジプトにおけるイクナートン宗教改革、
スキタイより早くユダヤと言う概念はなかったと思われますが。

>朝日遺跡で発掘される鉄斧が沿海州沃沮・穢の輸出商品であることもわかってきた
                 ↑
この韓国中央東部、沃沮・穢文化の出土土器ですが「滑らかな表面の硬質破片となっている土器」と
いうことで、日本的にいえば須恵器となりましょうか。沿海州における鉄器製造技術の発達に付随して
土師器が須恵器となったってことかな。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/75/Korea_rivers.svg/524px-Korea_rivers.svg.png
ソウルの東は上からイムジン、プクハン、ナムハンという漢江の支流ですが、これに囲まれたところを
Chundoという極めて誤解を生む領域名で呼んでいる。これが沃沮穢と楽浪のコンタクトゾーンです。
半島中央東方地域とでも呼んだ方がいいようだ。

189名無しのひつじさん:2008/08/25(月) 12:05:12 ID:l6VTH9BU
古い日本文化や神道には明らかにユダヤの宗教や文化が含まれている
しかし、ユダヤ人やユダヤ教と言うのはかなり排他的(選民思想が強い)な民族であり宗教である。
キリスト教みたいに好んで布教してまわるものだと勘違いしている人も多いが
ユダヤの教義はユダヤ人にしか布教されないのが普通で、
それをわざわざ日本にまで布教しに行くなんて事はまず考えられない。
シルクロードを通じてビジネスで来ていたユダヤ人が来たついでに他民族に布教するなんて事も考え難い。
つまり、日本にユダヤの文化や宗教を持ち込んだのはユダヤ人と考えるのが妥当。
(神道とユダヤ教の風習・文化は非常に似通っている)
そして、天皇は神道の神主のトップであり、神道の守り手として少なくとも千数百年守り続けてきた一族で
日本にユダヤが来ていたとするなら真っ先に疑うべきなのは天皇家であるのは間違い無い。
更に、ユダヤ人だと言われる秦氏、最強の渡来人集団と言われる彼等があっさりと日本に取り込まれてるのも
天皇家と元々同族だったとするなら納得が行く。

中国の秦が滅んだときに日本にかなりの秦族が逃れてきたのだろう。
大陸では王朝が滅亡するとその側近や高官はみんな殺されるため
日本が一つの逃げ場になっていたみたいです。
だから日本にくる大陸人はわりと位の高い人々が多かったともいえる。

満足な船も気象予測も無い昔に
ユーラシアから北海道・千島経由して
南米の奥地までたどりついた人間の移動距離の凄さ考えたら
ユダヤ、イスラエルから日本に来た移動距離なんて
凄くもないし不思議でも何でも無い

190名無しのひつじさん:2008/08/25(月) 12:21:02 ID:l6VTH9BU
宮本長二郎・東京国立文化財研究所国際文化財保存修復協力センター長(建築学)の話。
縄文の高床建物のルーツは長江流域と考えるのが自然だろう。ただし、日本の高床建物は
祭祀(さいし)目的とみられ、住居など実用目的だった中国とは異なる。
http://inoues.net/ruins/sakuramachi.html

                             
『日本の歴史学会は「ミマニアン・ドキュメンツ」(任那日本府-公文書群)を研究せよ』
                                 
■『三国史記』編纂の資料として使われた『ミマニアン・ドキュメンツ』(M資料)
                                                                 
 高麗時代前期(1145年)に編纂された朝鮮最古の歴史書・『三国史記』は興味深い書物である。
この書は、半島側の資料として、『古記』、『海東古記』、『三韓古記』、『本国古記』、『新羅古記』、
金大問『高僧伝』、『花郎世記』などを第一次史料として引用したとされているが、
かつて半島南部を統治していた任那日本府(シラキ日本府)によって記録され、伝承されきた古文書、
いわゆる『任那日本府-公文書群』(ミマニアン・ドキュメンツ)も、資料として使われているようだ。
 シラキ(弁韓)を建国した稲飯命とその子孫に関する記録を、『朴氏』(日子氏[ボコ氏])の歴史として
記録しているのだ。
 捏造・創作も多く見受けられるが、白村江戦争後にワイ族によって焚書されたと思われていた
『任那日本府-公文書群』が、1145年まで残っていたという事実は驚きである。
 おそらく、日本書紀にその名が記されている『百済本記』、『百済記』、『百済新撰』なども、
『三国史記』編纂の際の資料として使われた『任那日本府-公文書群』の一部であろう。
 ミマニアン・ドキュメンツは『三国史記』が完成すると同時に焚書されており、現存しない。
しかし、『三国史記』の内容を、日本側の古文書や伝説・神話と照らし合わせながら分析することで、
ミマニアン・ドキュメンツの内容を、あるていど復元することは可能である。
 聖書学者が、さまざまな古文書や考古学資料を基にして、新約聖書-福音書の資料となった
『Q資料』の内容を解明しているように、日本の歴史学者も『古事記』、『日本書紀』、『新撰姓氏録』、
『風土記』、『三国史記』などの内容を調べることで、『M資料』の内容を解明できるであろう。

191名無しのひつじさん:2008/09/17(水) 11:20:28 ID:EgPR7ApI
YAP+を縄文人、YAP-を弥生人とするのは無理があるでしょう
我々は現在弥生語を話し、文化的にも弥生文化の後継者なのに
支配の結果がすぐに現れるY遺伝子で今のような比率になるわけがないです。

弥生人も別集団のYAP+と考え、YAP-を統一新羅過程での百済・高句麗難民の渡来人と考えると
しっくりくると思います

雲南のプミ族や、華南のチワン族にもYAP+の痕跡が残りますし
最近では弥生人の米が南方種であることが判明していますし
恐らく弥生人はチベットと同根の集団であろうと思います。

ここを見誤って考えると全ておかしくなってくると思いますが、
現代日本人の結果を見る限り、弥生人もYAP+と考える以外は無いと思います。

192名無しのひつじさん:2008/10/06(月) 09:03:17 ID:gaNiJ97c
 安来にクナト神の謎を解く鍵があるらしいが。

193『銅の蛇』:2008/10/09(木) 12:49:18 ID:taPIsFPg
『銅の蛇』

イスラエル人がエジプト脱出後、荒野を彷徨しいてた時、多数の民が蛇に噛まれ、死傷すると
いう事件があった。そこでモーセは、民を救うために、神の命令に従って「銅の蛇」を作り、
それを柱に取り付けた。蛇に噛まれた者がそれを見れば、その者は命拾いした(民数記21:9)。

この事件の後、この「銅の蛇」は、イスラエル人の中で保管された。
そして、後になってイスラエル人が堕落したとき、その「銅の蛇」は、偶像として崇拝されるよう
になった。それで、南ユダ王国のヒゼキア王は、前8世紀に、偶像崇拝を絶やすために、
その像を破壊した。聖書は、「ヒゼキア王は、かつてモーセが作った銅の蛇を粉々にした。
イスラエル人がそれに香を焚いていたからである」と記録している(列王下18:4)。
実は、この破壊よりも前の前722年に、イスラエルの十部族はアッシリアに流刑に処されている。
それで、十部族は流刑時にも、この「銅の蛇」崇拝の慣習を保持していたと思われる。

さて、大分県の猪群山の上にある神社では、40年前まで、ユニークな雨乞いの儀式が行なわれ
ていた。その雨乞い儀式では、まず、6本の木の幹が組まれて、ダビデの紋章の形の土台(祭壇)
が作られた。それから、その土台の上に、木の枝が積み重ねられて、塔が建てられた。そして、
その木の枝の塔のてっぺんに、蛇の抜け殻を絡ませた、垂直な棒が立てられた。人々は、その木
の枝の塔を燃やし、雨乞いの祈りを捧げた。また、その蛇に香を捧げ、超自然的な力を求めた。

日本の神社で崇められている神のいくつかは、蛇であるという。
ここには、古代イスラエルとの何らかの関係があるのではないか?
http://www5.ocn.ne.jp/~magi9/isracam3.htm

194石上:2008/10/13(月) 09:07:20 ID:gaNiJ97c
いま、薮田絃一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興されたとの説になっています。
 そうすると、がぜんあの有名な出雲の青銅器時代がおわり四隅突出墳丘墓が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と安来の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。

195名無しのひつじさん:2008/10/14(火) 13:42:37 ID:s2dcyQG2
さてちょっと面白いデータを。
 イザナギ神社(兵庫県淡路島) 北緯34度27分36秒(1秒=30,8m)
 葛城山(奈良県御所市)      34度27分22秒
 高松塚古墳(奈良県高市郡明日香村)34度27分44秒
 伊勢内宮             34度27分17秒

 玉造稲荷神社(大阪市)      34度40分29.11秒
 生駒山(大阪府)         34度40分42秒
 西大寺(奈良市)         34度41分36.99秒

 籠神社(京都府)      東経135度11分51秒(1秒=25m)
 生田神社(兵庫県神戸市)    135度11分26秒

 下鴨神社(京都市)       135度46分21秒
 八坂神社( 同 )       135度46分43秒
 伏見稲荷大社(京都市伏見区)  135度46分23秒
 西大寺(奈良市)        135度46分46秒
 那智本宮(和歌山県)      135度46分(秒以下は不明)

 偶然でしょうか?
それとも原始的な道具しかなかった1300〜500年前に、このよう
な正確な測量技術を持っていたのでしょうか?
役の小角の本拠地にしていた葛城山や生駒山は、古代のランドマークだ
ったのでしょうか。

古代の興味は尽きませんね。

196名無しのひつじさん:2008/10/14(火) 13:58:38 ID:7Zai7udM
    > チベットからの大集団の移動
    > 死海の東からシルクロードを通り抜けて集団の全てが日本へ


      ・  古代(現在)イスラエルの首都、【エルサレム】の緯度 : 「北緯 32度」
      ・  中華人民共和国チベットの首都、   【ラサ】の緯度 : 「北緯 39度」
      ・  神武東征の出発地、   【九州日向高千穂】の緯度 : 「北緯 32度」

    この「緯度の一致」は、偶然なのだろうか。

    それとも、「古代イスラエル」から、東へ東へと、理想の国「ヤマト」を目指した結果、
    途中、「チベット」を通過した際に、それらの民族と共に、「九州」に到達したのだと、
    そう考えた方が自然ではないのだろうか。

197名無しのひつじさん:2008/10/14(火) 14:05:16 ID:7Zai7udM
>>196のなか【ラサ】の緯度を訂正します。

      ・  古代(現在)イスラエルの首都、【エルサレム】の緯度 : 「北緯 32度」
      ・  中華人民共和国チベットの首都、   【ラサ】の緯度 : 「北緯 30度」 ← ここ訂正。
      ・  神武東征の出発地、   【九州日向高千穂】の緯度 : 「北緯 32度」

198名無しのひつじさん:2008/10/14(火) 18:05:42 ID:7Zai7udM
正確な測量技術

持っていたようです。
以前のNHKの番組で
そういうものの内容に触れていて
当時の手に入る簡単な道具
竹の棒とかさまざまなもので
ものすごく正確な「一直線」が
作れるそうです。

山越えとかの見通しの利かないところは
星の観測で出来るとか言ってました。

199名無しのひつじさん:2008/11/05(水) 23:23:24 ID:onKgLGRg
スサノオの息子の(オオ)トシがニギハヤヒであるという説は、
古代史的にはどの程度の信憑性がある?

200名無しのひつじさん:2008/11/05(水) 23:25:56 ID:onKgLGRg
天皇家の血統は何度も交代して今はアカの他人であるから
古代墳墓や古墳を調べるべきだな。
宮内庁が云と言わないのは、
明らかに都合が悪い事実が判明するからだと考えられる。

201名無しのひつじさん:2008/12/15(月) 17:25:52 ID:p7mjrdgY
>200のレスは無視してください

シアトルにある氏阿取瑠神社
伊勢神宮の近くにある椿神社が、
修行したアメリカ人を宮司とする分社を建てたんだ
        ↓
●Tsubaki Grand Shrine of America
http://www.tsubakishrine.com/home.html

202名無しのひつじさん:2008/12/15(月) 17:27:43 ID:p7mjrdgY
アメリカ椿大神社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%A4%BF%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E7%A4%BE

アメリカ椿大神社(アメリカつばきおおかみやしろ)は、
アメリカ合衆国ワシントン州にある神社である。
日本の椿大神社(つばきおおかみやしろ)の分社であり、
日本の椿大神社と同じく猿田彦大神を主祭神とする。

203名無しのひつじさん:2008/12/19(金) 11:43:20 ID:mbl4LTDo
天皇の誕生日祝日にしてから、日本の教会はクリスマスパーティーをしている。
いくら仲良しでも、その日に教会がイエスキリストの誕生日お祝いするの、アリかな〜?

204名無しのひつじさん:2009/01/05(月) 12:11:25 ID:s2dcyQG2
日本では日ユ同祖論は、ただのロマンとして語られ
知名度も低く、とんでも話として、嘲笑されることすらあるが

本国イスラエルと世界のユダヤ社会では
長期に渡り、詳細な調査活動が世界的に進められていてかなり有名な話になっている。

そして、現時点においては、消えた10支族が行った先は
日本しか考えられないという意見が圧倒的な多数を占めている

最近、イスラエルが日本に異様なほど好意を寄せているのはこの為であり
日本の文化風習(特に神道)が、ユダヤのそれに異様な程似ていること
世界の先進国の中で、ユダヤ人差別がない国は日本だけであることから
アメリカがあまり当てにならず
アメリカに見切りをつけ始めたユダヤ人達が
次の足場になる国家として日本を選んだのではないかと言われている。
(以前のレスの再紹介)

205名無しのひつじさん:2009/01/06(火) 10:34:42 ID:p7mjrdgY
★★★イスラエルの歴史
●BC2000頃
ヘブライ族の古バビロニア王国成立
その後、モーゼによる出エジプト(エクソダス)、約束の土地カナン、今のパレスチナへ
ダビデ、ソロモン王のイスラエル王国時代(12支族、エルサレム神殿)
●BC931 南北に分裂
●BC722
北イスラエル王国、アッシリアに捕囚(その後戻らず、消えた10支族、サマリア人として広く
ユーフラテス大陸全般に拡散?一部東進?)
●BC586
南ユダ王国、新バビロニア王国によるバビロン捕囚
アケメネス朝ペルシャによって解放、帰郷(一部戻らず、東進?)
ユダヤ教徒=ユダヤ人誕生、旧約聖書成立 ヘブライ、アラム語
●BC2世紀頃
古代のシルクロードのユダヤ系支配、中東、ペルシャ出身者の東進、華僑との交流
〜インド、開封あたりにまでユダヤ街を建設
●1世紀頃
イエス誕生、ユダヤ教の復古主義(反パリサイ派、反律法派、神秘主義カバラ)として弾圧、処刑
イスラエル、ローマに対して蜂起、敗北
イエス直系のエルサレム教団(12使徒トマスら、原始ユダヤキリスト教、セム系スファラディ)
シリア(大秦)ペルシャ方面に拡散、後の東方教会に影響。ヘブライ、アラム語
特にトマスはアッシリア、アルメニアを教国化した後、インド(一説にはチベット、中国まで)で
原始ユダヤキリスト教として布教。(後漢の光武帝に侵入したチベット族はイエス伝説を残してる)
同時に12使徒パウロのアンパティオ教団の中から非ユダヤ人への布教活動が開始、弾圧されつつも
西方ローマ支配地に拡散、後のローマ教会につながる *新約聖書成立コイネーギリシャ語
やがてエルサレム教団はヨルダン川東のギリシア人系都市ペラを最後に消えていく(シルクロード東進?)

206名無しのひつじさん:2009/01/06(火) 10:36:18 ID:p7mjrdgY
★★★イスラエルの歴史−天皇家・神道とのつながり
●2〜3世紀頃
弓月国(シルクロードほぼ中央、他に数十ヶ国乱立)東洋で最初の原始キリスト教国(エルサレム教団系)に
日本では卑弥呼の邪馬台国から三輪王朝の時代、やがて大乱、ニニギ(神武天皇)の東征?初期大和朝廷へ

●300年頃、秦氏の半島登場?
>>399(百済王家は辰王家。辰韓の所伝では、中国から秦人が逃げてきたので、馬韓が東方の地を割いて与えた
辰韓は秦韓と表記されていた。辰王は秦王)
秦氏が亡命する前後の中国大陸は、北側をチベット系の前秦のフケンが統治し、ペルシャ系、ツングース系
とか辺境多民族が混在する五湖十六国時代。同時にこの頃の中国は、すでに書聖王義之らが活躍する中世的オタク文化時代
---「後漢書東夷伝」では万里の長城の苦役にたえかねて中央アジアの 保護国から半島、日本に西域の民が集団で亡命
「魏誌東夷伝」では秦氏は背が高く、異国風の風俗で、身の回りを清潔にしていたらしい。

●350年頃(一説には220年頃)
応神天皇に呼ばれ弓月王(秦15世)が天山山脈のホータンあたりから一族120県を引き連れ、百済まできたが
新羅に邪魔されたので、任那まで葛城将軍(隼人系)他に助けに来てもらい渡来開始。頭満王とか先陣が帰朝(日本書紀)
*但し、実際は新羅系の瓦などが大量入植した秦氏根拠地からでるので、書紀記述は当時の政治的配慮で虚偽がある
(同盟の百済系というしかなかった。先祖が始皇帝というのも、同じ渡来人系の霊帝末裔を名乗る漢氏への対抗から)

●秦氏以降、応神、仁徳稜など前方後円墳が急に巨大化(最近半島でもやっと前方後円墳が見つかり始めた)
雄略天皇の時代に秦氏19万人、渡来系氏族だけでなく古代日本のなかで最大人口の氏族だった
秦氏は、各種の移民系種族の集合体で、王権が族長ウズマサ任命権をもって いた可能性大
他の氏族と異なる最大のポイントは、国造制、ミヤケ制の成立過程に王権直属の部族としてミツキの納府者として統括
され、クラの役職につき、その後の律令時代の大蔵省をになう経済官僚になる。
地方に入植した一族が土豪と融合したり、地元民を秦部に編成し、天皇制国家の成立根幹に関与?
古代には、物部、蘇我のように軍事的、政治的権力抗争をしない。
最大の組織 集団制をもつ、全国的な殖産、 市場重視の国家機能を寡黙に果たす。
製塩、銅、水銀、鉱産資源開発、治水灌漑土木、都市開 発、農業経営、養蚕、美術、宗教、財政、等実務的領域全般。
注目すべきことは、太子一族との関連でも有名なように上宮家財務 の責任者であるだけでなく、古来、秦氏の子供たち
からなる小子部(少年近衛兵、呪術、鎮魂を職務)をもち、隼人たち(大王近習、陵墓警護、朝義参加の習わしあり)を率いていた点。

207名無しのひつじさん:2009/01/06(火) 10:37:31 ID:p7mjrdgY
★★★イスラエルの歴史−天皇家・神道とのつながり>>205-206よりつづく
6世紀
●ウズマサ秦河勝、聖徳太子を補佐、上宮家財務の責任者、最初の遣随使の返礼で
隋書倭国伝「瀬戸内海沿岸に秦王国という中国語を話す人々からなる 地域(吉備)、さらに都はまさしく
秦そのもの(山城)のようだ」という記述あり
*ちなみに >>549
 >>秦氏=非漢族系他民族渡来集団
 >まず、このように断定(推測)できる理由がわかりません。どうして?
中華思想の漢族が、自らを秦氏だというはずがない。秦には西域、流浪とかの意味がある
8世紀まで大量移民してくる秦氏のなかに福音をもつ氏族がいてもおかしくないし、
当時の国際語だったアラム語、ヘブル語(イエスもアラム語を使用)が、漢字と同時期に大和朝廷に外交国際語として
流入していておかしくはないが...
蘇我の朝廷図書焚書事件で、表面的には消滅?

●784年
桓武(母方は百済系)+藤原種継(母方は秦氏)の計画で秦氏根拠地の山背(京都)に長岡京遷都、
その後種継は天武系シンパから暗殺されるが、藤原一族はこれを天武系
シンパ抹消に利用、保守派の万葉集の大伴家一族らも殺りく、天武系からもとの天智系に完全に戻す
(天武は天智と兄弟でなかった説がある、これで万世一系を再び確保?)
794 年、さらに秦氏に近い和気清麿(吉備の美作)らによる平安京遷都を強行、秦氏全国から人夫、資金提供

桓武+秦氏+和気清麿+藤原が1000年続く京都をつくる
秦氏については、伊勢神宮、八幡神社、お稲荷さん、山岳信仰、とか古い出雲系神社以外の多くの社建立に
関与、京都の開墾者として天皇家とも縁の深い松尾、上下賀茂神社、景教伝説のある広隆寺などを建立

そういう背景から、もっと中央の学者はまじめに秦氏を研究すべき
功績の割に評価も低いし、実態が見えてこないので、トンデモ説(上記もそうかもしれないがW)がはびこる

幕末に再び、秦氏系の幕府要人(勝海舟ら)、勤王土佐(長曽我部系の庄屋同盟、後の勤王党、海援隊、陸援隊)
隼人(秦人説もあり)末裔薩摩、渡来系長州らが盛り上がっているのも面白いしね
庄屋同盟では決起文に、「秦臣下」と書いていたはず...

208名無しのひつじさん:2009/02/12(木) 14:59:29 ID:p7mjrdgY
★Japanese are Jewish? Eng/Sub 日本とユダヤ
 http://jp.youtube.com/watch?v=00BP86cks4w
 http://jp.youtube.com/watch?v=4uVVrePl9e8
 http://jp.youtube.com/watch?v=xoowLHXVTvI

209名無しのひつじさん:2009/02/18(水) 13:37:26 ID:l6VTH9BU
古事記冒頭に記される、天地創造、時の始まりに存在する、
造化三神と呼ばれる天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神への言及は
古事記編纂時点までに、日本列島に神を父・御子・聖霊の三位一体と信ずる人々が渡来していたことに由来しているのでしょうか。

本伊勢、籠神社の81代当主の海部穀定宮司は昔、日本には一神教的信仰があったと述べています。
また、その神を呼ぶ際には様々な呼び名を用いていたと。

造化三神の高御産巣日神が天之御中主神の子であり、
天照大神が、元初の神でありつつ、人である、という考えは、
イエス・キリストを連想させます。

イエス・キリストへの信仰を持つ人々が何らかの理由で
まるで暗号のように彼らの信仰を別のものに偽装させつつ、
後世へと何かを伝えようと工夫した痕跡が、この日本に点在しているかのようです。


●元初の神の御子としての高御産巣日(タカミムスビ)の神
●大元霊神の御顕現神としての天照大神
●天照国照尊は、陰陽未分、五行発生に先き立つ大根本元神、元初の大神
●しかし、それらの神々は、究極は、大元霊神、元初の神の一元に帰着するのであって、
この究極の大神を、古事記は天御中主神と云い、書紀は国常立尊と云い、
神宮所伝では豊受大神と申し、神代本紀は、天譲日天狭霧国禅月国狭霧尊と申しているのである。
従って、これらの大元霊神は、勿論、異名同神であらせられる次第なのである。
●我国に於ては、記紀編纂の頃までに、既に、最高神の概念が、相当に変貌していたことが認められねばならぬ。
●日本の過去の神道に、相当古い時代から、大元神、大元霊神という字句が用いられている。
この大元神(大元霊神)は、一面、一神教の「神」に該当せられる御神格を有せられる。
現代的字句では、これを最高神とも呼んでいる。
■出典:海部穀定 「元初の最高神と大和朝廷の元始」

210名無しのひつじさん:2009/02/25(水) 16:43:18 ID:BC64fUCY
明治政府による全国の神社取り壊しにもかかわらず、
現在でも、スサノオ・出雲系は、80%にも上っているよ。
明治政府による神社神道弾圧で、
3万以上の氏子神社が失われたというけど、
この氏子神社というのは、天皇家とは殆ど関係がない。

>明治期の「宗教改革」では廃仏毀釈だけが有名であるが、
>この時代「神社統廃合令」もあった。
>明治39年の内務省通牒という一片の文書によって、
>日本全国の数万社が消滅した。

それでよかったのかもしれない。

211名無しのひつじさん:2009/03/25(水) 20:11:44 ID:p7mjrdgY
●大和民族の習慣と聖書(スライド)
 聖書は西洋の本だ、と思っていませんか。聖書は、本当は東洋の本 でもあります。
 今回は大和民族の習慣と聖書ついてのお話です。
          ↓
 http://www.youtube.com/watch?v=0-sxAAr1R7o&feature=channel

●大和民族の習慣と聖書(1/6)
 http://www.youtube.com/watch?v=eaOW1vu-1vE&feature=channel

●大和民族の習慣と聖書(2/6)
 http://www.youtube.com/watch?v=FV6l4NsCARI&feature=channel

●大和民族の習慣と聖書(3/6)
 http://www.youtube.com/watch?v=vLgwuWH7oNU&feature=channel

●大和民族の習慣と聖書(4/6)
 http://www.youtube.com/watch?v=D4NIj3DzQsk&feature=channel

●大和民族の習慣と聖書(5/6)
 http://www.youtube.com/watch?v=19XtqAqF1hI&feature=channel

●大和民族の習慣と聖書(6/6)
 http://www.youtube.com/watch?v=R21WJqxp_4k&feature=channel

212名無しのひつじさん:2009/04/13(月) 15:40:07 ID:l6VTH9BU
●失われた10部族(古代イスラエル)を調査しているアミシャブの見解
 10部族の大集団は、東方に向かってシルクロードを進み、その途中でときおり数グループの人々が、主流からはずれ定住していった。
 それらの人々が、今日アフガニスタン、パキスタン、カシミール、チベット、中国、その他に現存している10部族の人々であり、
 また南に向かって行き、タイ、ビルマ、インドに達した。そして本体は朝鮮を経由して日本に達したと思われる。(1993年9月エルサレム・ポスト)


>現在の日本の皇室の公式な紋章は十六菊花紋でありますが、日本の皇室に古くから伝わる紋章の
>一つに、獅子と一角獣の組み合わせの図柄があるようです。 この写真は、明治時代に来日した
>スコットランド人、ノーマン・マクレオド氏の本から抜き取った写真を以下に示していますが、
>旧皇居である京都御所の清涼殿にある天皇の座の前には、獅子と一角獣の像があったようです。
>(平凡社 世界百科事典)

http://ja.wikipedia.org/wiki/日ユ同祖論
>天皇の即位に用いられる高御座の台座にも獅子と一角獣(麒麟)と思われる絵が描かれている。
>平凡社の『大百科事典』や平凡社の『世界大百科事典』では、狛犬について、「平安時代には…
>清涼殿の御帳前や…獅子と狛犬が置かれ、口を開いたのを獅子として左に置き、口を閉じ頭に一角
>を持つものを狛犬として右に置いた」とあり、京都下鴨神社の左の狛犬には角があると記されて
>いる。『狛犬辞典』戎光祥社には、京都御所紫しい殿障子絵として同様のものが掲載されているほ
>か、八坂神社等の一角を持つ狛犬写真が多数掲載されている(ただし、下賀茂神社や八坂神社には
>秦一族の影響がありうる)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ユニコーン
一角獣を宮殿にまつると言うことは、ユダヤとのかかわりを意味する。

213名無しのひつじさん:2009/04/14(火) 18:49:46 ID:l6VTH9BU
●漢字に隠された聖書の物語(1/5)
 http://www.youtube.com/watch?v=wewi8LeJtug&feature=channel
●漢字に隠された聖書の物語(2/5)
 http://www.youtube.com/watch?v=BYZk9IvT3w4&feature=channel
●漢字に隠された聖書の物語(3/5)
 http://www.youtube.com/watch?v=Gtt6-_yLSDk&feature=channel
●漢字に隠された聖書の物語(4/5)
 http://www.youtube.com/watch?v=hxgDBFJQlY8&feature=channel
●漢字に隠された聖書の物語(5/5)
 http://www.youtube.com/watch?v=ACznYP1aegQ&feature=related

214名無しのひつじさん:2009/04/16(木) 17:34:08 ID:s2dcyQG2
●古事記の神話と聖書(1/6)   
 http://www.youtube.com/watch?v=F9P56WAtp6I&feature=channel
●古事記の神話と聖書(2/6)
 http://www.youtube.com/watch?v=32gTQs4xmBc&feature=channel
●古事記の神話と聖書(3/6)
 http://www.youtube.com/watch?v=peGByKlZGuA&feature=channel
●古事記の神話と聖書(4/6)
 http://www.youtube.com/watch?v=rU8B79LqXuc&feature=channel
●古事記の神話と聖書(5/6)
 http://www.youtube.com/watch?v=SyTAZNDW8dc&feature=channel
●古事記の神話と聖書(6/6)
 http://www.youtube.com/watch?v=PYER9szC2Bo&feature=channel

215名無しのひつじさん:2009/10/07(水) 13:29:35 ID:p7mjrdgY
★アジア・メシアニック・フォーラム2009
 http://www.am-forum.jp/fourum_jp.html
 http://www.christiantoday.co.jp/main/mission-news-1154.html

 イスラエルから3人のメシアニック運動指導者が同時
 に来日。日本を代表するキリスト教界の指導者も応答
 メッセージを語る画期的な集会です!
 韓国、シンガポール、タイからもイスラエル関連ミニ
 ストリー代表者が参加予定(東京)。

 講師:(敬称略)
  エイタン・シシコフ/ピーター・ツカヒラ/ヨセフ・
  シュラム/アリエル・ブルーメンソール/奥山実/
  田中時雄/チャールズ・クリンゲンスミス/
  中川健一/眞鍋孝/行澤一人

 大阪:10月19日(月)〜20日(火)
   大阪コロナホテル  JR新大阪駅すぐ
 東京:10月22日(木)〜23日(金)
   ウェスレアン・ホーリネス淀橋教会 
       JR大久保駅/新大久保駅下車

 主催:シオンとの架け橋
 90以上の教団・神学校・教会・団体などが開催協力、
 大阪会場はCGN−TVが撮影予定。

 ★10月10・11日のハーベストタイムで、大会の
  ビジョンが紹介されることになりました。
  http://www.harvesttime.tv/tvprogram.htm
          「シオンとの架け橋・イスラエルニュース」より

216名無しのひつじさん:2009/10/12(月) 11:13:14 ID:p7mjrdgY
神社新報22版 平成13年2月1日発行
神社本庁調査部 長岡田米夫氏
「大ハライ詞の解釈と信仰」の中で
古事記の天照大神の神隠れと復活に関して
「天照大神をイエスに、そしてスサノオノミコトをユダヤ人に置き換えたら、
この文の伝えようとしていることは、聖書に記されているイエスが十字架にかかった事の意味と全く同じ」

217名無しのひつじさん:2009/10/12(月) 11:39:59 ID:p7mjrdgY
大避(おおさけ)神社や籠(この)神社(元伊勢)の宮司が
我が社の祀神はイスラエルの神だとか言ってる

海部氏は「勘注系図」「先代旧事本紀」「熱田太神宮縁起」等の古文書からしても、物部の中核を担った氏族だからね。
おまけに今の伊勢外宮の豊受(等由気、登由宇気)大神宮があった神社だからね。

昭和26年に淡路島洲本の温泉旅館四州園の敷地内で、女陰を象った祭祀遺跡を覆っていた石蓋にエフライムの用いるシンボルが刻まれているのが発見され、ユダヤ教のT.ローゼン大司祭がエフライムのものと認定した。
淡路島にはこの様な遺跡が他にもあるらしいので調べてみます。

古事記の国生みは、オノコロ島、淡路島、四国、、、の順で淡路島には伊弉諾神宮もある。徳島は天皇祭祀を掌る忌部氏の本拠地だし、徳島県の遺跡は再度調べる価値があると思う。

218名無しのひつじさん:2009/10/12(月) 11:43:26 ID:p7mjrdgY
↓千葉県千葉市の人形塚古墳から発掘された「あご髭をたくわえた埴輪」
http://fukuhen.lammfromm.jp/images/070604haniwa.html

A tattooed 埴輪Haniwa statue, 4th-6th century, Kamiyasaku Tomb, 福島Fukushima Prefecture.
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0d/Haniwa1.jpg

出雲大社の大国主
http://billys-log.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/04/11/20080411_001_2.jpg

☆籠神社の絵馬
http://f.hatena.ne.jp/ashetora/20061022160426

☆籠神社の六芒星
あと、伊雑宮の裏紋とか、出雲系古社(籠神社もだ)の裏紋は
六芒星(ダビデ・麻マーク)とか、菊紋の両方あったりする。
あと、メノラーも。

219名無しのひつじさん:2009/10/12(月) 11:45:02 ID:p7mjrdgY
勾玉のネックレス 大国主 勾玉の形はへブ文字の神を表す「ヨッド」の頭文字か?
籠神社奥宮・眞名井神社石碑 騒がれたためか、現在は別のものに変えられている。
http://millnm.8m.com/phileo/

科学的調査による裏づけ
頭長幅指数分布による 小浜基次による (調査:1949〜1953年)
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7722.html

Y染色体DNAタイプ 確認されるのは、高率でみられるのは中東と日本だけである 
http://maokapostamt.img.jugem.jp/20071222_71589.jpg

☆ヘブライ文字と日本語のカタカナ
http://blogs.yahoo.co.jp/timothy3005/3457859.html

☆石上神宮 本殿の前の門と門の提灯 石上神宮は出雲神を祀った、物部氏の社である
16枚の菊の花弁
http://yujiwww.web.infoseek.co.jp/h-ny1.htm

220名無しのひつじさん:2009/10/12(月) 12:02:40 ID:p7mjrdgY
http://image26.bannch.com/bbs/350767/img/0146139765.JPG
ユダヤ幕屋、日本の神社、神社の原型である古墳を比較。

中央アジアキルギスタン人
http://english.people.com.cn/200507/12/images/0711_D25.jpg
もはや日本人と何も変らん

法隆寺の香木(650年頃)にはパフラビー文字(中世ペルシャ語)とソグド語の文字が刻印されている
その頃にはペルシャ人達阿(ダラア)や王女舎衞(サエイ)などが同族ヤマト人に国の救援を求めて
飛鳥へやってきている。さらにトカラ人(アフガンの北)が飛鳥へ漂流してきた

221名無しのひつじさん:2009/10/12(月) 12:17:47 ID:p7mjrdgY
秦氏の出身地キルギス・カザフスタン説があるんだな
この人達が原始キリスト教=ユダヤ教徒ナザレ派だっけ?

秦氏の特徴としては…

背が高く衣服や身の回りを清潔にする
特別な言語や風習を持つ
異国風の風俗
王は馬に乗り、高い文化を持つ
(魏志東夷伝)

丹後の篭神社(家系図は天皇家より古く唯一の国宝、所蔵の鏡は前漢のもので日本最古で国宝)の
前当主の海部氏が古代に関して色々述べていらしゃる。因みに家系図には卑弥呼の名前もあるよ。

222名無しのひつじさん:2009/10/21(水) 13:19:22 ID:akX3USsw
●403 日本の神名に隠されたイエス・キリスト
 http://www.geocities.jp/cavazion/es403.html

●404 稲荷=INRI=ヤハウェ
 http://www.geocities.jp/cavazion/es404.html

223名無しのひつじさん:2009/10/21(水) 14:34:57 ID:akX3USsw
アラム文字(紀元前6世紀〜)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%A0%E6%96%87%E5%AD%97

ソグド語 ソグド文字
ソグド語は中央アジアにおける交易言語であり、中国人商人とイラン人商人との間の共通語でもあった。
法隆寺で見つかった650年頃のものと思われる香木に、ソグド文字が書かれていた例がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%B0%E3%83%89%E8%AA%9E
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%B0%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%8A

平仮名・片仮名(9世紀〜)

ウイグル文字(9世紀〜)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%AB%E6%96%87%E5%AD%97

モンゴル文字(1208年〜)
1204年にチンギス・ハーンがナイマン王国を攻略したとき、捕虜となったナイマンの宰相で
ウイグル人であったタタトゥンガ(塔塔統阿)という人物がチンギスの詰問に答えて国璽と
文字の効用を説いたことによりry
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E6%96%87%E5%AD%97


ソグド人
商業を得意とし、あまり定住にこだわらず、シルクロード周辺域で多様な経済活動を行った。
近年の研究では、シルクロードを経済的に支配していたと言われている。

ソグド文字を利用し、宗教的にはゾロアスター教、のちに一部がマニ教を信奉して、東方の
イラン系精神文化を中国にもたらした。その活動範囲は東ローマ帝国から唐の長安にまで及んだが、
イスラム勢力の台頭によりイスラム化が進み、12世紀にはその民族的特色は失われた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%B0%E3%83%89%E4%BA%BA

アラム語と言うか、ソグド文字として日本に伝わって来た可能性はあるかもな。
そう言えば、シルクロードを支配していたのはユダヤ人じゃ無かったの?

224名無しのひつじさん:2009/11/04(水) 16:41:25 ID:K7XOtFjk
・生後30日目に赤ちゃんを神社に詣でるお宮参りの風習は、日本とユダヤだけ

・古代のユダヤ人は黒髪と黒目で褐色肌。しかも背が低い。古代日本人と似ている

・パリ大学の教授が調べたところ、日本人とオリエンタル・ユダヤ人の男性Y染色体の大きさが同じ。
こんなこと今までなかったらしい

・ユダヤ人の男の子は、13歳で成人を迎える儀式をする。日本も昔は13歳で元服していた

・日本語とヘブライ語で似たような単語がいっぱいある

・日本の神社と古代へブラムの神殿の構造がソックリ!両方とも賽銭箱がある

・日本もユダヤも塩がお清めに使われる。塩を大事にしている

まだ共通点はいっぱいある

225プロテスタント福音主義福音派−キリスト教正統信仰者:2010/05/14(金) 16:09:55 ID:???

この掲示板は荒らしがひどいので福音派スレッドを順次以下の掲示板に移動させています。
「でちゅ☆ぺぬえる−プロテスタント福音主義福音派」によるレスポンスも移動しています。
           ↓
●Evangelical 福音主義 福音派 キリスト教掲示板
 http://jbbs.livedoor.jp/study/3405/Evangelical.html

226名無しのひつじさん:2010/06/22(火) 04:22:16 ID:4fXZJ5l6
いざなぎ、多賀大社、全国各地の車戸神社や車戸村を調べてみると面白いです。
いざなぎの直系のが車戸さん達のようです。

227乱夢:2010/08/05(木) 12:47:02 ID:0pY9Cmps
新しくブログを始めました。預言と予言の研究をしています。訪問歓迎です。 http://ranmu2007tengatenmei.blog102.fc2.com/

228古代イスラエルの民:2010/09/18(土) 12:01:16 ID:8LBZmzcA
古代にイスラエルよりの失われた10部族の本隊が、日本の九州地方に上陸し、九州を拠点にして、神武東征のたびに出たのは事実です。

229名無しのひつじさん:2010/11/14(日) 13:22:57 ID:P8RB19aA
"Then I was given a measuring stick"

h5t3tt4242
livejournal
com

230kokoro:2011/08/21(日) 03:24:56 ID:Oolu7qqg
世の中には簡単で儲かる仕事があるもんだ(・_・)。 http://tinyurl.k2i.me/Afjh

231saorin:2011/09/03(土) 02:35:30 ID:MlXwdC0Q0
不景気だと騒がれていますが・・・(*・ω・)。 http://tinyurl.k2i.me/Xxso

232名無しのひつじさん:2011/09/09(金) 22:45:40 ID:JmBTexnM0
 ロスチャイルドが神道をコントロールするため新たな使者
多羅尾氏を山陰に送り込んできたようだ。

233名無しのひつじさん:2012/03/19(月) 20:12:02 ID:qBIA0KAQO
でちゅさん正統信仰キリスト教プロテスタント福音派を応援します!

234名無しのひつじさん:2012/07/05(木) 15:56:05 ID:w.lQQuxc0
キリスト教は卑劣にも実行した誣告・拷問・自白は、人間関係の核になる家族の絆(きずな)もズタズタに切り裂いた。被告たちは拷問に負けて、心にもなく互いに告発し合い、偽証した。虚構をめぐって互いに応酬し合う凄惨(せいさん)な人間劇となった。拷問にあえぐ彼女は、自殺する薬を送る様に家族に頼んだが、また、夫は妻の潔白を何度も訴えたが、キリスト教は彼女を火刑によって焼いてしまった。幼い子供からも証言を取ろうとした。学校でも、司教と教師が一体となって調べられた。7歳の少女が学校で遊んでいて口をすべらせた。「私は天気を変える事が出来るの。これはおばあちゃんから教わったの」。ここから悲惨な事件が始まった。これを聞いた女教師と司祭は、その子から「話せば金貨をあげる」と言って詳しく聞こうとした。子供は、しゃべるとうちの人からぶたれると言って抵抗したが、「小刀を壁に刺したら壁から乳が出たという様な事をしゃべった。小さい子供の証言は証拠として採用できないが、子供の祖母はそれを信じているに違いないという理由で逮捕された。また、魔力の込められたバターパンを少女が学校に持参して、それを食べた友達二人が病気になり、一人が死んだ。少女の自白で母親と姉二人が呪術を行なったことが判明したとされ、母親は否認したが、拷問に耐えきれず、魔女の術を堆肥で実践していたことを自白し、火炙りになった。せいぜい、「収穫が一杯ありますように」と、堆肥を前に祈ったくらいのことであったのであろうが、キリスト教はこの農家の婦人を卑劣にも焼き殺してしまった。

249日本式キリスト系仏教徒:2014/02/04(火) 12:08:33 ID:Su6HJrrM0
>“スバルの跡をたどれば、本当にシュメールの昔にまで行き着く”こと
>を論証したのである」という内容の論文だった。

「スバル」と「シュメール」、「スメラ」は同じです。
かなり昔「シュメールとシュメルは異なる」などということをおっしゃった日本の
専門学者さんが居たとのことですが、専門家が視野が狭い一例でしょう。

「Ba」という発音と「Ma」という発音は相互に混同されます。
たとえば中国語で馬は「ま」とよみますが、日本では「ば」です。

「スバル」はSuBaRuですが、BをMと入れ換えると、SuMaRuとなります。

日本人の祖先が古代イスラエルの人々であったのはほとんど疑問が無いが、
その前のシュメールが本当に直系でつながっているかどうか、という点は
現在のところ、あやふやすぎる、と感じている。
もちろん同じ地域の民族であるので、文化的には完全に影響を受けているが、
狭い意味での人種的に同じかどうか、さらなる研究が進むことを期待している。

(たまたま通りかかっただけなので、時間が無く、20分くらいしか読んでいないので、
もし流れに乗れていないのならお詫びします。)

250日本式キリスト系仏教徒:2014/02/04(火) 12:23:37 ID:Su6HJrrM0
同様にサマリア「SaMaRia」もスバルと同語源と思います。

>天皇の公式名「スメラ・ミコト」は、古代ヘブライ語アラム方言で
「サマリアの大王」を意味し、初代神武天皇の
 正式名 「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」は、「サマリアの大王・神のヘブライ民族の高尚な創設者」という
 意味になっているという。「サマリア」とは北イスラエル王国の首都である。


ちなみにARaMu語のアラムとARaBu語のアラブとも関係が深い、と考えますが、
一般にはどう思われているのでしょうか?

251日本式キリスト系仏教徒:2014/02/04(火) 12:26:23 ID:Su6HJrrM0
最後のところは、「アラムとアラブは単語の意味として関係が深いのではないか?」という意味です。

252五十嵐しょんべん:2014/03/27(木) 09:03:29 ID:2F313GQc0
そうでもないよ。

253名無しのひつじさん:2014/05/29(木) 16:40:03 ID:0kwTD1nU0
8 名前: あんちゃん 投稿日: 01/10/06 17:53
入学資格は、
1.聖書を学び、キリストの救いを求道しようとする方 2.キリストを自分の救い主と信じ、告白している方
3.宣教のわざに、積極的に参加しようとする意欲のある方
入学手続きのさいに、所属教会の牧師の推薦状、承諾は必要です。
基本的にはバプテスマを受けた信者の方なら誰でも受け入れるとのことです。
9 名前: あんちゃん 投稿日: 01/10/06 17:55
所属教団別教団数(卒業生・修了生のみ)
 1.単立 2.日本基督教団
 3.日本バプテスト連盟  4.日本福音キリスト教会連合
 5.日本ホーリネス教団  6.日本同盟基督教団
 7.日本アッセンブリーズオブゴッド教団  8.日本ナザレン教団
 9.イマヌエル綜合伝道団 10.日本福音教会
11.聖書キリスト教会 他、全入学者の内訳として、
日本イエスキリスト教団、日本バプテスト同盟、
日本福音自由教会、日本カトリック教会、沖縄バプテスト連盟、
基督兄弟団、保守バプテスト同盟、日本聖契キリスト教団、
などに所属される方々が学ばれてきてるようです。
10 名前: でちゅ 投稿日: 01/10/06 17:56
あんちゃん、僕たちが通っている教会・教団もはいってるでちゅね。
50 名前:名無しさん@3周年 投稿日:03/04/11 17:16
12 名前: あんちゃん 投稿日: 01/10/06 18:03
召命の確信を抱き真摯な献身の思いに心燃え立たせている方へ。
当神学校は東京都区内に所在します。

254名無しのひつじさん:2014/09/14(日) 13:14:07 ID:lGThkas.0
バカじゃねーの?
こんなのシオニスト筋の流してるプロパガンダ

連中は韓国でも、韓国人は失われた支族!とやってるし
東南アジアでも○○族は失われた支族!とやってるよ。

日本の神話、伝統をユダヤ史に組み込もうという悪辣な試みです


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