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■■神道とキリスト教のつながりについて

1名無しのひつじさん:2007/03/26(月) 12:04:50 ID:SqTZSP6I
★天皇陛下の叔父にあたる方が、正統なキリスト教信仰を継承する、
 プロテスタント福音主義−「福音派」教団の牧師先生をされています。
★その天皇陛下の叔父にあたる牧師先生のお話の一部抜粋
               ↓ 
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1173947639/7-10

★ラビ・アビハイル著作『イスラエルの失われた、また離散した部族たち』より
                 ↓
「日本人が失われたイスラエル10支族と関係があるかもしれないと、
ユダヤ人に思わせる理由のひとつは、日本神道の神社と、そこでの儀式である。
神道は日本全国に広がっている宗教で、興味深い独特の特徴がある。
その特徴は、ほかのどの民族にも見られないもので、ただユダヤの古代神殿にのみ見られたものである。」

★国際科学振興財団TRACE研究プロジェクト幹事・今井弥生氏は、ルベン・アルカレイ編
『ヘブル・英語大辞典』(Reuben Alcalay“The Complete Hebrew-English Dictionary")で、
学んだことをもとに、ヘブル語と日本語の類似性に関する膨大なリストを公表している。
そして、その中でこう述べている。
             ↓
「日本語の中心にあるヤマト言葉は主として、ヘブライ語の単語により、
ウラル・アルタイ系(古代朝鮮語やツングース系)の語順に当てはめて形成されている。」
(『日本語の起源に関する調査研究報告書』国際科学振興財団内、日本語の起源研究会発行)

★「彼らは異教徒の群れから離れ、人類がいまだかって住んだことのない土地へ行き、
自国では守ることの出来なかった規則をせめて守るようにとの計画を、
お互いに持ち合って、さらに遠い国へ進んだ。。。。」『エズラ第四書』第13章から

★「やがて終末の日には、神のうわさを聞いたこともなく、その栄光を見たこともない遠くの「島々」の国が、
神の栄光を諸国の民に語り告げるようになる」『イザヤ書』第66章19節
★「あなたの家とあなたの王国とは、私の前にとこしえまでも続き、
あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」『サムエル記Ⅱ』第7章16節  ■以下>>1-3のレスリスト集へ■

2名無しのひつじさん:2007/03/26(月) 12:05:53 ID:SqTZSP6I
僕ちゃんたちのお国の王家の方々にちゅいての、
さまざまなお考えを、キリスト教信仰者の立場から、
いろいろな方々が述べてくだちゃっていまちゅ。
どなたかが整理してくだちゃっているようでちゅので、
よろちかったら、みなちゃまもどうじょお読みくだちゃい。
書かれてある内容にちゅいては各自、ご自分の責任においてご判断くだちゃいね。

★AD20061105-06064-00064 神道とキリスト教の関わり パート1
  http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1109041772/764-768
★AD20061202-06066-00066 神道とキリスト教の関わり パート2
  http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1109041772/790-804
★AD20061203-06067-00067 神道とキリスト教の関わり パート3
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1109041772/819-827
★AD20061204-06068-00068 神道とキリスト教の関わり パート4
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1109041772/828-831
★AD20061205-06069-00069 神道とキリスト教の関わり パート5
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1109041772/839-845
★AD20070101-07001-00072 神道とキリスト教の関わり パート6
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1109041772/860-881
★AD20070102-07002-00073 神道とキリスト教の関わり パート7
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1109041772/883-884
★AD20070103-07003-00074 神道とキリスト教の関わり パート8
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1109041772/886-893
★AD20070103-07003-00074 神道とキリスト教の関わり パート8
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1109041772/922-949
★AD20070103-07003-00074 神道とキリスト教の関わり パート9
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1109041772/951-953
★AD20070103-07003-00074 神道とキリスト教の関わり パート10
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1109041772/959-960

3名無しのひつじさん:2007/03/26(月) 12:09:43 ID:SqTZSP6I
>>1-2よりつづく

★AD20070103-07003-00075 神道とキリスト教の関わり パート11
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1109041772/972-976
★AD20070103-07003-00075 神道とキリスト教の関わり パート12
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1109041772/979-987
★AD20070103-07003-00075 神道とキリスト教の関わり パート13
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1109041772/989-991

僕ちゃんたちのお国の王家の方々が、この日本というお国を愛し、
僕ちゃんたち国民とともに、歩んでくだちゃっていることを、
神ちゃまに感謝して、お祈りをおささげしたいと思いまちゅ。アーメンでちゅ。

4名無しのひつじさん:2007/03/26(月) 12:23:58 ID:SqTZSP6I
★アルバート・アインシュタイン(大正十二年)

「近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。
 一系の天皇を戴いている事が今日の日本をあらしめたのである。
 私はこのような尊い国が世界に一ヶ所位なくてはならないと考えていた。
 世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて、最後の争いに疲れる時が来る。
 その時人類は、まことの平和を求めて、世界的な盟主をあげなければならない。
 この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、
 あらゆる国の歴史をも抜き超えた、最も古く、又、尊い家柄でなくてはならぬ。
 世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。
 それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
 我々は神に感謝する。我々に日本という、尊い国をつくって置いてくれた事を・・・」

5名無しのひつじさん:2007/03/27(火) 09:18:16 ID:sYito2/w
――スメラ・ミコトはヘブライ語

われわれはイスラエルの帰らざる十部族の探索を「アッシリアの王は、
ついにサマリアを取り、イスラエルの民を捕らえていった」という旧約聖書の一節から始めた。
それは紀元前七二二年のことであり、紀元一世紀の終わり頃、
ヨセフス・フラヴィウスが「十部族は今もユーフラテスの彼方におり……」
と書いた短い証言を除いては、彼らに関する消息は何もない。 
しかしサマリアの民が追放されて一四世紀も経ってから、
日本の天皇の公式名は、すべて『スメラ・ミコト』であるということが知れた。 
日本語では満足に説明しかねるこの照合は、
古代ヘブライ語の一方言では「サマリアの陛下」と解釈することができる。
ということは、もしや日本の諸天皇はサマリア王家の子孫であったことにならないだろうか。

――ヤマトとは何なのか

日本書紀はいつ古代日本人が大和の代わりに日本という名前を用いたのか、その転換期を明示していない。
だが初期天皇たちとヘブライ王の類似性から判断して、「大和」という名の持つ意味は、
主に「出生の地」に定着していた日本人のはるか古き時代と解釈していいようだ。
その点に関しては三つの手がかりがある。 ……。(中略)
第二の手がかりは、日本書紀で述べる日本国の初期の描写は、
日本の島々に関連したものではない可能性があり、
「ヤマト」という名自体の出所並びに意味の解明に当たらねばならない。
古代ヘブライ人も同じであるが彼ら自身を「神の民」と称し、
古代日本人も、「天つ神の子」もしくは単に「ヤマトの民」と名乗った。
日本の言い伝えによれば「ヤマト」という名は創造の初期に国につけられたものであるが、
「ヤマト」という言葉は、今の日本では何の意味もない。
これに反して、ヘブライ系アラム方言で「ヤ・ウマト」という二つの言葉は、
数世紀の間には「ヤマト」と縮まったかもしれないが、
古代ヘブライ人の象徴「神の民」という意味を持つ。

6名無しのひつじさん:2007/03/27(火) 09:20:23 ID:sYito2/w
籠目紋=ダビデの星に隠された秘密とは?

「 わらべ唄の解釈 」
次いでながら、わらべ唄の「かごめかごめ」は、「メシア」が到来することを予言した唄だと言われています。
日本の童謡は素朴な中にも、偉大な真理と予言が秘められており、子々孫々に伝えられてきました。
偉大な真理と言うものは、物質的な文書にして残すよりも、内容を書き替えられることなく、
口伝えによって子々孫々、末代まで伝えることが一番有効な手法であるらしい。

>かごめかごめ かごの中の鳥は いついつ出やる
>夜明けの晩に ツルとカメがすべった 後ろの正面だあれ?

「かごの中の鳥」とは、かごは籠、つまり竹の下に龍が隠されている「封印されている」と言う意味
「ツルとカメがすべった」とは、ツルは空の、カメは地の生き物を代表しており、
天地の和合を意味している。すべるとは「統べる」のことで陰陽の統合・極性の和解を意味している。
ツルはで日本、カメは六芒星でイスラエルを象徴しており、日本とイスラエルが同盟を結ぶことを意味する解釈もある。
更に「鶴=霊」と「亀=物質」が統べるとは、天と地(神と人)の和合を意味するのだろうか?

「後ろの正面だあれ?」とは、誰と言っていると言う事は特定の人を意識しているらしい。
それは自分の背後にあって見えないもの、そして自分の正面を見つめることによって明らかになるものを示唆している。
高次元の自己に目覚めた人々が新世紀に光を放つのだろうか?
そもそも「かごめかごめ」はイスラエル12支族のエフライム族の子守歌であるとも言われる。
旧約聖書にはイスラエル12支族が幕屋を中心に宿営する場合の場所が定められており、
ユダ族とエフライム族は中央のレビ族を挟んで対象の位置にある。
正面をユダ族とすれば、後ろの正面はエフライム族と言うことになり、ある一説によれば、日本人はエフライム族の末裔であり、
世紀末において、日本から世界を変える流れを作る者が出現すると言うことである。
日本はある特殊な霊的磁場を有している国であり、日本人には神から課された重大な使命がある、と主張する神道家や研究者が多い。

7名無しのひつじさん:2007/03/27(火) 09:31:59 ID:sYito2/w
http://www.saturn.dti.ne.jp/~ttshk/newpage16.htm
      ↑
面白いページ見つけたw
ヘフジバ(天照大神)、ツァクヤム(月読尊)、スサナウェ(素戔嗚尊)

秦始皇帝の抽象画・絵などの服装って、ユダヤ教司祭の服装と似てんだな。

遊牧民であった・誰彼構わず処刑していた・他民族を根絶やす事も平気であった・
このような文書読むかぎりにはヘブライ人って様相ですね?
ようは、その流れが日本に在るか、又わ、もっと古代の南下亜細亜が黒潮に乗って来たか? て論点なのかな?

ユダヤ人が一神教というのが間違い。

ユダヤはあるとき、北イスラエルと南ユダに分かれた。
北イスラエルでは多神教的世界観を持っていたんだよ。
そして、北イスラエルが攻め滅ぼされて、世界に散った。
だから多神教信仰であるのは全く矛盾しない。

多くの人がユダヤ人の特徴と思っていることの大半は、
南ユダ国特有の風習ですね。
日本の風習は間違いなく古いユダヤの風習に似ています。
これがなぜなのかは、わかりません。単なる偶然かもしれません。
しかし似ていることは間違いありません。

★ユダヤ人が日本人に謝っています。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe800.html

8名無しのひつじさん:2007/03/27(火) 09:54:28 ID:sYito2/w
昔、バブルの時代多くの出稼ぎイラン人が日本に働きにきたと思うけど、NHKの日曜のど自慢に人のよ
さそうな出演していて、その人、なんか演歌を歌ったんだけど「私は、日本の演歌は大好きです。
日本の演歌はこぶしが多くて、コーランに似てるでしょ。だから、懐かしい感じがする。
ホームシックにならないよう毎日家で演歌を練習して楽しんでいるんです」みたいなことを笑顔でしゃべってた。
民謡(ながもち唄)なんかも、メロディーがなければコーランみたい。
「こぶし」で歌い上げるっていうのは中東文化と似ている部分だと思います。

雅楽とか日本の古典音楽・芸能は、
中国の宮廷音楽+東南アジアの音楽+中東地域の音楽の混合だよ。
だから楽器やメロディ、リズムには中東に近いものがある。
中東の人々が演歌に引かれるように、日本人も中東の音楽にシンパシーを感じるだろう。
あの久保田早紀の「異邦人」が大ヒットしたのも、その辺に関係があると思う。

盆踊りの歌も、その類だよな。青森に伝わるナニャドラヤなんて、今でも歌詞が意味不明だし。
その歌詞をヘブライ語に置き換えるとこう成る。
           ↓
「ナニャドラヤ・ナニャドナサレノ・ナニャドラヤ・・・・・」
『お前の聖名を誉め讃えん・お前に毛人を掃討して・お前の聖名を誉め讃えん・・・・・』

ユダヤ人の子孫は世界中どこにでもいるよ。商人だからね、世界中どこにで行くのさ。

なんとびっくり遺伝子レベルでも非常に似ているという結果らしい!
y染色体の大きさが日本人とjewは一緒なんだってよ。以下原文。

Professor Tanemoto Furuhata, who is the authority on forensic medicine
at Tokyo University wrote in his book that surprisingly, the blood
types of the Japanese and the Jews are very similar. I also heard
that a professor at Paris University had discovered that
the "Y" chromosome of the Japanese is the same size as that of
the Jews. I expect that further research will be done by many individuals.

9名無しのひつじさん:2007/03/27(火) 09:55:35 ID:sYito2/w
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1423770
B型の大陸をすり抜けてやってきた、A型の原日本人

日本・・・・A(38.2) O(30.5) B(21.9) AB(9.4)
朝鮮・・・・A(31.5) O(27.7) B(30.7) AB(10.0)

日本はA、O、B、ABの順に多く、比率は「4:3:2:1」である。
一方、朝鮮の場合は、「3:3:3:1」となり、A・O・Bがほぼ同比率である。
日本と比べて、B型が多くなっている。

先住民のA遺伝子頻度図(ムーラント1976)
http://blog.mypress.jp/imagew/hirosan/MapBloodA.jpg

先住民のB遺伝子頻度図(ムーラント1976)
http://blog.mypress.jp/imagew/hirosan/MapBloodB.jpg

先住民のO遺伝子頻度図(ムーラント1976)
http://blog.mypress.jp/imagew/hirosan/MapBloodO.jpg

日本人の起源を遺伝子から探る:「約半々であった縄文人と弥生人」
チベット→呉(中国)→倭(九州)という流れ
http://blog.mypress.jp/imagew/hirosan/MitcondoriaD.jpg

http://judea.naritacity.com/journal_japan_050715.asp
日本とユダヤのハーモニー 〜日本語のルーツ

10名無しのひつじさん:2007/03/27(火) 09:58:43 ID:sYito2/w
聖書 レビ記
「あなた方はびん(もみあげ)の毛を短く切ってはならない。
あなたはあごひげの端を損なってはならない。 」
          ↓
もみあげを長く巻き毛にして垂らすユダヤ人
http://www.holidayinisrael.com/UserFiles/Wall,%20Western%20Wall3B.gif
          ↓
San Fransisco art museum 4世紀の日本の埴輪
http://www.thymos.com/monument/museums/aa105.jpg

■■シュメール→ヒッタイト→日本人でした?
Hara:mのHP エジプトの神話
●ウジャト…完全・修復・守護 人の目を模った隼(ホルス神)の目。
左目は月の象徴でホルス神を顕し、右目は太陽で太陽神ラーを顕す…。
http://www.kcat.zaq.ne.jp/choi/page015.html

神産み-Wikipedia 1あらすじ 1.1古事記 1.1.4禊祓と三貴子の誕生
イザナギは、黄泉の穢れから身を清めるために、…左の目を洗うと天照大御神(あまてらすおほみかみ)が生まれた。
右の目を洗うと月読命(つくよみのみこと)が生まれた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%94%A3%E3%81%BF#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E6.9B.B8.E7.B4.80

いろはにてほへ2005/11/23てほへの言霊日記
…木烏神社境内の案内板によると、昔、日本武尊が瀬戸内海を巡行の際、濃霧のため迷っておられたところ、
一羽の烏があらわれて、水先案内を勤めた後、泊の島に飛び帰ったので ここに祠を建てて祭ったのが始まりとされます。
…「珍敷塚古墳」(福岡県)の壁画に登場する船…はエジプトの「太陽の舟」に重なります。
http://tehohe.blog17.fc2.com/blog-entry-10.html

「出雲から世界へ」 出雲文化について 造船技術 2.(福岡県:珍敷塚古墳壁画)
http://www.enjoy.ne.jp/~hisasi/2-3.htm

11名無しのひつじさん:2007/03/27(火) 09:59:52 ID:sYito2/w
邪馬台国大研究 17.全国・遺跡旧跡案内 古墳時代68.福岡・日岡/月岡装飾古墳(吉井町古墳群)
珍敷塚古墳 玄室奥壁の壁画http://inoues.net/ruins/yoshii_kofun.html

構造どころか細かいところまで全く同じだったりすんだ。
ヤコブとニニギのストーリー。
      ↓
ヤコブは美人のラケルを嫁にしようと思ったら、その父親から不美人の姉も押し付けられる。
ニニギも美人の木花咲耶姫を嫁にしようと思ったら、その父親から不美人の姉レアも押し付けられる。

ヤコブは美人のラケルを嫁にしようと思ったら、その父親から不美人の姉レアも押し付けられる。
ニニギも美人の木花咲耶姫を嫁にしようと思ったら、その父親から不美人の姉・石長姫も押し付けられる。

ヨセフはエジプトの神官の娘と結婚をする。この子孫が王権を築く。
山幸彦は海神の娘と結婚をする。この子孫が王権を築く。

日本人こそは“失われたイスラエル10支族だ”
と主張するユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーグ
        ↓
http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb412.html

まさに、『古事記』『日本書紀』は形を変えた『旧約聖書』なのです。
神武東征神話も約束の地カナンへ旅するヘブライ人の記述に符合します。
両者とも、東方にある神の与えた地を目指すのです。
日本では、それを決めた地が日向・曽富里の高千穂峰であり、
聖書ではホガーのサハラ高原のタハト山です。
そして、ヤム・サフを越えて穴居族テダに会います。
古代日本人は曽富で穴居族タダに会うのです。
そして、古代日本人は、曽富里の東「葦原の国」へ着き、
古代ヘブライ人はサハラの東「カナン」に着くのです。
「カナン」とは、「CNNE-NAA」の合成語と考えられ「葦原」を意味します。

12名無しのひつじさん:2007/03/27(火) 10:17:58 ID:sYito2/w
エルサレムはヘブル語で「平安京」、愛称は「シオン」
京都(平安京)の祇園祭(ギオン)の 伝統的な掛け声「エンヤラヤー」は
ヘブル語で「私はヤハウェを賛美します。」という意味。

「日ユ同祖論」の謎−失われたイスラエル10支族は日本に来ていた!?
天皇家と日本人のルーツを探ると天皇問題の奥にユダヤ問題が潜んでいることに気付く!?
                 ↓
http://rerundata.hypermart.net/ura/hexagon/floors/hatchA4F/hatchJ.html

日本に10部族が来たとして、やっぱり混血しながらきたんかな?
               ↓
なるべく混血しない努力はしてたんじゃないかな?どうしたって混血しちゃうけど。
               ↓ 
日本のいわゆる部落って、日本人離れした顔立ちの人がいるとか。
この板でみたところによると、ヒニンの指導者層は天皇に面会できたとか・・・
わざとヒニンとかの地位について、
日本人との混血を避けてきたという可能性はないかな?
             ↓
中東からきたのは別にユダヤだけではないだろう。ペルシャやトルコ系も大勢やってきた。
             ↓
見た目はわからんけど本当の意味で人種が溶け合って暮らしてるのが日本なのかも。
混ざりながら日本に来たことがそのまま日本人の可能性なのかもしれないですね。

古事記のイザナギ・イザナミの滋賀県の多賀神社あたりにヒントが有りそう

古代トルコを代表するヒッタイトの民族文様は菊のご紋です。

http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/5_J.html
「倭人は体にも顔にも入れ墨をしている。猶太(ユダヤ)の神祇官の子孫であると称している」

13名無しのひつじさん:2007/03/27(火) 10:26:11 ID:sYito2/w
日本列島 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   バイカル湖周辺から(狩猟移動)−−↑     
     巨石・海洋民族(出自不明・シュメール起源と同根?)−−−−−−↑   
      縄文・ポリネシア民族(海洋・土器)ーーーーーーーーーーーーーーーー↑    
        弥生人、継続的に流入(東日本、北朝鮮あたり・西日本南中国あたりから)−−↑
           ギリシャ・中東からの流民(神道・西暦150〜300)−−−−−−−−−−−↑
             仏教、中国経由で伝来−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−↑
こんな感じ
どのみち巨石の段階でシュメールに文明をもたらした海洋民族と繋がりがあると思われ

初期新羅もユダヤ人に関係ありそう。
墳墓の副葬品からローマのガラス製品がジャラジャラ出てきている。
金の王冠も装飾をよく見るとメノラー(七枝の燭台)。
http://eventdb.jp/images/2181020304
http://www.kyuhaku.com/pr/news/051226/p01.jpg
でも派手なのは初期だけで以降急速に劣化する。中心勢力が入れ替わってしまったのではないか。

出の字形の王冠は藤ノ木古墳など国内の古墳から出てますよ。
ローマングラスも天皇陵クラスの古墳(数百基)にはかなり有るでしょうね。
石の上神社の七枝刀もメノラーとの関係を言われてるね。

いいよ〜、みのもんた〜
昨年12月の12チャンネルは意外によかったよ。特に秦河勝亡命の地、
赤穂の「大壁神社=ダビデ祖霊」は説得力があった。
坂越面は、秦氏世阿弥でも有名だから中世当時から中東渡来伝承は上流には知られていた。
うつぼ船。でも、いすらいの井戸の12石構造ははじめて知ったよ。
12氏族というより、エルサレム教団のイエス12使徒との関係じゃないかな。
すでに源氏物語に「昔はなにかのいわれがあったという広隆寺のいすらい井戸」という逸話がでるほどに、
秦氏と井戸は古来より深い関係。

14名無しのひつじさん:2007/03/27(火) 10:28:34 ID:sYito2/w
126 :天之御名無主 :2007/01/24(水) 21:36:31
日本では日ユ同祖論は、ただのロマンとして語られ
知名度も低く、とんでも話として、嘲笑されることすらあるが

本国イスラエルと世界のユダヤ社会では
長期に渡り、詳細な調査活動が世界的に進められていてかなり有名な話になっている。

そして、現時点においては、消えた10支族が行った先は
日本しか考えられないという意見が圧倒的な多数を占めている

最近、イスラエルが日本に異様なほど好意を寄せているのはこの為であり
日本の文化風習(特に神道)が、ユダヤのそれに異様な程似ていること
世界の先進国の中で、ユダヤ人差別がない国は日本だけであることから
アメリカがあまり当てにならず
アメリカに見切りをつけ始めたユダヤ人達が
次の足場になる国家として日本を選んだのではないかと言われている。

15名無しのひつじさん:2007/03/27(火) 10:31:04 ID:sYito2/w
消えた10支族の行方探しはユダヤ人にとって、
イスラエル建国と並ぶ重要な事業だから、
彼等は今も必死になって情報収集を行なっている。

でも、世界のユダヤ社会の指導的な立場の人たちのほとんどが
それは日本でほぼ間違いなく、日本以外はあり得ないと結論を出している為
事実上の確定事実に近くなっている。
この結果、イスラエルの大学の日本語学科は、現在、一番人気であり
行きたい外国の調査でも日本の人気が飛びぬけて高くなっている。

日本人が一笑に付している、日本人=消えた10支族の話を
世界中のユダヤ人が大マジメで議論し、裏づけ調査の活動に駆け回っている。
(実際、現駐日イスラエル大使が講演で大真面目にこの話を断定的に話した
為、聞いていた日本人がビックリしたという逸話も生じている)
だから、この話は日本人が考えているような与太話では決してないし
外国では、意外なほど、メジャーな話題だったりする。

また、海外の著名人で日本をベタ誉めにしている人のほとんどが
ユダヤ人であることも、日本ではほとんど知られていない。
ただ、これを、ユダヤ人が日本人を褒め称えていると捉えるのは正確ではない。
正確に言えば、日本人を同民族と考え、ユダヤ人としての日本を褒め称えている
というのが正しい。これくらいだから、ユダヤ人は日本人と中国・朝鮮人の違いについても
意外なほどよく知っている。

尚、ユダヤ=朝鮮同祖論を言ったユダヤ人の話が、誤まって伝わっているが
実は、くだんのユダヤ人が言ったのは、消えた10支族は日本人であり
日本に行く過程で、朝鮮も通過しただろうから、朝鮮人の一部にも消えた10支族
の末裔が紛れている可能性があると主張したに過ぎず、
決して、ユダヤ=朝鮮同祖論を主張していたわけではない。
しかし、当の朝鮮人自身がユダヤ=朝鮮同祖論を誇りに思い歓迎した為
間違った情報として流布してしまった。というのが真相である。

16名無しのひつじさん:2007/03/27(火) 10:36:03 ID:sYito2/w
ユダヤ人言語学者 ヨセフ・アイデルバーグ
「おそらく、近い将来、日本人が失われたイスラエル10支族だということは歴史の常識になるでしょう」

★ユダヤ人言語学者 ヨセフ・アイデルバーグ
1916年にロシアに生まれ、イスラエルに移住。
その後、アメリカで理工学を学び、ヨーロッパで言語を修得。
イスラエル建国前は、地下軍事組織「ハガナ」のメンバーであったが、
建国後はイスラエル国防軍の陸軍少佐を務めた。現在は
イスラエルで、歴史、言語、民俗学を研究している。

この人の主張してる言語の類似性って最近クローズアップされてきたけど、
やっぱ言語学的なアプローチが一番有効かなと思う。
例えば神話や伝承に似ているといわれる部分は数あるけど、
あくまでも文化体系分類上のものとして扱われるのがオチで、
それも地勢的にかけ離れてるという理由ばかりなんだよね。
まあ、でも初期天皇のエピソードや名称にしてもヘブライに何らかのルーツがありそうなのは解るけど、
それだけでなくシュメールやペルシャの影響も伺える点で、
それが後世に単に文化的に伝旛しただけという説もあるわけで。
ただ通り道を想定すると日本の西方圏より、日本だけに多く混入しているというのは変ではある。
まあDNA認定されたらそれでFAなんだろうけど。

最近、NHKで邪馬台国についての特集があったが、それでは九州説と畿内説が取り上げられていた。
九州説では佐賀にある吉野ヶ里遺跡が邪馬台国ではないかという話がなされていた。
話の中で九州は鉄でできた武器の出土が圧倒的に多いということだった。
そしてその武器を用いて畿内まで移動して行ったのではないかということだった。
鉄を発明した民族”として知られるヒッタイト人は、紀元前2000年ごろ、
いずこからともなく現れて、紀元前13世紀末に突如として消息を絶ってしまったそうです。
詳しくは、http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb301.html
そして日本の各地で発見されているペトログラフは、
日本のペトログラフ研究のパイオニアである吉田信啓氏によると、シュメールの古代文字として読めるそうです。

17名無しのひつじさん:2007/03/27(火) 10:58:14 ID:sYito2/w
日本へユダヤ人が来たって話だけど、中国や南方から海路で来たっていうのもあったと思う。
四国の高知県の沿岸にはユダヤ渡来伝承がいろいろあるし、ユダヤの秘宝が埋まっているという剣山もある。
そこにある高校の校歌には、「フェニキア」とか「レバノン杉」という言葉が出てくるのもある。
ソロモン王の船団が東南アジアまで行っていたというのは有名な話だけど、ユダヤ人が
東南アジアまで行っていたのなら、そこから海流(黒潮)に乗って高知の辺りに流れ着いたと
しても不思議ではない。

天皇家の「菊のご紋」ってのは、シュメールに由来するらしいね。
シュメールやユダヤ人が菊のご紋と同じものを使っていて、太陽信仰を表すんだって。
そのせいで、明治時代には「天皇家シュメール起源説」なんてのが唱えられた。

またエジプトのヒクソスの「ヒク」というのも、日本語での「ヒコ」と同じで、「聖なる」という意味らしい。
天皇家オリエント起源説を主張してきた人も、また多い。

京都の丹波にある籠神社。これは元伊勢神宮と呼ばれている。
海人族に縁のある神社だが、製鉄とのかかわりがあることがわかっている。
サンカ系の神社だという人もいる。
この神社の由来の解明こそが、天皇家にとっての時限爆弾になる、という人もいる。

日本書記とか読め。聖徳太子の顧問だった弓月王係留秦河勝の自称子孫だけで、どれくらいの
名家があると思ってるのか? 欽明天皇の初代大蔵卿の秦大津父が、はじめて天皇家に租税モデルを
示して、天皇の直轄領を律にしてから、日本の独立は始まっている。

17条憲法、12階位、有名な煬帝への手紙「日出のところの天子」は誰が
書いたと思ってるんだ。資料研究くらいしろ。日本の初期納税の大半が秦氏だ。
ほかの氏からの納税記録を示す木管はでてこない。当然だよ、天皇はほかの豪族と
土地住民所有、税収改革で軍事対立し、補佐したのが秦氏なのだから。

あと京都進出以前の古代の秦氏拠点は、宇佐、吉備が重要。
応神天皇以降の巨大墳墓構築のノウハウ、鉄や須恵器の一般化も彼らの流通力だ。

18名無しのひつじさん:2007/03/27(火) 11:16:31 ID:sYito2/w
これは知らない人もいるだろうが・・・・・
アケメネス朝ペルシャのスサという都市は、ヤサカ河という川の上流にあった。
そしてスサではGIONという名前の神が祀られていた。
そしてスサの総督をしていたのはユダヤ人だった。
ここから、八坂神社の祇園祭(牛頭天皇=スサノヲを祀る)が生まれる。
スサノヲというのは「スサの王」という意味。
これは京大の教授も知ってたことだから、事実らしい。

知られて無い話だけど、神社の狛犬は2匹とも獅子ではない
由緒正しい神社の狛犬は片方が一角獣なのだ。
これはユダヤのユニコーン崇拝そのものだ。
アジア中に2対の獅子を守護神として置く風習があるが
片方が一角獣なのは東アジアでは日本くらいなものだ。
ほかの地域では真実が闇に消え去ってしまったが
日本には2000年前の全てが記録されている。
これは日本人が何でもかんでも神様として祀る風習を持つためだ
このような風習を根付かせた人々もまた秦氏だ

古代AD701年の大宝律令の制定によって日本の律令制が加速し
中央集権国家として官僚制による地方政治の統治が確立した
そして朝廷で官僚として政治を司っていたのは半島からの渡来人で
超ばっくり分けると百済系と新羅系の二大勢力
その二派がその時々の天皇を味方に引き込み、他方を排斥するということを繰り返してきた
わかりやすいのが平氏・藤氏=百済、源氏・橘氏=新羅

AD794年の平安遷都にて時の桓武天皇に取り入った百済系氏族が
それまで官僚として表舞台で政治を取り仕切ってきた新羅系氏族の多くを排斥し
政治の表舞台から追放しただけでなく尊卑の位の卑の地位に一部の新羅系氏族を落とした
そのときの卑の位が現在の被差別部落に繋がっているというのがひとつの説。

19名無しのひつじさん:2007/03/27(火) 11:17:40 ID:sYito2/w
新羅系氏族は当時の科学芸術神事医学分野において世界トップレベルであったので
そのまま建設土木治水製鉄演芸生物解体などが被差別部落民の主な生業となった
卑の位に落とされなかった例でわかりやすいのは神事仏事を司る役職
卑の位とせずにそのまま新羅系氏族に引き継がせた

新羅系氏族で超一大勢力を誇っていたのが秦氏一族で
日本の神社の9割以上の神官宮司は今でも秦氏による世襲である
八幡神社、稲荷神社、白山神社などすべて秦氏のものであり
現在の皇室に関わる神宮の神官宮司なども秦氏系
学習院などの皇族系教育機関や皇宮警察などの長も秦氏系氏族の世襲が現代まで続いている

関西において被差別民の多くが寺社の管理下に置かれていたのはそういう背景があったから

関東では穢多頭の弾左衛門の支配下で各地域ごとに非人頭をおいて被差別民を管理していた
弾左衛門は秦氏族であり白山神社を信仰していたのもそのせい

関東では非人頭を長吏と呼ぶが、関西では寺社の首長僧を長吏と呼ぶ
天台宗や真言宗の総本山の延暦寺、三井寺(園城寺)、高野山金剛峰寺などの首長僧も長吏
長吏の大元は中国の漢代における官吏の呼称で、官位の高い者のことを長吏と呼んだ

ちなみに秦氏は中国の秦の始皇帝氏族の末裔で
朝鮮半島を経由して倭(日本)に移動してきたという節が有力で
その大元はペルシャ系ユダヤ民族であると言われている

皇宮警察だけでなく、普通の警察も秦氏が支配してるよ。
179で出てきた「秘密結社」を利用して治安を維持してるのが警察。
秦野章なんて警視総監もいたしね。あいつは秦氏。
東京オリンピックの時に治安を強化する必要があり、秦氏のボスの秦野章を警視総監にした。

20名無しのひつじさん:2007/03/27(火) 11:18:40 ID:sYito2/w
彼はユダヤ人だった。しかも、世界でもっとも有名なユダヤ人。その名も、エドモンド・ロスチャイルドという。
いうまでもなく、世界最大の大富豪である。当然ながら、ロスチャイルドはユダヤ教徒である。
彼は日本の神輿に、失われたユダヤの祭りを見たのである。
ロスチャイルドの来日をセッティングした人の話によれば、ロスチャイルドは何よりも神輿に大変興味をもったという。
神輿は、あまりにも契約の聖櫃アークに似ていたのである。
契約の聖櫃アークとは、ユダヤ教にとって大切な3つの神器、モーセの十戒石板、アロンの杖、マナの壺を納めた箱で、
下部には担ぐための棒がついていた。外も内も金で覆われており、
上部には黄金製の翼を広げた天使ケルビムが2体、向かい合って据えられている。
ユダヤ人は戦いに勝利したとき、契約の聖櫃アークを担ぎ、鐘を鳴らし笛を吹きながら
「ワッショイ、ワッショイ」と行進して歩いたという。
かの大王、ダビデは裸踊りまでしたことが『旧約聖書』に記されている。
「ワッショイ」は古代ユダヤ語で「お前の敵をやっつけろ」である。
考えてみればあの号令は勇ましい。
「我と一緒」よりもむしろ相手を威嚇している。まして『韓国語』ではない。

日本の神社の9割は秦氏が創建したわけで、21世紀になっても、
天皇家の儀式やるのは下賀茂神社の宮司で賀茂氏も結局は秦氏だしな

天皇家は、代々秦氏の血をひく女性を妃に選んできた。
霊元天皇は、秦氏の末裔である松室家から3人もの後宮を迎えている。
松室敦子が生んだ子が、有栖川宮。
それに、香淳皇后の生家である島津家は秦河勝の末裔であることは有名。

以前、部落解放同盟の研究者と話したことがあるけど、「部落民と天皇家は血筋的には一緒」って言ってたよ。
秦氏が鬼であり、同和・在日であることを考えると、秦氏が天皇家と繋がってることは間違いない。
「聖と賤」という問題になるけど。

秦河勝はなんで赤穂まで行って死んだの?
秦氏は京都に移住する前、
河内に住んでいたのはしっているか?河内に住む前は、どこにいたか知ってるか。

21名無しのひつじさん:2007/03/27(火) 11:49:51 ID:sYito2/w
そうそう、猿田彦は秦氏の神。
天孫降臨の際(=天皇家が来日した際)に、道案内をしたのが猿田彦。
顔が赤く、鼻が高く、背か高いというのは、ユダヤ人の身体的特徴を表している。
ユダヤ系の氏族が日本を支配していて、そこに同じくユダヤ系の天皇家が入ってくる。
それを表現したのが国譲り。

学習院の院長も「波多野」で秦氏か・・・
日本の支配層・最下層は共に秦氏だな
支配層と最下層が同じという点ではユダヤ人と一緒
秦氏=ユダヤだから見事な一致だ

イランとイスラエルは一見敵対してるように見えるけど、裏ではガッチリ結びついてるよな。
パリサイ派はペルシャ派ってことだし。
イスラエルの中でパリサイ派はすごい力を持ってるけど、それを裏で操ってるのがイラン
北朝鮮と日本が敵対してても裏でガッチリ繋がってるのと同じ
ナチスは反ユダヤという点でイランと被るけど、ナチスもユダヤと繋がりがあるっていう説が
あるからね
ユダヤを陰で操ってるのがイラン、っていうのは今も昔も変わらない

ユダヤ人は伝統的な大阪人にすごく似ていると思う。
(あと客家系や福建系の華僑にも似ている気がする。)
中世では大阪人のルーツの一つの堺とユダヤ人が多かったベネチア。

大和中心にバラバラに散っていったので、瀬戸内・近畿・東海にユダヤの血が
ある人たちが多く 先祖が部落(朝鮮部落の前)のような所(俗に言う田舎)出の
人たちは血が入っている可能性多い。

平安京は実際に当時は最高レベルの国際都市だったらしいし
いろんな渡来人種の中にユダヤ教徒がいても可笑しくない。

22名無しのひつじさん:2007/03/27(火) 11:54:43 ID:sYito2/w
■67 :国連な成しさん :03/03/25 22:51 ID:???
>フセインって日本人がシュメール人の末裔だと信じているらしいよ。
>昔記者の質問に対して答えていたから

>マジですか?(w

>だってシュメーラ命(みこと)って天皇の別号でしょ
>天皇の一族はシュメールの地から来たって説は明治時代からあるよ。
>須佐之男はスサ(アナトリア半島にあった都市国家)の王。
>だから日本人とイラク人は同族(藁

>駄洒落だな(w
>ちなみにイラク人はアラブ人なわけだが・・・

23名無しのひつじさん:2007/03/29(木) 13:02:04 ID:SqTZSP6I
大和に朝廷のあった4世紀末頃に朝鮮半島からの大きな渡来のうねりのなかでやって来た、
新羅の才伎集団の一部で継体天皇が即位するころから、近江湖東を中心に活躍した、
秦氏系近江部族で中大兄皇子(後の天智天皇)の側近だったのが依智秦造の一族

依智秦氏は平安時代には郡司を輩出する名門となり朝廷を外から支える存在となった。

みんな朝鮮半島を経由して日本に来たと信じちゃってるけど、
ほんとうはすべてがそうでもないんだけども。。。。

江南から海流+南西諸島づたいで船で来たっていう説のが現在は有力なんだよ。
水稲のDNAとか分析してみたりして分かったことなんだけど。
半島に水稲が来るのは日本よりずっと後なんだ。(陸稲は華北→半島が先。)

ぶっちゃけ、卑弥呼は「自分達の先祖は呉の人間だ」と言ってるんだよ。
魏に仕えようというのにね。
(呉とはいっても、三国の呉とは国は別。同じ地域にあった昔の国だけど。)
で、魏の使いも「ああこの刺青、呉の奴だよね」って反応。

〜西胡〜
「胡」は戦国時代、内モンゴルの塞外民族を指していたが(→北狄)、
秦漢朝では特に匈奴を指すことが多くなった。唐代にいたり、シルクロードの往来が活発になると、
「胡」は特に「西胡」ともいわれ、 西方のペルシャ系民族(ソグド人)を指すようになった。
彼らがトルキスタンから唐土に運んだ文物、風俗は「胡風趣味」として愛好され、
胡服、胡笛、胡舞などが中国で一文化として根付いていった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1
         ↑
この人たちもペルシャ系と言われていますが、ユダヤ系であったりするのですか?

24名無しのひつじさん:2007/03/29(木) 13:36:31 ID:SqTZSP6I
キリスト教勢力が皇室を守って存続するように「超がんばった」のだから。
歴史上で大戦争にボロ負けした国の王室で廃止にならなかっ
た のは日本の皇室以外はほとんど無いはずだと思うよ。

> たしかに、皇室関係で、キリスト教支持しますってのが多い。
上記は何の不思議もないことだよ。

数々の記録などから類推できる事として終戦直前に交わされ
た戦争終結の密約で「皇室廃止(おとりつぶし)免除」のため
の条件として「日本のキリスト教勢力」が天皇家の後見役とし
て恒久的な役割を担うという約束がされたと考えられるよ。

戦後初代宮内庁長官は田島道治(クリスチャン)でその相方
は三谷隆信侍従長(クリスチャン)。同時に皇室参与が慶応
塾長の小泉信三博士(クリスチャン)で戦中からずっと学習院
長を務めているのが元海軍大将の山梨勝之進(クリスチャン)
という布陣だ。それに東大総長南原繁(クリスチャン)や最高
裁判所長官の田中耕太郎(クリスチャン)などもサポート。
この間の総理大臣は吉田茂(クリスチャン)片山哲(クリスチ
ャン)鳩山一郎(クリスチャン)という保守革新にわたるクリス
チャンリレーという「クリスチャン総動員体制」だった。

この間にクリスチャン皇室後見体制が固められたとみる。

25名無しのひつじさん:2007/04/01(日) 23:56:26 ID:???
age

26名無しのひつじさん:2007/04/02(月) 00:11:17 ID:???
http://blog.goo.ne.jp/motoyama_2006/e/0bf67c6f50dc1594a622be8c507f673f

秦氏のルーツがネストリウス派ならば・・・
ネストリウスの追放なかりせば、日本の神社も、空海の”世尊布施論”も
親鸞の”悪人正機説”もなかったことになる。

フランシスコ・ザビエル以前1000年以上前に”福音の原型”とも
言うべきものが伝えられていたということ。
日本人クリスチャンにとっては、ネストリウスは”大切な人”になる。

ネストリウスを追放したキリル僧正が”聖人”とされ、追放された
ネストリウスが未だに”異端”扱いされ(見直されて来ているとはいえ)
ているならば、キリスト教史が大きく塗り替えられる可能性も・・・

カトリックだって今でこそ聖フランシスコを”聖”としているが、
彼が路傍伝道をしていた頃、バチカンは彼を何て言っていただろう?

神道を”アニミズム”、仏教を”偶像礼拝”として全否定している
うすっぺらな一部教会はついて来られる話じゃないわな。

27名無しのひつじさん:2007/04/02(月) 23:34:53 ID:???
良スレあげ

28名無しのひつじさん:2007/04/04(水) 16:19:02 ID:sYito2/w
■255 :天之御名無主 :2007/03/29(木) 14:14:13
ユダヤ人が“失われた十部族”を議論しているサイト↓ 
天皇がユダヤルーツじゃないかともちょっと触れている。

http://www.blabla4u.com/sites/blabla4u/ShowMessage-eng.asp?LangCode=Heb&ID=3022943

29ユダヤ人は紀元前に、日本にいたか?:2007/04/11(水) 20:59:01 ID:7Zai7udM
「徐福の伝説」と言うものがあります。
伝説と書きましたが、中国にはある程度の記録があるようで、
徐福が住んでいたというところも判っているそうです。
そこで、徐福に付いて記してみます。
中国の始皇帝は紀元前三世紀ごろ、秦という大帝国を打ち立てた。
北方に万里の長城を築き、都には阿房宮という大宮殿を建造し、死後も兵馬俑で有名なお墓を造った。
なんでも、可能にした始皇帝にも意のままにならないものがあった。「死」である。
 そこで、徐福なる人に、不老長寿の薬を求めてくるように命じた。

以上のことは、次の文献に記録が見られます。
  「史記」秦始皇本紀(BC219年)薺の人徐市ら言う、海中に三神山あり、蓬莱、方丈、瀛洲と
曰い、僊人これに居る。童男女と之を求むることを得ん。
 「史記」秦始皇本紀(BC212年)始皇・・乃ち大いに怒りて曰く・・徐市ら費すこと、巨万を以っ
て計うるも、終に薬を得ず。
 「漢書」伍被伝(一世紀) 徐福をして海に入り、仙薬を求めしむ。多く珍宝・童男女三千人、
五種・百工を薺して行かしむ。徐福は平原大沢を得、止まりて王となりて来らず。

 「呉書」孫権伝(一世紀) 秦始皇帝、方士徐福を遣わし、童男童女数千人を率いて海に入
り、蓬莱神山及び仙薬をもとめしむ。亶州にとどまりて還らず。世々相承けて数万家あり。
(亶州 を種子島と周辺を比定する見解がある。)

 「義楚六帖」(後周) 今に至りて徐福の子孫皆「秦」氏と言う。

この文献をみても、何処にも日本に来たとは書かれていません。
「亶州にとどまりて還らず」とありますが、亶州がはたして、どこにあるかが決め手になります。
不思議なことに、日本各地に徐福が来たという伝説が残っていて、
「徐福伝説」と名づけて、多くの人が詳しく調べインターネットにも公開されています。
それによりますと、以前は、単なる伝説と思われていましたが、
中国の方での、調査では、徐福という人は、実在のひとであることも判って来たそうです。

30ユダヤ人は紀元前に、日本にいたか?:2007/04/11(水) 21:00:47 ID:7Zai7udM
>>29よりつづく
もし、除福が、日本を目指してやって来て、上陸したとすれば、
記録に残っている一番ふるい来訪者になると思います。
私がもっとも、注目する所は、
①時が BC212年であること。
②童男童女数千人を率いて
特に、「童男童女数千人を率いて」です。
徐福が帰ってこないので、皇帝は怒ったとありますから、
薬を探しに出かけたのは確かでしょう。
しかし、子供も、女も全てであるということは、移民を目的にしていたと思われます。
初めての土地に、数千人の人を連れて行くわけがありません。
ある程度のことは判っていたはずです。
特に、この国では、長寿の人がごろごろいたのでしょう。
故に、きっとこの国には、不老長寿の薬があるに違いないと考えたのでしょう。
 しかし、ただそれだけの事で、数千人の人を派遣するでしょうか?
当時の船がどれほどの人数を載せることが出来たかわかりませんが、船の準備だけでも大変です。
BC212年にユダヤ人が、日本から絹を運んでいたと仮定するだけで、
皇帝が何故このような計画をしたかが判ります。日本のことはある程度知っていたのだと。

31名無しのひつじさん:2007/04/12(木) 00:18:34 ID:sigf5wuI
http://www.asukanet.gr.jp/tobira/jofuku/jofuku.htm

32名無しのひつじさん:2007/04/12(木) 08:57:56 ID:???
同性愛者、ADL、強力なシオニストのグループ、さらにはユダヤ化異邦人たち
の批判に適応するために、最近の聖書出版社は沢山の“新しい訳”を出して
いる。ついには、KJV(彼らが常に攻撃し、書店から無くしている)以外は、ユダ
ヤ人と同性愛者の好みに合うように編集され変更された聖書しか、世界のど
こにも見つけることが出来なくなるだろう。全ての章と節が、削られ、修正され、
訂正された新しい訳が産出されている。
 怒り狂ったシオニストやユダヤ化異邦人の強襲によって、伝統的な聖書のい
かに多くの部分が消されているかを発見することはショッキングなことである。一
例を挙げると、マタイによる福音書6章9節は、KJVの最初の一行は「天にい
ますわれらの父よ」であるが、最新のNIV(New International Version)ではた
だ、「父よ」だけである。「天にいます」が抜け落ちている。ユダヤ人とユダヤ教に
おいては、今、この場で、地上の王国が最終的なゴールであることが強調され
ている。天と呼ばれるところでどんな父がいようと気にしないのである。ユダヤ人
は現在の富と報酬を求めているので、最新の聖書の訳はユダヤ教のご主人
様の気に入るように修正されている。このように新しい訳では“好ましくない”節
や言葉は省かれているのである。

33名無しのひつじさん:2007/04/12(木) 08:59:09 ID:???
イエスの十字架刑へのユダヤ人の共謀の新約聖書の真実の根拠についての
フォックスマンの苦情はユダヤ人がなぜそれほどまでに神の言葉を軽蔑するかに
ついて洞察を与えてくれる。新約聖書は、ローマの総督ピラトが、イエスが無実
だと言う事を知って釈放しようとしたとき、ユダヤ人の群集が受け付けなかったこ
とを記録している。「 民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にあ
る。」。マタイ27:25
 ユダヤ人は神の言葉におけるこれらの真実の言葉を読むとき、至るところで
怒り狂っている。彼らは悔い改めと悲しみを持って答える代わりに、傲慢にも、
ユダヤ人の心のかたくなさを示す一つの本を人々の手から引き剥がすのだ。キリ
スト教の新約聖書を。
 ユダヤ・ブック・クラブは、最近、その会員に「新約聖書における反ユダヤ主
義」という本を提供した。その著者リリアン・フルードマンは新約聖書に対する悪
意に満ちた攻撃をしている。新約聖書は醜く、憎しみに満ち、真実性のないも
のであり、反ユダヤ主義に満ち、ユダヤ人を憎悪する者たちによって書かれ、編
集されたと主張する。しかしながら、もしクリスチャンが罪滅ぼしをして、反ユダヤ
主義を捨て、新約聖書の多くの節を改訂し、削除するなら、ユダヤ人とクリス
チャンの間には明るい未来があると著者は見ている。
 簡単なことではないか! ただちょっと謝罪して、神の言葉の良き部分を消せ
ば、全てはユダヤ人に許されるのだから! 我らの主イエスとその教えはひどく悪
意と冒涜に満ちていると主張する、毒気に満ちた、怪物のようなユダヤ人の神
聖な本、タルムードの何百ページは、もちろん、そのまま損なわれることは無い
のである。そうすることで、そしてそうすることだけで、ユダヤ人はクリスチャンを窮
地から救うことが出来るのである。
 さらにフルードマンは、新約聖書からユダヤ人を怒らせる全ての節を除去する
だけでなく、タルムードの宗教、ユダヤ教がキリスト教会で“正式な宗教”として
受け入れられなければならないと書いている。フォックスマンのADLと他の批評
家たちは、ホモセクシャルは罪であり、神への侮辱だとする新約聖書の明白な
教えに対して抗議している。彼らは新約聖書は偏見と憎悪に満ちていると告
発する。

34名無しのひつじさん:2007/04/12(木) 17:21:50 ID:lRpwgqoI
兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。
それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。
その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、
こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。
「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。
これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」
彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、
選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです。
神の賜物と召命とは変わることがありません。
(ローマ11:25-29)

35名無しのひつじさん:2007/04/24(火) 16:21:59 ID:lRpwgqoI
魏志倭人伝には倭人は裸足だと書かれているが、
外でも裸足とは書かれていない。
常に裸足だったとは書かれていないのだ。
弥生時代の遺跡から靴が見つかっていることから、
魏志倭人伝の裸足という記述は室内のことだとも考えられる。

吉野ヶ里遺跡から出土した履き物
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/k-yda1/k-ycn1/k-ysn3/k-ync6.jpg

家屋の中で履き物を脱ぐのは日本独自の習慣だが、
ユダヤ教でも神殿の中では靴を脱ぎ裸足になる。
旧約聖書でこうある。神はモーセに語りかけた。
「足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから」


魏志倭人伝の中で倭人の服装は貫頭衣とある。
http://www.yoshinogari.jp/ym/img/photo/photo/32.jpg
近隣の朝鮮・中国では見られないスタイルの衣服。
しかし貫頭衣は旧約聖書の中に見ることができる。

東アジアでは日本特有のY染色体のYAP+遺伝子
http://www.geocities.com/londonross1/deyap.gif

紀元前586年にイスラエルからエチオピアを経てジンバブエへ渡ったユダヤ人の痕跡
http://www.scienceinafrica.co.za/2003/february/gene.htm

一番左がユダヤ人の遺伝子。ユダヤ人がYAP+を持つことに注目
http://www.scienceinafrica.co.za/pics/02_2003/gene.gif

36名無しのひつじさん:2007/04/24(火) 17:56:07 ID:lRpwgqoI


★倭人はユダヤ人だった?

唐の張楚金(ちょうそきん)が書いた翰苑(かんえん・690年頃)の倭国の項に、
「文身鯨面、猶太伯の苗と称す」と書かれている。

「倭人は体にも顔にも入れ墨をしている。猶太(ユダヤ)の神祇官の子孫であると
称している」と、なる。

37名無しのひつじさん:2007/04/24(火) 17:58:54 ID:lRpwgqoI
エリ・コーヘンさん=「日本人とユダヤ人」の駐日イスラエル大使

 なぜ、イスラエルには武道のけいこに励む人が多いのか。そんな疑問が、
日本人とユダヤ人の世界認識や精神面の類似性に目を向ける原動力となった。
大使としての体験も交え、武道と神道、ユダヤ教の視点からひもといたのが、
近著「大使が書いた日本人とユダヤ人」(中経出版)だ。

 「86年に伊勢神宮を参拝した際、衝撃を受けた」という。クギを使わない「唯一神明造」と
呼ばれる建築様式を知り、祭壇建設に際して神が預言者モーセに金属の使用を禁じた
ユダヤ教との類似を感じたのだ。
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/hito/news/20060927ddm003070008000c.html

38名無しのひつじさん:2007/04/24(火) 18:00:01 ID:lRpwgqoI
*ロイヤルダッチシェル石油(子会社BP石油) 創業者*マーカス・サミュエル

自分は貧しいユダヤ人少年(18才)として、日本の海岸(湘南)で一人貝を拾って
いた過去を、けっして忘れない。あのおかげで、今日億万長者、ロンドン市長に
なることができた、 1894年に「日清戦争」が 勃発すると、サミュエルは日本軍に
食糧や、石油や、兵器や、軍需物質を供給して ...
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1668066
サミュエルは1921年に男爵の爵位を授けられて、貴族に列した。 その4年後
には、子爵になった。 サミュエルは「どうして、それほどまでに、日本が
好きなのか?」 という質問に対して、次のように答えている。

「中国人には表裏があるが、日本人は正直だ。日本は安定しているが、
中国は腐りきっている。日本人は約束を必ず守る。中国人はいつも変節
を繰り返している。したがって日本には未来があるが、中国にはない。」

39名無しのひつじさん:2007/04/24(火) 18:01:16 ID:lRpwgqoI
*ところで、世界の日本に対する風当たりが強い中で、海外の日本礼賛者の
著者の多くは、ユダヤ人だといわれている。有名な『ジャパン・アズ・ナン
バーワン』の著者エズラ・ヴォーゲル、『それでも日本は成長する』の著者
ハーマン・カーン、『第五世代電算機』の著者エドワード・ファウンゲンバ
ウムなどなどは皆、ユダヤ人である。世界中集めても、たった1350万人
しかいないユダヤ人が、なぜ日本礼賛の本を書き続けるのか? 理由はどう
であれ、日本はユダヤ人のおかげで随分助かっているだろう。もしこれがな
ければ、日本に対する世界世論はもっと厳しいものになっていたにちがいな
い。今の日本人にとって、ユダヤ人は唯一の味方ともいえる存在である。

*このように、シオニズム活動(ユダヤ人のための祖国復帰運動)に見られ
るような強烈な選民意識、自民族に対する誇り高い意識を持ったユダヤ人が 、
アジアの果ての国日本に愛国心を延長したような感情を抱く有り様は、
一般人には全く異様に見えよう。

40名無しのひつじさん:2007/04/24(火) 18:11:56 ID:lRpwgqoI
「日本のルーツは古代イスラエル?」 その1

▼ イスラエル大使が徳島来県 2005年11月15日(徳島放送)

 『イスラエルの駐日大使がきょう、美馬市を訪れ古代人がしるしたとされるペトログラフが
見つかった遺跡などを視察しました。
 「ぺトログラフ」とは岩石に刻まれた古代の文様で、美馬市で見つかったペトログラフが
古代シュメール文字に似ていることからイスラエル民族とのつながりがあったのではないかと
エリ・コーヘン駐日イスラエル大使が現地を視察することになりました。
 きょうは美馬市の牧田市長を表敬訪問したあと穴吹町口山にある磐境神明神社の遺跡を
視察しました。
 ここは数千年前に建てられたといわれる積石の祭祀遺跡で高さ1・2mほどの長方形の
石垣で囲まれています。 
 大使は神社を管理している 武田大三郎さんや神主の南郷源一さんらの話を聞きながら
遺跡や岩に刻まれた文様をじっくりと見てまわりました。
 あすは剣山の視察が行われます。』
http://senbe.at.webry.info/200612/article_8.html

41名無しのひつじさん:2007/04/24(火) 18:16:34 ID:lRpwgqoI
北九州の宇佐文化圏にある重籐遺跡で発見された2〜3万トンもの鉄滓跡は、
古代に一大精錬所があったことを物語り、ソロモン時代の赤土を精練して鉄を
とる方法と同じである

王の命でタルシン船団で遠洋航海したヘブライ人、鉄の民ヒッタイト人、航海術
に長けたフェニキア人でなる一団がマレー、海南島などに製鉄拠点を築いた後、
渡って来たものと考えられている。(*19)

北九州一帯から西日本、中部にかけての謎の岩文字(ペトログラフ)は現在まで
に七十箇所六百点以上見付かっているが、シュメール古拙文字なる絵文字である

シュメール文化を引き継いだヒッタイト人によるものと解釈されている。(*23 )

「隋書倭国伝」の秦王国の記載(608年)と正倉院蔵の戸籍表における秦姓の人数が
豊前豊後地方のユダヤ系秦氏定着の事実を物語る

彼らの「石を以て祭る」風習が、ヤコブの石枕の故事の反映とみられること、宇佐八幡宮
の御神体「真薦の枕」が石枕とノアの方舟に由来することなどが言われている。

真薦枕は、八幡神の託宣により始まったが、なぜか方舟の形をしている。託宣を
伝えた者は宇佐宮の禰宜(巫女)であるが、辛島勝姓をもつ秦族の女であり、
そこにユダヤ的価値観が反映しても不思議はないという。(*19)

より歴然としているのが、吉野ケ里遺跡近傍の鰐神社の木造りの船に枕型の石を
乗せた御神体で、その石にはユダヤのシンボルである「メノラ」が刻まれている。

イスラエルには古代ユダヤ人の墓地から人骨を集め、Y染色体の遺伝子データ
がかなり収集されてるらしいな、中央アジアなんかも調査済みその結果余談
では有るけどジンギスカンのY染色体が1600万人ほど見つかったらしい
日本人からは見つからず、日本人も一割ほど調査したら面白いんだがな。

42名無しのひつじさん:2007/04/24(火) 18:19:03 ID:lRpwgqoI
古代ユダヤ人は日本をエデンの園と考えていた?

中国神話では、東の海の果てに巨大な桑が2本生えており、これを扶桑と呼んでいる。
われわれが見る太陽は、この扶桑を伝って、天空に昇っていく。いわば扶桑は太陽の
象徴でもある。一方、雷は雷雨であり、晴天をもたらす太陽とは対極にある。いわば雷
にとって、扶桑、すなわち桑は大敵なのである。ゆえに、桑畑だけには、落雷できない
ということらしい。(http://www.kitombo.com/mikami/0218.html
================

ご存知のとおり、日本の異名は「扶桑」である。
つまり、中国神話において巨大な桑が2本生えている東の海の果ての国とは、
日本なのである。
トケイヤー氏によれば、古代からシルクロードの絹貿易を独占していたのは
ユダヤ人であった。ユダヤ系日本人秦氏は、機織の機=ハタであるといわれるように、
古来、養蚕業を生業としてきた殖産豪族である。秦氏が建て、三本柱鳥居がある
木島坐天照御魂神社は、一般に、蚕の社と呼ばれており京都の「太秦」にある。
桑や蚕とユダヤとは切っても切れない関係にあるのだ(桑の異字体で、又は十と書く)。

ユダヤ思想において、2本の木と言われてすぐに思い出すのは、「生命の木」と
「善悪の知識の木」である。ユダヤ教神秘思想カバラでは、奥義を「生命の樹」として
表現し、その象徴図形には、ジグザグの雷光が描かれることもある。

この2本の桑の木は、エデンの園の中央にあった「生命の木」と「善悪の知識の木」を
表しているのだろう。

つまり、この神話は、古代ユダヤ人が、日本をエデンの園と考えていたということを
象徴しているのではないか。
http://tak0719.hp.infoseek.co.jp/qanda2/bFqYe0k6219.htm

43名無しのひつじさん:2007/04/24(火) 18:22:34 ID:lRpwgqoI
『新潮45』 2007年2月号
■ロスチャイルド、世界経済を総べるものたち……落合莞爾
http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/

記事によると、ロスチャイルドの当主は、昨年から日本のホテルに宿泊することが
多くなっているが、六本木の防衛庁跡地に建設中の超高層マンションに入居する
ことが決定しているらしい。

ロスチャイルド家の令嬢シャーロットはザルツブルグ音楽学校、英国王立
音楽院を卒業後、透明な声を生かし、オラトリオなどで活躍してきた。数年
来日本を訪問するうち、日本歌曲に魅かれて録音した。

【今、日本が失いかけている「感性」へのいつくしみが、歌の中にみずみずしく
生きている】と、畑中良輔氏も絶賛している。

1.遠くへ行きたい、2.宵待草、3.水色のワルツ、4.赤とんぼ、5.かんぴょう、
6.この道、7.かやの木山の、8.出船、9.待ちぼうけ、10.ちんちん千鳥、
11.早春賦、12.たあんき ぽーんき、13.野薔薇、14.花、15.さくら横ちょう、
16.たんぽぽ、17.初恋、18.九十九里浜、19.夏の思い出、20.芭蕉布、
21.浜辺の歌、22.椰子の実
ttp://www.ongakunotomo.co.jp/cds/index.html

44名無しのひつじさん:2007/04/24(火) 18:26:33 ID:lRpwgqoI

★倭人はユダヤ人だった?

唐の張楚金(ちょうそきん)が書いた翰苑(かんえん・690年頃)の倭国の項に、
「文身鯨面、猶太伯の苗と称す」と書かれている。

「倭人は体にも顔にも入れ墨をしている。猶太(ユダヤ)の神祇官の子孫であると
称している」と、なる。

「漢書」の「地理誌」には、「師古曰 倭音一戈  反今猶有倭国」とあります。
これは、古えの師が云うには、倭の音に関しては一つの論争があった、倭国有る
ところ、猶の音を反す。という意味です。
この場合の「猶」は副詞の「なお」ではなく、ユダのユを表わす名詞なのです。

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45名無しのひつじさん:2007/04/24(火) 18:35:38 ID:lRpwgqoI
>そもそも日本人種なんて存在しない。

日本人種は確実に存在している。日本人種に一番近い人種は確かに
朝鮮人ではあるが、朝鮮人の容貌や形質、頭示数、二重瞼率、発毛の具合
など、朝鮮人の身体的特徴は日本人種とはかなり違っている。

しかも朝鮮人のHLA遺伝子は日本人種となんと60%くらいも違っている。
日本人種に一番近い朝鮮人でさえもこの程度なのである。
その他のアジアの人種ならば、それ以上に違っているという事になる。
つまり、日本人種は日本列島だけに存在する日本独特の人種である。

更に、少数民族を除き、YAP+遺伝子を東アジアで唯一高頻度に持っているのは
日本人種だけである。YAP+遺伝子は日本人種が間違いなく存在しているという
決定的な証拠である。日本の周辺人種にはこのYAP+遺伝子がほとんど無い。
http://native.way-nifty.com/./native_heart/images/y_chromosome.jpg
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-52.htm


http://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/enjoybbs/viewphoto/phistory/81000/20070415117662333055430800.jpg

最近、日ユ同祖論者がよく使うネタにDNA調査が有る。

「YAP(図中の灰色)は縄文人固有の遺伝子ではなく、中東から発祥したものと
 分かる。死海の東からシルクロードを通り抜けて、集団の全てが日本へ大移住
 したことを示している。日本では無視されている資料。」 といっている。

46名無しのひつじさん:2007/04/24(火) 18:38:22 ID:lRpwgqoI
2000年5月9日(火)

<遺伝子>ユダヤとアラブの先祖は同じ 国際研究グループ

イスラエルとアラブとの対立が続いているが、遺伝子上はユダヤ人は
アラブ人と「兄弟」とも言える近い関係にあることが欧米とイスラエルの
国際研究グループの調査で判明し、9日付の米科学アカデミー誌に発表される。

 米ニューヨーク大医学校やイスラエルのテルアビブ大などのグループは、
7地域のユダヤ人を含む世界29地域の男性1371人を対象に、
男性の性染色体であるY染色体の塩基配列を調べた。

 調査の結果、ユダヤ人はパレスチナ、シリア、レバノンなど中東のアラブ人
と祖先が共通で、塩基配列に同じ特徴を持っていた。ユダヤ人とアラブ人は、
中東以外の非ユダヤ人とは塩基配列の違いが大きく、遺伝子上は離れた関係に
あった。ユダヤ人は地域ごとの塩基配列の違いが少なく、
他民族との混血があまりなかったことも分かった。

 研究グループは「ユダヤ人とアラブ人はみな、古代ヘブライ民族の始祖
アブラハムの子供たちであり、いずれも4000年以上にわたって
中東の遺伝的な特徴を保っている」と分析している。

[毎日新聞5月9日]

47名無しのひつじさん:2007/04/25(水) 15:23:20 ID:lRpwgqoI
古代中国文明を築いた人たちは、
日本の縄文人やマオリ族のような
姿をしていたのではないか、という
議論が中国歴史家の間でさえ行われています。

現在、YAP+を持つ人たちの居住区は
チベット、ブータン、雲南と四川の先住民、
東南アジア北部高地のシーサンパンナ地域、
広西チワン族自治区、浙江省と台湾にわずかに
のこる山岳先住民、沖縄、奄美、日本、アイヌ。
そして南太平洋と南北アメリカの先住民。

北方モンゴロイドの最後の膨張で
ヒマラヤから日本につながるYAP+ベルトが
断ち切られたのではないかということが議論されています。
チベットなどのYAP+と日本のYAP+、
南太平洋やアメリカの先住民のYAP+の間には差異があり、
それが北方モンゴロイドの膨張により、分断させられた
時期を表しているのではないかと疑われています。

現在、中原〜南中国〜北ベトナムの古人骨のYAP+調査が
中国の大学により行われています。

48名無しのひつじさん:2007/04/25(水) 15:58:47 ID:lRpwgqoI
YAP+が見つかるのは、平野で3割、山間部で5割だから
全体で日本特有のYAP+をもつのはおそらく3割〜4割か?

https://www3.nationalgeographic.com/genographic/atlas.html
をみながら、
http://en.wikipedia.org/wiki/Human_Y-chromosome_DNA_haplogroup
をみて、M174(Y染色体ハプログループD)をおいかけると、、、。
YAP+は、ハプログループのDとEに特徴的だ。起源は、アフリカで、いっしょ
にいったのが、M130だね(これは、グループとしては、Cに属す)。
ちょっと、M130と、M174を混同していたように思うので、オーストラリア、
とかニューギニアは、M130で、日本人やチベット人のM174とはちとちがう。
アメリカ大陸にいっていたのは、M130だね。もちろん、これも日本人には
ある程度存在する。M174と、M130がいっしょに行動していたことはほとんど
自明なので、その意味では、同じでもいいだろ。
いずれにせよ、YAP+は、アフリカから、インド、東南アジアを経て、日本に
は南方から入っている。

YAP+は、アフリカ人にも存在する。
同じ突然変移が起こる確率というのは、皆無といってよいほど少ない。
よって、ひとつの突然変移は、その子孫に受け継がれるわけだ。
https://www3.nationalgeographic.com/genographic/atlas.html
の中で、Genetic Markers のところの、YAPをひっぱれば、一発でわかるだろ。

それから、中央アジア経由でなく、南アジアから東南アジアを経て日本
にきている理由は、このYAPが非常に起源が古く、その当時の人の移動
はもっぱらアフリカから、アラビア半島、南アジア、東南アジアを経由
するコースしか考えられないからだ。
M174の経路をみればわかるように、東南アジアから日本に入り、そこか
ら、アジア内陸部に向かっていることもわかる。

49名無しのひつじさん:2007/04/25(水) 16:02:24 ID:lRpwgqoI
このルートは、他のマーカー、たとえば、M130などでもわかりように、
環太平洋ルートというもので、採集的には、そのまま日本を経由して、
アメリカ大陸に向かうものだ。

現状では、Genographic Project がもっとも新しいデータをあたえている。

以下は、昨年程度のものだが、ハプログループの扱いはまともだから、
こっちでせつめいしよう。
http://www.scs.uiuc.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdf
これはPDFだけど、最初のページがY染色体の世界的な分布だ。
このうち、YAP+とされるのは、DとE(ExE3b,E3bとか含む)なんだよな。
日本人のYAP+は、基本的に、Dだ。で、これが多いのは、日本以外では、
チベットと、頻度は少ないが、スマトラ島の人達に多い。

なぜかこれ→http://www.geocities.com/londonross1/china3.png には、
チベットの情報がまったくないのが不思議だよな。
チベット人は、氷河時代のころから、ヒマラヤ近辺にいたかなり古い
民族で、周囲が他に囲まれて、残ったというのが実状のようだな。
さて、D,Eは、どちらも、同じ系統で、3ページめにあるように、Bから
分岐した系統だ。かなり根っ子に位置する。で、D,Eが双方ともにYAP+
であるが、それ以外の系統では、YAP+は、ないから、D,Eの共通祖先の
段階で、YAP+の突然変異が起こったわけだ。Eは、アフリカに多く、また、
ヨーロッパにも一部いる。
ということは、基本的に、D,Eの祖先は、アフリカにいたことになる。
問題は、チベットと日本とどっちが早いか、という話だな。
状況としては、日本のほうが古い可能性が高い。
よって、アフリカから、アラビア、東南アジアを経て、日本、そから、
西にむかってチベットへ、という経路を通っていることになるんだよ。
YAP+が別の系統で発生することはありえないから、共通祖先は、アフリカ
ということになる。

50名無しのひつじさん:2007/04/25(水) 16:11:58 ID:lRpwgqoI
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_D_%28Y-DNA%29
どうもこちらでいうと、

http://www.geocities.com/londonross1/china3.png
http://native.way-nifty.com/./native_heart/images/y_chromosome.jpg
↑これでいう、ht とかいうのの分類はD1,D2,D3に対応するようだね。
で、D1,D3には、以降の突然変異がないが、D2には、その後、多数
の変異がある、ってことは、起源としては、D2がもっとも古いことになる。
で、そうとすると、D2が古いんだから、それがたくさんいるところが、
古いわけで、それは、日本だ、ということだね。
このことから、D1のチベットや、D3の多い南部中央アジアと比べると、
日本のD2のほうが起源が古く、その結果として、日本からアジアに
ひろがったと考えるのが遺伝学的な考え方だよ。
で、このDのルートは、東南アジア回りってことになるね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Human_Y-chromosome_DNA_haplogroup
はなかなかよくまとまっているので、しっかり読んでおこうね。
日本語ページはまだないようだけど。

YAP+の話題からすると、日本人の中で、YAP+のタイプ、つまり、ハプログループ
が、D2なのは、おもに、琉球、アイヌ系ってことになる。つまり、日本人の
中では、先住民系になるわけだ。アイヌ系があれほど北にすんでいながら、
南方的要素が強いっていうのが面白いよね。

つまり、日本人の旧石器時代人は、考古学的にもいわれているように、
南方系なわけだ。旧石器時代人骨とされるものは、どれも東南アジアなど
のネグリトなどに近い系統だ。縄文人の平均身長が150センチ(男性)ちょい
なのも、こういう系統に近いからってことになるだろう。ただし、北方系
は大きいけど。
中国では、こういう南方系の要素の人々がどんどんおいやられて、周辺に
しか存在しないが、日本では、まだまだかなり多い。

51名無しのひつじさん:2007/04/25(水) 16:13:46 ID:lRpwgqoI
その意味では、日本は中国辺境系と考えられて、
日本には多くの南方的要素が入ってきたと
いうことだな。もちろん、日本から出ていった系統もある。
まあ、それをざっくりまとめると、
https://www3.nationalgeographic.com/genographic/atlas.html
にあるとおりになる。

https://www3.nationalgeographic.com/genographic/atlas.html
にある、YAPの項目をちらっと訳しておこうか。

現在のサハラ以南に住む人たちは、人類の系統樹の中の特別な、三つ
のもののひとつで特徴づけられる。遺伝学者によって、これら古い
時代の分岐は、YAPと呼ばれている。

YAPは、北西アフリカで起こって、サハラ以南の人々の三つの古代の
分岐の中ではもっとも頻繁に見受けられる。これは、Aluの挿入として
しられる突然変異によって特徴づけられる。これは、300塩基のDNAの
断片で、非常だが、細胞分裂時に、人間のゲノムの領域に挿入される。

時代とともに、この系統はふたつのグループに分岐した。
ひとつは概ねアフリカと、地中海沿岸にあって、
これは、M96というマーカーで定義され、それは、
ハプロタイプ E と呼ばれる。もう一方は、Dで、これはM174の突然変異
で定義され、アジアにある。

https://www3.nationalgeographic.com/genographic/atlas.html
における、Y染色体のハプログループDの記述を訳しておこう。
これ、もちろん、YAP+ね。日本人は、D2だという話はしたよね。

52名無しのひつじさん:2007/04/25(水) 16:15:24 ID:lRpwgqoI
ハプログループDは、おそらくアフリカを出発した、
最初の大きな民族移動で、海岸氏族とされた(ハプログループC)
といっしょに移動したようだ。
海岸沿いの豊富な資源を有利に活かして、この大胆な冒険者たち
は、アフリカから南アラビア半島、インド、スリランカ、そして、
東南アジアへと海岸ぞいをおい続けた。
もっとも、そうではなくて、彼らはあとから海岸氏族の足跡をおい
かけて旅を続けたのかもしれない。この祖先の子孫の一部は周囲か
ら隔絶された中で、この古代のルートに沿っていまでも生きている。
とくに、東南アジアと、アンダマン諸島であるが、しかしインドには
いない。
この子孫はさらに後のふたつの民族移動を匂わせている。
それは、東アジアの海岸を北にむかったものたちで、それは日本に
到達した。そしてさらに最近の移動では、ここ数千年の間に、
モンゴルからチベットに入った子孫がいたということだ。

以下、この文章の感想ね。
ざくっと、アンダマン諸島あたりに痕跡があるから、東南アジア経路
であることは確定的なんだよな。アンダマン諸島の人々はかなり古い
民族であり、その場にずっと数万年前から住んでいた人々がいまでも
住んでいるところで、そのあたりは、他の遺伝子や、考古学的にも、
立証されている。
むしろ、モンゴルにからチベットに入ったのは、日本からモンゴルへ
むかったものたちの子孫ってことになるな。ようは、北方アジア人が
古代日本人の子孫の一部であり、日本人が北方アジア人から来た人達
の子孫ってのは、だいぶ後の話になるわけだ(弥生時代とかね)。

53名無しのひつじさん:2007/04/25(水) 16:32:52 ID:lRpwgqoI
アイヌの系統と、日本列島北方の人達は、たしかに、アメリカ大陸に移住
した人々と非常に近い関係にあることは事実なんだが、そのアメリカ大陸
の人々の多くも、Y染色体ではCとかが多くて、これはアフリカから東南
アジア経由、日本列島(およびシベリア)からアメリカに入るってことだ。
もちろん、アメリカ大陸にいった人の中には、mtDNAのXとか、ヨーロッパ
系と関連する系統もいるが、日本人の中では、Xは発見されていない。
で、20世紀末ごろの日本人の研究者の文献の中には、縄文人骨のmtDNA
が、ヨーロッパ型だったとかいう話があるが、その当時はハプログループ
の定義もあいまいだし、全長配列での解析はしてない。
前にも書いたように、それで大間違いしたのが、中国山東半島の白人
系って話だったけど、全長配列解析したら、結局mtDNAのM型の亜種で、
東南アジアから北上した人達だったことが判明したりしている。
研究の日付が20世紀中で、著者が国立遺伝学研究所とかの系統だと、
宝来先生とか斉藤先生のもふくめて、ちょっといまではまったく通用しない内容になっている。

ヨーロッパ人の中にも、たしかに中央アジア系がいて、その中には、
東にいたって日本や中国までいたった人々と共通祖先だったこともあり、
それもはっきりわかっているが、(こと氷河時代末までの2万年前ごろ
までの話だと)日本列島は、北から南まで、どっぷり東南アジア系の
人々であるといえる。で、その一部がアメリカ大陸までわたったわけだ。

なお、もう少し加えると、こういう初期にアフリカから出た人々の子孫
は、2万年前ごろまで、形質的にはかなり古い特徴をもっている。
いわゆる北方系ののっぺり顔なんていなくて、髪の毛もたぶんちじれて
いて、肌もかなり黒い。このあたりは、日本の旧石器時代の人骨の特徴
でもあるし、さらには中国での旧石器時代の人骨の特徴でもある。
世界的にみて、現代人の地域ごとのいろいろな顔の特徴、肌の色などは、
ここ1万年か1万5先年ぐらいで形成されたもので、ヨーロッパ人も、
この時代、現代のヨーロッパ人と同じ顔をしていたとは思えない。

54名無しのひつじさん:2007/04/25(水) 16:33:53 ID:lRpwgqoI
クロマニョン人一般も、骨だけからはアフリカ人と区別が付かないという。
だから、ドイツ発見のグリマルディ人が黒人の祖先とかいわれて
いるわけだ。まあ、北方東洋人ののっぺり顔が世界ではもっとも先鋭
的な顔であることも事実だわな。
あと、アフリカの黒人も黒くなったのは、ここ1万年かそこらだ。
もっと古い民族であるブッシュマンはかなり色が薄い。

最近チェックいれているけれど、国立遺伝研関係とかのページの内容が
ほとんど更新されていない。20世紀のままになっていてまったくこま
ったものだよね。日本人の研究者がこのあたりでまったくもって研究
を発表していないんじゃないかって思うくらいだ。
以下のページが、日本人の書いたものだけど、読んでみてくれ。
全部は訳せないしな。
http://www.genome.org/cgi/reprint/14/10a/1832.pdf
これは、かなり網羅的な研究で、弥生時代以降のものと、それ以前では
まるっきり違う系統のようで、古い層は、南方系(mtDNAのMとかNとかの
系統)が多いということが書かれているぞ。ただ、非常に複雑なので、
簡単ではないが、とも書かれているな。まあ、読んでみてくれ。

>アルタイ方面から移動して朝鮮・日本や中国・東南アジアに分裂した
>可能性だってある訳だろ。
ない。理由は簡単だ。日本にやってきた東南アジア系
(もちろん、アフリカ、アラビア、インドを経てってことだが)の子孫が、
断続的にきっちりと、アフリカ、アラビア、インド、スリランカ、
東南アジアに分布している。それと、関連する人々が、
オーストラリアまで移住していることもある。
逆に、アルタイ方面にその当時いたのは、それこそ、アメリカ大陸まで
移住していったmtDNAのハプログループXの人々だが、この系統は、日本
列島にも入って来てない。

55名無しのひつじさん:2007/04/25(水) 16:52:01 ID:lRpwgqoI
数万年前の人々の移動が現在まで痕跡が残っているっていうのは不思議
に思うかもしれないが、現実には、いろいろな分析法によって、くっき
りと遺伝子密度の勾配が見えるんだよ。

とくに、日本にアフリカ、アラビア、インドを経てやってきた東南アジア系の人々の系統が
アンダマン諸島とかと関係があるとなると、
考古学的にも孤立した人々の話で、かなり信憑性が出てくる。
遺伝子勾配も、数珠状につらなるアフリカからの流れも、ひとつひとつ
はそれだけだと、根拠はうすいんだが、相互に相補的に証拠としてでて
くるので、よほどのすごい発見がないかぎり、崩れない結論だ。
だから、ない!ときっぱりいえる。

日本に水田技術を伝えた人たちの移動ルートは
稲のDNA追跡から、判明している。

江蘇、浙江、福建→日本西南部→朝鮮半島の順。

稲と共にどれだけの人が渡ってきたのかはまだ不明。
日本への陸稲 8千年前に伝来
日本への水稲 3千年前に伝来

http://www.athome.co.jp/academy/genetic/gen04.html

下戸の遺伝子(世界分布図)
何千年前に移動したのかがわからない

1)日本列島に「東南アジア方面から」「旧石器人」がやってきたのは、
「3万年以上」前のこと。
この人々が、基本的に縄文時代の日本人のベースとなっている。だから、
アイヌや、琉球の系統にこの「原日本人」の系統が多いってことだ。

56名無しのひつじさん:2007/04/25(水) 16:55:07 ID:lRpwgqoI
2)日本列島から、中国北部やアメリカ大陸に向けて人口の拡散がおこって
いて、その時期は、2万年前から1万5千年前。これは日本列島とその
近隣(朝鮮半島も含む)からの「拡散」であって、日本列島への流入ではない。

3)弥生時代の始まりとともに、あきらかに大陸から日本列島に稲作文化を
ともなった大陸人の移動があったが、これは、紀元前1000年ごろである。
朝鮮半島経由か、中国南方からかはわからないが、系統は中国南方の系統だとされる。

年代をしっかり整理してくれよ。3万年前、2万年前。そして3千年前だ。

シュメール学の権威であるS・N・クレーマーによれば、
「ついこの間まで、プレアデス星団を指すシュメール語ムル・ムルと、この星々を
表す日本語「スバル」との間に、何か歴史的な、あるいは文化的なつながりを想定
するなど、だれにも夢想だにできないことだった。それが優れたオリエント学者
ロイ・ミラーが、権威あるアメリカ・オリエント学会の会長講演をもとに加筆し
“スバルの跡をたどれば、本当にシュメールの昔にまで行き着く”ことを論証した
のである」という内容の論文だった。

>>「スバル」=古事記、日本書紀、では「すまる、統る」とも記す。ちなみに
沖縄方言でムルブシ(星)八重山方言でムルカ星と言う。「スバル」星は「東」
の方角を指す道標。天皇(スメラミコト)も東に輝く「スバル」のミコトでは?

57名無しのひつじさん:2007/04/25(水) 17:00:26 ID:lRpwgqoI
福岡県珍敷塚古墳壁画 6世紀後半(西暦550年以降)黄泉の国と、黄泉の国へ
向かうための船 http://cyber.infoware-d.jp/kikaku/pictures/uzu02006.png
http://www.bekkoame.ne.jp/~gensei/ten/boat2.gif

エジプトのピラミッドの壁画、死後の世界へ旅立つ太陽の船とホルス神。
http://www.bekkoame.ne.jp/~gensei/ten/boat1.gif
ホルス神はエジプト神話のオシリスとイシスの子。ホルスはギリシア語。
ハヤブサの頭をした男、あるいは女神イシスの膝に乗った幼児。これはキリスト教
の聖母子像の原型とされる。

両者が全く関係ないというほうが無理がある。珍敷塚壁画を描いた人々は、
どうしてエジプトの太陽の船とホルス神の構図を知っていたのか

58名無しのひつじさん:2007/04/26(木) 02:52:02 ID:sigf5wuI
良スレあげ

59名無しのひつじさん:2007/04/26(木) 13:39:24 ID:l6VTH9BU
★DE*YAP+遺伝子から見た(下の方)、中東→中央アジア→日本、日本人のルーツ
 http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=80022
★タジク人(上のアイヌ人にそっくり)
 http://www.travel-images.com/view.shtml?tajikistan5.jpg
★サマルカンドで会った、沖縄のお婆親子です
 http://homepage2.nifty.com/hashim/smile/samarqand02

http://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/enjoybbs/viewphoto/phistory/81000/20070415117662333055430800.jpg
                 ↑
YAP変異(挿入)はアフリカと中東と日本だけみたいね。
日本人男性の42〜43%が保有。問題は多形が何時生じたかだね。
日本のYAP+変異は中東・アフリカと相似なのかな?

「YAPハプロタイプの5種類すべてと27種類のコンビネーションハプロタイプのうち21種類は、
アフリカの人類集団で観察され、他の地理 的な場所に由来する集団に比べて、
より大きなハプロタイプの多様性をもっていた。
5種類のハプロタイプの特定の組合せ(サブセット)のみがアフリカ以外の集団では観察された。
今回観察された地球規模でのY染色体DNA変異のパターンは、
現代人の複数回に渡る脱アフリカと地域拡散の仮説を支持するものである。」

新しい出エジプト集団の多形が古い変異を持つ集団の分布に上書きしていったと考えれば、
日本人の持つYAP+は初期の「出エジプト」集団に起源を持つということになる…?

ヨセフは、エジプトの祭司ポティ・フェラの娘アセナテと結婚してエフライムとマナセが生まれた。(創41:50) 
(*当時のエジプトにはまだアレクサンダー遠征によるギリシャ人の血が入っていない) 
          ↓
http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/00000dna6.htm
http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/00000dna5.htm

60聖書と日本:2007/05/02(水) 03:00:14 ID:???
http://www.geocities.com/heartland/lane/7662/nihon/nihon00.htm

61■ユダヤ人の知性の秘密は「生後8日目」の割礼儀式:2007/05/11(金) 16:07:04 ID:taPIsFPg
■ユダヤ人の知性の秘密は「生後8日目」の割礼儀式

また、別の明治天皇の孫と自称する女性ジャーナリストによると、
皇室では、ユダヤ教と同様の割礼の習慣があるという。

明治天皇の孫と自称する女性とは、中丸薫。
私は立ち読み程度なので覚えていないが、
『明治天皇の孫が語る闇の世界とユダヤ』の中に、
「皇室の皇子は割礼をうけている」という記述がある。

明治維新にユダヤ人の影が見え隠れするといえば、
そればかりではない。
私の祖父に当たる明治天皇自身もある時期、
先のフルベッキ牧師のもとに三条実臣を遣わせている。
明治天皇は、旧約聖書と新約聖書をずいぶんよく学んだといわれる。
また史実を見ただけでも、維新以降、
皇室の中にはさまざまな形でユダヤ的なるものが入っていると
感じざるを得ない。
その一つが、天皇家の皇子たちがみな「割礼」をうけているという
事実である。
明治天皇以降、大正天皇、昭和天皇など、皇室の皇子は
すべて割礼を受けている。
もちろん、私の父・堀川辰吉朗も例外ではない。

http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1335738

62名無しのひつじさん:2007/05/11(金) 17:03:15 ID:Pd5XCxPE
ブッシュの背後にはネオコンのユダヤ人が居て資金援助をしてくれて選挙を戦えた
という。

日本でも同様の動きがあるのだろうか?

63名無しのひつじさん:2007/05/15(火) 12:17:22 ID:/GTeHdBk
か〜ごめかごめ・か〜ごのな〜かのと〜りいわ・いついつでや〜る
よあけのばんに・つ〜るとか〜めがすべった・うしろのしょうめんだ〜れ

神護目神護目・几の中の鳥「鳳凰」日の鳥は・いついつ出や〜る
夜明けの晩に・鶴「天」と亀「地」が統一べった・「後ろの正面」だ〜れ?

天皇・皇族はそれを受け入れるか?
日本国民はそれを受け入れるか?
イスラエルは何を言い出すか? 世界の反応は?

ロスチャイルド家が動く
      ↓
ロスチャイルド家だけじゃないよ
1、南アフリカのデビアス社総帥(ドイツ系ユダヤ人)オッペンハイマー家、
  親日家で自宅に巨大な日本庭園を5年かけ作ってる。京都がお気に入り
2、ロイヤルダッチ・シェル社創業者マーカス・サミュエル
  日本の湘南海岸でアサリ拾いが始まりで後「貝」シェルをトレードマークとする。

天皇家=ユダヤの王家 イスラエルの正当な後継者
朝鮮=通り道。百済と新羅は通り道の残りカス

まず、天皇家がユダヤだってどうやって証明すんだろ?
陳舜臣が言うには、中国からシナゴーグの跡が発見されてるから、中国までユダヤ人が来てたことは確かだろうが、
民族としての足取りが資料から掴めず、漢族の中にに溶けこんでしまったんじゃないかと推測している。
ユダヤ人の要素としては、遺伝的血統よりもユダヤ教に対する信仰やヘブライ語を母語とする事が重要だと思うが、
日本文化の中心にいた天皇がユダヤ人なら、日本語や祭祀の中に目に見える形で多くの痕跡があるはずなんだがね。

64名無しのひつじさん:2007/05/15(火) 12:18:23 ID:/GTeHdBk
マルコ・ポーロやキリスト教宣教師や回教徒の旅行家の記録によると、
まちがいなく唐代以降、中国各地に大きなユダヤ人集団が存在していた。
回教徒は海のシルクロードを使ってアラビア圏と中国の間で交易を盛んに
していたわけだから、それに便乗して中国にやってきていたユダヤ人が
日本にまで交易品を求めてやってきていたとしてもおかしくないわな。
ただ、それはあくまで唐代以降の話で、天皇のルーツがどうのこうの
っていうのは、ぶっ飛び過ぎなんじゃないの?あの中国国内ですら、
唐代以前にユダヤ人がやってきていた証拠はほとんど皆無なんだしさ。

必ずしも、 古代朝鮮人 = 現代朝鮮人  でないね。
必ずしも、 中国の歴史 = 漢民族の歴史 でないようにね。

仁徳天皇稜の石棺の中央に書かれてる文字はなんだろ。
ググると出てくるけど。漢字には見えないし。

四国に栗枝渡(クリスト)神社という神社がある。このちかくには鶴亀山(現在、剣山)があり、
ノアの箱船で有名な7月17日に毎年恒例の儀式を行う。
このクリスト神社にはなぜか鳥居は無く、天皇家の菊の御紋がたくさん印されている。

ザビエル以前にキリスト今日の文化が伝わっていたと見るほうが自然なんだろう。
ググってみたが、鶴亀山の信仰がかなり古く、古代ユダヤと酷似しているらしい。

古代の中東近辺の民族が日本人の祖先にいることは間違い無いみたいだね。
中国や朝鮮を渡り、日本に行き着いたか、シルクロードもそのルートの一つか・・・?

シルクロードの終着点、正倉院にはヘブライ語が記された剣やらいろいろ残っているしね。
そもそも、秦氏の「秦」という字は中国では「ペルシャ」を指すから、
ユダヤ人がペルシャで囚われた歴史を考慮するとつながるね。

いろいろ考え方はあるけど、日本国と古代ユダヤのつながりは非常に大きいっていうのが現在の学者の通説。

65名無しのひつじさん:2007/05/15(火) 12:42:50 ID:/GTeHdBk
三井財閥の三井は秦氏だということを知らないだろう。
応神天皇の頃の渡来人秦氏はキリスト教の一派である景教徒の可能性が高い。
秦氏と日本の神社には大きな関係がある。
http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/kinki/s_matuo.html

全国に多胡っていう地名あるでしょ、
そこは古墳時代からの西域人(西アジア人)居住地。有名なのは群馬県吉井町多胡、
ここには羊太夫という西域人が帰化し豪族となって地域を治めていた。
全国で多胡はほとんど旧名になってしまっているが千葉県の成田空港のお膝元には多古町がある。

マジレスすると、
ユダヤ人と日本人がある特定の共通の母系遺伝子病を保持している事は完全に証明されているよ?
この場合、韓国人と中国人にはこの母系遺伝子病を保持する者が1人もいなかったのに対し、
ネイティブ沖縄人の場合、地域差があるが40%〜70%
日本人の場合でも地域差があるが5%〜30%
他の遺伝子解析の話でよければ
長崎と沖縄だけ日本人より中国人に近い遺伝子もあるし、あえて地域名は出さないが、
日本人というより朝鮮人に遺伝的に近い地域が2ヶ所、
東北は半島から来た渡来系とは別系統の北方ツングース遺伝子高頻度である一方、
あきらかにコーカソイドの遺伝子も入っているし。
こんだけいろんな遺伝子の入った日本人とユダヤ人が同祖とは普通思わないでしょ
ただし、ユダヤと朝鮮人で共通の遺伝子は見つかっていない。

ユダヤ人といっても混血が多いかんね。ユダヤが母系社会って書いてあった事で少し解決した。
母系遺伝病だから父親が別人種でも母親が、
この母系遺伝病の遺伝子を持っていたら、100%遺伝する。それから
俺の言ったユダヤ人とは、イスラエルに住むユダヤ人と東欧(旧ソビエト)
と中欧(ドイツ)などに住むユダヤ人の話。
アメリカとか中国に住むユダヤ人の遺伝病解析の論文は探したらあるんだろうけど、
読んだ事ないから知らない。

66名無しのひつじさん:2007/05/15(火) 13:01:15 ID:/GTeHdBk
東シナ海油田で石油や天然ガスの違法採掘(ある意味日本への嫌がらせだが)をし
近年NYよりも凄いビル郡を中国各都市に立ててるのも中国のサッスーン財閥
実はこれはユダヤ財閥

ロックフェラー、ロスチャイルド,モルガンなどのスファラディユダヤ財閥繋がりとでもいうべきかな
サッスーンはこれらと血縁関係を結んでるらしい
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe100.html#02
サッスーンについてはここを読むとわかる

★レモンバーム(メリッサ)
この植物は、ギリシャ神話ではゼウスに蜂蜜を与えた半神半人のメリッサという女性を象徴する花と言われていますが、
この植物を象徴する最も有名な伝説は「さまよえるユダヤ人」の話でしょう。
ある年の精霊降誕祭の日の話です。
最後の審判の日まで放浪する運命を背負ったとされるユダヤ人の一人が喉の渇きに苦しみながらさまよっていたそうです。
そのユダヤ人が、ある貧しい農家でビールを1杯飲ませて欲しいと頼んだところ、
自分達でさえ滅多に飲まないビールを快く飲ませてくれました。 そのころビールは贅沢品で、
そのユダヤ人も他の家では「お前にやるようなビールは無い」と何度も断られていたのです。
その1杯のビールを飲むと、のどの渇きはたちまち癒され元気が出てきたので、
ユダヤ人は礼を言ってその家を立ち去ろうとしました。
ところが、礼を言おうと家人の顔を見るとその家の主の顔色が非常に悪い事に気がつきました。
事情を尋ねてみると、主人は悪い病気で、回復の見込みも無いといわれたのだということです。
それを聞いたユダヤ人はビールの礼に次のように言い残し、農家をあとにしました。
「ビールの壷にメリッサの葉を3枚入れ、出来るだけ毎日飲みなさい。
そして4日毎にその葉を新しい物に取り替えなさい。
そうすれば10日と2日すれば、身体の具合が良くなるでしょう」
家人は不思議に思いながらも、放っておいても病気は回復しないのだからと、
ユダヤ人の言うとおり毎日メリッサの葉を入れたビールを飲みました。
すると、12日後本当に病気は回復し、主人の顔色も良くなったということです。

あるHPから転載。

67名無しのひつじさん:2007/05/15(火) 13:16:53 ID:/GTeHdBk
客家(ハッカ)とは、中国に存在する数々の民族・部族の中で
漢民族の下位集団とされて来た存在であり、その名は字の通り「客人」「他所者」を意味する。
中国南部や四川省、広東省に住む部族であり、他とは異なる特有の言語を持つ事で
世界人類史の研究者に認知されている人々だ。
また、周囲の民族とは異なる文化の下で、一般に外部と離れた場所で
生活して来た歴史を持つ為に、他の民族や部族との軋轢もかなり多く、更に過去から
コミュニティを保つ為の防衛手段の一環として、「土楼」と呼ばれる
外部からの襲撃を防ぐ役割を持つ造りの集合住宅を建造して生活しているという
他に類を見ない建築文化を築き揚げている。(現在でもこの土楼は福建省や湖南省で見られる)
歴史的な面では他からの偏見や差別、村八分に遭いながらもそういった迫害に屈しない
精神力・忍耐力と知恵を代々から受け継き続けている存在とされているが、日本人と同じく
かなりの働き者であり、頭の回り方も目を見張る程速い上、行動や観念・概念が
ユダヤ人と似通うといった特徴を持つので「東洋のユダヤ人」の別称を持つ。
(一説では、この部族がユダヤ人の血を引く中国人と言われている)

華人社会での認知度は実に少数だが、それとは逆に華人社会を完全に
前後上下左右隙間無く押えてしまっている為、とてつもない勢力を誇っている。
中国は勿論のこと、台湾・香港・マカオやシンガポールを始めとした華人圏の国々は
客家によって支配されていると言っても過言ではない。その様子がまるで現代ユダヤ人代表の
アメリカユダヤ人そのものである為、各国のユダヤ人研究家は世界中のユダヤ人達と接点が在るのではと見ている位だ。
過去を遡れば中国はあの孫文や孫文婦人の宋慶齢、毛沢東、蒋介石婦人の宋美齢、訒小平、周恩来らが、
香港は李華誠、台湾は元総統の李登輝、タイは元首相のタクシン、シンガポールではリー・クアンユーらが代表である。
彼ら客家は、「東洋のユダヤ人」と言われる。

68名無しのひつじさん:2007/05/15(火) 14:29:26 ID:/GTeHdBk

★渡来人研究会
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/keijiban6.htm

69名無しのひつじさん:2007/05/16(水) 15:53:38 ID:/GTeHdBk
●大和政権の発展のために働いた渡来人(渡来人研究会ttp://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/index.html)

秦氏・・・秦の始皇帝の末裔を自称していたと伝えられる。
   蘇我氏の元で、諸外国の技術・知識を調べ出すことを、当時の政権のため、
   あるいは氏族自身の朝廷での優位性をたもつために、熱心におこなっていただろうことが想像される。
   蘇我氏の仏教導入のための造寺、儀式導入など。
   養蚕から絹織物との関わりも考える説もある。
   大蔵・内蔵官人職との関わりが強く、文筆業・算術などにも長けていたものとおもわれる。
   長岡・平安遷都には、山城に拠点をもった秦氏とその土木技術が大きく影響を及ぼしている。

東漢氏・・・韓半島でもカヤ地域から河内に渡来してきた氏族。
   漢帝国に属した帯方郡から渡来したという伝承に由来して「漢」と称することとなったと考えられている。
   伝承面では東漢氏の渡来伝承には、神牛の導きに従い、中国漢末の戦乱から逃れ、朝鮮に渡ったこと、
   皆才芸に優れ重宝されたこと、さらに聖王が日本におり、このままでは滅ぼされてしまうとして、
   渡来してきたと伝えられている。 
   蘇我氏の兵士として奉仕していたが、壬申の乱では、蘇我氏を見捨てることもあった。
   その後天武天皇にそれら推古天皇以来の武力の技をとがめられている。

西漢氏・・・物部氏と結びつきが深かったとの説がある。東漢氏に準ずる形で組織が成立していったらしい。

文氏・・・王仁の後裔氏族。文筆業を主としたことから、その呼称・氏族名が生じたものと考えられている。

今来漢人・・・遅れて渡来した漢人。外交関係に従事。
   陸系先進技術を通して、王権に奉仕していったものと考えられている。
   奈良時代にはその一部は雑戸・品部として、官営工房などに配属されたようだ。

吉士集団・・・6世紀ごろに渡来した新羅系の渡来人集団。

7世紀以降の渡来人・・・百済・高句麗が滅んだときに亡命してきた、百済王氏・高麗王氏らの亡命渡来人や、
   朝鮮三国の官職をもって渡来した氏族とその子孫、唐から遣唐使などを通して渡来した唐人などがある。
   また、7世紀ころになるとペルシアやインド方面からの渡来人も記録されている。
   これらの渡来人は、当時最先端の大陸系の知識・文化を身につけていたことから、
   時に重宝されることがあったものと考えられている。

70名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 16:23:11 ID:sYito2/w
911 :神も仏も名無しさん:2007/06/25(月) 14:37:30 ID:I0K5+Uau
ttp://q.hatena.ne.jp/1138821235#a480236
12 回答者:JAMES 2006-02-05 06:38:18
http://tak0719.hp.infoseek.co.jp/qanda/empp.htm
皇室の人の大部分がクリスチャンです。皇后陛下がクリスチャンであることは有名ですが‥それだけでなく…。
天皇皇后両陛下をはじめ皇族の大部分。皇室職員の大部分。…がクリスチャンであることは公然の秘密です。
皇后陛下および宮妃(宮家の奥様)は全員クリスチャンです。
・皇后陛下‥(旧姓)正田美智子さま カトリックの名門正田家(日清製粉)から。
・常陸宮妃‥(同)津軽華子さま 青森の津軽家(旧大名)から。津軽家の藩校は現在ミッションスクール(東奥義塾・・プロテスタント)。
・三笠宮妃‥(同)麻生信子さま 九州のカトリックの名門麻生家から。麻生セメント。
・高円宮妃‥(同)鳥取久子さま 四国の鳥取家から。おそらく聖公会だとおもいます。
歴代侍従長の多くはクリスチャン。現職女官長井上和子氏など皇室職員の大部分がクリスチャン‥‥。
個人名は多すぎて書ききれません。参考のサイトは上記以外多数あります。http://www5e.biglobe.ne.jp/~BCM27946/

日本キリスト教女性史
津田梅子‥津田塾大学創始者
市川房枝‥国会議員、婦人運動家……などなど‥非常に多数。
歴代総理大臣、閣僚のうちの多く。たとえば戦後の総理大臣は‥‥吉田茂 片山哲 鳩山一郎 大平正芳 羽田孜
総理大臣以外の閣僚もというと多すぎて書けません。財界の有力者のうちの非常に多く。
樋口廣太郎…住友銀行副頭取からアサヒビール社長・会長・名誉会長、経団連副会長、経済戦略会議議長
小林陽太郎…富士ゼロックス会長、経済同友会代表幹事
速水優…日銀総裁、経済同友会代表幹事、東京女子大学理事長、日商岩井専務
小倉昌男…故人 ヤマト運輸社長・会長  森泰吉郎…故人 森ビル創業者
などなど、あまりにも多くて書ききれません。緒方貞子〜新渡戸稲造‥など新旧超大物人物多数。多すぎて書けませんので下記などを参考に…

71名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 16:53:42 ID:sYito2/w
イスラエルの歴史

●BC2000頃
ヘブライ族の古バビロニア王国成立
その後、モーゼによる出エジプト(エクソダス)、約束の土地カナン、今のパレスチナへ
ダビデ、ソロモン王のイスラエル王国時代(12支族、エルサレム神殿)
●BC931 南北に分裂
●BC722
北イスラエル王国、アッシリアに捕囚(その後戻らず、消えた10支族、サマリア人として広く
ユーフラテス大陸全般に拡散?一部東進?)
●BC586
南ユダ王国、新バビロニア王国によるバビロン捕囚
アケメネス朝ペルシャによって解放、帰郷(一部戻らず、東進?)
ユダヤ教徒=ユダヤ人誕生、旧約聖書成立 ヘブライ、アラム語
●BC2世紀頃
古代のシルクロードのユダヤ系支配、中東、ペルシャ出身者の東進、華僑との交流
〜インド、開封あたりにまでユダヤ街を建設
●1世紀頃
イエス誕生、ユダヤ教の復古主義(反パリサイ派、反律法派、神秘主義カバラ)として弾圧、処刑
イスラエル、ローマに対して蜂起、敗北
イエス直系のエルサレム教団(12使徒トマスら、原始ユダヤキリスト教、セム系スファラディ)
シリア(大秦)ペルシャ方面に拡散、後の東方教会に影響。ヘブライ、アラム語
特にトマスはアッシリア、アルメニアを教国化した後、インド(一説にはチベット、中国まで)で
原始ユダヤキリスト教として布教。(後漢の光武帝に侵入したチベット族はイエス伝説を残してる)
同時に12使徒パウロのアンパティオ教団の中から非ユダヤ人への布教活動が開始、弾圧されつつも
西方ローマ支配地に拡散、後のローマ教会につながる *新約聖書成立コイネーギリシャ語
やがてエルサレム教団はヨルダン川東のギリシア人系都市ペラを最後に消えていく(シルクロード東進?)

72名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 16:54:42 ID:sYito2/w
>>71よりつづく
●2〜3世紀頃
弓月国(シルクロードほぼ中央、他に数十ヶ国乱立)東洋で最初の原始キリスト教国(エルサレム教団系)に
日本では卑弥呼の邪馬台国から三輪王朝の時代、やがて大乱、ニニギ(神武天皇)の東征?初期大和朝廷へ

●300年頃、秦氏の半島登場?
>>399(百済王家は辰王家。辰韓の所伝では、中国から秦人が逃げてきたので、馬韓が東方の地を割いて与えた
辰韓は秦韓と表記されていた。辰王は秦王)
秦氏が亡命する前後の中国大陸は、北側をチベット系の前秦のフケンが統治し、ペルシャ系、ツングース系
とか辺境多民族が混在する五湖十六国時代。同時にこの頃の中国は、すでに書聖王義之らが活躍する中世的オタク文化時代
---「後漢書東夷伝」では万里の長城の苦役にたえかねて中央アジアの 保護国から半島、日本に西域の民が集団で亡命
「魏誌東夷伝」では秦氏は背が高く、異国風の風俗で、身の回りを清潔にしていたらしい。

●350年頃(一説には220年頃)
応神天皇に呼ばれ弓月王(秦15世)が天山山脈のホータンあたりから一族120県を引き連れ、百済まできたが
新羅に邪魔されたので、任那まで葛城将軍(隼人系)他に助けに来てもらい渡来開始。頭満王とか先陣が帰朝(日本書紀)
*但し、実際は新羅系の瓦などが大量入植した秦氏根拠地からでるので、書紀記述は当時の政治的配慮で虚偽がある
(同盟の百済系というしかなかった。先祖が始皇帝というのも、同じ渡来人系の霊帝末裔を名乗る漢氏への対抗から)

●秦氏以降、応神、仁徳稜など前方後円墳が急に巨大化(最近半島でもやっと前方後円墳が見つかり始めた)
雄略天皇の時代に秦氏19万人、渡来系氏族だけでなく古代日本のなかで最大人口の氏族だった
秦氏は、各種の移民系種族の集合体で、王権が族長ウズマサ任命権をもって いた可能性大
他の氏族と異なる最大のポイントは、国造制、ミヤケ制の成立過程に王権直属の部族としてミツキの納府者として統括
され、クラの役職につき、その後の律令時代の大蔵省をになう経済官僚になる。
地方に入植した一族が土豪と融合したり、地元民を秦部に編成し、天皇制国家の成立根幹に関与?
古代には、物部、蘇我のように軍事的、政治的権力抗争をしない。
最大の組織 集団制をもつ、全国的な殖産、 市場重視の国家機能を寡黙に果たす。
製塩、銅、水銀、鉱産資源開発、治水灌漑土木、都市開 発、農業経営、養蚕、美術、宗教、財政、等実務的領域全般。
注目すべきことは、太子一族との関連でも有名なように上宮家財務 の責任者であるだけでなく、古来、秦氏の子供たち
からなる小子部(少年近衛兵、呪術、鎮魂を職務)をもち、隼人たち(大王近習、陵墓警護、朝義参加の習わしあり)を
率いていた点。

73名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 16:55:48 ID:sYito2/w
>>71-72よりつづく 
6世紀
●ウズマサ秦河勝、聖徳太子を補佐、上宮家財務の責任者、最初の遣随使の返礼で
隋書倭国伝「瀬戸内海沿岸に秦王国という中国語を話す人々からなる 地域(吉備)、さらに都はまさしく
秦そのもの(山城)のようだ」という記述あり
*ちなみに >>549
 >>秦氏=非漢族系他民族渡来集団
 >まず、このように断定(推測)できる理由がわかりません。どうして?
中華思想の漢族が、自らを秦氏だというはずがない。秦には西域、流浪とかの意味がある
8世紀まで大量移民してくる秦氏のなかに福音をもつ氏族がいてもおかしくないし、
当時の国際語だったアラム語、ヘブル語(イエスもアラム語を使用)が、漢字と同時期に大和朝廷に外交国際語として
流入していておかしくはないが...
蘇我の朝廷図書焚書事件で、表面的には消滅?

●784年
桓武(母方は百済系)+藤原種継(母方は秦氏)の計画で秦氏根拠地の山背(京都)に長岡京遷都、
その後種継は天武系シンパから暗殺されるが、藤原一族はこれを天武系
シンパ抹消に利用、保守派の万葉集の大伴家一族らも殺りく、天武系からもとの天智系に完全に戻す
(天武は天智と兄弟でなかった説がある、これで万世一系を再び確保?)
794 年、さらに秦氏に近い和気清麿(吉備の美作)らによる平安京遷都を強行、秦氏全国から人夫、資金提供

桓武+秦氏+和気清麿+藤原が1000年続く京都をつくる
秦氏については、伊勢神宮、八幡神社、お稲荷さん、山岳信仰、とか古い出雲系神社以外の多くの社建立に
関与、京都の開墾者として天皇家とも縁の深い松尾、上下賀茂神社、景教伝説のある広隆寺などを建立

そういう背景から、もっと中央の学者はまじめに秦氏を研究すべき
功績の割に評価も低いし、実態が見えてこないので、トンデモ説(上記もそうかもしれないがW)がはびこる

幕末に再び、秦氏系の幕府要人(勝海舟ら)、勤王土佐(長曽我部系の庄屋同盟、後の勤王党、海援隊、陸援隊)
隼人(秦人説もあり)末裔薩摩、渡来系長州らが盛り上がっているのも面白いしね
庄屋同盟では決起文に、「秦臣下」と書いていたはず...

74名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 17:08:19 ID:sYito2/w
389 名前: 天之御名無主 投稿日: 01/09/16 02:03

秦氏のことがでてくるので、ちょっと寄り道
>隋書倭国伝には、瀬戸内海沿岸に秦王国という中国語を話す人々からなる
 地域がある記述あり

これは古代吉備王国、いまの岡山県総社市秦のこと。オイラの実家で、一族は
「馬で大陸からやってきた」と歴史の教師だった祖父からよくきいた。裏庭には秦廃寺跡があり、
(県最古)吉備式瓦がいまでも掘るとでる。礎石の柱穴はでかいので鶏の餌場にしていたな(藁
最近、近くの鬼の城の発掘で日本最古の巨大山城の全貌が明らかになりつつあるらしい。
たたら(鉄製造)は古代ここにしかなく、神武(応神)天皇は8年間滞在と書記にはある。
ちなみに吉備は当時大和と連合しており、半島経営を担当。

さかのぼると350年頃、応神天皇に呼ばれ弓月王(秦15世)が天山山脈のホータンあたりから一族2万人
を引き連れ、百済まできたが新羅に邪魔されたので、任那まで葛城という武将に助けに
来てもらい亡命。ユーヅー(弓月王)たちはヤマトゥ(ヘブライ語?)に親秦政権が
樹立されたので再びきたとしたらしい。頭満王とか先陣が帰朝していたので。
ちなみに岡山の秦にはハシリュウの本家もあるし、ある神社の爺は始皇帝からの家系ズ
を公開して自慢している。始皇帝、オイラ信じてはないけどね、墓には百済系(新羅系もあり)
弓月王という表記が多いので、最近までそれを信じていたが、どうやら違うらしい
オイラの苗字はシルクロード入り口の地名で、半島出身じゃ伝承と違うからね(w

雅楽の東儀(秦末裔)のお母さんによれば、今でも年に一度、太秦と上陸地の赤穂で
秦氏末裔の交流会が開催されてるらしいが、参加したことはない。
トンデモ本の影響もあるので、ユダヤのことはみんな知ってるけど、中東、ペルシャ出身、
古代のシルクロードのユダヤ系華僑という自覚があるみたい。
いまも宮中で演奏する「越楽天」は景教音楽であることは宮内庁も認めてる。
秦氏寄贈がおおい正倉院には証拠となる宝飾品たくさんあるよ。
奈良時代に天皇家にもたらされた香木には、アラム語系ソグド文字の押し印とかある。
秦氏については、伊勢神宮、八幡神社、お稲荷さん、山岳信仰、とか古い出雲系神社
以外の多くの社建立に関与していたことは神社庁も認めてるし、京都の開墾者として
松尾、賀茂神社、景教伝説のある広隆寺なんか有名ですよね
ちなみに秦は「ハダ」とよみます、うちでは昔からそうらしい

75名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 17:09:33 ID:sYito2/w
  なお、景教が大陸で盛んに布教を展開したのは唐代になってか
  らで唐の滅亡と同時に景教もほぼ全滅する。
  秦氏は雄略天皇の時代に渡来したといわれており、残念ながら、
  唐代より約200年ほど早い。あぁ、ほんとに残念。
景教ーー4世紀に異端とされるが、中身はエルサレム教団と同じでむしろ正統派でしょ。日ユ同祖論、秦氏で重要な
のは、1世紀、後のシリア東方教会になるエルサレム教団(原始ユダヤクリスチャン)のほうで
特に12使徒のトマスはアッシリア、アルメニアを教国化した後、インド(一説にはチベット、
中国まで)で布教し南部ミラポールの現地で死んでるでしょ。
ユダヤコミュニティは紀元前には開封にも、シルクロード50カ国の多くにあったといわれてるし、
後漢の光武帝に侵入したチベット族はイエス伝説を残してる。つまり、2世紀にはすでに東洋で
最初の原始キリスト教国(エルサレム教団系)になっていた弓月国から、後に大量移民する秦氏
のなかに福音をもつ氏族がいるのは当然で、当時の国際語だったアラム語(イエスもアラム語を
使用、上流階級はコイネーギリシャ語を使用)が、漢字と同時期に後の大和朝廷に外交国際語として
流入していておかしくはない。(シリア語はアラム語の方言、ヘブル語と兄弟語)
秦氏が亡命する前後の中国大陸は、北側をチベット系の前秦のフケンが統治し、ペルシャ系、ツング^ス系
とか辺境多民族が混在する五湖十六国時代。フケンも東方クリスチャン、マニ教などの
世界型先端宗教の影響を受けた当時の進歩派で、後の景教の影響で民族融和と宗教の自由化政策で
史上初のコスモポリタン帝国維持を成功させるフビライたちの先駆者。
秦氏がきた頃の大和は、確かに天皇制度確立以前だから、こういうと混乱するが、
五湖十六国時代の中国は、書聖王義之らが活躍する中世的オタク文化時代でもあるわけで、あまり
トンデモよりの議論にもっていかないほうが面白いのでは
秦氏以降、応神、仁徳稜など前方後円墳が急に巨大化してるし、後の長岡京、平安京開発が彼らに
よることは反証しずらいよね。最近半島でもやっと前方後円墳が見つかり始めたし(w
その後成立する隋唐は、もう成立段階からペルシャ系とか移民複合国家なんだし、シルクロードの
終着駅である日本だけが中東、西域の影響がないという論こそ、トンデモですよ。

76名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 17:14:09 ID:sYito2/w
410 名前: 天之御名無主 投稿日: 01/09/17 19:50

遣隋使・小野妹子の帰国に従って来日した隋使・裴世清は、大和朝廷への
紀行で、対馬・壱岐を経て筑紫に至った後、さらに東行して秦王国に至った
と書いて、ここの住民はまるで華夏(中国)人と同じで、この国をなぜ蛮夷
の国と言うのか分からないと言っている。そこから先にも「十余国あって海
岸に達する」とあり、それらの国々については国名も挙げられず記事もない
ことから、江上波夫氏は、この秦王国は倭国王の都した大和の国だと断定し
ている。さらに、日本では、辰韓を秦韓と表記するなど「辰」の字は「秦」で
表されていることから、秦王とは辰王のことで倭国王の出自が百済の辰朝で
ある事を示していると主張している。
秦王国の位置については九州にあって、十余国を経て海に出て、瀬戸内海を
航海して直接大和に入ったと考えるのが自然だが、オレは江上氏の解釈を支
持する。
当時は聖徳太子の時代で、前に述べた通りオレは日本の王・タリシヒコ=聖徳
太子=蘇我馬子=弓月王(秦王)と見なしている。裴世清が秦王国と記したのは
まさに秦王(蘇我氏)が君臨する都だったからだろう。また中国人と同じと書
いたのは、秦人は中国人ではないが、中国文化をうけた塞外民の謂だったこと
が中国文献の用例から推知されることで説明できる。秦王国は正確には飛鳥で
はなく、秦氏の領国のことだろう。

77名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 17:24:52 ID:sYito2/w
429 名前: 天之御名無主 投稿日: 01/09/18 20:53

本州のDNAサンプルサーベイだと、アイヌ分類、琉球分類、
韓国分類、中国南部、北東部分類、ポリネシアン分類、そのいずれにも
はいらないグループシェアが26%
他にも東大のウイルスチェックで、本州東北部には白人コーカソイド
特有のウイルスをもつものが10%程度いるらしいよ
ユダヤについては初期移動神殿だった伊勢神宮の構造、警備方式、
儀式形態、使用されたランドマーク、紋章などが酷似
ユダヤ系中国人、アジア人もいるように、ユダヤ系 日本人がいなかった証明など不可能。

455 名前: 天之御名無主 投稿日: 01/09/20 06:16

戦前、北九州かどこかで初期大王の古墳らしき
墳墓を調査した宮内庁委託の学者が、古代ユダヤのトーラー
をみつけたんで、全部焼いた。ていうはなしをきいたことがある
また近く出てくるんじゃない、今はナチスとも同盟してないし
気兼ねなく公開していいよ(W

蘇我が朝廷図書館を焼いて無きゃね〜
「蘇我=秦氏」のひと、あの事件はどう説明されるのかな?

78名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 17:27:34 ID:sYito2/w
●万世一系の祭祀王たる天皇家とイスラエル王家の類似
神嘗祭、新嘗祭、大嘗祭など重要な皇室行事とユダヤ仮庵の祭りの酷似
●正月、餅、七草粥、御盆、盆踊り、出産、お七夜、婚儀...の類似
●天皇家の始祖といわれる「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」
(古事記、日本書紀の公式名、諡、神武天皇、ニニギ)の撥音は意味不明、アイデルバーグの
ヘブル語的解釈では「サマリヤの王、ヤハウェのヘブル民族の高尚なる創設者」
●「ニニギとヤコブ」神話、「山幸彦とヨセフ」神話、「天皇家とエフライム族の家系図」の類似
●十氏族のひとつゼブルン族の紋章の「船」と秦氏の古代家紋「船」は類似
●日本の神官の祭事服にある「房」と古代イスラエル人の風習の「房」は同一
日本習字教育財団会長だった原田氏(故人)は秦氏の末裔で先祖はイスラエルと公言、
家には古来からの「房」があった
●森有礼(明治の文部大臣)は伊勢神宮の三種の神器のひとつ「八タ鏡」の裏面に
ヘブル語「エヘイェ・アシェル・エヘイェ」
(I AM THAT I AMを意味する出エジプト記3-14の有名な言葉)をみたと主張。
そのレプリカは皇居の賢所にあるが、天皇さえみてはならない。他にこれをみたのは
戦後GHQ将校、青学の左近博士。(森有礼説を追認したという噂)
●昭和27年、ある夜ミハエルコーガン、三笠宮グループがこの真相を調査しようと盛り上がった
ところ、翌日同席していた東京イブニングニュースの支局長により同紙にスッパ抜き記事がでた。
調査されたかどうかは不明だが、海外でもこのニュースは話題となる。
その後、元海軍将校の矢野祐太郎が伊勢神宮宮司から密かに写生させてもらったいう模様のコピー
をトケイヤーが入手、神代文字、アラム文字、ヘブライ文字に似てはいるがなんとも判読しがたい
ものらしい。

79名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 17:28:43 ID:sYito2/w
●万世一系の祭祀王たる天皇家とイスラエル王家の類似
神嘗祭、新嘗祭、大嘗祭など重要な皇室行事とユダヤ仮庵の祭りの酷似
●正月、餅、七草粥、御盆、盆踊り、出産、お七夜、婚儀...の類似
●天皇家の始祖といわれる「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」
(古事記、日本書紀の公式名、諡、神武天皇、ニニギ)の撥音は意味不明、アイデルバーグの
ヘブル語的解釈では「サマリヤの王、ヤハウェのヘブル民族の高尚なる創設者」
●「ニニギとヤコブ」神話、「山幸彦とヨセフ」神話、「天皇家とエフライム族の家系図」の類似
●十氏族のひとつゼブルン族の紋章の「船」と秦氏の古代家紋「船」は類似
●日本の神官の祭事服にある「房」と古代イスラエル人の風習の「房」は同一
日本習字教育財団会長だった原田氏(故人)は秦氏の末裔で先祖はイスラエルと公言、
家には古来からの「房」があった
●森有礼(明治の文部大臣)は伊勢神宮の三種の神器のひとつ「八タ鏡」の裏面に
ヘブル語「エヘイェ・アシェル・エヘイェ」
(I AM THAT I AMを意味する出エジプト記3-14の有名な言葉)をみたと主張。
そのレプリカは皇居の賢所にあるが、天皇さえみてはならない。他にこれをみたのは
戦後GHQ将校、青学の左近博士。(森有礼説を追認したという噂)
●昭和27年、ある夜ミハエルコーガン、三笠宮グループがこの真相を調査しようと盛り上がった
ところ、翌日同席していた東京イブニングニュースの支局長により同紙にスッパ抜き記事がでた。
調査されたかどうかは不明だが、海外でもこのニュースは話題となる。
その後、元海軍将校の矢野祐太郎が伊勢神宮宮司から密かに写生させてもらったいう模様のコピー
をトケイヤーが入手、神代文字、アラム文字、ヘブライ文字に似てはいるがなんとも判読しがたい
ものらしい。

80名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 17:29:44 ID:sYito2/w
以下、あくまで伝承、あるいは後世の作成でしょうが...

●京都の大酒神社はもとは大辟(おおさけ)神社と称され、祭神を秦始皇帝、
弓月王(ゆんずのきみ・ゴンユゥェワン)、秦酒公(はたのさけき
み)。秦始皇帝14世の孫、功満王(こうまんおう・ゴンマンワン)が中
国の兵乱を避けて来朝し、ここに勧請したのが始まり。この功満王の子とされる弓月王が
百済から(広隆寺伝)127県18、670余人を統率して渡海、その孫が酒公だと
される。(日本書紀)畿内で40万の人口と推測されている当時、これは5%にあたる。
この神社の門柱には「ウズマサ明神」をまつっていると書かれている。
ウズマサとは、「ウズ・マサ」イエス・メシヤを意味するアラム語イシュ・マシャからか?
もう一つの門柱には「機織管絃楽舞之祖神」ともある。
「大辟」つまりダビデ(ダビデの子であるイエス?)の漢訳
(中国ではダビデ大王を大闢(ダーピー)大主と表記)
ダビデは、竪琴の名人。雅楽・楽器は、ペルシャ楽舞に源流を見ることができ、
シルクロードを通って渡来。
●弓月王は中国の巨丹(新彊・ウイグル自治区のホータン)に生ま
れ、弓月国とは、敦煌よりさらにはるか西にある原始クリスチャン国。
陽関地方を含めた120県から一族を集めて、AD238年に大挙し
て日本に移住して来た。この地方に「弓月の君、百二十県の民を率い、
大挙して日本に渡来、移住す。」(史記)という記録が残されている。
●当時のシルクロードはユダヤ人、ペルシャ人が支配。
旅程6日ごとにシナゴーグが置かれていたともいわれる。
●兵庫県赤穂郡坂越町、大避神社(おおさけ)。天照大神、春日大神、大避大神をまつる
秦氏の祖霊を祀った古社。大避大神とは、「大辟」つまりダビデの漢訳
(秦河勝を祭神とする分祀は三十余社あった)
●秦河勝(はたのかわかつ)の所持した神楽面をご神体として小祠をたてた大避神社。
神楽面は正倉院の湖王面と近似、頭上に天使ケルビムの像が彫られている。河勝は雅楽の祖とも
いわれる。観世弥、世阿弥親子は秦河勝の直系子孫

81名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 17:30:44 ID:sYito2/w
●木嶋坐天照御魂神社
通称「蚕の社」とよばれている秦氏創建の神社。 以前には「景教徒・キリスト教・ネストリウス派の秦氏が・・・」と由緒書にあった。代々、秦氏系の神服氏が宮司を務める。(ユダのヘブル語発音は、エフダで訛って秦(ハダ)になったといわれる)
境内に清水がわき出す泉があり、「元糺の池」の中央に鳥居が立つ。
日本で数少ない三方が正面となっている「三柱鳥居」があることで有名、他に山口、東京の三井家
の神社も「三柱鳥居」(キリスト教三位一体を表わしているといわれる)。どの方向からも正面として池の中央にある御神体の「泉」を参拝できるように工夫されている。
古来「元糺の池」では禊ぎをしていたが、その後、秦氏関連の下鴨神社の「糺の池」にその習慣は
受け継がれ、平安時代には天皇家が土用の丑の日に禊ぎをしていた、現在の「御手洗祭り」。
天皇家の「葵祭り」で有名な上賀茂神社と下鴨神社は秦氏の縁戚神社のひとつ。
●ユダヤ、キリスト教の「洗礼(バプテマス)」と神道の禊ぎは類似しているが、イスラエルの
バプテマスの池と「元糺の池」、下鴨神社「糺の池」の階段建築構造も類似している。
●広隆寺
山城最古の寺院、別名「蜂岡寺」、秦公寺、葛野寺、太秦寺とも。
秦河勝が聖徳太子の命により(推古天皇11年603年)建てたもの。「南蛮寺」ともいわれていた。
江戸後期の儒学者:大田錦城は、この寺について「寺という名はついているが
仏教の寺ではない。景教の寺である。」といっている。国宝第一号で有名な
『ミロク菩薩』 があり、菩薩の指の形が、キリスト教三位一体を表わしている
ともいわれる。(西域の十字架を持つ景教僧侶の指の形と同じ)
●この寺の横には、万葉集にもでてくる『いさら井』 という井戸が今でもあり、
「イスラエルの井戸」「ヤコブの井戸」と指摘する学者もいる。昔は十数ケ所にあった。

82名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 17:39:28 ID:sYito2/w
「建国の謎の4世紀」を調べるなら研究者はまじめに、大陸の五胡十六国とか
当時の多民族の動静と極東政治情勢をおさえてほしいね
鮮卑、匈奴などの騎馬民族だけでなくチベット系、ペルシャ系西域民族が
どのように大陸でクニをつくり離散集合をくりかえしていたか。
前秦フケンの民族融合策(長安と洛陽の住民総入れ替えなど)とかは
世界史的にも画期的だし、南に逃れた漢人の東晋では、文化的にも百花繚乱
の黄金期で王義之たち文人の「曲水の宴」の時代。
当時の儒学の頂点は匈奴の劉淵だし、そういう戦国経済文化高揚の時代に
初期大和朝廷は成立してるのだから、大陸からの亡命者、移住者の多民族
受容は日本の各地のクニにとっても政治的に重要な政策だったと思うけどね
当時ペルシャ人とかがわんさかいても誰も気にしないって(w
7、8世紀頃とかまで栃木あたりでは日本にはいなかった羊牧場があった
というはなしだし、吉備、北九州あたりの初期納税者の大半は渡来系氏族だぜ。

83名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 17:40:48 ID:sYito2/w
おれは昔の景教/原始キリスト教(ユダヤ教)論の佐伯博士、騎馬説の江上
博士、ユダヤ論者のトケイヤー、ケンジョゼフなどのトンデモ系と称される
ひとたちと、地味な秦氏研究者の平野早大教授、加藤成蹊大講師らの実証研究を加え、実家の
吉備秦廃寺や一族伝承の実話をつないでみせただけで、ここのスレのなかでは
すこぶる良心的容認派なんだがな...(W

庭からでてくる秦廃寺(岡山県下最古の大規模寺、五条の都市構造もあり、
多分発掘されればすごいと思うが、礎石からみて法隆寺並み)の吉備式瓦を
通販で売ってもいいぐらいだよ(W
1万年前のプラント・オパール(縄文水田)も国内最古のたたら跡もすぐそばだし...
キムタルスも「ヤマトより古く奥が深すぎてみえない」て言ってるらしいしね(W

いっとくが、前にもだしたが秦氏は新羅系だとか百済系だとかいうレベルの
渡来集団ではなく、何百年にも渡り何波にもわかれ渡来してきた複合異民族
集団で古代最大の氏族人口と天皇制度を根幹から支えてきており、それゆえ
彼等のシルクロード(ユダヤ含む)文化は重要だという意見ですからね

NHK「日本人はるかな旅5」で、複数のルーツを持つ弥生人の一部は、中国での
春秋・戦国時代の戦乱を逃れて日本に来たとし、その頃の詩を収録した「詩経」の
一作を紹介していた。中国大陸を後にした人の詩と考えられているようだ。

「三年汝に仕ふれども   我をあへて顧みるなし   ここにまさに汝を去り
彼の楽土へ敵(ゆ)かんとす   楽土 楽土   ここに我が所を得む」

「彼の楽土」って「約束の地」を彷彿させるな。
秦氏の祖とされる秦の始皇帝は、名は忘れたが欧州の歴史家の中にもユダヤ人説を
唱える人がいるようだ。ユダ王家→始皇帝→百済辰王→蘇我氏という系図が成立する
かもしれない。百済の辰朝が、本当に三韓を支配した馬韓の辰王家の子孫かどうかは、
歴史学会で議論があるようだが、馬韓の辰王家は中国式の高度な行政組織を持ち、
騎馬民族であった可能性には疑問符が付けられている。
始皇帝は日本に徐福を送ったが、不老不死の妙薬を求めたというのは表向きの口実に
すぎず、他に目的があったのでは。秦氏もまず半島から日本に使いを送り、その民の
日本への受け入れと、そのために必要な施策を大和朝廷に要請した。

84名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 17:42:15 ID:sYito2/w
>「彼の楽土」って「約束の地」を彷彿させるな。

たしかに、東への憧れ、「約束の地へいく」という表現は古事記、日本書紀の神武東征伐にも
でてくる
今月奈良で5世紀の渡来人居住地から騎馬系のオンドル式住居が発掘されたらしいが、秦氏は
どうみても騎馬系。彼等が来てから巨大化する応神 、仁徳天皇綾をみてもその土木技術は半端
じゃない。天皇家との関係も深いと言うか同族のようなつながりを感じる。
徐福伝説ではないが、秦氏は卑弥呼以前から先陣は帰朝していたのではないかという説も有る。
もし3000人規模の徐福部隊が一度に九州あたりに上陸していたなら、言語、文化、風習への
影響は絶大だったはずなのに、やはり定住はしていなかった?
それとも東征し、ヤマトで同化し、三輪王朝につながる王朝を開いていた?

蘇我=太子説は、その後の藤原家の台頭を考えるとあり得る。
「蘇我=悪者」「太子=聖人君主」というイメージ操作で、蘇我+太子が編纂したといわれる
「国書」?「天皇記」?も焚書させてるし、古事記、日本書紀では古代はみえてこない
蘇我=太子の分離イメージ工作は、12階制度で異常な昇進をした秦河勝(当時の一族の長、ウズマサ)を同時期に朝廷から追い出した、秦氏一族内部の内紛でもあったのかも。
秦氏自体は藤原家にも代々血族をいれ、その後長岡京、平安京を造営している。(山背のウズマサ本家敷地が後の平安京の宮殿となる)

よく聖徳太子の母親の間人媛?がペルシャ系だという話があるけど
気になる。前にNHKがやった 聖徳太子シリーズで 亡き太子を
偲んで蘇我馬子の娘でもある妻が国宝の「天寿国繍帳」?を
秦クマ?(なんか入試にでてたような、懐かしい)に作らせた
らしいけど、その再現CGをみたら天寿国=天国だね

悲劇のプリンス山背皇子も名前からして明らかに秦一族がバックアップ
してるぞていうかんじ。確か桓武天皇も幼少期は母の実家の山背で育成されていたはず

85名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 17:52:21 ID:sYito2/w
875 名前: 天之御名無主 投稿日: 02/01/27 23:14

主に西日本の縄文人の居住地や遺跡から発見されるペトログラフ(ペトログリフ)は、
楔形文字(シュメール文字の完成型)の源流であるシュメール古拙文字らしい。
この分野はIFRAO(国際岩刻画学会連合)を中心に世界の一流学者、研究者が
取り組んでいる。ハーバード大などの欧米の学者も「日本にあるのは明らかに
シュメール古拙文字やシュメール文字で彫られたペトログラフに間違いない」と
みなしている。
彦島で発見されたペトログラフは、6500年以上前の製作と確認されており、
米国碑文学会では、シュメール古拙文字と同定している。
平成2年、カナダ国際考古学会で他分野の専門学者が成果を突き合わせ、
6500年前には、ユーラシア大陸を中心に、世界的規模で人類の移動があったと結論付けた。

934 名前: 天之御名無主 投稿日: 02/03/18 20:22

遺伝子レベルでの日本人のルーツの調査は色々データがあるが、日本人は北海道から
沖縄まで完全に均質な民族で、バイカル湖付近から樺太経由で日本列島にやって来た
という研究もある。学会の大勢となっているわけではないが。
http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg

これが真実ならば、身体的特徴が異なる弥生人と縄文人のルーツが同じであることが
証明されるし、複数のルーツを持つはずの弥生人は、実は同一集団の枝分かれに過ぎ
なかったことになる。
もっともその場合、縄文人のルーツが北方系と南方系に大別されるという仮説は
見直す必要が出てくる。

86名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 17:55:16 ID:sYito2/w
そういや日本書紀の聖徳太子記述は、17条憲法が詳細すぎる、しかもむちゃ同情的
しかも、秦氏の登場の仕方は異常。応神天皇が弓月王(渡来始祖、始皇帝15世)
の人民120県が新羅に邪魔され渡来できないと知り、百済に寵臣を送り、
3年をかけて招き、以来ことあるごとに雄略他、数名の天皇記に登場している。
初代大蔵卿になる秦大津父は継体の子、欽明天皇が幼少のおり夢にでてきて
「秦大津父というものを寵愛すれば、(貴方は)天下を治めるだろう」とまで
いわせ、大津父に「これもかって伊勢で2匹の血だらけで噛み合う狼をなだめ仲裁
したことの報い」だろうと、他の氏族にはない我田引水な記述。
太子パトロンの秦河勝にいたっては、有名な「太秦は神のなかでも神という評判」
という「常世の神」の歌をときの人民がつくったと、編集者による先祖自慢もいいとこ。
1000年の都、平安京をつくるために、当時唐(ペルシャ系)と繋がる藤原4家が西域出自の先祖
を、いかに権威化しようとしていたかが分かるね
(関係ないけど、太秦はウズマサ、大秦はローマ、シリア)

>> 946
景教=ネストリウス派 のまちがい、スマソ(ちなみに中国には7世紀に伝播)
>>948
そうね、国教というのはいいすぎ、公認され「大秦 景教」としてペルシャ人坊主が活躍した

佐伯博士の説、高木ケイゾウ、他---弓月国はAD199〜283年には成立、イスラム改宗以前はキリスト教徒
だったトルコ系タタール人が多数住むエリア、2世紀には聖トマス後裔の東方原始キリスト教
(ユダヤ教)の布教が西域、インド、チベットまでされていた
魏志韓伝---秦人が秦韓(後の新羅)、弁韓を建国と記述、後に分裂
ウズマサ---旧約聖書のアラム語のインド北部方言(セム語系)で イエス・キリストは「ユズ・マサ」

>やた鏡の裏面の古代ヘブライ文字
三笠宮が英字新聞にスッパ抜かれたので、一度周辺に否定したが、その後
東京タイムスオーナー他に「みたらやはりヘブライ文字のようなものがあった」
と伝えているという話が各種の本には載ってますが
アイデンバーグの本に掲載されてる模写は、一見ヘブライ文字のようですが、
神代文字のようでもあり、よくわからないというのが真相ですね
もちろん、それ自体がネタであっても別に否定論の根拠にはならないでしょうし

87名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 18:05:14 ID:sYito2/w
527 :世界@名無史さん:2007/07/12(木) 16:01:11 0

古代エジプト文明を築いたのはイスラエルです
エジプト古王国は日本人の祖先のイスラエル王朝
古王国の彫像は日本人の顔をしている
古代日本の遺跡はエジプトと同じ尺度で造られている
例えば、法隆寺が神聖キュビト尺で造られているなど
古代エジプト語には日本語が夥しく含まれる

http://www.geocities.jp/atelier_efraym/

ちなみに今のヘブライ語はエジプト時代のイスラエルの言葉とは違うらしい

558 :世界@名無史さん:2007/09/07(金) 07:36:27 O
そもそも北支族は南ユダヤとは、かなり違う豊かな文化を持っていたとドイツやイタリアなどの学者が書いたものを読んだ事がある。
つまり今のギリシア、イタリア、シリアなど北方面地域との文化交流がかなりあった。イスラエル方言(北)とユダヤ方言(南)は、かなり違う面があったらしい。

現代日本語の「は」や「へ」は、語を特定したり、方向を表して各語の末尾に着くが、万葉集などでは、「は」が語の前に着いているとも考えられるような、前後の未分化状態です。
つまりヘブライ語の定冠詞ハha(英語のthe)と方向(場所)の語尾ha,heハとヘ に由来する以外に、考えられないのです。

さらに北支族は、ギリシアの影響も少なからず受けていたとされ、「なので」のような意味を持つつなぎ言葉ガルGARのRが脱落して日本語の「が」になっている可能性が大なのです。garは「が、...」のように文頭にも使えるのです。
同様に日本語の「と」もギリシア語のto,touという冠詞のような、あいまいな意味の、まさに繋ぎ言葉に由来している可能性が極めて高いはずです。
というのも、北支族が外来語を今の日本の英語のように文法上「破格」的に使っていた可能性も充分あるからなのです。

88名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 18:06:16 ID:sYito2/w
568 :世界@名無史さん:2007/09/17(月) 04:24:24 0
(´・ω・`) < 「ユダヤ人マナセ族→羌岷(チャンミン)族→羌人→越人or呉人→縄文人」にならないかなぁ?エロイ人おしえて

民族学伝承ひろいあげ辞典 2006/7/1(土)午後6:06 縄文時代人バイカル湖起源は整合か否か1
 …日本列島の先住民だった縄文時代人のDNAには中国東部のカザフ地方の古代人のものが34parの割合で入っていた。…
 日本の弥生時代にあたる中国の史書「魏志」に出てくる「黥面文身」の風習が、
ちょうど中国江南地方の呉越の人々の風習に合致する…。…
彼らは越人とも呉人とも言われるところから、おそらく同族であったと思われる。…
 …呉国王孫権は額に黥面文身していた。…その呉太伯は…中国北東部の犬戎種族である羌人であった。
すなわち日本の縄文時代人の中に流れる血液、DNAには中国北東人のものが基礎となっていたことになるのではなかろうか。…
 この隼人が祭る神の国である大隅阿多地方にある正八幡・大隅国鹿児島神宮は
なんと呉太伯を祭る唯一の神社であり、彼らは自ら呉太伯の子孫であると名乗っていた。…
 全く同じことを名乗っているのが中国の呉越人なのである。…
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/10257507.html

神のホームページ>DnA分析とエフライム>4.弥生時代以降の変化と秦氏について
(2) 秦氏の謎について:
 秦氏…、朝鮮半島東北部の新羅(4C中-935)に在住していた…。…
 …新羅が377年にはじめて前秦(チベット系・(てい))に朝貢したという記録が宋時代の文献にあり、
この時代からチベット系の人々と新羅との関わりが出来上がる。…
 そのうちの、チベット系の羌(キョウ=タングート、蔵人)が384年後秦を建国し、わずか33年後に後秦が滅亡(417年)したが、
その新羅へ逃亡した民の末裔が秦氏一族であるという説がある。…(BY.田辺尚雄氏(1883-1984))
 そして、この羌は、アミシャブが発見した現在の中国四川省の少数民族の羌岷(チャンミン)族と同じである。
羌岷族は、後秦滅亡の時、山地へ逃げた民の末裔で…、秦氏は、マナセ族の末裔であることが考えられ、…
すでに、BC231年に現在の中国の開封(カイファン、河南省、シルクロードの終点の一つ)にユダヤ人の居留区があった…。…
http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/00000dna4.htm

89名無しのひつじさん:2007/09/17(月) 18:16:17 ID:sYito2/w

★DNA調査ポイントの青写真  ・・・・ 日本とイスラエルのリバイバルに向けて
          ↓
 http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/000000sekaiidennsi1.htm

90名無しのひつじさん:2007/09/22(土) 21:11:35 ID:sYito2/w
573 :世界@名無史さん:2007/09/20(木) 21:32:47 0
テレビ東京 : 新説!?みのもんたの日本ミステリー!3〜失われた真実に迫る!
9/21(金) 21:00 〜 22:48
日本のルーツは古代イスラエル・ソロモンの秘宝は四国にあった!?

過去2回の放送でも取り上げた衝撃の報告、「日本のルーツは古代イスラエル」。
日本語とヘブライ語には500もの同じ音と意味を持つ言葉があるという。今回番組では、
京都の祇園祭りと古代イスラエルの共通点に注目した。八坂神社を総代として
疫病退散を願って1ヶ月にわたり繰り広げられる祇園祭。古代イスラエルには、
7月から1ヶ月行われる“シオンの祭り”が存在する。はたして“祇園”イコール“シオン”なのか!?
また、日本の神輿と類似する古代イスラエルの聖なる箱「失われたアーク」が、
四国徳島の剣山に眠っているという情報を得て、四国に向かう・・・。
http://www.tv-tokyo.co.jp/nihonmystery3/

91名無しのひつじさん:2007/09/28(金) 22:11:03 ID:HbWBluiw
見たよー、その番組!! いや〜すごかったね〜!!神輿に イサクが

リベカから水をもらう絵や 砂漠のらくだの絵が 描かれているなんて信

じられないいよ〜〜!!ユダヤ人が 来てたのは間違いないね!!

あれテレビ東京の番組だよね、映らない地方もけっこうあったりするから

意外と見た人は 少ないかもね・・!!メジャーチャンネルで、ゴールデン

タイムでやれば もっと反響があるだろうねえ・・・それやってほしいよ

ねえ・・・それに徳島の剣山に ユダヤ人伝説があるってやってたけど

徳島には もうひとつユダヤ人伝説の場所があるのよ・・神山ってとこ

なんだけど かみやまと読む。なにやら名称からして いわくありげな感じ

だよね〜。その地にもいろいろな物証が 残っているんだけど モーセの岩

と呼ばれる大きな岩があって 本当にモーセの顔そっくりなんだよなー!!

もちろんモーセが どんな顔してたかわからないけど どうみても彫りの

深い外人の顔してるのよー!自然にできたものではなく 人口的に彫られた

ものらしい・・ここも取材して放送してほしいなあ・・詳しくは 郷土史家

地中孝氏の著書 聖櫃とウカヤ王朝ー神山に隠された古代阿波の言霊ー

幻冬舎ルネッサンス 1429円 を興味ある人は ご覧あれ・・

92名無しのひつじさん:2007/10/05(金) 21:49:44 ID:/GTeHdBk
474 :天之御名無主:2007/08/16(木) 17:00:36
「マナの壷」は「八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)」として天皇が所持しており現在皇居内部の賢所に安置されている。

「アロンの杖」は「草薙の剣」として熱田神宮のご神体として安置されている。

「モーセの十戒石板」は「八咫鏡」として伊勢神宮の内宮に祀られている。

「契約の箱」は明治天皇によって封印され伊勢神宮の内宮にある。

「聖十字架」は内宮の地下殿にある。

イエスの罪状板は伊勢神宮の本宮となる伊雑宮にある。

モーセの旗竿(ネフシュタン)は伊勢神宮の外宮にある。

93名無しのひつじさん:2007/10/08(月) 17:15:20 ID:/GTeHdBk
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E8%B5%B7%E6%BA%90-%E8%B6%85%E7%9F%A5%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-%E3%83%A8%E3%82%BB%E3%83%95-%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0/dp/4198621101

Amazon.co.jp: 日本書紀と日本語のユダヤ起源 (超知ライブラリー)
日本・ユダヤ同祖論の嚆矢! ユダヤの失われた10部族問題に、日本書紀からも迫った注目の一冊!

http://www.amazon.co.jp/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%AB%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E5%B0%81%E5%8D%B0%E3%81%AE%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E5%8F%B2%E2%80%95%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F10%E9%83%A8%E6%97%8F%E3%81%AE%E8%AC%8E-Natura%E2%80%90eye-Mysteria-%E3%83%A9%E3%83%93%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3-%E3%83%88%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC/dp/4198609659/ref=pd_bxgy_b_text_b/249-9869877-6740348
                  ↓
聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎 (Natura‐eye Mysteria)

94名無しのひつじさん:2007/10/18(木) 18:41:38 ID:NNbA2INc
★参考出版書籍の紹介
     ↓
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/katarogu.htm#kagakuno

■科学的創造論シリーズ「ノアの大洪水以前の地球」
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/yomemasu.htm

95名無しのひつじさん:2007/10/27(土) 20:36:00 ID:/GTeHdBk
626 :天之御名無主:2007/10/09(火) 11:37:29
卑弥呼の献上品?邪馬台国時代のベニバナ花粉みつかる
2007.10.2 18:10

 女王卑弥呼(ひみこ)で知られる邪馬台国の有力候補地、奈良県桜井市の纒向
(まきむく)遺跡で、3世紀前半の溝跡にたまった土から大量のベニバナ花粉が見
つかり、市教育委員会が2日、発表した。織物の染料とみられ、国内で確認された
最古の例。

 「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」によると、243年、卑弥呼が魏に赤や青の織物
を献じたと伝えている。当時の大陸との交流を考える貴重な資料になりそうだ。

 エジプトや西アジアが原産のベニバナは、中国などから日本に伝わったとされ、
これまで6世紀後半の藤ノ木古墳(奈良県斑鳩町)の石棺から花粉が見つかって
いたのが最古だった。

 市教委は「中国との直接的な行き来の中で、最新技術だった染織が持ち込まれ
たのだろう。指導役の工人が来て栽培までしていたかもしれない」としている。

 市教委が依頼した奈良教育大の金原正明准教授(環境考古学)が分析。溝跡
(長さ6メートル以上、幅1・5メートル、深さ1メートル)の土に、1立方センチ当たり
270−560個の「自然では驚異的な数」(同准教授)のベニバナ花粉が検出され
た。金原准教授によると、当時、国内の他の地域ではベニバナの花粉は見つかっ
ていないという。

 ベニバナの染織は、水溶性の黄色の色素を水で洗い流し、残った赤い色素で染
めるが、花粉はこの廃液に含まれていたと推定した。溝の約150メートル上流は
神殿建物跡などが出土した纒向遺跡の中枢で市教委は組織的な工房があったと
みている。

 纒向遺跡は箸墓古墳などの前方後円墳が点在する巨大集落跡で、初期大和
王権につながるとされる。

96名無しのひつじさん:2007/10/27(土) 22:29:29 ID:Yhj2nCC.
レムナントが好むような ネタ age

97名無しのひつじさん:2007/12/07(金) 20:44:38 ID:/GTeHdBk
聖書ってスゴい

http://www.google.co.jp/gwt/n?u=http%3A%2F%2Fwww.geocities.com%2Fmakiba.geo%2Fnihon%2Fnihon00.htm&hl=ja&q=%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%AF%E6%AD%8C%E3%81%A8%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88&source=m

98名無しのひつじさん:2007/12/07(金) 21:04:47 ID:/GTeHdBk
581 :天之御名無主:2007/09/28(金) 00:43:30
ユダヤ人到来説考察
2007年9月21日にテレビ東京で放送された「新説!?みのもんたの歴史ミステリーSP」
に「ユダヤ人が日本に渡来していた」という説があり、最初は半信半疑だったが、ある可能性
に気が付いてググってみた。
可能性とは中近東とインドの間の貿易ラインに乗って、まずインドまで移動、その後、チャンパ
等、古代の東南アジア貿易で活躍した民族の商船をチャーターして中国沿岸部へ移動、さらに
日本へ移動したという図式で、「海のシルクロード」がヒントになった。
まず古代の中近東とインドの貿易だが、旧約聖書に登場する「シバの女王」の国、イエメンが
インドのコーチンという港町までルートを持っていて紀元前の時代からユダヤ人が住み着いて
いたという(実際にユダヤ人街がある。)。
後はチャンパ(インドの影響が色濃い王国で中国とも盛んに貿易していた。)を媒介に南中国へ
移り、そこから日本へ渡航するという方法なら陸路を1万1千キロ移動するよりは安全だし
船なら大量に移動出来た筈だ。(それでも何世代か、かかったろうけど。)
問題なのは何故わざわざ当時の東アジア最大の帝国だった中国ではなく、辺境の島国だった
日本へ移動したのかだが、日本の九州沿岸部で産出する貝紫(ロイヤルパープル)が目当て
だったのではと推論してみた。
貝紫というのは古代地中海世界で珍重され、同じ目方の金と交換されたと言われるほど希少な
染料の事である。これを採取しインド経由で地中海方面へ輸出すれば多大な富を得られると
考えれば、日本に移住する事も考えられるだろう。(経済的理由が総てでは無いにしても
大きな原動力になった筈だ。)
諸君による推敲を求む。

99名無しのひつじさん:2007/12/07(金) 21:06:31 ID:/GTeHdBk
599 :天之御名無主:2007/10/04(木) 03:48:02
ユダヤ人到来説考察(2)
前回は中近東から海路でインド、中国を経れば日本へ来る事自体は可能という考察を行ったが、
今回は何故、124県とも言われる大勢の秦氏が日本へ移住したのかを掘り下げて考えたい。
公式には中国にユダヤ人が住み着いたのは12世紀以降の開封という街だけという事になっているが
記録に残っていないだけで他にも存在していた可能性はある。
秦氏が来朝したのが応神天皇の14年(西暦284年らしい)とされている。
これより前に、秦氏が居住していた場所で何か大きな出来事が起こったのだろうか?
実は西暦280年に晋の武帝(司馬炎)が三国(魏、呉、蜀)を統一している。
2世紀は三国志の動乱の時代でもあり、この時期に貿易の為に訪れた外国人が街を作っても
歴史に残りにくい(もっと大きな事件が山ほどあるわけだから。)だろう。
たぶん、中国南部(呉)に居住していた秦氏達は呉の滅亡に際して他国への移動を余儀なく
されたのではないか?
中国南部から朝鮮半島伝いに4年近くかかって日本へ移動したとすれば、時間的にも説明が付く。
彼らが呉に住んでいた記録は戦乱で散逸し、闇に消えたと考えれば歴史に残らなかったのも
不思議では無いだろう。

100:2007/12/07(金) 21:10:32 ID:kMd1W0T2
いじめ撃退法


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