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■■神道とキリスト教のつながりについて
185
:
名無しのひつじさん
:2008/08/13(水) 17:36:42 ID:p7mjrdgY
<続き>
(5)AD4世紀中頃
楽浪郡(コマ)
↓
○○○○○△▽△←ワイ州(ワイ諸部族の居住地)
○○○○○▽△▽
◆◆◆◆◆▼▼▼←ケリン(ワイ族国=辰韓。元はシラキ領)
◆◆◆◆◆▼▼▼ 〔シラキから分離〕
◆◆◆◆◆▼▼▼
◆◆◆◆◆▼▼▼
◆◆◆◆◆▲▼▼
◆◆◆◆◆◆▼▼←ケリン領土となった南加羅(ありし日のカラ)
◆◆◆◆◆◆▼▼
↑ 【日本海】
ミマナ(シラキから改号。3世紀後半にシラキと馬韓[クタラ]が合併)
7世紀以前のカラ半島は、大きく3つのブロックに分けて考える必要がある。
まず、紀元前から漢人が住み、半島文明の中心地だった西北部=楽浪郡地方。
そして、太白山脈の東側(半島東北部)にあり、文明とは無縁だったワイ地方。
最後に、日本文明圏の一部であり、古代ヤマトの領土であった韓(カラ=南部)である。
これらの3つの地方は、異なる民族が住んでいたのだ。
朝鮮人の先祖が住んでいたのは、この3ブロックのうち、文明がほとんど発達していなかった
ワイ地方(半島の東北部)であった。ワイ族が半島全域に移住するのは8世紀以降である。
7世紀の『白村江戦争』は、半島南部の倭人連合と半島東北部を本拠地とするワイ族連合の戦争であった。
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